† Entichers †






 ―――― 見渡す限り、一面の・・・・・・砂。
 水の気配すらない空と金色の太陽以外は砂しかない世界を、彼はただ呆然と見つめていた。
 とにかく、痛いほど突き刺さる日光を遮ろうと、身体に纏わりついたパラシュートを頭から被り、鉄板のようになりつつあったヘルメットを脱ぐ。
 「・・・卵を落としたらきっと、目玉焼きになるさね」
 笑おうとして失敗した声は酷く間抜けだったが、幸いなのか不幸なのか、誰も聞く者はなかった。
 「・・・・・・どーしよ」
 やや離れた場所で、ぷすぷすと煙をあげる機体を見つめ、彼は焼けた砂の上に座り込む。
 パラシュートで作った小さな日陰は妙に暗く、焼けた砂から立ち昇る熱気ですぐにサウナ状態になったが、それでも鉄板の上で炙られるよりはましだと、彼は次々と浮かんでは消える善後策を検討した。
 そうしてどのくらい時が過ぎたのか。
 最初は気のせいだと思ったものの、さく、さく、と、砂を踏む音を聞いて、彼は被っていたパラシュートを脱ぎ捨てた。
 途端、金色の輝きに目が眩み、覆った手の隙間からそっと覗いた先に、奇妙な男がいる。
 この砂漠の真ん中で、男は欧州の貴族のようにすっきりしたスーツを着込み、黒いマントで身を覆っていた。
 容赦ない陽射しの下、フードも被らずに平然と立つ男の姿に唖然としていると、砂漠の民には到底あり得ない白い手が、すっと差し出される。
 「飛行機が墜落したのを見て、来てみたのである。
 怪我はないであるか?」
 その穏やかな声を聞いた途端、彼は確信した。
 「そっか・・・俺、死んだんさな・・・・・・」
 「は?」
 小首を傾げた男に、彼はため息をつく。
 「だって・・・こんな砂漠の真ん中に、あんたみたいな人がいるなんて思えないさ。
 俺・・・死んじまったんだろ?」
 死の世界とはもっと暗いものだと思っていたが、意外と明るいものだなと、彼は目の眩む陽光を仰いだ。
 と、そんな彼に男は、呆れたように肩をすくめる。
 「お前が死んでいるのなら、私も死んでいるということだろうか。
 それは多分、違うと思うのであるが」
 あまりにも暢気な言い様に驚き、見遣った男はにこりと笑った。
 「私は故あってこの星にやってきた者で、アレイスター・クロウリーと言う。
 お前は?」
 改めて差し出された手を握ると、ちゃんと感触があることを不思議に思いつつ、彼は『ラビ』と名乗った。
 「あ・・・あのさ、クロちゃん・・・!
 あんたはなんでこんな砂漠の真ん中に、そんなカッコでいるんさ?
 あんたも墜落・・・とか?」
 それにしては妙な格好だ。
 彼の姿は砂漠よりも、欧州の古城にこそふさわしく思えた。
 そう言うと、彼は小首を傾げて笑う。
 「いや・・・私は、人の勧めでこの星に来たのだ。
 たまたま着いたのがこの場所だっただけであるよ」
 「星・・・?」
 「私はこの星とは違う星から来たのである」
 にこにこと笑う彼に、ラビは唐突に納得した。
 「なるほど・・・墜落したショックで頭がおかしくなんなかった俺の方が特殊なんさね。
 わかったさ、クロちゃん。
 そんであんたの飛行機はどこに落ちたんさ?」
 衣装はきっと、旅先のパーティで着ようと持って来た物を引っ張り出したのだろうと解釈し、ラビはキョロキョロと辺りを見回す。
 だが、相変わらずそこは砂ばかりの世界で、墜落した機体が埋もれた様子もなかった。
 「あー・・・クロちゃん、その・・・自分の星からこの星には、どうやって来たんさ?」
 頭の混乱した人間の言うことを否定しても始まらないと、ラビは彼の話に合わせることにする。
 と、クロウリーはさも当然とばかり、雲ひとつない空を指した。
 「夜になると、私にこの星へ行くことを勧めてくれた、地理学者のいる星が見える。
 私はそこから降りてきたのであるよ」
 「へーぇ・・・」
 仮面のような作り笑いから間抜けな声をあげたラビは、かくんと頷いて再びパラシュートを被った。
 「・・・こんな炎天下で動いたら体力消耗するだけだかんな・・・ちょっと日陰にいるさ」
 そう言って、未だ煙をあげる機体から離れ、小高い砂山の影になった部分に回る。
 「あ、クロちゃん、ちょっと崩すの手伝ってさ」
 ひょいひょい、と手招かれた彼が覗き込むと、ラビは焼けた砂を上から崩しているところだった。
 「掘ればいいのであるか?」
 「ん」
 短い返答を受けて、ラビがやるように熱い砂を上から掘り崩すと、わずかに湿った冷たい砂が下から現れる。
 「ほう・・・涼しいのであるな」
 「他の土地から見りゃ、十分熱いンけどね」
 対比だ、と呟いて、ラビはひんやりと冷たく感じる砂に背を預けて座った。
 「この角度なら、日が沈むまで陽光は当たんないさ。
 クロちゃんもここにいな」
 「ああ」
 頷いたクロウリーは、座る前にマントの下を探る。
 と、白っぽいふかふかの毛皮を纏った生き物が、ちょろちょろと這い出して彼の肩に乗った。
 「な・・・なんさ?!」
 やけに耳の大きな生き物はキツネに似ている。
 「フェネックと言うそうな。
 まだ子供だが、私の友達である」
 「はぁ・・・」
 ちいさく可愛らしい身体に似合わず、額から口の端にかけて傷の走ったそれは、意外なほど精悍な顔をしていた。
 「名前とかつけてんの?」
 「あぁ。アレンであるよ」
 「ふぅん・・・」
 焼けた砂で火傷しないようにか、足の裏にまで毛の生えたフェネックは、地面に下ろすや穴を掘り始めて、あっという間に隠れてしまう。
 「昼の間は、砂の下で寝ているのである」
 今までマントの中を寝床にしていたのだと言うと、ラビは感心したように頷いた。
 「砂漠で生きる知恵さねェ・・・」
 フェネックとは違い、砂漠で生きるよう進化を遂げていないラビは、大きくため息をつく。
 と、クロウリーが突然手を叩いて、やけにキラキラした目でラビを見つめた。
 「そうであるそうである!
 ラビは、羊を見たことがあるであるか?!」
 「羊?
 そりゃあるけど」
 「描いてくれぬか?!」
 「はぁ・・・ま、日が暮れるまでやることないし」
 クロウリーの輝く目に気圧されて、ラビは緊急脱出時に提げたバッグから紙とペンを取り出す。
 「・・・あ、そうさ、クロちゃん。
 俺、水と食料は1週間分しか持ってないんけどクロちゃんは・・・」
 「早く描いてほしいである!」
 「はぁ・・・」
 まぁ、こうして生きていると言うことは十分な用意があるのだろうと推測して、ラビは羊の顔を描いた。
 それは図鑑に載っていてもおかしくない精密さだったが、クロウリーのお気には召さなかったらしい。
 「随分と・・・怖い顔をした羊であるな。
 しかも、首だけである」
 「紙の広さが足りんかったんさ。
 なんさ、全体図を描いて欲しかったンさ?」
 問うと、彼はこくりと頷き、人差し指を立てた。
 「できれば、小さな子羊がいい。
 我が星はとても小さく、3〜40歩もあれば一周出来るほどの広さしかないのだ。
 私と、私の家と、三つの火山と・・・もう一つ。
 それしかないのだから、あまり大きくては困るのであるよ」
 「へ・・・へぇ・・・そう・・・・・・」
 一体、どんな昔話の世界にいるんだろうと思いつつ、ラビは生まれたての子羊が寝転んでいる姿を描く。
 「ホイ、こんなんでどうさ?
 こいつはさっき生まれたばっかで、今から立とうとしてるとこさ!
 結構長いこと生きるだろうし、毛艶もよくて、将来立派な羊になるさね!」
 子供の頃の、ごっこ遊びをするようにラビが言うと、クロウリーの目がキラキラと輝いた。
 「これは草をたくさん食べるであろうか!」
 「あぁ。
 これから大きくなるために、たっくさん食べるさ!」
 そう言ってやると、クロウリーは満足げに頷く。
 「よかったである!
 我が星には、放っておけば星を割ってしまうバオバブの木の種が、至る所に埋まっているのであるよ。
 芽を出した当初はバラとよく似ているのでな、うっかり見過ごすと、とんでもないことになってしまうのである・・・」
 眉根を寄せ、困惑げに言う彼に、ラビは頼もしく頷いてやった。
 「だったら、こいつの好物はバオバブの芽ってことにしようぜ!
 バラは棘があるから嫌いなんけど、バオバブも芽のうちはきっと、柔らかくてうまいだろうからさ、子羊はそれが大好きなんさ!」
 わざとはしゃいだ声をあげると、なんだか本当に元気になった気がして、ラビは羊の絵を嬉しそうに見つめるクロウリーの顔を覗き込む。
 「なぁなぁ、クロちゃん?もっとクロちゃんの星の話してくんね?」
 その話の断片にでも、この紳士の素性が知れることがあればと思って問うと、彼はにこりと笑って頷いた。
 「さっきも言ったように、我が星はこの星に比べると、とてもとても小さな星なのである。
 この星の人間が住む家ほどの大きさで、一跨ぎできるほどの火山が三つ。放っておけば星を割ってしまうバオバブの種があちこちに埋まっていて・・・バラが一輪、咲いている」
 バラに言い及んだ時、彼は笑いながらも寂しそうな顔をする。
 「バラはどこか、別の星から飛んできた種が芽吹いたのであるが、非常にわがままで、少しでも寒いと怒るし、少しでも水が少ないと怒るし、少しでも肥料が不味いと怒るし、随分と振り回されたものである」
 言っている事は愚痴のようだが、彼の口調はとても優しくて、愛しい者について語る時特有の柔らかさがあった。
 「彼女が咲いた時は、それは素晴らしい瞬間であったよ」
 とてもおしゃれで気取り屋の彼女は、早く早くと待ちわびるクロウリーを焦らすように、いつまでも固い蕾を開こうとはしなかった。
 いくら声をかけてもそ知らぬ顔で、念入りに衣装の色を選び、襞を整え、咲く瞬間に一番美しくあろうと化粧を凝らしていた。
 そしてその日、朝日が昇る瞬間。
 彼女は待ちわびるクロウリーの前でゆっくりと、だが確実に大きな花を開いたのだった。
 「あらいやだ、待ってたの?」
 まるで、その時初めてクロウリーの存在に気づいたように、彼女は言った。
 「髪を整えるまで、あっちを向いてなさいな。
 ううん、それより、新鮮なお水が欲しいわ」
 口を開いた途端、矢継ぎ早に言う彼女にクロウリーは驚き、慌てて水を持って来た。
 「花に直接かけちゃ嫌よ。
 せっかく整えたんだから。
 肥料は私がいいって言ったものじゃないと埋めちゃだめ。
 色が悪くなっちゃうもの」
 生意気な命令口調には呆れたが、彼女の微笑みはとても魅力的で、クロウリーは彼女の言う通りに従った。
 「私はずっと一人ぼっちで話し相手もなく、夕陽を見ることだけが唯一の楽しみであったのだが・・・彼女が咲いてからは、良くも悪くも心休まる暇がなかったである」
 彼は甲斐甲斐しく彼女の世話を焼き、風が嫌だと言えば衝立をし、虫が嫌いだと言えばガラスの覆いをし、彼女が気に入る味になるまで肥料の配合を工夫した。
 「しかしある時・・・鳥の群れが星から星へ渡っていくのを見て、不意に・・・出かけたくなったのであるよ」
 それまでは、ずっと彼の星と彼のバラの世話を焼く日々だった。
 しかし、彼女が種のまま運ばれてきたように、バオバブがいつの間にか地中に埋まっているように、小さな彼の星にも、少しずつ何かが運ばれて来て、何かが運ばれていくのだ。
 ならば自身がどこか別の星に運ばれて、何かを運んで来ることもあるのではないか?
 その考えは病のように取り付いて、バラの刺々しい声も聞こえなくなるほどだった。
 そんな彼にバラは『愛想をつかした』と言ったのだ。
 「そんなに行きたければ、勝手に行けば?」
 冷たく言って、そっぽを向いた彼女は、彼が慌てて言いつくろうのを待っていた。
 そんな気はない、ずっと傍にいると、その言葉を待っていたのに、いつまで経っても彼の声は聞こえてこない。
 驚いた彼女が恐る恐る見遣った彼の横顔は、じっと渡り鳥の行く先を見つめていた。
 「・・・なによ!
 そんなに着いて行きたきゃ、行けばいいって言ってるのよ!
 早くしないと追いてかれるわよ!!」
 バラにせっつかれて、はっとした彼はすぐに出発の準備を始めた。
 三つある火山の、二つの活火山だけでなく、一つの休火山も念入りに煤払いして、うっかり噴火などしないように。
 見つかる限りのバオバブの芽を抜いて、留守の間に星を割られることのないように。
 そうして全ての準備を終え、最後に彼のバラへガラスの覆いをしてやろうとすると、不機嫌の頂点にいた彼女は鋭い棘で引っ掻いてきた。
 「そんなのいらない!」
 「いや・・・しかし・・・」
 このままでは、彼女の嫌う冷たい風や虫にさらされてしまう、と言うと、バラはやや気まずげに顔をそむける。
 「そ・・・そんなの、構わないわよ!
 私は風だって嫌いじゃないし、いずれ蝶になるんなら、毛虫も我慢してやるわ」
 明らかに無理をしている様子に、やはり覆いをしようとした彼をまた、バラは引っ掻いた。
 「いいのよ!
 そんなのしたら・・・音が聞こえなくなるんですもの!」
 「音?
 なんの音であるか?」
 不思議に思って問うと、バラはその衣装よりもなお紅くなる。
 「と・・・鳥の声よ!
 たまに、とてもいい声で鳴くのがいるから・・・!」
 そう言ってちらりと見遣った彼は、案の定、純朴な顔で頷くばかりで、彼女が出立前から彼の帰りを待ちわびているなどと思ってもいない様子だった。
 「ではせめて、衝立をしておこう」
 冷たい風に、直接さらされないようにと衝立を立てた彼を、バラはじっと見上げる。
 「・・・やっぱり、行くんだ」
 「うん?」
 準備をすっかり整えた彼を見る彼女は、いつもの我侭や意地悪が消えて、とても美しかった。
 「出来るだけ早く、戻ってくるであるよ」
 きっと素敵なものを持って戻る、と言う彼に、彼女は頷いたのか、ただ風に揺れただけだったのか。
 以後、何も言わなくなってしまった彼女に見送られて、彼は星を出たのだった。


 「最初に訪れたのは、女王の支配する星だった。
 星は女王の座る玉座と、彼女の纏う豪奢なマントにすっかり覆われていて、私が座る場所さえなかったのである」
 「へぇ・・・!
 その女王様って、どんな人だったんさ?美人?美人さ?!」
 目を輝かせるラビに、クロウリーは頷いた。
 「私よりは年上に見えたが、とても威厳に満ちて、美しい女王であったよ。
 彼女は私を見るや・・・」
 「・・・おい、お前。新しい家来なのか?」
 低く、威厳に満ちた声をかけて、彼女は長い足を組み直した。
 「いや、私は・・・」
 口ごもるクロウリーに、彼女は鷹揚に頷く。
 「発言を許す」
 「はぁ・・・」
 困惑して、声の出なくなった彼に、女王は口の端を曲げた。
 「お前、どこから来た?
 なんのために我が領地へ入った?」
 「あ・・・む・・・無断で失礼したである、陛下。私は・・・」
 クロウリーが自身の星の話をすると、彼女は楽しげに聞き入り、何度も頷く。
 「なるほど、他国の公子であったか。
 他の星へ遊学し、見聞を広めようと言うのだな」
 「そ・・・その通りである!」
 自分がなにをしたいのか、なんのために星を出たのか、実を言えばよくわかっていなかった彼は、彼女に言われてようやく腑に落ちた。
 「よろしい。
 では我が国を存分に見回り、好きな物を持ち帰るがよい。
 ただし、それがお前の星にとって良いものか悪いものかの判断がつかぬ場合は、また私の元に戻り、尋ねるがよいぞ」
 なにしろ、彼女の支配する国には様々な知恵を持った者がたくさんいるのだ。
 「あ・・・ありがとうである、陛下!」
 頬を紅潮させたクロウリーに、彼女は鷹揚に頷いた。
 「なんの。
 旅の無事を祈るぞ」
 王錫を払う仕草が『退出を命じる』ことだと知り、クロウリーは深々とお辞儀する。
 「そうして次に行ったのが、芸術家の星だったのである。
 なにやら奇妙な人形だの、不思議な絵などが散乱していて・・・しかし、どれも素晴らしいものであった」
 クロウリーがその出来を誉めると、芸術家は嬉しそうに笑った。
 「そうかそうか、君は見聞を広めようとしているのか」
 大きなメガネの向こうの目を和ませた芸術家に、クロウリーは大きく頷く。
 女王によって目的を明確にされた彼は、相手にすんなりと話が通じたことを嬉しく思った。
 そんな彼が『何を描いているのか』と問うと芸術家はにこりと笑い、筆でカラフルなキャンバスを示す。
 「私はね、色んな星を巡って、景色のいい場所を探してはそこの絵を描いたり、そこから得られたインスピレーションで像を彫ったりしているんだよ」
 しかし、キャンバスの中の世界と実際の星空を見比べたクロウリーは、不思議そうに首を傾げた。
 「今描いている絵と、目の前の風景は違う気がするが?」
 暗闇にぽつぽつと星明かりの灯る景色に対し、彼がキャンバスの上に書いた星は、その間を色とりどりの流線で満たされている。
 と、彼はさわさわと吹く風に筆を置き、にこりと笑った。
 「目には見えないけれど、確実にあるもの・・・それを描いているんだよ」
 再びキャンバスに当てられた筆が、新しい流線を描く。
 「なるほど・・・星の間を巡っているのであるな」
 「うん。
 星は瞬くだろう?
 だけど、実際に星が点滅しているわけじゃない。
 風の流れが星の間に満ちて、星が瞬いているように見えるんだよ」
 だからその流れを描いている、と、彼はまた得意げに笑った。
 「私が言ういい景色って言うのは、いい風が流れている場所さ。
 それは季節や時間によって変わるけど、風の方向が変われば私も絵を描く場所を変えればいい」
 そしてまた、新しい絵を描くのだと言われ、クロウリーはそこに積まれた彼の絵を、知っている限りの誉め言葉で褒め称えた。
 すると機嫌をよくした芸術家は、クロウリーが持って帰るべき『良いもの』の中に自分の作品を加えようとしてくれた。
 「しかし、絵も彫刻も大きくて、持ち運ぶには重過ぎるのである」
 残念そうに言った彼に、芸術家はクロウリーのポケットに収まる程度の作品をくれた。
 「それがこの、アート・オブ・神田ミニチュア版である」
 「うわっ!目つき悪っ!」
 大事そうに差し出された人形を見るや、ラビが大声をあげた。
 「あ!すまないさ・・・!」
 気を悪くしただろうかと、そっと伺ったクロウリーの顔は、穏やかに笑っている。
 ほっとしたラビは、人形をクロウリーに返して話の続きをねだった。
 「次の星は・・・あぁ、ちょっとあれは・・・うん・・・・・・」
 口を濁すクロウリーに、ラビが首を傾げる。
 「変な星だったんさ?」
 「変な・・・というか、明らかに悪いものしかない・・・そうであるな、絶対に我が星には持ち込みたくないものであった」


 遠くを通りかかった時は、なんだかいい匂いがする、と思ったのだ。
 そこでちょっと寄って見るか、という軽い気持ちで近づいたのが、全ての間違いの元だった。
 「よーぅ!
 お前もこっち来て飲めや!」
 近づくにつれ濃くなっていく匂いに眉根を寄せたクロウリーへ、馬鹿でかい声がかけられる。
 見ると、周り中を酒の空き瓶で囲まれた真っ赤な髪の大男が、陽気に杯を掲げていた。
 「な・・・なんであるか・・・?」
 恐る恐る歩み寄ると、いきなり首に腕を回され、引き寄せられて、渡された杯になみなみと紅い液体を注がれる。
 「さぁ陽気になる水だ!一気に行こうぜ!」
 「ぐぼっ!!」
 無理矢理呷らされ、目を白黒させる彼を指して、男は愉快げに笑った。
 「どうだ、うまいだろ!」
 「も・・・もう少し、穏やかに飲みたいであるよ・・・!」
 苦情めいた口調のクロウリーに、しかし、男は構わず二杯目を勧める。
 「女じゃないのは残念だが、久しぶりの客だ!
 ひと樽空けねェうちは帰さねぇからな!」
 「そんなに飲めるわけないである!!」
 震え上がったクロウリーをまた、指差して笑う男が手を叩いた。
 途端、
 「お呼びですか、アナタv
 どこからか現れた美女が嫣然と微笑んで、男にしなだれかかる。
 その美しさに呆然としていると、男が大声で笑い出した。
 「こいつが俺と飲むのが嫌だっつーんでな!
 お前、きれい所を集めて侍らせろ」
 「あぁらv
 もしかして、お座敷遊びは初めてかしら?」
 女が艶やかな仕草で首を傾げると、髪に挿したかんざしが涼やかな音を立てる。
 「それに、私のような者も初めてのようですわねv
 「それはどういう・・・?」
 よくよく見れば、美女は優雅な襞を作る衣装を纏っていながら、胸元は大きく開いてその豊かさを強調し、深く割れた裾からは白い脚がちらちらと覗いていた。
 寒くはないのだろうか、と、全く別次元のことを考えてしまったクロウリーに、男が吹き出す。
 「こいつにお前の色気はまだ早かったみてぇだな!」
 ゲラゲラと笑う男にムッとして、クロウリーは踵を返した。
 「お?もう行くのか?」
 「ここには、私の求めるものはないようであるからな!」
 憮然と言い返すが、男は気にした様子もなく、陽気に杯を掲げる。
 「また来いよー!」
 「もう二度と寄らぬであるよ!」
 あの匂いがしたら近寄るまい、と、硬く心に決めて、彼は次の星へと向かった。
 そう言うと、
 「えぇー!美女もったいないさー!」
 ラビが、心底残念そうに言う。
 「まぁ、確かに美人ではあったが・・・私にはバラがいるからな」
 「一途さねェ・・・」
 信じられない、と、呆れるラビにクロウリーは、不満げに口を尖らせた。
 「あ、ゴメンさ、クロちゃん!
 謝るから、次の星の話してほしいさ!」
 すかさず詫びを入れると、クロウリーの尖っていた口もほころぶ。
 「次の星は・・・・・・怖かったであるぅ・・・・・・!」
 日はまだ高く、容赦なく照りつける陽光が砂を焼いていると言うのに、クロウリーはまるで、氷の上にいるかのようにぶるぶると震えた。
 「ど・・・どしたんさ・・・?!」
 ただ事ではない様子に驚くラビの腕を、クロウリーは震える手で掴む。
 「彼は数を・・・数を数えていたのである・・・!」
 「数?なんの数さ?」
 「星の数であるよ・・・!」
 ふるふると震える指で彼が指した空は青く、まだ星の出る時間には早かった。
 しかし、彼はその時のことを思い出すように、ひとつ、ふたつと空に点を打っていく。
 「彼が笑いながら数える星とは・・・人が死んで、現れた星だそうな・・・!
 彼は星になった人間・・・それも、自分が殺した人間の数を数えていたのであるぅ・・・!」
 「ひぃっ?!」
 クロウリーが怯える理由を理解して、ラビも震え上がった。
 「そっ・・・そんな奴と行き会って、よく無事だったさね・・・!」
 労わるようにクロウリーの手を撫でてやると、彼はえぐえぐとしゃくりあげながら頷く。
 「彼は言ったのである・・・!
 人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄であると・・・!」
 「大きな戦争があってなぁン、俺は敵を、何千人も殺してやった!
 そうすると俺は元帥様さ!
 星になった奴らはそのまま俺の功績だ!
 それを数えて・・・足りねぇと思ったらまた殺す。
 そうするうちに、俺の星がどんどん増えていくんだ」
 くつくつと笑う男が正気を失っているように見えて、クロウリーは一刻も早く逃げ出したくなった。
 しかし、男はまだまだ自慢が足りないとばかり、クロウリーの腕を掴んで光る星の一つを指す。
 「あれが最初に殺した奴だ。
 もうだいぶ星としての貫禄がついてやがる!
 生きてる時も、えらく態度のでかい奴でなぁ!
 俺は奴の鼻っ柱を折るのに、先制攻撃で一気に殲滅してやったもんさ!」
 空に散らばる星の中で、一際強く光るそれへと男は、愉快そうに笑った。
 「奴が倒れた途端、軍は総崩れになって、後はカモを狩るようなもんだ!
 あっという間に敵軍の中で動いてるもんはいなくなったんだぜぇ♪」
 恐ろしい話を得意げに話す男が恐ろしく、クロウリーはただぶるぶると震える。
 声も出せず、終始無言でいると、聞き入っているとでも思ったのか、男は更に得意になって、次々と恐ろしい話を披露していった。
 「お・・・おかげで私は、その戦争とやらを見たこともないのに、まるで実体験のように思い起こすことができるようになってしまったのである・・・!」
 「そりゃ・・・恐ろしい目に遭ったもんさね・・・!」
 灼熱の太陽による渇きのせいだけでなく、乾いた声のラビが、慌ててバッグから水筒を取り出す。
 「ホ・・・ホラ、クロちゃんも飲んでさ!
 落ち着いて・・・!」
 ガクガクと震える彼に水を飲ませると、ようやく震えが止まった。
 「あ・・・ありがとうである・・・・・・!」
 その蒼褪めた顔を見て、ラビは心中に頷く。
 彼がこんな場所で、こんな奇妙な格好をして、こんな不思議な話をするのはもしかしたら、飛行機の墜落以上に恐ろしい目に遭ったからではないかと。
 そう思うと、女王や芸術家、飲んだくれや自称・元帥の話も、なにかの喩えなのではないかと思えてくる。
 「でも・・・そんな恐ろしい元帥のとこからはこうやって逃げ出せて、よかったさね」
 落ち着かせるように、背中を撫でてやりながら、ラビはまた頷いた。
 元帥とはすなわち戦争・・・クロウリー自身が体験した戦争ではないかと。
 今、世界中でいくつもの国が戦い、多くの人々が戦火に追われていた。
 もしかしたらクロウリーは、そんな国の一つから逃げてきた亡命貴族なのではないか。
 その予測は当たってる気がして、ラビは小首を傾げた。
 「どうやって逃げたんさ?」
 「それが・・・よく覚えてないのである・・・・・・」
 彼の傍にいることがとても恐ろしく、気がつけばほうほうの態で逃げていた、と言うクロウリーに、ラビはさもありなんと頷く。
 「彼の話を聞いてからは、星の光を見ることさえ恐ろしく、しかし闇の中は更に恐ろしくて、ようやくその星に辿り着いた時には、心底ほっとしたものである」
 その星は随分と太陽に近く、時計のように正確に回っていた。
 一本のガス燈の傍に一人の点燈夫がいて、日が落ちるとガス燈を灯し、日が昇ると火を消すことを一分毎に繰り返している。
 「こんばんはである」
 クロウリーが挨拶すると、彼はふるりと首を振ってガス燈の火を消した。
 「おはようございます、ミスター。朝です」
 随分と堅苦しく言った男に、クロウリーは慌ててもう一度お辞儀をする。
 「おはようである、点燈夫殿」
 「こんばんは、ミスター。
 もう夜になりました」
 ガス燈に火を灯して、男は生真面目に言った。
 「あの・・そのようにせわしないのは大変であろう?」
 戸惑いつつ言ったクロウリーにしかし、彼は生真面目に『任務ですから』と言う。
 「私が火を灯し、また、消さなければ夜と昼の区別は明確でなくなります」
 「そ・・・そうか・・・」
 しかし、と、クロウリーは困惑げな上目遣いで彼を見た。
 「そのように忙しなくては、休む間もないだろう。
 たまにはその・・・休みたいとは思わないのであるか?」
 冷たく切り返されるだろうかと、おどおどと顔色を伺うクロウリーの前で、彼は不意に笑う。
 厳しく眉根を寄せていた時には気づかなかったが、その笑顔を見ると意外に若いようだった。
 自分より年下らしい、と思って、クロウリーは猫背気味になっていた背を伸ばす。
 と、今度は彼を見上げるようになった点燈夫が、軽く会釈した。
 「もちろん、私も休憩くらいは取りたいと思っています。
 以前はこの星も、他の星と同じように一日一回、ガス燈に火を入れればよかったのですが、ある日以来、どんどん太陽に近づいて、今では1分に一度、自転するようになったのです。
 そうなればこれは私の任務ですから、一日を明確にするためにも、休むわけには行かないのですよ」
 話す間にも、ガス燈に火を入れては消すことを繰り返している点燈夫に、クロウリーはぽふんと手を叩く。
 「では、ガス燈を持って自転とは逆向きに歩けばよいのではないか?
 そうすればずっと昼であるから、ガス燈を灯さずともよいである!」
 とてもいいことを言った、と、自慢げな彼に、点燈夫は苦笑した。
 「それはもちろんそうですが、できれば私は眠りたいのですよ。
 ずっと歩かなければならないのでしたら、今と同じことです」
 「そうか・・・そうであるな・・・・・・」
 うまく行かないものだと、クロウリーはため息をつく。
 「お気にかけてくれて嬉しく思いますよ、ミスター。こんばんは」
 点燈夫が灯した明かりが、彼の笑顔を柔らかく照らした。
 「いいや・・・役に立てずにすまなかったであるな」
 「構いません」
 とは言われたものの、相変わらず忙しなく働く彼の傍で、邪魔ばかりするのも悪い気がする。
 ややしてクロウリーは、『おはよう』と『こんばんは』しか言わない彼に『ごきげんよう』と言い置いて、次の星へと渡った。


 「次に行ったのが、地理学者の星である。
 彼は、今までに見たどの星よりも大きく、立派な星に住んで、大きな机の上も下も、膨大な資料で溢れさせていた。
 その上更に、彼は自らペンを取って、新たな資料を作り出していたのであるよ」
 クロウリーが現れると、彼は酷く喜んで歓迎してくれた。
 「よく来た、冒険者よ!」
 しわがれた声を張り上げた老学者を、クロウリーが驚いて見つめていると、彼は構わず手招きする。
 「さぁ、おぬしが見たもの、聞いたものを残さず話すのだ!」
 「見たものと聞いたもの・・・であるか・・・」
 なにを話せばいいのかと、困ってしまった彼を老学者は早く早くと急かした。
 「せ・・・急かされても、何から話せばいいかわからないであるよ!」
 困ってしまったクロウリーに、老学者が頷く。
 「そうさな、では・・・まずはおぬしの住んでいた星の話を聞こうかの」
 問われるや、クロウリーは目を輝かせて自分の星の大きさ、活火山を二つと休火山を一つ持っていること、バオバブにはいつも悩まされていること、そして、きれいなバラが咲いていることを話した。
 「なるほど・・・おぬしの星の話は、書きとめておくとしよう」
 そう言って彼が、鉛筆で書き記したことにクロウリーは首を傾げる。
 「ペンで書かないのであるか?」
 尋ねると、老学者は『まだまだ』と首を振った。
 「まだ、これが正確な情報か、確かめていないからな」
 「あぁ、なるほど!」
 手を打って、クロウリーが大きく頷く。
 「この情報を元に、訪ねて行くのであるな!
 私の星には今、話せるものはバラしかいないのだが、十分におもてなしできるであろうか」
 不安げに言うと老学者は、笑みを浮かべて首を振った。
 「まさかまさか!
 私は現地へ行ったりはせんよ。
 確かめるのはおぬしのことだ」
 「私であるか?」
 驚くクロウリーに、老学者はさも当然とばかり頷く。
 「あぁ。
 おぬしがとんだ嘘つきではないか、また、酔っ払っていないかなどを調べるのだよ」
 「あぁ・・・酔っ払っていると、物が二重に見えるであるからな・・・・・・」
 飲んだくれの星を出た後は、しばらく物が二重に見えていた、と、クロウリーはため息をついた。
 と、老学者は生徒を誉める時のように嬉しげに笑う。
 「そうそう、そのようなことがないか調べてから、私はこの情報を正確なものとして記録するのだ」
 「だが・・・どうやって調べるのであるか?
 私が今までに会ってきた者達にでも、話を聞くのであろうか」
 不思議そうなクロウリーに、しかし、老学者は顔をしかめて手を振った。
 「言ったであろ。
 私はここから動いたりはせんよ」
 「では・・・あちらに来てもらうのであるか?」
 それは難儀そうだと思ったクロウリーに、老学者はまた手を振る。
 「違う違う。
 例えば・・・そうさな、大きな山を見たという冒険者がいる。
 その者に私は、『その山から、大きな石を取ってきてくれ』と頼むのだ。
 大きな石があるなら、その山はだいぶ大きいことだろうからな」
 もったいぶった態度で言った老学者を、クロウリーは呆れて見つめた。
 「・・・・・・そんなもの、わざわざ持って戻って来る者がいるのであるか?」
 ようやく言うと、老学者はもったいぶった態度に諦観を込めて、肩をすくめる。
 「今まで、誰一人として戻ってこなんだな!」
 「・・・で、あろうな」
 自分とて、そんな面倒なことはしたくないとため息をつき、クロウリーは本の積み上げられた机を眺めた。
 「ところで学者殿、私はその・・・見聞を広めるための遊学中なのである!」
 女王に教えられた言葉をもったいぶって、得意げに言うと、老学者はあっさりと頷く。
 「そうか、それで?」
 彼に感銘を与えられなかったことを残念に思いつつ、クロウリーは分厚い地図の数々に触れた。
 「次に行く場所を探しているのであるが・・・どこか、お勧めの場所はあるであろうか?」
 問うと、老学者はこれまたあっさりと頷く。
 「地球だな。
 評判のいい星だ」
 それだけ言うと、また他の星の話をねだる彼に、クロウリーは今までに巡った星・・・飲んだくれの星を除く場所で起きたことを詳細に話して聞かせたのだった。


 「それがちょうど一年前のことである・・・。
 その後、私はこの星へ降りてきたのであるよ」
 地平線の上にかかりつつある太陽を眺め、クロウリーは目を細める。
 「この星の夕陽も、実に色んな場所で見たものである・・・・・・」
 降りて来た場所は、ここからもうしばらく行った所にある、砂漠の真ん中だった。
 あまりにも広々として、地平線へは歩いて行けそうにもない。
 なのに、この場所には人の気配すらなかった。
 困惑していると、金色の砂の中をするすると、泳ぐように渡ってくるものがいる。
 「なんであるか、お前は?」
 尋ねると、それは細長い鎌首をもたげてちろちろと先の割れた舌を出した。
 「ボクは蛇だよ。とても強い毒を持った蛇さ」
 金属の擦れ合うような声で言った蛇に、クロウリーは首を傾げる。
 「そうか。ところで・・・この星はこんなに広いのに、人はいないのであるか?」
 尋ねると、蛇は意地の悪い、どこか見くだしたような目で彼を見た。
 「砂漠に人なんか、滅多にいやしないよ。
 人に会うには、町に行かなくてはねぇ」
 クスクスと笑って、蛇はするすると彼に寄って来た。
 「しかしキミ、星から降りてきたのに、海に落ちなかったのは幸運だよ。
 何しろこの星は、地面よりも水の占める割合の方が多いのだからねぇ」
 またクスクスと笑う蛇に、クロウリーはなんとも嫌な気分になる。
 「そうか・・・。
 では私は、町とやらに行くである」
 さっさと踵を返した彼に、蛇はまた声をかけた。
 「あぁ、待ちたまえよキミ。
 こんなに広い場所で、人間のように急ぐ必要もないだろうに」
 妙に気取った言い方にムッとして足を止めると、蛇は彼の足元を巡って円を描く。
 「ねぇキミ、降りてくるのはたやすかったろうけど、帰る時はどうするつもりだい?」
 「それは・・・」
 明確な答えを出せず、困ってしまったクロウリーに、蛇はまた、金属を擦り合わせるような声で笑った。
 「よければボクが、送ってあげようじゃないか」
 「お前が・・・であるか?」
 意外そうに目を見開くと、蛇は長い首をもたげて頷く。
 「一年後・・・キミの星が再び頭上に輝く時、ボクがキミに噛み付いて、そのイラナイ身体を捨てさせてあげよう」
 持って帰るには重いだろうからと、親切ごかしに言う蛇に、クロウリーは頷いた。
 それがきっと、確実な方法だと思ったのだ。
 「だが・・・私は星を巡るうちに、いくつか持って帰りたいと思うものができた。
 それを持って行くことは可能だろうか」
 「可能さ」
 蛇はすかさず言って、にたりと笑う。
 「何も不便なことはない。
 キミはイラナイ身体を置いて、ボクはキミのイラナイ身体をもらう。それだけさ」
 その取引に、クロウリーは頷いた。
 「では・・・一年後、私の星が再び頭上に輝く時に」
 「忘れないでくれよ、キミのトモダチをね」
 クスクスと笑う声はなんとも不快だったが、クロウリーはもう一度頷く。
 「約束だ」
 そう言うと、蛇は来た時と同じようにするすると、砂の中を泳ぐように行ってしまった。
 「初っ端からなんとも気分の悪い思いをして・・・しばらくはこの砂漠をさまよったのであるが、いくら歩いても人の姿はなかったのである。
 しかも、私が『三つもある』と自慢していた火山は、この星では巨大な上にたくさんあるし、バオバブは星を割るどころか世界の片隅にちんまりと立っているだけである。
 しかし一番ショックだったのは・・・・・・」
 言葉につまってしまったクロウリーの背を、ラビが軽く叩く。
 ・・・なんとなく、予想がついたのだ。
 彼が、本当に彼のバラを愛していると知ったから。
 クロウリーは沈み行く日がバラ色に染まり、金色の砂の波をすっかり染め上げて、地平線の向こうに消えるまで無言だった。
 紺色だった空が黒く染まり、小さな星まで見えるようになった頃。
 彼はようやく口を開いた。
 「砂漠を歩いて歩いて・・・まずは村に着いたのである。
 そこには広い庭のある家があって・・・・・・」
 風に乗って、大勢が笑いさざめく声が聞こえてきた。
 なんだろうと覗いて見ると、そこには・・・。
 「大勢のバラが咲いて、楽しそうにおしゃべりをしていたのである・・・」
 「そりゃ・・・びっくりしたさね」
 彼の星に種が落ちて、長く見守ったのちにようやく咲いた一本のバラを、彼はとても大切にしていた。
 なのにこの星では同じバラが、何の変哲もないものとして当たり前のように咲いていたのだ。
 「このことを知れば、彼女も酷くショックを受けたであろうな・・・。
 何しろ、この世で最も美しいのだと、宝石よりも貴重なのだと言ってはばからないバラであったから・・・」
 そしてその感覚にはクロウリーも共感していたのだが、この星の者にとってはきっと、取るに足りない、みすぼらしいものとして映るのかと思うと身を引き裂かれんばかりだった。
 「ショックのあまり泣き続けた私が乾ききった頃、砂漠から迷い出てきたアレンが声をかけてくれたのである」
 すっかり日が暮れて、真昼の熱が嘘のように冷えきった砂漠に、彼はちょろちょろと這い出てクロウリーの膝に乗る。
 彼がポケットからクッキーを出すと、かりかりと小気味いい音を立ててかじった。
 「へぇ・・・。
 こいつ、話すんさ?」
 「今はあまり、話さなくなったであるな」
 懐いたからだろうと、彼は言う。
 「アレンは、この星のことをもっとよく知りたいなら、自分と仲良くなればいいと言ったのであるよ。
 そうすれば・・・」
 「この星が、特別なものになるよ」
 と、アレンはふかふかの尻尾を振った。
 「でも僕は野生の動物だから。
 人間と簡単に仲良くなるなんて、野生の矜持が許さないよ。
 だから君は、僕と仲良くなるためにちょっと努力しなきゃね」
 と、自分から声をかけておきながら、生意気な仔狐は目を細める。
 しかし、ワガママなバラや嫌味な蛇を見た後では、その態度はイタズラ好きな子供の虚勢にしか見えない。
 「どう努力すればいいのだろう?」
 しゃがみこんだクロウリーが微笑むと、アレンもにこりと笑った。
 「まず、近づきすぎないで欲しいな。
 僕はプライドが高いから、そう簡単に触ることを許さないんだよ」
 と、わざわざ自分で言う辺りが可愛い。
 「了解した」
 頷いたクロウリーがそれ以上近づかずにアレンの様子を窺っていると、彼はさくさくと土を掘って、身体を半分も隠してしまった。
 「本当は僕、日の高いうちは寝ているんだよ。
 でも今日は特別に出てきてあげたんだから、日が暮れたらまたおいでよ」
 言う間にも、まぶたの落ちかかっている彼にクロウリーが笑い出す。
 「暗い場所にいたいのであるか?
 だったら、私のマントの下などはどうだろう?」
 穴を掘らなくてもいいし、寝心地のいい場所を探せばいいと提案してやると、アレンはうとうとしながらゆっくりと考えた。
 「もし君が・・・」
 半分寝惚けたような声で、アレンは一所懸命に言う。
 「僕が寝ている間、絶対に日の下に出さないし、凶暴な犬の前になんか置かないし、ましてや猟師に売ったりしないって約束するなら、それでもいいよ」
 「もちろん約束するであるよ」
 大きく頷いて請け負うと、アレンはてとてとと穴から出てきて、クロウリーのマントの中へ潜り込んだ。
 「・・・いい?
 これはまだ、懐いちゃいないんだからね。
 僕はいい巣穴を見つけたから潜り込んだだけなんだ」
 「わかっているであるよ」
 野生の矜持だな、と笑うクロウリーに、アレンは毅然と頷く。
 「でも・・・僕が寝ている間、ふかふかの僕を撫でたいと思ったら、起こさない程度には撫でることを許してあげる」
 「それは嬉しいである」
 クロウリーが笑うのを見て、アレンはマントの中に首を引っ込めた。
 肩の襞がちょっと重くなったところを見ると、あっという間に寝てしまったらしい。
 時折、もぞもぞと動く以外は気配すら感じさせないアレンを入れて、クロウリーは旅を続けた。


 「・・・しかし、町に出てみて驚いたである。
 この星には、見たこともないほど大勢の人間がいるのであるなぁ・・・」
 しかも彼らは常に急いで、大勢でどこかへと去っては戻ってくるを繰り返していた。
 「よくもまぁ、目が回らないものであるよ」
 「回ってる奴もいるんじゃね?」
 ラビがクスクスと笑うと、クロウリーはぱふん、と手を叩く。
 「・・・そうであるな。
 見ただけではわからなかったのかもしれないである」
 「ん」
 頷いたラビは、砂を払って立ち上がった。
 「な。
 続きは俺の飛行機を修理しながらでもい?」
 「お前がまだ聞きたいのであるなら」
 「もちろん聞きたいさ」
 ラビはバッグから非常食のビスケットを取り出し、一枚を咥えて袋をクロウリーに差し出す。
 「ありがとうである」
 笑って受け取ったクロウリーは、一枚を半分に割って、アレンにもかじらせた。
 「直りそうであるか?」
 カンテラに火を入れたラビが、すっかり静かになった機体を照らしていくのを見ながら問うと、彼はこくりと頷く。
 「明るいうちに、故障箇所の見当はつけてたかんね。
 多分、煙を吐いてた辺りが熱で焼き切れたとかだと思うんけど・・・」
 独り言のように言いながら、エンジンを照らす彼をクロウリーは感心したような目で見つめた。
 「私も手伝いが出来ればいいのであるが・・・」
 「あぁ、いいっていいって。
 クロちゃんはクロちゃんの冒険話を聞かせてくれればさ」
 にこりと笑ったラビは、カンテラを機体の上に置いて、工具を取り出す。
 「多分俺、修理がうまく行かんでイライラするだろうから、なんか話しててくれさ」
 「はぁ・・・。
 随分と自己分析するものであるな」
 「まぁねー」
 暢気に言いながらも、ラビはエンジンの惨状に早速へこたれたい気持ちでいっぱいだった。
 それでも果敢に取り組む彼の背後で、クロウリーがまた話し出す。
 「この星に来てから、落ち込むことばかりだったである。
 この星と比べると、私の星の、なんと小さなものであったかと思い知らされて・・・」
 ふぅ、と、ため息をつく間に、ビスケットを食べ終えたアレンがクロウリーの手にした残りにも喰らいついた。
 カリカリと音を立ててかじるアレンの満足げな顔に笑みを漏らしたクロウリーは、ゆっくりと撫でてやる。
 「しかしアレンに言われたのであるよ。
 この空に星はたくさんあっても、君の星は一つなんでしょ、と」
 「比べなくったって、いいでしょ」
 と、アレンはさめざめと泣くクロウリーに平然と言った。
 「僕は、君にとってこの星にいるたくさんの狐と同じものなの?それとも、たくさんの中でたった一匹の狐なの?」
 「お前は・・・お前一人であるよ」
 ふかふかとした毛並みを撫でると、アレンは目を細める。
 「じゃ、君の星は空に浮かんでるたくさんの星と同じものなの?それとも、たくさんの中でたった一つの星なの?」
 「私の星は・・・ただ一つである」
 「じゃ、後はもう、言わなくてもわかるよね」
 気取った口調で言ったアレンは、ふわりと尻尾を振った。
 「あぁ・・・」
 ふかふかの身体を抱きしめて、クロウリーは頷く。
 「私のバラは、たった一つである。
 私が見守り、水と肥料を与え、大事に育てたのはあのバラ一つきり・・・」
 「それが『特別』だよ」
 どこか得意げに言ったアレンに、クロウリーはまた、大きく頷いた。


 「そいつ、俺には話してくれないんかねぇ?」
 機械油に汚れた手袋でつい、鼻をこすったラビの顔が真っ黒になった。
 その様にクスクスと笑い出したクロウリーは、再度問われて首を傾げる。
 「アレンは段々口数が少なくなっていって、今ではほとんど話さないのである。
 彼が言うには、『おしゃべりなのは子供のうちだけ。大人になったら、滅多に話さないもの』だそうな」
 「ふうん・・・。
 もったいぶってるんさね」
 手を伸ばすと、機械油の臭いが嫌だったのか、アレンがプイと顔をそむけた。
 「うわー。
 小動物のクセにかわいくねーさ」
 思いっきり舌を出したラビに、クロウリーに抱えられたままアレンが歯を剥く。
 「うりゃ」
 手袋の指先で生意気な鼻をつついてやると、アレンは何度もくしゃみをして、機械油で汚れたそこを盛んに擦った。
 「ありゃ。悪かったさ、アレンー!」
 ぎゃふぎゃふとくしゃみの止まらないアレンを撫でてやろうにも、更に汚してしまうだろうと困っていると、苦笑したクロウリーがついてくるように言う。
 「洗ってやらねばな、アレンもお前の顔も」
 クスクスと笑って指差されたラビは、しかし、困惑げに眉根を寄せた。
 「水は・・・こんなことにゃ使えねえさ。
 たった一滴でも、ここじゃあ命に関わるんから」
 「だったらお前の水は取っておくがいいであるよ」
 先に踵を返したクロウリーが、さくさくと歩き出す。
 「水の在り処は知っているである」
 「マジで?!」
 喜び勇んでラビは、月のない、星ばかりの空の下をクロウリーについて行った。
 「私が降りてきた場所・・・そこに井戸があったのであるよ」
 「あ・・・じゃあクロちゃんは、そこを目指して歩いてたんさ?」
 初めて会った時は・・・いや、ついさっきまで、彼を自分と同じ遭難者だと思っていたが、夜になって共に星の下を歩いていると、なんだか妙に話を信じられるようになっている。
 「あぁ・・・。
 私が降りてから一年。
 今日その井戸の傍に立つと、私の頭上に私の星が輝くのだ。
 「星が・・・」
 空を見上げると一面に星の海で、どれが彼の言う星かはわからなかった。
 「まだ上に来るには少し、時間があるのである。
 それまで、アレンを洗ってやろう」
 再び歩き出したクロウリーの後に、ラビも頷いて従う。
 それから随分か・・・もしかしたら少しの間か、砂に足を取られ、苦労しながら歩いた先に、石造りの井戸があった。
 「な・・・なんでこんな井戸が・・・・・・!」
 砂漠にある井戸とは普通、湧き水に狙いを定めたただの穴だ。
 しかしこの井戸は、町にあるそれと同じく石で枠を作られ、釣瓶まで備えていた。
 「ラビ、すまないが水を汲んでくれぬか?」
 まだくしゃみの止まらないアレンを抱いているクロウリーに言われて、頷いたラビは釣瓶を井戸に落とす。
 半信半疑で耳を澄ましていると、すぐに水に落ちる音がした。
 「えぇっ?!」
 驚いたラビが急いで釣瓶を引き上げると、夜の砂漠に澄んだ水の匂いがふわりと香る。
 「ほ・・・本物・・・?」
 「もちろんである」
 くすりと笑ったクロウリーは、夜空の下で暗くたゆたう水を手に掬い、平然と飲んで見せた。
 「平気であるよ」
 アレンを釣瓶に近づけてやると、ひとしきり飲んだ水で懸命に顔を洗う。
 ぶるるっと、震えて水を弾いてしまうと、ふんっとそっぽを向いて、ラビに後ろ足で砂をかけた。
 「・・・こんなにかわいくない小動物がいていいんさ?」
 絶対ペットにはしたくない、とぼやいたラビは、再び釣瓶に汲んだ水にタオルを浸して顔を拭く。
 「冷たくて気持ちいいさーv
 夜の砂漠は熱が去って、寒いほどだったが、汗と機械油にまみれた顔を拭くととてもさっぱりした気分になった。
 「なぁ、クロちゃんも・・・」
 振り返るとクロウリーは、砂の上に座って懐かしそうに星空を見上げている。
 「そろそろ私の星が恋しくなってきたのである。
 もうすぐ頭上に来ることであるし・・・今夜には帰ろうと思っているのであるよ」
 にこりと笑った彼に、ラビはなぜか、殴られたようなショックを受けた。
 「そ・・・っか・・・・・・」
 呟いた声は、渇きのせいだけでなく酷くかすれている。
 「それは・・・寂しくなるさね・・・」
 苦笑しつつ、クロウリーの膝の上で丸まったアレンを抱き上げると、気の強い小動物はじたじたと暴れたが、すぐに諦めてラビに抱きしめられた。
 「お前も寂しいよな、アレンー・・・」
 よしよし、と撫でた手をがぶりと噛まれて、ラビが砂の上に悶える。
 するとラビの腕から抜け出したアレンはターンして戻り、血を滲ませるラビの手をぺろぺろと舐めだした。
 「ア・・・アレン〜!
 お前、意外とイイ子・・・」
 「なるほど、貴重な水分とたんぱく質であるな」
 途端に、目を細めて夢中で舐め続ける顔が悪魔のように見えて、ラビは砂を掴む。
 「な・・・泣いちゃだめさ泣いちゃだめさ、俺・・・!
 ここで泣いたら悪魔の思う壺さ・・・!」
 舐め続けて血が滲まなくなったと見るや、また噛み付いた悪魔をはたき、ラビはムッとして起き上がった。
 「いい加減にするさね、このくいしんぼっ!」
 怒った悪魔が果敢に襲い掛かってくるのをなんとか払いのけつつ、ラビは彼らを微笑ましく見つめるクロウリーに首を傾げる。
 「どうやって戻るのか、聞いていいさ?」
 問うと、彼はこくりと頷いて長い口笛を吹いた。
 「ひゃっ!!」
 しゅるる、と、砂を滑る音がしたかと思うと、突然鎌首をもたげて蛇が現れ、ラビは悲鳴をあげる。
 「この蛇に送ってもらうのであるよ」
 後ずさったラビへ、事も無げに言ったクロウリーが腕に蛇を絡ませた。
 「彼の牙でひと噛みしてもらえば、毒が回ってこの星での身体が消える。
 そうして私は自分の星へ帰るのである」
 「そ・・・それって、死んであの世に行くってことなんじゃ・・・!」
 蛇を避けてますます後退したラビに続き、アレンも警戒しながら後ずさった。
 しかしクロウリーは、そんな彼らを不思議そうに見て、小首を傾げる。
 「それは・・・おそらく、ちょっと違うと思うのである。
 私はそうやって帰れることを知っているし、明日にはちゃんと、我が星でバラの世話をしていることであろ」
 暢気に言った彼は、アレンへと手を伸ばした。
 「仲良くしてくれて、ありがとうである」
 穏やかな声を聞いた途端、凶暴な獣はおとなしくなり、ぺろぺろと彼の指を舐める。
 「おま・・・差別さね!」
 「付き合いが少々長いだけであるよ」
 最初はよく噛まれたと笑う彼に、ラビも思わず表情を和ませた。
 「じゃあ俺もいつか・・・」
 伸ばした手は容赦なく噛みつかれ、またもや噴き出した血を悪魔が嬉しそうに舐める。
 「こ・・・このクソ犬・・・!」
 「狐であるよ」
 「どっちも同じようなもんさね!」
 血が止まるまで、仕方なく傷を舐めさせるラビが忌々しげにアレンを見下ろした。
 しかし、普通は殺伐と感じるやり取りを、クロウリーは相変わらず微笑ましく見つめている。
 「アレンも、新しい友達ができて寂しくはないであるな」
 「・・・友達?食料じゃなくてさ?」
 げんなりとした顔のラビに、彼は笑い出した。
 「では、私はそろそろ失礼するであるよ」
 「えぇっ?!もうさ?!」
 大声をあげたラビに驚いたのか、アレンがびくりと飛び上がる。
 同じく驚いたらしいクロウリーが、苦笑して夜空を指した。
 「私の星が頭上にあるうちに、やってしまわねば。
 ぐずぐずしていては、地平線の向こうへ沈んでしまう」
 「そ・・・そうさね・・・」
 街の中で聞いたなら、到底信じられない話でも、この満天の星の下で聞けば不思議と納得させられる。
 「さよならである、アレン、ラビ。
 空に私の星を見つけた時は、少し・・・思い出してくれると嬉しいであるよ」
 「あぁ・・・きっと思い出すさ」
 な?と、撫でたアレンは頷くように目を細めた。
 そんな彼らに頷いたクロウリーの腕を蛇が這い上がり、夜闇の中でも白く光る牙を剥く。
 「またどこかで」
 軽く手をあげ、別れの挨拶をした彼の喉に蛇が噛み付いた。
 一瞬後・・・深く目を閉じ、彼は砂の上に横たわる。
 「ク・・・クロちゃん!!」
 膝立ちで近づいたラビが彼の肩を揺するが、既に冷たい石のようで、ピクリともしなかった。
 砂の上に力なく落ちた指を、アレンがしきりに舐めるが、それにも反応はない。
 「死んだん・・・じゃ・・・・・・」
 星に帰るというのはとんだ作り話で、ただ単に彼は死んでしまったのではないかと、ラビは唐突に不安になった。
 クロウリーをこのようにした蛇の姿は既になく、それすら幻だったのかと思ってしまう。
 やがて、横たわるクロウリーの傍に丸まったアレンが、尻尾に顔をうずめて寝てしまうと、ラビも今夜は守に加わることにした。
 「通夜みたいさね」
 呟きに、最早答えるものはない。
 クロウリーが指した辺りの星が、地平線の向こうに沈むまで見つめていた彼がふと、目を戻した時・・・砂の上にはただ、アレンが丸まって眠っているだけだった。


 沈んだ星を追いかけるように日が昇り・・・。
 水の気配などない青空の下、ラビは眩しげに目を細めた。
 「・・・おっし!
 じゃ、やってみっかね!」
 夜のうちに修理を終えた機体に乗り込み、エンジンをかけるとやがて、むずがるように振動がわたる。
 前脚の両脇に渡された紐を、凶暴に噛んでいたアレンは続いて響きだしたエンジン音にびくりと動きを止めた。
 「アレン、おとなしくしてるさねー」
 ぐりぐりとアレンの頭を撫でた手で、滑走を始めた機体の操縦桿を握り締めたラビが思いっきり引くと、ふわりと機体が浮かぶ。
 「やったさ・・・!」
 快哉をあげたラビは、またもやアレンの頭をぐりぐり撫でた。
 「アレンー!
 お前きっと、世界で初めて飛行機に乗ったフェネックさ!」
 はしゃいだ声は、機嫌を損ねたアレンに噛み付かれて悲鳴に変わる。
 「いってええええええええええ!!!!」
 手袋をものともせず食いついた牙が大出血を強いて、操縦桿を持つ手が滑った。
 「ちょっ・・・やば!!!!」
 うまく操縦できない間にも、高度を下げた機体が砂に向かって落ちていく。
 「ぎゃー!!!!また墜落さー!!!!」
 慌ててハッチを開け、パラシュートを背負って外へ飛び出したラビの手には、まだアレンが食いついていた。
 「放すさコノヤロー!」
 連れてくるんじゃなかった、と、泣きながらパラシュートを開いたラビが地上に降り立つ前に、ラビから飛び降りたアレンはそのまま熱い砂を掘って穴に隠れてしまう。
 「あぁっ!
 出てくるさね、コノヤロウ!!
 今夜のディナーにしてやるさ!!」
 炎天の下、ぎゃあぎゃあと喚きながら砂を掘るラビの背に、不意に影が差した。
 「へ・・・?」
 振り返ろうとした彼の襟首を、誰かが乱暴に掴む。
 驚いて振り払おうとすると、
 「ラービー!!
 いい加減、起きてってば!!」
 耳元で突然、大声が上がった。
 「あー・・・アレン。
 お前、穴の中から出てきたんさね」
 「なに寝惚けてんの。
 穴に潜るのはウサギの方でしょ」
 ぼんやりと言えば、アレンは心底馬鹿にしきった顔でラビを突き放す。
 「・・・イヤ、お前フェネックっつー耳のでかいキツネでー・・・」
 「だから寝惚けんのもいい加減にしろっつってんですよ!
 あんたの耳伸ばしてやりましょーか?!」
 言うなり両耳を引き伸ばされて、ラビは悲鳴をあげた。
 「夢・・・かぁ!
 あー・・・なんか妙にリアルだったさ・・・!」
 「どんな夢見てたの?」
 興味を惹かれたアレンに、ラビはかいつまんで話してやる。
 「ひこうき、ってなに?
 グライダーなら聞いたことあるけど」
 問えば、ラビは部屋中に積み上げられた日刊紙の山を崩して、中から一部を掘り出した。
 「これこれ。
 今、いろんな国が開発に燃えてんさ!
 これができれば、人間が空を飛ぶことだってできるんだぜ!」
 「・・・僕、空飛んだことあるよ。
 アクマにさらわれたり、リナリーに抱っこされたりで」
 あまり気持ちいいものじゃない、と、嫌な顔をした彼にラビは吹き出す。
 「夢の中のお前も、飛行機嫌いだったみたいさ」
 けらけらと笑いながら着替えようとしたラビは、ふと小首を傾げた。
 「お前が起こしに来るなんて珍しいさね。なんか用さ?」
 「あぁ、うん。
 クロウリーが、新種のバラが咲いたから、ぜひ見においでって」
 「バラ・・・」
 瞬いたラビが、アレンに詰め寄る。
 「もしかして、『エリアーデ』が咲いたんさ?!」
 「らしいよ」
 頷いてアレンは、にこりと笑った。
 「そっかぁ!
 がんばってたもんな、新種開発!」
 「さっき見せてもらったけど、この時期にしてはすごく大きな花で、色は真紅、花弁は先の両端が反る事で尖って見えるタイプで・・・ホントに、あの人みたいだった」
 「へぇ・・・!」
 クロウリーがかつて愛した・・・いや、今も愛する人を知る二人は、ほんの少し、苦笑の混じった笑みを交わす。
 「んじゃ、ノロケでも聞きに行こうかね」
 さっさと着替えて部屋を出ようとしたラビが、ドア前でふと足を止めた。
 「・・・こりゃまた、いい日に咲いたもんさな」
 壁にかかったカレンダーをめくると、新しい月の最初の日が現れる。
 「誕生日に咲くなんて、さすがに美人は粋なことをするもんさ」
 「もしかしたら・・・彼女からのプレゼントかもね」
 アレンの言葉に、ラビは吹き出した。
 「キレイな私をプレゼントv ってさ?
 男なら一度は言われてみたいもんさねーv
 「それ、オヤジくさい!」
 クスクスと笑いながら、アレンは部屋を出たラビに続く。
 「クロウリーは温室にいるよ」
 「オケー」
 先に行くラビに声をかけると、彼は背後へと手を振った。
 長い回廊を渡り、薄く雪の積もった庭を抜けて温室のドアを開けると、ほんのりと暖かい。
 「こっちであるよ!」
 手をあげて存在を示した彼に駆け寄ると、初めて会った時と同じくその傍には、『彼女』の美しい姿があった。



Fin.


 










2011年クロちゃんのお誕生日SSは星の王子さまでした(笑)
題の『Entichers』はフランス語で『夢中になる』と言う意味だそうです。>ラルコミュの人達に教えてもらった(笑)
単に、『バラの品種改良成功』って話を書きたかっただけなんですが、それをちょっとロマンティックにするにはどうしたらよかろうかと考えてた時、『天上天下唯我独尊のバラと言えば、星の王子さまに出てくるアレだよな』って思い出して、書いてみました。
星の王子さまは中学生の頃、本をプレゼントされて読んでは見たんですが、ワケわかんなくて。
不思議の国のアリスもそうなんですが、私、ナンセンスな話って苦手なんですよね;
多分、物心つかないうちからミステリ好きなママンにミステリばっかり見せられて育ったんで、筋と論理がない話だと混乱するんですよ;
なので、今回は別の人が訳した本でリトライでした。
読みやすくて助かったよー;;
まぁ、色んな話に慣れたおかげかもしれませんが(笑)
ともあれ、クロちゃん誕生会なのになぜかラビの夢オチと言う不思議な展開ですが(おい)、楽しんでいただければ幸いですv












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