† EXISTENCE †
†このお話は日本・江戸時代を舞台にしたD.Gray−manパラレルです† D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。 人死が出ますので、苦手な方はご注意下さい。 時代考証はしていませんので、頭空っぽにして読んで下さい。 |
散り初めた桜の花が、風に舞う夜だった。 花見酒にほてった身体を川辺に寄せ、吹き抜ける夜風を心地よく浴びていたその背を、黒い影が覆う。 「へ・・・?」 肩越し、振り向いた彼の表情が、凍りついた。 軋みをあげそうなほどにぎこちなく、目を落とした自身の胸から、銀の刃が生えている。 「ぎっ・・・!」 刃を抜かれる瞬間、肺腑が最期の息と共に吐き出した声は闇に飲まれ、誰の耳にも届かず消えた。 翌朝早く、川に死体が上がったと知らされたアレンは、朝餉の握り飯を頬張りながら駆けつけた。 「ほはほーほはひはふ!ふほほほひほほっ!!」 「・・・頬張ったもん飲み込んで、もっかい最初から言ってみろ」 死体の検案をしていたリーバーに睨まれ、アレンは急いで握り飯を飲み込む。 「おはよーございます!死体の身元はもうわかりましたか?」 アレンが改めて問うと、リーバーは頷いて、死体の傍らに置いた守り袋を指した。 「下町の大工だ。 岡っ引きが聞いてきたところによると、昨夜は棟上の祝いがあって、花見も兼ねて飲んでたらしいんだ」 「あーぁ。 じゃあ、酔っ払って川に落ちちゃったんですか?」 「いや。これを見な」 屈み込んだアレンに、リーバーは死体の襟を割ってみせる。 「刺し傷・・・」 「背中には袈裟懸けの傷もある。 懐を漁ってないところを見ると、辻斬りだな」 辻斬りとは多く、武士が刀の試し切りや腕試しをするために人を斬ることで、幕府の法度により、厳しく禁じられている行為だった。 「さすが小石川養生所のリーバー先生! 推理まで一流ですね!」 背中の傷も見せてもらったアレンが、心底感心する。 「バカ! んなことに感心してる場合かよ!」 ごつんっとげんこつされて、アレンが悲鳴をあげた。 「与力なら、とっとと下手人捕まえろ!」 「でもぉ・・・・・・」 頭をさすりつつ、アレンは涙目でリーバーを見上げる。 「浪人ならともかく、武士だったら僕達、町奉行所の管轄じゃないしぃ・・・こないだだってホラ、直参旗本のバカ息子捕まえて牢にぶち込んだら、目付(めつけ)のリンクにすんごい叱られちゃったじゃないですかぁ・・・」 「んなこと言ってる場合か!」 もう一度げんこつされて、アレンが泣き声をあげた。 「裁くのは目付でも、下手人の目星つけて捕まえる事はできるだろうが! とっととやれ!!」 「あぃ・・・・・・」 頷きつつも、『またリンクに嫌味言われる・・・』と呟いた声を聞かれ、胸倉を掴まれる。 「い・い・な?」 「かしこまりました、先生っ!!」 ほとんど泣き声をあげて、アレンは奉行所へと戻って行った。 「お奉行ー! お奉行!どこですか!」 筆頭与力・リナリーの甲高い声が、北町奉行所中に響き渡る。 その声にうるさげに眉をひそめた彼は、肩に掛けていた手ぬぐいを放った。 「ここだ」 「あ!いた!!」 直属の上司に対して口の利き方を知らない幼馴染は、一際甲高い声をあげて、回廊から中庭の彼を指差す。 「もー! 目を通してもらわなきゃなんない訴状がたまってるのに、剣のお稽古どころじゃないでしょ!」 「お前・・・剣は武士のたしなみだろうが!」 「戦国の世ならともかく、今は剣より書類仕事だよ! お奉行ならたしなみ程度にしててよ!」 たしなみの意味をわざと履き違え、リナリーは彼を手招いた。 「ホラ、早く着替えて! いつまで着流しでいるの!」 「ちっ・・・わかったよ」 「舌打ちしない!」 「いちいちうるせぇ!!」 口うるさい幼馴染に怒鳴り返して、彼は回廊に上がる。 「着替え手伝うよ!」 「自分でできる!」 「そんなのわかってるよ! でも今日はホント、急いでるんだってば!」 言うや、リナリーは問答無用で部屋に上がりこみ、箪笥を勝手に漁って着物を出して行った。 「神田もそろそろ奥さんもらったら? 奉行なのに独身なんて、お城でナメられるでしょ?」 「るっせぇな・・・! いいんだよ、てめぇの兄貴はじめ、城の奴らはほとんど独身なんだからよ!」 「それも問題よねー」 ぺらぺらと喋りつつも、リナリーの手は素早く動いて彼を着替えさせる。 「ハイ、できた! じゃあ私、先に行ってるから早く来てね!すぐ来てね!五つ数えるまでに来てね!」 「うるさい!!」 「いーち!にーぃ!」 「もう数えんのかよ!!」 神田は急いで神棚に拍手を打ち、リナリーを追いかけた。 「よーん!ごー!」 奉行の役宅と奉行所を繋ぐ回廊を渡りきったリナリーは、表情を改めて神田に向き直る。 「おはようございます、お奉行。 本日の裁きは三件でございます。 また、昨夜起こりました辻斬りの件につきましては、後ほど小石川養生所のリーバー殿より、お知らせしたいことがあると承っております」 口調をがらりと変えたリナリーが恭しく差し出した訴状を受け取った神田は、訝しげに眉をひそめた。 「三件? もう一件、火付けの下手人はどうした?」 「あれは火付け盗賊改め方が引っ張って行きました」 「ちっ・・・! せっかく火あぶりを言い渡せると思ったのによ」 残念そうに舌打ちして、訴状を懐に入れた神田に、リナリーがにっこりと微笑む。 「趣味悪いですよ、お奉行?そもそもそんな権限ないでしょ。 それと、舌打ちしない。まさか評定所でもやってるんじゃないでしょうね?」 「やってねぇよ」 「どうかな。 クセって、つい出るもんなんだから、気をつけてよね」 「お前・・・奉行所の中では奉行と筆頭与力だから、態度を改めるっつったのは嘘か?」 「嘘なんかつきませんとも わざとらしく咳払いして、リナリーは先に立った。 「はい、じゃあ今日は忙しいんですから、がんばってくださいね、お奉行 「猫ッかぶりが・・・」 思わず舌打ちしそうになって、なんとか堪える。 「あ、それとー。 今、なかなか白状しない下手人が牢屋敷にいますけど、お奉行、伝馬町にまでウキウキお出かけしちゃダメですよ? 火付け盗賊改め方ならともかく、町奉行が拷問好きなんて評判立ったら、色々気まずいんですから」 「拷問も禁止なのかよ!!」 これではなんのために奉行を引き受けたんだかわからない、と、神田は忌々しげに舌打ちした。 その頃、早朝の検案から養生所に戻ったリーバーを、大勢の患者たちに囲まれたミランダが笑顔で迎えた。 「お帰りなさい、あなた。 朝からご苦労様でした」 「あぁ。この件で昼から、奉行所に行く予定なんだが・・・」 「はい。 夜勤のジョニーさんはもう、帰ってしまわれましたけど、代わりにロブさんがいらっしゃったし、キャッシュさんは昨夜から詰めてくれてますから大丈夫ですよ」 「そか。 じゃあ・・・」 笑みと共に、リーバーがミランダへ手を伸ばした時、 「奥さーん!! もうすぐ赤ちゃん生まれそう!! お湯沸かして、お湯――――!!!!」 どすどすと床を踏み抜かんばかりの勢いで走ってきた女医のキャッシュが喚きたてる。 「えぇっ?! そんな・・・ちょっと早いんじゃありませんっ?!」 「そうだけど、んなこと言ってる場合じゃないでしょっ!早くっ!!」 おろおろするミランダを叱り付けたキャッシュは、彼女の背を押して台所に走らせると、ふくよかな図体に似合わず、機敏に動いて産屋へ戻っていった。 「・・・えーっと」 一人、置いてけぼりにされたリーバーに、患者達が笑いだす。 「せんせ、せっかくいい奥さんもらったのに、人に取られてばっかだね!」 「先生達もそうだけどさ、奥さん、優しいし一所懸命だから、重い患者ほど放したがらないしね」 「初めはおっとりしすぎてて、こんな戦場みたいなところでやっていけるのかって思ってたけど・・・がんばってるよねェ」 うんうん、と、感心したように頷く老人を、リーバーはじっとりと睨んだ。 「ここを戦場にしてんのは誰だ? 治ったんなら油売ってねぇで帰れよ」 「あぁ、持病のしゃくがイタタタタ・・・」 わざとらしく顔をしかめた老人を、リーバーもまた、大仰に手を広げて見せる。 「大変だ! これを治すにゃ、すっげ苦い薬を飲ませる必要があるな!」 「待て! それは待て、治ったから!!」 慌ててリーバーの袖に縋った老人に、周囲からまた笑いが起こった。 と、 「相変わらず、騒がしい所ですね」 誰よりも上手に『忌々しさ』を表現した声に、リーバーは振り向かないまま、肩をすくめる。 「朝からなんの用かな、義弟殿?」 誰よりも上手に皮肉を言ってやると、背後の彼は、素人でもわかるほどの殺気を放った。 「おぞましい呼び方はやめていただきたい!」 「そりゃこっちも同じだが、事実だからしょうがねぇだろ・・・ハワード」 肩越しに見遣った義弟は、今にも湯気を噴出さんばかりに真っ赤な顔をして、リーバーを睨む。 「町医者風情が私を名前で呼ぶな、無礼者!!」 地を揺るがすほどの絶叫を放った彼に、リーバーは肩をすくめた。 「ハイハイ、落ち着けよ、リンク。 ここは養生所だぞ」 「ふんっ! 養生所内でも、この辺りにたむろしている者共はどうせ、油を売りに来た暇人ではないかっ! 怒鳴られれば却って腰が伸びるでしょうよ!」 「あ、それはそうだな」 さすが義弟、と笑ったリーバーの傍ら、リンクの怒気に中てられた者達が早速こそこそと退散する。 「で? 今日はなんの用・・・」 「用がなければ姉上様に会ってはいかんのか! ここの医者共はどうせまた、身分もわきまえず姉上様をこき使って・・・姉上様ァァァァァァァァァァァァ!!!!」 突然の絶叫に、リーバーも驚いて奥を見遣った。 と、ミランダが大きなたらいに湯を張って、ヨロヨロと運んでいる。 「あああああああ姉上様っ!! そのようなものお持ちになって、危険です!! 私がっ!!私がやりますからァァァァァァァァァッ!!!!」 草履を脱ぐのももどかしく、悲鳴をあげて駆け寄ったリンクが、ミランダからたらいを取り上げた。 「あら、来てたんですね、ハワードさん。 お役目はよろしいんですか?」 「本日は非番ですから・・・いえ!そんなことより!! こんなものをお持ちになってはいけません!!」 「えぇ、でも、もうすぐ赤ちゃんが生まれるから・・・あ、ハワードさん、それ返してくださいな。 殿方が産屋に入ってはいけませんよ」 「女医と女中間ならたくさんいるでしょう!! なぜ姉上様みずから貧乏人の世話など・・・!!」 「ハワードさん!」 ピシリと叱り付けられて、リンクは反射的に姿勢を正す。 「この養生所は八代目の上様が、町の皆さんのために作られた救済施設ですよ! 上様の直参であるあなたが、そのようなことを言ってはいけません!」 普段おっとりとした姉の叱声に、リンクはしおしおとうな垂れた。 「申し訳ありません・・・・・・」 きゅーん・・・と、仔犬のような泣き声をあげる弟に、ミランダは苦笑する。 「わかったら、産屋の近くまでそれ、運んでくれますか? 中には私がいれますから」 「はっ・・・はい!!」 先に立ったミランダの後に、仔犬のように従っていくリンクを見送った患者達が、気遣わしげにリーバーを見上げた。 「姉弟仲がいいのはいいけどさぁ・・・」 「あんな義弟がいて大変だね、せんせ」 「いいとこから奥さんもらうと、あんなのがおまけについてくんだね」 「奥さんが意外と強いから、いいけどさ・・・」 うーん・・・と、患者達は悩ましげに額を寄せ合う。 「奥さんがたらい運ぶくらいであの剣幕なら、奥さん自身が産屋使う時なんて、もっと大変じゃないかな・・・」 「言うなよ・・・」 考えないようにしていたことを容赦なく指摘されて、リーバーはがっくりと肩を落とした。 奉行所での朝の一仕事を済ませ、評定所に赴いた神田は、老中のルベリエに呼び止められた。 「月番、ご苦労」 と、笑みを浮かべたルベリエを、神田は訝しく思いつつも一礼する。 「ご老中も、今月は様々な詮議があり、ご多忙と聞いております」 奉行と同じく、老中も月交代で職務に当たっており、忙しい月に当たった者は『貧乏くじを引いた』と言えなくもなかった。 「そう、その中の一つ、先月急死した南町奉行の後任の件だがね・・・」 肩越し、自身の背後に控える者をちらりと見遣り、ルベリエは神田に向き直る。 「彼を推挙しようかと考えている」 ルベリエの紹介に半歩踏み出し、会釈した青年を見て、神田がわずか、眉をひそめた。 「彼は確か、目付の一人では・・・?」 彼が帯に挟んだ根付に、リンクと同じ目付の紋があるのを見ながら問うと、ルベリエが満足そうに頷く。 「そう、私がまだ若年寄だった頃、使っていた者の一人だ」 「マダラオと申します」 改めて一礼した彼に会釈し、神田は未だ訝しげにルベリエを見た。 「目付から推挙するのなら、リンクを選ぶと思っていましたが」 ルベリエが若年寄だった頃から、リンクを側近として扱っていたのは誰もがよく知ることで、神田もルベリエが推挙するならリンクだろうと思っていたが、そのことについて彼は、ため息混じりに首を振る。 「残念なことだが、彼は今、とても忙しいのだよ。 姉上が妙なところに嫁いでしまったのでね、家に戻そうと必死だ」 「あぁ・・・」 リンクの姉が、神田も懇意にしている医者に嫁いだことは知っていたし、身分違いだと問題になったことも聞いてはいたが、まさかそのことが老中の口から出るとは思わなかった。 そんな彼の心中を察したのか、ルベリエは目を吊りあげ、一足に神田に迫る。 「・・・っ?!」 驚いて身を引いた神田に、ルベリエは更に迫った。 「あんなにも完璧な女人が、幕医とは言え下々の世話なぞする医者に嫁ぐなど、許せないとは思わないかね?!」 「いや、別に・・・」 「なんだとっ?!」 大声で叫んだルベリエは、ありえないとばかり、大仰に首を振って、ため息をつく。 「嫁ぎ先なら私が、大名でも名門旗本でも、いくらでも世話したというのに、よりによって下々に近い者になんぞ・・・! それに聞いた話では、あの方ご自身も下々の世話をしていると言うではないか! 確かにお優しいあの方ならば、下々に対して慈悲を恵むことも喜びだとおおせられるだろう! おおせられるだろうがしかし! あの方のお優しさに付け入って、慈悲を受けようとする浅ましい者共のなんと多いことか! 私は断固として、あの方をふさわしい場所にお戻し申し上げる!!」 老中のくせに、元部下の姉に対して最上敬語を使うルベリエを、神田はますます訝しげに見つめた。 「なら・・・リンクを南町奉行に据えりゃあ・・・じゃねェ、据えればよかったではありませんか。 養生所は町奉行の管轄ですから、リーバーを飛ばすなり・・・」 「その手がっ!!!!」 カッと目を見開いたルベリエの絶叫に、さすがの神田が声を失う。 「手っ取り早くかどわかしの下手人を始末する方法があったのに見逃すとは・・・不覚!!」 こぶしを握った上司に眼光鋭く睨まれたマダラオが、わずかに身じろいだ。 が、 「かどわかしの下手人じゃねェし、あれは腕のいい医者だから、始末されちゃ困ります」 そもそも幕医は将軍の臣下だと指摘されて、ルベリエは黙り込む。 「まぁ誰がなるにせよ、奉行は早いとこ決めるに越したことはありません。 月番でなくとも、奉行所は暇じゃありませんので」 言って、神田は黙って控えるマダラオに口の端を歪めた。 「甘っちょろい覚悟じゃ、町奉行なんざやってらんねェぜ? お前、体力に自信はあるんだろうな?」 と、さすがにムッとして、マダラオの目が尖る。 「覚悟ならば、いつでも」 「それは良かった」 意地の悪い笑みを深め、神田は未だ我を失ったままのルベリエに一礼した。 「お先に」 「あ・・・あぁ・・・」 淡々とした声に、はっと我に返ったルベリエが、どこか呆然と頷く。 「わ・・・私達も行こうか」 気まずげに咳払いし、先に立ったルベリエの背後に従うマダラオの目が、剣呑な光を放った。 午前の診療を終えたリーバーは、後を他の医者達に任せて北町奉行所へと赴いた。 今月、月番の奉行所内は慌しく、奥の間に通されたリーバーの元に町奉行が来るまでに、随分と待たされた。 「おう、待たせたな」 ようやく評定所から帰って来た奉行は、鬱陶しげに裃(かみしも)を脱ぐと、リーバーの前に座る。 「今月は南町の月番でな。 咎人の他にも訴状が多くて・・・」 「南町の奉行は、先月過労死したもんな・・・お前も気をつけろよ、突然死」 「お前まで忌々しいこと言うんじゃねぇよ」 つい先ほど、城でも同じことを言われたと、神田は舌打ちした。 だが、リーバーは大きく首を振ると、冗談ではない口調で言う。 「町奉行は激務だからな。 奉行が任期中に過労死するなんて珍しいことじゃないし、北町の前の奉行も、突然死しかかって退任したもんな」 「だから若輩の俺なんかが任されたんだよ。 若けりゃそう簡単に死なねぇだろうってな」 「お前、火付け盗賊改め方に希望出してたのにな」 からかうように言うと、神田は憮然として腕を組んだ。 「町奉行所なんかかったりぃ・・・。 罪人拷問できると思って引き受けたのに、重罪人はみんな、火盗改めが持って行きやがって。 今朝もリナリーに、牢屋敷にゃ近づくなって言われちまうし・・・」 「町奉行のクセに拷問やりてぇなんて言うな、忌々しい! まさか、伝馬町に忍んで行って、拷問してんじゃないだろうな?」 リーバーが心底忌々しげに言いうと、神田はつまらなそうに鼻を鳴らす。 「そりゃ無理だ。 リナリーが内与力について、監視してやがるからな」 「そっか・・・。 いざという時、お前を止められんのはあいつだけだもんな」 ほっと吐息したリーバーに、神田はやや目をすがめ、眉をひそめた。 「俺にはリナリーがいる・・・だが、あいつにはそんな奴がいるのか・・・」 「あいつ?」 誰だ、と、問うリーバーに、神田が頷く。 「急死した南町奉行の後任に推挙された奴だ。 マダラオって言う、若い目付なんだが・・・」 「目付? 目付から推挙されるんなら、うちの義弟じゃないか? あいつは老中のお気に入りだろうが」 「それは・・・」 言いかけて、神田の唇が意地悪く歪んだ。 「お前の義弟が、姉貴を出戻りさせんのに忙しいから、とても頼めねぇってよ」 「・・・クソオヤジ」 忌々しげに顔を歪め、リーバーは掌に拳を打ちつける。 その様子に、神田は不思議そうに首を傾げた。 「それで聞きたいんだがよ、なんで老中ともあろうものが、元部下の姉にあそこまで最上敬語使いやがんだ?」 「あのオヤジはミランダを観音だって崇めてんだよ!」 「だからなんでだって聞いてる」 やや苛立った口調の神田を、更に苛立ったリーバーが睨みつける。 「あれはまだ、俺らが夫婦になる前だったが・・・あのオヤジが流行り病にぶっ倒れたことがあったんだ」 「あぁ・・・。 あのオヤジだけじゃなく、幕臣が概ね罹っちまったもんだから、上様にうつっちゃ大変だって、幕医総出で治療に当たった時のことか?」 「それだ。 俺もあん時ゃ城勤めだったからな、あのオヤジん所に派遣されちまったんだが、その時、リンクの元上司だってんで、ミランダが見舞いに来てたんだよ」 深々とため息をついたリーバーに頷き、先を促した。 「最初は見舞いだったんだが・・・あのオヤジ、奥方には先立たれてるし、子供らは独り立ちして遠国に行っちまってるってんで、親身に世話してくれる身内がいなくってな。 同情したミランダが世話やいてたら・・・」 「そりゃあ、仏にも見えるだろうな」 今でも、養生所に集う病人達から慕われるミランダだ。 名門の当主として、生まれた時から厳しい環境に身を置いていたルベリエが、その献身的な介護にほだされない方が不思議だった。 「あばたもえくぼっつーか・・・ミランダのうっかりしたところも、病床のオヤジにゃ神々しく映ったらしくてな。 近所に住む親戚が金持ちのイケメンだから見合いしろとか、息子の嫁追い出すから今すぐ嫁になれとか、いっそ自分の娘になれとか、やたらしつこく絡みやがって・・・」 「あぁ、それでお前が助けてやったのか」 幕医とは言え、武士ではないリーバーと、旗本家の娘であるミランダが、どうやって知り合ったものか不思議だったが、ようやく合点が行ったと神田が頷く。 「しかし嫁とか娘とか、そんなものに対する崇めっぷりじゃなかったがな・・・」 実際にルベリエの熱を帯びた口調を聞いた神田が言うと、リーバーは忌々しげに舌打ちした。 「そんなの建前に決まってンだろ! とにかくミランダを自分の身近に置いて、毎日崇めていたかったんだろうよ!」 「・・・勇気あったんだな、お前」 幕臣の最上位である老中と争ってミランダを手に入れたのだと知り、神田は心底感心する。 「リンクだけでなく、老中も別れさせる気満々だぜ。 気をつけろよ・・・・・・と、話が長くなっちまったな。 今日はなんの用だったんだ?」 「あ・・・あぁ。 今朝、川にあがった死体のこと、聞いたか?」 「あぁ、辻斬りだってな。 同じ下手人なら、これで立て続けに四件目だが・・・ノロモヤシの奴が、どうせ目付に持っていかれるのに走り回るのめんどくさいなんてぬかしやがったもんだから・・・」 にやりと、神田の口の端が吊りあがった。 「特別にウチで捕縛していいって赦し、もらってきたぜ」 彼が懐から出した書簡に、リーバーが苦笑する。 「そこまでして拷問したいか」 「はん!火盗改めに重罪人引き渡してやった代金だ。 こっちに返さねぇならせめて辻斬り殺らせろ、っつったら、あっさり赦免状くれたぜ?」 「嘘つけ。 今日はどんな脅し掛けてきたんだ?」 リーバーの問いに、神田は愉快げな笑みを浮かべた。 「今朝、リナリーが俺に『嫁もらえ』つったことを話してな。 じゃあ手近で済ませようか、っつったら、あいつの兄貴が慌てて出してくれた」 「大目付を脅すなんざ、お前こそいい度胸だな」 「はっ! コムイが怖くて、奉行なんかやってられっかよ!」 膝を叩いて笑う神田に肩をすくめ、リーバーは苦笑する。 「嫁探してんなら、うちのキャッシュなんてどうだ? 丈夫だし、根性と気の強さじゃ、お前にだって負けないぜ?」 「女医なんていらねぇよ。 強情な下手人をちょっと殴ったくれぇで、ピィピィやかましいからな」 「・・・お前の『ちょっと』は、意識不明の重体にすることか」 忌々しげに眉をひそめたリーバーに、神田はにやりと笑った。 「だから俺は、火盗改めを望んでんだよ。 火付けや押し込みなんざする奴らは、いくら嬲っても文句がでねぇからな。 それに・・・・・・」 「火盗改めの頭(かしら)になれば、目明しを使って『あの人』の情報も得られるってか」 蛇の道は蛇、と呟いたリーバーを、神田の刃のような目が貫く。 「・・・無駄話は終わりだ。 今朝、川に上がった死体なら、奉行所に運ばせてんぜ?」 「仕事が早くて助かるな」 よっこらせ、と、立ち上がり、リーバーは部屋を出た。 「傷を見せながら説明する」 「おう」 リーバーの後について、奉行所の裏庭に入った神田は、死体にかけられたむしろをめくり、軽く手を合わせる。 「今日中には、家のもんに返してやらねぇとな」 「家のもんなんていねぇよ。 葬式は大工の棟梁があげてくれるそうだ」 重い口調で言って、リーバーが死体を裏返した。 「・・・袈裟懸けか」 右肩から左わき腹にかけて、深く切り裂かれた傷に、神田は目を細める。 「相当の手練れだな。 背骨すら、一太刀に断ち切ってやがる。 それにこの、もう一つの傷・・・」 右肩甲骨の下から胸にかけて貫いた傷を、彼は指でなぞった。 「心の臓は傷つけず、肺腑を抉ってる。 これは仏に、声を出させないためだな。 下手人の目的は、あくまで袈裟懸けの試しで、この傷は殺し目的じゃない」 非常に冷酷な状況を淡々と述べる神田に、リーバーも頷く。 「随分と『殺し』に慣れた奴、と判断していいか?」 「ついでに、腕もよければ羽振りもいい、って加えな」 リーバーの判断に付け足した神田を、彼はやや驚いた顔で見遣った。 「腕がいい、って言うのはわかるが、羽振りがいいってのはなんでだ?」 「背骨に刃こぼれの跡がねェ」 そう言って神田は、傷の状態がよく見えるよう、血を洗い流された死体の、白々とした背骨を指す。 「刃こぼれもせず、こんなによく斬れるってことは、新しいか手入れが行き届いているかの、どちらかだ。 だが、新しくても質の悪いものや、手入れしても職人の腕や元の刀が悪かったりすれば、こんな硬ェもん、刃こぼれもさせずに斬ることはできねェ。 そのどっちでもねぇってことは、随分と大枚をはたいて、いいもんを手に入れたってことだ」 「なるほど・・・」 感心して頷いたリーバーを、神田は見遣った。 「もう一つ。 こいつの邸近くからは、犬や猫が消えてる」 「試し斬り・・・か?」 目を見開いたリーバーに、神田は淡々と頷く。 「動物で満足できなくなったイカレたヤロウが、人間に手を出したってとこだな」 「・・・忌々しい限りだ」 「全くだな」 吐き捨てたリーバーの傍ら、神田がもう一度頷く。 「こんな奴はとっとと捕まえて、腹ァ斬らせてやるぜ。 どうもいいとこの武士みてぇだし・・・」 神田の唇が、邪悪に歪んだ。 「罪状を認めねぇってんなら、認めるまで嬲ってやんよ」 「おまっ・・・!」 神田の嬉しそうな笑みに、リーバーの背筋が凍る。 「町奉行のくせに忌々しいこと言うな!!」 「ちっ・・・やっぱり、火盗改め狙うか」 不満そうに舌打ちして、神田はさっさと踵を返した。 「お奉行ー?お奉行!どこですかー?!」 奉行所中に響く声に、ぴくりと耳をそばだてたのは、彼女が探す『お奉行』ではなく、アレンだった。 「筆頭与力様ー 仔犬のように駆けてきたアレンの姿に、リナリーは足を止め、厳しかった表情を和ませる。 「アレン君、お奉行知らない?」 「さっき、リーバー先生と死体の検分してましたよ!」 得意げに『ご注進』すると、リナリーは笑みを深めた。 「ありがとう! 死体は今、裏庭かな?」 「はい!でも・・・」 踵を返したリナリーの後について行きながら、アレンが気遣わしげに言う。 「あんまり、見ない方がいいですよ? すっごく可哀想ですから」 「私が探してるのは、死体じゃなくてお奉行だよ」 肩越しに笑い、リナリーは足を早めた。 「お城から帰ったらすぐに書類決裁してね、って言ってるのに、先に検分なんか行っちゃって! ・・・・・・って」 裏庭に出たリナリーは、神田とリーバーの姿はおろか、既に死体さえもなくなっている様に目を丸くする。 「どこ行っちゃったの?!」 リナリーの大声に、奉行所の雑用をする役人が驚いて飛んできた。 「しっ・・・死体でしたら、大工の棟梁だって人が引き取っていきやしたが・・・」 「違う!お奉行は?!」 ますます恐縮した様子の彼は、おずおずと門の外を指す。 「着流しに着替えられて、外へ・・・」 「なんですってぇ――――?!」 「それ、ほんとにお奉行でした?」 激昂したリナリーを懸命にいさめつつ、アレンが問うと、彼はどこかうっとりと頷いた。 「へぇ・・・。 あんなキレイな人、見間違えようがございやせん」 その言葉に、今度はアレンが不機嫌になったが、リナリーは構わず彼の手を引く。 「筆頭与力様?」 「追いかけるよ、アレン君! お奉行連行するの、手伝って!」 「は・・・はぁ・・・」 最初乗り気でなかったアレンは、『ちょっと待ってて』と一旦消えたリナリーが、華やかな小紋姿で現れた途端、がらりと態度を変えた。 「筆頭与力様、かっわいいいいいいいいい!!!!」 こぶしを握って絶叫したアレンの前で、桜色に細かく春の花を染め抜いた江戸小紋の袖が、ひらひらと揺れた。 「そんな・・・大声で言われると照れちゃうよ」 「だって可愛いもんっ!」 「あ・・・ありがと・・・っ」 真っ赤になったリナリーが顔ごと目を逸らすと、その腰で、落ち着いたからし色の地に宝尽くしの柄を織り込んだ帯が、ふわりと舞う。 あえて帯締めを使わず、柔らかい帯で角出しを結び、明るい若草色の帯揚げで留める―――― そのセンスが今時の若い娘らしくて、また可愛かった。 「お奉行探しなんてやめて、僕と縁日に行きませんかっ?!」 「あは・・・お奉行をお仕事に戻らせた後でね」 デートのお誘いをやんわりとかわし、リナリーはアレンにも羽織を脱ぐように言う。 「与力だってわかったら色々面倒だから、十手も置いてってね」 「はぁい!」 リナリーの言葉に素直に従い、アレンは羽織と十手を放り出した。 その頃、街に出た神田は、『刀工』の札がかかる家の戸を、からりと開けた。 「おう、ジジィ。息災か?」 「ん? あぁ、神田ンとこの倅か。 なんだ、また下手人ブッた斬って、刃こぼれさせたのかい?」 奉行に対して口の利き方を知らない老職人は、笑ってキセルの灰を落とす。 「ここしばらくおとなしくしてたようだが、そろそろどうにも我慢できなくて、辻斬りでもやってんじゃないかって話してたところさ」 「はっ! 下手人いたぶるのは好きだが、丸腰の町人ブッた斬るなんざ、趣味じゃねぇよ」 「あぁ、そう言うことを堂々と言うのがお前だな」 奉行のくせに、と、老人は苦笑した。 「で? 腰のもんの手入れじゃないってんなら、なんだ?」 新しいタバコをキセルに詰めつつ問う老人を見下ろし、神田は微かに首を傾げる。 「わかってんだろうがよ。 その、辻斬りのこった」 「さぁねぇ・・・」 キセルに火を入れた老人は、そう言ってぷかりと煙を吐いた。 「私はてっきり、お前がやってるもんだと思ってたからなぁ」 「ヘタな嘘つくんじゃねぇよ。 長い付き合いだ、俺の趣味くれェ知ってんだろうが」 「知ってるさ、お前の悪趣味は、よーッくな」 またぷかりと煙を吐いて、老人は肩をすくめる。 「・・・・・・私の弟子に、まだ若いが腕のいい職人がいる。 そいつがここなん月か、姿を消してるんだよ。 妹にゃ、実入りのいい仕事が入ったんで、しばらく住込みで行ってくるっつったらしいんだが、戦国の世じゃあるまいし、今時刀工が住込みで仕事をするなんざ、随分と怪しい話さね」 ぼそぼそと低い声音で呟く老人に、神田は目を細めた。 「その刀工が住み込んでんのは、どこの武家屋敷だ?」 しかしその問いに、老人は答えない。 「おい・・・」 「・・・妹にな、あいつを返してやりたいんだよ」 コン、と、煙草盆にキセルを打ちつけ、灰を落とした。 「お前があいつを助けてくれるって言うんなら教えてやる。 だが、あいつのことなんざ知ったこっちゃねェ、辻斬りのヤロウをブッた斬りてェって言うんなら、私はあいつが自分の足で帰ってくるまで待つよ」 彼らしい頑固な言い様に、神田はちらりと笑みを浮かべる。 「了解した。 そいつのことは任しときな」 「頼んだよ」 にこりと笑って老人は、ようやくキセルを手放した。 「筆頭与力様!探すって、どこ探すんですか?」 リナリーと並んで歩きつつ、アレンが問うと、彼女はいきなり足を止めた。 「どうしました、筆頭・・・」 「リナリー。 ここじゃリナリーって呼んで!」 目立ってしょうがない、と、頬を膨らませる彼女に、アレンは頬を染める。 「いいいいいいいんですかっ?!」 「いいに決まってるでしょ!」 「じゃ・・・じゃあ・・・リナリーさま 嬉しそうに笑ったアレンに、しかし、リナリーは首を振った。 「リナリーだってば! せっかく町娘に変装してるのに、『さま』なんてつけられたらバレバレでしょ!」 もう一度!と迫られて、アレンはどきどきと鼓動を早める。 「リ・・・リナリー・・・・・・」 「よし!」 にこりと笑って、リナリーは頷いた。 「じゃあ、瓦版屋に行くよ、アレン君! ラビなら神田の行き先、知ってるかも!」 「はい!」 足を早めたリナリーに、アレンは慌ててついて行く。 やがて到着した瓦版屋では、一仕事終えて版木を片付けていたラビが、珍しい来客に目を丸くした。 「どしたんさ、リナ! そんな、女の子みてーなカッコして!」 「女の子だよ、私は!」 ぶぅ、と、頬を膨らませて、リナリーはラビに詰め寄る。 「神田の居所、知らない?」 まだ頬を膨らませたまま問うと、ラビはあっさりと頷いた。 「さっき、瓦版売りから帰るとこで会ったさ。 刀工のズゥ爺さんとこに行くっつってたから、刀の手入れじゃね?」 「そっか!ありがと!」 すぐさま踵を返したリナリーに従うアレンを、ラビはすかさず捕まえる。 「なにすんですか!」 「なにしてんの、お前ら?」 好奇心旺盛な猫のように目を輝かせ、迫ってくるラビから、アレンは顔を背けた。 「べっ・・・別に、あのワガママ奉行が奉行所を抜け出してほっつき歩いてるんで、捕まえに行くだけですよ?」 「隠すんじゃないさー ぷにぷにと頬をつつかれて、懸命に逃げようとするアレンを、ラビは笑って羽交い絞めにする。 「ユウちゃんさ、今朝も死体があがった辻斬りのこと調べてんじゃね? これで四件目だもんなー。 先月は途中で南町奉行が過労死したから、探索どころじゃなかったんだろうけど、北町の月番に入ってからでも二件目さ? ユウちゃんの激怒状態、手に取るようにわかるさお前らも大変さねー でもさ、浪人ならともかく、サムライ調べんのに町方がでるっつーのはどうなんさ? その辺のしがらみ、クリアしてんの?」 「しっ・・・知りませんよっ!」 アレンの肩に顎を乗せ、まくし立てるラビから必死に顔を逸らすが、瓦版屋の好奇心は止まらなかった。 「ユウちゃん、大目付の弱み握ってるって、ホントさ? それで評定所でも、カナリ無茶してんのにお咎めなしなんさ? 老中にも楯突くって噂はホントさ?」 「ねぇ、それ、どっから仕入れてくるんですか? ホント、僕でも知らないことをよく知ってますよね・・・!」 思わず呆れ口調で言ったアレンに、ラビはにんまりと笑う。 「瓦版屋の情報網をナメんじゃないさー なぁなぁ、そんで?ホントのところはどうなんさ?」 「だから知らないって言ってるのに・・・」 思わずため息をついた時、 「アレン君! なにもたもたしてるの!早く!」 リナリーに大声で叱られて、アレンは慌てた。 「すっ・・・すみません、筆頭・・・じゃない、リナリー!! ホラ、呼んでますから早く放して・・・!」 じたじたと暴れるアレンをようやく放してやったラビは、しかし、彼の腕を掴んで、にんまりと笑みを深める。 「俺も行く ジジィー!ちょっと俺、取材行ってくるさ!!」 スクープスクープ 一方、自身が追われる身とは知らない神田は、武家屋敷が並ぶ町で、ある屋敷の門をこっそりと窺っていた。 まだ日の高い時刻、門は開け放たれ、時折、見慣れた顔の使用人達が門内を横切る。 しばらく待った神田は、彼らの足が遠のくのを見計らい、一気に門前を駆け抜けた。 逃げ切った、と、確信した瞬間、 「ユーウくーん!!!!」 陽気な声と共に塀から飛び降りた中年男が、神田の背に取り付いて羽交い絞めにする。 「ユウ君つーかまーえたっ 「チクショウ!!放せクソオヤジ!!」 じたじたと暴れ、振り解こうとするが、子泣きジジィのように取り付いた腕はびくともしなかった。 「なんだよー。 せっかく実家に帰ってきたのに、つれないねェ」 「帰ってねぇぇ!! 他の用事があって、通りがかっただけだ!!」 「なになに?お仕事かい? パパンにも教えておくれよー 今は奉行所の役宅に住んではいるが、実は譜代大名出身の神田の実家は、当然この界隈にある。 しかも、この町のほぼ入り口に位置しているため、他家に行くにしても実家の門前を通らないわけには行かなかった。 「兄貴!マリ兄貴はいねぇのか!!」 羽交い絞めにされたまま、神田が絶叫を放つと、門内から大男が慌てて出てくる。 「父上、一体・・・あぁ、帰ってたのか、ユウ」 「帰ってねぇよ! 兄貴、この馬鹿オヤジ剥がしてくれ!」 地団太を踏んで絶叫する神田に対し、 「マーくん、ユーくんが冷たいんだよぉ・・・」 ぴったりと神田に貼り付いたまま、離れようとしない父に、マリは苦笑した。 「諦めろ、ユウ。 父上はこういう人だ」 「るっせぇよ! 俺は今仕事中・・・!!」 「そうなのかい? ユウくん、お仕事えらいねェ でも町奉行なんて、過労死率ナンバー1の激務じゃないかぁ・・・。 若いからって、根詰めちゃいけないよ! お茶していきなさい、お茶 抵抗も虚しくずるずると門内に引きずりこまれ、屋敷内に連れ込まれる。 「で? この付近で、なにを調べ中なんだ?」 屋敷内の茶室で、現当主手ずから点てた茶を受け取った神田は、憮然と茶碗に目を落とした。 「今朝、評定所で話したろ。 辻斬りの件だ」 「あぁ、お前が大目付から分捕った件か」 そう言って兄は、穏やかな笑みを浮かべる。 「あの件に関しては、月番老中のルベリエ様が不満げだったぞ。越権行為だとな」 「重罪人とっ捕まえて、江戸の治安を守んのがそんなに不満だってか?」 じろりと剣呑な目で睨まれて、マリは苦笑した。 「そうは言わんが・・・他の老中達はともかく、ルベリエ様は若年寄だった頃から多くの目付をご自身の子飼いにして、あちこちの役所に目を光らせている。 お前も町奉行の任を解かれたくないなら・・・」 「寺社奉行がガタガタ言ってんじゃねぇよ。 文句があんなら、最初ッから火盗改めの職、よこしゃあよかったんだ」 兄とは言え、三奉行の長たる寺社奉行に、町奉行が利いていい口とは思えない。 だが、彼は軽く吐息しただけで弟の無礼を聞き流し、彼に寄り添う父に向き直った。 「父上、そう言うわけですから、そろそろユウを放してやってください」 「うん、ワケはわかったから、パパンも手伝うよ 「は?!」 声を揃えた息子達に、彼はにっこりと笑う。 「隠居したとは言え、元側用人だよん 「顔が広ェから邪魔なんだよっ!!」 ぐいぐいと押して引き剥がすや、神田は素早く立ち上がった。 「絶対!ついてくんなよ!」 「そんなぁ・・・・・・」 さっさと出て行った神田の背を、置いてけぼりにされた子犬のような目で見る父に、マリは気遣わしげな笑みを向ける。 「父上、ユウも独り立ちしたのですから、ここは見守って・・・」 「じゃあ、見守ってくるよ!」 「はい?!」 「いってきまーす♪」 「父上ェェェェ?!」 止める間もあらばこそ、彼は神田の後を追って行ってしまった。 「本当にここなの?」 譜代大名の江戸屋敷が立ち並ぶ町の塀の影から、一際大きな門をこっそりと見つめつつリナリーが問うと、その傍らでラビが大きく頷いた。 「あぁ。ここがズゥ爺さんの言ってた侍ンちさ」 「でも・・・・・・」 アレンが不安げに首を傾げる。 「このお屋敷・・・老中の一人、千歳様のお屋敷ですよ?」 「神田、もう中にいるかもしれないけど、さすがにこのカッコじゃ入れないね・・・」 困った、と、しばらく考えていたリナリーは、ふと手を打って、大きく頷いた。 「そうだ! 私、兄さんの用事でご挨拶に行って来るよ!」 「へ?兄さん・・・って、そうか!」 ぽん、と手を打ち、ラビがにこりと笑う。 「リナってば一応、大目付の妹なんだっけか!」 「一応ってなんだよ!」 ぱんぱんに膨らんだリナリーの頬を、ラビが笑ってつついた。 「羽織袴姿で十手振り回して、下手人追っかけてるとこ見てたら、とても旗本家のお嬢様にゃ見えないってことさ」 「悪かったわね!」 「僕は、羽織袴姿で十手振り回してても、十分可愛いと思いますけど?」 元がいいから、と、恥ずかしげもなく言ってのけたアレンに、リナリーだけでなくラビまでもが頬を染める。 「おま・・・よくそんなこと、さらっと言えるさね・・・恥ずかしくねーの?」 「思ったことを正直に言ってるだけですから、別に恥ずかしいことなんてないですよ?」 顔色も変えずに言ってのけたアレンに反し、真っ赤になって声もないリナリーは、俯いたまま、二人の袖を引いた。 「わっ・・・私、一旦実家に帰って兄さんに会って来るけど、二人とも、一緒にくる?」 「うん、行くさ」 「僕もお兄様にご挨拶します!」 心中では『お義兄様』に変換されているだろう呼び名に、ラビが苦笑する。 「お前、殺されないように気をつけろよ」 「そんなの、とっくに覚悟済みですよ」 こっそり囁かれた声にこっそり答え、アレンは先に立って歩き出したリナリーの後に続いた。 リナリー達が立ち去って間もなく、神田は千歳家の門前に立った。 しばらく考えた後、裏門に回ろうと歩を進めると、彼に声をかける者がある。 振り返れば、見覚えのある女が、彼に向けて手を振っていた。 無視して更に歩を進めると、駆けて寄って来る足音が間近で踏み切る。 「無視してんじゃないわよあんたっ!!」 強烈な飛び蹴りが見事延髄を捉え、丈夫さでは自信のある神田が地に沈んだ。 「あんたナニ前奉行のお嬢様無視してんのよっ!」 甲高い怒声を浴びせられつつ、なんとか起き上がった神田は、凄まじい眼光で彼女を睨みつける。 「・・・ってぇなエミリア!!てめぇそれでも武家の娘か!」 「ハァ?!あんたバカでしょ! 武家の娘が護身術の一つくらいできなくてどーすんの!」 神田の眼光にすら怯まず言ってのけたエミリアに、ようやく立ち上がった神田が詰め寄った。 「てめぇのは護身術とはいわねェ!立派に武術だ!!」 怒鳴り返した途端、エミリアの機嫌が唐突に良くなる。 「お褒めいただいてありがと 「誉めてねェ!!」 すかさず反駁したが、元北町奉行の令嬢はさらりと受け流し、にこりと微笑んだ。 「それよりも、あんたがこっちに来るなんて珍しいじゃない? 実家に用事?それとも、パパのお見舞いにでも来てくれたのかしら?」 「別件だ。 ・・・まぁ、せっかく会ったからついでに聞いといてやるが、過労死しかかった親父はもういいのか?」 憮然とした口調で問うと、エミリアは笑ってひらひらと手を振る。 「大丈夫大丈夫 死に掛けたおかげで、本人もお城も、もう無理ってのがわかったからねー いい年して町奉行なんて、無茶だっつーのよ!」 「南町の奉行みてぇに、ぽっくり逝く前に気づいてよかったな。じゃあ」 くるりと踵を返した神田の袖を、エミリアがすかさず掴む。 「別件て、なに?」 「関係ねぇだろ」 肩越しにじろりと睨んだエミリアは、しかし、笑みを深めて傍らの塀の上を見遣った。 「千歳様のとこに用事?」 「だったらなんだ」 「あんた、評定所で無茶やらかして、辻斬り事件追っかけてるって、ホント?」 「・・・どっから仕入れンだよ、そんな話」 「さっきあんたの実家に行ったら、兄さんが教えてくれたわよ」 「ちっ・・・!」 忌々しげに舌打ちして、神田はエミリアの手を振り解く。 「知ってんなら追っかけてくんな。 こっちは仕事だ」 「協力してあげてもいいけど?」 「いらねぇよ」 「あんた、このお屋敷に入りたいんじゃないの? 今から私、千歳様のお宅にお届けものすんだけど?」 「・・・・・・」 思わず黙り込んだ神田の手に、風呂敷包みが乗せられた。 「なんだ?」 「反物。 あんたんちにも届けたから、着物でも作りなさいよ」 「いや、そうじゃなくて・・・」 「いくら顔見知りだって、そんな着流し姿で門番に『北町奉行です』なんて言えないでしょ? あたしの付き人ってことにしてあげるから、ついてきなさいよ」 言うやエミリアはくるりと踵を返し、さっさと門前に立つ。 「ごめんくださいませ」 いきなり殊勝な口調で声をかけると、すぐに大門脇の小門が開いて、門番が顔を出した。 「こんにちは。 ご老中はご在宅でしょうか?」 「これハお嬢サマ いらっしゃイませ」 たどたどしい口調の門番は、愛想笑いを浮かべて道を譲った。 「アイニク旦那さまハいらっしゃイまセンが、シェリルさまとティキさまガいらっしゃイます」 「そう。 せっかくだから、ごあいさつさせてもらいますね」 エミリアが小門をくぐり、神田も続く。 門番から案内を引き継いだ女中の後に続き、屋敷に上がりこむと、エミリアは背後の神田に肩越し、にこりと笑った。 「ご老中がお留守でよかったわね」 「老中が留守でも、シェリルは若年寄の一人だし、元々近所だからな。兄弟とは顔見知りだ」 「狭い世界だもんねぇ」 くすくすと笑ったエミリアは、女中に声をかけられて、表情を改める。 「失礼致します、若年寄様」 声すら変えたエミリアが愛想よく笑いかけると、上座に座っていたシェリルが、嬉しそうに笑みを返した。 「ようこそ、エミリア嬢・・・と、神田殿?! これはこれは、前奉行の令嬢と現奉行の組合せとは・・・やるじゃないか、神田殿! 君も、ようやくこの世界の出世の仕方と言うものがわかってきたようだね!」 「・・・誤解しないでいただきたい、若年寄殿。 エミリアとは門前で会って、ついでだからと引っ張ってこられただけです」 憮然とした神田に、シェリルの傍らでティキが膝を叩いて笑う。 「現奉行を荷物持ちにするとは、やるね、お嬢さん♪」 「お褒めにあずかりまして」 にっこりと笑って、エミリアは神田に持たせていた包みを取り上げた。 「こちら、ご老中はじめ皆様方には見飽いた代物でしょうが、お納めいただけましたらうれしゅうございます」 「なんだろう、拝見しても?」 「もちろんです」 差し出された包みを開けたシェリルは、落ち着いた色合いの反物の数々に目を輝かせる。 「鍋島小紋だねぇ! ご覧よティキ、この細かい文様! 私はこの、紺色のが好きだなぁ 「俺はこっちの藤色かな。 って、部屋住みだし、裃(かみしも)なんて作らないけど」 「作りたまえよ、ティキ。 君だっていつまでも、部屋住みのままじゃいられないだろう? そろそろエミリア嬢みたいな、いい伝手のあるお嬢さんと縁を持って、お城勤めをしたまえよ」 「イヤイヤ、俺、今のままが気楽でいいし」 笑ってひらひらと手を振るティキに、シェリルは深々とため息を漏らした。 「全く、困った弟だよ・・・。 次男でも、神田殿のようにしっかりとして、奉行を務める者だっているのにねェ・・・」 「あら、この人は異例中の異例じゃないですか なんたって、火付け盗賊改め方に行きたいだなんて、何度も何度も嘆願書出すもんだから、うるさがられて町奉行なんて激務押し付けられたんですし」 「そうだよねェ。 南町奉行は、本当に気の毒なことで・・・そう言えば、エミリア殿のお父上のお加減はいかがかな? もういいのかい?」 「はい あの件で、父もお城の方々も、いい年して働き過ぎだってわかったみたいで。 今は盆栽の手入れしながら、ほったらかしでグレちゃった弟の世話焼いてますわ 「そうか・・・エミリア殿も、弟には苦労しているんだねぇ・・・」 「ため息つきながら俺見るのやめてくんない、兄さん」 シェリルに苦笑を返したティキは、よいしょ、と立ち上がる。 「居心地悪いんで、お先に失礼 飄々とした笑みを振りまき、出て行ったティキにシェリルが苦笑した。 「すまないねぇ、不躾な弟で」 「いいえ。 ティキ様がいらっしゃると、なんだか場が和みますわ」 「私も、エミリア殿のような美しいお嬢さんが来てくれて、華やいだ気持になったよ 「あらやだ、相変わらずお上手ですねぇ 暢気な会話と華やいだ笑声に、神田は面倒そうに吐息する。 「・・・ところで若年寄殿、最近、こちらでは刀工を召抱えているとか。 名刀でも入手されましたか?」 「は?刀工?」 突然話を変えられて、シェリルはきょとん、と、神田を見つめた。 「さぁ・・・うちに刀工なんかいたかなぁ? 使用人のことは全て父が管理しているから、私は知らないねぇ・・・。 神田殿は一体、どこでそんな話を聞いてきたんだい?」 「馴染みの刀工の弟子が、こちらに召抱えられたと聞きましたので。 もしや名刀でも手に入れられたかと」 「刀のことになると耳が早いんだねぇ」 クスクスと笑いながら、シェリルは手を打つ。 「オ呼びですカ?」 すぐさま参じた女中に、シェリルは首を傾げた。 「ウチに刀工なんかいたかなぁ?」 「トウコウ・・・とハ?」 「刀の手入れをする者だよ」 「さァ・・・存じませン」 困惑げに首を傾げる女中に頷き、シェリルは手を払って下がらせる。 「やっぱり、ウチにはいないみたいだよ。 他家の事じゃないかなぁ」 「そうですか・・・」 「せっかく来てくれたのに、悪いねェ」 「いえ」 首を振ると、神田は端然と一礼した。 「それでは俺はそろそろ・・・」 「えぇ?! もっとゆっくりして行きたまえよー」 「慌しくて申し訳ないが、奉行所に戻らなければ、与力が怒り狂って捕り物に来るでしょうから」 「・・・それもそうだね」 クスクスと楽しげな笑声をあげながら、シェリルはエミリアを見遣る。 「エミリア殿は、もう少しゆっくりしていかないかい?」 「いえ・・・。 私も父が、そろそろ弟の悪さに手を焼いている頃だと思いますので」 「そっか。 じゃあ、よい品をありがとう。 父は今、ロードと一緒に温泉に行ってしまっているから、戻ったらまた、お礼に伺うよ」 「お気遣いなく」 にこりと笑って、エミリアは神田と共に席を立った。 「では、失礼致します」 にこやかなエミリアに、シェリルは鷹揚に頷く。 「また来ておくれねー」 ひらひらと、愛想よく手を振って見送る若年寄に、エミリアは笑みを深めて一礼した。 その頃、玄関先で千歳家の門をくぐったアレンとリナリー、ラビを見つけたティキは、気さくに声をかけた。 「少年与力に十手小町と、瓦版屋もいるじゃないか。 ウチになんか用か?」 と、『十手小町』と呼ばれたリナリーが、頬を赤らめてティキを睨む。 「私、女の子の格好してても『十手小町』なんですか?」 「あ、悪い悪い。 可愛いぜ、お嬢ちゃん♪」 なんか用か、と改めて聞かれ、リナリーは頷いた。 「うちのお奉行知りません?」 「知ってる。 今、ウチの兄貴とご歓談中だ」 あっさりと言ったティキに、リナリーが大きく頷く。 「これ、兄さんからお土産のカステイラ!みんなで食べてください!」 「あぁ、ありがと・・・って、お前ら、捕り物に来たのか?」 「はい! お奉行連行します!」 「俺は付き合いさ 「ふぅん・・・。ま、がんばれ」 「うんっ!!」 案内の女中を急かし、どたどたと走っていった三人を見送ったティキは、リナリーに渡された包みを解いてさっさとカステイラにかじりついた。 と、遠くの回廊を神田が横切っていく。 「おーぃ、美人奉行! お前ンとこの与力達が、お前ひっ捕らえに来たぞ」 その声を聞くや、神田は駆け出し、あっという間にティキの視界から消えた。 その後を、 「待て――――!!!!」 と、与力達が追いかけて行く。 「人んちでナニ鬼ごっこしてんだ、あいつら」 思わず呆れ声を漏らすと、 「あー!!もう食べてる!!」 僕も一つ!と、アレンが駆け寄ってきた。 「・・・少年、何しに来たんだよ」 「アレン君っ!!ちゃんとお奉行追いかけて!!」 ティキが差し出した一切れに、嬉しそうに噛み付くアレンを、リナリーが叱り付ける。 「ふぁいっ!!」 慌てて踵を返し、駆け去ったアレンを見送ると、呆れ顔のエミリアが玄関先に出てきた。 「おや、もうお帰りかい?」 「えぇ。 あのバ・・・いえ、お奉行、また仕事サボってたみたいですね」 彼女の言い様に、ティキは笑ってカステイラを差し出す。 「前奉行の令嬢としては、不愉快かい?」 「いいえ。 父とは違うやり方があるんでしょう、きっと」 一切れもらったエミリアは、くすりと笑って肩をすくめた。 「ただ、鬼ごっこは他家でやるべきことじゃありませんよね」 「いいや? ロードがいたらきっと、喜んで参加しただろうさ」 くすくすと、ティキは楽しげに笑って首を振る。 「今度はぜひ、妹がいる時に来てくれ。 あんたの弟なら、いい友達になれそうだ」 「喜んで」 笑みを深めて一礼したエミリアは、ふと、ティキの腰に目を止めた。 「ティキ様?その根付、取れそうですよ?」 「へ?」 言われて、ティキは帯に挟んだそれを引き抜く。 「あ、ホントだ。 もう組紐が傷んでるな」 「素敵な根付・・・薬玉ですね。象牙ですか?」 「うん、ロードのプレゼント。 京の土産だったかな・・・わざわざ紋を彫ってもらったんだ、ってくれたよ」 球状の象牙は透かし彫りで花が描かれ、その中心には千歳家の家紋が現れていた。 中にはやはり象牙の玉が収められ、振る度に涼やかな音を奏でる。 「仲良しですね」 「まぁね。あいつらみたいに・・・」 笑ったティキの背後で、リナリーとアレンが大声をあげて神田を追いかける様に、エミリアは苦笑して、先に千歳家を辞去した。 一方、他家の・・・しかも、身分では上の老中宅で鬼ごっこをする4人は、リナリーが神田に追いついた一瞬、素早く言葉を交わして以降は、明らかな目的を持って屋敷中を駆け回っていた。 しかし、 「・・・どこにもそれらしい奴はいねェな」 とうとう取り囲まれた神田の言葉に、彼を囲んだ三人は顔を見合わせる。 「俺も・・・先回りする振りして、ユウが通んなかった場所も見てきたけど、刀工どころか、作業できそうな場所もなかったさね」 「シェリルはとぼけてたんじゃなかったってことか・・・」 ラビの報告に頷いた神田の腕を、リナリーが取った。 「他の場所に隠してるのかもしれないじゃない」 「そうだな・・・だが・・・」 シェリルの、腹の底を見せない性格を知ってはいるものの、先程の彼が偽りを述べているとは思えない。 そう呟くと、リナリーはにっこりと笑って頷いた。 「じゃあ、今日はお奉行確保ってことで! アレン君、私はシェリルさんにご挨拶して来るから・・・引ったてい!」 「はーい リナリーの命令にアレンが楽しそうに応じ、仏頂面の神田を連行する。 「奉行所に戻ったら、ちゃきちゃき仕事してもらうからね!」 「あはは・・・ユウちゃん、大変さねー・・・」 一人踵を返したリナリーに、忌々しげな顔をしつつも逆らえない神田を見て、ラビが乾いた笑声をあげた。 主不在の今、主代理とも言うべきシェリルに非礼を詫びて戻って来たリナリーと合流した奉行一行が門を出ると、 「あ、ようやく出てきた」 門前で待っていたエミリアが、にこりと笑って彼らを迎えた。 「帰ったんじゃねぇのかよ」 「だって、面白そうな捕り物だったし?」 なに調べてたの、と、興味深そうに聞いてくるエミリアに、リナリーが唇に指を当てて笑う。 「それは奉行所で、ね?」 「連れてくのかよ!」 「いーじゃない あたし、あんたより長く北町奉行所の役宅に住んでたんだから、みんなとも会いたいし! アレンも久しぶりー 「はい お元気そうですね、エミリアお嬢様」 神田個人と主従関係にある内与力のリナリーと違い、北町奉行所専属の与力であるアレンは当然、前奉行の娘であるエミリアとは面識があった。 「おぶぎょ・・・じゃない、ガルマー様とティモシーはその後、どうですか?」 「パパはもう、すっかり元気よー そうそう、ウチのバカ弟がまた悪さばっかりしてるから、今度また、凶悪犯詰め込んだ牢にぶち込んでやってー 「はぁい あの、泣き叫んで許しを請う姿がまた見られるんですね 「面白いよね、あれ 残酷な姉と鬼畜な与力は、そう言って楽しそうに笑う。 「人が悪いさ・・・」 ラビが乾いた笑みを浮かべると、 「そうは言いますけどね、ラビ! これも一人の男を立派に育てるための・・・」 「あんたも見物に来なさいよ。絶対面白いから!」 アレンのタテマエを、エミリアが無残に打ち砕いた。 「お嬢様、僕、今いっしょけんめい・・・」 「いいのいいの、あたしの本性なんてもう、みんな知ってるから♪」 かつて、史上最強の奉行令嬢として、犯罪者たちをも震え上がらせたエミリアは、けらけらと笑って手を振る。 「そんなことより、早くいこー 張り切って慣れた道を行くエミリアに、一同は諦観のこもったため息をついて続いた。 ―――― その夜、花曇の空に月は隠れ、妙に生暖かい風が花を散らす。 すぐに終わるはずの寄り合いが長引き、途中からは酒も入って、気づけばすっかり夜が更けていた。 「やれやれ・・・近頃は物騒だってぇのに・・・」 ぼやきつつも足を早めて、夜闇の中を奉行所へと急ぐ。 と、自身の足音に混じって、なにか金属的な音が耳に入り・・・その瞬間、彼は提灯を放って駆け出した。 気のせいでもいい、臆病者と笑われても、道に躯をさらすよりはましだと、自分に言い聞かせながら暗い道を駆ける。 が、老いた足が昔のように回るはずもなく、自分で思うよりももたもたと闇を掻いている内に、鞘鳴りが背後に迫った。 「ひっ・・・!!」 鞘走り・・・! 思わず目をつぶった彼の背に、しかし、当たったのは切っ先ではなく、掌だった。 突き飛ばされた、と気づく間もなく、刃と刃が咬み合う音が響く。 「ジジィ!離れろ!!」 聞き覚えのある怒号に、彼は地を掻いて立ち上がり、もつれる足をなんとか踏み出して横道に逃れた。 「てめぇが辻斬りか!!」 ものすごい力で押し迫る刃を擦りあげ、かわした一瞬で刀を絡め取ろうとするも、そこは素早く退かれる。 が、その隙を逃さず、深く踏み込むと同時に切りつけた刃は、すんでの所で止められた。 「・・・やるな」 低い呟きが、黒紗で顔を覆った男の口から漏れる。 一瞬にして離れ、再び咬み合った刃が、白い花吹雪の中に異質な蒼い花を散らした。 紅い花をも咲かせようと、互いに踏み込んだ時。 呼子の笛が夜闇に響き、一方の踵を返させた。 「待ちァがれ!!」 鋭く切っ先を突き出すも刃に払われ、闇の奥へと遁走する足音は、駆けつけた捕方の足音に掻き消される。 「ちっ!」 舌打ちと共に刀を納め、自身も踵を返して、老人が逃げ込んだ路地へと入った。 と、 「かっ・・・神田・・・!」 天水桶の陰から声をかけられて、足を止める。 「ジジィ、怪我はねぇか?」 「あ・・・あぁ、なんとか・・・・・・」 空を覆っていた厚い雲が風に流され、霞みがかった月が老刀工の怯えた顔を闇に浮かび上がらせた。 「あ・・・あいつが・・・?」 「あぁ、例の辻斬りだな」 「なっ・・・なんで私を・・・・・・」 震える声を懸命に絞り出す刀工に、神田は吐息を漏らす。 「あんたが、弟子の居所を知ってるからだろうよ」 「・・・・・・っ!」 愕然と顎を落とした老人の腕を取り、神田は路地の外へと歩を進めた。 「おい、ジジィ。しばらく奉行所に隠れてな。 弟子の妹は俺が保護する」 「あっ・・・ああ!! そうさ、私は奉行所に行こうとしていたんだよ!お前さんに知らせなきゃいけないことがあって・・・」 早口に事情をまくし立てた老人に頷くと、神田は提灯を掲げて駆け回る捕方に声をかける。 「何奴っ・・・?! おっ・・・お奉行!!」 闇の中でさえ見紛うことない秀麗な顔に、捕方は一斉に動きを止めた。 「誰か、このジジィを奉行所に連れて行き、俺の役宅で匿ってやれ。 危うく今夜の屍になるとこだった」 「はっ!!」 奉行直々の命に数人が進み出て、刀工を恭しく扱う。 「あと何人か、俺の後について来い。 残りは探索に当たれ! だが、気ィつけろよ! 奴は、相当の手練れだ!」 「はっ!!」 早速踵を返した神田の背に、一層気合の入った一同が声を張り上げた。 再び走り回る捕方の声を後方へと振り切り、闇の中を数人の部下達と駆け抜けた神田は、やがてある長屋へと至る。 「おい!開けろ!!」 大声で呼ばわれ、驚いて戸を開けた住人は、捕方を従えた男の剣呑な雰囲気に声を失った。 「お前、李桂の妹だな?」 神田が老刀工の弟子の名を告げると、彼女ははっとして頷く。 「にっ・・・兄さんに何かありましたか?!」 「それはまだわからねェ。 だが、お前の兄貴の師匠、ズゥのジジィが命を狙われた。 お前にも危険があるかも知れねェからな、北町奉行所で身柄を保護する。 すぐに用意して、ついて来い」 「は・・・はい・・・っ!!」 神田に気圧されつつも、すぐさま踵を返して風呂敷に着替えなどを詰め込んだ娘が、パタパタと出てくるや、捕方の同心達が彼女を囲んだ。 「お前、名前は?」 「ろ・・・蝋花です・・・!」 夜風の冷たさにだけでなく、恐怖にも身を震わせながら、蝋花はなんとか震え声をあげる。 「蝋花、奉行所にはズゥのジジィが先に行ってるから、安心して身を寄せろ。 その代わり、兄貴の行く先で、心当たりは残らず話せ」 「はっ・・・はい、もちろん・・・!! ににっ・・・兄さんっ・・・ぶぶっ・・・無事なんでしょうか・・・!」 「言ったろ、まだわからねぇってな」 「ふぇ・・・っ」 泣き声をあげて、風呂敷を抱きしめた少女の肩を軽く叩き、神田は一人踵を返した。 「お奉行、どちらへ?!」 供の同心が慌てて声をかけると、既に背を向けた彼は肩越し、『下手人を追う』と告げる。 「その娘は筆頭与力に任せろ」 「は・・・はい!」 では娘を保護するためにわざわざ来たのか、と、いつも冷酷な彼の存外な優しさに、同心達が呆然とした顔を見合わせた。 しかしそんな彼らの心情など無視して、神田は闇の中を再び駆け出す。 下手人がいつまでも近辺をうろついているとは思わなかったが、最後の一刀は確実に手ごたえがあった。 何か手がかりがあるはずと現場に戻ると、残っていた同心達が駆け寄ってくる。 「お奉行! 道にこのような物が・・・!」 提灯の明かりを借り、手渡された物を見た神田の目が鋭さを増した。 「この根付・・・!」 繊細な寄木細工で描き出された紋には見覚えがある。 「あいつだったのか・・・!」 ぎり、と、根付を握り締める手に力がこもった。 「お奉行・・・お取調べになりますか?」 同心の不安げな声は、『無理だ』という心情を如実に表している。 「町方が・・・老中や目付の屋敷に踏み込むことはできねぇ・・・か・・・」 今日、神田が千歳家に入れたのは、奉行としてではなく、元側用人の息子で、近所に実家がある神田個人としてだ。 旗本は町奉行の管轄外であり、町奉行の権限では彼らを捕らえるどころか、取り調べることすらできない。 それほどに、身分には厳格な決まりがあった。 「お奉行・・・」 唇を噛んで黙り込んだ彼を、同心達が気遣わしげに見つめる。 その視線の中、彼は無言で踵を返した。 一方、千歳家の高い塀の中では、シェリルが夜桜を肴に晩酌を楽しんでいた。 と、闇の中をさくさくと砂利を踏む音がする。 「おや、どこに行ってたんだい、ティキ?」 裏門の方から庭へと入ってきたティキにシェリルが声をかけると、彼はあからさまにびくりと震えた。 「ま・・・まだ起きてたのか、シェリル。明日も早いんだろ?」 どこか慌てたような口調の弟にわずか首を傾げて、シェリルは杯を差し出す。 「君もやるかい?」 「いや・・・もう飲んできたから・・・」 ぎこちなく目を逸らす様にふと思い至り、シェリルは吐息を漏らした。 「またあの連中と飲んでたのかい。 まったく・・・父上は大目に見てくださっているようだが、私は老中の息子ともあろう者が、下々と親しく交わることは感心しないねェ」 「・・・そう言うと思ったから、見つかりたくなかったんだよ」 憮然として、ティキは渋々シェリルに歩み寄る。 「俺はこんなとこで高い酒飲んでるより、あいつらと安酒でも飲んでた方が気が楽なんだ」 「私だってあまり、説教くさいことを言いたくはないけどね。顕職に就いて一族に繁栄をもたらすのは、名家に生まれた者の義務だ。 君にはその自覚が足りないと・・・おや?」 塀のすぐ外で呼子が響き、驚いたシェリルが口を閉ざした。 「・・・何かあったのかい?」 「さぁ? なんか大きな捕物でもあったんじゃねぇ?」 白々と言って、さっさと家に上がったティキを、シェリルが憮然と見あげる。 「私の説教はまだ終わってないよ?」 「説教くさいことは言いたくない、っつったじゃん、兄さん。 俺眠いから、もう寝る」 「まったく・・・・・・」 再び呟いたシェリルは、明かりの中から出て行こうとするティキの腰をふと見遣った。 「根付はどうしたんだい、ティキ?」 「ん? あれ・・・落としちまったかな?」 「あれはロードからの贈り物だというのに・・・まさかまた、下々の者達に気前よくやってしまったんじゃないだろうね?」 不機嫌な声にティキは肩をすくめ、肩越し、シェリルに笑みを向ける。 「おやすみ、兄さん♪」 「やれやれ・・・」 自由奔放な弟に呆れ果て、シェリルは手酌で杯を満たした。 ティキが屋敷に戻る、しばらく前のこと。 尊敬する元上司からの呼び出しを受けたリンクは、花霞にけぶる闇の向こうに呼子の音を聞いて、眉をひそめた。 「まさかまた、出たのではないでしょうね・・・?」 近頃江戸の町を騒がせる辻斬りの話は、目付のリンクの耳にも否応なく入っている。 「追っているのは町方でしょうか」 町奉行所では旗本を裁くことなどできないと言うのに、今度の北町奉行は横紙破りで有名な神田ユウだ。 旗本だろうが大名家の者だろうが、お構いなしに捕縛する様に、リンクの元上司は苦虫を噛み潰しているらしい。 「お気の毒に・・・あんなのが下にいては、やりにくいことでしょう」 自分にも、なにかと楯突く与力がいるように、と、思わずため息を漏らしたリンクの掲げる提灯が、不意に明かりを消した。 「っ!!」 瞬時に闇に落ちた中、咄嗟に引き抜いた刀が刃を咬む。 「何奴っ?!」 気配だけを頼りに押し返し、数歩退いて体勢を立て直すと、リンクは闇に向かって叫んだ。 「私を目付と知っての狼藉か!」 問いに答えはなく、再び刃が突き出される。 「おのれ・・・ッ!!」 未だ闇に慣れぬ目に見切りをつけ、リンクは相手の殺気を探った。 「そこかっ!!」 大上段に振りかぶったリンクの刃が、手ごたえのない闇を斬る―――― 次の瞬間。 ギィン・・・と、刃の咬み合う音が闇に響いた。 「っ・・・!」 「申し訳ありませんが、簡単に殺られるほど可愛い性格ではありませんので」 わざと隙を見せ、相手が斬り込んで来たところを脇差で受け止めたリンクは、大刀をも叩きつけて相手の刀を絡める。 「折らせてもらいますよ」 細身には意外な膂力で挟み込んだ刀はしかし、素早く抜かれた。 「待てっ・・・!!」 すかさず追うが、闇に逃げ込まれてしまう。 「・・・・・・何者でしょうか」 明らかに自分を狙っての狼藉に、リンクは心当たりを思い浮かべた。 「あの薮医者、殺られる前に殺ろうと、刺客を差し向けたのではないでしょうね」 やりかねない、と、ぶつぶつこぼしつつ、元の道に戻ったリンクは、取り落とした提灯を拾い上げる。 ようやく闇に慣れた目で見つめると、提灯には細く薄い穴が開いていた。 つまり火は自然に消えたのではなく、何者かが・・・おそらくはあの刺客が、小柄のように薄く細い刃を投げつけ、消したのだろう。 「だとすれば・・・この辺りに落ちてませんかね」 リンクを殺してから回収するつもりだったのだろうが、その時間は与えなかった。 雲が切れ、月が辺りを照らす間に、付近をくまなく探していると、微かに光るものがある。 「やはり小柄でしたか・・・」 さすがに家紋を入れるような馬鹿な真似はしていないが、精緻な彫り物だ。 職人を当たれば、すぐに誰に納めた物かわかるだろう。 「ウォーカーでも使いますか。 あれは、チョロチョロ動き回ることに関しては役に立ちますからね」 やや意地悪く呟いて、リンクは小柄を懐に収めた。 周りを同心に囲まれてはいても、怯えを振り払うことが出来ないままに夜道を歩き、ようやく奉行所に着いた蝋花は、迎えてくれた『筆頭与力』が同じ年頃の少女だと知って、ほっと吐息した。 「お奉行より、後は任せるとのお言付でございます」 深々と頭を下げた同心に頷き、リナリーは蝋花に笑いかける。 「大変でしたね。 後は私達に任せてくださいね」 優しく背を撫でられた途端、蝋花の目から涙がこぼれた。 「兄さん・・・兄さんが・・・・・・!」 「蝋花さん・・・」 気遣わしげに眉根を寄せたリナリーの背後から、その時、エミリアがにゅっと顔を出す。 「大丈夫よ、お嬢さん! あなたを迎えに行った奉行、性格は悪いけどやることはしっかりやる奴だから! 任せときなさい」 にこっと笑った彼女を、蝋花はまじまじと見つめた。 「それに、万が一兄さんが戻ってこなかった時は、あいつブッ殺していいからねー 「そんなっ?!」 リナリーと蝋花の声が、きれいに揃う。 「それだけの覚悟が、あいつにはあるってことよ。信じなさい」 笑みを深めたエミリアに、蝋花がおずおずと頷いた。 「じゃ、刀工のおじいちゃんのとこにでも行ってよっか。 今、アレンが聞き取りやってるから、一緒にやってもらうといいよ」 「はい・・・」 エミリアの迫力にすっかり気を呑まれ、もう頷くしかなかった蝋花は、彼女とリナリーの後について奉行の役宅へと入る。 なぜか筆頭与力のリナリーよりも前に立って、邸内を案内するエミリアを不思議そうに見ていた蝋花は、通された部屋に老刀工の顔を見た途端、緊張の糸が切れてへたり込んでしまった。 「だ・・・大丈夫ですか?」 顔を覆って泣きじゃくる蝋花に、刀工の聴取をしていたアレンが屈み込む。 「もう、心配しないでいいですからね? お兄さんは、必ず助けますから・・・」 「は・・・はい・・・・・・!」 袖で涙を拭い、顔をあげた蝋花は、目の前で微笑むアレンに見惚れた。 「? どうしました?」 泣くことも忘れて、呆然とする蝋花の肩に触れると、彼女は真っ赤になった顔を袖で隠す。 「い・・・いぇっ・・・あのっ・・・・・・!!」 首まで紅くして、顔をあげられない蝋花に何を思ったのか、アレンは納得顔で頷いた。 「あなたのことも、僕達がちゃんと守りますからね。 もう、怖がらなくていいですよ」 「は・・・はぃ・・・・・・!」 消え入るような声から、既に怯えの色が消えていることを感じ取った女達が、顔を見合わせる。 「アレン君・・・」 「ほどほどにね」 「はい?」 苦笑するリナリーとエミリアを、アレンはきょとん、と見返した。 その頃、下手人がいるとおぼしき屋敷前に立った神田は、鋭い目で閉ざされた門を睨みつけた。 奉行として踏み込むか、神田個人として乗り込むか・・・。 そのどちらにしても、下手人を取りこぼす恐れの方が高かった。 と、 「ユーゥ君 突然、夜闇の中から暢気な声が湧き、パタパタと草履の音も軽やかに、袖を振りつつ父が駆け寄ってくる。 「なっ・・・?!」 「ずーっと見てたよ、ユー君 お仕事がんばってるんだねェ 頭を撫でようとする手を掴み、神田は剣呑な目で睨みつけた。 「何しにきやがった!!」 さすがに声は潜めたものの、迫力は倍増で迫るが、父は飄々と笑って息子の怒気を受け流す。 「お手伝いに来たんだよーん」 「いらねぇよ!」 「なんで? ここ、入りたいんデショ?」 ひょい、と、父は袖で門を指した。 「元側用人の権威、利用してみるかい?」 にっこりと笑った父に、神田は声をつまらせる。 だが、 「いらねぇよ!!」 すぐに背を向け、すたすたと塀沿いに歩き出した。 「待ってよ、ユーくぅん!どこ行くんだい?」 「ついてくんな!!」 「いーじゃないかぁ。 私だって結構役に立つんだよ?」 「自分の仕事に親の手なんざ借りたくねぇ!」 「立派な心意気だねェ!さすがは私の息子!」 「本当にそう思うんなら帰れっ!!」 苛立ちのあまり、思わず大声をあげた途端、闇の中をこちらに歩み寄る者がいる。 はっとして身を隠そうとするが、闇を透かす目の方が早かった。 「その声は神田殿ではありませんか? それと・・・これはご隠居様。 こんな夜更けに提灯も持たず、親子で夜歩きですか」 嫌味な口調は顔を見なくてもわかる。 「リンク・・・最近の目付は夜回りまですんのか?提灯の灯りも消えて、惨めなこった」 こちらもせいぜい、皮肉を利かせてやると、若い目付はふん、と鼻を鳴らした。 「それは町方の仕事でしょうに。 私は、こちらのお屋敷に用があっただけです」 「老中の・・・・」 「えぇ」 闇の中でよくは見えないが、リンクは黙り込んだ神田を、訝しく思ったようだ。 「神田殿も、ご老中にご用ですか?」 「いや、今は老中本人ではなく・・・」 「今?」 声音までも不審げになったリンクに、ふと隠居が進み出る。 「老中に用があるのは私だよん 夜桜を肴に花見でもどーかと思ったんだ♪」 「花見・・・ですか」 ふと、リンクが塀の上から覗く大きな桜の木を見あげると、隠居はうんうん、と頷いた。 「今日はユー君がご老中にご迷惑をかけたらしいじゃない? だからお詫びついでに連れてこうとしたんだけど、ここまで来てごねちゃってさーぁ」 「それは・・・潔くありませんね、神田殿」 ふっと、声に冷笑を交えたリンクを、神田は闇を透かして睨みつける。 「いつまでも未練たらしく姉貴の嫁ぎ先に通ってる奴に言われたくねェ」 途端、リンクが歩を踏み出し、こぶしを振り上げた。 「姉上様はいずれ実家にお戻りになるのですっ!! だから私は、姉上様が養生所に留まっておいでの間、下々が無礼を働いていないか監視しているのですよ!!」 「おや? ミランダ殿は実家に帰るのかい? おしどり夫婦だって、評判だけどねェ・・・」 隠居が意外そうに言うと、リンクはすかさず反駁する。 「戻っていらっしゃいます! 家を出る時だって、姉上様は『ハワードさん、ちょっと私、お嫁に行ってきます すぐに戻ってらっしゃるのです、すぐに!!」 興奮した犬のように喚きたてるリンクに、親子は呆れ顔を見合わせた。 「そりゃあつまり・・・」 「子供生む時に、実家に帰る嫁御は多いもんねェ」 「汚らわしいこと言うなぁぁぁぁぁぁっ!!!!」 だむだむと地団太を踏んで叫ぶリンクの声に、驚いた門番が小門から顔を出す。 「ど・・・どうかなさいましたか、リンク様・・・?」 聞き覚えのある声に向かって問えば、ようやく我に返ったリンクが気まずげに咳払いした。 「わ・・・私としたことが、取り乱しまして失礼しました」 「日の本一のシスコンは大目付だと思っていたが、お前もすごかったんだな」 珍しく呆れ口調の神田に、隠居がすりすりと擦り寄ってくる。 「ユー君もファザコンになればいいのにー 「てめぇはいい加減、子離れしろ!!」 ぐいぐいと押しのけようとする神田と、離れまいとがんばる隠居の異様な姿に、門番は丸くなった目をリンクに向けた。 「あの・・・こちらは・・・・・・」 「えぇ、元・・・」 「近所の隠居と通りすがりの美形だ!!」 すかさず遮った神田に、リンクが目を剥く。 「自分で言いますかっ?!」 「言われ慣れてっからな!」 言われる前に言ってやった、と、いけしゃあしゃあと言ってのけた神田に、リンクは唖然とした。 その隙に、ようやく父の腕の中から逃れた神田は、すかさず距離を取る。 「あっ!ユー君!」 父の声に振り向きもせず、闇の中へと駆け込んだ神田は、忌々しげに舌打ちした。 「邪魔しやがって、クソオヤジ! 正門が塞がれちまったから、別の入り口探さなきゃなんねぇじゃねぇか!」 ぼやきつつ塀沿いに駆けていくと、屋敷の裏手、竹薮の奥から、聞き慣れた音がする。 「この音は・・・」 足を止め、耳を澄ませると、特に耳のいい者にしか聞こえないほどの、微かな音が聞こえた。 ただ耳が良くとも、多くの者はその音を、誰かが竹薮を歩く鞘鳴りの音とでも思っただろう。 だが、確信を持った神田が足音を殺しつつ音を辿っていくと、生い茂った竹に隠されて、粗末な小屋があった。 硬い金属を打ち合わせる音は、そこから漏れている。 「・・・作業場は屋敷内じゃなかったってことか」 密やかに呟き、神田は小屋にそっと歩み寄った。 「だが・・・」 神田と戦りあったばかりの下手人が、早速刀を打ち直しているとは思えない。 「二振目・・・か」 羽振りがいいとは思っていたが、戦国の世でもあるまいし、幾本も刀を作るとは・・・ 「羨ましいにも程がある」 思わず本音を漏らし、神田は舌打ちしようとしてやめた。 そっと小屋の様子を窺うが、窓となる場所には全て、内側から黒い布が張られ、中の明かりが漏れないようにしてある。 だが音は・・・中にいる者が助けを求めるかのように、神田の耳に届いた。 用心深く中の気配を探りつつ、愛刀の鞘に手をかける・・・―――― 瞬間。 布を突き破って繰り出された切っ先が、彼の髪を数本、闇に散らした。 引き戻される寸前、刀の横腹に刃を叩きつける。 が、それは折れぬままに小屋内へと飲み込まれた。 すかさず歩を踏み出し、粗末な戸を蹴破ると、待ち構えた刃が繰り出され、神田の頬を掠める。 しかしその時には相手の懐に入り、逆袈裟に斬りあげた。 生半可な者ならば、それで深手を負っただろう。 だが、神田の刃は相手の身体に届く寸前で止められ、両の刃が蒼い火花を散らした。 「はっ・・・! やるじゃねぇか」 思わず楽しげな笑みを漏らした彼を、冷たい目が見つめる。 「ここまで追ってくるとは・・・お前、奉行所の者か?」 「さぁな。通りすがりの・・・美形だっ!!」 突然足払いをかけられ、体勢を崩した相手を神田は押し込めようとした。 が、さすがに手練れと言うべきか、神田の膂力に負けて膝を突いたと見せて、刃の下を潜り抜ける。 続く動きで跳ね上げた切っ先が、神田の袖を切り裂いた。 「ちっ!」 素早く体勢を整えるや、再び斬りかかって来た刃を、神田はかろうじて跳ね返す。 「いい腕じゃねぇか。 丸腰の町人相手じゃ、つまらなかったんじゃねぇか?」 「俵を斬るよりはマシだ」 神田の冷笑に、寒気がするほどに冷たい声が応えた。 「はっ! てめぇに意気地がなかっただけのこったろうがよ!」 嘲弄を浴びせて挑発しつつ、神田は切り裂かれた袖を引き下ろし、左胸を露わにする。 白い肌に黒く描かれた刺青に、相手の意識がそれた瞬間、鋭く切っ先を突き出した。 「っ!!」 右肩を抉られ、たまらず刀を落とした相手に、神田の口の端が歪む。 「これであいこだな」 「キサマッ・・・!!」 落とした刀を拾おうと、身を屈めた彼の傷口を、神田は容赦なく蹴り上げた。 「させっかよ、バーカ」 悲鳴すらあげられず、のた打ち回る彼に冷笑を浴びせ、床に転がる刀を拾い上げる。 「無事か?」 「ひっ?!」 部屋の隅で小さくなっていた刀工は、両手に刀を持った神田の、阿修羅のような闘気に圧倒され、震え上がった。 「お前、李桂だろ? 妹が待ってる。 奉行所に行け」 「ろっ・・・蝋花・・・が・・・?なんで・・・」 「なんで、だ?」 ぎろりと、刃のような目で睨まれ、李桂はもう、声も出ない。 「お前は自分が、何をやらされてたのか知らねぇのか?」 「な・・・なにを・・・って・・・・・・?」 わけがわからないとばかり、問い返した彼に、神田が向き直った。 「手入れしていた刀、どんな状況だったか言ってみろ」 「あ・・・・・・」 声を失った彼を、神田は冷たく見下ろす。 「いくら拭っても、血曇りはそう簡単に取れやしねェ。 お前はこれを手入れをする度に、血塗れてんのを不思議に思わなかったのか?」 「けど・・・猫だって・・・・・・」 「猫の毛でもついてたか」 「・・・・・・・・・」 俯き、黙り込んでしまった刀工に背を向け、神田は未だ抵抗しようとする下手人を蹴りつけておとなしくさせた。 「縄があったんなら縛り上げてやったんだが、ねぇもんは仕方ねェ。 役人が来るまで寝てろ」 素人目にも手練れだとわかる彼が、意識を失って横たわる様に、李桂は更に震え上がる。 が、神田は頓着せず、屈み込んでその顔を覆う黒紗を引き剥がした。 「やっぱりこいつか・・・」 評定所でルベリエが推挙した次期南町奉行・・・。 マダラオの顔が、そこにあった。 「とんだ野郎を推挙してくれたもんだぜ」 忌々しげに吐き捨てたのは、町奉行に旗本を裁く権限がないからだ。 だが、今は目付の彼が、町奉行である神田に楯突いたと言うことで、捕縛することは可能だ。 少々強引ではあるが、既に横紙破りで有名な神田のこと、今更文句を言う者もいない。 「こいつは、近辺をうろついてる同心共に捕縛させるか」 一人頷いて、神田は李桂の腕を掴み、立たせた。 「お・・・俺・・・・・・!」 これからどうなるのか、不安に押しつぶされそうな李桂の顔を、神田がじっと見つめる。 「昔、ズゥのジジィが言ってた。 業物は侍だけじゃねぇ、刀工の心をこそ惑わすもんだってな」 「し・・・師匠が・・・・・・」 尊敬する人の名を知る神田を、驚いて見つめる李桂に、彼は頷いた。 「師匠ンとこに戻って、修行しなおすんだな。 その前に・・・・・・」 遠くに呼子の音を聞いて、神田は李桂の腕を引く。 「妹に会わせてやるっつったろ。 蝋花っつったか・・・心配してたぜ」 その言葉に、李桂の目から涙がこぼれ、神田は面倒そうにしつつも、彼を奉行所へと連れ帰った。 「お・・・お兄ちゃん!!どこ行ってたの!!」 奉行の役宅に入るや、待ち構えていた蝋花に飛びつかれて、李桂は気まずげに頭をかいた。 「ごめん、蝋花・・・師匠も、心配かけました」 大きな身体を縮めて、深々と頭をさげた弟子を、ズゥは暖かい眼差しで見つめる。 「無事でよかった・・・お奉行によく礼を言うのだよ」 「お奉行・・・? えぇっ?!お奉行?!」 「あ?なんか文句あんのか?」 「いやっ!!文句とかじゃなくて・・・・・・!!」 「奉行がこんなに若くて美人だなんて思わなかったんでしょ? よく言われるのよねー、特に前任がうちのパパだったから!」 けらけらと笑いながら割って入って来たエミリアを、神田が睨みつけた。 「なんでお前がいんだよ」 「ここでお夕飯いただいてたらさ、女の子が同心に囲まれて来るじゃない? すっごく怯えてたし、リナリー一人じゃ大変そうだったから、元北町奉行のお嬢様が助けてあげたのよーん そう言って、得意げに笑うエミリアに、神田は眉をひそめて首を振る。 「だから、なんでお前がここでメシ食ってんだ?! 今頃、オヤジや弟が飢えてんじゃねぇのか?!」 「やぁねぇ。 うちにだって女中くらいいるのよ。 それになんかあっても大丈夫!パパ、お料理得意だから 「あ、それは知ってます! おぶ・・・じゃない、ガルマー様のごはん、おいしいですよね!」 横からアレンが口を出すと、エミリアはますます得意げに笑い、神田はますます不機嫌になった。 「なんでてめェはここでボケッとしてやがんだ!」 「筆頭与力様のご命令でーす。 僕が出回るとまたリンクが嫌味言いに来るから、今回は同心だけ行かせて、与力はおとなしくしてよって」 アレンがいけしゃあしゃあと言ってのけると、神田の顔が怒りに歪む。 「じゃあ何か? 俺が走り回ってる間、てめェら暢気に茶ァ飲んでたのかよ!」 「なによ!お奉行が勝手に走り回ってたんじゃない!」 甲高い声で怒鳴られて、神田が声を無くした。 その隙にリナリーはどかどかと歩みより、彼の腕を掴む。 「事件は辻斬りだけじゃないんだよ! ホラ、サボってた分、とっとと処理してハンコ押して!」 神田が抵抗も出来ずに用部屋へと連行される様を見て、ズゥはどこか楽しげに笑った。 「あの坊主、どんな名刀よりも、嬢ちゃんの一言でばっさり斬られたな」 「可愛い・・・ 去っていくリナリーの背を、李桂がうっとりと見つめる。 「なぁなぁ蝋花、あのお嬢ちゃん、なんて名前?!可愛いなぁ 先程までの消沈振りはどこへやら、はしゃぐ李桂をアレンが凄まじい目で睨んでいることに、彼は全く気づいていなかった。 翌日、開かれたお白洲は、通常とは異なった様相を呈していた。 普段であれば、罪人の他は幾人かの与力、同心と奉行のみであるのに対し、この日はそれら奉行所の者達に加え、目付のリンクと若年寄のシェリルまでもが同席している。 その他証人として呼ばれた李桂、ズゥの他、元側用人の権威を利用して見物に来た隠居や元北町奉行令嬢の立場を利用してもぐりこんだエミリアまでがやって来て、広くはない白洲は満員御礼の有様となっていた。 「へぇ・・・。 お白洲なんて初めて見たけど、賑やかなもんだねェ」 どこかのんびりと言った若年寄を、既に着座していた神田が横目で見遣る。 「今日は特別です」 「あぁ、そうか! 私や目付までもが同席しているからねェ」 彼らが同席しているのは、裁かれる罪人が旗本で、現役の目付でもあるからだ。 本来であれば、とっくに別の場所へ連行され、若年寄や目付によって裁かれるはずのマダラオは、しかし、今朝の評定所で神田が老中初め、参加者全員を脅して裁判権を奪い取ったため、ここ町奉行所で裁かれるという、異例すぎる事態となっていた。 「あたし、長いこと奉行所に住んでたけど、こんなの初めて見るわぁ・・・!」 白洲の側面に当たる廊下の覗き窓を傍聴席代わりに、エミリアが興奮気味に言うと、隣で隠居もわくわくと手を振る。 「ユー君!ガンバレー!」 「・・・見物人を黙らせろ」 神田の忌々しげな声に従い、同心が必死に元側用人と元奉行令嬢をなだめた。 「では、詮議を始める」 「その前に」 白洲から冷静な声があがる。 「私がなんの罪状によってこのような場所に引き出されたのか、ご説明願いたいものだ」 「決まっている。 一連の辻斬り事件の下手人としてだ」 「なんの証拠があって」 にやりと、マダラオの唇が冷たく歪んだ。 「そもそも、ここに連行された際にも申したはずだ。 私は旗本であり、町方の不浄役人ごときに裁かれる立場ではないと」 毅然と言い放ったマダラオに、神田が何か言いかけるのを、シェリルが阻む。 「だからわざわざ僕達が来てるんじゃないか。 こっちだって忙しいのに、いい迷惑だよねェリンク?」 「まったくですね。 この件に関しては、ご老中も承認なさっているのですから、潔く裁かれなさい」 リンクの嫌味な口調に対してか、マダラオの苛烈な視線が彼を貫くが、リンクはそ知らぬ顔で神田を促した。 「権限に関しては何も申しませんので、ご随意にどうぞ」 「あぁ・・・」 常に規律に厳しいリンクの、意外なほど柔軟な態度に内心驚きつつ、神田は罪状を読み上げる。 先日の大工殺害及び、同じ手口による辻斬り事件の数々、更にはズゥと神田への殺害未遂も加えた彼に、リンクが挙手した。 「一緒に、私への殺害未遂も加えていただきましょうか」 「なに・・・?」 神田も知らなかった件をつけ加えたリンクを、皆が驚いて見つめる。 「昨夜、ご老中に招かれてお屋敷へ伺う途中の私を、闇討ちしたでしょう? バレないとでも思っていましたか?」 「・・・その件について、詳しく話していただこうか」 どんな凶悪犯罪者も恐れおののく神田の視線をさらりと受け止め、リンクは平然と頷いた。 「もうそろそろ、使い走りが戻ってくる頃ですよ」 「使い走り?」 目付の配下か、と、尋ねる神田に、リンクは意地の悪い笑みを向ける。 「いいえ、町方に少々お願いを・・・あぁ、戻って来ましたね。 どうでしたか、ウォーカー?」 「もっ・・・人使い荒いんだから・・・・・・!!」 ぜいぜいと息を切らしつつ、白洲に駆け込んできたアレンは、懐から紙に包んだ小柄を取り出し、神田に差し出した。 「この小柄は、間違いなくマダラオさんの物です。 職人達に聞きまわって、これを作った人見つけました!」 「ふん、同じものなど、いくらでも作ったろうに」 「いいえ!」 ようやく息を整えたアレンは、平然と言ったマダラオにきっぱりと首を振る。 「その小柄は、これ一本しかないんです! お奉行、その職人さん、呼んでいいですかっ!」 一応許可を取る振りをしつつも、神田の返事を待たずにアレンは職人を白洲に引きずりこんだ。 「ハイ、シィフ! 元気に証言!」 「元気にって・・・なんで僕が・・・・・・」 ぶつぶつとぼやきながら、白洲に引きずりこまれた職人は、神田が手にした小柄を指す。 「アレね、マダラオ様に納めたもので間違いないよ。 李桂が初めて満足のいく刀が打てたって言うから、僕が特別に彫ったものなんだ。 見てよ、意匠。 李(すもも)の花と、桂の木でしょ? 普通、こんな珍しい組み合わせする? しないよ。 僕が李桂の名前を元に、一本だけ作ったものだもの」 白洲の雰囲気に怯えもせず、淡々と言った若い職人に、神田だけでなくリンクも頷いた。 「神田殿、私が闇討ちされた時、まずはあの小柄が私の提灯を裂いて火を消したのです。 直後、襲い掛かってきた者はかなりの手練れ。 なんとか退けはしましたが、危うく命を落とす所でしたね」 「なるほどな・・・。 どうだ、これでもしらばっくれる気か?」 「それは・・・歩いている時に落としたものだ・・・! 誰かが拾ったのかもしれないし・・・そうだ、それに! なぜ私がリンクを闇討ちするのだ!理由がないだろう!」 「老中が自分を退け、リンクを次の南町奉行にするかもしれない、って思ったからじゃないか?」 「なんですって?」 意外そうな顔をしたリンクを、神田は吐息とともに見遣る。 「先日、俺が老中に余計なことを吹き込んじまったからな。 昨夜、お前が老中に呼び出されたのも、マダラオの代わりにお前を推挙するとでも言われるんじゃねェかって勘繰ったんだろうよ」 「馬鹿な! 昨夜お招きいただいたのは、姉上様をどうやって離婚させるか、そのご相談だ!」 「お前もくだんねェことで紛らわしい動きすんじゃねェ!!」 神田の怒号を受けて、リンクが不満げに黙り込んだ。 「さぁどうだ。 証拠もある、証人もいる、動機もある。 これでまだすっとぼけようってぇのか?」 「私はとぼけてなどいない。 第一、落とした小柄は証拠となりうるのか?それはどこに落ちていたのだ?」 マダラオに畳み掛けられ、神田にも視線で促されて、リンクは『ご老中のお屋敷の外で』と答えた。 「は! ご老中のお屋敷になら、私も頻繁に通っている。 南町奉行にお取立ていただくと決まってからは、ほぼ毎日のようにな! 私がふとした拍子に、小柄を落とさなかったとどうして言える? そもそも、その小柄がお前の提灯を裂いたのだと、確実に言えるのか?」 口ごもったリンクに代わり、神田が『ならば』と、ズゥを指す。 「そこの刀工のことはどうだ? 鍛冶橋付近で、お前が殺そうとした爺だ」 「知らんな、こんな者」 さらりと言ったマダラオを、神田がきつく眉根を寄せて睨んだ。 「知らねェだと?」 「あぁ。 初めて見る者だし、鍛冶橋の辺りなどうろついたことはない」 平然とした態度を崩さないマダラオを睨みつつ、神田はズゥに問う。 「お前はどうだ? この男、お前を襲った者に間違いはねぇか?」 が、ズゥは困惑げにマダラオを見つめ、わからないと首を振った。 「私は・・・ずっと刀鍛冶をしてきたせいで、耳も遠けりゃ目も悪い。 闇の中で背後から襲われちゃあ、顔なんか見る暇も・・・」 それに、と、隣の李桂を見ながら、ズゥは続ける。 「李桂に住み込みの仕事が入った、って聞いた時は、千歳様のお屋敷だって聞いてて・・・」 「私の?」 それまで黙って進行を見守っていたシェリルが、意外そうな声をあげた。 「あぁそれで・・・神田殿は、我が家に刀工がいないか聞いたのかい? でも知っているだろう、ズゥ? 我が家の刀は全て、刀鍛冶の守化縷が彼の工房で手入れしてるんだよ。 お前と肩を並べる名工だ。 寄り合いでも顔を合わせては、景気の話なんかしないのかね?」 「えぇ、存じております。 それで先だっての寄り合いで、守化縷に聞いたんでございますよ。千歳様の仕事は、もう手放したのかいって。 そしたら・・・」 「そんなことするはずがないって、驚いたろうねェ、彼は」 やや呆れた口調のシェリルに、ズゥは気まずげに顔を伏せる。 「それで・・・奉行所に知らせようと向かっていたら、襲われまして・・・・・・」 「ふぅん・・・ねぇ、マダラオ? 君さぁ、いくら元上司のルベリエ様にひいきされたからって、今の上司である私を陥れようなんて、ちょっと酷くないかな?」 口調は暢気なままだが、声にぞっとするような冷たさを含み、シェリルはマダラオを睨みつけた。 「一応、上司としては庇ってあげようと思ってたけど、やめた。 神田殿、私の権限譲渡するよ。 思う存分やっちゃっておくれ」 「おうよ」 自業自得とは言え上司に見捨てられ、さすがに顔を強張らせたマダラオに、神田が向き直る。 「いい加減、観念しろぃ!」 「知らん!」 傲然と胸を張ったマダラオに、神田が更なる証拠を突き出した。 「お前、鍛冶橋に行っちゃいねぇと言ったな?! じゃあこれはなんだ?!」 与力の一人が盆に入れ、マダラオだけでなく一同の目も届くように示した根付に、誰もが息を呑む。 「寄木細工の入子升紋。 これはお前ら目付が、前若年寄ルベリエ殿の配下だと示すもんじゃなかったか?!」 「その通り」 口をつぐんだマダラオに代わり、リンクが自身の帯に通した根付を引き抜いた。 「これは、ご老中が当事の部下であった私共にくださったもの。 箱根土産です」 「・・・その情報は今、余計なんじゃないかな、リンク」 生真面目ゆえの蛇足情報に、シェリルが思わず口を挟む。 「ウチの目付が話の腰折ってゴメンね、神田殿。続きをどうぞ」 「あ・・・あぁ・・・・・・」 頷いたものの、しばらく無言になってしまった神田に、リナリーがそっと囁いた。 「ご老中からもらった根付が、鍛冶橋付近に落ちてたんでしょ」 「そっ・・・そうだ、てめぇが行ったことのねェ、鍛冶橋にこの根付が落ちてたんだ!」 「ご老中より頂いた時、根付の裏にはご老中のサインと一緒に名前も書いてもらいましたね。 ホラ私も、『倫句君江。瑠縁笑 「てめぇは邪魔しに来てんならおん出すぞ!!」 再び話の腰を折られた神田が怒鳴り、リンクは不満そうにむくれる。 「協力してあげているのではありませんか。 怒りっぽいお奉行ですね」 「・・・彼のことは無視して、話を進めたまえ」 ため息交じりのシェリルの言葉に、神田は気を取り直して根付を裏返すよう指示した。 神田の命令に従った与力の、手元に一同の目が集中する。 そこには、『班目君江。瑠縁笑 「なんでてめぇが行ったこともねェ鍛冶橋辺りにてめぇの根付が落ちてんだ! これでもまだしらァきる気か!」 「そ・・・それはきっと別の場所で・・・」 「ざっけんじゃねぇよ! 俺ァ評定所で会った時、てめぇの腰にこれが下がってたのを見てんだよ!」 「お奉行〜?口が悪い」 「顔も怖い」 「てめぇらまで茶々いれんじゃねェ!! リナリーとアレンに怒鳴り、神田は阿修羅の形相でマダラオを睨みつける。 「さぁ! 釈明できるもんならしてみろィッ!!」 白洲中を揺るがす怒号に、恐れおののいた者達が次々頭を下げた。 「すんませんっ!饅頭食ったの俺ですっ!」 「門前の掃き掃除サボってすんませんっした!」 「腹いてえって休んだの、実は二日酔いでしたっ!!」 「私も、商人からもらった献金返すから、許しておくれ」 「若年寄様・・・」 「邪魔すんじゃねぇっつってんだろ!!」 不機嫌の骨頂にある神田の、更なる怒号に怯え、誰もが声を失う。 「さぁどうだ! これでも白状しねぇか!!」 怒りというよりも明らかな殺気を漲らせた神田に睨みつけられて、さすがのマダラオも蒼褪めた。 が、 「・・・その老人が襲われた場所に私の根付があったからなんなのだ? それが、私がその老人を襲った証拠になるのか?」 なおも抗弁するマダラオに、神田の目が吊り上る。 「あぁ、なるぜ。 なぜならこの根付、自然に切れたもんじゃねェ。 お前がこの爺を襲った時、邪魔した奴に切り裂かれたもんだからな。 随分派手にやりあってたじゃねぇか」 神田の言葉に、マダラオは大仰なほどに驚いて見せた。 「私が? 確かに目付として、ある程度腕に覚えはあるが、無闇に斬り合う趣味などはない」 「ある程度? いいや、お前は相当の手練れだったぜ」 「は! お前が私の腕を知っているというのか?」 確信に満ちたことを言う神田を笑い飛ばし、マダラオはリンクを見遣る。 「リンク、お前ですら、私の実力は知らないだろう?」 「えぇ・・・流派が違いますのでね」 あっさりと認めたリンクににやりと笑い、マダラオは壇上の神田を見上げた。 「同じ目付であるリンクですら知らないことを、なぜ町奉行ごときが知っているというのだ」 「知っているさ、てめぇとは二回も斬りあったからな」 「なに・・・?」 訝しげなマダラオに、神田の唇が邪悪に歪む。 「悪党がいつまでもいけしゃあしゃあととぼけやがって!」 ダンッと片膝を立て、神田は左腕を袖内に入れた。 「あの夜咲いた遠山桜夜桜・・・よもや見忘れたとは言わせねェぞオイ!」 左袖は裃ごと跳ね除けられ、露わになった左胸に、黒々と刺青が浮かび上がる。 「え?桜・・・?」 「梵字じゃないか!!」 呆然と呟いたシェリルの言葉を継いだマダラオを、神田がきっと睨みつけた。 「細けェこと気にすんじゃねェ、悪党ガ!」 「悪党でも気になる!!」 至極当然の反駁をしかし、完全に無視して、神田は詮議を下す。 「裁きを言い渡す! 目付・マダラオ! その方、みだりに町人を殺め、あるいは襲った上、千歳家への策謀、及び目付・リンクへの闇討ち、更には白洲での虚言三昧の罪、重いと心得よ! 本来ならば市中引き回しの上、打ち首獄門であるが、旗本の身分ゆえ、追って切腹の沙汰があろう!」 「うん。さすがにその宣告は私の仕事だよね。 引き受けたよ」 のんびりとした口調ながら、よく通る声でシェリルが応じた。 「引ったてい!!」 神田の命令に、同心たちが機敏に動いてマダラオを連行する。 「ユーくんカッコイー 「もー、お白洲で毎回毎回服脱がないでって言ってるのに!」 「・・・さて、李桂」 隠居の歓声とリナリーの苦言を無視した神田が、衣服を整えて呼びかけると、白洲に入ってからずっと俯いたままの李桂が、びくりと震えた。 「お前、あいつには千歳家に雇い入れると言われたのか?」 「は・・・はい・・・! 俺の作った刀を気に入ったって言ってくれて、意外なほどの高値で買ってくれました。 それで、この刀を手入れするのに職人が要る、当家で召抱えたいって言われて・・・・・・」 「誘いに乗っちまったわけか」 神田の問いに、李桂は頷く。 「ち・・・千歳様は、有名なお武家様でいらっしゃるし、マダラオ様は目付で、今の若年寄はシェリル様でいらっしゃるから、まさか嘘だなんて・・・・・・」 「あぁ・・・まぁ、一応私の部下だったしねぇ」 苦虫を噛み潰したような顔で、シェリルが相槌を打った。 「それでお前、私達には『千歳様のお屋敷で働くことになった』って言ったんだね?」 ズゥの問いにも、李桂は頷く。 「それは・・・ほんとに、今の今まで知らなかったんです。 俺はずっと、千歳様の召抱えになったんだって思ってたから・・・。 ただ、千歳様は長いこと、守化縷さんが面倒見てきたでしょ。 俺が新たに召抱えられたことで、うちの師匠と折り合いが悪くなっちゃまずいからしばらくの間はおおっぴらに出来ないって言われて・・・俺すっかり信じて・・・・・・」 「まったく・・・嘘の上手な男ですね」 ため息混じりのリンクの感想に、各所から賛同の呟きが漏れた。 「あの竹林が、ルベリエ様のお屋敷近くだってのも知りませんでした。 あの小屋に入ったのは夜だったし、その後は外出させてくれなかったし・・・」 「ふん・・・。 あの竹林の中に作業場を設けたのは、老中の屋敷に通うついでに立ち寄ることが出来たからだろうな」 だが、と、嘘を許さない神田の苛烈な視線が、李桂を貫く。 「あいつはいつもお前を監視してたわけじゃねぇだろ。 逃げようと思えば逃げられたはず・・・なのになんでそれをしなかった?」 「・・・・・・新しい刀を打ってたんで」 気まずげに口を濁した李桂に、呆気に取られたシェリルが思わず口を出した。 「キミの職人魂はその・・・立派だと思うけどねぇ、それは自分の命よりも大事なことだったのかな?」 「俺みたいな若輩者には、お目にかかれないような見事な玉鋼をもらったもんすから・・・」 「たま・・・え?なんだって?」 うっとりと呟いた李桂に身を乗り出したシェリルを、神田が制す。 「たまはがね、だ。 刀の元となるもの・・・まさか、知らないとでも?」 「うん。 だって、刀なんて出来上がったものしか見たことないんでねぇ」 シェリルがあっさり頷くと、刀工の師弟はそっくりのがっかり顔を並べた。 「・・・まぁ、武士なのに玉鋼を知らねェ奴なんて滅多にいねェから、そう肩を落とすな」 「だってボク、そんな物騒なもの振り回す趣味ないもの」 「・・・・・・守化縷が泣くぞ」 せっかくのフォローを見事に台無しにしてくれるシェリルを睨みつけ、神田は改めて刀工達に向き直る。 「李桂、知らなかったこととは言え、マダラオの凶行を察しながら手を貸したことは罰に値する。 だが・・・」 早速反論の声をあげようとしたズゥを目で制し、神田は続けた。 「保護の後は知りたること全て話したことを鑑み、今回は刀工ズゥ・メイ・チャンの元で更に修行に励むことを以って罰に代える」 「お奉行・・・!」 感涙するズゥから、しかし、神田はふいっと目を逸らし、殊更憮然とする。 「罰を負けてやったんだ、今度から六幻を手入れに出している間の代刀は、奮発しろよ」 「なんなら美形奉行に俺が今打ってるもんプレゼント!」 「こんなトコで美形って言うな!!」 立ち直りが早い李桂のはしゃぎ声に、神田が顔を赤くして怒鳴り返した。 「うん、さすがにお白洲で『美形』って言われるのは恥ずかしかったんだね」 一人納得顔のシェリルは帯から扇子を抜き取り、パラリと広げる。 「これにて一件落着!」 「それは俺の台詞だ!!」 芝居がかったシェリルの宣言に、神田の怒号が奉行所を揺るがした。 神田が白洲を後にすると、見物に来ていた隠居とエミリアがぱたぱたと寄ってきた。 「ユー君 「ちょっと惚れたわよ エミリアが冗談交じりに言った途端、隠居が目を輝かせる。 「ホントかい、エミリア殿?! だったらユー君の嫁御に来ないかい?!」 「まぁ また奉行所の役宅に住めるなんて嬉しいです 「与力や同心達も、エミリア嬢になついてるって言うしさー ユー君、そうしてもらいなさい」 「勝手に決めんな、お前ら!!」 暴走する二人を怒鳴りつけ、すたすたと用部屋へ向かう神田を、不満顔の二人が追った。 「なによー!あたしじゃ不満だって言うの?!」 「ユー君、エミリア殿となら家格も合うし、いいと思うよー?」 決めちゃいなよ、と、絡んでくる父をうるさげに押しのけた神田が、足を止める。 「違ぇよ。 結婚をネタにすれば、大目付から簡単に認可を脅し取れんだ。 火盗改めの頭になるまでは、この切り札を手放したくねェ」 「・・・・・・悪党!」 唖然として声を揃えた二人に、神田は邪悪な笑みを浮かべた。 「なんとでも言え」 と、 「そうそう、酷いんだよ、彼」 物珍しげに白洲の様子を眺めていたシェリルが追いついて、けらけらと笑う。 「今日の評定所でね、マダラオの件はルベリエ様が裁くし、辻斬りは公にしないって方向で決まりかけてたんだけど、彼ったら、『旗本の凶行をもみ消したことで、全員腹切って詫びろ』なんて言うじゃないか! 自分は腹切ってもすぐ治るからって、酷いこと言うよね!」 「え・・・あの・・・・・・」 「そう言う問題なのかしら・・・?」 とうとう老中まで脅したのか、と、隠居とエミリアが寒々とした目で見遣った神田は、しかし、平然と鼻を鳴らした。 「そのくれぇの覚悟なくして、奉行なんざやってられっかよ!」 「!!」 その台詞に、本気でハートを貫かれたエミリアに背を向け、さっさと用部屋に行ってしまった神田を、残された男達もまた、苦笑して見送る。 「ユー君・・・」 「罪作りな男だねェ・・・」 「では、私もそろそろ失礼するよ。 いつまでも忙しい奉行所にいたら、迷惑がられてしまうからね」 と、奉行所を辞去したシェリルが自宅に戻ると、そこでは温泉帰りでほっこりした父と妹が待っていた。 「お帰りなさい、父上・・・と、ロード 妹を溺愛するシェリルに、早速ロードも駆け寄って抱きつく。 「お兄様ぁ 箱根のお土産、なんだと思うー?」 「なんだろう ロードが選んでくれたのなら、きっととっても素敵な・・・おや?」 ふと足元を見遣ったシェリルは、ティキがでかい図体を伸ばして倒れている様に首を傾げた。 「なんだい、邪魔だねェ。 こんな所で寝ないでおくれよ、ティキ」 「寝て・・・ねェっ・・・!!」 そのいかにも苦しげな声に、シェリルがますます訝しげな顔をすると、彼に抱きかかえられたロードがふんっと鼻を鳴らす。 「ティッキーったら酷いんだ! 僕が京土産にあげた象牙の根付、友達にあげちゃったって!」 「あぁ、やっぱりかい・・・・・・」 あの夜、察したことは事実だったと、シェリルは眉根をひそめて屈みこんだ。 「まったく、しっかりしてくれたまえよ、ティキ。 下々とは常に一線を画して付き合いたまえと、何度も言っているじゃないか」 いつも飄々として、本心を見せないシェリルの声に珍しく苛立ちを感じ、皆が驚いて彼を見る。 「・・・どうカしたノですカ、シェリル? 随分ト苛立ってますネ」 父に問われ、シェリルは気まずげな顔をした。 「・・・父上のお耳にもすぐに入ることですが、実は――――・・・」 部下であった目付の不始末と、その件で町奉行に借りを作ってしまったことを詳しく話し、シェリルは深々と吐息する。 「私の部下が我が家を陥れようとするなんて、全く許しがたい・・・。 ですが、この件でよくわかりましたよ。 私はまだ、父上の後を継げてはいない」 自身の波立つ心をなだめるかのように、ロードの頭を撫でながら、シェリルは吐息交じりにこぼした。 「マダラオの代わりに、新たな目付を用いねばなりませんが、それはぜひとも私の信頼できる・・・」 ちらりと、シェリルの意味ありげな視線を受けて、ティキは気まずげに頭を掻く。 「兄さんの言いたいことはわかるけど・・・俺に城勤めは向いてないかなぁ・・・」 「・・・・・・・・・」 ものも言わずにさめざめと泣き出したシェリルに、ティキが慌てた。 「あ!でも俺! 長崎奉行にならなってやってもいいよ! カステイラうまいしさー♪」 「なんと! それは本当かい、ティキ!!」 喜色を浮かべたシェリルの傍ら、父も嬉しそうに頷く。 「あァ・・・! ティキぽんがようやク仕事をすル気に・・・!」 感涙すら浮かべる父にシェリルは大きく頷き、ティキに胸を叩いて見せた。 「長崎だろうが大阪だろうが、君がやると言うのなら協力を惜しみはしないよ! 兄さんに任せておいで!」 と、簡単に言うが、大阪はもちろん、長崎奉行は遠国奉行の中でも最も実入りのいい役で、その地位を得るために千両箱がいくつも詰まれるのは有名な話だ。 だが、老中と若年寄の親子は既に、方々に伝手も持っていれば、有り余る財産もある。 「我が家から長崎奉行輩出!!」 愁嘆場は一転、晴れやかな空気に呑まれ、ティキは自分がなにを言ったのかその真の意味を知らないまま、気の早い祝賀会が催された。 この事件後間もなく、月番を終えた北町奉行所は、閉ざされた門内で、先月分の訴訟や事件の処理に、忙しい毎日を送っていた。 「ねぇ、お奉行? 意地張ってないで、エミリアさんお嫁にもらって来てくださいよ。 ほら、すごい量じゃない、これ。 絶対お奉行一人じゃ捌けないから!」 新たな書類を積み上げつつ、ため息混じりに言ったリナリーを、神田が睨みつける。 「しつっけぇよ!! 第一、エミリアが嫁に来たところで、これが片付くのかよ!」 「片付きますよ? だってエミリアお嬢様、影の奉行でしたもん」 ちょうど見回りから帰って来たアレンが、とことこと用部屋に駆け込んでリナリーの援護に回った。 「すごかったんですよ、エミリアお嬢様! エミリアお嬢様の殺人キックを食らった下手人は、お嬢様の顔を見るだけでどんな悪事もぺらぺらとしゃべったんです! おかげで調書作り簡単で だって、彼らが話す事を書くだけでいいんだもーん 「・・・拷問吏か、あいつは」 にこにこと笑うアレンに反し、神田は背筋に冷たいものを感じて蒼褪める。 「それに、書類捌きもすごかったんですよ。 お嬢様、ずっと奉行所の役宅に住んでいたから、夜は暇つぶしに例繰方詰所(れいくりかたつめしょ)で判例読んでたそうなんですよ。 おかげで判例係大助かり! お嬢様に『この判例ありましたっけ?』って聞けば、何年の何月に誰々がこういう罪で裁かれた、ってのが出てくるんです! すごいでしょ!!」 きらきらと輝く目でアレンがリナリーを見つめると、彼女もうっとりと両手を合わせた。 「お奉行 エミリアさんと、結婚して 「しねぇっつってんだろ!!」 最強の『お願い 「あ、そうだ。 さっき、見回り中にラビに会って、最新の瓦版もらいましたよ!」 ならば次の手と、アレンは懐から出した絵入りの瓦版を広げた。 「こないだの辻斬り事件の詳報です。美人奉行大活躍!だって!」 「!!」 ぎょっとして目を剥いた神田の目の前に、アレンはぐいぐいと瓦版を押し付ける。 「旗本に対しても容赦なく、苛烈で公平な裁き! これぞ当代の名奉行! その上日の本一の美人奉行!なにはなくとも一見の価値あり!だって!」 アレンがはしゃいだ声で呼び込みを読み上げると、紙面を読んでいたリナリーも歓声を上げて手を叩いた。 「すごい! べた褒めじゃない!」 だが、神田だけは脂汗まで流して、食い入るように紙面を睨む。 「・・・こんなん載ったら、北町に訴訟が殺到するじゃねェか!!」 その言葉に、リナリーははっと顔を強張らせ、アレンはにんまりと笑った顔を背けた。 奉行所は、北と南で月番交代。 緊急の訴訟や事件はともかく、民事訴訟はできるだけ公平な裁きをする奉行に委ねようと、月番になるのを待つことができた。 つまり裁判官を、庶民が選ぶことができたのだ。 ためにこんな評判が載ってしまうと、評判のいい奉行所にはとんでもない数の訴訟が寄せられることになる。 「てめぇモヤシ・・・この情報リークしたのてめぇだろ!!」 神田の怒号を、しかし、アレンはどこ吹く風と受け流した。 「当奉行のいい評判を広めるのは、与力として当然のご奉公です いけしゃあしゃあと言ってのけたアレンの、真の意味には気づかず、リナリーはまたもや手を合わせる。 「ねぇお奉行〜 「エミリアお嬢様、お嫁にもらってぇーん 「ふざけんじゃねェてめぇら!!」 迫り来る二人を押しのけた神田の、悲鳴交じりの怒号は春の空に高く響いた。 Fin. |
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『名奉行・遠山のユウさん』でした!(笑) これはリクNO.40『神田の日本刀語り』を使わせてもらってますよ! タイミングよく、ズゥ爺っさまが原作に出てきてくれたので、口調を全て修正することができました。 ってか、マダラオ兄様犯人にしちゃってごめんYO! だって、ノアが犯人の話は書き飽きた(笑)>お ま え。 『犯人はティキぽん?!』って、騙されちゃった人いますかー?(・▽・)>こら。 騙されましょうよ、騙そうとしたんだから(笑)>どんだけ予定調和。 ちなみに時代劇エンターティメント書きたかっただけなので、時代考証とか一切やってません!←開き直った! 町奉行は旗本がなるもんなのに、なんで側用人(譜代大名)の息子がやってんだとか、兄弟で寺社奉行と町奉行やってるなんてなくね?!とか、役職と身分が合致しないとか、そんな些細なことは気にするな!(笑) あんまり気にすると、遠山の金さんどころか、水戸黄門も暴れん坊将軍も観れなくなりますよ! ちなみに、リナリーは神田が個人的に雇った『内与力』で、普通の与力みたいに奉行所専属ではなく、奉行との主従関係です。 アレン君は本当なら同心なんですが、それだとあまりに身分違いなので、リナリーとの将来のために(笑)与力にしています。 リーバー君は一応『幕医』で、部下は町医者って設定で。>初期の小石川養生所は幕医が派遣されていたので、間違いではない。時代がずれてるだけ。←十分間違ってる。 ミランダさんは旗本家のお嬢様で、弟のリンク君が家督ついでます。 えらい格差婚だとか、いちいち突っ込むな(笑) 突っ込んだら、そこで試合終了だよ。>なんの試合か。 |