† Round and Round U †
†このお話は名探偵コナンを元にしたパラレルです† D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。 頭を空っぽにして読んでくださいね |
8月に入って、一週間目の朝。 「ジジィー!朝だぞー!」 ラビは、階下から二階に向けて呼びかけたが、祖父の返事はなかった。 「おーぃ、ジジィー!」 朝からせわしなく鳴くセミの声に負けじと声を張り上げると、寝起きで不機嫌な顔をしたブックマンが、ぶつぶつとこぼしながら階段を下りてくる。 「全くやかましい小童じゃの!せっかく気持ちよく寝ておったというのに!」 「ったく、年寄りのクセになんでそんなに朝が遅いんさ!」 「ふんっ! まだまだ若いもんにゃ負けんわい!」 ラビの生意気に鼻を鳴らしたブックマンは、しかし、すぐに訝しげに眉根を寄せた。 「お前・・・学校もないのに早起きとは、珍しいではないか」 しかも朝食の用意まで済んでいる、と、不思議そうにテーブルを見たブックマンは、そこに突っ伏すアレンを見つけ、ますます眉間の皺を深くする。 「徹夜か」 「だーって、アレンがトロいんだもんさ! 数式くらい、1秒で覚えろっつーんさね!」 惨い言葉に、しかし、いつもならすかさず反駁する少年が、ものも言えずに倒れ伏したままだった。 「けど、宿題は全部終わらせてやったかんね これで残りの夏休み、全部遊べるさ 「全く・・・そのようなことだけは熱心だの・・・」 呆れた風に肩をすくめ、ブックマンはテーブルに着く。 「ほれ! テーブルで寝るでないわ!」 びしっ!と、むこうずねを蹴られて、アレンが微かな悲鳴をあげた。 が、起きるにはいたらない彼に、ラビも苦笑する。 「こいつは後で、ソファにでも転がしとくさ。 それよりジジィ、俺をクロちゃんに紹介してくんね?」 「クロちゃん・・・?」 誰、と呟きかけたものの、さすがにすぐ思い至った。 「なにを企んでおるのだ」 「美人妻っ・・・イヤイヤ、ジジィ同士が仲良しだったんさ! きっと美人妻っ・・・イヤイヤ、孫同士も仲良くなれると思って 「見え透いた言い訳するでないわ!!」 叱声と共に鋭く投げつけられた湯飲みが、ラビの額を割る。 「可愛い孫になにすんさっ!!」 「お前のようなアホ、可愛いわけがあるか!」 「ちょっ・・・泣いてい?!俺、泣いてい?!」 既にぴぃぴぃと泣き声をあげるラビに、ブックマンは鼻を鳴らした。 「まったく、いつまでも落ち着かん小童じゃ! いい加減、子供じみた言動はやめんか!」 ぶつぶつと説教を垂れつつ、ブックマンは、ポケットから出した薬瓶をテーブルの上に置く。 「あれ・・・? それ、コムイが持ってきた奴?」 額から滴る血を拭いつつ聞いたラビに、ブックマンが頷いた。 「成分分析をしたところ、特に怪しい物質は検出されなかったのでな。 そろそろ飲んでみようかと」 「ふぅん・・・」 興味深げに薬瓶を見つめるラビに、ブックマンは眉根を寄せる。 「やらんぞ」 「けちジジィ!!」 すかさずラビが毒づいた時、電話のベルが鳴って、彼はそれ以上の文句を封じられた。 「あい、もしもし・・・あ、リーバー、おはよーさん。 なに?ジジィ?ちょっと待ってさ」 やや不満そうに応対したラビから受話器を受け取り、ブックマンは小首を傾げる。 「なんじゃ、朝っぱらから。 コムイがやらかしたと言う、爆破事故の処理は終わったのか? ・・・ちょっと落ち着け。 そんな大声で言われんでも、耳はよう聞こえておる」 顔をしかめたブックマンが、通話に集中し出した隙に、ラビは素早く薬瓶を手中に収めた。 「1回3粒っと」 こそこそと錠剤を取り出し、急いで口の中に放り込むと、水で一気に飲み下す。 「なんか、胃薬っぽい味・・・さ・・・・・・っ?!」 言う間に、胃の辺りが熱くなり、その熱は急速に全身へと広がっていった。 『じゃあまだあの薬、飲んでないんすね?! よかった、今すぐ化学処理班向かわせますんで、それ以上触らないでくださいよ! あのヤロウ、とんでもない薬を作りやがった!!』 受話器から漏れ聞こえるリーバーの声を、ぼんやりと聞いているうちに、眩暈までしてくる。 「一体あやつは、なんの劇薬を持ち込んだのだ?」 ブックマンの緊迫した声に、ただ事ではないことを察したのも一瞬、ラビの視界はブラックアウトした。 『あのヤロウ・・・!』 もう、リーバーの声も聞こえない。 『遺伝子プログラムをダイレクトに攻撃する劇薬作りやがったんです!!』 リーバーの怒号に重なった大きな物音に、ブックマンは驚いて振り返った。 「リーバー・・・・・・」 テーブルの下に昏倒した孫を見下ろし、ブックマンは乾いた声をあげる。 「化学処理班と共に、専門の臨床医師も手配してくれるかの・・・・・・」 変わり果てた姿で床に伸びる孫を見つめ、ブックマンは深々と吐息を漏らした。 周りの喧騒に目を覚ました時、アレンは、ソファの上に寝そべっていた。 「なに・・・?」 寝起きの、ぼんやりとした目で周りを見回せば、白衣姿の科学者達が、幾人も慌しく行き交っている。 「ほぇ・・・リーバーさん?」 目をこすりつつ、見知った顔に声をかけると、厳しく表情を引き締めたリーバーが、アレンを振り返った。 「よ、久しぶり」 それだけ言うと、またすぐに他の白衣との話に戻った彼に、アレンは小首を傾げる。 「えっとー・・・?」 誰か事情を教えてくれそうな人間はいないだろうかと、辺りを見回したアレンの目の前を、パタパタと子供が通り過ぎて行った。 「・・・・・・・・・・・・」 無言でその襟首を掴むと、子供はわたわたと暴れ出す。 「なにすんさ!放すさ!放すさぁぁぁぁ!!」 「・・・・・・この顔、この口調、この赤毛・・・・・・!」 ぷにっと、両手で柔らかな頬を挟むと、子供は更にわたわたと手足をばたつかせた。 「ラビ?!」 大声をあげたアレンに、白衣達の視線が一斉に集まる。 「そんな馬鹿な・・・!!」 真っ青になって震えるアレンに、白衣達が表情を厳しくした。 その中から進み出たリーバーが、気まずげに顔を歪める。 「ア・・・アレン、これは・・・」 なんと言うべきか、迷っている彼の眼前で、アレンが悲鳴じみた声をあげた。 「18にして隠し子がいたなんて!!」 愕然とするアレンの周りで、科学者達は愕然と顎を落とす。 「一体いくつの時の子供ですか! 年上好きなのは知ってたけど・・・ラビのスケベ!!」 「をぃぃぃぃっ!!!!」 アレンの手を振りほどき、猛然と抗議の声をあげる子供を、リーバーがすかさず抱き上げた。 「アレン、違うぞ! こいつはラビの隠し子なんかじゃなくて・・・」 子供の口を塞いで、なんと説明したものか困惑するリーバーの言を、ブックマンが継ぐ。 「私のひ孫で、ミッフィーだ」 「ミッ・・・?!」 絶句した人々の中で、一人平然とした老人は、大きく頷いて続けた。 「夏休みで遊びに来たのだよ。 そうだな、ミッフィー?」 抗議の声をふさがれて、猛然と暴れていた子供は、再度言われて渋々頷く。 「なんだ、びっくりした・・・ひ孫がいたんですね、おじいちゃん」 えへ、と、照れ隠しに笑うアレンへ、ブックマンはなんでもないことのように頷いた。 「ミッフィーは遠くに住んでおったでな。 中々こちらには来れなんだが、ようやく一人で電車に乗れる年になったようじゃ」 「へぇー!一人で来たんだ、ミッフィー君! 偉いねぇ」 リーバーに抱かれたまま、アレンにわしゃわしゃと頭を撫でられて、子供は憮然と口を尖らせる。 「遠くって、どこから来たの?」 あからさまに子供向けの笑顔を向けてくるアレンから、ミッフィーは忌々しげに顔をそむけた。 「・・・ユトレヒト」 「それ・・・電車で来れる場所だっけ・・・?」 思わず声を詰まらせたアレンから、リーバーは慌ててミッフィーを引き離す。 「ア・・・アレン、今日は取り込んでっから、一旦うちに帰んな!」 「うん・・・ところで、ラビは?」 途端、ぎくりと強張った科学者達の顔を、アレンは不思議そうに見回した。 と、 「あのアホ、クロウリー家の美人妻に紹介しろとやかましくてな。 朝から美術館へ出かけてしまったぞ」 平然と言ったブックマンに、アレンは納得顔で頷き、科学者達はあからさまにほっとした表情を浮かべる。 「じゃあ僕も、美術館に行ってみようかな」 「いや、やめておけ。 まだ展覧会自体は開催されておらぬし、準備で忙しい中、子供が二人も邪魔しては、先方に迷惑だ」 「そうっ・・・!それよりも!!」 ほとんど悲鳴となった声をあげて、リーバーは引き攣った笑みを浮かべた。 「料理長んトコにいかねぇか、アレン?!」 「ジェリーさん?なんで?」 首を傾げるアレンに、リーバーが畳み掛ける。 「新メニューの試食して欲しいっつってたぜ?!」 「ホント?!行く!!」 たちまち顔を輝かせ、アレンはこぶしを握った。 「そ・・・そか!! じゃあ、連絡しといてやるから行ってきな!展覧会よか、ずっと楽しそうだろ?!」 「うんっ!!ありがとう、リーバーさんっ!!」 歓声をあげて部屋を出て行くアレンの背を見送り、リーバー始め、科学者達が一斉に安堵の吐息を漏らす。 「バレなくてよかった・・・・・・!」 「こんな薬品の存在が知れたら、一大事だからの」 心中察する、と、ブックマンに慰められ、リーバーはうな垂れるように頷いた。 「クッソジジィ!! 誰がミッフィーさ!!」 白衣の科学者達に囲まれ、次々と施される検査を受けながら、子供へと姿を変えたラビは絶叫した。 しかし、ブックマンは孫の怒声をさらりと聞き流して、検査を指揮するリーバーを見上げる。 「どうかな?」 「血液検査の結果が出るまでは、まだなんとも。 大至急で手配させてはいますが・・・」 「って、何リットル抜けば気が済むんさ! 干からびるっ!干からびるー!!!!」 更に血を抜こうとする科学者達から逃げ惑いつつ、ラビが悲鳴をあげた。 「これ以上抜かれたら俺、解毒薬ができる前に失血死しちゃうさっ!」 「・・・元気じゃねぇか」 呆れ声で呟いたリーバーは、ちょろちょろと部屋中を駆け回るラビの襟首を掴んで持ち上げる。 「この元気なら、あと何リットルか抜いても大丈夫そうだな。 殺さない程度にサンプル取っとけ」 「はい!」 「リーバーの鬼ぃぃぃぃぃ!!!!」 悲鳴をあげるラビを部下に渡すと、リーバーはまた、書類に目を落とした。 「検査の結果が出次第、ブックマンには報告させてもらいます。 結果のいかんによっては、ラビは研究所で預かることになるかもしんないっすけど・・・」 「嫌さ!! これ以上お前らに好き勝手いじられてたまるか!!」 死んじゃう!と、血を抜かれる度にラビが悲鳴をあげる。 「・・・アレンにはもう、ひ孫だと言うておるしな。 他の者らにも同じ説明でよかろう」 自宅に置いておく、というブックマンに、リーバーは苦笑交じりに頷いた。 「了解しました。 じゃあ、もしラビの容態が急変しましたら、救急車でなく、研究所に連絡してください」 「心得た」 あっさりと頷いたブックマンは、とうとうソファに伸びてしまったラビに苦笑を向ける。 「はよう治してくれよ」 うるさくてかなわん、と、肩をすくめた元所長に、かつての部下達は深々とこうべを垂れた。 ―――― 翌日。 展覧会を明日に控え、遅くまで作業をしていたスタッフの元へ、件の絵が届けられた。 有名すぎる絵の到着に、興味を引かれたスタッフ達が次々と集まってくる。 中でも、かつて自身の手中からこの絵を奪われたティエドールの興味は並々ならず、夫人が手にしたそれを目にした途端、彼はボロボロと涙を零した。 「あぁ、ようやく・・・・・・!」 声を詰まらせた上司へ、大柄な男が気遣わしげに手を差し伸べる。 「大丈夫ですか、師匠・・・?」 「あぁ、ありがとう、マリ・・・!」 彼の手をやんわりと押しのけ、涙を拭ったティエドールは、改めて絵を見つめた。 「間違いない・・・間違いないよ、この絵だ・・・」 「この絵を届けてくださったご老人も、同じことをおっしゃってくださいましたわ」 甘い声で言った夫人に、ティエドールは何度も頷く。 「ブックマンの目は確かです・・・信頼の置けるご老人ですよ」 「そのようですわね」 にこりと笑って、彼女は絵をティエドールに差し出した。 「早速で申し訳ないのですけど、展示に耐えうるかどうか、見ていただけます? 修復が必要なら、緊急でやっていただきたいの」 できれば明日には展示したい、と続けた妻に、傍らのアレイスターが困惑げに眉根を寄せる。 「そう、無理を言うものではないよ、エリアーデ。 彼らはまだまだ忙しいのだから・・・」 しかし、アレイスターの言を遮ったのは、エリアーデの反駁ではなく、ティエドールの手だった。 「むしろ、こちらからお願いしたいくらいですよ、アレイスター卿。 この絵が奪われた責任の一端は、私にもある。 最優先で診させてもらいますとも・・・マリ!X線の準備を。 警備員も何人かついて来ておくれ」 エリアーデの手から、慎重に絵を受け取ったティエドールは、自ら別室へと運んでいく。 その背が完全に見えなくなってから、エリアーデは傍らの夫に囁いた。 「・・・大丈夫ですの、あなた? あの絵が奪われたのは、あの方にお預けしていた間のことなんでしょう? また、同じことになるんじゃ・・・・・・」 悩ましげに眉をひそめる妻の肩を抱き、アレイスターは安心させるように微笑む。 「彼はこの国一番のキュレーターであるよ。 美術品を預けるのに、彼以上の人材はいないのであるし、なにより・・・」 と、アレイスターは信頼をこめて笑みを深めた。 「同じ失敗を繰り返さない人である」 「・・・・・・そうですわね」 彼の胸にもたれて、エリアーデが微笑む。 「私はあの方のことを、信頼できるほどには知りませんけど、あなたのおっしゃることでしたら信じられますわ」 「本当にあなたは・・・できた妻であるな・・・!」 感動のあまり、声を詰まらせる夫にエリアーデはあでやかに微笑み、場を考慮しない仲睦まじさにあてられたスタッフ達は、真っ赤になった顔をそむけて、それぞれの作業に没頭した。 「ほほぅ、間に合ったのじゃな・・・」 9日の朝、地方ニュースを見ていたブックマンは、ここ数日ですっかり馴染んだクロウリー夫人の、あでやかな笑顔を見た途端、感嘆の声をあげた。 「警察って、こんなに早く返してくれるもんなんさねー」 ソファに祖父と並んで座ったラビが、いつもよりずいぶん低い場所からテレビを見上げて呟く。 と、ブックマンは軽く肩をすくめた。 「私も口添えはしたが、あの夫人がかなり強く警察に要望したらしい。 美しいが、か弱くはないようだな」 ブックマンの指摘を裏付けるように、テレビ画面の向こうでは、エリアーデが勝利を誇るかのように微笑んでいる。 ブックマンはひとつ、首を振ると、 「だが、私が感心したのは、かの絵が戻ったことではない。 たった一晩で展示可能なまでにメンテナンスしたスタッフの腕じゃよ」 と、感嘆して腕を組んだ。 「あぁ、ティエのおっさん・・・。 マリも手伝ったんかな?」 そう言って小首を傾げたラビに、ブックマンは大きく頷く。 「徹夜作業だったとしても、一人では無理だろうからの」 「ふぅん・・・じゃあ」 ポケットから携帯電話を取り出した孫を横目で見て、ブックマンは声を低めた。 「何をする気だ?」 「ん? 昨日、おっさんもマリも帰んなかったんなら、ユウちゃんまともなメシ食ってないだろうと思って。 お昼のお誘・・・」 「アホか!!」 いきなり怒鳴られて、ラビが目を丸くする。 「なっ・・・なんさ、ジジィ!! 俺がトモダチ思いじゃいけないんさ?!」 「今、人前に出られる姿と思うてか!!」 容赦なく指摘されたラビは、今の自分が昨日までとはまったく違う姿をしていることを思い出し、ソファの上に倒れこんだ。 「コームーイ〜〜〜〜!! あの巻き毛メガネ、まだ解毒剤作ってないんさ?!」 「リーバーからの連絡がないということは、そう言うことだ。 家でおとなしくしとれ」 冷たいほどに淡々とした口調で言われ、ラビは小さなこぶしでぽかぽかとクッションを殴りつける。 「せっっっかくの夏休みなんに!! せっっっっかく、美人妻とお近づきになれるチャンスだったんにぃぃぃぃぃ!!!!」 「ほとんど自業自得ではないか!」 身悶えて泣く孫を見遣ったブックマンが、苛立たしげに舌打ちした時、室内にチャイムが響き渡った。 「なんじゃ・・・」 「はっろぉ、ブックマン お孫ちゃんの容態はドゥー?」 玄関を開けた途端、朝っぱらから陽気なコムイに目の前を塞がれ、ブックマンは忌々しげに眉根を寄せる。 「おぬしのせいで、身も世もなく泣いておる」 「あはは リーバー君たちが言ってましたけどぉ、面白いことになってるんでしょぉー 写メ撮りに来ました、写メ 「もき――――!!!!」 楽しげに言いながら部屋に入ってきたコムイに、ラビの蹴りが炸裂・・・しようとしたが、それは寸前で捕らわれた。 「小猿が飛び掛ってきたと思ったら、ラビじゃん〜 ホント、ちっさくなってる!!」 ラビの足を掴んで逆さ吊りにしたまま爆笑するコムイに、ラビがますます激昂する。 「放すさこのクソ巻き毛!! よくも俺をこんな姿にしやがって!!」 ばたばたと暴れ狂うラビを、お望み通り放り捨ててやると、コムイは部屋の隅に転がったまま床に懐いてしまった子供に歩み寄った。 「ちっさくなって、色々不便だろう? ボクが発明した便利グッヅを持ってきてあげたよーん 「誰のせいでこんなんなったんさ!! くだんねェ発明してる暇があったら、解毒剤作るさぁぁぁぁぁっ!!」 発狂した犬のようにきゃんきゃんと吠え立てるラビに、コムイは笑って手を振る。 「それはリーバー君たちがやってるから、安心して 「なんで部下に任せてんだよ! お前がやれよ!!」 「いや・・・むしろ、コムイだと危険すぎるから遠ざけられたのではないかな?」 ブックマンが吐息混じりに呟くや、コムイは大げさに嘆いて見せた。 「そーっっぅなんですよ、ブックマァァン!! ちょっと聞いてっ! リーバー君達ったら、ボクがちょーっと手を出そうとしただけで、ものすごい顔で怒るんですよ! 狂犬病に罹患したのかと思ったくらい!!」 「ちょっとって、何しようとしたんさ!!」 「せっかくだから、ウサギ人間作ってみないー?って 「放せジジィ!! この巻き毛、ブッ殺してやるさぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 ブックマンに羽交い絞めにされながらも、なおもばたばたと暴れ狂うラビの鼻先に、コムイはにこにこと持参の箱を突きつける。 「ホラホラ、怒んないの仔ウサギ君 ちょっとコレ、試してごらんよー 「・・・っなにさ!」 ぐりぐりと頬に押し付けられる箱を仕方なく受け取ったものの、警戒して開けようとはしないラビに、コムイは得意げに笑った。 「そーんなカワイイ声のまんまじゃ、電話もできないでしょ? だから、変声機を持ってきてあげたんだよーん 「変っ・・・?!」 「ホラホラ、開けてみてよー わくわくと見守る先で、しかし、更に警戒したラビがじっと見つめる箱を、コムイは苦笑して取り上げる。 「もー。 危ないことないってばさー」 ラビの代わりに箱を開け、コムイは小さく丸められたバンダナを取り出した。 「ハイ、着けてみて 「ぎゃーす!! 電流でも流す気さ?!」 ズポッと、頭に被せられたバンダナを、すぐに外そうとした手は軽々と掴まれる。 「んもー・・・そんなことしないってバ」 疑り深い子供に乾いた笑声をあげ、コムイはもう一方の手でラビの頭を押さえつけた。 「ぜーったい楽しいからさー ・・・・・・・・・・・・・・・ボクが」 「今なんかヤバイこと聞こえたさっ!! お前が楽しいことなんて、ロクなことないさぁぁぁぁ!!!!」 甲高い声でぴぃぴぃと泣く子供を楽しげに見ながら、コムイはバンダナのこめかみに当たる辺りを押す。 「ハイ、しゃべってみて 「なんか押されたさっ!! ヤバイ俺もう死んじゃうっ・・・・・・あれ?」 一昨日からずっと甲高かった自分の声が、いきなり低くなったことに驚いて、ラビは目を丸くした。 「あー? あーあーあーあー??」 興味津々と声を出し始めたラビに笑い、コムイはその手を放してやる。 「どう? 声、おんなじでしょ?」 得意げに言ったコムイにしかし、ラビは眉をひそめた。 「・・・俺にはおんなじに聞こえねェさ」 「自分の声は、体内振動と空気振動のミックスだからな。 お前自身は妙に聞こえても、私達には元のお前の声だ」 「う・・・うん・・・・・・」 違和感を拭うことはできないものの、祖父の言うことには納得して、ラビが頷く。 「じゃあ・・・電話するくらいは困んないんさね・・・・・・?」 ぽつりと呟いたラビに、コムイが大きく頷いた。 「周波数を変えれば、色んな声が自由自在に使えるよ 今は、電話するのにちょうどいい位置に置いてるけど、普通に話す時は、バンダナは外して口元に当てておくれね!」 「・・・人前で声変えて、なんの話するんさ」 怪しすぎるだろ、と、ラビは幼い顔に似合わない低い声で呟く。 「まぁまぁ、いつか役に立つかもしんないじゃん〜〜〜〜」 パタパタと手を振ったコムイは、『まだあるよ』と、時計と眼帯を取り出した。 「時計型麻酔銃と、追跡メガネ代わりの眼帯だよーん! 眼帯は、がんばればビームも出るかもしれない!」 「俺はコ○ンか!!ってかビームってなんさ!!」 「目指せ!国民的人気漫画〜!」 「少年探偵になんかなった覚えはないさ! 俺は普通のオトコノコなんにぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」 甲高い声と低い声を入り混ぜて嘆くラビに、コムイは笑って肩をすくめる。 「まぁまぁ、なっちゃったものはしょうがないじゃなぃー? だったら、今の状況を楽しむくらいの余裕を持とうよぉー 「元凶がなんか言ってるさぁぁぁぁぁぁ!!!!」 絶叫と共に、飛び蹴りを食らわそうとした足は、またあっけなく掴まれた。 「これからは、滅多なものを口にしないように気をつけテ 「・・・それは私へのプレゼントだったよの、おぬしからの」 ブックマンが忌々しげに指摘すると、コムイは挙動不審気味に辺りを見回す。 と、 「あ!この美術館、研究所の近くなんだよねェ 運よく話題転換の種を見つけたとばかり、彼はテレビを指し示した。 「裏庭が接してるから、一応お隣さんって言っちゃっていいのかな? クロウリー夫人が通りかかる度、若い子達が『美人妻だ』ってそわそわしてるんだよー」 自分も若いくせに、年よりじみたことを言うコムイを、ラビが逆さ吊りにされたまま睨みつける。 「うまく行けば俺、あの美人妻とお近づきになれてたんさっ! このままゴアイサツもできねーことになったら、一生恨んでやっからな!」 「あはは それは、ボクの部下達を信じてよー 彼らがちゃーんと解毒剤作ってくれるからね!」 話題を逸らし損ねはしたものの、コムイはいけしゃあしゃあと笑ってごまかそうとした。 ・・・が、 「アレ?ちょっと待って?」 ふと思い至って、ラビを放り捨てる。 「彼女、通りすがりに見るだけでも、ダンナさんにベタ惚れっぽいからさ、今のままの方が、お近づきになれるんじゃない?」 「へ?そうなんっ?!」 床にぶつけた頭以上に、コムイの言葉にショックを受けたラビが思わず絶叫すると、彼はウンウンと頷いた。 「すっごいよー。 研究室の窓から見えるだけでも、いっつもダンナさんの後ついてってるもん、彼女。 ダンナさんの方はシャイらしくて、テレビに出るのは彼女だけだけどね」 側から離れないよ、と、惨い情報を与えられたラビは、痛む頭を抱えて涙ぐむ。 「美人妻を独り占めなんて許されないさ! どんな奴なんさ、クロちゃんて!!」 床を叩いて泣き喚くラビの声を、その時、テレビからのどよめきが圧した。 「なんじゃ・・・?」 眉根を寄せて音量を下げたブックマンの目の前で、テレビ画面は揺れに揺れて動揺を伝える。 「うわっ!なにしてんのさ!画面に酔っちゃうよ!」 コムイが慌てて目を逸らすが、ブックマンとラビは、訝しげな顔で画面を見続けた。 ややして、画面の揺れが収まり、レポーターが早口で事情をまくし立てる。 『予告状です! かつてこの絵を盗んだ怪盗から、再び予告状が届きました!!』 「よこくじょう・・・?」 オウム返しに呟いたラビの傍らで、ブックマンが表情を固くした。 美術館において、エリアーデがテレビカメラに向けて笑顔を振りまいていた頃。 「郵便ですよ」 と、美術館のスタッフジャンパーを着た男から手紙を受け取ったアレイスターは、差出人のない封筒に首を傾げた。 「誰であるか・・・」 無防備に封を切り、二つ折りのカードを取り出した彼は、文面を目にして困惑げに眉根をひそめる。 「・・・キュレーター殿、ちょっとよろしいであるか」 声をかけられて歩み寄ってきたティエドールだったが、彼が差し出したカードを見た途端、笑みを凍らせた。 「これは・・・!」 震える手でカードを受け取ったティエドールは、何度も紙面の文字を追い、きつく眉根を寄せる。 「間違いない・・・クラウンの予告状だ・・・・・・!」 絶叫を堪えるかのような押し殺した声は、二人の間近にいたテレビ局スタッフの耳にも届いた。 「予告状?!」 必要以上に大きな声が、テレビカメラの意識を誘う。 「ちょっと見せてください!!」 ご馳走を目の前にした獣のような素早さで、レポーターはティエドールの手からカードを奪い取り、駆け寄ってきたテレビカメラの前にそれを差し出した。 「ちょっと待・・・っ」 目を丸くしたアレイスターの声を無視して、駆け寄ったレポーターが興奮に上ずった声をあげる。 「予告状です! かつてこの絵を盗んだ怪盗から、再び予告状が届きました!!」 「なん・・・っ?!」 目をいっぱいに見開いたエリアーデは、彼女の視線の先で、無礼なスタッフがアレイスターを乱暴に押しのける様に柳眉を吊り上げた。 「お前!! アレイスター様になにをするの!!」 大声で怒鳴りつけながら、エリアーデは困惑するアレイスターに駆け寄る。 獰猛な肉食獣のように興奮したテレビスタッフ達を押しのけ、アレイスターを庇うようにして集団から引き離したエリアーデは、気遣わしげに彼を見上げた。 「一体どうなさったの? 予告状って、なんですの?」 「う・・・うむ、それが・・・・・・」 困り果てた様子で、アレイスターはレポーターの手に渡ったカードを見遣る。 「あの泥棒が・・・また我がコレクションを奪うと・・・・・・」 「なんですって?!」 悲鳴じみた声をあげてしまったエリアーデに、肉食獣達の目が向いた。 しまった、と思った時にはもう、彼女は夫と共にテレビスタッフに囲まれている。 「一度は戻ってきた絵画が、また狙われたことについて、今のお気持は?!」 無礼なレポーターが、無遠慮に突き出してくるマイクからアレイスターは、驚いて身を引いた。 しかし、人の不幸を前に目を輝かせたレポーターは、更に迫ってくる。 「クラウンはどうして一旦は返した絵を、また狙うのでしょう?!お心当たりは?!」 「い・・・いや・・・私は・・・・・・」 まくし立てられることに慣れていないアレイスターは、彼女がなんと言っているのかさえ聞き取れず、更に身を引いた。 途端、部屋を出て行こうしていた美術館スタッフにぶつかってしまい、もろともに倒れる。 「きゃあああ!!アレイスター様!!」 エリアーデの必死の悲鳴に驚いた皆の視線が集まるが、彼女は構わずテレビスタッフたちを押しのけ、床に倒れたままのアレイスターを抱き起こした。 「大丈夫ですか?!お怪我は?!」 いつも嫣然としていた彼女の、意外な取り乱しように呆気にとられたテレビスタッフ達が見守る中、エリアーデはキッと目をあげて彼らを睨む。 「お下がりなさい、あなた達!! 私の主人になんて無礼な!!許しませんよ!!」 彼女の迫力に気圧され、彼らが後ずさった時にはもう、エリアーデの意識はアレイスターだけに向いていた。 「アレイスター様、立てますか?! あぁ!私ったら取り乱してしまって・・・すぐに救急車を呼びますわね!」 「待つであるよ!!」 早速携帯電話を取り出したエリアーデを、アレイスターが慌てて止める。 「わっ・・・私は大丈夫であるから、大げさにしないのである・・・」 それよりも、と、立ち上がったアレイスターは、もろともに倒れた美術館スタッフに手を差し伸べた。 「大丈夫であるか? 手紙を持ってきてくれただけなのに、巻き込んで悪かったのである」 「あ・・・いえ・・・」 アレイスターの丁寧な物腰に恐縮しつつ、彼の手を取って起き上がった美術館スタッフは、アレイスターの傍らに寄り添ったエリアーデにものすごい目で睨まれて、ビクッと震える。 「・・・これ。 そう、睨むものではないよ」 彼の怯えに気づいたアレイスターが、怒った猫のように剣呑な雰囲気を纏った妻に苦笑すると、彼女はたちまちうな垂れた。 「申し訳ありません・・・」 「あ!いや、怒っているのではなくて・・・!!」 ばたばたと手を振るアレイスターを、ほっとした目で見上げたエリアーデは、にこりと笑って頷く。 その笑顔のまま、エリアーデはつかつかとレポーターに歩み寄り、彼女の手から予告状を取り上げた。 「あっ!!」 ようやく我に返ったレポーターに、にっこりと笑みを深め、エリアーデはきっぱりと言い放つ。 「この件に関しましては、警察に連絡し、対処をお願い致します。 展覧会の開催いかんについては、これよりスタッフと協議したのち、決定しますので、本日はこれでお引き取りくださいな」 そう言うと彼女は、くるりと踵を返してアレイスターの元へ戻り、共に美術館のスタッフルームへと帰って行った。 「・・・すげぇ」 「なんか・・・偉い奥さんだねェ・・・・・・」 無言でテレビ画面を凝視してしまったラビが呟き、コムイも感心したように吐息を漏らした。 「仲いいのは知ってたけど、ここまでとはねー・・・」 そう言ってコムイが笑うと、ラビは盛大に頬を膨らませる。 「なんって羨ましいダンナさ! こんな美人に大事にされやがって、これ見たエリリンファンは絶対、ダンナに嫉妬してるさ!」 「エリリンって・・・」 もう愛称ついてるの、と、呆れるコムイの目の前で、ラビはポケットから、けたたましく鳴り出した携帯電話を取り出した。 「えーっと・・・今の声はいつも通りなんさ、俺?」 不安げな問いに、コムイは自信満々の笑みを浮かべ、大きく頷く。 「絶対さね?! ・・・・・・もしもし?」 疑わしげにコムイを睨みながら、通話ボタンを押したラビは、途端に溢れ出た大音量に驚いて耳を離した。 『ラビラビ!!テレビ見た?! これってこないだ、おじいちゃんが言ってたやつでしょ?!すっごいことになったねー!!』 「ちょ・・・電話口で叫ぶんじゃないさっ!!」 耳から遠く離しても、不自由なく聞こえるアレンの興奮した声に、ラビが負けじと抗議すると、ようやくアレンの声が通常の音量に戻る。 『ごめーん 僕、今、ジェリーさんとこにいるんですけど、たまたま食堂のテレビ見てたらこの展開でしょ?! ジェリーさんや、あの時一緒にいたみんなと叫んじゃった そう言うアレンの背後では、確かに大勢のざわめきが聞き取れた。 『あ! 今、奥さんと旦那さんが通ってったよ!』 アレンがいると言う研究所の食堂は、裏庭に面している。 そしてその裏庭は、クロウリー夫妻のいる美術館の裏手でもあった。 『今テレビに映ってた人達が目の前を通ってくって、なんか不思議な感じ! ねぇねぇ、ブックマンのおじいちゃんはなんて?』 興奮のあまり、言いたいことをまくし立てるアレンに呆れながらも、自らも興味を引かれて見遣ったブックマンは、しかし、難しい顔をしたまま黙り込んでいる。 「ジジィ?」 声をかけると、彼は無言で踵を返した。 「どこ行くんさ、ジジィ!!」 「美術館じゃ」 ラビの問いにうるさげに応じ、彼はそのまま家を出て行く。 『どうしたの?』 不思議そうな声で問うアレンに、ラビが吐息混じりに『美術館に行った』と答えると、アレンはまたはしゃいだ声をあげた。 『ラビも来るでしょ?! ねぇねぇ、予告状見せてもらおうよ!!』 その声に『もちろん』と答えそうになって、ラビは慌てて口をつぐむ。 ややして、 「俺は・・・行けないさ・・・・・・」 気まずげに言うと、電話の向こうでアレンが大声をあげた。 『ウソ?!なんで?!』 いつもなら絶対にしゃしゃり出てくるはずのラビの、意外すぎる答えには、アレンでなくても驚いただろう。 が、ラビは『言わないで!』と、両腕で『×』を作るコムイを忌々しげに睨みながら舌打ちした。 「それが・・・水ぼうそうにかかっちまって、外出禁止されてんさ」 『水ぼうそう?外出禁止されるくらい悪いの?』 アレンが気遣わしげに問うと、ラビは深々と吐息する。 「熱とかはねェけど、全身紅白のまだら模様になっちまって、とても美人妻にお見せできる姿じゃないさ。 それに、一応感染症だかんな。 お前、水ぼうそうやったか?」 『わかんない・・・小さい時のこと、知らないし』 案の定、アレンが答えに困ると、ラビはほっと吐息した。 「うつるかもしんないから、しばらく俺んちに近づくんじゃねぇぞ。 その代わり・・・ミッフィーが行くって言ってる」 ラビの忌々しげな声に、コムイが盛大に吹き出す。 『ミッフィー君?一人で来れるの?』 「今、コムイが来てるから、一緒に連れてってもらうさ。 ・・・いぢめんなよ」 『いじめませんよ!』 どうだかな、と笑って電話を切ったラビは、バンダナを押し上げてコムイを睨みつけた。 「そーゆーわけさ! 俺を研究所に連れてくさ!」 「ハイハイ」 まだクスクスと笑いながら、コムイは小さな彼に手を差し伸べる。 「できるだけ早く戻してあげるからね、ミッフィー君 「・・・・・・ふんっ!!」 忌々しげに鼻を鳴らして、ラビは・・・いや、小さなミッフィーは差し伸べられた手を取った。 同じ頃、ティエドールの自宅でテレビを見ていた神田は、師匠とマリが事件に巻き込まれたらしいことを察して舌打ちした。 「・・・めんどくせぇことになったみたいだな」 呟いて、テーブルに放置していた携帯電話をちらりと見遣ると、案の定、バイブレーターが着信を告げる。 『ユウ!今!!』 「あぁ、見てたぜ」 慌てふためいたマリの声にうんざりと応じ、神田はテレビの音量を下げた。 同じ音声が、電話の向こうからも聞こえる。 「あのオヤジ、また泣いてんじゃねぇだろうな?」 うざい、と、冷たく言う彼に、マリは『いいや』と、低い声で答えた。 『珍しく臨戦態勢だ。 それで、お前も警備に加われと』 「俺が?警備にゃ専門がいるだろう」 めんどくさそうに言うと、電話の向こうでマリは、更に声を低くする。 『前回、クラウンは警備員に変装して忍び込んだそうだ。 警備を増強しても、その中に紛れられては裸同然だからな。 今は一人でも多く、信頼できる人間が欲しいとのことだ』 「なるほどな・・・」 『それに』 頷いた神田は、続いたマリの声が、笑いを堪えているように聞こえて首を傾げた。 『お前ほどの美人に変装するのは、いかにクラウンでも無理だろうからと』 「美人って言うな!!」 神田の怒号に、マリが思わず忍び笑いを漏らす。 『まぁ、そう言うわけだから、できるだけ早くこちらに来てくれ』 「・・・行ったらオヤジ、殴っていいか?」 『殴れるんならな』 和やかになった声を最後に切れた電話を、忌々しげに見遣った神田は、椅子を蹴って立ち上がった。 「絶対、殴ってやる」 剣呑な呟きと共に素早く身支度を整えると、未だ揺れる画面を写すテレビを消す。 「あぁちくしょう・・・めんどくせ」 苛烈に照りつける夏の日差しにすら毒づき、神田もまた、美術館へと向かった。 衝撃的な放送が終了して間もなく、警察車輌が美術館の前に止まった。 「ただいま、警察が到着しました! 再びあの絵を狙うと言う、クラウンの予告状を受けて、今、美術館に警察が到着しました!!」 当然のように居残っていたレポーターが、カメラに向かって甲高くまくし立てる。 「この件に関して、警察はどのような対策を打ち出すのでしょうか! すみません!ちょっとよろしいですか?!」 彼女以外にも、大勢押しかけた報道関係者たちを押しのけつつ、レポーターは車から降りてきたスーツ姿の男にマイクを突きつけた。 「クラウンからの挑戦に、警察はどう応じるつもりなんですか?!」 「どきたまえ」 眼前に突きつけられたマイクを手の甲で押しのけながら、男は冷淡に応じる。 「事態は急を要する。 邪魔しないで頂きたい」 口調は丁寧ながら、冷酷な目に射すくめられ、レポーターだけでなく、詰め寄った報道陣全員が数歩を退いた。 「行きますよ」 「はっ!」 目の前に開かれた道を、彼は警官達を従えて、堂々と歩いて行く。 その端然とした後姿を、多くのカメラが無言で追った。 「久しいの、ルベリエ警部・・・」 大勢の部下を従え、スタッフルームに入って来た男を迎えたブックマンは、すぐに首を振った。 「失礼、今は警視正であられたな」 「おかげさまで、順調に出世しましてな、ブックマン」 ブックマンに軽く会釈すると、ルベリエはすぐにクロウリー夫妻に歩み寄った。 「私のことはもう、覚えておられないでしょうな、三世。 昔、件の絵が例の泥棒に盗まれた際に、あの事件を担当していた者です。 今回、またあの泥棒めが悪さをしだしたと聞きまして、ぜひとも汚名返上したく、現場の者に無理を言って参加させていただいております」 「あ・・・あぁ、よろしくお願いいたす・・・」 傲慢なほどに堂々としたルベリエに気圧されながらも、アレイスターは差し出された手を握る。 「では早速、予告状を拝見できますかな?」 有無を言わせぬ迫力に、アレイスターは予告状を差し出した。 「おや、これは・・・」 「狙われているのは、絵ではありませんのよ」 ルベリエが意外そうに目を見開くと、アレイスターの傍らにいたエリアーデが進み出る。 「8月9日午後10時 貴殿所蔵の『竜の血』を貰い受ける――――Clown・・・レポーターの、とんだ早とちりですわ。 ろくに内容も読まずに報道するなんて、呆れますわね」 困惑げな夫に代わり、きっぱりと言った彼女は、無言のままカードに視線を落とすルベリエに首を傾げた。 「あの絵ではないとおわかりになって、がっかりされましたか? あなたはお帰りになりますの?」 「いや・・・」 気の強いエリアーデに笑みを向け、ルベリエは首を振る。 「狙われた品がなんであれ、私の仕事は変わりません。 全力を尽くさせていただきましょう。 ところでこの、『竜の血』とは?」 「ドラキュラのモデルになった人物、ヴラド3世所有のルビーのことであるよ。 彼がドラクレア・・・竜の子という別名があったため、収集家の間ではこのルビーを『竜の血』と呼ぶのである」 「なるほど・・・それは、大変価値の高いものなのですかな?」 「もちろん」 その問いに、ずっと困惑げに視線をさまよわせていたアレイスターが、初めて自信ありげに頷いた。 「ルノワールが戻って来る前は、メインの展示品だったものである。 由来から話した方がいいであるか?」 「いえ、それは結構」 目を輝かせるアレイスターを手を上げて制し、ルベリエは笑みを貼り付けた顔を室内に巡らせた。 「ではあれが、今回の『獲物』というわけですか」 無意識にか、部屋の中央、さほど大きくはない展示ケースを守るように多くのスタッフが寄り集まっている場所を、ルベリエが顎で示す。 「うむ・・・これまでも多くの収集家から、購入を打診されたものなのだが、祖父の形見でもあるので、手放す気にはなれなかったのである」 言いながら、アレイスターはルベリエと共に展示ケースへ歩み寄った。 「ほう・・・これは見事なルビーだ。 歴史的価値を加味しなくとも、価値が高いことでしょうな」 その言葉に対し、また詳しい説明を加えようとするアレイスターを制して、ルベリエは再び予告状に目を落とす。 「ルノワールを返す代わりに宝石をよこせ、か。 まったく、どうしようもない悪党だ」 鼻を鳴らすと、ルベリエは彼に従う部下に、カードを差し出した。 「鑑識にまわしたまえ。 その後、この件の指揮を取るように、リンク警部」 「はっ!」 姿勢よく敬礼した青年に、ルベリエが頷く。 「相手は稀代の悪党だ。くれぐれも油断しないように」 「鋭意努めさせていただきます!」 堅苦しい声を張り上げた彼に、ルベリエはもう一度、満足げに頷いた。 一方、美術館と裏庭を接した研究所では、多くの所員が食堂に集まり、窓辺にたかっていた。 「ちょっとちょっとキミタチ、仕事もしないでなにやってんのー!」 ラビ・・・いや、小さなミッフィーを連れて食堂に入ったコムイは、その様に呆れ声を上げる。 「仕事サボって写メ撮りに行った所長に言われたくないっす」 「元凶アンタなのに、よくもフラフラしやがって」 「特別研究室、今、相当テンパってんですけど」 振り向きもしない部下達に冷たく返されて、コムイは盛大にむくれた。 「だーって! リーバー君に研究室追い出されたんだもんさー!」 しかし、 「どうせまた、自業自得なんでしょ?」 と、ため息混じりの声と共にリナリーが振り向くと、彼の機嫌はたちまち治る。 「リナリィー 「うん。 ミランダと美術館に行くつもりだったんだけど、こんな騒ぎになっちゃって入れなくなったから、涼ませてもらってるの」 ね、と、隣を見遣ったリナリーに、ミランダが窓から顔を離して頷いた。 「美術館の中には入れないのに・・・すごく、野次馬が多いんですもの・・・」 貧血を起こしそうだった、と、ミランダが俯く。 「そう言うわけだから兄さん、もうちょっといていい?お仕事の邪魔はしないから」 「もちろんさ!ずーっと涼んでていいからねェ〜 はしゃいだ声をあげて、暑苦しく抱きついてくる兄を押しのけたリナリーは、彼の傍らを駆け抜けた子供が、ちょろちょろと窓辺に寄って行く様に目を丸くした。 「ラビの隠し子?!」 「お前もかいっ!!」 リナリーの驚声とミッフィーの甲高い声に、窓に張り付いていたアレンが振り返る。 「あ、ミッフィー君」 「ミッフィーくん?」 まだ目を丸くしたままのリナリーが、オウム返しに呟くと、アレンは笑って頷いた。 「おじいちゃんのひ孫だそうですよ」 途端、傍らのミランダが大きく息を呑む。 「・・・っじゃあやっぱり、ラビ君の隠し子なのね?!」 「あ!そうか!!」 「んなワケねぇだろ!!」 声を揃えて納得したアレンとリナリーに、ミッフィーが猛然と抗議の声をあげた。 その背後でコムイは爆笑し、事情を知る研究員達は、必死に聞こえない振りをして窓の外を見つめる。 と、警備のためか、裏庭に出てきた数人の警官達が、こちらに気づいて鋭い目で睨んで来た。 「あれ?ヤバイかな・・・」 「大丈夫じゃね?別に、敷地に侵入してるわけじゃないしさ・・・」 「でもなんか、すっごい目で睨まれてるよ、俺たち・・・」 ひそひそと囁きあっていると、警官の中でも一番若い、しかし、一人だけスーツを着た青年が、つかつかと歩み寄ってくる。 「ありゃ・・・なんか来たね」 笑声を止めたコムイは、部下達の頭上から、窓の向こうを見遣った。 裏庭が接しているとは言っても、行き来できるわけではない。 美術館の敷地と研究所の敷地を隔てるフェンスの向こうの彼は、こちらに向けて片手を上げた。 嵌め殺しの窓は外の音声をほとんど遮断しているため、彼の声は聞こえないが、どうやら『来い』と言っているようだ。 「所長、どうします?」 部下達の視線を集めたコムイは、テーブルに放置されたトレイを取り上げ、ポケットから取り出したペンで研究所の代表電話を書き付けた。 それを窓に向かって掲げると、間もなく、研究所の代表電話から、食堂の電話へと通話が転送される。 「ハイ、どうもはじめまして。 この研究所の所長でっす コムイが窓に向かって手を振りつつ言うと、電話機のスピーカーから、不機嫌そうな声が応じた。 『はじめまして。 今回の事件で現場を担当することになりました、警部のリンクと申します。 ぜひご協力願いたいことがありまして、ご連絡しております』 堅苦しいまでに礼儀正しい口調だが、親しみを感じさせない声は、食堂に集まった所員の緊張感を高める。 が、その中で一人だけ、飄々としたコムイは、窓の向こうの警官に笑みを向けた。 「その若さで警部とは、優秀なんですねェ。 こちらで協力できることでしたら、なんなりとどうぞ」 そう言った途端、 『まずは全員、その窓から離れてください』 ぴしゃりと返され、その場にいた者達は全員、ムッと眉根を寄せる。 「えーっと・・・そうは言われてもココ、食堂なんですよねー。 お昼時でオナカすかせた所員が集まってるトコに、この騒ぎでしょー? 見るなって方がムリかなー?」 『そうですか、わかりました』 嫌にあっさり納得した彼を、コムイが意外そうに見遣ると、彼は窓の向こうから、鋭い視線を投げてきた。 『本日午前11時13分をもちまして、貴研究所は当捜査本部が接収いたします。 所員はその場から速やかに退避し、我々が許可するまで、一切の立ち入りを禁止します』 「ちょ・・・それは横暴じゃないかいっ?!」 『犯罪者逮捕のためです。 ご協力感謝します』 「感謝って・・・まだ許可してないよっ?!ねぇちょっと?!」 一方的に切られた電話を忌々しげに叩きつけ、コムイはつかつかと窓辺に寄る。 「ねぇってば!!」 バンバンと平手で窓を叩くが、リンクはこちらに背を向けたまま、振り向こうともしなかった。 間もなく、研究所の警備員と共に驚くほど大勢の警官がやって来て、食堂に残ったままの所員を次々に追い出していく。 「んなにすんのよっ!! こっちは仕事なんだからねっ!!」 「我々も仕事です」 猛然と抗議するジェリーをも厨房から追い出し、警官達は厳格な顔で食堂の入り口に立ち塞がった。 「ちょっとコムたんっ!! なんでこんなことになったの!!」 「ごめんよ、ジェリぽん〜! ボクとしたことが、うっかり負けちゃったぁ・・・」 油断した、とうな垂れるコムイをそれ以上責めることもできず、ジェリーは忌々しげに食堂を封鎖した警官を睨む。 「せっっっかく新メニュー用意したのにぃ・・・! 初日にケチつけられちゃったわ!」 「えぇー・・・じゃあ、今日は新メニュー出せないんですかぁ・・・?」 ジェリーに縋りついて、悲しげな目で見上げてくるアレンを、彼女は眉根を寄せて見下ろした。 「そうなるわね・・・いいえ!負けるもんですか!!」 こぶしを握り、ジェリーは勢いよくコムイを振り返る。 「コムたん! 今日、適当なホール空けてもらっていいかしら?! 屋台開くわよ、屋台!!」 料理長の勇断に、アレンだけでなく、その場にいた所員全員が諸手と共に歓声をあげた。 「ジェリー!私、お手伝いする!」 「わ・・・私も、お邪魔でなければ・・・・・・」 「んまっ! アンタ達ったら、イイコっ 挙手したリナリーとミランダを一緒に抱きしめたジェリーは、続いてびしぃっと、警官に指を突きつける。 「さぁ! せっかく作ったお料理が傷んじゃう前に、中の食材と調理器具を運び出しなさい、アンタ達!!」 なんで自分達が、と、不満げな顔をする警官達を、ジェリーは鋭い眼光で黙らせた。 「アンタ達が食堂封鎖しちゃったんじゃないのっ! アタシ達を食堂に入れたくないんなら、アンタらが運び出すのが当然じゃない!」 両手を腰に当て、猛然と警官に詰め寄る。 「ホラ早く!夏の食材は、足が早いのよ!!」 問答無用で警官達を走らせ、食堂は別室に開店することとなった。 「美術館、見れなくなっちゃいましたねェ・・・」 研究所正面玄関の真上にあるホールから、人気のない通りを見下ろしてアレンが呟くと、臨時ウェイトレスとして配膳をしていたリナリーが、アレンの前に巨大なパフェを置いて頷いた。 「美術館側のお部屋は屋上まで、警察に封鎖されちゃったからね。 食堂だけでもあんなにもめたのに・・・研究室を追い出されちゃった人達が、ものすごく怒ってるよ」 中でも、と、リナリーはぶるりと震える。 「リーバー班長・・・機材を使えなくなったって、激怒しちゃって・・・! 怖かったよぅ・・・!」 リーバーの憤怒の形相を思い出し、ぶるぶると震えるリナリーを気の毒そうに見たアレンは、ふと、訝しげな目を床に落とした。 「それで・・・なんでミッフィー君まで泣いてるの?」 床にうずくまって、ぷるぷると震えながら泣きじゃくる子供に問うと、彼は小さなこぶしで何度も床を叩く。 「よくもリーバーの研究邪魔しやがってっ・・・!! あいつが薬作ってくんねーと俺は・・・!!」 「薬?」 なんの?と、アレンとリナリーが揃って首を傾げるが、ミッフィーはその問いには答えず、小さなこぶしで床を叩き続ける。 「ひでーさナニこの運命・・・!カミサマなんてぜってーこの世にいねぇから・・・!」 子供のくせに、嫌に暗い声音で恨み言を吐くミッフィーを不思議そうに見ていたリナリーは、ふと気づいてアレンに向き直った。 「ところでアレン君、ラビは? こんな大騒ぎになってるのに、来ないなんて珍しいね」 途端、ミッフィーがぎくりと身体を強張らせたことには気づかず、アレンは苦笑を浮かべる。 「水ぼうそうにかかって、紅白のまだらになってるそうですよ。 感染症だから、外出禁止されてるそうです」 「えぇー! じゃあ、お見舞いに行こうか!」 リナリーの提案に、しかし、アレンは苦笑を深めて首を振った。 「僕、水ぼうそうにかかったかどうかわかんないから、近づくなって言われました。 リナリーはもう、終わったんですか?」 「うん。 私は覚えてないんだけど、兄さんが『鏡見てぴぃぴぃ泣いてた』って、今でも笑うよ・・・」 そう言って、気まずげに笑うリナリーに、アレンが首を傾げる。 「泣いてたって、なんで?」 「なんでも、顔にいっぱいできちゃったらしくて、『もうお嫁さんになれない』って泣いてたんだって」 おませだったのね、と、苦笑する彼女に、アレンがにこりと笑った。 「よかったですね、きれいに治って! まぁ、リナリーだったら、多少痕が残ったって美人には変わりないですけど」 「えっ?!いえっ・・・そっ・・・そんなっ・・・」 直球の誉め言葉を笑ってかわすスキルは、まだリナリーにはない。 真っ赤になって慌てふためく彼女の足元で、ミッフィーは脱力して床に伸びた。 が、アレンは自分の発言がもたらした影響に気づいた様子もなく、ポケットから携帯電話を取り出す。 「熱はないそうですから、ラビに電話してみましょうか」 途端、ミッフィーは慌てて起き上がったが、逃げる間もなく、彼のポケットから聞き慣れた着信音が盛大に溢れ出した。 「・・・・・・ミッフィー君?」 目を見開いたアレンが呼出しをやめると、着信音もまた止む。 「君・・・」 床に座り込んだままのミッフィーを見下ろすアレンの前で、彼は身を固くした。 「ラビのケータイ、持って来ちゃったの?!」 途端にミッフィーは、肺の中が空になるほど吐息する。 「だ・・・黙って持ってきたんじゃないさ! に・・・兄ちゃんが、持ってけっていうから・・・」 必死に言い訳するミッフィーに、リナリーが頷いた。 「まぁ・・・小さい子一人外出させるんだから、当然かもね」 「それならむしろ、こっちに来る時に親が持たせそうなもんだけど・・・」 軽く吐息して、アレンはミッフィーの上に屈み込む。 「じゃあ、ラビの自宅の電話番号知ってる? いっつもケータイにかけてるから、家の電話知らないんだ、僕」 「しっ・・・知らないさ! 俺が知ってるのは、じいちゃんと兄ちゃんのケータイだけさ!」 ぷるぷると首を振る子供にまた吐息し、アレンは再び自分の携帯電話を見下ろした。 「じゃあ、おじいちゃんにかけてみよ」 自宅の番号を聞く、と、アレンがかけた電話はすんなりと繋がる。 「あ、おじいちゃんですか? アレンですけど、おうちの電話番ご・・・」 『すまんが今、取り込んでおる』 早口に言って、ブックマンは電話を切った。 「なにか・・・?」 「いや、なんでもない」 アレイスターの問いに、ブックマンは携帯電話の電源を落とす。 「警視正殿、話の腰を折ってすまんかった。 それで、鑑識の結果、この予告状が模倣犯である可能性は低いと言うのだな?」 「えぇ、ブックマン」 大きく頷き、ルベリエはビニールの証拠保存用袋に入ったカードを示した。 「指紋などは当然、出ませんでしたが、この文字・・・」 手袋をはめた指が、タイプされた文字の連なりを示す。 「これはプリンターなどではなく、旧式のタイプライターを使った印字です。 そしてご存知のように、タイプライターと言うものは1台1台に『クセ』がある。 列幅などが微妙に異なるのもそうですが、このタイプライターは特別です」 そう言ったルベリエの指は、最後の行―――― 署名を記した文字を示した。 「大文字の『C』の下が二ヶ所、途切れているでしょう? これは、あの泥棒が送ってきた予告状とまったく同じ傷です。 他にも、『l』の上部と下部に二ヶ所、『o』の左上と左真ん中、『w』の右に二ヶ所に『n』を打ち消すような横線・・・他にも同一の特徴が、いくつも見えます」 「ブックマン、これは確か、あなたが気づいたのでしたね?」 ルベリエの説明に深く頷いたティエドールが問うと、ブックマンは手帳を取り出し、『Clown』の文字を右回りの円状に並べて書いた。 「そう、この五文字をこうやって並べると、白い五芒星が浮かび上がる」 「ま・・・! 泥棒のクセに、随分と手の混んだことをするんですのね!」 手帳を覗きこんだエリアーデが、目を丸くする。 「このことは、あの泥棒に関わった警察関係者しか知りません。 模倣犯と区別するため、その点は徹底させましたからな」 「ブックマンが気づかなければ、警察関係者だって知らなかっただろうね」 ティエドールは、すくめた肩を戻すついでに深々と吐息した。 「じゃあ・・・本当に彼なのかい? ずっと沈黙を守っていたのに、今更・・・?」 一体どうして、と、困惑げに眉をひそめるティエドールの背後で、舌打ちの音が響く。 「ユ・・・」 「グダグダ言ってる場合じゃねぇだろ。 偽者だろうが本物だろうが、泥棒が来るってぇんのは間違いねぇんだ。 宝石はとっとと隠すなりして、のこのこやってきた奴をとっ捕まえる準備でもしやがれ」 神田の、正しいが毒の利きすぎた言葉に皆が固まる中、彼の早口をなんとか聞き取ったアレイスターが、時間をかけて吟味したのち、頷いた。 「せ・・・正論であるな・・・。 警視正殿、その・・・逮捕の準備と言うのは・・・」 「ご心配なく!」 生意気な言動の少年を忌々しげに見遣ったルベリエは、必要以上に強い口調で言い放つ。 「今回は、以前のようには行きませんぞ。 私の経験に加え、優秀な警官達が多数警護に当たっております。 どうぞ安心してお任せください!」 「あぁ・・・うむ・・・」 しゅん、と、うな垂れてしまったアレイスターの傍らで、エリアーデが目を吊り上げた。 が、彼女が何か言うより早く、アレイスターに肩を叩かれ、憮然と黙り込む。 「では皆さん、本日は無闇に館内をうろつかれませんように! 間違えて、逮捕されないとも限りませんからな!」 ルベリエの鋭い目が辺りを睥睨し、その視線に当てられた者は一様に悪寒を覚えずにはいられなかった。 「ブックマンのおじいちゃん、なんだって?」 早々に通話を終えてしまったアレンに、リナリーが首を傾げた。 「うん・・・なんか、忙しいみたいです」 用件を言う間もなかった、と、驚くアレンの隣で、ミッフィーは安堵の吐息を漏らす。 が、ほっとしたのも束の間、立ち上がったアレンは、リナリーへにこりと笑った。 「リーバーさんに聞いてきます」 「あ、うん・・・」 「ダメさ!!」 突然悲鳴じみた声があがり、アレンとリナリーが目を丸くする。 「な・・・なんで・・・?」 問い返せば、ミッフィーは真剣な顔でアレンの脚に取り縋った。 「お・・・一昨日会った時、あいつらすげー大変そうだったんさ! 邪魔しちゃダメさ!!」 とっさにもっともらしいことを言ったミッフィーは、更に言い募る。 「に・・・兄ちゃんも、熱はないとか言ってたけど、けっこ辛そうだったし・・・寝かせといてやるさ!」 「うん・・・そうだね。 アレン君、ラビに電話するの、やめよ?」 「はい・・・」 頷きつつも、アレンは訝しげな顔でミッフィーを見下ろした。 そのままじっと見つめているアレンが何か感づいたのではないかと、ミッフィーが鼓動を早くしていると、彼の手がミッフィーの頭を優しく撫でる。 「ラビのこと好きなんだね、ミッフィー君」 いつも目下に見ていたアレンに撫でられたことには一瞬、ムッとしたものの、続いた声の柔らかさにミッフィーは、不思議そうな顔をして彼を見上げた。 「ラビがおじいちゃんの孫で、君がひ孫なら、君とラビってなんになるの?はとこ?」 「う・・・うん・・・・・・」 「じゃあ君も、ラビみたいな異常な記憶力とか持ってるの?」 ミッフィーがその問いには答えないでいると、アレンはリナリーに笑いかける。 「あんな人、世界に一人だと思ってたのに、他にもいたんですね」 「あんな人って・・・」 苦笑を返すリナリーにしかし、アレンはきっぱりと『あんな人ですよ』と笑った。 「頭はいいのに呆れるほどアホだし、頼りになるかと思えばびっくりするほどぬけてるし、年上大好きで馬鹿みたいに惚れっぽいし」 「アレン・・・このやろう・・・・・・」 アレンの脚に縋ったミッフィーは、うな垂れた口の中で呟く。 「でもね」 くすりと、頭上に笑みがこぼれた。 「大好きなんですよね、僕」 一緒だね、と、また頭を撫でられて、ミッフィーは、不覚にも真っ赤になってしまった顔を上げることが出来ない。 代わりに答えたのはリナリーだった。 「仲良しだね、相変わらず」 「あ、ラビには言わないでくださいよ?すぐに調子に乗るんだもん」 「わかってるよ くすくすと笑いながらリナリーが頷くと、アレンもくすりと笑みを漏らす。 「あ、そうだ。 ラビが一緒じゃないなんて滅多にないことですから、今のうちに日曜のこと、決めておきませんか?」 「おじいちゃんのサプライズ返しだね!」 リナリーの衝撃発言に、ミッフィーは凍りついた。 「はい ミッフィー君も参加するでしょ?」 「えぅっ?!オ・・・俺?!」 焦った顔を上げると、アレンは不思議そうに首を傾げる。 「あれ?知らなかった? 10日、ラビの誕生・・・」 「あー!!オ・・・俺、ちょっとトイレッ!!」 アレンの言葉を遮り、ミッフィーは脱兎の勢いでホールを駆け出た。 「や・・・ヤバイこと聞いちゃったさ・・・!」 彼らがせっかく企んでくれていたことを事前に知ってしまったミッフィーは、気まずい思いをごまかすかのように廊下を走り続ける。 「でも・・・」 やっぱり嬉しい、と、口が緩んでいくのを止めることは出来なかった。 「へへ・・・♪ なにしてくれんかな、あいつら 締まりなく笑いながら、スピードを落とさないまま曲がった角で、ミッフィーは障害物と正面衝突し、弾かれて床に転がる。 「きゃあ!!大丈夫?!」 悲鳴をあげて彼の上に屈みこんだミランダを、ミッフィーは回る視界の中に捉えた。 「うぇ・・・星がぁ・・・っ!」 「ミッフィー君、しっかりして・・・誰かッ!! 誰かいませんかぁっ?!」 ミランダが悲鳴じみた声で呼ばわると、廊下に面したドアが次々と開いて、研究員達が顔を出す。 「どうし・・・なにやってんだ、ラビ!!」 思わず怒鳴ったリーバーに、ミランダは目を丸くした。 「ラ・・・ビ・・・?」 しまった、と思った時はもう、ミッフィーはミランダに抱き上げられている。 「まさか・・・・・・!」 そんなはずはない、と思いつつも、ミランダはミッフィーを抱いたまま、不自然に視線を逸らすリーバーに歩み寄った。 「それは・・・どういうことです・・・?」 今にも倒れそうなかすれ声での問いに、リーバーは観念したように吐息する。 「所長の仕業だ・・・・・・」 どこか遠い世界を見つめたまま、リーバーがうつろな声を出した途端、ミランダは幼いラビを抱いたまま、失神してしまった。 「・・・そーゆーわけで。 俺ら必死に解毒剤をつくろーとがんばって、もうすぐ完成ってとこまでこぎつけてたのに、警官に研究室追い出されていい迷惑って話・・・・・・」 病人以上に生気の乏しい顔をしたリーバーの説明を聞いたミランダは、寝かされていたソファの上で、また気を失いそうになった。 「コムイさんったら・・・本当になんてことを・・・・・・・・・」 「言ってやれ言ってやれ!」 か細い声で呟くミランダを、ラビが大きく頷きながら煽る。 「ホント、あいつのやることには困ったもんさ! お前らがちゃんと監視してねーからこんなことになるんさ!!」 「簡単に言ってんじゃねぇよ! 俺らがあの巻き毛に、どんだけ苦労させられてると思ってんだ!」 「あ・・・あのっ・・・! ふ・・・二人とも、ケンカはやめてください・・・!」 半身を起こしたミランダが、困惑げに手を差し伸べるや、リーバーはあっさりと応じた。 「もう起きて大丈夫か?頭は打たなかったけど、気分は悪かったりしないか?」 「いえ・・・大丈夫です・・・・・・」 気遣わしげに聞いてくる彼に、ミランダは気弱げな笑みを返す。 「私のことより・・・リーバーさん、ラビ君を早く、元に戻してあげてくださいな・・・」 「もちろん、わかっちゃいるんだが・・・」 リーバーは、深々と吐息を漏らした。 「今日のところは諦めろ、ラビ。 なに、警官がいるのは、泥棒が捕まるまでだ。 相手が今夜10時に盗みに来る、ってんだから、日付が変わる頃にゃ、また続行できるよ」 「日付が変わる頃って・・・」 ミランダが、気遣わしげに眉根を寄せる。 「あんまり、根を詰めないでくださいね・・・」 「あぁ、わかってる」 にこりと笑って頷いたリーバーの隣で、ラビが頬を膨らませた。 「ミランダは、俺よりリーバーの過労を心配すんさね!」 「あ・・・ご・・・ごめんなさいね・・・! ラビ君の方が、大変なのよね・・・」 でも、と、細い手を伸ばしてたミランダは、いつも頭上にあるラビの頭を見下ろす。 「ラビ君を治すためにも、リーバーさん達に倒れてほしくはないの。 わかってね?」 彼の頭を優しく撫でる手の下で、ラビは憮然とした表情のまま、頷いた。 その頃、研究所隣の美術館では、 「警備配置、完了しました!」 機敏に駆け寄って来るや、姿勢良く敬礼した部下に、ルベリエは厳格な表情のまま頷いた。 クラウンに狙われている宝石は既に、美術館の金庫に移されている。 「ではそろそろ、無関係な方にはお帰り願いたいのですが・・・」 振り向いたルベリエに、最初に反駁したのはエリアーデだった。 「私達は一番の関係者ですもの、残る権利がありますわ! ・・・そうですわね、アレイスター様?」 小首を傾げて、隣を見遣ったエリアーデは、元々そう顔色の良くない夫が、真っ青になって俯くさまに、すかさず携帯電話を取り出す。 「今すぐ救急車を・・・!」 「だ・・・だから、待つであるよ!」 彼女の手から、アレイスターは慌てて電話を取り上げた。 「だ・・・大丈夫である・・・! ただ・・・いよいよかと思うと緊張して・・・・・・!」 胃の辺りを押さえて屈み込むアレイスターを、気遣わしげに介抱していたエリアーデは、再びルベリエを睨みつける。 「こんな所にいては、アレイスター様が倒れてしまいますわ! 私達は帰らせていただきますけど、絶対に『竜の血』はお守りくださいませね!」 「・・・君、さっき残る権利がどうとか・・・・・・」 エリアーデの変わり身の早さに思わず、ティエドールが口を挟むと、彼までもがきつく睨まれた。 「アレイスター様のお身体に代わるものなんてありませんもの! さ・・・私におつかまりになって、アレイスター様・・・」 アレイスターに向けてはがらりと口調を変えて、気遣わしげな笑みを浮かべたエリアーデは、俯いた彼の顔を覗き込む。 「し・・・しかし、責任者は私なのだから・・・・・・」 「キュレーターにお任せして大丈夫ですわ。 国一番の方だと、あなたもおっしゃったではありませんか」 そう言って、エリアーデがちらりと見遣った先では、ティエドールが苦笑を浮かべていた。 「後のことは引き受けますよ。 それより、開催期間はまだまだ長いのですから、お身体お大事に」 軽く手を振ると、アレイスターは長い逡巡の後、頷く。 「では・・・後のことはよろしくお願いするである・・・・・・」 エリアーデに支えられて出て行くアレイスターを見送ったブックマンが、思わず笑みを漏らした。 「仲良しじゃの」 「・・・私の妻も、あれだけ優しくしてくれれば・・・」 羨ましげに呟いたルベリエに、部屋中の視線が集まる。 「あー・・・ともあれ」 わざとらしく咳払いして、彼は改めて辺りを睨みまわした。 「無関係な方は・・・」 「私はここのキュレーターで、君も見ての通り、クロウリー氏に後を託されたのでね。離れないよ。 そしてマリと神田は私の身内だから。 彼らにも残ってもらうからね」 のんびりとした、しかし、断固とした口調に舌打ちを堪えたルベリエは、当然のようにその場から動かないブックマンに視線を移す。 「ブックマ・・・」 「前回、私が提供した情報をおぬしが信じていれば・・・」 「お残りいただいて結構です・・・っ!!」 忌々しげに歯噛みしつつ、ルベリエは苦渋に満ちた声を歯の間から絞り出した。 「そろそろ僕、帰りますけど・・・ミッフィー君は?」 きょろきょろと辺りを見回したアレンの隣で、同じく辺りを見回したリナリーが困惑げに眉を寄せた。 「トイレに行くって出て行ったきり、帰ってこないね・・・」 「もう遅いですよ? 早く帰った方がいいんじゃないかなぁ・・・」 時計を見れば、既に8時を回っている。 「でも、おじいちゃんは今、美術館にいるんだよね?」 「迎えに来てもらおうにも、ラビは外出らんないし・・・あれ?」 ふと瞬いたアレンに、リナリーが小首を傾げた。 「どうかした?」 「うん・・・ミッフィー君は、ラビんちに入っても大丈夫なのかな? 病気うつっちゃうんじゃない?」 「そっか・・・それで兄さん、連れてきちゃったのかな・・・」 そうでなければ、あの兄が子供に構うはずもない、と言うリナリーに、アレンも頷く。 現にミッフィーを連れてきた後のコムイは、警察との交渉や臨時研究室の割り当てなどに忙しいらしく、彼を放置したままだった。 「そもそも、なんでコムイさん、ラビんちに行ったんでしょ? 写メって、わざわざミッフィー君撮りに行ったの?仕事サボって?」 「それも不思議だよね・・・」 確かにコムイはサボり魔だが、元上司とはいえ、わざわざ他人のひ孫を撮影に行くほど暇ではない。 「何かあるのかしらね、あの子」 「ラビそっくりだし・・・あの異常な記憶力の調査でもするのかな、コムイさん」 ふいっと踵を返したアレンの背に、リナリーが声をかけた。 「帰るの?」 「ちょっと研究所内探してみます。 送ってあげなきゃいけないかもしんないし」 「そうだね。 手伝ってあげたいけど・・・」 臨時の厨房からジェリーに名を呼ばれて、リナリーは舌を出す。 「お手伝い中だから、ちょっと無理。ごめんね」 「いいんですよ。 ジェリーさん、助けてあげてくださいね」 「うん! じゃあアレン君も、気をつけてね! 迷子になったら、すぐに電話してね!」 「迷子って・・・」 手を振ってカウンターへ走って行ったリナリーに苦笑を返し、アレンはホールを出た。 「どこ行っちゃったのかな。 ホント、落ち着きがないところまで、ラビそっくり・・・」 ぶつぶつと呟きながら、アレンはまず、トイレを覗いてみたが、当然、もういるはずもない。 「すみません、ミッフィー君知りませんか? ラビそっくりな、赤毛の子供なんですけど」 そう、声をかけながら、手近の研究室を次々と開けていくが、警官に封鎖された部屋や無人の部屋も含め、あの鮮やかな赤毛は見つからなかった。 「どこ行っちゃったんだ・・・」 研究所中を歩き回ったアレンは、ふと思い至って、開けたドアの向こうにいた研究員に尋ねる。 「すみません、リーバーさんはどこですか?」 と、顔見知りの研究員はにこりと笑って、リーバーの居場所を教えてくれた。 今、彼は、実験に必要な機材のある部屋を追い出されたため、普段は使っていない部屋で研究データの検討中だという。 「今あの人、すげー機嫌悪いから。 あんま邪魔すんなよ」 「わかってますよ・・・」 部屋を追い出された時の、警官に食って掛かった憤怒の形相を思い出し、アレンはぶるりと震えた。 「あんまり刺激したくないけど・・・聞くだけならいいよね・・・」 それに、と、アレンは笑みを漏らす。 「ミランダさんがケータリングに行ったきり、ホールに帰ってこなかったってことは、ちょっとは機嫌、直ってるのかもしんないし」 くすくすと軽やかな笑声をあげたアレンは、途中、何度か迷いつつも、なんとかリーバーのいる部屋にたどり着いた。 「やっと・・・見つけたぁ〜・・・・・・!」 ドアを開けた途端、ミランダの膝の上にちんまりと座ったミッフィーを見つけ、アレンは深々と吐息する。 「どうしたの、アレン君・・・なんだか疲れ果ててるわね」 「はぁ・・・ここに来るまでに、かなり迷いまして・・・」 目を丸くするミランダに、アレンは苦笑した。 「あぁ、もう9時回っちゃってる・・・1時間も迷ったんだ、僕・・・」 壁にかかった時計を見遣ったアレンは、乾いた声で呟く。 「どうした? 宝探しでもしてんのか?」 うずたかく資料が詰まれたデスクに、軽く腰を下ろしてコーヒーを飲んでいたリーバーが問うと、アレンはミッフィーを示した。 「この子、帰さなくていいのかなって。 もう夜遅いし、なんなら僕が送っていこうかと思ったんですが・・・」 「あぁ、そのことか・・・」 気まずげな視線を見交わすリーバーとミランダの間で、しかし、ミッフィーが首を振る。 「俺、ここでジジィ待ってるさ! 終わったら一緒に帰っから、ほっといてくれていいさ!」 「・・・だ、そうだ」 なぜか、一番ほっとしたような顔をして、リーバーがアレンに笑いかけた。 「それまではここで預かっとくから、お前は帰っていいぞ」 「はい。 じゃあ、お仕事がんばってくださいね!」 そう言って踵を返そうとしたアレンは、ふと留まって、ミッフィーを膝に乗せたミランダに微笑む。 「そうやってると、お母さんみたいですね!」 「あ・・・あらっ・・・そう?!」 真っ赤になって照れるミランダを見遣ったリーバーは、しかし、軽く首を振った。 「俺の息子が、こんなに生意気なはずはない」 「んなっ・・・?!」 ミランダは真っ赤になった顔を手で覆い、アレンは絶句して、まじまじとリーバーを見つめる。 「・・・? え?!あ!!今のは・・・っ!!」 ようやく自分の発言の重大さに気づいたリーバーが、慌てて立ち上がった途端、デスクが揺れて積み上げられた資料が崩れた。 「わぁぁっ!!コーヒーが!!」 「リ・・・リーバーさん!!火傷しませんでし・・・きゃあああ!!」 リーバーに駆け寄ろうとしたミランダが、長い間ミッフィーを乗せていた為にしびれた足をもつれさせ、ポットを倒して更に被害を広げる。 「ミランダさん!! ミッフィー君が潰れてる!!」 「え?! きゃあ!!ラ・・・!!」 ラビ、と叫びそうになったミランダの口を、慌てて起き上がったミッフィーが塞いだ。 「俺は大丈夫さ! それよりリーバー、資料は無事さ?!」 「あ・・・あぁ、これは検討用にプリントアウトしたもんだからな。 元のデータは別にある」 「良かったさ・・・!」 ほっと吐息した途端、訝しげな顔で状況を見守るアレンに気づき、三人が三人とも、ぎくりと顔を強張らせる。 「あの・・・」 何か言いかけようとしたアレンに、リーバーが慌てて歩み寄った。 「すまんな、驚かせて! 片付けすっから、お前はもう、ウチに帰れよ!」 言いながらドアの外に出そうとするリーバーを、アレンが肩越しに振り仰ぐ。 「お手伝いしましょうか?」 「イヤイヤ、いーっていーって! じゃあ、気をつけて帰れよ!」 「あ、はい・・・」 目の前で閉ざされたドアに向かって首を傾げ、アレンは踵を返した。 「・・・行っちゃったさ?」 「あぁ・・・」 そっとドアを開けて、外の様子を伺ったリーバーが頷くと、ミッフィーは深々と吐息した。 「びっくりしたさ・・・!」 「あー・・・すまん」 ミランダと一緒に、床に散らばった資料を拾い集めながら、リーバーは気まずげな苦笑を漏らす。 「まぁ、そんな監視してなくても、何とか解毒剤の目処は立ったからさ、後は研究室が解放されるまで待ってろよ」 「ケーサツが邪魔したせいで、せっかく精製してた薬がダメになっちまってたらどーすんさ・・・」 すっかり神の存在を疑ってかかるようになったミッフィーが、暗い声音で呟くと、リーバーはなんでもないことのように肩をすくめた。 「いいじゃねぇか。どうせ夏休みなんだろ?」 「俺の水ぼうそう続行させる気さ?! いや、その前に!!」 びしぃっと、ラビが壁の時計を示す。 「19の誕生日をこのカッコで迎えろってか!!」 「あはは・・・可愛いと思うぜ?」 笑いながらリーバーは、甲高い奇声をあげて飛び蹴りを食らわそうとしたミッフィーの足をあっさりと掴み、吊り上げた。 「それに、お前が服薬してもう90時間近くだ。 解毒薬の完成を待つまでもないかもしんないしな」 「化学者のクセにテキトーなコト言ってんじゃないさぁぁぁぁぁ!!」 吊り下げられたまま、じたじたと暴れる子供に、しかし、リーバーは首を振る。 「お前の血を調べた結果だよ。 あの巻き毛メガネが作った薬は、確かにお前の細胞自体に影響を与えてたんだが、翌日の検査では、既に白血球の増加が見られた。 今頃お前の身体ン中じゃ、白血球総動員で異物排除してっから。 もうちょっとがんばれ」 「そりゃ・・・俺の中の白血球に言ってんさ・・・?」 ずっと吊り下げられているせいで頭に血がのぼり、くらくらと目を回しつつ問えば、リーバーはようやく下ろしてくれた。 「あんだけ血ィ抜いてもこんなに元気だなんて、さすがに若いな。 どーだ、もっかいやるか、血液検査?」 「・・・・・・今度は本気で殺る気だろ・・・」 ぶるぶると震えながら、仔ウサギのように床の上にうずくまってしまったラビに、リーバーだけでなく、ミランダまでもが苦笑する。 「あんまり、いじめないでやってくださいね・・・」 「へ? いじめてないよな、俺?」 「・・・・・・自覚のないサドが一番厄介さね」 ぶつぶつと暗い声音で呟いたミッフィーは、手近に散らばる書類をまとめて立ち上がった。 「時間と言えば・・・そろそろだよな。 隣、大騒ぎしてんじゃね?」 「あぁ、どうなったんだろうな?」 拾い集めた資料をデスクに置くと、リーバーはテレビをつける。 と、チャンネルを変えるまでもなく、見慣れた美術館の正面玄関が映し出された。 『予告時間まで、1時間を切りました! 現場は否応なく緊張が高まっていますが、美術館は蟻の這い出る隙間もないほどに警官に固められ、中の様子はわかりません! えー・・・本日から開催される予定でした美術展は、開催者側により、一旦中止との発表がされております。 再開は、今夜の被害等を確認した後、と言うことです!』 「うんわー・・・大変さね」 「被害額とか、どんくらいになってんだろうな」 他人事ながら気遣わしげなリーバーに、ミランダも頷く。 「あちらの旦那さま・・・繊細そうな方でしたし、奥さまは心配でしょうね」 「うん・・・予告状が来た時のエリリン、すげー剣幕だったしな」 「エリリン・・・?」 誰、と問うリーバーを、ミッフィーが見上げた。 「開催者の奥さんさ。 エリアーデだからエリリン。常識さね」 「そうなのかよ・・・」 とは言われても、普段、ワイドショーどころか、ニュースを見る暇さえないリーバーが知るはずもない。 「今、好感度ナンバーワンだそうですよ、あの奥さま。 男の方は元より、予告状が届いて以降の放送を見た年配の女性達から、『妻の鑑』って、すごく評価されてるんですって」 「へぇ・・・」 ミランダが言い添えると、リーバーは感心したように頷いた。 「あんな美人なのに、なんでもー結婚しちゃってんさ・・・! しかも旦那にベタ惚れだなんて、この世にはぜってーカミサマなんていないさ・・・!」 ぶつぶつと暗い声音でぼやくミッフィーの頭をくしゃくしゃと撫で、リーバーはまた、デスクに軽く腰を下ろす。 「そんなに面白い映像なら、俺も見てみてぇな・・・ありゃ」 言った途端、怪盗が現れるまでの時間稼ぎか、予告状が届いた時の映像が流れ出した。 「やだ・・・酔っちゃう・・・!」 上下に揺れる映像に、ミランダがか細い声で呟いて目を逸らす。 が、興味深げに見つめるリーバーの隣で、ラビもまた、2度目の映像を目で追った。 予告状が画面に大写しになると、リーバーが笑みを漏らす。 「8月9日午後10時・・・8、9、10って、洒落かな」 「オヤジギャグなんか、子供っぽいんか・・・」 言いかけて、ラビは目を見開いた。 「ラビ君・・・どうかした?」 画面から目を離していたミランダが、ミッフィーの様子に気づいて不思議そうに問うが、彼は答えずに、部屋の端にあるパソコンに駆け寄る。 「どうした?」 「今のニュース!! 動画がアップされてるはずさ!!」 すさまじい勢いでキーボードを叩き、動画を検索したミッフィーは、中でもできるだけ画像の鮮明な映像を選び出して立ち上げた。 スローモードで送る映像を丹念に見つめ、あるワンシーンで停める。 「旦那がコケたところか」 ミッフィーの背後から画面を覗き込んだリーバーが、訝しげに眉根を寄せた。 「これがなんだ?」 「リーバー・・・!」 ミッフィーは真剣な顔で、リーバーの白衣の襟を掴む。 ミッフィーが、訝しげに顔を寄せた彼の耳に何事か囁くと、リーバーの顔もまた、真剣さを帯びた。 「・・・俺、姐さんとこ行って来るさ!!」 リーバーから離れるや、部屋を飛び出して行ったミッフィーの行動に、ミランダが目を丸くする。 「・・・どうしたんでしょう?」 「さぁ?」 ミランダの問いを、リーバーは肩をすくめて受け流した。 「姐さん!!アレンは?!」 「あぁら、ミッフィーちゃん アレンちゃんならもう、帰っちゃったわよーぅ」 臨時の食堂となったホールに飛び込んできた子供に、ジェリーはにっこりと微笑んだ。 「ミッフィーちゃん、お夜食作ったげましょうか? まだ食堂に帰れないから、店じまいする前に、あまった食材使い切っちゃわないと」 だが、カウンターによじ登った子供は、ぷるぷると首を振る。 「ごめんさ、姐さん! すげー惜しいんけど、その時間がないんさ!」 「アラん・・・お家帰るの?」 「そうじゃなくて、姐さんに聞きたいことあるんさ!!」 必死に言い募る子供に驚き、ジェリーが向き直ると、ミッフィーは真剣な顔で続けた。 「今朝あいつ・・・アレンの奴、なんでここにいたんさ?!」 「あぁ、アレンちゃんねぇ・・・」 くすくすと軽やかな笑声をあげて、ジェリーは臨時の食堂の壁に貼ったメニュー表を示す。 「一昨日、なんでかリーバーから、アレンちゃんに新メニューの試食させてやってくれ、って連絡が入ってねぇ」 それはミッフィーも知っていた。 彼がコムイの新薬を飲んでしまった後―――― 目を覚ましたアレンを家から追い出すために、ひねり出した口実だ。 「アタシが新メニューを出そうと考えてたのはホントなんだけど、それってまだ全然、試食なんて段階じゃなかったのよねぇ。 でも、そのコト言ったら、アレンちゃんがものすごくがっかりしたもんだから、可哀想で・・・。 だからその日は一緒に新メニュー考えて、昨日が試食の日だったの。 で、今日は早速のお披露目で、アレンちゃんは招待客・・・とでも言うのかしらね!」 「そか・・・じゃあ、美術館に予告状が届いた時の事なんけど・・・!」 真剣な顔で更に詰め寄る子供に、ジェリーも表情を改めて頷いた。 「あいつ・・・ちゃんと食堂にいたさ?」 「え? さぁ・・・いたんじゃない?」 自信なげな言葉を、ミッフィーは追求する。 「見てはいないんさね?!」 「だって・・・アタシ、厨房の中にいたものぉ・・・。 あの時間はちょうど、朝食の終わりと昼の仕込が重なる一番忙しい時間で、食堂内まで見ちゃいなかったわねぇ・・・」 「そか・・・!」 食堂の窓は裏庭に面し、その裏庭は美術館の裏庭と接していた。 そして研究所と美術館を隔てるフェンスは、アレンの胸辺りまでの高さしかないため、乗り越えることは容易だが・・・。 「食堂の窓・・・嵌め殺しなんさね・・・」 庭には出られない、と、ミッフィーが呟くと、ジェリーは笑って首を振った。 「出られるわよ」 「えぇっ?!そうなん?!」 「えぇ、厨房の勝手口と、裏庭の出入り口がつながってるのよ。 まぁ、正しくは、裏庭に入る小道の途中に厨房の勝手口がある、ってコトかしらね。 以前アレンちゃんが、食堂の窓からカブトムシ見つけたって出たがってた時に、教えてあげたの」 「あのヤロウ・・・。 姐さん、その勝手口って・・・姐さん達に気づかれずに出入りできるさ?」 「うーん・・・そうねぇ・・・。 厨房は広いし、コンロやシンクがいくつもあるから、アタシ達が忙しくしてる時間に紛れ込んで、台の陰に隠れながら移動したら、気づかないでしょうね。 現にコムたん・・・。 彼、その手で今朝、研究所を抜け出して、ブックマンちに行ったそうよ」 全然気づかなかったと、ジェリーは苦笑する。 「そうか・・・! ありがとさ、姐さん!!」 大声で礼を言うと、ミッフィーはカウンターを飛び降りた。 「ちょっ・・・危ないわよ?!」 案の定、配膳から戻ってきたリナリーにぶつかりそうになった子供を呼び止めようとするが、ミッフィーはするりと彼女の側をすり抜けて、ホールを駆け出ていく。 「・・・どうしたの、ミッフィー君?」 目を丸くするリナリーに、ジェリーは『さぁ?』と首を振った。 「いよいよだ!! 全員、気を引き締めてかかれ!!」 無線から、ルベリエの厳しい声が響き、美術館中に配置された警官達の背筋が、更に伸びた。 「くるなら来るがいい、泥棒が!」 自身は宝石の収められた金庫室に陣取り、ぴりぴりと神経を尖らせている。 同じ部屋では、一見、泰然自若とした老人と、暢気そうなキュレーターが、簡易椅子を並べて座り、ぼそぼそと囁きあっていた。 「相変わらず、大げさなことが好きな人だねぇ、彼は・・・。 ルノワールの時も、あぁやって警備を増やしたせいで、警官に変装したクラウンを見分けられずに、盗まれてしまったというのに・・・」 「うむ・・・だが、妙なことだと思わんか、キュレーター殿。 この件、本当に奴なのだろうか・・・」 ブックマンの問いに、ティエドールもうなりつつ頷く。 「予告状の署名は本物だった。 あの五芒星は自然についた傷じゃなくて、わざとつけたものだからね。 タイプライターのキーを円状に並べた上で、鉄串のような物で引っかいたんだよ。 幾度かなぞった痕があるのが、わざとだって言う証拠だ」 「さすがはキュレーター殿・・・目は確かじゃの」 「この程度のこと、気づいていたでしょうに」 微笑して、ティエドールは口髭をひねった。 「そして・・・あなたは彼の正体にまで迫っていた。 結局、ルベリエ君があなたの言うことを信じなかったために、逃がしちゃったけどね。 ねぇ・・・あなたの推理が正しいのなら、彼は3〜4年前に亡くなったはずだよね・・・・・・?」 「あぁ・・・」 ティエドールの指摘に動揺を見せず、ブックマンは淡々と頷く。 「あやつが現れるわけがない。 それは確かだ・・・この件、裏があるように思えてならん」 「裏・・・ねぇ・・・・・・」 顔を上げて、ティエドールはどこか遠くを見つめた。 「ねぇ、ブックマン? こんなことを言うのは大変不謹慎だと思うのだけど、彼には確か・・・」 ティエドールの言葉に、ブックマンの目が鋭さを増す。 「キュレーター殿、滅多なことは・・・」 その時、ブックマンの言葉を遮るかのように、館内を揺るがすほどの警報が響いた。 ――――・・・月のない夜だった。 警官達がひしめく美術館を、昼のように照らし出す明かりに白く染められた空では、星さえも息を潜めている。 ビルの最上階、天地の境界があいまいな狭間に立った彼は、街から立ち昇るざわめきに向かって声を張り上げた。 「Ladies&Gentlemen! I am Clown. Clown of the Phantom thief!」 大勢の観客がその目の前にいるかのように、彼は夜景に向けて優雅に一礼する。 その姿―――― 白いタキシードに白いマント。 闇の中にありながら、晧、と煌めく月に似て。 「It’s show time!」 銀の仮面で顔を覆い、彼はためらいもなく空中に一歩を踏み出した。 引力にひかれ、地上へ向けて落ちていくその半ば、彼の身体は風を捉え、闇と光が混沌とする街の中へと吸い込まれていった・・・。 時計が10時を示した途端、美術館内の明かりが一斉に落ちた。 「クラウンです!! クラウンが現れました!!」 美術館前に押し寄せた報道陣の、各所から悲鳴とも歓声ともつかない声が沸く。 玄関前に配置された警官達が機敏に動き、巨大なライトが美術館の正面玄関に向けられた。 まるでスポットライトのように照らし出される中、広いエントランスを覆うポーチの上に、白い姿が音もなく降り立つ。 途端、その姿を映そうと、報道陣のカメラが門扉に押し寄せた。 銀の仮面をつけた道化は、にぎやかな『客』達に向かって優雅に一礼し、長いマントを翻す。 軽く助走をつけて、2階の窓を蹴破った彼は、殺気立った警官達の中心に降り立った。 「怪我したくないなら下がってください」 闇の中、からかうような口調で言い放った彼に、激昂した警官達が迫る。 その包囲網がほぼ均等に狭まった瞬間、クラウンを中心に強烈な光が炸裂した。 「お大事に 視力を奪われた警官達が、互いにぶつかってもんどりうつ中を悠々とまたいで、クラウンは階段を降りる。 その途中、 「どうした?!」 「何があった?!」 階下からの問いに、クラウンは真剣な声で応じた。 「2階にクラウンが現れました! 現在、配置の者が包囲しています!」 階上から階下に降りるまでの一瞬で変装を終えた彼は、姿勢良く敬礼して言い募る。 「私は金庫室へ報告に参ります!」 踵を返した彼を、敬礼が見送った。 「・・・なんだ、意外とちょろいんだね」 口の中で呟き、クラウンは拍子抜けした表情を、警官の制帽で隠す。 そのまま真っ直ぐに金庫室へと走って行く彼の首筋が、不意にピリ、と粟立った。 「んなっ?!」 闇から現れた刃を、勘だけで避けたクラウンは、続く第二撃を警棒で受ける。 が、凄まじい威力に、受けた警棒がへし折れ、廊下の端へと弾け飛んで行った。 「いっ・・・たぁ・・・!!」 痺れた腕をかばいつつ苦鳴を漏らす彼の喉元に、刃が突きつけられる。 「観念しろ、こそ泥が」 突きつけられた刃に良く似た、冷たく鋭い声音に、クラウンは苦笑した。 「さすがに強いですね・・・!」 「さすがに・・・? こそ泥なんぞに知り合いはいねぇよ」 それとも、と、低い声音とともに、刃が返される。 「お前の正体は、俺の知ってる奴なのか?」 その言葉にぎくりとしたものの、表情には出さず、クラウンは自身の顎に接するばかりの刃先に手を添えた。 「あなたなんて・・・知りませんよっ!!」 押しのけると同時にマントで視界を塞ぎ、一気に距離を稼ぐ。 「テメェ!!」 「速っ?!」 瞬く間に追いつかれ、瞠目したクラウンは、自ら転んで頭上を薙いで行く刃を避けた。 「あんっ・・・あんたっ・・・・・・殺す気ですか!! 思いっきり真っ二つコースじゃん!!」 「あぁ?!」 闇の中で獰猛に光る目に、クラウンはびくりと震え上がる。 「殺る気もねぇで、こんなとこ来るかよ!」 「あんたそれ過剰防衛っつーんですよ?! 神が許しても法が許しませんよっ!!」 激しく抗議するクラウンに、神田は目を眇めた。 「神が許すんならいいじゃねぇか」 「あっ・・・あれ? イヤ、法が許しても神がだっけ・・・? イヤイヤ、法だって許さないから、法も神も・・・?」 「ぐだぐだ言ってんじゃねぇよ、犯罪者が!」 「あ!確かに! ・・・って!! きゃあああ!!暴力反対です!!」 襲い来る刃から転がって逃げつつ、クラウンが廊下中に響き渡るほどの悲鳴をあげる。 と、騒ぎを聞きつけた警官達が、手に手に懐中電灯を持って駆けつけてきた。 「どうした!!」 狭い廊下に一斉に押し寄せた彼らが、神田とクラウンの間に入る。 「ちっ!!」 これほど大勢の足音が響いては、さすがの神田もクラウンの動きを追うことができなかった。 「有象無象どもが・・・!」 事情を聞こうとする警官達に迫られ、神田は忌々しげに舌打ちする。 その側を、再び警官に変装したクラウンは、こそこそとすり抜けて行った。 「こ・・・怖かった・・・・・・!」 各所に立つ警官達に、律儀に敬礼しながらクラウンは、金庫室へ向かっていた。 「なんなの、あの人・・・! 普通、泥棒退治に真剣使う?!」 信じられない、とぼやいた彼は、金庫室の前に立つと、息を整える。 「いよいよ・・・です!」 大きく息を吸い込み、取っ手に手をかけた途端、手首に何かが巻きついた。 「なっ・・・?!」 「かかったな」 低い声は、クラウンのはるか頭上から響く。 「外から取っ手に触れれば、手錠に腕を捕らわれる罠だ・・・。 警官の中でも、この部屋に出入りする者にしか教えていない。 ようこそ、クラウン」 静かな声音で囁いたマリは、呆然として身じろぎもしないクラウンの肩を掴んだ。 「む・・・?」 その、妙に柔らかな感触を意外に思った瞬間、クラウンの身体が弾ける。 「なっ・・・?! 風船だと?!」 警官の制服の下に詰め込まれた風船は、マリの手の中で、薄いゴムの膜をぴろぴろと揺らしていた。 「トラップに手錠を使うのは感心しませんよ。 結構、耳に響くんですよね、金属音って」 その声は、マリの背後から響く。 「まぁ、改良は次の機会ってことにして、今夜はおやすみなさい 笑みを含んだ声を、訝しく思う間もなかった。 マリのまぶたが落ちる前に、身体が床に伸びる。 「睡眠ガスって、効果的だけどいい値段するんだよね・・・今度はコショウでも詰めておこう」 割に合わない、と、しみったれたことを呟きながら、クラウンは金庫室のドアを開けた。 「ここまで騒ぎが聞こえてくるね・・・!」 研究所のホールで、外の喧騒を耳にしたリナリーは、不安げな表情でジェリーを見上げた。 「私、兄さんとこ行ってるね・・・」 研究所に危険はないとわかっていたが、すぐ近くで犯罪行為が行われると知っていて平然としていられるほど、リナリーは豪胆ではない。 しかも、あの中にはブックマンもいるのだ。 「おじいちゃん・・・大丈夫かな・・・・・・」 気遣わしげな目を美術館の方へと向けたリナリーは、兄の研究室があるフロアから警官が消えていることに気づいて、目を見開いた。 「あれ・・・? 美術館側の部屋は、全部封鎖されたんじゃなかったっけ・・・?」 何か嫌な予感がして、足早に兄の元へと向かう途中、美術館側の研究室から出てきた大男に驚いて足を止める。 「あの・・・誰ですか・・・・・・?」 目の前が紅く染まるほどの、見事な赤毛に思わず見蕩れつつ問うと、彼はリナリーを振り向き、にこりと笑った。 「・・・っ!」 思わず顔を赤らめ、俯いてしまった彼女に、男は長い脚で宙を蹴るようにして歩み寄る。 「ここのスタッフか、可愛いお嬢さん?」 「かっ・・・可愛いなんて・・・・・・っ!」 頭から湯気をあげんばかりに赤くなったリナリーの眼前に、大きな手が差し出された。 「可愛いさ」 軽く顎にかけられた指の命じるままに顔を上げると、すぐ間近に、うっとりするほど秀麗な顔がある。 「驚かせてすまない。 俺はあの・・・」 すぃ、と、彼は顎で、出てきたばかりの研究室を示した。 「部屋を警護している奴らの、上のもんでね。 ちゃんと仕事をしているか、見回りに来たんだ」 再び、吐息が触れんばかりに迫った顔が、更に近づく。 「だが、こんなに可愛いお嬢さんがいるんだったら、もっと早くに来ればよかった。 部下には後で、連絡は正確にするようにと、厳重注意しておこう」 耳元に寄せられた唇が、軽く頬に触れる。 「じゃあまたな、お嬢さん」 「は・・・はい・・・・・・!!」 かすれた声で、何とか返事をしたリナリーは、軽く手を振って去っていった彼の背中が見えなくなった途端、へなへなとその場にへたり込んだ。 警報が止んだ部屋はしんとして、ドアがあげるかすかな軋みすら響き渡る。 扉の形をした額縁の中、闇に浮かぶ月のごとく白く輝くその姿に、ルベリエは息を呑んだ。 「クラウン・・・・・・・・・!」 押し殺した声が、驚愕の大きさを告げる。 「ふ・・・! よくもまた、のこのこと・・・! あまりに長い不在に、死んだのかと思いましたぞ・・・!」 発するうちに、段々と落ち着きを取り戻して行く声を、ルベリエは張り上げた。 「確保だ!!」 室内の警官達が一斉に飛び掛り、あっけなく押し倒された彼の白いマントが無残に踏みにじられる。 「やっ・・・!」 快哉はしかし、半ばで止まった。 「人形?!」 からからと音を立てて転がっていくマネキンの首を、ルベリエが忌々しげににらみつける。 「どこに・・・?!」 「上だ」 冷静な声が、室内に響いたと思った途端、どさりと何かが落ちてきた。 「なっ・・・?!」 「いてて・・・!」 息を呑むルベリエの眼前で、『それ』は打ったらしい鼻を押さえている。 「もう・・・暴力反対だって言ってるのにぃ・・・!」 老人が見事なコントロールで投げつけたコインを握りこんで、クラウンは仮面をつけた顔を上げた。 「最初からこれ、つけてればよかった・・・。 改めまして、ごきげんよう、皆さん」 笑みを刻んだ銀色の仮面が、恭しく一礼する。 「それとも、お久しぶり、と、申し上げた方がいいでしょうか?」 楽しげな口調は、ブックマンにとっても、ティエドールにとっても、そして、ルベリエにとってさえ、懐かしいものだった。 「・・・久しぶりだの」 笑いを堪えかねたかのような声音のブックマンの隣で、ティエドールがため息を漏らす。 「君の姿は、私のトラウマになってるんだけどねぇ・・・」 「はっ! トラウマなのは私も一緒だ! 確保しろ!!」 再びの命令に、警官達が一斉に飛び掛った。 「乱暴だなぁ、もう・・・」 ぼやきながら床を蹴ったクラウンは、鮮やかに宙を舞って、部屋の最奥に寄せられた金庫の上に降り立つ。 「あぁっ!!貴様・・・っ!!」 思わず声をあげたルベリエに、クラウンは小首を傾げた。 「そっか、これに入ってるんだ」 「ルベリエ・・・・・・」 ブックマンとティエドールに冷たい目で見られて、ルベリエが更に慌てふためく。 「はっ・・・入ってるがどうした! その金庫は、暗証番号と鍵がなければ開かないぞ!」 「あ、鍵はね、もう持ってんですよ」 じゃら、と、クラウンの白い指の間から、銀の鍵が現れた。 「さっき襲われた時に拝借しました、警視正殿」 口元に笑みを刻み、クラウンは金庫の上でかかとを鳴らす。 「後は暗証番号ですよね。何番ですか?」 「なんで教えなければならんのだっ!」 「ちぇっ。引っかからないなんて、性格悪いなぁ」 「どっちがだ!!」 地団太を踏んで絶叫するルベリエの傍らで、折り重なっていた警官達がようやく立ち上がり、クラウンに迫った。 「観念しろ、クラウン!もう逃げ場はないぞ!」 「んー? なければ作ればいいんでしょ?」 顎に指をあて、首をかしげたクラウンが、笑みを深める。 「つきましては皆さん、ちょっと下がっててください。危ないですよ?」 なめた物言いに、激昂した警官達が襲い掛かった。 途端、 「離れろ!!」 またもやブックマンが声をあげ、反射的に飛びのいた警官達を、爆風が更に押しのける。 「なっ・・・!!」 爆風が止んだ時、壁には金庫とほぼ同寸の穴が空いていた。 「いい天気♪ お隣の研究所も、こっちに面した部屋は明かりが消えちゃってるから、星がきれいに見えますね」 くすくすと軽やかな笑声をあげたクラウンは、裏庭に向かって声をあげる。 「庭にいる者!全員退避ー!!」 「私の声・・・っ?!」 ルベリエそっくりに真似た声で、庭を警護していた警官達を去らせると、クラウンは壁に空いた大穴から、金庫を裏庭に蹴り出した。 「では、ごきげんよう 続いて穴から出たクラウンは、手を振って別れを告げる。 「逃がすか!!」 追いかけようとした警官達は、しかし、裏庭側から壁に付けられた鉄の金庫に行く手を塞がれた。 「なんっと小賢しい・・・!!」 金庫の扉は、ちゃっかり外側に向いている。 「裏庭警護の者、全員戻れ!! クラウンは庭だ!!」 無線に向かって怒鳴りつけるが、何の反応も返ってこない。 「応答しろ!! 応答せんか!!」 ヒステリックに喚くルベリエの手元に、懐中電灯の光が当てられた。 「カブトムシに応答しろといっても、無理な話ではないかな?」 「虫だけに」 「ムシ――――っ?!」 ブックマンの呆れ声と、ティエドールの寒々しい洒落に血管が切れるほど怒りながら、ルベリエは壁を塞ぐ金庫を押しのけようとする警官達に声を荒げる。 「なにをやっとるんだ! さっきはクラウン一人の力で動かせた金庫だぞ! 数人がかりでまだどかせんのか!!」 と、ティエドールがのんびりと進み出た。 「あー・・・それは多分、テコの原理だよ。 彼、この暗い中で色々仕掛けしてたみたいだし」 「わかってたんならなんで止めないのですか、キュレータァァァァァ!!」 「止めても聞きゃしないよ。泥棒だもん」 「いい年して『だもん』とか言わんでいただきたいっ!!」 「ほれ、ヒステリックにわめいとらんで、こっちもテコを使えばいい話じゃろ」 きょろきょろと辺りを見回していたブックマンが、手頃な棒を差し出す。 「わっ・・・わかっておりますとも!!」 ブックマンから棒をひったくったルベリエは、それを警官に渡して金庫をどけさせた。 しかし・・・。 「ク・・・クラウンめ・・・・・・!」 既にその場にかの白い姿はなく、ただ、夏の夜風が爽やかに吹き抜けていた。 「初仕事、だーぃせーぃこーぅ ポケットに入れた宝石をまさぐりながら、クラウンは楽しげに呟いた。 裏庭を出た彼は、美術館の門扉を押し倒さんばかりに詰め寄る報道陣に紛れ、その間をするすると縫って行く。 大冒険に興奮した身体には、暑苦しく身を寄せ合う彼らの熱気すら心地よく、状況を伝えるレポーターの声には思わず『成功したよ!』と自慢しそうになる。 「危ない危ない・・・早く帰ろ」 キャップを目深に被りなおして、にんまりと緩む表情を隠した彼の腕を、その時、小さな手が掴んだ。 「・・・なに?」 驚いて振り向くと、彼の腕を取った子供がきつく睨んでくる。 「ま・・・迷子、かな?」 「ちげーよ、クラウン」 引きつった声をあげる彼に、子供はきっぱりと言い放った。 「お前だろ、クラ・・・」 クラウンは子供の口を塞ぎ、抱えあげて報道陣の間を一気に駆け抜ける。 正面玄関を離れ、人気の少ない場所にあるビルの敷地内に滑り込むと、腕の中でじたじたと暴れる子供を下ろしてやった。 「き・・・君は誰・・・?」 不自然なほどに視線を逸らしつつ問う彼を、ミッフィーは傲慢に見上げる。 「しらじらしいこと言ってんじゃねぇさ! お前が俺んちにルノワールを送ってきたんだろ!」 「あぁ・・・そうだったね・・・」 舌打ち交じりの答えを、甲高い声が更に追求した。 「なんでウチに送ってきたんさ! 確かにウチのジジィはあの事件にかかわってたけど、こんな騒ぎにして・・・」 「こんな騒ぎにしたかったんですよ」 ミッフィーの言葉を遮って、クラウンは苦笑する。 「大騒ぎになって欲しかったんです。 なんでって聞かれれば・・・そうだな、自己顕示欲? 大騒ぎの中、颯爽と盗みを成功させるなんて、カッコイイでしょ?」 にこりと、子供向けの笑みを刻む口元を睨みつけ、ミッフィーは首を振った。 「違うさ! そんなんで騙されやしねーさ!!」 強情な子供に、クラウンはため息をつく。 「じゃあ、なんて言ったら信じてくれるの? 君が言って欲しいことを、なーんでも言ってあげるよ?」 くすくすと、軽やかな笑声をあげるクラウンを、ミッフィーは更にきつく睨みつけた。 「お前の本当の目的は、宝石なんかじゃない。 美術館に人目を集めて・・・本当の狙いは、研究所の研究データさ!!」 途端、クラウンの笑みが凍りつく。 「研究データ・・・って・・・?」 とぼけようとした声は、自分でもわかるほどに引きつって、生意気な子供の指摘が図星であったことを教えてしまった。 「長寿遺伝子を活性化する酵母の研究。 今、世界各国で開発競争がされている研究さ! あの研究所じゃ、イカれてっけど優秀な所長とその部下達が、新薬の完成間近までこぎつけてる。 その研究データの価値はもう、『竜の血』がいくつも買えるくらい高額になってっさ!」 「・・・・・・小さいのに、難しい言葉をよく知ってるんだね」 吐息と共に吐かれた声には、悔しげな色が混じっている。 「さぁ!答えろよ! どうして俺んちにあの絵を送って来たんさ?!」 再度の問いに、クラウンは観念したように肩をすくめた。 「だって、ブックマンは警察とも懇意でしょう? 彼が間に入れば、すんなりとコトが運ぶと思ったんです」 自棄のように言い放ち、深々とため息をつく。 「実際、その通りになったでしょ? クロウリーさんは警察に人脈持ってないもん。 ブックマンが間に入りでもしなけりゃ、いくら美人の奥さんがねじ込んだって、こうも早く進行しませんでしたよ」 「だったらもっと早く・・・」 「君は小さいから、わかんないかな? マスコミも世間もね、すごく・・・飽きっぽいんですよ」 くすりと笑みを漏らし、クラウンはポケットから、大きなルビーを取り出した。 「騒ぎを起こしたいなら、このタイミングがベストだったんです。 まぁ僕としては、絵や宝石より、お金の方が好きなんですけどね。 美術館って、現金は展示してないでしょ?」 彼のあまりに散文的な言い様に、ミッフィーはがくりと肩を落とす。 「・・・お前、怪盗のクセにそんなにロマンのないことでいいんさ?」 「今時の怪盗は、宝石よりも価値あるものを知ってんですよ。 宝石なんて盗んだって、買い叩かれるのが関の山。高値でなんて売れやしねーんです。 浪費家のおっさんに憑かれてるせいで、お金はいくらあっても足りないし・・・高く売れるに越したことはないんですよ」 ぺらぺらと聞きたくもないことを並べる『怪盗』に脱力して、ミッフィーはしゃがみこんでしまった。 「・・・・・・怪盗に夢見てた奴らに謝れコノヤロウ」 「それは君から言っといて からかうような口調に顔を上げると、目の前が白い幕に覆われ、白い怪盗が現れる。 「じゃあね、坊や おじいちゃんによろしく 「まっ・・・待てっ!!」 マントを翻して背を向けたクラウンを、ミッフィーが睨んだ。 「逃がさないさ!!」 叫んだ途端、ビムッ!と、空気を裂く音がする。 「・・・・・・」 クラウンが、マントに丸く開いた焼け跡を見下ろした。 「・・・・・・・・・」 ミッフィーが、生ぬるい風に乗って漂ってくる焦げ臭いにおいに鼻を引くつかせる。 「・・・・・・・・・・・・」 クラウンの愕然とした目が、ミッフィーの目を見つめた―――― 正確には、その、眼帯を。 「・・・・・・うわっ!!ビーム出た!!」 長い長い沈黙の後、ようやく声を発したミッフィーに、クラウンが絶叫した。 「どいつもこいつも・・・暴力反対だって言ってるのにぃぃぃぃぃ!!!!」 「お・・・俺だって冗談だと思ってたんさ!! ってか、なんでビーム出たんかわかんねぇぇぇぇ!!」 ミッフィーが叫んだ途端、また眼帯がビームを発する。 「あぶっ・・・あぶ――――っっ!!!!」 悲鳴を上げて、奇妙なダンスを踊る道化は間近の樹上に逃げ込んだ。 「君、ちょっと落ち着いて! そっ・・・そうだ、深呼吸しよう!深呼吸!!」 すはすはと、まずは自分がせわしなく呼吸をする。 「あ・・・あぁ、しんこきゅー・・・!!」 すはすはと、呆然としながらも深呼吸をするミッフィーの目が、くるくると回りだした。 「あ・・・あれ・・・? び・・・びっくりしすぎたからさ・・・? 目が回るさ・・・・・・」 こて、と、路上に倒れこんだミッフィーの姿に、クラウンが慌てる。 「ミッフィー君!!」 樹から飛び降りようとした時、騒ぎを聞きつけたビルの警備員が駆けて来るのが見えた。 「・・・っ!」 咄嗟に樹影に身を隠した彼は、警備員がミッフィーを抱えて、ビルの中へ戻って行くまでを見守る。 「・・・大丈夫かな」 樹上から飛び降りたクラウンは、気遣わしげに警備員の消えた方を見遣ったが、ややして、決然と踵を返した。 「ラビ?!」 研究所の近くにある、オフィスビルの警備員から連絡を受けたリーバーは、部下達と共に警備員室に駆けつけた。 「どうもお世話になりまして!」 部下達が、ミッフィーをストレッチャーに乗せる傍らで、リーバーは警備員に礼を述べる。 「この子が・・・病院じゃなくてそちらに連絡するようにと言うので・・・」 と、警備員は困惑げに、意識を手放した子供を見遣った。 「あの・・・本当に救急車を呼ばなくていいんでしょうか・・・?」 「えぇ、ウチは医療施設でもあるんで!」 リーバーがきっぱりと言うと、彼はほっとしたように頷く。 「では、お任せします」 「はい!ありがとうございました!」 もう一度礼を述べて、リーバーは部下達と共に急いで研究所へと戻った。 そのままいつもの研究室前に駆け込み、 「おい、もう泥棒騒ぎは終わったんだろ!とっとと解放しろ!!」 と、研究室を塞ぐ警官を怒鳴りつけるが、相手は『怪盗が見つかるまでは閉鎖する』と、聞き入れない。 「子供の命がかかってんだよ! なんかあったら上司ごと責任取らせっぞ!!」 命に対してか責任に対してか、もしくはそのどちらもが効力を発したのか、リーバーの剣幕に抗いかねた警官が、ようやく道をあけた。 「よっし! おい、運び込め!!」 ストレッチャーごと運び入れられたミッフィーに、研究員達は慣れた動きで機材をあてていく。 「班長! 心拍数、かなり高いです!」 「血液中の白血球数も!!」 「解毒剤は精製できたか?!」 リーバーの大声に、研究員達の気が更に引き締まった。 「すんません!もうちょっと待ってください!!」 戦場のように騒がしくなった室内に、ひときわ大きな声が上がる。 「班長!!ラビが!!」 一斉に視線を集めた先で、その変化は急激に起こった。 ―――― それは、ブックマン秘蔵の酒をこっそり飲んだ次の日と、同じような気分だった。 「・・・・・・気持ち悪ぃ〜〜〜〜!」 気遣わしげにラビを見つめていた研究員達は、ようやく目を開けた彼に、ほっと吐息する。 「よかった・・・!」 目に涙を浮かべて、大きな手を頬に添えてきたリーバーを、ラビは軽く睨みつけた。 「なにがよかったんさ・・・。 頭いてーし目は回るし吐き気はするし、散々・・・・・・っ」 ぶつぶつとぼやいていたラビは、額にかざした自身の手の大きさに絶句する。 「手・・・が・・・・・・!」 体調不良も忘れて、ベッドに起き上がったラビは、スタッフが掲げてくれた鏡に映る自分の姿に感涙した。 「も・・・戻ってるさぁぁぁぁぁぁ!!!!」 「おめでとう!」 ラビの絶叫に研究員達の歓声が重なり、部屋は、先ほどまでとは違う喧騒に満たされる。 更には、 「アーンド!」 「HappyBirthday〜〜〜〜!!!!」 全員が、壁にかかった時計を示し、まさにその瞬間、ラビが誕生日を迎えたことを教えた。 「う・・・!!」 ぼろぼろとこぼれる涙を、ラビはこぶしで拭う。 「ありがとさ、みんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 無事に誕生日を迎えられたことに心底感謝しながら、ラビは、研究員達の歌うバースデーソングにまた涙をこぼした。 「逃げられちゃったねぇ」 ようやく電源の復旧した美術館で、ティエドールはどこかのんびりと呟いた。 「暴力反対だのとぬかしながら、配電盤は爆破するわ、窓は蹴破るわ、壁に穴開けるわ、とんでもない奴じゃ」 口調だけはしかつめらしく、しかし、表情はなぜか和やかに、ブックマンが応じる。 と、まんまとしてやられたルベリエが、忌々しげに表情を歪めた。 「茶飲み話なら、別の場所でやっていただけますかな?! こちらはあなた方と違って、まだ忙しいのですよ!! まんまと宝石を盗まれて、どう面目を施したものやら・・・!」 ほとんど八つ当たり気味に言い放つと、ブックマンとティエドールは、意外そうに顔を見合わせる。 「・・・聞いておらなんだのか?」 ややして、ブックマンに問われたルベリエは、こめかみを引きつらせた。 「一体、何のことですかな?!」 イライラとした口調は、偽っているようには見えない。 ブックマンが再度口を開こうとした時、 「ご説明は私からさせていただきます、警視正」 端然と歩み寄ったリンクが、姿勢よく敬礼した。 「う・・・うむ、どうしたのかね?」 部下の前で威儀を正したルベリエが問うと、リンクは一礼する。 「ご報告せず、申し訳ありません。 現場指揮官として、『竜の血』の保管場所を変更させていただきました」 「なんっ・・・?! で・・・では、クラウンが盗って行った物は・・・?!」 声を上ずらせるルベリエの眼前で、リンクはティエドールへ手を差し伸べた。 「キュレーターにお願いし、急ぎで偽の『竜の血』を作っていただきました」 「大変だったんだよー。 色は当然のこと、形と重さと、感触までそっくりな物を短時間で作るって」 とは言いつつも、いたずらっぽく舌を出したティエドールは、どこか楽しげだった。 「ご報告せず、申し訳ありません」 再び言ったリンクに、ルベリエは首を振る。 「いや!おかげで宝石は無事だったのだろう?!」 囮にされたことは気に入らないものの、面目を保てたことは喜ばしいことだ。 「それで、宝石はどこに?」 性急に問うルベリエに、リンクはまた一礼した。 「ご夫妻のお手元に。 美術館を出られる際、夫人にお願いしました」 「なんと・・・! では、三世のあれは演技だったのかね?!」 「いえ、あれは本当です。 ご夫妻には隙を見て、こっそりお願いしようと思っていたのですが、折りよくご主人があのようになりましたので」 淡々と言い募るリンクに、ブックマンが何度も頷く。 「咄嗟の状況を利用するとは、優秀じゃの」 「恐れ入ります」 てらうことなく答えたリンクに、更に感心して頷いた。 「では・・・私はそろそろ、お暇するとしよう。 長居してすまんかったな」 「おや、ブックマン。 最後まで見て行かれないので?」 ティエドールが意外そうに問うと、彼はどこかいたずらっぽい笑みを浮かべて振り返る。 「優秀な警部がおるのだ、必要なかろう。 それに――――」 と、ブックマンは一旦、言葉を切った。 「明日は孫の誕生日でな。 驚かせてやろうと、企んでおるんじゃよ」 では、と、改めてルベリエに一礼したブックマンに、ルベリエも不満げながら礼を返す。 「後は任せたぞ」 ルベリエの腕を軽く叩き、ブックマンは悠然と部屋を出て行った。 翌朝。 自室のベッドの中で目を覚ましたラビは、目の前にかざした手のひらが、いつもと同じであることを確認して、ほっと吐息した。 「なんか・・・悪い夢見てた気分さ・・・・・・!」 乾いた笑声を上げながら起き上がり、ドアを開けたラビは、寝ぼけ眼を見開いた。 「・・・・・・・・・・・・なんだ、これ?」 目に飛び込んできたのは、赤・黄色・ピンク・水色と言った、鮮やかな色彩。 壁も階段も、全てがロリポップのような色で飾られていた。 と、丸くなった目の端で、わさわさと水色がうごめく。 ラビが、油の切れた鉄人形のような動きでそちらに首を向けると、金髪を胸元までたらした水色ドレスのアリスが、にっこりと微笑んだ。 「おはよう、ウサギさん お寝坊さんなのね 「リナ――――――――?!」 ラビの絶叫に、階段からイカレ帽子屋とチェシャ猫が顔を覗かせる。 「おっはよー どう? 可愛いでしょ、リナリーのアリス 我がことのように自慢げに、イカレ帽子屋の格好をしたコムイが笑うと、ずれた猫耳の位置を直しながら、アレンも笑った。 「ようこそワンダー・ワールドへ! さぁ、ウサ耳を付けてください、ラビ!!」 「え?!あぁ、サンキュ・・・じゃなくて!!」 アレンが渡したウサ耳を手にしたまま、ラビが絶叫する。 「なんなん?! 突然なんなん?! どういう世界設定、コレ?!」 けたたましく喚きたてるラビの隣で、リナリーがにこにこと笑った。 「えぇー?ラビ、アリス知らなかった? 不思議の国だよ 「うん、不思議さ! 不思議すぎてワケわかんないさ!! なにが起こってるのかを説明してくれ、まず!!」 「だーかーらー! 君の誕生日に仮装パーティだよ。 鈍いなぁー!」 イカレ帽子屋の小ばかにした言い様に、ラビがこめかみを引きつらせる。 「おぉーぃ・・・。 ドア開けた途端に不思議の世界へ強制連行された俺にゆってくれるさ、そゆこと?」 「んもー。 細かいことはどうだっていいじゃないですかぁ」 中々うまくはまらない猫耳を諦め、アレンが白い頭をかいた。 「お誕生日おめでとう、ラビ 下でみんなが待ってるよ」 「あ・・・あぁ・・・・・・」 もはや抵抗する気も失せて、ラビは階下へと降りる―――― そこは、2階以上の別世界だった。 「ユ・・・ユ・・・ユウ・・・ちゃん・・・・・・?!」 愕然と目を見開き、引きつった声をかけた途端、壮絶に美しいハートの女王が、殺気に満ちた目でぎろりと睨んでくる。 「いつまでも寝てんじゃねぇよ、馬鹿ウサギ! こちとらとっととこの馬鹿騒ぎを終えてぇんだ!」 「かっ・・・神田君、落ち着いて・・・! その・・・すごくきれいよ・・・?」 赤子を抱いた侯爵夫人に扮するミランダの、的外れな褒め言葉に、神田の機嫌は更に悪化した。 「ま・・・まぁ、美人って言われても、嬉しくないだろうけどな!」 リーバーがすかさずフォローして、神田からミランダを引き離す。 彼女の代わりにラビに歩み寄ったリーバーは、すっかり大きくなったラビの頭を、くしゃりと撫でた。 「イヤ・・・よかったな、ホント。 お前のおかげで、研究データも無事だったしな!」 「研究データ?」 ミランダが不思議そうに首を傾げると、リーバーが大きく頷く。 「実は、昨日の美術館の騒動・・・あれ自体は陽動で、本当の狙いはウチの研究所の、長寿遺伝子を活性化する酵母の研究データだったんだ」 「なっ・・・?! あの道化ヤロウが!!」 こぶしを握って激怒する神田の背後で、なぜかアレンが気まずげに顔を逸らした。 「でも、ラビが『気をつけろ』って教えてくれたおかげで、本物のデータは全部別の場所に移して、偽のデータを置いといたんだよな」 「えぅっ?!」 奇声を上げたアレンを、みなが訝しげに見遣る。 「えっ・・・えとっ・・・! すごいですね、ラビ!! おうちにいたのに、そんなことわかっちゃうなんて!」 慌てて言いつくろうと、今度はみなが頷いた。 「ホント!すごいよねぇ・・・!」 「勘働きだけはいいよな、お前」 「推理って言えよ、ユウちゃん!」 「けど・・・」 やや声を潜めて、リーバーがリナリーに手を伸ばす。 「お前にゃ、言っときゃよかったなぁ・・・。 まさか、遭遇するなんてな・・・」 「なっ・・・?! リナリー、し・・・泥棒に会ったんですか?!」 途端、リナリーが顔を赤らめて頷いた。 「ど・・・どしたんさ・・・?」 怖い思いをしたのなら、普通は青くなるもんだろうと、ラビが首を傾げると、リナリーは無言で首を振る。 その傍らで、コムイが忌々しげに爪を噛んだ。 「泥棒のヤツ・・・! 研究データは盗み損ねたくせに、リナリーのハートは盗みやがったっ!!!!」 「んな――――――――――――っっ?!」 大絶叫が合唱する中、リナリーは兄の言葉を否定しもせず、真っ赤になって俯く。 「そ・・・そんなっ・・・!!本当なんですかぁぁぁぁ?!」 他を圧して響くアレンの泣き声に、リナリーは更に顔を赤くした。 「リナリーが・・・リナリーが泥棒なんぞに・・・・!!」 顔を覆って泣き出したアレンの肩を、ジェリーが苦笑して抱いてやる。 「ホラホラ、いい加減にしなさい、アンタ達。 ラビも起きて来たんだし、パーティ始めましょ 正直言って、ラビ自身ですら、誕生日パーティどころではなかったが、ジェリーがてきぱきと配ったグラスを持たされた客達は、ほとんどが蒼ざめた顔で乾杯を唱和した・・・。 「アレン、ちょっと来るさ」 乾杯を終えて、幾度か杯を重ねるうちに、段々気分も落ち着いてきたラビは、ヤケ食いに走っているアレンに声をかけた。 「なにー? ・・・ぎゃんっ!!」 駆け寄った途端、頭にげんこつを落とされて、アレンが悲鳴をあげる。 「なにすんだー!!」 泣声をあげるアレンに、しかし、ラビは鼻を鳴らした。 「これで勘弁してやるさ、悪ガキ! もう二度と、怪盗ごっこなんざすんじゃねェぞ!」 「え?!」 目を見開いたアレンは、慌てて口をつぐむが、なんでわかったの、と、目が口ほどにものを言う。 「にーちゃんを甘くみんなよ! お前、美術館に予告状を届けに行った時、クロちゃんに巻き込まれてコケたろ? お前は変装したつもりだったかもしんねーけど、バレバレだっつーんさ!」 「う・・・・・・」 痛む頭を抱えて、黙りこんだアレンを見下ろし、ラビは吐息した。 「大成功なんかじゃあるもんか! お前、宝石はちゃんと返して・・・・・・」 「宝石?」 その言葉を聞きとがめた神田が、鋭い目で二人を見遣る。 「宝石がどうかしたか?」 「あ・・・あぁ! クラウンの目的が研究データだったんなら、あの宝石どうしたんだろうなって話を・・・!」 慌ててごまかしたラビに、神田が鼻を鳴らした。 「捨ててるだろうよ」 「捨て・・・?! だってあれ、高価な宝石・・・!」 目を見開くアレンに、神田は首を振る。 「ちげーよ。 あれはウチのオヤジが、ありあわせの材料で作った偽もんだ。 価格で言ったら・・・いや、材料にはその辺にあったガラスとか使ってたから、原材料代すらかかってねぇんじゃねぇのか?」 「なんっ・・・?!」 「いやー。 悪いことって、できねーもんさねー」 絶句したアレンの頭を撫でながら、ラビが愉快そうに笑った。 「・・・で? なんであんなことやったんさ?」 客達が帰った後、一人だけ引き止めたアレンにラビが問うと、彼はぷぃっと顔を背けた。 「なんだよ、教えろよー! アレンは俺のこと、大好きなんだろ?」 「・・・なに寝ボケたこと言ってんですか。そんなわけないでしょ」 顔を背けたまま、冷淡に言い放ったアレンに、ラビはにんまりと笑う。 「そか? ミッフィーに聞いたんけど?」 「・・・っ!!」 そむけた顔が、首まで赤くなっていく様に、ラビは笑声をあげた。 「言いたくないんなら別にいいけどー?」 突き止めるし、と、ラビは心中に呟く。 「せっかく俺の中に、少年探偵の才能を発見したんだもんな! これも意外と便利だったし 機嫌よく言って、ラビはコムイからもらったバンダナを被った。 「これからも使わせてもら・・・」 ぽち、と、指がボタンに触れた途端、バンダナから閃光があふれる。 階下で起こった凄まじい爆発音に、老体に鞭打って徹夜で飾りつけをしたブックマンが、驚いて飛び起きた・・・。 ・・・―――― 数ヵ月後。 某大国で、あるサプリメントを摂取した人々が、次々に幼児化するという事件が起こった。 その信じがたい事件の概要は国家機密として、重要書類の奥深くに埋もれることになったという。 Fin. |
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2008年ラビお誕生会SSでした! 完成したの、8/10AM8:37・・・。 徹夜してようやく出来上がりましたよーん;; 推敲する余力がなかったので、推敲まで終わったのは午後7時近くでした(^▽^;) 『名探偵』とぶってた割には、ラビはあんまり優秀な探偵でなかった気が・・・。(をい) 時計型麻酔銃、なんで使わなかったんでしょうねぇ。>忘れてたって正直に言えよ。 でも、6月からちまちま貯めていたシチュエーションは全て消化できたので、満足です! クロちゃんとエリリンのバカップルぶりは、書いてて楽しかったし(笑) ナンパな師匠も!!(をい) リバミラはデフォです。>がんばれ、俺! 怪盗がどこから人形や風船を出したのか、なんてコトは聞かないのが法律です。>法律なんだ。 |