† LOVE FLIES †








 海から流れてきた靄は、霧となってロンドンを覆い、明け方には郊外にある黒の教団本部をも包んでいた。
 夜が明けきるにはまだ時間があるものの、朝の早い団員達は既に動き出していて、各所でひそやかな、あるいは華やかな囁きが交わされている。
 それは特に、若いナースが多い病棟で顕著だった。
 「今日の夜勤が明けたら非番なの、私v
 「ずるい!絶対狙ってたでしょ!」
 「あたしは連続で夜勤よ・・・。
 部屋に戻っても寝るしかないなんて、むなしい・・・・・・」
 ひそひそと、だが華やかなおしゃべりすずめ達の声が耳に響いたのか、ベッドの患者がうるさげに身じろぐ。
 はた、と、おしゃべりをやめた彼女達は、わらわらとベッドに寄って、それぞれに話しかけた。
 「クロウリーさん!クロウリーさん!!」
 「朝ですよー!起きてー!!」
 「料理長がご飯作って待ってるわよー!」
 枕元で騒ぎ立てる彼女達に、クロウリーはまた、うるさげに身じろぐ。
 だが、何日も昏睡状態だったクロウリーが、わずかなりとも意識を取り戻した隙を逃す彼女らではなかった。
 「起きなさーい!!寝坊よー!!」
 「いい加減にしないと、遅刻するわよー!」
 「朝ごはんなくなっちゃうんだからー!」
 次々と甲高い声をあげたにもかかわらず、再び昏睡状態に陥った彼に、ナース達は憮然と唇を尖らせる。
 「なんで『遅刻』で起きないの、この人?」
 「あたしだったらびっくりして飛び起きるわよ!」
 「・・・もしかしてこの人、遅刻とか無縁だったんじゃない?」
 貴族だもんねぇ・・・と、三人が三人とも、うんざりと吐息した。
 「はぁ・・・今日も起きないのかなぁ・・・・・・」
 「せっかくのバレンタインデーなのに、クロウリーさんから目が離せないんじゃ、病棟を抜け出す隙もないわねぇ・・・」
 「諦めなさいよ。
 明日、私がお菓子分けてあ・げ・るv
 「きぃ――――――――っ!!!!」
 嫉妬した仲間達に枕で叩かれたナースは、笑いながら病室を逃げ回る。
 「あははっv
 仕事してても、気の利いたヒトなら花束くらい、持って来てくれるわよ!
 真っ赤なバラの花束をねv
 はしゃいだ声をあげた時、
 「バラッ?!」
 がばっと、クロウリーが飛び起きた。
 「わっ・・・!」
 「クッ・・・!」
 「びっ・・・!」
 意訳すれば、『わぁ!クロウリーさんびっくりした!』と言う台詞を喉に引っ掛けたまま、目を丸くするナース達に、クロウリーは土気色の顔を向ける。
 「今日は何日であるかっ?!」
 「に・・・」
 「にがつ・・・」
 「じゅうよっか・・・です・・・・・・」
 驚くあまり、思考停止した彼女達の答えに、クロウリーは歯噛みする。
 「おのれ・・・油断した!!」
 毛布を振り払ってベッドを降りようとする彼に、我に返ったナース達が縋った。
 「待って!!」
 「クロウリーさん、あなた何日も昏睡状態だったのよ?!」
 「動けるわけがないでしょ!」
 「放すであるっ!
 早く行かないと、私のバラ達が根こそぎ刈られるであるっ!!」
 「で・・・でも・・・っ!!」
 じたばたと暴れるクロウリーを試みに放してやると、案の定、彼はベッドを降りた途端にがくりとくずおれた。
 「足、萎えちゃってますよねぇ・・・」
 苦笑するナース達に、クロウリーは赤面する。
 「それに、オナカすいてるでしょ?
 寄生型なのに、何日も食べてないし」
 「まぁ、ウォーカー君みたいに、ベッドに豚の丸焼きを引きずり込まれても困るけどね」
 くすくすと華やいだ笑声をあげて、ナース達はクロウリーをベッドに戻した。
 「あっ・・・あのっ・・・!」
 「まだ夜明け前ですから」
 焦るクロウリーの言葉を遮り、クスリと笑う。
 「車椅子持ってきますから、ちょっと待ってて」
 「食堂でごはん食べてから、バラ園に行けばいいでしょ?」
 「う・・・うむ・・・・・・」
 諭されて頷いたクロウリーに、ナース達も満足げに頷き、それぞれに踵を返した。
 「病み上がりにこんなこというのはどうかと思うけど、今日はがんばってくださいねv
 「クロウリーさんが育てたバラ、私ももらえるはずなんですからv
 くすくすと、華やかな笑声をあげるナースに、車椅子を押して戻ってきたナースが意地悪く笑う。
 「まだもらえるって、決まってないけどねー」
 「うるさいわよ、アンタ!!」
 甲高い歓声をあげて追いかけっこをするナース達を、クロウリーは困惑げな上目遣いできょときょとと見上げた。


 クロウリーの意識が戻ったと言う情報は、すぐに教団中に広まった。
 「ちっ・・・。
 このまま意識が戻らなきゃ、俺の借金はチャラだったんだがな」
 半ば以上本気で呟いたクロスは、改めて『人でなし』の称号を得たが、その他の団員達は全員、彼の回復に胸をなでおろした。
 「よかった・・・!もう大丈夫だよね?!」
 食堂で元気に朝食を頬張る姿を見て、リナリーが感涙する。
 「うむ。心配かけたであるな」
 「もうメシ食えるなんて、さすが寄生型さね!」
 積み上げられた皿にラビが苦笑すると、その上に最後の皿が積まれた。
 「さて、もう行かねば」
 「えぇっ?!どこに?!」
 「もう動き回っていいんさっ?!」
 驚く二人に、しかし、クロウリーは眉をひそめる。
 「どこかのイタズラ者達に、バラを刈られたくないであるからな」
 「あ・・・」
 「ゴメンさ・・・・・・」
 かつて、クロウリーが丹精したバラを根こそぎ刈った前科者達は、揃ってこうべを垂れた。
 「・・・って、もしかしてそれがイヤで起きたんさ?!」
 「まさか・・・」
 二人が目を丸くすると、クロウリーは憮然と口を尖らせる。
 「悪いであるか?」
 「ううん」
 クスリと、リナリーが笑みを漏らし、
 「クロちゃんらしーさ!」
 と、ラビが笑声をあげた。
 「なんにせよ、回復して何よりさー!
 もう、めっさ心配したから、俺!」
 「クロウリーのオナカが鳴る音がうるさくて眠れなかったって、文句言ってたくせに・・・」
 「余計なコト言うんじゃないさっ!」
 じゃれあう二人を微笑ましく見ていたクロウリーは、一人足りないことに気づいて首を傾げる。
 「アレンはどうしたであるか?」
 途端、二人は気まずげに口をつぐんだ。
 しばらくして、
 「アレン、ヴァチカンの監査官に監視されてるんさ」
 重い口を開いたラビに、クロウリーが眉根を寄せる。
 「監査官?」
 「意地悪ないばりんぼだよ!」
 「はぁ?」
 頬を膨らませたリナリーに、クロウリーがますます眉根を寄せた。
 「多分、そのうちイヤでも遭うさ。
 すんげームカつく奴らだから、なんかヤなコト言われたら、キレてもいいかんね、クロちゃん」
 むしろキレろと言わんばかりの言い様に、クロウリーは苦笑する。
 「そのようにけしかけられてもな・・・」
 「けしかけてないよ!ホントだよ!」
 「リナなんて、もう何回もキレてっさ」
 「リナリーがキレるとは・・・珍しいであるな」
 驚くと言うよりはどこか感心したような口調で言ったクロウリーは、ぼんやりと明るくなり始めた窓外に目を見開いた。
 「いっ・・・いかんっ!!
 餓鬼共が来てしまう!!」
 慌てて車椅子を繰ろうとするクロウリーを制して、ラビが後ろから押してやる。
 「手伝うさ、クロちゃん」
 「私も!ブーケ作るよ!」
 「あ・・・ありがとうである・・・」
 嬉しそうに笑って、クロウリーは車輪から手を放した。
 「今年も繁盛しそうであるな」


 同じ頃、とっくに夜が明けていた中国では、蝋花が時計を睨みつつ、ロンドンの夜明けを待っていた。
 「そろそろ・・・出陣ですぅ!」
 すっかり冷めたお茶を気合十分に飲み干すと、蝋花は大きな花束を掴む。
 「どこへ行く!!」
 方舟のゲートに飛び込もうとした蝋花のおさげを、バクが無情に引いた。
 「はっ・・・放してくださいぃっ!!私、行かなきゃなんないんですぅっ!!」
 「何をしに!」
 「ウォーカーさんにアイ・・・たっ!!」
 分厚いファイルを頭に落とされ、蝋花は、ずれたメガネを慌てて直す。
 「ひどっ・・・なにすんですかぁっ!!」
 「アホかッ!!
 このクッソ忙しいのに浮かれおって!
 まだ見習の分際で方舟に乗ろうなんざ、100年早いっ!!」
 厳しく叱られ、しょげるかと思った蝋花は、不意に顔を赤らめた。
 「100年後・・・!
 ウォーカーさんと私の孫に囲まれて、日向ぼっこするなんていいですねぇvv
 「今から100年後って・・・お前、孫どころの騒ぎじゃねぇだろ」
 「・・・生きてないでしょ、さすがに」
 李桂とシィフが呆れ返った声をあげるが、聞く蝋花ではない。
 「じゃあ私!
 孫のために行って来ます!!」
 「ゴラッ!!」
 再びおさげを引かれ、蝋花は泣声をあげてしゃがみこんだ。
 「い・・・痛いー・・・!!
 支部長がいじめるぅー・・・!!」
 「うるさい、妄想族!!
 あっちは今、監査官が我が物顔に歩き回って、いつ何時どんなケチをつけてくるかわからんのだ!
 うろちょろするんじゃない!」
 「あぁ、そう言えば・・・・・・」
 ふと呟いて、シィフが蝋花の袖を引く。
 「ウォーカーが監視されてるって言ってたよ。
 彼の立場のためにも・・・」
 「大っっっっ変っ!!!!」
 悲鳴じみた声をあげ、蝋花はシィフの手を振り解いた。
 「今!助けに行きます!!」
 「マテ!!」
 全員一致の制止は、しかし、恋する乙女の前にあえなく敗退し、蝋花は方舟のゲートに飛び込む。
 「こんにち・・・じゃない、おはようございます!!」
 教団本部側のゲートから飛び出した蝋花は、目を丸くする科学者達の間を抜け、瞬く間に研究室を出て行った。
 「なん・・・っ」
 「なんだったんだ・・・・・・?」
 彼女が駆け去った後に残ったバラの芳香に、首を傾げる科学者達の間で、呆然としていたミランダが我に返る。
 「やだ・・・!
 散らばっちゃった・・・!」
 メッセンジャーから受け取った郵便物を慌てて拾い集めたミランダは、ふと、リーバー宛の手紙に目を留めた。
 正しくは、その差出人の名前に。
 「あなたのエリザベスよりv
 と、可愛らしい女文字でつづられた名を見て、ミランダは凍りついた。
 「リー・・・バー・・・さん・・・・・・っ!」
 「はい?」
 途切れ途切れの呼びかけに振り向いたリーバーは、差し出された手紙を受け取るや、憔悴した目を輝かせる。
 「ベス!」
 リーバーの歓声に、周りの目が集まった。
 「オーストラリアのエリザベスですか?!」
 「写真入ってます、写真?!」
 わらわらと寄ってきた部下達に囲まれ、リーバーは封を開ける。
 手紙の他、幾枚かの写真も取り出しすと、それはあっという間に部下達の手に渡った。
 「ぅわーv
 やっぱ、かっわいいなぁ、エリザベスvv
 「いいなー班長・・・。
 オーストラリアにいた時は、こんな可愛い子と一緒だったんでしょ?」
 「ってか、こんな可愛いコイビト置いて、よくロンドンまで来ましたよね!」
 写真を見て、頬を緩ませる彼らの手から、ミランダにも写真が手渡される。
 「エ・・・エリザベスさん・・・・・・」
 確かに、可愛らしい女性だった。
 灰色の写真では、髪や目の色まではわからなかったが、コアラを抱いて明るく笑う彼女はふっくらとして、健康そうで・・・・・・。
 ミランダは、写真を持つ自身の指の病的な細さに、ため息をこぼした。
 自分とはあまりに正反対すぎて、比べようと言う気さえ起こらない。
 もう一度ため息をこぼした時、
 「こっちに呼んで、一緒に暮らせばいいのに」
 「そうですよ、どうせなら夫婦になっちまえば?」
 「結婚式には呼んでくださいねv
 メンバー達のはしゃいだ声に、ミランダは蒼褪めた。
 「お前達・・・」
 長い手紙を読んでいたリーバーは、部下達の過言に顔をあげた途端、蒼白になって震えるミランダを見て瞠目する。
 「ミランダさんっ?!」
 脱兎のごとく駆け出て行ったミランダの背を、唖然と見送った彼は、我に返るや、おしゃべりな部下達を睨みつけた。
 「てめぇら・・・余計なことばっか言いやがって!!」
 「すっ・・・」
 「すみませぇんっ!!」
 真っ青になって震え上がる部下達に舌打ちし、手紙を放り出して席を立つ。
 「ちょっと外すぞ!!」
 「は・・・はいぃぃっ!!」
 反駁を許さない宣言に直立不動で答え、部下達は上司の背中を見送った。


 「ジェリーさん!!」
 「アラんv おはよー、ミランダv
 今ね・・・」
 「ひどいのぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
 厨房に飛び込んでくるや、泣き縋ってきたミランダに驚きながらも、ジェリーは彼女の背中を撫でてやった。
 「ど・・・どーしたの、アンタ?!なんかあったの?!」
 泣きじゃくるばかりで、まとまりのないことを言うミランダの言葉をじっくりと聞いたジェリーは、こくこくと何度も頷く。
 「つまり、リーバーには故郷のオーストラリアに可愛い恋人がいて、周りに結婚を勧められたってこと?」
 「はぃ・・・っ!」
 しゃくりあげながらなんとか頷いたミランダを、ジェリーはぎゅっと抱きしめた。
 「えぇーん・・・・・・」
 ただでさえか弱げなミランダが泣く様は、あまりにも気の毒で、ジェリーは気遣わしげに眉根を寄せる。
 「いいわよいいわよ・・・好きなだけお泣きなさいな、ミランダ」
 子供をあやすように、優しい声で語りかけ、背中を撫でてやると、徐々にミランダの興奮も収まってきた。
 「う・・・ごめんなさい・・・・・・」
 「アンタが謝ることじゃないわぁ」
 それに、と、ジェリーはミランダに微笑む。
 「アタシはアンタよりも長い間、リーバーのことを知ってるど、あの子には二股かけるような器用なこと、できないわよ」
 「う・・・・・・」
 「なんか、他に理由があると思うわよ?
 信じて・・・」
 「信じられるかっ!!」
 突然背後に沸いた喚声に、ジェリーは飛び上がった。
 「んなっ・・・なにっ・・・?!」
 振り向くと、カウンターにルベリエとリンクの二人が縋りついている。
 「なんという男!!
 マンマを泣かすとは許しがたい!!」
 「えぇ!!
 私は常々、彼はマンマにふさわしくないと思っておりました!!」
 カウンターを乗り越えて厨房に入り込んだ監査官達を、ジェリーが唖然と見つめた。
 「なんでわざわざカウンター乗り越えるのよ、アンタ達・・・」
 「どいてくれたまえ、料理長!!
 あぁ、マンマ・・・!そんなにお嘆きにならないで下さい・・・!!」
 ルベリエがジェリーを押しのけ、ミランダを確保すると、
 「所詮はそう言う男だったのですよ、彼は!!
 この際、もっとふさわしい方をお選びになってはいかがですか!」
 リンクも憤然として語調を荒げる。
 「そ・・・そんなこと・・・言ってはいけませんよ・・・・・・」
 気弱な反駁に、しかし、監査官達は却って悔しげに激昂した。
 「だって二股かけられたんでしょう?!」
 ハウリングせんばかりにハモった監査官達の言葉に、ミランダは改めて胸を貫かれる。
 「アンタ達・・・そんなきっぱりと・・・・・・」
 さすがのジェリーが叱責することもできず、乾いた声をあげた。
 が、彼らは聞こえていないのか、聞こえても無視しているのか、揃ってミランダに詰め寄る。
 「たかが一班長の分際で、我らのマンマを天秤にかけるとはおこがましいっ!!」
 「一体、どんな女ですか!」
 まなじりをつり上げて迫る彼らに、ミランダはおずおずと写真を差し出した。
 うっかり持って来てしまったそれには、コアラを抱いて明るく笑う女性が写っている。
 「う・・・うむ、確かにこれは・・・・・・」
 「一般的に見て、可愛い分類に属すかもしれませんが、美人なのは当然、マンマの方です!」
 言葉を濁した上司に代わり、リンクがきっぱりと言い放った。
 「あ・・・あぁ、全くその通りですな!
 お話にならない!」
 慌てて頷いたルベリエは、ミランダに返そうとした写真を再び手元に引き寄せる。
 「これをしばらく、お預かりしてよろしいですかな?」
 「え・・・?」
 なぜ、と、不安げな目で見上げてくるミランダに、ルベリエはにっこりと微笑んだ。
 「我々で、彼女の素性を調べましょう・・・リーバー班長との関係も」
 冷ややかに言い放った上司に、リンクも強く頷いて同意する。
 「お任せください、マンマ!
 詳細に調査いたします!
 ・・・そして、あのホウキ頭がマジに二股かけてやがったら、制裁を加えることをお許しください」
 「せっ・・・制裁?!」
 揃って悲鳴をあげたミランダとジェリーに、拷問のプロである監査官達はにやりと笑った。
 「大丈夫、殺しはしません・・・」
 「久しぶりに・・・腕が鳴ります」
 蛇達の微笑にミランダは、ぶるぶると震えながら、同様に震えるジェリーに抱きついた。
 しかし、『調査をやめろ』と命じはしない。
 それを命じるには、ミランダの嘆きは深すぎた。
 結局、写真を取り戻すこともできず、ミランダは監査官達の要請に頷き、獲物を求める犬達は喜び勇んで食堂を出て行く。
 おかげで放置された監視対象は、カウンターにもたれた頬を緩ませた。
 「・・・タナボタラッキーv
 「アラッ!いたの、アレンちゃん!」
 ジェリーが驚いた声をあげると、アレンは顔をあげて、にっこりと微笑む。
 「そりゃいますよ、監視されてたんだもん」
 「そうだったわね・・・気づかなくってゴメンなさいねぇ、なに食べるゥ?」
 「はい!」
 にこにこと機嫌よく注文の品を言い連ねたアレンは、悄然と佇むミランダに声をかけた。
 「大丈夫ですよ。
 リーバーさんを信じてください」
 「えぇ・・・そうね・・・・・・」
 微笑もうとして、しかし、失敗したミランダは、大きなため息をついてしまう。
 「よりによって、こんな日にねぇ・・・・・・」
 ため息混じりに呟いたジェリーは、食堂内で早速行き交っている花束やプレゼントを見遣って、肩をすくめた。


 一方、上司達を振り切って教団本部に乗り込んだ蝋花は、アジア支部とはまた違った本城の広さと複雑さに、早速立ち往生していた。
 「う・・・うぇ・・・!!
 ここ・・・どこですかぁ〜・・・・・・!」
 涙目で周りを見回すが、目に映るものはどれも同じ閉ざされたドアで、誰かに道を尋ねようにも人っ子一人見当たらない。
 それもそのはず、彼女が迷い込んだのはコムイの実験室があるフロアで、本部の人間であれば誰もが避けて通る場所だった。
 「こんなことなら・・・研究室で誰かに聞けばよかったですぅ・・・・・・」
 さめざめと泣きつつ、今更ながら後悔したが、後の祭りだ。
 「うう・・・ゴーレムでも飛んでれば・・・」
 とぼとぼと歩き出した蝋花は、パタパタ・・・と、羽を震わせる音を聞いて、天井を見上げた。
 「あー!!」
 天井に数体、黒いゴーレムがコウモリのようにぶら下がっている。
 「よかったっ・・・!
 すみませーん!!すみません!!助けてー!!」
 大きく手を振ると、羽をパタパタと羽ばたかせて、ゴーレムが寄ってくる。
 不審げに蝋花の周りを囲むゴーレムに、蝋花は笑顔を向けた。
 「アジア支部の蝋花って言います!
 すみませんが、アレン・ウォーカーさんがどこにいるか、教えて下さいv
 蝋花の要望に、ゴーレムは無言で周りを飛び回っていたが、しばらくして、
 『案内する。ゴーレムについて行きなさい』
 と、通信員らしき男声がゴーレムから発せられる。
 「ありがとうございますっv
 歓声をあげて、蝋花は目の前を羽ばたくゴーレムのあとについて行った。


 その頃、臨時花屋を展開したバラ園は、花を求めると共に、クロウリーの回復を喜ぶ団員達で賑わっていた。
 「もう・・・ずっと昏睡状態だって言うから、ずいぶん心配したよー!」
 「ホントに!
 お前がいないと花束・・・じゃない、元気になってなにより」
 慌てて咳払いした彼を、他の団員達が楽しげにからかう。
 「そ・・・そのように喜んでもらえて・・・嬉しいである・・・・・・」
 紅いバラよりもなお、紅くなったクロウリーに、皆、嬉しげに笑った。
 と、
 「クロちゃんさ、勝手にバラを刈られんのがイヤで、慌てて起きたってさ♪」
 ラビが笑いながら言えば、数人が慌てて目を逸らす。
 「・・・起きて正解だったね」
 「うむ・・・」
 苦笑するリナリーにやや苦い顔で頷き、クロウリーは車椅子に座ったまま、手を叩いた。
 「では皆、並ぶであるよ!
 それと、毎年言っているが、ラッピングとカードは自分で用意するである!」
 元気に返事をして、整然と並んだ団員達は、クロウリーに各々の希望の色を述べるだけでなく、意中の人にどんな花が似合うかなどをこっそりと相談して行く。
 耳ざとく、皆の『意中の人』の名を聞いていたラビは、しばらくして、にんまりと笑った。
 「おもしれ・・・もっと早く、手伝いしとけばよかったさ」
 「なんで?」
 忙しく花を束ねながらリナリーが問うと、ラビはしまりのない顔を彼女に寄せる。
 「今聞いただけでも、すんげーことになってんさv
 パーシーはナタリーが好きで、ジョシュアとヨゼフもナタリー狙い。でも俺、ナタリーがイワンと付き合ってんの、知ってんさv
 「しっ・・・四角関係っ・・・?!」
 リナリーが真っ赤になって声を詰まらせると、ラビは笑みを深めた。
 「三角なんて、ありすぎて笑えるさv
 「・・・笑い事じゃないよ。血を見なきゃいいけど・・・・・・」
 気遣わしげに眉をよせるリナリーの肩を、ラビが楽しげに叩く。
 「だいじょーぶだいじょーぶv
 毎年、花を贈るのが楽しいんだからさv
 女性陣だって、むしろ、どんだけ花束もらったかの自慢大会じゃん・・・って、すまんかったさ」
 「・・・そこですぐに謝られると、ものすごく腹立つよ」
 こめかみをひくつかせ、リナリーは出来上がった花束に引き攣った笑みを向けた。
 「どぉせ、私は自慢できるほどもらったことないよ!
 はい、どぉぞ!
 幸せになれるといいね!!」
 花束を渡された団員は、リナリーの剣幕にびくりと怯え、花束を受け取るや、脱兎の勢いで逃げていく。
 「お・・・脅さんでも・・・・・・」
 「あぁら?脅してないよ、私はv
 さーぁv 次はどの花で作るのかなー?
 ・・・私以外の女の人にあげる花束を」
 笑顔で場を凍らせたリナリーは、クロウリーが示した花をひったくるように受け取って、束ね始めた。
 「それよりねぇ、ラビ?」
 「なっ・・・なにさ?!」
 笑みを引き攣らせたままのリナリーに、ラビがびくりと怯える。
 「自分のコトはどうなの?
 クラウド元帥、今年はいくつもらうのかな」
 「・・・っあー!!!!」
 慌てて自分の花を確保し始めたラビを、リナリーは意地の悪い笑みを浮かべて見つめた。


 「料理長!!ミランダさん来てないっすかっ?!」
 リーバーが厨房に飛び込むと、ジェリーは無言で鍋をコンロに戻し、彼を手招いて勝手口から裏庭へ出した。
 「先にアンタの質問に答えると、ミランダはアタシんとこには来たけど、今はいない。
 部屋に帰るって言ってたけど、アンタのその様子じゃ、いなかったみたいね」
 「そっ・・・そうです・・・・・・」
 息を切らして頷くリーバーに、ジェリーはひとつ、吐息する。
 「アタシは当事者じゃないから、冷静に話すわ。
 アンタも、今は『リーバー』じゃなく、いつもの『班長』らしく冷静に聞いて、質問に答えなさいな」
 「は・・・はい・・・」
 頷いたリーバーに頷きを返し、ジェリーは指を立てた。
 「まずひとつ。
 ミランダはアンタに届いた写真を見て、すごくショックを受けてた。
 とっても可愛い女の子だったから、無理もないわね」
 早速反駁しようとするリーバーを制し、ジェリーは二本目の指を立てる。
 「科学班の子達が、その子はアンタの恋人で、こっちに呼んで結婚すればいいのに、なんて言ってた。
 それが正しいかどうかはともかく、ミランダはそう聞いたの」
 そして、と、ジェリーは三本目の指を立てた。
 「アンタは彼女から来た手紙を、それは嬉しそうに読んでいたそうね」
 さぁどうぞ、と、広げた手を差し出し、反論を促したジェリーに、リーバーは深々と吐息する。
 「そりゃ・・・嬉しいですよ。
 オーストラリアのエリザベスからの手紙っすから」
 途端、ジェリーの眉が飛び上がった。
 「エリザベスゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ?!」
 「そうっすよ!!写真見なかったんすか?!」
 リーバーに反駁され、ジェリーは困惑げに両手を頬に当てる。
 「見・・・見たけど・・・えええええええええ?!エリザベスだったの、あれ?!」
 「どう見たってエリザベスでしょーが!!」
 「わっかんないわよ!!
 んまっ・・・じゃあ、ミランダ・・・・・・」
 「あいつらのせいで、ものっすごい勘違いされました!」
 苦々しく吐き捨てたリーバーに、ジェリーは手を伸べた。
 「じゃあ、結婚って?!」
 「いるでしょ、こっちには相手が・・・・・・」
 そう言って、リーバーはうんざりとうな垂れる。
 「あぁ・・・ってコトは、まずいわねー・・・・・・」
 「なんでです?」
 眉をひそめたリーバーから、ジェリーは気まずげに目をそらした。
 「ミランダに忠実なワンちゃん達が、あの子のこと、調べるって言ってたわ」
 「なに――――――――?!」
 最悪の予想をしたリーバーと同じく、まずい結果を予想をしたジェリーは、困惑げに頷く。
 「アンタ・・・彼らより早くミランダを見つけて、誤解を解きなさいな・・・って、アラ?!」
 深々と吐息したジェリーが顔を上げた時にはもう、リーバーの姿はなかった。
 「さすが・・・早いわねー・・・・・・」
 思考力と行動力を併せ持つ科学班班長に、ジェリーは心底感心する。
 が、
 「仕事の他にも、抱えすぎよねぇ、あの子・・・・・・」
 体力のつくものでも作ったげよう、と、教団のママンは厨房へ戻って行った。


 朝食後、バラ園に走って行ったアレンは、クロウリーの隣にリナリーの姿を見止めて、慌てて足を止めた。
 「な・・・なんでいるの・・・・・・」
 回廊の円柱に身を隠し、そっと伺えば、どうやらまだ身体の不自由なクロウリーを手伝って、花束を作っているらしい。
 「これじゃ、花を選びにも行けないよ・・・!」
 さすがに、バラを渡そうと思っている本人に束ねてもらうわけにも行かないだろう。
 「なんとかなんないかな・・・」
 じっと見つめていると、列に並ぶ団員達の陰から、ラビの赤い髪がのぞく。
 「ティム!
 そーっとラビ呼んで来て!」
 アレンは頭の上に乗ったティムキャンピーを取り上げると、ラビに向けて放した。
 間もなく、ラビが団員達に紛れてアレンの元へ走ってくる。
 「アレン、どしたさ?」
 「どーしたじゃないよぉ・・・あれじゃ僕、お花もらえない」
 アレンが円柱に隠れたまま、そっとリナリーを指し示すと、ラビは心得て頷いた。
 「オッケ。
 じゃあ、俺がこっそり取ってきてやるさ。
 何色にする?」
 アレンはしばらく考え込むと、
 「ピンクのバラで、可愛いのがあったら・・・」
 と、ラビのチョイスに任せる。
 「ん。
 じゃあ、持ってきてやっから、待ってな」
 そう言って、一旦駆け戻ったラビは、同色だが種類の違うバラを束ねないまま持って来た。
 「ほれ。
 リナに気づかれちゃまずいから、このまま持って来たさ。
 ラッピングは自分でやんな」
 「はいっv
 ラビ、ありがとう〜v
 猫だったなら、ごろごろと喉を鳴らさんばかりに嬉しげなアレンに、ラビは笑って首を振る。
 「こんなこと、大したことじゃないさ。
 お前への『お願いv』に比べたらな」
 「え」
 純粋な親切じゃなかったんだ、と、アレンは顔を引き攣らせた。
 「あったりまえさ!
 ギブ・アンド・テイクは基本さねv
 さも当然のように言い、ラビはにっこりと笑う。
 「この後、俺が元帥に花渡せるように、あの破戒僧から元帥の身柄引き取って、奴はどっかに閉じ込めとくさv
 「む・・・」
 「無理、って言うなら、その花返せ」
 冷厳に言われ、アレンは渋々頷いた。
 「じゃーよろしくなv
 にこりと笑って、クロウリーの元へ駆け戻ったラビを、アレンは口を尖らせて見送る。
 「僕が師匠を閉じ込めるなんて無理だよ。美人ならともか・・・く・・・?」
 ふと思いついて、アレンは大きく頷いた。
 「美人にお願いして、クラウド元帥と代わってもらえばいいんだよ!!」
 ね?!と、同意を求めて見遣ったティムキャンピーも、丸い身体ごと大きく頷く。
 「じゃあ早速!
 教団一の美女にお願いしよーっとv
 はしゃいだ声をあげて、アレンは意気揚揚と城内へ戻って行った。


 その頃、ミランダは中庭で一人、ぼんやりと霧に霞む風景を見ていた。
 「やっぱり・・・直接聞いた方がよかったのかしら・・・・・・」
 彼女にだけは忠実な監査官達の勢いに気圧され、つい、調査を依頼してしまったが、それはリーバーを信じていないことと同義に思えて、今更ながらに後悔している。
 「今からでも・・・・・・」
 監査官達を止め、リーバーに直接聞こうか・・・そう思い、のろのろとベンチから立ち上がった時、
 「ここでしたか!」
 と、監査官達が駆け寄ってきた。
 「え・・・まさか・・・・・・」
 「調査終了ですぞ、マンマ!!」
 「早っ!!」
 得意げなルベリエに、ミランダが瞠目する。
 が、それを褒め言葉と受け取った監査官達は得意げに胸を張り、ミランダの前に直立した。
 「では、リンク監査官、報告を」
 「はっ!!
 写真の女性はエリザベス。
 英国系オーストラリア人の彼女は、リーバー・ウェンハム科学班班長の従妹で幼馴染だそうです!」
 「いとこ・・・・・・」
 ほっと吐息したミランダにしかし、リンクは首を振る。
 「従妹は従妹ですが、血は繋がっていないようですね。
 しかし、親戚であると同時に家も近く、昔から大変仲が良かったそうです。
 更に、通信班より仕入れたデータによりますと、班長がこちらに来て以降、個人的な手紙の差出人としては、家族よりも彼女との方が、やり取りの頻度は高いとの事です」
 「そ・・・そう・・・・・・」
 がっくりとうな垂れたミランダを、監査官達は気遣わしげに見つめた。
 「マンマ・・・差し出がましいことと思われるでしょうが、この際、彼のことはきっぱりと忘れてはいかがでしょう?」
 遠慮がちなリンクの進言に、ルベリエがきっぱりと頷く。
 「そうですとも!
 マンマのようにすばらしい女性が身近にいながら、他の女性に目を移すような男はマンマからきっぱりとお捨てください!!」
 「そんな・・・・・・」
 反駁しようとしたミランダは、監査官達の気遣わしげな顔にまた、顔を俯けた。
 彼らなりに心配してのことだと思うと、厳しいことも言えない。
 ややして、
 「調査を・・・ありがとう・・・。
 色々・・・考えたいことがあるから、一人にしてくれるかしら・・・・・・」
 要望と言うよりは抗いがたい命令に、監査官達は不安げな顔を見合わせた。
 「は・・・」
 「では・・・・・・」
 未だ気遣わしげな顔をしつつも、二人が踵を返すと、ミランダは再びベンチに腰を下ろす。
 「やっぱり私・・・ふられたのかしら・・・・・・」
 監査官達から取り戻した写真を眺めつつ呟いたミランダは、ふるりと首を振った。
 「そうじゃないわね・・・。
 あの子達の調査が確かなら、私よりもずっと長い間、二人は・・・・・・」
 呟いて、ミランダは重い吐息をこぼす。
 と、
 「監査官達の言うことなんか信じちゃダメですよ!」
 突然声をかけられ、ミランダは飛び上がらんばかりに驚いた。
 「ア・・・アレンく・・・・・・!」
 わさわさと潅木を掻き分けて歩み寄ってくるアレンを呆然と見つめていると、ミランダの前に立ったアレンは、憤然と腰に手を当てる。
 「調査ったって、絶対フェアじゃありませんよ!
 あの人達は、疑うことしかしないんですから!」
 僕みたいに、と、まなじりをつり上げるアレンに、しかし、ミランダは頷こうとして頷けなかった。
 「でも・・・本当に、可愛い人だもの・・・。
 もし、故郷でリーバーさんを待っているんだとしたら・・・・・・」
 「ミランダさん・・・」
 写真を見つめて吐息を漏らすミランダへ、アレンは気遣わしげに手を差し伸べたが、
 「待ってんのは彼女じゃなく、エリザベスだッ!!!!」
 大音声に驚いて、伸ばしかけた手を引き寄せる。
 「リーバーさん!!」
 異口同音に名を呼ぶと、彼は息を切らしながら二人に駆け寄った。
 「よ・・・やく・・・見つけた・・・!!」
 逃げられないようにか、ミランダの両腕を掴んで、リーバーは懸命に息を整える。
 落とした視線の先に、呆然としたミランダが両手で持つ写真があり、リーバーは真剣な顔を上げた。
 「よく聞いてください、ミランダさん」
 「はい・・・・・・」
 掠れた声で返事をした彼女の腕を掴んだまま、リーバーは再び写真へ視線を落とす。
 「あいつらが・・・部下達が俺の恋人、って呼んでいたのは、この、人間の女じゃなく・・・」
 「え?人間?」
 リーバーの奇妙な言い方に、アレンが横から写真を覗いた。
 「彼女が抱いているコアラです!!」
 「は・・・・・・?」
 「コアラ――――?!」
 呆然として声もないミランダに代わり、アレンが甲高い声をあげる。
 「そう。
 俺が、向こうで可愛がってたコアラ。
 従妹のベスは、俺の代わりに世話してくれてて、時々こうやって写真を送ってくれるんだ」
 「お・・・同じ名前なんですか・・・・・・」
 紛らわしい、と、眉をひそめるアレンに、リーバーは口を尖らせた。
 「仕方ねぇだろ!
 名前を付ける時、あいつが『自分と同じ名前じゃないとヤダ』って、駄々こねたんだ!」
 ちなみに、と、リーバーは『人間の』エリザベスを指す。
 「今回の手紙は、妹同然のベスが結婚するから、結婚式にはなんとしても帰って来い、って内容でしたが、他に何か聞きたいことは?」
 「あ・・・あの・・・じゃあ・・・・・・」
 真っ赤になった顔を俯けるミランダに代わり、アレンが首を傾げた。
 「リーバーさん、こっちにコイビトを呼んで結婚すればいいとかなんとか言われてたんでしょ?」
 「ア・・・アレン君!!」
 あっさりと言われ、ミランダが茹であがったように真っ赤になると、リーバーは肩越しに顎をしゃくる。
 「忘れました?
 俺の誕生日にミランダさん、コアラをくれたでしょ」
 「あ・・・!!」
 ユーカリの木を植えた温室で、いつもまどろんでいる動物の姿を思い出し、ミランダは目を丸くした。
 「それで奴ら、結婚式をしようなんて言い出したんすけどね、実はもう、エリザベスはかなりの高齢で、長い船旅をさせるわけにはいかないんすよ」
 「そう・・・ですか・・・・・・」
 まだ呆然として呟くミランダに、リーバーがにこりと微笑む。
 「オールクリア?」
 「・・・・・・はい」
 安堵すると同時に笑い出したミランダは、目じりに浮いた涙を懸命に拭った。
 「バカみたいですね、私・・・」
 「バカはおしゃべりな部下共です」
 苦々しげに言い、リーバーは肩をすくめる。
 「料理長に『エリザベス』の名前を言ってくれてたら、もっと話は早かったんですよ。
 彼女はコアラのベスのことを知ってますからね」
 写真だけでは見分けがつかなかったらしいが、と、吐息を漏らすリーバーの傍らで、アレンが楽しげな声をあげた。
 「ね?
 僕の言ったとおりだったでしょ?」
 得意げに胸をそらした少年に、ミランダは大きく頷く。
 「本当ね・・・ありがとう、アレン君」
 まだ、笑声を収められないままミランダが言うと、アレンは嬉しげに笑った。
 「こちらこそ、監査官から解放してくれてありがとうございますv
 じゃあ僕、そろそろ行きますね!
 急いで病棟に行かなきゃ!」
 二人に手を振ると、アレンは中庭を突っ切って病棟へ走っていく。
 残された二人は、苦笑を見合わせた。
 「コアラのベスは無理でも・・・従妹のエリザベスさんの結婚式には、参加できそうですか?」
 「できれば、行ってやりたいんすけどねェ・・・・・・」
 寝る間もない今の状況では無理だろう、と、リーバーは切なくため息をつく。
 「まぁ、それは今後の状況によるとしても・・・コアラのベスをこっちに呼ぶわけには行きませんから、会いに行きますか?
 一緒に」
 あっさりと発せられた言葉の意味を察し、ミランダは赤くなった額をリーバーの胸に寄せた。
 「・・・喜んで」
 消え入りそうなほど、儚い声をしっかりと聞き取り、リーバーはミランダを抱き寄せる。
 「じゃあ、できるだけ早いうちに」
 さりげない口調に反し、早鐘を打つ鼓動の響きに、ミランダはそっと微笑んだ。


 「・・・さっきはリンクに見つからなくて良かったね、ティム」
 教団一の美女を探して、てくてくと病棟を歩きながら、アレンはほっと呟く。
 ここへの近道だと中庭へ入った途端、監査官達が現れたのには驚いたが、ミランダが追い払ってくれたおかげで、あの時あの場所は教団のどこよりも安全な場所になっていた。
 「ミランダさんの誤解も解けたし、良かったねーv
 二人の親密な雰囲気にあてられたか、アレンだけでなく、ティムキャンピーまでもが浮かれて飛び回る。
 「これで、僕がリナリーに花を渡せたら大成功なんだけどなぁ・・・」
 どうやってコムイを出し抜こうか、と考えているアレンは、蝋花が教団本部に来ているとは思いもしなかった。
 それもそのはず、本城中を駆け回るアレンを、さすがの通信班も補足しかねて、蝋花は今もあちこちを連れ回されている。
 彼女の苦労など知りもせず、アレンは病室を覗いて回り、ようやく『美女』の姿を発見した。
 「婦長v 探しましたv
 声をかけると、婦長は肩越しに振り向き、アレンに笑みを向ける。
 「どうしたの?
 何か用?」
 アレンは婦長へ歩み寄ると、気遣わしげな表情を作って頷いた。
 「あの・・・お願いがあるんです・・・・・・」
 「私に?何かしら」
 向き直った彼女に、アレンは大きく頷く。
 「師匠のことなんです・・・。
 ここに来てずっと、お酒ばかり飲んでるんですよ・・・」
 「あぁ、そうらしいわね。
 今日、クロス元帥付だった監査官が、急性胃炎で運ばれてきて、そう愚痴っていたわ」
 「・・・もう運ばれましたか」
 なんて惰弱な、という忌々しい思いは完璧に隠し、アレンは更に暗い表情を浮かべた。
 「師匠って、僕が一緒にいた時からそうだったんです・・・。
 ろくに食べもしないでお酒ばっかり飲んで・・・。
 ・・・婦長!
 僕、こないだ聞いちゃったんですけど、こんなことしてると、肝硬変になるって本当ですか?!」
 師の身体を心配する弟子の役を完璧に演じるアレンの問いに、婦長は表情を改め、頬に手を当てる。
 「そうね・・・アルコール性肝炎がずっと続くと、肝硬変になってしまうことがあるわね」
 まじめな声で答える婦長を上目遣いに見上げ、アレンは声を震わせた。
 「ブ・・・ブックマンに聞いたんですけど・・・血管が蜘蛛の巣みたいに浮き上がってきたら、肝硬変になった可能性が高いって・・・・・・」
 「・・・・・・あったの?」
 目を見開いた婦長に、しかし、アレンは頷かない。
 「ちらっとしか見えませんでしたから、僕の見間違いかも・・・でも・・・・・・」
 涙を浮かべるアレンの肩を、婦長は気遣わしげに撫でた。
 「そうね、心配よね・・・」
 慰めるような口調で言うや、彼女は毅然と顔を上げる。
 「わかりました。
 私が元帥に申し出て、調べさせていただきましょう!!」
 「婦長!」
 ぱぁっと、表情を輝かせるアレンに、婦長は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
 「元帥は今どこに?」
 「自室です!
 嫌がるクラウド元帥を連れ込んで、酔い痴れてます!」
 「仕方のない方ね・・・」
 ため息をこぼし、婦長は踵を返す。
 つかつかと、病室を出た婦長の後に、アレンもついて行った。
 「あの・・・師匠は強情で、絶対に病気だなんて認めないと思いますけど・・・」
 「そう言う方は多いですからね。慣れていますよ」
 自信に満ちた口調で言った婦長は、途中、数人のナースに声を掛けて、共にクロスの私室へ向かう。
 集団となった白衣の天使達の後に従ったアレンは、目前に迫った捕り物に、にんまりと笑った。


 「失礼、クロス元帥」
 婦長を先頭に、いきなり私室に乗り込んできたナース達を、クロスはグラスを掲げて機嫌良く迎える。
 「これはマダム!
 今日は一段とお美しい」
 恭しく婦長の手を取ったクロスにしかし、彼女は眉をひそめた。
 「聞きしに勝るとは、このことですわ・・・!
 あなたの酒量が桁外れだとは皆が言っておりましたが、これほどとは・・・!」
 呆れ返った婦長は、クロスの手を握り返す。
 「これではアレンが心配するのも無理はありません。
 さぁ、クロス元帥!
 私たちと一緒に参りましょう!」
 婦長に手を引かれたクロスは、酒臭い息を吐いて笑った。
 「天国にでも連れてってくれるのか?」
 酔っ払いの戯言に、婦長はこゆるぎもせずあっさりと頷く。
 「えぇ、若いナースでいっぱいの場所ですよ」
 「行く」
 婦長の冗談口に真剣な声で応じ、クロスは自分の周りを取り囲んだナース達に目尻を下げた。
 「ゴメンな、クラウドv
 ちょっと行って来るが、寂しかったら俺のとこへ・・・」
 「誰が行くか!」
 擦り寄ってくるクロスを押しのけ、クラウドは空になったグラスをテーブルに置く。
 「ようやく解放されて、清々する」
 ナースに連行されるクロスへ冷たい言葉を手向け、クラウドもまた、立ち上がった。
 「・・・ったく、どれだけ飲めば気が済むのだ、不良中年が」
 ぼやきながら、クラウドはクロスに続いて部屋を出る。
 随分と長い間、彼の酒の相手をしていたにもかかわらず、その歩調に酔いを見せない彼女は、艶っぽく赤らんだ目の端に、柱の陰からこっそりと手招くアレンを見止めて歩み寄った。
 「お前の仕込みか」
 「えへv
 悪戯っぽい笑みを浮かべるクロスの弟子に、クラウドは微笑む。
 「おかげで助かった。
 だが・・・」
 アレンが誰の要請で動いたものか、一瞬で見抜いた彼女は笑みを深めた。
 「友人は選べよ」
 くしゃりと、アレンの頭を撫でた手を振り、彼女は自室へと帰って行く。
 「これでオッケーv
 アレンは、自身で仕掛けた罠の成功に、満足げに頷いた。
 「ラビに報告しなきゃ♪」
 浮かれた声をあげ、アレンが勢いよく踵を返した途端、
 「きゃっ!!」
 背後に駆け寄ってきた少女とまともにぶつかってしまい、大きくよろける。
 「だ・・・大丈夫ですか?!」
 さすがに転びはしないアレンに対し、見事に転んでしまった少女は、したたかに打ち付けた腰をさすりつつ、顔を上げた。
 「ろ・・・蝋花さん?!なんで?!」
 「えへへv
 ようやく会えましたぁv
 アジア支部科学班見習いの少女は、ずれたメガネの位置を直し、照れ笑いを浮かべる。
 アレンは心底驚きながらも、石床に座り込んだままの少女に手を差し伸べ、起こしてやった。
 「ありがとうございますv
 「いえ・・・でも、どうしてここに?
 バクさんのお使いですか?」
 彼女が教団本部に来る用事と言えばそのくらいだろう、と思って問えば、蝋花は赤い顔を俯ける。
 「あの・・・その・・・・・・」
 首まで真っ赤にして、蝋花は手にした紅いバラの花束を差し出した。
 「こっ・・・これを・・・・・・っ!!!!」
 「はな・・・・・・?」
 目を点にして、差し出されたものを見つめるアレンに、蝋花はこくこくと頷く。
 「しっ・・・支部長がずーっと前に言ってたの、聞いたんです・・・!
 こっ・・・こっちじゃ、2月14日に、すっ・・・すっ・・・・・・」
 好きな人に贈り物をする、という言葉がどうしても言えず、真っ赤になって声を詰まらせる蝋花に、アレンははたと手を打った。
 「あー!
 そう言えばこないだ、バクさんが追い払われたって言ってましたね!」
 「へ?」
 なに、と、目を丸くする蝋花に、アレンは魅惑的な微笑を向ける。
 頭から湯気が出るほどに赤くなった彼女に、しかし、アレンはなにを勘違いしたのか、窓の外を示した。
 「リナリーなら今、バラ園でお手伝いしてますよ」
 「へ・・・?
 リ・・・リナリーさん・・・ですか・・・?」
 唖然と呟く蝋花に、アレンは小首を傾げる。
 「蝋花さん、バクさんのお使いで来たんでしょ?
 女の人が渡すものは、コムイさんもノーガードですもんね!」
 考えたなぁと、アレンは妙に感心した様子で頷いた。
 「わざわざアジア支部から大変でしたね。
 あ、バラ園でしたら、僕でも案内できますから、一緒に行きましょ!」
 「は・・・はぁ・・・・・・」
 違う、と、きっぱり言うことも出来ず、蝋花はアレンに従って歩き出す。
 が、間もなく足を止めたアレンに腕を掴まれ、柱の影に引き込まれた。
 「え?!どうし・・・」
 「しっ!
 監査官です!」
 鋭く声を発したアレンの、精悍さを増した横顔に、蝋花は状況が理解できないながらもうっとりと見惚れる。
 ―――― このままここにいたいかも・・・v
 抱き潰さんばかりに花束を抱きしめていると、更に蝋花の肩が抱かれた。
 「きゃあv
 「しっ!」
 思わず歓声をあげた蝋花を鋭く制したアレンは、タイミングを見計らって、蝋花と共に柱の影を飛び出す。
 「きゃ・・・!!」
 一瞬にして、別の柱の影に連れ込まれた蝋花は、まん丸になった目を、油断なく回廊を伺うアレンへ向けた。
 「あの・・・どういうことですか・・・?」
 「実は僕、監視されてるんです」
 さらりと言ったアレンに、蝋花が大きく頷く。
 「そ・・・そうでしたね!
 支部長から聞きました・・・!」
 大変ですね、と、気の毒そうに言う蝋花に、しかし、アレンはいたずらっぽく微笑んだ。
 「今日はミランダさんのおかげで解放されましたからね。
 逃げ切って見せますよv
 アクマやノアとの激戦を潜り抜けた少年は、自信に満ちた声で言うと、再び蝋花の肩を抱く。
 「ウ・・・ウォーカーさん・・・v
 「離れないで下さいね。
 バラ園まで、ちゃんと送りますから」
 アレンににっこりと微笑まれ、蝋花はまた、『違う』と言いそびれてしまった。
 ―――― こっちも、タイミングを見計らうしかないか・・・。
 精悍な目を回廊に向けたアレンをうっとりと見つめつつ、蝋花は小さなため息をこぼした。


 「クロウリー!!」
 人垣の向こうから呼ばれ、クロウリーが顔をあげると、アレンがこちらへ駆けて来る。
 「意識が戻ったんですね!良かったぁ・・・!」
 飛びついてきた彼を受け止め、クロウリーは嬉しげに笑った。
 「心配かけたであるな。
 ・・・ところで、監視されていると聞いたが?」
 きょろきょろと周りを見回すが、それらしき姿はない。
 と、アレンは得意げに笑って親指を立てた。
 「すり抜けてきました!」
 「さすがであるな」
 つられて笑いながら、ふと、クロウリーはアレンの後ろで所在なげに佇む少女に目をやる。
 「誰であるか?」
 「アジア支部の蝋花さんです!」
 クロウリーに問われたアレンが、蝋花を引き合わせると、少し離れた所にいたリナリーもこちらに目を向けた。
 アレンの隣で、困惑げな笑みを浮かべる少女の姿に、思わず眉根を寄せてしまう。
 「リナリー?」
 「・・・なんでもないよ」
 訝しげな顔をした団員に首を振り、リナリーは束ねたバラを彼に渡した。
 しかし、次の花束を作りながらも、意識はどうしても蝋花の方へと向いてしまう。
 視線は目の前の花に注ぎながら聞き耳を立てていると、アレンの声が明るく弾んだ。
 「江戸を出た後、一旦アジア支部に寄ったんですけど・・・クロウリーは意識不明だったから、会うのは初めてですよね!
 あの時もですけど、その前も僕は、蝋花さんやアジア支部の人達にすごくお世話になったんです!」
 「そっ・・・そんな!お世話だなんて・・・」
 恥ずかしげに俯いた蝋花に、クロウリーは優しく微笑む。
 「それは、知らぬこととはいえ、挨拶が遅れて失礼したである。
 我が身のこと以上にアレンを助けてくれたこと、厚く礼を申し上げる」
 「ひゃっ?!」
 姿勢を正したクロウリーに礼を言われた蝋花は、驚くあまり、奇声を上げてしまった。
 「いっ・・・いえそんな!!えと・・・えと・・・どういたしまして?!」
 生まれて初めて会った西洋貴族にどう対していいかわからず、蝋花は慌てふためく。
 その様子が小動物のようで、思わず目をやったリナリーは、「可愛い・・・」呟いていた。
 蝋花とは逆にリナリーは、幼い頃から教団やヴァチカンの高位顕職だけでなく、各国の王族に接しても恥ずかしくないようにと、完璧に礼儀作法を仕込まれたため、あの程度で動じることはない。
 エクソシストである以上、誰に対しても毅然と美しくあろうと、自らに言い聞かせても来た。
 が、
 「私は・・・あんなに可愛くないよね・・・・・・」
 ポツリと呟いたリナリーに、花を束ねてもらった団員が目を丸くする。
 「そんなことないって!
 お前、絶対可愛いから・・・自信持てよ!」
 元気付けるようにこぶしを握った彼を、しかし、リナリーは暗い目で見上げた。
 「でも、この花はカテリーナにあげるんだね?」
 「・・・欲しいのか?」
 「ふんだ・・・いらないよ」
 拗ねた顔で花束を押し付け、リナリーは次の花束に取り掛かる。
 不機嫌な彼女に、誰もが声をかけられずにいる中、明るい声がリナリーの名を呼んだ。
 「アジア支部で会ったでしょ?蝋花さんですv
 蝋花を伴って、にこやかに言うアレンに苛立ちを覚えながらも、リナリーは完璧に感情を押さえ込み、にっこりと微笑む。
 「いらっしゃい、蝋花さん。
 春節の時はありがとう。とっても楽しかったです」
 礼儀作法上、申し分のない挨拶だったが、その口調によそよそしさを感じて、アレンは小首を傾げた。
 が、それをどう解釈したものか、アレンは困惑げな蝋花の背に柔らかく手を添えて、リナリーの前に押し出す。
 「バクさんのお使いだそうですよ」
 「え?!」
 意外な言葉に、リナリーと蝋花が異口同音の声をあげた。
 「そ・・・そうなんですか・・・?」
 明らかに違うだろう、と思いつつもリナリーが問うと、蝋花は口で否定するどころか、首を振ることもできず、真っ赤な顔を俯ける。
 「あれ?そうですよね?」
 自分の勘違いだとは気づいていない様子でアレンが言い募ると、蝋花は泣きそうに目を潤ませて、うな垂れるように頷いた。
 「じゃあ、ちゃんと送り届けましたからね、リナリーv
 僕、ラビに用があるんで一旦抜けますけど、終わったらこっちのお手伝いしますね!」
 そう言って駆け去ったアレンの背を見送った二人は、困惑げな顔を見合わせる。
 「あの・・・それ、本当に私に?」
 違うでしょ、と言う意味を込めて問えば、蝋花は目尻に浮いた涙を拭った。
 「ごめんなさい、私・・・・・・」
 懸命に言葉を選ぶ蝋花に頷き、リナリーはベンチから立ちあがる。
 「ごめんなさい、クロウリー!ちょっとだけはずしていい?」
 有無を言わせず、作りかけの花束を彼に押し付けると、リナリーは蝋花の手を取って、人気のない場所へ連れて行った。
 「・・・あのね、多分、はっきり言わないと事情は理解できないから、包み隠さず言ってくれる?」
 先程までのよそよそしい口調を改め、リナリーは苦笑を浮かべる。
 「そのお花、アレン君にでしょ?」
 真っ赤になって、こくん、と頷く蝋花に、リナリーはため息をついた。
 「やっぱり・・・なんで私にだなんて勘違いしたんだろ、アレン君てば」
 呆れ口調のリナリーを、蝋花は上目遣いに見上げる。
 「わ・・・私が、きちんと言わなかったから・・・です・・・。
 ウォーカーさんに、バク支部長のお使いですか、って聞かれた時、私、違うって言えなくて・・・・・・」
 でも、と、蝋花は今にも泣きそうな顔で笑った。
 「そうですよね・・・ウォーカーさんにとって私は、アジア支部の科学班見習いでしかなくって、本部に来たところで、支部長のお使いだとしか思われませんよね・・・」
 悄然とうな垂れる蝋花を、リナリーは気の毒そうに見つめる。
 アジア支部の春節に招待された時には、片時もアレンから離れない彼女に強く嫉妬したものだが、今は心から気の毒に思えた。
 「・・・同病相憐れむってことかな」
 「え?」
 木の幹に背を預け、呟いたリナリーに蝋花が目を丸くする。
 「リ・・・リナリーさんっ・・・まさか・・・・・・っ?!」
 声をつまらせる蝋花に、リナリーは苦笑を向けた。
 「ホントに・・・鈍いんだよ、アレン君。
 春節の時だって、私が怒ってたことなんか、全く気づかないんだもん」
 深々と吐息するリナリーから、蝋花は気まずげに目を逸らす。
 「ウォ・・・ウォーカーさん・・・は・・・?」
 「さぁ?」
 「さぁ、って!」
 あっさりと言って首を傾げたリナリーに、はぐらかされたと思ったのか、蝋花が非難めいた声をあげた。
 が、
 「わかんないよ・・・。
 仲間として、大切に思ってくれていることはわかるんだけど、女の子としてはどう思ってるのか・・・。
 だって、彼は誰にでも優しいんだもん」
 そう言ってリナリーは、切なく吐息する。
 「・・・私は、みんなに優しい彼が好きだよ。
 アクマさえ愛そうとする彼を、尊敬もする・・・だけど」
 ずっと、感情を押さえて静かだったリナリーの声が、初めて震えた。
 「他の女の子と仲良くしているのを見るのは、すごく嫌だった・・・・・・」
 今にも泣き出しそうなリナリーを見つめ、蝋花は唇を引き結ぶ。
 ―――― キレイな子・・・・・・。
 女の蝋花でも見惚れずにはいられないほど、リナリーは美しい少女だ。
 こんな子に好かれて、アレンが嬉しく思わないはずがない。
 その上彼女は、エクソシストとしてアレンに信頼され、同じ戦場で、仲間として大切に思われている。
 それに対し、自分はまだ、なんの力にもなれない見習で・・・いつも彼の側にいられるわけでもなかった。
 が、
 「それでも私は・・・・・・」
 きゅっと眉根を寄せ、蝋花は花束を抱きしめる。
 「ウォーカーさんに、この花を渡したいんです・・・!」
 「・・・・・・うん」
 長い間の後、リナリーは微笑を浮かべて頷いた。
 「がんばって・・・応援はしないけど」
 冗談めかした言い様に、蝋花もくすりと笑みを漏らす。
 リナリーの人柄だろう、その言葉は、嫌味には聞こえなかった。
 おかげでつい、蝋花の口も軽くなる。
 「もし、ウォーカーさんが私を選んでくれたら、リナリーさんに殴られてあげてもいいですよ?」
 可愛らしい上目遣いで見上げられ、一瞬、目を丸くしたリナリーは、自分の掌にこぶしを叩きつけた。
 パンっと、高い音を発したこぶしに蝋花が鼻白むと、リナリーはにっこりと微笑む。
 「歯の2〜3本は覚悟してね?」
 途端に小動物のように震えあがり、くるんと踵を返した蝋花を、リナリーは楽しげに笑って見送った。


 その頃、自分を巡って女の戦いが繰り広げられているなどとは思ってもいないアレンは、バラ園の中で切花を集めていたラビに駆け寄った。
 「クラウド元帥の解放に成功しましたよv
 「よっしゃーv
 よくやったさvv
 わしゃわしゃと頭を撫でてやったラビは、手にしたバラの束をアレンに押し付ける。
 「じゃー俺、早速元帥んとこ行ってくるからv
 後頼むさ!」
 「ハイ・・・って、待って!!」
 「あぐっ!!」
 すかさず襟首を掴まれ、首を絞められたラビが奇声を上げた。
 「なっ・・・にすんさてめぇ!殺す気か!!」
 「あーごめんなさい。
 もう一つ、お願いがあるんですよ」
 「なにさ」
 首をさすりながら問い返すラビに、アレンがにこりと笑う。
 「コムイさんにばれないように渡すの、協力してくださいv
 「は?
 またジェリー姐さんに預かってもらえばいいだろ」
 当然のように言った彼に、しかし、アレンは首を振った。
 「なんでさ?」
 「あの時・・・先に言ってなかった僕も悪いんですけど、リナリーと僕とですれ違いがあって、二人して大騒ぎしちゃったんですよね・・・。
 他に場所もあったのに、よりによって食堂前と医務室なんて、目撃者多すぎて・・・」
 アレンの乾ききった声に、ラビは息を呑む。
 「それで・・・バレたんさ?」
 「・・・僕のごはんに、何回毒薬混ぜられたと思います?」
 「アレン・・・・・・!」
 涙目になったアレンを、ラビは思わず抱きしめた。
 「よく生き抜いたさ、お前!!」
 「辛かったよぉぉぉぉ!!!!」
 食事に毒物を混入されることは、身体的以上に精神的ダメージを受けるものだが、加害者は『あの』コムイときている。
 彼が本気で命を狙った以上、すぐに毒物とわかるような薬を盛るはずがなかった。
 「で・・・どんな目に遭ったんさ?
 兄ちゃんに詳しく言うてみ?」
 わしゃわしゃと頭を撫でつつも、興味津々と問うラビに頷き、アレンは紅くなった目を上げる。
 「一気に入れるんじゃなくて、科学班の人が調べたってわかんないような量を、お皿ごとに何回も入れられたらしいんです・・・」
 「なるほど・・・ほんの少しならほとんど害はなくても、お前みたいに一度に大量摂取するとヤバイ薬ってわけか・・・」
 暗殺なんかに使われた手だ、と言うと、アレンはうな垂れるように頷いた。
 「去年のバレンタインが終わって、1ヶ月くらいした頃かな?
 なんだかすごくだるくて起き上がれないことがあって・・・食堂に来ないのを心配したジェリーさんが来てくれなきゃ、僕、ベッドの上で冷たくなってたはずだって、ドクターが・・・・・・」
 「マジで?!
 死にかけたんさ?!」
 驚倒するラビに、アレンは再び頷く。
 「ホント・・・容赦ないんですよ、コムイさん・・・・・・。
 ラビ・・・。
 もし僕が、戦場以外で死ぬことがあったら、それがどんなに自然死に見えても、コムイさんに殺されたんだと思ってね・・・」
 「そりゃ・・・なんとしてもばれないようにしねぇとなぁ・・・・・・」
 肩を落としてしくしくと泣くアレンの頭を撫でてやりながら、ラビは考えを巡らせた。
 「・・・そうさ。
 お前、今から俺の代わりにクロちゃんの手伝いするんだろ?」
 「はい。
 リナリーにはもう、『手伝う』って言ってきました」
 「だったら簡単さv
 破顔して、ラビはアレンの耳元に囁く。
 「手伝ってる合間にさ、こーやって囁きな。
 何時にどこの庭のどのベンチを見てくれ、ってな?」
 「・・・あ、そっか!
 指定した場所に置いておけばいいんですね!」
 ぱぁっと、表情を輝かせたアレンに、ラビもにこりと笑った。
 「簡単だろ?
 けど、念には念を入れた方がいいさ・・・。
 指定の場所には、ミランダにでも頼んで置いてもらうとか」
 「そっか・・・!
 ラビ、こういう悪知恵が働くところはさすがですね!」
 「あっはっはv チクったろうか、クソガキv
 こめかみを引きつらせて、ラビはアレンの頭をはたく。
 「じゃあ、行って来な。
 健闘を祈るさ!」
 親指を立てて笑うラビに、アレンも親指を立てて頷いた。
 「ラビもね!」
 「おう♪」
 ひらりと手を振って、駆けて行ったラビを見送ったアレンが踵を返すや、垣根の陰に隠れて様子を伺っていた蝋花は慌てて身を潜める。
 そのまま、アレンの足音が遠ざかるまで待った彼女は、しんと静まり返ったバラ園に、へたりとしゃがみこんだ。
 「は・・・初めて見たよぅ・・・!
 あ・・・あれが断袖(だんしゅう)とか竜陽(りゅうよう)っていうやつなの・・・・・・?」
 今見た光景に驚くあまり、目は見開いたまま瞬くことも出来ず、引き攣った声は自分のものではないかのように掠れる。
 「ウォ・・・・・・ウォーカーさんが・・・・・・」
 蒼くなったり紅くなったり、アジサイのように顔色を変えつつ、蝋花は混乱する頭を抱えた。
 「男の人と抱き合っていたよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 会話が聞こえなかったために、状況を激しく誤解した蝋花は、顔を覆ってさめざめと泣き出す。
 「うっうっうっ・・・!
 こんなことっ・・・知りたくなかったぁ・・・・・・っ!」
 自らの言葉に、蝋花はふと顔を上げた。
 「リ・・・リナリーさんはこのこと・・・知ってるのかな・・・・・・」
 呟いて、蝋花はまた俯く。
 「私でもラビさんでも、同じこと・・・か・・・・・・」
 彼女ならきっと、蝋花に対した時となんら変わらず、『歯の2〜3本は覚悟してね?』と笑うに違いなかった。
 で・・・でも・・・わ・・・私だって・・・・・・!」
 リナリーに負けるならまだしも、ラビに負けるなど、女の沽券に関わる。
 「ラビさんには勝って見せますから!!」
 花束を握って立ち上がった蝋花は、しかし、またへなへなとしゃがみこんだ。
 「でも今日は・・・ショックが大きすぎますぅ・・・・・・」
 エクソシストを二人も相手にして戦うには、蝋花のスキルはまだまだ足りない。
 「きっと!捲土重来してやるんですからぁっ!!」
 喚声をあげた蝋花は、まさに土埃を巻き上げんばかりの勢いで本城へと駆けて行った。


 「クロウリー!リナリー!遅れてごめんなさい!」
 クロウリーと一緒に花束を作っていたリナリーは、一人で戻ってきたアレンに目を見開いた。
 「アレン君、蝋花さんは・・・?」
 困惑げに問うと、アレンはバラ園から運んできた切花をクロウリーに渡しながら、不思議そうな顔を傾げる。
 「蝋花さん?
 バラ園では会いませんでしたけど?」
 「え・・・?どうしちゃったんだろ・・・・・・」
 リナリーが気遣わしげに眉根を寄せると、アレンはくすりと笑みを漏らした。
 「用事が済んだから、帰ったんじゃないですか?
 バクさんに急かされたのかも」
 「え?!
 あの・・・」
 あの花束はバクからの贈り物じゃないと、言うべきか言わざるべきか、リナリーが悩んでいると、それをどう解釈したものか、アレンはにこりと笑う。
 「大丈夫!コムイさんには秘密にしておきますからv
 「え?!
 う・・・うん、そうだね・・・・・・」
 状況が見えない以上、何も言わない方がいいだろうと判断し、作業に戻ったリナリーに、アレンがさりげなく歩み寄った。
 「リナリー・・・コムイさんって最近、1時には上層部の会議に呼び出されるんですよね?」
 「うん、毎日ね。
 いつも長官の嫌味を聞かされるって、ぼやいてるよ」
 苦笑したリナリーに、アレンは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 「じゃあ・・・今日の1時、塔の裏庭にある一番高い木の下のベンチに置いておきますから、こっそり取りに来てくれますか?」
 ひそひそと囁かれた言葉の意味がわからず、きょとん、とするリナリーに、アレンは笑みを深めた。
 「コムイさんが怖くて、直接渡せないんです」
 不甲斐なくてすみません、と、冗談めかして言うアレンに、リナリーは目を輝かせる。
 「嬉しい・・・・・・」
 蝋花のことはまだ、気にかかってはいるものの、ずっと胸にわだかまっていた屈託がようやく晴れた気がした。
 「絶対に行くね!」
 「はい!
 じゃあ、僕もそれまでに準備をぇっ!!」
 突然現れた手に襟首を掴まれ、アレンが奇声をあげる。
 「全くこの性悪猫は・・・!
 ちょっと目を離すとすぐにちょろちょろ逃げ回って!!」
 ぐいっとそのまま吊り上げられ、首を締められたアレンが泡を吹いた。
 「リッ・・・リンク監査官、やめて!アレン君の首が絞まってるわ!!」
 リナリーが慌てて止めるが、リンクは聞く耳を持たない。
 「お仕置きです、ウォーカー!
 二度と私に逆らわないよう、少し痛い目にあわせてやりましょう!」
 既に白目をむいているアレンへ更に残酷なことを言う彼に、クロウリーも眉根を寄せた。
 「リンク監査官とやら・・・いくらなんでもその扱いはないであろう。
 まずはアレンを下ろしてやるであるよ」
 クロウリーの穏やかな声に、しかし、リンクは眉を吊り上げて鼻を鳴らした。
 「もちろん、彼が我々の調査に対し、従順で協力的であるならば、私も彼に対して親切に接することにやぶさかではありません。
 ですが、アレン・ウォーカーは大変反抗的、かつ恣意的で、我ら監査官が今までにどれほどの被害を受けたか、枚挙に暇がありません。
 こうなっては拘束もやむなしと言う状況をご理解いただきたい」
 「いや、しかし・・・・・・」
 冷淡だが論理的なリンクに反駁することができず、クロウリーは困惑げに彼と彼にぶら下げられたアレンを見比べる。
 だが、
 「クロウリー、がんばってっ!」
 背後のリナリーにエールを送られ・・・というよりも、あからさまにけしかけられて、クロウリーは既に動かなくなったアレンを指し示した。
 「いいから、とりあえず放してやるである。このままだと死んでしまうであるよ」
 「・・・いっそくびり殺して・・・・・・」
 「落ち着くである!!」
 暗い声音で呟いた監査官を、声まで蒼褪めたクロウリーが止める。
 「エ・・・エクソシストとはいえ、アレンはまだ子供なのである!
 一々わがままに目くじらを立てるものではないと思うが・・・」
 「そーだよ!子供のいたずらだよ!」
 クロウリーに便乗したリナリーが頬を膨らませると、リンクの目が吊り上った。
 「君が言うな、リナリー・リー!!
 全く、君達はいつもいつも我々の邪魔をして!!
 君の言う『子供のいたずら』で、我々がどれほど被害をこうむったと思っているのだ!!」
 「な・・・なにをしたのであるか・・・・・・」
 監査官への不満は聞いたクロウリーだが、彼らがなにをやらかしたのかまでは聞いていない。
 だが、クロウリーの背に隠れて、激昂するリンクに舌を出すリナリーを見ていると、リンクの言い分が不当なものだとも思えなかった。
 「・・・なんの戦争のさなかだか・・・・・・」
 やれやれと吐息して、クロウリーは車椅子をリンクに寄せる。
 「とにかく、アレンを殺す気がないのなら、下ろしてやるである」
 そう言うとクロウリーは、ひょい、と、アレンを抱えてリンクから取り上げた。
 「ほらアレン、息をするであるよ」
 背中を叩いてやると、アレンが息を吹き返す。
 「ふぇ・・・」
 ぼんやりとかすむ目で周りを見回したアレンは、怖い顔をしたリンクと気遣わしげなリナリー、困惑げなクロウリーに囲まれている状況に、一瞬で次の行動を選択した。
 「わぁんっ!!リンクがいぢめるよー!!」
 「いい加減にしろ腹黒っ!!!!」
 クロウリーに泣き縋るアレンを、リンクがヒステリックに怒鳴りつける。
 「よくもまぁ次から次に貶めてくれるものですね!」
 「クロウリークロウリー!
 酷いんですよ、リンクったら!
 僕を書庫室に閉じ込めて、ねちねちねちねちいじめるんです・・・!
 そりゃあもう、日陰に沸いた粘菌みたいにねちねちねちねち・・・」
 「根暗ね!」
 「誰に言われても君にだけは言われたくないぞ、リナリー・リー!!」
 鋭く返されて、リナリーが頬を膨らませた。
 「いいから来なさいウォーカー!!
 君が逃げたりサボったり邪魔したりするおかげで、全く進まないじゃないか!!」
 アレンを羽交い絞めにしてクロウリーから引き剥がしたリンクは、そのままずりずりと城内へ引きずっていく。
 その様に眉を吊り上げたリナリーは、憤然とした顔をクロウリーに向けた。
 「ね?!嫌な人でしょ?!」
 「その判断は、保留にするであるよ・・・」
 監査官の受難を察して、クロウリーは苦笑する。
 リンクの様子を見るに、アレンやリナリー、そしてきっと、ラビもが結託して、気に食わない監査官にしたたか反撃しただろうことは、想像に難くなかった。


 「もぉ!!自分で歩くから、放してー!!!!」
 じたじたと暴れるアレンを持て余し、リンクは羽交い絞めにしていた彼を放してやった。
 が、すかさずアレンのネクタイの端を掴んで引っ張る。
 「逃げようとしたら、シメますよ?」
 脅しなどではない殺気をみなぎらせて言えば、アレンは憮然と頷いた。
 「ねぇリンク。
 今日一日はおとなしくしてあげますから、お昼にちょっとだけ抜けさせてください」
 途端、リンクの眉が吊り上る。
 「今日『一日』おとなしくして『あげる』ですって・・・?」
 こめかみを引きつらせ、リンクはアレンの胸倉を掴んだ。
 「ナニサマですか、ウォーカー!!
 今日一日だけでなく私の任務が終了するまでずっと従順でいなさいクソガキ!!」
 一息に言ったリンクから、しかし、アレンは不満げに顔を背ける。
 「じゃあ、今日一日もおとなしくしない」
 「あぁっ?!」
 怒りのあまり、こめかみに血管を浮かび上がらせたリンクに、アレンは反抗的な笑みを浮かべた。
 「今日が何の日か知らないんですか、リンク?
 バレンタインデーですよ、バレンタインデー。
 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬ日ですよ?」
 「〜〜〜〜私がお前を蹴り殺してやりたい!!」
 リンクの呪いを、アレンは鼻で笑う。
 「今、僕が死んだら困るのはリンクですよねェ〜?」
 「っ拷問してやろうか、このクソガキ!!」
 リンクが怒声を上げた瞬間、アレンの目がきらりと光った。
 「・・・っひどい!
 リンクったら拷問するだなんて!僕何も知らないのに、拷問だなんて!拷問するって!!」
 悲しげに装った大声で『拷問』を繰り返すアレンに、城内を行き交う団員達が足を止め、リンクに非難の目が集中する。
 「んなっ・・・?!この・・・!!」
 口を塞ごうとするリンクの手をかいくぐり、アレンは更に喚きたてた。
 「えーん!
 リンクに拷問されちゃうよー!地下牢にぶち込むって、酷いー!!」
 「喚くなウォーカー・・・そんな目で見るんじゃありませぇんっ!!」
 二人を囲むように足を止めた団員達に怒声を上げ、リンクはアレンのネクタイを引く。
 「私が本気でくびり殺す前に黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 怨念に満ちた声を囁かれたアレンは、途端に反抗をやめた。
 悄然と肩を落とし、おとなしくなったアレンに同情の目が、リンクには非難の目が降り注いだが・・・リンク自身は、アレンが俯けた顔ににんまりと笑みを浮かべていることに気づいていた。
 「この性悪が・・・ッ!!」
 「このくらいでないと、伯爵と戦ってなんかいられませんよv
 リンクにだけ聞こえるほどの小さな声で、アレンは得意げに囁く。
 「もっと騒ぎます?」
 クスクスと楽しげな笑声をあげる悪魔を、リンクはきつく睨みつけた。
 「約束は守るのですよ?!」
 「約束を破ったことなんかないじゃないですか、僕v
 いけしゃあしゃあと言ってのけた悪魔に、リンクは忌々しげな舌打ちを漏らし、未だ非難の目が集中する中、アレンを連行する。
 そしてそれらの目がなくなった途端、
 「あははははv
 リンクの評判ってば、下落の一方♪」
 悪魔は楽しげな笑声をあげた。
 「でも、評判なんて気にしないのが監査官ですもんねー?
 むしろ、『冷酷でやな奴』ってイメージができた方が都合いいんでしょ?」
 「・・・どこまで腹黒いんですか、君は!」
 「人を貶めるの、得意ですよ、僕v
 「そんなこと得意げに言うな!!」
 怒りと共に書庫室のドアを蹴り開け、リンクはアレンを放り込む。
 「あんまり調子に乗ると、本当に拷問しますよ?!」
 「べー!
 反撃してやるっ!!」
 思いっきり舌を出したアレンは、『でも』と、にっこりと笑った。
 「できませんよねぇ〜?
 ブックマンが言ってたもん。
 狡兎死して走狗烹(に)らるって言うけど、敵がいる間は僕ら必要だから、殺されることはないってv
 「・・・クソジジィが余計なことを!」
 忌々しげに舌打ちしたリンクは、しかし、ふと気づいて、口の端を曲げる。
 「確かに・・・君が教団に対し、忠実で従順な猟犬であれば問題はない。
 しかし、今の君は裏切り者の疑いがかけられているのですよ?」
 「・・・あー・・・そーでしたねー・・・・・・」
 気まずげに笑みを引きつらせたアレンに、立場の逆転したリンクが笑みを深めた。
 「以後、君があまりにも反抗的なようでしたら、遠慮なくいぢめてやることにしましょう・・・v
 腕が鳴る、と、楽しげに言ったリンクに、はた、と、アレンが瞬く。
 「そーだ!
 リンク、リーバーさんのことを報告した後、ミランダさんに会いました?!」
 「なにをいきなり・・・」
 「会ったんですか?!」
 畳み掛けられて、リンクは首を振った。
 途端、アレンはにんまりと笑う。
 「なっ・・・なんですか・・・!」
 再び優位に立ったアレンは、クスクスと笑声をあげた。
 「ミランダさん、怒ってるかもしれないよ?
 なんたって・・・・・・」
 思わせぶりに言葉を切ったアレンに、リンクが詰め寄る。
 「はっきり言いなさい!」
 「どーしよーかなー?」
 楽しげな笑声をあげながら、アレンは壁の時計を示した。
 「お昼に時間くれる?」
 「このっ・・・!!」
 怨念にまみれた気を発して、リンクはアレンの胸倉を掴む。
 「クゥ〜ソォ〜ガァァァキィィィィィ!!!!」
 「そんなこと言うなら教えなーぃv
 えへvと、いたずらっぽく笑うアレンを、リンクは忌々しげに突き放した。
 「本当に君は、悪魔のような・・・」
 「だって僕、師匠の弟子ですからv
 開き直ったアレンの言い様に、リンクは目を眇める。
 「近頃とみに思うのですが、君の腹黒さはクロス元帥の影響と言うより、君自身の性格ではありませんか」
 「そんなことありませんよv 師匠のせいですv
 それより、と、行儀悪くデスクに座ったアレンは、再び時計を示した。
 「どうします?」
 「・・・・・・時間を取って、何をするつもりですか」
 それによる、とリンクが言うと、アレンはぽっと染まった頬に手を当てる。
 「リナリーにバレンタインの贈り物ですv
 「・・・腹黒いくせに気色の悪い照れ方をしないで下さい」
 鳥肌を立てて身を引いたリンクに、アレンが頬を膨らませた。
 「僕、可愛さには自信があるんですよっ!ミランダさんにも好評です!」
 アレンが得意げに胸を張ると、リンクが悔しげに顔を歪める。
 「マンマがこんなクソガキにだまされているなんて・・・・・・!」
 「さっきも、リンクが失敗したおかげで僕の株上がったしv
 きっと、『お願い』も快く引き受けてくれる・・・」
 「今なんと?!」
 「ほえ?
 ミランダさんが、僕のお願い・・・」
 「違う!その前だ!!」
 詰め寄られて、アレンは『あぁ』と、意地の悪い笑みを浮かべた。
 「最初からリーバーさんを疑ってたから、勘違いしたでしょ、リンク?
 あの写真ね、リーバーさんのコイビトは、従妹のエリザベスさんじゃなくて、コアラのエリザベス嬢だったんですよv
 「・・・コアラァッ?!」
 目を丸くして叫んだリンクに、アレンはにこにこと笑って頷く。
 「ハイv
 ついでに言うと、従妹のエリザベスさんはもうすぐご結婚だそうで、今回の手紙はその報告と、ぜひとも式には参加するようにって内容だったそうですv
 「し・・・失敗・・・私・・・が・・・・・・」
 自分の言葉でリンクが呆然となる様が楽しく、アレンは機嫌よく足を振った。
 「まぁ、『失敗』したけどそんなにがっかりしないで、リンクv
 君が『失敗』したおかげで、すごく落ち込んでたミランダさんに、『リーバーさんを信じてください』って言った僕の株は上がったし、リーバーさんとミランダさんも、もっと仲良くなったみたいだし?
 雨降って地固まる、って言うんですっけ、こういうの?
 リンクの『失敗』も無駄じゃなかったんだよ、きっとv
 殊更に『失敗』という言葉を並べ立ててリンクの胸を抉りつつ、アレンは小首を傾げる。
 「まぁ、そう言うわけだから、僕がミランダさんにちょっと無茶なお願いしても、快く引き受けてくれると思うんだv
 「マンマに・・・何をお願いするというのです・・・・・・!」
 惨い言葉に痛めつけられ、瀕死のリンクが喘ぎつつ問うと、アレンは窓の外を示した。
 「コムイさんの目をごまかすために、リナリーへの贈り物は指定の場所へ置いておくことにしたんです。
 でも、僕がそこに置くのを見られたら台無しでしょ?
 だから・・・」
 「そんなくだらないことを、マンマにさせるというのですか・・・」
 呆れ果てて深々と吐息するリンクに、アレンが唇を尖らせる。
 「くだらなくないですよ!こっちは命がけなんですから!」
 「命かけなきゃいけないようなことを、戦場の外でやるんじゃありませんよ、エクソシストがっ!」
 怒鳴られて、アレンは頬を膨らませた。
 「そりゃそうですけど・・・戦いばかりの人生なんて、むなしいじゃないですかぁ・・・・・・。
 僕まだ、15歳ですよ?」
 「・・・15歳でここまで腹黒いのもどうかと思いますが」
 15歳のくせにしみじみと呟くアレンに、まだ19歳でしかないリンクは重いため息をつく。
 「とにかく、そのようなことでしたら、わざわざマンマのお手を煩わせるまでもなく、私が運びますよ」
 「え?いいんですか?」
 アレンが意外そうに言うと、リンクは眉を吊り上げた。
 「その代わり、君は私の任務が終わるまで従順でいなさい!」
 「それは無理・・・2日じゃダメ?」
 「・・・ナメてんですか、ウォーカー!」
 むにーと、両頬を引き伸ばされて、アレンが泣き声を上げる。
 「っわかりましたよ、もう・・・!
 じゃあ、僕の用意したプレゼントに、チョコレートケーキをつけてくれたら3日我慢してあげます!」
 「10日!」
 「・・・・・・4日」
 「それで譲歩したつもりですか、ウォーカー!!
 私はコムイ・リー室長に、このことを報告してもいいのですよ?!」
 「わっ・・・わかりました!!
 い・・・一週間・・・・・・」
 コムイの名に慌てふためいたアレンが、うな垂れつつ提示した日数に、リンクは鼻を鳴らした。
 「それで良しとしましょう。
 期間内に、なんとしても全部吐かせますから、そのつもりで」
 ぽきぽきと指を鳴らし、時計を見遣る。
 「昼までにはもう少々時間がありますね。
 早速、取調べを始めましょう―――― 『従順な』アレン・ウォーカー?」
 凄味のある目で見下ろされ、アレンは笑みを引きつらせた。


 「あら?
 アレン君は?」
 クロウリーの手伝いを終え、ミランダと一緒にランチタイムで賑わう食堂に入ってきたリナリーは、一人でつまらなそうに食事しているラビに声をかけた。
 「さぁ?
 どうも、リンクと書庫室にこもってるみてーだけど」
 「そう・・・あの子、アレン君をいじめていなければいいけど・・・」
 気遣わしげに呟いたミランダは、ふと、首を傾げる。
 「ラビ君は誰にいじめられたの・・・?」
 「すごいボロボロ・・・」
 呆れる二人に、ラビは切なく吐息した。
 「クラウド元帥が、あのスケベオヤジにべたべた触られてカワイソーだったから、消毒用に『ハンガリー王妃の水』をプレゼントしたんさ・・・」
 「なのに・・・いじめられたの?」
 まさか、と、眉をひそめるミランダの隣で、リナリーが笑みを引きつらせる。
 「ラビ・・・もしかしてまた・・・・・・」
 「俺はただ純粋に、消毒すんのを手伝おうとしただけなんさ!!
 なのに・・・一緒にお風呂ーv っつったら、血反吐はくまで鞭でしばかれちった・・・」
 「自業自得!」
 二人にまで怒鳴られ、ラビは泣きながらテーブルに突っ伏した。
 「なんでこのピュアなキモチをわかってくんないんさー・・・・・・」
 「どこがピュアだよ・・・」
 「ホント・・・」
 「マンマにお聞き苦しいことを言うのはやめなさい!」
 「わっ!びっくりした!」
 突然現れたリンクに、三人が三人とも声をあげる。
 「失礼、マンマ!
 先程は私の調査が至らず、マンマのお心を惑わせてしまい、大変申し訳なく思います!」
 敬礼せんばかりに背筋を伸ばし、声を張り上げるリンクに、ミランダは優しく微笑んだ。
 「いいのよ・・・お前達はお前達で、一所懸命にやってくれたのだから・・・」
 「恐縮です・・・!」
 遺憾にたえない様子で深々とこうべを垂れたリンクは、再び背筋を伸ばすと、ミランダにケーキを差し出した。
 「お詫びと申しては粗末ながら、本日のデザートを作ってまいりましたので、どうぞお召し上がりください!」
 「いいなー・・・おいしそう」
 艶やかな光沢を放つチョコレートケーキにリナリーが目を輝かせると、リンクが冷たい視線を投げかける。
 「君の分は別に作っています、リナリー・リー。
 花と一緒に指定の場所に置いていますので、取りに行きなさい」
 「指定って・・・リンク監査官が運んでくれたんですか?」
 意外そうに目を見開くリナリーに、リンクは鼻を鳴らした。
 「交換条件ゆえです」
 どんな、というリナリーの問いには答えず、リンクは窓の外を顎でしゃくる。
 「さっさと行ってはどうですか。
 人気はありませんでしたが、動物は随分いましたのでね。
 マンマのケーキのあまりもので作ったとはいえ、私のケーキはおいしいですから、動物を引き寄せないとも限らない」
 澄まして言ったリンクに、リナリーは笑みを引きつらせた。
 「そうですかv
 あまりものでわざわざ作ってくださって、ありがとうございますv
 「どういたしまして」
 リナリーの嫌味を、リンクは柳に風と受け流す。
 「・・・リンク監査官、私のこと、嫌いでしょ?」
 リナリーが睨みつけると、リンクはまた、鼻を鳴らした。
 「あれだけ私の任務を邪魔しておきながら、好かれていると思っていたのですか?
 自信過剰の小娘ガ」
 「リナ!!リナストップ!!」
 「マユゲ!そんなこと言っちゃダメでしょう!!」
 こぶしを震わせるリナリーをラビが止め、ミランダがリンクを叱り付ける。
 「と・・・とにかく、ケーキはあまりもんでも、花とプレゼントはアレンからだから!
 早く取りに行くさ!な?!」
 ラビに促され、憤然と食堂を出て行ったリナリーを見送り、ミランダは肩をすくめた。
 「まったく・・・なぜお前は、リナリーちゃんに意地悪するの!」
 「彼女がウォーカーや、そこのラビと組んで私の任務を邪魔するからです、ママン」
 叱られて、悲しげな上目遣いで言い訳するリンクに、ミランダはため息をつく。
 「お前がもっとアレン君に親切にしてあげてたら、リナリーちゃん達だって邪魔はしないのよ?」
 そうよね、と、同意を求められたラビは、あさっての方向を向いて口を濁した。
 「と・・・とにかく・・・!」
 説教に失敗したミランダは、慌てて言い募る。
 「女の子に酷いことを言ってはいけません!」
 「は・・・しかし・・・」
 「いいわね?」
 「はい・・・・・・」
 ミランダには逆らえず、リンクは叱られた子犬のように、しょんぼりと肩を落とした。


 「なによ!
 二股マユゲのホクロ二つ!」
 指定の場所へ向かいながら、リナリーはリンクへの不満をぶちまけた。
 「なんであんなに意地悪なの?!
 リンクなんて糖尿病発症して、好きなもの食べられなくなっちゃえばいいよっ!!」
 落ち葉を蹴飛ばしつつ、リナリーは塔の裏庭に入る。
 そこには人気どころか、監視ゴーレムさえ飛んでいなかった。
 朝霧はとうに晴れたものの、曇り空の下、全てが灰色に染められた景色の中で唯一、柔らかな花弁が艶やかな色を灯す。
 「わぁ・・・・・・」
 淡いピンクのバラの花束は、同色ながら幾種類もの花容が微妙なグラデーションを描いて、とても可愛らしかった。
 駆け寄り、花束を抱きしめたリナリーが、花弁の間にひっそりと差し込まれたカードを広げると、見慣れた文字が嬉しい言葉をつづっている。

 ―――― Happy Valentine.
 With the faith and all my heart.

        信頼と心を込めて ――――。

 「・・・こんなことを、誰にでも普通に言っちゃうから、みんな誤解するんだよ。
 でも・・・・・・」
 くすくすと笑声をあげ、リナリーはカードを大事にしまった。
 「花をもらえたのは私だけだよねv
 戦いの幕はまだ、上がったばかりとわかってはいたが・・・リナリーはここにはいないライバルに向けて、不敵に笑う。
 「彼は渡さないよ・・・」
 ぎゅっと抱きしめた花束が、幕開けのファンファーレのように華やかに香った。


 ――――・・・その後、数時間経っても戻ってこないリンクに痺れを切らし、アレンは書庫室を出た。
 食堂に向かうついでに自室を覗くと、真紅と純白のバラの花束が一つずつ、ベッドの上に置かれている。
 「あれ?
 一つはリナリーとしても・・・もう一つは誰だろ」
 花束を取り上げ、カードを探せば、確かに純白のバラとそれに添えられた箱は、リナリーからの贈り物だった。
 しかし紅いバラには、送り主を示すようなものは何もない。
 「ジェリーさんかな?それとも・・・・・・リンク宛?」
 呟いて、アレンはくすりと笑声を漏らした。
 「あの陰険監査官に、それはないよね!」
 蝋花がそっと置いていったものだとは思いもせず、アレンは紅いバラをベッドに戻し、白いバラに添えられたプレゼントの箱を開ける。
 「シルバーリンクだv
 工芸に関しては、兄と同じく相当な腕前を発揮するリナリーの精緻な細工に感心しつつ、ふとリングの裏を見ると、文字が刻んであった。

 ―――― With all my heart.

 慣用句とは言え・・・同じ言葉を添えた偶然に、アレンは楽しげに笑い出す。
 「気が合いますね♪」
 指にもぴったり、と、満足げに笑って、アレンは部屋を出た。
 食堂に入ると、入口のすぐ近くで、リナリー達がアレンに手を振る。
 リングをはめた手を振り返し、アレンは彼女達の席に駆け寄った。
 「ねぇ、リンク知りません?出てったきり、帰ってこないんですけど」
 アレンがさりげなく、リナリーの目にリングを触れさせつつ問うと、彼女は微笑んで首を振る。
 「知らないよ?
 ミランダとお茶してたんじゃないの?」
 リナリーが隣に座るミランダに首を傾げると、彼女もふるふると首を振った。
 「ケーキを置いたら、すぐに帰ってしまったわ。
 ちょっと厳しく叱りすぎたかしら・・・随分としょげていたし・・・」
 心配そうな表情を浮かべた頬に、ミランダが手を当てると、ラビが笑って肩をすくめる。
 「あのくらいでへこむリンクじゃないさ。
 でも・・・監視対象のお前んとこに戻ってこないってのは変さね」
 ラビがアレンを見遣ると、彼も大きく頷いた。
 「何かあったのかな・・・せっかく、1週間は従順でいる、って言ってあげたのに」
 肩をすくめたアレンに、三人が顔を見合わせて笑う。
 「交換条件って、それなんだ!」
 「ハイ。
 ケーキ作りと運び役を頼む代わり・・・に・・・・・・」
 言いかけて、アレンははた、と、言葉を切った。
 「アレン君?」
 「どうしたの?」
 きょとん、とするリナリーとミランダの前で、アレンが目を見開く。
 「まさ・・・か・・・・・・」
 傍らのラビを見遣ると、同じことに思い至ったのか、彼もまた、蒼い顔をしていた。
 「〜っだから見つからないように行けって、言ったのに・・・・・・・・・!」
 「あいつがドーブツだと思ってたもんって、もしかしたら監視ゴーレムだったんかもな・・・」
 苦笑しながらラビは、顔を覆って俯いたアレンの肩を、慰めるように叩く。
 「とりあえず・・・探しに行くさ?」
 「今ならまだ、息があるかもしれませんしね・・・・・・」
 死なれたら目覚めが悪い、と、二人は事情を飲み込めない女性陣の前で、よろよろと立ち上がった。


 その頃、即席花屋の片付けを終えたクロウリーは、慣れない車椅子を操って、城内をさ迷っていた。
 「まったく・・・!
 バリアフリーにしておくであるよっ!!」
 目の前に現れた階段に、今日何度目かの苛立ちを吐く。
 「あぁ、もう・・・いつになったら食堂に着くであるか!!」
 いくつめかの迂回路を取り、滅多に立ち寄らない回廊を進んだクロウリーは、暗い石床に転がった何かに気づかず、車輪を乗り上げてしまった。
 「あぶっ・・・あぶーっ!!!!」
 車椅子ごと転びそうになった身体を慌てて水平に戻し、踏み越えた何かを返り見る。
 「一体なにが転がって・・・・・・」
 ぶつぶつとこぼしつつ、闇を透かして見遣ったものに、クロウリーは息を呑んだ。
 「お前確か、リンクとやら・・・だっ・・・大丈夫であるかっ?!
 まっ・・・まさか、私が轢いてしまったであるかぁぁぁぁぁっ?!」
 ぎりぎりまで車椅子を寄せてよく見ると、リンクの額にはくっきりと、車輪の跡が刻まれている。
 「うわあああああああああ!!
 しっ・・・しっかりするである!!傷は浅いであるぅぅぅぅぅぅ!!!!」
 が、クロウリーの絶叫にも、リンクはぴくりとも動かなかった。
 「誰かッ!誰かあるぅぅぅぅぅぅ!!!!」
 クロウリーが必死に呼びかけると、間もなくリンクを探していたアレンとラビが駆けつけてきた。
 「ひぇ・・・リンク、生きてるさ?」
 「どうでしょう・・・白目むいてますし」
 深刻な顔を見合わせる二人の傍らで、クロウリーが引きつった声をあげる。
 「わっ・・・わっ・・・私が轢いてしまったでのあるっ!!
 なんっ・・・なんということをっ・・・・・・!!」
 真っ青になって慌てふためくクロウリーに、しかし、二人は冷静に首を振った。
 「殺ったとしたら・・・」
 「コムイさんです・・・・・・」
 二人はリンクの両脇を抱え、見事にシンクロした動きで手を上げる。
 「じゃ!こいつは俺らが病棟に連れてくから!」
 「クロウリーは、気にせずご飯でも食べてて下さい!」
 「いや・・・そうは言われても・・・・・・」
 「いいから!」
 クロウリーの反駁を笑顔で制し、二人は揃って踵を返した。


 リンクが意識を回復したのはそれから1週間後―――― 頚動脈から注入されたらしい、強力な麻酔の効果が切れた後のことである。
 「下手すりゃ死んでたね」
 誰にやられたか、という、記憶すら失ったリンクに、ドクターは淡々と告げた。
 「リンク監査官。
 中央に所属する君が、知らなくても無理はないのだがね・・・」
 ため息交じりの声に反応して、リンクはまだぼんやりとした頭をドクターへ向ける。
 「リナリーに手を出そうとした男はみな、闇に葬られるのがここの常識だ・・・・・・覚えておきたまえ」
 「私はあんな小娘に手なんか出していないし、出そうとした覚えもない・・・!」
 闇に葬られそうになったリンクは、持てる気力を振り絞って反駁した。
 「それ・・・よりも・・・ウォーカー・・・!
 あのクソガキは・・・・・・!!」
 あいつのせいで、と、恨みに満ちた声をあげるリンクに、ドクターは肩をすくめる。
 「ウォーカーなら、今朝まで君に付き添っていたよ。
 でも・・・『今日で従順期間は終わり』だって、ついさっき出て行ったね」
 「んな・・・っ!!」
 がばぁっと、飛び起きたリンクは、酷いめまいに襲われて、再びベッドへ倒れこんだ。
 「まだ、麻酔は完全に抜けてないようだ」
 暢気に呟くドクターを、霞む目で睨みつつ、リンクは悔しげに歯を食いしばる。
 「あのクソガキ・・・・・・絶対異端審問にかけてやるぅ・・・っ!!!!」
 怨嗟に満ちた絶叫は、2月の冬空に高らかに響いた。



Fin.

 










2008年バレンタインSSでございます♪
リクエストNo.20『リナリーvs蝋花・女の戦い』を使わせてもらいました!
このリクエストをしてくれたのはかいんさんなので、
『多分、彼女のことだから、リナと蝋花と言いつつ、ミランダさんを出して欲しいと思ってんだろうなぁ。クロちゃんを出すと喜ぶんだろうなぁ』
なんて考えつつ書いていました(笑)
途中まではもっと、どろどろしたカンジになっていたんですが、この二人はまだ、正面きって戦うほど親しくないしな、と思い直し、途中から書き直しています。>だから余計に時間食っちゃった;;
ともあれ、喜んでいただければ幸いですv












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