† The New Year’s Party
X †
それは1月も下旬に入った、ある日のこと。 中央庁からコムイのお目付け役にと派遣されたブリジット・フェイ秘書官は、彼女の監視対象の奇妙な動きに、眉をひそめた。 「一体、なにをなさっているのです、コムイ室長? その報告書は既に、目を通されたはずですが」 ペン先でコムイが積み上げたファイルを指すと、彼はどこか怯えたように、こくこくと頷く。 「そっ・・・そう、もう用が済んだから、捨てちゃおうと・・・」 「とんでもない!!」 コムイの台詞を大声で遮り、ブリジットはすらりと立ち上がった。 「報告書は確認後、最低でも3年の保管が義務付けられています。 いくら室長とは言え、勝手に処分する権限などありません!」 「そ・・・そーだっけ・・・?」 厳格な教師に叱られた問題児のように身を縮めたコムイに、彼女は大きく頷く。 「片付けるのでしたら、私にお任せを。 ファイリングして、資料室に保管します」 いつもなら、リナリーがやってくれる仕事を奪い取ると、彼女は驚異的な速さで報告書を分類し、ファイルして資料室に運んでしまった。 「・・・さすが美人秘書。有能だなぁ」 ぶつぶつとぼやきつつ、コムイは未決の申請書に目を通し、判を押して行く。 「・・・なにをなさっているのですか?」 資料室から戻って来た時には、まとめてワゴンに入ったそれに、ブリジットは目を見開いた。 「何って、書類の決裁が済んだから、各班行きのワゴンに乗せたんだけど?」 「それは焼却可のワゴンではありませんかっ!すぐに出してください、すぐに!!」 パパパンッ!と、手を叩いて命じられ、コムイは教師に罰当番を科せられた問題児さながら、慌ててワゴンから書類を下ろす。 「全く、今日はどうなさったのですか? いつもサボることばかり考えてらっしゃるくせに、一体どんな心境の変化ですの?」 訝しげに・・・と言うよりも、彼女の仕事を増やしてくれた彼に対し、苛立たしげに問うと、コムイはえへら、と、しまりなく笑った。 「なんでってそりゃあ、一年に一回くらいは大掃除しないといけないじゃないー? もうすぐお正月だから、そのためにもボクは・・・」 「なにを寝ボケていらっしゃいますの? 年はもう、とっくにあけましたわ」 またもやコムイの言葉を遮り、彼女はさも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに肩をすくめる。 が、いつもならここでしょげ返るコムイは、頑迷に首を振った。 「それは西洋のお正月でしょ! ボクの・・・アジアのお正月は、26日なんだよ!」 「・・・はぁ?」 奇妙なことを言い出した、とばかり、奇異な目で見る彼女に、コムイはへらへらと笑う。 「中国のお正月はねー、爆竹鳴らして、龍が舞って、ご馳走食べて祝うんだよ! でもそんな楽しいことをする前には、ちゃんと一年間の穢れを流し去って・・・」 「馬鹿馬鹿しい!」 みたびコムイの言を遮り、ブリジットは細い腰に両手を当てた。 「カレンダーはグレゴリオ暦一つで十分です! さぁ、26日なんて平日なんですから、室長もいつも通りお仕事なさってくださいませ!」 「そんなっ!!」 コムイはにわかに立ち上がり、高い所から彼女を見下ろす。 「それはダメだよ! ボクらにとって、お正月はクリスマスなんかより重要な日なんだ! 君がなんと言おうとも、ボクは諦めないよ!」 いつも彼女に対しては従順なコムイの予想外の反発に、ブリジットは目を丸くした。 「しかし・・・」 「キミだってクリスマスは楽しんだでしょっ?! キミだけでなく、監査官達だって参加して、大いに盛り上がってたじゃないか! 自分は楽しんでおきながらボクに対してはダメなんて、それは少数派に対する弾圧だよ!」 激しい口調で言葉を遮られ、彼女はますます目を見開く。 「わ・・・私はそんなつもりでは・・・」 思わず声を詰まらせるが、反駁は更に強い口調で塞がれた。 「中央庁は一つの宗教のもとに統一されているけど、それでも信仰のあり方について異を唱えた司教が大勢、教皇から離反したじゃあないか! なのに多民族を擁する教団で、民族性を尊重せずに上手くやっていけると思うかい?!」 「い・・・いえ・・・」 「そうでしょ!」 にこりと大きな笑みを浮かべて、コムイは満足げに頷く。 「有能なキミならわかってくれると思ったよ、ミス・フェイ!」 すかさずブリジットを持ち上げて、コムイは再び腰を下ろした。 「わかったら、はりきってお片づけしよーね! この件についてはキミも、不服はないだろう?」 「はぁ・・・・・・」 畳み掛けられて、彼女は珍しくも口を濁らせる。 「えへへ 現在において最大の敵を黙らせたコムイは、判子を捺す手も軽やかに、嬉しげに笑った。 一方、コムイの執務室のすぐ外では、科学班に入り浸りのリナリーが、リーバーにまとわりついていた。 「ねぇねぇ、兄さんまだ出てこないの? なんでリナリーが入っちゃダメなの? コーヒー持ってくのもダメなの?」 ねぇねぇ、と、猫のように鳴きながら、哀しげに追いかけてくるリナリーを追い払うこともできず、リーバーは肩をすくめる。 「なんだよ・・・いつもは兄貴が構ってくるとうるさがるのに」 「だって・・・」 呟いて、リナリーはリーバーの白衣を握った。 「同じお城にいるのに、もう、2日も会ってないんだもん・・・・・・!」 たった2日、と、笑うことはできない。 戦場にある時ならばともかく、同じ城にいながら精神的支柱である兄に会えないということは、リナリーにとって不安を通り越して、恐怖ですらあった。 リーバーは、今にも泣き出しそうなリナリーを気遣わしげに見下ろし、震える背を軽く叩いてやる。 「そうだな、コーヒーくらいは差し入れても・・・」 言いかけた時、執務室のドアが開いた。 「兄さん!!」 ぱぁっと、表情を輝かせたリナリーをじろりと見返したのは、しかし、彼女の優しい兄ではなく、彼の冷たい秘書官だ。 「ミス・フェイ・・・・・・」 膨大なファイルを載せたワゴンと共に出て来た彼女は、リナリーの呼びかけに応えず、無言で執務室のドアに鍵をかけた。 「あ・・・あのっ!! 兄さんにコーヒーを持って行きたいんですけど!!」 「無用です、リナリー・リー。 室長には、十分な量のコーヒーを与えてあります」 冷たく言い放ち、ワゴンを押して行く彼女を、リナリーは慌てて追いかける。 「で・・・でも、ちょっとくらい会わせてくれたって・・・」 と、ブリジットはぴたりと立ち止まり、くるりとリナリーへ向き直った。 「エクソシストはエクソシストの仕事をするようにと、通達が出ていたはずです。 エクソシスト・リナリー・リー。 あなたはこのようなところでお茶汲みなどせず、自分のお仕事をなさい」 一方的に言うや、またくるりと踵を返して、つかつかと研究室を出て行く。 「酷い・・・・・・!」 こぶしを握り締め、執務室のドアに向かったリナリーを、リーバーが慌てて羽交い絞めにした。 「蹴破りたい気持はよくわかるが、ここは待て!!」 「なんでだよ!放してよ、班長!!」 ついさっきまでの儚げな雰囲気はどこへやら、リナリーは怒り狂った猛獣のように足を踏み鳴らす。 「落ち着けって! 今、中央庁にケンカ売って、マズイことになるのはお前だぞ?!」 アレンがノアのメモリーを持つ人間だとわかった今、彼だけでなく、彼に好意的な人間もまた、密かに中央庁の監視下にあった。 「なのにここでお前が暴れたら、それを口実にされて、もっと室長に会えなくなるぜ?!」 途端、リナリーは抵抗をやめ、肩をすぼめる。 「兄さぁん・・・・・・!」 リーバーが放してやると、リナリーは執務室のドアに縋って、仔猫のように泣き始めた。 しかし・・・。 彼女の猛獣モードを目にしてしまった一同は、同情すべきか否か、複雑に感情の入り混じった目でリナリーを見つめたまま、声をかけることもできなかった。 同じ頃、通信班に立ち寄ったラビは、最近の日課とも言うべき情報収集にいそしんでいた。 「んー・・・大陸がなんだか、どんどんヤバイことになってるさね」 このところ、世界の動きは激しく、新聞だけでは最新情報のタイムラグを埋めようがなくなっている。 「各国の王族がどんどこ命狙われてるさ・・・美人皇后が殺された時だって俺、カナリショックだったんにぃー・・・」 ぶつぶつと言って、欧州からの回線を切ったラビは、すぐにまた無線の周波数をいじりだした。 「今度はどこですか?」 やや迷惑そうに通信員が問うと、ラビは無線機から顔もあげずに頷く。 「ん・・・南米。 アホどもが戦争ばっかすっから、新聞が欧州に来る前に止まっちまってさ、全然情報こねーの」 しかし、ここならば南米支部から直接情報がもらえる、と、ラビが回線を開こうとした時、先んじて通信が入った。 「あいあい、こちら教団本部〜♪」 「ちょっとラビさん!! 勝手に出ないでくださいよ!!」 通信員が慌ててラビから無線を奪い、改めて応答するが、 「・・・いいから代われと言っています」 「へ?俺?」 通信員が差し出した無線を不思議そうに受け取り、ラビは首を傾げる。 「もしもし、どちらさん?」 『なんだ、知らずに出たのか。相変わらず暢気なやつだな』 やや憮然とした声に、ラビはにんまりと笑う。 「バクちゃん、おっひさー♪ この時期にアンタから連絡、ってことは、またご招待してくれるんさ?」 『さすが、察しはいいな。 どうせまた、コムイが余計なことをやらかして、煙たがられているだろうと思ってな。 こっちで引き取ってやるから、リッ・・・リリッ・・・リナッ・・・・・・!!』 中々その名を言えないバクに、ラビは笑みを深めた。 「オケオケ♪ ちゃんとリナリーも誘うから、俺も招待してさ 韓国の正月料理、めっさうまかったさー ラビが楽しげに言うと、回線の向こうで息を整える気配の後、バクの上ずった声がしかつめらしく答える。 『い・・・いいだろう、リナリーさんさえ来てくれるなら、あとはどれだけ人数が来ても受け入れてやるぞ』 「さっすがバクちゃん 『お前まで「ちゃん」って言うな!! あぁ、それと、楽しみにしているのなら悪いが、今年の春節料理は・・・っ中華だ!』 なぜか苦渋に満ちた声で言ったバクに、ラビはわずか、目を見開いた。 が、 「うん、まぁ、それでもいいさ。 ってか、中華の方がレパートリーあって楽しみさね アレンも誘っていんだろ?」 にこにこと問うと、その笑顔が声に乗って、あちらにまで伝わったようだ。 『もちろんだ。 残念ながらっ・・・非常に残念ながらっ・・・龍舞にはまた、外れてしまったがっ・・・! フォーや蝋花達も楽しみに待っているから、ウォーカーには万難を排して来いと伝えてくれ。 ・・・まぁ、本人には言うまでもないだろうが、監査官対策だ』 「お気遣い、痛み入るさねー アレンが喜ぶさ 和やかに通信を切ると、ラビは早速踵を返した。 「どこ行くんですか?」 通信員に問われ、ラビはにこりと笑って振り返る。 「アレンとこ 「南米の情勢は?」 「後でまとめて聞くさねー♪」 また来るのか、と、げんなりした彼らの様子には気づかないふりをして、ラビは足取りも軽く通信班を出て行った。 アレンを探す途中、科学班に寄ったラビは、コムイの執務室のドアに縋って泣くリナリーの姿に驚いて駆け寄る。 「ど・・・どしたんさ?!なんかあったんか?!」 リナリーの上にかがみこんで問うと、彼女は涙に濡れた目で彼を見上げた。 「兄さんに・・・兄さんに会わせてくれないの・・・・・・!」 「誰がそんなこと・・・」 リナリーにとって、コムイがなくてはならない存在であることくらい、この教団の者なら誰だって知っている。 貴重なエクソシストである彼女が精神的に不安定にならないためにも、本部にいる間はできるだけ兄妹を引き離さないことが暗黙の了解となっているほどだ。 だが、あえてそれを行う者がいるとすれば・・・。 「中央の奴か」 「意地悪秘書官だよ!!」 「それは私のことですか」 突然、冷ややかな声が降り注ぎ、ラビはぎくりと震えた。 恐る恐る振り返った先には、美人秘書官の冷え冷えとした目がある。 「そこをどいてください、リナリー・リー、ブックマンJr.。 邪魔ですわ」 有無を言わせない迫力に、思わず道を譲ってしまったラビに反し、リナリーは反抗的な目で彼女を睨みつけ、いつまでもどこうとしなかった。 「・・・リナリー・リー。 私の職務を妨害する気ですか?」 「兄さんに会わせて!」 「それはできないと、先ほども言ったはずです。 それでなくとも室長は、無駄なおしゃべりの多い方ですから、あなたがいるだけで室長のお仕事は格段に遅れてしまいます」 事実だけに一言も言い返せないリナリーを押しのけ、ブリジットは執務室の鍵を開ける。 「待って!!」 細く開けたドアの隙間に、するりと入っていったブリジットを、リナリーが慌てて追いかけた。 「お願い、少しでいいの! 少しでいいから・・・!」 大きな目に涙を浮かべ、泣いて縋るリナリーをしかし、ブリジットはドアの隙間から冷たく見遣る。 「泣けば許してもらえるなんて、甘い考えはお捨てなさい。 単純な男共はそれで騙されたかもしれませんが、私はそうは行きませんよ」 「なっ・・・・・・?!」 絶句したリナリーの目の前で、ドアは容赦なく閉められた。 「女の敵は女・・・・・・」 状況を硬直して見つめることしかできなかったラビが、思わず呟く。 「敵・・・そう、敵なのね・・・・・・!」 生まれて初めて会った『冷酷な女』の存在に、リナリーの戦闘モードに火が点いた。 「だったら戦ってやるわよ・・・! 私から兄さんを奪うなんて、絶対許さない・・・・・・!!」 「・・・お前、将来は鬼小姑確定さ」 ため息と共に呟いたラビを、リナリーはキッ、と睨み据える。 「どっちの味方なの、ラビ?!」 「俺はいつだって中立さ」 乾いた笑声をあげながら、ラビはリナリーの膨らんだ頬を撫でてやった。 「で? 兄ちゃん奪還すんのに策はあるんさ、鬼小姑?」 「・・・ちょっと、そのあだ名やめてよ」 「んじゃ、なにがいいんさ?」 憮然としたリナリーに笑って問うと、彼女はしばらく考えてから頷く。 「王子」 「・・・・・・・・・またか。 ってかお前、たまにゃ姫になったらどうなんさ?」 「姫は今まで、飽きるほどやってきたよ。 だから王子がいいの!」 それに、と、リナリーは執務室のドアを睨みつけた。 「泣けば許してもらえるなんて・・・あんなこと言われたの、初めてよ! 絶対あの人、見返してやるんだもん!」 「・・・・・・お前に対する意見はともかく、コムイに関しちゃむしろ、あっちの意見に賛同が多そうだけどさ」 思わず乾いた笑みを浮かべ、本音を漏らしたラビに、リナリーがまた頬を膨らませる。 「もう! ラビはどっちの味方なの!!」 「だから、中立だって言ってるさ」 どちらかの味方につくよりも、勇気と根気のいる立場に身を置いたラビは、苦笑して肩をすくめた。 「でも、ま、情報提供くらいはしてやるさ。 さっきバクちゃんから連絡が入って、アジア支部の春節にはみんなで来いってさ」 「・・・ホント?!」 大きな目を見開いたリナリーに、ラビは頷く。 「ん。 コムイひ・・・ぶふっ!!」 コムイに『姫』の尊称をつけることがあまりにも可笑しくて、ラビは言った途端に吹き出した。 「ひっ・・・ひひっ・・・姫のっ・・・救出作戦にっ・・・役立てろよ・・・っ!!」 今にもひきつけをおこさんばかりに笑いつつ、言いきったラビにリナリーが大きく頷く。 「打倒!意地悪秘書官!!」 コムイがとっくにブリジットを打倒してしまったとは知らず、兄も同じ思いだという確信を抱いてこぶしを握ったリナリーは、決然と立ち上がった。 その後、一旦科学班を駆け出て行ったリナリーは、すぐに戻ってきて、またもやリーバーの白衣にしがみついた。 「・・・今度はなんだ」 忙しいのに、とはさすがに口に出さないまでも、うんざりとした表情に心情を滲ませてリーバーが問うと、リナリーは目を輝かせて彼を見上げる。 「班長、26日って、暇?」 その言葉に、リーバーは一瞬、絶句した。 「・・・・・・ケンカ売ってんのか、おまえは」 入団以来、ずっと『暇』とは無縁に過ごしてきた彼に対する挑戦かと目を吊り上げると、リナリーはいたずらっぽく舌を出す。 「そっか・・・ごめん、聞き方間違えたよ。 26日、時間空けられる?」 「無理」 書類に目を戻し、あっさりと言ったリーバーに、リナリーがむくれた。 「ちょっとは考えてくれたって・・・」 「考えるまでもなく、俺は年中忙しい。 ・・・ん?年・・・?」 ふと、頭をよぎった悪い予感に、リーバーが手を止める。 「リナリー・・・」 異常に乾いた声で呼びかけたリーバーは、逸らしたくなる目を必死に軌道修正して、リナリーを見遣った。 「まさか、その日って・・・」 「お・正・月 「やっぱりか!!」 楽しげなリナリーとは正反対に、リーバーは顔を引き攣らせて立ち上がる。 「室長は?! 室長はもう、余計なことしてんのか?!」 「兄さんは・・・」 リナリーはまたむくれて、厳重に閉ざされた執務室のドアを見遣った。 「・・・知ってるじゃない。 あの意地悪秘書官に閉じ込められて、お仕事中だよ」 「そ・・・っぅだった! よかった、あの人がいてくれて・・・!」 リーバーが大きく吐息しつつ、思わず本音を漏らすと、リナリーがムッと眉根を寄せる。 「班長!あんな意地悪秘書官の味方するの?! あの人、ずっと兄さんを缶詰にした上に、私を兄さんに会わせてもくれないんだよ?! リナリーがあの人に泣かされたとこ、班長だって見てたでしょぉぉぉ!!」 彼の意外すぎる裏切り行為に抗議の意を込めて、リナリーは泣き声をあげながらリーバーの背中に頭突きした。 「いてっ!なにすんだ、この甘えん坊が!」 「だって私・・・あの人好きじゃないもん!」 ごんごんとぶつけてくる頭を掴み、リーバーはくしゃくしゃと撫でる。 「お前には気の毒だが・・・その話を聞いた以上、考えを改める必要が出てきたな。 俺らは仕事がはかどって大助かり。むしろ女神と崇めたいくらいだ」 「でも、26日は空かないんでしょ? だったらいつもと同じじゃない!」 むぅ、と、唇を尖らせるリナリーに、リーバーは思わず吹き出した。 「お前が人を嫌うだなんて珍しいな。 兄ちゃん取られて悔しいか?」 「・・・・・・・・・うん」 リーバーにはごまかしても無駄だと悟り、リナリーは素直に頷く。 「ついでに言えば、班長がそうやって彼女を誉めるのもイヤ!」 「有能だからな。 俺は、仕事のできる奴は好きだぜ?」 途端、その声が聞こえる範囲にいた部下達が、慌てて顔を引き締め、業務に精励しだした。 その様にちらりと笑い、リーバーは彼の背中にしがみついたリナリーの額を弾く。 「で? 26日、時間が空いたらなんだったんだ?」 「ん・・・。 アジア支部でお正月やるから来ないかって、バクさんが連絡くれたらしいの。 さっきミランダに話したら、今年は行きたいって言うから、班長も来ないかなって思ったんだけど・・・無理そうだね」 「・・・そうだな」 机上にうずたかく積まれた書類を二人して見上げ、重く息をついた。 「楽しんできな」 「ん・・・。 手が空いたら、ちょっとでも来てよ、みんなも。 そしたらきっと・・・」 と、リナリーは握ったこぶしを振り回す。 「春節への偏見がなくなるよ!」 「変なのはお前らだけだって、とっくに知ってるよ」 異口同音にあっさりと言われ、リナリーは盛大にむくれた。 一方、食堂では、うずたかく積まれた蒸篭(せいろ)に囲まれたアレンが、うっとりと頬を染めていた。 「アジア支部のお正月、今年の食堂は中華なんですって・・・! もう、待ってました!ってカンジだよね! バクさんは龍舞ができないって悔しがってたそうだけど、代わりに食堂を引き当ててくれるなんて・・・! 僕もう、今から楽しみで楽しみで 満漢全席って、どんなんだろー しかし、アレンの喜びに水をさすがごとく、隣からリンクが、冷たい言葉を浴びせかける。 「なにを行く前提で話しているんですか君は。 任務以外で勝手に本部を出ることは許可できません」 「行くもん! バクさんが、万難を排しても来いって言ったんだもん!」 ふんっと鼻を鳴らし、アレンはジェリー特製の巨大肉まんを頬張った。 「アジア支部に行くまでは、アジアのお正月がこんなにいいものだなんて知らなかったんですよねー。 えへへ ご馳走攻めだなんて、まるで僕のためにあるようなお祭ですよ 幸せそうに笑うアレンを横目で睨み、リンクはますます眉根を寄せる。 「しかしその前に、多大なる試練があるではありませんか。 どうせ、コムイ室長の掃除を手伝うことが参加条件なのでしょう?」 と、アレンは幸せそうに笑ったまま、ふるふると首を振った。 「それが・・・中央庁から来た秘書官がいるでしょ? 彼女がしっかり監視してくれているおかげで、執務室のお掃除は順調だし、新しいお城に来てからは、実験室に行く暇もないんだって! ねぇリンク! 僕、あの女神様になにか捧げ物した方がいいかな?!」 きらきらと目を輝かせるアレンに、リンクは軽く吐息する。 「無用です。 あれは彼女の仕事で・・・」 「アレン君までそんなこと言う!!」 突然、ヒステリックな声に遮られて、リンクはうるさげに背後を見遣った。 「なんですか、いきなり」 いつの間にか彼らの背後を取っていたリナリーは、しかし、リンクの問いに答えず、目を丸くしたアレンにつかつかと歩み寄る。 「彼女を誉めたりしないで! あの人のせいで私、兄さんとろくに話もできないんだから!」 アレンの隣に憤然と腰をおろしたリナリーは、蒸篭から湯気を上げる桃まんを取り上げて噛み付いた。 「それは・・・寂しいですね」 アレンが温かいジャスミンティーを淹れ、差し出すと、リナリーはそれを一気に飲み干す。 「監査官も秘書官も、中央から来た人達ってなんでこんなに意地悪なのかな!」 「それはあなた達の行いが悪いからです」 自分を睨むリナリーをすっぱりと切り捨て、リンクはティーカップをソーサーごと取り上げた。 「あなた達が素直ないい子でさえあれば、こちらもそれなりの対応をするのですよ」 「・・・新しい班長はセクハラだし!」 「それは彼個人の問題であって、中央庁の意向とはなんら関係ありません」 簡単に言い負かされて、リナリーは端然と紅茶を飲むリンクを悔しげに睨みつける。 と、 「まぁまぁ・・・」 自分の頭越しに言い争う二人の間で、身を縮めていたアレンが苦笑した。 「アジア支部のお正月には、コムイさんも行くんでしょ? だったらその時に、思いっきり独り占めしちゃえば・・・」 「もちろんそのつもりだよ! あの意地悪秘書官が邪魔したって、絶対兄さんを取り戻すんだから!」 だけど、と、リナリーは自分で注いだジャスミンティーに、暗い視線を落とす。 「特別な日だけじゃなくて・・・いつも一緒にいたいんだもん・・・・・・」 「そうですよね・・・・・・」 慰めるように微笑んだアレンの肩越し、リンクが鼻を鳴らした。 「いつまでも甘ったれてるんじゃありませんよ、小娘ガ」 「リンクッ!!」 椅子を蹴って立ち上がったリナリーの腕をすかさず捕らえ、アレンは肩越しにリンクを睨みつける。 「なんでそう言うこというんですか!」 「私が何か、間違ったことを言いましたか?」 ふん、と、鼻を鳴らしたリンクに、アレンが目を吊り上げた。 「正しいことがいいことだとは限らないでしょう?!」 「正しいことはすなわち、いいことですとも」 取りつく島もなく断言して、リンクはティーカップをソーサーに戻す。 「ところで、祝祭に参加するにはそれなりの条件を満たす必要があると記憶していますが、リナリー・リー?」 「・・・なんですか」 憮然と椅子に座りなおしたリナリーが、リンクの方を見もせず答えると、彼はアレンの襟首を持って立ち上がった。 「買い物や掃除等、人員確保の必要があるかと思いますが、ウォーカーを使うことは禁じます」 「・・・っ!!」 先手を取られ、リナリーが悔しげに唇を噛む。 「それでは良い休日を。 ほら、行きますよ、ウォーカー」 じたじたと暴れ狂うアレンを押さえつけ、食堂を出て行くリンクの背を、リナリーは憎々しげに睨んだ。 「ちょっとリンク!リンク放して!!」 「なんですか」 暴れるアレンを持て余し、リンクが襟首を放してやると、彼は憮然とリンクを睨みつけた。 「いいじゃないですか、リナリーのお手伝いしてあげたって! どうせ任務なんかないでしょ!」 「任務がないからと言って、やることがないわけではないでしょう?」 「ないよ! だって今日の訓練終わったもん! あんまり根を詰めるのはいけないって言ったの、君じゃん!」 きゃんきゃんと吠え立てるアレンをうるさげに見遣り、リンクはポケットから小さな辞書を取り出す。 「訓練は終わりでも、勉強は出来ます」 「勉強?」 きょとん、と、アレンは押し付けられたドイツ語の辞書を見下ろした。 「エクソシスト及び教団団員の基礎・・・語学です。 ウォーカー、君、先日とんでもないドイツ語使っていましたね? いい機会ですから、私が正しいドイツ語をみっちりと!」 「えっ・・・なんで・・・日常会話ができれば問題ないでしょ?! そもそも僕、英国人だし! 多少言葉遣いが変でも大目に見てもらえるもん!」 「その傲慢さが腹立たしいのですよ、大英帝国臣民ガ」 こめかみをひくつかせて、リンクはアレンを睨みつけた。 「少々植民地を持ったくらいで、外国でも英語が通じるとうぬぼれているようですが、教団本部がサポートしているヨーロッパはその限りではないと知らしめてやりますよこのクソガキ!」 「だったらミランダさんに教わる! リンクに教わったら、絶対杓子定規な堅苦しい言い方になるもんっ!」 激しく抵抗して、声を張り上げたアレンに負けじと、リンクも声を高める。 「マンマのお手を煩わすとはとんでもない! 素直に私の指導下に入りなさい!!」 「絶っっっっ対やだ!!ミランダさんじゃなきゃ勉強なんてしない!!」 ぎゃあぎゃあと喚き合う声は回廊中に響き、たまたま同じ階にいたミランダの耳にまで届いた。 「あ・・・あの・・・私がどうかした?」 何かいけないことでもしただろうかと、不安げに寄って来た彼女に対し、二人してちぎれんばかりに首を振る。 「ミランダさんは何も悪くありませんよ! リンクが酷いから、ミランダさんに助けてもらおうと思っただけ!」 「なにが酷いのですか、ウォーカー! マンマ、申し訳ありません! このクソガキは、私が責任を持って処罰します!」 「放せ傲慢監査官!!」 「君にだけは言われたくないッ!!!!」 「ちょっと・・・ねぇ、ちょっと待って・・・」 自分を責めていたのではない、と理解しても、激しく喚き合う二人に戸惑い、困惑しながらミランダは恐る恐る歩み寄った。 「ちょっと二人とも、落ち着いてください・・・。 ねぇ、アレン君? 私が助けるって、どういうこと?」 「リンクがドイツ語の勉強しろって言うんです・・・! でもそれってどうせ、リンクが僕をいぢめる口実なんだから、教わるならミランダさんにお願いしたいんです・・・!」 両手を組み合わせ、憐れっぽく訴えるアレンに、ミランダは頬に手を添えて、ゆっくりと頷く。 「それは構わないわ・・・私に、うまくできるかどうかはわからないけど・・・」 「そんな、マンマ! こんなクソガキの相手など、私に任せてくださればよいのです! お手を煩わせるなんて、とんでもない!」 「そんな大げさな・・・」 リンクの言い様に苦笑して、ミランダは言語を変えた。 『普通に会話するだけでいいのなら、簡単ですよ。 アレン君、日常会話はできるんでしょう?』 『はい!』 ミランダにドイツ語で問われて、アレンは得意げに頷く。 『普通の会話には困らないって言ってるのに、やかましいんですよ、リンクったら! 僕、ドイツのレストランで料理を注文するくらい、簡単に出来ますもん!』 英語に比べてゆっくりではあったが、問題なく会話できるアレンに、ミランダも頷いた。 『だったら別に、いいのではないかしら。 何も高度な学術言語を話せと言っているわけではないのだから』 ね?と、微笑まれて、リンクは悔しげに眉根を寄せる。 『しかし先日、ドイツに赴いた際には・・・』 ふと言葉を切って、リンクはアレンに向き直った。 『ウォーカー。 ドイツ語で地図の説明をして見せなさい』 そう言ってリンクは、アレンに渡した辞書に付属している地図を開かせる。 途端に自信なげな様子で、アレンは地図を睨んだ。 『えっと・・・ヨーロッパの地図ですね。 ドイツの・・・南?これ、南?なんで南に北欧のデンマークがあるの?』 『アレン君・・・Nordenは南じゃなくて、北よ・・・』 ミランダに苦笑され、アレンは額に汗を浮かべて更に地図を睨む。 『そっ・・・そうでした! えーっと・・・東にフランス、ラクセンバーグ・・・』 『フランスがあるのは西ですし、ラクセンバーグは英語読みでしょう。 ルクセンブルク大公国、と、正確に言いなさい』 リンクに冷たく言われて、アレンは茹であがったように赤くなった。 『つっ・・・つい、間違えたたたたらけら! えっと・・・えっと・・・あ・・・あれ?! ボ・・・ボールティック海って、方角はなに・・・?』 『なにって・・・・・・』 慌てているせいか、呂律も回っていなければ、奇妙な言葉遣いになっているアレンに、ミランダが益々苦笑する。 『まぁ・・・確かにちょっと変だけど、アレン君は英国人なんだから、そう目くじら立てることもないんじゃないかしら』 『甘やかしてはいけません!』 きっぱりと言い放ち、リンクはアレンの額を指で弾いた。 「いたっ!なにすんだ!」 『ボールティックなんて言わないでください、英国人。バルト海です』 厳しく言われて、アレンは悔しげにリンクを睨みつける。 『地名は大目に見てよ!』 『方角もろくに言えないくせに!』 睨み返された上、あっさりと言い負かされて、アレンは気まずげに口をつぐんだ。 『エクソシストが地図を読めないとは、致命的欠点ではありませんか! 君に対してはこの件についても徹底的に教育する必要があると考えます。 よって・・・』 ミランダに向き直り、こうべを垂れたリンクに、ミランダが頷く。 『地図の読み方は・・・教える自信がないわ』 『ご理解いただきまして、ありがとうございます!』 敬礼せんばかりに堅苦しく応えると、リンクはむんずとアレンの襟首を掴んだ。 『さぁ!みっちりしごいてやりますよ!』 『放せリンクのアホ――――っ! どうせいじめるんでしょ、陰険監査官! だからそんな凶悪面なんですよこの鉄面皮っ!!』 『いい加減にしないとシメますよっ?!』 こめかみに青筋を浮かべながら、リンクはアレンの首に腕を回して締め上げる。 『鬼!悪魔!リンク!!』 『やかましいっ!!』 『方角は言えないのに・・・なんで罵り言葉は知ってるのかしら、アレン君たら・・・』 じたじたと暴れ狂いながら連行されていくアレンを見送り、ミランダは苦笑を深めた。 同じ頃、春節を控えたアジア支部は、支部長自らはたきを持って、大掃除に精励していた。 「フォー!! フォーお前、寝とらんで手伝わんかっ!!」 バクがはたきを振り振り、開かずの間から出てこない守り神にヒステリックな声をあげると、フォーは寝ぼけ眼をこすりながら、めんどくさそうに出て来る。 「・・・っんだよ。 ウチにゃ働きもんの清掃班がいるんだから、今更慌てなくったって・・・」 「それとこれとは違うだろうが! しかも研究室は、専門の機器が多いためにどうしても清掃班の動きが制限される! 年に一度くらい、我々専門家が掃除せんでどうするのだ!」 きぃきぃとがなりたてるバクに、フォーはうるさげに耳を塞いだ。 「ったく・・・こんな時だけ張り切りやがって、そう言うのを怠け者の節句働きっつーんだぜ?」 「誰が怠け者だ! 僕は教団全体でも1、2を争うほど、職務に精励しとるわっ!」 性格や性癖には様々な問題を抱えているものの、職務に対してまじめであることは確かなので、フォーは反論できず、無言で精密機器を指でなぞる。 「ここ、埃が残ってんぞ。 まったく最近の嫁は、ろくに掃除もできやしない」 「お前は俺様の姑かぁぁぁぁ!!」 怒鳴りながらバクは、口の減らないフォーをはたきではたいてやった。 「ってめ! あたしをはたはたすんじゃねぇ!!」 「やかましいわ! 守り神なら守り神らしく、年末のすす払いをさせろ!!」 はたはたとはたきを振り回しながらフォーを追いかけるバクの姿を、ウォンが微笑ましく見守る。 「今年もこうやって春節を迎える準備ができて、ようございましたなぁ」 「また、龍舞はハズレちゃったっスけどね」 ぶぅ、と、頬を膨らませて、李桂がレンズ類を洗浄液に漬け込んだ。 「あぁ・・・! 今年もリナリーさんにカッコいいトコ見せて、惚れてほしかったのに・・・!」 さめざめと泣く彼の背中を、黒々とした影が覆う。 「どぁーるぇーぐぁーキサマなんぞに惚れるかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 「ひっ!!」 バクの毒々しい声に、李桂は喉を引きつらせた。 「キサマごときがリナリーさんに近づくなんぞ、千年早いわッ!」 「支部長!はたはたヤメテはたはた!!」 逃げ惑う李桂をバクは、更にはたきを振りかざして追いかける。 「やかましい!! キサマの邪心を払ってくれるわっ!!」 と、 「李桂の邪心より、支部長のクジ運のなさを払ってくださいよぉ・・・」 遊んでいるとしか思えないバクを見遣って、蝋花が不満を漏らした。 「んもー・・・龍舞ができないだけならまだしも、食堂引いちゃうなんて、春節料理の主導がどんだけ大変だと思ってるんですかぁ・・・!」 アジア各国の民族が集まるこの支部では、民族ごとに飾りつけする部屋をクジで決めるのだが、食堂・・・すなわち、春節料理の担当は、ハズレクジの中でも最悪のハズレとされている。 ここに決まると、食堂の料理人だけではとても手が足りないため、支部中の同族が駆り出されるのだ。 「いいじゃない、漢族は一番人数が多いんだし。 ・・・去年は韓国だったけど、まさしく戦場だったよ」 3日間寝る暇なかった、と、シィフが乾いた声をあげる。 「それに、今年の春節料理は中華だって言ったら、ウォーカー大喜びだったじゃない。 あの様子なら彼、どんなことがあってもここに来るよ」 「そっ・・・そうですよね!!」 途端に元気になって、蝋花は顕微鏡を磨く手に力を込めた。 「楽しみだなぁ、ウォーカーさん 私が作った餃子、おいしいって言ってくれるでしょうか ぎゅっ、と、顕微鏡をアレンに見立てて抱きしめた途端、蝋花の腕の中で、鏡筒が真っ二つに折れる。 「なにやってるんですか、蝋花――――!!!!」 「きゃあああ!! すっ・・・すみません、ウォンさん!! やだどうしよう!!」 直しようもなく破壊された顕微鏡の残骸を掻き集める蝋花を見下ろし、シィフは苦笑した。 「・・・少なくとも、ウォーカーを抱きしめる時はもうちょっと手加減してあげて」 「やだシィフったら、そんな恥ずかしい!!」 「がふっ!!」 頬を染めた蝋花が投げつけた接眼レンズの直撃を受け、シィフが血飛沫をあげて床に沈む。 「きゃあああ!!ごめんなさいぃぃぃ!!!!」 「なにをやっとるのだ、お前は!!」 たちまちバクのはたき攻撃が、蝋花に向けられた。 「わぁん!!支部長がはたはたするぅ!!」 「お前のドジも払われてしまえっ!!」 はたはたとはたきを振り回し、今度は蝋花を追いかけるバクを、棚の上に避難したフォーが呆れて見下ろす。 「ホコリ以外のもんばっか払いやがって、ついでにノアも払っちまえばいいのに」 ぶつぶつとぼやきながら、猫のように丸まったフォーは、年末の喧騒をよそに、またとろとろとまどろんだ。 アレンの未練が残る蒸篭を苛立ち紛れに片付けてしまったリナリーは、それでも怒り覚めやらず、協力者を求めて修練場へと乗り込んだ。 案の定、そこに神田の姿を見つけるや、リナリーは獲物に飛び掛る猛禽さながらの勢いで駆け寄り、今までの事情を早口にまくし立てる。 「お城で孤立無援だなんて、兄さんが来て以来、初めてだよ! 班長やアレン君まで味方してくれないなんて、思ってなかったもん!」 「・・・俺なら味方するとでも思ったのかよ」 精神統一すべき座禅のひと時を無残に邪魔され、不機嫌に呟いた神田を、リナリーはさも意外だと言わんばかりに見つめた。 「してくれないのっ?!」 「どこまでワガママだ、お前!」 膝を詰めてきたリナリーを迷惑げに睨むが、彼女はお構いなしに神田の腕に縋りつく。 「なによ・・・! 神田まであの意地悪秘書官の味方するの?!」 「俺はどっちの味方もしねぇ!」 「味方してよ! もう、神田しかいないんだよ・・・!」 涙声をあげて、神田の肩に額をすり寄せるリナリーに、彼はうんざりと吐息を漏らした。 「まだミランダやジェリーがいんだろ」 「ミランダは・・・同情はしてくれたけど、一緒に戦ってはくれないし、そもそもこんな戦いには不向きだもん。 それに、ジェリーも今回は中立だって! 男の人達はみんなあの人の味方するし・・・なんだよ、ちょっと胸がおっきいからって!」 「頭突きすんな、いてぇ!!」 ごんごんと叩きつけてくるリナリーの頭を押しのけ、神田は苛立たしげに舌打ちする。 「そもそも胸は関係ねぇだろうが! てめぇのコンプレックスまで混同してんじゃねぇ!」 きっぱりと言われて、リナリーが盛大にむくれた。 だがすぐにしょんぼりと眉尻を落とすと、またすりすりと額をすり寄せる。 「このままじゃあの人、ずっと兄さんに会わせてくれないよ・・・! おねがい、兄さんと会わせてよ・・・!」 「・・・・・・どうしろっつーんだよ」 とうとう根負けした神田に、リナリーが表情を輝かせた。 「あの人が執務室から出てきたら、拘束監禁!」 「リンクか、お前は!」 「・・・したいけど、やっぱり、後のこと考えるとまずいよね。 あの人を執務室から出すには、どうすればいいかなぁ・・・」 頭を抱えたリナリーに、神田がうんざりと吐息する。 「奴が一人じゃ捌き切れないような、手間取る仕事をさせればいいんじゃねぇか?」 「そっか! あの人がいくら有能でも、量が多ければ捌き切れないよね! ・・・兄さんの助手の仕事は、私の方が長いんだもん。 手間取ってる彼女に、『こーんなこともできないなんて!』って言ってやったら、スッキリするだろうなぁ・・・ その様を夢想して、うっとりと頬を染めるリナリーから、神田は思わず身を引いた。 「・・・お前、鬼小姑決定だな」 「神田までラビと同じコト言う!!」 ぷんっと頬を膨らませ、立ち上がったリナリーは、神田の腕を引く。 「そうと決まったら、さぁ、行くよ! あの人に嫌がらせ・・・じゃない、お仕事押し付ける前に、春節のお買い物と大掃除は済ませておかないと!」 「なんで俺が・・・・・・」 ぐいぐいと腕を引かれて、渋々立ち上がった神田は、嫌々ながらリナリーについていった。 翌朝、執務室に出勤したブリジットは、目の前に迫る白い巨塔に一瞬、声を失った。 「・・・・・・なんですか、これは?」 ブリジットが問うと、塔の向こうから、かすれた声が答える。 「・・・・・・・・・昨晩のうちに寄せられた、報告書とか申請書とか資料とか・・・だね」 塔の隙間から覗くと、半死人の顔色をしたコムイが、処理済の書類に埋もれて力なく判をついていた。 「昨日の仕事はほとんど片付けたはずですが・・・たった一晩でこの量ですか?」 必死で平静を保とうとしたものの・・・彼女らしくもなく、声がわずかに上ずる。 が、半死人のコムイはその様子に気づいた風もなく、判子を押す反動でがくがくと頭を振った。 「こんなことも・・・あるんだよねー・・・。 いつもはボクの処理能力を考えて、もうちょっとセーブしてくれるんだけど、多分、キミのおかげで処理速度が速くなっちゃったから、向こうも遠慮なく送ってきたんだと思う・・・」 がくっと、とうとうデスクに突っ伏したコムイを、ブリジットは唖然と見つめる。 「なんてこと・・・・・・」 呆然と見あげた先では、未処理の書類がゆらゆらと揺れていた。 「ふふふ・・・ 困ってる困ってる 執務室のドアに耳を当て、こっそりと中の様子を窺っていたリナリーは、ブリジットのため息交じりの声を耳ざとく聞きつけて、ほくそ笑んだ。 「陥落も時間の問題だよ・・・ 「鬼小姑・・・」 リナリーの傍らで、神田が思わずため息を零す。 「あの書類も、お前の仕業だろ」 問うと、リナリーは悪びれもせず頷いた。 「班長や私がサポートしていた時はあれでも、兄さんを壊しちゃわないようにお仕事セーブしてたんだよ。 だけど今日はみんなに、遠慮なく全部持ってっちゃって、って言ったの。 ふふふ・・・ あの人、まだ困ってるみたいだね 沈黙した室内の様子を想像して、忍び笑いを漏らすリナリーに、神田がまた、ため息を漏らす。 「・・・やっぱり鬼小姑だ」 と、ドアの向こうからつかつかと、ヒールの踵を鳴らす音が近づいてきた。 慌ててドアの脇にどくと、それは内側から勢いよく開かれて、きらめくほどに美しく整頓されたファイルが、ワゴンに乗って出てくる。 「ミ・・・ミス・フェイ、それは・・・?」 引き攣った声をかけるリナリーを、ブリジットは横目でじろりと睨む。 「室長が処理された申請書ですわ。 メッセンジャー!皆さんにお配りしてください」 「あ・・・はい!」 各班を回るメッセンジャーが、呼ばれるや慌てて駆け寄って、彼女からワゴンを受け取った。 「よろしくお願いします」 くるりと踵を返し、執務室に戻るブリジットを、リナリーは慌てて追いかける。 「あ・・・あの!ミス・フェイ!」 「なんでしょう」 肩越しに冷たい視線を寄越す彼女に、リナリーは引き攣った笑みを向けた。 「一人じゃ大変でしょ?お手伝いします!」 「無用です」 きっぱりと言って、再び閉まろうとするドアに、リナリーが縋る。 「私の方が兄さんの・・・ううん、室長助手の経験は長いもの! きっと、あなたより上手くできるわ!」 「私より、ですって?」 針のように鋭く尖った目で射抜かれて、リナリーはビクッと震えた。 「馬鹿にしないでください、リナリー・リー。 たかが数年程度の経験に負かされるほど、私は無能ではありませんわ」 「なっ・・・!」 「失礼」 ドアはリナリーの鼻先で冷たく閉ざされ、鍵のかかる音が続く。 「なんなの、あの人! あの量を捌く自信があるって言うの?!」 ヒステリックに喚きながら、リナリーは両手にこぶしを固めた。 「やれるもんならやってみなさいよ! お仕事なんて後から、どんどん来るんだからね!」 激昂したリナリーが振り回すこぶしをよけつつ、神田はうんざりと呟く。 「・・・・・・俺もう、帰っていいか?」 既に踵を返した背を、リナリーはすかさず掴んだ。 「すぐに『ごめんなさい、やっぱり助けてください』って言わせてやるんだから・・・!」 凄絶な笑みを浮かべ、胸のすく未来に思いを馳せるリナリーから、神田は逃れることができない。 「お前・・・悪い顔になってんぞ・・・」 せいぜい嫌味ったらしく言うことしかできない彼の目の前で、再びドアが開いた。 「メッセンジャー!」 呼ばれて、先程のメッセンジャーとは別の者が駆け寄ると、ブリジットは美々しく色分けされた膨大なファイルをワゴンごと引き渡す。 「各支部への連絡書及び通達です。 よろしくお願いします」 くるりと踵を返すと、リナリーが声をかける間もなくドアは閉ざされた。 その向こうで、 「室長! いい加減、起きてくださいませ! 処理済の書類は全て整理しましたので、次をお願いします」 パパパンッ!と、急かすように手を打つ音と共に厳しい声が響き、コムイの泣き声が漏れてくる。 「酷い・・・! あの秘書官、兄さんを虐待してるわ!!」 「その原因を作ったのは誰だ?」 「許せないよ、兄さんをいぢめるなんて!」 「お前はいじめてないのか」 「やっぱりあの人、兄さんから引き離さないと!」 「俺の話を聞け・・・」 げんなりと呟く神田の手を取り、リナリーは鋭い目で彼を見上げた。 「怖い魔女に捕まったかわいそうな兄さんを助けなきゃ!ね?!」 「お前の方が魔女に見える俺は少数派なのか?」 「姫を助けるのが王子の使命だよ!」 「俺の英語は通じてねぇのか・・・」 珍しくも諦観のこもった声を漏らす神田の手を取ったまま、リナリーは腕を振り上げる。 「そうと決まったら、あの人が泣いて降参するまで、どんどこお仕事はこんじゃお!」 「先にコムイが泣いて降参すんじゃねぇか?」 「兄さんには一時の我慢だよ!」 「・・・お前の偏った愛情が、コムイを殺すかもな」 リナリーに腕を引かれ、神田は嫌々ついていった。 「ねぇーえ! なんで今日は、こんなにいっぱいお仕事があるのぉー・・・!」 執務室の中では、短い眠りから無理矢理引き戻されたコムイが、ひんひんと泣き声をあげていた。 「おそらく、春節とやらのせいですわ」 「へ・・・? なんでお正月が関係あるの?」 意外そうに寝ぼけ眼を見開いたコムイに、ブリジットはリナリーの仕業と知っていながら、白々と答える。 「アジア支部に招かれたのでしょう? きっと、そのまま逃亡するのではないかと疑われて、今のうちに処理していただこうと思っているのでしょう」 「えぇっ?! ボカァそんなことしないよー!キミからもみんなに言ってやってよッ!」 ぶんぶんと、コムイが懸命に首を振るも、冷淡な秘書官は軽く肩をすくめただけだった。 「ちょうど良い機会ですから、たまったお仕事を片付けてしまいましょう。 これが終われば、少々時間にも余裕ができますので、春節とやらを楽しんでいただいて結構ですよ」 「こんな量さばいてたら、春節が始まる前に死ぬよっ!!」 「それが団員の希望ならば、致し方ないでしょう」 泣き声をあげるコムイに冷水を浴びせ、ブリジットは彼のデスクの上に、新たな書類を積み上げる。 「ローマは一日にしてならず。 がんばれば終わりますわ」 「がっ・・・がんばるったって・・・限度が・・・・・・」 はるか頭上でゆらゆらと揺れる書類の束を、コムイは涙も枯れた目で見あげた。 「神は自らを助けるものをたすく。 私がサポートいたしますわ」 「めっ・・・女神・・・・・・!」 冷淡な彼女の背後に、後光を見た気がして、コムイが両手を組み合わせる。 「ヨロシク・・・!!」 「承りました」 笑みのない表情は冷たく、感情のない声は冷淡だったが、コムイはリナリーの思惑から完全に外れて、ブリジットを崇めんばかりに仰ぎ見た。 そうとは知らないリナリーは、神田を連れてメッセンジャー達よりもちょこまかと各班を渡り歩き、普段の何倍にもなる膨大な書類をワゴンに乗せて戻って来た。 「・・・なんだそりゃ」 思わず乾いた声をあげたリーバーに、書類で作られた巨塔の影から顔を出して、リナリーが笑いかける。 「お仕事! 各班にたまってた書類、もらってきちゃった!」 とは言え、別に各班のスタッフがサボっていたわけではなく、単に締め切りが迫ってない、あるいは締め切りのない仕事まで『ついでだから』と持ち出してきたリナリーに、リーバーは呆れた。 「お前・・・兄ちゃん殺す気だろ?」 「班長までなに言ってんだよ!」 リナリーは、だんっと足を踏み鳴らし、こぶしを握る。 「囚われのプリンセスを助けるためだよ!」 「助ける前に圧死しそうだがな・・・」 今にも雪崩れてきそうな書類の塔から、リーバーは恐々と身を離した。 が、 「そんなことないよっ!」 と、リナリーは自信満々に言い放つ。 「だってこれ、室長を通すまでもなく、秘書の裁量で捌けるお仕事だもん♪」 得意げに胸を張り、膨大な書類の一部を差し出したリナリーの手元を、リーバーが覗き込んだ。 「あ、確かに。 じゃあこれは・・・」 「ふふふふふ さーぁ!捌けるもんなら捌いてもらおうじゃないの、意地悪魔女さん 楽しげに笑いながら、リナリーは執務室のドアを激しくノックする。 「なんですか」 「書類のお届けです!」 中からの冷淡な声にはしゃいだ声で応じ、リナリーは開いたドアの向こうにワゴンを押し込んだ。 「兄さーん 呼びかけは、しかし、自らが手配した白い紙の壁に遮られ、コムイにまで届いたかどうかもわからない。 「にっ・・・兄さん?! いるの?!」 1mmの隙もなくコムイを囲んだ書類の壁は、まさに塔のごとく積み重ねられ、コムイを囚人のごとく閉じ込めていた。 「酷い! 兄さんを虐待してるのね?!」 「そんなことはありません」 眉一つ動かさず、冷たく言い放つと、ブリジットはリナリーが運んできた書類をワゴンごと受け取る。 「さぁ、もう用はないでしょう。 邪魔ですから、出て行ってください」 「そんなっ・・・! こんな状況で、兄さんを放っては行けないよっ!!」 眉根を寄せ、懸命に言い募るリナリーに、ブリジットは別のワゴンを渡した。 「そんなに手伝いたいなら、これを資料室に運んで整理してください」 「えぅっ?!こんなに・・・?!」 今にも雪崩れそうなほどに積み上げられたファイルを見あげ、顔を引き攣らせるリナリーに、ブリジットはあっさりと頷く。 「私より上手にできるのでしょう?」 冷淡に言われ、リナリーは血の気が失せるほどにこぶしを握り締めた。 「悔しい!! なんなの、あの人!!!!」 ヒステリックな声を回廊中に響かせながら、膨大な量のファイルが乗ったワゴンを押すリナリーの隣で、同じく大量のファイルを押し付けられた神田が舌打ちした。 「自業自得だろうがよ」 「あんなにお仕事させられて、兄さんかわいそう!」 「誰が持ってったんだ?」 「その上、私にまでお仕事押し付けて!」 「お前が手伝うっつったんだろ」 「よくも兄さんと引き離してくれたわね!」 「それこそ自業自得だ」 「許せない!断固として戦うよ!!」 「いいかげんにしろ!!」 全く話を聞かないリナリーにとうとう痺れを切らし、神田が怒鳴りつける。 「てめェがあの女にケンカ売るのは勝手だが、俺まで巻き込むんじゃねェ!!」 「なによ!味方するって言ったじゃない!」 「言ってねェよ!どこでそんな幻聴聞きやがった!」 「言ったもん! 私の耳にだけは聞こえたもん!」 「幻聴じゃねぇか!!」 「そんな細かいことはどうでもいいんだよ!」 「開き直るな!」 「今は、どうやってあの人を排除して、兄さんを助け出すかだよ!」 「これ以上、仕事を運ばなきゃいいだろ!」 「さぁ!早くこれ片付けて、またお城中から・・・ううん、世界中からお仕事掻き集めるよ!」 「お前、俺の話を聞く気が一切ねぇな?!」 「打倒!意地悪魔女!」 「お前が打倒されろ・・・!」 呪いに満ちた声は、しかし、あっさりと無視されて、神田は資料室へと連行された。 「・・・・・・・・・っ」 目の前に白壁のごとく積まれていた書類をようやく片付けたと思った途端、新たな壁が出現して、コムイは声を失くした。 「・・・・・・・・・!」 無言で壁を指差すコムイに、しかし、ブリジットはあっさりと頷く。 「逃亡の噂が、世界中に広まったようですわね」 「・・・・・・っ!!」 ふるふると、ただ首を振るコムイに、ブリジットはまた頷いた。 「室長に逃亡の意志などないことは存じていますが、これも日頃の行いの賜物でしょう。 随分とまことしやかに流れているようです」 「・・・っ!!!!」 ぶんぶんと、激しく首を振るコムイを、ブリジットは冷たく見遣る。 「噂の根源は、リナリー・リーですわ」 最も効果的な場面で、ブリジットは大事な情報を差し出してやった。 思惑通り、コムイは滂沱と涙を流し、悲嘆にくれて肩を落とす。 「さぁ・・・春節までにこれを全て片付けてしまいましょうね。 これもお兄様に春節を思う存分楽しんでほしいと言う、妹の思いやりでしょうから」 うな垂れるように頷いたコムイを見下ろし、ブリジットはここに来て初めて、口の端に薄い笑みを浮かべた。 「コムイさん、ずっと缶詰にされて、干からびかけてるんだって」 更に翌日、食堂で顔を合わせたラビにアレンが言うと、彼は苦笑を浮かべて頷いた。 「俺もジェリ姐から聞いたさ。 なんか変な噂が広まっちまって、世界中から仕事が押し寄せてんだろ?」 「変な噂? なにそれ、僕知んない」 枕ほどもある蒸しパンを、もふもふと頬張りながらアレンが首を傾げると、ラビが苦笑を深める。 「コムイがアジア支部の春節に行くと見せかけて逃亡する、って噂」 「ありそう〜!」 その様があまりにもリアルに想像できて、アレンはけらけらと笑った。 「で、その噂はリナが流してるって話もあんだとさ」 「リナリーが?なんで?」 「ぜひとも一緒に春節やりてーから、誰にも邪魔されたり文句いわれねーように、コムイにたまった仕事を片付けさせてる・・・」 一旦言葉を切ったラビに、アレンが少し考えた後、頷く。 「ん・・・まぁ、ありかな?」 「って、コムイ本人にも思い込ませてる」 「・・・・・・は?」 よくわからない展開に、アレンは眉根を寄せた。 「なにそれ、どういうこと?」 「結論から言えば、リナはハメられたってことかな」 「誰に?!」 苦笑するラビにアレンが詰め寄ると、彼はアレンの肩越し、のんびりとスウィーツを堪能するリンクを見遣る。 「多分、中央からきた秘書官・・・さね」 「あの女神様がっ?!」 信じられない、と、目を丸くするアレンの隣で、リンクは何の反応も見せず、淡々とケーキを口に運んでいた。 「こら、マユゲ。 黙ってないで、なんとか言うさ」 「・・・ウサギごときにマユゲ呼ばわりされる覚えはありませんよ! それに、フェイ秘書官の任務及び業務内容は、私の関知するところではありません」 「・・・んまっ! お聞きになりました、アレンさん?このわんこの、愛想のないこと!」 「マムに何度も叱られてるのに、ほんっとーに学習能力のないわんこですよね、ラビさん!」 「あなたたちは・・・っ!」 聞こえよがしに嫌味を言う二人に、リンクのこめかみが引き攣る。 「陰口はもっと密かに言ってはどうですか!」 「そんな陰険な真似はしませんよ!君じゃあるまいし!」 きっぱりと言い放ったアレンの首を、リンクが無言で締め上げた。 「ちょっ・・・落ち着くさ、わんこ! アレンが白目むいてるさ!!」 「何度締め上げても学習しないのはどっちだ・・・?」 地獄の底から湧きあがってきたような、恨みがましい声をあげるリンクの手から、ラビは慌ててアレンを引き離す。 「ま・・・まぁまぁ、年下のやんちゃってことでひとつ、許してやんなさいよ」 「君が言うな、Jr.!!」 今にも血管が切れそうなほどに青筋を浮かべ、絶叫するリンクにしかし、ラビは飄々と笑って手を振った。 「あんま細かいこと気にしてっと、早死にするさねー 「このクソガキのお守りを申し付かるまでは、至極平穏に過ごしていましたとも!!」 「・・・んじゃ元の隠遁生活にとっとと戻れ馬鹿リンクー」 「目を覚ました途端にこのガキャ・・・永遠に眠らせてやりましょうか!」 「だから待てって!」 思いっきり舌を出すアレンを羽交い絞めにし、殺気立ったリンクから更に引き離しつつ、ラビが苦笑を深める。 「お前らの仲が悪いこた、もう十分わかったからさ! 今は置いて、ちょっと俺の話を聞きなさいヨ、アレンさん」 「なに?」 肩越しに振り向いたアレンに頷き、ラビは羽交い絞めにした彼を放してやった。 「だから、リナのことさね。 俺、あいつには『中立』って言っちまったけど、このままじゃ、あいつの立場悪くなる一方さね」 そう言ってラビは、アレンの頭に手を乗せる。 「だから、リナリーの味方になってやんなさいヨ、アレンさん。 今、ユウちゃん一人ですっげ苦労してっから」 「神田?! あの人、リナリーの味方してんですかっ?!」 椅子を蹴って立ち上がったアレンを見上げ、ラビは意外そうに頷いた。 「知らんかったんさ? ・・・道理でお前が邪魔・・・あ、イヤ、ちょっかいかけ・・・じゃねぇ、リナの味方についてねぇなんて、変だと思ったさ。 いつもなら、ユウちゃんへの対抗意識丸出しで、積極的にリナリーの味方につくもんな!」 そうすれば神田も、あれほどリナリーに引っ張りまわされることもなかっただろう。 そう言うと、アレンは目を吊り上げて首を振った。 「知りませんでしたよ! だって僕、昨日からずっとリンクに監禁されて、ドイツ語の勉強させられてたもんっ!!」 「・・・は? お前、ドイツ語できないんだっけか?」 「日常会話はできるって言ったのに、リンクが無理やり・・・!」 「方角もわからない、地名も言えない、地図も読めない状況で、日常会話ができると言えますか!」 「ケンカは問題なくできるもんっ!!」 「よりによってそれができることが問題なのですよっ!」 「もー・・・またケンカする・・・」 うんざりとして、ラビはアレンの襟首を引く。 「で? リナの味方すんの、しねーの」 「するに決まってるでしょう!」 アレンが決然とこぶしを握ると、ラビは満足げに頷いた。 「それでこそアレンさ ユウちゃんの代わりに、がんばって働くさね 「もちろん! ・・・って、え?・・・・・・あれ?」 神田の代わり、という言い方に何か引っかかるものを感じて、アレンが首を捻った時にはもう、ラビの姿はない。 「・・・君こそはめられたのではありませんか?」 「・・・・・・やっぱり?」 リンクの言葉に、嫌な予感を補完されたアレンは、やや不満げに頬を膨らませた。 「任務完了しました、ユウちゃん」 「よし」 こめかみに青筋を立てながら、資料室の本棚にファイルを詰め込んでいた神田は、ラビの報告に大きく頷いた。 「リナリー、後はモヤシがやるってよ」 「なっ・・・ちょっと待ってよ、神田!」 さっさと踵を返した神田の背に、リナリーが慌てて追いすがる。 「アレン君が来るからって、なんで神田が行っちゃうんだよ!」 「だから、最初ッから俺は中立だっつってんだろうがよ! それをてめェが無理やり引きとめて手伝わせやがっ・・・」 言葉の途中で、神田は束ねた髪をぐいっと引かれ、リナリーの口元に耳を引き寄せられた。 「逃げないでよ!ここでアレン君と交代されちゃ困る!」 「あ?なんでだ?」 神田が訝しげに眉根をひそめると、リナリーは益々声を潜める。 「他のことならともかく・・・今回は意地悪魔女を懲らしめてるんだよ? アレン君が女の人に・・・ましてや、女神だなんて騙されてる人に、報復するお手伝いしてくれると思う?」 「報復ってお前・・・自分こそ嫁いびりの鬼小姑みたいなことしてんじゃねぇかよ」 「誰が嫁よ!! あんっな意地悪で陰険でツンケンした人、絶対認めないし兄さんの好みでもないよ!!!!」 「ユウちゃん?!」 いきなり甲高い絶叫で耳を貫かれ、白目をむきそうになった神田を、ラビが慌てて支えた。 「リナ!お前ちょっと落ち着け!!」 怒り狂った猫のように興奮しているリナリーを、ラビが慌ててなだめる。 「だって! 神田が酷いこと言うんだもん!」 「・・・・・・どっちが」 なまじ耳がいいためにダメージも大きかったのか、耳を押さえたまま、まだ立ち直れない神田が、うめくように言った。 「お前・・・あの女倒す前に俺を殺す気だろう?!」 「人聞きの悪い!そんなことないもん!」 「だったらもう、解放しろ! これ以上つきあってられっか!!」 「かんっ・・・!」 捕まえようと伸ばした手を今度こそ振り払われて、リナリーは眉を寄せる。 「ガキ二人でケンカ売ってろ、馬鹿!」 「ガキで悪かったわね!!!!」 捨て台詞に激昂したリナリーの鼻先で、ドアは無情に閉ざされた。 「ここですか、リナリー? お手伝いに来ましたよ」 神田達とほとんど入れ替わりに、アレンとリンクが資料室に入って来ると、リナリーは今にも引き裂かんばかりに爪を立てていたファイルを慌てて本棚に押し込んだ。 「あっ・・・うん、来てくれてありがと・・・」 気まずげに笑う彼女に笑みを返したアレンは、ふと視線を横に流した途端、唖然とする。 「なんですか、このファイルの山!すごっ!!」 かなり高い位置にある天井に、触れるほどに積み上げられたファイルは、床に接した部分がもう、圧力で潰れてしまっていた。 「なるほど、フェイ秘書官の仕事ですね。 さすがに見事です」 ゆらゆらと揺れるファイルの塔から、見事な手際で一冊を取り出したリンクが、ファイル最終ページの作成者欄に、ブリジット・フェイのサインを見つけて頷く。 「それであなたは、彼女の後処理を任されているということですか」 「ええ、忌々しくも にっこりと、凄絶な笑みを浮かべたリナリーに、アレンがびくっと震えた。 「そうだ! ミス・フェイの後処理なんですから、同僚のリンク監査官がやっちゃってください 「・・・は?」 ぱん、と、手を打ったリナリーに、リンクが目を点にする。 「得意でしょ、こういうの はしごはそこにありますから、がんばってくださいね 「なっ?!まちなさ・・・ウォーカーは置いてけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」 慌てて追いかけるが、所詮は人の身のリンクがリナリーの脚力に追いつけるはずもなく、アレンを抱えた残像を置いて、二人は消えてしまった。 「おのれっ・・・!!」 激しい音を立てて閉まったドアに駆け寄り、ノブを回すがしかし、それはびくともしない。 「なんだと・・・?!」 しかもドアは密閉度が高く、押しても引いてもガタリとも音がしなかった。 と、リンクの無線機が、リナリーの楽しげな声を吐き出す。 『無駄ですよ、監査官 資料室って、外から鍵がかかるって知ってました?閉じ込め防止なんですけど 「今現在、閉じ込めているではありませんか!!すぐに出しなさい!!」 激しく怒鳴りつけるが、回線の向こうからはどこ吹く風とばかり、軽やかな笑声が返ってきた。 『心配しなくても、すぐに鍵を開けに戻って来ますよ。 それまでにファイルの整理、終わらせといてくださいね 言うや、リナリーは一方的に無線を切る。 「待ちなさい小娘! このっ・・・!!」 再び無線を開くと、リンクは同僚の監査官に繋いだ。 「リンク監査官です! 今すぐ資料室に来て、鍵を・・・・・・なに?」 雑音ばかりを吐き出す無線に、訝しげに眉を寄せたリンクは、一旦通信を切る。 再び回線を開こうとした時、先んじてリナリーの通信が開いた。 『えっへー 今、資料室の中には、中央の人達が使ってる周波数に妨害電波を流す装置を置いてるんですよね 「小娘ッ・・・!!」 リンクの忌々しげな声を心地良く聞いて、リナリーが軽やかに笑う。 『本棚のどこかに隠してますから、ファイル整理しながら探すと楽しいかも 私達が帰ってくるまでに、見つかるといいですね じゃあ、と、楽しげな声と共に、再び切られた無線を床に叩きつけたくなる衝動を、リンクは必死に堪えた。 「リ・・・リナリー、後でお仕置きされちゃいますよ・・・?」 笑ってはいるが、異様に殺気立っているリナリーにアレンが、恐る恐る言うと、彼女は暗い陰の漂う笑みを浮かべたまま、通信ゴーレムをポケットに押し込んだ。 「お仕置きでも何でもするといいよ・・・なんでも力と権力でねじ伏せようとするあの人達に、絶対負けないんだって見せつけてやる・・・!」 「リナリー?」 正面を向いたまま、こぶしを握って歩を進めるリナリーを、アレンが慌てて追う。 「あの・・・」 「気づいたの。 昔みたいに、誰かが助けてくれるのを泣きながら待っててもダメなんだって。 そんな『かわいそうなお姫様』の役はもう、飽き飽きなんだよ。 だから・・・」 リナリーは肩越しにアレンを見遣り、こぶしを掲げた。 「これからは王子役専門になるんだいっ!」 「だいって・・・・・・」 元気にこぶしを振り回すリナリーに、アレンは思わず苦笑を漏らす。 「たまには僕にも譲ってくださいよ」 「それは条件次第だよ」 にこりと、リナリーは先程よりは随分明るい笑みを浮かべた。 「ところでアレン君、今、私が戦っている相手のことは知っているのかな?」 ふぃっと目を逸らし、問うたリナリーに、アレンは苦笑を浮かべたまま頷く。 「コムイさんの秘書官でしょ? あれからどうなったんですか?」 リンクに拘束されていたため、事情を知らないアレンの問いに、リナリーは目を逸らしたまま乾いた笑みを浮かべた。 「戦況は・・・悪いよ」 「えぇ、それはラビに聞いてます。 そうじゃなくて、なにをして・・・」 「あ!科学班に行く前に、通信班に寄らなきゃ! 支部からお仕事が届いてるかも知れないし!ね!」 アレンの問いを慌てて遮り、リナリーはいきなり方向転換する。 「ホラ、いこ!」 「は・・・はい」 戸惑うアレンをせわしく手招いて、リナリーは先に進んだ。 ―――― ラビ、どこまで話したのかな・・・。 アレンに協力してほしいのはやまやまだが、問われて『小姑の嫁いびりみたいなことをしている』などと、言えるわけがない。 ―――― 悔しいけど・・・あの意地悪魔女が流している噂を肯定するしかないかしら・・・。 突然足を止め、ぶるぶると首を振るリナリーを、アレンが驚いて見つめた。 「リナリー、どうし・・・」 「冗っ談じゃないわよ! なんで私があんな魔女の罠にはまんなきゃなんないの!!」 「え?罠?」 びくっと、怯えたアレンをリナリーは、更に睨みつける。 「私が快適な春節を過ごしたいために、世界中に兄さん逃亡の噂を流したってデマだよ!」 「あ、やっぱりデマだったんだ」 「当たり前でしょ! そんなことしてなんになるんだよ!」 「ですよねー。 じゃあ、なんでコムイさんにたんまりお仕事持ってってんですか?」 「・・・・・・・・・」 直球の問いに、リナリーはまたもや目を逸らした。 「アレン君・・・」 かなりの間を置いて、ようやく呟いたリナリーに、アレンは律儀に返事をする。 「兄さん救出、がんばろうね!」 「はい。 ・・・はい?!」 「ハイ、がんばろー!」 全く答えになっていない答えを押し付けられ、目を丸くするアレンの腕を取って、リナリーは気勢をあげた。 ――――・・・が。 挑んでも挑んでも、リナリーとコムイの間を隔てる壁はますます厚くなる一方で、その傍らに氷の女王のごとく立ち塞がるブリジットに虚しく追い返されるばかりだった。 「見たでしょう、あの冷たい態度! あれでも女神だって言うの?!」 ヒステリックに怒鳴られて、アレンはぶるぶると首を振る。 「そうでしょう?! 冷酷で意地悪な魔女だよ!」 もう何度目か、引き渡した書類の代わりに膨大なファイルを押し付けられ、憤然とするリナリーに、アレンが遠慮がちに呼びかけた。 「なに?!」 「ひっ! い・・・いえ、あのぅ・・・・・・僕、思うんですけど、コムイさんを解放したいなら、これ以上お仕事持って行かない方がいいんじゃないですか?」 怯えつつ提案したアレンに、リナリーが眉根を寄せる。 「だっ・・・だって、僕達がお仕事持って行く度にあの壁、厚くなって行ってますよ・・・?」 「だから私が手伝う、って言ってるのに、あの魔女が阻んでるんじゃない! なのにあの人ったら、すずしーぃ顔しちゃって・・・悔しい!」 整然と並べられたファイルにブリジットの顔を幻視して、リナリーが歯噛みした。 「でも、いくら有能だからって、処理能力の限界は絶対にあるはずよ! あの人が泣いて『お手伝いしてください』っていうまでは私・・・!」 びくびくと怯えるアレンに気づき、リナリーは気まずげに口をつぐむ。 「ま・・・まぁ、お手伝いしてほしいなら、いつでも協力するよ、ってことだね」 動揺した口調で言い訳し、リナリーは資料室のドアを素早く開けた。 「監査官、これもよろしく!!」 「ちょっ・・・待たんかァァァァァァァァ!!!!」 ファイルの乗ったワゴンを2台押し込むや、再び閉めたドアの向こうで、リンクの絶叫が響く。 「リンク・・・・・・」 「ホント、中央庁の人って、意地悪な人ばっかり!」 さすがに同情を禁じえないアレンに、思いっきり勝手なことをぬかして、リナリーは次なる戦いへと挑んでいった。 ――――・・・しかし数日後。 とうとうブリジットに勝利を収めえないまま、リナリーは春節当日を迎えてしまった。 「悔しい・・・! 結局、姫を助けることができなかったよ・・・!」 王子なのに、と、周りの寒々しい目にも気づかず、歯噛みしたのも方舟の間に足を踏み入れるまでのこと。 リナリーはようやく再会できた愛しい兄に、歓声をあげて抱きついた。 「兄さん!会いたかったよぉー!!!!」 同じ城にいながら、全く会えなかった寂しさを癒すようにしがみつく妹を、コムイも嬉しげに抱きしめる。 「ボクもだよ、リナリー! こんなに近くにいたのに会えないなんて、なんて残酷な仕打ちだろう!!」 周りの目をはばかることなく、愛しい兄妹との再会に涙する二人に、誰もが凍りついたまま何も言えなかった。 と、寒々しい視線の中心で、リナリーはさわさわとコムイの背を撫でる。 「兄さん、やつれたんじゃない?!」 「うん・・・。 なんか、ものっすごい量の仕事が来ちゃって、寝る暇がなかったんだよ・・・・・・・・・」 今にも倒れそうなほど青白い顔に、力ない笑みを浮かべるコムイを、リナリーは気遣わしげに見あげた。 「随分こき使われちゃったんだね・・・かわいそうに!」 お前が言うか、と、事情を知る者達の目が口ほどにものを言う。 が、リナリーはそれらをきれいに無視して、コムイにしがみついた。 「まったく、思いやりのない人がいるもんだね!」 「・・・それは私へ対する嫌味でしょうか」 憮然とした声を、リナリーは涙目で睨みつける。 「嫌味なんかじゃありません!抗議です!」 「それにしては、随分子供じみた抗議でしたこと」 つんっと、冷たく言われて、リナリーはまなじりを紅くした。 「なによ!私が兄さんと会うのを邪魔したくせに!!」 「私は私の仕事をしていただけです」 ほとんど表情を変えず、淡々と言い放ったブリジットに対し、アレンとラビが『女リンク・・・』と囁きを交わす。 「聞こえてますよ、ウォーカー、Jr.」 「あれ? 陰口はちっさい声で言えって言うから、コソコソ言ったつもりでしたけど、聞こえました?」 わざとらしい笑みを浮かべるアレンを、リンクは疲労で落ち窪んだ目に忌々しげな光をたたえて睨みつけた。 「そうですか・・・! バク支部長には、ウォーカーは急用につき、参加できないとお詫びの連絡をしておきましょう!」 「出たよ、横暴監査官! バクさんは、万難を排して来いって言ったもん!」 言うや、アレンはくるりと踵を返して真っ先に方舟の中に飛び込む。 「待ちなさい!!」 リンクがそれに続き、 「え?!もう行くんさ?!」 ラビも遅れじと続いたため、皆、ぽろぽろと釣られるように後に続いた。 「あ・・・じゃ・・・じゃあ、フェイ秘書官・・・」 激怒した猫のように毛を逆立て、唸りを上げるリナリーを腕に絡ませたまま、コムイはブリジットへ愛想笑いを向ける。 「ちょっと行ってきます」 「はい。 どうぞごゆっくり、室長」 端然と一礼したブリジットに、リナリーは思いっきり舌を出して兄の腕を引いた。 「いこ、兄さん アジア支部の華やかな春節を楽しみにしている、と言うよりも、コムイと一緒にいられることが嬉しくて、リナリーの足が弾む。 「リッ・・・リナリー、そんなに引っ張らないでおくれよぉー」 たたらを踏んだコムイに、リナリーはにっこりと笑いかけた。 「いいじゃない、早くいこ バクさん達が待ってるよ 更にぐいぐいと腕を引いてコムイを方舟に入れ、アジア支部へと続く扉を目指す。 「うふふ 楽しみだねー 今年はどんな趣向なのかな 祭りに参加する者達は既に扉をくぐり、見送っていた者達もとうに扉の向こうになった今、白い町並みをコムイと二人で歩くリナリーは、子供のようにはしゃいだ声をあげた。 「ねぇ、兄さん 獅子舞ってどんなの・・・兄さんっ?!」 リナリーに腕を取られたまま、不意にコムイが、へなっとくずおれる。 「兄さん?!兄さん!!」 リナリーが必死に呼びかけると、彼は薄く目を開いた。 「に・・・兄さん・・・・・・!」 「も・・・げんかぃ・・・・・・」 リナリーの腕の中で、消え入りそうな声が漏れる。 「ねむ・・・い・・・・・・」 がくっ、と、その言葉を最後に首を落としたコムイの半身を抱いたまま、リナリーは困惑げに視線をめぐらせた。 しかし、白い町並みの中にはもう、誰の姿もない。 「行くか・・・戻るか・・・・・・」 だがちょうど道半ばにして、どちらに行くにしても、自分より大きな兄を抱えていくのは大変そうに思えた。 「だったら・・・ちょっと休んでいけばいいか」 ひょい、と、肩越し、振り返るついでにリナリーは、近くの扉を開けてみる。 と、運のいいことに、その『部屋』は日当たりの良い、サンルーム風の造りになっていた。 リナリーはなんとかがんばって、コムイを部屋に引きずり込むと、設えてあったソファに寝かせる。 「・・・っはぁ! やっぱり、自分より大きな兄さんを運ぶのって大変! アレン君なら平気なのに」 アレンが聞けば、涙に暮れそうなことをぽつりと呟いて、リナリーは兄の寝顔を覗き込んだ。 「いっぱいお仕事させちゃって、ごめんね・・・」 あの作戦は失敗だった、と、リナリーは今更ながら眉根を寄せる。 「でも今度は負けないから・・・今度こそ、兄さんを助けるからね」 安らかな寝息を立てる兄に微笑んだリナリーは、さんさんと降り注ぐ陽光の暖かさに包まれて、いつしか眠りについていた。 「あ・・・あら?! え?!皆さん、もう行ってしまったの?!」 いつ出発の号令が下るのだろうかと待っているうちに出遅れて、いつの間にか一人残ってしまったミランダは、困惑げに周りを見回す。 が、そこにいるのは業務中の科学班員ばかりで、春節に参加する団員達の姿はなかった。 「ど・・・どうしましょう・・・・・・!」 一人方舟に入っても、きっとアジア支部へ続くドアは探し出せない、と、泣きそうなミランダを見かねた科学者達が、苦笑して彼女を囲む。 「ハイハイ、泣かないで、ミランダ」 「ちょっと待ってな、すーぐ道案内呼んでやっから」 ミランダをなだめつつ、無線を開いた部下に苦笑交じりの声で呼ばれたリーバーは、間もなく方舟の間にやって来た。 「なんだ? なんのトラブル発生だって?」 ただ『トラブル発生』とだけ連絡を受け、詳しい内容を聞かされなかったリーバーを、まんまとおびき寄せた部下達がにんまりとほくそえむ。 「班長、室長が仕事がんばってくれたおかげで、今はそんなに忙しくないんでしょ?」 「あ?! お前、ケンカ売って・・・」 「忙しくないはずっすよね?!」 怒声を更に激しい口調で遮られ、呆気に取られたリーバーに、部下達は更に畳み掛けた。 「わかってます、班長が今かかりきりになってる件!」 「データ確認と経過観察は俺らが引継ぎまーす!」 「だから、今は置いてかれちゃったミランダをアジア支部に送って、ついでに班長もご招待されてください!」 「え?!」 ぐいぐいと背中を押され、リーバーが涙目のミランダの側へ追いやられる。 「ご・・・ごめんなさい・・・! やっぱり私、お仕事の邪魔はできませんから・・・・・・」 行くのをやめる、と言いかけたミランダに、科学者達は一斉に首を振った。 「せっっっかくのご招待を断っちゃもったいないよ!」 「一年に一回のお祭だよ?見て損はないよ?!」 「しかもこの戦況じゃ、来年があるかどうかもわからないんだよ?!」 「縁起でもねェこというな!」 リーバーに強烈なげんこつを落とされて、失言の科学者が床に沈む。 「ま・・・まぁまぁ、せっかくバク支部長が招待してくれて、室長自ら行ってるよーな祭りなんすから、誤解と偏見を解消するためにも、班長も一度見といた方がいいっすよ!ね!」 一瞬、静まり返った場を再び盛り上げると、お前いいこと言った、と、同僚達が無言で親指を立てた。 「室長と班長の相互理解のために!」 「よりよい科学班にするためにも!」 「いってらっしゃい!」 部下達の唱和にダメ押しされ、リーバーは苦笑してミランダの背に手を回す。 「じゃ、行くか」 「でも・・・!」 困惑げなミランダに、リーバーが苦笑を深めた。 「行かなきゃ蹴り出されるぜ?」 リーバーの言葉に恐る恐る振り返れば、彼の部下達が満面に笑みを浮かべて手を振っている。 「い・・・行って来ます・・・・・・」 「はーい!」 「ごゆっくりー!!」 ばたばたと振る手を早めて、彼らは楽しげに二人を見送った。 方舟の白い街並みの中、ドアの向こうにコムイ達がいるとは知らぬままに通り過ぎた二人は、アジア支部への扉を開けた途端、別世界のような華やかさに唖然とした。 「・・・・・・すっげ」 「お前たち二人だけか?」 目を丸くしたリーバーの傍ら、不意に失望交じりの声がかけられる。 「あ、支部長。 本日はどうも・・・」 揃って会釈する二人に忙しなく頷いて、バクはもう一度言った。 「二人だけか?」 「? そうっすけど、まだほかに来るんすか?」 「主賓がまだなのだ!!」 リーバーの言葉をほとんど遮るようにして、イライラとバクが言う。 「室長が?!」 「あんなの主賓なわけないだろうが! リナリーさん! リナリーさんとその添え物がまだ来てないのだ!!」 「室長も来てないんじゃないすか!!」 数日前からまことしやかに流れていた噂―――― コムイ逃亡の予想がたちまち真実味を持って、リーバーに踵を返させた。 「あの馬鹿どこに・・・!」 「待て」 白衣の裾をバクに掴まれて、リーバーが足を止める。 「どこを探す気だ?」 「そりゃ、一旦本部に戻って探索隊募って、方舟から通じてる扉を片っ端から・・・」 「で、探し出せる自信は?」 「そんなもんないっすけど、悠長なこと言ってる場合じゃ・・・」 声を荒げるリーバーの眼前で、バクはオロオロとするミランダを指した。 「そんな無駄な労力を使う暇があったら、とっとと彼女をエスコートしろ」 「いや、でも・・・」 「近い将来の上司命令だ。 とっとと行け」 聞き捨てならない台詞をあっさりと吐いて、バクはリーバーをミランダに押し付ける。 更に、 「ウォン、二人を案内してやれ」 と、ウォンに道案内を命じた。 「しかし、バク様は・・・」 「僕はここで、リナリーさんを待っている。 リーバー、ロットー、先に来た奴らはもう、好きな場所に散ってしまったからな、気に入った場所を見つけたら、適当にくつろいでていいぞ」 「は・・・はぁ・・・・・・」 困惑げに顔を見合わせ、中々動こうとしない二人に、ウォンが苦笑を向ける。 「そう言うことでございますからお二人とも、どうぞ奥へ。 今年は皆、いつも以上にはりきって飾りつけしましたので、見所満載でございますぞ!」 後ろ髪を引かれる思いのリーバーと、そんな彼を気遣わしげに見つめるミランダの背を押して、ウォンが方舟の間を出て行くと、バクは再び閉ざされた扉へ目を向けた。 「・・・一体、どうしたと言うのだ」 探しに行くべきか、ここで待つべきか、悩んだ挙句にアジア支部の探索班に命じて、探しに向かわせる。 「リナリーさんと満漢全席・・・・・・!」 今はアレンが堪能している豪華料理を思い、バクは忠犬のごとく、扉の前で待ち続けた。 「ふにゃ・・・」 窓の外でじゃれる鳥達のさえずりに、リナリーは目を覚ました。 いつまでも暮れない太陽は、二人がこの部屋に入った時と変わらぬ位置にあり、時間の感覚を狂わせる。 「もうちょっと寝てよ・・・」 不明瞭な声で呟くと、リナリーは再びコムイの眠るソファに突っ伏し、すぅすぅと寝息を立て始めた。 いち早くコムイが倒れてしまったが、実は彼に仕事を運んでいたリナリーや、それを手伝わされてたアレン、更には、監禁及び強制労働の憂き目に遭ったリンクも、同じだけの時間寝ていない。 「なのにアレンは元気さね。 お前だって、ほとんど寝ないで動き回ってたんだろ?」 アジア支部の食堂で、満漢全席を堪能するアレンにラビが感心すると、彼は料理を口いっぱいに頬張ったまま頷いた。 「このお料理の前じゃ、眠気なんて吹っ飛んじゃいますよ!」 「よく言った!!」 好(ハオ)!と、声をあげ、フォーが手を打つ。 「それでこそ新年の客にふさわしいぜ!」 満足げに頷いた彼女は今、テーブルに突っ伏して眠るリンクの背を、椅子代わりに踏みつけていた。 「これはダメだな。 寝ちまったらせっかくのもてなしが台無しだ」 ぽこんっと、動けないリンクの頭をはたき、ぴょん、と、飛び降りる。 「ほら、ウォーカー! こいつの分ももっと食え!たんと食え!!」 「ふぁい!!」 フォーが寄せてくる皿を喜んで受け取り、アレンは次々に空にして行った。 「きゃあ ウォーカーさん、いい食べっぷりですぅ 惚れ惚れしちゃいます ちゃっかりとアレンの隣の席を確保した蝋花も、歓声をあげて次々と皿を差し出す。 「あ! これを食べる時は気をつけてくださいね! 中にコインが入ってますから!」 と、蝋花は湯気をあげる水餃子の皿を指した。 「あぁ、これが有名な新年の餃子さ?」 ラビが問うと、彼女はにっこりと笑ってラビにも皿を差し出す。 「そうです 運試しにどうぞ 「んー・・・じゃ、コレ!」 皿の上に箸をさまよわせていたラビが一つを取り、続いてアレンも箸を伸ばした。 「どれどれ・・・あ、コイン入ってたさ!運気上昇〜 大喜びのラビを横目に、アレンは小皿に乗せた餃子を箸でぐしゃぐしゃとかき回す。 「僕は・・・・・・あの、これ何も入ってないんですけど・・・」 「ハズレだな。 ウォーカー、今年はいつも以上に気をつけろよ!」 「そんなっ・・・!!」 よりによって土地神のフォーに、今年の運気のなさを断言され、アレンはまた皿に手を伸ばした。 「おーぃ。 くじを何度も引くのは反則だぞ」 「反則上等! 運は自分で引き寄せます!」 「あっ・・・でも・・・・・・」 阻むフォーと箸で戦うアレンに、蝋花が困惑げな笑みを向ける。 「コイン・・・1個しか入れてないんです・・・」 「ラビ!」 「やらんさね」 剣呑な目で睨むアレンにすかさず言って、ラビは手にしたコインをポケットに滑らせた。 「ケチ!! いいじゃん、僕の方が運悪いんだから!」 「てめぇのせいで俺まで最近運悪いんさ!これ以上とられてたまるか、俺の運気!!」 激しく言い争いながら、アレンがコインを奪おうと伸ばした手はしかし、途中で掴まれる。 「コラ!人んちに来てまでケンカすんな!」 「リーバーさん・・・」 アレンが逆らえない一人である彼に叱られて、アレンは渋々手を戻した。 「ミランダも、来てくれて助かったさー 早速運が向いてきた、と、ラビが大喜びで椅子を勧める。 「でもどしたん、二人して浮かない顔して?」 ラビの指摘に、二人は屈託顔を見合わせた。 「実は室長とリナリーが・・・」 まだ来てないらしい、と言うことを話すと、ラビはなんでもないとばかりに笑って手を振る。 「リーバーリーバー、見てみ、アレ ラビが指差した先では、リンクがピクリともせずに寝込んでいた。 「何日も完徹アーンドお仕事精励しちまって、コムイが機能停止せんわけがないさねー♪」 元気なのは、食欲が睡眠欲に勝ったアレンだけ、と言われて、リーバーの愁眉が開く。 「じゃあ、二人は・・・」 「心配せんでも、ここに来る途中の、どっかの部屋で寝てるさ。 方舟ン中は、昼寝するにゃあもってこいの部屋が、いくつもあるかんね 「え?そうなのか?」 途端にきらきらと目を輝かせたフォーにも、ラビは笑って頷いた。 「後で俺の、特製・昼寝部屋マップ描いてやるよ♪ 探検してみると面白いぜ、あの舟 「おう!!」 期待に満ち満ちて笑み輝くフォーの頭を撫でてやりながら、ラビはミランダにも笑いかける。 彼女は今、アジア支部の団員から受け取った毛布を、リンクにかけてやっていた。 「それにミランダ、ここのニューイヤーパーティは、主役じゃないから思う存分楽しめるだろ?」 「え?あ・・・そうね!」 顔をあげたミランダは、ようやくそのことに気づいて、嬉しげに笑う。 「そうだわ、一緒にお誕生日のお祝いを言われないニューイヤーパーティなんて、生まれて初めて!」 「なんでだよ。 二重にめでたくて、結構なことじゃねぇか」 不思議そうに首を傾げるフォーに、しかし、ミランダは顔を赤らめて首を振った。 「だって・・・昔はともかく、今じゃニューイヤーパーティの主役に据えられてしまって、恥ずかしい上に身の置き所がないんですもの・・・」 消え入るような声で言って、身を縮めるミランダに、フォーが肩をすくめる。 「あたしだったら嬉しいけどな。 まぁ、いいや。 こっちのが気が楽だっつーんなら、楽しんでけよ。 料理も、祭もな♪」 バクがこの場にいないために、すっかり女主の風格を持った少女に、ミランダは嬉しそうに頷いた。 そんな彼女を見て、リーバーの顔も思わず笑みほころぶ。 「じゃ・・・室長たちはゆっくり寝かせて、こっちはこっちで楽しませてもらうか」 「そうこなくっちゃさ!」 ラビは、ようやく屈託の晴れたリーバーの腕を引いて、隣に座らせた。 「遠慮せず食えよ! たくさんの料理で客をもてなすのが、あたしたちのやり方だからな!」 たんと食え、と、フォーにあおられて、リーバー達だけでなく、アレンも嬉しそうに頷く。 「じゃあお客さんが増えたから、私、また餃子にコイン仕込んできますね! ウォーカーさん、今度は当ててくださいね 「はい!!」 蝋花の機転に目を輝かせ、アレンは大きく頷いた。 ―――― それぞれがそれぞれに祭を楽しんでいた頃、平日の教団本部では。 今後1週間は、なんの業務をせずともきれいに片付いたままだろう執務室を出たブリジットは、久しぶりに戻った自室で鏡を睨みつけていた。 「小娘・・・・・・!」 リナリーと張り合っていた間は、決して疲労の色を見せなかった彼女だが、化粧を落とした目の下には、戦傷のようにくっきりと濃い隈が浮いている。 「この恨み・・・晴らさでおくべきかァァァァァァァァァァァ!!!!」 長い爪を掌に食い込ませながら、ブリジットは長い長い咆哮をあげた。 Fin. |
![]() |
5周年ですってよ、奥さん!!(誰) 2005年2月に我が家にD.グレコンテンツが生まれてから、早いもので5年目になりましたよ!マァ! 飽きっぽい&冷めやすい私が何てことでしょう! しかもまだまだ熱は高いぜ! 今年も浮かされていくぜD.グレ熱――――!!!! ・・・ってことで、星野様には一刻も早いご快癒をお祈りします。 さて、この『The New Year’s Party』は、1作目がD.グレSS三番目の話でして、それ以後なんとなく同じタイトルで続けていたら、いつの間にか『D.グレコンテンツ○周年』を表すお話になってしまいました(笑) 今年は少々趣向を変えて、お祭りをメインにしませんでしたが、いかがでしたでしょうか。 リナリーの鬼小姑っぷりが凄まじくて、引いた方もいらしたんじゃないかと思います(笑) うん、でも、実際にミス・フェイのような人が嫁に来たら、彼女はやると思います。>コラ; 原作では、コムイさんの異常なシスコン振りばかりがクローズアップされてますけど、リナリーだって人のことは言えないんだぜ、ってことで(笑) |