† Metamorphose †







 ―――― 俯かなくなったな、と気づいたのは、彼女が入団して何ヶ月も経ってからだった。


 入団当初は、こんな怪しい場所に連れてこられて緊張しているのだろう、と思っていたが、誰とも目を合わせようとせず、おずおずと上目遣いをしては人の顔色を窺うような態度に、とても内気な性格なのだと気づいたのは不覚にも、リーバーに言われてからだった。
 「そうかー・・・!
 俺、人間観察得意だと思ってたのに、気づきませんでした・・・」
 ジョニーが肩を落とすと、彼の提出した書類をチェックし終えたリーバーが、ちらりと笑う。
 「慢心だな。精進しろ」
 あっさりと言われて、ジョニーは大真面目に頷いた。
 「じゃあ、対応を考えなきゃっすね。
 みんなと同じように話しかけたら彼女、口ごもって困った顔する上に最後は逃げちゃうんで、なんでだろ、って思ってたんすよね」
 「・・・どうせお前、団服作るからサイズ測らせろって、遠慮もなんもなく追いかけたんだろ。
 真っ当な家庭で育ったレディなら、男にそんなこと言われて逃げない方がどうかしてるぜ」
 リーバーの呆れ口調にジョニーはしばらく沈黙した後、
 「あぁっ!!!!」
 と大声をあげる。
 「ダメなんっすね!!」
 「今気づいたのか!!」
 「だって、ここじゃフツーにやってたし・・・!」
 途端に吹きだした汗を拭うことも出来ず、ジョニーは耳まで真っ赤にした。
 その様にリーバーは苦笑する。
 「ここで育ったリナリーや、お前と同国人のクラウド元帥と一緒にするなよ」
 「そう・・・すね・・・!」
 言われて見れば当たり前のことで、ジョニーは止まらない汗を必死に拭った。
 「き・・・嫌われちゃったかな、俺・・・!」
 悄然とうな垂れたジョニーに笑い、リーバーはチェック済みの書類で彼の額を軽く叩く。
 「嫌われてはいないみたいだぜ。
 ただひどく困っていたから、ミランダの採寸は被服係にやってもらうことにしよう。
 後で俺から言っとくよ」
 「はい・・・」
 頷いたジョニーは、ふと、顔をあげた。
 「彼女、班長にはそゆこと相談するんすか?」
 「わざわざ言うワケないだろ。
 気づかないお前が迂闊なんだよ」
 「・・・・・・・・・・・・はい」
 自信を持っていた人間観察でさえ負けた、と、ジョニーは優秀すぎる上司の前でまたうな垂れる。
 年はほとんど違わないのに、彼と自分の間には越えられない壁があるように思えて、また落ち込んだ。
 「ホントに・・・精進しなきゃ・・・・・・」
 暗く呟くと、俯いた視線の先にリーバーが書類を差し出す。
 「全くだ。
 ミス、53ヶ所もあったぞ」
 あっさりと言われて、ジョニーは立ったまま屍と化した。


 「〜〜〜〜俺と話しながら53ヶ所も間違い探ししてたんだよ、班長!
 毎年2ヶ月間はあの人と同じ年になるのに俺、全然班長と同じレベルに達してないよ!!!!」
 えぐえぐとしゃくりあげるジョニーに苦笑したタップが、慰めるように彼の背中を叩いてやった。
 「班長はそれだけ苦労も努力もしてんだよ。
 あの人の域に達するには、それがもうちょっと足りないだけさ」
 「もうちょっと・・・かなぁ・・・!」
 「だいぶ・・・・・・かな」
 涙目のジョニーに縋られたタップが、気まずげに言い直す。
 「とにかく、早くあのレベルに達したいんならコレ、さっさと直せよ」
 デスクの上に積まれたままの書類を丸い指で指し、苦笑するタップにジョニーは力なく頷いた。
 「・・・タップは班長より年上なのに、あのレベルに達してないもんなぁ」
 「うっせこのデコッパチ!!」
 「ぎゃふっ!!」
 額を思いっきり弾かれて、ジョニーがひっくり返る。
 「なにすんだよ!!」
 「言っていいことと悪いことがあるだろっ!」
 肉の厚い頬を更に膨らませて、タップはジョニーを見下ろした。
 が、
 「ホントのことじゃんか」
 ジョニーがむくれて、反抗的に言ってやると、丸い指が彼の頬を思いっきり引き伸ばす。
 「いひゃいいひゃいいひゃい!!!!」
 「俺は大器晩成型なんだよっ!!」
 努力はしてんだ、と、口ごもる彼の魔の手から何とか逃れ、ひぃひぃと泣きながら床を這って逃げたジョニーは、並んだデスクの下を潜り抜けようとして動きを止めた。
 背後では、タップが自分を探す声がしていたが、無視して彼女が通り過ぎるのを待つ。
 ―――― いきなり出てって驚かせたら、ホントに嫌われるかもしんないし・・・。
 と、目の前を過ぎるミランダを息を潜めて見つめていると、消え入りそうな声が遠慮がちにリーバーの名を呼んだ。
 ―――― あれ?
 その声がとても優しく聞こえて、ジョニーは意外に思う。
 ―――― なんか違う。
 そう思ってよくよく見れば、ジョニーの前ではいつも俯き、緊張に震えながら小さな声で必要最低限のことだけを答えるミランダが、とてもリラックスした表情でリーバーを見あげていた。
 ―――― 背筋が伸びて気道が開いた上に、口角が上がっているからあの声か。
 と、人体の構造的に納得した次の瞬間、ジョニーはきゅっと眉根を寄せる。
 ―――― ・・・身長でも負けてるのは知ってるけどさ。
 納得しがたい顔で、ジョニーは床に頬杖をついた。
 ―――― なんで班長には笑顔なんだよ。
 そこは人体の構造ではなく精神状態の問題だ。
 そっと周りを見渡したジョニーは、ミランダの立ち位置がちょうど棚や積み上げられた書類の影になって、科学班スタッフ達の目に触れない場所なのだと気づいた。
 ―――― つまり、ここじゃあ班長にだけ見せる笑顔ってことか。
 内緒話のように小さな声でリーバーに囁く度、嬉しそうに頬を染めるミランダを見遣ったジョニーは、なんだかつまらなくなってデスク下のトンネルを戻る。
 と、
 「あ!出てきた!!」
 腹囲がデスクの幅を上回るため、追いかけられなかったタップがジョニーをつまみあげた。
 「お前、よくも・・・・・・どした?」
 さっきとは違う意味で元気のないジョニーをぶら下げたまま、タップは首を傾げる。
 「・・・なんか色んな意味で自信なくした」
 ぼそぼそと呟くジョニーを不思議に思いつつ、タップは彼をデスクに戻してやった。
 「お前も大器晩成型だと思えばいいよ」
 「そう思えればいいけど・・・俺なんか、アキレスと亀のアキレスだよ・・・。
 きっといつまでも追いつけないんだ・・・・・・」
 悄然と言えば、タップは嫌にきっぱりと首を振る。
 「それは絶対に違うな!」
 「タップ・・・!」
 目に涙を浮かべて見あげると、タップは大きく頷いた。
 「お前が亀で、班長がアキレスだ!」
 励ますにしても畏れ多い言われように、ジョニーは顔を赤らめる。
 「そんな・・・!
 俺なんか、班長のずっと後ろにいるし・・・」
 「もちろんだろ!
 この場合、先の地点にいるのはアキレスさ!」
 「死んでも追いつけないじゃんかああああああああああああああ!!!!」
 励ますと見せかけて思いっきり貶めてくれたタップの腹に顔をうずめ、ジョニーは大声で泣き喚いた。


 『ど・・・どうしたんでしょう・・・?!』
 荷物置きと化したデスクの向こうで大きな泣き声があがった途端、ミランダは怯えて身を縮めた。
 が、リーバーは軽く手を振って『気にするな』と笑う。
 『さっき、容赦なくミスを指摘してやったから、落ち込んで泣いてんだろ』
 今まで何度も見てきた光景だと、リーバーは意地悪く笑みを深めた。
 『お・・・お気の毒に・・・・・・』
 気遣わしげに呟くと、リーバーがにんまりと笑う。
 『人事みたいに言ってるが、もしかしたらミランダのせいかもな』
 『わっ・・・私ですか?!』
 慌てふためいた彼女の、赤面する様子が面白いとばかりにリーバーが笑い出した。
 『さっきあいつ、お前に嫌われてんじゃないかってへこんでたぜ?』
 わざと大げさに言ってやると、ミランダは大慌てで手を振る。
 『ち・・・違うんです・・・!
 私、その・・・まだ早口の英語が聞き取れなくって・・・』
 気まずげに口ごもった彼女は今、母国語のドイツ語で彼と話していた。
 自身の意思で来たとは言え、想像以上に怪しげな教団に連れてこられて緊張していたミランダは思うように英語が理解できず、ずっと困っていたのだ。
 そんな中、リーバーが『二人の時だけ』と言う条件付で、ドイツ語の使用を許可してくれた。
 『本当は、情報の隠蔽や派閥化を防ぐために、英語以外を使うなって決まりがあるんだが、慣れるまでは仕方ないだろ』
 『すみません・・・。
 せめて、お仕事に必要な会話くらいは、ちゃんとお話したいんですけど・・・』
 そうは思うがしかし、ジョニーはミランダから見ればひどく早口な上、アレンやリナリーとはやや違うアメリカ英語で、細かい違いなどを理解するのに時間がかかる。
 『そうだな。
 あいつ、自分じゃ気づいてないみたいだが、思いっきりアメリカ訛りだからな』
 クスクスと笑って、リーバーはミランダの頭を撫でた。
 『一人で考え込んでないで、聞き返してやるといい。
 そしたらあいつも、お前がなんで困ってるのか気づくだろ』
 『はぁ・・・・・・』
 できるかしら、と、困惑するミランダに、リーバーが頷く。
 「大丈夫」
 明瞭な発音の英語で言った彼に、ミランダは口元をほころばせた。
 「はい」
 我ながらきれいに発音できた、と思って、恥ずかしげに頷く。
 「やってみます」
 こくりと、小鳥のように頷いた彼女の頭を、リーバーがまた大きな手で撫でてくれた。


 とりあえず採寸に行って来いと、リーバーに書いてもらった地図を手に、教団の複雑な回廊を巡ったミランダは、目的のドアを開けた途端、あふれ出した華やかな囀りに唖然とした。
 女性団員はほとんどいないと思っていたこの城で、ここだけは別世界のように女性で溢れている。
 小鳥の群れが囀るように騒がしい部屋へ、しかし、歩を踏み入れかねているミランダに気づいた一人が、笑って手招きした。
 「ミランダ・ロットー?」
 目尻に笑いじわのある中年女性に声を掛けられ、頷いたミランダは恐る恐る部屋に入る。
 と、大騒ぎしていた小鳥達の目が、一斉に彼女へ向けられた。
 びくっと震え、恐々と歩み寄って来たミランダに、この部屋の責任者だと言う女性は手を差し出す。
 「役職は被服縫製係の係長だけど、マザーでもママでもマンマでもママンでも、なんとでも呼んでちょうだい。
 本当は、妖精さんの方がいいんだけどv
 冗談めかして言った彼女の手を握り、ミランダはまだ慣れない英語で『よろしく』と呟いた。
 興味津々と見つめてくる小鳥達の目に耐え切れず、ミランダが身を縮めてしまうと、係長は笑って手を叩く。
 「ホラ、お嬢さん達!
 そんなにじろじろ見ちゃ可哀想でしょ!
 お仕事に戻りなさい!」
 その声で、小鳥達はまた囀りながら手にした布地を服に仕立てて行った。
 「ごめんなさいね、騒がしくて。
 女の子ばかりの職場だと、どうしてもこうなっちゃうのよねぇ」
 そう言う彼女こそおしゃべり好きな様子で、華やかな笑声をあげる。
 「じゃあ、早速採寸しましょうね!
 リーバー班長ったら、あなたにはずいぶん気を使ってるみたいね!
 つい最近まで一般人で、英語に慣れていないからって、私に色々頼みごとをしてきたんだけど、こんな美人だなんて一言も言わなかったのよ?
 きっと、下心があるって思われたくなかったんだわv
 でも、見え見えよね?そう思わない?」
 小鳥のように囀る係長に腕を取られ、試着室に連れ込まれながらミランダもまた、小鳥のように首を傾げた。
 「あの・・・係長さん、『ulterior motive』って、なんでしょう?」
 大真面目に聞き返された彼女は、クスクスと華やかに笑う。
 「そうね、ドイツ語じゃあなんて言うんだったかしら・・・ゾフィー!
 ドイツ語で『下心』って、なんて言うの?」
 通りがかった小鳥は問われるや、跳ねるように寄って来て、笑いながらミランダに囁いた。
 途端、真っ赤になって首を振る彼女にまた、係長がクスクスと笑う。
 「彼、頭いいし男らしいし、今時珍しいお勧め物件だから、がんばってね!」
 キラキラと目を輝かせて背中を叩く力が意外に強くて、ミランダが咳き込んだ。
 「あらごめんなさい!
 じゃ、そろそろ本当にお仕事しましょうね!
 そこに立って!」
 鏡の前に立たされたミランダが、背を丸くする。
 「そんなんじゃ採寸できないわ!
 背筋伸ばして!」
 「は・・・はい・・・!」
 すっかり彼女のペースに呑まれたミランダは、戸惑いながら小鳥達のリーダーとのおしゃべりにつき合わされた。


 「それでこんなに時間かかっちゃったのん?」
 食堂のカウンターにもたれて、厨房の中からジェリーがクスクスと笑う。
 「あのヒト仕事はできるんだけど、なんたっておしゃべりだから時間がかかるのよねぇv
 でも悪口とか、イヤなおしゃべりはしないから、安心してv
 「えぇ、それはもちろん・・・」
 ミランダが頷くと、ジェリーは軽く肩をすくめた。
 「最初っから、全部うまくやろうなんて思わないでねん。
 こうやって徐々に、みんなと仲良くなっていけばいいんだからんv
 言われて、ミランダは頬を染める。
 入団初日、とにかく早く馴染まなくてはと、通りすがる団員達に話しかけては仕事の邪魔をして、邪険に扱われていたミランダを助けてくれたのはジェリーだった。
 自身も忙しい身であるのに、しばらく話につきあってくれて、『時間が空いたらいつでもいらっしゃいv』と、気さくに言ってくれたことが、ミランダの気を少し、ほぐしてくれたのだ。
 その上最近は、言語学者でもあるというリーバーが、公には出来ないが、流暢なドイツ語でフォローしてくれるので、理解しにくかった教団のシステムなども段々とわかってきた。
 「昨日も、ずっとたどり着けなかった病棟に連れて行ってもらって助かりましたv
 回廊が複雑でわからなかったから、と苦笑すると、ジェリーは腰に手を当て、大きなため息をつく。
 「昨日はホント、びっくりしたわぁ・・・!
 アタシ、ここに来て結構長いんだけどん、ヘブちゃんがあーんなに慌てふためいたの見たのは初めてよん」
 「あ・・・あれは・・・ちょっとがんばりすぎちゃって・・・・・・」
 早く役に立ちたいからと、自身の能力を高めるべく訓練に打ち込むミランダのストイックさは尋常ではなく、ヘブラスカがいくら止めても聞き入れずに昨日はとうとう倒れてしまった。
 いや、倒れてしまうだけなら、今までにもよく見た光景なのだが・・・。
 「一時心肺停止って、すっごいことなのよ、アンタ!
 一旦死んじゃったってことなんですからねぇ!」
 「え?!
 そうなんですか?!」
 今初めてその事実に気づいたらしいミランダに、ジェリーは呆れた。
 「・・・ヘブちゃんが声まで真っ青にして助けを求めてきたもんだから、医療スタッフだけじゃなく、科学班まで飛んでったのよん?
 アンタを病棟に運んだリーバーが、血相変えてコムたんに電話してたものん・・・」
 「えぇ、それで・・・今日は室長命令で、訓練がお休みなんです・・・」
 「・・・訓練で死なれちゃ困るのよん・・・・・・」
 口ごもるミランダにジェリーは、またもや大きなため息をつく。
 「すみません・・・。
 そんな大事になっていたなんて、思わなくて・・・・・・」
 ミランダは真っ赤になった頬を両手で挟み、恥ずかしげにうな垂れた。
 「ホントに・・・無事でよかったわんv
 せっかく仲間になってくれたんですもの、出来るだけ長く一緒にいたいものねんv
 微笑んで、俯いたままのミランダの頭を撫でたジェリーは、頬に添えられた彼女の手を軽く叩く。
 「じゃあ、お礼も兼ねて一緒に行く?
 今からアタシ、科学班にお夕飯届けに行くのんv
 「あ・・・はい!」
 ミランダが嬉しそうな顔をあげると、ふと瞬いたジェリーが笑みを深めた。
 「いい関係を築けているようで、なによりだわんv
 「は・・・?」
 ジェリーの意味深な笑みを不思議そうに見上げて、ミランダが首を傾げる。
 「なんでもないわよんv
 早く行きましょぉv
 「はいv
 厨房から出て来たジェリーに頷き、ミランダはシェフ達が用意した大きなワゴンを押しながら彼女について行った。


 この日も科学班はひどい喧騒で、世界中から集められたスタッフ達が謎の言葉を喚き散らしながら行き交っている。
 だがそんな騒々しい室内でもなぜか、ミランダはリーバーの姿をすぐに見つけることができた。
 今まで見たこともないような分厚い本に囲まれて、特製かと思う大きなノートに凄まじい勢いでペンを走らせている。
 ミランダが声をかけようか迷っていると、先に分厚いメガネをかけたスタッフがリーバーへ声をかけた。
 「アララ。
 声をかけ損ねちゃったわねんv
 クスクスと笑われたミランダは、真っ赤になって首を振る。
 と、
 「ちょっとごめんねー・・・・・・」
 力のない声を漏らしつつミランダを押しのけ、ふらふらと科学班に入ってくる者がいた。
 「アラん、コムたんおかえりぃv
 元気ないわねェ・・・ジャイアントケルプみたいよ?」
 長身をゆらゆらと揺らめかせる様がそっくりだと、ジェリーはクスクスと笑う。
 が、言われた当人はおぞましげに眉根を寄せ、じっとりとジェリーを睨んだ。
 「ジェリぽん・・・今のボクに海の話なんかしないでおくれ・・・・・・!
 船の揺れを思い出しただけで・・・!」
 真っ青になって口を覆ったコムイに、ジェリーが肩をすくめる。
 「ホンット、お船に弱いわねェ、コムたんったら!
 そんなんでよく欧州まで来れたもんだわ!」
 「清と欧州は陸続きですぅ!
 ここだけが離れちゃってんだよ・・・!
 なんで最後の交通手段が船なんだ・・・・・・うぷっ!」
 えぐえぐとしゃくりあげるコムイに苦笑し、ジェリーは軽く彼の背中を叩いてやった。
 「後でお粥でも持ってきてあげるから、水分補給してなさいよ」
 「うん・・・コーヒーあるかなぁ・・・・・・」
 よろよろとデスクに向かったコムイをミランダが気遣わしげに見ていると、リーバーが通りすがりの彼に声をかける。
 「お疲れ様っス室長。
 早々なんですけど、吸血鬼伝説って記憶にあります?」
 「・・・なんですか、もう仕事ですか、鬼のリーバー君」
 よろよろと飲料スペースに歩み寄ったコムイは、空のコーヒーポットを取って悲しげに眉尻を落とした。
 「リーバー君、ボクのコーヒー・・・」
 「今、手が放せません」
 非情に言い放ったリーバーに、駄々っ子のようなコムイのヒステリーが炸裂する。
 「ボクはコーヒーがないと仕事できないんだああああああああああああ!!!!」
 「あああああああああああああああああ!!!!
 なにすんだこの巻き毛室長おおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 精密に組み立ててきた化学式を一瞬でだめにされ、リーバーが負けじと声を張り上げた。
 「あーぁ。
 しょうがないわねぇ、あの子達ったらん」
 大喧嘩する二人に歩み寄ったジェリーは、両手でコムイとリーバーの襟首を掴み、引き離す。
 「コムたん!
 コーヒーなら持ってきてるから、騒がないのん!
 リーバー!
 ミランダが怯えるから喚かないでん!」
 途端におとなしくなった二人がそれぞれのデスクへ戻って行くと、周囲から拍手が沸いた。
 「さすが料理長!
 影のNo.1!!」
 「今日もおいしいご飯をありがとっすーvvv
 寄せられる賛辞に機嫌よく頷き、ジェリーは大きなワゴンを押して部屋の真ん中に止める。
 「さーぁv
 ごはんよ、みんなv
 取りにいらっしゃーィv
 雛鳥のようにわらわらと寄って来るスタッフ達に次々と皿を渡すジェリーの隣で、ミランダもこぼさないように、落とさないようにと緊張しながら差し出された手に皿を渡して行った。
 ややしてほとんどの皿がワゴンから消えた頃、
 「ミランダ、そのボックス、リーバーに届けてあげてんv
 ジェリーが指した箱を、ミランダが取り上げる。
 「お皿じゃないんですね・・・」
 ランチボックスに夕食を入れるのか、と、不思議そうなミランダにジェリーが頷いた。
 「あの子、今日はお皿を並べる余裕がないみたいだからねんv
 そう言ってジェリーが指した先では、再び分厚い書物に囲まれたリーバーが、凄まじい勢いでノートに謎の記号を書き連ねている。
 「多分、気づかないだろうけどしばらくお世話してあげてv
 「はぁ・・・」
 なんの世話だろうかと、不思議に思いながらミランダは、書物や実験器具の散らばった床を、慎重に足場を選びながら進み、リーバーのデスクに至った。
 「リーバーさん・・・あの・・・お夕食・・・・・・!」
 たった2〜3mの距離を移動するのに気力を使い果たし、ミランダが肩で息をする。
 と、リーバーは無言でデスク右側の書物を押しのけ、わずかなスペースを開けた。
 ここに置け、と言うことだろうかと思って、ミランダがボックスを置く。
 途端に伸びてきた手が箱に弾かれる前に、慌てて蓋を開けた。
 ランチボックスを見もせずにサンドウィッチを掴み、口に運びながら左手では相変わらず凄まじい勢いで数式を書き込んでいく様を唖然と見ていると、再びボックスに手が伸びて、探る仕草をする。
 「こ・・・これですか・・・?」
 カップに入った飲み物を渡してやると、無言で受け取り、あっと言う間に空にした。
 感心はするが、不健康極まりない食事風景に困惑したミランダが、肩越し、ジェリーを見遣ると気づいた彼女も肩をすくめる。
 「いつものことよん」
 躾を諦めた、と、苦笑する彼女にミランダも苦笑を返した。
 ややしてランチボックスが空になってしまうと、早くどけろと言わんばかりに手を払う。
 「あ・・・はい・・・!」
 慌ててボックスを取りあげると、そのスペースは再び本の領域になった。
 「あ・・・あの・・・・・・」
 ミランダの小さな声など聞こえないのか、ついさっきまでランチボックスのあった場所に広げた本のページを繰りつつ、ペンを走らせるリーバーはまるで、精密機械のようだ。
 呆然と見守っていると、ミランダの袖を引くものがある。
 「邪魔したら危険だよ」
 キレるから、と苦笑した彼は、珍しくゆっくりした口調で、ミランダに下がるよう言った。
 頷いたミランダが歩を引くと、彼はしばらく視線をさまよわせてから、大きく頷く。
 「どこから始めようかと思ったけど、もう最初っからでいいや!」
 大声で言われて、目を丸くするミランダの手を、彼はがっしりと握った。
 「俺、ジョニー・ギル!
 科学班スタッフで、団服の企画と作成もやってるからこれから結構やり取りがあると思うケド、できるだけ不便がないようにするからよろしく!!」
 新手の早口言葉か、と思う勢いでまくし立てられた英語に反応できず、ミランダは困惑げにリーバーを振り返り、彼が気づいてないと見ると一旦ジョニーを見てからジェリーを見遣ったが、彼女も配膳に忙しく、こちらを見ていないことに気づいて眉根を寄せる。
 「あの・・・・・・」
 誰も助けてくれない状況で、ミランダはおずおずと口を開いた。
 「なに?!」
 詰め寄られた分、歩を引いてミランダは小首を傾げる。
 「あの・・・もっとゆっくりと・・・できれば、クイーンズイングリッシュでお話してもらえれば・・・私もヒアリングできると思うんです・・・・・・」
 所々たどたどしい英語で言われたジョニーは、唖然と口を開ける。
 「え・・・ミランダ、英語聞き取れなかったの?!」
 「ゆっくり話してもらえれば聞き取れるんですけど・・・私、アメリカの方って初めてで・・・・・・」
 言外に訛っている、と言われて、ジョニーは口を開けたまま、呆然とした。
 「えっと・・・ジョニーさん?でいいのかしら・・・。
 ごめんなさい、お名前もよく聞き取れなくて・・・・・・」
 「そっ・・・そこから?!」
 愕然と顎を落とすジョニーにミランダは、散々迷った挙句頷く。
 「ご・・・ごめんなさい・・・・・・」
 「あ!ううん!!
 俺こそごめんなさい!!!!」
 先に謝られてしまい、我に返ったジョニーは慌てて首を振った。
 「ええとー・・・じゃあ、もう一回最初からだね」
 照れ笑いをして今度はゆっくりと、丁寧に自己紹介をしたジョニーに、ミランダがほっとした顔で頷く。
 「よろしくお願いします」
 「うんっ!!」
 ぶんぶんと、握ったままのミランダの手を振るジョニーの前で、その時、ゆらりと巨大な影が立ち上がった。
 「いつまで握ってんだ、てめぇは!!!!」
 「ぷぎょんっ!!!!」
 リーバーの強烈なデコピンを受けて、ジョニーが背後に吹っ飛ぶ。
 「班長!ひどいっす!!」
 突然の無体に抗議すると、恐ろしい目で睨まれた。
 「リナリーやクラウド元帥と一緒にすんなっつってんだろが!」
 ジョニーを叱り付けたリーバーは、困惑しておろおろと目をさまよわせるミランダに向き直り、肩をすくめる。
 「部下のマナー教育がなってなくてすまない。
 こいつには、欧州流の礼儀作法を叩き込んでもらうよ。
 料理長!」
 「はぁい?」
 呼ばれて振り返ったジェリーによく見えるよう、リーバーはジョニーの襟首を掴んで、猫のように吊り下げた。
 「これがレディに無礼を働かないよう、紳士教育してやってください。
 せめてアレンのレベルくらいにはなるように」
 「オッケーv
 両手を広げて頷いたジェリーに向け、ジョニーを放ると、リーバーは興味をなくしたようにデスクに戻る。
 「あ・・・あの・・・?」
 なにが起こったのだろう、と戸惑うミランダにリーバーは肩越し、にんまりと笑った。
 「再教育の機会をサンキュ」
 「さ・・・再教育・・・ですか・・・?」
 ジェリーの方を見れば、借りてきた猫のようにおとなしくなったジョニーが、無言で彼女に吊られている。
 「あいつ、テーブルに乗るわ食事中に騒ぐわ、何度言ってもガキっぽいマナー違反が直んなくてさ。
 なんか口実を見つけて料理長に引き渡そうと思ってたんだ」
 「あら・・・」
 クスクスと笑い出したミランダに、リーバーが表情を改めて頷いた。
 「レディが手を差し出すまでは、握手しちゃいけないってマナーすら知らないとは思わなかった・・・」
 呆れ口調で言うと、笑みを収めたミランダが、わずかに硬い表情で頷く。
 「いきなり手を取られて、びっくりしました・・・」
 この教団の流儀かとは思ったが、あまりにもミランダの知る常識とはかけ離れた行為に動揺せずにはいられなかった。
 きゅっと眉根を寄せてしまったミランダに、リーバーが表情を和らげる。
 「また誰かに無礼なことをされたら、遠慮なくおっしゃってください、姫」
 「あ・・・はい・・・!」
 冗談めかした口調で言われ、恥ずかしげに頬を赤らめたミランダの愁眉が開いた。
 「頼りに・・・しています」
 まだ不慣れな英語で正しく言えているか、不安げに見つめてくるミランダに、リーバーが大きく頷く。
 『おまかせを』
 『はい・・・!』
 ドイツ語で頼もしく請け負ってくれた彼に、ミランダはほっとして頷いた。


 ――――  俯かなくなったな、と気づいたのは、それから数ヵ月後のことだ。
 以前は人の顔色を窺うように、おどおどと上目遣いをしていたものだが、近頃ではそれもなくなった。
 それに、よく笑うようになったと思う。
 最初はリーバーにのみ、遠慮がちに向けていた笑みが、段々と周囲にまで振りまかれるようになってから、ようやく気づいた。
 顔をあげた彼女が、実はとてもキレイなんだってことに。
 「・・・それを最初っから知ってたのは、班長だけってことか」
 今日も仲良く寄り添う二人を見ながら、ジョニーはぽつりと呟いた。
 「道理で鬼の班長が、彼女には愛想よく振舞っていたわけだよね」
 と、ちょっと意地悪く解釈する。
 「まぁ、あの人の好みから言って、ただの美人じゃ選ばなかったろうな。
 冗談じゃなく・・・死ぬほどの努力家だから、あの班長が気を惹かれたんだろ」
 どこか恐ろしげに言ったタップに、ジョニーは心底納得した。
 「追いつく前に、まずは認められろってことかぁ・・・・・・」
 年の差は1年未満だが、レベルの差は遥かに大きいことを改めて見せ付けられ、ジョニーはデスクに突っ伏す。
 頬の下には、今日もミスを指摘された書類が積み上げられていた。
 「頑張れ、大器晩成」
 「うん・・・お互いにね、大器晩成」
 その言葉に最後の希望を見出して、互いに励ましあう。
 遥か遠い千里先を目指し、最初の一歩を刻むべく、ジョニーはきりりと顔をあげた。



Fin.


 










リクエストNo.65の、『リーバーとミランダのラブラブな日常』でした!
本人らがラブラブなのはいつも書いているので、周りから見ていい雰囲気、ってのを書いて見ましたがどうでしょう。
時間軸も、今では懐かしい旧本部の、クロウリー城の辺りです(笑)
コムイさんがヘロヘロで帰ってきたのは、船酔いだったせいかな、と思ったので。
原作が悲劇性たっぷりなので(苦笑)、あえてぬるーくやってみましたv
お楽しみいただけると幸いですv












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