† 眠りによせて †
空一面を雲に覆われた街は薄暗く、時折ちらちらと降る雪は寒風とあいまって、道行く人々を震え上がらせた。 が、街の中心に立てられた大きな樅の木には、キャンドルの灯りを受けてきらきらと光るオーナメントが下がり、道端には湯気をあげる屋台がたくさん並んで、寒さに頬を紅潮させた人々の顔を明るく輝かせている。 「やっぱりクリスマス市は賑やかだわ ざわめきの中で、彼女は珍しくも明るい声を放った。 普段、控えめすぎるほど控えめで、言葉を探しながらおどおどと話す彼女が生き生きと母国語を話す様は、見ていて気持ちがいい。 「まずはキャッシュのプレゼントだな。候補はあるのか?」 彼女に合わせてドイツ語で問うたリーバーが腕を差し出すと、今にも迷子になりそうだったミランダが嬉しげに腕を絡めてきた。 「パーティ用のドレスなんかどうかしら? 毎年やるものだし、何着かあれば嬉しいと思うんです 「いいんじゃないか」 頷いて共に歩き出すと、ミランダが嬉しそうに笑う。 「どんなのがいいかしら 可愛いのがいいですよね?」 「・・・その相談には乗りかねるな。よくわからないから」 困惑げに眉根を寄せてしまったリーバーに、ミランダが笑声をあげた。 こんな笑顔が見られるのは一年に一度かと思うと寂しいが、この瞬間を独占できる点は嬉しく、リーバーは複雑な笑みを浮かべる。 だが、店を覗くのに夢中なミランダは彼の表情になど気づかず、きらきらした目をあちこちへ移していた。 ややして、 「あ!見つけました!!」 ドレスと言うよりは、クリスマスに演じる劇の衣装を売っている店へ、ミランダが駆け寄る。 「天使 天使の衣装、可愛いわ 裾の長い、白いドレスの背中には、布製の羽根が縫いつけてあった。 「あぁ、そうだな。 けどサイズが・・・」 「店主さん! 一番大きなサイズはどれですか?!」 リーバーの言葉を悪気なく遮って、ミランダが店主を呼び寄せる。 「なに?お兄さんが着るのかい?」 店主のからかい口調に、ミランダはふるふると首を振った。 「それも可愛いんですけど、こちらの女性なんですよ 「・・・写真まで持って来てたのか」 話を早く進められるようにか、珍しくも用意のいい彼女にリーバーが呆れる。 その向かいで、店主はキャッシュと共に写真に写るミランダの姿を見比べ、大きく頷いた。 「このサイズなんかどうかな。 ウチで一番大きいものだけど」 ミランダなら3人は入りそうな衣装を広げた店主に、彼女は大きく頷く。 「じゃあまずは一着目が決まりですね 「一着目・・・?」 その言葉に嫌な予感を覚えたリーバーは、その後5時間もの間、女の買物につき合わされるという苦行を強いられることになった。 しかもその苦行が終わったのは、ミランダの気が済んだからではなく、彼女の負傷によってだ。 「一人で大丈夫かい?」 オーナメントがぎっしり詰まった箱をいくつも積み重ねた店主が、気遣わしげに言うが、リーバーは苦笑して頷いた。 「何度か往復はするだろうけど、近くに荷物も預かってくれる休憩所があるから、そこに運び込むよ。 後で人を呼んで運んでもらえば・・・」 「あぁ!危ないよ!!」 リーバーの言葉を遮って、店主が彼の背後へ声をかける。 驚いて振り返ると、ミランダが大きな箱に手をかけていた。 「っおい! それは無理・・・」 「大丈夫ですよ! これでも私、エクソシストなんですから にこにこと笑いながら箱を持ち上げた瞬間、ミランダが悲鳴をあげてよろめく。 「ミランダ!!」 とっさに箱を支え、彼女の上に落ちかかるのを防いだリーバーが、床にへたり込んで動けずにいるミランダを抱き起こした。 「おい、どうし・・・」 「きっ・・・!!!!」 声にならない悲鳴をあげてリーバーにしがみつくミランダが、細かく震える。 「あー・・・こりゃ、ぎっくり腰だな」 苦笑交じりに言った店主が肩をすくめた。 「横になった方がいいんだが・・・ここにはそんなスペースないしねぇ。 あったかい休憩所で休んでおきなよ。 荷物は運んであげるからさ」 「あぁ・・・よろしく。 じゃ、俺も人呼ぶか」 今、暇な人間は誰だろうかと無線を取り出しながら考えるリーバーの腕の中で、既にミランダが回線を開いている。 「ア・・・アレン君・・・!助け・・・てぇ・・・・・・!」 「あぁ、あいつらは暇か」 では一緒にいるだろうラビへと、リーバーは無線を繋げる。 「緊急事態だ、すぐ来てくれ」 それだけ言って無線を切ると、次はジジへ連絡し、ワゴンに台車を入れてラビ達へ預けるよう頼んだ。 「・・・じゃ、ちょっと休憩するか」 「ひっ・・・!!」 そっと抱き上げるが、また痛みが走ったらしいミランダの顔が蒼白になる。 「優しくしてやんなよ」 「そうだな・・・」 店主に言われるまでもなく、リーバーは慎重にミランダを休憩所へと運んだ。 ―――― その後、何度も無理をするなと言ったにもかかわらず、クリスマスに浮かれたミランダはちっとも安静にしようとせず、イノセンスを発動しては苦痛をごまかし、更に負傷すると言う悪循環を引き起こしていた。 そしてクリスマスが終わっても・・・――――。 「・・・いい加減にしろ、貴様!!!!」 方舟の間に響き渡った凄まじい怒号に、その場の全員が震え上がった。 「げ・・・元帥・・・・・・?」 方舟の扉をくぐり出てきたクラウドに、全員の目が集まる。 が、彼女は構わずに傍らの愛猿へ・・・いや、愛猿が横抱きにしたミランダへ声を荒げた。 「敵前で動けなくなるとは何事か!! 危うく殺されるところだったのだぞ!!」 「す・・・すみません・・・・・・!」 消え入りそうな声で呟いたミランダに鼻を鳴らし、クラウドは階下のスタッフ達を見渡す。 「医療班! ミランダを病棟に運べ! そしてドクターの許可が出るまで絶対に病室を出すな! いいか!絶対にだぞ!!」 元帥命令だ、と、厳しく命じた彼女に医療スタッフだけでなく、全スタッフが頷いた。 「よろしい。 ラウ!」 先に愛猿を行かせると、ストレッチャーと共に医療スタッフ達が駆け寄ってくる。 続いて階段を下りたクラウドに一礼した医療班が、大猿から受け取ったミランダは、見ていて気の毒なほど萎れていた。 「―――― 怪我してから・・・もう9日か。 最初から安静にしてりゃ、とっくに治ってたはずなんだ」 病棟に着くや、ドクターに絶対安静を言い渡されたミランダは、見舞いに来たリーバーの呆れ口調にまた枕を涙で濡らした。 「・・・それは・・・本当に申し訳なくて・・・・・・」 クリスマスが終わってようやく冷静になったのか、いつもの気弱な彼女に戻っている。 苦笑したリーバーは、くしゃりとミランダの頭を撫でた。 「反省して、安静にしてろ」 妙な慰めなどは言わない彼に小さく頷いたミランダは、涙目でリーバーを見上げる。 「お忙しいんですから、もう・・・」 「寝るまで監視してろと、クラウド元帥の命令だ。 気遣うんならとっとと寝てくれ」 「はい・・・」 とは言ったものの、そう簡単には眠れそうもなかった。 早く寝なければリーバーに悪いと思うほどに目が冴え、動悸が激しくなって、困り果てているとまた彼の手が、ミランダの頭を撫でる。 「・・・うん、とっとと寝ろなんて言って悪かった。 そんなこと言ったら眠れるわけないな」 ぎゅっとつぶっていた目を開けると、リーバーが苦笑している。 「す・・・すみません・・・・・・」 真っ赤になったミランダに、リーバーは首を傾げた。 「・・・しかし困ったな。 俺、リナリーと神田が子供の頃は、よく暴れる怪獣どもをなんとか寝かしつけたもんだけど、今はどうやったらお前が寝てくれるのかわからん。 あいつらには、フランス語でパスカルの原理の話をしてやったら一瞬で寝たんだが、試してみるか?」 「それは・・・よほど興味がなかったんですねぇ・・・・・・」 どうしてそこで童話じゃなかったのか、と思っていると、彼女の心情を読んだらしいリーバーが、得意げに胸を張る。 「童話だったら先を読めとかもっと聞かせろとか、全然寝ないからな! 作戦勝ちだ!」 思わず吹き出した途端、腰に激痛が走ってミランダが悶えた。 「あ・・・スマン。 笑わせるつもりじゃなかったんだが・・・」 「い・・・いえ、大丈夫ですから・・・!」 苦痛に引き攣った声で言っても説得力はないが、ミランダは無理に笑みを作る。 「あなたが私の親だったら、私は今よりもっと、科学に詳しかったかもしれませんね」 気遣わしげなリーバーに笑っていたミランダが、ふと、苦笑した。 「・・・・・・ムッターが聞かせてくれたお話は、どこか怖くて・・・私、悪い子は天国を追い出されて、酷い罰を受けるんだって毎晩言われてる気がして・・・・・・」 眠ったら大事なものがなくなっているのではないかと思い、中々眠れないでいると、今度はそのせいで『悪い子』だと思われやしないかと怯えて・・・。 「・・・不眠症になったんですよ、子供なのに」 「そりゃ大変だったな」 子供の頃から生真面目だったのだろうミランダが、その話にどんなに怯えたか、容易に想像できた。 「・・・あぁでも、『人殺し城』の話は好きでした」 「なぜ!!」 ミランダの意外な嗜好に思わず大声をあげると、彼女は照れくさそうに笑う。 「青髭と同じようなお話なんですけど、干草を積んだ馬車に隠れて逃げるとか、なんだか・・・わくわくするんですもの・・・ 「・・・俺だったら追いかけられる夢を見そうな話だけどな」 「・・・なんなら今から追いかけてあげましょうか?!」 不意に開いたドアから悪鬼のような婦長の顔が現れて、リーバーは椅子に座ったまま飛び上がった。 「ふ・・・婦長・・・!」 「病室で大声出すんじゃありませんっ! ミランダも、さっさと寝る!!」 「はいっ!!」 大声で返事をした二人に眉根をひそめた婦長は、つかつかとベッドに歩み寄る。 「眠れないのなら、お薬を処方してもらいましょうか? もちろん科学班が関わっていない、ちゃんとしたお薬よ」 じろりと睨まれて、リーバーはポケットに入れた手を慌てて引き抜いた。 「・・・油断も隙もない」 舌打ちしそうな顔で言った婦長は、リーバーに立つよう促す。 「クラウド元帥には私から報告しますから、あなたはもう、お戻りなさい」 「は・・・はい・・・」 じゃあ、と、手を振るリーバーに頷いて、ミランダはおどおどとした上目遣いで婦長を見上げた。 「あ・・・あの・・・。 すみません、私が・・・」 「あなたは何も悪いことないのですから、謝らなくてよろしい」 ぴしりと言われて、ミランダが首をすくめる。 その隙に、婦長は自分の無線を取り出した。 「ドクター。 ミランダが眠れそうにないので、お薬を処方していただけますか? ナースに預けていただければ、私が処置しますので」 安心させるように、ミランダの肩を軽く叩いた婦長が、間もなく薬を運んできたナースから注射器を受け取る。 「さ、とりあえずは寝てちょうだい。 まず寝て、体力を回復してもらわないことには、治療のしようもないわ」 言うことは厳しいが、その処置はすべてが優しく、ミランダは安堵して頷いた。 「何も考えずにおやすみなさい」 「はい・・・」 婦長の柔らかい声が子守唄のようで、段々まぶたが重くなる。 そうして・・・ミランダの呼吸音が長く穏やかになったのは、それから間もなくのことだった。 「ねぇねぇ、聞いた? ミランダが入院しちゃったんだってー!」 同じ頃、食堂でアレン達を待っていたリナリーが、彼らの姿を見つけるや大きな声をあげた。 「へぇ・・・やっとかい」 「僕も、早く入院した方がいいんじゃないかなぁとは思ってました」 驚きもしないラビとアレンへ、リナリーはこくこくと頷く。 「ミランダ、負傷してることをクラウド元帥に言ってなかったんだって。 しかもあぁいう性格だから、任務だって言われたら時計使って出てっちゃうじゃない? でも、本当だったら動けないんだから、任務中は時計の効力を切らさないために全然寝なかったらしいの」 ところが、と、リナリーが指を立てた。 「何日も寝ないなんて、無理しすぎなんだよね。 戦闘中、アクマの攻撃に耐え切れなくなって気絶して・・・危うく殺されるところだったって!」 「うわ・・・! ただでさえ寝てないと辛いのに・・・」 「人の命背負ってる時なら、解除できない気持ちはわかるけどさ・・・」 顔をしかめた二人にまた、リナリーはこくこくと頷く。 「で、よりによってその時一緒だったのがクラウド元帥だったのね。 怪我のこと黙ってた上に、無理して寝てもいなかったでしょ? それで殺されそうになるなんて、って、クラウド元帥がものすごく怒っちゃって、今、元帥命令で入院させられてるんだって」 ね?と、小首を傾げたリナリーの隣で、情報元らしい神田が頷いた。 「治るまで病棟を出ることも禁止された。 ・・・あの人の命令に逆らえる人間なんか、ここにはいねぇからな。 しばらくは監禁状態だ」 そう言って空になった湯飲みをテーブルに置いた神田が席を立つ。 「あれ?もういいんか?」 「・・・ミランダほどじゃねぇが、俺も完徹で、さっき帰って来たんだ。 メシ食ったし、さっさと寝る」 「ふーん・・・。お疲れさん」 手を振ったラビに頷き、食堂を出て行く神田がさっきまで座っていた場所に、アレンがちゃっかり座る。 「ね、ミランダさんは監禁されてても、お見舞いは行っていいんでしょ?」 「うん、それは大丈夫だよ。 でもしばらくは寝てなきゃだろうから、お見舞いは夕方頃がいいんじゃない?」 「そうさね。 花でも持ってってやっか」 リナリーを挟んで向こう側へ座ったラビを、アレンがムッと睨んだ。 その視線に気づいて、ラビはにんまりと笑う。 「・・・もっといいもんがあったさね 「え?」 「なに?」 その問いには答えず、ラビはクスクスと楽しげな笑声をあげた。 その頃、リンクをはじめとする監査官達は病棟に集まり、剣呑な目をしたナース達と対峙していた。 「なぜ私達が看病してはいけないのですか!!あのホーキ頭は入室を許されたのに!!!!」 もう何度目かの怒号を上げると、ますます目を吊り上げたナース達が生きた壁のように迫ってくる。 「ダメに決まってるでしょう!」 「いっつも大勢でやって来て!」 「そうやって大騒ぎして!」 「泣いて喚いて周りに迷惑かけて!」 「あたし達の仕事の邪魔しないで!!」 甲高い声の防護壁に行く手を遮られ、リンク達が悔しそうに顔を歪めた。 「ではせめてお見舞いだけでも!!」 「ダメ!」 「絶対!!」 「ダメ!!!!」 犬に命じるように厳しく言い放った彼女達に、監査官達は尻尾を巻きそうになりながらも何とか踏みとどまる。 「おっ・・・お見舞いさえ禁じるとは、あなた達は何の権利があって・・・!」 「あんた達に仕事を邪魔されない権利よ!」 「あんた達に余計な仕事を増やされない権利!」 「患者を守る義務も加えていいわね!」 「そういう訳で、邪魔なわんこ達は出ておいき!!」 ずんずんと迫る壁にじりじりと後退させられた監査官達は、なすすべもなく退却に追い込まれた。 「ミランダが寝てる間は絶対近寄るんじゃないわよ!」 「一人でも侵入して御覧なさい! ミランダの安眠妨害したって、ルベリエ長官に言いつけるからねっ!!」 よりによって敬愛する長官の名前を出され、とうとう尻尾を巻いて逃げ出した監査官達へ、ナース達が一斉に舌を出す。 「おととい来やがれっ!」 「おぉ、勇ましいな」 その声に振り返ったナース達は、真っ赤になった顔を慌てて覆った。 「ちょ・・・班長! ミランダのトコにいたんじゃなかったの?!」 「いたんだが、婦長に追い出された」 軽く吐息して、リーバーは手を振る。 「今、婦長が処置してくれたみたいだから。 後はよろしく」 「はぁい」 「起きたら連絡するね」 「あぁ・・・」 来れるかどうかわからないけど、と言いかけたリーバーは、慌てて口を覆った。 迂闊なことを言って、女達の怒りを買うほど恐ろしいことはない。 そんな彼の様子にはとっくに気づいて、ナース達はにんまりと笑みを交わした。 「必ず来てよねー!」 「さもないと・・・」 邪悪に笑みを深めた彼女達を肩越しに見やり、リーバーはため息をつく。 「・・・・・・努力する」 辛うじてそれだけ言ったリーバーは、彼女達の視線を振り切るように歩を早めて出て行った。 一方、一人残された病室でミランダは、夢の国をさまよっていた。 眠りに落ちる前、童話の話をしていたせいか、夢の中の彼女はティモシーと同じ年頃の少女になって、森の中を歩いている。 彼女の手を取る人が誰なのか気になって見上げると、懐かしい母の顔が高い場所にあった。 ―――― ママ・・・とても背が高かったのよね・・・・・・。 26歳になった彼女と同じか、それ以上あった母の背丈は、小さなミランダにはとても大きく見える。 何か話す声が聞こえて、耳を澄ますと、母が優しい声で昔話を話してくれていた。 『・・・そうして小人は親切のお礼に金色のガチョウをくれたのよ。 そこでガチョウを売りに行こうとしたら、それを盗もうとした悪い人がいて。 でもね、ガチョウに触った途端、その手がガチョウから離れなくなったの』 こんな風に、と、母がミランダの手を握り締めて、小さなミランダは大声で笑い出す。 『そして、その手を離してあげようとした奥さんも手が離れなくなって、仕方なく三人で道を歩いていたら、親切にも離してあげようとした通りがかりの人達まで次々に離れなくなっちゃったの』 『こんな風に?』 ミランダが、小さな手で落ちていた木の枝を握り締めると、母は大きく頷いた。 『そうして行列はどんどん長くなって、そのまま町に入ったのね。 そこには王様がいらしたんだけど、王様には王女様が全然笑ってくれないというお悩みがあったの。 でも・・・』 『ガチョウの行列が歩いてたらおもしろい!』 『そうそう。 王女様は、生まれて初めて大声で笑ったんですって。 さ、着いたわ』 森の中、いつの間にか現れた家の前で母が立ち止まる。 ずっと母ばかり見上げていたミランダは、その家を見上げてぽかんと口を開けた。 屋根は・・・見間違いでなければチョコレートで葺かれて、壁はおいしそうな匂いがするレープクーヘン、窓は透き通った氷砂糖で出来ている。 しかも、母がノックしたドアはクッキーで、ドアノブはプレッツェルだった。 その上、 『はい、いらっしゃい』 と、ドアを開けて中から出てきたのは・・・。 『マ・・・ママ・・・・・・』 手と繋いだ母と同じ顔が、正面にもあった。 『さぁ、今日からお前はここの子供よ』 繋いでいた手をもう一人の母へ受け渡され、呆然とする間に家の中へ引き入れられたミランダの背後でドアが閉まる。 『ママ・・・!』 『ママはこっちでしょう』 振り返ったミランダの手が強く引かれ、見れば確かに母の顔があった。 『どうして・・・?!』 『ママは二人いるものなの。 優しいママと、お前を立派にするために教育する、厳しいママよ』 昔話をしてくれる母と、ミランダの不器用さを叱る母は別の人間だったのだ。 そう言われて、小さなミランダは妙に納得した。 『お前はこれから、立派な大人になるためにしっかりお勉強するの。いいわね?』 唇を噛んで頷いたミランダを、あっちの母と違ってこっちの母は撫でてはくれない。 でも仕方ないのだと・・・違う人間だから当然なのだと考え、素直に言いつけに従った。 ・・・が、不器用な彼女はいつも失敗ばかりして、叱られてばかりだ。 ある日とうとう、開けてはいけないはずの部屋を開けてひどく叱られ、家を追い出されてしまった。 森の中を一人でさまよい、泣いていると、木々の向こうから馬のひづめの音がする。 人がいるかもしれないと寄って行くと、騎乗した男が驚いた顔でミランダを見下ろした。 『パ・・・パパ・・・!』 駆け寄ったミランダを抱き上げ、馬に乗せた父が家に戻ると、そこには『優しい母』もいる。 『ママ・・・!』 抱きつくと、森の中の母と違って優しく頭を撫でてくれた。 そこでは誰もミランダの不器用さを責めようとはせず、森の中とは比べ物にならないほど幸せに過ごしていたある日。 開けてはいけないと言われていた部屋に入ってしまったミランダは、中にあった糸車のツムで、深く指を刺してしまった。 『・・・開けてはいけないと言ったのに』 痛みに遠のく意識の中、聞き覚えのある声に目を開けると・・・。 「ふ・・・婦長?!」 眉根を寄せた婦長が、鋭い針を光らせる注射器を掲げていた。 「寝てちょうだい、ミランダ。 まず寝て、体力を回復してもらわないことには、治療のしようもないわ」 ついさっき聞いたような気がする言葉を言われて、ミランダは呆然とする。 「あの・・・私、子供だったんじゃ・・・?」 「何も考えずにおやすみなさい」 きっぱりと言われて、ミランダは何とか頷いた。 「・・・ど・・・どこまでが夢だったのかしら・・・?」 小さい頃、母の二面性に別人かと疑ったことはあった気がするが・・・。 それに夢の中と違って、父も優しいだけの人ではなかった。 夢か現か判然としないまま、呟くミランダの頭を誰かが撫でてくれる。 「何も考えずにおやすみなさい」 もう一度言われて、ミランダは優しい手の下で頷いた。 「・・・一体、なんの夢を見てるのかしらね」 睡眠薬を注射したのち、ミランダがママとかお菓子の家とか呟きだした時は何事かと思い、様子を見ていたが、目を覚ましかけたとあっては放ってもおけない。 「ミランダには、この程度の薬じゃ弱いのかしら・・・」 思っていた以上に彼女の不眠は深刻そうだと、婦長は大きなため息をついた。 ―――― 任務のない日は、訓練が終わってしまうと特にやることもない。 ラビに置いていかれ、リナリーにも去られて、一人だらだらと食堂に居座っていたアレンは、吠え面をかいてやってきた監査官達の目を間一髪避けて、テーブルの下に逃れた。 「・・・っ思わぬ伏兵でした!! まさか彼女達があんなにも手強いとは!!」 席に着くや、悔しげにテーブルを叩いたリンクの声を聞いて、アレンはこそこそと逃げ出す。 リンクに続き、わんわんと喚きたてる監査官達の声はよく響いて、アレンは逃げている間に彼らに何があったのか、全て把握することが出来た。 「間抜けだね、わんこども」 クスクスと笑ってテーブルの下を抜けたアレンは、彼らの目を盗んで厨房に隠れる。 「あらん?かくれんぼ中?」 クスクスと笑うジェリーに『しー!』と指を立てて、アレンは頷いた。 「かくまってください 「いいわよん くい、と、顎で指された先にあるドアに、アレンはそっと手をかけ、素早く滑り込む。 厨房のスタッフが休憩するスペースでは、遅い昼食中の新人達や、新メニューに頭を悩ませるシェフ達が散らばっていた。 「あ、アレン。いいトコ来た。 お前、今ここにないメニューで、食べたいもんないか?」 中年のシェフに手招かれて駆け寄ると、先払い、とクッキーの皿を渡される。 「んー・・・もう、世界中の料理あるしなぁ・・・」 「頼むよ。 明日までにあと、3品なんだ」 「んー・・・・・・お正月メニューなら僕、アジア支部でアジア中のお正月料理食べましたよ。 どこのお料理もおいしかったです・・・ ぽわん・・・と、頬を赤らめたアレンにシェフが大きく頷いた。 「姐さんもアジア支部出身だから、もう全部知ってるとは思うが・・・確認もかねて、全部言ってみろ」 「あい。 んっと、じゃあまず中国のお正月料理はねー・・・」 知っている限りの・・・と言うより、アジア支部で食べた料理の数々を思い出しながらアレンが挙げる名前に、休憩中のスタッフも寄ってくる。 「へーえ。食べ比べとかするんだ」 「うんっ! たくさん食べた方が勝ちって言う、なんとも僕に優しい行事だったんですよ、アジアのお正月ってば どんなに食べても文句言われないどころか、もっと食え、こっちも食え、って、どんどん持って来てくれて 嬉しかったなぁ 頬を染めてクッキーをかじるアレンを、見習いが不思議そうに見た。 「でも、アレンじゃなきゃ同じ料理食べ続けるとか無理じゃねぇ?」 「いや、お料理は一品ですけど、具材が色々違うから一口ごとに違う味なんですよ!」 「へーぇ! それ、こっちでも喜びそうだな!」 「けど・・・餃子はメニューにあるじゃないすか」 「新メニューの相談っすよね、これ?」 新人達によってたかってダメだしされ、シェフが頬を膨らませる。 「アレン、もっと思い出せ!これも食っていいから!」 「あぁ!!俺のタルトタタン!!」 楽しみに取っておいたデザートをアレンに丸かじりされ、悲しげな悲鳴が上がった。 「おいひい!」 「あったりまえだよ! それ、俺が初めて料理長に褒めてもらったやつだぞ! じっくり味わって食べようと思ったのに、丸かじりすんな!!」 「おい! いいから先!!」 ぎゃあぎゃあと喚く新人を押しのけて、シェフがアレンに額を寄せる。 「・・・そうだ。 僕、ここであれ食べたことないですよ。 ホラ・・・ドイツ?ベルギー?どこだったか忘れちゃったけど、スパイスがたくさん入って、蜂蜜の味がする、固い・・・クッキー?クッキーだよね? ミランダさんはクーヘン(ケーキ)って呼んでたけど、クッキーだよね、ハートの形したアレ」 指でハートの形を作るアレンに、シェフが頷いた。 「あぁ、レープクーヘンのことか?」 と、その名を聞きつけてまた新人達が割って入ってくる。 「あれはクリスマスに飾るもんだろ」 「んなことないさ。ウチでは冬の間貯蔵してたぜ。 よく盗み食いして、母ちゃんに怒られた」 「そうそう!母ちゃんめっちゃこえー! 高いスパイス使ってんだから、味もわからない子供が食べるなって、ほうきでぶたれた!」 わいわいと思い出話に花を咲かせる彼らを睨んで、シェフがペンの尻でアレンをつついた。 「確かにあれはなかったな。 お茶に添えてやると喜ぶだろ。他は?」 「んっとー・・・あ、そうだ! マトゥン食べたいです!ベルギーのお菓子!!」 「あぁ、チーズクリームのパイな・・・って、なんでスイーツばっかなんだよ!」 びしびしとつつかれながらアレンが小首を傾げる。 「ミランダさんのお見舞いに持っていこっかなーと思って」 言った途端に攻撃が止んで、シェフが腰を上げた。 「あれ?もういいんですか?」 「レープクーヘンは、飾り付けに時間がかかるんだ。 見舞いに持って行くんなら、今から作らないとな。 マトゥンは・・・おい、お前らでも作れるだろ。俺の邪魔をしたんだから、手伝え」 「えぇー・・・!!」 「俺らまだ、デザート食ってないんすけど!」 「・・・アレンに食われちまったから!」 一斉に恨みがましい顔を向けられて、アレンがそっぽを向く。 その様にくすりと笑って、シェフが新人達の背を叩いた。 「俺のレープクーヘンと、お前らが作ったマトゥンでお茶の時間をやるよ。 その代わり、お前らの郷土料理を教えな。 メニューに加えてやっから」 「え?!マジっすか?!」 シェフの言葉に新人達が沸きあがる。 「フリカデルはあったから・・・オワゾー・サン・テット!クリームがいいっす!」 「俺はワーテルゾーイ!!蛙で!!」 「せめて鶏にしてくれよ!!俺、カエル無理!!絶対!!」 「なんで!鶏よりうまいのに!!」 ぎゃあぎゃあと喚きながら厨房に戻る彼らの背を、アレンが笑って見送った。 「やれやれ。 じゃあ僕は、出来上がりを待ってる間にお茶でも・・・」 伏せられたカップを適当に取り上げ、テーブルのお茶を注いでいると、ドアの向こうがなにやら騒がしい。 「? どうかしたのかな?」 様子を見に行きたくはあったが、食堂にはリンクや監査官達がいて、出て行くことはできなかった。 ティムキャンピーを偵察に放とうにも、こんなに目立つゴーレムが飛んでは、アレンがここにいることがすぐにばれてしまう。 「困ったなー・・・」 せめて何か聞こえやしないかとドアに耳を当てた時、いきなり向こう側から開けられて、アレンは弾き飛ばされた。 「いぎゃ!!」 頭をぶつけた上にしりもちをついてしまい、痛みに悶えるアレンへ、手が差し伸べられる。 「お前、なんでそんなとこに転がってんさ?」 くすくすと笑う声を見上げれば、ラビが楽しげな笑みを向けていた。 「ノ・・・ノックくらいすれば?!」 痛かった、と、涙目のアレンの手を取って起こしてやったラビは、いたずらっぽく舌を出す。 「お前だって、ここのドアをノックなんかしねーだろ」 言われてみればその通りなので、アレンは憮然と口をつぐんだ。 と、ラビが掴んだままのアレンの手を引く。 「来てみ!面白いもんが見られるさね!」 「でっ・・・でも今、リンク達が・・・!」 見つかる、と、腰を引くアレンに、ラビはにんまりと笑った。 「だいじょーぶさ わんこ達は全部排除したから 「は・・・?」 恐る恐る休憩所を出てみると、厨房にジェリーの姿はなく、スタッフ達も火を扱っている者以外は、食堂の方へ気を取られている。 「なにがあったの?」 「まぁまぁ、見てみ 言われるままにこっそりとカウンターへ寄り、そっと食堂を見ると、リンク達監査官がテーブルに突っ伏して悶えていた。 「なにあれ、どうしたの?」 アレンが訝しげに指した先では、顔を真っ赤にして身動きの取れないリンク達をジェリーが扇いでやっている。 「あ、医療班まで来た。 なに盛ったの?」 きっとラビの仕業だろうと思って問えば、案の定、ラビはポケットから毒々しいほどに赤い実を取り出した。 「これ、ブート・ジョロキアっつーの こないだインドに行った時に・・・」 「毒唐辛子じゃん!!」 悲鳴じみたアレンの声に、ラビは面白そうに笑う。 「あれ、知ってたさ?」 「知ってるよ! 僕、インドにいた時にうっかり食べちゃって、死ぬかと思ったんだから!」 ぶるぶると震え上がったアレンに、ラビが笑い出した。 「経験者が他にもいるとは思わんかったさ!」 毒唐辛子、とは言うが、単に世界一辛いだけで、毒はない。 だが不慣れな者が一度に大量に摂取すれば、 「ま、あぁなるさね」 ラビが指差して笑った先では、泡を吹いて気絶する者もいた。 「な・・・なにに入れたんだよ・・・」 リンクや監査官達が、いかに興奮状態にあったとはいえ、そうやすやすと唐辛子を摂取するとは思えない。 不思議に思って問うと、ラビはテーブルの上のティーポットを指した。 「あの中のお茶を、ブート・ジョロキアジュースに摩り替えてみました 「ひどい・・・」 きっと、タバスコのような色になっていたはずだが、リンクだけでなく監査官達は甘党であることが第一条件なのか、お茶の色など見もせずに大量のミルクと砂糖を入れてしまう。 ぬるくなったそれを一気に飲み干せば、この結果が現れるだろうことは想像に難くなかった。 「ラビがこんな非道なことをする人だったなんて・・・!」 「おーい! 思いっきり笑いながら言うこっちゃないさね!」 肩を大きく震わせ、顔を覆って笑うアレンの頭をはたいたラビは、にんまりと笑う。 「そもそも、この作戦はお前を見て思いついたんだからさ 「僕?なんで?」 もはや隠しようもなく笑いながら問うと、ラビはアレンの鼻先をつついた。 「お前、俺がリナリーの隣に座った時に、すんげー顔で睨んでたじゃん だから同じように、リーバーに嫉妬の炎を燃やすわんこどもを一斉排除してやったら、ミランダは安心してリーバーと一緒にいられて嬉しいんじゃねーかな、って思ったんさね 「・・・それであの時、ニヤニヤしてたんだ」 ラビが突然笑い出したことを思い出し、アレンが複雑な顔をする。 「結構大変だったんだぜ! 大量の唐辛子をジュースにすんのに、普通の部屋でやったら被害甚大だからさ、まずは科学班の研究室を一個借りたんさ。 防護服着てガスマスクして、ミキサーでジュースにしたもんを密閉容器に入れて慎重に運んだんさね。 今は、換気が済むまで立ち入り禁止にしてる」 「・・・さすが、世界一辛い唐辛子ですね」 そんなものを摂取させられたのかと思うと、普段憎たらしい監査官達が哀れに思えてきた。 「あれじゃあ同じ病棟に入っても、ミランダの見舞いどころじゃないさね 俺らもゆっくり見舞いできるぜ 「そうですね! 今、レープクーヘンとマトゥンを作ってもらってますから、できたらリナリーも誘ってお見舞いに行きましょ!」 「おう わくわくと目を輝かせるアレンに頷き、ラビが立ち上がった時・・・。 「どこに行くですって・・・?」 低く恐ろしげな声と共に、ラビの襟首が掴まれた。 「アタシの聖域で妙な混ぜ物をしたのはアンタ?!」 凄まじい怒号に震え上がったラビが、ものも言えずに硬直する。 「よくもこんないたずらをしてくれたわねぇ・・・! アンタ!しばらくここでこき使われなさい!!!!」 ジェリーの命令に逆らうことはできず、ラビはウサギの冷凍肉のように固まったまま、厨房の下働きとして連行されていった。 ―――― 城の中では、誰もが眠りについている。 人だけでなく、動物や火までもが深い眠りについて、ただ、城を多い尽くす茨だけが生き物のように蠢き、他者の侵入を防いでいた。 彼女が眠りについて数年・・・数十年・・・とうとう百年の時が過ぎた頃。 茨を踏み分けて城の奥深くへ、一人の男がやって来た。 夢の中で、彼が自分の元へ近づいて来る様を見ていたミランダは、その手がこの寝室のドアへかかった瞬間、胸をときめかせる。 『あぁ、いよいよ・・・』 茨の解けた城には、百年ぶりに陽光が降り注ぎ、窓からは冬の柔らかい日差しが、先触れのように覚醒を促した。 ―――― ドアが・・・開く。 かすかな軋みをあげてドアが開くと、規則正しくかかとを鳴らす音が近づいた。 その足音は、ベッドの傍らで止まり、ミランダの手を大きな手がそっと取る。 どきどきと鼓動を早くしたミランダは、既に覚醒してはいたが、目を閉じたままその時を待った。 が、続いて頬に触れた手の滑らかさに違和感を覚え、わずかに眉根を寄せる。 『彼の手は・・・薬品で荒れて、こんなに滑らかじゃないのに・・・』 訝しく思ったミランダは、いけないこととは思いつつも、薄く目を開けてしまった・・・――――。 「あれ、ずいぶん寝てるんすね」 もう起きた頃だろうと、再びミランダの病室に現れたリーバーが、付き添っていた婦長に声をかけた。 「えぇ、一度は起きかけたんですけどね、薬を増やすまでもなく、寝てくれたわ。 この子が寝ている間に、同行者に聴取した睡眠時間を計算してみたんだけど、全然足りないわねぇ・・・。 せめて任務の時以外はちゃんと寝てくれないと、お肌に悪いわよ」 冗談めかしつつも、言うことは言った婦長が、手にしたクリップボードを振る。 「起きたら治療の他にカウンセリングをした方がよさそう。 あなた、そう言っておいてちょうだい」 後は任せた、と、肩を叩いて病室を出て行く婦長に頷き、リーバーはドアを閉めた。 すると、同じ病棟の同じフロアに入院した監査官達のうめき声が消えて、ようやく静かになる。 「・・・誰が劇物なんか盛ったんだろうな」 その原因は自分達だとは思いもせず、リーバーはベッドに歩み寄った。 見下ろしたミランダは、夢を見ているらしく、まぶたが細かく震えている。 「なんの夢見てるんだかな?」 あまりいい夢ではなさそうだ、と、眉根を寄せた顔を見て首を傾げた。 「起こしてやった方がいいのかね」 ミランダの肩に手をかけたリーバーは、ふと、揺り起こそうとして止める。 「キスで目が覚めたりして・・・」 照れながらも顔を近づけた時、 「きゃあああああああああああ!!私ったらなんてことっ!!」 突如起き上がったミランダの頭突きをまともに受けて、リーバーが床に沈んだ。 だがそれ以上に、 「いっ・・・痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」 打ち付けた頭も痛いが何より、腰の激痛によってミランダはベッドの上で悶絶する。 「だ・・・大丈夫か?」 自らも負傷しながら、やましい行為をなかったことにしようとリーバーが、無理やり平静を装って立ち上がった。 「だ・・・大丈夫じゃ・・・な・・・・・・!!」 何があっても平気だと言い張るミランダにしては珍しく、素直に苦痛を認めたことにリーバーが焦る。 「ちょっと待ってろ。 ドクター、ミランダに鎮痛剤処方してもらえませんか。 えぇ、注射がいいと・・・こっちで処置できますんで!」 インカムを引き下ろしてドクターと連絡を取ったリーバーが、できるだけ楽な姿勢になるようにと、クッションや枕を当ててやった。 「あ・・・ありがとうございます・・・いたた・・・!!」 涙を浮かべながら枕に抱きつくミランダの頭を撫でてやるうちに、ナースが鎮痛剤を持って来て、リーバーが手を出すまでもなく処置してくれる。 「すぐに楽になるからな」 「は・・・はい・・・!」 ぎゅっと目をつぶったまま、震えるミランダにリーバーは首を傾げた。 「ところで、なんの夢見てたんだ? 悲鳴をあげて飛び起きるくらい怖かったのか?」 頭突きされた自分の額を触ると見事なたんこぶが出来ている。 「・・・あ、お前もできてるぞ、たんこぶ。冷やしとくか」 頷いて出て行ったナースを見送り、リーバーが視線を戻すと、ミランダは真っ赤になって身を縮めていた。 「どうした?」 「そっ・・・それが・・・・・・!」 言いにくそうに、何度も言いよどんだミランダが、ようやく震える声をあげる。 「寝・・・寝る前に、童話の話をしていたでしょう・・・? それで私・・・童話の夢を色々見ていたんですけど・・・・・・」 お菓子の家に行ったり、そこから追い出されてツムに刺されたりと、なんだか色んな童話が混じってしまった。 「それで・・・茨のお城で眠っていたら、男の人が来て・・・私、てっきりあなただと・・・・・・」 その言葉に、やましいところのあるリーバーがぎくりとする。 しかし、 「・・・あれ? てっきり、ってことは、俺じゃなかったのか?」 それはそれで大問題だと、リーバーが眉根を寄せた。 「誰だったんだ?」 できるだけ、怒りや嫉妬心を抑えて問うと、ミランダはガタガタと震え出す。 「そ・・・それが・・・!」 ―――― 滑らかな手の感触に違和感を覚え、薄く目を開けると、目の前は真紅の幕に覆われていた。 それが長い髪だと気づいたのは一瞬後で、目を見開いた彼女の間近に迫ったのは・・・! 「あぁ、それは夢魔ってヤツだ」 突然、窓の外から声がして、リーバーが飛び上がった。 「元帥っ?!」 見れば、窓枠に両手をかけたクラウドが、目だけを覗かせている。 「こっ・・・ここ、2階ですよ?!」 「案ずるな、問題ない」 全然話の通じないことを言って、クラウドが懸垂の要領で一気に窓から半身を現した。 「あ・・・あの、夢魔って・・・・・・?」 寝返りの打てないミランダが背後に向かって問うと、窓枠を乗り越えて部屋に入って来たクラウドが、足場にしていた大猿を小猿の姿に戻して頭に乗せる。 「油断しているとな、遠慮なく人の夢に入ってくるのだ、クロスの馬鹿は」 主人の言葉にこくこくと頷いた小猿が、ベッドまで降りて来て、長い尻尾に絡めていた物をミランダの枕元に置いた。 「ミランダの所にまで出たってことは、元気に生きてるな、あいつ」 「元帥・・・これはなんですか?」 ミランダが受け取った、枕らしきものの表面には、変な動物の絵が描いてある。 毛むくじゃらのそれは、鼻が象のように長く、鋭い爪のある足は虎模様で、奇妙なキメラに見えた。 「獏という、中国の伝説の動物を描いた枕だ。 以前、悪夢で眠れないとぼやいたらアジア支部長がくれたのでな、同じものをもらって来てやったぞ」 「バク支部長が・・・獏のプレゼントですか・・・」 「だっ・・・駄洒落じゃないぞ!」 今にも冷たくなりそうなリーバーの目の前で、クラウドが慌てて首を振る。 「ただ・・・お前が不眠症なのはもしかしたら、夢魔の奴がちょくちょく出ているのじゃないかと思ったから・・・! それに、明日はお前の誕生日だって言うし・・・あ!わざわざ行ったんじゃないぞ!たまたまアジア支部に用事があったんだ! べっ・・・別に、ちょっと叱りすぎたって思ったわけじゃないからな!!」 真っ赤になって、言わなくていいことまで言ってしまったクラウドに、リーバーが生ぬるい笑みを浮かべた。 「・・・つまり要約すると、今朝、あんまり酷く叱ってミランダを落ち込ませたことが気まずくて、わざわざアジア支部にまで安眠グッズを仕入れに行ったということですね」 「きっ・・・キサマ、人の話を全然聞いてないだろう!! なんでそんな真逆の解釈をする?!」 「それは・・・」 図星を指されて真っ赤になった顔が何よりの証拠だと、指摘してやりたくはあったが、リーバーは笑って首を振る。 「そうっすね、考えすぎでした」 あっさりと言われて、悔しげに唇を噛んだクラウドは、ぷいっと顔を背けてドアを開けた。 「あぁ、そうだミランダ」 部屋を出たクラウドが、細い隙間から片目を覗かせる。 「夢魔以外にも、いかがわしい行為に及ぼうとした輩はいたから気をつけろよ」 「げっ・・・元帥っ・・・!!」 いつから見ていたんだと声を失ったリーバーに、にんまりと笑って、ドアが閉まった。 「な・・・何があったんでしょう・・・?」 不安げな目で見つめてくるミランダから必死に目を逸らし、リーバーが話題転換の隙を窺っていると、折りよくノックの音がする。 「どっ・・・どうぞ!!」 ナースが氷嚢を持って来てくれたかと思いきや、アレンとリナリーがひょっこりと顔を出した。 「あ!良かった、起きてた!」 「ミランダさん、お見舞い持ってきましたよ!」 邪魔だろうかとリーバーの顔色を伺う二人を、彼は大歓迎で迎え入れる。 しかし、 「・・・なんで班長、たんこぶできてるの?」 「ミランダさんも、痛そう」 余計なことを言った途端、リーバーに睨まれた二人はじりじりと後ずさった。 「お・・・お邪魔そうだから退散しましょうか」 「そ・・・そうだね・・・」 「え?! いや、そんなこと一言も言ってないぞ?!」 慌てて引き止めるが、顔を見合わせた二人はそっくりに眉根を寄せる。 「いや、ゆっくりお見舞いしたいんですけどね・・・」 「ラビがジェリーを怒らせちゃって、今、厨房で下働きさせられてるの」 だから、と、二人してリーバーの手を振りほどいた。 「ニューイヤーパーティの準備、僕らがお手伝いしなきゃいけなくなったんですよ」 「今、神田が一人でお手伝い中だから、早く戻らないとすごく怒ると思うんだぁ・・・」 そう言う訳で、と、二人してベッドのミランダに手を振る。 「ごめんなさい、また明日来るね」 「お菓子食べてくださいね 言うや、リーバーが止める間もなく二人は出て行ってしまった。 「あいつら・・・!」 逃げるように去ってしまった二人の背中を睨むリーバーが振り向けずにいると、さすがに事情を察したミランダが苦笑する。 「リーバーさん、リーバーさん」 できるだけ明るい声で呼びかければ、彼が恐る恐る振り返って、ミランダは自分が起きる前になにがあったのかを確信した。 叱られる前の子供のような表情の彼にクスクスと笑い、ミランダは寝転んだまま、アレンが持ってきたバスケットを引き寄せる。 「いい匂い・・・開けてもらっていいですか?」 何気なく言った彼女に頷いたリーバーが、中からきれいなデコレーションがされたレープクーヘンとマトゥンを取り出した。 大喜びでレープクーヘンをかじったミランダが、嬉しそうに頷く。 「出来立てだからかしら、柔らかいわ 「あぁ・・・そういや、朝から何も食べずに寝てたんだよな。 ハイティーにするか?」 ようやく氷嚢を持ってきてくれたナースと一緒にミランダを起こしてやりながら言うと、彼女は少し考えて首を振った。 「お肉をいただく気分じゃないので・・・これだけでいいです」 「じゃ、お茶を持ってくるわね」 リーバーにも氷嚢を渡して、ナースがまた出て行く。 「あ・・・すみません、それ・・・私のせいでしょ?」 自分の頭にも氷嚢を当てるリーバーに、ミランダが首を傾げた。 「なんだかすごい夢を見てしまって、びっくりして・・・」 「あぁ、クロス元帥が出てきたんだって?」 ややムッとして言えば、ミランダは困り顔で頷き、リーバーの手を取る。 「そう、これ・・・」 両手で包み込んだリーバーの手を撫でるミランダを、彼は不思議そうに見つめた。 「俺の手がどうかしたか?」 「えぇ。 あなたの手、ずっと薬品を扱っているから、可哀想なくらいに荒れているでしょう?」 労わるように撫でてくれるミランダに、リーバーがほんの少し、紅くなる。 「でも、夢の中の手はとても滑らかで、私の頬に触れた瞬間、絶対違う、って思ったんです」 そこで危険を感じて目を開けると、間近にクロスがいた。 「・・・そりゃ、確かに夢魔だな」 「えぇ・・・」 大きくため息をついたミランダが、積み重ねられたクッションにぐったりと身体を預ける。 「・・・いつも悪い夢ばかり見ているんですから、これ以上、煩わされたくないんですけど・・・・・・」 聞き様によってはものすごく酷いことをさらりと言ったミランダに、リーバーが笑い出した。 「そんな時のための獏だろ」 そう言ってリーバーが指した枕を、ミランダが不思議そうに見つめる。 「さっき聞きそびれてしまったんですが・・・なんですか、これ?」 変な動物、と呟く彼女に、リーバーが頷いた。 「これは獏と言って、中国じゃ悪夢を追い払うと言われてる、想像上の生き物だ。 寝具のモチーフに使われるんだぜ」 「そうなんですか・・・それでクラウド元帥は持って来て下さったんですね」 お礼を言いそびれた、と言うミランダに、リーバーが笑って頷いた。 「退院したら言えばいいさ。 俺からも伝えておくから」 「はい、よろしくお願いします」 丁寧に一礼して、苦痛によろめいたミランダは、咄嗟に支えてくれたリーバーにふと、瞬く。 「今日は、お仕事はいいんですか?」 「心配しなくても、お前が寝てる間は仕事してたし、今は休憩時間だ。 お茶を飲んだら戻るから、余計なことは気にしなくていい」 「はい・・・」 安堵して頷いたミランダに、『そうだ』とリーバーが手を打つ。 「婦長が、起きたらカウンセリングするって言ってたぞ。 まず、不眠の解消を優先した方がいいだろうって」 「はぁ・・・私だって、眠りたいんですけど・・・・・・」 出来るかしら、と、ミランダが不安げに呟いた。 深く思い悩んでしまう性質である彼女には、人命を一手に預かる任は重すぎて、後悔と自責の念は任務の度に悪夢となって襲い掛かる。 それはとても辛いことだが、このことに慣れて、後悔も自責もしなくなっては、人として何かを失くしてしまう気もした。 そんなことを口ごもりながら言うと、いきなり抱きしめられてミランダは目を丸くする。 「え・・・あの・・・?」 腰の痛みも忘れて、間近に迫ったリーバーの顔を見つめていると、苦しげな声が耳元で囁いた。 「本当に・・・代わってやれたらな・・・」 なぜよりによって、こんなにも繊細な彼女が最も重責を負うイノセンスを与えられたのかと、思う度に胸がつまる。 だが痛ましげな彼とは逆に、ふっと笑みを浮かべたミランダは、リーバーの背をなだめるように撫でてやった。 「・・・私は大丈夫ですから。 きっとこの能力は、私くらい気が弱い人間じゃないと、大それたことをしでかしかねないからって、主が預けてくださった力なんですよ」 後悔と自責は尽きないが、その力で多くの命が救われたこともまた、事実だ。 「それを自信に繋げられないのは・・・やっぱり、私が弱いせいですけどね・・・」 苦笑して、ミランダはリーバーの背に手を絡めた。 「だから、あなたがこうして気遣ってくれる時だけは、私は皆さんの役に立ってるのかしら、って思えるんです。 自分では、とてもそうは思えないから」 言った途端、ミランダは慌ててリーバーから手を離す。 「ごっ・・・ごめんなさい、私ったら調子に乗って・・・! 全然役立たずなのに、お・・・おこがましいですよね!」 真っ赤になった顔を背ける彼女に苦笑したリーバーは、ミランダの顎をつまんで軽く口付けた。 「いいや。 本当だったら、もっと誇ってもいいくらいだが、そうはできないのがミランダだからな」 もう一度口付けて、身を離す。 「けど、神様も夢の中でまで後悔しろとは思ってないと思うぜ。 だから・・・そうだな」 ふと目に止まった枕を、ミランダの膝の上へ乗せた。 「悪夢はこれで避けて、ぐっすり寝るといい。 任務は体力勝負だからな」 「はい・・・」 ミランダがにこりと笑って頷くと同時に、ドアをノックしてナースがお茶を運んでくる。 「お大事にね」 それだけ言うと、無表情すぎるほどの無表情で即座に出て行った彼女に、リーバーは『見られたな』と確信した。 「あー・・・じゃあ、お茶を飲んだら戻るから、後は婦長に来てもらおうな!」 「はい・・・?」 リーバーが淹れてくれたお茶を受け取ったミランダは、なぜ彼がドアに向かって大声で言うのだろうと、不思議そうに首を傾げる。 だがそれもお茶を飲むまでのことで、甘いお菓子と温かいお茶にほっと吐息したミランダは、鎮痛剤が効いて来たこともあり、ようやくのんびりとした時間を持つことが出来た。 ―――― 翌朝、いまだかつてないほどにすっきりと目を覚ましたミランダは、カーテンの隙間から漏れる光が既に明るいことに気づいて、ゆっくりと身を起こした。 寝る前に打ってもらった鎮痛剤がまだ効いているのか、痛みはほとんどなく、背中と膝裏にクッションを当てるだけで難なく座ることも出来る。 「・・・・・・久しぶりに、夢を見なかった気がするわ」 任務の後はいつも悪夢しか見ないため、決まって酷く憂鬱な気分で起きるものなのに、今日は妙に気分がいい。 「・・・・・・」 小首を傾げた途端、自分の髪からラベンダーの香りがして、ミランダはクラウドにもらった枕を取り上げた。 「どっちの効果だったのかしら」 獏の絵が描かれた枕はクラウドのプレゼントだが、ピローケースに挟むラベンダーのポプリは婦長がプレゼントしてくれたものだ。 他にも、クリスマスの時にあげられなかったからと、リナリーがコムイから預かってきたリーバー人形の湯たんぽや、首に巻くと暖かいからと、リナリー自身がプレゼントしてくれた就寝時用マフラーなど、今のミランダは安眠グッズに囲まれていた。 それらを見渡して、ミランダは大きく頷く。 「これは・・・効くのね・・・!」 だが何より、と、ミランダはぎゅっと毛布を握り締める手を見下ろした。 ニューイヤーパーティを抜け出したリーバーが、今日になった瞬間に渡してくれたもの・・・。 深い緑色をしたセラフィナイトの珠と、花の形に整形した白いムーンストーンを組み合わせて作ってくれたブレスレットを見下ろし、ミランダは柔らかく微笑んだ。 「きっと、このお守りのおかげだわ 冷たいそれに頬を摺り寄せ、笑みを深める。 「これからも安眠グッズ、集めちゃおうかしら 明るい声の独り言は、病室の外で満身創痍ながらもマンマの目覚めを待っていた愛犬達が鋭く聞きつけ、一時間もしないうちにミランダの病室は、色とりどりの花と様々な安眠グッズで覆われることになった。 Fin. |
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20012年最初のSSはミランダさんお誕生日SSです。 ・・・最初の日にアップできればもっとよかったんですけどね;(←1/2) これはリクエストNo.81『ミランダの子供時代』を使わせてもらってますよ。 子供時代といっても、夢の中のお話ですが(^▽^;) 不眠症っぽいミランダさんを、何とか安らかに寝かせてあげたいなぁと思って書いたお話でしたが、解消どころか、安眠グッズあふれすぎて婦長に『わんこ出てけ!』とか言われそうです(笑) |