† 春眠暁を覚えず †






 いつもの朝、いつもの執務室のドアの前で、コムイは深々とため息をついた。
 「今日も・・・すごくすごくいびられるんだろうなぁ・・・・・・」
 中央庁からやってきたお目付け役は、美人の上に有能だが、それゆえに一切の容赦がない。
 「ボクだって頑張ってるんだから、あんなにいつもいつもガミガミ言わなくったっていいと思うんだよねぇ・・・・・・」
 と、思っているのはコムイだけで、彼に長く使われている部下ほど、ブリジット・フェイ補佐官のやり方に賛同していた。
 今もリーバーがものすごい目で、『早くドアを開けろ』とばかりに睨んでいる。
 「うぅ・・・!
 今日も地獄の扉が開くよ・・・・・・!」
 悲しげに呟くと、コムイは意を決してドアを開けた。
 「おっはよー!ミス・フェイ!
 今日も・・・・・・あれ?」
 空元気の大声は、対象を失って消える。
 「ミス・フェイ?
 ミス・・・・・・」
 積み上げられた書類の隙間から、恐る恐る彼女のデスクを覗いてみると、転がったティーカップに指を掛けたまま、ブリジットがデスクに突っ伏していた。
 「ミス・フェイ、どうし・・・・・・」
 ふと目に入った指先の、あまりの白さにぎくりとしたコムイは、彼女の手首に指を当てる。
 「・・・医療班、すぐに執務室へ。
 フェイ補佐官の脈がない」
 非常事態を前に、表情を改めたコムイの声は、冷酷なほどに冷静だった。


 「心肺停止状態だね。
 室長、何か心当たりは?」
 ドクターの問いに、コムイは考え込んだ。
 「今、リーバー班長達が彼女が飲んだらしい紅茶の分析をしています。
 それから何か、毒物が出るかもしれませんが・・・・・・」
 「そうか・・・警備班!!」
 ドクターが大声をあげると、診察室に警備班員達が飛び込んでくる。
 「室長を拘束したまえ」
 「えっ?!
 なっ・・・なんでですか、ドクター!」
 両腕を屈強な男達に掴まれ、驚いたコムイは必死にもがいた。
 が、身長はあっても力はない彼は簡単に押さえ込まれ、悲鳴をあげる。
 「ドクター!!ねぇってば!!」
 「ミス・フェイの死因はこれから調査するにしても、これが殺人であった場合、第一の容疑者は君だよ、室長。
 他の団員には、彼女を殺す動機がないからね」
 「ボクだって殺そうと思ったことなんてないですよっ!!」
 「それともう一人・・・」
 コムイを無視してインカムを引き下ろしたドクターは、警備班へ連絡を入れた。
 「ブリジット・フェイ殺害容疑で、リナリー・リーを拘束したまえ」
 「ちょっとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 声まで蒼白にして、コムイが絶叫する。
 「そりゃリナリーはミス・フェイのこと嫌いでしたけどっ!
 殺したりなんかしませんよ!!」
 「そう思うのは、兄妹だからではないかね。
 私は用心に越したことはないと思うのだよ」
 冷酷に通信を切ったドクターは、手を払って『連れて行け』と命じた。
 「ドク・・・ドクタァァァァァァァァ!!!!
 無実だって!
 無実だってボク・・・ねぇぇぇぇぇぇ!!!!」
 遠くなっていくコムイの絶叫に鼻を鳴らし、ドクターはストレッチャーの上で動かないブリジットを見下ろす。
 「一見、眠っているようなんだがねェ・・・」
 毒殺の兆候は見られないが、コムイのことだ、どんな毒薬を作り出したものか知れたものではないと、ドクターは深くため息をついた。


 「リナリー・リー。
 ブリジット・フェイ補佐官死亡の件で、事情を伺いたい。
 同行してもらおう」
 突然高圧的な声で言われ、リナリーはサンドウィッチに噛み付こうと口を開けたまま目を丸くした。
 「・・・・・・・・・はい?」
 なんのこと、と問い返す前に、それを承諾と受け取った警備班員達が両側からリナリーの腕を取り、立たせる。
 呆然としたまま、連行されそうになった彼女を、アレンとラビが慌てて追った。
 「ちょっと待って下さい!
 リナリーがなにをしたって言うんですか!!」
 「それに、フェイ補佐官が死亡って、どういうことさ?!」
 きゃんきゃんと喚く二人をうるさげに見下ろした彼らは、同時に首を振る。
 「班長命令だ。
 詳しいことは知らん」
 「連行し、事情聴取をすれば明らかになる」
 「そんなっ!!」
 未だ呆然としたリナリーの代わりに声をあげ、アレンが一人の腕を掴んだ。
 「フェイ補佐官がいつ亡くなったのか知りませんけど、リナリーはずっと僕らと一緒でしたよ!」
 「そうさ!
 朝早くから起こされて訓練場に連行されて、今ようやく朝メシ食ってんさ!」
 アレンに倣ってラビがもう一人の腕を取ったが、それはあっさりと振り払われる。
 「フェイ補佐官は今朝5時には既に執務室にいたそうだが、その時間からか?」
 鋭い目で睨まれ、問われたラビが、気まずげに目を逸らした。
 「俺が起きたんは・・・6時14分40秒さ・・・・・・」
 「僕は・・・その後です・・・・・・」
 同じく睨まれたアレンが答えると、彼の手も振り解かれて、リナリーが連行される。
 「リナリー!!」
 必死に呼びかけると、肩越し、リナリーが振り返った。
 「なんだかわからないけど・・・ちゃんと説明すれば、無実だってわかるよ・・・・・・」
 とは言いつつ、不安げな彼女を二人は追う。
 「おい・・・!」
 「いいでしょ!」
 「非道な取調べしないか、監視さ!!」
 迷惑そうな警備班員達に反駁し、二人は無理矢理ついて行った。


 ・・・その直後。
 「神田っ!!
 神田大変よっ!!」
 階下に見かけた彼に向って大声をあげたエミリアが、飛び降りるついでに放った蹴りを後頭部に受け、神田は無残に沈んだ。
 「なに寝てんのよっ!!」
 「それが殺人未遂した後に言うことかッ!!」
 だくだくと鮮血を迸らせながら飛び起き、怒鳴る神田にエミリアは鼻を鳴らす。
 「受け止められないあんたが悪いんでしょっ!
 空から降ってきたお姫様は、受け止めるのが王子の義務でしょうに!」
 「階上から蹴りを繰り出す暴力女を受け止める義務なんざねぇよ!!」
 「誰が暴力女よっ!!」
 その名に恥じぬ腕力で、ぎりぎりと神田の首を締め上げたエミリアは、彼を落とす寸前で腕を解いた。
 「こんなことやってる場合じゃないのよ!
 大変なの!!」
 神田の胸倉を掴んで揺さぶると、あの世に逝きかけていた魂が戻る。
 「なんだよっ!!
 そりゃ俺を殺すより大変なことか!!」
 「フェイ補佐官が亡くなって、室長とリナリーが殺人容疑で連行されたの!!」
 お前も連行されるがいい、と、殺人未遂犯に言いかけた神田は、何か重大なことを聞いたような気がして瞬いた。
 「・・・誰が死んで、誰が殺人容疑だと?」
 「だから、フェイ補佐官が亡くなって、室長とリナリーが連行されたんだってば!」
 苛立たしげに言ったエミリアに、神田はなぜか、感心したように頷く。
 「あの女、殺しても死なないと思っていたが・・・」
 「どういう認識よ!!」
 再び揺さぶろうとしたエミリアの手を掴み、神田は彼女の目を覗き込んだ。
 「なっ・・・なに・・・?」
 「連行したのは中央庁の連中か?」
 うろたえた隙を突いて問うと、エミリアはぶんぶんと首を振る。
 「警備班よ・・・。
 室長は、警備班班長が取り調べるって・・・」
 言うや、神田はあっさりとエミリアの手を放した。
 「なら大丈夫だ。
 班長はヤード出身の元警官だからな。中央庁みたいな無茶はしねェ」
 「それは・・・ジェリー姐さんも言ってたけど・・・・・・」
 彼女が二人を助けようとしないから神田を探したのに、彼にまで同じことを言われて、エミリアがむくれる。
 「心配じゃないの?!」
 「ジェリーも言ったんじゃねぇか?
 下手に疑いを長引かせるより、班長に『無罪』のお墨付きをもらった方があいつらのためだって」
 「う・・・・・・」
 まさにその通りのことを言われて、エミリアは口ごもった。
 「任せて大丈夫だ」
 にやりと笑った神田が背を向けると、エミリアは不満顔で彼の手を取る。
 「まだなんかあるのか?」
 うんざりとした顔で振り返った彼に頷き、エミリアは神田の腕に自分の腕を絡めた。
 「様子、見に行こうよ!」
 「めんどくせぇ」
 その一言で一刀両断されても、めげるエミリアではない。
 「世界一の警察って言われるスコットランド・ヤードの事情聴取がどんなものか、見て見たいわ!
 パパの参考になるかもしれないし!」
 いざ!と腕を引かれ、神田は不承不承ついて行った。


 その頃、科学班の実験室では、フェイ補佐官を死に至らしめた毒薬の分析を急いでいた。
 「・・・既存のどれにも合致しないって、どういうこった」
 分厚い手袋越しに握ったペンを器用に走らせ、最後の項目に×印を書き込んだリーバーが、ガスマスクの向こうで眉根を寄せる。
 「普通じゃ調べない、テトロドトキシンみたいな生物毒も項目に入れたんすけど・・・出ませんねェ・・・・・・」
 同じく眉根を寄せたジョニーの隣で、ロブも頷いた。
 「まぁ、室長なら我々が知らない毒のことだって知ってそうですけどね・・・」
 「・・・だったら、女限定の毒薬とかも含んでいいんじゃないかな!
 オゴノリに含まれる毒素は確か、女の方が死ぬ確率が高いんじゃないっけ?!」
 キャッシュの大声に、はっとしたリーバーが試薬の並んだ棚を見渡す。
 「しかし・・・それなら厄介だぜ。
 あれはなにが原因かよくわかってないからな」
 どれで調べるべきか、悩ましげな彼の背後でキャッシュが踵を返した。
 「だったら補佐官の死体を調べればいいさ!
 あたし、解剖の許可もらってくる!!」
 巨体に似合わぬ素早さで、実験台の間を駆けたキャッシュの肘が、試験管のいくつかをなぎ倒す。
 「おい!!」
 「あ!ごめ・・・」
 焦って振り返ったキャッシュの周りに濃霧が立ち込めた。
 「わぁぁぁっ!!」
 「落ち着け。
 マスクしてんだから、ガスくらいじゃ・・・」
 部下達を宥めにかかったリーバーの声が、不意に途切れる。
 「班長・・・?」
 訝しげに見遣ったロブの目の前で、リーバーが突然倒れた。
 「班長!!」
 「キャッシュ!
 エマージェンシーボタン押せ!
 この部屋封鎖するぞ!!」
 慌てて駆け寄ろうとしたキャッシュを、ロブが制す。
 「ジョニー、班長を一旦・・・・・・」
 「ロブ!!!!」
 リーバーに折り重なるようにして倒れたロブに、ジョニーが駆け寄った。
 「防護服着てるのに、なんで・・・?!」
 倒れた二人から、手を引いたジョニーの背後で地響きがあがる。
 「キャッシュ・・・!」
 振り返ったジョニーの視界も翳り、エマージェンシーコールは鳴らないまま、部屋に沈黙が訪れた。


 「無罪を主張するさ!」
 突然部屋中に響いた声に、中で待っていた警備班の男が眉根を寄せた。
 「俺はまだ何にも言ってないんだけどね、Jr.。
 リナリー、座りなさい」
 「異議あり!!!!」
 再びあがった大声に、彼は目を眇める。
 「なんだ?」
 「検察は被告を威嚇しているさ!
 検察にとって有利な証言を導き出そうとする脅迫行為さね!
 被告に対しては礼儀正しく振舞うことを要求するさ!!」
 「誰が検察だ、誰が」
 ぶつぶつと呟きながら、彼はリナリーへ手を差し伸べた。
 「どうぞお座りを」
 「異議あり!!!!」
 「まだ文句があるのか!」
 苛立たしげにデスクを叩く彼に、ラビは憤然と頷く。
 検察は被告に対面しているさ!
 これは敵対的関係を表している!
 その上、検察は身長が高く、被告を上から見下ろして、心理的圧迫感を与えようとしているさ!!
 この状況で得られた不利な証言は無効だと主張する!!」
 「任意の事情聴取だろうが!!」
 「異議あり!!!!」
 「まだ言うか!!!!」
 「任意なら・・・」
 「リナリーは断っても良かったってことですよね!
 なのに、大きな警備班の人が二人も来て、両脇から抱えられて連行だなんて、まるっきり犯人扱いじゃないですか!
 レディに対してひどいです!!」
 ラビに負けじと声を張り上げたアレンが、リナリーの腕を取った。
 「リナリーはフェイ補佐官を殺したりなんかしませんよ!」
 「俺だってそんなことは思ってないよ!
 だが事件の調査は警備班の仕事なんだから、仕方ないだろうが!」
 苛立たしげに言った彼は、リナリーを連行して来た班員達にそれぞれ、ラビとアレンを拘束させる。
 「権力横暴!
 放すさー!!」
 「弾圧を強めるなら僕は断固反抗する!!」
 「静かにしないとつまみ出すぞ!!」
 じたじたと暴れる二人に怒鳴り、彼は吐息した。
 「・・・おとなしくしていると約束するなら、監視でも見学でもしていればいい。
 リナリー、とにかく座りなさい」
 「はい・・・・・・」
 ため息交じりの声に頷き、リナリーは彼の対面に座る。
 「・・・さて。
 俺は班長と同じく、ヤードからここに引き抜かれてもう何年も経つし、フェイ補佐官よりも君のことをよく知っているから、君が彼女を殺したとは思っていない」
 ラビとアレンにも聞こえるように言った彼は、リナリーをまずは安心させる口調で話を切り出した。
 「フェイ補佐官の死因は、事件のみならず、事故や自殺も含めて調べているから、この聴取もその証拠集めの一端だと思って欲しい」
 「はい・・・」
 未だ不安は拭えないものの、少し強張りの解けた顔でリナリーが頷く。
 「よろしい。
 では、君の今日の行動を教えて欲しい。
 フェイ補佐官が室長の執務室へ入ったのは午前5時だ。
 それは科学班第1班のスタッフが大勢目撃している。
 毒物が入っていたかもしれない紅茶は補佐官自らが運び込んだらしい。
 その後、科学班第1班のスタッフは彼女を姿を見ていない。
 彼女が執務室に入って以降、誰か入ったかと言う質問には、誰も確かな目撃情報を提供できなかった。
 しかしそれは、誰も入らなかった、ということとイコールではない。
 さてリナリー。
 本日午前5時前後、君は何をしていた?」
 状況説明を終えた彼に頷き、リナリーは壁にかかった時計を見つめながら記憶を辿った。
 「私は・・・今日までモスクワにいて、あちらの時間で午前8時に方舟の間に入り、帰ってきました。
 時差は三時間だから、こっちはまだ午前5時だったの。
 兄さんが出迎えてくれて、軽傷だけど一応病棟で治療してもらって・・・兄さんが執務室に帰るからって別れたのは多分、6時頃だったと思います」
 「1時間もかかったのかな、軽傷の治療に?」
 疑わしげに言った彼は、デスクの上に裏向きで置かれた紙をめくる。
 「実は、既に医療班スタッフの証言を取ってある。
 君達は確かに午前5時過ぎ、病棟を訪れたが、軽傷だったために10分ほどで治療を終えたとある。
 50分あれば、十分犯行を終えられると思わないかな」
 その言葉に反駁しようとしたラビとアレンの口を部下達に塞がせ、彼はリナリーに答えを促した。
 「この時間、どこにいた?」
 「それは・・・・・・」
 口ごもり、目をさまよわせるリナリーの目に入るように、彼は証言の紙を再び裏向ける。
 「正直に言えば、今は咎めない」
 畳み掛けられて、リナリーはため息をついた。
 「・・・ずっと・・・補佐官に邪魔されていたから・・・・・・」
 まさか、と、目を見開くラビとアレンの前で、リナリーが俯く。
 「・・・・・・兄さんの部屋で一緒に朝食を摂りながら、報告書を書いてました」
 途端、力の抜けた二人を警備班員達が慌てて支えた。
 「・・・なぜ隠そうとしたか、聞いていいか?」
 「だって!!」
 顔をあげたリナリーの目には、涙が浮いている。
 「兄さんは室長だもん・・・!
 本当は、エクソシストが作成する報告書が出来上がる前に関わっちゃいけないんだよ・・・!」
 「そうなのか?」
 ラビとアレンに問うと、ようやく口だけ解放された二人は遠慮がちに頷いた。
 「情報の操作、隠蔽を防ぐため、エクソシストは個々で報告書を作成のこと。また、第三者情報による錯誤を防ぐため、幹部及び科学班、探索班はこの作成に関わることを禁ず」
 「初めて報告書作る時に、言われました・・・」
 条文を読み上げるラビとアレンの答えに、ため息をついた彼は顎の下で手を組み合わせる。
 「・・・では、その件については後ほど、しかるべき判断をしてもらうとして、6時頃まで君は室長と、室長の部屋にいたんだね?」
 「はい!
 監視ゴーレムがたくさんいるから、それは証明できると・・・」
 「ダークブーツを発動させた君を、監視ゴーレムが捕捉できればの話だけどね」
 不利な状況に困惑し、また俯いてしまったリナリーを見詰めつつ彼は、インカムのマイクを口元に引き下ろした。
 「室長の自室付近の記録映像を確認しろ。
 時刻は本日午前5時から6時前後」
 警備班室に連絡を入れると、間もなく彼の耳に報告が入る。
 「了解。
 リナリー、君の証言通り、午前5時15分に君達は室長の部屋に入り、午前6時8分に出ている。
 その際、室長の手には報告書らしきファイルがあり、別れた後の行動は室長が執務室に、君がラビとブックマンの部屋に向かっている」
 「その6分後、俺はこいつに叩き起こされたんさ」
 大きく頷いたラビが、リナリーをじっとりと睨んだ。
 「組み手の相手しろって空腹の俺達を連行して、自分はとっくに朝メシ食ってたんさね・・・!」
 「・・・それも言いたくなった理由の一つだね」
 ラビから顔ごと目を逸らしてしまったリナリーに、対面の彼は大きく吐息する。
 「わかった。
 無罪放免というわけには行かないが、ひとまず解放しよう」
 「よかった!!」
 喜色を浮かべたアレンが、早速警備班員の手を振り解いてリナリーに駆け寄った。
 「さぁ!
 さっさと朝ごはんの続きしましょ!」
 両手で手を握り、立ち上がらせた彼女はしかし、不安げな目で振り返る。
 「兄さんは・・・?」
 問われて、彼は懐中時計を取り出した。
 「あちらももう、終わっている頃だろう。
 二つ隣の部屋だ」
 「ありがと!!」
 アレンに手を握られたまま、彼を引きずるように部屋を出たリナリーは、二つ隣の部屋の前で、呆然と佇む神田とエミリアの姿に目を見開く。
 「どうしたの?」
 嫌な予感がして問えば、はっと我に返った神田が、素早くドアを閉めた。
 「来るな!」
 そのただならぬ声にリナリーは駆け寄り、彼が止めるのも聞かずドアを開ける。
 「兄さ・・・っ!」
 椅子と机しかない簡素な部屋で、コムイは警備班班長と向かい合ったまま、机上に倒れ伏していた。


 「・・・二人とも、脈がない。
 心肺停止状態さ」
 無線で呼んでも応じない医療班の代わりに、ラビが臨時の検視をすると、アレンの腕の中でリナリーが膝を崩した。
 「リナ・・・!」
 「うそだ・・・・・・!」
 アレンに支えられていることにも気づかず、リナリーは呆然と呟く。
 「嘘だ!!!!」
 萎えた脚を必死に動かし、部屋へ入ろうとするリナリーを警備班が止めた。
 「死因がわかるまで、事件現場に入るんじゃない!」
 「死・・・因・・・?」
 その言葉がとどめであったかのように、リナリーの全身から力が抜ける。
 「リナリー?!」
 意識を失くしたリナリーを抱えたアレンへ、警備班員達が手を払った。
 「この部屋は一旦封鎖し、調査する!
 Jr.も早く出るんだ!」
 「あぁ・・・」
 逆らわず、部屋を出たラビの代わりに入った警備班員達がドアを閉める。
 その様を呆然と見つめ、アレンは腕の中のリナリーを無言で抱きしめた。
 「原因は・・・なんなんかね・・・・・・」
 ポツリと呟いたラビを、アレンが見上げる。
 「外傷はなかった。
 デスクの上には、毒を盛られるような飲食物はなかったし、ガスみたいな変な臭いもしなかった。
 ただ単に倒れてたんさ、二人が」
 腕を組んでドアに背を預けたラビは、ふと瞬いた。
 「あれ?
 ユウとエミリアは?」
 「・・・エミリアさんは、ティモシーを探しに走ってって、神田はリーバーさんに報せてくるって、科学班に。
 科学班も、無線に応答しないんだって。
 壊れちゃったのかな・・・?」
 そう言ってアレンは、自分の無線機を不安げにいじる。
 「本部でまで死人が出るなんて・・・怖い・・・・・・」
 きゅっと眉根を寄せ、意識のないリナリーを縋るように抱きしめたアレンの頭を、ラビがくしゃくしゃと撫でた。
 「二度とノアの襲撃がないように、対策はしてるんさ。
 だからこれは、あいつらの仕業じゃないと思うけど・・・・・・」
 ならば原因はなんだろうと、再びラビが呟く。
 「コムイが示してくれないなら、リーバーか・・・。
 でもあいつ、有能なオトコマエじゃあるけど、教団も中央庁もひっくるめて引っ張る権限ないもんなぁ・・・。
 アジア支部からバクちゃんでも呼ぶかね」
 「そうだね・・・長官には来て欲しくないし」
 これ以上リナリーに負担を掛けたくないと、アレンは腕の中の彼女を見下ろした。
 「・・・遅かれ早かれ、リンクから連絡は行くだろうケド、その前にバクちゃんに来てもらって、こっちで対応できるようにしちまおうぜ?」
 「そうすれば、長官が来ることもないかもしれませんもんね」
 ラビの提案にアレンも頷く。
 「じゃあ、俺がアジア支部に連絡入れっから、お前はリンクに情報が行くのを食い止めるさ!
 あいつ、まだ寝てんだろ?」
 「うん。
 今日は明け方まで仕事してて、僕がリナリーに起こされる直前に寝たみたいだから。
 でも、どうせびっくりするような短時間で起きるだろうから、今のうちにちょっと殴って意識を飛ばしておこうか」
 酷いことを大真面目に言うアレンに、ラビは思わず吹き出した。
 が、すぐに咳払いして収めると、しかつめらしい顔で頷く。
 「それはお前の判断に任せるさ。
 昼近くなったらジジィも起きてくるだろうから、もっと詳しいことがわかるかも」
 「そうですね・・・。
 こんな大変な事件、早期解決させないと!」
 決意を込めて、アレンはリナリーを抱きしめた。
 しかし、
 「これは・・・簡単には収まらねぇな・・・・・・」
 科学班に駆け入った神田が、彼らとは逆の呟きを漏らす。
 実験器具が所狭しと置かれたデスクの間、書類や書籍が積み上げられた隙間に、白衣を着たスタッフ達が折り重なるように倒れていた。
 そしてその中に一人、黒衣の者も。
 「ミランダ・・・・・・」
 ソファに横になった彼女は眠っているように見えたが、あらわになった首筋に手を当てても脈は取れなかった。
 「リーバー・・・!」
 神田は実験室の札が下がる部屋を次々に開けたが、その全てに白衣の、あるいは防護服を着たスタッフが倒れている。
 「無線が通じなかったのは、こういうわけかよ・・・!」
 歯軋りした神田は、次々に無線を開いていった。
 が、病棟も、食堂も、通信班さえも誰も応答しない。
 唯一ラビは、話中のコール音だったが、それも長くなりそうだった。
 「ちくしょ・・・!」
 無線機をむしり取ろうとして、神田はもう一人にかけてみる。
 まだ使い慣れないのか、回線を開くまでにもたつく気配はあったが、ちゃんと答えがあった。
 「今どこだ?!」
 怒鳴ると、回線の向こうでエミリアの泣き声があがる。
 『どうしよう・・・!
 ティモシーが息をしてないの!!
 クラウド元帥もよ・・・!
 お猿さんだけは元気なんだけど・・・なにがあったの?!』
 それはこっちが聞きたい、と、怒鳴り返したい衝動をこらえて、その場を動かないように命じた。
 『す・・・すぐ来てね!!』
 その必死な声に、神田は食堂へ向かっていた足を止める。
 「わかった」
 ひとつ吐息して、彼はすぐさま踵を返した。


 「へ?!
 マジでさ?!」
 神田からの無線を受けたラビが突然頓狂な声をあげて、驚いたリナリーが目を覚ました。
 「あぁ・・・うん、俺も、通信班に繋がらんのは変だって思ったけど・・・・・・マジかよ・・・・・・!」
 段々低くなっていく声に、アレンは不安げな目を向ける。
 「わかった。
 こんな事態じゃ、ジジィも安眠優先なんて言ってらんないさ。
 起こしてくっから、ユウも生存者の捜索ヨロシクさね!」
 ラビが通信を切った途端、アレンとリナリーが、たまりかねて詰め寄った。
 「なにがあったんですか?!」
 「生存者って・・・どういうこと?!」
 二人の問いに、困惑げに目を泳がせたラビは、眉根を寄せて頷く。
 「ユウからの報告さ。
 科学班は・・・ミランダを含めて、全員息がない」
 「そんなっ・・・!」
 口を覆って絶句したリナリーがまた倒れそうになって、アレンは慌てて支えた。
 「ほ・・・他は・・・・・・?」
 聞きたくはなかったが、ラビの会話から被害はそれだけにとどまらないように思って問うと、彼は自身の不安を紛らわせるように、アレンの頭をくしゃくしゃと撫でる。
 「ユウが見て回っただけで、通信班と病棟が全滅だそうさ・・・。
 食堂もたぶん、ダメだって言ってた。
 それに、エミリアが言うにはティモシーと・・・・・・」
 彼らしくもなく、一旦言葉を切って、ラビはため息をつく。
 「クラウド元帥・・・も・・・・・・」
 「っ!!」
 愕然と目を見開いたアレンから、表情を隠すようにラビは背を向けた。
 「調査中だけど、あいつらにも報せてやらんと・・・」
 言い訳のように呟きながら、ラビはドアを細く開ける。
 「なぁ、今、ユウから連絡があって・・・・・・」
 言いかけて、凝然と立ち竦んだラビの背に向け、アレンは顔を歪めた。
 「まさか・・・・・・!」
 リナリーには見せないよう、彼女を胸に抱き寄せたアレンがラビの肩越し、部屋の中を覗き見る。
 「まさ・・・か・・・・・・!」
 そこには、つい先ほどまで彼らと話していた警備班員達が、折り重なって倒れていた。


 「・・・・・・なにが起こってるんですか」
 とりあえず誰も・・・誰も倒れていない場所へ行こうと、談話室に入ったアレンが、呆然と呟いた。
 彼の隣では、力なくソファに掛けたリナリーが、うな垂れたまま首を振る。
 「ブックマンなら・・・わかりますよね・・・・・・?」
 縋るような目で立ったままのラビを見上げると、彼は何度目かの通信を苛立たしげに切った。
 「・・・ジジィが、何度呼んでも出ない。
 ちょっと俺・・・起こしてくる!」
 焦った口調で踵を返したラビを止めようとアレンは腰を浮かすが、リナリーが気になって迷っているうちに機会を逃してしまった。
 改めて腰を下ろしたアレンは、迷った挙句、ずっといじっていた無線機の回線を開く。
 呼び出し音を聞くうちに、不安が募っていったが、応答があった時は自分でも驚くほどほっとした。
 「あの・・・リンク。
 起こしちゃってごめん。
 あのね、実は・・・・・・」
 言いかけて、なんの声も聞こえない無線に目を見開く。
 「リンク・・・?
 ねぇ、リンクでしょ?!」
 つい、大声をあげてリナリーを驚かせてしまったが、アレンはそれにも気づかず無線へと大声をあげた。
 「リンク!!」
 一際甲高い声が、不意に窓の外からも響いて、アレンはぎこちなく目を向ける。
 「ティ・・・ム・・・・・・」
 リンクの無線機を咥えたティムキャンピーが、パタパタと窓の外でホバリングしていた。
 開けて、と言う仕草で窓を叩くティムキャンピーを中に入れてやると、テーブルに降り立ち、無線機を転がして、口を大きく開ける。
 「これって・・・・・・!」
 ティムキャンピーの映像には、明け方、部屋に戻って来たリンクが映し出されていた。
 どこか苦しげな様子でネクタイを解いた彼は、そのままベッドに倒れこむ。
 その音で一瞬、目を覚ましたアレンが再び寝てしまった隣で、リンクは一向に動く気配がなかった。
 「まさか・・・・・・」
 息を詰めて映像を見つめるアレンが、苦しげな声を出す。
 「まさか・・・この時にはもう・・・・・・?」
 几帳面なリンクが、着替えもせずに寝ていた事を珍しいとは思いながらも、明け方に帰って来たために無理もないかと思ってしまった。
 「どうしよう、僕・・・!
 全然気づかなかっ・・・・・・!」
 アレンの目から、不意に涙が溢れ出す。
 「リン・・・クは・・・助けてくれたのに・・・っ!
 僕・・・気づいても・・・・・・!」
 しゃくりあげるアレンの前で、ティムキャンピーがしょんぼりと羽根をすぼめた。
 映像を撮ることはできても、ゴーレムであるティムキャンピーにはそれがどういう状況であるのか、理解することは難しい。
 結果としてアレンを悲しませてしまったことに困惑したかのように、じっとテーブルを見つめるティムキャンピーを、リナリーが優しく撫でた。
 「ティムが悪いんじゃないからね・・・・・・」
 そう言って離れた手が、アレンを抱きしめる。
 「アレン君も・・・・・・。
 アレン君が悪いんじゃないよ・・・・・・」
 「リナ・・・・・・!」
 今まで支えていたリナリーに支えられて、アレンは少し、恥ずかしげに頬を染めた。
 「ごめん、リナリーの方が辛いのに・・・」
 「大丈夫」
 呟くと、意外なほどしっかりした声が答える。
 「兄さんが戻ってきたら、きっと解決してくれるから!」
 「え・・・?」
 なにを言っているのかと、思わず見つめたリナリーは、淡い笑みを浮かべた。
 「早く帰ってくるといいね、兄さん!」
 「あ・・・うん・・・・・・」
 アレンが気まずい思いでいると、傍らのティムキャンピーが不意に羽ばたく。
 「ティム?」
 どこかほっとして、ティムキャンピーがじっと見つめる方向へ目を向けると、何か白いものが視界を掠めた。
 「今、なにか・・・」
 腰を浮かしたアレンに続き、リナリーも立ち上がる。
 「誰かいたの?!」
 開け放たれたままのドアに駆け寄り、外を見渡すが、長い廊下には誰の姿もなかった。
 「・・・・・・誰もいない」
 がっかりと呟いたリナリーの背後で、アレンは自分の頭に乗ったティムキャンピーをつつく。
 「映像はないの?」
 問われてアレンの手に下りたティムキャンピーが口を開け、映像を映すが、白いものが一瞬、ドアの前を通り過ぎる残像が見えるだけだった。
 「でもこれ・・・白衣に見えない?」
 「うん・・・。
 科学班か医療班・・・あ、探索班も白服か」
 誰だろう、と困惑するアレンの手を、リナリーが引く。
 「探そうよ!
 兄さんかもしれない!」
 「うん・・・」
 戸惑いながらも頷いたアレンは、リナリーと共に、白い影が去って行った方向へと駆け出した。


 一方、自室へ向かう途中、ラビは神田に声を掛けられた。
 「ユウ!
 無事でよかったさ!」
 「俺はな。
 だがこいつが・・・」
 神田が抱えたエミリアはぐったりとして、浅い呼吸を繰り返している。
 「病棟が全滅してっから、お前のジジィに診せようかと・・・」
 「そのジジィの応答がないんさ!」
 蒼褪めたラビが、悲鳴じみた声をあげた。
 「走りながらでい?!」
 「あぁ」
 エミリアを抱え直した神田は、既に走り出したラビの後について行く。
 「なにが起こったか・・・わかるか?」
 ラビの背に問いかけると、彼は走りながらわずかに首を振った。
 「ワケわかんないさ!
 ジジィ!!」
 自室のドアをもどかしげに開け、大声をあげたラビが、ベッドに駆け寄る。
 「ジジィ・・・ジジィ!!!!」
 ベッドに小さな身体を横たえた老人は、その姿のまま、冷たい骸となっていた。


 「じゃあ・・・残ったのは私達だけ・・・なの・・・・・・?」
 談話室に戻ったリナリーの問いには、しかし、答える者はない。
 いつも騒々しいラビや、彼に乗じて騒ぐアレンが無言でいるためだ。
 死者よりも硬く口を閉ざす彼らの中で唯一、意識のないエミリアの呼吸音だけが響く。
 「神田・・・エミリアは・・・・・・」
 向かいのソファに横たわるエミリアを、不安げな目で見つめるリナリーに、神田が首を振った。
 「俺が連絡を入れた時はまだ喋れたんだが、行った時にはもう、この状態だった」
 そう言って彼は、意外なほど優しい仕草で、膝の上に載せたエミリアの額に触れる。
 ・・・ティモシーに覆いかぶさるようにして倒れていた彼女の、脈が取れた時は心底ほっとした。
 だがそのことは言わず、神田はソファで片膝を抱くラビを見遣る。
 「バクには連絡したんだろ?」
 「あぁ・・・。
 俺ら以外の生存者がいないらしいってのは・・・・・・」
 「僕が連絡しました」
 ソファの上で両膝を抱いていたアレンが、俯いたままのラビの言葉を継いだ。
 「来てくれてる途中だったけど、僕が連絡したら、考えられる限りの対策をとってくるからちょっと遅れるって・・・」
 「考えられる限りの・・・例えば、感染症・・・みたいな?」
 不安げな目を向けるリナリーに、アレンが頷く。
 「バクさんは引越し前に起こった大感染事件を収めてくれたし・・・任せて大丈夫だと思うよ」
 「そうだね・・・・・・」
 とは言いながら、リナリーの声音は暗かった。
 そのまま・・・部屋に再び沈黙が訪れる。
 誰もが口を閉ざし、エミリアの呼吸音だけを不安と共に聞いていたが、それは唐突に止んだ。
 「エミ・・・!」
 目を見開き、絶句したリナリーの前で、硬い表情の神田がエミリアの首筋に手を当て・・・首を振る。
 「そんな!!!!」
 立ち上がったリナリーを制し、神田はエミリアを抱き上げた。
 「・・・どこ行くんですか?」
 アレンが問うと、神田は『聖堂』と、短く答える。
 「ここに放っておくわけにゃいかねぇだろ」
 そう言って神田は肩越し、ちらりとリナリーを見た。
 その仕草で、リナリーの前に遺体を置いておきたくないと言う彼の意図に気づき、アレンは頷く。
 「すぐ・・・戻ってきてくださいね」
 やはりリナリーをちらりと見たアレンが、『彼女が心配するから』と言う言葉を飲み込んだことを察して、神田は珍しく、反発もせずに頷いた。
 彼が出て行ってしまうと、アレンは不安げなリナリーの手を取り、再びソファに座らせてラビを見遣る。
 感情を隠すことのうまい彼が、偽ることも出来ずに悲嘆にくれている様に、アレンは困惑した。
 すると隣で、
 「兄さん・・・こんな時にいないなんて・・・・・・」
 と、リナリーが小さく呟く。
 「早く帰ってきて・・・・・・!」
 「リ・・・リナリー・・・・・・」
 顔を覆って泣き出したリナリーに困り果ててしまい、アレンは彼女とラビの間でただおろおろと目をさまよわせた。
 しばらくして、ようやく顔をあげたラビが、大きなため息をつく。
 「・・・・・・俺、生きなきゃ」
 「え?」
 一見、脈絡のない言葉に唖然としたアレンへ、ラビは苦笑を向けた。
 「ジジィが集めた情報を・・・全部じゃねェけど、次に渡すまで生きてなきゃさ」
 だから、と、ラビは唐突に立ち上がる。
 普段はそう意識しないが、改めて見るとずいぶん高い場所にある頭を見あげるアレンに、ラビはにこりと笑った。
 「一旦、避難しようぜ。
 方舟の中ならバクちゃんと合流もしやすいし、俺らが感染してるにしても、別の場所に病気を持ち込むことはないさ」
 いきなり前向きな提案をされて、一瞬、呆然としてしまったアレンは、ややして眉根を寄せる。
 「そうと決まったら、ユウと合流して・・・」
 「ラビ」
 呼びかけると、彼は『いつもの』表情でアレンを見下ろした。
 「なんさ?」
 にこりと笑ったラビに詰め寄り、アレンは彼の胸倉を掴む。
 「こんな時まで隠さないでよ!!」
 「へ?」
 なにを、と、苦笑するラビの胸倉を掴んだまま、アレンは激しく揺さぶった。
 「ちょっ・・・アレッ・・・!!」
 「なんで平気そうな顔するんだよっ!!
 全然平気じゃないくせに・・・こんな時くらい、泣けばいいだろっ!!
 それとも、ブックマンはそんなこともやっちゃダメなの?!」
 「・・・・・・なんでお前が泣くんさ」
 苦笑して頭を撫でるラビを、アレンは涙目で睨む。
 「君が泣かないからだよ、馬鹿ラビッ!!」
 「あぎゃっ!!」
 顎にアレンの頭突きを受けて、ラビが悲鳴をあげた。
 「なっ・・・にふんさっ!!
 舌噛んりゃったさ!」
 さすがに涙目になったラビに、アレンは思いっきり舌を出す。
 「そのまま泣いちゃえ、バーカ!!」
 「ガキか!!!!」
 生意気な鼻を指で弾くと、アレンは悲鳴をあげて泣き出した。
 「あーもー・・・。
 泣き虫なガキさね」
 俯いたアレンの頭をくしゃくしゃと撫でたラビは、泣き止まない彼の背中をあやすように叩く。
 「男の子が、女の子の前でぴーぴー泣くのはカッコ悪いさ。
 一人になったら思いっきり泣くから、今はカッコイイ兄ちゃんでいさせろよ」
 そっと囁くと、アレンは泣き顔を赤らめて、小さく頷いた。
 「よっしゃ。
 じゃあ、今は出来ることをやるさ!
 リナ、歩けるか?」
 「え?
 もちろんだよ」
 ラビの問いの意味がわからないまま、立ち上がろうとしたリナリーは再びソファに座り込む。
 「あれ・・・?
 なんで足が震えちゃってるんだろ」
 不思議そうに呟いて、リナリーは自身の足を見下ろした。
 この場で彼女だけが、コムイの死を受け入れきれない心と、ショックが抜けない身体が乖離しかかっていることに気づいていない。
 だがアレンはむしろ、気づかせないように話を合わせた。
 「・・・こんな状況じゃ、無理もないですよ」
 落ち着いている方が変だ、と、また睨まれたラビが苦笑する。
 「俺だって、かなりうろたえてるっての」
 まだ痛む顎をさすりながら言ったラビは、もう一方の手でリナリーの手を取った。
 「さ。
 ユウと合流しようぜ」
 「う・・・うん・・・・・・」
 不思議そうな顔で立ち上がったリナリーのもう一方の手は、アレンが取って支える。
 「大丈夫。
 僕がついてますからね」
 「僕『ら』だろ!」
 すかさず訂正されたアレンが不満げに頬を膨らませると、リナリーが少し調子外れの笑声をあげた。


 ラビの記憶に従って、誰もいない場所を・・・つまりは、誰も倒れていない場所を選んだ三人が、随分遠回りして聖堂に至った時には、神田と別れてからかなりの時間が経っていた。
 「まだ中にいるんでしょうか・・・」
 不安げに言ったアレンの視線を受けて、ラビはずっと呼びかけていた無線を切る。
 「中は・・・俺が見てくるから、お前達はちょっと待ってな」
 「どうして?
 一緒に行くよ」
 言うや、先に立とうとしたリナリーを、ラビが制した。
 「女の子はダメ」
 「なんで!」
 リナリーがムッと眉根を寄せると、ラビは彼女の気を逸らすように笑う。
 「ユウだって男の子さね。
 エミリアに縋って泣いてる所なんて女の子に・・・ましてや、妹同然のお前には見られたくないだろうさ」
 「な・・・泣くかな、神田が・・・・・・」
 想像がつかない、と、声を詰まらせるリナリーの肩を、ラビが軽く叩いた。
 「ユウのことだから、泣くほどじゃないにしても、一人でいたいってのはあるだろさ。
 そこんトコ、ちょっと聞いてくっからお前はアレンと一緒に待ってな」
 さり気なく、アレンに『見張っていろ』と言い置いて、ラビは一人、聖堂へ入る。
 中天近くから降り注ぐ日差しが、薄暗い聖堂をほのかに照らしていた。
 「ユウ・・・・・・」
 呼びかけながらラビは、灰色の石壁と緋色の絨毯が濃い陰影を描く堂内の最奥へと進む。
 教団の紋章と象徴化された巨大な十字架へ向けて、整然と並んだ座席の最前列に、二人の姿はあった。
 冷え切った座席に冷たい身体を預けたエミリアと、その膝に頭を乗せ、床に跪いた神田・・・。
 深い眠りに落ちたかのように、穏やかな表情をした彼の鼓動は、もう脈打ってはいなかった。


 「しばらくここにいるから、お前達は先に行け、ってさ」
 いつもと変わらない様子で戻って来たラビの、苦笑を含んだ声にリナリーは、不満げながらも頷いた。
 「神田・・・いつの間にエミリアがそんなに大事になっちゃったのかな」
 どこか憮然とした口調に、ラビが笑い出す。
 「お前はホント、欲張りさね。
 兄ちゃん取られるのがそんなに悔しいんさ?」
 図星をさされて、リナリーは気まずげに黙りこんだ。
 「お前、やっぱりコムイと兄妹なんさね」
 「誉めてるの?!けなしてるの?!」
 頬を膨らませた彼女に、ラビはにんまりと笑う。
 「好きなように解釈すればいいさ」
 「うー・・・!」
 あっさりとはぐらかされて、悔しげに唸るリナリーの手をアレンが引いた。
 「とにかく、方舟の中に避難しましょ。
 ここに『扉』を開いた方がいい?」
 後半はラビに向けて問うと、彼が口を開く前にリナリーがアレンの手を引く。
 「待って!
 もう一人、いるんでしょ?!」
 その指摘に、アレンははっと目を見開いた。
 「そうだ!
 人がいたはずなんです!」
 ティムキャンピーが捕捉し、アレンが見た白い影・・・。
 その正体を、彼らはまだ掴んではいなかった。
 「人?
 確かに人だったんさ?」
 問われて、アレンはティムキャンピーの映像をラビにも見せる。
 「そうさな、人みたいさ・・・」
 「探さなきゃ!!」
 途端、踵を返そうとしたリナリーをラビが止めた。
 「なに?」
 苛立たしげに振り向いたリナリーに、ラビは眉根を寄せる。
 「もしかして・・・そいつが犯人なんじゃね?」
 「犯人・・・?」
 なにそれ、と、乾いた声をあげるアレンには、頷いて見せた。
 「この状況は、どう考えたって異常さ。
 これを引き起こした犯人がいるって考えた方が、現実的じゃないさ?」
 「でもまさか・・・!
 生存者を探しているだけかもしれないし・・・」
 話すうちに、だんだん自信をなくしていったリナリーの声が小さくなる。
 「この状況で逃げ回るなんて、変さ」
 「確かに・・・。
 生存者を探しているんなら、僕らの声に寄ってきますよね・・・」
 ラビの言葉に頷いたアレンが、掌にこぶしを打ちつけた。
 「見つけて、白黒はっきりさせましょう!」
 「黒だったら吊るし上げな!」
 「もちろんだよっ!」
 珍しく不穏なことを言うラビに、リナリーも同意する。
 「じゃあ早速、通信班でゴーレムの映像検索だよ!」
 言うや駆け出したリナリーに、二人は慌ててついて行った。


 リナリーの俊足を、アレンが必要以上にもたもたして引きとめているうちに、先行したラビは通信班へ駆け込んだ。
 神田が言っていた通り、通信機器に囲まれたスタッフの全てが、深い眠りに就いたかのような安らかな顔で倒れている。
 「・・・ただ寝てるだけだといいのに・・・な」
 ぽつりと呟いたラビは、続き部屋の備品室へ彼らを隠した。
 常駐していた人数が少なかったことが幸いし、リナリー達が到着する頃には、何事もなかったかのようにいつもの様相を取り戻す。
 低い機械音が響く中、ラビは片手にマニュアルを持って、画面に監視ゴーレムの映像を映し出していた。
 「いた?」
 リナリーが問いかけると、ラビは肩越し、にこりと笑う。
 「ちょいマッテv
 言うや、壁一面にはめ込まれた全画面が見える位置にまで下がったラビは、アレンの背を押して、操作卓に向かわせた。
 「そのボタン、押してさ」
 「これ?」
 『FF』と文字のついたボタンを押すと、全画面の映像が、嵐のように流れる。
 「み・・・見えないじゃない!」
 「そか?
 よく見えっけど」
 リナリーに城内の無残な状況を見せまいと、全映像を早送りで流すラビは、ほんの数分で終了したそれを見終わって、軽く頷いた。
 「オケー。
 これと・・・」
 画面の一つが、午前5時3分の映像で停止する。
 「これとこれと」
 5時5分、5時7分の映像が別の画面で停止した。
 「これこれこれ」
 ラビが次々に停止映像で画面を埋めて行くと、全画面を通して、白い影が移動する様がコマ送りで現れる。
 「で」
 一旦、クリアされた画面が、今度は5時30分からの映像をコマ送りに映し出した。
 「こいつの道順を追って行ってー・・・」
 「すごい・・・・・・」
 あっさりと『犯人』の行動を割り出して行くラビに、アレンは感嘆の吐息を漏らす。
 更にすごいのは、停止した画面の全てに、遺体が映っていないことだ。
 時間が飛んでいる画面があるのはきっと、そこに人が倒れているからだろうと察して、アレンはただただ感心する。
 普段は頼りなく見えても、確かにラビはブックマンの後継者だった。
 「こいつの現在位置は・・・」
 はた、と、言葉を切ったラビの傍らで、リナリーが大きく頷く。
 「科学班だね!」
 「あ・・・あぁ・・・・・・」
 リナリーから気まずげに目を逸らしたラビがアレンを見ると、彼もまた、困惑げな上目遣いで彼を見ていた。
 「どうしたの?
 早く行かないと!」
 なかなか動こうとしない二人を急かすリナリーは、そこに彼女も親しいスタッフ達が、冷たい骸をさらしていることを知らない。
 ・・・いや、『知らない』と言うには語弊があるか。
 彼女は今、コムイを喪ったと言う恐ろしい記憶を、完全に封じ込めていた。
 それは幼い頃の経験から、彼女が自然に身に着けてしまった逃避行動だった。
 一度気を失ってからと言うもの、リナリーの目には、コムイの姿が映らなくなってしまったらしい。
 ではもしかしたら、他の骸も彼女には見えないのかも知れないが、そう判断するにはリナリーが、自分達以外の生存者がいないことは理解していたりと、どこにラインがあるのかがわからない。
 もし親しい人間の骸を目の当たりにしたら・・・その瞬間、コムイの死を思い出したリナリーが完全に壊れてしまうのではないかと恐れ、彼らは懸命に骸を見せることを避けて来た。
 今も、行くべきか逡巡する彼らの前で、リナリーが苛立たしげに足を踏み鳴らす。
 「早く!!逃げちゃうよ!!」
 言うや踵を返したリナリーの背に、アレンが悲鳴じみた声をあげた。
 「待って!!」
 その声があまりに必死で、驚いたリナリーが足を止める。
 「あ・・・えと、ばらばらになっちゃだめです!
 えっと・・・そう、エミリアさんだって、神田と話していた時は普通だったのに、駆けつけた時には倒れてたって言ってたじゃありませんか!
 相手がどんな武器を持ってるかわかんないのに、突っ込んでいくのは危険です!!」
 懸命に考えながら言ったアレンを、リナリーがどこか唖然と見つめた。
 「まさか・・・アレン君に無茶を止められる日が来るなんて・・・・・・」
 いつも止められる側のアレンの、意外な言葉に思わず笑ってしまうと、彼はムッと眉根を寄せ、つかつかとリナリーに歩み寄る。
 「人の気も知らないで!!」
 ぱふ、と、両手で頬を挟まれたリナリーの間近に、アレンの真剣な目が迫った。
 「ア・・・アレン・・・君・・・・・・?」
 どうしたんだろうと、驚きと困惑と不安がない交ぜになった目で見上げたアレンの目に、涙が滲む。
 「リナリーの・・・ばか・・・・・・!!」
 「えっ?!」
 いきなり抱きしめられ、泣き縋られて、リナリーは慌てた。
 「ラ・・・ラビ!!
 ど・・・どうしよう・・・!」
 なぜアレンが泣いてしまったのかさえわからず、困り果てたリナリーは、懸命に彼の背を撫でながらラビに助けを求める。
 と、苦笑したラビはアレンの背後から、彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 「俺には頭突きでリナには抱きつくんかよ。
 いい加減にしなサイ、セクハラ少年!」
 頭を小突かれて、アレンは泣き顔をあげる。
 「だって・・・!」
 「だってじゃありません!
 お前、こんな所コムイに見られたら・・・」
 つい、言ってしまったラビが息を呑んだ。
 アレンも身を硬くしてリナリーの反応を窺っていると、彼女はクスクスと笑い出した。
 「そうだね、見つかったら大変だね」
 でも、と、リナリーはアレンの胸に手をついて、身を離す。
 「今はお出かけしてるから、セーフだよv
 兄さん、早く帰ってこないかなぁ・・・・・・」
 顎に指を当て、待ち遠しげに遠くを見つめるリナリーを見ていられず、アレンはぎゅっと目をつぶった。
 その時、
 「あ!!」
 突然大声が上がって、アレンはびくっとリナリーを見る。
 「どうし・・・?」
 「どうしたの、じゃないよ!
 早く追いかけないと逃げちゃうでしょ!!」
 言って、リナリーが静止画を指すと、ラビがはっと目を見開いた。
 「やっべ!
 早く・・・」
 言いかけて、ラビはリナリーの腕を引く。
 「なに?」
 「絶対!俺たちから離れるなよ?!」
 厳しく言われ、驚いたリナリーが気を呑まれて頷いた。
 「じゃあ、リナリーが走っちゃわないように捕まえておかないと!」
 「は?!」
 アレンにまでもう一方の手を掴まれて、リナリーは唖然とする。
 「な・・・なんだか、連行されるみたいだね・・・」
 苦笑したリナリーに、二人はしかつめらしい顔で頷いた。
 「レディを守るためです!」
 「騎士ごっこも楽しそうさv
 気合十分に言ったアレンと、飄々としたラビに挟まれて、リナリーが笑い出す。
 「騎士と貴婦人ごっこは、事件解決してからにしようよ」
 「ダメ!」
 提案を却下されたリナリーは苦笑し、おとなしく彼らに連行された。


 その後間もなく至った科学班のドアの前で、アレンとラビは息を呑んで身を硬くした。
 「どうしたの?
 早く入ろうよ・・・!」
 中にいるかもしれない犯人を気にしてか、小声になったリナリーの両側で、二人は気まずげな目を合わせる。
 「でも・・・この中には・・・・・・」
 折り重なった骸を想像し、声を詰まらせるアレンに決意を促そうと、リナリーは力強く頷いた。
 「みんなを助けなきゃ!」
 立てこもり事件だとでも思っているのか、急かすリナリーをラビが、困り果てた目で見下ろす。
 「けど・・・・・・」
 ラビが何か言いかけた時、リナリーの向こう側でアレンが飛び上がった。
 「どうし・・・?!」
 アレンへ向けた目が、こぼれんばかりに見開かれる。
 「お・・・お前・・・!」
 「リンクっ?!」
 絶句したラビの前で、背後から肩を掴まれたままのアレンが悲鳴じみた声をあげた。
 「きっ・・・君、死んだんじゃ?!」
 「は?
 何を言っているのですか、君は」
 ひどく訝しげな顔の彼は、いつもと変わらない、きちんとした身なりで立っている。
 「そっか・・・。
 そういやこいつの脈は、俺らが確かめたわけじゃなかったさ・・・・・・」
 ティムキャンピーが、倒れたまま動かない彼の映像を撮っていただけだと気づいて、アレンはほっと吐息した。
 「よかった・・・」
 つい言ってしまい、真っ赤になったアレンをリンクが、ますます訝しげに見つめる。
 「一体どうしたというのですか、ウォーカーは。
 それに今日はずいぶん、仲が良いようですが・・・」
 三人を見回したリンクは、呆れた風に肩をすくめた。
 「全くあなたたちときたらいつまでも子供じみて、聖職者としての自覚が足りないようですね。
 いえ、足りないのではなく、持ち合わせがないのでしょうか。
 いつまでも遊んでいないで、離れてはどうです?」
 「あ・・・」
 「うん・・・」
 「そうだね・・・」
 気まずげに顔を見合わせた三人は、それぞれの腕を解いて離れる。
 「・・・今日は気味が悪いほど素直ですね」
 うそ寒げに身を縮めたリンクは、眉根を寄せてラビに向き直った。
 「一体、どうしたのですか?」
 「ど・・・どうした、って・・・・・・?」
 幾通りもの解釈ができる問いに答えかねたラビに、リンクはますますきつく眉根を寄せる。
 「ここはまるで、荊の城です。
 あちこちで・・・」
 「犯人はきっとこの中にいるから捕まえてきて!!!!」
 突然、大声をあげたアレンとラビに問いを遮られ、驚いたリンクが目を丸くした。
 「・・・・・・なんですって?」
 わけがわからず、乾いた声をあげるリンクの腕をラビが引く。
 「この中に、犯人がいるかも知れないんさ!」
 「この中で唯一動いてるのがたぶん、犯人です!」
 アレンがもう一方の手を引くと、さすがに我に返ったリンクが踏みとどまろうとした。
 「だったらあなたたたちが行けばいいじゃありませんか!
 なぜ私がわけもわからず・・・!」
 「いいじゃん!お前だって戦闘員だろ!」
 「僕ら諸事情あってこの中には入りたくないんで!」
 早口に言った二人は、細く開けたドアの隙間にリンクを押し込む。
 「ガンバッテ!」
 同時に背中を突き飛ばすや、閉めたドアに耳を当てた。
 「あの・・・何やってるの・・・・・・?」
 二人の不思議な行動に、リナリーが唖然とする。
 「一緒に行こうよ・・・」
 「イヤ!ダメさ!!」
 「僕たち今、科学班に入るとお腹痛くなる病気なんです!!」
 「は?!」
 めちゃくちゃな言い訳に、リナリーがどう反応すべきか迷っていると、ドアの向こうからリンクのすさまじい悲鳴と破壊音が響いた。
 「やっぱいた!!」
 「犯人さ!!」
 意識を臨戦態勢に切り替えたアレンとラビが、部屋に飛び込む。
 「リンク!!」
 呼べば探すまでもなく、リンクの身体が宙にだらりと下がっていた。
 いや、正しくは宙に浮いているのではなく、奇妙に長い腕に胸倉を掴まれ、吊り上げられている。
 腕の主の表情は、リンクの身体に隠れて見えなかったが、白いベレー帽と白衣に身を包んだその姿は・・・
 「兄さん!!」
 開け放たれたドアの向こうから、リナリーが叫んだ。
 「え・・・?コムイさん・・・?」
 「いや、それにしてはイキナリ背ぇ、でかくないさ・・・?」
 問題はそこではないのだが、あまりの光景に気を呑まれてしまった二人は、それぞれ左右から回り込む。
 途端、
 「げ・・・!」
 「うぁ・・・!」
 二人は奇妙な声をあげて固まった。
 「兄さん!」
 駆け寄ろうとしたリナリーの腕をとっさに掴んで、アレンが彼女を引き止める。
 「放して!」
 「行っちゃダメだ、リナリー!
 あれは・・・」
 「コ・・・コムリン・・・・・・!」
 声を詰まらせたラビに名を呼ばれ、コムリンの光る目が彼を捉えた。
 『ネロチュバ・・・』
 「へ?!」
 聞いたことのない音にうっかり気を取られたラビが、リンクを捨てた手に捕まる。
 「ぎゃー!!!!」
 恐怖に怯えるラビに、コムリンの顔が近づいた。
 『ネロチュバ ネロチュバ コノチビラー!!!!』
 カッと開かれた口から、白い霧が噴射される。
 「ぎゃふっ!!」
 その声を最後に、動かなくなったラビをコムリンは無情に放り捨てた。
 『ネロチュバ・・・ネロチュバ・・・』
 重い足音を響かせながら、こちらへ迫ってくるコムリンに対したアレンが、背後にリナリーを庇う。
 「リナリー・・・逃げて!!」
 「で・・・でも!!」
 「逃げて、バクさんと合流して!!
 妙な毒を使ってるのはコムリンだって、知らせて!!」
 彼女なら一瞬でバクを捕捉できるだろうと信じ、リナリーを外へ出したアレンは左腕を銃器に変えた。
 「せっかく剣にも慣れてきたけど・・・コムリンには使えないしねっ!!」
 今までの恨みも込めて、容赦なく撃ち込んだ弾丸はしかし、厚い装甲を傷つけはしても貫けない。
 「何で出来てんだよっ!」
 アレンを捕まえようと伸びた腕をかわし、間を置かず噴射された霧はマントで防いだ。
 しかし、
 「アレン君!!」
 一瞬で戻ってきたらしいリナリーの声に、驚いて振り返る。
 「なんで・・・!」
 「扉が・・・開かないの・・・!」
 今にも泣き出しそうなリナリーの声に、アレンは自身のうかつさを悟った。
 この教団において、自力で『扉』を開けるのはアレンだけだ。
 彼がこの城に繋げた『扉』のほとんどは、科学班によって管理され、常駐するスタッフが必要に応じて開いている。
 つまりは、今まであれほど腐心して遠ざけていた骸を、彼女の目にさらしてしまったのだ。
 「リナ・・・っ!」
 『ネロチュバー!!!!』
 動きを止めてしまったアレンの隙をつき、コムリンが襲い掛かる。
 「しまっ・・・!」
 気づいた時には、防ぐ間もなく視界を白い毒霧に覆われていた。
 「リ・・・ナリ・・・・・・」
 目の前で崩れるアレンに、悲鳴をあげてリナリーが駆け寄る。
 「アレン君!!
 アレン君、目を開けて!!」
 抱き起こしたアレンの目はしかし、硬く閉ざされ、呼吸すら止まっていた。
 「アレン君・・・!」
 彼を抱きしめ、嘆くリナリーのうなじに、コムリンの影が差す。
 『ネロ・・・』
 「よくも・・・!」
 低い声が、重い威圧感となってコムリンの動きを止めた。
 「よくもみんなをこんな目に・・・・・・!」
 アレンを横たえ、ゆらりと立ち上がったリナリーの目が、妖しく光る。
 「許さない・・・!!」
 彼女の怒りに呼応して、猛るダークブーツが風を巻き起こした。
 『ネ・・・!!』
 奇妙な呪文は毒霧ごと風に飛ばされ、コムリン自身も、自重を支えるのがやっとの状態だ。
 攻撃に移れないその隙を、逃すリナリーではなかった。
 「粉々になるといい!!!!」
 アレンがつけた複数の傷を正確に抉り、厚い装甲を粉々に砕く。
 『ネ・・・ネ・・・・・・ネ・・・・・・・・・』
 最後まで、意味のわからない音を吐きながら、コムリンは停止した。
 が、その途端、肩で息をするリナリーの呼吸音以外の音が消える。
 「みんな・・・・・・」
 中天に昇った太陽が、破壊された部屋にも初春の日差しを送り込むが、リナリーはその暖かさよりも、割れた窓から吹き寄せる冷たい風に身を震わせた。
 「みんな・・・・・・!」
 零れ落ちる涙を拭うこともできず、リナリーはアレンの傍らに座り込む。
 「ごめんなさい・・・!
 助けられなくて・・・ごめんなさ・・・・・・」
 長い間、しゃくりあげる自分の泣き声だけを聞いていたリナリーは、ドアの向こうから歩んでくる規則正しい靴音に振り返った。
 「バクさん・・・?」
 それにしては妙に落ち着いている、と、訝しく思う。
 本部が緊急事態にある時、有能なアジア支部長はいつも大急ぎで駆けつけてくれたのに、今日は不思議なほどゆっくりとした歩調だった。
 「バクさ・・・」
 立ち上がったリナリーは、駆け寄ったドアを開けた途端、ぶつかってしまった女の姿に息を呑む。
 「な・・・なんで・・・・・・」
 幽霊でも見たかのようにガタガタと震えだしたリナリーを、彼女は憮然と睨んだ。
 「まったく、落ち着きのないこと!
 エクソシストたるもの、常に品位を保つべきですわ、リナリー・リー!」
 厳格な女家庭教師のような口調に、リナリーは口も利けない。
 「なんとか言ってはどうですの、失礼な・・・なんですか、この有様は!」
 不機嫌な顔でリナリーを押しのけ、科学班に入った彼女・・・ブリジット・フェイ補佐官は、破壊された室内の惨状に怒りの声をあげた。


 同じ頃、教団の一室では、老人がぱちりと目を覚ました。
 「うぅむ・・・!
 なにやらすっきりしたのう・・・」
 大きく伸びをしたブックマンは、ベッド脇に置いた時計を取り上げる。
 「・・・・・・12時じゃと?」
 一瞬、絶句した彼は、信じがたい場所にある時計の短針をまじまじと見つめた。
 「・・・・・・と、いうことは・・・14時間11分53秒も寝たのか、私は・・・・・・」
 唖然と呟いたものの、
 「ま、よいか」
 と、開き直れる彼はまだ、幸せである。
 通信班では通信員達が、なぜ自分達が備品室で寝ていたのかわからないまま、世界中から押し寄せる通信の対応に追われた。
 病棟では患者と一緒に眠り込んでいたナースやドクター達が、時計を見た瞬間に悲鳴をあげ、病室から病室へと駆け回る。
 同じく食堂では、火をつけたまま全員が倒れていたことに蒼ざめたジェリーがすかさず原因追求に乗り出し、寝ぼけた警備班員を叩き起こしてコムイの居場所をはかせた。
 彼女が乗り込んだ部屋では、コムイが未だすぅすぅと寝息を立てていて、目覚まし代わりに巨大なげんこつが落ちる。
 「アイタ――――――――!!!!」
 悲鳴をあげて飛び起きたコムイは、怖い顔をしたジェリーに胸倉を掴まれ、凍りついた。
 「コムたん・・・!
 アンタ今日はなにをやらかしたのん?!」
 雷のような怒号に、未だ眠りの中にいた警備班員達が飛び起きる。
 「なにをって・・・なに?!
 ボクなんにもしてないよ?!」
 ジェリーに胸倉を掴まれたまま悲鳴をあげるコムイに、更に怖ろしい顔が迫った。
 「シラきるんじゃないわよ、アンタ!
 アタシははっきり見たのよ、コムリンを!!」
 「コ・・・コムリン・・・・・・?」
 ぎくりと顔を強張らせたコムイに、ジェリーは大きく頷く。
 「あの帽子と変なボディ!
 間違えるわけないでしょぉん!!」
 突然食堂に入ってきたかと思えば、奇妙な音を発しながら煙を吐き、部屋中を真っ白にして出て行った。
 「アタシが覚えてるのはそれだけだけどぉん!
 絶対あのケムリのせいよん!
 意識飛んじゃって、気づいた時は12時!12時よアンタ!!
 料理人ともあろうものが、6時間も火を放置していたのよん!!!!」
 火事を出すのは最大の屈辱、と、大きなこぶしを握るジェリーから、コムイはおどおどと目を逸らす。
 「さぁ!!
 なにか言い訳できるって言うのん?!」
 がくがくと揺さぶられて、コムイは悲鳴をあげた。
 「ボッ・・・ボクが起動したんじゃないんだよっ!
 コムリンデラックスは、自分で充電しちゃうおりこうさんなんだ!
 きっと春の陽気に誘われて、お散歩したくなっただけだと・・・!」
 「どんだけ迷惑なお散歩してくれるのよんっ!!!!」
 ジェリーの見事な突っ込みに、警備班班長以下、警備班員達が何度も頷く。
 彼女があまりに効率よくコムイを吐かせるために、彼らは早々に傍観を決め込んでいた。
 「大体!!
 なんなの、あの煙は!!
 毒じゃないでしょうね?!」
 厨房を預かる責任者として、当然の問いにコムイはがくがくと頷く。
 「あれは超強力な麻酔で、元々は医療班に使ってもらおうと思って作ったんだよ!
 だけど、あんまり強力すぎて脈も取れないくらいの仮死状態になるから、患者には危険かと思って・・・・・・」
 コムイの声が、段々小さくなっていった。
 「もしもの時のために、コムリンの武器に搭載・・・」
 「味方じゃなくて敵を倒しなさいよ!!!!」
 またげんこつされて、コムイが泣き声をあげる。
 「いっ・・・痛いよ、ジェリぽん〜!ひどいよぉ〜!」
 「ひどくて結構!!
 アンタ!
 まだ倒れてる子がたくさんいるんだからっ!
 さっさと治療しなさいっ!!」
 頭を抱えてうずくまるコムイの襟首を掴み、無理やり立たせるが、彼はひらひらと手を振った。
 「ムリ」
 「ハァッ?!」
 あまりにも無責任な発言に、ジェリーがまたもやこぶしを握る。
 「もう一発行きましょうか?!」
 「やっ!やだよ、ジェリぽん!
 ボクのお話聞いてっ!!」
 びくびくと震えるコムイは、大きな身体をこれでもかと縮めた。
 「あの麻酔は体格差にもよるけど、大体6〜7時間で切れるの!
 高齢者や子供は体力がないから、すぐにうつって、もっと寝ちゃうかもだけど、睡眠や栄養の足りてる子はうつりにくいし、そんなに長い間寝ないよ?!
 確かに仮死状態にはなるけど、2〜3時間くらいで呼吸が回復して、時間が来ればほっといても起きるよ!!」
 だから治療の必要はない、と、必死に言い募るコムイに、ジェリーは深々と吐息する。
 「・・・・・・仕方ないわね」
 じゃあせめて、倒れた団員達は安全な場所へ運ぼうかと、警備班班長に向き直った時、コムイがまたもや手を振った。
 「それ、やめた方がイイヨー?
 確かに最初の摂取はコムリンが吐く薬液なんだけど、それで眠った人に触ったり、仮死状態になる前の呼吸を間近で浴びたりしてたら、同じ症状が出るから!」
 「は・・・?」
 愕然と目を見開いた彼らの顔が面白いとばかり、コムイは楽しげに笑う。
 「実はこれね、接触感染と空気感染するおまけつきなんだよ!
 感染するごとに進化する遺伝子を組み入れてるから、人から人にうつる度に感染方法を変えるんだ!」
 だからブリジットの脈を取ったコムイと、コムイと狭い部屋で一緒だった班長が倒れたのだと、彼は得意げに胸を張った。
 「班長だけでなく、キミタチも倒したのはボクと班長の呼気が充満した密室に閉じ込められたからだね!
 ドアでも開けときゃ、感染しなかったのにさーぁ!
 でもすっごいでしょコレー!!!!」
 一人ではしゃいで一人で拍手するコムイに、その場の全員がこぶしを握る。
 「あ・・・あれ・・・?
 みんな怖い顔・・・・・・?」
 さすがに気づき、及び腰になったコムイに四人分のこぶしが降り注いだ。


 「・・・・・・・・・そういうことですか」
 事情を聞き終えたブリジットは、ため息混じりに言って紅茶を一口飲んだ。
 「では私は、接触感染だと思われます。
 廊下にティモシー・ハーストが落ちていましたので、拾ってクラウド元帥にお届けしましたから」
 その後、執務室に入るや強烈な眠気が襲って、倒れてしまったのだ。
 「室長」
 傾き始めた陽光の中、季節はずれの蓑虫のように、窓の外に吊るされたコムイへ呼びかけた。
 「次は殺します」
 冗談ではない口調に震え上がったコムイは、ロープでぐるぐる巻きにされた不自由な身体で懸命に頷く。
 「ごめんなさいっ!!
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!
 もうしませんんんんんんんんっ!!!!」
 必死に謝る様は、監視ゴーレムを通じて城内の全モニターに映し出されていた。
 「・・・兄さんたら」
 執務室とは離れた病棟の一室で、モニターを眺めていたリナリーが呟く。
 「そういうことは、早く言ってくれなきゃ・・・ね・・・・・・」
 接触感染と空気感染で昏倒してしまうのなら、こうしてラビとアレンの間近にいるリナリーにも、間もなく症状が出るはずだった。
 「変なものばっかり・・・作るんだか・・・・・・」
 しきりに目をこすっていたリナリーの手が、ぱたりと落ちる。
 糸の切れた人形のように、アレンの胸の上に突っ伏したリナリーは、しばらく浅い呼吸を繰り返してから、深い眠りに落ちていった。



Fin.


 










2011年エイプリルフールですよv
さすがに今年はやめようかと思ったんですが、迷った挙句に開催することにしました(^^;)
これはニコさんがリクしてくれた、『戦場のエクソシスト』なんですが、実はこれ、『エイプリルフール用に、みんな死んだと見せかけて、実は誰も死んでいないってのにしたいのですが、それをそのままリクエスト欄に書くとバレバレなので適当にでっち上げときましょう』って会話が実際にありました(笑)>それ何年前の話。
ちなみに、エイプリルフールTOPのネタは、ニコさんがD.グレ感想で言ってたのをこそーりもらいました(笑)
どっちもありがとう、ニコさん(笑)
あぁ、それと。
コムリンが発する妙な言葉は、マザーグースの『おくつの中に』を北原白秋が訳した一節です(笑)
『おくつの中におばあさんがござる、
子供がどっさり、しまつがつかない、
おかゆばっかり、パンもなにもやらず、
おまけに、こっぴどくひっぱたき、
ねろちゅば、ねろちゅば、このちびら。』












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