† Pierrot †





 暗い空から降り注ぐ白い綿毛が、街中を覆った日の事だった。
 「冷えると思ったら、とうとう降りだしたね・・・」
 呟いて、馬車の幌から顔を出した老婆は、肩に羽織ったショールを念入りに巻きつけた。
 寒い日ではあったが、石造りの建物の間を吹き抜ける、強く冷たい風は止み、賛美歌と笑みほころんだ人々の漂う街は、いつまでも明るく、暖かい。
 遠く、近く、街のあらゆるところから流れてくるクリスマス・ソングは、絶妙の調和をなし、老い病んだ老婆の心さえ浮き立つようだった。
 「さぁて・・・間に合ったようだよ」
 再び呟いて、老婆は、自身の目の前に並んだ、多くの包みを満足げに見渡す。
 質素だが、念入りに包装されたそれらは、彼女の『子供たち』へのクリスマス・プレゼントだ。
 「サンタさえ失敗しなければ、今年もうまく行くはずだよ」
 くすくすと、若やいだ笑声を上げながら、彼女は、幌の奥にある粗末な箱の中に、慎重にそれらを隠し始めた。


 翌朝は、昨日の雪曇が嘘のような晴天だった。
 クリスタルのような陽光が、街を覆う雪に反射して、いつもは薄暗い街を輝かせている。
 「朝からこんなお天気なんて、やっぱり、クリスマスは特別だねぇ」
 馬車の幌から顔を出し、輝く街を眺めていた老婆は、付近に停められた馬車から、目を覚ましたらしい『子供たち』の歓声が、次々と上がる様に、満足そうに目を細めた。
 と、その中の一両から、幼い子が転げるように駆け出てきた。
 「おばあちゃん!おばあちゃん、見て見て!!」
 老婆の前で急停止すると、少年は嬉しげに両手を広げ、くるくると回る。
 すると、サラサラとした淡いブラウンの髪が、陽光を弾いて、金色に見えた。
 「新しいセーターだね、アレン。とても可愛いよ」
 そう言ってやると、少年は嬉しそうに笑う。
 「サンタクロースが来たんだよ!枕元に置いてあったんだ!!」
 「それはよかったねぇ。あんたが、いい子にしていたからだよ」
 幌の間から痩せた手を伸ばし、柔らかい頬を撫でてやると、甘えるように擦り寄り、嬉しそうに頷いた。
 「おばあちゃんの言ってた通りだね!」
 「そりゃあそうさ。私は、嘘なんかつかないよ」
 おいで、と、手招き、老婆は乾いた腕の中に、暖かい子供を抱いた。


 去年の同じ日。
 この少年は、旅芸人の座長、マナに手を引かれてやってきた。
 表情のない、無口な子で、一目で深く傷ついていると知れる、暗い目をしていた。
 「この子は?」
 そう尋ねると、座長は、彼女にだけ聞こえるような小声で、『捨てられたらしい』と囁いた。
 「そうかい・・・」
 彼女はただ、そう呟いて、座長の手から少年を引き取った。
 世界一の都と呼ばれ、繁栄を極めたロンドンにおいても、捨て子は珍しくない。
 富の恩恵にあずかっているのは、中流以上の階級だけ。
 貧富の差が激しく、犯罪の横行するロンドンでは、貧しい者は貧しいままだった。
 だが、よりによってこんな日に・・・博愛の神子が生まれたまいし日に、こんな無情な事をする者がいることに、老婆は怒りを覚えずにはいられない。
 「名前は、なんと言うのかね?」
 尋ねるが、少年は身を固くして黙り込んでいる。
 彼女が、乾いた手を伸ばし、柔らかい頬に触れると、びく、と、肩を震わせた。
 怯える仔猫をなだめるように、優しく撫でながら、俯けた顔を徐々に上げてやると、きれいな蒼い目が、ようやく彼女を見上げた。
 「おやまぁ、かわいい子だねぇ。プリンス・オブ・ウェールズだって、あんたほどきれいな目はお持ちじゃないだろうさ」
 そう言うと、少年は恥ずかしげに目を伏せた。
 「おやおや・・・おばあちゃんに、もっとあんたの目を見せておくれよ。ほれ、恥ずかしがらずに」
 笑みを深めると、少年は、おずおずと目を上げた。
 「あぁ、本当にきれいな目だ。夏の空のように澄んでいるね。
 さぁ、王子様?口の利けなくなる魔法にかかってないのなら、おばあちゃんに名前を教えておくれ」
 「・・・・・・アレン」
 消え入るような声で囁かれた名を、老婆は繰り返して呟く。
 「よい名だ。
 知っているかい?アレンという名はね、ケルトの古い言葉で、『調和』という意味さ。
 陽気で、ハンサムになって欲しい子につける名前だよ。
 あんたはそんな、素敵な名前を持ってるんだ。
 下を向いてばかりじゃ、名前に負けちまうよ?」
 サラサラとした髪の上に置いた手の下で、微かに、アレンは頷いた。


 その後しばらく、アレンは老婆の側にいた。
 人見知りの激しい子で、老婆と、座長のマナにだけ、ぽつぽつと最低限の事を言うだけ。
 いつも何かに怯えるように身を縮こまらせ、どうにかすると、すぐに物陰へ隠れてしまう。
 いじめられた猫のように人を怖がるアレンを、しかし、老婆はその度に、我慢強くなだめたものだった。
 「出ておいで、アレン。もう誰もいないからね」
 旅芸人の一座が荷物運搬用に使う、誰もいない幌馬車の、奥深くに隠れてしまったアレンに、老婆はそっと声をかけた。
 「どうしていつも、隠れちまうんだい?
 おばあちゃんに、可愛いあんたを自慢させておくれよ」
 こっそりと、衣装箱の陰から顔をのぞかせたアレンに、老婆はにこりと笑いかける。
 「そんなに自分の手が気になるのかい?」
 いつも、左手を背にかばうアレンの癖に気づいたのは、アレンが老婆の元に来た日のうちだ。
 幼い手は、血塗れたように赤く染まり、筋の浮き出た甲の中心には、黒い十字架が埋め込まれている。
 遠慮のない連中は、その手を見るや、悪し様に罵る―――― その言葉が、どれだけこの幼い子を傷つけるか、考えもせずに。
 老婆はアレンを手招くと、彼が背後にかばった手を取り、ぽんぽん、と、軽く叩いた。
 「この手がどうしたね?
 この十字架は、神様があんたにくだすったものさ。
 神様が、ご自分の愛し子を、悲しい目になんか遭わせなさるものかね。
 おばあちゃんは占い師だもの、ちゃーんとわかっているよ。これはあんたが、他の誰にもできない役目を負っている徴(しるし)さ」
 老婆の言葉を、否定したい様子で、アレンの目が泳ぐ。
 が、老婆はそれを知りつつ、あえて言い募った。
 「私の占いを信じないのかい?それもいいさ。だけど、わかっちゃいないね。
 あんたはこの手が大嫌いなんだろうけど、この手は私の手より、ずっと滑らかに動くじゃないか。
 それだけでなく、あんたは嫌な連中からとっとと逃げ出せる、速い足だって持っているだろう?
 なにより、こんな寒い日に、元気に外に出られるなんて、幸せなことさ」
 だろう?と、目で問い掛けると、アレンは、かすかに頷いた。
 「あんたは、何の不具合も持っちゃいないよ。元気で可愛い、普通の子供さ。
 さ、わかったら、座長のところへ行っておいで。あんたにも、仕事をくれるってさ」
 ぽんぽん、と、軽く背中を叩いて、老婆はアレンを送り出した。


 老婆に言われた通り、座長のマナが待つテントへ行くと、彼は、衣装箱からカラフルな衣装を取り出して、アレンに渡した。
 「お前には、ピエロをやってもらおうな?」
 「ピエロ?」
 アレンが問い返すと、彼は人好きのする笑みを浮かべて、大きく頷く。
 「そうさ。みんなを笑わせる役だよ」
 すると、アレンは、手にした衣装に視線を落とし、黙り込んでしまった。
 「どうしたね?」
 マナの問いに、アレンは、俯いたまま、答えようとしない。
 が、再三の問いに、ようやく、重い口を開いた。
 「笑わせるなんて・・・できないよ・・・。
 だって・・・僕は笑えないもん・・・・・・」
 か細い声の答えに、マナは苦笑する。
 「そんなことは知っているよ。だから、お前にピエロをやらせるんだ」
 「なんで?」
 不安げなアレンと目線を合わせ、マナは大仰に笑った。
 「決まっているだろう?お前が、ちゃんと笑えるようにするためさ」
 「・・・・・・?」
 訳がわからず、首を傾げるアレンの肩を、マナは軽く叩く。
 「いいかね、アレン?
 笑うことなんて、簡単だ。泣くことに比べれば、なんてことない。
 口を開けて、声を上げればいいだけだよ」
 「でも・・・僕、可笑しくなんかないよ?」
 生真面目に言う少年に、マナは、彼の背後で大道芸の練習をするピエロ達を示した。
 「ピエロはね、だーれも、可笑しくて笑っている奴なんていないさ」
 「え・・・?」
 戸惑うアレンに、マナの背後から、ピエロ達が陽気に手を振る。
 「でも、楽しそうだよ・・・?」
 「そうとも、陽気なふりをしているからね」
 「ふり?」
 そう聞いて、改めて見ても、幼いアレンには、彼らの真情は見えなかった。
 「楽しく、陽気なふりをしていると、周りは『楽しい奴だ』と見るもんだ。
 いつもニコニコしていれば、周りは『明るい奴だ』と勘違いしてくれるし、友達もできやすくなる」
 そう言って、マナは、大きな手で、アレンの頭をくしゃくしゃと撫でる。
 「アレン。いつまでもメソメソしてたんじゃ、誰も友達になっちゃくれないぞ?
 みんな、それぞれに辛いことはあるんだ。なのに、自分の不幸を嘆いてばかりの奴と、一緒にいたいと思うか?
誰もが、陽気で楽しい仲間と、楽しくしていたいと思っているんだからな。
 だから、お前はまず、嘘でもいい。無理矢理でもいいから、笑え。
 口の端っこを曲げて、声を上げるだけだ。簡単だろう?」
 そう言って、陽気に笑ったマナに釣られるように、アレンも、ほんの少し、笑った。
 「よーしよし!偉いぞ、ちゃんと笑えるじゃないか!
 お前の笑顔を、婆さんにも見せてやれ!きっと喜ぶぞ!」
 そう言って、マナは、再びアレンの頭をくしゃくしゃと撫でた。


 それから、徐々に、徐々に、アレンは笑えるようになった。
 それを更に助長したのは、老婆の暖かい笑みだった。
 「私の可愛い王子様。今日は、どんな楽しいことがあったのかね?」
 毎日繰り返される問いに、アレンは、その日にあった『いいこと』を探すことが日課となった。
 嫌なことや辛いことなら、簡単に見つかる。
 しかし、『いいこと』はなかなか見つからない分、大切なことだと、アレンは自然に教えられた。
 「今日は、玉乗りを誉められたよ!!」
 大好きなおばあちゃんに、堂々と『いいこと』を報告できることが嬉しくて、アレンの声も弾む。
 「あれまぁ!それは偉かったねぇ。アレンが上手に乗るところを、おばあちゃんにも見せておくれね」
 優しく頭を撫でられながら、アレンは得意げに頷いた。
 「それでね、マナが言ってたんだけど、クリスマスにはここにもサンタクロースが来るってホント?」
 頬を紅潮させ、勢い込んで尋ねるアレンに、老婆は大きく頷く。
 「ホントに?!馬車に来る?!それとも、テントを張ってなきゃダメなの?!」
 「サンタクロースは、あんたの枕元に来るよ。
 去年も一昨年も、一座の子供達はみんな、サンタクロースにプレゼントをもらっていたからね。
 楽しみにしておおき」
 そう言って、いたずらっぽく笑った老婆に、アレンは、勢いよく頷いた。
 ―――― その翌朝。
 老婆がこっそりと準備し、道化たサンタクロース達が配ったプレゼントは、『子供達』の枕元に置かれた。


 アレンを膝の上に乗せ、老婆は、晴れ渡った冬の空を、満足げに見上げる。
 「私はなんて幸せなんだろう。最後に見るクリスマスの空が、こんなにきれいだなんてね」
 「最後?」
 せいいっぱい首を曲げ、背後の老婆を見上げたアレンが、不思議そうに問うた。
 「どうして?」
 「来年のクリスマスを迎える前には、私は神様の元へ召されているだろうからさ」
 「神様の所って、どこ?」
 老婆の言葉の意味はわからなくても、彼女がいなくなってしまうらしいということに、不安そうに尋ねるアレンの頭を、老婆は優しく撫でる。
 「全ての生き物が、いずれは召される所だよ」
 「僕も、一緒に行っちゃだめなの?」
 「あんたが行くのは、おばあちゃんよりずーっと、ずーっと先さ。
 それまでは、神様のお導き通り、一所懸命生きなきゃいけない。
 それが、神様から命をいただいた者の役目だからね」
 老婆の言葉を理解しようと、懸命に見開かれた蒼い目に、彼女は目を細めた。
 「アレン・・・おばあちゃんが死んだら、泣いておくれね。
 でも、私はいつまでもうじうじされるのは嫌いだよ。
 お葬式の時だけ泣いて、その後は、いつも通り、みんなと笑っていておくれ」
 「・・・・・・」
 「約束だよ?」
 小さな頭が、こくり、と頷くまで待って、老婆は、また笑った。


 彼女の言葉通り、老婆は、次のクリスマスを待たずして亡くなった。
 『神の元に召される』という言葉の意味を、アレンが理解するには、やや早かったのかもしれない。
 愛した人と、永久に引き離される悲しみは、そのまま彼の傷となり、その傷は癒やされないまま、最愛の養父までもが神に召された。
 「マナ・・・・・・」
 最愛の者に会いたいと願う心が、魔の付け入る隙を生み、罪を生じた。
 しかし、その身に受けたのは、『愛』という名の呪い・・・。
 罪人の印を刻された彼に、今年も、聖夜の雪は、柔らかく降り注いだ。




Fin.

 











『Allen』の名前の由来は、『怪しい人名辞典』さまの『Alan』で調べましたv
『Allen』って、『Alan』の変形なんですって。
陽気なハンサムかぁ・・・v名は体を表すものだなぁ(笑)
さて、このお話は、かいんさんが絵板に描いてくれた、幼少アレンに触発されて書きました(笑)
これを書く間、ひたすら念じていたのが、『我に返るな。純粋に考えろ。世間は汚くなんかない。神は存在する』でした(笑)>あんた;;
だって、念じてないと、この逆の話になっちゃいそうだったんだもん(^▽^;)
実際はどうだか怪しいのですが、アレン君はカトリック教徒だといいと思っています。
マリア様は処女懐胎したし、キリストは神の子だし、教会は尊いものだと純粋に信じていたと思いたい。師匠に会うまでは(笑)
破戒僧は、少年の頭蓋骨だけでなく、信仰をも打ち砕きあそばしましたか、コンチクショウ・・・(遠い目)
ちなみにこの話は、わざわざ言うまでもなく捏造です★











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