† Christmas Carol T †
〜浸 食〜






 ―――― 夢に蝶となった。
 暖かな風の中を芳しい花の香に包まれ、ひらひらと舞ううちに・・・人であった頃の記憶は薄れてゆく。
 が、花弁に肢を降ろした途端、ふと目覚め、蝶であった頃とは比ぶべくもない身体の重みと、足下に踏んだ花の姿に気も滅入る。

 ・・・・・・蝶となったことが夢であったのか、人と化したことが蝶である自身の見る夢であるのか―――― 僕は・・・わからなくなってしまった・・・・・・。


 ―――― きつくつぶっていた目を開けると、目の前にひらひらと、蝶が舞っている。
 まぶしい陽光の中、それは楽しげに羽ばたいては、彼の周りを誘うように巡った。

 「ここは・・・」

 呟いた声がどこか遠くに聞こえ、アレンはにわかに自身の居る場所に気づく。

 「夢か・・・」

 再び呟いて視線を巡らせれば、そこは絵の中でしか見たことのないような、彩り豊かな花畑だった。
 なだらかな丘陵に沿って、思い思いに咲く花々は、暖かな風にゆったりと花弁を揺らしている。
 現実味のない風景―――― だが、心和む景色に思わず笑みをこぼし、アレンは蝶に誘われるまま、歩を進めた。


 「アレン君!!」
 リナリーの叫びに振り向きもせず、アレンは無防備に彼女へと向かった。
 「ふふ・・・ようやく僕のものになったねぇ、アレンv
 両手を広げ、彼を迎えた少女は、嬉しげにアレンを抱きしめる。
 「もう返さないよぉ・・・ずっとずっと、僕と一緒にいようねぇv
 「やめて!!」
 リナリーの叫びが耳に障った瞬間、少女の腕の中からアレンが消えた。
 「なん・・・?!」
 空を抱く腕を呆然と見下ろした少女は、眉根を寄せてリナリーを睨む。
 「返してよぉ!アレンはもう、僕のものだ!」
 「冗談じゃない・・・あなたになんか渡さないわ、ロード!!」
 少女の腕から奪い返したアレンを抱きしめ、リナリーは脚に力をこめた。
 一度の跳躍で、二人の姿はたちまちロードの目の前から消え去る。
 「・・・僕から逃げられると思ってるの?!」
 アレンの肉体はリナリーの元にあっても、精神(こころ)はロードが握っている。
 「逃げ切れるもんなら、逃げてみなよぉ」
 にたりと口の端をゆがめ、ロードの姿もまた、闇の中へと消えていった。


 「リナ!
 お前ら今までどこに・・・」
 「ラビ!アレン君が・・・!!」
 蒼褪めたリナリーの腕の中で、アレンはぼんやりと、あらぬ方を見つめている。
 「アレン?!
 リナリー、なにがあったんさ?!」
 リナリーの腕からアレンを受け取ったラビが問うと、彼女は震える声を必死に絞り出した。
 「アレ・・・君が・・・アクマの気配を察したの・・・!
 監査官も一緒に3人で追いかけて、追い詰めたと思ったらロードが・・・・・・!」
 今回は、任務とは関係のない外出だった。
 本屋から出てこないラビに痺れを切らしたアレンに付き合い、3人がクリスマスのオーナメントを見にぶらついていた時、アクマに遭遇したのだ。
 「二人だけさ?
 リンクは?」
 「・・・・・・あ」
 途端、リナリーが気まずげに目を逸らした。
 「・・・置いてきちゃった」
 「お前・・・・・・」
 仲が悪いにも程がある、と、呆れて呟いたラビの傍ら、勢い良く突っ込んできた馬車が止まる。
 「んなっ・・・?!」
 「Jr.!
 ウォーカーをこちらへ!」
 目を丸くするラビの前で馬車のドアが開き、リンクが腕を伸ばした。
 「ノアに追われているのです!
 さぁ、早く!」
 「あ・・・あぁ!」
 急かされて、ラビが未だぼんやりとしたアレンの身を差し出すと、リンクは軽々と受け止めて、アレンを馬車に乗せる。
 「じゃあ俺らも・・・」
 続いて乗り込もうとした二人の眼前で、ドアは閉まった。
 「何するんだよ、監査官!!」
 「監査官?」
 馬車の窓から、リンクが意地の悪い笑みを浮かべてリナリーを見下ろす。
 「違います、私は・・・・・・」
 言う間に、リンクの顔色が黒くくすんで行った。
 「ルル=ベル・・・・・・!!」
 美しいが、仮面のように表情のない女は、エクソシスト達へ丁寧に会釈する。
 「急ぎますので、これにてごきげんよう」
 淡々とした声を合図に、再び走り出そうとした馬車の、反対側のドアが突然開いた。
 「そうは行きません。
 なんぴとたりとも、私の仕事の邪魔はさせない」
 ルル=ベル以上に感情のない声で、淡々と言ったリンクが、アレンを馬車から引きずり出す。
 「幾千にもごきげんよう」
 ドアを閉めたリンクが意地の悪い笑みを浮かべた途端、馬車を引く馬がいなないて、凄まじい勢いで駆け去った。
 「暴走馬車です!
 轢かれないよう、お気をつけて!」
 慌てる通行人達へ大きな声で呼びかけたリンクは、非常事態には慣れきったはずのエクソシスト達が呆気にとられる中、アレンを抱えたまま踵を返す。
 「すぐに戻ってくるかもしれません。
 至急、退散しましょう」
 「あ・・・」
 「うん・・・・・・」
 未だ呆然としたまま、二人はリンクに続いて駆け出した。


 「なんで逃がしちゃったんだよぉ!!」
 ロードに怒鳴られ、掴みかかられて、ルル=ベルは困惑げに俯く。
 「ごめんなさい・・・あの人間、なぜだか気配を察知できなくて・・・・・・」
 「もうっ!!
 せっかくアレンを捕まえたと思ったのにぃ!!」
 憤然と言って、馬車の座席に沈み込んだロードは、駄々をこねるように足をばたつかせた。
 「でも・・・アレン・ウォーカーの『こころ』は捕まえたのでしょう・・・?
 ならばいつでも・・・・・・」
 「・・・まぁね」
 座席に寝転がり、ロードはルル=ベルの俯いた顔を覗き込む。
 「僕から取り上げた罰に、リナリーの目の前でさらってやりたかったけど・・・いいや。
 あいつら、もっと悲しい目にあわせてやる!」
 にたりと笑みを浮かべたロードは、目の前に垂れてきたルル=ベルの長い髪に、猫のようにじゃれついた。


 「教団に帰っちゃダメだって、なんで?!」
 甲高い声をあげて詰め寄ったリナリーを、リンクは冷ややかに見下ろした。
 「ウォーカーの『精神』は今、ノアの手の内にあるのでしょう?
 となれば今、彼を教団に連れ帰った場合、また『方舟』の扉が本部に繋がれる可能性があります」
 「そっか・・・。
 城はアレンが『行ったことのある場所』だかんな。
 ロードに操られて、扉を開いちまうかもしれない」
 ラビも頷き、川辺のベンチにちょこんと座るアレンの髪を乱暴に掻き回す。
 「うにゃっ!!」
 驚いて目をつぶったアレンはいつものアレンなのに、この頭の中からは彼の記憶だけが抜き取られていた。
 「・・・リンク、『記憶喪失』の種類って知ってるさ?」
 「馬鹿にしているのですか、君は?」
 アレンを見つめながら問うラビに、リンクは鼻を鳴らして姿勢を正す。
 「記憶障害には心因性、外傷性、薬剤性、症候性、認知症などがありますが、現在のウォーカーが外傷性や症候性でないことは確かですね」
 「お前相手だと、話がすんなり通じて嬉しいさv
 そうそう、脳の損傷によってこんな状態になったんなら、今の医術じゃ治んない可能性が高いんさね」
 「だ・・・大丈夫だよ!兄さんなら治せるよ!!」
 リナリーが必死に傍らのアレンを抱きしめると、彼は驚いて彼女を見上げた。
 「すぐに元通りにしてもらおうね、アレン君!!」
 「・・・だから、外傷性や症候性ではないと言っているではありませんか。
 人の話を聞かない小娘ですね」
 つんっと、木で鼻をくくったような言い方をされて、リナリーの頬が引き攣る。
 「ま・・・まぁまぁ、俺も妙な言い方して悪かったさ!
 つまりな、アレンの場合、脳が損傷した記憶障害じゃなく、かといって心因性・・・ロードへの恐怖心や、ノアから逃げたいって言う、強い心的ストレスが原因でもないと思うし・・・ホレ。
 アレン、アメ食いな」
 「あ・・・ありがと・・・」
 話の途中で、突然ラビが差し出したキャンディーを受け取ったアレンは、包み紙を開けて中身を口に放り込んだ。
 「うまいさ?」
 「うん」
 こくん、と頷いたアレンに、ラビも頷く。
 「な?
 日常生活に不自由ない言語と習慣は残ってる」
 「ラビ・・・今、アレン君に実験したの?」
 リナリーにじっとりと睨まれ、ラビは気まずげに視線を逸らした。
 「い・・・今のアレンがどんな状況かってのを、確認しただけさ・・・」
 なぁ、と、同意を求められて、リンクが頷く。
 「少なくとも、外傷性でないことは確かですから、至急、病院に担ぎ込むことはないでしょう。
 しかし心因性ではないとは、どういった根拠で断定しているのですか、Jr.?」
 「別に断定してるわけじゃねぇケド・・・お前だって、アレンのプロフィールくらい調べてんだろ?
 養父のこととか左目の呪いのこととか、近い所じゃこいつ、一度殺されかけてんだぜ?
 あんだけの目に遭って記憶失くすどころか、自分の心臓に穴開けたノアに正面きって突っ込んでいく奴が、心因性記憶障害だなんて・・・。
 こいつがそんな大層なもんになれるんなら、蜘蛛やカマキリなんてみんな記憶障害さ。
 餌がなくなったら共食いすんだもん」
 「・・・蜘蛛やカマキリはみんな、記憶障害かもしれないじゃない」
 呆れたように肩をすくめたラビを、リナリーがじっとりと見上げた。
 と、ラビは苦笑して、大仰なほどに首を振る。
 「だからそれはねぇって。
 第一、ノアからの心的逃避が原因なら、記憶を失くす間もなくアレンは、咎落ちしちまってる」
 「あ・・・!」
 その言葉に蒼褪めたリナリーは、アレンが誰にも奪われてしまわないよう、彼の腕に自分の腕を絡めた。
 と、アレンが目を丸くしてリナリーを見遣る。
 「あの・・・?」
 「なに?!」
 リナリーが勢い込んでアレンに詰め寄ると、彼はやや身を引いた。
 「俺・・・アレン・・・って、呼ばれてるの・・・?」
 「俺?」
 アレンが口にした一人称を、ラビとリンクが同時に聞きとがめる。
 が、リナリーは気にも止めず、アレンが引いた距離を一気に詰めた。
 「そうだよ!!
 アレン君はアレン・ウォーカーって名前で、私はリナリー!リナリー・リーだよ!
 赤いのがラビで、いばりんぼがリンク監査官だよ!!」
 「おぃっ!!」
 リナリーの酷い紹介に、ラビとリンクがまた声を揃える。
 「お前はどさくさに紛れて、ナニ俺らに苛立ちぶつけてんさ!
 俺が『赤いの』ならお前は『黒いの』で、アレンは『白いの』か!」
 「私がいばりんぼなら、あなたはワガママで生意気な暴走小娘ではありませんか!」
 「ひどい・・・!!
 私はホントのことを言っただけなのに!!」
 「余計悪いわ!!」
 頬を膨らませたリナリーに、ラビとリンクがみたび声を揃えた途端、アレンが吹き出した。
 こんな状況ながら、楽しげな笑声をあげる彼に、リナリーもほっとして微笑む。
 「よかった、笑えるんだね!
 アレン君、記憶抜かれた上に誘拐されかかったし、すごく怖かったんじゃないかって、心配だったんだよ・・・!」
 ぎゅう、と、リナリーがアレンの腕を抱きしめると、彼の顔がみるみる赤くなった。
 「?
 どうしたの?具合でも悪い?」
 「う・・・ううん・・・!」
 リナリーのように可愛らしい少女に擦り寄られて、赤くならない方がおかしいのに、肝心の本人は気づいていないらしい。
 大きな目で、きょとんと見つめてくるリナリーから必死に視線を引き剥がし、アレンは自分に擦り寄ってくるもう一匹を示した。
 「あっ・・・あのさ・・・!
 これってなに?鳥?」
 アレンが指差すと、ティムキャンピーはショックを隠せないとばかり丸い身体を震わせ、短い手足で必死にアレンに縋りつく。
 「ティムキャンピーだよ。
 アレン君が、クロス元帥から預かってるゴーレム」
 「・・・っ?!
 クロス・・・元帥・・・・・・?!」
 途端に蒼褪め、震えだしたアレンの顔を、ラビが興味深げに覗きこんだ。
 「どうした?
 なんか思い出したさ?」
 「う・・・ううん・・・ただ・・・・・・!」
 アレンは口元を押さえ、真っ青な顔を俯ける。
 「その名前を聞いた途端・・・キモチ悪く・・・・・・!!」
 「・・・記憶を失くしても、トラウマはしっかり残っているようですね」
 「さすが元帥さ!」
 呆れ声のリンクに、ラビも頷いた。
 「・・・でも困ったさね。
 抜き取られたアレンの記憶って、今どうなってんだろ・・・」
 「どうなってる、って?」
 「Jr.
 あなたは確か、ロード・キャメロットと言うノアの能力を体験しているのでしたね」
 首を傾げるリナリーの傍らで、リンクがきつく眉根を寄せる。
 「ん・・・。
 俺の見た所、あいつは捕まえた奴の記憶を覗けるんさ」
 「覗ける・・・って、どういう・・・・・・」
 嫌な予感にリナリーの声が震えた。
 「まんまの意味さ。
 あいつは、人の記憶ン中に勝手に入り込んでくんだよ」
 「じゃ・・・じゃあ、もしロードが、今のアレン君の『記憶』を見たら・・・」
 リナリーの、アレンの腕を握る手に力がこもる。
 「ん・・・『14番目』のことがバレる可能性は、かなり高い」
 意外なほど重い口調で言ったラビは、訝しげなアレンの頭をまたかき回した。
 「それに、お前も見てたろ、リナリー?
 方舟ン中で伯爵と対峙したクロス元帥はずっと、自分が奏者の資格を持ってるんだって、伯爵をミスリードしてた。
 あれは多分、本物の『奏者』・・・アレンを奪われないためだったんさ」
 「そ・・・それは・・・そうだと思う・・・けど・・・・・・」
 必死に反論の余地を探すリナリーに、ラビは言い募る。
 「今、ロードはアレンの『精神』・・・っていうか『記憶』を奪って、手の中で玩んでる。
 あいつが気まぐれで奪った記憶を、単にアレンを捕まえるために持ってんならいいさ。
 けど、暇つぶしにもその『中身』を見た途端、イタズラは本気になり、ノアはどんな手を使っても『奏者』の身柄を確保に来るだろうな」
 「いっそ・・・奪われる前に殺しますか」
 「だっ・・・だめ!!」
 リンクの冷厳な視線から庇うように、リナリーがアレンを抱きしめた。
 「そんなの絶対ダメだよ!!
 ねぇラビ、何か方法あるよね?!
 そっ・・・そうだ!
 ロードがアレン君の記憶を覗く前に、アレン君の記憶を取り戻せばいいんだよ!」
 懸命に言い募るリナリーに、アレンはリンクに殺されるまでもなく抱き潰されそうになったが、彼女は身悶えるアレンを逃がすまいと、更に力を込める。
 「アレン君は、私が守ってあげるからね!!」
 「・・・本気でそう思っているのなら、ウォーカーを解放しなさい、小娘」
 「アレン、窒息しかけてんさ」
 「えぅっ?!」
 二人して指摘され、リナリーは白目をむいたアレンを抱きしめる手から、慌てて力を抜いた。
 「アレン君、大丈夫?!」
 リナリーの傍らにホバリングしたティムキャンピーも、その羽根でアレンを気遣わしげに扇ぐ。
 「・・・にゃんとか」
 酸欠状態のアレンが、くらくらと目を回しながらもなんとか答えると、リナリーはほっと表情を緩めた。
 しかしすぐに不安げに眉根を寄せ、ラビを見上げる。
 「ねぇ、ラビ・・・!
 どうしても、アレン君を守りたいんだよ・・・」
 「ん・・・。
 そりゃ俺も、同意見だけどさ」
 「・・・なんですか、その目は。
 私だって、何も好きでウォーカーを殺そうとしているわけではありませんよ」
 しかしその言葉には、リナリーやラビだけでなく、ティムキャンピーまでもが疑わしげな顔をした。
 「あなた達は・・・・・・!」
 「それはともかく、ロードがアレンを狙っている以上、向こうから接触してくると思うんさ」
 忌々しげな顔をしたリンクにラビが肩をすくめると、リンクは更にきつく眉根を寄せる。
 「そのロードと言うノアは、ウォーカーと同じ、奏者の資格を持つのでしょう?」
 「ん。
 旧本部に『扉』を開いたんが、伯爵なんかロードなんか・・・もしかしたら、別のノアにも『扉』を開ける奴がいるのかはしんねーけど、方舟ン中でティキって奴が、『ロードは唯一、方舟を使わずに移動できる』っつってたから、あちこち移動できんのは確かさね」
 「では、決して現本部の位置を知られないよう、ウォーカーは一刻も早く本部から引き離すべきと考えます。
 できれば外国の・・・教団のいかなる施設とも関連のない場所がいいかと」
 「どこよ・・・」
 不安げにリナリーが問うと、リンクはあっさりと頷いた。
 「シベリアかアラスカ・・・そうだいっそのこと、南極か北極にでも!」
 「死ぬわ!!」
 リナリーはアレンを抱きしめ、ラビはため息混じりに同じ言葉を放つ。
 「なによ監査官たら!
 自分で殺さないってだけで、アレン君を殺す気満々じゃない!!」
 憤然とリナリーが声を荒げ、
 「極圏ならともかく、極地なんてどうやって運ぶんさ?
 アレンは今、奏者の能力の使い方を忘れてんのに」
 ラビが呆れ気味にため息をついた。
 と、
 「あの・・・」
 アレンが、遠慮がちに声をかける。
 「なに?!」
 勢い込んで尋ねるリナリーから、アレンが驚いたように身を引く様に苦笑し、ラビはアレンに迫るリナリーの頭を押しのけてやった。
 「なんさ?」
 「なにするんだよっ!!」
 「そんなに迫られちゃ、言いたいことも言えないさ」
 途端に頬を膨らませたリナリーに遠慮しつつも、アレンは意外と落ち着いた目でラビとリンクを見比べる。
 「あのさ・・・もしかして俺、敵と味方の両方に殺されそうになってんの?」
 「味方じゃないよ、こんないばりんぼ!」
 「・・・それには同意ですが、同じ陣営であることは確かでしょう、リナリー・リー」
 忌々しげに顔を歪めたリンクを上目遣いに見あげたアレンは、小首を傾げた。
 「あのー・・・よくわかんないんだけど・・・俺はここにいた方がいいのか?それとも、逃げた方がいいのかな?」
 「・・・・・・は?」
 一瞬、呆けたラビとリンクの目の前で、リナリーが立ち上がる。
 「その手があったよ!!」
 「わっ!!」
 いきなり横抱きに抱き上げられて、アレンが目を丸くした。
 「ラビ!
 ほとぼりが冷めたら帰るって、兄さんに伝えといてね!」
 「リッ・・・!!」
 一瞬にして目の前から消えたリナリーの残像に向け、ラビは呆然とする。
 「・・・なんであいつ、あんなにおてんばなんさ・・・・・・」
 「・・・っ暴走小娘が!」
 残像さえも消えた虚空に向け、リンクも忌々しげに吐き捨てた。


 ・・・―――― 目の前をひらひらと舞う蝶の後について、アレンはなだらかな丘に登った。
 花の上に翅を休めた蝶に微笑み、世界へと視線を巡らせる。
 見渡す限り、色とりどりの花で彩られた風景に笑みを深めた彼の視界を、再び舞い上がった蝶の、鮮やかな翅が横切った。
 ふと目で追えば、彼をここへ導いた蝶は、はしゃぐように彼の周りを巡る。
 思わず手を差し伸べると、蝶は彼の指に細い肢を乗せ、ゆったりと翅を揺らめかせた。
 と、その姿がぼやけ、徐々に形を変えて、少女の姿を現す。
 「ロー・・・ド・・・・・・」
 ダンスを始める合図のように、アレンの手を軽く握ったロードは、片膝を折って会釈した。
 「僕のお庭にようこそぉ、アレンv
 「君の庭・・・道理で」
 改めて風景を見渡し、アレンは目の前の少女へと微笑む。
 敵だと言うのに、今は不思議と嫌悪感はなく、むしろ昔からの友人と共にいるかのように和やかな気分だった。
 いや、友人と言うよりも・・・。
 「今日は、どんな趣旨のお誘いなんですか?」
 いたずら好きの妹に対するがごとく、アレンは諦観のこもった笑みを浮かべた。
 そんなアレンに、ロードも嬉しげに笑みを深める。
 「クリスマスパーティだよ、アレンv
 キミってば、誘ってもちっとも来てくれないから、僕が迎えに来たんだぁv
 はしゃいだ声をあげて、抱きついてきたロードを受け止め、アレンは軽やかな笑声をあげた。
 「行けるわけがないじゃないですか。
 僕は・・・・・・」
 と、アレンは言葉を切って、首を傾げる。
 「あれ・・・?
 なんで行っちゃダメなんだっけ・・・?」
 とても大事な理由があったはずだ、と、アレンは懸命に考えるが、どうしても思い出せなかった。
 「ふふふっv
 思い出せないってことは、大した理由じゃなかったんだよぉv
 「そ・・・そうかな・・・・・・?」
 困惑げに目を泳がせるアレンの頬に手を沿わせ、ロードは無理矢理自分の方を向かせる。
 「そぉだよぉv
 ね?
 一緒にいこぉ?
 千年公も待ってるよぉv
 「千年公・・・・・・」
 ロードはオウム返しに呟いたアレンの手を握り、早く早くと引いた。
 「ご馳走もお菓子も、たぁっくさんあるからねぇv
 「はい」
 にこりと笑って歩を踏み出したアレンに、ロードは満足げに頷く。
 二人は仲良く手を繋いで、暖かな風の中を歩いて行った――――・・・。


 「・・・―――― ここまでくれば大丈夫かな!」
 寒風を切り裂き、一瞬でラビ達を置き去りにしたリナリーは、満足げに腕の中のアレンを見た途端、笑みを凍りつかせた。
 「アアアアレン君!!!!」
 リナリーの腕の中で、アレンはティムキャンピーの長い尻尾を首に巻きつけ、泡を吹いている。
 「首絞めちゃったの、ティム?!」
 リナリーが大声をあげると、ティムキャンピーはするすると尻尾を解き、申し訳なさそうにアレンの背に隠れた。
 ぴょこ、と、アレンの肩から半身を覗かせては、またもぞもぞと気まずげに隠れるゴーレムに、リナリーは深々と吐息する。
 「もう・・・。
 ついて来たことを怒ったんじゃないから」
 途端、ティムキャンピーはぴょこんっと飛び出して、リナリーの頭に乗った。
 「アレン君!アレン君、起きて!」
 ぺちぺちと頬を叩くと、アレンはうっすらとまぶたを開ける。
 「死・・・死ぬかと思った・・・・・・」
 「あは・・・。
 一応、助けようとしたんだよ?」
 気まずげに笑ったリナリーは、間近のベンチにアレンを座らせ、自分もその隣に座った。
 「ここ・・・どこ?」
 「リージェンツ・パーク・・・かな?
 ロンドンって大きな公園がたくさんあるから、よくわかんないね」
 「はぁ・・・」
 アレンは小首を傾げ、傍らのリナリーをそっと見遣る。
 「あの・・・なんで君・・・・・・」
 「リナリー!
 リナリーだよ、リナリー!」
 身を乗り出し、自分の名を連呼するリナリーに気圧され、身を引きながらアレンは声を引き攣らせた。
 「リ・・・リナリーは・・・なんで俺を助けてくれるの・・・?」
 「仲間だからだよ!」
 「でも・・・あの目つきが怖いのは、俺を殺すって・・・」
 「彼はアレン君の仲間じゃないからだよ!」
 あまりにもきっぱりと言われて、アレンは目を丸くする。
 「じゃ・・・じゃあ、あの赤いのは・・・」
 「ラビは・・・中立だね。
 ホントは仲間になってほしいんだけど、そうなると彼も困っちゃうから、難しいんだよ・・・」
 そう言ってため息をつくリナリーを見つめていたアレンは、同じくため息をついた。
 「難しいんだなぁ・・・」
 と、リナリーがちらりと笑みを浮かべ、アレンの顔を覗き込む。
 「なに?」
 「うん・・・アレン君のそんな砕けた話し方、初めてだから珍しくって。
 それに、すごいよね。
 いきなり記憶を失くして、知らない人達に取り囲まれて、殺すの殺させないのって騒ぎに巻き込まれたら、普通、パニックを起こすんじゃない?」
 「・・・そう?」
 きょとん、とした彼に、リナリーは苦笑した。
 「パニックを起こさないまでも、何もわからないって、不安で怖いものじゃないの?」
 「不安・・・うん・・・まぁ、いきなり『表』に出ちゃってびっくりはしたけど・・・。
 今までにもいっぱい大変な目に遭ったしね、俺」
 「表?
 あの・・・アレン君、それってどういう・・・?」
 記憶障害にしては妙なことを言う、と、訝しげな顔をするリナリーに、アレンはにこりと微笑む。
 「助けてくれた『お前』には、教えてやってもいいかな」
 くすり、と、笑みを零したアレンの表情が、リナリーの不安をあおった。
 「ハジメマシテ、でもないな、リナリー・リー。
 俺が14番目だよ」
 「・・・っ!!」
 思わず立ち上がったリナリーの腕を、アレンは笑って掴む。
 「そんなにびっくりすることはないだろ?
 俺がこいつの中にいたことはもう、みんなとっくに知ってんだからさ」
 クスクスと笑って、自分の腕を引くアレンに促され、リナリーはゆっくりと彼の隣に座った。
 しかし先程までとは違い、距離を詰めようとしない彼女に、アレン・・・いや、14番目は苦笑する。
 「そんなに怖がるなよ。
 えっと・・・記憶障害?って言ってたっけ?
 あのワガママ妹、この身体から『アレン』の記憶を全部持ってったワケじゃないし、俺の記憶も一部持ってっちまってっから、今の俺は完全に『14番目』ってワケでもない。
 まぁ、お前達の事は覚えてなかったけど、ほかの事は覚えていることもあるし、盗られたもんなら取り返せばいいだろ?」
 それに、と、彼はあっけらかんと笑った。
 「お前達が心配してた『奏者』の能力は、俺ンとこにあるから安心しな。
 あの赤いのは、俺が能力を使えねぇって思ったみたいだけど、いざとなったら極地にだって逃げてやるからさ。
 まぁ・・・なんであいつがこれに気づかなかったのかはわかんねぇけど、ラッキーだったじゃん。
 ロードが『アレン』の記憶を覗いたって、なーんにもわかんねぇんだからさ♪」
 そう言ってケラケラと笑う彼が、あまりにもいつものアレンとかけ離れていて、リナリーは呆気に取られる。
 しかし、
 「ラビが、アレン君は心因性の記憶障害になるわけがない、って言ったわけがわかったよ・・・」
 たくましすぎる、と、リナリーは思わず感心してしまった。
 「そうでもなきゃ、伯爵にケンカ売らねぇっつの!」
 「そうだけど・・・」
 パタパタと手を振るアレンに、リナリーはため息をつく。
 「・・・こんな状況で平然としてられる人間なんて、神田くらいだと思ってた」
 「かんだ?」
 その名を聞いた途端、彼が眉根を寄せ、忌々しげな表情をしたことに、リナリーは驚いた。
 「え?!
 神田のことは覚えてるの?!」
 「ん・・・顔とかはさっぱり思い出せないんだけど、その名前を聞いた途端、なんか胸にどす黒い感情が沸き上がってきて・・・!」
 やさぐれた声を絞り出す彼を、リナリーは訝しげに見つめる。
 「そういえば、クロス元帥の名前を聞いた時も・・・」
 「うっ・・・!」
 途端に真っ青になって、口元を押さえた彼に、リナリーが目を丸くした。
 「もしかしてあの子・・・!
 ねぇ、アレン君?
 ミランダって覚えてる?」
 「ん・・・?いいや・・・・・・」
 顔をあげた彼が首を振ると、リナリーは大きく頷く。
 「じゃあクロウリーは?」
 「全然」
 「コムイ兄さん」
 「うぅっ・・・・・・!」
 コムイの名を聞いた途端、またアレンが口元を覆って俯いた。
 「リーバー班長とジェリー」
 「誰だっけ?」
 困惑げながらも顔色は戻った彼の手を取り、リナリーはきつく眉根を寄せる。
 「わかったよ・・・!
 ロードはアレン君と・・・多分14番目のメモリーの中からも、『プラスの記憶』を盗って行ったんだ!」
 「プラスの記憶・・・・・・?」
 リナリーの言う意味がわからず、首を傾げた彼に、リナリーはまた、大きく頷いた。
 「今のアレン君、怖いとか嫌いだって思ってる人のことは覚えてるみたい!
 きっと、『好き』とか『楽しい』って記憶だけ奪っていったんだよ、ロードは!」
 「その通りぃv
 唐突に、何もない場所から笑い含みの声が漏れ出し、アレンを庇うように立ち上がったリナリーが、鋭い目を周りに走らせる。
 ただならぬ雰囲気に緊張したティムキャンピーも、守っているのだか守って欲しいのか、微妙な位置でアレンに身をすり寄せた。
 「だーって、ツライ記憶を盗んだって、楽しくないじゃん〜v
 「ロード・・・!」
 楽しげな声と共に現れたドアに、アレンが・・・いや、14番目が憎々しげに顔を歪める。
 「待って!」
 その様に気づいて、リナリーは小声で彼を制止した。
 「私に任せて、あなたはアレン君の振りをしていて!
 なにがあっても、あなたはロードに『14番目』だって悟られちゃダメ!」
 早口に囁いたリナリーに、彼はやや逡巡した後、頷く。
 と、彼らの目の前で、『扉』は内側から勢いよく開かれた。
 「ロード・キャメロット参上〜♪
 迎えに来たよぉ、アーレーンーv
 「・・・来たわね、ロード!」
 リナリーが睨みつけるが、ロードは気にも留めずににこりと笑う。
 「なぁにぃ?
 もしかしてリナリー、待っててくれたのぉ?」
 「そうよ・・・ラビと監査官がいたんじゃ、あなたも出て来にくいんじゃないかと思って」
 にっこりと、凄絶な笑み浮かべてやると、ロードは興味を引かれた風に目を見開いた。
 「それ、本気で言ってんだったらすごい度胸だねぇ、リナリィv
 ねぇ、知ってるぅ?
 僕、キミも欲しいんだけどぉv
 「だったら、私を連れて行く?
 でもその時は、アレン君は諦めなきゃダメだよ」
 「リナ・・・!」
 驚いて彼女の肩を掴んだ『アレン』を肩越しに見遣り、リナリーはにこりと微笑む。
 自信ありげな様子に、彼は戸惑い、ロードは笑みを深めた。
 「ねーぇ?
 僕、どっちも欲しいんだケド」
 ロードが甘えた声をあげるが、リナリーはきっぱりと首を振る。
 「ダメよ。
 欲張りな子は、どっちももらえない決まりなの」
 「ふん、ケチぃ・・・」
 楽しげに笑いながらも、ロードがやや、迷うような素振りをしたのを、リナリーは見逃さなかった。
 「アレン君、逃げるよ!」
 「あ!待ってよぉ!!」
 アレンの腕を掴み、踵を返したリナリーのコートの裾を、ロードが咄嗟に掴む。
 途端、リナリーは意地の悪い笑みを浮かべて振り返った。
 「選んだわね、ロード?
 さぁ、アレン君の記憶を返して、私を連れて行きなさい!」
 「えぇー!!!!」
 卑怯だ騙し討ちだと、不満の声をあげるロードを見下ろし、リナリーは勝ち誇ったように笑う。
 「約束を守らない子には、お仕置きだよ?」
 「お仕置き?なに?」
 思わず問い返したロードににこりと笑うと、リナリーはアレンを引き寄せ、その両頬に手を沿わせた。
 「リ・・・?!」
 さすがの14番目も、ただ目を丸くして、近づいてくるリナリーの顔を見つめる。
 二人の唇が、重なる寸前、
 「ダメェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!」
 ロードが絶叫して、小さな身体を二人の間に割り込ませた。
 「ダメッ!!
 アレンにキスしちゃダメェェェェェェェェェェ!!!!」
 アレンに背中を押し付け、リナリーに向かって叫ぶロードに、リナリーは思わず吹き出す。
 「ふふv
 こんなに効果的だなんて思わなかったな」
 クスクスと笑いながら、アレンを守るように立ち塞がるロードを抱き上げると、リナリーは彼女の膨らんだ頬にキスをした。
 「アレン君を取られたくなかったら・・・言うこと聞くわよね?」
 「・・・リナリーなんて嫌いだ」
 不満げに言って、ロードはリナリーを睨みつける。
 「いいよ、嫌いで。だけど、アレン君は渡さないから」
 クスクスと笑うリナリーに、ロードの目が光った。
 「リーナリィ?
 僕は、欲しいものはなんだって手に入れるんだよ。
 アレンはアレンのまま、キミはお人形として、僕のお部屋に飾ってあげるぅv
 「リナリー!!」
 突然、膝を折ってくずおれたリナリーに、ロードを押しのけたアレンが手を伸ばす。
 「リナリー!リナリー!!」
 完全に意識を失った彼女を抱き、必死に呼びかけるが、反応は全くなかった。
 「お前、彼女になにをした?!」
 「キミと一緒だよ、アレンv
 こころを夢の園へご招待〜v
 クスクスと笑いながら、ロードはアレンの袖を引く。
 「さぁ、キミとリナリーの『こころ』を取り戻したければ、一緒においでぇv
 と、ティムキャンピーがロードとアレンの眼前に割込み、丸い身体を必死に振って、アレンを行かせまいとした。
 だが、
 「ティム、お前も一緒においでぇv
 あっさりと片翼を掴まれ、乱暴に振り回されて、目を回す。
 「・・・役に立つんだか立たないんだか」
 思わず呆れ声で呟いたアレンの袖を、ロードがまた引いた。
 「さぁ、僕んちのクリスマスパーティに招待するよぉ、アレンv
 ティッキーもルルも、きっと喜ぶよぉv
 その名にざわりと悪寒を覚えつつも、アレンはリナリーを抱き上げ、立ち上がる。
 「ご招待〜v
 ティムキャンピーを手に、くるりと踵を返したロードは、もう片方の手にアレンの袖を捕らえ、自身の扉の奥へと導いていった。


 その頃、置いてけぼりにされたラビとリンクは、足の速そうな馬に引かれた馬車を見つけるや、乗客を無理矢理下ろして乗り込んだ。
 「リナリー・・・!
 あいつ、通信ゴーレムの電源切りやがったさ!」
 迷惑そうな御者に聞こえるのも構わず、憮然と吐き捨てたラビに、リンクが鼻を鳴らす。
 「こんなこともあろうかと、ウォーカーには発信機を忍ばせています」
 「へ?!そうなんっ?!」
 意外そうな顔をしたラビを、リンクは忌々しげに睨みつけた。
 「・・・どこぞの悪ガキ共が、共謀して逃げ回るものですから、こちらもそれなりの手を打たざるを得ないのです」
 「あー・・・そうさねー・・・ご苦労さんv
 ぎこちなく目を逸らしたラビにまた鼻を鳴らし、リンクは御者に呼びかける。
 「リージェンツ・パークへ。
 あぁ、ベーカー・ストリート側でお願いします」
 「ベーカー・ストリート側・・・?
 どんだけ早いんさ、リナ!」
 一瞬ではるか遠くまで移動したリナリーの、人間離れした脚力に、さすがのラビも驚いた。
 「それが、イノセンスの力なのでしょう?
 ・・・まったく、せっかくの能力をくだらないことに浪費して。
 神の使徒と言う立場をどう理解しているのでしょうね、あなたたちは」
 「俺もっ?!」
 いきなり飛んできた火の粉に驚いたラビが、思わず大声をあげると、リンクは鋭い目でラビを睨み返す。
 「あなたが一番くだらない使い方をしているじゃありませんか、この部外者ガ」
 場合によっては、戦争も教団も放棄して去る可能性の高いブックマン達が、なぜ適合者なのかと憎々しげに吐き捨てるリンクに、ラビは震え上がった。
 「ゴゴ・・・ゴメンナサイ・・・・・・!」
 「規約ですから手は出しませんが、裏切ったらこっそり殺しますので、そのつもりで」
 「それ暗殺っていわね?!」
 ぼそりと囁かれ、ラビは喉を引きつらせる。
 「そもそもそれが私の主な任務なのですが、何か?」
 「いえ・・・!何も・・・・・・!」
 ぶるぶると震えながら泣き出したラビを、御者が肩越しに、奇異な目で見遣った。


 「ねぇ・・・なんでさっきは君、蝶になってたんですか?」
 ロードと二人、花の中を歩くアレンは、彼らの周りでひらひらと舞う蝶を楽しげに眺める。
 と、ロードはアレンと繋いだ手を、嬉しそうに振り回した。
 「蝶は精神の象徴だよぉ、アレンv
 だから千年公は、蝶が好きなんだぁ。
 肉体は滅んでも永遠に残るメモリー・・・それがノアだからねぇ♪」
 「ふぅん・・・。
 じゃあここにいる蝶達も、誰かの精神なんですか?」
 「なんでそう思うのぉ?」
 猫のように目を細め、笑うロードに、アレンは笑みを返す。
 「だってここ、夢の中でしょう?」
 「ふふv その通りv
 ほとんどは夢を見てる子達のだけど、中には僕が集めた蝶もいるよぉv
 「君が集めた・・・?」
 周りを見回したアレンの手を引き、ロードはやや離れた場所で花の蜜を吸う蝶を指した。
 「例えばアレ。
 きれいな血の色をしてるでしょぉ?」
 「うん・・・真っ赤だね」
 やや気味悪げに頷くアレンに、ロードは笑みを深める。
 「あの子は女を切り裂くのがだーい好きな子だったんだぁ!
 たのしそーにスコントランド・ヤードをからかってたんで、僕のコレクションに入れてあげたのぉ♪」
 「・・・まさか」
 アレンは、彼がまだ幼い頃にロンドンを騒がせていた、猟奇殺人者の名を思い浮かべて眉をひそめた。
 「他にもぉ・・・あ!あれ!
 あの黒い蝶は、たっくさんの子分を使って悪いコトしてた子だよぉv
 身体は絞首刑にされちゃったぁv
 あと有名なのはねぇ・・・あれ?本物のドラキュラ2匹、どこ行っちゃったかな?」
 「ド・・・ドラキュ・・・・・・?!」
 声を引き攣らせるアレンを見上げ、ロードは得意げに笑う。
 「キミんとこにいる、アクマを食べちゃう吸血鬼とは違うよぉ?
 千年公がプレゼントしてくれた、超レアなドラキュラ!
 ワラキア公と、ハンガリーの伯爵夫人だよ!」
 「悪趣味ね!」
 得意げに言ったロードに、水を差す声が二人の間に割って入った。
 「え・・・?」
 その声に驚いて、アレンだけでなくロードまでもが辺りを見回す。
 と、二人の周りをひらひらと、黒い羽に鮮やかな紫の支脈が入った蝶が舞い、繋がった手の上に舞い降りた。
 「この手を放しなさい、ロード!」
 きつい命令口調に、ロードがムッと眉根を寄せる間、蝶は徐々に人の姿をとって行く。
 「リ・・・リナリー・・・・・・!」
 目を丸くするアレンの前に、突然現れたリナリーはにこりと笑った。
 その笑みのまま、彼女はロードを見下ろす。
 「バートリ伯爵夫人はともかく、ワラキア公はお国じゃ英雄よ。
 クロウリーが言ってたもの、間違いないわ!」
 ロードとアレンの腕を持ち、笑みを浮かべたまま無理やり引き離すと、リナリーはロードを押しのけた。
 「迎えに来たよ、アレン君」
 「あ・・・ありがと・・・」
 まだ呆然としているアレンの手を握り、リナリーはロードに向き直る。
 「じゃあ、さよならv
 「やだっ!!」
 リナリーとアレンの繋がった手に取り縋って、ロードは目を吊り上げた。
 「帰っちゃやだ!!アレンは僕のパーティに来るんだから!!」
 リナリーだって、と、ロードは彼女を睨みつける。
 「僕のお人形にしちゃうんだから!
 邪魔しないでよっ!!」
 大声で喚きたてるロードを、しかし、リナリーは微笑んだまま見下ろした。
 「えぇ。
 私をこの夢の世界に招待してくれてありがとう、ロード。
 あなたは私を人形にしたくて、私の『身体』から『こころ』を抜いちゃったんでしょうけど・・・」
 「・・・あ!」
 思わず大声をあげたロードは、憎々しげにリナリーを睨みつける。
 「わざと僕に、『こころ』を盗ませたんだね?!」
 と、リナリーは難しい問題に正解した生徒を誉める教師のように、大きく頷いてロードの頭を撫でてやった。
 「私を人形にするなら、『いい記憶だけ盗る』なんて、選別する必要もないでしょうからね。
 ロード、私の記憶を全部盗ってくれてありがとう。
 おかげで私は、あなたを『敵』と認識したまま、ここに来ることが出来たわv
 「きっ・・・・・・!!」
 顔を真っ赤にして、言葉を失ったロードに、リナリーは殊更にっこりと笑みを深める。
 「私もアレン君も、パーティの招待はご辞退するわv
 ね?と、微笑みかけられ、アレンは素直に頷いた。
 「では、ごきげんよう」
 「待ちなよ!!」
 アレンの手を引いて踵を返したリナリーの背中に、ロードが声を荒げる。
 「ここは僕の世界だよ!
 絶対出してやんないんだから・・・!」
 怒声を浴びせるロードを肩越しに見遣ったリナリーは、にこりと笑った。
 「出るわよ」
 「ど・・・どうやってだよ!!」
 自分の許しなく出られるわけがない、と、ロードはきつく眉根を寄せ、リナリーを睨みつける。
 「できるもんならやってみなよ!」
 仁王立ちになったロードの挑発に、リナリーはくるりと振り返ると、やや意地の悪い笑みを浮かべて小首を傾げた。
 「昔話の定番だよ」
 「え・・・?」
 ぐいっと腕を引き寄せられたアレンは、戸惑いの目でリナリーを見つめる。
 「眠りの森から姫を解放するのは・・・王子様のキスv
 言う間に、リナリーはアレンの両頬に手を添え、軽く爪先立ちになって、彼の唇に笑みを浮かべた唇を寄せた。
 それが触れ合おうとした瞬間、
 「ダメだってばぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
 ロードが絶叫し、空間が歪む。
 「リナリーなんて大嫌いだっ!!
 もうお前なんかいらない!!イラナイ!!」
 ロードが悲鳴じみた絶叫を放つと同時に崩れた地面の底へと、リナリーとアレンは飲み込まれていった。


 「ふふ・・・v
 脱出成功!」
 アレンに横抱きにされたリナリーは、目を開けると、気遣わしげに彼女の顔を覗き込むアレンに微笑んだ。
 「さ、アレン君?
 今のアレン君は、元のアレン君だよね?」
 リナリーの問いに、はっとしたアレンは大きく頷く。
 「逃げます!
 ティム、おいで!!」
 「ダメ!!」
 並んで踵を返した二人の前に、ティムキャンピーの尻尾を握ったロードが、甲高い声をあげて立ち塞がった。
 「なんで?!
 なんで一緒にきてくれないんだよ!
 僕も・・・千年公だって、アレンを歓迎するのに!!」
 そのあまりにも必死な様子に、アレンは思わず表情を強張らせる。
 まさか・・・と、鼓動を早くしつつ、アレンはロードに問うた。
 「君は・・・ううん、君と伯爵は、なんでそんなに僕に執着するの?」
 アレンの発した問いに、彼の傍らでリナリーも息を呑む。
 彼が・・・アレンが『14番目』のメモリーを持つ人間だと、ロードと伯爵は既に気づいているのか、もしくは今、気づかれてしまったのかと、息をつめて答えを待つ二人に、しかし、ロードは拗ねたように頬を膨らませた。
 「なんだよぉ!
 スキだって言うのに、理由がいるの?!」
 「ううん・・・ただ、君と伯爵の執着が、過ぎている気がして。
 だって僕は、君達にとって敵でしょう?
 そして、たくさんいる敵のうちの、一人だ。
 なのになんで僕だけ?」
 リナリーがはらはらと見守る中、アレンは問いを続ける。
 と、癇気の強いロードは、イライラと口調を荒げた。
 「そんなのどうだっていいでしょぉ?!
 僕は、千年公がアレンのコト気にかけてたから・・・だから欲しくなっただけ!」
 「伯爵が?僕を?」
 「そうだよ!
 あんなにたくさんのアクマを作っておきながら、千年公はお前のことを覚えてた!
 14番目の兄を殺した時に、側にいた子供・・・!」
 はっとして、ロードは憮然と口をつぐむ。
 「ロード、あなた・・・」
 14番目のことがばれたのではないかと、鼓動を早めつつ状況を見つめていたリナリーは、ふてくされるロードの様にふと思い当たることがあって、改めて彼女を見下ろした。
 「ロード・・・。
 あなたは伯爵が・・・あなたの一番大好きな人が、アレン君のことを気にかけてたから、巻戻しの街であんな意地悪したんだね?
 伯爵が、一瞬でもあなた以外の人間を気にかけるのがイヤだった?」
 「違うよ!
 僕はそんな子供じゃない!!」
 更に苛立たしげに声を荒げたロードは、彼女の言葉に反して、駄々をこねる子供そのものだ。
 リナリーはその様子にわずか、苦笑した。
 「わかるよ・・・私だって、兄さんがもしも、私以外の人を気にかけるようになったらイヤだもの」
 「違うって言ってるでしょぉ!
 リナリーなんか嫌いなんだから!話しかけないでよ!!」
 地団太を踏んで悔しがるロードが、いつもの彼女らしくなく子供っぽくて、アレンは思わず笑みを漏らした――――・・・まるで、小さな妹を見るような目で。
 そんな彼の表情が、まるでノア側の人間のように見えて、リナリーは思わず目を伏せた。
 と、
 「ロード」
 その声があまりに優しくて、ロードは驚きに目を見開き、リナリーの鼓動はどきりと跳ねる。
 「僕は、君から伯爵を盗ったりしないよ」
 あからさまに子ども扱いの口調に、ロードはムッと口を尖らせた。
 「ただ、敵として戦い、倒すつもりではいるけど」
 「なんでさ!」
 烈しい声を放ち、ロードはアレンを睨みつける。
 「なんであんな、嘘だらけの神の側にいるんだよ、アレン!!」
 「なんで?」
 またも問う彼女に、アレンは苦笑した。
 「言ったでしょう?
 僕はアクマを壊すためにいる・・・そうだね、もっとわかりやすく言うと、僕も君と同じなんだよ、ロード。
 君達のやってることが気に入らないから、邪魔してるだけ」
 むくれたロードへいたずらっぽく微笑んで、アレンは小首を傾げる。
 「それより・・・ねぇ?
 君達にとって、14番目ってどんな存在なんですか?」
 直裁に放たれた問いに、今度こそリナリーが凍りついた。
 それはロードも同じで、アレンの意外な問いに、彼女は随分と長い間、身じろぎもせずにアレンを見つめる。
 その隙をついて、ティムキャンピーが自身の手から逃げ出したことにも気づかなかった。
 やがて、
 「どんな・・・って・・・・・・」
 かすれた声をあげ、ロードが喘ぐ。
 「キミも・・・仲間に裏切られたことがあるでしょ・・・?
 ティッキーが意地悪したせいで、仲間がお前たちを裏切って、たくさんの仲間を殺されたでしょ・・・?」
 こぼれんばかりに見開かれた目が、まっすぐにアレンを見つめた。
 「その時・・・どんな気持ちだった?
 痛くて辛くて哀しくて・・・すごく・・・すごくイヤだったでしょ・・・?」
 蒼褪めた唇から訥々とこぼれるロードの声に、表情を強張らせたアレンの傍らで、リナリーが今にも倒れそうなほどに蒼褪める。
 「でも・・・仲間なんて、所詮は他人だ・・・。
 裏切る事だってあるよ・・・だけど・・・だけど僕は身内に・・・家族に裏切られたんだよ・・・!
 大好きな僕の千年公を、あいつは・・・家族なのに、殺そうとしたんだ!!」
 幼い顔を歪め、吐き捨てたロードに、アレンは更に問うた。
 「彼のことが憎い?」
 「え・・・?」
 その問いに、ロードの表情はめまぐるしく変化する。
 なぜアレンがそのようなことを問うのかと、戸惑い、訝しみ、問いの意味を胸に落としてからは憎しみ、苛立ちと怒りが交錯した後、ふと、哀しげな表情が浮かんだ。
 「・・・ごめん」
 「え・・・・・・」
 突然詫びられて、ロードはますます戸惑う。
 「アレン・・・?」
 「やっぱり僕、君の招待は受けられないよ」
 敵だもの、と、アレンはにこりと笑ってイヤリングに手を添えた。
 「師匠」
 リナリーの手を取り、ティムキャンピーをコートのフードに入れたアレンは、イヤリング型の無線に向けて呼びかける。
 「僕の位置はわかりますね?『扉』を開けてください」
 「アレ・・・!!」
 「さよなら、ロード」
 最後ににこりと笑い、アレンは背後に現れた方舟の『扉』に、リナリーの手を引いて飛び込んだ。
 「いずれまた」
 「待って!!」
 軽く振ったアレンの手は、しかし、ロードの指先が触れる前に『扉』の向こうへと消える。
 目の前で閉ざされ、拭ったように消え去った『扉』のあった場所を、残されたロードは呆然と見つめ続けた。


 「・・・びっくりした!!」
 方舟の白い街並みの中で、リナリーはやや責める口調でアレンに訴えた。
 「ロードにあんなこと聞いて!ばれちゃったらどうするつもりだったの?!」
 目尻を赤くして迫るリナリーに、アレンは苦笑する。
 「ごめんなさい・・・。
 でも一度、ロードか伯爵に、直接聞いておきたくて」
 14番目が、彼らにとってどういった存在なのかを確かめておきたかった、と言うアレンに、リナリーは深々と吐息した。
 「もう・・・!
 すごくはっきり聞くからどうしようと思ったら、最後に堂々と嘘つくし・・・!」
 「あれはうまかったでしょ!
 伯爵は師匠のミスリードで、師匠が『奏者』の資格を継いでると思ってるから、無線で師匠に連絡を取った振りをすればロードも騙されるかなって!」
 それともう一つ、と、アレンは擦り寄ってきたティムキャンピーに悲しげな笑みを向ける。
 「僕が師匠を呼ぶのを聞いて、ロードが何も言わなかったってことは、やっぱり・・・」
 「?
 どうしたの?」
 訝しげに問うリナリーに、アレンはただ、首を振った。
 彼女はクロスのあの、悲惨な事件どころか、彼があの夜、城にいたことすら知らない。
 「それより早く、ラビ達と合流しましょう。
 ・・・ってここ、どこかな?」
 「うー・・・ん?」
 方舟を出た二人がきょろきょろと辺りを見回していると、リナリーが嬉しげな声をあげて遠くを示した。
 「アレン君!
 ロンドン動物園!!」
 「え?!どこ?!」
 アレンも思わず歓声をあげて、リナリーとティムキャンピーの尾が指す方向を見遣る。
 「見っけ!!
 リナリーv 僕、フクロオオカミ見たい!!」
 「うん!
 ・・・ってアレン君、ずーっとフクロオオカミ見たいって言ってたけど、なんで?」
 並んで動物園へと向かいつつ、リナリーが問うと、アレンは『だって・・・』と、わずかに眉根を寄せた。
 「リーバーさんが、原産地のオーストラリアでは絶滅しかかってるから、見れるのはもう、ロンドン動物園だけだって言うんだもん」
 「あぁ、そういえばそんなこと言ってたね。
 かわいそうだなぁ・・・」
 軽く頷いたリナリーは、ふと見遣ったアレンが意外なほど難しい顔をしているのに驚く。
 「ど・・・どうかした?」
 「僕・・・マナと旅してた時も、師匠について行った時も、そりゃああちこちの国に行きましたけど、ものっすごく嫌われてるんですよね、英国人って・・・!
 あちこちの国を侵略しちゃあ、植民地にした上に、土地の遺跡持ってったり動物を絶滅させたりするって・・・」
 「うん。
 多分、清国の人達も嫌ってるよ・・・って、ゴメン!!」
 途端にアレンが激しく落ち込んで、リナリーは慌てた。
 「えっとえっと・・・英国人は嫌われてても、アレン君のことは嫌いじゃないからね?!
 うん、英国人は生理的に受け付けなくても、アレン君なら大丈夫だって人はたくさんいるよ、多分!!」
 「生理的・・・」
 慰めているつもりだろうが、無意識だからこそグサグサと胸を抉ることを言うリナリーに苦笑し、アレンは話を遮るように、耳の無線に手を伸ばす。
 「リンク、アレンです。
 もしかしたら君が激怒してるかもしれないって思って、連絡しました」
 案の定、烈しい怒声をあげ始めた無線機を耳から外し、掌に握りこんで音声を封じたアレンは、リンクが疲れて黙るのを待った。
 「とりあえずこっちは解決しましたから、ロンドン動物園で合流しましょう。
 僕達、フクロオオカミ見てますから、迎えに来てねv
 再び怒声をあげ出した無線を一方的に切り、ポケットにしまいこむ。
 「さ、行きましょv
 「う・・・うん・・・・・・」
 合流した直後に殴られるな、と予想しつつ、リナリーはアレンの後についていった。


 「〜〜〜〜あンのクソガキ共ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 一方、アレンに身勝手な要求を突きつけられたリンクは、隣でラビが怯えるのも構わず、無線機を握りつぶさんばかりに激怒していた。
 「とっ・・・とりあへずっ・・・二人とも無事だったんし、アレンの記憶も戻ったみたいだから、良かったじゃないさ・・・?」
 ね?と、媚びるように笑ったラビを睨みつけ、リンクは御者の背中に呼びかける。
 「ミスター!
 申し訳ありませんが、行き先をロンドン動物園に変更してください!」
 「はっ・・・はい!!」
 背後にリンクの恐ろしい怒声を聞いたためか、随分と聞き分けがよくなってしまった御者が、鞭を当てて馬の足を早めた。
 「け・・・ケド、ロンドン動物園なんて、俺も久しぶりさv
 動物入れ替わってっかもしんねーから、俺も一巡りしてい?」
 なんとか場を和ませようとしたものの、リンクの鋭い一瞥に、ラビは失敗を思い知らされる。
 「・・・物覚えのいい珍獣として、いつまでも飼われてていいんですよ?」
 「・・・・・・・・・一緒に帰りマスv
 えへv と、引き攣った笑みを浮かべ、ラビは激怒したリンクが、アレンを殺す前に止められるだろうかと、しばし頭を悩ませた。


 「へえぇぇぇー・・・。
 あれがフクロオオカミ・・・・・・狼・・・って言うより・・・・・・」
 念願の絶滅危惧種を目の当たりにしたアレンが、感嘆の声をあげる横で、リナリーも頷く。
 「虎みたいだね」
 彼女の言う通り、虎のような縞模様がある背中を丸めて眠る動物が、狼だとは思えなかった。
 「袋があるってホントかなぁ・・・見えないかなぁ・・・」
 「まず、どっちがメスだかわかんないとね」
 格子に縋った二人は小声で囁きあいながら、人工の岩陰に寄り添って眠る二頭の狼をまじまじと見つめる。
 「・・・って、なんでメスを見極めなきゃいけないんですか?
 袋って、メスにしかないの?」
 アレンが訝しげに問うと、彼の隣でリナリーは、あっさりと頷いた。
 「だって有袋類のお腹の袋って、育児嚢だもん」
 「イクジノウ?ってなに?」
 「赤ちゃんを育てるところ。
 だから、オスには袋がないんだよ」
 「ふぅん・・・・・・」
 どっちにもあると思ってた、と、アレンは感心したように頷く。
 「それにしても、ずっと寝てますね」
 「夜行性なんじゃないかな?」
 「寝てるんだったら、お腹さらして寝ればいいのに」
 そしたら袋が見える、というアレンに、リナリーが苦笑した。
 「いくら動物園で飼われてるからって・・・一応野生動物なんだし、お腹出して寝るなんてないよ」
 「そう?
 虎は敵になる動物がいないから、お腹さらして寝るらしいですよ。
 お腹出して寝コケてた師匠に『風邪ひきますよ』って言ったら、そんな与太話してくれました」
 「与太って・・・」
 信じてないんだ、と、リナリーはどこか殺伐とした師弟関係に苦笑を深める。
 「でも、ずーっとここに住んでて、他の動物にいじめられたり、人間に狙われたりもしないで、自分で餌を取る必要もないなら、そのうちお腹出して寝るようになるかもね」
 「うん・・・」
 それはそれでどうだろうと、アレンは首を傾げた。
 「生まれた場所に、帰りたくないかな・・・」
 ぽつりと、自身の境遇に狼を重ねたリナリーが呟くと、アレンはしばしの間を置いて、首を振る。
 「帰してあげるって言っても、迷惑かもしれませんね・・・」
 フクロオオカミについて話してくれた時、リーバーは彼らが絶滅しかかっている原因として、家畜を守りたい牧場主が彼らを駆除しているためだと教えてくれた。
 ・・・国に帰っても殺されるのならばきっと、彼らはここを安住の地として、出ることを拒むだろう。
 「安住の地か・・・。
 確かにさっきの花園は、とってもきれいで、平和そうな場所だったな・・・・・・」
 ぽつりと呟いたアレンの傍らで、リナリーがぎくりと顔を強張らせた。
 「嫌な記憶は全部消されて、楽しくてあったかくて・・・あそこにいた蝶達の中には、外になんか出たくないって思ってるのもたくさんいるんだろうな・・・」
 息さえ止めて、彼の言葉の続きを待つ彼女に、アレンは微笑む。
 「ありがとう。
 君が来てくれなかったらきっと、僕はずっとあそこに囚われたままでした」
 アレンの穏やかな声に、嘘偽りのないことを感じ取って、リナリーはほっと息をついた。
 ややして、
 「・・・それはどうかな?
 アレン君は強い子だもの。
 本当は、私の助けなんかいらなかったんじゃない?」
 ほんの少し、意地悪を言ってやると、彼は慌てて首を振る。
 「そんなこと・・・!」
 「ふふv
 でも、役に立てたんなら嬉しいよ」
 笑ったリナリーの手が格子から離れ、アレンの腕に回された。
 「ロードには、絶対取られたくなかったし・・・」
 「・・・任務だから?」
 小声で呟いたリナリーに、アレンがやや切なげに問うと、今度は彼女が急いで首を振る。
 「そんなんじゃないよ!
 アレン君は仲間だし、それに・・・」
 「はい?」
 きょとん、と、瞬いたアレンに、リナリーは大きく吐息し、ちらりと笑みを浮かべた。
 「鈍いんだから・・・」
 「え?!リ・・・?!」
 アレンの両頬に手を添え、軽く爪先立ちになったリナリーの顔が近づいてくるのを、アレンは目を見開いて見つめる。
 「さっきの続きだよ」
 リナリーがアレンの唇に、笑みを浮かべた唇を寄せた瞬間―――― ヒュッと、風を切って飛んできたものが二人を分かち、格子に当たって甲高い音を立てた。
 思わぬ大音響に、アレンのフードでまどろんでいたティムキャンピーだけでなく、フクロオオカミ達も驚いて飛び上がる。
 眠りの園にいた彼らを邪魔した無礼な客人に、フクロオオカミ達は唸り声の一つも上げてやろうとは思ったに違いないが、格子の向こうに漲る殺気の凄まじさに怯え、岩陰に隠れてしまった。
 が、隠れる場所もないエクソシスト達は、格子を背に、びくびくと身を寄せ合う。
 「・・・っ若い男女が・・・人前で不埒な行いをするとは何事ですか・・・っ!!」
 低い声を瘴気のようにあげながら、リンクは周りの景色すら歪むほどの、黒い怒りのオーラを纏って迫ってきた。
 「い・・・今まで人いなかったもん・・・・・・!」
 「そう言う問題ですか、リナリー・リー!!
 まだ小娘のくせに、はしたない!!」
 さすがに二の句が継げないリナリーを押しのけると、リンクはいきなりアレンにげんこつを落とす。
 「あぃ――――――――!!」
 悲鳴をあげてうずくまったアレンは、涙目でリンクを睨んだ。
 「いきなりなにすんですか、この暴力監査官!
 取調べ中の暴力だ!違法行為だ!!もう絶対、聴取になんか協力してやんない!」
 喚きたてるアレンを冷たく見下ろし、リンクは大きく頷く。
 「記憶が戻ったようで重畳です、ウォーカー。
 きっと今、私が殴ってやったからに違いありません」
 「・・・・・・・・・へ?」
 唖然と目を丸くしたアレンに、リンクは冷え冷えとした笑みを浮かべた。
 「民間療法とでも言うべき、原始的なショック療法にあるではありませんか。
 暗いトンネルの中で蛇を落とすとか、記憶を失くした者は殴って記憶を蘇らせるとか?」
 「み・・・民間療法って、おま・・・・・・」
 いけしゃあしゃあと言ってのけたリンクに、ようやく追いついたラビが引き攣った声をかける。
 「きっともう一発殴ってやれば、『素直でいい子なアレン・ウォーカー』に『戻る』はずだと、信じていますよ」
 「ちょっ・・・!!マッテ!!
 待って僕、今まで君にいい子だったことなんてっ・・・!!」
 じりじりと迫ってくるリンクから逃げようにも、背中は格子に阻まれていた。
 「では・・・いい子になるまでショック療法を!」
 ごづんっと、ラビとリナリーが思わず身をすくめるほどの音を発して、アレンの頭にげんこつが落とされる。
 「きゅぅ・・・・・・」
 とうとう目を回したアレンに、すっきりしたとばかり鼻を鳴らし、リンクは肩越しにラビを見遣った。
 「Jr.」
 「はっ・・・はひっ?!」
 ビクッと震え上がったラビに、またもやリンクは鼻を鳴らす。
 「ウォーカーの捕獲及び運搬をお任せします。
 さぁ、あなたも帰りますよ、不良娘」
 「誰が不良よ!!」
 すかさず反駁したものの、リナリーの声にいつもの迫力はなかった。
 「おとなしくついてきなさい。
 ―――― 今回の行動を、逐一室長に報告されたくなければ」
 「うっ・・・・・・」
 声を失くしたリナリーに意地悪く片眉を上げ、リンクが踵を返す。
 「リ・・・リナ、ここは従っとけ・・・な?」
 ティムキャンピーを頭に載せ、白目をむくアレンを背負ったラビが囁くと、リナリーは不承不承頷いて、憮然と監査官の後に従った。




To be continued.

 










2008年アレン君お誕生日SS第1弾でした!
題名はいつもどおりラルクです(笑)>蝶の舞い踊るPVは必見(笑)
そしてネタは、リクエストNO.24の『記憶喪失』を使わせてもらいました。
文中でラビが言っているように、アレン君が心因性の記憶喪失になるはずないし、なって欲しくもないので、一般的な『記憶喪失』ではなく、奪われた方向で書いてみました。
私がいつも『記憶喪失』と『発狂』ネタに対し、嫌いだのなんだの文句垂れてるのは『そんな弱い子なら私が愛するわけがない』って理由なんですよ(笑)
えぇ、精神的タフな子大好きなんで(笑)>しかも逃げたら咎落ちのおまけつきって・・・エクソシスト、どんだけ過酷;
なのでこれが精一杯の歩み寄り点です。
おかげでロードちゃんが、やたら可哀想なことになってしまいました が;
しかも今回のリナリー、びっくりするほど意地悪&腹黒いですね(笑)
続編では、姫の名誉挽回も果たしたいと思います(笑)
ちなみにこのお話、第178夜時点で書いてますので、後に『違うじゃん!』ってことになるんじゃないかなぁって予測多々あり(笑)
そこは大目に見るお約束ですよ★
あ、でも、『蝶=精神の象徴』って言うのは本当です(笑)
我が家のHP名『Psyche』はそこから来ています。
そして冒頭に使っているのは、『荘子』の『胡蝶の夢』ですが(蝶繋がり(笑))、原文(漢文)を辞書も引かずに適当に訳したものなので、テストで参照しちゃいけませんよ(笑)>そもそも内容変えてるし。












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