† De Roede Skoe †






 ―――― 吹き飛ばされた身体が壁にめり込む音に、修練場に集まった団員達は揃って首をすくめた。
 「がふっ・・・!」
 吐血し、床に倒れた彼へ常駐のナース達が駆けつけるより早く、加害者のリナリーが駆け寄る。
 「だ・・・大丈夫、アレン君?!
 ごめん、手加減し損ねちゃった!」
 抱き起こし、服をめくってみると、アレンの腹にはくっきりとリナリーの足型がついていた。
 「きゃああ!!思いっきり入ってるー!!」
 「わかったからどいて!」
 「病棟に運んでる暇はないかもしれないわ!ドクター!!」
 リナリーを押しのけたナース達が、ストレッチャーに軽々とアレンを乗せる。
 彼女達に呼ばれたドクターも駆けつけて、ナース達に手早く指示を出した。
 「リナリー!病棟に運ぶ前にアレンの応急処置をするが・・・」
 気遣わしげについてくる彼女を押しのけて、ドクターが厳しい目で睨む。
 「あとでたんまり説教してやる」
 「ぴっ!!」
 すくみあがったリナリーにドクターが怖い顔をして背を向けると、リナリーは傍らのミランダに縋りついた。
 「わざとじゃないもんー!!
 ちゃんと手加減しようと思ってたのに、アレン君が避けるタイミング早くって・・・まともに入っちゃっただけなんだよおおおおおおおおおお!!!!」
 「ま・・・まぁまぁ。
 ドクターだって、本気でお説教しようなんて思ってないわよ」
 大丈夫、と慰められてほっとしたリナリーが涙目をあげると、
 「では、私の監視対象を起動終了した件について、私からお説教を・・・」
 と、咳払いしたリンクにリナリーが目を吊り上げる。
 「なんだよ!でしゃばらないでよ、陰険わんこ!!」
 「まずはその、レディらしからぬ言動からですね。
 ちっともレディらしくならないと、料理長も嘆いてましたよ」
 ふん、と鼻を鳴らしたリンクを睨むリナリーの目に、剣呑な光が灯った。
 「まったく、少しはマンマを見習って、女性らしくしとやかに・・・」
 「ねぇ、監査官。
 お説教の続きは、あなたが勝ってからってことにしません?」
 にこりと笑みを作ったものの、リナリーの目はまったく笑っていない。
 ただならぬ気配を感じ取りながら、リンクは彼女を睨み返した。
 「一体なんの勝負をすると?」
 「私と組み手しましょう!」
 にっと笑ってこぶしを握った彼女に、リンクは意外そうに瞬く。
 「・・・組み手?なぜ私が」
 「だってもう、相手がいないんだもん!」
 肩をそびやかせたリナリーが辺りを眺め回すと、団員達は彼女と目を合わせないように顔をそむけた。
 「ね?」
 したり顔で小首を傾げたリナリーを、リンクは忌々しげに睨む。
 「お断りします。私には仕事が・・・」
 「負けるのがわかりきってるから敵前逃亡ですか?
 さすがにわんこは逃げ足も速いな」
 意地悪く笑ったリナリーにムッとしつつも、リンクは首を振った。
 「・・・挑発には乗りませんよ、リナリー・リー。
 私は命令を受けて任務に就いているのです。
 私闘などもってのほかです」
 「だから私闘じゃなくて、訓練ですってば」
 一足に詰め寄り、リナリーはリンクを上目遣いで見上げる。
 「監査官だって戦場に行くんだもの。身体がなまっちゃダメでしょ?
 私が一緒の時もあるんだから、足手まといになられちゃ困るの」
 猫のように目を細めて、リナリーはにこりと笑った。
 「さ、相手して、監査官。
 私が倒しちゃったアレン君が、起きるまででいいから」
 「ウォーカー・・・」
 医務室に運ばれたまま、まだ戻ってこないアレンへリンクが舌打ちする。
 「・・・イノセンスを使わないこと。それが条件です」
 ジャケットを脱いだ彼に笑みを深め、リナリーは大仰に頷いた。
 「もちろんv ちゃんと手加減してあげますからねv
 上から目線で言ってやると、襟からネクタイを引き抜きながらリンクが肩をすくめる。
 「なにを勘違いしているのですか。
 君がイノセンスを使えば、私も手加減できなくなると言っているのですよ」
 自信満々の言い様に、リナリーの目が更に細くなった。
 「へぇ・・・すごい自信。過信じゃなきゃいいケド?」
 「試してみればいいでしょう」
 カフスボタンを外し、腕まくりしたリンクがリナリーに向き直る。
 「では、始めましょうか」
 「はぁいv
 向かい合った二人の間でおろおろしていたミランダは、不意に背後から腕を掴まれて飛び上がった。
 「そこにいると危ねぇんじゃね?」
 「ラ・・・ラビ君・・・・・・」
 今頃やって来たらしいラビが、楽しげに笑ってミランダの腕を引く。
 「ホレ、離れてさ。
 血の気が多いんはユウだけじゃないんから」
 「は・・・はい・・・!!」
 足をもつれさせながらミランダが離れるや、背後で凄まじい音がした。
 「ひっ!!」
 驚いて振り返れば、リナリーの蹴りがリンクの腕に止められている。
 「あら。
 これを止められるのは神田だけだと思ってたけど」
 にんまりと笑ったリナリーを、リンクが忌々しげに睨んだ。
 「・・・最初から容赦ありませんね」
 「容赦して欲しかったんですか?」
 足が降りたかと思えば目にも止まらぬ第二撃が襲い掛かり、リンクは後ろへ飛び退る。
 「へぇ・・・早い早い」
 わずかに感心したリナリーは、床を蹴って軽く跳躍した。
 「じゃあこれも避けてねv
 「くっ!!」
 空を斬る回し蹴りを仰け反って避け、落ちてきた膝を転がって避ける。
 「リンクすげ・・・!
 俺だったら今の、絶対食らってたさ!」
 それはそれでエクソシストとしてどうなのかと、言う前にまた凄まじい音がして、リナリーが吹っ飛んできた。
 「きゃあ!!」
 「あはv
 身をすくめたミランダとは逆に、壁に両足で着地したリナリーは楽しそうに笑う。
 「ちょっと本気出してもいいみたい」
 壁を蹴って舞い戻ったリナリーが放った回し蹴りを防ぎきれず、今度はリンクが吹っ飛んだ。
 「・・・このっ!」
 何とか受身を取って起き上がったリンクは、すぐさま襲い掛かってきた蹴りを紙一重で避け、リナリーの髪を掴んで引き倒す。
 「いっっったぁい!!」
 そのままリナリーの頭を床に押し付けようとするリンクの腕をかいくぐり、胸倉を掴んで腹を蹴飛ばした。
 「おぉー!
 見事な巴投げ!」
 一本!と挙げかけた手は、リンクが着地してしまったために中途半端な位置で止まる。
 「リナリー!さっさと決めるさねー!」
 「うるさいな!!」
 言われなくてもわかっている、と、リナリーの目の色が変わった。
 「女の子の髪を掴むなんて、サイテー!
 そのおさげ、引き抜いてやるんだから!」
 「はっ!
 やれるもんならやってみなさい!」
 リンクは挑発的に笑って、金色の髪を振る。
 「こんのー!!」
 掴みかかって来たリナリーの手を腕で防ぎ、懐に飛び込んで胸倉を掴んだ。
 「なにすんの、えっち!!」
 鋭い膝蹴りがみぞおちを抉り、たまらず屈みこんだリンクの髪を鷲掴みにする。
 「獲ーった!」
 「放しなさい!!」
 リンクの手刀に首を狙われ、仰け反って避けながらリナリーは彼の腹に蹴りを入れた。
 「おぉー・・・見事に吹っ飛んださ」
 壁にめり込んだリンクを眺めたラビが、リナリーの勝利を宣言しようとして再び口を閉じる。
 「リンク、しぶといさねー」
 「え?!」
 そんな馬鹿な、と、リナリーが目を丸くした。
 「さっきのでアレン君・・・治療室に運ばれたのに・・・!」
 手加減し損ねたアレンと違って、リンクには一切の容赦をしていない。
 「・・・わかったよ。本当に本気でやればいいんだね」
 低くなった声に、ミランダがびくりと震えた。
 「リ・・・リナリーちゃん、ダメよ・・・!
 ハワードさんはエクソシストじゃないのよ・・・?!」
 「知ってる」
 短く答えたリナリーが、掌にこぶしを打ちつける。
 「あの人は・・・鴉だよ!!」
 鋭く声をあげた瞬間、リナリーの姿が消えた。
 いや、目視できなくなったのだ。
 「あいつイノセンスを・・・!」
 止めに入るべきかと槌を発動させたラビの目に、しかし、リナリーの姿は映らなかった。
 「リンク避けるさ!!!!」
 目の前でひき肉が出来上がるのは見たくないと、ラビが絶叫すると同時にリンクの周りを呪符が囲む。
 「手加減できなくなると言ったでしょう!!」
 彼を囲む呪符が歪んだ場所へ向けて、リンクが新たな符を飛ばした。
 「きっ・・・!!!!」
 スピードを殺されたリナリーの姿が宙に現れ、しかし強引に押し切ってリンクへ蹴りを食らわせる。
 「このっ・・・!!」
 「暴力娘が!!!!」
 二人の怒号が交差した瞬間、凄まじい破壊音が響き、もうもうと土ぼこりが舞い上がった。
 「・・・っおい!大丈夫か?!」
 「リナリーちゃん!ハワードさん!無事なの?!」
 視界が悪い中、ラビとミランダが懸命に声を掛けるが返事はない。
 「返事して・・・っ!」
 「まだ危ないさ!」
 駆け寄ろうとするミランダの腕を掴んで止めたラビは、埃がおさまって視界が開けた途端、目を剥いた。
 「ぅえっ?!相討ち?!」
 破壊された床の上には、リンクとリナリーが目を回して転がっている。
 「リ・・・リナ相手にリンク、すげー・・・!」
 「かっ・・・感心している場合ですか!」
 悲鳴じみた声をあげてミランダが二人へ駆け寄った。
 同時に医務室のドアも開き、ナース達が駆けつけてくる。
 「なにやってんの、あんた達はー!!!!」
 「訓練で仕事増やさないでよ!!」
 口々に文句を言いながらも、ナース達は軽々と二人を抱え、それぞれストレッチャーに乗せた。
 「他に怪我人いる?!」
 「巻き込まれた人ー!」
 辺りを見回すが、戦闘開始から遠巻きにしていた団員達に怪我はない。
 「よっし、行くわよ!」
 「まったく、訓練なら訓練らしく、安全にやんなさいよっ!」
 嵐のように去って行ったナース達を、その場にいた全員が呆然と見送った。


 ドアが壁に叩きつけられた音に驚き、目を開けたアレンは、自分の隣に運ばれたストレッチャーにリナリーの姿を見て飛び起きた。
 「リナッ・・・いってえええええええええ!!!!」
 腹を押さえて悲鳴をあげた彼に、傍らのドクターが呆れる。
 「そりゃ、そこを蹴られたんだから痛いだろうよ。
 でもまぁ、内臓や骨に異常はなかったから、安心しなさい」
 「は・・・はぁ・・・」
 頷いて涙目を横へ向けたアレンは、リナリーの向こう側にリンクがいることに気づいて唖然とした。
 「え・・・?
 二人、どうしたんですか?」
 「見てないから知らない」
 「でも、一緒に倒れてたから、相討ちしたんじゃないかしら。後でラビに聞くわ」
 「あいうち・・・・・・」
 その言葉にアレンが、目を丸くする。
 「あれ?ウォーカー君、どうかした?」
 問われてアレンは、悔しげに眉根を寄せた。
 「僕・・・リナリーに全然敵わなかったのに・・・」
 「アラ」
 声を詰まらせた彼に、ナース達が微笑む。
 「女の子に乱暴できなかったんでしょ」
 「監査官はその点、容赦なさそうですもんねぇ」
 紳士的だと、とても好意的な見方をしてくれた彼女達の前で、アレンは黙り込んだ。
 「ア・・・アラ?」
 「どうしたの?おなか痛い?」
 屈みこんだ彼女達に、アレンは首を振る。
 「リナリーとの組み手は本気でやらなきゃ、この程度の被害では済みませんでしたよ」
 では本気でやって負けたのかと、ナース達は気まずげに目を見交わした。
 「リンク・・・相討ちできるほどなんだ・・・・・・!」
 呟いたアレンの声が、深く沈む。
 かつて、ティモシーに憑かれたリンクの攻撃を受けたことのあるアレンは、彼の体術が際立っていることは知っていたが、リナリーに匹敵するほどだとは思わなかった。
 「悔し・・・!」
 「はっ!お花畑が見えたよ!」
 突如リナリーが起き上がり、アレンは慌てて言葉を飲み込む。
 「う〜・・・!
 組み手の連勝記録更新かと思ったのに・・・あ!でも、私の方が先に起きたんだから、私の勝ちだよね?!」
 詰め寄られたアレンが、唖然としたまま頷いた。
 「よし!
 あとやってないのはー・・・うーんと・・・ねぇ、アレン君?
 私、ソカロ元帥に勝てると思う?」
 「まだやるんですか?!」
 首を傾げたリナリーに、アレンが悲鳴じみた声をあげる。
 「うん。
 ソカロ元帥に負けたんなら、連勝記録ストップしても悔しくないかなぁって」
 あっさりと頷いた彼女にアレンは唖然とした。
 「なんでソカロ元帥・・・。
 ティエドール元帥とか・・・クラウド元帥だったらまだ危険はないんじゃないですか?」
 よりによって、一番危険な元帥を相手に選ぼうとするリナリーを思いとどまらせようとするが、彼女は眉根を寄せて首を振る。
 「ティエドール元帥は逃げるばっかりか、すぐにイノセンスで片をつけに来るから訓練にならないの。
 いくら私が珍しいイノセンス持ってるからって、元帥のイノセンスに適うわけないもん」
 ぷくっと頬を膨らませるリナリーに、アレンは首を傾げた。
 「じゃあ、クラウ・・・」
 「絶対ダメ!
 クラウド元帥はライオンと一緒だよ!訓練だからってちっとも手加減してくれないの!
 私、何度か殺されそうになったんだよ!」
 ねぇ?と、同意を求められたドクターが、渋い顔で頷く。
 「元帥には何度も手加減してくれと頼んだんだが、全然聞き入れてくれなくてねぇ・・・。
 彼女が修練場に来た途端、全団員は退避するもんだよ」
 ドクターの苦々しい声に、リナリーがコクコクと頷いた。
 「クラウド元帥は怖すぎて近づけないけど、ソカロ元帥は子供相手には手加減してくれるんだ。
 ・・・まぁ、猫がネズミをいたぶって遊んでるカンジではあるんだけどね。
 それとたまに・・・ホントにたまーっにお城にいたクロス元帥に相手を頼んだことがあったんだけど・・・」
 「師匠に?!」
 意外な名前を聞いて、アレンが頓狂な声をあげる。
 「ななななな・・・何か変なことされませんでしたか?!
 あの人ホント見境ないんで、幼女にも手出ししたんじゃないかと僕・・・!」
 大慌てするアレンに、リナリーはきゅっと眉根を寄せた。
 「私が負けたらキスしろって。でも、もしも勝ったらキスしてやるよって・・・同じことだよねぇ!」
 「〜〜〜〜あのおっさんはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 「ふぁっ?!」
 アレンの絶叫に驚き、飛び起きたリンクが肩を押さえて呻く。
 「あ・・・起こしちゃったね、リンク」
 「おはようございます、監査官v
 私の勝ちよv
 気まずげなアレンとは逆に、嬉しそうに笑ったリナリーを、リンクがものすごい目で睨んだ。
 「リナリー・リー・・・!
 イノセンスは使うなと言ったでしょう!」
 「ふん!臨機応変だよ!」
 「なにが臨機応変ですか!
 君のは自己中心的なルール違反でしょう!」
 「監査官だって呪符で応戦したじゃないか!!あれがなければちゃんと手加減したんだよ!」
 「あんなあからさまな殺気を放っておいて、そんな言葉が信じられると思っているのですか?!
 臨機応変は私の方ですよ!!」
 ぎゃあぎゃあと喚き合い、今にも掴み合いをしそうな二人の襟首を、厳しい顔のナース達が掴む。
 「あんた達・・・」
 「ケンカするなら出て行きなさい!!」
 軽々と吊るされた二人と、なぜかアレンまでもが医務室から放り出された。
 と、
 「おう、生きてたさ?」
 外で様子を伺っていたらしいラビが笑いかけ、ミランダが気遣わしげに寄って来る。
 「怪我はもう平気なの?
 中で大声をあげていたみたいだけど・・・なにかあったの?」
 不安げに問えば、二人は揃って舌打ちした。
 「マンマがお気になさることはありませんよ!
 この暴力娘の素行について、意見を申し立てていただけです!」
 「ふんっ!
 素行って言うなら監査官こそ、その意地悪で陰険で陰湿な性格をどうにかしたら?!」
 「うん、そんだけケンカする元気があれば平気さ。
 それにしてもお前ら、丈夫さねー。
 あんだけ修練場を破壊しといて、ほとんど怪我してねぇじゃん!」
 笑いながらラビが支えたアレンは、未だ腹を押さえて呻いている。
 「なんでお前まで追い出されてんの?」
 「たぶん・・・とばっちり」
 くすん、と泣かれて、リナリーとリンクは互いに気まずげな顔を背けた。
 苦笑したラビはアレンの背を軽く叩く。
 「病棟行くさ?」
 「いいよ。
 打ち身だけで異常はないって言われたから」
 その言葉にリナリーがほっと吐息し、リンクが意地悪く鼻を鳴らした。
 「・・・なによっ!」
 「何も言ってませんよ、暴力娘」
 「言ってるじゃないか!
 ホントに陰険で陰湿で意地悪なんだから!!」
 「ヒステリー娘の相手をするほど暇ではありませんので、突っかかってこないように」
 「ふぬっ!!」
 「おいおい、リナ・・・」
 「ハワードさん・・・そんなにいじめちゃいけませんよ」
 また掴み合いになりそうな二人の間に、ラビとミランダが慌てて入る。
 おかげで放り出されたアレンが、自力で立っていられずにぽてりと倒れた。
 「きゃあ!!アレン君!!」
 「あ、わり・・・!」
 リナリーが駆け寄り、ラビも振り向いてアレンを支える。
 「まだ寝ていた方がいいのではありませんか?」
 「そ・・・そうしたいですけど、僕・・・」
 苦しげな声のアレンをミランダが、おろおろと見つめた。
 「まだ、お昼ごはん食べてないし」
 「そっちかい」
 すぱんっと頭をはたかれて、アレンはムッとラビを睨む。
 「なにすんだよ、怪我人に!!」
 「うっさいさ!俺の心配を返せ、この子豚っ!」
 「太ってないもん!リンクより背が高くて体重軽いもん!!」
 「んなっ・・・!なぜそこで私が!!」
 「だってホントのことじゃん!」
 「監査官、ダイエットした方がいいんじゃない?」
 ぎゃあぎゃあと喚き合う子供達の前で、ただおろおろとするミランダを見かねた団員達が苦笑しつつ寄って来て、彼らの間に入ってくれた。
 「ホラ、いい加減にしろよ。ミランダが困ってるぞ」
 「監査官まで一緒になってケンカしてどうすんすか」
 「子供らの生意気くらい聞き流しましょーよ」
 どうどう、とリンクをなだめ、エクソシスト達もそれぞれ引き離して落ち着かせる。
 「で?
 このまま訓練続けるのか?」
 できればリナリーには出て行って欲しいと、目で語る彼らにムッとして、リナリーは首を振った。
 「ソカロ元帥が相手してくれるまで、ここにいるよ。
 ねぇ・・・その間、相手してv
 にこりと笑ったリナリーに、全員が首を振る。
 「嫌だよ!!」
 「俺、こんなとこで死にたくないもん!!」
 「神田だって負けてんのに、なんで俺らが相手できるんだよ!!」
 言いながら、彼らは凄まじい勢いで後ずさって行った。
 「ソカロ元帥呼ぶから!
 今すぐ呼ぶからこっちに来るな!!」
 「酷い言われようだなぁ・・・」
 急いで無線ゴーレムを取り出した彼にぷくっと頬を膨らませ、リナリーはラビにこぶしを向ける。
 「元帥が来るまで・・・」
 「絶対嫌さ!
 もう俺、負けリストに入ってんじゃん!」
 彼女以上に頬を膨らませたラビに言われて、リナリーは楽しげに笑い出した。
 と、不意にラビの表情が凍りつき、何かと振り返ったリナリーの頭が大きな手にがしりと掴まれる。
 「俺を呼び出すたぁ・・・いい度胸だなぁん?」
 「ソカロ元帥v
 「ぅわ、本当に来た」
 思わず呟いたアレンは一瞬後、床の上で呻いていた。
 「ア・・・アレン君!!」
 「い・・・今、一体なにが・・・」
 悲鳴をあげたミランダの隣でリンクも凍りついたまま動けず、ただ彼を見下ろす。
 ソカロが目にも止まらぬ速さでアレンを沈めたことだけはわかったが、なにがどうなったのかはさっぱり見えなかった。
 しかし、
 「元帥、今の3発ね?」
 リナリーにだけは見えていたらしく、正解の褒美にぐりぐりと頭を撫でられる。
 「よぉく見えたじゃねぇかぁ!
 ご褒美に相手してやるぜぇ♪」
 「わーぃvv
 歓声をあげて、リナリーがソカロの手を引いた。
 「そりゃっ!!」
 早速背負い投げようとしたものの、さすがに彼は重く、踏みとどまられる。
 「あれ?
 ねぇ、元帥?今のはタイミング悪かったですか?」
 「いんや?
 小僧どもなら簡単に吹っ飛んでたぜ」
 にやにやと笑う顔が、三人の顔を眺め回した。
 ムッとし、あるいは諦観する彼らを嘲笑い、ソカロはいきなりリナリーに蹴りを入れる。
 「っ!!」
 「おぉ!止めたな!」
 強烈な蹴りを脚で受け止めた彼女に、ソカロが破顔した。
 「偉い偉い♪」
 ぬっと伸ばされた手をリナリーは紙一重で避け、背後に飛び退く。
 「コワッ!!今の、ぶたれてたら一発KOだったんじゃね?!」
 ラビの声に、アレンとリンクは無言で頷いた。
 団扇のような手は鋭く空を斬り、先ほど彼女とリンクが積み上げた瓦礫をガラガラと崩す。
 「リ・・・リナリー!気をつけて!!」
 ソカロが手加減するわけがないと、ミランダに介抱されながらアレンは苦しげに呼びかけた。
 が、彼女はにこりと笑って軽く床を蹴る。
 次の瞬間にはソカロが発した以上の風圧が彼に襲い掛かっていた。
 「おぉ、これが結晶型の威力か」
 楽しげに目を細め、頷いたソカロは無造作に手を差し伸べる。
 カマイタチに斬りつけられる寸前、彼はリナリーの巻き起こした風を撫でるように腕をひらめかせ、すれ違いざま、彼女のベルトを掴んだ。
 「ぎゃんっ!!」
 いきなりスピードを殺されたリナリーが、全身にGを受けて悲鳴をあげる。
 「リッ・・・リナリーちゃん!!」
 「きゃんっ!!」
 リナリーの悲鳴に驚き、うっかり立ち上がったミランダに放り出されたアレンも悲鳴をあげた。
 「きゃあ!アレン君、ごめんなさい!!」
 「・・・マンマ、ウォーカーなどほっとけばいいんですよ。観戦の邪魔です」
 「おいおい・・・お前はアレン見てなきゃいけねーんじゃないさ?」
 騒がしい外野を愉快げに眺めたソカロは、ぶら下げたリナリーへ目を戻す。
 「おい、この程度で世界最速を名乗るのはおこがましいぜぇ?ギャラリーを退屈させんなよ」
 力強い腕で床に叩きつけられたリナリーが、きっと目を尖らせて跳ね起きた。
 「ははっ!元気だな!」
 ますます楽しげに笑ったソカロは両手を広げ、リナリーへ向かう。
 「ホレ、来な」
 「っ!!」
 ぎりぎりまで身を屈め、豹のしなやかさで飛び掛って来たリナリーを待ち構え、振り上げられた脚を目にも止まらぬ速さで掴んだ。
 「いたぁっ!!!!」
 再び床に叩きつけられたリナリーは、くらくらと目を回しながら立ち上がる。
 「根性据わってんなぁ、リナリー!
 よしよし、もっと遊んでやるぜぇv
 来いと、またもや両手を広げたソカロへ飛びかかって行くが、フェイントを効かせた攻撃もやはり見抜かれて、床に叩きつけられた。
 「あぁん!フェイント3つも入れたのに!悔しい!!」
 と、悔しがるリナリーを、観客達が呆然と見つめる。
 「み・・・3つ?
 僕なんて全然見えなかったのに・・・なんで元帥にはあれが見えるんですか・・・?!」
 戦闘中はソカロの姿しか見えなかったと、壁にもたれたアレンが唖然と呟いた。
 「さすが元帥・・・ってとこさね」
 ラビも懸命に目を凝らしていたのに、リナリーが動き出すやその残像さえ捉えられずにいる。
 ソカロに捕まった後ならさすがに見えるものの、動体視力の優れた彼らでさえ攻撃中の彼女を目で追うことは不可能だった。
 「やはり元帥ともなると、一筋縄ではいかないということですね」
 感心したリンクは、またもや叩きつけられて、さすがに動けなくなったリナリーを意地悪く見つめる。
 「それにしてもしぶといものですねぇ・・・」
 あんなに反撃されておきながら、よくも向かっていくものだと呆れた。
 「あんなにボロボロになって・・・」
 いつもきれいに梳られている黒髪は今、何度も叩きつけられたせいでくしゃくしゃにもつれている。
 服も埃まみれになって、せっかくの美少女が台無しだった。
 「全く、訓練でここまでやるなんて気が知れませんよ」
 言いながらふと、リンクは眉根を寄せる。
 くしゃくしゃの黒髪にボロボロの黒い服を・・・どこかで見たような気がした。
 しかし、戦場に立てばいつもの光景かと思い直し、ソカロが腕を振り上げる様を見遣る。
 それが振り下ろされた瞬間、宙に鮮血が散った。
 「きゃあっ!」
 「わっ!!」
 「いてぇっ!!」
 悲鳴をあげた彼らの目の前で、よろめきつつ立ち上がったリナリーが大きく深呼吸して息を整える。
 「次は・・・当てる!!」
 きっと眦を紅くしたリナリーの黒髪の先から紅い血が滴る様に、リンクは愕然と目を見開いた。


 ―――― あれはもう、何年前のことになるのか。
 まだ幼かったリンクは、先輩の仕事を見学するという名目で、旧本部に行ったことがあった。
 彼には残念ながらイノセンスとの適合は認められなかったが、その当時、北欧の暗い城には多くの子供達が『適合の可能性あり』として集められていた。
 イノセンスと適合するために、次々と実験にかけられていた子供達は皆暗い顔をして、鴉の装束を纏った者達を怯えた目で見つめている。
 そんな彼らを冷たく見返したリンクは、忌々しげに眉根を寄せた。
 科学班の白衣を纏った男達に手を引かれ、激しく泣く子供達の甲高い声が耳に障る。
 嫌だ、行きたくないと、喉が裂けんばかりに叫ぶ彼らに、リンクは忌々しげに舌打ちした。
 「なぜあの子達は教団のために・・・いえ、主のために働くことを嫌がるのですか。
 あの力がわたしにあれば、わたしは心から主に尽くすのに」
 低く呟いた彼の頭を大きな手が撫でてくれて、リンクは嬉しさに頬を染める。
 「本当に・・・君が適合者であれば、優秀なエクソシストになれたでしょうがね」
 低く響く声を見上げると、はるか頭上にある目は傷だらけの子供達に向けられていた。
 その目が自分に向いていなかったことにやや失望しつつ、リンクは子供達へ視線を戻す。
 薄暗い城内ではよく見えなかったが、科学者達に引きずられて行く子供達の肌を壁にかかった灯火が照らす度、酷いあざや傷、白い包帯が浮かび上がった。
 リンクは傷ひとつない自身の手を見下ろし、もう一度彼らを見やる。
 皆、彼と同じか、彼よりも幼い年頃に見えたが、その誰もが年相応のふくよかさを持たず、骨と皮ばかりに痩せていた。
 「ルベリエ長官・・・あの子供達は、どこに連れて行かれるのでしょう。
 わたしは見学できるのですか?」
 できるだけ冷静にと心がけて問えば、傍らのルベリエが頷く。
 「それが主目的ですからね」
 「はい・・・」
 頷きかけた時、鋭い笛の音が響いた。
 驚いて目を向けた先を、ボロボロの黒い服を着た少女が必死に逃げていく。
 「愚かな」
 低く呟いたルベリエに応じて鴉が音もなく少女を追い、猛禽が爪で獲物を抉るように小さな身体を床に打ちつけた。
 「あ・・・あああああああああ!!!!」
 一際甲高い泣き声が石の壁に反響して、リンクの耳を貫く。
 その不快さに一瞬閉じた目を開けると、もつれた黒髪の先から紅い血を滴らせた少女が、ぐったりとして鴉に抱えられていた。
 「・・・・・・死んだのですか」
 息を呑んだリンクに、少女を抱えた鴉が首を振る。
 無言の彼に代わり、口を開いたのはルベリエだった。
 「あの子は適合の可能性が高いのです。
 そうそう死んでもらっては困る」
 不機嫌になったルベリエが靴音も高く歩み寄り、少女の血に濡れた髪を無造作に掴む。
 「・・・次回は加減を誤らないように。病棟へ連れて行きなさい」
 恐縮して一礼した鴉に頷き、ルベリエは冷たく手を払った。
 「君は優秀な鴉になると、信じていますよ」
 「はい!」
 すぐさま応じたリンクに、ルベリエの目元がやや和む。
 「・・・では、行きましょうか」
 「はいっ!」
 先に立って歩き出した彼の後を、小さなリンクは必死について行った。


 「・・・お花畑が見えたよ」
 結局、一発も当てられないままソカロにKOされたリナリーは、目を開けるや彼女を気遣わしげに見下ろしていた仲間達に笑いかけた。
 「あれ、ここ病棟?私、どのくらい寝てたの?」
 ベッドに身を起こそうとして止められ、未だくらくらする頭を枕に戻す。
 と、病室で一人、車椅子に乗ったアレンが深々と吐息した。
 「1時間くらいですけど・・・ホントに心配したんですよ?
 僕らはリナリーの攻撃が見えないから、なにが起こったのかもわかんないまま血みどろの君を見せられて・・・」
 「床に血だまり作りながら、ぴくりとも動かねぇんだもんさ!
 俺、マジでお前が死んだと思ったさね!」
 ほっと吐息したラビに頷き、ミランダがリナリーの手を取る。
 「本当に・・・訓練で無茶しないで・・・」
 「それはミランダに言われても説得力ないなぁ」
 訓練でがんばりすぎたミランダが、病棟に運ばれた回数は既にリナリーの比ではなかった。
 「そ・・・そうかもしれないけど、今回は・・・!
 ソカロ元帥も、手加減してくださればいいのに・・・・・・」
 思わず非難めいた口調になったミランダに、リナリーは寝転んだままゆっくりと首を振る。
 「手加減できなかったんだよ。
 だって私、本気で元帥を殺しに行ったもん」
 「えぇっ?!」
 悲鳴をあげたのはしかし、ミランダ一人で、アレンとラビは大真面目に頷いた。
 「でしょうね。
 いくら元帥でも、あのスピードで来られたら手加減なんてできません」
 「元帥もきっと、リナの動きを読むのに必死だったんさ。
 本気で向かわねぇと殺されるって、本能的に思ったんだろ」
 「そっ・・・そうなの?!」
 仲間になんて事を、と、震えるミランダにリナリーが苦笑する。
 「訓練だって、本気でやる時はやるよ。
 せっかく元帥に相手してもらってるんだもん。本気で殺す気でやらないと、逆に殺されてたよ。ね?」
 同意を求められて、二人はまた頷いた。
 「だな」
 「一方的に殺されなかっただけ、ラッキーでしたね」
 うっかり言ってしまったアレンを、リナリーがきりっと睨みつける。
 「ラッキーじゃないよ!実力だよ!」
 失礼な、と、怒る彼女にアレンは慌てて謝った。
 「す・・・すみません!
 あの、そういう意味じゃなくて・・・!
 もちろんリナリーは実力あるってわかってますよ!僕、全然敵わなかったし・・・あ!」
 思わず本音が漏れて、アレンが更に慌てる。
 その様にリナリーは、ちらりと笑った。
 修練場の医務室では聞かなかったふりをしたが、実はアレンが『リナリーに敵わなかった』と呟いた時、既に意識は戻っていたのだ。
 長年教団に囚われている彼女と比べ、エクソシスト歴の短いアレンが先に臨界者になったことへの屈託がその時、少し晴れた気がした。
 「今度ラッキーなんて言ったら、手加減なく蹴飛ばすからね!」
 「はい・・・」
 顔を引き攣らせて頷いたアレンに、リナリーが笑い出す。
 つられてミランダも苦笑するが、やや離れた所に立つリンクは、いつもの嫌味を言うこともなく無言だった。
 「どしたん?珍しく静かさね」
 ラビが問うても無視で、微動だにしない。
 どころか、彼はベッドの上のリナリーを見ようともしなかった。
 ―――― 彼女が・・・あの時の・・・・・・。
 『へんなの・・・』
 幼い声が、暗くリンクの耳に蘇る。
 『へんなの・・・。
 カラスなのに、空はとべないの?』
 呟いた少女の暗い瞳が脳裏に浮かび、彼は頭痛を堪えるような顔で眉根を寄せた。


 ―――― 聞きしに勝るとはこのことか。
 幼いながらもリンクは、たった数日の間に目の前で繰り広げられた光景に愕然とした。
 あらかじめ、黒の教団本部でなされていることの説明は受けていたが、適合の可能性ありとみなされた子供達が動物のように扱われる様には、目を覆わずにはいられない。
 中でも、テワクと同じ年頃の少女が目の前で倒れ、そのまま動かなくなった時には全身が震えた。
 そして彼女が、一篇の祈りすら捧げられることなく、無造作に墓穴へ投げ入れられた時には・・・・・・。
 だが彼はルベリエの、『戦争に勝つためだ』『この世界の平和を守るため』という、力強い声に支えられ、懸命に目を開けた。
 その視界の中に入って来たのは、またもあの少女だ。
 ルベリエの命令を受けて、明らかに手心を加えるようになった鴉達から必死に逃げる彼女は、日に日に遠くまで駆けるようになっていた。
 「ふむ・・・これはいい訓練かもしれませんね。
 あの子は適合すれば兵士になるのです。
 今から鍛えておけば、きっと役に立つでしょう」
 満足げに呟いたルベリエに、リンクは悔しげに唇を噛む。
 いつまでも教団の意向に逆らう彼女が適合の可能性を持ち、ルベリエの関心を得ていることが悔しかった。
 早く壊れないかと・・・。
 他の子供達のように逃げることを諦め、泣くことを諦め、ただ教団に飼われる人形とならないかと思いながら、リンクは彼女を気にしていた。
 ・・・そんなある日。
 素早さを増した獲物に加減を誤った鴉によって、彼女は重傷を負わされた。
 病棟に運ばれた彼女を見舞う気など、さらさらない。
 が、いつも素早く逃げ去る彼女を間近に見て見たくはあった。
 そして出来れば、嫌味のひとつでも言ってやろうと。
 ルベリエの許しを得て、鴉の面をつけたリンクは少女の病室へ入った。
 「あ・・・!」
 共に入った鴉を見るや、怯えた少女は少しでも彼らから離れようとベッドの上であがく。
 しかしその四肢の各所はギプスに固められ、あるいは重傷を負って腫れあがり、わずかに身じろぎすることすら困難に見えた。
 痩せこけて窪んだ頬にかかるもつれた髪の間から、大きな目がおどおどと揺れながら彼らを見つめている。
 あちこち擦り切れて、ボロボロになった黒い服に染みているのが血だと気づいたリンクは、面の下で眉根を寄せた。
 「愚かしい・・・。
 教団に服従すれば、こんな目にあわずに済んだものを」
 呟いたリンクに彼女は目を見開き、ぼろぼろと涙をこぼす。
 「いや・・・かえして・・・・・・!
 おうちにかえして!!!!」
 甲高い泣き声が響き渡り、重傷を負った身体を仰け反らせて叫ぶ少女の元へ医療スタッフ達が駆けつけてきた。
 「あなた達!今のこの子は逃げられる状態ではありませんよ!
 落ち着かせるためにも出て行ってくださいな!!」
 年配のナースが恐れ気もなく鴉に詰め寄り、リンク諸共病室から押し出す。
 「さぁ、もう怖い人達はいないから・・・大丈夫よ、落ち着いて・・・」
 ベッドから少女を抱き上げたナースが優しい声であやしても、彼女の癇癪は中々収まりそうになかった。
 耳をつんざく泣き声を不快に思いながら部屋に背を向けたリンクは、傍らの鴉を見上げる。
 「あの子の名前はなんと言うのですか?」
 「・・・そんなものを知る必要はない。『アレ』でいい」
 珍しく口を開いた彼の冷たい声に、リンクは無言で頷いた。
 自分は『アレ』と同じ人間ではなく、彼と同じ種類の人間だ。
 幼いながら、リンクは自身の立場と言うものを理解していた。
 ・・・彼女とは違うのだ。


 「お腹すいたー・・・!
 ねぇ、もう退院していいでしょ?」
 ナースコールで呼んだ婦長へ、ベッドに寝ころんだままリナリーが声をかけた。
 「お・・・おい、リナ・・・!」
 「叱られますよっ!!」
 おどおどと婦長の顔色を伺うラビとアレンに笑ったリナリーは、ひょい、とベッドに身を起こす。
 「集中治療室じゃなく、普通の病室にいるって事は私、そんなに重症じゃないんでしょ?
 めまいも治まったし、後はごはん食べて回復に努めるよ」
 教団で最も恐ろしいと言われる婦長へ気さくに言うや、怯える二人は震える手に手を取って身構えた。
 が、てっきり怒号を発すると思った婦長は肩をすくめ、軽く吐息する。
 「いいでしょう。
 ドクターには私から言っておくわ」
 「ええええええええええええ?!」
 驚愕した二人を、婦長はうるさげに見遣った。
 「リナリーは、ちゃんと自分の体調管理ができるのよ。あなた達と違ってね!」
 なぜか矛先を向けられて、怯えた二人は手を取り合ったまま身を竦める。
 その様にリナリーが笑い出した。
 「よっし!
 じゃあ、ごはんいこ!
 アレン君もお腹すいたでしょ?」
 ベッドから降りたリナリーがにこりと笑うと、車椅子に乗ったアレンは大きく頷きすぎて、危うく転がり落ちそうになる。
 「ととっ・・・!!
 ちょっとリンク!
 ちゃんとハンドル持っといてって言ったでしょ!
 放すんならブレーキくらいかけてよ!」
 わがままにも程がある文句を言ってやるが、いつもならすぐに反駁してくるリンクが無言のままだった。
 「リンク?」
 「は?」
 袖を引かれて呼ばれていることに気づいた彼が、不満げにアレンを見下ろす。
 「なにか?」
 「いや、なにかって・・・まぁいいや。食堂に行くから、車椅子押して」
 今度こそ反駁を予想して身構えたアレンは、すんなり車椅子を押されて驚いた。
 「え?!本当にどうかしたの、リンク?!」
 「なにがですか」
 押せと言うから押したのに、と不満げな彼にアレンが唖然とする。
 そしてそれは、ラビやリナリーも同じだった。
 「ど・・・どうかしたんさ、リンク?!熱でもあるんじゃ・・・!」
 「それとも頭でも打ったんですか?!ソカロ元帥の攻撃に巻き込まれちゃった?!」
 あまりに意外な行動に声を引き攣らせる彼らの中で、しかし、ミランダだけが嬉しげに笑う。
 「ようやく仲良しになってくれたんですねぇv
 とってもいいことですよ、ハワードさんv
 「恐縮です」
 きりっと顔を引き締めた彼に満足げに頷いたのはしかし、ミランダ一人で、他は婦長も含め、いつもとは違うリンクの様子に唖然と声を失った。


 ―――― 彼女は確かに、リンクとは違う人間だった。
 逃げ惑い、傷つきながらもイノセンスとのシンクロ率は日に日に増し、とうとうその足にイノセンスを着けることを許された。
 しかし、
 「いや!!
 いやだ、はずして・・・こんなクツはきたくない!!!!」
 神に認められた証拠であるはずのそれを、少女は頑なに拒んだ。
 泣き叫び、暴れる彼女を大人達が数人がかりで押さえつけ、無理に履かせてもすぐに投げ出してしまう。
 「構わん、足枷で繋いでしまえ!」
 苛立った科学者が靴に枷のようなバックルを付け加え、少女の足に履かせて鍵をかけた。
 重くなった足を無理にばたつかせて暴れる彼女の足首が鉄の枷で擦れ、血が滲む。
 その痛みで更に激しく泣き出した少女の靴が、突然光を放った。
 「なん・・・!」
 驚き、目を覆った彼らの耳に、重い鉄の落ちる音が響く。
 「どうしたんだ?!」
 ようやく目を開けられるようになった彼らは、床に転がる足枷に瞠目した。
 「やった・・・!」
 「発動だ!」
 喜色を浮かべ、快哉をあげる大人達に見つめられ、少女は自身の脚を覆う黒いブーツを呆然と見つめる。
 「なんで・・・!」
 大きな目にみるみる盛り上がった涙が、投げ出された足に落ちた。
 途端、彼女は自らの意志によらず立ち上がり、ステップを踏むように歩を進める。
 「あ!待つんだ!!」
 「止まれ!!」
 慌てて制止するが、彼女自身、好きで走っているわけではなかった。
 「とまら・・・ない・・・!」
 靴に操られた足は少女の体力など無視して走り続け、スピードは一歩ごとに増して行く。
 その様はまるで、童話の『赤い靴』のようだった。
 「神の意向に逆らうから・・・イノセンスの怒りを買ったのですよ」
 大騒ぎする大人達の中で一人、リンクが冷たく言い放つ。
 童話の主人公が、息が止まるまで踊らされた挙句、自ら両足を切り落とすはめになったことを思いながら、彼は靴に操られる少女の行方を追った。
 その時には既に鴉達が彼女を追い、城外の崖まで追い詰めている。
 だが、イノセンスが発動した瞬間には驚き、慌てていた少女は今、妙に落ち着いた目で彼らを見返していた。
 「さぁ・・・おとなしく、こちらへ来るんだ」
 呼びかける鴉の面を、じっと見つめる少女の目が不気味に揺らめいている。
 崖の淵へ向かい、後退していくのはイノセンスの暴走なのか彼女自身の意志なのか、判断がつかないまま鴉は少女へ手を差し伸べた。
 「落ちてしまうぞ」
 冷酷な声に、少女への気遣いなどない。
 ただ、戦力を失うことは多大な損失だと言わんばかりの温度のない声に、少女は更に後ずさった。
 「おい・・・!」
 初めて焦りを見せた鴉が歩を進めると、彼女もその分だけ退く。
 「こんなところにいるくらいなら・・・マーマたちがいるところに逝くよ・・・」
 彼女の片足が宙を踏み、そのまま背後へ倒れて行った。
 「!!!!」
 その様を見守っていた全員が崖際に駆け寄り、落ちていく少女を見つめる。
 絶望に満ちた大人達の視線を集めて、彼女は初めて、小さく笑った。
 「へんなの・・・。
 カラスなのに、空はとべないの?」


 「それで・・・アレン君はそんなに重症だったの・・・?」
 車椅子に乗って運ばれていくアレンへリナリーが気遣わしげに問うと、彼は眉根を寄せておなかをさすった。
 「内臓にも骨にも異常はないって言われたからその通りなんでしょうけど、さすがにリナリーの蹴りを受けて平気でいられるほど丈夫じゃなかったみたいです、僕」
 「ご・・・ごめんなさい・・・」
 身を縮めたリナリーにアレンが笑い出し、ラビが彼女の背を叩く。
 「まともに受け取んなよ。
 こいつ、病棟に着くまでは自分で歩いてたくせに、車椅子を見つけた途端、さっさと座って俺やリンクに押させたがったんさ。
 王様ごっこか!」
 ぱふん、と頭をはたかれて、アレンがムッとラビを睨んだ。
 「痛いのはホントだもん!
 自力じゃよろよろして早く歩けなかったから、こっちが早いって思ったんだってば!」
 それに、と、アレンは背後のリンクを見遣る。
 「リンクがリナリーとケンカして、僕まで追い出されたんだからね!
 責任とってお世話するんですよ!」
 「・・・えぇ、はい」
 心ここにあらずといった有様で生返事をした彼に、アレンが目を剥いた。
 「・・・・・・え?
 お世話してくれるの・・・?ホントに・・・?」
 信じがたいとばかり声を上擦らせるアレンを、リンクがムッと見返す。
 「何か文句でも?」
 「いや・・・別に・・・・・・」
 言いながらも、今日は嵐が来るのかと窓の外を見遣ったアレンに、ミランダがくすくすと笑い出した。
 「ハワードさんがみんなと仲良くなってよかったですv
 これで安心だわv
 「恐れ入ります」
 生真面目に一礼したリンクが、ふとリナリーを見遣る。
 「っ?!」
 何か嫌味が来るかと身構えた彼女の思惑は外れて、視線を外したリンクは雲に覆われて行く空をじっと見上げた。


 「―――― 死体を捜し、イノセンスを回収しなさい。
 これ以上損害を大きくしないように」
 厳しく言ったルベリエに、鴉達は恐縮して一礼した。
 「まったく、困ったものだ・・・」
 それはあの少女へ向けて言ったのか、彼女を止められなかった者達へ言ったのか判断がつかず、困惑するリンクの背をルベリエが押す。
 「さぁ、戻りましょうか。
 ここでの見学は終わりです。君は彼ら以上に優秀な鴉になるべく、中央庁で鍛錬せねば」
 「はい・・・!」
 ようやくルベリエの関心があの少女から自分へ戻ったことが嬉しく、リンクは頬を紅潮させて頷いた。
 共に地下水路へ行く足取りも軽く、乗り込んだゴンドラが早く動き出さないかと待ちわびた彼は暗い城を出た途端、子供らしく頬を緩める。
 「護衛も含めて鴉達はイノセンスの捜索中です。
 余計な危険を避けるためにも、直接駅へ行くように」
 乗り込んだ馬車の御者へ命じた通り、車内にはルベリエと二人だけで、リンクははしゃぎそうになる気持を懸命に堪えた。
 北欧の冬は長く、今もまた暗い空から雪が降り出したが、それすら気にならない。
 曇った窓を拭いて、白い綿を纏った常緑の森を眺めていると、鬱蒼とした木々の間に黒い・・・妙に黒々とした動物がいて、目を凝らした。
 「ちょ・・・長官、あの・・・!」
 小さな指で指した窓の外を見遣ったルベリエが、顔色を変える。
 「止めろ!!」
 大声で命じると、驚いた御者が手綱を引き、馬が不満げにいなないて足を止めた。
 「生きていたか・・・!」
 馬車から飛び降りるや歓声をあげたルベリエの背中を、リンクが悲しげに見つめる。
 だが彼はそんなことには気づかずに、雪の上にうずくまった少女へと駆け寄った。
 「よかった・・・!
 せっかくの兵士を失くしたかと・・・!」
 ほっとして手を差し伸べるが、少女はうずくまったままじりじりと後退する。
 ボロボロの服の裾から覗く黒い靴が、灰色の景色の中で淡く燐光を帯びる様が不気味だった。 
 しかしルベリエは気味悪く思うどころか、嬉しげにそれを見下ろす。
 「そうか、ダーク・ブーツの力か・・・!
 その靴がお前を護ってくれたのですね」
 よかったと、もう一度言った彼が両手を伸ばした途端、少女は弾ける様に立ち上がり、踵を返して森の奥へと逃げて行った。
 「待て!!
 鴉!後を・・・」
 追え、と命じかけて、護衛すら今はこの場にいないことに気づく。
 「しまった・・・!」
 無線の届く範囲にいるだろうかと困惑する彼の傍らを、小さな影が通り過ぎた。
 「ハワード!」
 「わたしが追いかけます!」
 ルベリエの手をすり抜けた少女に滾るような怒りを覚えながら、リンクは小さな足跡を辿っていく。
 「長官に気にかけてもらいながら逃げるなんて・・・!」
 自分は神や教団のために戦おうと強く誓っているのに・・・そんな自分よりもあんな少女を神が選ぶとは、到底承服できるものではなかった。
 しかもイノセンスに適合していないというただそれだけのことで、ルベリエは彼女ほどにリンクを気遣ってはくれないだろう。
 「わたしの方がふさわしいのに・・・わたしの方が・・・!」
 子供らしくもなく苦渋に満ちた声で苦々しく呟きながら、リンクは雪に覆われた森を走った。
 常緑の葉に覆われたそこは、思ったより雪深くはなかったものの、それでも小さな彼を飲み込む雪溜がいくつもある。
 用心して少女の足跡を頼りに追っていると、教団本部を支える崖の一部が岩肌をあらわにそそり立つ場所へ出た。
 息を切らしながらも、用心深く追い詰めたリンクを少女が振り返る。
 「もう逃げられませんよ」
 冷たく言ってやると、少女の目から涙が溢れ出した。
 「かえして・・・!
 おうちにかえりたい・・・・・・!」
 「その家とやらはどこにあるのです?」
 彼女の涙になんら感銘を受けず、リンクは鼻を鳴らす。
 「わたしにも故郷はありますが、帰る家などありません。
 今では中央庁がわたしの家・・・君もそうなのではありませんか?」
 この教団が『家』なのではと、崖を見上げたリンクに彼女は必死に首を振った。
 「に・・・兄さんが・・・!」
 「一人でその家族のもとに戻れるとでも?
 辿りつく前に野垂れ死にするのが関の山ですよ」
 大声で泣き出した少女につかつかと歩み寄ったリンクは、骨と皮ばかりの細い腕を乱暴に掴む。
 「いい加減にしなさい!!」
 滾る怒りをぶつけられて、彼女はびくりと身を竦めた。
 「イノセンスに適合したくせに・・・わたしが望んでも得られない力を持ったくせに・・・!
 なぜ神と教団のために戦おうとしないのですか!」
 「こんなもの・・・いらない!ほしくない!
 そんなに欲しいんだったら、あなたにあげるよ!!」
 「だったら!!」
 細い腕を折らんばかりに握り締めて、リンクは少女を睨みつける。
 「今すぐこの靴を脱ぎなさい!
 鴉は今、君の死体からイノセンスを回収すべく動いているのです。
 わたしはこの靴を回収し、君のことは回収時に崖から落ちて死んだとでも言ってやりましょう」
 「ほ・・・ほんとに・・・?」
 大きな黒い目に希望の光が灯るさまを、リンクは忌々しく見つめた。
 少女は彼の手を振り解くや、懸命に靴を脱ごうとするが、腿まで覆ったそれは吸い付いたように離れない。
 「ぬ・・・ぬげない・・・よ・・・!」
 「では」
 また泣き出した少女へ、リンクはナイフを突きつけた。
 「赤い靴を履いた愚かな少女のように、君のその両足を切り落しましょう。
 そうすれば、少なくともこの靴からは解放されます」
 「・・・っ!!」
 彼の冗談ではない声音に怯え、ガタガタと震えだした少女をリンクは冷たく見下ろす。
 「さぁ、どうするのですか?
 信仰か自由か・・・二つに一つです」
 答えを迫るリンクから後ずさる少女の背を崖が阻んだ。
 「また逃げるのですか?今度はどこへ?」
 逃げる場所などないのだと、リンクの口元に薄い笑みが浮かぶ。
 「愚かな・・・」
 呟き、震える少女へ歩を進めたリンクが、ナイフを振りかぶった。
 「待て!!」
 刃先が少女に届く寸前、鋭く制止されてリンクの手が止まる。
 「よく追い詰めた・・・が、動きを封じるのに刃物を使っては、損傷を大きくすることになる」
 いつからいたのか、木々の間から現れた鴉達が、足音もなく二人へ歩み寄った。
 「縛羽!」
 雪の上を白い紙が生き物のように飛び、少女を拘束する。
 「きゃあ!!」
 どさりと倒れ、動けなくなった彼女を無造作に抱き上げた一人が、不満げなリンクを見下ろした。
 「・・・気持ちはわかる」
 ぽつりと呟かれた声には、初めて感情らしい感情がこもっている。
 ―――― 同じ・・・なんだ・・・・・・!
 目を見開いて、リンクは鴉達の背中を見つめた。
 彼らもまた、神に認められた使徒へ激しく嫉妬し、いくら鍛錬を積んでもこんな少女一人に敵わぬ自身に慨嘆しているのだろう。
 そう思った途端、仮面に覆われた彼らの素顔が見えた気がした。
 自分と同じ顔をした、彼らの顔が。
 ―――― ならば・・・。
 呪符に封じられてなお、暴れる少女をリンクは、冷たく見つめた。
 ―――― あの子とわたしは、まったく違う場所にいるんだ。
 自身の立場を改めて見直し、リンクはきゅっと唇を噛む。
 その瞬間、リンクが少女に対してわずかに持っていた同情も憐憫も、跡形なく霧消してしまった。


 「さぁて!
 今日はなに食べよっかなー!」
 食堂に入ったリナリーが大声をあげると、厨房からジェリーが顔を出した。
 「アランv いらっしゃ・・・アレンちゃん!どうしたの!!」
 言いかけて、悲鳴をあげたジェリーが駆け出てくる。
 「ンマァ!自分で歩けないの?!どこ怪我しちゃったの?!」
 子煩悩な母親のように、ジェリーは車椅子に乗ったアレンの上に屈みこんだ。
 「そ・・・それが、おなか蹴られちゃって・・・」
 「んなっ・・・内臓破裂?!」
 「・・・は、してないから大丈夫だそうですよ」
 でも痛い、と苦笑したアレンの前にしゃがみ込み、ジェリーは大きな手で彼の手を包み込む。
 「可哀想に・・・本当に酷いコトするわねっ!
 犯人は神田?!リナリー?!」
 きっと睨まれてさっと目を逸らしたリナリーが、その行動で自ら犯人だと明かしてしまった。
 「まったくこの子は!!」
 「ひいいいいん!!!!」
 ぎゅうぎゅうと鼻をつままれて、リナリーが泣き声をあげる。
 「やめてよ!私だって大怪我して・・・さっきまで入院してたんだからねっ!」
 何とかジェリーの手を振り解いたリナリーは、涙目で鼻をさすった。
 しかし、ここで引き下がるジェリーでもない。
 「自分で歩けてるってことは平気なんでしょ!
 訓練で大怪我させるなんてアンタ、手加減くらいしなさいよっ!」
 「しようとしたもんー!失敗しただけなんだよぉ!!」
 「未熟者おおおおおおおおおおおお!!!!」
 「ぎゃああああああああああああん!!!!」
 今度は耳を引っ張られて、リナリーが悲鳴をあげた。
 「ま・・・まぁまぁ姐さん、そのくらいで・・・」
 「僕は平気ですから・・・」
 おろおろするばかりで口出しの出来ないミランダと、なぜか無言のリンクを置いて、ラビとアレンが取り成しに入る。
 「それに、これがなくちゃダメってこともないんですよ。
 ちょっと楽したいってだけで」
 立ち上がろうとするアレンに慌てたジェリーが、リナリーを放り出して屈み込んだ。
 「大丈夫ぅ?ホントに?」
 「はい」
 にこりと笑って座り直したアレンに、ジェリーはほっと吐息する。
 「あぁん良かったv
 「・・・リナはあんまりよくないけどな」
 ラビが苦笑して指した先では、ジェリーに放り出されて床に転がったリナリーが、頬をぱんぱんに膨らませていた。
 「酷いよジェリー!
 わざとじゃないってゆってるのにいいいいい!!!!」
 「あ、アンタ、今夜のお誕生日パーティのケーキだけど、チョコレートだけでいいのん?他にも作るぅ?」
 続けて怒鳴ろうとしたところを暢気な声で封じられて、リナリーが口をパクパクさせる。
 「こ・・・この流れで言うことかな・・・!」
 「いらないんなら作らな・・・」
 「いりますいります!すごく楽しみ!!」
 必死の反撃はあっさり切り返されて、リナリーは顔を真っ赤にした。
 「ホホホv
 楽しみにしてなさいなv
 リナリーを掌中で弄んだジェリーは、観音のような顔をして彼女の頭を撫でてやる。
 「それで?
 お昼はなんにするぅ?」
 ぷぅと頬を膨らませたまま、リナリーは好きなメニューを並べ立てた。


 「・・・もう何日も飲まず食わずなのです」
 中央庁への帰還を延期したルベリエに、科学者が報告した。
 「せっかくの適合者なのに・・・!」
 そう言って彼は、苛立ちを含んだ目でベッドに縛り付けられた少女を睨む。
 骨と皮ばかりだった少女はこの数日で更に痩せこけ、乾ききった土気色の肌にとめどなく涙を流し続けていた。
 細い流れがもつれた黒髪に吸い込まれる様を、リンクは冷たく見つめる。
 ―――― 自業自得だ。
 何度も何度も逃げていた彼女が、イノセンスの力を借りて更に遠くまで逃げたことを、最早誰もが看過できなかった。
 この城に連れ戻されて以降、彼女は厳しい監視下に置かれ、弱っていく様を多くの目に見つめられている。
 「イノセンスはまだ外れないのですか」
 ルベリエの問いに、科学者は恐縮してこうべを垂れた。
 「ただいま、総力を挙げて努力をしていますが、吸い付いたように離れず・・・。
 おそらくそれも、あれの体力を奪っている原因かと」
 「そうですか・・・。
 イノセンスが、適合者と心中するようなことはないでしょうね」
 適合者が死んでも、イノセンスが無事なら次の適合者を待つことができると言うルベリエに、科学者は大きく頷く。
 「明日にでも、あれの両脚を切断し、イノセンスを確保するべきかと」
 その言葉に、リンクがぴくりと震えた。
 あの時・・・彼女を追い詰めた森の中で、彼がやろうとしたことは正しかったのだ。
 そっと笑うリンクの傍ら、ルベリエはきつく寄せていた眉を開いた。
 「もう一つ・・・手があることはある。
 それを試してからでも遅くはないでしょう」
 「手・・・とおっしゃいますと、まさか・・・・・・」
 科学者の問いかけに、ルベリエは重く頷く。
 「この子の兄をここへ」
 その言葉に、リンクの中で消えたはずの嫉妬の炎が再び燃え上がる気がした。
 神に選ばれ、イノセンスに適合し、ルベリエに関心を寄せられ、その上、家族まで取り戻そうとする彼女を、到底赦すことなどできない。
 ―――― もっと壊れればいい・・・もっと・・・!
 暗い目で睨み、背を向けた彼女がその後どうなったのかなど、知らなかったし知りたくもなかった。
 ・・・つい、先ほどまで。


 「・・・それでね、バレンタインには兄さんが、一年では着られないくらいの服をくれたの。
 なのに今日もまた服をプレゼントしようか、なんていうから私、これ以上は部屋に入りきれないよって断っちゃった」
 大きく口を開けてカスクートをかじったリナリーに、ミランダが笑い出した。
 「でも素敵じゃない、そんなに愛されて。
 私の両親は倹約家だったから、リナリーちゃんみたいにたくさん服をくれたことなんてなかったわよ」
 「まー・・・コムイのあれは、異常だと思うケドさ・・・」
 「リナリーが可愛いから、飾り甲斐があるのはわかりますけどね」
 さらっと言ったアレンにリナリーが顔を紅くする。
 「そっ・・・そんなこと言われると照れちゃうなっ・・・!」
 とは言いつつ、まんざらではない様子で笑うリナリーの頭を、背後から掴む者がいた。
 「おぅ、起きたか!
 絶対当てるって言った割にゃあ、あっけない最後だったなぁ、おい」
 ゲラゲラと笑われて、リナリーがぷくっと頬を膨らませる。
 「ソカロ元帥、思いっきり殴ったでしょ!
 たんこぶできちゃったじゃないか!」
 背後を睨んでやると、ソカロが恐ろしい顔で笑った。
 「たんこぶ?ここかぁ?ん?」
 「いいいいいいいいいいいいいだいだいだい!!!!」
 きゃんきゃんと泣き喚くリナリーに愉快そうに笑って、ソカロは彼女の背を叩く。
 「はぶっ!!」
 本人は軽いつもりかもしれないが、強烈な打撃を受けたリナリーが息を詰まらせた。
 「ひ・・・ひどいですよ元帥!」
 わたわたと介抱してくれた仲間達に支えられ、何とか顔をあげたリナリーがまた、ソカロを睨む。
 「ははん!
 悔しかったら、またかかってくるんだなぁ!」
 ゲラゲラと笑うソカロに頬を膨らませ、リナリーはこぶしを握った。
 「次こそ当てますから!!」
 「楽しみにしてるぜぇv
 またもや振り下ろされた平手を辛うじて避けると、笑ったソカロがくしゃくしゃと頭を撫でてくれる。
 「いつでも呼べよv
 全団員に恐れられる彼の意外な気さくさに皆が驚く中、リナリーはため息をついて肩をすくめた。
 「また・・・最初っからやるか、勝ち抜き戦!」
 「俺パスっ!!」
 「僕もっ!!」
 慌てて手を振った二人に笑い、リナリーはずっと無言のリンクへ小首を傾げる。
 「監査官?」
 呼ばれて見遣ると、今まで気づかなかったことが不思議なくらい、リナリーにはあの少女の面影があった。
 ・・・いや。
 あの時の少女が纏っていた暗さが抜け、内面から輝くような明るさを持ち得た今、気づかなくて当然だったのかもしれない。
 「また、やりましょうよ!」
 楽しげに笑ってこぶしを向ける彼女を、リンクは静かに見返した。
 「今度は負けないぞ!」
 「それは・・・」
 気炎をあげるリナリーに、リンクが薄く笑う。
 「私の台詞です」
 笑みが、蘇った嫉妬心に黒く歪んだ。
 ―――― あの時、泣いてばかりだった彼女は今、神の使徒として確固たる地位を築き、兄を取り戻し、仲間に囲まれて楽しげに笑っている。
 「まったく・・・憎らしい」
 リンクが口の中で呟いた言葉を耳聡く聞きつけ、ラビが不思議そうな顔をした。
 「ハ・・・ハワードさん?」
 ただならぬ雰囲気に不安げなミランダへはにこりと笑って、リナリーにはいつもの意地悪な目を向ける。
 「あんまり生意気を言うようでしたらその足・・・切り落としますよ?」
 その言葉を以前、聞いたような気がして、リナリーは訝しげに眉根を寄せた。



Fin.


 










遅れてすみません、2012年リナリーお誕生日SSでした!
『リナリーのお誕生日・・・?』ってくらい、リンク君中心ですみません;
まぁ、誕生日メインのお話は今まで散々書いたので、ちょっと視点とか時間をずらしたい今日この頃です。ってか2011年度でした。>今年度を振り返る(笑)
実はこのお話、私がリンク君大好きだから書いたわけではなくて・・・いや、ほんとに違うんですよ?!(^^;)
きっかけは珍しいことに、これの背景絵なんです。
素材サイトさんでこのクリップアートを見つけた時に、『リナリーで赤い靴モチーフの話を書きたいな』と思ったのです。
でも、足を切るような冷酷キャラ、その当時は教団側にいなかったんだ(笑)
なのでもう、何年もネタだけ取って置いて放置していたんですが、リンク君登場でようやく日の目を見ました!
まぁ、実際はこんなことなかったんでしょうが、捏造でも書きたかったんだよ(笑)
ともあれ、お楽しみいただけたら幸いです(^^)












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