† Like Pigs In Clover †






†このお話は中世騎士パラレルです†

  D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。
  頭を空っぽにして読んで下さいねv


 森の教会は、朝靄の中に淡く沈んでいる。
 背の低い門は閉ざされていたが、長い旅路の果てにあるそこは、荘厳な静けさをもって彼を迎えてくれた。
 門を乗り越えた巡礼者は、病に黒く染まった手を伸ばしてドアを叩く。
 神に縋る彼の前で、それは思いがけずすんなりと開かれた・・・。


 「もし・・・もし、大丈夫ですか?立てますか?」
 膝を崩すと同時に意識をも失っていた彼は、優しい声に目を開けた。
 頬の下に柔らかい膝があり、目をあげれば黒髪の修道女が彼を見下ろしている。
 「よかった・・・。
 全然動かないから、もうだめかと思った」
 ほっとして微笑んだ彼女は、天使と見まごう程に愛らしかった。
 「ここは・・・天国ですか・・・・・・?」
 問えば、彼女はふるりと首を振る。
 早朝のせいか、まだベールをつけていない彼女の長い髪がなびいて、思わず見惚れた。
 「私はリナリー。
 この教会には、行儀見習いに来ているの。
 患者さんのお世話も手伝っているのよ。
 あなた、お名前は?」
 「ア・・・アレン・・・・・・」
 掠れる声で言うと、リナリーは大きく頷く。
 「アレン君、左腕が聖アントニウスの火に焼かれちゃったのね・・・。
 大丈夫、ここはこの病気専門の教会だから。
 きっと治るからね?」
 病に冒され、指先まで黒く染まった腕を、リナリーは恐れ気もなく撫でた。
 「リ・・・!」
 慌てて腕を引こうとしたアレンをおしとどめ、リナリーは優しく微笑む。
 「大丈夫。
 この病気はね、うつらないの」
 そう言って、彼女はアレンの黒い手に指を絡めた。
 「・・・アレン君、まだ体温があるね。
 うん、これならもしかしたら、腕を切り落すまでもないかも」
 「ほんとに・・・?!」
 わずかな希望に、アレンの蒼褪めた頬がほんのりと染まる。
 「がんばって治そうね。
 アレン君ががんばれば、きっと神様が助けてくれるよ!」
 いつしか親しみ深い口調になっているリナリーの、暖かい手で病んだ手を握られ、アレンの目から涙が零れた。


 「アレン君はどこから来たの?」
 アレンに肩を貸したリナリーは、少女とは思えない力で彼を教会の奥へと運ぶ。
 「あ・・・あの、重くないですか・・・?」
 長い旅路に体力を根こそぎ奪われたアレンは、自身の足で進もうにも思うように行かず、悪いと思いながらも彼女に縋るほかなかった。
 が、リナリーはなんでもないと笑う。
 「勇敢な先祖の末裔だもん!
 このくらい、平気だよv
 それは本心らしく、アレンを支える彼女に辛そうな様子はみじんもなかった。
 「末裔・・・。
 もしかしてリナリーは、貴族のお姫様なんですか?」
 教会の行儀見習いの中には、結婚するまで世間から身を隠す貴族や王族の姫も多い。
 それは、成長するまで暗殺の危険から逃れるためでもあった。
 と、リナリーは恥ずかしそうに笑って頷く。
 「一目で姫だってわかってもらえないのは、私がおてんばすぎるからだって、よく言われるよ」
 「ご・・・ごめんなさい・・・!」
 慌てて謝ったアレンに、リナリーは首を振った。
 「いいよ。
 おかげでお嫁の貰い手がないんだから」
 くすくすと笑うリナリーを、アレンは不思議そうに見る。
 「お嫁・・・行きたくないんですか?」
 「ふふっv
 小さい頃はね、父様よりもうんと年上の婚約者がいたんだけど、父様と母様が亡くなって、兄さんが後を継いだら破談になっちゃったv
 ラッキーって言ったら、父様達に怒られるかもだけど、ほんとラッキーだよv
 その後、どこかの公子との縁談が来たんだけど、なんでか向こうからお断りが来たの。
 今のところはフリーだから、独身のうちにあちこち旅行してみたいんだv
 「へぇ・・・例えばどこに?」
 「そうだなぁ・・・イタリアやギリシャには絶対行きたいし、そこまで行くなら地中海を渡ってエジプトに行きたいよね!
 それに、トルコにも行ってみたいな!
 でもそれはさすがに許してもらえないだろうから、北の海を越えてイングランドとか、もっと北のロシアとかv
 「いいですね。
 その時は、僕が道案内しますよ」
 「ホントに?!
 うれしいv
 アレン君はどの国から来たの?」
 その問いを繰り返され、アレンは少し悩んだ後、イングランドの田舎町の名前を呟いた。
 と、リナリーは聞き覚えのない名前に目を輝かせる。
 「そこ、どんな所?!海は見える?!暖かいの?!」
 「う・・・海はすぐ傍ですけど、寒いですよ。ここほどじゃないかもしれないけど・・・。
 暖かい所ならやっぱり、地中海かな・・・」
 詰め寄られて苦笑するアレンへ、リナリーも微笑んだ。
 「そうなんだ!
 アレン君は地中海にも行ったんだね?!」
 声を弾ませるリナリーに、アレンが笑みを返す。
 「地中海だけじゃなく、色んな国に・・・。
 僕、十字軍の・・・従者だったんです」
 「へぇ・・・!
 じゃあ、エルサレムにも行った?!」
 リナリーはますます目を輝かせたが、アレンは苦笑して首を振った。
 「城砦が落ちる前に、この病気に・・・・・・」
 「そっか・・・ごめんね。残念だったよね」
 うな垂れてしまったリナリーに、アレンはまた慌てて首を振る。
 「気にしないでください、僕は・・・残念なんかじゃありませんから」
 その声は明らかに無理をしていたが、リナリーは礼儀正しく気づかない振りをした。
 「・・・じゃあ、一日も早く病気を治して、次の遠征では絶対にエルサレムにいかなくちゃね!」
 アレンを聖堂に運び込んだリナリーは、祭壇の近くにアレンを座らせる。
 「待っててね、ブラザー達を呼んでくるよ!」
 ひらりと踵を返し、駆け出て行ったリナリーの背中を、アレンは名残惜しそうに見送った。


 その後、リナリーが連れて来た修道士達に部屋へ運んでもらい、旅の汚れを落としたアレンは、出された食事をじっと見つめたまま、手を出しかねていた。
 と、たくましい体つきをした調理番の修道士が、にこりと優しく笑いかける。
 「大丈夫よん、アレンちゃんv
 これはねぇ、悪魔の爪がない麦で作ってるんだからぁv
 安心して食べちゃっていいのよんv
 大きな手で、優しく頭を撫でてくれた修道士に、アレンは大きく頷いた。
 途端、すごい勢いで料理を詰め込みだした彼に、修道士は華やかな笑声をあげる。
 「ホホホv
 そんなに慌てなくっていいのよんv
 まだたくさんあるからねぇんv
 ジェリーと名乗った修道士は、なぜか女言葉で・・・しかし、それが随分とよく馴染んでいて、アレンは不思議と疑問にも思わず頷いた。
 と、彼が病に冒された手を不自由なく動かす様に、ジェリーは嬉しそうに微笑む。
 「早く着いてよかったわん、アレンちゃんv
 これならお薬で治りそうねv
 「ほんとにっ?!」
 口に物を詰め込んだアレンの発音は不明瞭だったが、喜色に紅潮した表情が言葉よりも多くのものを語っていた。
 そんな彼に、ジェリーは笑みを深めて頷く。
 「この病気は悪くなると、壊死した腕や足を切り落さないといけないのだけど、まだ手が動くんなら間に合うわんv
 病のせいか、雪のように白い頭を撫でながら言ってやると、銀色の目から涙が溢れた。
 「あらあらっ!アレンちゃん?!」
 「じゃあ・・・みんな、一緒に来てくれたら・・・助かったんだ・・・・・・」
 声を詰まらせ、言ったアレンにジェリーが瞬く。
 「みんな?
 あぁ・・・十字軍にいたんですってね、アレンちゃん?
 この病気は食べ物で感染するから、同じ物を食べてたんなら、病気になった人も多いでしょうね」
 「僕が・・・僕だけが毒を盛られたんだってみんな・・・・・・!」
 しゃくりあげるアレンの背を撫でるジェリーが、眉根を寄せた。
 「・・・・・・もしかして、目に見える症状はアレンちゃんだけだったのん?」
 その問いにアレンが頷くと、ジェリーの手が止まる。
 「まずいわねん・・・。
 四肢に毒が回るのはまだしも、頭に回ってしまったら・・・悪魔憑きの出来上がりよん・・・!」
 「悪魔憑きって・・・悪魔の爪を食べたら悪魔が憑くんですか?」
 まさか、と、不安そうなアレンに、ジェリーは真面目な顔で頷いた。
 「アタシはただの料理人だけどん、長年この教会にいるから、色んな症状の患者を見てきたわん・・・。
 悪魔の爪は、必ずしも完全に分かれるわけじゃないけどん、大体四肢が壊死するか悪魔が憑くかのどちらかなのん・・・。
 アレンちゃんみたいに、目に見える症状が出るならまだ、治療しようと思うでしょうけどぉん・・・残った人たちが、悪魔憑きになってるんなら今頃、大変なことになってると思うわん・・・・・・」
 「そんな・・・!」
 思わず腰を浮かせたアレンにジェリーが慌てる。
 「ご・・・ごめんなさい!
 イヤなこと言っちゃったわねん・・・!」
 ぱたぱたと手を振って謝るジェリーに、アレンは小さく首を振った。
 その後しばらく、無言でいたが、
 「・・・あの!」
 意を決した風に、アレンが顔をあげる。
 「僕の身体・・・どのくらいで治りますか?!
 このこと、早くみんなにも報せないと・・・!」
 今にも飛び出しそうなアレンの両肩に手を置き、ジェリーはゆっくりと首を振った。
 「まだ無理よ。
 しばらくは無理。
 報せなら早馬を送るから、アレンちゃんがどこから来たのか聞いていいかしら?」
 その問いに、目をさまよわせたアレンは小さく頷き、ジェリーの耳に囁く。
 「ンマッ?!
 じゃあアナタ・・・!」
 驚くジェリーに向け、アレンは唇に指を当てた。
 「お願いです・・・まだ、秘密にしててください」
 困惑げに眉根を寄せたアレンに、両手で自分の口を覆ったジェリーが頷く。
 「じゃ・・・じゃあ、なんて呼べば・・・」
 「今まで通りでいいです」
 ほんの少し頬を染めて、アレンは笑った。
 「その・・・そんな風に呼ばれたの、初めてで・・・ちょっと嬉しかったし・・・・・・」
 「そ・・・そうでしょうねん・・・」
 気まずげに言ったものの、すぐににこりと微笑んだジェリーは、アレンの頭を撫でてやる。
 「早く元気になりましょうね、アレンちゃんv
 「はい・・・!」
 大きく頷いて、アレンは自分の顔より大きなパンに噛み付いた。
 と、
 「あれ・・・?」
 そのパンに、十字の模様が入っていることに気づき、大きく頷く。
 「もう・・・復活祭が近いんですね」
 「えぇ、次の日曜日よんv
 楽しみねんv
 クスクスと楽しげに笑うジェリーに、しかし、アレンは頷けなかった。
 「もう・・・半年以上も経っちゃったんですね・・・・・・」
 しみじみと言ったアレンは、ジェリーを見あげる。
 「あの・・・!
 僕の正体を教えたジェリーさんにしか聞けないことなんですけど・・・!」
 「えぇ、なぁに?」
 真剣な表情のジェリーの耳に、アレンは口を寄せた。
 「・・・王が囚われている城を知りませんか?」
 思った通りの問いに、ジェリーは驚きもせず首を振る。
 「ごめんなさい、それはわからないわ。
 獅子心王はまだ、オーストリアのお城だと思っていたものん・・・」
 イングランド王の身柄が、オーストリア公から神聖ローマ皇帝へ引き渡されたのはつい先日のことだ。
 教会がいかに情報に通じているとは言え、政治的な駆け引きの情報がすぐに伝わって来るわけがない。
 わかっていたとは言え、失望を隠せないアレンの頭を、ジェリーがまた撫でてくれた。
 「でもね、いずれわかると思うわ・・・。
 何しろ有名な王様だもの。
 幽閉されてたってきっと・・・」
 「でも僕は、王の騎士なんです!!」
 思わず甲高い声をあげてしまい、アレンは慌てて口を塞ぐ。
 聞かれはしなかったかと、恐々と視線を巡らせる彼に、ジェリーは苦笑した。
 「そうねん・・・。
 じゃあ今から、皇帝陛下に早馬を走らせるってのはどうかしらん?
 十字軍に参加していた部隊の中に、悪魔の爪に侵された者達がいるから、念のため、帰還者全員を検査しましょう、ってお知らせするのん。
 この教会は、悪魔の爪に関してはプロフェッショナルですものんv
 きっと皇帝陛下からお呼び出しがあって、獅子心王の診察も命じられると思うのん!」
 「ぜ・・・ぜひお願いします!!」
 ジェリーの提案に、アレンは急き込んで頷く。
 「じゃあね、アタシ、アレンちゃんの部隊への連絡と一緒に、陛下への早馬をすーぐ手配してくるからぁv
 アレンちゃんはここにあるもの、ぜーんぶ食べちゃうのよん?
 その後は治療ねんv
 王様を助けるにしても、そんな身体じゃ満足に働けないでしょおん?
 アレンちゃんがアタシの言うこと聞くなら、全部任されてあげるぅv
 どう?と、小首を傾げるジェリーに、アレンはまた、大きく頷いた。
 「おねがいしますっ!!」
 「ホホホv
 まーかせてぇーんv
 ひらひらと手を振って行ってしまったジェリーを、アレンは頼もしく見送る。
 「これで・・・王が見つかる・・・・・・かも」
 わずかな不安を払拭するかのように、アレンは復活祭前の精進料理を次々に口へ運んだ。


 「そう言うことだから、お願いねぇんv
 「あぁ」
 「任せてくれ」
 短く答えた少年と、頼もしく請け負った大男が、それぞれに馬に乗る。
 「特にユウたん!
 アンタ、あちらの食料には気をつけるのよん!
 出来るだけ、ここから持って行ったのでしのいでねん!」
 「わかってる」
 無愛想に応じた彼は、早速手綱を引き、駆け去った。
 「・・・マリも、くれぐれもよろしくねん」
 やや呆れ気味にユウを見送るジェリーに、彼も苦笑して頷く。
 「皇帝は話のわかる方だ。
 きっと、兵士の診察を承諾なさるだろう」
 皇帝への信頼に満ちた、穏やかな声で言われて、ジェリーも安心した。
 「よろしくねんv
 「ああ」
 軽く手を振り、手綱を引いた彼もまた、駆け去っていく。
 「後は、うまく行くように願うばかりねん!」
 両手を組み合わせ、微笑んだジェリーは、ひらりと踵を返した。
 「アレンちゃんに教えてあげなきゃーんv
 明るい声を響かせたジェリーは、修道服の長い裾を優雅にさばきながら回廊を戻る。
 「アーレンちゃーんv
 食堂に入ると、同じ席から動かずにいたアレンが、リナリーに迫られて真っ赤になっていた。
 「アラッ!
 リナリー!アンタなにやってんの!」
 駆け寄るや、尼僧服の襟首を掴んで引き離すと、彼女は不満げに頬を膨らませる。
 「アレン君のこと、聞いてただけだよ!
 ほっぺに大きな傷があるから、どうしたの、痛くないの、って!」
 触ろうとすると、のけぞって逃げたから追いかけただけ、と、悪びれもせず言うリナリーに、ジェリーは頭を抱えた。
 「アンタって子は・・・!
 自分の血筋をもう少し、大事に考えたらどうなの!」
 襟首を掴んだまま、猫の仔のように持ち上げられて、リナリーがじたじたと暴れる。
 「やー!!放してー!!」
 「大体アンタ!
 なんでいっつも女子修道院抜け出して、ここにいるのよんっ!」
 途端にふてくされたリナリーに、アレンは目を丸くした。
 「リナリーはここの人じゃなかったんですか?!」
 大声をあげると、リナリーは気まずげに目を逸らして頷く。
 「そう・・・ですよね、そりゃ・・・」
 言われて見れば確かに、本来は男性ばかりの場所でリナリーの姿は珍しかったが、治療に優れた教会だけに、特例でもあるのかと思っていた。
 そう言うと、リナリーは頬を赤らめる。
 「ここには幼馴染とか・・・お友達がたくさんいるから、よく遊びに来るの。
 だって女子修道院ってば、すごくつまらないんだもん!」
 開き直ってみせるが、当然ジェリーには通じなかった。
 「だからって朝早くに抜け出して、教会に潜り込む子がいますか!」
 ぶらぶらと揺さぶられたリナリーが、可哀想な泣き声をあげる。
 「あっ・・・あの、ジェリーさん・・・!
 泣いてますから、もう・・・!」
 アレンが止めに入るが、ジェリーは毅然と首を振った。
 「この子はこのくらいでちょうどいいの!
 まったく、兄妹揃って我がままなんだからんっ!!」
 「ふぇ・・・ええええーん!!!!」
 「泣くんじゃありませんっ!
 とっとと修道院に帰って、自分のお勤めしなさいっ!!」
 大声で怒鳴るや、ジェリーは唖然と彼らを見つめる修道士達の中から屈強な一人を選び、リナリーを連行させる。
 「やーだー!!!!
 放してぇぇぇぇぇぇ!!!!
 ジェリィィィィィィィィィ!!!!」
 リナリーの絶叫が、回廊の奥へと消えていくのをアレンは呆然と見送った。
 と、苦笑したジェリーが彼の頬を撫でる。
 「ごめんなさいねん、騒がしくて。
 あの子、領主のお姫様なのに、ちっともレディらしくなくってねぇ・・・」
 困ったものだと、彼女は肩をすくめた。
 「・・・幻滅しちゃったん?」
 小首を傾げ、困った風に問うジェリーに、アレンは笑って首を振る。
 「僕、今まで大人の女性しか知りませんでしたから、同年代の女の子ってあんな感じなんだなぁって・・・新鮮でした」
 「そう!」
 あからさまにほっとした様子で、ジェリーが胸を撫で下ろした。
 「おてんばな子だけど、悪い子じゃないから・・・仲良くしてねん?」
 「はい」
 大きく頷いたアレンに、ジェリーが何度も頷く。
 「じゃあ、食事も済んだようだし、治療にかかりましょうねんv
 大丈夫、ここの修道士たちに任せておけば、きっと治るからねぇんv
 「はい。
 よろしくお願いします」
 礼儀正しく言った彼にますます感心したジェリーは、リナリーの再教育を強く心に誓った。


 その日、夕刻前に早馬は、ドイツ王にして神聖ローマ皇帝の居城へと入った。
 「急ぎの知らせとは?」
 玉座に現れた皇帝と、共同統治者である皇帝の姉の前で、マリは恭しく一礼する。
 「皇帝陛下と姉君に、主のご加護があらんことを。
 今朝、我が教会を訪れた少年がおりまして、まだ壊死には至らぬものの、重度の麦角菌中毒に罹っておりました」
 「まぁ・・・可哀想に。
 よくよくお世話をしてあげてくださいね」
 両手を組み合わせ、小さな声で囁いた皇姉・ミランダにマリは、盲目の目を向けた。
 彼女の姿を見たことはないが、その声に込められた情感から、繊細な姿と優しい心根が見えるようだ。
 「もちろんでございます」
 彼女へ向けてマリが微笑むと、不機嫌な咳払いの声がした。
 「それで?
 そちらの教会に、麦角菌中毒の患者が訪れるのは、不思議ではないでしょう。
 わざわざ早馬で知らせに来た理由を言いなさい」
 神よりも姉を崇拝していると陰口を叩かれる皇帝は、マリの気を姉から逸らそうとばかりに早口で言う。
 「失礼しました」
 こうべを垂れて苦笑を隠したマリは、皇帝の声がした方へと顔を向けた。
 「その少年が言うには、彼は十字軍に参加していたそうです。
 その途中、麦角菌に侵されて、我が教会に立ち寄ったとの事・・・」
 「はっ!
 早々に撤退せぬからそんなことになるのです!
 我が軍のように・・・」
 「ハワードさん」
 不意に厳しい声が飛んで、皇帝が黙り込む。
 「この戦で私達はお父様を亡くしたのですから、忌々しく思うお気持ちはわかりますが、今のあなたは皇帝陛下ですよ。
 神聖ローマ皇帝ともあろうお方が、主の神聖な軍である十字軍に対して、そのようにおっしゃるものではありません。
 教皇聖下も、あなたのそのようなお考えに対してお怒りになったのです。
 あなたがこの国の民を思うのであれば、そのように公言なさることはお慎みくださいな」
 囁くように小さな声は、ゆっくりとした口調ではあったがまごうことなき叱声で、皇帝はしおしおとうな垂れた。
 「・・・・・・申し訳ありません、姉上」
 叱られた仔犬のようにしょげ返った皇帝の声が、先ほどまでとは打って変わってしぼむ。
 「・・・・・・それで、修道士殿。
 その少年がどうかしたのですか・・・・・・?」
 地を這うように低く呟かれた問いに苦笑して、マリは頷いた。
 「その少年の話では行軍の途中、発病したそうなのですが、十字軍の補給はイタリア商人が一手に引き受けていると聞いています。
 つまりは、従軍した者の多くが同じ食料を口にしたということで・・・」
 「なるほど、我が軍にも罹患者がいる可能性があるということですか」
 聡明な皇帝は、マリの言わんとするところをすぐに理解し、家臣を呼び寄せる。
 「十字軍に従軍した兵士達の検診を行う。
 全員、かの教会へ・・・いや」
 言葉を切った皇帝は、マリへと目を向けた。
 「大人数で押しかけては、教会の迷惑になるでしょう。
 医術を修めた修道士達に、往診を頼むことは可能だろうか?」
 再び問われたマリは、笑みを浮かべて頷く。
 「もちろん、そのつもりです。
 各城ごとに、従軍した兵士の方々を集めてくだされば、そこで診察し、罹患した者を連れ帰りましょう」
 頼もしく請け負った彼に、ミランダが安堵して頷いた。
 「早く教えてくださってよかった・・・。
 主のために戦った兵の皆さんを、おろそかには出来ませんものね」
 微笑んだ彼女は、組み合わせていた手を解いて、弟の手を握り締める。
 「ハワードさんも、最近お身体が優れないようですし、いい機会ですから修道士様の診察を受けてくださいな。
 あなたにもしものことがあったら私・・・」
 「あ・・・姉上っ・・・v
 嬉しげに頬を染めた弟に、彼女はにこりと笑みを深めた。
 「安心して、領地に戻れなくなります」
 「姉上ええええええええええええええええええ!!!!」
 帰っちゃ嫌だと、子供のように泣きじゃくる皇帝の姿に、慣れているのか家臣達は、苦笑するだけで何も言わない。
 「ほらほら、もう立派におなりなのに、そんなに泣いてはいけませんよ」
 自身の膝に縋る皇帝の肩を叩き、顔をあげさせた。
 「ちゃんとご指示なさってください」
 涙を拭いてやると、頷いた皇帝は途端に表情を改める。
 「では、修道士殿!
 往診できる人数と、必要なものを言って頂きたい!
 諸侯らは、できるだけ同じ城に従軍した者達を集めて欲しい!
 もし、既に症状の見える者がいれば、すぐに教会に運ぶのだ!」
 次々に指示を飛ばす弟を、ミランダは嬉しげに見つめた。
 「本当に立派におなりですよ、ハワードさんv
 とても誇らしく思います」
 誉められてますます奮起した皇帝は、矢継ぎ早に指示を飛ばしてあっという間に体制を整える。
 「いっ・・・いかがでしょう!」
 頬を紅潮させ、肩で息をする弟の頭を撫でてやったミランダは、ふと、その手を止めた。
 「姉上・・・?」
 「ハワードさん、私ったら、すっかり忘れていました・・・!」
 困惑げに眉根を寄せたミランダが、そっと弟の耳に囁く。
 「捕虜の・・・方々もお診せしなければ・・・」
 「そっ・・・それはしかし・・・!」
 姉以上に困惑し、声を詰まらせた皇帝を、ミランダは不安げな目で見つめた。
 「修道士様がおっしゃった少年のように、手足に症状が出るのならまだ良いでしょう。
 でも・・・あの方が悪魔憑きになってしまわれたら、危険なのは兵の皆さんの方ですよ・・・!」
 その言葉に、はっと息をのんだ皇帝が、困惑げに考え込む。
 「ハワードさん、兵の皆さんは、大切な民です。
 このようなことで、危険にさらしてはいけませんよ。
 彼らが戦う場所は、他にあるでしょう・・・?」
 ゆっくりとした・・・しかし、譲らない口調で囁く姉に、ハワードも頷いた。
 「わかりました、姉上・・・」
 意を決して、皇帝は顔をあげる。
 「修道士殿。
 我が国の城には、捕虜も大勢いる。
 彼らも診てもらうことは可能だろうか?」
 「えぇ、もちろんです」
 皇帝の問いに快く頷いたマリの、見えない目の前で姉弟は目を見交わした。
 「できれば・・・あなたにお願いしたいのですが」
 「承りました」
 あっさりと承諾されて、皇帝がそっと吐息する。
 盲目の彼であれば、捕虜が誰であるのか知ることは難しいだろうという思惑だった。
 「よろしく頼みます」
 声に感情が出ないよう、しかつめらしく言った皇帝に、マリは恭しくこうべを垂れる。
 「皇帝陛下と姉君に、主のご加護があらんことを」
 再び祈りを唱えると、彼は一旦退出した。


 一方、マリと同時に出立したユウは、未だ陸路を駆けていた。
 オーストリアを抜ける軍隊が、各国へ散らばる前に捕捉すべく、まっすぐに街道を進む。
 各所で馬を替え、昼夜を分かたず駆けた彼が、ようやく帰路の十字軍と合流できたのは、教会を出て二日後のことだった。
 「将はいずこか?!」
 大声で呼ばうと、馬上の何人かが目を向ける。
 各国の混合軍だけに、誰が代表とは言えない様子だった。
 舌打ちしたユウは、最も近くにいた老将に馬を寄せる。
 「この軍に、麦角菌中毒の可能性が・・・」
 言いかけた彼の前で、老人は指を口に当てて、黙るように示した。
 「軍から離れよ」
 囁き声になぜか抗えず、ユウは馬首を返して行軍から離れる。
 と、すぐに馬を寄せてきた老人が、彼にしか聞こえないほどの小さな声で囁いた。
 「・・・おぬし、聖アントニウス会の者か?」
 問われてユウは、無言で頷く。
 「そうか、アレンは教会に着いたのか」
 ほっとしたように呟くと、老将はこちらを気にしている風に見つめていた、隻眼の少年を呼び寄せた。
 「アレンは無事着いたそうな」
 「マジで?!
 良かったさー・・・!」
 喜色を浮かべ、胸を撫で下ろした少年は、両手でユウの手を取る。
 「あんたが報せてくれたんさ?
 ありがとうさ、マジで!
 あ、俺ラビーv
 従軍吟遊詩人やってまっす★」
 「俺は別に・・・」
 ラビのテンションに引きつつ言いかけたユウに、老将が首を振った。
 「麦角菌中毒の件は、将らのほとんどが知っておる。
 だが兵士には帰国まで、伝えない方針になっておるのだ。
 アレン・・・おぬしの教会に行った少年は、顕著な徴候が出てしまった上、まだ助かる見込みがあったので向かわせたがの、既に手遅れの者は看取って埋葬したそうな・・・。
 その後私が呼ばれ、一通り診たが、他の者は特に危うい症状はなかったゆえ、麦角菌に侵された食物を焼却して、行軍を続けておる」
 では既に医者はいたのかと、ユウは吐息を漏らした。
 「既に帰路ゆえ、傷病者の療養は、各国に帰ってからになろう。
 足労をかけてすまなんだな」
 丁寧に東洋式の礼をされて、ユウは無言で頷く。
 「じゃあ俺は・・・」
 改めて馬首を返した時、
 「俺も行ってい?!」
 ラビが、唐突に声をあげた。
 「アレンとは、兄弟みたいに育った仲なんさ!
 あいつ意地っ張りだけどホントは泣き虫でさ、今頃ピーピー泣いてんじゃないかって心配してたんさ・・・」
 気遣わしげに眉根を寄せ、ラビは老将の袖を引く。
 「ジジィ、もう帰るだけなんから、いいだろ?」
 懇願されて、しばし考え込んでいた彼は、ゆっくりと頷いた。
 「やった!」
 「ただし」
 厳格な声が、ラビの動きを止める。
 「ゆくならば、役に立てよ」
 「わかってるさね、もちろん!」
 意味深に目を細め、頷いたラビは馬首をめぐらせた。
 「んじゃ早速いこーぜ!
 あんた名前は?」
 「・・・・・・ユウ」
 憮然と答えると、懐こい笑みが返って来る。
 「よろしくさ、ユウv
 じゃージジィ!行ってきます!」
 大げさなほど大きく手を振り、先に駆け出したラビに、ユウは渋々続いた。


 「なぁなぁ、アレン、どんな様子だったさ?
 やっぱ、あの腕切っちまうの?
 そんなことになったらあいつ、またピーピー泣くと思うんけど、それって何とか助けてやれんの?」
 騒々しい声をあげて馬を寄せてくるラビに、ユウのこめかみが引き攣る。
 しかしその様に気づかないのか、ラビは彼が答えないことを不思議がって更に大声をあげた。
 「聞こえてるさー?!
 なぁなぁ、ユウも手術するんか?
 あそこの教会、腕がいいことで有名だけどさ、実際どんなことすんの?
 手術の時ってどんな薬使ってんさ?どうやって切んの?
 なぁって・・・ばあああああああああああ?!」
 いきなり腕を捕まれたかと思うと、いつの間にか腕を首に回され、頚動脈の上に冷たい刃が押し当てられている。
 「ユッ・・・ユウ?!」
 引き攣った声をあげて、目だけで彼の秀麗な顔を見上げると、冷たい目が見返してきた。
 「っるっせーんだよ、さっきから!
 べちゃくちゃしゃべってねぇで、黙って進め!!」
 言うや乱暴に突き飛ばされたラビが、馬上でよろける。
 「こっ・・・こわっ・・・・・・!!」
 慌てて馬のたてがみにしがみつき、ラビはびくびくとユウを見遣った。
 「お・・・俺も一応、戦争に参加したんでわかるけど・・・。
 ユウってその辺の兵士より全然つえーさね!
 なんで十字軍参加しなかったんさ?」
 その問いにまた、ユウのこめかみが引き攣る。
 「別に・・・」
 それ以上の問いを封じようとして発した言葉だったが、ラビはようやく彼が答えてくれたことに気を良くした。
 「アレンもあれで、結構強いんさね!
 もし、あの腕を切り落とさなくて済むんなら、手合わせしてみるといいさ!
 きっといい勝負になると思うぜ?」
 にこにこと話しかけ、また馬を寄せてくるラビに、ユウはため息をつく。
 脅したばかりなのに、学習能力はないのかと呆れてしまった。
 だがラビは、彼のそんな心情にも気づかず、隣で暢気に歌い出す。
 「・・・・・・なんだ、その歌?」
 つい、興味を惹かれて問うと、彼はにこりと笑った。
 「一緒に参戦してた奴に教わったんさv
 そいつの村の、祭の歌なんだってさ♪」
 そう言ってまたラビが歌いだしたのは、どうやらフランスの民謡のようだ。
 「くだらねぇ」
 鼻を鳴らすと、ラビはムッと口を尖らせた。
 「いいじゃんか、どうせ退屈な道中なんから!
 それとも、ドイツ民謡の方がい?
 俺、色んな国の歌知ってんだぜ♪
 イングランド民謡だって歌えるし・・・こっちじゃおっきな声で言えんけど、イスラームの歌だって覚えてきたさ♪」
 声を潜め、忍び笑いをするラビに、ユウは呆れる。
 キリスト教が強力な支配力を持つ欧州において、異教にかぶれるなど最も忌むべきことだ。
 そんなことを、よく知りもしない人間に話すなど、愚かにも程がある。
 呟くように言ってやると、耳ざとく聞きつけたラビは、にんまりと笑った。
 「ユウは、そんなこと気にする奴じゃないと見たさv
 俺、十字軍に参戦して、色んな国の色んな奴と会って、色んな話もしたかんね。
 狂信的だと思ってたヴァチカンの奴が意外に順応性あったり、十字軍に入る振りして実は隣国に攻め入った奴もいたり、ホントにびっくりするようなことをたくさん見てきたもん♪
 お前が信頼に足る奴かどうか、わかってるつもりさv
 「・・・・・・勘違いじゃなきゃいいけどな」
 呆れ声で言ったものの、確かに彼の言う通り、ユウはラビを異端者と責めるつもりはない。
 「へへっv
 じゃあこれ、内緒にしててさv
 楽しげに言って、ラビがひそかな声で歌いだしたイスラームの歌は不思議な旋律で、なぜかとても心地よかった。


 ラビとユウが教会に向かって馬を走らせていた頃、そこでは性懲りもなく忍び込んだリナリーが、ジェリーに襟首を掴まれて吊るされていた。
 「こらっ!
 お勤めは終わったの、子ネズミ?!」
 「おっ・・・終わったよぉー!!
 もう自由時間だもん!
 だから看病のお手伝いに来たんだってばー!!」
 じたじたと暴れるリナリーを裏庭まで連れ出したジェリーは、壁の向こうへと大声をあげる。
 「院長ぉーん!
 そちらのネズミがまぁた潜り込んだんだけどぉん!
 こっちで働かせちゃっていいのかしらぁ〜ん?」
 まずい、と、身を強張らせるリナリーを横目で見つつ言ったジェリーに、ややして壁の向こうから怒号が応じた。
 「またなの?!
 リナリー!あなた、いい加減になさい!!
 素行の悪い子は納骨堂に閉じ込めてしまうわよ!!」
 「いやあああああああああああああああああ!!!!」
 悲鳴をあげて、リナリーがまたじたじたと暴れだす。
 「い・・・院長ぉ!
 患者さんの看病は、ちゃんとしたお勤めでしょぉ?!
 私はみんなより先に来ただけだよ?!」
 必死に言い張ると、壁の向こうで『黙れ!!』と、凄い声がした。
 「ジェリー!
 今からそっちに行きますから、そのネズミを捕まえててくださるっ?!
 リナリー!
 今日と言う今日は許しませんからね!!」
 「きゃああああああああああああ!!!!」
 声まで蒼白にして、ますます暴れるリナリーを、ジェリーが小脇に抱える。
 「放してぇぇぇぇぇ!!!!
 お仕置きされちゃうよぉぉぉぉ!!!!」
 「あったり前でしょ!
 お仕置きされなさい!!」
 「やああああああああああああ!!!!」
 脚をばたつかせて泣き喚くリナリーを、ジェリーはがっしりと抱えて連行した。
 と、凄まじい泣き声を聞きつけて寄って来たアレンが、二人を不思議そうに見つめる。
 「あの・・・どうかしたんですか?」
 遠慮がちに問うと、二人の目がアレンへ向いた。
 びくっと、怯えてしまったアレンにリナリーがまた泣き声をあげる。
 「助けてぇぇぇぇぇぇ!!
 ジェリーがいぢめるよおぉぉぉぉぉ!!!!」
 「なにがいぢめよんっ!!
 アンタがいっつも修道院抜け出すから、院長のお叱りを受けるだけでしょっ!!」
 「納骨堂に閉じ込めるってええええええええええ!!!!
 やだよぅ!!怖いよぉぉぉぉ!!!!」
 「の・・・納骨堂・・・・・・」
 ぶるっと震え上がったアレンは、泣き叫ぶリナリーにそっと歩み寄った。
 「あ・・・あの、ジェリーさん・・・!
 リナリーはずっと僕の看病をしてくれてたんですから、なんとか許してもらうわけには行きませんか?」
 「アレン君っv
 途端に喜色を浮かべたリナリーに反し、ジェリーは顔をしかめる。
 「ダメよん!
 リナリーはね、アナタがここに来るずーっと前から、修道院でのお勤めをおろそかにして、ここに遊びに来てたんだからん!」
 「おっ・・・おろそかになんかしてないよっ?!
 ちゃんと、お勤めは済ませてから来てるもん!!」
 とは言いながら、ぴちぴちと目を泳がせるリナリーを、ジェリーが厳しい目で見下ろした。
 「一度きっちりお仕置きする必要があるのんっ!!」
 言うやどすどすと廊下を踏み鳴らして行くジェリーを、アレンは呆然と見送る。
 が、
 「たーすーけーてー・・・・・・・!!」
 と、遠ざかって行くリナリーの悲鳴に我に返ると、慌てて二人を追いかけた。


 「何をやっているの、あなたはっ!!!!」
 リナリーの悲鳴を追いかけて教会の一室に入ったアレンは、突如沸いた怒号に飛び上がった。
 恐々と見遣ると、きちんと尼僧服を着込んだ初老の尼僧が、目と眉を吊り上げてリナリーを見下ろしている。
 「いつも勝手に修道院を抜け出して、こちらに入り浸って!
 領主の姫だからと言って、私はお勤めを免除した覚えはありませんよ!!」
 厳しく叱られて、うな垂れたリナリーが小さく震えていた。
 「本当に聞き分けのない!!
 何よりも貞節を守るべき領主の姫が、男性ばかりの教会に入り浸るなんて、妙な噂でも立ったらあなた、本当にお嫁の貰い手がなくなってよ!!」
 「う・・・別に・・・いいもん・・・・・・」
 勇気を振り絞って呟くや、院長の目がますます吊りあがる。
 「領民の娘ならばともかく、あなたには家名と領地を守る義務があるのですよ!
 自分勝手な行いがどういう影響を及ぼすか、納骨堂の中でしばらく考えなさい!!」
 「ひっ?!
 やああああああ!!
 やだああああああああああ!!!!」
 腕を掴まれ、ぐいぐいと引かれて悲鳴をあげるリナリーに、アレンが慌てて駆け寄った。
 「あ・・・あの、院長さん!
 リナリーは僕の看病をしてくれていたんです!
 そのおかげでずいぶん助かったし・・・今回は許してもらえませんか?!」
 「あなたは?」
 冷たい目で睨まれて、アレンは思わず怯む。
 「ア・・・アレンって言います・・・。
 病気になって、ここでお世話に・・・・・・」
 「家名は?」
 続けて問われ、アレンは口ごもった。
 「身分の定かでない者を、我が領地の姫に近づけるわけには行きません。
 あなたも騎士なら、そのくらいの配慮はあってしかるべきでしょう」
 厳しく言われ、うな垂れるように頷いたアレンが、表情を引き締める。
 「家名は故あって言えませんが、僕は従軍騎士です。
 貴婦人への礼儀は、幼い頃より身につけていますとも」
 にこりと笑った彼に、院長が瞬いた隙をついて、アレンはやんわりと彼女の手からリナリーの腕を受け取った。
 「この病人へのお心遣い、心より感謝しております、姫。
 あなたの善行に主の祝福がありますように」
 恭しく跪いたアレンがリナリーの手の甲に口付けすると、一瞬で頬が染める。
 「姫?」
 顔をあげたアレンがにこりと微笑んだ途端、リナリーは慌てて手を引き寄せた。
 何か答えようにも、口をぱくぱくさせるばかりで物も言えないリナリーの無様さに、ジェリーと院長は顔を見合わせてため息をつく。
 「・・・アレンちゃんは完璧な作法だったのにぃん・・・」
 「こんな時に気の利いたこと一つ言えないなんて、うちの姫ったら情けない・・・」
 「はっ・・・初めてでびっくりしただけだもんっ!!
 次はもっとうまくやるよ!!」
 顔を真っ赤にしたリナリーの手が、再びやんわりと取られた。
 「じゃあ、もう一度初めから?」
 「ままままままままだ心の準備がぁっ!!!!」
 悲鳴をあげて飛び退いたリナリーが院長にしがみつくと、全員が失笑する。
 「なっ・・・なんだよっ!!」
 「いえ・・・すみません・・・・・・」
 クスクスと笑いながら謝るアレンにリナリーが膨れた。
 「なんだよっ!
 もうアレン君の看病なんか、してあげないからねっ!」
 ぷいっとそっぽを向いたリナリーの首根っこが、乱暴に掴まれる。
 「それは良かったこと。
 では、今から罰則の時間としましょう」
 「えぇっ?!
 院長っ・・・やだやだやだっ!!!!」
 じたじたと暴れるが、院長は初老とは思えない腕力でリナリーを引きずっていく。
 「では、ご迷惑をお掛けしました」
 「はぁいv
 お仕置きがんばってぇんv
 ひらひらと手を振るジェリーに頷いた院長に連行されるリナリーが、とても可哀想な悲鳴をあげて壁の向こうへと消えて行った。
 その勢いに、さすがのアレンも手出しできずに見送ってしまう。
 が、ややして彼は眉根を寄せ、傍らのジェリーを見上げた。
 「・・・ジェリーさん、お仕置きって、やっぱり納骨堂に閉じ込められちゃうんですか?」
 納骨堂は、王や領主の専用ならともかく、庶民用の場所であれば、無造作に遺体が積まれていることも多い。
 特に、この教会に関連した修道院であれば、納骨堂には病に冒され、苦しんで亡くなった女性の遺体が多く積まれているのじゃないかと思った。
 そう言うと、ジェリーはあっさり頷く。
 「だから、あんなに怯えてるのよん」
 「可哀想ですよ!!!!」
 心臓がきゅっと縮む思いがして、アレンが絶叫した。
 しかし、ジェリーは笑って手を振る。
 「あの子はおてんばが過ぎるから、そのくらいの罰則じゃないと懲りないのよんv
 前に、ひろーい聖堂のお掃除を一人でやんなさい、って言われたことがあるんだけど、本当に一人でやりきっちゃって、院長が悔しがってたものん。
 だから今度は本当に閉じ込められちゃうかもねぇんv
 「えぇー・・・・・・」
 困惑げにリナリーの消えた先を見つめるアレンに、ジェリーが苦笑した。
 「知ってるでしょおけどん、男子禁制v
 「はい・・・・・・」
 アレンのうな垂れた頭にジェリーの大きな手が乗る。
 「まぁ、院長は厳しいけど残酷な人じゃないからぁんv
 リナリーがイイ子になって帰ってくるのを待ちましょv
 「はぁ・・・」
 ぐりぐりと撫でてくれる手の下で、アレンは曖昧に頷いた。


 「出してえええええええええええええええええ!!!!
 院長、出してよおおおおおおおおおおおおおお!!!!
 怖いよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 納骨堂の中から必死に扉を叩くが、鋼鉄のそれはびくともしなかった。
 「ごめんなさいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 必死に謝るが、その声も外に届いているかどうか・・・。
 それでもリナリーは、必死に声をあげて扉を叩いた。
 その声と、その痛みで自分が生きていることを確認するかのように。
 「院長おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 何度目か、叫んだ声が反響して、背後から湧き上がって来たように思えた。
 ビクッと振り返ったリナリーは、地下へ続く階段の最上段を、不安げに踏みしめる。
 その下にわだかまる闇は冥府そのもののようで、今にもリナリーの足を掴み、引きずり込んでしまうような錯覚に襲われた。
 「ふぇ・・・えええええええええええええええ!!!!」
 泣きながらまた扉を叩くと、こつこつと、向こうから小さな振動がする。
 「出して!!出して!!」
 扉に縋って必死に声をあげると、がちりと重い音がして、ゆっくりと外へ引かれた。
 「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!!」
 内側から思いっきり扉を押して、まろび出たリナリーは身近のものにしがみつく。
 「怖かった!!
 怖かったよおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 ぎゅううっと、力の限り抱きしめた腕の中で、苦しげな呻き声があがった。
 「リ・・・ナリ・・・放じ・・・で・・・!」
 はっとして顔をあげると、土気色の顔をしたアレンが泡を吹いている。
 「きゃあ!!
 アレン君!!
 アレン君、しっかりしてっ!!」
 がくがくと揺さぶると、離れかけていた魂が戻って来た。
 「ち・・・力持ちですね、リナリー・・・」
 肩で息をするアレンから、リナリーは紅くなった顔をそむける。
 「ご・・・ごめんなさい・・・」
 「よっぽど怖かったんですね。
 どれどれ・・・」
 立ち上がったアレンは、開いたままの扉に首を突っ込んで闇を覗き込んだ。
 「あー・・・階段のすぐ下が安置所なんですね。
 これは怖かったでしょ」
 苦笑して扉を閉めたアレンに、リナリーは逡巡した後、頷く。
 正直に言えば、灯りも持たされずに閉じ込められたために、階下の様子などまったく見えなかった。
 しかし恐怖は見えても見えなくても同じだと開き直る。
 「ア・・・アレン君はなんでここにいるの?
 ここって・・・男子禁制だよ?」
 「それは聞きましたけど、ジェリーさんについて来てもらって、院長さんにお願いしました。
 リナリーもきっと反省していますし、そもそも悪いことをしたわけじゃないです、ってお話したら、お許しもらえましたよ」
 と、彼はなんてことのないように話すが、院長の性格を知るリナリーには、到底信じがたいことだ。
 「・・・嘘みたい」
 目を丸くして呟くリナリーに笑ったアレンは、彼女の手を引く。
 「教会に行きましょ。
 残りの罰則は、患者さんのお世話だそうです」
 「う・・・うん・・・・・・」
 ますます信じられない、と思いながら、リナリーは手を引かれるままにアレンについて行った。


 数日後、教会に戻ったユウは、ジェリーにラビを引き合わせた。
 「よろしくさ、姐さんv
 うちのアレンがお世話になってるさーv
 「マァマァ!アレンちゃんの、お兄ちゃん!
 わざわざ遠くまで来てくれるなんて、弟想いのいいお兄ちゃんねぇv
 「いやいや、そんなことあるけどさv
 感心するジェリーに軽口で答え、ラビはキョロキョロと辺りを見回す。
 「アレンは今、どこさ?」
 問うと、ジェリーは心得てアレンの病室へと連れて行ってくれた。
 「アレンちゃーんv
 お兄ちゃんが来てくれたわよーんv
 声をかけると、顔をあげたアレンの目が丸くなる。
 「ラビ!!
 なんでここに?!
 おじいちゃんも一緒?!」
 駆け寄ると、にこりと笑ったラビがぐしゃぐしゃとアレンの頭をかき回した。
 「意外と元気そうじゃないさ!
 腕切られるかも、って泣いてるかと思ったんにv
 「なっ・・・泣いてなんかないよ!」
 思いっきり膨れたアレンの頬を両手でつぶして、ラビが楽しげに笑う。
 「結局、切らなくていいんさ?」
 肩越しに問うと、ユウが憮然と鼻を鳴らす。
 「初めて見た奴のことなんか、俺が知るかよ。
 医療担当の修道士に聞きな」
 見た目の美しさとは真逆の無愛想さで言い放ったユウに驚き、アレンが目を丸くした。
 「あの・・・誰ですか・・・?」
 尋ねるが、彼はそっぽを向いて答えようとしない。
 「あのっ・・・!」
 「ああアレンちゃん!
 この子はユウたんよんv
 ここの修道士なのんv
 慌てて紹介してくれたジェリーの顔を立てて、アレンは一旦怒りを収めた。
 「初めまして。
 僕、アレンです。
 ここの人達にはとてもよくしてもらって、感謝しています」
 握手を求めて差し出した手は、あっさりと無視される。
 「コラッ!
 ユウたん!」
 ジェリーに叱られて舌打ちした彼が、渋々手を差し出した。
 「よろし・・・・・・」
 握手するつもりで出した手をはたかれて、アレンが唖然とする。
 「コラー!!!!」
 ジェリーの大声に驚いて顔をあげた時には、彼の背中は既に遠ざかっていた。


 「・・・・・・・・・僕、初対面で嫌われたんでしょうか」
 彼が去ってしまうと、アレンは呆然と呟いた。
 愛想はいい方だし、彼の美貌ほどではないが、結構いけてる容貌だと思う。
 なのに未だかつてされたことのない扱いをされて、怒るより先に面食らってしまった。
 と、アレンより前に彼と知り合ったラビが、苦笑して首を振る。
 「俺も一緒にいる間びっくりしたけど、単に構われるのが嫌いな性質みたいさ。
 適度にほっときゃ、あいつが攻撃してくるこたないから大丈夫さねv
 と、しつこくかまって何度も死ぬ目に遭わされたラビが、自信を持って保障した。
 その言葉にアレンは、きっと彼が命がけで限度を見極めたのだろうと察して、憐れみの目で見てしまう。
 「ん?どしたさ、変な顔して?
 腹でも痛いんか?」
 不思議そうに問われて、アレンは首を振った。
 「そっか!
 んじゃ、お前は腕の治療に専念するさ♪」
 そう言ってまたアレンの頭を撫でるラビを、ジェリーは微笑ましく眺める。
 「ホントに仲がいいのねぇんv
 最近じゃ、親兄弟が財産を巡って血みどろの争いをしてるけどん、アンタ達なら大丈夫ねんv
 「え?ジェリーさん、僕達は兄弟のように育ったけど、兄弟じゃないですよ。
 ラビは有名な学者の孫で・・・・・・僕んちが相談に乗ってもらってる間は邪魔者同士遊んでたり、おじいちゃんが旅に出てる間は一緒に住んでただけです」
 さすがに声をひそめて、アレンが囁いた。
 「アラッ!
 そうだったのん?!
 アタシ、てっきり・・・」
 「もう、めんどくさがってないで、ちゃんと言いなよ、ラビ・・・!
 ホントの兄弟だって間違われたの、何度目だよ」
 アレンが眉根を寄せてラビを睨むが、彼は笑って肩をすくめる。
 「その方が話の通りが早いんだもんさ♪
 ホントの兄弟じゃないけど兄弟みたいなもんで心配だから来てやった、なんつったらこのご時勢、俺の身分から散々聞かれて結局会わせてもらえないことだってあるさね」
 嘘じゃなくて省略しただけ、と、堂々と言うラビに、ジェリーも怒るより先に苦笑した。
 「まったく、ずいぶんトリッキーな子ねぇん。
 でもまぁ確かに、色々聞かれたかもしれないわねん。
 ユウたんが一緒だったから、長引きはしなかったでしょぉけどんv
 「それに、ジェリーさんには僕の身分のこと、正直に話してますから、ちゃんと言ってくれたら誤解もなかったんですよ」
 だから今回は言っていると思っていた、と言うアレンにラビはわざとらしくため息をつく。
 「そうかもだけど、こっちからそれ言うわけにゃいかんだろうさ。
 だから今回は、先に言ってくんなかった姐さんのせいってことでv
 「アタシッ?!」
 驚いたジェリーは、ややして何度も頷いた。
 「・・・そうねん、アタシが悪かったわん。
 アンタが自分から言うわけにも行かないものねぇ」
 「謝ることなんかないですよ。
 大体うかつなんです、この人・・・いひゃぃっ!!」
 憎まれ口を叩いた途端、頬をつねられてアレンが悲鳴をあげる。
 「病人いぢめたっ!!」
 「口が病気になればよかったんさ、お前は」
 二人のやり取りにジェリーは思わず吹き出した。
 「ホホホv
 仲良しさんねぇv
 「仲良しかなぁ?」
 赤くなった頬を撫でるアレンの頭を、ラビが小突く。
 「お前それ、はるばる来てやった兄ちゃんに言うことさ?」
 「はるばる小突きに来たのっ?!」
 「まぁまぁ、アンタ達v
 ラビに頭突きを食らわせようとするアレンの肩を掴んで止めたジェリーが、ラビを手招いた。
 「なに?」
 内緒話か、と近寄ってきたラビに、小さく頷く。
 周りに誰もいないことを三人の目で確認してから額を寄せ合った。
 「囚われ人のことなんだけど・・・」
 その言葉に、アレンとラビの表情が引き締まる。
 「皇帝陛下の居城に行った修道士が一旦、医療担当の修道士を集めに戻った時に、自分が捕虜の診察を頼まれた、って教えてくれたの。
 彼は盲目だから、それで頼まれたんだろうって言ってたわん」
 既にアレンには伝えられた情報に、ラビが頷いた。
 「で、皇帝陛下はとっても頭のいい方だから、きっと捕虜の居場所を悟られるようなことはしないだろうって。
 一旦捕虜のいる城に連れて行かれたら、きっと囚われ人の処遇が決まるまでは帰れないだろうから、早々に奪還したければつけて来てほしい、ですって」
 「え?!
 ジェリーさん、僕はそのこと・・・」
 「アレンちゃんに言ったらきっと、治療ほっぽり出して行くでしょぉん!
 だから黙ってたのん!」
 潜めた声で叱られて、アレンは気まずげに黙りこむ。
 と、
 「オッケー。
 じゃあ、俺がその修道士の連れてかれる城を確認するってことさね」
 察しのいいラビは、笑って頷いた。
 「任せといてさv
 こういうことは俺、うまいんからv
 そう言ったラビにアレンは何か言いかけたが、しばらく考えて頷く。
 「そ・・・だね。
 ついて行っても迷惑になるだけだ・・・」
 黒ずんだ左手を握りしめ、悔しそうなアレンの頭を、ジェリーが優しく撫でた。
 「アレンちゃんは、目的の方が見つかってから行動を起こせばいいわんv
 それまではここで、治療に専念しましょv
 「はい・・・・・・」
 ひどく不満げではあったが、頷いたアレンにラビが、ほっとした顔をする。
 「イヤ、お前のことだから、無理やりにでもついてくるって駄々こねるんじゃないかと思ったさ!
 姐さん、こんな短期間でこのひねくれ坊主を躾けるなんて、ただ事じゃないさねーv
 ラビが感心して拍手すると、ジェリーは静かに首を振った。
 「アタシが躾けたんじゃないわよん。
 アレンちゃんが大人になったのよねんv
 軽く背中を叩かれて、アレンは少し恥ずかしげに笑う。
 「よっし!
 じゃあ、早速行動に移るさね!
 姐さん、その修道士とは、薬でも届けるついでにでも合流すればいいさ?」
 言外に手配を頼むラビに、ジェリーは大きく頷いた。
 「その件は、マリ・・・盲目の修道士とも話がついているわんv
 ジェリーからの届けもの、って言えば、アンタがつけて来る子だってわかるようにしてるからんv
 そうね・・・せっかく来たのに悪いんだけど、もう行けるかしらん・・・?
 今ね、まずは居城の帰還兵の診察をしてから、ってことで出立を引き伸ばしてるんだけどん、そろそろせっつかれてるみたいなのん」
 やや早口になった彼女に、ラビはなんてことのない風に頷く。
 「りょーかいv
 俺も長い間旅してたから、こういうのは慣れてるさ。
 アレン、朗報を待ってろよ♪」
 「うん!」
 頼もしく請け負ったラビにアレンは、大きく頷いた。


 同日、教会の修道士達と共に皇帝の居城を出たマリは、移動した先の城に集められた従軍兵士達の診察を同僚に任せて一人、城の奥へと導かれた。
 捕虜の診察を依頼されてのことだったが、てっきり牢獄に案内されると思っていた彼が導かれたのは、塔の上の一室だ。
 ドアを開けた途端、廊下にまで漂ってきたワインの香りに、捕虜が決してひどい扱いを受けていないことが知れた。
 しかも、
 「なんだ、尼僧の往診なら大歓迎だったのにな!」
 と、遠慮なく掛けられた声は捕虜とは思えぬほど張りがあって、マリは捕虜と賓客を聞き間違えただろうかとまで思う。
 が、彼はまごうことなき捕虜・・・しかも、招かれざる客と言うべき存在だった。
 「・・・手早く済ませて頂きたい」
 マリをここまで案内してきた若い兵士が、不機嫌な声で言う。
 ここに長くいたくないのだと思わせる口調に、迷惑な客人が大声で笑った。
 「気の毒なハワードは元気か?
 あいつ、従軍しなかった弱みに付け込まれて、アレイスターとクラウドに俺を押し付けられたんだってなぁ!」
 皇帝だけでなく、オーストリア公とフランス王までも名前で呼んだ男は、酒臭い息を大きな笑声と共に撒き散らす。
 と、主君を冒涜されて、ムッとした兵士が彼を睨んだ。
 「我が国は先帝陛下が従軍し、異国で亡くなったのだ!
 決して参戦しなかったわけではないし、今上(きんじょう)陛下が従軍しなかったのは、単に期を過ぎていたからだ!
 弱みなどあろうはずがない!」
 若い声を怒りに震わせる兵士を、傍若無人な男は鼻で笑う。
 「そう思ってんのは、この国の人間だけかもな!」
 「このっ・・・!」
 「あのっ!
 争いはやめてください!!」
 男に掴みかかろうとした兵士の腕を取り、マリが眉根を寄せた。
 「あなたも、わざわざ挑発することはないでしょう」
 呆れ顔を向けると、男は鼻を鳴らす。
 「俺は本当のことを言っただけだぜ?
 ハワードが従軍しなかったのは事実だろうが」
 意地悪く嘲弄されて、マリが掴む兵士の腕がぶるぶると震えた。
 その様にため息をついたマリは彼の腕を引く。
 「・・・あなたは部屋を出ていなさい。
 ここにいては、心安らかではいられないだろう」
 低く囁くが、彼は頑迷に首を振った。
 「おっ・・・俺だってこんな奴の傍になんか、一瞬だっていたくないが、監視が・・・!」
 「そう思ってんなら早く解放すればいいだろうが!
 俺はいつだって出てってやるんだぜ?」
 また嘲弄され、再び男へと掴みかかろうとする兵士の腕をマリが引く。
 「いいから出て行きなさい。
 私は大丈夫だから」
 兵士を廊下に追いやるや、ドアを閉めたマリに男が大笑いした。
 「尼僧じゃねぇのは惜しいが、お前が来てくれてよかったぜ。
 ここの兵をからかうのにも飽きてた所だ」
 「・・・ひどい方ですね。
 なにもあそこまで言うことはないでしょうに」
 ため息をついたマリに、彼はまた鼻を鳴らす。
 「いいんだよ、あのくらい言ってやって!
 なにしろ、理不尽にもこの英雄を捕らえた奴らなんだからな!」
 「英雄・・・?」
 他の者が言ったのならば、妄想の激しい男だと思っただろうが、彼の声や発する気配は、未だかつてマリが出会ったことがないほどに獰猛だった。
 野生のライオンとはこういうものだろうか、と思ってはっとする。
 「まさか・・・獅子心王?!」
 イングランド国王の別名を呼んだマリに、彼は愉快げに笑った。
 「修道士のくせに察しがいいじゃねぇか!」
 そう言って、欧州中にその勇名を轟かせる王が笑う。
 「なぜここに・・・」
 言いかけてマリは、彼が同じく十字軍に参戦し、尊厳王の名を持つフランス国王とイングランドの国土を争っていることを思い出した。
 「なるほど、それで・・・」
 彼が何も言わないうちに納得したマリに、王は鼻を鳴らす。
 「本当に察しがいいな、お前は。
 俺の従者もそのくらい察しがよけりゃ、すぐにここを見つけ出せそうなもんだが」
 「それは・・・もしかしたら、聖アントニウスの火に焼かれた少年騎士のことでしょうか?」
 苦笑したマリに、王は目を見張った。
 「・・・お前、あいつの使いか?」
 「使い・・・というわけではありませんが、捕虜が囚われた城を探す手伝いをして欲しいとは、別の修道士を通して言われましたね。
 私が捕虜のいる城に派遣されることになったので、つけて来る者が用意出来るまで出発を引き伸ばしました。
 遅くなったのは、なかなか見つからなかったためだと思いますが・・・あぁもちろん、はっきりとあなたを探しているだなんて、危険なことは言いませんでしたよ」
 「ふん・・・!
 あいつもなかなかやるようになったもんだな」
 楽しげに言って王は、ワインをあおる。
 「じゃあお前はさっさと戻って、あのガキにこの場所を報せろ」
 命じることに慣れた者の傲慢な言い様に苦笑し、マリはゆっくりと首を振った。
 「私はこの城の名を知りませんし、ここに連れてこられる際にも御者は、馬車の窓を厳重に塞いで、音も聞こえないようにしてしまいました。
 皇帝の城からの、大体の距離はわかるのですが、すぐには帰してもらえないでしょう。
 しかし申しましたでしょう、つけてくる者が用意できるまで待った、と。
 その者が、既に知らせに戻ったはずです」
 「ふふん・・・!
 やるじゃねぇか」
 楽しげに笑った彼は、褒美とばかり、ワインを差し出す。
 「・・・そういえばお前、なんの往診なんだ?
 俺はこの通り、負傷もしてなきゃ拷問もされてねェけどな?」
 ようやく聞いてもらえたことに、ワインを遠慮したマリはまた苦笑した。
 「あなたの従者が冒された病気の検査ですよ。
 十字軍が同じ食料を摂取したと聞きましたので、こちらに帰還兵の検診をお願いした所、皇姉殿下が、従軍兵士だけでなく捕虜にも行うようにと」
 「ふーん・・・。
 どうせ、俺が悪魔憑きにでもなったら、大事な民が危ないとでも言ったんだろ。
 会ったことはないが、ここの連中がやたら『お優しい皇姉殿下』って連呼してるからな。
 美人か?」
 続けざまに問われて、マリは首を傾げる。
 「私は目が見えないので」
 「・・・そりゃ気づかなかった」
 正確に彼を見つめて話すマリが、まさか盲目だとは思わず、さすがの王も一瞬、声を詰まらせた。
 「目が見えない代わりに耳がいいので、それほど苦労はしませんよ」
 王が黙っている隙に、と歩み寄ったマリは、すかさず問診を始める。
 しかし途中で、
 「・・・陛下、詐病はやめていただけませんか」
 憮然と言うと、彼は大声で笑った。
 「俺が悪魔憑きになったと思えば、早々に追い出されると踏んだんだがな?」
 「・・・皇帝も出来ることなら、厄介払いしたいでしょうね」
 うっかり言ってしまったマリは、気まずげに表情を強張らせたが、剛毅な王は気にも留めずに頷く。
 「大いに嫌われて、追い出されようとしてるんだがな。
 何しろここの奴らは我慢強くて」
 堂々と言い放った彼に、マリは深々とため息をついた。
 「そのように無体ばかりしていては、主のご加護をいただけませんよ」
 せいぜいしかつめらしく言ってやったが、これまで多くの老若男女を改心させてきた言葉を王はあっさりと聞き流す。
 「追い出されるにはどうしたもんかな・・・。
 俺が悪魔憑きになっちまったって、お前が報告すりゃ簡単なんだがな?」
 にんまりと笑う彼に、マリはため息をついて首を振った。
 「私は嘘をつけません」
 「嘘じゃない、方便だ。
 お前だってさっき、皇帝が厄介払いしたがってるだろうっつったろうがよ。
 偉大な神聖ローマ皇帝とお優しい皇姉殿下のために、どうにかしてやろうって気にはなんねぇのか?」
 堂々と嘯く王に、マリは驚きのあまり、呆れてしまう。
 「よくもそのような・・・・・・」
 「ふふん♪
 俺は異教の王に譲歩させた、唯一の王だぜ?
 獅子心王の名をなめんなよ」
 そりゃこんな悪魔になら、異教の王も譲歩するだろうとは思ったが、マリは言わずにただ首を振った。
 「とにかく、神に仕える身としては、方便でも偽りは申しかねますので」
 頑迷に言って、マリは問診を早々に終わらせる。
 「なんだ、もうしまいか?」
 「ご健康でなにより」
 つまらなそうな王に頷いたマリは、肩をすくめて酒臭い部屋を後にした。


 「・・・ちっ。
 話し相手もいなくなっちまった」
 それを自業自得とは思いもせずに、彼は窓辺に寄った。
 「美人でも通りかかんねぇもんかね」
 不敵な笑みを浮かべ、外へ向かって声を放つと、どこか聞き覚えのある歌声が風に乗って漂ってくる。
 「・・・美人っつったろうがよ」
 不満げに呟いた彼は、空になったゴブレットを窓の外へ放った。
 徐々に近づいてくる歌は、イングランド王でありながら実は生まれも育ちもフランスである彼にとって、懐かしいフランス民謡だ。
 「生意気なことをしがやる」
 クスリと笑うと、彼はその掛け合い歌に応えてやった。
 ワンフレーズずつ、掛け合いを続けているうちに声は窓の下までやってくる。
 「・・・やっぱりあいつか」
 窓の下で手を振る赤毛の少年に笑みを返し、王は傲慢に頷いた。
 少年は窓の下に落ちたゴブレットを拾うと、何事もなかったかのように歌い続けて通り過ぎる。
 「さっさと来いよ。
 俺が自力で出ちまう前に」
 従者がどういう手段で助けに来るものか楽しみにしつつ、王はワインの瓶に口をつけた。


 「みっけたさー!」
 歓声をあげて教会に戻って来たラビを、ジェリーは慌てて捕獲、拘束した。
 「ア・・・アレンちゃんがアンタのコト、うかつだって言ってたけどホントねん!
 そんなこと大声で言ってどうすんのん!」
 潜めた声で叱られて、ラビが気まずげに口を覆う。
 「ご・・・ごめんさ、つい・・・」
 もにょもにょと口ごもると、ジェリーは軽く吐息した。
 「・・・アンタのうっかりさ加減がわかったから先に言っておくけどん、今、アレンちゃんの看病してる子・・・ここの領主の妹よん」
 「領主の?」
 途端、ラビはこぼれんばかりに目を見開く。
 「じゃあアレンの?!」
 「そうそう。
 アレンちゃん、ここじゃあアタシと修道院の院長以外には身分を隠して、ただの帰還兵だって言ってんだからん、アンタも滅多なこと言っちゃ、め!」
 怖い顔で睨まれて、ラビは何度も頷いた。
 「・・・けどアレンの病気、治るんだろ?
 あいつ、実家に『重病にかかってもう死ぬだろう』って報告が行っちまったから廃嫡されかかったけど、すぐにうちのジジィが『治る見込みがあるから廃嫡は待て』って連絡したはずだぜ?」
 眉根を寄せて、ラビがひそひそと囁く。
 「・・・なるほどねん、そういうことだったのん・・・!」
 ようやく事情を知ったジェリーは小さく頷き、同じように眉根を寄せた。
 「だったら連絡が行き違ったか、勘違いがあったようねん。
 こちらのご領主には、『従軍した嫡男が死病に冒され、廃嫡することになった。次期当主は未定であるため、姫との縁談は白紙にしたい』って連絡があったのよん。
 リナリーは、その時はもう修道院にいたから、あんまり詳しいことは聞かされてないみたいだけどん、アタシご領主とは結構仲いいからん、可哀想にねぇって話してたのよねん」
 だからアレンがこの教会に現れた時は驚いた、と、ジェリーは吐息する。
 「アタシとしては、アレンちゃんが治ったら、ご縁も元通りになって欲しいんだけどねぇんv
 あの子達、最初からずっと仲良しなのよんv
 「ふーん・・・可愛いんさ?」
 興味深げに聞くと、ジェリーは自慢げに頷いた。
 「領民自慢の美少女よんv
 ただ・・・・・・」
 がっくりと肩を落とし、大きくため息をつく。
 「とっても・・・おてんばなのん・・・・・・!」
 あれさえなければ、と、ジェリーはまたため息をついた。
 「アレンちゃんが黙ってるのはもしかしたら、お嫁さんにはあり得ないって思ってるからかもー・・・!」
 両手を頬に当てて身を捩るジェリーにラビが苦笑する。
 「それは・・・実際に見て見たいさね・・・」
 どんな子なんだろうと、ラビはきょろきょろと辺りを見回した。


 一方、噂のリナリーは、かまってくれないユウに思いっきり拗ねて、その不満をアレンにぶつけていた。
 「ひどいんだよっ!!
 一緒に薬草摘みにいこーよって言ったのに、ユウったら剣の稽古の方が大事だって、ついて来てくれなかったんだ!
 おかげで私、重ぉぉぉぉい籠を一人で背負って帰ってきたんだよ!
 ユウが持ってくれること前提で大きな籠を用意したのに、手伝ってくれないから私・・・!」
 「そ・・・それは大変でしたね・・・。
 でも、空の籠ならなにも、一杯詰めることなかったんじゃ・・・」
 苦笑しつつ言うと、リナリーはぶんぶんと首を振る。
 「そんなの、院長が許してくれるわけないじゃない!
 持ってきた籠に入るだけ詰めろって・・・!
 絶対あれ、お仕置きだよ!
 こないだ納骨堂に閉じ込めただけじゃ足りないって思ったんだ!」
 涙を浮かべて不満を言うリナリーの、包帯を巻く手に力がこもった。
 「いっ・・・いたっ!!」
 思いっきり絞められて声をあげると、リナリーが慌てて力を緩める。
 「ご・・・ごめんね!
 あ!!」
 せっかく巻きつけた包帯が解けて、リナリーががっかりと肩を落とした。
 「・・・・・・ごめんなさい」
 「いえ、大丈夫ですから」
 クスクスと笑いながら、アレンは腕に絡んだ包帯を取り去る。
 肌の色は未だ黒ずんだままだったが、この教会の薬がよほど効くのか、順調に回復していた。
 「おじいちゃ・・・あ、ブックマンって呼ばれる、すごい学者が従軍していたんですけどね、その人が転地療養を勧めてくれたんです。
 この症状は、病気になった麦なんかを食べて出るものだから、病気の麦がない土地に行けば、それだけで治ることもあるって」
 しみじみと言ったアレンに、リナリーは微笑んで頷く。
 「そうだよ。
 だからこの病気に罹った人は、長い時間をかけてここまで来るんだ。
 ここの修道士会は病気の治療だけじゃなくて、その予防にも詳しいからね。
 ただ・・・やっぱり、全部を救えるわけじゃない。
 ひどく悪化して死んじゃう人もいれば、ここに来る旅の途中で力尽きちゃう人もいる。
 それはホントに・・・残念だって思う」
 「リナリー・・・」
 肩を落とす彼女を気遣わしげに見つめると、その両手がそっとアレンの病んだ手を包み込んだ。
 「だから・・・アレン君はとても運がいいんだよ。
 ここまで辿り着いた上に、治る見込みだってある。
 ここに来て、手術をしなくていい人なんて、ほとんどいないんだから」
 「そうですね。
 治ったらまた、剣が持てるようになるかな」
 クスリと笑って、アレンはリナリーの手を握り返す。
 「これでも結構、強かったんですよ?
 御前試合では何度もお褒めいただい・・・」
 はっとして口をつぐんだが遅く、リナリーは興味津々とアレンを見つめていた。
 「御前試合って、どの王様の?
 色んな国の王様がいたんでしょ?
 さすがに先帝陛下の時はアレン君いなかっただろうけど、有名なフランスの尊厳王とか、もっと有名なイングランドの獅子心王とか!」
 その名にぎくりと顔を強張らせたアレンを、リナリーが不思議そうに見つめる。
 「どうしたの?」
 「いえ・・・」
 気まずげに目を泳がせるが、リナリーは小首を傾げてアレンの逃げる目を追って来た。
 「なんで逃げるの?」
 「いや、その・・・・・・」
 困り果てて逃げ回った視線の先に、紅い毛先を見つけた途端、アレンが立ち上がる。
 「ラビ!」
 呼びかけると、気づいた彼が駆け寄って来た。
 「ここにいたんか!
 病室にいねぇから俺、治療室を一個一個探して・・・どちらさん?」
 アレンの左腕を握ったままの尼僧に問うと、彼女はにこりと笑って立ち上がる。
 「初めまして、リナリー・リーです。
 あなたがラビ?」
 きれいなお辞儀をしたリナリーの身分に気づいて、ラビは思わずにんまりと笑った。
 「ハジメマシテv
 俺、こいつの兄ちゃんみたいなもんで、ラビっすv
 アレンが世話になったさね」
 不躾にも差し出される前にリナリーの手を取って振り回したラビが、アレンを見遣ってまたにんまりと笑う。
 「よかったさね、こんな美少女に世話やいてもらってv
 「う・・・羨ましいでしょ!」
 赤くなりながらアレンは、いつまでもリナリーの手を握ったままのラビを引き離した。
 「レディに失礼ですよ!」
 「いいじゃんさ、握手くらい〜!」
 「長いんですよ、あんた!
 それより、僕に用があったんでしょ!」
 「あ・・・うん、そうなんけど・・・」
 ラビが口を濁して見遣ったリナリーは、治療室の外から名前を呼ばれて振り返る。
 「ここだよー!」
 返事をするとジェリーが入って来て、リナリーの手を取った。
 「アンタいつまでここにいんのっ!
 明日はイースターなんだから、修道院で準備しなきゃでしょ!」
 「う・・・でも、アレン君の包帯・・・」
 肩越しに見遣ると、散らかったままの包帯を取り上げたラビが、アレンの腕に器用に巻いていく。
 「あ、俺、医療の心得もあるから、まかしとくさv
 頼もしく請け負ったラビにジェリーは頷き、リナリーは不満げに頬を膨らませた。
 「ホラ!行くわよ!
 早くしないと、院長がまた怒鳴り込んでくるわん!」
 「ひっ!!!!」
 引いていたはずのジェリーの手を引いて、リナリーが治療室を駆け出る。
 「アレン君、またねー!!」
 ジェリーを引きずるようにして駆け去ったリナリーを、ラビが唖然として見送った。
 「・・・はえーな、おい」
 きれいに包帯を巻いた腕を軽く叩くと、アレンが頷く。
 「それに、力持ちなんですよ。
 僕が初めてここに来た時、ほとんど力尽きてた僕を抱えて運んでくれました」
 「・・・・・・すげーな、それ」
 貴族の娘と言えば、上品で繊細なものだと思っていたが、どうも彼女には当てはまらないようだった。
 が、
 「クラウド陛下だってすごく強かったじゃん。
 でも、上品であることは誰も否定しなかったでしょ」
 当然のように言ったアレンに、ラビは首を傾げる。
 「そりゃ、陛下は別格だろ。
 やる気がなかったとは言え、お前の主人を負かしたんだからさ。
 でもあの子は、すっごく可愛いけどすっごくおてんばだな」
 クスクスと楽しげに笑いながら、ラビはアレンの頭をかき回した。
 「で?
 コトが片付いたらちゃんと、名乗るんさ?」
 「そりゃ名乗るよ。
 でも・・・父様が縁談断っちゃったらしいんだよね。
 元婚約者ですけど、おかげさまで病気も治りましたんでやっぱり結婚しませんか、って言うのはちょっと気まずいような・・・?」
 ぼそぼそと呟きつつ首を傾げるアレンの眉間に寄ったしわを、ラビが面白そうにつつく。
 「いんじゃね?
 姐さんも、お前が治ったら縁も元通りになればいいのに、つってたし」
 「ほんとに?!」
 目を輝かせて詰め寄るアレンに頷いたラビは、しかし、不思議そうに首を傾げた。
 「あんなおてんばがいいんさ?」
 「すっごく好き!!」
 「・・・さよか」
 きっぱりと言った彼に苦笑し、ラビは治療用のベッドに腰を下ろす。
 「じゃ、姫獲得のためにも、さっさとやっちまおうぜ」
 「うん!!」
 勢い込んで隣に腰を下ろすと、ラビがベッドに置いた荷物が跳ねた。
 「なにこれ?」
 「お前の主人のゴブレット」
 粗末な布袋の口をこっそりと開けると、覗き込んだアレンが大きく頷く。
 「本人は?」
 「俺の歌に歌で返してきた。
 高い所にある窓からだったけど、あのド派手な赤毛とえらそーな態度と人を見下しきった立ち姿は間違いないさね!」
 と、派手な赤毛の不遜な態度の不躾な格好のラビが断言した。
 「そんで、どうやって助けるんさ?
 あの人のことさ、よっぽど面白いことやんねぇと、着いて来てもくんないと思うぜ?」
 どこか憮然として言うと、アレンが頭を抱える。
 「・・・・・・ったく、なんであんな主人に仕えてんだろ、僕・・・・・・!
 出来ることならクラウド様か、せめてアレイスター公に乗り換えたいよ・・・・・・!」
 しかし、代々イングランド王に仕えて来た家柄とあってはそうも行かなかった。
 「進め、騎士道!」
 「人事だと思ってぇ・・・・・・!」
 暢気に言ったラビを、アレンが恨みがましく睨む。
 「まぁまぁ、この救出に成功したら、俺がお前の騎士道を称えて、歌を作ってやるさ♪
 んで、この修行が終わってジジィの跡継ぎ認定されたら、お前の名前を歴史に刻んでやっからさ、せいぜいがんばんなさいよ」
 「・・・じゃあ、その歌を面白くするために、協力しなよ」
 思いっきり頬を膨らませて、アレンはいつもやられているように、ラビの頭をかき回した。
 「なんか策、考えて!」
 「自分でやれよ、そんくらい・・・」
 アレンの手を振り払って言ったものの、ラビの目は今、猫のように輝いている。
 「・・・・・・そうさな、例えば・・・・・・」
 数多歌われ継がれた叙事詩、多くの文字で綴られた戦記の中からいくつかの奇策を選び出したラビに、アレンは目を輝かせて頷いた。


 その晩、夜を徹して行われるミサのキャンドルが灯る前に教会を抜け出した二人は、王の囚われている城まで馬を走らせた。
 この城でもミサは行われ、信心深い人々の持つキャンドルで昼間のように照らされている。
 二人もまた、参列者を装って城に入り、キャンドルを手にして城内に忍び入った。
 「んじゃ、行きますか♪」
 村人を装うために着ていたローブを脱ぐと、十字軍の軍服が現れる。
 「ラビってばホント、派手好きだよねぇ・・・」
 呆れたように言ったアレンもまた、従軍していた時の華やかな軍服を再び纏っていた。
 帰還兵も多いこの城では、むしろこの方が目立たないという、ラビのアイディアだ。
 実際、彼は王を見つけた際に、軍服のまま庭どころか城内までうろついたが、見咎められることはなかった。
 その自信を持って堂々と歩いていると、すれ違う兵士どころか、十字軍の軍服を着た帰還兵ですらも、彼らが侵入者であることに気づかない。
 「じゃ、俺は裏手に回るから・・・お前、絶対余計な部屋とか廊下に入るなよ?
 確実に道に迷うからな!」
 ラビがその正確な記憶力に基づいて作った地図を握らされたアレンは、緊張気味に頷いた。
 「だ・・・大丈夫・・・きっと・・・・・・!」
 敵陣に侵入したからではなく、迷子になるかもしれないと言う恐怖に震えるアレンの頭を、ラビがくしゃくしゃとかき回す。
 「がんばれ!」
 「う・・・うん・・・!」
 足早に去って行ったラビの背中に頷き、アレンは注意深く歩を踏み出した。
 「そ・・・そうだよ、迷ったらここの人に道を聞けばいいんだもん・・・。
 何か適当なこと言えば、疑われることもないよ」
 豪胆にもその案に安心し、アレンは歩を進める。
 が、意外にも迷うことなくアレンは王の部屋に向かっていた。
 アレンのことをよく知るラビだけに、その地図は出来るだけ簡易に出来ていたのだ。
 「嬉しいけど・・・なんか複雑だな・・・・・・」
 ラビから見れば、自分はいつまでも4〜5歳の小さな弟なんじゃないかと思いつつ、アレンは初めてのお使いに成功した子供のように、頬を紅潮させた。
 「着いた・・・・・・!」
 まさか、一度も迷わずに着けるとは思っていなかったため、思わずため息が漏れる。
 と、監視の兵が訝しげな目で彼を見た。
 「どうかされましたか?」
 アレンが十字軍の軍服を着ているためか、丁重な態度の兵士に、アレンは笑って頷く。
 「お役目ご苦労様です。
 僕、皇帝陛下の使いで・・・」
 言いかけたアレンの頬を、窓の外に溢れた明かりが照らした。
 「なんでしょう?
 ミサのキャンドルにしては、明るすぎませんか?」
 不思議そうに言うと、彼だけでなく、この階にいた全兵士が窓辺に寄る。
 ―――― 途端、
 「火事だ――――――――!!!!」
 「火事だぞ!!外が火事だ!!」
 大声をあげる兵士達に、すかさずアレンが声を放った。
 「きっと、ミサのキャンドルが燃え移ったんだ!!
 城主様に報告して、ご家族や領民を避難させて!!」
 「しかし火を・・・!」
 「避難が先でしょ!!
 火はあとでも消せるから!!」
 言いかけた兵士に怒鳴り返し、アレンは真っ直ぐに階下を示す。
 「行って下さい!
 捕虜は僕が監視して、火が迫ったら連行しますから!」
 「しかし・・・!」
 「いいから早く行って!!
 家族がミサに参加してんじゃないの?!」
 言われて、顔を強張らせた兵士達が次々と階段を駆け下りていった。
 「鍵を!!」
 放り投げられた鍵束を受け取り、アレンはにんまりと笑う。
 「がんばってね」
 忍び笑いをしながら、アレンは兵士達の足音が去るのを待った。
 やがて、受け取った鍵でドアを開けると、濃厚なワインの香りが漂ってくる。
 「・・・・・・お迎えにあがりました、我が君」
 匂いだけで酔いそうになりながら、アレンは傲岸不遜な姿で彼を迎えた王の前に跪いた。


 「俺を出すために火を放つなんて、お前も悪党になったもんだ」
 火事で大騒ぎの城内を平然と歩きながら、ふてぶてしく笑う王の半歩後ろに従って、アレンが俯いた顔を不満げにしかめた。
 「火事に見えるだけで、単なる焚き火ですよ。
 ラビが風の計算もしてくれてますから、燃え広がることもありません」
 きっぱりと言うと、なぜか王はつまらなそうに鼻を鳴らす。
 「どうせなら、この城を焼き落とすくらいの勢いでやりゃあいいのによ」
 「無茶言わないでください・・・」
 この王が丸焼きになればどれほどすっきりするだろうかと、アレンはますます顔をしかめた。
 「・・・ところでリチャード陛かひょんっ!!」
 振り向きざま額を弾かれて、アレンが奇妙な声をあげる。
 「なっ・・・なにすんですか、いきなり!」
 抗議の声をあげると、容赦ない力で鼻をつままれた。
 「ふみゃああ!!」
 「バッカお前、偽名で呼べっつっただろうが!
 クロスだクロス!!」
 低い声で脅され、乱暴に突き放されたアレンが、紅くなった鼻を泣きながら撫でる。
 「じゅ・・・十字軍にいたからって、そんな安直な偽名使うからすぐに見つかって捕まったんじゃないですかぁ・・・!
 もっとひねればよかったのに・・・!」
 「あんだと?
 なんか文句あんのか、この小僧が!」
 「ふみゃー!!みゃー!!!!」
 また鼻をつままれて、アレンが可哀想な泣き声をあげた。
 と、混乱する城内で二人を探していたラビが、呆れ顔で駆け寄ってくる。
 「なに遊んでんさ、二人とも!
 早く逃げなきゃさ!」
 言うや王・・・今はクロスに粗末なローブを渡した。
 「・・・こんなダッセーの、着たくねぇ」
 「言ってる場合さ?!」
 つい、大声をあげてしまい、ラビが慌てて口を覆う。
 「と・・・とにかく、今だけですから!
 逃げおおせたら好きな服着てくれて構いませんから!」
 言ってアレンは、自分のはるか上にあるクロスの頭にフードをかぶせた。
 「ちっ・・・」
 不満げに舌打ちしたものの、それ以上文句は言わずに歩を進めた彼の背後で、二人はほっと胸を撫で下ろす。
 「なにしてんだ!
 とっとと行くぞ、ゴラ!!」
 傲岸不遜の王に怒鳴られた二人は、不満を抱えながらも慌ててついて行った。


 ―――― 誰の歌声か、聖堂に美しい声が響いている。
 それは人に聞かせるための歌ではなく、神の威光を称えるための歌だった。
 夜を徹して行われるミサの一部に過ぎないが、それを行う場所と歌い手の身分には大いに意味がある。
 場所は神聖ローマ皇帝の居城、そして、歌い手は皇帝の姉だった。
 人前に出ることをひどく恥ずかしがる彼女のために、今、聖堂には誰もいない。
 すると普段は話し声さえささやかな彼女の声が、凛と響き渡った。
 ただ祭壇と向かい合い、主のためだけに歌い続ける。
 楽しげな彼女の頬は上気し、白い指先が聖書の文字を辿って、三篇目の歌を歌い終えた。
 聖堂内に反響する声がひっそりと消える・・・。
 その様に満足げに微笑んだ彼女のページをめくる手が、不意に取られた。
 「なっ・・・?!」
 振り返るや、目の前が真っ赤に染まったかのような赤毛に目を奪われる。
 「だ・・・誰・・・?!」
 震え声をあげると、彼は不敵に笑った。
 「思った以上に美人だ」
 「は・・・?」
 訝しげな顔をした彼女を、彼は軽々と抱き寄せる。
 「囚われのイングランド王だ。
 お前がミランダか?」
 信じられない行為と言葉に、ミランダが口も利けずにいると、二人の少年達が転がるように駆け寄ってきた。
 「ちょっ・・・なに神様の前で不埒な行いに及んでんですかっ!!ばち当たりますよっ!!」
 息を切らして言う白髪の少年の隣で、赤毛の少年も大きく頷く。
 「皇帝殴りに行くっつったじゃん!
 なんで姉さんにセクハラしてんさ!」
 「うっせぇよ、ガキども!
 ハワードのヤロウを殴ったら、こいつと一緒に皇帝の位を奪ってやるんだよ。
 なんたって神聖ローマ皇帝の位は、ミランダの夫に与えられるんだからな!」
 今の皇帝に子はなく、ゆえに彼が死ねばドイツ国王の位は兄弟が継ぐことになっていた。
 しかし、神聖ローマ皇帝の位は男子にのみ相続されるとの決まりがあるため、皇位はドイツ国王、もしくは女王の夫が継ぐことになる。
 「あんた・・・最初っからそれが狙いで捕まったんじゃ・・・!」
 呆れ顔のラビに、王は不敵に笑った。
 「オーストリアにはまだ、皇位継承権はねぇからな」
 にやりと笑って、彼はミランダの細い顎に指をかける。
 「そう言うわけだ、囚われの姫。
 俺の妻になれ」
 あまりにも傲慢な態度に、ミランダが激怒するだろうと思った二人の予想はしかし、あっさりとはずれた。
 「無理です。
 私はもう、結婚していますから」
 淡々と放たれた声に、王の顎が落ちる。
 「・・・いつの間に?!」
 「えぇと・・・10歳の時だったかしら?」
 生真面目に答えた彼女に、王はほっと吐息を漏らした。
 「なら『白い結婚』じゃねぇか!
 まだ離婚できる!」
 「いえ・・・私もう、25ですから。とっくに普通の夫婦です」
 放して、と、軽く叩かれた腕が、がくりと落ちる。
 「じゃあ無理矢理・・・」
 手段がないわけじゃない、と、とんでもないことを言い出した王に、ミランダは苦笑した。
 「それもやめてください。
 今、三人目を妊娠して6ヶ月なんですから」
 ほら、と、ローブに覆われた腹部を見せたミランダの、あまりにも見事な切り返しに、少年二人は思わず拍手する。
 そんな彼らを、ミランダは愛情深い目で見遣った。
 「ちなみに上は二人とも男の子ですから、後継者の件はご心配なくv
 悪気なく止めを刺された王が、忌々しげにミランダを睨む。
 「・・・その細い身体でよくもまぁポロポロ産むな・・・」
 「おかげさまで、親類一同からお褒め頂いていますv
 素直に誉め言葉と受け取った彼女が微笑み、再び祭壇に歩み寄った。
 「ところで囚われの陛下」
 子供のように無邪気な笑みを浮かべて、ミランダは供物の皿に手をかける。
 「お出になってはいけませんわ」
 にこりと笑った彼女の手が翻り、床に叩きつけられた皿が聖堂中に破壊音を響かせた。
 途端、
 「姉上?!」
 聖堂の外で彼女の歌を聞いていた皇帝が、真っ先に駆けつける。
 「リチャード!!
 貴様、姉上になにをした?!」
 姉の傍に危険な男を見つけ、激怒した皇帝に呼び込まれた大勢の兵に一瞬で囲まれた王は、再び囚われの身となった。


 「・・・・・・ちょっと待て。
 今、なんと言った?」
 自国の宮殿で、信じがたい報告を受けたフランス王は、神聖ローマ皇帝からの使者に問い返した。
 「はい、我が主は、これ以上イングランド王の身柄を預かりかねると」
 「あいつの贅沢が原因か?!」
 思わず声を荒げた彼女の前で、使者は身を縮める。
 それを肯定と受け止め、クラウドは舌打ちした。
 「あいつ・・・ハワードの所でも曲がった性格が治らなかったのか・・・!」
 彼女の幼馴染でもある彼は、身分こそイングランド王ではあるが、実は生まれも育ちもフランスであるため、無駄に舌が肥えている。
 更には長い東方生活で、余計な知識を増やしてきた。
 あちらの王を真似たか、贅沢三昧の姿はとてもではないが、キリスト教の庇護者にふさわしい姿ではない。
 それは十字軍からの帰還中、イングランド国土を争っていた彼女の要請で一度は彼を捕らえたオーストリア公が、あまりの傍若無人さに手を焼いて皇帝に押し付けたほどだった。
 「・・・皇帝に伝えてくれないか。
 奴の生活費なら私が払ってもいいから、なんとか捕らえたままでいて欲しい、と」
 国庫を揺るがすことになるかもしれないが、と、痛む頭を抱えた彼女に、しかし、使者は首を振る。
 「なぜだ!!」
 大声をあげると、長い間逡巡していた彼が、ようやく口を開いた。
 「あの・・・我が主の言葉を、そのままお伝えしてもよろしいでしょうか」
 それが一番手っ取り早い、と判断したらしい彼に、クラウドが戸惑いながらも頷いた途端。
 「我が王家には、穢れなく美しき姉上がおられるのです!
 あのケダモノが触れるだけでもおぞましいのに、それ以上の何かがあってからでは遅いのですよ!
 姉上のお身の安全のためにも、彼は断固として追い出します!!」
 ハワードの生霊が乗り移ったかのような激しい声に、クラウドは唖然とした。
 「あの・・・わかっていただけましたでしょうか・・・・・・」
 再び身を縮めた使者の姿に、クラウドは詰めていた息を吐く。
 「あぁ・・・。
 とうとう悪魔が解き放たれるのか・・・・・・」
 仰いだ天はどんよりと曇って、彼女の運命を呪っているかのようだった。


 フランスの宮殿で王が絶望の淵に沈んでいた頃。
 神聖ローマ皇帝の居城では、既にイングランド王解放の手はずが整えられようとしていた。
 しかし、
 「15万マルク?!
 たかっ!!!!」
 身代金として要求された金額に、アレンは絶叫する。
 が、
 「俺の身代金にしちゃ安いくらいだ。
 文句言うな」
 この期に及んでさえ傲岸不遜の王は、偉そうにふんぞり返った。
 「お前、国に帰ってこのことを伝えろ。
 英雄に帰ってきて欲しけりゃ、このくらいポンと払いやがれってな」
 「なに威張ってんですか、あんたっ!!
 これ、助けてくださいお願いしますって、土下座する金額ですよ?!」
 国が買える!と、騒ぎ立てるアレンの鼻を、王が容赦なく摘む。
 「いいから行って来いやクソガキ!!
 英雄王を帰還させてピンチの国を救ってもらおうキャンペーンはって来い!」
 「みぎゃあああああああああ!!!!」
 乱暴に突き飛ばされて、アレンが激しい泣き声をあげた。
 「なっ・・・なにが英雄王ですか・・・!
 あんた即位してから6ヶ月しか国にいなかったって、覚えてます?!
 いた間だって、政なんか全然しないで軍資金集めて、とっとと十字軍に参加しちゃったじゃないですか!
 宮廷じゃ、英語も話せない王様だってみんな言ってますよ?!」
 「だからなんだってんだ?
 国を奪われようかって時だぜ?!戦が強けりゃ文句ねーだろが!!」
 いいから行け、と蹴り出されて、アレンが泣き声をあげると、薬を届けるという名目で来てくれていたジェリーが駆け寄ってくる。
 「アラアラ、アレンちゃん!
 乱暴にされて可哀想にねぇ・・・」
 真っ赤になった鼻を撫でてやると、しゃくりあげていたアレンがなんとか泣きやんだ。
 「ジェリーさぁん・・・僕、国に帰らなきゃならなくなりました・・・・・・」
 治療途中だが、王命では仕方がないとぼやくアレンをジェリーは気遣わしげに見つめる。
 「こんな状態で帰したくはないんだけどぉん・・・」
 頬に手を当て、困惑げに首を傾げた彼女が、肩越しに窓の外を見遣った。
 「教会でラビが・・・なんだかものすごい勢いで、治療方法の載った本を読んでるのん。
 質問をされた修道士が、あの子なら間違いないとは言ってたんだけどぉん・・・治療の続きは本当に、あの子に任せちゃっていいのん?」
 やっぱり残れと、言外に言う彼女にアレンは頷く。
 「ラビは、今は吟遊詩人やってますけど、本当はおじいちゃんの後を継いで学者になる人なんです。
 きっと大丈夫ですよ」
 安心させるように言うと、ジェリーは苦笑して頷いた。
 「気をつけて帰るのよん?
 ・・・アレンちゃんには、せっかくの復活の日曜日が、受難の日曜日になっちゃったけどぉん」
 うまい言いように、アレンは思わず笑ってしまう。
 「きっと戻ってきます。
 だからジェリーさん、あの・・・・・・」
 顔を紅くして声を詰まらせたアレンに、ジェリーは優しく微笑んだ。
 「リナリーのコトね?」
 「はい!
 あの・・・僕が無事にイングランドに帰れば、きっと廃嫡を取り消してもらえるんです!
 それに、王の解放に尽力すれば・・・たぶん・・・あんまり期待は出来ないけど・・・あの唯我独尊王も褒賞くれるかもしれないし・・・」
 暗い予想をしてしまって、沈んだ気分をアレンはなんとか持ちあげる。
 「だからっ・・・!
 僕が帰ってくるまで、リナリーに縁談が来ないようにしてください!
 もし来ても、潰してください!!
 絶対僕が迎えに来るから!!」
 一息に言い切って、肩で息をするアレンにジェリーが笑みを深めた。
 「待ってるわよんv
 「はい!!」
 大きな声で返事をするや、駆け出したアレンの背に、春の陽が差す。
 「今日がご縁復活の日になりますように・・・v
 アレンを嬉しげに見送ったジェリーの背後で、王が忌々しげに舌打ちする音がした。


 アレンが教会へ駆け込むと、目ざとく見つけたリナリーが駆け寄って来た。
 「アレン君!
 イースターおめでとう!」
 飛びついて来たリナリーをなんとか受け止めたアレンは、目を丸くする。
 「お・・・驚いた・・・」
 「ウサギみたいでしょv
 言われてみれば確かに、彼女の跳躍力は並ではなかった。
 「よっし!
 次はユウを驚かせよう♪」
 くるりと踵を返し、飛んでいこうとする黒ウサギをアレンは引き止める。
 「なぁに?」
 振り返ったリナリーを、そのまま抱きしめた。
 「ア・・・?」
 「リナリー、僕の本当の名前はね・・・」
 そっと囁かれたフルネームに、リナリーは大きな目を丸くする。
 「じゃ・・・じゃあ、アレン君てもしかして・・・・・・!」
 声を詰まらせるリナリーに苦笑して頷き、染まった頬にキスをした。
 「すぐに戻ってくるから・・・それまでに、一旦白紙になった縁談のこと、考えててね。
 きっと復活するから」
 キリストのように、と、アレンがいたずらっぽく笑う。
 「じゃ!」
 未だ呆然とするリナリーに手を振り、踵を返したアレンはラビを探して教会を駆け回った。
 イングランドに戻り、王を解放し、そして・・・!
 頬を上気させたアレンの跳ねる鼓動をからかうかのように、足元に咲いたクローバーが風に揺れてざわめいていた。



Fin.


 










2011年イースターSSでした!
これはリクエストNo.34の『貴族パロ(アレリナ)』を使わせてもらっています。
『貴族』がどの国のどの時代がいいかってのはリクになかったので、思いっきり中世騎士物語を書いてみました(笑)
作中に出てくる『獅子心王』はイングランドのリチャード1世のことで、たぶん師匠みたいな性格破綻者じゃありません(笑)
フランスのフィリップ尊厳王ももちろん女王じゃありません(笑)
神聖ローマ皇帝はハワードさんじゃなくてハインリヒさんです(笑)
まさか信じる人はいないと思いますけど念のため(笑)
ちなみにハインリヒさんは神聖ローマ皇帝であると同時にドイツ王です。
混乱しちゃった人のために、思いっきりざっくり言うと、『神聖ローマ帝国』は今で言う『EU』です。>ざっくり言いすぎだ!!
EUは神聖ローマ帝国に含まれない国もたくさんありますし、統一通貨があったわけでもないので、全く同じとはいえませんが、多くの別々の国が、とりあえず一つにまとまっとこうか、って体制だと思ってください。>絶対なんか違う!
それぞれの国に王様(首相や大統領)はいるけど、本部(今はベルギーのブリュッセル)とその委員長(昔で言う皇帝)もいるよ、ってコトです。>それでいいのか説明?!
帝位がオーストリアのハプスブルク家に移った時代、マリア・テレジアが女帝になった際は、『オーストリア女帝はマリア・テレジア、しかし神聖ローマ皇帝は夫(婿養子)が継承する』形になっていました。
絶対に男性じゃないといけなかったみたいです。>だからミランダさんみたいな立場に置かれる人もいます。
彼女はこの時、出産のために実家に戻ってるだけで、普段は母親の領地を継いで、のんびり子育てしているという設定。
うん、ちゃんと書いとけと。
情報はほとんどウィキで歴史と人物の並べ読みですので、色んなところ勘違いがあるかもしれませんが、そこはスルーでよろしくお願いします(笑)
フィクションとして楽しんでいただけると幸い。












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