† Floods of tears †
†このお話はシャーロック・ホームズシリーズを元にしたパラレルです† 舞台は19世紀ですが、D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。 頭を空っぽにして読んで下さいね なお、『ミステリ』であるため死体が出てきます。苦手な方はご注意ください。 |
「うわぁ・・・すごーぃ・・・・・・」 馬車を降りたリナリーは、凍った湖に影を落とす絶壁の上、幾つもの尖塔が連なる城を見あげた。 「あれが・・・クロウリー城かぁ・・・・・・」 白い息を纏いつつ、初めて見る西洋の城に感心するリナリーを、馬車から兄が呼ぶ。 「リナリー! もういいでしょ!早く行こうよ!!」 寒い、と、悲鳴をあげる兄に頷いたリナリーは、ひらりと踵を返して馬車へ戻った。 「もう! お兄ちゃんが寒いの嫌いだって、知ってるでしょぉぉぉぉ!!!!」 ガタガタと震える兄に苦笑し、リナリーは向かいの座席へ軽く頭を下げる。 「ごめんなさい」 「いや。 初めて来た時は、俺もそこからしばらく見てたからな」 リーバーが軽く首を振ると、その隣でミランダが微笑んだ。 「月を背景にした姿が素晴らしいでしょう? あのお城は、ここからの景色が一番素敵なんですよ・・・ 「す・・・素敵かなぁ・・・・・・」 むしろ不気味と言う言葉の方がしっくり来る、と月を見上げたリナリーの隣で、コムイが何度も頷く。 「ゴシックな見た目に反して、中は結構ハイテクなんだ! あれはホントに素敵なお城だよね!」 寒くないから、と、断言した兄に、リナリーはまた苦笑した。 「ホントに・・・寒いの嫌いなんだね」 「そう言うキミこそ、平気なの?! ずっとインドにいたんでしょ?!」 ぶるぶると震えながら言う兄に、リナリーは小首を傾げる。 「寒いけど・・・雪がこんなに積もっているのは初めて見たから、嬉しい方が勝っちゃったかな」 目を細めて窓の向こうを眺めるリナリーに、ミランダが笑みを深めた。 「ここは、とっても寒い国なのよねぇ・・・。 以前、父の赴任で住んでいた時は、ちょうど冬のさなかだったから、うっかりするとドアが雪で塞がれたりして、とっても大変だったの」 でも、と、両手を合わせたミランダが、うっとりと頬を染める。 「その時赴任していたおかげでクロウリー家の結婚式に招待されて・・・すごく素敵だったんです 城内の、ゴシック様式の礼拝堂は大きなステンドグラスで彩られ、暗い堂内が淡く照らされていた・・・。 「その中を、純白のドレスを着た奥方が優雅に歩まれて・・・本当に、この世のものとは思えない美しさだったわ・・・ 「そうなんだ! でも、ミランダだってきれいだったよ?」 リナリーがそう言った途端、ミランダは肩を落とし、みるみる萎れる。 「ごっ・・・ごめんっ・・・! ごめんなさいっ・・・!」 ミランダが一生に一度の結婚式で気絶してしまい、それがトラウマになっていることをリナリーは、すっかり忘れていた。 慌てたリナリーがおろおろとリーバーを見ると、彼が笑ってミランダの肩を抱く。 「なんならもう一回結婚式やるか?」 明るい声の提案に、ミランダは弱々しく首を振った。 「そんな・・・主を侮るようなことは出来ません・・・。 それに・・・もう一度やっても、同じことになりそうな気がするもの・・・」 生真面目なミランダの返答に、コムイがたまりかねて笑い出す。 「あ! 兄さん、コラ!」 リナリーが慌てて制するが、彼の笑いは止まらなかった。 「ひ・・・酷いです・・・」 真っ赤になったミランダにひらひらと手を振って詫びたコムイは、リーバーに睨まれて無理矢理笑いを治める。 「ゴメンゴメン! だって、あんまり生真面目なんだもん!」 苦しげに言うと、ミランダにまで睨まれて、コムイは気まずげに窓の外を見遣った。 「あ!ホラ、見て見て、リナリー! あんなにおっきい門がね、自動で開くんだよ!」 そう言ってコムイが指した鋼鉄の門が、ゆっくりと内側へ開いていく様を、リナリーはじっと見つめる。 「嘘みたい・・・。 誰かがこっそり開けてるんじゃないの?」 信じがたい表情の妹に、なぜかコムイが得意げに胸を張った。 「それが、本当に自動開閉なんだなぁ! なんでも、温泉の蒸気を動力源にしてるらしいよ!」 「へぇぇ・・・温泉・・・! 温泉でこんなことができちゃうんだ・・・・・・!」 興味津々と門を見つめるリナリーに、コムイが大きく頷く。 「すごいよね! しかも、考え出されたのは何百年も前だそうだよ! この天才的な技術をぜひとも学んで帰りたいと思って、ボクは卿のお誕生会に招待されたんだ!」 去年は『寒いから』と頑なに拒んだコムイだったが、奥方の再三の招待と、この城の調査を許可すると言うアレイスター卿の申し出にとうとう折れて、はるばるやって来た。 そしてその旅に便乗したのがウェンハム夫妻だ。 「ご夫婦にお会いするのは何年ぶりかしら・・・ 奥方には色々気にかけて頂きましたし、卿にもお世話になったのですけど、何年もお手紙のやり取りしかしていませんでしたから・・・」 馬車が明かりの灯ったエントランスに近づくにつれ、ミランダの目が輝きだした。 「夏の間は欧州中を旅してらっしゃるんですよ きっと、お話を聞くだけでも楽しいわ この旅に乗り気でなかった夫へ一所懸命話しかけると、彼は苦笑して頷く。 「だが、ここにいる間はあったかくしてろよ? お前、先週まで熱出して寝込んでたんだから」 そう言って、馬車を降りる寸前にもかかわらず、リーバーはミランダをもふもふとマントや毛布で包んだ。 「もう・・・平気だって言ってますのに・・・・・・」 苦笑するミランダに、しかし、リーバーは頑なに首を振る。 「お前一人の身体じゃないんだから!」 「あのぅ・・・それは、妊娠してから言ってくださいって、いつも・・・」 「こういうことは、普段から気をつけないといけないんだ!」 リーバーがしかつめらしく言うと、その向かいでコムイが肩をすくめた。 「そりゃそうだけど、若いオンナノコには目の毒だから、あんまりいちゃいちゃしないでくれるぅ?」 コムイが顔を赤らめて俯くリナリーを指すが、リーバーは構わず彼を睨む。 「じゃあ聞きますけど、リナリーが先週まで熱出して寝込んでたとしましょう。 さぁ、どうしますか?」 途端、 「リナリー!! おそと出ちゃだめぇええええええええええ!!!!」 コムイがヒステリックな声をあげて、リナリーにマントを着せ掛けた。 「ちょっ・・・風邪なんかひいてないってば!!」 もふもふと包まれたリナリーが、泣いて抱きつく兄を慌てて押しのける。 するといつの間にか止まっていた馬車のドアが開いて、勢い余ったコムイが雪の中へと転がり落ちた。 「あっ!! も・・・申し訳ございませんっ!!」 クロウリー家の召使いが慌ててコムイを抱き起こし、真っ白になった彼から雪を払い落とす。 「ノ・・・ノックはしたのですが、お返事がないので、ドアを開けてしまいました・・・・・・」 申し訳なさそうに身をすぼめる彼に、続いて馬車から下りたリーバーが手を振った。 「気にすんな、トマ。 探偵は落ちたんじゃなく、落とされたんだから」 な?と、笑って振り向いた馬車の中で、リナリーが気まずげに目を逸らす。 「ご・・・ごめんなさい・・・・・・。 でも・・・」 わざとじゃないもん、と、言い訳がましく言ったリナリーに、ミランダが吹き出した。 「そうね、アクシデントだったのよね」 クスクスと笑いながらミランダが馬車を降りると、既にエントランスのドアを開けた夫が早くと手招く。 「病み上がりなのに、いつまでも雪の中にいるんじゃない」 「はいはい」 苦笑して、早めた足が凍った階段で滑った。 「きゃっ・・・!」 「ホラ! しっかり歩けよ!」 いつの間にか傍にいた夫に受け止められて、ミランダはまた苦笑する。 「ほんとに・・・なんでもお見通しですね、あなたは」 「旦那なんだから当たり前だ」 やや照れくさそうに言ったリーバーの腕に、ミランダは笑って縋った。 そんな二人の背中を羨ましそうに見ていたコムイは、さくさくと雪を踏んで歩くリナリーの腕を掴む。 「さぁ 転ばないように、お兄ちゃんに掴まっておいで 「いいよ。 一人で歩ける」 冷たく言って先に進もうとするリナリーに引かれ、コムイが足をもつれさせた。 「ちょっ・・・リ・・・ぎゃふっ!!」 根雪に足を取られ、また雪にまみれたコムイにトマが駆け寄る。 「あ・・・あの、中までトマが支えますので・・・!」 「うう・・・ありがとぉ・・・・・・!」 トマに肩を借りて立ち上がったコムイを、ポーチの階段からリナリーが呆れ顔で見下ろした。 「兄さんったら・・・本当に探偵なの?」 「う・・・ボクは頭脳派なんだよ・・・。 運動は苦手なんだ・・・・・・」 気まずげに言いながら、凍った階段を恐る恐るのぼったコムイは、待っていてくれたリナリーの手を取ってエントランスに入る。 「はぁ・・・あったかいー・・・ ほっと吐息して、コムイは苦笑して待つリーバー達へ歩み寄った。 「トマ、肩貸してくれてありがとう〜 「いいえ」 慎ましく一礼したトマは、役目を果たすべく、足早にエントランスを出て行く。 すると入れ替わりに、大階段の上に城主夫婦が現れた。 「ようこそおいでくださった!」 ホールによく響く声が、喜色に満ちている。 「なんと久しぶりであろうか! 会いたかったであるよ、コムイ殿、リーバー殿も!」 階段を足早に下りた城主はしかし、まずミランダに歩み寄って、その手を取った。 「久しぶりである、フロイライン・ミランダ。 ようこそおいでくださった」 貴族らしく、ミランダの手に恭しいキスをした城主の背に、クスクスと華やかな笑声がかけられた。 「違いますわよ、あなた。 彼女はもうフロイライン(令嬢)ではなく、フラウ(夫人)ですわ」 ゆったりと大階段を下りてきた女性の姿に、リナリーは頬を染めて見惚れる。 その視線に気づいて、彼女は魅惑的な笑みを浮かべた。 「あなたが探偵の妹さん?」 艶やかな声に無言で頷いてしまったリナリーは、慌てて片膝を折る。 「リ・・・リナリー・リーです、奥様。 はじめまして」 「あら、なんて完璧なお辞儀かしら! 一人前のレディね」 感心して頷き、夫人はリナリーに歩み寄った。 「でも、奥様なんておやめになって。 エリアーデでかまいませんわ」 優雅に差し出された手を、リナリーは軽く握る。 「ふふ・・・ よろしくね」 真っ赤になったリナリーに笑いかけて、エリアーデはミランダへ両手を広げた。 「ミランダ! お久しぶりですわ!」 「えぇ、エリアーデさん!」 親しげに抱き合った二人が、互いの頬にキスをする。 「結婚式のことは、本当にごめんなさいね! 招待状が行き違うなんて・・・!」 申し訳なさそうに眉根を寄せるエリアーデに、ミランダは笑って首を振った。 「いいえ。 とても・・・その、エリアーデさんにお見せできるような花嫁じゃありませんでしたので・・・・・・」 段々声のトーンが落ちていくミランダを、エリアーデが不思議そうに見つめる。 「どうかなさったの?」 ミランダに問いつつ、リーバーを見やったエリアーデに、彼は苦笑して首を振った。 「まぁ、過ぎたことはよいではないか」 奇妙な雰囲気を察してか、城主が笑ってリナリーに歩み寄る。 「フロイライン・リナリー、城主のアレイスター・クロウリーVである。 このような寒い所まで、大変であったろう。 なにもない城だが、ゆっくり過ごされるとよい」 「は・・・はい、城主様・・・・・・!」 初めて『フロイライン』と呼ばれたことに驚いて、リナリーの声が上ずった。 と、彼は笑ってリナリーの手を取る。 「アレイスターでよいであるよ」 恭しくキスしようとした途端、コムイが肩を叩いて邪魔をした。 「すみません、アレイスター卿。 ウチの妹、そういうのに慣れてないんで」 「ん?そうなのであるか?」 「は・・・はひ・・・・・・」 茹で上がったように真っ赤なリナリーに笑って、アレイスターは軽く握手する。 「よろしくである」 「はひっ・・・!」 しゃっくりのような声を出したことに気づいたリナリーは、真っ赤になって俯いてしまった。 気まずい思いをしていると、 「さぁ、中へどうぞ。 寒かったでしょう?」 エリアーデが声をあげて、奥へと手を差し伸べる。 「ずいぶん遅くなってしまいましたものね。 雪で、列車が止まったんですって?」 何もなかったように話しかけてくれるエリアーデに、リナリーはホッとして頷いた。 「食事の用意はできているであるから、ゆっくり・・・」 言いかけたアレイスターは、激しく玄関のドアを叩く音に振り返る。 「何事であろうか」 訝しく言いつつも、自らの手でドアを開けないのが城主の振る舞いだった。 奥から飛んできたトマが、アレイスターの許可をもらってからドアに手をかける。 と、 「死ぬかと思ったさ――――――――!!!!」 「寒かったですうううううううううう!!!!」 雪にまみれて真っ白になった二人が、エントランスへ転がり込んできた。 「だ・・・誰であるか・・・?」 驚くアレイスターに、雪まみれの二人が顔をあげる。 「ジジィ・・・じゃない、祖父、ブックマンの使いで、ラビと申します。 こちらは従弟のアレン。 ご依頼の調書をお持ちし・・・」 「あれぇ?! リナリー?!」 隣で頓狂な声をあげたアレンに口上を遮られて、ラビは目を丸くした。 「あれ・・・コムイにリーバー・・・ミランダも・・・・・・」 「な・・・なんで・・・・・・?」 唖然としたリナリーに、一旦ラビを見やったアレンが歩み寄る。 「おじいちゃんのお使いです。 男爵家から依頼された調べ物のお届けなんですけど、おじいちゃん、寒いところは絶対行きたくないって言うから、僕達が来たんです」 ひそひそと囁くと、それを聞いていたコムイがアレイスターを振り返った。 「もしかして、このご招待はお仕事の依頼でしたか?」 問うと、夫婦は二人して首を振る。 「違うであるよ。 ブックマンには、我が家の正統なる家系図を書いてもらったのである。 祖父が亡くなってからというもの、あちこちで相続問題が持ち上がって大変だったのである・・・彼は有名な史家であるし、彼の折り紙つきであれば文句を言う輩もいなくなると思って、調べてもらったのであるよ」 ラビが恭しく差し出した箱を受け取ったアレイスターは、そう言って軽く会釈した。 と、ラビが得意げに笑う。 「祖父からの伝言です。 家系図と共に、貴家の歴史と所有財産の一覧も作成しております。 なお、余計なことかとは存じましたが、不当に詐取されておりました領地と財物は既に法廷へ訴え、取り返しておりますゆえご安心を、とのことです」 「・・・は? そのようなものがあったのであるか!」 驚いたアレイスターは、手にした箱が急に重くなったかのように見下ろし、苦笑した。 「・・・実に我が親戚らしい所業である。 ブックマンには感謝するであるよ」 そう言ってアレイスターは、にこりとラビに笑う。 「ご苦労であった。 さぞかし寒かったであろう。 もう遅い時間であるし、二人とも泊まって行くがよいよ」 「た・・・助かりますぅー・・・!!!!」 感涙して、アレンはアレイスターへ駆け寄った。 「僕、アレン・ウォーカーです! よろしくお願いします!」 「うむ、アレイスターである。 こちらは妻のエリアーデ・・・」 「スットライック!!!!」 アレイスターの背後からエリアーデが進み出た瞬間、ラビが目を輝やかせて叫ぶ。 「なんってキレイな人さ! 人妻なんてあり得ないさ!!!!」 一瞬でエリアーデに詰め寄ったラビは、彼女の両手をしっかりと握った。 「ハジメマシテ、俺、ラビっす! ブックマンのジジィの孫で後継者さ! 絶対幸せにするんで、未亡人になったらすぐ俺を呼んでクダサイ 怒涛のアプローチに皆が呆気に取られる中、進み出たアレンがラビへ足を振り上げる。 「なに言ってんですか、このアホは!!」 「げふっ!!」 わき腹に鋭い蹴りを受け、血反吐を吐いたラビの首根っこをアレンが掴んだ。 「これ、雪の中に捨ててきます」 冷たく言うや、彼をずるずると引きずって外へ放り出したアレンを、誰も止めはしない。 どころか、 「では皆様、ご案内いたしますわ と、エリアーデが微笑んで手を差し伸べるや、止まっていた時間も動き出した。 「わぁい ごはん楽しみですぅ 「お二人ともお変わりなく、なによりっす」 「あら 以前よりお美しくなられましたわ 「リナリー嬢、こちらへどうぞ」 「はい、アレイスター卿」 「僕もごはんー!!」 と、それぞれにラビの存在をなかったこととして振舞う。 「ひどいさ――――――――!!!!」 泣き声をあげて、ラビが凍った窓を外からバンバンと叩いた。 「入れてさあああああああ!!!! 凍るうううううううううう!!!!」 「なんか聞こえるね」 「ほっといていいですよ。 凍れば静かになります」 冷たいリナリーに更に冷たく返して、アレンが奥へと進むアレイスターと並ぶ。 「いいにおーぃ ごはん楽しみです 「そうか。 たくさん食べるとよいであるよ」 「わーぃ 気前のいい城主に歓声を上げてついて行くアレンの背を、白く曇ったガラスの向こうから、ラビが恨めしく見送った。 と、横からさくさくと雪を踏む音がして、クロウリー家の召使いが歩み寄る。 「こちらへどうぞ。 ブックマンJr.を凍死させるのは、主人の本意ではありませんので」 そう言って、慎ましく一礼したトマにラビが抱きついた。 「ありがとうさあああああああああああああああ!!!!」 「はっ・・・はぁ・・・・・・」 激しい感動について行けず、戸惑うトマの手を握ってぶんぶんと振る。 「早速連れてってさ!!」 「あ・・・はい・・・」 コムイという前例を知っているため、ロンドンの人間とはこういうものかと勘違いしたトマは、気を取り直して先に進んだ。 「こちらへどうぞ」 トマが手を差し伸べた方へ、ラビは歩を踏み出す。 「滑りますので、お気をつけて・・・・・・」 にこりと微笑んだ彼に、ラビは足早について行った。 晩餐が済み、一旦部屋に引き上げたミランダは、広い部屋の調度類に感嘆の吐息を漏らした。 「すごい・・・! 本当にお城なんだわ・・・・・・!」 「あれ? 泊まった事なかったのか?」 リーバーが問うと、ミランダは興奮気味に頷く。 「官舎がありましたから・・・こんなに素敵なお部屋に泊まるのは初めてです・・・・・・!」 うっとりとした表情で部屋に歩を進め、ミランダはじっくりと部屋中を眺めた。 「すごい・・・ 大きなベッドに腰掛け、初めて見た天蓋を見あげる。 「こんなベッド・・・本当にあるんですねぇ・・・・・・」 上を見ているうちに身体が傾ぎ、ベッドの上に寝転がった。 「おい。 まだ寝るなよ?」 晩餐が終わっただけで、夜はまだ終わっていない。 パーティは明後日、12月1日だが、久しぶりに会ったということもあって、長い歓談になるはずだった。 しかし、 「疲れたし・・・私はこのまま失礼しようかしら・・・」 ころん、と転がって言うと、リーバーはあっさりと頷く。 「じゃあ、着替えて暖かくしてろ。 そのまま寝たら、またぶり返すぜ?」 「えぇー・・・・・・!」 つれない夫の言葉にミランダは、不満げな声をあげて起き上がった。 「不参加はダメだって、言ってくれると思いましたのに・・・」 「お前・・・旦那なめんなよ? 先に寝かせようとしたら、俺が来いって言ったんだからとかワガママ言って、朝まで飲んでるつもりだったろ」 すっかり見抜かれていて、ミランダは気まずげな顔を枕にうずめる。 ふてくされたのか、無言の彼女にリーバーは肩をすくめた。 「子供か」 「・・・子供でいいです」 拗ねた声音に思わず笑ってしまう。 「朝まで飲むなよ」 うつぶせた頭をくしゃくしゃと撫でてやると、ミランダは嬉しげな顔をあげた。 「じゃあ2時ごろまで 「日付越える前に寝ろ!」 叱られて、ミランダは口を尖らせる。 「あと2時間しかないわ!」 「2時間『も』あるだろ!」 また叱られたミランダは憮然と起き上がり、無言で身支度を始めた。 一方、『子供は早く寝なさい』と部屋に閉じ込められたリナリーは、しばらく不満げにドアを蹴っていたが、誰も来てくれないどころか、声すらかけてもらえずにふてくされてしまった。 「・・・ふんっ! なんだよ・・・ふんっ!!」 大人の仲間に入れてもらえなかったことが悔しくて、殊更子供っぽく服を脱ぎ捨てる。 「なんだよっ! 王宮にいた時は、殿下のお傍で宴に参加できたのに・・・なんで今はダメなんだよっ!」 スリッパも履かずに毛足の長い絨毯を蹴り、バスルームに入った。 「明日は絶対、兄さんと口利いてあげないんだから・・・・・・わぁ!!」 ぶつぶつと不満を漏らしていた口が、感嘆の声をあげる。 「す・・・すっごい!! 豪華すぎる!!」 王宮の豪華な浴場を見慣れていたリナリーが呆れるほど、そのバスルームは広く豊かに湯が波打っていた。 「そ・・・か・・・! 温泉かぁ・・・・・・!」 湯源には納得したものの、まさか個室の続き部屋にこれほど広い浴場があるとは誰も思わないだろう。 「こ・・・これ、私一人で入っていいんだよね・・・?」 他の部屋と共同なんじゃ、と、湯煙を透かして見るが、入り口はリナリーが入って来たドア一つしかなかった。 「な・・・なんか・・・緊張するよぉ・・・・・・」 泣き声をあげながら恐る恐る湯船に足を入れると、じんわりと温かさがしみる。 「えと・・・お湯、いただきます・・・・・・」 たぷん、と肩まで浸かれば、全身に温かさが広がった。 「ふにゃああああああん 緊張感はどこへやら、緩みきった声がバスルームに響く。 「気持いいー ずっと入ってたいぃー ちょうどいい湯加減に機嫌はすっかり直り、リナリーはぱたぱたと四肢をばたつかせた。 そして大人達に追い出されたもう一人の子供も、広い湯船でばしゃばしゃと泳いでいた。 「ラビってば余計なことするから、せっかくのお風呂入れなくて可哀想〜♪」 クスクスと笑いながら窓辺まで泳いだアレンは、換気のために細く開いた窓を大きく開ける。 「えへ 涼しいー 雪の積もった風景は、本当なら凉しいどころではないが、湯に火照った身体にはちょうどよかった。 「まさか、まだ外にいないよね」 窓から地面を見下ろすが、足跡もない雪が見えるばかりで、あの赤い髪は見えない。 「・・・って、追い出したのは玄関からか。 じゃあこっちからは見えないや」 呟いてアレンは、雪混じりの風が吹き込む窓を閉めた。 「どうせもう誰かに取り入って、暖炉の前にいるよ」 従兄への絶大な信頼をのぞかせて、アレンはまた湯船で泳ぎ始める。 「うははー たのしー 退屈な大人の集まりなんかに参加しなくてよかったと、アレンは広いバスルームを思う存分楽しんだ。 ―――― 翌朝。 アレンは周りの騒がしさに目を覚ました。 「・・・にゃに?」 目をこすりながら身体を起こして、隣のベッドを見遣る。 「ラビー・・・あれ? ラビ、もう起きて・・・・・・」 言ってから、ラビは元からこの部屋にいなかったことを思い出した。 そうする間にも、窓の外では多くの声が聞こえる。 どうにもただ事ではない様子に、アレンは渋々ベッドから出た。 「どうしたんですか?」 窓を開けて外に声をかけると、この城の召使い達だろうか、いくつもの蒼褪めた顔がアレンを見上げる。 「?」 彼らが無言で指す先を見て―――― アレンの心臓が凍りついた。 足跡すらない純白の上に、ラビが倒れている。 その鮮やかな赤毛は今、薄く雪を纏い、淡く霞んでいた。 「ラビ!!」 悲鳴をあげて、アレンはガウンも纏わず部屋を飛び出る。 暖かい城内を駆け抜け、薄着のまま雪の中に出てきたアレンを、皆が唖然と見つめた。 「ラビ!!ラビ!!」 叫びながら駆け寄ろうとしたアレンの腕を、誰かが背後から掴む。 「放して!!放してください!!ラビが!!」 甲高い声をあげてもがくアレンに、横からコートがかけられた。 「落ち着いて、アレン君・・・!」 「リ・・・リナリー・・・」 「とりあえずそれ着て。 雪の中で、そんなカッコしてたら凍るよ」 腕を掴んでいたコムイにも言われて、アレンは急いでコートに袖を通した。 「ラビ・・・!ラビが・・・!!」 雪の上でピクリとも動かない従兄を見つめ、泣き声をあげるアレンの肩をコムイが叩く。 「ここにいて。 彼の周りに、本当に誰の足跡もないのか、調べなきゃ」 「え・・・?」 どういうこと、と、コムイを見あげるが、答えてはくれなかった。 ただアレンを押しのけ、取り出したルーペを使ってラビの周りをじっくりと見つめる。 「・・・雪で隠されたとかじゃなく、本当に誰の足跡もないね。 そして、ラビ自身の足跡もない」 「えぇっ?!」 「そんな馬鹿な!」 だったらどうやってここに来たのか、と問うリナリーとアレンの視線を受けて、コムイは上を見あげた。 「この場所に面した部屋から・・・投げ落とされた?」 「え?!」 コムイの言葉に、皆が一斉に上を見あげる。 「じゃ・・・じゃあ、きっと怪我してますから、早く手当てしないと! ラ・・・ラビが凍っちゃいます!!」 いち早く振り向いたアレンが、雪を蹴立ててラビへ駆け寄った。 「ラビ!! ラビ、起きて!! こんな所で寝ちゃ・・・!」 「アレン君、放しなさい。 ラビは寝てるんじゃないよ」 ラビの冷たい身体を抱き起こすアレンに、コムイが声をかける。 「わかっているだろう?」 途端、アレンの目から涙が溢れ出した。 「ラビ・・・うあああああああああああああああん!!!!」 声をあげて泣く少年を、誰もが気の毒そうに見つめる。 ややして、 「さぁ・・・中に入れてあげよう」 コムイが手を差し伸べ、アレンに代わってラビを抱き上げた。 「ねぇ、トマ。 暖房のない、寒い部屋ってあるかな?」 突然問われて、一瞬驚いた顔をしたトマは無言で頷く。 「そう。 じゃあ、ひとまずそこに安置しよう」 「あん・・・ち・・・・・・?」 その言葉にまた泣き出したアレンの背を、リナリーが気遣わしげに撫でた。 「アレン君・・・アレン君、ホラ、立って・・・? こんな所に座り込んだままじゃ、アレン君まで凍っちゃ・・・・・・」 不意に、リナリーの目からも涙が零れ出す。 「ふぇ・・・えぇん・・・・・・!」 身を寄せ合って泣く二人を、コムイは困り顔で見遣ったが特に何も言わず、先に立ったトマの後について行った。 「な・・・! ブックマンJr.・・・いや、ラビがそのようなことに?!」 朝食の席でその報せを聞いたアレイスターは、愕然と目を見開いた。 「ど・・・どのような状況だったのであるか?!」 事故ではないか、と、不幸の中に希望を見出そうとしたが、それは、コムイによってあっさりと断ち切られた。 「ボクが検分したところ、彼の首には索条痕(さくじょうこん)・・・ロープで絞められた痕がありましたし、まぶたの裏には溢血点(いっけつてん)が出ていました。 典型的な絞殺ですね」 「まぁ・・・! 一体誰が・・・・・・!」 息を呑んだエリアーデが、不安げに夫の手に縋る。 その様に、コムイが目を厳しくした。 「それでお尋ねしたいのですが、アレイスター卿」 「ん?」 低い声音を意外そうに聞いたアレイスターを、コムイはまっすぐに見つめる。 「昨日、ラビは奥方にちょっかいをかけようとしましたよね。 それで殺したんじゃないですか?」 「あの程度でいちいち殺していたら、私はとっくに大量殺人者であるよっ!!」 「ホントーに? 結構、イラッとしてましたよね、あの時?」 疑い深いコムイを、アレイスターはきっと睨んだ。 「我が妻の美しさは、社交界でも随一である! 私に向けられる嫉妬に比べたら、あんな子供の行いなど、とるに足らぬであるよ!」 きっぱりと言ったアレイスターにエリアーデは嬉しげに擦りより、コムイは目を和ませる。 「よかった。 それを聞いて安心しました」 では、と、コムイは席を立った。 「この事件は、ボクが処理しましょう。 ・・・ボクの目と鼻の先で殺人だなんて、なめるにも程がある」 忌々しげに言ったコムイに、アレイスターも眉根を寄せて頷く。 「我が城で起こった事件である。 警察の介入は許さぬゆえ、存分にやって欲しい」 その堂々たる物言いに、コムイは目を見開いた。 「これは・・・変わりましたねぇ、卿! 初めてお会いした時は、ずいぶん心細げでしたのに!」 思わず感嘆の声をあげると、アレイスターは恥ずかしげに頬を染める。 「それは・・・きっと、守るべきものが出来たからであろうな・・・・・・」 エリアーデの手を、ぎゅっと握り返した彼に、コムイは微笑んだ。 「わかりました。 必ず、犯人を挙げて見せます!」 「よろしく頼むである」 大きく頷いて、アレイスターはふと周りを見回す。 「助手は・・・どうしたのであるか?」 問うと、コムイが突然吹き出した。 「元・助手でしたら・・・」 クスクスと笑うコムイにつられ、エリアーデも笑い出す。 「昨日、探偵さんと奥方に、揃って酔い潰されておいででしたわ」 「あぁ・・・そうであったな」 昨夜のことを思い出したアレイスターも、うっかり吹き出してしまった。 「ミランダは、あれで怒らせると結構怖いのである」 クスクスと笑い出した彼に、エリアーデが頷く。 「ミランダからお楽しみを取りあげたらどうなるか、身をもって知ったことでしょうね 「女の人って、怖いなぁ!」 ミランダと一緒にリーバーを潰したコムイは、そう言って楽しげに笑った。 しかし、別室では当然、笑声どころか物音さえもあがらなかった。 食欲すら失くして悄然と俯くアレンに声をかけることも出来ず、リナリーはただ、彼の隣に座っている。 時々、握り合わせた手に力をこめることで、感情を共有しているかのようだった。 長い間、二人はそうしていたが、 「ア・・・アレン君・・・」 無言のまま、滂沱と涙を流すアレンに、リナリーが控えめな声をかける。 聞こえていないのか、無反応の彼の肩にリナリーはもう一方の手を置いた。 少し迷った後、身を寄せて彼を抱き寄せる。 「よ・・・よしよし・・・」 幼い頃、王女が泣く自分を慰めてくれたように抱きしめて背中を撫でてやると、アレンも縋るようにリナリーを抱きしめた。 「よしよし・・・」 リナリーを抱きしめるアレンの力が強くて、少し苦しく思いながらもなおも言ってやると、アレンが嗚咽を漏らす。 「よしよし・・・」 抱きしめているのか抱きしめられているのかわかないまま、リナリーはアレンの背中を撫でてやった。 「・・・なんの騒ぎだったのかしら?」 不思議そうに小首を傾げ、ミランダはドアを見る。 ようやく静かにはなったが、ずっと階下を走り回る音がしていた。 よくは聞こえなかったが、誰かが大声をあげていたような気もする。 「ねぇ、あなた・・・行ってみませんか?」 ベッドに向かって話しかけると、額に氷嚢を乗せたリーバーが、かすかな呻き声をあげた。 「はい?」 小首を傾げて聞き返すが、なにを言っているのかまったくわからない。 「なんでしょう?」 身を乗り出して耳を寄せると、乱暴に腕を掴まれた。 「よー・・・くー・・・もー・・・・・・!」 恨みがましい声に一瞬動きを止めたものの、ミランダはすぐにふわりと笑う。 「・・・うふ 「ウフじゃねぇだろ・・・! よくも潰しやがって・・・・・・!」 二日酔いでガンガン痛む頭を押さえ、リーバーは唸りをあげた。 「ごめんなさい、あなた だって、まさかワイン3本で潰れるだなんて、思わなかったんですもの 「普通潰れるだろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」 大声が頭に響くためか、低い声でひたすら唸る彼に、ミランダはクスクス笑う。 「3本くらい、なんてことありませんのに」 楽しげに笑う声が響いたのか、思いっきり顔をしかめてリーバーはミランダを見あげた。 「・・・そう言うお前は、何本飲んだんだ?」 「えぇと・・・・・・」 あっという間に5本折れた指が次々に開いていく様を、リーバーはうんざりと見つめる。 「もう・・・絶対お前らとなんか飲まない・・・・・・」 「まぁ、そんなこと言わないでくださいな 楽しげに笑うミランダが随分得意げに見えて、リーバーは眉根を寄せた。 「まだ酒が残ってんじゃないのか?」 「あら。 そんなことありませんよ」 にこりと笑う彼女に、リーバーは眉間のしわを深くする。 「じゃあなんでそんなにご機嫌なんだ?」 その問いに答えるかどうか、笑って首を傾げるミランダに、リーバーが催促した。 「言っても怒りませんか?」 「そんな気力もない・・・」 げっそりと吐息したリーバーの上に屈み込んだミランダの目が、いたずらっぽく煌めく。 「だって、初めてあなたに勝ったんですもの 「・・・・・・・・・・・・は?」 聞き返すと、身を起こしたミランダが、嬉しげに両手を組み合わせた。 「今まであなたみたいに優秀すぎる人の傍にいて、私がどれ程コンプレックスを感じていたか 同じ歳なのに、何をやっても敵わなくて、先手先手を打たれて・・・助けてくれるのは嬉しいんですけど、ちょっと悔しかったんです だから、と、ミランダは輝くような笑顔でリーバーを見下ろす。 「こんなにか弱いあなたが見られて嬉しい 「おー・・・まー・・・えぇぇぇぇぇぇぇぇー・・・・・・!」 そんな理由で潰されたのかと、リーバーが恨みがましい声をあげた。 だがそれは随分とか細げで、更にミランダを喜ばせる。 「あらあら 大声もあげられないなんて可哀想 今日は私が看病してあげますから、いい子で寝てるんですよ、坊や 「ままごとか!!!!」 うっかり大声をあげて起き上がった途端、リーバーは目を回して再びベッドに倒れこんだ。 「ほら、急に起き上がったりするから・・・お水を持って来てもらいましょうね。 それとも・・・」 ミランダの目が、愉しげに煌めく。 「迎え酒の方がいいかしら?!」 「いらねぇよ!!」 また大声をあげてしまい、リーバーは痛む頭を枕に沈めた。 「うぅ・・・ウチの嫁が、こんなに酒飲みだったなんて・・・・・・」 しくしくと泣き出したリーバーに、ミランダがまた笑い出す。 「足りない所を補い合うなんて、素敵だわ 「だから・・・俺は弱いんじゃなくて普通・・・・・・」 反駁の途中で気力が尽き、リーバーが言葉を失くした。 「心配しなくても、明日のパーティには出られますわ またたくさん飲める、と喜ぶミランダに、もう何も言えない。 「・・・・・・水をくれ」 ようやく漏れた乾き声に笑い、ミランダは枕元のロープを引いた。 呼び鈴は今、ここからは離れた使用人室で響いているはずだが、ミランダがロープから手を放す前に部屋のドアがノックされる。 「えぇっ?!」 早すぎる、と驚くミランダの目の前でドアは静かに開き、トマが慎ましやかに一礼した。 「奥様、ご主人のご容態はいかがでしょうか」 その丁寧な物腰に、ミランダの緊張はたちまち解ける。 「それが・・・まだ起き上がれないんですよ」 クスクスと笑う背中を夫が睨む気配を感じていたが、ミランダは気づかない振りでトマに小首を傾げた。 「それで、お水をいただきたいのですけど?」 「はい、お持ちしております」 言うや一旦部屋を出たトマが、すぐに大きなワゴンを押して戻る。 「お水の他にも、お召しあがりになれそうなものをお持ちしました。 奥様も、ご朝食をどうぞ」 そう言って、トマが次々に取り出す皿やポットで、テーブルはたちまち埋めつくされる。 「ご主人は、果物でしたらお召し上がりになれますでしょうか」 ただでさえその手早さに呆気に取られていた夫婦は、彼が差し出したフルーツボウルを見て唖然とした。 「なんで・・・!」 瑞々しい光を放つ色とりどりのフルーツを前に、二人して声を詰まらせる。 南方の国ならばともかく、こんな雪に閉ざされた土地で、新鮮な果物が手に入るとは到底考えられなかった。 目を丸くする夫婦に、トマはどこか得意げに微笑む。 「先代様が、城内に大きな温室を作っておられまして・・・果物だけでなく、珍しい植物や動物を多く育てておられたのです」 「あぁ・・・そう言えば、先代は大変なコレクターだったって・・・」 以前、聞いたことを思い出したリーバーに、トマは自分が誉められたような嬉しげな顔で頷いた。 「先代様は、とても研究熱心なお方でしたので、温室には大変貴重なものもたくさんございます。 ただ・・・凶暴な動物や、猛毒の植物もございますので、ご城主様とご一緒でない限りは決してお近づきにならないでください」 「は・・・はい・・・!!」 ぶるぶると震え出したミランダにはっとして、トマは気まずげに歩を下げる。 「失礼致しました。 ご主人はお水でよろしいのでしょうか?」 「あぁ、ひとまずは」 苦笑して、リーバーは重い身体を起こした。 「では、奥様はテーブルへどうぞ。 後ほど、ご城主様がお見舞いにいらっしゃるそうです」 「いや・・・このくらい、昼には醒めるから大丈夫」 トマが差し出した水を飲み干したリーバーが、吐息と共に言う。 「来ていただくのも申し訳ないから、俺らが伺うよ」 「はい、ではそのように申し伝えます」 貴族の召使いらしく、慎ましやかに一礼したトマは、細やかな気遣いで二人を十分にもてなしたのち、空になった皿をワゴンに乗せて出て行った。 「二人には何も言わなかったかい?」 居間に移動していた主人夫婦に一礼したトマは、コムイの問いに頷いた。 「お申し付けの通りに」 「し・・・しかし、よかったのであるか・・・?」 不安げに眉根を寄せたアレイスターに、コムイが向き直る。 「こんな事件が起きたなんて言ったら、リーバー君は無理にでも起きてくるでしょうし、奥方は卒倒して大騒ぎになりますよ。 彼が自分で歩けるようになってから話しても遅くはないでしょう?」 「あ・・・あぁ・・・。 そうであるな・・・・・・」 納得しがたい様子ではあったが、アレイスターは頷いた。 「でも・・・どうしましょうねぇ・・・。 今日の夕刻には、他のお客様方もいらっしゃいますわ。 それまでに解決していただかないと、我が家の沽券にかかわります」 時間は無限ではないのだと、しっかり釘を刺しにかかったエリアーデを、しかし、トマが困惑げに見る。 「それが、奥方様・・・。 先ほど麓から入った連絡によりますと、城へ通じる道の途中で倒木があったそうで・・・」 「倒木・・・どの辺りであるか?」 「はい、ほぼ中程だそうで・・・大きな木が一本、倒れて道を塞いでいるので、後ほど村人を集めてどかすと申しておりました」 降り積もる雪の重みで、木が倒れてしまうことは珍しくないが、それが道を塞いだとなれば困ったことだ。 「領内の者が誰ぞ、倒木に行き遭ったのであるか?城内の者の無事を確認したであるか?」 アレイスターの問いに、トマは慎ましく頷く。 「幸い、夜中のことでしたようで、誰も被害には遭わなかったそうでございます。 村から新聞を持って来る者が、倒木に気づいて電話をしてくれましたので、すぐに別館に連絡をしまして、こちらへお渡りになれないお客様のおもてなしの準備を進めております」 「さすが・・・! トマは名家にふさわしい、優秀な人材ですねェ、卿!」 コムイが感嘆の声をあげると、トマは恥ずかしげに顔を染めて俯いた。 その様を好ましげに見遣って、アレイスターが頷く。 「この城のことは、トマに任せておけば安心なのである。 トマ、今後の差配も任せるであるよ」 「は・・・はい! かしこまりました、ご城主様・・・!」 耳まで紅くして、トマは深々とこうべを垂れた。 「そろそろ、ベッドから出られそうですか?」 クスクスと笑うミランダを軽く睨んで、リーバーはベッドから足を下ろした。 「ったく・・・酷い目に遭った。 明日まで絶対、酒飲まないからな!」 怒った猫のように毛を逆立てる彼に、ミランダはまたクスクスと笑う。 「それ、昨日も言ってましたよね?」 「あ?そうか・・・?」 記憶を探るような目つきになったリーバーへ、ミランダが頷いた。 「私達が次々にボトルを空けるのを見て、付き合ってられない、って言ったのにコムイさんが・・・」 はっとして、気まずげに目を逸らしたミランダの手を、リーバーが掴んで引き寄せる。 「おい、あの人に一体、なにをされたんだ、俺は?」 嘘を許さない目で睨まれたミランダは、もごもごと口の中で呟いた。 「はっきり言えよ!」 「う・・・あの・・・あなたが飲んでいたジュースとかお茶とかコーヒーとかに、ウォッカをたっぷり・・・」 「やっぱりかああああああああああああああ!!!!」 絶叫して立ち上がったリーバーが、またふらりとベッドに倒れこむ。 「くそ・・・! いくら記憶がなくったって、潰れるほど飲むわけないと思ったんだ・・・!」 ワイン三本を無理やり飲まされた後、酔い覚ましにと飲んでいた飲料に酒を盛られていたとは不覚だった。 「そんなに怒らないでくださいな ベッドに腰掛けたミランダが、リーバーの頭を優しく撫でる。 「コムイさんは、私のいぢわるに協力してくれただけだもの 「なんだそりゃ!! 俺はお前にそんなことされる覚え・・・」 「日付変わる前に寝ろって、言ったじゃない・・・」 瞬間冷却されたミランダの声に、リーバーは声を失った。 「何年ぶりかでお会いできた方々と、愉しく過ごしたいだけだったのに、ダメだってあなた・・・・・・」 だから、と、ミランダは冷え冷えとした笑みを浮かべる。 「潰して差し上げたのだけど、何か不都合でもありましたか?」 「ぴっ・・・・・・!!!!」 おおありだ、と言う言葉は、喉に絡んで出てきてくれなかった。 「パーティでは潰されないといいですね だから余計なことは言わないで、と、無言の圧力がかかる。 普段温厚で、聖女のように優しい彼女だからこそ、たまに怒るとものすごく怖かった。 怯えたリーバーが光の速さで頷くと、ミランダはふわりと微笑む。 「いい子 額にキスされ、緊張の解けたリーバーががっくりと肩を落とした。 「・・・・・・先に、居間に行ってていいぞ。 俺、風呂に入ってから行く」 「あら・・・大丈夫ですか?溺れません?」 気遣わしげなミランダに頷き、よろよろと立ち上がる。 「入ってるうちに、酔いも醒めるだろ」 深々と吐息した彼に笑い、ミランダが頷いた。 「じゃあ、皆さんとお待ちしていますから、早く来てくださいね、ダーリン 「ハイハイ、ハニー」 すれ違い様、肩を叩いて苦笑する。 「・・・今日は酒盛るなよ?」 「・・・どうしようかしら いたずらっぽく舌を出したミランダに一瞬、呆気に取られたリーバーは、むくれてバスルームへ消えて行った。 「あら・・・おはよう、ミランダ。 旦那様のお加減はいかが?」 居間で迎えてくれたエリアーデは、昨日と変わらない美しさではあったが、その表情にはどこか、翳りが見えた。 「おはようございます・・・」 不思議に思ってミランダは、傍らのアレイスターへ視線を移す。 「あの・・・どうかなさったんですか・・・?」 エリアーデよりも濃く屈託を滲ませる城主へミランダが不安げな声をかけると、彼はやや逡巡した後、ゆっくりと頷いた。 「困りごとが・・・・・・」 なんと言うべきか、困り果てて口ごもるアレイスターに、ミランダはますます不安を募らせる。 「あの・・・」 「そうね、詳しくは・・・コムイ殿に話していただけばいいわ。 ご主人もこちらへいらしてから」 「はい・・・」 優雅に手招かれて、ミランダはエリアーデの勧めるソファに座った。 と、不穏な空気に緊張する彼女へ、エリアーデが微笑みかける。 「先生はまだお悪いの?」 「いえ、今は・・・」 言いかけたミランダの口を、どさりと鈍い音が塞いだ。 「なっ・・・なんですかっ?!」 ただでさえ緊張していたミランダがびくりと振り返ると、城主夫婦が二人して手を振る。 「雪よ。 樹の枝に乗っていた雪が、あんな音を立てて落ちるの」 「たまに枝ごと落ちてくる時もあるので、木の下を通る時は気をつけるである」 「は・・・はい・・・!」 おどおどと窓の外を見るミランダに、そう言えば、と、アレイスターが小首を傾げた。 「冬に備えて、沿道の木が道を塞がぬように伐っておけと言っておいたはずであるだが・・・言わなかったであるか?」 自信なさげに言った夫に、エリアーデは目を見開いて、大きく頷く。 「私は聞いてませんでしたわ! 多分・・・召使い達も聞いていないのじゃないかしら。 あの子達はそれはもう、あなたに忠実ですものねぇ」 だから責めるなと畳み掛けられて、アレイスターは慌てて頷いた。 「そっ・・・そうか、命じたと思って、忘れていたのであるなぁ・・・・・・」 肩を落として俯く夫に、しかし、エリアーデは笑って首を振る。 「あらまぁ、そんなに落ち込まないでくださいな 皆のためにそこまでお考えになるなんて、さすがですわ、アレイスターさま 私は思いつきもしませんでしたもの なんて頼りになる旦那様かしら 歯の浮くような誉め言葉を次々と並べるエリアーデに、ミランダは感心した。 「私達も、お二人のようにありたいですわ・・・ 「あら? もうとっくに極めているんじゃなくて?」 クスクスと笑うエリアーデに、ミランダが苦笑する。 「まさか・・・。 言いたくても私、機転が利かないからすらすらと言えなくて・・・。 気がついたらもう、その話題が終わっていたりす・・・きゃっ!」 背後でまたどさりと音がして、ミランダが飛び上がった。 「あ・・・雪だってわかっていても、びっくりしますね・・・!」 胸を撫で下ろして座り直したミランダは、向き直った夫婦の表情がそっくりに凍り付いていて、目を見開く。 「ど・・・どうされました・・・?!」 「あなた、今・・・!」 「あぁ、私も見たである!」 ほぼ同時に立ち上がり、窓辺へ駆け寄った二人の背後に、ミランダが恐る恐る歩み寄った。 「あの・・・一体・・・・・・?」 窓の下を見つめたまま、動かない二人に小首を傾げ、ミランダは隣の窓から庭を見下ろす。 「え・・・・・・?」 人が、倒れていた・・・。 とても愛しい人が・・・・・・。 無言で踵を返し、部屋を飛び出たミランダを、アレイスターとエリアーデが慌てて追った。 「待って! 待って、ミランダ!! あなたは行ってはだめ!!」 大声で呼びかけるが、ミランダは聞こえないのか、階段をもどかしげに駆け下り、1階に至るや裏庭へ通じるドアを開ける。 「あなた!!!!」 雪を蹴立てて駆け寄った夫の身体はまだ温かかった。 淡い色の髪に降り積もる雪を払い、抱き起こした彼の首には、ところどころ血の滲んだ紫のラインが浮き上がっている。 「誰かっ・・・!! 誰かお医者様を!!」 気を失いそうになりながらも引き攣った声をあげると、アレイスターを制して駆け寄って来たエリアーデが、だらりと垂れたリーバーの手を取った。 「・・・・・・もう・・・・・・脈がないわ・・・・・・・・・」 その言葉を受けたミランダの身体から力が抜ける。 「ミランダ!!」 彼女を慌てて支えたエリアーデの傍らに、背の高い影が差した。 「あなた、ミランダを・・・あら」 夫かと思った影は、コムイのものだ。 「リーバー君は、ボクが運びましょう。 夫人、卿、彼女をお任せしていいですか?」 「あ・・・あぁ・・・」 頷いたアレイスターは、エリアーデが助け起こしたミランダを支え、共に城内へと入った。 と、長い廊下の向こうから、担架を抱えたトマが走ってくる。 「ご城主様」 生真面目に立ち止まり、こうべを垂れたトマにアレイスターが頷いた。 「探偵の手伝いをするである」 「はい」 短く言って、トマは外へ駆け出す。 大きく開かれたドアが閉まるまでの間、アレイスターはぴくりとも動かないリーバーの骸を、痛々しげに見つめた。 「しっかりして、ミランダ・・・! さぁ、温かいものでも飲んで・・・」 夫のいた部屋では辛いだろうからと、エリアーデが急遽用意させた部屋のベッドで、ミランダは蒼い顔を振った。 「なぜ・・・なにが・・・・・・!」 顔を覆って泣き出したミランダの背を、エリアーデが優しく撫でる。 「本当に・・・どうしたことかしら・・・・・・!」 立て続けに二人も亡くなって、さすがのエリアーデも落ち着きをなくしているように見えた。 「だ・・・大丈夫であるよ、二人とも・・・! きっと・・・! きっと探偵が、解決してくれるである・・・・・・!」 コムイへ絶大な信頼を寄せる夫を見上げ、エリアーデが不安げに頷く。 「そ・・・そうですわね・・・! は・・・早く戻ってらっしゃらないかしら・・・!」 震えながら、おろおろと紅い爪を噛むエリアーデの肩を、アレイスターがそっと抱いた。 「すぐに、コムイ殿に来てもらうである」 言うや、踵を返したアレイスターの腕を、エリアーデが慌てて掴む。 「いっ・・・行かないでください・・・! 行っちゃだめ・・・・・・!!」 「エリアーデ・・・しかし・・・」 困惑顔のアレイスターは、自分の腕を掴むエリアーデの手が、激しく震える様に足を戻した。 「・・・わかったである。 誰かを呼びに・・・」 言いかけた時、ドアが乱暴に開く。 「コムイ殿っ・・・・・・あぁ、そなたらか」 アレイスターは、失望ほどではないがややがっかりした顔で、アレンとリナリーを見た。 「あっ・・・あのっ・・・! リーバーさんが・・・・・・!」 歓迎されていない空気を感じてアレンが声を詰まらせると、アレイスターが眉根を寄せて首を振る。 「ご婦人達の前である。 余計なことは、言うべきではない」 低くはあったが、抗いがたい彼の声に、アレンだけでなくリナリーも頷いた。 「あの・・・。 じゃあ兄さん・・・じゃない、兄は今、どこにいるかご存知じゃありませんか」 リナリーの問いに、アレイスターはそっとミランダの様子を伺う。 雪のように白い顔をした彼女は、周りの声も聞こえているのか、硬く握り合わせた手に、ただ呆然と目を落としていた。 「現場・・・であるよ・・・・・・」 二人に向き直ったアレイスターが、身を屈めて囁く。 「裏庭の・・・ミランダ達夫婦の部屋の下である。 リーバー殿はおそらく、部屋から投げ落とされたのだと・・・・・・」 「!!」 息を飲んだ二人は窓辺に駆け寄り、その痛々しい現場を見下ろそうとしたが、視界を木や塀に遮られ、まったく見えなかった。 ・・・だからこそ、エリアーデはこの部屋を選んだのかと、がっかりしながらも二人は彼女の気遣いに感心する。 「じゃあ・・・コムイさんが来るのを待つしかないですね・・・・・・」 この城で何が起きているのか、やきもきするアレンの隣でリナリーも、苛立ちを含んだ視線を窓の外へ投げた。 と、 「・・・・・・兄さん?」 城壁の外、雪に覆われた道をさくさくと進む兄の背を、リナリーは目を細めて見つめる。 「・・・どこに向かっているんでしょう」 コムイが白いコートを着ているため、雪景色の中では見えにくかったが、アレンはリナリーと並んで彼の背を見つめた。 この部屋は、アレン達が泊まっている部屋と同じ棟にありながら、窓から見える景色がまったく違う。 それは彼らの部屋とこの部屋が、城壁へと通じる空中回廊で遮られているためだった。 城壁の外へは、その回廊を渡らなければ出ることができず、ゆえにコムイも渡ったに違いないのだが・・・。 「あの回廊・・・封鎖してありましたよね・・・」 アレンの問いに、アレイスターが頷いた。 「あの先は崖であるよ。 ゆえに客が迷い出て、湖にでも落ちてはと封鎖していたのであるが・・・」 封鎖といっても、鋼鉄の扉で塞いだわけではなく、飾りロープが優美に渡してあるだけだ。 心理的抵抗以外に、歩を妨げるものではなかった。 「コムイ殿は・・・湖に何か用でもあるのだろうか」 「湖・・・・・・」 アレイスターの言葉にリナリーが頷く。 「あの湖にかかる断崖は、ここだったんだ・・・・・・」 夜闇の中でさえ白く光って見えた氷の湖に、黒々と影を落とす城の威容をリナリーは思い出した。 「兄さん・・・どこまで行くんだろ・・・?」 城壁の外に出た彼の全身が見えると言うことは、城からはもう、ずいぶん遠ざかっていると言うことだ。 不安に駆られたリナリーは、窓を開けて声を放った。 「兄さん!!兄さん――――!!!!」 声は意外なほど遠くまで届いて、コムイが振り返る。 「兄さん・・・!」 ホッとして、リナリーは微笑んだ。 大きく手を振ると、それに応えてコムイも手を上げた―――― 瞬間。 コムイの胸で、紅い花が弾けたように見えた。 「え・・・?!」 愕然とする二人の・・・いや、今は城主夫婦も加わった四人の視線の先で、コムイが胸から紅い飛沫を散らしながら、崖の向こう側へと落ちて行く。 「兄さん!!!!」 絶叫するやリナリーが踵を返し、一瞬遅れてアレンが従った。 「ア・・・アレイスター様・・・・・・!」 「エリアーデ・・・!」 顔を蒼白にしてよろめく妻を、アレイスターが抱き留める。 「探偵・・・が・・・・・・!」 絶望に呑まれ、声を失ったエリアーデの髪を、雪まじりの寒風が思う様乱した。 「兄さん!!!!」 「リナリー!!待って!!」 勢い余って、崖の淵にまで滑り降りたリナリーの腕を、アレンが背後から掴む。 「放して!!」 「リナリーまで落ちたら、コムイさんを助けられませんよ!!」 ヒステリックな声に怒鳴り返して、アレンはリナリーの肩に手を置いた。 「僕が見てきます。 リナリーはここにいて」 強い口調で言われたリナリーは、気を呑まれて頷く。 と、手を放したアレンは、そろそろと足元を探りながら崖の際へと寄った。 「コムイさん! コムイさん、返事をしてください!!」 「兄さん!!兄さん!! 返事をしてよ、兄さん!!!!」 リナリーも必死に呼びかけるが、返事はない。 「兄さんっ・・・!」 雪の上にへたり込み、泣き出したリナリーを気にしつつも、アレンは用心深く雪を探って、崖の下を覗き込んだ。 「・・・っリナリー!!」 アレンのただならぬ声を聞いて、リナリーは膝立ちのまま、アレンの傍に寄る。 彼の指す先を見て・・・リナリーは声にならない悲鳴を上げた。 割れた氷の隙間から覗く、黒い水の中で、白いコートが揺れている・・・。 そしてその周りは、目に刺さるほど鮮やかな紅で彩られていた。 ショックのあまり、立ち上がれないリナリーを横抱きにして戻って来たアレンを、トマが恭しく迎えてくれた。 「どうぞ、お部屋へ・・・。 すぐに暖かいお飲み物を持って来させます」 ミランダに気遣ってか、トマが案内してくれたのは1階の広間で、間近に迫っているはずの城壁を常緑樹の林が隠している。 圧迫感のない、森の中にいるような景色に一瞬見とれたアレンは、手近のソファにリナリーを下ろした。 「リナリー・・・」 呼びかけると、人形のように凍りついた頬を、幾筋もの涙が伝う。 「リナリー・・・」 彼女の震える肩に置いた手がじんわりと冷たく濡れて、アレンははっと見遣った。 暖房に暖められた雪が解け、彼女の長い髪を重く濡らしている。 「リナリー、髪が・・・」 言いかけて、アレンはトマがそっと渡してくれたタオルを彼女の髪に当てた。 「髪の毛・・・あの、触りますね・・・」 遠慮がちに言って、アレンは彼女の髪飾りを外す。 零れる滴が肩に落ちる前にタオルで受け止め、冷たい髪を包んだ。 と、 「に・・・さん・・・・・・」 凍りついていた声が、ようやく唇を震わせる。 「にいさ・・・ん・・・・・・」 嗚咽が漏れると、もう止まらなかった。 「兄さん!!兄さん!!兄さん!!!!」 顔を覆って泣きじゃくるリナリーを、アレンが抱きしめる。 「リナリー・・・」 今朝、彼女がそうしてくれたように背中を撫でてやると、リナリーはアレンの胸に顔をうずめて泣き出した。 長い間、そうしているうちに徐々に・・・リナリーも落ち着きを取り戻していく。 未だ涙は止まらないものの、泣き声は治まったリナリーの頬を、アレンは両手で包んだ。 「ロンドンに帰ったら、僕のうちに住めばいいよ・・・」 「え・・・?」 涙目を見開いたリナリーに、アレンは微笑む。 「元々、そうなるはずだったんだし・・・あの館には、弔いの花だってまだたくさんあるし・・・」 寂しげに言ったアレンを、リナリーが蒼褪めて見つめた。 「ごめんなさい・・・私・・・・・・」 彼の館が『黒薔薇館』と呼ばる由縁となった弔いの花を無理矢理に引き抜き、色鮮やかなバラに植え替えて行ったのはリナリーだ。 だが今になってようやく、彼女はアレンが弔いの花に埋もれたかった心情を理解した。 「ごめん・・・・・・」 大切な人を亡くして、平然としていられる人間なんかいない。 館の外で気丈である分、館では存分に死者を悼んでいたかっただろうアレンの逃げ場を奪ったのは彼女だ。 「ごめんなさい・・・!」 また泣き声をあげて抱きついてきたリナリーを、アレンが抱きしめる。 「リナリー・・・。 ロンドンに帰ったら、たくさんやることがあるから・・・泣いてる暇なんかなくなるよ。 だから今のうちに、思いっきり泣いていてくださいね」 アレンの胸の中で小さく頷いたリナリーが、また大きな声で泣き出した。 「トマ!トマ!!」 常に優雅な女主人のうろたえた声を聞いて、トマは部屋へ駆けつけた。 「どうされましたか、奥方様!」 ドアを開けると同時に問えば、顔を蒼白にしたエリアーデが、ベッドの上のミランダに屈みこんでいる。 「き・・・気付けを・・・! いえ、お医者様を・・・あぁ、道が塞がれているのだわ! 先生も・・・・・・!」 「落ち着くである」 甲高い声で喚き立てるエリアーデの肩を叩いたアレイスターは、ベッドに歩み寄って、昏倒するミランダの脈を取った。 「・・・少し早いであるな。 熱もあるようだし、無理に起こさずに少し休ませるである」 「あ・・・はい・・・・・・」 夫の落ち着いた声で、ようやく我に返ったエリアーデが、恥ずかしげに頬を染める。 「も・・・申し訳ありません・・・・・・」 「いや」 くすりと笑って、アレイスターはエリアーデの肩を抱いた。 「探偵もドクターもいない今、私がしっかりしなければいけないのである」 ゆえに、と、アレイスターが静かに言う。 「このようなことをしでかした者は、私が見つけて見せるであるよ」 決然と断言した彼に、エリアーデが目を輝かせた。 そして別室でも。 「ラビやコムイさん・・・リーバー先生を殺した奴は、僕が絶対に見つけます!」 リナリーを抱きしめて、アレンが宣言する。 「これ以上の狼藉は許さぬ」 「もう、負けません!」 図らずも同時に見遣った窓の外では、空から淡く、光が差し込んでいた。 曇天の下、冬の陽は早くも翳り、足元さえも見えにくくなっていた。 だがリナリーはどうしてもと言い張り、温室で分けてもらった花を持って崖を渡る。 「リナリー!」 城壁を駆け抜けたアレンが、ようやくリナリーに追いついた。 「一人で・・・うろつかないでください! どこに犯人がいるかもわからないんですよ?!」 息を切らして言うアレンに、リナリーが微笑む。 「心配してくれてありがとう。 でも・・・私は普通の女の子じゃないよ」 毅然とした目が、アレンを見据えた。 「守られてるだけなんてイヤだ。 私だって、兄さんを酷い目に遭わせた犯人を捕まえるんだ!」 だから、と、リナリーは爪先に絡んだ雪を見つめる。 「探すの手伝って、アレン君!」 「探す?なにをですか?」 アレンが目を丸くすると、リナリーは足元を見つめたまま腰を屈めた。 「兄さんを撃った弾丸だよ!」 「弾・・・あぁ、コムイさんは撃たれたように見えましたもんね!」 でも、と、リナリーと並んで足元を見つめながら、アレンは眉根を寄せる。 「よほど威力の強い銃じゃないと、貫通しないんじゃないかなぁ・・・」 「そんなの知ってるよ! でも・・・」 リナリーは、嫌なシーンを思い出して、ぎゅっと目をつぶった。 「兄さんのあの血・・・! 遠すぎたり、口径が小さい銃じゃ、あんなに飛び散らないでしょう?!」 「あ・・・そうか」 言われてから改めて足元を見ると、コムイの血とおぼしき紅点は大量に、そして広範囲に飛び散っている。 「弾丸の型を見れば、どんな銃で撃たれたのかがわかるわ! そしてあの時犯人は、兄さんを銃の射程距離内に収めなきゃならなかった。 だからそれを見つければ・・・」 「あの時、犯人がいた場所がわかるんですね!」 手を打ったアレンに、リナリーが大きく頷いた。 「絶対に・・・捕まえるんだ!!」 崖下に花を投げ落としたリナリーは、雪の上に膝をつき、手探りに弾丸を探す。 「僕も!」 続いて膝を突いたアレンは、コムイが背にしていた崖の縁に、厳しく目を走らせた。 陽光が完全に消えてしまう前に、と、冷たい雪に手を這わせていると、何かが指にかかる。 だがそれは、弾丸のように硬い物ではなく、薄いゴムの切れ端だった。 「・・・・・・・・・風船?」 なんでこんな所に、と、呟きかけたアレンの首に、何かが絡む。 「ぅああ!!」 「アレン君?!」 突然の悲鳴にリナリーが振り向くが遅く、アレンの足が崖の向こうへ消えて行った。 「アレン君!!」 絶叫した瞬間、何かが水に落ちる音がする。 「アレン君!!!!」 覗き込んだ湖面には、割れたままの氷が、突然の波に無言で洗われていた。 「ア・・・アレンもですって・・・・・・!」 真っ青な顔で一人戻って来たリナリーから話を聞いたエリアーデが、ふらりとソファに倒れこんだ。 「一体・・・どうなっているの・・・・・・!」 呆然と呟いたエリアーデの肩に手を乗せ、アレイスターは落ち着いた目で震えるリナリーを見つめる。 「それで、兄上を撃った弾は見つかったのであるか?」 その問いに、リナリーは小さく首を振った。 「そうか・・・・・・」 唇を噛んで俯くリナリーの頭を撫で、アレイスターはゆっくりと窓辺に寄る。 その目は、城を囲む城壁をじっと見下ろしていた。 「あなた・・・・・・?」 不安げなエリアーデに肩越し、笑って頷く。 「トマ」 静かに呼びかけると、部屋の端に控えていたトマが慎ましく進み出た。 「皆に命じよ。 今すぐ、城内の全ての扉と窓に鍵をかけるのである」 「は・・・あの・・・勝手口もでございますか・・・?」 厨房の裏庭には、食材用の野菜を育てる温室がある。 「あの・・・本日の分の食材を採っておりませんので、それからでは・・・」 「だめである。 食材は、用意のあるものだけでよい。 今すぐに、城の全ての鍵を閉め、全員閉じこもるであるよ」 頑固に言って、アレイスターはふっと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。 「これらは素早く、密かにやるとよいであるな。 敵に気づかれては台無しである」 念を押されて、トマは不思議そうに頷く。 だがその後はさすがと言うべきか、トマはすぐさま城中を駆け回って、城内全ての扉と窓に鍵をかけてしまった。 「お・・・終わりましてございます・・・・・・」 多くの召使い達も手伝ったとは言え、さすがに息を切らしたトマをアレイスターが労う。 「では・・・。 そろそろ解決しようではないか。 我が城の名誉にかけて」 わけがわからず、呆然とするリナリーの手を礼儀正しく取って、アレイスターは誇らしげに笑った。 「あの・・・。 申し訳ないのですが私・・・お食事をする気分では・・・・・・」 なぜか無理矢理起こされ、メイドに支えられながら食堂に入ったミランダが、か細い声で呟いた。 だが、アレイスターは気にも留めずミランダに席を勧める。 「食欲がないのは当然と思う。 だが、もうすぐ喜ばしいことが待っているのであるから、ぜひ立ち会ってもらいたい」 「喜ばしいこと・・・?」 既にテーブルについていたリナリーが、訝しげに問い返した。 「それは・・・この部屋以外の灯りを消してしまったことも関係あるんですか?」 「あかり・・・・・・」 リナリーの言葉に、ミランダは今来た道を思い返す―――― 未だふらついているため、目の前が暗くなっているのだと思っていたが、本当に明かりが消えていたらしい。 「なぜそんな・・・」 「まぁ、待つであるよ」 妙に機嫌のいい声にムッとしたリナリーとミランダが、憮然と黙り込んだ。 その様を気遣わしげに見つめるエリアーデが、なにか気分を変える手はないかと思いを巡らせた時・・・。 突然、背後の大窓が激しく叩かれた。 「なっ・・・?!」 悲鳴をあげて席を立ったエリアーデが、アレイスターの背後に隠れる。 窓に面した席についていたリナリーとミランダも揃って立ち上がり、不安げな顔で窓を見つめた。 しかし、吹雪く外と暖かい城内の気温差に、窓は白く曇るどころか凍ってしまって、日が暮れてしまうと外の景色はまったく見えない。 「なっ・・・何者ですか!!!!」 今にもガラスを割らんばかりに叩く者へ向かって、エリアーデが震え声の誰何をすると、あんなに激しかった音がぴたりとやんだ。 ―――― ぁ・・・すけ・・・くぇ・・・・・・! 「え?」 「今のは・・・」 微かに聞こえた声に、耳を塞いで怯えていたミランダが身を乗り出す。 『助けてくれ!』 今度ははっきり聞こえた声に驚き、ミランダはアレイスターを見遣った。 彼はこの部屋で一人、ゆったりと主の席に座って、ワインを暖炉の明かりに照らしては、その色を楽しんでいる。 「夫君のご帰還である。 自らの手で開けるとよい」 笑みを含んだ声を聞くまでもなく、ミランダはテラスへ続く大窓へ駆け寄った。 「助かった!」 鍵を開けるや飛び込んで来た夫に抱きしめられ、ミランダは呆然とする。 「あ・・・あの! これは一体・・・?!」 あまりのことに声もないミランダに代わってリナリーが問うと、アレイスターは愉快げに笑った。 「まったく・・・。 遊びなら他にもあるだろうに、妹を泣かすとは悪趣味であるよ」 グラスを置いたアレイスターが見遣った先・・・吹雪に覆われた闇の中から、苦笑しつつコムイが現れる。 「兄さ・・・っ!!」 「さっ・・・寒い――――――――!!!!」 「死ぬかと思ったさ――――――――!!!!」 コムイを押しのけて転がり込んできたアレンとラビが、そのままころころと暖炉まで転がり寄って行った。 「アレン君・・・!ラビも!! どういうこと?!」 目を吊り上げ、怒鳴るリナリーの剣幕に怯えて、窓を閉めたコムイはカーテンの陰に隠れる。 「えっとぉ・・・これはその、パーティの趣向って言うかぁ・・・・・・」 「趣向・・・?!」 誰の、と、怒りを含んだミランダの声に、アレイスターが肩をすくめた。 「エリアーデ。 白状するであるよ」 言うと、彼女は気まずげに夫の背後から出てくる。 「なぜこんなことを・・・!」 唖然とするミランダを、エリアーデは困り果てたように上目遣いで見た。 「あの・・・今年の春に、お世話になった探偵さんのご活躍が新聞に載っていて・・・・・・。 それを読んだ主人が、探偵業も面白そうだなんて言うものですから、断られるのを覚悟で探偵さんに依頼してみたんですの・・・・・・」 途端、リーバーとリナリーが、大きなため息をつく。 「兄さん・・・」 「あんたこういうイタズラ、大っっ好きですもんね・・・・・・」 諦観のこもった二人の声に、カーテンの陰でコムイがコクコクと頷いた。 その様に、エリアーデが苦笑する。 「・・・まさか、ご承知していただいた上に、ここまでノリノリでやってくれるとは思いませんでしたわ。 知っていた私でさえ、びっくりしましたもの」 特に子供達のことは、と、今夜だけ特別に火を入れた暖炉を見遣ると、ようやくそのことを思い出したらしいアレンがラビの頬をつねった。 「心配したのに!!」 「俺だって被害者さ!!」 アレンの手を引き剥がし、ラビはコムイを睨む。 「トマが厨房にかくまってくれた後、コムイに連れ出されてこの話聞いて・・・寒いからヤダっつったら、問答無用で首絞められて落とされて、気がついたらさっむい貯蔵庫だったんさ!! 危うく凍死するとこだったさね!!」 きゃんきゃんと喚く声をコムイは、耳を塞いで無視した。 「・・・俺なんか、風呂上りに薬嗅がされて窓から落とされたんだぜ。 2階だったし、下が雪だったから助かったが、ヘタすりゃ大怪我してるぜ」 「まぁ!ひどい!! その上、首まで絞めるなんて!!」 未だ血を滲ませるリーバーの傷を、ミランダが痛ましげに撫でる。 が、それにはコムイだけでなく、リーバーやラビもが首を振った。 「これ、インクだよ ゴムで作った突起のあるロープにね、紫と赤のインクを仕込んだんだ これで軽く首を絞めると、キレイな索条痕のできあがり!」 得意げに言うコムイを全員が睨むが、ただ一人、アレイスターだけは愉快そうに笑う。 「溢血点は嘘であるか。 まったく、とんだ者に検視を頼んだものであるよ」 「えっへっへー 昨晩、リーバー君を潰しといたのは、ここで正確な検視をさせないためだったんですよん♪」 得意げに言ったコムイを、ミランダが鋭く睨んだ。 「信じてましたのに!」 協力するんじゃなかった、と、非難の声をあげるミランダに、リナリーも大きく頷く。 「アレン君を崖に引きずりこんだのも兄さんなんでしょ?!」 「そうそう、小鹿を捕らえる要領で、ひょーぃって コムイが投げたロープの輪がアレンの首を捕らえ、思いっきり引かれた。 「ぷぎいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」 「あ、仔豚だったんだ 今日はごちそうだねぇ 「ぎぃいいいいいい!!ぴぎいいいいいいいいいいいいい!!!!」 偽装だった二人と違い、本気で首を絞められるアレンが死にそうな声を上げる。 「兄さん!!!!」 テーブルのナイフを取るや、鮮やかな手つきでロープを切ったリナリーが、コムイを睨んだ。 「なんでアレン君は殺人未遂なんだよ!!」 「ふーんだ。 殺『人』じゃありませーん♪ 殺『虫』でーす 妹につく悪い虫は駆除すると、コムイは堂々言い放つ。 「このっ・・・!!」 開き直ったコムイに二の句が継げず、ぱくぱくと口を開閉させるリナリーに、アレイスターが吹き出した。 「アレイスター卿!!!!」 「あぁ、悪いである」 リナリーの剣幕に詫びはしたものの、アレイスターの笑いは収まりそうにない。 おかげで思いっきりむくれたリナリーにコムイも笑い出し、アレイスターに向き直った。 「しかし、よくこの事件が狂言だとわかりましたね! どんな推理をされたんですか?」 早々に場を収めようと言う魂胆か、アレイスターの傍らの席にコムイが座ると、その隣に憮然とリナリーが、向かいに苦笑しつつエリアーデが座る。 暖炉の前に転がるアレンと、彼を介抱するラビを除いて全員が席に着くと、彼はくすりと笑った。 「私は、この城で生まれ育ったのである。 この城のことは、誰よりも詳しいであるよ」 だから、と、アレイスターはワイングラスをテーブルに戻す。 「まず、一本だけ倒木することがありえぬと思ったのであるよ」 「と・・・倒木が・・・ですか・・・? なぜ・・・・・・」 目を見開くエリアーデに、アレイスターはにこりと笑った。 「我が祖父は若い頃から非常に変わった人で、子供の頃にはテーブルの上のパズルに飽き、森の木を植え替えて遊んでいたそうな」 「・・・・・・・・・・・・え?」 何か信じがたいことを聞いた、とばかりに聞き返すコムイに、アレイスターは笑って空のワイングラスを引き寄せる。 「よいであるか? 普通、森と言うのは誰かの手が入らぬ限り、好き勝手に木を生やし、勝手に倒れるものである」 そう言ってアレイスターは、適当に並べたグラスの上に手をかざした。 「だがこれを、人の思惑によって並び替えるのだ・・・例えばこのように」 整然と、碁盤状に並べたワイングラスの口が、丸みを帯びた正方形を描く。 「整然と美しい・・・。 木の間に遠くまで道が続き、一目で見晴るかす・・・実に胸のすく景色である。 ゆえにこの方法は多く、宮殿などに使われるが、あいにくこの城は元要塞である。 麓から城へ続く道は、篭城するとなれば塞ぐ必要がある」 説明するアレイスターの手が、再びワイングラスを並べ替えた。 ワインの入ったグラスを端に、複雑に並べられた図形はレースの模様のようだ。 「そのため、この森は城に近い一本が倒れると、ドミノ状に倒れて道を塞ぐように配置されているのである」 「えぇっ?! で・・・でも、根を生やした木が、そんなに簡単に倒れるものなんですか?!」 驚くミランダの隣で、ワイングラスを見つめていたリーバーが大きく頷いた。 「つまり・・・フェイクの大木っすか!」 城に一番近い・・・アレイスターの右手側にあるグラスからワインの入った紅いグラスまでは、入り組んでいるように見えて実は一本のラインになっている。 彼がその『一本』を倒せば、たちまちワインはテーブルに零れるだろう。 「このラインにある木はリーバー殿の言う通り、フェイク・・・根の大部分を切って、倒れやすいようにしているのである。 いつもは他の健康な木に支えられて隠れているし、よしんば見つけられても、同じような立ち枯れた木はいくつもあるのだ。 既に景色に溶け込んで、違和感などは感じないのであるよ。 そのラインがこの森にはいくつも走っていて、最初に倒す木によって、道のどの部分を塞ぐか選ぶことも出来るのである」 「す・・・っげ!! マジ要塞じゃん!!」 いつの間にか寄って来ていたラビが、感嘆の声を上げた。 「でも、それって城に近い木のスイッチを入れれば道が塞げる、って話さ。 なんで倒木が変なんさ? こんだけ雪が降りゃ、一本だけ倒れて・・・も・・・ああああああああ!!!!」 言いながら、ワイングラスを俯瞰していたラビが突然大声をあげる。 「一本じゃ倒れねぇんさ、コレ!! スイッチが入ったラインは、全部の木をいっぺんに倒すために、ラインから以外の圧力には抵抗できるよう、配置されてんさね!!!!」 ワイングラスを指して大声をあげるラビに、アレイスターが感心したような、呆れたような顔で頷いた。 「その通りであるが・・・よくこんな簡単な図でわかったであるな」 「この図じゃねぇさ! コムイに窓から放り出された時、一瞬だけど、この森の全体像が俯瞰できたんさ!」 じっとりと横目でコムイを睨んだラビが、更に続ける。 「城主さんが言ってんのはあのライン・・・城壁のすぐ傍から道へ向かって走る5本のラインさね! 雪が積もってたからよく見えんかったケド、そのラインを作る木は、他の木と比べて細かったり低かったりすんだろ? だから雪の陰影で、薄く線が入ったように見えてたんさ!」 「なんと・・・素晴らしい観察力であるな」 今度はちゃんと感心したアレイスターに、ラビは得意げに笑った。 「ラインっつっても、まっすぐ伸びてんじゃなくて、ゆるく蛇行しながら進んでる・・・そんで最後に一気に倒れるはずの木は、横や斜めから支えあってて、一本で倒れることはないんさ。 倒れるなら全部一緒に倒れてるはず・・・それが変だって思ったんさね?!」 「その通りである」 得意げに鼻を鳴らしたラビの傍らで、コムイが憮然とむくれる。 「っちぇー! 麓からは応援が来ない、って思わせるための嘘だったのに、全然ばれてたんですか」 「策士策に溺れる、であるな」 クスクスと笑ったアレイスターは、肩をすぼめて部屋の端でかしこまるトマを見遣った。 「お前も、すっかり騙されたのであろう?」 「は・・・はい・・・・・・。 申し訳ございません・・・・・・」 身を縮めて詫びる彼以上に、エリアーデが身を縮めて俯いている。 「エリアーデ」 「はっ・・・はい!!」 ビクッと顔をあげた彼女に、アレイスターが笑った。 「まさか、本当に木を倒してはおらぬであろうな?」 「もっ・・・もちろんですわ、あなた・・・! 新聞屋さんへ、トマにそう電話して欲しいとお願いしただけです・・・」 「領民に迷惑がかからず、何よりであった」 後始末が大変だから、と笑って、アレイスターはエリアーデの肩を叩く。 その様子に、やや緊張の解けたリナリーが口を開いた。 「木だけが・・・嘘を見抜いた材料じゃありませんよね? 他にもあったんでしょう?」 問われて、アレイスターは頷く。 「リーバー殿が落ちて来た時、あの場にいなかったのは探偵とアレン、リナリーの三名。 ・・・あぁ、我が召使い達はもちろん、勘定に入れていないであるよ。 そのようなことをする理由がない」 リナリーの訝しげな表情に気づいて、アレイスターはそう補足を入れた。 「ミランダは我らと共にいたのであるから、夫婦喧嘩の果てに、というわけではないだろうし、落としたとすれば二人が協力したか、探偵が一人でやったのだと思ったのである」 「わっ・・・私達、そんなことしません!!」 椅子を蹴って立ち上がったリナリーに頷き、アレイスターは座るよう促す。 「もちろんそうであろうよ。 この事件が起こる前に、私はありえない倒木の知らせを受けていたのである。 何かの拍子に話しただろうかと、エリアーデにそれとなく聞いたものの、妻もこの森の仕掛けについては知らなかったようなのでな。 ならば私が探偵に話すはずもないから・・・」 「え・・・? それとなくってもしかして・・・沿道の木を切るように命じたのに、ってお話ですの?」 唐突に話の腰を折ったエリアーデへ頷くと、彼女は目を吊り上げて立ち上がった。 「私を騙したんですか?!ひどい!!」 「えっ?! あ・・・その・・・! す・・・すまなかったである・・・!」 先に騙したのはそっちだろう、なんて怖ろしい台詞が彼に言えるわけもなく、アレイスターはおろおろとエリアーデの顔色を伺う。 「も・・・もうしないであるから・・・!」 「約束ですわよ?!」 「はい・・・・・・・・・」 しゅん、と、うな垂れてしまったアレイスターの姿に、思わず笑ってしまったリーバーが先を促した。 「それで? 倒れるはずのない木が倒れたって連絡が先に来ていたから、卿は探偵とリナリー、アレンの三人の中で、探偵が怪しいと睨んだんですね?」 「そ・・・その通り・・・!」 顔をあげたアレイスターは、ぷんっと膨れてそっぽを向いたエリアーデを気にしながら頷く。 「ト・・・トマが私を裏切ることは絶対にない。 ならば、誰かがトマに、そのようなことを吹き込んだのだろう。 だとしたらその・・・探偵ではないかと・・・・・・」 「えーえーえー! どーっせボクは嘘つきですからねっ!」 コムイにまで拗ねられ、困惑しきりのアレイスターの眼前でしかし、彼はリーバーとリナリーの攻撃を受けてテーブルの下に沈んだ。 「これのことは気にせず」 「続けちゃってください。 なんで兄さんが犯人だってわかったんですか?」 「それは・・・」 呟いて、アレイスターは窓を指す。 「リナリー嬢も見たであろう? 4階のあの部屋からは、崖の先端までが見通せる。 コムイ殿が撃たれたと見えた後、私は城壁を見渡したが誰もいなかった。 ・・・まぁ、当然であるがな。 空を飛べぬ限り、誰もコムイ殿を銃撃できるはずもない」 「・・・へ?」 呆気にとられた顔を、コムイがテーブルの下から出した。 「え?なんで・・・・・・?」 「そなた、リナリーへ手を振ったであろう」 そう言って、アレイスターはあの時のコムイと同じように、右手をあげて見せる。 さすがに気になったのか、そっぽを向いていたエリアーデも視線を向けた。 「城と崖の先にいたコムイ殿までの距離と、庭からリナリー嬢がいるまでの高さを斜辺で繋ぐと、ほぼ正確な直角三角形ができるのだが・・・」 「・・・っああああああああああああああああああああああ!!!!」 答えを言う前に、コムイとリーバーが絶叫して立ち上がる。 「ふぁっ?!」 目を回していたアレンも大音声に驚いて飛び起き、何事かと二人を見上げた。 だが、彼の問いには誰も答えてくれず、勝手に話が進む。 「も・・・なんてドジしちゃったんだろ、ボク!!!! うっかりリナリーに手を振っちゃうなんて・・・!!」 「なっ・・・なんだよ、それ!」 頭を抱えたコムイの言い様に、リナリーがムッと頬を膨らませると、『つまり』と、リーバーが指で直角三角形を作った。 「俺は、前に来た時に見せてもらったんだが、この城の城壁から崖の端までは結構な距離がある」 「うん・・・それは実際、城壁を出たからわかるよ」 「お城を出て崖の端に行くまでに、凍りつくかと思いました!」 無理やり話に入ってきたアレンが言うと、リーバーは大きく頷く。 「あの距離は、最新式のライフルだって射程範囲外だ。 まぁ、暗殺や下克上の横行した中世に建てられた城なんだから、その辺の配慮は当然なんだけどな」 「でも・・・城壁から狙ったら撃てるんじゃないの?」 「撃てはするであろうな。 だが、よほど威力のあるライフルでもない限りは、あれほどの出血はない」 「い・・・威力あったんじゃないですか?」 アレイスターの説明に何とか反駁するアレンの隣で、ラビが目を輝かせて首を振った。 「そこでさっきの角度の問題さね! リナリーとコムイは向き合って手を振り合ってた。 そんなコムイの心臓を狙うとしたら、二通り場所がある。 まずは正面!」 ぐったりとテーブルに突っ伏したコムイを、ラビがつつく。 「けど、城壁から崖の端までは、真っ白い雪しかない。 目の前にライフル構えた奴がいるのに、撃たれるまでニコニコ手を振ってるわけないさ」 「う・・・うん・・・」 「そうだね・・・・・・」 顔を見合わせ、頷いたアレンとリナリーに、ラビも大きく頷いた。 「そんで卿の証言じゃ、城壁には誰もいなかったんさ。 そりゃそうさね。 城壁の高さから崖の端にいる奴の胸を撃つには、もう1階分下らなきゃ、頭にしか当たんないさ」 「・・・・・・・・・」 自身らが歩いた距離と城壁の高さ、そして何より、銃の射程距離、というのを考えてみれば、確かにラビの言う通りだ。 そしてこの城の城壁には、『下の階』なんてものはなかった。 大きく頷いたアレンは、きっとコムイを睨む。 「僕が見つけたのは、やっぱり割れた風船のかけらだったんですね!」 そこに血糊を入れてたんだ、と叫ぶと、コムイは力なく頷いた。 「あぁー・・もう・・・・・・! せっかくうまく行くと思ったのにぃ・・・・・・」 「悪かったね、手を振っちゃって!」 むくれたリナリーに、しかし、アレイスターが手を振る。 「まぁ、そんな推理をしなくても、湖に落ちた時点でコムイ殿が生きているとはわかっていたであるが」 「なんでですっ?!」 がばぁっと起き上がって詰め寄るコムイに、アレイスターは苦笑した。 「あの湖に流れ込んでいた川であるが・・・数年前、上流で山崩れがあったそうで、流れが変わったのである。 今ではだいぶ干上がって、せいぜい腰までの水位しかないのであるよ。 そなたのように大きな男が、沈める深さではないのである」 あの場所に遺体がなかった時点で、何かのはかりごとが進行している、と言う勘が確信に変わったのだ。 「展開を見守ろうかとも思ったのだが、、アレンまで引きずり込まれたとあっては、そなたらの企みが成就するまで放置もしておけぬと思ったのでな・・・。 少々乱暴ではあるが城を封鎖して、城外への暖房を全て切ったのであるよ」 「おかげで温室が一気に氷点下に!」 コムイだけでなく、ラビやアレン、リーバーにまで恨みがましい目で睨まれ、アレイスターは笑い出した。 「やはり、あの温室にいたであるな。 もう暖房は戻したであるから、野菜は枯れておらぬだろう」 「・・・あ! それで、ここ以外の明かりを消しちゃったんですか?! みんなが確実にここに来るように!」 「その通りであるよ」 賢い少女ににこりと笑って、アレイスターはゆったりと脚を組みかえる。 「思惑通りである」 さすがは由緒正しい貴族と言うべきか・・・うろたえていたように見えて実は冷静に観察していた彼の目と、百戦錬磨の探偵ですら引きずり出した策略に、皆が舌を巻いた。 「楽しかったであるよ、探偵。 今後はぜひ、穏やかにすごそうではないか」 クスクスと笑う彼に苦笑し、コムイは恭しく一礼する。 「仰せのままに、閣下」 「うむ、苦しゅうない」 冗談めかした彼の一言で、部屋には安堵と共に笑声が溢れた。 翌日。 騒動の疲れもあって、遅く起きた客達は、昨夜までとは一変した城内の様子に唖然とした。 ホールへ続く大階段は冬のバラに縁取られ、楽団が奏でる陽気な音楽に合わせて、あちこちに踊りの輪が出来ている。 「えー・・・・・・・・・」 以前の薄暗く、陰気な城を知る大人達が唖然とする横で、子供達ははしゃいだ声を上げて祭りに加わった。 「あ・・・あの・・・これは・・・・・・?」 ワインの樽を運ぶトマにミランダが声をかけると、彼は嬉しげに微笑む。 「領民の皆さんが、ご城主様のお祝いに参ったのでございます」 「え?! でも先代の遺言で、近づくなって言われてたんじゃ・・・」 声を潜めたリーバーに、しかし、トマは首を振った。 「ご城主様が撤回なさいました。 奥方とのご結婚を、ぜひ皆に祝ってもらいたいとおっしゃいまして・・・」 「じゃあ、あれからもう、何年も・・・・・・」 道理で毎年、招待を受けるわけだと、コムイは苦笑する。 「言ってくれればよかったのに・・・こんなにあったかいんだったら、もっと早くに来ていたよ」 「気が利かず、失礼いたしました」 トマの冗談めかした言い様に吹きだし、コムイ達は輪の中心へと入っていった。 そこにはもう、因縁や呪いは存在しない。 明るい笑顔で彼らを迎えた城主夫妻に、コムイは心からの祝福を送った。 Fin. |
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2010年クロちゃんお誕生日SSは、リクエストNO60『探偵物語』でした! 原作でクロちゃんが活躍するのは多分、12時月以降だと思うんだ・・・。(現在、SQは出ておりません) なので、探偵シリーズの続きでございます。 既に『TheBlackRose』とは離れてしまったので、通し番号的な物は無くしております(笑)>殿下とユウさんも出てこないので。 今回の元ネタは、ホームズシリーズと言いながらアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』をイメージしています。 ついでに、土曜ワイド的に湯煙も出してみました(笑) だって、トリビアかなんかで『2時間サスペンスで高視聴率を取るキーワードは温泉』だってゆってたんだもん。>それだけの理由か。 そして射撃云々ですが、これ、19世紀の話ですからね(笑) 今のライフルなら、そりゃずいぶん遠くにまで正確に飛ぶんでしょうが、19世紀末ですらないからね、ホームズは(笑)>メインは1870〜80年頃じゃなかったか。 しかも大都会ならともかく、現代でも『ヨーロッパ最後の秘境』と呼ばれている国なので、ここのあたりは大目に見てください(笑) |