† SWEET VANILLA †






 「じゃあ・・・いってきます・・・・・・」
 小さな声で呟いた小さな少女の目は、戦場へ行こうとする自分を誰かが止めてくれないかと、淡い期待を滲ませていた。
 だが、誰もがそれを望みながら、口に出せないでいる。
 白い服のファインダー達に囲まれた黒衣の少女は、息を呑んで見守る大人達を、涙目で見あげた。
 順々に視線を巡らせては、その目が、その顔が、苦しそうに逸らされる様を哀しげに見つめる。
 それが続くうちに、少女は最も大切な人に目を逸らされることを恐れ、俯いてしまった。
 と、涙に滲んだ視界に黒い靴先が入る。
 「必ず、帰って来るんだぞ、リナリー」
 大きな手で撫でられ、顔をあげた少女は、気遣わしげな瞳を見つめて頷いた。
 「うん・・・」
 大きな手が、やや乱暴にリナリーの頭を撫でる。
 「にいさん・・・」
 まっすぐに見つめてくれた目に勇気を得て、一番大切な人を見上げると、彼は小さなリナリーを抱き上げ、頬ずりしてくれた。
 「必ず、生きて帰って来てね」
 「うん・・・!」
 その光景に、時間を気にしつつも言い出せないファインダー達の気配を察し、リナリーは自ら兄の腕を降りる。
 「いってきます!」
 さっきまでとは段違いに大きな声で言ったリナリーは、兄達へ手を振ってゴンドラに乗り込んだ。
 「すぐに・・・かえってくるから!まっててね!」


 ・・・そんな初々しい見送りがあったのはもう、何年も前のこと。
 いくつもの戦場を勝ち抜き、すっかり強く逞しくなったリナリーは、今日も元気に科学班のドアを蹴り開けた。
 「ただいまー!」
 「おかえリナリードアを蹴破るな」
 書類から顔をあげないまま、一息に言ったリーバーに、リナリーは笑って駆け寄る。
 「だって両手が塞がってたんだもーんv
 はんちょーv お誕生日おめでとーv
 はしゃいだ声をあげて、リナリーが大きな花束を押し付けると、ようやく彼は顔をあげた。
 「俺の誕生日は明日だ」
 「あれっ?!うそ!まだ7日?!」
 研究室にかかったカレンダーを見るリナリーに、リーバーはクスクスと笑い出す。
 「お前、アジア支部から帰って来たんだろ?
 時差があるってこと忘れてたな」
 「う・・・!
 方舟って移動に時間がかからないから、つい・・・!」
 悔しげに眉根を寄せたリナリーは、リーバーに渡した花束を取りあげた。
 「なんだ、くれねーのか?」
 「明日あげるよ!」
 「いいよ。もらっとく」
 置け、と、ペンの先でデスクを指されて、リナリーは渋々花束を置く。
 「・・・っちぇー!
 びっくりさせようと思ったのに!」
 「びっくりしたよ、一日早くもらっちまって」
 またクスクスと笑い出したリーバーを赤い顔で睨み、リナリーは踵を返した。


 「兄さん!!
 班長がいぢわるだー!!!!」
 「任務終了ご苦労でしたリナリー・リーあなたには報告書提出の義務がありますので可及的速やかに書類作成の上班長へご提出ください以上退室を命じます」
 早口で並べ立てられた言葉の意味を理解する前に、リナリーの目の前で執務室のドアが閉まった。
 「なにすんだよ意地悪魔女!!!!」
 「お黙りなさいリナリー・リー!
 あなたは既に、船着場で室長と会ったそうではありませんか!
 これ以上なんの用があるというのです!」
 ドア越しに厳しく叱られたリナリーは一瞬、怯んだが、ここで引き下がる彼女ではない。
 「だっ・・・大事な用だよ!!
 班長が・・・!」
 「自身の勘違いを指摘されたくらいでお兄様に縋ろうとはなんと甘えた了見でしょう!
 早々に立ち去りなさい!!」
 ドアを挟んで怒鳴り合う二人を・・・いや、正しくは、こちら側にいるリナリーを皆がハラハラと見つめていると、案の定、激昂した彼女が足を振り上げた。
 「ちょっ・・・待て待て待て――――!!!!」
 「落ち着け、リナリー!!」
 「暴力では何も解決しないぞ!」
 慌てて駆け寄った数人に拘束されたリナリーは、猛牛のように足を踏み鳴らす。
 「うるさいな!
 リナリーはちっさい頃から、全部力で片づけてきたんだよ!」
 「それはアクマだけにしとけ!!!!」
 「おまえそれ、女の子の発言じゃないから!んなこと言ってっとモテないから!!」
 「んなっ・・・ほっといてよ――――!!!!」
 怒号と共に、リナリーのイノセンスが発動した。
 その衝撃で部下達が吹き飛ばされた瞬間、立ち上がったリーバーが歩み寄って、強烈なげんこつを落とす。
 「うう・・・星が・・・星が・・・・・・!!」
 頭を抱えて呻くリナリーの首根っこを掴み、猫のように持ち上げたリーバーは、彼女をそのまま窓から捨てた。
 「班長のバカアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
 長い悲鳴をあげながらリナリーが落ちて行く窓の外を、皆が呆然と見つめる。
 その中で一人、リーバーだけが何事もなかったようにデスクに戻り、黙々と仕事をさばいて行った。


 「なんだよ!
 ちょっとやりすぎちゃっただけじゃないか!」
 高所から落とされたにもかかわらず、平然と着地を決めたリナリーが、憎々しげに唸った。
 「班長のバカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
 リナリーが上層階へ向かって叫んだ途端、
 「え?!ボク?!」
 目の前の窓が開いて、科学班第二班班長が顔を出す。
 「ぅあっ?!いえっ・・・ちっ・・・違っ・・・・・・!!」
 しどろもどろに言うリナリーに、ペックはにこりと笑って頷いた。
 「だよねー!びっくりした!
 バロウズ、リナリーちゃんがキミのことバカだってv
 「言ってませんんんんんんんんんんんんんん!!!!」
 窓の向こうからじろりと睨まれて、リナリーが絶叫する。
 「ちっ・・・違うんです!班長って言うのは・・・!」
 誤解を解こうと窓辺に寄ったリナリーに、バロウズは猫でも追い払うように手を振った。
 「離れたまえ。部屋にばい菌が入る」
 「んなっ?!」
 「ええー!リナリーちゃんはいいじゃないかー!」
 不満げに言ったペックにも、バロウズは汚いものを見るような目を向ける。
 「君もいちいちここで時間潰ししてないで、出て行け」
 第三班班長の、冗談ではない口調に肩をすくめて、ペックが窓を離れた。
 「ったくさー!
 いくら生化学が専門だからって、潔癖すぎるよねー!」
 遠ざかる嫌味を最後まで聞かせまいとするかのように、リナリーの前で窓はぴしゃりと閉ざされる。
 「・・・・・・ムカつく!」
 こっそりと吐き捨てたリナリーは、憤然と歩を踏み出して、城内へ駆け込んだ。
 そのまま回廊を抜け、食堂に飛び込むと、カウンターに群がるアレンや団員達を押しのけてカウンター越しにジェリーに縋る。
 「班長がひどいんだ!
 リナリーにげんこつして、窓から捨てたんだよ!」
 「アラん、今日はどんなお転婆したのん?」
 「兄さんの部屋のドア蹴破ろうとして、イノセンス発動したらみんなが巻き込まれただけだよ!ぎゃん!!」
 お玉で容赦なく叩かれたリナリーが、その場にうずくまった。
 「うう・・・!
 酷いよ、ジェリー・・・!
 班長にげんこつされて、たんこぶできてるのに・・・・・・!」
 「躾です!!
 アンタいい加減にしないと、本当にお嫁の貰い手ないわよ?!」
 「大丈夫僕ガモッ!!」
 挙手した瞬間に口を塞がれ、アレンがもにょもにょと変な音を出しながらもがく。
 「とっ・・・とにかく!!」
 気を取り直し、ジェリーは未だうずくまるリナリーを、カウンター越しに睨んだ。
 「リーバーとみんなに謝ってらっしゃい!」
 「ええええええ!!!!
 やだよ!もうお仕置きされたのに!!」
 「もう一発行きましょうか?!」
 「やああああああああああん!!!!」
 大きな泣き声をあげて食堂を出て行ってしまったリナリーを、皆が呆然と見送る。
 ややして、ようやくリンクの腕から抜け出たアレンが、振り返って彼を睨んだ。
 「なにすんだよ、リンク!プロポーズのチャンスだったのに!」
 「そんなことをすれば君、リナリー・リーが返事をする前に蜂の巣にされてましたよ。
 私は君の監視役なのですから、死なれては困ります」
 冷たく言ったリンクに、アレンは思いっきり舌を出す。
 「ふんっ!とーへんぼく!」
 「なんとでも。
 料理長、ケーキ全種とお茶をお願いします」
 「ハイハイ・・・」
 騒がしい子供達に苦笑して、ジェリーは自身の仕事に戻った。


 一方、食堂を出たリナリーは、一応科学班へは向かったものの、色々と自分に言い訳して途中にある修練場へ飛び込んだ。
 「神田ー!!!!
 みんながいぢわるするんだー!!!!」
 勢いを落とさず抱きついた彼は、一瞬で血みどろの肉塊と化し、床に転がる。
 「神田っ!寝てないで聞いてっ!」
 血飛沫を散らしながら揺するうち、意識を取り戻した彼が目を開けた。
 「神田っv 傷は治ってるから安心してっv
 だから話を聞け、と言った瞬間、リナリーの視界が反転し、腕をひねり上げられる。
 「いっ・・・痛い痛い痛い――――!!!!」
 「てめぇ!!
 俺を轢き潰すの何回目だゴラ!!!!」
 「え?!・・・3回・・・かなっ?!」
 「それに100かけろクソガキ!!」
 「300回も轢いてないよっ!200回くらいだよ!!」
 つい言ってしまったリナリーの首が、すごい力で締め上げられた。
 「てめぇもいっぺん死ねえええええええええええええええ!!!!」
 「きゅーっ!!きゅっきゅー!!!!」
 哀しげな悲鳴が、息の根と共に止まろうとした時、
 「ダーリンv
 タオルとレモンのハチミツ漬け持って来てあげたわよー・・・って、なにやってんの!!!!」
 暢気にやってきたエミリアが大声をあげる。
 傷は塞がっているが、血みどろの神田と、彼に締め上げられるリナリーにつかつかと歩み寄り、神田の腕を握った。
 「ハニーの前で堂々と浮気なんて!!」
 「てめぇの目は腐ってんのかああああああああああああ!!!!」
 神田の咆哮に、白目を剥いていたリナリーが目を覚ます。
 「エ・・・エミリアアアアア!!
 神田が殺そうとするよぉ!!!!」
 じたじたともがいて逃げようとするリナリーの襟首を掴み、神田は猫の仔のように吊り下げた。
 「先に殺人事件起こしやがったのはてめぇだろが!!」
 「わざとじゃないのに!!
 ちょっと勢い余っただけなのに、姉様の乱暴者!!」
 ぴぃぴぃと泣くリナリーに、神田がこめかみを引き攣らせる。
 「どの口が言うか!!」
 この口かー!と、神田がリナリーの頬を思いっきり引き伸ばした。
 「ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
 「ちょっ・・・ダーリン、泣いてるから!」
 「ダーリンって呼ぶな!」
 「あら?ハニーが良かった?」
 にこりと笑ってエミリアは、レモンのハチミツ漬けを差し出す。
 「だったらそう呼んであげるわよ、ハニーv
 「呼ぶな・・・甘ッ!!」
 大口を開けた所へレモンを放り込まれて、神田が蒼褪めた。
 「なによ、いいじゃない呼ぶくらい。減るもんじゃなし」
 不満そうに言いつつ、エミリアはレモンを口に入れる。
 「・・・甘くないじゃない。
 あんた用に、ハチミツ控えめにしたんだから」
 言って、リナリーの口にも入れてやると、顔をくしゃくしゃにした。
 「すっぱいいいいいいいいいいいい!!!!」
 「ね?」
 くすくすと笑って、エミリアは容器ごと神田に押し付ける。
 「身体にいいのよ、これ。
 長時間、効率的に修行をするには必須だわ」
 そう言い添えると、憮然としつつも神田が受け取った。
 途端、リナリーの目と口がまん丸になる。
 「・・・・・・・・・エミリア・・・・・・すごすぎるよ・・・・・・・・・!」
 ジェリー以外の人間に神田が折れるなど、未だかつてないことだった。
 それが入団して間もない・・・どころか、彼と出会って間もないエミリアがやってのけたのだから、リナリーが驚くのも無理はない。
 「きっとこのこと・・・みんなに言っても白昼夢だ幻覚だって、信じてくれないんだろうなぁ・・・・・・」
 乾いた声を漏らしつつ、よろよろと窓辺に寄ったリナリーは、大きく息を吸い込んだ。
 「神田とエミリアがラブラブだよ――――――――!!!!」
 「あらv
 「なに血迷ってんだテメェ!!!!
 城中に響くような大声を放ったリナリーの口を、神田が背後から塞いだ。
 「いいじゃないv 宣伝してもらおうよv
 「事実無根の宣伝されてたまるか!!」
 怒号をあげるや、カッとなったエミリアがつかつかと歩み寄る。
 「ハァ?!
 なにそれ、ちゃんとラブラブしてるじゃない!!」
 「してねぇよ!!!!」
 「なによ!
 あんたが認めないならあたしが宣伝してやるわ!」
 どけ、と、押しのけようとするエミリアに、リナリーを拘束したまま神田が抵抗した。
 「ふむー!!ふむー!!!!」
 窓辺で争う二人に揉まれ、今にも転落しそうにリナリーが窓から身を乗り出す。
 「む〜〜〜〜!!!!」
 神田を背負うような姿勢で爪先立ちになって、リナリーは必死に抵抗した。
 一人なら余裕で着地できるが、神田に拘束されたまま諸共に落ちたのでは、バランスの取りようがない。
 それにようやく気づいてくれたか、エミリアが歩を引き、神田が拘束を解いてくれた。
 「・・・っは!
 死ぬかと思ったじゃないか!」
 窓の手すりに縋って抗議したが、神田は
 「お前が悪ィんだろうが」
 と、冷たく鼻を鳴らす。
 「なんだよいじわる!!
 もっかいここから叫んで・・・」
 「手っ取り早く追ん出すか」
 外へ向かって大声をあげようとしたリナリーの背を、神田が突き飛ばした。
 「わっ!」
 「きゃあ!!」
 ほとんど宙へ投げ出されたリナリーの腰に縋り、エミリアが引きずり戻す。
 「ちょっとあんた!
 危ないでしょ!!」
 窓辺にへたり込んで怒鳴るエミリアから、神田はうるさげに顔をそむけた。
 「この程度の高さから落ちたって、かすり傷一つねぇよ」
 なぁ?と、声をかけられて、リナリーは気まずげに窓の外を見る。
 「そうなの・・・?!」
 「え・・・いや、あの・・・・・・」
 せっかく助けてあげたのに、と、エミリアに睨まれたリナリーは、何か話を変えるネタはないかと探した。
 と、窓の下になにか光るものが見える。
 「あ・・・あれ・・・?」
 何かと思って目で追ったのは、夕陽を浴びて輝く明るい色の髪だった。
 「班長だ。
 なにしてんだろ、あんなところで・・・」
 窓の下は小さな噴水のある中庭だが、科学班から来るには入り組んだ回廊を正確に渡らなければ辿り着けない。
 「庭師くらいしか入んねぇだろ、渡り廊下があんだから」
 神田の言う通り、三人が見下ろす庭は上から見られることを想定して作られている場所で、団員達は5階にある渡り廊下、もしくは回廊を渡って別棟に行くのが普通だった。
 「なにしてるのかしらねぇ・・・はっ!まさか、密会?!」
 「え?!じゃあもうすぐミランダ来ちゃう?!」
 「やぁーんvv 素敵ーvv
 はしゃいだ声をあげて手すりの間から覗く二人は、庭のリーバーが顔をあげた瞬間、両側から神田の腕を引いて引き倒す。
 「っなにしやがんだ、てめェら!」
 「しっ!見つかっちゃまずいでしょ!」
 「せっかく見つけた密会現場だよ!
 ぜひとも見物しなきゃ!」
 「別に興味な・・・」
 「あたし達は興味あるの!!」
 逃げようとする神田を一斉に怒鳴り、おとなしくさせた。
 ややして、中庭に面した回廊から、誰かが出てくる。
 「ミラン・・・?!」
 呟いたリナリーだけでなく、エミリアや神田までもが絶句した。
 日の光を弾く髪はミランダより断然明るく、遠目ながらも愛らしいとわかる顔はふっくらとしてどこか幼く・・・とにかく、確実にミランダではない。
 三人が息を潜めて見守る中、深刻な顔をした二人は密やかに言葉を交わした。
 しばらくして、
 「き・・・聞こえる?」
 とうとう尋ねたリナリーに、神田は首を振る。
 「だが唇の動きが・・・あ・・・あいして・・・る・・・・・・?」
 「!!!!」
 真っ青になった女達が、血走った目で二人を見つめた。
 その先で、リーバーが彼女の両肩に手を乗せ、屈みこむ。
 「!!!!!!!!」
 愕然と目を見開き、声の出ない三人の眼下で、二人は連れ立って城内へ入って行った。


 ―――― ・・・長い時が流れて。
 「・・・・・・今の・・・班長・・・だった・・・よ・・・ね・・・・・・?」
 ようやく息を吹き返したリナリーの問いに、エミリアと神田が頷いた。
 「お・・・女の子は・・・誰・・・?ナース・・・?」
 健康相談じゃないかな、と、一縷の望みに縋ったエミリアに、神田が首を振る。
 「いや・・・通信班の奴だろ?無線でよく・・・」
 「ンマァ!!
 あんたったら、いつも仕事仕事って言ってるくせに、実は女の子とおしゃべりしてたのね!」
 「うっせぇな!仕事だ!!」
 エミリアの甲高い声に神田が怒号を返すが、リナリーは全く聞こえない様子で、未だに無人の中庭を見下ろしていた。
 「あの子・・・仕事でよく・・・話してはいる子なんだけど・・・あんなに班長と親しかったっけ・・・・・・?」
 呆然と呟くと、エミリアの口を塞いで黙らせた神田が頷く。
 「あいつ、元は科学班専属のメッセンジャーだったろ。
 前に男連中で、恋人にしたい団員ランキング作ってた時に、1位に・・・」
 「なんですって・・・?!」
 意外な膂力で神田の手を引き剥がしたエミリアが、暗い声をあげた。
 「まさかあんたも投票したんじゃないでしょうね?!
 あたしというものがありながら、この浮気者!」
 「元っつったろーがよ!
 てめぇが入って来る何年も前だし、俺はそんな面倒なこと参加しねェ!!」
 きっぱりと言った神田の服の裾を引いて、リナリーが目を輝かせる。
 「リ・・・リナリーは何位だった?」
 期待に満ちた問いかけは、鼻で笑われた。
 「選外」
 「なにぃ?!」
 「当たり前だろ。
 誰だって命が惜しい」
 言外に『コムイのせい』と言われて、リナリーは頬を膨らませる。
 その顔にエミリアが思わず吹き出した。
 「別に、一人いればいいじゃん。
 あんたはアレンであたしは神田v ねっv
 笑って腕に抱きついたエミリアに、神田が舌打ちする。
 「モヤシなんぞにやるかっ!
 あいつはいつか俺が殺る!!」
 「でも、ミランダは気の毒ねぇ・・・知らないんでしょうね、このこと・・・・・・」
 「聞けよ!」
 神田の事をきれいに無視して話を戻すエミリアに、苛立たしげな声をあげるが、当然聞いてはくれなかった。
 「下手したら修羅場に・・・は、なんないか。ミランダだもんね」
 「でも・・・愁嘆場にはなりそうだよ・・・・・・」
 リナリーも眉尻を下げて呟く。
 「けど、黙ってるってのもねぇ・・・。
 まぁ、リーバー班長ってモテるだろうから、ミランダも覚悟はしてたでしょうけど」
 「えぇっ?!班長モテるの?!」
 心底意外だとばかり大声をあげたリナリーに、エミリアは呆れて肩をすくめた。
 「シツレイね、あんた。
 そんなの見ればわかるじゃない。ねぇ?」
 神田を見上げると、意外にも彼はあっさりと頷く。
 「以前は、面倒なことになるから団員には手を出さないとか、冗談交じりに言ってたけどな。
 その気になれば選び放題だろ」
 俺ほどじゃないが、と言い添えた神田を、エミリアが睨んだ。
 「なにそれ!
 あんたまさか、あたし以外にもいるの?!」
 「いたらどうする」
 「決まってるでしょ!
 その女殺す!」
 「決まってんのかよ!!」
 犬も食わないケンカをする二人に吐息し、リナリーは立ち上がる。
 「どこ行くの」
 エミリアの声に、リナリーはのろのろと顔をあげた。
 「・・・・・・・・・ジェリーのとこ」
 「ミランダには言わねぇのか?」
 「それを相談するんだよ」
 神田にため息をこぼし、リナリーは食堂へと戻る。
 「アラんv
 ちゃんと、ごめんなさいしてきたのぉ?」
 声をかけてきたジェリーを、リナリーは気まずげな上目遣いで見あげた。
 「あの・・・ね・・・ちょっと・・・聞いて欲しいことがあって・・・・・・」
 誰にも聞こえないよう、小さな声で囁いたリナリーに、ジェリーが頷く。
 「わかったわん、こっちいらっしゃい」
 手招かれて厨房に入ったリナリーは、オーブンの前に立つミランダを見て、ぎくりと顔を強張らせた。
 「・・・ミランダには聞かせられないことぉん?」
 ジェリーがこそりと囁くと、リナリーは強張った顔で頷く。
 「じゃあ別の部屋に・・・」
 「あら、リナリーちゃんもお料理しに来たの?」
 出て行く前に見つかり、リナリーは気まずげな顔を向けた。
 「う・・・ううん、ジェリーに用事・・・・・・ミランダは?」
 精彩を欠くリナリーの表情に首を傾げつつ、ミランダはにこりと笑う。
 「明日、リーバーさんのお誕生日でしょう?
 だからジェリーさんに手伝ってもらって、ケーキを焼いているのよv
 その幸せそうな笑顔に言葉を失い、リナリーは口をつぐんだ。
 「リナリーちゃん?」
 ただ事ではない彼女の様子に、ミランダが眉根を寄せる。
 と、ジェリーがあえて明るく笑って手を振った。
 「この子ったらさっき、酷くリーバーに叱られたんですって!
 それでまだ拗ねてるんでしょv
 赤らめた顔をそむけ、小さく頷いたリナリーに、ミランダが苦笑する。
 「それでアンタ、ちゃんとごめんなさいは言ったのぉ?」
 ミランダが何か言う前にジェリーが遮ると、
 「言ってないよ!」
 と、リナリーは頬を膨らませた。
 「まったく、しょうがないわねぇ、この子は!
 ミランダ、アタシちょぉーっと外すから、わかんないことがあったらシェフ達に聞いてねんv
 「あ・・・はい・・・!
 がんばります!!」
 意気軒昂とこぶしを握ったミランダを見ないように背を向け、リナリーはジェリーを調理器具の保管室へ引っ張り込む。
 「ジェリー・・・!どぉしよお〜〜〜〜!!!!」
 出来るだけ見たままのことを正確に話すと、ジェリーは考え深げに顎を引いた。
 「まぁ・・・愛してる、って言うのは、神田の見間違いかも知れないけどぉ・・・」
 「神田の読唇術は正確だよっ!」
 ぴすぴすと鼻を鳴らすリナリーに、ジェリーは深く頷く。
 「じゃあ、アンタ達が思うような状況じゃなかったってコトよん」
 「え・・・どゆこと・・・・・・?」
 ぎゅっと眉根を寄せて問うと、ジェリーは顔をほころばせた。
 「確かにリーバーはモテるけどん、二股かけるような子じゃないから心配しなくていいわよぉv
 「え?!やっぱりモテるの?!」
 愕然と顎を落としたリナリーの頭を、ジェリーは笑って撫でる。
 「アンタには数いるお兄ちゃんの一人でしょおけどん、観賞用の神田、実用のリーバーって、女の子の間じゃ有名だったのんv
 「実用・・・?なんの実用??」
 首を傾げたリナリーの問いに、ジェリーはくすくすと笑った。
 「つまりねん、神田は遠くから眺めてるのがいいケド、リーバーは結婚相手に理想的、ってコトv
 ちなみに遊び相手はラビで、コムたんは選外v
 「・・・うん、ラビは色んな遊びを知ってるから楽しいのはわかるけど・・・私達、兄妹揃って選外なんだね・・・・・・」
 姉さん達の言う『遊び』が、彼女の想像するそれとは全く意味が違うことを、リナリーは気づいていない。
 だがそれを指摘せず、ジェリーは軽やかに笑った。
 「コムたんは、おすまししてればイイ男なんだけどねェv
 強烈なシスコン振りとはた迷惑な変人振りが、オンナノコ達を遠ざけてるのねんv
 でも、と、ジェリーは人差し指を立てる。
 「これはチョット、前の話なのん。
 今は人気急上昇の子がいるからぁv
 「まさか・・・」
 頬を引き攣らせたリナリーに、ジェリーはにこりと笑った。
 「アレンちゃーんvvv
 オトコノコ達にはちょぉーっと生意気で意地悪だけど、オンナノコには優しいし、気が利くし、可愛いし強いしねーv
 今、一番人気なのよんv
 ・・・まぁ、クロス元帥に多額の借金を背負わされてるから、結婚相手にはどうかと思うけどぉ・・・恋人にはいいかもねぇんv
 「だっ・・・だめ!!」
 大声をあげて、リナリーはジェリーの腕に縋る。
 「アレン君、ジェリーのこと大好きなんだもんっ!!
 ジェリーが本気になったら絶対勝てないよっ!!」
 「あらまぁそうなのんv
 じゃあ、アタックしてみよーかしらぁv
 「だめえええええええええええ!!!!」
 くるりと踵を返したジェリーの腰に抱きつき、リナリーは大声で叫んだ。
 厨房中に響いた声はシェフ達を飛び上がらせ、保管室のドアが開く。
 「ど・・・どうしたんですか・・・?」
 目を丸くしたミランダに、リナリーは息を詰まらせた。
 「いや・・・あの・・・・・・」
 「アタシがアレンちゃんにアタックしよーかしらーって言ったら、泣いちゃったのよぉv
 クスクスと笑うジェリーを、リナリーが真っ赤な顔で睨み、ミランダは苦笑する。
 「アレン君はジェリーさんのこと、大好きですもんねぇ・・・。
 リナリーちゃんが不安になるのも当然ですよ」
 その言葉に、リナリーは気遣わしげな視線をミランダへ向けた。
 「なぁに?」
 「ミ・・・ミランダは・・・どう・・・?」
 「どうって、なにが?」
 「は・・・班長が・・・他の女の人に取られちゃったら・・・・・・」
 その問いに一瞬、目を丸くしたミランダは、くすりと笑って小首を傾げる。
 「そうねぇ・・・。
 今でさえ、なんで私なんか、って思っているから、仕方がないって思うかしら」
 「そんなっ!!」
 「それに・・・」
 リナリーの大声は、ミランダの静かな声で封じられた。
 「その人が・・・リーバーさんにとって安らぎであるなら、いいんじゃないの?
 私は・・・心配をかけてばっかりですからねぇ・・・」
 そう言って苦笑したミランダを、リナリーは不満そうに見つめる。
 「エミリアは、神田が浮気したら相手の女殺す、って言ってたよ!」
 「そんな!」
 驚いて目を見開いたミランダとは逆に、ジェリーが愉快そうに笑い出した。
 「言うでしょぉねぇ、あの子ならv
 「えぇっ?!そうなんですか?!」
 信じられない、と声を詰まらせるミランダに、ジェリーはあっさりと頷く。
 「アンタが珍しいだけよん。
 恋人が浮気した時、男は自分を裏切った女を殺すそぉだけどん、女は浮気相手の女を殺すのが普通ねんv
 「普通なんだ・・・・・・」
 それでエミリアは『決まってる』なんて言ったのかと、リナリーはようやく納得した。
 「さすが警部の娘・・・いろんなこと知ってるんだね、エミリアは」
 「まぁ、実際殺しちゃうことなんて稀だからv
 心配しなくったって大丈夫よんv
 なぜか感心するリナリーへ軽やかに笑って、ジェリーは歩を踏み出す。
 「ミランダ、オーブンちゃんと見てないと焦がすわよ。
 リナリー、そう言うことでいいわね?」
 オーブンへ駆けていったミランダを見遣り、言ったジェリーに、リナリーは渋々頷いた。


 その頃、エミリアに背を押されて科学班に入った神田は、憮然として班長席へ歩み寄った。
 「おい、リーバー」
 「ん?」
 呼ばれて顔をあげたリーバーは、深刻に眉根を寄せた神田と、その背後でじっとりと自分を睨んでくるエミリアを見比べて、首を傾げる。
 「どうした?」
 問うと、神田は彼らしくもなく気まずげに目を逸らした。
 「・・・・・・・・・俺はどうでもいいんだが、こいつがどうしてもって」
 「ちょっとハニー!
 うだうだ言ってないで、はっきり言いなさいよ!」
 「だったらお前が言えよ!!
 っつかハニーって言うな!!」
 「おいおい・・・。
 言うのか言わないのか、どっちだ?」
 とっくに紙面へ目を戻したリーバーが、複雑な計算式を書き込みながら問うと、神田を押しのけてエミリアが進み出る。
 「リーバー班長、浮気してるの?!」
 単刀直入にして彼方まで貫いたエミリアの台詞にリーバーの手が滑り、インク壺が倒れて整然と並ぶ計算式を黒い池に沈めた。
 「あああああああああああああああああああああ!!!!」
 長い時間をかけて組み立てた計算式が一瞬で消え去った絶望と怒りに、リーバーが絶叫する。
 「なんってことすんだテメェ!!」
 何事かと目を向けた部下達の前で、リーバーがエミリアに詰め寄った。
 ・・・これが普通の女子であれば誰かが止めに入っただろうが、敢然とリーバーに立ち向かうエミリアには、神田でさえ傍観している。
 「なによ!
 そんなに驚くってことは、やっぱりやましいことがあるのね!」
 「ねぇよ!!」
 「嘘ばっかり!
 あたしたち、見たんだから!!
 班長が通信班のオン・・・!!」
 言いかけたエミリアはリーバーに口を塞がれ、ずるずると連行された。
 「・・・・・・追いかけねぇの?」
 その様を、黙って見ている神田に問いかけると、頷いた瞬間、彼の頭がザクロのように弾ける。
 「神田?!」
 口を塞がれたエミリアが投げたらしい分銅が、血の池に沈む神田の傍らに転がっていた。
 「なんで20kgとか軽々投げられんのエミリア?!」
 「重さはともかく・・・この神田が避けられない速さって、どんだけよ・・・・・・」
 けだもの夫婦・・・と、囁きを交わす彼らの目の前で、噴水のように血を噴きあげながら神田が立ち上がる。
 「なにすんだてめえええええええええ!!!!」
 「ふぁひほっ!!はばっふぇひばばひほっ!!!!」
 足を踏み鳴らして挑発するエミリアに向かって、猛牛のような神田が突進し、彼の勢いに押されるようにリーバーが部屋を出た。


 「・・・っちょっと落ち着け、お前ら!!」
 科学班から離れた空き部屋に二人を連れ込んだリーバーは、ドアを閉めるや大声をあげた。
 「なにを誤解してるのか知らんが・・・!」
 「中庭で」
 エミリアが差し出したタオルで血を拭いた神田が、リーバーの声を遮る。
 「通信班のやつに、『愛してる』とか言ってただろ」
 「言ったんじゃない!話してたんだ!」
 わかりにくい修正をしたリーバーに、エミリアが目を吊り上げた。
 「んまぁ開き直って!!
 どういう違いがあるのよ!!」
 「全っっっ然違うだろうが!!
 あいつに対して『愛してる』なんて言ったんじゃない!!
 あいつに『愛してるなら信じればいいだろ』って話してたんだ!」
 「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 目を点にした二人を前に、リーバーは憤然と目を吊り上げる。
 「あいつから恋愛相談されたんだよ!悪ィか!!」
 「・・・・・・なんでお前に」
 神田が乾いた声で言うと、リーバーは鼻を鳴らした。
 「エミリアに聞けよ!」
 「あたしっ?!」
 なんで、と、目を丸くした彼女に、リーバーは肩をすくめる。
 「あいつのカレシ、ファインダーなんだと」
 「・・・・・・・・・あー」
 気の抜けたような声を出して、納得したらしいエミリアに、一人置いてけぼりの神田が眉をひそめた。
 「説明しろ」
 堂々たる命令口調に、しかし、気を悪くすることなくエミリアは苦笑する。
 「あたしだっていつも心配してるし、こんな近くに相談相手がいるんだって気づいてたら、相談してたわね」
 「だからなにがだよ!」
 気の短い神田がイライラと問えば、エミリアは彼の腕にそっと触れ、間近から見あげた。
 「愛しい人が、無事に戦場から帰って来てくれるのか」
 懐かしい響きの言葉に、神田の鼓動が跳ねる。
 「彼女はきっと、その不安に耐えかねて、リーバー班長に相談したのよ。
 だって彼も、ずっとこの不安に耐えてるんだもの・・・ミランダが戦場へ行くたびにね」
 肩越しに見遣ったリーバーは、気まずげに目を逸らした。
 そんな彼ににこりと笑い、エミリアは神田の腕に寄り添ってリーバーへ向き直る。
 「ねぇ・・・班長は男気がありすぎるのよ」
 「は?」
 戸惑うリーバーと、わけがわからずムッとする神田の表情がおかしくて、エミリアは笑い出した。
 「おい」
 「ごめん」
 神田に叱られても、未だクスクスと笑いながら、エミリアは続ける。
 「あたしは女だから、戦場には当然男が行くもの、待ってるわv でいいんだけど」
 「ほんっとにてめぇは強い女だな!」
 繊細さの欠片もない、とぼやく神田は、腕をつねって黙らせた。
 「班長はきっと、女を戦場に行かせて、自分は安全な場所にいるってことが、居心地悪いんじゃないかなぁ?」
 エミリアの的を射た言葉に、リーバーは声を詰まらせる。
 「神田もでしょ?
 もしもあたしが前線に出て、あんたが後方支援だったら・・・」
 「俺は今まで一度も前線を譲ったことなんかねぇ!」
 「だから例えばって言ってんじゃん!」
 きっぱりと言った神田の傍らで、エミリアは肩をすくめた。
 「血気盛んなあんたが・・・そうね、負傷したとか、六幻が壊れたとかで戦場に出られなくて、代わりにあたしが行くってことになったらどう?」
 エミリアは、かつてその通りの状況があった事を知らなかったが、忌々しげに舌打ちした神田と気まずげなリーバーの表情に気づいて苦笑する。
 と、
 「・・・・・・てめぇがちゃんと仕事してんのか、気が気じゃねぇだろうな」
 ぼそぼそと低い声で言った彼に、エミリアは歓声をあげた。
 「うれしーvv
 それでこそオトコマエッ!
 ・・・でも、神田は自分が戦場に行けるからいいとしても、班長はミランダを待ってなきゃいけないんでしょ?
 悔しいわよね」
 エミリアの言うことを理解した途端、神田は気まずげにリーバーから目を逸らす。
 エクソシストである神田は、決してエミリアを戦場になど行かせないと、断言することができた。
 だが、戦場に行くことのできないリーバーは今まで、どれほどもどかしく、悔しかったことだろう。
 リーバーの心情を察してか、無言になってしまった神田にエミリアが微笑んだ。
 「あんたにも、人間らしい感情があるみたいで安心したわv
 「は?!
 俺は別に・・・!」
 「またまたーv 照れちゃってーv
 深刻になりそうだった雰囲気を、エミリアが明るく和ませる。
 「班長も、浮気じゃないってわかったしv
 「するかっ!!」
 エミリアの冗談口に乗って、リーバーが腰に手を当てた。
 「だがお前ら、このことは誰にも言うなよ?」
 「あ?なんでだ?」
 「ミランダにバレたら、やっぱり疑われるから?」
 揃って首を傾げた二人に、リーバーが眉根を寄せる。
 「あいつは・・・ミランダはそんな、心の狭い女じゃないし、信頼しあってるから大丈夫だ」
 リーバーがきっぱり言うと、エミリアがにんまりと笑った。
 「独りよがりじゃないといいけどね」
 「そんなことは・・・あるはずない!」
 一瞬でも揺らいだことをごまかすように、リーバーは語調を強める。
 「俺が言ってんのはそう言うことじゃない!
 恋人にしたいNo.1に恋人ができて、しかもそいつが心配で憔悴してるなんて知れ渡ってみろ。
 うちの奴らの何人が、使い物にならなくなると思う?」
 「っ!」
 「あー・・・・・・」
 息を呑んだ神田の隣で、エミリアがどこか暢気な声をあげた。
 「そりゃまぁ、ショックよねぇ」
 クスクスと笑い出したエミリアとは逆に、男たちは深刻な表情で首を振る。
 「・・・笑って済ませられるならいいけどな」
 「科学班が使い物にならなくなったら、サポートどうすんだ!
 色ボケてました、じゃ洒落にならん!」
 舌打ち混じりに言った神田が、リーバーを睨んだ。
 「この件は、徹底的に隠すぞ!」
 「あぁ、奴らはできるだけ長くこき使いたいからな!」
 がっしりと手を握りあった二人の間で、エミリアが顔を引きつらせる。
 「・・・・・・・・・あんたら鬼よ」
 呟きは、馬耳東風と彼らの横を通り過ぎて行った。


 しかし未だ納得していないのはリナリーで、ミランダの周りをやたらうろうろしては、もの言いたげな目で彼女を見つめた。
 「どうしたの?」
 これにはさすがのミランダも気づいて問えば、リナリーは口を開きかけて首を振る。
 「?」
 小首を傾げ、じっと見つめてくるミランダの目に居心地悪くなったリナリーは、そそくさと厨房を出て行った。
 「ジェリーさん・・・リナリーちゃんは、どうかしたんですか?」
 不思議に思って問うと、ジェリーは軽やかに笑う。
 「気にすることないわよぉv
 コムたんと引き離された上にリーバーに叱られて、居場所がないだけv
 「そう・・・ですか・・・・・・」
 「ミランダに遊んで欲しかったんでしょぉケド、アンタ忙しいものねェ。
 ホワイトチョコレートクリームはできたぁ?」
 未だ不思議そうなミランダを適当にごまかして、さりげなく話題を変えると、素直な彼女は顔を赤らめて作品を差し出した。
 「こ・・・このくらいでいいですか?!」
 厳しい教師の目に怯える生徒のような彼女に微笑み、ジェリーは小首を傾げる。
 「んー。
 もうちょっと固い方がいいわねん。頑張ってぇんv
 「は・・・はい!!」
 ジェリーの指示に大真面目に頷き、ミランダは恐る恐るクリームをかき回した。
 ―――― その様子を、カウンターに隠れて見つめていたリナリーは、突然背後から肩を叩かれて飛び上がる。
 「んがっ!!」
 「なにやってんですか、リナリー?」
 びくびくと振り返った先で、アレンが首を傾げた。
 更にその後ろで、
 「覗き見とははしたない。育ちが知れますね」
 と、嫌味ったらしいリンクに鼻を鳴らされて、リナリーの目が吊りあがる。
 「なんだとこのー!!」
 「待ってリナリー!」
 こぶしを振りかぶってリンクに突進する彼女を、アレンが受け止めた。
 「もう!なんでリンクはいっつも一言多いんですか!
 そんなにつかみ合い記録更新したいの?!」
 肩越しに苦情を言うと、リンクはまた鼻を鳴らす。
 「まさか。
 小娘がレディらしく振舞えば、私も何も言いませんとも。
 まぁ、一生無理でしょうが」
 「ふんぬー!!!!」
 「ちょっ・・・早っ!!」
 あっという間に掴み合う二人に最早手も出せず、アレンはおろおろと状況を見守った。
 間もなく、
 「とりゃっ!!」
 リナリーの足払いに次ぐ一本背負いに、さすがのリンクが宙を舞う。
 だが、
 「この程度!!」
 軽やかに体勢を整え、きれいに着地を決めた。
 「おぉー!10.0!」
 拍手と歓声をムッと睨むと、空気を読まないラビが暢気に拍手している。
 「なんさ、今の?
 お前ら、リーバーの誕生会で曲芸でもやんの?」
 「違うよっ!!」
 「なぜ私があのホーキ頭なんぞのために!!」
 すかさず否定するも、ラビは気にせず歩み寄って、カウンターにもたれかかった。
 「なんで?いいじゃん。
 お前ら意外と息ぴったりさね」
 「どこがっ!!」
 きれいに揃った動きで渾身のアッパーカットを食らい、ぶっ飛んだラビがカウンターに落ちて、びちりと跳ねる。
 「・・・・・・ジェリーさーん!
 このウサギ、捌いてくださいー!」
 呆然としていたアレンが、我に返って呼びかけると、ジェリーが寄って来るより先に瀕死のラビに蹴られた。
 「なにすんだよっ!!」
 「うっさいさクソガキ!!
 なんでお茶しに来た俺が晩ごはんのおかずになるんさ!
 振りでもいいから可哀想な俺を介抱しろぉぉぉぉ!」
 割れた頭から血を迸らせ、絶叫したラビにアレンは呆れて肩をすくめる。
 「・・・自業自得ってゆーか、飛んで火にいる夏の蒸しウサギって状況のどこに同情と介抱の余地が」
 「酷いさね!俺は思ったこと言っただけなんに!!」
 「一言多いんだよ!!」
 足を踏み鳴らして怒鳴ったリナリーの傍らで、リンクが大きく頷いた。
 「こんな乱暴娘とひとくくりにされるのは心外ですね!
 私は常に冷静を心がけ・・・」
 「嘘だ。いっつも暴力に訴えるくせに」
 ため息混じりに言ったアレンは、リンクのきついげんこつを食らってしゃがみこむ。
 「いっだああああああああああ!!!!
 なにすんだ乱暴者!!」
 「躾で・・・ぐふっ!!」
 突如降り注いだ衝撃に、頭を抱えてうずくまった横では既に、リナリーがうずくまっていた。
 なにが起こったのかわけがわからず、目をあげたリンクは涙に滲むジェリーの姿にぎくりとする。
 「食堂で暴れるんじゃないわよ、アンタ達!!!!」
 怒号をあげたジェリーの手に、銀色のお玉がきらりと光った。
 「ホラ!!
 ケンカしてないで、さっさとラビを病棟に運びなさい!!」
 銀の軌跡を目で追えば、ラビが失血性の痙攣を起こしている。
 「早く!!」
 また怒鳴られて飛び上がった三人は、それぞれに頭と足と腹部を抱えてラビを運んで行った。


 「・・・なんの騒ぎだったんですか?」
 厨房で外の騒ぎにおどおどしていたミランダが問うと、ジェリーは『なんでもない』と首を振った。
 「いつもの、子供同士のケンカよんv
 「はぁ・・・またですか・・・・・・」
 苦笑して、ミランダは小首を傾げる。
 「でも、対等なお友達がいるのはいいことですね。
 ケンカはやりすぎだと思いますけど・・・」
 クスクスと笑い出したミランダに、ジェリーは肩をすくめた。
 「常人ならそれでもいいケド、あの子達の身体能力って尋常じゃないんだから、被害が甚大なのよん。
 今もラビが血みどろでぇ・・・あん、お掃除させればよかったわん」
 「残念でしたね」
 ジェリーの言い様に笑いの止まらないミランダが、手にしたボウルを差し出す。
 「ど・・・どうでしょうか・・・!」
 どきどきと鼓動を早めながら問うと、ジェリーは笑って頷いた。
 「上出来v
 「よかった・・・!」
 ほっとして力が抜けたミランダの手から、ボウルが転げ落ちる。
 「あっ!!!!」
 「これで6回目ねぇ・・・・・・」
 やり直し、と、ジェリーは悄然と落ちたミランダの肩を叩いた。


 「それで、どうしてキッチン覗いてたんですか?
 ジェリーさんに用事?」
 ナース達にラビを預けたアレンが改めて問うと、リナリーは気まずげに目を逸らした。
 「どうせくだらないことでしょう」
 「くっ・・・くだらなくないよっ!」
 鼻を鳴らしたリンクにムッとして言えば、ストレッチャーに乗って運ばれていくラビを追いかけながらアレンが振り返る。
 「何かあったんですか?」
 「う・・・」
 眉根を寄せたリナリーは、リンクを睨んだ。
 「監査官には言いたくないことだよっ!」
 「なんですかそれは!
 またくだらないことでも企んでいるんでしょう!懲りない小娘です!」
 「ねー・・・ここ、病棟ですよ?婦長に叱られるよ?」
 また掴み合いを始めそうな二人に言って、アレンは先を行くストレッチャーに駆け寄る。
 「ラビー?生きてるー?死んだー?」
 ストレッチャーに手をかけて声をかけると、早足のナース達に睨まれた。
 「ウォーカー君!邪魔しないの!!」
 「はーぃ」
 叱られて足を止めたアレンの手に輸血用のチューブが絡み、ボトルから引き抜かれて血が撒き散らされる。
 「きゃあ!!」
 「なんてことするの!!」
 「あ、ごめんなさーい。
 僕、お掃除しまーす」
 悲鳴をあげるナース達に、殊勝な顔で詫びたアレンが歩を踏み出した途端、ストレッチャーを蹴飛ばして壁に激突させた。
 「あ。血で滑っちゃった」
 「もう!
 ウォーカー君は出て行きなさい!!
 監査官、お掃除して!!」
 ラビの救護へ駆け出したナースの声に、リンクが目を剥く。
 「なぜ私が!!」
 「あなたが監視してる子がしでかしたのよ!
 監督者として責任取りなさい!!!!」
 耳を聾するほどの大声で怒鳴られ、呆然としたリンクへナースは掃除道具を放り投げた。
 「頼んだわよ!」
 「っ!!」
 何か言い返す間もなく、彼女達は大破したストレッチャーを支えながら奥へと消えていく。
 「くっ・・・!
 仕方ありません、ウォーカー!手伝いなさ・・・ウォーカー?!」
 辺りを見回すが、アレンどころかリナリーの姿さえ消えていた。
 「どこ行ったクソガキがあああああああああああ!!!!」
 「怒鳴ってる怒鳴ってる」
 リンクの怒号にアレンは、クスクスと笑って窓の外を逃げる。
 「後で怒られるよ?」
 「平気ですよ、慣れてるもん♪」
 生意気に舌を出したアレンは、人気のない城壁の側に至って、ようやく足を止めた。
 「それで、リンクに言えないことってなんですか?
 もしかして、ミランダさんに何かあったんです?」
 「ぅえっ?!なんでっ?!」
 その態度で正解だと告げてしまったリナリーに、アレンはにこりと笑う。
 「だって、ジェリーさんやシェフのことならリンクを気にする必要ないもん。
 さっき、キッチンにはミランダさんがいたし、もしかしてそうかなぁって思っただけです」
 「う・・・その通りだよ・・・・・・」
 気まずげに言ったリナリーは、肩を落として俯いた。
 「信じたくないけど・・・・・・浮気をぉぉぉぉ!!!!」
 顔を覆って呻くリナリーに、アレンは目を剥く。
 「ミランダさんが?!
 あんなに嬉しそーにバースデーケーキ作ってるのに・・・それがホントなら僕もう、女の人を信じらんないっ!!」
 声を引き攣らせたアレンに驚き、リナリーが顔をあげた。
 「ちっ・・・違うよ・・・!
 ミランダじゃなくて、班長!」
 「あぁ、なんだびっくりした、リー・・・・・・そんなわけないってええええええ!!!!」
 真っ青になったアレンが絶叫すると、リナリーは不安げに眉根を寄せる。
 「わ・・・私だって信じたくないよ・・・!
 だけど見ちゃったんだもん・・・班長が・・・他の女の子と・・・・・・・・・!」
 涙の浮かんだ目をぎゅっとつぶって、リナリーが泣き声をあげた。
 と、アレンが眉根を寄せて彼女の両肩を掴む。
 「それで?!
 ミランダさんにはそれ、言ったんですか?!」
 問えば、リナリーは涙目をあげて首を振った。
 「直接には・・・。
 でも、班長が浮気したらどうする、って聞いたら・・・その時は仕方ないって・・・・・・」
 「ミ・・・ミランダさんらしいっちゃらしいですけど、それって潔すぎじゃないですか?」
 アレンが不満げに言えば、リナリーも頷く。
 「エミリアは、神田が浮気したら相手の女殺す、って言ってたんだけど・・・・・・」
 「・・・・・・それはそれで、エミリアさんらしいです」
 一瞬声を失ったアレンの引き攣った声に、リナリーはちらりと笑った。
 「ジェリーは、班長はそんなことしないから心配しないでって・・・・・・」
 「ジェリーさんがそう言ったんですか?」
 途端、ほっと吐息して、アレンが顔をほころばせる。
 「だったら心配ないですよ!
 ジェリーさんは魔法使いだもん!
 団員のことはみーんなお見通しです!」
 ジェリーへ絶大な信頼を寄せるアレンに、リナリーは頬を膨らませた。
 「アレン君はやっぱり、ジェリーが一番なんだね!」
 その言葉に、アレンは迂闊にも大きく頷く。
 「世界で一番ジェリーさんが好きですよ、僕v
 瞬間、リナリーの顔色が変わった。
 「馬鹿っ!!」
 容赦ないかかと落しが頭頂に決まり、アレンが地に沈む。
 だくだくと流れる血が、アレンの白い髪を紅く染めていく様に我に返ったリナリーは、慌てて跪いた。
 「ア・・・アレン君!ごめん!!しっかりして!!」
 抱き起こすと、アレンの耳元で微かにアラーム音が鳴っている。
 「無線?」
 おそらくはコムイからだと、リナリーはアレンのイヤーカフを外して無線を繋いだ。
 「はい」
 『・・・リナリー?!なんで?!』
 回線間違えたかな、と、慌てるコムイの声を、リナリーが遮る。
 「違うの、アレン君を・・・その・・・倒しちゃって・・・・・・」
 気まずげに言うと、兄は『あぁ』と、納得の声を出した。
 『訓練中なんだね。
 それで?アレン君、重傷なの?』
 甚だ好意的に・・・と言うより、この報告では当然の解釈をした兄の問いを受けて、リナリーは自分の膝の上で白目を剥いているアレンを見下ろす。
 「ううん・・・重体・・・・・・」
 『ありゃ・・・』
 リナリーの言葉に、回線の向こうでコムイが呆れ声をあげた。
 『重体じゃあ、すぐ起きてってのは無理かなぁ・・・・・・』
 重傷は酷い怪我だが意識のある状態、重体は酷い怪我の上に意識がない状態を言う。
 『困ったねぇ・・・他に誰かいたっけ』
 「任務?私が行こうか?」
 早口に言うと、兄が『ううん』と首を振る気配がした。
 『キミと神田君は今日帰ってきたばっかでしょ。
 せっかく中央庁に、『エクソシスト保護のために、連続で任務には就かせない』って条件呑ませたんだから、今後のためにも行っちゃダメ』
 戦況が不利になれば、そうも言っていられないだろうが、伯爵の軍と自軍の間には、埋めがたい戦力差があるのは事実。
 全ての戦場にエクソシストを配置する余裕がない以上、教団は主要地だけを守る戦略を徹底させねばならなかった。
 「でも・・・行ける人がいないんでしょ?」
 行くよ、と再度言うが、コムイはまた『ダメ』と却下する。
 『アレン君が入ったばっかの頃はねェ、ちょっとは余裕があったし、何より中央庁の命令で、戦地から戦地へ飛んでもらったりしたけど、あれからずいぶん戦況が変わったんだよ。
 勝つためには、捨てることと退くことを念頭におかなきゃダメ』
 アレン君には言えないけど、と、苦笑混じりに言う兄に、リナリーも苦笑した。
 「わかった・・・。
 じゃあ私、アレン君を病棟に運ぶね。
 あ、病棟と言えば、ラビもさっき運ばれたよ」
 『ラビも?!』
 アレンの代役を任せようとしたのだろう、兄のがっかりした声に、リナリーは気まずくなって黙り込む。
 さすがに、これも『自分がやった』とは言えなかった。
 『そっか・・・困ったなぁ・・・。
 マリはまだ治療中だし、クロちゃんとミランダに行ってもらうしかないね』
 「えっ?!ミ・・・ミランダ?!」
 頓狂な声をあげて、リナリーは無線機に迫る。
 「だっ・・・だめだよ!
 ミランダは明日の班長のお誕生会、すごく楽しみにしてて・・・!」
 『は?
 ・・・あぁ、キミはアジア支部に行ってたから知らないんだね』
 リナリーの声を意外そうに遮って、コムイは続けた。
 『これは元々、ミランダの任務なの。そのパートナーを誰にするか、ってことだったの。アレン君がダメで、ラビもダメってことは当然、ブックマンも行かないだろうから、クロちゃんとミランダなの。
 じゃなきゃ今日、リーバー君の誕生日ケーキ作るわけないじゃない。
 彼女は明日、任務に行くのが決まってたから、今一所懸命作ってんの。わかった?』
 言われて見ればもっともだと、リナリーは悔しげに唇を噛む。
 『リナリー?』
 黙りこんだ妹を不思議に思って、コムイが声をかける。
 『どうかした?』
 「もしかして班長は・・・お誕生日より仕事優先だから、ミランダがイヤになったのかな・・・」
 『は?ナニソレ?』
 「ミランダだって行きたくて行ってるわけじゃないのに!そんなの酷いよ!!」
 『リナリー?それってなんのこと?』
 訝しげな兄に、リナリーは早口でアレンにも語った話をした。
 それを全て聞き終えたコムイは、なぜかクスクスと笑い出す。
 「笑い事じゃないんだよ!」
 『笑い事だよ。
 ボク、その件に関してはジェリぽんから、なーんにも聞いてないもん。
 ってコトはキミの勘違いで、二人は相変わらずってコトさv
 「兄さんまでアレン君と同じこと言う!!」
 ジェリーへ絶大な信頼を寄せる兄に声を荒げるが、彼は構わず笑い続けた。
 「兄さん!」
 『ボクはお仕事面のサポートトップだけど、ジェリぽんはメンタル面のサポートトップだよ。
 なんか妙な雰囲気になってたら、キミが気づくより早くジェリぽんが解決に動いてるよ。
 それが大前提で、今、ミランダがうれしそーにバースデーケーキ作ってるってことは、何も心配はないってコト。OK?』
 ちっともOKじゃない、と、不満げな口調にコムイはまた笑い出す。
 『だったらおとなしく見てなよ。
 そのうちきっと、誤解だってわかるから』
 「おとなしくなんか出来ないよっ!!」
 大声をあげると、インカム越しに耳を貫かれたのか、コムイがしばし沈黙した。
 ややして、
 『〜〜〜〜そんなに気になるんならさ、リーバー君に直接聞けばいーじゃない』
 ようやく言った兄に、リナリーは目を見開く。
 『ブックマンがよく言ってるでしょ、主観による情報は真実ではなく、事実でもない。
 真実を見極めるには、事実を客観的に見ること、って』
 だから、と、暢気な声が続けた。
 『直接聞いておいでよ。
 リーバー君が変な嘘つく子じゃないってのは、リナリーもよく知ってるデショ』
 「う・・・うん・・・」
 不満げながらも頷くと、兄はクスクスと笑い出す。
 『気になることをほっとくなんて、できる子でもないしね、リナリーは。
 本人に聞いておいで』
 「わかった・・・!」
 兄の言葉に、リナリーは大きく頷いた。
 「班長に直接聞いてくるよ!」
 リナリーが通信を切って立ち上がった途端、ごんっと、可哀想な音がして、足元にアレンが伸びる。
 「・・・先に病棟か」
 よっこらせ、と、アレンを抱えたリナリーはイノセンスを発動させ、音速を超えて移動したために、アレンを更に重症化させた。


 「・・・うー・・・!
 婦長ったら、思いっきりげんこつすることないじゃないかぁ・・・・・・!」
 たんこぶのできた頭を撫でつつ病棟を出たリナリーは、ぶつぶつとぼやきながら科学班へ向かった。
 「今日はもう、何回も殴られたりシメられたり捨てられたり・・・!
 リナリー女の子なのにぃ・・・!みんなひどいよぉ・・・・・・!」
 女の子らしくないことをするから殴られたりシメられたり捨てられたりしている事実は、今ははるか上の棚に上げることにする。
 「・・・あ。
 班長に会ったら謝れって言われるのかなぁ・・・やだなぁ、もうげんこつされて窓から捨てられたのにぃ・・・・・・」
 お仕置きは十分すぎるほどされた、と、解釈したリナリーは、大きく頷いて足を早めた。
 「あれはなかったことにしよう!」
 ジェリーにバレれば、またげんこつされそうなことを言ってリナリーが駆け出す。
 一瞬後、
 「班っっ長っ!!」
 ドアを蹴破って科学班に飛び込んだリナリーは、横合いから首根っこを掴まれ、外に連れ出された。
 「なにすんのー!!
 放せ放せ!!」
 背後に誰がいるのかもわからないまま、じたじたと暴れるリナリーを、彼は軽々と連行する。
 ややして空き室へ放り込まれたリナリーは、
 「お前も浮気調査か!」
 と、忌々しげに怒鳴られて、むっとリーバーを睨んだ。
 「なんだよ!
 リナリー、見たんだからね!」
 「神田とエミリアにも言われたが、誤解だ!」
 「見たって言ってるでしょお!
 人気のないところで逢引して!あ・・・愛してるなんてゆって!キキキ・・・キスまで!!
 班長の嘘つき!浮気もの!!
 ミランダが可哀想だよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 凄まじい泣き声はしかし、リーバーのげんこつで無理矢理止められる。
 「〜〜〜〜っなんだよみんなしてポカポカポカポカ!!
 リナリーは太鼓じゃないんだよ!!」
 「黙って人の話聞け!!!!」
 大音声で怒鳴られて、リナリーは仕方なく黙り込んだ。
 と、神田とエミリアにも話した事情が語られ、リナリーは目を丸くする。
 「―――― ってワケだ!わかったか!」
 憤然と言われ、リナリーは気まずげに頷いた。
 「ミ・・・ミランダに言わなくてよかった・・・・・・」
 「・・・お前、こんな馬鹿げたことあいつに言ってたら、塔から逆さ吊りにしてやるところだったぞ!」
 冗談ではない口調で言われ、リナリーが震え上がる。
 「ご・・・ごめんなさい・・・・・・!
 でもあれは・・・誰だって勘違いするよ・・・?」
 消え入りそうな声で言い訳するリナリーの頭を、苦笑したリーバーが大きな手で撫でてやった。
 「まぁ、お前が・・・仲間想いだってことは、認めてやるよ」
 ミランダのことを思ってこその大騒ぎだと、リーバーにはちゃんとわかっている。
 「だが、思い込みで暴走するなんざ、まだまだガキだな!」
 ぐしゃぐしゃと髪を掻き回されて、リナリーが悲鳴をあげた。
 「ごめっ・・・ごめんなさい!
 だ・・・だって・・・・・・!」
 リーバーの手から逃れたリナリーは、困惑げな上目遣いで彼を見上げる。
 「てっきり・・・班長が浮気してるって思ったんだもん・・・。
 それでミランダに、班長が浮気してたらどうする?って聞いたら、ミランダはその時は仕方ないって・・・その人が班長の安らぎになるんならいいだなんて言うから・・・私、二人がこのまま別れるんじゃないかって思って・・・!」
 「あ?!」
 剣呑な声をあげたリーバーに、リナリーがびくりと震えた。
 「それを・・・あいつが言ったのか?」
 怖い目で睨まれて、リナリーはコクコクと頷く。
 「えと・・・えとね、ミランダは・・・」
 覚えている限り、正確に彼女の言葉を伝えると、リーバーは無言で踵を返した。
 「班長?!」
 呼びかけるが、彼は振り向きもせず部屋を出て行く。
 「う・・・まずい・・・かも・・・・・・」
 自身の失言に気づいて、リナリーの全身から血の気が引いて行った。


 リナリーを置いて、早足に回廊を渡ったリーバーは、食堂に入るやカウンター越しに厨房を覗いた。
 奥ではジェリーに何か言われているミランダが、真剣な顔で頷いている。
 彼女の生真面目さは美徳だと、よくわかっているのだが、今日はそれが面白くなかった。
 「ミランダ」
 呼びかけると、彼女と一緒にジェリーも振り返る。
 「ちょっと」
 作り笑いを浮かべて手招くと、ミランダはびくっと震えて手にしたボウルを落とし、ジェリーは床とリーバーを見比べて、気遣わしげな表情を浮かべた。
 「な・・・なんでしょう・・・・・・」
 怯え、戸惑いつつ寄って来たミランダが、いたずらがバレて叱られる前のリナリーを思い出させる。
 リーバーは深く吐息すると、一旦表情を消して、再度彼女を手招いた。
 「確かめたいことがある」
 自分でも驚くほど不機嫌な声にミランダが怯え、不安げにジェリーを見あげる。
 と、ミランダの代わりにジェリーが進み出て、サングラス越しにリーバーを見つめた。
 「リナリーが言ってたこと?」
 そっと囁いた彼女に頷くと、きつく睨まれる。
 「ミランダに、ひどいことしたり言ったりしない?!」
 「しませんよ!」
 断言したリーバーの眼前に、ジェリーが大きなこぶしを突きつけた。
 「嘘ついたらげんこつだからねん!」
 「はいはい・・・」
 ジェリーが間に入ってくれたことで、やや収まったリーバーが苦笑すると、彼女は頷いてミランダを手招く。
 「ひどいことされたらアタシに言いつけなさいよ?」
 「しないっつってんでしょ!」
 ジェリーには弱いリーバーに思わず笑って、ミランダは厨房を出た。
 「あの・・・?」
 「ちょっと、こっち」
 腕を掴まれたミランダは、回廊を人気のない方へ引かれてついて行く。
 やがて、荷物もない空き部屋に連れ込まれた彼女は、それまで無言だったリーバーが振り向く様を、不安げに見つめた。
 「私・・・なにかいけないことをしましたか・・・?」
 叱られるのだろうかと、不安げな上目遣いで見上げる彼女が、やっぱり幼い頃のリナリーを思い出させて、リーバーはため息をついた。
 「ソフィーのことなんだが」
 「・・・あぁ、通信班の。
 リーバーさんが相談に乗ってあげたんですってね。
 さっき、食堂に来て教えてくれました」
 それがなにか、と、また不安げに小首を傾げるミランダの両肩に手を乗せ、屈みこむ。
 「このカッコ、上から見たら、俺があいつにキスしてるみたいに見えたんだと」
 「あら・・・」
 くすくすと笑いながらミランダは、軽く頷いた。
 「そうですね、そう見えるのかも」
 「おかげでリナリーが、俺が浮気してるって大騒ぎしたんだ」
 神田とエミリアにも責められた、と、ため息をつく彼に、ミランダの笑いが止まらない。
 「それでっ・・・さっき、リナリーちゃん・・・・・・!」
 挙動不審気味にうろついてたのかと、ミランダは肩を震わせて笑った。
 だがなぜかリーバーは憮然として、笑うミランダを見つめる。
 「?
 どうかしましたか?」
 失礼だったかしら、と、口を覆った両手首を掴まれて引き寄せられた。
 「リナリーに聞かれたんだろ、俺が浮気したらどうする、って?」
 「正しくは・・・他の女性に取られたらどうする、でしたねぇ・・・」
 生真面目に訂正するミランダへ、リーバーの顔が迫る。
 「で?
 そうなったら仕方ない、って言ったってのは、本当か?」
 その問いに、ミランダは素直に頷いた。
 「・・・っ俺はあんなにやきもきしたのに、お前は嫉妬もしてくれねぇのか!」
 「そんなこと言われても・・・・・・」
 目を吊り上げて大声を上げた彼に、ミランダは首をすくめる。
 「今だって・・・信じられないんですもの・・・・・・。
 あなたみたいに優秀な人が、どうして私みたいな・・・なにもできない、ダメな女を選んでくれたのか・・・」
 「まだそんなことを!
 お前は世界にただ一人の・・・」
 「そうですね・・・イノセンスの能力だけは・・・とても特殊ですけど・・・・・・」
 小さな声でリーバーの口を塞ぎ、ミランダは俯いた。
 「それだけです、私に出来ることは・・・。
 私の力は、それだけなんです・・・。
 あなたはいつも私を助けてくれるのに、私はあなたに心配をかけるばかりで、安らぎになったことなんか、一度もないわ・・・」
 ずっと胸に引っかかっていたことを吐露したミランダの頭上で、舌打ちの音がする。
 「ジジィじゃあるまいし、いるかそんなもん!」
 彼女の不安を一言で打ち砕いたリーバーは、俯いたミランダの顎に指をかけ、顔をあげさせた。
 「ダメな女ってのは・・・いや、性別に関係なく、ダメな人間ってのは、努力もせずに非力を嘆くだけで、自分では何の解決もしようとしない奴のことだ。
 最低なのは、自身の無能を棚に上げて、他人を責めるばかりの人間のことだ。
 嘘をつき、人を騙し、罪を罪とも思わない・・・そのどれにも、お前は当てはまらないだろ」
 「そ・・・それはそうですけど・・・・・・」
 恥ずかしげに目を逸らすミランダに、リーバーは笑みをこぼす。
 「仲間を守るために努力を惜しまないミランダのことは、心底尊敬してるんだぜ?」
 「まさか・・・!
 私はそんな・・・大層な人間じゃ・・・・・・」
 小さく呟きながら、身を離そうとするミランダの腰に手を回して、軽々と抱き寄せた。
 「また痩せたろ」
 「ぅ・・・はい・・・・・・」
 気まずげに口ごもるミランダを抱きしめたリーバーの手が、ゆっくりと背を下りる。
 「仲間を守るために、こんなにも身を削って・・・心配しないわけがない。
 できるなら、俺が代わって戦場に行ってやりたいって、ずっと思ってる・・・」
 その言葉にふと、ミランダは瞬いた。
 「リーバーさん・・・あの時も同じことを・・・」
 「あの時?」
 わずかに身を離したリーバーは、訝しげに眉を寄せてミランダを見下ろす。
 と、目の前の彼女がふわりと笑った。
 「前の本部が・・・襲撃された時です。
 私、ノアに襲われて意識を失っていたから・・・あの時、あなたがいてくれなかったらきっと、皆さんと一緒に灰になっていました」
 「あぁ・・・」
 あの時か、と、リーバーの声が沈む。
 「炎が迫った時、あなたが庇ってくれたんでしょう?
 あなたの声に目を覚まして・・・そのあとは私、朦朧としたままイノセンスを操ってましたけど、ずっと傍にあなたがいてくれたから、がんばらなきゃって思ったんです」
 何度倒れそうになっても、その度に彼が支え、意識のないスタッフ達をミランダの近くへ運んで、負担を減らしてくれた。
 「その時にもやっぱりあなたは、代わってやれたら・・・って・・・・・・」
 「あぁ。いつも思ってる」
 「いけません」
 ミランダはひらりと身を離し、珍しくきっぱりとした口調で言う。
 「私の戦場とあなたの戦場は同じではないわ。
 そして、私以上にあなたは戦っています」
 「そんなこと・・・」
 「いいえ」
 またもやきっぱりとした口調でリーバーを遮り、ミランダはにこりと笑った。
 「ブックマンに言われました。
 どんなに強大な力を持っていようと、一兵士の働きなど、たかが知れているんだって。
 真に戦局を動かすのは、戦略をめぐらせる司令官であり、相手をしのぐ武器を作る後方支援の者達だって」
 「それは・・・そうかもしれないが、この戦争に限って言えば・・・」
 「同じですよ」
 穏やかな口調が、またもリーバーを遮る。
 「私達エクソシストのことは、コムイさんが守ってくれています。
 中央庁と交渉して、出来るだけ任務が続かないようにまでしてくれました。
 だけどあなた達は相変わらず、昼夜問わず働いて・・・。
 気づいていないんですか?
 それとも・・・気づかないようにしているんですか・・・?
 私達なんかより、あなた達の方がずっと苛酷な状況に身を置いているんだって・・・」
 エクソシストよりなお身を削っていながら、戦場に行かないと言うただそれだけで、彼らを蔑む者達がいることも事実だ。
 だがそれ以上に、彼ら自身が負い目を感じているように思えてならなかった。
 「戦場に行かないからって、自分を責めないでください・・・。
 私はいつも、あなたに支えられて、あなたがいる場所をホームに出来るんですから・・・」
 歩を進め、リーバーの胸に収まったミランダを、彼は抱きしめた。
 「ミラ・・・」
 彼女の細い顎に指をかけ、上向かせる。
 「そうだな・・・俺は俺のやり方で、お前を守るしかない」
 「戦場は違っても、ずっと傍にいてくださいね・・・」
 にこりと笑った彼女に頷き、唇を寄せた時―――― 無粋なアラームが、無線の着信を報せた。
 「ぅあっ?!はい?!」
 慌ててリーバーから離れたミランダが、ポケットから無線ゴーレムを出して回線を開くと、気弱な声が応じる。
 『ど・・・どこにいるであるか、ミランダ・・・!
 もう出発の時間なのであるぅ・・・ファインダー達が、早くしろと睨むのであるよ・・・!』
 怖い、と、子供のように怯えた声をあげるクロウリーに、ミランダは焦った声で『すぐに行く』と答えた。
 「あのっ・・・じゃあ私、行きます!!
 えっと、バースデーケーキはキッチンにありますから、ジェリーさんが後は・・・あぁ、結局飾りつけが出来なかったわ!クリームもまたこぼしちゃったし・・・!
 で・・・でも、きっとジェリーさんがきれいにしてくださるでしょうから、食べてくださいね!
 あのっ・・・その・・・あんまり、おいしくないかもしれませんけど・・・・・・」
 顔を真っ赤にしてまくし立てるミランダに苦笑して頷くと、一旦ドアまで駆けた彼女がまた戻ってくる。
 「なん・・・?」
 駆けて来た勢いのまま飛びつき、リーバーの唇を塞いだミランダは、すぐに離れて踵を返した。
 「い・・・行ってきます!!」
 肩越し、真っ赤な顔で言った彼女に、片手で口を覆ったリーバーが手を振る。
 バタバタと騒々しい足音が遠ざかると、リーバーは苦笑して血のついた手を見下ろした。
 「イテ・・・」
 唇を舐めると、ぴり、としみる。
 「あいつ、ホントに不器用だな」
 キス攻撃による負傷を指で拭ったリーバーは、来た時よりはだいぶ軽やかな足取りで部屋を出て行った。


 「あ!はんちょーう!!」
 科学班へ戻る途中、背後から強烈なタックルを食らったリーバーは、なんとか持ちこたえて轢死を免れた。
 「リ・・・ナ・・・リィィィィィ!!!!」
 肩越しに睨んできたリーバーの目に怯えて、リナリーはそろそろと後ずさる。
 「えと・・・ごめんなさい!」
 深々と頭を下げたリナリーに、リーバーが向き直って手を振り上げる気配がした。
 「ひっ・・・!」
 げんこつされる、と、身を縮めたリナリーの頭に、大きな手が乗って撫でてくれる。
 「・・・へ?」
 意外に思って目をあげると、リーバーが困惑げな表情でリナリーの頭を撫でていた。
 「班長、どうし・・・ぅあ!!班長!口から血が出てるよ!血!!
 リナリーが抱きついた時に切っちゃった?!
 ごっ・・・ごめんね!ごめんなさいいいい!!」
 頭を撫でてくれるのはきっと、すごいお仕置きの前触れだと思ったリナリーが、必死に謝る。
 と、リーバーが深々とため息をついて、リナリーはびくっと飛び上がった。
 「は・・・班長・・・・・・?!」
 どんなお仕置きが、と、怯える目に、彼女の初任務を思い出して、リーバーはまたため息をつく。
 「お前が行く時は、あんな風に思わなかったけど・・・室長はこんな気持ちだったんだろうなぁ・・・」
 「なにが?」
 できるだけお仕置きが来る時を遠ざけようと、すかさず話に乗ったリナリーの問いには、苦笑して首を振った。
 ここで、『お前が初任務に出かけた時には、代わってやりたいなんて思わなかった』なんて言おうものなら、手のつけようがないほど怒るだろうことは目に見えている。
 「なんでもないよ」
 くしゃくしゃと髪をかき回して手を放し、再び歩を進めると、リナリーが仔猫のようにまとわりついてきた。
 「ねぇねぇ、怒った?怒ったの、班長?
 ねぇねぇ、もうしないから怒んないでぇ・・・?
 ねぇねぇ、リナリーが手当てするからゆるしてぇ?
 ねぇねぇ、ジェリーに言いつけないでね?もうしないから言いつけないでね?
 ねぇってばぁー!班長ぉー!!ごめんなさいぃー!!!!」
 「あーもー!!
 怒ってねぇから乗るな!重い!!」
 いつの間にか背中にぶら下がっているリナリーに言えば、彼女は素直に降りて、リーバーの腕に縋る。
 「怒ってないの?ホント?
 じゃあ一緒にお茶しようよーv
 「なんでだよ!俺は忙しいんだよ!!」
 「いいじゃない。
 班長のお誕生日だって言ったら、バクさんがすっごくおいしいお茶くれたんだよv
 ジェリーにおいしく淹れてもらって、ミランダのケーキ食べよっv
 「はぁ?!
 お前・・・」
 「早くしないと、明日のパーティに出てくる前に、アレン君がつまみ食いしちゃうよ!
 先手必勝だよ!」
 ね?と、小首を傾げるリナリーに苦笑し、彼女に腕を引かれるまま、リーバーは食堂へと向かった。
 リナリーがはしゃいだ声で無線を入れていたため、着いた時にはもう、お茶の用意ができている。
 ミランダがデコレーションできなかったと言っていたケーキは今、完璧に仕上げられて、テーブルの中央に置かれていた。
 「さすが料理長・・・早いっすね」
 「ウフフv
 とーぅぜんよぉv
 感心するリーバーに、ジェリーは得意げに胸を張る。
 「ささv
 お座んなさい、アンタ達v
 さっきからアレンちゃんが狙ってるから、早く食べちゃってぇんv
 ジェリーが指した瞬間、テーブルの間に沈んだ白い頭を、リナリーが睨んだ。
 「アレン君たら!」
 「まさに虎視眈々だな」
 リーバーが苦笑して席に着くと、ジェリーがきれいに切り分けたケーキが置かれる。
 「チョコレートスポンジにダークチェリー、ホワイトチョコレートクリームのケーキよんv
 「チョコレートケーキ?!」
 白いクリームに包まれたスポンジが香ばしい香りをあげて、リナリーが飛びついた。
 「班長ーvv
 リナリーも食べたいーvvv
 甘い声をあげて擦り寄ってきたリナリーは、しかし、ジェリーに羽交い絞めにされて引き離される。
 「なんでー!いいじゃないかー!!」
 「めっ!
 あれはミランダがリーバーに作ったのよん!
 アンタにはアタシのケーキあげるから、今はおとなしくなさい!」
 叱られて、ふくれっ面になったリナリーに笑い、リーバーはケーキを口に入れた。
 「うん、うまい。
 あいつ、がんばったな」
 満足げに頷くリーバーに、リナリーを拘束したままのジェリーがにんまりと笑う。
 「そぉ、よかったv
 好きなだけ食べなさいなv
 ぽいっと、リナリーを放り出したジェリーが手ずから淹れてくれたお茶を受け取ろうと、伸ばした手から力が抜けた。
 「ぁれ・・・?」
 目が霞み、瞬いた瞬間、ごんっと、痛そうな音を立ててリーバーがテーブルに突っ伏す。
 「・・・あれ?どうしたの?」
 床の上で目を丸くするリナリーににこりと笑い、ジェリーは自分の無線ゴーレムを取り出した。
 「ジジちゃーんv
 リーバー強制休養作戦、うまく行ったわよんv
 やっぱりこの子、ミランダの作ったものは無警戒に食べちゃったわんv
 途端に回線の向こうから大爆笑と大歓声が溢れ、リナリーは更に目を丸くする。
 「えーっと・・・それってつまり・・・・・・」
 呆然と言うリナリーに、無線を切ったジェリーが笑って手を伸ばした。
 「ウンv
 この子ったら、ずっとローテーション無視して働いてたでしょぉ?
 だからみんなで、無理やり休ませちゃおうって作戦何度も決行してたんだけど、全然引っかからなくってねェ・・・」
 リナリーの腕を引いて立たせたジェリーが、クスクスと笑い出す。
 「最終手段で、ミランダが作ったものなら食べるんじゃないかって、あの子にバースデーケーキの口実で作らせたのよんv
 「ミ・・・ミランダってば、あんなにたのしそーに睡眠薬入りのケーキ作ってたの・・・?」
 信じられない、と、絶句するリナリーに、ジェリーは首を振った。
 「あの子があんなに平然と、リーバーを騙せるわけないでしょ」
 いたずらっぽく笑うジェリーに、リナリーが首を傾げる。
 「え・・・じゃあ、どうやって・・・?」
 「ジジちゃんが作った無味無臭の睡眠薬を、アタシが粉やクリームに混ぜて渡してたのよんv
 ・・・だけどやっぱり、不純物が入ると、うまく膨らまなかったり泡立たなかったりするのよねェ・・・。
 ミランダは自分が不器用なせいだって思い込んでたけど、実は仕掛けがあったってことなのんv
 そう言って得意げに笑うジェリーに、リナリーは深々と吐息した。
 「じゃあ班長、いつまで寝てるの?」
 テーブルに突っ伏し、深い眠りに就くリーバーを見下ろして問うと、ジェリーは愛らしく小首を傾げる。
 「知らなぁいv
 でもジジちゃんは、象が10時間は寝る量だって言ってたわんv
 「死んじゃうよ!!」
 真っ青になったリナリーの声に、ジェリーはまた軽やかな笑声をあげた。
 「この子の体力なら大丈夫よんv
 ・・・・・・アレンちゃんもね」
 「はぅっ?!」
 ジェリーの指した先では、ケーキを盗み食いしたらしいアレンが床に転がっている。
 「アレン君たら!!」
 「リーバーを部屋に運んで欲しかったのにねーぇv
 幸せそうに寝息を立てる彼を、リナリーは目を吊り上げて睨み、ジェリーは楽しげに笑って抱き上げた。


 ―――― その後。
 「リーバーさん・・・起きてください、リーバーさん・・・」
 優しい声と共にゆっくりと揺すられて、リーバーは目を覚ました。
 「おはようございますv
 「・・・あれ?なんで寝てんだ、俺?」
 寝起きのくせに、いやに状況判断の早い彼にミランダは苦笑する。
 「それが・・・リーバーさん、睡眠薬を盛られたそうですよ」
 「道理で・・・!
 ちっくしょ、頭回ンねェ・・・!」
 「それだけ状況判断が早いんですもの。
 十分回ってますよ」
 クスクスと笑いながら、ミランダはベッドに半身を起こしたリーバーへ小首を傾げた。
 「ジジさんから伝言です。
 またクスリを盛られたくなかったら、今度からちゃんと休め、ですって」
 「けっ・・・」
 余計なお世話だ、と、口の中でぼやいたリーバーは、時計を見て頷く。
 「2時間しか寝なかった割には、ずいぶんすっきりしたな・・・って、ミランダ、任務に行ってたんじゃ?」
 大きく伸びをしながら言うと、ミランダはにこりと笑った。
 「終わりましたv
 「へぇ・・・そりゃずいぶん早かったな。
 やっぱ、神田の次に仕事早いのはクロウリーかな・・・」
 感心しつつベッドから足を下ろし、立ち上がろうとした途端、リーバーがよろけてミランダが支える。
 「す・・・すまん・・・」
 紅くなった彼に、ミランダはクスクスと笑い出した。
 「まだ薬が効いているんでしょうね」
 「みたいだな」
 苦笑して歩を踏み出すが、またよろけて結局ミランダに支えられる。
 「なんで・・・!」
 「薬のせいですよ」
 驚くリーバーにそう言って、ミランダはまたクスクスと笑った。
 その様子に違和感を覚えたリーバーが、
 「・・・おい。なんか企んでるだろ」
 と耳元に囁けば、ミランダはびくっと肩を震わせる。
 「なっ・・・なにも?!」
 「バレバレだっての」
 とぼけるミランダの髪をかき上げ、耳に直接囁きかけると、首まで真っ赤になった。
 「白状しろ」
 「やっ・・・やぁん・・・!!」
 吐息を吹きかけられて、ミランダが身を捩る。
 途端にバランスが崩れて、二人してよろけた。
 「あっ・・・!」
 「きゃっ・・・!」
 とっさにミランダを庇ったリーバーの肩がドアにぶつかり、半開きのそれが外へ向かって開かれる。
 「ぅわっ!!」
 「ひっ!!」
 二人してまろび出た瞬間、廊下に破裂音が響いた。
 「ハッピーバース・・・・・・・・・」
 祝いの声はしかし、途中で消えて、リボンが虚しく宙を舞う。
 ぽかん、と口を開けたリナリーの目はコムイに、同じくアレンの目はジェリーに塞がれ、赤毛を白い包帯で覆ったラビの嬉しそうな顔の隣では神田が呆れ顔をそらし、更にその隣ではエミリアが顔を紅くしていた。
 「・・・・・・とりあえず、誤解だ、っつっていいか?」
 「お邪魔しちゃって、ごめんなさいねぇんv
 ミランダを胸にしっかり抱きしめたまま仰向けに転がったリーバーに、ジェリーが余計な気を利かせる。
 「えっと・・・とりあえず、パーティの準備はしたから。
 落ち着いたら来ておくれね!」
 「室長?!」
 リナリーの目を塞いだまま、早口に言ってさかさかと遠ざかっていくコムイの背に叫ぶも、彼は無視して回廊の向こうに消えてしまった。
 「だから、誤解・・・!」
 「えぇ、わかってるわんv
 だけど、子供達の前では遠慮してねぇんv
 言葉とは逆に、全然信じていない口調で言ったジェリーもまた、アレンの目を塞いだまま回廊の奥へと消えていく。
 「料理長ぉぉぉぉぉ!!!!」
 「イヤ、誤解するなって言われても無理さ」
 ヘラヘラと笑って見下ろすラビの隣で、神田がため息をついた。
 「いい加減離れろよ、お前ら・・・」
 「班長、ミランダ放してあげて」
 真っ赤な顔のまま、ミランダへ手を伸ばしたエミリアに従い、リーバーが腕を開く。
 「あぁ、びっくりした・・・」
 ほっと吐息するミランダに笑ったラビが、リーバーを助け起こした。
 「一人じゃ立てねぇんだろ?
 26時間も寝てりゃ、足が萎えるのも無理ないさ」
 「は・・・?」
 愕然とするリーバーに、ラビが楽しげに笑い出す。
 「26時間!
 俺、21時間45分26秒は寝たことあるけど、さすがに26時間7分15秒はねーよ!
 脱帽するさねーv
 秒まで正確に言って、ラビは帽子を脱ぐ仕草をした。
 「・・・道理でミランダがいるはずだぜ」
 「はい、さっき帰ってきましたv
 未だ呆然とするリーバーににこりと笑い、ミランダがラビに代わって彼を支える。
 「パーティに行きましょv
 今日はお薬の入ってないケーキがありますからv
 「薬盛られたのはケーキだったのか・・・」
 ハメられた、とぼやきつつ、リーバーと一行はパーティ会場となった食堂へ入った。
 ミランダに支えられた彼を見るや、アレンとリナリーが慌てて目を逸らしたことに軽いショックを覚えつつも、リーバーはクラッカーの弾ける中を主役の席に着く。
 リンクの殺意に溢れた目は心地よく受け流して、今度は途中で止まらない祝いの言葉とバースデーソングを苦笑しつつ受け取った。



Fin.


 










2010年班長お誕生日SSですよ!>メインは前日だけど!(をい)
これは去年、りえるさんがリク(?)・・・リクって言うか、『班長SSまとまんなかったのでよろしく(笑)』って送ってくれた(笑)SSを元に再構成しました(笑)
『自由にしてOKv』ってことだったんで、本当に自由に弄ったよ(笑)←やりすぎ。
本当は、班長の浮気現場目撃したミランダさんのジェラシーって展開だったんですが、ミランダさんって、嫉妬とかしない気がしたので、こうなりました。
ちなみにメインテーマは『俺のトラウマ摩り替えてやる』(をい)
あの時、最初に目を覚ましたのは班長だったんだからねっ!ってのを、意地でも書きたかったのが正直な気持ちです(笑)←執念深い。
バロウズ班長が生化学専門かどうかは知りません(笑)
潔癖症なのは仕事に由来するのかな、って思っただけ。
そして、男女どっちを殺すか、ってのは本当ですよ。
私だって、浮気されたら相手の女殺して男捨てると思います。>どっちもかい。
だからボネ姉さんは、ミランダさんの命を狙ってると思います!>断言すんな。
天城越えは作詞者が男性なんでしょうな。
だから女が『誰かに取られるくらいならあなたを殺していいですか』なんつってますけど、女性が作詞したら、『相手を殺していいですか』だと思います。
ちなみに『別れても好きな人』も作詞は男性だと思います。
生物的にも、女は『別れたら次の人』だそうです。←名前と顔忘れる人。












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