† Winter Fall †
†このお話はヴァンパイア・パラレルです† 舞台は19世紀ですが、D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。 頭を空っぽにして読んで下さいね |
―――― 月のない夜。 一艘の船が、大陸へと続く黒い水面を渡っていた。 沿岸の明かりも落ちた深夜、標すら見えない闇の中でしかし、明かりも灯さず船は危なげなく進む。 どころか、昼に行き交うどの船よりも早く対岸に着き、闇の中で密やかに接舷した。 と、桟橋に軽やかな足音を響かせ、駆け寄ってくる者がいる。 「みんな、お帰りさー 船から降りてくる一行を迎えた少年は、にこりと笑って手を振った。 「ラビ君・・・どうしたんですか、わざわざ・・・」 闇を難なく透かしたミランダが陽気な少年に問うと、彼は吐息と共に肩をすくめる。 「アレンが怪我したって言うし、仲間も増えたっつーから見物に・・・」 「ラビ――――!!!!」 「あちゃ、こりゃ可哀想に」 桟橋に降りるや、泣き縋ってきたアレンを見下ろして、ラビは眉根を寄せた。 アレンは顔の左半分を包帯で覆われ、頭には大きなたんこぶまで作っている。 「よっぽど酷い目にあったんさね・・・」 よしよし、と、泣きじゃくる背中を撫でてやったラビに、ハワードが冷たく鼻を鳴らした。 「自業自得、という言葉をご存知でしょう、Jr.! まさにそれですよ!」 甚だ冷たいことを言った彼に、ラビは納得顔で頷く。 「ヴァンパイア・ハンターの仕業は顔の傷だけで、このたんこぶはお前か」 「ハワードがげんこつした――――!!!!」 ぎゃあん!と、更に泣き声を激しくしたアレンの頭を、ラビは苦笑して撫でてやった。 「一体、なにやらかしたんさね」 「姉上様の薬に手を出して、しかも平らげてしまったのですよ!」 「薬?」 不思議そうに首を傾げたラビに、ミランダが苦笑して頷く。 「クロス様からいただいたお薬なんですけど・・・血が飲めない私へ、血液製剤を・・・」 「あぁ、いくらなんでも全く摂取しないってのはまずいもんなぁ。 ・・・で?」 ラビはわざと、アレンのたんこぶをぐりぐり押した。 「いぎゃっ!!」 「健康優良児のつやつや少年が、か弱いミランダの薬取っちまったってか? そりゃ、ハワードじゃなくてもげんこつするさね!」 「ほらごらんなさい!」 頼みの綱だったラビにまで怖い顔で睨まれ、アレンは亀のように首をすくめる。 だが、 「ま・・・まぁ、そのくらいで・・・」 と、か弱げに流れてきた藁を、アレンはすかさず掴んだ。 「・・・ごめんなさい、ミランダさん・・・。 僕、怪我していっぱい血が流れたから、とってもお腹空いちゃって・・・もうしません・・・」 しょんぼりとうな垂れて謝ると、案の定、優しいミランダは慌てて首を振る。 「そんな・・・本当にいいのよ? こんなに酷い怪我をしてしまったんですもの、仕方ないわ・・・。 それに元々あれは、アレン君のお師匠様が作ったものなんですから、もう気にしないで?」 むしろミランダの方が申し訳なさそうな顔をすると、アレンは感涙して彼女に抱きついた。 「ありがとうございますっ!」 「姉上様から離れなさい、仔ネズミっ!!」 ヒステリックな声をあげたハワードが伸ばした手よりも先に、誰かがアレンの襟首を掴んでミランダから引き離す。 「ぅわっ!リーバーさん!!」 「・・・なにやってんだ、クソガキ」 驚くアレンを、リーバーが落ち窪んだ目で睨むと、ミランダが気遣わしげに寄り添った。 「・・・もう起きてしまわれたんですか? まだ寝ていてくださってよかったんですよ?」 「いや・・・もう大丈夫・・・」 アレンを放り捨てたリーバーは、そう言いつつもじんじんと痛む眉間に指を当てる。 闇に目の利かない彼の腕に絡んだ、蛍光ブレスレットの微かな明かりが苦しげな表情を照らすと、ラビは不思議そうに首を傾げた。 「なぁ、ミランダ? なんでこいつ、こんなにヘロヘロなんさ?」 と、ラビの服に縋って立ち上がったアレンが苦笑する。 「人間なのに、僕らの生活時間に合わせたから、ほとんど寝てないんですって」 「はれ? まだ眷族にしてないんさ?」 驚くラビに、アレンは肩をすくめた。 「それはちょっと待ってってことになっちゃったみたい」 アレンが苦笑を深めると、ラビはさも呆れたとばかり、大仰にため息をつく。 「ばっかじゃね? 人間の身体で、俺らについてこれるわけねーのに!」 「あんた・・・は・・・?」 やかましい少年にリーバーが問うと、ラビは懐こい笑みを浮かべて彼の手を取った。 「俺、ラビっつーの、ヨロシクー 握手のつもりか、ラビは遠慮なく握った手をぶんぶんと激しく振るので、弱ったリーバーはよろけてしまう。 「はは・・・大丈夫さ? やっぱ早目に仲間になることをお勧めするさね 「あんたも・・・人間出身なのか?」 興味をひかれて問うと、ラビは大きな動きで首を振った。 「うんにゃ。 俺は生まれた時からこんなカンジ あ、でも、まだ正真正銘のティーンズさ! 今年18歳 彼の陽気さに中てられて、リーバーはふらふらと頷く。 「よろ・・・」 「それよりはマダムは?! マダムはどこさ?!」 リーバーの言葉を悪気なく遮り、ラビはきょろきょろと辺りを見回した。 が、彼の目当てはいつまで経っても桟橋に現れない。 「マダムに会わなきゃ、ここまで来た意味が・・・」 ない、と言おうとして、ラビは背中に取り付いた重みに笑みを引き攣らせた。 「ア・・・アレン君? 何かしらその腕は・・・!」 自分の首に回されたアレンの腕を掴み、引き剥がそうとするが、ラビの膂力を持ってしてもそれは外れそうにない。 その上、 「ラビ・・・やっぱり、エリアーデさん目当てだったんだ・・・」 と、恨みがましい声が耳元に冷たい吐息をかけた。 「いっ・・・いや、だから!最初に言ったさ、俺! お前の傷が心配だったし、新しい仲間も見物したかったから・・・」 「って口実で、エリアーデさんに会いに来たんだ・・・!」 きりきりと絞まって来る腕に、これ以上言い逃れは出来ないと悟ったラビが悲鳴をあげる。 「だってお前! こんなことでもなきゃ、クロウリー家の一族じゃない俺にマダムは会ってくれないんさ! せっかくのチャンスを逃してたまるかいー!!!!」 じたじたと暴れるラビに振り回されて、アレンの身体が浮き上がったが、強情な少年は決して放そうとしなかった。 むしろ、どんどんきつく絡んでくる腕にラビが観念し、ぜいぜいと喘ぎながらしゃがみこむ。 「も・・・!放せって・・・!!」 人間であればとっくに窒息しているだろうに、さすがは闇の眷属、と、リーバーが妙な感心をしていると、その傍らで、ハワードがわざとらしく吐息した。 「浅はかな・・・。 義姉上は齢千年の魔物ですよ? あなたの行動くらい、とっくにお見通しです」 「え・・・まさか・・・・・・!」 目を見開いて見つめてくるラビに、ミランダは苦笑して頷く。 「ステップは使わずに・・・お兄様と一緒に先に船を下りられましたよ。 お二人で先に、お屋敷へ向かっているはずです」 「そんなっ! なんでさ、マダム!!」 泣き喚くラビが、こんなにも大きな船からどうやって二人が降りたのか聞かないことに気づいて、リーバーは興味を引かれた。 「ラビ・・・その、お前は生まれつきのヴァンパイアなんだよな? じゃあもしかして、お前にも・・・」 興味津々と聞いたリーバーに、しかし、ラビはあっさりと手を振る。 「羽根のコト言ってんだろ? 無理無理。 あれはクロウリー家の血を引く奴しか持ってねーの。 ウチに伝わってんのは、とんでもない記憶力の方。 カメラ並の瞬間記憶能力と、人間の歴史くらいなら全部記録できる記憶容量持ってんさ すごくね?俺、すごくね?!」 自慢げに言ったラビに、リーバーは感心して頷いた。 「確かにそれはすごいな・・・。 まさに、人もうらやむ能力って奴だな」 「でも応用の仕方を知らないんで、とんだポカをやらかすんですよ、この人」 ね?と、笑ったアレンのたんこぶを、ラビが思いっきりはたく。 「いぎゃあああああああ!!!!」 「お前はいっつも一言多いんさ!」 「それには同意します、Jr. このクソガキは、あのクロス殿に悪知恵を吹き込まれているに決まっていますから、一度根底から教育し直すべきかと考えます」 二人に怖い顔で睨まれたアレンは、ぷるぷると震えながらミランダに縋った。 「もう・・・小さい子をいじめちゃいけませんよ、二人とも・・・」 「小さいさ?!」 「あら・・・だってまだ、生まれたばっかりなんでしょう?」 ラビ君も、と言われて、ハワードを除く三人は、改めて彼女の年齢を認識する。 「あ・・・あの、俺も小さいかな・・・?」 鼓動を早めつつ問うたリーバーに、しかし、ミランダは恥ずかしそうに笑って首を振った。 「ミランダの年齢判断基準って何さ?!」 「精神年齢?!精神年齢ですかっ?!」 大声をあげてミランダに取り縋るラビとアレンを、ハワードが背後から掴み、人外の膂力で引き離す。 「姉上様に触るんじゃありません、無礼な子供たちですね! ほら、そろそろ移動しますよ!」 「・・・どうやって?」 ハワードの言葉に、リーバーが首を傾げる。 「クロウリー家の馬車は、夫妻が乗って先に行っちまったんだろう?」 と、アレンはまたラビの背に縋り、よじよじと登った。 「ハイ、ラビ 「このっ・・・自分で歩けよ!」 ラビが振り解こうとすれば、アレンははしゃいだ声をあげて更にしがみつく。 「僕、怪我人だもーん♪おにーちゃん、おんぶー 「・・・クソガキ!」 諦めたラビは、アレンを負ぶって先に立った。 「俺が乗ってきた馬車があるさね。 ・・・・・・なんか、むっちゃ予想の範囲で悔しいんけど、6人は余裕で乗れる奴に乗ってきたから・・・」 「さすが、ふられ慣れてますよね!うきゃっ!」 笑った途端に背負い投げされ、捨てられたアレンが泣き声をあげる。 「ひどいー!!!!」 「どっちがひどいんさ! 俺のグラスハートに爪立てんじゃねぇっ!!」 盛大にむくれ、置いていく、と、宣言したラビに、アレンが慌てて追い縋った。 「ごめんー!!ごめんなさいー!!」 「うるさいっ!もう許さんさっ!!」 ぎゃあぎゃあと喚きあいながら、それでも二人で桟橋を渡っていくラビとアレンに、リーバーが呆れる。 「仲良しだな」 「子供なんですよっ!」 生まれて間もないから、と、ハワードもまた、ミランダと同じことを言うが、温度には天地の開きがあった。 しかし、 「さぁ、姉上様。 あの子供達に騒がれ、この馬鹿でかいのと一緒では煩わしい限りかと思いますが、馬車に参りましょう」 と、ミランダに対する声音は嫌味な発言内容を除けば、とても温かい。 「甘えん坊だな」 リーバーが意地悪く言ってやると、ものすごい目で睨まれた。 「・・・姉上様に窮屈な思いをさせては申し訳ないので、あなたは御者台に乗っていただけますかね?!」 「別にいいけど・・・」 「いけませんよ・・・!」 気軽に頷いたリーバーに、ミランダが慌てて寄り添う。 「寝不足なのに、御者台になんか乗って落ちてしまったら、大変な怪我をしてしまいます・・・! その・・・人間の皆さんは、ちょっとした怪我で亡くなったりするのでしょう?」 不安げに身を寄せてくるミランダに、リーバーは苦笑した。 何百年も前に人間ではなくなってしまったミランダからは既に、どの程度の怪我で人が死に至るのかという尺度が消えてしまっている。 それはわかっているが、気遣わしげな彼女の様子がやはり、小さな子供の健康を案じる母親のように見えて、なんだか子供扱いされている気分だった。 「確かに、走ってる馬車から落ちれば大怪我するだろうが・・・」 落ちやしないから、と、続ける前に、ミランダは真っ青になってリーバーの手を取る。 「いいい・・・いけません、そんな! もうこれからは絶対、御者台に乗らないでくださいね?!」 「あ・・・あの・・・だからそれは・・・」 「お願いです!!」 必死の形相で縋られて、リーバーは頷かざるを得なかった。 「じゃあ、ハワードが御者台な」 「・・・噛み殺されたいのですか、このホーキ頭が!」 獰猛に歯を剥くハワードに、リーバーは思わず笑い出す。 「姉上に窮屈な思いをさせたくないんだろ?」 「でしたらあの子供達を外に出せばいいことです! あなたのように油断ならない人間から、目を離すわけにはいきませんから!」 歯を剥いたままきゃんきゃんと喚かれて、リーバーはうるさげに耳を塞いだ。 「・・・馬に蹴られろ」 「その言葉、そのままお返ししますよっ!」 口の中で呟いた言葉をしっかり聞き取って唸るハワードに、リーバーは目を丸くする。 「どんな聴力してんだよ」 「はっ! なめないでいただきたいものですね!」 ハワードが憤然と声をあげた時、 「おーい!なにやってんさー!!」 「早くー!!」 と、既に馬車の傍らに立ったラビとアレンが声をあげた。 「行きましょ・・・」 ミランダがにこりと笑って、弟とリーバーの手を引く。 「ありゃ。 随分と仲睦まじいんさねー」 先に馬車に乗ったラビが笑うと、向かいに座ったミランダは微笑んで頷き、その両側では、ハワードとリーバーがそれぞれに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。 「ヒステリーなハワードが邪魔するから、大変でしょ、リーバーさん?」 くすくすと笑うアレンを、ハワードが射殺さんばかりの目で睨む。 「こっわ!! ハワードの目を見ちまったら、石になるんじゃね?!」 ラビが更に笑い出すと、隣からアレンが彼の袖を引いた。 「石になるって言えば、本当にメデューサタイプのヴァンパイアもいるんですよね?」 「あぁ。 まだ続いてっかは知らんけど、ひと睨みで生き物を石にするって一族がいたらしいさ。 怒らせたら絶対怖いよなー!」 ケラケラと笑うラビに、ミランダが小首を傾げる。 「会えますよ?」 「は?」 笑声と共に、動きをも止めたラビの問いに、ミランダはにこりと笑った。 「お兄様のお誕生会にいらっしゃるそうです」 「うそっ!!」 「ひっ!!」 真っ青になって手を取り合ったラビとアレンに、ミランダはくすくすと笑声をあげる。 「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。 とても穏やかで、お優しい方です」 「そ・・・そうなんっ・・・?!」 「い・・・石にされたりしませんかっ?!」 本気で怯える二人に、やや溜飲を下げたハワードが意地悪く笑った。 「されるかもしれませんね、君達なら。 穏やかではいらっしゃいますが、無礼には敏感な方であられますから」 途端、既にメデューサの目を見たかのように固まってしまった二人に、ハワードが笑みを深める。 「せいぜい、いい子にしているのですね。 あなたも・・・」 くつくつと嫌味な笑声を沸かせてミランダの向こう側を見遣ったハワードが、裂けんばかりに目を剥いた。 「こっ・・・ここここっ・・・このっ・・・無礼者っ!!!!」 悲鳴じみた怒声はヴァンパイア達の耳を貫いたが、不眠続きで疲れ果てたリーバーを起こすには至らない。 彼はミランダの膝に頭を乗せ、安らかな寝息を立てていた。 一方、彼らが後にした海峡の英国側では。 ヴァンパイア達の残したわずかな足跡を辿ってきたハンターの兄妹が、暗い海を憤然と睨んでいた。 「なんで船を出してくれないんだよっ!!」 だんっ!と、石畳を蹴りつけた妹の傍ら、ヴァンパイア・ハンターのコムイは忌々しげに舌打ちする。 「夜でも船を出してくれるような、向こう見ずが一人くらいいてもいいのにさっ!」 「あの人たちは渡ったのにぃぃぃぃっ!!!」 悔しげに地団太を踏むリナリーに、コムイは何度も頷いた。 「眷属はあの一家だけだと思ってたのに、船を操る従者をこっそり呼んでたんだね・・・! じゃなきゃ、月もない闇夜に渡れるわけがないよ!」 またやられた、と呟く彼の背に、ふぅ、と、かすかな吐息がかかる。 「相手は齢千年の魔物なんだろうがよ。 油断する方が悪い」 きっぱりと言った声に、コムイは振り返った。 「そうは言うけどね、神田君! あっちはリーバー君っていう、一般人を連れてるんだよ?! そんなに早く行動ができるわけないって思うじゃない!!」 コムイがヒステリックな声をあげると、彼はまた、呆れたように吐息する。 「あいつのタフさはお前の方が知ってんじゃねぇのか? 逃げ回ってる間、昼夜逆転してたって平気だろ、奴は」 「リーバー君めぇ・・・・・・!」 悔しげにこぶしを握るコムイの腕に、眉根を寄せたリナリーが縋った。 「絶対、奪還しようね、兄さん! 先生をあんな悪魔達と一緒にさせてちゃいけないよ!」 「うん!」 決然と取り合った兄妹の手を、間から神田が引き離す。 「え?!」 「なにっ?!」 「リナリーは英国に残れ」 驚く兄妹に、神田は冷静に告げた。 「なんでっ!!」 「お前は吸血鬼に狙われてんだろうが。 あいつらは貪欲な上に小賢しいからな。 どんな罠を使ってくるかわからねぇ。 ここに残った方がいい」 淡々と言った彼に、反駁しようとしたリナリーをコムイが止める。 「神田君の言う通りだ」 「兄さんっ!!」 「ここに残っておくれ、リナリー! キミに何かあったら、ボク・・・・・・!!」 涙声で訴えてくる兄に何も言えずにいると、彼女の肩に、神田の手が乗った。 「ティエドール師匠にかくまってもらえ。 マリもいるし、まだ見習いだが、チャオジーも盾くらいにゃなるだろ」 「・・・・・・今、さり気に酷いこと言った?」 呆れるリナリーを無視して、神田はコムイに向き直る。 「それでいいな?」 「もちろんっ!!」 大きく頷き、コムイはリナリーを抱きしめた。 「お兄ちゃんのお願いを聞いておくれ、リナリー! キミが無事なら・・・キミさえ無事なら、ほかの事はどうなってもいいんだよ!」 「兄さん・・・!」 感動のあまり声を詰まらせて、リナリーが頷く。 「わかった・・・! 英国で待ってるよ・・・! だから絶対に、先生を連れて帰ってきてね!」 「もちろん!!」 ぎゅう、と、きつく抱き合う兄妹の暑苦しさに、神田は呆れた吐息を漏らした。 「リーバーさん 起きてくださいな、着きましたよ?」 聞いている方が恥ずかしくなるような甘い声で囁いたミランダの膝の上で、リーバーはわずかに身じろぎする。 「とっとと起きんか――――!!!!」 石炭のように真っ赤になったリンクがリーバーの襟首を掴み、引き摺りあげようとしたが、それは姉の手に阻まれた。 「乱暴はいけませんよ、ハワードさん」 軽く手を添えただけなのに、ハワードには何よりも効力を発して、渋々手を放す。 だが、目から殺気は消せないまま、烈しく睨みつける前で、ミランダはリーバーの肩を優しく揺すった。 「リーバーさん、リーバーさん・・・」 「ミランダ、そんなんじゃいつまでも起きないさ」 「そうですよ。 もっとおっきな声で、リ――――バ――――さ――――ん!!!!」 寝静まった深夜の街中に響き渡るような声に、リーバーが飛び上がる。 その弾みに馬車が揺れ、寝起きのリーバーは簡単にバランスを崩して、ミランダの胸に顔をうずめた。 「きゃ・・・」 「不埒者――――――――――――!!!!」 ミランダの小さな悲鳴など簡単に打ち消し、ハワードが絶叫する。 「なんと言う狼藉!! そこに直れ、下郎!! 噛み殺してくれる!!」 「んなっ・・・待て!!わざとじゃない!!」 ミランダの胸から顔をあげたリーバーが大声で言うが、ハワードの咆哮がそれを圧した。 「問答無用!成敗!!!!」 リーバーに掴みかかろうとするハワードに、驚いたミランダが身を引いたものの、狭い馬車の中では限界がある。 「ひっ・・・!」 膝の上で取っ組み合おうとする二人に怯えた彼女に代わり、アレンとラビが、それぞれにリーバーとハワードを羽交い絞めにした。 「なにやってんですか、もう・・・」 「お前、ねーちゃんが怪我したらどうすんさ!」 年少者二人に呆れられ、リーバーだけでなくハワードも攻撃の手を下ろす。 「あぁ、びっくりした・・・」 ほっと胸を撫で下ろしたミランダに、二人は更に気まずげな顔をした。 「す・・・すまなかった・・・」 「申し訳ありません、姉上様・・・! 私としたことが、取り乱しまして・・・・・・」 いっつも取り乱してんじゃん、という、年少者からの突っ込みは聞こえない振りをする。 と、ミランダは苦笑して、弟の乱れた髪を撫でてやった。 「・・・そんなに怒らなくても、このくらいはもう、慣れてますから・・・」 囁いた途端、ラビとアレンが目を剥く。 「どどど・・どんな関係さっ?!」 「ミ・・・ミランダさんって結構・・・!」 「どんなって・・・」 おっとりと説明しようとしたミランダの口を、リーバーが慌てて塞いだ。 「そ・・・それは話さなくていいから、早く馬車を降りようぜ!」 風邪をひく、と言った彼に、アレン以外のヴァンパイア達は不思議そうな顔をする。 「あの・・・風邪って・・・なんでしたっけ・・・?」 困惑げに笑って、首を傾げたミランダに、リーバーはがっくりと肩を落とした。 風邪の症状を聞きたがるミランダをなんとかなだめて、リーバーは一行を邸内へ入らせた。 パリ郊外にあるクロウリー家の別宅は、近く行われる当主の誕生日パーティに向けて、隅々まで清掃が行き届いている。 だが、 「なんなの、この調度は! 今年は大切なお客様が何人もいらっしゃるのだから、いいものを揃えなさいと言ったでしょう!!」 ドアを開けた途端、響き渡ったエリアーデのヒステリックな声に、リーバーは驚いた。 「エ・・・エリアーデ、そんなに叱らなくとも・・・」 「あなたは黙ってらして!」 びしりと言ってアレイスターを黙らせたエリアーデは、使用人達に向かって手を鳴らす。 「すぐに変えなさい!私が気に入るまで、何度でも!!」 英国では声を荒げることなどなく、アレイスターに絶対服従だったエリアーデの剣幕に、リーバーは唖然と口を開けた。 「ど・・・どうしたんだ・・・?」 突発性ヒステリーか、と、驚く彼の袖を、ミランダがそっと引く。 「ここでは、あれでいいのです」 人差し指を唇に当て、ミランダはリーバーに黙っているよう示した。 その間にも、エリアーデの声は針のように邸の各所へ刺さっていく。 しばらく呆然と玄関ホールに立っていると、 「何をぐずぐずしているの!! 早く旦那様方のお荷物を運びなさい!!」 と、またエリアーデが叱り付けて、数人のメイドが、泣きべそをかきながら駆け出てきた。 「も・・・申し訳ありません、お待たせして・・・・・・」 しゃくりあげるのをなんとか堪え、俯いたまま荷物を取り上げたメイドに、アレイスターが気遣わしげに屈みこむ。 「あ・・・あまり気にするでないであるよ・・・。 奥方は旅行帰りで疲れているから、気が立っているのである」 「は・・・はい、申し訳・・・・・・」 メイドが消え入りそうな声で呟いた時、 「お前!!旦那様から離れなさい!!」 ホールに続く大階段の上から、エリアーデが怒鳴った。 「使用人の分際で、旦那様にお気遣いいただくなんて分不相応よ!控えなさい!!」 「マ・・・マダム、なにもそこまで・・・・・・」 ミランダが止めるのも構わず、リーバーが口を出すと、エリアーデは仮面のように冷たい笑みを彼へ向ける。 「使用人の教育がなっておりませんで、お恥ずかしゅうございますわ」 冷え冷えとした声に、ビクッと震えたメイド達が慌てて荷物を持ち上げ、そそくさとホールから出て行った。 しばらくその足音を聞いていたエリアーデは、他人が近くにいないことを確認してから、ふっと表情をほころばせる。 「失礼をいたしました」 途端に柔らかい雰囲気になった彼女に、リーバーはまた唖然とした。 「あ・・・あの・・・・・・」 「これが役割分担なんですのよ」 軽やかな足取りで大階段を降りたエリアーデは、甘えるようにアレイスターの腕に縋る。 「これで、明日には私の悪い噂が、パリ中に広まりますわね 「エリアーデ・・・・・・」 申し訳なさそうに、アレイスターが妻の背を撫でた。 「もう、あなたばかりが嫌われるようなことは・・・」 「いいんですのよ 私の役目は、あなたを災いから遠ざけることなんですから くすくすと、楽しげに笑うエリアーデに、リーバーは訝しげな顔をする。 「あの・・・それはどういう・・・・・・」 「鈍い男ですね! それとも、下々にはこういった機微がわからないのでしょうか」 馬鹿にしきったハワードの口調にむっと眉根を寄せると、ミランダが慌てて間に入った。 「あっ・・・あの・・・お姉様はその・・・・・・」 入ったものの、うまく説明できないでいるミランダに、エリアーデが笑って助け舟を出す。 「私が嫌な女であればあるほど、アレイスター様は周りから『可哀想な旦那様』と同情されて、くだらない嫉妬をされることがございませんでしょう? それに、お優しいアレイスター様に代わって、私が冷酷で傲慢な女領主の役をやれば、領民もアレイスター様を思う存分敬愛できると言うものです」 「なるほど・・・」 確かに機微だ、と、感嘆するリーバーを押しのけ、ラビが進み出た。 「さすがマダム 俺が一目惚れしただけのことはあるさー エリアーデが怒鳴っている間は、アレンと手を取り合って震えていたくせに、場が和んだ途端、はしゃぎだしたラビに皆、感心してしまう。 が、 「悪女ついでに、俺を愛人にして欲しーさ と擦り寄った途端、アレイスターとエリアーデの双方から足蹴にされ、血まみれの団子と化してホールの隅に丸まった。 「・・・・・・ばっかじゃない?」 「ホールを汚さないでいただけますか、Jr.?」 アレンの冷たい視線と、ハワードの冷淡な声を受けて、ラビがしくしくと床に懐く。 その様を更に冷たい表情で眺めていたエリアーデが、再び手を鳴らしてメイドを呼んだ。 「早くお掃除してしまいなさい!」 奥方の怒声にびくっと震えたメイド達が、手にした掃除道具を鳴らすや、またエリアーデの怒声が飛んだ。 「静かになさい!! 私達は長旅で疲れているのよ! 寝ている間に走る音でも聞こえてご覧なさい、すぐにやめてもらうわ!」 ほとんど泣き声をあげて頷いたメイド達を、気遣わしげに見るアレイスターに代わり、アレンがこっそり進み出る。 「だ・・・大丈夫ですよ? 奥様は厳しいけど、理不尽な方じゃありませんから、きちんとお仕事すればクビになんかしませんよ・・・」 「アレン! 余計なことは言わなくてよろしい!」 「でも・・・女の子泣かせちゃ可哀想ですよ・・・」 遠慮がちに言ったアレンに、エリアーデが柳眉をひそめた。 「使用人を甘やかすつもりはないわ。 それよりもあなた達、いつまでそんなところにいるつもり? 部屋に行ってはどうなの!」 「は・・・はい! あ・・・あの、リーバーさん、アレン君も、お荷物はお部屋に運んでもらってますから・・・えぇと・・・・・・」 ミランダが視線をさまよわせ、近くにいたメイドに手を差し伸べる。 「あの・・・もしよかったら、お二人をお部屋に案内してもらえますか・・・?」 当主の妹の、あまりに丁寧な物腰に、話しかけられたメイドが目を丸くした。 途端、 「ミランダ! 使用人には命令なさい!!」 エリアーデに怒鳴られて、ミランダがビクッと震える。 「ご・・・ごめんなさい、お姉様・・・!」 「義姉上! 姉上様までそのように怒鳴らずとも!!」 「お黙りなさい、ハワード! ミランダ、当主の妹ともあろう者が、使用人に甘くてはいけません! しっかりなさい!」 「はい・・・すみません・・・・・・」 本気でうな垂れてしまったミランダを、メイド達が気の毒そうな目で見つめた。 今、彼女達の頭の中には、傲慢で冷酷な奥方と、彼女の尻に敷かれた気の毒な旦那様、義姉に迫害される可哀想な妹と弟、と言う図式が出来上がりつつあるのだろう。 「い・・・いつか刺されるんじゃないか?」 いくらなんでもやりすぎだろう、と、顔を引き攣らせるリーバーの肩に、にょきっと起き上がったラビが縋った。 「刺されたって死なねーさ」 「ぅわっ!びっくりした!! お・・・お前、あんなに血が出てたのに大丈夫なのか・・・?」 メイド達があらかた掃除してしまったが、ラビの出血量は人間ならば、致死量とは行かないまでも重体間違いない量だ。 しかし、リーバーの肩に顎を乗せた彼の血は既に止まり、縋ってはいるものの自分の足で立っていた。 「・・・元気そうだな」 「ん。 でも、結構失血しちまったから、後で生き血くれさ 「やるか!」 指で鼻を弾いてやると、ぴぎゃっと鳴いて離れる。 それがまた人間臭くて、リーバーは混乱した。 「・・・なんで、あの傷で重体にならない奴が、この程度で泣くんだ?」 「痛いもんは痛いんさっ!!」 涙目で赤くなった鼻を撫でるラビは、どう見ても人間にしか見えない。 「そっか・・・。 お前、まだ本当に18なんだったな」 「だから最初っからそう言ってるさね!」 「18にしても、子供っぽいですけどね!」 横から口を出したアレンは、ラビに鼻を弾かれて泣き声をあげた。 「おいおい、こいつはほんとに15なんだろうが・・・」 「だから躾してんさね、俺が!」 言いながら今度は額を弾いて、更にアレンを泣かせる。 「ホラ、もうやめろ」 指を構えるラビの手を掴み、背にアレンを庇って言えば、二人とも素直に従った。 更には、 「早く部屋へ行きなさい! 騒がしい人達ですね!」 と、忌々しげなハワードの声を受けて、三人は案内に立ったメイドの後に従う。 「ところで、アレイスター卿は明後日、いくつになるんだ?」 メイドには聞こえないよう、声を潜めると、ラビはそっと首を振った。 「本人も知らねーらしいさ」 「ふぅん・・・奥方は、カール大帝の生きてる頃に眷属になったって言ってたぞ?」 「そ? じゃあ、多分そっから4〜500年遡った頃さね。 ウチのジジィなら、旦那がいつ生まれたか知ってんだろーケド」 今日は来てない、と、なぜか不満げに言う。 「どうした?」 「ラビは、おじいちゃん子なんですよ! おじいちゃんがいないと、なんにもできないん・・・ぎゃぅっ!!」 ラビの容赦ないげんこつを受けて、アレンが頭を抱えた。 「余計なこと言うんじゃないさ、クソガキ!」 エリアーデと同じ台詞を言ったラビに、先を行くメイドが飛び上がる。 「あ、ごめんさ、おねーさん! ちょっとこの生意気なガキの躾してただけさね。 あんたに言ったんじゃないから安心してさ 「は・・・はい・・・・・・」 びくびくと怯える彼女を気遣わしげに見る三人の前で、メイドは隣り合った部屋を示した。 「こっ・・・こちらがウォーカー様、こちらがJr.のお部屋でございます」 決して粗相がないように、と、震える声で言った彼女は、一礼して再び奥へとすすむ。 「んじゃ後でな、リーバー 「おやすみなさぁい 「早速呼び捨てかよ・・・」 陽気に手を振るラビと、飛び込んだ部屋で歓声をあげるアレンに背を向け、リーバーはメイドについて行った。 が、広い邸内を随分歩いても、前を行くメイドはなかなか立ち止まってくれない。 しかも、奥へ行けば行くほどに、部屋は当主らの居住空間とは明らかに違う、粗末なものになって行った。 「あ・・・あの・・・・・・。 ハワード様より、こちらにご案内するようにと・・・・・・」 申し訳なさそうに彼女が示したドアは、粗末で小さくて・・・。 「・・・・・・物置?」 「な・・・納戸でございます・・・・・・」 物置ほど狭くはないが、無理矢理入れたらしいベッドに部屋の大半を塞がれたそこには、真冬なのに火も入っていなかった。 「・・・・・・あの陰険わんこが」 「も・・・申し訳ありません・・・・・・」 泣きそうな声で、深々とうな垂れたメイドに、リーバーは吐息を漏らす。 「・・・いいよ、今日一日くらい。 明日はあの陰険わんこシメて、部屋変えさせるからさ」 「は・・・はい・・・・・・」 顔をあげられないまま、メイドは申し訳なさそうに頷いた。 「今日は疲れたし・・・とりあえず、寝られる場所があればいいから」 できるだけ明るい声で言うと、彼女は一礼してドアを閉める。 と、予想していたことではあったが、窓のない部屋は真の暗闇になった。 「・・・まぁ、慣れたけどな」 ヴァンパイアの一家と行動するようになって以来、こんなことは何度もあったし、彼らが日を避けなければならない性質である以上、仕方のないことだと思う。 しかし、 「こっちは日に当たんなきゃ、身がもたないな・・・」 さすがに身体が重く、ふぅ、と、ため息をついた。 「先輩・・・リナリーも、今頃怒ってんだろうなぁ・・・・・・」 コムイもリナリーも、ずっと口を揃えて言っていた、彼がヴァンパイアに操られているのだと。 あんなにも止められたのに・・・結局リーバーは、ミランダを選んでしまった。 あれから何度も、術を掛けられているのではないか、所詮は彼女の餌なのではないかと疑ったが・・・ミランダを見る度に、その疑念は霧散してしまう。 そうすることを繰り返すうちに、リーバーは疑うことをやめてしまった。 「後は・・・俺が決断するだけ・・・か・・・・・・」 眷属になるか否か。 彼らは急かさないが、ハワード以外、リーバーが眷属になることを期待しているのはわかっていた。 中でもアレンなどは、『簡単なことだ』と言って、彼に決断を勧める。 ほんの少し、彼らの血を分けてもらうだけで、不老長寿と病を知らない強い身体が手に入るのだ。 なにを迷うことがあるのかと、アレンはむしろ、不思議そうな顔をする。 『幸せですよ、僕は。だって、もう仲間を失うことはないんだもの』 そう言った彼は、年長のリーバーよりも多くの悲しみを見てきた目で笑った。 「失うことは・・・ない・・・・・・」 自身の命を保つことではなく、仲間との永遠を願った少年の笑顔が闇にちらつく。 「永遠・・・か・・・・・・」 彼も、自身の命を永らえることに、大した執着は持ってなかった。 それは彼がまだ若く、自身の死を考えたことがなかったからかもしれない。 大学では、毎日のように検体となった亡骸を見ていたにもかかわらず、それは自身の技術を高め、知識を得るための材料であって、いつかそこに自分が横たわるとは考えてもいなかった。 だが今、彼の目の前には、人としての死と、骸としての永遠が並べられ、選択を迫っている。 「・・・闇の中だと、嫌な方にばかり考えちまうな」 もう寝よう、と、再びため息を落としたリーバーが、マットに腰を下ろした途端、脆くなったベッドは真っ二つに割れ、傷んだマットは中身をぶちまけながら裂けた。 「・・・・・・ハワード!」 リーバーを敵視する彼の顔を思い浮かべ、マットに思いきりこぶしを叩きつける。 「覚えてろ、陰険わんこが!!」 絶叫は広大な邸中に響き渡り、じっと耳を澄ませていたハワードをほくそ笑ませた。 夜が明け、ヴァンパイア達が深い眠りに就いた頃、一艘の船がドーバー海峡を渡った。 「おい、着いたぞコムイ」 船の上で神田が呼びかけると、コムイは真っ青になった顔を弱々しくあげる。 「・・・・・・どこに?」 今にも死にそうな声で問うた彼に、神田は顎をしゃくって街を示した。 「カレーだ。決まってんだろ」 ドーバー海峡の、フランス側の港町の名を言えば、コムイはしがみついていた甲板の柵に縋りつつ、ヨロヨロと立ち上がる。 「は・・・早くお船降りたひ・・・・・・!」 今にも吐きそうにえずくコムイから身を離して、神田は忌まわしげに舌打ちした。 「たかだかドーバーを渡るくらいで、なに弱ってやがんだ、情けねェ」 「だって・・・うぶっ!!」 「おい!ここで吐くな! 気分悪ィならとっとと降りろ!」 さもないと、と、神田が目を眇める。 「折り返し運航・・・」 「降りるっ!!降りますもうお船はいやあああああああああああああああああ!!!!」 ひぃひぃと泣いて這いずるコムイに、神田がまた舌打ちした。 「兄妹揃って世話の焼ける・・・」 時折蹴りを入れながら、コムイを下船させた神田は、彼を少し休ませてから馬車を拾う。 「とりあえず、クロウリー家の邸を探せばいいだろ。 フランスにある吸血鬼どものねぐらは、大体師匠が把握してんだが・・・クロウリー家は女房がしたたか者でな、この国に限らず、別宅は全て他人名義になってんだ。 ようやく尻尾を掴んだと思ったら、とっとと別の邸へ引っ越すんで、チャオジーの野郎なんかは残っているのは名前だけで、一族はもう存在しないんじゃないかとか言い出す始末だ。 そんなことはありえねぇって、言ってやったんだが・・・おい、聞いてんのか、コムイ」 「う・・・ふぁっく島国・・・! お船なんか使う国にはもう行きません・・・・・・!」 「聞けよ、人の話」 対面の座席に長い身体を伸ばしたコムイを、神田が蹴りつけた。 「うぅ・・・いぢめないでよぅ神田くぅん・・・・・・」 「てめェがそんなこったから、リナリーが狙われてリーバーがさらわれんだよ!」 「めちゃくちゃな因果関係つけないでぇ・・・・・・」 体調の悪さもあいまって、しくしくと泣き出したコムイを神田が忌々しげに睨む。 「で? 一応、師匠が目星をつけた邸の一つに向かってるが、それでいいのか? ルート変更するなら今のうちだぜ」 言うや、神田が押し付けた地図を、コムイは寝転がったまま受け取った。 「・・・・・・・・・」 ティエドールの手描きらしきフランスの地図は、特にパリ付近がクローズアップされ、その中にいくつもの赤い印がつけてある。 更に神田は、荷物の中から出したファイルを差し出した。 「これも師匠からの預かりもんだ。各邸の設計図」 「へ・・・?」 そんなの、どうやって手に入れたの?」 意外そうな顔をするコムイに、神田は軽く頷く。 「吸血鬼どもは、他人名義の邸を使ってんだろ? だから師匠はその、名義を貸した奴の名を騙って、『邸を改装するので、家の設計図をもらいたい』とかなんとか・・・理由をつけて、設計図の写しを入手したんだ。 あらかじめ調べたんだが、名義を貸しただけの人間と奴らとは、密な交流があるわけじゃねぇ。 だから名義を貸した奴の名前で依頼すれば、設計図はすんなり手に入るし、奴らに設計図が奪われたって情報が行くこともねぇ」 「さすが名ハンター・・・彼らの戦法を逆手に取ったんだねぇ・・・」 感心しつつ、地図や設計図をじっと見つめていたコムイが、みるみる顔を険しくした。 「・・・特定できたのか?」 「神田君・・・」 身を乗り出した神田の肩に縋り、コムイが身を起こす。 「地図を見てたら・・・・・・」 「あぁ」 「またぎぼぢわるぐっ・・・!! おっ・・・おろひてっ・・・・・・!!」 「っっっザケてんじゃねぇぞコンチクショウがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 神田の咆哮に驚いた馬が急停止し、馬車からまろび出たコムイはしばらく、戻ってこれそうになかった。 一方、英国側の港で、兄達の乗った船を見送ったリナリーは、名前を呼ばれて振り返った。 「すぐにここから離れた方がいい。 しばらくはロンドンにも立ち寄らず、身を隠した方がいいだろう」 ヴァンパイアに狙われている少女に、大男は気遣わしげに身を屈めて囁く。 が、リナリーは怖がる様子も見せず、気丈に微笑み返した。 「ありがとう、マリ。 でも、私なら大丈夫だよ!」 自信に満ちた声に、しかし、彼は更に不安げな顔をする。 「ヴァンパイアどもを甘く見るな。 あいつらは、お前とは比べようのない長い時を生きているんだ。 神も人倫も平気で踏みにじる、狡猾な生き物なんだぞ!」 「うん、それはそうなんだけど・・・・・・」 マリには真面目な顔で言われたものの、アレンの顔を思い浮かべたリナリーは、思わず苦笑してしまった。 「一概には・・・そう言えないかも知れないよ」 「ほだされたのか、その少年に?」 「そんなことないよっ!!」 すかさず言ったものの、顔が紅くなるのは止められない。 と、マリはひとつ吐息してリナリーの肩を叩いた。 「心拍数が上がっている。 私の目が見えないからといって、ごまかせるとは思わないことだ」 「う・・・別に、ごまかそうだなんて・・・・・・」 言ったものの、挙動不審気味に目が泳いでしまうのはどうしようもない。 「・・・・・・ごめんなさい」 「まったく・・・・・・」 苦笑して、マリは肩をすくめた。 「お前の、ハンターとしての才能は認めるが、お前はまだ奴らに対抗できるだけの経験を積んでいない。 今回は・・・今回だけは、おとなしく師匠の庇護下に入ってくれ」 「経験って・・・・・・!」 リナリーは不満げに唇を尖らせる。 「神田はとっくに一人前扱いされてるのに、私はなんでまだ、狩りに連れてってもらえないの?!」 「それは、おまえ自身が奴らの餌になりかねんからだ。 近頃の奴らは、血液を合法的に手に入れて飢えを満たしているようだが、もう何百年も前から生きているヴァンパイアは、未だ新鮮な血の味と獲物を狩る習性を忘れてはいない。 そんな奴らが好むのは、幼い子供や少女の血だ。 以前、捕らえたヴァンパイアが言っていたが・・・子供の血は、クセや臭みがなくて、うまいのだそうだ」 おぞましげに言って、リナリーと並んだマリは、彼女の背を押した。 だが、リナリーは未だ歩を進めようとはしない。 「お前も、女吸血鬼に血を吸われたんだろう? 味をしめたヴァンパイアは、何をしでかすか知れない。 用心するに越した事はないと、リー家でもきつく言われてるはずだ」 聞き分けの悪い妹に言い聞かせるように、マリが我慢強く諭すと、リナリーもようやく頷いた。 「わかった・・・フロワ様の所に行く」 「そうか・・・」 よかった、と、マリがほっと吐息する。 「その代わり・・・!」 「ロンドンに戻るのは不可だ」 「なんでっ!!」 思考を読まれて、リナリーが憤然と詰め寄った。 「あのお邸を調べれば、手がかりがあるかもしれないじゃない!!」 「調べられる限りは私達で調べたが、なにも出てこなかった」 「調べたって・・・!」 リナリーは不満げに頬を膨らませる。 「外からちらっと見ただけじゃないか! なんで中に入って、隅々まで調べないんだよっ!」 「あの邸は名義上、クロウリー家のものではなく、英国の大貴族の持ち物となっているからだ。 そんな所へ入ろうとすれば、捕まるのは奴らではなく私達の方だぞ」 「そうだけど・・・・・・」 狡猾なヴァンパイア達は、表向き慈善を施したりして、周りの人間達とうまく調和していた。 そんな彼らを、法も厚く保護しているのだ―――― もちろん、人間として。 「調べれば、きっと欧州のどこにいるのかわかるのに・・・・・・」 呟いて、リナリーは不満顔を俯けた。 そんな彼女の背を、マリはまた優しく押す。 「気持ちはわかるが、ハンターには待つことも大切だ。 奴らが尻尾を出すまで、待ち続ける忍耐力を持つ者が、真に優秀なハンターと呼ばれるんだぞ?」 「ん・・・・・・」 またもや諭されて、リナリーはようやく、歩を踏み出した。 またごねだす前にと、急いで馬車に乗せられたリナリーは、あからさまにロンドンを避けて、海峡沿岸を行く景色を憮然と眺めた。 「まさか、イングランドを出たりしないよね?」 「そのつもりはないが・・・そうだな、アイルランドにでも行った方がいいかもしれない」 「せめてウェールズでとめておこうよ!」 また頬を膨らませて、リナリーはどさりと背もたれにもたれる。 「どんどん離れて行っちゃって・・・なんかやだよ!」 「そう言うな・・・」 「だって神田はもう、ハンターなのにぃぃぃぃぃ!!!!」 同じ理由でまた拗ねだしたリナリーに、マリがため息をついた。 「だからそれについてはさっき・・・」 「狩りに連れてってもらえないのに、どうやって経験を積めって言うんだよ!! 私の血がおいしくなくなったら狩に連れてってくれるの?! だったらなにを食べたら血がおいしくなくなるんだよ!」 「あのな、そういう問題じゃ・・・・・・」 「ふええええんっ!!! リナリーにも蕎麦持って来てぇぇぇぇ!!!!」 足をばたつかせて暴れだしたリナリーに、マリは心底困惑する。 「いっ・・・急いでくれ!」 リナリーをなだめるより先に御者へ言うと、彼も背後の気配に焦ったか、馬に鞭を入れた。 「ほ・・・ほら、リナリー? もうすぐ師匠たちと合流するから、いい子にしていてくれ」 「リナリーはいい子だもん!! いい子だから、狩りに連れてけっ!!」 「だからそれは・・・・・・」 「なんだよっ!マリはリナリーがいい子じゃないって言うの?!」 「そっ・・・そんなことは言ってないが・・・」 「だったら連れてけー!! 兄さん!!兄さぁぁぁぁぁん!!!!」 泣き喚くリナリーの声に、マリはうんざりと耳を塞ぐ。 「はぁ・・・まだ着かないのか・・・・・・」 思わずぼやいた時、とん、と、馬車の屋根に何かが落ちる音がし、続いて御者の驚く声が聞こえた。 警戒に身を強張らせたのも一瞬、 「やっほぉ と、のんきな声をあげて、師が逆さまの顔を窓からのぞかせる。 「フ・・・フロワ様・・・・・・!」 「またワガママ言って困らせてるみたいだね、リナリーは」 「わっ・・・わがままなんて・・・・・・」 ねぇ?と、気まずげに見遣ったマリは、あからさまにほっとした表情を浮かべた。 「助かりました、師匠。 もう、私だけでは手も足も・・・」 「マリったら!!」 ぷんっと頬を膨らませたリナリーが窓辺に身を寄せると、ティエドールはよっこらせ、と、年寄りじみた掛け声と共に窓から中に入ってくる。 「チャオジー?来れるかい?」 外に向かって声をかければ、チャオジーが恐々と逆さまの顔をのぞかせた。 「むむむ・・・無理っす、ししょ・・・・・・! せめて・・・止まってくれたら・・・!!」 ぶるぶると震える手で、しっかりと窓べりを掴む彼に、ティエドールは肩をすくめる。 「それじゃあ、なんのためにこんな乗車方法を採ったかわからないじゃあないか。 いいから遠慮せず、入ってきなさい」 「遠慮じゃなくてッ・・・!!」 がたんっと、石を噛んで跳ねた車体に、チャオジーは情けない悲鳴を上げた。 「やれやれ・・・」 マリが長い腕を伸ばし、チャオジーの腕を掴んで車内に引きずり込む。 「こんなことでは、いつまでも見習いのままだぞ?」 「そうだよ! リナリーなら、こんなことで怖気たりしないもんっ!!」 見習いのチャオジーまでもが、狩りには加わっているのだと知って、リナリーの怒りが再燃した。 「私ならもっとうまくやれるのに、なんで私はダメなのっ?!女の子だからっ?!そんなの差別だ!!!!」 また足をばたつかせて怒鳴るリナリーに、マリはうんざりと吐息する。 「まったく・・・お前がしっかりしないからだぞ、チャオジー・・・! リナリーも、神田に置いていかれたことには納得したのに・・・」 「やっぱり置いてかれちゃったんだぁぁぁぁぁぁっ!!!! リナリーもフランスに行くぅぅぅぅぅぅ!!!!」 リナリーに泣き喚かれたマリは、自身の失言に気づいてあらぬ方を向き、チャオジーは首まで紅くして俯き、ティエドールは情けない弟子達に肩をすくめた。 「あのね、君達。 ハンターと言うものはそう易々と感情を露にするものじゃな・・・」 説教の冒頭で、急停止した馬車にティエドールの口が塞がれる。 「な・・・なにかな・・・?」 ひょい、と、窓から顔を出すと、馬車を牽く馬が怯えきった様子で足踏みし、今にも座り込みそうになっていた。 その前方には、一人の女。 すらりとした長身を道の真ん中に置き、長い金髪を冬の風になぶらせていた。 「・・・キミも来ていたのかい、クラウド!」 ティエドールの声に、緊張が漲る。 「もちろん、俺もいるぜ?」 低く、魅惑的な声が響いたかと思えば、リナリーの側のドアが開き、長い腕が彼女を抱き寄せた。 「久しぶりだな、お嬢さん?」 「あ・・・あなた・・・・・・!」 目の前が紅く染まったかのような見事な赤毛を見た途端、リナリーの頬も染まる。 「・・・やっぱり来たね、クロス。 キミとはいつも、嫌な思い出しか共有できないんだから、あんまり会いたくないんだけど」 口調とは別に、緊張感の感じられない暢気な顔を向けられて、クロスは鼻を鳴らした。 「お前なんかにゃ用はねぇよ、ティエドール。 大体お前、フランスにいたんじゃなかったのかよ」 呆然とするあまり、抵抗することすら忘れたリナリーに頬を寄せるクロスを、ティエドールは不快げに見る。 「呼ばれたんだよ・・・君とクロウリー家のご当主と、二人も『純血』が入国したって聞いてね」 「ふぅん、あのヴァンパイア・ハンターか」 ようやく抵抗を始めたリナリーを、面白そうに見下ろしたクロスは、彼女の長い黒髪をひと房取って、軽くキスした。 「ちょっと・・・人が見てる前で、清純な乙女にセクハラするんじゃないよ。 そもそもこの子は、君の従者が狙ってるんだろう?」 「あぁ。 奥方が言っていたが、随分と美味だったらしいぞ」 リナリーの露わになった首筋に、唇を寄せようとするクロスへ、ティエドールが銀の刃を突きつける。 「悪趣味な・・・うら若い乙女ばかり狙うのはやめておくれ」 「ふん。 乙女の血が一番うまいんだよ」 「そういうのを最近じゃ、変態って言うらしいよ、変態オヤジのクロス」 老獪な吸血鬼の気を、なんとか会話で逸らしてからリナリーの奪還を、と、目論むティエドールの傍ら、突然チャオジーが飛び出した。 「お・・・俺だって、役立たずなんかじゃ・・・!」 先ほどリナリーに言われたことを気にしたのか、マリの制止を振り切り、無鉄砲にも飛び出したチャオジーの動きが、馬車を出た途端に停止する。 「?!」 呆然とするリナリーの前で、チャオジーは受身も取らず横倒しになった。 「この力は・・・メデューサ?!」 クロスに拘束されたまま、リナリーは不自由な体勢で歩み寄ってくる女を睨む。 「チャオジーを石にしたの?!」 厳密には、身体機能を麻痺させただけで、石化させたわけではないが、地に倒れたチャオジーは、石像のようにぴくりとも動かなかった。 「邪魔な人間に、おとなしくしてもらっただけだ」 凛とした声は、冬の海を渡る風に似て、酷く冷たい。 「処方はわかるだろう、フロワ。 早く不運な御者と、可愛い弟子を治療してやるのだな」 笑みもせず言った彼女が顎で示した御者台で、御者が無言で倒れているのを見遣ったティエドールは、不快げに眉をひそめた。 「君のように理性的な眷属まで、こんな行いに協力するとは思わなかったよ」 いつも暢気なティエドールとは思えない厳しい声に、リナリーも息を呑む。 だが、その怒りを向けられた女は、そよ風だといわんばかりに聞き流して、クロスの側に歩み寄った。 「好きで来たわけではない。 この放浪貴族が各国で悪さをするので、取締りに来たのだ」 途端、クロスは大きな笑みを浮かべて、クラウドの肩を抱く。 「自治警察の長官には逆らえない。 お供するぜ、クラウド 「ふむ・・・殊勝な心がけだな」 「だが、それには条件がある」 いけ図々しく言ったクロスは、嫌がるリナリーに再び頬をすり寄せた。 「この娘を土産に欲しい」 「あげるわけないでしょ!」 真っ赤になったリナリーと、忌々しげなティエドールが声を揃える。 「・・・君はもう、十分長生きしただろう? そろそろ消えてもらいたいもんだね、クロス」 じり、と、クラウドの視線からうまく身をかばいつつ、ティエドールが移動した。 「マリ、クラウドにはキミが行きなさい。 キミなら彼女の能力も通じない」 「はい!」 すばやく囁いたティエドールに頷くや、マリが馬車から飛び出し、クラウドに迫る。 「盲目か・・・道理で」 メデューサの目で睨んでも、変わりなく迫ってくるマリの刃を避けつつ、クラウドが呟いた。 「だが、私の能力はこれだけでなないぞ」 ヒュ、と、鋭い口笛が響いた瞬間、怯えていた馬が手綱を切ってマリに迫る。 「なんっ・・・?!」 振り上げられた蹄を、危うくかわした時にはもう、クラウドは彼の間合いの中にはいなかった。 「クロス」 いつの間に移動したのか、海に迫る崖の端から、クラウドが呼びかける。 「土産はもらった。 そろそろ行くぞ」 そう言った彼女の腕の中では、クロスから掠め取ったリナリーがじたじたともがいていた。 「なにすんのっ!! 放せ!!放せ――――っ!!!!」 「リナリー!!」 ティエドールとマリが駆け寄ろうとすれば、その前を暴れ馬が塞ぐ。 「よくやった、ラウ。 戻っておいで」 クラウドが呼ぶと、馬の背から飛び降りた白い小猿が彼女へと駆けていった。 クラウドが猿に向けて手を差し伸べた瞬間、 「やっ!!」 すかさず身を翻したリナリーが、クラウドの腕を掴んで背負い投る。 が、 「元気な娘は嫌いではない」 ひらりと地面に降り立ったクラウドは、一瞬後にはリナリーに迫り、その首筋に噛み付いた。 「・・・ふむ。 確かに美味だな」 がくりと力を失ったリナリーを抱え、クラウドは紅く染まった唇を舐める。 「さぁ、クロス。 そろそろお暇しなければ」 「わかった」 暴れ馬の動きに合わせて銃弾を放ち、ハンター達に奇妙なダンスを躍らせていたクロスは、最後に銃を連射して彼らの足を止めた。 「アデュー♪」 気障なウィンクを残し、退いたクロスを追おうとするも、暴れ馬は更に彼らの足を塞ぐ。 「マリ!!」 ティエドールの命でマリが無理やり馬をおとなしくさせたが、その時にはもう、リナリーもヴァンパイア達の姿もなかった。 「・・・全く、なんで私がこの昼日中、お前につきあわねばならんのだ!」 崖下につけていた船に飛び降りたクラウドは、続いて甲板に落ちてきたクロスを睨んだ。 「そうつれないこと言うなよ。 昼に動けるのは、自治警のお前と俺だけなんだ。 カレーまでの船旅を、存分に楽しもうじゃないか そう言って身をすり寄せて来たクロスを、クラウドは邪険に払う。 「触るな、紫外線防止ジェルが落ちる」 「船室にいりゃあ、関係ないさ」 それに、と、クロスはにやりと笑った。 「自治警が採用している紫外線防止ジェルは、俺の発明品だ。 お前がキスしてくれたら、1ヶ月間無償提供してやっても・・・」 「金を払ってやっているのだから、文句はあるまい」 冷たく言って、クラウドはさっさと船室に入る。 「しかし、この娘はどうするのだ? アレイスターの誕生日パーティで、デザートにでもするのか?」 頚動脈から血を吸われ、気を失ったリナリーを座席に横たえたクラウドが、訝しげに首を傾げた。 と、歩み寄ったクロスはリナリーを見下ろし、にやりと笑う。 「俺の従者が、この娘を気に入ったらしくてな。 花嫁にと望んでいる」 「・・・そうか。 ならば、デザートにするわけにも行かんな」 残念そうに言ったクラウドにクロスはやや目を見開いた。 「お前がそこまで言うなんざ珍しいな。 そんなにうまかったのか?」 「あぁ・・・・・・いや!」 思わず頷いたクラウドは、慌てて首を振る。 「そこまで執着するほどではない」 「そうか・・・」 断言したものの、クロスの目が笑っていることに気づいて、クラウドは彼を睨みつけた。 「まさかとは思うが・・・! 従者の獲物を、横取りするようなみっともない真似は・・・」 「いかんか?」 「当たり前だ!」 盛大にため息をついて、クラウドは肩をすくめる。 「お前もいい年なのだから、いい加減落ち着いたらどうだ! 謹厳実直にとはもう、今更言わんが、せめて純血の誇りを汚さぬよう振舞え!」 「あーあー。 自治警長官様の仰せのままに」 ひらりと手を振って、船室を出て行こうとするクロスの襟首を、クラウドはすかさず掴んだ。 「どこへ行く」 「いや・・・ちょっと甲板で煙草を・・・」 「既にふかしているではないか」 ギリ、と、きつく尖ったクラウドの目から、クロスは挙動不審に目を逸らす。 「レ・・・レディ達は、煙草の臭いを嫌うことが多・・・・・・」 「あれだけベタベタ触られれば、臭いなどもうとっくに移っている! これ以上、なにを遠慮する?!」 決して放さない、と言う意志が見えるきつい視線を受けて、クロスは両手を挙げた。 「わかった、従う」 「最初からそう言えばいいのだ。 お前の連行は、任意でなく自治会の命令なのだからな。 ラウ」 呼びかけると、白い小猿はクラウドの肩からクロスの肩に飛び移る。 「逃げようとしたら、噛み殺せ」 「キッ!」 了解、と敬礼した小猿の鼻先を弾いてやりながら、クロスは面倒くさげなため息をついた。 翌『朝』。 夕焼けを見ながら朝の挨拶をするのにも慣れたリーバーは、『朝』の早いハワードに、無言で歩み寄った。 「おや、おはようございます、ミスタ・ウェンハム。 昨夜はよく眠れましたか?」 「おかげさまでっ!」 振り下ろしたこぶしはあっさりと避けられて、テーブルを殴る。 その衝撃に食器が跳ね回り、耳障りな音を立てた。 「やれやれ、乱暴な方ですね。 皆様まだ休んでおられますので、どうぞお静かに」 くすりと、嫌味な笑みを向けられ、リーバーのこめかみに青筋が浮き上がる。 「ベッドが壊れちまったんで、部屋を換えて欲しいんだが?!」 「おや、ベッドまで壊されたとは・・・本当に乱暴な方だ。 しかも部屋まで移りたいとは、無遠慮な方ですね。 ベッドを換えるだけではいけないのですか?」 「納戸だろうが!!」 「人間にはふさわしい部屋かと思ったのですが、お気に召さないとは残念です」 わざとらしくため息をつきながらハワードは、言外に人間を『下々』扱いする。 「しかし、客間は既に塞がっているのですよ。 明日の兄上の祝いに合わせて、欧州各地から大切なお客様がいらっしゃいますので」 「だったら・・・」 「私のお部屋にいらっしゃいますか?」 不意に割って入った声に、争っていた二人は目を剥いた。 「ああああああああああああああああああ姉上様っ?! いいいいいいいいいいいいいいいい一体何をおおおおおおおおおおおっっっしゃっっっっってえええええええええええええっっっっ?!」 慌てふためく弟に、ミランダは不思議そうに首を傾げる。 「だって、私のお部屋は広いのですし、続き部屋だってあるんですもの。 そちらにベッドを運べば・・・」 「いけませんっ!!!! レディがどこの馬の骨かもわからぬ男とどっ・・・どどどっ・・・同室だなんて!!」 「あら、でもお兄様とお姉様は・・・」 「お二人は夫婦だからですよっ!!!!」 続けざまに怒鳴られて、ミランダが悲しげにうな垂れた。 「ごめんなさい・・・私、無知で・・・・・・」 「とんでもない!! 姉上様は純粋培養されて、世間ずれしておられないだけですっ!!」 だからこそ、と、ハワードはミランダをリーバーから庇うように二人の間に立ち塞がる。 「よからぬ輩に騙されてしまわれるのです!!」 「このやろ・・・!」 リーバーが怒鳴り返そうとした時、 「なんですかぁ・・・もぉー・・・」 「うるさいさぁ・・・!」 思いっきり寝惚け顔のアレンとラビが、ふらふらと食堂に入って来た。 「まだ眠いのにぃー・・・」 「おれもぉ・・・」 ふらふらと歩み寄って席についた二人は、持参の枕をテーブルに乗せ、ぽてりと倒れこむ。 「何をしているのですか! 部屋で寝なさい!!」 「だってハワードがうるさい・・・・・・」 「リーバーもぉ・・・なにケンカしてんさ・・・・・・」 むにゃむにゃと寝惚け声でラビが問うと、ミランダが目を丸くした。 「えぇっ?!ケンカだったんですか?!」 「・・・気づいてなかったのか」 呆れたリーバーを、ミランダが不安げな目で見あげる。 「まっ・・・まぁ、そんなどうして・・・?! なにがあったんですか?!」 「そりゃハワードが・・・」 「私が用意した部屋が気に入らないと、文句をつけて来たのですよ!」 言いつけてやろうと口を開いた途端、慌てたハワードが早口に遮った。 「そ・・・それでケンカまで・・・? でしたらやはり、私のお部屋に・・・」 「いけません!!」 すかさず否定されて、首をすくめたミランダは、上目遣いで弟を見遣る。 「・・・でも、客間が空いていないのでしょう?」 「そっ・・・そうですが、レディの部屋に・・・!」 バタバタと赤い首を振るハワードの目の端に、すぅすぅと寝息を立てるアレンの姿が映った。 「そうです! ウォーカーと同室なら、文句はないでしょう?!」 「ふに・・・?ぼく・・・?」 寝惚け眼をわずか枕からあげたアレンに、ハワードが大きく頷く。 「十分広い部屋を与えています! よもや文句はないでしょうね?!」 「別にいいけど・・・」 呟くや、また枕に顔をうずめてしまったアレンに、ハワードは満足げに頷いた。 「では、早速ベッドを運ばせます。 よろしいですね、ミスタ・ウェンハム?!」 「・・・・・・・・・あぁ」 「何か文句でも?!」 ギラッと殺しそうな目で睨まれて、リーバーは無言で首を振る。 「よろしくな」 代わりにアレンの頭を撫でてやると、彼は枕の上でわずかに頷いた。 ―――― その後しばらくして、運ばれてきた朝食の匂いに、アレン達はようやく目を覚ました。 「随分眠そうだったな」 リーバーが笑うと、 「だって・・・・・・」 甘いクロワッサンを嬉しそうに頬張りながら、アレンは横目でラビを見遣る。 「ラビがおしゃべりばっかりして、寝かせてくれなかったんですもん」 「なんさ! お前だって、うれしそーにオンナノコの話してたくせに!」 テーブルを叩いたラビの向かいで、リーバーが顔を強張らせた。 「・・・リナリーのことか?」 「僕のお嫁さん最有力候補ですから くすくすと笑って、アレンはグラスに入った紅い液体を見つめる。 食肉用に処理された動物の血は、まだ成体ではないアレンの重要な栄養源だが、リーバーの目にはそれが、酷くおぞましいものに見えた。 思わず顔を歪めた彼に、アレンは苦笑して血を飲み乾す。 「・・・彼女のためにも、僕は早く大人にならなきゃ」 「っつったって、お前が成体になるんにゃ、あと2〜3年はかかるさね。 俺だって、ちゃんとした牙が生えたんは去年だったんからさ」 言って、ラビは鋭く尖った犬歯を剥いて見せた。 「中身はまだまだ子供ですけどね!」 苛立たしげに言ってアレンがラビの頬を引き伸ばすと、ラビもアレンの頬を引っ張る。 「お前なんて見た目もガキじゃん!」 「いだいっ!いだい――――!!」 「テーブルでは静かにしなさい!」 騒ぐ子供達をハワードが一喝すると、二人は途端に寄り添ってひそひそと囁きあった。 「ジジィ神経質」 「いい年してキモイシスコンですから、リーバーさんにイライラしてんですよ」 「イライラしているのは君達に対してもです!!」 「ジジィ地獄耳」 「あぁしていっつも聞き耳立ててんですよ。プライバシーの侵害です」 「では君は誹謗中傷魔ですね、ウォーカー!!」 一喝したハワードが席を蹴って怒鳴る。 が、掴みかからんと手を伸ばした時、 「い・・・いい加減におやめなさい・・・」 ミランダがおろおろと止めに入るや、三人が三人とも動きを止めた。 「はいさ」 「ごめんなさぁい」 「申し訳ありません、姉上様」 ハワードとアレンはともかく、ラビまでもが素直に従ったことをリーバーは不思議に思う。 「意外と紳士なんだな」 「意外は余計さね。 俺は、うまく世間を渡ってく方法を知ってるだけさ」 口を尖らせたラビは、そう言うと不意に笑い出した。 「なんだよ」 「お前も、眷属になるんなら覚えといた方がいいさ。 ハンターには乱暴もんや卑怯もんも多いから、そう言う奴らからうまーく逃げるためにも、周りの人間との余計な摩擦は避けた方がいいんさね」 「ハンターに・・・追われたことがあるのか?」 コムイの顔を思い浮かべつつ問うと、ラビは笑みを深めて頷く。 「あんたも親しい、リー家の連中にな♪」 まるで、彼の思考を読んだかのようなラビの答えに、リーバーの鼓動が跳ねた。 が、ラビは気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、構わず続ける。 「リー家には俺だけじゃなく、俺んちの奴らがけっこ酷い目に遭ってんさ。 なんたってあいつら、世界中にネットワークを持ってんだろ?」 「あ・・・あぁ・・・。 華僑のネットワークってのは、すごいらしいな」 リーバーが頷くと、ラビは肩をすくめた。 「うちも、世界中にネットワークがあるって点じゃ同じなんけど、血筋なんかなぁ、揃って歴史のある土地が好きでさ。 歴史探訪に行った途端、その土地のハンターに連絡されて、追っかけられて酷い目に遭った奴が何人もいるんさ!」 嫌な思い出でもあるのか、眉根を寄せて自身の頭をさするラビの隣で、アレンも顔をしかめる。 「僕も・・・コムイさんとリナリーには、痛い目に遭わされちゃいました・・・」 そう言って手を当てた左半面は、まだ厚く包帯に覆われていた。 成体でないとは言え、普通の人間に比べれば驚異的な治癒力を有するアレンでも、銀の刃による傷は癒し難い。 「それに、聖水や十字架はわりと平気ですけど・・・あの桃の樹の剣? ものすごく痛かったです・・・」 殴られた時の痛みを思い出して、アレンは既に傷は塞がった頭を懸命にさすった。 「可哀想になぁ・・・。 俺も、さすがにザクロされたことはまだないさね」 「既に血まみれのような頭をしてますがね!」 ふんっと、鼻を鳴らしたハワードに、ラビとアレンが揃って舌を出す。 「なんさ、陰険!」 「嫌味ばっかり!」 だからオンナノコにモテないんだ、という囁きは、リーバーの耳にさえ届いた。 「・・・お前ら、聞こえるように言ってんだろ」 呆れる彼に、二人はくすくすと笑い出す。 「どっちが陰湿なのですか!」 「いや、お前が言うな」 ハワードの呻きにすかさず突っ込んだリーバーは、彼らの陰湿な世界にはまることに、また嫌気を覚えずにはいられなかった。 その後しばらくして、朝食の席にアレイスターが、にこにこと現れた。 「どうしたであるか、不機嫌であるな」 険悪な雰囲気はさすがに感じ取ったのか、苦笑して問うた当主に、しかし、全員がなんでもないと首を振る。 「そうか、ならばよいのであるが・・・アレン、もうじき主人が着くであるよ」 「げっ!!!!」 真っ青になって椅子を蹴った彼を、アレイスターが訝しげに見た。 「嬉しくないのであるか?」 「うっ・・・嬉しいわけないじゃないですか、あんな残酷な人が来るのに・・・・・・!」 今にも泣きそうなほど、震える声で言った彼に、アレイスターが苦笑を漏らす。 「そうであったな。 まぁ、あやつは少々、困り者ではあるが、今回は自治警の長官が一緒ゆえ、そう乱暴なこともせぬだろう」 「・・・・・・じちけい?」 なに、と、アレンが首を傾げると、アレイスターは『あぁ!』と手を打った。 「アレンは知らないであろうな、クロスは自治会と自治警がなにより嫌いであるから」 「はい・・・初めて聞きました」 なに、と、もう一度問うと、アレイスターはテーブルにカップを置いて頷く。 「欧州には、いくつもの一族があることは知っているであるな?」 「はい、英国には・・・なんでか、滅多にいないそうですけど、欧州にはヴァンパイアの一族がいくつもあるって、ラビから・・・・・・」 そう言ってアレンが、ちらりと隣を見遣ると、ラビが得意げに頷いた。 「えっと・・・どの一族も、御当主は『純血』なんですよね?」 アレンが更に問うと、アレイスターも満足げに頷く。 「その通り。 宗家には必ず純血の者がいて、当主は純血の者が継ぐ決まりである。 ゆえに・・・私がエリアーデを妻に迎えた時は、非常に反対されたのであるよ」 アレイスターと違い、エリアーデは元は人間であったものを、彼によって眷族にされた女だ。 血が混じることを嫌う親戚は、しかし、彼らに子が出来ても家を継がせず、いざとなれば純血の子女を養子に迎えることを条件に二人の結婚を許したという。 「エリアーデは・・・煩わしいことは嫌いだから、子供なんていらないと言っていたであるが・・・。 ミランダとハワードを迎えた時、嬉しそうにしていたのはやはり・・・望んでいたのであろうなぁ・・・・・・」 寂しげな笑みを浮かべ、アレイスターが吐息すると、ミランダとハワードがそっと目を伏せた。 と、沈んだ雰囲気に慌て、アレイスターが大きく手を振る。 「まっ・・・まぁ、それはよいとして! 私達の時もそうであったが、一族内で問題が起こった時や、別の家と問題が起きた時に、間に入って仲裁したりするのが自治会である。 このメンバーは、各家の長老で構成されているので・・・その・・・・・・・・・」 口を濁したアレイスターに、ラビが笑い出した。 「ダンナもメンバーなんさね♪ こう見えても、結構な歳だからさ 「うっ・・・うるさいであるよっ・・・!」 明日またひとつ歳を取る、と耳まで赤くしたアレイスターに誰もが笑い出し、場が和む。 が、 「・・・え? じゃあ、アレイスターさんは、自分の結婚を自分で禁止しちゃったんですか?」 ふと気づいて、目を丸くしたアレンに、アレイスターは首を振った。 「それはもう、千年近く前のことであるよ。 あの時はまだ、おじい様がご存命で、当主の座におられたゆえ・・・おじい様に、きっぱりと申し渡されたのである・・・・・・」 しょぼん、と、うな垂れてしまったアレイスターが妙に可愛らしく、アレンは悪いと思いつつも笑ってしまう。 「失礼ですよ、ウォーカー」 ハワードに咎められたアレンは、謝りつつもまだ笑い続けた。 「そ・・・それで、自治会の役目はわかりましたけど、自治警って言うのは?」 アレイスターにじっとりと睨まれ、慌てたアレンが話題を変える。 と、 「人間出身の眷属には、君のように躾のなっていない者もいます」 嫌味な口調で、ハワードが応じた。 「そう言う輩はとかく問題を起こしやすく、中には闇雲に人間を襲って、殺してしまう者もいるのです。 そんな野蛮な輩を取り締まり、処罰するのが自治警の仕事ですよ」 「そ・・・そんなのがいたのか・・・・・・」 目を丸くしたリーバーを、ハワードはさも馬鹿にしたように見遣る。 「あなたとご一緒だったハンターは、リー家の出身だと聞きましたが? ハンターでも古い家柄の者達は、自治会や自治警の存在を知っているはずですが、聞かれませんでしたか」 「いや・・・・・・」 そもそも、助手といっても時間の空いた時に手伝うだけだったし、未知のものへの興味はあったが、深く関わろうとまでは思っていなかった。 そんな彼に、ハワードは鼻を鳴らす。 「でしたらそのまま、今後とも関わっていただかなくとも良いのですが」 「ハワードさんたら、またそんなことを・・・・・・」 困惑げにミランダが口を出し、気遣わしげにリーバーを見た。 「気になさらないでくださいね」 「あ・・・あぁ・・・・・・」 ハワードに何か言ってやろうと開いた口を閉ざし、リーバーは気まずげに頷く。 と、それを気兼ねだと思ったのか、ミランダはそっと、彼の手に手を重ねた。 「パーティには、自治会の方が幾人もいらっしゃいますし、自治警の長官は、クロス様と一緒にいらっしゃいますから。 ご紹介しますね」 にこりと笑ったミランダに、リーバーが苦笑して頷く。 が、テーブルを挟んだ向こう側では、その言葉にラビが目を丸くした。 「自治警長官?! ホントに来るんさ?!」 大声をあげたラビに、皆の注目が集まる。 「え・・・えぇ、昨日も言ったでしょう? メデューサの能力を持つ方のことですよ」 ミランダが声を詰まらせつつ言うと、ラビは喜色を浮かべてこぶしを握った。 「やったさ!! とうとう、生で長官の顔が見れるさ!!」 「そ・・・そんなに嬉しいの・・・?」 アレンが、身を引きつつ問うと、ラビは大きく頷く。 「だってお前、自治警長官っていやぁ、超激務の役職さ! 自治会のメンバーでもない限り、純血のヴァンパイアでも滅多に会えないって人さね!!」 「ふーん・・・」 どうせおじさんでしょ、と、アレンが呟くと、ラビはにんまりと笑って彼の肩を抱いた。 「超・美・人 「・・・・・・ホントに?」 「見たことないけどな」 写真嫌いらしいから、と、ラビは陽気に笑う。 その様を見ると、彼が闇の眷属だとは、どうしても思えなかった。 だが・・・。 リーバーは自身の手に重ねられた、ミランダの冷たい手に目を落した。 握り返しても、いつまでも暖まらない手・・・。 そこには目に見えない壁があるようで、リーバーは思わず吐息を漏らした。 と、その音に皆の視線が集まる。 「あの・・・なにか・・・?」 不安げなミランダの問いに、リーバーはやや逡巡してから頷いた。 「昨夜、ベッドが壊れちまったもんだから、あんまり寝てないんだ」 疲れた、と言う彼に、ミランダの方が死にそうに蒼ざめる。 「で・・・ではどうぞ、お休みになってください! あ・・・あの、昨日おっしゃってた、風邪とかじゃありませんよね?! どうしましょう、お医者様を呼んだ方がいいのかしら・・・!」 「いや、俺が医者だから」 落ち着いて、と、リーバーが慌ててなだめた。 「ほっといたって、死にゃしませんよ」 つんっと、意地悪く言ったハワードを睨みつけ、リーバーは席を立つ。 が、さすがに寝不足が祟ったのか、それだけで立ちくらみを起こし、テーブルに縋ってうずくまってしまった。 「リーバーさん!!!!」 ミランダが悲鳴をあげ、ラビやアレンも驚いて席を立つ。 すぐさま駆け寄った二人からは一呼吸遅れて、アレイスターがテーブルのベルを鳴らした。 「彼を部屋へ運ぶである。 空いている客間がまだあったであろ?」 おっとりと言った彼に、駆けつけた使用人達はハワードの顔色を窺う。 「ん? どうしたであるか?」 訝しげにアレイスターが首を傾げると、ハワードが立ちあがった。 「兄上、客間は本日からお見えになるお客様の分で塞がっていますので、彼にはウォーカーの部屋で休ませようかと・・・」 「なにを言っているであるか、ハワード。 リーバー殿も客人である。 アレンと同室では、ゆっくり休めないであろう。 一部屋確保するである」 兄の命令に、ハワードは不承不承頷く。 「さぁ、リーバー殿。 明日に備えて、休んで欲しいである」 にこりと笑ったアレイスターに、リーバーはありがたく頷いた。 ・・・ハワードを殴るにしても、まずは体力を回復することだ。 両脇をアレンとラビに支えられ、おろおろと気遣わしげなミランダに伴われて、リーバーは客室へと向かった。 「あーびっくりしたさ。 人間って、何日か寝ないだけで倒れんだな!」 看病にミランダと、押し入って来たハワードを残し、アレンと共に客室を出たラビが言うと、アレンは何度も頷く。 「だから言ったじゃないですか、僕の友達は、寒かったりお腹すいたりで死んじゃったんですよ、って」 「うん・・・なんか、ようやく実感したさ」 純血のヴァンパイアに生まれ、人間とは全く違う生活を送っていたラビは、屈強に見えるリーバーでさえ倒れたことに、心底驚いていた。 「俺、本に夢中になってて何日も血を飲むのを忘れてた時に、あんな風になったことあっけど、まさか寝なかっただけでなぁ・・・」 驚いた、と、また繰り返すラビに、アレンが肩をすくめる。 「また、観察しようとか考えてんでしょ」 「もちろん なんか面白そうだし そう言ってラビは、クスクスと笑い出した。 「お前の観察も継続中な 「何が面白いんだか・・・」 年齢より随分大人びた仕草で、アレンが肩をすくめる。 と、ホールに差し掛かった時、大階段から美しく装ったエリアーデが現れ、二人の目を奪った。 「マダム!! 今日はまた一段とお美しいさ!!!!」 今にも飛びつかんばかりに興奮するラビを、アレンが羽交い絞めにする。 「放すさアレンっ!!」 「もー・・・またアレイスターさんに怒られちゃいますよ? 追い出されたくなかったら、おとなしくしててください」 うんざりと言ったアレンに、エリアーデも笑みを漏らした。 「そうよ、今からお客様をお迎えするのだから、おとなしくしててちょうだい」 「お客・・・様・・・・・・っ?!」 その言葉に真っ青になったアレンへ、エリアーデはあっさりと頷く。 「ご主人様のお着きよ」 「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!」 飛び上がり、動転したアレンは隠れる場所はないかと辺り中を探り回った。 「ちょっと・・・散らかさないでちょうだい」 到底隠れられるはずのない花瓶を頭に被って泣くアレンに、エリアーデが呆れ声で言う。 「あなたにお土産があるそうだから、隠れてないで一緒にお迎えなさい」 「うえええ!! やだやだやだやだ!! どうせ、『灰皿がなくて』とか言って、煙草押し付けられるんだ!! お土産は『いつもと変わらない俺』とか、意地悪するんだあああああああああああ!!!!」 師に対して全く信用のないアレンが泣き叫ぶ様を、ラビは面白そうに見守った。 「あんまりいじめられると、こんな風になるんさねー 「こんな時に観察しないでよっ!!」 恐怖のあまり、ヒステリックになったアレンは、毛を逆立てた猫によく似ている。 今にも爪を立てそうな彼に、普通なら絶対に近づかないだろうが、危機管理能力のいまいち欠けたラビはのほほんと寄って行った。 「すっげぇ!ほんとに湯気でそ・・・」 「フギャ――――――――ッ!!!!」 ラビがアレンの頭に手を置いた途端、アレンが絶叫してラビを引っ掻く。 「いてっ! なにすんさ、ヒステリー猫!!」 「うっさい馬鹿ウサギ!! ちょっとは気を使おうとかないのっ?!」 ぎゃあぎゃあと喚きあい、掴み合う二人に吐息し、エリアーデはハワードを呼んだ。 「義姉上、私は不埒者の監視が・・・」 不満げな義弟を睨んで黙らせ、二人を引き離すように命じる。 「全く・・・いい迷惑です!」 憤然と言って、両手にラビとアレンを吊り下げたハワードが、階上の義姉を見上げた。 「川にでも捨ててきますか?」 「お客様がいらっしゃる間、静かにさせておくだけでいいわ」 「では、塔にでも吊るしておきましょう」 「んなっ?!」 「やだやだやだやだ!!!!」 ハワードの冷酷な言葉に、ラビとアレンが暴れだす。 「おとなしくしなさい!!」 「ホントに・・・もうじきクロス様とクラウド様がいらっしゃるのよ?」 連絡があったんだから、と、眉をひそめてエリアーデが階段を降りてきた。 「自治警長官をお迎えするなんて滅多にないことなんだから、恥をかかせないでちょうだい」 うるさい子供達を別室へ連行するよう、エリアーデが命じようとした時、エントランス前に馬車が止まる音がする。 「ま・・・大変! ホラ、二人とも! うるさくするのなら別室にこもってて! お迎えするのならきちんとしてちょうだい!」 エリアーデが言うや、二人はほとんど同時にハワードの手を振り解いた。 が、アレンは慌てて逃げ出そうとし、ラビは噂の長官を一目見ようと飛び出し、ぶつかり合って床に転げる。 「何をやっているのですか!」 忌々しげに叱り飛ばしたハワードが、足元に転がった二人の襟首を掴んで立たせると同時に、ホールのドアが開いた。 「ようこそいらっしゃいませ」 エリアーデが優雅に一礼すると、迎えられた女は微笑んで頷く。 「本日はお招きいただき・・・」 「イェス!!ストライク!!」 突然の大声に、驚いた客人が見開いた目をラビへ向けた。 と、ラビはハワードの手を振り解いて彼女へ駆け寄る。 が、その傍らのエリアーデと見比べて、悩ましげに眉をひそめた。 「なんってことさ!! またストライク来ちまったさ!!」 どうしよう、俺はどっちかを選ぶなんて残酷なこと・・・!」 「せんでいい」 鬱陶しい、と、後から入って来たクロスが、ラビを蹴飛ばして踏みつける。 「世界の美女はみんな俺のもんだ」 「うごぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!潰れるぅぅぅぅぅぅぅッ!!!!」 既にめきめきと音を立てて折れつつある背骨の音と、ラビの苦鳴が重なった。 「し・・・ししょ・・・・・・!」 真っ青になって震えるアレンを、クロスははるかに高い場所から見下ろす。 「よぉアレン、覚えとけ。 これが、二兎を追うもの一兎をも得ず、って奴だ」 「あの・・・踏まれているのがウサギなんですけど・・・・・・」 今にも内臓を吐きそうに呻くラビの前に正座したアレンが、恐々と言った。 遠慮がちに、ちょいちょいとラビの腕を引いてクロスの足下から出そうとするが、当然、その程度で助けられるわけもない。 それでも、震えながらちょいちょいと袖を引くアレンに、親の躯の前で戸惑う仔鹿を連想したクラウドは、身を屈めて彼の白い髪を撫でてやった。 「え・・・?」 優しい手に、驚いたアレンが顔をあげると、彼女は肩越し、未だエントランスに止まったままの馬車を指す。 「お前への土産はあの中だ。 行って、連れて来るといい」 「連れてくる?」 なんだろう、と、困惑するアレンの背を、クラウドは軽く叩いて急かした。 「ぢょっ・・・みずでないでざっ・・・!!」 立ち上がったラビが、涙に濁った泣き声をあげたことは気になったが、更に身を屈めたクラウドが、ラビの襟首を掴んでクロスの足下から引きずり出したことに安堵して、外へ出る。 「何かいるのかな」 動物だろうかと、窓を塞がれた馬車のドアを開けたアレンは、中で眠るリナリーの姿に絶句した。 「リ・・・リナリー・・・・・・」 また血を吸われてしまったのか、ぐったりとした彼女の肌は白く、エントランスに掲げられた門灯の光をそのまま映している。 「ほ・・・ほんとに・・・・・・?」 そっと手を取れば、まだ眷属ではない彼女の温もりがじんわりと伝わった。 「リナリー・・・ 本物だ、と確信し、アレンは歓声をあげてリナリーを抱きしめる。 「ししょー お土産ありがとうございます クロスに拾われて以来初めて、心から礼を言ったアレンに、彼は鼻を鳴らした。 「ほんとは横取りするつもりだったんだがな」 「えっ!!」 真っ青になって顔を引き攣らせたアレンを、クロスは面白そうに見遣る。 「クラウドに止められた」 「クラウド様っ・・・・・・!!」 リナリーを抱き上げたまま、アレンは心からの感謝を込めて、クラウドを見つめた。 「本当にありがとうございますっ!!」 「いや・・・・・・」 潤んだ目に見つめられて、苦笑したクラウドは、ふいっと目を逸らす。 「あ・・・あの・・・?」 何か失礼なことを言っただろうかと、不安げなアレンから目を逸らしたまま、クラウドは首を振った。 「聞いていないか? 私はメデューサの能力を持つゆえ、できるだけ目を合わせることは避けている」 「あ・・・・・・」 「それって、石にしてやる!って思わなくても、目を合わせただけで石になっちまうんさ?!」 クラウドに吊られたまま、興味津々と問うたラビに、クラウドは首を振る。 「さすがに、そこまで無制御ではないが・・・」 「だったら大丈夫です!!」 大声で言ったアレンを、クラウドは思わず見てしまった。 と、その視線を恐れもせず、少年は笑っている。 「・・・・・・無鉄砲だな」 「長所です!」 呆れ声に対し、きっぱりと言ったアレンに、クラウドが吹き出した。 と、 「俺も、純血だから安心してさ、長官 二人の子供でサッカーチーム作っ・・・げぶっ!!!!」 石の床に叩きつけられ、踏みつけられたラビが血反吐を吐く。 「一人で勝手に繁殖しろ」 冷たい声をかけた彼女の肩で、小猿がせわしく手を叩いた。 「おや・・・着いたのであるか」 未だ食堂で新聞を広げていたアレイスターが立ち上がると、クロスとクラウドはそっくりに片眉をあげた。 「相変わらず、のんびりしてやがるな!」 「まったく、奥方がいないとどうなるのだ、この家は!」 二人してきつく言われ、アレイスターはしおしおと眉を下げる。 「す・・・すまないである・・・」 「ま・・・! アレイスター様は悪くありませんわ! 私がお知らせしなかったのがいけないのですから・・・!」 と、エリアーデは言うが、アレンとラビは、アレイスターが『もうじきクロスが着く』と言っていたのを聞いていた。 「明らかに・・・」 「アレイスターさんがうっかりしてたんですよね・・・」 ひそひそと囁きあう二人を、アレイスターではなくエリアーデが睨む。 「アレン? その子をお部屋に運んではどう?」 「え? あ・・・はい!!」 まっすぐにリナリーを指したエリアーデに大きく頷き、アレンは踵を返した。 「ラビはついてこなくていいからねっ!!」 「なんでさっ!」 「クラウド様攻略がんばって!」 「もちろんさっ!!」 次の瞬間、背後で悲鳴と血しぶきの上がる音を聞きながら、アレンは自室に飛び込む。 大事な人形でも扱うように、そっとソファに横たえたリナリーを見下ろしたアレンは、感動に頬を染めた。 「・・・・・・本物だぁ!」 長い睫毛が頬に影を落とす様を、尾を振る仔犬のようにはしゃいで見つめていたアレンは、ふと気づいて立ち上がる。 「リナリーってば、起きたら逃げようとしますよね、やっぱり」 殺されるのは嫌だから、と、アレンはそっと部屋を出ると、急いで使用人部屋に走り、鎖をもらって駆け戻った。 「ご・・・ごめんね、ごめんね!」 必死に謝りながら、アレンはついさっきまで邪魔だと思っていた、コリント式の柱とリナリーの片足を鎖で繋ぐ。 「長い鎖だから、部屋の中は自由に行き来できますけど、外には出られませんよ でも、リナリーがお嫁さんになってくれるって言ったら外してあげます 身勝手なことを嬉しげに言ったアレンはまた、リナリーの傍らに座って、彼女の寝顔を見つめた。 それはまるで、童話の姫君のようで・・・。 「キ・・・キスしたらっ・・・起きるかなっ・・・!!」 自分の言葉に真っ赤になりながら、アレンはリナリーの首筋についた、新しい傷に唇で触れた。 甘い香りに誘われる蝶のように、未だ滲み出る血を舐め取ると、リナリーがくすぐったそうに身じろぎする。 「リナ・・・」 酔ったように顔を紅くしたアレンが、リナリーの紅い唇に引き寄せられ、触れようとした瞬間―――― リナリーがカッと目を見開き、バネのように勢いよく状態を起こして、アレンの顔面に頭突きした。 「ぶぎゅっ!!」 砕かれた鼻から血を撒き散らしながら、アレンが仰向けに倒れる。 が、加害者も無事ではなく、リナリーは額を押さえてソファに突っ伏した。 「〜〜〜〜いたぁっ!!!! なにするのよ、吸血鬼!!」 「あのっ・・・それ僕の台詞じゃ・・・・・・!」 床に血溜りを作りながら言ったアレンを、リナリーはキッと睨む。 「すぐに治る吸血鬼の怪我と、穢されちゃ取り返しのつかない乙女の純潔と、どっちが大事よ?!」 「お・・・乙女の純潔です・・・・・・」 「そうでしょ! わかったら私を帰しなさい!!」 さもないと、と、ソファから立ち上がったリナリーは、自身の足に絡んだ鎖を見て、激昂した。 「今すぐ! ここで殺してやるんだから!!」 「え?!どうやって・・・きゃあああああああああ!!!!」 リナリーに蹴飛ばされた途端、アレンの方が乙女のような声をあげて壁際へ逃げる。 「あっ・・・あの、落ち着いてください、リナリー! わけをっ・・・先にわけを聞いて?!ね?!」 鼻血はさすがに止まったが、今蹴り砕かれた肋骨が痛んで涙が出た。 「なによ! か弱いレディを鎖に繋いで、どんな言い訳するって言うの?!」 「か・・・か弱い・・・かな・・・?」 うっかり言ってしまったアレンに、再びリナリーの蹴りが炸裂する。 「なに? なんか文句でもあるの?!」 冷酷な目に見下ろされ、アレンはぶんぶんと首を振った。 「じゃあ、さっさとこの鎖を外しなさい!」 鎖で繋がれた方の足で、折れた肋骨をぐりぐり踏んでやると、アレンはぴぃぴぃと悲しげな泣き声をあげる。 「だ・・・だって、こうでもしてないとリナリーは逃げちゃうでしょ?」 「当たり前じゃない!」 「やっぱり! 僕、リナリーと一緒にいたいですもん! だから、苦肉の策だったんです!」 「い・・・一緒にって・・・・・・」 直球の告白に、顔を紅くしたリナリーの力が緩み、アレンはすかさず逃げ出した。 「あ!こら!!」 リナリーを拘束する鎖がギリギリ届かない場所にまで逃げたアレンは、折れた肋骨を押さえ、大きく息を吸って元に戻す。 「・・・・・・痛かったです」 うぇ・・・と、涙を浮かべて、既に元に戻った鼻を撫でた。 「もぉ・・・なんでそんなに意地悪なんですか・・・・・・」 バスルームで濡らしたタオルで、こびりついた血と涙を拭ったアレンは、ついでに半面を覆う包帯を取る。 「それ・・・」 「あ・・・はい。 君のお兄さんにつけられた傷、まだ治んなくて・・・」 じくじくと痛む傷に濡れタオルを当てて冷やすアレンから、リナリーは気まずげに目を逸らした。 「リナリー?」 「わっ・・・悪いなんて思ってないから!」 大声で言った彼女が無理をしているように見えて、アレンは目を丸くする。 「リナリー・・・」 「なっ・・・なによ・・・」 顔の傷をさらしていれば、リナリーが強く出られないことに気づいたアレンは彼女に歩み寄り、そっと手を取った。 「やっぱり、優しい人なんですね、君は」 側でにこりと微笑むと、リナリーはみるみる顔を紅くする。 「わっ・・・私は、ヴァンパイアに優しくなんか・・・・・・!」 「まだ、ヴァンパイアじゃありません」 成体じゃないから、と、くすりと笑ったアレンは、リナリーの手を自身の傷に当てた。 「なにを・・・」 「こうしてもらうと、痛みが和らぐ気がします」 リナリーの手に頬をすり寄せ、アレンは笑みを深める。 「あったかい・・・ 「・・・っ!!」 耳まで赤くしたリナリーは、魅了の力を避けようと顔をそむけた。 と、長い髪が肩を滑り、まだ血の滲む傷口がアレンの眼前に晒される。 「リナ・・・」 立ち昇る血の芳香に、アレンの鼓動が跳ねた。 ついさっき、ちろりと舐めた血の甘さを舌先に思い出し、アレンの唇が吸い寄せられる。 「なにするの!やめて・・・!」 抵抗するが、今までのアレンとは別人のような強い力で、リナリーは抱きすくめられた。 「やだっ・・・!」 アレンが口を開け、まだ成体ではない彼には、本来ありえない牙が覗く。 「そんな・・・!!」 クラウドがつけた傷の上に、また牙が突きたてられた。 「ぅあ・・・・・・!」 リナリーの指先や爪先が氷のように冷え、身体が震える。 今までの・・・エリアーデやクラウドに血を吸われた時とはまったく違う感触に、リナリーの膝が崩れた。 「嘘・・・つき・・・・・・」 その一言を最後に、リナリーの意識は闇に落ちる。 ぐったりとした彼女を抱きしめたアレンは、血塗れた唇に笑みを浮かべた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで?」 長い長い沈黙の後、呟いたラビに、アレンは懸命に首を振る。 「ぼぼぼぼ・・・僕もわかんないんですっ!! なんか、リナリーの血の匂いをかいだらぼーっとしてきて、彼女の傷を『おいしそうだなぁ』って見てたところまでは覚えてんですけど、その後のことは全然記憶なくて!! 気がついたりナリーは倒れてるし、僕は血まみれだし、なにより・・・・・・!!」 早口に言ったアレンは、あんっと口を開いてみせた。 「牙が生えてたんですっ!!」 「15歳で? それはまた、早熟な・・・・・・」 犯行現場となった部屋の中央に、姿勢良く立ったクラウドが呆れたように呟く。 「エエエエエリアーデさんっ! リナリーは大丈夫ですよね?! 死んじゃってませんよねっ?!」 ぶるぶると震えながら、リナリーを診るエリアーデに問えば、彼女はこくりと頷いた。 「大丈夫・・・しかも信じられないことに、眷属になりつつあるわ」 「はぁ?! アレン、まだ15だぜ?! そんな力・・・・・・」 大声をあげたラビに、エリアーデも強張った顔で頷く。 「私だって・・・眷属になって何百年も経っていたのに、ミランダを完全な眷族にしてしまうには力が足りなかったわ。 なのに・・・・・・」 訝しげにアレンを見たエリアーデは、はっとして立ち上がった。 「アレン、あなた、クロス様にその傷の治療をされていたのよね?!」 「え・・・はい、ロンドンにいた頃に・・・そりゃもう・・・・・・」 既にトラウマになった、治療という名の惨い拷問の数々に、アレンが魂の抜けたような声をあげる。 「その上、あの方がミランダへと作ってくれた血液のタブレットを、全部飲んでしまったわね?!」 「はい・・・なんだか、すごくおいしそうな匂いがするんで、食べてみたらものすごくおいしくて・・・ごめんなさい」 ぺこりと頭を下げたアレンを見下ろし、エリアーデは長い爪を悔しげに噛んだ。 「あれは人血のタブレットだったのに・・・あれを全部飲んだあなたが、平然としている時点で気づくべきだったわ・・・!」 「と、言うことは」 クラウドが、深々とため息をつく。 「治療と称して、様々な人体実験を行った結果、アレンの細胞活性化が異常に進んで、成体になってしまった、ということか」 「そうでしょうね・・・! まったく、あの方は・・・・・・」 ほぅ・・・と、困惑げにため息をついたエリアーデに、アレンは真っ青な顔で迫った。 「あああああああのっ!!!! そそそそそれってもしかして、僕の成長止まっちゃったってことでしょうか?! 僕、この身長のままなのっ?!」 もっと大きくなる予定だったのに、と、少年らしい嘆きをあげるアレンに、しかし、その場の全員が首を振る。 「お前、勘違いしてないさ? 確かに俺ら、人間と比べりゃ、うんと長生きだから、不老長寿に見えっかもしんねーけど、老化が遅いってだけで年は取るんだぜ? うちのジジィなんかホラ、シワッシワのツルッツルじゃんさ」 祖父が聞けば、その場で殺されそうなことを言って、ラビが笑った。 「じゃ・・・じゃあ、成長はするの・・・?!背、伸びる?!」 「伸びるかどうかは個人差だが、現在の姿で止まる、ということはないだろうな」 クラウドが請け負い、アレンはその場にへたり込む。 「よ・・・よかった・・・・・・!」 「でも、ある程度でしばらくは成長が止まるのは確かよ」 私もだし、と、エリアーデは自身の、艶やかな頬に触れた。 「アレンの場合は、クロス様がある程度、成長速度を加減なさっていると思うのだけど、この子は・・・・・・」 力の加減を知らないアレンが血を吸ってしまったため、今後どうなるかはわからない。 「ずっとこの姿のままか、ミランダやハワードのようにしばらくは成長するのか・・・この娘自身の体力も関わってくるかも知れんな」 クラウドの呟きには、エリアーデまでもが驚いた。 「それは一体・・・」 「お前と私が、先に血を吸ってしまったからだ」 彼女がこうもあっさり眷属となりつつあるのは、三人ものヴァンパイアに次々と血を吸われたからかもしれない、と、クラウドは言う。 「この娘の体力が弱っていれば、眷属と化すのは早いだろうな」 そう付け加えた彼女に、エリアーデは訝しげな顔をした。 「でも私は、この子をおとなしくするために少し血をもらっただけですわ」 「私もそうだ。 だが、この娘に牙を突きたてたことは事実。 そうするつもりはなくても、この娘は徐々に眷属と化して行っていたのではないかな」 「え・・・じゃあ、リナリーは・・・・・・」 目を見開いたアレンに、クラウドが頷く。 「お前が手を下さずとも、いずれは眷属になっていたかもしれない」 「ふぅん・・・だったら、そのままほっといた方が良かったかもしんないさ」 リナリーを囲む輪から少し離れた場所で、ラビがくすりと笑った。 「そしたら、ウチの奴らを散々いたぶってくれたリー家を、内側から潰せたかもしんないさね」 陽気な顔で酷いことを言う彼に、しかし、エリアーデがあっさりと頷く。 「それもそうね・・・今のうちにこの子、家に帰してしまう?」 「えぇっ?!そんなの嫌ですっ!!」 すかさずアレンが言うと、彼女は笑って頷いた。 「冗談よ。 だけど・・・この子がこの家にいることは、センセには隠しておいた方がいいわね」 「リーバーさん?」 なんで、と問うアレンに、エリアーデは苦笑する。 「この子は、彼と親しいのでしょう? それを眷族にしたなんて知れたら、酷く怒るでしょうねえ・・・」 「むしろ、それを狙ったのかも知れんな、あいつは」 エリアーデの予想に、クラウドがぽつりと呟いた。 「誰さ?」 「クロスだ」 ラビの問いにあっさりと答え、クラウドは小首を傾げる。 「考えても見ろ。 あいつがアレンのためだけに、わざわざ昼の狩などすると思うか? しかも、こんな美味い獲物を横取りもせず運ぶなど・・・」 「しませんわね」 きっぱりと言ったエリアーデに、クラウドも大きく頷いた。 「きっと、自分の実験によって、アレンがどこまで成長したのかを確かめるためと、そのリーバーとやらを眷属に引きずり込むため、もしくは、反応を見て楽しむために策を巡らせたのだ」 「相変わらず、悪どいさねー・・・」 修羅場を想像したラビが、げっそりと舌を出す。 「そんなことになって、ミランダが泣いちゃったらどーすんさ」 「それもお楽しみの一つだろうな。 女の涙は美しいなどと、大真面目にほざく奴だから・・・」 考えれば考えるほど、クロスの巡らせた策略に気づき、気分が重くなっていった。 しかし、 「第一段階、やっちゃったものはしょうがないです! 僕、男らしく責任を取ります!!」 言葉のわりに悲壮感はなく、むしろ嬉々としてアレンはこぶしを振り上げる。 「ん?結婚でもするんさ?」 「はい リナリーをお嫁さんにして、一生添い遂げるんですよ 輝ける未来がすぐ側にあることを確信したアレンの顔が蕩けた。 「僕たち、幸せになりましょうね 言った途端、リナリーは悪夢にうなされてでもいるかのように眉をひそめる。 「やだってさ」 「そんなことないですよ!」 からかい口調のラビを睨みつけ、アレンは眠るリナリーの手を取った。 「めざせ!クロウリー夫妻!!」 「アラ・・・ その宣言に、エリアーデが頬を染める。 「あなた、若いのになかなか見込みがあるわ エリアーデの評価を受けて、アレンは嬉しげに笑った。 アレンの部屋を出て、とことこと応接間に向かったラビは、中でくつろぐアレイスターとクロスににこりと笑った。 「なぁなぁ旦那達! さっき、アレンに牙生えたんけど 「なに?!もう生えたのであるか?」 「ふん・・・うまく行ったようだな」 身を乗り出して驚くアレイスターとは逆に、クロスはしめたとばかり、喜色を浮かべる。 「やっぱり・・・あんたの仕業だったんさね、クロスのダンナ。 あいつ、花嫁もゲッチュしたみてーだけど、お祝いしねーの?」 「はっ・・・花嫁?! まさか、さっきの・・・・・・」 「あぁヴァンパイア・ハンターの妹だ」 「なんと・・・!」 慌てふためくアレイスターを、クロスが面白そうに眺めた。 「祝いなら明日、一緒にやっちゃどうだ? あの娘が眷属になったとわかれば、あいつも諦めがつくだろ」 「あ・・・あいつ? リーバーのことであるか?」 「あぁ、家族にすんだろ?」 クロスが、意地の悪い笑みを浮かべる。 と、アレイスターは眉根を寄せて、しおしおとうな垂れた。 「ま・・・まだ迷っているようであるから・・・無理強いは・・・したくないのである。 ミ・・・ミランダももう、大人であるのだし・・・互いに納得の行く方法で・・・・・・」 「はぁ?! じゃあなんさ! アーちゃんてば二人が別れてもいいや、とか思ってんの?!」 「あ・・・あーちゃん・・・?」 私のことか、と言う問いは軽やかに無視して、ラビがアレイスターに詰め寄る。 「そんなん、とっとと仲間にしちゃえばいいさ! もうちょっと年取りたいってんなら、あんたが適当に調整すればいいこったし、人間でいたかったってんなら、奴らは昔馴染み死に絶えた頃に生きるのをやめちまうさ! それだけのこったろ!」 人間の死を『それだけのこと』と言い切るラビはやはり、『純血』のヴァンパイアだった。 だが事実として、人間出身の眷属は、数十年で生きる気力を無くし、人間で言う老衰のようにして亡くなることが多い。 エリアーデやミランダ、ハワードのように、元は人間であったにもかかわらず、何百年も生きている眷属は、実は稀な存在だった。 「ミランダだって、今まではあんたらだけで良かったんだろうケド、あいつと別れたら未練は残るだろうさ。 そうしたらサイアク、あいつが死んだ頃に、ミランダも生きるのをやめちまうさね!」 「そっ・・・そんなことは許さないである!! ミ・・・ミランダに死なれたら、どんなに悲しいか・・・・・・!」 ヴァンパイアは長寿なために、仲間の死に対する耐性がほとんどない。 自分の方が今にも死にそうなほど蒼ざめたアレイスターに、ラビは鼻を鳴らした。 「だったら、すぐにでも決断させるんさね!」 当主だろ、と、ラビが畳み掛ける。 「そ・・・そうであるな・・・・・・!」 決意を目に宿して、アレイスターが頷いた。 と、それまで面白い見世物だと言わんばかりに見物していたクロスが、にやりと笑う。 「決断を迫るのはいいが、お前がうまく言えるとは思えない。 ここはやはり、奥方にお願いした方がいいんじゃないか?」 だが、アレイスターはしばし逡巡した後、きっぱりと首を振った。 「こ・・・これは当主としての役目である! いつまでもエリアーデにばかり、頼ってはいけないであるよ・・・!」 「へぇ・・・言うようになったじゃねぇか」 「アーちゃんかっこいいさ!」 「あの・・・だからそのアーちゃんと言うのは・・・」 バンバンと背中を叩くラビを、アレイスターが気弱げな上目遣いで見る。 「ついでに、あんたの裁量でアレンの祝いやってくんね? 俺がやってもいいんケド、まだ当主でもない俺じゃあ、とんでもなくささやかになっちまうもん!」 にこやかに言うと、アレイスターは気弱げな目を、今度はクロスへ向けた。 「それは構わんのであるが・・・アレンはクロスの従者である。 私がでしゃばってよいものか・・・」 「構わねぇよ。 俺の実験は終わったからな」 とうとう、はっきりと『実験』と言い切ったクロスを、ラビが憮然と睨む。 「あいつのこと、あんまりいぢめないでくんないさ? せっかく見た目だけじゃない、実年齢の近い眷属見っけたんだから、壊して欲しくないさね!」 「ほう・・・。 ブックマンJr.ともあろう者が、クソガキ一人に執着するなんざ、珍しいこともあるもんだ」 くつくつと意地悪く笑い出したクロスに、ラビがますます憮然とした。 「いいじゃんか! どうせ長い人生なんさ! だったら気の合う仲間の一人くらい、いてもいいさね!」 「ふむ・・・俺とアレイスターみたいなもんか」 からかい口調のクロスに、アレイスターが唖然と口を開ける。 「いけしゃあしゃあと・・・。 お前は金の無心に来るばかりではないか」 「あぁ、親友だろ?また貸してくれるよな?」 「そう言うことは、たまった借金を清算してから言うものである!」 憤然と言ったアレイスターに、ラビは怒りも忘れて吹きだした。 「笑い事ではないであるよ。 この男の借金額と言えば、それこそ一国分に相当するのであるからな!」 「ぅえっ?!そんなにっ?!」 驚くラビの傍ら、クロスは悠然と首を傾げる。 「そんなにあったかな?」 「あった、ではなく、今現在背負っているではないか!」 「ん?貸主がくたばった分は返す必要ないだろ?」 「・・・・・・・・・お前」 呆れ果てたアレイスターは、ふぅ、と、深いため息をついた。 「そう言うことは誠実に行わねば、ハンターに狙われるであるよ」 「はん! あいつらは無差別殺人者だ。 俺が借金してようがしてまいが、俺を見た途端に殺しにくるぜ」 お前も、と指差されて、アレイスターはラビと同じく、憮然とクロスを睨む。 「人聞きの悪い。 我が家をお前と一緒にしないで欲しいである。 我らが昔と違って人を襲わぬように、ハンター達も依頼がなければ狩りに来たりはしないのである。 お前と違って、人から恨みを買うことのない我が家は安泰であるよ」 「今まではな。 だが、ハンターの助手を引き込んで、ハンターの妹を眷族にしちまったんだ。 少なくとも、リー家は依頼がなくてもお前らを狩りに来るぜ」 だから、と、クロスは笑みを深めた。 「あいつら、処分して欲しけりゃ、依頼料をよこしな」 「・・・・・・そうきたか」 ミランダがリーバーに、アレンがリナリーに一目惚れしたのは偶然だろうが、その状況を巧みに利用し、自分に有利な方向へと持って行ったクロスの手腕に、ラビは呆れてしまう。 が、非難ではないその口調に、クロスは声をあげて笑った。 「参考にしな、Jr. お前が、本気でジジィの後を継ごうってんなら、時には自分で状況を動かすことも、必要なスキルだ」 だが、そのアドバイスにラビは首を振る。 「史家が史書を改竄するようなことはできないさ」 きっぱりと言うと、クロスはまた楽しげに笑った。 「ジジィに似て頑固だな」 「おかげさんで」 肩をすくめ、ラビはアレイスターに向き直る。 「そんで、アレンの件なんけど・・・」 話を戻したラビに、アレイスターが頷いた。 「どうせなら明日、私のパーティの時にやるであるか?」 「へ?! イヤ、それはさすがに・・・・・・」 自治会のメンバーや自治警の長官までが出席するパーティで、人間出身ヴァンパイアの成人式もあるまい。 そう言うが、アレイスターはあっさりと首を振った。 「別に、気にしなくていいであるよ。 お前とて、成人の儀は大々的に行ったのだろうが」 「そりゃ・・・俺は純血で、跡取りだし・・・一族を集めてお披露目すんのは当然だけどさ、アレンは・・・・・・」 彼らしくもなく、遠慮がちなラビに、アレイスターは微笑む。 「せっかくの、気の置けない仲間なのであろう? 私の誕生日などはもう、千回以上も繰り返したのだし、自治会のメンバーと言っても、単なる顔なじみである。 いい加減、飽き飽きしているであろうから、こんな趣向もよいであ・・・る・・・・・・」 不自然に言葉を切ったアレイスターをいぶかしみ、ラビは彼の視線を辿った。 「マ・・・マダム・・・・・・」 細く開いたドアの向こう、立ち竦んだエリアーデの目に、みるみる涙が盛り上がる。 「あっ・・・あの、エリアーデ・・・・・・!!」 慌てて席を立ったアレイスターが駆け寄ると、エリアーデは顔を覆って泣き出した。 「・・・私っ・・・アレイスター様に・・・よっ・・・喜んでいただこう・・・って・・・一所懸命・・・やったつもりでしたのに・・・・・・」 「エリアーデ!! そんな・・・泣かないで欲しいである!! わっ・・・私が悪かったであるから・・・・・・!」 今にも倒れそうに力の抜けたエリアーデを抱きしめ、必死になだめるが、彼の本音を聞いてしまった彼女の嘆きは深い。 「とんでもない・・・。 アレイスター様が、パーティをお好きでないのは知っていましたのに・・・・・・」 しゃくりあげつつ、エリアーデは震える声を紡いだ。 「申し訳ありません・・・・・・。 妻として、至りませんでした・・・・・・」 悲しげに呟いた彼女は、俯いたままアレイスターから身を離す。 「エ・・・エリアーデ!!」 「少し・・・失礼させてください・・・・・・」 ふらりと踵を返し、よろよろと去っていく妻の背を、アレイスターは気遣わしげに見つめた。 と、 「泣ーかしたっ!」 「酷い奴だな、お前」 背中に、容赦ない非難が刺さる。 「かわいそーにさ、マダム! アーちゃんのためにあんな一所懸命なんに、『飽き飽きしてる』なんて言われてさー!」 「お前のために、悪名すら引き受ける良妻だってーのに、言っていいことと悪いことがあるぞ」 ラビはともかく、悪の権化とも言うべきクロスに指摘され、アレイスターの膝が崩れた。 「う・・・うぅ・・・・・・! エ・・・エリアーデを泣かすつもりなんて・・・なかったのである・・・・・・!」 エリアーデ以上に嘆き、床に懐くアレイスターに、しかし、残酷な赤毛達は容赦がない。 「がっかりしたろうさ、マダム! アーちゃんがきっと喜んでくれるだろってわくわくしてたろうにさー!」 「まったく、これだからレディに気を使えない朴念仁は!」 「うぅ――――!!!!」 更に嘆きを大きくしたアレイスターに、ラビとクロスはにやりと笑った。 「この隙に、美人妻落としてくるか」 「いいさね! 俺もマダムにアターック!」 意気揚々と歩を踏み出した彼らの足を、肩越し、アレイスターの紅い眼光が止める。 「・・・噛み殺すぞ、赤毛共」 温厚なアレイスターの滅多にない怒りに、二人はメデューサの目でも見たかのように硬直した。 一方、邸内を行くエリアーデを、使用人達は緊張の面持ちで見守った。 悪魔のように厳しく、冷酷な奥方が、また何かあらを見つけて彼らを叱り飛ばすのではないかと身を強張らせる。 が、彼女はうつろな目であらぬ方を見遣ったまま、ふらふらとした足取りでシガレットルームに入った。 今、邸内にいる者の中で、煙草を吸うのはクロスだけだ。 しかし、所構わず煙を吐く彼が、わざわざこの部屋に来ることはない。 ゆえにここなら一人になれる、と思ってのことだったが生憎、先客がいた。 「・・・どうした?」 エリアーデの泣き濡れた顔に、クラウドが驚く。 だが、エリアーデは首を振って、彼女から顔を逸らした。 「・・・あなたが喫煙されるとは知りませんでしたので・・・お邪魔しました・・・」 そのまま出て行こうとした彼女を、クラウドが呼び止める。 「ここなら誰も来ないだろうと思って、こもっていただけだ。 邪魔なら私の方が消えよう」 「誰も・・・?」 「あぁ、私もアレイスターと同じで、騒がしいのはあまり好きでは・・・エリアーデ?!」 突然、顔を覆って泣き崩れたエリアーデに、クラウドが慌てた。 「わっ・・・私が何か、悪いことでも言っただろうか・・・?!」 床に座り込んでしまったエリアーデを立たせ、ソファに座らせると、彼女は顔を覆ったまま首を振る。 「私が・・・至らなかったのです・・・・・・!」 「な・・・なにがあったのだ・・・」 クラウドは未だかつてないほどに慌てふためきながら、エリアーデの肩を抱いた。 と、エリアーデはしゃくりあげながら、アレイスターの言葉をそのまま伝える。 「う・・・そうか・・・・・・」 やはり自分の失言だった、と気づいて、クラウドは気まずげに目を逸らした。 「クラウド様も・・・無理やりお誘いして、ご迷惑だったでしょうね・・・・・・」 エリアーデのかすれ声に、クラウドは慌てて首を振る。 「わっ・・・私は別に、パーティを面倒だなどと思っていないぞ?!」 懸命に明るい声を作り、引き攣った笑みを浮かべた。 「こんなことでもなければ、滅多に顔を合わせない者とも会えるのだから、むしろ楽しみにしていたのだ!」 早口に畳み掛けるが、それが真情とはやや違うことなど、子供でも気づいただろう。 「お気を遣わせまして・・申し訳・・・・・・」 「ほっ・・・本当だぞ?!」 クラウドはもう何百年も、自治警長官としてあらゆる問題を扱ってきたが、こんな展開は初めてだった。 だがなんとか解決せねばと、記憶を探しに探したクラウドは、ようやく糸口を掴んでこぶしを握る。 「そっ・・・それに、ア・・・アレイスターは、このようなことでもなければ自分から人に会おうとせんではないかっ!」 「だってそれは・・・・・・」 「クロウリー家の当主ともあろう者が、眷属と交わるのが煩わしいなどと、言っていいものではない!」 エリアーデの反駁を無理矢理塞ぎ、クラウドはなんとか主導権を握り直した。 「聞いていると思うが、あいつはお前と出会うまで、何百年も城の中に引きこもっていたのだ。 さすがに案じた先代が、他家への用を言いつけて、欧州を渡らせていた途中にお前と出会ったのだが・・・」 「・・・・・・先代様は、私を嫌っておいででした」 クロウリー家の先代当主の顔を思い浮かべて、エリアーデはますますしぼんでしまった。 「私のせいで、クロウリー家直径の血筋が絶えてしまうと・・・」 「なっ・・・泣かないでくれっ・・・・・・!!」 こんなににもうろたえた自治警長官は、部下でさえも見た事がなかっただろう。 「えっ・・・えとつまり、私が言いたいのはだな・・・!」 ぱたぱたと忙しなくエリアーデの背を叩きながら、クラウドは必死に話を戻した。 「お前がいなければ、クロウリー家はとっくに終わっていただろうということだ!!」 ほとんど怒鳴りつけて、クラウドは大きく深呼吸する。 「あの・・・泣かずに私の話を聞け・・・」 驚いて顔をあげたエリアーデにハンカチを差し出し、クラウドは視線を遠くに投げた。 「我ら眷属は、欧州に多くの一族があり、人間の王侯貴族らと同じく、互いに婚姻しては血を繋いできた。 ゆえにクロウリー家の財産は、アレイスター以外にも多くの相続人がいるのだ」 実は私も、と、クラウドはクッションに背を預ける。 「まぁ、人間と違って私達は長生きだし、それゆえか子もできにくいのでな、頻繁に相続争いなどは起きないのだが・・・」 不意に、クラウドは臭い物でも突きつけられたように、顔を歪めた。 「だからこそ、代替わりの時は凄まじいのだ・・・・・・」 あまりにも長い生を生きていると、人間のような欲望が消えていく者もかなりいるが、逆に財産を増やすことを生きがいにしてしまう者も多い。 そう言う輩は、代替わりの際に相続権を主張して、家ごと乗っ取ってしまう事もあった。 「私は・・・我が家名を守るので精一杯で、多くの領地や財産を親戚どもに奪われた。 だが、アレイスターはお前がいたから・・・。 言ってしまえば、ここで奪わずともいずれ自分達の物になるとわかりきっているから、おぞましい争いには巻き込まれずに済んだのだ」 苦笑して、クラウドはエリアーデを見遣る。 「あいつがあいつのままでいられたのは、お前がいたからなのだ。 それに・・・さっきも言ったが、あいつは一人でいると、とかく引きこもりたがるのでな。 あいつのためにも、旅行やパーティが好きなお前が側にいるべきなのだ」 「で・・・でも、煩わしいとおっしゃるのを無理には・・・・・・・・・」 「無理にでも引っ張り出さんことには、あの引きこもりが城を出るものか!」 言ってから、クラウドはふと、自身の唇に手を当てた。 「人のことは言えんか」 自分がこの部屋に隠れていた事実に思い至り、気まずげな彼女に、エリアーデがようやく微笑を見せる。 と、クラウドは明らかにほっとした様子で、ソファに埋もれた。 「後は・・・自分でなんとかしろ、アレイスター」 「うっ・・・!!」 がたんっと、廊下に何かが倒れたような物音がした後、そろそろとドアが開く。 「エ・・・エリアーデ・・・すまなかったであるぅ・・・・・・」 怯えた仔犬のように震えて、アレイスターが気まずげな顔を出した。 「あっ・・・あの・・・決して、お前の主催するパーティが嫌だとか、そんなことではないのである・・・! ただ、客も私の見飽いた顔など見ているよりは、新たな眷属の成長を祝う方が楽しいだろうと・・・その・・・・・・」 言い訳することに懸命で、なかなか寄って来ようとしない彼に、女達は思わず笑い出す。 「怒ってなどおりませんから、アレイスター様・・・」 「で・・・でも・・・お前を泣かせてしまったである・・・・・・! だから、私が私に怒っているのであるよ・・・・・・!」 壁に縋ってしくしくと泣き出したアレイスターに、エリアーデがすかさず駆け寄った。 「そんな・・・お泣きにならないでください・・・! 悪いのは私なんですから・・・・・・」 エリアーデがアレイスターを優しく抱きしめると、彼はぶるぶると首を振る。 「いいや!お前は悪くないのである!!」 「いいえ!悪いのは私です!」 ひっしと抱き合い、自らを責める二人を、最初は笑って見ていたクラウドだが、段々うんざりしてきた。 「あの・・・いちゃいちゃするのは私のいないところでやってもらっていいか?」 さもないと、と、クラウドはあらぬ方へ目を向ける。 「そのまま石にしてやりたくなる・・・・・・」 彼女の呟きに、二人は慌てて互いの目を覆った。 ・・・やがて、冬空に鮮烈な輝きを放っていた星影が、白む空の中に呑まれゆく頃。 まぶたの重たくなってきたヴァンパイア達とは逆に、人間達が目を覚ました。 「あら・・・おはようございます、リーバーさん ぱたん、と、本を閉じた音へ目を向けると、ベッドの傍らに座ったミランダが微笑んでいる。 「よく寝ていらっしゃいましたよ?」 「まったく、遠慮もせずにぐーぐーと!」 忌々しげな声を見遣れば、ハワードが目を吊り上げて彼を睨んでいた。 「なんだ、いたのか」 「あなたのような不埒な輩と、姉上様を二人だけにするわけがないでしょう!!!!」 ベッドに上体を起こしたリーバーへ、ハワードが烈しく吠え立てる。 「なにしろあなたは、油断も隙もないのですからね!」 「ハワードさん・・・静かになさい」 ミランダにたしなめられると、口はつぐんだが目は相変わらずの殺気を込めてリーバーを睨んでいた。 「何か召し上がりますか?」 リーバーに関してだけは聞き分けのない弟にミランダが苦笑すると、リーバーはこれ見よがしに彼女の手を取る。 「水を・・・」 言った途端、 「どうぞっ!!」 リーバーにぶっ掛けんばかりに、ハワードがグラスを突き出した。 「何か欲しいものがあれば、姉上様ではなく、私に申し出なさい!」 「そりゃどうも」 獰猛な唸り声をあげるハワードを軽くいなして、リーバーはグラスをランプの光にかざす。 「どうかしましたか?」 「いや、毒とか入ってないかな、って」 「私はそんな、回りくどいことはしません!」 憤然と言ったハワードを、リーバーはねめつけた。 「だって昨日のベッド・・・」 「殺す時は一息に、と言っているのです!」 キリキリと歯を食いしばるハワードに、リーバーは肩をすくめる。 十分な睡眠をとったせいか、テリアのようによく吠えるハワードにも、そんなに腹が立たなくなっていた。 リーバーが水を飲み干すと、空になったグラスを受け取ったミランダがにこりと微笑む。 「もう少し、おやすみになっても大丈夫ですよ?」 一家と客人は寝る時間だから、と言う彼女に、リーバーは難しい顔で頷いた。 「そろそろ、昼夜逆転の生活にも慣れなきゃなぁ・・・」 「慣れる前に、出て行っていただいても構わないのですが!」 つんっと、そっぽを向いて言ったハワードには苦笑する。 それも選択の一つだと考え、黙り込んだ彼の横顔を、ミランダが不安げに見つめた。 が、さすがに彼女らにとっては夜更けに当たるこの時間、起きているのが辛いのか、目がじわじわと痺れるような感じがする。 まぶたを閉じて目頭を押さえたミランダに気づき、リーバーが苦笑した。 「ずっとついててもらって悪かったな。 もう寝たらどうだ?」 「え・・・えぇ、でも・・・・・・」 困惑げなミランダに、リーバーは笑みを深める。 「この邸の使用人はほとんど人間だから、今頃起きだしてるよ。世話は彼らに頼むから、気にしないでくれ」 そう、初めて聞いた時には驚いたが、この邸で彼らの身の回りの世話をする使用人達は、ほとんどが彼らの正体を知らない『人間』だった。 多くは田舎から都会に出てきたばかりの出稼ぎ人で、教養を得られなかった彼らは、主人一家が人間であることを疑いもしない。 それは、彼らが愚鈍と言うわけでは決してなく、眷属である使用人頭や執事が『指定の』店などに使いに行かせては、通りすがりを装った他家の眷属に声をかけさせ、彼らが訝しく思う主人一家の習性や習慣について、『我が家も同じだ』『貴族とはそう言うもの』『古い家柄は血の病を持っていることが多い』などと吹き込み、疑問を封じてしまうからだ。 さすがに長い時間を生きているだけあって、狡猾な種族だと思う。 そしてその狡猾さが、リーバーに眷属となることをためらわせる一因だった。 「リーバーさん?」 いつの間にか考え込んでしまっていたようで、訝しげなミランダにリーバーは慌てて手を振る。 「な・・・なんでもない! 朝食はなんにしようかって考えちまって・・・」 明らかに苦しい答えだったが、ミランダは『そうですか』と、にこりと笑った。 「では、また後で・・・」 「あぁ、おやすみ」 ベッドから出て、ミランダをドアまで送るリーバーを押しのけて、ハワードがドアを開ける。 「どうぞ、姉上様!」 「ハワードさんたら・・・・・・」 呆れ顔で弟を見遣ったミランダは、苦笑してリーバーに向き直った。 「それでは失礼・・・・・・っ」 「ミランダ?!」 突然、膝を崩したミランダを、リーバーが抱きとめる。 「どうした・・・ハワード!」 どさりと言う音に振り向けば、ハワードもまた、床に倒れこんでいた。 「一体なにが・・・」 素早く辺りを見回したリーバーが、セントラルヒーティングのダクトを見止める。 換気口の周辺は、蒸気以外の何かで陽炎のように揺らめいていた。 「ガスか?!」 ミランダとハワードを自室に引きずり込み、ドアを閉めるが、既に廊下に充満していたらしいガスを吸った二人は目を覚まさない。 「これは・・・」 リーバーは以前、コムイから聞いた情報を懸命に探った。 「アリルプロピルジスルファイド・・・・・・」 それは、ニンニクや玉ねぎなどに含まれる物質で、ヴァンパイアがニンニクを嫌うのは、銀や紫外線と同じく、この物質に対するアレルギーではないかと言われている。 科学者でもあるコムイは、その成分を抽出、濃縮し、複数のヴァンパイアを退治する際の毒ガスを作ったのだと言っていた。 『人間には影響しないしね』 と、少し得意げに言った彼に、あの時は感心したものだが・・・。 「なんてこと・・・しやがる・・・!」 ベッドに並べた二人には既に、チアノーゼが出始めているが、医療器具のないこの部屋ではどうしようもなかった。 「外に・・・!」 しかし、既に夜が明けた今、彼らを外に出すことは死に直結する。 隙のない戦法にリーバーが歯噛みした時、不気味なほど穏やかにドアがノックされた。 「だ・・・誰だ?」 ガスが満ちている中を、眷属が動き回れるとは思えない。 では使用人だろうかと、鼓動を早くしていると、ドアがゆっくりと開いた。 「ようやく見つけたよ、リーバー君」 「コムイ先輩・・・あんたがガスを・・・?!」 随分久しぶりに会った気がしたが、今は懐かしさや親しさよりも、怒りの方が大きい。 「よくもミランダを・・・!」 「ミランダ? あぁ、そのヴァンパイアの固体名かい?」 「あんたは・・・?」 コムイの背後から姿を現したもう一人の男を、リーバーは睨みつけた。 「んー・・・? この状況で、自己紹介って必要かなぁ? まぁ・・・ハンターの一人だよ」 のんびりとした口調が、癇に障る。 「先輩、今すぐあのガスを止めてください!」 「それはできないね。 彼らは君だけじゃなく、リナリーまで連れ去ったんだ」 冷え冷えとした声が、コムイの怒りの深さを語った。 「これ以上彼らに加担するなら、君でも容赦しないよ、リーバー君」 「・・・っ!!」 コムイの冷たい目に射すくめられ、リーバーが声を失う。 それは、リナリーがさらわれたことを初めて聞いて、彼らへの信用が揺らいだためでもあった。 ミランダは、リナリーがさらわれたことを知っていたのだろうか・・・それを知っていながら、穏やかに笑っていたのか・・・。 立ち竦む彼の傍らを、もう一人の男がするりと抜けた。 「どれ、未練を断ってあげよう」 取り出した銀の刃を、彼は迷わずミランダへ振り下ろす。 「リーバー君!!」 コムイの叱声で、我に返った時には既に、彼の腕を掴み、羽交い絞めにしていた。 「邪魔しないでおくれ! これは、ボクの仕事なんだ!」 「ですが・・・っ!!」 リーバーの苦渋に満ちた声を耳元に聞いて、羽交い絞めにされた男が吐息する。 「やれやれ、困ったもんだ」 呟くや、身を沈めた彼はリーバーの足を払って彼を遠く放り投げた。 「一般人に拘束されちゃった私もね。 年は取りたくないねぇ・・・・・・」 ちろりと舌を出して、再び刃を振り下ろす。 が、そこにいたはずのミランダの姿は消え、刃はマットに深々と刺さった。 「・・・あっ」 ワンテンポ遅れて失敗に気づいた彼は、ごく最小の動きで突き出された刃を避ける。 「姉上様に・・・触るな・・・下郎・・・!!」 自身もガスに侵されていながら、ミランダを抱えたハワードは一瞬のうちに部屋の隅にまで移動していた。 「ハワード!」 駆け寄ると、彼は差し伸べたリーバーの手を打ち払う。 「お前もだ、下郎!! お前のせいで、姉上様がこんな目に・・・・・・!」 大声を出したせいか、ぐらりと傾いだハワードの身体をリーバーが支えた。 「触るな・・・! もう私達に・・・・・・!」 「リーバー君! いい加減、目を覚まして!こっちに戻るんだ!」 ハワードとコムイの間で、リーバーが揺れる。 「リーバー!!」 再度コムイに呼ばれ、反射的に立ち上がったリーバーの目の端に、壁が開く様が写った。 「来い!!」 鋭い女の声に、ハワードはミランダを抱いて隠し通路へ飛び込む。 「させないよ」 「それはこちらの台詞だ」 姉弟を逃がすため、通路から出てきたクラウドの目が紅く光った。 「逃げろ、コムイ!」 「ティエドール様・・・!」 きつく目を閉じ、コムイを突き飛ばした彼が、気配を探りつつ目を開けた時・・・。 そこにはヴァンパイアだけでなく、リーバーの姿もなかった。 その頃、別の部屋では。 目を開けたリナリーを、キラキラと輝いた銀色の目が見返してきた。 頬を紅潮させ、笑み蕩けた顔は、はしゃいで尾を振る仔犬を思わせる。 「気分はどうですかっ?!」 嬉しくてたまらないと言わんばかりの声は、しかし、リナリーを不安に陥れた。 「アレ・・・くん・・・まさか・・・・・・」 渇いて貼りつく喉から、懸命に声を出すと、アレンは冷たい手で冷たいリナリーの手を取る。 「おはよう、僕の花嫁 「・・・・・・っ!!」 愕然とし、震えるリナリーの手に、アレンが冷たい唇で触れた。 「僕たち、幸せになりましょうね 「・・・いや・・・だ・・・・・・!」 「なんで? 僕のこと、嫌いですか・・・?」 しゅん、と、眉尻を落とす彼から顔をそむけたリナリーのこめかみに、冷たい涙が伝う。 「リッ・・・リナ・・・・・・!!」 「ヴァ・・・ヴァンパイアに・・・なっちゃったなんて・・・・・・!」 がたがたと震えだしたリナリーに差し伸べた手は、悲鳴と共に弾かれた。 「リナリー・・・・・・」 「もう・・・兄さんのところに帰れないよ・・・!」 アレンに背を向けたリナリーの肩が、しゃくりあげる度に震える。 「あ・・・あの、そんなことありませんよ・・・? 他の人ならともかく、お兄さんにはリナリーが眷属になったってお知らせしますから、いつでも会いに行ってもらっていいんですから。 さすがに、お兄さんもリナリーを殺そうとはしないでしょ?ね?」 懸命になだめようとするが、リナリーはちっとも泣きやんでくれそうになかった。 どころか、激しく首を振ってアレンの言葉を否定する。 「え・・・だって、お兄さんでしょう? あんなに仲がよくて・・・・・・」 殺すわけがない、と、もう一度言ったアレンを否定したのは、リナリーではなく『夜更かし』な師だった。 「あいつが殺さなくても、一族の誰かに殺られる。そうだろう?」 「師匠・・・・・・」 「お嬢ちゃんの泣き声が聞こえたんでな。 どうせ、馬鹿な従者がうろたえてんだろうと思って、来てやったぜ」 にやりと笑い、ベッドに歩み寄ったクロスは、リナリーの震える肩に手を置き、身を屈めて彼女の耳に囁く。 「ヴァンパイア・ハンターの本性を、お前は知っているはずだ。 捕らえたヴァンパイアを、奴らはすぐには殺さない。 ヴァンパイアの弱点はなんなのか、どうすれば効率よく死ぬのか、その実験材料にされる」 アレンが息を呑むと同時に、リナリーの泣き声が止んだ。 怯えた仔ウサギのようにじっとして、しかし、震えだけは止まらない。 「兄は当然、かばうだろうな。 しかしその時は、兄もどうなるかわからない。 お前はあいつの命と引き換えに、拷問されて死ぬんだ」 「そんなっ!!」 悲鳴をあげたアレンをちらりと見遣り、クロスは身を起こした。 「嘘だと思うなら、お嬢ちゃんに聞きな」 「ぴぎっ!!」 すれ違いざま、タバコをアレンの額に押し付けて、クロスが出て行く。 と、再び二人きりになった部屋には、重い沈黙が垂れこめた。 声をあげずに泣くリナリーが、時折しゃくりあげる以外は音もない部屋で、アレンは自分の胸の中で飛び跳ねる鼓動を聞きながら、懸命に彼女へかける言葉を探す。 ややして、 「あっ・・・あの・・・んっと・・・ね、リナリー? 眷属になったばかりの頃って、まだ人間だった頃の生活習慣とか、免疫が残ってますから、お昼に起きて、お散歩だってできるんですよ?」 と、極力明るい声をあげた。 「リナリー、もう鎖は外れたんだし、気分なおしにこのお屋敷のお庭、散歩しませんか? とってもきれいなんだって、メイドさんが言ってたんですよ! お昼の庭なんて、もうすぐ見れなくなるし・・・あ」 失言に気づき、口を覆ったがもう遅い。 激しく泣き出したリナリーに、アレンは心底うろたえた。 「あっ・・・あの、ごめんなさい! ごめんなさい、眷族にしちゃったことも・・・あの、悪気はなかったんですよ、本当に! ちゃんと君の同意を待ってからにしようと思ってたんですけど、なんでだかあの時、理性が飛んじゃって・・・・・・!」 そっと手を伸ばしたアレンは、クロスに比べてややぎこちなく、リナリーの肩に手を置く。 「ごめんなさい・・・君を、帰れなくしちゃって・・・・・・」 長い髪を手に取ると、首筋の傷があらわになった。 「痛かったですよね、ごめんなさい・・・本当に・・・ごめんなさい・・・・・・」 何度も謝るアレンに、リナリーの泣き声が収まっていく。 「リナリー・・・」 「・・・謝ったって・・・許さないよ・・・!」 しゃくりあげるリナリーを、アレンは悲しげな目で見下ろした。 「兄さんと引き離しただけじゃなく・・・こんなことまで・・・おうちに帰して!おうち帰りたい!!」 ヒステリックに喚き、身を起こした途端、リナリーは目眩を起こす。 「あ・・・あのっ・・・僕、加減がわからなくて・・・吸い過ぎちゃったみたいで・・・・・・」 倒れる寸前、リナリーを抱きとめたアレンは、ぐったりとした彼女をそっと抱きしめた。 「許してくれなくて・・・いいです。 だけど、側にいてください」 「いや・・・・・・」 「そんな・・・お願いです、嫌っててもいいから・・・!」 「やだ・・・・・・」 「リナリー・・・!」 「イヤだっつってんだろ。 無理強いすんじゃねぇ、バケモノが」 聞いたことのない、冷淡な声に辺りを見回すが、アレンの視界には誰もいない。 「どこに・・・」 「ここだよっ!!」 その声と共に、窓を覆う分厚いカーテンが切り裂かれた。 昇りゆく朝日が部屋を染め、日光がアレンのつま先を焼く。 「誰だ!!」 差し込む日光を避け、ベッドの影に隠れたアレンの誰何に答えたのは、侵入者ではなくリナリーだった。 「か・・・神田・・・・・・!」 「ようやく見つけた」 ほっとした顔のリナリーと、憮然としていながらも安堵した様子の神田に、アレンがムッと眉根を寄せる。 「誰ですか、あんた? リナリーのお兄さん?」 「違ぇよ、バーカ! 気安く話しかけんじゃねぇ、バケモノが」 冷酷な目で睨まれた上、居丈高に言われて、アレンのこめかみに青筋が浮き上がった。 「ですよねぇ! リナリーに、こんな目つきの悪い遺伝子があるなんて思えませんもん! 幸せな家庭を築いても、あんたそっくりの子供が出来たら興ざめですしっ?!」 「あぁっ?! てめェ、なにほざいてやがんだ! 隠れてねぇで出て来い! ブッた斬ってやんぜ!!」 手にした長刀を閃かせ、怒鳴った彼に、アレンは不敵に笑う。 「生憎、僕は夜の眷属なんで、そんな眩しい所には行けないんですよ。 君こそ怖がらないで、こっちへ来たらどうですか?」 「怖がるだと・・・?!」 獰猛な獣が唸るような声で言った神田に、アレンは殊更、挑発的に応じた。 「ちなみに、リナリーの血はおいしくいただきました 彼女はもう、僕の花嫁です」 「・・・っ!!」 ヴァンパイアのアレンですら、目で追えなかった速さで、旋風と化した刃が迫る。 「わっ!!」 寸前で避けた刃が、ベッドの天蓋を支える柱を両断した。 「うわ・・・これ、後でエリアーデさんに怒られますよ?!」 「知るかよっ!」 「ですよ・・・ねっ!!」 一気に引き剥いだシーツを刃に絡めるが、取り上げるまでには行かない。 振り下ろされた柄をなんとか避けたアレンは、長刀を持つ神田の腕に牙を突き立てた。 「神田っ!!」 リナリーが悲鳴をあげる。 が、次の瞬間、アレンもまた、悲鳴をあげた。 「まずいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」 口に入った神田の血を吐き出したアレンが、涙目で彼を睨む。 「あんたナニ食ってたらこんなにまずくなるんですか!!」 猛抗議するアレンの迫力につい、ムッとして神田は答えた。 「蕎麦だが?」 「肉食え肉――――!!!!」 悲鳴をあげたアレンは、未だ口の中に残る血の味に顔をしかめる。 「・・・って、蕎麦だけじゃないでしょ、この苦さ!この変な味!! にんにくとかネギとか入れてない?!」 徹底追及の構えに、神田もつい、真面目に答えた。 「・・・薬味のことか?」 「やっぱりだ!!僕をたまねぎ中毒で殺す気ですか!!」 きゃんきゃんと吠え立てるアレンに、神田が片眉をあげる。 「なんでてめェ、犬だったのか」 「誰がわんこだっ!! 犬でなくったって、猫もウサギもなるんだいっ!! 無知っ!!この無知っ!!」 ぎゃあぎゃあと喚くアレンに、神田のこめかみが引きつった。 「じゃあ・・・中毒に苦しむ前に、今すぐ楽にしてやんよ!!」 刃に絡んだシーツを切り裂き、再び斬りかかってきた神田から、アレンが退く。 だが、窓際を陽光で覆われている今、彼の逃げ場は廊下側しかなかった。 更には、神田が陽光を背に、アレンとリナリーの距離を放す。 「リナ・・・!」 ベッドの上にぐったりと伏せたまま、二人の戦いを目で追うリナリーにアレンの意識が向いた。 その隙に距離を詰めた神田が突き出した刃が、アレンの頬を掠める。 切り傷だけでなく、銀に対するアレルギーでたちまち爛れだした頬に触れることもできず、アレンは神田を睨みつけた。 「なんて乱暴な・・・! 話し合いで解決しようとか、ないんですか?!」 「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ、バケモノ。 おとなしく退治されろ」 薙ぎ払われた刃に、危うく身体を両断されそうになったが、反撃の手段がないアレンは、とにかく逃げるしかない。 長い時間をかけて、ようやく辿り着いたドアはしかし、触れる前にノブが切り落とされた。 「逃がすかよ・・・弱っていても、仲間を呼ばれちゃ面倒だからな」 「弱って・・・?」 神田の言葉に、アレンは目を見開く。 「仲間に・・・なにをしたんですか・・・?」 「蜂の巣を駆除するにはまず、危険な蜂どもを動けなくしてからだ。違ェか?」 神田がにやりと笑った途端、アレンの背筋が凍った。 奇妙に思うべきだった、こんなにも大きな物音を立てているのに、聴力の優れた彼らが駆けつけて来ないことを。 「仲間になにをした!!」 牙をむいて怒鳴るアレンに、容赦なく刃が振り下ろされた。 辛うじて避けた所に足払いをかけられ、床に這ったアレンの胸を、神田が踏みつける。 「お前の嫌いな薬味・・・その成分を抽出して、邸中の空気ダクトから送り込んでんだよ。 あれは銀や紫外線と同じく、吸血鬼どもを弱らせるからな」 「よくも・・・許さないからな、お前!!」 「はっ! 許すも許さねぇも、てめぇはここで死ぬんだよ!」 ぴたりと、アレンの首筋に刃が添えられた。 「おい、バケモノ。 日本に吸血鬼がいない理由を知っているか?」 「なん・・・」 「俺らが駆除してっからだよ・・・こうやってな!!」 アレンの首を斬り飛ばすべく、刃が薙ぎ払われる。 目の前に迫った死に、アレンがきつく目を閉じた瞬間、頭上を炎が走った。 「っ!!」 飛び退った神田が、彼にとっては安全な窓を背にする。 「・・・ったく、住居不法侵入の上殺人だなんて、ハンターにゃろくな奴がいないさ!」 「ラビ・・・!」 焼失したドアの向こうから現れた仲間の姿に、アレンが喜色を浮かべた。 「無事だったんですね!!」 「ジジィが、もしものためにマスク持ってけ、っつってたかんね」 アレンを引っ張り起こしたラビは、半面を覆うマスクを得意げに示す。 「さぁて? キレーなおにーさん、戦るんなら向かってきてさ。 俺ら、そっち行けねぇからさ」 手にした火炎放射器を構え、にんまりと目を細めたラビを、神田が苛烈な目で睨み返した。 途端、 「・・・怖ッ!!」 ビクッと飛び上がり、震えるラビを、アレンが軽蔑の目で見る。 「ラビ・・・なんでそんなにか弱いんですか」 「だって! あいつめちゃくちゃ怖いさ!!」 神田の眼光にあっさり退けられたラビから、アレンが火炎放射器を取り上げようともたもたしている隙に、ベッドに駆け寄った神田がリナリーを抱き上げた。 「あっ!! なにするんですか、僕の花嫁を!!」 窓へと駆ける神田を追いかけようにも、ヴァンパイア達は日光に阻まれて近寄れもしない。 「リナリー!!リナリー!!!!」 必死に呼ぶも、花嫁は侵入者にさらわれ、アレンの手が届かない場所へと連れ去られた。 「ごめん・・・ごめんね、神田・・・・・・!」 自身を横抱きにする幼馴染の胸に縋り、リナリーがか弱い声をあげる。 「私・・・全然敵わなかった・・・!」 自分では一人前だと思っていたのに、ヴァンパイア達にはまったく敵わず、どころか成体になったばかりのアレンに眷族にされてしまった。 「ごめんなさい・・・・・・!」 か細い泣き声をあげるリナリーを、足を止めた神田が見下ろす。 「責任は・・・守ってやれなかった俺達にある。 お前は、指示には従っていたんだからな」 だから泣くな、と、彼にしては珍しい、気遣わしげな口調で囁いた。 「兄さんは・・・?」 「もうじき合流する」 ティエドールから、リナリーが誘拐されたと知らされた二人は一晩中、目星をつけた邸を探し回り、ようやくここを見つけたのだが・・・。 「間に合わなくて・・・すまない」 リーバーの例があったため、まさかこんなにも早くリナリーが眷族にされているとは思わず、ヴァンパイアの動きが鈍る朝に向けて、襲撃の準備をしてしまった。 悔しげな神田に強く抱きしめられ、リナリーは目に涙を浮かべたまま、微笑む。 「兄さんに・・・早く会いたいよ」 と、それが魔法の呪文であったかのように、庭木を掻き分けて、コムイが駆けて来た。 「リナリー!!!!」 外傷の見えない彼女に、コムイがほっとしたのも一瞬、取った手の冷たさに顔を強張らせる。 「兄さん・・・・・・」 神田からコムイへ、抱き換えられたリナリーが、兄の胸に縋って泣いた。 「ごめんなさい・・・」 またも謝るリナリーを、コムイは呆然と抱きしめる。 だが、その身体はいつまでも冷たく、コムイの体温を吸い取るばかりでぬくもりを返しはしなかった。 「リナ・・・・・・!」 頬に滴った兄の涙が驚くほどに熱くて、リナリーは自身が、彼らとは遠い所へ行ってしまったのだと、気づかざるをえない。 俯いた彼女は、手を兄の胸に当てて、身を離した。 「リナリー・・・?」 「ね・・・ちょっと下ろして・・・」 俯いたまま、呟いた彼女をコムイは、手近のベンチに下ろす。 背もたれに力なく身を預け、しかし、残る力を振り絞って、リナリーは顔をあげた。 アレンは、眷属になったばかりの頃はまだ、陽光も平気だと言ってたが、光を受けた肌がひりひりと痛むのはきっと、変化が進んでいるためだろう。 「残念だけど・・・私はもう、人間には戻れないみたい・・・」 懸命に笑みを浮かべて、リナリーは兄と神田を見つめた。 「ヴァ・・・ヴァンパイアになったら・・・私、もうおうちには帰れないよね。 帰ったら・・・怖いおじさん達に、色んな実験されちゃうんでしょう・・・? わ・・・私、怖がりだから・・・そんなに痛いことばっかりされたら、すぐに死んじゃうと思うんだ・・・・・・」 冗談めかして言うが、細かく震える声は痛ましく、コムイも神田も、眉根を寄せる。 と、リナリーはそんな二人にまた、笑いかけた。 「あの・・・迷惑かけついでにここで・・・一息に殺してくれないかな・・・」 「なんだと・・・!」 「馬鹿なことを!!」 「だってこのままじゃ私、拷問死だも・・・っ! い・・・痛いのは嫌だから・・・一息にやっちゃって・・・ね? か・・・神田ならできるでしょ・・・?」 リナリーは無理に笑った顔に、ポロポロと涙をこぼす。 「お願い・・・兄さん達の敵になるのは、嫌なんだ・・・・・・」 冷たい両手を硬く組み合わせ、ぎゅっと目をつぶった。 と、いつもよりよく聞こえるようになった耳が、草を踏む足音を捉える。 そっと目を開けると、リナリーの前に表情を消した神田が立っていた。 「ごめんね・・・」 つらいこと、させちゃって・・・。 再び目をつぶったリナリーの前で、神田が長刀を振り上げた。 ・・・が、いつまでも刃は、振り下ろされる気配がない。 「神田・・・」 恐る恐る目を開けると、俯いた兄が、神田の腕を掴んで止めていた。 「兄さん・・・だめだよ・・・・・・!!」 困惑げに言うが、コムイは無言で首を振るばかりで、神田の腕を放そうとはしない。 そして、彼の手など簡単に振り解ける膂力を持った神田もまた、どこかほっとしたように動きを止めていた。 「だめだってぇ・・・・・・!」 せっかく決意したのに、と、泣き声をあげるリナリーの涙を、背後から冷たい手がすくう。 「・・・っ?!」 「可愛いお嬢ちゃんが、命を粗末にするのは感心しないな」 低い、魅惑的な声が、リナリーの耳朶に触れる。 「・・・クロス!!」 ロンドンで会ったアレンの主人に、コムイが顔を歪めた。 「あんたがリナリーを・・・!」 「あぁ、さらったのは俺だが、眷族にしたのは従者だ」 ベンチから軽々とリナリーを抱き上げたクロスは、そう言って不敵に笑う。 「小賢しい事をしてくれるじゃないか、ハンターども。 妙なもんを流してくれたおかげで、美しいマダムと可憐な令嬢、おまけの夫と弟が重症だ」 「・・・はっ! てめぇもぶっ倒れりゃよかったのによ!」 コムイの手を振り解いた神田が、銀の刃をクロスに向けた。 「リナリーを返せ!」 「お前たちの手で殺すためにか?」 愉しげに笑みを深めた彼に、神田が言葉を失う。 「よく考えるんだな、お前達。 大事な・・・とても大事な問題だろう、これは? 結論を急くと、ろくなことがないぞ」 息を呑み、凍りついた二人に口の端を歪めたクロスは、次の瞬間、リナリーと共に消え去った。 「リナリー・・・ホントに・・・!!」 邸内の地下室で、クロスに横抱きにされたリナリーを見たリーバーは、瞠目して声を詰まらせた。 「先生・・・・・・」 弱々しい声に、リーバーの鼓動が跳ねる。 「まさか・・・」 愕然とするリーバーを押しのけ、アレンがリナリーに駆け寄った。 「リナリー!!よかった・・・!!」 主人の手からリナリーを奪ったアレンは、彼女を抱きしめて泣きじゃくる。 「き・・・君がっ・・・殺されるんじゃないかって・・・僕っ・・・・・・!!」 「殺される?!誰に・・・」 「ハンター達に、さ」 淡々とした声に振り向けば、未だマスクをつけたラビが、表情の読めない顔で続けた。 「あいつらにとって、俺らは獲物でしかない。 だから奴らは、生け捕りにしたヴァンパイアを使って実験すんのさ。 どうやったら効率的に殺せるかな、ってさ」 その結果の一つがこのガス、と、ラビの目が冷たく光る。 「このガスを完成させるために、何人の仲間が殺されたんかね」 ラビが見遣った先では、ミランダとハワードだけでなく、クロウリー夫妻もぐったりと横たわっていた。 「アーちゃん、最悪の誕生日さ」 「解毒剤は・・・」 「ないな」 ソファで悠然と足を組むクラウドが、あっさりと言う。 「治療方法は摂取したものを身体から取り除くこと。 だがこの場合、ガスを吸引したのだから、吐かせることなどできはしない。 ビタミン剤や強心剤を投与しようにも、ここには用意がない」 後は・・・と、呟いたクラウドの後を、クロスが継いだ。 「輸血だな。 俺らの場合は経口摂取で十分だぜ?」 意地悪く笑ったクロスを、クラウドが睨む。 だが、リーバーは彼女があえて言わなかったことを察し、頷いた。 「今、この場に人間は俺だけ、ってことですね?」 「その通り。 賢い坊やで、話が早いな」 くつくつと、低い笑い声をあげる彼を、リーバーも睨む。 「まさかあんた、ここまで考えて・・・?」 「馬鹿を言うな」 笑みを深め、クロスはすかさず切り捨てた。 「ここに来ることを選んだのは、おまえ自身だ」 クラウドが現れた時・・・。 通路に駆け込むハワードの後を、リーバーは追った。 意外そうな顔をする彼からミランダを受け取り、何度も膝を崩す彼をも抱えてここまで連れてきたのは、確かに彼自身の選択だ。 「今更、迷うのかよ?」 憮然とした声は、意外にもラビのもので、リーバーの決断の鈍さに苛立たしさを滲ませていた。 「リーバーさん・・・」 「先生・・・・・・!」 気遣わしげなアレンの声と、涙を含んだリナリーの声に後ろ髪を引かれる思いがしたが、リーバーは首を振って未練を振り払う。 「この人達を、助けてください」 進み出たリーバーに、クロスが愉しげな笑声をあげた。 ―――― その夜。 パリから遠く離れたある邸では、アレイスターを迎え、彼の誕生日パーティが盛大に催されていた。 「私が問い質したところ、建築家が持っていた邸の設計図を、ハンターどもが騙し取ったそうな。 用心がかえって祟るとは、難儀なことであったな」 この邸の主人である自治会の長老から、気遣わしげに声をかけられ、アレイスターは恐縮気味に一礼する。 その傍らで、エリアーデはしおれて肩を落とした。 「・・・邸を他人名義にしておけば、いざという時にはその方のお名前で、彼らの侵入を防げると思っていたのですが・・・」 浅はかでした、と、か細い声で呟いた妻の肩を、アレイスターが気遣わしげに抱く。 「お孫殿を預かっておりましたのに、面目ない・・・・・・」 更に長老に向かって詫びると、彼はなんでもないことのように首を振った。 「今回はこれも、少々役に立ったようでよかった。 これにもよい糧となったろう」 「糧っつーにはけっこギリギリだったんさね、ジジィ!」 長老の傍ら、盛装を着崩したラビが、ため息混じりに言って肩をすくめる。 「一家全員昏倒してるもんだから、マダム 「・・・・・・なんですって?」 意識のない間に何かされたのでは、と、エリアーデが蒼褪めた。 「あ、大丈夫さ、マダム その後マダムの身柄は、長官が奪い取ったから 「そ・・・そうですか・・・・・・」 深々と膝を折って一礼したエリアーデに、クラウドは軽く首を振る。 「そんで俺、マダムがダメならミランダ なんで動けたんだろうと、ラビは興味深げに回想した。 と、 「危機に面しては、実力以上の力が出ると言うぞ」 祖父に教えられ、ラビは大きく頷く。 「あれが、火事場の馬鹿力、ってやつか!」 「それはお前も同じだろう。 クロスが『男に触りたくない』などと言うから、アレイスターとハワードと、二人も担いでご苦労だったな」 くすり、と、笑みを漏らしたクラウドに、褒め称えられたと勘違いしたラビは大はしゃぎした。 「すごいさね、俺!超すごいさね!!惚れたさ、長官?!惚れた?!」 「イヤ、惚れてない」 ぴよぴよと羽ばたいてくるラビを冷たく突き放すが、懲りる彼ではない。 「俺は惚れたさ、長官〜〜〜〜 あの毒ガス、無臭だったからさぁ、長官 さすがさ、長官 ぴと 「音だ。 あのガスを噴霧する音が、ダクトを伝って聞こえたのだ」 「ま・・・! そんな音、全然気づきませんでしたわ・・・」 「私もである」 不思議そうに顔を見合わせる夫婦に、クラウドは軽く頷く。 「私も自治警の長官である以上、ハンター共の武器にも精通していなければならない。 クロスがどこからか入手した噴霧器を買い取って、部下達にもガスを噴射する時の音を覚えるよう、指示している。 高くついたが・・・由緒ある一家を守れたのならば、それでいい」 「心から感謝申し上げます、長官」 ハワードが堅苦しい礼を述べると、夫妻も深く一礼した。 「・・・ところで、新たに眷属になった者がいると聞いたが?」 長老がそれらしき姿を求めて、広いパーティ会場を眺めるが、多くの眷属で賑わうそこには、彼の見知った顔しかいない。 と、エリアーデが進み出て、こっそりと囁いた。 「お邪魔をしては、馬に蹴られましてよ?」 「なるほどな・・・」 にやりと笑った彼に、血みどろの孫が縋りつく。 「アレンは、花嫁候補に散々殴る蹴るされて、血みどろなんけどね 「おまえもな!」 へらっと笑った顔に、長老のこぶしが見事に入り、再び宙に舞ったラビは、自身の血できれいな放物線を描いた。 その頃、パーティのざわめきもかすかにしか聞こえない部屋では。 ベッドに横たわったリーバーの額に、ミランダが冷たい手を当てていた。 「無理をなさって・・・・・・」 一家を助けるために、身体中のほとんどの血を失くしたリーバーは、眷属と化しても未だ起き上がれないでいる。 ただ、意識だけはあって、気遣わしげなミランダに笑みを返した。 「みんなが無事でよかった」 掠れた声で言えば、ミランダはますます眉根を寄せる。 「めでたい日なんだ、そんな顔するなよ」 冗談めかして言うリーバーに、ミランダは微苦笑を浮かべた。 「私・・・あなたは眷属になってくれないと思っていました・・・・・・」 目を見開いたリーバーに、ミランダは笑みを深める。 「それでも・・・仕方ないと思っていました・・・。 だってあなたは、太陽の下にいるのがふさわしい方なんですもの・・・私とは逆」 握ったリーバーの手に、昨日までのぬくもりはなく、雪に触れた時のような冷たさが返って来た。 また、寂しげな顔をしたミランダは、いつまでも温まらない彼の手を、自身の頬に当てる。 「でも・・・嬉しかったんです、あなたの血を飲んだ時・・・・・・。 これであなたが、私のものになった・・・欲しかったものを、ようやく手に入れた、って・・・・・・」 リーバーの掌に、ミランダは冷たい唇で触れた。 「ミラ・・・・・・」 微笑んだ彼女の目が、妖艶に光る。 「永遠を願っても、いいでしょう・・・?」 蠱惑的な声の囁きで、操られるように頷いたリーバーに、ミランダは氷の唇で口づけた。 Fin. |
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2009年クロちゃんお誕生日SSでした! ・・・・・・・・・クロちゃん・・・お誕生・・・日・・・・・・? ってくらい、懐疑的な目で見られそうなパラレルでございます;;;; ちなみにこれは、リクエストNo.49『アレンvsコムイ@アレン圧勝』を使わせてもらってますよ。 圧勝というには・・・周りの手を借りまくりですけどね; えぇ、原作展開では、どう考えてもアレン君が兄さんに勝つなんて考えられない、と思いまして、パラレルで作成させていただきました。 しかもこのお話は、吸血鬼パラレル『forbidden lover』の続編です。 『forbidden lover』を書いた時点で、続編は『WinterFall』だって決めてました(笑) 更新は1日遅れてしまいましたが;永遠を願った吸血鬼たちのお話、お楽しみいただければ幸いです。 |