† EXISTENCE U †
†このお話は日本・江戸時代を舞台にしたD.Gray−manパラレルです† D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。 時代考証はしていませんので、頭空っぽにして読んで下さいね |
「誕生日? なんだそりゃ」 評定所での報告が終わり、さっさと退出しようとした神田を呼び止めたコムイの未知の言葉に、彼は秀麗な眉をひそめた。 「あれぇ? キミのパパーンから聞いたことないー?」 「・・・気色悪い呼び方すんな」 鳥肌を立てて歩を引いた彼に、コムイは笑って肩をすくめる。 「いいじゃーん ご隠居様ご本人が、自分のこと『パパン』って言ってんだしさー 「そりゃあのオヤジの脳が沸いてるだけだ! それよりなんか用があるんじゃねぇのかよ! 俺ァ忙しいんだ!茶飲み話がしたきゃ、暇なジジィでも捕まえな!」 言うや、さっさと踵を返した神田の袖を、コムイが掴んだ。 「なんだよ!」 「だから話は最後まで聞いておくれよー」 にやにやと笑うコムイから最も早く逃げる方法は、とりあえず話を聞くことかと観念して、神田は彼に向き直る。 「さっさと言えよ」 「はいはい、せっかちさんだねぇ。 つまりね、キミのパパーン・・・」 「だからその気色悪い呼び方はよせ」 青筋を立てた神田に、コムイがまた肩をすくめた。 「ハイハイ。 用ってのはつまりさ、黒船がどんぶらこ来た時の事なんだけど、キミのパパ上が使節の応対してくれたでしょ?」 「オヤジって言えよ、気色悪ィな!」 苛立たしげな神田にしかし、飄々とした大目付はくすくすと笑い出す。 「ハイハイ。 で、その後お父上はさ、黒船以降、何かと対外対策に携わってくれたんだよね」 「んなこと言われなくったって知ってんだよ、俺の親父なんだから」 早く話を進めろ、と言う神田に、コムイはつまらなそうに口を尖らせた。 「んもーぅ! ホントに愛想ないんだから、神田君ってば! だから、キミのお父上は今でも幕府で一番の西洋通だし、今後益々諸外国との外交が重要になってくるだろうから、隠居なんかやめて復帰して欲しいって事を、まずは内々にキミから伝えてくれないかなぁって思ったの!」 「そんなの、マリの兄貴に言えば・・・って、そうか。 今、どっかの古い寺の視察かなんかに行ってんだっけか」 言いかけて頷いた神田に、コムイが呆れ声をあげる。 「・・・寺社奉行は東照宮の修繕費用の入札で、4日前から日光に行ってますぅ。 出立前に評定所で報告してたでしょ。聞いてなかったの?」 「町奉行所の仕事が忙しいんで、そんな瑣末事はいちいち覚えてねぇ」 「酷い子だねぇ・・・兄上のことなのに」 でもそれが神田か、と、コムイは早々に諦めて話を続けた。 「そこで誕生日なんだけどね、西洋じゃ、日本みたいに元日に一斉に年を取るんじゃなくて、生まれた日にお誕生祝いをするんだってぇ」 言うと、神田は訝しげに眉根を寄せる。 「・・・じゃあなにか? 西洋じゃ家族一人ひとりに一々祝い事があるのか?」 「そうなるねぇ」 「なんっつーめんどくさいことしやがんだ。 年取る祝いなんざ、正月と一緒にすりゃいいことだろ」 「でもそれがあっちのやり方なんだよー」 苦笑して、コムイは人差し指を立てた。 「それで提案なんだけど!」 ようやく本題に入れた、と、コムイが笑う。 「キミのパパ・・・イヤイヤ、父上はね、諸外国使節の応対をしていた頃、誕生日祝賀会ってのに招かれて、色々打ち解けた話をしたそうなんだよ。 だからさ、今度は逆に、こっちの誕生会に彼らを招いて、ちょっといい雰囲気に持ってこーかな!って思ってるワケ」 「ふぅん・・・。 じゃあ、上様の祝賀会でもやんのか?」 「まさか!」 神田の問いをすかさず否定して、コムイはパタパタと手を振った。 「上様が他国の王様とならともかく、お使いの艦隊指揮官となんてそう何度もお会いになるわけないでしょ! こう言うのは相手と同等の身分くらいでちょうどいいんだよ。 でもまぁ、それなりに重役のじゃないと、こっちの誠意が疑われるからさぁ」 にこにこと笑って、コムイは神田の手を両手で握る。 「・・・っなんだよ!」 「一緒にやってよ、神田くぅん キミが6月6日でボクが6月13日。 7日間にも亘るお祭したら、相手も楽しんでくれるでしょ 「なんでお前が俺の生まれた日を知ってんだよ!」 迫ってくるコムイから必死に身を離そうとするが、彼より随分と大きなコムイは身に合った握力をもって中々離れなかった。 「なにゆってんだよー ボク達、生まれる前からご近所さんじゃなーぃ キミが生まれた日のことくらい、知ってるよん 「っじゃあ、そう言うことはお前だけでやりゃあいいだろ!」 苛立たしげな神田に振り解かれた手を組んで、コムイは小首を傾げる。 「ボクだけだったら、キミのパパン・・・ううん、お父上を引っ張り出すには至らないじゃなーぃ 「俺は餌かよ!!」 「そう いけしゃあしゃあと言ったコムイに、神田の目が吊り上がった。 「俺には奉行所の激務が・・・!」 「火付け盗賊改め方」 ぴくりと、神田の眉が上がる。 「この件に協力してくれたら、キミがずーっと出してる異動願い、受理してあげてもいいよ?」 にんまりと笑った大目付に、神田が鋭い視線を返した。 「了承と思っていいかな?」 その表情に笑みを深め、コムイは軽く手を振る。 「祝賀会の準備は任せておくれねー 楽しげに言って、コムイは評定所へと戻って行った。 「あ! お奉行、お帰りなさーい!」 神田が司る北町奉行所に戻るや、筆頭与力のリナリーが寄って来て、ぐいぐいと腕を引いた。 「もう! なんだってこんなに遅いんだよ! 今日はお仕事溜まってるから早く帰って来てって言ったでしょお?!」 小声で囁いた幼馴染に、神田は舌打ちする。 「早く帰ろうとしたら、てめェの兄貴に捕まって、くだらねェ話を長々されたんだよ!」 「あ、もしかして誕生会のこと?引き受けたんだ?」 意外そうに言った彼女に、神田は憮然と頷いた。 「交換条件が良かったんでな」 「ふぅん・・・」 彼の言う『交換条件』が何かを察して、リナリーは不満げに口を尖らせる。 「うまくやってると思うんだけどね、町奉行も。 せっかくの出世路線なのに、なんでわざわざ火盗改めなんかに行きたがるかな」 「俺が退いたらお前がやりゃあいいじゃねェか。 出世したいならチャンスだぜ?」 自分の腕を取る手を振り解いて言えば、リナリーの不満顔が振り返った。 「嫌だよ。 町奉行なんて激務やってたら、早く老けちゃうよ」 「・・・お前、俺にはやらせるくせに」 「神田は好きでなったんじゃないか! よそんちの次男なんてみんな、おうちで遊んでるのに」 「少なくとも、町奉行には好きでなったんじゃねェ」 ふん、と鼻を鳴らして、神田はさっさと用部屋に入る。 と、そこにはなぜか、袴姿のエミリアがいた。 「・・・・・・なんでお前がここにいんだよ」 やや呆然と問うと、エミリアの代わりに背後のリナリーが答える。 「例繰方詰所(れいくりかたつめしょ)の65が、腰痛と老眼でお役返上したでしょ? ずっと代わりを探してたんだけど、辛いお役目だから採用してもすぐに辞めちゃって。 今月、北町の月番なのに困ったなぁって話したら、エミリアが来てくれることになったの 「よろしくね、お奉行 例繰方のことなら、パパが奉行だった頃に入り浸ってたからよく知ってるわ。 即戦力になれると思うわよ?」 そう言ってにっこり笑った前北町奉行令嬢に、神田はまだ呆然としたまま頷いた。 「はい、じゃあ今日のお仕事お仕事! 今日は裁きだけで5件もあるんだから、手早くやらないと次が来ちゃうよ!」 パンパンパンパン!と、リナリーが忙しなく手を叩いて急かす。 「あ、じゃあ判例探すのは任せて。 どういう裁きなの?」 エミリアが立ち上がると、リナリーは小脇に抱えた書類の一つを開いた。 「んっとねー、まずは廻船問屋と船主の、桟橋使用権で揉めてる案件だね。 ひと月の約束で借りてたのに、廻船問屋が20日で使用期限切ってきたんだって」 「それ、ちゃんと賃料払ったの?」 「それが、20日分前払いで、残りの10日分は一月経った後でいいよ、ってことだったそうなんだけど、ホラ、こないだの大雨で、桟橋が流されちゃったんだって。 それで貸主も、ちょうど20日だし、ここで切り上げないかってゆってんだけど、桟橋のメンテは貸主の責任なんだから、どうあっても一月貸せって借主が言ってんの」 「ふーん・・・これなら、4年前の判例にあったから持ってくるね」 「ホント?! エミリアすごーい!!」 裁きを下すには、とてもふさわしいとは思えないかしましさでお喋りする二人に、神田が思わず吐息を漏らす。 と、 「お奉行、暇ならお茶入れて」 「はぁっ?!」 リナリーの、上司を上司とも思わない言い様に目を吊り上げた。 が、 「お茶菓子は、そこにあたしが持って来たのがあるからそれでお願い。 あ、ちゃんとみんなの分もあるから、詰所にも持ってってね」 強引さでは我侭な幼馴染を上回るエミリアにまで言われ、神田は渋々勝手へ向かった。 途中、与力の詰所に寄ると、不意の来訪に部下達が騒然とする。 「おっ・・・お奉行、なにか・・・?!」 手落ちでもあったかと、冷や汗を流す彼らを鋭い目で見回し、菓子箱を差し出した。 「エミリアが、みんなで食えってよ。 奉行を使い走りさせやがって、とんだ新人だぜ」 憮然と言って踵を返した彼を、与力達は唖然と見送る。 神田が去った後も、随分長い間硬直していた彼らは、ぎこちなく首を回して、同僚達と顔を見合わせた。 「あの人を使い走りさせるなんて・・・・・・」 「さすがエミリアお嬢様・・・ただもんじゃねェ・・・・・・」 引き攣った声をあげる与力達が、神田の置いて行った菓子箱に手を出しかねている中、見回りから帰って来たアレンが歓声をあげる。 「松福堂の豆大福だー! 僕、お腹空いてたんです キラキラと期待に満ちた目に誰もダメだとは言えず、頷いた。 「わぁい あ、お茶ないですか、お茶!」 きょろきょろと辺りを見回すと、かちゃかちゃと茶器が触れ合う音がして、誰かが勝手方面からやって来る。 「すみませーん! 僕にもお茶一つ!」 「あ?」 盆に茶器を載せた神田の物凄い目に睨まれ、詰所の時が止まった。 「・・・ブッ殺すぞモヤシ」 言い捨てて用部屋に向かった神田を、アレンは硬直したまま見送る。 やがて、 「な・・・なんでお奉行がお茶汲みしてんですか・・・?」 大福を咥えたまま、引き攣った声をあげたアレンに、皆、無言のまま首を振った。 同じ頃、月番を終えて門を閉じた南町奉行所では、新任の奉行がてきぱきと業務をこなしていた。 「次は」 淡々と問うた声に、与力は『ありません』と、目を丸くして応じる。 「す・・・すばらしいお手並みです、お奉行・・・。 私も南町奉行所勤めは長いですが、これほど手際の良いお奉行は初めてです」 「目付のお役目に比べれば、なんてことはありません」 誉め言葉にも表情を変えることなく、冷静に言った若い奉行に、また感嘆の視線が寄せられた。 「本日の業務が終了したのでしたら、私は下がらせてもらいます」 すっと姿勢良く立ち上がった彼を、部下達の尊敬の眼差しが見送る。 だが奉行所を出るや、彼は役宅を一気に駆け抜け、出かけ着に着替えた。 「せっかく今はあのホーキ頭がいないと言うのに! すっかり時間を取られてしまいました!!」 ブツブツとぼやきながら、『南町奉行』から『旗本ハワード・リンク』へ戻った彼は、役宅を飛び出す。 「これ以上姉上様をお待たせしては、姉弟の縁を切られてしまいます!!」 そう思っているのは彼だけなのだが、リンクは妙な強迫観念に囚われて、小石川養生所までの道を駆け抜けた。 「姉上ぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」 「ひっ!!!!」 突如あがった大声に、たらいを運んでいたミランダが飛び上がり、熱い湯をそこら中にぶちまける。 「きゃあああああ!!!! ごめんなさいっ!!!!」 湯を浴びて悶える患者を拭おうと、慌てて手拭を取ったミランダは、棚ごと倒して怪我人を増産した。 「ひいぃっ!! いっ・・・今すぐ治療を・・・きゃあ!!!!」 床に這った患者につまずき、ダイブしたミランダを、リンクが慌てて受け止める。 「だ・・・大丈夫ですか、姉上様?!」 「ハ・・・ハワードさん・・・・・・」 ガタガタと震えながら、ミランダは悶え苦しむ患者達を見回した。 「どどどどど・・・どうしましょう!私ったら・・・!」 「こんなことは下々に任せればいいことです。 医者は治療にあたりなさい!」 リンクが大声で呼びかけると、既に騒ぎを聞きつけて来た医者達が、それぞれ患者の側にしゃがみこむ。 「姉上様、後は彼らに任せて・・・」 嬉しげに手を引く弟に、しかし、ミランダは首を振った。 「わ・・・私のせいなのですから・・・」 残る、と言いかけた彼女に、大きな体躯の女医が顔をあげる。 「イヤ、これ以上手を出さないでくれるかな?」 仕事が増える、と、きっぱり言った彼女に、ミランダがうな垂れた。 「ご・・・ごめんなさい、キャッシュさん・・・・・・」 「姉上様をいじめるんじゃありません!」 「いじめてねーだろ、弟! あんたも邪魔なんだから、出てけよ!」 南町奉行に対して口の利き方を知らない女医に、リンクのこめかみが引き攣る。 「おのれ町人の分際で生意気な!」 「奉行の分際でこんなとこにくるんじゃないっ!」 怒声は更なる怒号に負け、リンクが後ずさった。 「よっ・・・養生所は奉行所の管轄です! 私が処分すれば、あなたなど・・・!」 権力の臭いを漂わせたリンクに、キャッシュは鼻を鳴らす。 「あたしをクビにできるもんなら、やってみれば? 生憎腕に覚えがあるんでね、養生所なんかよりもっと稼げるよ?」 自信満々に言った彼女に気圧され、リンクは更に後ずさった。 キャッシュをクビにすることはたやすいが、確かに彼女ほどの腕があれば、町医者でも十分やって行けるだろう。 リンクが開業の許可を出し渋っても、この江戸にはもう一つ奉行所があるのだ。 「お・・・おのれ・・・!」 言葉の続かない弟の袖を、ミランダがそっと引く。 「お・・・お邪魔ですから、奥に行きましょう・・・?」 「よろこんでっ 途端に機嫌を直したリンクが、あっさりと踵を返した。 「姉上様、今日は墓参のご相談に伺ったのです 法事の後、料亭を用意しておきますから、そちらで精進落としをしましょう このようなところで毎日無礼な者共にこき使われてらっしゃるのですから、その日ばかりはどうぞゆっくりなさってください 尻尾を振る仔犬のようにまとわりついて来る弟に、ミランダが苦笑する。 「それが・・・近ごろ食欲がなくて、あまり豪華なお料理は・・・・・・」 「なんと・・・! それはもしや、あのような輩に無礼な仕打ちを受けてらっしゃるからではありませんか?!」 激しい口調でまくし立てたリンクは、苛立たしげに眉根を寄せた。 「姉上様がお優しいのは十分存じておりますが、どうぞあまり下々に交わるようなことは・・・!」 「いえ・・・それが最近、気分が優れないために、お手伝いもままならないんです・・・」 早とちりの弟を諌めるように、ミランダはゆっくりとした口調で言う。 「旦那様がいらっしゃらない時くらい、がんばらなきゃと思ってたんですけどねぇ・・・」 辛そうにため息をついたミランダの隣で、リンクは真っ青になった。 「ま・・・まさか、下々から悪い病でもうつされたのでは・・・!」 「え? いえ、そうじゃないんですけど・・・」 「いいえ! こんな病原菌だらけの場所に繊細な姉上様を置くこと自体、大間違いだったのです! 今すぐ実家に帰りましょう!そうしましょう!!」 ぐいぐいと腕を引く弟に、ミランダが慌てる。 「ま・・・待ってください、ハワードさん! だめですよ、そんなこと・・・!」 「なぜですか?!」 物凄い剣幕の弟に首をすくめ、ミランダは困惑げに眉尻を下げた。 「だ・・・旦那様がいらっしゃらないのに、私が勝手に出かけるなんてできません・・・」 「病床の姉上様を置いて出かけるような不実な男はとっとと捨ててください!!」 きっぱりと言ったリンクを、しかし、ミランダは上目遣いで見あげる。 「でも・・・旦那様にお城への出向を命じたのは・・・あなたじゃありませんでしたか・・・?」 「・・・・・・・・・・・・」 姉の指摘に、リンクは黙り込んだ。 彼は南町奉行に就任するや、その権限を利用して、真っ先にリーバーを養生所から退けたのだ。 「もう・・・」 弟の所業に、ミランダは深々とため息をついた。 彼と夫の仲の悪さは十分知っていたつもりだったが、ここまで敵意を向けられては困ってしまう。 「ハワードさん、お奉行になったからには小さなことに執心せず、しっかりお勤めを果たしてくださいね」 「姉上様のことは、ご老中からもしかと命じられた最優先事項ですので、小さなことではありません」 懸命に考えた苦言をきっぱりと言い返されて、元々アドリブの利かないミランダは言葉を失った。 「そんなことより、あのホーキ頭がいないのはいい機会です。 彼には明日、登城した際に申し伝えますので、姉上様は我が役宅でご静養ください パタパタと尻尾を振る仔犬のように、期待に満ちた目で見つめられ、困惑するミランダの腕を、ハワードが更に引く。 「失礼致します、姉上様 すぐに籠をご用意いたしますね 問答無用で抱えあげられたミランダは、そのまま南町奉行の役宅へとさらわれてしまった。 「ねぇねぇちょっと聞いてー! リーバー君の奥方が、実家に連れ戻されたんだってぇ!!」 翌日、評定所に入るやコムイの甲高い声に迎えられて、神田は鼻白んだ。 「なん・・・?」 「今ね、リンク君から聞いたのー! 体調不良の姉上を病原菌だらけの療養所なんかに置いとけないから、昨日役宅に連れてったって! おかげで今、ルベリエ老中のお部屋がお祭り状態だよ! この機会に絶対別れさせるって張り切ってんの! ちょっと見といでよ楽しーから!」 ゲラゲラと笑いながらまくし立てるコムイから、神田はうんざりとした顔で離れる。 「あれっ? 神田君、老中の控えの間はそっちじゃないよー?」 「行かねェよ!」 鬱陶しげに吐き捨てた神田の袴を、コムイがすかさず掴んだ。 「老中に興味がないならいいや。 例の件、パパーンに言ってくれたぁ?」 「あぁ・・・昨日は仕事が早く終わったんでな、実家に寄って・・・・・・・・・」 言う間に顔をしかめた神田を、コムイが不思議そうに見遣る。 「なに?なんか問題かい?」 「了解した、と言っていた」 苦々しげに言った神田は、コムイの手を振り払って一足先に評定の間へ入った。 そこにはまだ誰の姿もなく、思わずほっと息をつく。 浮かれた老中と珍しく眉間のシワを消したリンク、コムイらが騒々しくやって来たのは、それからかなり経ってからの事だった。 ようやく評定所での仕事を終えた神田は、退出する前に御典医の控えの間へ入った。 「おい、リーバー」 呼びかけると、同僚と談笑していた若い医者が振り返る。 「よぉ、珍しいな。 いつもはさっさと帰るんだろ?」 親しげに言う彼に、神田は眉根を寄せた。 「・・・・・・大目付に聞いたんだが、奥方が・・・・・・」 言い難そうに言う彼に、リーバーは笑って手を振る。 「しばらく前から具合悪かったんでな、早々に実家に帰って静養するようには言ってたんだが・・・あいつ、俺の留守を守るんだって聞かなくて。 義弟が無理にでも連れて帰ってくれて助かったよ」 「そ・・・そうなのか・・・?」 コムイから聞いた状況とは違うような・・・と、戸惑う神田に、リーバーはあっさりと頷いた。 「具合悪くしてんのに、療養所にいちゃ、どんな病気に罹るかわかんないだろ。 だから部下達には、あいつがなんかやらかしたら出てくよう、厳しく言ってくれって頼んどいたんだが、折りよく弟が来てくれたらしくて。 これで俺も安心して城に留まれるぜ」 最初は嫁をさらわれた夫の強がりかと思っていた神田だが、リーバーの心底ほっとした顔に、気を呑まれながらも頷く。 と、 「もしかして、それで心配して来てくれたのか?」 にこりと笑った彼に、神田は眉を吊り上げた。 「んなワケねェだろ!」 「じゃあ、なんの用だったんだ?」 聞き返されて、神田は憮然と口を引き結ぶ。 「心配ありがとな!」 くすくすと笑い出したリーバーを睨みつけ、神田は無言で踵を返した。 「・・・心配なんかしてねぇんだよ!」 長い回廊の真ん中で、突然怒号をあげた神田に、幕臣達が飛び上がる。 「ったく、馬鹿馬鹿しい! 老中もリンクも、とんだぬか喜びだな!」 文句を言いつつも、別れる気配のないリーバーの態度に、どこかほっとしている自分がなんだか忌々しかった。 「べ・・・別に関係ねぇだろ、あいつらがどうなったって」 ぶつぶつと呟きながら城を出、奉行所へと戻った神田は、既に処理されて彼の署名を待つばかりの書類に唖然とする。 「・・・・・・なんでだ?」 いつも『働け』と口やかましい筆頭与力が、のんびり茶を飲んでいるのも不思議で問えば、彼女は嬉しそうに笑った。 「エミリアだよ! アレン君も前に言ってたけど、彼女が『影のお奉行』だったって言うのはホントみたい! 判例探しだけじゃなく、他の業務もさっさと捌いちゃって、今は罪人の取調べしてるよ 「は?! お前、取調べって・・・・・・」 一瞬、色をなしたものの、神田はすぐに納得して頷く。 「あいつなら、どんな凶暴な罪人も口が軽くなるだろうな」 呟いた彼に、リナリーは大きく頷いた。 「なんかね、今エミリアが取調べしてる罪人、彼女が奉行所にいた頃に捕まって、江戸十里四方所払いされた人らしいのね。 エミリアの顔を見た途端、真っ青になってペラペラ喋ってくれてるから、調書が簡単にできそう だから自分は休憩している、と笑うリナリーに、神田は吐息しつつ頷く。 「ねェ、お奉行〜? エミリアには、ここにずっといてもらおうよー 今は臨時扱いだけど、正規の与力にするか、お嫁さんにするか 「正規の与力にしとけ。 嫁になったら奉行所で働けねぇぞ」 さらりと言った彼に、リナリーが目を丸くした。 「なんでっ?! 神田、お奉行やめちゃうの?!」 上司への敬語も忘れて声をあげた彼女に、神田はあっさりと頷く。 「火盗改めの職をもらう代わりに、誕生祝だったか?それをやるっつったろ」 「えぇー?! お父上がいいって言ったの?!」 「・・・・・・・・・あぁ」 意外そうな声の問いに、神田はなぜか、長い間を持たせた。 「せっかくの出世コースなのに、もったいないなぁ・・・」 息子の希望とは言え、出世を棒に振るようなことを、側用人にまでなった父親が認めるはずがないと思っていただけに、リナリーの驚きと失望は深い。 「じゃあ・・・私はどうしようかなぁ・・・・・・。 元々、神田の補佐役って条件で内与力になったんだから、神田がいなくなるならもう、奉行所にはいられないね。 ・・・・・・面白かったのにぃ」 残念そうにこうべを垂らすリナリーを見下ろし、神田は鼻を鳴らした。 「嫁に行く気がねぇんなら、ついて来りゃいいだろ」 「いいのっ?!」 ぱぁっと顔を輝かせ、歓声をあげたリナリーに神田は頷く。 「だが火付け盗賊改め方は、ここのネズミ共みたいなちっせぇ奴らじゃなく、本物の悪党を扱う所だ。 兄貴が猛反対するかもな」 「それはがんばって説得するよ! わぁい 約束だよ、神田?! 絶対連れてってね!」 「あぁ」 奉行所はエミリアに任せておけば安心だ、と、神田は整然と揃った書類に手早く署名した。 その頃、神田の実家では、隠居した父が鼻歌を歌いながら蔵の長持をひっくり返していた。 「あったあったー 良かった、もう捨てちゃったかと思ったよー 彼が取り出したのは古い冊子で、表紙には西洋の飾り文字が連ねてある。 「なんでも西洋風にする必要はないけど、料理の中に何品か西洋料理入れたげないと、宴でお腹すかせることになるもんねェ」 パラパラとめくった彼は、そこに記された異国語をまだ読めることに自信をつけた。 「お城のお勝手方にお願いするかなぁ・・・。 でも、公式行事じゃないのに、手を煩わせると怒られるだろうから・・・」 心当たりを次々と思い浮かべた彼はやがて、ポン、と手を打った。 「北町お勝手方のジェリー! 彼女なら大勢の料理を作り慣れてるし、なんたって天才だよ!」 早速お願いしよう、と、蔵を出た隠居は、そのまま邸の門を出る。 「ちょっとお出かけしてくるよー 門番にはそれだけ言って、ひょこひょこと北町奉行所へ向かう途中、近道をしようと入った神社の境内で、剣呑な雰囲気の浪人達に囲まれた。 「・・・なんだろう、君達は?」 さすがに表情を改め、眉根を寄せた隠居に、中の一人が進み出る。 「北町奉行の父上にして、元側用人のフロワ殿とお見受けします」 どこか嫌味な口調に、隠居の眉がますます寄った。 「なにか用かな?」 途端、斬りかかって来た刀を、ひょい、と飛び退いて避ける。 「危ないなぁ、もう・・・」 横合いから迫る刀も避け、彼らの刃が届かない場所にまで退いた。 「あのね、私を狙ってることはわかったけど、なんで殺されそうになってるのか、理由くらいは教えて欲しいんだけど。 このまま死んじゃったら私、化けて出るよ?毎晩枕元に立つよ?末代まで祟っちゃうよ?」 飄々とした顔でそんなことを言われて、浪人達がたじろぐ。 その隙に、 「あっ!!!!」 大声をあげて彼らの背後を指した隠居は、すかさず踵を返して逃げ出した。 「待て!!」 凄まじい勢いで追いかけてくる浪人達に隠居は、呆れて吐息する。 「最近の若者は、口の利き方を知らないよねぇ。 命狙われてるのに、待てと言われて待つ愚か者なんて、いやしないよ」 独り言のつもりだったが、追いかけてくる浪人達にはしっかり聞こえていて、ますます怒らせてしまった。 「やれやれ・・・逆ギレなんて面倒な人達だなぁ」 しかし危地から逃れた今、有利なのは隠居の方だ。 彼は境内を抜けると、人通りの多い通りへと駆け込んだ。 すると人目を恐れた浪人達は、たちまち歩を緩めて踵を返す。 「・・・これは、ユー君にかくまってもらった方がいいかな」 危険な状況にもかかわらず、隠居は嬉しそうに呟いた。 「ユー君ってば、お仕事忙しいからって全然実家に帰ってくれないしィ だったら私が行っちゃえー スキップしながら奉行所へ入った隠居は、奉行の父親と言う身分を利用して役宅へ入り込み、愛息子の帰りを待ち構える。 やがて日も暮れた頃、ようやく役宅へ戻って来た息子に隠居は飛びついた。 「ユー君! 今日は怖かったんだよー 突然の襲撃に凍りついた神田へ、隠居はじょりじょりとヒゲ面をすりつける。 「いきなり狼藉者に襲われちゃってー、なんとか逃げたんだけどまた襲ってきそうだからここでパパンをかくまっておくれ 「そ・・・のくらい自分でなんとかしやがれィッ!!」 氷結から脱した息子の第一声に、隠居は不満げに頬を膨らませた。 「なんだよー。 パパンが危ない目に遭ったって言うのに、ユー君たら冷たいよねー」 「狼藉もんの一人や二人、簡単に倒せるだろうが!」 「一人や二人じゃないよぉ。たくさんいたもんー。ユー君、パパン怖ーィ 「わざとらしいこと言ってんじゃねェェェェェ!!!!」 神田はしがみつく父を懸命に引き剥がそうとするが、そうは見えなくとも武道の達人である彼は、あっさりと神田の関節を固める。 「でねっでねっ! ユー君、パパンしばらくお泊まりするからね その間、西洋風のマナーをつきっきりで教えてあげるよ! 外国の使節の前で、マナー知らなかったら恥ずかしいもんねぇ? よかったね、ユー君 あれ?ユー君??」 うっかり首を絞めすぎたのか、隠居は白目を剥いている息子を横たえた。 「ユー君、起きてー!」 「それが殺しかけた奴の言うことかッ!!」 悪鬼の形相で起き上がった息子に、隠居は笑って手を振る。 「大げさだなぁユー君は! この程度じゃ死なないでしょ 「このクソ忙しいのに殺されてたまるかッ!!」 その言葉に、隠居は暢気に手を叩いた。 「そっかそっか、ごめんよユー君 今までお仕事だったんだもんねェ。 お腹空いたら、不機嫌になっちゃうよねェ。 そんな君のために、パパンが豪華お料理を用意しちゃったぞーぅ!」 ぱぱぱぱぱんっ!と、軽やかに手を叩くと、お勝手の女中達がいくつもの膳を運んでくる。 「・・・・・・なんだこりゃ」 膳の上で湯気をあげる煮物焼物汁物の全てが、未知の色と臭いを放っていることに驚いて、神田は身を引いた。 と、隠居は懐から、得意げに冊子を取り出す。 「ジェリーに作ってもらった西洋料理だよーん!」 「食えんのかよ!!」 更に歩を引いた息子の口を、隠居が慌てて塞いだ。 「ユー君! そんなこと、無闇に言っちゃだめだよ! 命が惜しくないのかい?!」 ひそひそと囁かれた言葉に尤もだと頷いた神田は、彼らしくもなく怯えた様子で辺りを見回す。 が、ジェリーが怒鳴り込んでくる気配のないことにほっと吐息した途端、 「神田ー!!署名漏れが・・・あれ?」 乱入してきたリナリーの大声に飛び上がり、怯えた猫のように毛を逆立てた。 「おおおおお・・・脅かすんじゃねェ!!」 「なんでそんなに怯えてるんだよ・・・あ、ご隠居様、お久しぶりです」 隠居の存在に気づいたリナリーが挨拶すると、彼はにっこりと笑って頷く。 「こんばんは、リナリー。 こんなむさくるしい場所で働くなんて大丈夫だろうかって心配してたけど、うまくやってるみたいだね」 「はい!」 元気に頷いたリナリーに、隠居もまた、微笑んで頷いた。 「ところで今日はどうなさったんですか? お誕生会の件で、何か相談事でも?」 リナリーが首を傾げると、隠居は大げさに首を振る。 「それがね、聞いておくれよー! ここに来る途中、大勢の不逞浪人に絡まれちゃって! なんとか逃げてユー君に匿ってってゆってんのに、ユー君ったら自分でなんとかしろなんてゆーんだ!」 顔を覆って大げさに泣き真似をすると、素直なリナリーは目を吊り上げて神田を睨んだ。 「酷いよ、神田! お父さんが殺されちゃってもいいの?!」 「馬鹿がよく考えろ! この忙しい奉行所じゃあ、ジジィ一人に目配りなんかできやしねェだろ!」 怒鳴り返した神田は、刃のような目で睨み返す。 「だがウチじゃあ、一応大旦那だ。 使用人も家臣も、揃って守ってくれんのになんでここに置かなきゃなんねぇんだ?!」 「う・・・そりゃ・・・そう・・・だけど・・・・・・」 なんとか反駁の言葉を探そうとして、リナリーは諦めた。 「ご隠居様、ここって意外に安全じゃないから、おうちに帰ってください」 「えぇっ?!」 頼みの綱を切られて、隠居はぶんぶんと首を振る。 「いっ・・・今からじゃなくていいよね?! こんな真っ暗な中帰ったら危ないよっ!今度こそ死んじゃうよっ! だから今日は泊めておくれ!!」 必死に袖に縋る父に、神田はため息をついた。 「・・・今日だけだぞ」 「うん!」 嬉しそうに頷いた隠居は、パタパタと手を振って二人の注意を並べられた膳へ向ける。 「安心したらお腹空いたよね! リナリーも一緒に食べて行きなさい!」 「はい お腹空いてたんですー 喜んで座ったリナリーの前にも、隠居に呼ばれた女中達が膳を運んでくれた。 が、 「・・・なんですか、このお料理?」 未知の液体が満たされた碗を持ち、リナリーは警戒気味に匂いをかぐ。 「西洋料理だよ! 以前私が異国語を勉強していた時に、一緒に取り寄せた本を見つけたんで、ジェリーに作ってもらったんだ!」 「あ、ジェリーが作ったんだ! だったら食べられ・・・・・・ニンジンが入ってる!!」 碗を寄せた途端、顔色を変えたリナリーに、父子が顔を見合わせた。 「そんなもん見えねぇぞ?」 「ポタージュだから、形なんか残ってないはずだけど・・・」 「それでもわかるもん! ニンジンだめ!ニンジン反対!!リナリーはこれ食べらんない!!」 鼻を覆って碗を遠くへ押しやるリナリーに、神田が軽く吐息する。 「ワガママもいい加減にしねぇと・・・」 「今後一切、アンタにはごはん作ってあげないわよッ!!」 「ぴっ?!」 スパンッと障子を開けて現れた料理人の怒声に、リナリーがすくみあがった。 「食べなさいッ!!」 「ひっ・・・でもっ・・・!!」 隣に座ったジェリーにぐいぐいと碗を押し付けられ、リナリーが涙目になる。 「まったく! 好き嫌いすると大きくなれないわよ!」 ぐりぐりと頭を押さえつける大きな手の下で、リナリーは必死に首を振った。 「だっ・・・大丈夫だもん!リナリーはまだ、本気を出してないだけだもん!!」 「本気かそうでないかで胸がでかくなるなんて、聞いたことねぇよ」 「ふも――――!!!!」 弾丸の勢いで投げつけられた取り皿が、神田の額を割る。 「リナリー!!」 「今のは神田が悪いもん!!」 ジェリーの叱声に頬を膨らませ、リナリーがそっぽを向いた。 「て・・・めぇぇぇぇぇぇ!!!!」 「ユー君!落ち着いて!!」 「なんだよ!かかっておいでよ!」 「リナリーもおやめなさいっ!!」 怒った猫のように毛を逆立てる二人を、隠居とジェリーがそれぞれ羽交い絞めにして引き離す。 「二人ともお座んなさい! もう子供じゃないのに、みっともない!」 ジェリーに叱られ、並んで座った二人は互いにそっぽを向いた。 「ホラ! 全部残さず食べるのよっ!!」 改めて膳を置かれ、リナリーは渋々箸を取る。 が、椀には手を伸ばさない彼女に、隠居が笑い出した。 「リナリーは強情だねぇ。 さすが、このユー君を従えるだけのことはあるよ」 「わっ・・・私、別に従えてなんか・・・!」 リナリーが恥ずかしげに頬を赤らめると、隣で神田が鼻を鳴らす。 「ワガママ娘がよく言うぜ」 「それは神田がお仕事しないからでしょぉ!!」 「静かに食べなさいっ!!」 ジェリーに叱られ、すかさず背筋を伸ばした二人にまた隠居が笑い出した。 「ユー君はマー君より、リナリーと兄妹みたいだねぇ」 「・・・兄貴とは、似てないにもほどがあるからな」 あんたにも、と続けた息子に、隠居は拗ねて口を尖らせる。 「ユー君はれっきとしたうちの子ですぅ! ちっさい頃はパパンにそっくりって言われて・・・」 「ませんわよね?」 「・・・・・・・・・・・・そーだね」 昔から彼らのことを知るジェリーに笑われ、隠居は肩をすくめた。 「まぁ、似てなくたっていいじゃない。 それより、アタシのお料理はどぉ?」 にこにこと笑ったジェリーの視線の先では膳の中身が早くも空になりかけている。 「リナリーはともかく、ユー君がこんなに食べるなんて、珍しいこともあったもんだね!」 「偉いわぁ神田 ・・・それに比べてアンタは、絶対にニンジンは食べないつもりなのね?」 冷ややかに指摘され、リナリーは気まずげに目をそらした。 「・・・・・・・・・・・・食べればいいんでしょ、食べれば・・・・・・」 恐々と椀を持ち上げたリナリーは、目をつぶり、息を止めて一気に椀を飲み干す。 「・・・・・・・・・っこれでどうだっ!!」 「なんの勝負してるのよ」 ため息混じりに言いつつ、ジェリーが差し出したぬるい茶を、リナリーは涙目で飲み干した。 「ジェリーが全部食べろって言ったんじゃないかぁ!!」 リナリーはぴすぴすと鼻を鳴らし、口直しとばかりに惣菜を詰め込む。 「アンタ、ちゃんと味わってくれてるぅ?」 「もひろんらよっ!」 リナリーが口いっぱいに詰め込んで言うと、ジェリーは大きなため息をついた。 「・・・・・・アンタ、アレンちゃんにも似てきたわね」 「あんなモヤシに似てんじゃねぇよ」 「またモヤシって言う!! アレン君は北町の直属なんだから、ケンカ売らないでっていっつも言ってるでしょぉ!!」 奉行所の与力には、代々同じ奉行所で働く者と、奉行自身と主従関係にある内与力の二つがある。 上司とは言え、元からそこにいる者達にとって新参者の奉行が滞りなく業務を行うには、直属の与力達の協力も必要だった。 だが、 「はっ! モヤシはモヤシだろ」 きっぱりと言って箸を置いた神田に、ジェリーが微笑んで茶を出してやる。 「そうねん 白くて可愛いし、器用でお役立ちなところがそっくりねん くすくすと笑って、ジェリーが悪口を褒め言葉に変えてしまうと、神田は憮然と黙り込んだ。 と、また隠居がくすくすと笑い出す。 「ユー君は、彼の能力を認めてないわけじゃないんだよ。 ただ、あの子がリナリーにちょっかいかけるもんだから、お兄ちゃん2号しては気に入らないだけなんだよね?」 「知った風な口利いてんじゃねぇよ!」 「そうですよ、私、ちょっかいなんかかけられてないし」 「お前は自覚しろ!!」 父とリナリーにそれぞれ怒号を浴びせ、神田は熱い茶を一気に飲み干した。 手を合わせるや、さっさと立ち上がった神田の袴を、隠居が慌てて掴む。 「ちょっとユー君! そんなすぐに行っちゃうことないじゃないかぁ!!」 「あぁ?! もう用はねぇだろ!」 「あっ・・・あるよ?!」 言ってから、隠居はぐるぐると脳内に話題を探し、間もなく手を打った。 「ホラ! 私が狼藉者に襲われたこと!! ねっ?!大事だよねっ?!ねっ?!」 必死に言い募ると、神田は軽く吐息して再び座る。 「心当たりは?」 無愛想に聞かれたにもかかわらず、息子大好きな隠居はうれしそうに笑って小首を傾げた。 「んーと、心当たりね、心当たり・・・」 ぶつぶつと呟いていた隠居は、ややして『そうそう』と手を叩く。 「最近、若者の間で攘夷が流行ってるだろう? 私は現役時代、外国の使節の応対をしていたからねェ。 あの当時も結構、血気盛んな浪人に狙われたけど、また私が復帰するなんて情報を聞きつけた連中が、性懲りもなく狙って来たんじゃないかな?」 大変な事件をなんでもないことのように語る隠居に、リナリーが目を丸くした。 「そんなことが・・・」 「うん。 その当時、マー君はもうおっきかったから、自分の身は自分で守らせたけどね・・・っ」 なぜか、吹き出した隠居がケラケラと笑い出す。 「ユッ・・・ユー君はっ・・・まだちっさかったからっ・・・! 何かあっちゃ大変だって、女の子のカッコさせて、奥女中頭の娘ってことにしてたんだよねー 「俺の妙な記憶はそれかァァァァァァ!!!!」 蔵の奥に大切にしまわれている子供用の振袖に、袖を通した記憶があるのはなぜだろうとずっと思っていた。 「よくもそんなくだらねぇ策を用いやがって!!」 「・・・あー!!!!」 激昂する神田の隣で、リナリーが突然大声を上げる。 「やっぱり! あの時のお姉様は神田だったんだね!!」 「お・・・お姉様・・・・・・?」 おぞましげに言った神田に、リナリーは大きく頷いた。 「リナリーがちっさい頃の事だよ! ホラ、うちは攘夷派浪士に両親を・・・・・・」 言いかけて、しゅんとうな垂れたリナリーの背を、ジェリーが優しく撫でる。 「よしよし・・・悲しかったわね・・・・・・」 彼女が幼い頃、幕府の重臣だった父は、母と出かけた際に攘夷派の浪士に殺され、兄は若くして家督を継いだ。 すぐに幕臣として取り立てられた兄は中々家に帰れず、寂しい思いをしていた頃、近所の姉様に慰めてもらったのだ。 「神田・・・あの時、リナリーに毬をくれたでしょ? きれいな五色の・・・こんなのいらないからやるって、なんだか妙にぶっきらぼうな姉様だなって思ったんだ」 「あ? そんなん、覚えてねぇよ」 ふいっと、目を逸らした神田に、リナリーが眉を吊り上げた。 「なんで覚えてないんだよ! 神田が『母様』って呼んでた人と一緒に・・・」 「黙れ」 それは静かな声だったが、怒号よりもむしろ場を静まらせる。 「つまんねぇ思い出話する暇があンなら、お前がオヤジの聴取するんだな」 言うや、座を立った神田を誰も止めることができず、彼は座敷から出て行った。 「・・・・・・・・・リナリー、なんか悪いこと言った?」 目を丸くした彼女に、隠居とジェリーが苦笑する。 「・・・あの奥女中を、ユー君は本当の母親みたいに慕ってたんだけどねぇ・・・」 「ちょうどあの頃、行き方知れずになってしまって・・・無事でいるのかしらって、今でも時々思い出すのよねぇ・・・・・・」 「えぇっ?! じゃあまさか、神田がずっと探してる『あのひと』って・・・・・・!」 言いかけたリナリーに、二人は揃って指を唇に当てた。 「秘密だよ?」 「お奉行の権限じゃ見つからなかったからって、更に深い所まで、探しに行こうとしてるんだから」 神田がずっと異動願いを出している火付け盗賊改め方は、凶悪犯のみを相手にする部署だけに、蛇の道を網羅していると言う。 「・・・・・・・・・私が、ちゃんと顔を覚えていたらなぁ」 一緒に探せるのに、と、呟いたリナリーの頭を、ジェリーが優しく撫でてくれた。 その頃、誕生会の招待状を受け取った使節は、見知らぬ名に小首を傾げた。 「・・・この、ユウ・カンダと言うのはどういう人物だ?」 問うと、隣で分厚い人名帳をめくっていた武官が文字をなぞる指を止める。 「えぇと・・・江戸の知事みてぇな役職の奴らしいな」 「知事か。 使節に対して、少々不足のある身分と言えなくもないが・・・・・・」 不満げに漏らした上官に、武官は首を振った。 「ざっくり言えばそうなんだが、この国の『ブギョウ』はその土地の政治だけでなく、裁判長と警察長官も兼任するらしい」 「この大都市を一人で・・・よく死なないな」 感心した上官に、武官は意地の悪い笑みを浮かべる。 「死んだ奴も多いってよ。 ・・・あー!」 突然あがった大声に、使節は眉をひそめた。 「なんだ、いきなり」 「こいつ、フロワの息子だそうだ!」 「なんと・・・」 懐かしい名前に、彼女は思わず笑みを漏らす。 「あの妙な男の息子か。 では、さぞかし楽しい宴になるだろうな」 長い足を組み直し、彼女はランプの灯りを弾いて煌めく金髪を梳いた。 「了解したと伝えてくれ、ソカロ。 たとえつまらん宴でも、あの男が在席するのであれば、多少は愉快なものとなるだろう」 「わかった。 お前だけで行くのか、クラウド?」 上官に対して口の利き方を知らない武官に、しかし、彼女は愉快げに笑う。 「来たければ来てもいいぞ?」 「うまいメシがありそうだ」 にやりと笑った彼に対し、クラウドは眉をひそめて首を傾げた。 ・・・翌日。 「ユー君、ナイフの使い方うまいねェ! さすが剣の達人!」 朝っぱらからハイテンションな父の拍手に、神田は眉根を寄せた。 「関係ねぇだろ!!」 「そぉ? 長いか短いかの問題じゃないかなぁ?」 自分はスプーンを器用に使いながら、にこにこと愛息子の所作を見守る。 慣れない食器にはまだ戸惑うことがあっても、常から姿勢のいい彼の所作は、初めてとは思えないほどに洗練されていた。 「ホント、ユー君の所作は見てて清々しいよ お母さん似のすごい美人だし、異国の連中に自慢の息子を見せびらかせるかと思うと、今から楽しみだよー はしゃいで息子自慢する父に、神田はますます眉根を寄せる。 「そう言うこと、客の前で言うんじゃねぇぞ」 「なんで?」 きょとん、と、首を傾げた父に、神田の目が吊りあがった。 「ちったぁ恥ずかしいと思えッ!!」 「だってもう、とっくに自慢してるもーん」 いけしゃあしゃあと言った彼は、にこにこと笑ってスプーンを置く。 「応対した使節がね、何かと言えば『ご家族は元気か』とか、話題をそっちに持ってこうとするんだよね。 あちらの風習なのか、話を本題から逸らそうとしてるのか、判断しかねたもんだからさ、初っ端から思いっきり息子自慢してやったんだー 「てめぇは恥を知れッ!!!!」 神田が怒鳴ると、父はなぜか表情を輝かせた。 「そうそう、それそれ! この国じゃあ謙遜が美徳だから、家族自慢なんかしたら変な目で見られるじゃない? でも、異人にはその辺の機微がわかんないから、ここぞとばかりに今まで言えずにいた息子自慢したんだよ! イヤ、楽しかったなーぁ! 嫌がらないどころか、感心して聞いてくれるんだもん! そりゃもう、舌も回るってもんで・・・」 「嫌がってたに決まってる」 冷淡に言われ、父は口を尖らせる。 「じゃあキミが会って確かめなよ。 招待したのは、私が以前応対した、クラウドって言う使節だからさ。 家族の事を聞かれたら、ユー君も『素敵なパパンです 「言うか!!」 気色悪げに言って、座を立った息子を父が不満げに見上げた。 「なんだよー。 いいじゃない、ユー君だってパパンのこと好きでしょぉ?!」 「知るかッ!!」 嫌いだとは言われなかったことに気を良くして、彼はにこにことにじり寄る。 「がんばってね、ユー君! 今度のお誕生会はキミが主役なんだからさ! 異人に大和魂見せたげてね 「んなこた言われなくたってわかってんだよ! それより、日の高いうちにさっさと帰れよ!」 「えー・・・・・・」 「面倒ぬかしてんじゃねぇ!帰れ!」 「ハイハイ・・・」 冷たい言葉を残して仕事へ行く息子を、彼はむくれて見送った。 が、 「日が暮れるまでゴロゴロしてたら、帰んなくていーよねー 昼餉に戻った時には隠れていよう、と、いたずらっ子のようにくすくす笑う。 「そうと決まったら根回し根回し こう言うことはちゃんとやらないと、ユー君てば獣並みの勘だもんねー」 息子を騙す気満々で、彼はそろそろと部屋を出て行った。 それより少し前、南町奉行所の役宅では、リンク・・・いや、ハワードがいそいそと朝餉の仕度を整えていた。 「姉上様、お加減はいかがですか?」 ミランダの寝所に赴いた彼は、昨夜、元気も食欲もない様子だった姉に障子越し、そっと声をかける。 と、畳を擦る足音が近づき、中からゆっくりと障子が開いた。 「おはようございます、ハワードさん。 もう大丈夫ですよ」 にっこりと笑った途端、気遣わしげだった弟は、尾を振る子犬のような顔をする。 「あ・・・朝餉の仕度が整っておりますから! 早くいらしてください 「はいはい」 急かす弟に微笑み、ゆっくりと立ち上がったミランダは、やはりゆったりとした足取りで歩を進めた。 その様を、ハワードは気の毒げに見つめる。 「どうかしましたか?」 弟の表情に気づいて問えば、彼は更に眉を曇らせた。 「姉上様は本来、そのようにおっとりと歩いてらっしゃったのに、養生所では下々に急かされ、走り回っていらしたのがお気の毒で・・・・・・」 「あら・・・」 指摘されて初めて歩調の変化に気づいたミランダは、照れくさそうに笑う。 「やだわ、実家でもないのにのんびりしてしまって」 「た・・・確かに役宅ではありますが、どうか実家だと思ってくださいませ!」 「そうですね。 今はあなたが当主なのですから、あなたがいる所が実家ですね」 くすくすと笑って、ミランダはやや早足になった。 「でも、すぐに戻るのですから、早く歩くことを忘れないようにしないと」 また叱られてしまう、と、呟いたミランダへハワードが手を伸ばし、行く手を阻む。 「お戻りになる必要なんかありませんから! どうぞごゆっくり歩かれてください」 「またそんなことを言って・・・」 困惑げに苦笑するミランダに、ハワードは激しく首を振った。 「いいえ! 決して不自由はさせないと言うから渋々承諾したと言うのに、あのホーキ頭は姉上様を散々こき使って!!」 夫を激しくなじる弟に、ミランダは慌てて取り縋る。 「違いますよ・・・。 私が、どうしてもお手伝いしたいと言うものですから、旦那様もようやく許してくださって・・・」 「あんな輩を旦那様なんて呼ばないでください!!」 ヒステリックな声に、ミランダはため息をついた。 「もう・・・いつまでも仲が悪いんですから・・・・・・」 困ったことに、これだけはいくら言い聞かせても聞く耳を持たない。 「今は無理でも・・・いずれは仲良くしてもらわなければ困りますよ・・・?」 「一生!! 仲良くなんてなりませんとも!!」 きっぱりと断言した弟に、ミランダはまたため息をついた。 「さぁさぁそんなことより姉上様! 今日は私が朝餉を作ったのです ご気分の優れない姉上様にもお召し上がりいただけるよう、薄い味のものをご用意しましたので、どうぞごゆっくり召し上がってください 「・・・あら? そう言えばあなた、お仕事は・・・・・・」 奉行の仕事は、夜明け前から始まると言う。 なのに自分の世話など焼いていていいのかと問えば、ハワードは嬉しげに笑って頷く。 「朝餉の用意がありましたので、今朝の仕事は昨夜のうちに終わらせました! 早番の者が出て参りましたら、すぐに仕事に取りかかれるよう整えておりますので、今朝はゆっくりできるのです 誉めて、と言わんばかりに小首を傾げた弟を、ミランダは苦笑して撫でてやった。 「それはとても偉いことですけど・・・ただでさえ、奉行職は過酷なものと聞いていますよ? あまり、無理をしないでくださいね」 「もちろんです 撫でられたハワードは、また尻尾を振る仔犬のような顔をする。 「さぁさぁ姉上様、どうぞお気遣いのなく 暖かな湯気と共に、いい匂いを振りまく膳の前に、ハワードは手を取って座らせた。 「ご存分にお召し上がりください キラキラと目を輝かせ、誉められるのを待っているような弟に、ミランダは笑って頷く。 「いただきます」 「はい 期待に胸膨らませ、ハワードはミランダの所作を見守った。 「では、お仕事しっかりね」 「はい 姉上様は、どうぞごゆっくり 朝餉の味を存分に誉められたハワードは、大喜びで奉行所へとスキップして行った。 「転ばないようにね・・・!」 その背を見送ったミランダは、弟の姿が回廊の奥へ消えてしまうと、ほっと吐息する。 弟が心配するので言わなかったが、体調不良は思ったより深刻で、朝餉を飲み込むのもやっとだった。 「いつになったら良くなるのかしら・・・・・・」 夫がいれば、明確な答えをくれたかもしれないが、生憎彼は、弟の命令で城勤めに戻っている。 「早く仲良くなってくれませんかねぇ・・・・・・」 ふぅ、と、重く吐息して、ミランダは座敷に座り込んだ。 「寝ていたいけど・・・こんな朝からなんて・・・・・・」 そうは思ったが、落とした肩が存外に重く、引かれるように横になる。 「誰か・・・」 呼ぼうとしたが、使用人達はきっと弟に言い含められていて、見つかればミランダが倒れたなどと騒ぎ立てるに違いなかった。 「なんとか・・・部屋に戻らなきゃ・・・・・・」 口にはしたものの、身体は言うことを聞いてくれず、ミランダは横になっても回る目を閉じる。 「誰か・・・」 初夏とは言え、吹き寄せる風はまだ涼しく、このまま風邪をひいてしまっては大変と、もう一度声をあげた。 と、パタパタと軽い足音がして、ミランダの倒れた座敷の前で止まる。 「・・・・・・姉上様?」 その呼びかけに一瞬、弟かと思ったが、声は少女のものだ。 「お具合が悪いのですか? お医者を・・・」 側に寄って囁く声を頼りに、ミランダは手を伸ばす。 「お願い・・・。 弟には・・・知らせないで・・・。 お仕事の・・・邪魔に・・・・・・」 何か言いたげに息を呑んだ少女が、ややして頷く気配がした。 「では、こちらに床を伸べますので、お休みになってください」 「ありがと・・・・・・」 動けないミランダの傍らで、立ち上がった少女の足音が行き来する。 やがて、運んできた布団を延べた少女は、ミランダの帯を解いた。 「あ・・・」 はらりと落ちてしまった物に慌てた少女へ、ミランダが微笑む。 「まだ、内緒にしててくださいね?」 「は・・・はい・・・・・・」 困惑げな顔をしながらも、少女はこくりと頷いた。 安堵して目を閉じてから・・・どのくらい経ったのか、日の高くなった気配にミランダは目を覚ます。 「今・・・なん時かしら? お昼にはハワードさんが戻ってくるのでしょう?」 側についていてくれたらしい少女に問うと、彼女はこくりと頷いた。 「もうじき、戻ってらっしゃいます」 「では起きないと・・・。 寝込んでいたら、ハワードさんは酷く心配するでしょうから」 「でも・・・ご気分が優れないのでしたら、まだおやすみになっていられた方が・・・」 「もう大丈夫」 ゆっくりと起き上がったミランダは、きれいに畳んで置かれた帯を見遣る。 「ハワードさんが用意してくれたものですけど・・・。 やっぱり、新しい丸帯は硬いんですよねぇ・・・・・・」 「では、柔らかいものをお持ちしましょうか。 ・・・姉上様のお持ち物を開けてよろしいのでしたら」 遠慮がちに言った少女に、ミランダは笑って頷いた。 「嫁入り前に使っていたものを、ハワードさんが大事に取っておいてくれているそうですから、見て来ていただいていいですか? 帯箪笥の・・・何番目だったかしら。 柔らかい塩瀬(しおぜ)の帯があったはずですから、それを」 「はい」 一旦座を立った少女は、間もなくミランダの記憶通りの物を運んでくる。 「そうそう、これこれ 着慣れていただけあって、柔らかい帯は締めても苦しくはなかった。 「もしかしたら、帯が苦しかっただけなのかもしれませんね。 ついててくれて、ありがとうございました」 「いえ・・・」 そう言って首を振った少女に、ミランダは小首を傾げる。 「まだ、お名前を聞いてませんでしたね?」 問うと、小さな声で『テワク』と呟いた。 「テワクさんですか。 ハワードさんをよろしくお願いしますね」 それにはなぜか、頷かない彼女にミランダが驚く。 「あ・・・あの・・・?」 「奉行所にいないと思ったら、ここでなにをしているのですか、テワク」 障子が開くや、弟が不機嫌な声を放ち、ますます驚いた。 「あの・・・どういうことですか・・・?」 戸惑う声へ目をやったハワードは、延べたままの床にさっと顔色を変える。 「姉上様に何か・・・!」 目を吊り上げてテワクの腕を掴む弟に、ミランダが慌てた。 「なっ・・・何をするんですか、ハワードさん!! テワクさんは、具合が悪くて横になった私を介抱してくださったんですよ?!」 「・・・・・・そうなのか?」 ハワードの問いに、テワクはふいっとそっぽを向く。 「何もしてやしませんわ」 憮然と言ったテワクの腕を、ハワードは放した。 「ならば奉行所へ行きなさい。 出仕間もない者が、仕事を放り出して奉行の役宅に入り込むなど、聞いたことがありません」 「えぇっ?! あ・・・あの、テワクさんはこちらのお女中では・・・・・・」 「与力です」 「まっ・・・まぁ! ごめんなさい、私ったら・・・!!」 真っ赤になって謝るミランダに、ハワードは眉根を寄せ、テワクはほんの少し、表情を和ませる。 だが、 「早く行きなさい」 と、ムッとしたハワードが言った途端、また表情を消し、ぷいっと踵を返した。 「聞きしに勝るシスコンですわね」 すれ違いざま、囁いた彼女の背を、ハワードが睨みつける。 「あなたに言われたくありませんよっ!!」 言うや、肩越しに物凄い目で睨まれて、さすがのハワードも声を失った。 「ハ・・・ハワードさん・・・・・・!」 テワクが去ってしまうと、座敷にへたり込んだミランダが震え声をあげる。 「ど・・・どんな失礼なことを言ったんですか・・・・・・」 「私は別に・・・!」 反駁しようとして、ハワードは口を閉ざした。 「あ・・・後で、謝っておきます・・・・・・」 「そうしてください・・・」 苦笑して、ミランダが頷く。 「それと、私からのお礼もお願いしますね」 「そうです! 姉上様、お加減は・・・!」 自分の方が死にそうに蒼褪めた弟へ、ミランダは笑って手を振った。 「新しい帯が硬かったのに、ハワードさんの朝餉がおいしくてつい食べ過ぎてしまったから、苦しくなっただけですよ。 柔らかい帯に変えたから、もう大丈夫です」 「そうですか・・・」 ほっとして、ハワードは姉の手を取る。 「昼餉は召し上がれそうですか?」 「少しなら」 くすくすと笑う姉に、ハワードも嬉しげに笑って頷いた。 「帰ったか?!」 一方の北町奉行所では、神田が目を吊り上げてジェリーに尋ねていた。 「えぇえぇ、ご隠居様ならとっくにお帰りになりましたよ」 用部屋に昼餉を運んできたジェリーは、そう言って肩をすくめる。 「お邸から大勢のご家来衆が見えて、大事に運んでいかれたわ」 「そうか・・・」 神田がほっと吐息すると、リナリーとエミリアがくすくすと笑い出した。 「ホントは心配だったんだね 「素直じゃないんだから、まったく」 「うるっせぇよ! 喋ってばかりいねぇで仕事しろ仕事!!」 「今はお昼休みだもーん 揃って舌を出した女達に、神田が声を詰まらせる。 「ホラホラ、いくらアンタが悪口雑言の達人でも、口で女の子に勝てるわけないんだから」 早く食べてしまえ、と、膳を差し出したジェリーに、神田が舌打ちした。 「これで仕事ができなきゃ、すぐにおン出してやんのに!」 箸を取った神田は、続いて取り上げた鉢の中の蕎麦が奇妙な色をしていることに気づいて、動きを止める。 「・・・・・・・・・なんだこりゃ」 「スパゲティ・ボロネーゼ ご隠居様がくださったお料理本に載ってたのぉ パルメザンチーズをかけて召し上がれ 「臭っ!!」 ジェリーがごりごりとおろし金で削り入れた物が発する臭いに、神田が半身を引いた。 「んまぁ! シツレイね、アンタ! おいしいんだからーぁ!」 ね?と、振り返った先ではもう、リナリーとエミリアがもふもふと頬張っている。 「おいひぃ!!」 「おかわり!」 「アラアラ ちょっと待っててね、すぐ持ってくるわぁん」 差し出された空っぽの鉢に顔をほころばせ、ジェリーが立ち上がった。 「アタシが戻ってくるまでにそれ、全部食べなさいよ 「無理だ!」 「食べなさいっ! アンタ、ただでさえお肉食べないんだから!」 叱られた神田が、物欲しげに膳を見つめる女達を見遣ると、ジェリーがますます眉を吊り上げる。 「アンタ達! おかわり欲しかったら、ちゃんと食べさせるのよ!」 その声に素早く動いたリナリーが神田を羽交い絞めにし、エミリアが鉢を持って迫った。 「さぁ、食べて、神田!」 「はい、あーん 「〜〜〜〜っ!!!!」 歯を食いしばって抵抗する彼の鼻を、リナリーが羽交い絞めにしたまま、器用につまむ。 「ホラ、死にたくなかったら口あけて?」 「大丈夫、怖くない」 恐ろしい形相で迫るエミリアに言われても、ちっとも説得力がなかった。 「あーん 口を開けなきゃ目をブッ刺す、と言う意志が見える位置に箸を突きつけられ、神田が仕方なく口を開ける。 「はい、イイコー 真っ青になってスパゲティを飲み下す神田にエミリアが微笑み、羽交い絞めにしたままの彼にリナリーも笑った。 「がんばって、神田 これもお仕事の一環だよ 「未だかつてない激務だぜ・・・!」 苦しげな声は意外に響き、空になった櫃(ひつ)を抱えておかわりを取りに向かっていたアレンが覗き込む。 「あぁっ!!」 悲鳴と櫃の転がる音に、驚いた三人が回廊を見遣った。 「アレン君・・・」 まずい、と、三人が三人とも思った瞬間、アレンが悲鳴をあげて顔を覆う。 「キレイな女の子二人に挟まれて食べさせてもらって! 白昼堂々やらしい!!やらしい!!!!」 「ア・・・アレン君、違うんだよ、これは・・・」 気まずげなリナリーの声も届かないのか、アレンは憤然とこぶしを振り上げた。 「この淫乱奉行!! 羨ましいこと山の如しですよっ!!」 「なら代われ! 今すぐ代われぇぇぇぇぇ!!!!」 じたじたと暴れだした神田を逃がすまいと、リナリーが更に密着する。 「うわぁぁぁぁぁ!!!! 離れろセクハラ奉行!!筆頭与力様が穢れる!!穢れる――――!!!!」 泣き出したアレンの物凄い声に、何事かと与力や同心までもが集まってきた。 「リナ・・・いい加減放せよ!!」 「う・・・うん、でも・・・・・・」 「全部食べてからでしょ!」 ホラホラと突きつけられて、神田が思わず身を引く。 と、更に背後のリナリーと密着して、アレンがヒステリックな悲鳴をあげた。 「大目付様に言いつけてやる――――!!!!」 「黙れモヤシ!!」 早速踵を返したアレンの背に怒鳴った神田は、無理矢理立ち上がって後ろへ倒れこむ。 「ぎゃふんっ!!」 無残に潰され、手を放したリナリーから逃れた神田は、エミリアの手から鉢を取り上げた。 「食えばいいんだろうが! 自分でやるから手を出すな!! そして・・・」 ぎろりと睨まれて、集まっていた与力達が震え上がる。 「見てんじゃねぇよ、てめェら!!」 地を揺るがす怒号に飛び上がった彼らは、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。 しかし、一人残ったアレンは、神田に潰されて目を回したリナリーを抱き起こす。 「筆頭与力様! 筆頭与力様しっかりしてくださいー!!」 泣きながらどさくさに紛れて抱きついたアレンの頭に、神田のこぶしが落ちた。 「なにナメた真似してやがんだ、このエロモヤシが! てめェに触られた方がよっぽど穢れるぜ!」 「うぅ・・・! パワハラだ権力を笠に着た横暴だ目安箱に不信任案入れてリコールしてやる・・・!」 頭を抱えて恨み言を並べるアレンの背後で、神田がすらりと刀を抜く。 「いい度胸じゃねぇかクソガキが、死ぬか」 「ちょっ・・・アンタ達なにやってんのぉぉぉぉ!!!!」 アレンの首を斬り落とそうと振りかぶる神田を、おかわりを持ってきたジェリーが悲鳴をあげて止めた。 「ダメでしょ、こんな所で処刑なんかしちゃ!!」 「ここじゃなきゃいいのか? おい、モヤシ。表出ろ」 「ヤですよこの人斬り奉行!! 出たきゃ一人で勝手に出てください!そのまま帰ってくんな!」 「よし、殺す」 「コラッ!!」 熱い鍋を頭に置くと、ジュッと音を立てる。 「いい加減にしなさい!」 焦げた頭を押さえてうずくまった神田を、ジェリーが厳しく叱責した。 途端に彼がおとなしくなってしまうと、エミリアが不満げな吐息を漏らす。 「あーあ。 せっかく面白かったのに、ママの仲裁で終わりかぁ」 「アンタも見てないで止めなさいよ!」 「こんなの、いちいち止めてたらきりがないわよ」 そう言って、元北町奉行令嬢はひらひらと手を振った。 「それよりリナリー、大丈夫? 本気で目ぇ回してない?」 使い物にならなくなったアレンと神田の代わりに、エミリアが畳の上に転がるリナリーを揺する。 「リナリー? ごはん来たわよ?」 「モヤシじゃあるめぇし、そんなんで起きるわけが・・・」 「ふにゃ?」 「起きんのかよ!」 にょき、と起き上がったリナリーに、神田が舌打ちした。 「おい! 潰されたくれェで伸びてんじゃねぇよ!」 「・・・アンタ、先にごめんなさいでしょ?」 リナリーの傍らにしゃがみこんだジェリーの呆れ声は、無視してそっぽを向く。 「子供か!」 エミリアの指摘も無視して、神田は未だうずくまったままのアレンを坪庭へ蹴り出した。 「きゃうんっ!!」 「いつまでいるんだ、てめェ! とっとと仕事に戻れ!」 「酷い!まだお昼休みなのに! 労働基準法守ってください!!」 「んな法律あるか」 冷酷な言葉を沁み込ませるように、神田はアレンの腹を突き立てた鞘でぐりぐり抉る。 「ぎゃふぅっ!!」 「オラ! 腹に穴開けられたくなかったらとっとと行きァがれ!」 「ぅええええええええええええええええええんっ!!!!」 アレンの泣き声に、ジェリーが憤然と立ち上がった。 「やめなさいってバ!」 再び熱い鍋を押し付けられそうになって、神田が飛び退く。 「アレンちゃん、ここにいたら危険だわ! 早くお行きなさい!」 「う・・・うん・・・・・・」 なんとか身を起こしたものの、じっとしているアレンに気づいて、ジェリーが持っていた鍋を差し出した。 「ハイ、持ってお行きなさい 「はいっ!!」 喜色満面で鍋を受け取り、詰め所へ駆けて行ったアレンを、神田が舌打ちして見送る。 「なんであんなモヤシ庇うんだよ!」 「アンタがやりすぎるからですっ!」 苛立たしげな声は更に大きな怒声で返されて、憮然と黙り込んだ。 「まったく、部下をいじめてどうするの! そんなことじゃ、お奉行なんて勤まらないわよ!」 「別にもう・・・」 「火付け盗賊改め方に行っても同じことですっ!」 きっぱりと言われて、神田はまた黙り込む。 「リナリーも連れてくつもりなんだったら、少なくともあの子の言うことは聞きなさい! その方がアナタのためだわ!」 「え?! 本当に火盗改めに行っちゃうの?!」 いつかのリナリーと同じ台詞が、エミリアの口からも出た。 「もったいない・・・・・・」 「うるせェな、いちいち!!」 舌打ちした神田を、エミリアが睨みつける。 「なによ! 惜しんであげてんのに!!」 ぷんっと頬を膨らませ、エミリアは積み上げられた書類を見遣った。 「パパと比べても・・・悪くはなかったんだけどね」 ポツリと呟いた声が、傍にいたリナリーにだけは聞こえて、目を丸くする。 まさか、と、唇の動きだけで伝えたリナリーに気づいて、エミリアが微笑んだ。 長年、北町奉行を勤めた父は確かに優秀だったが、それは慣れの部分も大きかったと思う。 だが神田は若輩者のくせに、奉行を余所者と侮る与力や同心達をすぐに支配下に置いてしまった。 事務処理に有能なリナリーを補佐に得たとは言え、それにしても驚異的な支配力だ。 「・・・・・・奉行所のみんなも、惜しんでくれるんじゃない?」 「それはどうだかな」 エミリアの言葉を意外そうに聞いた神田は、ややしてにやりと笑った。 「少なくとも、モヤシは万歳三唱で見送るだろうぜ」 その言葉に、女達が吹き出す。 「そりゃそうでしょうね」 湧き上がった華やかな笑声に眉をひそめ、神田はこれ見よがしに耳を塞いだ。 が、神田にとっては騒音でも、多くの男達にとっては・・・特に、リナリーに思いを寄せるアレンにとっては、彼女達に囲まれた奉行が羨ましいことこの上ない。 「なんだよ美女を三人もはべらせて、やらしい! 目安箱に『仕事しないで女の人と遊んでます』って入れてやろうかな!」 ぶつぶつと暗い呟きを漏らすアレンに、先輩与力達が苦笑した。 「男の嫉妬は醜いぞ」 「そうそう。 お奉行と筆頭与力様は幼馴染だし、エミリアお嬢様も昔からのお知り合いなんだから、いいじゃないか別に」 「それに、こう言っちゃなんだが、美女三人じゃなくて・・・」 突然声を潜めた与力に、皆の耳が集まる。 「・・・美女四人じゃね?」 「違いない!!」 途端に爆笑した座の中で、一人アレンが憮然とした。 「なんですか皆さん、お奉行の味方なんかして!」 「敵じゃねーだろ」 「お奉行を敵視してるのはお前一人だし」 また笑いの起こった座を、アレンは頬を膨らませて立つ。 「お?拗ねたか?」 「顔、パンパンに膨れてるぞ」 くすくすと笑う意地悪な先輩達を睨み、アレンは踵を返した。 「見回りに行ってきます!」 「おぅ!」 「瓦版屋に行くんなら、ついでに今日の分買って来いよ!」 行動がすっかりバレていることに気まずい思いをしながら、アレンは奉行所を駆け出る。 そのままてけてけと通りを駆けて、瓦版屋に飛び込んだ。 「ラビ!! またお奉行にいぢめられた――――!!!!」 瓦版に書いてやって、と、誹謗中傷を売り込もうとする与力の鼻を、ラビは苦笑して弾いてやる。 「なんさ、また悪さして叱られたんさ?」 「悪さなんかしてないよっ!!」 ぱんぱんに膨らんだアレンの頬を、ラビが楽しげにつついた。 「じゃ、なんか余計なコト言ったとか、十手小町にちょっかいかけたかさね。 お前もホント、懲りないさ」 全部お見通しのラビの前で、アレンは憮然と黙り込む。 と、いまだ膨らんだ頬をつついていたラビが、不思議そうに自分の指を見つめた。 「お前、ほっぺたになにつけてんの?」 「へ?」 手の甲で拭うと、赤茶色のソースが移る。 「あ、ジェリーさんの西洋料理だよ。 なんでも外国の使節をお招きして、お奉行の誕生会をするそうで、この頃練習で作ってくれるんです! 今日のお昼ご飯もすっごくおいしかったんですよ!!」 ぱああと顔を輝かせ、声を弾ませるアレンに、ラビもつられて笑った。 「そりゃ、ぜひ俺もご相伴させてもらいたいもんさね」 「だったら奉行所に来ますか?」 にこりと笑ったアレンに、やや考えたラビは首を振る。 「昼はこっちの仕事が忙しくて出らんねぇから、その誕生会ってのを取材させてもらうさ! そうと決まったら根回しさねー 主催は誰なんさ?」 早速帳面と筆を出したラビに、アレンが『大目付様です』と答えた。 「十手小町の兄ちゃんか。 だったらウチも伝手があるさ! おーい!!ジジィ――――!!!!」 大声で奥へ呼ばわると、不機嫌な顔をした老人が更に不機嫌に顔をしかめて出てくる。 「なんじゃ、やかましい奴じゃの!」 不機嫌な声も、しかし、ラビはどこ吹く風と受け流し、筆の尻でアレンを指した。 「今、アレンに聞いたんけど、大目付主催で北町奉行の誕生会すんだってさ。 俺、取材に行って来てい?」 「誕生会・・・?」 その言葉に小首を傾げた老人は、ややして大きく頷く。 「その話なら、既に大目付殿から了承を得ておる。 絵姿を描かせるのに、お前に同行を命じようと思っておった」 「マジで?!話が早いさ、ジジィ♪」 嬉しげに手を打ったラビは、軽やかにアレンを振り返った。 「そう言うワケさ 俺は本番に食わせてもらうさね 「・・・・・・・・・・・・ちぇっ」 奉行所所属とは言え、奉行のいない日に与力のアレンが奉行所を出してもらえるとは思えない。 供には当然、筆頭与力のリナリーがつくだろうから、アレンはどんなにがんばっても留守番役を命じられるに違いなかった。 「いいもん・・・。 ジェリーさんは、きっと僕の分も作ってくれるもん・・・・・・」 畳に渦巻きを描いて拗ねるアレンを、ラビが笑って撫でてやる。 「どんなカンジだったかは、ウチの瓦版を読めばいいさね!」 不満げに顔を上げたアレンは渋々頷き、その日は先輩に頼まれた瓦版を手に奉行所へと帰って行った。 それから数日後、ハワードは南町奉行所の役宅で、梅雨時の曇り空を眺めていた。 と、彼の傍らでもやはり、ミランダが気遣わしげに空を見上げる。 「はっきりしないお天気ですねぇ・・・。 お墓参りが終わるまで、待ってくれるでしょうか」 「えぇ・・・。 墓の掃除は既に、使用人達が終えてますので、私達は参るだけでいいのですが・・・・・・」 初夏の雨はまだ冷たく、未だ体調の優れないミランダが打たれれば、更に悪化させることは目に見えていた。 「・・・今日はやはり、やめておきましょうか」 眉を曇らせる弟に、しかし、ミランダは首を振る。 「そんな親不孝はできません。 でも・・・ハワードさんは、残ってても結構ですよ?」 くすくすと笑えば、弟は困り顔で首を振った。 「姉上様お一人でなど、行かせられません。 お供いたしますとも」 生真面目に言う弟に、ミランダはまた笑い出す。 それがなぜか、いたずらっぽく聞こえて、ハワードは不思議そうに姉を見遣った。 「行きましょうか」 懸命に笑声を抑え、ようやく言ったミランダに、ハワードが頷く。 「では、駕籠(かご)を玄関へつけるよう命じますので、少々お待ちを」 先に立った弟に頷いたミランダは、その背が見えなくなった途端、またくすくすと笑い出した。 一方の北町奉行所では、昨夜のうちから周り中でバタバタと騒がれ続けた神田が、うんざりとした顔で髪を結わせていた。 「・・・なんで自分でやんのがダメなんだよ」 「こーゆー時はね、プロにやってもらうのが確実なんだよ!」 父がこの日のために雇ったと言う髪結いが、鏡越しに軽く会釈する。 「着物もちょうど仕上がって良かったねぇ 異人には派手な人が多いから、ユー君も今日はちょっとばかし華やかなのがいいよ まぁ、ユー君自身が華やかだから、どんな錦も霞んじゃうだろうけど!」 楽しげにはしゃぐ父に、神田は大きなため息をついた。 結局彼は、襲撃の日から奉行所に居ついている。 帰れと言う度、派手な行列を仕立てて駕籠を行き来させるが、いつも中は空で、夕餉頃にどこからかひょっこり現れるのだ。 しかもそれが毎日続くために、神田は怒り心頭で乗り込んできた実家の家来に『暇じゃないんだから』と説教され、とうとう諦めてしまった。 「・・・これが終わったらとっとと帰れよ」 「えぇー? だってマー君もまだ帰ってないしぃー。 パパン、お邸に一人でいるの、寂しーぃ」 「うるさい、黙れ」 いい年をして気色悪い声をあげる父に冷たく言い放つ。 「使節の前ではその声やめろよ」 「もちろん、ちゃんとするともー それでねそれでねユー君 くるくると回ってはしゃぐ父が、神田の前でぴたりと止まった。 「着物、お揃い 「気色悪ィことすんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」 神田の怒号に背後の髪結いが飛び上がり、せっかく結っていた髪がばさりと落ちる。 「おや、ユー君。 そのままでも十分可愛いね 「うるっせぇよ!邪魔すんな!」 畳を叩いて怒鳴る神田に怯えきった髪結いが、肩越しに睨まれてまた飛び上がった。 「おい、悪かったな。続けてくれ」 「は・・・はい・・・・・・」 震える手を伸ばし、再び彼の髪を梳き出した髪結いは、纏め上げた髪をすごい力で掴む。 「おい・・・」 やりすぎだ、と言いかけた口を、リナリーの歓声が塞いだ。 「見て見て見て見てー 兄さんに新しい振袖あつらえてもらったの 友禅だよー 長い袖をひらりと振って回ったリナリーに、皆が見惚れる。 「似合う?」 小首を傾げたリナリーに、首が落ちるほど激しく頷いた髪結いに頭を引かれ、神田もガクガクと首を揺さぶられた。 「嬉しー 「やめろ首が外れる!!」 怒鳴られて慌てた髪結いがまた髪を落としてしまう。 「すっ・・・すみませんっ・・・!!」 「いいから早くしろよ! そしてお前らは邪魔すんな!!」 「なんだよ、ユー君の怒りんぼー」 「なんだよ、ちょっと美人だからっていばっちゃって! 神田よりリナリーの方が可愛いもーん!」 頬を膨らませた二人は、髪結いを押しのけて神田の髪をかき回した。 「美形は生まれつきなんだからしょうがねぇだろが! ちっとも進まねぇからお前ら出てろ!!」 「ちぇーっ!!」 「ふーんだ!」 二人が舌を出して出て行くと、ようやく静かになる。 「おう、さっさとやってくれ」 「はい・・・」 自分もさっさと出て行こうと、髪結いは手を早めた。 その頃、やはり曇天を見上げたクラウドは、気難しげに眉をひそめた。 「ここは英国か。 なんて湿っぽいんだ、降るのか降らないのかはっきりしろ」 ブツブツとこぼす上官に、ソカロは笑って肩をすくめる。 「そんなの今に始まったことじゃないだろうが。 それとも、雨が降りそうだから出かけたくないって断るか?」 にやりと笑った武官に、クラウドも肩をすくめた。 「そんなことしたら、後でなにを言われるかわかったものじゃない。 まったくこの国の人間は、梅雨と同じでジメジメネチネチ・・・」 「そう言うお前も随分ジメジメネチネチしてんじゃねぇか」 と、愉快げに笑うソカロを、クラウドは睨みつける。 「あちらには英語が堪能な通訳がついている。 くれぐれも言葉には気をつけろよ」 「へいへい、承りました」 大仰に肩をすくめて見せたソカロにクラウドは片眉をあげ、鼻を鳴らした。 「あぁめんどくさい。 お前みたいな部下を連れて、わざわざ極東までやって来たのに、頭の固い連中はちっともこちらの話を聞かないし、部下も言うこと聞かないし、毛色が違うってだけで斬りかかって来る奴はいるし、部下は無礼者だし、部下は乱暴者だし、部下はアホだし」 「・・・つまりお前、日本よりも俺に不満があるんだな?」 「そんなことは言ってないとも」 さらりと言った上官に、ソカロは引き攣った笑みを浮かべる。 「ホントに、ネチネチうるさい奴だな。 お前、この土地に合ってんじゃねぇか?」 「そんなはずはないとも」 微妙に認めている言い回しになったことに気づいて、クラウドはぎこちなく目を逸らした。 「そ・・・そろそろ行くか。 大目付の屋敷と言うのはここから遠いのだろう?」 「馬で行けば、なんてことないさ」 「馬・・・」 部下の言葉を繰り返して、クラウドは眉をひそめる。 「馬に乗ってたら、斬りかかられたりするからなぁ」 以前、馬に乗ったままサムライと行きあった者が、斬られて重傷を負う事件があった。 なにが彼らの逆鱗に触れるのか、未だに良くわからない。 そんな理由もあり、乗馬をためらうクラウドに、ソカロが鼻を鳴らした。 「じゃあ、駕籠で行くか?」 「いや、あれは酔う」 上下運動だけならまだしも、前後左右にも揺さぶられる駕籠は、クラウドにとって最悪の乗り物だ。 「そ・・・それに、私では入りきれないからな!」 女にしては背の高い彼女は、小さな乗り物に完全には収まらず、足を引き摺られたり、何度も落ちそうになったこともトラウマになっていた。 「じゃあ馬だな。 他にねぇだろ」 笑みを含んだ声で言われ、クラウドは渋々頷く。 「雨が降るだろうに、確実に濡れる馬でなんか行きたくないなぁ・・・あぁ断りたい・・・宴会なんか行きたくない・・・・・・」 湿気を含んだ柱に懐いて、ブツブツと愚痴を垂れ流す上官に呆れたソカロは、彼女の襟首を掴んで、ずるずると引きずって行った。 そして大目付の邸では。 やはり空を見上げていたコムイが、気遣わしげに眉をひそめた。 「到着するまではもってくれるかなぁ・・・。 使節や神田君がどうなろうと構わないけど、リナリー せっかくきれいな着物を着て、可愛さは天にも届くほどなのに、濡れちゃったらがっかりするだろうし・・・大丈夫かなぁリナリー」 「そう言うことは思っても言わないのよ、コムたん」 ため息交じりの声をかけたジェリーを、コムイが振り返る。 「だってジェリぽん〜・・・! だからボク、奉行所に行くのはおやめって言ったのに、リナリーったらみんなに見せてくるってぇ・・・・・・」 「せっかく着飾ったんだもの。 いつも江戸中を駆け回ってる十手小町とは違うんだってこと、見せたいのよ」 くすくすと笑うジェリーに、コムイが眉根を寄せた。 「見せたいって誰にだヨ」 「エミリアでしょうねぇ。 オンナノコは衣装自慢したいものなの」 コムイの勘気をあっさりとかわして、ジェリーは座敷を見渡す。 整然と並べられた膳に満足して頷き、コムイを振り返った。 「ハイ、準備かんりょーぅ お料理はどんどん運んでくるから、神田にちゃんと食べるよう言ってよん?」 「もちろん言うけど、食べなくてもボクを叱んないでネ」 自信無げな彼に、ジェリーは肩をすくめる。 「そうね、早く着いたらアタシが言った方が・・・」 言いかけたまさにその時、女中が神田一行の到着を告げた。 「よかった! 雨が降る前に着いたね、リナリー 「今日の主役はリナリーじゃないでしょ・・・・・・」 ジェリーの呆れ声を振り切って、コムイはリナリーに駆け寄る。 「あぁん やっぱり可愛いー 日本・・・ううん、世界一可愛いよ、リナリー 今日の主役を放置して妹に抱きつく大目付に、しかし、誰も彼もが諦めきって、何も言わなかった。 おかげでリナリーも、兄の愛情が異常で過多であることに気づかず、嬉しそうに笑う。 「兄さん、今日はすっごく可愛いって言われたよー 「誰に?!」 「もちろんア・・・」 言いかけたリナリーは、ジェリーの目配せに気づいて一旦口を閉じた。 「エミリアだよ!」 にこっと笑ったリナリーをしかし、コムイは不安げに見下ろす。 「・・・ならいいケド、変な男にちょっかい出されたりしてないかい? リナリーが可愛い過ぎるのも心配だけど、なんたってウチは幕臣の中でも名家だから、よからぬ輩が財産や出世目当てになんかしやしないかと、心配でならないんだよ・・・!」 「うん、それは・・・兄さんに迷惑をかけないように気をつけてる」 苦笑するリナリーをまた抱きしめたコムイに、神田が呆れ声をかけた。 「で?俺は上座か?」 「うん。 隣に使節が座るから、テキトーにおしゃべりしてて」 「なにをだよ!」 てっきりコムイが仕切るものと思っていたのに、彼は放置する気満々らしい。 こんなことならリナリーに同伴を命じるんじゃなかったと後悔しつつ、神田が上座に座ると、その側に父も座った。 「・・・・・・なんだよ」 「なにって、取り持ち役だよ 尾を振る犬のような顔をして、父ははしゃいだ声をあげる。 「言ったでしょ?使節は以前、私が応対した人なんだって。 ご紹介するから一緒にいるね 「ハァ? そんなん、コムイ一人で十分だろ!」 「だってコムイは・・・」 父が指した先で、コムイはリナリーにばかり構っていた。 「まったくやる気なしだよ?」 「あぁ、そうだよな・・・」 なのになんであいつが主催なんだと、神田の口から乾いた声が漏れる。 「そりゃあ・・・使節を見ればわかるかなぁ?」 ニヤニヤと笑い出した父を、神田が横目で睨んだ。 「どういうことだ?」 「彼女、どうも嫌々この国に来てるらしいから、ちょっとは楽しませてあげないと、早く帰りたいばかりに無茶な要求されちゃ困るってことでしょ 「? それと俺が、なんの関係あるんだ?」 「いくつになっても女の子だもん。 美形男子は大好物さん 「そういうことかよ!!」 怒鳴り声を上げて、神田が座を立つ。 「美形でもてなしてぇなら、酒楼にでもあげんだな! 花魁じゃあるめェし、ヘラヘラ笑って酒の相手なんざできっか!」 そのまま去ろうとする神田の袖を、父がすかさず握った。 「そう短気を起こすもんじゃないよう。 それにね、酒楼にくらい、とっくに案内したの! でも彼女、生真面目でさぁ。 なんか怒って帰っちゃったから、今度は失敗するわけには行かないんだよ」 「だからってなんで俺が・・・!」 「だから次は失敗しないように、コムイが彼女の好みを徹底リサーチしたんだってバ。 そこで導き出された答えがキミなんだって。 相手が誰であろうと決して媚びず、言いたい事ははっきり言って、仕事は確実にこなす。 彼女、そんな『できる』男が好きみたい。 生真面目同士、相性もよさそうだし、なんたって私の自慢の息子だもの 道行く老若男女が必ず振り向く美形なら、目の保養にもばっちりさ!!」 そのために、と、父はリナリーを指す。 「きれいどころも用意したんじゃない。 可愛い女の子も一緒に侍らせておけば、座も華やかになるしね 本当の添え物はあっちだったか、と、神田はやや気の毒げにリナリーを見遣った。 自分が仕事で呼ばれたと思っている彼女は、このことを聞けば激怒するだろう。 「わかってるだろうけど、このことはリナリーには秘密だよ? コムイも、使節が女性だから同席を許したんだし、エミリア嬢には主催がリナリーの兄で、会場が彼女の実家だからって事で今度は引いてもらったんだからさ」 「は? なんであいつに気を遣うんだ?」 意外そうな顔をした息子に、父は呆れて目を丸くした。 「・・・そりゃキミ、将来お嫁に来てくれるかもしれない子に、将来の旦那さんが女性の接待してるところなんて見せらんないでしょ!」 「・・・そういうもんなのか、ってこと以前に、なんであいつが嫁候補なんだってことに突っ込んでいいか?」 父以上に目を丸くし、乾いた声をあげる息子に、父が詰め寄る。 「なにゆってんの、ユー君! キミ、顔はキレイなのに性格怖いから、中々合う子が見つからないんじゃないか! キミに負けない子なんて、エミリア嬢かリナリーくらいのもんだよ! それでどっちにするかってことになったら、私はコムイを親戚になんかしたくないんだよ!」 めんどくさいもん、と、はっきり言うところは、さすがに神田の父だった。 「だからね、キミは将来のためにも、今日はしっかりお仕事しなさい。 嫁の件はともかく、火盗改めに行きたいんだろう?」 彼女のために、と、声を潜めて囁かれ、神田は再び腰をおろす。 「・・・わかった」 今日と、コムイの誕生日までの辛抱だと、神田は頷いた。 「よかった。 じゃあユー君、異国語はいける方だと思うけど、わかんない言葉が出てきたらパパンに聞いて 「ああ・・・・・・」 ため息と共に、彼はもう一度頷く。 と、騒々しい声を背後に、女中が瓦版屋の到着を告げた。 「お前らまで何しに来やがった」 憮然と問えば、ラビが大きな帳面を差し出す。 「ジジィのお供で、異人の似姿描きにきたんさ! いっぺん見たかったんさねー 使節って、どんな顔してんだろってさ!」 わくわくと声を弾ませるラビに、なぜか父が不安げな顔をした。 「どうし・・・」 問い掛ける神田の口を、使節到着の報せが塞ぐ。 「くれぐれも、相手が外国使節であることを忘れないでおくれね!」 彼にしては珍しく、強い口調で言われたラビが目を丸くし、気を呑まれて頷いた。 奥女中に先導され、クラウドが座敷に入った途端、幾人かが息を呑む気配がした。 またか、と、うんざりした心情が、つい顔に出て憮然とする。 と、 「So beautiful!!!!」 嫌に流暢な英語に驚いた次の瞬間、唐突に目の前に現れた少年が、両手でクラウドの手を握った。 「ようこそいらっしゃいましたさ 異人ってどんな顔してんだろーって思ってたんケド、こんなに美人だとは思わなかったさね あ、俺ラビっての 江戸で瓦版屋やってます★ヨロシク この国の情報が欲しけりゃ、いつでも言ってさー 国家機密以外なら、いくらでも提供するさね じゃあ早速お互いの親交を深めるためにも、アジサイ祭りにでもいこーさ アジサイってのは日本の珍しい花で、咲いてる間に色が変わって・・・」 「お前、ちょっと黙れ」 怒涛のナンパに固まる上官を押しのけ、割り込んだソカロがラビをつまんで坪庭へ放る。 「妙な生き物を飼ってんだな、この家は」 「えぇ、あれは人懐こいただのウサギですから。 気にしないでください」 ラビの存在を全否定して、座したままのコムイが上座から声をかけた。 「どうぞ」 人を迎えるのに立ちもしないのか、と、気を悪くしたのも一瞬、それがこちらの風習だと思い出して、真ん中を奥へと進もうとしたクラウドを、華やかな袖が閃いて止める。 「こちらです」 にこりと笑った少女を見下ろし、クラウドは不思議そうな顔をした。 「だが、座はあそこなのだろう?」 まっすぐに指差すと、少女は首を振る。 「使節殿はお国で、テーブルの上を歩まれますか?」 「は? なにを言って・・・」 言いかけて、ここではそう言うものかと頷いた。 案内のまま座に着くと、見知った顔があって、やや表情も和む。 「久しぶりだな、フロワ。 隠居したと聞いたが」 「そうだよ、クラウド。 だけど、キミが随分気難しく要求を突きつけてくるからって、また私が呼ばれたんだよ。 のんびりしていたのに、いい迷惑さ」 くすくすと笑う彼に、クラウドもほんの少し、頬を緩めた。 「それで、こちらは令嬢か?」 「息子です」 ムッとした顔で言われ、クラウドは思わず、呆気に取られる。 ややして、 「英語、間違ってないか?」 「あんたこそ目、悪くないか?」 乾いた声の問いを流暢な英語で返されて、クラウドはまじまじと神田を見つめた。 「・・・やはり信じられないのだが」 「なにが? ずっと言ってたじゃない、私の息子はすんごい美人で、街を歩けばみんなが振り返るんだよって 唖然としたクラウドに、隠居が嬉しそうに言えば、彼女は目を神田に据えたまま手を振る。 「そんなの、話半分に聞いていたに決まってるだろう! どんな遺伝のマジックが起これば、彼がお前の息子になるんだ?!」 「シツレイだね、相変わらず。 ユー君は私の若い頃にそっくりなんだよ 「・・・やめろ。 こんな美人が年を取ったらお前そっくりになるのかと思うと、夢が壊れる」 おぞましげに言った彼女に、ずっと笑いを堪えていた座が爆笑した。 「気難しい使節だって話ですけど、フロワ殿とはずいぶん打ち解けてらっしゃるんですね」 「気難しいって・・・流暢な英語で失礼なことを言うのはやめてくれないか、大目付」 「オヤ、浅学にして申し訳ない」 くすくすと笑うコムイを、クラウドは横目で睨む。 「・・・わかってて言ってるだろう。 それだけ流暢にしゃべっておきながら、都合が悪くなるとそうやってごまかすのは卑怯だ」 憮然とした声に、しかし、コムイは慌てもせずににこりと笑った。 「しまった、せっかくお招きしたのに、使節殿の機嫌を損ねてしまったよ。 神田君、後はヨロシク 「はぁっ?!」 邸の主人のくせに、さっさと仕事を放棄したコムイを神田が睨む。 しかし、コムイは知らん顔で武官の方と談笑を始めた。 「まぁまぁ、今日はユー君とクラウドに親交を深めてもらおうって集まりなんだからさ コムイなんてどうでもいいでしょ。 あれは宴会場の場所取りだとでも思って 名家の主に対して酷い言いようだが、これにはコムイ本人でさえも反駁できなかった。 「・・・やれやれ。 まぁ、私にとっても、この都市の奉行と顔つなぎをしておくことは利益になるだろう。 よろしく頼むぞ」 クラウドが改まって言うと、神田は複雑な顔をして口ごもる。 「どうした?私とでは不満か?」 首を傾げるクラウドに、神田はすぐさま首を振った。 「いや・・・そうじゃない。 ただ俺は、いつまでも奉行ではないってことだ」 「・・・あぁ、栄転か」 神田の言わんとするところに気づいてクラウドが手を打つ。 「それは誕生日ともどもおめでとう。 しかし栄転しても、幕臣であることに変わりはなかろう。 これからもよろしく頼む」 日本式の礼をクラウドに先にされてしまったが、神田は慌てず端然と礼を返した。 と、顔を上げたクラウドがクスリと笑う。 「せっかくの誕生日と栄転の祝いに、私などの相手をするのが面倒か?」 意地の悪い問いに、しかし、神田はあっさりと首を振った。 「これも俺の仕事と、利益のためだからな」 「ちょっ・・・神田!!」 無礼が過ぎると、慌てるリナリーを肩越しに見遣り、クラウドは笑みを深める。 「ふむ・・・。 目的をはっきりと言う者は好きだ」 「そうか。 あんたも自分の目的のためにここに来てんだろ。 お互いのために、うまくやろうぜ」 「あぁ」 クラウドが差し出した手を、神田は父の教え通り、硬く握った。 と、それを合図とジェリーが、料理を中に運ばせる。 「さぁさぁ、今日は堅苦しいことなしで、好きなだけ食べちゃってーん ジェリーの明るい声に、しかし、クラウドは眉をひそめた。 「生の魚は無理だからな! ちゃんと火を通してあるだろうな?!」 鳥肌まで立てて大声を上げた彼女に、ジェリー以外の皆が目を丸くする。 と、嘆かわしいとばかり、クラウドは首を振った。 「この国の料理は絶対変だ! 魚に火を通さないし、チョークのような物を菓子と言うし、惣菜はソイ・ソースとミソの味しかしない!」 「そうね、こちらの料理に慣れてないのは大変よね」 唖然とする座の中で、ジェリーが軽やかな笑声をあげる。 「でも、今回はちゃんと、西洋のお料理を作ったのよぉん ご隠居様がね、英国のお料理本をくださったのぉん 「・・・英国の料理本なんて、なんて最終兵器持ち出してきたんだ」 もう何も信じない目で、クラウドは目の前に置かれた膳から半身を引いた。 「アラン? お国のお料理、懐かしくなぁい?」 意外そうなジェリーに、クラウドの眉根がますます寄る。 「私は英国じゃなくてアメリカ人なんだから、英国料理なんてちっとも懐かしくなんかな・・・・・・!」 「まぁ、そう言わず食べてみなさいよぉ 笑ってはいるが、フォークを持って迫るジェリーの迫力に屈し、クラウドは震える手でフォークを握った。 「ホラ、おひとつどうぞん ジェリーが両手で捧げ持った皿の上では、小ぶりなミートパイが湯気を上げている。 「う・・・きっと、ソイ・ソースやミソで味付けして・・・・・・うまっ?!」 恐る恐る口に入れた途端、クラウドが叫んだ。 さっくりとした歯ざわりのパイを噛み締めると、魚のすり身と刻んだ野菜が甘みのある肉汁を滴らせる。 「これは英国料理なんかじゃないだろう?!」 こんなにうまいものが、英国料理のはずがない、と断言した彼女に、ジェリーがくすくすと笑い出した。 「そぉよん 最初は本の通りに作ってみたんだけどぉ、あんまりマズ・・・いえ、アタシ達の口には合わなかったし、日本じゃまだ、お肉は手に入りにくいからぁ、お魚とお野菜でアレンジしてみたのぉ どうかしら?お気に召したぁ?」 小首を傾げたジェリーの前で、ミートパイ・・・の形をしたフィッシュパイは、あっという間になくなる。 「お気に召すも何も、今すぐ我が船へ連れ帰りたいくらいだ!」 別の料理にも手を出したクラウドは、そのうまさに震えるこぶしを握った。 「奉行!彼女を私にくれ!!」 「ダメだ。 なんで俺の祝いに俺が祝儀出すんだ」 即答されて、クラウドが悔しげに俯く。 「くっ・・・この国には渋々来たものだが、なんだか本気で占領したくなって来た」 低い声で呟く彼女に、同じく舌鼓を打っていたソカロが肩をすくめた。 「武官の俺が言うのもなんだが、冷静になってくれ艦長。 あんたにそんな権限はないはずだ」 「お前、言わなきゃバレなかったのに・・・」 じろりと睨まれて、ソカロは唖然と口をあける。 「どんだけ性格悪いんだお前は」 「そうそう、それに、あなたの身分も職務もバレバレでーす。 こっち、オランダとは国交長いんですから」 他のアジア諸国と同じく鎖国している振りをして、実はちゃっかり情報を仕入れている国の大目付が、ニコニコと笑った。 「・・・ソカロ、性格悪いってのはこういうのを言うんじゃないか?」 クラウドがコムイを指差して乾いた声をあげると、指差された方はきゅっと口を尖らせる。 「なにゆってんですか、こっちは自衛ですよ。 ぼけっと占領されるのを見てる国なんてどこにもないでしょうに」 「だからいつも言ってるじゃないか、占領じゃなくて開国だって」 「だからお断りしますって、いつも言ってるじゃないですか。 鯨獲りたきゃ南洋にでも行ってください」 一歩間違えれば国を揺るがす応酬を、二人は軽口を叩くような気軽さで発した。 その様をはらはらと見つめるリナリーとは逆に、神田は我関せずと聞き流しているように見える。 リナリーが思わずむっとして睨むと、ちらりと横目で見返した神田が、ほんの少し、口の端を曲げた。 「?」 眉根を寄せたリナリーの眼前で、神田は姿勢良く自分の膳に手を伸ばす。 偏食の彼が迷わず西洋料理に手をつけたことで、リナリーは彼の言わんとするところを悟った。 これは、私的な会食に見せて、実は高度な政治の場だ。 コムイは今回、西洋では当たり前で日本では誰も聞いたことのない『誕生会』を持ち出して、彼らを招いた。 しかしこれは、使節達には『私的の場』と思わせ、交渉がうまくいけば幕府側へは『大目付と復職予定の側用人、北町奉行』という、重職による根回しだと報告することも可能だ。 しかも、ここにいるフロワは北町奉行だけでなく寺社奉行の父でもあった。 ―――― 兄さんったら・・・・・・。 そっと吐息して、リナリーは自分の膳に手をつける。 隠居がジェリーに今回の料理を頼んだと言うや大喜びしたのも、彼女なら使節相手になんら臆することなく、自信を持って応対することができるからだ。 ―――― ホント、ずる賢いんだから・・・・・・。 噛み締めた料理のうまさに、更なるコムイの策略を察し、リナリーはまた吐息する。 ―――― おいしいもの食べてる時って、なんだか怒るに怒れないんだよねぇ・・・。 心理学とか、西洋の学問のことは良く知らないが、この程度のことは経験上、知っていた。 特に、神田やリンクと喧嘩して、不機嫌なアレンをなだめる時はこれが一番だ。 ―――― 今頃おじいちゃんは、耳をおっきくして聞いてるんだろうな。 思いながら、リナリーは襖の向こうにいるブックマンを思った。 瓦版屋に聞き耳を立てられながらでは話も弾むまい、と、老人はこの座敷に入ることを固辞したのだ。 ラビが怒涛のナンパを仕掛けて坪庭に捨てられたこともしっかり聞いていただろうから、彼は後で酷くお仕置きされるのだろうと、リナリーは肩越しに外を見遣った。 と、自分の仕事を思い出したらしい彼は、縁側で目をキラキラさせ、既に幾枚もの似姿を描いている。 「・・・・・・元気だね、ラビ」 「丈夫さには自信あるさ 「ふぅん・・・」 誰も彼もが自分の役目を果たしている中、ふと、自分にだけ役割が振り分けられていないことに気づいた。 ―――― あれ?なんで私、ここにいるの? 目を見開いて神田を見れば、彼はやや慌てたように目を逸らす。 その珍しい姿に困惑して、自分の膝に目を落としたリナリーは、薄曇の中でさえ光沢を放つ絹に触れ、唐突に気づいた。 ―――― ・・・・・・コノヤロー!!!! ぎろりと睨み渡した座の中で、神田は逸らした顔に汗を浮かべ、その傍らで隠居は『バレたか』とばかり苦笑するが、肝心のコムイはリナリーの視線に気づきもせず、クラウドと談笑を続けている。 ―――― 覚えてるがいいよ!! リナリーの怒りが天に届いたか、暗い雲の奥から遠雷が響いた。 「遠雷ですね・・・」 墓前に花を供えたハワードは、気遣わしげに空を見上げた。 「姉上様、できるだけ早く帰りましょう。 お風邪など召されては、父上や母上もご心配なさいます」 「そうですね。 では、ご報告だけでも・・・」 そう言って墓前にひざまずいたミランダは、微笑みの前で手を合わせる。 「お父様、お母様、それにハワードさんも聞いてくださいな」 「はい、なんでしょう姉上様?」 「私、赤ちゃんができました その瞬間、空に雷光が閃き、ハワードの死人よりも蒼褪めた顔を更に白く照らし出した。 「きゃあ?!」 雷鳴が響くや、上がった悲鳴に皆が驚いた。 「え?ナニ今の声、リナリー?」 「違うよっ!」 ぷんっと頬を膨らませたリナリーが、コムイの向かい、クラウドを指す。 と、真っ赤になった彼女は、耳を塞いでいた手を慌てて下ろした。 「・・・雷、苦手なんですか?」 「べっ・・・別に、苦手とか・・・きゃああああああああああああああ!!!!」 近くなった雷鳴に、クラウドがまた、すごい悲鳴を上げる。 と、何か言おうとしたコムイより先に、隠居が笑い出した。 「だから前にも言ったでしょ、君んちと違って、この国は雨と台風が多いんだから、怖い目に遭いたくないならさっさと帰った方がいいよ、って」 「ば・・・馬鹿な! ふ・・・船乗りが雷に怯えてて・・・ひっ?!」 座敷が白くなるほどの光が差し、しばらくしてまた大きな雷鳴が響く。 もはや強がりも言えないクラウドに、ソカロが肩をすくめた。 「からかうのはやめてくれ。 艦長は以前、船上で落雷に遭ってんだ。 その時の火事で顔に大火傷したんだから、雷に怯えても無理ねぇんだよ」 「あれま。それはお気の毒に」 眉根をひそめたコムイを、クラウドが睨む。 「き・・・気にしてなんかない!構うな! ソカロも余計なことを言うな!」 言葉とは裏腹に、ややヒステリックな声をあげたクラウドの背に何かが抱きついた。 「そうそう、火傷なんて気になんないほど美人さ、使節様 俺を一目惚れさせるなんて、ホント罪な人さ 「この国にはセクハラを裁く法律はないのか!」 ラビのみぞおちに強烈な肘鉄を食らわせ、クラウドが怒りの声をあげる。 「あんたが望むなら、そいつは適当に罪をでっちあげて、牢にぶち込んでやってもいいぜ」 「そんなユウちゃん?!」 北町奉行のとんでもない発言に、慌てたラビが悲鳴じみた声をあげた。 が、それは無視して神田は、クラウドにクスリと笑う。 「だがそいつの言う通り、あんたは火傷なんか気にならないほど、キレイな顔をしてると思うがな」 世辞など決して言わない彼の褒め言葉に、皆が愕然と顎を落とした。 しかし彼とは今日が初対面のクラウドが、そんなことを知るはずもない。 「意外と口がうまいな、奉行は。 そうやって罪人も篭絡するのか?」 よりによって神田にそんな皮肉を浴びせたクラウドを、皆が息を詰めて見つめた。 と、てっきり激怒すると思われた神田が、笑みを漏らす。 「ンなことしなくても、勝手に向こうから寄ってくらァ」 媚びたことなんかない、と断言した彼に、その事情をよく知る者達が微妙な笑みを浮かべてそれぞれ目を背けた。 「・・・確かに寄ってくるけど・・・媚びないけど・・・・・・」 リナリーの乾いた呟きに、隠居が顔を覆って泣き出す。 「性格が強暴だから、嫁の来手がないんだよ・・・・・・!」 「うっせぇな!いらねぇんだよ、そんなん!」 忌々しげに舌打ちし、神田はクラウドを見遣った。 「おい、二度も言うのは面倒だがな、特別に言ってやるよ。 あんたはそんな傷、気にすることはねェし、あんたに会った連中も、『見たことないほどの美人だった』って噂してたぜ」 「え・・・?」 初めて聞いた話に、クラウドは目を丸くする。 この国に限らず、初めて会った人間はいつも、彼女を見た途端に息を呑んだ。 それはてっきり、自身の顔が醜い傷に覆われているからだと思っていたが・・・。 「気にするこたねェよ」 みたび言われて、クラウドは目を見開いた。 呆然とする上官に、ソカロは『困ったもんだ』と肩をすくめる。 彼や他の部下達が、いくら言っても聞き入れなかったことを、この美人奉行が納得させてしまった。 「若さと美貌は強ェな、おい」 やや憮然と言った彼に、事情を察したコムイが笑い出す。 「この場に来て、よかったでしょ 「ちょっと、悔しくもあるがな」 降り出した雨が、両者の間にあったわだかまりをも流して行くようだった。 To be continued. |
| 2010年神田さんお誕生日SSです。 これは来週のコムイさんお誕生日SSへと続きますよ★ ネタ思いつかなかったから続けたんだね、って突っ込みはナシだぜ★>セルフで終わらせたから。 以前趣味で書いたお奉行SSのシリーズですが、元ネタになった遠山の金さんのお父さんが、幕府代表として外国の使節と交渉して追ん出したのは史実です。 ただし、追ん出したのはロシアの使節(笑) アメリカじゃあないんだぜ(笑) この辺、単に面白いエピソードを全然時代考証もせずに適当に並べているだけですから、信じちゃいやん そしてマリさんはファーストネーム『ノイズ』なんですけど、原作のティエ様が『マー君』って呼んでるので、『マリ』にしています。 読めば読むほど突っ込みどころ満載ですけど、あんま気にするなYO!>お前は気にしろ。 『あの人』を乳母さんにしてるけど、あんま気に・・・・・・すみません;;; |