† ANGEL TRIP V †
お菓子の甘い匂いが漂う部屋で、ティキはしくしくと泣きながらソファに突っ伏していた。 「往生際が悪いよぉ、ティッキィー 彼の背に座ったロードが、楽しげに笑いながらマロンパイにかじりつく。 「ティッキーのはずかしーぃ動画をお父様に見られたくなかったら、今日は僕のドレイになるんだよぉ 今日だけでなく、いつも奴隷扱いじゃないか、と言う反駁は涙の奥に消えた。 と、 「おぉ 今日もいぢめられているな、ジョイド♪」 飛んで火にいるワイズリーが、暢気に寄って来る。 「ロード、私にも菓子をくれ 「はい」 差し出された皿からパンプキンパイを取って、ワイズリーは嬉しげにかじりついた。 「おぉ これはまた、さくさくでうまいの さっき、千年公のパンプキンプリンもいただいたが、これもうまい 公の作かえ?」 「ううん、これは守化縷が作ったんだよ」 「そうか、あやつら頭がよいだけでなく、料理もうまいのだな」 満足げな声に顔をあげたティキは、深々とため息をつく。 「・・・お前は本当に智のノアなのかよ」 「ん? どういう意味だ、ジョイ・・・」 不意に、ワイズリーが言葉を切った。 「どぉしたのー?」 ロードがにやにやと笑うと、彼は悲しげに眉根を寄せる。 「ロード・・・。 ティキをいぢめるなんて、可哀想なのだ・・・! どいてやるがいい」 両手でロードの手を握り、懇願するワイズリーに、ロードはつまらなそうな顔をした。 「ちぇっ。『純粋』かぁ。 ワイズリーが『独占欲』丸出しになるのを期待してたんだけどぉ」 ワイズリーに腕を引かれてティキの上から下りたロードは、皿の上に載ったパイの中で、緑色のアンゼリカが載ったものを選り分ける。 「これは絶対お父様に食べさせちゃダメなんだけどぉ・・・ワイズリー 黒ゴマの載ったパイを差し出すと、『純粋な』ワイズリーは素直に受け取った。 「とてもおいしいパイだな これを食べているとなにやら・・・・・・」 言う間に、ワイズリーの目が血走っていく。 「なにやら・・・記憶・・・が・・・・・・!」 転生後も前生の記憶を有する特殊なノアは、二つの目だけでなく、額の魔眼さえも紅くして、頭を抱えた。 「あ・・・あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」 「・・・っおい!ジジィ!!!!」 慌てて飛び起きたティキが、床にうずくまって悶えるワイズリーに屈みこむ。 「これ・・・あの頭痛の酷いやつじゃないのか?!」 ワイズリーはその魔眼が影響するのか、兄弟達が『無能タイム』とからかう頭痛持ちだが、今回の苦しみようはそれどころではなかった。 「ロード!! いくらなんでもイタズラが過ぎるぜ!!」 叱られて、ぺろりと舌を出したロードは、銀色のアラザンが載ったパイをワイズリーの口に押し込む。 「つまんないけど、『純粋』でいなよ」 飲み込むや、ぴたりと身悶えをやめたワイズリーに、ティキの方が驚いた。 「だ・・・大丈夫なのか・・・?」 目を丸くするティキに、ワイズリーがにこりと笑う。 「もう大丈夫だ。 ジョイドは優しいの 「・・・・・・・・・」 無言になってしまったティキの背後で、安全なロリポップを咥えたロードがにんまりと笑った。 「他の子達にも食べさせちゃおーっと 「っおいいいいいいいいいいい!!!!」 慌てて止めようとするが、素早いロードは既に部屋を出てしまっている。 「も・・・せっかく突っ返したのに!!!!」 守化縷達の科学力をなめていた、と、ティキはあの薬液を複製してしまった彼らを恨めしく思った。 いや、それよりも、 「次会ったらけちょんけちょんにしてやるぜ、あの眼帯っ!!」 八つ当たりにも程がある怒号を放って、ティキがロードを追った―――― 直後。 全身臨戦態勢のシェリルが、かつかつと踵を鳴らして部屋へ入って来た。 「さぁ、ワイズリー! 今日はパーティなんだから、ちゃんとお風呂に入ってもらうよ! 逃げてもムダ・・・あれ?」 両手の間に虫取り網にも似た糸を張り巡らせ、逃げる獲物を追う気満々だったシェリルは、ソファにきちんと座って彼を見上げるワイズリーの、初めて賢そうな表情を見て拍子抜けする。 「ワ・・・ワイズリー・・・?」 「いつも世話をかけてすまなんだのう、デザイアス。 今日はお前の言う通りにしようと思う」 『今日は』と言う言葉に引っかかり、シェリルは用心深い目になった。 「さぁて・・・これは一体、なんのイタズラだろうか。 手酷い罠じゃなきゃいいけど」 百戦錬磨の外務大臣らしく、素直には信じない彼にしかし、ワイズリーはにこりと笑う。 「いつもの私がワガママだから、信じられないのも無理はない。 だが・・・今日はとても、気分がよいのだ それがたまたまハロウィンだったというだけであって、他意はないのだぞ」 「たまたま・・・ねぇ?」 未だ疑い深い目をして、シェリルは小首を傾げた。 「まぁ、お風呂に入れるのはボクではないからね。 メイド達を困らせるような真似は、紳士としてやらないでくれたまえよ」 「了解したぞ、パパ 「・・・・・・」 ワイズリーの表情や言葉の端々に罠の臭いはしないかと、じっと見つめていたシェリルは、ややして視線を外す。 「では、今のうちに磨き上げるとしよう」 ベルを鳴らすと、捕獲部隊のメイド達がワイズリーの四肢を捕らえ、抱えあげて浴室へ連行した。 去り行く彼女達の後について行きながら、シェリルは顎に指をかける。 「ノアの『賢者』と知恵比べか・・・さぁて」 いかなる罠へ繋がる予兆かと、未だ疑いながら、シェリルはワイズリーの一挙手一投足を見つめ続けた。 「さぁさぁ、みんな!千年公のお菓子が出来たよー あったかいうちにお食べよ ロードが差し出したパイにキラキラした目を向けた兄弟達が、何の疑いもなくパイを手にした。 「主の・・・ 普段無表情なくせに、千年伯爵に対してのみは感情豊かになるルル=ベルが、嬉しそうにパイをかじる。 「ルル、尻尾はえてるよぉー」 変身能力を持つ色のノアは猫の姿に変わることが多いが、今はふさふさの犬の尻尾を生やして、嬉しげにパタパタと振っていた。 「おいしいです 更にパタパタと尻尾を振る彼女の手から、しかし、パイが勢い良く奪われる。 「・・・なんですか?」 唖然とする彼女に、息を切らしたティキが詰め寄った。 「お前、どのパイを食った?! お前らも!黒ゴマが載ったの食った奴はすぐに・・・!」 吐き出せ、と言いかけたティキは、ルル=ベルに抱きつかれて、唐突に言葉を失う。 「ル・・・ルル・・・・・・?」 千年伯爵にしか懐かない、気難しい猫の意外すぎる行動に、室内の全員が凍りついた。 「ティキ・・・ これが多分、『大好き』という感情ですね?」 「はぁっ?! お前、なに言ってん・・・!!」 言いかけたティキは、黒猫に変わったルル=ベルが自分の肩に乗り、ゴロゴロと喉を鳴らしながら身をすり寄せてくる様に絶句する。 「ル・・・ルル・・・!」 ざらざらした舌で頬を舐められたティキが引き攣った声をあげると、彼女の尻尾が乱暴に掴まれた。 「いつまでティッキーにじゃれついてんのよ、猫娘っ!!」 「ティッキーはデロのっ!ヒッ!!」 「お前らもかー!!!!」 目の色を変えた双子にしがみつかれ、ティキが悲鳴をあげる。 「落ち着けよっ! お前らは二人で仲良くしてりゃいいだろっ!!」 必死に引き剥がそうとすればするほどしがみついてくる双子は、互いに蹴りを繰り出した。 「デロ! お前離れろよっ!!」 「やだねっ! デビこそ離れろっ!ヒッ!!」 「にゃああっ!!」 争う双子に次々と尻尾を握られ、ルル=ベルが悲鳴をあげながらも離されまいとティキに爪を立てる。 「いてぇっ!! ルル、痛いって・・・ぎゃあああああああああ!!!!」 か弱い猫のままでは敵わないと見たのか、黒豹へと姿を変えたルル=ベルが、尻尾を払って双子の手を振り解いた。 「ガァウッ!!!!」 仕返しとばかり、巨大な爪でデビットを切り裂き、ジャスデロの急所ギリギリに噛み付いてやると、双子はそれぞれ、自ら作った血溜に沈む。 「ル・・・ルル・・・!」 「邪魔者は消えました」 口の端から血を滴らせ、ルル=ベルは紅く染まった牙を剥いた。 「さぁ 私だけ可愛がるのです、ティキ 再び黒猫の姿に戻った彼女の、血のにおいのする舌で舐められて、ティキが呆然とする。 真ん丸く見開かれた目には、地獄絵図と化した室内の様子がむごたらしく映っていた。 「おや・・・! これは一体、何事だい?」 お風呂でほかほかになったワイズリーを連れて、兄弟達がたむろする広間に入ったシェリルは、呆然と立ち竦むティキに懐くルル=ベルや血溜に沈んだ双子、ヒステリックにクッションを奪い合うフィードラとマーシーマ、すっかり鋭さのなくなったトライドを見て、首を傾げた。 「ロード 彼ら、どうしたんだい?」 一番安全な場所で、楽しげに室内の喧騒を眺めていたロードに問うと、彼女はパタパタと駆け寄ってくる。 「僕のイタズラぁ お父様も、お菓子くれないとイタズラしちゃうぞぉ 可愛らしい上目遣いで『お願い 「かっ・・・可愛いなぁ、ロード!! ボクをキュン死させる気かい?!」 常人なら失血死しそうな量が溢れ、白いハンカチが一瞬で紅く染まる。 なおも止まらない血が滴ろうとすると、傍らから新しいハンカチが差し出された。 「あぁ、ありがとう・・・トライド?!」 驚いたシェリルに、彼はにこりと笑う。 「え・・・えーっと・・・・・・」 ノアを監視する冷酷な断罪者の、柔らかい笑顔を初めて見たシェリルが、珍しくうろたえた。 「つ・・・使わせてもらうよ・・・」 ボソボソと言ってハンカチを受け取ると、彼はにこりと笑って頷き、クッションを取り合うフィードラとマーシーマの仲裁に入る。 「・・・ねェロード。 本当に、なにがあったんだい・・・?」 重ねて問われたロードは、テーブルの皿を指した。 「守化縷にね、不思議な薬を作らせたんだぁ! ルルと双子が食べたのは惚れ薬入りで、ワイズリーとトライドは純粋になっちゃう薬。 フィードラとマーシーマは独占欲が強くなる薬だから、お父様は食べちゃダメー」 「・・・そうだね。 私に『欲』を強くする薬は危険だから、絶対に盛らないでおくれね」 さすがに自覚のある『欲』のノアは、ようやく鼻血も止まってほっと吐息する。 「マイトラは?」 ここにはいない兄弟を探すシェリルに、ロードは首を振った。 「この薬の製造にあいつも関わったからぁ。 ハロウィンが終わるまで、方舟にこもってるってさぁ」 「やれやれ・・・。 あの子の引きこもりも、どうにかならないものかねェ・・・」 ため息混じりに呟いて、シェリルはロードの頭を撫でる。 「でも・・・」 ややして、にんまりと笑ったシェリルは、傍らでニコニコと室内を眺めるワイズリーを見下ろした。 「この子を躾けるには、いい機会かも知れない」 クスクスと笑声をあげながらロードを抱き上げたシェリルは、先ほどとは打って変わって、満足げな表情で室内を見渡す。 「ロード 素敵なイタズラのご褒美に、おいしいお菓子をたぁっくさんあげようね 「わぁい!!」 歓声をあげて抱きついて来たロードに頬をすり寄せ、シェリルは薬が切れる前にと、自身の糸でワイズリーを繋ぎとめた。 ―――― 同じ頃、黒の教団では。 「アラマァ、なにを始めたのん?」 食堂の注文カウンター横にテーブルを置き、果実のリキュールやシロップ、ジュースや炭酸水を並べたリナリーを、厨房からジェリーが不思議そうに見遣った。 「アメリカンスタイルのバーだよ! カクテル?だっけ? アメリカじゃあ、リキュールを混ぜて色んな味のお酒を作るんだって、クラウド元帥が言ってたの! だから、妖精のバーを開店するんだよ!」 目をキラキラさせるリナリーに、しかし、ジェリーは眉を吊り上げる。 「こんな真昼間からお酒なんて出さないのん! それにアンタ、味見できないでしょ!」 お酒禁止!と、怖い顔で睨まれて、リナリーは首をすくめた。 「じゃ・・・じゃあ、今はノンアルコールだけにするよ・・・。 お酒は夜になったら、兄さんが作るってことでいい?」 「・・・・・・コムたんが作るカクテルを、飲む勇気のある子達がいればの話だけどねん」 深々とため息をつきながらも、了承してくれたジェリーにリナリーがにこりと笑う。 「ねぇねぇ、銀の弾丸って名前のカクテルがあるんでしょ? 今日はお化けでいっぱいだから、それで倒されちゃうお化けもいるかもね!」 はしゃいだ声をあげて、リナリーは氷を入れたシェーカーにシロップとレモンジュースを注いだ。 「ねぇねぇ、シェーカーの振り方って、こんな?」 銀色のシェーカーを持ったリナリーが、アメリカで見たと言うバーテンダーの真似をする。 「アラ、アンタ、立ち姿はいいケドその持ち方じゃ・・・」 「えいえいえいえいえいえいえいっ!!!!」 カタカタと甲高い音を鳴らしてシェーカーを振り出したリナリーに、ジェリーの声は届かなかった。 そこへ、 「リナリー なにしてるんだーぃ 目尻を下げたペックが、スキップしながらやって来る。 「えいえいえいえいっ!!」 その声も聞こえず、シェーカーを振り続けていたリナリーは、不意に手の中からシェーカーの感触が消えて目を丸くした。 「あれ?! どこ行っちゃった?!」 キョロキョロと辺りを見渡す彼女の視線を、ジェリーが指先で導く。 「・・・あっ」 そこでは額に強烈な銀の弾丸を受けたペックが、頭を割られて床に沈んでいた。 「アンタねぇ、シェイカーには持ち方ってもんがあるのよ。 力任せに振れば、飛んでくに決まってんでしょ」 「そ・・・そうなんだ・・・!」 科学班第二班のスタッフ達が、班長をストレッチャーに乗せて運んでいく様を見送りながら、リナリーは血塗れのシェイカーを拾い上げる。 「・・・っお化けを倒したね!」 くるりと振り返って親指を立てたリナリーに、ジェリーは深いため息をついた。 「・・・すっかり逞しくなってこの子は。 ホラ、貸しなさい。洗ってあげるから」 「血のペイントしたら、ハロウィンっぽいかなぁ?」 ペックを倒したことについてはちっとも悪びれないリナリーを、しかし、ジェリーは咎めようとしない。 どころか、 「アンタ、今のはペック班長だったからよかったけど、他の子に当たってたら大変だったわよん! 持ち方教えてあげるから、ちゃんとやり方覚えなさい」 と、見事にペックを除外した彼女に、リナリーはぺろりと舌を出した。 妖精のバーが開店した、と言う話はその後、城中に広まって、パーティ会場の食堂に集まった団員達が、興味津々と覗いて行く。 「はい チャイナブルーできたよー ライチの香りがするドリンクを受け取った団員が、おいしそうに飲む様を嬉しげに見て、リナリーはテーブル前に並んでいたラビを見上げた。 「なににする?」 「そうさね・・・俺はレシピのない、オリジナルがいいさ。 この紫のはなんさ?」 指差したラビに、リナリーはいけしゃあしゃあと『ブルーベリーシロップ』と嘘をつく。 「んじゃこれをベースにしてー・・・カシスとティフィンを重ねて、炭酸で割ってな。飾りはミントで!」 言った途端、背後から伸びた手が、乱暴にラビの頭をはたいた。 「いって!! なにすんさ、リーバー!!」 「ティフィンって、紅茶リキュールだろうが! どさくさに紛れて飲酒すんな!」 「ちぇっ・・・ばれたさ」 ぺろりと舌を出したラビに笑って、リナリーは氷を入れたロンググラスに紫のブルーベリーシロップ・・・を模した惚れ薬と、カシスシロップを入れ、静かに炭酸を注ぐ。 「ステアは飲む直前にやってね! 班長は? グラスホッパーなんてどうかな!」 リナリーが並べたミントシロップ・・・を装った嫉妬薬と生クリームに溶かしたホワイトチョコレートを見て、リーバーが苦笑した。 「カカオリキュールの代わりにホワイトチョコレートか。 まぁ、香り付けには間違ってないかな」 「でしょ ジェリーにシェイカーの振り方教わったんだから!見てってよ 言って、リナリーは氷を入れたシェイカーに、嫉妬薬とホワイトチョコレートを注ぐ。 「そーれ 姿勢良くシェイカーを振るリナリーの姿は素晴らしく様になっていて、リーバーだけでなく傍らのミランダからも拍手が沸いた。 「すごいわ、リナリーちゃん! とってもかっこいいわ!」 「えへへ 嬉しげに笑ったリナリーは、カクテルグラスにとろりとした緑の液体を注ぐ。 「さ、班長 ぐいっと!」 目をキラキラさせて見つめるリナリー以上に、期待に満ちた目でミランダにも見つめられ、リーバーは笑ってグラスを差し出した。 「先に飲むか?」 「あら、いいんですか?」 「ふえっ?!」 止める間もなく、ミランダはショートグラスに口をつける。 「ま アルコールが入ってなくてもおいしいんですねぇ 味はミントチョコレートだけど」 「そりゃそうだろうな」 「はぅっ!!」 残ったカクテルを飲み干したリーバーにも、リナリーが奇妙な声をあげた。 「なんだよ。飲んじゃ悪かったか?」 不思議そうなリーバーには、首を振るしかない。 「ちょ・・・ちょっと、二人のラブラブっぷりが心臓に悪かっただけだよ」 頬を染めて顔を逸らすと、二人は気まずげに目を見交わした。 「ご・・・ごめんなさいね、リナリーちゃん。 もう一杯いただける?」 リナリー以上に顔を紅くしたミランダから、顔を逸らしたまま頷いたリナリーは、安全なカシスシロップとオレンジジュースでノンアコールのカシスオレンジを作る。 「は・・・はい・・・」 「ありがとう 「じゃあ俺も、カシスソーダ」 「はいはい・・・」 今回一番期待していた二人の当てがはずれ、リナリーはやや肩を落としてリーバーにカシスソーダを渡した。 「ちぇっ・・・つまんないの」 仲睦まじく寄り添ってテーブルへ行ってしまった二人の背に舌を出し、リナリーが呟く。 と、その目の端に、頭の上の耳を気にしながらアレンが入ってくるのが見えた。 「アレ・・・!」 「リンクのバーカ!! せっかくつけた獣耳が取れちゃったじゃん!」 声をかけようとしたリナリーに気づかず、アレンは背後のリンクに向けて激しく毒づく。 「ラビー!!ラビ、また耳つけて!!」 アレンが団員達の向こうに透かし見たラビの紅い髪へ向け、大声をあげるが、彼は誰かを追ってちょろちょろと走り回り、振り返ってさえくれなかった。 「ゥルアアアアアアアアアヴィィィィィィィィィィィィ!!!!」 発動し、巨大化した左腕が食堂を突っ切って、ラビを鷲掴みにする。 「なにすんさっ! 俺は元帥を・・・待ってええええええええええ!!!俺のクイー・・・がふっ!!!!」 軽く握り潰されたラビが血反吐を吐いて動かなくなると、アレンは舌打ちして彼を引き寄せた。 「まったく、僕が呼んでるのに無視するなんて、失礼にも程がありますよっ!」 「・・・誰に言われても、問答無用で暴力に訴える君には言われたくないと思いますが」 リンクの呆れ口調はきっぱりと無視して、左腕を元に戻したアレンは横たわるラビを乱暴に揺する。 「ねぇラビ! 耳つけてってばーあ!!」 「・・・言うことは・・・それだけさ・・・?!」 未だ血反吐を吐きながら恨みがましい声をあげたラビに、アレンが頬を膨らませた。 「だって、無視されてカチンってきたんだもん。 早くつけてよ!」 ぐいぐいと取れてしまった獣耳を押し付けるアレンに、ラビが震える手を伸ばす。 「こンの・・・クソガキイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!」 「ぴいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」 思いっきり頬をつねられたアレンが可哀想な泣き声をあげた。 「なにすんだよっ!ひどい!!」 「酷いのはどっちさ、この乱暴者!! 俺の恋路を邪魔した上に、瀕死にしてくれるたぁ酷いにも程があるさね! お前もちったぁ痛い目に遭えっ!!!!」 ぎゃあぎゃあと喚きながら取っ組み合う二人をやや離れた場所から見ていたリナリーは、眉根を寄せて小首を傾げる。 「ラビ・・・いつもと変わらないから、効いたのか効いてないのかわかんないよ・・・」 彼には確かに惚れ薬を処方したはずだが、飲んだ直後に現れたのがクラウドだったのか他の誰かだったのかを確かめる前に、アレンに潰されてしまった。 「さっき逃げてたの・・・元帥だったのかなぁ?」 「・・・あぁ、私だ!!」 ぜいぜいと息を切らして現れた白の女王に、リナリーは慌てて声を飲み込む。 「リナ・・・そのシャンパンをよこせ・・・! あの馬鹿、今日はまた一段と発情しおって・・・しつこいったらありゃしない!!」 「あ・・・でも、ジェリーがお酒はまだだって・・・」 「いいから寄越せ!元帥命令だ!」 「はっ・・・はい!!」 急いで栓を抜き、グラスに入れて差し出したシャンパンを一気に飲み干したクラウドが、大きく息をついた。 と、 「ラビのしつこさはデフォじゃないですか」 クスクスと笑いながら、エミリアが歩み寄ってくる。 その腕はがっしりと神田の腕を確保して、逃げないように手錠までかけていた。 「エミリア・・・ヴァンパイアって、手錠をするんだったかな・・・?」 唖然としたリナリーに、エミリアは紅い唇を尖らせる。 「目を離すと逃げようとするから、しょうがなくこうしているの! まったく、往生際が悪いったらないわ!」 エミリアがブツブツとこぼすと、クラウドの口角が吊りあがった。 「そんなにこの娘が嫌なら、私のナイトになればいいぞ、ユウ さぁ、ママの元においで!」 両手を広げたクラウドの前に、エミリアが壁のように立ち塞がる。 「往生際が悪いのは元帥もですよ! 今日はあたしのものだって、何回言わせれば気が済むんですか!」 「俺は誰のものでもねぇって、何度言わせりゃ気が済むんだ!!」 美女二人に取り合われて、他の男達から見れば羨ましいことこの上ない神田が苛立たしげな怒号をあげた。 「エミリア、手錠外せよ! つか、なんでこんなもん持ってんだ、お前は!!」 「パパのをちょろまかしたのよ。 ティモシーのお仕置き用だったんだけど、あんたにも使えてよかったわ 「お前が収監されろ!!!!」 「あぁら あんたが監視してくれるの? だったら今のままでいいじゃんよー ぎゃあぎゃあと喚き立てる神田に負けないエミリアを、まじまじと見つめていたリナリーが、ふと、いたずらっぽい笑みを浮かべる。 「エミリア!エミリア!」 つんつんと指先でつつき、振り向かせたエミリアの耳元に、リナリーは小声で囁きかけた。 「惚れ薬、使ってみない? 効果があるかどうか、試したいんだよねー クスクスと笑いながら囁くと、エミリアの目が光る。 「どれ?!」 肉食獣の目でテーブルの上を眺め回すエミリアに、リナリーは紫色の薬液を指した。 「これが・・・」 言う前に、エミリアはコルクを抜いたばかりのシャンパンに薬液を垂らし、しゃかしゃかと振って神田の口に瓶の口を突っ込む。 「さぁ、お飲み!」 「!!!!」 勢いよく流れ込んできた液体を窒息しそうになりながら飲み下した神田が、たまらず咳き込んだ。 「エ・・・エミリア・・・!それ・・・・・・!」 声を引き攣らせたリナリーに、エミリアはにんまりと笑う。 「どうせ素直に飲みやしないでしょ、こいつ。 一気に流し込むには、シャンパンが一番!」 それはそうだろうが、突如強烈な発泡酒の攻撃を受けた神田が気の毒で、リナリーはテーブルから身を乗り出した。 「か・・・神田、大丈夫・・・?」 その呼びかけに彼が顔をあげる寸前、リナリーの前に割り込んでしゃがみこんだエミリアが、神田の顎に指をかける。 「さぁ、ダーリン 今日はあたしのものでしょ?」 にこりと笑うエミリアに向けた神田の目から、いつもの険が取れた。 戸惑うように揺らぐ瞳に満足げな自身の笑みを写し、エミリアはまた、彼の首筋にキスする。 「はぁい ヴァンパイアの『魅了』完了よ 「っ!!」 エミリアに抱きしめられた神田の顔が、みるみる紅くなっていく様に、リナリーが息を呑んだ。 「すっごい・・・! これって、お酒の相乗効果かな。 神田、あんまり強くないし」 以前、兄の陰謀で飲酒させられた神田が普段とすっかり変わってしまったことを思い出して言うと、エミリアは妖艶に笑みを深める。 「そんなの、どっちでもいいわ。 彼があたしのものになるんならね」 身を離そうとすれば神田の方から抱き寄せてきて、エミリアは嬉しげに彼にもたれかかった。 「ふふ・・・ 残念でしたね、元帥!」 神田の肩越し、呆れ顔で状況を見守るクラウドへ挑戦的に言ってやると、彼女は訝しげに眉根を寄せる。 「・・・は? 何を言っているのだ・・・」 いきなり大量のアルコールを摂取させられて、ぼんやりしているだけだろうと言う彼女へ、エミリアは邪悪そのものの笑みを浮かべた。 「これ、惚れ薬なんですって 小声で囁き、指差した紫の薬液にクラウドの目が吸い寄せられる。 「ね 今日は誰のものかしら?」 答える代わりに抱きしめられて、エミリアが嬌声を上げた。 その様に、クラウドがきつく眉根を寄せる。 「・・・・・・卑怯な!」 「あぁら! 恋と戦争では、どんな手を使っても構わないって言うでしょ!」 高笑いするエミリアを抱きしめ、その視線すら逃がさないように自分へと向けさせる神田に、顔を紅くしたリナリーが苦笑した。 「あは・・・。 こんなに効果があるなんて思わなかったよ。 すごいな、タップ」 「なるほどな・・・タップが作ったものだったのか」 「ひっ!!」 がしりとクラウドに腕を掴まれ、リナリーが引き攣った声をあげる。 「あいつは優秀な科学者だったからな・・・随分効果のある薬を作ったものだ」 解毒剤は、と迫られて、リナリーは必死に首を振った。 「ちっ・・・! なんと言う片手落ちだ、あいつらしくもない!」 だが、と、クラウドは妙に色っぽい目でエミリアに笑いかける。 「ユウに惚れ薬など使っても、いいことはないぞ。 他の者ならともかく、このプライドの高い男が薬などで心を操られたと知れば後で・・・」 「既成事実を作っちゃえば、こっちのもんよっ!!」 勇ましくこぶしを握ったエミリアの大声に、部屋中の視線が集まった。 皆が唖然と見つめる中、きょとんとしたリナリーが、小首を傾げる。 「きせいじじつ、って、なんの? 今のうちに結婚でもしちゃうの?」 カトリックは離婚できないからなぁと、リナリーが暢気に呟くと、固まっていたクラウドが大きく吐息した。 「・・・あぁ、それでいい。 お前はそのままでいろ」 じろりと睨まれたエミリアが、さすがに気まずげに舌を出す。 「やれやれ・・・。ティモシー!ティモシーはどこだ?!」 大声で呼ばわったクラウドへ、ファインダーの一人が団員達の頭越しに子供を投げて寄越した。 「ってんめえええええええ!! エクソシスト様投げんじゃねええええええええ!!!!」 きゃんきゃんと喚き立てるティモシーは、カボチャのまん丸衣装を着てボールのようになっているのに、その頭にはポーンの丸い飾りをつけて、ちぐはぐなスノーマンのような格好をしている。 そんな彼を、クラウドが高い場所から見下ろした。 「これ、我が歩兵よ」 「へ?」 今は白の女王である師を、ティモシーが見あげる。 と、クラウドはその首根っこを掴んで、神田から引き剥がしたエミリアに渡した。 「? なんですか?」 ティモシーを抱っこして、不思議そうに首を傾げた彼女へ、クラウドは凄絶な笑みを浮かべる。 「ティモシー、この女吸血鬼がユウに不埒な行いをせぬよう、見張っておけ!」 「は?!」 「なにっ?!」 目を吊り上げたエミリアとそっくりに、ティモシーも目を吊り上げた。 「てんめー!!この吸血鬼ヤロウ!!エミリアに何しやがったー!!」 手錠でエミリアと繋がれた神田に掴みかかったティモシーは、彼女と引き離されて不機嫌な神田に頭をはたかれ、あっさりと目を回す。 「・・・子供にも容赦をしないな、相変わらず」 わかっていたけど、と、ため息を漏らして、クラウドは目を回した弟子を拾い上げた。 「まぁ、要はこの娘が破廉恥な行為に至らないよう、監視できればいいのだ」 肩をすくめたクラウドは、通りがかった警備班の団員から手錠を受け取り、ティモシーの手にかけたもう一方を、エミリアと神田を繋ぐ鎖に掛ける。 「ちょっ・・・なにすんですかっ!!」 「子供の目の前で破廉恥な行いはできんだろう」 にんまりと笑って、クラウドは広げた扇を優雅に揺らした。 「せいぜい品行方正に振舞うのだな、女吸血鬼!」 高笑いするクラウドに、しかし、エミリアは鼻を鳴らす。 「こんなもの、外しちゃっていいのよ! もう神田はあたしのものなんだから・・・あれ?」 手錠の鍵を取り出そうとして、パタパタと服を探るエミリアに、クラウドが意地悪く笑った。 「お前の探し物はこれか?」 「キッ!」 クラウドの肩に乗った白い小猿が、両手で得意げに鍵を掲げる。 「あぁ!!いつの間に!!」 「抜かりなどあろうものか」 小猿と一緒に舌を出したクラウドを、エミリアが悔しげに睨みつけた。 その騒ぎに、何事かとアレンが寄って来る。 「ど・・・どうかしたんですか、あの二人・・・?」 こっそりとリナリーに問うと、彼女も曖昧に首を傾げた。 「んーっと・・・二人が相変わらず神田を取り合ってるんだってのは理解できるんだけど、エミリアが何をしようとしてクラウド元帥が邪魔したのかはよくわかんないの」 「ふぅん・・・」 不思議そうな顔をしたアレンは、テーブルにあったグラスに氷を入れ、たっぷり入れたオレンジシロップに炭酸を注いで飲み干す。 途端、 「・・・あぁっ?! アレン君、これ飲んじゃった?!」 「・・・っ飲んじゃいけませんでした?!」 大声をあげたリナリーに驚き、アレンが目を丸くした。 「ぅあ・・・えっと・・・これは・・・・・・!」 効果を忘れてしまったために、他の薬液とは別に置いていたオレンジ色の薬液を飲まれてしまって、リナリーが目を泳がせる。 「こ・・・これは・・・カクテル用のリキュールだったんだけど、アレン君、お酒ダメでしょう?」 とっさに適当なことを言うと、アレンが一気に蒼褪めた。 「オ・・・オレンジシロップだとばかり・・・!」 「リキュールはほとんどシロップと同じ味だからね・・・」 テーブルの向こうから出てきたリナリーが気遣わしげにアレンの背を撫で、傍らを飛ぶティムキャンピーが尻尾で扇いでやる。 と、いつの間にか傍にいたリンクが、近くの椅子を指した。 「少し座っていた方がいいのではありませんか? 酔いが回って倒れられても困ります」 「はい・・・・・・」 嫌味っぽく言ってやったのに、意外にも素直に頷かれて、リンクが拍子抜けする。 「つ・・・連れてってあげるね」 「ありがとう、リナリー・・・」 既に心拍数が上がっているのか、やや頬を染めたアレンの、不安げに潤んだ目で見つめられて、リナリーの心拍数も上がった。 「あ・・・アレン君、耳、取れたままだよ?!つけてもらうんじゃないの?!」 じっと見つめられ、どぎまぎしてしまったリナリーが上ずった声をあげると、自分の頭に手を当てたアレンが、しょんぼりとうな垂れる。 「僕・・・ラビに酷いことしちゃった・・・」 「え?そうなの?」 取っ組み合った末にとどめでも刺したのかと見遣るが、床に這ったままのラビは起き上がれないまでも、もぎもぎと動いてはいた。 「生きてるよ?」 「そりゃ・・・殺してはいませんけど、潰しちゃった上にぶん殴って・・・」 「いつものことじゃない」 何を彼らしくもなく悔やんでいるのかと不思議に思うと、アレンがいきなり顔を覆って泣き出す。 「えぇっ?! アレン君、私っ・・・なんかいけないこと言ったかな?!」 驚くリナリーに、アレンは顔を覆ったまま首を振った。 「いつも酷いことしてごめんなさいぃぃぃぃ!!!!」 「どうしちゃったのぉぉぉぉ?!」 一体あの薬の効果はなんだったのかと、ティムキャンピーを押しのけたリナリーは慌ててアレンの肩を揺さぶる。 するとアレンが涙目をあげ、再び見つめられたリナリーは鼓動を早くした。 「僕・・・謝ってくる!」 「なにを?!」 突然立ち上がり、駆け出したアレンの行動を見過ごせず、リナリーもついて行く。 「ラビッ!! ラビ、潰しちゃってごめんなさい!!ぶん殴ってごめんなさいぃぃぃぃぃ!!!!」 未だ床に這うラビを抱き起こし、ひっしとしがみついたアレンの姿に、周囲が凍りついた。 「な・・・なんのいたずらが始まったのです・・・?」 意外すぎる展開に、同じくついて来たリンクがただ唖然とする。 が、アレンは構わず、ラビをガクガクと揺さぶった。 激しく頭を振り回され、ようやく目を覚ましたラビは忌々しげにアレンをはたく。 「うっさいさ、クソガキー!! 俺にとどめを刺しに来たんさ?!」 「とどめなんて・・・そんな・・・!」 目に涙を浮かべたアレンに見つめられたラビが、疑わしげな顔をしてずりずりと退いた。 「じゃあ既になんかやらかして、ごまかそーとしてんさね?! お前、ホンットーに腹黒いさ!一体俺になにやらかしたんさ?!」 びしぃっと指差すと、いつもなら舌打ちして目を逸らすアレンがさめざめと泣き出す。 「ぅおっ!新手のごまかし来たさ! こりゃよっぽどのことさね・・・!」 疑いが止まらないラビを、しかし、責める者は誰もいなかった。 どころか、 「何を企んでいるのでしょうね、このクソガキは・・・」 リンクまでもが疑わしい目で展開を見守る。 「お・・・お菓子あげたらいたずら終了する?」 リナリーが見当違いな解釈をして、手近のテーブルから取ったマフィンを差し出すが、アレンは首を振ってまた泣きじゃくった。 「え・・・えぇー・・・?」 「・・・・・・どしたんさ?」 「・・・何を拗ねているのですか、ウォーカー! はっきり言わないとわかりませんよ!」 アレンの態度を勘違いしたリンクが苛立たしげな声をあげると、アレンは泣き止みはしたものの、未だしゃくりあげつつ肩を落とす。 「僕・・・ホントに狼少年みたいです・・・・・・。 本気で言ってるのに・・・誰も信じてくれない・・・・・・」 「え?!ちょっと・・・アレン君?!」 「そーやって泣くのやめてくんないさっ?! なんか俺がいじめた雰囲気になってんじゃん!」 慌てるリナリーとラビの傍らで、じっとアレンの様子を見つめていたリンクが手を打った。 「・・・なるほど、それが目的ですか。 実に腹黒い彼らし・・・なぜ泣くのですかっ!!」 アレンがまた泣き出して、リンクが慌てる。 と、彼らの騒ぎに興味を惹かれたのか、遠くでじっと様子を見つめていたクラウドが歩み寄ってきた。 「ウォーカー。どれ・・・」 畳んだ扇の先でアレンの顎をすくい、顔をあげさせたクラウドは、猛獣使いの目でじっとアレンの目を見つめる。 「ク・・・クラウド元帥・・・?」 何をやっているのかと目を丸くするリナリーの前で、クラウドは鼻を鳴らした。 「何をやらかしたのかは知らないが、クロスが気に入っていた腹黒さが全くなくなってしまったな、ウォーカー。 純粋は良いことなのだが・・・つまらん。 最初から従順な獣は、調教する楽しみがない」 「じゅ・・・純粋・・・・・・?」 クラウドの言葉を繰り返して、リナリーははっと目を見開く。 「そうだ・・・! オレンジは『純粋』薬だよ・・・! 意地っ張りな相手を落とすなら、惚れ薬よりこっちだってタップが・・・!」 一人納得したリナリーは、未だ不思議そうなラビとリンクを押しのけて、アレンの手を取った。 「大丈夫だよ、アレン君! 私は信じるからね!」 泣かないで、と、涙を拭いてやると、アレンは小さな子供のように頷く。 「ラビ、監査官も。アレン君はきっと、いきなり強いお酒を飲んじゃって、酔っ払ってるだけだよ。 ちょっと酔いを醒ませば元通りになるよ」 リナリーがいけしゃあしゃあとついた嘘に、まずはリンクが納得した。 「そう言えばさっき、確かめもしないで大量のリキュールを飲んでいましたからね。 菓子に入れる程度の酒量で酔っ払う子供ですから、この異常行動も無理はないのかもしれません」 「は?!アレン、リキュール飲んだんさ?! あれってアルコール度数が高いのばっかなんに・・・うかつさねぇ」 ようやく納得したラビが、獣耳の取れたアレンの頭を撫でてやる。 「やれやれ。 全くお騒がせな奴さね、お前は」 「いや・・・ラビには言われたくないんじゃないかな・・・」 少なくとも一人は、と見遣ったクラウドは、とっくに遠く離れていた。 「・・まぁいいや。 とりあえずアレン君、何か飲む?お水がいいかな?」 即席バーのテーブルに戻ったリナリーは、グラスに氷と水を入れてアレンに渡す。 「ありがとうございます」 いつも通りの礼を言われただけなのに、ふんわりと純粋に微笑むアレンの表情にリナリーの鼓動が跳ねた。 「わ・・・私も何か飲もうかな!」 上擦った声をあげて、リナリーは手近にあったメロンシロップを手に取る。 炭酸で割ったメロンソーダを一気に飲み干して・・・ 「きゃっ・・・きゃふんっ・・・!!!!」 鼻を突き抜けた強いミントの香りに、くしゃみが出た。 「? どうかしました?」 涙目になってくしゃみを続けるリナリーの前にアレンが屈みこみ、紅くなった顔を覗き込む。 「メロンシロップの味が変で・・・!」 ヒリヒリする舌を噛みそうになりながら懸命に言うと、リナリーが飲み干したグラスに鼻を近づけたアレンは、続いて緑のシロップが入った瓶のにおいを嗅いだ。 「これ、メロンシロップじゃなくてミントですよ?」 「え?! なんでミント・・・・・・!!!!」 瓶のラベルを見たリナリーの顔が、一気に蒼褪める。 それはリーバーに飲ませようと画策して、ミントのフレーバーをつけた『嫉妬薬』だった。 「っなんで・・・・! ここにあったメロンシロップは・・・?!」 「え?!使っちゃまずかった?!」 「お前がいないから、勝手にクリームソーダ作ってたんだが・・・」 別のテーブルで、巨大クリームソーダを作成していたジョニーとジジが、リナリーの声に驚いて振り返る。 「まずいって言うか・・・! 勝手に持ってっちゃうから、間違えてすごくキツイミントソーダ飲んじゃったよ!」 涙ぐみながら紅くなった鼻を撫でるリナリーに、ジジが吹き出した。 「あぁー!そりゃ不味かったな!」 「でもそれ、リキュールじゃないんだろ?だったら大丈夫じゃん」 「あ・・・・うん・・・まぁね・・・・・・」 ジョニーの言葉には曖昧に頷いた彼女に、そっとアレンが歩み寄る。 「大丈夫ですか、リナリー? 医務室に行きますか?」 心底気遣わしげな目で見つめられて、リナリーの鼓動がまた跳ねた。 「そんな・・・! ミ・・・ミントを飲んじゃっただけだから、平気だよ!」 「そうそう 放っておけば、そのうち気にならなくなるわん クスクスと笑いながら歩み寄って来たジェリーが、まだ封の開いていないメロンシロップをリナリーへ渡す。 「ジジちゃん達が使い切っちゃうだろうからって持って来たんだけどん、間に合わなかったわねん 「うう・・!遅いよぉ・・・!」 すんすん、と、鼻をすするリナリーの紅い顔を、興味深げに寄って来たラビが指差して笑った。 「リナ、真っ赤じゃん! ラウより猿っぽ・・・がふぅっ!!」 目にも止まらぬ回し蹴りを受けて、ラビが自ら作り出した血溜に沈む。 「・・・これでラビの方が紅くなったね」 ラビを見下ろすリナリーの、酷薄な顔を見せまいとアレンの目を塞いだジェリーの手を、彼が軽く叩いた。 「あの・・・耳、着けてくれますか?」 「アラン 手を放してやると、アレンが取れてしまった獣耳を差し出す。 「アレンちゃん、わんこになるのん?このままミランダの前に出たら、危ないんじゃないん?」 つけ終わった獣耳の角度を確かめながら、クスクスと笑うジェリーにアレンは首を振った。 「わんこじゃなくて、狼です! 満月で変身する方!」 そう言って、アレンが傍を飛ぶまん丸のティムキャンピーを指すと、ジェリーが大きく頷く。 「あぁ、狼男なのねん でも可愛いから、狼少年・・・って言ったら、意味が違っちゃうわねん」 リーバーと同じことを言いかけたジェリーに、アレンが笑い出した。 「じゃあ僕、お菓子をくれないと狼が来るよー!って、みんなに言いふらします!」 「アラ たくさんお菓子あげなきゃねん 仲睦まじく笑いあう二人の傍らで、放置されたリナリーが思いっきり頬を膨らませる。 「な・・・なによ、アレン君ってば! ジェリーとあんなに楽しそうに・・・!」 「ぎふっ・・・! い・・・いつものことじゃんさ・・・!」 怒りを込めた足に踏み潰されたラビが血反吐を吐くが、 「許せないんだもんっ!!!!」 悔しげに何度もラビを踏みつけるリナリーに驚き、ジェリーとアレンが止めに入った。 「ちょっとアンタ!なにやってんの!!」 「こ・・・これ以上踏んだら、ラビが死んじゃいますよぅ!」 ジェリーに羽交い絞めされたリナリーの足元から、アレンが急いでラビを引き抜く。 「ラ・・・ラビー!しっかりしてー!」 白目を剥いたラビをアレンが介抱する様が妬ましくて、リナリーはジェリーの手を振り解いた。 「アレン君は私だけ構っていればいいの!」 ヒステリックな声をあげてアレンの手を引くと、ジェリーが目を丸くする。 「ど・・・どうしちゃったのん、アンタ・・・?」 もしかしてアルコールが入っていたのだろうかと、リナリーが使ったグラスを取り上げるが、酒の匂いはしなかった。 明らかにいつもの様子ではないとは思ったものの、原因がわからずに困惑するジェリーから、リナリーは餌を守る肉食獣のような目でアレンを引き離す。 「あ・・・あの・・・?」 「ジェリーにくっついちゃダメ!ラビにも!!」 「は・・・はぁ・・・」 わけがわからないながらも、逆らってはいけない剣幕に気圧されて、アレンはリナリーに従った。 ややして、ラビはもちろん、ジェリーの目からも隠れた食堂の隅で、リナリーがようやく足を止める。 「リナリー?まだ顔が紅いけど、大丈夫ですか?」 獣耳をつけたアレンに子犬のような仕草で尋ねられて、リナリーの鼓動がまた跳ねた。 「だぁっ・・・大丈夫・・・だけど・・・・・・」 自分を見つめるアレンから目が離せなくなったリナリーは、彼がどこにも行かないように、しっかりと両手で彼の手を握る。 「もしかしたら・・・具合悪くなるかもしれないから、このまま一緒にいて!」 「はい、いいですよ」 にこりと微笑んだ表情がとても優しくて、リナリーはアレンの腕を抱きしめた。 「絶対だよ?!どこにも行っちゃだめだから!アレン君も一緒に休んでよ!」 あまりにもワガママな言葉にリナリー自身が驚き、慌てて、何かもっともらしい理由はないかと頭を捻る。 「あ・・・あんまり動くと、アレン君も酔いが回って倒れちゃうかもしれないし!」 とっさに思いついたにしてはうまいことを言った、と、内心こぶしを握るリナリーの前で、アレンも納得した風に頷いた。 「そっか・・・そう言えばそうですね。 僕、リキュール飲んじゃったんでした」 「ね?! あそこに座ってようよ!」 心の中で快哉をあげながら、リナリーは壁際を指差す。 基本、立食形式で整えられたパーティ会場であるため、椅子はそこに寄せてあった。 跳ねるような足取りでアレンの手を引き、座らせたリナリーは、傍から見て異常なほど彼に寄り添っている。 「ちょっと・・・! あれ、大丈夫なの?!」 その危険性にいち早く気づいたキャッシュがリーバーに駆け寄ってご注進すると、彼も困惑げに眉根を寄せた。 「室長が来る前に引き剥がさないとまずいな・・・!」 「そうだよね! あたし・・・っ?!」 言いかけたキャッシュは、いきなり突き飛ばされて息を呑む。 「え・・・? ど・・・どうしたの、ミランダ・・・?」 リーバーを挟んで向こう側にいたはずのミランダが、いつの間にかキャッシュとリーバーの間に割り込んだ上、突き飛ばしたことが信じられずに問うと、彼女は妙に据わった目でキャッシュを睨んだ。 「私のものに馴れ馴れしくしないで!」 「・・・・・・・・・は?」 あまりに意外な言葉を聞いてしまったキャッシュは、その意味を正確に処理できず、同じ発音でもドイツ語ではどういう意味になるのだろうか、などと埒もないことを考え込む。 と、無言になってしまった彼女に、ミランダが更に詰め寄って再び突き飛ばした。 「近づきすぎですよ! 私より彼の近くにいるなんて、許しません!」 「はぁっ?!それなんの冗談?!」 「冗談なんか言いませんもの、私!」 ヒステリックな声をあげるや、ミランダは腰の紐を解いて、ドレスを膨らませていたクリノリンを外す。 がしゃがしゃと金属的な音を立てて足元にとぐろを巻いたそれを乗り越えた彼女は、リーバーの腕を抱きしめ、身体を密着させてキャッシュを睨んだ。 「・・・・・・私より、30cmも彼の傍にいるなんて許せない!」 それがクリノリンの半径か、と気がつくまでに少し時間がかかったキャッシュが、慌てて首を振る。 「イヤイヤイヤイヤ! あたし、あんたから班長を奪おうなんて気、全然ないから!信じて!」 しかし、今のミランダは戦場でさえ見たことがないほどに殺気立っていて、まともに話の出来る状態ではなかった。 「ヤバイ・・・! ロブ!代わって!!」 一番近くにいた同僚を身代わりに差し出すと、ミランダの目が唐突に和む。 「あ・・・あの、ミランダ。 アレンの身の安全を確保するためにね、その・・・」 「・・・なに勝手に話しかけてんだ。 テメェが話すのは俺にだろ」 頭上から低く、深い怒りに満ちた声をかけられて、ロブが凍りついた。 「え・・・?班長・・・?!」 「こいつのこと、気安く呼び捨てにしてんじゃねぇよ!」 ミランダを引き寄せるや、向き合ったリーバーが更に怒声をあげる。 「お前も! 無闇やたらと愛想振りまくんじゃない!」 その怒号に驚いた全員が、怯えて竦むミランダを幻視したが、実際の彼女は怯えるどころか目を吊り上げてリーバーに迫った。 『んまぁ! それはこっちのセリフです! なんですか、いつもリナリーちゃんやクラウド元帥や、ナースの皆さんと楽しそうに話して! 私がいつも、どれだけ我慢していると思っているの?!』 早口のドイツ語に戸惑いもせず、リーバーはすかさず反駁する。 『それを言うならお前なんか、いつも男と任務に行ってんだろ!』 『文句があるなら女性エクソシストと組ませればいいでしょ! グループを分けているのはそっちじゃない! 私だって好きで行ってるわけじゃないのよ!!』 口では女にかなわない、とは、世界共通認識だが、それ以前に、普段のミランダからは想像もできない激しさに、誰もが口を挟めなかった。 「と・・・止めた方がいいんじゃ・・・・・・」 声を震わせたジョニーがジジをつつくが、いくら怖いもの知らずの彼でも、この二人の間に入る勇気はない。 「く・・・君子危うきに近寄らず、って素晴らしい諺のある国にしばらくいたんでな・・・。 俺ァちょっと行けねーわ・・・」 「じゃ・・・じゃあ、監査官は・・・?」 硬直して二人のやり取りを・・・いや、正しくは、初めて見るミランダの剣幕を見つめていたリンクが、慌てて首を振った。 「わ・・・私には無理です・・・!」 「でも、監査官ってドイツ人だろ? あのネイティブな言い争いに入って行けるのは、ネイティブだと思うし!」 だから止めて来いと、背中を押すジョニーにリンクは必死に抵抗する。 「あ・・・あんなにお怒りでいらっしゃるのに、私が口を挟めるわけがないでしょう!」 本来ならリンクにとって、喜ばしい二人のケンカだが、今回ばかりはいいぞもっとやれ、と煽る気にはなれなかった。 それほどに、普段怒ることのないミランダの剣幕は恐ろしい。 どうしよう、と、泳ぎだした全員の視線が、ややして一点に集まった。 「ハイハーィ! アンタ達、そこまでよん!」 無理矢理二人の間に入ったジェリーが、両手でそれぞれの腕を取って連行する。 「せっかくのパーティなのに、雰囲気ぶち壊しにしないの! 別室で頭冷やしましょ!」 そう言われると、普段周りを気遣う二人だけに、気まずげに黙り込んでおとなしく連行された。 「ど・・・どうしたんだろうな、一体・・・?」 あまりにもいつもと違う二人の様子に皆が戸惑う中、元凶のリナリーは構わずにアレンを独占している。 「あの・・・大丈夫でしょうか、リーバーさん達・・・」 さすがに気になったアレンが不安げに言うが、リナリーは放っておけと首を振った。 「ジェリーがうまくやってくれるから、近づかなくていいんだよ。 下手に入っていくと、馬に蹴られちゃうよ!」 「はぁ・・・」 納得しがたい様子で頷いたアレンは、自分の腕にしがみついたままのリナリーを不思議そうに見下ろす。 「それで・・・あの・・・? リナリーはなんで、僕にくっついてるんですか?」 「迷惑?」 「ううん」 むっと眉根を寄せたリナリーにあっさりと首を振り、アレンはまた不思議そうな顔をした。 「むしろ嬉しいですけど、どうかしたのかな、って思って」 「うっ・・・?!」 直球で放たれた言葉にリナリーは、顔を紅くする。 と、何を勘違いしたのか、アレンはひんやりした手をリナリーの額に当てた。 「うーん? リナリーが飲んだのって、リキュールじゃないんですよねぇ? なのになんで、僕より熱いの?」 誰のせいだ、という言葉は、喉の奥に引っかかって出てきそうにない。 陸に上がった魚のようにリナリーが口をパクパクさせていると、背中を押されて嫌そうな顔をしたジジが寄って来た。 「あ・・・あのな、リナリー・・・! もうすぐお前の兄ちゃんも来るだろうから、ちょっと離れちゃどうかな?」 「やだっ!」 ぷんっと頬を膨らませ、ますますアレンの腕にしがみつくリナリーに、ジジが困り果てる。 「いや・・・でもさ、このままだと室長の奴、アレンを殺しかねないから・・・」 「それは困ります」 意図したことではないだろうが、リンクがジジへ助け舟を出した。 「一旦離れなさい、リナリー・リー。 ウォーカーは私の監視対象なのですから、勝手に死なれては困るのです」 「やだってばっ!!」 おもちゃを取り上げられまいとする子供のように、意地でもアレンから離れようとしないリナリーに、リンクがこめかみを引きつらせる。 「いい加減にしなさい!年頃の娘がはしたない!!」 「はしたなくていいもん! 監査官に取られるなんて、絶対やだっ!!」 とうとうきつく抱きしめたリナリーの腕の中で、アレンは困惑げな目をした。 「あの・・・リンク、あんまり乱暴なことは・・・」 とりなそうとするが聞くわけがなく、リンクはリナリーのネックレスを乱暴に掴む。 「早く離れなければ、首が絞まりますよ?!」 「ふえぇぇ・・・っ!!」 「ちょっ・・・危ないですよ、リンク!!」 薔薇の蔓を模したネックレスは、棘こそないもののあちこちが尖っていて、リナリーの首は絞められる前に突き刺されそうだった。 「リ・・・リナリー、一旦離れましょう?!ね?!」 「ヤーダー!!!!」 頑固に逆らうリナリーに困ったアレンは、彼女を横抱きにして立ち上がる。 「コムイさんに見られちゃ危ないから、このまま避難します!」 「避難・・・とは、どこへ?」 怪訝顔のリンクの腕を取ったアレンは、彼がリナリーのネックレスにかけていた手をやんわり外させて、にこりと微笑んだ。 「医務室にでも行ってますよ。 婦長なら、きっとコムイさんからも守ってくれます」 「しょ・・・正気ですか、ウォーカー?!」 なぜだか酷く驚くリンクに頷き、アレンは泣きながら自分に縋るリナリーの額に頬をすり寄せる。 「大丈夫。 そんなに嫌なら無理矢理引き剥がしたりしませんから、一緒に医務室に行きましょうね」 「う・・・うん・・・!」 アレンの首に腕を回し、ぎゅっと抱きついて来たリナリーに微笑んで、アレンはパーティ会場を出て行った。 その後を、しばし呆然としていたリンクも追って、凍りついた場がようやく息を吹き返す。 途端、 「ア・・・アレンがご馳走を無視して出て行く・・・だと?!」 「ありえねぇ!! あの食いしん坊がご馳走を前にしてありえねぇ!!」 「酒か?!酒の効果なのか?!」 「あいつの食欲が酒くらいで減退するかよ!!何かもっと恐ろしいこと・・・!」 口々に喚きだした団員達が、一斉に窓へたかった。 「て・・・天変地異が起こるぞ・・・!」 秋の空は抜けるように青く、澄み渡っていたが、それだけに不気味さが増す。 「あの世とこの世が繋がるんだアアアアアアアアアア!!!!」 絶叫は城外にまで轟き、森の動物達を怯えさせた。 「サァサ、兄弟達ー 我輩のクッキーが焼きあがって・・・オヤ?」 ホカホカと湯気をあげるクッキーを持って部屋へ入った伯爵は、室内の異様な光景に目を丸くした。 「これは・・・どうしたのです?」 真っ先に目に入ったトライドが普段の剣呑さを収め、にこにこと兄弟のとりなし役をしていることに伯爵は首を傾げる。 「また随分とご機嫌な・・・アラ?」 誰か説明を、と、見回した部屋の隅では、壁に向かってうずくまったティキが、血塗れの双子と猛獣のルル=ベルに挟まれてしくしくと泣いていた。 「ティキぽん?」 声をかけると、ティキの恨みがましい涙目が振り返る。 「なにかありました?」 「千・・・!」 「千年公〜 僕のパイも食べてぇ 割り込んだロードがティキの声を阻み、手にした皿をにこにこと差し出した。 「アラ どれどれ・・・」 「千年公!!!!」 駆け寄ったティキが止める間もなく、伯爵はさくさくとパイを食べてしまう。 「どぉ?どぉ?」 わくわくと目を輝かせるロードに、伯爵はわずか、首を傾げた。 「ふむ・・・悪くはありませんが、我輩でしたらもうちょっと丁寧に裏ごししますねェ・・・」 お菓子作りの名人として改善点を言った彼は、はっとロードを見下ろす。 「あ・・・!もしかしてこれは、ロードが作ったのですか・・・?」 だとしたら悪いことを言ってしまったと、気遣わしげな彼にロードは、にこりと笑って首を振った。 「ううん!守化縷だよぉ!」 「あぁ・・・そうですか」 ほっとした伯爵に、ロードは再び皿を差し出す。 「ねぇねぇ、もっと食べてよ! 今食べたのは紫・・・じゃない、なにも乗ってなかったけど、緑のアンゼリカが乗ってるのと、銀色のアザランが乗ってるのと、黒ゴマが載ってるのはちょっとずつ味が違うんだよぉ 千年公、どこが違うかわかるぅ?」 クスクスとイタズラっぽく笑うロードの背後では、ルル=ベルと双子達にたかられ、もみくちゃにされたティキが悲鳴をあげていた。 「そうですねぇ・・・?」 ティキを気にしつつも、緑のアンゼリカが乗ったパイを手にした伯爵が、さくさくと食べる。 「なるほど、裏ごしが足りないと思っていましたが、豆の食感を残しているのですね この香りは青エンドウ・・・と言うことは、うぐいす餡ですか それで緑のアンゼリカを乗せたのですね うんうん、と頷いて、伯爵は黒ゴマの乗ったパイを手で割った。 「アァ、これは黒ゴマを入れてある ふむふむ・・・丁寧に煎ってあって、実においしいですね 最後は、と、銀色のアザランが乗ったパイを手に取る。 「オヤ! これはリンゴを入れているのですか 形を保って甘く煮込まれたリンゴの酸味を心地よく味わいながら、伯爵は満足げに頷いた。 「守化縷達は実にいい仕事をします 彼らにも我輩のお菓子を届けましょ 機嫌よく言った伯爵は、なんら様子を変えることなく手にした皿を差し出す。 「さ 我輩のクッキーもどうぞ 訝しげに眉根を寄せたロードは無言でクッキーを掴み取り、ティキは彼女の気がそれている間に密かに部屋を逃げ出した。 「おや、どうかしたのかい?」 全身傷だらけのティキが息せき切って駆け込んだ先では、シェリルがワイズリーの躾け真っ最中だった。 「そうだ、ちょうどいい。 キミもテーブルマナーを学びたまえ」 彼が軽く手を払うと、ティキの四肢が自分の意志によらず動いて、テーブルに着く。 「では、ワイズリー。 もう一度、ナイフとフォークを選ぶ所から・・・」 「ッシェリル!! ちょっと聞いてくれ!!」 「なんだい?」 テーブルを叩いて叫んだティキの、切羽詰った様子にやや驚いて、シェリルが向き直った。 「いつも暢気なキミが、珍しく焦っているじゃないか。 なにがあったんだい?」 小首を傾げたシェリルに、ティキはついさっき自分が見たこと・・・伯爵には、例の薬のどれもが効果を発揮しなかったことを話す。 「それは・・・不思議なことだねェ・・・・・・」 顎をつまんで考え込んでしまったシェリルの傍らで、しかし、ワイズリーは『純粋』の効果を保ったまま、暢気に笑った。 「なんの不思議なことがあろうか。 千年公は我らと違い、長い生をあのままに生きておるのだ」 その言葉で、はっと目を見開いたシェリルとは逆に、ティキが訝しげに眉根を寄せる。 「え? それってつまり・・・?」 「鈍いのう」 クスクスと笑う彼の目に、ほんの少し本来の意地の悪さを感じ取ったティキが、むっと口を尖らせた。 「俺にもわかるように話せよ!」 苛立った声をあげると、ワイズリーは機嫌のいい猫のように目を細める。 「つまり公は、惚れ薬など使われずともその場にいた全兄弟を心から愛しておるし、独占欲など今更増大しようのないほど兄弟達を深く支配しておる。 真の姿など、とうに我らの前にさらけ出しておるし、常に純粋に目的に向かっておる。 我らノアの兄弟を統べる最高の存在ゆえに、最も欲深く純粋な公をして、薬ごときになんの効果があろうか」 「・・・・・・そういうことか」 ようやく腑に落ちたティキが、どこか呆然と呟いた。 「ボクが・・・千年公を尊敬するのはまさにそこなんだよ。 欲のノアであるボクをはるかに上回る欲を持っていながら、飄々と長い生を亘っている。 いつも深みにはまっているようなボクと違って、とても軽やかで、憧れて止まないよ」 クスクスと笑うシェリルに、ティキは軽く吐息する。 「あぁー・・・なんか、どっと疲れた。 俺、今日はもう、失礼していいかな」 猫と双子にたかられるのはゴメンだと涙するがしかし、許可が下りるわけがなかった。 「敬愛する千年公が主催するパーティだよ? 兄弟が揃わなければ、とても物足りないことになるよ」 「・・・だよな」 逃げられるわけがなかった、と、ティキはため息をつく。 「じゃ、できるだけ早く切り上げよ・・・」 その間、どうやって猫と双子から逃げようかと、ティキは激しく痛む頭を抱えてしまった。 To be continued. |