† Fanta sista †
ちらちらと、小さな雪が舞う朝だった。 夜のうちに音もなく地上を満たした雪は白く世界を覆い、吐く息さえも白く染める。 まだ夜が明けきらぬうちに、雪を踏んでバラ園に至ったクロウリーは、寒さにすっかり凍えてしまった『娘達』にため息を漏らした。 「やはり布で覆ってやっても、寒さは防げぬであるな・・・」 しかしそれでも、やらないよりはましだった、と、クロウリーはバラの樹を覆う布に積もった雪を払い落とす。 「今年、贈り物になれるのは、温室で育った子達だけであるなぁ・・・」 仕方ない、と呟くと、クロウリーは更に歩を進め、白く曇る温室の中を外から透かし見た。 「ふむ・・・どうやらいい感じである」 入って実見したくはあったが、朝の温室に不用意に入ることは危険だ。 「日が昇るまで、もう少し待つであるか」 それまで誰も入らないよう、施錠を確かめて、クロウリーは一旦、バラ園を後にした。 「・・・っ氷が張ってない!!」 「は?何を言ってるんですか、君は?」 起き抜けに感極まった声をあげたアレンを、リンクが訝しげに見遣る。 と、アレンは見て見て、と、ティーテーブルに置きっぱなしだったマグカップを示した。 「外は雪! なのに、飲み残しのお茶に氷が張ってないよっ!!」 「・・・・・・それが何か?」 更に訝しげに眉根を寄せたリンクに、アレンはこくこくと頷く。 「それだけこのお城の建て付けがしっかりしてるってことじゃん! 前のお城、隙間風入りまくりで、雪が降ったりすると必ず水差しの中とか凍ってたんですよ! 真冬に氷水で顔洗わなきゃいけない辛さってわかります?! 特に僕、しばらくインドにいたから、この寒さはもう筆舌に尽くしがた・・・」 延々と続きそうな話を、リンクは手をあげて制した。 「わかりましたから、早く着替えなさい」 あっさりと言われて、感動に水を差されたアレンは頬を膨らませる。 「なんだよなんだよ! 人がせっかく感動してるのに、つまんないんだから・・・あ!」 唐突に大声をあげるや、ばたばたと着替え始めたアレンを、リンクがうんざりと見遣った。 「今度はなんですか」 「雪!雪に最初に足跡つける!」 「・・・・・・はぁ?」 「ラビが起きる前にやんなきゃ、取られちゃう!!」 「・・・・・・はぁ」 呆れ顔のリンクが見守る中、素早く着替えを終え、窓を開けたアレンはそこから外へと飛び出す。 「っウォーカー! ドアから出なさい!」 言いつつも仕方なく後に続いて、リンクははしゃいで駆け回るアレンを追いかけた。 「雪の妖精〜〜〜〜!!」 「待ちなさい!!」 ぴょんっと、雪溜りに飛び込むアレンにリンクが手を伸ばす。 ・・・が、それは一瞬遅かった。 雪溜りだと思ったのは雪に覆われた岩で、もろにぶつけたアレンの、雪のように白い髪が紅く染まっていく。 「・・・・・・痛いですか?」 「・・・・・・痛くないやい」 嘲弄を含んだ声にくぐもった声で答え、アレンはむくりと身を起こした。 「おでこぱっくり割れてますけど?」 「・・・・・・オトコノコだもん!」 気遣わしげに寄って来たティムキャンピーを掴んで頭に載せ、その羽根で傷口を隠す。 「ほら、とっとと病棟に行きますよ。 朝から皆さんのお手を煩わせるとは、迷惑な子供ですね、君は」 「う・・・うるさい!」 流血のみならず顔を真っ赤にして、アレンはそそくさと病棟に向かった。 その途中、 「ぐふっ!」 雪の下に何かを踏んづけて、アレンは慌てて足を引く。 「なにっ?!なに踏んだっ?!」 驚いて足元を見ると、紅い髪が雪に半ば埋もれていた。 「冷凍ウサギ!!」 「保存食でしょうか」 「お前ら・・・っ!」 アレンとリンクのむごい感想に、雪から掘り出されたラビは、引き攣った声をあげる。 「俺がおいしく煮込まれる前に、とっとと病棟連れてけ・・・!」 息も絶え絶えに呟くと、ラビはアレンの腕の中で、がくりと首を落とした。 しばらくラビを揺すっていたアレンは、彼の意識が戻らないと見るや、リンクに差し出す。 「リンク、これ持って」 「なぜ私が」 「だって僕、怪我人だもん」 「自業自得でしょう」 「じゃあ捨ててく?」 無情なことを言った途端、背後から伸びた手が、アレンの髪を引っ張った。 「いっ・・・痛い!痛いってば、ラビ!わかったから放して!」 アレンは仕方なくラビをおぶると、共に病棟へと入る。 と、 「あらまぁ、どうしたの!」 白い髪を血で紅く染めたアレンと、その彼に背負われてぐったりとするラビを、ナース達が囲んだ。 「僕は・・・」 言いよどんだアレンの傍らで、リンクが冷笑を浮かべる。 「雪溜りだと飛び込んだところに岩があり、自損自傷したのです」 「ウォーカーくんったら・・・・・・」 ナース達の呆れ顔に囲まれ、アレンは恥ずかしげに身を縮めた。 「で?こっちは?」 「Jr.の件は知りません。 ここへ来る途中、雪に埋もれていました」 ストレッチャーに乗せられたラビの顔色は既に紫色で、ほとんど凍死しかかっているように見える。 「じゃあ、あっためて・・・・・・」 「お待ちなさい!」 急患の報せに駆けつけた婦長が、ナース達を押しのけてラビの顔を覗き込んだ。 「低体温だけじゃないわ、チアノーゼよ! 酸素を持ってらっしゃい!」 婦長の命令に、ナース達は途端に慌しく動き出す。 「チアノーゼ・・・って?」 止血してもらいながらアレンが尋ねると、『ドイツ語です』と、リンクが答えた。 「血液中の酸素が減少することで起こる現象で、皮膚や粘膜が青紫色になる状態を言います」 「酸素・・・なんで?」 「原因は主に呼吸困難、血行障害ですが・・・なぜあんな場所で、Jr.が呼吸困難になっていたかは理解に苦しみますね」 「あんな場所、と言うと?」 処置をナース達に任せた婦長が、リンクの言葉に眉根を寄せる。 「処置に役立つかもしれないわ。 あの子がどこにいたのか、話してくれる?」 問われて、リンクはラビが、アレンの部屋の外・・・外庭から病棟へと続く道の途中に倒れていたことを話した。 「外庭・・・。 ラビの部屋も面しているわね」 「多分僕と同じで、雪に足跡つけようとして飛び出したんですよ!」 アレンの推理に、しかし、リンクが首を傾げる。 「それはどうでしょう。 確かに動機はそれだったかもしれませんが、発見時、彼は半ば雪に埋もれていました。 と言うことは、私達よりも先に部屋を出、あの場に倒れた後、雪が降り積もったと言うことでしょう」 ふと、窓の外を見遣ったリンクに釣られるように、婦長もアレンも、窓の外を見る。 夜のうちはしきりに降っていた雪は、既にその勢いを減じ、今は朝日の中を時折白いものが舞う程度だった。 「夜明け前はもっと降っていたのだけど、日が昇ってからは随分とおさまったわね」 ここで一晩を過ごした婦長は、ふと、顎に指を当てた。 「じゃああの子、夜明け前に倒れたんだわ」 夜明け前・・・と口の中でもう一度呟いた婦長は、はっとして踵を返した。 「ラビ! あなた、温室に入ったわね?!」 「温・・・?」 首を傾げたアレンの傍ら、リンクがぽん、と、手を打つ。 「なるほど、それで呼吸困難ですか」 「え?!なに?!どういうこと?!」 答えを求め、きょろきょろと視線をさまよわせるアレンに、彼の止血をしてくれたナースが苦笑した。 「あのね、植物って言うのは、お日様にあたってる時は酸素をはいて、夜になると二酸化炭素をはき出すの。 温室は小さな空間にたくさんの植物を置いているから、夜の間に二酸化炭素で満たされちゃうのね。 密閉されてると余計にそうよ。 そんな中にうっかり入っちゃうと、酸欠を起こす場合があるのよ」 彼みたいに、と、ナースは婦長に頬をはたかれて、ようやく目を覚ましたラビを示す。 「おっしゃい、ラビ! 温室に入ったのね?そうでしょう?!」 問われて、ラビはまだ青い顔で頷いた。 「今日・・・バレンタインだから、花もらおうと思ってバラ園行ったら・・・外のバラが雪でしぼんでたんさ・・・。 だから・・・温室の中物色してたら・・・頭くらくらしてきて・・・・・・」 「馬鹿な子ね!」 酸素マスクの下、苦しげに言うラビに、婦長は肩をすくめる。 「でも、そんなことにならないように、クロウリーには鍵をかけるよう、お願いしていたはずだけど・・・」 「んなもん壊したさ」 「ホントに馬鹿な子!」 呆れ返った婦長の背後で、アレンが『自業自得!僕より自業自得!』と、嬉しげにはしゃいだ。 「五十歩百歩、と言う言葉を知ってますか、ウォーカー? あるいはドングリの背比べ」 「うん。 少しでも確実に差はある、ってことでしょ?」 「どっちもどっち、という意味ですよ」 呆れ顔で吐息するリンクに、アレンが頬を膨らませる。 「違うもん!僕の方がまだましだもん!!」 「そこ、騒がない。 それよりラビ、夜明け前の温室が危険だってこと、知らなかったの?」 リンクとアレンにぴしりと言うと、婦長は蒼い顔をしたラビの上に屈み込んだ。 と、彼は力なく首を振る。 「イヤ・・・話では知ってたんケド・・・・・・」 「・・・あなた、いい加減、その膨大な知識を生かすことを覚えなさいよ」 ぺし、と、軽く額を叩いて、婦長はラビの毛布をかけ直してやった。 「ラビは気分が落ち着くまで寝ていなさい。 アレンはもう、治療が済んだから、帰っていいわよ」 てきぱきと指示する婦長に頷き、アレンはラビの上に屈み込む。 「じゃあ後でね、ラビ」 「待て・・・・・・!」 身を起こそうとした所、袖を掴まれて、アレンは中途半端な姿勢で首を傾げた。 「なに?」 「花・・・確保しとい・・・て」 言うや、がくっと首を落としたラビを、アレンは呆れ顔で見下ろす。 「こんな状態で、いい根性してますよ」 「まぁ、あなたも花は必要でしょ。 ラビの分も、持ってきてあげなさいな」 苦笑する婦長に、アレンは笑って頷いた。 「婦長にも持ってきますね!」 「あらまぁ・・・」 くすくすと華やいだ笑声をあげて、婦長はアレンの頬を撫でる。 「本命がいるのなら、あちこちに花を振りまくものじゃないわ」 「え・・・そうなんですか?」 「そうですとも」 軽く頬を叩かれて、アレンは笑みを深めた。 「じゃあ、本命勝負します!」 「えぇ、がんばって」 ひらひらと手を振って、アレン達を見送った婦長に、ナース達が明るい笑声をあげる。 「せっかくくれるって言ったのに、いいんですかぁ?」 「バレンタインに可愛い男の子から花をもらえるなんて、滅多にないチャンスなのにぃ」 「いいのよ。 アレンからはもらえなくても、私の部屋は今年も花で埋まるわ」 自信に満ち満ちた笑顔を向けられて、ナース達は斉しく声を失った。 「リンクリンク、今何時?」 病棟から本城へ向かいながらアレンが問うと、リンクはポケットから懐中時計を取り出した。 「7時ですね」 「じゃあ、朝ごはん食べ終わったら、ちょうどいい頃合かな」 と、足を早めたアレンに、リンクが続く。 「頃合とは?」 「バレンタインの日はね、クロウリーが育ててるバラを分けてくれるんだ♪ バラ園が、臨時花屋になるんですよ 「なるほど、それでJr.は温室に・・・」 「みんなが来る前に、抜け駆けしようとするからあんな目に遭うんですよ!」 けらけらと笑って、アレンはふと足を止めた。 「・・・今度はなんです?」 つい、アレンを追い越してしまったリンクが、眉根を寄せて振り返る。 「この時期、あったかい場所ってどーこだ?」 「・・・は?」 いきなりなにを言い出すのだと、訝しげなリンクにアレンは再度同じ質問をした。 「そうですね・・・北半球はどこも冬ですから、赤道より下、南半球は暖かいでしょう」 「んー・・・赤道の下は暑すぎるかな。 うん、インドでも育てるのは中々難しかったみたいだし、行くならオーストラリア、ニュージーランド・・・」 「だからなんの話ですか!」 中々答えを言わないアレンに痺れを切らし、リンクが苛々と問う。 と、アレンはにこりと笑った。 「夏のバラをもらいに、南半球へゴー!」 「・・・っはぁ?!」 アレンが楽しげに振りあげた腕を、リンクは目を吊り上げて掴む。 「なに馬鹿なことを言っているのですか! そんな目的で方舟を使うなど、許可できるわけがないでしょう!!」 が、アレンは自信満々に笑みを浮かべた。 「許可するよ、リンクは。 だって、マムにキレイな花をあげたいでしょう?」 「う・・・!」 途端に、アレンの腕を掴む手が緩む。 「リーバーさんは忙しいから、もしかしたら、お花もプレゼントも用意できてないかも」 はっと、息を呑むリンクに、アレンが笑みを深めた。 「南半球にはきっと、珍しいお花もあるんじゃないかな!」 畳み掛けるや、アレンの腕を掴むリンクの手に、再び力がこもる。 「わっ!」 急に腕を引かれ、たたらを踏んだアレンを肩越し、リンクが睨みつけた。 「なにをぐずぐずしているのです! 向こうはもう、夕方なのですから、店が閉まる前に行きますよ!!」 豹変した態度に、アレンは呆れる。 「リンク・・・あからさますぎ」 「うるさい!黙って走れ!!」 大声で怒鳴られて、アレンは思わず身をすくめつつも、心中に作戦成功と舌を出した。 「・・・おはよー、ミス・フェイ。 その・・・すごい花だね」 夜が明けて、執務室に入ったコムイは、既に席に着いているブリジットの周りを大量の花が囲んでいる様に、目を丸くした。 「おはようございます、室長。 お邪魔でしたでしょうか」 淡々と言った彼女に、コムイは苦笑して首を振る。 「イイヨイイヨ。 それだけキミが、歓迎されてるってことでしょ」 「恐れ入ります」 表情を変えずに言った彼女の周りを彩る花々に添えられたカードには、主に科学班スタッフの名前が書いてある。 「うちの子達・・・あ、イヤ、元から本部科学班だった子達なんか、キミを女神と呼んでるそうだよ」 「そうですか」 にこりともせず言い放ったブリジットは、花の中でひらりと手を伸ばし、コムイのデスクを示した。 「室長にもたくさんのプレゼントが」 「・・・って、お仕事じゃない」 「えぇ、世界中から心を込めて」 いらないよ、と、ぼやきつつ席に着いたコムイを横目で見遣り、ブリジットは自身のデスクに積み上げられた書類を取り上げる。 途端、その口元に初めて、にやりと笑みが浮かんだ。 「室長」 「なーにー」 書類に判を捺しつつ、目の前に立ったブリジットを見あげると、黒いファイルが差し出される。 「チーム編成は、リナリー・リーとミランダ・ロットー、科学班サポーターにキャッシュ・ドップでよろしいでしょうか」 「女の子チーム? ・・・・・・あぁ、まぁ、確かに」 ファイルを開いて見れば、それは女子修道院内で起こった奇怪事件の報告書だった。 「ん。 キャッシュはこれが初任務だから、君から詳しい説明してあげて」 「承知しました」 ファイルを受け取ったブリジットの声が、非常に珍しいことに、やや弾んでいる。 「では、出動を命じます」 「うん・・・」 くるりと踵を返し、つかつかと執務室を出て行ったブリジットの背を、コムイは不思議そうに見送った。 「・・・っなんなの、あの人! なんの嫌がらせ、これ?!」 受け取った指令ファイルを引き裂かんばかりに爪を立てて、リナリーが唸った。 「そ・・・そんな、リナリーちゃん、嫌がらせなんて・・・・・・」 リナリーの剣幕に怯えつつも、とりなそうとするミランダを、しかし、リナリーは鋭い目で睨みつける。 「嫌がらせに決まってるじゃない、あの陰険秘書官! よりによってバレンタインデーに任務だなんて・・・・・・!」 「あたしは別に構わないけど」 大きな身体を揺すって呟いたキャッシュに、リナリーは目を見開いた。 「なんで?! せっかくのバレンタインだよ?!お花欲しくないの?!」 「いつもだったら嬉しかったよ。 だけどここじゃあたし、兄貴の代わりじゃん」 兄の代わりに花をもらったって嬉しくない、と、ぼやく彼女に、リナリーだけでなく、ミランダも乾いた笑みを浮かべる。 「で・・・でもきっと、キャッシュさん本人に、って、お花をくれる方がいますよ・・・」 「それはどうかな。 あたしよりも、あんたは確実にもらえるはずでしょ」 遠慮なく指差されて、ミランダが茹で上がったように赤くなった。 「え・・・そ・・・それは・・・どうかしら・・・・・・」 真っ赤な顔を俯け、左手を握り込むように手を組んだ彼女を、キャッシュはちらりと笑みを浮かべて見下ろす。 「ここに来て間もないあたしだって、班長があんたをどう思ってるくらいわかるよ。 だから・・・」 ぱすん、と、キャッシュは厚い掌で、ミランダとリナリーの背を叩いた。 「とっとと行って、とっとと片付けてこよ」 「そうね!!」 リナリーもこぶしを握り、気合十分に頷く。 「絶対、今日中に戻ってくるよ! 意地悪魔女なんかに負けるもんか!!」 「そだね」 リナリーが突き出したこぶしに、キャッシュが手を乗せた。 「が・・・がんばりましょうね」 目で促されて、ミランダもその上に手を乗せる。 「打倒!意地悪魔女!」 「そっちなの?!」 リナリーの掛け声に、キャッシュとミランダの声が唱和した。 一方、リナリー達が任務に行ってしまったと知らないアレンは、今まで見たこともない、澄んだ夏の日差しに、眩しげに目を細めた。 「すごい・・・こんな太陽、初めて!」 英国ではずっと手放せなかった黒いコートを脱ぎ、賑やかな通りを感心して眺める。 「リーバーさん、こんな国で生まれ育ったんだぁ・・・。 どうりで、いつも明るくて頼りがいがあるはずだよ」 重厚な建物が並び、常に厚い雲に覆われた英国や欧州の街と違って、ここはひたすらに明るかった。 「ミランダさんが惚れるのも無理な・・・イタタタタッ!!!!」 いきなり耳を抓まれ、吊るし上げられて、アレンが悲鳴をあげる。 「なにすんだ、リンクのアホー!!!!」 「不愉快なことを言う君が悪いのです!」 腫れあがった耳を押さえて抗議するアレンに、リンクが鼻を鳴らした。 「ニュージーランドにすればいいのに、よりによってこちらとは! とっとと用事を済ませて帰りますよ、忌々しい!」 憤然と言うや、先に立って歩き出したリンクの背に、アレンがぽつりと呟く。 「・・・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」 「なにか言いましたかっ?!」 リンクは肩越し、アレンをきつく睨みつけた。 「別になんにも」 「だったらぐずぐずしてないでちゃんとついてきなさい! 迷子になりたいんですか!」 「はぁい」 ヒステリックなリンクに肩をすくめ、アレンは彼の後に従う。 「ねぇねぇ、ついてこいって、リンクはオーストラリアに来たことがあるんですか?」 「ありませんよ。 ですが、正確な地図が一枚あれば、どんな街でも迷わない自信があります」 君と違って、と言い添えたリンクに、アレンがこめかみを引き攣らせた。 「すーみーまーせんねぇぇぇ!迷子癖がある子で!」 「自覚があるなら治す努力をなさい」 つんっと、木で鼻をくくったような言い方をされて、アレンが口を尖らせる。 「ふん。粘着質」 「誰が粘着質だ! それを言うなら君は、ワガママ勝手な顕示質だろうが!」 「違うもんっ!僕には当てはまる気質なんてないもん!」 「それをワガママと言うんですッ!!」 怒鳴りあう二人を、通りを行く人々が訝しげに見つめた。 「リンク、なんか僕ら、見られてますよ?」 「なんと物見高い!」 じろりと睨み返すと、そそくさと視線がそらされる。 「うわー。カンジ悪い人だー」 「カンジ悪くて結構!」 「開き直っちゃったよ・・・」 頬を引き攣らせて、アレンは歩を緩めた。 「僕、連れだと思われたくないから、離れて歩きます」 「それでいいんですか、迷子癖ガ」 馬鹿にしきった口調で言われ、アレンはムッと口を尖らせたが・・・反論できず、黙って彼の後に従う。 だがその途中、 「なにあれ? 染めてるのかな?」 雑貨屋の店先に並んだバケツの中に、無造作に突っ込まれた色とりどりの植物を見つけて、アレンは興味津々に寄って行った。 「これ、なんですか?」 店内で新聞を広げている店主に問うと、彼はのんびりと『ワイルドフラワーだよ』と教えてくれる。 「すごい色! これ、染めてるんですか?!」 アレンが澄み渡った空を思わせる青い花を指すと、彼はのんびりと首を振った。 「ブルーレシェノルティアって言う花なんだが、それが本来の色だね」 「へぇー・・・他にも赤とかピンクとか、やたら鮮やかなんですね」 形も変わってるし、と、物珍しげにまじまじと見つめるアレンに、店主が目を細める。 「英国人かい?」 「はい!」 「じゃあまだ、カンガルーは見たことないかな? そっちはカンガルー・ポーと言って、カンガルーの前足に似てるってことで名前がついたんだよ」 「カンガルー・・・!」 うっとりと呟くアレンの背後で、リンクが鼻を鳴らした。 「見物に行く暇などありませんよ」 「わっ・・・わかってますよ・・・!」 小うるさい監視役を肩越しに睨んで、アレンは色とりどりのワイルドフラワーに目を戻す。 「夏のバラを手に入れようと思って来たけど、せっかくだから現地のお花を持って帰るのもいいですね!」 「・・・出ましたね、英国人気質」 珍しい植物に目がない、と呟くリンクを、アレンは肩越しに指差した。 「意地悪でしょ?」 「ホントにね」 うんうん、と、頷き合う二人にリンクが目を尖らせる。 「くだらないことを言っていないで、ワイルドフラワーがほしいならさっさと頂いてはどうですか」 「ハイハイ。 もー・・・せっかちでしょ?」 「全くだね」 バケツの中から、気に入った花を引き抜きつつアレンが言うと、店主はまた頷いた。 「さて、こんなもんかな・・・あのぅ、これ、ブーケにしてもらったりは・・・・・・」 「うちは雑貨屋だからね」 無理、と断言した店主に頷き、アレンは束ねた花に、困り顔を向ける。 「このまま持って行くのは、さすがに雑然としちゃってるなぁ・・・」 「貸しなさい!」 ぐずぐずするアレンの手から、花の束を奪い取ったリンクが、時折バケツから花や草を足しつつ、手早くアレンジした。 「こんなものでどうです?」 とりあえずは新聞紙に包まれたものの・・・そんな状態ですら、見事に彩りを整えられたブーケに、アレンだけでなく店主も感嘆を漏らす。 「さすがリンク・・・! 性格悪いくせに手は器用ですね!」 「殴られたいんですか?」 剣呑な目をすがめたリンクは、アレンにブーケを押し付けると、再びバケツに向かった。 「大体、こういうものは器用と言うより芸術的センスの問題でしょうに。 まぁ、君は持ち合わせがないようですが」 ワイルドフラワーの彩りや形を吟味しつつ、美しいブーケを作って行くリンクを、アレンは忌々しげに睨む。 「悪かったですね、芸術的センスがなくて! そんなもんより、思いやりと優しさを持ってた方が女の子にはモテますもん!」 「その通り」 うんうん、と頷いて、店主がアレンの頭を撫でた。 「いいこと言ったから、君の分はまけてあげるよ」 「ホント?!ありがとうございます!」 「いいや。 どうせ、裏庭にたくさん咲いてるもんだしね」 大声で礼を言ったアレンに微笑み、店主はリンクに向き直る。 「君のは20ポンドね」 「・・・裏庭から採ってきたんじゃないんですか」 いきなり吹っかけてきた店主に、リンクは忌々しげに顔を歪めた。 ラビに頼まれた分も含め、鮮やかなワイルドフラワーの花束を持った二人が教団に戻った時、城には既に、リナリー達の姿はなかった。 「任務に行っちゃったぁ?!」 なんで、と、詰め寄ると、リーバーは軽く吐息する。 「今回の事件の現場が、女子修道院だからだ。 さすがにお前らじゃ無理だろ?」 それとも、と、リーバーは笑みを漏らした。 「女装でもして潜入するか?」 「そっ・・・それは遠慮します!」 慌てて首を振ったアレンが持つブーケに、リーバーはふと目を留める。 それは今、きれいな包装紙でラッピングされ、リボンで飾られていた。 「ティーツリーじゃないか。火傷に効くんだぞ、それ」 「へぇ!そうなんだぁ!」 「この、バンクシアってやつは頭痛薬になるし・・・なんだ、生薬店にでも行ってきたのか?」 リーバーが不思議そうに問うと、アレンはふるふると首を振る。 「ううん。 お花屋さんに行こうと思ったら、雑貨屋さんの店先にこれがあったんです! キレイだし珍しいからもらってきたんですけど・・・おじさん、裏庭から摘んできたって言ってたし、秘伝薬の材料だったのかな?」 「かもな。 ティーツリーなんて、軍の携行薬になってるくらいだし・・・って、雑貨屋?」 リーバーはますます不思議そうな顔をした。 「なに、ロンドンの雑貨屋にあったのか、そんなもの?」 よく育ったな、と、感心するリーバーに、アレンはまた首を振る。 「ちょっとオーストラリアまで行って来ました えへ 「お前、そんな個人的な理由で勝手に・・・」 「個人的理由ですけど、リンクの許可はもらいましたよ アレンの傍ら、そっぽを向くリンクを指差すと、リーバーは呆れたように肩をすくめる。 「さすが忠犬だな。 バレンタインの花のために、南半球まで行くか、普通?」 「あなたに犬呼ばわりされる覚えはありませんし、行くと言い出したのはウォーカーです!」 「へぇ・・・がんばるな」 「がんばりますとも!」 こぶしを振り上げて、アレンは大きく頷いた。 「女神様のおかげで、コムイさんに邪魔されたりいじめられる心配もないし このチャンスは逃しませんよ、僕 ブリジットを相変わらず『女神』と呼ぶアレンに、リナリーの怒りをも知るリーバーが苦笑する。 「花が枯れる前に、あいつらが帰ってくるといいけどな」 「え? そんなにかかりそうなんですか?」 思わず眉根を寄せた眉間を、リーバーに突かれた。 「遊びに行ってんじゃねーんだよ、バカ」 「そうでした・・・」 困惑げな目をブーケに落とし、アレンはしょんぼりと呟く。 「でも・・・ま」 にこりと、アレンは笑みを浮かべた。 「枯れちゃったら、また取りに行きます♪」 すっかり方舟を個人利用しているアレンに、リーバーが苦笑する。 「いいのか?」 「緊急事態ですから」 そんな緊急事態があるわけもないだろうに、しかつめらしく答えたリンクに、リーバーは思わず吹き出した。 その頃、任務に就いた三人は、女子修道院の寒々とした院長室で、厳格な院長を前に身を寄せ合っていた。 「――――・・・そう言うわけで、黒の教団の命を受け、事件の解決に参りました」 説明を終えたリナリーを、院長はじろりと睨む。 「あ・・・あの・・・・・・?」 黙したままの彼女に、リナリーが恐々と言いかけると、院長は不機嫌そうに鼻を鳴らした。 「三人とも、随分と若いこと。 どの程度の経験がおありなの?的確な判断はできるのでしょうね?」 いかにも不審げに問われて、キャッシュがムッと眉根を寄せる。 「少なくともあたしは、迷信に惑わされずに科学的な検証をすることにおいては、あんた達より随分うまくやれるよ。 科学の領分じゃないとわかったら、次はエクソシスト達の出番だね。 神に特殊な力を与えられた使徒達が、あんたの悩みを解決してくれるだろうさ」 きっぱりと言われて、院長はむっと眉根を寄せた。 「自信満々・・・というよりも、私の目には傲慢に見えますが、口にするだけのことをやれるのかしら?」 「神に祈るばかりで何もしないあんた達よりはね」 「キャッ・・・!」 「キャッシュさん・・・!」 激しく睨みあい、火花を散らすキャッシュと院長の傍らで、リナリーとミランダが震える手を握り合わせる。 「とりあえず、あたしらはいつまでもこんな辛気臭いとこにいるつもりはないの。 とっとと帰って、やることがあるんだ」 ね、と、声をかけられて、リナリーが大きく頷いた。 「そっ・・・そうなんです! 今日中に解決しますから、ご協力お願いします!」 無言で頷いた院長に一礼すると、リナリーはそそくさと立ち上がった。 「それでは!」 彼女の後にミランダが、そしてキャッシュが続く。 院長室を出、古く重厚な扉を閉めるや、リナリーとミランダはほっと息をつく。 「キャッシュ・・・強いね!」 リナリーが頼もしい仲間を称えると、彼女はにこりと笑った。 「べつに。 あの婆さんの態度に、ちょっとムカついただけだよ」 「ば・・・ばあさんだなんて、キャッシュさん・・・」 ふるふると首を振るミランダには、苦笑を向ける。 「ま、あの人は仕事の結果で黙らせよ。 今日中に帰んなきゃだしね」 「うんっ!」 「そうね・・・がんばりましょう」 キャッシュの差し出した手に手を重ね、三人は大きく頷いた。 以前の教団本部のように、暗く重厚な石の廊下は、長い年月、多くの修道女達が行き交ったせいか、磨かれて丸みを帯びた石を留める漆喰がすっかり沈んでしまっている。 うっかりするとつまずいてしまう足元を見つめつつ、恐る恐る歩いていたミランダは、先を行くキャッシュの柔らかい背に頭を突っ込んでしまった。 「なっ・・・なんですか・・・?!」 驚いて顔をあげると、キャッシュが肩越しに『現着だよ』と教えてくれる。 「現・・・あぁ、ここが奇怪の現場なんですね」 暗い廊下の突き当たりに現れた、小さな木の扉を、ミランダは恐々と見遣った。 「キャッシュ・・・入れる?」 扉とキャッシュを見比べて、リナリーが不安そうに問うと、彼女はムッと眉根を寄せる。 「そんなの、やってみないとわからな・・・」 リナリーを押しのけ、扉をあけたキャッシュは、その先に続く、細く天井の低い階段に絶句した。 「こ・・・こんなに低いんじゃ、私でも辛いかも・・・・・・」 「かといって、私一人じゃ・・・・・・」 困惑げなミランダを、更に困った様子でリナリーが見あげる。 と、 「なんとかするよ」 キャッシュが二人を押しのけ、横ばいに階段をのぼっていった。 「む・・・無理そうだったら言ってね」 苦笑しつつリナリーが続き、 「でも、がんばらないと・・・」 最後にミランダが、腰を屈めて続く。 だが、辛い階段を2階分ほど昇った頃、 「ちょ・・・ちょっと休んでい・・・?」 ぜぃぜぃと息をあげて、キャッシュが呟いた。 「な・・・何階あるの、ここ・・・・・・」 息も絶え絶えな彼女に、さすがに呼吸一つ乱れないリナリーが小首を傾げる。 「んー・・・外から見た限りじゃ、5階分くらいはあったかなぁ?」 「この教会で一番高い塔ですからねぇ・・・」 ミランダも苦笑して、狭い階段にしゃがみこんだ。 「もう少し、広く作ってほしかったですねぇ・・・」 息を切らしてはいないものの、長身ゆえに低い天井には辟易する。 「これも修行なんじゃないの?」 リナリーがクスクスと笑声をあげると、ようやく息を整えたキャッシュが再びのぼり出した。 「そういや・・・班長が・・・本部科学班で生き残りたきゃ・・・体力つけとけ・・・って・・・言ってたっけ・・・っ」 「激務ですもんねぇ・・・」 「痛感・・・っしたよ・・・っ」 苦笑するミランダに、キャッシュは上へ続く階段を見つめたまま喘ぐ。 「こんな・・・ことまで・・・やらされる・・・なんて・・・思って・・・なかっ・・・!」 「ちょっ・・・大丈夫?!」 今にも死にそうに喘ぐキャッシュの後に続きながら、リナリーが気遣わしげに彼女の横顔を覗き込んだ。 「ゆっくりでいいんだよ?」 「なんの・・・っ!」 震える足で体重を支えつつ、キャッシュは階段をのぼる。 「根性・・・だけはっ・・・今でも・・・持ち合わせて・・・・・・るよ・・・っ!」 ほとんど酸欠状態になりつつも、なんとか最上階までのぼりきったキャッシュを部屋の隅で休ませ、リナリーとミランダは、街に時を知らせる大きな時計の裏側を見上げた。 「さすがに・・・おっきいねぇ・・・・・・」 感心したリナリーに、ミランダも頷く。 「女子修道院で、ここまで大きな教会も珍しいですね」 言いつつ、彼女はポケットから懐中時計を取り出した。 「もうすぐ時間です・・・耳を塞いでいた方がいいんじゃないかしら」 「それなら・・・耳栓持ってきた・・・・・・」 まだぜいぜいと喘ぎながら、キャッシュがポケットから耳栓を取り出す。 「ありがと! じゃあ、どんと来いだね!」 こぶしを振り上げ、待ち構えるリナリーが見つめる中、時計はカチカチと音を響かせながら時を刻んだ。 やがて、カチ、と、長針が天を指す。 途端、鐘の音が街中に旋律を響かせ、時計の文字盤が開いて、機械仕掛けの人形達が動き出した。 三人は時計の裏側から、自身らの身長よりも大きな人形達が円を描く様を見つめる。 と、 「出た!!」 大声をあげてリナリーが指差す先を、キャッシュが睨んだ。 「ゴースト・・・」 ミランダが、息を呑んで灰色の影を見つめる。 それは、槍を構える大天使ミカエルの像が、最前面に出た瞬間に現れた。 悪魔を追い、駆逐する天使―――― その凛々しく美しい姿の前に、少女のゴーストは両手を胸の前で組み合わせ、懇願するようにひざまずく。 だが、悪魔を追いつめた大天使は、悪魔の背を踏みつけるや、機械仕掛けの腕を振り上げ、自身を見上げる少女の胸を槍で貫いた。 「きゃっ・・・!!」 ミランダが悲鳴をあげて目をつぶり、リナリーとキャッシュも、残酷な光景に愕然とする。 彼女達の眼前で、槍に貫かれた少女は悲しげな顔をして消えて行った。 「こ・・・これは・・・・・・」 「きっついわぁ・・・・・・!」 こんな光景を毎回見せられては、シスター達が滅入るのも無理はない。 しかし、悪魔を退治した天使は何事もなかったかのように腕を戻し、文字盤が閉まると共に塔内に納められた。 「ねぇ・・・これ、何時間ごとに動くんだっけ?」 「3時間だね。 でも、夜中から明け方にかけては止まっているそうだから、9時、12時、3時、6時、そして夜の9時の5回」 リナリーの問いに、キャッシュがため息混じりに答える。 「一日に5回も・・・彼女は天使に寄り添っては、刺されているんですね・・・・・・」 可哀想に、と呟くミランダに肩をすくめ、キャッシュはファインダーがあらかじめ調べていた資料を取り出した。 「ゴーストの正体は、この教会の向かいに住んでた女の子じゃないか、だってさ。 この街の有力者の娘で、自分ン家もかなり高い館だから、街のみんなが下の道から見あげる天使像も、ほとんど正面に見えたんだね」 「それで・・・天使に恋しちゃったのかな・・・・・・。 で・・・でもなんだか・・・・・・」 「せっかくのバレンタインデーに、見たいシーンじゃなかったね」 キャッシュの台詞に、リナリーだけでなくミランダも、うな垂れるように頷く。 「・・・けど、困ったな。 ゴーストって、説得できるものだと思う?」 眉根をひそめて顔をあげたリナリーに、キャッシュはまた、肩をすくめた。 「あたしは科学者だから、この件はあたしの領分じゃない。 あんた達でなんとかしてよ」 「う・・・・・・」 もっともな意見に、リナリーとミランダが困り顔を見合わせる。 「次に・・・彼女が出てくるのは12時ですね・・・」 それまでに対策を練らないと、と呟いたミランダの傍らで、リナリーが頭を抱えた。 「どーやって? イノセンスなら回収して解決できるし、アクマが原因なら壊すことも可能だけど、ゴーストなんてどうやって昇天させるの?」 私たちの領分でもない、と、呻いたリナリーに、キャッシュが手を打つ。 「そうだよ。 これなら祈りの領分だ。 あたし達の仕事じゃなかった、ってことで、帰るか!」 「え?! い・・・いえ、それはさすがに・・・・・・」 ミランダは驚いて否定しようとしたものの、リナリーの気持はキャッシュの提案へと傾いていた。 「院長に、シスター達の信仰の深さを試す機会ですよ、って、言ってみようか?」 「リナリーちゃんたら!」 ぶんぶんと首を振るミランダを気まずげに見遣り、リナリーは『冗談だよ』と、口の中で呟く。 「じゃあ・・・ダメもとで説得してみるかぁ・・・。 キャッシュ、あの子の名前と、亡くなった日付って?」 大きく吐息して、リナリーはキャッシュの持つ資料を覗き込んだ。 「名前はミカエラ・・・って、どんなシャレよ」 「ミカエラがミカエルに恋をしたんですね・・・」 苦笑して、ミランダも資料を覗き込む。 「没年は・・・一昨年の11月。 まぁ、まだ18歳だったんですね・・・・・・」 可哀想に、と、ミランダはまた呟いた。 しかし、 「18にもなってんなら、人形と人間の区別くらいつけろっての」 ミランダの感傷をばっさりと切り捨てて、キャッシュは資料をめくる。 その途中、リナリーが横から手を出した。 「待って! ねぇ、この子が亡くなったの、一昨年なんだよね? でも、この奇怪が始まったのって・・・」 「3ヶ月前・・・去年の11月からですね」 「なんで1年も間が空いてんの・・・?」 三人は顔を見合わせ、一斉に床に座り込む。 その中心に資料を置き、キャッシュが慎重にページをめくり出した。 「方舟のおかげで、移動時間が短くなったのはいいけど、資料を読み込む時間がないのはね!」 思わずぼやいたリナリーに、キャッシュが首を振る。 「文句言っても仕方ないよ! 次の鐘まで三時間あるし、できるとこまで検討してみよ!」 「まずは、どうして3ヶ月前からこの奇怪が起き始めたのか、ってことですね・・・」 ふと、塔内に収納された天使像を見上げたミランダの肩を、ページを探し当てたキャッシュが叩いた。 「コレコレ! 奇怪が起こり始めたのは、去年の10月に落雷があって、その際に壊れた人形を修理してからのことだよ!」 「え? じゃあこのミカエル像って、ミカエラがいつも見ていたものじゃなかったの?」 リナリーの問いに、キャッシュは首を振る。 「天使像は無事だったみたい。 壊れたのは、ミカエルに刺されている悪魔の像だね」 あれ、と、キャッシュは彼女達の頭上にある像のうち、大天使の前にうずくまる悪魔の像を指した。 コウモリに似た羽根をしぼませ、地を掻いて逃げようとする悪魔の背は今、大天使の足に踏みつけられている。 「あんなに側にあるのに・・・よく無事だったね、ミカエルは」 感心するリナリーに、キャッシュも大きく頷いた。 「当事、評判になったみたいだね。 やっぱり天使はありがたい存在なんだって。 昔は・・・多分、できたばっかりで機械が新しかったためだろうけど、もっと動きが滑らかだったんだってさ。 なんでも、この街に攻め込んだ軍の将軍を、あの天使の槍が貫いて撤退させたって伝説まであるらしいよ」 「まぁ・・・街を守ってくださってるんですね・・・」 ミランダも、両手を組んで感心する。 「守護天使にふさわしい奇跡だわ」 追いかけている時以外、二体の像はほとんど繋がっているのに、悪魔だけが壊れるとは全く奇跡的なことだった。 「じゃあ・・・この教会に新しい悪魔が来てから、ゴーストが呼び寄せられるようになったんだ。 なんだか呪われてるみたいだね」 リナリーがふと漏らした言葉に、キャッシュが顔をあげる。 「そ・・・っか、もしかして・・・! ちょっとあんた達、あそこまでのぼって、悪魔の像を調べてよ!」 「へ?」 「のっ・・・のぼるんですかぁっ?!」 きょとん、としたリナリーの傍らで、ミランダが悲鳴をあげて頭上はるかを見あげた。 「あっ・・・あんな、ろくに足場もないところなんてっ・・・!!」 「じゃあ私が行くよ」 怯えて震えるミランダになんでもない風に言うと、リナリーは軽々と台座に飛び乗り、天使像と並ぶ。 「キャッシュ! なにを調べればいいの?」 「悪魔だよ! こっちまで下ろせればいいんだけど・・・」 キャッシュの言葉を受けて、リナリーはまじまじと悪魔像を見つめた。 「それは・・・無理みたい!」 修復した職人の腕がよほど良かったものか、今にも動き出しそうにリアルな悪魔の像は、その腹部を台座に固定されて、動かせそうにない。 「下ろすんなら、台座も一緒じゃないと無理だよ!」 「そっか・・・。 じゃあさ、その悪魔、なんか変なとこない?!」 「変なとこ、って?」 「例えば、ゴーストを引き寄せそうな何か!」 「・・・・・・・・・・・・なにそれ」 無茶な依頼に呆れつつも、リナリーは悪魔像の前にひざまずき、念入りに調べ出した。 ややして、 「強いて言えば・・・本当に槍の穂先が刺さってる所・・・かなぁ?」 自信無げな声に、ミランダが訝しげに首を傾げる。 「あの・・・槍の穂先って、ミカエルの・・・? 刺さっちゃダメなの・・・?」 後半はキャッシュに向けて問うと、彼女は考え込むように顎を引いた。 「ん・・・。 こう言う像は、雨や雪にさらされるから、できるだけ傷つけるのを防ぎたいものなんだよ。 その傷に雨が入り込んで、錆びちゃったりするしね。 だから普通は寸止めして、天使が悪魔を刺しているように見せかけるもんなんだけど・・・」 「これ、本当に刺してるよ。 ここにだけ別の金属が嵌めてあるんだけど、槍の穂先はそこについてるもん」 リナリーの補足に、キャッシュは首を捻る。 「なに? 修復した職人って、ミカエルの槍が届く範囲を、計算し損ねたの?」 と、今度はリナリーが首を捻った。 「それは・・・ないんじゃないかなぁ? 私は壊れる前の悪魔像を知らないけど、この悪魔はかなりいい出来だと思うよ?」 再び、念入りに悪魔像を調べ出したリナリーを、ミランダが見あげる。 「じゃあ・・・わざとなんじゃないかしら? 悪魔は駆逐されるべきものですものね」 生粋のカトリック教徒らしく、あっさりと言ったミランダに、キャッシュはなるほどと頷いた。 「じゃあ、悪魔の背中の金属と、ミカエルの槍の穂先は簡単に取り替えられるようになってんじゃない?」 そしてその場合、災厄を払う意味を込めて、穂先の方には何か仕込んであるかもしれない。 そう言われてリナリーは、槍の穂先に手をかけた。 「あ!ホントだ! 外れるよ、これ!」 歓声をあげたリナリーに、キャッシュは満足げに頷く。 「ついでに、悪魔の背中にはまった金属も外せるか試してよ」 「うん! んー・・・・・・あ!外れた!!」 再び歓声をあげ、リナリーは二つの金属を持って飛び降りた。 「あ、思ったよりダメージはないんだ」 リナリーから、穂先と金属を受け取ったキャッシュは、二つの傷が一致する部分をまじまじと見つめる。 「まだ・・・できて三ヶ月ですからね」 工具を取り出したキャッシュの手元を、ミランダも興味津々と覗き込んだ。 「さすがにそこまでヤワじゃないか。 ホイ、開いた」 素人目には継ぎ目など見当たらなかった穂先と悪魔の背中にはめ込まれていた金属の蓋を開けてしまったキャッシュが、広げたハンカチの上に中身を並べていく。 「穂先には・・・編んだ髪の毛数種。 これは依頼主の一族と、ここのシスター達のかな。 箱の方には・・・なんだ、これ?」 「クリスタル?」 「ガラスではないようね・・・」 キャッシュの丸い指に抓まれた、リナリーのこぶしほど大きさのごつごつした石を、3対の目が見つめた。 それは擦りガラスように白くけぶっている。 「なんでこんなものが・・・」 「強欲は罪」 突然背にかけられた、低く厳格な声に、三人は飛び上がった。 「い・・・院長・・・・・・!」 教会にとって大事なからくり時計の人形を、無断でいじっている最中だっただけに、キャッシュまでが叱られる前の子供のように怯えている。 と、院長は三人をじろりと見渡し、キャッシュの手にした石を指した。 「それは、研磨前のダイヤモンドです。 この時計が落雷で破損した時、修理費の寄進と職人の手配をしてくださった方・・・教会の向かいにある館の主ですが、その方が悪魔の背に仕込まれたのです」 「なんでそんなことを・・・」 大きな原石を見つめ、リナリーが思わず呟く。 これだけの大きさがあれば、90%が宝飾としては価値のない屑石だったとしても、かなり大きな宝石になるだろうし、残りの90%も工業用に活用することは十分可能だ。 無駄なことをする、と、ふとよぎった考えを見透かしたように、院長はリナリーを見つめる。 「そのような欲望に取り憑かれたために、あの館の娘は命を落としました。 どんな価値があろうとも、命と引き換えに守る価値のある石など、あるはずはないのに」 「あ・・・あの、それはどういう・・・・・・」 「・・・あぁ、あった。 ミカエラは、館に入った泥棒に殺されたんだって」 遠慮がちに問うたミランダに、資料をめくる手を止め、キャッシュが答えた。 「その通り。 彼女は、自分の宝石箱を守ろうとして泥棒に殺されました。 ですが泥棒は、その石がダイヤモンドだと気づかなかったのでしょうね。 それだけが彼女の死体の傍らに捨ててあったそうです」 そう言って院長は、厭わしげに眉根を寄せる。 「それ以後・・・その石のある場所に、彼女の霊が出るようになったそうです。 神に召されるべき身が、いつまでも未練がましい」 あまりにも厳格な院長の言い様に、さすがにミカエラを気の毒に思った三人が、居心地悪げに顔を見合わせた。 と、その様を咎めるように、院長は目を吊り上げる。 「彼女の父・・・あの館の主ですが、彼はいつまでもさまよう娘の霊にたまりかねて、この石を我が教会に寄進しました。 強欲を戒めるべく、毎日、大天使の槍に貫かれる悪魔の背に仕込んで。 なのにあの娘は未だに出てきて、シスター達の目に触れるようになりました。 おかげで近頃は、様子のおかしなシスターが増えて・・・」 「・・・・・・ミカエルに惚れてたんじゃなかったんだね」 ぽつりと呟いたキャッシュに、リナリーとミランダが、複雑な顔で頷いた。 ややして、 「あの・・・院長・・・・・・」 リナリーが、恐る恐る声をかける。 「どうもこれが原因らしいので、もうちょっと調べてもいいですか? 終わったらちゃんと元に戻しておきますから」 リナリーの願いに、しかし、院長はかなりの間、無言だった。 やがて、 「・・・いいでしょう」 重々しく頷いた彼女に、三人とも、ほっと息を吐く。 「早くあの娘を、神の元へ送り届けてください」 そう言って、ミカエル像を見あげる院長の目は、酷く厳しかった。 「とりあえず、ランチしない?」 「そだね」 資料の検討があらかた終わった頃、提案したリナリーに、キャッシュも頷いた。 「あと30分か。 またあんなの見せられるのかね」 シスターが届けてくれたランチボックスを開きつつ、うんざりと言ったキャッシュに、ミランダが首を傾げる。 「それはないんじゃないかしら・・・? だって、ミカエラさんの未練はこの石なんでしょう? だったらもう、ミカエルの槍からこの石を守る必要はないじゃありませんか」 「あ、そっか。 じゃあゴーストが見えやすいように、暗い所にでも置いとこうか」 何気なく言って、リナリーがキャッシュの手から石を受け取った。 途端、 『ちが・・・う・・・・・・』 ぼそりと、リナリーの口から呟きが漏れる。 「え?なんですって?」 低い声にミランダが振り向くと、リナリーは両手で石を持ち、うな垂れていた。 『ちが・・・う・・・ワタシ・・・は・・・こんな・・・いし・・・・・・』 「リナリー?」 キャッシュも、リナリーの様子に訝しげに眉をひそめる。 と、リナリーは暗い目をあげ、二人を見つめながら微かに首を振った。 『違う・・・私はこんな石を守って殺されたんじゃない・・・・・・』 「ま・・・」 「まさか・・・・・・」 リナリーとは明らかに違う声に、二人は喉を引きつらせる。 その脳裏には、『憑依』という言葉が赤く点滅していた。 「あの・・・もしかしてあなた・・・ミ・・・ミカエラさん・・・・・・?」 恐々と問うミランダを・・・いや、正しくはその胸の紋章をじっと見つめ、リナリーが頷く。 『ローズクロス・・・ずっと・・・待ってた・・・・・・』 「エクソシストを?」 キャッシュの問いに、リナリーはまた頷いた。 『私は・・・宝石を守ったんじゃない・・・この中に閉じ込められたもの・・・あいつは、それを狙って私を殺した・・・・・・』 アクマ、と、リナリーが呟いた言葉に、二人は息を呑む。 「あんた・・・アクマに殺されたの?!」 性急に問うキャッシュに、リナリー・・・いや、ミカエラはもう一度頷いた。 『殺される前・・・行儀見習いでこの教会に住んでいた・・・その時、ミカエルの槍の中に石を見つけた・・・』 ミカエルの槍の穂先が空洞になっていて、そこに自分の髪を入れることは、この教会のシスター達の間では有名な話だったという。 密かな願い、もしくは祈りを書いた紙や布を髪に編みこんで天使の槍の中に収めるのだ。 「・・・あ、ホントだ」 槍に収められていた髪の一つを解いたキャッシュは、その中に細く縒り込まれた紙を見つけて広げる。 それには小さな字で、『我が兄、我が弟が、戦場から無事に帰ってきますように』とつづられていた。 「リナリーはこの情報を知らないから、今、彼女に何かが憑依してるのは確かみたい」 『・・・・・・信じてなかったの?』 「確証が出るまでは、容易に信じたりしないよ」 呆気にとられたゴーストと、ゴースト相手に動じないキャッシュと、世間的にはどちらが珍しいのだろうかと、ミランダは埒もないことを考えてしまう。 「それで、あんたが見つけたって石は、それ?」 キャッシュが、ミカエラが両手で持つダイヤモンドの原石を指すと、彼女はゆっくりと首を振った。 『違う・・・ううん、違わない・・・』 「どっちよ」 やや苛立たしげにキャッシュが問うと、ミカエラはむっと眉をひそめる。 『原石の中に隠した・・・私が見つけた石・・・』 「どーやって隠すのよ、石の中になんて」 『それは・・・』 言いかけた時、爆音と共に石の床が弾けた。 「えくソしスと、見ーぃつケタ 調子はずれの甲高い声と共に、蜘蛛のような細い腕が幾本も床下から伸びる。 「ドコ? いのセんす、ドコ?」 中年のシスターの口が大きく裂け、子供のようにつたない言葉を吐きつつ這い出てきた。 続いてもう一人、 「ドコ? いのセんす」 また一人。 「ドコ?」 次々と這い出てくるシスター達の手から逃れ、隅に寄ったキャッシュとリナリーの前に、ミランダが立った。 「あっ・・・あの! キャッシュさんと石はちゃんと守りますから、ミカエラさん、一旦リナリーちゃんから離れてくれませんか?!」 『え・・・』 「今、アクマを壊せるのは彼女だけなんです・・・きゃあ!!」 ミランダが張り巡らせた時の壁を壊そうと、アクマ達が一斉に銃弾を放つ。 「わたセ」 「いのセんす」 「わたセ」 「わたセ」 「わたセ」 爆音に混じって、甲高い声の合唱が響き、ミランダの手が震えた。 「早く!」 「うん!」 ミランダの声に、リナリーの声が答える。 「大丈夫、レベル1だ!」 声を残して、リナリーの姿が消えた。 次の瞬間、アクマ達は彼女の姿も見えぬうちに、次々と破壊されていく。 「すご・・・! これが『ダークブーツ』か・・・」 エクソシストの戦いを初めて目の当たりにしたキャッシュが、残像すら見せないままアクマを破壊していくリナリーに目を丸くした。 あっという間に勝負はつき、アクマの残骸の上に、リナリーが降り立つ。 「終了!」 得意げに笑ったリナリーの表情が、しかし、がらりと変わった。 『よかった・・・もう、奪われる心配はないのね・・・』 涙を浮かべて安堵すると、彼女はキャッシュに預けた石を示す。 『私が見つけた石・・・たぶん、それが天使を動かしていたの。 でも、私が槍の中の石を取ってからは・・・なんだか動きがぎこちなくなって、ただの人形になってしまった』 「なんでそんなことしたのよ」 行儀悪いわね、と、呆れるキャッシュを、ミカエラはムッと睨んだ。 『不思議な石・・・重なった輪の中で、光りながらくるくる回って・・・私が持っていたどんな宝石よりもキレイだった・・・』 「確かに、強欲は罪だね」 キャッシュがきっぱりと言うと、ミカエラはますます不機嫌な顔になる。 『誘惑されたのは認めるけど・・・すぐに返そうと思ったのよ。 でも、見習い期間が終わったら、この時計塔に登る機会がなくなって・・・』 ぐずぐずしているうちに、イノセンスの気配を嗅ぎ取ったアクマに襲われてしまった。 『その時・・・なんとしても守らなきゃって思った・・・。 でも殺されそうになって、どこか、見つからない場所に隠さないと、って思ったら・・・』 世界で最も堅いはずのダイヤモンドの原石の中に、それは吸い込まれていったと言う。 「まぁそんな・・・でもイノセンスなら、そう不思議なことでもありませんね」 数あるイノセンスの中でも、かなり特殊なイノセンスの適合者であるミランダが、あっさりと納得した。 『でも、困った・・・。 天使にこれを返さなきゃいけないのに、こんなに大きな石に飲み込まれたんじゃ、もう槍の中には入らない・・・。 それに、この石を入れたまま、原石が研磨に出されたら、きっと壊されてしまう・・・』 「んー・・・まぁ、イノセンスが入ってるなら、壊れるのは研磨機の方だと思うけどね」 しかし、そのことをミカエラが知らないのも無理はない、と、キャッシュは頷く。 「それで、あんたはこの原石がどこにも行かないように見張ってたんだね」 その問いに、今度はミカエラが頷いた。 『なのに父様は勘違いして、私の未練を浄化しようと教会に・・・』 「あぁ、そこまでは良かったけど、ミカエルじゃなく、悪魔の方に入れられちゃった」 ミカエラはもう一度頷き、顔を覆う。 『この天使の槍は、なんでも貫くって伝説の槍だもの・・・! 私・・・いつこの石が砕かれるか、気が気じゃなくて・・・だって、天使を動かしていたものを、天使の槍が壊してしまうなんて、あんまりだわ・・・!』 「え・・・? でも、ダイヤモンドって世界で一番硬いんでしょう? 砕けるなんて、そんなに簡単に・・・」 不思議そうに首を傾げたミランダには、二人とも首を振った。 「世界一硬い、って言うのは、引っ掻いて傷かつくかどうかって意味で、ダイヤモンドだって、ハンマーで簡単に砕けることもあるよ」 『その原石も、欠けた部分があるでしょう? ・・・・・・私が落としたの』 気まずげに目を逸らしたミカエラに、キャッシュがちらりと笑う。 「事情はわかった。 イノセンスは教団が回収して、この件は、あたし達から院長に報告しておくよ・・・時計塔壊しちゃった事情も含めてね」 床にぽっかり開いた穴を見下ろして、キャッシュは声を引き攣らせた。 「・・・怒られるでしょうねぇ」 彼女の気持を代弁するかのように、ミランダが声を震わせる。 その様に苦笑し、キャッシュはミカエラに向き直った。 「イノセンスを守ってくれて、ありがとね。 後はあたしたちに任せて、あんたは天国に行きなよ」 『い・・・行けるかしら・・・・・・』 イノセンス盗っちゃったし、と、不安げなミカエラに応えるかのように、時計塔の鐘が鳴り出す。 幾重にも響いて、祝福を奏でる中、大天使が悪魔を追いかけ出した。 「・・・あんたはさ、3ヶ月もの間、あの槍に貫かれたんじゃない」 じっと人形を見あげる彼女に、キャッシュが笑いかける。 「罪はとっくに浄化されたよ。 安心して逝っといで」 『うん・・・・・・』 微かに微笑み、彼女は二人に向き直った。 『ありがとう・・・さよなら』 最期ににっこりと微笑み、灰色の影がリナリーの身体から立ち昇る。 意識を取り戻し、はっと瞬いたリナリーに、手を振るミカエラが微笑み、冬の日差しの中へと淡雪のように溶けていった。 「・・・・・・と、言うわけで、事件は解決しました」 「そう・・・・・・」 報告を終えるや、院長の厳しい目にじろりと見回され、三人は身を寄せ合う。 「あ・・・あの、時計塔の修繕費は、教団の経費で・・・」 「それは結構」 きっぱりと言われ、三人はますます身を寄せ合った。 「あの娘を浄化してくれたことを感謝します。 私の誤解を解いてくれたこともね」 初めて好意的な評価を受けて、三人はほっと吐息を漏らす。 「しかし、大天使をこの街の守護天使にしていたものは・・・持ち帰るのですね」 「はい・・・あの・・・・・・」 またもめるだろうかと、緊張気味に言葉を選ぶリナリーを見遣り、院長は頷いた。 「そのようなものがなくとも、大天使は我が街を守護したもう」 「え?!」 説得までの話法を組み立てていた所にあっさりと言われ、思わず声をあげたリナリーの前で、院長は厳かに手を組み合わせる。 「これは私達、祈りの領分ですよ。そうでしょう?」 ここに来て初めて、にこりと笑った院長に、三人は呆然と頷いた。 「一件落着・・・今日中に終わってよかったね」 しかもまだ昼、と呟きかけて、キャッシュが大声をあげた。 「なっ・・・なんですか?!」 方舟の、白い街中に響き渡った大声にミランダが怯える。 「ランチし損ねた!」 「あ!ホントだ!」 「あぁ・・・。 それどころじゃありませんでしたからね」 手を打って頷いたリナリーの隣で、ミランダが胸を撫で下ろした。 「ジェリーさんがおいしいランチを作ってくれますよ。 早く帰りましょう?」 「うん! ・・・あ、その前に!」 ミランダの腕を掴んだリナリーが、突然踵を返す。 「今度はなに?!」 リナリーの動きについていけず、ミランダがたたらを踏むと、彼女はにんまりと笑った。 「せっかくだから、街でお買い物していこ? 班長にプレゼントするでしょ?」 「え?!」 「ランチは?」 不満げな声をあげたキャッシュにも微笑みかける。 「カフェにでも行けばいいよ!ね?!」 「いえ・・・でもあの・・・・・・!」 真っ赤になって、声を詰まらせるミランダに、リナリーは首を傾げた。 「なに?」 「えっと・・・もう・・・その・・・・・・」 あげちゃった、と、ミランダが口の中でぼそぼそと呟くと、二人はあからさまにがっかりした顔をする。 「・・・なんだよ、せっかくからかえると思ったのに」 「かっ・・・からかうって・・・・・・」 十も下のリナリーにそんなことを言われても、反論できずにただ赤面するミランダを、キャッシュが呆れたように見遣った。 「あんた年上なんだから、なんか言ってやればいいのに」 リナリーの頭を、大きな手でぐりぐりと撫でながら言うと、彼女の手から逃れたリナリーがくるりと振り向く。 「キャッシュは? 誰かにあげないの?」 「なんでよ。 プレゼントは男がするもんでしょ」 「そうなのっ?!」 「少なくとも、あたしがいたトコじゃそうだったわよ」 「・・・言っておきますけど、ドイツにもこんなお祭りな雰囲気はありませんよ」 もっと真面目だもの、と呟いたミランダにリナリーは瞬いた。 「そうなんだ・・・じゃあ、班長からももう、何かもらったの?」 問うと、ミランダは随分と長い間ぐずぐずした挙句、左手の手袋を外す。 「お花はもらってませんけど、ピンキーリングを・・・幸せのおまじないね」 ミランダの小指で銀色に輝く指輪を見たリナリーは、ムッと眉根を寄せ、キャッシュの耳に何事か囁いた。 「・・・・・・いいわよ」 「なにがですかっ?!」 明らかに自分に対する陰謀が進行中だと気づいて、ミランダが悲鳴じみた声をあげる。 が、二人はにんまりと悪い笑みを浮かべると、本部へ通じる扉を目指して駆け出した。 「ちょっ・・・待って!」 慌てて追いかけるが、リナリーはもとより、キャッシュも意外な素早さを発揮して、ミランダに追いつかれる前に扉を出る。 「ただいま!」 大声をあげた二人に科学者達の視線が集まり、中でも一際背の高い白衣が手をあげた。 「おう、お帰り。 キャッシュ、初任務はどう・・・・・・」 「班長〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」 「おばけこわかったぁぁぁぁっ!!」 絶叫しつつ二人はリーバーに飛びつき、彼を押し倒す。 「重・・・っ!! なにやってんだお前ら!どけぇぇぇっ!!!!」 「やだー。はなれたくなーぃ」 「はんちょーだいすきー」 意味の割には全く熱のこもっていない言葉を吐きつつ、リナリーとキャッシュは暴れるリーバーを押さえ込んだ。 「おー・・・いいなぁ、班長」 「若い子にモテモテじゃないっすかぁ」 「うらやましいなぁ」 二人になんらかの思惑を感じつつも、リーバーの受難を面白がっている科学者達の間を、ミランダが走り抜ける。 「も・・・リーバーさんに意地悪しちゃダメでしょ!」 呼吸を乱しつつもイノセンスを操り、ミランダは二人を自らの足で、リーバーの上からどかせた。 「だ・・・大丈夫ですか?」 やはり自らの足で立ったリーバーを見上げて問うと、彼は気まずげに苦笑する。 「あぁ・・・サンキュ」 「いえ・・・それより、今から解除しますので、ちょっとそこをどいてくださいな」 「あ、そうだな」 ひょい、と、リーバーが2、3歩下がったと見るや、ミランダはイノセンスを解除した。 「きゃ!!」 「うわ!!」 おかげでリナリーとキャッシュは、何もない床に勝手に倒れこむ。 「イタ!!おでこぶつけた!!」 「うぇ・・・おなかぶつけた・・・!」 「自業自得ですよ、もう・・・・・・」 と、呆れて吐息するミランダの傍らから、リーバーが進み出た。 「ひっ!!」 リナリーはともかく、キャッシュまでもが片手で軽々つまみあげられ、二人は怯えた小動物のように震え上がる。 「なんのつもりだ、お前ら?」 「ごごごごご・・・ごめんなさい、班長!!」 「ミミミ・・・ミランダがのろけるからつい、からかってやろうと・・・!!」 「え?」 「のろけてませんっ!!!!」 この期に及んで陰謀を続行しようとするリナリーに、ミランダが思わず声を高めた。 「え?のろけてたよ?」 「ねー? なんだよ幸せのおまじないって、ナンダヨ」 逃げ道を察したキャッシュまで同乗し、リナリーがとどめを刺す。 真っ赤になって声もないミランダと、その傍らで困惑げなリーバーの姿に、顔を見合わせた二人はにんまりとほくそえんだ。 「あ!お前ら・・・!」 リーバーの隙を突いて、彼の手から逃れた二人は、そのまま出口へ向かって駆け出す。 「あたし達、報告書作成してきまーす!」 「ミランダは科学班のお手伝いよろしく!」 捨て台詞を残して、素早い二人はまんまと科学班から逃げ出した。 その頃、ランチタイムで賑わう食堂に、ラビが姿を現した。 「あれ? もう元気になったんだ!」 「いるだけでうるさいんですから、今日一日くらい寝ていればいいのに・・・」 「マユゲ、てめぇ・・・!」 リンクの酷い言葉に頬を引きつらせつつ、ラビはアレンの隣に座る。 「アレン、花束サンキュ。 そんで、クラウド元帥しらね?」 言いつつ、ラビがテーブルに置いた花束に、アレンは目を丸くした。 それはアレンがオーストラリアから運んできた花に、クロウリーが育てた大量のバラも加わって、とてつもなく巨大になっている。 「僕は見てないけど・・・部屋にいないんですか?」 「いないんさ・・・任務にも行ってねぇって言うから、城のどこかにはいるはずなんケド」 ふぅ、と、切なく吐息するラビに、アレンがにんまりと笑った。 「じゃああれじゃない? 毎年君がうるさいから、逃げ回ってる・・・」 「ありえますね」 「お前ら超酷くね?!」 ラビがテーブルを叩いて絶叫するや、アレンが吹き出す。 「だってホントじゃないですか! 毎年毎年追いかけて、さすがに元帥がお気の毒ですよ!」 けらけらと笑うアレンの、絆創膏を貼った額にラビの強烈なチョップが入った。 「い〜〜〜〜っ!! なにすんだヘタレウサギ!!!!」 噴水のように鮮血を噴き上げる額を押さえて、アレンが絶叫する。 「やかましいさ! お前、いつも俺にお世話ンなってんだから、こんな時こそなんか解決策提示したらどうなんさ!」 悔しいが本当のことなので、アレンはリンクが差し出したタオルで止血しながら、首を傾げた。 「追いかけてダメなら、おびき出す作戦、とか?」 「どーやってさ?!」 すかさず身を乗り出したラビから身を引きつつ、アレンは困惑げに顎を引く。 「元帥が好きなもの・・・可愛い小動物をプレゼントする・・・とか?」 「小動物!!」 大声をあげるや、ラビは食堂を駆け出ていった。 間もなく戻ってきた彼の姿に、アレンだけでなく、食堂にいたほとんどの人間が、持っていた食器類を落として唖然とする。 「あ・・・・・・あんたなにやってんデスカ・・・・・・!」 かろうじて引き攣った声をあげたアレンの眼前で、椅子の上に立ったラビが両手を腰に当てて胸を張った。 「俺は本気さ!!」 そう宣言した声は、いつもの彼とは段違いに甲高く、逆に背丈は低くなって、頭には長い耳がついている。 「こ・・・この耳は本物ですか・・・?」 リンクまでもが声を引き攣らせ、ラビの頭上で揺れるウサギの耳を指差した。 「おう! 科学班に行って、子供に戻る薬とウサ耳になる薬を一緒に飲んだんさ! どーさ、俺の本気 「・・・・・・本気すぎてドン引きしました」 アレンの感想に、声を失ってラビを見つめていた団員達が一斉に頷く。 だが、ラビは意に介した様子もなく、テーブルの上に置いたままの花束にしがみついた。 「へへっ♪ これで元帥のハートをわしづかみさ! さっそく探して・・・よいしょ、探し・・・うわわっ!!」 小さな子供の手には大き過ぎる花束に苦戦し、ようやく持ち上げたと思えばバランスを崩して、椅子から転げ落ちそうになったラビを、アレンが慌てて支えてやる。 「ねぇ、そんなに大きな花束を運ぶのは無理じゃないかな?」 「自分の身体より大きいじゃありませんか」 リンクにまで呆れ口調で言われ、テーブルの上に花束を戻したラビは、ぱんぱんに頬を膨らませた。 「イヤさ! せっかく用意したんだもんさ! 絶対元帥にあげるんさ!!」 「でも・・・どうやって運ぶんですか?」 すぐに力尽きるよ、と、アレンが的確なアドバイスをしてやると、首を傾げて考え込んでいたラビが不意に手を打ち、椅子から飛び降りてまた、食堂を駆け出て行く。 「今度はなに?!」 大きな籠を引きずって戻ってきたラビに、アレンが顔を引き攣らせた。 と、ラビは籠の中に苦労して持ち上げた花束を詰め込む。 「アレン! これ、カウンターに置いてさ!」 「は?! ・・・・・・はぁ」 一体なんのつもりだろうとは思いつつも、アレンは指示通り、花束の入った籠を注文カウンターの上に置いてやった。 「これでい?」 「おう!」 見下ろしたラビはにこりと笑うと、アレンの身体を伝ってカウンターによじ登り、自ら籠の中に入る。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんのつもりか、聞いていい?」 奇妙な行動にほとんど声を失いつつ、アレンが問うと、ラビは大きな笑みを浮かべた。 「元帥に俺をプレゼント 言うや、ラビは『Present For You 「姐さん!ねーさん! クラウド元帥呼んでさ 「え・・・・・・えぇ・・・・・・・・・」 呆然と状況を見守っていたジェリーが、いきなり水を向けられて、慌てて無線を入れた。 「ク・・・クラウドちゃん、ランチにこない? なんでって・・・うぅーん・・・なんでかしら・・・あぁ・・・面白いものがあるから・・・かしら?」 「ちょっ・・・姐さん! そんなん言ったら、警戒して来てくんないさ!」 バタバタと手を振りつつ抗議するラビをちらりと見遣り、ジェリーは困惑げに小首を傾げる。 「と・・・とりあえず、来てみてくれるぅ? どうするかは、クラウドちゃん次第だわ・・・・・・」 思わせぶりな言葉と共にジェリーが通信を切ると、さすがに気になったのか、間もなくクラウドがやってきた。 「なんなんだ、ジェリー。 あんなわけのわからない通信・・・・・・・・・っ!」 訝しげに言いつつ、ふとカウンターに目をやった途端、クラウドが絶句する。 「元帥元帥 ぷれぜんと・ふぉー・ゆーぅ ぴこぴこと耳を揺らし、上目遣いにクラウドを見つめる仔ウサギの姿に、クラウドの動きが止まった。 「お・・・・・・お前、まさか・・・!!」 彼女の肩の上では、小猿までもが唖然と口をあけてラビを見つめる。 「えへ ひろってくださいさ 「・・・・・・・・・っ!!」 「あ、撃ち抜いた」 頬を染めて動きを止めてしまったクラウドの姿に、アレンが乾いた声を漏らした。 「元帥元帥、これ、可愛いけどラビですよ?」 いいのか、と、アレンが念を押すと、クラウドは仔ウサギから視線を外せないまま、声を引き攣らせる。 「ラ・・・ラビなのに可愛い・・・!」 「同じような言葉でも、逆にするだけで意味が変わってきますね」 籠の中でキラキラと目を輝かせる仔ウサギと、彼から目を離せないクラウドを見比べ、リンクがため息を漏らした。 「悔しいが可愛いな・・・悔しいが・・・!」 と、呆然と呟くクラウドの肩の上で、小猿が威嚇するかのように歯を剥き出す。 「これ、ラウ。 なにを脅しているんだ、おやめ」 クラウドが肩の小猿に向かって眉をひそめ、手をラビに伸ばした途端、 「キィィィ!!」 小猿は甲高い声をあげながらラビに飛び掛り、爪を立てた。 「なにすんさこのクソザルッ!!」 「キィ!!キィィィィッ!!!!」 小動物同士の戦いを前にして、アレンが乾いた笑みを浮かべる。 「元帥・・・ラウは、ラビに嫉妬してんじゃないですか?」 「まったく・・・」 ため息をつきつつ、クラウドは甲高い声をあげて戦う二匹の首根っこを両手でつまみあげた。 「ラウ、おやめ」 じっと目を覗き込んで命令すると、小猿はおどおどと目を逸らし、あっという間におとなしくなる。 「ラビも」 「俺は最初ッからいい子さ!」 「あ・・・そうだったな」 じたじたと暴れる仔ウサギを軽々と持ち上げたまま、クラウドは暢気に頷いた。 「それにしても見事に小動物だな・・・」 肩の上に小猿を戻したクラウドは、ラビを抱えなおして正面からまじまじと見つめる。 「えへ 元帥、ひろってくださいさ 再び言ったラビに、クラウドは悩ましげに眉根を寄せた。 その様に、アレンが目を見開く。 「あんな元帥、初めて見ました・・・。 いつもは放り捨てて踏み潰すのに・・・・・・」 「まぁ、今は小動物ですからね・・・」 母性本能を直撃されてしまったのだろうと、リンクも肩をすくめた。 「しかし元帥、いかに小動物に見えても、結局それはJr.ですよ?」 「・・・っあぁ! そうだな・・・・・・」 その言葉を聞いた途端、クラウドがふと、夢から醒めたような表情になる。 「コラ!!余計なこと言うんじゃないさ、マユゲ!! 元帥元帥!ひろってさぁ!」 ラビはリンクを睨みつけた目で、懸命にクラウドを見あげた。 「ちょっ・・・上目遣いやめろ・・・・・・!」 動揺を隠せないクラウドに、ラビの目が光る。 「元帥 ぴと、と、クラウドに抱きついたラビが次の瞬間、血みどろの死体に変わるさまを、誰もが幻視した。 が、視線を寄せていた全員が顎を落としたことに、クラウドはセクハラウサギを振り払いもせず、踏みつけもせずに抱きとめる。 「げげげげげ・・・元帥っ?!」 「それでいいんすかっ?!」 「それラビっっっすよ?!」 さすがに黙って見ていられなくなった団員達が立ち上がり、一斉に駆け寄った。 「離れろエロウサギッ!!」 「テメェ俺が踏み潰してくれるわっ!!」 「よくもこのっ・・・!!」 「あ!待て!!」 ラビの耳を持って、彼女の腕の中から取り上げた団員を、クラウドがすかさず止める。 「ウサギの耳を持ってはいかん!」 「・・・・・・へ?」 わけのわからない命令に団員達が呆然とする中、クラウドはラビの首根っこを掴んで持ち上げた。 「いいか、ウサギの耳はデリケートな部分なんだ。 食材にするのならばともかく、飼う場合は首根っこを掴んで持ち上げ、もう一方の手を添えて抱き上げないと」 こんな風に、と、実践したクラウドにまた、ラビが抱きつく。 「元帥ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」 「俺の元帥が穢されるゥゥゥゥッ!!」 絶叫の大合唱に、アレンが思わず耳を塞いだ。 「食材決定!!」 「料理長!これ煮込んで!!」 「シチューにしてくれ、シチューに!!」 むくつけき男どもが涙目で訴える様には、迫られたジェリーだけでなく、傍から見ていたリンクまでもが辟易とする。 「元帥、この場を鎮めるためにも、Jr.の飼育は断念されることを提案しますが」 「あぁ、そうだな・・・うん、そうなんだが・・・・・・」 悩ましげなクラウドにしがみついたまま、ラビがすりすりと頬を摺り寄せた。 「悩むんだったらお試しで飼ってさぁ 「殺すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」 「な・・・なんの騒ぎ・・・?」 大絶叫が沸いた瞬間、食堂に足を踏み入れたリナリーとキャッシュが、思わず足を引き戻す。 「あ、リナリー キャッシュさんも、お帰りなさい」 「・・・早かったのですね」 「ただいま、アレン君 監査官も、すごくイヤそーな顔でお迎えありがとうございます アレンにはにっこりと、リンクにはこめかみを引き攣らせつつ、リナリーは笑って手を振った。 「それよりこれ、どーしたの?」 「えぇと・・・・・・」 キャッシュに問われて、アレンは気まずげにクラウドを・・・正しくは、彼女が抱く仔ウサギを示す。 「・・・・・・・・・ラビったら」 一目で状況を察したリナリーが呆れ、キャッシュは小首を傾げた。 「なんの生き物、アレ?」 「・・・・・・・・・ラビです」 小さくなる薬と、ウサ耳が生える薬を併用したのだと言えば、キャッシュは反対側に首を傾げる。 「薬・・・それ、科学班が作ったやつ? じゃあ、併用なんかしちゃったらヤバイんじゃない?」 「やっ・・・やばいって・・・?」 「どんな風に?!」 かつて、自身らも科学班の作った薬を服用した経験があるために、蒼ざめた二人をキャッシュが見下ろした。 「思わぬ副作用が出るかもしんないってこと。 服用した薬の成分がどんなのか知らないから、どうなるかなんてハッキリとは言えないし・・・多分、作った本人達もわかんないと思うけどね」 「副作用・・・」 「まぁ、それも当然かもしれませんね」 不安げな声を揃えたアレンとリナリーの傍らで、リンクが肩をすくめる。 その時、 「ラビ?!」 喧騒の中心で、悲鳴じみた声が上がった。 クラウドだけではない、団員達の声に引かれて視線を戻した先で・・・仔ウサギは更に縮んで、クラウドの小猿とほぼ同じ大きさになっていた。 「きゃあああ!!ラビが!!」 「ラビが本物の仔ウサギにぃぃぃぃぃぃ!!!!」 ジェリーの悲鳴に団員達が唱和し、あまりのことに凍りついていたアレンが意識を取り戻す。 「じっ・・・自業自得とはいえ、あんまりな展開・・・・・・」 「戻れるの・・・? あれ、戻れるの・・・・・・?」 不安げに見つめるアレンとリナリーの傍らで、リンクが嘆かわしげに首を振った。 「全く・・・こんなことで希少なエクソシストを失うとは」 忌々しげに呟いたリンクに、『殺さないで!』と、アレンとリナリーが唱和する。 「殺さなくても、このままでは職務が果たせないのは明らかではありませんか」 それとも、と、珍しく楽しげな口調で、リンクが口の端を曲げた。 「あなたの使役獣になさいますか、元帥?」 「まぁ・・・いざとなればそれも考慮するか」 軽く肩をすくめ、クラウドは腕の中で泣きじゃくるラビに苦笑する。 「ホラ、泣くな。 科学班に連れて行ってやるし・・・まぁ、仔ウサギでいる間は、飼ってやってもいい」 「ホントさ?!」 涙を振り切って喜色を浮かべたラビに、クラウドが頷いた。 「まずは科学班か。 お前達、おどき」 涙目の団員達を押しのけ、ラビが用意した花束を持って食堂を出て行くクラウドの肩越し、満面に笑みを浮かべた仔ウサギが顔を出して手を振る。 「じゃーなー! 俺、元帥の飼いウサギになるさー 「そ・・・・・・」 「それでいいんだ・・・・・・」 ブックマンになるんじゃないのか、と、団員達は呆れ返った顔で彼らを見送った。 「帰って来なくていいですよ、もう・・・」 追いかける気力も失くして、それぞれのテーブルに戻った団員達と共に、アレンもまた、席に戻った。 「なんだかぐったりしたよ・・・」 ラビが座っていた席に腰を下ろし、リナリーがテーブルに突っ伏す。 「あ、そうだ! 任務お疲れ様でした、リナリー」 にこりと笑い、アレンはリナリーを挟んで向こう側に座るキャッシュにも微笑みかけた。 「初任務はどうでした?」 「大変だったよ、それなりにね」 その割には動じていない様子のキャッシュに、アレンがくすりと笑みを漏らす。 「その様子じゃ、アクマはいなかったみたいですね」 「いたよ。 アクマだけじゃなく、ゴーストも」 むくりと起き上がったリナリーが言うと、アレンは目を丸くした。 「なのにそんなに落ち着いてるの?! ・・・すごいですね、キャッシュさん。 あんなの見たら、大の男でも泣いて逃げ回るよ?」 「資料見てたからね。 こんなもんか、って思っただけ」 「だからって・・・普通は怖いと思うけどなぁ」 「肝が据わってるよ」 キャッシュを頼もしげに見つめて、リナリーが微笑みかける。 「女の子チーム要員決定だね! これからもがんばろーね!」 「うん」 にこりと笑いあって、こぶしをぶつける二人の傍ら、アレンが苦笑した。 「女の子だけでチーム組まれちゃったら、僕の任務がつまんなくなりそう」 ただでさえ男ばっかりなのに、と、さりげなく不満を漏らすアレンに、リナリーとキャッシュが弾けるように笑う。 「チーム編成に必要なら、混合チームだってオッケーだよ! ね、キャッシュ?」 「うん。 今回で現場も体験したしね。 次はもっと役に立てそう」 「今日だって十分役に立ったよ! 午前中だけで解決できたのは、キャッシュのおかげだもん!」 嬉しげに言ったリナリーは、はっと口をつぐんだ。 なぜ自分が早く任務を終わらせたかったのか、その理由を思い出したのだ。 途端に静かになったリナリーの隣で、アレンが突然席を立った。 どきっと、跳ねた心臓を抑えつつ肩越しに振り向くと、アレンがにこりと笑う。 「早く帰ってきてくれて、助かりました。 ちょっと部屋に戻りますけど、僕が帰ってくるまでここにいてくれますか?」 「う・・・うん・・・・・・!」 頬を染めて頷くと、アレンも笑みを深めて頷いた。 「リンク、いこ! きっと、ミランダさんも戻ってきてるよ」 「・・・っそうでした!」 リンクも素早く立ち上がり、アレンの後を追う。 「・・・よかったじゃん」 にんまりと笑ったキャッシュに、リナリーは紅い顔を俯けたまま頷いた。 「先にマンマを探しますよ!」 部屋に戻り、ワイルドフラワーの花束を取り上げるや言い放ったリンクに、アレンはムッと眉根を寄せた。 「なんだよワガママなんだから!」 「・・・・・・っ誰に言われても、君に言われるとは思いもよりませんでしたよ!」 心底意外そうに目を見開いたリンクに、アレンがますます眉根を寄せる。 「ふんだ、マザコン」 「・・・ウサギと一緒においしく煮込んでやりましょうか、暴言猫!」 早くしろと、部屋から蹴り出されてアレンがむくれた。 「なんだよ、乱暴者! マムに言いつけてやる!」 「リナリー・リーに、日頃の行いを報告してやりましょうか、腹黒猫?」 「・・・・・・すみませんでした」 顔を引き攣らせながらもこうべを垂れたアレンを冷たく見下ろし、リンクは胸ポケットから無線機を取り出す。 「リンク監査官です。 お尋ねしたいのですが、マンマは今、どちらにいらっしゃいますか?」 資料室、との返事を受けて、リンクがこめかみを引き攣らせた。 「ありがとうございます。 ・・・あのホーキ頭! またマンマを雑用に使いおって!!」 無線を切るや、忌々しげに唸る忠犬に、アレンが吐息を漏らす。 「ミランダさんだって好きでやってるんですから、いいじゃないですか。 最近は第2第3の班長さん達がうるさくて、お手伝いする口実探すのに苦労してるみたいだし。 この上君まで吠え立てたら、さすがのマムも犬嫌いになるよ?」 「くっ・・・! いいでしょう、このことはさりげなく、あのホーキに釘を刺すとして!」 硬くこぶしを握って言い放ったリンクに、アレンが乾いた笑みを浮かべた。 「刺すんだ・・・」 「急ぎますよ!」 「はいはい・・・」 更に急かされて、アレンは渋々彼に続く。 「後がつかえてんですから、さっさと済ませてよね」 「うるさいんですよワガママ猫が! 私は君のせいで24時間任務につかされているのですから、たまには協力しなさい!」 「僕はいつでも抜けてもらっていいんだけど・・・」 ものは言いようだな、と、アレンはリンクの言い分に、思わず感心した。 「つべこべうるさい子供ですね! あんまり逆らうようなら、本気で君の行状をリナリー・リーに・・・」 「だからすみませんってばリンクさん・・・」 もう何も言わない、と、頬を膨らませ、アレンは黙って彼の後に従う。 二人がカルガモの親子のように連れ立って、足早に資料室に達した時―――― 中から響いた轟音に、驚いてドアを開けた。 「マンマ!!」 「ミランダさん?!」 「あ・・・・・・」 二人の大声に、ドミノ倒しになった書架の前に立つミランダが、気まずげに振り向く。 「おっ・・・お怪我は?!」 「向こう側に倒れたから、私は大丈夫・・・だけど・・・・・・」 真っ青になって詰め寄るリンクに微笑むと、ミランダは書架から飛び出し、宙に浮いたままのファイル類を示した。 「イノセンスを解除したら、これが雪崩れてしまうの・・・・・・」 「なんでこんなことに・・・」 まるで固定されたかのように、宙に浮いたままびくともしないファイルを興味深げにつつきながらアレンが問うと、ミランダは苦笑を深める。 「本棚の一番上にまで、重いファイルが詰め込まれてたのね・・・。 なのに私ったら、ワゴンにファイルを積みすぎて、前が見えなくって・・・ワゴンごと本棚にぶつかっちゃったの・・・・・・」 「それでこんなドミノ状態に・・・って、一番上の段に重いファイル・・・?」 宙に浮いたファイルから手を放して、アレンは肩越しにリンクを見遣った。 「こないだ・・・ここに閉じ込められてファイルの詰め込み作業やってたの、リンクだよね?」 「申し訳ありません、マンマッ!!」 声まで蒼白にして、深々と頭を下げたリンクに、ミランダが目を丸くする。 「私の注意が至りませんでした!!」 「い・・・いえそんな、本棚を倒したのは私ですから・・・」 「ま、やってしまったことは仕方ないですよね。 リンク、被害を最小限に押さえる為にも、今のうちに手を打ちましょ」 言うや、アレンは資料室に備蓄された紐を取り上げ、リンクに放った。 「これでファイルが棚から飛び出さないように、括りつけちゃいましょ。 ミランダさん、もうちょっとがんばってくださいね!」 「え・・・えぇ・・・ごめんなさいね、私のせいで・・・・・・」 しょんぼりと肩を落としたミランダに、アレンは笑って、リンクは必死に首を振る。 「このくらい、当然ですよ!」 奇しくも揃った声は、必死さにおいて格段の差があった。 しかし、作業の手際にはさほど差はない。 間もなくファイル類は、傾いた書架に固く括りつけられた。 「はい、じゃあ解除してください」 「は・・・はい!」 アレンの指示に頷き、ミランダがイノセンスの発動を止める。 と、大きな音を立てて倒れた書架は、その棚からファイル類を零すことなく、ただの箱のように折り重なった。 「じゃ、起こしますか」 「今後、このようなことがないよう、書架を固定すべきですね!」 「それは同感」 珍しくリンクの意見に同意したアレンは、左腕を発動させる。 「じゃあこれ、起こしていくから、リンクは反対側に倒れないように支えてね」 「いいでしょう」 「まぁ・・・・・・!」 マッチ箱でも起こすように、ひょいひょいと本棚を起こしていくアレンに、ミランダが感心した。 「さすがねぇ、アレン君・・・」 「えへへ このくらい、軽いですよ むしろ面倒なのは、ばら撒かれたものを拾う方、と、アレンは肩をすくめる。 「でもミランダさんが止めてくれたおかげで、被害は最小限ですね」 「それでも・・・かなり多いですね」 既に雪崩れて、宙に浮いていた分はさすがに括れなかったため、重力に引かれて床に落ちていた。 「でもこのくらいなら、私一人でも・・・」 言いかけたミランダに、リンクとアレンが首を振る。 「私が・・・」 「リンクがお手伝いしますよ リンクの言葉を遮り、アレンがにこりと笑った。 「やるよね、リンク?」 「え・・・えぇ、もちろんです!」 そう言うつもりだった、と頷く彼に頷きを返し、アレンはミランダに手を振る。 「じゃあ僕、リナリーのとこに戻りますんで、後はリンクに任せておいてください 「なっ・・・ウォーカー!!」 「お手伝いがんばってね、リンク くるりと踵を返し、部屋を出て行ったアレンを追おうにも、ここにミランダを一人残すわけにも行かず、リンクは足を止めた。 「あの・・・いいのよ?後は私がやるし・・・」 気遣わしげな声に、しかし、リンクは決然と首を振る。 「いいえ! お手伝いさせていただきます! ・・・あぁ、その前に」 本来の目的を思い出し、リンクは作業台の上に置いていた、大きな花束を取り上げた。 「どうぞ、マンマ!」 得意げに差し出すと、ミランダは目を輝かせる。 「まぁ、素敵な花・・・! こんなの見たことないわ・・・」 色とりどりの花々を一つ一つ見つめるミランダに、リンクはますます得意げに胸を張った。 「オーストラリア原産の花で作ったブーケです!」 「オーストラリア・・・まぁ ぱぁっと紅く染まった頬に、ミランダは細い手を当てる。 「指輪だけでよかったのに、お花もなんて・・・・・・ 「はい? 指輪?」 訝しげに眉根を寄せたリンクを見あげ、ミランダは小首を傾げた。 「だってこれ、リーバーさんからでしょう?」 「・・・・・・は?!」 なぜよりによってここであのホーキ頭の名前が、と、こめかみを引き攣らせるリンクの様子に気づかないのか、ミランダは嬉しげに花束を抱きしめる。 「ふふ・・・嬉しいわ お使いありがとう 「お・・・お使い・・・・・・?!」 違う、と、言下に否定したかったが、ミランダの嬉しそうな顔を見てはそれも言えず、リンクは苦しげに喘いだ。 「よっ・・・喜んでいただけてっ・・・光栄っ・・・ですっ・・・・・・!!」 ようやくそれだけ言うと、彼は脳裏に点滅する不吉な言葉を恐る恐る口にする。 「あの・・・先程、指輪・・・と・・・・・・?」 途端、ミランダは顔を真っ赤に染めて俯いた。 「リ・・・リーバーさんからいただいて・・・・・・」 白目を剥いたリンクの前で、ミランダがいそいそと左の手袋に手をかける。 「あなたにも見せてあげましょうね ほら、素敵な指輪・・・」 「結構ですぅぅぅぅぅっぅぅ!!!!」 絶叫と共に涙をほとばしらせながら、リンクは書庫の奥へと駆けて行った。 「リナリー、お待たせしました 笑みと共に大きな花束を差し出され、リナリーが目を輝かせる。 「嬉しい・・・ありがとう!」 欧州はもとより、東洋ですら目にしたことのない珍しい花々にはしゃぐ彼女を、アレンは嬉しげに見つめた。 「朝、病棟に行った時に、婦長から『本命がいるなら、あちこちに花を振りまくもんじゃない』って言われたんです・・・」 「へぇ、そうな・・・の・・・・・・っ」 今、自分が花をもらっていることの意味に気づき、リナリーは真っ赤になって声を詰まらせる。 「も・・・ものすごく嬉しいよッ!!」 花束を抱きしめた彼女が上ずった声をあげると、アレンはまた、嬉しそうに笑った。 「えへ それとこれ」 「なに?!」 リボンのかかった可愛い箱を差し出され、リナリーがますます目を輝かせる。 「こないだ神田が、せっかくベルギーに行ったのにお土産買ってこなかったんでしょ? 怒ってたって聞いたんで、オーストラリアから帰ってくるついでに寄って来ました 急いでリボンを解くや、リナリーは歓声をあげた。 「チョコレートだ 「それで・・・あの・・・・・・」 大喜びのリナリーを、アレンはやや気まずげに見つめる。 「一人だけならリナリーだったんですけど・・・その・・・・・・」 注文カウンターの向こうで、今日も明るく中華鍋を振るジェリーを肩越しに見遣るアレンに、リナリーはにこりと微笑んだ。 「いいよ。 ジェリーはアレン君のママンだもんね 上機嫌のリナリーが気前よく頷くと、アレンもほっと吐息する。 「じゃあ、急いでクロウリーにお花をもらってこなきゃ!」 なくなっちゃう、と、立ち上がったアレンに、リナリーが手を振った。 「私も後で・・・あの、アレン君に持ってくね・・・・・・」 人の目が多い食堂ではさすがに恥ずかしいと赤面するリナリーに、アレンが微笑む。 「待ってます ・・・っそうだ!女神様にもお礼言わなきゃ!」 「・・・・・・・・・女神?」 突然、トーンの落ちた声に、出口へ伸ばしかけたアレンの足が止まった。 「リ・・・リナリー・・・・・・?」 「女神って、誰のこと・・・・・・?」 まずいことを言った、とは気づいたものの、今更ごまかすわけにも行かず、アレンは額に汗を浮かべて引き攣った声をあげる。 「フェ・・・フェイ秘書官・・・です・・・・・・」 「アレン君まであの人のこと、女神なんて呼んでるんだ・・・?」 「いえあの・・・その・・・・・・!」 100m40秒台の速さで目を泳がせつつ、アレンは懸命に当たり障りのない言葉を捜した。 「あ、そう! ヘカテ! ヘカテみたいですよね、彼女! 地獄の番犬を引き連れて、コムイさんを監禁してるんですよ!」 おかげでコムイを恐れず花を渡せたし、科学班の亡者達にも崇められてる、と、必死に言い募ると、ようやくリナリーが怒りを収める。 「そうだね・・・魔女の支配者って辺りがぴったりかも」 「で・・・ですよねー・・・!」 ブリジットに対して申し訳なく思いながらも、ここは我が身の保身が第一と、アレンは相槌を打った。 「じゃ・・・じゃあ僕・・・・・・!」 震える手をあげたアレンに、リナリーはにっこりと笑って頷く。 「うん、またね 「は・・・はい・・・っ!」 がくがくと頷きながら、アレンは今度こそ食堂を出て行った。 「あれ?ミランダお帰り。 随分かかったね」 キャッシュの明るい声に引かれて、新人の初任務報告書に目を通していたリーバーも顔をあげた。 「なんかあったか?」 そう言って、資料室にファイルを納めに行っただけの割には、長い時間がかかったミランダを気遣わしげに見遣る。 と、彼女は案の定、おどおどと視線を泳がせた。 「ほ・・・本棚がドミノ倒しに・・・・・・」 「なにぃ――――――――?!」 怪我は、と、デスクを乗り越えて駆け寄ったリーバーに、ミランダは慌てて首を振る。 「だっ・・・大丈夫です! 本棚はイノセンスで止めましたし、直後にアレン君とマユゲが来てくれたおかげで、被害は最小限に抑えられましたから・・・」 「そ・・・か。 よかった・・・」 ほっと吐息したリーバーの傍らで、キャッシュが憮然と頬を膨らませた。 「ちょっと班長、あたしの報告書踏んでる!」 「え?! あ、スマン!」 リーバーは慌てて足をどけ、踏み潰していた書類を取り上げる。 「あ・・・あの、それでリーバーさん、本棚なんですけど・・・」 「ん? あぁ、今後こんなことがないように、床と天井で支えて固定させる」 言うやインカムを口元に引き下ろし、早速担当部署に連絡を取る彼を、ミランダが頼もしげに見つめた。 「ちぇっ。 あてられちゃって、つまんないの!」 「え?! あ・・・いえ、そんなつもりじゃ・・・!!」 慌てふためき、ばたばたと手を振るミランダに苦笑しながら、リーバーは報告書の表紙にサインする。 「オッケ、キャッシュ。 初めてにしちゃ上出来だ」 「ありがとうございます、班長」 誉められて、照れ笑いする彼女にリーバーが目を細めた。 「がんばったから、俺を押し潰したことは帳消しにしてやるよ」 「ご・・・ごめんなさい・・・・・・」 片手でつまみあげられたことなどなかったキャッシュが、あの時のことを思い出して冷や汗を流す。 「まぁ、どうせリナリーにけしかけられたんだろうが・・・あいつ最近、悪い仲間とつるんで、どうしようもないおてんばになっちまったからな。 あんま感化されんなよ」 「はーい」 リーバーを群れのボスと認めたキャッシュが、素直に頷く様に、ミランダが思わず拍手した。 「リーバーさんも、立派に猛獣使いですね 「監査官達だけじゃなく、長官まで支配下に置いちまうハウンド・マイスターには敵わないけどな」 仲良く手を打ち合わせた二人の間で、キャッシュがため息を零す。 「どっちもどっちなんじゃん・・・・・・」 お似合いでいいことだ、と、彼女がもう一つため息を零した時、この教団最高の猛獣使いは、新しいペットを手に入れて満足げだった。 「お前、本当に小さくなってしまって・・・そんな状態で、イノセンスは操れるのか?」 クラウドが彼女の小猿と一緒に、ベッドの上で跳ねるラビを見下ろすと、彼は大きく頷いてポケットから槌を取り出す。 「だいじょーぶさ! これは、俺の腕力とはカンケーなく破壊力があるんだもんさ♪」 えぃっと、振り下ろした槌をラウが、真剣白刃取りの要領で両手に挟み込んだ。 「やるさね、おぬし!」 「キキッ!!」 「何をやっているのだ、何を」 クラウドがラビの額を指で弾くと、彼は軽々とベッドの上に転げる。 「・・・・・・おや 楽しげに目を細め、クラウドは転がったラビを更に指で弾いて転がした。 「これは面白い 「やーめーてーさぁぁぁぁ!!」 「いいじゃないか。 どうせ今日か明日までしか効果はもたないのだから、今のうちに遊んだって」 科学班でラビが飲んだ薬の成分分析をしてもらい、ほぼ正確に予測された結果では、このまま放っておいても1〜2日で効果はなくなり、長引いたとしても処方薬はあると言うことだ。 だったらこのままクラウドの元にいる、と言うのが、ラビの選択だった。 「お前がずっとこのままなら、辞書代わりに飼ってやってもいいのだが・・・」 えいえい、とつつくクラウドを真似て、ラウもえいえいとラビを突き飛ばす。 「ホントッ?! じゃあ俺、このままいようかなっ♪」 ぴょんぴょんとベッドの上で跳ねつつ、ラビがはしゃいだ声をあげた。 ―――― その時、クラウドの部屋のドアを、誰かが粛々とノックする。 「どうぞ、開いている」 ラビで遊びつつ、肩越しに答えれば、それは外からゆっくりと開いた。 「失礼する、元帥」 「おや、ブックマン」 厳格な老人の声と、笑みを浮かべたクラウドが呼んだ名に、ラビがベッドの上で硬直する。 「そろそろ見える頃だと思っていた」 「えぅっ?!なんでさっ?!」 悠然とブックマンを迎えたクラウドの袖に縋り、ラビが声を引き攣らせた。 「なんでも何も・・・」 「アホ弟子をいつまでも放置しておくと思うたかっ!!」 呆れるクラウドの声を遮り、足早に歩み寄ったブックマンが、ラビの首根っこをつまんで彼女から引き剥がす。 「元帥、不出来な弟子が大変ご迷惑をおかけした」 片手に弟子をぶら提げ、深々とこうべを垂れた老人に、クラウドは笑って首を振った。 「いいや、私も十分楽しんだ。 ラビ、お前がブックマンでさえなければ、飼ってやってもいいと思ったのは本当だよ」 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!! どうぞ元帥の名などお捨てになってぇぇぇぇっ!!!!」 微笑むクラウドに、ラビがジュリエットの嘆きを投げる。 が、必死の叫びを彼女は、肩をすくめて軽くいなした。 「なんで私が元帥号を捨てねばならんのだ。 第一、不実なお前なんぞに台詞を使われては、激怒したシェークスピアが墓から這い出てくるぞ」 「そんなおっさん、とっくに白骨さ! 元帥ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」 ブックマンにつまみあげられたまま、じたじたと暴れ狂うラビにクラウドが吹き出す。 「そうだな、私も小動物は嫌いではないし・・・ブックマン、もし良ければ今日一日・・・」 「申し訳ないが元帥、鉄は熱いうちに打てという。 仕置きは迅速にせねば意味がない」 その代わりに、と、ブックマンはにこりと笑みを浮かべた。 「私から元帥に、お好きなペットを進ぜよう。 ウサギがお気に入りか?」 「ふむ・・・・・・」 嬉しげに目を見開き、クラウドがしばし考える。 「食材と間違われないよう、愛玩用、もしくは毛皮用のウサギがいれば・・・」 「承った」 あっさりと頷き、ブックマンは一礼した。 「それでは後ほどお届けする」 「イヤさぁぁぁぁぁ!! イーヤーさぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 元帥ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」 にこにこと手を振るクラウドに、ラビが必死の泣声をあげるが、最早彼女に聞き届ける気はない。 「楽しみにしているぞ、ブックマン」 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!!」 機嫌良く・・・普段の理性的な彼女からは想像もつかないほどに嬉しげな声と共に、ドアは無情に閉ざされた。 ―――― 翌朝、幽鬼のように回廊をさまようラビを見つけたアレンは、不思議そうに首を傾げて、彼に駆け寄った。 「元帥の飼育期間は終わったんですか、ラビ?」 いつもの姿に戻った彼の無残な姿に、また元帥に悪さでもしたのかと問うと、ラビは力なく首を振る。 「違うさ・・・! まだウサギだった間に愛しの元帥と引き離されて、ジジィの説教と折檻の二重奏さ・・・! ううっ・・・!! 今回のジジィ、めっさ怖かったさ・・・!!」 「そりゃあ・・・ブックマンの後継者より、元帥のペットになることを選ぼうとしたんだもん。 ブックマンが怒るのも無理ないよ・・・」 「ほんのお茶目な冗談じゃないさ・・・! ジジィもユーモアくらいわかれよ、いい年して・・・!」 暗い声音でぶつぶつと呟いていたラビは、ふと、アレンの傍らに幽鬼のように立つリンクを見遣った。 「なんさ? 俺よりへこんでるけど・・・」 「あぁ・・・。 なんかミランダさんが、リーバーさんのこと散々のろけたみたいで、昨日から死にそうにへこんでるんですよね」 マザコンですから、と、嘲笑うアレンに反論もしない。 「こりゃ重症さね」 「いじるなら今ですよ!」 「鬼か・・・」 そんな気力もない、と、肩を落として踵を返したラビに、アレンも続いた。 「ねぇねぇ、そんなに元気ないなら、気晴らしに遊びいこ もちろんリナリーも誘って! リンクがカカシになってる今のうちに!」 楽しげに笑いつつ、ラビの腕を引くアレンに、彼は苦笑して頷く。 「じゃー・・・方舟使って、秘境探検でもするか!」 「ま・・・迷子になったら探してよ・・・?」 途端におどおどとしたアレンにラビは吹き出し、絆創膏を貼ったままの額を叩いてやった。 ――――・・・その後、ブックマンがクラウドに贈ったウサギは『ラビ』と名づけられ、彼女に愛玩された上、ラウのよき遊び相手になったため、今ではラビの嫉妬を一身に買っているという。 Fin. |
| 2009年バレンタインSSでした! せっかくのバレンタインなんだからと、リクエストNO.26の『アレリナ&リバミラ』を使わせてもらってますよ ・・・なんか思ったよりラブラブしてないな、と言うのは書き終ってから気づきました;>をーぃ; 当時のオーストラリア通貨がわかんないのに『ポンド』と言っるシーンとか、女の子達の任務のくだりは冗長だったので消そうかとも思ったんですが、せっかく書いたのでそのまま載せます(笑)>をい そしてなんだか、ラビが幸せな雰囲気(当社比)だったのがなんともはや・・・。 まぁ、相変わらずの不憫落ちになってしまいましたが、お楽しみにいただけたら幸いです(^^) |