† あいかわらずなボクら †






 刃を向けて来た幾人もの侍に囲まれ、彼は剣を掲げた。
 「ユウさん!ラビさん!やっておしまいなさい!」
 「あいさ、ご隠・・・ぎょぶっ!!」
 駆け出したラビの紅い髪が、吹き出す血で更に紅く染まる。
 「誰がジジィですか、失礼な!
 僕は君より年下だし、生涯現役ですよ!」
 目の前で行われた惨劇に、鼻白んだ侍達の隙をつき、神田が一気に切り伏せた。
 「はっ!
 ザマァねぇぜ」
 冷酷に吐き捨てた神田に頷き、ご隠居・・・いや、アレンは剣を収める。
 「きっとまた、側用人の息のかかった者達ですよ!
 僕が将軍の政策に楯突くから、気に入らないんです!」
 ぶつぶつと言う彼に、ラビは血塗れた顔をあげた。
 「うん、まぁ・・・『米がなければお菓子を食べればよいでわないかーv』って言われたのもムカつくけどさ、育ち盛りに『ドーブツが可哀想だからお肉なんて食べちゃイカンッ!』って言われてもさー」
 人間は拷問するくせに、と、ぶつくさ言うラビに、アレンは大きく頷く。
 「こうなったら直接文句言ってやりますよ、あのチョビヒゲっ!」
 ぷんっと頬を膨らませたアレンは、勢い良く踵を返した。
 「おい、モヤシ」
 「誰がモヤシだってんだパッツン!!」
 「そっち、崖だぞ」
 「はぅっ?!きゃあああああああああああああああああ!!!!」
 「ご隠居っ!!」
 救い難い方向音痴のアレンは、見事に足を踏み外して崖下へ転げる。
 「アホだろ」
 「だからあいつと旅に出るなんてヤだったんさ!!
 ティム!」
 肩をすくめただけで、放置する気満々の神田に対し、ラビはアレンのインコと共に慌てて崖の際に駆け寄った。
 「ご隠居ー?!
 生きてるさー?!」
 呼びかければ、『ジジィ呼ばわりするなー!』と、崖下から声が響く。
 「よかった、元気みたいさ」
 「・・・ちっ」
 残念そうに舌打ちした神田に苦笑し、ラビは下を覗き込んだ。
 「怪我してねぇさー?」
 崖から張り出した枝を透かし、懸命にアレンの姿を探す。
 と、枝の間にちらちらと、袖が舞う様が見えた。
 「登って来れそうさ?」
 「ムリ!!」
 問いにはきっぱりとした答えが返る。
 「普通の道だって間違えるのに、山道で迷わないワケないじゃん!」
 「威張って言うことか!」
 アレンの言い様に忌々しげに舌打ちした神田は、ラビに向けて顎をしゃくった。
 「連れて来い」
 「はっ?!
 一緒に来ないんさ?!」
 驚くラビに、神田は鼻を鳴らした。
 「急ぎの旅だってぇのに、勝手に崖から落ちた馬鹿のことなんざ知るか。
 先に宿場行って宿取ってやっから、ジジィ連行しろ」
 「えぇー・・・・・・」
 不満の声はしかし、あっさりと無視されて、神田はさっさと背を向ける。
 「仕方ないさねぇ・・・・・・」
 ふぅ、とため息を漏らしたラビの足下では、アレンが『早く来い』と大声をあげていた。
 「ハイハイ・・・。
 ティム、先にご主人のとこに行ってるさ。
 今、超ご機嫌ナナメだから、ちょっとなだめといてくれ」
 ため息混じりに言うと、渡来品の黄色いインコは言葉を解したかのようにこくんと頷き、パタパタと飛んでいく。
 「あーもー・・・。
 方向音痴なんに、なんで勝手に動くんかね、あのご隠居はぁ・・・・・・!」
 ぶつくさとぼやきながら、ラビは崖下へ降りる道を探した。


 「んもー!!
 まだ来ないんですかっ?!」
 一方の崖下で苛立たしげに上を見あげていたアレンは、真っ先に降りてきた忠実なインコを頭に乗せて、ブツブツと従者への不満をぶちまけていた。
 「凶悪パッツンはともかく、ウサギは飛んでくるのが仕事でしょ!
 大体、家来なら主の代わりに落ちるのも仕事でしょうに、職務怠慢ですよ!」
 落ちたのは自分のせいなのに、勝手なことをぬかすアレンの背後で、枝を踏む音がする。
 「なに・・・?!」
 また刺客かと、勢い良く振り向けば、目の覚めるような美少女が驚いた顔を向けていた。
 「あ・・・あの・・・悲鳴が聞こえたから・・・・・・」
 アレンを上から下まで眺めた少女は、彼が大きな怪我もなく、自分の足で立っている様を見て、ほっと吐息する。
 「怪我はしてないみたいだね」
 「はい!
 心配して来てくれるなんて、優しいんですねっ!!」
 大きく頷いたアレンは、一足に詰め寄って彼女の手を握った。
 「僕、アレンですv
 江戸に旅する途中だったんですけど、街道の崖を踏み外して落ちちゃったんです!」
 「え?
 踏み外したって・・・あの上から落ちたのっ?!」
 頭上を指して驚く少女に、アレンはどこか得意げに頷く。
 「怪我はっ?!
 頭とか打ってない?!」
 アレンの袖をまくって傷の有無を確かめたり、インコに構わず額や頭に触れてこぶがないかを確認する少女に撫で回されながら、アレンは締まりのない笑みを浮かべた。
 「へっちゃらです!
 僕、丈夫なんですから!」
 「じょ・・・丈夫って言っても・・・・・・」
 大きな目を丸くした少女は、こくん、と頷く。
 「あんな高い所から落ちたんだもん。
 気づいてないだけで、どこか怪我してるかもしれない。
 お医者さんを呼んであげるから、私の家においで?」
 不安げに小首を傾げた少女に、可愛い子好きのアレンが逆らうはずもなかった。
 「ありがとうv お邪魔しますv
 供の存在など地平線の彼方へ忘れ去って、アレンは少女についていく。
 と、彼に従っていたインコが、少女の頭の上に止まった。
 「・・・珍しい鳥だね」
 黄色と言うより、金色の身体はまん丸で四つ足、角のようなものまで生えている。
 「なんて言う鳥?」
 問うと、アレンは得意げに胸を張った。
 「インコですv
 唐から来た学者にもらったんですよv
 ねー?ティムー?」
 「ティムって言うの?」
 柔らかい身体を撫でてやると、よほど人懐こいのか、手に身体をすり寄せてくる。
 「正しくはティムキャンピーです!
 それより君は、なんて名前ですか?
 こんな農村じゃ珍しい、きれいな着物着てますけど、庄屋か豪農のお嬢さんなの?」
 詮索してくるアレンに、
 「私は・・・」
 と、一旦口を閉ざした少女は、にこりと笑った。
 「リナリー。
 この村の、庄屋の家に住んでるんだよ」
 「やっぱり!
 そうだと思いましたーv
 顔だけじゃなく、名前も可愛いですね、リナリーv
 「そ・・・そうかな・・・・・・」
 恥ずかしげに俯く仕草がまた可愛くて、アレンははしゃいだ仔犬のようにまとわりつく。
 「ねぇねぇ、趣味はなんですか?
 好物は?
 僕、みたらし団子が大好きで、おいしいお店知ってるんですよv
 今度一緒に行きましょうvv
 怒涛のナンパに困惑するリナリーに、その時救いの手・・・いや、凶器が差し伸べられた。
 「うちのお嬢様になにしてんの、小坊主ッ!!」
 「ぎゃふんっ!!」
 高速で投げつけられた硬い木箱に額を割られ、アレンが血を噴き出しながら背後に倒れる。
 「ばあや!」
 仁王立ちになった老女に、リナリーが悲鳴じみた声をあげた。
 「死んじゃったんじゃないの?!」
 「死にませんわよ、このくらいじゃ!」
 ふん、と鼻を鳴らした老女は、どすどすと歩み寄って主の周りを飛び回るインコを払うと、血塗れのアレンを猫の仔のように摘み上げる。
 「よしんば死んだとしても、崖下に捨てておけば、街道から落ちたものだと処理されますわ!」
 「その、崖から落ちてきたらしいんだけど・・・・・・」
 「それで平気だったの?
 随分丈夫な子ねぇ・・・」
 吐息交じりの呆れ声に、意識を取り戻したアレンは目を見開いた。
 「般若!!」
 「失礼ね!!」
 怒号とともに地面に叩きつけられたアレンが、ふにゃふにゃと泣き声をあげる。
 「私はリナリーお嬢様の乳母です!」
 「う・・・乳母やさん・・・?」
 血が溢れ出る額を押さえたまま、顔をあげたアレンにリナリーが苦笑した。
 「ご・・・ごめんね。
 ばあやは心配性なの」
 とりなすように言えば、
 「嫁入り前の娘に悪い虫がたかれば、叩き潰すのは私の役目ですよ!」
 と、ものすごい目で睨まれて、怯えたアレンは身を縮める。
 しかし、額を押さえる彼の手から血が零れる様に乳母は、キリキリと吊り上げていた眉を下ろした。
 「手をどけなさい。
 傷の手当くらいはしてあげます」
 言うや、彼女はアレンの額を割った木箱を拾い上げ、中から布や膏薬を取り出す。
 「く・・・薬箱だったんですか・・・・・・」
 「悲鳴が聞こえましたのでね」
 無愛想に言った乳母は、慣れた手つきでアレンの傷を消毒し、膏薬を塗って包帯を巻いてくれた。
 「さぁ、これで大丈夫。
 旅をお続けなさい」
 背中を叩いて急かす彼女を、しかし、アレンは困惑げに見あげた。
 「供の者が来ないと・・・道がわかりません」
 「そんなことでよく旅なんて!」
 「ひっ!呼ばれたから仕方ないんですぅー!!」
 乳母の叱声に怯え、ぶるぶると震えて泣き声をあげるアレンに、リナリーが微笑む。
 「だったら仕方ないよね。
 うちで、お供の人が来るのを待ってれば?」
 「ありが・・・」
 「いけません!」
 アレンの礼を鋭く遮り、乳母は鬼の形相で彼を睨みつけた。
 「どこの馬の骨とも知れない者を家に入れるなど、とんでもない!!」
 「う・・・馬の骨なんかじゃありません・・・!
 僕は・・・」
 乳母の言葉に反駁しようとしたアレンを、その時、呼ぶ者がいる。
 「いたいたー!
 ようやく見つけたさ、ご隠・・・ぎょっ!!」
 「誰がジジィだっつーんですかその呼び方やめろっつってるでしょう!
 全く覚えが悪いウサギですね!!」
 「ご・・・ご隠居・・・?」
 目の前でかっさばかれたウサギ(?)から噴き出る血を呆然と見つめつつ、呟いたリナリーに、アレンは懸命に首を振った。
 「確かに家督は譲っちゃった・・・というか、譲らされましたけど!
 僕、まだ15歳です!
 ぴっちぴちなんです!!」
 その言い方が既に古くないだろうかと思いはしたものの、今は指摘せずに地に伏した半死体に屈みこむ。
 「ば・・・ばあや、生きてるかな・・・?」
 「それが・・・・・・」
 だらりと垂れた腕を取り、脈を確かめていた乳母が、呆れた風に吐息した。
 「ぴんぴんしてますわ。
 なんでしょうね、この丈夫さは」
 とりあえず止血しようと、自分より大きな身体を軽々と抱えあげた乳母に、アレンは目を丸くする。
 「す・・・すごいですねぇ・・・!
 ラビは僕より大きくて重いのに、乳母やさん力持ち!」
 「腕力ではありません、コツです」
 あっさりと言った彼女に感心して頷いたアレンが、刀を鞘に収めた。
 その瞬間、
 「ア・・・アレン君・・・・・・!」
 リナリーが目を見開き、震え声をあげる。
 「はい?」
 リナリーを見遣ったアレンは、彼女の目が自分の手元に・・・いや、正しくは、収めたばかりの刀に注がれていることに気づいて、気まずげな顔をした。
 「み・・・見ました・・・?」
 どきどきと鼓動を早めて問えば、彼女はゆっくりと頷く。
 「か・・・刀の・・・鍔元に葵の御紋が・・・・・・!」
 「なんですって?!」
 振り向いた乳母が、驚きのあまり手を滑らせ、ラビを地に落とした。
 「あっ・・・あら、頭が割れたかしらっ!」
 焦って抱き上げたラビは泡を吹いていたが、相変わらず脈が正常なことに安心して、彼女は彼を地に寝かせる。
 「・・・ともあれ、なぜあなたが御紋を使ってらっしゃるの?」
 やや口調を改めた乳母へ答えかねたアレンに代わり、地面から声が上がった。
 「そのお方は畏れ多くも神君の御孫君にあらせられ、前(さき)の水戸藩主にして権中納言、アレン公なるさー」
 「えぇっ?!」
 「あの有名な・・・!」
 目を丸くしたリナリーと乳母に、照れくさそうに笑ったアレンは、
 「放蕩藩主!」
 と続いた声に慌てて首を振る。
 「ちっ・・・違いますよぉぉぉ!!!!」
 絶叫するが、しかし、彼女達はどこか蔑むような目で彼を見た。
 「有名だよねぇ・・・。
 江戸で評判の風流公子とか気取って、吉原で豪遊してるって」
 「リナリー様、こんな穢れた輩に近づいてはなりません」
 「そうだね。
 バイバイ、アレン君。ティムもバイバイ」
 冷たく言って踵を返した二人に、ティムキャンピーとアレンが慌てて縋る。
 「そっ・・・それ、僕じゃありません!
 十四番目の影武者ですぅ!!」
 アレンの悲鳴じみた声に、リナリーはまた目を丸くした。
 「じゅ・・・十四人もいるの?」
 懸命にコクコクと頷き、アレンは必死に言い募る。
 「あいつ、素行は悪いし性格は悪いし、僕の評判が落ちるからクビにしようって何度も言ってるのに、強いし一番似てるからいざって時の身代わり用に飼っとけってみんなに反対されるんです!!」
 やっぱりクビにすればよかった、と泣くアレンに、ほだされそうになったリナリーの肩を乳母が掴んだ。
 「いけません。
 本人がそう言ってるだけなのですから」
 「信じてくださいよぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 泣き喚いたアレンは、いまだ地面に転がるラビを抱き起こす。
 「ホラ!
 君からもなんか言って!!」
 「ご隠居は天然ナンパ少年さ〜」
 「余計なことじゃなく!!」
 きぃっと、ヒステリックに鳴いたアレンは、踵を返してすたすたと行く二人の背に悲鳴をあげた。
 「カムバァァァァァァァァァック!!!!」
 「なによ」
 「大した怪我ではないのですから、旅を続ければよろしいでしょう」
 振り向いた彼女達の冷たい言葉に、しくしくと泣きながらアレンは、ラビの腹にこっそり当身を入れる。
 「ラビが元気になって、道案内してくんないと僕、江戸に行けないんですぅ〜!
 お願いですから、ラビの手当てと休息する場所をください!!」
 「・・・・・・仕方ないなぁ」
 白目を剥いてぐったりしたラビを見遣り、リナリーは吐息を漏らした。
 「泊めないよ?」
 「構いませんから!」
 糸口さえ掴めばこっちのもの、と、アレンは輝くような笑みを浮かべる。
 その邪悪な思惑には気づかず、リナリーは『運ぶのは自分でやってね』と、アレンの同行を許してしまった。


 連れ立った四人と一羽がややして着いた屋敷は、農村の庄屋の屋敷と言うには随分と大きく、門も立派で、門番までいた。
 「どうも、お世話になります」
 将軍家の一族でありながら、門をくぐる前にちんまりと一礼したアレンに、リナリーと乳母は感心する。
 「随分と礼儀正しいのですね」
 「おぼっちゃま育ちですから!」
 にこっと笑い、アレンは襟首を持ってここまで引き摺って来たラビを、家の使用人に預けた。
 「あぁ、重かった!
 無駄に大きいんですよね、ラビって!」
 ウサギのくせに、と、ブツブツ言いながら、アレンはリナリーと乳母に続いて家にあがりこむ。
 「二人で旅してるの?」
 座敷でお茶を出してやりながらリナリーが問うと、アレンはふるふると首を振った。
 「もう一人、目つきと性格の悪い供がいるんですけど・・・あれ?
 そう言えばどこに行ったのかな?
 街道で待ってるとは思えないから、先に宿場に行っちゃったかな?」
 「・・・それで供が勤まるのですか」
 呆れ顔の乳母に、アレンは頬を膨らませて頷く。
 「戦国の世はとっくに終わったってーのに、未だ下克上狙ってるような奴なんですけどね、腕がいいから連れてけってみんなにやいやい言われて。
 寝首をかかれたら化けて出てやるって、泣く泣く連れてきたんですよ。
 高確率で家来の誰かが幕府からお金もらって雇った刺客なのに、供と言えばそんなのかヘタレウサギしかいないなんて、可哀想でしょう、僕?」
 そう言って小首を傾げたアレンに、リナリーは苦笑した。
 「水戸も色々大変なんだね・・・アレン君が隠居させられたのも、上様に楯突いたからなんでしょ?」
 「楯突いたって言いますけど、僕は成長期のオトコノコとして、お肉禁止絶対反対・徹底抗議を掲げただけで・・・って、そんなことよく知ってますね、リナリー?」
 「えっ?!
 そ・・・そりゃ、有名な話だし・・・?」
 「ふぅん・・・。
 側用人が握り潰したと思ってたけど、情報が漏れてたんですねぇ・・・」
 感心したように呟き、出された饅頭をもしゃもしゃと食べたアレンは、無言になったリナリーが出してくれたおかわりの茶を飲み干して、ほっと吐息する。
 「・・・そんなわけないでしょ。
 リンクは超真面目な側用人で、最も優秀な幕臣です。
 情報が漏れるなんてありえないのに、なんであなた達が知ってんですか」
 ずばり問われて、リナリーが言葉に詰まった。
 代わりに乳母が、ずいっと膝を進める。
 「恐れ入りましたわ、ご隠居様」
 「だから僕はまだ15歳のピチピチだって・・・」
 「ご覧のように、拙宅はただの庄屋ではございません」
 アレンの苦情をきっぱりと無視して、乳母は姿勢を正した。
 「こちらはリナリー姫。
 上様の姪御様であられます」
 「じゃあ僕にとっても親戚・・・・・・親戚――――――――?!」
 「・・・お初にお目にかかります、叔父様」
 姿勢を正して三つ指をついたリナリーに、アレンが大慌てする。
 「ちょっと待って!!
 そりゃ今の上様は僕の甥だからその姪って言ったら僕、大叔父さんなのかもしれないけど!!
 そんなお年寄りじゃありませんから!!
 ってかどんだけ系統がずれたらこんな年齢の逆転現象が起こんの?!」
 「それは、アレン様の方がご存知なんじゃありませんの?」
 乳母に言われて座り直したアレンは、落ち着くために饅頭を頬張りながら考えた。
 「えっとー・・・僕のお父さんが神君の末子でー・・・僕がお父さんの遅く生まれた子でー・・・・・・上様のお父様が神君の三男の長男でー・・・・・・・・・あれ?」
 早速混乱してしまったアレンに、その時、救いの手が差し伸べられる。
 「神君から始まる流れで、上様の父上は神君がまだ三河領主だった頃の御子でご三男、アレン様のお父上は、神君が駿河に隠居された後、老境に入ってからの御子さ。
 この時点で既に、35年以上の開きがあるさね」
 「ラビ・・・そんなに年の差があったんだ・・・」
 アレンが振り向くと、頭に厚く包帯を巻かれたラビが、顔をしかめながら頷いた。
 「んで、三代将軍様のご次男が今の上様。
 長男の四代将軍様は40歳で亡くなったんけど、継嗣がいなかったんで今の上様が五代将軍になったんさ。
 それが15年前のことで、アレン様が生まれた頃のことさ」
 「すごい差が開いちゃったんですねぇ・・・」
 「軽く一代分の差があるさね」
 感心したアレンに頷いたラビは、『で』と、リナリーを見る。
 「こちらのお姫さんは、どの流れに属するんさ?」
 問うと、リナリーに代わって乳母が答えた。
 「こちらのリナリー姫の父上は、三代将軍様の三男でいらっしゃいます」
 「あぁ、甲斐甲府藩の・・・・・・・・・お子さん、いましたっけ?」
 アレンが眉をひそめてラビを見遣ると、彼はふるふると首を振る。
 「それは・・・・・・」
 リナリーが重く口を開く様に、事情を察したアレンは頷いた。
 「僕もですよ」
 「え?」
 「僕も、ご正室との間に子供ができなかったお殿様が、よそに作った子なんです。
 だから小さい頃は、家臣のうちの子ってことにされてて、姓も違ったんですよ。
 10歳の時、いきなりお殿様のお城に呼ばれて、『お父さんだよ』って言われたのにはびっくりしました」
 「わっ・・・私も・・・!」
 同じだ、と、膝を進めたリナリーの前で、アレンは茶をすすって小首を傾げる。
 「どうりで、他の兄弟には似てないなって思ってたんですよね。
 近所のお兄ちゃん達なんか、僕のこともらわれっ子だっていじめるし、それを聞いた養父がものっすごく怒ったのを見て、やっぱりもらわれっ子なんだって確信したり。
 そんなことがあったんで、びっくりしたのはお殿様がお父さんだったってことで、もらわれっ子だってことには、あんまりショックはなかったです」
 「それも同じ・・・!」
 そう言ってリナリーは、ほんの少し笑った。
 「びっくりしたね・・・」
 「ホントに!」
 にこっと笑って、アレンはまた饅頭を頬張る。
 「こんなところで姫様に会えるとは思いませんでした。
 ここには姫様だけで住んでるんですか?」
 「ううん。
 兄さんがいるんだけど・・・その・・・・・・」
 またもや、言いにくそうに言葉を濁すリナリーに、アレンは手を叩く。
 「あー!
 候補の一人なんでしょ、お兄さん!」
 血筋的には最有力だと、アレンは大きく頷く。
 「今の将軍様には、世継ぎがいませんもんね!
 何人か候補を立ててるらしくって、その中から選べって呼ばれたんですよ、僕。
 じゃあ僕、リナリーのお兄さんを応援しますよ!」
 「え?!
 ア・・・アレン君自身はいいの・・・?」
 「うん。
 だって僕、継承権持ってないもん」
 「え?なんで?
 アレン君、神君の孫なんでしょう?」
 「だから僕は、上様に楯突いちゃったから隠居させられて、家督はとっくに年上の甥が継いじゃったんです。
 継承権があるのは甥っ子。
 けど、すごくいー加減な人だし、領民にもなめられてるから、真っ先に候補からはずれるでしょうね」
 「な・・・なのに選定には呼ばれるの?」
 「一応、身分的には長老なんさね、ご隠居はー」
 年は一番下だけど、と、笑って頭をかき回すラビに、アレンが頬を膨らませた。
 「・・・だから!
 ジジィ呼ばわりするなっていっつも言ってるでしょ!」
 ラビの手を払いのけ、アレンは自棄食いのように饅頭を詰め込む。
 「そんなに嫌なら・・・将軍職に就くチャンスが来るまで、逆らったりしなきゃよかったのに」
 ごく当然のリナリーの指摘に、アレンは饅頭を喉に詰まらせ、ラビはぬるい茶を差し出してから背中を撫でてやった。
 「ウチのご隠居、見た目と違って反骨精神が旺盛だからさーv
 しかも今回の件は、お肉大好き人間には死活問題だったから、黙ってらんなかったんさね」
 「そうなんだ・・・・・・」
 感心したものか呆れたものか、困惑したリナリーが小首を傾げた瞬間。
 そのこめかみ付近を矢が通り過ぎ、彼女の長い髪を散らしながら柱に刺さった。
 「曲者じゃ!であえ!!」
 リナリーの腕を取って伏せさせ、彼女の上に覆いかぶさった乳母が怒鳴るや、屋敷の各所から武装した侍が飛び出してくる。
 「しょ・・・庄屋だったんじゃ・・・・・・」
 リナリーと同じく伏せたまま、目を丸くするアレンとラビに、乳母が厳しい目を向けた。
 「庄屋を装っていれば、姫様の身を隠せるかと思ったのですが、甘かったようですわ」
 「そ・・・そりゃあ・・・」
 「こんな美少女、こんな田舎にいるわけねぇもん」
 外歩きさせたのが悪い、と、二人に指摘され、悔しげに唇を噛んで主人を抱きしめた乳母の下で、リナリーが呻き声をあげる。
 「ば・・・ばあやー・・・!重いよぅ・・・・・・!」
 「このくらい我慢なさい!!」
 「はぃ・・・」
 叱られて、うな垂れてしまったリナリーの上で、乳母が鼻をひくつかせた。
 「どこか燃えてるわ!
 火をつけられたようね!」
 「ぅえっ!?
 そこまでするんさ?!」
 驚いて縁側まで這って行ったラビが、垣根の向こうに吹き上がる炎を見て戻ってくる。
 「すごい火の手さ!
 早く逃げねぇと!!」
 「じゃあラビ!
 君、囮になって僕らを逃がしてください!」
 「あいさ!
 ・・・って、なにぬかすんさボケ隠居ッ!!」
 伏せたアレンの後頭部にげんこつを落として、ラビは二重の苦痛を与えてやった。
 「〜〜〜〜おでこ打ったぁ!!!」
 「オラ!
 泣いてねーで逃げるさ!!」
 額と後頭部を押さえてもんどりうつアレンの襟首を掴み、引き摺って部屋を出ようとしたラビを、乳母が止める。
 「ばあやさん!
 ぐずぐずしてる暇は・・・」
 「その通り」
 ラビの言葉をピシリと遮り、乳母は床の間の掛け軸をめくった。
 「さぁ、こちらからお逃げなさい」
 掛け軸の向こうには、壁と同じ漆喰の扉があり、ちょっと見た目には全く区別がつかないが、乳母が押すとぽっかりと穴が開く。
 「抜け道・・・っ!」
 目を丸くした二人を尻目に、乳母がリナリーを押し込んだ。
 「兄上のもとへお逃げください!
 旅支度は、この道の途中に用意してございますゆえ!」
 「ば・・・ばあやは?!」
 振り向くリナリーの背を更に押し、乳母は首を振る。
 「私はここに残って、囮になりますわ」
 「そんなばあや!!」
 「囮ならラビに!!」
 「なんで俺さっ?!」
 口々に騒ぎ立てる子供達ににこりと笑い、乳母はアレンとラビも抜け道へ押し込んだ。
 「必ず生きて、再びお目にかかります」
 その自信に満ちた口調に、リナリーは不安げながらも頷き、道を行く。
 その後にアレンとラビも続き、岩壁の続く隧道の中、祠のようになった場所に隠してあったリナリーの荷物をそれぞれに持った。
 「よっし、お姫さん!
 俺らが江戸まで連れてってやるさ!」
 「大船に乗った気でいてくださいね!」
 ラビとアレンが、それぞれに自信ありげに言うが、
 「えぇー・・・・・・・・・・・・」
 と、リナリーは不審そうに眉をひそめる。
 「って、そんな思いっきり疑り深い目で見なくても!!」
 「そうさ!
 俺らこれでも、水戸のご老公とその供さ!」
 「ジジィって言うなっつってんでしょー!!」
 迂闊なラビに飛び蹴りを食らわせ、アレンは倒れ伏した背に着地した。
 「ね?
 僕、強いでしょv
 ラビを踏みつけて胸を張るアレンに、リナリーが思わず吹き出す。
 「じゃあ・・・お願いします」
 「よろこんでv
 手に手を取って旅路に就いたアレンとリナリーの後をオウムが追い、その後に血みどろのラビがよろよろと続いた。


 街道に入った一行は日が暮れる直前に関所を抜けたものの、宿場に着いた頃にはもう、とっぷりと日が暮れていた。
 「あのパッツン、どこに宿取ったんだよッ!!」
 腹を空かせたアレンがヒステリックに怒鳴った瞬間、空から大きな壷が降って来る。
 「ぎゃふんっ!!」
 「あー・・・危なかった」
 すかさずラビと入れ替わったアレンが呟くと、頭上から舌打ちの音がした。
 「いたな、パッツン!」
 視線を上に向けたアレンが指差す先で、神田は鼻を鳴らす。
 「やかましい、ヒステリージジィ。
 とっととあがって来い」
 二階の手すりにもたれ、憮然と言った彼にアレンが憤怒した。
 「無礼討ちにしてやる――――!!!!」
 わらじを脱ぐのももどかしく宿に上がりこんだアレンは、女中に足を掴まれて床に額を打ち付ける。
 「イタイ――――!!!!」
 リナリーの乳母に割られた額からまた血が噴出し、床を赤く染めた。
 「泣くな!
 客だからって、宿を汚されるのは困るんだよ!」
 血と足を洗え!と、洗い桶を突きつけられたアレンが、涙目をあげる。
 と、禿頭の女中が随分高い所から恐ろしい目で睨み下ろしていて、怯えたアレンはぷるぷると震えて縮こまった。
 「あっ・・・あのっ・・・!」
 勇気を振り絞ってリナリーが声をかけると、女中は客用の足洗桶を指す。
 「あんたも上がるんならまず、旅の汚れを落としておくれ。
 外の死体は?
 処分していいのかい?」
 「死んでないさッ!!」
 血の池に沈んでいたラビが大声をあげると、暖簾を分けて歩み寄った女中は、忌々しげに眉根を寄せた。
 「軒先を穢されちゃ困るんだ。
 生きてんなら自分で血を落としな」
 「その前に手当て・・・ぐぼっ!!」
 血を吐いて痙攣を始めたラビを見下ろし、女中は肩をすくめる。
 「長くはないみたいだから、捨ててくるか」
 「いやっ!やめでっ!見捨でないでっ!!」
 痙攣しつつ女中の手に必死に抗うラビの姿に、アレンのアイアン・ハートもほんの少しほだされた。
 「すみませんがそれ、死んだら後で色々面倒なんで、手当てしてもらえませんか?
 治療費はもちろん、ラビ持ちで」
 「・・・・・・ドケチ主人に仕えた俺の不明を嘆きつつも、自費の治療を望むさ」
 「なんですか、いちいち気に障る言い方しますよねぇ!」
 ぷくぷくと頬を膨らませたアレンは、女中がラビを片手で持ち上げた様に目を丸くする。
 「ち・・・力持ちなんですね、女中さん・・・・・・!」
 「女中って言うな。マホジャだ」
 「は・・・はい、マホジャさん・・・・・・」
 上目遣いにおどおどと見あげた女中は大きく頷き、女とは思えない膂力でラビを軽々と運び込んだ。
 「・・・アレン君だって、運ぶのは苦労していたのにね」
 「すごいや、マホジャさん・・・・・・」
 女金太郎、と、うっかり呟いたアレンは物凄い目で睨まれて、またぷるぷると震えながら縮こまる。
 「アレン君・・・そんなことで、上様に立ち向かえるの?」
 さすがに不安になったリナリーがこっそり囁くと、アレンは涙を拭って頷いた。
 「男の人には負けません!」
 「・・・フェミニストなんだ」
 きっぱりと言ったアレンに、リナリーが笑い出す。
 「じゃあ、いざという時はお願いね?」
 「もちろんですよ!
 姫は僕がお守りします!」
 クスクスと笑って囁き返し、血と汚れを落としたアレンは、マホジャの顔色を窺いながら宿に上がった。
 ラビの治療をする彼女の後ろを通り過ぎる時はそろそろと、しかし、彼女の目が届かなくなった途端に駆け出して、神田が取った部屋のふすまを開ける。
 「ユウさんッ!!」
 ヒステリックな声で呼べば、手すりにもたれていた彼は、相変わらずの冷酷な目をアレンに向けた。
 「僕を殺そうとしたでしょう!!
 さっき殺気がしたもん!!」
 「オヤジギャグかよ。
 だからてめェはジジィだってぇんだ」
 「ぅえっ?!いや、今のは違っ・・・イヤそんなことはどうでもいいから!
 どうなんですか!!」
 詰め寄るアレンの背後から、彼を見たリナリーが目を丸くする。
 「・・・・・・神田?」
 「あ?」
 声を見遣った神田も、リナリーの姿を目にした途端、目を見開いて動きを止めた。
 「・・・・・・・・・・・・ちょっと!」
 見つめあう二人に挟まれたアレンが、ヒステリックな声をあげて、リナリーを背に庇う。
 「なんなんですか!知り合い?!」
 「あ・・・うん、昔、養父の家で一緒だったの・・・・・・」
 「それだけっ?!」
 ヒステリックに神田へ問えば、『あぁ』と、気のない返事が返った。
 「見つめ合うな――――!!!!」
 嫉妬の鬼と化したアレンの絶叫に、はっとしてリナリーが目を逸らす。
 「かっ・・・顔紅いですよ、リナリー?!」
 「な・・・なんでもない・・・よ・・・・・・」
 全くなんでもなくはない様子に、アレンがまた、きりきりと目を吊り上げて神田を睨んだ。


 一方、マホジャに傷の手当をしてもらっていたラビは、治療が終わるやぴょこんと起き上がった。
 「ありがとうさ、姐さん!
 ご隠居は上さ?」
 「・・・っなんで起き上がれるんだ?」
 少々どころではなく驚いたマホジャが目を丸くするが、ラビは平然として、包帯の巻かれた頭を掻く。
 「慣れ?」
 「慣れでそんなに丈夫になるものか?」
 「なるんじゃね?
 俺が証明してるし」
 あっさりと言われて、マホジャは納得しがたいながらも頷いた。
 「じゃあ手当てさんきゅ!
 ご隠居――――!!」
 唖然としたマホジャに見送られ、二階へと駆け上がったラビは、緊張に満ちた部屋の様子に息を呑む。
 「ど・・・どしたんさ・・・?」
 興奮した猫のようにいきり立っているアレンに聞く勇気がなかったため、リナリーに問えば、彼女は言葉を惜しむように神田と幼馴染であるとだけ明かした。
 「へぇー!
 ユウちゃん、昔は甲斐甲府藩にいたんさね!」
 「あぁ・・・」
 憮然と頷いた神田と、そんな彼を睨むアレンの不機嫌さを不思議に思いつつ、ラビが歩み寄る。
 「じゃあさ、姫様や兄上のことも知ってんさ?
 今、兄上が将軍候補としてお城に呼ばれてるらしいんケド、誰かがそれを阻止しようってんで姫様を狙ってるからさ、ユウちゃんも護衛に協力してさーv
 ユウがいれば百人力!と、無邪気に断言したラビの背を、アレンが忌々しげに蹴りつけた。
 「なにすんさガキンチョ!」
 「空気読めないウサギにお仕置きですよ!」
 頬をぱんぱんに膨らませた彼に言われ、リナリーと神田が幼馴染であったことがアレンの癇に障ったのだとようやく理解したラビが手を叩く。
 「ご隠居だって、俺とは元兄弟じゃーんv
 「えぇっ?!そうなの?!」
 「あんたとあんまり似てないから、もらわれっ子だって悟ったんですよ僕はぁ!!」
 目を丸くするリナリーの前で、肩を抱いてきたラビをアレンが邪険に払った。
 「じゃあ・・・本当に私達とおんなじなんだね・・・・・・」
 「は?!
 ユウさんは水戸藩士でしょっ?!」
 「今はな。
 だが、元々甲斐甲府藩の生まれで、水戸には養子に出された」
 アレンの問いに無愛想に答え、神田は腰掛けていた窓辺から立ち上がる。
 「兄貴が候補に上がったってことは・・・別の候補者が、お前を人質に辞退を迫ることもありうるわけか」
 「・・・・・・身を隠してた庄屋が、焼き討ちされたよ」
 誰の手の者かはわからない、と、うな垂れるリナリーの肩に、神田が手を置いた。
 「馴れ馴れしく触るな!この――――!!!!」
 「ハイハイ、ご隠居。
 ちょっと静かにするさね」
 激昂するアレンをラビが羽交い絞めにする。
 「もき――――!!見つめ合うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 嫉妬の炎を燃え立たせるアレンは、しかし、二人の世界からきれいに弾き出された。
 なんとかして自分の存在価値をアピールしなければ、と考えたアレンは、ふと気づいて手を打つ。
 「リナリーリナリーリナリー!!」
 ラビの手を振り解き、リナリーの手を取ったアレンは、彼女を自分へと向き直らせた。
 「お兄さんにはぜひ、将軍になって欲しいですよね?
 そうすればリナリーも危険じゃなくなりますし、何よりも乳母やさん達を危険にさらさなくて良くなります!」
 そう言えば、アレンの思った通り、リナリーは大きく頷く。
 「じゃあ僕、がんばってお兄さんを推挙しますよ!
 その代わり・・・・・・」
 にこりと笑ってアレンは、握ったリナリーの手にキスした。
 「僕のお嫁さんになってくださいv
 「なっ?!」
 「えぇっ?!」
 「なんてコト言うんさ!!」
 アレンの発言に、神田が息を呑み、リナリーが目を丸くし、ラビが詰め寄ってくる。
 「女の子の弱みに付け込んで結婚を迫るなんて卑怯さ!
 俺はお前をそんな子に育てた覚えはありません!」
 「育てられた覚えなんかないんですよ、バーカ!」
 「お前が覚えてなくても俺は覚えてんさ!
 10歳までおねしょが治んなくて、お城でぴーぴー泣いてたのを庇ってやったのは誰さ?!」
 「なっ?!ちょっ・・・ラビ!!」
 消し去りたい過去をばらされて慌てるアレンに、冷え冷えとした声がかかった。
 「情けねぇ奴だ」
 「さすがにそれは、一緒じゃないなぁ・・・」
 「ちちちちちっ違うんですよ?!
 あれは飼ってたわんこと一緒に寝てて・・・!」
 「お嫁さんのことは、考えさせて」
 「リナリィィィィィィィィィィィィィ!!!!」
 冷たく手を振り払われて、アレンが絶叫する。
 「うるせぇんだよ、ジジィ」
 「ぎゃふっ!」
 神田に背中を蹴られたアレンが、顔からつんのめった。
 「こ・・・この乱暴者ー!!!!無礼討ちにしてくれる!!」
 アレンが刀を抜き放とうとした時、
 「やっかましいわクソガキ共――――!!!!」
 スパンっと襖が開き、マホジャが怒号をあげる。
 「他のお客さんに迷惑だろ!
 静かにしないと叩き出すよ!!」
 鬼の形相で迫られ、か弱いアレンやラビはもちろん、リナリーや神田でさえも震え上がって、ただ頷いた。
 「ふんっ!!」
 ようやく静かになった、と、鼻を鳴らしてマホジャが襖の向こうに消えるが、4人は4人とも、怯えて動けないでいる。
 死んだように静まり返った場を生き返らせたのは、彼ら自身の努力ではなく、外からの声だった。
 「あの・・・もし・・・?」
 襖を隔てただけの隣室から、女の声が呼びかける。
 「すみません!うるさかったですよね!」
 慌ててアレンが応じると、向こう側から襖が開けられた。
 長い黒髪を後ろで一つに束ねた女の秀麗な容貌に、ラビがこぶしを握る。
 「なんってことさ!
 お隣がこんな美人だなんて、不覚にも知らなかったさね!
 お嬢さん、一人旅?!
 さぞかし大変だったろうさ、だけどもう大丈夫!
 俺らと一緒にレッツ・サイトスィーイングッ!」
 いざり寄り、女の手を取ったラビの背を神田が鋭く蹴りつけた。
 「てめぇが一番危険なんだよ」
 「観光ってなんだよ観光って!」
 「遊びじゃないんだよ!」
 アレンとリナリーにも、次々蹴りを入れられて、ラビが亀のように縮こまる。
 「ちょっ・・・お前らやめなさいッ!!
 姫さんまで蹴るのやめてッ!!」
 ひぃひぃと泣き喚くラビの手を振り解いた女が、不意に立ち上がった。
 次の瞬間、ギィン!と、鋭い音を立てて、女の突き出した刃と神田の刃が噛み合う。
 「ちっ・・・!」
 「なんのつもりだ、てめぇ!!」
 舌打ちして退いた女を、神田の刃が追った。
 だが女はしなやかに交わすと、アレンとリナリーに向けてくないを放つ。
 「危ないっ!!」
 アレンがリナリーを庇い、二人に迫る刃をラビが伸ばした棍で叩き落した。
 「どこの手の者ですか?!」
 アレンの問いに、女は答えない。
 無表情にくないを投げようとして神田に阻まれ、また舌打ちして、窓を越えた。
 「ここ二階・・・っ!!」
 女を追ったラビが、窓の外を見た時にはもう、女の姿は夜闇の中に消えている。
 「ちっ・・・!
 猫みてぇな奴だ」
 舌打ちし、刀を収めた神田がアレンを蹴飛ばし、リナリーに歩み寄った。
 「怪我はねぇか?」
 「う・・・うん・・・」
 「あんた主人を足蹴にして――――!!!!」
 無礼討ち決定!と、いきり立つアレンはしかし、きれいに無視される。
 「あの人・・・私を狙って・・・・・・?」
 リナリーが不安げに言うと、神田は鼻を鳴らした。
 「ジジィかもな」
 「ジジィって言うなパッツン!!」
 「とにかく、ここは危険だ。出るぞ」
 またアレンを無視して言った神田に、ラビが目を丸くする。
 「出るったってどこへさ?」
 「関所はとっくに閉まってんですよ!」
 揶揄するように言えば、神田はようやくアレンを見た。
 「そんなもん、てめぇが紋所をちらつかせりゃ、なんとかなんだろ」
 行け、と、出口を指されてアレンがぐずる。
 「そりゃそうだけど・・・まだ僕ごはん食べてない!」
 「一食くらい抜いたって、死にゃしねぇ」
 くだらない理由だとばかり、吐き捨てた神田にアレンの目が吊りあがった。
 「死ぬっ!死ぬよっ!
 僕育ち盛りだもん!!」
 「・・・うるせぇな。
 だったらてめぇはここに残りな!」
 きゃんきゃんと喚くアレンを追い払うようにひらりと手を振り、神田がリナリーへ向き直る。
 「リナリー、身分を証明するようなものは持ってるか?」
 「う・・・うん、紋入りの懐剣なら・・・・・・」
 「十分だ」
 頷くや、リナリーの手を引いてさっさと出て行こうとする神田を、アレンが止めた。
 「マッテ!!」
 「・・・なんだよ。
 お前、出て行く気ねぇんだろ?」
 冷たい声に、アレンがぐっと詰まる。
 「で・・・出るよ!行けばいいんでしょう?!」
 「いらねぇよ。
 お前は囮にでもなってろ」
 「今の主人僕なんだけど!!」
 家来のくせに、全く主人を尊重しない神田にアレンがヒステリックな声をあげた。
 と、
 「まぁまぁ、落ち着くさね、二人とも」
 ラビが割って入り、仲裁を計る。
 「刺客が来た以上、危険な宿を出てくのは賛成さ。
 でも、こんな夜更けに関所を出て街道を行けば、闇に葬ってくださいって言ってるようなもんさね」
 「んなもん、蹴散らす」
 頼もしく言った神田を、リナリーは信頼に満ちた目で見つめ、アレンは嫉妬に燃える目で睨んだ。
 しかし、ラビは首を振って反対する。
 「ユウちゃん一人なら、それもありだろうさ。
 けど、夜に移動する人数が多いほど敵に見つかりやすいし、襲われる可能性も高くなる。
 ここは昼間に、多勢の旅人に紛れて移動するんが一番安全で、江戸に早く着く移動方法さ」
 「それはそうだけど・・・じゃあ、今夜はどうするの?
 私達がこの宿にいることはもう、ばれてしまったんだし、宿を変えると言ってもこんな宿場町じゃ、すぐに見つけ出されちゃうよ・・・・・・」
 不安げなリナリーに、ラビは自信ありげに頷いた。
 「ここで一番頼りになる姐さんに、お願いさv
 「お姉さんって・・・マホジャさん?
 確かにその・・・強そうな人ですけど、僕達を窮地から救ってくれるほどの力があるかなぁ・・・?」
 疑わしげにアレンが言えば、ラビは自信ありげに笑う。
 「そこはお前、ちっさい頃からジジィどもに鍛えられ、年下に虐げられながらも宮仕えして来た俺の勘を信じるさ!
 姐さんはああ見えて、世話好きの人情家で、この宿場の上の人間にも顔が広いと見たさね!」
 人間観察は得意、と、断言したラビに、アレンが大きく頷いた。
 「世渡り上手ですもんね、君」
 ぽん、と手を叩き、出口を示す。
 「頼みました!」
 「あいさv
 にこりと笑って、ラビは階下へと降りていった。


 ラビが夕飯時で忙しい奉公人達の中からマホジャを探し出し、事情を話すと、彼女は彼の予想通り、すんなりと理解して協力を申し出てくれた。
 「ウチの女将さんはこの宿場の元締めだからね。
 きっと助けてくださるだろうよ」
 根回しは任せろ、と請け負った彼女は、一旦奥へ行ったのちにラビと共に座敷へ上がり、アレン達一行を女将の元へ案内する。
 「女将さん、失礼しますよ」
 マホジャが声をかけ、襖を開けるや、座敷にいた美女の姿に皆が息を呑んだ。
 女将はうっとりとした視線を心地よさげに受け、艶やかに微笑む。
 「ようこそいらっしゃいました、皆様方。
 わたくしはこの宿の女将で、アニタと申します。
 お寄り頂きまして、光栄に存じますわ」
 下座に退き、丁寧に三つ指を突いた彼女に、アレンが夢から覚めたような顔をした。
 「は・・・はじめまして・・・お世話になります・・・・・・」
 しどろもどろになったアレンの背を、リナリーが苛立たしげに突く。
 「イテッ!
 いやっ!あの・・・えっと・・・!」
 ムッと眉根を寄せるリナリーと、嫣然と微笑むアニタの間でわたわたするアレンを、ラビが苦笑して押しのけた。
 「女将さんが、こんな桁外れの美人だとは思わなかったさv
 ご隠居ったら舞い上がっちまってお話もできねーから、俺が話すさねv
 アニタの手をにこにこと握ったラビの手は、しかし、笑って振り解かれる。
 「事情は既に、マホジャから聞いて理解しておりますわ」
 優雅に手を流してアレン達に席を勧めたアニタは、一行に向き直った。
 「この宿場をあげて、御身をお守り致します。
 まずはご不便かとは存じますが、拙宅にお移り頂きましょう。
 既にあなた方の影武者を数組用意し、我が宿から別の宿に移らせ、あるいは関を通らせて撹乱しておりますので、ご安心ください」
 「あ・・・ありがとうございます!」
 既にそこまで手を打ってもらっているとは思わず、驚いたアレンが声を裏返らせる。
 と、アニタは笑みを深め、優雅に首を振った。
 「もちろん、報酬は頂きます。
 今回、皆様を無事にお逃がしできましたなら、今後我が宿を水戸藩、甲斐甲府藩の本陣としてご利用頂きたく存じます」
 「本陣に・・・・・・」
 アニタの要求を、アレンは気まずげな口調で繰り返す。
 本陣とは、参勤交代などの際に大名が宿泊する公的な宿のことだが、今のアレンには少々、気にかかることがあった。
 「あのぅ・・・この宿を本陣にすることは多分、可能だと思うんですが・・・後々、ご迷惑をかけることになるかもしれませんよ・・・?」
 恩を受けたアニタに、仇を返すことになりかねない、と、呟いたアレンに、ラビと神田も頷く。
 「そのぅ・・・僕がまだ藩主ならよかったんですけど、今は隠居しちゃって、ヘタレのくせに女好き遊び好きのぐうたらが藩主になってるんです。
 そんなのが泊まったら、アニタさんにどんなご迷惑をかけることになるか・・・・・・」
 ねぇ?と、同意を求めると、ラビだけでなく普段非協力的な神田までもが、大きく頷いた。
 「そのようなことでしたらご心配なく。
 客あしらいができなくて、本陣の女将が勤まりましょうか」
 自信に満ちた笑みにやや安堵して、アレンは頷く。
 「そこまでおっしゃるなら、水戸はこちらを本陣にします。
 一筆書きますよ?」
 きょろきょろと部屋を見回すアレンへ、心得たマホジャが紙と筆を差し出した。
 「ありがたく存じます」
 本陣のお墨付きを手にして、嫣然と笑うアニタを、リナリーは気まずげな目で見る。
 「あの・・・私は・・・・・・」
 そんな権限を持っていない、と、口を濁すリナリーに、アニタは優しい笑みを向けた。
 「お察ししますわ、姫。
 では、藩主様にお口添えいただくだけで十分でございます。
 どうぞよしなに」
 優雅に一礼するアニタの、匂いたつ色香に頬を染め、リナリーは無言で頷く。
 「それではご案内いたしましょう。
 息苦しくはございますが、身を隠すにはうってつけの場所がございます」
 すらりと立ち上がる仕草がまた優美で、続いて立ち上がったリナリーはつい、いつも以上に挙措に気を使った。
 そんな彼女に微笑んで、アニタは先に立つ。
 「明日は我が宿のお客様に混じってご出立を。
 ちょうど江戸へ店を出すとおっしゃるご一行がお泊まりですので」
 「至れり尽くせりで痛み入るさ、女将さんvv
 ぜひ俺がお礼・・・ごふっ!!」
 「お世話になってる女将さんにセクハラするんじゃありませんよ、馬鹿ウサ」
 アレンに背中を蹴られたラビが床に這い、その上をアレンと神田がわざわざ踏んで行った。
 「ふふふ・・・v
 元気のおよろしいことv
 この殺伐としたやり取りを、その一言で片づけたアニタは確かに客あしらいに長けていると、リナリーは感心する。
 ・・・その後、随分と歩いて案内されたのは、宿とは回廊で繋がっているものの、アニタの私邸らしき一角で、その中でも山肌に面した最奥の離れだった。
 「さぁ、こちらへ。
 姫様はわたくしとどうぞ」
 庶民の私邸とはにわかに信じがたいほど広い座敷に通されて唖然とする一行を置いて、リナリーはその隣室に通される。
 「窓もない息苦しいお部屋でごめんくださいませ。
 ただ、姫がお命を狙われている以上、用心に越したことはございませんので。
 ・・・さ、どうぞこれをお召しになって。
 粗末な着物で申し訳ありませんが、この先は町娘を装って行かれた方が危険も少ないと存じますわ」
 そう言って綿の着物を渡してくれたアニタに、リナリーも頷いた。
 「お心遣いありがとう」
 「これも商売でございますから。十分な支払いを期待しておりますわ」
 どこか冗談ぽく言って着替えを手伝ってくれたアニタに、リナリーは思わず笑ってしまう。
 「あら、やっと笑ってくださった。
 ずっと難しい顔をしておいででしたよ?」
 くすくすと笑われて、リナリーが頬を染めた。
 「せっかく可愛らしいお顔をしてらっしゃるのだもの。
 命を狙われて、心の中は不安でいっぱいでいらっしゃろうとも、顔は艶やかに笑っておいでなさい。
 さもなくば、女が廃るってものですよ」
 「あ・・・艶やかになんて・・・笑えるかな・・・・・・」
 初めて着る庶民の着物の袖をつまみ、自信なげなリナリーに、アニタは優雅に頷く。
 「きっと上手にできるようになりますわ」
 ・・・とは言われたが、彼女のような色香を身につけることは果たして可能なのだろうかと、リナリーは自問した。
 「・・・・・・かなりの努力が必要だよね」
 「はい?」
 思わずぼやいたリナリーに、小首を傾げたアニタの肩を艶やかな黒髪が滑り落ちていく。
 その仕草がまた色っぽくて、リナリーはまた頬を染めた。
 「わ・・・私、がんばります・・・!」
 決意を込めてこぶしを握った時、
 「女将!!」
 顔色を変えて飛び込んで来たマホジャに、アニタが落ち着いて向き直る。
 「どうしましたか」
 「あ・・・あいつら、町に火を!!」
 「なんっ・・・?!」
 絶句したリナリーの背に優しく触れ、アニタはにこりと微笑んだ。
 「大丈夫。
 ご安心なされませ」
 「で・・・でも・・・!」
 とても彼女のようには落ち着いていられず、リナリーはおろおろと目をさまよわせる。
 すると騒ぎを聞きつけたアレン達も飛び込んで来た。
 「たっ・・・大変さ!
 半鐘が鳴り止まないさ!」
 「火が近いみたいです!早く逃げましょう!」
 口々に騒ぎ立てるラビとアレンを押しのけるや、神田は無言でリナリーの手を引く。
 「お待ちを」
 部屋を出ようとする一行に、アニタが声をかけた。
 「この部屋を出られてはいけません」
 にこりと笑った彼女に反駁を封じられ、一行が凝然と立ち止まる。
 と、アニタはマホジャをちらりと見遣った。
 心得た彼女が頷き、敷き詰められた畳の一枚をめくる。
 「・・・階段」
 「また逃げ道さ?」
 巧妙に隠された床下の階段は、リナリーが隠れ住んでいた庄屋の抜け道を彷彿とさせ、アレンとラビがどこか呆れたような声をあげた。
 が、アニタはゆったりと首を振る。
 「敵が火を放ったのは、あなた方をいぶり出すためですわ。
 ゆえにここを出ることは危険です。
 この石室にまで火は及びませんので、どうぞ隠れていらっしゃいまし」
 言われて覗き込めば、階段の下は広い部屋になっていて、この家の財物らしきものがぎっしりと詰め込まれていた。
 「お・・・お金持ちなんですね・・・・・・!」
 目を丸くするアレンに、アニタはにこりと笑う。
 「お客様からのお預かり物ですわ。
 ここから出る時は、ご不自由でしょうが長持に隠れてくださいませね。
 そのまま、商人のご一行に運ばれてくださいませ」
 「なるほど・・・!
 美人は考えることもナイスさ!!」
 どさくさに紛れてアニタに抱きつこうとしたラビは、直前でマホジャに殴られ、踏み潰された。
 「・・・すみません、これは火の中にでも捨ててもらって構いませんから」
 「そうさせてもらう」
 ちんまりと頭を下げたアレンに、マホジャが大きく頷く。
 「マッテ!
 待ってさ、俺まだ死にたくないさ!!」
 「だったら余計なことしなきゃいいのに・・・・・・」
 呆れて呟いたリナリーに、アニタがにっこりと微笑んだ。
 「姫をお守りするのに、殿方と一緒にお隠し申し上げるのは危険ですわね。
 マホジャ、一緒にお入りなさい」
 「え・・・?
 しかし、女将・・・」
 捨てに行こうとラビをつまんだまま、困惑げに振り返ったマホジャに、アニタが笑みを深める。
 「店とお客様の財産を守ってね」
 「あ・・・はい・・・」
 「で・・・でも、女将さんはどうするんですか?!
 火が迫ってるのに、危ないですよ!」
 先にリナリーを石室に下ろしたアレンが、部屋に残るアニタを振り向けば、彼女は胸元にしまいこんだ書状に触れた。
 「貴公のお墨付きを頂きましたので、ご心配なく。
 全焼しましたら、建替えの費用もいただくことにしますわv
 「えぇー・・・・・・」
 大身とは言え、自身の大食と現藩主の放蕩のせいで、水戸の財政は苦しい。
 しかし、
 「では、このままお出になりますか?」
 あっさりと言われて、アレンは慌てて首を振った。
 「お・・・お手柔らかにお願いします・・・」
 もう一度ぺこりと頭を下げて、アレンは石室に降りる。
 「しばらく、お静かにお願いしますね」
 そう言うと、アニタは再び戸を閉めた。
 「だ・・・大丈夫なのかな・・・・・・」
 アレンが不安げに階段上を見あげていると、ここで唯一明かりを持ったマホジャが、大きく頷いて影を揺らす。
 「女将はああ見えてしたたかだ。
 任せておけば、間違いはない」
 「う・・・うん・・・・・・」
 同じく階段上を見ていたリナリーが、頷いて長持の上に腰を下ろした。
 「ごめんなさい・・・私のせいで町が・・・・・・」
 「お前のせいじゃないし、連中がここまでやるなんて誰も思わなかった。
 それに・・・・・・」
 きっぱりとした口調で言って、神田は視線を横に流す。
 「このジジィのせいかもしれねぇだろ」
 「・・・その通りですけどジジィっつーなって何度言えばわかるんですか、この鳥頭!」
 アレンが忌々しげに睨むが、神田は無視してリナリーへ目を戻した。
 「お前は俺が守る」
 「う・・・うん・・・!」
 「きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 仲睦まじい二人の間で、アレンが甲高い声をあげる。
 「僕だって守るからっ!!
 こんな凶悪ヅラなんか、いなくったっていいよね、リナリー!!」
 神田を押しのけてリナリーの手を握ったアレンを、マホジャがはたいた。
 「静かにしろ、クソガキ!
 男なら口じゃなく、行動で示すんだね!」
 「じゃあ先に祝言を!!」
 「そっちの行動じゃない!!」
 またはたかれて、アレンが泣き声をあげる。
 「ひどいよ、マホジャさん!
 さっきからパコパコ叩いて、僕、太鼓じゃないのに!!」
 「女の子に悪さしないだけ、太鼓の方がましだよっ!!」
 反駁をあっさり切り返されて、アレンは口をぱくぱくさせた。
 「ここから無事に出られるまで、おとなしくしなっ!!」
 怖い顔で詰め寄られ、しゃくりあげたアレンはくるりと踵を返す。
 「びー!!!!」
 「ハイハイ、泣くなー」
 苦笑したラビが、縋りついて泣くアレンの頭を撫でてやった。
 「もー、姐さん!
 子供の生意気くらい、許して欲しいさー」
 「悪さする子を叱るのは大人の役目だ!」
 ラビのとりなしを鼻であしらったマホジャは、眉根を寄せて上を見あげる。
 と、
 「外は・・・どうなってるんだろうね・・・・・・」
 マホジャの不安を、リナリーがそのまま口にした。
 「・・・どうなっていようと、石造りのここまで火が及ぶことはないさ。
 あんた達は敵に見つからないよう、おとなしくしているんだね」
 自分に言い聞かせるように、低い声で呟く彼女に四人はただ頷く。
 長い長い時間を過ごすうちに皆、段々と無言になって行き、夜が明ける頃にはその場の音の、ほとんどが寝息に変わっていた。


 「・・・いや、良かった良かった!
 この宿を選んで本当に助かったよ!!」
 騒々しい声が頭上に響くや、はっと目を覚ましたマホジャは、ずっと起きていたらしい神田と一緒にリナリー達を一人ずつ長持に詰め込んだ。
 「女将、このお礼は必ずするからね!
 あぁ、せっかく江戸に店を出すと言うのに、初っ端からケチがつくところだった!」
 軋みをあげながら開かれた戸の下で、マホジャは軽く会釈する。
 「あぁ、番をありがとうよ!
 あんたにもぜひ礼をしなくっちゃあ!」
 火の及んでいない長持ちを見て、にこにこと顔をほころばせた商人に、マホジャは軽く頷いた。
 「女将さん・・・!」
 「ご苦労でしたね、マホジャ」
 商人の背後から、にこりと微笑んだアニタの姿に、マホジャはほっと吐息する。
 「では旦那様、『おまけ』のことは、よぅくよぅく頼みましてよ?」
 白い両手で手を包み、小首を傾げて微笑むアニタに、商人は真っ赤になって何度も頷いた。
 これほど艶やかに微笑まれては、たとえ商品を守ってくれた恩がなくとも無条件に頷いただろう。
 「こっ・・・心得てますよ、もちろん!
 あたしはこれでも、水戸じゃ名の知れたちりめん問屋だからね!
 お城の事情だって重々承知しているとも!」
 長持の中にまで聞こえるよう、大きな声で言った彼に、アニタは優雅に頷いた。
 「またのお越しをお待ち申し上げておりますわ」
 ぜひに、と、言い添えた口調があまりにも色っぽく、湯気を吹きださんばかりに真っ赤になった商人は、がくがくと頷く。
 「楽しみにしておりましてよ」
 にこりと笑って、裏切りすら封じてしまった彼女は、マホジャへ少し、いたずらっぽい笑みを向けた。
 「では、どうぞご出立を。
 旅の安全を祈っておりますわv
 ぎゅっと手を握られて、すっかり茹で上がった商人が上ずった声で奉公人達を呼ぶ。
 「おおおお・・・女将の好意で無事だった商品だよ!
 お・・・お前達、大事に扱うんだよ!」
 言われるまでもなく、この災難で職を失わずに済んだ奉公人達は、大事に長持ちを運び出した。
 「お達者で」
 にこりと微笑んだアニタには、奉公人達までもが惚れ惚れとして、雲の上を歩くような足取りでふわふわと宿を、そして宿場を出る。
 「さ・・・さぁ!
 江戸はもうすぐだよ!」
 街道をしばらく歩いてようやく気を取り戻した商人は、一行へと声を励ました。


 同じ頃、江戸では。
 「庄屋が焼き討ちされた?!」
 早馬の報告を受けたコムイが、声まで蒼褪めた。
 「そっ・・・それでリナリーは?!
 リナリーは無事なのかいっ?!」
 詰め寄った彼に、使者は顔を渋くする。
 「それが・・・・・・」
 乳母が逃がしたとのことだが、その後はどこにどうしているのか探索中、と、言う使者にコムイは難しく眉根を寄せた。
 と、側近が膝を進める。
 「落ち着いてください。
 姫はなんとしても探し出します。
 あなたはあなたのやるべきことを成してください」
 「リーバー君・・・でも・・・・・・」
 「あなたが将軍職に就けば、もう姫に危害を加える人間はいなくなりますよ。
 逆に・・・」
 言いかけて、言葉を切ったリーバーは、ひとつ吐息して続けた。
 「ここで負ければ、あなたも姫も、後顧の憂いを断つべく殺される可能性が」
 声は密やかだったが、それはまるで雷のようにコムイに轟く。
 「姫のためにも、勝ってください」
 リーバーの冷静な声に、コムイはぎこちなく頷いた。
 「よし、じゃあ別室で対策を練ろう。
 失礼しますよ」
 使者に頷いたリーバーは、立ち上がり様、コムイにも声をかけて部屋を出て行く。
 使者から改めて詳しい状況を聞いた彼は、いくつかの情報と共に指示を与えた。
 「・・・大奥への根回しは済んでいる。
 このまま行けば、殿の将軍職獲得は確実なんだが・・・おそらく、そのことに危機を感じた連中が、最後の手段として姫を襲ったんだろう。
 なんとしても姫を確保して、殿が自ら辞退することのないようにするんだ。
 だが最悪の場合は・・・・・・」
 リーバーの声が、低く冷たくなる。
 「なんとしても隠せ。
 殿が将軍職を獲得するまでは、な」
 主家のためには手段を選んでいる場合ではない、と、リーバーに言われるまでもなく、彼は頷いた。
 「しかるべく」
 その一言に万感を込めた彼の背を、リーバーは力強く押す。
 「頼んだぞ」
 足早に去っていく彼を見送ると、リーバーも素早く踵を返した。


 一方の大奥では、陰で将軍を操ると言われる女達が、総触れの後の優雅な時を過ごしていた。
 しかし、上座に座る大奥総取締の表情は硬い。
 「・・・どうやら確定したようですわね」
 ようやく呟いた彼女の傍で、ミランダは身を強張らせた。
 「あなたの『おねだり』が功を奏したようで。
 よろしかったわね」
 冷たい目で、じっと見つめられたミランダは、身を縮めてこうべを垂れた。
 「お・・・おねだりだなんて、そんなつもりは・・・」
 更に身を縮めたミランダを冷たく見つめ、彼女は煙管に火を入れる。
 「お約束ですよ。
 新たな上様がお入りになる前に、あなたは大奥を退くこと」
 「も・・・もちろんです・・・!」
 慌てて顔を上げたミランダは、また冷たい目に見つめられて顔を伏せた。
 「元々・・・長く勤めるつもりではありませんでしたから・・・・・・」
 「よかったこと」
 深々と煙草を吸った総取締は、長い吐息と共に煙を吐く。
 「そののちは、二度とお関わりになりませんように」
 「は・・・はい、ブリジット様・・・・・・」
 煙管を煙草台に叩きつけて火を落とす音に、ミランダはびくりと顔をあげた。
 「重々、お願い申し上げますよ」
 「はい・・・・・・!」
 怯えきったミランダが頷くと、
 「話は終わっただろうか?」
 ひょこん、と、障子の端から顔を出した男に、ミランダは文字通り飛び上がる。
 「・・・う・・・上様・・・・・・!」
 総取締の顔色を窺いながらミランダは振り返り、畳に手をついて深々とこうべを垂れた。
 が、
 「顔をあげよ。
 総取締は座を外せ」
 重々しい命令口調を受けて、ミランダは顔をあげ、ブリジットは不満を無表情の奥に潜めて部屋を出て行く。
 彼女の取り巻き達までもが、衣擦れの音を立てながら出て行くや、将軍はしかつめらしい顔を蕩けさせた。
 「マンマーvv
 聞いてください!今日はとっても大変だったのです!
 本当にたいへんだったのですよ!」
 畳の上に転がって甘えてくる将軍の頭を、ミランダは愛玩動物にするように優しく撫でる。
 「どうしましたか、わんこちゃん?
 なにが困っちゃったんですか?」
 「はいっ!
 去年、桂昌院の母上が従一位をお受けになろうかって時に、ケチをつけた者がいたでしょう?!
 その遺臣達がこないだ、『仇討ちした』なんて言って来て・・・その処遇でみんなの言うこと違うのですっ!!」
 ミランダの膝に顔をうずめ、足をばたつかせる彼に、今や将軍の威厳はなかった。
 その様に思わず笑ってしまったミランダは、そんな場合じゃないと口元に手を当てる。
 「よしよし・・・v
 あなたならきっと最善のお裁きが出来ますからね。
 でも人の命に関わることですから・・・慎重に決めなくてはいけませんね」
 「はい・・・・・・」
 ひょこ、と、顔をあげた将軍の、乱れた髪を撫で付けてやると、とても嬉しそうに笑った後、しょんぼりと眉尻を下げた。
 「私も、本当は助命してやりたいのです。
 しかしここで助命してしまうと、この発端となった刃傷事件の判断が誤りだったと認めることになるし・・・・・・」
 「・・・そうですねぇ。
 それでは、わんこちゃんと幕府の威信に傷がついてしまいますものねぇ・・・」
 困惑する将軍に頷き、ミランダは小首を傾げる。
 「・・・そうだわ、寛永寺の法親王様にご相談してはどうでしょう?」
 「ほっしんのう・・・・・・?」
 出家した親王の顔を思い浮かべた将軍は、大きく頷いた。
 「なるほど・・・!
 法親王からの助命要請があった、という体裁を整えれば、誰も権威を失うことなく助命できますな!」
 さすがマンマ!と、頬を染める将軍に微笑んだミランダは、ふと、笑みを消す。
 「?
 どうされましたか?」
 訝しげに首を傾げる彼に、ミランダは寂しげに頷いた。
 「もう・・・わんこちゃんとこうしていられるのも、後わずかなんですねぇ・・・」
 ため息をつく彼女の傍らで、将軍もしおしおとうな垂れる。
 「・・・出て行って欲しくはありません。
 出て行って欲しくはないのですが・・・・・・」
 彼女自身はそう高い身分の出身ではないが、間もなく嫁ぐ予定の許婚は、家柄的にも血筋的にも、次期将軍候補として最有力のコムイと深く繋がっていた。
 「私がここにいると、国を誤らせるからと、ブリジット様が・・・・・・」
 今でさえ、将軍を手懐けていると睨まれ、余計なことを言わぬようにと監視されているのだ。
 こうしている間も、どこかでブリジットの手の者が聞き耳を立てているに違いなかった。
 ミランダが苦笑して御簾の向こうを見遣ると、将軍も大きくため息をつく。
 「彼女が正しいことは、わかっているのですが・・・」
 しかしそれが彼の意に沿うこととは、必ずしも言えなかった。
 むしろ、正しいがゆえに耳に痛いことも多く、特にミランダを大奥から出すことについては未だ納得しがたい。
 「・・・隠居すれば、マンマと一緒にいられるでしょうか」
 「え?」
 あまりに意外な言葉に、ミランダが目を丸くした。
 「将軍になったことで、桂昌院の母上の希望は叶えたことですし、もう隠居してもいいかと思うのです」
 疲れたように肩を落とす将軍を、ミランダは気遣わしげに見つめる。
 幼い頃から腹違いの兄弟達と権力闘争に明け暮れ、兄達の死を願い続けた母によって将軍の位に押し上げられたものの、彼を取り巻く状況は決して安穏としたものではなかった。
 だからこそ、陰謀渦巻く大奥にありながら、権力への欲望もなく清廉と佇むミランダに優しい母の理想を求めたのだろう・・・実の母が、あまりにも程遠く厳しかったために。
 だが、実を言えばミランダ自身も権力闘争とは無縁ではなかった。
 確かに大奥へ入ったのは、身分の低い彼女が嫁ぐ前の箔付けでしかなかったが、将軍の『理想の母』として気に入られるや、実家や許婚の主家から様々な要求が寄せられることになったものだ。
 中でも最大のものは、許婚の主家であるコムイを次期将軍として推すことだった。
 幸いにもそれは、ミランダが大奥を退くことを条件に飲まれたものの、一女中の権力拡大を危惧するブリジットによって、その他の要求は全て退けられている。
 それゆえに、
 「どう思われますか?」
 と問われても、すぐには返答できなかった。
 「マンマ?」
 重ねて問われ、ミランダは淡く笑みを浮かべる。
 「・・・・・・よくよく、周りの状況を見るべきだと思いますよ」
 自身の考えだけでなく、周りの状況を考えて決断しなければ・・・と、小さな声で囁いた。
 「なによりも、御身をお大事に」
 不要とみなされれば、将軍といえども安全でないのがこの国の現状だ。
 「・・・とても・・・心配です」
 将軍の実母は低い身分の出身で、彼に磐石の地盤を与えられなかった。
 未だ戦国の血を滾らせる者も多い中、彼には弱味を見せられないと言う弱味がある。
 だからこそ、ミランダも慣れぬ権力争いに身を投じ、次期将軍の選定に影響力を発揮することによって、彼の命を守ることを選んだ。
 当然、そのことは将軍も知っている。
 「命を永らえることが、孝行だと思っていますよ」
 将軍は苦笑し、ゆっくりと立ち上がった。
 「また参ります・・・近いうちに」
 「はい、また・・・」
 微笑んで立ち上がったミランダに、将軍はどこかほっとした顔をする。
 「では!!」
 元気に手を振る彼にミランダも小さく手を振り返し、長い廊下から姿が消えるまで見送った。


 一方、江戸に向かうアレン達を運ぶ一行が最後の関所へ近づいた頃。
 「もし・・・もし・・・」
 そっと呼びかける声と共に、長持の蓋が開いた。
 「ご不自由をさせまして申し訳ございません、大殿様」
 アレンも見知った大店の主に助け起こされ、長持を出る。
 「関所では荷物の検分がございますので、ここでお出になってくださいまし。
 ところで皆様は、このまま私の店の者としていらっしゃいますか?それとも・・・・・・」
 近くに置かれた長持ちから、リナリーやラビ、神田が出てくる様を見て、アレンは頷いた。
 「このカッコなら、お店の奉公人だって言っても疑われませんかね?」
 アニタの見立てで着替えたリナリーはもちろん、アレン達も長旅のために動きやすくて丈夫な着物を着ている。
 主は彼らを見渡して、ゆっくり頷いた。
 「十分でしょう。
 では、移動中はできるだけ目立たないように、奉公人達の間でおとなしくされてくださいまし。
 しかし関所では・・・」
 口を濁した主に、歩み寄ったラビが大きく頷く。
 「水戸に通じるあの関所の役人には顔見知りも多いさ!
 どんなかっこしてたって、俺らの手形が疑われるこたねーよ♪」
 「さようでございますね」
 自信満々のラビに頷き、主は再び荷物をまとめた奉公人達に出発を命じた。
 店の者達とぞろぞろ並んで進んだ道は何事もなく、関所に着いてからもすんなりと顔見知りの役人を見つけ、話を通して無事に抜ける。
 「どうもありがとうございました!」
 ちんまりと頭を下げたアレンに、主は大慌てで首を振った。
 「そっ・・・そんな、大殿様からお礼を言われるなど、もったいない!
 私は水戸の者として、当然のことをしたまでですので!」
 「それでも、おかげで助かりました」
 リナリーにもにこりと微笑まれて、主は途端に笑みを浮かべる。
 「姫様のお役に立てまして、光栄に存じます。
 ぜひ、今後とも我が店のちりめんをよろしくお願い致しますよ」
 いい商売相手を見つけたとばかり、にこにこと笑う主にリナリーは思わず吹き出した。
 「兄に言っておきます」
 クスクスと笑う彼女の背を、油断なく辺りに目を配っていた神田が押す。
 「そろそろ・・・」
 「うん、そうだね。じゃあまた!」
 軽く手を振ってちりめん問屋と別れた一行は、江戸への道を辿って行った。
 しかし、
 「このまま水戸藩の上屋敷に行くのはどうかと思うんですよねぇ、僕」
 隠居がいきなり我侭を言い出して、ラビが目を剥く。
 「なんでさ?!
 姫さんを匿うためにも、さっさと上屋敷に入った方がいいさね!」
 「まぁ、確かにそれで、一時的な安全は買えますよ。
 でもねぇ・・・」
 じっと見つめたリナリーは、固い顔で頷いた。
 「私が水戸藩の上屋敷にいることがお城に知られたら、アレン君が兄さんを推挙してくれても、なにか裏取引があったって邪推されるよね」
 「そうそう、リナリーが賢い人でよかったですv
 鈍いラビに舌を出して、アレンはリナリーと手を繋ぐ。
 「のちに僕のお嫁さんになってくれたら、ますます『あの時は・・・』なんて言われちゃうし、お義兄さんのためにも一緒にうちの上屋敷に入るのは避けて、甲斐甲府藩の上屋敷に行きましょう!
 僕、家臣の皆さんにご挨拶しますよ!」
 「なぁに嫁取りする気満々になってやがんだ、ジジィが!!」
 刀の鞘で思いっきり殴られて、アレンはたまらずしゃがみ込んだ。
 「なにすんだ無礼者ー!!
 手打ちにしてくれるー!!」
 「やれるもんならやってみろィ!!」
 「あぁもう!
 こんな道端で騒ぐんじゃないさ!」
 仲の悪い二人の間で苦労するラビが、また仲裁に入る。
 「俺ら狙われてんだから、さっさと人の多いトコ行って、簡単に手が出せないようにしなきゃさ!」
 しゃがみ込んだアレンの腕を取って立たせ、リナリーの背を押して急かすラビに、神田が不満げな顔をした。
 「お前らは二人で水戸藩の上屋敷に行けばいいじゃねぇか。
 俺はリナリーを連れて甲斐甲府藩の邸に・・・」
 「そうはさせるか、ムッツリ!!
 ここで恩を売って、逆玉に乗ろうなんて甘いんですからね!」
 すかさず噛み付いてきたアレンを、神田が殺しそうな目で睨む。
 「テメェに言われたかねぇよ、あからさまに権力利用しやがって!
 恥ずかしくねぇのか!!」
 「はっ!
 恋と戦争には、どんな手段を使っても構わないんですよ!」
 生意気に笑ったアレンへ、神田が鯉口を切った。
 「だったら今ここで殺してやんよ!!」
 「だから!喧嘩やめー!!!!」
 再び二人の間に入った瞬間、ラビの頭にくないが生える。
 「血いいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 噴出す血で赤い髪を更に赤く染めながら、ラビが絶叫した。
 「ちっ!
 宿場の女か!」
 「僕とリナリーと、どっちを狙ったんでしょうね!」
 間が悪く入って来たラビの延長線上には、アレンだけでなくリナリーもいる。
 「どっちでもいいだろ!
 あの女斬れば済むこった!」
 地面で白目を剥くラビを飛び越えて、無情な二人は木立の間に隠れていた女へ斬りかかった。
 しかし、
 「・・・いねぇ?!」
 「馬鹿な・・・!」
 二人の刃は女が纏う布の一片すら裂けずに空を切る。
 「どこに消えやがった!」
 「誰の差し金でしょうね・・・」
 普段仲が悪いくせに、共通の敵に対しては素早く結託する二人が、厳しい目で辺りを睨みまわした。
 「そんなことより!!」
 リナリーの厳しい声に振り返れば、ラビが介抱されている。
 「早く手当てしないと!近くにお医者様はいるかな?!」
 誰か案内してくれる人は、と、キョロキョロと辺りを見回すリナリーに、しかし、神田が冷たく手を振った。
 「ほっとけ」
 「そのくらいで死んでちゃ、僕の守役なんて勤まりませんよ」
 アレンまで無情なことを言い出して、ムッとしたリナリーが更に声を荒げようとした時、
 「ぅあーっ!びっくりしたさ!」
 ぴょこん、とラビが起き上がって、リナリーが飛び上がる。
 「んなっ・・・なんでっ?!」
 「なんでって・・・慣れ?」
 「慣れるものなの?!」
 愕然と顎を落とすリナリーにラビが頷き、神田とアレンは揃って肩をすくめた。
 「だから言ったろ」
 「ラビはすごく丈夫なんです!」
 「お前らの乱暴狼藉のせいでなー」
 ぶにぶにと頬をつつかれて、アレンが変な声をあげる。
 「おい、じゃれあってる馬鹿どもはほっといて、さっさと行くぜ。
 あの女がまた襲ってきたら面倒だ」
 神田がリナリーの手を取って立たせると、すかさずアレンが続いた。
 「馬鹿ってゆーなバ神田!!」
 「あぁハイハイ、落ち着いてさ。
 どっちを狙ってんのかしんねーけど、確かに急いだ方がよさそうさね」
 怒り狂うアレンの背に負ぶさって、ラビが暢気なため息をつく。
 「さぁご隠居!レッツゴーさ!」
 「だからあんたも家臣のくせに僕に乗るんじゃないですよ、無礼者!!」
 とは言いつつ、アレンは負ぶさったラビを引きずるようにして、街道を先へと急いだ。
 するとさすがに関内だけあって、すぐに賑やかな通りにぶつかる。
 「ねぇ、ラビ!
 甲斐甲府藩の上屋敷って、どう行くの?このまま歩いてくの?」
 面倒になった、とぐずるアレンにラビが頷いた。
 「急ぎだし、舟でさっさと行った方がいいさね。
 そこに渡しが・・・」
 ラビが指差した先には、妙に物々しい雰囲気の侍が数人、厳しい顔を突き合わせている。
 そのうちの一人、最も背の高い男がこちらへ睨むような目を向け、アレンはラビを負ったまま飛び上がった。
 「な・・・なにあの人達、刺客?!」
 引き攣った声が聞こえてしまったのか、一斉に駆け寄ってきた彼らに怯えたアレンがラビの背に隠れるが、逆に神田は歩を踏み出す。
 「ジジ!!」
 猛牛の勢いで駆け寄って来た男に声をかけると、彼は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら神田とリナリーを抱きしめた。
 「心配したぞ、お前らアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
 両腕にがっしりと抱えた挙句に振り回されて、リナリーが悲鳴をあげる。
 「ちょ・・・なにしてんですか!
 神田はどうでもいいから姫を放しなさい!」
 飛び掛ったアレンがぐいぐいと腕を剥がしてリナリーを救出すると、彼は不思議そうな顔で見下ろした。
 「なんだ、このお子様は?」
 しげしげとアレンを見つめるジジの腕から抜け出した神田が、意地悪く鼻を鳴らす。
 「リナリーにつく悪い虫」
 「排除!!」
 「きゃふんっ!!」
 鼻先を思いっきり弾かれて、アレンが悲鳴をあげた。
 「にゃっ・・・にゃにふんですかっ!あんたこそ誰っ?!」
 「あ?
 俺ァこいつらの・・・なんだろう?
 守役でもないし、師範でもないし・・・遊び相手?」
 「だな」
 こくりと頷いた神田の頭をもぎ落としそうに撫でて、ジジがリナリーへ手を伸ばす。
 「さぁ姫、家に帰ろうか!」
 「うんっ!」
 アレンの手からするりと抜け出し、ジジに抱きついたリナリーに愕然とした。
 「なんでっ!!」
 「アレン君、ここまでありがとう!
 このお礼はあとで必ず・・・」
 「やだやだやだっ!!
 僕もついて行きます!!」
 「ついて来るって・・・だから誰だよ、このお子様は」
 困り顔のジジに、ラビがすかさず進み出る。
 「こちらは畏れ多くも神君の御孫君にあらせられ、前(さき)の水戸藩主にして権中納言、アレン公なるさー」
 せいぜい威儀を正して言ってやると、ジジだけでなく、彼が引き連れていた侍達も一斉に息を呑んだ。
 「あの有名な・・・!」
 声を詰まらせたジジに、嫌な予感を覚えたアレンは案の定、
 「放蕩藩主!」
 と続いた声にぶんぶんと首を振る。
 「違うってばあああああああああああああ!!!!」
 「それは影武者の仕業らしいよ」
 リナリーが弁護するが、ジジはじめ家臣達は一斉に首を振って、純真な姫様を諭す目で見つめた。
 「姫が心清らかなことはよーっく知ってるが、こんな簡単に騙されてちゃ、先々が思いやられるぜ。
 さーさ、早く家帰って飯食って風呂入って寝ろ」
 「我が言動に一片の信なしっ!!」
 血を吐きそうに絶叫したアレンを、ラビが苦笑してなだめる。
 「世間的にはそう思われちゃってんだから、もういっそ開き直ってさー」
 「やですよっ!
 僕は穢れきるにはまだ早いんですからっ!!」
 それに、と、アレンは真っ直ぐ神田を指した。
 「あんた今は僕の家臣でしょーがっ!
 なにそっちについて行こうとしてんですかっ!!」
 「あ?問題か?」
 「仕事しろ仕事――――!!!!」
 きぃきぃと喚くアレンに吐息し、神田はリナリーの肩を叩く。
 「じゃあ、あとはジジ達と離れず、屋敷に着いたらこもって外に出ないこった」
 「え・・・神田、せっかく会えたのに・・・!」
 名残惜しそうなリナリーに、神田が珍しい笑みを浮かべた。
 「残念だが・・・」
 「そうか、リナリーは一緒にいたいんですよね、神田と!」
 いきなり神田を遮って、アレンが首を伸ばす。
 「でも彼は今、僕の家臣ですから、僕の護衛しなきゃなんですよ!
 僕が行く所について行って!僕の行く所に!!」
 ここまで言えば察するだろうと、しつこく言い募ったアレンに苦笑して、リナリーが頷いた。
 「ジジ、アレン君をお家にご招待していいかな?」
 「あ?そりゃ・・・」
 「リナリーがいいってゆってるのに家臣が反対なんかしませんよねっ!
 ありがとう、お邪魔します!!」
 強引に承諾を得て、得意げに胸を張るアレンにラビが苦笑する。
 「お世話になりますさ」
 苦笑交じりに頭をはたかれて、アレンは不満げに頬を膨らませた。


 「リナリーが無事だったってホント?!」
 屋敷に着くや、飛び出して来た主に家臣らが大慌てするのにも構わず、コムイは粗末な着物を着た妹に抱きついた。
 「よかった・・・!
 お兄ちゃん、すっごく心配したんだよっ!!!!」
 身も世もなく泣き喚く兄に困り果てるリナリーの傍らへ、アレンが駆け寄る。
 「はじめまして、お義兄様v
 僕、前水戸藩主のアレンですv
 この度、お義兄様を将軍に推挙すべく江戸に来ましたv よろしくねv
 「あ・・・あぁ、キミが・・・・・・」
 感動の再会に水を差されて、やや不満げなコムイが不思議そうに首を傾げた。
 「・・・・・・お義兄様って、言った?」
 訝しげな問いに、アレンは元気に頷く。
 「はいv
 リナリーをお嫁さんにください、お義兄様v
 「やるもんかっ!!」
 「きゃふんっ!!」
 コムイの鋭い鼻ピンに、アレンの首が仰け反った。
 「い・・・痛いでふ、お義兄様ー!!!!」
 「はぁ?!
 なに婿入りする気満々になってんの、キミ?!」
 めげないアレンをイライラと睨みつけるが、彼は生意気にもにこりと笑う。
 「婿入りじゃなくて嫁取りです、お義兄様v
 「キミにお義兄様なんて呼ばれる筋合いないんだよっ!!」
 「ひいいいいんっ!!!!」
 思いっきり頬を引き伸ばされたアレンは泣き声をあげながら、コムイの腕をぱたぱたと叩いた。
 「リ・・・リナリーを助けたのは僕だし、第一僕が推挙しなきゃ将軍になれませんよっ!」
 なんたって一番発言力があるんだから!と、言い放ったアレンをコムイが渋々放す。
 「うう・・・痛かった・・・・・・!
 お義兄様、せいぜい僕を敬い奉って、リナリーをお嫁さんに差し出しなさい!
 そうしたら僕が、お義兄様を将軍にしてあげますよ!」
 「くっ・・・!
 噂通りの腹黒い子供だねぇ・・・!」
 生意気な言い草に、はたいてやりたくなる手を懸命に抑えるコムイへ、神田とラビが大きく頷いた。
 「こいつの腹黒さは地獄の鬼も裸足で逃げ出すレベルだぞ」
 「生類憐みの令を出した上様に嫌味ったらしく毛皮を贈ったことは記憶に新しいさね!」
 「そ・・・それはアレン君の仕業なんだ・・・・・・」
 思わず歩を引いて、兄の背中に隠れたリナリーに、アレンが大慌てする。
 「いやその、えっと・・・た・・・たまたま猟師さんから『風邪ひかないようにどうぞ』ってもらったから、上様に『いいものだからどうぞ』ってお譲りしただけですよ?!
 お城って寒いし・・・ねぇ?!」
 必死に言い訳するが、誰もがそれを好意とは信じてくれなかった。
 「な・・・なんで・・・!」
 「なんでって、こっちがなんでだ!」
 「自業自得、って意味わかるさ?」
 神田に睨まれ、ラビに呆れられ、アレンは不満げに口を尖らせる。
 「こういう時、フォローするのが家臣じゃないの?!」
 「その価値がある主人ならな」
 「俺、嘘がつけないタチなんさーv
 「くぅ・・・!!」
 裏切り者達に悔しげに唸ったアレンはリナリーへ駆け寄り、彼女の手を両手で握った。
 「確かにちょっと意地悪でしたけど、上様も無茶言ったんだし!おあいこだと思うんですよ!」
 ね?と、小首を傾げた彼に、リナリーは思わず笑い出す。
 「それもそうかもね」
 「でしょ?」
 だから、と、アレンがにこりと笑った。
 「安心してお嫁に来てくださいねv
 「やらないって言ってるでしょ!!」
 「はぐっ!!」
 コムイのゲンコツが炸裂し、アレンが目を回す。
 「・・・それでも姫の手は放しませんでした、ってか」
 「このコ捨てちゃってー!!!!」
 呆れ声のラビを押しのけ、コムイは家臣達に大声で命じた。


 「ふにゃ?」
 ・・・後刻、目を覚ましたアレンは、見慣れない天井をぼんやりと見つめた。
 「あ、起きたさ」
 ひょい、と視界に現れた顔を見上げると、ラビが意地悪く笑っている。
 「お前、ここの当主さんにゲンコツされて目ェ回したんさね。
 危うく捨てられるとこだったけど、家老が出てきて止めてくれたんさ。
 よかったな、水戸の前藩主ともあろうお方が、門前に仔犬みたいに捨てられなくてさ」
 クスクスと笑うラビにムッと口を尖らせ、アレンはまだ痛む頭をさすりながら起き上がった。
 「・・・ひどいよ、お義兄様!
 僕は正式に結婚を申し込んだだけなのに!」
 「・・・正式にっつーか、半分以上脅しだったけどな」
 交換条件がえげつなさすぎる、と、ラビがため息をつく。
 「あんま腹黒いことばっかやってっと、姫さんに嫌われるぜ?」
 「そんなこと言ったって・・・僕、こんなやり方しか知らないもん!」
 変わった生い立ちのせいか、すっかり性格の歪んでしまったアレンに、ラビは肩をすくめた。
 「姫さんだって似たような生い立ちだってーのに、なんだろな、この差は」
 「頼りになる兄さんがいるかいないかの差じゃないですか!」
 生意気に舌を出したアレンを、ラビがムッと睨みつける。
 「悪かったな、頼りになんなくてさ!」
 「自覚してんならもっとしっかりして、リナリー奪取に協力しなよ!」
 傲慢に胸をそらしたアレンに、ラビが呆れた。
 「・・・うわ、奪取って言ったさ、こいつ。
 拉致前提かよ」
 「お義兄さんがあんまり反対するなら、その可能性もありですね!」
 不穏なことを堂々と言い放つアレンに、ラビはもう口をつぐむしかない。
 が、更に不穏な会話は、この屋敷からさほど離れていない大名屋敷の奥深くで交わされていた。
 「ぷぅ・・・!
 あの邪魔な子供を始末して、姫を拉致しようとしたのですが、失敗ですか・・・」
 うまく行きませんねぇ・・・と、またため息をついた主に、黒髪を背後で束ねた女が悄然と肩を落とす。
 「・・・申し訳ありません、主・・・。
 邪魔が入りまして・・・・・・」
 涙に声を詰まらせた女には、しかし、優しく首を振った。
 「泣かないで、ルルv
 あなたのせいではありませんからねv
 ふくふくと肉付きのよい手で頭を撫でてやると、猫のように擦り寄ってくる。
 「ウフフv
 後は、本人にがんばってもらいましょうv
 これ、ティッキーv
 呼びかければ、同じ部屋に寝転がっていた青年が面倒そうに目をあげた。
 「アナタがんばって、将軍の座を手に入れなさいv
 「えぇー・・・!
 嫌っすよ、めんどくさいー・・・!」
 だらだらと這って菓子入れに伸ばした手はぴしりとはたかれる。
 「まったく・・・!
 なんのために水戸藩の藩主に推挙したと思ってるんですか。
 あの生意気な子供を隠居させて、アナタを藩主に擁立したのは何も、納豆練らせるためじゃないんですよっ」
 「あー・・・てっきり納豆製造に精を出せってことかと」
 はたかれて赤くなった手をさすりつつ、渋々起き上がったティキは、小首を傾げた。
 「ケド、御三家のひとつったって、水戸に将軍の継承権はないでしょうに。
 なんで俺ががんばるんです?」
 不思議そうなティキに、彼はにんまりと笑う。
 「まぁ、理由はいくつかありますけどね、あの子供を殺し損ねた今、むしろ味方につけてしまうのもいいでしょv
 「はぁ・・・まぁ、あいつも『同じ兄弟から派生してるのに、不平等だっ!』って怒ってましたから、殿から推薦しろって言えば、条件次第でこっちにつくと思いますけどね」
 それにしてもうまく行くのだろうかと、疑わしげなティキに、彼はクスクスと笑声をあげた。
 「いいのですよv
 要は、水戸も将軍職を望んでいると思わせればいいのですv
 手にした扇子を広げ、ゆったりと仰ぎだした彼が、泣き止んだ女の頭を優しく撫でる。
 「我が一族の繁栄のためにv
 にやりと笑った笑顔が怖ろしく、ティキは思わず姿勢を正した。


 「・・・あぁ、おはよう。
 二度と起きてこなくてよかったのに」
 「も・・・もう、意地悪なんですから、お義兄様はぁ・・・!」
 冷え冷えとした声に笑顔を引き攣らせつつ、アレンは当然のようにコムイの上座に座った。
 「あの・・・お城にはいつ上がりますか?
 僕、ここからあがっちゃうと、ちょっと気まずいかもしれませんから・・・」
 おどおどとした上目遣いで、顔色を窺うように言えば、きっと睨まれて思わず目を逸らす。
 「そうだね、そうだとも!
 さっさと出ておいきこの害虫が!」
 「ちょ・・・冷たい!冷たいですよ、お義兄様!!」
 あまりな言葉に泣きつけば、思いっきり鼻をつままれた。
 「お義兄様なんて気安く呼ぶんじゃないよこのクソガキイイイイイイイ!!!!」
 「きゅーんっ!!!!」
 泣いて助けを求めるアレンに苦笑して、ラビがべりっと引き剥がす。
 「えふんっ!きゃふんっ!」
 真っ赤になった鼻をさすりながらくしゃみするアレンに鼻を鳴らし、コムイは冷たく手を振った。
 「キミみたいな腹黒い子供に可愛い妹をやるくらいなら、ボクは将軍になんてならなくていいんだよ!
 さっさと国へお帰り!」
 「僕が国に帰る時はリナリーも一緒ですぅ!!」
 「わからない子だね!!
 今すぐここで死ぬかい?!」
 「ちょ・・・ちょっと落ち着いてさ、殿さん!!」
 慌ててとりなしに入ったラビが、今にもアレンを縊り殺しそうな手を押さえる。
 「落ち着いて話せば分かり合えっから!
 殺人と嫁取り前提で話すのナシ!なっ?!」
 ラビの提案に二人は不満げに、渋々と頷いた。
 「じゃあえっと・・・。
 お義兄様・・・じゃない、コムイ殿はもう、根回ししてるんですよね?
 大奥には手を回してます?」
 睨まれて慌てて言い直したアレンに、コムイが忌々しげな舌打ちをする。
 「当然でしょ。
 ボクは自分とリナリーの命を守るために、ボクらを殺してのし上がろうとする連中を黙らせるだけの力が要るんだよ。
 そのためには、大奥にだって付け届けくらいするよ!」
 「だったらよかった。
 いくら僕が推挙しても、大奥が反対したんじゃ敵いっこないですもんね。
 本当は僕が入りたいくらい・・・ううん!なんでも!!」
 刀に手をかけたコムイから、アレンがずさずさと後ずさった。
 「みっ・・・水戸はライバルになりようがないですから!
 落ち着いてください!!」
 柄に手をかけたままのコムイに必死に言って、アレンは部屋の隅から彼の顔色を窺う。
 「あ・・・あのう・・・!
 それで・・・えっとー・・・・・・」
 話題転換のきっかけを必死に探すアレンへ、ラビが小声で声援を送った。
 「あ、そうだ!
 村の屋敷を焼き討ちして、宿場まで火をつけた敵の心当たりってあります?!」
 じっとりと睨まれたまま、嫌な汗を流しながら問えば、コムイはようやく柄から手を外して座り直す。
 「そんなの、千歳に決まってんじゃない」
 忌々しげな吐息と共に出た名前に、アレンも顔を引き締めた。
 「・・・やっぱりか。
 じゃあもしかして、僕が襲われたのも・・・・・・」
 「てっきり側用人の仕業だと思ってたけど、あの人ならやりかねないさ」
 肩をすくめたラビに、コムイが大きく頷く。
 「まったく公家ってのは、こういう陰謀に長けているよねぇ!」
 彼の言う通り、千歳家は武家ではなく公家の名門だ。
 しかし、天皇家へも強い影響力を持つかの家は、将軍家はじめ、御三家や大大名など、官位を欲しがる田舎侍に娘や親族を嫁がせて、武家にまでも影響力を持っている。
 「きっと、自分の影響が濃い人間を将軍に擁立して、裏で国政を操ろうって腹だよ!」
 「え?!
 じゃあまさか・・・!」
 唖然と口を開けたアレンの傍らで、ラビが深々とため息をついた。
 「横紙破りで水戸から初の将軍を、ってか?
 ティッキーが立候補するってお前、聞いてたさ?」
 口を開けたまま、アレンはぶんぶんと首を横に振る。
 「僕でさえなれなかったのに、ティキがなれるわけないじゃん!!」
 いや、むしろ・・・と、アレンはきつく眉根を寄せた。
 「僕を差し置いて将軍になろうなんて甘いんですよ!
 全力で邪魔してやる!!」
 「なるほど、だから殺されそうになったんだね」
 邪魔だから、と、コムイが苦笑する。
 「ボクも面倒だから、できるだけあの人は敵に回したくなかったんだけどね、こうなったら仕方ないよね」
 ため息をついて、コムイはアレンへと膝を寄せた。
 「アレン君、ボクをお義兄様って呼ぶことを許してあげるよ。
 だから・・・」
 「もちろん味方しますよ、お義兄様!!」
 喜び勇んで膝を詰めたアレンが、両手でコムイの手を握る。
 「まずは結納の日取りを決めましょうv
 一番近い大安はどの日かなっ!!」
 キラキラと目を輝かせるアレンの手はしかし、無情に振り払われた。
 「何勘違いしてんの!
 お義兄様と呼ぶことは許してあげても、リナリーをあげるなんて一言も言ってないよ!」
 「なにを今更?!
 そんなのダメですよ!!」
 悲鳴じみた声をあげるアレンに、コムイは鼻を鳴らす。
 「望みを叶えたいなら、誠心誠意ボクに尽くすことだね!」
 「もちろんですとも!!!!」
 再び希望に目を輝かせ、大きく頷いたアレンの傍らで、ラビがそっとため息をついた。


 「絶対騙されてるって、アレ」
 部屋を出た後、コムイの耳に届かなくなった辺りでこっそりと囁かれ、アレンはきゅっと眉根を寄せた。
 「そ・・・そんなことないもん・・・!
 がんばればきっと、お義兄さんもわかってくれるもん・・・!」
 「わかってくれたお義兄さんは、『さっさと水戸の上屋敷に帰って藩主の動向探って来い』なんて言わんさね」
 体よく追い出されたのだと言うラビに、アレンは眉根を寄せる。
 「お義兄さんって意地悪な天帝みたい・・・。
 リナリーと僕を引き裂いて喜んでるんですよ!」
 織姫と彦星みたいだ、と嘆くアレンにラビが苦笑した。
 「・・・天の川以前に、姫さんがまだ結婚を承諾してないけどな」
 「それはっ・・・!」
 「ま、登城する以上、一旦は帰んなきゃなんなかったんだし?
 ユウちゃん探してとっとと帰ろうぜ」
 アレンの反駁を遮ってやると、拗ねた子供は目を尖らせて辺りを見回す。
 「守るべきご主人様放って、どこほっつき歩いてんですか、あの凶悪面!」
 気に入らないことばかりだと癇癪を起こすアレンに、ラビが小首を傾げた。
 「んー・・・。
 お前が目ぇ回してから、どっかいっちまったんだよな、ユウちゃん。
 もしかしたらお姫さんと一緒かも・・・」
 「ゆるすまじバ神田!!!!」
 ラビの言葉をアレンの悲鳴じみた声が遮る。
 「人の物に手ェ出そうなんてどんな教育受けてんですか!!!!」
 「・・・お姫さんはまだお前のもんじゃねぇだろ」
 地団駄踏んで怒るアレンにラビが呆れるが、彼は妙に確信に満ちた顔で鼻を鳴らした。
 「将来的に決定事項です!
 たった1〜2年の差で四の五の言ってないで、あの馬鹿探しますよ!!!!」
 2年以内にリナリーをゲットする、と、言外に言ったアレンにラビは苦笑する。
 「ホント、こうと決めたら絶対曲げねぇんだから・・・こらこら!そっち裏口さね!
 もう出てくつもりさ?!」
 方向音痴のアレンは真っ直ぐに裏口へと向かって行き、ラビに止められた。
 「・・・リナリーの部屋ってどこ?!」
 「さすがに知るわけねぇさ。
 行き会った女中にでも聞いて・・・」
 言いかけたラビが、ふと、騒がしい声に目を向ける。
 「・・・裏口の方からさ。
 なんかあったんかね?」
 ここに来るまでに何度も命を狙われたため、緊張気味の声にアレンは大きく頷いた。
 「行って見ましょう!
 恩を売ってリナリーの好感度を上げるチャンスかも!!」
 「〜〜〜〜なんでそっちの方に持って行くんさね、アレンは!
 ちったぁマトモな手段でアピールしようとか思わんの?!」
 あくまで策略を巡らせるアレンに心底呆れて、ラビは先に立った彼の後に続く。
 が、途中でわらわらと集まった奥女中達が廊下を塞いで、それ以上行けなくなっていた。
 「どうしたんだろ?
 あのー!通してもらっていいですか?」
 声をかけると、アレンの存在に気づいた者達が道を開ける。
 それが再び閉ざされる前にラビも続き、黒山の向こうにいた老女に目を見開いた。
 「乳母やさん!」
 思わず声をあげると、こちらを見遣った彼女はにこりと笑う。
 元気そうな様子に、アレンもほっとして歩み寄った。
 「よかった・・・!
 無事だったんですね!」
 「もちろんですよ。
 戦国を生き残った者を甘く見ないで欲しいものですわね」
 焼け出される前と変わらない、気丈な声にアレンは嬉しそうに頷く。
 「リナリーも喜びますよ!
 あ、僕呼んで来ます!
 姫様のお部屋はどこですか?」
 どさくさまぎれにさりげなく、リナリーの部屋を聞き出そうとするアレンの腹黒さにラビがため息をついた。
 しかし、女中からまんまと場所を聞きだしたアレンは意気揚々と回廊を戻っていく。
 「おいおい、アレンさん?
 迷子癖のお前さんが、聞いただけでたどり着けるとでも?」
 民家であればともかく、将軍を輩出しようという大名屋敷が狭いわけがなかった。
 途端にアレンの足が緩み、ラビを先に立たせる。
 「・・・・・・やれやれ」
 「は・・・早く連れてってよ!!」
 わざとらしくため息をついた彼に、顔を真っ赤にしたアレンが声を詰まらせた。
 「しょーがねーなーご隠居はー」
 「むっ」
 不本意な呼び方をされて、殴り倒したくはあったが、ここでラビが使い物にならなくなっては困る。
 口を尖らせたまま無言のアレンに苦笑し、ラビは長く複雑な回廊を奥へ奥へと渡っていった。
 そうするうちに、美しい庭に面した離れに至り、アレンは番をするコムイの家臣に来訪を告げる。
 だが、既に手は打たれた後で、彼は危険人物として通告されたアレンを決して通そうとはしなかった。
 「なんでですかっ!!
 ぼ・・・僕は水戸の前藩主ですよっ!何の権利があって・・・」
 「御三家には加わらずとも、当家も近々並ぶべき家にござる。
 そう易々と姫に会わせるわけには参りません!」
 帰れ帰れと、巌のようにいかつい彼に迫られて、アレンの目がピチピチと泳いだ。
 「・・・じゃあ。
 リナリー!!乳母やさんが戻ってきましたよー!!」
 離れの奥へ向かって大声で呼びかけると、思った通り、リナリーが自ら駆け出てくる。
 「ばあやが?!」
 「うん!
 今、裏口近くの部屋にいますよ!」
 「無事だったんだね!!」
 喜色を浮かべたリナリーに背後から押しのけられ、たたらを踏んだ番人に生意気に舌を出したアレンは、リナリーと並んで回廊を走った。
 「よかったですね、リナリー!」
 「うんっ!!」
 頷いて、足を早めた彼女に置いて行かれそうになりながら、アレンも必死に走る。
 ために、離れへ向かった半分ほどの時間で裏口へと戻ってしまった。
 「・・・・・・大丈夫さ?」
 荒く息をついて、今にも白目を剥きそうなアレンに、ラビが苦笑する。
 「へ・・・へっちゃら・・・だい・・・!」
 根性だけは一人前のアレンに笑って、ラビが見遣ったリナリーは、乳母に抱きついて泣きじゃくっていた。
 「あー・・・そっか。
 乳母やさんでもいれば、こいつの曲がった根性もちったぁ直ってたかもしれんさね」
 くしゃくしゃと髪をかき混ぜられて、アレンが不満げに口を尖らせる。
 「どーせ僕はもらわれっ子ですよ!」
 ぷんっと頬を膨らませ、踵を返したアレンにラビが首を傾げた。
 「どこ行くンさ?」
 「帰るんですよ!」
 振り返りもしないアレンの、不機嫌な声だけが耳に届く。
 「あの様子じゃリナリーは僕に構ってくれそうにないし、とっとと帰って彼女をゲットする根回ししてた方がいいもん!」
 どすどすと床を踏み鳴らして進むアレンの後について行きながら、ラビがまた苦笑した。
 「じゃ、ユウちゃん呼んでくっから、玄関で待ってろさ」
 「あんた主人にナニ命令してんですか!!!!」
 きぃきぃと喚くアレンを宥めて、ラビは踵を返す。
 「あぶねーから先に帰んなよー!」
 「だったらさっさと戻って来いっ!!」
 完全にへそを曲げたアレンは、恐々と彼の顔色を窺う女中や家臣達に導かれて、玄関へと向かった。
 駕籠に乗って待っていると、ややしてラビが神田を連れて戻り、物々しい行列が動き出す。
 「目立っちゃなんねぇンじゃなかったのかよ」
 呆れる神田に、ラビが肩をすくめた。
 「拗ねまくった子供を大人しく帰すにゃこれが一番さ。
 ぐずってももう、出られないかんね」
 ヒソヒソと囁けば、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
 「あの兄妹の命運が、こんなクソガキにかかってるとはな」
 忌々しげに尖った目で睨まれているなどつゆ知らず、アレンは駕籠に乗せられて、水戸の上屋敷へと運ばれていった。


 「げ。
 あの隠居、なんでこっち来てんの?!」
 アレン帰宅の報を受けて、部屋でくつろいでいたティキは顔を引き攣らせた。
 「千歳のじい様がようやく帰ってくれたと思ったら、今度は年下の隠居かよ・・・。
 俺、今日は1年分働いたから、しばらく休むわ」
 言うや、裸足で坪庭に下りようとした藩主を、家臣らが慌てて止める。
 「も・・・もうじきいらっしゃいますから!」
 「俺はどっかに消えたと言ってくれ!!」
 必死に頼み込むが、家臣らはアレンの怒りを受けたくないとばかり、ティキ以上の必死さで彼を止めた。
 そうするうちに奥女中がアレンの来訪を告げ、間もなく年下の伯父がどかどかと踏み込んでくる。
 「ごきげんよう、ティキ。
 性懲りもなく、また逃げようとしてたでしょ」
 笑みも浮かべず、きっぱりと言ったアレンを恐々振り返ったティキが、愛想笑いを浮かべた。
 「ご・・・ごきげんよう、ご隠・・・居っ!!!!」
 「ジジィじゃないって、何度言えばその貧しいおつむにインプットされんですか!」
 無情にティキの頭を踏みつけたアレンが、冷え冷えとした目で見下ろす。
 「僕はあんたより年下なんですよっ!
 それをよくも若隠居させやがって千歳の木偶(でく)ガ!」
 ぐりぐりと頭を踏まれて今にも白目を剥きそうな藩主を、家臣らが慌てて引きずり出した。
 「ど・・・どうぞひらにご容赦を!!!!」
 畳に額を擦りつけて懇願する彼らに鼻を鳴らし、アレンは上座にどっかりと座る。
 「最初に言っとくけど、いくら千歳の後ろ盾があるからって、君を将軍に推挙したりしないからね」
 「い・・・いや俺も、なりたいと思ってなんか・・・」
 「当然でしょ!
 僕もなれなかった将軍に君がなるなんてことになったらね、再び戦国の世に戻してでもブッ倒すから覚えときなよ!!!!」
 ヒステリックに絶叫するや、再び座を立って出て行ったアレンに、ティキが唖然とする。
 「な・・・なんだ、あれ・・・?」
 なにを拗ねているのかと、呟いた彼に答えられる者は誰もいなかった。


 「根回し終わったよ!」
 そう言って藩主の部屋から出てきたアレンに、ラビがため息をつく。
 「悲鳴がここまで聞こえてたさ。ティッ・・・いや、殿さんになにしたん?」
 問うと、アレンは生意気に舌を出した。
 「道理を言い聞かせてあげただけですよ!」
 「・・・テメェの道理たぁ、テメェの欲望を全うするために周りを蹴落とすことかよ」
 神田の呆れ口調には、小ばかにしたように鼻を鳴らす。
 「このご時世、なめられたら負けです!
 さ!
 次なる根回しに登城しますよ!
 大奥への付け届けはもう、手配してんでしょうね?」
 小首を傾げたアレンに、ラビは大きく頷いた。
 「まーかせてっ!
 総取締のブリジット様は俺らの味方さv
 上様お気に入りのお中臈を早く追い出したいらしくて、スッゲー乗り気だったさね!」
 「女は怖ぇな・・・」
 眉を潜めた神田とは逆に、アレンはクスクスと笑う。
 「そんな怖ーい人が味方になってくれるなんて、心強いじゃありませんか。
 早速行きましょ♪」
 近所の家にでも遊びに行くような気軽さで言い出した彼を、しかし、誰も止められなかった。
 それは城内でも同じく、歳は若いが血筋的に神君に近い彼は、遠慮会釈なく奥へ奥へと進んでいく。
 「いいなぁ、ここ。
 この紋所がーなんて言わなくてもみんな道を開けてくれるし、主を主とも思わない家来は大人しいしv
 「・・・そりゃ俺らのことかよ」
 そっと囁いたラビに、アレンはクスクスと笑いだした。
 「神田もだよっ!
 まったく、僕が君達にないがしろにされてるなんて、ここの人達が聞いたらなんて思うでしょうねぇ!
 酷い家来だって言うよ、きっと!」
 「その前に、ひでぇ主で気の毒にな、って言われるぜ」
 鼻を鳴らした神田にムッと口を尖らせたものの、奥へ行くほど恭しく道をあける大名小名達に機嫌を直し、アレンは意気揚々と進んで行く。
 ・・・が、例外はどこにでもいるもので、アレンの侵攻は立ち塞がった側用人によって阻まれた。
 「待たれよ、ご隠居。
 なんの御用あって奥に参られるか」
 「げ。リンク・・・・・・」
 天敵の出現に顔を引き攣らせたアレンの背後で、神田とラビがこっそり笑う。
 「お約束があるようには伺ってませんが?」
 「・・・次期将軍の選定に加われって、はるばる水戸から呼び寄せたのはそっちでしょうに。
 来たよって挨拶するのがそんなにいけないこと?!」
 「先にお声掛けいただければ、もちろんおもてなししましたとも!
 しかし、本日はお屋敷からも何のご連絡もいただけませんでしたので・・・」
 「な・・・なんだよ・・・・・・」
 思わせぶりに言葉を切った側用人に気を呑まれまいと、アレンは殊更傲慢に彼を睨んだ。
 が、子供の虚勢などお見通しとばかり、彼は鼻を鳴らす。
 「こちらにはお茶菓子の用意がありませんが、よろしいか」
 「ドケチ!!!!」
 早々に登城したのは実の所、城内でしか口に出来ない各地の名産品を思う存分頂こうという腹だったのに、初手から躓いたアレンが泣き声をあげた。
 その声ににんまりと笑った側用人は、丁重にアレン達が渡ってきた回廊を示す。
 「控えの間でお待ち頂けるなら、お勝手に申し付けて運ばせますが?」
 戻れ、と、言外に言う彼をじっとりと睨んだアレンは、むくれて踵を返した。
 「たくさん持ってきてよね!!」
 「心得ました」
 態度だけは丁重に、しかし、まんまとアレンを追い払った側用人に、家来のはずの二人が『グッジョブ!』のサインを送る。
 「・・・・・・あちらの家も、謎ですねぇ・・・」
 呆れ果てた声は、アレンには届かなかった。


 「何の騒ぎかね」
 執務中の将軍が戻って来た側用人に問うと、彼は淡々と一礼した。
 「水戸のご隠居がお目通り願いたいとおっしゃっていましたが、お約束がございませんでしたので、一旦お引取り願いました」
 その報告に、将軍は冷たく鼻を鳴らす。
 「どうせ菓子目当てでしょう。
 適当に餌を与えて黙らせておきなさい」
 「既にしかるべく」
 手際のいい側用人に頷いて、将軍は吐息した。
 「次期将軍には、ぜひ良法を引き継いでもらいたいものだ。
 今は行きすぎだと思われるだろうが、この生類憐みの令があれば世は格段に平和になるのだから」
 「おっしゃるとおりでございます」
 頷いて、側用人は町奉行所がまとめた書類を手に取る。
 「法の施行以降、捨て子と辻斬りの件数は目に見えて減っております。
 また、斬り捨て御免の赦免条件も厳しくなっておりますので、武士が滅多に刀を抜かなくなったと、町民達は喜んでいるそうでございます」
 その言葉に、将軍は満足そうに頷いた。
 「犬をはじめとする鳥獣の保護ばかりに目を向けさせて、悪評を立てようと躍起になっている輩には、さぞかし残念なことだろうね」
 「物言わぬ鳥獣もさりながら、物言う民も上様のご恩に感謝しておりますとも」
 だからこそ彼の系譜を絶やそうと、政敵達は躍起になっているのだ。
 彼らが欲しいのは便利な傀儡であって、名君ではないのだから。
 「まぁ・・・ほぼあれに決まりそうだと言うし、あれも民を虐げて喜ぶような性質ではないからね。
 よくよく言い聞かせれば、遵守してくれることだろう」
 とは言いつつ、将軍は不安げに筆を握り締めた。
 「上様」
 「・・・ん?」
 声を掛けられて、自身が考え込んでいたことに気づいた将軍が顔をあげる。
 「お手元のもので最後でございます。
 大奥に申し付けて茶会の用意をさせておりますので、終わりましたら・・・」
 「終わった、行こう!!」
 急いで筆を走らせるや、将軍は後片付けを残った者達に任せて立ち上がった。
 「お待たせしているだろうか?!」
 誰を、とは言わない将軍に、側用人は首を振る。
 「お渡りの報せを送ってから来てくださいますよう申しておりますので、ちょうどよい頃合かと」
 母堂や御台所であればともかく、一女中への配慮としては異常なものがあったが、将軍は気にしないどころか尤もだと頷いた。
 「いつまでもいて頂きたいものだが・・・」
 呟いた将軍が、重く吐息をもらす。
 次期将軍を推挙したミランダが大奥を去ると申し出た際、総取締に取り立ててでも引きとめようとしたが、それは固辞されてしまった。
 「おかげでブリジットがへそを曲げてしまい、マンマが大奥を出られることが確実に・・・」
 墓穴だった、と悔やむ将軍を、側用人が気遣わしげに見遣る。
 「あれを後継者に決めてしまったら、私も引退しようか・・・。
 そうすれば個人的にお会いに行ってもいいだろう?」
 「そうですね、姉も喜ぶと思います」
 大きく頷いた側用人に満足げに笑い、将軍は大奥へ入った。
 「マ・・・あぁ、いたのかね、総取締」
 蕩けきった顔を慌てて引き締め、将軍はわざとらしく咳払いする。
 「もちろん、お出迎えをしないわけには参りませんので」
 きりりと眉を吊り上げ、厳しく言った彼女から将軍は目を泳がせた。
 「あ・・・後は我らだけで。
 皆、下がってよろしい」
 「・・・・・・よろしいのですか?」
 あえて聞き返したブリジットと真正面から目が合ってしまい、将軍は気まずげに頷く。
 「・・・では、下がらせていただきます」
 深く一礼したブリジットが、女中達を引き連れて去っていくと、誰からともなくほっと吐息が漏れた。
 部屋中に満ちていた緊張が解け、上座にぺたりと座り込んだ将軍へ、側用人が茶を差し出す。
 「お気を確かに」
 「あ?あぁ・・・」
 受け取った茶を一口飲んで、もう一度吐息した将軍は、外を行く衣擦れの音に耳を澄ました。
 ブリジット達が完全に姿を消すまでは黙っていようと、息を殺す様が離れても感じ取れて、彼女は忌々しげに鼻を鳴らす。
 「・・・中臈は早く出してしまわなければいけませんわね。
 弟と一緒に取り入って、忌々しいこと」
 元々身分低い家の出身であったくせに、弟が側用人として取り立てられるや大奥に入り、あっという間に将軍のお気に入りになってしまったミランダを良く思わないものは多かった。
 積極的に同意する背後の女中達に頷き、ブリジットは大奥の外と詮議する間に入る。
 「本日はどなたがお見えですの」
 控える小姓を冷たく見下ろすと、彼は御三家はじめ、高位高官の名を並べた。
 「・・・そう、水戸の若隠居がおいでなの。
 珍しいお菓子がありますからいらっしゃいませんか、と伝えなさい」
 広げた扇の陰で薄く笑う彼女に震え、彼は許される限り素早く伝令に走る。
 控えの間に駆け込むと、側用人が用意したお菓子に囲まれていたアレンは彼の申し出に目を輝かせた。
 「珍しいお菓子?!
 行きます行きます!」
 跳ねる様に立ち上がり、小姓について行ったアレンは、ブリジットの待つ部屋へと入る。
 「ごきげんよう、ブリジット殿!」
 仮面の笑みを浮かべて控えるブリジットの傍に座ったアレンは、高杯に山と乗せられた外国の菓子に頬を染めた。
 「どうぞ、お好きなだけお召し上がりください」
 言われるまでもなく、さっそく手を伸ばした菓子はどれも夢のように甘くて、アレンの顔を蕩けさせる。
 「いかがですか?」
 「とっっってもおいしいれふっ!」
 きらきらと目を輝かせるアレンについ、微笑んでしまったブリジットが慌てて表情を改めた。
 「・・・アレン様、本日お越し頂きましたのは、ご相談あってのことですの」
 「はい。
 次期将軍選定のことですか?」
 次の皿に手を伸ばしながら言うアレンに、ブリジットが頷く。
 「既にほぼ決定はしておりますが・・・確約を頂きたく」
 「確約?」
 意外そうに目を丸くしたアレンが、頬張った菓子を茶で飲み下した。
 「・・・あのですね、ブリジット殿、僕はその・・・ちょっとした理由があって、候補者の一人を選定することに決めています。
 それを覆してくれってお願いだったら、難しいかなぁと」
 「アレン様が推挙なさるのはこちらの御方でしょうか?」
 広げた扇に指で名を書いた彼女に、アレンは無言で頷く。
 「・・・えぇ、わたくしも、ぜひこの方をご推挙願いたいと思っております」
 「へ?」
 ではなぜわざわざ、と意外そうなアレンに、ブリジットが苦笑した。
 「水戸様には、あるお噂が・・・」
 多くを語らない彼女に察して、アレンは大きく頷く。
 「そうですよね、僕は水戸の前藩主なんですから、当然彼を推挙すると思われますよね」
 クスクスと笑って、アレンはまた菓子を摘んだ。
 「安心してください。
 僕は千歳とは組んでないし、僕がなれなかったってーのにあんなテキトーな甥を将軍に推挙したりしませんから!」
 きっぱりと断言したアレンに、ブリジットがにこりと微笑む。
 「安心しましたわ。
 もっと召し上がりますか?」
 「はいっ!」
 大きく頷いた彼の周りに、見たこともないような色とりどりの菓子が並んだ。
 「ところでもう一つ・・・これはお願いなのですが・・・」
 珍しく口を濁した彼女を不思議そうに見遣ると、扇を閉じて咳払いする。
 「少々問題のあるお中臈がおりまして、上様を篭絡して困っております。
 このままでは上様のご判断を狂わせかねませんので、しばらくそちらさまにお預けすることは可能でしょうか」
 尋ねる口調ではあるが、要請以外のなにものでもない。
 「いいですよ。どちらの家の方ですか?」
 大奥から理由もなしに実家に帰すことははばかりがあるのだろうと察し、尋ねると、『側用人の姉』だと言われた。
 「そっ・・・リンクの・・・?!」
 ではラビが言っていた『お中臈』とはリンクの姉だったのかと、御三家にも容赦のない彼の顔を思い浮かべて喉を詰まらせたアレンにブリジットが頷く。
 「ご存知でしょうが、彼は上様がご領主であられた時から付き従っている家臣でございます。
 身分は低いながらご寵愛一通りではなく、側用人の邸には何度もお越しになっておられます」
 「えぇ・・・そうなんですよねぇ・・・」
 将軍が一家臣の邸に何度も赴くなど、これまでになかったことで、異常なことだと国元でも噂になっていた。
 「問題の中臈は姉弟で上様を誑かしているのだと、大奥では身の置き所もない様子・・・。
 このままでは彼女自身のためにもなりませんので、早く大奥を出るように申し付けているのですが、なにしろ上様のお気に入りですので・・・無碍にするわけにも参りません」
 「ですよねー・・・。
 僕も会ったことはありませんけど、御三家はじめ、親戚達から噂は良く聞いてますよ。
 あんまりいい話じゃありませんから、今回、僕も機会があれば口を挟まなきゃなぁって思ってました」
 お気に入りを取りあげてやれば、あのチョビヒゲがどんなにがっかりするだろうかと、意地の悪い喜びは上手に隠して、国を憂う重臣の振りをする。
 「ブリジット殿の方から持ちかけていただいて良かったです。
 さすがに着の身着のまま連れ出すわけには行きませんから、身の回りの整理が出来次第、水戸藩の邸に移ってもらってかまいませんよ」
 当主を差し置いているなどと思いもせず、アレンは大事な事を勝手に決めてしまった。
 「助かりますわ」
 ブリジットも、そんなアレンの性格を知っていながら微笑む。
 「既に、いつでも出られるよう準備はしておくように申し付けておりますので、本日にでも移れますでしょう」
 「へぇ・・・。
 それはまた、よほど・・・」
 邪魔だったんだな、と言う言葉は菓子を頬張ることでごまかし、アレンはニコニコと笑った。
 「おいしいですねぇ、このお菓子v
 「もっと召し上がりますか?」
 アレンが飲み込んだ言葉を察しながら、ブリジットも仮面の笑みを浮かべる。
 「いただきますv
 他人の運命を自由に操る二人は、面の皮一枚で微笑みながら、肚の中で大笑した。


 ―――― 後刻。
 「お、ようやく帰ってきたさ。
 なんの悪巧みして来たんさ?」
 ご満悦で控えの間へ戻って来たアレンを見て、ラビが苦笑した。
 「大奥総取締からお菓子いただいただけですよ。
 久しぶりだから、ちょっとおしゃべりしただけ」
 明らかに嘘くさいことを言って、アレンはラビの袖を引く。
 「ねぇねぇ、江戸でも水戸みたいに、盛大に七夕祭やっていいよね?
 ってか、やってるよね?」
 「・・・は?」
 なにをいきなり言い出すのかと、ラビが口を開けた。
 と、絶句したラビに代わって神田が鼻を鳴らす。
 「隠居させられたてめぇは知らねぇだろうが、江戸でも水戸でも、盛大な祭なんかやってねぇよ。
 なにしろ、前藩主の大食と当主の放蕩で金がねぇからな」
 「ええええええええ!!!!」
 「なに驚いてんさ、あったりまえだろ」
 まさか知らないとは思わなかった、と、ラビが呆れた。
 「当たり前じゃないよ!
 僕、隠居させられたから庵ではささやかにしか出来ないんだと思ってたもん!」
 ぷくっと頬を膨らませた彼に、二人が肩をすくめる。
 「なんさ、大奥で大見得でも切ってきたんか?」
 「どうせ大奥女中相手にカッコつけて、引っ込みがつかなくなったんだろ、馬鹿ガキ」
 「こいつ主人に馬鹿って言ったああああああああああああ!!!!」
 ぎゃあぎゃあと喚いて自分を指差すアレンの手を、神田が乱暴に払った。
 「一体なに言ってきやがったんだ」
 「そうさ、話してみ?」
 二人から迫られて、アレンの目がぴちぴちと泳ぐ。
 「あ・・・あのね・・・・・・」
 ぼそぼそと聞こえにくい声で呟いたアレンの頭を、二人が当時にはたいた。
 「なにすんだよ!!!!」
 「アホか!面倒なこと引き受けやがって!」
 「当主差し置いて総取締にそんな約束するなんて、下手すりゃ藩ごと潰されっさ!」
 反駁以上の声で怒鳴られて、アレンが亀のように首をすくめる。
 「どーっせ!
 外国の菓子かなんかで釣られてホイホイ受けちまったんさ!
 ホント、どうしようもないご隠居さね!」
 「食い意地のはったガキはいるだけで迷惑だな!
 堀にでも沈めて帰るか」
 天下一不遜な家臣達に好き放題言われても、アレンはいつものように歯向かうこともできずにしおしおとうな垂れた。
 「じゃあ・・・どうすればいいんだよ・・・・・・。
 お断りしてくればいいの・・・・・・?」
 拗ねた子供のような口調に苦笑したラビは、くしゃくしゃになったアレンの髪を撫でてやる。
 「隠居とは言え、前藩主が約束したことをそうそうやめることなんかできんさね。
 そのお中臈を藩邸にお招きする口実ってことで、やろうぜ祭♪」
 いいだろ、と目で問われて、神田もため息混じりに頷いた。
 「手間かけさせやがって」
 「・・・ホントにキミって、家臣らしくないですよねぇ!」
 ぷくっと、また膨らんだ頬は片手で潰される。
 「なんか文句あんのかボケ隠居!」
 「・・・・・・っありまひぇん」
 悔しさに頬を染めながら、アレンは渋々呟いた。


 ―――― 数日後、主が登城した甲斐甲府藩の上屋敷では、リナリーをはじめ、家中の全員が緊張に言葉少なだった。
 現在、城では次期将軍の選定が行われており、コムイが選ばれるかどうかで、彼だけでなく家中の運命が決まると言っても過言ではない。
 少しの物音にも飛び上がるほど、過敏になった彼らがそわそわと屋敷中を歩き回っていると、塀の向こうに黒煙があがった。
 「なっ・・・?!」
 それを最初に見つけたジジは息をのみ、同僚達を呼び集める。
 「隣から火が出てるぞ!!
 なのになんの騒ぎにもなっちゃいねぇ!どうなってんだ?!」
 大声で問いかけると、女中の一人が震え声で『国替えだ』と呟いた。
 「あ・・・あちら様は殿が新しいお国元へ向かわれましたので、奥方様はじめ皆様、下屋敷にお移りあそばされ、今はほとんど人がおりませぬ・・・!」
 「屋敷の端っこじゃ留守居役もきづかねってか!!」
 忌々しげに舌打ちして、ジジは皆を各所に走らせる。
 「火ィ消しに行くぞ!
 隣に残ってる奴らに教えて、後々問題にならねぇように、下屋敷にも連絡しとけ!
 念のため、姫達にはここから離れた場所に逃げてもらえ!」
 次々に指示を出し、自ら消火に向かう彼に多くの家臣らが続いた。
 報告を受けて、火から遠い場所へ避難させられたリナリーは、共にいる乳母の手を不安げに握る。
 「ねぇ・・・もしかしたら、また・・・・・・」
 焼き討ちでは、と呟くリナリーの背を撫でてやりながら、乳母は厳しい目を周りへ向けた。
 「お前達、決して油断してはなりませんよ!」
 表情を固くして頷いた家臣や女中達の内、縁側付近にいた者達が次の瞬間、次々に倒れる。
 「敵襲か!!」
 背に深々と矢を刺して、絶命した家臣らの姿に悲鳴をあげるリナリーの手を、乳母が引いた。
 「姫を渡せ!
 さもなくば、皆殺しだ!!」
 「くっ・・・!
 姫、早くお逃げください!!」
 背に敵の声を聞きながら走り出した乳母は、握っていた手を乱暴に振り解かれて慌てる。
 「姫・・・!!」
 「いい加減に・・・!」
 低く呟いたリナリーが、手近にいた家臣から槍を奪い取り、肩に構えた。
 「しろ!!!!」
 長槍がまるで投槍のように空を切り、塀の上から半身を出していた射手を貫く。
 「もっと頂戴!!」
 唖然とする家臣らが手にした槍を奪い取っては次々に投げつけると、逃げ損ねた射手達が短い悲鳴と共に落ちていった。
 「なめないでよね!!」
 殲滅しろ!と石突で床を叩けば、我に返った家臣らが邸の外へと飛び出していく。
 「戦だよ!!
 兄さんがお城にいる間に、こっちが負けるわけには行かないんだ!」
 リナリーの気丈さに、乳母はじめ女中達が頼もしげに頷いた頃、城内ではまさに、選定が行われていた。
 控えの間はさぞかし緊張に満ちているだろうと思いきや、彼らにとっては既に決まっていることである。
 形式でしかない詮議の待ち時間は退屈以外の何物でもなく、中でもほぼ部外者のティキは、うんざりとため息をついた。
 「なぁ・・・俺、もう帰っちゃダメ?」
 今にも寝転びそうなほど舟をこいだ後の発言に、皆が苦笑する。
 「気持ちはわかるけど、ここで帰っちゃったら後が怖いんじゃないの?」
 「そうなんだよなぁ・・・」
 ぶるりと震え上がったティキが、コムイに苦笑した。
 「まぁ、周りの思惑は置いといて、俺は敵対する気なんかないからさ、そこんとこよろしくー」
 「ハイハイ」
 飄々としたティキに思わず笑みを漏らしたコムイの前に、もう何杯目かの茶が置かれる。
 「いやもう、さすがにさ・・・」
 「うちの隠居じゃあるまいし、そんなに菓子ばっか食ってられな・・・」
 唐突に言葉を切ったティキが、茶菓を差し出した女中の顔をまじまじと見つめた。
 「ル・・・」
 嫌な予感がして周りを見回すと・・・不調を無表情の下に隠した候補者達がそっと、あるいは懐紙で口元を押さえながら部屋を出て行く。
 「おい・・・!」
 俯けた顔ににんまりと笑みを浮かべた女中が、そっとコムイを伺った。
 が、彼は平然として、出て行く者達を見送る。
 「夏は食べ物に気をつけないと、おなか痛くなるよねー」
 紀伊殿が真っ青だった、と、暢気に指差す彼に、女中が顔を引き攣らせた。
 「え・・・と・・・!
 甲斐殿は大丈夫・・・」
 「あ、ボク?
 平気平気。
 家臣達を実験台にして、改良に改良を重ねたコムビタンSXが、多少の毒くらいなら解毒しちゃうからv
 飲む?と、差し出されたいかにも怪しい小瓶は固辞して、ティキはため息をつく。
 「下がれ。
 そして・・・もう諦めろって伝えて」
 悔しげにティキを睨み、一礼して下がった女中が消えてしまうと、コムイもため息をついた。
 「いいの?
 後が怖いんでしょ?」
 死ぬかもよ?と、そっと囁いたティキは、また大きなため息をつく。
 「そん時はあんたが守ってよ。
 いちお、欲しいでしょ、御三家の味方?」
 「まぁねー。
 あの生意気な子供を引き入れようかと思ってたけど・・・ティッキーが味方してくれるんなら、水戸の借金なんとかしてあげていいよ」
 「ありがたいね」
 魅力的な交換条件を提示してくれた次期将軍に、ティキは頷いた。
 「ま、千歳は責めないであげてよ。
 この分だと、邸にもなんか仕掛けてるだろうケド・・・さ」
 「それは約束できないなぁ・・・」
 とは言え、将軍家を始めとする武家にとって、天皇家や五摂家とも関係の深い千歳家を無碍にすることはできない。
 「まぁ、邸はリナリーや家臣達がなんとかしてるだろうケド・・・次やったら潰すよ」
 そう言っておいて、と睨まれたティキは、いたたまれない思いで頷いた。


 一方、詮議の間では、既に決定していることを話し合うわけもなく、ただ形式通りに時間だけが潰されていく。
 最も発言力のある血筋ではあるが、最年少のアレンは早々に飽きてしまい、こくこくと舟を漕いでいた。
 「・・・まったく、この子供は」
 忌々しげに舌打ちした将軍が顎で指すと、隣に座った御三家の一人がアレンをそっとつつく。
 「ふにゃ?終わりまひた?」
 ぼーっと寝ぼけ眼を擦ったアレンは、年上の親戚達に睨まれて、気まずげに目を泳がせた。
 「・・・・・・水戸がすっかり飽きてしまったようなので、ここで仕舞いにしましょうか」
 うっすらと笑みを浮かべた将軍の凄まじい嫌味に、同席の者一同が顔を強張らせたが、当のアレンは気づかないのか、気づいても無視しているのか、嬉しげに笑う。
 「よかったーv
 僕もう、足が痺れちゃってv
 この後ごはんですか?」
 「くっ・・・!」
 忌々しげに睨んでも、アレンはきれいに無視して引き攣った顔の一同を見回した。
 「皆さんも飽きちゃいましたよね、とっくに決まってることの確認なんてv
 あ、僕おなか空いたんで、先に失礼していいですか?」
 許可を求める振りをしながら、既に腰を浮かしているアレンに将軍が舌打ちする。
 「水戸は当主の推挙をしなくていいのですか?」
 更に嫌味を言ってやるが、アレンはひらひらと手を振った。
 「僕がなれるんならともかく、あんなアホ推挙しません。
 どうぞ決めちゃってください」
 国の一大事を決めている場とは思えないほど気軽に言う彼に、一同が唖然とする。
 「それで、ごはんどこですか?」
 小首を傾げて部屋を出ようとする彼に、皆が一斉にため息をつき・・・長い『詮議』と言う儀式はなんとも中途半端に終わった。


 「終わりましたよー」
 てけてけと控えの間に駆け込んできたアレンを、コムイとティキが目を丸くして迎える。
 「な・・・なんだよ、隠居がわざわざ言いに来たのか?」
 小姓は?と、驚くティキにアレンの見事なドロップキックが決まった。
 「ジジィっつーなってんですよ、年上ガ!!!!」
 血を吐いて倒れたティキの上に立って、アレンはコムイを見下ろす。
 「約束通り、決めて来たんでリナリーをお嫁さんにくださいv
 「あげないよっ!!」
 我に返ったコムイが怒鳴り返すと、アレンは盛大に頬を膨らませた。
 「次期将軍ともあろう人が、約束破っちゃダメですよ!」
 「してないデショ!
 ボクは、推挙してねとは言ったけど、お礼にリナリーをあげるなんて一言も言ってないデショ!!」
 膨らんだ頬をぶにぶにとつついて潰してやるが、懲りないアレンはぶんぶんと首を振る。
 「推挙したらリナリーをお嫁さんにもらうって、『解釈した』もん!!
 リナリーはもう、僕のものですー!!!!」
 我侭なアレンが地団太を踏んで、下敷きのティキが更に吐血した。
 「わ・・・わからない子だね!
 大切な可愛い妹を、キミみたいな腹黒い子供にあげるわけないでしょ!
 お兄ちゃんとして当然だよ!!」
 なおも言い張ると、アレンはむくれて手を叩く。
 「家臣さーん!!コムイさんの家臣さーん!!!!」
 大声で呼ばわると、別室に控えていた家臣らが何事かと駆けつけてきた。
 「家老って誰?」
 ティキの吐血で血みどろになった畳に目を奪われた者達のうち、一人が顔をあげる。
 「オ・・・いや、私ですが?」
 腹黒いと噂の子供に顔を引き攣らせつつ挙手すると、アレンは生意気に胸をそらして彼を指差した。
 「許婚さんは預かっています!
 返して欲しくばリナリーと僕の仲を取り持ちなさい!」
 「ホンット腹黒いなあんた!!!!」
 身分差など忘れて絶叫した家老に、コムイが大きく頷く。
 「そう思うよね、リーバー君!
 こんな腹黒い子にボクの大切なリナリーをあげちゃうなんて、とんでもないよ!
 だからキミ、今回はミランダさんのこと諦めてだね・・・」
 「あんたもとんでもないこと言うな!!!!」
 自分のために許婚との仲を引き裂こうとするコムイにも怒鳴って、家老は頭を抱えた。
 「・・・・・・了解。
 取り持ちましょう」
 「やった!」
 「ちょっとちょっとリーバー君!
 キミ、主人をなんだと・・・!」
 絶叫するコムイの腕を掴んで、家老はそっと耳打ちする。
 「・・・うん、そうだね」
 にんまりと笑ったコムイは、咳払いしてアレンに向き直った。
 「・・・わかったよ、アレン君。
 リナリー本人がいいと言えば、って条件付だけど、ボクは認めてあげるよ」
 「わーい!!!!」
 諸手を挙げて、アレンが快哉をあげる。
 「じゃあ僕、さっそく求婚してきますv
 ありがとう、お義兄さんvv
 くるりと踵を返したアレンの襟首が、すかさず掴まれた。
 「お待ちよ、アレン君。
 認めてあげるとは言ったし、条件はリナリーの承諾だけど、それ以前にやることがあるよね?」
 「やること?」
 なんだろう、と、きょとんとするアレンに、コムイが悪い笑みを浮かべる。
 「この国には古来より、求婚者がどの程度愛情深いか試す風習があるじゃないか!」
 「そ・・・そんな風習ありましたっけ・・・?」
 不安げなアレンにコムイが笑みを深めた。
 「あるとも!
 絶世の美女を手に入れたければ、ぜひともやるべき伝統的な風習がね!!」
 コムイの表情とその言葉に嫌な予感しかせず、アレンは首をすくめる。
 「そ・・・それってどんな・・・・・・」
 「結納品を持っておいで!!!!」
 「・・・あ、なんだそんなことですか」
 よほど無茶なことを言われるかと思ったのに、存外まともなことを言われて、アレンがほっと吐息した。
 「そうですよね、もちろん、結納品は収めますとも。
 えぇと、こちらの家中ではどんな・・・」
 言いかけたアレンは、コムイの笑顔が邪悪に歪む様に言葉を切った。
 「あ・・・あの・・・」
 「まず!!」
 アレンを遮って、コムイが指を立てる。
 「天竺にあるという、仏の御石の鉢!!」
 「インドッ!!」
 水戸が独自に海外貿易しているとは言え、そんな遠くの物が手に入っただろうかと、蒼ざめたアレンの目の前に、二本目の指が立った。
 「そして、蓬莱の玉の枝!!」
 根が銀、茎が金、実が真珠で出来ていると言う木の枝は、真珠の産地にでもいけば存外簡単に作ることができるだろうと、アレンは無言で頷く。
 そんなアレンに、コムイは更に三本目の指を立てた。
 「火鼠の裘(かわごろも)と龍の首の珠!」
 続けざまに四本の指が立ち、手が大きく広げられる。
 「そんで燕の子安貝!
 まぁ、アレン君とは知らない仲じゃないし?!
 たった五つで許してあげるよ!!」
 「それ『あげる』ってレベルじゃないですよね?!」
 どれもこれも、伝説にして存在すら疑わしいものを並べられては、拒否されたも同然だ。
 「ちょっと家老さん・・・!」
 「取り持ちましたよ、俺は」
 いけしゃあしゃあと言った彼に反論できず、アレンは悔しげに唇を噛む。
 「・・・・・・じゃあ、ものは相談ですが」
 いつも悪知恵を授けてくれるラビがここにいないことを悔しく思いながら、アレンはコムイを睨んだ。
 「コムイさんはこの国の将軍になるんですから、よもや・・・よもや海外製品がサイコーなんていいませんよね?」
 「え?!
 あ・・・そりゃもちろん・・・だよ・・・」
 にんまりと笑ったアレンに嫌な予感を覚えつつ答えると、アレンは清々しく笑う。
 「よかったーv
 じゃあ、仏の御石の鉢は・・・そうだ!
 甲府の翡翠で鉢を作らせて、お寺に献上しましょv
 蓬莱の玉の枝は真珠の産地で作れるし、火鼠の裘ってつまり、燃えない布ですよね?
 それは筑波の職人に研究してもらえば作れると思います。
 優秀なんですよ、僕んちの職人v
 龍の首の珠と燕の子安貝は難しいなぁ・・・。
 そうだ!
 リナリーにどんな宝玉とどんな宝貝が欲しいか聞いてみますよ!
 水戸と甲斐甲府藩の名物になれば、お国も安泰ですよねーv
 邪悪な笑みを浮かべ、愉快げに言い放ったアレンへ、コムイが今にも殺しそうに手を伸ばした。
 「ちょ・・・落ち着いてください!
 殺したくてもここは殿中で、相手は長老です!」
 「ジジィじゃありませんってば!!」
 家老の言葉に気を悪くしたアレンが、ティキの上で飛び跳ねてまた彼に吐血させる。
 「くっ・・・!わかった・・・よ・・・!」
 悔しげに唸ったコムイが、喜色を浮かべたアレンに『ただし!』と指を突きつけた。
 「それ、アレン君が自分で集めるんだよ!
 全国行脚してね!!!!」
 「ええええええええええええええええええ!!!!」
 海外品を輸入するだけなら座して待っていられたものを、自分の足で収集しろと言われ、アレンが悲鳴をあげる。
 「こんなか弱い僕に足を使えだなんて、お義兄さん傍若無人です!!」
 「腹黒いキミに言われたくないよっ!!!!」
 どっちが傍若無人だと、怒鳴ったコムイに踏みつけにされるティキも同意した。
 「さぁ!とっとと行っといで!!
 何年かかろうと、自分の足で赴いて集めないことには、『か弱い』アレン君になんてリナリーはあげないから!!」
 言葉尻を取られたアレンは、悔しげに唸る。
 「どうなの?!」
 「わかりましたよ!!」
 怒鳴り返して、アレンはコムイに背を向けた。
 「行けばいいんでしょ、行けば!!
 その代わり、絶対約束ですからね!
 この約束破ったら、また戦国の世に戻してでも奪ってやる!!」
 とんでもない捨て台詞を吐いて出て行こうとするアレンの背に、家老が声をかける。
 「旅に出る前に、ミランダは返してくださいよ!」
 「わかってますよっ!!!!」
 肩越しに思いっきり舌を出して、アレンは足音も荒く出て行った。
 後には、血みどろの当主が残されている。
 「・・・キミ、彼の甥だなんて、生まれた時から不幸なんだねぇ・・・」
 コムイにしみじみと言われ、ティキは畳に涙をこぼした。


 「なんで一緒に来てくれなかったんだよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 おかげで酷い因縁をつけられたと、泣き叫ぶアレンの背を撫でてやりながら、ラビは苦笑した。
 「そんなこと言ったって、お前がミランダ殿の監視命じたんじゃんさー・・・」
 監視とは言っても、藩邸にお預かりの身となったミランダが退屈しないように、話し相手をする役目だ。
 「そんなのあのアホ一人で十分だったでしょ!
 ラビがついてなかったから僕、お義兄さんにいぢめられたんですよ!!!!」
 「ユウちゃん一人じゃ怖がるからついてろっつったの、お前だろ!」
 自分の言ったことも忘れてラビを責めるアレンの頭をはたくと、更に泣き声が大きくなった。
 「ほれほれ、泣くなー!
 旅には兄ちゃんもついてってやるからさ」
 おもしろそう!と、目を輝かせるラビを見上げて、アレンが頬を膨らませる。
 「一年以内に集められる?」
 「そうさな・・・そりゃ、職人の腕にもかかってるだろうさ」
 中でも火鼠の裘は時間がかかりそうだと、ラビが眉根を寄せた。
 「一年以内って言ってよ!
 じゃないと僕、一年に一回しかリナリーに会えないよ!!」
 「へ?なんさ、それ?」
 目を丸くしたラビに、アレンは更なる条件として、『結納品を集めるまでは一年に一回しか会わせない!』と言われたことを話す。
 「はぁ・・・、
 そりゃまた、織姫と彦星みたいさね」
 季節的にも、と呆れると、アレンはがっくりとうな垂れた。
 「・・・ちなみに、今年の分はさっき終了しました・・・。
 お義兄さんと乳母やさんに監視されながら、すっごく短い時間、『宝玉は何が好き』と『宝貝は何が欲しい』って言われただけでした・・・」
 「そりゃまた・・・残酷な・・・・・・」
 よほどアレンが信用されてないのだろうと察して、ラビが苦笑する。
 「だから!
 一刻も早く全て入手して、リナリーを迎えに行くんです!」
 「はぁ・・・。
 じゃあ、姫さんの了承はもらったんさね」
 それだけでも良かった、と頷くラビから、アレンは不自然に目を逸らした。
 「・・・コラ」
 「あいたっ!」
 びしっと叩かれて、アレンが悲鳴をあげる。
 「またこの子は、自分勝手に決めてさ!」
 「勝手じゃないもん!絶対幸せにするもん!!」
 口を尖らせて反駁するアレンにため息をつき、ラビは彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 「じゃ、早速旅支度すっか。
 仏の御石の鉢と蓬莱の玉の枝、それに火鼠の裘は書状を送って作っといて、って言っとくけど・・・子安貝は琉球だろ?
 遠いさねー」
 一番近い外国、と言いながら、わくわくと目を輝かせるラビにアレンも頷く。
 「じゃ、早速あの馬鹿にも旅支度させましょ」
 「へ?ユウもつれて行くんか?」
 あんなに嫌ってる彼を自分から同行させるとは、珍しいことを言い出すもんだと驚くラビを、アレンが睨んだ。
 「あの馬鹿今どこですか?!」
 「バカバカうっせぇよ、クソガキ!」
 大声をあげた途端、襖が開いて殴られて、アレンが泣き声をあげる。
 「ぬ・・・盗み聞きなんて卑劣な!!」
 「テメェが隣の部屋に駆け込んで、あたり構わず泣き喚いてたんだろが!!!!」
 「うぐぅ・・・!」
 アレンが悔しげに黙り込むと、はらはらと様子を伺っていたミランダが、恐る恐る声をかけて来た。
 「あ・・・あのう・・・?
 皆さんがいなくなってしまうのでしたら、私・・・・・・実家に帰ってよろしいのでしょうか・・・・・・?」
 大奥を追い出されたのはブリジットの画策だとしても、いつまでここに『お預け』の身なのかと、不安げな彼女にアレンは涙を拭って頷く。
 「甲斐甲府藩の家老さんにはもう、話しつけてますから。
 僕がいいって言えば、家老さんが迎えに来ますよ」
 「そうですか・・・!」
 ほっと胸を撫で下ろしたミランダに、アレンは駆け寄って手を取った。
 「僕、家老さんと約束したんですよ。
 家老さんが、僕とリナリーの仲を取り持ってくれるって!」
 「そ・・・そうですか・・・」
 それと今手を握られていることと、なにか関係あるのだろうかと戸惑うミランダに、アレンはにこりと微笑む。
 「だからミランダさんも、姫に僕がいかに親切で紳士だったかって吹き込んで・・・」
 「連れて来ただけでほったらかしだった奴がなんか言ってっぞ」
 苛立たしげに舌打ちした神田を、アレンがきっと睨みつけた。
 「・・・あんた黙って旅仕度したらどうですか」
 「ついてってやるなんて、俺ァ一言も言ってねぇよ」
 睨み返されたアレンが、こめかみを引き攣らせる。
 「あんたみたいな危険人物、江戸に残してけるわけないでしょ!!
 僕が離れた途端、リナリーに迫って逆玉に乗るに決まってるもん!!
 そうは行くか、ぱっつんめ!
 僕がつきっきりで監視してやる!!」
 「うぜぇ!」
 実に恣意的な理由で同行を命じられた神田が、忌々しげにアレンをはたいた。
 「こいつ何度も主人に手を上げてー!!!!」
 打ち首だ獄門だと騒ぐアレンにミランダが怯え、ラビがため息をついて彼を羽交い絞めにする。
 「はいはい、どーどー。
 ユウも、そんなにいじめんで」
 騒がしいから、と、またため息をついて、ミランダへ苦笑した。
 「じゃ、俺らそういうわけで旅に出るから。
 家老さんには迎えに来てもらうよう、連絡しとくさ」
 「は・・・はい・・・」
 「リナリーによろしく!!僕のイイお話をよろしく!!」
 尚も言い募るアレンには曖昧に笑ったものの、こんな腹黒い子供を主家の姫に娶わせていいものかと不安になる。
 「お・・・お気をつけて・・・」
 とりあえず当たり障りのないことを、と微笑んで、ミランダは騒がしい一行が、ケンカしながら出て行く背中を見送った。


 ―――― 後日。
 不本意な旅人となったアレンは、指にかけた印籠を振り回しながら、憮然と道を歩いていた。
 「琉球って、九州の先だよね。
 年内に帰ってこれるの?」
 不機嫌な声で問えば、ラビが暢気な声で『がんばればなー』などと、いい加減なことを言う。
 「なんだよ!
 当てもない旅なんて僕、ヤだからね!
 自分なんて探さなくったってとっくにあるんだから!」
 「・・・俺はむしろ、腹黒くないお前を探して欲しいけどな」
 南国の海と風がこの黒さを白く染め替えてはくれないものだろうかと、ため息をついたラビとは逆に、神田は乱暴にアレンをはたいた。
 「四の五の言ってねぇでとっとと歩け、クソガキ!」
 「それが主人に・・・きゃんっ!!」
 神田に吠え掛かるのに夢中で前を見ていなかったアレンが、なにか大きなものにぶつかって子犬のような声をあげる。
 「なっ・・・なにすんですか、無礼者!!
 この紋所が目に入らぬかー!!」
 自分が悪いくせにあからさまな八つ当たりをするアレンへ、目の前の大男が屈み込んだ。
 「・・・すまない、盲目なもので。
 なんの紋なのかな?」
 申し訳なさそうに彼が言うと、しゃくりあげたアレンはくるりと踵を返す。
 「びー!!!!」
 アレンに泣きつかれたラビは、ため息混じりに彼の頭をはたいた。
 「自分が前見てないのが悪いんさ。
 謝るのはお前だろ」
 言って、アレンを大男に向き直らせる。
 「子供が失礼したさ。
 ホレ、アレン!」
 「・・・・・・・・・ごめんなさい」
 ちんまりと一礼したアレンに大男は気さくに微笑み、ラビにはたかれた頭を撫でてくれた。
 「よい旅を」
 「・・・・・・そうですね」
 大男と、その背後の夏空を見上げて、アレンが頷く。
 「冬までには・・・帰ってこれますように」
 肩越しに城を見やったアレンは、大きなため息をついた。


Fin.

 










リクエストNo.33『水戸黄門パロ』でした!
実はこれ、出来上がるまでに4〜5年はかかってるんだ・・・ぜ・・・!(マジで!)
ラストが中々思い浮かばなかったので、途中まで書いてはやめてを繰り返して、ようやく書けました!
えぇ、誕生日SSの隙間時間に何度も書いてたんですけどね;
今年の七夕なに書けばいいかなぁ・・・と思って、そうだこれ使おう!ってことになりました。
出来上がってよかった・・・!
本当に難産でしたが、わがまま放題のご隠居を気に入っていただけたら嬉しいです(笑)












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