† 真実と幻想と †






 蓮―――― 天上天下に唯一尊い釈迦を生み、浄土に満ちる花。
 沼にあっては沼に満ち、池にあっては池を満たす。
 その水のある限り、彼岸の果てまで満ちるという。
 願わくは、渺茫たる大海を越え、我を彼の人の元へと導きたまえ・・・。


 「・・・あの人、めっちゃ怖いんですけど」
 入団して間もない教団の、修練場の片隅で、アレンはぽつりと呟いた。
 「顔も態度も怖いけど、何よりあの異常体質・・・なんであんなに治りが早いんです?サイボーグですか?」
 怖いと言う割には遠慮のないことを言うアレンの隣で、リナリーが苦笑する。
 「ちょっと治りが早いだけの人間だよ。
 それに、神田が厳しいのは他人に対してだけじゃなく、自分にもだよ。
 まだ18だけど・・・彼の仕事ぶりに対する評価は高いよ」
 彼への信頼がこもった声に、アレンは内心、面白くなかったが、あえてなんでもない風に笑った。
 「僕も、早くリナリーにそう言ってもらえるようになればいいんですけど」
 「そうだね。
 じゃあ、一日も早くそうなるようにがんばろうかv
 すっくと立ち上がり、リナリーはアレンに手を伸ばす。
 「ホラ!訓練続行!」
 中々手を取らないアレンを急き立てると、彼はにこりと笑って自ら立った。
 「なんで取らないの?」
 「レディに起こしていただくほど、年取ってませんから」
 その言葉に、リナリーの膨らんだ頬が染まる。
 「?
 どうしました?」
 「れっ・・・れでぃなんていわれたのはじめてだから・・・!」
 ぼそぼそと小さな声の呟きを聞き取って、アレンはにこりと笑った。
 「素敵なレディじゃありませんか。
 みんなもそう思ってますよ」
 「それは・・・どうかな・・・・・・」
 その言葉にはいかにも疑わしげに、リナリーは修練場内を見渡す。
 エクソシストやファインダー・・・その多くが男性だが、誰一人として彼女を『レディ』と呼んだ者はいなかった。
 「・・・精進しないとね」
 ふぅ、と、切なげにため息をついたリナリーは、ひらりと身を翻してアレンに向き直る。
 「じゃあ、組み手やろv
 「リナリー・・・と?」
 困惑げな顔をするアレンに、リナリーが頬を膨らませた。
 「なに?私相手じゃご不満?」
 「そっ・・・そう言うわけじゃなくて・・・!」
 慌てて言ったアレンに、リナリーの目が細くなる。
 「じゃあ・・・」
 リナリーの身体が、不意に沈んだ。
 「どういう意味だよ!!」
 目にも止まらぬ速さで繰り出された蹴りを、ほとんど野生の勘で受け止める。
 「だ・・・だって・・・!」
 イノセンスは使っていないはずなのに、鋭い蹴りはアレンの左腕を痺れさせた。
 「女性には、たとえ殺されても手をあげるな、ってのが師匠の言いつけで・・・!」
 「アクマでも?」
 「いえ、さすがにそれは例外ですけどっ!」
 足が引かれた途端、繰り出されたこぶしを慌てて避け、アレンは泣き声をあげる。
 「組み手でも、女性相手に手をあげることはできませんっ!!」
 「なんだよ!差別!」
 「なんと言われても無理ですっ!!」
 再び繰り出された回し蹴りを、自ら転んでよけたアレンの頭上が翳った。
 ビシッと、鋭い音と共に冷たい声が降りかかる。
 「やる気ねェんなら出てけよ、モヤシ」
 「神田・・・」
 「お前も」
 神田の腕を蹴りつけたままの足を振り払われ、リナリーがよろけた。
 「本気じゃねぇんならやる意味ねぇだろ」
 「神田相手なら、本気でやるよ」
 リナリーがにこりと笑うと、神田は頷いて足元に転がったアレンを蹴飛ばす。
 「いったぁぁ!!なにすんだ!!」
 「邪魔だ」
 その一言が合図であったかのように、神田とリナリーの激しい戦いが始まった。
 「・・・速い」
 神田とリナリーと、それぞれの速さは知っていたが、この二人の戦いは目で追うことすらできない。
 呆然と座り込んだままのアレンの腕を、誰かが背後から掴んだ。
 「危ないぞ」
 「あ・・・えっと、マリ?」
 アレンを立たせてくれた大男は、いかつい外見に似合わず穏やかな笑みを浮かべて頷く。
 「あの二人、自分達が地上最速の生き物だと認識していないからな。巻き込まれたら、冗談ではなく重傷を負う」
 言われて見回せば、他の団員達は既に、二人から遠い場所へと避難していた。
 「地上最速か・・・」
 呟いて、アレンは二人の長い黒髪が、鞭のようにしなる様を見つめる。
 辛うじて目で追えるのはそのラインだけで、腕や足の動きは残像すら捉えることは難しかった。
 「・・・・・・ちぇっ」
 エクソシストになりたての自分では、まだまだレベルが違うと思い知らされ、しょげるアレンの頭をマリの大きな手が撫でる。
 「あの二人は幼馴染だからな。
 相手の出方がわかっている分、普通の戦闘よりも激しく見えるだけだ」
 「そうなんですか」
 それであの凶悪で凶暴な神田が、リナリーにだけはおとなしいのか、と、納得しかけたアレンの目の前で、リナリーが吹っ飛ばされた。
 「あんたレディになんてことしてんですか――――!!!!」
 アレンの甲高い絶叫が修練場中に響き、皆が驚いて彼を見る。
 その隙に、跳ね起きたリナリーの蹴りが決まった。
 「・・・ってめぇ!!」
 「油断する方が悪いんだよ!」
 べーっと舌を出したリナリーが、アレンに向けて親指を立てる。
 「ナイスフォロー!」
 「・・・は?」
 呆然とするアレンの目の前で、リナリーが再び殴られた。
 「お前も隙見せてんじゃねェ!!」
 「ウソッ?!」
 師匠によって、徹底的にフェミニスト教育をされたアレンには信じがたいことに、神田は本気でリナリーと戦りあっている。
 「なにやってんの、あの人!!」
 止めに入ろうとしたアレンの肩を、マリが掴んで止めた。
 「やめておけ。怪我をするぞ」
 「だっていくらなんでもレディに・・・!」
 やきもきと戦闘を見つめるアレンに、マリがくすりと笑みを漏らす。
 「リナリーはレディである前に、エクソシストだ」
 その声に重なり、リナリーの鋭い蹴りを食らった神田の身体が壁を破壊する音が響いた。
 倒れた彼の上に、更にとどめを刺しに行ったリナリーの影が落ちる。
 「えぇっ?!」
 アレンが目を丸くする中、普通なら意識不明になるはずの衝撃を受けた神田が、最小の動きで避け、リナリーの蹴りは床を破壊した。
 「あめェんだよっ!!」
 長い髪を掴まれ、リナリーの勢いが減じる。
 「お前今日こそへこますっ!!」
 「それはこっちのセリフっ!!」
 リナリーも神田の髪を掴み、互いに引っ張り合って床に転げた。
 「子供のケンカだ・・・」
 呆れた口調のマリが、アレンの肩を叩いて二人に歩み寄り、その襟首を掴んで引き離す。
 「放しやがれマリ!!」
 「神田なんて蹴ってやる!!」
 興奮した猫のようにぎゃあぎゃあと喚きあう二人に、マリは深々と吐息した。
 「お前達いくつだ!
 いい加減に落ち着け!」
 叱られて、気性の荒い猫達はようやく爪を収める。
 「だ・・・大丈夫ですか・・・?」
 アレンが駆け寄ってタオルを渡すと、リナリーは憮然とした顔をそれにうずめて頷いた。
 「・・・また勝てなかった」
 「負けてないだけすごいですよ」
 リナリーを慰めつつ、アレンは神田を睨みつける。
 「女の子を殴るなんて、最低です」
 「訓練だろ」
 それに、と、神田はリナリーを睨みつけた。
 「お前、本気でとどめを刺そうとしただろ」
 「本気でやれって言ったの、神田じゃない」
 タオルから顔をあげたリナリーが、ぺろりと舌を出す。
 「それとも、手加減して欲しかった?」
 「んなわけねぇよ」
 マリから奪ったタオルで血を拭った神田の顔に、アレンの目は釘付けになった。
 「なんで傷が消えてるんですかっ?!」
 「うるせぇ」
 アレンの問いを一言で退け、神田はリナリーを睨む。
 「まだやるか?」
 「特異体質と一緒にしないで」
 リナリーの二の腕に、赤紫色のあざが広がっていく様に、神田は鼻を鳴らした。
 「さっさと冷やしとけ」
 「はぁい」
 互いに背を向け、それぞれに歩き出した二人にマリはため息をつき、アレンはリナリーを追いかける。
 「だ・・・大丈夫ですか?!」
 「平気だよ、このくらい」
 気遣わしげなアレンに肩越し、にこりと笑い、リナリーは修練場の隅にある、応急処置用のスペースに入った。
 城内では最も怪我の多い場所だけに、ナースも常駐してくれているが、リナリーは彼女から氷嚢をもらっただけで、自分で怪我の手当てをする。
 「・・・今日こそは勝てると思ったんだけどなぁ」
 いいところまで行ったのに、と呟くリナリーに、ナースがクスクスと笑い出した。
 「新人君の前でいいとこ見せようなんて、張り切るからよ」
 「ちょっ・・・なんでそう言うこと言うの!」
 真っ赤になったリナリーの耳に、ナースがこっそり囁く。
 「可愛い子じゃないv
 あんたが女の子らしくなるためにも、がんばってゲットすんのよv
 からかい口調の言葉に、リナリーが湯気を出しそうに真っ赤に茹で上がった。
 その様に、アレンは不安げに首を傾げる。
 「あのぅ・・・どこか怪我でも・・・」
 「ななな・・・なんでもないよっ!!」
 裏返った声を張り上げ、必死に首を振るリナリーに、ナースがまた楽しげに笑った。
 「姉さんったら・・・!」
 リナリーが真っ赤な顔でナースを睨みつけた時、彼女のゴーレムがベルを鳴らしながら寄って来る。
 「はい?」
 返事をして回線を繋ぐと、黒いゴーレムは兄の声で喋り出した。
 アレンを連れて執務室に来るように、と言う指示を受け、リナリーがアレンの手を取る。
 「任務みたい。いこ」
 「はい!」
 手を繋いで走り出そうとする二人の背に、ナースが黄色い声をかけた。
 「がんばってねーv
 「はい!」
 任務に赴く自分への声援だと思ったアレンは頷いたが、リナリーは真っ赤な顔を俯けてしまう。
 「?
 どうかしましたか?」
 「・・・っなんでもない!」
 ナースの真意を知るリナリーは、体温を急上昇させながらもアレンの手を放すことはなく、兄の執務室へと駆け込んだ。


 一方、さっさと自室に戻った神田は、ドアを開けたところで呼びとめられた。
 「ただいまさーv
 陽気な声は、顔を見なくてもわかる。
 無視してドアを閉めた途端、首を挟まれたラビが悲鳴をあげた。
 「なんでついてきてんだ」
 「その前にドア開けるさ!
 ちぎれる!首ちぎれるぅぅぅぅぅぅ!!」
 まさに絞め殺される鶏のような声をあげるラビを、神田は興味深そうに見て―――― 更にドアを閉める。
 「げぶ――――――――!!!!」
 「首がちぎれそうになると、そんな声が出るんだな」
 「鬼かァァァァァ!!!!」
 ようやく解放されたラビは床にしゃがみこみ、激しく咳き込みながら泣き声をあげた。
 「酷いさユウちゃん!
 俺がなにをしたって言うんさ?!」
 「別に」
 つんっと、そっぽを向いた神田に、ラビの嘆きが激しくなる。
 「理由もなしに殺そうとすんじゃないさぁぁぁぁぁ!!!!」
 「なら・・・うざいから」
 「・・・・・・・・・・・・」
 床に這ってしくしくと泣き始めたラビの頭を、神田は無情に踏みつけた。
 「こんなとこで泣いてんじゃねェ。出てけ」
 「ユウちゃんの鬼・・・!」
 「鬼で悪ィか」
 一旦ラビの頭を離れた足が、鋭く蹴り出される気配を察し、ラビが慌てて飛び退く。
 その隙に、すかさず閉ざされたドアにラビが縋った。
 「ユウちゃぁぁぁぁぁんっ!!開けてぇぇぇっ!!開けてさぁぁぁぁぁっ!!!!」
 「っんだよさっきからうるせェな!!」
 ドア越しに怒鳴ると、ラビはドアノブを激しく鳴らしながら返す。
 「クラウド元帥がー!
 6日までには絶対戻って来っから、誕生日パーティしよって・・・」
 「いらねぇって言え!!」
 「なんでさっ!
 元帥、お前のために一国分のアクマ壊滅させて来るって張り切ってんのに!」
 その言葉に、神田はあの元帥ならやりかねない、と、ため息を零した。
 「今どこにいるんだよ、あの人・・・」
 「東欧さ!
 ハンガリー辺りのアクマ共、今頃元帥に狩られてっさ」
 「そりゃ気の毒にな」
 再びため息を零して、神田は背を預けていたドアから身を起こす。
 途端、
 「どわっ!!」
 抵抗力を失ったドアと共に、ラビがなだれ込んで来た。
 「・・・っいきなり開けんじゃないさぁ!」
 「開けろっつったのはてめェだろうがよ」
 鼻を押さえて泣き声をあげるラビを冷たく見下ろし、神田は舌打ちする。
 「・・・で?
 あの暴走元帥、俺にどうしろっつってんだ?」
 「別に何も。
 ただ、当日は城にいてくれって」
 「・・・ブックマンって奴らは、そんなくだらねェ伝言伝えるのも仕事なのか」
 「違うさ!
 元帥とはたまたまブタペストで会って、そん時にお前に言っとけって・・・」
 「暇な奴」
 「暇じゃねェさ!!
 俺もジジィも、美女のお願いを断れねぇだけさ!!」
 「ジジィもか!!」
 どんな一族だ、とぼやいた神田は、期待に満ち満ちた目で彼を見つめるラビにまた吐息した。
 「俺に用事はないが、コムイから指令が下れば行かねェわけには・・・」
 「あ、それは大丈夫さv
 ジジィがもう、釘刺しに行ったからv
 ブックマン達が諮ると決めれば、ぬかりのあろうはずがない。
 「・・・・・・わかった」
 今までで最も深いため息をつきながら、神田は憮然と頷いた。


 その頃、リナリーに手を引かれてコムイの執務室に入ったアレンは、なぜ彼が自分を睨むのだろうと首を傾げつつ呟いた。
 「任務・・・ですか」
 「そう!
 また神田君と組ませてやろうと思ったけど・・・」
 思わず嫌そうな顔をしたアレン以上に表情を歪めて、コムイはデスクにこぶしを叩きつける。
 「元帥の命令で、神田君は6日まで城内待機になったから!
 マリと行っておいで!」
 「あ・・・はい!」
 途端に嬉しそうな顔をしたアレンを、コムイが殺しそうな目で睨んだ。
 「あ・・・あの・・・・・・?」
 なんでこんなに睨まれているんだろうと、再び首を傾げたアレンを、コムイがまっすぐに指差す。
 「いつまでボクのリナリーと手ェ繋いでんだいっ!!切り落とすよ!!」
 「えっ?!ぅわっ!!」
 怒鳴られるや、熱い物にでも触れたかのようにアレンが手を放し、リナリーは苦笑した。
 「だってアレン君、手を繋いでないとお城で迷子になっちゃうもんね」
 「そそそっ・・・そうなんですっ・・・!!」
 決して他意はない、と、慌てて弁明するアレンを未だ睨み、コムイは野良猫でも追い払うように手を振る。
 「ホラ!
 さっさと行ってさっさと!!
 またリナリーと手なんか繋いだら、今度こそその腕、切り落とすからね!」
 「はっ・・・はい!!」
 慌てて踵を返し、執務室を駆け出たアレンの襟首が、背後から掴まれた。
 「わぁぁぁんっ!!
 ごめんなさい、コムイさん!もうしませんからぁぁぁぁ!!!!」
 「いや、私だ・・・」
 じたじたと暴れていたアレンは、穏やかな声を受けておとなしくなる。
 「マ・・・マリ・・・・・・」
 「置いて行かれると困るんだが?」
 冗談めかした口調に気まずげな笑みを浮かべ、アレンは素直に謝った。
 「それと、任地と任務内容のファイル」
 「あ!」
 差し出された黒いファイルを受け取ったアレンが、気まずげな上目遣いでマリを見上げる。
 「ど・・・どこになにしに行くか、聞いてなかった・・・です」
 「うかつだな」
 くすりと、穏やかな笑みを漏らしたマリに、アレンはほっと吐息する。
 「怒られると思ったか?」
 「はい、だって・・・」
 「私は、神田の兄弟子だからな」
 愉快げに笑って歩き出したマリについて行きながら、アレンも思わず笑声をあげた。
 「絶対怖い人だって思ってました」
 「ティエドール元帥の弟子はもう一人いるが、あんなに気性が荒いのはあいつだけだよ」
 いや、と、マリは笑って首を振る。
 「教団内でも、あいつほど気性の荒い奴は滅多にいないな」
 「そうなんだ・・・」
 そんな、鬼のような人間と初任務で組まされたのか、と、アレンは改めてコムイの意地の悪さを思った。
 「・・・ここって、新人いじめとかフツーにやってんですか?」
 「いじめ・・・というか、いたずらが好きな人間は多いな」
 不器用に言葉を濁したマリが、気まずさを紛らわせるように足を早める。
 「ちょっ・・・はっきり言ってくださいよぉ!
 それによって僕の覚悟も変わるんですからッ!」
 ほとんど涙声をあげて縋ってきたアレンに、マリは表情を強張らせて頷いた。
 「そうだな・・・まさか、お前が知らないとは思わなかったから、あえて教えてなかったが・・・」
 それこそ新人いじめかな、と、怖い感想を呟いて、マリは足を止める。
 「コムイの前で、リナリーと仲良くすることは危険だ。
 今まで、リナリーに言い寄ろうとして闇に葬られた奴は、10人や20人ではきかない」
 「ふぇっ?!」
 つい今しがた、腕を切り落とされそうになったアレンが、真っ青になって奇妙な声をあげた。
 「ややや・・・闇に葬られるって・・・それって・・・・・・!」
 「冗談ではなく、この教団から消えてしまうんだ。
 退団したのか、各支部に左遷されたのかは知らない。
 だが噂では・・・・・・」
 そっと、マリがアレンの耳に囁く。
 「殺された、かも」
 「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
 引き攣った悲鳴をあげたアレンの頭を、マリは慰めるように撫でた。
 「それでなくともお前は、珍しい寄生型としてコムイに目をつけられているそうじゃないか。
 行動には十分気をつけるんだぞ」
 「はっ・・・はひっ・・・・・・!!」
 入団直後からコムイに虐げられ続けたアレンは、ぶるぶると震えて頷いた。
 と、頭に乗っていたマリの手がアレンの頬に触れる。
 「・・・?
 お前、この傷はどうしたんだ?」
 「へっ?!」
 涙に濡れた頬の傷をなぞる手に、アレンが目を見開いた。
 「どうしたって・・・えと・・・傷を負った理由・・・ですか・・・?」
 言い難そうに口を濁すアレンから、マリは慌てて手を放す。
 「あぁ、スマン・・・。
 私は目が見えないので、お前に傷があることを知らなくて・・・」
 「えぇっ?!」
 また驚いて声をあげたアレンは、自身の無礼に気づいて慌てた。
 「あっ・・・その、ごめんなさい!
 僕、マリの目が見えないなんて思わなくて・・・ごめんなさい!」
 「では・・・」
 何度も謝るアレンに苦笑し、マリは再び、彼の頭に手を乗せる。
 「お互い様だな」
 「そ・・・そうです・・・ね・・・」
 まだ気まずげに身を縮め、アレンは上目遣いにマリを見あげた。
 「気づかなくてすみません。
 他の人達と全然変わらないから、その・・・」
 「私は目が見えない分、耳がいいからな」
 気にしていない、と笑って、マリはまた歩き出す。
 「戦闘においても、アクマにも引けを取らず動けるから、こうして生きている」
 だから日常生活にも不自由はない、と、笑う彼にアレンは頷き、慌てて『はい』と声に出した。
 「頷くだけでいいぞ。
 気配はわかるからな」
 変に気を使うな、と、言外に言う彼に、アレンは頷く。
 「あの・・・僕の傷のことなんですけど・・・・・・」
 「言いたくなければ別に・・・」
 「いえ!
 あの・・・この傷、僕がアクマにしてしまった父につけられたもので、左目を切り裂かれて以来、僕はアクマの魂が見えるようになっちゃって・・・・・・」
 歩幅の違うマリと並ぶため、ほとんど駆けながら、アレンはぽつぽつと語った。
 「神田に聞きませんでしたか、僕のこと?
 呪われてる奴だって・・・」
 「あぁ、アクマの魂が見えるのだということは、コムイから聞いたな・・・。
 私も昔は、目が見えたらどんなにかと、何度も思ったが、見えすぎるのも困りものだ」
 マリの人柄か、嫌味には聞こえない言い様に、アレンは笑みを漏らす。
 「本当に・・・。
 それで、切り裂かれた傷とは別に、ペンタクルも現れてしまったんです」
 マリの手を取り、自分の額に当てると、彼はそっとアレンの傷をなぞった。
 「随分と大きいんだな・・・」
 気遣わしげに言われ、アレンは笑みを深める。
 「そうですね。
 髪も真っ白だから、僕、かなり目立つみたいで、一人の時はじろじろ見られてたんですけど・・・」
 言ううちに突然、アレンはムッとした口調になった。
 「神田と一緒の時は、あっちの方が目立ってましたね」
 「随分ときれいな顔をしているそうだからな」
 見たことはないが、と、吹き出したマリに、アレンは一瞬、気まずげな顔をしたが、憮然としたまま頷く。
 「目つきも性格も悪いし、僕には凶悪面としか見えないんですけどね!
 老若男女全員振り向いちゃって、忌々しいったら!」
 「それほどなのか。どうりで・・・」
 神田と一緒にいると、時々、道行く人々のため息や息を呑む音が聞こえていた、と言うと、アレンは益々不機嫌になった。
 「僕だって可愛いもんッ!」
 その言葉に、マリが思わず吹き出す。
 楽しげな笑声を抑えられないまま、船着場に行くと、船で待っていたファインダーが不思議そうに彼らを見た。
 「トマ、アレンは神田よりも可愛いのか?」
 声を発する前に識別されたトマは、驚きと感心とが混ざり合った表情に困惑をも混ぜ込む。
 「そう・・・でございますね。
 神田殿は誰もが認める美貌ですが、ウォーカー殿はこの年にふさわしい無邪気さを持っておられるように思います」
 「それって僕が神田に負けてるってことですか!」
 「いえ!そう言う意味では・・・」
 むくれてしまったアレンに、トマは慌てて手を振った。
 「こら、トマを困らせるんじゃない」
 「だってあの目つきの悪いのに負けるなんて悔しい!」
 アレンがぱんぱんに頬を膨らませると、トマは気まずげに身を縮め、その気配を察したマリは苦笑を浮かべる。
 「随分と仲が悪いじゃないか。
 初任務で何かあったか?」
 穏やかな声音の問いに、アレンはぶんぶんと頷いた。
 「任務前からですよ!
 あのパッツン、人のことモヤシモヤシって、貧弱で悪かったなコンチクショー!」
 こぶしを握ったアレンの絶叫が、水路中に反響する。
 思わず耳を塞いだマリは、吐息してアレンの頭に手を置いた。
 「すまないな、あいつ、口下手で・・・」
 「口下手っ?!口下手で済むレベルですか、アレ?!
 悪口雑言やたら流暢に話してくれましたけどっ?!」
 ねぇっ?!と、アレンに同意を求められたトマが、ものも言えずに黙り込む。
 「でもあのポニーテール、1ヶ月死ななきゃ名前で呼んでやるっつったんですから!
 なんとしても生き延びて、『すみませんでしたアレンさん』って言わせてやるッ!!」
 「そ・・・そうか、がんばれよ」
 アレンの思わぬヒステリーに、気を飲まれたマリが引き攣った声をあげると、アレンはこくこくと何度も頷いた。
 「ちょうど、この任務が終わって帰る頃が入団一ヶ月目ですよ!
 だから、とっととお仕事片付けて、意気揚々と凱旋しようじゃありませんかっ!」
 マーチでも歌い出しそうなほどにこぶしを振り上げ、船に乗り込んだアレンは、続くマリに差し出した手をやんわりと押しのけられる。
 「気を使わなくていい。
 こっちが気を使ってしまうからな」
 言いながら乗り込んだマリの足つきは、盲目だと聞いていなければ気づかないほどしっかりとしていた。
 「わかりました。
 じゃあ、なにか手伝ってほしいことがあったら遠慮なく言ってください」
 にこりと笑ったアレンに、マリが頷く。
 「任務中は大丈夫だと思うが、任務後の報告書は頼むことになると思う。
 なにしろ、報告書を書けないのでね」
 「了解です。
 じゃあ、がんばりましょうね!トマも、よろしくお願いします!」
 「はい、こちらこそ」
 こぶしを振り上げるアレンにトマが楚々と一礼し、船は三人を乗せて、静かに水路を流れた。


 アレン達が城を出てしまった後、
 「コムイ、ただいまさ!新人入ったって?!」
 執務室に駆け込むや、一気にまくし立てたラビを、コムイはぽかんと口を開けて見つめた。
 「さすが・・・情報早いねェ」
 「それが俺の役目だかんね♪
 なぁなぁ、それより新人君、なんてーの?」
 「新人が入ったのは知ってるのに、名前は知らないのかい?」
 なんて中途半端な、と呆れると、ラビが肩をすくめる。
 「だって、ユウちゃんに聞いたんだもんさ。
 名前教えて、っつったら、『クソ生意気で甘っちょろいモヤシ野郎だ』って、教えてくんないんさ。
 ありゃ、名前覚えてないんさね、きっと」
 興味ナシだから、と、笑うラビにコムイも苦笑した。
 「一緒に任務に行かせたら、少しは関心持ってくれるんじゃないかなぁって思ったんだけどねぇ・・・名前も覚えてないんだぁ・・・・・・」
 虚しく呟くコムイに、リナリーが苦笑する。
 「一緒に行かせたのって、意地悪じゃなかったんだね・・・」
 「えぇっ?!リナリー、お兄ちゃんをそんな風に見てたのかいっ?!」
 「日頃の行いが悪いからさ」
 ラビにまであっさりと言われ、コムイがむくれた。
 「もう、教団の情報提供してやんない」
 「ごめんなさいさっ!」
 『裏歴史』の情報はブックマン側から教団へ提供されるにしても、自分のせいでこの戦争の記録を録り損ねたなんてことになったら、ブックマンに殺される。
 「もうイケズいわねぇから許してさ、カッコイイおにいさーん!!」
 必死に縋ってくるラビに、コムイはまだ憮然としつつも口を開いた。
 「アレン。
 アレン・ウォーカー。
 珍しい寄生型の子で、左腕にイノセンスが宿っている。
 左目はアクマの魂が見える呪いを受け、左の額にペンタクル状の傷と、左半面を裂く傷がある。髪は白。
 以上、他に質問は?」
 「質問ってーか、写真や動画はねーの?
 中途半端な情報持って帰ったら、俺、ジジィに殺されるさ」
 それ以外の情報は自分で集める、と言うラビに、リナリーが研究室まで走って行って、動画再生用ゴーレムを連れて戻ってくる。
 「これ、お城に来た時のアレン君。
 神田に襲われちゃって、可哀想なの」
 「・・・新人にユウちゃんけしかけたんかよ」
 酷い、と呟きつつ、ラビは再生された動画を正確に記憶した。
 「・・・にしても、ひょろっちぃなぁ。
 ユウちゃんが『モヤシ』って呼ぶわけさ」
 「んー・・・でも一応、任務からは生きてもどって来たヨ」
 聞き様によっては酷いことを平然と言うコムイから、ラビはマテールの報告書を受け取る。
 それをめくって・・・ラビは肩をすくめた。
 「確かに甘っちょろいさ。
 こんな奴と一緒に行ったら、命いくつあってもたんないさね」
 「だよねー。
 神田君だから、生きて戻ってこれたかな」
 苦笑するコムイに報告書を返し、ラビはにこりと笑う。
 「一緒に組んだファインダーから嫌がられるタイプさね。
 俺、命大切にしたいんで、こいつがもうちっと成長してからじゃないと組みたくないさ」
 陽気な顔をして、あっさりとクールなことを言うラビを、リナリーが睨んだ。
 が、何か言いたげな妹を制して、コムイが笑う。
 「キミならそう言うと思って、今回はマリと行かせたよ」
 「そっか・・・!
 マリと一緒なら、諭してもらえるさねーv
 あからさまにほっとした様子のラビに、コムイはやや意地の悪い笑みを向けた。
 「その後は、ちゃんと組んでよね」
 「ジジィも一緒なら、なんとかなるさね」
 さりげなく条件をつけたラビに、コムイが肩をすくめる。
 「おじいちゃんっ子め」
 「なんとでも言うがいいさ♪」
 笑いながらラビは、コムイのデスクに乗った報告書を次々に取り上げては、その内容を記憶して行った。
 「ごちそーさんv
 あ、そだ。
 もう聞いてると思うけど、クラウド元帥が愛息子のお誕生会には必ず戻るから、盛大なパーティをヨロシク、ってさーv
 「・・・戻ってくるとは聞いたけど、盛大なパーティをやれなんて聞いてないけど?」
 コムイが疑わしげに首を傾げると、ラビはにんまりと笑みを深める。
 「そんなん、ユウちゃんには秘密に決まってんじゃん♪」
 「あー・・・そうだね・・・・・・」
 未だ疑わしげな彼に手を振り、出て行こうとするラビをリナリーが追った。
 「なにさ?」
 執務室を出たところで振り返ったラビの腕に、リナリーが縋る。
 「ラビはアレン君と仲良くしてくれるよね?!」
 「俺は誰とでも仲良くしてんじゃないさv
 軽い口調で答えると、大きな目でじっと見つめられた。
 「アレ?なんか問題さ?」
 気まずげなラビを見つめたまま、リナリーは首を振る。
 「リナはアタマいいんだから、俺の立場もわかってくれるさね?」
 「うん・・・」
 頷いたリナリーの頭を、ラビは笑って撫でてやった。
 「いい子いい子v
 じゃあ俺、ジェリ姐に元帥の伝言伝えてくるさv
 リナリーの頭から放した手をひらりと振って、ラビは背を向ける。
 「ラ・・・!」
 呼びかけ、再び追いかけようと踏み出した足を、リナリーはしょんぼりと戻した。


 一方、外出を禁じられて手持ち無沙汰の神田は、仕方なく食堂に向かった。
 と、回廊の向こうに再びラビの紅い髪を見て、思わず吐息を漏らす。
 「なんだてめぇは、さっきから俺の目の前をちょろちょろと・・・」
 うざい、と神田が吐き捨てると、ラビは口を尖らせた。
 「別に、ユウちゃんに用事なんかないさね!
 でも、いくら城が広くったって、行く場所なんて限られてんだから、頻繁に会っても仕方ないさ!」
 「同じ城にいても、滅多に会わねェ奴もいるがな」
 「そりゃ、避けてっか避けられてっかさ」
 あっさりと言って、ラビは先に食堂に入る。
 「ねーさーん!
 姐さん、ただいま!」
 カウンターから呼びかけると、すぐにジェリーの笑顔が振り返った。
 「アラんv
 お帰り、ラビv
 「任務中、姐さんの料理食えなくて寂しかったさーv
 調子のいいことを言うラビの背後で、神田が呆れた風に吐息したが、ジェリーは気にした様子もなく明るい笑声をあげる。
 「アタシも、アンタがいないと食堂が静かで寂しかったわんv
 「え?!俺、そんな騒がしいさ?!」
 「アラんv
 アンタがいると賑やかでいいわね、って言ってるのよんv
 楽しげに笑ったジェリーは、カウンターから身を乗り出し、ラビの後ろにいる神田を見遣った。
 「アンタも、トモダチが無事に帰ってきて嬉しいわねv
 「ンなわけねぇだろ」
 面倒なだけだ、という呟きをラビが聞き咎め、口を尖らせる。
 「なんさなんさっ!ユウちゃんのいけずっ!」
 「っるっせぇよ!
 さっきからてめぇ、馴れ馴れしくファースト・ネームで呼んでんじゃねェ!!」
 「いいじゃん〜!
 ユウちゃんの方が言いやすいんだからさぁ〜!」
 言って、ラビはふと瞬いた。
 「名前といえばさ、ユウ。
 モヤシ君の名前、アレン・ウォーカーだってさ。
 アーレーン!綴りは・・・」
 宙に文字を描こうとするラビの指を、神田が払いのける。
 「うるせェよ!
 どうせすぐ死んじまうんだから、覚えたって無駄だ」
 「コラッ!
 縁起でもないこと言っちゃ、ダメでしょ!」
 ジェリーの鋭い叱声に神田は黙り込んだが、ラビは先ほど見た報告書を思い浮かべながら、ゆっくりと頷いた。
 「確かに、無茶なガキさね、モヤシ君。
 あれじゃあ命いくつあっても足りんから、もうちょっと成長するまで組むのヤダ、って、さっきコムイに言ってきたさ」
 「んまっ!ラビまで!」
 憤然と腰に手を当てたジェリーにラビは笑い、神田は吐息する。
 「それよりジェリー、メシ」
 「んもう・・・!
 いつものでいいのね?!」
 まだ怒り覚めやらない口調ながらも、注文を受けた彼女に頷くと、神田はさっさと背を向けた。
 「アンタは?なににするのん?」
 大きく息をつき、問う彼女にラビは、にっこりと笑みを深める。
 「パーティ料理」
 「は?」
 ジェリーが訝しげに眉をひそめると、ラビは声を潜めた。
 「クラウド元帥からの伝言さ。
 ユウのお誕生会すっから、盛大なパーティをよろしく、って」
 「お誕生会って・・・ナニ?クラウドちゃん、そのためにわざわざ戻ってくるのん?」
 「うん。そう言ってたさ」
 「んまぁ・・・!
 それ聞いたら、三人娘がむくれるわよぉ」
 お師匠様大好きなのに、と、苦笑するジェリーにラビも笑う。
 「4人目なんだろ、ユウちゃん?」
 その問いに、ジェリーは懐かしそうに表情を和ませ、頷いた。
 「そうなのよねぇ・・・クラウドちゃん、神田をティエドール元帥に里子に出しちゃって悔やんでいたから、思い入れも強いんでしょうねェ」
 ジェリーがクスクスと笑うと、ラビが肩をすくめる。
 「三人娘が邪魔しに来なきゃいいけどな」
 が、その言葉にはジェリーがパタパタと手を振った。
 「それはないわ。
 あの子達、嫉妬はしても、神田に意地悪するほど無謀じゃないから」
 「オンナノコにも容赦ないからなぁ、ユウちゃん」
 「そうなのよねぇ・・・」
 アレンちゃんと真逆、と呟いたジェリーに、ラビが目を瞬かせる。
 「なに?モヤシ君って、フェミニストなんさ?」
 「とっても紳士よぉv オンナノコに優しいのv
 だから、と、ジェリーは声を潜めた。
 「リナリーったらあの子のコト、気になってるみたいv
 その言葉にさっき、リナリーがわざわざ追いかけてきたことを思い出し、ラビは組み合わせた指を鳴らす。
 「そりゃユウちゃんが冷たくするはずさ!
 俺らの妹に手ぇ出すなんざ、100年早いさね!」
 「ちょっとぉ・・・!
 アンタまでエキサイトしないでよ。
 リナリーに100年も恋人なしで過ごせっていうのん?」
 それに、と、ジェリーは笑ってラビの額をつついた。
 「人の話はちゃんと聞きなさいよぉ、ブックマンJr.v
 気になってるのはリナリーの方。
 アレンちゃんじゃあないわv
 「余計悪いさ!
 リナリーのどこが不満なんさ、モヤシ野郎!」
 まだ見ぬアレンに対し気炎をあげるラビを、ジェリーは苦笑して見つめる。
 「不満だなんて言ってないわよぉ。
 アレンちゃんはまだ来たばっかりだから、リナリーのことは『親切な女の子』だとしか思ってないダケv
 「あんなカワイイ子、一目惚れして当然さね!」
 「・・・アンタさっきから、言ってることが支離滅裂よん?」
 「うんにゃ、論理的さ!
 俺は、リナに悪い虫が寄ってくんのは反対だけど、リナがその気なんに無視するヘタレは許せないさ!」
 「あぁ、なるほどぉ・・・」
 「ま、純粋なリナをだまくらかしてる悪党なら、コムイやユウと謀って排除すっケドね!」
 ふんっと、鼻を鳴らしたラビに、ジェリーが笑い出した。
 「アンタもすっかり、リナリーのお兄ちゃんなのねェ」
 「甘え上手だかんね、リナは・・・」
 いつの間にかほだされた、と、ぼやくラビの頭をジェリーが撫でる。
 「じゃあ、妹想いのお兄ちゃんには、腕によりをかけたげましょうねv
 なんにするのん?」
 クスクスと軽やかな笑声をあげるジェリーに、ラビもちらりと笑った。
 「んー・・・じゃあ、ボロネーゼ」
 と、
 「蕎麦はまだか?!」
 テーブルから神田の怒声が響いて、ジェリーは肩をすくめる。
 「ハイハイ、ただいまぁ〜」
 軽やかに踵を返したジェリーの手は、鍋の上を鮮やかに舞った。


 「ヘイ、蕎麦お待ちー♪」
 ジェリーから受け取った料理を持って、神田の対面に座ったラビは、早速自分の皿にフォークを突き立てながら軽く神田をにらみつけた。
 「リナリーがモヤシ君のこと、気にかけてんだって?
 なんで教えてくんなかったんさ!」
 「なんでいちいちお前に報告するんだ?」
 そばつゆに薬味を落としながら、淡々と言う彼に、ラビは吐息する。
 「俺だってリナの兄ちゃんのつもりなんだけど、三番目の兄さん?」
 いやむしろ、と、ラビはにんまりと笑った。
 「お姉様?」
 「てめェ!」
 椅子を蹴って立ち上がった神田から、ラビは慌てて身を離す。
 「だって!
 リナがユウ姉様って・・・!」
 「あいつはガキの頃の勘違いを未だに引きずってやがんだよ!」
 忌々しげに言うや神田は、素早く手を伸ばしてラビの胸倉を掴んだ。
 「二度とお姉様なんて呼ぶんじゃねェ。殺すぞ」
 冗談ではない口調と鋭い眼光に怯えきったラビが、がくがくと頷く。
 「ごごごごごめんさっ!うっかり調子に乗りましたスミマセンッ!!」
 甲高い悲鳴をあげるラビに食堂中の視線が集まり、神田は舌打ちしてラビを放した。
 「口に気ィつけろ」
 「あっ・・・あぃ・・・・・・!」
 青を通り越して白くなった顔に汗を浮かべ、ラビはまたがくがくと頷く。
 と、椅子にかけ直した神田は、箸を取り上げて頷いた。
 「なにが気にかかるのかは知らねぇがな、リナリーがモヤシについて回ってんのは事実だ」
 「うん・・・まぁ、リナリーは元々世話好きだし?
 俺ン時も、しばらくは色々世話焼いてくれたからさ、いつものことだと思うんケド・・・ジェリー姐さんの口ぶりじゃあ、どうもそれ以上っぽいさ?」
 まだ血の気の戻らない顔に浮いた汗を拭ったラビが、眉根をひそめた。
 「なんか、不思議なカンジさね、モヤシ君。
 ここ来る前に病棟にも寄って来たんだけど、ナースの姉さん達にも評判いいみたいだし、何より・・・」
 ラビの眉根が、ますますきつく寄る。
 「ファインダーや、サポーターメンバーからの評判もいい」
 「八方美人なんだよ」
 吐き捨てるように答えた神田に、ラビは得たりと頷いた。
 「そう、それさ!
 誰にでもイイ顔する奴は信用できない・・・俺みたいに?」
 にやり、と、笑みを浮かべて声を潜めたラビを、神田が睨みつける。
 「だからユウちゃん、そいつに冷たいんじゃね?
 純情なリナが悪い男に引っかかっちゃあ、兄ちゃんとしては心安らかじゃないさね」
 「・・・あいつは一旦泣き出すと、いつまでもうじうじとうるせェからな」
 ラビの言葉を否定しない神田に、ラビが笑い出した。
 と、むっと眉をひそめた神田は、視線を手元に落としたまま、呟く。
 「お前もあいつと組めばわかる。
 本性は随分と・・・・・・」
 「なんさ?」
 言葉を切った神田に、ラビが続きを促すが、彼はふるりと首を振って立ち上がった。
 「なんでもねェ」
 「言いかけてやめられると、気になるさ」
 それに、と、ラビは笑みを浮かべて神田を見上げる。
 「良くも悪くも、ユウが他人をこんなに評価すんの、初めてじゃね?」
 神田が訝しげにラビを見下ろすと、彼はにんまりと笑みを深めた。
 「リナリーとは逆の意味で、モヤシ君のことが気になってる・・・いや、警戒してるだろ?」
 「警戒・・・そうかもな」
 長年、この教団で過ごしてきたが、これほどに違和感を覚えたのは初めてだ。
 「お前たちでさえ、ここまでの違和感はなかったのにな」
 「そりゃあ、俺らは上手いからさ、溶け込むの」
 クスクスと笑って、ラビは改めてフォークを取り上げた。
 「ユウの勘って、カナリ鋭いじゃん?
 そのお前が『異物』だって言ってるモヤシ君・・・すげぇ興味あるさ、俺」
 だから、と、ラビはフォークで自身を指す。
 「観察は俺に任せて見ねェ?
 ユウの違和感がなんなのか、解いてみたいさ」
 餅は餅屋、と笑う彼を横目で見遣り、神田はわずか頷いた。
 「・・・勝手にしろ」
 口では素っ気無いことを言いつつも、その声音に期待がこもっていることを鋭く察して、ラビが頷く。
 「おまかせあれv
 笑みを深めて、ラビは神田の背を見送った。


 その頃、教団本部で勝手に『観察対象』にされてしまったとは知らないアレンは、列車のコンパートメントでマリと向かい合っていた。
 「オーストリアかぁ・・・。
 僕、ウィーンには何度か行きましたけど、こんな国境までは行ったことないなぁ・・・」
 「国境?
 いや、国境はまだ先だぞ?」
 不思議そうに言ったマリを、アレンが驚いて見あげる。
 「え?だって、この町のすぐ隣はハンガリーで・・・・・・」
 「オーストリアとハンガリーは連邦だ。外国じゃない」
 その言葉に、アレンは小首を傾げた。
 「マリってもしかして、オーストリア人ですか?」
 「そうだが・・・言ってなかったか?」
 「はい。
 そうか、道理で」
 クスクスと笑い出したアレンに、マリが不思議そうな顔をする。
 「あ、ごめんなさい!
 僕、師匠について、欧州各地を巡ったんですけど・・・オーストリアの人達にとって『国内』って、すごく広いですよね」
 「・・・・・・そうかもな」
 しばらく考えて、マリは頷いた。
 「多民族が皇帝の元に平等、というのが国是だからかな」
 欧州じゃないと言い張る英国とは違う、と言われて、今度はアレンが不思議そうな顔をする。
 「だって僕ら、欧州人じゃないもん」
 断言したアレンに、マリが苦笑した。
 「・・・神田から見れば、同じだそうなんだがな」
 「ええ?!
 だって海があるじゃないですか!欧州じゃないですよ、英国は!!」
 神田への反感もあってか、一所懸命に否定するアレンに、マリは穏やかに微笑む。
 「そうだな。
 日本と中国が違うのと一緒だな」
 「へ?
 違うんですか?」
 「違うとも」
 「同じような顔してるのに・・・違うんだぁ・・・・・・」
 感心したように頷いた時、コンパートメントのドアが軽くノックされた。
 「お二方、そろそろ駅でございます」
 「はぁい!」
 トマの呼びかけに返事をして、アレンはひらりと立ち上がる。
 「急いでくださいませ、船の出航時間まで間がございません」
 「あぁ」
 コンパートメントの外で急かすトマに頷き、マリも続いた。
 「今日は一日移動ですね!」
 「はぐれるなよ」
 アレンの迷子癖を聞いていたマリがくすりと笑う。
 「トマがいるから大丈夫ですよ!」
 ね?と、小首を傾げると、トマが頼もしく頷いた。
 「お任せください。
 ティムキャンピーもおりますし、トマがウォーカー殿を見失うことはございません」
 相変わらず、名家の執事のように卒のない受け答えをするトマに、マリも笑みを深める。
 「こんな危険な仕事ではなく、貴族にでも仕えればいいのに・・・」
 その方が楽だろう、と言うマリに、トマは穏やかに首を振った。
 「これも楽しゅうございますから」
 にこりと目を細めたトマは、やんわりと手を差し伸べる。
 「さぁ、お早く。
 船が出てしまいます」
 主人に対するがごとく丁重な態度にマリも断る理由がなく、彼はトマの手をとって列車を降りた。


 その後、船で大陸に渡った一行が目的地近くの街に着いたのは、翌日も夜が更けてのことだった。
 「本日はここで宿をお取りします。
 現地調査中のファインダーにはトマが連絡を入れておきますので、明朝、合流いたしましょう」
 「はぁい!」
 「わかった」
 それぞれに頷いたエクソシスト達の先に立って、トマはあらかじめ連絡していた宿に入る。
 と、
 「おや・・・」
 宿の受付前にいた女性が、一行を見て目を見開いた。
 「トマ・・・それにマリじゃないか」
 聞き覚えのある声に、トマとマリが姿勢を正す。
 「こっ・・・これは・・・!」
 「クラウド元帥!」
 「元帥?」
 一人、きょとんとしたアレンが、マリの言葉を反復した。
 その声に、マリは慌てて『エクソシスト元帥だ』と囁く。
 「え・・・このレディが?!」
 驚いた声をあげたアレンを、件の元帥は興味深そうに見遣った。
 「新人か?」
 「はっ・・・はい!
 アレン・・・アレン・ウォーカーと言います!」
 「アレン・・・ウォーカー・・・・・・」
 呟いたクラウドの目が、アレンの頭の上で尾を振るティムキャンピーを捉えた瞬間、忌まわしい顔が思い起こされる。
 「クロスの弟子か!」
 「はっ・・・はい!」
 突然の怒声に、アレンは飛び上がってマリの背後に隠れた。
 「すみません師匠がご無礼をすみません!!」
 反射的に謝罪するアレンに、きつく寄っていたクラウドの眉間が開く。
 「・・・苦労したのだな」
 ゆったりとした歩調で歩み寄り、マリの背後に隠れるアレンの頭を撫でてやると、アレンは涙目でクラウドを見あげた。
 と、彼女の肩に乗っていた白いサルが、彼女の腕を伝い下りて、アレンの頭に乗り移る。
 「え・・・?」
 ふと目をあげた途端、アレンの頭に乗っていたティムキャンピーが、捕まって食われた。
 「わぁぁぁ!!ティム!!!!」
 「ラウ!
 ぺっしなさい、ぺっ!」
 ティムキャンピーとラウ・シーミンの尾をそれぞれの飼い主が引っ張って、なんとか最悪の事態は免れる。
 「す・・・すまなかったな、アレン、ティム。
 ラウには滅多なものを口にしないよう、躾けているんだが・・・」
 「いえ・・・」
 とは言いつつも、未だ名残惜しそうにティムキャンピーを見つめるラウから、アレンは数歩退いた。
 そんなアレンに苦笑し、クラウドは傍らのマリを見上げる。
 「こんなところにまでどうした?」
 「はい、ここからハンガリー方面に行ったバラトン湖付近で、イノセンスらしき情報が入りましたので、回収に・・・」
 途端、気まずげな顔をしたクラウドを、アレンがマリの背後から見つめた。
 「そうか・・・イノセンスがあったんだな。それで・・・・・・」
 「元帥?」
 トマが不思議そうに問いかけると、クラウドはややわざとらしく咳払いする。
 「そ・・・掃除はしておいたから、せいぜい慎重に探すんだな」
 「掃除?」
 揃って首を傾げた三人に、クラウドは黙り込んだが、いつまでも返事を待っている風の彼らにとうとう観念し、ぐったりとうな垂れた。
 「うっかり・・・その・・・アクマを・・・壊しすぎて・・・今・・・湖が・・・毒の海状態に・・・・・・」
 「はい――――?!」
 目を剥いた三人に、クラウドの口がますます重くなる。
 「ど・・・毒の処理は・・・今、ファインダーが・・・ヴァチカンを通して・・・その・・・政府や教会に要請しているから・・・まぁ・・・そのうち・・・・・・」
 「そ・・・そのうち、とおっしゃいましても・・・!」
 「あのヨーロッパ有数の大湖を毒の海にするなんて、一体どれだけのアクマを破壊されたのですか・・・!」
 引き攣った声をあげるトマとマリから、クラウドが顔を背けた。
 「・・・・・・一国分・・・かな・・・」
 「一国分って――――!!!!」
 一人で壊せる数だとはとても思えない、と、絶叫したアレンにクラウドは、どこか拗ねたような口調になる。
 「だって・・・早く・・・本部に帰りたかったし・・・・・・」
 「なぜっ!!」
 「ユウの誕生会をしたいからだっ!」
 きれいに揃った声に、ほとんど自棄になってクラウドが怒鳴る。
 「娘の誕生日を祝いたくて悪いかっ!」
 開き直った女に勝てるスキルを持つ者は、残念ながらここにはいなかった。
 どころか、
 「娘?」
 と、アレンが問い返す。
 「元帥、教団本部に娘さんがいらっしゃるんですか?」
 ごく当然で自然な問いを発するアレンとクラウドの間に、危機を察したマリとトマが割って入った。
 「元帥そのことについてはしばしお待ちを!」
 「アレン、元帥には弟子がいてな!
 彼女らのことを、娘のように可愛がっていて・・・!」
 クラウドに耳打ちするトマの援護をするように、マリが殊更大きな声をアレンにかける。
 「お優しいんですね、元帥は」
 「そう!その通り!!」
 がくがくと頷き、マリはクラウドを振り返った。
 「げ・・・元帥、後のことは我らにお任せを・・・!」
 「・・・うむ」
 トマに、アレンと神田の仲が良好ではないこと、神田の立場を慮って欲しいことを囁かれたクラウドは、やや不満げながらも頷く。
 「では、後のことは頼む。
 私はこれから、夜行列車で本部に帰る」
 「えぇっ?!こんな夜更けに・・・お疲れじゃありませんか?」
 気遣わしげなアレンにちらりと微笑み、クラウドは三人にひらりと手を振った。
 「お気遣いありがとう、と言っておく。
 じゃあな」
 そう言って、宿を出て行ったクラウドの背を、三人は深くこうべを垂れて見送る。
 「・・・あんなに綺麗な人が元帥なんて・・・」
 びっくりした、と、呟くアレンの頭を、安堵したマリが笑ってかき回した。


 翌朝、身支度を整えて部屋を出た神田は、迫り来る気配に素早く飛びのいた。
 が、
 「まだまだ遅いよっ!!」
 慣性を全く無視した動きで飛びついてきた中年男から逃げ切ることは出来ず、神田は無様に床に這う。
 「〜〜〜〜っなにしやがんだクソ親父っ!!」
 「久しぶりに会った愛しい息子に愛の抱擁だよっ!」
 神田の怒号にも負けず、はしゃいだ声を張り上げたティエドールが、ヒゲ面をじょりじょりとすり寄せた。
 「やめっ・・・ヒゲいてぇっ!!」
 回廊中に響き渡る絶叫をあげながら、神田は逃げようともがくが、それを許すティエドールではない。
 「ユー君、明日お誕生日だねェv
 クラウドが、なにがあっても戻ってくるって言ったんだって?
 だからパパンも負けずに戻ってきたよ!」
 「なんでアンタまで戻ってくんだよっ!
 余計なことすんなっ!」
 ティエドールの抱擁から根性で抜け出た神田は、荒く息をつきながらじりじりと退いた。
 「だってぇ・・・こんなお仕事してたらお互い、いつ死んじゃうかわかんないじゃないかぁ・・・。
 だから、お誕生日は普通の子供たちより大事だし、盛大にお祝いしないとね!」
 再びの捕獲を狙って、じりじりと間合いを詰めてくるティエドールを、神田がきつく睨みつける。
 「茶番の主役なんざ、ごめんだ!
 そんなにやりたきゃ、あんたらだけでやれ!」
 じりじりと壁に沿ってティエドールから逃げる神田の背に、自室のドアノブが触れた。
 一旦逃げ込もうと、そっとドアを開けた瞬間。
 「隙ありっ!」
 突進してきたティエドールを避けることができず、もろともに部屋へとなだれ込んだ。
 「ユー君捕獲ーv
 ・・・おや」
 ふと、顔をあげたティエドールは、殺風景な部屋のデスクに、ぽつんと置かれた器を見遣る。
 砂時計のような形をしたそれには水が満たされるのみで、何のためにあるものかは、彼も知らなかった。
 ティエドールは『よっこらせ』と、年寄りじみた声をかけて起き上がると、すかさず逃げようとした神田を羽交い絞めにする。
 「放せクソオヤジッ!!」
 足を踏み鳴らして怒鳴る神田をなだめるように、ティエドールは神田の頭を撫でてやった。
 「それにしても、相変わらずモノクロームの部屋だねぇ・・・。
 少しは華やかなものを置いたらどうだい?」
 その言葉を聞いた途端、神田は動きを止め、室内を見つめる。
 床に、壁に、天井にさえ―――― 彩りは今も、鮮やかに彼の目を覆っていた。
 ―――― モノクロ・・・じゃない。
 誰の目にも見えなくとも、自身の目には、確かに鮮やかに咲き誇る蓮の花が見える。
 ティエドールの言葉を心中で否定しつつも、神田はそれを声に出しはしなかった。
 と、黙り込んだ彼に、ティエドールはにこりと微笑む。
 「ユー君の目には、別のものが写ってるみたいだね」
 「?!」
 驚いて声を失った神田に、ティエドールは笑みを深めた。
 「ふっふーv
 気づいてないと思っていたかい?」
 得意げに言って、肩越しにまたじょりじょりとヒゲ面をすり寄せる。
 「これでも絵描きだよ、私は?
 観察眼には自信があるんだ♪」
 「うぜぇよ!放せ・・・ッヒゲいてぇっつってんだろ!!」
 必死に逃げようにも、一エクソシストの神田が元帥に敵うはずもなく、足は虚しく地団太を踏んだ。
 その様に、ティエドールがまた、愉快げに笑う。
 「んもう、ユー君たら意地っ張りなんだから・・・そうだ!
 キミのお誕生日には、パパンが描いた絵をあげようv
 気分が和むし、部屋も明るくなるよv
 「いらねぇ!」
 荒く息をつきながら憮然と吐き捨てると、ティエドールは拗ねたように口を尖らせた。
 「なんだよーぅ!
 パパンの絵は嫌いかい?」
 「うぜぇよ!!いい加減、放しやがれ!!」
 神田を捕獲したまま、いつまでも放さないティエドールに怒鳴るが、聞く彼ではない。
 「久しぶりに会えたんじゃないかぁ!
 クラウドが帰ってきたら、どうせ取られちゃうんだしぃ・・・彼女が帰ってくるまで、パパンと一緒にいようよぅ」
 「断る!!」
 「ちぇっ」
 いくら説得を試みても抵抗する神田の首に、ティエドールの腕が絡んだ。
 「だったら力ずくでv
 きゅっと締め上げられた神田の首が、がくりと落ちる。
 「ユー君ゲットーv
 神田を小脇に抱えたティエドールは、子供のような歓声をあげて、回廊を駆けて行った。


 ―――― 花畑から追い出される夢を見ていた神田が目を開けると、すぐに大きな目と目が合った。
 「・・・なんだ?」
 「驚かないなんて、つまんない」
 動じない神田の上から身を起こし、リナリーがむくれる。
 「アレン君は面白いくらい、紅くなったのに」
 「見慣れた顔だからな」
 寝かされていたソファから起き上がった神田は、立ち上がろうとして引き戻された。
 「なっ・・・!」
 じゃら、と、重い音を立て、神田の首に鎖が絡む。
 「なんだこれはっ!!」
 手繰った鎖は、ソファの背もたれを経由して、石床にしっかりと固定されていた。
 と、リナリーは小首を傾げて、にこりと笑う。
 「ティエドール元帥だよ。
 私も、神田が逃げないように見張ってて、って言われたの」
 「ふざけろてめぇら!
 こんな鎖、ブッた斬って・・・・・・?!」
 腰に這わせた手に、いつまでも鞘が触れないことに驚いた神田が目を剥く。
 「六幻をどうした!!」
 「今、科学班でメンテ中だよv
 笑みを深めたリナリーが、さらりと言った。
 「神田のお誕生日のお祝いに、念入りにしてくれてるみたいだよ?」
 「勝手に持ってくんじゃねぇよっ!!」
 「なぁに?メンテして欲しくなかった?」
 神田の怒号にわざとらしいほどの笑みで答え、リナリーは神田の手が届かない、ギリギリのラインまで退く。
 「兄さんが、ラブリーに改造するって言ってたよv
 「今すぐ返せぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
 今にも掴みかかろうとする手を、リナリーはにこにこと笑いながら指先でつついた。
 「そんなに嫌がらなくていいじゃないv
 きっと、可愛くしてくれるよv
 姉様仕様、と口走ったリナリーを、クッションが直撃する。
 「っなにすんの!」
 「姉様って言うな!!」
 「誰がなんと言おうと姉様だもんっ!!」
 ぼすぼすと互いにクッションを叩き付け合う二人の間に、白い羽毛が舞った。
 と、部屋に戻って来たティエドールが、羽毛に囲まれた二人に頬を緩める。
 「オヤ、天使達がいるよv 可愛いねェv
 「誰が天使だっ!!」
 「こんな凶悪な顔した天使なんていないもんッ!」
 「天使だともv
 声を張り上げる二人に笑みを深め、ティエドールは持って来たイーゼルを立てた。
 「ユー君、もうしばらく寝てると思ったんだけど、さすがだねェ」
 デー君なら死んでたよ、と、酷いことをさらりと言う師に、神田の顔が引き攣る。
 「おかげで臨死体験しちまっただろうが!」
 「そんなのキミ、いつだってしてるデショv
 なんでもないことのように言って、ティエドールは機嫌よく絵の具箱を開いた。
 「せっかくリナリーにも来てもらったのに、ユー君が起きちゃったんじゃ、並んでモデルにすることができないねェ・・・」
 「あぁっ?!なんだよ、モデルって!」
 ガチャガチャと騒がしく鎖を鳴らしながら怒鳴る神田に、ティエドールは肩をすくめる。
 「言ったじゃないか、絵をプレゼントしてあげるって。
 君とリナリーの微笑ましい絵なら、きっと気分も明るくなるよv
 「だからって鎖でつなぐかっ?!放せゴラ!!!!」
 足を踏み鳴らして怒り狂う、獰猛な獣のような神田には、さすがのリナリーも近づきかねた。
 「こんな神田と並んで笑うなんて無理ですから・・・もう一回寝てもらっちゃダメですか?」
 困惑げに眉根を寄せ、神田を指差すリナリーに、ティエドールも小首を傾げる。
 「じゃあ、マー君でも死んじゃうくらいに締め上げて・・・」
 「殺す気か!!」
 殺られる前に逃げようと、神田は文字通り、必死に首に絡んだ鎖を引いた。
 「無駄な抵抗はやめなさいよ、ユー君。
 おとなしくモデルになってくれたら、外してあげるからさぁ」
 「絶っっっ対!嫌だ!!」
 「じゃあシメられる?」
 「それも断るっ!!」
 「ワガママだなぁ・・・」
 ふぅ、と、切なく吐息して、ティエドールは自身のイノセンスを取り出す。
 「なっ・・・なにす・・・っ!」
 「だって、おとなしくするのもシメられるのもヤなんだったら、拘束するしかないじゃないか」
 「どういう発想だ!!」
 「経験に裏打ちされた対処法、かな?」
 温和な顔をして、その実容赦のない師は、そう言ってのほほんと笑った。
 「ちょっと辛抱しておいでv
 「てめっ・・・!!」
 聞くに堪えない悪口雑言が神田の口から迸り、リナリーが思わず耳を塞ぐ。
 だが目をもつぶっていた彼女のまぶたが光を感じ、そろそろと開けると、ティエドールの人形が神田を羽交い絞めにし、その腕で彼の頭部を固定していた。
 しかも、普通はありえない三本目の腕が、神田の口をも塞いでいる。
 「ふぐー!!ふぐ――――!!!!」
 唯一自由になる足で地団太を踏みつつ、獣の唸り声を漏らす神田に、リナリーは恐る恐る近づいた。
 「あのー・・・ティエドール元帥、鼻まで塞いじゃってますけど・・・・・・」
 苦しげな咆哮をあげる神田の顔色が、段々蒼くなっていく。
 「ウン。ちょっと寝ててもらおうかなって★」
 「殺す気かぁぁぁぁ!!」
 不自由な上半身を捩って、なんとか窒息死から免れた神田は、未だ暴れながらティエドールを睨みつけた。
 「大体!
 こんな人形が後ろにいていいのかよっ!」
 「絵は写真と違って、想像の翼を持っているからねv
 私が描かなければいいことさ♪」
 いけしゃあしゃあと言ってのけたティエドールに、一際強く叩き下ろした神田の踵が床を砕く。
 「あんたのは想像じゃなく妄想だろうがっ!放せぇぇぇぇぇぇ!!!!
 凄まじい怒号にティエドールはため息を漏らし、イノセンスの人形を見遣った。
 「ドール、クラッチ!」
 主人の命令に応じ、人形がごき、と、神田の首を曲げる。
 途端、おとなしくなった彼は静かに白目を剥いた。


 絵の具の匂いに意識の戻った神田が再び目を開けた時、窓の向こうで輝いていた日はとうに落ちて、空には星が瞬いていた。
 「・・・何時間落ちてたんだ?」
 うんざりと呟き、落とした肩が妙に重い。
 ふと見ると、彼の肩にはリナリーがもたれかかり、安らかな寝息を立てていた。
 「てめ・・・!」
 「そのままにしといてあげなよ」
 揺すり落とそうとした神田を、対面に置かれたキャンバスの影からティエドールがたしなめる。
 「ホームにいる時くらいは、安らげないとねェ・・・」
 と、ティエドールは吐息を漏らした。
 「君がここに来たばかりの時は、リナリーがこんな風に寝てしまうなんて、なかったことだろう?」
 捕食されることを恐れる小動物のようにいつも怯えて、ちょっとした物音でも目を覚ましていた少女の姿は、今やすっかり拭われている。
 子供らしくもなくやつれていた頬はふっくらとして、土気色だった肌も本来の健康的な血色を取り戻して久しかった。
 「リナリーも君も、この年の子供にしてはまだまだ平穏が足りないけれど、君達が・・・いつか平穏に暮らせる日が来ることを願うよ」
 その言葉に神田は、長い無言ののち、舌打ちする。
 「もう子供じゃねェよ。
 それに、こいつはともかく、俺は自ら選んだ道だ。
 後悔なんかしてねぇし、同情なんざされてもムカつくだけだ」
 まっすぐに自身を射る目を受けて、ティエドールは穏やかに微笑んだ。
 「そうだね・・・どうもパパンは、君を子供扱いしてしまうね」
 にっこりと笑みを深め、ティエドールは一旦筆を置く。
 「まぁ・・・親にとって、子供はいつまでも子供だからね」
 ムッとした神田の表情を面白がるように、ティエドールはクスクスと笑いながら彼に歩み寄った。
 「いつも君達の事は気にかけているし、それはこれからも変わらない」
 驚いたように見開いた神田の目が、不意に揺らぐ。
 ややして、再びティエドールをまっすぐに見つめた神田は、生意気に鼻を鳴らした。
 その様を、じっと見つめていたティエドールは、神田の頬に手を添え、穏やかな笑みを深める。
 「ユー君・・・君の目には、なにが見えてるんだい?」
 「なに・・・」
 「ロータス」
 その一言に、呼吸を止めた神田の頬を、ティエドールは優しく撫でた。
 「君達がまだ小さかった頃、私は君とリナリーに、絵を教えたね。
 景色を描いてごらん、と言った私に、リナリーは庭の風景を描いた。
 でも君は・・・・・・」
 ふっと、ティエドールの表情が消える。
 「見事な・・・実にリアルなロータスの絵を描いた。
 まるで、目の前にそれがあったかのように」
 それに、と、ティエドールは神田の瞳を覗き込む。
 「君の部屋にある、あの器・・・砂の代わりに水が満たされた砂時計のように見えるけど、水以外の何もないあの上部に、いつも君の視点はきちんと定まっている。
 一体あそこに、なにを見ているんだい?」
 キリ、と、唇を噛んで答えない神田に、ティエドールは再び微笑んだ。
 「ユー君は、ロータス・イーターという言葉を知っているかい?」
 いきなり話を変えたティエドールに、神田の視線が戸惑う。
 「昔、話して聞かせたかもしれないね。
 オデュッセイアと言う昔話に出てくる、ロトパゴスと呼ばれる人達のことだよ。
 彼らは欲望や意欲をなくしてしまう蓮の実を主食にしていてね、そのおかげでみな、平和に安穏と暮らしているそうだよ。
 以来、ロータスは安穏の象徴となった・・・」
 訝しげな顔をする神田に、ティエドールはため息を漏らした。
 「・・・だけど君の目に映るロータスは、安穏とは程遠いように感じる・・・。
 君にとってのロータスとは、なんなんだい?」
 「・・・・・・圧倒的な生命力」
 ティエドールから目を逸らし、神田は独白のように呟く・・・―――― 天上天下に唯一尊い釈迦を生み、浄土に満ちる花。
 沼にあっては沼に満ち、池にあっては池を満たす。
 その水のある限り、彼岸の果てまで満ちるという。
 「俺と・・・あの人を繋ぐ唯一の・・・・・・」
 渺茫たる大海をも越え、彼の人の元へと導く唯一の手掛かり。
 その言葉に、ティエドールは悲しげな顔をした。
 「君の目的は知っている・・・それが、いかに困難なことかと言うことも。
 だけどね、ユー君・・・・・・」
 「俺は諦めねェ!!」
 唯一にして絶対の目的を果たすまでは・・・!
 その声と覇気に、神田の肩にもたれかかっていたリナリーがびくりと目を覚ました。
 「な・・・なにっ・・・?!」
 驚いてきょろきょろと視線をさまよわせる彼女に、ティエドールが微笑んで頭を撫でる。
 「起こしてすまないね、リナリー」
 「え?!元帥・・・あれ?!私、いつの間に寝ちゃった?!」
 「重ぇんだよ!どけ!」
 「えっ?!ごめ・・・!!」
 慌てて身を起こしたリナリーを、神田が更に押しのけた。
 「師匠も!
 とっくに下書きは済んでるんでしょうが!とっとと解放してください!」
 よそよそしい口調と苛烈な眼光での要請に、ティエドールは軽く肩をすくめてイノセンスの人形を消す。
 「ちっ!
 身体固まったじゃねェか!」
 ぶつぶつとぼやきながら立ち上がった神田は、随分と長い間拘束されていた身体を伸ばすや、さっさと部屋を出て行った。
 「えー・・・・・・」
 置いてけぼりにされたリナリーが、不満とも戸惑いともつかない声を漏らす。
 と、
 「いつものことじゃないか」
 なんでもないことのように言って、キャンバスの前に戻ったティエドールが再び筆を取った。
 「リナリーももう、いいよ。
 ご苦労様」
 にっこりと笑いかけるティエドールに、リナリーも苦笑を返す。
 「はい。
 じゃあ、出来上がったら見せてくださいねv
 「もちろん」
 大きく頷いたティエドールに一礼し、リナリーもまた、部屋を出て行った。


 自室に戻った神田は、小さな器の中で鮮やかに咲き誇る蓮を見つめた。
 「これが・・・幻・・・だと・・・・・・?」
 いつまでも枯れぬ花―――― 彼の目には、花弁の支脈までもがはっきりと見える。
 しかし彼以外の誰にも、この羊水に浮かぶ華が見えないらしい・・・。
 「幻・・・・・・」
 自身の目が、常に幻覚を映していることは、とうに知っていた。
 視界を変える毎に揺らぎ、消えてはまた浮かぶそれらが現実のものではないことは、幼くともわかる。
 そして自身の目が幻を映すことは、彼に六幻を与えた老刀工にのみ、話したことだった。
 だがまさか、これさえも幻だったとは・・・・・・!
 「・・・――――っ!!」
 声にならない声で、『あの人』の名を叫ぶ。
 自身の目が幻しか映さないのなら、一体何を信じればいいのか―――― その答えを、あの人だけが知っている気がした。
 「なぜ・・・!」
 彼の感情に同調するかのように、幻の華がざわざわと揺らぐ。
 「なぜ消えない・・・・・・!」
 ―――― 君にとってのロータスとは、なんなんだい?
 きつく目をつぶった神田の耳に、師の声が蘇った。
 師はそれを安穏の象徴と言い、自身は圧倒的な生命力と言った。
 浄土に満ちる華―――― だが彼にとってそれは、静謐とは程遠い、生命の象徴・・・。
 蒼い蒼い水面を覆いつくし、咲き誇る紅蓮の炎―――― 地獄の・・・業火。
 「・・・っ!」
 再び開けた目の前は、一面、紅い炎に覆われた。
 いや、正しくは、炎の形をした華に・・・!
 鮮やかに、艶やかに咲き誇った花々は陽炎を立ち昇らせ、彼の焦慮を嘲笑うかのようにゆらゆらと揺れた。
 「くそ・・・っ!」
 思わず歩を引くと、背にドアが当たる。
 途端、コンコン、と、リズミカルに叩かれた振動が直接背に伝わり、はっと振り返った。
 「・・・・・・誰だ?」
 低く鋭い誰何の声に、ドアの向こうで息を呑む気配がする。
 ややして、
 「俺だけど・・・」
 困惑げなラビの声に、神田は詰めていた息を吐いた。
 「なんの用だ」
 舌打ち交じりの声に、ラビはますます戸惑う。
 「いや、用ってもんでもなかったんけど・・・」
 「じゃあ帰れ」
 そっけなく答えると、また、コンコン、と、ノックの振動が伝わった。
 「なんだ!」
 イライラと問うと、またラビの困惑げな声がする。
 「だから、俺の用じゃないんけど、任務もないのに朝からお前が来ないって、姐さんが心配してんさね。
 体調悪いんだったら、そう言っとくけど?」
 「いや・・・」
 もたれていた背を起こし、神田は後ろ手にドアを開けた。
と、ラビが驚いたように目を見開く。
 「ユウ、顔色悪っ!!
 どしたんさ?!やっぱ、体調悪いんじゃね?!」
 「なんでもねぇよ」
 差し伸べられた手を振り払い、すぐにドアを閉めた神田を、ラビが気遣わしげに見つめた。
 「なんでもない顔色じゃないさね・・・一体」
 「朝っぱらから二度も臨死体験すりゃ、こんな顔色にもなる!」
 胸倉を掴んで言葉を遮った神田に、ラビは彼以上に蒼くなって声を引き攣らせる。
 「りっ・・・臨死体験・・・って・・・?」
 「・・・っあのクソオヤジ、自分が絵を描きてぇからって、二度も落としやがって!」
 忌々しげに恨み言を吐きながら、ギリギリと締め上げてくる神田の腕を、ラビがパタパタと叩いた。
 「ヤメテっ・・・!俺も落ちそう・・・っ!!」
 「ちっ!!」
 乱暴に突き飛ばすや、さっさと踵を返した神田を、ラビが追いかけてくる。
 「酷いさ、ユウ!
 俺に当たんのヤメるさ!」
 「嫌なら絡んでくるんじゃねぇよ!
 ちょろちょろしやがって目障りだ!」
 「なっ・・・酷っ!!
 俺は、みんなと仲良くしたいだけさっ!」
 「その中に俺を含めんじゃねぇよ、うぜぇな!!」
 回廊中に怒声を響き渡らせながら行く二人を、他の団員達が恐々と見つめた。
 「第一!」
 再びラビの胸倉を掴み、神田は彼の耳元に囁く。
 「てめェらの目的は、この戦争の情報収集だろうが!
 俺に付きまとったって、役立つ情報なんざ持ってねぇよ!」
 「それを決めるんは、お前でも俺でもないさ」
 胸倉を掴まれていながら怯えもせず、にんまりと笑ったラビの好奇心に煌めく瞳を、神田は忌々しげに睨んだ。
 「じゃあジジィか?!」
 苦情言ってやる、と、吐き捨てた彼の手に手を添え、ラビは笑みを深める。
 「ジジィでもない。
 俺らが集めた情報を吟味し、取捨選択すんのは『時間』さ」
 「・・・あ?」
 ラビの言っている意味がわからず、眉をひそめた神田の手を、ラビがやんわりと外した。
 「今、俺らが集めてる情報は全部ジャンクさ。
 玉石混淆の中から玉を取り出すのは、俺の次の次のブックマンさね」
 だから、と、ラビは神田の手を両手で握り締める。
 「仲良くしよーさ、ユウちゃんv
 「ちゃんって言うな!!」
 人外の握力でギリギリと手を握り返され、ラビが悲鳴をあげた。
 「ちょっ・・・やめっ・・・折れる!!折れるぅぅぅぅっ!!」
 その声は石の回廊を伝って遠くまで響き、好奇心と探究心に溢れた科学者達を呼び寄せる。
 「どしたんだ、ラビ?」
 「ちょっ・・・神田!ストップストップ!!」
 駆け寄ったジョニーに問われ、涙目を向けたラビの惨状を見たタップが、慌てて神田を羽交い絞めにした。
 「けっ・・・ケンカすんなよ、お前ら!」
 ようやく二人を引き離したジョニーが、ラビよりも蒼褪める。
 「神田、お前ももう、ガキじゃないんだからさ・・・手加減することを覚えろよ!」
 「うるせぇよ!
 二度とナメた真似ができないよう、締め上げてやっただけだ!」
 諌めようとしたジョニーにも吐き捨て、神田は自身の背中に取り付いたタップを肩越しに睨んだ。
 「てめぇもいい加減、放せよ!」
 「ラビとジョニーに謝ったら放してやるよ」
 ため息交じりの声に、神田の目が剣呑さを増す。
 「なんで俺があやまんだよ!」
 「ラビには手を砕きかけてごめんなさい、だろ?
 んで、ジョニーには脅してごめんなさい」
 「謝る気なんざさらさらねぇよ!
 とっとと放さねぇとてめぇの足から砕いてやんぜ!」
 「おま・・・!」
 神田の踵に足の甲を砕かれかけて、タップは慌てて神田を解放した。
 「なんっでそんなに獰猛なんさ、お前!」
 「そうだそうだ!ちょっとは落ち着け!」
 「そんなんだから友達できないんだぞ!」
 「うっせぇよ!」
 口々に騒ぐ三人を、神田が怒鳴りつける。
 「友達できねぇとか、ほっとけ!!」
 忌々しげに吐き捨てるや、くるりと踵を返して行ってしまった神田の背中を、三人は無言で見送った。
 ややして、
 「あいつ・・・」
 「トモダチいないの、気にしてたんだね・・・」
 ラビとジョニーが、呆然と呟く。
 と、
 「悪いこと言っちまった・・・」
 タップが、気まずげに呟いて頭をかいた。


 「ちっ!くそ忌々しい!!」
 朝から不幸・不運続きですっかり機嫌を損ねた神田は、食堂に入るやカウンター越しに不機嫌な声をかけた。
 と、
 「アラ!アンタ今日はどぉしたのぉ?!
 お城にいるはずなのに、全然来ないから心配してたのよぅ!」
 真っ先にジェリーが駆け寄って来る。
 「・・・オヤジに拉致監禁されてた」
 忌々しげな表情で簡潔に述べると、ジェリーは気の毒そうな顔をして何度も頷いた。
 「それは大変だったわねーぇ。
 まぁ、久しぶりに愛息子に会ったんだから、ティエドール元帥もついはしゃいじゃったんでしょうけどぉ」
 「・・・いい年した親父が、はしゃいで殺しかけるのか?!今日は二度も花畑見たぞ!!」
 バンバンとカウンターを叩いて怒鳴る神田に、ジェリーは苦笑する。
 「それはお気の毒様だったわねぇ。
 じゃあ、可哀想なアンタに姐さんが、おいしいもの作ってあげるわぁv
 「いや、いつものでいい」
 「ハイハイ・・・」
 つまんない子ね、と言う言葉は飲み込んで、ジェリーはいつもの蕎麦を出してやった。
 さっさと踵を返してしまった神田の背を眺めながら、彼女はそっと吐息する。
 「豪華パーティって言ってもねぇ・・・あの子、なにを作ってあげればいいのかしら」
 栄養には気をつけてやっているものの、酷い偏食を直そうともしない彼は、蕎麦以外の食物をほとんど摂取しない。
 「甘いもの嫌いで、お肉もお魚も嫌いで、香辛料も嫌いで・・・どうしろっていうのよぅ・・・・・・」
 未だかつてないほど難解なパーティ料理のメニューに、ジェリーは頭を抱えてしまった。
 と、その耳が、バタバタと駆けて来る足音を捉える。
 ふと顔をあげると、鮮やかな金髪が目の前をよぎった。
 「ユーゥ!!!!」
 歓声をあげて飛び込んできた元帥の姿に、神田はげっ、と、顔を引き攣らせる。
 だが、素早い彼が逃げる前に駆け寄った元帥は、彼を問答無用で抱きしめた。
 「やったぁv 間に合ったぞーvv
 「いやあああああああ!!」
 「クラウド元帥――――!!!!」
 神田がクラウドの豊満な胸に顔をうずめてしまうと、食堂の各所から悲鳴が沸く。
 「てめェ神田!殺す!!」
 「よっ・・・よくもクラウド元帥の胸に――――!!!!」
 いきり立った男共に囲まれ、凄まれるが、当の神田は脅しどころかクラウドの色気にさえも、顔色一つ変えなかった。
 「・・・ボタンで鼻打った」
 ようやく顔をあげた彼の、不満げな一言に、男共の悲鳴が更に高まる。
 が、
 「そうか、すまなかったなv
 痛いの痛いのとんでけーv
 クラウドはすっかり子供扱いで、神田の赤くなった鼻を撫でてやった。
 「・・・子供扱いはやめてください」
 ムッと顔をしかめた神田を、クラウドはまた抱きしめる。
 「いいじゃないか、今日くらいv
 昔みたいに、ママとお風呂はい・・・」
 「ダメエエエエエエエエエエエエ!!!!」
 突然、入り口付近から絶叫が沸き、驚いて見遣った団員達の視線の先で、ラビが自身の赤毛以上に紅くなっていた。
 「嫌さ元帥!!
 ユウちゃんと混浴するなら俺もー!!!!」
 「それは断る」
 飛びついてきたラビのみぞおちに鋭い蹴りをくれて、クラウドはあでやかに笑う。
 「第一、混浴じゃない。ユウは私の娘だからなv
 「だぁら!娘じゃねぇっつってんだろ!!」
 鬱陶しげにクラウドを押しのけた神田の膝に、根性で起き上がったラビが縋った。
 「ユウちゃん、俺と代わって!」
 「代わるも何も・・・一緒に入りたきゃ入ればいいだろうが」
 舌打ち交じりの発言に、場がどよめく。
 「なんだ・・・?」
 「なんだ、って・・・イヤ、まさか潔癖そうなユウから、そんな発言が出ると思わんかったからさ・・・」
 目を丸くしたラビに、しかし、神田は訝しげに眉をひそめた。
 「なんか悪ぃか?
 混浴なんて日本じゃ当たり前・・・」
 「マジで?!
 なんて羨ましいんさ日本!」
 「・・・浅ましい奴」
 「お前が変さ!!なんでその状況で平然としていられるんさ!!」
 なぁ?!と、同意を求めて周りを見回すが、紳士ぶった団員達は聞こえない振りをして無視する。
 「お前らみんな裏切りやがって!!」
 ヒステリックな声をあげて泣き叫びながら、ラビはクラウドに縋った。
 「みんなが俺をいぢめるさ、元帥っ!慰めてっv
 次の瞬間、血みどろの死体と化したラビの姿に軽く吐息して、神田が席を立つ。
 「どこに行くんだ、ユウ!
 今日はママと・・・」
 「もう子供じゃねぇっつってんだろ!」
 不機嫌な声でクラウドを遮り、神田はそのまま食堂を出て行った。


 「なんだ、ユウのやつ。
 あの子のために、一国分のアクマ壊して戻ってきたのに・・・」
 「一国分って・・・・・・」
 どれだけの数だろうと、困惑げなジェリーの傍らで、包帯でぐるぐる巻きにされたラビが不自由そうに手をあげた。
 「マジで一気に壊ったんさ、元帥?
 じゃあ、死臭(ガス)がすごかったんじゃね?」
 その言葉にクラウドは、う、と、声をつまらせる。
 「クラウドちゃん?」
 どうしたの、と、ジェリーに気遣わしげに問われ、クラウドはぎこちなく目を逸らした。
 「まぁ・・・うん。そうだな・・・ちょっと・・・すごかったかな・・・・・・・・・」
 状況はちょっとどころではなかったが、後始末はマリと新人エクソシストが上手くやってくれていると信じて、クラウドはやや引き攣った笑みを浮かべる。
 「だがこれも、世界平和のためだっ!」
 こぶしを握って叫んだ言葉は、我ながらわざとらしく思えたが、普段真面目に生きてきたおかげで誰も疑いを持たなかった。
 どころか、
 「さすがさ、元帥!」
 「やっぱりクラウドちゃんともなると、言うことが違うわねぇ・・・v
 素直に感動され、拍手までもらってしまう。
 後であの三人の口を封じよう、と世界平和とは正反対のことを密かに決意し、クラウドは話を変えるべく、にこりと微笑む。
 「それでジェリー、ユウの豪華パーティの件なのだが・・・」
 「それなのよぉぅ・・・!アタシ、あの子になに作ってあげればいいのぉ・・・?!」
 頭を抱えてしまったジェリーに、ラビが目を見開いた。
 「魔法使いの姐さんでも、悩むことがあるんさね!」
 「なによ、魔法使いって・・・アタシは何も、魔法なんて・・・」
 「いや、魔法使いだろう、ジェリーは。
 あの料理の手際は神技だ」
 「アラん・・・v
 嬉しそうに頬を赤らめたジェリーは、しかし、また暗い顔をする。
 「でも、アタシの魔法でも、あの子の好き嫌いを治せないのよねぇ・・・!」
 「苦労するさね、姐さん・・・」
 苦笑したラビの隣で、クラウドもまた、頭を抱えた。
 「ティナもソルもグエンも反抗期なんかなかったのに、なぜユウはあんなに反抗的なんだろう・・・!
 やはり、私が里子になんか出してしまったからか?!
 それであの子は、大人を信用できない娘になってしまったんだろうか!」
 「クラウドちゃん、今、さらっと『娘』って言ったわね」
 「里子うんぬんより、今まさに娘扱いしていることが反抗の理由じゃないさ?」
 ジェリーの指摘もラビの真っ当な意見もさらりと聞き流して、クラウドは両手を組み合わせる。
 「せっかく美人に生まれついたんだ!
 私が、どこに出しても恥ずかしくないレディにしてあげなければ!」
 「それはマッテ!!」
 声まで蒼白にして、ジェリーとラビがクラウドの組み合わせた手を握った。
 「そろそろ現実を見て、クラウドちゃん!」
 「なんで認めてくんないんさ、ユウが男だって!」
 「なにを言うんだ、二人とも!あんな美人が男なわけないだろう!。
 きっと、悪い魔法使いの魔法で仮の姿になっているだけなのだから、私の愛で元の姿に・・・」
 「ファンタジーなことを言ってごまかそうとしないでよ、クラウドちゃんったら・・・!」
 呆れ顔のジェリーに、ラビも頷く。
 「それに、ちっさい頃は風呂に入れてやったんさ?
 だったら・・・」
 「ユウはオンナノコだいっ!!」
 「・・・全力で記憶から消去したわね、アンタ・・・・・・」
 ラビの言葉にこぶしを振り上げ、全否定するクラウドに、ジェリーが肩を落とした。
 「全く・・・なんでうちの子は、こんな変な子ばっかり・・・・・・」
 ぐったりとテーブルに突っ伏したジェリーが、ふと起き上がる。
 「どしたんさ、姐さん?」
 「なにかいい考えでも浮かんだのか?」
 二人から問われ、ジェリーは大きく頷いた。
 「そぉよ!
 あの子とみんなのお料理を一緒にすることないじゃない!」
 多国籍で個性的な面々は、当然ながら味の好みも違う。
 「だったらパーティ料理なんて気負わずに、神田にはいつも通りだけどちょっと豪華にしてあげて、みんなにはそれぞれ好きな料理を出してあげれば楽しめるんじゃないかしらv
 「それ、賛成さ!
 姐さんの蕎麦はうまいと思うけど、あのワサビってのが俺、どうも苦手でさ・・・!」
 独特の辛味が記憶に蘇り、ラビが涙目になった。
 「ユウちゃんには豪華蕎麦御膳で、俺らはパーティ料理だと助かるさv
 「そうね!そうしましょ!」
 手を取り合って歓声をげる二人の間で、クラウドもにっこりと微笑む。
 「じゃあ私は、ユウをレディにふさわしくドレスアップv
 「ヤメテってバ!!」
 神田の怒りを容易に想像した二人の悲鳴に、クラウドは不満げに頬を膨らませた。
 「なんでお前達はそう、非協力的なんだ!」
 「だってそれ、マジヤバイさ!!
 俺、女装したユウちゃんも瀕死のユウちゃんも見たくねェもん!」
 「女装はともかく、なんで瀕死なのん?」
 ラビの言葉にジェリーが首を傾げると、『だって!』と、ラビが蒼褪める。
 「女装なんて当然、ユウが嫌がるさ!
 でも、それを許すクラウド元帥じゃないから・・・!」
 「あぁ、そうねん・・・・・・」
 最悪の予想に顔を引き攣らせるジェリーの隣で、クラウドがますます頬を膨らませた。
 「なんだなんだお前達!
 まるで私が、非道な人間であるかのような言い方だな!」
 「い・・・いや、普段はステキな人さ、元帥!
 そりゃもう、俺が心底惚れるくらいのv
 ぴと、と、抱きついてきたラビの鼻を砕いたクラウドの隣で、『でも』と、ジェリーがため息をつく。
 「神田のことになると、理性を失うんだから、クラウドちゃん・・・」
 さすがに自覚があるのか、黙り込んだクラウドにジェリーが苦笑した。
 「悪いこと言わないから、ドレスアップは諦めなさいよ。神田に嫌われちゃうわよ?」
 「うむ・・・・・・」
 なおも納得しがたい表情のクラウドに、懲りないラビが擦り寄る。
 「明日のパーティは俺も、協力するからさーぁvv
 ご褒美はキスで!と、口走った途端、クラウドの肩に乗っていた白猿が巨大化し、見事なアッパーカットでラビを宙に舞わせた。
 その落下地点に、のほほんと食堂に入ってきたコムイが居合わせる。
 「ぉわっ!びっくりした!」
 咄嗟に受け止めたコムイは、逆さまのラビを抱えて、不思議そうに血みどろの顔を覗き込んだ。
 「ナニナニ?食材の血抜き中?」
 「おま・・・!!」
 血泡と共に吐き出された声があまりにか細くて、コムイはラビをぶら下げたままクラウドに歩み寄る。
 「元帥〜・・・いくらセクハラされたからって、これは過剰防衛でしょ」
 「なんだ、見ていたのか、コムイ?」
 「いえ、見てませんけど、どうせセクハラでしょ?」
 酷いことをさらりとぬかして、コムイは急速に蒼くなっていくラビの顔を見下ろした。
 「キミもさ、いい加減、元帥にちょっかいかけたらこうなるってことを学習しなよ」
 「お・・・俺は諦めないさ・・・っ!」
 この状況でなおもこだわり続けるラビに、コムイだけでなくジェリーやクラウドまでもが思わず感心する。
 「ここまで想われたら、女冥利に尽きるってもんですね、元帥v
 コムイのからかい口調に、しかし、我に返ったクラウドは軽く吐息した。
 「リナリーにストーカーがいたとして、同じことを言えるか、コムイ?」
 「・・・そんな不埒な人間は、片っ端から殺します」
 途端に剣呑な雰囲気をまとったコムイは、抱えたラビをギリギリと締め付けて、血抜きを加速する。
 「ちょっ・・・コムたん!!死に掛けてる!死に掛けてるわぁっ!!」
 コムイから慌てて奪い取ったジェリーの腕の中で、ラビは今にも息を引き取りそうになっていた。
 「ラビ!!目ぇ開けなさい、目!!」
 ばしばしと頬を叩かれて、ラビが涙目をあける。
 「ひ・・・どい・・・さ・・・!!」
 「よかった・・・」
 ほっと吐息したジェリーは、眉根を寄せてラビを見つめた。
 「アンタの趣味嗜好をどうこう言う訳ではないケド、ドMもいい加減にしないと死ぬわよ?」
 「ド・・・ドMって、姐さん・・・・・・!」
 ジェリーの言葉に精神的ダメージを受けたラビが、さめざめと泣く。
 と、その頭に大きく暖かい手が乗せられた。
 「コムイ・・・」
 慰めてくれるのか、と、期待をこめて見つめた先で、彼はにっこりと笑った。
 「傷だらけのトコ悪いんだケド、神田君の代わりに任務行ってくれない?」
 「はぅ――――――――っ?!」
 なんで!と、悲鳴じみた声をあげる彼に、『だって』と、コムイが笑みを深める。
 「クラウド元帥の命令で、神田君には明日まで城に留まってもらわなきゃ困るんだもんv
 ね?と、首を傾げたコムイに、クラウドは満足げに頷いた。
 「だから、彼の代わりにキミとブックマンで行っといでv
 「そんなっ!!俺だってユウの誕生パーティ、やりたいのにっ!!」
 「だって人手不足なんだもん〜v
 その言葉をまるで免罪符のように掲げたコムイは、血みどろのラビをジェリーから受け取って、肩に担ぐ。
 「じゃあボクの執務室に行こうかーv 詳しい任務を説明するよv
 「イヤさっ!
 イヤァァァァァァ!!元帥ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
 泣き叫ぶラビの声に耳を塞ぎ、クラウドはにっこりと笑って彼を見送った。
 「邪魔者はいなくなったことだし、ユウのドレスアップ計画発動だなv
 わくわくと表情を輝かせた彼女の隣で、ジェリーが深々と吐息する。
 「やめなさいってば」
 「やる!」
 「やめなさい」
 強情な女二人の睨みあいは、随分と長い間続いた。


 食堂で、未だクラウドの陰謀がくすぶっているとは知らず、自室に戻った神田は、暗い室内で鮮やかに咲く蓮を見つめた。
 葉に水の珠を乗せたそれらは彼の足元を覆い、彼の歩に従って揺れる。
 部屋に満ちたそれらの中で唯一、器に納まった一輪は、女王然と鋭い彼の視線を受け止めた。
 花弁の縁を紅に染めた花容は炎――――。
 だがそれは、生命の象徴として彼が見ていた幻でしかなかった。
 真実は花を浮かべ、育む羊水・・・・・・。
 器に満ちたそれは、命を孕んだ女の胎にのみあるものだ。
 自身を孕んだ・・・・・・・・・。
 知らず、手をかけていた刀の柄から、神田は震える手を引き剥がした。
 いかに自身にとっておぞましいものであろうと、これはあの人に繋がる唯一の手掛かり。
 傷一つ、つけるわけには行かなかった。
 「・・・・・・ちくしょう」
 低く毒づき、目を瞑る。
 が、彼を取り巻く花々は、消えるどころかますます鮮やかに咲き誇った。
 彼をこの地に導き、冥府にまで添う華――――。
 「安穏となんか・・・出来るかよ・・・!」
 低い呟きは、大きく開いた花容に呑まれて消えた。


 翌朝、うろうろと回廊をさまよっていたクラウドは、そのドアが開くや、駆け寄って神田を抱きしめた。
 「ユーゥvv
 お誕生日おめでとうvv
 「なっ・・・なんで・・・っ!!」
 驚いて目を見開く神田に、クラウドはにっこりと笑う。
 「待ってたんだぞ、一番にお祝いを言おうと思ってv
 「こんな朝っぱらから・・・」
 神田は思わず呆れ声をあげるが、クラウドはむしろ得意げに胸を張った。
 「特別な日なんだから、当然だ!」
 逃げられないように見張っていた、とは、神田が怒るので言わない。
 「しかし、酷い顔色だぞ、ユウ。
 お前、ただでさえ食が細いのだから、睡眠くらいはしっかり取らないと、アクマに後れを取ってしまうぞ!」
 他のことならばともかく、その件に関しては反論のしようがなく、憮然と頷いた神田をクラウドが抱きしめた。
 「ふふv
 いい子だな、ユウはv
 いつもこんなに素直ならいいのにv
 「・・・いい加減、放してください」
 「い・や・だv
 クラウドが嬉しそうな声をあげると、
 「あっ・・・!」
 回廊の先で、出遅れたティエドールが抱擁する二人を指差し、呆然と見つめる。
 「ひ・・・ひどいよ、クラウド・・・!
 ユー君は私の弟子なのに・・・!」
 「お前の弟子だが、私の娘でもあるv
 べっ、と、舌を出したクラウドに、神田がこめかみを引き攣らせた。
 「娘って言うな!!」
 「細かいことはいいじゃないか!」
 「細かくねェェェッ!!!!」
 怒声と共にクラウドを押しのけた神田は、ティエドールがいる側とは反対の方向へ歩を進める。
 「待ってよぅ、ユー君!」
 ぱたぱたと追いかけてくるティエドールからも逃げようと、神田が足を早めた。
 「なんで逃げるんだよー!」
 「なんでついてくるんですかっ!」
 駆け出した神田に追いつこうと、ティエドールも駆け出す。
 「だって、クラウドだけハグしてずるい!
 パパンもー!!」
 「誰がするかっ!!」
 背後に向けて怒鳴った瞬間、
 「えいっv
 と、曲がり角から突き出た足に足を払われた。
 「てめっ・・・!!」
 咄嗟に受身を取り、無様に転ぶことはなかったものの、床に這った神田はティエドールに捕獲されてしまう。
 「パパンとハグーvv
 「どけぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
 暑苦しく抱きついてきたティエドールを押しのけつつ、神田はにこにこと笑うリナリーを睨みつけた。
 「てめぇ、よくも・・・!」
 「だって、せっかくの親子水入らずじゃないv
 「気色悪ィこと言ってんじゃねぇぇぇぇっ!!!!」
 「ホラ、フロワ。
 いつまでもお前が子供扱いなんかするから、ユウが怒っているじゃないか」
 まともそうなことを言いつつ、遅れて駆け寄ったクラウドは、巨大化した愛猿に命じてティエドールを引き剥がす。
 「ユウはママの方がいいんだよなーv
 「あんたも子供扱いしてんじゃねぇかっ!!」
 代わりに抱きついて来たクラウドを押しのけ、神田はようやく立ち上がった。
 「てめェも!
 余計なことすんじゃねぇ!!」
 「ふーんだ!」
 おもいっきり舌を出して、リナリーは踵を返す。
 「そんな意地悪言うんなら、神田はマザコンでファザコンだって、みんなに言いふらしてあげるv
 「てめェが言うな、ブラコン!!!!」
 肩越しに言ったリナリーを怒鳴りつけた途端、彼女の顔色が変わった。
 「・・・ブラコンじゃないもん・・・普通だもん・・・・・・」
 向き直ったリナリーに、神田が鼻を鳴らす。
 「てめェはいい加減、自分らが異常だってことに気づきやがれ!」
 「神田よりマシだもん!!」
 再び踵を返し、駆け出したリナリーを神田は追いかけた。
 「てめェ!
 マジ言いふらすんじゃねぇだろうな!」
 「なによ!神田がマザコンでファザコンなのはホントのことじゃない!」
 「誤解招くこと大声で言ってんじゃねぇぇぇぇっ!!!!」
 回廊中に絶叫を響かせながら、神田はものすごい勢いでリナリーを追いかける。
 「えっ?!ウソ?!」
 追いつかれそうになってリナリーが足を早めた。
 「待ちァがれてめェ!!!!」
 「ひっ!!」
 神田の怒号に怯え、本気で逃げ出したリナリーの髪に神田の手が届きそうになったが、彼女は間一髪で食堂に逃げ込む。
 「はっ!もう逃げられ・・・」
 続いて神田が飛び込んだ瞬間、パァン!と、クラッカーが弾けた。
 「ハッピーバースデー♪」
 吊りあがった目を見開いて呆然とする神田を、コムイの背後から顔を出したリナリーがこわごわと見遣る。
 「お・・・おめでと・・・・・・」
 「・・・はめやがったな!」
 「ひっ!!」
 神田の眼光にすくみあがったリナリーは、またコムイの背後に隠れた。
 「だっ・・・だって、クラウド元帥の命令だったんだもん・・・!」
 「元帥の・・・?」
 「そうそう、だからそんなにリナリーをいぢめないでおくれよ、神田くぅーん」
 肩越しに背後を見遣った神田に、コムイがとりなしを入れる。
 「クラウド元帥がね、誕生会をやるって言っても、どうせキミは逃げ回るだろうからいっそはめちゃえ、って!」
 そしてそれに協力するのが、この城の団員達のノリの良さだった。
 「夜にやっちゃうと、勘のいいキミの事だから絶対気づくだろうって、こんな朝っぱらからやってみたヨ!どうだい?!驚いたかい?!」
 いたずら成功の喜びに笑み輝いたコムイの得意顔を、神田は忌々しげに睨みつける。
 「ったく・・・こんな朝早くわざわざ起き出して、ご苦労なこったな!」
 せいぜい嫌みったらしく言ってやると、神田にグラスを差し出したリーバーが首を振った。
 「起きたんじゃない。寝てないだけだ」
 「俺ら徹夜組ー!!」
 「イェ――――!!!!」
 寝不足でナチュラル・ハイな面々が、手に手にグラスを掲げる。
 「ホラ、神田っv
 こちらはいつも通り、朝が早かったらしいジェリーが、笑ってシャンパンのボトルを差し出した。
 「今日は特別よんv  お誕生日おめでとうv
 「・・・・・・・・・ちっ」
 明らかに照れ隠しだとわかる舌打ちをして、神田はグラスを差し出す。
 朝日を受けた金色の酒が、細かな泡を立てながらグラスに満たされる様を見つめていると、
 「おめでとう、ユウーv
 「あぁっ!!また私より先に抱きついてっ!!」
 騒がしい親達が騒がしく抱きついて来た。
 「・・・・・・いい加減に」
 「ユー君ユー君!!プレゼントがあるんだよ、プレゼント!!」
 クラウドに持って行かれた神田の関心を引くように、ティエドールがせわしげに言う。
 「約束のものだよv 絶対!喜んでくれると思うんだーvv
 「もーティエドール元帥っ!その前に乾杯でしょ、乾杯!」
 苦笑したコムイに言われ、ティエドールはジェリーが差し出したグラスを受け取った。
 「じゃあ、ユー君から一言!」
 「うぜぇ」
 一言で一刀両断した場が、一瞬、静まり返る。
 「あー・・・うん。
 じゃ・・・じゃあ、神田君の健康と無事を願って!」
 なんとか引き継いだコムイの音頭に、皆が唱和した。
 「乾杯!」
 杯を掲げた中、神田も無言で杯を掲げる。
 「もー!愛想ないんだから!」
 ようやく兄の背後から出てきたリナリーが、歩み寄って神田のグラスと自分のグラスを合わせた。
 「おめでとv
 「あぁ・・・」
 無愛想に頷いた神田は、ふと、辺りを見回す。
 「祭り好きがいねぇじゃねぇか。どうしたんだ?」
 「ラビなら、泣きながら任務に連れてかれちゃったわよんv
 クスクスと軽やかな笑声をあげて、ジェリーも神田とグラスを合わせた。
 「残念がってたわぁ〜・・・でも、アンタの代わりじゃ仕方ないわねんv
 「俺が行ってもよかったのによ・・・」
 むしろ行きたかった、と、ぼやく神田にまとわりつくクラウドが、にっこりと笑う。
 「そうはさせるかv
 大事な娘の誕生日だからなv
 「娘って言うな!!」
 「そうだよ、クラウド。
 君にはもう、3人も娘がいるじゃないか。
 この上、ユー君まで取らないでおくれ」
 不満を漏らしつつ、ティエドールは神田の腕を引いた。
 「ホラホラ、ユー君、こっちこっちv
 絵の具がまだ乾いてないから、イーゼルに立ててるんだよーv
 そう言ってティエドールが駆け寄ったイーゼルに、皆の視線が集まる。
 「じゃあ、お披露目するよ!」
 ティエドールは被せてあった布に手をかけ、一気に払った。
 途端、皆の口からため息が漏れる。
 「まぁ・・・v なんて素敵な絵かしらねぇ・・・v
 うっとりと呟いたジェリーに、誰もが頷いた。
 それは、初夏を思わせる瑞々しい新緑と舞い散る白い羽根を背景に、穏やかに微笑む神田と、彼の肩にもたれて眠るリナリーの姿。
 穏やかな雰囲気は、モデル二人の美貌もあいまって、雲上の天使を思わせた。
 「わぁー・・・なんだか幻想的な雰囲気だねェ・・・v
 「可愛く描いてもらって良かったな、リナリーv
 「ホント、すごく可愛いよv
 「それに、神田も絶世の美人・・・!」
 「えーv 照れるなぁv
 皆の評価を、リナリーは嬉しげに聞いたが、
 「捏造も大概にしろィっ!!!!」
 一人、真っ赤になった神田が怒号をあげる。
 「なんでよー。素敵な絵じゃないv
 「そうだぞ!
 私の目から見れば、まだまだ輝きが足りないがな・・・お前達は、いつもキラキラと輝いて見えているぞ!」
 はしゃいだ声をあげるジェリーとクラウドを、神田が睨みつけた。
 「どこが素敵なんだよ!ってか、あんたはメガネでもかけたらどうだ!!」
 床を蹴りつけて怒鳴り散らす神田に、作者のティエドールが頬を膨らませる。
 「なんだよー。
 ユー君、喜んでくれると思ったのにー」
 「こんなキショク悪ィ絵ェ描かれて喜ぶわきゃねぇだろうが!!!!」
 「まったくだよ・・・・・・・・・」
 反駁しようと開いたティエドールの口を、地獄から湧きあがって来たような低く暗い声が塞いだ。
 「たとえ絵の中だろうと、ボクのリナリーといちゃいちゃするなんて許さないィィィィィィィィ!!!!」
 絶叫と共にコムイが構えた火炎放射器が、一瞬で絵を焼き尽くす。
 「私の絵ェェェェェェェェェェェェッ!!!!」
 「はん!ざまぁ見なさい!!」
 絶叫するティエドールに対し、コムイが無情に言い放つと、神田はこっそりこぶしを握った。
 「グッジョブ!」
 皆が呆然とする中、いやに嬉しそうな声が神田の口から漏れ、クラウドはムッと眉根を寄せる。
 「なんだ、せっかくいい絵だったのに・・・」
 「そぉよぉ・・・部屋が明るくなりそうじゃない?」
 「いいんだよ」
 機嫌良く二杯目のシャンパンを所望する彼に、リーバーが吐息して注いでやった。
 「これがホントの祝杯ってか」
 「まぁな」
 にやりと笑って、神田はティエドールとコムイの口論を見遣る。
 その楽しげな様子に肩をすくめたリーバーは、目の端に映ったエクソシスト達に向かって手を上げた。
 「おう、お帰り、マリ、アレン」
 マリは予想していたものの、アレンにとっては意外な騒ぎに、驚いて寄って来る。
 「リーバーさん、ただいま!
 なんのお祝いですか?」
 早速パーティ料理に目をやりながら問うアレンに頷き、リーバーは神田を指した。
 「今日、こいつの誕生日」
 「へぇぇっ!おめでとうございます!」
 アレンの祝いに、しかし、神田はつんっとそっぽを向く。
 ムッと顔を引き攣らせたアレンの気配を察し、マリが慌てて間に入った。
 「かっ・・・神田、誕生日おめでとう!
 しかし、なんだかすごい騒ぎだな。
 師匠はどうかしたのか?」
 ティエドールとコムイの激しい声を聞き取り、マリが首を傾げると、神田は簡単に状況を説明する。
 「絵かぁ・・・見たかったな。
 神田はともかく、リナリーは可愛かったんでしょうねv
 そう呟いたアレンに、神田の視線が刺さった。
 「くだんねェこと言ってんじゃねェよ、モヤシ!ブッた斬るぞ!」
 「ちょっ・・・!なんで君まで怒るんですか!
 それにモヤシじゃありません!!」
 と、アレンは自身の言葉に、はっと目を見開く。
 続いてにやり、と、口元を歪めた彼を、神田は訝しげに見遣った。
 「なに悪ィ顔してやがんだ、クソガキ」
 「君に言われたくありませんよ♪」
 気味が悪いほどに機嫌良く言ったアレンは、軽やかな足取りで神田に歩み寄る。
 「ねぇ、神田?
 君、1ヶ月死ななかったら名前を呼んでやる、って言いましたよね?」
 ほとんど真下から見上げたアレンの得意げな顔に、神田が目を見開いた。
 「覚えてますよね、もちろん?
 武士に二言はないんでしょう?」
 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべ、迫ったアレンは、胸を張って晴れやかに笑う。
 「さぁ!名前を呼んでください、神田!」
 「あ!アレン君!」
 声を張り上げた途端、彼に気づいたリナリーが寄ってきた。
 「おかえり!
 いつ帰って来たの?」
 「今です。
 アクマはいなかったのにイノセンスの回収が大変で、かなり時間取られちゃって・・・」
 神田に名前を呼ばせるタイミングを邪魔されたものの、相手がリナリーとあっては嫌な顔も出来ず、アレンは愛想よく笑う。
 「とりあえず僕らは回収したイノセンスを持って帰って来たんですけど、まだ後始末が終わんなくて、トマが残ってるんですよ」
 「そうなんだ・・・マリもお疲れさま!
 でも、アクマがいないのに回収が大変だったって、どうしたの?」
 大きな目を見開いて問うリナリーに、マリが穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
 「それが・・・」
 マリが口を開いた時、居並ぶ団員達のわずかな隙間を縫って、投げつけられたフライドチキンが彼の口を塞ぐ。
 「マッ・・・マリ?!」
 衝撃でひっくり返った彼に驚き、アレンが屈みこむと、その背に黒々とした影が差した。
 「任務ご苦労だったな、アーレーンー・・・」
 低い声音にただならぬものを感じて、びくっと振り返った先では、クラウドの秀麗な顔が、暗い笑みを浮かべている。
 「クッ・・・クッ・・・クラウド元帥っ・・・・・・!!」
 喉を引き攣らせたアレンの肩に、クラウドの手が置かれた。
 「疲れただろう?
 朝食には重いかもしれないが、ご馳走があるからなv
 たくさん食べて、ゆっくり眠って・・・つまらないことは忘れておしまい?」
 優しく声をかけるふりをして、その実、アレンを脅しにかかったクラウドは、彼の背を労わるように撫でつつ屈み込む。
 「・・・余計なことを言ってみろ。殺すぞ」
 「ひぐっ!!」
 そっと耳に囁かれた言葉に、アレンが凍りついた。
 「ど・・・どうしたの、アレン君?」
 気遣わしげなリナリーには、一所懸命に首を振る。
 「それで?
 なんでアクマもいねぇのに、回収に時間がかかったんだ?」
 「そ・・・それは・・・・・・・・・」
 冷たい汗で全身を濡らしつつ、アレンは必死に考えた。
 「み・・・湖でボートが転覆して・・・溺れちゃった・・・から・・・?」
 クラウドの顔色を窺いつつ言ったアレンに、神田が鼻を鳴らす。
 「はっ!やっぱりモヤシじゃねぇか!」
 「ちっ・・・違っ・・・いま・・・・・・せん・・・・・・・・・」
 クラウドの必殺の眼光に負け、うな垂れたアレンの背を、リナリーが慰めるように撫でた。
 「こっ・・・今度はうまくできるよ!きっと!ね?!」
 「はい・・・・・・」
 「期待しているぞ、新人v
 満面の笑みを浮かべたクラウドが、くしゃくしゃとアレンの頭を撫でる。
 「いい子じゃないか、リナリー。
 よかったな、仲間が増えてv
 「はいv
 嬉しげに頷いたリナリーの傍らで、アレンは小動物のように震えつつ、クラウドの顔色を窺い続けた。


 その後、主役のくせにパーティを真っ先に抜け出した神田は、日常を取り戻すべく森へと入った途端―――― クラウドの猿に捕獲された。
 「放せクソ猿!!ブッた斬るぞゴラ!!!!」
 じたばたと暴れるが、臨界点を超えたイノセンスであるラウ=シーミンに、敵うわけもない。
 ずりずりと引きずり込まれた人気のない中庭では、クラウドが彼を待っていた。
 「やっぱり逃げ出したね、ユウ」
 「・・・悪ィかよ」
 くすくすと笑う彼女に憮然と吐き捨てると、彼女は愉快そうに首を振る。
 「お前らしい」
 人に交わることを好まない彼の性格を知るクラウドは、手を払ってラウに拘束を解かせた。
 ゆっくりと歩み寄り、両手を神田の頬に添えると、クラウドはその黒瞳をじっと覗き込む。
 「この目には、なにが見えている?」
 「・・・・・・」
 クラウドの目をまっすぐに見つめながら、時折揺らぐ瞳に、彼女は自身の悲しげな顔を映した。
 「視界が・・・陰るのではないか?」
 その言葉にわずか、神田の目が細まる。
 「なぜ、そう思うんです?」
 「お前がそうやってごまかそうとする所を見ると、当たっていたらしいな」
 ムッと睨んできた神田に、クラウドは苦笑した。
 「私は今まで、多くの動物たちを見てきたから、気づくこともある」
 クラウドは自身の肩に乗った小猿に微笑み、柔らかい毛皮に頬をすり寄せる。
 「野生の獣は神経質で用心深い。そして、ハンデを追った獣は、攻撃的にもなる」
 「俺は獣か!」
 「そうだな。
 黒い豹のようだ」
 再び神田の黒瞳を覗き込み、クラウドは笑みもせずに頷いた。
 「豹の金色の毛並みは保護色だ。
 草原に身を隠すには最大の武器になる。
 だが、滅多に生まれない黒豹は、身を隠す場所を求めて森に入るか、不利を覚悟で草原に身を置くか・・・。
 どちらにせよ、ハンデを負って生まれた獣は、強くなければ生きてはいけない。
 肉体的にも、精神的にも――――」
 お前のように、と囁かれ、神田は眉根を寄せる。
 「俺にはハンデなんて・・・」
 「自身の目を信用できないのは、十分にハンデではないか?」
 静かな声に、神田は黙り込んだ。
 クラウドは神田が見る幻覚を知らないはずだが、彼女なりに察したことがあるらしい。
 切ない吐息が、唇から漏れた。
 「ハンデを負った獣は、神経質で攻撃的だ・・・人の中に、いられない」
 ―――― 暖かい場所にいることが出来ない・・・そんな場所は、居心地が悪い・・・。
 その心情を読んだクラウドは、ますます悲しげな顔になる。
 「だからお前は、敵に囲まれている方がいいのか?
 ・・・戦場の方が・・・生きやすいのか・・・・・・?」
 その問いに、神田は答えなかった。
 ―――― 敵の中にあれば、獣の本性をさらけ出せる。
 誰を傷つけようと、自身が傷つくことはない。
 その声が聞こえた気がして、クラウドは神田を抱きしめた。
 「そんな戦い方をしていては、いつかお前が死んでしまうよ・・・」
 切々と訴える声に、しかし、神田は首を振る。
 「目的を果たせるのならば、俺はそれでも構わない」
 「馬鹿者!
 私が構うのだ!!」
 聞き分けのない子供を叱る母親のように、クラウドが声を荒げる。
 「頼むから、私より先に死ぬな・・・!
 もうこれ以上、『子供』を喪いたくはない・・・・・・」
 コムイが教団へ来る以前―――― 世界中から集められた『適合可能性』の子供達は、次々と残酷な実験にかけられて、多くの命が『崇高な研究』の名の元に喪われた。
 その中には、クラウドの弟子となった少女達も・・・・・・。
 「私が守ってやれなかったあの子達の分まで、お前は生きておくれ・・・」
 「元帥・・・・・・」
 『母』の願いに、神田は思わず苦笑を漏らす。
 「いつも強い、あんたらしくもない」
 「うるさい・・・!
 お前が無茶ばかりするからだ・・・!!」
 神田を抱きしめる腕に力を込めると、その背が軽く叩かれた。
 「俺は、目的を果たすためなら手段は選ばない。
 この教団にいるのも、あの人に一番手が届きやすいと思ったから・・・・・・」
 だから、と、声を低めた神田を、クラウドはじっと見つめる。
 「それまで俺は、絶対に死なない」
 「ユウ・・・・・・!」
 目を見開いたクラウドに口の端を曲げ、神田は身を離した。
 「ってか、あんたこそ、そんなメソメソして大丈夫なのか?
 そんなんじゃ、俺の寿命が尽きる前に殺られちまうぜ?」
 意地の悪い笑みを浮かべ、嫌味を言う神田に、しかし、クラウドは微笑を浮かべる。
 「心配無用。
 知らないのか?
 母親は、あらゆる生物の中で最強の存在なんだぞ?」
 「あんた、産んでねェだろうが」
 つい、呆れ声を上げた神田を、クラウドが睨んだ。
 「産んでなくったって母親だ!
 もう何人も娘を育てたんだから、そんじょそこらの母親よりベテランだぞ!」
 お前も、と、指差されて、神田の目が吊りあがる。
 「娘じゃねェって、何度言えば・・・!」
 一足に開けた距離を詰められ、神田が声を詰まらせた。
 彼のすぐ目の前に、いたずらっぽく笑うクラウドの顔がある。
 「強情でワガママで攻撃的で・・・全く、どうしようもないじゃじゃ馬だが・・・・・・」
 にこりと、クラウドは笑みを深めた。
 「勝負を始めたのなら、必ず勝て。
 勝って、お前の求めるものとお前の命、共に手に入れるがいい」
 言うや再び両手を神田の頬に添え、その黒瞳を覗き込む。
 「今は安穏など、求めないのだろう?」
 その言葉に、神田は目を見開き――――・・・にやりと笑った。
 「地獄だって望むところだ」
 「それでこそお前だ」
 誇らしげに笑い、クラウドは神田の額にキスをする。
 「勝利の女神のキスだよ。
 たとえ炎の道を進もうと、お前が勝利をつかめるように」
 「あぁ」
 神田も、勝負に挑む者にふさわしく、精悍な笑みを浮かべた。
 「今までで、一番まともな誕生日プレゼントだったんじゃねェか、元帥?
 いつもあんたはドレスだのレースだのリボン・・・だ・・・の・・・・・・」
 ふと手をやった自身の髪に柔らかい布の感触を得て、神田の笑みが凍る。
 「またか!!」
 「なんだ、フリルは嫌いか?」
 いつの間にか髪に飾られていたリボンを乱暴に引き剥がして怒鳴った神田に、クラウドが首を傾げた。
 「レースが嫌だって言うから、今回はフリルにして・・・」
 「そういう問題じゃねぇっ!!
 やたらくっつきやがると思ったら、こういうことか!!」
 リボンをクラウドに押し返した神田は、憤然と背を向ける。
 「待てよ、ユウ」
 「待つかっ!!」
 「お礼のハグくらいしろ」
 「しねェよっ!!」
 「照れるなよ。
 ママだいしゅきーv って、いつ来てくれても構わないのだぞ、私は」
 「んな気色悪ィ真似できるかっ!!」
 「じゃあ私がやる」
 「はっ・・・?!」
 いきなり背に飛び掛られ、神田がわずかによろけた。
 「やめ・・・っ!!」
 「私も、愛しているからな?」
 楽しげな笑みを含んだ声に、神田は動きを止める。
 「フロワだけじゃない、私も、ジェリーやリナリーだって。
 だから・・・・・・」
 身を離した一瞬で、神田の髪にリボンを結いつけたクラウドが、にこりと笑った。
 「絶対に、死ぬなよ!」
 「死なねェよ!!」
 苛立たしげに吐き捨てるや、神田は髪に絡まるリボンを無理矢理引き剥がす。
 再び押し返そうとして手を止め、彼はリボンをポケットに入れた。
 「・・・来年は、もっとマシなものをくれ」
 「・・・っあぁ!」
 ようやく刹那的な影を拭い去った神田に、クラウドは晴れやかな笑みを浮かべる。
 「来年は・・・!」
 「せめて、組紐にしてくれ・・・・・・」
 目を輝かせてこぶしを握ったクラウドに、神田がため息交じりに呟いた。
 「色はなにがいい?!」
 歩き出した神田に、クラウドが楽しげにまとわりつく。
 「なんでもいいからとりあえず・・・あんたは子離れしてくれ・・・・・・」
 切実な願いは、しかし、簡単には叶いそうになかった。


 蓮―――― 天上天下に唯一尊い釈迦を生み、浄土に満ちる花。
 沼にあっては沼に満ち、池にあっては池を満たす。
 その水のある限り、彼岸の果てまで満ちるという。
 渺茫たる大海を越え、彼の人の元へと導く・・・そして。
 「冥府にまで、送るなら送ればいい―――― だが」
 その目にうつる全てを覆い尽くす紅蓮の炎に、神田は精悍な笑みを浮かべた。
 「俺は負けねェ・・・必ず生きて、目的を果たす」
 静謐とは程遠い、生命の象徴――――・・・望むところだ。
 「共に歩むがいい・・・地獄までな」
 目を閉じてさえ鮮やかに咲き誇る大輪に、神田は笑みを深めた。



Fin.

 










2009年神田さんお誕生日SSでした!
これはリクNo.38『神田と蓮の話』を使わせてもらってますよv
アレン君が入団したのは8月頃なので、神田さんのお誕生日はとっくに過ぎているはずなんですが、あえて書いて見ました!>堂々捏造かよ!
えぇ、アレン君が『一月経っても名前を呼んでもらえない理由』を書きたかったのです。
ついでに、アレン君に感化される前のラビはまだディック寄りで、平気で冷たいことも言ったんじゃないかなぁと予想。
むしろ、しばらく会わないうちにすっかりヘタレて、神田さんびっくりだったんですよ(笑)
そして『日本では混浴当たり前』の台詞に『なにとんでもないこと言ってんの!』とびっくりされたでしょうが、今みたいに男女分かれるようになったのは戦後のことですよ。
戦前は普通に混浴で、湯屋でよこしまな思いを抱く男性は『浅ましい』と馬鹿にされたそうな。
ちなみに、町人の見合い場所は浴場だったらしい。>刺青していないか見るのに便利。
蓮については現在、休載で放置プレイ中なので、この推理が当たっているかどうかはわからないんですが、神田さんが大事にしている器の中身、重要なのは蓮ではなく羊水ではないかと思います。
羊水はお母さんのお腹の中で赤ちゃんを守る水で、もちろん生理食塩水の別名なんぞじゃありません。
そんなものどうやって器に満たすんだよ、と考えて、ふと、封神演義を思い出したんですよ。
つまり、蓮は生命の象徴として見える幻想で、むしろ重要なのは羊水。そしてこの羊水の中で神田さんは生まれたんじゃないかな、と。>人造人間とか。
だったら『あの人』は太乙真人だね!(笑)ってことで、私は現在、『神田さん=ナタク説』を唱えています。>待て。
神田さんが『あの人』を探しているのは、『残量が危なくなってきた命の補給(身体のメンテ)とロケットパンチをつけてもらうため』希望。>だから待て。












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