† あまつかぜ †






 †このお話は日本・平安時代を舞台にしたD.Gray−manパラレルです†


  D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。
  時代考証はしていませんので、頭空っぽにして読んで下さいねv


 ―――― いづれの御時にか、女御更衣あまた侍ひたまひけるころ。
 大内裏の更に奥、内裏の内の梨壷に、世にも稀なる皇女(ひめみこ)が入られました。
 今上にいつまでも御子がないゆえ、大臣(おとど)らの詮議の末に、妹君が女東宮(にょとうぐう)として立たれることになったのです。
 ただし、これが正しきこととは皇女自身も思われず、暫時のお立場であることは重々ご承知であられました。
 しかし・・・・・・。


 「やーだー!!!!
 つまんないいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 あっさりと負けた途端、碁石をぶちまけた女東宮に女房達は身をすくめた。
 「これっ!女東宮!
 そのように騒ぐものではありませんよ!」
 碁の相手をしていた命婦(みょうぶ)に厳しく言われ、女東宮は思いっきり頬を膨らませる。
 「だってジェリーってば全然勝たせてくれないんだもん!もう飽きた!
 蹴鞠したいー!!!!」
 寝転んでバタバタと足をばたつかせる女東宮に、命婦はため息をついた。
 「蹴鞠は男の子の遊びでしょ!
 アナタは女の子なんだから、日が高い間は外に出ちゃいけませんって何度も・・・」
 「じゃあ中でやろうよ!
 その辺の物片づけちゃって、みんなで蹴鞠しよっ!」
 言うや彼女はいきなり襲(かさね)を脱いで、袿(うちぎ)姿になる。
 「これっ!このお転婆っ!
 こんなトコ、人に見られたら・・・」
 「アレ?なんかたのしそーだね!」
 先触れもなくやって来て、いきなり御簾をくぐって入ってきた男に、不慣れな女房達が悲鳴をあげて顔を隠した。
 「ンマッ!主上(おかみ)!
 勝手に入ってきちゃいけませんって、何度も言ってるでしょ!」
 大声で叱られて、帝は気まずげに首をすくめる。
 「い・・・いいじゃないか、兄妹なんだしぃ・・・。
 それに、リナリーがこんなトコに閉じ込められて可哀想だから、気晴らしにさぁ・・・」
 「そうなんだよ、兄さん!
 リナリー、麗景殿(れいけいでん)にいた時は自由にしてたのに、梨壷に入った途端、監禁生活なんだよ?!
 お部屋の中で蹴鞠くらいしたっていいでしょぉ?!」
 可愛い妹に泣きつかれた帝は、何度も頷いて命婦に向き直った。
 「運動させてあげないと、リナリーがおかしくなっちゃうよ。
 ボクが相手するし、いいでしょ?」
 「う・・・主上がそうおっしゃるなら・・・仕方ないわねん・・・・・・」
 きつく眉根を寄せて扇を閉じると、心得た女房達が几帳(きちょう)や調度品をどけて、部屋を広い板間にする。
 「蹴鞠v
 蹴鞠持って来てv
 蹴鞠じゃなきゃ嫌だと、わがままを言う女東宮にため息をついて、命婦は彼女に蹴鞠を渡した。
 「ね!ジェリーもやろうよぉ!うまいんでしょ!」
 ぐいぐいと手を引かれ、立ち上がった命婦は仕方なく襲を脱ぐ。
 「まったく、すぐ終わらせるわよん!」
 「やーだー!」
 長い袴をたくし上げ、まだ下ろしてない革沓(かわぐつ)を履いた女東宮が、軽く鞠を蹴った。
 「・・・っと!
 ねぇ、リナリー!ボク、あんまり上手じゃないんだから、手加減してよ!」
 なんとか受けた帝に、女東宮が笑い出す。
 「じゃあ、ゆっくり蹴るね!」
 足で弾ませ、天井ぎりぎりまで高く蹴飛ばされた鞠は、正確に帝の足元に落ちてきた。
 「ホントに・・・上手だねぇ、リナリーは!
 男の子だったら鞠壷(まりつぼ)の人気者だったろうに」
 感心して鞠を蹴り返した帝に、肩をすくめる。
 「そうだよねー・・・。
 あーあ。なんで女の子なんだろ、私」
 吐息しながらも、命婦が蹴り損ねた鞠を軽々と受けて、帝へ蹴り返した。
 「もし、私がこのまま兄さんの跡継いだら、全国の上手を集めて蹴鞠大会するんだ!
 そして私は優勝者はじめ上位入賞者と蹴鞠するのv
 うっとりと言った女東宮に、命婦が呆れ返る。
 「・・・ちょっと主上、アナタ早く跡継ぎ作って、この子の妄想止めてちょうだいよん!」
 「妄想って!
 た・・・民の健康と国の安泰を願って、みんなで遊ぼう・・・じゃない、みんなで一つになろうって言う、素敵な企画じゃないか!」
 「アンタがやりたいだけでしょーが!
 そんなこと考えてないで、国政を考えなさい、国政を!!」
 「きゃんっ!!」
 思いっきり蹴飛ばされた鞠を受け止めそこねた女東宮が、ひっくり返って御簾から廊下へ転がり出た。
 「きゃあ!!女東宮!!」
 慌てた命婦は女房達に命じ、几帳を運ばせる。
 が、時既に遅く、女東宮は女の身でありながら、帝の随身達に顔を見られるという大失態を犯してしまった。
 「キミタチッ!頭が高いよ!!」
 呆然と見惚れる随身達を叱り飛ばして下を向かせた帝は、妹の顔を袖で隠しながら抱き起こす。
 「早く中に入って!
 キミタチ!今見たことはすぐ忘れないと酷いよ!
 背を向けてなさい、背を!!」
 厳しく言い置いて中に戻った帝は、真っ赤になって気まずげな妹の頭を撫でてやった。
 「続き、やるかい?」
 苦笑して尋ねると、彼女は真っ赤な顔を振る。
 「じゃあ、貝合わせでもしよーか!
 これならお兄ちゃんにもできるよ!」
 殊更明るく言った兄に、女東宮は無言で頷いた。


 「す・・・すごい美少女でしたね・・・!」
 帝を紫宸殿(ししんでん)へ送り届けた後、詰所に戻る四位少将(しいのしょうしょう)が顔を赤くした。
 「女東宮があんなに可愛い人だったなんて・・・僕、梨壷に異動願い出しちゃおうかなv
 ぽぉっと夢想する彼の肩を、蔵人(くろうど)が笑って叩く。
 「そゆことはちゃんと根回ししてやるもんさ!さもないと・・・」
 「無駄口利いてっと流刑にすんぞ、このマセガキが!!」
 背後から手を伸ばした頭中将(とうのちゅうじょう)に思いっきり首を絞められ、四位少将は舌を吐いてもがいた。
 「んなっ・・・なにすんですか、乱暴者!!」
 稀に見る美貌を持ちながら、凄まじく凶暴な頭中将を肩越しに睨みつけると、彼は鼻を鳴らして少将の額を弾く。
 「いって!!」
 「春だからってサカってんじゃねぇよ、格下ガ」
 「誰が格下だー!!
 僕も君と同じ四位ですー!!」
 「だが俺は大次官(おおいすけ)でお前は小次官(すないすけ)だろが。
 くだらねぇ反抗してんじゃねぇよ格下!この格下!!」
 「きいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 びしびしと連続デコピンされて、ヒステリックな悲鳴をあげる四位少将を蔵人が頭中将から引き離した。
 「まぁまぁ、ユウもアレンも落ち着けって!
 殿中で騒いでたら怒られるさね!」
 「だってラビ!神田が酷いんだ!!」
 反抗する権利はあると主張するアレンにラビが苦笑する。
 「まぁ・・・今の、主上に聞かれたらデコピン程度じゃ済まなかったと思うケド」
 途端、ぴたりと黙り込んだ少将に蔵人が笑い出した。
 「なぁ?
 今日はユウもアレンも宿直(とのい)だろ?
 碁やろーぜ、碁!」
 張り切って手を振り上げるが、
 「めんどくせぇ」
 「格下イジメ反対!」
 と、芳しくない答えが返る。
 「なんさ、つまんねーさねー!
 一晩長いんからさ、暇つぶしでもやってねーと夜が明けんさね」
 「いいよ、僕。
 麗景殿の命婦様のところでお菓子もらってるから」
 「俺も、温明殿(うんめいでん)の典侍(ないしのすけ)に呼ばれてる。
 主上がちょろちょろ抜け出すからその対策を練るぞって、尚侍(ないしのかみ)が気合入れてるそうだ」
 ため息をついた頭中将を、二人は気の毒げに見つめた。
 「つまり尚侍と一晩中膝詰めかい・・・」
 「女官ばかりの温明殿に一晩中缶詰なんて、事情を知らない人が聞いたら羨ましがるでしょうけどねぇ・・・」
 本来名誉職であるはずの尚侍だが、今の尚侍は実際に宮中の女官を取り締まり、帝の秘書役を厳しく務めている。
 「お家的にはきっと・・・女御(にょうご)候補で入内(じゅだい)させて、うまく行けば中宮(ちゅうぐう)にって気合入れてたんだろうけどさ・・・」
 「まさか・・・本当に宮中を牛耳る人になるだなんて、誰も思いませんでしたよね・・・」
 しかし彼女が来てくれたおかげで、サボってばかりだった帝がまともに政務を行うようになり、おかげで大内裏は順調に機能し、国が治まっている現状だった。
 「・・・本当に中宮になればいいのに、ブリジット様・・・」
 少将が呟くが、蔵人は首を振る。
 「中宮になったら政務に口出しできなくなるさ。そうなったら・・・」
 「国が終わるな」
 確信を持って言った頭中将に、二人は深く頷いた。
 「他の誰かと結婚してもいいですから、ずっと宮中に住んでてくれませんかね、ブリジット様・・・。
 ここ、女官がいっぱいいますから、乳母連れ込んだって誰も文句言いませんよ・・・」
 「だな。
 王や女王(にょおう)だって住んでんだから、特例で尚侍の子が住んでたっていいと思うさね」
 だから、と、蔵人は頭中将の手を両手で握る。
 「ブリジット様に、いつまでも宮中にいてください、って頼んでくるさ!」
 「神田が頼めば承知してくれますよ。顔だけはいいですから。顔だけは。ホント顔だけ」
 「うっせぇよ!連呼すんな!」
 乱暴に頭をはたかれて、少将がまたぴぃぴぃと泣き声をあげた。
 と、
 「なに騒いでんのよ、あんたらは!」
 厳しい声がして、女房達を引き連れた典侍がこちらへ向かってくる。
 「げ、エミリア!
 あんたがこっちに来るってことは、まさか・・・!」
 顔を引き攣らせて道をあけた蔵人の鼻腔を、女房達の芳しい香りがくすぐった。
 「そ。
 もうすぐ尚侍がお渡りになるから、控えなさい」
 笑って袖を振る彼女に頷き、三人は慌てて庭へ降りる。
 しばらくすると、前後に大勢の女房を従えた尚侍が、裾をすっきりと捌いて通り過ぎて行った。
 彼らを見下ろすや、ちらりと会釈した彼女に、三人は深々と一礼する。
 一行が紫宸殿に入るまで見送っていた彼らはしばらくして、中から帝の悲鳴と泣き声が聞こえ出すや、こっそり笑ってまた詰所へと向かった。
 「ラビはいなくていいの?」
 クスクスと笑いながら少将が問えば、彼は笑って頷く。
 「蔵人は俺の他にもたくさんいるかんね。
 宿直する日は昼にいなくていいんさ」
 「じゃあさっきはなんでついてきたんだよ・・・」
 呆れる頭中将に、蔵人はにんまりと笑った。
 「主上が梨壷にいくってゆーからさv
 もしかしたら、噂の女東宮が見られるかなってv
 そうしたらまんまと見られた上に、意外なほどの美少女で驚いたと、屈託なく笑う。
 「主上が麗景殿に隠してたってのも、わかる気がしますねぇ。
 あんなに可愛いんだもん、おっさん公達なんかに見られたら大変ですよ」
 と、少将も大きく頷いた。
 皇女は結婚しないのが通例だが、権力を持った公達が強く望めば降嫁もありうる。
 「命婦様までが隠してたってのも、当然だな」
 頭中将が、珍しく感心したように言った途端、少将と蔵人の目が刺さった。
 「あんたそれ、エミリアさんに言いつけますよ!!」
 「二股禁止さ!
 ユウが股かけるようになったらマジ宮中の女独り占めじゃん!この今光源氏!」
 「それってけなしてないよ!」
 ぎゃあぎゃあと喚く二人に鼻を鳴らして、頭中将はすたすたと先へ行く。
 「あ!待つさね!
 尚侍の仕事が終わるまで碁してよーさー!」
 「嫌だっつってんだろ!」
 「それって負けるのがヤダってことですよねー!ダサー!」
 「てめぇもだろがクソガキ!!」
 三人は賑やかに喚きながら、詰所へと戻っていった。


 ―――― その夜。
 未だ肌寒い季節ではあったが、宮中の各所に設えた篝火が冷たい風を暖め、すごしやすい刻限だった。
 昼の間は決して外に出ない、深窓の姫君達が庭へ出て、笑いさざめきながら散策する様は妖しいほどに美しい。
 季節に合わせた色とりどりの衣装を灯りに紅く染めて、花を摘む姫達の間を童子が風のように駆け抜けて行った。
 「あんまり遠くへ行っちゃいけませんよ!」
 「はあい!」
 命婦の声に振り向きもせず応えた童子は、最も明るい壷に出ると、抱えていた鞠をぽんぽんと蹴りだす。
 「昼は大変だったなぁ・・・。
 なんだよ、ジェリーったら。
 私が廊下に転がり出ちゃったのはジェリーのせいなのに、なんであんなに怒るんだよ」
 ぶつぶつとぼやきながら蹴飛ばした鞠が高く飛んで、垣根の向こうへ落ちてしまった。
 「あーぁ・・・やっちゃった」
 鞠の飛んでいった方向を見遣って、童子は気まずげに眉根を寄せる。
 「よりによって温明殿に入っちゃうなんて・・・見つかったらあの意地悪な尚侍がどんな嫌味言ってくるかわかんないよ・・・」
 誰かに取りに行かせようかと思ったが、呼ぶ間が惜しくて歩を進めた。
 「見つからなきゃいいんだよ。見つからなきゃね」
 音を立てないよう、そっと温明殿の敷地に入り込み、暗い中で鞠を探す。
 「あ・・・明りくらい持って来ればよかったかな・・・!」
 鞠を蹴っていた梨壷には昼のように明かりが灯っていても、一つ垣根を越えれば単なる殿の端だ。
 こんな場所にまで明かりを灯せるほど、宮中の財布は豊かではない。
 「どこ行っちゃったかなぁ・・・」
 潅木の下を覗き込み、葉を掻き分けて探していると、
 「誰だ?!」
 厳しく誰何され、童子は飛び上がった。
 「ぅあ・・・!」
 国宝である神鏡が安置された温明殿の衛士に見つかれば、盗賊と疑われかねない。
 逃げようか、と踵を返し掛けた時、弓音がした。
 「ひっ?!」
 しゃがみ込み、身を硬くしたがいつまで経っても近くに矢が刺さる音はしない。
 「え?」
 「仕留めたか?!」
 「いえ!当たったんですが、あまり効果はないようで・・・!」
 衛士達が交わす言葉を聞いて、ほっと吐息した。
 「私じゃなかったんだ・・・」
 しかし、
 「逃がすな!」
 「一斉正射!」
 次々と集まって来た衛士達の厳しい声にただならぬ気配を感じて、辺りを見回す。
 と、少し先の潅木の下に白い鞠が転がっていた。
 「あ!あんな所に!」
 さっさと取って逃げようと駆け寄り、鞠を手にした時。
 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
 木立を引き倒しながら、二十尺(6m)はあろうかという巨大な獣が、咆哮をあげて目の前に飛び出してきた。
 「っ!!」
 その大きさと獰猛さに驚き、立ち竦んでいると、衛士達が駆けつけてくる。
 「逃げろ、小童!!」
 最初に駆けつけた衛士・・・いや、その衣装から頭中将とわかる者が、抜き放った太刀を振りかざして獣に斬りかかった。
 続いて少将の姿の少年が駆け寄り、腕を取る。
 「君、梨壷の子?!
 女東宮にお逃げくださるよう、言って来て!!」
 早く、と背を突き飛ばされ、たたらを踏みながら背後を振り返ると、今にも頭中将が獣の巨大な牙にかかろうとしていた。
 「危ない!!」
 手にした鞠を浮かせ、思いっきり蹴飛ばせば正確に獣の目を打つ。
 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
 たまらず仰け反った隙を逃がさず、頭中将が獣の心の臓に太刀を突き立て、少将の命で衛士達が矢を放った。
 「梓弓を!
 神田、大丈夫ですか?!」
 魔除けの弓が鳴らされる中、少将が頭中将へ駆け寄る。
 「全っ然大丈夫だ、このくらい。
 それより・・・」
 太刀の血を払った頭中将が、少将の胸倉を掴んだ。
 「テメェ!!
 俺を射殺す気だったろ!!」
 物凄い形相で怒鳴られた少将は、この暗さでさえわかるほどにわざとらしく笑う。
 「イヤダナァ、誤解ダヨv
 ボカァ君ノ心配ヲダネ・・・」
 「俺の目を見て話せこの野郎!!!!」
 顎を掴まれ、そむけた顔をぐいぐいと戻されながらも、少将の目はぴちぴちと泳いでいた。
 が、
 「あ、君!
 すごかったですね、さっきの!
 おかげでこの人も助かりましたよ!
 ホラ、神田!お礼言ってお礼!」
 視界に逃げ道を捉えるや、早速使った彼に舌打ちして、頭中将が向き直る。
 「・・・おかげで助かりました。礼を申しあげます」
 「・・・さっき私のこと、小童って呼んだくせに。
 落ち着いたら全然態度が違うんだねぇ」
 呆れ気味に笑って、童子は足元に転がり戻った鞠を拾った。
 「えっと・・・失礼ですが、ご身分は?」
 童姿ではあるが、夜闇にも淡く光る生地は絹のようだ。
 かなり身分の高い人間だろうと思って問うた少将に、童子はにこりと笑った。
 「私は・・・梨壷にお部屋を賜っている王の一人だよ」
 「王・・・」
 呟いた頭中将が、改めて一礼する。
 「失礼しました。
 しかし、なぜ梨壷の宮がこのような時間にここへ?」
 王とは親王の宣下を受けていない皇族男子で、内親王の宣下を受けない女王(にょおう)と同じく、宮中には大勢いた。
 が、ほとんどはその居住を出ず、ましてや夜中に他の殿に忍び込むような真似はしない。
 詮議する目を向けられて、梨壷の宮は苦笑した。
 「私は鞠を蹴りいれちゃって、探してただけだよ。
 疑わしければ、梨壷の女房達に聞いてよ」
 「では、念のためにそうさせて頂きますね。
 それにしても宮様・・・」
 衛士達の持つ灯りで照らされた王をまじまじと見つめて、少将はにこりと笑う。
 「さすがにご親族ですね。
 女東宮にそっくりです」
 その言葉に、宮はぎくりとして目を逸らした。
 と、
 「宮・・・」
 低く呼ばれて、気まずげな顔で頭中将を窺う。
 「梨壷へお送りしよう。
 誰か・・・」
 「あ、じゃあ僕がお送りしますよ!
 梨壷には今、麗景殿の命婦様が詰めてらっしゃいますから、ご報告がてら行ってきます!
 行きましょ、宮様!」
 いきなり手を取られて顔を紅くするが、灯火の下では何もかもが紅く、誰にも気づかれなかった。
 「あ・・・あの・・・!」
 梨壷の敷地に入っても手を取ったままの少将に、宮が口ごもる。
 「なんですか?」
 にこりと笑った彼に、なぜか『手を放して欲しい』と言えず、他の話題を探した。
 「えっと・・・さっきの獣はなんだったの・・・?」
 言ってから宮は、不安げに背後を振り返る。
 心の臓に太刀を突き立てられてもまだ弱々しく動いていた獣は、梓弓の魔除けの音に酷く苦しんでいるようだった。
 すると少将は安心させるように笑みを深め、宮の手をしっかりと握る。
 「大丈夫ですよ!絶対、宮中の方に危害を加えさせはしませんから!」
 頼もしく言ってから、宙を見つめて少し無言になった彼は、深く頷いた。
 「・・・えぇと、あれは鬼です。
 近頃都を騒がせてるもので、とうとう宮中まで入り込むようになったんですが、今夜、ようやく倒すことが出来ました」
 「鬼・・・?!
 それってまさか、都の人達が食われたんじゃ・・・!」
 「・・・はい。そんな話も聞いています」
 やや声を暗くして、少将が頷く。
 「しかも、あれ一匹じゃないんです。
 確かな総数はわからないんですが、倒しても倒しても現れるって、都の検非違使や陰陽師が出ずっぱりですよ」
 「そんなに・・・!」
 唇を噛んだ宮は、既に梨壷の庭園に入ったことに気づいて、少将の手を放した。
 「あ・・・ありがと!
 ここからは一人で行くよ!
 命婦によろしくね!」
 「あ・・・はい」
 走って行った宮を見送り、少将は握っていた手を見下ろす。
 「女の子の手みたいだったなぁ・・・」
 さすがに皇族は違うと、感心して彼は命婦の元へ走って行った。


 「―――― そんなわけで、宮様のおかげで助かったんですよ!
 命婦様からもありがとうございましたって、お伝え願えますか」
 出された菓子を嬉しそうに頬張りながら言う少将に、命婦は複雑な顔で微笑んだ。
 「そ・・・そう・・・。
 ア・・・アレンちゃん達が無事で本当によかったわぁ・・・」
 心ここにあらずといった様子でそわそわする命婦に、少将が首を傾げる。
 「どうかしましたか?」
 「あ・・・えぇ、アタシ、女東宮にこのことをお知らせしてこなくっちゃあ!
 もし騒ぎが聞こえていたり、誰かがお耳に入れてたりしたらご不安でしょうからね!」
 「そうですよね。
 行ってあげてください」
 言う間に立ち上がった命婦へ内心驚きながら、少将は脇にどいた。
 「ゴメンね!ゆっくりして行ってちょうだい!」
 せかせかと足を運びつつ言った彼女に礼を言ったものの、それを真に受けるほど無礼ではない。
 「じゃあ僕、そろそろ詰所に戻ります」
 礼儀として引き止める女房達を断って、少将は未だざわつく温明殿へと戻って行った。


 「リナリー!!!!」
 「ぴゃっ!!」
 物凄い音を立てて妻戸が開き、女東宮は夜着にくるまったまま飛び上がった。
 「なっ・・・なぁに、ジェリー?!
 もう寝てたのに・・・!!」
 鞠のように丸まって、びくびくと震える女東宮から、命婦は夜着を引き剥がす。
 「遠くに行くなって言ったでしょぉん!!
 なのに、温明殿に入り込んで鬼と遭遇したって、どぉいうことよん!!」
 「遭いたくて遭ったわけじゃないもんんんんんんんんん!!!!」
 襟首を掴まれてぶら下げられた女東宮が、ぴぃぴぃと泣き出した。
 「リ・・・リナだって怖かったんだよ!!
 でも、頭中将が危うく鬼に襲われそうになって・・・夢中で鞠を蹴っただけだもん!!」
 「頭中将は武芸の達者なんだから、任せて逃げなさいよっ!
 アンタに万が一のことがあったら、国が大混乱するのよんっ!!」
 「ええええええええええええん!!!!
 万が一のことを、今ジェリーがしてるじゃないかああああああああああああ!!!!」
 じたじたと暴れる女東宮を夜着の上に放り出し、命婦は深々と吐息する。
 「・・・このことは、しっかり主上に報告しますからねん!
 そして鬼が退治されてしまうまでは、アナタ含め、姫達の散策を禁じましょ!」
 「ええええええええええええええええ!!!!」
 「文句言うんじゃないのっ!!」
 大声をあげた女東宮を更なる大声で叱りつけ、命婦は腰に手を当てた。
 「何かあってからじゃ遅いのよんっ!
 アンタも国を背負う人間なら、まずは周りの者の安全に配慮しなさい!!」
 正論に黙り込み、女東宮は再び夜着にくるまる。
 「そのままおとなしくてるのよんっ!
 今夜はもう、出てっちゃダメだからねんっ!」
 「・・・・・・」
 「返事はっ!!」
 「あいっ!!」
 叱声に飛び上がった女東宮は、不満顔を夜着にうずめて転がった。


 一方、宮中に鬼が侵入したと報告を受けた帝は、難しい顔で陰陽司(おんみょうのつかさ)を呼んだ。
 「陰陽寮が忙しいのはわかるけど、これは大失態だよ。
 すぐ対処するように」
 「は・・・」
 「検非違使(けびいし)も、人数が足りないようなら補充しなさい。
 こんな事態になっているのに、人手不足とか財政難とか言ってられないでしょ」
 傍らの左大臣にも厳しく命じ、帝は深々とため息をつく。
 「も・・・おてんばなんだから・・・」
 「は?」
 訝しげに顔をあげた陰陽司と左大臣に首を振って、退出を命じた。
 「あぁ、やれやれ・・・。
 それで?
 四位少将はあの子が女東宮だって気づいてんの?」
 背後に向かって問うと、几帳の向こうから『いいえ』と声が返る。
 「女東宮は男装して王と名乗ったらしいから、それを信じてるみたいよん」
 「そっかぁ・・・。
 だったらいいんだけど、気づかれる可能性があるなら、頭中将と四位少将を梨壷に配置するのはやめようかなぁ・・・」
 悩ましげに言った帝へ、しかし、困りつつも命婦は首を振った。
 「近衛が護る第一は主上で、東宮はその次よん。
 検非違使が都中に出払ってる今、宮中ではなんとしても主上をお守りしないと。
 今まで通り、紫宸殿と清涼殿は精鋭で固めて、梨壷は今回、鬼を退治したあの子達に任せるのが兵力的にも正しいと思うわん」
 「うーん・・・。
 じゃあ、温明殿はどうしよう・・・?
 あそこは宝物が安置されてるんだからさ、少なくとも梨壷並みには固めとかないと・・・」
 鬼の狙いが宝物かもしれないし、と呟いた帝に、命婦も頷く。
 「どこもかしこも守るってわけには行かないのが現状ですもんねぇ・・・。
 あぁ!それなら!」
 大声をあげた命婦に驚き、帝が腰を浮かせた。
 「な・・・なに・・・?」
 「討伐隊を組みましょうよん!
 鬼を退治するのん!」
 守りが難しいなら攻めてしまえと、意外に血気盛んな命婦がこぶしを握る。
 そして帝も、
 「そうだね・・・。
 座して待っていても、事態が好転することはなさそうだ」
 大きく頷き、手にした扇をぱちりと鳴らした。
 途端、
 「はいはいさー♪」
 今夜宿直の蔵人が、軽いノリで走ってくる。
 「なんさね、主上?」
 「鬼退治するよ!
 都に散らばってる陰陽師や検非違使からの情報をまとめて、居場所突き止めて!」
 とんでもなく大変なことを簡単に命じた帝に、蔵人はにんまりと笑った。
 「それだけでいいんさ?」
 もっとあるだろう、と、隻眼を煌めかせる蔵人に帝は苦笑する。
 「ラビも、行きたいんなら行っていいよ」
 「そう来なくっちゃさ!」
 ぱん、と手を叩き、立ち上がった蔵人はくるりと踵を返した。
 「ほんじゃ、今夜中にまとめちまうからv
 出発は明日の昼以降にして欲しいさね!」
 朝の間は寝る気でいる蔵人を咎めもせず、帝は開いた扇で彼を扇ぐ。
 「わかったわかった。
 希望通りにしてあげるから、がんばってね」
 「あーぃv
 てけてけと駆け戻って行った彼の背を、帝だけでなく命婦も笑って見送った。


 明け方、蔵人が提出した報告書を見つめて、帝は深く頷いた。
 「さすがだね、図書頭(ずしょのかしら)は」
 「・・・って!いちおー俺がまとめたんさね、主上!」
 蔵人が、自身の功績をすっ飛ばしてくれた帝に抗議するが、彼は報告書越し、にんまりと目を細める。
 「ラビの能力だけでここまでできるわけないでしょ。
 図書頭のお祖父ちゃんがほとんどやってくれたんだな、ってのは、見ればわかるよ」
 「う・・・」
 見事に言い当てられた蔵人が、気まずげに目を逸らした。
 「でも、たった一晩でよくがんばったね。
 早速討伐隊を結成しよう」
 扇を鳴らそうとした帝を、蔵人が止める。
 「なに?」
 「もうバレちったから正直に言うさ。ジジィからの伝言」
 「ん」
 手を下ろした帝に、蔵人は膝を詰めた。
 「鬼を操る者のいる可能性がある。
 討伐隊を募るなら極秘に、信用の置ける者のみを集められよ、だそうさ」
 「操る者・・・ねぇ・・・・・・」
 ため息をついて、帝は天を仰ぐ。
 「そんなの心当たりが多すぎて、探す気にもならないよねぇ」
 「そこを何とかがんばるさね。
 あんたが投げ出したら、結局女東宮が危険にさらされるんさ」
 蔵人の口から『女東宮』の名が出た途端、帝の顔色が変わった。
 「ラビ・・・・・・」
 「ん。
 俺のお勧め人事としてはさー・・・」
 「キミ、女東宮の顔見たでしょ!
 手なんか出したら問答無用で斬首するよ!!!!」
 「今は仕事の話してんさ仕事ー!!!!」
 突然詰め寄られて、蔵人が悲鳴をあげる。
 「な・・・なんなんさ、急に!
 俺、女東宮をくれとか一言も言ってねぇし!!第一、そんなこと思ってもないさね!!」
 「ンマァ!!
 ボクの妹が可愛くないとでも?!
 君なんか隠岐に流罪だからね!!」
 「そんなことも言ってぬぇえええええええええええ!!!!」
 迫り来る帝から這って逃げていた蔵人がとうとう追い詰められた。
 「主上!
 頼むから仕事の話してさ!女東宮を守るために!な?!」
 絶叫して、何とか帝の進撃を止めた蔵人が、ぺたぺたと這って元の座に戻る。
 「・・・あーもう!
 大事な話してんのに、いきなりヒステリー起こさないで欲しいさね!」
 「女東宮のためにも、ボクは悪い虫を駆除しなきゃいけないんだよ!」
 いーっと歯を剥いた帝に、ラビは顔を引き攣らせた。
 「それはそれ!これはこれ!
 今は鬼の話!なっ?!」
 「うん・・・」
 渋々元の座へと戻った帝が、扇で蔵人を指す。
 「で?お勧め人事ってのを聞かせなよ」
 その威張りくさった態度に呆れつつ、蔵人は彼が・・・いや、彼の祖父が勧める討伐隊の人事を帝へ報告した。


 「討伐隊?」
 詰所に戻って来た蔵人からその話を聞いた途端、四位少将が目を輝かせる。
 「おもしろそー!!」
 「だろ?
 陰陽寮と衛門府に情報もらって、鬼の巣探ししたんさねv
 「・・・って、テメェの功みたいに言ってやがるが、どうせ図書寮のジジィに泣きついたんだろ」
 見事に言い当てた頭中将へ、蔵人は引き攣った笑みを向けた。
 「なっ・・・泣きついてなんかないさね・・・!
 情報の分析を手伝ってもらっただけさー・・・」
 「嘘つけ。目が泳いでんぜ」
 ビシ!と額をつつかれて、蔵人は観念する。
 「わかったさ・・・。
 ジジィの考えでは・・・」
 言って、蔵人は小脇に抱えていた地図を広げた。
 「この辺りが怪しいそうさ!」
 「・・・大江山か」
 「ピクニックですね!」
 はしゃいだ声をあげた途端、頭中将に頭をはたかれる。
 「なにすんだ!!」
 「遊びじゃねぇんだよ。ガキはすっこんでろ」
 「ガキじゃありません!アレンです!!」
 ぶぅ、と頬を膨らませた少将はしかし、すぐにまた目を輝かせた。
 「討伐隊かぁ・・・!
 僕、当然行けますよね!」
 わくわくと声を弾ませる少将に、頭中将は冷たく鼻を鳴らした。
 「味方を射殺そうなんて物騒な奴を誰が連れてくか」
 「えぇー!!
 いいじゃん!連れてってよ!僕も鬼退治したい!」
 「るっせ!!
 てめぇはまず、格上に対する口の利き方覚えろぃ!!」
 片手で乱暴に顎を掴まれ、ガクガクと揺さぶられた少将が、頭中将に足払いする。
 「じゃあ先にここの鬼退治!」
 「やってくれんじゃねぇか、クソガキ!!」
 「あぁもう!ヤメ!!」
 大声でわめき合い、つかみ合い、殴り合いを繰り返す二人にとうとう蔵人が怒鳴った。
 「ケンカすんなら二人とも連れてかねーさ!」
 「それで戦力が足りるのかよ」
 「僕、お役立ちですよ?」
 自信満々の二人にさすがの口達者も声をなくす。
 「はっ!
 どうせ、俺をメインにしかメンバー組めなかったんだろ!」
 「なにゆってんですか、このうぬぼれ屋ガ!
 僕ですよね?」
 どうなんだと詰め寄る二人に、蔵人は深々と吐息した。
 「なに勘違いしてんだか・・・。
 リーダーは右大将で、ユウは副将!」
 「ちっ。大将が出てくんのかよ」
 不満げな頭中将の隣で、少将は更に不満げに頬を膨らませる。
 「じゃあ僕は?!」
 「一兵卒だってわかんねーのか、この格下!」
 「ぎいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 ぎゅうぎゅうと鼻をつままれた少将が、悔しげに唸った。
 「やめろって!」
 珍しく声を荒げた蔵人を、二人が意外そうに見る。
 「ちなみにこの件、極秘事項だから。
 喚いて外に漏れるとまずいさ」
 「極秘・・・」
 その言葉の意味を、宮中に慣れ親しんだ二人は正確に理解した。
 「わかった。出発は?」
 声を潜めた頭中将に、蔵人はそっと笑う。
 「俺らが今日、宿直だってことを考慮してもらって、明日の早朝になったさ。
 今日中に準備してもらう手はずになってっから、明日は夜明け前に右衛門府に集合さね」
 「了解です!」
 大声をあげた少将は、二人から頭をはたかれた。


 ―――― 翌、未明。
 「よぉう!
 来やがったなーあ!」
 決して狭くはない右衛門府の一室を巨体で埋め尽くした右大将が、居並んだ検非違使らへ向けて、獰猛な獣のような声をあげた。
 「は!
 どいつもこいつも細っこい身体しやがって!
 鬼に頭から食われても、俺ァ助けねぇぜ?」
 膝を叩いて豪快に笑う右大将の声は雷のように響き、集まった精鋭らが思わず首をすくめる。
 本当に公達かと思う粗野な挙動は、深窓の姫君達の眉をひそめさせるに十分だったがしかし、今の彼らにはとても頼もしく思えた。
 「右大将」
 居並んだ検非違使の中から、ひょっこりと小柄な老人が立ち上がる。
 「図書頭か」
 発言を許す、と、顎で示した彼に、図書頭はこくりと頷いた。
 「陰陽司はじめ、主な陰陽師が清涼殿に詰める以上、こちらの呪の力は限られておる。
 援軍を頼むべきかと思うが」
 「あぁ?
 そう言うからにはジジィ、心当たりがあるんだろうなぁ?」
 口の端を曲げた右大将へ、図書頭はまたこくりと頷く。
 「前齋院(さきのさいいん)が、ご協力くださるそうな」
 「叔母様っ?!」
 意外な名前があがるや、右大将の傍らで小柄な影が飛び上がった。
 その様に、右大将が意地悪く笑う。
 「こわーぃ叔母上のおでましだぜぇ?
 叱られる前に梨壷に帰った方がいいんじゃねぇかぁ?
 なぁあ、『王』?」
 途端にガクガクと震え出した梨壷の宮の姿が面白く、右大将はにやにやと笑った。
 「しっかし、わざわざ前齋院が来るほどのことかぁ?」
 「来るほどのことだ、これだけ鬼が多ければな」
 「ひっ!!」
 検非違使達が慌ててひれ伏す中、先導の女房を追い越してやって来た前齋院が、桧扇(ひおうぎ)越しにじろりと梨壷の宮を睨む。
 「お前は梨壷へ帰れ」
 「やっ・・・やです!!」
 怖ろしい叔母と目を合わせられず、しかし強情に言った宮の腕を、前齋院の背後から現れた女房達が掴んだ。
 「連行せよ」
 「やああああああああああああだあああああああああああああああ!!!!」
 甲高い悲鳴があがり、皆が耳を塞ぐ中、何事かと頭中将らが駆けつける。
 「あ!宮!」
 泣き声をあげる梨壷の宮へ駆け寄ろうとした少将は、前齋院の背後で急停止した。
 「さ・・・前齋院さまっ!あの・・・なんで宮は泣いてらっしゃるんですか?!」
 皆が遠慮する女王(にょおう)に問いかけると、振り返った彼女は意外なほど気さくに笑いかけた。
 「問うまでもない。
 王は足手まといゆえ、連れてゆけぬということだ」
 「宮はとても勇敢で、お役立ちでしたよ!
 連れて行けばいいと思います!!」
 反駁した少将に、前齋院は驚いたように目を見開く。
 それもそのはず、この女王は生まれてこの方、目下の者に反駁されたことなど一度もなかった。
 「こりゃおもしれぇ・・・」
 目を輝かせて状況を見守る右大将の他は皆、戦々恐々として前齋院を見つめる。
 ややして、
 「驚いたな・・・」
 ようやく口を開いた前齋院が、顔を隠していた扇を閉じた。
 「スッ・・・!!」
 蔵人の絶叫を頭中将が塞ぐ。
 「生意気を言うのはこの口か?」
 閉じた扇で顎をすくわれ、上向かされた少将が息をのんだ。
 「この前齋院に初めて口答えした者の、名を言え」
 権力者に少しでも逆らえば、すぐさま流刑にされかねない宮中で、うかつにも女王に口答えした少年の人生が終わったと、誰もが身を固くする。
 が、
 「ア・・・アレン・・・です・・・・・・」
 か細い声で鳴いた小動物を慈しむように、前齋院の頬がほころんだ。
 「ふふ・・・v
 この私を恐れない子供がいたとは驚きだな。
 宮など、私の薫香が漂ってきただけで逃げ出すのに」
 ちらりと見遣った梨壷の宮が、女房達に腕を掴まれたままガタガタと震える。
 「よろしい」
 「いてっ!」
 扇で少将の頭をはたいた前齋院が、肩越しに梨壷の宮を見遣った。
 「それほど言うのならアレン、お前、ちゃんと宮をお守りするのだよ」
 「は・・・はい!」
 はたかれた頭をさすりつつ頷いた少将に微笑み、前齋院は梨壷の宮を軽く睨む。
 「そしてそなたは・・・決して無茶をせぬように」
 「はひっ・・・!」
 今にも泣きそうな顔をして、梨壷の宮はがくがくと頷いた。


 討伐隊が、その役目と規模の割にはひっそりと出発した後のこと。
 「主上!主上、大変よん!!!!」
 裾を蹴立てて駆け込んできた麗景殿の命婦に、帝は目を剥いた。
 「ど・・・どうしたの?
 ジェリぽんがそんなに慌てるなんて、初めて見たよ・・・!」
 「これが慌てずにいられますかっ!!」
 一気に詰め寄った命婦は、帝とほとんど額をつけて、声を潜める。
 「リナリーがどこにもいないのよん・・・!」
 「えええええええええええええええ!!!!」
 内裏中に響き渡るような声をあげて、帝が立ち上がった。
 「どっ・・・どこ行っちゃったの?!
 すぐに大内裏中から人を集めて・・・!」
 「ダメよんっ!!」
 分厚い袖で帝の口を塞ぎ、命婦は一層声を潜める。
 「梨壷に女東宮がいないなんて知られたら・・・特に、左大臣の耳にでも入ったら大変よん!」
 その言葉に目を鋭くし、帝は頷いた。
 「ジェリー・・・キミの信頼できる配下だけを使って、捜索しておくれ」
 「もうやってるわん。
 できるだけ密かに・・・」
 言葉を切った命婦が耳をすませると、衣擦れの音がして女房が入ってくる。
 「お耳を・・・」
 囁くような声で言った彼女に命婦が歩みより、耳を寄せた。
 ―――― 次の瞬間。
 「ぬぁんですってえええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」
 大内裏にまで届きそうな絶叫が、大地を揺り動かした。


 ―――― 一方、鬼退治に向かった一行は。
 騎馬の検非違使達に守られた牛車に、前齋院と二人で乗せられた女東宮・・・いや、今は梨壷の宮は、怖ろしい叔母にじっとりと睨まれて、ぷるぷると震えていた。
 「・・・リナリー」
 「はっ・・・はひっ・・・!」
 声を引き攣らせて応えたものの、目をあげられずにじっと自身の膝を見つめる彼女に、前齋院はため息をつく。
 「なぜこんな無茶をした」
 「あ・・・あの・・・・・・!」
 嘘を許さない問いを受けて、梨壷の宮は怯える目で叔母を見上げた。
 「きゅ・・・宮中で鬼と対峙してしまって・・・」
 しどろもどろに昨夜のことを語った梨壷の宮へ、前齋院はまたため息をつく。
 「まったく、宮のお転婆には呆れてしまう。
 童姿で夜中にうろつくなど、命婦は一体、なにをしているのか!」
 閉じた扇で膝を打った音に怯え、梨壷の宮が首をすくめた。
 「ジェ・・・ジェリーは・・・悪くないんだよ・・・。
 私が言いつけに背いて温明殿に・・・あいたっ!!」
 いきなり扇で額を叩かれ、梨壷の宮が悲鳴をあげる。
 「い・・・痛いー・・・!」
 「当たり前だ!」
 赤くなった額を更に扇の先で突いて、前齋院は声を荒げた。
 「いいか、鬼に喰われればこの程度の痛みではないぞ!
 まったく、少将が申すからいかなる功を立てたものかと思いきや、鞠をぶつけたくらいで調子に乗りおって・・・。
 女の身で鬼討伐などと、よくもまぁついてくる気になったものだな!」
 「お・・・叔母様だって女・・・」
 「私はお前とは違う!」
 きっぱりと言った前齋院の長い髪が肩から掻き分けられ、白い小猿が顔を出す。
 「あ・・・あれ?
 叔母様、お猿さんなんて今までどこに・・・」
 「猿ではない。鬼だ」
 「んなぁ?!」
 あっさりと言われて、梨壷の宮は目を剥いた。
 「なっ・・・なんで鬼が・・・!!」
 狭い牛車の中で、懸命に離れようとする彼女に、前齋院は扇の陰でちらりと笑う。
 「正しくは式・・・いや、使鬼か。
 私が齋院の頃、調伏した鬼を使役している」
 「ちょ・・・調伏・・・?!」
 おどおどと見つめた小猿が突然歯を剥き、梨壷の宮は座った姿勢のまま飛び上がった。
 「器用だな」
 「そっ・・・そう言う問題じゃなくて!!」
 賀茂の齋院も伊勢の斎宮も、皇族の独身女性というだけで普通はお飾りであるものだ。
 なのに今の都ときたら、齋院は鬼を調伏するわ尚侍(ないしのかみ)は政務を司るわ、たくましいこと前代未聞だった。
 そう言うと、
 「なにがたくましいものか。
 ただ、与えられた仕事を全うしているだけではないか」
 ごく当然とばかり、前齋院が鼻を鳴らす。
 「ゆえに宮も、きちんと自分の仕事をするのだ。
 女東宮から帝に立つのは孝謙天皇以来のことゆえ、色々苦労もあろうが、それは我ら皇族全員で補佐する。
 安心して・・・外戚共の台頭を封じよ」
 「は・・・はぁ・・・・・・」
 そう言うことは兄に言って欲しいと思った途端、じろりと睨まれた。
 「主上にはとっくに言った」
 「はぅっ?!」
 なぜわかったのかと、また怯えだした梨壷の宮に、前齋院は意地悪く笑う。
 「見え透いているのだよ、宮。
 せめて考えが顔に出ないよう、気をつけるがいい」
 「はい・・・」
 牛車にことことと揺られながら、梨壷の宮は悄然とうな垂れた。


 そして牛車の外では。
 「噂には聞いてたけど、前齋院様ってホンット美人で驚いたさ!
 めっさストライクv
 もうお役は退いてらっしゃるし、俺が突撃してもオケーだよな?!」
 さすがに声は潜めたものの、はしゃぎまくる蔵人に少将が軽く吐息した。
 「あっさり退けられると思うケド?」
 「調伏されろ、馬鹿ウサギ」
 頭中将にも睨まれるが、蔵人は気にせず馬上でクスクスと笑う。
 「俺、歌には自信あっからーv
 きっと、お目に留めてくださるさねv
 今、お婿に行きますv
 「・・・キモ」
 夢の中へ旅立ってしまった蔵人に、少将が顔を引き攣らせた。
 「なんさなんさ!
 お前だって、前齋院様にお声かけてもらって、真っ赤になってたくせにさ!」
 ぶぅ、と蔵人が頬を膨らませると、少将は眉根を寄せる。
 「そりゃあ、真っ赤にもなりますよ。
 僕の人生、終わったって思ったもん」
 「お前は青くならずに赤くなるんだな」
 馬鹿にした口調の頭中将を、少将はムッと睨んだ。
 「悪かったですね、血気盛んで!」
 「血気盛んというよりは、猪突猛進だな。
 ちったぁ後先考えやがれ」
 「ふもっ・・・!!」
 「ハイハイ、どーどー」
 馬上にもかかわらず掴みあいの喧嘩をしそうな二人の間に、蔵人が鞭を差し挟む。
 「落ち着いてさ、二人とも!ってかアレン!
 お前ホント猪突猛進!カッとなりやすすぎ!」
 鞭を振り振り言われて、少将はムッと頬を膨らませた。
 「そんなんじゃ、鬼が出た時に大怪我すんぜ?」
 額をつつかれて黙り込んだ少将へ、頭中将が鼻を鳴らす。
 「なんだよっ!」
 「うっせ、格下」
 「もきっ・・・!」
 「あーはいはい!」
 二人の間に馬ごと入って、蔵人が苦笑した。
 「そろそろ黙んねーと、大将からぶん殴られるさね」
 そっと指した先では、先頭に立った右大将が怖ろしい目で前方を睥睨している。
 「あんな怖い目で睨まれちゃ、鬼も怖がって出てこれませんよ」
 頼もしい背中に安堵して、思わず軽口を叩いた少将の身体が不意に、馬上から浮き上がった。
 「アレンッ?!」
 蔵人の大声に検非違使達が振り返り、愕然と顎を落とす。
 「鬼・・・!」
 少将を片手で軽々と掴みあげた巨大な鬼が、獰猛な歯を剥いて彼の左肩に喰い付いた。
 「わあああああああああああああ!!!!」
 「ちっ・・・!」
 太刀を抜き払った頭中将が馬を寄せようとするが、女の声が止める。
 次の瞬間、牛車から飛び出した白い小猿が一気に巨大化し、鬼の喉笛に喰い付いた。
 「今だ!!」
 鋭い声に従い、右大将が馬を寄せる。
 「なめた真似するじゃねぇか!」
 太刀を一閃させるや、少将を掴む鬼の腕が、足が、そして胴が、鮮やかな切り口をさらして切り落された。
 「無事か?!」
 肩越しに問うと、下馬した蔵人が地に伏せる少将に駆け寄る。
 「アレン!
 目ェ開けるさ!おい!!」
 「こっち運んで!!」
 牛車の御簾が跳ね開けられ、中から梨壷の宮が手招いた。
 「え?!梨壷の宮って・・・!」
 その顔を見て唖然としたのも一瞬、それどころではないと思い直して蔵人は少将を牛車に運び入れる。
 「叔母様!ど・・・どうしよう!!」
 「落ち着け、宮。
 これ、蔵人」
 「はいさっ!!」
 頬を紅潮させる蔵人を、前齋院はにこりと見下ろした。
 「あの腕、取って来やれ」
 「は・・・?」
 どの腕、と、前齋院が扇で指した先を見遣れば、斬り落とされたばかりの鬼の腕が未だわきわきと動いている。
 「あっ・・・あれ?!なんでさ?!イテッ!!!!」
 驚きのあまり、敬語を忘れた蔵人は扇ではたかれて悲鳴をあげた。
 「四の五の言わずに持って来やれ」
 「はっ・・・はいさ!!」
 くるりと踵を返し、討ち取られた鬼に駆け寄ろうとした蔵人は、はっと隻眼を見開いて足を止める。
 斬り落とされた腕や足でさえ、未だぴくぴくと動く鬼の目が、ぎょろぎょろと動いてじりじりと近づく検非違使達を睨んでいた。
 「がああああああああああああああああ!!!!」
 カッと開かれた紅い口から凄まじい咆哮があがり、その声に引かれてか、前後左右の道を、樹上を、子供ほどの体躯の小鬼がみっしりと覆う。
 「わ・・・あああああああああああ!!!!」
 牙を剥いた小鬼の大群に錯乱した検非違使の一人が、太刀を滅茶苦茶に振り回した。
 「おいっ!!」
 たしなめるべく声をかけた頭中将は、彼の振り回す刃にかかった小鬼達があっさりと切り伏せられ、動かなくなる様に驚く。
 「・・・どういうことだ?」
 飛び掛って来た数体を一太刀に切り伏せ、その歯ごたえのなさに唖然としたのも一瞬、気を取り直した彼は、小鬼の群れへと駆け込んで行った。
 「・・・おい、クラウド」
 勇気を取り戻した部下達に討伐を任せ、馬を牛車に寄せた右大将が、前齋院へ声を掛ける。
 「こりゃあ一体、どういうことだ?
 最初のヤツ以外は随分あっさりと斬り捨てられやがって・・・拍子抜けもいいところだぜ」
 歯ごたえがなさ過ぎる、と、舌打ちした右大将に、前齋院は扇の向こうで頷いた。
 「これが奴らの本当の姿、というわけだ。
 強いのはほんの数体で、悪さをするのは大勢の小鬼・・・さもなければ、人に操れるはずもない」
 「操る・・・か」
 にやりと笑った右大将が、肩に太刀を担ぐ。
 「なぁ、クラウド?
 俺ァこの後、どこに斬りこめばいいんだ?
 左大臣か、陰陽寮か」
 問われて前齋院は、くすりと笑った。
 「まずは陰陽寮をお勧めするな。
 検非違使が軽く討ち取れるものを、なぜにこうまで手間取ったものかと。
 その後、陰陽司を任じた左大臣の責任を追及。
 この順序で彼を権官に任じてやれば、少しは力もそげるというもの」
 くすくすと楽しげに笑う声に悪寒を覚え、右大将はぶるりと震え上がる。
 「・・・それを証明するためにわざわざ出てきやがったか、女狐め」
 前齋院への暴言を、しかし、彼女は愉快げに笑い飛ばした。
 「私は皇統を守るべき者だ。
 そのために少々悪い手を使ったところで、誰も文句は言わぬだろうよ」
 それに、と、前齋院は、戦塵にまみれた蔵人が、重たげに抱える鬼の腕を見遣る。
 「この都を守るのもまた、かつて齋院であった私の勤めであろうよ」
 しかし、彼女が役を退いたのち、この都には鬼が溢れてしまった。
 近頃では都だけでなく、宮中にまで鬼が出る始末だ。
 「宮中は都で最も結界の強い場所。
 そんな場所へ鬼を入れたというだけで十分、陰陽司の失態として追求出来たのだ。
 だが、彼が言うにはよほど強い鬼であったのだろうと・・・だから宮中の結界すら破られたのだと言っておってな」
 更には、彼ら陰陽師の張った結界によって、いかな強力な鬼もさすがに無事ではいられず、だいぶ弱っていただろうから頭中将でも討ち取れたのだと、甚だ無礼な事をぬかしおった。
 「私の可愛い甥に、よくもあんな口を利いたものだ。
 あんまり腹が立ったものだから、陰陽寮が役に立たぬのなら私がやると言って出て来た」
 「それで協力かよ・・・」
 呆れ返って、右大将は前齋院の美貌の甥を見遣る。
 「それを聞いて、あいつが喜ぶとも思えねぇがな」
 「そんなことはわかっている」
 意地悪く笑う右大将に鼻を鳴らし、前齋院は一抱えはある鬼の腕を持って戻って来た蔵人を迎えた。
 「恩など着せるつもりはない。
 私は都を守ると言う、私の役目を果たしに来たのだ。
 ・・・ふむ、いい腕だな。
 これならばきっと、役に立つだろう」
 「は?」
 訝しげな右大将を無視して、前齋院は小鬼を喰らっていた使鬼を呼び戻す。
 「蔵人、鬼の腕をそこへ・・・少将の隣に置きやれ」
 「あ・・・はいさ・・・」
 梨壷の宮に半身を抱えられ、真っ青なまぶたを閉じたまま動かない少将の隣に、蔵人は斬り落とされた鬼の腕を置いた。
 「宮。
 少将を横たえて、どきやれ」
 「は・・・はい・・・」
 言われた通りにどくと、小猿の姿に戻った使鬼がちょろちょろと牛車に入って来て、少将の左袖に小さな手をかける。
 びりっと、意外な膂力で袖を裂くと、少将の肩口から指先までがどす黒く染まっていて、梨壷の宮は思わず悲鳴をあげた。
 「おぃ!
 この程度で泣くんなら、最初ッからついてくんじゃねぇよ!」
 右大将に大声で怒鳴られ、泣き声を飲み込んだ梨壷の宮は、唇を噛んで意識のない少将を見下ろす。
 「では、始めるか」
 すっと息を吸った前齋院が、手にした札に筆を走らせた。
 続いて、ふっと息を吹きかけたそれを、少将の肩に当てる。
 「治療・・・さ・・・?」
 初めて見る光景に目を奪われた蔵人が見つめる中、小猿の開けた口が・・・口だけが突如、巨大化した。
 「なっ・・・?!」
 「きゃあああああああああああああ!!!!」
 ばくりと食いつき、少将の腕を食いちぎった猿に、梨壷の宮が悲鳴をあげる。
 「叔母様酷い!!
 酷いよ!!!!」
 顔を覆って泣き叫ぶ宮を冷たく無視し、前齋院はもう一枚の札を鬼の腕に当てた。
 途端、
 「え・・・?!」
 無言で見つめていた蔵人の目の前で、少将の肩口と鬼の腕に貼られた札が磁石のように引き寄せられ、傷口を合わせてぴたりと着く。
 「さ・・・前齋院様・・・!
 これは一体、どういうまじないさ?!」
 蔵人が震え声をあげ、梨壷の宮も顔を覆う手の間から、そっと覗きこんだ。
 と、前齋院は更に数枚の札を鬼の腕に貼り付け、人の背ほどもあったそれを人の腕と変わらぬ大きさにまで変えてしまう。
 「す・・・すげ・・・!」
 「器用だなァ、オイ」
 さすがに感心した右大将へちらりと笑い、前齋院は少将の肩と鬼の腕をすっかり札で覆ってしまった。
 「これで、少将が鬼の毒で死ぬことはない」
 「え・・・?!」
 目を丸くした梨壷の宮を、前齋院はじっとりと睨む。
 「私は少将を助けてやったのに、酷いとは酷い言い様だ」
 「だ・・・だって・・・!」
 目の前でなにが起こったのか、未だ理解できず戸惑う梨壷の宮の目を、前齋院は扇の先で導いた。
 「よぅ見やれ」
 「う・・・!」
 前齋院が指した使鬼は、ぼりぼりと嫌な音を立てて、少将の黒く染まった腕を食べている。
 思わず目を逸らそうとすると、額を強く叩かれた。
 「痛いっ!!」
 ぴぃぴぃと泣く梨壷の宮に鼻を鳴らし、前齋院は蔵人を見遣る。
 「お前はどうだ?」
 声を掛けると、蔵人は顔を強張らせたまま頷いた。
 「ア・・・アレンの腕は、鬼に噛み付かれた時に毒が入っちまって、黒く染まったんだな・・・!
 前齋院さまは、その毒が全身に回る前にもう使い物にならない腕を切って・・・新しい腕をつけてくれたんさね・・・」
 蔵人の言葉に、前齋院は満足げに頷く。
 「その通り。
 宮も、この程度の推測は出来なければな」
 「す・・・すみません・・・・・・」
 真っ赤になった顔を俯けて、梨壷の宮は未だ意識のない少将を見下ろした。
 「あ・・・あの・・・!
 アレン君?だっけ?
 いつ起きるの?」
 気遣わしげに問うと、前齋院はふるりと首を振る。
 「命を失いかけたのだ。
 そう簡単に・・・」
 「クラウド、伏せろ!!!!」
 唐突に右大将が怒鳴り、前齋院は梨壷の宮と少将の上に覆いかぶさった。
 「キイイイイイイイイイ!!!!」
 猿の甲高い鳴き声と、牛車の天井が破壊される音は同時だったか。
 判然としないまま、梨壷の宮は叔母の身体越しに鬼の咆哮を聞いた。
 ややして、
 「・・・っおい、神田ァ!!!!
 てめぇ、こっちに寄越すんじゃねぇよぉ!!」
 再び右大将の怒号があがり、梨壷の宮はほっと吐息する。
 と、
 「おい、ソカロ!
 牛を喰われたぞ!馬を寄越せ!」
 顔をあげた前齋院の声に、右大将はムッと眉根を寄せた。
 「テメェで呼べや!」
 「馬鹿が!
 私ではない、宮と少将だ!」
 怒鳴り返されて、右大将はぽふん、と手を叩く。
 「リナリー、テメェで呼びな!」
 「あ・・・うん・・・」
 決して甘やかしてはくれない右大将に言われて、困惑しつつも梨壷の宮は辺りを見回した。
 その視線の先に、気の利く蔵人が馬の手綱を引いて駆けて来る。
 「宮!
 とりあえずこれに乗ってさ!
 前齋院様はぜひ俺の馬に同乗してさーv
 「イヤ、私はこの子がいるから結構だ」
 あっさりと断った前齋院は、袿(うちぎ)姿になって巨大化した使鬼の背に乗った。
 「えぇー・・・・・・」
 がっかりと肩を落とした蔵人の袖を、梨壷の宮が乱暴に引く。
 「アレン君を馬に乗せるの、手伝って!」
 「あ・・・はいはい」
 ぐったりした少将を抱えあげた蔵人が、馬に彼を乗せた。
 「宮、アレンは俺が引き受けっから、早く乗って、ここから離れてさ!」
 先に逃がそうとする蔵人に首を振り、梨壷の宮はすっかり潰された牛車に駆け戻る。
 「宮!!」
 驚いて大声をあげた蔵人を振り切り、梨壷の宮は牛車の外に放り出された袋の紐を解いた。
 ころころと転がりだしたのは普通のものより小振りな蹴鞠で、にこりと笑った彼女は足を振り上げる。
 「えいやっ!!」
 気合と共に蹴飛ばした鞠は、太刀を振り上げた頭中将を掠めて、彼へ襲い掛かる鬼を吹き飛ばした。
 「やったぁ!」
 「や・・・やったじゃねぇえええええええええ!!」
 危うく頭を吹き飛ばされる所だった頭中将の怒号に舌を出し、梨壷の宮は次々に鞠を蹴る。
 「へー・・・うまいもんさねー・・・」
 感心した蔵人に、梨壷の宮は嬉しそうに笑った。
 「得意なんだよ!」
 「うん、オトコノコだったら鞠壷の人気者だったと思うさね」
 にこりと笑った蔵人に、ぎくりと顔が強張る。
 「お・・・男の子・・・だよ・・・」
 ぴちぴちと目を泳がせながら言えば、彼は意地悪く笑みを深め、梨壷の宮の耳に口を寄せた。
 「・・・こんな所にいちゃいけないさ、女東宮。
 あんたになんかあったら、俺ら全員の首が飛んじまうさね」
 「なんっ・・・?!」
 「あんたが御簾の中から転がり出て来た時、あそこに俺もいたんさねv
 アレンやユウも見たはずなんけど、気づかないなんてうかつな奴らさv
 くすくすと笑った蔵人は、梨壷の宮の背を押して、騎乗を勧める。
 「ま、梨壷にいるはずの女東宮が、童姿でこんな所にいるなんて、誰も思わねーか」
 気まずげに目を逸らした梨壷の宮へ手綱を渡しながら、蔵人はふと、首を傾げた。
 「馬、乗れるんか?」
 「のっ・・・乗れるよ!」
 真っ赤になって手綱を奪い取った梨壷の宮は、ひらりと鞍に飛び乗る。
 「おぉ、うまいうまい。
 じゃあ鞠も尽きたことだし、こっちの手綱も持って、安全な所に避難しとくさ」
 「あ・・・うん」
 蔵人が渡したのが少将を乗せた馬の手綱と気づいて、梨壷の宮が頷いた。
 「ほんじゃ、鬼が全部片付いたら呼びに来るから!
 おとなしくしてるさね!」
 近くに転がっていた鞠を一つ拾って渡してくれた蔵人に、梨壷の宮は渋々頷いて馬首を返す。
 鬼の気配に怯えた馬は中々言うことを聞こうとしなかったが、何とかなだめて避難した。
 やや離れて見ると、小鬼の群れは検非違使達に次々と切り伏せられ、段々と数を減らしつつある。
 「すごい・・・右大将のおじさまが強いのは知ってたけど、あの頭中将もすごいんだねぇ・・・。
 蔵人も意外とやるみたいだし、なにより・・・」
 巨大猿の上で袿を翻し、扇で指揮する前齋院の姿が物語で読んだ神功皇后のようで、唖然とした。
 「・・・どこまで強いんだよ、叔母様・・・・・・」
 前線に立つ齋院なんて、古今聞いたこともない。
 「叔母様といい尚侍といい、今の宮中は怖い女の人でいっぱいだよ・・・。
 そのうちきっと、私も鎮撫に行かされたり、どっさり執務持ってこられたりするんだ・・・」
 蹴鞠に興じる暇もなくなるかもしれないと、ため息をついた梨壷の宮の馬が、突然いなないた。
 「ど・・・どうしたの?!
 あ!ちょっと!!」
 駆け出した馬の手綱を引き損ねた梨壷の宮は、振り落とされないようにたてがみにしがみつく。
 「あ・・・アレン君は・・・!」
 もう一頭の手綱の先を振り返れば、未だ意識はないものの、腰を鞍に固定された少将は、落ちることなく揺られていた。
 「よかっ・・・っ?!」
 不意に頭上が翳り、見上げたすぐ近くに巨大な鬼の目がある。
 馬が逃げ出したのはこのせいかと、梨壷の宮は手綱を握る手に力を込めた。
 「右大将!頭中将!!こっちだよ!!」
 大声で呼ぶと、太刀を振り回しながら二人が振り返る。
 だが駆けつける間もなく、鬼の巨大な爪が梨壷の宮の背に迫った。
 「きゃあ!!」
 いなないて倒れた馬から振り落とされた梨壷の宮が、苦痛に顔を歪める。
 それでも何とか立ち上がり、手にしたたった一つの鞠を宙に浮かべた。
 「えいやっ!!」
 鋭く蹴られ、矢のように向かってきた鞠はしかし、鬼の手にあっさりと弾かれる。
 「このっ・・・!」
 他に武器になるものはと、足元を探す梨壷の宮の背に、幾人もの悲鳴が浴びせられた。
 「リナリー!!!!」
 一際甲高く響いた前齋院の声も届かず、鬼の手が梨壷の宮を潰す。
 「テメェっ・・・!!」
 怒りに顔を紅くした右大将が駆けつけ、太刀を振りかざした。
 しかし、
 「なっ・・・?!」
 突然、鬼の意思によらず跳ね除けられた爪を太刀で防ぎ、馬ごと退いた右大将が目を剥く。
 「リナ・・・!」
 手首から斬り落とされた鬼の手の向こうに、梨壷の宮の無事な姿を見て、前齋院がほっと吐息した。
 「頭中将!宮をお助けせよ!」
 声を掛けると、馬首を翻した頭中将が駆け寄って、すれ違い様、馬上に掬い上げる。
 一瞬、妙な顔をしたものの何も言わず、彼は梨壷の宮を乗せて一旦鬼から離れた。
 その背後で、右大将が咆哮をあげる鬼の懐に飛び込み、とどめを刺す。
 「・・・クラウド!これで最後だろうな?!」
 大声をあげる彼に、扇を広げた前齋院は鼻を鳴らした。
 「こんなに鬼の気配で溢れた場所で、わかるわけがないだろう。
 とっとと殲滅せよ」
 「威張ンじゃねぇ!!」
 太刀についた血を振り払った右大将は舌打ちして、少将と鞍を繋ぐ縄を切ってやる。
 「やるじゃねぇか、小童が!」
 苦痛のせいか、額に玉の汗を浮かべた少将は薄く目を開け、巨大化した異形の左手を見つめた。
 「な・・・ですか、これ・・・・・・」
 か細い声の問いに、右大将は眉根を寄せる。
 「鬼に喰われかけたのは覚えてるか?
 その時にお前の腕は、毒に侵されちまったんだ。
 身体に回る前にクラウドが・・・前齋院が使鬼にお前の腕を食いちぎらせて、代わりに鬼の腕をつけてくれたんだよ。
 後で礼を言っとけ」
 とは言ったものの、右大将は苦笑して、小脇に抱えた少将を見下ろした。
 「まぁ・・・こんな腕にされちまって、嬉しかぁねぇやな。
 だがよ・・・」
 右大将が顎で、やや離れた場所から気遣わしげに少将を見つめる梨壷の宮を指す。
 「宮が助かったのは、お前の手が鬼を退けたからだ。
 そのことは直々に誉めてつかわす」
 「あ・・・ありがとうございます・・・!」
 頬を紅潮させた少将ににやりと笑い、右大将は彼を自分の馬に同乗させた。
 「後は検非違使どもでやれるだろ。
 おい、クラ・・・前齋院!
 そのまま都に帰れねぇだろ!馬に乗れや!!」
 「じゃあ俺に同乗vv
 すかさず駆け寄った蔵人の手を払い、前齋院は恐れ気もなく倒されたばかりの鬼の屍に猿を向かわせる。
 「宮が乗っていた馬は喰われてしまったが、まだ少将の馬が生きているだろう」
 猿に屍をどけさせると、地を掻いて暴れていた馬が飛び出てきた。
 「これに乗って行くこととする。
 少将の他に怪我人はあるか?」
 見渡すが、強大な敵と相対した割りに被害は少なく、自力で立てない者はない。
 「お前だけかよ!」
 右大将の大きな手ではたかれて、泣き声をあげる少将に前齋院がくすくすと笑った。
 「どうやら鬼の姿も尽きたようだ・・・では、戻ろうか!」
 「そりゃあ俺の台詞だろ!」
 将の立場を奪われた右大将が忌々しげに舌打ちする。
 だが前齋院は気にも留めず、先頭をきって都へと戻って行った。


 大内裏へ帰還した途端、右大将と前齋院は帝に呼び出された。
 帝が政務を執る紫宸殿ではなく、プライベートな清涼殿へと招かれたと聞いて二人は、顔を見合わせる。
 「さぁて・・・お褒めの言葉でもいただけると思うか?」
 「無理だろう。きっと・・・」
 ニヤニヤと笑う右大将にため息をつき、前齋院は内裏に与えられた局に着替えに入った。
 「お前、先に行ってろ」
 「おいおい、叱られるのは一緒だろ。待っててやるよ」
 「女の着替えを待つとは物好きな奴だな」
 せいぜい嫌味ったらしく言ってやったものの、気にする様子もなくどっかりと御簾の外に座った右大将に鼻を鳴らす。
 「あいつはともかく、帝をお待たせするわけにもいかん。急げよ」
 女房達に命じると、心得た彼女達は手早く前齋院の身支度を整えた。
 「・・・やれやれ」
 品のよい香を焚き染めた唐衣を着て、御簾をくぐった彼女を右大将が不満げに見る。
 「なんだ、もう出てきやがったのか」
 「やはり引き伸ばしを画策していたのか。残念だったな」
 扇の向こうでちらりと笑った前齋院は、先触れの女房を追い越して、さくさくと清涼殿へ向かった。
 「そんなに急ぐこともねぇだろうによぉ」
 「嫌なことは早く終わらせる主義だ」
 ぐずぐずする右大将を肩越しに叱り、御座所へ踏み込む。
 「なにか」
 「何かじゃないでしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 思った通りのヒステリックな声が沸いて、前齋院と右大将は耳を塞いだ。
 「なんでリナリーを連れてったの!
 危ないってわかってたでしょうが!!!!」
 脇息をばんばんと叩いて喚く帝に、二人はそっくりに口を尖らせる。
 「だって来るって言うからぁー」
 「からぁ、じゃないでしょ!そこを止めるのが年長者でしょ!!!!」
 興奮のあまり、桧扇をぼっきりと折ってしまった帝に前齋院がため息をついた。
 「少し落ち着け、主上。
 確かに連れて行った右大将は軽率だと思うが」
 「俺かよ!!」
 いきなり全責任を押し付けられた右大将が大声をあげる。
 「結局お前だって許したじゃねぇか!!」
 「私は好きで許したわけじゃないし、行き帰りにしっかり説教をしたぞ。
 なのにお前ときたら、いつもリナリーを甘やかすばかりで・・・」
 「おいい!!
 自分は悪くないって方向に持ってくんじゃねぇよ女狐!!!!」
 「なんだ、文句があるなら内裏へいらっしゃい!」
 「もう来とるわ!!その上で文句言ってんだ!!!!」
 「おだまりいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 言い争う二人の前で、帝が脇息を叩き割った。
 「もうリナリーは梨壷から出ないように言いつけたから!
 厳しく言いつけたからね!
 今後一切、『遊びにいこー』って誘わないでよね!!
 わかった、右大将?!」
 「なんで俺だけ・・・」
 「わかったのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?!」
 絶叫されて、右大将は不満顔で頷く。
 「わかったらもう下がっていいよ!てか下がれ!!」
 ぎゃあぎゃあと喚かれて、二人とも不満顔のまま立ち上がった。


 「なんだなんだ、あのヤロウ!
 鬼退治してやったのに、礼どころか労いもなしかよ!」
 さすがに声は潜めたものの、不満を漏らしつつどすどすと廊下を踏み鳴らす右大将に、前齋院は肩をすくめた。
 「まぁ・・・お前は仕方ないとして、中将以下、検非違使達には報いてやらんと、不満が出るだろうな。
 お前、しっかり労ってやるんだぞ」
 「だから俺かよ!
 お前はなんでいつも俺にばっかり・・・」
 「いいじゃないか、義兄上。
 義兄なら義妹のわがままくらい許すものだ」
 「都合のいい時だけその関係持ち出すんじゃねぇ!!
 第一、再婚の連れ子同士で全然血は・・・」
 「まぁそんなことよりもだ」
 誰もが怯える右大将の怒号をさらりと受け流し、前齋院は小首を傾げる。
 「少将はその後、無事であろうか。
 見舞いに行ってやりたいのだが、この身分ではそうそう下々の邸になどゆけぬ。
 お前、私の代わりに見舞ってやれ」
 下々、と言うが少将はれっきとした殿上人で、堂々たる雲上人だ。
 そんな彼を『下々』と呼べるのはさすが女王と言うべきだが・・・。
 「・・・お前、そんなに傲慢だから婿が来ないんだぞ」
 呆れ口調の右大将に、前齋院のこめかみが引き攣った。
 「・・・古今、齋院を勤めたものが降嫁したなど聞いたこともない。
 内親王は独身であるのが通例・・・」
 「お前は内親王じゃなくて女王じゃねぇか。
 齋院はもう退いてんだからよ、適当に婿を見繕えばいいだろ」
 「お前・・・来ないと言ったり見繕えと言ったり、どっちなんだ!
 我が身分につりあう者がそうそういない以上、難しいことくらい察しろ!!」
 びしびしと扇で叩いてくる前齋院に、右大将は大笑する。
 「お前なら逆光源氏だって出来るだろうよ!
 邸に美少年を囲えばいいじゃねぇか」
 「あ?囲う・・・だと?」
 ぴたりと足を止めた前齋院は、難しげに眉根を寄せた。
 「・・・そうか、傍から見たらそう見えるか・・・・・・」
 「あ?なんだ?」
 もう囲っていたのかと、意外そうな右大将に、軽く吐息する。
 「・・・親が地方赴任になってしまって不自由だろうと思ってな。
 頭中将はとっくに私の邸に間借りしているぞ」
 「・・・案外手が早かったんだな、お前」
 「甥の一人だから問題ないと思ったんだ!!」
 真っ赤になった前齋院が珍しく、右大将はまた大笑した。


 ―――― 貴族の中でも大臣クラスを輩出する権門や皇族の邸宅が並ぶ一角。
 華やかでありながら静謐な前齋院の邸の一室で、宮中から戻った頭中将は、出仕着から気楽な狩衣へ着替えた。
 「出かけてくる」
 名残惜しそうな女房達に素っ気無く言って、邸を出た彼はしばらく道を下り、身分としては中流の邸宅へ馬を入れる。
 「おい、来てやったぞ、クソガキ」
 「・・・いつ、来てくださいなんて言いましたっけ?
 恩着せがましいこと言ってんじゃないですよ、あんた」
 寝巻き姿で烏帽子もかぶらないまま、半身を起こした少将に睨まれて、頭中将は鼻を鳴らした。
 「誰が好きで来るか!
 命婦の使いだ、コラ!」
 そう言って中将は、わざわざ重傷を負った左肩に預かった包みを乗せる。
 「ぎいいいいいいいいいいい!!!!」
 悶絶する少将の悲鳴に驚いて、別室にいた蔵人が駆けて来た。
 「どしたんっ・・・って、なんさ、ユウか」
 鬼が襲ってきたのかと思ったと、蔵人が胸を撫で下ろす。
 「鬼だよっ!鬼より酷いよっ!」
 きゃんきゃんと泣き喚く少将に笑って、蔵人は女房を呼ぶ。
 「俺がさっき用意してたやつ、運んできてー」
 「・・・人んちでなにしてたの?」
 慰めてもくれない蔵人をじっとりと睨んでやると、彼は女房達が捧げ持って来た高杯を肩越しに指した。
 「見舞い。
 山に詳しい奴に取って来てもらったんさ」
 枕元に置かれたそれを見ると、ふさふさと産毛を纏ったサルナシが、山のように積み上げられている。
 「わぁv
 早速手を伸ばした少将が、肩の怪我を忘れて剥こうとした挙句、悲鳴をあげて転がる様を、頭中将は呆れ顔で眺めた。
 「しかし、よくもまぁ・・・こんなに集めたもんだな」
 「ん。
 前齋院様の猿を見てたらなんか食いたくなっちまって。
 俺が戻る前に取って来て、アレンちに届けといてくれって使いを出してたら、こんなにどっさり取っててくれたんさ。
 褒美に命婦様の菓子を持って帰ってやんなきゃさね」
 小さな実の皮を器用に剥いて少将の口に放り込んでやると、蔵人は枕元に転がった包みを取り上げる。
 「命婦様からのお届け物を粗末にしちまって、怒られるさ」
 幸いにも、きっちりと結ばれた包みは解けることなく、中身も寄ることはあれ、無事のようだった。
 「ほれ、開けてみ。
 菓子が入ってたらちゃんと分けてやるんだぜ」
 「ん・・・」
 蔵人に助け起こされた少将は、右手だけで不自由そうに包みを解く。
 「アレンちゃんへ、早く元気になってねん、だって」
 添えられた文に嬉しそうに笑った少将は、続いて重箱の蓋を開けた。
 「わぁv おいしそうですvv
 頭中将が持って来たことは気に入らないが、色とりどりの菓子に罪などあろうはずがない。
 嬉しそうに頬張った少将が全て食べ尽くしてしまう前に、蔵人がいくつか懐紙に取った。
 「ユウももらえば?」
 「いらねぇよ」
 剥いたサルナシを口に放り込んだ頭中将は、ふと、傍らの蔵人を見遣る。
 「ここに来てやったのは・・・お前に聞きたいことがあったからなんだが」
 仲のいい少将が怪我をしたのだから、当然いるだろうと思ってやって来たことを言うと、蔵人はにんまりと笑った。
 「梨壷の宮のこったろ?」
 あっさりと見抜かれて、驚く頭中将に蔵人は、大きく頷く。
 「いつ気づくかなーって思ってたんさ。
 お前、はとこのクセに迂闊さね」
 「は?なにそれ?」
 なんの話かわからない少将の額を、蔵人がくすくすと笑ってつついた。
 「梨壷の宮の正体さね。
 なんであんなトコにいたのかはしらねーケド、牛車に女東宮が乗ってんだもん。
 俺、スンゲーびっくりしたさ」
 「あぁ、やっぱり・・・」
 「宮様が女東宮?!ホントに?!」
 女の子だったの、と、絶叫した途端、少将がまた苦痛に悶えて転がる。
 「・・・お前、どこまで頭が悪ィんだよ」
 「う・・・うるさい・・・!
 それより、ホントに宮様が女東宮様なの?!」
 にょきっと起き上がり、詰め寄った蔵人はまた大きく頷いた。
 「ん。
 俺、御簾から転がり出て来た時に、はっきり顔見たし。
 カマかけたら、あっさり顔に出たぜ♪」
 得意げな蔵人の隣で、頭中将も頷いて自身の手を見る。
 「馬に抱えあげた時、男にはありえない感触が・・・」
 「なにこいつやらしい!!
 女東宮様にやらしい!!
 帝にチクってセクハラの罪で斬首させてやるんですからこのムッツリ!」
 ヒステリックに喚いた少将に、頭中将のこめかみが引き攣った。
 「先にお前が死ね」
 「ぎゃうんっ!!」
 太刀の柄で肩を打たれて、少将がもんどりうつ。
 「酷い!!
 やっぱり鬼より鬼じゃん!!退治されろ、鬼っ!!」
 「先にテメェを退治してやんよっ!」
 今にも抜刀しようとする頭中将を、蔵人が慌てて止めた。
 「ユウ!
 怪我人なんから、ちったぁ手控えてやるさね!」
 「なにが怪我人だ!
 テメェの不注意で喰われてりゃ世話ァねぇぜ!
 命があるだけありがてぇと思え!」
 「ふええええええええええええええん!!!!」
 大騒ぎの部屋を、女房達がハラハラと窺う。
 「ほらほらっ!
 みんな何事かと思うだろ!静かにしてさ!」
 羽交い絞めにした頭中将をずりずりと引き離してから、蔵人は未だ泣きじゃくる少将に歩み寄った。
 「ほれ、お前もそんな泣いてないでさ!」
 「うぅっ・・・!
 だって僕、命は助かってもこんな腕になっちゃって・・・!
 もうお婿に行けないよう・・・!」
 「あ?
 前齋院のやったことに文句あんのか、てめぇ」
 こめかみを引きつらせた頭中将に、しかし、少将は黙り込む。
 「まぁ・・・前齋院様に文句なんかないさねー」
 とりなすように言って、蔵人は頭中将を肘でつついた。
 「ところでユーウーv
 俺、前齋院様にお手紙書くからさーv
 届けて欲しいさ、せっかく同じ邸に住んでんだしさー!」
 ぐりぐりと肘で抉る蔵人を、頭中将はうるさげに押しのける。
 「お前が歳上好きってのは知ってたが、倍の歳の前齋院に惚れるなんて思わなかったぜ!」
 言ってやると、案の定、蔵人が目を剥いた。
 「え?!36なんか?!あれで?!」
 マジ?!と詰め寄られ、頭中将の目が泳ぐ。
 「・・・あ、倍じゃねぇな。32だから」
 「・・・あんた、女の人の歳を多めに言うなんて、殺されても文句言えませんよ」
 「うるせぇよ!」
 呆れ顔の少将に怒鳴ったものの、このことが前齋院に知られたらと思うと、さすがの頭中将の背にも冷たいものが走った。
 なんとか話を変えようと、慣れないことに頭をひねっていると、助け舟とばかりに女房が声を掛ける。
 「・・・恐れ入ります、殿。
 宮中からお客様がお見えです」
 「あ・・・はい。どなたですか?」
 蔵人と頭中将の間から顔を覗かせた少将は、先触れの女房を無視して入って来た梨壷の宮・・・いや、女東宮に目を剥いた。
 「にょっ・・・いっ・・・いえ、宮様っ!!なんで・・・?!」
 座ったまま飛び上がった少将が、わたわたと枕元を探ると、察した蔵人が烏帽子を載せてくれる。
 「そのままでいいのに」
 苦笑した彼女に少将はぶんぶんと首を振った。
 「にょ・・・宮様の前で烏帽子を脱ぐなんて無礼、できませんっ!!」
 慌てて言った少将にまた苦笑して、宮は付き添いの女房達を全員下がらせる。
 次いで上座を譲った頭中将に微笑んで、円座(わろうだ)に座った。
 「あの・・・もう三人にはばれちゃってるのかな、私の正体・・・」
 小さな声で囁くと、三人が三人とも、無言で頷く。
 「う・・・そうかー・・・蔵人に見つかっちゃったのが失敗だったなぁ・・・」
 この隻眼の蔵人が、とてつもない記憶力の持ち主だということは、宮中で知らぬ者はなかった。
 「しかしなぜ、女東宮があのような場所に?」
 はとこではあるが、ほとんど初めて口を利く頭中将に冷たく問われ、女東宮は気まずげに声を詰まらせる。
 「・・・・・・鬼退治してみたかったから」
 「アホか!!」
 身分も忘れて声を揃えた頭中将と蔵人に、女東宮はムッと口を尖らせた。
 「そんな言い方しなくていいじゃない!」
 「あ、うっかり・・・でも無茶すぎるさ!自分の身分を考えて欲しいさね!」
 「今も、こんなに気軽に下向して、軽々しいにも程がある」
 二人して叱られて、むっつりと黙り込んでしまった女東宮に、少将が苦笑する。
 「でも、わざわざ来てくださって本当にありがたいことだと思います」
 「だよねっ?!」
 ぱっと顔を明るくし、女東宮は膝を詰めた。
 「今日はお見舞いだけじゃなく、お礼にも来たんだよ!
 アレン君が助けてくれたおかげで、私は無事だったんだし!
 あんまり公には出来なくて申し訳ないんだけど、今回の功績でアレン君を中将に昇進させて、梨壷の随身にしようと思ってるんだv
 「えぇっ?!中将にですか?!」
 これで頭中将に並べる、と、喜色を浮かべた少将を、頭中将が小突く。
 「お前が昇進すんなら俺だって昇進だ。
 これからも尊べ、格下ガ」
 「ムカアアアアアアアアアア!!!!」
 「お前ら女東宮の前で・・・」
 遠慮なく喧嘩する二人に呆れ、蔵人が肩をすくめた。


 同じ頃、この国の左大臣が住まう広大な邸宅の一室では。
 きらびやかな衣装に身を包んだ女童(めのわらわ)の前で、恰幅のいい主が忌々しげに扇を鳴らした。
 「まさか、鬼を全部討ち取られるとは、予想外でした」
 苦りきった声に、女童は鈴のような目を向ける。
 「陰陽司がいまいち役に立たなかったよねぇ。
 あいつ前齋院に責められて、きっと僕らのことをペラペラ喋っちゃうよぉ?
 その前に・・・さぁ・・・」
 にんまりと笑った彼女に、左大臣は大きく頷いた。
 「あれには『不慮の事故』で死んでもらいマショ」
 再び扇を鳴らすと、心得た舎人(とねり)が足音もなく退出する。
 「アァ、ロード・・・!
 あんな馬の骨をいつまでも帝位に居座らせるパパンを許してくださいね・・・!
 せめて、あの女東宮を殺してしまえれば、アナタを女東宮に立てることができるのですガ」
 ふぅ、と、大きくため息をついた彼に、女童はにこりと笑った。
 「別にいいよぉ、今じゃなくったって。
 僕、もうしばらくは気軽な立場でいたいしぃ」
 しかしいずれは、と、猫のように目を細める。
 「この国は僕のものだよぉv
 クスクスと笑う姫に頷き、左大臣も楽しげに笑い出した。


 ―――― 後刻。
 「陰陽司が池に落ちて亡くなった・・・だって・・・?」
 大納言からの報告に、帝は眉根を寄せた。
 「これは・・・消されたと考えるべきかな、リーバー君?」
 問うと、若き大納言は慎重に頷く。
 「おそらく・・・。
 追求を防がれたと考えるべきでしょう」
 「さすが、手を打つのが早いねぇ・・・」
 忌々しげに呟いた帝が、真新しい脇息を扇で叩いた。
 「彼の狙いはきっと、女東宮の命だよ。
 あの子ときたら、それをわかっているのか、あんな無茶をして・・・!
 今は命婦がしっかり監視してくれてるけ・・・ど・・・?」
 どすどすと床を踏み鳴らす音が響いてきて、帝が言葉を切る。
 「まさか・・・!」
 嫌な予感が告げた通り、真っ青な顔をした命婦が飛び込んで来た。
 「あの子ったらまたいなくなったわん!!!!」
 「えええええええええええええええ!!!!」
 帝の悲鳴がまたも内裏中に響き渡る。
 「すぐ!!
 すぐに探して、あの子を!!
 できるだけ内密に、でも一刻も早くボクの元に戻して!!!!」
 ヒステリックな声に頷き、大納言は急いで退出した。


 ・・・が、当の女東宮はのんきなもので、童姿のまま、未だ少将の枕元に居座り、おしゃべりに興じていた。
 「あ・・・あのさ、女東宮・・・。
 そろそろ日も傾いてきたし、いい加減宮中に帰らねぇとやばいんじゃね?」
 遠慮がちに言った蔵人に頬を膨らませたものの、外を見れば確かに夕暮れが迫っている。
 「わかったよ、帰る。
 頭中将、随行して」
 ようやく立ち上がった女東宮に続き、頭中将が立ち上がった。
 「じゃ・・・じゃあ、お見送りを・・・!」
 蔵人に手を借りて立ち上がろうとした少将を、女東宮が止める。
 「いいよ。
 アレン君はそのまま寝てて。
 また宮中でね」
 「はい・・・」
 ぱたぱたと手を振る女東宮に嬉しげに笑い、少将が頷いた。
 「じゃーねー!」
 気の置けない友人のように気さくに言って、部屋を出て行く女東宮を見送った少将は、再び横になろうとした瞬間、外であがった悲鳴に飛び起きる。
 「女東宮?!」
 蔵人の手を借りて廊下へ飛び出した少将は、巨大な鬼に睨まれて、目を見開いた。
 「あの鬼は・・・!」
 傍らの蔵人が絶句し、廊下の頭中将が太刀を抜く。
 「馬鹿な!右大将に殺されたはずだ!!」
 少将の腕を喰らった鬼と再びまみえ、眦を吊り上げた頭中将が斬りかかるが、鬼は鋭い爪で太刀を受け止め、屈みこんだ。
 『腕を・・・腕を返せぇぇぇぇぇぇ!!!!』
 低く響き渡る声に、少将も眦を吊り上げる。
 「この腕を取り戻しに来たと言うわけですか・・・!」
 見れば、右大将に切り刻まれたはずの四肢は元通りになって、ただ、少将に移植された左腕だけが欠けていた。
 『かえ・・・せぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』
 大きく開かれた口が、少将へ迫る。
 しかし、
 「やだね」
 ふてぶてしく笑った少将は、鬼へ向けて左腕を突き出した。
 「もうこれは、僕のものだよ」
 少将の念じた通り、巨大化した鬼の腕が鋭い爪で鬼の胸を抉る。
 「きゃっ・・・!!」
 目を覆った女東宮の傍らに鬼の血が降り注ぎ、季節はずれの時雨のような音を立てた。
 「・・・ごめんね」
 小さな声で呟き、少将は鬼にとどめを刺す。
 途端、太刀を解放された中将が、忌々しげに舌打ちした。
 「今度こそ殺ったんだろうな?」
 「たぶんね」
 吐息して、少将は腕を、自身にふさわしい大きさへと戻す。
 「この腕・・・のちほど僕も伺うけど、先に君から前齋院様へお礼申し上げててください。
 おかげで助かりました、って」
 にこりと笑った少将に、頭中将は鼻を鳴らした。
 「意外と気にする人だからな。
 そう言ってやると・・・安心すると思うぜ」
 意外と気にするのは彼も同じか、どこか安堵した顔の頭中将に笑って、少将は未だしゃがみ込んだままの女東宮へ手を差し伸べる。
 「もう大丈夫ですよ」
 笑いかけると、顔をあげた女東宮の頬が、ほんのりと染まった。
 「でも、お帰りはもう少しお待ちいただけますか?
 護衛が頭中将一人じゃ不安ですから、右衛門府から来てもらいますよ」
 「てめっ・・・!」
 さりげない嫌味に、頭中将がこめかみを引き攣らせる。
 「あと、この鬼の片付けもですねぇ・・・。
 ラビ、おじいちゃんって鬼の死体、欲しがらないかな?」
 「むしろ俺が欲しい」
 すっかり動かなくなってしまった鬼の躯を見下ろして、蔵人が大真面目に言った。
 「ジジィに引取りの手配してもらうから、誰か使いに行かせて」
 「片づけてくれるんなら、僕は何でもいいですよ」
 では待っている間にと、少将は再び女東宮を招く。
 「姫宮を何度も寝所に招くなんて、僭越ですけど・・・」
 遠慮がちな少将に、ようやく気を取り直した女東宮はにこりと笑った。
 「じゃあ、今度は私の寝所に招待してあげるよ!」
 あまりにもあっけらかんと言われて、その場の全員の息が止まる。
 「麗景殿にばかり遊びに行ってないで、みんなで梨壷に遊びに来て!
 一緒に蹴鞠しよっ!」
 ・・・そっちの意味かと、深読みしてしまった男君達は、一斉に吐息した。


 「・・・まぁまぁ、それじゃあ大騒ぎでしたでしょう」
 明け方近くになって、ようやくやって来た大納言を迎えた家では、赤い目をした家人らがほっと胸を撫で下ろした。
 「よりによって、こんな大事な日に来れないなんて失態を犯すところだったよ・・・」
 よほど急いできたのか、束帯もどこかよれてしまっている彼に、姫はにこりと笑う。
 「そこまでして来てくださったなんて・・・本当に嬉しいですv
 御簾の外に座る彼に膝を寄せた姫は、わずかにたくし上げた御簾の下から冷えきった彼の手を両手で包んだ。
 「どうぞ・・・お入りになって」
 小さく囁くと、大納言は御簾をくぐって部屋へ入る。
 息を殺して様子を窺っていたお付の女房達が、その気配に笑みを噛み殺し、密やかな衣擦れの音と共に去って行った。
 明りの乏しい部屋で、品のいい香を焚き染めた衣の姫を抱きしめると、クスクスと笑い出す。
 「どうかしたか、ミランダ?」
 困惑げに問うと、姫は小さく首を振った。
 「気の早い誰かが、もう餅を焼こうと炉に火をくべたみたいですわ」
 言われて見れば、まだ初春だというのに、どこからか暖かい空気が漂ってくる。
 「昨日から食事する暇もなかったんだ・・・三日夜餅を食べつくしたらすまない」
 気まずげに言うと、真面目な姫は真面目に受け取って、真面目な目で彼を見上げた。
 「あら・・・じゃあ、先にお食事になさいます?」
 身を離そうとする姫に首を振って、寄りかかる。
 「ちょっと・・・寝かせてくれ」
 「・・・ですね」
 疲れきった彼の額に口づけた姫は、子供をあやすように優しく彼の背を撫で、眠りを促した。


 前日とは打って変わって平和な朝を迎えた宮中の梨壷では、暢気にあくびをしていた女東宮が迫り来る足音に慌て、舌を噛みそうになった。
 「いないって言って!!!!」
 袿姿のまま逃げ出そうとする女東宮を、散々出し抜かれた女房達が総出で止める。
 「裏切り者おおおおおおおおおお!!!!」
 朝餉より前にやって来た、鬼より怖い命婦から、それでも逃げようと女東宮は懸命にあがいた。
 しかし、
 「無駄な抵抗はおやめっ!!」
 襟首を掴まれ、軽々と捕らえられた女東宮は、命婦の前に引き据えられて、仔猫のようにぷるぷると震える。
 「さーぁ!!
 昨日のお説教の続きよん!!」
 「なんでええええええええ!!!!
 お説教なら昨日、真夜中までしたじゃないかぁ!!」
 もうやだと、逃げる女東宮の襟首をまた捕まえて、猫の仔のようにぶら下げた。
 「まぁだ言い足りないのよん!!
 えぇ、一晩かけて練り上げたお説教をお聞き!!」
 真っ赤になった目で睨まれた女東宮は、すくみあがってこくこくと頷く。
 「ふえぇ・・・!
 鬼の方がまだ優しそうだったよぉう・・・!」
 「ぬぁんですって?!」
 思ったことを言っただけなのに、火に油を注いでしまった女東宮は、命婦にガミガミと怒られた。
 「にいさぁん・・・!」
 「呼んでも無駄よん!!
 今回ばかりは、主上も心底怒ってらっしゃるんだからねん!!」
 「ふええええええええええん!!!!」
 「泣いてもダメッ!!!!」
 じたじたと足をばたつかせて泣く女東宮に呆れ、命婦のお説教がますますヒートアップする。
 それがあまりにも長く、昼にさしかかろうとしたために、さすがに女房達がとりなしに入った。
 「わ・・・わかったわねん?!
 こんっ・・・今度やったら、こんなもんじゃすまないわよんっ!」
 「ひぃーん・・・!」
 すっかり声の嗄れた命婦と女東宮が、よろよろと離れる。
 その時、まるで頃合を見計らったかのように、庭の砂利をさくさくと踏む音がした。
 「女東宮ー!」
 「遊びましょー!」
 朝の政務を終えて、暇になった蔵人と少将の声に、女東宮が顔を明るくする。
 「うんっ!
 あ、頭中将も来てくれたんだ!」
 二人の傍らには無言の頭中将もいて、女東宮は袿姿のまま坪庭に下りた。
 「これっ!はしたない!!」
 嗄れた声で怒鳴る命婦に首をすくめた女東宮は、ぺろりと舌を出す。
 「ね、着替えてくるから、蹴鞠しよっ!
 あ、その前に私、ごはん食べていいかなぁ?
 朝から命婦がずっとお説教してて、朝餉もまだなんだよ・・・」
 悲しげに鳴くお腹を押さえて言えば、蔵人と少将だけでなく、頭中将までが吹き出した。
 「ほんじゃ、待ってるさーv
 「命婦様の昼餉頂いてますv
 「お前、もう食っただろが!」
 三人三様の物言いに女東宮が笑い出す。
 「じゃ、みんなでごはんしよっ!」
 「はいっv
 嬉しげな声が、初春の空に響き渡った。



Fin.


 










リクエストNo.76『平安ティーンズ』ですv
SQで星野様休載だったので、本当は3日にアップしようと思っていたんですが、大幅に遅れました;ごめんなさいよー;
学生時代は古典が好きだったんで、このSSはその時の記憶で書いてます。
当時の授業と今の授業では解釈も変わってるかもですけど、『私の時はこう習ったのよ(笑)』ってことにして、深く突っ込み禁止(笑)
冒頭分はまんま『源氏物語』ですね(笑)
正しくは『いづれの御時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり』で、現代訳すると、『どの帝の治める時代でしょうか。女御(普通は側室。でも、皇后や中宮が立てられないことはよくあったので、愛妾とはちょっと違う)や更衣(身分の低い官女。帝などの着替えを手伝ったことからこの名だったと思う。愛妾にもなった)が大勢帝にお仕えしていた頃。身分の高い人ではなかったけれど、帝に寵愛されていた人がいました』です。
この人達は内裏に部屋を与えられていたので、その名前を取って『麗景殿(に住まう)の女御』『桐壺(に住まう)の更衣』なんて呼ばれてるよ、ってのが源氏物語の設定ですね。>命婦は女官なので、普通は官位などで呼ばれます。『麗景殿の命婦』なんて呼ばれるわけないけど、面倒だったのでこうした(笑)←おい。
『枕草子』で清少納言が、『宮中で幼馴染にばったり会った時、『お前、清原さんちのアレだろ?!』なんて言われてムッとした。ちっさい頃は好きだったのに!』なんてことを書いてたと思うんですが、当時は相手の名前を公然と言っちゃいけなかったようで、よほどの有名人じゃない限り、女の人の名前は伝わってませんね。
『清少納言』も『清原元輔の娘』って意味で『清』なんだけど、『少納言』は謎じゃなかったかな。>お父さんは少納言じゃなかったらしい。
『紫式部』は最初、『藤原式部の娘』で『藤式部(とうのしきぶ)』と呼ばれてましたが、源氏物語が大ヒットしたある時、『紫の上はどこかな?』ってからかわれて以来『紫式部』と呼ばれるようになったそうな。
だから、彼女の娘は『賢子』って伝わってますけど、彼女自身の名前はなんだろね(笑)
でも、意外かもですが、当時家を継いだのは女性なんですよ。
今で言う『嫁入り』じゃなくて、女の人が継いだ家に男が『婿入り』していました。
で、婿の衣食住はみんな女の家が世話するのね。
だから、当時の男性は金持ち女の所に婿入りしようと、せっせとお手紙書いたりしてご機嫌取ってたわけです。
あと、さすがにこれは知ってるだろうと思って書かなかったけど、『女房』は今で言う侍女のことで、奥さんじゃないからねー!
奥さんは『北の方(邸の北に住んだからだったと思う)』ですよ。
そして、偉い人の前で帽子は必須です。
西洋では偉い人の前で帽子は脱ぐそうですが、平安の日本ではたとえ寝巻き姿でも偉い人が来たら帽子をかぶります。
栄華物語だったかな?
病床の父親は、息子が見舞いに来た時はそのまま応対するんですが、娘達が見舞いに来たら烏帽子を被って居住まいを正したとか。
この娘達はもしかしたら、帝の后になるかも知れないので居住まいを正したとか、家を継ぐのは娘だからあとよろしくとお願いしたのか、どっちかは忘れてしまいましたけどね。
神田さんはアレン君より偉い人設定ですけど、アレン君は神田さんのこと偉いって思ってませんから(笑)
寝巻きで応対ですよ(笑)












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