† THE BLACK ROSE †






†このお話はシャーロック・ホームズの『四人の署名(四つの署名)』を元にしたパラレルです†

  舞台は19世紀ですが、D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。
  『四人の署名』をご存知ない方もお楽しみ頂けるようには書いてますが、
重大なネタばれを含みます。
  どうしてもネタばれされるのが嫌な方は、先に『四人の署名(四つの署名)』をご覧ください。
  なお、『ミステリ』であるため死体が出てきます。苦手な方はご注意ください。





 19世紀ロンドン―――― 女王陛下のしろしめす大英帝国の首都として、世界有数の大都市となった地には、繁栄と退廃が同居している。
 華やかな街の裏側では不可思議な事件も多く・・・ゆえに、『諮問探偵』を生業とする彼を楽しませる依頼の、絶えることはなかった。
 そう、その日の朝も――――・・・。


 ロンドン名物とも言うべき、細かい雨の降りしきる朝。
 コムイは居間の窓から、通りを見下ろしていた。
 「リーバー君、見てごらんよ。
 お客さんが来るよ」
 暢気な声をかけられて、リーバーは新聞から顔をあげる。
 「こんな朝早くから?約束でもあったんすか?」
 「ううん。
 でも彼女はきっと、ここに来るね」
 自信に満ちた口調に興味を引かれたリーバーが窓辺に寄ると、コムイは通りの向こう側に立つ、若い女性を示した。
 馬車を降りたばかりのようで、同じ場所に立ったまま、手元のメモを見ては、きょろきょろと辺りを見回している。
 「あれじゃあウチに来るなんて、まだわかんないでしょ」
 「わかるよ。まぁ、見てなさいよ。
 ジェリぽーん!通りの向こうにいる彼女、ちょっと案内してあげてくれるぅ?!」
 コムイが呼びかけると、階下にいる大家のジェリーが返事をして、家を出て行く音がした。
 「いいんすか、迎えに行かせちまって・・・」
 「まぁ、見てなさいよ」
 のほほんと言うコムイの傍らで窓の外を見つめていると、家を出たジェリーが通りの向こう側で困惑している彼女にニ、三、声をかけるや、共に家に入ってくる。
 「あれ?!」
 「ね?」
 得意げに笑って、コムイはドアに向き直った。
 「ハァイv お客様よーんv
 愛想のいい大家に伴われて入って来た女性は、触れれば壊れそうなほどに繊細な容姿をして、不安のためか、酷く顔色が悪い。
 「・・・っどうぞ座ってください!
 リーバー君!!」
 「はいっ!!」
 コムイは今にも倒れそうな彼女を暖炉前の椅子に座らせ、リーバーは医療器具の入った鞄を自室から持って来た。
 「大丈夫ですか?
 ・・・あぁ、安心して。俺、医者ですから」
 ハンカチを握り締めたまま、小刻みに震える彼女の手を取り、脈を取りつつリーバーはにこりと微笑む。
 その傍らから、ジェリーがティーカップを差し出した。
 「お茶をどうぞ、フロイライン。
 身体の中からあっためた方がいいわぁ」
 「あ・・・ありがとう・・・ございます・・・・・・」
 震える声に混じったドイツ語訛りを聞き取って、二人はジェリーが、彼女を『フロイライン』と呼んだわけに気づいた。
 「ゆっくりでかまいませんからね。
 落ち着いたら、なにがあなたをそれほどに怖がらせているのか、話してください」
 にこりと、安心させるように笑うコムイに、彼女は震えながら頷いた。
 「・・・・・・・・・私、ミランダ・ロットーと申します。
 こんな・・・朝早くから押しかけたご無礼をお許しください・・・。
 でも私、本当に困ってしまって・・・・・・。
 一人ではどうしようもなく、友人に相談しましたら、こちらをご紹介されたのです・・・」
 「ご友人?
 差し支えなければ・・・」
 コムイの問いに、ミランダはまた頷く。
 「アレイスター・クロウリー男爵と、そのご夫人です。
 あなた方が大陸の、クロウリー城のお近くへいらっしゃった時、夫人をお救い下さったと伺いました・・・・・・」
 「あぁ、ルーマニアの吸血鬼事件ですね!
 あれは中々に興味深い事件でした」
 楽しげに笑うコムイにわずか、緊張がほぐれたのか、ミランダはハンカチを握る手の力を緩めた。
 「あの事件を解決された方なら、私の心配事もきっと解決してくださるはずと、おっしゃってくださいましたの・・・。
 でも、私の心配事というのは荒唐無稽な話でして、すぐに信じていただけるかどうか・・・」
 そう言って、不安そうに顔色をうかがうミランダに、コムイは力強く頷いてみせる。
 「お任せください!
 芸は道によって賢しと言うでしょう?
 我々は、あなたのおっしゃる『荒唐無稽な』事件解決のプロです」
 「では・・・お話しするだけでも・・・・・・」
 コムイの言葉に安堵して、ミランダはバッグから小さな箱を取り出した。
 「どうぞ、ご覧下さい・・・・・・」
 「失礼」
 一言断って、コムイはミランダから受け取った箱を開ける。
 「おや・・・これは素晴らしい」
 思わず呟いたコムイの手元を、ジェリーとリーバーも覗き込んだ。
 「あらv ステキねぇv
 「黒真珠っすね」
 と、ミランダは大粒の真珠から目を逸らす。
 「ブラック・ローズという、大変貴重な真珠だそうです」
 「ブラック・ローズ・・・なるほど、真珠の『巻き』が多層化して、バラの花弁のように見えますね」
 「まぁまぁ・・・そんなに珍しい真珠が3つも!
 よくも揃ったもんだわねぇ」
 ジェリーが感嘆すると、ミランダは顔を覆って泣きだした。
 「え?!
 アラッ!
 アタシ、何か悪いコト言っちゃったかしらっ?!」
 ジェリーがおろおろとする傍ら、
 「フロイライン?
 大丈夫ですよ、落ち着いて・・・」
 リーバーが流暢なドイツ語で話しかけ、震える肩を抱いてやると、ミランダは不安そうな顔をあげる。
 「わ・・・私、恐ろしくて・・・・・・!」
 「どういうことです?」
 コムイまでもがドイツ語で問うと、ミランダはほっと吐息し、ドイツ語で話しだした。
 「申し訳ありません・・・。
 英語ではなんと説明すればいいのか、言葉が見つからなくて・・・。
 私は現在、英国に住んではいますけど、父はドイツの外交官でした。
 母は早くに亡くなりましたので、私は各国へ赴任する父に連れられて、多くの国に行きました。
 ロンドンに住むようになりましたのは、5年前です。
 英国に赴任した父は、ロンドンとインドの英国領を往復しておりましたので、私を暮らしやすいロンドンに残したのです。
 ですがあいにくインドで病を得まして、3年前に身まかりましたの・・・」
 母国語の発音ゆえか、しっかりとした口調になったミランダに、不自由なくドイツ語を解する三人は大きく頷く。
 「お気の毒だったわね・・・」
 「もう、3年も前のことですから」
 ジェリーの言葉に儚い笑みを浮かべ、ミランダは続けた。
 「でも・・・父が亡くなって以来、奇妙なことが起こるようになったのです。
 毎年、私の誕生日に、このブラック・ローズが一粒ずつ送ってこられますの・・・」
 「それで3つなのね」
 「えぇ・・・。
 毎年、手紙もなく、ただ真珠だけが・・・。
 気味が悪くて・・・でも、それ以外に何かあるというわけでもありませんでしたので、気にしないように努めていました。
 ですが・・・・・・」
 震える手で、ミランダはバッグから手紙を取り出す。
 「昨日、届きました手紙です。
 どうぞごらんになって・・・」
 涙交じりの声に頷き、コムイは封筒から便箋を取り出した。
 「ふむ・・・最上質の紙に、かすれのないインク・・・。
 文字は一文字一文字がしっかりとして、大きさも均一。
 まるで、印刷されたような字ですね。
 筆圧は高く、文法は正確無比。
 これらを鑑みるに、非常にこだわりを持つ、几帳面な性格の若者。
 文字を書く仕事を生業にしていている・・・もしくは、その気質を引き継いでいるが、元々はアルファベットを使わない国の人間・・・そして、右目が不自由」
 驚いて目を見開くミランダに、リーバーが『気にしないで』と声をかける。
 「この人流のやり方なんですよ。
 タネを知らずに聞けば、魔法使いのように思えるでしょうけど、論理的な裏づけがあっての推理ですから」
 「は・・・はぁ・・・・・・」
 「なーんか、手品師みたいな言われ方してるよね、ボク。
 ・・・しかし、この内容では、フロイラインが怯えるのも無理はないですね」
 「アラ、なんて書いてあるのぉ?」
 「ん・・・挨拶文は略すけど、内容はね、
 『12月30日夜7時、我が使いがお宅までお迎えにあがります。
 御身の受け取るべき財産について、御身に対する不当な扱いを正すため、ぜひ我が家にお招きしたく存じます。
 不審ならば、ご友人二人をご同伴頂いて構いませんが、双方の利益のため、警察への連絡はお控えください。
 御身の父上を知る者より』
 ・・・・・・だって」
 コムイが読み上げるや、ジェリーはきつく眉根を寄せた。
 「ケーサツに知らせるなって、なんだか怖いわねェ・・・。
 犯罪じゃないの、コレ?」
 「ジェリぽん・・・だから彼女は、ここに来てくれたんだよ」
 「あっ・・・!
 そっ・・・そうだったわね!」
 コムイの呆れ声に、ジェリーが頬を染める。
 「ところでフロイライン、この、財産というのは・・・」
 「存じません」
 性急に言って、ミランダは肘掛の上のリーバーの手を握り締めた。
 「父が蓄えていた分は、既に法の手続きを踏んで相続しています。それ以外に財産があったなんてこと、私は聞いたこともありません」
 それに、と、震える声で続ける。
 「名も明かさない方から毎年真珠が送られて、今度は財産だなんて・・・こんなこと警察に言っても、信じてくれるかどうか・・・。
 なのに、もう今夜には迎えが来てしまうだなんて私、怖くて・・・どうすればいいかわからなくて・・・・・・!」
 「お父様のご友人にお知り合いは?」
 ミランダの話に頷きつつ、穏やかな声音でコムイが問うと、彼女はハンカチで涙をぬぐいながら頷いた。
 「母国の方、外国の方を含めまして、何人かの方は存じていますが、どなたからもそのようなお話は聞いておりません」
 「お父様はインドで亡くなったんですね?
 そちらでは何か・・・」
 「インドには、赴任ではなく英国からの出張でしたから、私は行った事がありません。
 それに、どんな仕事に関わっているかということも、話さない父でした」
 「お仕事に忠実な方でいらっしゃったのですね」
 コムイがにこりと笑うと、ミランダも少し笑って頷く。
 「わかりました。
 では、今夜はボクとリーバー君とで同行しましょう。
 不安でしょうが、あなたが行かないことには解決にはつながりませんので・・・」
 「はい・・・。
 私もご同行いただけるのでしたら、それが一番だと思っています」
 ミランダが気丈に頷く前で、ジェリーは気遣わしげに眉根を寄せ、頬に手を当てて小首を傾げた。
 「まぁ・・・!
 そんな危ないこと、アタシが親なら絶対止めるけどねェ・・・。
 フロイライン、何かあったら、この二人を盾にしてお逃げなさいねぇ」
 「ジェリぽん、酷い・・・」
 悲しげなコムイの声に、ミランダが思わず笑みを漏らす。
 「・・・では、よろしくお願いします。
 私は一旦家に戻って、お二人をお待ちして・・・きゃあ!」
 ミランダの声に驚いたコムイとジェリーの前で、彼女はみるみる赤くなっていった。
 「すっ・・・すみませんっ!!
 わっ・・・私ったらいつからこんなはしたない・・・!!」
 今の今までしっかりと握っていたリーバーの手を慌てて放し、ミランダは悲鳴じみた声で言う。
 が、リーバーは楽しそうに笑って手を振った。
 「いやいや。
 それだけ怖い思いをしてたんすから、無理もないですよ」
 「でっ・・・でも・・・・・・!!」
 「気にしないで」
 にこりと笑顔を向けられ、ミランダは赤い顔で頷く。
 「で・・・では、失礼いたします」
 「また夜にーv
 にこやかに手を振ってミランダを見送ったコムイは、満面に笑みを浮かべたまま、リーバーを振り返った。
 「コノ色男ガv
 「あぅっ?!な・・・何のこと・・・?!」
 「まーぁv とぼけちゃってぇv
 頬を染めたジェリーが、くすくすと軽やかな笑声をあげる。
 「アンタにもようやく春が来たのかしらねぇv
 「ちっ・・・ちがっ・・・!!そんなんじゃ・・・!!」
 慌てるリーバーにしかし、聞く耳を持たない二人は、楽しげに笑い続けた。


 その後、冬の夜は早々と更けて。
 約束通り、二人がミランダの自宅を訪ねた直後に、迎えはやってきた。
 黒く立派な馬車を操る御者は、コムイとリーバーが警官ではないことを確認すると、外が見えないよう、窓をすべて閉めてから馬車を進める。
 「ど・・・どこに連れて行かれるのかしら・・・・・・!」
 不安で仕方がないミランダを二人してなだめつつ、着いた場所は、どこか大きな屋敷の裏口だった。
 インド人の召使に迎えられ、案内された部屋にいたのは、どこか異国的な風貌の少年だ。
 彼は、三人に懐こく笑うと席を勧めた。
 「わざわざ来てくれてありがとうさ、フロイラインv
 すごくその・・・怪しかったろ?」
 苦笑交じりに言う彼に、ミランダは蒼褪めた顔で頷く。
 「ゴメンな。
 ちょっと、こっちにも色々事情があったんさ」
 「その、事情と言うのを聞きたいねぇ。
 えっと・・・?」
 コムイが口を挟むと、少年は笑顔を彼に向けた。
 「あ、ゴメンさ。
 俺のことはラビって呼んでv
 手紙書いたの、俺なんよv
 「・・・・・・あんたが、あの手紙を?」
 リーバーが意外そうに問うと、彼は笑みを深める。
 「口語と文語は違うっしょ?
 俺、外国暮らしが長かったんで、口語はこんなカンジだけど、文語はジジィに叩き込まれたからさー♪
 手紙の印象と会った時の印象がまるで違うって、よく言われるさ」
 「・・・そうだな」
 「ところで、話進めてい?」
 にこ、と、笑う彼に、三人が三人とも、思わず頷いた。
 「ちょっとばかし長くなるんだけど、始まりは5年前。
 ロットー氏が英国に赴任して、インドにちょくちょく来るようになってからのことさ。
 俺のジジィは、インドの王宮で外交顧問みたいなことをしてたんで、ドイツの外交官だったロットー氏とも交流があったんさ」
 「はぁ・・・」
 生返事と共に、ミランダが頷く。
 「そんなある日・・・ってか、3年前の、ロットー氏が亡くなる直前なんけど、王宮で権力をめぐるごたごたがあって、ジジィは世話をしていた王族の一家が亡命するのを手伝うことになったんさ。
 そんで、英国人の親戚とロットー氏にも助力を頼んだんさね。
 そのお礼に、王族は自分達の財産の一部を、ジジィと叔父さん、ロットー氏の三人にくれたんだと。
 まぁ、一部っつっても、そこは宝石産出国のこったから、こっちから見りゃあ、そりゃあすんげー価値のあるもんで、ジジィは仕える先を失くしたにもかかわらず、大した財産を持つことになったんさ」
 「え・・・?
 でも私、そんなものは・・・・・・」
 「手紙にも書いたっしょ?
 あんたが受け取るはずの財産を、横取りした奴がいんの」
 ラビの飄々とした言い様に、皆が一瞬、事の重大さを聞き逃しそうになった。
 「・・・なるほど。
 それで『不当な扱いを正すため』なんだね。
 今君は、フロイライン・ミランダが受け取るべき財産を横取りした者がいると言ったけど、3年もの間正せなかった不正をどうして今、正せるようになったんだい?」
 コムイが問うと、ラビは椅子の背もたれに身体を預け、肩をすくめる。
 「俺の従弟・・・まぁ、遠い親戚なんだけど、年も近いしめんどくさいんで、便宜上『従弟』つってるやつが、今年のクリスマスで16歳になったんさ。
 そんで、亡くなった親父さんの財産を相続する権利を得たわけ」
 「その親父さんと言うのは、さっきあんたが言った、『英国人の親戚』か?」
 「うん。
 こっちはまぁ、不慮の事故で亡くなったんけどね」
 リーバーの問いにあっさりと言って、ラビは続けた。
 「アレン・・・その従弟が権利を得たから、後見人が管理していた叔父さんの財産はアレンのものになったわけ。
 ついでに、後見人が『管理』の名目で横取りしていたロットー氏の取り分もな。
 でも、これだっていつなんどき、ホントに取り上げられっかわかったもんじゃない。
 だから、アレンが一時的でも全財産を確保してる間に、フロイラインには正当な権利を主張してほしいんさ」
 「正当な権利・・・」
 「ん。
 ジジィはインドに行ったきり即身仏にでもなりそうな勢いでさ、こっちにゃ手ェ貸してくんないんさ。
 だから、こっちはこっちでやんなきゃいけねぇの。
 ってなわけで、後の話は行きながらでい?」
 「あっ・・・あの・・・どこへ?」
 おどおどと目を泳がせながら問うミランダに懐こく笑い、ラビは立ち上がる。
 「アレンん家。
 ここから随分と遠いとこにあっから、馬車で行くさね」
 ミランダが行かないわけがないと、決め付けたラビの態度に、リーバーがむっと眉を寄せた。
 「ミランダさん、どうしますか?
 この先、彼について行きますか?」
 ラビにも聞こえるように、わざわざ大声で言った彼に、ラビもミランダも、驚いて目を見開く。
 が、ミランダはほっとした様子で、しばらく考える様子を見せた。
 「そう・・・ですね・・・。
 あなた方がご一緒くださるのでしたら・・・・・・」
 コムイとリーバーにだけでなく、ラビにも向けられた言葉に、彼はちらりと苦笑する。
 「オッケ。
 もちろん構わないさ、フロイライン。
 ってか、ゴメンさー!
 俺、ちょっと先走っちゃったみたいv
 素直に無礼を謝った彼に、リーバーも笑みを漏らした。
 「今夜中には、ミランダさんを家に帰してくれるんだろうな?」
 「ん。
 まぁ、フロイラインを見れば、あの悪魔もそうごねはしねーだろ」
 美人だから、と、臆面もなく言ってけらけらと笑うラビに、ミランダは顔を赤らめて俯く。
 「じゃあ、行きますか、ミランダさん」
 「はい・・・」
 いつの間にか、『フロイライン』ではなくなっている呼び名に嬉しげに顔を上げ、ミランダは差し出されたリーバーの手を取った。


 また目隠し状態の馬車に乗った一行は、2時間近くが経った後、目的地に着いた。
 「黒薔薇館へようこそさ♪」
 馬車を降りた館は、既に黒々とした闇に包まれ、よくは見えなかったが、確かに彼の言う通りバラが多いらしく、この寒さでも時折、甘い香りが漂ってくる。
 ラビは辺りを興味深げに見回す三人を置いて、玄関のステップを軽やかに登ると、リズミカルにドアをノックした。
 「やほーアレン♪
 お客さん連れてきたぜ!」
 「ありがとう、ラビ!
 ・・・はじめまして、フロイライン・ミランダ。
 後ろの方達は、ご友人ですか?」
 「えぇ・・・コムイさんと、リーバーさんですわ」
 ラビに続いてステップを登ったミランダは、迎えに出たアレンと言う少年の姿を見て、心中に頷く。
 ここに来る道すがら、彼の容姿についてはラビから聞いていた。
 父親が亡くなった時、彼自身も顔に大きな傷を受けた上、髪も色を失ってしまったと。
 同じ時期に父親を亡くしたミランダは、アレンに心から同情すると共に、今は立ち直っている風の彼に安堵した。
 と、そんな彼女の眼差しに気づいたのか、アレンはちらりと苦笑すると、彼らを家の中へ導く。
 「ここにいらっしゃる途中、ラビが話したでしょうが、ブラック・ローズをお送りしていたのは僕です。
 随分と・・・その・・・気味悪かったでしょう?」
 ごめんなさい、と、上目遣いに見あげられたミランダは、苦笑し、首を振った。
 「でも・・・仕方なかったんです。
 師匠・・・僕の後見人は、もらった財宝を全部隠しちゃって、どこにあるのか見当もつかなかったから。
 ブラック・ローズだけは、愛人にプレゼントしようと出してきたところを、僕がちょろまか・・・いえ、取り戻して、送ってたんです。
 亡くなったお父さんの代わりに、せめてものお誕生日プレゼントにしようと思って」
 「そう・・・今まで全然知らなかったけど、優しい心のこもった贈り物だったのね。
 ありがとう、アレン君。嬉しいわ」
 にっこりと笑ったミランダに、アレンは少年らしい無邪気な、そして得意げな笑みを浮かべる。
 「ミランダさんが優しい人でよかったです!
 美人だし、これなら師匠も、絶対ごねませんよ!」
 「は・・・はぁ・・・・・・」
 アレンにまで『美人』と言われ、ミランダは真っ赤になって、階段を上る彼について行った。
 「ししょー!
 フロイライン・ミランダがいらっしゃいましたよ!」
 アレンが、2階の一室をノックし、呼びかける。
 が、しばらく待っても返事はなかった。
 「あれ?鍵までかかってる・・・もう!
 ししょー?!ししょー!!美人が来てますよッ!!」
 やや苛立った声にも反応はなく、アレンとラビは訝しげな顔を見合わせる。
 「どうしたんだろ?」
 「他のことならともかく、美人に反応しないって、ありえなくね?」
 「そうだよね・・・」
 ラビの指摘に頷き、アレンはドアの鍵穴を覗き込んだ。
 途端、
 「ししょ・・・っ?!」
 悲鳴じみた声をあげたアレンを押しのけ、ラビが鍵穴を覗く。
 「なんさ、あれ?!」
 「どいてッ!!」
 同じく悲鳴をあげたラビを押しのけ、コムイが中を覗き込んだ。
 「これは・・・なんて奇怪な光景だろう」
 先の二人に比べ、随分と落ち着いた声音で言ったコムイは、アレンを見遣る。
 「ここの鍵は?」
 「し・・・師匠が持ってるのしか・・・」
 声を詰まらせた彼に頷き、コムイはポケットから工具を取り出すと、簡単に鍵を開けてしまった。
 「ちょろいね♪
 さて、彼は一体、どうしたのかな?」
 止める間もなくコムイは、すたすたと部屋に入っていく。
 途中でふと、足元を見遣った彼は、軽く首を傾げた。
 「バラの花びらが散らばってる・・・しかもこれは、わざわざ散らしたものだね。
 さて、アレン君のマスターは・・・」
 一旦止めた足を進めて、コムイはソファに歩み寄る。
 「・・・おや、亡くなってるね。明らかに変死だな」
 自身の興味にのみ目を向け、他の者達を置いてけぼりのコムイに嘆息し、リーバーはミランダをラビに預けた。
 「どうも、女性が見てはいけない光景らしいからな。
 ミランダさんを、どこか静かな場所に案内した後、警察に連絡してくれ。
 アレンは部屋に。
 彼が事情を聞きたいだろうから」
 「あいさ!」
 「わかりました」
 不安げな顔をしたミランダが、ラビに付き添われて階下に下りたのを見送ると、リーバーはアレンを伴って部屋に入る。
 途端、
 「うわ・・・」
 ようやく室内を見たリーバーは、その光景に絶句した。
 広く豪華だが、空の酒瓶で床を覆い尽くされた部屋には酒の匂いが充満し、床に散らばった黒バラの花びらは、その香りを消されてしまっている。
 部屋の中央に置かれたソファでは、血のように赤い髪をした男が、既に灰になったタバコをくわえた唇に笑みを浮かべ、蝋人形のように硬直していた。
 「リーバー君。
 この死体について、意見を聞きたいんだけど」
 なにやら先の尖った、細い小枝をもてあそびつつ、コムイが問うと、リーバーは無言で頷き、死体に歩み寄る。
 「筋肉は板のように硬いですね。
 普通の死後硬直より、はるかに硬直しています。
 それにこの笑み・・・痙攣を引き起こす強力な植物性アルカロイド・・・ストリキニーネのようなものだと考えられます」
 「ふぅん・・・この矢に、その毒が塗ってあったのかなぁ」
 興味深げに死体を囲む二人を、アレンがもの問いたげに見つめる。
 「どうかしたか?」
 アレンの視線に気づいたリーバーが問うと、彼は遠慮がちに聞いた。
 「あ・・・あの・・・師匠はホントに死んでるんですか・・・・・・?」
 その口調があまりにも不審げで、コムイとリーバーは思わず顔を見合わせる。
 「・・・死んでるよ?
 脈も体温もないし、これで生きてたらすごいと思うけど」
 「あぁ・・・死斑も出てるしな。
 それに、こんなに硬直して生きてる人間、俺は見たことねェけど」
 アレンの問いの意味を理解できず、訝しげな二人に、アレンは目を見開いた。
 「・・・っこの人、死ぬんだ?!」
 「殺しても死なねぇと思ってたさ!!」
 戻ってきたラビが、アレンと同じ驚きをもって声をあげる。
 「師匠も一応、人間だったんですね・・・!」
 「いやあ・・・わっかんねぇぞ?!
 実はこれ、本人そっくしの蝋人形で、俺らがびっくりしてんの、どっかでにやにや眺めてんじゃね?!」
 疑い深い少年達は、呆れる二人を尻目に死体へ駆け寄った。
 「蝋人形って、火を近づければわかりますよね?」
 「それより、腕の一部でも切り取って、本当に生身かどうか見てみね?」
 「ちょ・・・ちょっとちょっと!なに言ってんのさ、キミタチ!!
 曲がりなりにも親戚なんでしょ?!
 敬意とかないの、敬意とか!」
 説教するコムイを振り返った二人は、しかし、きっぱりと首を振る。
 「そんなもんねえさ!」
 「悪魔が死んで、清々しました!」
 「お前らは・・・・・・」
 どういう家庭の事情だろうかと、リーバーは頭痛を覚えながらも、火とナイフを持って死体に近づく少年達の襟首を掴み、引き離した。
 「現場を荒らすな、ガキども!
 ったく、どうしようもねェ小僧どもだな!!」
 「離して下さいー!!せめて一矢報いたいぃー!!」
 「ここでやんなきゃ一生後悔するさー!!」
 「やかましい、クソガキ!!」
 きゃんきゃんと喚く二人に拳骨をくれて黙らせると、リーバーはまっすぐにドアを示す。
 「出てろ、ガキども!!
 警察が来るまで入ってくんな!!」
 「ここ僕んちー!!」
 「横暴さ、探偵ー!!」
 抗議の絶叫は、乱暴にドアを閉めて無理やりふさいだ。
 「さすがリーバーくーん♪
 子供と動物扱わせたら、怖いものナシだねv
 「・・・んなコトどうでもいいですから。
 他んトコは調べたんすか?
 そろそろ警察が来ますよ」
 リーバーに睨まれて、コムイは肩をすくめる。
 「ハイハイ、わかってるヨーv
 さぁて、この部屋の謎解きだけどv
 楽しげに言って、コムイは窓辺に寄った。
 「見てご覧よ、リーバー君。犯人はここから侵入したんだね」
 急にまじめな顔になったコムイが示す先を、リーバーも見遣る。
 「でもこんなとこ、どうやって登るんすか・・・?」
 窓の外を見れば、そこは足がかりになるようなものは何もない壁だ。
 しかもこの家の1階は、通常の家よりも随分と天井が高いため、彼らが今いる場所は、ゆうに通常の3階以上の高さがある。
 「無理でしょ、いくらなんでも・・・」
 「そんなことないよ。
 共犯者がいればね」
 楽しげに言って、コムイは室内をきょろきょろと見回した。
 「そうそう、例えばこんなの」
 と、どっしりとした造りのベッドを示す。
 「このポールにロープを掛けて垂らしてやれば、慣れてる人間なら、登って来れないことはないよ?」
 そう言って、入念にベッドのポールを調べたコムイは、まもなく、嬉しげな声をあげた。
 「ホラ!
 ロープがこすった跡がある!」
 真鍮のメッキに残った傷をコムイが指し示すと、リーバーは納得した様子で頷く。
 「確かにね。
 だけど、ひとつ問題がありますよ?」
 「なに?」
 「ロープを垂らしてやるには、この部屋に入らなきゃいけないってことです。
 誰が垂らしたんですか?
 まさか、被害者?」
 「うーん・・・それはないだろうね」
 「じゃあロープを垂らした奴は、この足がかりのない壁を、蜘蛛のようによじ登って部屋に入った、もしくは、この家の者が、外部犯に見せかけるためにロープを垂らした」
 「アレン君?
 確かに彼は、この被害者を恨んでたみたいだけど」
 くすりと、コムイが笑みを漏らした時、階下にどやどやと足音が響いた。
 間もなく、アレンとラビを伴って、警官たちが入ってくる。
 「おや、お久しぶり、リンク君。
 君が来たと言うことは、随分遠回りしたけど、ここはまだロンドンなんだね?」
 にこりと笑ったコムイに、アレンとラビは気まずげに顔を見合わせた。
 そんな二人をちらりと見遣って、リンクと呼ばれた若い刑事は鼻を鳴らす。
 「あなたも暇な人ですね、コムイ・リー。
 時折、警察に有益な情報を提供してくださるあなたが、こんな子供のいたずらに付き合うなんて」
 「おや、これを見ても、子供のいたずらなんて言えるのかな、リンク君は?」
 くすりと、笑みを漏らしたコムイに眉を吊り上げ、リンクは床に散らばった酒瓶を蹴飛ばしながら死体に歩み寄る。
 「死んでますね」
 「うん。明らかにね」
 「では、警官達。
 その子供達を確保。
 探偵とその助手は参考人として同行いただけ」
 「はいぃぃぃぃっ?!」
 「事情も聞かずに横暴さ!!」
 「黙れ。
 こんな怪しい事件、身内が犯人に決まって・・・」
 その時、リンクの言葉を遮るように、階下でガラスの割れる音と、ミランダの悲鳴が響いた。
 「なんだ?!」
 階下に駆けつけると、ミランダが真っ青な顔をして、絨毯の上にうずくまっている。
 「ミランダさん?!怪我は・・・っ」
 すぐさま彼女の傍らに膝をついたリーバーの問いには、震えながら首を振った。
 「どうしたんですか?」
 リーバーとは逆に、随分と冷静なコムイが問うと、ミランダは割れた大窓を示す。
 「あ・・・あそこから・・・」
 「侵入者か?
 おい!」
 リンクの指示で、警官達は割れた大窓の向こう、暗い庭へと走っていった。
 「怪我はないそうだが、なにか被害は?」
 淡々と問われ、ミランダは震える手を口元に当てる。
 「真珠・・・が・・・・・・」
 「真珠?」
 「ブラック・ローズですか?」
 訝しげなリンクの傍らで、コムイが眉根を寄せ、リーバーは警官達に両脇を固められたラビを振り返った。
 「犯罪の起こった家で彼女を一人にするなんて、どういうつもりだ!!」
 「う・・・ごめ・・・・・・っ!」
 リーバーの剣幕に、ラビがびくりと震える。
 が、
 「ち・・・違うんです、リーバーさん・・・!
 わ・・・私が、ラビ君に『2階に行っていい』って言ったんです・・・・・・。
 一人で・・・考え事したかったし・・・・・・」
 今日一日で、様々なことがありすぎたミランダには、無理からぬことだった。
 が、それを理解しない法の番人は、冷淡に鼻を鳴らす。
 「事情を説明してください、ミス・・・?」
 「ミランダ・ロットーですわ」
 「ミス・ロットー。
 説明を」
 「え・・・ええ・・・・・・」
 動揺に目を泳がせながら、ミランダは傍らのバラを手に取った。
 「それは・・・」
 「黒バラ・・・・・・」
 2階の犯行現場に散らばっていたものと同じ花に、場がどよめく。
 皆の視線を集めてしまったミランダは、怯えて身を竦めたが、リーバーに肩を抱かれてほっと吐息した。
 「み・・・皆さんが、2階に行かれた後のことですわ・・・。
 私、一人でこの部屋にいまして、考え事を・・・今日一日で、色んなことがありましたので・・・・・・」
 「無理もないですよ」
 リーバーにソファに座るよう促され、ミランダは再び、ほっと吐息する。
 その様子に気づいて、アレンが挙手した。
 「おまわりさん!
 ミランダさんに、お茶を淹れてあげていいですか?」
 が、リンクは冷たい視線でアレンを見遣ると、冷淡に首を振る。
 「却下です、アレン・ウォーカー。
 君は、自分が重要参考人であることを忘れないように」
 「重要参考人?」
 リンクの言い様に、ミランダが目を見開いた。
 「まぁ!それはありませんわ、刑事さん!
 だって、2階のあの方を殺してしまったのは『殿下』と呼ばれる方ですもの!」
 「は?殿下?」
 「王族ですか?」
 ミランダに集まっていた視線が、一斉にアレンへ移動する。
 「そう呼ばれる方に心当たりは?」
 リンクが問うと、アレンはラビと顔を見合わせ、二人して逡巡してから、重く口を開いた。
 「以前・・・僕達の祖父がお助けした、インドの王族の方じゃないかと・・・・・・」
 「ほう。
 その方は今どこに?」
 「知らないさ。
 ジジィは亡命を手伝ったってことは教えてくれたけど、亡命先は誰にも言わんかったさ・・・」
 「でも、英国じゃないことは確かですよ!
 じゃなきゃ、ロットー氏に助けてもらうわけがないもん!」
 警官達に拘束されたまま、不自由そうに言う二人を、ミランダは気の毒そうに見つめる。
 「ねぇ・・・刑事さん?
 この子達に代わって、私が知っていることはなんでもお話ししますから、この子達を放してあげてくださいな・・・」
 しかし、ミランダの申し出に、リンクは冷淡に首を振った。
 「そうは行きません。
 あなたがご存知の『殿下』と彼らが無関係だと、確定したわけではない以上、彼らが重要参考人であることに変わりはありませんから」
 リンクの、法の番人として正当な言葉はともかく、その傲慢な言い様に、ミランダの顔色が変わる。
 「リンク刑事。
 そうおっしゃる以上、彼らになんの関連もなかった場合、あなたと警察は、彼らに対して正式な謝罪を行うのでしょうね?」
 「は・・・?」
 か弱げなミランダの豹変振りに、リンクは驚いて目を見張った。
 「私は今から、あなた達に対して、彼らがこの事件に関し、無実であると証言しますわ。
 それをお聞きになれば、たとえあなたでも、彼らを放さないわけには行かないでしょう。
 その時、あなたと警察は、彼らに対する無礼を正式に謝罪するのでしょうね?」
 ドイツ風の固い英語で言い募るミランダに、リンクは不快げに眉を寄せる。
 「・・・その必要はない。
 そもそも、あなたが我々に対して協力および証言をするのは、市民としての義務です。
 あなたが我々に対して有益な情報を提供しない場合、拘束することもいとわないと、先に申し上げておきましょう」
 あまりにも横暴な宣告に、怒声をあげようとしたリーバーを制し、ミランダはすっと立ち上がった。
 意外に長身の彼女から、まっすぐに見つめられ、リンクが一瞬、怯む。
 と、ミランダはその隙を突くかのように畳み掛けた。
 「あいにく私はドイツ人で、私を拘束、裁く権利はドイツ政府と皇帝陛下にあります。
 故にあなた方への情報提供、証言は私の義務ではなく、好意で行うことであり、決して強要されて行うものではありませんわ!
 わかったらその手をお放しなさい!!」
 びしりと言われ、驚いた警官達の手がアレンとラビから離れる。
 その様に、ミランダは険しい顔のまま頷くと、リンクに向き直った。
 彼女の強い眼差しに、びくりと震えたリンクは、次の言葉をおとなしく待つ。
 「証言が欲しいのでしたら、まず私に言うことがありますね?」
 「は・・・・・・」
 「英国の警官は世界一優秀だと聞いていましたが、礼儀もご存じないのですか?」
 すぅ、と、細くなった眼差しに見据えられ、リンクは慌てて姿勢を正した。
 「ミ・・・ミス・ロットー、どうぞお掛けください。
 そして、我々に情報をご提供くださいますか・・・?」
 丁重にこうべを垂れたリンクを見下ろし、ミランダはようやく笑みを浮かべる。
 「よろしいでしょう、リンク刑事。
 私の知っていることを、お教えしますわ」
 悠然と腰を下ろしたミランダに、唖然と状況を見つめていたコムイが思わず拍手した。
 「うわー!かっこいいや、ミランダさん!
 リンク君って言えば、スコットランド・ヤードでも『エリートを鼻にかけた傲慢なガキ』って有名なのにー!」
 「・・・さり気になんか言うのやめてくれませんか、コムイ・リー」
 鼻の頭にしわを寄せ、忌々しげに言ったリンクは、ミランダに向き直る。
 「早急に犯人を確保するためにも、のんびりしている時間はありません。
 ミス・ロットーにおかれましては、どうか手短に事情をご説明いただきたい」
 言っている内容は先程までと変わらないものの、ミランダに対するリンクの口調からは随分と傲慢さが取れ、どころか、彼女の顔色を伺うような気弱げなものになっていた。
 「では、お話しますわ」
 リンクの態度ゆえか、こちらも打って変わって落ち着いた物腰になったミランダは、黒いバラを手に取り、眉根を寄せる。
 「警官の皆さんが全員、2階に行ってしまわれた後でした。
 私、真珠を取り出して、考え事をしていたんです。
 そしたら突然、大窓が割れて、外から人が飛び込んできましたの・・・。
 わ・・・私もう、びっくりしてしまって、悲鳴をあげましたわ・・・そしたら・・・」
 震える手で胸を押さえたミランダの目の前に、ティーカップが差し出された。
 「どうぞ」
 にこりと、微笑んだアレンに礼を言って受け取ると、熱い紅茶を飲んでから、ミランダは続ける。
 「私の手から真珠を奪った男が、『ブラック・ローズだな』と言いましたの」
 「それは、ミランダさんに?」
 「いいえ。
 窓の外にいた人にです」
 コムイの問いに首を振り、ミランダは再び黒バラを手に取った。
 「どちらも目深にフードをかぶった上に、黒いマスクをして、顔はわかりませんでしたけど、私から真珠を取り上げたのは若い男性、問われた方は、若い女性のようでした。
 そして、真珠を持って出て行ってしまった彼と入れ替わりに、若い女性の方が入って来て、私にこのバラを・・・」
 ミランダにバラを渡した女は、マスクの向こうの目を細め、微笑んで、とてもきれいな英語で言ったと言う。
 『ごめんなさい、あの真珠は殿下の大切なものなの。代わりに申し訳ないけど、このバラを差し上げるわ』
 「・・・それはまた、とんだ等価交換ですね」
 真珠とバラでは、価値がまるで違うだろうと呆れるリンクに、しかし、ミランダは首を振りかけて・・・頷いた。
 「そうですね・・・。
 その後、皆さんが降りてくる足音を聞いた彼女は言いましたわ。
 2階の死体は、彼女達の殿下が誤って殺してしまったのだと。
 高貴な方に罪を負わせるわけには行かないから今は一旦逃げるけど、この家の人達は決して、この犯罪に関与していないと伝えて欲しいと」
 「ふむ・・・それで、私達が乗り込んでくる前に、その二人は逃げてしまった、と」
 「ええ」
 「では、彼らに関してわかること全て・・・顔はわからないと言うことでしたが、その他身体的な特徴などは全て話して下さい」
 「わかりました」
 頷くと、ミランダはリンクが発する問いに全て答えていく。
 それらが終わり、ようやく警官たちが引き上げた頃には、すっかり夜は更けて、日付さえも変わっていた。


 「ようやく終わりましたね・・・」
 「死体は警察が持って行っちまったけど・・・めんどくさい事になったな、アレン。
 葬式ってやっぱ、お前が出すんさ?」
 そんな会話をして、アレンとラビが困惑げな顔を見合わせる。
 「そりゃそうでしょ、師匠は僕の後見人だったし・・・。
 でも正直言って、おじいちゃんに帰ってきてほしい・・・」
 切ないため息をつき、目に涙を浮かべたアレンの頭を、ラビがくしゃりと撫でた。
 「ん・・・。
 ジジィにはすぐ電報打つさ。
 でも、一緒に片付けなきゃいけないことがあるよな・・・」
 そう言って、ラビがミランダを見遣ると、彼女は既に、コムイとリーバーに囲まれている。
 「ミランダさん、リンク君に言わなかったことがあるでしょ?」
 にんまりと笑ったコムイを上目遣いに見上げ、ミランダはちらりと笑った。
 「実は・・・真珠の代わりにもらったバラには、リボンが結んであったんです・・・」
 ミランダが、袖の中からするりと取り出したリボンを受け取ったコムイが、満足げに頷く。
 「なるほど、ちゃんと等価交換だったわけですね」
 「どういうことっすか?」
 コムイの手にあるリボンを、彼の傍らから覗きこんだリーバーは、そこに書かれた文字を読んで目を見開いた。
 「なんさなんさ?!」
 「どうしたんですか?!」
 わらわらと寄って来た子供達にも見せてやると、彼らは額を接してリボンを見つめる。
 「えーっと・・・。
 あなたが分与されるべき財産は、下記の場所でお渡しする。
 明晩10時、下記まで取りに来られたし――――・・・って、えぇっ?!
 師匠が隠していた財産って、あの部屋にあるはずだけど・・・!!」
 「あ・・・あぁ!俺も見たさ!!
 昨日、あれを見ながら自棄酒してたんだもんよ、おっさん!」
 大声をあげる子供達に、しかし、コムイとリーバーは訝しげな顔をした。
 「ボク達があの部屋に入った時は、財産らしきものはなにもなかったよ?」
 「あったのは酒瓶と、散らばった黒いバラの花びらだ」
 「うそっ?!」
 「じゃあ、盗まれたんさ?!」
 慌てて駆け出した二人に、コムイ達も続く。
 と、先行した少年達の悲鳴が、件の部屋からあふれてきた。
 「全っ部取られちゃってますぅ!!」
 「箱ごとなくなってるさ!!
 ブラック・ローズ以上の値打ちがある宝石が、わんさか入ってたんに!!」
 騒ぎ立てる彼らを、コムイが冷静になだめる。
 「まぁまぁ、ちょっと静かにして、キミタチ。
 盗まれた物の中には、君達の分も含まれてたのかい?」
 問われた二人は、ぶんぶんと首を振った。
 「僕のは父さんが銀行に預けてます!」
 「俺のはジジィが管理してっから、カンケーないさ!」
 だから、と、二人は気まずげな上目遣いでミランダを見る。
 「盗られちゃったのは、ミランダさんが相続するはずだった物全部です・・・」
 「あのおっさんがちょろまかしたもんさ・・・」
 ごめんなさい、と、並んで頭を下げる二人に、ミランダは笑って手を振った。
 「そんな、気にしないで。
 それに盗んだ人達は、返してくれる気があるようだし」
 と、ミランダは苦笑を浮かべた口元に手を当てる。
 「・・・返すも何もないわね。
 まだ、私のものではないのだから」
 その生真面目な考え方に、皆が思わず笑みを漏らした。
 「でも・・・なんで奴らは、ブラック・ローズがここにあるってわかったんでしょうね?」
 ふと、リーバーが出した問いに、コムイが笑みを浮かべる。
 「それは・・・ミランダさん、あの真珠、鑑定に出したでしょ?」
 コムイに問われ、ミランダはこくりと頷いた。
 「えぇ、男爵のご紹介くださった宝石商に見せましたわ。
 それであの真珠が『ブラック・ローズ』と言う名前だと知りましたの」
 「やっぱりね。
 きっと、彼らはその宝石商から情報を得たんですよ」
 そう言ってコムイは、時折、床の酒瓶を蹴飛ばしつつ、室内を歩き回る。
 「真珠を鑑定に出したのは、いつのことです?」
 「今年の・・・2月頃かしら。
 誕生日に3つ目の真珠が送られて、さすがにいつまで続くものかと訝しく思ったものですから、男爵夫人のお勧めで・・・」
 「なるほど。
 そして、鑑定の結果が出たのは?」
 「もう、3月に入ってましたね。
 由来を調べるのに、インドから情報を取り寄せたとかで。
 でも、有能な宝石商ですわ。
 真珠の名前だけでなく、由来まできちんと調べてくれました」
 「でしょうとも」
 コムイの意味深な言い様に、皆、首を傾げた。
 が、コムイは気にせず、アレンに向き直る。
 「アレン君?
 残りの真珠はどこにあるの?」
 問われて、アレンは目を見開いた。
 「どうして・・・」
 驚く彼に、コムイはにこりと目を細める。
 「ミランダさんが持つブラック・ローズの情報は、今年の3月には既に、宝石商のもとにあったんだ。
 それが、12月も終わりの今になるまで、彼らからの接触は一切なかった。
 それは彼女の手元に、真珠が3つしかないとわかっていたからだよ」
 「さすが・・・」
 唖然と口を開いて、アレンは踵を返す。
 間もなく戻ってきた彼の手には、6つの『ブラック・ローズ』がついた銀のチェーンがさがってた。
 「全部で9個・・・なるほど、インドの『聖なる数字』だね」
 「へぇ・・・そうなんですか」
 手元の真珠を見て、アレンは感心したように頷く。
 「宝石商は・・・男爵の紹介と言うだけあって、貴族や王族の方々が、秘密裏にご利用になることもあったのじゃないかな?」
 コムイが独り言のように言うと、ミランダが心得て頷いた。
 「上流階級に多くの顧客を抱える商人だと伺いました。
 ですから、私が鑑定をお願いするのはおこがましいかとは思ったのですが、男爵のご紹介と言うこともあり、親切にしていただきましたわ」
 「親切でしたでしょうとも。
 きっと彼は、インドの『殿下』に依頼を受けて、ブラック・ローズが出てくるのを待っていたのでしょうからね」
 「まぁ・・・・・・!」
 目を丸くするミランダに苦笑し、コムイは続ける。
 「思うに、宝石商はインドから情報を取り寄せると言う名目で真珠を手元に置いていた間、『殿下』に実見していただいたのじゃないかな。
 アレン君達が言うには、『殿下』が英国にいるはずはないとのことだから、知らせを受けて、宝石商の元に来るには少々時間がかかったろう。
 そして『殿下』は、直接ご覧になった大切なブラック・ローズが3つしかないことに驚く・・・。
 こうまでして取り戻したいと思うものなのだから、亡命のお礼にと下賜したものではなく、どさくさで奪われたものなんだろうね」
 コムイの推理に、アレンとラビは、眉根を寄せて俯いた。
 「多分・・・その通りです」
 「あのおっさん、護衛するって、王族についてまわってたそうさ。
 きっとその時に・・・」
 深々と吐息する二人に苦笑し、コムイはミランダに向き直る。
 「彼らはひそかに、ミランダさんを監視しただろうね。
 彼女にブラック・ローズを送ったのが誰なのか、突き止めるために」
 「そんな・・・・・・!」
 怯えて震えるミランダの手を、リーバーが取った。
 「大丈夫。
 今後はもう、そんなことがないように手配します」
 自信に満ちた声で言われ、ミランダは安堵の息を漏らす。
 コムイも頷き、
 「そして昨日・・・いや、もう一昨日か。
 ミランダさんのもとに、ラビからの手紙が届いた」
 「うん・・・」
 すっと、ラビを指差すと、彼は真剣な目をして頷いた。
 「今回の手際を見ても、彼らは無能じゃない。
 ミランダさんを監視する一方、彼女の元に届く郵便物全ての監視も行っていたはずだよ。あるいは、配達人の買収もね」
 「・・・・・・あ!」
 思わず声をあげたラビに、皆の視線が集まる。
 「あれ・・・!
 あれがそうだったんさ!!」
 「何?」
 すかさず問うたコムイに、ラビが詰め寄った。
 「彼女に招待の手紙を送ったんは、実は、2回目なんさ・・・1回目は、あて先不明で戻ってきちまったの!」
 「・・・その話、もっと詳しく聞かせてくれるかい?」
 興味を引かれ、コムイがやや性急に問うと、ラビはこくこくと頷く。
 「1回目は、アレンが16歳になって、財産相続の権利を得てからすぐに出したんだよ、俺!
 25日の昼には出したから、遅くったって27日には着くだろ?
 なのに、27日にあて先不明で戻ってきて・・・俺、玄関先で配達人に『この住所で間違いない』って文句言ったんさ!」
 「それで?
 手紙はそのまま再送させたの?」
 「いいや!
 1回目の手紙には『28日夜に』って指定してたから、『30日夜に』って書き直したのを、また郵便局に・・・とんだ二度手間だって、俺、アレンに愚痴ったんだよ」
 「えぇ・・・ラビは、28日にミランダさんをお迎えする準備をしていた僕に、直接知らせてくれました。
 たまたま、こちらに来る用事もあったので・・・」
 「なるほど。
 つけられたんだな」
 リーバーに指摘され、ラビがぐったりとうな垂れた。
 「じゃあ・・・俺が原因なんさ・・・・・・」
 「うん・・・ここに来る君の後をつけて、この館を探し出した彼らは、後日、君が出かけている隙に、君の家を捜索しただろうね。
 そして、ブラック・ローズがないことを確かめ、今度はこの家に・・・。
 探している最中、彼に見つかり、殺してしまったのかも」
 「誤って、って・・・言ってましたから・・・・・・」
 しょげ返ったラビを慰めつつ、遠慮がちな声で言うミランダに、コムイは頷く。
 「うん。そうでしょうね。
 最初から人を殺そうと思ってたんなら、こんな武器は使わないよ」
 「それ、なんなんですか?」
 コムイが手にした小枝のようなものをアレンが指すと、彼は皆に見えるようにそれを差し出した。
 「先が尖ってるでしょ?
 これは、吹き矢用の矢なんだけど、小動物用の狩りなんかに用いるもので、これ自体に殺傷力はほとんどない。
 でも、この先に猛毒が塗ってあってね、それが彼を死なせたんだよ」
 「へぇ・・・でも、吹き矢って言ったらやっぱり、暗殺とか・・・・・・」
 アレンの感想に、コムイは思わず笑声をあげる。
 「そうだね。
 そんな用途にも使われるだろうけど、この程度の矢に塗れる量で、大柄な成人男性一人を殺せる毒なんて、そうないよ」
 「え・・・そうなんですか?」
 思わずリーバーを見やると、彼はミランダの傍らについたまま頷いた。
 「彼の死の状態を見るに、激しい痙攣を引き起こす植物性アルカロイドだと思われる。
 たとえばストリキニーネだった場合・・・致死量は0.1〜0.03グラム。
 この程度の面積なら、よほど深く刺して、毒が血中に溶け込むまでそのままにでもしておかない限り、全然足りないだろうな。
 だけど、彼は矢を打たれる直前に、大量のアルコールを摂取していただろう?
 体内で不幸な化学反応が起こった可能性は高いな」
 そう言って、床に散らばる酒瓶を見下ろしたリーバーに、アレンとラビは深く頷く。
 「これが全部、一日の酒量ですからねぇ・・・」
 「まぁ・・・好きな酒を好きなだけ飲んで死ぬって、本人にとっちゃいい死に方だったかもなー・・・・・・」
 彼の死の状況を理解した二人は、思わずため息を漏らした。
 「ともあれ・・・彼らはラビがミランダさんに送った手紙を盗み見て、今夜、ミランダさんが正当な権利を主張する前に、ブラック・ローズを手に入れようとしたんだろう。
 だが『不幸な事故』により、『殿下』は彼を殺してしまった上に、ブラック・ローズのありかもわからなくなった。
 きっと『殿下』は、彼が眺めていたと言う『箱』の中を探したろうけど・・・」
 コムイの眼差しに問わんとするところを悟って、二人は一様に首を振る。
 「短い時間で全部を見るのは無理ですよ」
 「たくさんあったってのも理由の一つだけどさ、ダイヤと他の宝石を一緒くたに詰め込んだりしたら、傷がついちまうだろ?
 だから宝石は一個一個、布で梱包してあったんさ」
 「あれを見たら、すぐに探し出すのは無理だって、一目でわかるはずです」
 交互に言う二人に満足げに頷き、コムイはミランダにリボンを差し出した。
 「そう言う訳で、ミランダさんが受け取るべき物は全て、彼らの手に渡ったと思われます。
 そこで、あなたに改めてお聞きしますよ。
 これ以上、この件に関わろうと思いますか?」
 「・・・っ!」
 彼の問いに、ミランダは息を呑み、リーバーの手を強く握る。
 彼女の知らないところで起こった事件が彼女を巻き込み、監視までされていたと知った今、犯罪とは無縁に生きてきた彼女が、怯えて逃げ出そうと思うのも無理はなかった。
 「で・・・でも・・・・・・」
 不安げに目を泳がせる彼女に、コムイは笑みを向ける。
 「あなたがもう嫌だと言うなら、ボクは彼らがあなたを追って来れない場所へ逃がすこともできます。
 ・・・もっとも、あなたの手にあったブラック・ローズを奪った今、彼らもあなたに接触しようとはしないでしょうが」
 あえて軽い口調で言った彼に、ミランダは大きく吐息した。
 「でも・・・ブラック・ローズは、彼らが奪って行った物の中にはありませんよね」
 「はい・・・僕が持ってます・・・」
 気まずげに真珠を差し出したアレンに、ミランダは微かな笑みを向ける。
 「きっと彼らは、私の家も調べたのでしょうけど・・・どこにも残りの真珠がないとわかれば、きっと追ってきますわ。
 その時、アレン君が彼の後見人のような目に遭ったら可哀想・・・・・・」
 「えぇっ?!僕ですか?!」
 「そっ・・・そうさ!!
 アレン、そんな不幸の真珠は早く捨てちまえよ!!」
 慌てふためく二人を見て、逆に冷静になったミランダは、落ち着いた笑みをコムイに向けた。
 「この真珠を持って、『殿下』にお会いしましょう。
 はっきりとけじめをつけて・・・この問題は、これっきりにしましょう」
 「ミランダさん・・・・・・」
 彼女の意外な気丈さに、リーバーが感嘆する。
 が、落ち着いた表情と声に反して、リーバーの手を握る彼女の手は冷たく、小刻みに震えていた。
 「大丈夫。
 俺たちが守ります」
 震える手に手を重ねて包み込み、約束する。
 「ありがとうございます・・・・・・」
 ミランダは信頼のこもった目でリーバーを見つめ、蒼褪めた顔に笑みを浮かべた。


 その夜はアレンの勧めもあり、黒薔薇館に泊まった一行だったが、翌朝、食堂の窓から庭を見たミランダは、その光景に目を丸くした。
 「・・・・・・確かに・・・黒薔薇館ね」
 冬とはいえ、四季咲きのバラの樹は緑の葉を残して、館全体を囲んでいるが、所々花をつけるバラの色は全て黒い。
 「なんだか・・・お葬式みたい・・・・・・」
 思わず呟くと、『お葬式なんですよ』と、アレンが声をかけてきた。
 「あ・・・!ごめんなさい、私ったら・・・!」
 自身の失言に慌てるミランダに、アレンは笑って首を振る。
 「女王陛下のジェットと同じです。
 僕は黒いアクセサリーをつけないけど、愛した人をずっと弔っていたいと言う気持ちは同じですから・・・」
 「まぁ・・・・・・」
 ミランダは頬に手を当て、暗い笑みを浮かべるアレンを気遣わしげに見つめた。
 「確かに・・・英国の女王陛下は、ご夫君を亡くされてからずっと、喪服を着ていらっしゃるわね・・・。
 だけど・・・・・・」
 あなたは若いのだし、もう吹っ切ったら・・・と言う言葉を、ミランダは飲み込んだ。
 人の悲しみは他人の推し量れるものではない。
 ましてや、それをずっと彼の傍にいるラビなどが言うのならともかく、昨日知り合ったばかりのミランダが言っていい事とは思えなかった。
 「・・・あなたの悲しみが、早く癒されることを願っているわ」
 「ありがとうございます」
 ミランダが飲み込んだ言葉に気づいただろうに、アレンはさりげない風で笑う。
 「朝食をどうぞ。
 一応、イングリッシュ・ブレックファーストではあるんですけど・・・召使がインド人なんで、メニューはちょっと変わってるかも」
 「ありがとう」
 冗談めかして首を傾げるアレンに、ミランダはほっとして微笑んだ。
 「ラビも僕もしばらくインドにいたんで、彼らのやり方が普通だと思ってる節があるんですよねぇ・・・。学校で笑われるんです」
 向かいの席についたアレンに、ミランダは笑みを深める。
 「あら。同じ学校なの?」
 「そうですよ。
 ラビも僕も、おじいちゃんや父さんから預かった館があるから寄宿舎には入れませんでしたけど、市内の学校に通ってます。
 今は冬休みです」
 「まぁ・・・意外と普通の子達だったのねぇ・・・・・・」
 「それどーいう意味・・・あ、コムイさん、リーバーさん、おはよーございます」
 「おはよー・・・」
 「おはよう」
 寝ぼけたコムイとしっかりとしたリーバーの対比に笑ったミランダは、アレンに向き直った。
 「ラビ君はまだかしら?」
 「いいんですよ、ラビは。
 どうせ昼まで起きてきません」
 それより、と、アレンは新たに席に着いた二人に首を傾げる。
 「今夜、僕も行っていいですか?」
 「危険だ」
 すかさず言ったリーバーに、アレンは頬を膨らませた。
 「わかってますよ・・・だけど今回の件は、僕があの真珠を送っちゃったから、ミランダさんが巻き込まれることになったんでしょ?
 やっぱり責任取らなきゃなぁって、昨日、考えたんです」
 「そんな・・・アレン君は親切で送ってくれたのだし、気にしなくていいのよ?」
 「でも・・・ミランダさんは僕が、師匠みたいな目に遭ったら可哀想だって、行くことにしたんでしょ?
 なのに僕が行かないなんて・・・父さんが生きてたら、きっとひどく叱られます」
 お願い、と、縋るような目で見られて、リーバーは隣でテーブルに突っ伏すコムイを見遣る。
 「どーします?」
 「ウン・・・いいんじゃない?
 情報集めくらいには役に立つかもしんないしー・・・・・・」
 そのまま寝入ってしまいそうなコムイを忌々しげに睨んだリーバーは、吐息してアレンに向き直った。
 「いいだろう。
 その代わり、無茶はしないと約束しろ」
 「はいっ!!」
 溌剌とした声をあげ、嬉しげに笑ったアレンは、昼近くになってようやく起きてきたラビに喜び勇んでそのことを告げた。
 「なんでアレンだけ!!
 俺も行くさ!!」
 案の定、ラビにまで縋られ、リーバーが深く吐息する。
 その頃にはコムイの目も完全に覚めていて、苦笑しつつラビの同行も許可した。


 「・・・やっぱ、子供らは帰した方がいいんじゃないすかね?」
 テムズ川の川縁にコムイと並んで立ったリーバーは、苦々しげな口調で言う。
 そこは宝石を奪った者達が指定した船着場だったが、既に日の暮れた川辺に明かりはなく、黒々とした水が彼らの前を絶え間なく過ぎていった。
 「できればミランダさんも・・・」
 「それはできませんよ・・・」
 「僕たちも帰りませんっ!」
 「俺をハメた奴のツラ見てやるんさ!!」
 と、リーバーの申し出は、三人から却下される。
 「まぁ、交渉してみるだけしてみようよー。
 話せばわかる相手だと思うしさー♪」
 のんびりとした様子で暗い川面を見つめていたコムイは、『あ』と、嬉しそうな声をあげた。
 「船が来たヨー」
 彼が指した方向を見ると、川面に小さな明かりが揺らめいている。
 それは意外な速さで近づいて、彼らの前に止まった。
 「お待たせしました」
 船の舳先についた明かりを避けるように、闇に溶け込んだ影が声を発する。
 若い女性のものだと知れるそれに、ミランダ以外の4人は息を飲んだ。
 と、影は首を傾げる仕草をする。
 「・・・お招きしたのはフロイラインお一人です。
 他の方達は、ご遠慮願えますか?」
 「そうは行かない!
 彼女が行くなら、俺たちも同行させてもらう」
 すかさず口を出したリーバーに、しばらく影は無言だった。
 「・・・では、交渉は決裂とします。
 あなた方を、殿下の船に乗せるわけには行きませんから」
 途端に冷たくなった声が宣告し、影は踵を返す。
 「待て・・・!!」
 「逃がすかっ!!」
 声をあげたリーバーの傍らをラビが駆け抜け、ステップも下ろさない船に飛び乗った。
 「なっ・・・?!」
 「僕も!!」
 驚く大人達の目の前で、アレンまでも船に飛び乗る。
 「や・・・野生児・・・?」
 二人のすばらしい身体能力に呆然と佇むミランダの目の前で、船は川の中央へと進んでいった。
 「アラー・・・乗せてっちゃったねぇ・・・」
 コムイののんきな口調に、リーバーが目を尖らせる。
 「乗せてっちゃったじゃないでしょ!!
 あいつら、無茶するなって言ったのに・・・!!」
 「聞きゃしなかったねぇ」
 楽しげに笑い始めたコムイに、ミランダまでもが目を尖らせた。
 「少しは心配したらどうですか!!」
 「心配ねぇ・・・する必要があるかな、あの子達に」
 「ありますよっ!!」
 声を揃えた二人に、コムイはにんまりと笑う。
 「そんなに心配なら、追いかけてみるぅ?」
 「は・・・?」
 訝しげに眉を寄せる二人の前で、コムイはマッチに火をつけた。
 それを高々と掲げた途端―――― 川面が昼になったかのように明るく輝く。
 「なに・・・?!」
 驚く二人の目の前に、スコットランド・ヤードの名が入った船が横付けされた。
 「リンクくーん♪
 夜間勤務、ご苦労さまーv
 「・・・さっさと乗って下さい、コムイ・リー」
 警官がステップを下ろす傍ら、姿勢良く立つリンクが憮然と言う。
 「なぜ・・・」
 「なぜって、こうなるだろうなぁって思ってたからv
 軽やかな足取りでステップを登りつつ、コムイは二人を手招きした。
 「ミランダさんを一人で船に乗せるわけには行かないでしょ?
 だったらここは高速艇を持ってる人にお願いして、追いかけて拿捕した方が手っ取り早いじゃーんv
 「そ・・・そりゃそうですけど・・・・・・」
 ミランダを助けつつ、船に乗り込んだリーバーは、大勢の警官が走り回る船と、この船を囲むたくさんの高速艇に目を丸くする。
 「なんでこんなに・・・・・・」
 「それはリンク君の手配だよー。
 ボクは犯人の船を拿捕できる程度、って言ったのに、こんなに引き連れて来るんだもん。
 よっぽど、ミランダさんが気に入ったのかな?」
 からかい口調で言われたリンクが、真っ赤な顔を背けた。
 「そ・・・そんなことじゃありません!
 私はあくまで、犯人逮捕を第一目的とし・・・」
 「うん、それはどうでもいいからさv
 とりあえず追っかけてー!」
 リンクの言葉を遮り、川面を示したコムイの指示に従って、船が走り出す。
 新しい年を控えた夜のテムズ川で、前代未聞の追跡が始まった。


 一方、ラビとアレンが乗り込んだ船では、彼らに交渉決裂を宣告した女が、目を丸くしていた。
 「信じらんない・・・っ!」
 忌々しげに言うと、船べりに取り付いた二人につかつかと歩み寄り、突き飛ばす。
 「落ちるっ!!」
 「なにすんさ!!」
 船べりにぶら下がった二人が思わず抗議の声をあげると、女は二人の手を引き剥がしにかかりながら、声を荒げた。
 「なにするじゃないわよっ!
 さっさと落ちなさい!」
 「ひっ・・・ひどっ・・・・・・!!」
 「こんな冬の最中に川に落ちたら死んじゃうさー!!」
 懸命に抵抗する声を聞きつけ、船室からまた一人出てくる。
 「なにを騒いでいる?」
 「侵入者よ!落とすの手伝って!」
 要請に応じて、問いを発した男は船べりに縋る手を引き剥がしにかかった。
 「わあああああんっ!!」
 「落ちるッ!マジ落ちるッ!!」
 アレンとラビがあげる甲高い悲鳴に、二人がうるさげに眉をひそめた時、
 「おやめ」
 船室から、新たな声が命じる。
 「まだ子供じゃないか。
 引き上げておやり」
 「殿下・・・・・・」
 明らかに畏敬の念を込めてその敬称を口にした二人は、あからさまな不満と共にアレンとラビを引き上げた。
 「こ・・・怖かったさ・・・・・・!」
 「あ・・・ありがとうございますぅ・・・!」
 真っ青な顔をして、甲板にへたり込んだ二人の前で、『殿下』は踵を返す。
 「中へ」
 「はい・・・」
 その命令に不満げな声で答えた二人はそれぞれに、アレンとラビの腕を掴んで立たせた。
 「殿下のお招きよ。ちゃんとして!」
 「甘えんじゃねェ。自力で歩け」
 二人に連行されて船室に入ったアレンとラビは、豪華ではないが洗練された船室の中央に悠然と座る女性に目を見開く。
 「ストライクッ!!」
 「ラビ待ってッ!!」
 今にもラブ・ハリケーンと化して飛び掛りそうな従兄を慌てて制し、アレンはすかさず愛想笑いを張り付かせた。
 「お・・・お目にかかれて光栄です、殿下。僕は・・・」
 「アレン・ウォーカー。
 ウォーカー氏の息子だね。
 そしてそちらはラビ。
 お前達の祖父君には、色々と世話になった」
 「はぁ・・・」
 あいまいな返事をするアレンを押しのけ、ラビが彼女の前に進み出る。
 「殿下がこんな美人だって知ってたら、俺だって協力したさーv
 殿下、ご趣味は?!
 今度、ナショナル・ギャラリーでもご一緒に・・・ぎゃふっ!!」
 「殿下に近づくんじゃねェ、この下衆が!!」
 鞘に収めた剣で、容赦なく頭を打たれたラビが、床に沈没した。
 「わぁぁぁぁぁんっ!!ラビッ!ラビッ!!
 だから待ってって言ったのにぃぃぃ!!」
 自らの血で、赤い髪を更に赤く染める従兄に泣き縋るアレンに歩み寄った女がフードとマスクを取って苦笑する。
 「大丈夫だよ。
 殺すようなことはしないから」
 「わ・・・・・・!」
 東洋人だろうか、艶やかな黒い髪と黒い瞳の美しい少女に、アレンは頬を染めて見入った。
 「イ・・・インドの方ではなかったんですか・・・・・・」
 「うん。
 私は清国の人間だよ。殿下に助けていただいたの」
 大きな目を細めて、にこりと笑った彼女に、アレンは首まで真っ赤になる。
 「彼は日本人だね。
 私と同じような境遇かな」
 そう言って、彼女が指差した先では、もう一人の侍従がフードとマスクを取っていた。
 「・・・っ美人姉妹!!」
 「誰が姉妹だ!ブッた斬るぞテメェ!!」
 すさまじい剣幕に、アレンが小動物のように怯える。
 「神田、おやめ。リナリー、彼らに席を」
 短い命令に、神田と呼ばれた男とリナリーと呼ばれた少女は機敏に応えた。
 ややして、まだぐったりしているラビと並んで殿下と対したアレンは、鋭い神田の視線に怯えながら、改めて自己紹介をする。
 と、彼女は高貴な人間らしく、鷹揚に頷いた。
 「私はクラウド・ナイン。
 本国では別の名があるが、亡命してからはこの名を使っている」
 「ナイン・・・・・・」
 「9個の真珠、ってわけさ?」
 呟いたアレンの傍らで、ようやく目を覚ましたラビが問うと、彼女は微苦笑を浮かべて、ミランダから奪った真珠を取り出す。
 「この真珠は、我が家の女が代々継いできたものだ。
 決して手放すまいと、国を出る時にも大事にしまっていたのに・・・・・・」
 「師匠・・・いえ、彼に奪われたんですね・・・?」
 アレンが暗い声音で問うと、クラウドは眉根を寄せ、頷いた。
 「あの男・・・護衛と称して私や母にしつこく付きまといおったのだ!
 聖職者を名乗りながら、何かと理由をつけてはべたべたと触りおって、汚らわしいッ!!」
 段々高くなっていく忌々しげな声に、アレンとラビは二人して恐縮する。
 「ぼ・・・僕らの親戚が、ご無礼を働きまして・・・・・・!」
 「ホントッ・・・!申し訳ないさ、殿下・・・・・・!」
 揃ってこうべを垂れた二人を見下ろしたクラウドは、荒く息をついて続けた。
 「・・・とは言え、私達も無事、亡命できた以上、褒美をくれてやるのにやぶさかではない。
 彼の働きに応じ、貴重な宝石をいくつも与えたと言うのに、あの下郎、ブラック・ローズまで掠め取って行きおった・・・!」
 「そっ・・・それは大変申し訳ないことをっ!!」
 「お怒りはごもっともさ、殿下ッ!!」
 烈火のごとく怒り、今にも無礼討ちを言い出しそうな彼女に、アレンとラビはひたすら謝りつづける。
 と、少しは落ち着いたらしい彼女は、長い脚を組みなおした。
 「ちなみに、今回奴を殺してしまったのは、恨みによってではない。
 酔っ払いに見つかった私が、無理やり酒に付き合わされ、貞操の危機にまで及んだ時、我が忠実なる臣下が奴に矢を放ったのだ。
 彼を殺すつもりはなかっただろうし、そもそも、正当防衛だ」
 「・・・そうでしょうね、本当に申し訳ありません」
 今までの流れで、完全に謝り癖のついたアレンは、うな垂れたまま顔もあげられない。
 「・・・なんで、そこにまであの子が謝るんだろ?」
 「本人にもやましいところがあるんじゃねぇのか?」
 あまりにもへりくだるアレン達の様子に、却って不信感を抱いた二人は、彼らの主人に進言した。
 「殿下、もういいでしょ?
 事情の説明はしたし、もう降りてもらいましょう?」
 「近くの船着場に接舷するか・・・めんどくせェから、このまま川に放り込むか」
 「えぅっ?!ちょっ・・・ちょっと待ってッ!!」
 「かっ・・・川に捨てられる前にまだ聞きてぇことがあるんさっ!!」
 「なんだ?」
 冷淡な声で問われ、実は何も考えていなかったラビが焦る。
 が、すぐに話の検証を終えた彼は、指を三本立てた。
 「まずひとつ。
 どうやってあの部屋に入ったんさ?
 あの部屋、ドアに鍵がかかってて、犯人は到底登れそうもない窓から侵入したって、探偵達が言ってたさ!」
 ラビの問いに、クラウドはやや、自慢げに笑って手を差し伸べる。
 と、彼女の背と肩を伝って、小さな猿がその腕に登った。
 「・・・たとえ、人間には登れぬ壁でも、この子なら登ることができる。
 それに・・・」
 優しく頭を撫でるクラウドの手の下で、猿は満足げに目を細める。
 「この子はとても賢くてね。
 小さな吹き矢をおもちゃ代わりに狩りをするのだ。
 もちろん、道具を作ってやるのは私だが、ネズミくらいなら上手に仕留めるよ」
 「なるほど・・・。
 つまり、矢を放ったのはこいつだったんさね?」
 「あぁ。
 疑問の二つ目も解消したか?」
 やや意地の悪い言い方をした彼女に、ラビはにこりと笑って頷いた。
 「じゃあ、最後は大事な質問さ。
 あんたら、ブラック・ローズの行方、知りたくねぇの?」
 途端、場に緊張が張り詰める。
 「残りの6個、探してんさ?」
 「・・・おまえ達が持っているのか?」
 さりげなさを装ったクラウドの口調はしかし、昂揚を含みすぎて、わずかに掠れていた。
 「出かける前までは、アレンが持ってたさ」
 ラビが傍らのアレンを見遣ると、彼は上目遣いのまま、こくりと頷く。
 「でも・・・あなたたちが欲しがっているのはあの真珠だからって、探偵さん達に預けました」
 「探偵って、あの男の人達?」
 リナリーが問うと、二人は揃って頷いた。
 途端、クラウドが楽しげに笑い出す。
 「重畳だ。
 計画通り、警官立会いの元、ブラック・ローズを我が手に戻そうじゃないか」
 「え・・・?」
 「警官・・・?」
 意外そうに目を丸くする二人に、クラウドもまた、意外そうな顔をした。
 「なんだ、知らなかったのか?
 あの船着場の周りは、スコットランド・ヤードの高速艇に囲まれていたぞ」
 「えぇっ?!」
 「そうなんさっ?!」
 瞠目し、船窓に目をやる二人に神田が肩をすくめる。
 「罠かと思ってたら、ガキの勇み足だったのかよ」
 「ちょっ・・・そう言う言い方ないでしょっ!!」
 「ガキって、お前いくつさ?!俺と同い年くらいじゃね?!」
 さすがにカチンと来た二人の抗議には、呆れ返ったようなため息を漏らし、答えようとしなかった。


 その頃、暗い川面を行く船上で、ミランダは不安げな目を暗闇へと向けていた。
 「ミランダさん、船室に入ってください。
 夜の甲板は危ないですよ」
 リーバーが声をかけると、彼女は半身振り返る。
 「で・・・でも・・・あの子達が・・・・・・」
 祈るように組み合わされた細い手が、微かに震えていた。
 「・・・優しい人ですね」
 『善良』と言う言葉を体現する者がいるとしたら、彼女をおいて他にない。
 そう思っての言葉だったが、ミランダはそう解釈はしなかった。
 「優しいだけではいけないんです・・・。
 時にはあなたのように、厳しく反論する勇気がなければ・・・・・・あの子達を、こんな目に遭わせてしまったのは、私のせいですわ・・・・・・」
 「それはない」
 きっぱりと言って傍らに立った彼を、ミランダは改めて見上げる。
 「あいつらは自分達で判断し、今回の件に関わった挙句、俺の警告を無視して先走ったんです。
 それはあなたのせいではないし、この件に関して責任を取るのは、あいつら自身です」
 ミランダの言う『厳しさ』で言ってのけたリーバーは、しかし、すぐに語調を和らげた。
 「だが、あいつらを監督できなかったのは、俺らの責任ですからね。
 無事に助け出したら、あいつらの保護者に代わって拳骨のひとつでもくれてやりましょう」
 「まぁ・・・!」
 思わず笑みを浮かべたミランダに、リーバーは手を差し伸べる。
 「あいつらを無事に助ける前に、あなたが川に落ちたら大変だ。
 さぁ、船室に入って」
 「はい・・・」
 微かに笑って、ミランダはリーバーの手を取った。
 すっかり冷え切った手を握り、リーバーは苦笑する。
 「・・・このままだと、日付を超えそうですね。
 とんだ新年・・・いえ、とんだ誕生日になりましたね」
 ため息交じりの声に、ミランダも苦笑した。
 「本当に・・・でも、全てが解決すれば、忘れがたい日になるでしょう。
 ・・・・・・あなた方を信じてますわ」
 リーバーの手を握るミランダの手に、わずか、力がこもる。
 「えぇ。
 我々は、あなたの信頼に応えます」
 自信に満ちた声で断言し、リーバーも強く握り返した。
 「だから心配しないで、あなたは楽しい将来のことでも考えていてください。
 そうですね・・・たとえば、殿下から頂く財宝を使ってなにをするか、とか」
 「財宝・・・ですか・・・」
 苦笑するミランダに、リーバーが頷く。
 「今までも上流の方々とはお付き合いがあったようですが、明日にはあなたも仲間入りですよ」
 「そんな・・・私なんて・・・・・・」
 ふるりと首を振り、ミランダはそれきり黙りこんでしまった。
 ためにリーバーも、それ以上何か言うこともできず、黙って船室のドアを開ける。
 二人が中に入ると、そこではテーブルに置いたロンドンの地図をはさんで、コムイとリンクが額を突き合わせていた。
 「全力で追ってはいるのですが、あちらは早い上に小さく、小回りが利く。
 捕捉したと思ったら闇に逃げられて、なかなか追いつけない。
 それに・・・あの船に乗っているのが、本当に王族であるなら、我々では逮捕することができません」
 リンクの、相変わらず堅苦しい言い様に対し、コムイはどこか面白がっているような様子で相槌を打つ。
 「うん。それはさ、リンク君お得意の『知らなかった』でしらを切り通せばいいと思うけど?」
 「・・・あなた、私をなんだと・・・」
 「得意じゃない、情報操作ーv
 でもね、多分あっちは、ボクが警察に協力を要請してたこと、知ってたんじゃないかなぁ」
 「え・・・?!」
 コムイの言葉に、リンクだけでなく、リーバーとミランダも絶句した。
 だが、コムイは構わず続ける。
 「あの船、ミランダさんだけを乗せろ、って言ったのを断ったら、あっさり交渉決裂を宣言して逃げたよね?
 でも、よく考えてよ。
 こっちはミランダさんの財産を受け取りに来たけど、ミランダさん自身は財産自体にそう、興味はないみたい」
 話を向けられて、ミランダは驚きつつも頷いた。
 「え・・・えぇ・・・。
 興味がないというのは言いすぎですけど・・・あまりにも突然のことで、実感がないというのは事実ですね・・・」
 「うん。
 だけど、あっちはどうしてもブラック・ローズが欲しいんだよ。
 それと交換するために、ミランダさんを人質に取れるんならそうしただろうし、取れなかった場合は、莫大な財宝と引き換えにしようとしている」
 「ならば・・・こんな回りくどいことをせず、最初から交換だけすればいいじゃないか!」
 理解しがたい、と、眉根を寄せたリンクの対面で、コムイは小首を傾げて笑う。
 「そうだよね。
 多分、殿下があの男を死なせることがなければ、そうしたと思うよ?」
 「あ・・・そうか、表に出られないのか」
 事情を察したリーバーに、コムイは満足げに頷いた。
 「うん。
 王族として、衆目のある場所で警察にかかわるのは、耐え難い屈辱だよ。
 だけど一度亡命している殿下が、英国でまた、逃亡しなきゃいけないって言うのは、更なる屈辱だろうね。
 だからせめて、この事件に関しては殺意がなかったこと、ブラック・ローズの正当な持ち主は殿下だと言うこと、そして、ロットー氏に譲渡した財宝は正式にミランダさんへ譲渡されることを、警察の前で証明しようとしてるんだ」
 「ならば、こんなにちょろちょろと逃げるのはどういうことです?!
 私達に釈明する気があるのならば、今すぐにでも停船して、我々を船に迎え入れるはずでしょう!」
 苛立たしげに言って、リンクは鼻を鳴らす。
 「今回は、あなたの推理も外れたのではありませんか、コムイ・リー?」
 「いいや?そんなことはないよーv
 リンクの挑発を笑みでかわし、コムイは地図上のテムズ川を指でなぞった。
 「殿下達は、時々わざと姿を見せつつ、ボク達を海に案内している。
 殿下のご希望は、ボク達と『密かに会うこと』なんだ。
 リンク君、キミがお仲間に『ライトを控えろ』と命令すれば、殿下はもっと早く停船してくださると思うよ」


 警察所有の高速艇で、コムイが推理を披露していた頃、クラウドの船ではリナリーが、甲板に出て暗い川面を見つめていた。
 「まだ明るいな・・・・・・」
 この船を追ってくる高速艇は、猟犬のようにライトをぎらつかせて、夜中にもかかわらず、この船を白昼の元にさらそうとしている。
 「やっぱり、海にまで出ないとダメみたい」
 傍らに現れた影に言うと、彼は感心したように頷いた。
 「なるほど、海にまで行く予定だったんですねぇ」
 「なっ?!神田は?!」
 驚いて辺りを見回すリナリーに、アレンはにこりと微笑む。
 「彼なら殿下のところです。
 僕の従兄が殿下に一目惚れしちゃって・・・一所懸命牽制してますよ」
 「・・・・・・そう」
 大きな目で睨まれて、アレンは苦笑した。
 「あの・・・ちゃんと事情は理解しましたから、そんなに睨まないで下さい・・・・・・」
 「英国人は嫌いなの」
 「あ・・・えと・・・すみません・・・・・・」
 きっぱりと言われて、アレンは気まずげに謝る。
 「あの・・・なんで・・・ですか?」
 「なんでですって?!」
 甲高く尖った声に驚くアレンへ、リナリーはまくし立てた。
 「英国人は清に言いがかりをつけて戦争しかけて、ほとんど属国にした挙句、小さかった私をさらってインドに売り飛ばしたからよ!これで好きになれって方がおかしいんじゃない?!」
 「ご・・・ごもっとも・・・です・・・・・・」
 「幸い、私も神田も、殿下みたいなお優しい方に買われたからよかったけど・・・ひどい扱いを受けている人は、いくらでもいるわ!」
 「あぅ・・・」
 容赦なく指摘されて、アレンは、自分が自宅とラビの家にいる召使達を虐げてなかっただろうかと、懸命に記憶を探る。
 「えと・・・僕は・・・虐げてないかも・・・・・・」
 「そういう問題じゃないでしょ!」
 「そっ・・・そうですよねっ!!」
 また叱られて、アレンはびくりと震え上がった。
 「ぼ・・・僕も、しばらくインドにいましたから、現地がどういう状況だったかは見ていました・・・。
 風土の違う土地で、頑迷に英国風を押し通すことがどれだけ現地に負担を与えるか・・・」
 「政治にまで口を挟んで、殿下のご一家を国から追い出してしまったわ!」
 そんな事情まであっては、嫌われるのも無理はない、と、アレンは虚しく吐息する。
 「・・・・・・だけど、あなたのお父様は嫌いじゃなかったよ」
 「え?父さんを知ってるんですか?」
 「殿下の亡命に協力してくださったわ」
 「あ・・・そうなんですってね」
 「聞いてなかったの?」
 「ことがことだけに、詳しくは・・・それにあの直後、父は亡くなりましたし・・・・・・」
 「・・・・・・そうだったね」
 途端に怒気を収めて、リナリーは肩をすくめた。
 「ウォーカー氏が・・・あなたのお父様が亡くならなければ、私は英国に住んでいたかもしれなかったの。
 私と年の近い息子がいるから、仲良くなれるだろうって言ってた」
 「それ・・・僕のこと?」
 「他に息子がいるの?」
 「・・・いません」
 まだ、棘の抜けきっていない口調で言われて、アレンが肩を落とす。
 そんな彼に吐息し、リナリーは続けた。
 「私の家族を探してくれるって・・・言ってくれたの。
 なんだか、そう言う伝手をたくさん持ってる人だったんでしょ?」
 「うん・・・おじいちゃんもそうだけど、僕とラビの一族には、なんだかそう言う、顔の広い人が多くて。
 親戚中のネットワークを集めたら、多分、世界を網羅できると思う」
 「日の沈まない帝国、ってわけだね」
 少々皮肉を利かせた言い方だったが、リナリーはくすりと笑みを漏らした。
 「じゃあ、あなたにお願いすれば、私の家族を探してくれるのかな?」
 そう言って擦り寄って来たリナリーの笑みから、アレンは真っ赤になって顔を逸らす。
 「ぼっ・・・僕にはまだ、そんな力は・・・っ!
 あ!だ・・・だけど!おじいちゃんにお願いすれば、多分!!
 そうだ、それより・・・!」
 動揺したアレンは、裏がえった声で言い募った。
 「いっ・・・今、ミランダさんと一緒にいる探偵さんっ!
 ロンドンじゃすごく有名な人なんですよ!
 きっと彼なら、君の家族を探してくれるんじゃないかな!!」
 「探偵かぁ・・・」
 顎に指を当て、小首を傾げて、リナリーは船を追ってくる高速艇の群れを見遣る。
 「あんなに明かりをつけたまま追ってくるような人じゃねぇ・・・。
 こっちの意図なんか、全然気づいてないじゃな・・・・・・!」
 途端、一斉に高速艇の明かりが落ち、リナリーは言葉を切った。
 「殿下!明かりが落ちました!!」
 船室に向かって呼びかけると、中から『停船しろ』と命令が下る。
 「はいっ!
 あなた邪魔だから、船室に入っててくれる?」
 邪険に押しのけられたアレンは、操舵室に向かおうとするリナリーの腕を掴んだ。
 「なに・・・っ?!」
 「僕が・・・父さんの代わりに、あなたを助けます」
 「・・・は?」
 「だから・・・この事件が終わったら、僕の所へ・・・」
 アレンの申し出に、リナリーは目を丸くする。
 そのまましばらく、呆然としていた彼女は、船室の声に急かされ、アレンの手を振り解いた。
 「リナリー!!」
 「かっ・・・考えておくわ!」
 甲板を駆け去ったリナリーを見送ったアレンは、嬉しげに頬を染めて船室に戻る。
 と、そこでは相変わらず、浅ましい攻防が繰り広げられていた。
 「邪魔すんなさっ!!
 俺は殿下の元へ・・・っ!殿下ー!!受け取って、俺のキモチッ!!」
 「やっかましい、この赤毛が!!
 テメェの親戚がやらかしたことで、赤毛は殿下のトラウマになっちまってんだよっ!!
 もう1歩でも近づいたら、川に捨てんぞゴラ!!」
 ぎゃあぎゃあと喚きあいながら、クラウドに近づこうとするラビと、その彼を背後から羽交い絞めにする神田に、クラウドはうるさげに耳を塞いだ。
 「ラウ、お前があの男を殺してしまった時に、吹き矢を取り上げてしまったけど、持たせておけばよかったね。
 うるさくてしょうがない・・・」
 「でっ・・・殿下、申し訳ありません!!
 どうか無礼討ちはご容赦を・・・!!」
 神田と共にラビを捕獲し、引き離しながらアレンが言うと、クラウドはくすりと笑みを漏らす。
 「だから、あれは事故だったと言うのに・・・。
 人間が死ぬような毒を塗っては、せっかく餌を仕留めたラウまで死んでしまうじゃないか」
 「え・・・そのおサルさん、自分の餌を狩ってたんですか・・・?」
 アレンが、財宝の入った箱に頭をうずめて遊んでいるサルを指差すと、クラウドは不思議そうな顔をして頷いた。
 「当たり前だろう?
 人間と違って、神聖なサルは遊びで動物を殺したりはしない。
 まぁ、欧州に渡ってからは、猫代わりにねずみを狩ってもらってはいるがな」
 楽しげに船内を駆け回るサルを愛しげに見るクラウドに、アレンだけでなく、ラビも肩を落とす。
 「やっぱり・・・自業自得じゃないですか、師匠・・・・・・」
 「天網恢恢疎にして漏らさず、って奴さ・・・・・・」
 突然抵抗をやめたラビを訝しく思いつつも、神田はこの隙を逃さず、二人を船室の外へと引きずっていった。


 「船、停まりました!」
 警官の報告を受け、甲板に出たリンクは、双眼鏡を出すと、目印のように明かりを点滅させる船を見つめた。
 「モールス信号だ。
 ・・・こちらに交戦、逃亡の意思なし。会談を望む」
 リンクは信号を読み上げると、忌々しげに舌打ちして、船の信号手に返信を命じる。
 「貴船には犯罪に関わりし者の乗船、および、少年二人の拉致が疑われるものである。警官の乗船、および探索を認められたし。
 なお、拒否すれば拿捕もやむを得ず」
 「ちょっとちょっとぉ!
 それはいくらなんでも、傲慢なんじゃないかなぁ?」
 「うるさい!
 王族とはいえ、法の下に平等であることを知らしめてやる!」
 コムイの忠告に鼻息を荒くしたリンクだったが、すぐに
 『事件に関しては司直に申し述べることあり。ミランダ嬢と同行の二人、および警官二人までの乗船を許可する。なお、当船への侵入者二人は、罪を当局の判断に委ねる』
 と返され、言葉に詰まった。
 「ほーら。
 あの子達、拉致されたんじゃなくて、勝手に入ってっちゃったんだもん。
 余計なこと言うから、一手取られちゃったよ」
 「だ・・・黙れッ!!
 全船対象を包囲!逃げ道を塞げ!!」
 「それ、やめた方がいいと思うよー?
 せっかく停まってくれたのに・・・」
 コムイが言う間にも、リンクの命令に従って、警察の船が包囲の動きを見せた途端、クラウドの船は素早く逃げていく。
 「ほぉーらね?」
 「ち・・・ちくしょう!!」
 怒りもあらわに甲板を蹴りつけたリンクは、全船の停止を命じた。
 「信号手!あちらに伝えろ!!
 停船せよ。当船一隻のみ接舷する」
 と、クラウドの船は、警察の群れから遠く離れた場所で再び停止し、リンク達の乗る一隻のみが近づくのを見守る。
 「最初からボクの言う通りにすれば早かったのにさぁ」
 「・・・うるさい!!」
 リンクは忌々しげに言うと、眼前に迫った船を睨んでから、ようやくミランダを顧みた。
 「ミス・ロットー。
 あなたはどうされますか?
 私としては、危険を避けるためにも、こちらの船に残られるべきだと思いますが」
 「お気遣いありがとうございます。
 ですが私・・・参りますわ」
 穏やかに、しかし、きっぱりと断言されて、リンクは鼻を鳴らす。
 「では、何かあれば、同行のお二人を盾にして下さい。
 あなたは女王陛下の臣民ではあられないので、私の管轄からは外れます」
 「そうですね、そうしますわ」
 リンクの憎まれ口に、ミランダは思わず笑った。
 「ほんっと・・・素直じゃないよねぇ、リンク君は」
 「心配なら心配だって、言えっつーの、マユゲ小僧が」
 苦笑するコムイの隣で、リーバーも肩をすくめる。
 と、コムイはくすくすと笑声を上げた
 「リーバー君もねー。
 なーんか、悩める顔してるよ、今回はv
 「・・・・・・別に、なんでもないっすよ」
 コムイの眼力にどきりとしつつ、リーバーは彼からもミランダからも目を逸らす。
 が、
 「ミランダさんはね、君が考えてるような、意地の悪いことは思いもしない人だよ」
 と、傍らに寄ったコムイに囁かれ、また、どきりと心臓が跳ねた。
 「世間体とか考えちゃうのは、紳士として無理もないことかもしれないけど、それに振り回されて、一生後悔することになんないようにね」
 ぽんぽん、と、背中を叩かれ、リーバーは呆然と足元を見つめる。
 そうするうちに船は接舷され、二隻の船の間に橋が渡された。
 「こ・・・ここを渡るんですの?!」
 さすがに怯えたミランダが、こわごわと暗い水面を見下ろす。
 「やっぱ怖いでしょー?」
 「来たくなければ来なくていいんですよ!」
 既に橋を渡り終えたコムイとリンクが、向こうの船から声をかけるが、ミランダは必死に首を振って、震える手を橋の欄干にかけた。
 「やっ・・・やだ・・・!!揺れてるっ!!」
 「船の上ですからね」
 怯えて腕を引き戻した彼女の背を、後ろからリーバーが支える。
 「失礼」
 「え?!」
 唐突に横抱きにされたミランダは、そのまま向こうの船へと運ばれた。
 「ハイ、いらっしゃい」
 くすくすと笑うコムイに手を取られ、助け下ろされたミランダは、やや呆然としつつも真っ赤になった顔をリーバーに向ける。
 「あ・・・あの、ありがとうございました・・・」
 「いいえ」
 そう言ったリーバーは、にこりと笑みを浮かべていたが・・・その表情に、今までにない屈託を見た気がして、ミランダは訝しげな顔になった。
 が、すぐに船室に入るよう指示され、その疑問を解消する前に導かれる。
 と、意外なことに、そこには女王然として座る女性と、護衛らしき少年の二人しかいかなった。
 「あ・・・あの・・・アレン君とラビ君は・・・?!」
 簡単な挨拶を済ませるや、まず、彼らの安否を問うたミランダにちらりと笑みを浮かべて、クラウドは船窓を見遣る。
 「無事だ。
 彼らが同席している間、少々騒がしかったのでな。
 大事な話ゆえ、席をはずしてもらった」
 「は・・・はぁ・・・・・・」
 「心配せずとも、共にお帰りいただく。
 それよりも、まずは全ての原因となった真珠をお返し願いたい。
 警察への釈明は、真珠の無事を確かめてからだ」
 そう言って、リンクの言をも制したクラウドは、コムイが差し出した箱の中に無傷のブラック・ローズを見止めて、満足げに頷いた。
 「よろしい。
 では、全てお話しすると共に、あなた方には証人となってもらおう」
 そう前置きすると、クラウドはアレンとラビに語った話を、今度は幾分か冷静に語り、時折はさまれるコムイとリンクの疑問にもすらすらと答えて、疑惑を晴らしていく。
 「以上、他に何か、問うべきことは?」
 「ありません、殿下」
 にこりと笑ったコムイの隣で、リンクも眉根を寄せて頷いた。
 「質問は以上ですが、この尋問が正当なものであること、証言に偽りがないことを証明するためにも、殿下には署名を頂きたい」
 「いいだろう。
 だが、決してことが公にならぬよう、ご配慮願いたい」
 「心得ております」
 やや憮然と応じたリンクは、手にした書類を丁寧に揃え、小脇に挟む。
 「では、侵入者の引渡しをお願いしたい」
 「うむ。
 客人をこちらへ」
 「はぁい!」
 クラウドの呼びかけに、船室の外から女の声がして、アレンとラビを中に押し込んだ。
 「まぁ・・・!無事でよかったわ・・・!!」
 真っ先に駆け寄ったミランダに、二人は気まずげな笑みを向ける。
 「ミ・・・ミランダさん・・・」
 「ごめんさ・・・・・・」
 「ほほう・・・ごめんってことは、自分達が何をやらかしたか、わかってるんだな?」
 ボキボキと指を鳴らして二人の前に立ち塞がったリーバーを見上げ、二人は身を竦めた。
 「リリリ・・・リーバーさんっ!!あのぅっ・・・!!」
 「ゴメンッ!ホントごめんさ!!だからその・・・っ!!」
 「問答無用だ!」
 一発ずつ拳骨をもらった二人が、頭を抱えてしゃがみこむ。
 「何もなかったらよかったものの、命に関わる危険もあったんだぞ!」
 「あぃ・・・!」
 「すみませ・・・・・・!!」
 涙声で詫びる二人を見下ろし、コムイが思わず笑声をあげた。
 「すみませんねぇ、殿下。
 この子達がご迷惑をおかけして」
 「いや・・・」
 と、首を振ったクラウドに対抗するように、傍らの少年が
 「全くだ!」
 と吐き捨て、ドアの外から船室を覗いていた少女も、大きく頷く。
 「早く連れて帰ってよね!特にその赤毛!」
 「ウン、ごめ・・・・・・・・・」
 少女の厳しい口調に、苦笑しつつ振り返ったコムイは、その顔を見た途端、瞠目した。
 「?
 なに?」
 愕然とした顔を向けられ、リナリーが訝しげに首を傾げる。
 「キミ・・・・・・清国人だよね?!名前はっ?!」
 避ける間もなく一足に詰め寄られ、リナリーは目を丸くした。
 「リ・・・リナリー・・・きゃああああああ?!」
 いきなり抱きしめられ、リナリーが悲鳴をあげる。
 「また一目惚れか?」
 うんざりとした口調で言った神田が、リナリーからコムイを引き剥がそうとした時、
 「お兄ちゃんだよっ!!」
 コムイが発した絶叫に、場が凍りついた。
 かなりの間を置いて、
 「・・・・・・えええええええええええええええええっ?!」
 と、異口同音に発せられた絶叫に、コムイが涙目を上げる。
 「なんだよっ!信じないのかいっ?!」
 「イヤ・・・あんたが生き別れの妹を探すために探偵になったのは知ってましたけど!」
 「警察に何度も捜索願いを出しているのも知っていますがっ!!」
 リーバーとリンクが、それぞれに言って、目を見合わせた。
 「まさかここで見つかるなんて思わないでしょ?!」
 見事にシンクロした台詞に、コムイは憮然として、ポケットから写真を取り出す。
 「じゃーこれ見てよ!
 この小さな女の子と、一緒に写ってる女の人!
 小さい頃の妹と、マーマの写真だよっ!そっくりでしょ?!」
 セピア色の写真を、クラウドも含め、皆が覗きこんだ。
 「確かに・・・私のところにやってきた頃のリナリーだ・・・」
 「今のリナリーは、このお母さんによく似てますね」
 「ってかママ、すげー美人さ!」
 口々に言っては、写真とリナリーを見比べる彼らに、リナリーも徐々に・・・警戒が解けていく。
 「ホントに・・・兄さんなの・・・・・・?」
 「そうだよっ!!」
 ひしっと抱きしめられたが、リナリーはそれでも完全に疑いを解くことはできなかった。
 「じゃあ・・・何か、私達しか知らないことを言ってみて」
 思いのほか、冷たい言葉に驚いて、コムイは考えを巡らせる。
 「キミは覚えているかどうか・・・マーマと親戚のおばさん達が、キミに纏足をしようとした時だよ。
 キミにキレイな服を着せて、たくさんのお菓子を見せて、儀式の部屋に連れ込もうとしたけど、ボクはキミが痛い思いをするのがイヤで、連れて逃げちゃったんだ。
 そしたらキミは、ボクがお菓子を取り上げたって、すごく怒って泣いちゃったんだよ」
 「あ・・・・・・」
 目を見開き、リナリーは下ろしていた両腕をコムイの背に回した。
 「兄さん・・・・・・!」
 泣き出したリナリーを見つめていたクラウドは、不意に目を逸らし、深々と吐息する。
 「私から、忠実な召使を取り上げるとは、無礼な奴だ」
 「・・・と、言うことは、彼女を手放されるのですか、殿下?」
 すかさず問うたリンクに、クラウドは眉根を寄せた。
 「スコットランド・ヤードは捜索願を受理しているのだろう?
 こちらがごねれば、面倒なことになるではないか」
 「ご理解、ありがとうございます、殿下。
 賢明なご判断かと存じます」
 「ふん。
 私にはまだ、忠実なしもべがいる。一人くらい手放したところで、不自由はない」
 「・・・・・・ご無理をなさって」
 ため息交じりの声を聞き咎め、クラウドが目を吊り上げる。
 「何か言ったか、神田?」
 「別に」
 「・・・・・・お前に、リナリーの100分の1でも、愛想があればな」
 再び吐息したクラウドに、ミランダがたまりかねてくすくすと笑声をあげた。
 「殿下には申し訳ないけど・・・よかったですね」
 リーバーに笑いかけると、彼も笑みを返してくれる。
 「ホントに・・・でも、これで探偵助手の仕事は終わりっすかね」
 「あら・・・どうしてですの?」
 「あの人が探偵をやってたのは、妹を探すためだったんですよ。
 それで、色んな事件を解決するうちに有名になりすぎて、手が足りなくなったもんだから、大学の後輩だった俺が協力することになったんですけどね。
 あの人が探偵廃業するんなら、俺も医者に戻るかな・・・」
 コムイとの共同生活はなかなか面白かったが、彼の目的が達せられた以上、今まで通りというわけにも行かないだろう。
 「そう・・・なんですか・・・・・・」
 急激にこの冒険の終わりを実感して、ミランダもやや、意気消沈した。
 「まぁ、そんなにがっかりしないで。
 これっきり、会えないというわけではないでしょうし」
 リーバーの明るい声に、しかし、また先ほどの屈託を感じて、ミランダは気遣わしげな表情を浮かべる。
 「あの・・・リーバーさん・・・・・・」
 「感動に水を差して悪いが」
 ミランダの遠慮がちな声は、きっぱりとした声で唐突に断たれた。
 「そろそろ、ミランダ嬢に父上の財産を譲渡してよろしいか?」
 殊更に事務的な声音で言い、クラウドは彼女の傍らに置かれた箱を示す。
 「もちろんです、殿下。
 僭越ながら私、スコットランド・ヤードのリンク刑事が、証人となります」
 「あぁ、頼む。
 では箱を」
 クラウドの命令に従って、箱を持ち上げた神田が、訝しげな顔をした。
 「殿下・・・」
 「なんだ?」
 「いやに・・・軽いのですが・・・・・・」
 そう言って、神田がテーブルの上に乗せた箱を、クラウドは慌てて開く。
 「なっ・・・?!」
 箱の中には、宝石を包んでいた布が丸められているだけで、肝心の宝石が全てなくなっていた。
 「なぜ・・・?!」
 「もしかして・・・・・・」
 呟いたアレンに、全員の視線が集まる。
 「さっき・・・殿下のおサルさんが、その箱に潜って遊んでたんですけど・・・・・・」
 「ラウ!!ラウ・シーミン!!どこだ?!」
 悲鳴じみたクラウドの呼び声に応じて、小さなサルが、船窓から飛び込んできた。
 「ラウ!
 お前、この中身どうしたんだい?!」
 「・・・話してわかるんですか?」
 疑わしげなリンクに対し、歯を向いたサルは、じっとクラウドを見つめて長い尾を振ると、ついて来いというように再び船窓に飛び乗る。
 クラウドを先頭に船室を出た一同は、舳先についたライトの光を受けて、きらきらと輝くタペストリーに息を呑んだ。
 「まぁ・・・キレイ・・・!」
 「なかなかの芸術センスさね」
 ミランダとラビが、状況も忘れて感嘆の声をあげる。
 一瞬、タペストリーと見えたものは、ライトに提げた目の粗い網に、微妙なバランスではめ込まれた宝石だった。
 「全く・・・このいたずらっ子は・・・・・・」
 ほっと吐息して、クラウドはサルに手を差し伸べる。
 「おいで、ラウ。
 全く、悪い子だ!」
 主人の怒気を感じてか、サルが網の上で身を竦ませた時―――― 新年を寿ぐ汽笛が一斉に川面を流れた。
 「わっ?!」
 「びっ・・・びっくりした!!」
 川辺では花火も上がり、突然の喧騒に驚いたサルが網に足をかけて逃げ惑う。
 「ラウ!!」
 クラウドが悲鳴をあげた時には遅かった。
 サルに蹴飛ばされた網は、ライトから外れて宝石ごと黒々とした水の中へと飲み込まれていく。
 「そんなっ・・・!」
 愕然と目を見張る者達の中で、しかし、たった一人、リーバーが手を打った。
 「やったっ!!」
 思わず声をあげたリーバーに、全員の視線が集まる。
 「な・・・なんで・・・?」
 訝しげな目を向けられ、真っ赤になったリーバーの事情を察し、コムイが両腕を広げた。
 「ちょっとごめんなさいね、皆さん!
 今から、彼一世一代のイベントが始まるんで、船室に入ってくれるぅ?!」
 「え?!え?!」
 「ちょ・・・ちょっと待ってくれ、私はミランダ嬢に侘びを・・・」
 「殿下!
 それ、究極に余計なお世話ですから!
 早く入ってッ!!」
 コムイにまくし立てられ、反駁を封じられたクラウドがおとなしく船室に入ると、他の者達も続かないわけには行かない。
 途端に人気のなくなった甲板にリーバーと二人残され、ミランダは呆然と佇んだ。
 「あの・・・なんで・・・『やった』なんですか・・・・・・?」
 とりあえず会話をしようと、先ほどの疑問を口にすると、彼は決然とした表情でミランダを見つめる。
 「あなたが受け取るべき財産がなくなったからです」
 「はぁ・・・それが嬉しいですか?」
 ミランダが訝しげに首を傾げると、リーバーは大きく頷いた。
 「これで、堂々とあなたに結婚を申し込める!」
 「はぁ・・・ええっ?!」
 突然の申し出に、ミランダが大声をあげる。
 「あっ!す・・・すみません、私ったら、はしたない・・・・・・!!」
 熱い頬に両手を当て、身体ごと顔を逸らそうとすると、それを阻むように手を取られた。
 「もし、あのままあなたが財産を受け取っていたなら、俺は財産目当てにあなたへ結婚を申し込んだと言われたことでしょう。
 だけど、それが全て無くなった今なら、俺は誰からも後ろ指さされることなく、あなたに申し込むことができます!」
 「・・・・・・・・・はい」
 気圧されて、呆然と頷くミランダに、リーバーは笑みを浮かべる。
 「ミセス・ウェンハムになってくれますか、フロイライン・ミランダ?」
 「・・・・・・喜んで」
 「やった!!」
 もう一度歓声をあげ、リーバーはミランダを抱きしめた。
 そしてそれは、息を殺して外の状況を窺っていた船室でも。
 「やったぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 「おめでとぉ――――!!」
 一斉に歓声をあげるどさくさにまぎれて、ラビがクラウドに抱きついた。
 「殿下っv 俺らもウェディングv
 「神田。この赤毛、沈めてよし」
 「了解」
 したたかな肘鉄を食らって、床に沈んだラビは、神田によって甲板へと引きずり出される。
 その彼と入れ替わりに、船室に戻ってきた二人を、皆が祝福した。
 「この度は、私の臣下が大変なことをしでかしたかと思ったが、結果的にはよかったみたいだな」
 からかい口調で言いつつ、クラウドは自身の指から、大きな宝石のついた指輪をはずす。
 「あなたが失った財宝の、数分の一の価値もないが、私からの餞別だ。
 結婚指輪にでも使ってくれ」
 「あ・・・ありがとうございます、殿下・・・」
 真っ赤な顔に笑みを浮かべ、ミランダは掌に乗った指輪を見つめる。
 「でも私・・・何倍もの価値がある、宝を手に入れましたから・・・・・・」
 すさまじい惚気に、皆、絶句する他なかった・・・。
 ―――― その後、新年とミランダの誕生日祝いも兼ねて、船上で行われた祝賀パーティでは、リンクをはじめとする警官達も恩恵に浴し、テムズ河川上の追跡劇は、穏やかに幕を下ろした。


 冒険の夜は明けて・・・。
 ベーカー街のジェリーは、その月のうちに気のいい店子を一人失うことになったが、リーバーの代わりにコムイと住むことになったリナリーと、仲良く過ごしている。
 探偵業を廃業するかと思われたコムイは、科学者と言う本業には戻ったものの、興味深い事件が起これば、自ら出向いて調査を行っているらしい。
 ラビはクラウドを亡命先にまで追いかけて行ったが、ようやく見つけた屋敷は既に引き払われていて、『ただいま追跡中』と言う手紙が、ポーランドからアレンの元に届いた。
 「おじいちゃんに怒られるよー?」
 今はどこにいるのか・・・遠い空の下の従兄を思って、アレンは窓の外に目を向けた。
 『黒薔薇館』の名にふさわしく、弔いの花で満ちていた庭は、最近、リナリーが持って来ては勝手に植えて行くバラに侵食され、様々な色が見られるようになっている。
 「今度はピンクのバラを植えるわよ!
 ミランダのブーケを作んなきゃいけないんだから!」
 せっせと花嫁衣装を縫いながら、叱り付けるリナリーに、アレンは首を傾げた。
 「そう言って・・・こないだは黄色を植えましたよね?」
 「あれは花言葉がNGだったの!」
 ぷんっ!と、頬を膨らませて、リナリーはアレンの手元を指差す。
 「ほらっ!
 早く手を動かして!」
 「はいっ!!」
 なぜかアレンの家のテーブルに、どっさりと積まれた引き出物の箱を前にして、アレンはいつ終わるとも知れぬラッピングに精を出した。
 その後・・・ロンドンの町の一角に、新たにできた診療所は、腕のいい医者と彼の優しい妻の努力もあって、なかなかに繁盛しているという。



Fin.

 










2007年ミランダさんお誕生日SSです!
これは、リクエストNO.22の、『リバミラミステリー』も兼ねています。
ちゃんと順番通りに創作したかったのですが、なにしろ第142夜現在、リバミラ風前の灯なんで;;
先行して書かせていただきましたよごめんなさいませね;;;
そして何よりごめんなさいは、このお話が出来上がったのが、お誕生日翌日の2日だってことさ;;;
すみません、ないのは愛ではなく、時間と知力、体力でした;;;>ナニその極限状態;
ともあれ、これでなにが書きたかったって、プロポーズする班長ですよ!(をい)
ラルクの『TheBlackRose』を聞いていた時、ふと『これってホームズっぽい歌だなぁ。ホームズと言えば、ワトソン先生のプロポーズシーンは感動的だよなぁ』なんて思いつきまして。
ヤフウ動画で『四人の署名』購入→ガン見→創作の流れになりました(^^;)
元ネタあるんなら、もっと早く書けてもいいはずなんだけどなぁ;;
ともあれ、プロポーズする班長と、ツンデレのリナリーが書いてて楽しかったです(笑)
こんな設定でもなければ、書けないシチュエーションだーよねー(笑)
そして、最後になりましたが、ホームズファンの方々、土下座してお詫び申し上げます;;;;(おぉぅぃ;;)












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