† Lenalee’s Adventures in Wonderland †
暖かな日差しがさんさんと降り注ぐ、穏やかな昼下がりのこと。 川岸の木陰で本を読むミランダの膝の上に、頭を乗せて寝転んでいたリナリーは、退屈しきって、手近の花をやや乱暴な手つきで摘んだ。 「今日は面白いことが―――― 起こる。起こらない。起こる。起こらない」 花弁を一枚一枚ちぎりつつ呟く彼女を、ミランダが苦笑して見遣る。 「退屈?」 その問いには頷いて応え、リナリーは手にした花弁をちぎり続けた。 「起こる。起こらない。起こ・・・」 その時、強い風が川面を吹き抜け、リナリーの口を塞ぐ。 パラパラとめくられるページを慌てて押さえ、ぎゅっと目をつぶったミランダの傍らに半身を起こしたリナリーは、その手から吹き飛ばされた花の行方を追った。 ―――― と、その視線の先を、奇妙な生き物が通り過ぎる。 赤い毛並みのウサギが、追い風にあおられるようにして、ころころと駆けて行ったのだ。 いや、それだけなら特に、不思議な光景ではない。 大風に驚いたウサギが草むらから飛び出してきたのだろうと、その程度のことだ。 しかし、それはまったくもって奇妙な光景だった。 ウサギは・・・それをウサギと呼んでいいのなら、普通は着ていないはずの礼装をきちんと着込み、上着のポケットから取り出した懐中時計にちらちらと緑色の目を走らせながら、『遅刻さ!遅刻しちゃうさ!!』と、切羽詰った声をあげているのだ。 リナリーはすっくと立ち上がると、まだ渦巻く大風に、困惑げに目を閉じるミランダを置いて駆け出した。 餌を狙う猛禽のような素早さでウサギを追いかけ、追いついて、その襟首を捕まえる。 「んなっ・・・?!」 突然の暴挙に、ウサギは目をまん丸にしてリナリーを見上げた。 「なんなんさ、おまえっ!!」 じたじたと暴れるウサギの襟首を持ってぶら下げたまま、リナリーは興味津々とその姿を見つめる。 「変なウサギ・・・ねぇ、なんで話せるの?」 不思議そうに問う彼女に、ウサギは思いっきり訝しげに眉をひそめた。 「おまえは家族や友達に、『なんで話せるの?』って聞くんさ?!」 「ううん・・・。 だって、兄さん達や友達がお話できるのは当たり前だもん・・・・・・」 リナリーが困惑げに首を振ると、ウサギはさも馬鹿にしたように鼻を鳴らす。 「だったら俺にもそんなこと聞くんじゃないさ!」 ウサギが話すのは当然のことだと言われて、リナリーは納得しがたいながらも頷いた。 その隙に、ウサギはリナリーの手を振りほどいて逃げ出す。 「あ!待って、ウサギさん!!」 「誰が待つかっ!!」 なりふり構わず、四本足で駆け出したウサギは、一気に野原を駆けて距離を稼いだ。 「こっ・・・こんだけ逃げりゃもう、追いついちゃ・・・早っ?!」 振り返れば、すぐ後ろにいた少女の姿に、ウサギは泡を食って逃げ出す。 が、足には十分自信のある彼が、ちっとも彼女を引き離すことができなかった。 「なんなんさ、この子供――――っ?!」 悲鳴をあげながら、ウサギは野原の草の陰にあった、大きな穴の中に飛び込む。 「待ちなさい!!」 リナリーも、大声をあげてその後に続いた。 が、 「きゃあああああああ!!!!」 思った以上に深い穴に、喉から悲鳴がほとばしる。 「なにっ・・・なんなのぉっ?!」 さては井戸にでも落ちてしまったかと、恐怖に身を縮こまらせ、間もなく来るだろう衝撃を覚悟した。 そう、覚悟を決めるだけの時間があったのに・・・衝撃は、いつまでもやって来ない。 「なんで・・・?」 恐る恐る目を開ければ、暗い暗い穴の中を、リナリーは未だに落下中だった。 下へ下へ下へ・・・。 まるで羽が風に舞いながら落ちていくように、ゆっくりとリナリーは落ちていった。 そうするうちに、段々と目も闇に慣れ、落ちることにも慣れていって、リナリーは傍らを過ぎていく景色に目を凝らす。 「変なの・・・列車の中にいるみたいだわ」 そう、それはまさに、列車内の光景だった。 落ちているのは自分なのに、周りが動いているようにしか見えない。 ただ違うのは、 「手を伸ばせば、壁にさわれちゃうことね」 と、リナリーは手を伸ばした。 井戸かと思った穴は、なぜか壁に絵や地図がかけてあり、棚まで設えられて、その中は本や食器で埋まっている。 リナリーは落ちながら、手にかかったものを取り上げた。 「変な地図・・・こんなの、どこでも見たことがないよ」 丁寧に巻かれたそれを広げ、リナリーは逆さまになったまま首を傾げる。 「陸に囲まれてるんじゃ、海じゃないでしょうに・・・」 なのにそこには、『海亀の家』と印がつけてあった。 「どんな所なのかな。海亀が飼われてるのかな・・・」 あまりにも長い間落ちすぎて、すっかり落ち着いてしまったリナリーは、逆さまのままうとうとし始める。 「もう飽きちゃったよ・・・。 海亀の家の地図より、この穴の地図はないの?」 眠ってしまわないよう、ぶつぶつと呟きながら、リナリーは壁にかけられた地図らしき物が通り過ぎる度に目を凝らすが、よく見えないままに下へと落ちていった。 「話し相手がいればなぁ・・・。 こんなことなら、ミランダ姉さんの手を引いてくればよかった。 それにさっきのウサギ、なんで逃げちゃうんだよ・・・。 こんなに長いこと落ちるんだったら、あの子だって話し相手が欲しいはずよ?」 ねぇ、と、壁に向かって同意を求めたリナリーは、無言で返されて頬を膨らませる。 「話し相手がいないなら・・・そうね、猫でもいればいいのに・・・。 白くて・・・銀色の目をした可愛い子猫・・・・・・ しぱしぱする目をこすりながら、ぶつぶつと呟く彼女にしかし、誰からも返事はなかった。 「猫・・・猫みたいに・・・身体をひねって降りなくちゃいけないの・・・・・・こうやって」 彼女の飼い猫達が上手にやって見せるように、リナリーは身体をひねって着地の態勢を整える。 「こうすれば、どんなに高い所から落ちても大丈夫なのよ」 ぼんやりとした声で呟いた時、ばさっと何かが彼女を包み込んだ。 「ふぁっ?!」 大きな目を丸くして見回すと、大きな大きな・・・リナリーの身体なんか、簡単に埋もれてしまうくらい大きな枯葉の山が、彼女を受け止めている。 「び・・・びっくりしたぁ・・・・・・」 でも、ようやく落ちるのは止まったと、リナリーはもそもそと枯葉の中から這い出した。 「・・・猫の着地をお見せできなかったのは残念だけど、初めてにしては上手に落ちたはずよ、私」 誰に言うでもなく、頭の上にある真っ暗な穴を見上げながら呟いたリナリーは、ようやく下ろした目の端に赤い毛並みを捉えて、すっくと立ち上がる。 すぐさま風をきって走り、言葉通り、脱兎の勢いで逃げていくウサギを追いかけた。 「待ちなさい、ウサギ!!」 「んなっ・・・なんなんさお前ェェェェッ!!!!」 泣き声をあげながら、長い長い廊下を逃げていくウサギをリナリーは追いかける。 が、もうすぐ追いつく、という所で、ウサギはリナリーの手をかいくぐって角を曲がり、彼女の視界から隠れた一瞬で、ドアが閉まる音と共に消えてしまった。 「・・・どこ行っちゃったの!」 曲がった先は、まだまだ長く伸びる廊下で、両の壁には大小さまざまの扉が設えてある。 しかし、それらのどれにもしっかりと鍵がかかっていて、リナリーは、廊下のまん中で困り果ててしまった。 「どうしよう・・・・・・」 不安げに呟いた時、突然、彼女の背後に小さなガラスのテーブルが現れた。 「・・・・・・こんなの、今までなかったわよね」 あまりにも怪しい現れ方をしたテーブルの上には、しかし、希望のように金色に光る、小さな鍵が乗っている。 「鍵・・・・・・」 リナリーは恐る恐る、テーブルの鍵を取った。 「でも、どのドアの鍵かしら・・・?」 長い長い廊下には、数え切れないほどの扉が連なっている。 しばらく、手の中の鍵とドアとを見比べていたリナリーは、決然と頷いた。 「考えているより、やってみたほうがいいよね!」 言うや、彼女は次々に鍵穴へ鍵を差し込んでいく。 何度も何度も何度も失敗した挙句・・・小さな扉の鍵穴に、それはぴったりと収まった。 「きゃあ 歓声をあげて開けてみると、その先は小さな通路になっている。 ネズミの作った通り道かと思うほどに小さなそこを、膝をついて覗いてみると、その先にきれいな庭が見えた。 「あぁん・・・!あそこに行けたらいいのに・・・!」 もどかしげに呟きながら、扉の向こうを見つめていたリナリーは、随分経ってからようやく諦めて顔をあげる。 「ダメダメ。 私があのウサギくらい小さくなんない限りは、通れっこないわ」 でも、と、リナリーは同じ壁際に並ぶ扉の数々を見渡した。 「私でも通れるドアなら、いくらでもあるじゃない!」 後は鍵を見つけるだけだ、と、リナリーがいくらか期待をこめて、長い長い廊下を見遣ると、彼女が小さな鍵を手に入れたテーブルの上に、何か光る物が乗っている。 「鍵かしら?!」 駆け寄れば、天井からの弱々しい光を弾くそれは鍵ではなく、細い首にラベルを取り付けた小瓶だった。 「・・・飲んで、って?」 何の瓶だろうと、めくったラベルに書いてあった言葉に、リナリーは首をひねる。 「飲んでって、これを?」 怪しい・・・と、リナリーは思いっきり眉根を寄せた。 「これを飲んじゃったら私、コムイ兄さんが作ったお薬を飲んじゃった時みたいに、猫になったりちっちゃくなったりするのかしら・・・。 ・・・・・・ちっちゃく?」 はっとして、リナリーは瓶のふたを開ける。 「ちっちゃくなれるかも!!」 期待と不安のせめぎあいは、瓶から立ち昇る甘い香りによって、期待が勝利を収めた。 それでも用心深く、ちろりと出した舌にほんの少しの液体を乗せて、味わってみる。 「・・・おいし つい安心してしまったリナリーは、甘くてとろりとした液体を飲み干して変化を待った。 と、嬉しい事に、どんどん身体が縮んでいく。 「やったぁ これであのドアをくぐれるわ 歓声をあげるや、リナリーはすぐさま扉に駆け寄った。 が、うっかり鍵を閉めてしまったらしく、扉はびくともしない。 「そんな・・・鍵は?!」 きょろきょろと辺りを見回したリナリーは、遥か頭上のものとなってしまったテーブルのガラス越しに、金色の輝きを見つけた。 「やだ・・・あんな所にあるよ!」 鍵を見つけたリナリーは、果敢にもテーブルの脚を登ろうとしたが、ガラス製のそれは滑らかで手がかりもない上、もし脚の一番上にまで登れたとしても、そこからテーブルの上に乗る術は見つかりそうにない。 「どうしよ・・・・・・」 テーブルの脚に背を預けて座り込んだリナリーの目に、涙が浮かんだ。 「ここから出たいよう・・・! でも、もし出られたって、こんなにちっちゃくなったんじゃ、コムイ兄さんもミランダ姉さんも、リナのことに気づいてくれないよ・・・」 それどころか、と、リナリーは恐ろしい予想に蒼褪める。 「もし・・・もし、こんなにちっちゃいまんまでおうちに戻ったら・・・! 意地悪なユウや、いたずら好きのアレンにいじめられて、ぱっくり食べられちゃうかも!」 黒白二匹の飼い猫の姿は、今の自分にはどれほど大きく見えるだろうかと想像し、震え上がったリナリーは、ぽろぽろと涙を零す目を懸命に拭った。 「兄さぁん・・・!助けてぇ・・・・・・!」 膝を抱えて泣きじゃくるリナリーは、涙を拭った目にちらりと、小さな箱を捉える。 「もしかして!」 慌てるあまり、立ち上がることも忘れて、リナリーは猫のように四つん這いで箱ににじり寄った。 膝の上に乗せた箱を開けると、中のケーキの上にはアンゼリカで『食べて』と書いてある。 「よろこんで!」 これできっと大きくなれるに違いないと、妙に確信を持ったリナリーは、あっという間にケーキを平らげた。 すると思った通り、リナリーの背はぐんぐんと伸びていく。 「よかった!! これでもう、元通りよ! ユウ、アレン、私をぱっくり食べちゃえなくて、残念だったわね クスクスと笑っていたリナリーは、しかし、間もなく目を丸くして、足元を見つめることとなった。 「どこまで伸びちゃうのよ!!」 頭は既に天井につかえて、リナリーは懸命に腰を屈めなければ立っていられないほど大きくなっている。 ようやく手にした鍵で、目当ての扉を開けても、望遠鏡を覗くように、片目でしか見られなくなっていた。 「ひどいよ、兄さん!!」 こんないたずらをするのは兄だという確信を持って呟いた彼女は、すぐにあの奇特な兄が、ここにはいない事を思い出して、ぺろりと舌を出す。 「・・・ごめんなさい、兄さんのせいじゃないよね」 でも・・・と、リナリーはつかえてしまった頭を懸命に巡らせて、すっかり狭くなった廊下を見渡した。 「兄さんがいないなら、誰に助けてもらえばいいの・・・?」 困り果てたリナリーの目から、また涙が溢れてくる。 「ふぇぇ・・・!兄さぁん・・・・・・!」 いつもより随分と大きくなった身体を震わせ、さっきよりも激しく泣き出したリナリーの周りに、涙の池ができていった。 大きな声をあげて泣いているのに、誰も来てくれない事に更に不安が募り、リナリーの目にはとめどなく涙が溢れる。 「兄さんってばぁー!!」 駄々っ子のように泣きじゃくり、大粒の涙をこぼした一瞬、視界が鮮明になった。 その目の端に、赤い毛並みが写る。 「う・・・?」 ふと見遣ると、曲がり角の向こうで、長い耳がぴるぴると震えていた。 「なんさ・・・?なんさ、このおっきな泣き声は・・・?!」 怪物か、と、そろそろと顔を出したウサギに、リナリーが泣き止む。 「やんださ・・・? どっか行っちまったのかな?」 そーっと、角から半身を覗かせたウサギは、盛装した上に、白い手袋と大きな扇子まで持っていた。 ―――― ウサギなのに、随分とおしゃれね。 リナリーは声を漏らさないよう、両手で口を覆って、ウサギの様子を伺う。 と、ウサギはきょろきょろと辺りを見回しながら、長い耳を振り振り出てきた。 「なんもいねぇさ・・・」 リナリーがあまりにも大きくなっているために、小さなウサギの目には、彼女の足も壁の一部としか写っていないらしい。 「も・・・大遅刻さ!! いくら公爵夫人が優しいったって、きっと怒るに決まってるさぁぁぁぁ!!」 ぴょんぴょんと駆け出したウサギが、リナリーの足元を通り過ぎる瞬間、リナリーは声を出した。 「あの、助けて・・・」 「わあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」 小さなウサギを脅かさないよう、できるだけ小さな声を出したつもりだったが、ウサギは心臓が潰れたのではないかと思うほど大きな悲鳴をあげる。 「なんっなんっさああああああああああああああああああああああああ!!!!」 助けて、と、叫びながら、ウサギは長い廊下の向こう側―――― 闇のわだかまる中へと駆け去っていった。 「・・・なんて気のちっちゃな子かしら。 でも、ウサギなら仕方ないわね」 ウサギの絶叫に目を丸くしたリナリーは、唖然と呟く。 「それにしても足が早い・・・あら?」 ふと足元を見下ろしたリナリーは、ウサギが落として行ったらしい手袋と扇子を取り上げた。 「これ・・・大事なものじゃないのかな・・・」 広げてみれば、きれいな扇子にはいい香りが染みこんでいる。 「わぁ・・・ミランダ姉さんの扇子みたい・・・ パタパタとあおいでみると、涼しい風と共にいい香りが寄って来て、嬉しくなった。 「ミランダ姉さん、今頃どうしてるかな? 私がいなくなったから、探してくれてるかな・・・?」 川辺に置いてきてしまった姉のことを思って、リナリーは目を伏せる。 「でも、私がこんなところにいるなんて、絶対わかんないよ・・・。 きっとあれは、世界で一番深い穴だったんだ。 地球で一番深いところにいる私を、見つけられるはずないもん・・・・・・」 深々と吐息したリナリーは、ふと、手に握り締めていた手袋が、自分の手にはまるくらい大きくなっていることに気づいて驚いた。 「なんでこんなにいきなり・・・違うわ!私がまた縮んだのね!」 そしてその原因が、どうやら扇子らしいと気づいて、リナリーは慌ててそれを畳む。 「あぶないあぶない・・・! ここって、兄さんの実験室より危険かも!」 家族みんなから、『絶対に近づかないように!』と注意されている部屋よりも危険な場所があるなんて、今まで思ってもみなかった。 リナリーは、扇子と手袋を慎重にポケットに入れると、庭へと続く、あの小さな扉へと足を向ける。 「今ならあのドアをくぐれるはずよ! 鍵だってちゃんと開けた・・・しぃっ?!」 リナリーは、思わず驚きと絶望の入り混じった声をあげた。 「なによこれ、オートロック?!」 確かに鍵を差し込んで、開けたはずの扉が今、またしっかりと閉ざされている。 しかも見上げてみれば、あのガラスのテーブルにまた、鍵はすまして乗っていた。 「なんて意地悪なの!!」 リナリーは鍵を見上げ、大きな声を張りあげる。 「あなたみたいな意地悪ないばりんぼ、大ッキラ・・・きゃあ!!」 鍵を見上げたまま、更に歩を踏み出した途端、リナリーはずぼっと水の中に沈んでしまった。 「な・・・んでこんな所に海が・・・!」 さっきまでは確かになかったのに、と呟いて、リナリーははっと辺りを見渡す。 「そっか・・・これ、さっき私が泣いちゃった涙の海なんだわ!」 できたばかりの涙の海は、揺れに揺れて大きな波を起こし、小さなリナリーをその真ん中へと引きずり込んでしまった。 「やだ・・・岸があんなに遠いよぉ!!」 必死に泳いで岸を目指しながら、リナリーはまた、涙を零す。 「ふぇ・・・!! なんで助けてくれないんだよ、兄さぁん!!」 いつもべったりとくっついて離れないくせに、肝心な時にはいない兄に、理不尽な怒りを覚えつつも一所懸命に泳いでいると、その隣を、すいすいと泳いでいく者がいた。 「んなっ?!」 驚いて目を丸くするリナリーを追い越し、彼はどんどん岸へと向かって行く。 「まっ・・・待って!!」 必死に声をあげれば、彼は大きな耳をピクリとうごめかせ、肩越しに冷厳な目を向けた。 「初対面の年長者に対して『待って』とは、礼儀を知らない子供ですね」 つんっと、木で鼻をくくったような言い方をされて、リナリーは慌てる。 「ご・・・ごめんなさい、あの・・・お待ちくださいな」 泳ぎながら、精一杯礼儀正しく声をかけるが、彼はリナリーを無視してすいすいと泳いでいった。 「えっ?!あの・・・っ?!」 リナリーが慌てて後を追うと、彼はまた、肩越しに振り返る。 「こんな所で待てと言われても困ります。 話でしたら、岸に上がってから伺いましょう」 ふんっと、意地悪く鼻を鳴らされて、さすがにムッとしたものの、リナリーはおとなしく彼について行った。 「・・・やれやれ。 いきなり海が出来上がるとは、全く、不可思議なこともあるものです」 先に岸へと上がった彼は、憮然と呟きながら、濡れた髪を搾る。 彼に続いて岸に上がったリナリーも、濡れて額に貼りついた髪を手櫛で整えながら、改めて見た彼に目を丸くした。 「・・・あなた、ネズミだったの」 「それが何か?」 ムッと眉根を寄せた彼は、長い尻尾からも水を払いながら、肩越しにリナリーを見遣る。 「私がネズミなら、あなたはなんだというのです? 尻尾も持っていない、中途半端な姿をして!」 「あ・・・お気を悪くしたのならごめんなさい。 ただ、生きているネズミを見るのは久しぶりだったんで」 「・・・なんですって?」 更にきつく眉根を寄せて、ネズミはくるりと向き直った。 「それはどういうことですか、ミス・・・?」 「あ! 私、リナリーとい・・・申します」 慌てて丁寧に言い換えたリナリーは、濡れたスカートを広げて、ぺこりと礼をする。 「ハワード・リンクです。 それよりもミス・リナリー。 先程のあなたの言葉には、聞き捨てならない文言が含まれていました。 説明を求めます」 「は・・・はい、それは・・・・・・」 礼儀作法の先生だって、こんなに堅苦しい言い方はしないのに、と思いながらも、リナリーは口を開く。 「私の猫達・・・きれいなユウと可愛いアレンが、ネズミを全部食べちゃうからです」 「・・・・・・」 ネズミは無言だったが、その強張った顔とこめかみに浮いた青筋を見れば、どんなに鈍感な者でも、彼の怒りを察せずにはいられなかった。 「ご・・・ごめんなさい! 猫は・・・お嫌いでしたか?」 「お嫌い、ですか! はっ! そのような言葉で、言い表せるものでしたらね!」 いかにも憎々しげに言われたリナリーは、困惑げに視線をさまよわせる。 「でも・・・・・・・・・」 ネズミからは視線を逸らしたまま、リナリーは言い訳がましい声をあげた。 「あの子達をご覧になれば、猫だって悪くないって思えるんじゃないかしら・・・。 ユウは・・・ちょっと意地悪だけど、アレンはとっても人懐こくて、可愛いんですよ? それにとっても元気で、二匹とも、ネズミを捕まえるのがとっても上手・・・ごめんなさい!!」 顔を蒼白にして震えるネズミの怒りに、リナリーは慌てて謝る。 「本当にごめんなさい・・・もう、このお話はよした方がいいでしょうか?」 「よした方がいい、ですって?! よろしいですか! 私と我が一族は、先祖代々猫というものを忌み嫌っているのです! 貪欲で獰猛な悪魔ども・・・! そのような者達の名を聞くことすらおぞましい!!」 大声でリナリーを怒鳴りつけるや、ネズミはぷいっと踵を返してしまった。 「あ!あの、ネズ・・・ミスター・リンク!! 待ってください!!」 「ついてこないで頂きたい!」 濡れたスカートが足に絡んで、動きの鈍いリナリーを肩越しに睨みつけると、ネズミは怒りも露わに吐き捨てる。 「今後、一切、あなたとは関わりたくありません、ミス・リナリー! ごきげんよう!」 声を鑿(のみ)に、一言一句刻み込むように言ったネズミを追いかけることもできず、リナリーはしょんぼりと涙の汀に佇んだ。 ややして、 「ここ・・・どこだろ・・・・・・」 不安そうに辺りを見回したリナリーの目に、また涙が浮かぶ。 かつて廊下だった場所は、今ではすっかり景色が変わってしまっていた。 リナリーは足元に打ち寄せる涙の波を見つめたたまま、涙声で呟く。 「猫達のこと、言わなきゃよかったわ・・・・・・」 人から、あんなにも怒られたのは生まれて初めてだった。 「ふぇ・・・! もう、あの子達にも会えないのかなぁ・・・・・・!」 しゃくりあげつつ呟くと、自分の涙声に混じって、パタパタと何かが駆けて来る音がする。 「ミスター?!」 戻ってきてくれたのかも、と、期待をこめて顔をあげたリナリーの視線の先にいたのは、しかし、あのネズミではなく、リナリーをここへ導いたウサギだった。 「手袋と扇子!手袋と扇子!! どこ行っちまったんさ!」 きょろきょろと辺りを見回しながら、ウサギは焦った様子でまくし立てる。 「いくら優しい公爵夫人だって、あんなに大事なもんを失くしたってわかったら怒っちまうさ! いや、それよりも・・・!!」 最悪の予想に、ウサギはぶるっと身体を震わせた。 「もし・・・もし夫人を泣かせちまったら、公爵は俺に、どんな酷い罰をくれんだろ・・・!」 ぶるぶると震えながら、ウサギは両の前足を重ねて胸に引き寄せる。 「足は切られてお守りにされちゃうし、毛皮はきっと、夫人の襟飾りにされるんさ!!」 えぅえぅと、困り果てて泣き声をあげるウサギが気の毒で、リナリーは声をかけた。 「あの・・・ウサギさん?」 すると、弾かれたように振り返ったウサギは、目をまん丸にしてリナリーを見る。 「さっき、あの・・・」 扇子を落としたわよ、と言おうとして、リナリーはぐっしょりと濡れたスカートのポケットを、気まずげにまさぐった。 手に触れたそれは案の定、じっとりと濡れている。 なんと言うべきか困り果てていると、ウサギがリナリーに詰め寄った。 「おまえ・・・さっきの子供だろ?! 俺より足が早いなんて、そうそういるもんじゃないさ!」 頼む、と、更に縋られて、リナリーは思わず頷く。 「俺んちに行って、扇子と手袋を取ってきてくんね?! 今日の園遊会のために何組か揃えてんのが、俺の部屋に置いてあるんさ!」 「いいけど・・・あなたのおうちはどこなの?」 「あっちさ!!」 ウサギはふわふわの毛皮に包まれた手を、ずっと向こうに向けた。 リナリーが涙の海にはまってから岸に泳ぎ着くまでに、すっかり様変わりした廊下には、ガラスのテーブルどころか、あんなにたくさんあった扉さえもなくなっている。 代わりに、森へと続く小道が現れ、その枝分かれした場所に立つ道しるべには、『ラビのうち』と刻んであった。 「あなた、ラビって言うの?」 「あぁ、そうさ」 リナリーの問いに、ウサギはなぜか、ムッとしたように唇を尖らせる。 「ウサギには最もふさわしい名前さね!」 「怒らないでよ・・・」 名前でからかわれたことがあるのか、ムキになる彼にリナリーは、困ったように首を傾げた。 「お気に障ったのならごめんなさい、ラビ。 私はリナリーよ」 「リナリー? ふんっ!『コドモのリナリー』なんて、韻も踏んでないじゃないさ!」 「人間の名前は、韻なんか踏んでなくっていいのよ!」 ぷんっと頬を膨らませて、リナリーは失礼なウサギに背を向ける。 「でも、私は親切な子だから、手袋と扇子を取ってきてあげるわ!」 駆け出したリナリーは、しかし、心中でぺろりと舌を出した。 ―――― 本当は、私が持ってるんだけどね、手袋も扇子も。 「それにしても変よね!ウサギのおつかいだなんて!」 ラビの家に向かって走りながら、リナリーはぶつぶつと呟いた。 「この大きさのままおうちに帰ったら、私、ユウにまでおつかいさせられるんじゃないかしら!」 そう言ってリナリーは、自分の黒猫が、あのウサギのように話し出す様を想像してみる。 『遅ェぞ、リナリー!ぐずぐずすんじゃねェ!』 いつも窓枠の上に乗って、リナリーを冷たく見下ろす黒猫の台詞がリアルに聞こえた気がして、思わず肩をすくめた。 「やだやだ・・・。 ユウがしゃべったって、どうせ文句しか言わないよ。 でも、アレンだったらどうかな・・・?」 甘えん坊の白猫が、どんな風に話すのか想像してみて、リナリーはくすくすと笑声を漏らす。 「きっとこう言うわね! 『リナリー、お腹すいたぁ・・・!ごはんちょうだい、ごはんー!』って!」 またくすくすと笑いつつ走っていくと、間もなく、目の前に小さな家が現れた。 「ここね、ラビのおうち!」 家は留守だとわかっていたので、リナリーはノックもせずに中に入り、二階へと駆け上がる。 と、小さな部屋の、小さな窓の側にあるテーブルの上には、扇子と革の手袋が二、三組、揃えて置いてあった。 リナリーがその一組を取り、すぐさま部屋を出ようと踵を返した時。 壁際のドレッサーに小さな瓶見つけて、足を止めた。 「これ・・・さっきの瓶と同じじゃないかな?」 飲んで、と言うラベルこそなかったが、リナリーはコルクを取って、匂いをかいでみる。 「やっぱり、さっきのと同じ匂いがするよ! これで大きくなれるはずだよね?!」 同じ薬なら縮むはずだが、リナリーは妙な確信を持って、瓶の口に唇をあてた。 「さぁ、早くおっきくなって! こんなちっちゃいままでいるのは、大変なんだもん!」 ネズミに怒られ、ウサギに使われるのはもう真っ平、と、吐息する間に、リナリーの身体は大きくなっていく。 が、これは大変な失敗だった。 外でならばともかく、こんな小さな家の中で大きくなってしまっては、身動きのとりようがない。 リナリーは天井におしつけられた頭を下に向け、首が折れないように一所懸命屈みこむしかなかった。 「やだっ・・・! もう部屋から出られないよぉ・・・!!」 あんなもの飲まなきゃよかった、と、後悔しても既に遅く、リナリーはどんどん大きくなっていき、小さな部屋にぎゅうぎゅうに詰め込まれる。 「ふぇ・・・! 動けないよぉ・・・!助けてぇ・・・・・・!!」 窓から出した片腕を、懸命に振って助けを求めるが、こんな異常事態において、助けなどそう、都合よく来るわけもなかった。 「苦し・・・!! うぇぇん!!これ以上大きくなんないでぇ!!」 今にも天井や壁を突き破りそうなほど頭や背中を圧迫され、リナリーは泣き声をあげる。 その願いが天に通じたのか、薬の効き目には限界がきたものの、今までにないほど窮屈な体勢であることには変わりなかった。 「ふぇぇ・・・!姉さんと一緒にいればよかったよぉ・・・!」 窮屈な体勢から抜け出せないまま、リナリーは泣き声をあげる。 「そしたらこんな、おっきくなったりちっちゃくなったりしかっただろうし、ネズミに怒られたりウサギに使われたりもしなかっただろうし・・・!」 膝にぴったりとくっついた頬を、涙が伝った。 「あんなウサギなんか、追っかけなきゃよかった・・・!」 窮屈な姿勢のまま、リナリーは膝に顔をうずめて泣きじゃくる。 いつもはこんなに泣き虫じゃないのに、このへんてこな世界に来て以来、リナリーは泣きっぱなしだった。 しかしその時、彼女自身の泣き声に混じって、部屋の外から甲高い声が聞こえてくる。 泣くのをやめて聞き耳をたてると、どうやらあのウサギのようだった。 「まださ?!いつまでかかってんさ!今すぐ扇子と手袋を持って来るさ!」 きゃんきゃんと甲高い声で喚きながらやってきたウサギが、ノブを派手に鳴らしてドアを開けようとするが、内開きのドアは、部屋中にリナリーが詰まっているためにびくともしない。 「なんなんさちくしょー!!そんなら窓から入ってやるさ!!」 パタパタと階段を駆け下りる音がして、今度は外でなにやら音がし始めた。 「はしごでも使うのかしら?」 なんでもいい、この窮地を救ってくれないものかと待っていたが・・・窓は、リナリーの腕が完全に塞いでいて、ちょっと手を動かした弾みで、ウサギをはしごごと倒してしまったようだ。 外から響く悲鳴に、リナリーは思わず身をすくめた。 「だ・・・大丈夫かしら、ウサギ・・・ううん、ラビ!」 しかし、彼の無事を確かめようにも、リナリーは身動きを封じられて、外を見ることもできない。 だがしばらくすると、外からウサギの甲高い怒声が聞こえてきて、リナリーはほっと吐息を漏らした。 その後間もなく、 「ちょめ助!ちょめ助!どこさ?!」 ラビの呼ぶ声に応じて、『ハイハイ!』と、元気な女の声が庭中に響く。 「どうかしたっちょか、ラビ!お前、出かけたんじゃなかったっちょか?」 「出かけたさ! そしたら、公爵夫人の扇子と手袋を失くしちまって・・・!」 「ありゃ・・・そいつはヤバイっちょね! 夫人はともかく、夫人の大事なもんを失くしちまったなんて知られたら、公爵がどんなにお怒りになるっちょかね!」 さっきのラビと同じことを言う女・・・ちょめ助の震え声に、リナリーは気まずげに口を引き結んだ。 ―――― これは・・・絶対に言えないなぁ・・・・・・! 黙っていよう、と、ひそかに決意したリナリーは、ずっと同じ体勢でいるのが辛くなって、ちょっと身体を動かしてみる。 途端、家がぐらぐらと揺れだして、ラビとちょめ助の悲鳴が上がった。 「ヤバイっちょ!あの部屋、なんかいるっちょよ!!」 「なっ・・・なんかってなんさ?!」 「かかか・・・怪物だっちょ!!決まってるっちょよ!!」 ぴぃぴぃと泣き声をあげるちょめ助に、『じゃあ』と、ラビが声をあげる。 「お前、引っ張り出してくるさ、ちょめ! 大丈夫さ、お前ならできる!」 「でっ・・・でっ・・・できるわけないっちょよぉぉぉぉ!!!!」 ラビの無茶な命令を、ちょめ助は必死に拒否するが、この家の主は聞かなかった。 「大丈夫さ!!お前、おっきくなれんだから! おっきくなって、その怪力であの怪物を引っ張りだすんさ!」 「嫌っちょ!!噛みつかれたら痛そうだっちょ!!」 泣き喚くちょめ助に、しかし、ラビは譲ろうとしない。 「いいから行くさ!!怪我したら手当てしてやっから!」 「やだっちょぉぉぉぉぉ!!!!」 嫌がるちょめ助へ、無理矢理仕事を押し付けようとするラビに呆れたリナリーは、不自由な肩をすくめた。 「なんてウサギかしら!とても紳士的じゃないわね!」 でも、と、膝にうずめた首をわずか、傾げる。 「どうするつもりかしらね? 窓からひっぱり出すのって、かなり無理がありそうだけど・・・」 リナリーは窓から出したままの片腕を、軽く握り締めた。 「ちょめ助って、どのくらい力持ちかな? 私だって、ずっとここにいたくはないけど・・・腕を引っこ抜かれるのはヤダ!」 そんなことしたらぶってやろうと、こっそり考えながら、リナリーは耳を澄まして外の様子を窺う。 そのまましばらくじっとしていると、手おし車がガタガタと道を来る音が聞こえてきた。 「まずは手おし車いっぱいくらいでいいさね!」 ラビが言い放った謎の言葉に、リナリーは瞬く。 「手おし車いっぱい?なにが?」 呟いた次の瞬間、いくつもの小石が飛んできて、窓の外に出ているリナリーの腕を打った。 「きゃあっ!」 腕だけならともかく、窓を破って飛び込んできた石は、ピシピシとリナリーの顔や身体を打つ。 「何すんの!!」 小さいとはいえ、思いっきりぶつけられた石はとても痛くて、リナリーは思わず怒鳴った。 「私にこんなことして、兄さんが許さないんだから!」 と、辺りが急に静まり返る。 「なに? 兄さんのこと知ってるのかしら、あのウサギ達」 不思議そうに呟いたリナリーは、ふと見下ろした小石が、徐々にケーキに変わって行く様に驚いた。 「なんで・・・あ!!」 こんな不思議な展開は初めてじゃない、と、リナリーは思い出す。 「あの時と同じよ! ううん、逆なのね! 薬を飲んでおっきくなったんだから、このケーキをひとつ食べれば、ちっちゃくなるんじゃないかな!」 喜んでケーキを一つ食べてみると、思った通り、リナリーの身体が縮みだした。 「やったわ!」 リナリーは、小さなケーキを次々に食べて、ドアを通れるくらいまでに小さくなると、すぐに走ってラビのうちを出る。 外では、ラビとちょめ助らしい女が、リナリーの大きな腕が消えてしまった窓を、呆然と見あげていた。 その背後をそっと通り過ぎて、リナリーは深い森に逃げ込む。 「よし、見つかんなかったわ!」 追いかけてくる気配がないことを確かめて、リナリーは歩を緩めた。 「さぁて・・・。 まずやんなきゃいけないのは、もとの大きさにもどることよね!」 森の中を進みながら、リナリーが呟く。 「でも・・・どうやったら元の大きさに戻れるのかなぁ・・・・・・」 それは、まだこの世界の仕組を理解していないリナリーにとって、難しい問題だった。 「ふぅ・・・兄さんがいれば、きっと教えてくれるのに・・・・・・」 さすがに歩き疲れたリナリーは、花の茎にもたれて一休みする。 火照った身体を、その葉でひらひらとあおいでみたが、公爵夫人の扇子と同じ効果は得られなかった。 「まぁ・・・そりゃそうよね。 普通、葉っぱであおいだって、何も起こらないわよ」 そうは言いつつも、こんな不思議な世界でならそれもありかと思っていただけに、リナリーはがっかりしてしまう。 「たぶん何か、食べるか飲むかすればいいんでしょうけど・・・なにを? それが問題だわ」 呟きながら、リナリーは辺りを見回してみた。 が、花や葉は目に入っても、さっきの薬やケーキのように、目ぼしい物はなにも見あたらない。 「そう簡単に、見つかるわけがないかぁ・・・って?あら?」 しょんぼりと落ちそうになる視線をがんばって上に向けた途端、リナリーは自分よりも背の高い下草の向こう側に、色鮮やかな傘を大きく広げるキノコを見つけた。 「なんだか・・・見るからに怪しいキノコだなぁ・・・・・・。 前に兄さんが集めてた、毒キノコにそっくり・・・」 下草を掻き分け、キノコの傘の下にまで歩み寄ったリナリーは、兄の怪しい趣味を思い出して眉をひそめる。 「でもこの上に乗ったら、もうちょっと遠くまで見えそうだね」 傘のふちに手をかけ、身体を持ち上げようと爪先立ちになった瞬間、リナリーはその上に寝そべる大きな毛虫と目が合ってしまった。 「あ・・・あの・・・ごきげんよう・・・・・・」 思わぬ先客に対し、中途半端な姿勢のまま、リナリーが気まずげに声をかけると、彼はタバコを咥えた口元を、にやりと曲げる。 「ほぉ・・・久々に可愛い客のお出ましだな」 一体なんの幼虫なのか、真っ赤な毛並みの毛虫は、傲慢な格好で寝そべったまま、片手でリナリーを引き上げた。 「お前、名前は?」 呆然としている間に顎を掴まれ、しかも顔を寄せられて、リナリーは驚くあまり目を丸くする。 「はっ・・・! 可愛いじゃねぇか。 びっくりして、口も利けねぇか?」 蠱惑的な声で囁かれたリナリーは、真っ赤になった顔をそむけ、ただ頷いた。 「ふん・・・。 まぁ、イキナリこんなとこに来ちまったら、混乱するのも無理ねぇな。 お前、外の世界の人間だろ?」 「あ・・・!そっ・・・そうです!!」 更に迫ってくる毛虫から、じりじりと身体を離そうとしていたリナリーは、彼の問いに大きく頷く。 「わっ・・・私、リナリーって言います!! もうっ・・・ここじゃ大きくなったり小さくなったり、なにがなんだかわかんなくて・・・っ!」 この世界に来て以来、ようやく事情をわかっているらしい者に会えたと知ったリナリーは、ぎゅっと目をつぶって涙を堪えた。 「もし、元の世界に戻る方法をご存知なら・・・きゃああああ?!」 必死にまくし立てていたリナリーは、いきなり抱き寄せられて悲鳴をあげる。 「んなっ・・・?! なにするんですか?!」 「なにって、そんなに端に寄っちゃあ、落ちちまうぜ?」 にやにやと笑いながら、毛虫は彼女の背後へ顎をしゃくった。 「あ・・・ありがとう・・・・・・」 ここは礼を言うべきなのか迷ったが、リナリーは素直に礼を言う。 「なんの。 可愛いリナリーに、怪我をさせちゃあ可哀想だからな」 含み笑いを漏らす毛虫を、リナリーは上目遣いで見上げた。 「あの・・・ミスター?」 「クロスだ」 魅惑する目で見つめられ、リナリーは慌てて目を逸らす。 「その・・・お願いが・・・・・・」 「なんだ?」 笑みを含んだ声が耳朶に触れ、リナリーはびくりと身を震わせた。 「あ・・・あの・・・・・・! そろそろっ・・・放してくれませんか・・・・・・っ?」 悲鳴じみた声をあげて懇願するが、力強い腕はリナリーを放す気がないようだ。 「このままで・・・いいだろ?」 広い胸の中でもがくリナリーをしっかりと抱きしめて、彼は低く笑った。 「それよりもお前・・・もしかして、元の大きさに戻りたいんじゃねぇか?」 「もしかしてだなんて!!」 クロスの問いに、リナリーはもがくのをやめて声を張り上げる。 「当然、戻りたいです!! だってこんなにちっちゃいと、不便なんですもの!」 「不便・・・ねぇ?」 紫煙を吐きながら、クロスはくつくつと笑声を漏らした。 「そうでもないだろうぜ? お前が大きなまんまだったら、この出会いはなかった。 違うか?」 耳元に囁くふりをして、クロスは腕の中のリナリーに顔を近づける。 「そ・・・そうですね・・・・・・」 言いつつも、リナリーは今にもくっつきそうな頬を一所懸命に引き離すが、それも限界になりつつあった。 と、クロスは笑みを深め、またリナリーの耳に囁く。 「言えよ。 どんな大きさになりたい?」 「も・・・元に戻りたいんですぅっ!!」 悲鳴じみた声をあげて、リナリーは懸命に腕を突っ張り、クロスを引き剥がそうとした。 「ちょっ・・・近い!!近いですってば!!」 「元に戻りてぇんだろ?」 クロスが再び尋ねる。 「キスしてくれたら、方法を教えてやってもいいぜ?」 「え?!キッ・・・?!」 真っ赤な顔をあげたリナリーに、クロスの顔が迫った。 「きゃあああああああああああああああああああああ!!!!」 「なにしてんですかこの虫けらがあああああああああ!!!!」 リナリーが悲鳴をあげた途端、空からものすごい声がして、大きな爪が、キノコの上からクロスを叩き落す。 「・・・っんなにすんだこのクソ猫!!」 「やかましい虫けら!! あんたこんなファンタジーな世界で、なにセクハラこいてんですか!!」 草の上に転がったクロスを、牙をむいて威嚇しながら、猫が更に怒鳴った。 「いい加減にしないと踏み潰しますよ!!」 「ああんっ?! この物知らずが、おとぎ話なんてもんは、大抵残酷でエロティック・・・」 「ハイ、死ねー」 「ちょっ?!お前マジで潰すか?!」 ぎゅうぎゅうと猫の大きな前足で踏まれて、クロスが悲鳴をあげる。 「マジで潰しますよ、決まってんじゃないですか! ったくあんたときたら、いつまでもケムシのまんま、蝶にもならずにのうのうと酒飲んで遊び暮らして! 一体いつまで若ぶってんですか!!」 「やかましい!こっちの方が蝶にモテんだよ・・・って!!潰れる!!マジ潰れる!!」 激しく言い争う二人の間で、 「待って!」 と、リナリーが声をかけた。 「その虫さんは、私が大きくなる方法を知っているの!殺さないで!」 「それなら僕が知ってますから、安心してください、リナリー。 さぁ、潔く死んで・・・あれ?」 爽やかな笑顔をリナリーに向けた猫は、その隙に自分の爪の間から、毛虫が逃げ去っていたことに気づいて舌打ちする。 「・・・あンの虫けら! 今日こそ殺せると思ったのに!」 忌々しげに吐き捨てると、猫はリナリーに向き直った。 「怖い思いをさせてごめんなさい、リナリー。 僕がもっと早く君を見つけられてたらよかったんだけど・・・その、ウサギの情報が全然役に立たなくって!」 シメといたから、と、さらっと続けた猫を見上げ、リナリーは首を傾げる。 「ねぇ、あなた・・・アレン? アレンでしょう?!」 問いかけると、リナリーの前にきちんと座った猫は、気まずげに顔をそらしてリボンタイの位置を直した。 「・・・違いますよ。僕はチェシャ猫です。あなたの白猫じゃありません」 「じゃあなんで、アレンが私の白猫だって知ってるの?」 「・・・・・・」 黙りこんだ猫に、リナリーは畳み掛ける。 「私、もう一匹飼ってるわよね! さぁ、あなたのお友達の名前を言ってごらんなさい?」 「トモダチなんかじゃありませんよ、あんな目つきのわっるいの!」 忌々しげに吐き捨てた猫に、リナリーは得意げに胸をそらした。 「やっぱりアレンじゃない!」 「・・・・・・・・・・・・」 再び黙り込んだ猫に、リナリーはにこりと微笑みかける。 「助けてくれてありがとう、アレン! チェシャ猫って言えば、ニヤニヤ笑いの猫だけど、あなたは『にこにこ』って感じだわ。 それにこの世界じゃ、すごく立派な姿をしてるのね!」 黒いスーツに赤いリボンタイという、身なりのいい彼を、リナリーは感心して眺めた。 「これで本当に、私が大きくなる方法を知っていればいいんだけど!」 言うと、アレンは苦笑を浮かべた顔をリナリーに向ける。 「知ってますよ、もちろん」 と、アレンは白い手を伸ばし、リナリーが乗ったキノコを示した。 「このキノコを食べてください」 「・・・キノコ嫌い」 「・・・・・・・・・」 アレンから顔を逸らし、憮然と呟いたリナリーを、アレンは黙って見つめる。 しばらくして、 「・・・・・・・・・どうしても?」 不承不承呟いたリナリーに、アレンは大きく頷いた。 「元に戻りたいのなら」 「う・・・・・・・・・」 涙目になったリナリーは、アレンの腕を伝ってキノコから下りる。 「食べればいいんでしょ、食べればぁ・・・!」 じっと自分を見つめるアレンに泣き声を上げつつ、リナリーはキノコの端をむしった。 「あ、待って!」 ぎゅっと目をつぶって、キノコの切れ端を口に入れようとしたリナリーを、アレンが止める。 「なに?!」 ほかに方法があるのかと、リナリーが期待して振り仰いだアレンは、両手をあげてキノコの端と端を示した。 「このキノコは、両側で効能が違うんです。 片側で背が伸びて、反対側で背が縮むんですよ」 「・・・・・・食べることに変わりはないのね」 がっかりして呟いたリナリーは、もう一度アレンを見上げる。 「片側って、どっち?どっちで背が伸びるの?」 しかし、アレンはその問いには答えられなかった。 困って首を傾げる猫に、リナリーは苦笑する。 「わかったよ。試してみるね」 リナリーは、既にちぎった側とは反対側の端を切り取って、右手の欠片をかじって見た。 途端、今までにない速度で縮み始めたため、急いでもう一方をかじる。 嫌いなキノコをなんとか飲み込むと、今度はゴムのように背が伸びていった。 「きゃああん!! 今度は伸びすぎ!!」 アレンの大きさを越して、更に大きくなっていったリナリーは、縮むキノコをほんの少しかじり、縮みすぎては伸びるキノコをほんの少しかじって、なんとかアレンと視線が合う程度の大きさになる。 「よかったぁ・・・! これでアレンと一緒だね!」 「はい アレンがにっこりと笑って差し伸べた手を取り、リナリーも満足げに微笑んだ。 「じゃあ次は、ここから出る方法だわ・・・。 あなた、帰る道は知らないわよね?」 リナリーが問うと、アレンはまた、困った顔をする。 「僕は・・・この世界では、自分の思った通りに出たり消えたり、好きな場所に行けるんです。 だけどそれは僕一人だけのことで、誰かを一緒に連れて行くことはできないんですよ・・・」 「そっかぁ・・・」 アレンと手を繋ぎ、ぶらぶらと森を歩くリナリーは、失望をできるだけ顔に出さないよう、努力しながら頷いた。 「でも、帰る道を知っている人が、必ずいるはずだわ! ねぇ、私が追っかけてきたウサギが、公爵夫人がどうとか言ってたんだけど、公爵夫人くらい偉い人だったら、この世界の道に詳しい召使くらい持ってるわよね?」 「そうですね・・・だったら」 と、アレンは白い手を森の向こうへ向ける。 「公爵のお邸は、この森を抜けたところですよ」 「そうなの!」 歓声をあげて、リナリーは駆け出した。 「ちょっ・・・リナリー、早いです!!」 後ろ足だけで走り慣れていないアレンが悲鳴をあげると、リナリーは立ち止まってにこりと笑う。 「じゃあ、いつも通りにしてあげるわね 「いつもって・・・わぁぁっ!!」 リナリーは、ひょいっとアレンを抱き上げると、彼を抱えて駆け出した。 「どぉ?いつも通りでしょ?」 得意げな彼女に、アレンは引き攣った笑みで頷く。 「ホラ、あっという間だったわ!」 彼女の言う通り、アレンが再び地に足を下ろした時、目の前には公爵邸があった。 「へぇ・・・大きくはないけど、すてきなお屋敷ね! プチ・トリアノンみたいだわ!」 エントランスを跳ねるように駆け上がったリナリーは、玄関のドアをノックしようとして、はたと手を止める。 「どうしました?」 リナリーの後に付いてきたアレンが問うと、彼女は困惑顔を彼に向けた。 「・・・ご招待もご紹介もなしに入っちゃダメよね、普通は」 どうしよう、と、手を下ろした彼女に、アレンはにこりと微笑む。 「大丈夫、僕がご招待し、ご紹介します。 だって僕、公爵夫人の飼い猫だもん」 アレンが平然と言うと、リナリーが目を丸くした。 「え?!あなたは私の・・・」 「えぇ、あなたの飼い猫でもありますね」 いたずらっぽく言ったアレンは、クスクスと笑いながら、ドアを開ける。 「ご紹介します、リナリー嬢。 公爵夫人、マダム・ミランダです 「ね・・・姉さん?!」 ドアの向こうの女性は、リナリーの大声に驚いて振り返った。 「どなた・・・?」 白いおくるみを大事そうに抱いて、身体ごとゆっくりと揺れながら、公爵夫人はおっとりと首を傾げる。 「リ・・・リナリーだよ、ミランダ姉さん!! ここに来るまで一緒だったでしょう?!」 泣き声をあげて抱きついてきた子供を見下ろした夫人は、しかし、困惑げにアレンを見遣った。 「チェシャ猫、この子は誰?おまえのお友達?」 夫人に問われたアレンは、にこりと笑って頷く。 「僕の、飼い主の一人です」 「あら・・・おまえの飼い主は、私と旦那様だけだと思っていたけど・・・」 おっとりと呟いて、夫人は細い手を自分の頬に当てた。 「ところでおまえ、ウサギを知りませんか? 私の扇子と手袋を用意するはずだったのだけど、まだ来ないのよ? ・・・女王様の園遊会にお招きいただいているのに、あれがないとお出かけできないわ」 旦那様をお待たせているの、と、困惑げに微笑む夫人を、リナリーはまじまじと見つめる。 「・・・・・・? どうかしましたか?」 「ミランダ姉さん、ホントにリナリーのこと、わかんないの? 旦那様って、誰? その赤ちゃんは、旦那様との子供なの?」 続けざまに問われて、夫人は困った風に眉根を寄せた。 「えぇと・・・最初の質問はなんだったかしら? そう、私がおまえを知らないってことね? 初めて会った者を知らないのは、当然じゃないのかしら・・・?」 そうよね、と問われて、リナリーは渋々頷く。 「そして次は・・・なんだったかしら?」 「旦那様は誰ですか、って質問でした、奥様」 アレンに言われ、夫人は頷いた。 「この世界にたったお一人の、私の旦那様ですよ。 身分は公爵。 女王陛下のお側に仕える廷臣でいらっしゃいます」 「・・・・・・そんなこと聞いたんじゃないよ」 リナリーの不満げな呟きにまた首を傾げ、夫人は腕の中のおくるみを揺らす。 「そして当然、この子は旦那様と私の赤ちゃんですよ」 「はぁ・・・・・・」 今朝は確実に未婚だったはずの姉が結婚した挙句、子供まで抱いている様に、リナリーは思わずため息を漏らしたが、決然と顔をあげると、 「だ・・・抱っこさせてもらっていい・・・?」 と、公爵夫人へ手を伸べた。 「えぇ、どうぞ」 姉の子供である以上、この子は自分の甥か姪になる。 どんな顔か見てやろうと思ったリナリーに、夫人は微笑んでおくるみを渡した。 「それでチェシャ猫、ウサギなのだけど・・・」 「はい、ご心配なく、奥様。 あのウサギシメた時に、扇子と手袋は奪ってきました にこりと笑って、アレンがポケットから取り出した扇子と手袋を受け取り、夫人は安堵の吐息を漏らす。 「よかった・・・! これで園遊会に行けるわ。 さぁ・・・急いで出かけないと。 ねぇ、おまえ」 おっとりと呼びかけられて、リナリーはビクッと顔をあげた。 「私が留守の間、その子の面倒を見ていてね」 「あっ・・・はっ・・・はい・・・!!」 思わず頷いたリナリーは、夫人の背を見送るや、へなへなとその場にしゃがみこむ。 「リナリー?どうかしましたか?」 「どうもこうも・・・・・・!」 ぷひっ、と、腕の中でくしゃみの音がして、リナリーはまた、ビクッと肩を震わせた。 「ね・・・姉さんの赤ちゃんが・・・・・・!」 「赤ちゃんがどうか・・・おいしそう」 おくるみをめくったアレンは、ピンク色の丸々とした子豚を見るや、ぺろりと舌なめずりする。 「だっ・・・だめだよ! ぶ・・・豚でも、姉さんの赤ちゃん・・・なのかなぁっ?!」 子豚を膝の上に置いたまま、頭を抱えてしまったリナリーの上に屈みこみ、アレンは目を輝かせた。 「きっと今日のお夕食はお城でなさるでしょうから、今のうちに丸焼きにして食べちゃいましょう 「んなっ?!なんてこと言うの!!」 あっさりと言ってのけたアレンを、リナリーは驚いて叱り付けたが、彼はリナリーが怒っている理由がわからないとでもいう風に首を傾げる。 「だってこれ、豚以外のなにものでもないですよ?ホラ、四本足で立ってる」 「えぇっ?!」 アレンが指差す先を見れば、リナリーの膝の上から降りた子豚は、とことこと歩いて玄関まで行くと、鼻先でドアを開け、更にとことこと森の中へと歩いていった。 「あぁっ!!赤ちゃん!!」 思わず見送ってしまったリナリーが、はっとして立ち上がる。 「狩るんですか?」 「追いかけるのよ!!」 アレンの勘違いを即座に否定して、リナリーは駆け出した。 「赤ちゃんが森の動物に食べられちゃったら、姉さんが泣くわ!!」 「・・・まぁ、せっかくのお夕食を他の動物に食べられたら、怒るでしょうね」 「夕食じゃないってば!!」 後についてくるアレンを肩越しに叱り付けて、リナリーは足を早める。 「豚ちゃん・・・じゃない、赤ちゃん!どこに行っちゃったの! ねぇ、アレン!赤ちゃんが行きそうなところ・・・じゃなきゃ、赤ちゃんを保護してくれてそうな人が住んでる所を知らない?!」 リナリーが懸命に呼びかけると、四本足でリナリーを追いかけていたアレンが後ろ足で立ち上がった。 「こっちには・・・」 と、アレンは右の前足で、分かれ道の右側を指す。 「帽子屋さんが住んでいて、反対側には三月ウサギさんが住んでますよ!」 どっちも変わった人だけど、と、アレンがそっと呟く声が聞こえて、リナリーは不安になった。 「赤ちゃんが怪我でもしてたら大変よ!」 怪我だけならいいけど、と言う言葉は懸命に堪えて、リナリーが足を速めると、間もなく道が割れる。 「とりあえず・・・三月ウサギのおうちに行ってみましょ!」 動物同士、何か知ってるかも、と、淡い期待を込めたリナリーに、アレンも大きく頷いた。 「それが正解です! 最近、帽子屋さんもあそこに入り浸ってますし! おかげでいつもお茶の時間なんですよ!」 「え?どういうこと?」 リナリーの問いに、アレンはにこりと笑って答えない。 問い質したくはあったが、とりあえず今は赤ちゃん豚の捜索が先決と、リナリーは更に足を速めた。 が、すぐに行き当たった三月ウサギの家を見るや、足を止めたリナリーは、ぽかんと口を開ける。 「・・・・・・まぁ、なんて・・・・・・」 上手い言葉を思いつかず、リナリーは開けたままの口を閉じた。 ややして、 「ウサギらしいおうちね・・・」 と、呆然と呟く。 改めて見上げた家の屋根は、白くてふわふわした毛皮でふいてあり、煙突はウサギの耳そっくりだった。 呆然とするあまり、リナリーが家に近づけないでいると、ようやく追いついたアレンが、そっと彼女の背を押す。 「ここのおうちのお料理は、とってもおいしいんですよ はしゃいだ声をあげて、アレンは手を差し伸べた。 「行きましょ お茶をご馳走してくれますよ 「う・・・うん・・・・・・」 アレンの手を取ったリナリーが、彼に従って嫌々歩を踏み出すと、彼は家の前の木の下に彼女を導く。 「三月ウサギさん・・・あ!帽子屋さんも! こんにちはー 「あらん、チェシャ猫ちゃん 「兄さぁぁぁぁぁん――――!!!!」 三月ウサギが言い終える前に、リナリーはテーブルで暢気にお茶を飲んでいた帽子屋に飛びかかった。 「んなっ?!なにっ?!」 驚いてティーカップを投げ出してしまった帽子屋に、しかし、リナリーは構わず泣きすがる。 「なんでこんなとこにいるんだよぉぉぉ!! リナッ・・・あんなに呼んだのにっ・・・ちっとも来てくれなかったぁぁぁぁぁっ!!」 ものすごい声で泣き喚くリナリーに、縋られた帽子屋本人はもちろん、三月ウサギやアレンまでもが呆然とした。 やがて、 「あ・・・あの・・・ちょっと、泣きやんでみないかい?」 遠慮がちに、帽子屋が声をかける。 「えぅっ・・・ひくっ・・・やだっ・・・!!」 「ヤダじゃなくて・・・・・・」 更に擦り寄られた帽子屋は、困り果てて三月ウサギを見上げた。 と、ティーセットを載せたトレイをテーブルに置いた彼女は、頷いてリナリーに歩み寄り、その背を軽く叩く。 「ホラホラ、アンタ、いきなり飛び掛って泣きつくなんて、無作法もいいトコよん? ちょっと落ち着いて、お茶でもどーぉ?」 『無作法』の一言に、思わず顔をあげたリナリーは、長い耳をピコピコと揺らしながら微笑む三月ウサギを見上げると、恥ずかしげに頷いて涙を拭いた。 「ご・・・ごめんなさい、お茶をいただきます・・・・・・」 「あらん 素直に立ち上がった彼女に、三月ウサギはにこりと笑う。 「さぁさ、チェシャ猫ちゃんもおすわんなさい 今、カップを用意するからねぇん そう言って、パタパタと家の中へと駆けて行ったウサギを見送ったリナリーは、泣いて紅くなった目を、帽子屋へ向けた。 「なっ・・・なにかなっ・・・?!」 びくっと身を引いた帽子屋に、またじんわりと涙が滲む。 「ちょっ・・・ちょっとちょっとぉ!! 泣かないでよ、キミ!!」 困り果てた様子で、帽子屋がなだめにかかるが、リナリーはぽろぽろと涙を零しながら首を振った。 「だって・・・! すごく大変だったのにっ・・・兄さん、助けてくんないしっ・・・姉さんはリナのことっ・・・忘れてるしっ・・・・・・!」 しゃくりあげながら訴えるが、帽子屋は何のことかわからないとでも言いたげに、脱いだ帽子で自身をあおぐ。 「さっきから兄さん兄さんって・・・。 ボクはキミなんか知らな・・・ウソウソウソウソ!! ウン!!よく知ってるから!! キミのことなら何でも知ってるから泣かないでッ!!」 号泣寸前のリナリーに慌てて手を振って、帽子屋はこっそりとアレンを手招いた。 「ねぇ、あの子誰? なんでボクのこと、兄さんって呼ぶの?」 と、アレンはテーブルの下で、にこりと笑う。 「あの子はリナリーです。 帽子屋さんが彼女のお兄さんにそっくりだから、勘違いしてるんですよ」 「そ・・・そうなんだ・・・・・・」 そろそろと、帽子の影からリナリーの様子を窺う彼の膝に、アレンはぱす、と手を乗せた。 「話をあわせてあげてくださいよ。 得意でしょ、そう言うの?」 まるで、いたずらを企むかのような言い様に、帽子屋はにんまりと笑う。 「得意だともさ♪」 言うと、帽子屋はにこやかな顔をリナリーに向けた。 「ごめんねぇ、ボクとしたことが、慌てちゃって! えぇと、なんだったかな?助けに行けなかったこと?」 こくりと、泣きながら頷いたリナリーの頭を、テーブル越しに撫でてやりながら、帽子屋はにこりと笑みを深める。 「そりゃあ、声が聞こえてたら行っただろうけど、聞こえなかったんだもん。しかたないじゃなぁい?」 「うん・・・・・・」 頷いたものの、その納得しかねる様子に、帽子屋はまたアレンを手招いた。 「ナニナニ? 彼女の兄さんって、キミの一族? 呼んだら出てくるもんなの?」 「いえ・・・普通の人間のはずなんですけどねぇ・・・・・・」 アレンが苦笑しつつ言うと、帽子屋は考え深げに顎に指を当てる。 「人間の中にも、変な人がいるんだねぇ・・・」 誰に言われてもあんたにだけは言われたくないでしょうよ、という台詞は口の中で呟くにとどめて、アレンは自分の席によじ登った。 と、ちょうどよく三月ウサギが、アレンの前にカップを置いてくれる。 「さぁさ、ケーキはいかが? サンドウィッチの方がいいかしらぁ?」 「サンドウィッチをいただきます!」 大きな皿に盛られたサンドウィッチに、早速手を伸ばすアレンを横目に見ながら、リナリーはティーカップに手を伸ばした。 「ちょーっとお待ちなさい、アンタ! そんなぐしゃぐしゃの顔のままでいるつもりぃ?」 「ふにゃっ!!」 背後からタオルを押し付けられ、ぐりぐりと拭かれてリナリーは呆然とする。 「これでキレイになったわん ホラ、ケーキをお食べなさいよ、アンタ! 今、スコーンも焼いてるからねぇん 「い・・・いただきます・・・・・・」 三月ウサギの迫力に気圧されて、リナリーはケーキに手を伸ばした。 「・・・っおいし!!」 「当たり前でしょお!アタシが焼いたのよ、ア・タ・シが!」 得意げに長い耳をぴくぴくさせる三月ウサギに、リナリーはちょっとだけ笑う。 「あぁら! アンタ、笑うと可愛いじゃなぁい 少なくとも、ぐしゃぐしゃ泣いてるよりマシだわね 「う・・・うん・・・・・・」 恥ずかしげに俯いたリナリーは、紅くなった顔を隠すように、ティーカップを持ち上げた。 カップから立ち昇る湯気を透かして帽子屋を見つめると、リナリーの視線に気づいた彼は、にこりと笑って顎に当てていた指を下ろす。 「今日は何日かな?」 いきなり聞かれて、咽そうになりながらリナリーは答えた。 「ハロウィンだから、10月31日よ」 「31日は前夜祭よ!ハロウィンは明日!」 三月ウサギにすかさず訂正されて、リナリーは恥ずかしそうに俯く。 それを気にも止めず、帽子屋はポケットから取り出した時計を振っては耳に当てた。 「そりゃ困ったね。 ボクの時計、もう何日も狂ってるよ」 ため息混じりに呟いて、帽子屋は三月ウサギを見遣る。 「なんかいい方法ないかな?」 「そんなの!」 と、問われた三月ウサギは肩をすくめた。 「アンタがぱぱっと直しちゃえばいいじゃなぁい!」 なんでもないことのように言ってのけた彼女に、しかし、帽子屋はますます困惑げな顔になる。 「そうしたいのはやまやまだけどさぁ・・・ボクの工具、ぜーんぶ取り上げられちゃったんだもんー・・・」 寂しげに呟いた彼を、リナリーは気遣わしげに見つめた。 「取り上げちゃったって、誰が?」 「女王様さー」 深々とため息をつきながら、帽子屋が呟く。 「以前、女王様主催のパーティで余興をやれって言われたから、張り切って作ったんだよぉ、超巨大ロボを」 「ろぼ・・・・・・」 絶句するリナリーの隣で、サンドウィッチを頬張っていたアレンが、うんうん、と頷く。 「壮観でしたよね、あのロボ。 身長が10mくらいあって、すごい力持ちで。 ただ、途中で暴走しちゃったんで、怒り狂った女王にぶっ壊されてしまいました」 「おまけに、『こんなろくでもないものを作るんなら、今後一切工具に触るな!さもなきゃ首を斬ってやる!』って脅されてさぁ・・・・・・」 「それ以来、趣味の機械いじりができなくなっちゃったのよねぇ」 悄然とした帽子屋と、彼を慰める三月ウサギの姿に、リナリーは用心深く『お気の毒様』と呟いた。 ―――― まぁどうせ、とっても危険な発明だったんでしょうけど。 むしろ、心の中では女王に同情しつつ、リナリーはゆっくりとお茶を飲む。 と、リナリーがカップを置くより先に、帽子屋がテーブルの上に置いた時計を示した。 「その時にね、ボクの時計も壊されちゃって・・・今じゃずっと、6時のままなんだよぉ・・・」 「あぁ、それで!!」 リナリーはティーカップを置くのももどかしく、声を張り上げる。 「いつまでもお茶の時間なのね!」 「その通り」 アレンが『いつでもお茶の時間』と言った理由をようやく理解して、リナリーは嬉しそうに微笑んだ。 「でも・・・三月ウサギさんは大変ね」 お茶の用意が、と、リナリーが続けると、彼女は笑って首を振る。 「そんなことないわよぉ お茶菓子なんて、お茶の間に作れるし、たまにはお料理だってネ その言葉に重なって、家の中からベルが鳴った。 「焼きあがったわん アンタ、ラッキーよん 「ほんとに!」 三月ウサギがウィンクすると、リナリーも目を輝かせる。 「ケーキはとってもおいしかったもの!スコーンだっておいしいに決まってるわ!」 期待に満ちた声を受けて、三月ウサギは嬉しげに笑った。 「そうね、アタシのお料理は評判いいのよぉ 軽やかな足取りで家に入って行った彼女の背を見送ると、リナリーは帽子屋に向き直った。 「そっか・・・それで兄さん、来てくれなかったのね。 通信機も使えないんじゃ、リナリーの声、聞こえなかったよね」 「つ・・・へ・・・?」 帽子屋は、紅茶にミルクを入れてかき混ぜながら、首をかしげる。 「つうしんきって・・・なんだい? 虫か何か?」 「違うよ!」 「じゃあ・・・鳥?」 リナリーにじっとりと睨まれて、帽子屋は居心地悪げに茶をすすった。 彼がお茶を飲み干すまで、黙って彼を見つめていた猫とリナリーに、帽子屋はカップの底に残った茶葉で占いをするふりをしながら呟く。 「・・・・・・・・・・・・ハズレ?」 「うん」 あっさりと言われて、また黙り込んでしまった彼を、さすがに気の毒に思ってリナリーが声をかけようとした時、 「おまちどーん と、三月ウサギが、大きな銀のトレイを掲げて戻ってきた。 「わぁ!」 三月ウサギの手元に目を吸い寄せられたリナリーは、彼女がテーブルに置いた皿の、銀のカバーに手をかけるや、わくわくと期待に胸膨らませる。 「じゃーんっ★」 掛け声と共にカバーが開いた瞬間、暖かな湯気と共においしそうな匂いを放ちながら・・・こちらを見つめる子豚と目が合った。 「ぶ――――っっ?!」 「・・・料理を持ってきてブーイングされたのは生まれて初めてよ」 目を丸くする三月ウサギの傍らで、早速料理に手を伸ばしたアレンが肉を切り分けている。 「違っ・・・!! ううん、違わないの!! ねぇこれっ!!この豚!!豚さん!!!!」 涙声になりながら、震える指で一所懸命に豚の丸焼きを示すリナリーに、三月ウサギは小首を傾げた。 「アンタ達が来る前だったわねぇ。 森からひょこひょこ歩いてきたもんだから、捕まえてお料理したのよん。 捌いたばっかりだから、おいしいわよぉ 「はいっ!すっごくおいしいです!」 「アレン!!食べちゃだめぇぇぇぇぇ!!!!」 泣き喚いてアレンを止めるリナリーに、帽子屋が小首を傾げる。 「なんで? ・・・あ!もしかして、キミの豚だったのかい?!」 「あらまっ!そうなのん?!」 ぱちん、と、指を鳴らした帽子屋の指摘に、三月ウサギは少し慌てたようだった。 「それはごめんなさいねぇ! でもホラ、きっと、アンタが作るよりはおいしく焼けてるわよぉ 「違っ・・・違うよぉぉっ!!」 激しく首を振って泣き喚くリナリーに困惑する、帽子屋と三月ウサギの間で、子豚の丸焼きを嬉しそうに頬張っていたアレンがにこにこと笑う。 「ほんとにおいしー さすが三月ウサギさんですね! こんなにおいしく焼いてもらって、奥様の豚も幸せです 僕も幸せ、と呟き、またパクパクと食べ始めたアレンを見て、三月ウサギはようやく事情を理解した。 「アラそぉだったのぉ! これ、公爵夫人の豚ちゃんだったのね! それはごめんなさぁい! だったら後で、他の豚ちゃんをお料理して、夫人のところにお届けするわん それでいいでしょ?」 「良くないよぉ!!」 テーブルを叩いて泣き喚くリナリーに、三人が三人とも肩をすくめる。 「別に、豚の味に変わりはないと思うけどねぇ。 特に、三月ウサピョンが料理したもんなら、絶対おいしいよぉ?」 ねぇ、と、小首を傾げた帽子屋に、照れた三月ウサギが頬を赤らめた。 「うふん 嬉しいわぁ だが、とうとうテーブルに突っ伏してしまったリナリーに、彼らの説得は届かない。 「んもう・・ナニが不満なんだい、この子は・・・」 「姉さんの赤ちゃんだったのにぃぃぃぃぃ!!!!」 「豚ちゃんが?そうなの、チェシャ猫ちゃん?」 三月ウサギに問われ、アレンは豚肉を頬張ったまま頷いた。 「いつもの『ごっこ遊び』です。 一昨日は鶏を抱いてらしたんですが、寝かしつけるのが大変だったし、昨日のお夕飯になったんで、今日は豚を。 明日のお夕飯になる予定だったんで、本当なら明日まで遊ぶ予定だったんですけどね」 今日は女王様のご招待だから、と、なんでもないことのように言ってのけたアレンを、リナリーは涙目をあげて見つめる。 「それ・・・ホント・・・・・・?」 引き攣った声で問うと、彼はあっさりと頷いた。 「豚さんを食べちゃったんで、明日の赤ちゃんはお魚かもしれませんね。 今までで一番大変そうだな」 「有名だよねぇ、公爵夫人の空想ごっこ! 時々本物になるから、見逃せないんだよねぇ♪」 「そのうちホントに赤ちゃんが生まれるかもしれませんね」 「生まれるわよぉ 「その子は食べちゃわないようにしなきゃあ!」 楽しみだ、と、盛り上がる三人から、完全に仲間はずれにされた気がして、リナリーは頬を膨らませて立ち上がる。 「あらん?もういいのん?」 三月ウサギが声をかけるが、リナリーは口も利かずに踵を返し、ぷんぷんと怒りながら森の中へと戻っていった。 「なによ! それならそれで、最初っから教えてくれればいいじゃない! ものすごくびっくりしたんだから! 心臓が飛び出るくらい!!」 振り向きもせず、どんどん森の中を進んでいくリナリーは、更に頬を膨らませる。 「なによ!『戻っておいで』も言わないなんて、なんて失礼な人達! 絶対絶対、許してあげないんだからね!!」 言いながら耳を澄ましてみるが、やっぱり自分の足音以外は何も聞こえなかった。 「ちょっと!! ほんとに誰も追いかけてこないの?!」 思わず足を止め、振り返ると、目の前に突然、アレンの姿が現れる。 「きゃあ!!!!」 驚くあまり、しりもちをついたリナリーに、アレンはにこりと笑って手を差し伸べた。 「驚かせてごめんなさい。 だけど走ってたんじゃ、とても追いつけなかったから」 白い尻尾を揺らしながら、いたずらっぽく笑うアレンの手を、リナリーは頬を膨らませたまま取る。 「なんで教えてくれなかったの、あれが本当の豚だって!」 と、アレンは不思議そうに首を傾げた。 「僕・・・ずっと豚だって言ってました・・・」 「・・・・・・そうだったわね」 自分が赤ちゃんだと思い込んでいただけだと気づいて、リナリーは肩を落とす。 「姉さ・・・公爵夫人はなんで、そんな空想ごっこをしているの?」 姉がそんな馬鹿な真似をするはずがないと確信するリナリーは、もう、あの公爵夫人を姉だと思うことをやめた。 「そんなに赤ちゃんが欲しいの?」 「欲しいんじゃないですか?事情は良くわかんないけど」 長い尻尾でこりこりと耳を掻くアレンにリナリーがため息をつくと、彼は反対側に首を傾げる。 「なんならご本人に聞いてみたらどうですか? 今日は女王様の園遊会に招待されて、お城にいらっしゃいますよ?」 「行きたいけど・・・」 と、リナリーは視線をさまよわせた。 「あいにく、私はご招待されてないわ」 「招待状がいるの?」 「そりゃ・・・いるでしょ?」 また反対側に首を傾げたアレンと同じ方向に、リナリーが困り顔を傾げると、その目の前からアレンがぱっと消える。 「んなっ・・・?!」 どこへ、と問う間もなく、再び現れたアレンを、リナリーは目を丸くして見つめた。 「あ・・・あなた・・・・・・!!」 「言ったでしょ? 僕は、この世界の中なら、どこでも好きなところへ行けるんです」 得意げに胸をそらしたアレンは、気取った格好のまま、リナリーに封書を差し出す。 「そして、好きなものを手に入れられるんですよ どうぞ、招待状です!」 「えぇっ?!」 封書を受け取ったリナリーは、印章が捺された封蝋を割って招待状を取り出した。 「ホントだ・・・しかも、私の名前だわ!」 「本物の印章ですよ。 女王の部屋の、女王の机にあった紙とインクと封筒と、封蝋もお借りしたんです。 宛名を書いたのは、僕ですけどね えへ、と、アレンがいたずらっぽく笑うと、リナリーは不安そうな顔になる。 「それ、ばれちゃったら・・・」 「ばれませんよ。 だって女王のお客は、そりゃあたくさんいるんですから!」 いちいち名前なんか覚えちゃいない、と、断言されて、リナリーも頷いた。 「じゃあ・・・ちょっとだけ、おじゃましようかな・・・・・・」 せっかく来たんだし、と、乗り気になった彼女に、アレンはにこりと笑って頷く。 「じゃあ、そこで会いましょうね 「え?!一緒に行かないの?!」 また、ぱっと消えてしまったアレンがいた場所に声をかけると、アレンは当然のようにぱっと現れた。 「僕にもちょっと都合があって・・・エスコートできなくてごめんなさい」 ぺこりと頭を下げたアレンに、リナリーは渋々頷く。 「だったら仕方がないわね・・・。 でも・・・ねぇ・・・そんな風に、急に出たり消えたりするの、やめてくれないかな? 心臓がびくびく跳ねちゃうんだよ」 「そうなんだ?」 意外そうに言って、アレンは笑みを深めた。 「じゃあ、じわじわ消えていきますね。 君をお見送りしますよ」 そう言って、手を振り出したアレンは、本当にじわじわと消えていく。 まずは、手と一緒に振っていた尻尾が消え、足が消え、身体が消え、しかし、にこにこと笑う首から上は、いつまでもリナリーを見つめていた。 「また後でね アレンが、いつまでも彼から離れようとしないリナリーに笑みを深めると、彼女は渋々頷く。 「またね・・・」 呟いて、ようやくアレンに背を向けたリナリーは、何度も振り返りながら、森の奥へと入っていった。 「またね、はいいんだけど・・・・・・」 アレンと別れたリナリーは、困惑げに呟きながら歩を進めた。 「お城って、どうやって行けばいいのかな?」 招待状に地図でも描いてないだろうか、と、足を止めたリナリーは、傍らの木に扉があるのを見て、目を丸くする。 「なんなの、このドア・・・。 リスのおうちの入り口にしては大きいわよね」 リナリーでさえ、楽に通れるほどの扉を開けてみると、そこはあの長い廊下―――― ウサギを追いかけて、初めて入ったあの廊下に続いていた。 「よかった!! 戻ってこれたよぉ!!」 両手を組み合わせ、歓声をあげたリナリーは、見失ったはずのあのガラスのテーブルをも見つけて、また歓声をあげる。 「あの鍵だ!」 軽々と取り上げた鍵を、きちんとポケットにしまいこむと、リナリーは代わりに、小さくなるキノコを取り出した。 「が・・・我慢よ、リナ! 小さくなるには、仕方ないんだからね!」 自分に言い聞かせ、嫌いなキノコを懸命に飲み込むと、リナリーの身体はドアをくぐるのにちょうどいい大きさにまで縮んだ。 「これならあのお庭に行けるわね!」 ポケットから鍵を取りだしたリナリーは、いくつもある扉の中から、あの美しい庭に通じるドアを開け、念願の場所へと入っていった。 「すてき!!」 ドアを潜り抜け、入った庭の入り口では、大きな白バラの木がリナリーを迎えてくれた。 「わぁ 言いかけて、リナリーはバラの香りに混じる妙な臭いに眉根を寄せる。 「なんだろ、変な臭い・・・」 木々の間から漂ってくる異臭を辿っていくと、きぃきぃと喚く声が聞こえた。 「ちょっ・・・タップゥゥゥ!!俺じゃなくてバラを塗れよ!!」 「そんなトコにボケッといるのが悪ぃんだよ、ジョニー!! おまえこそ、喚いてないでバラ塗れよ!!」 木の陰に隠れたリナリーは、きぃきぃと声のする方をそっと覗く。 と、彼女の視線の先では、庭師らしき二人が赤いペンキを持って、白バラを赤く塗っていた。 「・・・なにしてるのかしら」 随分と変わったことをする、と呟きつつ、もっとよく見ようと身を乗り出した途端、バラの枝を揺らしてしまい、リナリーは庭師たちに見つかってしまった。 「あの・・・こんにちは」 気まずげに木の陰から出て行くと、庭師たちは慌ててペンキを背後に隠し、リナリーに向かって深々とお辞儀をする。 「お客様!」 「ようこそいらっしゃいました!!」 「あの・・・聞いてもいいですか・・・?」 彼らが礼儀正しいことにやや安堵して、リナリーは首を傾げた。 「なんでバラに、ペンキを塗ってるんですか?」 問うと、ジョニーと呼ばれていた庭師がタップを窺い、もの言いたげな目で見つめられたタップは居心地悪げに身じろぎして、渋々口を開く。 「なぜかって言うと・・・その・・・ほんとはここ、赤いバラを植えるはずだったんだけど、間違えて白いのを植えちまったんだ。 ・・・こんなミス、女王様にバレたら、二人とも首をちょん切られちまう! だから俺ら、女王様がおいでになるまえに一所懸命――――」 唐突に言葉を切ったタップが、口をあんぐりと開けた。 はっと顔をあげたジョニーは、みるみる蒼褪めていく。 「どうしたの?」 不思議に思って背後を振り返ったリナリーは、庭の向こうに幾本もの旗が翻るのを見て、目を見開いた。 「もしかして・・・」 「女王様だ!女王様がいらした!」 気の毒なほどにぶるぶると震え、手を取り合ってしゃがみこんでしまった庭師たちの傍ら、リナリーはおろおろと辺りを見回す。 「わ・・・私の他に、招待客はいないのかしら?」 ここは正面に出てお辞儀をするべきなのか、道の横にどいてかしこまるべきなのか・・・困り果てたリナリーは、参考になる人の姿を探すが、生憎この庭には、彼女と庭師のほかには誰もいなかった。 そうするうちに、旗を掲げた大勢の兵隊が、リナリーを無視して通り過ぎ、次に廷臣らしき立派な身なりの紳士達が、続いてその夫人達が、更にその後に、他国の賓客達が続いて、長い長い行列の最後に、ようやく威厳に満ち満ちた女王が現れる。 その時にはリナリーは、彼女が見えないかのように無視していた人々に押しのけられ、道端に追いやられていた。 「参考になる人がいないなら・・・」 リナリーは礼儀作法の教本通りに、かしこまって女王を迎える。 と、今まで空気か何かのようにリナリーを無視していた行列の中でたった一人、女王だけがリナリーを見止めた。 ・・・いや、見咎めた、と言うべきだろうか。 気づけば、酷く冷たい目が、輿の上からリナリーを見下ろしていた。 「これは誰だ?」 低く恐ろしい声を振り仰げば、長い黒髪の美しい女王が、じっとリナリーを見つめている。 「・・・ユウ?!」 リナリーが思わず声をあげると、女王は不快げに眉根を寄せた。 「我が名を呼ぶとはおこがましい小娘が。名を名乗れ」 「知ってるでしょ?!リナリーよ!」 リナリーが声を張り上げると、女王は更に眉根を寄せる。 「おまえのような子供、知るわけがない」 冷淡に言われて、リナリーは頬を膨らませた。 「やっぱりユウは、喋るようになってもいじわるね!」 アレンとは大違い、と呟くや、女王の目が吊り上る。 「あんなモヤシと比べんじゃねェ!」 ぱぁんっと、輿に扇子を叩きつけた音に、その場の全員が身をすくめる中、リナリー一人がまっすぐに女王を見返した。 「ふんっ! 怒ったって怖くないわよ! ユウが怒りんぼなのは知ってるもの!」 堂々と逆らうリナリーを、女王は激しく怒鳴りつける。 「こいつの首を斬ってしまえ!!」 「やれるもんならやってみなさいよ!!」 女王の怒声さえしのぐ大声で言ってやると、女王はリナリーを睨みつけたまま、唇を噛んで黙り込んでしまった。 「ま・・・まぁまぁ、陛下・・・・・・!」 沈黙の中、ぴりぴりと漂う険悪さを振り払うように、長い耳をぴるぴると震わせたウサギが仲裁に入る。 「まだ子供さ・・・! 礼儀を知らねぇだけだから、ここは許してやるのが女王陛下の寛容さってもんさ・・・」 な?と、引き攣った笑みを輿の上に向けるウサギを冷たく見下ろし、女王はふんっと鼻を鳴らした。 「・・・それで? お前らは何をやってんだ?」 冷酷な視線が刺さって、哀れな庭師達が悲鳴をあげる。 「白いバラを赤く塗って、何をしている?」 「それはっ・・・」 「そのっ・・・」 せわしなく目を泳がせる二人を見つめた女王は、折れた扇子を投げつけた。 「こいつらの首を斬れ!」 「ダメよ!!」 恐怖のあまり、白目をむいて倒れてしまった庭師達の前に立ち、リナリーは腰に手を当てる。 「首なんか斬らせないわ!」 リナリーがじっと睨みつけると、廷臣達が目を疑ったことに、女王は冷酷な目を気まずげに逸らした。 ややして、 「ふん・・・。 せっかくの園遊会に、首切りもねぇだろう。 おい、お前ら!後できっちり処罰してやっから、今は下がれ!」 「ひぇっ・・・!!」 「ひぃぃぃぃぃ!!」 兵隊に小突かれて目を覚ました庭師達は、女王の視線に怯え、こけつまろびつ逃げて行く。 「ほんと・・・怒りんぼねぇ、ユウは」 呆れ口調のリナリーをまた睨みつけた女王は、ふんっとそっぽを向いた。 が、すぐにまた、リナリーに視線を戻し、傲慢に問う。 「お前、招待されてるんだろうな?」 さもなきゃつまみ出してやる、と、言わんばかりの女王に、リナリーは頷いて招待状を差し出した。 「ちゃんと持ってるわ」 「・・・・・・そうか。 ならば、とっとと賓客の列に入れ!」 悔しげに怒鳴った女王に微笑んだリナリーは、心の中で舌を出す。 ―――― 正式な招待じゃないけどね。 しかし、おかげでつまみ出されずにすんだと、足取りも軽く賓客の列に入った。 と、廷臣の列からあのウサギが歩み寄って、リナリーに囁く。 「お・・・おまえ、本当に招待されたんさ・・・?」 長い耳をびくびくと震わせながら問う彼に、リナリーは大きく頷いた。 「正式な紋章入りの招待状よ?」 ウサギの目の前で、ひらひらと封書を振ってやると、彼は口をつぐんで頷く。 「それで・・・ラビだったわよね? あなたが慌てて扇子を届けた公爵夫人はどこにいらっしゃるの?私、聞きたいことがあるんだ」 この会場にいるだろう、彼女の姿を探すリナリーの口を、ラビは慌てて塞いだ。 「なにすっ・・・!」 「これ以上余計なこと言うんじゃねェさ!!」 恐々と女王の様子を窺いつつ、ラビは更に声をひそめる。 「公爵夫人は・・・遅刻の罪で死刑宣告されちまって・・・・・・!」 「それ、あなたのせいじゃない!」 ラビの手を振りほどいてリナリーが抗議すると、彼の長い耳がへたりと垂れた。 「精一杯急いだんさ・・・! なのに、おまえが追いかけて邪魔したり、扇子がなくなったり、イキナリ出てきたチェシャ猫にシメられたり・・・!」 気まずげに目を逸らしたリナリーを、ラビは恨みがましい目で見上げる。 「最悪なんは、夫人自身が迷子になっちまったことさね・・・! 案内の召使とはぐれちまって、散々迷子になった挙句、ようやくついた時には遅刻も遅刻、大遅刻で・・・」 深々と吐息したラビは、野外パーティの会場に着いたと気づくや、ぴょこぴょこと跳ねて、リナリーの側を離れていった。 「あ! ちょっと、ラビ・・・!」 呼び止めようと手を伸ばした時には既に、彼は女王の傍らで、開会の挨拶を述べている。 「・・・夫人はどうなっちゃうんだろ」 奇妙な人だったが、姉とそっくりな彼女が、たかが遅刻したくらいで死刑になりそうだと聞いては、さすがに気の毒に思えた。 「庭師さん達も・・・今頃震えてるのかなぁ・・・?」 ついさっき、リナリーの目の前で死刑宣告をされた庭師達の安否も気になって、きょろきょろと辺りを見回す。 だが、当然ながら彼女の目に入る範囲に、牢屋に使われそうな塔などは見当たらなかった。 「なんとか助けられないかしら・・・」 悄然と呟いた時、 「こいつらの首を斬れ!!」 会場中に怒声が響き渡り、リナリーはびくっと顔をあげる。 と、冷酷な目をした女王が、王錫の先で次々と廷臣達を指し示していた。 「い・・・いくらなんでも多すぎじゃないの?!」 リナリーが目を離したほんの少しの間に、一体どんな無作法が行われたのかは知らないが、兵隊達に連行される廷臣の、あまりの数の多さに目を丸くする。 「ユウったら、よっぽど首を斬るのが好きなんだわ! あれじゃあ、まだ生きてるほうが不思議よ!」 「ホント、いけ好かないぱっつんですよね!」 耳のすぐ横で囁かれ、リナリーは飛び上がった。 「んなっ・・・?!」 絶句して、リナリーは彼女の耳元、宙に浮かんだ口を呆然と見つめる。 目も鼻も耳もない、ただ、口だけがにこにこと笑いながら、またしゃべり出した。 「さっさと見限った方がいいですよ、あんな奴」 言ううちに、徐々にピンク色の鼻や、銀色の目、白い耳を現したチェシャ猫を、リナリーは飛び跳ねる心臓を押さえながら睨みつける。 「びっ・・・びっくりするじゃない!!」 首だけを宙にぷかぷかと浮かべるアレンを、リナリーは厳しく叱りつけた。 「女の子を驚かせちゃいけないのよ!」 「ごめんなさい」 謝りはするが、悪びれもせず、アレンは首だけでにこにこと笑う。 「それで、公爵夫人には会えましたか?」 「ううん・・・」 リナリーは困惑げに首を振った。 「夫人は・・・その・・・死刑宣告を受けたんですって・・・」 「あーぁ」 にこにこと笑ったまま、のんびりと言ったアレンに、リナリーの目が吊り上る。 「なによ、その言い方! 夫人はあなたの飼い主でしょう?!心配じゃないの?!」 「心配?なんで?」 クスクスと笑い出した彼を、リナリーが怒鳴りつけようとした時、 「誰と話している?」 背後から冷酷な声をかけられ、驚いて振り返った。 「ユ・・・」 「テメェ、ニヤニヤ笑いの性悪猫が!何しにきやがった!!」 リナリーが何か言う前に、彼女の陰に隠れていたアレンを見咎めた女王が、声を荒げる。 「ふふん♪ ご機嫌麗しゅう、じょ・お・う・さ・ま 殊更言葉を区切って笑ったアレンに、女王の目が吊り上った。 「こいつの首を斬れ!!」 「へへーんだ! 首しかない僕の首を、どーやったら斬れるもんか、お試し願いたいですねーだ!」 リナリーがはらはらと見守る前で、挑発的なことを言うアレンに、女王の怒りが燃え上がる。 「ってめぇ!!」 ヒュオッと、風を斬って振り下ろされた王錫が鼻先を掠め、アレンの顔色が髪の色ほどに白くなった。 「・・・っなにすんですかあんた!!」 「っるっせぇ!! 殺んのはなにも、首切りだけじゃねぇんだよ!!」 王錫を大上段に構え直した女王の前で、アレンの首がわたわたと逃げ惑う。 「死ねェェェッ!!」 「から竹割りコース待ってェェェェ!!!!」 女王がアレンの頭に王錫を振り下ろす寸前、女王の背に飛びついたウサギが、必死の悲鳴をあげた。 「ほんっ・・・と待ってさ、女王様っ!! 猫なんか殺したら、9代祟るさ!!」 「あぁっ?! 祟れるもんなら祟ってみろぃ!!」 雷のような声で怒鳴られたウサギは、長い耳をぷるぷると振り回す。 「またそんな漢前なこと・・・っ!! も・・・マジ落ち着いてさっ!!」 ウサギが女王を必死になだめる隙に、アレンの首を背に隠したリナリーは、彼の勇気に思わず感心した。 「気のちっちゃな子だと思っていたけど、あの女王様を止めるなんて、なんて勇敢なのかしら」 「女王より、僕にいぢめられるのが嫌なだけですよ」 ひょこ、と、リナリーの肩から顔を覗かせたアレンが、余計なことを言う。 「大体、女王のくせに狭量なんですよ、忌々しいぱっつんが。 大昔から言うでしょ、猫は平気で王様を見るってね!」 「おまえはガン見しすぎさぁぁぁぁぁ!!!!」 怒り狂った女王を羽交い絞めにして、ウサギが絶叫した。 「おまっ・・・俺がどんだけ必死に止めてると思ってんさ!! ちったぁ俺の苦労をおもんぱかれぃっ!!」 「放せラビ! こいつブッた斬って、二度とそのニヤニヤ笑いができねェようにしてやらぁ!!」 「だから女王様っ! 猫っつーんは9つも命持ってんだから! 殺したって死なねェさ!!」 「だったら10回殺してやんよ!!」 大騒ぎになった場の真ん中で、怒声に包まれたリナリーは、困り果てて周りを見回す。 誰か助けてくれないかと思ってのことだったが、案の定、この恐ろしい集団に近づく勇気を持つ者など、一人もいなかった。 「誰か助けてよぉ・・・」 哀しげに呟いた時、 「テメェ!!逃げんじゃねェ!!」 ひときわ高く、女王の怒声が響く。 リナリーに向かって突き出された王錫の先を、呆然と見つめていると、彼女の耳元で、楽しげな笑声が沸いた。 「消えちゃったら殺すこともできませんね、女王様? ふふふ リナリーも、と、彼女の頬に軽くキスして消えたアレンを、リナリーは呆然と見送る。 「あのヤロウ!! おい、テメェ!!」 まっすぐに睨みつけられ、リナリーは女王へと視線を戻した。 「あのクソ猫ヤロウ、どこいきゃーがった?!」 「し・・・知らないよ・・・・・・!」 「あぁっ?!テメェの飼い猫だろうがよ!!」 あなたもね、と言いかけて、リナリーは怒り狂って毛を逆立てる、黒猫のような女王に、小首を傾げる。 「おうちではそうね。 だけど、この世界では公爵夫人の飼い猫だそうよ。 だから、公爵夫人に聞いてみれば?」 すると、女王は怒り狂った顔を兵隊に向けた。 「公爵夫人を連れて来い!!」 「はい!!」 女王の命令を受けた兵隊達が、慌てて駆け去る。 が、彼らが公爵夫人を、ほとんど抱きかかえんばかりにして連れてきたのは、随分経ってからの事だった。 「遅い!!」 「もっ・・・」 「申し訳ありません!!」 縮こまってしまった兵隊達に挟まれた公爵夫人は、しかし、ちょっと困ったような顔をして、おっとりと首を傾げる。 「あの・・・どうかしましたか、陛下?」 「おまえの飼い猫が、とんだ無作法を働きやがったんだよ!! おい、おまえ! あのクソ猫がどこに消えたか言ってみろ! そうすりゃ、おまえの死刑は免除してやらぁ!!」 怒声と共に王錫を突きつけられた公爵夫人は、反対側へと首を傾げた。 「そうですねぇ・・・たぶん、屋敷の暖炉の前だと思いますよ? そろそろお茶の時間だし、コックがサンドウィッチを作る横で、パンの耳を狙っているんじゃないかしら?」 「兵隊ども!!公爵邸に行って、あのクソ猫捕まえて来い!」 「あら、でも・・・・・・」 駆け去った兵隊達を見送り、夫人は頬に手を当てる。 「今日は私達、夫婦揃ってここにいますから、お茶の仕度はしないわねぇ・・・。 だったら、三月ウサギさんのおうちにお邪魔しているのかも。 あのお宅、帽子屋さんがいらっしゃる間は、いつでもお茶の時間ですものねぇ」 「兵隊ども!!三月ウサギの家だ!急げ!!」 更に兵隊の一団が駆け去るのをおっとりと見送ると、夫人は、自分の傍らで呆然とするリナリーを見遣った。 「また会えて嬉しいわ。 でも・・・あなたには私の赤ちゃんのお世話を頼んだはずだけど。 あの子はどうしたの?」 「えぅっ?!あのっ・・・!!」 額に汗を浮かべ、声を引き攣らせたリナリーは、公爵夫人の穏やかな目にじっと見つめられ、気まずげに俯く。 「も・・・森に入っちゃって・・・三月ウサギさんのおうちで・・・・・・」 「あらあら、食べられちゃったのね」 なんでもないことのように言って、夫人はにこりと笑った。 「おいしかった?」 「はぅっ?!」 びくっと顔をあげ、必死に首を振るリナリーの仕草を、勘違いした夫人は悲しそうに見つめる。 「そう・・・まだ、肉付きがよくなかったのね。 でも、大丈夫よ。 次はちゃんと、おいしい豚に巡り会えるわ」 何が大丈夫なのか、見当違いな慰めを口にする夫人に最早、何も言えず、リナリーはぶんぶんと頷いた。 「それより、牢屋から出してくれてありがとうって言うべきなのかしら?」 「あ・・・いえ・・・・・・」 姉にそっくりなのに・・・実際の姉とは違って、おっとりとした公爵夫人の態度には、調子が狂ってしまう。 リナリーは夫人を見上げると、差し出された腕に手を絡めた。 「あの・・・なんで公爵夫人は、お夕飯用の子豚を『私の赤ちゃん』なんて呼ぶんですか?」 「食べちゃうからですよ」 「・・・・・・食べちゃう子豚を、あんなに可愛がるの?」 「そうですよ」 簡潔だが、わけのわからない回答に困惑して、リナリーは眉根を寄せる。 「可哀想にならない?」 「どうして?」 逆に問われて、リナリーは困ってしまった。 一所懸命に考えてから、ようやく口を開く。 「だって・・・可愛がっていた子豚を殺して、焼いて食べちゃうなんて、残酷だよ・・・・・・」 「あらあら・・・じゃあ、可愛くない子豚なら食べてもいいの?」 クスクスと笑われて、リナリーは恥ずかしげに俯く。 「あの子達は、私の血となって肉となって、いつかは私の赤ちゃんの栄養になってくれるのよ? 可愛がって、病気にならないように見守って、健康に育てた子達を、お料理する前に抱きしめてあげちゃいけないのかしら?」 「それは・・・・・・」 「あなた、元気に走れるのはなぜ? あなた、そんなにお肌が艶々しているのはなぜ?」 「ちゃんと・・・ごはんを食べているからです・・・・・・」 続けざまに問う夫人を見ることができず、リナリーは俯いたまま、口の中で呟いた。 「いいことね。とてもいいこと。 病気で可愛くない豚を食べていたら、とてもじゃないけど、そんなに元気ではいられないわよ?」 ね?と、首を傾げた夫人に、リナリーは黙って頷く。 「ふふ・・・おりこうさん 優しく頭を撫でてくれる手は、本当に姉にそっくりで、リナリーはにこにこと笑う夫人を見上げた。 「あの・・・公爵夫人・・・。 豚さんのことはわかったんですけど、もう一つわからないんです」 「なんですか?」 おっとりと首を傾げる夫人を、リナリーは不安げな目で見つめる。 「遅刻したくらいで死刑なんて・・・牢屋に閉じ込められるなんて、怖くなかったんですか?」 女王の耳には入らないよう、声を潜めたリナリーに、夫人はクスクスと笑った。 「怖くなんてありませんとも。 だって、あれは女王様の『ごっこ遊び』なんですから」 「また『ごっこ遊び』なの?!」 思わず大声をあげたリナリーは、慌てて自分の口を塞ぐ。 その様がいかにも面白いとばかり、夫人はかなりの間笑い続けた。 やがて、 「じっくりと様子を御覧なさい。 そのうち、女王様ご自身が、『死刑を免除してやる』っておっしゃいますよ」 さっきみたいに、と、夫人が囁いた途端、彼女のもう一方の手が引かれる。 「それ、言っちゃダメさ、公爵夫人!」 長い耳をぷるぷると振って、ウサギが必死に訴えた。 「アレン以外、全部ウソだなんて・・・」 「まぁ!なんでそんなウソ!!」 「大声で言うなっつってんさ!」 きっ、と睨まれて、リナリーが黙り込む。 「これは・・・他国に評判を広めるためなんだからさ。 ウチの女王様が、とんでもなく冷酷な王様だって評判を」 「なんでそんなこと・・・」 「外国が攻めてこないようにでしょうねぇ」 リナリーの問いに、おっとりと答えた公爵夫人を、ウサギは困り顔で見あげた。 「ホ・・・ホントは、いい王様なんさ・・・! 何年か前も、不作続きでみんな、ろくにパンが食えなかった時・・・」 「パンがなければソバを食べればいいじゃないか、っておっしゃったんですよ」 クスクスと笑いながら言う公爵夫人を、リナリーは唖然と見あげる。 「えーっと・・・なんで?」 「お好きなんでしょうねぇ」 「それもだろうけど」 夫人のあっさりとした答えに補足の必要を感じたらしく、ウサギはふるりと首を振った。 「他の貴族達は、女王様蹴落として自分が王様になろうってんで、民衆の人気取りに私財を放出したんさ。 そのお金で外国から麦買って、パンを作ったんさね」 「・・・私はそっちの方がいいなぁ」 思わず呟くと、公爵夫人はまた、クスクスと笑い出す。 「長くは続きませんでしたけどねぇ。 それに、私財を放出した分、それを補おうと、その年の税金を上げた方もいらして、かえって民衆の不満が高まってましたわ」 「あぁ・・・難しいね」 「おかげで下克上は失敗さね」 肩をすくめて、ウサギは耳をそよがせた。 「しかも、女王様が植えさせたソバは、どんな荒地でも簡単に育つ上に、色んな料理に使えたからさ・・・。 ホントに、『パンがなければソバを食べればいい』ってことになっちまった」 「・・・いい王様じゃない!」 「だからさっきからそう言ってるさ」 リナリーの大声に、ウサギはうるさげに耳を垂らす。 「まぁ、かんしゃくもちではいらっしゃるけどねぇ。 私なんて、今日の処刑リストには入ってませんでしたのに、遅刻してしまったから牢屋に入れられてしまいましたもの」 公爵夫人がのんびりと言った横で、ウサギが頭を抱えた。 「うぅ・・・! 気をつけてさ、ホント・・・!」 緑色の目を紅く染めて、ウサギはしくしくと泣き出す。 「夫人が牢屋にぶち込まれたんは、俺が遅刻したせいだってんで、俺、公爵にすんげー怒られたんさ・・・!」 げんこつ痛かった、と、ウサギは抱えた頭をすりすりと撫でた。 「なんだか・・・気の毒な子ね、あなた・・・・・・」 「同情するなら代わってくれぇ・・・!」 涙目で縋りついてきたウサギに、リナリーは必死に首を振る。 「わ・・・私には女王様の家来なんて無理だよ!」 言うと、ウサギはがっかりと耳を垂れた。 その耳が片方、ピクンと跳ね上がる。 「どうしたの?」 「ん・・・俺、行かなきゃさ!」 「どこに・・・」 既に踵を返したウサギの背に問いかけた時、ようやく、リナリーの耳にも兵隊の声が届いた。 「裁判が始まります!関係者の皆さんはお集まりください!!」 「・・・園遊会中に裁判をするの?!」 リナリーが驚いて声をあげると、公爵夫人は頬に手を添えて小首を傾げる。 「あら?普通、そうじゃないの?」 当たり前のように言われて、リナリーは黙り込んだ。 彼女はまだ、国王が主催する園遊会などに行ったことがないため、それに反論するだけの根拠を持っていなかったのだ。 「でも・・・外国のお客様がたくさんいらしている中で、なんの裁判なの?」 「とても・・・そうね、とっても大事な裁判よ」 リナリーの問いに、公爵夫人は考え考え答えた。 「ふぅん・・・外交とか政治とか?」 「えぇ。 外国の株式破綻に伴う国内の経済状況への影響の説明と、国内の省庁が絡んだ不正小麦等の流通に関する責任の所在を明らかにしようという、とても大事な裁判なのです」 「・・・・・・・・・・・・」 リナリーは、なんのことだかさっぱりわからず、黙り込む。 「まぁ、お話を聞いていれば、わかると思うわよ?」 「わかる・・・・・・かなぁっ?!」 既に頭を抱えてしまったリナリーに、公爵夫人は莞爾と微笑んで頷いた。 リナリーは、公爵夫人の後について、裁判が行われる王宮内の議場に入った。 その中心には既に、女王がふんぞり返って家臣一同を睨みまわしている。 「・・・・・・ユウだわ。 あれは間違いなくユウよ。 いっつも窓辺に寝そべって、ああして私を見下ろしてるの」 「おまえ!ムダ口叩いてねェで、とっとと席につけ!」 憮然と漏らした途端、びしりと王錫を突きつけられて、リナリーは頬を膨らませた。 「ほんっと意地悪な子よね、ユウは! ううん、傲慢って言うのかしら。 飼い主を飼い主と思ってないんだもん!」 ぶつぶつと呟きつつ、公爵夫人の隣に座ったリナリーは、彼女の頭を下に見て、ふと首を傾げる。 ―――― 夫人は私より背が高かったはずだけど・・・隣の椅子が低いのかな? しかし、自分の椅子の方が小さく思える、と、リナリーは座り心地の悪さにもぞもぞと身じろいだ。 途端、 「リナリー、ちょっと見ない間に、大きくなりましたね!」 膝の上に現れた口に、リナリーはぎょっと身を引く。 「ア・・・アレン?!」 「そう」 にんまりと笑った口は、楽しそうな声で言った。 「リナリーが、いきなり現れるのはびっくりする、って言うから、じわじわと現れ中です 「・・・っこっちの方がびっくりするわよ! 女の子を脅かしちゃいけないって、言ったでしょ?!」 憤然と言うが、アレンは鼻に続いて現れた銀色の目をキラキラと輝かせて、にっこりと笑う。 「ふふ だって、びっくりしたリナリーが可愛いんだもん 「んなっ・・・!」 真っ赤になったリナリーの膝の上で、現れた首をころころと転がしながら、アレンは笑みを深めた。 「ねーぇ なでなでしてぇー ごろごろと甘えてくるアレンを、リナリーが仕方なく撫でてやると、その様を見ていた女王の目が吊り上る。 「なにしてんだテメェ!! おい! あのクソ猫をつまみだぜ! アタマかち割って、土に埋めろ!!」 女王の命令で駆け寄って来た兵隊達が手を伸ばすや、アレンはにんまりと笑って消えてしまった。 「あのヤロっ・・・!!」 激怒して腰を浮かした女王を、傍らのウサギが必死になだめる。 「も・・・もう、裁判はじまっからさ、女王様っ! チェシャ猫の処刑は、裁判が終わってからにしよっ?!なっ?!」 言うや、ウサギは急いでラッパを吹いて、手にした羊皮紙の巻物を読み上げた。 「今回の議題は2つさ! ひとつ、A国の株式破綻に伴う国内の経済状況への影響を専門職に問い、今回の情報を隠蔽し、調査を防げた国内会社の責任を問う!」 「・・・・・・・・・・・・何語?」 思わず呟いたリナリーに、公爵夫人が『しぃっ』と囁く。 しかし、唇に指を当てた彼女の顔は、リナリーを見上げるほど低い位置にあった。 「あれ・・・? 公爵夫人、いつの間に一段低い場所に移動しちゃったの?」 「静かに・・・」 リナリーは再び言われて、おとなしく前を向く。 と、ウサギはもう一度声を張り上げた。 「ふたつ目は、現在国内に流通する毒小麦や毒入り飲料を見過ごした、省庁大臣の責任を問う!」 「えぇー?!毒なんか食べちゃったら死んじゃうよっ?!」 思わず大声をあげて立ち上がったリナリーを、議場の全員が睨む。 「静かにしろ! 子供が口出すんじぇねェ!!」 女王に厳しく言われて、リナリーは気まずげに腰をおろした。 「で・・・でも、毒だなんて、なんで・・・?」 「本来、食用にしちゃいけないものを、お金儲けのために普通の小麦に混ぜたり、飲み物の原料に混ぜたりして売っていたらしいのよ」 「えぇー・・・!」 三月ウサギのうちで食べたケーキは大丈夫だったんだろうかと、不安になったリナリーは、はっと顔をあげる。 「そっか! それってきっと、あのキノコの毒だよ! それでこの世界のケーキや飲み物って、食べたり飲んだりしただけで、大きくなったり小さくなったり・・・!!」 毒が入ってたからなんだ、と、納得したリナリーは、その大臣とやらに文句を言ってやろうと、入廷するのを待った。 しかしまだ、ケーザイジョウキョウとかカブシキシジョウやらコクサイチョウテイとかなんとか、難しい顔をした大人達が、賓客だと思っていた外国人らしき動物達を相手取り、喧々諤々(けんけんがくがく)の論議を続けている。 何を言っているんだか、わけのわからない言葉ばかり並べられて、リナリーがうとうとしていた頃、ようやく、『大臣入廷!』と、ウサギが告げた。 はっと目を覚ましたリナリーは、被告席らしき場所に立った男を睨みつける。 その目の前で、ウサギが罪状を述べ、女王は大きく頷いた。 「こいつの首をはねてしまえ!」 「待てェェェェェ!!!!」 女王の宣告を受けるや、大臣は淡い金色の髪を振り乱して絶叫する。 「まっっったく身に覚えのないことで処刑されてたまるかっ!! 裁判するならきちんと証拠をそろえてから宣告しろ!!」 大臣が大声で反駁すると、ウサギがうるさげに耳を垂れた。 「んなこと言ったって、状況証拠は揃ってんさ、バクちゃぁん」 「ちゃんっていうな!! いや、そうじゃなくて!!」 大臣は、縄を打たれた手でまっすぐに女王を指差す。 「この僕がっ!! たかが小金を稼ぐために毒小麦なんぞ流通させるかっ!! そんなことせんでも財産くらい、十分持っとるわ!!」 「へぇ・・・この期に及んで言い訳なんて見苦しい、って思ったけど、結構かっこいいこと言うんだね」 「誰が見苦しいだと、この・・・っ!!」 声を潜めたつもりだったが、意外と響いたリナリーの声に振り返った大臣が、途中で言葉を切った。 みるみる赤くなっていくその顔が、怒り狂っているように見えて、リナリーは首をすくめる。 「・・・・・・ごめんなさい」 小さく呟くと、大臣は首がもげるのではないかと思う勢いで、首を横に振った。 と、その様をじっと見つめていた女王が、再び口を開く。 「めんどくせぇ。とっとと首を斬れ」 「だから人の話を聞けェェェェェェ!!!!」 両脇を兵士達に固められ、刑場へ連行されようとした大臣は、足を踏み鳴らして絶叫した。 「大体!! 状況証拠ってなんだ、状況証拠って!! そんなもんで俺様を殺す気かぁぁぁぁぁ!!」 「だーって、毒物扱うようなヤバイ奴、あんた以外にいないさ」 「だから首を斬れ」 「アホかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 続けざまの大絶叫に、うんざりとしたウサギは伏せた耳を縛ってしまい、傍聴人達も全員、耳を塞ぐ。 「ヤバイ薬を作る奴なら、俺様の他にもいるだろうが!! 帽子屋!!帽子屋を呼べ!! あいつが犯人に決まってる!!」 「何を証拠に・・・」 「毒を扱って、なおかつ俺様を陥れるような奴、あいつ以外にいるかっ!!」 断言した大臣に頷き、女王はウサギに命じた。 「帽子屋を呼べ」 命令を受けて、ウサギはラッパを鳴らす。 「証人・帽子屋入廷!」 「はぁーぃ 重々しい議場の雰囲気には、およそ似つかわしくない軽々しい声をあげて、帽子屋が入ってきた。 「女王様、おっ久しぶりぃー その後、愛刀の調子はドゥー 「・・・・・・てめェの巨大ロボをぶった斬ってから切れ味悪くなってんだよ! いつまでも茶ァしばいてねぇで、とっとと直せコラ!」 「うんっ! バクちゃんの死刑見物終わったら直してあげるから、女王様もボクの工具返しておくれよー 帽子屋が暢気に言い放つや、大臣はまた足を踏み鳴らす。 「待たんか、女王っ!! あんたの刀の手入れしてんのはウチの職人だろうが!!」 「あ? 安心しろ。 てめェが死んだらてめェの家来は、全員俺が召抱えてやる」 「って、キサマっ!! 単に俺様の職人が欲しいだけだろぉがぁぁぁぁぁぁっ!!」 大臣の両脇を固めた兵士達は、女王のこめかみに青筋が浮かぶ様を見て、慌てて大臣の口を塞いだ。 口をふさがれてなお、じたじたと暴れ狂う大臣を冷たく見遣り、女王は王錫の先を帽子屋に向ける。 「で? 大臣は、毒小麦を流通させたのはお前だと言っているが、どうなんだ?」 「まっさかぁ!」 大笑いしながら、帽子屋はひらひらと手を振った。 「ボカァ、巨大ロボ暴走させて女王様を怒らせて以来、ずーっと三月ウサピョンとお茶してたもーん なんなら彼女に聞いてよ! ずーっとお茶してたって証言してくれるよぉ?」 ねぇ?と、傍聴席を振り返った帽子屋の視線の先で、三月ウサギがうんうんと頷く。 「それはほんとよぉ、女王様ん 帽子屋たんは、ずーっとアタシんちでお茶してたわぁん」 「ってわけだ。 大臣は死刑」 「控訴してやるわ、コンチクショ――――!!!!」 兵士達の手を振りほどいて反駁する大臣を、リナリーは気遣わしげに見つめた。 「あのひと・・・死刑になっちゃうのかなぁ?」 また一段、下に下りたらしい公爵夫人に囁くと、彼女はリナリーを見上げて、にこりと微笑む。 「証人は、まだいるでしょう?」 「へ?」 首を傾げるリナリーの前で、夫人は慎ましく手を上げた。 「公爵夫人!なにさ?」 女王に代わって問うたウサギに微笑み、夫人は立ち上がる。 「証人でしたら、もう一人いますわ。 ミス・リナリー。 毒入り小麦のケーキを食べた子供です」 「えぅっ?!私っ?!」 驚いて声をあげたリナリーを、女王がまっすぐに睨みつけた。 「お前、毒入り小麦のケーキを食べたのか?」 「えっ・・・?! そ・・・それは・・・どうかな・・・・・・?」 しどろもどろになったリナリーを見る、女王の目が、更に吊り上る。 「立ってはっきり言え!!」 「はっ・・・はい!!」 弾かれたように立ち上がったリナリーは、その弾みに周りの傍聴人達をあらかた突き飛ばしてしまった。 「あ!ご・・・ごめんなさ・・・!!」 椅子から転げ落ちてしまった彼らに手を伸ばしたリナリーは、ついさっきまで同じ背丈だったはずの彼らが、片手で抓めるほどの大きさになっていることに、更に驚く。 「なんで・・・・・・あ! じゃあ、公爵夫人は段を下りたんじゃなくて・・・!!」 自分が大きくなっていたんだ、と、ようやく気づき、リナリーは慎重に辺りを見回した。 「み・・・みんな、避けて! 間違って踏み潰しちゃわないように・・・」 リナリーが言うや、腰を抜かしていた小さな廷臣達は、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。 「とりあえず、これで踏み潰す心配はなくなったわね。 さぁ、女王様?なんですって?」 議場の真ん中でふんぞり返る女王を見下ろし、リナリーは腰に手を当てた。 だが、傲慢な女王は、廷臣達のように怯えることもなく、真正面からリナリーを睨みつける。 「この一件についてだ! 今までの話は聞いていただろう? 毒入り小麦のケーキを食べて、お前がどうなったか言ってみろ!」 「それは今、ご覧の通り!」 リナリーは、舞台に立った役者のように、大げさな身振りで両手を広げた。 「大きくなったり小さくなったり、もうたーいへん! こんなことするのはきっと・・・・・・」 「きっと?」 慌てて口を覆ったリナリーを、女王が睨みつける。 「言ってみろ、誰だ?」 リナリーは口を覆ったまま、期待に目を輝かせる大臣と、居心地悪げに目を逸らした帽子屋を見比べた。 「きっと・・・・・・」 もごもごと呟き、リナリーは大きく頷く。 「私の兄さん!」 「はぁっ?!」 リナリーの発言に、傍聴人達は一斉に声をあげた。 「誰だそれは!」 「そいつが犯人なのか?!」 「ここにいるのか?!」 「いないなら連れて来い!」 最後に女王が放った言葉に、リナリーは肩をすくめる。 「それは無理。 だって、兄さんはこの世界にいないもの」 そっくりな人はいるけど、と、リナリーはあさっての方向を眺めて口笛を吹く帽子屋を、軽くねめつけた。 「では・・・お前が連れて来い!!」 さもないと、と、女王は王錫をリナリーへ向ける。 「お前の首を斬ってやる!」 「やれるもんならやってみなさいよ!!」 リナリーは、生意気な女王を片手でつまみあげた。 「そんなこと言う悪い子は、お仕置きしちゃうからねっ!!」 大声で怒鳴った途端、横から誰かがリナリーの手を掴む。 ふと見れば、公爵夫人が苦笑を浮かべて、リナリーを見下ろしていた。 「ふぇ・・・?」 「いい加減に起きて、リナリーちゃん?」 困ったように言われて、リナリーは寝ぼけ眼をめぐらせる。 「・・・・・・あぃ?」 ややして、リナリーは自分が夫人の膝の上に頭を置き、空に向かって突き出した手を、夫人に握られていることに気づいた。 「・・・あれ? わらし、いつの間に寝ちゃったんれすか、公爵夫人・・・?」 「誰が公爵夫人ですか」 リナリーの手を下ろした彼女は、クスクスと笑いながら、リナリーの額をぺしぺしと叩く。 「ほら、寝ぼけてないで、ちゃんと起きて? もうすぐ、コムイさんたちが戻ってくるわ」 「・・・公爵夫人、兄さんのこと知ってるの?」 「だから、誰ですかそれは。 私はミランダよ?忘れちゃった?」 ミランダの笑声を聞いているうちに、段々目が覚めてきたリナリーは、がばっと起き上がった。 「きゃっ!びっくりした・・・!」 いきなり半身を起こした彼女に、ミランダが目を丸くすると、リナリーは赤い顔で振り返る。 「・・・・・・ごめんなさい。変な夢・・・見ちゃって・・・・・・」 恥ずかしそうに呟く彼女に、ミランダはまだ笑いながら頷いた。 「随分、大変だったみたいね?」 うなされてたわよ、と言われ、リナリーは真っ赤になった顔を両手で覆う。 「私・・・なんか・・・言ってた・・・?」 「えぇ、色々と。 でも一番大きな寝言は、『やれるもんならやってみなさいよ』だったわね。 パンチまで飛んできたし」 「うぁ・・・ごめんなさいぃ・・・・・・!」 リナリーが首まで赤くして俯いた時、さくさくと草を踏み分ける足音がした。 「リナリー、ミランダ、おまたせぇー ごめんね、時間かかっちゃってぇ・・・あれ?」 二人に歩み寄ってきたコムイは、真っ赤になってうつむくリナリーを見下ろし、首を傾げる。 「どうしたのさ、リナリー?そんなに真っ赤になっちゃって」 「面白い夢を見たそうですよ」 首を振るだけで、何も言えないリナリーに代わり、ミランダが答えた。 「えぇー 「・・・・・・・・・・・・兄さんがリナのこと忘れて、変なケーキ食べさせた」 「・・・・・・・・・・・・」 リナリーの暗い声を受け、凍りついたように行動停止したコムイを、後から来たリーバーが背後から小突く。 「ナニ固まってんすか、アンタ。 ホラ、早く帰りますよ?」 だが、コムイはショックのあまり微動だにせず、その原因たるリナリーも、顔を覆ってうずくまったまま、立ち上がろうとしなかった。 「この兄妹は・・・っ!!」 「ま・・・まぁまぁ、リーバーさん・・・!」 こぶしを握るリーバーを、ミランダが苦笑して押しとどめる。 「ご用が済んだのでしたら、申し訳ないのですけど、こっちに馬車を回していただいていいですか? その間には多分、二人とも動けるようになっていますよ・・・」 ね?と、ミランダがリナリーの背を撫でると、彼女は顔を覆ったまま、かすかに頷いた。 「ったく・・・しょうがねェな!」 憮然と言って、踵を返したリーバーを見送ると、ミランダはリナリーの傍らにしゃがみこむ。 「それで?私は公爵夫人だったの?」 クスクスと笑いながら、からかうように言うと、リナリーは真っ赤になった顔を、指の間から覗かせた。 「うん・・・・・・」 「ふふ ステキねぇ 華やいだ声をあげるミランダに、リナリーは頷く。 「ステキだったよ。 にこにこしながら赤ちゃんあやしてた」 「まあ その赤ちゃんが豚で、アレンがおいしそうに食べてしまった、とは、言わない方がいいだろうと判断し、リナリーは自分の顔から手をどけた。 嬉しそうなミランダに、ちょっとだけ、意地悪く笑う。 「公爵夫人の空想は本物になるそうだから、がんばってね」 「はい?」 きょとん、としたミランダは、リナリーが指差した先に、馬車を降りたばかりのリーバーの姿を見て、真っ赤になってしまった。 「おぅい、室長は復活したか?」 「まだ。 それと・・・」 歩み寄ってきたリーバーに首を振って、リナリーは立ち上がる。 「ミランダも動けなくしちゃったから、後はよろしく班長」 「はぁっ?! ちょっ・・リナリー!待て!!」 固形化したままのコムイの腕を取り、ずるずると馬車へ引きずっていくリナリーと、彼女がいた場所にしゃがみこみ、頭から湯気を上げつつ固まってしまったミランダを見比べ、リーバーは困り果てたように頭を掻いた。 Fin. |
| 2008年ハロウィン作品第1部『不思議の国のリナリー』でした(笑) 丁度、20万HIT記念リクで『不思議の国のアリスパロ』と言うものを頂いたので、早速使わせてもらいましたヨ!(笑) しかし実は私、ギャグ書きのくせに杓子定規な性格でして。 ナンセンスと駄洒落が同居したこの作品を読んで噛み砕くこと自体がそりゃもう大変だったんですが、何とか最後まで書けました(笑) 『不思議の国のアリス』を読んだことがある方は『あれっ?!』と思われたことでしょうが、長い詩やニセ海亀の話とか、かなり省略しています。 登場人物もかなりD.グレキャラ寄りにしてますので、『あれ?!』と思うことがあってもスルーしてください(笑) とりあえず、激しいのは『教訓好きの公爵夫人』を『説教好き』に変えたことと、裁判の内容がこれ書いてる時(2008年9月)に世間を騒がせていた事件を元にしているくらいですか。>ごめん。 ちなみに、『パンがなければ蕎麦を食べればいい!』は、『パンがなければお菓子を食べればいい』の洒落です(笑) マリー・アントワネットが言ったといわれてますが、本当は前王・ルイ15世の王女の発言だというのが定説です。 さばいたばっかの豚が食えるのか、とか、細かい不思議は、不思議の国ではスルーするのが法律です★ |