† XXX †
†このお話はヴァンパイア・パラレルです† D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。 頭を空っぽにして読んで下さいね |
東欧の国、ルーマニア・・・。 裾野を深い森に囲まれた山の頂きに、その城はあった。 中世には既に建っていたというそれは、古めかしくありながら、現代の大砲でさえ難なく防ぐ厚い城壁に守られ、山頂に重々しく鎮座している。 古い一族を敬遠する人々は、そこに住まう領主一家にまつわる噂をいくつも知っており、麓で生まれた子供達を決して城に近づけようとはしなかった。 やがてその子供達も成長し、子を生んで、親から伝えられた噂話をまことしやかに語る。 『あの城には、決して近づいてはいけない』 『無闇に近づけば、取って喰われてしまうよ!』 『なぜならあの一族は・・・』 闇に潜む耳をはばかり、声には出さず、唇だけを動かした。 『―――― 吸血鬼なのだから』 ―――― 夜空へと延びる尖塔の一つ一つに明かりが灯り、巨大な燭台が炎を上げているかに見える。 いつもは闇に沈み、その存在感だけを不気味に漂わせる城に明かりが灯ると言うことは、領主一族の帰還を意味していた。 迷信深い領民達は息を潜め、子供達がさらわれないよう、窓のない部屋へ押し込めて、眠れない夜を過ごしている。 だが一方の城内では、そんな彼らの不安を他所に、領主夫人が暢気な声をあげた。 「温泉にー!行きたあああああああああああああああい!!!!」 突然の大声に、傍にいたミランダが驚いて飛び上がる。 「お・・・お・・・温泉・・・ですか・・・?!」 びくびくと怯える妹に頷くと、彼女は甘えるように夫へしなだれかかった。 「もう2ヶ月も城から出てませんのよ、あなた・・・! せっかくの社交シーズンを、こんな愛想のない領民に囲まれて・・・いい加減出て行ってあげないと、彼らも倒れてしまいますわ!」 自身の嫌気を領民への気遣いへと摩り替えた妻に気づかないのか、彼は暢気に小首を傾げる。 「エリアーデの言うことも尤もであるが・・・ヴァチカンが気を尖らせている最中に、あまり出歩くなと長老から言われているのである・・・」 「近場ならいいでしょぉ、アレイスターさまぁ ブダペスト行きましょブダペスト それとも・・・と、エリアーデは細く白い指を顎に当てた。 「バーデン・イン・バーデンがいいかしら?」 その名にぴくりとミランダが反応し、彼女の傍に寄っていたハワードも顔をあげる。 「ミランダも行きたいわよね? あそこにはいろんな国の人間が保養に来るのですもの、ヴァチカンだって一々監視なんか出来ないわ 「そうであるな・・・」 軽く頷いて、アレイスターは弟を見遣った。 「あそこに別荘はあったであるかな?」 「いえ。 ウィーンのバーデンには持っておりますが、ドイツのバーデン・イン・バーデンにはありません。 そこからやや外れた村の、元豪農の館を買い取って補修してはいますが・・・」 姉の震える手を両手で握ったまま、ハワードが気遣わしげに言うと、エリアーデも妹の肩を優しく抱く。 「ですってよ、ミランダ。 もうそろそろ、行ってもいいのじゃないのかしら」 そっと囁かれて、ミランダは弟の手を握り返した。 「村には・・・人が戻っているのですか・・・・・・?」 震える声で問うと、彼はこくりと頷く。 「元の住人の子孫がどれほどかは知りませんが、保養地に近い村として、結構賑わってはいるようです。 領主はこの数百年で様々な家が封じられていますから、以前のことなど知っている者はいないでしょう。 また、義姉上があちこちで勧めたこともあり、田舎暮らしに憧れる貴族達の別邸がいくつか建っていますので、変に詮索されることもありませんよ」 「ふふ 私のパーティ好きも、たまには役に立つでしょう?」 ミランダの頬に頬を寄せて髪を撫でてやると、彼女は無言のまま、小さく頷く。 「じゃあ早速・・・」 「あの・・・!」 顔をあげたエリアーデに、ミランダは俯いたまま、珍しく強い口調で言った。 「お姉様達は先に・・・行っててくださいますか・・・。 私は・・・その・・・もうしばらくここに・・・・・・」 その言葉に苦笑したエリアーデは、頷いてハワードを見上げる。 「あなた、先に行って別荘を整えておいてちょうだい」 「し・・・しかし・・・」 「そうであるな、ハワードに任せるのが一番安心である」 「はぁ・・・」 兄にまで言われて、ハワードは仕方なく頷いた。 「じゃあ早速行ってらっしゃいな 私達は旅行の準備をして・・・そうね、明日の夜には出発するから、それまでに館中を掃除させておくのよ! お客様がいらしてもいいように、食材の調達もしっかりね 保養地でパーティだと張り切る義姉に背中を押され、ハワードは渋々部屋を出る。 「1日で整えろだなんて、まったく・・・義姉上の気まぐれにも困ったものです」 ぶつぶつとぼやきながら部屋に戻った彼は、メイド達に旅行の荷物をまとめさせる間、昼に手配しなければならない用を紙に書き連ねて行った。 「夜が明けたらこれを、現地の店に手配しなさい。 私が着くまでに終わらせておくようにと」 執事に命じた時には、エリアーデのわがままに慣れきったメイド達が完璧に荷物をまとめている。 「・・・やはり、本城の使用人達は違いますね。 人間のメイドと違って、とても手際がいい」 滅多に人を誉めないハワードに感心され、眷属の使用人達はやや嬉しげに口元を綻ばせた。 「私は出来ることなら、ずっと本城にいたいものですが、義姉上がああもお出かけ好きでは・・・」 深々とため息をついた彼を、御者のトマが呼びに来る。 「馬車の準備が整いましたが、もうお出になりますか?」 こちらもまた手際のいい眷属に頷いて、ハワードは部屋を出た。 「日が昇るまでには・・・」 「もちろん、着きますとも」 大きく頷いて請け負った彼に、軽くため息をつく。 「では、姉上にご挨拶してから参りましょう」 乗り気ではない様子のミランダのことは気にかかったが、兄夫婦の命令では致し方なく・・・ハワードはすぐさま夜道を外国へと向かった。 「は?旅行っすか・・・」 明け方近くになって起きて来た、この城で唯一の『人間』であるリーバーの呆れ声に、エリアーデは肌の具合を案じながら頷いた。 「バーデン・イン・バーデンの近くに、静かでいい村があるの。 保養には行きたいけど、喧騒や人混みは嫌だって貴族の別荘がいくつかある村よ。 私達は先に行ってますから、あなた、なんとかミランダを宥めて連れて来て下さる?」 早口に言って立ち上がり、居間を出ようとするエリアーデをリーバーは慌てて目で追う。 「宥めてって・・・気乗りしてないんですか?」 「そう。あの子の故郷だから」 「へ?それこそなんで・・・」 「詳しくはあの子に聞いて!」 苛立った口調で言うや、エリアーデは足を早めた。 「あなたを待って、随分『夜更かし』してしまったの! 早く寝ないとお肌が荒れてしまうわ!」 「はぁ・・・」 そう言われてはこれ以上引き止めるわけにも行かず、見送ったリーバーは『夜』の遅い執事に声をかける。 「昼の間にやっておくことがあったら、引き受けるよ」 しかしそれは丁重に断られて、人間用の朝食が出された。 ―――― まぁ・・・ここを出られるのはいいかな。 聴覚の鋭い彼らの前では独り言も言えず、彼は無言でパンをちぎる。 ―――― 正直、息が詰まるし・・・。 今まで巡った各国の別荘とは違い、この本城はリーバーを除く全員がヴァンパイアだった。 主人一家にとっては、ここほど安心して過ごせる場所はないのだろうが、人間であるリーバーに昼夜逆転の生活は辛く、自己流に過ごそうと思えば昼の時間を持て余さずにはいられない。 ―――― 自由に外にも出られなかったもんな・・・。 領民が怯えるからと、この城に滞在する間は城外への外出を許してもらえず、せっかく一族の本拠地に来たというのに引きこもって過ごすしかなかった。 確かに、中世以前から建つ城には珍しい物も多く、思ったより退屈はしなかったが、2ヶ月以上も籠もりっ放しではカビでも生えそうだ。 「これは・・・本気で説得の必要がありそうだな」 ミランダがごねれば、彼女を置いてリーバーだけが遊びに行くわけにも行かないだろうし、何よりハワードが大慌てで戻ってくるだろうことは火を見るより明らかだった。 「この城に、あいつを含めた3人で残るなんて、冗談じゃなく血を見るぜ」 思わずぼやくと、給仕のメイドが不思議そうな顔をする。 慌てて首を振ったリーバーは朝食を済ませると、これから休む使用人達に気を使わせないように庭へ出た。 緑の濃い森の中、ようやく昇ってきた夏の陽射しを心地よく浴びるのは、ここでは彼一人だ。 振り返った城は全ての窓が締め切られ、深い眠りについていた。 リーバーが長い昼を話し相手もなく過ごしたのち、傾いた陽が木々の影を長く伸ばす頃、『朝』の早い使用人達が次々と起き出して、厨房からもいい匂いが漂ってきた。 その匂いに目を覚ました少年が、むくりと起き上がってもたもたと着替えを始める。 「くぁ・・・」 猫のように大きく口を開けてあくびをした彼は、うんっと伸びをして部屋を出た。 「朝ごはんー♪」 外はまだ明るいが、一筋の光も入らないよう施された城内は暗い。 中世以来、炎を灯してきた燭台は電灯に取って代わられたが、今も変わらず装飾過多のシェードに覆われて、柔らかく廊下を照らしていた。 それでもなお人の目には暗いそこを、人外の目に眩しく感じながら駆け抜け、食堂へ入る。 「おはよーございます!」 「あぁ、おはよアレン」 そこにはいつも通り、暇をもてあましていたリーバーが既にいて、夕刊を読んでいた。 「今日はなんか面白いことありました?」 これもまた、いつも通りの問いにリーバーが頷く。 「奥方が、バーデン・イン・バーデン近くの別荘に行くって言ってたぞ。 もう聞いたか?」 「うん。 昨日、エリアーデさんが『温泉行きたいっ!』って叫んでました。 ハワードは準備のために、もう行ってるらしいですよ」 「え? あいつもう出かけてたのか」 先に行くらしいとは、エリアーデとの話で察してはいたが、既に現地へ行っているとは思わなかった。 そう言うと、アレンは軽く頷いてパンにかじりつく。 「現地での使用人募集とか、お掃除とか、食材の調達ですよね。 他の別荘は専任の管理人さんがいますけど、あそこは2〜300年位前に買い取って以来ずっと行ったことなくて、管理人を置いてなかったんですって。 人間に貸したりして、整備はさせてたらしいですけどね。 今世紀に入ってバーデン・イン・バーデンが人気の保養地になったから、最近改めて手を入れたそうですよ」 「・・・随分長い話だな、それは」 千年の時を生きる彼らの言うことだから、『最近』というのも軽く数十年は前のことかもしれなかった。 「まさか、俺の生まれる前の話じゃないよな?」 「そうかも」 くすくすと笑って、アレンが空になった皿を押しやると、心得たメイドがお代わりの皿を差し出す。 「・・・けどなんで、ミランダさんは乗り気じゃないんでしょうねぇ? 僕みたいに、今帰ると知り合いに会う可能性が高いから避けるってのならわかりますけど、ミランダさんが住んでいたのは何百年も前でしょ? 知り合いなんて、絶対いるわけないのに」 「それはお前も聞いてないんだな」 ミランダに直接聞く前に情報を仕入れておきたかったが、アレンもエリアーデ達に聞いた以上のことは知らないようだった。 「なんで?って、聞いてはみましたけどね。 教えてくれませんでした」 「そうか・・・」 気持ちを推し量ろうにも、彼女とリーバーの間には数百年の時の差があり、迂闊なことは言えそうにない。 「こういう時、若くて無神経で単純な馬鹿がいれば簡単だったんだが・・・ラビは自分の家なのか?」 「今、リーバーさんすごい悪口言った!」 クスクスと笑いながら、アレンは頷いた。 「若くて無神経な単純馬鹿ですけど、古い家の跡取りですからねー。 おじいちゃんのお供で忙しいみたいです」 「長老だもんな」 人間の国で言う重臣の孫ともなれば、色々忙しいのだろう。 今までふらふらと遊び歩いていたことの方がむしろ不思議だった。 「・・・じゃあやっぱり、俺が聞くしかないのか」 せめて事前情報くらい欲しかった、と肩を落とすリーバーに、アレンが小首を傾げる。 「若くて無神経な単純馬鹿じゃなくても、若くて可愛い女の子ならいるじゃないですか。 リナリーにお願いしたらどうですか?」 「う・・・・・・」 ずっと避けていた少女の名を出されて、リーバーは気まずげに呻いた。 「俺が・・・リナリーに・・・・・・?」 目を泳がせるリーバーを、猫のように目を細めたアレンがにんまりと見つめる。 「まぁだ気まずいんだ?」 それには無言で答えない彼に、アレンはクスクスと笑い出した。 「僕にとってはおかげさまでしたけど、リーバーさんにとっては罪悪感って言うの? 会いにくいし、話しづらいですよね」 わかったようなことを言うアレンをムッと睨むと、彼はまたクスクスと笑う。 「同じ城の中にいて、いつまでも避けられるなんて思ってないでしょ? 悪いと思うんなら、逃げてないでちゃんと話せばいいじゃないですか。 まぁ、きっとすごく怒ってるでしょうけど、済んだことはしょうがないし」 「お前は・・・元々そうだったのか? それとも、ヴァンパイアになってからそんな考え方に?」 やけにあっさりしたアレンへ、やや不機嫌に問うと、彼はちょっと考えてから頷いた。 「元々こんなもんでしたよ。 その日生きていくのが精一杯って生活で、後先なんか考えてられなかったもん。 だから師匠が眷族にしてくれた時は嬉しかったです。 もう、友達とか知り合いが簡単に死んじゃうのは見たくなかったし。 眷属でいれば、ラビとはずっと友達だし、リナリーはきっといつかお嫁さんになってくれるし 重苦しい過去をあっけらかんと話すアレンに、リーバーはかける言葉を失くす。 「その・・・」 「いやいや、別に気にしなくていいですから。 自分からヴァンパイアになろうなんて人間は、大抵そんなもんらしいです。 人間なのにこの城に招待されて、更に選択の余地があるってのは、すごく恵まれたことだと思いますよ?」 少年に似合わぬ上手な皮肉に苦笑して、リーバーは頷いた。 「・・・リナリーはもうすぐ起きてくるかな?」 「以前みたいに逃げ出す心配はないから、閉じ込めたりしてませんしね。 もうじきここに来ると思います」 外国を旅している間は、コムイの元へ逃げ帰る心配があるからと一室に閉じ込められていた彼女だが、他ならぬヴァンパイア・ハンターの元締めに狩られる身となった今は、この家に身を寄せざるを得なくなっている。 「お兄さん公認 切なく吐息したアレンの背後に、ゆらりと陽炎が立った。 「するかっ!!!!」 「ぎゃふんっ!!」 テーブルナイフを頭頂に刺されたアレンが、白い髪を赤く染めてもんどりうつ。 朝の挨拶にしてはちっとも爽やかではない行為に唖然とするリーバーへ、リナリーは鼻を鳴らした。 「なんだかすごく久しぶりだよね、リーバー『先生』? ずっと一緒に旅をしていたとは思えないな!」 「そ・・・そう・・・だな・・・・・・」 声を詰まらせる元・家庭教師にまた鼻を鳴らして、リナリーは乱暴に椅子を引く。 「そんなに恐縮しないでよ。 私がヴァンパイアにされちゃったのは自分のせいなんだし・・・アレン君のことは心底怨んでるけど、先生のことは恨んでないよ」 「えぇー・・・?! 永遠に可愛いままでいられるのに、なんで嫌なんですか?」 メイドに止血してもらいながら不満を漏らすアレンを睨んで黙らせたリナリーは、どっかりと座ってテーブルに頬杖をついた。 「で? 先生は決めちゃったの、眷族になるって?」 「・・・ああ。 長老にもアレイスター卿達にもそう伝えてある」 静かな声で認めた彼に、リナリーはため息をつく。 「やっぱりヴァンパイアって、人間の敵なんだね。 先生みたいな真面目な人を簡単に篭絡しちゃって。 大人しい顔して、さすがに何百年も生きている魔物は魅了の力も凄まじいよ。 今ならまだ人間の世界に帰れるんだって、わかってる?」 それは彼女だけでなく、ヴァンパイア・ハンターである彼女の兄にも常々言われてきたことだけに、リーバーは今更怒る気にもなれず、苦笑しか出来なかった。 「・・・ちぇっ。 やっぱり私じゃ説得は無理か」 もう一度ため息をつくと、彼女は椅子を引いて立ち上がる。 「あれ? 朝ごはんはいらないんですか?」 意外そうなアレンに肩越し、リナリーは首を振った。 「ここじゃなくて、ミランダのお部屋で一緒にいただこうかなって。 いいですか?」 給仕のメイドに問うと、彼女はにこりと笑って頷く。 「まだ入ったことはないけど、部屋の場所は知ってるから、行って起こしてくるよ」 ついでに、と、彼女はリーバーへ舌を出した。 「事前調査?やってあげる」 「聞いてたのか・・・」 苦笑したリーバーが、席を立って頷く。 「頼んだ」 「はぁい!」 踵を返したリナリーは、早足に本館を出て塔の一つへ向かった。 天空へ向けて槍を突き出したような形の円塔は、その全てがミランダの部屋だと言う。 本館と繋がる回廊の先にある入口は、中世にこの城が建てられた当時のまま、灰色の石を剥き出しにした壁に囲まれていて、なんともいかめしい雰囲気だった。 リーバーが城に入って以来、そこには毎『晩』ハワードが番犬のように詰めていて、上へ続く階段をベッドで塞いでいたが、今はそれも片づけられている。 「なーんだ。ヨバイするなら今日がチャンスだったんじゃない」 『夜這い』の意味をよく知らないまま呟いたリナリーが、ごつごつとした壁に手を当てた。 ぞっとするほど冷たい鉄の格子が添えられた階段はおそらく、壁に沿って頂上まで螺旋状に繋がっているのだろう。 踏むだけで足が痛くなるような石造りのそれは意外に幅広く、裾の大きく広がったドレスを着た婦人達でも容易にすれ違うことができるようになっていた。 頭上にドアなどはなく、階段がそのまま居間らしき部屋へと通じている。 入口のいかめしさが続くものと思っていたリナリーはしかし、いい意味で裏切られた。 塔の形そのままに円形の部屋は、クリーム色の地に小花を散らした可愛らしい壁紙に囲まれ、ペルシャ製らしい美しい絨毯の上に乗った調度品も、クリーム色を基調にして心地よく揃えられている。 塔の2階分を吹き抜けにした天井は高く、貝を模した陶器のシャンデリアが柔らかく明りを落としていた。 飾ってある絵は風景画や静物画ばかりで、ここに集った人々が目を和ませるような、明るい色調のものを集めてある。 少女なら憧れずにはいられない、女性らしい優しさに溢れた部屋に目を輝かせながら上へと続く階段を踏みしめたリナリーは、石段とはまったく違う感触に驚き、思わず足を引いた。 十分な広さのある部屋では、多少幅を取った所で問題ないといわんばかりに広い階段には、1段ごとにふかふかの絨毯が敷き詰められ、エリアーデが履くような踵の高い靴で上っても、音がしないようになっている。 手すりも入口の無愛想で実用的なものとは違い、艶やかに磨かれたオーク材を白と金に塗られた格子が支えていた。 「えーっと・・・ロココ式?って言うんだっけ・・・?」 上から下までをじっくりと眺めて、リナリーが呟く。 「いかにも奥方の趣味だなぁ・・・」 一旦は戻した足を再び乗せると、ふわりと雲を踏むような感触がした。 この階段を、あの美しい奥方が優雅に上って行く姿が容易に想像できて、リナリーは居間からの視線さえも意識する彼女の美意識に感心する。 「さすがだなぁ・・・」 手すりを支える格子は下に行くほど密に絡み合う蔓草模様で、かなりの高さを上っても決してドレスの裾が見えないようになっていた。 「お洒落ってのは、こういうことを・・・」 言いかけて、リナリーはふと言葉を飲み込む。 確かにここはエリアーデも入る部屋だろうが、持ち主はミランダで、居間に呼ばれるのは彼女の招待客のはずだ。 そんな場所に、エリアーデが自身の美をひけらかす舞台を用意するだろうか? かといって、あのミランダが部屋の隅々まで自分の美意識を行き渡らせるとは思えなかった。 彼女はむしろ、小さな部屋の片隅・・・例えばベッドの天幕の中に、自分のお気に入りの世界を作るような、そんなイメージだ。 広々とした部屋を一つの美術品として完成させようと言う気構えは、やはりエリアーデのもののように思えた。 「・・・やっぱり、この部屋のコーディネートは奥方じゃないかな」 だとしても、エリアーデが精一杯、ミランダの想いに添ったのだろうとは、一目でわかる。 ふかふかの絨毯を階段に敷き詰めたのも、甲高い足音で上の寝室にいるミランダを不安がらせたりしないよう、気を使ってのことではないかと思えた。 「妹を可愛がっているんだな・・・あんまりそうは見えないけど」 いつもミランダをからかって、困らせて遊んでいるような彼女を思い出して苦笑しながら、上りついた上の部屋は衣裳部屋のようだ。 ここは元の高さから天井の位置を変えていないのだろう、居間よりも低くはあったが、真ん中に置かれた大きな鏡の周りを様々な衣装が囲んでいた。 「・・・ちぇっ!お金持ちめ!」 一瞬、呆気にとられたリナリーは、天井に手が届く位置まで上って、頭上にあるドアをノックする。 「ミランダ、起きてる?入っていい?」 声をかけると、それはすぐに向こう側へ開いた。 階段を上りきるとまたも天井の高い円形の部屋で、下の階と同じ壁紙が続いている。 専用に作らせたのか、ベッドのヘッドボードは壁に沿うように曲線を描いた格子で、天蓋から降りるカーテンが、貝に似たベッドの上に柔らかくかかっていた。 そしてやはり、そのベッドの中がミランダの本当の部屋なのだろう。 読みかけの本や古い人形、お菓子の入った瓶などが転がっていた。 「あ・・・あらやだ、見ないで・・・!」 リナリーの視線に気づいたミランダは、慌てて厚いカーテンでベッドを覆う。 「あ・・・あの・・・なにか用ですか・・・?」 随分と年上なのに、おどおどとした上目遣いでリナリーの顔色を窺うミランダを見ていると、なんだか弱い者いじめをしているような気分になった。 「用って言うか・・・朝食でも一緒に頂きながらお話でもしないかと思って」 そう言うと、ミランダは少し黙り込んだのち、微かに頷く。 「じゃあ・・・居間に降りませんか? ここではお茶も出せないから・・・」 と、頬を赤らめるミランダに頷いて手すりに手をかけたリナリーが、まだ上へと続く階段を見上げた。 「上にも部屋があるの?」 「えぇ、バスルームですよ」 「きっと素敵な眺めなんだろうね!」 この塔の上からなら、森がすべて見下ろせるのだろう。 見て見たいとはしゃぐリナリーに苦笑して、ミランダは彼女の背を押した。 「すぐに朝食の用意をしてもらいますから・・・」 「それならもう、お願いしているよ」 呼び鈴の紐を見遣ったミランダに笑って、リナリーは階下を指す。 「ホラ、音がしてる」 階段を伝って食器の触れ合う音が聞こえて来て、ミランダは頷いた。 「ふふ ミランダのお部屋、すごいね! 明るくて可愛くて、憧れちゃうな!」 階段を下りながらリナリーがはしゃいだ声をあげると、その後について居間に下りたミランダが微笑む。 「お姉様が揃えてくださったの・・・私が小さい頃は、欧州にこんなに色鮮やかな調度品なんかなかったのだけど、いつ頃からかしら・・・こんな可愛らしい家具が作られるようになって。 お姉様が城中の調度を替えるから、好きなものを選びなさいって言ってくれて・・・」 最初に選んだのは、クリーム色に塗られた木に金の飾り、ゴブラン織の背もたれのあるソファだった。 「これに合わせて、テーブルも椅子もキャビネットも作ってもらったの。 マントルピースが白なのも、これに合わせたのよ。 絨毯もわざわざ、ペルシャの職人に家具が映える緑で作ってもらって。 絵は、この部屋を見た画商が色々持って来てくれたから、気に入ったのを飾ったの。 お姉様が色々アドバイスをくれたから、とてもきれいでしょう?」 その上、とても居心地がいいのだと、ミランダはお気に入りのソファにもたれる。 「お姉様が旅好きだから、あまりこの部屋に帰ってくることはないのだけど、一番好きなの・・・ 満足げに吐息したミランダに頷き、リナリーは朝食の並んだテーブルに着いた。 「すごく可愛がられてるんだなってのは、この部屋を見た瞬間にわかったよ。 ミランダの喜ぶ顔を見たかったんだろうな、って思ったもん」 「えぇ・・・この時にはもう、さすがに打ち解けていましたから、お姉様が喜んでくださるのが私も嬉しくて・・・」 メイドが差し出したカップを受け取ったミランダは、今までで一番リラックスしているように見える。 「ここって、お客様が来てもすごく自慢できるだろうけど、なによりミランダが落ち着くように作られたんだね」 壁紙や装飾が少し子供っぽく、いかにも少女趣味と見えるのはそのためだろうと思って言えば、ミランダは少し恥ずかしげに頷いた。 「家具と違って、壁紙は頻繁に張り替えるのだけど、どうしても似たようなものになってしまって・・・。 これもつい最近張り替えたのだけど、前の壁紙と同じに、って言ってしまったの」 「ふぅん・・・つい最近って、いつ?」 お茶を飲みながら何気なく問うと、ミランダが小首を傾げる。 「20年位前かしらね?」 さらりと出て来た年月に、リナリーはむせそうになった。 「わ・・・私はまだ生まれてないなぁ・・・」 「あ・・・あら・・・!」 気まずげに目をさまよわせたミランダの視界から、メイドが一礼して出て行く。 「えぇー・・・・・・」 味方がいなくなってしまったと、困惑するミランダにリナリーが笑い出した。 「私はね、清国の大きな街で生まれたんだよ! 清には基督(キリスト)教も結構広まってて、ヴァチカンが認める唯一のヴァンパイア・ハンターの家の、うちは分家だったの。 本家はそりゃあおっきくて、家なのに街じゃないかってくらい建物がいっぱいあるんだよ! 私の家はそことは別の街にあるんだけど、まぁまぁ大きな家なんだ。 庭に池があって、それは街の川に繋がってるから、みんなお出かけの時は舟に乗って行くの! 美人の家系だって評判だったから、母様や叔母様達が着飾って舟に乗ると、川岸に人が集まるんだよ! 私、母様に抱っこされて、川岸の人達に手を振るのが好きだったなぁ リナリーがうっとりと語る異国の風景に聞き入っていたミランダの隣に、立ち上がった彼女が勢いよく座る。 お茶をこぼしそうになって慌てるミランダを、リナリーは好奇に輝く目で見つめた。 「ミランダの生まれたのはどんな所?!」 きらきらと輝く目は、懸命に逸らそうとするミランダの目をしつこく追いかけてくる。 とうとう根負けした彼女は、吐息してカップをティーテーブルに置いた。 「私が生まれたのは・・・お姉さま達がこれから行こうとしている村よ。 欧州が暗黒の中世と呼ばれていた時代だったわ・・・えぇ、今の皆さんはそう呼ぶのだけど、実際に生きていた私には、ちょっと・・・納得できないの。 こんな身体になってからは教会に行けなくなってしまったから・・・私が知らないだけなのでしょうけど、あの当時の教会はそれは素晴らしいものとして、私の記憶に残っているもの・・・。 悲惨な戦争や風潮があったことも確かだけど・・・怖ろしい事件は今だって起こっているし、そこまで悪い時代だなんて思ってないのよ、私は・・・」 遠慮がちな口調ながらも、珍しくはっきりと物を言うミランダを不思議に思いながら、リナリーは頷いて先を促す。 「十字軍・・・と言うものがあったの。 あれは何度目の遠征だったのか、子供だった私は知らないのだけど、私の生まれた土地の領主様も、軍隊を連れて参戦されたと聞いたわ。 でも酷い傷を負って帰って来られてから、間もなく亡くなって・・・私と同じくらいの年のご子息が跡を継がれたのだけど、それからすぐよ・・・。 領内・・・と言うより、城下の村で、病人が多く出たの。 みんな、手足に発疹ができて、それが膨れ上がって潰れて・・・そのうちに、焼かれたようにもげていくの・・・!」 数百年を経てなお記憶に残る怖ろしい光景に、ミランダは震え上がった。 「そうでない人は突然気が狂ったようになったり・・・! 私は何がなんだかわからなくて・・・段々村からは人がいなくなるし、門が閉ざされた領主様の城内では頻繁に弔鍾が鳴って・・・! 心配した両親が、外は危険だから出ないようにって、弟と私を家の外に出さないようにしたのだけど、冬が来る前に両親とも、同じ病で亡くなってしまったの・・・!」 震えるミランダにカップを差し出すと、彼女は暖かいお茶を一口飲んで、ほっと吐息する。 「両親が亡くなるのと前後して、村中の人が亡くなったり、引っ越したりしたのだけど・・・この時にはもう、領主様ご一家も亡くなっていたそうで、他の町や国からの助けもなくて、結局・・・家から出ないようにと言いつけられていた私と弟だけが残されたのよね・・・」 自嘲するように、ミランダはほんの少し、唇をあげた。 「・・・・・・愚かでしょう? 私は・・・昔からそうなの・・・。 自分では何も決められなくて、周囲の喧騒にうろたえるばかりで、ただうずくまって嵐が通り過ぎるのを待とうとしたの・・・。 亡くなった両親の言いつけだからと、共に別の村へ行こうと言ってくれた人達にも首を振って、結局・・・誰もいなくなった村で、弟も私も同じ病に罹って、死にかけていたところをお兄様とお姉様に助けてもらったのよ・・・」 大きなため息をついて、カップをティーテーブルに戻したミランダが、クッションを抱きしめる。 「そのおかげで・・・私は今まで、何の不自由もなく過ごさせてもらっているのに、つい考えてしまうの・・・。 あの時、私は主の元に召されるべきだったって・・・・・・。 もう教会にも近づけない・・・主に愛される資格もない私だけど、もしこの身を日にさらせば・・・少しでも天国に近づけるのじゃないかって・・・」 しかし、自ら日の元に飛び出す勇気もなく、何百年もただ鬱々と過ごして来た。 「お兄様にもお姉様にもお気を使わせてしまって、本当に申し訳ないと思っているの・・・。 特にお姉様は、いつも私の気を紛らわせようとして、部屋を飾ってくれたり、外国に連れ出してくれたりしてくださるのに、私は全然お姉様を喜ばせてあげられなくて・・・」 またも大きなため息をついたミランダをじっと見つめていたリナリーが、なぜか不満げに頬を膨らませる。 つまらない話を聞かせて気に障っただろうかと不安げなミランダを、リナリーはきっと睨んだ。 「ミランダが喜べば、奥方も喜ぶんだよ・・・!」 怒ったような口調に戸惑うミランダへ、リナリーが詰め寄る。 「言ったでしょ、この部屋を見た瞬間に、あの人がどれだけミランダを可愛がってるかわかったって! なのにミランダは何百年もずっと死ねばよかったって思ってたの?!」 いきなり怒鳴られて、驚いたミランダが声を失った。 だがリナリーは気を治めず、更に詰め寄る。 「奥方はきっと、ミランダを喜ばせようってがんばってたんだよ! なのにミランダは今の自分を否定して、楽しいことも楽しまずに、ずっと暗ぁーい顔でいたの?! それって、ミランダをヴァンパイアにしちゃった奥方を責めてるんだってことに気づかないかなぁ?!」 「え・・・・・・?」 思っても見なかったことを指摘され、ミランダが唖然とした。 「わ・・・私、そんなつもりは・・・そんなつもりはないわ・・・! お姉様にはいつも感謝しているのよ・・・もちろんお兄様も・・・!」 弟と自分を救ってくれた二人に感謝しこそすれ、怨んだり責めたりするわけがないと、懸命に首を振るミランダにしかし、リナリーは憤然と首を振る。 「お医者さんが患者を治すのと違うんだから、二人とも多少は罪悪感があったはずだよ! ・・・ううん、もしかしたら、純血のアレイスター卿はそんなこと思わないかもだけど、元人間の奥方はずっと気にしてたんだよ・・・! いつも明るく笑ってミランダをからかってるように見えるけど、それもミランダの沈んだ気分を明るくしようってがんばってるからでしょう?! 本当だったらね、あんなにいつも笑ってられないよ、奥方の立場的に!」 「そ・・・それはどういう・・・」 うろたえるミランダに、リナリーが鼻を鳴らした。 「アレイスター卿が兄さんにさらわれた時・・・私は全部見てたわけじゃないけど、さすがに気づいたよ。 奥方は元人間だからって理由で、正式にアレイスター卿の妻とは認められてなくて、他の夫人達が当然参加するような席からも外されてる・・・何百年も一緒にいて尽くしているのに、他家の純血から無視されたり、純血を穢すって意地悪言われてるんでしょ? そんな状況で平然と笑ってられるなんて、それだけですごいと思ったよ、私は!」 「あ・・・・・・」 リナリーの言葉に胸を突かれ、ミランダは目を見開く。 数百年も一緒にいたのに、姉のことはただ気の毒だ、強い人だとしか思っていなかった。 「ハワードは多分、そんなこととっくに知って、自分もその状況に身を置くことで奥方を支えてるんだよ・・・。 あの人はそれが当然の環境で育ったんだろうから、意識的にそうしてるわけじゃないのかもしれないけどね」 忠犬のように兄達に付き従い、自分に出来ることを遂行しようとするハワードの堅苦しい顔を思い浮かべて、リナリーは肩をすくめる。 「だから奥方も、ハワードにはあえて厳しい面も見せるみたいだけど、ミランダには違うよね。 東洋ではこういうの、『真綿に包むように』って言うんだけど、嫌なものからは隔絶して、ミランダが穏やかに過ごせるように気を使ってるように見えるよ」 そう言ってリナリーは、きゅっと眉根を寄せた。 「だから、ミランダの喜ぶことや、欲しいものはなんでも与えようって・・・リーバー先生のことも与えようとしてるんだ、あの人は・・・!」 リナリーに睨まれたミランダは、目に見えてうろたえる。 「そんな・・・私・・・どうしたら・・・・・・!」 「知らない!自分で考えて」 目に涙を浮かべるミランダに冷たく言って、リナリーは立ち上がった。 「私も奥方達と一緒に、先にバーデン・イン・バーデンに行ってるよ。 ミランダには嫌な思い出のある土地なんだろうけど、私は初めてだし」 自身の思いに囚われて、聞いているかも怪しいミランダに、リナリーは口を尖らせる。 「気が向いたら、一緒に追いかけてくればいいんじゃないかな!」 荒げた声にビクッと顔をあげたミランダを見下ろし、リナリーは踵を返した。 「あれ?早かったんですね」 朝食を終える前に戻って来たリナリーにアレンが小首を傾げると、彼女は冷たく鼻を鳴らした。 「あっちで朝ごはん食べ損ねただけだよ。 先生、いい?」 別室で話そうと言うリナリーにリーバーが頷き、アレンが悲しげな目を向ける。 「僕は・・・?僕はだめなの・・・?」 アレンの魅了の力か、銀色の目でじっと見つめられると冷たく出来なくなって、リナリーは仕方なくテーブルに着いた。 「さっき・・・彼女の部屋で話したこと、そのまま話すね」 リナリーが、ラビほどではないが優れた記憶力で出来るだけ正確に話して聞かせると、リーバーだけでなくアレンまでもが黙り込む。 「・・・・・・言い過ぎたってのは、わかってるよ」 気まずげなリナリーに、リーバーが吐息した。 「ショック受けてるんだろうな、今頃・・・」 「立ち直れないかもしれませんね・・・」 繊細だから、と頷いたアレンはリナリーに睨まれて、慌てて目を逸らす。 「・・・しかし、リナリーもいつの間にか『女の子』になってたんだな。 奥方の心情をよく見抜いたもんだ」 感心するリーバーに、リナリーはしかし、残念そうに首を振った。 「見抜けたのは、今の私がミランダと同じ立場だからだよ」 じろりとアレンを見遣ると、彼は怯えたような上目遣いでリナリーの顔色を窺う。 「こんなあからさまにご機嫌伺いされてたら、人間を無理矢理眷属にしちゃった元人間がどんなことするのか、わかるでしょ」 「・・・確かに、毎日一所懸命ご機嫌伺いしているな」 リーバーにまで苦笑されて、アレンは気まずげに首をすくめた。 「そう言うわけだから、フォローよろしくね。 私は奥方達と先に行ってるよ」 「いつの間にか打ち解けたんだな」 「なりゆきだよ!」 ヴァンパイア・ハンターの家に生まれ、優秀なハンターとなるべく将来を嘱望されていたリナリーは、各国を連れ回されている間はずっと『吸血鬼なんかと馴れ合わない!』とばかり反抗的な態度をとっていたが、自身が追われる身になってようやく決心がついたらしい。 意外そうに目を丸くするリーバーを、リナリーは憮然と睨んだ。 「なっちゃったものはしょうがないから、できるだけ狩られないよう、人間に害のない吸血鬼になることにする」 若いだけに順応力が高い彼女の手を、アレンが嬉しげに握る。 「じゃあ善は急げですよ! 僕と結婚して幸せな家庭を築きましょう 子供が生まれたら晴れて『家』に昇格です うっとりと夢想するアレンに、リナリーがムッと眉根を寄せた。 「・・・っ純血の家を作りたいだけなら、私じゃなくてもいいんじゃないか! 他の眷属と結婚すれば?!」 振り解こうとした手は、しかし、更に強く握られる。 「やだっ! ここのご夫婦みたいに何百年もらぶらぶするんですから、リナリーじゃなきゃイヤだもん!」 きっぱりと言われた上に銀色の目で見つめられて、リナリーは声をなくした。 徐々に赤くなっていく顔に、彼女も本心から嫌ってはいないのだろうと察したリーバーが笑い出す。 「どうやら本気らしいから、今すぐとは言わないが、考えてやるくらいはどうだろうな、リナリー?」 「よ・・・余計なお世話だよっ!」 アレンの手を振り解いたリナリーは、両手を腰に当ててリーバーを睨みつけた。 「私のことより、今は自分のことを考えなよっ!」 「俺は・・・とっくに決心してんだけどな」 苦笑して、リーバーはドアの外を見遣る。 「肝心の彼女が揺れているようだ」 「いわゆるマリッジ・ブルーってやつですかね?」 見当違いのことを言ってしまったアレンはまた、リナリーに睨まれて気まずげに首をすくめた。 その頃、城主夫妻の部屋では、引越しするのかと思われるほどの大荷物が準備されつつあった。 「・・・・・・家出するのであるか?」 苦笑する夫の冗談口に、エリアーデはクスクスと笑い出す。 「ミランダがあんまり聞きわけがないものですから、ワタクシ、あの子の実家に帰らせてもらいますわ!」 「追いかけて来てくれればよいであるな」 アレイスターもクスクスと笑いつつ、積み上げられて行くトランクの山を見上げた。 「・・・来るか来ないかは別にしても、ミランダの分も用意してやった方がいいであるな。 あの子の事だから、いざ決意しても何も持たずに来るであろ」 ひとつのことを思いつめる性質だからと、珍しく気を利かせた夫にエリアーデは頷く。 「そこは、あの子の『夫』がフォローしてくれますわ。 あえて何もしないのも、思いやりですわよ?」 「・・・ハワードが泣き喚くであろうな」 そちらのフォローは頼むと、言外に言う彼にエリアーデは寄り添った。 「大丈夫。 もう、説得の方法は考えてますから 任せろと、頼もしい妻に頷き、軽くキスする。 「全て任せるである」 「はい 他家の純血が誰一人認めてくれなくても、たった一人自分を認めてくれる夫へ、エリアーデは嬉しげに笑って頷いた。 他国にある別邸と違い、眷族しかいない本城では出立の準備が驚くほどの速さで終了し、一家とその客人達は夜中にもならないうちに馬車に乗り込んでいた。 「じゃあ先に行ってますからミランダ、あなたちゃんと追いかけてくるのよ? リーバーせんせ、この子、なんとしても連れて来て下さいね!」 見送りに出たミランダとリーバーに早口で言って、エリアーデも馬車に乗り込む。 「きっとよ!」 その声を残して出発した馬車は、人の世界では考えられない速さで城門を出、あっという間に見えなくなってしまった。 「・・・どうしても・・・行かなきゃだめかしら・・・・・・」 馬車が消えた先を見つめたまま、憂鬱そうに落ちたミランダの肩を抱いて、リーバーが微笑む。 「滞在の日程は決まってないんだろ? だったら、奥方の気が変わらない間はそこで待っててくれるさ」 「はぁ・・・そうなんでしょうけど・・・・・・」 かつて、自分達だけが残された廃村を再び訪れることは気が進まなかった。 「今は大分人が戻ってるそうだぞ?」 街ほど賑やかではないが、落ち着いて過ごせるいい村だと、ハワードから連絡があったらしい。 ・・・とはいえ、彼には幼い頃、その土地で過ごした記憶がほとんどなく、初めて訪れる土地で家を整える仕事をしたと言う以上の感情はないようだった。 「・・・・・・もうしばらく・・・考えさせてください・・・・・・」 ため息混じりに言ったミランダに頷き、共に城内に戻りながら、リーバーが背後を見遣る。 「ただ、あんまりゆっくりしていると、静かに考え事するどころじゃなくなると思うぜ」 「え?」 不思議そうに小首を傾げたミランダへ、リーバーがにんまりと笑った。 「あの一行にミランダがいないとわかったら、ハワードが血相を変えて戻ってくるだろうからな」 彼から見れば自分は危険人物以外の何者でもないからと笑うリーバーに、ミランダも笑い出す。 「あの子は本当に心配性で・・・」 「まぁ、杞憂とも言い切れないが・・・」 不穏な発言はミランダには理解できなかったようで、また小首を傾げた彼女にリーバーは笑って首を振った。 「ところで、先送りにしている問題がもうひとつあるよな?」 耳元に囁くと、ミランダは気まずげに眉根を寄せる。 「俺はとっくに覚悟を決めて、長老にもそう言っているんだが・・・肝心のミランダが乗り気じゃないみたいだ」 そう言って苦笑するリーバーの手を、ミランダは遠慮がちに握った。 「・・・本当に・・・いいんでしょうか・・・。 私なんかがあなたの運命を変えてしまっても・・・・・・」 深刻な声に冗談を返すわけにも行かず、リーバーは手近のドアを開けてミランダを先に入れる。 ホール横のそこは客人用の待合室で、本来住人が入る場所ではなかったが、美しく整えられた庭を見通せる部屋はリーバー気に入りの昼の居場所だった。 夜の庭は径に沿ってぽつぽつと明かりが灯り、時折放し飼いにされた狼の影がよぎっていく。 自身の考えに囚われて無言になってしまったミランダの言葉を待っている間に、気の利くメイド達がお茶の用意を整えて去って行った。 「・・・本当に、気が利きすぎて怖いな、ここは」 なんだか監視されているようで、リーバーは居心地が悪かったが、ミランダは慣れているのだろう、気にも留めずにメイドが手渡していったカップに口をつける。 温かいお茶に吐息を零したミランダは、カップに目を落としたまま、低く呟いた。 「・・・前に、リナリーちゃんが言っていたんですよ。 あなたは立派なお医者様になる人で、ヴァンパイアなんかになっていい人じゃないって・・・」 「いや、それは・・・」 「私もそう思います」 珍しくきっぱりと言ったミランダの声に、反駁を塞がれる。 「あなたがこのまま・・・人のままお医者様になればきっと、多くの人を救うのでしょう・・・。 でも眷属になれば、救われるのは私一人です。 あなたが人のままであれば、得るものはいくらでもあるのでしょうが、眷属になれば得るものは私しかない・・・それではあまりにも、失う物が多すぎませんか?」 決してリーバーを見ようとせず、自身の思考を辿るように低く呟くミランダに、しかし、リーバーは首を振った。 「以前、俺の師匠は言ったよ。 ヴァンパイア・・・じゃない、眷属のように、撃たれても死なない身体があれば、戦場で失われる命を救うのはもっと容易になるだろうってね」 冗談に聞こえたのか、ミランダの咎めるような視線を受けて、リーバーが苦笑する。 「それに、長老にも話を聞いた。 昔はともかく、今の一族は病院や医学者に出資して、血を求める代わりに彼らの援助をしているってね。 もう彼らは人間の敵ではあり得ないって話も聞いたし・・・それは他でもない、ハンターであるコムイ先輩からも聞いたよ。 上流の一族は人を襲わないから、ハントの依頼も来ないってね」 こくりと頷いて目元を和らげたミランダに、リーバーはほっとして続けた。 「・・・眷属には病もないから知らないだろうが、人間は本当に、ちょっとしたことで死んでしまうんだ。 それを救うための研究は、とてつもなく長い時間がかかる。 ・・・医者ってのはね、ミランダ。 なにも臨床・・・目の前の患者の怪我や病を治すだけが仕事じゃない。 もちろんそれは大事な仕事のひとつだが、更に多くの人を救うために、病気や薬の研究をすることも仕事だ。 だが、未だ原因のわからない病気は多くて、疫病を研究する医学者がその疫病に感染して亡くなり、研究が頓挫することも多い。 だったら俺は病に負けない身体で、長い時を必要とする研究をやってもいいかと思っているんだ」 その言葉にミランダは、はっと顔をあげる。 そんな彼女に頷いて、リーバーは続けた。 「そのことを話したらラビは、面白そうだって乗ってきたぜ。 純血のあいつにとって人間は正直、どうでもいい存在らしいが、人間が作る歴史や科学には興味があるらしい。 だから、面白い人間にはできるだけ長生きして欲しいんだとさ。 そういう奴らが・・・というか、人間が長寿になれば、アレンみたいな子供もいなくなるだろうって」 自身の考えが軽々と論破されたことに気づいて、ミランダは苦笑する。 「・・・あなたは、眷属になっても失うものなんかないっておっしゃるんですね」 「あぁ。 むしろ、得る物の方が多い」 きっぱりと言った彼に、ミランダはようやく微笑んだ。 「本当に・・・私は今まで、なにを考えて生きてきたのかしら・・・・・・」 数百年の時を生きてなお、幼い頃と何も変わらず、周りに流されるままでいた自身に苦笑するしかない。 「こんなに大切に扱われてきたのに、お姉様の気持ちすら考えずに、自分のことを嘆くばかりで・・・本当に嫌な性格だわ・・・」 ため息を漏らすミランダの肩を、リーバーが抱き寄せた。 「子供は手がかかるもんだ」 「子供・・・ですか?」 やはり、数百歳も年下の彼から見ても子供っぽいのかと、落ち込みそうになったミランダにリーバーが微笑む。 「アレイスター卿が言ってたじゃないか。 奥方は子を産むことを許されなかったから、ミランダ達姉弟を迎えた時は子供ができたかのように喜んだって。 リナリーは奥方がミランダを眷属にしてしまったことを気にしてるって考えたらしいが・・・俺の考えはちょっと違うな。 奥方はミランダとハワードを子供のように思っていて、手がかかるのも嬉しいんだろう」 「そ・・・そんなに子供ですか、私達は・・・・・・」 自分だけでなく、弟も込みで子供だと言われてしまい、ますます落ち込みそうになった。 と、彼女の肩を抱くリーバーが首を振る気配がする。 「ミランダはまだ、奥方のことを考えたり俺の将来のことを考えてくれたり、目が周りに向けられている分、いいんだが・・・ハワードは完全に子供だな。 未だに姉離れできずに本気で俺に噛み付いてくるって、いくつだあいつは」 心底呆れた口調で言う彼に、ミランダが思わず吹き出した。 「そう・・・ですね・・・! あの子は、お仕事をさせるととても優秀なんですが、私のことになると・・・」 「俺は身をもって、あいつの子供っぽさを知らされてるよ・・・」 大真面目な顔で大きく頷いたリーバーに、ミランダはたまらず笑い出す。 本城に帰ってからはずっと部屋に篭って考え込んでいたために、こんなに笑うのは久しぶりだった。 その様に、リーバーもほっとする。 「ようやく笑ってくれたな・・・。 北欧では俺を眷族にする決意をしてくれたと思ったのに、ここに帰った途端、塔に篭って出てこなくなるし。 ハワードはそれで大喜びだったが、俺は・・・」 寂しかった、と言う言葉を慌てて飲み込んだ彼に、ミランダが申し訳なさそうな顔で頷いた。 「ごめんなさい・・・家に帰ると、どうしても部屋から出られなくなって・・・」 長い移動生活の反動か、エリアーデの言う『引きこもり癖』が顕著に出てしまう。 「塔から出るのが億劫になってしまうんです・・・来てもらうのは全然構わないんですけど」 何気なく発せられた言葉に、リーバーの動きが止まった。 「? どうかしましたか?」 不思議そうに問われたために、すぐに他意がないことには気づいたが、皆に言っているとしたら大問題だ。 「そ・・・そういうことは、滅多に男に言うもんじゃないぞ・・・」 「そうなんですか?」 いつもはちょっとしたことで『はしたない』と顔を赤らめるのに、なぜこんな重大なことには無頓着なのだろうと、リーバーは呆れた。 「ハワードが番をするはずだ・・・」 塔の一階にベッドを置いて、階段を塞いでいた彼の行動にようやく納得が行ったリーバーが苦笑する。 「寝室へのお招きは、結婚してからいただくよ」 「えぇ・・・散らかしてしまっているので、寝室にはお招きしかねるんですけど・・・居間ならお掃除してもらっていますから、いつでもどうぞ?」 全く意味を理解していないらしい彼女に力が抜けそうになりながら、リーバーは半笑いのまま頭を抱えた。 ―――― その夜が明ける前に、本城を出た一行は目的地へと到着していた。 闇の中を昼のように進む馬車は未だ寝静まる村内を音もなく駆け抜け、城近くにある広い邸へと入る。 闇へ向けて開かれていた門は、馬車が通り過ぎるや音もなく閉じ、寝静まった家々となんら変わりない姿を装った。 玄関前に止まった馬車から降りた一行は無言でポーチを上り、防音と遮光を厳重にした邸内へ粛々と入る。 だが中で待っていたハワードは、一行を迎えた途端、目を吊り上げて義姉に詰め寄った。 「あ・・・姉上はどうされたのですか?!なぜいらっしゃらないのです?!」 小型犬のようにきゃんきゃんと吠える弟を、エリアーデはうんざりとした目で見返す。 「来たくないと言うから置いて来たけど、リーバーせんせに説得をお願いしているから、そのうち来るわよ」 「姉上をあんな危険物と一緒に置いて来たですってえええええええええええええええ?!」 防音壁すら貫きそうな声に、耳をつんざかれた一行が慌てて耳を塞いだ。 「・・・んもう!ハワードうるさい!うるさいハワード!!」 「なんなんだよ、ヒステリー犬! お姉さんがいないからって、そんなに騒ぐこと?!」 アレンとリナリーが二人して睨んだものの、ハワードはそれ以上の怒りの形相で睨み返す。 「部外者は黙ってなさい!!!!」 興奮のあまり裏返った声に怒鳴られて、二人は竦みあがった。 いつもの憎まれ口すら叩けない二人を無視して、ハワードは更に義姉へ詰め寄る。 「私は城へ戻ります! 馬車を使わせてもらいますよ!」 異論は認めないとばかりに怒鳴り、すり抜けようとしたハワードの襟首をエリアーデが素早く掴んだ。 「ぐふっ!!」 「お待ちなさいよ、ハワード。 明日は保養地でパーティなんだから、馬車を持って行かれては困るわ」 それに、と、エリアーデは厳重に遮光された窓を見遣る。 「今からだと、城に着く前に日が昇るわよ。 それであなたが灰になるのは自業自得にしても、トマまで灰にされちゃ、私達の生活に支障が出るわ」 ねぇ?と、奥方に同意を求められたトマは、恐縮して首をすくめた。 「で・・・では、明日にでも、義姉上達をお送りした後、私一人で・・・!」 襟首を掴む手に容赦なく締め上げられ、息の根を止められそうになりながらも言ったハワードに、エリアーデが肩をすくめる。 「そのことについてもちゃんと話してあげるから、今日はもう、休ませてちょうだい。 馬車での移動はさすがに疲れるわ」 逃げられないようにしっかりとハワードの襟首を掴んだまま、奥へと引きずって行くエリアーデを、一同はなんとなく見送ってしまった。 「・・・あぁ! どうしていつもの怒鳴り声が聞こえないのかと思ったら、今日はメイドさんが迎えに出てきてないんだ!」 「それはそれで後が怖い気がするけど・・・」 アレンの指摘に納得しつつ、リナリーが恐々と辺りを見回す。 「・・・あれ? ねぇここ、『人』の気配がないんじゃない?」 とは言ったが、なりたてのヴァンパイアとしては自信が持てず、リナリーはアレイスターを見上げた。 「人・・・いないよね?」 「そうであるな・・・」 不思議そうにトマを見遣ると、彼は遠慮がちに一礼する。 「ここは専用の管理人がいない家でございますので、簡単に使用人を探すことが出来ませんで・・・。 とりあえず村人から何人か雇えないか、村長に尋ねたのでございますが、今はちょうど麦の刈り入れ時でして、この村だけでなく、近在でも人手が足らず・・・ようやく見つけた者達は、明日からしか来られないと・・・」 仕方ないのでそれまでは、主夫婦とミランダの世話をハワードとトマで分担するつもりだったと言う彼に、アレンとリナリーが同時に首を傾げた。 「あれ?僕達は?」 「放置?」 「いえ、その・・・・・・」 お手伝いを、と、口の中でもごもごと言われて、二人はそっくりに頬を膨らませる。 「僕はハワードの召使いじゃないっつーの!」 「私だって!!」 拗ねてしまった二人に苦笑して、アレイスターが背後を見遣った。 「では、馬車に積んだままの大量のトランクはどうすべきであろうか・・・」 荷台を見つめていた彼は、しばらく考えて軽く頷く。 「私が運んでみるである」 「いやっそれは・・・!!」 「アレイスターさんに運ばせるくらいなら、僕が運びますよ!!」 トマとアレンの二人がかりで止められて、アレイスターは不思議そうな顔をした。 「大丈夫であるよ、あのくらい。 そもそもあれは、ほとんどエリアーデの荷物なのだから・・・」 夫たる自分が運ぶのだと言う彼に、トマとアレンが必死に首を振る。 「だ・・・だからでございますよ! 旦那様がお荷物をお運びあそばしたなんて、奥方様に知られましたら・・・!」 「ぼ・・・僕達、首に切れ目を入れられて、塔に逆さ吊りにされます!!!!」 「ハムにするにしても、あんまりおいしそうじゃないなぁ・・・」 必死な二人に置いてけぼりにされたリナリーが、乾いた笑声をあげた。 「アレイスター卿、二人の安全のためにも、折れてあげた方がいいみたいだよ」 クスクスと笑うリナリーに頷き、彼は悠然と奥へと進む。 「では、後を頼んだである」 「はぁい!」 「お任せください」 元気に敬礼したアレンの隣で、トマが恭しく一礼した。 アレイスターが夫婦のために用意された部屋に入ると、既にソファに腰をおろしたエリアーデが、憮然とお茶を飲んでいた。 「これはまた、みごとなたんこぶであるな」 無言で給仕をするハワードの頭にぷっくりとたんこぶができているのを見て、アレイスターが苦笑する。 「使用人は明日には来るのだろうし、そんなに怒らなくとも」 妻の怒りの原因を察して取り成すと、エリアーデは不満げに頬を膨らませた。 「これが怒らずにいられますか! ハワードったら、食事はお茶菓子しか用意してなかったんですのよ!」 乱暴にカップを置いたエリアーデが、テーブルに並べられた数々のスイーツを指す。 「無理にでも使用人を雇っていればこんな馬鹿げたメニューにはなかったでしょうに・・・私はあなたみたいに、砂糖とクリームで生きているわけじゃないのよ!!」 「チョコレートもご用意していますが?」 ムッとして言い返した途端、立ち上がった義姉に思いっきり鼻をつままれて、引きちぎられそうになった。 「そう言う意味じゃないって、わかってて反抗するのはおやめっ!!」 「ひゃ・・・ひゃいっ!!」 ここで更に逆らえば本当に鼻をもがれかねないと、ハワードは慌てて義姉の手から逃れる。 「ま・・・まぁまぁ、ハワードの作ったケーキは皆も好きであるし・・・そんなに怒らずとも・・・」 「だからって! 甘いものばっかりこんなに食べられるわけないでしょう!」 部屋中に満ちた甘い匂いだけで胸がいっぱいになりそうな中、エリアーデがハワードを指した。 「今すぐ!普通の食事も作りなさい!」 「材料がありません!」 「なんですってええええええ!!!!」 だったらお前を食ってやるとばかり、牙を剥いたエリアーデをアレイスターが慌てて止める。 「も・・・もうすぐ夜も明けて、使用人達が来るであろうから・・・起きた頃には食事も出来ているである。 落ち着くであるよ・・・!」 ハワードへ向けて獰猛に唸るエリアーデを抱きしめたアレイスターが懸命に宥めると、彼女もようやく落ち着いてくれた。 「・・・もう! 寝る前に乳脂肪を摂ったらお肌に悪いのに!」 ブツブツとぼやきながらソファに座り直したエリアーデが、クリームを添えないままシフォンケーキの皿を取る。 「他の子達や、トマの分も用意しているんでしょうね?」 エリアーデにじろりと睨まれたハワードは、赤くなった鼻をさすりながら頷いた。 「はい・・・。 トマは自分で作るというので材料を渡してありますし、ウォーカーは腹を空かせると色々やかましいので、この倍ほどのケーキを置いています。 小娘の部屋には固くなって兄上達にはお出しできないパンをいくつか」 「・・・そんな意地悪をするものではない」 呆れ口調のアレイスターが、ケーキをいくつか持って行ってやるように命じると、ハワードは不満げに頬を膨らませる。 「明日には普通の食事が出来るのですから、ほっといて構いませんよ!」 「あんたが言うんじゃないのっ!!!!」 アレイスターの言葉を繰り返したハワードにエリアーデが牙を剥いた。 「とっとと行ってらっしゃい!」 「小娘に給仕などするつもりはありません! どうしてもとおっしゃるなら、トマにウォーカーの部屋の物を運ばせましょう」 ちょうど隣室へ荷物を運んで来た彼らに声をかけると、アレンがキラキラと目を輝かせる。 「だったらリナリーを僕の部屋にご招待しますよ! いずれ結婚するんですから、もういっそ同じ部屋でいいですよ!!」 「・・・求婚は断られ続けているのではなかったであるか?」 呆れ顔のアレイスターに、しかし、アレンは自信満々にこぶしを握った。 「僕に目覚めた『魅了』の力があれば楽勝です!! いざとなったら、暗示にかけてでも挙式・・・」 「あくどいことを言うものではありませんよ、子供のくせに!」 忌々しげに舌打ちされて、アレンは生意気に鼻を鳴らす。 「何百年もお姉さんにべったりのハワードに言われたくないし」 「んなっ・・・!」 言い返すことが出来ず、声を詰まらせたハワードにアレンは舌を出した。 「それに、あんなに可愛い子が永遠の若さをゲットしちゃったんですよ? 他の男の目に触れる前に僕のものにしておかないと、盗られちゃいます!!」 こぶしを握って力説するアレンに、エリアーデがクスクスと笑い出す。 「あなたって本当に、自分の欲望に素直ねぇ・・・!」 良いことだと誉められて、アレンは嬉しげに笑った。 「ミランダさんも、早くリーバーさんをゲットしちゃえばいいの・・・にひゃっ?!」 無言で突き出された果物ナイフを慌てて避けて、アレンがトマの背後に隠れる。 「なっ・・・なにすんですか、ハワード!! 刺すにしてもなんか一言言おうよ!!」 「問答無用です!!」 物騒にナイフを閃かせるハワードからアレンが逃げ出すや、機敏に追おうとした彼をエリアーデの手が止めた。 「お待ちなさい」 「がっ!!」 背後にまとめた金髪を乱暴に掴まれた上、強く引かれて首が折れそうになる。 「アレンは早くリナリーの所へお行きなさい。 トマは荷物を運んでしまって。 そしてあなたはちょっとここへお座り」 反抗を許さない力で髪を引かれたハワードが、無理矢理椅子に座らされた。 「起きてから話そうと思っていたけれど・・・あなた今にも城に帰りそうだから、先に言っておくわ」 きつく睨まれて、ハワードは居心地悪げに首をすくめる。 「あなたが邪魔をしたい気持ちもわかるけど、このままリーバーせんせを眷属にしなければ、ミランダに最悪の事態が起こってよ」 「え・・・?!」 大切な姉の危機とあっては聞かないわけにもいかず、ハワードは身を乗り出した。 「そ・・・それはどういうことでしょうか、義姉上・・・?!」 真っ青になって声を震わせる彼を、エリアーデは真っ直ぐに見つめる。 「もしこのまま・・・彼が人間のまま寿命を終えたなら、ミランダはきっと彼の後を追って『生きることをやめてしまう』わ」 「そんな馬鹿な!!!!」 悲鳴じみた声をあげたハワードに縋るような目で見られて、アレイスターはしばらく考え込んだのち、頷いた。 「おそらく・・・そうなるであろうな」 エリアーデ以上に『眷属』を見送ってきた彼には、彼らが『生きることをやめる』きっかけというものがなんとなくわかる。 純血として生まれ、長寿が当たり前の彼らと違って元人間の眷属達は、断ち切ったように見えても意外と人間との繋がりを持っているものだった。 アレンのように、天涯孤独の身で眷属になった者はかなりの確率で長生きするものだが、リナリーのように家族や友人を残して眷属になった者は、彼らが亡くなるとほぼ同時期に無気力に陥り、血の食事を拒むようになり、まるで人間の老衰のようにして『生きることをやめてしまう』のだ。 それは病ではなく心の問題であるために、いかに優秀な医師であろうと止める手立てはなかった。 ミランダは天涯孤独というわけではないが、両親に先立たれ、友人・知人達とも別れ、たった二人きりとなった弟と共に眷属になったため、今まではおそらく、『生きることをやめる』などと思いもしなかっただろう。 それに共に眷族となったハワードは、物心つく前から寿命のない一族に囲まれて育ったために、その感覚は純血の子供のそれに近かった。 「私も最初は・・・適当な人をあてがって、あの子がもっと外の世界に目を向けられるようになればいいって、軽い気持だったのだけど」 「余計なことをなさって!」 忌々しげに睨むハワードに、エリアーデはムッと眉根を寄せる。 「そうね。すぐに飽きるか、諦めがつくようなバカでもあてがっていればよかったわ。 そうすれば、彼がヴァンパイア化しない人間だと思った時も、あの子はあんなに嘆かなかったかもしれないわね!」 自治警長官の別邸にハンターの侵入を許し、リーバーが拉致されそうになった時・・・ハンターによってリーバーがまだ人間であったと知らされたミランダは、アレイスターの無事を知らされても聞こえない様子で、ずっと彼に縋りついたまま泣いていた。 「あれを見るまでは・・・なるようになればいいと思っていたけど、あの子って本当に真面目で一途だから、気持ちを切り替えるなんて器用なことは出来ないんでしょうね」 眉をひそめてしまったエリアーデに頷いて、アレイスターは慰めるように彼女の肩を抱く。 「私は純血ゆえ、よくわからないこともあるのだが・・・ミランダはいつも私達やハワードと共にいたために、ただ『生きていた』のであろうな。 教会や神を恐れて、生きることを罪悪と感じているようなあの子を見ているのは正直、可哀想だったのである。 誰かが常にあの子の傍にいてやらねば、すぐに『生きるのをやめてしまう』だろうと、常々思っていたであるよ」 「ですからそれは、私や兄上達がいたではありませんか! なぜ今更他人など・・・!」 泣きそうな声で反駁するハワードへ手を伸ばし、アレイスターは苦笑して彼の頭を撫でてやった。 「私なら・・・私だけなら、ずっとミランダやお前を『子供』として扱っていたであろうな。 だが、エリアーデはちゃんとわかっていたのであるよ。 お前達がもうとっくに大人で、いつまでもこの狭い世界の中に閉じこもってはいられないと」 「私は兄上のお役に立っていないのでしょうか?!」 とっくに大人だと、ムッとして見上げたアレイスターは、穏やかに笑って首を振る。 「お前は小さい頃からしっかりもので頭もよく、長じてからは我が家の家令役を務めてくれている。 今ではお前がいなくては、我が家は立ち行かなくなるほどであるよ。 だから、お前のことはそう心配していないのであるが・・・」 眉根を寄せて、アレイスターは手を戻した。 「ミランダは、お前ほど強くはない。 我が家の娘として他家に嫁がせる話もないではなかったが、純血ではないあの子を欲するのは結局、我が家の財を狙う輩ばかりである。 あの子に辛く当たって早々に生きることをやめさせ、名ばかりの『親戚』の地位を得ようとする者にあの子を渡すわけには行かなかったのでな、この家族の中から出せずにいたのであるが・・・」 新たに『眷属』となった者・・・しかも、ミランダ自身が『眷属』にした者であれば、少なくとも彼女を害することは出来ない。 「主がミランダである以上、従であるリーバー殿はいざという時、あの子の支配下に置くことができる・・・が、そのようなことを言えば、あの子はまた彼を眷属にすることをためらうであろうから、言ってはだめであるよ」 純血の一族だけが密かに伝える情報を小声で囁くと、ハワードは忌々しげに眉根を寄せた。 「・・・言いませんよ。 魅了の力が目覚めたなんて得意がっているクソガキにまで知られて、あの小娘以上にやかましい眷属を増やされても困りますからね!」 そう言って鼻を鳴らしたハワードに、エリアーデが笑い出す。 「まぁ・・・アレンがリナリーにかけたって言う暗示は本当に強力だったから、あの子の魅了の力が突出しているってのは、あながち間違いではないかもしれないけどね」 「どちらにしても、リナリーの精神力は大したものであるな。 従であるはずの眷属が、主である者を何度も打ちのめす様など、千年以上生きていて初めて見たであるよ」 妙に感心したアレイスターの口調にまた笑い出したエリアーデが、ハワードへ手を伸ばして乱れた髪を撫で付けた。 「いいわね? ミランダのためにも、今は邪魔をしないこと」 言いつけには不満げな顔をしたハワードに、エリアーデがウィンクする。 「まぁ、多少の障害は却って燃え上がらせることになるから、今後とも適度に邪魔をするのはいいと思うケド、別れさせるのは諦めなさい その命令には返事をせず、ハワードはそっぽを向いた。 「強情なんだから!」 額を弾かれて、ムッとしたハワードはふと、瞬く。 「・・・そうです。 たとえ彼が眷属になろうとも、死んでも惜しくないと姉上が思うほどに幻滅すれば問題ないのですよね!」 「は?!」 唖然とした兄夫婦に、ハワードは悪い笑みを浮かべた。 「あの小娘と同様、彼も中々に厚顔ですから、姉上のような優しい方にそう易々とは従わないでしょう。 ならば人間によくある・・・『痴話げんか』というのでしたか? 彼が姉上を裏切るように仕向けて、姉上に心底嫌われてしまえば、彼が死んだところで姉上が後を追うようなこともないでしょう?!」 とてもいいことを思いついたと言わんばかりの得意顔に、さすがのエリアーデも呆れて言葉もない。 「ふふふ・・・! 必ず!彼を貶めて見せましょう!!!!」 こぶしを握ったハワードはその優秀な頭脳をフル回転させて、いかにリーバーを貶め、姉が彼に幻滅するよう仕向けるか、画策を始めた。 「・・・なんか笑い声が聞こえる」 階下から響いてくる不気味な笑声に寒気を覚え、眉根を寄せたリナリーにアレンがにこにこと笑った。 「どうせハワードが、リーバーさんを貶めるいい手でも考えたんですよ。 今までも仕掛けちゃあ撃退されたくせに、懲りないですよねぇ」 「仕掛けてたんだ・・・」 ケーキを口に運ぶ手を止めたリナリーが乾いた声をあげると、アレンは当然とばかり頷く。 「リーバーさん、人間の身体でよく耐えたなぁと思います。 お城に入った当初なんか、ハワードが飼ってる狼をけしかけて、本気でリーバーさんを殺そうとしてたんですよ。 昼も夜も襲われてたみたいで、何日も眠れなくてふらふらしてました 「そうなのっ?!」 驚いて立ち上がったリナリーは、食器を跳ね回らせてしまい、気まずげに座り直した。 だがアレンは気にも留めず頷いて、大きなパイに噛み付く。 「異変に気づいたエリアーデさんがアレイスターさんに報告したら、さすがのアレイスターさんも怒っちゃって、厳しく叱られてましたよ。 ハワードってば、エリアーデさんにはなんだかんだで結構逆らうんですけど、アレイスターさんには仔犬みたいに従順ですから」 「そうなんだ・・・」 自分の意志でヴァンパイアの一族と行動しているリーバーは、きっとこの家で歓待されているのだろうと思っていたが、そうでもなかったようだ。 そう言うと、アレンはあっさりと首を振る。 「もちろんハワード以外の人達は、使用人も含めて歓待してますとも。 ミランダさんもお城にご招待できて、喜んでたみたいですし」 「そうなの? ミランダ、お城ではずっと一人でいたみたいだけど?」 あまりにも塔から出てこないので、閉じ込められているのかと思ったくらいだ。 「お城じゃあみんな、そんなものなんじゃないですか?」 空になった皿を積み重ねて、アレンは新たな皿へ手を伸ばす。 「外国を転々としていた頃は、急に移動しなきゃいけなくなった時のために皆さん一緒にいましたけど、お城は攻められる心配も急に移動することもありませんからね。 ご夫婦は本館で過ごして、ミランダさんは塔にこもって・・・ハワードも、本当なら自分の部屋にこもって仕事しているらしいです。 今回はリーバーさんがいたから、ミランダさんの部屋の下で番をしてましたけど」 番犬のようだった、と、笑い出したアレンにつられてリナリーも笑い出した。 「そうだね・・・ここに来るって話になった時も、ミランダは奥方に呼ばれたから渋々塔を降りて来たって感じだったし」 「連れ回されるから仕方なく移動してるけど、本当はこもってたい人なんでしょうね、ミランダさんは」 自分にはわからない感覚だけど、と、首を傾げるアレンにリナリーも頷く。 「せっかくの可愛い部屋なんだから、お友達をたくさん呼んで、ティーパーティすればいいのにね!」 「可愛いんだ!」 意外そうに言ったアレンに、リナリーはにんまりと笑った。 「あの冷たい石壁が続くと思ったでしょ? 違うんだなぁ! あの階段を上ると、明るくて可愛い居間になってるんだよ! 調度品もすごくお洒落で、私だったら自慢するんだけど!」 アレンも知らないことを知っているという優越感に頬を緩ませて、リナリーの口が滑らかになる。 「元々は多分、天井の低い6階か7階建ての塔だったんだろうけど、居間になっている所と寝室は、2・3階と5・6階の天井を取り払って、1つの部屋にしてるんだよね。 だから、窓はほとんどないのにすごく開放感があって、居心地がいいの!」 「へぇ すごく素敵ですね、それ! リナリーもやっぱり、そんなお部屋に住みたいですか?」 にこにこと問われて、リナリーは笑顔のまま小首を傾げた。 「んー・・・そうだね、お部屋は可愛くていいんだけど、やっぱり塔より普通の家がいいなぁ。 生まれ育った家は川から水を引いていて、舟で街までいけたから、水が近くにあると嬉しい こんな身体になっちゃって、陽光が危ないからできるだけ頑丈な家にしなきゃなんだろうけど、夜には月が眺められるくらい、大きな窓は欲しい。 内装は・・・そうだね、ミランダの部屋みたいな、西洋風もきっと素敵だろうけど、東洋風の方が私には落ち着くかな。 壁も床も、できるだけ明るい色にして・・・家具も明るい方がいいな。夜にしか起きていられないから。 ・・・あぁそうなると、やっぱり東洋風より西洋風の方が揃えやすいんだね」 考えこんでしまったリナリーへにこにこと頷きつつ、アレンは彼女の手を取る。 「じゃあ、部屋ごとに雰囲気を変えればいいんですよ 今日は西洋の部屋でお茶をして、明日は東洋の部屋でごはんを食べて、って具合に ねぇねぇ、二人の部屋はどうしましょうか 「そうだねぇ・・・って、なんで新居の相談になってるんだよ!!」 はっとして手を振り解くと、アレンが残念そうに口を尖らせた。 「いいじゃないですか!近い将来の計画はしっかり立てておかないと!」 「全く油断も隙もないんだから・・・!」 憮然として掴んだタルトをかじると、カスタードクリームの甘みと季節の果物の果汁が口いっぱいに広がって、思わずうっとりする。 「・・・ハワードって、意地悪なのにお菓子作りは上手だよねぇ」 「でしょ ハワードは頭がいいだけじゃなく、料理も上手いんですよ 悪いのは性格だけです」 「・・・それで全てが台無しだねぇ」 乾いた笑声をあげながらも、次はどのお菓子にしようかと目が迷った。 「ブリュレにしよっと♪ ・・・っご飯を用意してないって言われた時は腹が立ったけど、たまにはお菓子の食べ放題ってのもいいよねぇ カリカリのカラメルを割ると溢れ出てきた柔らかいカスタードに感動しながらしみじみ言えば、アレンもにこにこと頷く。 「ハワードはすごい甘党なんですよ。 作ってもらったのを食べるだけじゃ満足できなくなって、自分でもっとおいしいものを作ろうって研究してるそうです」 「また作って欲しいなぁ・・・! 性格は悪いけど、お菓子はおいしいもん ハワードが聞けば目を吊り上げて怒りそうなことを言って笑うリナリーに、アレンが内緒話をするように声を潜めた。 「食べたくなったら、ミランダさんにお願いしてもらえばいいんですよ ミランダさんの言うことならなんでも聞くもん 「シスコンめっ!」 スプーンを咥えたまま、もごもごと言う彼女にアレンが笑い出す。 誰に言われても、ブラコンのリナリーには言われたくないだろうと思ったのだが、じっとりと睨まれてアレンは慌てて笑声を収めた。 「ごほっ・・・んっ・・・と! い・・・今頃どうしてますかね、ミランダさんとリーバーさん! もう夜が明けるから、さすがに移動はしないと思うけど、今夜には来るのかな?」 「もうしばらくは来ないよ。 せっかく邪魔者がいないんだから・・・多分・・・」 アレンのあからさまな話題変更に乗ってやりながら、リナリーは複雑な表情になる。 「次に会った時・・・きっともう、先生は人間じゃなくなってる・・・・・・」 空になったココット皿を押しやったリナリーが、深く吐息した。 「実は・・・」 スプーンを弄りながら、言葉を濁すリナリーにアレンが頷いて先を促す。 「言わなくていいって言われてたんだけど・・・明日は先生の誕生日なのね」 「リーバーさんの? へぇ、おとめ座なんだ」 似合わない、と笑うアレンにリナリーもちらりと笑みを返した。 「とっくに覚悟はできてるって言ってた・・・あとはミランダが先生を眷属にするだけなんだ。 だからきっと・・・今日はあの人が人間でいる、最後の日だ・・・」 厚いカーテンで覆われた窓を見遣ったリナリーが、寂しそうな笑みを浮かべる。 「最後の・・・太陽だ・・・・・・」 彼女にはもう見ることのできなくなった陽光を懐かしく思い出しながら、リナリーはまた、深く吐息した。 その頃、お言葉に甘えてミランダの住まう塔の居間に招待されたリーバーは、彼女お気に入りのソファに半身を横たえて、彼女を抱きとめていた。 ネクタイを緩め、襟をはだけた彼の首筋をミランダがそっと舐めるが、脈打つ動脈に触れた途端、怯えたように震える唇を離す。 「どうした?」 後は牙を突き立てるだけなのに、その先へ行こうとしない彼女を訝しく見遣ると、涙目になって首を振った。 「き・・・牙を突きたてるなんてそんな・・・あなたを傷つけるようなことはできません・・・・・・!」 震える声をあげて身を離したミランダに、リーバーは苦笑する。 「じゃあどうやって・・・長老には、眷属の血を輸血なんかできないって言われたしな」 ミランダが彼に噛み付くことは難しいだろうと予測し、あらかじめ他に手立てはないか聞いてはいたが、老人は鼻で笑って否定した。 曰く、微生物であるヴァンパイアの血は本来、体外へ出ることを極度に嫌うため、注射器などで採取しようにも吸い上げることすらできないらしい。 手でも切り裂いて出血を得たとしても、経口摂取や血液感染でさえ、健康な若い男をヴァンパイア化させるほどの血を体内に入れることは難しいと言われた。 『ゆえに、一番手っ取り早いのは食いつくことじゃ』 と、長老の呆れたような、うんざりしたような口調を思い出して、リーバーは小首を傾げる。 「ちょっと聞きたいんだが・・・」 「はい?」 「いや、ミランダにじゃなく」 部屋に視線をさまよわせると、やはり監視でもしているのか、部屋付のメイドが音もなく現れた。 「君は・・・眷属になった時のことを覚えているか? すごく痛かったとか」 彼女に問うと見せかけて、実はミランダへ言い聞かせようとしているリーバーの真意を悟り、メイドは微笑んで首を振る。 「わたくしが眷属に加わりましたのは5年ほど前でございますが、痛いなんてとんでもない。 眠りに就く時の様に、とても気持ちよくて・・・うっとりとしている間に終わってしまって残念でした。 できることなら、ずっと味わっていたい感覚でございましたよ」 「そ・・・そうでしたっけ・・・・・・」 数百年も前に眷属になったミランダがとっくに忘れた感覚を、うっとりと語るメイドに彼女は困惑げに眉根を寄せた。 「がんばってくださいませ、お嬢様!」 「は・・・はい・・・・・・!」 励まされて頷いたものの、中々決心がつかずにミランダは、リーバーを困惑げに見つめたまま立ち竦む。 そのまま無言の時が過ぎ、部屋の空気はどんどん重くなっていった。 とうとう、 「執事殿をお呼びしましょうか。 彼でしたら吸血にも慣れておりますから」 と、苦笑したメイドが提案するが、ちらりと見遣ったリーバーに首を振られて、ミランダも首を振る。 「・・・下がっていいですよ」 「はい・・・」 残念そうに頷いて消えたメイドにため息を漏らし、ミランダはうな垂れてしまった。 「・・・・・・ごめんなさい」 「イヤ、謝られるようなことじゃないんだが・・・」 歩み寄って落ちた肩に手をかけると、びくりと震える。 「え・・・っと・・・。 今はやめておくか?」 「・・・・・・はい」 ほっとした顔でリーバーを見上げ、頷いた彼女の額に軽くキスした。 「じゃあ・・・もうすぐ夜明けだし、おやすみだな」 「そうですね・・・」 軽く手を振って居間を出て行こうとするリーバーを、ミランダが目で追う。 「昼の間はなにをなさっているの?」 ふと気になって問うと、リーバーは階下を指した。 「俺に敵意剥き出しだった狼を手懐けてハワードに嫌がらせしたり、大きな窓がある控えの間に本を持ち込んで、日光浴しながら読書してる」 「嫌がらせ・・・?」 不思議そうに呟いたミランダへにこりと笑い、彼は階段の手すりに手をかける。 「今日は陽光の見納めだろうから、晴れてて欲しいもんだ」 今夜には、と、言外に言う彼に、ミランダは固い顔で頷いた。 「できるだけ・・・覚悟を決めておきますわ・・・」 それは普通、こちらのセリフではないかと思いつつも、リーバーは頷き返す。 「じゃあまた後で」 「はい・・・」 がんばって微笑んだ彼女に手を振って、リーバーは階段を降りて行った。 「カール!ゾフィー!ハインツ!エルザ!」 庭に出て次々に名を呼ぶと、城を囲む深い森の中から大きな狼達が駆け出てきた。 「ごめんな、今日は餌持ってくるの遅れちまって」 尻尾を振ってまとわりついてくる狼達を撫でてやりながら、分厚い肉を積み重ねた皿を地面に置いてやる。 「さ、たんと食え」 仲良く皿を囲んで食べだした狼達を眺めていたリーバーは顔をあげて、燦々と降り注ぐ陽光に目を細めた。 「・・・代価としては、安いもんだ」 本心からそう思っているのに、捨てざるを得なかったミランダや奪われたリナリーからは無理をしていると思われるのだろう。 だが彼としては本当に、悔いはないのだ・・・少なくとも、人間のままハワードに息の根を止められるより断然ましだと思っていた。 「お前達が懐いてくれてよかったよ。 さすが頭のいい動物は、人を見抜く目も優れているな」 リーバーの言葉がわかるのか、四頭は一斉に顔をあげ、得意げな顔をしてまた肉に食らいつく。 この城の番人である彼らはハワードが飼い慣らしたそうで、当初はリーバーに対して敵意を剥き出しにしていた。 おそらく、城の住人が全員寝ている間に食い殺しておけとでも、命令していたのだろう。 が、数日後にハワードが暮れなずむ城の庭で見たのは、食い散らかされたリーバーの死体ではなく、狼達と仲良くボール遊びする姿だった。 顎を落とさんばかりに唖然とした顔は、未だ思い出すたびに笑えてくる。 「飼ってたのはハワードでも、ここの主人はアレイスター卿だもんな。 彼が俺を客人として扱ってくれたから、お前らももてなしてくれたんだろ?」 空になった皿から満足げな顔をあげた狼達が、賢そうな目でリーバーを見上げた。 「了解。 命を救ってくれた礼に、お相手するよ」 彼がポケットからボールを取り出すと、四頭は激しく尻尾を振り、リーバーの周りを跳ね回る。 「昼間に遊んでやれるのも、今日で終わりかな・・・」 終わればいいが、と苦笑して彼は、窓のない円塔を見上げた。 ベッドを覆うカーテンを閉めると、そこは彼女だけの世界だった。 家族からも離れて、夢に浸れる唯一の空間だが・・・今日は眠れそうにない。 今夜―――― 自分が彼の運命を決めてしまうのかと思うと、やはり気が咎めた。 まだヴァンパイアの血を受け入れていない彼が『覚悟を決めた』と言うからには、それは誰からの強制でもない本心なのだろう。 だがミランダが彼をヴァンパイアにしてしまえば・・・今後彼は、ミランダの意志には逆らえなくなってしまう。 そう言うものだと、長い間純血の一族の傍で暮らして来た彼女は、なんとなく理解していた。 だがそれは、とても口に出せることではない。 そんなことを軽々しく口にすれば、あの美しく気の強い姉が夫を愛していることも、あの賢い弟が兄を慕うのも、全て強要で欺瞞だと言うことになりかねなかった。 たとえそれが真実であろうと、ミランダは姉の愛も弟の忠心も本物だと信じていたい。 しかし自身に、リーバーを操ることなく彼の心を繋ぎ止めるだけの魅力があるとはとても思えなかった。 いっそ、他の誰かが彼の『主』となればと・・・。 そうすれば、リーバーは自分に縛られることなく自由でいられるのにとは思ったが、たとえ兄であれ、他者に彼の心が向かうのは悲しく思えた。 「これが・・・こういう気持ちが・・・本で読んだ『嫉妬』というものなのかしら・・・・・・?」 ベッドに置いたままの本を開くと、各所に『嫉妬』の文字が躍っている。 それが原因となる物語はよくあるが、ミランダには女達が・・・時には男達が、なぜ愛した者に対してそこまで恐ろしい行動に出てしまうのか、理解できずにいた。 しかし今ではほんの少し、理解できる気がする。 「・・・ずっと、一緒にいて欲しいです・・・・・・。 ずっと、私を見ていて欲しいです・・・・・・。 他の人と仲良くしないで・・・私のことを忘れるなんて、嫌・・・・・・」 口に出すと、今までになかった恐ろしい感情が湧いてくるような気がして、血の気が引いた。 「恐ろしい・・・! 私・・・このままじゃあの人を・・・・・・!」 本に目を落としたミランダは、嫉妬深い女神が夫の浮気相手を熊に変えるシーンを見て、慌てて本を閉じる。 「私・・・私が諦めればいいのよ・・・! そうよ、そうすればあの人は・・・・・・!」 最後の日は晴れているだろうかなどと気にすることもなく、次の晴天を待てるのだ。 「戻って・・・人の世界に・・・・・・」 体温を持たない目から冷たい涙を零しながら、ミランダは低く呟いた。 狼達と遊んだのち、日を浴びながら本を読んでいたリーバーは、森の向こうへ消えていく陽光に名残を惜しんだ。 「・・・さて。 今日はいい加減、決めて欲しいもんだ」 分厚い医学書を閉じて部屋を出た彼が、夜明け前までいたミランダの居間へ行くと、部屋付のメイドが苦笑して迎える。 「・・・まだおやすみのようでございます」 「じゃあ、待たせてもらおうかな」 苦笑を返してテーブルに着いたリーバーに、すかさずお茶が出された。 早速カップを取りながら、予想通りの展開に笑みが漏れる。 中々自分では決められない彼女が、選択を迫られて部屋から出て来られなくなることは、十分予想の範囲内だった。 と、かなりの時間を待った後、部屋の隅で階上をちらちらと見ていたメイドが、にんまりと笑う。 「どうやらおいでにならないようですので、こちらからお訪ねしてはいかがでしょう?」 「・・・・・・・・・は?」 それが部屋付メイドの言うことかと、呆れるリーバーに彼女は、白々しく微笑んだ。 「奥方様より仰せつかっております。 お嬢様がお部屋に篭って出てこないようなら、いっそウェンハム様をお部屋にお入れしろと」 「・・・とんだところに裏切り者がいたもんだな」 いやむしろ、さすがにエリアーデはミランダの性格を知り尽くしていると言うべきだろうか。 「ではどうぞ」 リーバーの返事を待たず、メイドは軽やかに階段を昇って行った。 「お早く」 ついて来ないリーバーを軽く睨んで促すと、音もなく衣裳部屋の階段をも登っていく。 やや逡巡したリーバーも、このまま待っていても埒が明かないだろうと思い、遅れてついて行った。 と、階段の上で待っていたメイドが、にこりと笑って寝室へのドアを開ける。 「お嬢様、起きてらっしゃいますよね?」 妙にはしゃいだ声をあげて、にんまりと笑ったメイドがリーバーの手を引いた。 困惑げな彼の逡巡など無視する膂力で引き上げ、寝室に引きずり込むと、その背を思いっきり突き飛ばす。 「わっ?!」 「では、失礼いたします」 床に転げたリーバーに白々しく笑い、閉ざしたドアの向こうでがちゃりと重い音がした。 「か・・・鍵かけられた・・・?!」 なんてメイドだと、唖然としたリーバーの目の端で、ベッドのカーテンが揺らぐ。 「あ・・・えっと・・・すまない、邪魔するつもりはなかったんだが・・・起きてるんだよな?」 メイドが階下にいた間中、ちらちらと上を見ていたのはきっと、人外の耳でこの部屋の様子を探っていたのだろうと思って問うと、カーテンがまた揺れた。 「ご婦人の寝室に勝手に入ってすまない。 これでも一応紳士のつもりなんで・・・これ以上の無作法をするつもりはないから、自分で出て来てくれると嬉しいな」 開けてもらえそうにないドアを見下ろしながら苦笑まじりに言うと、カーテンの隙間からそっとミランダの目が覗く。 「お姉さま・・・酷いわ・・・・・・!」 階下の会話が聞こえていたのだろう、泣きそうな声にリーバーはため息をついた。 「それは気の毒に思うが、待っているとわかっているのに出て来てくれないミランダもどうかと思うぞ」 言ってやると、素早くカーテンが閉められて、ミランダの姿が消える。 「お・・・!」 「やっぱり・・・やめた方がいいと思うんです・・・!」 きつく閉ざされたカーテンの向こうから、搾り出すような声が聞こえた。 「私が・・・私なんかがあなたの運命を決めてしまうなんて、いけません・・・!」 内側からカーテンを握るミランダの手が震えて、襞が揺れる。 また繰り返される言葉にため息をついたリーバーは歩み寄り、厚い布越しにミランダの手に触れた。 「それには何度も反論したはずだが、まだ納得行かないかな」 びくりと震えた手を布越しに包むと、震えが伝わってくる。 「・・・とにかく、ここを開けてくれないか」 何度でも説得するつもりで震える手を握り締めるが、それは頑なにカーテンを掴んだまま、開きそうになかった。 「ミランダ・・・!」 「ダメです・・・!」 震え声の拒否に、リーバーがため息をついて手を離す。 ぬくもりが消えたことを悲しく思いながらも、ミランダがほっと吐息した瞬間、カーテンが天蓋から無理矢理引きちぎられた。 「・・・・・・っ!」 驚きのあまり、声もないミランダの腕を、憮然としたリーバーが掴む。 「きゃ・・・!」 乱暴に引き寄せられた弾みで、ベッドの上を瓶が転がり、本が滑り落ち・・・それを思わず目で追ったミランダの身体が抱き寄せられ、顎を掴まれた。 「いい加減、覚悟を決めてもらう」 初めて見る厳しい顔に怯えたミランダの唇が、リーバーの唇に塞がれる。 「ん・・・!」 逃げようとするミランダを更に抱きしめ、動きを封じた彼の舌が彼女の唇を割って入り、歯列をなぞった。 ぞくりとする感触に身動ぎした瞬間、彼女の牙をなぞる彼の舌から溢れた熱く甘い液体が、ミランダの喉に流れ込む。 「っ!!」 ミランダの牙に舌下動脈を当て、自ら切り裂いたリーバーを見つめる目に、冷たい涙が浮かんだ。 滲む視界の中で、リーバーが苦笑する。 ―――― 覚悟を・・・。 心中に呟いたミランダは目を閉じ、震える舌を彼の舌に絡めた。 初めて飲んだ人間の血はたとえようもなく甘く、上質の酒よりも彼女を酔わせて―――― 夢中で貪るうちに、ミランダを抱きしめる彼の腕から力が抜け、重みを増していく。 「あなた・・・・・・」 ベッドに伏した彼の髪を撫でながら、ミランダは冷たくなっていく身体を抱きしめた。 目を覚ましたのは、見慣れた部屋のベッドだった。 「お・・・おはようございます・・・・・・」 枕元に椅子を置いて座っていたミランダが、恥ずかしそうな、気遣わしげな目で彼を見下ろす。 「あの・・・気分はどうですか・・・? どこか苦しいとか・・・嫌な感じはありますか・・・・・・?」 彼と目を合わせようとせず、震え声で尋ねる彼女へ手を伸ばすと、いつもは冷たく感じるその手が妙に暖かく思えた。 「・・・俺はどのくらい寝ていたのかな」 尋ねると、ミランダは枕元の置時計を見遣る。 「1時間も寝ていなかったと思いますよ。 ・・・あの子が中々ドアを開けてくれなくて、あなたを運び出すのに時間が掛かってしまいましたから、正確にはわかりませんけど」 じっとりと睨まれたメイドは、笑いをこらえるかのように口元を歪ませて、目を逸らした。 「・・・もう! お姉さまにも、苦情を言わなければ」 ぷくっと頬を膨らませたミランダに、リーバーが微笑む。 「じゃあ、行くんだな」 「・・・・・・はい」 リーバーに向き直ったミランダが、苦笑して頷いた。 「一緒に覚悟を決めることにしました」 妙に清々しい顔で言った彼女は、しかし、すぐに眉根を寄せる。 「・・・決めたというか、決めざるを得なかったというか」 「どうした?」 ベッドに半身を起こして問うと、彼女は頬を染めてリーバーを睨んだ。 「か・・・覚悟を決めないと、またなにをされるかわかりませんもの! 紳士だっておっしゃったくせに!」 ミランダの抗議に、メイドがぴくりと聞き耳を立て、興味津々と輝く目で見つめてくる。 「い・・・いや、あれは・・・・・・!」 途端に居心地が悪くなって身動ぎしたリーバーが、メイドの耳目を気にして口を濁すが、ミランダは気づいてくれなかった。 「まさか、襲われるなんて思ってもみませんでした!」 「んまぁ 思わず歓声をあげたメイドは慌てて自分の口を塞いだが、目は餌を前にした猫のように嬉しげに輝いている。 「え・・・っと、それは謝る! 本当にすまなかった・・・だから、今はこの話はやめておいた方が!」 「ごまかすつもりですか?!」 「そうじゃなくて!!」 あからさまにメイドを見遣ると、ミランダは口を尖らせて彼女へ振り返った。 「もう下がっていいですよ」 「えぇっ?!・・・・・・はい」 見るからにがっかりと肩を落とし、しょげた様子でメイドが部屋を出て行くと、ミランダは吐息する。 「気にすることでしょうか」 「気にするよ、庶民は!」 「・・・そうなんですか?」 「そうそう。 ところで、いつ出発するんだ?」 ミランダが一瞬、怒りを忘れた隙を突いて、リーバーは話題を変えた。 さすがに気づいたのか、ちらりと苦笑したミランダが、小首を傾げる。 「あなたが動けるようになったら・・・ですね。 馬車はいつでも出せるそうですよ」 普通の馬と違い、クロウリー家が所有する馬は、一夜で国を跨ぐ脚力と体力を持っていた。 「じゃあ今すぐに出れば、夜明け前には着くな」 「もう動けるんですか?!」 あっさりと立ち上がった彼を、ミランダが驚いて見上げる。 「あの・・・随分出血したんですよ・・・? 傷はすぐに塞がったので、あなたが私の血を受け入れたことは間違いないんでしょうけど、完全にヴァンパイア化するにはまだ時間が掛かります・・・。 こんなに早く、動けるわけがないんですけど・・・・・・」 困惑げに言う彼女に、リーバーはにんまりと笑った。 「俺の体力を見くびらないで欲しいな。 長老も言ってただろ、少々血を失ったからと言って、俺がすぐに死ぬようなことはない。 吸血ができるまで練習するには、丁度いい素材だってね」 「だからって、自分で血管を切ってしまうなん・・・て・・・・・・!」 その時の事を思い出してしまい、真っ赤な顔をあげられなくなったミランダの肩を、リーバーは笑って抱いた。 「動脈の場所は知ってても、あれが吸血行為に当たるのかは自信なかったんだが、成功だな♪」 「・・・もう!」 「ちなみに」 共に部屋を出ながら、リーバーはミランダに笑いかける。 「長々待たされている間に、荷物は準備してもらったから。 部屋に戻る必要もないぞ」 また篭られては困ると言いたげに手を引く彼を、ミランダが紅い顔のまま睨んだ。 「・・・篭ろうにも、カーテンは引きちぎられてしまいました」 「あ・・・そうだっけ?」 白々しく目を泳がせる彼に、ミランダが吐息する。 「しばらくは・・・部屋の掃除に入った子達がはしゃぐと思いますので、落ち着くまでハワードさんが帰って来ないように気をつけないと」 「そう・・・だな・・・・・・!」 ハワードの怒りを想像したリーバーは、ミランダとは対照的にどんどん蒼褪めていった。 「温泉ほっこりー エリアーデと共に浴場から帰ってきたリナリーは、カジノで遊んでいたアレンのテーブルが、高額のチップで埋まっている様に目を丸くした。 「す・・・っごい! こんなに勝っちゃったの?!」 歓声をあげると、アレンが得意げな顔で振り返る。 「僕、勝負事は得意なんです にこにこと笑う彼の目がきらりと光り、コールをあげた途端、相手が悲鳴をあげた。 「いい加減に許してあげなさいよ。 破産させてしまうわよ」 エリアーデの呆れ声に、アレンは肩をすくめる。 「だからもうやめましょうよって言いましたよ、3回くらい。 でもこのおじさんが、まだやるって言うから」 ね?と、笑顔で小首を傾げたアレンの前で、相手はふらふらと立ち上がった。 「あ、終了ですね ありがとうございましたー!」 お小遣いできた、と、嬉しげなアレンの勝負を眺めていたアレイスターが、惜しみない拍手を送る。 「すごい勝負であったよ!感動したである!」 「えへへー 得意顔で口先だけ謙遜するアレンの耳に、エリアーデがそっと囁いた。 「嘘おっしゃい。 どうせイカサマでしょ」 「秘密にしててくれますよね にんまりと笑みを返すと、エリアーデは笑って頭を撫でてくれる。 「リナリー、アレンは一晩でお金持ちになったみたいだから、なにかプレゼントしてもらいなさいな。 早くしないと、クロス様のお酒代に消えてしまうわ」 くすくすと笑うエリアーデの声に勝利の余韻もなくなって、アレンは笑みを引き攣らせた。 「えっと・・・それが現実になりそうなんで、今のうちに何かプレゼントしますよ。 ここには色んなお店があるから・・・そうだ! 結婚指輪とか 「・・・ホントに諦めないんだから」 いちいち断るのも面倒になって、リナリーが苦笑する。 それを了承と受け取ったアレンは、両手で彼女の手を握った。 「石は何がいいですか? 誕生石ならアメシストですよね! 紫はリナリーにとってもよく似合うと思いますよ 「じゃあ俺は、青い知性のサファイアで」 突然頭を掴まれて驚いたアレンは、顔をあげた途端、驚きの声をあげる。 「リーバーさん!来たんだ!!」 「来たとも ウィンクした彼を、クロウリー夫妻が無言で見つめた。 その視線に気づいた彼は、笑顔でアレイスターへ手を差し伸べる。 「眷属に迎え入れてもらえますか?」 「そうか・・・もちろん喜んで。 喜んで迎えるである!」 ひんやりとしたリーバーの手を握るアレイスターの傍ら、エリアーデがほっとしたように微笑んだ。 だがこの中で一人、不満げな顔をしたリナリーがリーバーの腕を引く。 「・・・馬鹿なんだから!」 「そうかな?」 妙に清々しい笑みを浮かべて頭を撫でてくれるリーバーの手の下、リナリーは口を尖らせた。 「俺は何も捨ててなんかないよ」 穏やかな声で、リーバーは無言になった彼女に言い聞かせる。 「むしろ、得る物の方が多い」 「・・・これがサイアクの誕生日プレゼントじゃなきゃいいね」 生意気に舌を出したリナリーに笑って、リーバーは彼女の鼻先を弾いてやった。 一方、数百年ぶりに『我が家』へ戻ったミランダは、静かに過ごしたいからとリーバーには街へ行ってもらい、家族がしばらく帰ってこないよう、頼んでもらっていた。 唯一残ったハワードが気遣わしげに見守る中、ある一室に入ったミランダが、突然泣き崩れる。 「あ・・・姉上?!」 顔を覆ってうずくまる姉を抱き起こし、ソファに座らせると、彼女は涙目でハワードを見つめた。 「・・・覚えていませんか? ここで・・・この部屋で私は、神を棄てて・・・あなたと共に眷属になったんですよ・・・・・・!」 今でも時折夢に見る・・・。 小さなベッドの上で、今にも息を引き取ろうとしていた弟を不安と共に見つめていた夜、ひたすら祈りを呟くことしかできなかった彼女の元へ、彼らが訪れたのだ。 「お兄様とお姉さまが来て下さらなかったら・・・私達はここで死んでいたのよ・・・・・・」 誰もいない村で、誰からも葬られることもなく、無残に骨をさらしていたことだろう。 「私は・・・あまりに幼くて、その時の事を覚えてはいませんが・・・」 困惑げなハワードが、ミランダの背を優しく撫でた。 「姉上が決断してくださったおかげで、こうして生きています。 病も知らず、寿命も知らず・・・兄上のお役にも立てて、私はとても幸せですよ?」 涙目を上げると、すぐ傍にハワードの笑顔がある。 「とても、幸せなんです」 断言した彼は、まだ夜も明けぬうちに起き出して来たらしい、働き者の村人達の気配に外を見遣った。 「姉上、どうぞ。 こちらは西側ですから、まだ日は当たりません」 東の空は白みかけているが、未だ暗い庭の向こう側に、確かに人々の気配がする。 「畑に出るようです。 今年は豊作だと、ここの長が言っていましたよ。 刈り入れ時には人手がいるから、使用人はそうたくさん世話できないと」 「そう・・・だからここには住み込みの人達がいないのね」 瞬いた目から涙を零すミランダに頷き、ハワードは垣根の向こうを賑やかに通り過ぎる村人達を眺めた。 「いかがですか? あんなに賑やかなのに、彼らの奥方や子供らはまだ家にいて、夜明け前の野良仕事には出てこないそうですよ」 誰もいなくなった村は今、人で溢れているのだと・・・言外に言ってくれた弟に、ミランダは何度も頷く。 「もう姉上が思い悩まれることなど、ありはしませんよ。 村は寂れるどころか、義姉上が呼び集めた上流の人々も田舎暮らしを楽しんで、農業だけでなく経済的に潤っているそうです。 今夜にでも、村を散策されてはいかがですか? 姉上のことを知る方達はもうとっくにいらっしゃらないでしょうが、気のよい方が多い村ですよ」 「えぇ・・・そうしたいわ・・・・・・」 開け放たれた窓の傍に寄り、深く息を吸い込むと、懐かしい草の香りや、熟した麦の匂いがした。 黒い森からは朝露を含んだ木々の香りが漂って来て・・・目をつぶると、父や母がいた頃の思い出が蘇る。 「ハワードさん・・・」 「はい」 姉の清々しい声に頷くと、明るい笑顔が振り返った。 「私、生きていてよかったです・・・!」 「はい」 数百年も共にいて、初めて見た姉の美しい笑顔に、ハワードも嬉しくなる。 「これで姉上があのホーキ頭を見限ってくだされば、私も本当に幸せなのですが!」 「それはありません 笑顔できっぱりと言われてしまい、ハワードは握ったこぶしをしおしおと下ろす事になった。 その後、夜明け近くになってようやく戻って来た家族を迎え、ハワードは兄夫婦に駆け寄った。 「姉上が、喜んでくださいました」 尻尾を振る子犬のような嬉しげな様子に、思わず皆の顔もほころぶ。 「それはよかったわ 今、ミランダは?」 迎えには来ていないようだと辺りを見回すエリアーデに、ハワードが和んだ笑みを浮かべた。 「緊張が解けた途端、疲れたとおっしゃって、もうお休みになりましたが・・・義姉上」 呼ばれてエリアーデは、何気なくハワードへ目を向ける。 「姉上が、生きててよかった、と。 そうおっしゃっていましたよ」 「そう・・・・・・」 エリアーデはハワードの笑みを見つめたまま、呆然と呟いた。 「それは・・・よかった・・・・・・。 本当によかったわ・・・・・・」 自分でもなぜだかわからないまま、声が震え、涙が零れる。 「よかっ・・・!」 顔を覆って泣き崩れそうになったエリアーデを抱きしめて、アレイスターはハワードに頷いた。 それだけで何も言わなかったが、彼の思いは十分に伝わって、ハワードも頷きを返す。 「私達は先に失礼するであるよ。 皆、ゆっくり休むといい」 満足げな笑みを浮かべたアレイスターは、未だ涙の止まらないエリアーデを横抱きにして、奥へと去って行った。 その後を、気を利かせて黙っていたアレンとリナリーが無言のまま、それぞれの部屋へ戻って行く。 しかし続こうとしたリーバーは、今までの笑顔が嘘のように表情を消したハワードの冷たい目に睨まれ、歩を阻まれた。 「・・・まだなにか?」 ため息混じりに問えば、ハワードは彼を睨んだまま、ゆっくりと頷く。 「一言、言わせていただきましょう」 「お祝いでも?」 苦笑して嫌味を言ってやると、ハワードは忌々しげに舌打ちした。 「嘆かわしいことに姉上は、あなたのことを特別に思っていらっしゃるようだ。 ならば・・・」 殺したいのに殺せない悔しさか、ハワードは眦を吊り上げてリーバーを睨む。 「・・・姉上があなたを見限る日まで、死ぬことは許しません。 姉上があなたを追って『生きるのをやめる』ようなことがあれば、地獄までも追いかけて、必ずあなたを殺します!」 本当は今殺したいのだと言わんばかりの形相に、リーバーは深く吐息した。 「・・・努力します」 眷属になったリーバーが『得る物』の中に、とんでもなく嫉妬深い小舅がいることをどうして今まで忘れていたのか・・・。 自身のうかつさに呆れながらも、新たな生の始まりとなった記念すべき日に、リーバーは心中で快哉をあげた。 Fin. |
![]() |
2012年班長お誕生日SSでしたー! 予定ではちゃんと8日更新のはずだったのに、9日の明け方更新とか本気ですみません; VAMPSライブで遊び呆けてました・・・・・・。(馬鹿か) ともあれこれは、『班長の誕生日、どれ書こっかなー』って言ってたら、『吸血鬼の続き書け』言われたんで書いたものです(笑) ・・・人間に襲われる吸血鬼っていかがですか(笑) 健全サイト的にどうなの、って、散々迷いまくって消すかどうか困っていたせいで、こんなに時間かかりました(=▽=;) キスまでは健全だと・・・信じたい・・・・・・(ゴォラ#) ちなみに班長は人間のままで一生終えさせるか、ヴァンパイアにしてしまうかずっと悩んでたんですが、ここ、健全ギャグサイトなんだから(この話に関しては怪しい;)、あんまり死にネタ扱いたくないしなーってことで、こんな風になりましたよ。>それまでは、エリアーデの言う『最悪の事態』ラストも考えてました。 そして題名は当然、ラルクの『XXX』なんですが、以前、某所で『ラルクのトリプルエックスってどういう意味ですか?』って質問している人がいて、固まりました(笑) それなんてプロジェクトX(笑) ラルクじゃなくて、みゆきが歌ってそう(笑) 『XXX』はもちろん『トリプルエックス』じゃなくて、『キスキスキス』と読みます。 英語のスラングで、『XXX=ちゅっちゅっちゅ 不健全シーン(笑)を描いてる最中にこの曲が流れて、もう『やっちゃいなYO!』と言われてるとしか思えなかったり・・・。 お楽しみいただけると嬉しい・・・なぁ!(^^;) |