† forbidden lover †






†このお話はヴァンパイア・パラレルです†


  舞台は19世紀ですが、D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。
  頭を空っぽにして読んで下さいねv


 ―――― 月のない夜。
 一台の馬車が街道を外れた道に、車輪の音を響かせていた。
 たくましい二頭の馬に牽かれた立派な馬車は、奇異なことに馬の足元を照らす明かりさえなく、しかし昼の街道を行くかのごとく危なげなく進む。
 その、広々とした車内では、分厚いクッションに身を預けた女が、けだるげに外の闇を見つめていた。
 「あなた・・・なぜこんな、寂れた道を行かれるんですの?
 街道を抜ければ早いでしょうに」
 ため息交じりの呟きに、呼びかけられた男は気弱げな顔をあげる。
 怯えた小動物のようにおどおどと窓の外を見遣った彼は、闇の中に蠢く獣の気配にびくりと身をすくめた。
 「な・・・なぜと言って・・・街道は今、十字軍で溢れているからであるよ・・・!
 もっ・・・もし、彼らに正体を見破られでもしたら・・・!」
 恐怖に引き攣った声をあげる夫の肩を、女はなだめるように撫でる。
 「金銭と権力への欲望に腐った聖職者など、怖がる必要はありませんわよ。
 あんな連中、小銭を渡しただけで、喜んで道を開けますわ」
 「しっ・・・しかしっ・・・!!」
 繊細な見かけによらず、大胆なことを言う妻の手を、彼は震える手で握りしめた。
 「わっ・・・私はっ・・・!
 わっ・・・私一人なら・・・なんとでもなるのであるっ・・・!
 だが、私の命よりも大切なあなたになにかあったらと思うと・・・!!」
 「・・・っアレイスター様!」
 感動に頬を染め、目を潤ませて声を詰まらせる。
 「エリアーデは悪い子でしたわv
 あなたをそんなに心配させて・・・っ!」
 「エリアーデ・・・!
 わっ・・・私の命に代えても、あなたは守って見せるであるよっ!!」
 「・・・・・・・・・あのー」
 ひっしと抱き合う夫婦の熱にあてられ、とても気まずげな声が御者台からかけられた。
 「もうすぐ夜明けでございます。
 そろそろ、お宿を決められませんと・・・」
 「あ・・・あぁ、そうであるな」
 「この近くに、領主の館はあるの、トマ?」
 奥方の問いに、忠実な家来は振り返って頷く。
 「お館があるにはあるのですが、既に人のいない館でございます。
 奥方様にご満足いただけるかどうか・・・」
 気遣わしげに言った彼に、エリアーデは眉をひそめたが、ややして頷いた。
 「日の高い間、眠るだけでしょ。
 だったらそこでもいいわ。
 その代わり・・・・・・」
 エリアーデは、甘えるように夫にしなだれかかる。
 「今夜は、ちゃんとした宿でないと嫌ですわよ?」
 「わかっているであるよ」
 にこりと笑った夫に笑みを返し、エリアーデは満足げに頷いた。


 馬車が目指す館は、寂れた村のはずれにあった。
 道とも言えぬ筋を通って館に向かう間、いくつもの廃墟が無言で彼らを見送る。
 「なんて寂しい・・・それに、死臭が満ちていますわ」
 香水を染みこませたレースで鼻を覆ったエリアーデの傍らで、アレイスターも厭わしげに眉をひそめた。
 「ここは一体、どうしたのであるか?」
 「伝染病でございます、旦那様」
 恭しくも平然と言ってのけた家来に、彼はため息をつく。
 「こんなところにまで広まっていたであるか・・・。
 まったく、十字軍など募って他国へ攻め入る金があるのなら、自国の民を救うのが先であろうに」
 生粋の貴族らしい言い様に、エリアーデは思わず微笑を浮かべた。
 欲にまみれた連中とは違う、清廉な人柄は、彼の魅力の一つだ。
 親族の中には、彼が領民に対して甘すぎると、眉をひそめる者もいるが、厳しく、冷酷で傲慢な女領主として嫌われる役は全て、妻たる自分が背負えばいいことだった。
 永遠の美貌と優しい夫、身分と地位、財産まで手に入れた自分には、そのくらいの瑕がなければ不公平だろう。
 「?
 どうしたのであるか、嬉しそうにして?」
 『美しいが、性格の悪い女を妻にした』と評判の夫は、おかげで男達の嫉視を逃れ、同情すらされていることも知らず、不思議そうに首を傾げた。
 「だから私は、あなたのことが好きなのです」
 「んなっ?!
 ・・・っなにをいきなり言い出すのであるかっ!!」
 唐突な言葉に、真っ赤になって慌てる夫を、エリアーデは心から愛しく思う。
 「いつまでもあなたは、民に慕われる『優しい領主様』でいてくださいませねv
 「そっ・・・それはもちろん、心がけるであるが・・・・・・」
 困惑げに声を震わせたアレイスターは、ふと、目の端に写った光に瞬いた。
 「トマ・・・ちょっと止めるであるよ」
 「はい」
 「どうかなさった?」
 彼女から身を離し、馬車を降りようとする夫に、エリアーデは不満げな声をあげる。
 「うむ・・・こんな明け方に、妙なものが・・・」
 呟きながら、馬車を降りた夫にエリアーデも続いた。
 領主の館に程近い場所にある、豪農かなにかの屋敷だろうか。
 広々とした門内はしかし、雑草に覆われ、長い間人の手が加わった形跡はなかった。
 だが、確かに奇妙なことに、荒れ果てた屋敷の一室に、明かりが灯っている。
 しかも、これは人外の能力を持つ彼らにしかわからないほど微かな声が、祈りを呟いていた。
 「子供の声・・・ですわね」
 「あぁ。
 しかもこの屋敷・・・他に気配はない」
 気遣わしげな夫に頷き、エリアーデは先に立つ。
 「もし。
 もし、この家の方ですか?」
 窓の外から呼びかけると、中の明かりが揺れ、痩せ細った少女が顔を出した。
 「あ・・・あの・・・・・・」
 こんな廃れた村には似つかわしくない、豪華な絹の衣装を纏った美しいエリアーデの姿に、少女は呆気にとられる。
 と、エリアーデは魅了するかのようににこりと笑い、優雅に会釈した。
 「私共、この地の領主様の古い知人で、他国から訪ねて参りましたの。
 ですが旅の途中、道に迷いましてね。
 馬車のランプは消えてしまうし、夜の獣は恐ろしいし、生きた心地もせずに夜道を渡って、ようやくこんな明け方に到着しましたのよ」
 嘘をつくことに慣れたエリアーデの話を、少女は疑いもなく信じてしまう。
 「ですが、着いてみてびっくりしましたわ。
 どうしましたの、この村の様子は?」
 「え・・・疫病で・・・・・・」
 「んまぁ!
 まさか、領主様のご一家も?!」
 黙って頷いた少女の前で、演技に秀でたエリアーデは、困惑げに夫を振り返った。
 「ど・・・どうしましょう、あなた!
 私達、領主様のご不幸も知らずに来てしまいましたわ!」
 「あ・・・あぁ、そうであるな・・・。
 一晩中走り通しで、馬も疲れてしまっただろうし・・・何より、あなたがもう、もたないであろう・・・」
 こちらは心底気遣わしげに言ったクロウリーに、少女は長く逡巡した後、声をかける。
 「あの・・・お疲れなら、我が家でお休みいただいてもよろしいのですが・・・でも・・・・・・」
 「どうしたであるか?」
 問い返した彼に、少女は哀しげに俯いた。
 「この村は・・・領主様を喪ってから、国にも見捨てられてしまいました・・・。
 村の水や作物が、疫病で穢れているからと・・・。
 そして、この家も・・・・・・」
 肩越し、ろうそくの明かりに照らされたベッドを見遣って、少女は涙を浮かべる。
 「弟の熱が下がらないのです・・・このままこの子が死んでしまえば、この村は私一人になります。
 そして私も近いうちに・・・・・・」
 すっと掲げられた手には、痛々しい発疹が浮いていた。
 「どうか、このままお帰りを。
 あなた方にまで移ってしまいます」
 「親は・・・」
 「とうに亡くなりました。
 もう、私達二人だけです・・・・・・」
 エリアーデと顔を見合わせたアレイスターは、少女に向かって進み出る。
 「お前、名前は?」
 「・・・・・・ミランダです」
 「弟の具合を診せてくれぬか、ミランダ?」
 「でも・・・・・・」
 戸惑う少女に微笑み、踵を返して玄関に向かった彼に、エリアーデも続いた。
 間もなく、部屋に現れた夫婦に、ミランダは困惑げな顔する。
 「部屋に入っては・・・」
 「あら、私達なら大丈夫よ」
 自信ありげなエリアーデに、ミランダはますます困惑した。
 「それよりミランダ、あなた、弟を生かし続けたい?それとも、このまま神様のところに行かせたいかしら?」
 「え・・・?!」
 目を見開いて、少女は蒼褪めた唇を震わせる。
 「もちろん・・・生きてほしい・・・です・・・・・・」
 ずっと閉ざされたまま、開かなかった目をもう一度開けて、長いこと聞いていない声をまた聞かせてほしい・・・。
 そう願う彼女を、アレイスターは哀しげに見つめた。
 「生き続けることが、必ずしも幸せとは限らない。
 我ら病も知らず、永久に老いることもなく生き続けることはできるが、決して神の元に行くことはない。
 日の光を遠ざけ、闇に生きる・・・それでも、弟を助けたいか?」
 「あ・・・あの・・・・・・」
 彼の言う意味がわからず、戸惑う彼女の前に、エリアーデが跪く。
 「我らはヴァンパイア・・・闇に生き、神から忌まれる者達。
 永久に生きるがゆえに、仲間を切望しているの」
 この世の者とは思えない、美しい笑みに、ミランダは一瞬で魅了された。
 「さぁ・・・お選びなさい、ミランダ。
 ここで弟と共に死ぬか、私達と一緒に生きるか」
 「・・・・・・っ!」
 ミランダが思わず握りしめた銀のロザリオを、エリアーデは悲しげに見つめる。
 「選びなさい。
 神を捨てるか、このまま天国へ行くか」
 長い長い間、息を詰めてエリアーデを見つめていたミランダの耳朶を、弟の苦しげな喘鳴が叩いた。
 「ねえ・・・さま・・・・・・」
 最期の吐息が消える瞬間。
 「助けて!!」
 部屋に、ミランダの悲鳴が満ちた。
 「助けて!!この子を助けて!!!!」
 首のロザリオを引きちぎり、窓の外へ投げ捨てたミランダを、エリアーデが抱き寄せる。
 「さぁ、あなたも・・・」
 アレイスターに抱き上げられた弟の、ぐったりとした身体を見つめながら、ミランダはエリアーデの声をぼんやりと聞いた。
 「私達と生きましょう・・・」
 露わになった首筋に、冷たい吐息がかかり・・・。
 鋭い牙が突き立てられた感触と共に、ミランダの意識は闇に落ちた。


 「姉上様、そろそろ起きてください」
 ノックと共に声をかけられて、ミランダは昔の夢から目を覚ました。
 一筋の光も漏れぬよう、厚いカーテンが引かれた窓を見遣ると、まだほのかに明るい。
 「・・・まだ早いですよ、ハワードさん」
 ベッドに寝転んだまま、小さな声で呟くが、『朝』の早い弟は耳ざとく聞きつけて、またノックした。
 「タワーブリッジの上から夕陽を見たいとおっしゃったのは、姉上様ですよ?」
 「・・・あ!」
 ミランダは慌てて起き上がり、急いで身支度を整える。
 「ハワードさん!
 早く!早く行きましょ!!」
 服を着ただけで部屋を出てきた姉に、弟は肩をすくめた。
 「今はまだ、外に出ては危険ですよ。
 慌てなくても、夕暮れにはもう少し時間があります」
 「あ・・・そうですか・・・・・・」
 気まずげに足を止めたミランダに、ハワードが頷く。
 「兄上と義姉上(あねうえ)もご一緒されるそうですから、もう少しゆっくりされて結構ですよ」
 「お兄様はともかく、お姉様もですか・・・?
 『朝』にはお弱いんじゃ・・・」
 「ですが、タワーブリッジに登れる時間は決まってますから。
 義姉上もがんばられるのでしょう」
 「そう・・・」
 ようやく肩の力を抜いた姉に、彼は微かに笑った。
 「お待ちの間、髪を結われますか?」
 「・・・・・・お願いします」
 不器用な自分と血が繋がっているとは思えないほど器用な弟は、顔を赤らめた彼女に手を差し伸べ、部屋に戻らせる。
 「夕陽程度の光なら、私達は火傷することはありませんが、姉上様は肌が弱くていらっしゃる・・・。
 紫外線が全くないわけではありませんので、肌はしっかり覆っていてください。
 目が焼けては、さすがに治癒にも時間がかかりますから、ヴェールは絶対に外してはいけませんよ?」
 「はっ・・・はい!!」
 弟なのに、姉よりも大人びたことを言うハワードの言葉を、ミランダは懸命に聞いた。
 「か・・・風で帽子が飛ばされたりしないかしら・・・!
 ねぇ、ハワードさん、やっぱり私、行かない方がいいかしら・・・!」
 不安げに声を震わせる姉の髪を結ったハワードは、ちらりと笑って、被せた帽子をしっかりとハットピンで留める。
 「こうしていれば大丈夫です。
 初めてのロンドンで、タワーブリッジに登るのだと楽しみにしてらしたではありませんか」
 「え・・・えぇ・・・」
 恥ずかしげに頷いたミランダに、鏡越し、ハワードはにこりと微笑んだ。
 「私もお供しますから、大丈夫ですよ」
 「え・・・えぇ!」
 頬を染めて頷いた姉に、彼は手を差し伸べる。
 「では、そろそろ参りましょう」
 「はい」
 少女のように微笑んで、ミランダは弟の手を取った。
 ―――― こんなに無邪気な彼女が、既に数百年の時を生きているとは、誰も思うまい。
 そして自分も、と、ハワードはミランダの目に自身の姿を写す。
 幼い頃、『兄』によって闇の眷属にされた彼は、10代後半で成長を止めてしまった。
 しかし姉は、闇に引き入れた義姉の力が弱かったものか、20代半ばほどまで成長している。
 だが、20代後半に見える兄と、やはり20代半ばに見える義姉を加えれば、『家族』としてはちょうどいい年齢バランスかもしれなかった。
 おかげでどの土地に行っても、『兄弟』を名乗る彼らを奇異な目で見る者はいない。
 どころか、『闇の眷属』と言うにはあまりにも善良な兄と姉の性格に、ほだされる人間の方が多かった。
 そして、義姉の美しさにも・・・。
 「ハワード!」
 姉と共にホールに下りた時、兄が大階段の上から声をかけた。
 「トマが裏庭に馬車を用意しているである。
 日陰を通っていくといい」
 見あげると、兄はぐっすりと眠った義姉を横抱きにして、ゆっくりと階段を下りてくる。
 「義姉上はまだお目覚めにならないのですか?」
 思わず、非難めいた口調になった彼に、アレイスターは肩をすくめた。
 「エリアーデが『朝』に弱いのは知っているであろう。
 置いていくと拗ねるであるから、着くまで馬車の中で寝かせておくであるよ」
 「まったく・・・兄上は甘いのですから」
 ため息交じりの呟きを聞いたミランダが、弟の腕を軽く叩いて黙らせる。
 「先に行っておりますわ」
 「あぁ」
 兄に声をかけ、ミランダはハワードの手を引いて庭に出た。
 黒いヴェール越しではあったが、久しぶりの日差しはまぶしく、温かい。
 もう何百年も凍えたままの手を、温めるように陽の下へ差し出すと、横合いから掴まれた。
 「いけません、姉上様。
 手袋越しでも、火傷するかもしれません」
 「・・・はい」
 しょんぼりと手を引き寄せた姉を日差しから庇いながら、ハワードは彼女を先に馬車に乗せる。
 「どうぞ、兄上」
 ややして屋敷から出てきた兄にドアを開け、眠ったままのエリアーデを乗せる手伝いをした。
 人間と違い、体温を持たない彼女の身体は冷たく、ほとんど呼吸もしないため、事情を知らぬものが見れば死体だと思うだろう。
 だが、死体と違って柔らかい身体はすんなりと馬車に収まり、クッションに埋もれて眠り続けた。
 「お姉様の服は、これでよかったんですか?」
 走り出した馬車の中でミランダが問うと、アレイスターが頷く。
 「朝には絶対起きていないから、出かける時はこれを着せてくれと、昨日の内に用意していたのであるよ」
 「・・・メイクもしっかりしているのですね」
 ハワードの呆れ声にも、アレイスターは大きく頷いた。
 「普通の女であればともかく、エリアーデであるからな!」
 おしゃれに対しては気も手も抜かない、と、自慢げに言う兄に、ハワードは吐息する。
 「ではどうせ、馬車を降りる前に入念なチェックをなさるのでしょう。
 兄上、そろそろ起こして差し上げた方がいいのではありませんか?」
 川の音がする、と言う弟に、アレイスターは頷いた。
 「エリアーデv
 そろそろ着くであるよv
 聞いている方が恥ずかしくなるような甘い声で、何度も呼びかける兄に、ハワードはまた吐息する。
 ―――― 連れ添って何百年にもなるのに、未だ新婚気分か。
 義姉が、よく出来た嫁だというのはわかっているが、ここまで魅了してしまうのはきっと、ヴァンパイアの能力を使っているに違いなかった。
 血統正しいヴァンパイアであるアレイスターが参ってしまうのだから、普通の人間が太刀打ちできるわけもない。
 彼女の『魅了』の能力のおかげで、幾度か危地を脱したこともあるだけに、悪くは言えないが・・・ハワード自身は、エリアーデよりもミランダの方が上だと、密かに思っていた。
 しかし当のミランダは、自身の魅力になどまったく気づいていないどころか、美しい義姉の影に隠れるばかりで、もどかしいことこの上ない。
 今も、ようやく目を覚ました義姉の美しさに、うっとりと見惚れていた。
 「おはようございます、お姉様。
 もうすぐ夕陽が見れますわよv
 わくわくとミランダが声をはずませると、寝起きのエリアーデはけだるげに頷く。
 「私は夕陽よりも、できたばかりのタワーブリッジが楽しみだわ。
 きっと、遠くまで見えるのでしょうね」
 と、ミランダが頬を赤らめた。
 「聖ポール寺院は見えるでしょうか・・・!
 近づけないのなら、せめて遠くからでも・・・・・・」
 そう言って、細い手を組み合わせたミランダに、エリアーデが眉をひそめる。
 「あなたはまだ、神を捨てきれてはいないのね」
 捨てると言ったくせに、と、エリアーデになじられて、ミランダはしおしおとうな垂れた。
 「義姉上!」
 「なによ。
 祝福もしてくれない神なんて、さっさと忘れる方がミランダのためでもあるのよ」
 ハワードの吊りあがった目の前でひらひらと手を振り、エリアーデは化粧ポーチを取り出す。
 「神様になんか縋らなくても、私達は年も取らず、病気も知らず、死ぬこともないのよ。
 いいことじゃない。
 これ以上、なにを望むの」
 染み一つない肌の上に、更におしろいを乗せたエリアーデは、鏡の向こうでうな垂れるミランダの顎に指をかけた。
 「顔をあげなさい、ミランダ。
 あなた、いつまでも自分を飾ろうとしないから、人生が楽しくないのよ。
 モトはいいんだから、ちゃんとお化粧して、パーティにも顔を出しなさいよ。
 いつまでも弟とべったりじゃだめよ」
 きっぱりと言う義姉を、ミランダが気弱な上目遣いで見あげると、彼女は艶やかな唇に魅惑的な笑みを浮かべる。
 「私がお化粧してあげるわ。
 あなた、自分でやるとどうにも不器用ですもんねぇ」
 自分で髪も結えず、ハワードに頼りきりのミランダは、恥ずかしげに頷いた。
 「あなた、ちょっと席を替わってくださる?
 さぁ、ミランダv 私の隣にいらっしゃいv
 対面にいたミランダを隣に座らせ、帽子を取り上げたエリアーデは、早速化粧を施す。
 「ホラ!
 ご覧なさいよ、あなたたちも!
 とっても綺麗でしょv
 自分の作品に大満足のエリアーデが、品良く彩りを添えたミランダの顔を向かせると、男達は感心して頷いた。
 「いつまでも子供だと思っていたが・・・ミランダもいつの間にか、年頃になっていたのであるなぁ」
 「すばらしいです、姉上様っ!!」
 父親のような感想を漏らすアレイスターと、こぶしを握って絶叫するハワードに、ミランダは恥ずかしげに顔を俯ける。
 と、その目の前に、鏡が差し出された。
 「ほら、自分でもご覧なさい。綺麗でしょう?」
 さすがは『魅了』の能力を持つだけあって、エリアーデの化粧は完璧だ。
 まるで別人のような自分を映す鏡を手にしたミランダは、呆然と頷いた。
 「しばらくは私が面倒を見るから、パーティにもついていらっしゃい」
 「そうですとも!ぜひ見せびらかしましょう!!」
 ハワードが、珍しくも義姉に賛同する。
 「好きな殿方ができれば、もっと綺麗になるわよv
 「不埒な毒虫は蹴散らしますっ!!」
 すかさず言ったハワードに、アレイスターは思わず吹き出した。


 夜の眷族を乗せた馬車がタワーブリッジに差し掛かった頃、テムズ川北岸にあるロンドン塔から、二人の男が出てきた。
 「ったく・・・無駄骨でしたね」
 不満げに明るい色の髪をかき回した背の高い男が、そう言って更に背の高い東洋人を見あげると、彼も不満げに頷く。
 「教会でも祓えないバケモノだって言うから期待したのにさー、ただの地盤沈下じゃない。
 その上、塔の近くにあんなおっきな鉄の橋作れば、今まではなかった振動が伝わってきたって、不思議でもなんでもないじゃない。
 もー・・・なにがポルターガイストだよー!」
 調査費ふんだくってやる!と、彼は気炎をあげた。
 「ついでだからさ、リーバー君。
 タワーブリッジ見て行かない?
 なんでも、蒸気を使って跳ね橋を動かしてるんだって!
 すっごいおっきな歯車があるらしいよ!」
 「へぇ・・・そりゃ面白そうっすね。付き合いますよ、コムイ先輩」
 実りのなかった調査の憂さ晴らしとばかり、二人は気軽な足取りで、川岸を橋へ向かう。
 歩きながら、コムイはぶつぶつと不満を漏らした。
 「最近さ、本職じゃないことばっかり依頼が来てるんだよね。
 ボクの本職はヴァンパイア・ハンターで、ゴースト・ハンターじゃないのにさ!」
 「じゃあなんで、幽霊退治まで引き受けてんですか」
 呆れ口調で問うたリーバーに、コムイはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
 「研究を兼ねたお金儲けv
 「・・・は?」
 いけしゃあしゃあと言ってのけた彼に、リーバーの目が点になった。
 「これからは、吸血鬼退治だけじゃ稼げない気がするんだよね。
 だから色んな幽霊とかオバケとか見て、オールマイティーに退治できるようになれば儲かるじゃない?」
 「・・・人助けじゃないんすか」
 「それは教会の仕事でしょ!
 それともナニ?
 この国じゃ、猟師は人助けで動物狩ってんの?」
 「・・・・・・違いますね」
 そう言う問題だろうかとは思ったが、無償で働くには結構元手がかかるのがヴァンパイア・ハンターという仕事だ。
 「欧州にはまだまだ悪さするヴァンパイアがいるんだけど、英国はだめだね。
 紳士淑女面で潜り込んでる金持ち吸血鬼ばかりだもの。
 憎まれないから、依頼もない」
 そもそも存在にさえ気づいていない、と、コムイはため息を漏らした。
 「もー・・・はやく欧州に戻りたいなー。
 このままじゃボク、商売上がったりだもん〜・・・!」
 幽霊退治も、思ったほど金にならないと、コムイはまた不満を漏らす。
 そうするうちに、二人はタワーブリッジに至り、橋の上へ昇るエレベータに乗った。


 「ハワードさん、早く!」
 馬車を降りた途端、はしゃいだ声をあげて走っていく姉を、ハワードは慌てて追いかけた。
 「兄上、義姉上、先に行きます!」
 肩越しに言うや、ミランダを追って全力疾走するハワードの背を、エリアーデは苦笑して見送る。
 「あなた・・・あの子もそろそろ、姉離れをする頃ではないのかしら」
 「それはそうであるが・・・」
 旅に次ぐ旅で疲れきっていた夫婦に、あの二人は穏やかで安らぐ場を与えてくれた。
 互いしかいなかった頃とは比べようもない賑やかさに、今では笑いが絶えない。
 「私は別に、このままでもいいと思うのであるよ」
 このまま、ずっと家族として生きて行くのもいい、と、呟く夫に、エリアーデは苦笑を深めた。
 「私はもう一人・・・いえ、もっと増えてもいいと思いますけど・・・」
 それぞれに伴侶が見つかれば、と、期待するエリアーデに、アレイスターも頷く。
 「それには確かに、ハワードの姉離れが先決であるな・・・あぁ、追いつかれたであるな」
 タワーの手前で弟に捕まったミランダの笑い声が、ここまで聞こえた。


 「うふふv
 「なんですか?」
 さすがに息を切らした弟の、風になぶられた長い髪を、ミランダは優しく撫で付けた。
 「ハワードさんの髪は、本当にきれいな金色ですねぇ・・・。
 明るい所では滅多に見れませんから、今のうちに良く見ておかないと」
 「お・・・恐れ入ります」
 真っ赤になって顔を俯けたハワードの背に、華やかな笑声がかかる。
 「髪では私も負けてなくてよ、ミランダ?」
 そう言ってエリアーデは、黒い手袋をはめた指に、黒いヴェールから零れる金髪を絡めた。
 「本当に・・・おきれいですわ、お姉様・・・v
 私は・・・明るいところで見ても、相変わらず暗い色ですけど・・・」
 夕陽を浴びて澄んだ輝きを放つ義姉の髪と自分を比べ、しょんぼりと落としたミランダの肩を、アレイスターが笑って撫でる。
 「それは私も同じであるよ。
 だがふわふわとしている分、ミランダの方が可愛いであるな」
 「お・・・お兄様ったら・・・・・・!」
 真っ赤になって俯いたミランダの背を優しく押し、4人は揃ってエレベータに乗った。
 橋の最上階、テムズ川を見下ろす場所は、閉場間近とあってか、ほとんど人がいない。
 「へぇー!高いねぇ!」
 橋の半ば程から歓声が響き、その声につられて、何気なく下を見下ろしたミランダは、そのまま動けなくなってしまった。
 「姉上様?」
 ハワードの声に、ミランダは凍りついたまま手を伸ばす。
 「ハ・・・ハ・・・ハワード・・・さん・・・・・・っ!!」
 ただ事ではない様子に、ハワードは驚いて姉を支えた。
 「ど・・・どうなされたのです!真っ青ですよ?!」
 「たっ・・・たかすぎて・・・こっ・・・こっ・・・こわっ・・・・・・!!」
 引き攣った声をあげるミランダに、エリアーデが思わず吹き出す。
 「もう!
 本当にあなたは、いくつになってもか弱いのだから!
 ホラ、早くいらっしゃい!
 そのままここにいるつもり?」
 夫と腕を組み、軽やかな足取りで向こう岸へ渡ろうとするエリアーデを、ミランダは涙目で見つめた。
 「お・・・お姉様ぁ・・・・・・!」
 「泣いてないでいらっしゃいってば!
 ハワード!
 動かないと、いつまでも橋を渡れなくてよ!」
 連れてらっしゃい、と、からかうエリアーデに、ハワードは肩をすくめる。
 「姉上様、もう、下りのエレベータは行ってしまいましたから、ここを渡らないことには降りられませんよ?」
 「でっ・・・でもっ・・・!!」
 震える足を踏み出せないミランダに苦笑し、ハワードは彼女を抱き上げた。
 「では、渡り切るまで目をつぶってらしてください」
 「目・・・目を・・・ですか・・・・・・」
 残念そうに呟くミランダに、ハワードは苦笑を深める。
 「わかりました。
 では、真ん中に来た時にお教えしますから、その時に目を開けて、夕陽と景色をご覧ください」
 優しい声で囁き、ハワードはすたすたと橋上を歩いた。
 「まぁ、ハワード!
 あなた、ミランダをそんなに甘やかしちゃダメよ!」
 「そう言う義姉上こそ、先ほどは兄上に甘えていらしたではありませんか」
 言い返してやると、エリアーデはこれ見よがしにアレイスターに身を寄せる。
 「いいんですよv
 私たちは夫婦なのですからv
 でも、あなた達は姉弟でしょう。
 いい加減、二人とも自立なさいな」
 簡単にやり込められてしまって、ハワードは口をつぐんだ。
 やがて、
 「姉上様、真ん中に着きましたよ」
 声をかけると、ミランダがきつくつぶっていた目を開く。
 「ま・・・ぁ・・・・・・!」
 遠く伸びる河は、夕陽を浴びて金色に輝き、街並みは遥か遠くまで広がっていた。
 「そしてあれが、聖ポール寺院です」
 「どれ・・・?」
 ミランダが勢いよく首を振る。
 と、エリアーデが化粧をした時に、ハットピンが緩んでしまったのだろう、帽子が風に飛ばされた。
 「あっ・・・!!」
 一瞬でヴェールが取り払われ、まぶしさに目を覆ったミランダを、更にハワードが庇う。
 「兄上!お願いしま・・・」
 切羽詰った声で言い切る前に、彼の目の前にミランダの帽子が差し出された。
 「どうぞ」
 優しい声に、そろそろと目を開けたミランダは、声と同じく優しく笑う青年を呆然と見上げる。
 「レディ?」
 いつまでも帽子を受け取らないミランダに呼びかけると、彼女は慌てて手を伸ばした。
 「あっ・・・ありがとうございます・・・!!」
 上ずった声で礼を言いつつ、ミランダは帽子を受け取る。
 「いいえ」
 感謝を込めて差し出した手を握り返した彼の手は、体温を持たないミランダには熱すぎた。
 思わず眉を寄せてしまったミランダに、今度は青年の方が慌てる。
 「あ!すみません!痛かったですか?!」
 つい、いつも通りの力で握ってしまったが、彼女の手は細く繊細で、今にも折れそうだった。
 「だ・・・大丈夫・・・です・・・・・・」
 おずおずと手を引き、小さな声で呟いたミランダに、彼はほっと笑う。
 「ご兄弟でロンドン見物ですか?」
 会話が聞こえていた、と言う彼に、ミランダを庇った体勢のまま、ハワードが頷いた。
 「帽子をありがとうございます、ミスター・・・?」
 「リーバー・ウェンハムです」
 「ミスター・ウェンハム」
 堅苦しい会釈をして、ハワードは改めて姉を抱き上げようとする。
 が、
 「ハワードさん・・・もう大丈夫。下ろしてください」
 ミランダは自身の足で立ち上がり、丁寧に会釈した。
 「ミランダと申します。
 家名は故あって明かせませんが、お許しを」
 「いえ・・・見れば貴い方だってのはわかりますよ。お忍びですか?」
 その問いには、困ったような笑みで返す。
 「ごきげんよう。
 またお会いできたら嬉しいですわ」
 「あ・・・はい」
 軽く手を振り、弟に支えられながら橋を渡るミランダを、リーバーはぼんやりと見送った。
 と、
 「なーに黄昏てんの、この色男っ!」
 「ぉわっ?!」
 突然声をかけられて、リーバーは慌てる。
 「べっ・・・別に、黄昏てなんか・・・!!」
 「じゃあ一目惚れ?」
 「ぅえっ?!」
 わかりやすい態度に、コムイは笑って肩をすくめた。
 「身分違いだーって!
 弟君だって、すんごい目で睨んでたじゃなーィv 諦めなさいv
 「う・・・は・・・はぁ・・・・・・」
 納得しがたい様子で、またミランダの去った方向を見つめるリーバーに、コムイは苦笑する。
 「このリーバー君を一瞬で落とすなんて、やるなぁ、あのお嬢さん・・・」
 人間かな、と言う呟きは、喉から出る前に口の中で消えた。


 「なーんだ、つまらない」
 ハワードに支えられて橋を渡りきったミランダに、エリアーデがにんまりと笑った。
 「ミランダが自分から握手なんてしたの、初めてじゃない。
 もう少しロマンティックな展開になるかと思ったのに」
 「また義姉上は余計なことを・・・」
 「ハワードがまた邪魔しちゃったのねぇ」
 苦々しい顔をした彼に、エリアーデはクスクスと笑いながら、アレイスターの手を取って下りのエレベータに乗り込む。
 「あなた、何百年害虫駆除すれば気が済むのよ。
 この先もずっと、お姉様を独り占めしておく気?」
 誰もいない場所とあって、言葉に遠慮のなくなったエリアーデを、ハワードが噛み付かんばかりに睨んだ。
 「いけませんか!」
 「いけないに決まってるでしょ!」
 ずいっと迫られ、ハワードは思わず身を引く。
 「ミランダはお人形じゃないのよ!
 いい加減あなた、姉離れなさいな!」
 「こ・・・これこれ、言いすぎであるよ」
 声を失った弟がさすがに憐れで、アレイスターがエリアーデをなだめた。
 「ようやく日も暮れるし、今日は珍しい客人もある。
 早く帰るであるよ」
 「・・・そうですわね。
 でもどうせ、あの方のことですから、真夜中すぎにならないといらっしゃいませんわよ。
 それまでお買い物にでも行きましょうv
 姉と弟の間でおろおろしていたミランダは、兄の仲裁で機嫌を直したエリアーデに、ようやく息をつく。
 「では、それこそ早く行かないと・・・」
 「そうねぇ。
 真夜中まで開いていればいいのに!」
 ヴァンパイア用の店はないのか、などと、埒もないことを言いながら、エリアーデは真っ先にエレベータを降りた。
 「姉上様も」
 ハワードが差し出した手を取ったミランダは、ふと、自分の手を見つめる。
 「どうされました?
 ・・・っまさか、火傷でも?!」
 「あっ!いいえ!なんでも・・・・・・」
 慌てて首を振って、ミランダは歩を進めた。
 自分と同じ、体温を持たない弟の手は冷たく、長く繋いでいても決して温まることはない。
 だが、あの手はまるで・・・・・・。
 西の彼方に落ち、空を紅く染める陽を、ミランダは黒いヴェール越しに見つめた。
 もう何百年も前、心地よく浴びていた陽光の暖かさを思い出す。
 「姉上様?」
 訝しげな弟に首を振り、にこりと笑いかけた。
 「久しぶりに見た夕陽が、嬉しかっただけです」
 滅多に早起きしないから、と、舌を出したミランダに、ハワードは苦笑する。
 「そんなにご覧になりたいなら、早くにお起こししますが?」
 「どうせなら夜更かしして、朝陽を見てみたいけど・・・」
 勢いを失っていく夕陽と違い、朝陽は彼らの身を損なうものだ。
 「大火傷してしまうから、無理ね・・・」
 夕陽ですら、帽子が飛ばされた一瞬で、彼女の肌を焼いたのだから。
 ヴァンパイアの驚異的な回復力で、既に肌の炎症は癒えたはずだが、なぜか・・・彼に握られた手が、火照っている気がした。
 「あ・・・の・・・お姉様・・・・・・!」
 先に出口へ向かっていたエリアーデは、微かな声の呼びかけに肩越し、にこりと笑う。
 「ハワード!
 あなた、ちょっとこちらへいらっしゃい!」
 「え・・・しかし・・・」
 「いいから!!」
 逆らうことを許さない、義姉の気迫に仕方なく従うと、アレイスターも呼ばれ、二人して馬車に押し込められた。
 「ちょっと待っててくださいね!」
 ドアを閉めてしまうと、窓を厚く覆った馬車からは外が見えなくなってしまう。
 エリアーデは踵を返し、ミランダに駆け寄った。
 「さぁ、姉様がついててあげるわv
 「ぅあっ・・・わっ・・私、やっぱり・・・!」
 馬車に向かおうとしたミランダの腕を、エリアーデがすかさず掴む。
 「だめよ!
 あなた一体、何百年引きこもってると思っているの?
 いい加減、勇気を出しなさい!」
 叱りつけながら、エリアーデはミランダの帽子を脱がせ、ヴェールを取り払って、軽く化粧を直してやった。
 「でっ・・・でもぉっ・・・・・・!!」
 「でもじゃない!
 女だって、やるときはやんなきゃいけないのよ!」
 なおも腰の引けるミランダの背を押し、エレベーターホール近くまで追いやったエリアーデは、エレベータが下りてきた瞬間を狙って彼女を突き飛ばす。
 「きゃっ・・・!!」
 闇の眷属とは思えないほど、運動能力に才能のないミランダは簡単に体勢を崩して、開いたエレベータの中に倒れこんだ。
 「ぅわっ!!」
 驚きの声と共に彼女を支えてくれた青年を、ミランダは思わず期待を込めて見あげる。
 が、残念なことにそれは見知らぬ東洋人だった。
 「あ・・・」
 思わず失望の声が、ミランダの口から漏れる。
 と、
 「大丈夫ですか?」
 東洋人の背後から、リーバーが現れた。
 「まぁ!ありがとうございます!」
 素早く歩み寄り、ミランダを助け起こしたエリアーデは、ヴェール越しににこりと笑う。
 「この子、よほど高い所が怖かったみたいで、気分が悪いと言うから休ませていたんですの」
 「あぁ・・・確かに、大変そうでしたね」
 苦笑した東洋人に頷き、エリアーデはミランダを抱き寄せた。
 「ほら、ミランダ?
 気分が悪いのに、急に立ったりするからよろけるのよ?」
 エリアーデの言葉に、ミランダは唖然と口をあける。
 ―――― さっき私を突き飛ばしたのは、お姉様じゃない・・・。
 言いたいことはしかし、エリアーデの気迫に塞がれ、黙って頷いた。
 「あの・・・大丈夫ですか?
 まだ顔色が悪いようですが」
 「え・・・」
 もう何百年も、外に出る時は必ず黒いヴェールで顔を覆っていたミランダは、初めてそんなことを言われ、戸惑いがちに自身の頬に触れる。
 「そう・・・ですか・・・?」
 ろうそくの明かりに照らされた中では、自身の肌の色など、正しく見たことはなかった。
 「そうかもしれません・・・」
 しょんぼりとうな垂れてしまったミランダに、リーバーが慌てる。
 「すみません、失礼なことを・・・!」
 「いえ・・・」
 わずかに首を振ったミランダの足を、不意にエリアーデが蹴りつけた。
 「きゃっ!!」
 がくっと膝を折り、崩れ落ちるミランダを、リーバーが受け止める。
 「ミランダ!まぁ、大変!!」
 「お・・・お姉様・・・・・・!」
 今のは痛かった、と、呻き声をあげるミランダの前にしゃがみこみ、エリアーデはわざとらしく目を潤ませた。
 「ミランダ、そんなに怖かったなんて・・・!
 あぁ、どうしましょう!私が無理矢理誘ったから!!」
 実際、無理矢理誘われたのはエリアーデの方で、ミランダは大喜びで昇ったのだが、ここは演技力豊かな姉に任せることにする。
 「ミランダ、馬車まで歩けるかしら?
 気分は悪いでしょうけど、こうなったら早く家に帰って休みましょう?」
 「え・・・えぇ、でも・・・・・・」
 エリアーデに蹴られた所が痛くて、まだとても立ち上がれそうになかった。
 眉根をひそめ、苦痛に耐える様がいかにも苦しげに見えたのだろう、リーバーがミランダを抱き上げる。
 「・・・っ!!」
 声も出ないほどに驚いたミランダの間近に、彼の笑顔があった。
 「馬車まで運びましょう」
 「まぁ・・・!
 感謝しますわv
 手を差し伸べ、馬車の位置を示したエリアーデは、二人を先に行かせてもう一人を振り返る。
 「ご親切な方ですわ。
 お友達でいらっしゃるの?」
 「えぇ、大学の後輩でして。
 今は学校が暇な時に、ボクの仕事を手伝ってくれています」
 「あら、どんなお仕事ですの?」
 興味があるふりをして、その実、意識はミランダの方へと集中させていたエリアーデは、『ヴァンパイア・ハンターです』と言う答えに目を見開いた。
 「まぁ・・・!
 それは珍しいお仕事ですわね」
 「えぇ。
 欧州ではそう珍しくもないかもしれませんが、英国では今のところ、ボク一人ですね」
 にこりと笑った東洋人に、ヴェール越し、エリアーデも笑みを返す。
 「お名前を伺ってよろしいかしら、ミスター?」
 「コムイ。
 コムイ・リーです、マダム」
 恭しく一礼した彼に、エリアーデは優雅な会釈を返した。
 「そのような珍しいお仕事でしたら、面白いお話もたくさんご存知でしょうね。
 よろしければ、我が家の夜会にいらっしゃいませんか?」
 「お宅の・・・ですか?
 しかし・・・」
 いかにも身分高そうな夫人からの誘いに戸惑うコムイの手を、エリアーデが取る。
 「失礼を承知で申し上げます。
 本当は、あなたのお友達をお招きしたいの」
 「リーバー君を?」
 意外そうに目を見開く彼の手に、エリアーデはハンドバッグから取り出したカードを乗せた。
 「私の妹が、彼のことを気に入ったようですの。
 でも、あの子はとてもおくてで・・・なのに、夫はいつまでもあの子を子供扱いだし、弟は姉離れしないし。
 姉としては協力してあげないと」
 高級住宅地の住所が書かれたカードを見つめ、コムイは笑みを浮かべる。
 「実は彼も、彼女のことをずっと見ていたんですよ」
 「まぁ!」
 嬉しげな歓声をあげ、エリアーデは両手で彼の手を握った。
 「ぜひ、いらしてくださいな!
 なんでしたら、他にお友達をお連れいただいて構いませんわ。
 いつでしたらご都合がよろしいかしら?」
 「3日後でしたら、『彼の』都合がいいはずですよ」
 「ではぜひに!
 あの子を助けてくださったお礼だと、必ず連れてきて下さいましねv
 コムイにしっかり念を押して、エリアーデは踵を返す。
 馬車からはハワードが慌てて降りて、リーバーからミランダを取り上げていた。
 彼が余計なことを言う前にエリアーデは駆け寄り、義弟に一言も発せさせないままミランダを馬車に乗せる。
 「本当にありがとうございました、ミスター。
 ぜひともこのお礼をさせてくださいませね」
 「いえ、お礼なんて・・・」
 「お待ちしておりますから」
 問答無用でリーバーを遮り、エリアーデは馬車に乗り込んだ。
 「では、失礼」
 最後はミランダと声も交わさせず、ドアを閉めてすぐに出発させる。
 「エ・・・エリアーデ、一体・・・?」
 一人、わけのわからないアレイスターが問うと、彼女はにこりと笑みを浮かべた。
 「未練を残したんですわよ。
 これで彼は、私の招待に飛びつきますわ」
 「招待?!
 義姉上、彼を我が家に招待したのですか?!」
 猛抗議するハワードにはうるさげに手を振り、エリアーデはアレイスターの腕に縋った。
 「3日後の夜会は楽しくてよ、あなたv
 彼のお友達は、ヴァンパイア・ハンターなのですって」
 「ひっ・・・!」
 息を呑み、凍りついたミランダに、エリアーデは笑みを深める。
 「たまにはこんなスリルもないと、退屈でしょう?」
 ね?と、甘えるように小首を傾げた妻に、アレイスターは苦笑して頷いた。


 一方、まんまとエリアーデの策略にはまって、未練がましく馬車を見送るリーバーの肩を、コムイが叩いた。
 「リーバー君v
 彼女の姉上から、今日のお礼にってお宅にご招待いただいたんだけどv
 「えぇっ?!」
 大声をあげて振り返った彼に、コムイはにんまりと笑う。
 「3日後、開いてるよねー?」
 「もちろん・・・!」
 「じゃ、ありがたく受けちゃおーv
 笑みを深めたコムイは、ふと、自身の手を見下ろした。
 「彼女の身体、冷たかったなぁ・・・・・・」


 その後、観光と買い物を終えて、大満足の一家が帰宅した時、屋敷には既に、今夜の客人が来ていた。
 「もう来ていたのであるか」
 アレイスターが声をかけると、デキャンタに紅い液体が注がれる様を、目を輝かせながら見ていた少年が駆け寄ってくる。
 「おかえりなさぁい!」
 「アレン君、お久しぶりね」
 「姉上様に触るんじゃありません、クソガキ!」
 微笑むミランダに抱きつこうとした少年の襟首を掴み、ハワードは軽々と引き離した。
 と、アレンは猫の仔のようにぶら下げられたまま、上目遣いでハワードを見遣る。
 「なに?
 ハワードってまだお姉さんにべったりなの?
 いい年してキモーイ!」
 「・・・君は、年長者に対する礼儀を知らないのですか?」
 眷属になったばかりの少年は、生まれてからまだ15年ほどしか経っていないが、主人のいらぬ薫陶を受けて、非常に生意気なクソガキだった。
 「しかも、早速つまみ食いしていましたね!
 なんて意地汚い子供でしょう!」
 「だっておなかすいたんだも・・・ふぎゃッ!!」
 顔にハンカチを当てられ、ぐりぐりと拭かれてアレンは顔をしかめる。
 「まったく、口の周りを血だらけにして!
 服についたらしみが取れないんですよ!」
 「・・・っだって僕、育ち盛りだもんっ!
 たくさん飲まないとおっきくなれないんだもんっ!」
 ハワードみたいに、と、口を滑らせた途端、げんこつされた。
 「ハワードさん!暴力はいけませんよ!」
 驚くミランダに、しかし、ハワードはきっぱりと首を振る。
 「子供にはしっかりと礼儀作法を教えるべきです!」
 「ひぃ〜んっ!!
 ミランダさんっ!暴力弟がいぢめる〜!!」
 弟の正論に言い返せず、困惑するミランダに泣きつこうとしたアレンの背に、その時、巨大な影が差した。
 「ぴぃぴぃやかましい、馬鹿弟子。潰すぞ」
 長い足で背中を蹴られ、倒れたところを容赦なく踏みつけられて、アレンは本気の泣き声をあげる。
 「クッ・・・クロス!!
 我が家で殺生はやめるであるよ!!」
 慌てて仲裁に入ったアレイスターに鼻を鳴らし、クロスはアレンを踏みつけたまま、長い腕をエリアーデに伸ばした。
 「これは奥方、今夜もお美しい」
 「恐れ入ります」
 彼の手を取ろうとはせず、優雅に一礼したエリアーデに向けていた魅惑の笑みを、クロスはミランダにも向ける。
 「ミラ・・・」
 「姉上様、ばい菌がうつりますからお部屋に戻りましょう!」
 すかさず二人の間に割って入り、ミランダの腕を取って出て行ったハワードを、みなが唖然と見送った。
 「・・・ちっ!」
 「ぎゃあん!!」
 腹立ちまぎれに踏みつけられたアレンが悲鳴をあげる。
 「こ・・・これ!
 アレンはまだ子供なのだから、そういじめるものではないである!」
 「あぁ?
 大丈夫だ、このくらい」
 人間だったなら、とうに踏み潰されているだろう力を遠慮なくかけつつ、クロスは意地悪く笑った。
 「眷属になったばっかだってぇのに、こいつはもう、ミランダよりも血を飲んでるからな!」
 「あらま。
 食欲旺盛なんですのね」
 アレンの前に屈みこんだエリアーデが、白い手を伸ばしてアレンの頬を撫でてやる。
 するとひんやりとした肌は、しっとりと彼女の手に吸い付いた。
 「本当に。
 随分といい血色ですこと」
 「まだガキだから、人血はあまり飲ませちゃいないんだが・・・」
 さらりと言ったクロスに、アレイスターが目をむく。
 「当たり前であるよ!
 こんな子供に人血を飲ませたら、倒れてしまうである!」
 アレイスターは憤然として、アレンを踏みつけるクロスをどかせた。
 「むしろこんな子供に、もう人血を飲ませたことが驚きであるよ!」
 彼らにとって、人間の血は強い酒と同じ。
 子供がやたらと飲んでいいものではなかった。
 「ほら、アレン。
 お腹がすいたのなら、ちゃんとテーブルに着いてから飲むであるよ。
 あちこちに血を零すでない」
 「・・・はぁい」
 「私もいただくわ。
 クロス様、あれを作ってくださったのでしょう?」
 婉然と微笑むエリアーデに、クロスは大仰なほど恭しい仕草でテーブルを示す。
 中央に置かれたクリスタル製のデキャンタには、紅い液体がなみなみと注がれていた。
 「奥方のための、オリジナルカクテルだ。
 血液にリキュールと果汁、バラのシロップを入れてみた」
 「・・・なんでわざわざ果汁などで割るのであるか」
 気味悪げに言うアレイスターに、クロスは鼻を鳴らす。
 「俺やお前みたいな生粋の一族はともかく、元人間やレディ達は、生の血は苦手なんだよ。
 そうだろう?」
 にこりと笑みを深めたクロスが差し出したグラスを、テーブルに着いたエリアーデは嬉しげに乾した。
 「えぇっ?!
 そうなのであるか?!」
 結婚数百年目にして、初めて知った事実に慌てるアレイスターに、エリアーデが苦笑する。
 「もちろん、そのままでもいいのですけど・・・私、生臭いのが苦手で」
 嗅覚がいいのも考え物だと笑う妻を、アレイスターは呆然と見つめた。
 「そ・・・それでいつも、シナモンを加えていたのであるか」
 大昔と違い、現代のヴァンパイアは仲間を増やす目的以外で人を襲いはしない。
 医療機関を買収し、あるいは経営して輸血用の血を入手したり、研究目的という口実で買い上げたりが普通だった。
 しかも、人血を好むのは『大人の』ヴァンパイアで、アレンのような眷属になったばかりの子供は、食肉用に処理される動物の血で事足りる。
 だがミランダのように、人間から眷属になった者の中には血を飲むことを嫌い、食肉だけで済ます者もいた。
 ただし・・・ヴァンパイアは人間や他の動物に比べ、極端に不足している赤血球を補うために血を補給する。
 ためにそれをしない彼女が、他のヴァンパイアに比べて虚弱なのは無理からぬことだった。
 「そうか・・・これならば、ミランダも飲めるようになるであろうか」
 いつも妹の虚弱体質を案じていたアレイスターの呟きに、しかし、エリアーデもクロスも、苦笑して首を振る。
 「あの子は無理ですわ・・・」
 「血を飲む行為自体を拒絶してんだからな」
 このこと自体は、人間から眷属になった者にはたまにあることなので、気に病むほどのことではなかった。
 「ただし・・・これからは、夕陽程度の紫外線で火傷するようじゃ、面倒なことになるぜ」
 と、クロスが呟く。
 「?
 どういうことであるか?」
 「アホな人間が、余計なもんを発明しやがってな。
 水銀灯ってぇんだが、これが電気のくせに紫外線を発しやがる」
 「ま・・・!
 もしかして、それが流通しそうなんですの?!」
 そうなってはパーティに行けなくなる、と、危機感を持ったエリアーデの問いに、クロスは大きく頷いた。
 「まぁ、昼日中の太陽ほどきつくはないんでな、アレイスターや奥方のように、きちんと人血を摂っていれば、家中が水銀灯に照らされていても、酷い火傷を負うことはないだろう。
 だがミランダ・・・あいつはまだ、一度も人血を口にしたことがないんだろう?」
 彼の問いに、夫婦は困惑げな顔を見合わせる。
 「・・・嫌がるものを、無理に勧めたくはなかったのである」
 「今までも、そこまで困ったことにはならなかったもの・・・」
 「今まではな。
 だが、これからはそうもいかん。
 夜でさえ、安全に過ごせないとなるとまずいと思ってな」
 そう言ってクロスは、テーブルに錠剤の入った瓶を置いた。
 「俺特製の血液製剤だ。
 輸血用に採取した人血から作っている。
 これなら、薬だと割り切って飲めるだろう?」
 「なんと・・・!
 恩にきるであるよ、クロス!」
 大喜びで手を出したアレイスターの目の前で、しかし、瓶は取り上げられる。
 「お前の感謝なんかいらねぇよ。
 奥方のキスか、大金よこせ」
 その二者択一に、アレイスターは頬を引き攣らせた。
 「支払ってやるから、定期的に作ってほしいである」
 「ちっ。
 奥方がキスしてくれたら、まけてやったのによ」
 即答したアレイスターに舌打ちし、クロスは瓶を彼に渡す。
 「では早速、あの子に・・・」
 勢いよく踵を返したアレイスターの足元に、いきなりアレンが転がって、危うく踏みそうになった。
 「なんであるかっ?!」
 「あら、この子・・・」
 気持ちよさげに眠るアレンの口の端に、紅く血の筋を見止めて、エリアーデは肩をすくめる。
 「カクテル、盗み飲んだのね」
 「悪ガキが!」
 またクロスに踏みつけられて、目を開いたアレンは悲しげな泣き声をあげた。


 一方、部屋に戻ったミランダは、困惑げな上目遣いで弟を見上げた。
 「あの・・・私、まだクロス様にご挨拶も・・・」
 「無用です!
 あの女たらし、姉上様によからぬことをするに決まってますから!」
 「またそんな、決め付けるようなことを・・・」
 ヒステリックに喚く弟をたしなめようとしたミランダは、あまりに真剣な目に口を塞がれる。
 「彼には、義姉上でさえ近寄ろうとはなさいません。
 この意味がおわかりになりますか?」
 問われて、ミランダは首を傾げた。
 「そう言えばそうですね・・・。
 どうしてかしら?」
 と、ハワードはその暢気さが嘆かわしいとばかり、激しく首を振る。
 「義姉上でさえ、あの女たらしにかかれば危険だとわかっているからではありませんかっ!!」
 「まあ・・・!
 まさかそんな、お姉様が・・・」
 クスクスと笑い出したミランダに、ハワードは深く吐息した。
 「姉上様・・・!
 世間知らずにも程がありますよ?!
 あんないかがわしい輩、用心して当然なのですっ!!」
 「それは僕も賛成です!」
 にょきっと、いきなり現れたアレンに、ミランダはびくりと震える。
 「び・・・びっくりしたわ、アレン君・・・」
 「勝手に部屋に入ってくるんじゃありませんよ、仔ネズミ!!」
 ハワードに怒鳴られたアレンは、しかし、平然と彼に向き直った。
 「ハワード、見て見てv 牙、前よりおっきくなったでしょ!」
 言うや、あーんと口を開けたアレンの鼻を、ハワードが弾く。
 「いたっ!!なにすんだよ!!」
 「まだ普通の人間と変わりませんよ!
 それしか用がないなら出て行きなさい!」
 「ふんっ!ハワードになんか用はないもん!
 ミランダさぁんv
 一目惚れしたってホントですか?」
 「んなっ?!」
 真っ赤になって声を失ったミランダに、アレンがまとわりついた。
 「エリアーデさんが言ってましたよ!
 早速夜会に招待したから、興味あるならおいでって言われました!
 どんな人ですか?
 なんで一目惚れしちゃったんです?
 一目惚れって、どんな感じですか?」
 「ア・・・アレンく・・・・・・!」
 真っ赤になった顔を覆い、俯いてしまった彼女に、アレンはしつこくまとわりつく。
 「やっぱり、カッコよかったんですか?
 ヴァンパイアのミランダさんが一目惚れするくらいだから、よっぽど・・・」
 「いい加減にしなさい、クソガキ!!」
 リンクに襟首を掴まれ、ミランダと引き離されたアレンは、不満げに頬を膨らませた。
 「なんだよ!
 今僕、大事な話してるのに!」
 「なにが大事な話ですか!くだらない詮索をして!」
 「詮索じゃないもん!近い将来のためのリサーチだもん!」
 「・・・リサーチ?」
 アレンの不思議な言い様にミランダが思わず顔を上げると、彼は大きく頷く。
 「僕!
 絶対エリアーデさんみたいな、いいお嫁さん見つけるんです!
 そしてあのご夫婦みたいに、何百年もラブラブするんですよv
 そんな夢見がちなことを堂々と言う少年を、リンクは寒々しく見遣った。
 「・・・君みたいな腹黒いクソガキに、義姉上のような伴侶が見つかるとは思えませんが」
 「見つけるもん!!」
 そのためにも、と、アレンは輝く目でミランダを見つめる。
 「詳しい一目惚れの状況を聞かせてくださいv
 「う・・・」
 少年の期待に満ち溢れた目に、ミランダは凍りついた。
 と、気の利く弟は、姉の困り事を解消すべく、アレンを窓の外へ放り捨てる。
 「きゃああ!!アレン君!!」
 驚いて窓辺に駆け寄ったミランダの耳が、「なにすんだ――――――――!!!!」と、長く尾を引いて落ちていく声を捉えた。
 「ハ・・・ハ・・・ハワードさんっ!!なんてことするの!!」
 「子供とは言え、彼は我らが眷属ですから。この程度の高さなら平気ですよ」
 ただし、戻ってくるには多少の時間が必要だろう、と、ハワードは意地の悪い笑みを浮かべる。
 「姉上様、おわかりになりましたでしょう?
 眷属となってまだ数年の子供ですら、あのように手に負えないのです。
 彼の主人たるクロス殿が、どれほどの曲者であるか」
 嘆かわしげに首を振り、改めて『近づくな』と警告する弟に、ミランダは深い深いため息をついた。


 ―――― 3日後、まだ日も落ちないうちに起き出したミランダは、エリアーデが既に、『朝食』の席にいることに目を丸くした。
 「ど・・・どうされたんですか、お姉様・・・!」
 『朝』に弱く、0時過ぎてようやく起きてくる事の方が多い姉は、驚く妹ににっこりと笑う。
 「今日はあなたの準備をしなけりゃいけないでしょう?
 だから、がんばって早起きしたのよ」
 「それは・・・ありがとうございます」
 得意げな姉にもう、そうとしか言えず、呆然とするミランダをエリアーデが手招いた。
 「ほら、早く朝食を済ませてしまいなさい。
 お薬も忘れずにね?
 あなた、だいぶ顔色がよくなってきたわよ?」
 「え?!
 そ・・・そうですかっ?!」
 両手を頬に添えたミランダに、エリアーデは気遣わしげな笑みを浮かべて頷く。
 「よかったわ・・・。
 これからは夜でさえ、危険になるかもしれないそうだから、これだけはちゃんと飲むのよ?」
 血を飲む行為には嫌悪感を拭えないものの、錠剤を飲む程度ならミランダにも可能だった。
 「もう少し・・・身体が強くなれば、直に夕陽を見ることが出来るでしょうか」
 「もちろん。
 まぁ、私は夕陽なんか見るより、寝ている方が好きだけど」
 そう言って、小さくあくびをしたエリアーデに、ミランダが笑い出す。
 と、その声に引かれてアレンが、その彼を追いかけてハワードが顔を出した。
 「おはよーございます、レディ方v
 「待ちなさいクソガキ!!
 よくも私の犬をいじめましたね!!」
 恐ろしい形相で襟首を掴んだハワードを、しかし、アレンは恐れ気もなく見返す。
 「いじめてないもん!遊んでただけだもんっ!!」
 「じゃあなぜあの子達があんなに怯えているのですかッ!!」
 「牙の見せっこしてただけです!
 僕があーんってしたら、食べられるって思っちゃったらしくて・・・」
 「やっぱりいじめたのではありませんか!」
 ごつんっとげんこつされて、アレンはミランダに駆け寄った。
 「ハワードがいぢめるー!!」
 が、アレンは縋りつく前に、立ち上がったエリアーデに止められる。
 「今日はお客様がいらっしゃるから忙しいの。
 甘えるのは夜会が終わってからにしてちょうだい。
 ミランダ」
 「はっ・・・はい!」
 意外なほど真剣な声音に慌てるミランダを、エリアーデはじっくりと眺めた。
 「今日は姉様に任せておきなさい!
 しっかり飾り立ててあげるから、絶対、彼を落とすのよ!」
 「は?・・・えぇっ?!」
 エリアーデがこぶしを握って気合を入れるや、ミランダは茹で上がったように真っ赤になる。
 「はっ・・・はっ・・・破廉恥なっ!!!!」
 姉に劣らず、真っ赤になったハワードを、アレンは不思議そうに見つめた。
 「ヴァンパイアって、人間に比べて血が少ないのに、ハワードはすごく赤くなるんですねぇ」
 どうなってるの、と、アレンはハワードの髪を引く。
 「ねぇねぇ、血が余ってるなら、噛み付いてみてもいい?」
 「・・・・・・」
 無言のまま、問答無用で殴られて、アレンはまた泣き声をあげた。


 一方、招かれた側も準備に余念がなかった。
 ただし、リーバーではなくコムイの方が。
 「・・・なにやってんすか、あんた」
 アタッシェケースよりも少々マチの広い鞄に商売道具を詰め込んでいくコムイに、リーバーは呆れ声をあげた。
 と、
 「奥方にはボクがヴァンパイア・ハンターだって言っちゃったんだもーん。
 きっと、道具を見せろとか言われるよー」
 今までだってそうだった、と言う彼に、リーバーは苦笑する。
 「・・・言っちゃったんすか」
 「言ったとも。
 だから奥方は、『面白い話を聞かせろ』って招待してくれたんだからね!」
 どの聖水を持って行こうかとコムイが悩んでいると、背後から突然抱きつかれた。
 「リナリーも行く!!」
 「ダメ」
 振り向きもせず、あっさりと言った兄の背を、リナリーがぽかぽかと叩く。
 「行くったら行くもんッ!」
 「ダメッたらダメだもん!」
 「なんでっ!!」
 盛大に頬を膨らませると、ようやく兄は振り向いた。
 「お仕事だから」
 「・・・は?」
 訝しげに眉をひそめたリーバーに、コムイは頷く。
 「まだボクの勘だけどね、どうも、そんな気がする」
 「まさか・・・」
 笑い飛ばそうとして、リーバーは口をつぐんだ。
 コムイが準備している商売道具・・・吸血鬼退治のための道具は、ただ話の種にするだけの割には、随分と吟味されている。
 「・・・本当に?」
 「だから、まだ勘だって言ってるじゃない。
 けどさ、倒れたお嬢さんの身体や、握手してきた奥方の手はやけに冷たかったし、何よりも奥方のあの反応・・・。
 ボクがヴァンパイア・ハンターだって聞いた瞬間はすごくびっくりしてたのに、その直後、まるで挑むように誘ってきたんだよね。
 これって、長い時を生きて、退屈しきったヴァンパイアがよくやる行動なんだ」
 若いながらも多くの吸血鬼を相手にしてきたコムイの、冷静な判断にリーバーは息をのんだ。
 しかし、
 「じゃあなおさらだよ!私も行く!」
 恐れを知らない少女は、目を輝かせて宣言する。
 「危ないってば・・・」
 なおも止めようとする兄に抱きつき、リナリーは真下から彼を見あげた。
 「媽媽(マーマ)が言ってたじゃない!
 才能は兄さんより、リナリーの方が上だって!
 ねーえー!おねがぁい!」
 すりすりと頭をすり寄せてねだる妹に、とうとうコムイが折れる。
 「一人で行動しないかい?」
 「うん!兄さんの側にいる!」
 きらきらと目を輝かせて、リナリーは大きく頷いた。


 「まだかなー・・・楽しみだなーv
 窓にはりついて客の到着を待っていたアレンは、時折あーんと口を開けては、自分の牙を窓に写して見たり、指先で触ったりとせわしない。
 「・・・なにをしているのであるか。
 そんなに歯が気になるのであるか?」
 主人のくせに、客の相手が苦手で隅に避難していたアレイスターが問うと、振り向いたアレンはこくこくと頷いた。
 「師匠が、僕の牙はまだちっちゃいから、人間を仲間にするのは無理だって言うんです」
 小首を傾げたアレンの歯を見て、アレイスターが頷く。
 「そうであるな。
 まだ人と変わりない大きさでは、首に噛み付いても牙だけを血管に届かせることは出来ぬであるよ」
 「だから早くおっきくなって、血が吸えるようになんないかなぁって!」
 こぶしを振り上げるアレンの熱意に、アレイスターは眉根を寄せた。
 「・・・人間から眷属になったばかりのくせに、嫌に積極的であるな」
 身近にミランダという例がいるため、人間出身のヴァンパイアは吸血行為を嫌うものだと思っていたアレイスターが意外そうに言うと、アレンは不満げに口を尖らせる。
 「別に、血を飲むことが好きなわけじゃありません!
 まぁ・・・人間だった時にはわかんなかったけど、今は人血以外なら飲めるし、意外とおいしいなとは思いますけど」
 てくてくと歩み寄ったアレンは、ソファにくつろぐアレイスターを見下ろした。
 「僕が早く一人前になりたいのは、アレイスターさんみたいに、ずっと一緒にいてくれる奥さんが欲しいからです」
 「子供のくせに、また嫌に早熟な・・・」
 呆れた風の彼に、しかし、アレンは真剣な顔で首を振る。
 「僕、捨て子で本当の親を知らなくて、拾われたところでも、寒かったりおなかすいたりで友達が何人も死んで、ようやく引き取ってくれる養父が現れたと思ったらその人も死んじゃって・・・。
 もう誰もいない、って泣いてた時に、師匠が使用人代わりに僕を眷属にしてくれたんです。
 ねぇ、アレイスターさん?
 ヴァンパイアになったら、病気なんかじゃ死なないんでしょう?
 何百年も年を取らずに、ずっと好きな人と一緒にいられるんでしょう?
 だから僕は、早く一人前になって、大好きな人と一緒に暮らしたいんです!」
 大真面目に言った少年の言葉をじっくりと聞いたアレイスターは、こちらも真面目な顔で頷いた。
 「お前の気持はわかったである。
 だが、まだお前は若い。
 眷属としてはもちろん、人間としても。
 だから焦る事はないであるよ。
 私もエリアーデと出会うまでは、何百年も一人の時を過ごしたのだ。
 お前が真に添い遂げたいと思うものを見つけるまでは、ゆっくりと待つことである。
 その間は、我々を家族と思ってくれて良いであるから」
 にこりと笑ったアレイスターに、アレンは泣き出しそうに顔を歪める。
 「あり・・・がと・・・」
 「まぁ、ハワードは嫌がるかもしれないであるがな」
 アレイスターの冗談めかした言いように、アレンも思わず笑ってしまった時、外に馬車が止まった。
 「あ!来ましたよ!」
 目に滲んだ涙を拭って、アレンが駆け出した。
 エントランスホールには既にエリアーデが出て、客人を迎えている。
 アレイスターも出てきて、奥に案内しようとした時、コムイの大きな身体の影から、蝶のように可憐な少女が現れる。
 「僕のお嫁さんになってくださいっ!」
 「早いであるよっ!!」
 突撃しようとするアレンの襟首をアレイスターが掴み、吊り上げた。
 「今!ゆっくり待てと言ったばかりではないか!」
 「善は急げですよ!」
 じたじたと暴れるアレンを、少女だけでなく、皆が目を丸くして見つめる。
 と、無言で歩み寄ったハワードが、騒ぐアレンをアレイスターの手から取り上げ、別室に入るや窓から捨てた。
 「失礼しました。
 親戚の子供ですが、どうにも躾がなっておりませんで」
 再びエントランスホールに戻った彼が詫びると、呆気に取られていた客達は無言で首を振る。
 「さぁ、こちらへどうぞ」
 百戦錬磨のエリアーデが、凍りついた場を和ませる笑みを浮かべ、奥へと手を差し伸べた。
 会釈して彼女の前を通り過ぎる客の中で、エリアーデはリナリーに目を留める。
 「まぁ、可愛らしいお嬢さまだこと。
 あの子が一目惚れしても仕方がないわね」
 クスクスと軽やかな笑声をあげる彼女を、リナリーは困惑げに見た。
 と、エリアーデはくすりと笑い、目元を覆うマスクに白い指をあてる。
 「こんなマスクをしていてごめんなさいね。
 パーティではこれが私の習慣なんですの・・・殿方にあんまり言い寄られると、主人がもう、パーティを開いてくれないでしょ?」
 自身の美貌に自信を持った彼女の言い様に、リナリーは呆気にとられて口を開けた。
 呆然とするリナリーを見て、またくすりと笑ったエリアーデの、半面を隠していながらなお溢れる色気にあてられ、リナリーはぱくぱくと口を開閉しつつ、話題を探す。
 ややして、
 「あの・・・さっきの子は・・・・・・」
 と、アレンの連れ込まれた別室を見遣った。
 あんなに騒いでいた声があっという間に聞こえなくなり、何かあったのかと気にするリナリーの背に、にこりと笑みを深めたエリアーデが手を添える。
 「後でご紹介するわ」
 その冷たさにぞくりとして、リナリーはそっとこの家の者達を見回した。
 こんな高級住宅地、電気が通っていないはずはないのに、明かりは全てろうそくで、オレンジ色の光が彼らの肌を染めている。
 だが、同じ白人であるリーバーと比べても、その肌が異様に白いことは見て取れた。
 いや、肌だけでなく・・・。
 リナリーは自分に付き添う夫人の向こう、ずっと恥ずかしげに俯いた令嬢の首筋に浮かぶ、血管の白さに目を見張った。
 日に当たらず、おしろいを塗りたくる貴婦人の肌が白いのはよくあることだが、血管にすら色を持たないのはさすがに異常だ。
 「み・・・皆さん、随分肌が白いんですね。羨ましいな・・・」
 何気ない風を装ったリナリーの言葉に、令嬢がはっと顔をあげた。
 と、
 「肌が弱くて、日に当たれませんのよ」
 と、まるで助け舟を出すかのように、エリアーデが応じる。
 「やはり、昔から近親婚を繰り返したせいでしょうねぇ、我が一族はみんなそうですの。
 貴族にはよくあることですけど・・・そうでしょう?」
 あでやかな笑みを向けられ、リーバーが頷いた。
 「紫外線が深刻な影響を及ぼす病気は、未だ原因不明ですからね。
 治療の方法がわからない以上、日に当たらないという選択は正しいと思います」
 「・・・?
 もしかして貴殿は、医師なのであるか?」
 「まだ勉強中ですが」
 クロウリーの問いにそう答えたリーバーを、ハワードが興味深げに見遣る。
 「失礼ですが、どちらの・・・」
 「ハワードの馬鹿――――――――っ!!!!」
 エントランスホールに飛び込んできたアレンの大絶叫に皆が唖然とする中、話を遮られたハワードが踵を返した。
 「失礼します。
 ちょっとこの無礼な子供を、塔の先端に吊るしてきますので」
 むんずと髪を掴まれ、泣き叫ぶアレンをずりずりと引きずって出て行こうとする弟を、ミランダが止める。
 「あ・・・あの・・・。
 この子もご一緒していいでしょうか・・・?」
 初めて口を利いた彼女に、客人達の目が集まった。
 「その・・・よろしければ・・・・・・」
 と、俯き、消え入りそうな声で呟く彼女の可憐な姿に、不意に場が和む。
 そしてその隙を逃さず、ハワードの手を振り解いたアレンがリナリーに駆け寄った。
 「ミランダさん、ありがとうv
 あ、僕、アレンです!よろしく、お嬢さんvv
 アレンは素早くリナリーの手を取り、きらきらと輝く目で見つめる。
 「よ・・・よろしく、リナリー・・・です・・・・・・」
 アレンの迫力に気圧されてしまったリナリーが頷くと、
 「ボクはコムイだよーんv
 この子のおにいちゃーんv
 と、コムイが無理矢理間に入って引き離した。
 「アレン君、さっきからなんなんだいキミは!不躾な子供だね!」
 他のことであればともかく、かわいい妹を守るためなら無礼も厭わないコムイが、むにーっとアレンの頬を引き伸ばす。
 「ひーんっ!!」
 泣き声をあげるアレンの歯がむき出しにされ、エリアーデがはっと息を呑んだ。
 が、彼女を軽くあげた手で制したアレイスターが、苦笑しつつコムイに歩み寄る。
 「すまないであるな、コムイ殿。
 だが、そろそろ許してやって欲しいである」
 他の客人が待っているから、と、細腕には意外な膂力でアレイスターはアレンをコムイの手から取り上げた。
 「さぁ、中へどうぞ」
 エリアーデがすかさず夫のフォローをし、ドアを示すとハワードがそれを開く。
 見事な連携に、三人の客達は吸い込まれるように部屋へと入った。
 と、中の意外な賑やかさに思わず足を止める。
 「?
 どうしたであるか?」
 訝しげなアレイスターに、コムイが苦笑を向けた。
 「いえ、まさかこんなに盛大なパーティだとは思わなかったので」
 「盛大・・・?
 いえ、今回はそこまで盛大にはしてませんのよ?
 主に我が家が援助している医療関係の方たちですわ」
 コムイの言葉に、エリアーデも小首を傾げる。
 と、
 「城に比べれば手狭ゆえ、そう見えるのであるよ」
 アレイスターがなんでもないことのように言い、入室を勧めた。
 「ご親族の方もいらっしゃるんですか?」
 部屋に入りつつ、にこやかにコムイが問うと、アレイスターは気軽に首を振る。
 「いいや。
 今、屋敷にはアレンの主も滞在しているのだが、今日のパーティが仕事関係の者達と、貴殿らだけだと言ったら、興味がないと言って出かけてしまった」
 「お嬢さんみたいな可愛らしい方が来るとわかっていれば、残ったのでしょうけどね」
 くすくすと笑って、エリアーデが先に進み出た。
 「皆さん、新たなお客様ですわ!」
 よく通る声が客達の注目を集める。
 「こちら、とてもお珍しいご職業ですのよ!
 どうぞお聞きあそばして」
 そんな紹介の仕方に、コムイは思わず感心した。
 今夜の彼女の目的は、妹のミランダとリーバーを親しくさせること。
 だが、ミランダの内気な性格では、自分から積極的に話しかけることなど無理な話だ。
 だからこそ、あえて全てを語らず、客の興味をコムイに集中させて、その隙に二人を別室にでも追いやってしまおうと言う魂胆だろう。
 ―――― 乗ってやるか。
 老獪な策略家の掌中で転がされることはいまいち面白くなかったが、人の恋路を邪魔するほど無粋ではないつもりだった。
 ただ、彼女達の正体が本当に吸血鬼なのだとしたら、野暮を承知で引き裂くべきなのかもしれないが。
 そんなことを考えながら、コムイはちらりとリーバーを見遣った。
 彼には既に、彼女達が吸血鬼かもしれないとは話しているにもかかわらず、平然としてミランダに話しかけたりしている。
 ―――― さすが、度胸あるね。
 思わず笑みを漏らしたコムイは、リナリーの手をしっかりと握り締めて、寄ってきた客達に微笑んだ。
 と、
 「・・・ルイジ先生?」
 コムイの傍ら、リーバーが意外そうな声をあげる。
 「あぁ、やっぱり、ルイジ先生だ」
 「・・・おや、リーバー君。
 どうしたんだね、今日は?」
 眠たげな顔の老人は、小柄な身体で背の高いリーバーを精一杯見上げた。
 「実は、こちらのマダムにお招きいただきまして・・・」
 身を屈めたリーバーに、老人はくすりと笑みを漏らす。
 「そうか。
 では君が、令嬢の一目惚れの相手か」
 「はぁっ?!なっ・・・なんすか、それっ?!」
 真っ赤になって声を潜めたリーバーに、老人はクスクスと笑いながら、こっそりとエリアーデを示した。
 「マダムからのご要望でね。
 今夜は面白い客が2人来るが、ぜひとも東洋人のみを相手にして、もう一人はほっといて欲しいと言うのさ」
 「・・・英国医学界の重鎮であるルイジ先生に、そんな要求ができるんですか、あのマダムは?」
 呆気に取られたリーバーに、彼はふん、と鼻を鳴らす。
 「美人のお願いには弱いんだよ、私だってね。
 まぁ、君が当の本人だとは思わなかったけど」
 でも、と、ルイジはにやりと笑った。
 「私のクラスで一番の俊英である君ならば、令嬢の相手でも不足はないだろう」
 「あっ・・・相手って・・・・・・!!」
 今にも湯気をあげそうなほどに茹で上がったリーバーに、ルイジは楽しげな笑声をあげる。
 「その件については、兄君に申し上げておくよ。
 彼は、いつも弟妹のことを案じておられるからね」
 言って、ルイジはリーバーの腕を軽く叩き、傍らをすり抜けて行った。
 「やぁ、初めまして。
 私はルイジ・フェルミ。
 彼のクラスの、担当教授をしていますが・・・もしかして君は、コムイ・リーかな?」
 首を傾げた老人に、話しかけられたコムイは笑って頷き、改めて一礼する。
 「お会いするのは初めまして、フェルミ先生。
 コムイ・リーです」
 「あぁ、やっぱり!
 リーバー君と一緒にいる東洋人と言えば、君じゃないかと思ったよ!」
 大きく頷き、ルイジは他の客達に向き直った。
 「皆さん、彼はコムイ・リー!
 我が大学始まって以来の天才で、この若さで既に、多くの博士号を取っている。
 英国が最も帰国させたくない留学生ですよ!」
 表向きの主賓である彼の紹介に、客たちはますます興味を引かれ、コムイに寄って行く。
 「まぁ・・・そのことは知りませんでしたわ。
 だって私、この方はヴァンパイア・ハンターだと伺っていたんですもの!」
 エリアーデの絶妙な合いの手に、客達の興奮はピークに達した。
 「なんと・・・その話も是非に!」
 「なぜ、科学者ではなく、ヴァンパイア・ハンターに?」
 「そちらの可愛いお嬢さんは?」
 次々に発せられる質問に、コムイが愛想よく答えている間、エリアーデがこっそりと輪を抜ける。
 「アレイスター様、ご苦労様でしたv もう休んでらして結構ですよv
 ハワード、あなた、代わりにお客様のお相手をお願い。
 アレンは・・・お料理でも食べてらっしゃい。
 まぁ、ミランダ!
 あなた、顔色が悪いわ・・・ちょっと風に当たってきてはどう?」
 次々に家族へ話しかけていたエリアーデは、そう言ってミランダの肩を優しく抱いた。
 途端、にょきっと、ハワードが顔を出す。
 「では私が付き添い・・・をッ!!!!」
 「・・・ハワード、あなたにはお客様のお相手を命じたでしょ?」
 優雅なドレスに隠れたピンヒールで、ぐりぐりとハワードの足を踏みしめながら、エリアーデが声だけは愛想よく言った。
 「さぁハワード、私もついてあげますから、早く行きましょv
 あまりお客様をお待たせするものではないわv
 「しっ・・・しかし・・・!!」
 繊細な見た目ではあるが、人外の力を持つ義姉に思いっきり踏みつけられ、さすがのハワードも涙目になる。
 「・・・いい加減、姉離れしろと言ったでしょう。
 あんまり聞きわけがないと、塔に吊るすわよ?」
 不気味に光る目で睨まれ、ハワードは渋々頷いた。
 つい先ほど、ハワードもアレンに言ったことだが、眷属になって数百年の彼でも、朝日に当たればひとたまりもない。
 『塔に吊るす』とはつまり、そう言うことだった。
 黙りこんだハワードに満足げに頷き、エリアーデはリーバーに笑みを向ける。
 「リーバーさんでしたわね?
 申し訳ないのですが・・・パーティの間、この子のお相手をしてくださる?
 私が見ていてあげたいのだけど、お客様のお相手がありますので」
 「えっ・・・えぇ・・・」
 「そう!よかった!」
 ぱん、と手を叩いて、エリアーデは華やかな声をあげた。
 「ミランダ、具合が悪いようなら、この方に相談なさいv
 ・・・ルイジせんせの、一番弟子でいらっしゃるそうだからv
 潜めた声での会話を、しっかり聞いていたらしいエリアーデに内心、ぎくりとしながら、リーバーはおずおずと歩み寄ったミランダの手を取る。
 「大丈夫ですか?
 先日も顔色が悪かったし」
 「い・・・いえ、今は・・・」
 顔を俯けてしまったミランダの手を引き、リーバーは庭を望む窓辺に寄った。
 「あ・・・あの・・・」
 「はい?」
 「手・・・手を・・・・・・」
 ミランダにとっては、手袋越しにさえ熱い手から逃れようとするが、彼はなにを勘違いしたのか、彼女の冷たい手を両手で包み込む。
 「随分冷たいですね。気分はどうですか?」
 「いえ・・・あの・・・・・・」
 手を放して欲しい、の一言が言えず、困惑げに目を逸らすミランダの手が、再び握られた。
 「・・・っ!」
 火傷しそうな熱に思わず身をすくめた彼女の手を、リーバーは不思議に思いながらも引いて、風の当たらない場所にまで導く。
 「ここなら風に当たらないから、寒くないでしょ」
 「あ・・・いえ、寒くは・・・なかったんです・・・けど・・・・・・」
 むしろ逆で、彼の手が熱かったのに、彼はまったく気づいていない様子でにこりと笑った。
 途端に鼓動が跳ね、ミランダは真っ赤になった顔を俯ける。
 そのあまりの初々しさに、リーバーは早速、コムイの勘を疑い出した。
 全てがそうとは限るまいが、吸血鬼は多く、数百年を生きているという。
 策謀に長けたエリアーデには、もしかしたらと思いもしたが、ミランダを見る限り、年相応の女性としか思えなかった。
 いや、むしろ、見た目よりも幼いような・・・。
 「ミラ・・・」
 リーバーが改めて声をかけようとした時、見た目より早熟な少年の泣き声とコムイの怒声が響き渡った。
 「いい加減にしなさい、アレン君!!
 窓から捨てるよ?!」
 頭に大きなたんこぶをこしらえたアレンは、片手で軽々とつまみあげられ、更に泣き声をあげる。
 と、周りの教授達は苦笑して、コムイをなだめにかかった。
 「まぁまぁ、子供相手にむきにならなくても・・・」
 「そうだよ、元はといえば、君の妹が可愛すぎるのが原因なんだから」
 年頃の少年にはよくあることだ、と、英国紳士達は口を揃える。
 が、コムイは年配の有識者達に対し、きっぱりと首を振った。
 「ボクはこの子の親代わりなんですから!
 悪い虫を駆除する義務があります!」
 「やめたまえよ・・・ショウジョウバエにだって、遺伝子研究という立派な使い道があるんだから」
 聞き様によっては、誰よりも酷いことをルイジが言うと、さすがに彼には逆らえないコムイが、渋々アレンを放り捨てる。
 「ふぎゃっ!!」
 床に叩きつけられ、鼻を打ったアレンがまた、悲しげな泣き声をあげた。
 「もう!兄さんったら・・・アレン君、大丈夫?」
 リーバーと同じく、アレンを吸血鬼だとは思えなくなっていたリナリーが屈みこむと、アレンは赤くなった鼻を押さえ、涙目をあげる。
 「痛いよぉリナリィー・・・なでなでしてぇv
 「はいはい。
 いたいのいたいのーとんでけっ!」
 微笑ましすぎる光景に、彼らを囲む人々の目は和み、それに反比例してコムイの機嫌は悪くなった。
 「オヤ、こーんな所に足置きが!」
 「ぎゃふっ!!」
 長い足で容赦なく背中を踏みつけられ、アレンは亀のようにじたじたともがく。
 「兄さん!
 アレン君いじめちゃだめ!」
 「いじめてないよう。足置き踏んだだけv
 ぎゅうぎゅうと力を込めて踏みつけられ、肺を圧迫されたアレンの顔が、たちまち蒼白になって行った。
 「あ、そうだ。
 皆さん、吸血鬼退治の道具を見たいとおっしゃってましたよね!
 この子は人間ですから・・・効果は見られませんけど、見立ててやってみましょうか!」
 意地悪く目を細めたコムイに、アレンだけでなく、エリアーデも慌てる。
 「お待ちになって!
 そんな子供をいじめないでやってくださいませ!」
 咄嗟にマスクを取り、素顔をさらした彼女の哀願に、興味津々と吸血鬼退治キットの出番を待っていた者達までもがあっさり折れた。
 「そ・・・そうだぞ、コムイ・リー!
 子供相手に大人気ない・・・」
 「妹が可愛いのはわかるが、いじめすぎだろう」
 「英国紳士として、子供の虐待は見過ごせんな!」
 それぞれ咳払いをしながら、もっともらしいことを言う彼らに、コムイは肩をすくめる。
 「じゃあ、誰を見立てましょうか?
 奥方、やります?」
 「あら、私ですか・・・?」
 コムイの足元から逃げ出したアレンを背に庇ってやりつつ、エリアーデは苦笑した。
 「いいですけど、まさか、杭で心臓を打ったりなさいませんよね?」
 怖いわ、と、震える彼女に一斉に同情が集まる。
 「か弱いレディに無体な仕打ちをすることは許さんぞ!」
 「そうだ!
 さぁ、マダム!
 ここは危険ですから、どうぞこちらへ」
 ずっと見たかったエリアーデの素顔をようやく見れたことで、はしゃいだ紳士達にエリアーデはここぞと笑みを振りまいた。
 「ありがとうございます。なんてお優しい方々かしらv
 アレンの背中を叩いて逃がしてやったエリアーデが、優雅に微笑む。
 と、一人残念そうなコムイが、部屋の端でくつろぐ屋敷の主人を見止め、手を振った。
 「アレイスター卿!卿はいかがですか?!」
 「ん?私であるか?
 別に構わんであるが・・・」
 ゆったりとした物腰で歩み寄ってきた彼のため、集まっていた人々が道を譲る。
 「さすがに、心臓に杭を刺されては死ぬであるよ?」
 苦笑するアレイスターに、コムイは大仰に首を振った。
 「まさかそんなことはしませんよ!
 教会で汲んで来た、聖水を手に振り掛けるだけです」
 これ!と、コムイが差し出した便の中は、透明な液体が揺れている。
 「吸血鬼であれば、水を振り掛けることでどうにかなるのであるか?」
 「はい、聖なる力で魔を追い払うと言われてますv
 「はぁ、すごいものであるな」
 感心したように呟きつつ、あっさりと差し出したアレイスターの手に、コムイは聖水を振り掛けた。
 皆がじっと見つめる中、特になんの反応も示さないアレイスターに、コムイが苦笑して肩をすくめる。
 「なんかリアクションしてくださいよぅ、アレイスター卿!」
 「ん?」
 言われて、アレイスターは周りの紳士達が、期待に満ちた目を向けていることに気づいた。
 「あぁ、そうか。
 わー痛いであるー」
 「・・・棒読み台詞ありがとうございます」
 「いやいや、なんの」
 乾いた声をあげるコムイに軽く手を振り、アレイスターは彼を囲む客達の拍手に見送られ、また部屋の隅に戻っていく。
 「えーっと、他にはですねぇ・・・」
 聖香や聖土、十字架のついた杭など、吸血鬼退治に必要な物を次々に出して見せては、コムイは客達の関心を上手に引いていった。


 アレイスターが元のソファに戻ると、早速アレンが駆け寄ってきた。
 「なんで平気なんですかっ?!」
 小声で囁いた彼に、アレイスターはにこりと笑う。
 「今時、真に聖なる力を持ったものなどないからであるよ」
 「え・・・?」
 目を丸くするアレンに、アレイスターは笑みを深めた。
 「聖なるものが聖なる力を保ったままでいるということは、実はとても大変なことなのだ。
 それ以外に縋るものがない者達の、真摯で切実な祈りを受けて初めて、応えるものであるからな」
 「そ・・・そうなんですか・・・?」
 意外そうなアレンに、アレイスターは頷く。
 「彼があの水を、どこで汲んできたものかは知らぬが、ソースの数より宗教の数の方が多いと言われる英国で、聖なる力を持つほどの水が汲めるとは思えないである」
 しかし、と、アレイスターは、興味津々と聞き入るアレンに小首を傾げた。
 「これは、純血の私だから言えることかもしれない。
 実際、ミランダは教会の近くにいるだけで、気分が悪くなってしまうであるからな。
 アレンはまだ、眷属になったばかりなのだから、妙な興味を持って近づくでないよ?」
 どんな害があるかわからない、と囁く彼に、アレンは大きく頷く。
 「やっぱり、早く大人にならなきゃ・・・」
 人影を透かして、じっとリナリーの横顔を見つめるアレンに、今度はアレイスターが意外そうに目を瞠った。
 「まさか、本気だったのであるか?」
 「え?」
 「いや、あまりにも軽々しく飛びついたものだから、てっきりクロスと同じ女好きなのかと・・・」
 師が師なら弟子も弟子、と、言い切ったアレイスターに、アレンは頬を膨らませる。
 「酷いです!
 僕、本気で一目惚れしたのに!」
 「だからと言って、すぐに仲間に引き入れようとするのは感心しないであるよ。
 相手のことも、ちゃんと考えて・・・」
 「あの美貌を永遠に保てるんですから、彼女もきっと大喜びです!」
 こぶしを握って断言したアレンに、アレイスターは深々と吐息した。
 「それが恣意的だと言っているのである・・・。
 あのクロスだとて、未だ伴侶を得ていない理由を、少しは考えるのであるよ」
 「・・・・・・女好きだから?」
 言われた通り、少し考えて答えたアレンは、大きく頷く。
 「あの人ってばもう、とっかえひっかえ色んな女の人と遊んでますからねぇ。
 誰か一人に決められなくなっちゃってんですよ!」
 そうなる前に、と、アレンは決意を新たにした。
 「彼女を僕のお嫁さんにします!」
 「人の話を聞かない子供であるな・・・・・・」
 アレイスターの呆れ声を完璧に無視して、アレンは踵を返す。
 「僕!再チャレンジしてきますっ!!」
 そう言ってリナリーに突撃したアレンがコムイの足に踏みつけられるまで、まさに一瞬の出来事だった。


 「・・・なにやってんだ、また」
 部屋中に響き渡る少年の泣き声に呆れたリーバーの傍らで、ミランダがおろおろとアレンを見つめる。
 「ア・・・ア・・・アレン君たら、また踏まれて・・・!」
 いつもはクロスに踏みつけにされている少年の受難を見ていられず、ミランダが歩を踏み出した。
 と、長すぎるドレスの裾を踏んでよろけてしまう。
 「っ姉上様!!」
 慌てて駆け寄ろうとしたハワードの目の前で、ミランダはリーバーに支えられた。
 「キサマ!!姉上様に触るとは不届・・・っ!!」
 絶叫は、背後から義姉に髪を掴まれ、首を折られて途中で消える。
 「ほほほv
 まったくこの子ったら、姉にべったりでお恥ずかしいですわv
 華やかな笑声をあげるエリアーデに、医療に従事する客達は顔を引き攣らせた。
 「あの・・・マダム・・・」
 「弟君の首が、なんだか妙な方向に・・・・・・」
 「あらv
 このくらい、平気ですわよv
 ぐき、と、元の位置に戻してやると、立ったまま白目をむいていたハワードが息を吹き返す。
 「義姉上っ!なにするんですか!!」
 「人の恋路を邪魔する者は、こういう目に遭うのよ」
 ひそひそと囁いたエリアーデのドレスの裾を、床に這ったアレンが引いた。
 「・・・すみません、それ、僕を踏んでる人にも言ってやってください・・・!」
 瀕死の声を耳聡く聞きつけたコムイに、更に踏みつけられて、アレンが気の毒な悲鳴をあげる。
 途端、
 「きゃあ!アレン君!」
 二度は助けないと、そっぽを向いたエリアーデに代わり、ミランダが駆け寄ってアレンを抱き起こした。
 「あんたもいい加減、人んちの子供いじめるのはやめてくださいよ」
 リーバーもコムイを羽交い絞めにして、ずりずりとアレンから引き離す。
 「放しなさいヨ!リーバー君!!
 二度とボクのリナリーに悪い気を起こさないよう、徹底的に思い知らせるんだよっ!!」
 「だぁら子供相手にやめなさいってば!」
 ごきっと、コムイの首が妙な方向に曲がり、場が静まり返った。
 「すみませんがコレ、しばらく寝かせといていいですか?」
 平然と言ったリーバーに、エリアーデがにこりと笑って頷く。
 「どうぞ、そちらのソファをお使いくださいな」
 「ありがとうございます」
 エリアーデの婉然とした笑みにも動じず、コムイを引きずって行ったリーバーに、リンクは少し・・・ほんのわずかながら、感心した。
 「・・・あの人間、義姉上の笑顔にも動じませんでしたね」
 ぽつりと呟いた弟を、アレンを介抱しながらミランダが見あげる。
 「そうなの?」
 不思議そうな声に、ハワードは頷いた。
 「私も長く生きてきましたが、義姉上の笑顔に動じなかったのは、このクソガキとあのヴァンパイア・ハンターに次いで三人目ですよ」
 アレンは子供だし、コムイは自分達を吸血鬼と疑っているだろうから、義姉の魅了の力も通じなかったのだろうと思っていたが、世の中には彼女を前に動じない男もいるらしい。
 ハワードはこっそりこぶしを握ると、にやりと口の端を曲げた。
 「やはり、姉上様の方が魅力的なのですよ!」
 密かに呟いた途端、すっ、と傍らに立ったエリアーデのピンヒールが、思いっきりハワードの足を踏みつける。
 「まぁ、人それぞれ、好みがあるってことでしょ」
 「義姉上っ・・・!!足が折れます・・・!!」
 「折ってやろうと思ってんの」
 ふんっと鼻を鳴らし、エリアーデはリーバーを見遣った。
 自分より大きなコムイを、軽々とソファに横たえた彼に、満足げに頷く。
 「彼なら、ミランダを任せても大丈夫ね」
 「ハァ?!人間風情が姉上様に恋慕などおこがましい!!」
 猛烈な抗議は、ボキ、と、足骨を踏み砕かれた激痛に紛れ、人間達の耳には絶叫としか聞こえなかった。
 「ハワード、くだらない邪魔なんかしてないで、ちゃんとお客様のお相手をして頂戴」
 にっこりと笑ったエリアーデの顔が、涙に滲む。
 「ハワードさん・・・」
 気遣わしげな姉の声に振り向き、ハワードは未だ泣き縋るアレンを放り捨てて、彼女に縋った。
 「姉上様・・・!」
 いや、縋ろうとして、残酷な義姉に後ろ髪を引かれる。
 「早くなさい!」
 「はい・・・!」
 ヴァンパイアの驚異的な回復力で、砕かれた骨は既に治癒していたが、未だ痛む足を引きずりつつ、ハワードは客達の相手に戻った。
 その様子に満足げに頷いたエリアーデは、ミランダの手を取って立たせる。
 「さぁ、ミランダ。
 あなたはもういいから、あの方とお話でもなさいな」
 「おっ・・・お話って、なにを・・・!」
 血の気が薄いくせに、よく紅くなるミランダを不思議に思いつつも、エリアーデは笑みを深めた。
 「好きなことでいいのよ。
 趣味でも興味のあることでも・・・でも、そうね。
 あなた、自分から話すのは苦手だから、彼のお話を聞かせてもらいなさい」
 「え?それは・・・?」
 困惑げに眉根を寄せたミランダに、エリアーデは小首を傾げる。
 「なんでもいいのよ。
 あなたが聞きたいこと・・・そうね、どんな勉強をしているのかとか、あの時、なんであの場所にいたのかとか」
 「せ・・・詮索好きだって、思われないでしょうか・・・!」
 おろおろと視線をさまよわせるミランダの頬を両手で挟み、エリアーデは無理矢理に自分の方を向かせた。
 「詮索のなにが悪いの!
 その人のことを聞きたいって言うのは、その人に興味があるってことよ!」
 エリアーデがきっぱりと言ってやると、彼女の迫力に気圧されたミランダは身を固くして黙り込む。
 「あなただって、どうでもいい人間のことなんか興味ないでしょ?
 話を聞いてもつまんないだけだわ。
 だけど、興味があるなら、どんなつまらない話も面白いわよ?」
 更に畳み掛けると、ようやくミランダは頷いた。
 「よし!
 じゃあ、がんばってらっしゃいv
 エリアーデに背中を叩かれ、ミランダはよろよろと歩き出す。
 「じゃあ僕も、この隙に彼女を落としてきます!」
 立ち直りの早いアレンも立ち上がり、まっすぐにリナリーの元へと駆けて行った。


 「リナリー!」
 明るい声をあげて駆けて来るアレンに、リナリーは呆れるやら感心するやら、思わず吐息を漏らした。
 「懲りないねぇ、アレン君」
 「だって、一目惚れしたんですもんv
 恥ずかしげもなく言い放ったアレンを、周りの紳士達は微笑ましく見守る。
 「今すぐお嫁さんになるのがダメなら、婚約だけでもいいですからv
 お願いv
 リナリーの手を両手で握り締め、小首を傾げたアレンに、頑なな彼女の心も蕩けそうになった。
 が、いつまでも冷たいままの彼の手に、勘の鋭いリナリーは毅然と首を振る。
 「ダメ。
 私は『普通の人』のお嫁さんになるんだもん!」
 含みを持たせた言い方に、周りの『人間』達は、彼女が身分違いを気にしているのだと思っただろうが、さすがにヴァンパイア達はその意味に気づいた。
 「躾のなっていない子供が、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 すかさず間に入ったハワードが、リナリーとアレンの手を引き離す。
 「君もいい加減にしなさい!
 まったく懲りない子供ですね!」
 「なんだよ、ハワード!邪魔しないでよ!!」
 「行儀よくしなさいと言っているのです!
 皆さんに失礼でしょう!」
 「だって!」
 頬を膨らませたアレンはハワードを押しのけ、再びリナリーの手を取った。
 「こんな可愛い子、うっかりしてたらすぐに他の人に取られちゃうもんっ!!」
 直球の告白に、リナリーは真っ赤になり、客の中には思わず笑い出す者もいる。
 「さぁ、リナリーv
 ここはうるさいですから、静かな所に行きましょv
 ぐいっと人外の力で腕を引かれ、リナリーは問答無用で連行された。
 「ちょっ・・・待ってよ!!」
 庭を望むバルコニーに引き出されたリナリーは、苛立たしげな声をあげてアレンの手を振り解く。
 「こんなところに連れ出して、なんのつもり?!」
 キッ、と睨みつけるが、アレンは気にした様子もなく、にこりと笑った。
 「僕達の将来の話でもv
 「だから!
 お断りだって言ってるのよ!」
 両手を腰に当て、断言したリナリーを、アレンは不思議そうに見つめる。
 「なんで?
 僕のこと、嫌いですか?」
 ずいっ、と、額が触れそうな位置にまで歩み寄り、じっと見つめてくる銀色の目に、リナリーの鼓動が跳ねた。
 「リナリー・・・僕の側にいてくださいv
 「・・・っ!!」
 魅惑の笑みに、思わず見惚れてしまったリナリーは、慌てて顔ごと目を逸らす。
 途端、長い黒髪に覆われていた首筋が露わになった。
 「リナリー・・・!」
 ヴァンパイアの自分に首筋をさらすことは、仲間になることを受け容れた証拠。
 そう解釈したアレンは、リナリーを抱き寄せ、笑みを浮かべた唇で白い首筋に触れた。
 が、
 「・・・っなにすんの、えっち!!!!」
 怒号と共に腕を取られたと思った瞬間、アレンの視界が反転する。
 見事な一本背負いが決まり、背中をしたたか打たれたアレンの呼吸が止まった。
 「いきなりキスするなんて、失礼よっ!!」
 「だ・・・だって・・・・・・!」
 何とか息を吹き返したものの、仰向けのまま動けないアレンは、苦しげな声をあげる。
 「君が・・・首を見せてくれたから、てっきり・・・」
 「首が見える人みんなにキスするんなら、お部屋にいるおじ様達にもしてらっしゃいよ!」
 「ご・・・ごめんなさ・・・い・・・!」
 ギリギリとみぞおちを踏みつけられて、さすがのアレンも白目をむきそうになった。
 「まさか、今ので私を眷属にしたなんて言わないわよね、吸血鬼さん?!
 もしそうなら、今すぐ心臓に杭を打ってあげるわよ?!」
 「そっ・・・そんな、無理ですよ!
 僕まだ子供で、牙も成長してないから、人間を眷族にする力なんてないもん!」
 慌てて言ったアレンを踏みつけたまま、リナリーはにんまりと笑う。
 「そう。
 やっぱり吸血鬼だったんだ」
 「リッ・・・リナッ・・・!!苦し・・・っ!!!!」
 更に力を込めて踏まれ、アレンが泣き声をあげた。
 「ヴァンパイア・ハンターをなめないでよね!」
 「そう、そして、ヴァンパイアをなめないでくださるかしら?」
 いつの間にか背後に立っていたエリアーデに襟首を掴まれ、リナリーは軽々とアレンから引き離される。
 「元気なお嬢さんね。
 だけどお兄様がお休みの間、未熟な狩人一人で、私達全員を相手にできるとお思い?」
 にっこりと、艶やかな笑みがとても憎たらしかったが、エリアーデの言う通りなので、リナリーは黙り込んだ。
 「まぁ、そんなに心配しなくても、私達は行儀の悪い下層の吸血鬼達とは違うわ。
 無闇に人間を襲ったりしないから、割のいい退治依頼も来なくてよ?」
 目線でアレンに立つように促し、エリアーデは悔しげに自分を睨むリナリーに笑みを深める。
 「気の強い子は嫌いじゃないわ。
 それにこの美貌・・・永遠に保っていたいなら、私の所へいらっしゃい」
 にぃ、と、弦月の形に割れた唇から、長く鋭い牙が零れる。
 「痛くしないであげるわよ?」
 白く冷たい手が、そっとリナリーの頬を撫でた。
 それだけで、身が凍るほどの寒気を覚えつつも、リナリーは気丈に首を振る。
 「ふふ・・・v
 どうぞまた、遊びにいらしてね」
 アレンを室内に追いやったエリアーデは、優雅に会釈して踵を返した。


 やがて、パーティも終わりが近づき、客も徐々に減っていった頃、ようやくコムイが目を覚ました。
 「・・・あれ?」
 「あ、ようやく起きましたか」
 シメる加減を間違えた、と、気まずげなリーバーは、未だ意識のはっきりしないコムイに肩を貸して立たせる。
 「では、本日はありがとうございました」
 「ぜひまたいらしてくださいねv
 艶やかな笑みを浮かべて手を振るエリアーデの傍ら、アレンが進み出て、リナリーの手を取った。
 「リナリーv 絶対また来て下さいねv
 そして次こそは婚約しま・・・っ」
 「ふんっ!」
 気合と共に放たれた強烈なチョップが、アレンの額を割った。
 「兄さん、早く帰ろっ!」
 噴水のように血を吹き上がらせるアレンに舌を出し、リナリーがコムイの腕を引く。
 「う・・・うん・・・」
 完全に出番を取られたコムイが、行き場をなくしたこぶしを開き、アレンの頭を撫でてやった。
 「嫌われちゃったねぇ、アレン君v
 さすがボクの妹v 見る目あるでしょv
 「な・・・なんのこれしき・・・・・・!」
 子供だが、根性だけは一人前のアレンに、コムイは笑みを深める。
 「じゃあ、血止めしてあげるv
 きゅっv と首を絞められ、アレンが泡を吹いた。
 「息の根止めてどうすんですか!」
 「や、後顧の憂いを絶っておこうかとv
 平気で残酷なことを言うコムイからアレンを奪い取ったリーバーは、さすがにぐったりとした彼をアレイスターに渡す。
 「うちの先輩がすみません」
 「いや・・・アレンも、はしゃぎすぎたである」
 鷹揚に言って、アレイスターはリーバーに微笑んだ。
 「フェルミ医師の弟子ならば、今後とも付き合いがあろう。
 よろしく頼むである」
 「はい、喜んで」
 あっさりと頷いたリーバーの傍ら、リー兄妹はそっくりに頬を膨らませる。
 別れを惜しむ風情のミランダを睨んだリナリーは、リーバーの腕を引いた。
 「ホラ、早く帰りましょ!長居は失礼だよ!」
 言うや、リーバーをぐいぐいと引っ張って行くリナリーに軽く頷き、コムイは改めて東洋風の礼をする。
 「では、これで失礼します」
 一家総出で見送りしてくれた夜の眷属達にコムイは微笑み、リナリー達が待つ馬車に素早く乗り込んだ。
 「・・・ったく、なんなんすか、あんたら兄妹は!失礼でしょ!」
 憤然とするリーバーに、兄妹は憮然として身を寄せ合う。
 「失礼なのはどっちだよねー?」
 「なんだよ!せっかく助けてあげたのに!」
 ねー?と、声を合わせる二人に、リーバーは瞬いた。
 「え・・・じゃあまさか、ほんとに・・・?」
 唖然とする彼に、リナリーが大きく頷く。
 「アレン君は吸血鬼だよ!自分で白状したんだもん!
 あの、エリアーデってマダムもね!
 私を仲間にしてあげるって、すっごい牙見せてくれたよ!」
 「アレイスター卿もだよ。
 聖水だって彼にかけたあの水、実は薄めた硫酸だったんだ。
 普通の人間なら、痛みでびっくりするはずなんだけど、彼は平然としていたね」
 「あんた・・・普通の人間だったらどうするんですか!」
 至極常識的な意見を述べたリーバーに、コムイはいたずらっぽく舌を出した。
 「その時はその時だねv
 「あんたって人は・・・」
 肩を落としつつ、深々と吐息したリーバーに、コムイがふと表情を改める。
 「ずっと観察してたけど、どうも彼ら、上流の吸血鬼で間違いないね。
 今夜のパーティに招待されてたのも、彼らが援助している医療施設の関係者達だって言うし・・・だったら人を襲う可能性はすごく低いから、退治依頼も来ないだろうなぁ。
 むしろ、援助してくれる家を害したってんで、こっちが追われる身になっちゃう」
 と、兄の傍ら、リナリーが悔しげに俯いた。
 「・・・あのマダムも、同じようなこと言ってた。
 自分達は下層の吸血鬼じゃないから、割のいい退治依頼なんか来ないって・・・」
 「あぁ、やっぱり・・・。
 上流の吸血鬼って本物の貴族だから、プライド高いんだよねぇ・・・」
 彼らほど長い時間、権力を握り続けた者は、世界中の王を掻き集めても一人としていない。
 それだけに誰よりも傲慢なのが彼らの特徴だと思っていた。
 が、
 「・・・みんながみんな、そうじゃない気がしますよ」
 リーバーの言葉に、コムイは苦笑して頷く。
 「あのお嬢さん見てると、なんだか妙にほだされる気分だよね」
 「兄さんまでそんなこと言って!」
 途端、コムイの腕を掴んだリナリーが、大声をあげた。
 「なによ二人とも、美人にころっと騙されちゃって!
 何百年も生きてる吸血鬼だよ?!あんなの演技に決まってるじゃない!」
 これだから男の人は!と、リナリーは憤然と鼻を鳴らす。
 「人は襲わないって言うけど、私は危うく仲間にされるところだったんだからね!
 絶対!許さないよっ!」
 退治してやる!と、リナリーはこぶしと共に気炎をあげた。


 一方、リナリーに退治を宣言された吸血鬼達は、最後の客を送り出した後、のんびりとくつろいでいた。
 「・・・夜明けまでは、まだ時間があるわねぇ・・・・・・」
 特製カクテルのグラスを揺らしながら、エリアーデが退屈そうに呟く。
 「こんなことなら、ヴァンパイアも招待すればよかったわ」
 「そうであるな・・・。
 パーティが早々に終わってしまって、あなたにはつまらないであろう」
 「私はほっとしましたけど・・・・・・」
 華やかなドレスから早速いつもの服に着替えたミランダが、言葉通り吐息した。
 「あんなに人がいるところなんて、緊張して・・・」
 「あら?
 その割には楽しそうに話していたじゃないの。
 次はソワレに行くんでしょ?」
 人外の聴覚を持つ姉は、そう言ってクスクスと笑う。
 「今度は二人で・・・ふ・た・り・で!
 楽しんでらっしゃいねv
 ミランダに言いながらハワードを睨んで強調するエリアーデに、彼は忌々しげに舌打ちした。
 と、アレンが不思議そうに首を傾げる。
 「エリアーデさんは一緒にいなくていいんですか?
 あの人を仲間にするんだったら、ミランダさん一人じゃ力不足でしょ?」
 眷属になって数百年のミランダだが、一貫して血の摂取を拒んできたため、人を仲間に引き入れるだけの力はないと聞いていた。
 「僕も、早くリナリーをお嫁さんにしたいんですけど、まだ力不足だしなぁ・・・」
 だからちょうだい、と、擦り寄ってきたアレンに苦笑し、エリアーデは手にしたグラスを彼から遠ざける。
 「まだ成長の止まっていない子供に、人の血は早いって言ってるでしょ」
 「えぇー!アレイスターさぁん・・・!」
 ねだるアレンに、しかし、アレイスターも首を振った。
 「先日も、ほんの少し口にしただけで倒れたではないか。
 エリアーデの言う通りにするであるよ」
 「うー・・・」
 アレンが不満げに口を尖らせると、ミランダが思わず笑い出す。
 「アレン君は、随分と前向きなんですね」
 「えぇ。僕、ハワードみたいに陰険じゃないんで!」
 「口の減らないガキですね!!」
 すかさず振り下ろしたハワードのこぶしを、アレンがはっしと掴んだ。
 「ふっふっふv
 そう何度もげんこつされないんですよ、僕v
 「そうですか」
 あっさりと頷くや、ハワードはギリギリとアレンの足を踏みしめる。
 「折れる!!折れるぅぅぅぅぅぅ!!!!」
 悲鳴をあげるアレンに、ハワードは禍々しく口の端を曲げた。
 「今夜は私も義姉上に足を折られましたので、君も同じ目に遭うがいい」
 「それどういう理屈っ・・・折れるってぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
 きゃんきゃんと泣き喚くアレンの傍らで、ミランダがうろたえる。
 「ハ・・・ハワードさん、そんなにいじめちゃ・・・・・・」
 「いじめではありません。礼儀を教えています」
 あっさりと言ってのけた彼にミランダが言葉を失い、その様を見かねて、アレイスターが口を出した。
 「いい加減、許してやるであるよ。
 そんなに泣いて、かわいそうではないか」
 「そうよ、放してあげなさい、ハワード」
 今の今まで愉しげに見ていたくせに、アレイスターの意志となればすぐに態度を翻すエリアーデにも止められ、ハワードは渋々足を離す。
 「〜〜〜〜ハワードの乱暴者!」
 踏み折られそうになった足を抱えて、アレンが泣き声をあげた。
 眷属になったとは言え、まだ成体ではない彼に驚異的な回復力はまだない。
 「ハワードのせいで僕、しばらく歩けないかもしんないっ!」
 きっと睨みつけると、ふんっと鼻を鳴らされた。
 「君がもう少し可愛げのある子供でしたら、私もここまではしないのですが」
 「嘘だ、真性サド!!
 いたいけな少年をいじめて遊んでるんだ!」
 アレンは泣き声をあげながらミランダにいざり寄り、彼女の膝に顔をうずめる。
 「ハワードがいぢめるぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
 「よ・・・よしよし・・・」
 「姉上様から離れなさい、クソガキ!!」
 またも騒ぎ出した二人に、アレイスターが呆れて吐息した時、
 「相変わらずうるせェな、ここは」
 ドアを蹴って、クロスの長身が現れた。
 「・・・随分早かったであるな。
 いつもは明け方にならねば帰って来ぬくせに」
 驚くアレイスターに軽く頷くと、クロスは長い脚を自慢げに伸ばし、ミランダに縋るアレンを踏みつける。
 「イイ女がいなかったんで、つまらなくなったんだ」
 不満げに言って、クロスは咥えていた煙草をアレンの額に押し付けた。
 凄まじいアレンの悲鳴に、やや機嫌を直したクロスは、エリアーデとミランダに魅惑の笑みを向ける。
 「こちらのレディ方を見た後じゃ、他の女が霞んで見えていけないな」
 が、二人とも彼の、歯の浮くような台詞をあっさりと聞き流した。
 「・・・え?」
 ぽかんと間抜け面をさらすクロスの前で、エリアーデは甲斐甲斐しく夫の世話を焼き、ミランダは悲しげな泣き声をあげるアレンの手当てをする。
 「・・・っ残念でしたね、クロス殿」
 笑いを堪えるハワードの足を踏みにじって嫌味を封じたクロスは、憮然とソファに座り込んで長い脚を組んだ。
 「で?
 どうだったんだ今夜の釣果は?眷属を増やしたのか?」
 「えっ?!いえっ・・・まさかっ・・・!!」
 真っ赤になって必死に首を振るミランダに、クロスは眉根を寄せる。
 「まさか・・・って、なんだ?
 人間なんてちょっとほっとくとすぐ死んじまうんだから、気に入ったんならとっとと食えよ」
 「・・・さすが、このクソガキの主人ですね」
 言うことが全く同じ、と、ハワードが踏み潰された足をさすりつつ舌打ちするが、クロスは彼の嫌味を聞き流して、ミランダに歩み寄った。
 指先に細い顎をつまみ、上向かせると、吐息が触れるほどの距離に顔を寄せる。
 「・・・っ?!」
 顔を赤らめた彼女に、クロスはまたもや魅惑の笑みを向けた。
 「俺ァ男の血を吸う趣味はねぇから、やるなら自分でやんな。
 あの薬を飲み続けてりゃ、お前にもそれが出来るようになる」
 にぃ、と、笑みを深めた唇から、白い牙が零れる。
 「がんばれよ。
 応援してやるぜ?」
 「〜〜〜〜あのっ・・・僕もがんばりますんでっ・・・圧力から解放してほしいんですがっ・・・・・・!」
 クロスの膝に背を踏まれたアレンが苦しげな声をあげるが、それは当然ながら無視された。
 「あっ・・・あの・・・っ!
 アレン君が踏み台にされて・・・苦しそうなんですけど・・・!」
 迫ってくるクロスから必死に顔を背けつつミランダが言うと、彼はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
 「ミランダがキスしてくれたら、放してやるぜ?」
 「そっ・・・それはお断りしま・・・」
 「ぴぃっ!!」
 ミランダの返事が終わる前に、アレンは無残に踏み潰された。
 「な?
 眷属のこいつだって、簡単に潰れちまうんだ。
 早いトコ引き入れねぇと、後悔することになるぜ?」
 血を吐いて動かなくなったアレンを震えながら見下ろすミランダの、蒼褪めた頬にクロスが軽くキスする。
 「姉上様になにするか色情狂――――――――――――っっっっ!!!!」
 途端、牙を剥いて襲い掛かってきたハワードを軽々と蹴飛ばし、クロスはエリアーデにもウィンクした。
 「この件は、奥方がしっかりサポートしてんだろ?」
 「えぇ、もちろんv
 「なら、眷族が増えるのを楽しみにしてるぜ」
 にやりと笑ったクロスは、軽く手を振って踵を返す。
 「ぴぃっ!!」
 「むぎっ!!」
 床に転がったアレンとハワードをわざわざ踏みつけ、彼はゆったりとした足取りで出て行った。
 「・・・全く、騒がしい奴であるな」
 床の上で、干物のように伸びきったアレンと弟を見遣り、アレイスターはそっと吐息する。
 「ミランダ、クロスに触られたところはすぐに消毒するである。
 あの色情狂、どんなばい菌を持っておるかわからぬであるからな」
 穏やかな顔をして、さり気にひどいことを言うアレイスターに、エリアーデが軽やかな笑声をあげた。
 「何百年もおくてなままだったミランダには、かえって薬になるかもしれませんわよ?」
 「冗談ではないである。
 せっかく何百年も純粋培養したのであるから、このまま育てるであるよ」
 アレイスターがため息混じりに言うと、ミランダは真っ赤な顔を俯け、ヨロヨロと立ち上がる。
 「〜〜〜〜消毒してきます・・・」
 が、部屋を出ようとする彼女を、アレイスターがすかさず止めた。
 「待つである、ミランダ。
 色情狂がうろついている家で、一人になっては危険である」
 きっぱりと言って、アレイスターは再びハワードを見遣る。
 「ハワード、早く起きて、ミランダについているであるよ」
 「はっ・・・はい!!」
 苦痛に顔を歪めながらも起き上がったハワードの傍ら、未だ起き上がれないアレンがぐったりとしたまま目だけをあげた。
 「信用ないんですねぇ、師匠・・・」
 ぽつりと漏らした言葉に、アレイスターが大真面目に頷く。
 「経験に裏打ちされた判断と措置であるよ」
 言うや、アレイスターが手を取って引き寄せたエリアーデが、彼の膝の上で嬉しそうに笑った。


 ―――― 翌週、実験の教室で、フェルミはリーバーの見事な手際を目を細めて見ていた。
 「全く手先が器用だな、君は。
 今すぐ軍医として、戦場に送ってやりたいよ」
 その言葉に、リーバーだけでなく他の学生達も凍りついたように手を止める。
 「ん?どうしたね?」
 「そ・・・卒業したら、戦場に送られるんですか・・・?」
 恐々と問うた他の学生に、フェルミはあっさりと頷いた。
 「だって、救命が私達の使命なのだからね。
 それともなにか?
 君達は、看護婦のレディ達を戦場に行かせて、自分は安全な所で子供の風邪や、老人の神経痛だけ見ているつもりなのかね?
 それが紳士のすべきことかなぁ」
 気まずげに黙りこんだ学生達を見回し、フェルミはにっこりと微笑む。
 「若いうちに従軍するのはいい経験になるとも。
 私だって、戦傷を負って軍から追い出されなきゃ、まだ戦場にいたさ」
 穏やかながら、かくしゃくたる老教授の言葉に、実験室は墓場のように静まり返った。
 と、さすがに言い過ぎを悟ったのか、フェルミはくすくすと笑声をあげる。
 「こんな時、私が銃弾なんか平気な身体だったらなぁと思うねぇ。
 ホラ、なんと言ったかな、欧州にはたくさんいるという・・・そうそう、吸血鬼!
 不死身で不老長寿だなんて、憧れないかい?
 そんな身体なら、戦場だって怖くないよねぇ。
 でも、昼に外へ出られないなら、軍医の役には立たないかな!」
 教授の冗談口に場が和み、各所から笑い声が起こった。
 だが一人、リーバーだけは難しい顔をして俯く。
 「?
 どうかしたかな?」
 「いえ、別に・・・」
 ふるりと首を振って作業に戻った彼を訝しく思いつつも、フェルミは講義を続けた。


 その日の全授業を終えたリーバーが、まっすぐにコムイの家に向かうと、ヴァンパイア・ハンターは部屋中を引っ掻き回しながら荷造りの最中だった。
 「旅行にでも行くんすか?」
 「仕事だよ仕事!
 ロンドン郊外の村でね、羊が血を抜かれる事件が起きてんだってさ」
 「血・・・・・・」
 おぞましげに眉をひそめたリーバーに頷き、コムイは甲高い声でまくし立てる。
 「なんでも夜になると、変な奴らが牧場をうろついてるんだってさ!
 牧場主達が総出で警備に当たったそうなんだけど、見回ってるうちにどんどん羊の血が抜かれちゃって、お手上げだから調査に来てくれって!」
 「まさか・・・あの人達が・・・・・・」
 困惑げなリーバーの問いに、しかし、コムイはきっぱりと首を振った。
 「彼らはロンドンから出てないよ。
 昼間はリナリーが見張ってるし、夜はあちこちのパーティに顔を出してるそうだから、間違いないね」
 思わずほっと吐息したリーバーを横目で見遣り、コムイはバッグに商売道具を詰め込む。
 「けど、彼らがヴァンパイアなのは確実だよ?
 ボクとしては、お近づきにならないことを推奨するね」
 「はぁ・・・」
 頷きはしたものの、納得しがたい様子のリーバーにコムイは向き直った。
 「もしかして、彼女のテンプテーションにやられちゃった?」
 「はぁっ?!いやっ・・・まさか!!」
 リーバーは大声で否定し、懸命に首を振る。
 と、コムイは苦笑して、小首を傾げた。
 「言っとくけどね、吸血鬼は食虫花と一緒だよ?
 甘い香りで獲物を誘って、寄って来たところをパクリとやっちゃうんだ。
 そこが、他のバケモノと違う点」
 バケモノ、という彼の言い方に、リーバーが思わずムッとする。
 と、コムイの目が、ふと真剣になった。
 「あぁ・・・これはまずいね。
 リーバー君、キミに自覚はないだろうし、今こんなことを言っても頭から否定するだろうケド、キミはもう、彼女の術中にはまってるよ」
 「馬鹿な・・・!」
 「うん、信じられないだろうケドそうなんだ」
 すかさず否定したリーバーに、コムイは畳み掛ける。
 「これは知識じゃなく、経験でわかることだけど、それが彼らの能力なんだ。
 まぁ、あの奥方みたいに、自分の能力を最大に活かしているタイプもあれば、ミランダ嬢のように、意識せずに使っている場合もある」
 「意識せずに?
 なんだ、計算じゃないんなら・・・」
 喜色を滲ませたリーバーに、しかし、コムイはあっさりと首を振った。
 「厄介なのは、無意識のテンプテーションだよねぇ。
 計算だってわかれば、こっちも醒めちゃうけどさ、無意識にやられた挙句、あんな『守ってあげなきゃ』って雰囲気出されちゃさ、キミみたいなオトコマエ、ころっと引っかかるでしょ」
 断言され、リーバーは二の句が継げない。
 そんな彼に軽く吐息し、コムイは苦笑した。
 「そんなワケだから、次回のデートは丁重にお断りするんだね。
 ヴァンパイア・ハンターじゃないキミが、彼女から逃れる術はもう、近づかないことくらいしかないからさ」
 にこりと笑みを深め、コムイは荷物を持ち上げる。
 「じゃ、行って来るよ。
 リナリー!
 お兄ちゃん、でかけるよー!」
 「はぁい!」
 パタパタと駆けてきたリナリーが、旅支度の兄を玄関で見送った。
 「じゃあ気をつけてね、兄さん!
 後は任せておいて!」
 「うん・・・ちゃんと戸締りして、夜は絶対に出歩いたりしちゃダメだよ?」
 「わかってる!
 それに、泥棒くらいなら撃退できるよv
 頼もしく頷いた妹の頭を撫で、コムイは手を振る。
 「すぐ戻るからね!」
 「行ってらっしゃーい!」
 リーバーと並んで、リナリーは大きく手を振った。
 兄の大きな背が見えなくなった頃。
 「じゃー先生!
 しばらくうちにいてねv
 くるりと振り返ったリナリーに言われ、リーバーは目を丸くした。
 「なんでだ?」
 「その方が、監視するの楽だからv
 にこりと笑って、彼女はとんでもないことをなんでもない風に言い放つ。
 「かんし・・・って?」
 監視と同音異義語だろうか、と、首を傾げた彼に、リナリーは笑みを深めた。
 「先生がミランダ嬢とデートしないように、見張るの!」
 「余計なお世話だ!」
 間違いなく監視だと気づいたリーバーが声を荒げると、リナリーはむっと眉根を寄せる。
 「余計じゃないよ!
 私だって心配してるんだよ?!」
 大声で言って、リナリーは頬を膨らませた。
 「先生だけじゃなく、私もヴァンパイアに狙われちゃったんだもん!
 お互い、がんばろうね!」
 リナリーの振り上げた腕に、銀のロザリオが巻きついている様を見て、リーバーは更に目を丸くする。
 「なにを?!」
 「もちろん!ヴァンパイア撃退するんだよ!」
 両手を腰に当て、リナリーは堂々と胸をそらした。
 「それともなに?
 先生はヴァンパイアになりたいの?!」
 「そ・・・そうじゃないが・・・・・・」
 「じゃあ、リナリーに協力してよ!」
 戸惑うリーバーに決断を促すべく、リナリーは殊更にきっぱりと言う。
 「向こうは退治依頼なんか来ない、って余裕綽々だけど、依頼なんかなくったって、私と先生の身を守るためだよ!
 先生に彼女を殺る気がないなら追い払うだけにするけど、私はあの子、殺すつもりで戦うよ!
 負けないんだから!」
 こぶしを握って気炎をあげるリナリーに、リーバーは呆気に取られた。
 「ホラ!
 ぼーっとしてないで、早くおうち入って!
 この家はヴァンパイアとか、そのほかのバケモノだって入れないように対策してるんだから、安心だよ!」
 人間の泥棒は入れるけど、と、リナリーは傘立てから木刀を抜き取る。
 「まぁ、人間でも吸血鬼でも、これでこてんぱんだよ!」
 そう言って得意げに笑った少女に、リーバーは深々と吐息した。
 「わかった・・・先輩が帰って来るまでは、ここからガッコ行くよ。
 それと、家庭教師から一言」
 言って、リーバーはリナリーの強気な鼻先を、指で弾く。
 「おてんばもいい加減にしないと、モテねぇぞ?」
 「・・・・・・ウルサイ」
 紅くなった鼻を押さえたリナリーの涙声に、リーバーは笑声をあげた。


 だが翌日、夜が更けても、リーバーは大学から帰ってこなかった。
 「全く・・・思った通りだよ!」
 ぶつぶつとこぼしながら、リナリーはオペラ・ハウスにふさわしいドレスに着替えた。
 「これだから男の人は目が離せないんだよ!
 なんだよなんだよ!ちょっと美人だからって、なんだよ!」
 不満顔を鏡に映し、結った髪にリボンを結ぶ。
 「ううーん・・・やっぱりソワレに、白は地味かなぁ。
 でも赤は派手すぎるし・・・」
 「僕はそっちのピンクがいいと思いますv
 「そうだね、これなら・・・」
 振り向き様、リナリーが突き出した木刀が、アレンの頬をざっくりと裂いた。
 「いいかもv
 「・・・こっ・・・こんばんは、リナリー・・・!」
 なんとか言ったものの、部屋の明かりに照らされたアレンの顔は、みるみる白くなっていく。
 「何の用?
 こんな夜更けに、レディの部屋のベランダに侵入するなんて、失礼よ?」
 「だって・・・!」
 頬に滴る血を手の甲で拭いつつ、アレンは上目遣いでリナリーを見つめた。
 「なんだか・・・目に見えない壁みたいなのがあって、エントランスに入れなかったんです」
 「結界って言うんだよ。
 家の中に、悪いものが入ってこないようにするおまじない」
 意地悪く笑ったリナリーに、アレンは思わず身を乗り出す。
 「わ・・・悪いものって!」
 「悪いものでしょ!」
 きっぱりとした声で反駁を封じられ、アレンはぱくぱくと口を開閉させた。
 しかし、懲りない少年は未だ血が滴り落ちる頬に手を添えて、小首を傾げる。
 「ねぇ・・・入れてください。ほっぺが痛いんです」
 「ダメ」
 「お願いですから・・・」
 ホントに痛い、と、涙目になったアレンに、リナリーは木刀を突き出した。
 「痛くて当たり前でしょ!
 これ、桃の木から削り出した、魔除けの剣なんだから!
 信仰の力が薄い英国の、聖なる力と違って、こっちは強力だよ?」
 にっ、と、得意げに笑った彼女に、アレンはますます悲しそうな顔をする。
 「僕のこと・・・そんなに嫌いですか?」
 涙に潤んだ目で見つめられ、リナリーの鼓動が跳ねた。
 「き・・・嫌いだよ!」
 「なんで?」
 真っ赤になって、答えられないでいるリナリーに、アレンは結界に弾かれるギリギリまで近づく。
 「僕は、リナリーのことが大好きです。
 初めて見た時から、僕のお嫁さんは君しかいないって思ってるんですよ?」
 「かっ・・・勝手に決めないでよっ!!」
 直球の告白に、リナリーは懸命に抵抗するが、半人前とは言えヴァンパイアの魅了の力は凄まじかった。
 「リナリー・・・入れてください」
 アレンの血に濡れた手が、そっと窓を越えようとして弾かれる。
 「リナリー・・・!」
 苦痛に顔を歪め、哀しげに訴えるアレンから、リナリーは懸命に顔を逸らした。
 途端、露わになった白い首筋に、アレンが喉を鳴らす。
 「リナリー・・・」
 イケる、と思った瞬間、
 「ダメって言ってるでしょ!!」
 突き出された木刀が、アレンの額を割った。
 「ぷぎゃああああああああああああああ!!!!」
 凄まじい声をあげて泣くアレンを振り返ったリナリーは、両手を腰に当てて胸をそらす。
 「ヴァンパイア・ハンターをなめるなって、言ったでしょ!
 そんなテンプテーション、通じないんだからね!」
 とは言ったものの、リナリーの顔はまだ紅く、鼓動もどきどきと落ち着かなかった。
 「さっさと帰りなさいよ!
 私、忙しいんだから!」
 「知ってます・・・オペラ・ハウスに行くんでしょ?」
 血だらけの頭をおさえたアレンは、ひくひくとしゃくりあげながらリナリーを見つめる。
 「リナリーがミランダさんの邪魔しないように、見張ってろって僕・・・ひゃああ!!」
 またも木刀を突き出され、アレンは慌ててよけた。
 「リッ・・・リナリッ・・・!!
 僕、これ以上刺されたら死んじゃいますっ!!」
 「だから殺そうとしてるんだってば!」
 木刀を構えなおしたリナリーは、不穏なことをためらいもなく言う。
 「私が導いてあげる。
 天国へ逝きなさい!」
 「やだあああああああああああああ!!!!」
 拝み討ちに振り下ろされた木刀を避けたアレンが、ベランダの向こうに消えた。
 「ふんっ!意気地なし!」
 威勢よく鼻を鳴らすと、リナリーは窓に厳重に鍵をかける。
 「まったくもう、仕事を増やしてくれるんだから!」
 憤然と呟きつつ、リナリーは吸血鬼達の使役する人間にも侵入されないよう、家の戸締りを確認した。
 「いざ!出陣よ!!」
 気合十分にこぶしを握り、声を張り上げたリナリーが大げさなのではない。
 事実、結界で守られたこの家を出ることは、彼女にとって戦場に行くも同じことだった。
 案の定、エントランスを出た途端、
 「リナリーv
 歓声をあげて駆け寄って来たアレンを、見事な回し蹴りで沈める。
 「な・・・なんで・・・・・・」
 自ら作った血の泥濘に沈むアレンを見下ろし、リナリーは鼻を鳴らした。
 「私、剣より格闘技の方が得意なの。
 これ以上痛い目に遭いたくないなら、私を仲間にしようなんて思わないことね!」
 「えぇー・・・そんなこと言わないで・・・」
 むくりと起き上がったアレンに向き合ったリナリーが、木刀を振りかぶる。
 「ついてこないで!」
 「ざくろっ!!」
 頭を割られ、噴水のように血を吹き上げながら、アレンは再び血の泥濘に沈み、動かなくなった。
 「まったくもう!邪魔しないでよっ!」
 憤然と踵を返したリナリーは、大きく踵を鳴らして通りに出ると、馬車を拾う。
 「コヴェントガーデンへ!」
 早く、と、先にチップを渡して急がせたリナリーは、オペラ・ハウスに着くや馬車が止まるのを待たずに飛び降り、ホールへと駆け込んだ。
 まだ開演前の時間、ホール内は待ち合わせや歓談する人々で溢れている。
 リナリーがリーバーを探し、うろついていると、人影から突然現れた青年にぶつかってしまった。
 「ごっ・・・ごめんなさい!」
 慌てて謝ったリナリーは、その顔を見上げて目を見開く。
 しかしそれは、相手も同じだった。
 「・・・あなたは先日の」
 言いかけた彼に、
 「ヴァンパイア!」
 と、リナリーが大声をあげる。
 はっとして素早く周りを見回したハワードは、誰もが自分達の会話に夢中であることを確認し、リナリーをムッと睨みつけた。
 「静かになさい。
 ここはあなたのような中流の小娘が、一人で来る場所ではありませんよ」
 「んまー!!
 鼻持ちならないったらないわね、この二又マユゲッ!!」
 「マユッ・・・なんと無礼な小娘でしょうか!!」
 思わず大声をあげてしまったハワードは、さすがに周りが彼らを気にし始めたことに気づいて、素早く踵を返す。
 と、彼の後にリナリーもついてきた。
 「なんの用ですか!」
 「先生・・・ミスタ・リーバー・ウェンハムはどこ?!」
 苛立たしげなハワードを睨みつけ、問い詰めるが、彼は冷たく鼻を鳴らす。
 「あんなホーキ頭のことなんか知りませんよ。
 私は忙しいのですから、ついてこないでください」
 もう一度鼻を鳴らした彼に、リナリーはムッと眉を寄せたまま、意地悪く笑った。
 「つまり、大好きなお姉様に置いてかれて、泣きながら探してるってことね、仔犬ちゃん?」
 「・・・・・・なんですって?」
 冷たい殺気を帯びて睨み返すハワードに、リナリーは笑みを深める。
 「その様子だと、図星だね」
 「小娘・・・っ!!」
 ハワードが悔しげに顔を歪めると、リナリーはこれ見よがしに鼻を鳴らした。
 「ヴァンパイアのくせにお姉様の居場所もわかんないなんて、鼻の利かないわんこね!
 あなたもアレン君と同じ、半人前のヴァンパイアなの?」
 「あんなクソガキと一緒にするんじゃありませんよ、生意気な小娘ガ!!」
 牙をむき出して怒鳴るハワードに、リナリーがにんまりと笑う。
 「じゃあ、さっさとお姉様を探しなさいよ。
 彼女の側にリーバー先生もいるはずだから、連れて帰るわ」
 「言われなくても・・・のしつけて返してやりますよ!!」
 「えぇ、よろしくね!」
 まんまとはめたハワードに、リナリーはぺろりと舌を出して見せた。
 憤然と歩き出した彼の後について行きつつ、自分も辺りに目を配る。
 しばらくして、
 「見つけた・・・」
 ハワードの微かな呟きに、リナリーは一旦足を止めた。
 「どこどこ?!先生も一緒?!」
 人並み以上に強くても、所詮は人間の視力でしかないリナリーの問いを無視して、ハワードは足を早める。
 「・・・っムカつく眉わんこね!!」
 毒づきながらリナリーは彼を追いかけたが、バルコニー席へ向かう途中、二人してスタッフに止められてしまった。
 「失礼、これ以上はチケットを拝見させていただきます」
 丁重ながら断固とした口調で言ったスタッフに、ハワードは手を掲げ、印章指輪を見せる。
 「クロウリー家の者である。通しなさい」
 「失礼しました・・・ハワード様」
 印章を確認するや、すんなりと道を開けたスタッフの横を通り過ぎるハワードの後ろを、連れの振りをしてリナリーもついて行った。
 「さすがお貴族様。
 席は既に確保済み、ってこと?」
 「・・・私はあなたに同伴を許した覚えはありませんが」
 憮然と言うハワードに、リナリーは軽く肩をすくめる。
 「貴族のくせにケチなこと言わないで。
 大体、そんな席があるならなんでさっさと行かなかったの?無駄に探し回ったじゃない」
 「席に行かれる前に見つけたかったのですよ!
 きっと中には・・・」
 バルコニー席のドアに手をかけた途端、それは内側から開かれた。
 「・・・邪魔するなって、言ったでしょう?」
 劇場のほのかな明かりに浮かび上がる白い顔に、二人はびくりと震える。
 「あ・・・義姉上・・・!」
 「やっぱり来たわね、ハワード!
 それに、あの時のお嬢さんまで・・・アレンに足止めするよう命じたのに、役に立たない子だわ!」
 席から出てきたエリアーデは、ドアを閉めるや二人にまくし立てた。
 「いい加減、姉離れしなさいって言ってるでしょ、ハワード!」
 「あらやだ。
 ヴァンパイアならいい年でしょうに、シスコンなんてキモーイ!」
 クスクスと意地悪く笑うリナリーを、ハワードが睨みつける。
 「人のことが言えるのですか、小娘?!
 先日は、随分と兄上にべったりの様子でしたが?!」
 「あら、あんなの常識の範囲じゃない。それに私、まだ16だもん。甘えていいんだよ?」
 リナリーの言う『常識の範囲』が、一般常識からは激しく逸脱していることを知らないハワードは、反駁を封じられて悔しげに黙りこんだ。
 彼をやりこめて気を良くしたリナリーは、エリアーデに向き直る。
 「リーバー先生を返して下さい!
 先生は立派なお医者様になるのよ!ヴァンパイアの仲間になんかさせないわ!」
 先日やり込められた腹いせとばかり、声を張り上げたリナリーに、見た目によらず老獪なエリアーデは、よく吠えるテリアだとでも言いたげに軽く手を振った。
 「それはあなたではなく、本人が決めることでしょ。
 それに、私達は決断を急がないのよ。
 ただ、早い方が本人のためだってことを、教えるだけ」
 にやりと笑みを浮かべ、エリアーデは冷たい手でリナリーの腕を掴む。
 「放し・・・っ!!」
 身を引こうとするも、エリアーデの繊手は人外の力でリナリーを押さえつけた。
 「私達は、無理強いもしない」
 身を寄せたエリアーデが、冷たい吐息と共に囁く。
 「選ぶのは人間よ。
 私達と共に生きることを選んだ人間だけが、仲間になるの」
 あの子のように、と、エリアーデは肩越し、閉ざされたドアを意味ありげに見遣った。
 「そんな馬鹿な!!」
 蒼褪めたリナリーが、エリアーデの手を振り解こうと懸命にもがく。
 「先生がヴァンパイアになるなんてありえないよ!ダメ!!そんなのダメだ!!」
 エリアーデを押しのけ、ドアに手を伸ばしたリナリーの首に、エリアーデの手が絡んだ。
 「ちょっと静かにしてなさいな」
 手よりも冷たい唇が首筋に触れた瞬間、リナリーの膝が崩れる。
 「殺したのですか、義姉上?」
 淡々と尋ねるハワードに、肩越し、エリアーデは紅く濡れた唇に笑みを浮かべた。
 「少し血をもらっただけ。
 若いんですもの、すぐに目を覚ますわ」
 クスクスと笑って、エリアーデは唇を舐める。
 「おいしい・・・もう少し、飲んでみようかしら」
 ぐったりしたリナリーを抱え直し、再び唇を寄せたエリアーデの肩を、ハワードが掴んだ。
 「誰かに見られては、後が面倒です。
 お気に召したのなら、連れ帰ってゆっくり召し上がってはいかがですか?」
 「そうね・・・」
 にやりと笑みを深め、エリアーデはリナリーをハワードに渡す。
 「じゃああなた、先にこの子を連れて帰ってちょうだい。
 つまみ食いしてもいいけど・・・私にも残しておいてね?」
 「こんな生意気な小娘の血なんか、欲しくありませんよッ!!」
 舌打ち混じりに言った彼に、エリアーデは華やかな笑声をあげた。
 「さぁさぁ、もう序曲が始まってしまったわ。
 私はミランダが出てくるまで待っているから、あなたはさっさとお帰りなさい」
 パタパタと手を振るエリアーデを、忌々しげに睨むハワードに、彼女は意地悪く微笑む。
 「帰る時は、新しいお兄様が増えているかもよ?」
 「おぞましいことを言わないでくださいっ!!」
 甲高い悲鳴をあげ、席に乗り込もうとしたハワードはしかし、再びエリアーデに阻まれた。
 「ホラ、姉の幸せを邪魔してないで、早く帰りなさい」
 「しかし・・・っ!!」
 「帰りなさい」
 反抗を許さない眼光で命じられたハワードは、数歩退いてうな垂れる。
 「そんな顔してもダメ。
 早くそのお嬢さんを、屋敷に運びなさい。
 途中で目を覚まされて、暴れられたら厄介よ?」
 ひらひらと手を振って追い立てられたハワードは、気絶したリナリーを抱き上げ、悔しげに屋敷へと戻っていった。


 一方、ドアの向こう・・・バルコニー席では、観劇どころではないミランダが小動物のように震え続けていた。
 ―――― どこに行ってしまったの、お姉様っ!!
 開幕前には確かにいたはずのエリアーデが、いつの間にか消えてしまい、ミランダはリーバーと二人きり、口も利けずにただ黙り込んでいる。
 震える手を組み合わせ、音楽も耳に入らぬ様子で固まっているミランダに、リーバーもまた、声をかけかねていた。
 そうするうちに第1幕が終わり、第2幕も進んで、メフィストフェレスが歌い出す。
 『・・・金の小牛は神の征服者 勝ち誇ってはあざけり笑い この卑しい化物は天国をののしる・・・・・・』
 フランス語を聞き取るのに、ほんのわずか、時間を要したが、その意味を解したミランダの震えが止まった。
 代わりに、ぎゅう、と、強く両手を握り合わせる。
 「どうしました?」
 「わ・・・私は・・・あざけってなどいない・・・・・・」
 微かな呟きをなんとか聞き取ったリーバーが、ミランダを訝しげに見つめた。
 だが、そんなことには気づきもせず、ミランダは更に強く手を握り合わせる。
 「神を罵ってなど・・・・・・」
 大きく見開かれた彼女の目の前で、メフィストフェレスは悪魔の正体を見破られ、退散した。
 「拒まれつづけても・・・私は・・・・・・」
 ―――― 人ならぬ者に身を落しても、天国にあこがれる・・・。
 その言葉を胸に呟いたミランダの身体が、不意に傾いだ。
 「ミランダさん?!」
 倒れる前に受け止めたリーバーは、明かりの落ちた劇場の薄闇の中ですら、白く浮き上がる肌に眉をひそめる。
 「あなたは・・・やっぱり・・・・・・」
 あまりにもか弱く、繊細な彼女がヴァンパイアだとは、到底信じられなかったが、今この手に抱く身体の冷たさは、死人のそれだった。
 そっと握っても、いつまでも暖まることのない手に悲しげな目を落し、リーバーは意識のない彼女を抱き上げる。
 住む世界が違う・・・身分などではなく、まさしく生きる世界の違う彼女と出会ったことを、しかし、リーバーは後悔する気にはなれなかった。


 席を出ると、二階に設けられたロビーでエリアーデが待っていた。
 「私一人では手においかねますわ」
 是非にと請われて、リーバーは未だ意識のないミランダを馬車に運び、同乗する。
 「屋敷へ戻ってちょうだい。急いでね」
 御者に命じたエリアーデは、ミランダの頭を膝に乗せ、その柔らかい髪をなでた。
 「・・・この子の・・・いえ、私達の正体についてはもう、察していらっしゃるのでしょう?」
 静かな声に、リーバーも黙って頷く。
 「なのに来てくださったという事は、仲間になることを受け入れてくださったの?」
 「それは・・・」
 「そうね、簡単に決められることではないわ」
 リーバーの言葉を遮り、エリアーデは微苦笑を浮かべた。
 「もっとも、私はすぐに決めましたけど」
 きっぱりと言って、エリアーデは笑みを深める。
 「お笑いにならないでね、私と主人はお互い、一目惚れでしたのv
 クスクスと笑声を漏らしつつ、エリアーデは密やかな声で話した。
 「もう何百年も前・・・カールの巡察使(ミッシ・ドミニ)がすごく嫌な男で、無理矢理妻にされそうになったところを助けてもらったんですのよv
 「カールのミッシ・ドミニ・・・って・・・え?
 まさか、カールって、カール大帝ですか?!」
 ミランダを気遣って声は潜めたものの、目を丸くしたリーバーに、エリアーデは笑って頷く。
 「だったら・・・軽く1000年は経ってますけど・・・・・・」
 「・・・・・・ミランダとハワードを見つけたのは、十字軍を避けて寂れた村に着いた時のことでしたわ」
 あからさまにごまかされた、とは思ったものの、齢千年の吸血鬼にそれを指摘しては命が危ないと、リーバーは黙り込んだ。
 と、彼の判断に満足したエリアーデは、話を続ける。
 「あれは何度目の遠征かしらねぇ・・・もう、軍に秩序はなく、単なる野蛮人と化して略奪を繰り返すものですから、弱小の領主なんかはあっという間に食いつぶされて。
 その上、疫病が流行ったために、国からも捨てられた村で、この子は病の弟と共に死に向かってましたわ」
 ふぅ、と、ため息をついたエリアーデは、白い手をミランダの頬に当てた。
 「・・・私はまだ、欧州が完全に教化されていない時代に生まれて、聖職者の全てが清らかではないことを知っていましたから、神の威光なんて怖くもなんともない。
 あれはただの象徴で、人の真摯な祈りがあってようやく聖なる力を宿すものだと知っていますの。
 だけどこの子は、生まれた時から神が身近にあって、天に召されるには正しい行いをすべきだと信じている。
 なのに弟を守るため、人ならぬものになってしまったことをずっと悔やんでいる。
 彼と我が身を守るため、神を裏切った穢れ者だと自分を貶めているの」
 だから教会にも近づけない、と、エリアーデはまたため息を漏らす。
 「つまり・・・体質ではなく、精神的な忌避感ですか」
 「えぇ。
 その証拠に、私達夫婦もハワードも、教会なんてちっとも怖くありませんわ。
 十字架も聖水も、単なる飾りでただの水でしかない。
 ・・・まぁ、銀と紫外線には負けるわね」
 肌が弱いから、と、なんでもないことのように言うエリアーデに、リーバーは段々反駁の気力を失くして行った。
 と、エリアーデは弱った獲物にとどめを刺す肉食獣のように、にっこりと笑みを深める。
 「あなたがヴァンパイアをどう思っているかは知らないけど、この子が眷属になって以来、一度も血を飲んでいないのは本当よ」
 「え・・・?」
 「信じるか信じないかは、あなた次第」
 はぐらかすような言い様で、エリアーデは食いついてきた獲物をあえて突き放し、自らの意志で寄ってくるように導いた。
 と、予想通り、彼は探究心と好奇心の入り混じった目をエリアーデに向ける。
 「血を飲まなくても・・・その・・・あなた達は生きていけるんですか?」
 吸血鬼、と言う言葉を飲み込んだ彼に微笑み、エリアーデは頷いた。
 「えぇ、ただ生きるだけなら。
 ・・・だけど他の生き物たちと比べて、身体を保つだけの血を持たない私達は、人の血を飲まないと、まともに身体を維持できないのよ。
 なのにこの子はずっとそれを拒んできたために、こんなにも弱いの。
 夕陽ですら火傷するくらいに、ね」
 「それであの時、陽に当たって慌てていたんですか・・・」
 「えぇ、私達はあの程度の日差しなら、平気なのだけど・・・」
 「なにか、彼女を助ける方法はないんでしょうか?」
 性急に問うたリーバーが既に手中にあることを確信しながら、エリアーデはあえて寂しげな笑みを浮かべる。
 「血液が私達の身体を補うことはわかっているの。
 だから、どうしても血が飲めないこの子のために、お薬を作ってもらったのだけど、それもどこまで効果があるものか・・・。
 まさか、いきなり日差しの中に置くわけにもいかないでしょう?」
 「そう・・・ですね・・・・・・」
 頷きつつも、リーバーは今までに蓄えた知識を脳裏に確認する。
 「でももし・・・あなた達が、極度の鉄分欠乏状態にあるのなら・・・専用の薬を作ることは可能だと思います」
 「まぁ!本当に?!」
 そんなことはクロスによって、とうに知らされていたが、エリアーデは大仰に喜色を浮かべて両手を合わせた。
 「だったら・・・お願いがあるの。
 あなた、この子の主治医をやってもらえないかしら?」
 「えぇっ?!
 で・・・でも俺はまだ学生で・・・!」
 リーバーの拒否の理由が、『吸血鬼の側にいたくない』ではないことに気を良くし、エリアーデは笑みを深める。
 「えぇ、フェルミ先生から聞いているわ。
 随分と優秀な学生だって。
 だったらいずれ医者にはなるのでしょうし、今から上流階級の患者を持っておくことは、あなたの損にはならないはずよ?」
 「いえ・・・俺はそんなつもりじゃ・・・!」
 「もちろんわかっているわ。
 あなたが、お金目当てなんかじゃないってことはね。
 だからこそ、私はあなたにお任せしたいのよ。私の大事な妹を」
 それに、と、エリアーデは更に畳み掛けた。
 「私達の正体を知って、なおかつ態度を変えないなんて、あなたくらいしかいないもの」
 クスクスと軽やかな笑声をあげたエリアーデの唇から、白い牙がのぞく。
 「勇気があるのね、ミスター。
 私、あなたがとても気に入ったわ。
 ミランダを任せるにふさわしい人よ」
 なんと答えるべきか、困惑げに黙り込んでしまった彼に、エリアーデは更に笑声をあげた。
 「今後ともよろしく」
 白い掌の上で転がされたリーバーは、唯々諾々と頷く。
 まんまと獲物をしとめたエリアーデは、また、愉しげな笑声をあげた。


 馬車がエントランス前に止まった音を聞きつけたハワードは、自らドアを開けて姉達と忌々しいおまけを迎え入れた。
 「義姉上!!
 姉上様は一体、どうされたのですが・・・まさかこの無礼者が不埒なことを・・・!!」
 「してないわよ」
 リーバーを睨みつけるハワードの額をすれ違い様、軽く叩いて、エリアーデが先に立つ。
 「こちらへお願いしますわ、リーバーさん」
 未だ意識の戻らないミランダを抱えたリーバーを、エリアーデが導いた。
 案内されたのは、派手ではないが落ち着いた色調で上品にまとめられた部屋で、いかにもミランダの好みに見える。
 「今、お薬を持ってきますから、しばらくミランダについていていただけるかしら。
 ・・・ハワード。いつまでも睨んでないでいらっしゃい」
 リーバーを押しのけてベッドの傍らに陣取るハワードに言うが、彼は中々動こうとしなかった。
 「私はここで姉上様をお守り・・・ぎゃんっ!!」
 長い髪を人外の膂力で引かれ、引き倒されたハワードが悲鳴をあげる。
 「ほほほv
 躾のなっていない子でお恥ずかしいわv
 では、よろしくお願いしますねv
 呆気に取られたリーバーに優雅に微笑んだエリアーデは、ハワードの髪を掴んでずりずりと引きずりながら部屋を出た。
 「あ・・・義姉上!!
 姉上様は一体、どうなさったのですか!!
 あんな状態で、どこの馬の骨ともわからない男と二人きりにさせるなんて!!
 なにかあったらどうするおつもりですか!!」
 「なにか・・・あればいいわねぇ・・・v
 ハワードのヒステリックな声に、愉しげな声で応じたエリアーデは、彼の髪を掴んだまま階段を下りていく。
 「ぐぼっ!!ぎゃふっ!!ぐふっ!!」
 段を降りる度に悲鳴をあげるハワードを気にする様子もなく、エリアーデは満足げな笑みを浮かべた。
 「ファウストは思った以上に効果的だったわ。
 あの演目、ミランダには見せない方がいいと思って今まで避けてきたけど、いい時に効力を発してくれたわねv
 クスクスと愉しげに笑って階段を下りきったエリアーデの足元に、頭を割られて血みどろのハワードが転がる。
 「あらあら、大変!
 ドレスが汚れちゃう」
 慌てて歩を引いたエリアーデを、ハワードが恨みがましい目で見あげた。
 「・・・っ言うことは・・・っそれだけですか・・・・・・!」
 人間なら確実に致命傷である傷を受け、忌々しげなハワードの髪を引っ張って起こしてやりながら、エリアーデは愉しげに笑う。
 「冗談じゃないv そんなに睨まないでv
 「冗談でこんなことをするんですか・・・!」
 「いつものことでしょv
 なんでもないことのように言って、エリアーデは早速踵を返したハワードを止めた。
 「ミランダの部屋には行かせないわよ」
 「お薬を持って行くのでしょう?義姉上のお手を煩わせずとも、私が・・・!」
 「お薬も持って行かなくていいの!
 あなた、私がせっかく餌を巣穴に引き入れたんだから、邪魔しないでくれるかしら?!」
 ギリギリと千切れんばかりに髪を引っ張り、力ずくで弟を止めたエリアーデは、どうにか彼の気を逸らそうと話を変える。
 「そんなことより、私のデザートはどこ?」
 「は?
 ・・・あぁ、あの小娘ですか」
 力尽きて義姉に引きずられながら、ハワードは憮然とした。
 「暴れて姉上様にお怪我でもあってはいけませんので、塔の物置に放り込んでいます。
 あそこなら壁が厚いので、小娘のヒステリー声も聞こえませんしね」
 「ちょっと・・・!」
 「ヴァンパイア・ハンターの妹でも女の子ですよ!なんでそんなところに放り込むんですか!」
 言おうとしたことを何倍も激しい口調で言われ、エリアーデが驚いて足を止める。
 と、血みどろのアレンがパタパタと駆けて来て、ハワードの胸倉を掴んだ。
 「まさか、僕より先にリナリーをいただいてませんよね?!」
 「あんな小娘の血を飲むくらいなら、飢え死にした方がマシです」
 つんっと、木で鼻をくくったような憎らしい口調に、しかし、今はほっとする。
 「・・・絶対、手を出さないでくださいよ?!彼女は僕のです!」
 「アラ、ごめんなさいね。
 ちょっとつまみ食いしちゃったわv
 断言したアレンに、自失から立ち直ったエリアーデがクスクスと笑った。
 「でも大丈夫よ、眠ってもらうためにほんのちょっと飲んだだけ・・・まだ眷族にはしていないわ」
 言いながら、アレンの頭を撫でてやる。
 「あらあら、ざくろみたいに割られちゃって・・・お姫様を塔から助けてあげる前に、血を流して着替えてらっしゃいよ。
 酷いカッコよ?」
 「そうします!」
 エリアーデに大きく頷き、アレンはハワードを放り捨てた。
 「・・・っクソガキ――――!!!!」
 すかさず追いかけようとしたハワードの足に、エリアーデは足を蹴出し、転倒させる。
 「義姉上・・・っ!
 私がお嫌いですか・・・っ?!」
 「そんなことなくてよ、ハワード。
 可愛い弟だわv
 どこか白々しい声で言ったエリアーデは、愉しげな笑声をあげた。


 階下の騒ぎに目を覚ましたミランダは、自分を気遣わしげに見つめる目と目が合って、凍りついた。
 「・・・・・・・・・・・・あの」
 長い間の後、リーバーが発した声に、ミランダがびくりと震える。
 「なっ・・・・・・」
 なぜ、の一言も言えないほど混乱したミランダに、却って落ち着いたリーバーが苦笑した。
 「オペラ・ハウスで倒れたんですよ」
 「あ・・・・・・」
 ようやく状況を思い出し、ミランダは顔を赤らめる。
 「す・・・すみません、私・・・・・・」
 顔をそむけ、消え入るような声で呟くミランダのか弱げな姿に、リーバーはリナリーの言葉を思い出しつつも、ほだされずにはいられなかった。
 コムイに知られたら、隔離病棟にでも閉じ込められるかもしれないと思いながら―――― 手を差し伸べずにはいられない。
 「姉上から、事情を聞きました」
 肩に触れると、びくりと震えた。
 「あなたは悪くない・・・。
 あなたが気に病むことなんて、何もない・・・主も決して、あなたを見捨てたりはしない」
 大きく見開かれた目が、ゆっくりとリーバーへ向けられる。
 零れた涙がこめかみを伝う様に、思わず微笑んだ。
 「もう、泣かなくていいから」
 冷たい頬に手を添え、氷の雫のように冷えきった涙を拭ってやる。
 「側にいるって、決めました」
 にこりと微笑むと、また冷たい雫が零れた。
 ややして、白く冷たい手が、ミランダの頬に添えたリーバーの手に重なる。
 「側に・・・いて欲しいです・・・でも・・・・・・」
 また、冷たい雫がリーバーの手を濡らした。
 「この暖かさを失いたくない・・・・・・」
 眷属になれば彼もまた、体温を失ってしまう。
 はるか昔に失ってしまった太陽に似た、このぬくもりを失くしてしまう事はとても哀しいことだった。
 「だったら・・・」
 くすりと、リーバーが笑みを漏らす。
 「俺はしばらく人間のまま、側にいますよ。
 それならいいでしょう?」
 決断は早い方がいい、とは、エリアーデに暗に言われたことではあったが、さすがにそれはためらわれた。
 「まぁ・・・フェルミ先生も言ってたんすけどね。
 吸・・・いや、眷族のように不死身なら、戦場も怖くないって」
 「でも・・・お昼にはお仕事ができませんよ・・・?」
 冗談めかした口調に、しかし、生真面目なミランダは困惑げに答える。
 途端、吹き出したリーバーを不思議そうに見あげて、ミランダは身を起こした。
 「私・・・なにか変なことを言いましたか・・・?」
 「イヤ、失礼・・・」
 ミランダの背を支えながら、まだクスクスと笑う彼からとてもいい香りがして、ミランダは首を傾げる。
 ―――― 何かしら・・・とても甘い香り・・・・・・。
 花の蜜に惹き寄せられる蝶のように、ミランダの目が香りの元を求めてさまよった。
 彼がミランダの首筋や、背中に当てた手からぬくもりが広がり、ミランダは酔った時のように、段々頭の芯がぼぅ・・・としてくる。
 と同時に、視線が彼の首筋に定まった。
 最も血管の露わな場所・・・。
 それを見つけた途端、ミランダの鼓動が跳ねた。


 同じ頃、階下ではハワードが、火に炙られるかのような焦りにイライラと歯噛みしていた。
 「義姉上!
 いくらなんでもこんなに長い時間、姉上様を危険物と一緒に置かれるのはいかがなものでしょう?!
 万が一、姉上様に何かあったら・・・!」
 「まだ10分かそこらしか経ってなくてよ、ハワード。
 いくらなんでも、すぐに食いつきはしないでしょ」
 「くっ・・・食い・・・?!」
 真っ赤になって声を引き攣らせる弟にちらりと笑い、クロスがミランダのために作った錠剤を取り出したエリアーデは、それを舌の上で転がす。
 「なにをなさってるんですか、義姉上・・・」
 「あなたも舐めて見る?
 私がミランダの部屋に、餌を放り込んだ理由がわかるわよ」
 エリアーデが掌に乗せてくれた錠剤を、言われるまま口に含んだハワードは、その味に目を見開いた。
 「これは・・・!」
 「あの人、本当に嘘つきでしょう?」
 クスクスと笑声を漏らしながら、エリアーデは猫のように目を細める。
 「いえ、嘘じゃないわね。
 人血を精製したものだなんて、一言も言ってないもの」
 二人が口に含んだ薬・・・それは凝固した血液以外の何物でもなかった。
 「まぁ、人血をここまできれいにタブレット状にしてしまうのは、あの人の技術でしょうけど、これでミランダは、何百年も摂取しなかった人血をようやく摂取したの。
 しかもあの子は、これをもらって以来、日を追うごとに服用する数を増やしていったわ。
 きっと、ようやく飢えを実感したのね」
 身体が欲するままに人血を摂取したミランダは、眷族が持つ驚異的な細胞活性化能力で今や、一人前のヴァンパイアと同じ身体になっているはずだ。
 「本当ならあなたみたいに、時間をかけて一人前の眷属に成長するのだけど、あの子は何百年も拒んできたものを一気に摂取したことで、急に一人前になってしまったの。
 人間で言えば、悪酔い状態ね。
 そんな時に、おいしそうな餌が無防備に寄って来たら・・・・・・」
 また、クスクスと笑い出した義姉を、ハワードは忌まわしげに睨んだ。
 「姉上様は慎み深い方です!
 そのような不埒な行いは決して・・・」
 「あら?
 そんなの、飢えた事がないから言えるのよ、ハワード。
 あの子はもう、何百年も飢えていたの。
 その渇きを癒すものを・・・人血の味を知ってしまった今、惹き寄せられないわけがないわ」
 ただ問題なのは、と、エリアーデは細い指を顎に当てる。
 「血の飲み方を教えていないから・・・レディらしく優雅に飲めるかしら?」
 いきなり食いつきはしないだろうけど、と、また言って、エリアーデは愉しげに笑った。


 そんな会話が階下でなされているとは知らず、ミランダは吸い寄せられるようにリーバーに身を寄せた。
 「ミ・・・ミランダさん・・・?!」
 驚くリーバーを見あげ、ミランダは花がほころぶような、柔らかな笑みを浮かべる。
 「ミランダ、と・・・そう呼んでください」
 「ミ・・・ミランダ・・・・・・」
 途端、ふわりと微笑んだ彼女に魅了された。
 「うれしい・・・」
 冷たい両腕がリーバーの首に回され、ミランダが更に身を寄せる。
 リーバーが細い身体を抱き寄せると、笑みを深めたミランダの唇が、彼の首筋に触れた・・・。


 ―――― はっと目を開けるや、がばっと起き上がったリナリーは、眩暈を起こして再び倒れた。
 「なによ・・・これ・・・!」
 ぐらぐらと揺れる視界に吐き気すら覚えて、ぎゅっと目をつぶる。
 しばらくして、そろそろと目を開けると、ずっと闇の中にいたためか、暗く雑然とした室内が難なく見渡せた。
 しかし、そのことが逆に、リナリーを不安にさせる。
 「こんなによく見えるなんて・・・まさか・・・・・・」
 オペラ・ハウスの中で、エリアーデに襲われたことを思い出し、リナリーは震える手で自分の首に触れた。
 「まさか・・・私・・・・・・」
 指先が真新しい傷に触れ、鼓動が跳ねる。
 「まさか・・・・・・!」
 震える声で呟いた時、
 「白馬の王子が助けに来ましたよ、リナリー姫v ぷぎゃっ!!」
 大声をあげて入って来た魔物を、リナリーは手近にあったホウキの柄で叩きつけた。
 「なにが白馬の王子だよ!
 私の血を吸いに来たんでしょ!この吸血鬼!!」
 アレンの額を割った棒を振りかざし、リナリーが胸をそらす。
 「答えなさい!
 私はヴァンパイアにされちゃったの?!」
 柄の先端を眼前に突きつけられたアレンは、リナリーの剣幕に怯え、ただひたすら首を振った。
 「エ・・・エリアーデさんは、リナリーを眠らせるために血をもらっただけだって言ってました!」
 今にも頭を砕かれそうな勢いに顔を背ければ、ぐりぐりと頬に柄を突きつけられ、アレンは慌てて言い募る。
 「だ・・・だからまだ、眷属にはしてないって・・・!!」
 「そう!よかった!」
 ダンッと、棒を床に叩きつけ、リナリーはへたり込んだアレンを睨んだ。
 「どきなさいよ!さっさと逃げるんだから!!」
 「えぇー!なんで・・・もっとゆっくりしてってくださいぃー!
 僕達の将来のこととか、お茶でも飲みながらお話しましょうよ!」
 縋りつくアレンに歩みを封じられ、リナリーは肩を怒らせる。
 「ホンット懲りない子だね、アレン君!
 あんまりしつこいと、塔に吊るしちゃうよ?!」
 「なんでっ?!
 リナリー、僕のお嫁さんになりに来てくれたんでしょ?!」
 「こっちがなんでだよ!!
 なにそれ、どうやったらそんなにポジティブ思考になれるの?!」
 あまりにも懲りないアレンをリナリーが怒鳴りつけると、彼は眉根を寄せて首を捻った。
 「うぅーん・・・。
 この年で2〜3回どん底を経験しちゃったら、もう上がるしかないなって思うように・・・」
 「そんなことを聞いてるんじゃないんだよ!
 ホントに塔に吊るしちゃおうか!!」
 ぐぃーっと、腕を突っ張るリナリーから、アレンは引き剥がされまいと更にしがみつく。
 「そっ・・・そんなこと言わずに・・・一緒に生きましょうよぅ!!」
 「お断り!!」
 アレンのしつこさに息を切らしながら抵抗し、リナリーは彼を引きずりながらドアへ向かった。
 その指がドアノブにかかる寸前、ドアが外側から開く。
 「リナリィィィィ!!
 結婚してくれないと、僕死んじゃうっ!!」
 「じゃあ死にナサイ」
 冷たい声と共に、ザクッと突き立てられた銀の短剣が、アレンの左半面を切り裂いた。
 「ぴぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 眷属となって以来、銀と紫外線に対して強いアレルギーを持つようになってしまったアレンが、凄まじい悲鳴をあげる。
 「兄さん!」
 「お待たせ、リナリーv
 真の白馬の王子に駆け寄り、抱きついたリナリーをコムイも抱きしめた。
 「侵入するのに、ちょっと苦労しちゃった。
 でも・・・」
 きらりと、コムイの目が妖しく光る。
 「可愛い妹の危機には、なにを置いても馳せ参じるんだよ、ボクは」
 言うや、やんわりとリナリーを放したコムイが、傷を押さえて悶えるアレンを見下ろした。
 「ボクのリナリーを襲った以上、死ぬ覚悟は出来てるよね?!」
 はっと顔をあげたアレンの胸を、銀の短剣が貫こうとした瞬間、
 「我が屋敷で殺生はやめるである」
 穏やかな声を受けて、コムイの手が止まる。
 いや、正しくは、一瞬で現れたアレイスターの手が、コムイの腕を掴んで止めていた。
 「ア・・・アレイスターさんっ・・・!」
 涙声のアレンに頷き、アレイスターは人外の力でコムイの手から短剣を奪い取る。
 「こんな子供をいじめないで欲しいである」
 「子供ったって、この子はボクの妹を襲ったんですよ?!」
 「そうよ!退治されて当然よっ!!」
 アレイスターの手を振り解いたコムイだけでなく、リナリーにまで凄まじい目で睨まれたアレンは、仔ネズミのように素早くアレイスターの背後に隠れた。
 痛みと恐怖にぶるぶると震え、縋るアレンを肩越しに見遣ったアレイスターが、コムイに向き直る。
 「誤解であるよ。
 貴殿の妹君を襲ったのは我が妻である。
 ここに放り込んだのはハワードで、アレンはそれを助けに来ただけである」
 「信じられるもんですかっ!」
 「そうだよっ!
 この子ったらずっとお嫁さんになれとか結婚してとか言って!」
 きゃんきゃんと喚く兄妹に、アレイスターは冷静に首を振った。
 「アレンはまだ半人前であるから、人間を眷属にする力はないである」
 歯を見ただろう、と問われ、コムイが忌々しげに舌打ちする。
 「確かに、この子の歯はまだ、普通の人間と変わらない大きさでした」
 しかし、と、今度はアレイスターを睨みつけた。
 「わざわざ吸血事件なんか起こして、ボクをロンドンから遠ざけたのは、この隙にリーバー君とリナリーを連れこんで、あわよくば眷属に引き入れようとしたからでしょう?!」
 その指摘には、アレイスターも気まずげに肩をすくめる。
 「ばれていたであるか・・・」
 「当然ですよっ!!」
 吸血事件の依頼が来た際、コムイはまず、件の牧場が、誰の持ち物であるかを調べあげていた。
 巧妙に隠されてはいたものの、やはり真の持ち主はこの家であり、罠の存在を察知した彼は、ロンドンを出た振りをしてこの屋敷の近くで張っていたのだ。
 すると案の定、吸血鬼どもはリナリーをさらい、リーバーを誘い出した。
 「これなら依頼がなくったって、十分退治の理由になりませんか?!」
 激昂するコムイに、アレイスターは困惑げに眉根を寄せる。
 「どちらにも、無理強いするつもりはなかったのであるが・・・」
 「無理強いしようとしたじゃないっ!!」
 リナリーの怒号に、アレンがまた、びくびくと震えた。
 「まぁまぁ・・・。
 アレンには人間を眷属にするだけの力はないと、言ったばかりではないか。
 そういきり立つほどのこともないであろう。
 なにせこの子はまだ、本当に15歳なのだから。
 多少の行き過ぎは許してやって欲しいである」
 と、懸命にとりなすアレイスターの背に縋る、アレンの重みが増す。
 「アレン?」
 振り返ると、アレンが真っ白な顔をして、ずるずると倒れた。
 「これはいかん・・・早く手当てをしなければ!
 あぁ、見送り出来ずにすまないであるが、コムイ殿!
 出口はもう、存じているであろう?!
 ご機嫌ようである!」
 せかせかと言いながらアレンを抱えたアレイスターが、慌てて部屋を出て行く。
 「エリアーデ!エリアーデ!!アレンが怪我をしたである!」
 大声で妻の名を呼びながら走って行ったアレイスターの背を、兄妹は唖然と見送った。
 「に・・・兄さん・・・」
 「ん・・・?」
 呆然とした妹の呼びかけに、コムイは呆然と応じる。
 「帰れって言われたけど・・・・・・」
 「うん・・・リーバー君、探さなきゃ・・・・・・」
 頷いたものの、妹の危機には超人的な感知力を誇るコムイもリーバーまでは感知できず・・・広大な屋敷のどこにいるものか、はっきり言って見当がつきかねた。


 一方、首にミランダを絡ませたリーバーは、思わぬ展開に凍りついていた。
 ミランダが首筋に唇を寄せた時には、血を吸われるものだと覚悟したが・・・彼女は仔犬のように時折舌を這わせる程度で、いつまでも牙を立てようとはしない。
 「ミ・・・ミランダ・・・?」
 「リーバーさん・・・いい匂い・・・v
 少女のような高い声にどきりと、リーバーの鼓動が跳ねた。
 「それに・・・あったかぁい・・・・・・」
 呂律の回っていない口調をさすがに訝しく思い、リーバーはわずか身を離す。
 「ミランダ、どうし・・・」
 言う間に、ミランダがくたりと崩れ落ちた。
 「ミラ・・・ミランダ?!
 どうした・・・しっかりしろ!!」
 リーバーの大声に、すかさずハワードが飛び込んでくる。
 「姉上様っ!!」
 絶叫と共に駆け寄るや、意識のないミランダをリーバーの腕から奪い取った。
 「一体姉上様になにをしたのだ、この無礼者っ!!」
 ものすごい形相で怒鳴られて、リーバーが慌てる。
 「ちょっ・・・それは誤解だ!!
 俺は何も・・・」
 「ではこのご様子はなんなのだ!!
 よくも姉上様に無体を強いてくれたなっ!!」
 「人を犯罪者みたいに言うんじゃねぇ!!」
 リーバーが思わず怒鳴り返した時、
 「合意の上なら犯罪じゃねぇだろ」
 と、笑い含みの声がかかった。
 「なっ・・・?!」
 「誰・・・」
 目を吊り上げたハワードの視線の先、鮮やかな赤毛に視界を染められたリーバーが、呆然と呟く。
 が、彼はその問いには答えず、長い脚を見せつけるかのように歩み寄ると、長身のリーバーを更に上から見下ろした。
 「ふぅん・・・お前が例の色男か」
 「は・・・?」
 コムイのおかげで見下ろされることには慣れたものの、あからさまに見くだされたとわかる態度にむっと眉根が寄る。
 と、彼は面白そうに笑ってハワードを見遣った。
 「こいつが何かしたんじゃねぇよ、ハワード。
 むしろ、ミランダがこいつを襲おうとして、力尽きたんだな」
 「いい加減なことを言わないでください、クロス殿!!
 姉上様がそんないっ・・・いかっ・・・いかがわしい行為に及ぶはずがありませんっ!!」
 真っ赤になって反駁するハワードを、クロスは鼻で笑う。
 「俺があの薬の、適切な使用量を教えんのを忘れてたんでな。
 一気に飲んじまって、悪酔いしちまったんだろ」
 くつくつと喉を鳴らして笑うクロスに反論できず、ハワードは真っ赤になって黙り込んだ。
 「まぁ、それだけが原因じゃねぇけどな。
 ミランダはただでさえ肌が弱いのに、こんな暑苦しい奴にずっと抱きついてたんだろ?」
 見ていたようなことを言われて、リーバーは真っ赤になり、激怒したハワードは更に赤くなる。
 そんな二人を面白そうに見比べ、クロスは取り出した葉巻を咥えた。
 「ミランダは悪酔いした上、熱にあてられたんだ。
 人間で言えば、大酒飲んだ後に熱射病になっちまった、ってとこかな?」
 言いながら、嫌がるハワードを押しのけたクロスが取ったミランダの手は、火傷したように紅くなっている。
 「なっ・・・これ・・・!!」
 驚くリーバーを横目で見遣り、クロスは紫煙を吐き出した。
 「お前、ミランダの頬とか首とか、ベタベタ触りまくったろ。
 血が薄いってだけで、ヴァンパイアも循環器は同じだぜ?
 こんなトコ触られりゃ、一気に熱が上がって当たり前・・・あ、こんなとこまで触ってやがる。
 手ェ早いな、お前」
 「ふっ・・・ふふっ・・・不埒なッ!!!!」
 クロスがミランダの、紅くなった場所を次々に示す度、ハワードの視線が突き刺さる。
 「おのれよくも清純な姉上様に無体を強いおって・・・!!」
 今度は反論できず、黙り込んだリーバーを、クロスが愉しげに見遣った。
 「あの程度の薬じゃまだ、完全に一人前にはなりきれなかった、ってことだな」
 くつくつと喉を鳴らし、今はミランダをハワードの腕へと返す。
 「お前が触れるようになるには、もう少し時がかかる。
 それが嫌なら、お前が眷属になるんだな」
 エリアーデと同じく、なんでもないことのように言って去って行くクロスの背を、リーバーは呆然と見送った。


 「リーバー君!ここかい?!」
 数十回の失敗の後、ようやく応接室らしきドアの向こうに目的の姿を発見した兄妹は、ほっと吐息を漏らした。
 「よかった・・・無事だったみたいだね!」
 いつもと変わらない顔色のリーバーに安堵し、コムイが歩み寄る。
 「もう!!心配したんだよ!!」
 その傍らを駆け抜け、リナリーがリーバーに抱きついた。
 「なんでこんなとこまでついてきちゃったんだよ!!」
 涙声の抗議に苦笑し、リーバーはリナリーの頭を撫でてやった。
 「心配かけてごめん・・・でも俺・・・・・・」
 言葉を濁すリーバーに、コムイが視線を鋭くする。
 「リーバー君、それは今すぐ決めることかい?」
 「先輩・・・」
 コムイの目を直視できず、俯いた彼に、コムイはそっと吐息した。
 「言っただろう?
 彼らの能力は『魅了』だって。
 キミは興味本位だったとはいえ、ヴァンパイア・ハンターの助手なんだ。
 こんなことで闇に囚われないでおくれ」
 「わかってます・・・・・・ですが・・・!」
 俯いたまま、リーバーは振り絞るような声をあげる。
 「今すぐは俺も・・・だけど、あの人に血を吸われるかも、って思った時、俺、嫌ではなかったんです・・・」
 「先生!!」
 リナリーの悲鳴じみた声に、リーバーはどこか困惑げに、彼女の背を撫でた。
 その身体はリーバーと同じ体温を持って、彼の掌を温める。
 だが今の彼には、その温かさよりも、ミランダの死人のような冷たさの方が心地よかった。
 どんなに強く抱きしめても、あの身体が温まることはないだろうが、せめて、彼女が遠い昔に失った、太陽の代わりになれるなら――――・・・。
 「俺は・・・あの人の側にいてやりたいんです・・・・・・」
 口を開いたコムイが、どんな言葉を浴びせるのかと息を呑んだ瞬間、リーバーはいきなり突き飛ばされた。
 「なっ・・・?!」
 驚いた視線の先で、リナリーがきつく彼を睨んでいる。
 「わかった。
 リナリーがあの人、退治してくる!」
 「やめろ!!」
 咄嗟に腕を掴んで止めた彼女は、噛みつかんばかりに歯を剥いた。
 「なんでだよ!あの人がいなくなれば、先生もこんな馬鹿なこと言わなくなるよ!!」
 「しかしその時は、あなたもただでは済みませんよ?」
 不意にかけられた冷たい声に、全員の視線が向く。
 別のドアから現れたハワードは、刃のように冷たい目で三人を睨んだ。
 「コムイ・リー。
 兄はあなた方へ帰るようにと、申しませんでしたか?」
 「・・・言われましたねェ。
 だけどボクら、彼を置いて帰るわけにはいかなかったんですよ。わかるでしょ?」
 そう言ってにっこりと笑ったコムイに、しかし、ハワードは厳しい表情を変えない。
 「では、無事に見つけたことですし、早々にお帰りください。
 まっすぐ。
 振り返らずに」
 言うやハワードは、すっと手を上げ、ドアを示した。
 「・・・もしもこのまま、あなた方が帰らずに、姉上様に危害を及ぼそうとするのなら、二度とこの屋敷を・・・いえ、この部屋を出ることはできないでしょう」
 忌々しげに歪めたハワードの唇から、白い牙がこぼれる。
 「わかりました。
 リナリー、リーバー君、行くよ」
 「うん!」
 すぐさま兄に付き従ったリナリーの背後で、逡巡するリーバーを、コムイとハワードの双方が見つめた。
 「リーバー君」
 「ミスタ・ウェンハム」
 二人に名を呼ばれ、身じろぐリーバーに、ふっと、ハワードが笑みを漏らす。
 「またのお越しをお待ちしております」
 今日は帰れとほのめかしたハワードに頷き、リーバーはコムイの後に従った。
 彼らの背を見送ったハワードは、ドアが閉まるや、忌々しげに舌打ちする。
 「・・・もう二度と来なければいい」
 姉にも義姉にも言えない言葉を吐き捨て、踵を返した彼は、まっすぐに姉の眠る部屋へ戻った。
 「姉上様・・・」
 白い肌の、所々を紅く染めて眠る姉の手を、ハワードはそっと握る。
 「なぜあんな者をお気に止めるのですか・・・!」
 何百年も家族だけで過ごしてきた・・・。
 時折、他の一族や、人間と交わることはあっても、ミランダが他人を眷属に引き入れようとしたことなど、一度もなかったのに・・・・・・。
 「なぜ・・・」
 紅く染まった手を労わるように握り締めると、姉の目がうっすらと開いた。
 「ハワードさん・・・・・・」
 泣きそうな顔で自分を見下ろす弟を、ミランダは悲しげに見あげる。
 「どうしたんですか・・・?
 なにか・・・ありましたか・・・・・・?」
 握られた手を握り返すと、ハワードはふるりと首を振った。
 「いいえ・・・ただ、姉上様が身体中に火傷を負われたので・・・」
 「あぁ・・・」
 もう一方の手を眼前に掲げ、ミランダは珍しく紅い、自分の肌を見つめる。
 「人の体温があまりにも心地よくて、つい、長く触れてしまいました・・・」
 苦笑するミランダに、ハワードはますます悲しげな顔をした。
 「なぜあんな・・・あんな、眷属になる決意もできない男を・・・!
 今まで通り、家族だけで過ごしてはいけないのですか・・・?!」
 時折声を詰まらせながら、ハワードは一向に赤味の引かないミランダの手を握り締める。
 「触れただけでこんな・・・おいたわしい・・・・・・!」
 「あなたも・・・触れたことがあるでしょう、人間に?」
 ミランダと違い、兄の代理として人間との交渉も行うことがあるハワードは、当然、人と触れ合う機会も多かった。
 「その温かさ・・・遠い昔に失った、あの太陽の温かさに似ていませんか・・・?」
 「太陽・・・?
 そんなもの私は・・・・・・」
 戸惑う彼に、ミランダは悲しげに眉根を寄せる。
 物心つかないうちに病を得、ミランダの願いで眷属にされた弟は、青空も陽の光も見たことがなかった。
 「ハワードさん・・・ごめんなさい・・・!
 私の・・・私のせいで、あなたは・・・・・・!」
 顔を覆って泣き出した姉に、ハワードが慌てる。
 「姉上様、私は・・・!」
 「ハワードさん・・・私を恨んでいるでしょう?
 あなたをこんな姿にした私を・・・・・・」
 「恨んでなんかいません!
 むしろ、あの時に死ななくてよかったと・・・姉上様とこうして過ごせて嬉しいと、心から思っています!」
 ハワードの記憶にはないが、もし幼い頃に死んでいたのなら、青空も陽の光も、その価値すら知らずにいたのだ。
 「何度も言っているではありませんか・・・私は決して、姉上様をお恨みなどしておりません!」
 きっぱりとした口調で言うと、ハワードは微かに微笑む。
 「それに、私はこの目で青空を見たことはありませんが、夕陽ならばいつも見ています。
 姉上様だって、夕陽を浴びた私の髪は、きれいだとおっしゃってくれるではありませんか」
 笑みを深め、ハワードはその冷たい手で、ミランダの紅く染まった頬に触れた。
 「あの薬を飲んで、一日も早くお元気になられてください。
 そうしてまた、一緒に夕陽を見ましょう」
 「えぇ、二人で・・・いえ、お兄様やお姉様と一緒に・・・・・・」
 温かいが、長くは触れ合えないリーバーと違い、ハワードの手はひんやりとミランダの肌を癒す。
 「そうしましょう・・・」
 このままずっと、家族だけで生きるべきなのだと、自身に言い聞かせたミランダのこめかみに、また涙が伝った。


 その頃、リー兄妹によって彼らの自宅に連行されたリーバーは、厳重に結界を張られた一室に閉じ込められた。
 「・・・予想はしていましたが、本気で非人道的なことしてくれますね、あんたら」
 ドアに背を預け、ため息混じりに言えば、廊下にいる兄妹は口々にまくし立てる。
 「なにが非人道的だい!
 これも可愛い後輩を守るためじゃあないか!」
 「そうだよ!
 あんな吸血鬼なんかにころっと騙されちゃって!
 先生を守るためなら、多少の犠牲はいとわないんだよ!!」
 リナリーが言うところの『多少の犠牲』で、今のところ最も犠牲になっているのは自分だな、とは思ったが、口に出せば更に激しく反論されそうなので黙っていた。
 「・・・で?
 俺はいつまでここにいればいいんです?」
 諦め口調で問えば、コムイが『明晩まで』と答える。
 「明日の晩、今後一切キミに近づかないようにって、ボクがきっちりナシつけてくるよ。イイネ?」
 しかし、リーバーは答えなかった。
 「先生!!」
 非難がましいリナリーの声に、またため息が漏れる。
 「それ・・・俺が直接言うって選択はナシですか?」
 「ナシだね」
 きっぱりと言って、コムイは口調を厳しくした。
 「これはヴァンパイア・ハンターとして言うよ。
 今のキミは、吸血鬼どもの術中にはまっている。
 自分ではわかんないだろうケド、理性なんてとんじゃってるんだよ。
 人間のまま、彼らの側にいるコトなんてできるもんか。
 彼らとは生きる世界が違うんだよ」
 ・・・わかっていたことだが、はっきりとした口調で並べられる全ての言葉が胸に刺さる。
 だが、
 「こんなの、悪い風邪みたいなもんだよ。
 一時的に熱は上がるけど、治ったらケロッとして、体調が悪かった時の事なんて忘れるよ」
 という、コムイのアドバイスには首を振った。
 ・・・これは一時の熱などではない。
 あのか弱げな姿を思い浮かべるだけで、支えてやらなければと、今も強く思わずにはいられなかった。
 しかしその思いをも、コムイは彼女の術中にはまったのだと言うのだろう。
 懸命に反論の言葉を並べても、結局はその一言で片付けられることに苛立ち混じりの疲労を感じて、リーバーは黙り込んだ。
 と、彼の心情をほぼ正確に読み取ったコムイは、苦笑して閉ざされたドアに手を添える。
 「しばらく待っておいで。
 決して、悪いようにはしないからさ」
 なだめるような声に重なり、何か重い物を引きずってくる音がした。
 「じゃあ先生!
 私、先生が逃げないように、ここで見張ってるからね!」
 別室にあったソファでドアを塞ぎ、リナリーはその上に寝そべる。
 「あ、窓の外には犬を放しておいたから、逃げようったって無駄だからね!
 おやすみv
 最後の言葉は兄にも言って、リナリーが手を振った。
 「リナリーも、風邪ひかないようにね」
 「うんっv
 兄に頭を撫でられたリナリーは嬉しそうに頷いて、毛布を被る。
 「じゃあおやすみ」
 ひらりと手を振って、コムイは踵を返した。


 ―――― 翌晩。
 再びかの屋敷を訪れたコムイは、その目的を告げるや、途端に友好的になったハワードに案内されて、応接間に通された。
 「キミも極端だよねぇ・・・」
 呆れ気味に言ったコムイに、ハワードはふん、と鼻を鳴らす。
 「敵が自ら退くと言うのです。
 喜ばしく思いこそすれ、邪魔するいわれがありません」
 「敵って・・・寄って来たのは君らの方じゃない。
 それより姉上の具合はいかが?」
 「・・・っおかげで酷い火傷を負わされまして!
 まだ寝込んでおりますよっ!!」
 今にも襲い掛からんばかりに歯を剥くハワードに、コムイは肩をすくめた。
 「そんなに怒んないでよ。
 リーバー君のせいばかりじゃないんだからさ」
 「何を言うか!!
 そもそも人間風情が姉上様に触れようなどとおこがましい!!」
 「これ・・・なにを騒いでいるのであるか」
 ハワードのヒステリックな声を聞き、急いで駆けつけたアレイスターが、おっとりと間に入る。
 「そう怒鳴るでない。ミランダが目を覚ますであるよ?」
 兄の指摘にハワードは、はっと口をつぐんだ。
 「で、本日は何用かな、コムイ・リー?」
 吸血鬼とは思えないほど穏やかな物腰で問うたアレイスターに、コムイが拗ねたように口を尖らせる。
 「おわかりでしょうに、アレイスター卿も存外、人が悪いですね。
 ボクの大事な妹と大事な後輩を、仲間に引き入れないくださいって、お願いに伺ったんですよ!」
 「だから無理強いはしていないというのに・・・」
 困惑げに眉をひそめたアレイスターに、しかし、コムイはキッと目を尖らせた。
 「それは卿がそう思っているだけで、奥方とアレン君はそうじゃないでしょう!
 特にあのクソガキのしつこさと言ったら・・・!!
 よろしいですか、卿。
 ボクはあなた方が人を襲わないのなら、特に依頼でもない限りほっとこうと思ってたんですよ。
 それが、欧州での常識的なやり方ですからね!」
 英国と違い、吸血鬼の種族が多い大陸では、ヴァンパイアだからと言っていちいち相手をしていたらきりがない。
 「でも!
 これ以上ちょっかい出すようなら、ボクは断固戦いますよっ!!」
 きっぱりと言い切ったコムイに、アレイスターはますます困惑げに眉根を寄せた。
 「エリアーデに対しては・・・私からも強引にはせぬようにと言ってやれるが、アレンはクロスの従者であるからなぁ・・・。
 あの子は今、この屋敷に遊びに来ているだけであるから、私からはなんとも言い難いである・・・」
 「じゃあ、あの子は殺していいですか」
 「それはやめて欲しいである。
 今も、貴殿にやられた傷が元で、寝込んでいるであるからな」
 酷い出血だった、と、非難がましい顔をするアレイスターに、コムイは鼻を鳴らす。
 「ボクの可愛い妹を襲おうとしたんです。
 あのくらい、当然ですよ!」
 「それに対しては同意します、コムイ・リー」
 意外なところからの援軍に驚くコムイの傍らで、ハワードは兄に向き直った。
 「あの根性曲がりの子供も、今回はさすがに懲りたでしょう。
 少しは静かになって、よいかと思います」
 「またお前はそのように、冷たいことを・・・」
 軽くため息をついたアレイスターは、気弱げな顔をコムイに向ける。
 「アレンのことは今言った通りであるが、ミランダのことは・・・」
 重いため息をつき、アレイスターは横目でハワードを見遣った。
 気まずげに身じろぎし、目を逸らした弟に、アレイスターはまたため息をつく。
 「まずは、もう貴殿が心配することはないと言っておくであるよ。
 と言うのも実は、あの子の方がまた、悪いクセを出してしまって・・・・・・」
 「悪いクセ・・・ですか」
 怪訝な顔をして首を傾げたコムイに、アレイスターは頷いた。
 「引きこもり癖であるよ。
 こちらに来てからは、少しずつ改善されていたのであるがなぁ・・・」
 そう言って更に、ため息をつく。
 「なにしろ英国は、近代的で珍しいものが多いし、神の威光もそれほど強くはないであろ?
 ゆえにこの国に来て以来、あの子は少しずつ外に出るようになったのである。
 しかし、今回の件でまた内に引きこもろうとしている・・・。
 私は別に、リーバー殿を眷属にしようなどとは思っていなかったのであるよ。
 ただ、あの子が外に出るきっかけになればよいと思っただけなのだが・・・」
 アレイスターの残念そうな口調に、ハワードがますます気まずげな顔をした。
 が、
 「それはお考え違いですよ、アレイスター卿」
 先ほどの礼とばかり、今度はコムイが援護する。
 「あなた方とボク達では、生きる世界が違います。
 どんな人間も、『人間』のままではあなた達と共にあることはできない。
 しかし彼女が・・・ミランダ嬢が求めているのは、『人間』のリーバー君でしょう?
 彼は将来を嘱望された、優秀な人間です。
 あなた方に愛玩されるような人間じゃない。
 いくら世間知らずだからって、そんな『人間』を飼おうだなんて、はじめから無理だと言い聞かせていただかないと困りますよ。
 それに・・・」
 反駁しようとしたアレイスターを遮り、コムイは指先でメガネを押し上げた。
 「魅了の能力で誘惑するなんて、フェアじゃありませんよ?」
 その言い様にはさすがにムッとしたものの、魅了が彼らの能力のひとつであることは確かなので、アレイスターもハワードも、ただ口をつぐむ。
 その隙を逃さず、コムイは言い募った。
 「ミランダ嬢のことは、お気の毒だとは思いますが、彼女は孤独というわけでもないでしょう。
 あなた方がいるし、あの騒がしい子供もいて、随分と賑やかなのではありませんか?」
 くすりと、コムイは意地の悪い笑みを漏らした。
 「これ以上の手出しは、無用に願います」
 「・・・なるほど」
 口を閉ざしたコムイに、アレイスターは感心したように頷く。
 「最近のヴァンパイア・ハンターは、様々な戦い方をするものであるな」
 「現代のヴァンパイアには、十字架も聖水も効きませんからね」
 冗談めかしたコムイの台詞に、アレイスターは笑い出した。
 「そんなもの、昔から効きはしないであるよ。
 私が言ったのは、貴殿がただ得物を振り回すだけの乱暴者ではなかったのだな、ということである」
 アレンをざっくり切り裂いた時は、こんなにも冷静な説得のできる人間だとは思わなかった。
 ひとしきり笑ったアレイスターは、大きく頷いた。
 「エリアーデ、聞いていたであろう?」
 アレイスターが壁に向かって呼びかけると、隠し扉が開いて、中から不満げなエリアーデが出てくる。
 「残念であろうが・・・リーバー殿のことは諦めるであるよ」
 「はぁ・・・・・・」
 ため息のように呟いたエリアーデは、不満げながらも頷いた。
 途端、喜色を浮かべたコムイを、じろりと睨む。
 「・・・誤解なさらないでね、コムイ・リー。
 私が諦めたのは、ミランダがもういいと言ったからですよ。
 あの子が・・・」
 一旦言葉を切ったエリアーデは、一つ、ため息をついた。
 「これ以上の関係を望まなかったから。
 そこを勘違いなさいませんように」
 冷たく言い放つと、エリアーデはくるりと背を向け、ドアの向こうに消える。
 「・・・まぁ、ここはレディ達の顔を立てて欲しいである」
 「もちろん、そのつもりです」
 その方がリーバーも諦めがつくだろう、と、二人は苦笑を交わした。


 同じ頃、屋敷の一室で寝込んでいると思われていた少年は、コムイ来訪の気配を察知するや、外へ逃げ出していた。
 今度こそ殺される、と思ってのことだったが、門外に飛び出した彼の顔に、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
 途端、コムイに負わされた傷が激痛をもたらし、アレンは包帯に覆われた半面を押さえた。
 「イタタ・・・もう、コムイさん、酷い・・・」
 泣き声は、しかし、すぐに明るい声へと変わる。
 「でも、コムイさんがここにいるってことは、リナリーはおうちだねv
 通りまで駆けたアレンは、辻馬車を拾って彼女の家に乗りつけた。
 エントランスは相変わらず・・・いや、今夜は更に念入りに結界が張られているため、アレンは前回と同じく、まずは隣家に入り込み、塀伝いに裏庭に回る。
 「リーナリーvv
 明かりのともった部屋のバルコニーに侵入し、中へ呼びかけると、すぐに窓が開いた。
 「アレン君・・・また!」
 柳眉を吊り上げたリナリーににこりと微笑・・・もうとして、アレンは傷みに顔をしかめる。
 「イタタ・・・!
 ねぇリナリー・・・!
 僕、せっかく可愛い顔してたのに、キズモノにされちゃいました。
 責任とって僕のお嫁さんになってくださいv
 両手を組み合わせて小首を傾げたアレンの額に、ざくっと、銀のロザリオが刺さる。
 「ぷみゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 踏み潰された子猫のような悲鳴を発したアレンを、リナリーは憤然と睨みつけた。
 「いい加減にしろって、言ってるでしょ!」
 「ぎゃあああああああああああん!!イタイ――――!!!!」
 傷口が開いたのか、包帯に紅く、血が滲んでいく。
 うずくまり、激しい泣き声をあげるアレンに思わず、リナリーの心が痛んだ。
 「ご・・・ごめんなさい、痛かったよね・・・?」
 気遣わしげに屈みこんだ瞬間、手を取られ、抱きすくめられる。
 「なっ・・・!!」
 「リナリー、つーかまえたv
 銀色に光る目がきらきらと輝いて、リナリーの目を覗き込んだ。
 「ふふ・・・v
 リナリーってとっても優しいんですねv
 僕、またリナリーの事が好きになりましたv
 「よくも騙したわね!」
 悔しげに目を吊り上げ、睨むリナリーにアレンが笑みを深める。
 「だって僕、今まで色んなものを失くして来たんですもん。
 リナリーだけは絶対に手に入れるって、決めたんです」
 額が触れるほどに顔を寄せられたリナリーは、銀色の瞳に魅せられ、目を逸らすこともできなかった。
 「放して・・・」
 かろうじて声をあげるが、アレンの腕は更にしっかりと、リナリーを抱き寄せる。
 「嫌です。
 僕のお嫁さんになるって言うまで、放しません」
 「だからそれは・・・!」
 「僕のこと、嫌いですか・・・?」
 哀しげな目でまっすぐに見つめられたリナリーの喉は、声を発することができずにただ、こくりと鳴った。
 その音に視線を落としたアレンもまた、こくりと喉を鳴らす。
 彼の銀色の目は、青い血管を浮かび上がらせる、彼女の細く白い首に魅せられた。
 「リナリー・・・」
 桜色の耳朶に囁きながら、アレンは絹のように滑らかな手触りの黒髪に手を絡める。
 「お願い・・・・・・」
 あらわになった首筋には、エリアーデがつけた傷痕が、まだ紅く残っていた。
 「僕のものになって・・・」
 傷痕に唇で触れ、彼女の血が放つ、甘い香りに酔う。
 「僕と・・・生きて・・・・・・」
 「ダメッ!!」
 鋭く叫んだリナリーが、アレンの手に銀のロザリオを押し付けた。
 「いたっ・・・!!」
 たちまち肌を焼かれたアレンが、火傷を負った手を引く。
 「ちょっ・・・銀はやめてくださいよ・・・!」
 酷い、と呟いたアレンを、リナリーは激しくにらみつけた。
 「どっちが酷いんだよ!
 騙した上に変な術使って、また噛みつこうとした!!」
 「騙したのは認めますけど・・・変な術って?
 僕、まだ半人前だから術も使えないし、人の血も飲めません」
 当然、眷族にすることもできない、と、言い訳するアレンの目の前で、リナリーは茹で上がったように紅くなる。
 「リナリー?
 どうしました?真っ赤ですよ?」
 「うっ・・・うるさい!!」
 アレンに見惚れたのが、彼の魅惑の能力ではなく、本気で魅せられたのだと気づいて、リナリーは殊更刺々しい口調になってしまった。
 「いっ・・・今は私だって半人前だけど、すぐに兄さんよりも強いヴァンパイア・ハンターになるんだから!
 そしたら最初に、アレン君を退治するよ!」
 宣言と共に指差すと、目を丸くしたアレンの顔が、徐々に綻んでいく。
 「ねぇ、それって、僕を追いかけてくるってこと?
 追いかけてくれるの、リナリー?!」
 傷の痛みも忘れ、喜色を浮かべるアレンに、リナリーが眉根を寄せた。
 「なんでそんなに嬉しそうなのよ!」
 「だって!」
 一足に離れた距離を詰めて、アレンはリナリーの両手を握る。
 「君が一人前になる頃には、僕もきっと、一人前のヴァンパイアになっているよ!
 だからリナリー、僕を追いかけて来てv
 そしたら僕は・・・」
 心から嬉しそうなアレンの笑顔に、リナリーは思わず見惚れた。
 「僕は君を花嫁にする・・・必ず!」
 呆然とした隙に、一方的な誓いのキスをされ、もがいたリナリーはまた、アレンの手にロザリオを押し付ける。
 「きゃんっ!!」
 泣き声をあげてリナリーを放したアレンは、またも火傷を負った手を猫のように舐めた。
 「酷い・・・」
 またも涙声で呟いたアレンを、リナリーがキッと睨む。
 「っやれるもんならやってみなさいよ!絶対退治してあげるんだから!」
 荒く息をつきながら怒鳴るリナリーの剣幕に怯え、アレンはじりじりと後退した。
 「ねぇ・・・結婚したら、もっと優しくしてくれるよね?」
 「しないって言ってるでしょ!私達は生きる世界が違うんだから!」
 兄の言葉をそのまま口にすると、アレンはきょとん、と目を丸くする。
 「生きる世界・・・?
 あぁ!身分なら心配しないでください!
 純血の貴族は僕の師匠で、僕は師匠の従者ですから!
 そんなこと気にしなくていいんですよ?」
 「そんな心配じゃないよ!!」
 リナリーがぶんぶんと首を振ると、アレンはしばらく考えてから手を打った。
 「そうか!
 子供、必要ですよね?!」
 「はぁっ?!」
 ずいっと身を寄せてきたアレンから、今度はリナリーが身を引く。
 「なんだよ、それ!!」
 「うん、だからね?
 完全にヴァンパイアになっちゃうと、中々子供ができないんですって。
 だからどうせなら、僕たちが一人前になる前に作って・・・」
 「いい加減にしろっ!!」
 我慢の限界を超えたリナリーが、怒りの斬撃を繰り出した。
 「ざくろっ!!」
 木刀の直撃を受け、割られた頭から噴水のように血が噴出す。
 「今ここで殺っちゃおうか!!」
 リナリーが木刀を正眼に構えた時、
 「リナリーがやる前にボクが殺るよ!!」
 振り下ろされた銀の短剣を、アレンは紙一重でよけた。
 「ココココココココッ!!!!」
 新種の鶏かと思う奇声を発し、真っ青になったアレンは素早くバルコニーを越える。
 「待ちなさいこのクソガキ!!
 今すぐ殺してくれる!!」
 「やだああああああああああああああああああああ!!!!」
 だくだくと血を流しながらも、必死に夜闇の中へ逃げ込んだアレンの素早さに、コムイは舌打ちして追跡を諦めた。
 「次に会った時があの子の命日だよ!!」
 ギリギリと歯噛みしつつ、コムイはリナリーを抱きしめる。
 「無事でよかった、リナリー!
 怖い思いさせてゴメンネ・・・!」
 「ううん、大丈夫。
 怖くなんかなかったよ!」
 気丈に笑った妹に微笑みを返し、コムイは、ふと周りを見回した。
 「ねぇ・・・リーバー君は?」
 家の中でこんな騒ぎが起これば、頼もしい彼のこと、たとえ閉じ込められていても、リナリーを助けに来そうなものだが・・・。
 不思議に思った瞬間、二人は顔を見合わせた。
 「逃げられた!!」
 声を揃え、二人して彼を閉じ込めた部屋へと走る。
 が、幾重にもかけた鍵を外した二人が飛び込んだ時、暗い室内に彼の姿はなかった。


 コムイが辞去した後、憮然としてグラスをあおるエリアーデに、アレイスターは気弱げな目を向けた。
 「そ・・・そんなに怒るでないよ、エリアーデ・・・。
 うまく行かず、悔しいのはわかるであるが・・・・・・」
 「そうですとも。
 あんな暑苦しい人間、わざわざ眷族に引き入れることもないでしょう。
 後々の面倒を避けるためにも、ここはヴァンパイア・ハンターに譲って正解かと思います」
 嬉しげな口調で兄に同意したハワードを、エリアーデは横目で睨みつける。
 「・・・私は、彼に負けたのが悔しいだなんて思ってないわ。
 そもそも、私は彼に負けたわけではないもの」
 空になったグラスに生の人血を満たし、エリアーデはまた、一気にあおった。
 「エリアーデ・・・!
 飲みすぎであるよ!!」
 更にデキャンタを取り上げた妻に、アレイスターもさすがに慌てる。
 が、いつも彼に対してのみ従順なエリアーデが今回は聞かず、柳眉を吊り上げてグラスに血を注いだ。
 「私は!
 勝てる勝負を途中で捨てたミランダが腹立たしいのよ!!」
 まなじりを紅く染め、叫んだエリアーデの手の中で、グラスが砕ける。
 「初めて獲物を欲したのに、なんて不甲斐ない・・・!」
 「あ・・・義姉上、しかし・・・!」
 「ミ・・・ミランダはああいう性格なのだから・・・・・・」
 エリアーデの剣幕に怯え、思わず身を寄せ合った男達を、紅い瞳が睨んだ。
 「不甲斐ない・・・!」
 紅く染まった手を握り締め、腕に伝う血に舌を這わせる。
 「全く、誰も彼も・・・・・・!」
 不満の途中で言葉を切ったエリアーデは、つい、と、視線を窓の外へ向けた。
 彼女とほぼ同時に、気配に気づいたアレイスターは気まずげに視線をさまよわせ、ハワードはすかさず踵を返す。
 「お待ちなさい」
 翻った長い髪を掴み、ハワードを引き止めたエリアーデは、紅いまなじりに艶っぽい笑みを浮かべた。
 「野暮は嫌われてよ?」
 「義姉上は!
 姉上様の寝所に不逞の輩が侵入するのを、見過ごせとおっしゃるのですか!!」
 蒸気機関車のように怒りの湯気をあげて怒鳴るハワードに、エリアーデはクスクスと笑う。
 「えぇ。
 ここは気づかない振りをしましょv
 「不埒なっ!!破っ廉っっ恥なっっっ!!!!
 兄上、こんな非道の行いが我が屋敷でなされてよいのですか?!」
 「あ・・・いや・・・・・・・・・」
 ハワードの悲鳴じみた非難に、アレイスターは頷きかけたものの、妻の眼光に負けて目を逸らした。
 「そっとしておけばよいのではないかな・・・・・・」
 「兄う・・・ぇぶっ!!」
 更に髪を引かれ、無理矢理仰向かされたハワードは、クリスタルのデキャンタから直接生の血を注がれる。
 「これでも飲んで、寝てなさい」
 強い酒を一気に飲まされた人間のように、あっという間に目を回したハワードを床に放り出すと、エリアーデは血だらけになったドレスを見下ろし、軽く吐息した。
 「汚れちゃったわ・・・。
 新しい仲間を迎えるのに、こんな格好ではお祝いも出来ませんわね。
 着替えてきますわv
 先程までの不機嫌さはどこへやら、弾むような足取りで部屋を出て行ったエリアーデを見送ったアレイスターは、そろそろとハワードに歩み寄る。
 「これ・・・。
 しっかりするであるよ、ハワード・・・。
 これ・・・・・・」
 気弱げな呼びかけに、しかし、ハワードは一向に目を覚ます気配がなかった。


 隠し持っていた工具で窓を外し、コムイよりも自分に懐いている犬達に手を振って、リー家から抜け出したリーバーは、コムイが屋敷を辞去した頃合を見計らって侵入した。
 番犬か、広い庭には何頭もの犬が放たれていたが、不思議と彼を見ても吼える事はなく、むしろ歓迎するかのように尾を振って寄って来る。
 「人懐こい奴らだな・・・こんなんで大丈夫なのか?」
 擦り寄ってきた犬達を撫でてやりながら庭を渡り、ミランダの部屋の下まで来ると、随分高い場所にあるバルコニーを見上げた。
 「さて・・・どうするか」
 呟けば、まるでその言葉を理解したかのように、一頭がリーバーの袖を引く。
 「なんだ?」
 来い、とでも言うように闇の奥へと向かう犬について行けば、木の影に庭師が使っているらしいはしごが立てかけてあった。
 「・・・使えってか」
 「クゥン・・・」
 誉めろとばかりに喉を鳴らす犬を、リーバーは苦笑しつつ撫でてやる。
 「サンキュ。
 ありがたく使わせてもらうよ」
 はしごを抱えたリーバーは、それをバルコニー横の壁に立てかけた。


 カタン、と、壁を打つ音に目を覚まし、ミランダはまだ暗い外を見遣った。
 一体どれだけの時間、眠っていたのだろうかと思いながら、だるい身体を起こす。
 と、闇を難なく透かす目に、黒い人影が写った。
 「ひっ・・・!」
 驚いて身をすくめたミランダは、コンコン、と、リズミカルに窓を叩く音に更に震える。
 「だ・・・誰ですか・・・?」
 クロスだろうかと、危機感を覚えて呼び鈴に手をかけた彼女に、遠慮がちな声がかかった。
 「俺です」
 もう二度と聞く事はないと思っていた声に、ミランダは目を見開き、ベッドから降りる。
 急いでカーテンを開けると、リーバーの笑顔がそこにあった。
 「なぜ・・・」
 「先輩とリナリーに、散々説得されたんだけど・・・・・・」
 照れくさそうに言葉を濁す彼を、ミランダは生真面目に頷きながら見つめる。
 と、逡巡していたリーバーは、やがて意を決して頷いた。
 「生まれて初めて、完全敗北を認める」
 きっぱりと言うや、彼はミランダの手を取る。
 これ以上、彼女を傷つけないためか、革の手袋をはめた手を、ミランダは呆然と見つめた。
 と、もう一方の手が頬に添えられ、ミランダは促されるままにリーバーを見あげる。
 「このまま別れたら、絶対に後悔するから・・・改めて、側にいるって決めたよ」
 にこりと笑った彼を、ミランダは呆然と見つめた。
 「そんな・・・私、せっかく・・・・・・」
 諦めようとしたのに、と言う言葉は、指でそっと塞がれる。
 「もう決めた。
 けど、まだ眷属にはならない。
 しばらくは人間のまま、ミランダの主治医として、側にいるよ」
 「主治医・・・?」
 意外そうに問い返したミランダに、リーバーは頷いた。
 「あぁ。
 まずは人間の体温程度じゃ火傷しないくらいに、身体を強くしよう」
 笑みを深めた彼に、ミランダは頬を染める。
 「そうなれば私・・・あなたに直接触れることが出来ますね・・・!」
 小さな声で、恥ずかしげに言った彼女を思わず抱きしめそうになり、リーバーは慌てて身を離した。
 「あの・・・無意識だってことはわかってるんだが・・・・・・!」
 「はい・・・?」
 小首を傾げ、見あげてくる彼女に、リーバーは声を詰まらせる。
 「あんまり魅了するのはやめてくれ・・・また・・・火傷させちまうから・・・・・・!」
 リーバーはやり場のない手を散々さまよわせた挙句、軽くミランダの肩に乗せた。
 「はぁ・・・あの・・・だったら・・・・・・」
 どこか残念そうに眉根を寄せたミランダは、にこりと笑うと、ついばむようなキスをする。
 「このくらいならいいですか?」
 「・・・っ!!」
 少女のように無邪気ないたずらにますます魅了され―――― リーバーは自分が、早々に屈する様を予想せずにはいられなかった。


 「リーバー君がお邪魔してませんかッ!!!!」
 エントランスのドアを蹴破らんばかりにして入って来たリー兄妹は、しんと静まり返ったホールの様子に眉をひそめた。
 「まさか・・・!」
 不安げな顔を見合わせた二人は、はぐれないよう、しっかりと手を繋いで、屋敷内を巡る。
 が、隅々まで見ても、ヴァンパイアどころかネズミ一匹、見つけることは出来なかった。
 「逃げられた・・・!!」
 兄妹は異口同音に唸り、悔しげに歯噛みする。
 「追いかけよう、兄さん!
 きっとまだ、遠くには行ってないよ!」
 「うん・・・!
 リーバー君がヴァンパイアにされてしまう前に助けなきゃ・・・!」
 本来ならばそんなこと、期待することも出来ないが、今回、リーバーに限って言えば希望があった。
 「僕がここを出てから、そんなに時間は経ってない・・・まだ、ロンドンを出てはいないはずだよ!!」
 先に踵を返した兄に、リナリーも続く。
 「吸血鬼たちみんな退治して、先生を取り戻すんだから!!」
 気炎を上げ、エントランスホールに駆け込んだ二人は、ドアが外側から開く様に足を止めた。
 互いに身を寄せ合い、油断なく見つめる先に、毒花のように紅い男が現れる。
 兄よりも大きな人間を初めて見たリナリーは唖然と口を開け、まっすぐに歩み寄ってくる彼から目が放せないでいた。
 と、
 「お前がリナリーか?」
 蠱惑的な声が、耳のすぐ側で囁く。
 「なっ・・・?!」
 いつの間に身を寄せたものか、冷たい指先がリナリーの顎に触れ、上向かせた。
 「なるほど・・・あの小僧が惚れるはずだ」
 にやりと唇をゆがめる様が、この気障な男には恐ろしく似合って、リナリーは茹で上がったように紅くなる。
 と、彼のもう一方の手に首を掴まれ、新種の軟体動物のように足掻いていた兄がようやく拘束から抜け出し、リナリーを引き離した。
 「あああっ・・・アンタ誰ですかっ!!
 僕の妹に気安く触るんじゃないよっ!!」
 きぃきぃと喚くコムイにうるさげに耳を塞ぎ、彼はリナリーにのみ微笑みかける。
 「俺はクロス。
 アレンの主人・・・」
 「あのクソガキの飼い主か――――!!!!」
 コムイが問答無用で振り下ろした銀の短剣はあっさりとよけて、クロスは肩をすくめた。
 「なんだ、随分乱暴だな」
 「アンタの躾がなってないおかげで、あの子には随分と迷惑こうむってんですよっ!!
 あの子今どこですかっ!!」
 またきぃきぃと喚くコムイに、クロスは軽く吐息する。
 「知らねェよ。
 俺は今、寝に帰って来たんだからな」
 「え?寝に・・・・・・?」
 その言葉にリナリーが窓の外を見遣ると、東の空がうっすらと明るくなっていた。
 「ミ・・・ミスター!!
 ここのご一家がどこに行ってしまったか、心当たりはありませんかっ?!」
 慌てて問うたリナリーに、クロスは必要以上に顔を近づけ、にやりと笑う。
 「あいつらも出て行ったのか・・・だったら、範囲はかなり広いぜ?
 あいつらは欧州だけでなく、この英国にもいくつか別荘を持っているからな」
 「英国にも・・・」
 呟いたコムイは、リナリーの手を引いた。
 「行くよ!
 夜明けが近い今、日中動けない彼らは、船を使うことができない!
 その別荘に行ったに違いないよ!」
 エントランスのドアを開けたコムイの背に、クロスが声をかける。
 「奴らの別荘を知ってるのか?」
 からかうような口調に、しかし、コムイは自信ありげな笑みを返した。
 「ボクを誰だと思ってんだい?
 そんなの、羊の吸血事件が起こった時点で調査済みだよ!」
 この屋敷から最も近い別荘に違いないと確信し、コムイはリナリーと共にロンドン郊外へと向かう。
 日が高くなっていくことこそ幸いと、辻馬車を急がせ、汽車を乗り継いで至ったマナーハウスには・・・しかし、誰かが訪れた気配すらなかった――――・・・。


 「・・・なんだ、いたのか」
 自室に向かう途中、廊下の向こうでゆらぐ香水の匂いをかぎとって、クロスは声をかけた。
 「いますとも。どこに行くと言うの?」
 隠し扉から出てきたエリアーデは、そう言ってクスクスと楽しげな笑声をあげる。
 「客人達には、別荘に行ったんだろうって言っちまったぜ?」
 クロスが口の端を曲げると、彼女は軽く頷いた。
 「上手に逃げるコツは、その場から動かないこと・・・―――― 邪魔者を追い払ってくださって、ありがとうございます」
 こっそりと囁き、エリアーデは別の隠し扉を開ける。
 途端、濃密な血の匂いが溢れ出た。
 「なんだ、酒盛り中だったのか?」
 だったら早く帰ってくればよかったと、ついて来るクロスに肩越し、エリアーデはくすりと笑う。
 「残念ながら、ハワードを酔い潰しただけですわ」
 姉の邪魔をするから、と、また笑って、エリアーデは空になったデキャンタを振った。
 「まだ飲むのなら、開けるであるよ?」
 帰宅したクロスに、隠し部屋の中でくつろいでいたアレイスターが言う。
 「そうだな・・・今夜は酒しか飲んでねェから、頼む」
 ソファでぐったりと寝込んだハワードを蹴落とし、この家の主のように傲然と腰を下ろしたクロスに、アレイスターは苦笑した。
 「そうそう、アレンが酷い傷を負っているであるから、後で診てやって欲しいである。
 応急処置はしたであるが・・・あの傷は残るであろうなぁ・・・」
 「銀か」
 先ほど、コムイが振り回した剣を思い出したクロスに、アレイスターが頷いた。
 その傍ら、デキャンタに人血を移したエリアーデがため息をつく。
 「可愛い顔が台無しですわ。
 まぁ、銀の毒が抜ければ、徐々に薄くなっていくでしょうけど・・・」
 「そうであるな・・・それまでは今までのように動けぬであろうから・・・」
 つい、と、アレイスターはクロスを見遣った。
 「しばらく、我が家で預かるであるよ。
 お前のような放蕩者と一緒にいるより、いいであろ?」
 「そうか」
 にやりと笑い、クロスは血の満たされたグラスを掲げる。
 「よろしく頼む」
 「あぁ」
 アレイスターと、エリアーデもグラスを掲げ・・・決して陽の光が入らぬように作られた部屋には、グラスの触れ合う涼やかな音が響いた。


 ―――― その後。
 まんまと逃げおおせた吸血一行が大陸に渡ったと調べ上げた兄妹は、彼らを追って欧州へ渡った。
 二人は老獪な吸血鬼達を追い詰め、退治することができるのか・・・それはまた、別のお話。



Fin.

 










ヴァンパイアパロでした!
ちなみにこれ、続きます(笑)
次回作は『WinterFall』になる予定!>冬かよ!
さてこれは、コムイ兄さんお誕生会開催中のチャットで、明け方に参加者を襲った『アレン君がリナリーの首にちゅーすればいい』という妄想を元に書いていますよ(笑)
健全サイトでなんていかがわしい話してんの!(笑)
なので、吸血鬼設定は出来るだけ平和なカンジでやってみました。
人血を『強い酒と同じで、子供は飲んじゃだめ』なんて設定しているヴァンパイアストーリー、世界で私一人だと思います(笑)>予想の斜め上行ってみた!
ついでに複雑な吸血鬼一家の繋がりを説明。
アレイスターさんとエリアーデは夫婦。ミランダさんとハワード君は遺伝子の繋がった姉弟。
でも、ミランダさんはエリアーデに血を吸われて吸血鬼になった為、エリアーデとは『血を分けた姉妹』だと思ってます。
ミランダさんにとってアレイスターさんは『姉の婿』で『義兄』、同じくアレイスターさんとハワード君は『血を分けた兄弟』なので、エリアーデは『兄の嫁』で『義姉』になります。
ただ、便宜上兄とか姉とか言ってるだけで、肉親ってワケでもありません。
エリアーデはアレイスターさんが嫁にする目的で血を吸った元人間。
血を分けていますが、結婚してます。そんな関係。
そしてアレン君が積極的な分、リナリーが乱暴になる、そんな方式。>やな方式!












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