† Bless My Soul †
小さな顔を真っ赤にして、うんうん唸っている幼い主人を見下ろし、ツキカミは深々とため息をついた。 ―――― まだ冷たい池にざんぶり落ちて、風邪だけですむなんや、丈夫なもんやなマスター? 話しかけるが、高熱で意識の飛んでしまっている主人は答えてくれない。 ―――― なんや、つれんこっちゃな。声出す必要なんてないんやから、ちったぁ相手してくれたらどや? 実体のない指で赤い頬をつつくが、これも無視された。 ―――― つまらんやっちゃ! ぷにっと、小さな鼻を弾いてやると、それが刺激となったのか、大きなくしゃみをする。 ―――― ぅんわびっくりした!!なんや、くしゃみはでかいんやな、マスター!・・・・・・マスター? 彼が目を開いた時、そこに主人の姿はなく・・・真の闇が彼を包み込んでいた。 「猫がうるさくって眠れなかった・・・」 言うや、朝食のテーブルにぐったりと突っ伏したエミリアに、リナリーは苦笑した。 「発情期だもんねぇ。昨日も一晩中鳴いてたみたいだね」 言いながら、リナリーはマグカップにコーヒーを注ぎ、エミリアの傍らに置く。 「ここ、猫がたくさんいるのね」 コーヒーの香りにエミリアが顔をあげると、リナリーは小首を傾げた。 「そう?普通じゃないかな? まぁ海が近いし、お魚目当てに集まってるのかもね」 「めーわくー・・・・・・」 また突っ伏してしまったエミリアに、リナリーが声をあげて笑う。 「この時期だけだもん。 許してあげてよ」 「そーだけどさー・・・・・・」 くぐもった声が今にも眠ってしまいそうで、リナリーはエミリアの肩を揺すった。 「ね? ティモシーが風邪ひいちゃって、今日は家庭教師のお仕事ないんでしょ? 看病して疲れてもいるんだから、今日は寝てたら?」 「うん・・・でも・・・・・・」 「ティモシーが寝てる間だけだよ。 このままだと、エミリアまで寝込んじゃうよ?」 「・・・・・・そうね」 再度言われて、エミリアはのろのろと顔をあげる。 「このままじゃ仕事にもならな・・・っふしゅんっ!!」 「あら。 やっぱり風邪うつっちゃってるよ。 今日は寝てなよ」 「別に熱はな・・・っふしゅんっ!!」 「だったら、寝不足解消して体力回復すればすぐに治るよ」 くしゃみの止まらないエミリアにクスクスと笑って、リナリーが手を振った。 「うん・・・じゃあ、寝てくる。 ティモシーがなんかワガママ言い出だしたら呼んで・・・」 「私が言わなくったって、婦長から怒りの無線が来るよ」 「・・・それもそうね」 何もなければいいけど、と、ぼやきながらエミリアが席を立つ。 「おやすみー 「はーぃ・・・」 手を振るリナリーに手を振って応え、エミリアは食堂を出た。 ふらふらとした足取りで部屋へ戻る、その途中。 「おい。 気をつけろっつってんだろ」 回廊の角で神田とぶつかってしまい、また怒られた。 「・・・うるさいな。 あんた丈夫なんだから、あたしがぶつかったくらいじゃなんともないでしょ」 憮然と言えば、神田は鼻を鳴らす。 「馬鹿。 お前が怪我するっつってんだよ」 「・・・・・・・・・はぃ?」 意外な言葉を聞いた、と、目を丸くするエミリアを、神田は乱暴に押しのけた。 「ここは散歩道じゃねぇ、戦場だ。 ぼーっと歩いてんじゃねぇよ」 「あぁ・・・そうね・・・・・・」 どこかぼんやりと呟き、エミリアは頷く。 つい最近まで、パリの一般市民として暮らしていたエミリアにとって、戦争は遠い国の出来事で、新聞でたまに読む程度のものだった。 だがここは最前線で戦う兵士の集う教団で、常にぴりぴりと張り詰めた空気の中、武器を携行するのが当たり前の場所だ。 そんな中を、ふらふらと歩いて気軽にぶつかったりすれば、確かに大怪我をする可能性があった。 「少しは緊張しろ」 厳しく言われたエミリアは、普段の気の強さも影を潜めて、しょげたように頷く。 と、反論を覚悟して構えていた神田は、予想外のリアクションに驚いて、思わずエミリアの顔を覗き込んだ。 「・・・大丈夫か?」 「なにが?」 顔をあげたエミリアの額に手を当て、神田は訝しげに眉根を寄せる。 「お前が素直だなんて、絶対熱が・・・あるじゃねぇか」 「えぇっ?!うそっ?!」 「なんで嘘つかなきゃなんねェんだよ。 どうせ、あのクソガキの悪い風邪でももらったんだろ。 病棟で薬もらったら、とっとと部屋帰って寝てろ」 「う・・・うん・・・・・・」 アレンならばここで、病棟に付き添ってくれるとか、薬を持って来てくれるとか、優しい気遣いをしてくれそうなものだが、神田にそれを期待するのは、空で魚を釣る以上に無茶なことだ。 思わず熱いため息をついたエミリアは、ふと思いついて神田にもたれかかる。 「・・・なんだよ」 驚く彼を、エミリアは熱に潤んだ目で見あげた。 「ふらふらするぅ・・・病棟まで連れてって 期待してダメなら直接頼んでやれ、と、失敗覚悟で臨めば、神田は嫌そうな顔をしながらも頷く。 「ホント?!うれ・・・へっ?!」 喜色を浮かべたのも一瞬、小脇に抱えられて、エミリアは目を丸くした。 「なっ・・・なんて抱え方すんのよ!!」 じたじたと暴れるエミリアを、神田は冷たく見下ろす。 「元気なら自分で歩くか?」 「どうせならお姫様だっこが・・・!」 「捨てるぞ」 「やだー!!!! 熱があるわりに元気な彼女に吐息し、神田はエミリアを肩に担いだ。 「あたしは荷物か!!」 「暴れる動物を運ぶのはこれが手っ取り早い」 「動物って言うなー!!!!」 行きかう団員達が、目を丸くして見つめる中、神田がぐいっとエミリアの頭を下に下げる。 「えぅっ・・・!」 暴れて熱の上がったエミリアは、それだけで血が上ってしまい、おとなしくなった。 「これでよし」 神田は満足げに頷いたが、絶対に病人に対する扱いではない。 誰もがその指摘を喉に絡めて吐き出せない中を、彼は堂々と病棟へ向かった。 「患者だ」 そう言って、神田が差し出したエミリアの姿に、婦長は一瞬、呆気に取られた。 「・・・・・・森で狩って来たの?」 「いや?回廊で拾った」 なんでそんなこと聞くんだ、という顔をした彼を、婦長はきっと睨む。 「獲物の鹿みたいに担いでこられちゃ、そう思うに決まってるでしょ! なに?怪我したの?」 「いいや、熱がある」 「熱がある患者の頭を下げるんじゃない!!」 あっさりと言った神田の手からエミリアを取り上げた婦長は、すっかり血が上り、顔を真っ赤にした彼女をストレッチャーに乗せた。 「後は頼んだ」 「待てぃっ!!」 さっさと踵を返す神田の襟首をつかみ、鬼の形相で睨む。 「拾ったんなら最後まで面倒見なさい!!」 「・・・別に、犬猫拾ってきたわけじゃ・・・」 「言うこと聞かないなら、料理長にあなたの嫌いなメニュー並べてもらいましょうか?! ジェリーの料理を残せるもんなら残してみなさい。 もう二度と、蕎麦は作ってもらえないかもね!」 「・・・・・・・・・・・・」 すさまじい勢いで怒鳴られて、神田は渋々ストレッチャーに手をかけた。 「・・・診察室でいいのか?」 「まずはね。 その後、ちゃんと看病してあげなさいよ?」 「めんど・・・」 「なんか言ったか?!」 鬼の形相で口を封じられ、神田は黙って首を振る。 「任務が入ったら行っていいわ。 でもそれまでは看病してなさい」 「・・・・・・・・・・・・」 婦長の命令に渋々頷いた神田は、未だかつてないほどに任務の連絡を待ち望んだ。 その頃、同じ病棟の一室では、ラビとアレンがティモシーと並んで、高熱にうかされていた。 「〜〜〜〜このクソガキ、よくもうつしてくれたさね・・・!」 死にそうな咳の合間、嗄れ果てた声でラビが言うと、冷たいタオルで目まで覆ったアレンはうるさげに耳をふさぐ。 「・・・・・・だから言ったでしょ。 子供は風の子なんだから、ほっとけって・・・・・・」 「俺はお前みたいな、冷酷な悪魔じゃないんさ。 池に落ちて震える子供に自分で歩けなんて、平然と言えないさね」 せいぜい嫌味ったらしく言ってやったが、アレンは言い返す気力もないのか、無反応だった。 「・・・なんさ。 お前が言い返さないなんて、風邪もいいもんさね」 「・・・・・・・・・・・・ほっといてよ、バカラビ。 しゃべるのも辛いんだから」 苦しげな吐息と共に言ったアレンが、さすがに心配になってラビは枕から頭を上げる。 一瞬、立ちくらみのようにふらついたが、なんとか気力を振り絞って、隣のベッドを見やった。 「・・・・・・・・・・・・っアレン?!」 「・・・・・・・・・・・・なんだよ。怒鳴らないでよ」 耳をふさいでいても聞こえるラビの声に、アレンはうんざりと言う。 だが、隣でがたがたと騒がしくされて、アレンは苛立たしげにタオルを取った。 「うるさい、馬鹿ウサ・・・・・・・・・・・・ギィィィィィィィィィィィィィィィィ?!」 ふさがれていない片目を見開き、見つめる先に―――― 自分の顔。 唖然とする自分の前で、目にかかる前髪をつまんだ。 「あか・・・・・・・・・・・・」 よく知った色の髪に、唖然と口を開けた目の前で、『自分』が鏡を突きつけてくる。 「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」 鏡に映った『ラビ』に向かって、『アレン』は悲鳴を上げた。 「ちょっ・・・おま、その反応はなくね?!」 「僕の顔でそんなはしたない言葉遣いしないでください!!」 「はーぁ?! お前だって俺の顔で『僕』なんて言わないでくれるさ?! せっかくのかっこいい俺が台無しさね!」 「なにそれ?!ナルシスト発言?!おこがましいったらありゃしない!」 「おまえこそはしたないなんて言えた柄さ?!腹黒魔王のクセに生意気な!」 ぎゃあぎゃあと喚く二人の声に、部屋の外を通りかかった神田がいぶかしげに眉根を寄せ、婦長が目を吊り上げる。 「病室で騒ぐなっ!!」 怒声と共に婦長がドアを開けると、熱で真っ赤な顔をしたアレンとラビが取っ組み合っていた。 「なにしてるの! 熱があるんだから寝てなさい!!」 「だ・・・だってラビが・・・」 「は? なに言ってるの、ラビはあなたでしょ」 いぶかしげな顔をした婦長に、ラビの顔をしたアレンが言葉を捜しておろおろしていると、目の前の自分がにやりと笑う。 「ふちょー!!アレ・・・じゃない、ラビがいじめるんですっ!! げんこつしてやって!!」 「・・・・・・・・・っ!!」 目の前で婦長に泣きついた自分の姿に、アレンは髪色ほどに赤くなった。 「なっ・・・なに言って・・・違うんです、婦長! 僕はなんにも・・・!!」 「・・・・・・モヤシ?」 婦長の肩越し、投げかけられた声に、アレンは目を見開く。 「そしてモヤシがラビ・・・なんだ?どういうわけだ?」 いぶかしげな神田の問いに、アレンはぶんぶんと首を振りすぎてめまいを起こし、ベッドに倒れ込んだ。 「ラビ!」 婦長の声をうんざりと聞きつつ、嗄れた声を上げる。 「・・・・・・僕にだってわかんないですよ・・・・・・。 寝てたらいつの間にか、僕とラビが入れ替わってて・・・・・・・・・」 「科学班に、ヤバイ薬でも盛られたんじゃないか?」 その言葉に、ラビとアレンは目を見開いた。 「いつの間に?!」 信用のない科学班に当然の疑いを向け、絶叫した二人を、婦長は吐息と共に見下ろす。 「それはないわ。 私が、あの危険物達を患者に近づけると思う?」 「あ・・・」 「そうかー・・・・・・」 もっともな意見に、二人は心から同意した。 二人に近づけなくても、たとえばコムイなら、配管にガスを流し込むくらいやりそうなものだが、いかな彼とて婦長にケンカを売る度胸はない。 「婦長の聖域で、無茶をやるワケないさね・・・」 つぶやいたラビが、気が抜けた途端にまた激しく咳き込んだ。 「あらあら・・・大丈夫、アレン? ・・・じゃない、ラビ?ややこしいわね」 婦長は困惑しながらも、彼の背を撫でてやる。 「ずいぶん咳き込んでるわね・・・まだアレンだった頃からずっとでしょう? 肋骨を折ったりしないでね」 「肋骨?!折れるの?!」 ベッドに横たわったまま、自分の身体を案じるアレンに、婦長が頷いた。 「折れますよ。 こんなに咳き込んでいるなら、もう筋肉の炎症くらいは起こしているかもね」 「そんなっ! ラビ!今すぐ咳とめて!!」 「む・・・無茶言うな・・・・・・っ!!」 ぜいぜいと喘ぎながら言うラビを、アレンはますます気遣わしげに見つめる。 「どどど・・・どうすれば咳止まりますか?! 元に戻っても、肋骨が折れてるなんてやだっ!!」 「そんなに心配しなくても、そう簡単に折れたりは・・・」 「ごほごほごほごほっ!! ぅ・・・・・・!!」 「きゃああああああああああああああああ!!!!」 激しい咳の後、胸を押さえてうずくまった自分の姿に、アレンが壮絶な悲鳴を上げた。 「なにっ?!」 その声に驚いて目を覚ましたエミリアが、危うくストレッチャーから落ちそうになる。 「あれ・・・あたし・・・・・・?」 「あぁ、目ェ覚めたか」 きょとん、と周りを見回すエミリアを、神田が振り返った。 「・・・・・・・・・悪かったな」 気まずげに謝られて、ますます訝しく思う。 ―――― なんだっけ・・・? しばらく考えて、ようやく神田に担がれたせいで、目を回したことを思い出した。 「あぁ!そっか・・・・・・」 手を打って、エミリアはやや気まずげに目を泳がせる。 確かに目を回したのは神田のせいだが、そのまま眠ってしまったのは睡眠不足のせいだ。 だが、エミリアが自分のせいで気絶したと勘違いしているらしい神田には、何も言わずに頷く。 「病棟に連れて来てくれて、ありがと 礼を言うと、神田はますます気まずげな顔をして頷いた。 ―――― よっし!借りを作ってやったわ 心中によからぬことを考え、にんまりと笑ったエミリアは、改めて病室を覗き込む。 「ここ、ティモシーが寝てる部屋でしょ? どうかしたの?」 エミリアがティモシーの看病をしていた時にはまだ、アレンとラビは運び込まれていなかったため、なぜ彼らがここにいて騒いでいるのだろうかと不思議に思って見遣れば、ラビが苦しそうなアレンを必死に介抱していた。 「仲いいわねー! 普段、ケンカばっかりしているように見えても、いざと言う時は頼りになるのね」 さすがお兄ちゃん、と、感心するエミリアに、事情を知る神田は何も答えない。 ただ、『行くぞ』と呟いて、エミリアが座るストレッチャーを押して行った。 「おや、どうしたね?」 神田に運ばれて来たエミリアを、診察室のドクターが興味津々と見つめる。 「神田をお供につけるなんて、よほど重症なのかな? ・・・そうは見えないんだが」 まじまじと見つめてくるドクターに、エミリアは笑って頷いた。 「熱があるからって、ダーリンが連れてきてくれたの 「ダーリンって呼ぶな! たまたま拾ったから、連れて来ただけだ!」 見解の相違がある二人に、ドクターは笑って手を振る。 「じゃあ、ついでに病室まで運んでやるんだね。 自室で寝ててもいいんだが、あそこは頻繁に館内放送が入ってうるさいだろう?」 だから患者は、できるだけ病棟で引き取っている、と言うドクターに、エミリアは大きく頷いた。 「館内放送もですけど、私の部屋の周り、猫がうるさくて・・・。 昨日は一睡もできなかっ・・・」 「なんだ、寝てたのかよ!」 気絶したと思ったのに、と、神田が憮然と呟き、エミリアは慌てて口を覆う。 「ちっ・・・違うわよ? 目を回したのは、あんたが肩に担いで頭を下ろしたせいなんだから・・・!」 神田の苛烈な視線から、懸命に目を逸らしつつ言えば、ドクターが助け舟を出してくれた。 「熱がある人間を担いだ上に頭を下げたなんて、血が上って目を回すに決まっているだろう。 わざとやったんじゃないかね?!」 図星を指されて、神田が気まずげに目を逸らす。 「やっぱり・・・。 神田、薬を処方するから、エミリア嬢の看病をするんだ」 「なんでだよ! ナースならたくさん・・・」 「君がやったことだろうが! おとなしく従いたまえ!」 任務が入ったら行ってもいいから、と、婦長と同じことを言われ、神田は憮然と黙り込んだ。 「じゃあエミリア嬢の診察をするから、君はあっち向いてなさい」 「いっそ出て・・・」 「逃げないかね?」 疑い深く言われて、神田は渋々二人に背を向ける。 「エミリア嬢、せっかくだから甘えなさい」 「はぁい 素敵な処方箋をもらったエミリアは神田の腕を引き、病人とは思えない足取りで病室へ向かった。 「・・・あの馬鹿のがうつったかの・・・どうにもだるいわ」 「私も・・・今朝から熱っぽくて・・・・・・」 食堂で呟いたブックマンとミランダをカウンター越し、ジェリーが気遣わしげに見遣った。 「病棟に行ったらぁ、二人ともぉ? ティモシーちゃんが悪い風邪を持ってきちゃったらしくて、ラビとアレンちゃんまで寝込んでるんですものぉ・・・。 悪くならないうちに、お薬処方してもらいなさいよぉ?」 「うむ・・・そんなに大げさではないと思うのだが・・・」 そう言ったブックマンに、ジェリーは眉根を寄せる。 「でもぉ・・・おじいちゃん、お年なんだものぉ。 用心に越した事はないわぁ?」 「む・・・」 黙りこんだブックマンに苦笑し、ジェリーはミランダを見遣った。 「ミランダも・・・顔赤いわよぉ? さっき、エミリアもふらふらして出てったし、どうも流行ってるみたいだから、早めに治しなさいよぉ」 「そう・・・ですね・・・・・・。 ブックマン、お薬だけでも処方していただきましょうか」 一緒に、と言い添えたミランダに、ブックマンは渋々頷く。 「しかしこのくらい、自分でなんとでも・・・・・・」 「そうでしょうけど、医者の不養生っていうでしょぉ? 念のためよん ジェリーはなおも言うブックマンを駄目押しで黙らせ、ミランダに頷いた。 「おじいちゃんのこと、よろしくねぇん 「は・・・はい・・・!」 ジェリーに頼まれたことで、張り切ってしまったミランダが、ブックマンの手を取る。 「行きましょう!」 使命に燃えた目で見下ろされ、ブックマンは仕方なく従う。 こうなったミランダが、止められないことはもう、十分知っていた。 「さっさと行ってくるかの・・・」 呟いたブックマンに、ミランダが大きく頷く。 「私、がんばります!!」 なにやら大げさに決意を固めて、ミランダはブックマンの手を引いた。 彼らが出て行った後。 「なぁに? そんなに流行ってるの、風邪?」 朝食を終えて、食器を返しに来たリナリーが小首を傾げた。 「ティモシーとアレン君、ラビは知ってたけど・・・あぁ、エミリアもふらふらしてたな」 彼女は寝不足だけど、と、笑うリナリーに、ジェリーが苦笑する。 「あの子達だけじゃないわぁ。 あの時、ティモシーちゃんと一緒に出かけた子達が、みんな罹っちゃったみたい」 「・・・うわ、部隊全滅? どんだけすごいウィルスなんだよ」 大きな目を丸くしたリナリーに、ジェリーは頷いた。 「アンタも気をつけなさいよぉ? アレンちゃんとラビが帰った後、一緒にいたでしょ?」 「うん・・・今は別になんともないけど・・・・・・」 そうは言ったものの、不安げに眉根を寄せる。 「お見舞いはやめておこうかな・・・」 危険すぎる、と呟いたリナリーの頭を、ジェリーは笑って撫でてやった。 しかし、口では放っておくと言いながらも、そうはできないのがブックマンで、病棟に入った彼は、診察室へ行く前にラビの病室に寄った。 「ついでじゃ」 と、素っ気無く言うが、その足が早くなったことに、ミランダはクスクスと笑い出す。 共にドアの前に立つと、中から酷く咳き込む声がした。 「ま・・・大丈夫かしら」 無用心にもドアを開けたミランダは、顔を真っ赤にして動けないティモシーと、激しく咳き込むアレン、その彼の背を気遣わしげに撫でているラビの姿を見渡して、おろおろと両手を胸に寄せる。 「だ・・・大丈夫ですか・・・?! アレン君、酷い咳だし・・・ラビ君、寝てなくていいの? 熱が高いんでしょ?」 しかしラビはミランダの言葉を完全に無視して、アレンにばかり構っていた。 「聞いとんのかっ!」 「ぎゃふんっ!!」 ブックマンの蹴りを受けて、ラビが吹っ飛ぶ。 「なっ・・・なにするんですか、ブックマン?! 僕、いけないことしました?!」 「は?!なんじゃ?!」 泣き声をあげる弟子の、常ならぬ口調にブックマンが目を剥くと、目の前のラビはしくしくと泣き出した。 「僕・・・アレンですぅ・・・・・・」 「なっ?!」 「えぇっ?!」 絶句したブックマンの隣でミランダも大声をあげる。 「まさか科学班が?!」 見事に揃った声に、彼らへの不信感の深さが知れた。 「それは違うと思います。 さっき婦長にも言われましたけど、コムイさんだってドクターや婦長に逆らうほど無謀じゃありませんから」 「そ・・・それもそうだの・・・・・・」 弟子の口から、気持ち悪いほど丁寧なクイーンズイングリッシュが出てくる様を、ブックマンが気味悪げに見つめる。 「じゃ・・・じゃあ、なんでこんなことに・・・・・・」 ミランダが不思議そうに呟いた時、 「ぅえっっっぐじょんっっ!!!!」 ティモシーが大きなくしゃみをして、ミランダは飛び上がった。 「び・・・びっくりした・・・!」 思わずつぶった目を開くと、なぜか視界が低い。 驚いた弾みで転んでしまったのだろうかと思ったが、ちゃんと自分の足で立っているようだ。 「どうしたのかしら・・・?」 きょとん、として小首を傾げると、目の前でラビとアレンが変な顔をしている。 「ど・・・どうかしましたか?」 何か変かしら、と、傍らを見遣ったミランダは、自分の驚いた顔に見下ろされて、ぎょっと息を呑んだ。 「ま・・・まさか・・・・・・!」 震えるミランダの前に、中身はラビのアレンが鏡を向ける。 途端、 「きゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」 鏡に写ったブックマンが、壮絶な悲鳴をあげた・・・。 「と・・・とりあえずこのことは、解決するまで絶対にリーバーに知られねぇようにしなきゃさ!」 原因不明のまま殺されかねない、と、蒼褪めたアレン・・・いや、ラビに、呆然と座り込んだブックマン・・・いや、ミランダ以外の全員が頷いた。 「もう・・・一体なにが起こったの僕に! よりによってラビだなんて・・・・・・!」 顔を覆ってさめざめと泣き出した自分にムッとしたラビが、ベッドサイドの果物かごに添えられたナイフを取る。 「ジジィヘアにしてやろうか?」 白い髪を掴み、舌を出した自分の顔を、アレンはきっと睨みつけた。 「やめてよ!! 僕の身体に変なことしたら、カッパヘアにして全裸で教団中走ってやる!!」 「全く同じことしてやるさ!女子達の前で裸踊りしてやるさ!」 ぎゃあぎゃあと喚きあっていると、 「黙れ小童ども!!」 ミランダの口から聞いたこともない、厳しい叱声が出て、二人が黙り込む。 その隙にベッドへ歩み寄ったブックマンは、ミランダの顔で腕を組み、二人を見下ろした。 「ここでケンカをしておる場合ではあるまい! 何よりも原因究明、早期解決だ! おぬしら、入れ替わった時のことをよう思い出して、思い当たることを並べてみぃ!!」 初めて見る怖い顔で睨まれて、紅白の頭が寄り添う。 「入れ替わった時のことって言われてもさ・・・」 「いつ入れ替わったのかなんて、わかりませんよぉ・・・」 「うん、熱出して寝てたからさぁ・・・」 ねぇ?と、首を傾げた紅い髪を、ブックマンが乱暴に掴んだ。 「それでもおぬし、私の後継者か! 常に観察せよと言うとるだろがっ!!」 「イタイイタイ――――!!!! ブックマン!僕アレンです!アレンです!!」 「あぁ、そうじゃったな」 あっさりと手を放したブックマンは、ミランダの手にこぶしを握り、アレンの頭にげんこつを落とす。 「僕の身体――――!!!!」 大きなたんこぶを作って目を回した自分に、アレンが悲鳴をあげた。 「酷いですっ! これじゃ戻っても、僕の頭が痛いじゃん!!」 「ったく・・・めんどくさいのう」 ミランダの顔で忌々しげに言われて、驚いたアレンは上目遣いに彼女を見あげる。 「なんじゃ、気色悪い!」 いつも生意気な弟子の、やたらへりくだった態度に、ブックマンがイライラと吐き捨てた。 と、 「あのぅ・・・ミランダさんの顔でそんな顔されたら、ダメージ大きいんですけど・・・・・・」 いつも優しい彼女に嫌な顔をされると、自分がどうしようもないダメ人間になったように思えてしまう。 ぼそぼそと言う弟子に、ブックマンは忌々しげに舌打ちした。 「だからミランダの顔でそんなことすんなさっ! ショックでけーさね!!」 アレンの顔をしたラビにまで言われ、ブックマンは憮然とする。 「これが嫌なら、とっとと思い出さんか!」 更に言われて、ラビがむっと口を尖らせた。 「っつーかさ! 寝込んでた俺らより、ジジィとミランダがどうして入れ替わったのか、って情報検証すればいんじゃね?!」 「そうですよ! ついさっきのことなんですから! ね、ミランダさん? 何か心当たりはありませんか?」 床に座り込んだままのブックマンに問うと、呆然とした顔が上がる。 「心当たり・・・ティモシー君のくしゃみにびっくりしたことかしら・・・・・・」 思わずつぶってしまった目を開けた時・・・既に視界が変わっていた。 どこかぼんやりと言った彼女に、アレンがはっと目を見開く。 「ティモシー!! ツキカミの仕業じゃないの、これ?!」 「へ?! こんなこともできるんさ、こいつ?!」 「わかんないけど、科学班の仕業じゃないならそれしかないじゃん!!」 アレンが指差すと、ブックマンが大きく頷き、つかつかと歩み寄った。 「これ小童!起きよ!!」 ばしばしと殴られて、ティモシーの紅い頬がますます紅くなる。 「ちょっ・・・ミランダさんの顔でそんなことしないでくださいー!!!!」 「ミランダはそんなヴァイオレンスなことしないさね!!」 揃って青くなる子供たちは無視して、ブックマンはティモシーの胸倉を掴み、吊り上げた。 「風邪ごときで情けない! 冷水に浸けてやれば、熱も下がろうて」 「どんなスパルタ――――?!」 絶叫した二人が、慌ててブックマンの手からティモシーを取りあげる。 「いい加減にしてさ、ジジィ! ジジィのせいで俺のミランダ像がめちゃくちゃさ!」 「優しいミランダさんのイメージ壊さないでください!!」 「そ・・・そんなイメージだったんですか、私・・・・・・」 恥ずかしげに顔を赤らめ、うつむいてしまったブックマンの姿に、全員が別の意味でダメージを受けた。 「・・・・・・体調不良にきついさ、この状況」 「なんか僕、また熱が上がって・・・・・・」 ティモシーを抱いたまま、アレンがベッドに倒れ込むと、目の前で自分の顔が慌てている。 「馬鹿! お前、今は俺の身体なんさ! ティモシー下敷きにすっと潰れるさね!」 「へっ?!」 慌てて腕の中を見ると、ティモシーが泡を吹いて痙攣していた。 「ティモシー!!!!」 「看護婦サーン!!!! ティモシーが潰されたさー!!!!」 『アレン』の大声に飛んで来たナース達が、『ラビ』の手から泡を吹くティモシーを取りあげ、きつく睨む。 「なんてことするの、ラビ! あんた、ちょっとは自分の大きさと重さを考えなさいよ!」 「ごっ・・・ごめんなさい・・・!」 慣れない身体をコントロールできなかった、などと言い訳しても信じてもらえそうにないので、アレンはしょんぼりとうな垂れて謝った。 途端、ナース達が唖然と口を開ける。 「ど・・・どうしたの、ラビ?!」 「本気でしょんぼりされちゃうと、反応に困るんだけど・・・・・・」 「そうよ、どんな時でも図々しいのに、熱出して気弱になったの?」 「俺の評価ってそんなんさっ?!」 ナース達の酷評にたまりかねて声をあげると、彼女達は驚いて彼を見下ろした。 「・・・ウォーカー君には言ってないでしょ」 「え?言い方悪かった?」 目を丸くするナース達に、ラビは憮然と黙り込む。 彼も、説明の労力を省きたかった・・・と言うより、彼女達に話して、リーバーに伝わることが恐ろしかった。 「なんでもないですぅ!」 アレンの口調を真似たラビは、ふてくされて布団に潜り込む。 「僕ぅ、今、咳が酷いからぁ、早く出てかないとお姉さん達にうつしちゃうかもしれませんよー?」 甘えを含んだ子供っぽい口調で言われて、アレンがこめかみを引き攣らせた。 「僕、そんな風に言ってますっけ?」 「僕?!」 ラビの口から発せられた一人称に、ナース達が目を丸くした。 「あ・・・あの・・・!」 慌てたアレンが何か言い出す前に、ミランダのふりをしたブックマンがおろおろと進み出る。 「ティモシー君の治療を早く・・・」 「あぁ!そうね!」 「お兄ちゃん達と一緒じゃ、治るものも治らないわ!」 「別室で寝かせるから、ミランダ、あなたエミリアに会ったら伝えてて」 「は・・・はい・・・!」 組み合わせた両手を胸に寄せ、頷いた彼に頷き返して、ナース達はティモシーを連れて行ってしまった。 「・・・しのげたようだの」 ほっと吐息したブックマンに、アレンが拍手する。 「さすがブックマン!そっくりでした!」 ラビの顔で言われて、ブックマンは本物のミランダのように頬を赤らめた。 「そっ・・・その顔で言われると、気色悪いわっ!」 照れ隠しか、顔をそむけたブックマンは、組んだままの手でふと、胸を叩く。 「? なにしてるんですか?」 きょとん、として、首を傾げたアレンに、ブックマンが呟いた。 「心地よい柔らかさだの」 「なっ・・・なに触ってるんですか――――!!!!」 絶叫したミランダが、慌てて自分の手を押さえる。 「セッ・・・セクハラ反対です!!」 「セクハラではない。 純粋な知的好奇心だ」 「なにが好奇心さ、スケベジジィ」 いけしゃあしゃあと言ったブックマンに、布団から顔を出したラビが呆れ声をあげた。 その隣で、アレンは妙に感心して頷く。 「やっぱり・・・師弟ですねぇ・・・・・・」 しみじみとした声に、ブックマンはあっさりと頷いた。 「おぬしとクロスが師弟であるのと一緒でな」 「僕はあんなに穢れてません!!」 余裕で切り返され、アレンは悲鳴じみた声をあげる。 が、ブックマンはアレンを見下ろし、鼻を鳴らした。 「おぬしがクロスの弟子である事実は変わりなかろう」 「ちょっ・・・不幸でも一所懸命前向きに生きてるイタイケな少年を、奈落に蹴落とすようなこと言っていいんですか?!」 「お前・・・クロスのおっさんに聞かれたら殺されるさね」 ヒステリックに喚く自分を眺めながら言ったラビに、アレンは涙目を向ける。 「その顔で師匠のこと『おっさん』とか言わないでください! 殺されるの僕なんですよ?!」 「利用できるうちは殺さんよ」 酷いことをさらりと言ったブックマンにも、アレンは涙目を向けた。 「だから、ミランダさんの顔でそんなこと言わないでくださいってば! 本気で泣いちゃいますよ?!」 「・・・鬱陶しい」 ミランダの声でぽつりと呟かれた言葉は、アレンだけでなくラビの胸まで抉る。 「・・・一刻も早く戻る必要を感じたさ!」 「けど・・・ティモシーは連れてかれちゃいましたよ?」 えぐえぐとしゃくりあげるアレンに頷き、ラビはミランダを指した。 「ジジィの振りしてティモシーを奪い返してくるさ!」 「わっ・・・私がですかぁ?!」 できない、無理だと騒ぐ彼女の『身体』に、ラビは両手を差し伸べる。 「やらなきゃ胸揉むぞ 「きゃあああああああああああああああああああああ!!!!」 「僕の顔でなんてこと言うんですかあんたッ!!」 真っ赤に絶叫したミランダとアレンは、見た目がブックマンとラビであるため、ミランダにセクハラしようとするアレンを師弟で止めようとしているように見えた。 「なにこの不本意な状況!! 君、いるだけで迷惑なんだから、早く僕の身体返してよ!!」 「そりゃ俺の台詞さ! とっとと俺の中から出てけチビ!」 「誰がチビだ!15歳にしては大きい方だもん!」 「じゃあ立ってみ! いつもの俺の視界がわかるさね!」 言われて憤然とベッドから降りたアレンは、同じく立ち上がった自分の身体を見下ろして、ショックの余りしゃがみこむ。 「な?!」 「〜〜〜〜ずっとヘタレウサギなんかに見下ろされてたなんて、ショックすぎて死にそう・・・!!!!」 「おまっ・・・いちいちムカつくさね!」 上から怒鳴られて、アレンはきっと自分を睨んだ。 「絶対!追い抜いて見せるから!!」 「はんっ! そんなの、俺がまた子供薬でも飲まなきゃ無利さ!」 思いっきり舌を出した自分の顔が、こんなに憎らしかったことはない。 だが、殴りたくても自分の身体を傷つけるわけにはいかなかった。 「・・・はっ! もしや、ラビの身体が死ねば僕は元通りに?!」 「殺すな!!」 慌てたラビが、自傷しかねない自分へと手を伸ばす。 その瞬間、彼の左腕が光を放ち、手首から白い帯が伸びてアレンを拘束した。 「・・・っクラウン・クラウン?!」 こぼれんばかりに目を見開いたアレンの向かいで、ラビもまた、信じられない思いで自分の左腕を見つめる。 だがややして、 「・・・・・・そっか。 今、お前の脳は俺のものん 「きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」 にやりと笑ったラビに、アレンが奇声をあげた。 「ムカつく!!ムカつく!! 槌はどこ?!」 拘束された不自由な身体で必死に辺りを見回すが、ベッドの周りに彼のイノセンスは見当たらない。 きょろきょろしすぎて転んでしまったアレンを見下ろし、ラビが意地悪く笑った。 「そんなもん、部屋に置きっぱに決まってるさ 「持ち歩け馬鹿ウサ――――!!!!」 水揚げされた魚のように、アレンが床の上で跳ねる。 だがそれもわずかのこと、熱の高い彼は、すぐに息切れして冷たい床に横たわった。 「たっ・・・大変っ!!」 ミランダが駆け寄るが、いつもより随分と背が縮んだ上、着慣れない服に足をもつれさせてアレンの上に倒れこんだ。 「ぎゃふっ!」 「ごごご・・・ごめんなさい!!!!」 「ぅう・・・! ミ・・・ミランダさん・・・! ミランダさんの『身体』は僕が見張ってますから・・・早く・・・!」 行け、と、ドアを示すアレンと自分の身体にまた手を伸ばすラビ、そして自分の姿をおろおろと見回して、ミランダはよろよろと立ち上がる。 「あっ・・・あの・・・でも・・・・・・!」 なにかいい方法はないかと考えに考え、ミランダは自分の手を取った。 「ア・・・アレン君を信用しないわけじゃないんですが・・・私、元々病棟には診察をお願いに来たので・・・・・・」 言い訳じみたことを言いながら、ミランダは自分の手を引く。 「いいい・・・一緒に来てください・・・!」 自分で見張るのが一番安全だとの判断に、ブックマンも軽く吐息して頷いた。 「では、行って来るからの。 おとなしく寝とれよ、小童ども」 「あーい 「おとなしく寝るから拘束解け馬鹿ウサー!」 またびちびちと跳ね出したアレンを、ラビが楽しげにつつく。 「俺の身体でよかったな、お前。 さもなきゃ日頃の恨みを込めて、思いっきり踏みつけてたさ 「元に戻ったら絶対踏みつけてやるぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」 アレンの絶叫にびくびくしながら、ミランダは自分の手を引いて病室を出た。 「ティ・・・ティモシー君は、どこに運ばれたのかしら・・・・・・」 並ぶ部屋の一つ一つを覗きながら行くと、元の病室とそう離れていない部屋で、ティモシーがナースに介抱されている。 「よかった・・・見つけたわ」 どうやって元の病室に連れ戻そうかと思案しつつ見つめたティモシーの中にはしかし、肝心のツキカミはいなかった。 ―――― ここどこやー?!マスター?!マスター!! ツキカミは相変わらずの闇の中、ティモシーの姿を探して彷徨っている。 ―――― なんやこれー・・・!マスターに憑く前におったとこみたいやんかぁ・・・・・・! ティモシーの中に入る以前、石の中に何百年も一人ぼっちでいた時のことを思い出した。 ―――― もう寝るのは飽きたんやって!マスター!返事せぇや! だが彼の必死の呼びかけにも、ティモシーは応えてくれない。 ―――― マスター!マス・・・姐さん!! 闇の中で一瞬香った匂いに、ツキカミは寄って行った。 ―――― エミリア姐さん、マスターどこか知らんかっ?! 彼女の姿は見えないまま、手探りでエミリアに触れようとするが、元より彼の姿が見えない彼女に判るわけがない。 ―――― 姐さん!姐さん・・・そや!姐さん、眠り!眠ったら夢ン中で会えるさかい!! 眠れー眠れー♪と、エミリアの気配へ向けて囁き続けるが、彼女の意識は依然、はっきりしたままだった。 ―――― 姐さーん!!!! 闇の中で悲鳴をあげるツキカミに触発されたわけではないだろうが、エミリアの目に写る神田は、うんざりと病床のエミリアを見下ろす。 「・・・さっさと寝ろよ」 「寝たら、あんた確実に消えるでしょ」 コートの裾をしっかり握って放そうとしないエミリアに、神田は重く吐息した。 「俺は暇じゃねぇんだよ!」 「だから、任務が入ったら行っていいって言ってるじゃない」 それまでは側にいて、と言う彼女に、神田は諦めて傍らの椅子に腰をおろす。 「で?! なにしてりゃいいんだ?!」 イライラと言った神田に、エミリアは頬を染めた。 「そりゃあ、リンゴ剥いてくれたりとかーぁ 「よし、いっそ息の根を止める」 「風邪くらいで殺さないでよ!」 舌打ちした神田に舌打ちし返したエミリアが、不意に顔を歪める。 「っふしゅんっ!!」 大きな声に驚いて目を丸くする神田の前で、続けざまにくしゃみを発したエミリアは、ようやく落ち着くや、呆然とする彼を訝しげに見た。 「・・・なによ、そんなに珍しい?」 「・・・・・・子供の頃に見たきりだからな」 「はぁ?! そんなわけないでしょ、教団の人間は風邪ひかないの?」 呆れる彼女に、神田はあっさりと頷く。 「風邪ひくような、緊張感のない奴はいない」 「悪かったわね!ミランダだってひいてたじゃないの!」 「あいつは・・・いつも戦場で体力使い果たしてるからな」 仕方ない、と呟く彼に、エミリアは憮然と頬を膨らませた。 「悪かったわね! 暢気な非戦闘員のくせに風邪なんかひいちゃって!」 「別にそんなことは言ってないが・・・」 「言ってんじゃな・・・っふしゅんっ!」 なにを言っても怒らせてしまうエミリアに何も言えずにいると、顔をあげた彼女に睨まれる。 「大丈夫か、くらい言えば?!」 「だ・・・大丈夫か・・・?」 気圧されてその通りに言ったのに、なぜかまた睨まれた。 「あんたはオウムか!!」 「どうしろってんだ・・・」 理解不能な『オンナノコノキモチ』に全思考力が労働を拒否する。 一刻も早く命令が来ないかと、心の底から願った時、 「神田ー!任務だってー」 ドアが開いて、リナリーが現れた。 「よし!」 幼馴染の背に、後光を幻視しながら神田が踵を返す。 「後は頼んだぜ」 エミリアに口を挟む暇を与えず、神田が掲げた手をリナリーが叩いた。 「オッケー にこりと笑って歩を踏み出したリナリーは、目の前に突如現れたドアに鼻をぶつける。 「いったぁ!! なんでいきなりドアが・・・」 鼻を押さえて振り返ったリナリーは、目の前でやはり振り返る自分に目を丸くした。 「え?! なんで鏡が・・・」 そう思ったのも一瞬、目を見開いて自分を見つめるエミリアと、愕然と顎を落とす自分の姿を長い時間見比べて、ようやく視線を横へずらす。 「神田――――――――っ?!」 自分がいるはずの場所に幼馴染の姿を見て、リナリーは鏡の中の彼そっくりに絶叫した。 「・・・状況が変わって、任務に行ける状態じゃなくなった。 すまないが、誰か他の奴に振ってくれ」 かなりの時間をかけて自身に状況を飲み込ませたリナリーは、神田の口調を真似て科学班へ連絡した。 何か聞き返される前に一方的に通信を切り、仁王立ちになった自分とベッドの上のエミリアを見比べる。 「・・・・・・・・・なんでこんなことになっちゃったのぉ」 しおしおとうな垂れ、ベッド脇の椅子に座り込んだリナリーを見下ろした神田が舌打ちした。 「俺の顔でそんなこと言うんじゃねぇ!」 忌々しげに言われて、リナリーは神田を睨む。 「私の顔でそんなこと言わないで! ねぇ、なんか変な薬でも盛られちゃった?!」 やはり科学班への疑いを口にしたリナリーに、神田は首を振った。 「モヤシとラビが入れ替わっちまってんのを見た時は、俺もそう思ったんだが・・・」 「え?! アレンとラビもなの?!」 口を挟んだエミリアに頷き、神田は肩をすくめる。 「科学班の関与は、婦長が否定した」 「あ・・・そっか。 ここ、婦長の支配下だもんね。 婦長にケンカ売る度胸のある人なんていないよね」 皆と同じ結論に達したリナリーが頷き、二人を上目遣いに見た。 「じゃあ・・・どうしちゃったんだろ?」 不安げに言えば、また神田が舌打ちする。 「俺の顔でそんな目するんじゃねぇ、気色悪ィ!」 いちいち怒鳴られて、さすがにムッとしたリナリーが神田を睨んだ。 「表情のことまで怒んないでよ! 私、神田みたいにいつも無愛想でなんかいられないも・・・っくちん!」 「・・・・・・・・・・・・なんだ、今の?」 自分の身体が発した不思議な音に、神田が目を丸くする。 「何ってくしゃみ・・・っふにゃん!!っふみゅん!! ・・・っうー・・・神田も風邪、うつっちゃったんじゃない・・・?」 ぐす、と、鼻をすする顔はしかし、神田のもので、エミリアは笑っていいのやらわからず、奇妙な笑みを浮かべた。 「リ・・・リナリーって、可愛いくしゃみするのね」 「そぉ?普通じゃな・・・っきゃうん!」 「お前、俺の顔で変な音出すなよ!!」 おぞましさのあまり鳥肌を立てて怒鳴る神田の傍ら、とうとうエミリアが吹き出す。 「そんなことないわよ!可愛いわ!」 ケラケラと笑って、ベッドに腰掛けたエミリアが手を組み合わせた。 「ねぇねぇ、リナリー 神田でいるうちに、こいつが言いそうにないこと言って 「は?!お前・・・!」 「言いそうにないことって?」 小首を傾げたリナリーに詰め寄り、エミリアは頬を熱のせいだけでなく染める。 「そりゃあ、愛してるとか愛してるとか愛してるとか 「言うか!!」 喉が裂けんばかりに吼えた神田の前で、リナリーがエミリアの手を取り、にこりと笑った。 「お前を愛してる 「言うな!!!!」 軽やかな声を上げたリナリーに神田が怒鳴る。 と、リナリーはエミリアから手を離し、自分の手を取った。 「今はミランダやエミリアに負けてても気にするなリナリー! あと1〜2年もすれば、お前だってセクシーダイナマイトに・・・」 「やってて虚しくないか?」 「・・・・・・・・・」 冷たい顔で言われた冷たい言葉に、拗ねたリナリーが手を放す。 「どこへ行く」 「アレン君達のお見舞い!」 踵を返したリナリーの襟首を、神田が掴んだ。 「そのカッコのまま行くんじゃねぇ!!」 「なんで!いいじゃない! アレン君達に見せて来るんだよ!」 「だから行くなっつってんだよ!」 自分の首なのに、遠慮なく絞めてくる神田の腕をリナリーが慌てて叩く。 「わかった! わかったから殺さないで!!」 「死なねェよ、馬鹿!」 憮然と呟いた神田は、抵抗をやめたリナリーをドアから引き離し、ベッドに向けて突き飛ばした。 「そこでおとなしくしてろよ!」 「・・・って、神田が行っちゃうの?!」 慌てて起き上がったリナリーを、神田が睨みつける。 「お前が行くよりマシだ」 「なに言ってんだよ! 中身神田のままうろつかれちゃ、リナリーの評判がガタ落ちだよ!」 「たいした評判もねぇだろが!」 「そう思ってるのは神田だけでしょお?! リナリーはいい子で通ってるんだから、ここから出るの禁止!禁止!!」 自分を羽交い絞めにし、必死に留めるリナリーの腕を、横からエミリアが軽く叩いた。 「じゃあ、あたしが行って来るよ。 アレンとラビに、あんた達が入れ替わったこと、言ってくればいいのね?」 「う・・・うん、でもエミリア・・・」 起きていいの、と、神田の顔で気遣わしげに言うリナリーに、エミリアは頬を染めて手を振る。 「だ・・・大丈夫よ、このくらい。 後で看病してね、ダーリン 「しねぇよ!」 「ドクター命令よ?」 くすくすと笑って、二人の傍らを通り過ぎようとしたエミリアは、熱のためか、よろよろと危なっかしくドアへ向かった。 「・・・神田」 「あ?」 「廊下じゃ一言も口利かないって誓うなら、エミリアに付き添っていいよ」 一人じゃ危ないよ、と、部屋を出て行くエミリアを指したリナリーに、神田が舌打ちする。 「・・・ったく、どいつもこいつもめんどくせぇ」 ぼやきながら、それでも神田はエミリアの後を追い、部屋を出て行った。 「おい!ふらついてんじゃねぇよ!」 よろよろと歩くエミリアの腕を取り、支えた神田がそっと囁く。 「あ、来てくれたんだ・・・」 「今はリナリーとして扱えよ」 深々とため息をつきながらの要請に、エミリアは笑って頷いた。 「まったく、大変な戦場ね」 神田の言った通り、油断できたものじゃない。 「今回はイレギュラーな件だがな」 「ホント・・・どうしちゃったのかしらね」 苦笑して、エミリアはアレン達の病室のドアを開ける。 「ねぇ、あなた達・・・あれ?ティモシーは?」 習慣で、真っ先にティモシーのベッドに目をやったエミリアは、空のそれに首を傾げた。 「しっ・・・診察さ! あんまり治りが遅いんで、ナースが連れてったさ!」 とっさに嘘をついたアレン・・・いや、中身はラビのアレンの言葉を信じて、エミリアが頷く。 「ずっと寝てたもんねぇ。 まぁ、元々子供は寝てる時間が長いんだけど」 肩をすくめ、部屋に入って来たエミリアの後に神田が続き、ドアを閉めた。 と、 「リナリー! お見舞いに来てくれたんですか?!」 喜色を浮かべ、病人とは思えない機敏さで起き上がったアレンが、駆け寄って両手を握る。 「嬉しいです 満面に笑みを浮かべた顔は、見事な回し蹴りを受けて吹っ飛び、壁にぶつかって落ちた。 「気安く触んじゃねぇ、モヤシ!風邪がうつるだろ!」 冷酷な顔で見下ろされた上、思いっきり踏まれて、アレンは身心に深い傷を負う。 「なんで・・・リナリー・・・・・・!」 「あ?! ざっけんじゃねぇよ、てめぇ! 中身が違うことくらい気づけ!」 「え?!まさかユウちゃん?!」 ベッドの上で怯えるラビを肩越しに見遣り、神田は舌打ちした。 「お前らと同じだ」 「でてけ馬鹿――――――――!!!!」 紅い髪を血で更に紅く染めたアレンが、神田へ向けて絶叫する。 「よっ・・・よりによってあんたがリナリーと入れ替わるなんて!! リナリーの評判を落とさないためにも、すぐに出て行けすぐに!!」 「うるせぇ」 ブーツを発動した神田が、容赦なくアレンを踏み潰した。 「出てけるもんならとっくに出てってんだよ」 「ユウちゃんそれ俺の身体――――!!!!」 今にも背骨を砕きそうな神田に慌て、ラビが羽交い絞めにする。 が、 「今の俺に触んじゃねぇ!」 鋭く下ろした踵に足を踏み砕かれそうになって、慌てて離れた。 「じゃっ・・・じゃあ触んないから、ユウちゃんも俺の身体解放してさっ!」 「はっ! 俺はモヤシを教育して・・・」 「だから俺の身体に体罰やめてぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」 更に踏まれて血反吐を吐いた自分の姿に、ラビが悲鳴をあげる。 と、 「しょうがないなぁ・・・」 呆れて三人のやり取りを見ていたエミリアが、神田の腕を取ってアレンから引き離した。 「ホラ、あたしなら触ってもいいでしょ?」 「あ・・・あぁ・・・」 不満げながらも頷いた神田に非難が沸く。 「なんさそれ!ユウちゃんヤラシー!!」 「神田のむっつり!むっつり!!むっつりスケベ!!」 途端、無言で振り上げられた足の攻撃可能範囲から、アレンとラビがしゃかしゃかと逃げた。 「待てゴラ!!」 「おとなしくしなさいっ!!」 エミリアは歩を踏み出そうとする神田の腕を引き、アレンとラビを睨む。 「話が進まないから、あんた達も野次るのやめて!」 「は・・・」 「はい・・・・・・」 徹底したフェミニスト教育が功を奏して、部屋の全員がエミリアに従った。 「よし。 あたし達が来たのは、入れ替わったことに何か心当たりがないか、その対処方法はないか、相談だったんだけど・・・」 未だ、アレンとラビが元に戻れないということは、二人にも対策がないのだろうと、早々に諦めようとしたエミリアに、アレンとラビが競って挙手する。 「ティモシーティモシーティモシー!!」 「ツキカミのせいじゃないかって思うんさ! あいつがくしゃみしたタイミングで、ジジィとミランダが入れ替わったし!」 「は?!」 ラビの言葉に、エミリアと神田が声を揃えた。 「あの二人が入れ替わったのか?」 「あ・・・!」 「馬鹿ウサギ!!」 今更口を覆ったラビを、アレンがきつく睨む。 「このこと、絶対誰にも言わないでくださいね? もしリーバーさんの耳に入りでもしたら、どんなお仕置きされるかわかんないよ」 「え?なんで? あんた達のせいじゃないんでしょ?」 深々とため息をついたアレンに言えば、彼は意外そうな顔をしてエミリアを見返した。 「・・・そんな真っ当な言い訳、通じると思います?」 「・・・・・・通じないのね?」 悲しげなアレンの思いを汲んで、エミリアが吐息する。 「まぁ、もうちょっと待ってさ。 今、ジジィとミランダがティモシー連れ戻しに行ってるから」 「任せて大丈夫なのか・・・?」 主にミランダに対して、不安げに言った神田に、ラビが大きく頷いた。 「ジジィがいるから大丈夫さ!」 自信を持って断言されたブックマンはその時、弟子の期待に応えるべく、ティモシーの病室にいた。 ミランダの顔で、『看病は私がやるから、仕事に戻ってください』と言えば、ナース達は疑いもせずに部屋を出て行ってくれた。 「よし、では治療するかの。 ミランダ、私の鍼を」 自分に手を差し出され、慌てたミランダがわたわたと服を探る。 「ど・・・どこに入れて・・・?」 中々見つけ出せず、焦って探るうち、ベルト付近を弾いた感触と共に大量の鍼が床へ散らばった。 「ごごごごっ・・・ごめんなさいぃぃぃぃぃぃ!!!!」 「いや・・・いいのだが、治療なのだから消毒せねばならんな」 やれやれと吐息して、ブックマンは部屋を見回すが、病室には当然、消毒液などは置いていない。 「仕方ない、診察室でもらって・・・そうじゃ! 私は今、タイムレコードを使用できるのだったな!」 不意に手を打ち、ブックマンはわくわくとイノセンスを手にした。 「これで邪馬台国を探しに・・・!」 「どこまで行く気ですかぁ!!」 イノセンスを自らの好奇心のために使おうとするブックマンを、ミランダが慌てて止める。 「どっ・・・どうせなら、ティモシー君の病気を吸い取ってください!」 「・・・・・・けっ」 つまらなそうに呟いて、ブックマンはイノセンスを発動させた。 一方、病室に一人残されたリナリーは、ベッドに腰掛け、いつもより長い足をぶらぶらさせていた。 「なんで一人で残っちゃったんだろ。 一緒に行けばよかったよ」 今から行こうにも、一人で出歩けば、神田がどれ程激怒するかわからない。 いつもなら、彼がどんなに怒ろうと気にしないが、今、彼女の身体は彼の人質状態だ。 「下手なことして、変なことされたら困るもんねぇ」 頬を膨らませて、なんとなく部屋を見回したリナリーの目に、鏡が写る。 「・・・ホント、男にしておくにはもったいない美人だよねぇ。 本当にお姉さんだったらよかったのに」 呟いたリナリーは腰を上げ、団服のコートを脱いで、病室に掛けてあった女物のガウンを羽織った。 結った髪を下ろすと、リナリーの作る表情が柔らかいこともあって、本当に女の子のようだ。 「ホラ、こっちの方が美人だよ そうだ!」 わくわくと踵を返したリナリーは、エミリアの服を探って小さな化粧ポーチを取り出した。 「キレイになろうね、ワ・タ・シ はしゃいだ声をあげながら、パフを叩いてファンデーションを乗せていく。 「リップはどうしようかなー? ユウ姉様には紅が似合うけど・・・せっかくだから可愛くしよう!うん、そうしよう!」 ままごとでもするように楽しげに、リナリーは鏡に写る神田を彩って行った。 ―――― マスター!マスター!! もう、どのくらい経ったのか、いくら呼んでも返事はない。 ツキカミがティモシーを探し、エミリアへと寄って行く間、壁に投げられたボールのように、何度もあちこちへぶつかっては跳ね返されてを繰り返す感覚はあった。 だがそれだけで、彼の視界は相変わらず闇に閉ざされている。 今ではエミリアの匂いすら消えて、ツキカミは不安に満ちた目をおろおろとさまよわせた。 ―――― まさかマスター、ただの風邪やなかったんやろか・・・!実は酷い病気で、もう死んでしもたんやなかろうか・・・! だから戻れないのじゃないかと、ツキカミはまたおろおろと目をさまよわせる。 ―――― だ・・・誰か、知っとる匂いはないんか?!手掛かりはないんやろか?! 懸命に鼻を引くつかせるが、この辺りは全部同じ、消毒液の臭いで満たされて、人の匂いを消していた。 ―――― マスター!!!! もう、何度目かわからない叫びをあげた時、不意に闇が払われる。 ―――― マスター?! ようやく見つけた主人は、きょとんとしてベッドに身を起こしていた。 「ほぇ?どしたの、ツキカミ?」 なぜか号泣して自分に取り縋るイノセンスを、ティモシーは不思議そうに見た。 ―――― どうしたやあらへんがな!マスターが寝込んでから、なんでか周りが見えんようになって!ずっと探しとったんやずっと!! びぃびぃと泣くツキカミをきょとん、とした顔で見るティモシーを、ミランダとブックマンもまた、不思議そうに見る。 「あ・・・あの、そこに何かいるの?」 ミランダが問うと、ティモシーは気味悪げに顔を歪めた。 「なんだよ、じいちゃん・・・気色悪いしゃべり方して・・・」 言われてミランダは、今の自分がブックマンであることを思い出す。 「あ・・・その・・・・・・」 なんと言えばいいのか、困り果てていると、隣のブックマンが進み出た。 「おぬしが他人に憑いておったように、私がミランダに、ミランダが私に憑いてしまったのだ」 簡潔に説明したブックマンの前で、ティモシーが目をまん丸にする。 「入れ替わってんの?!」 「あぁ。 私達だけでなく、アレンとラビもな」 神田とリナリーまでもが入れ替わっていることは、この時の彼は知らなかった。 「ほぇ・・・なんでこんなことになってんの?!」 明らかに、自分達とは別の誰かに話しているティモシーに、ミランダがまた不思議そうな顔をする。 だがティモシーはお構いなしに、ツキカミの袖を掴んだ。 ―――― 知らんがな!真っ暗ン中をさまよっとる間、なんやあちこちぶつかった気ィはするけど! 「じゃあお前、戻せないの?!」 ティモシーの一言に、ミランダが悲鳴をあげる。 しかしそれには、ツキカミが首を振った。 ―――― わいの力でこうなったんやったら、マスターが憑依から戻る時みたいに、魂を元の身体に戻してやればええと思う。 「そっか・・・俺か・・・」 ほっと吐息したティモシーは、次の瞬間、にんまりと笑う。 「ミランダねーちゃーん 笑み崩れたティモシーの甘えた声に、ミランダがぎくりと顔を強張らせた。 「元に戻して欲しけりゃ、おっぱい揉ませろー 「いっ・・・嫌ですぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」 自分の身体を背に庇い、絶叫するミランダの後ろで、ブックマンが頷く。 「存分に」 「人事だと思って!!」 真っ赤になったミランダは、肩越しにブックマンを睨みつけた。 と、自分の顔が、何かに気づいたかのように目を見開く。 「あ・・・あの・・・?」 不吉な予感を覚えて、向き直ったミランダの前で、ブックマンはポン、と手を叩いた。 「そうか・・・! 私はまだ、戻るわけにはいかん!」 いきなり意見を翻したかと思えば、真剣な目をタイムレコードに注ぐブックマンに、ミランダが困惑する。 が、すぐに彼の思惑に思い当たり、深々と吐息した。 「邪馬台国なんて・・・いけません・・・・・・」 「ではローマ帝国・・・」 「いけません」 きっぱりと言って首を振ると、ブックマンは不服そうに口を尖らせる。 「良いではないか、少しくらい。 おぬしとて、この小童に胸を揉まれたいわけではあるまいよ」 「むっ・・・胸はもちろんいけませんけど!! ちゃっ・・・ちゃんと元に戻ってくれないと困ります、ブックマン・・・!」 湯気を上げそうなほどに真っ赤になった自分の顔に、ブックマンは眉根を寄せた。 「そう固いことを言わず、老い先短いジジィの願いを聞いておくれ 手を組み、懇願する自分に気圧され、ミランダは数歩退く。 それを好機と、ブックマンは歩を進め、ミランダに詰め寄った。 「ちょっとだけだ、ミランダ。 私の、史家としての使命感が駆り立てるのだ、幻の国をこの目で見たいと!」 熱を帯びた口調に気圧されながらも、ミランダは必死に首を振る。 「いっ・・・いけませんってば!」 「なぜじゃ!」 不満げに声を荒げたブックマンを、ミランダはおどおどと見返した。 いつもの彼であれば、目を合わせることもできなかっただろうが、自分の顔ならいくら怒っていても怖くはない。 ミランダはまた首を振ると、きっぱりと言った。 「私が操れるのは、ごく限られた時間です。 邪馬台国が歴史のどの辺りにあるのかは知りませんが、幻になるほどの昔になんて行けるとは思えませんし、もし行けたとしても、戻ってこれる保証なんてないんです。 危険ですから、絶対にやめてください」 懸命に言ったというのに、頑迷な老人は不満げに鼻を鳴らす。 「そのくらいの覚悟なくして、史家なぞやっておれるか!」 「いっ・・・言う通りにしてください・・・! さもないと・・・」 ミランダはナース達が置いて行ったらしい、見舞いの果物かごの中からバナナを取りあげた。 「食べますよ?」 ブックマンが、口にした途端気絶するほどのバナナ嫌いであることは有名な話だ。 とんでもない脅しに彼は、今にも倒れそうに蒼褪め、脂汗を流して後ずさった。 「お・・・おのれ、卑怯だぞミランダ! おぬし、そのような脅しをするおなごであったか!」 「場合によっては」 皮を剥き始めた指に、ブックマンはおぞましさのあまり絶叫する。 だが、生涯をかけて歴史に没頭してきた彼の執念も並大抵ではなかった。 彼は何とか踏みとどまると、バナナを剥く自分に背を向け、タイムレコードを抱きしめる。 「ごっ・・・拷問になぞ屈せぬぞ! 我ら誇り高きブックマンの血が、これしきのことで・・・」 「ブックマン、風邪気味でしたものね。 バナナは栄養があるから、風邪にいいんですって」 言いながらミランダは、きつく目をつぶって震えるブックマンの鼻先に、バナナを突きつけた。 「おいしいですよ?」 「ひっ!!」 吐き気を催す臭いをけっして鼻腔に入れまいと、鼻を覆ったブックマンの顔がどんどん紅くなっていった。 「ああぁ・・・! ブックマン、私の身体なんですから、窒息死させないでくださいね・・・!」 せめて鼻を覆う手をどけようと、ミランダが手を伸ばせば、ブックマンは慌てて後ずさる。 「大げさですねぇ・・・」 思わず呆れ声をあげたミランダを、ブックマンは涙目で睨みつけた。 「おっ・・・おぬし、虫も殺さぬ顔をして、よくも年寄りに拷問を・・・!」 「拷問だなんて、そんなつもりはありませんよ。 私はブックマンに、早く元気になっていただこうと思って・・・」 あーん、と、口を開けたミランダの腕に、ブックマンが縋ってバナナを引き離す。 「わかった!! わかったからミランダ!許してくれ!!」 「うふふ 穏やかに笑った彼女にほっとして、ブックマンは手を放した。 途端、 「あむっ」 ブックマンの目の前で、ミランダがバナナに噛み付いて咀嚼する。 「おいしっ 「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」 ブックマンの口から凄まじい絶叫が沸くや、状況を楽しげに眺めていたティモシーが驚いて飛び上がり、ベッドから転げ落ちた。 「あっ・・・あら、大変!」 ゴンッと、硬いものを打ち付けた音にミランダが慌て、ティモシーを抱き起こす。 「イノセンスは割れませんでしたか?!・・・・・・あら?」 ティモシーを抱き起こした腕が纏う、見慣れた袖にミランダは目を見開いた。 「戻った・・・みたいですね・・・・・・」 ほっとして見遣った先では、ブックマンがバナナに倒され、白目を剥いている。 「ちょっと・・・やりすぎちゃったかしら・・・・・・」 老人がショックのあまり、心臓発作を起こしていないことを祈りつつ、ミランダはナースコールを押した。 ミランダとブックマンが元の身体に戻った瞬間、別室でも、それぞれの魂があるべき身体に戻っていた。 「う・・・ゴホゴホゴホッ!!!!」 アレンは、しばらく忘れていた胸の痛みに顔を歪め、激しく咳き込む。 「イタ・・・! 肋骨折れる・・・ッゴホ!!ゴホゴホゴホッ!!」 今にも息が止まりそうな咳に苦しむアレンの背中を、誰かが優しく撫でてくれた。 「ぅ・・・なんのつもりですか、神田?」 苦しげに顔をあげれば、リナリーの顔がにこりと微笑む。 「リナリーだよ、アレン君。 元に戻ったの」 アレン君も、と、差し出された鏡にまごうことなき自分の顔を見て、アレンは目を潤ませた。 「よ・・・良かったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 鏡を見つめたまま、絶叫するアレンの隣で、熱に浮かされたラビがベッドに倒れこむ。 「ホントさー・・・もうこりごりさね」 しみじみと吐息するラビに、エミリアが苦笑した。 「大変だったわね、みんな。 ・・・あれ? じゃあ神田は、私の病室にいるのね?」 「あっ!!」 エミリアの言葉に、リナリーが大声をあげる。 「あー・・・神田、怒ってるだろうなぁ・・・・・・」 気まずげな笑みを浮かべたリナリーを、皆が不思議そうに見つめた。 そして、リナリーが少し前まで遊んでいた病室では・・・。 「リナリー・・・・・・!」 瞬いた瞬間、目の前に現れた美女の像に、神田が唇を歪めた。 すると鏡の向こうの美女も、忌々しげに顔を歪める。 「なにやってんだ、あのアホ――――!!!!」 美しく化粧された自分を写す鏡を、神田は絶叫と共に叩き割った。 Fin. |
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リクエストNo.68『病床のアレンorラビ』でした 『or』だったんですが、どうせだから一緒に風邪引かせて、どうせだからティモシーを原因にして、ちっとも療養できない病床を書いてみましたよ(笑) 書き始めたのはGW前だったんですが、GWに遊び呆けて風邪を引き、熱出してうんうん唸った上に死にそうな咳が続いた体験を観察して書いてみました!←無駄に前向き。 辛い経験だったんだ。 損してたまるか。←もったいない精神(笑) そう言う訳で書き上げたお話でしたが、楽しく書けました 楽しんでいただければ幸いです |