† あなた †
†このお話はヴァンパイア・パラレルです† D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。 頭を空っぽにして読んで下さいね |
―――― 月のない夜。 闇に沈んだ黒い森とは裏腹に、保養地は今夜も賑やかに更けていた。 カジノではすっかり有名人になった少年がテーブルに高額チップを積み上げ、命知らずの金持ち達が蒼褪めていく。 「コールです とどめの一撃を受けた対戦者が、震える手からカードをばら撒いた。 「ね、おじさん? 今夜はこのくらいにしておいた方がいいですよ?」 また遊んであげるから、と、人の好い笑みを浮かべて、残酷な少年は指を鳴らす。 「換金お願いしまーす 今日もたんまり儲けたと、ご満悦の彼を傍らで見守っていた紳士が温かい拍手を送った。 「今夜も見事な勝ちっぷりであったな、アレン。 そろそろ対戦者が尽きるかと思ったが、命知らずの多いことである」 「客層が頻繁に変わりますからね!」 保養地ならではだと、アレンは嬉しげに笑う。 「ここで一番のギャンブラーだって聞いても、僕を見たら『なんだ子供じゃないか』って寄って来てくれるんです よく太ったカモって素敵 品のいい顔をしてとんでもなく腹黒い少年は、ディーラーからずっしりと重い金貨の袋を渡されて、更に頬を緩ませた。 「アレイスターさんもやってみませんか? 見てるだけじゃつまらないでしょ!」 さぁ、と、悪い遊びへ誘う手は、背後から乱暴に掴まれ、捻りあげられる。 「ちょ・・・痛い痛い痛い!!!!」 「兄上をカモにすることは許しませんよ、クソガキ!!」 「そんなことしないもんっ!!痛いいいいいい!!!!」 弟に締め上げられるアレンがあまりにも可哀想な声をあげるので、アレイスターは慌てて止めに入った。 「これ、ハワード! 子供をそんなにいじめるでないよ!」 「これがそんじょそこらの子供ですか! 大人から金を巻き上げるなんて図々しい!」 「いっ・・・痛いってば!!折れる折れる!!」 「これこれっ!」 騒がしい一角に注目が集まる中へ、真っ直ぐに歩み寄って来た女が苦笑する。 「なんですか、あなた達?またケンカなの?」 嫣然としてしなだれかかってきた妻に、アレイスターは困ったように頷いた。 「アレンは遊びに誘ってくれただけなのに、ハワードが怒ってしまったのである」 「当然です」 きっぱりと言われた上、睨まれて、アレンが縮こまる。 逆に得意顔のハワードが意地悪く鼻を鳴らした。 「義姉上、お優しい兄上に代わって、このクソガキをしっかりお仕置きしてくださいませんか! この子供と来たら、私の言うことなどちっとも聞きませんから!」 「そうね!」 きりりと吊りあがった目に睨まれ、ますます怯えたアレンをアレイスターが気の毒げに見つめる。 「エリアーデ・・・もうよいではないか」 可哀想だからと止められて、エリアーデはあっさり頷いた。 「ハワードも、放してやるである」 「そーだそーだ!放してあげなさい 「くっ・・・!」 しぶしぶ拘束を解いたハワードは、アレイスターのとりなしに便乗して囃し立てるアレンの頭を乱暴にはたく。 「ハワードがぶった!!」 「まったく・・・」 大人気ないハワードと騒がしいアレンに肩をすくめて、エリアーデは首を振った。 「ここにあの子が加わったら、更に騒がしくなるわね」 「・・・あぁ、やはり来るのであるか」 明らかに歓迎してはいない表情の夫に、エリアーデは苦笑して頷く。 「御用がおありなのは長老ですもの。 お断りすることも出来ませんでしょ」 「そうであるな・・・」 深々とため息をついたアレイスターに、アレンが首を傾げた。 「長老? ラビも来るんですか?!」 ぱぁっと表情を明るくした彼に、エリアーデがため息をつく。 「そんなに喜んで・・・お行儀よくして欲しいものだわ」 「しますとも!」 「本当ですかね!」 ハワードの嫌味は無視して、アレンはエリアーデに駆け寄った。 「いつ? いつ来ますか?」 「そうねぇ・・・早ければ今夜中にでもこちらに着くのでしょうけど、我が家にいらっしゃるのはその翌日以降だと思うわ」 ラビはともかく、長老は他人の家に直接入るほど礼儀知らずではない。 「じゃあ、先にここで会えますね!」 「・・・移動のお知らせじゃなきゃいいけど」 またため息をついたエリアーデに、アレンが苦笑した。 「ここでアレイスターさんのお誕生日パーティするんだって、張り切って準備中ですもんね、エリアーデさん」 「そうなのよ・・・・・・!」 水の泡になったらどうしよう、と、エリアーデはとうとう頭を抱える。 「ここで知り合った皆さんにもぜひ来てくださいね、って声をかけたのに・・・でも、長老のご命令なら聞かないわけにも行かないし・・・・・・」 「うーん・・・でも、誕生日パーティだけならともかく、ミランダの婚約披露パーティも兼ねるんなら、誰も眷属がいないってのも問題だと思うさね」 「だってハワードが、それは絶対阻止するって言うものだから」 眉間にシワがよらないよう、指で押さえて首を振るエリアーデに、ハワードがむっと眉根を寄せた。 「いつ婚約破棄するかもわかりませんのに、他家の方々に正式にご紹介するわけにも参りませんでしょう!」 「またお前はそのようなことを・・・」 アレイスターも弟の強情さには呆れる。 「リーバー殿が無事、眷属になった以上、何の問題があると言うのであるか。 いい加減、姉離れをするであるよ」 「そうだそうだ、シスコンー!」 「いい加減にするさねー!」 「くっ・・・!このクソガキどもは・・・ども?」 アレンの声に重なって聞こえた囃し声に、ハワードは忌々しげに舌打ちした。 「いつの間に紛れ込んだのですか、Jr.!」 「ついさっき 悪びれもせず手を振るラビへ、アレンが嬉しげに抱きつく。 「なんだかすごく久しぶりな気がする!」 「あぁ、忙しくて中々会えんかったかんね アレンの頭をぐりぐりと撫でてやりながら、ラビはエリアーデへと愛想を振りまいた。 「奥方もお久しぶりさ 会えなくてすごく寂しかったさー 「あぁ、そう。 それで・・・長老はどちら?」 ラビを素っ気無くあしらったエリアーデは、きょろきょろと辺りを見回す。 と、わざとらしいほどに気落ちした様子のラビが、浴場の方を指した。 「長風呂なんさ・・・」 「そう・・・。 長老は、私達をどこかへお招きくださるのかしら?」 エリアーデの皮肉とも諦めともつかない口調に、ラビは空気も読まずに頷く。 「古い家の連中がほとんど俺んち来るから、誕生日パーティすんなら俺んちでやるといいさ! そしたら、連中は移動しなくて済むから助かるさね!」 「・・・なんつー身勝手な」 エリアーデの計画を粉砕しておきながらその心情を理解せず、とてもいい案を提供したと言わんばかりの得意顔にはアレンでさえも呆れた。 「エリアーデさん、殺っていいですよ、こんなの」 「なんでっ?!」 わざわざ迎えに来たのに、と、意外そうな顔が更に気をささくれさせる。 が、エリアーデも長く生きているだけに、すぐに怒りを隠して頷いた。 「・・・・・・ご招待ならしょうがないわね」 「エ・・・エリアーデ、よいのであるか?」 「義姉上、まだ長老から直接お話をいただいたわけではありませんので・・・」 アレイスターだけでなく、ハワードまでもが気遣わしげに問うが、彼女はもう一度頷く。 「仕方ありませんでしょ」 「まぁ・・・そうであるが・・・・・・」 慰めるようにエリアーデの肩を抱いたアレイスターをちらりと見たアレンは、ラビの耳に口を寄せた。 「古い家が集まるって、なんかのパーティ?」 エリアーデの耳を気にしつつ問えば、彼は大きく頷く。 「ん ジジィが隠居して、俺が家を相続すっからそのお披露目 「ふーん・・・って、ええええええええええ?!」 驚くアレンにラビは、得意げに胸をそらしたが、 「家潰すのっ?!」 と続いた言葉に彼の頭をはたいた。 「なんで俺が継いだら即潰れると思うんさ!」 「だって・・・潰れるでしょ!君、全然危機管理能力とかないじゃん!!」 「う・・・そんなことない・・・さ・・・・・・!」 きっぱりと言われて、ラビは挙動不審に目をさまよわせる。 と、アレイスターは感心したように頷いた。 「さすが、長老は頭が良いであるな。 あの家は、散逸しては困る貴重な宝がいくつもあるゆえ、長老が亡くなってからラビが相続するまでに、親戚に奪われてはならんと思われたのであろうな」 「宝?!高価なの?!」 アレイスターの言葉に目を輝かせたアレンに、しかし、ラビは首をひねる。 「そうさな・・・きっと、人類にとってはすごく貴重な宝さ。 でも今売ったとしても、二束三文で買い叩かれるか捨てられるかのどっちかさね。 この価値がわかる奴が生まれるまで、あと100年はかかると思うさ」 「・・・なにそれ」 唖然としたアレンに、ラビはクスクスと笑った。 「俺んちが所蔵してるんは、大昔に書かれた書物とかさ。 大英図書館にだってない稀少本ばっかだけど、読めない奴にはただかさばる束でしかないさね。 でもまぁ・・・一族の中にはこの価値を正確に知って、喉から手が出るくらい欲しがってる奴も大勢いるから、奪われるのを防ぐためにジジィはとっとと隠居して、俺を当主にしときたいんさ」 しかし、後見役と言うにはもう少し実権を握った形で一族には君臨すると言う。 「ホントに・・・頭いいや」 「だから俺に多少、危機管理能力が足りんでも大丈夫ってこと 感心するアレンに苦笑し、ラビはアレイスターを見遣った。 「そゆわけで、正式なご招待は後でジジィがするけど、ぜひ来て欲しいさね 「そうであるな・・・私も長老会の一員である以上、出席しないわけにはいかないである」 低く呟きながらエリアーデの背を撫でてやると、彼女は苦笑して頷く。 「ところでJr.、あなたの家は頻繁に『実家』を変えているようですが、今はどちらにあるのですか?」 ヴァンパイアの一族の中でも、特に古い家である彼の家は、世界各地に屋敷を所有して、頻繁に本拠地を変えていた。 昔のフランス国王のようなやり方を、今でも実行している彼らにやや呆れてハワードが問うと、ラビはにんまりと笑う。 「エジプト 「アフリカではないか!!」 なぜよりによってそんな場所に、と忌々しげなアレイスターに、ラビが笑い出した。 「だぁーって、2千年ぶりの代替わりなんさ! それにふさわしい、最初の本拠地にご招待すんのは当然さ!」 「当然・・・かなぁ・・・?」 疑わしげなアレンにしかし、ラビは自信満々に頷く。 「お前も聞いたことくらいあるだろ、アレキサンドリア図書館って?」 「ううん」 アレンがあっさりと首を振ると、ラビは雷にでも打たれたかのように愕然と固まり、ハワードはいかにも嘆かわしげに頭を抱えた。 「えっと・・・そんなにすごいのかな?」 気まずげに首を傾げると、 「古代最高の蔵書を誇り、数々の知恵を生み出した図書館を知らないなんてさ!!」 「いくら学がないとは言え、ここまでお馬鹿さんだったとは・・・クロス殿からお預かりしている家の者として、教育が至らなかったことを恥ずかしく思います」 大げさなほどけなされて、アレンがむっと口を尖らせる。 「ラビはともかく、ハワードはすごいおじいちゃんじゃん! 昔の人には当然でも、今はきっと当然じゃないよ!」 同じ年頃のリナリーが早く戻ってこないかと辺りを見回すが、温泉にはまった彼女はまだ出て来そうになかった。 「・・・それで、その図書館がどうしたの?」 憮然と問うと、ラビは苦笑して頷く。 「ウチのジジィがさ、昔入り浸ってた思い出の図書館なんさ、ここ。 ウチの歴史好き学問好きは、ジジィの思い出が影響してんさね。 何度も火災や襲撃に遭って、建物はもう残ってないんケド、蔵書は災禍の度にジジィが一族総出で運び出して、そのうち返しようがなくなって今、俺んちにあるんさ 「・・・火事場泥棒?」 「人聞きの悪い!!」 眉根を寄せたアレンを思いっきりはたいて、ラビは鼻を鳴らした。 「あのまま図書館に置いとけば、確実に燃えてたもんをウチが預かって保管してたんさ! 灰になってたはずの希少な蔵書が、虫食いからも守られてきれいに保存してあんだぜ? ものっすごく貴重な人類の宝だけど・・・まだ、その価値がわかる奴は少ないからさ。 散逸させちゃならんって、門外不出になってんさ」 「それがさっき言ってた『お宝』かぁ・・・」 確かに興味ない、と、アレンが頷いた時、ようやくリナリーが浴場の方からやって来る。 「リナリー!」 手を振ると、いい匂いを振りまきながら、リナリーが寄って来た。 「ラビも来たんだ!」 「なんさ、その嫌そうな顔は」 エリアーデと同じく、いかにも迷惑げな顔をしたリナリーに、ラビが乾いた声をあげる。 「ちったぁ歓迎して欲しいもんだけど」 「トラブルメーカーを歓迎するのは、ご婦人にとって難しいことじゃないかなぁ」 楽しげに笑って、アレンはリナリーへ首を傾げた。 「ねぇリナリー、アレクサンドリア図書館って知ってますか?」 「うん、エジプトにあった大図書館でしょ?」 あっさりと答えられて、アレンが顔を引き攣らせる。 が、リナリーはそれに気づかないのか、得々と続けた。 「プトレマイオス1世が建てた図書館で、アルキメデスみたいなすごい学者がたくさん集まって研究して、幾何学もここで生まれたんだよね? あ、地球の大きさを正確に測ったのは、ここの館長じゃなかったかな!」 「・・・ちぇっ」 一人仲間はずれにされて、面白くないアレンが拗ねてしまう。 「そんなに無知が恥ずかしいのなら、しっかりお勉強するのですね! なんなら私が、ビシビシとしごいてあげますよ!」 躾けもかねて、と、ハワードの目は本気だった。 怯えるアレンに、ラビもリナリーも、エリアーデやアレイスターまでもが頷く。 「そうしてもらうといい。 ハワードは優秀な教師になれると思うである」 「そんなぁ!!」 「これでちょっとはお行儀よくなるかしらね」 そう言ってようやく笑ったエリアーデに、アレイスターはホッと笑みを浮かべた。 「んじゃ、せっかくだから俺んちの蔵書で勉強するといいさ どこの屋敷でも毎日本が増えっから、いい加減召使いの気が狂いそうなんけど おもてなしは期待しない方がいい、と言外に言ったラビに、クロウリー夫妻はため息をつく。 が、それを聞いたアレンの銀色の目が猫のように輝いた。 「ねぇラビ、人類の宝は今、売り物にならなくても、本を買うだけの財産や今価値があるものもたくさんあるんだよね?」 嫌な予感を覚えつつ、頷いたラビにアレンはにこりと笑う。 「じゃあさ、おじいちゃんが亡くなったら僕、君んち乗っ取っていい?」 「乗っ取ンな!」 堂々と不穏な発言をしたアレンをラビは思いっきりはたいた。 ぴぃぴぃと甲高い泣き声をやや離れたところで聞いていた紳士は、にんまりと笑って傘の柄を指で叩いた。 「・・・とてもいいことを聞きました 同じテーブルの向かいに座る紳士と青年に笑いかけると、同じく笑って頷いた紳士とは逆に、青年はきょとんと目を丸くする。 「えーっと・・・あいつらの話? アレキサンドリアがどうとかってのは聞こえたけど・・・?」 「・・・ここにもいましたよ、学のないのが」 重々しくため息をついて、紳士は苦笑した。 「シェリル、アナタ、ティッキーと一緒に行って来ませんか?」 「いいですねぇ、公。 既に失われたと思われていた宝に対面できるなんて、考えただけで昂奮しますよ 気取った口調で言って、シェリルは青年へ首を傾げる。 「ねぇティキ、君だって宝探しは好きだろう? ボクについて来たまえよ」 「嫌な予感しかしないから、全力でお断りしたいんだけど・・・」 とは言いながら、彼はため息をついて首を振った。 「・・・お断りできないことくらい、学のない俺にだってわからぁな」 「よろしい ふくよかな顔に満足げな笑みを浮かべて、公と呼ばれた紳士は大きく頷く。 「では、ぜひに招かれざる客となりましょう 重たげな体躯とは裏腹に、軽やかに立ち上がった彼は、くるくると傘を振り回しながらその場を立ち去った。 翌晩、改めてクロウリー家の別宅に招待された長老とその孫は、のどかな農村の中に佇む田舎家を珍しげに見つめた。 「・・・これはまた、奥方の趣味とも思えぬ」 他の別宅とはあまりにも違う趣きに、長老は不思議そうに呟く。 と、 「もちろん私の趣味ではありませんけど、これはこれでいいんじゃないかと思いますわ」 二人を迎えたエリアーデが艶やかに笑って奥へと導いた。 「ふぅむ・・・。 補修はしてあるが、基礎は中世のままなのだな。 よほど裕福な家だったと見える」 内装を見回しながら感心した老人に、エリアーデも頷く。 「初めてこの村を訪れた時、他の家はほとんど崩れていたのですけど、この家だけはしっかり建っていましたし、なんたって暖炉の煙突が多かったので。 あの当時にしては随分贅沢な家だと思って見ていたら、子供の声が聞こえたので寄って見たんですのよ」 中世、家に暖炉を多く所有することは、裕福であることの証明だった。 子供部屋にさえ暖炉のあったこの家は、当時の人々に随分と羨望されたことだろう。 「こんなのどかな村の、こんなに裕福な家に生まれ育てば、ミランダの性格がおっとりしてしまうのもわかりますわね」 クスクスと笑う彼女は、今でこそ貴婦人として社交場の華になってはいるが、元は平原を裸馬で駆け回る騎馬民族だった。 微妙な立場ながらもクロウリー家を守って来れたのは、その気丈さゆえだ。 そんな彼女の、影ながらの尽力もあったのだろう、リーバーが無事に眷属になったと聞いて、老人はにんまりと笑った。 「それではぜひ、新しい眷族に会いたいものだの」 「えぇ、ぜひに」 にこりと笑ったエリアーデが居間のドアを開けると、アレイスターが恭しく老人を迎える。 「ようこそおいでくださった、長老」 「いや、せっかくくつろいでいた所に邪魔をして悪かったの」 嫌味などではなく、本心から気遣わしげな彼に、アレイスターは苦笑して首を振った。 「この度は代替わりだそうで、おめでたいことである」 「まぁ・・・実権はしばらく私が持つのだがな。 これが全て滞りなく財産を守れるのか確認するまで、楽隠居もできんよ」 顎で傍らのラビを指した長老は、深々とため息をつく。 「なんの、ラビの記憶力は長老譲りである。 我が家のように、黙って持ち去られることなどあるまい」 「取り返しましたけどね!」 ふんっと、忌々しげに鼻を鳴らして、ハワードが一礼した。 「ご協力感謝します、長老。 厚顔な彼らも、長老の記憶力の前にはとぼけることも出来ませんで、散々言い訳をしながらも返してくれましたよ」 「うむ。 せっかくのカラヴァッジオだ、もう盗られぬように気をつけるのだな」 クスリと笑って、彼は辺りを見回す。 「ところで彼らは・・・おぉ、そこにおったのか」 部屋の片隅にひっそりと、まるで隠れるように佇んでいたミランダに、長老が声をかけた。 「ふむ、随分と血色が良くなったようだ。 数百年にして、ようやく本物の眷属となったか」 「お・・・恐れ入ります・・・」 なぜか恥ずかしげに顔を赤らめ、震える声で呟いたミランダに、彼は首を傾げる。 が、すぐに興味はその隣に立つ男へ移った。 「おぬしも、無事に眷属となって何よりである」 「長老のご指導のおかげです」 歩み寄ってきた長老が差し出した手を、リーバーが笑って握る。 そのいたずらっぽい笑みに、色々と察したらしい老人は、にんまりと笑った。 「後ほど、話を聞きたいものだな」 「え?!そんなっ!!!!」 真っ赤になって慌てるミランダを、ラビが興味津々と見つめ、ハワードがリーバーを殺しそうな目で睨む。 「ともあれ、招待の件だ」 騒がしくなった場を一言で治め、老人はアレイスターの対面にどっかりと座った。 「せっかく楽しんでいたところを申し訳ないのだが、ぜひとも我が家にお越し願いたい。 実は・・・しばらく前から我が親族には根回ししていたのだが、あの邸を蔵書ごと引っ越そうと思っているのだ」 「・・・それは・・・大変なことになりそうであるな」 一瞬、声を失ったアレイスターに、老人が頷く。 「現在のあの地が、イギリスの支配下であることは知っておろうが、こやつらが実に面倒でな。 にわか考古学者気取りどもが、ダイナマイトを使って遺跡を破壊し、公然と墓泥棒を行っておる。 このままでは、いつ我が家も襲撃に遭うか知れん。 奴ら、真っ昼間に来おるでな」 忌々しげに眉根を寄せて、彼は続けた。 「そこで、最後のお披露目を兼ねて代替わりを行いたいと思う。 ほぼ全ての『家』が来るのでな、貴家にもぜひ来て欲しいし、案ぜずともアレイスターの誕生日なら準備も共に、こちらでやらせてもらう。 できるだけ、奥方の不満を和らげようと思うがいかがか?」 長老会の最長老にそこまで言われては、元人間のエリアーデが断れるわけがない。 内心の不満を押し隠し、微笑んで頷いた彼女に彼は苦笑した。 「色々と、サプライズも用意しておるのでな。 楽しみにするといい」 「えぇ。 ご招待、嬉しく思いますわ」 完璧な笑顔で答えた彼女に頷き、老人は手を払う。 退出せよ、と言う合図に、アレイスターとラビを残して全員が部屋を出た。 「・・・では、本題なのだが」 部屋の外の気配が完全になくなってから、彼は低く呟く。 その『本題』を聞くうちに、アレイスターの目は輝き、頬は紅潮し、嬉しげに何度も頷きながら両手で老人の手を取り、感謝をこめて頷いた。 「もう出発しちゃうんだ」 最後の荒稼ぎにと、早くからカジノに来ていたアレンが、残念そうに呟いた。 「まぁ、僕はほとんど準備するものなんかないし。 稼いだお金を口座に入れちゃったら、あっちでも引き出せますしね」 いいよ、と頷いたアレンとは逆に、リナリーがため息をつく。 「私はもっと温泉にいたかった・・・」 別れがたい様子の彼女に、呼びに来たラビが笑い出した。 「浴場ならエジプトにも、アラビア風のがたくさんあんだから、それも試してみるといいさ」 「・・・そうだね」 それもいいかと、リナリーがようやく頷く。 「私も、準備するものなんかほとんどないからすぐに行けるよ」 「じゃ、この勝負が終わったら出発さ 待っててやる、と笑ったラビに頷き、アレンは素早く手札を入替えた。 「コール ヴァンパイアの目でさえ見えなかったイカサマを、動きの鈍い酔っ払いが捕捉できるわけもなく、最悪の酔い覚ましに震え上がる。 「じゃあ僕、エジプトに行きますから また会ったら遊んでくださいね、おじさん ぎっしりと金貨の詰まった袋を嬉しげに受け取って、アレンは席を立った。 ・・・その様をほんの少し離れた場所で窺っていた二人が、意味ありげに目配せした。 「さぁて、一口にエジプトと言っても広いからねぇ。 彼らは一体、どこへ行くのやら」 「外国までつけていくのは大変そうだな」 思わずため息を漏らした青年に、紳士はクスリと笑う。 「別に、ボク達がつけ回す必要なんてないさ。 こんな時こそ公の作ってくださった発信機が役に立つというものだよ」 小声で囁きながら彼は、アレンが椅子の背もたれにかけていたジャケットを羽織る様を見つめた。 あの少年が大勝ちしていた時、客達が興味津々と集まる中に紛れて、彼のジャケットの襟裏に発信機を仕込んでおいたのだ。 ごく小さなそれは、ちょっとやそっとのことでは気づかないに違いなかった。 「ところでねぇティキ、図書館の本がどのくらいあったか知ってるかい?」 彼らがカジノを出て行くまで見送ってから、受信機の電源を入れた紳士は、青年に笑いかける。 その笑顔を忌々しげに見たティキは、眉根を寄せて首を傾げた。 「図書館・・・っつっても、大昔なんだろ?千冊くらいか?」 その答えに、紳士は鼻で笑う。 「・・・なんだよ、何冊なんだよ、シェリル」 馬鹿にしきった態度にムッとして問えば、彼は受信機の電波を調整してから顔をあげた。 「大部分はパピルスの巻物だそうだが、70万冊と言われているよ」 「・・・それを二人で持ち運べって?」 一瞬、声を失ったティキに、シェリルは愉快げに首を振る。 「まさか。 公はそこまで無茶をおっしゃらない」 勢いをつけて椅子から立ち上がり、彼は肩越しにティキを返り見た。 「行こうじゃないか、仕事の下見にね。 きっと、エジプト旅行は楽しいだろう」 「・・・どうだかな」 寒い国から暑い国へ移動するのは大変そうだと、ティキがぼやく。 「若いのだから、しっかりしたまえよ、君。 向上心がなければ進歩はありえないのだよ」 「進歩・・・ねぇ・・・・・・」 詐欺師でもあるシェリルの口に騙されないよう、警戒しながらもティキは、渋々彼の後に従った。 「一気に行くのはさすがに無茶だから、一旦トルコに入って明日渡航な!」 「あぁ、ヴァチカンを避けていくんだね・・・・・・」 かつてヴァンパイアを狩る側だったリナリーは、南へ向かう馬車の中で複雑な顔をした。 「ギリシャでもいいんケド、エジプトはトルコと組んでギリシャの反乱を制圧しようとしたことがあるかんね。 ギリシャ側から入ると厳しいチェックされるかもだから、トルコ側から入ってくのが無難さ」 「そういうこと、ちゃんと考えるんだ・・・」 感心したように言うアレンに、ラビが呆れる。 「お前、そんなに暢気だと、ハンターに捕まってなぶり殺しにされちまうよ?」 「なんだよ、私達が残酷な拷問吏みたいに!」 リナリーがムッとして言い返すが、 「反論でも?」 と逆に問い返されて、言葉を失った。 「ホラな? アレン、俺らにゃ敵がいっぱいなんからさー」 気をつけないと、と諭され、アレンが頷く。 「・・・けど、おじいちゃんはそんな敵から一族と財産を守ってきたんでしょ? ラビにできるの、そんなこと?」 「今は無理!」 きっぱりと言って、ラビは唖然としたアレンの頭をわしわしと撫でた。 「だからジジィがさっさと隠居して、後見役に回るんさ。 ま、人間の世界で言う、垂廉政治とか院政とか摂関政治みたいなもんさな」 「・・・・・・・・・今の、外国語?」 聞き慣れない言葉に呆然とするアレンに、リナリーが笑い出す。 「王様が若すぎる時に、その母親とか親族とか有力な家臣が、代わって国政を取り仕切ることだよ。 ラビは王様じゃないけど、すごく大きくて古い一族の跡継ぎなんでしょ? ラビがちゃんと一族をまとめられるようになるまで、おじいちゃんが仕事をサポートしながら徐々に実権を渡していくってことだよ」 「そうそう、そういうこと またも仲間はずれにされて、アレンは憮然とした。 「まぁまぁ、そう拗ねんなよ ハワードよりは優しい兄ちゃんが、親切丁寧に教えてやっからさ 「うん・・・・・・」 馬車の背もたれに身体を沈め、アレンは肩越しに窓の外を見る。 闇を難なく透かす目には、明かりも灯さずに続く馬車の列がよく見えた。 「なんでラビは、おじいちゃんと一緒に乗んなかったの?」 「今、どっちかが襲われてもどっちかは生き残るように、さ」 「え?!」 驚いて身を起こし、天井に頭をぶつけてうずくまったアレンに、ラビが笑い出す。 「ちょ・・・笑いごっちゃないでしょ!」 「そーなんけどさー」 ひとしきり笑って、ラビは肩をすくめた。 「いくら結束の強い一族っつったって、生まれたばっかの俺に家督を取られるのが面白くねー奴だっているだろうし、今のうちにどっちか殺っときゃチャンスはあるかも、って魔がさすこともあるさねー」 「・・・よくもまぁそんなこと平然と」 唖然とするリナリーに、ラビは軽く吐息する。 「代替わりの時は危険だって、今まで散々見てきたらしいかんね、ジジィは。 随分用心深くなって、準備はずっと一人でこっそりやってたっぽい。 俺に譲るって話したのも・・・ホラ、白夜を見に行ったろ? あん時初めて『12月に代替わりだ』って言われたんさ」 その言葉に、アレンはぽふんと手を打った。 「それで君、あの頃からおじいちゃんと二人で世界中飛び回ってたんだ・・・!」 「ん。 世界中の親戚達に、『代替わりすっから』って報告と確認の行脚さ」 頷いて、ラビはアレンと同じく、背もたれに身体を沈める。 「文書だけじゃぜってぇ納得しねぇからってんで、当主のジジィが跡取りの俺を連れて、わざわざなー。 おかけで表面上は、反対する奴らはいなかったさ」 「へぇ・・・たった半年くらいで、すごいことやってたんだね」 疲れた様子のラビに、リナリーも思わず感心してしまった。 「家に帰ったら俺、まずは何があっても風呂入って寝るから! 1日くらいは思いっきり寝ねぇと俺、パーティの最中にぶっ倒れるから!」 「なんて情けない当主だろう」 呆れながらも、アレンはラビの変わらない気さくさにほっとする。 両手を挙げて、猫のように伸びをすると、身軽に座り直した。 「ねぇラビ、僕、君が家を継いだら乗っ取っていい?って言ったけどさ」 「あぁ、言ってたさね、忌々しいクソガキが」 なにを言い出すのかと警戒気味のラビに、アレンはにこりと笑う。 「君んち、めんどくさそうだから乗っ取るのはやめる。その代わりさ・・・」 にんまりと、いたずらっ子の笑みが浮かんだ。 「僕、ずっと君の味方するから、君も僕の援助よろしく 「へ? あぁ、それはもちろん・・・」 思わず言ったラビは、次の瞬間、苦笑してアレンの頭をかき回す。 「この腹黒!」 「いひひっ!」 大きくて古い一族の次期当主から言質を取ったアレンが、楽しげな笑声をあげた。 「リナリー ラビとの約束は取り付けましたから、僕たち、元人間でも一族内でいじめられる心配はないですよ!」 大仰に自身の胸を叩いた手で、アレンはリナリーの手を握る。 「安心して、幸せな家庭を築きましょうね!」 「だから勝手に決めないでよ!!」 簡単に腕を捻り上げられ、アレンは夜の森に可哀想な悲鳴を響かせた。 「ちょっとなんなの、あいつら?! 信号が途切れたから、発信機に気づいて捨てられたのかと思ったのに、もう地中海渡ってるよ?!」 夜の船着場で受信機の画面を見ながら引き攣った声をあげたティキに、シェリルは難しい顔で頷く。 「しばらくは馬車のまま移動するのかと思っていたけど、途中で汽車に乗り換えたんじゃないかな。 かなりの財産を持っているようだし、特別列車を仕立てたんだろう」 こちらもごり押しして、席の埋まった汽車に乗り込まなければ、とっくに置いて行かれていた所だった。 「でもまぁ、港で追いつければなんとかなるんじゃないかな」 「そうかねぇ・・・随分旅慣れた奴らみたいだぜ。 夜間にばかり移動してんのは、昼だと混雑して動きが鈍るからだろ?」 多くの旅行客は旅に時間がかかることを気にしないだろうが、小耳に挟んだ彼らの会話では、代替わりのために急いで『実家』に戻るらしい。 「保養所で遊んでた親戚をようやく見つけて、連行してるってカンジだったもんなぁ。 アフリカに着いても強行軍で行っちまうんじゃないか?」 「・・・仕方ないなぁ」 ため息をついて、シェリルは船会社のドアを叩いた。 「キミ、至急速い舟と海路に詳しい船頭を用立ててくれたまえ。 乗るのは私達二人だ。 料金は言い値の倍払うから、早い者勝ちだと呼びかけてくれたまえよ」 わざわざ周りにも聞こえるように大声で言うや、海から戻ってきたばかりの船頭達が我先に駆けつけてくる。 その中で、船会社も推薦するベテランを選ぶと、すぐに海に出た。 「こんな夜に出してもらって悪いね、キミ。 舟を空のまま返すのも気の毒だから、復路の分も支払うよ。 だから急いでくれたまえ」 気前のいいシェリルに喜び勇んだ船頭は、余計なおしゃべりもなく一気に舟を対岸へ向ける。 「あちらは船が大きい分、航路を選ばなければならないからね。 港にはこっちの方が早く着くだろうよ」 「さすがだねぇ・・・」 狡猾さにおいては公に継ぐシェリルに、ティキは感心した。 と、暢気な彼を、シェリルが軽く睨みつける。 「公がボクら二人に下見を依頼した理由をちょっとは考えたらどうだい、ティキ? 追跡の『方法』を考えるのはボクだけど、体力勝負で追い縋るのはキミなんだからね?」 「・・・それはどういうことだろう?」 嫌な予感がして、顔を引き攣らせたティキに、シェリルはにんまりと笑った。 「彼らは人の少ない夜のうちに一気に移動して、道が混む昼の間は休んでいるらしい。 ならば夜のうちに開いてしまった距離を詰めるには・・・」 「昼の間も追っかけろ、と」 「Exactly(そのとおり)」 気取った口調に苛立って顔を引き攣らせつつも、ティキは頷いた。 「よろしい。 ではボクは、明晰な頭脳に休養を与えなければいけないから、昼の間は寝かせてもらうことにしよう。 ボクが寝ている間にキミ、ちゃんと追いかけるのだよ」 「ハイハイ」 ティキの不満げな口調に笑い出したシェリルは、船頭に声をかけられて舳先の向こうを見遣る。 「あぁ、大変よろしい。 大変優秀な船頭だよ、キミは。 料金はたっぷり弾ませてもらうよ」 ぽつぽつと明りの灯る港を見つめて、シェリルは満足げに頷いた。 一方、付けられているとは知らない一行は、地中海を渡る船を下りるや特別仕立ての汽車に乗り換えて、カイロを目指した。 「アレクサンドリアじゃなかったんだ」 闇に沈んだ窓の外を見つめてアレンが呟くと、ラビが笑って頷く。 「戦火からできるだけ遠ざけなきゃいけなかったからさ、カイロで下りたあとは、砂漠を行かなきゃなんないんさ」 「それって・・・朝までに間に合うの?」 欧州の弱い日差しですら灰と化す身体を抱いて震えるリナリーに、ラビはあっさりと首を振った。 「うちの馬車は特別仕立てだから、砂漠だろうがラクダにも負けず走破すっけど、それでも一晩はかかる。 だから今日は、夜が明ける前にカイロに一泊するんさ」 「そうだよね・・・」 長老ともあろう者がそんな不手際をするわけがなかったと、リナリーはホッとした。 安心すると、次に出てくるのは興味で、彼女は窓の外をじっと見つめる。 「車内が写ってるからよく見えないけど・・・ナイル川って見える?」 「この辺じゃ無理さね。 カイロに着いたら見れっケド」 「そっか・・・!」 頬を紅潮させて、リナリーは足をパタパタとばたつかせた。 「なんさ、歴史好きなんか?」 アレクサンドリア図書館のこともよく知っていたし、と問うと、リナリーは大きく頷く。 「中国と一緒ですごく歴史が古いでしょ? どんなところか、興味あったんだ!」 「へぇ・・・そっか」 嬉しげなラビを、アレンがムッとして睨んだ。 「話がわかる子だからって、リナリーに手を出すのは許しませんからね! リナリーは僕のお嫁さんなんだから!」 「だから勝手に決めないでってば!」 きゃんきゃんと騒がしい席を、前方にいたアレイスターが何事かと見遣る。 「楽しそうであるな」 少し見当違いのことを言って笑う夫に頷き、エリアーデは車窓に写る自分の姿を注意深く見つめた。 クロウリー家に入ってもう、何百年にもなるが、未だに他家の『純血』達と顔を合わせることには緊張する。 なるだけ顔に出ないように、緊張を悟られないようにと思えば思うほど、窓に写る目が険しくなっていった。 と、膝の上の、硬く強張った手が優しく握られる。 「・・・」 無言で傍らを見れば、アレイスターが笑みを深めて彼女を見つめていた。 「大丈夫である」 「え・・・えぇ、もちろんですわ」 一瞬、引き攣った声を気まずく思いながら、微笑んだエリアーデの手を、彼は強く握る。 「お前は必ず、私が守るである。 だから安心して、いつも通り堂々と振舞えばいいのである」 「はい・・・・・・」 夫の肩に額を乗せ、エリアーデはかすかに頷いた。 夜明け前にカイロに着いた一行は、駅まで迎えに来ていた馬車にまたも分乗し、まずは街中の別宅へと向かう。 「水の匂いだ!!」 歓声を上げて窓辺に寄ったリナリーに笑って、ラビがポケットの懐中時計を見た。 「まだ開けても大丈夫だぜ。 でも、そっちは東側だかんね。長い間はダメさ」 「うんっ!」 遮光のための黒い木窓を引き上げたリナリーは、闇の中に音もなく流れる河をうっとりと眺める。 「・・・いいなぁ あの河を船で遡ってみたい・・・ 内陸へ行けば、多くの遺跡が残っていると本に書いてあった。 「ねぇ、船は使わないの?」 「あぁ、砂漠の方に行くからチョイ無理。 ラクダにも乗りてぇだろうケド、今日は急ぐから、馬車で手っ取り早く行くぜ」 また今度、と言われて、リナリーは渋々頷く。 「さ、わかったら窓閉めるさ。 夕方になって、出かける前にまた見られるからさ」 朝日は危険だと諭され、リナリーは素直に従った。 ・・・ずっとお互いに敬遠していたのに、今回の旅では随分と仲がいい二人の間で、アレンが憮然とする。 その様に気づいたラビが、思わず吹き出した。 「そんな顔せんでも、俺はお前の嫁を盗ったりせんさね。 俺はなんたって、長官ゲットに燃えてんだからさ!!!!」 こぶしを握って絶叫したラビに、アレンの眉根が開く。 「そっか・・・! そうでしたよね!」 「あぁ! 俺はもちろん、ちょう純粋に長官のことラブ 長官ちと俺んちが結ばれることになったら、子供はこの二家だけじゃなく、他の古い家の継承権がわんさかついてくるかんね♪ 実は俺、ドナウ流域の森持ってる家の継承権欲しいんさ あそこ掘ったらけっこ色んな遺跡が出てくるはずなんさ! 愛 きゃあきゃあと一人ではしゃぐラビに、アレンは呆れ返った。 「なんだか・・・純粋って言ってた割には随分とおまけを重視してる気がするけど」 「そんなことないさ オトコノコはちょっぴり欲張りなだけさ 「不純っぽい!」 眉間に嫌悪を滲ませて断言したリナリーの手を、アレンは両手で握る。 「僕は絶対にそんなことありませんから! 僕は純粋にリナリーだけを好きですからね!」 熱のこもった目で見つめられ、真剣な口調で言われては、リナリーのアイアン・ハートもほんの少し、蕩ける気がした。 「アレン君・・・」 魅惑の術によらず、揺らぎかけたリナリーの意識を、ラビの声が引き止める。 「さ!着いたさ! 疲れたろうからゆっくり風呂入ってしっかり寝ときな! 向こうに着いたら着いたで忙しいからさ!」 「う・・・うん、そうだね!」 我に返ったリナリーが、頬の赤らんだ顔を逸らしてしまい、アレンは残念そうに口を尖らせた。 「・・・おはよう、兄さん。 あんたが寝てる間に、なんとか追いついといたぜ」 目を開けるや、不機嫌なティキの無愛想な声をかけられて、シェリルは大きなため息をついた。 「単なる分業だと言うのに嫌味だねぇ、キミは。 なんならキミが、頭脳労働に回るかね?」 「・・・できないとわかってて言ってんだろ」 嫌味はどっちだと、危うく出かかった言葉をなんとか飲み込む。 うかつなことを言った途端、ねちねちといじめられることは今までの経験で知っていた。 「さぁて、ボクらの役割分担を確認したところで、今後の方針を決めようか」 ティキが飲み込んだ言葉を察しながら、シェリルは笑って言う。 「彼らがこのまま河を上ってくれたなら楽なんだが、砂漠に行かれると厄介だよ。 船を雇うのか、砂漠の案内人を雇うのか、早々に決めないとねぇ」 どうやって情報を仕入れるか、と思案しかけた時、ティキがあっさりと頷いた。 「それなら奴ら、砂漠に行くみたいだぜ」 そう言って彼は、夕日に照らされた白壁の邸を指す。 「さっき、あそこから出てきたメイドの子をナンパして聞いたらそう言ってた」 「本当にキミの顔は役に立つねぇ。 ではボクは、砂漠の案内人を用立ててもらってこよう。 戻ってくるまで見張っておいてくれよ」 素早く身支度を整え、馬車を出たシェリルの背に、ティキはこっそりと舌を出した。 「本当にキミは嫌味な奴だねぇ」 シェリルの口調を真似て、ティキは邸へ目を戻す。 門の前は賑やかな大通りで、馬車や荷車があちこちで立ち往生していた。 「夜の旅は大変だろうが、確かにこんな国じゃ、昼に行くよりは賢いな」 しかも冬とはいえ、昼の砂漠は容赦なく太陽が照りつける。 冷涼な欧州出身の貴族達が・・・特に白い肌を宝石よりも貴重と思う貴婦人達が、昼の旅を敬遠する気持ちもよくわかった。 「・・・・・・ところで俺は、いつ寝ればいいんですかね?」 夜には寝かせてもらえるのだろうかと、慌ててシェリルを探すがもう、視界に彼の姿はない。 過酷な労働環境に、ティキはがっくりと肩を落とした。 「・・・もう日は沈んだがな?」 目をこすりながらベッドに起き上がったリナリーは、一筋の光も入らないよう閉ざされた窓にそっと歩み寄った。 厚いカーテンを開けようとして、手を止める。 「そっか、こっちは北側だ」 日光を恐れる彼らの部屋は全て、北側に窓があった。 門に面してもいるが、喧騒は広い庭に遮られてここまでは届かない。 「こっちからじゃ見えないや」 急いで身支度を整え、食堂へ下りていくと、開け放たれたフランス窓の向こうに河が見えた。 「わぁ!!」 日は既に西へと沈みかけ、東の空はバラ色の空を濃い夜で侵食しつつあったが、河はお構いなしに悠然と流れている。 うっとりと見惚れていると、背後から陽気な声がかかった。 「お寝坊さんだね、みんな! ご主人様も若様も、急ぎだから夜の間に移動したんだってことは聞いたけどさ、それにしても昼のカイロを見ないなんて惜しいことだよ。 今日は市が立って、とっても賑やかだったのにねぇ」 訛りの強い英語に振り返ると、中年のメイドが英国風の朝食をテーブルに並べている。 「お茶にするかい?コーヒーもあるよ?」 「えーっと・・・お茶にします」 「じゃあここにお座り!河がよく見えるよ!」 ヴィクトリア朝風の白い椅子を引いて手招く彼女に頷き、リナリーはテーブルに着いた。 と、やや乱暴な手つきではあったが、おいしそうなスコーンやトースト、色とりどりのジャムにハム、卵料理が手際よく並べられる。 「卵はどれがいい?スクランブル?」 「う・・・うん・・・」 「じゃあ、お嬢ちゃんには甘いのをあげようね。 英国人はコショウと塩しか使わないけど、あたしゃありゃ嫌いなのさ。 お嬢ちゃんは東洋人みたいだから、あの国の食事のまずさがわかるだろう? 連中がさっむい北国を出てこんな南まで下りてくるのもね、自分とこにうまいもんがないからなのさ。 あたしの作った残り物料理だって、嬉しがって食べるんだからねぇ。 それにしても、他の人達は遅いね! ご主人様達はいつものことだけど、他のお客さんもこんな時間まで寝てるなんてね! 貴族ってのはよっぽど寝汚いらしいや!」 主人達の正体を知らない人間の使用人なのだろう、心底呆れた口調にリナリーは笑い出した。 「仕方ないんだよ。 ラビが今度、おじいちゃんの後を継ぐからって、世界中から親戚や大事なお客さんを集めてたのに、私達ったら知らずに保養地でのんびりしてて。 わざわざ呼びに来てくれたんだけど、昼に移動してたら混雑に巻き込まれて進まないって理由でずっと、夜の鉄道を特別列車で飛ばしたり、夜の海を渡ったりしてたんだ。 今夜も、初めての砂漠を昼間に渡るのは辛いだろうってことで夜の出発になっちゃったから、みんな昼夜逆転しちゃったんだ」 するすると出てくる言い訳に、リナリーはちょっと気まずい思いをしながら彼女の顔色を窺う。 と、すっかり信じてしまったらしい彼女は、大きく頷いた。 「そうなの、若様がご主人様の跡を継ぎなさるの。 そりゃよかった、もう随分お年だもんねぇ。 今後は楽隠居だね!」 「そうとも行かないらしいけど・・・」 苦笑をティーカップに落とした時、 「おはよーございます!いい匂い!!」 と、元気な声をあげてアレンが寄って来る。 「僕もお茶ください! ミルクたっぷりね! お肉はソーセージで、卵はハムエッグ! あ、ジャムが色々あるからパンはトーストで!」 慣れた様子で朝食のチョイスをしたアレンに、メイドは笑って頷き、厨房へ戻っていった。 アレンは当然のようにリナリーの隣に座り、テーブルの果物に早速かじりつく。 「あれがナイル川かぁ! 街のは思ったよりおっきくないんですね。 あぁ、氾濫してないからか」 「昼間見たら、もっと素敵なんだろうな。 さっきのメイドさん、昼間のカイロを見ないなんて惜しいね、って言ってたよ」 さらっと皮肉を言ってやると、動揺したアレンが果物を喉に詰まらせて悶えた。 と、彼の分の朝食を運んで来たメイドが、急いで寄って来る。 「あらあら! 坊や、そんなにお腹すいてたのかい?!」 咳き込む背中を撫でてやり、グラスに注いだ水を渡した。 「ホラ、しっかりおし!」 「う・・・ありがとうございます・・・・・・」 水を飲んでようやく落ち着いたアレンが、ほっと吐息する。 「えーと・・・リナリー、昼のカイロが見られなかったのは残念だけど、夜の砂漠もきっと素敵だと思いますよ?」 ねぇ?と同意を求めると、メイドは力強く頷いた。 「今夜は細い月があがるよ! 満月も素晴らしいけど、剣みたいに細い月も絵のように素敵だからね。 いい旅を!」 両手でぐりぐりと頭を撫でられた二人は、こくりと頷く。 その後も陽気な彼女を挟んで話している間に皆起きて来て、朝食の席は随分と賑やかなものになった。 「じゃ!行って来まーす!」 「気をつけて行っといでー!」 すっかり仲良くなったメイドと使用人達に見送られて、一行を乗せた馬車は砂漠へ向かった。 彼らの正体を知らない使用人達は皆、砂漠でラクダに乗り換えるのだろうと思っていたが、主人らと同じく普通ではない馬に引かれた馬車は、難なく砂漠を進む。 「このまま6時間も行けば着く。 辺鄙な所ですまんの」 「大丈夫ですわ」 気遣わしげな長老に、エリアーデは笑顔で首を振った。 「それよりも砂漠が珍しくて・・・私、随分長く生きてますけど、砂漠は初めてですの」 窓ガラス越しに夜の砂漠を眺めて、うっとりと呟く。 「とても暑いと聞いてましたのに、意外に涼しいんですのね」 「あぁ、昼の間は太陽が照り付けて暑いのだが、雲がないのでな。 夜になると一気に冷え込むのだ」 美女には親切な長老が、機嫌よく頷いた。 「本では読んで知っていたであるが、実際に雲というのは大事なものなのであるな」 感心するアレイスターにも、彼はついでのように頷く。 「書物には載っていない事も多いとも。 文字を持たぬ民は大勢いるのだからな」 例えば・・・と、過去に高度な文明を築いた民を例に歴史を語る長老に、アレイスターは嬉しげに聞き入った。 話し上手な彼の語りは、大して歴史に興味のないエリアーデさえも引き込んで、時を忘れさせる。 「そう言えば昔、おじいさまが、水の民は文字を持たぬゆえ、その歴史は口伝で伝えられ、しかも素晴らしい歌だと言ってらしたのを思い出したである。 一度聞いてみたいものであるな」 今は失われた民の話を聞き終えたアレイスターが楽しげに言うと、長老はいたずらっぽく笑った。 「ドナウの水の民と違って、ナイルの水の民は気位が高いからな。 そう簡単に歌ってくれるかどうか」 「おぉ!ナイルにもやはり、民はいるのであるか! ぜひお願いして頂きたいものである!」 「あの・・・水の民って、なんですの?」 二人の口ぶりから、どうやら水辺に住む人間のことではないらしいと察したエリアーデが首を傾げると、彼らは『人魚』と口を揃える。 「・・・そんなものが実在するんですの?」 呆れ返ったエリアーデの口調に、アレイスターは意外そうに首を傾げた。 「我らがいるのである。いてもおかしくないであろ?」 「そ・・・それはそうですけど・・・でも私達は人間と血が違うだけで、元人間もいることですし・・・」 論理的に否定できず、困惑げに長老を見ると、彼は愉快げに笑う。 「太古、海の中に生まれた命が進化する過程で、地上に上がるものもいれば水に残るものもいた。 淘汰されつつもそれぞれが進化を遂げて環境に対応し、今や多彩な生き物で溢れておる。 ならば人でありながら地上の人間とは違う進化を遂げた者達がいてもおかしくなかろうて」 「はぁ・・・」 そう言うものだろうかと首を傾げたが、妙に説得力のある長老の声にエリアーデは頷いた。 「ではその・・・人魚達はどのような姿をしていますの? 私、ドナウの近くでしたらかなりおりましたけど、そんな民は一度も見たことありませんわ」 二人してからかっているのではないかと、訝しげなエリアーデの傍らで、アレイスターが遠くを見つめる。 「あれは・・・私がまだ幼い頃であったが、確かにドナウの水の民を見たであるよ。 私を見ると、母親らしき女人魚が甲高い声をあげて子供たちを集め、河の中に逃げてしまったが、共にいたおじい様が声をかけると水面に顔を出してくれた。 魚というよりはイルカのような、哺乳類の水棲生物らしい。 肌は蒼白く光沢があって、触らせてはもらえなかったが、きっと分厚いゴムのような感触なのであろうな。 つぶらな目の子供達がとても可愛らしかったのである。 母親はおじい様と話しながらも私が何か悪さをせぬかと睨んでいたが、子供達は珍しそうに岸辺に寄って来て、高い声で私に話しかけてくれた。 でも、なんと言っているのかはわからなかったである」 嬉しそうに思い出を語るアレイスターに、エリアーデも笑みを誘われた。 「私、そんなお話初めて聞きましたわ。 長く連れ添っていても、まだ話してないことがあったんですのね」 「あれ以来、一度も見たことがなかったであるからな。 お前と出会ったのはそれから数百年の後であったし、今の今まですっかり忘れていたである」 「そうか、そんなに隠れておったか・・・。 昔、あれらはよく姿を見せておったのだが、妙な噂を信じた人間どもに乱獲されてな。 それ以来、人のいる場所へは近づかなくなってしもうた」 「噂?」 二人して首を傾げた夫婦に、長老は頷く。 「涙が真珠になるとか、肉を喰らえば不老長寿になるとかだな。 全くのでたらめであるのに、愚かしい。 不老長寿が叶うのはむしろ我らの血であろうに、我らのことは忌避して狩るのだから、更に愚かしいわい」 「そうですわねぇ・・・なぜ嫌がるのかしら?」 「婦人はもちろんのこと、男でもいつまでも若くありたいと思うはずであるのになぁ」 人間の気持ちなどわからない三人が不思議そうに首を捻っていると、御者台から到着の声がかかった。 「これはまた早かったな」 「長老のお話が楽しかったので、全く退屈しませんでしたわ」 お世辞でもなんでもなく、本心から言ったエリアーデに、紀元前から生きるヴァンパイアの長が嬉しげに頬を染める。 「奥方の退屈しのぎになれて何よりだ。 ちゃんと後ろもついて来ておるようだの」 2台目の馬車からラビ達が、3台目の馬車からミランダ達が降りて来るのを見て、長老は頷いた。 「さ、参られよ」 砂を踏んでさくさくと行く小柄な背中について行くと、すぐに足元の感触は古代の石畳のものに変わり、黒々とした闇を澱ませた小さな入り口に続く。 「地下へ続く階段だ。 段差が違うことがあるゆえ、足元には気をつけるのだよ」 大柄なアレイスターやラビ、リーバーはやや屈まなければならなかったが、その他は頭上を気にすることなく、一列になって老人の背後に従った。 「さて、大きな者らには苦労を強いたな」 ちらりと意地の悪い笑みを浮かべて、階段を降り切った長老が振り返る。 細長いそこを抜けると、天井の高い、広々としたホールが何十本・・・いや、何百本もの燭台に灯る炎で明るく照らされ、足元の感触も柔らかい絨毯のそれに変わった。 「はぁ・・・お金持ちだなぁ・・・・・・」 口を開けてホールを眺めながら、アレンが呟く。 何もない砂漠のど真ん中なのに、地下は古代の宮殿のように広く、豪華で厳かだった。 「タイムスリップしたみたいだねぇ・・・」 リナリーも唖然として、広々としたホールの向こうを見つめる。 「・・・もうお客さんが来てるの?」 声が聞こえる、と呟くと、エリアーデの肩がびくりと震えた。 「え?奥方・・・」 「お姉さま・・・!」 驚いて動けないリナリーの代わりに、ミランダが進み出てエリアーデの手を取る。 「あの・・・私、長旅で疲れてしまいまして・・・! 一緒に別室でお待ちいただけませんか?」 か細い震え声で言うミランダに、頷きかけた彼女をラビが止めた。 「そりゃ困るさ! 俺のお披露目の式で、ジジィ自ら招いたってのに、美人が二人も消えちまったらがっかりさね!」 冗談めかした口調ながら、そんなことを言われては二人に断ることなどできようがない。 困り果てた目でミランダがアレイスターを見つめるが、いつもは助けてくれる兄がラビに頷いた。 「確かに、まだ式も始まらぬのに辞退しては失礼である。 ミランダ、疲れてはいるだろうがもう少しがんばるであるよ」 「・・・・・・・・・はい」 信じられないほど意外な言葉にミランダが、しばし言葉を失う。 だが兄の意向となれば、ハワードでさえも止める事はできなかった。 無言になってしまった彼らに、部外者のアレンとリナリーは困惑げに目を見交わす。 その視線を同時にラビへ移すと、彼はにんまりと笑って二人に頷いた。 「ま、あっちにいるんは、ここに元々住んでる一族の奴らと、早めに着いた親戚達さ。 他家と違って俺んちはフランクだから、気楽にしてるといいさ♪」 それはラビを見ればわかる気がする。 こんな彼を当主に戴こうというのだから、よっぽど寛容な一族に違いなかった。 少し気が楽になったのか、自ら歩み寄ってアレイスターと腕を組んだエリアーデを、ミランダが気遣わしげに見つめる。 「姉上」 ハワードに声をかけられ、頷いたミランダが不安げな顔をリーバーへ向けた。 「あぁ」 微笑んで差し出された腕にミランダが縋るように抱きついた途端、ハワードが凄まじい目でリーバーを睨む。 「・・・長老、もの知らずな彼が無礼を働いて我が家の恥になってもいけませんので、どうぞ我々にお気遣いなどなく、彼を出入り禁止にしていただいていいのですよ?」 自分ではリーバーを排除することができないため、彼に頼ったハワードを、長老は鼻で笑った。 「いいや、彼は私の賓客として迎えたい。 つい最近まで人間であったのに、実に頭のいい、話していて愉快な男だった。 我が一族は彼の語る最新の科学情報を、嬉々として聞くだろうよ」 「浅学ではありますが、お楽しみいただければ幸いです」 卒のない受け答えに長老は満足げに頷き、ハワードは悔しげに歯噛みする。 「閉じこもっておったミランダが、こんなにも良い婿を捕まえたと聞けば、一族の娘達も大喜びすることだろう。 少々騒がしくなると思うが、構ってやってくれよ」 「う・・・がんばります・・・・・・!」 恐々と頷いたミランダに笑いながら、長老が再び先に立った。 「皆、待たせたかの」 長老がホールから続く部屋に入ると、暑苦しいほどの赤毛と似通った顔立ち、好奇心に満ちた目が一斉に向き直る。 「おかえり、じいさん!」 「ラビ、遅かったな!また美女に引っかかってたのか?」 「先に飲んでるよー」 陽気な声がそれぞれにあがり、一行はあっという間にブックマン一族の輪の中に取り込まれた。 「可愛いー お嬢ちゃん、東洋人?いくつ?いつ眷属になったの?」 20代程に見える若い女に矢継ぎ早に問われ、困惑するリナリーの傍らで、アレンも同じような年の女達に囲まれる。 「あなたがクロスの眷属ね!」 「あのドS、あなたをいじめて楽しんでるでしょ! あいつが好きそうな、反抗的な目をしてるものぉ 「あぁ、これがハンターにやられちゃったって傷? いたそぉ〜!お姉さんが撫で撫でしてあげるね!」 グラマラスな女達に思う様撫で回されるアレンをリナリーが憮然と睨むと、彼女を質問攻めにしていた女がはたと手を打った。 「あ、じゃあ、あなたが元ハンターの眷属?!」 「んまぁ!こんなに可愛いんじゃ、アレンが惚れちゃうのも無理ないわよねぇ!」 「道ならぬ恋ってやつぅ?」 新たに寄って来た女達が、異様なほどの馴れ馴れしさでリナリーを囲む。 思わず怯えたリナリーに、彼女達は愉快げに笑い出した。 「怖がらないで、あなたはもう、仲間なんだし」 「そぉよぉ 取って食ったりしないから、安心して きゃあきゃあと騒がしい女達に囲まれて、困惑しているのはリナリーだけではない。 クロウリー家一行はそれぞれに囲まれ、賑やかに質問攻めにされていた。 「・・・・・・ラビの群れじゃん、これ」 一人でも鬱陶しいのにと、呟いた途端にアレンは耳ざといラビにはたかれる。 「本当のこと言ったら叩かれたっ!」 「あらら、かわいそうにねぇ!」 「じゃあ次はお姉さんが撫で撫でしてあげるね 泣き声をあげたアレンを楽しそうに構う女達に、ラビが口を尖らせた。 「おばちゃん達、ちったぁ俺のことも構って欲しいさ!」 「なによあんたっ!おばさんってゆーなっつってんでしょ!」 「確かに血の繋がり的には大叔母で伯母で叔母だけどさっ! なんかイラッとすんのよ、その呼ばれ方!」 「あんた今、『大叔母』ってあたしを指したでしょ!あたしは伯母よっ!」 更に騒がしくなった彼女らを、やや遠くからアレイスターがにこにこと見守る。 「ブックマンの一族は皆、仲が良くてうらやましいである。 我が家やクラウドの一族は、昔から争いが絶えぬから・・・やはり、長老が長年、纏めておられるからであるな」 ラビも温かい目で見守られ、一族内で大事にされていることがよくわかる光景だった。 「ここに集う他家の者達も、ぜひ影響を受けてほしいものであるな」 「まぁ・・・良し悪しではあろうがな」 長老が、暢気なアレイスターの言葉にぽつりと呟く。 ここに至るまでに長老が警戒を怠らなかったように、この中にも確かに、代替わりに不満を持つ者はいるはずだ。 だが、ブックマンの一族はクロウリー家のように正面きって敵対するのではなく、優しい顔と甘い言葉で装いながら、心臓を刺し貫く瞬間を狙っている。 それが誰なのか、長老にさえ判然としないのが厄介だった。 「外面がよいからな、うちの連中は」 リナリーを囲んで歓迎している女達が、ラビの両親を殺したハンター達を嬲り殺しにしたなどと、若い彼女には想像もつかないだろう。 ラビはそれを知っているからこそ、今更ハンターに復讐心を抱くこともないし、アレンを囲む女達も、エリアーデの美を賛美する男達も、ミランダとリーバーを祝福する彼らも、長い生の間に数々の悪行を重ねていることを、長老は知っていた。 「そろそろ・・・我らも『近代化』せねばならんのだよ」 「はぁ・・・」 老人の言う意味がわからず、曖昧に首を傾げたアレイスターに、彼は首を振る。 「なんでもない。 さぁ、お前達! 客人は着いたばかりなのだ、少しは休ませてはどうだ?」 長老の言葉に、一族は笑って客達を解放した。 「じゃあ俺も、引き合わせる役は終わったから風呂入って寝るさ みんなも来いよ!ここの風呂、アラブ風ですっごいぞ 「うん、行く!」 「もちろんレディ専用もあるよね?!」 早速アレンとリナリーがついて行って、喧騒が遠ざかる。 「わざわざ行かんでも、部屋にもあるからの。 ミランダ嬢も急ぎの長旅に疲れたようだし、部屋に案内させよう」 老人が軽く手を上げると、心得た使用人が寄って来て一礼した。 「あぁ・・・唐突で申し訳ないが、披露目の式は12月1日に行うこととする。 よろしゅうにな」 その言葉にエリアーデの表情が一瞬強張ったが、すぐに笑みを浮かべて一礼した。 が、彼女らしくもなく無言であったことにはアレイスターもさすがに気づき、苦笑する。 「ではお先に失礼するである」 エリアーデを促し、執事らしき彼について退室したアレイスターの背を、ミランダが気遣わしげに見送った。 「だ・・・大丈夫かしら、お姉さま・・・・・・」 今回はなぜか、アレイスターが味方をしてくれないことが気になってしょうがない。 しかし、兄に忠実な弟は妙に神妙な顔で頷いた。 「兄上が義姉上を庇わないなんて、よほどのお考えあってのことです。 きっと理由があるのでしょう」 信じていいはずだと断言され、ミランダもようやく頷く。 「ところで」 意地悪く笑いながら姉弟の会話を聞いていた長老が小首を傾げた。 「ミランダ嬢とリーバー殿は、同じ部屋でよいのか?」 「は・・・」 「いいわけないでしょう!!!!」 頷こうとした瞬間に全力で否定され、ミランダは困惑げに弟を見遣る。 「ダメなんですか?」 「だめですっ!!!!」 今夜もドアの外で番をしなければと、ハワードは凄まじい目でリーバーを睨みつけた。 一方、客室に通されたエリアーデは、世話役のメイド達が出て行ってしまうと、笑みを消して乱暴にティーカップを置いた。 「荒れているであるな」 長老達の前では自制していたが、彼らの目がなくなった途端に不満を隠さなくなった妻にアレイスターが苦笑する。 「張り切って準備をしていたのに無駄になってしまったことは、あんなにも謝ってくれたではないか」 その言葉には頷いたものの、エリアーデは目に涙を滲ませて俯いた。 「それは・・・私のことはもう、どうでもいいのです・・・。 でも、よりによってアレイスター様のお誕生日と同じ日だなんて・・・。 せっかくの日にご自身とお孫を優先しろだなんて、長老はアレイスター様を軽んじていらっしゃるの?!」 涙声で訴える妻の肩を、アレイスターが優しく抱く。 「そんなことはあるまいよ。 ただ、私の誕生日より、二千年ぶりの代替わりの方が重要で大々的に行うのは当然である」 「そうですけど・・・!」 納得は行かないのだと、声をつまらせる彼女を抱き寄せて額に口付けた。 「我らの一族と同じく、ブックマンの一族も様々な問題を抱えているのである。 警戒しなければいけないことも多々あるのであろ」 納得はできなくても理解はしろと、言外に言う夫にエリアーデは頷いた。 「保養地で親しくなった者達を招くことはできなかったが、いつもは招待しても来てくれぬ他家の者達も来るのだ。 私の誕生日をも祝わせるにはよい面々だと思うである。 パーティの準備も、長老の家の者達がやってくれるであるしな」 のんびりしていればいい、と言う彼にエリアーデはため息をつく。 「あなたのためにパーティの準備をすることも・・・楽しみだったのですけどね・・・・・・」 「来年、またやればいいであるよ。 あの保養地は皆、気に入ったようであるし、来年こそ招待していた客達を招くのも良い」 「そうですわね・・・・・・」 未だ納得はできなかったが理解しなければと、エリアーデはわずかに微笑んで頷いた。 地上が夜明けを迎え、地下の住人達が寝静まった頃、ようやく砂漠の真ん中にある遺跡に辿り着いた二人は、呆然と立ち竦んだ。 「・・・発信源は確かにここなんだけど、どこにいんのあいつら?」 長老達一行が地下へ降りた入り口は今、当然のように隠され、彼らの目の前には風化して崩れた古代のレンガが散らばるだけだ。 「もしかしてさ、移動中に発信機を落としちゃったんじゃないかな、あの少年。 発信機は今頃、この辺の砂に埋もれてんだよ」 無言のシェリルに畳み掛けるが、受信機を見つめたまま彼は首を振った。 「いくら砂に埋もれたからって、たった一晩で地下数百メートルの場所に埋まると思うかい? きっとここには古代の地下神殿か地下墓地があるんだよ」 「あぁ・・・暑いから、地上でお祈りなんかしたくないよな」 「・・・キミの感想はその程度なんだね」 嘆かわしげに肩をすくめて、シェリルはやや離れた場所でラクダの綱を取る案内人に手を上げる。 すぐに寄って来た彼にここで待っているように言って、歩を進めた。 「どこ行くんだ?」 足元を慎重に踏みながらうろうろするシェリルの傍に寄ると、彼は受信機と地面を見比べて頷く。 「この下にいるのなら、当然入り口があったはずだろう? 隠されているに違いないからそれを探そうと思ったんだが・・・」 不意に顔をあげたシェリルに受信機を押し付けられて、ティキは嫌そうな顔をした。 「えーっと・・・?」 「これは勘と体力の勝負になりそうだ。 私の頭脳は役に立たないだろうからティキ、キミが探したまえ」 「やっぱりぃ?!」 悲鳴をあげた彼に、シェリルはにんまりと笑う。 「では私は、体力を温存するためにも夜まで日陰で休ませてもらうよ。 キミ、がんばりたまえ」 「コノヤロー!!!!」 自分勝手なシェリルに怒鳴りながらも、ティキは素直に秘密の扉を探し始めた。 冬とは言え、灼熱の太陽が照りつける砂漠を受信機に灯る点だけを頼りに歩き回るが、入り口と思しきものなど見当たらない。 「あぁもう!俺も休憩!!」 苛立たしげに怒鳴って、ティキは崩れずに残った壁へと歩み寄った。 まだ昇りきらない太陽は、ティキ一人がうずくまれる程度の陰をそこに作ってくれている。 「はぁ〜・・・やれやれ」 どかりと座り込み、水筒の水を大事に飲んで壁に背を預けた。 ―――― 途端、脆くなった壁は土台ごと崩れる。 「ぎゃあ!!!!」 咄嗟に長い四肢を伸ばして穴の淵をつかみ、ティキは底の見えない闇へ向けてダイブしようとした身体を何とか地上に留めた。 「シェリル!!シェリル助けて!!おじさんでもいいから!俺を助けて!!」 のんびり休憩している彼らに向けて悲鳴をあげると、悪魔のような彼らもさすがに駆けつけて来る。 「・・・おや、ここから入れそうだね」 二人がかりでティキを助けたのち、シェリルがのんびりと言った。 「・・・それで兄さん、なんで俺の腰にロープを巻きつけているのか、聞いてもいいかな?」 涙も一瞬で蒸発する砂漠に、それでも零さずにはいられないティキが問うと、シェリルはもう一方の端をラクダに結びつける。 「さぁラクダ君、砂嵐を耐え切るキミの強靭さならば、ティキの体重くらいどうってことないだろう。 賢いキミなら、どうすべきかわかるよねぇ?」 シェリルが恭しく話しかけると、ラクダは言葉がわかったように軽やかに背を向け、数歩歩いてしっかりと砂に足を埋めた。 「あぁ砂漠の賢者よ! キミに神の恩恵あれ!」 「俺にはああああああああああああああああああああああ?!」 無残にも穴へ突き落とされたティキの声が遠くなっていく。 「もちろん、キミの無事も祈るよ!」 聞こえてはいないだろうが、穴へ向けて言い放ったシェリルがロープの引き込まれる様を見つめた。 が、 「アレ?」 ロープは随分と余裕を残したまま、動きを止める。 「・・・旦那、さっきの人は・・・生きてますかね?」 「・・・・・・・・・神の恩恵があればね」 案内人の問いに、シェリルは乾いた声で呟いた。 ―――― 一方、穴の底では。 「し・・・死ぬかと思ったー!!!!」 地下に流れる水からもがき上がったティキが、ずぶ濡れの身体を岸に横たえた。 砂漠の中の水脈にしては深くて助かったが、そうでなければ今頃確実に死んでいただろう。 「この世に神様なんていねぇって思ってたけど・・・いるかもな」 おかげで助かったと、ティキは辺りを見回した。 彼が落ちた穴からはほとんど光が届かず、闇が広がるばかりだったが、それでも水が流れている以上、どこかに通じているらしい。 「・・・そうだ、受信機受信機」 あの少年がいる場所なら、確実に人がいるはずだと、ティキは闇の中でも小さな光を灯す受信機を見つめた。 「・・・こっちか」 水の下流にいるらしいと、ティキは水の流れに沿って歩く。 腰に巻いたままのロープはすぐに伸び切ってしまったが、その動きがシェリルに彼の生存を知らせたことにはなったろうと、ティキはロープの結び目を切って再び歩き出した。 その頃、人間の侵入を許したとは知らないブックマンの一族は、安らかな眠りの中にあった。 急ぎの長旅に疲れたクロウリー家の一行も深い眠りについた中で、エリアーデだけは眠れずにいる。 長老達の事情を理解はしていても、やはり夫は蔑ろにされているのではないか、そしてその原因は、元人間でありながら彼の妻となり、彼に子を与えられずに彼の血を途絶えさえた自分にあるのではないかと思うと、眠ることなど出来なかった。 ブックマンの一族は気さくに彼女を迎えてくれたが、今後やってくる他家の純血達はそうではない。 エリアーデを『クロウリー家を穢した女』として蔑み、嘲弄する者達ばかりだった。 心から歓迎してくれるのはきっと、彼女のおかげでクロウリー家を継ぐことになったティモシーはじめ、ガルマー家の者だけだろう。 クラウドでさえ、古い純血の家を絶やすことを快く思っていないに違いなかった。 「・・・・・・私さえいなければ」 アレイスターは家格にふさわしい純血の妻を迎え、その血を絶やすことなどなかったのだ。 ・・・いや、それは今からでも遅くはない。 「・・・・・・・・・私さえ」 深いため息をついて、エリアーデは顔を覆った。 と、 「馬鹿なことを考えるでないよ」 寝ていると思ったアレイスターが、背後から彼女を抱きしめる。 「私の妻は、ずっとお前一人である。 お前がいなければ、クロウリー家はとっくに親戚達に食い物にされ、奪われていたのであるから」 それほどに、前当主亡き後の相続争いは激しかった。 それが他家の目に触れるほど激しくならなかったのはひとえに、エリアーデが元人間の眷属で、アレイスターが継いだ家名も財産も、いずれは彼らのものになるとわかったからだ。 「お前が我が家を守ったのだ。 それを誇りに思いこそすれ、卑下することはない」 「ですが・・・」 「いいや、お前はお前自身を誇りに思わなければいけないのであるよ。 でなければ、お前を誇りに思う私が、皆に馬鹿にされてしまうのである」 エリアーデの反駁を無理やり防いで、アレイスターは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。 「我が誇れる妻よ、いつまでも愛しているである」 「・・・・・・はい」 零れる涙を拭いもせず、エリアーデは自分を抱きしめてくれる手に手を重ねる。 「私も、いつまでも心から愛しています・・・」 みっともないほど涙に掠れた声を、エリアーデは懸命に振り絞った。 ヴァンパイアにとっての『翌日』、地下は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。 ただでさえ騒がしい一族が、他家を招いての式の準備に走り回り、あちこちで破壊音までする。 「・・・こんなんで貴重な書物とか運び出せるの?」 途中で破いたり壊したりするんじゃ、と呆れるアレンに、衣装合わせ中のラビが振り向いた。 「あんな奴らに全部任せられるかよ。 書物の保管とケアは、プロを眷族にして守らせてんの。 リーバーみたいに『長い時間がかかる研究を、寿命のない身体で思う存分やりたい』って連中ばっかだからさ、稀少本は冗談でもなんでもなく、命を懸けて守る気合を持ってんさ。 ちなみにリーダーは、アレキサンドリア図書館の館長もやってたって。 だから、パピルスの扱いにかけちゃ誰よりも詳しい」 「・・・・・・紀元前から生きてる人、他にもいたんだ」 大きな目を丸くしたリナリーに、ラビは得意げに頷く。 「ジジィが若い頃からの付き合いだから、一族よりも信頼できる。 そいつらが既に、ここに所蔵してた本を安全な場所に運びつつあるんさ。 もう4分の1くらいは終わったっつってたかな。 俺もまだ詳しい場所は聞いてねぇケド、更に砂漠の奥に行くらしいぜ」 「それ、見に行くのも大変だね」 カイロからここに来るまでも6時間ほどかかったのに、更に遠くとなると、気が遠くなりそうだった。 「・・・絶対カイロから一気に行けないから」 日が昇ってしまう、と呟くアレンにラビが笑い出す。 「この拠点は『実家』じゃなくなるだけで残してっからさ、ここで1泊すればいいだけさ」 「だけ・・・なのかぁ・・・・・・」 ヴァンパイアの時間感覚はわからないと、リナリーがため息をついた。 「そんなことよりお前ら、これ一緒にやんねーさ?」 にんまりと笑って、ラビは着せられたばかりの衣装をひらひらと翻す。 古代ローマの元老院議員のように、優雅な襞を幾重にも重ねた白いトーガの上に紫紺のマントを纏ったラビは、背が高いこともあって意外なほど似合っていた。 「かっこいいね、それ。 みんなそんなカッコするの?」 「基本はうちの一族だけな。 でも、客が着たいって言った時のために、ちゃんと用意してるさ!」 アレキサンドリアの書物を守る一族としては当然の装いだと胸をそらすラビに、リナリーが目を輝かせる。 「女の子用もある?!」 「もちろん。着てみな」 「うんっ!」 嬉しげに頷いたリナリーが着付けの使用人達と別室に行くと、アレンも着ると言い出した。 「僕、マントは赤がいいな!かっこいいもん!」 「だったら帯は金がいいな。 知性の俺と情熱のお前って、なんかぴったりさね!」 「知性?ラビが?」 疑わしげなアレンを、ラビが乱暴にはたく。 「着せてやんねーぞ!!」 「ゴメンゴメン知性のラビ! 謝るから着せてよ知性のラビ! きっとかっこよくしてくれるよね、知性のラビ! さぁ、さっさと僕にお着せ申し上げろ知性のラビ!」 「なんかそれ、すっげムカツクな・・・!」 面白がったアレンの言いように腹を立てつつも、ラビは使用人達にコーディネートを指示してアレンを古代ローマ人に変身させた。 「カッコイイ!!」 鏡に映る自分を満足げに見つめて、アレンはマントをひらひらと翻す。 「月桂樹の冠でもかぶったら、アポロンみたいかなぁ?!」 「こんなちびっ子のアポロンがいるかい。 お前、無礼なこと言ってると太陽に焼かれっさ」 「うぐ・・・」 アレンが悔しげに黙り込むと、代わりに騒ぎに来たとばかりに騒々しくリナリーが戻って来た。 「見て見て!すっごく可愛い服着せてもらったの!!」 古代ローマの少女神のような可憐な姿に、アレンだけでなくラビまでもが見惚れる。 男性用の衣装と違って、女性用は薄布の下にあるボディラインが浮かび上がり、優しい丸みが襞の中に見え隠れしていた。 その上をピンクに近い紫色のマントが軽く覆って、リナリーが歩く度に布の合わせ目から白いふくらはぎが覗く。 「リナリー、すごく似合ってますよ!とっても可愛い!!」 手放しに誉めるアレンにラビも頷き、まじまじとリナリーを見つめた。 当然、彼からも賞賛の言葉が出ると思ったが、 「・・・うん、まぁ・・・成長途中だから仕方ないさ。 ・・・今後長い間ほとんど成長しないだろうケド」 などと曖昧なことを言われて、リナリーはムッと口を尖らせる。 「なんだよ! 言いたいことがあれば、はっきり言ったらどうなんだよ!」 詰め寄るリナリーに、ラビが笑い出した。 「ささやかだけど、背中との違いはわかるさ」 「ふんぬー!!!!」 胸元を指されて怒り心頭に発したリナリーが、裾の割れるのも構わずラビへ蹴りを繰り出す。 「ちょ・・・リナリー!はしたないですよ!!」 アレンがリナリーを止めるより早く、次期当主の危険を察した使用人達が間に入って暴力行為を防いだ。 「せっかく着付けたのに、やめてください!」 「時間かかるんですよ、これ!」 物凄い剣幕で怒鳴られて、さすがのリナリーもたちまち萎れる。 「ごめんなさい・・・」 素直に謝った彼女に、使用人達は大きく頷いた。 「式が終わったら、いくらでもやってくれていいですから!」 「俺の立場ってナニ?!」 酷い言われように、ラビが悲鳴じみた声をあげる。 しかしアレンとリナリーは、納得顔で頷いた。 「やっぱりラビって、家でもラビなんだ・・・」 「なんさその可哀想な物を見る目は?!どう納得したんさ?!」 同情されるいわれなどないと言うラビを、二人はますます気の毒そうに見つめる。 「きっとこれから大変だろうけど、がんばってねラビ」 「ラビのことだから、当主になってもずっとラビだろうけど、僕は友達だからね、ラビ」 「俺が納得いかねぇぇぇぇぇぇ!!」 年下に上から目線で言われて、ラビは地下中に響き渡るような声をあげた。 「・・・・・・なんか・・・聞こえたよな・・・・・・?!」 問いかけるが、残念ながらこの闇の中にはティキ一人しかいない。 地下に落ちてからもう、どれほどの時間が経ったのか・・・時計を持たない彼には知る術もなかった。 「発信源はもうすぐのはずなんだ・・・! きっと、この闇を出られるぞ!もうすぐだ・・・!」 期待に胸を膨らませ、知らず足を速めて進む彼の手が、レバーのような物に触れる。 「こ・・・これは・・・!」 明らかに人の手で作られた木製の取っ手に感動したティキは、ためらいもせずそれを引いた。 「ようやく出られ・・・・・・」 希望の声は、扉と同じ面積が立方体と化した水に呑まれて消える。 ―――― さようなら俺の命! 走馬灯を眩しく眺めながら、ティキは水の流れに身を任せた。 深夜近くになると、地下にも徐々に人が増えてきた。 初めて入った時は果てしなく広く見えたホールが、次々に到着する人々に埋められて、狭苦しく感じるほどだ。 その間を使用人達が縫うように走り回り、ブックマンの一族も忙しく挨拶に立ち回っていた。 「・・・目が回るって、こう言うことさね・・・」 訪問客の顔と名前を一致させることは難なくやってのけるラビも、次々にやってくる客達の全てに声をかけて回ることは大変な作業だ。 「だからって、なんで僕に付き人をやらせるかな」 不満げに言いながらも、アレンは声の嗄れてしまったラビに水を差し出した。 それを一気に飲み干して、ラビはため息をつく。 「今日は使用人も親戚連中も、やることがたくさんあって大変なんさ。 お前、その衣装を着てる時点で客からはブックマンの一族だってみなされてっから、文句言わずに手伝うさ」 「ちぇっ。騙された」 道理で嬉々として着せられたはずだと、アレンは口を尖らせた。 「リナリーも、あんなに働かされて・・・」 彼女は彼女で、アレンと同じく水差しの載ったトレイを持って長老の傍にいる。 「ジジィは可愛い女の子大好きだかんね。 俺の血の源流は、間違いなくジジィさ」 「・・・でしょうとも」 更に不機嫌になって、アレンは空になったカップを受け取った。 「また来たよ」 「わかってるさ」 笑顔で寄って来た客人をラビも笑顔で迎え、親しげに挨拶する。 「・・・これで何人目だろうね」 100はとっくに超えた気がする、と呟くアレンの目の端に、凛とした女性の姿が映った。 「あ・・・」 まずい、と思った瞬間、今までいた場所にラビの姿がない。 「長官!逃げてください!」 人々の隙間を縫って放った声が届くより早く、クラウドに抱きつこうとしたラビが足蹴にされていた。 「あぁー・・・せっかくの衣装が・・・・・・!」 白いトーガに血飛沫が散って、着付けの使用人達が悲鳴をあげる。 「うわぁ・・・怒られてる・・・」 騒ぎを聞いて目を向けたリナリーは、クラウドに踏みつけられたまま使用人に怒鳴られるラビを見て呆れた。 「何をやっとるのだ、あれは!」 長老も忌々しげに吐き捨て、挨拶もそこそこにラビの元へ歩み寄る。 「長官、せっかくおいでいただきながら、孫が申し訳ないことをした。 ラビ!とっとと着替えてこんか!!」 クラウドに一礼した長老が、着付けの使用人達に顎をしゃくってラビを連行させた。 「・・・長老、申し訳ない。 つい、条件反射で反撃を・・・」 このような日に主役を殺しかけてしまったと詫びるクラウドに、長老はきっぱりと首を振る。 「悪いのはラビの方だ。 無礼をお許し願いたい」 互いに詫びることで早々に騒ぎを収めた二人に、ブックマンの一族はホッとして、自身らの仕事に戻った。 代わりにアレンが駆け寄って、クラウドにぺこりと頭を下げる。 「すみません、長官。 ラビを止めるのが間に合いませんでした・・・」 「いや、声をかけてくれてありがとう」 にこりと笑って、クラウドは下がったままのアレンの頭を撫でた。 「ところで、アレイスターはどこかな? 長い付き合いだし、あいつにも祝いを言いたいのだが・・・」 「アレイスターさんですか? きっとまだ部屋に・・・って、あれぇ?!」 頓狂な声をあげて、アレンはホールの真ん中を見つめる。 最も人が集まる場所で、客達と歓談しているのは間違いなく彼だった。 「アレイスターさん、どうしちゃったんだろ・・・。 いつもはこんな賑やかな場所は苦手だからって、隅にいるのに・・・」 エリアーデが近くにいるならともかく、彼女の姿もないのに積極的に客達と話している彼に唖然とするアレンを笑って、クラウドはアレイスターへ声をかける。 と、彼女に気づいたアレイスターが、にこにこと寄って来た。 「アレイスター、お前にも祝いを言うぞ」 「あぁ、ありがとうである。 クラウドには最も世話になったであるからな、来てくれて本当に嬉しいであるよ」 そう言って硬く握手する二人を、アレンが不思議そうに見つめる。 「確かに今日はアレイスターさんのお誕生日だけど・・・去年もこんな風だったっけ?」 クラウドは以前もアレイスターの誕生日に招待されて、クロウリー家の所有する邸に来たことがあったが、こんなにも感動的に喜び合っていた覚えはなかった。 「・・・それともラビって、そんなにアレイスターさんと親しかったっけ?」 彼が当主になることを、アレイスターが自分のことのように喜んでいる・・・と見えなくもない状況に、アレンはますます首を傾げる。 が、考えていても答えは見えそうになかった。 「ま、いっか」 ラビほど好奇心旺盛ではないアレンは、あっさりと切り替える。 「ラビが戻ってくるまで、休憩ー 客達のために設けられた休憩スペースに駆け寄ったアレンは、お茶を片手に並べられた菓子を次々と口に入れた。 「あ、ようやく馬鹿が戻って来た」 「こんな日に本当に馬鹿だね、お前は」 着替えて戻って来るや、一族の心無い言葉に迎えられて、ラビは哀しくうな垂れた。 「スミマセン・・・」 その哀しげな様に、皆が笑い出す。 「ホラ、今日の主役がそんな顔するんじゃないよ!」 「もう始まるよ!」 若き当主の背を叩いて、一族は彼を前へ押し出した。 そこで待っていた長老は、ラビをじろりと睨んでから歩を進める。 彼を先頭にラビが続き、その後ろを一族が、更にその後ろを純血の客達が続いて式典の間に至った。 ホールよりも更に広々としたそこは、『間』とは呼ばれても部屋ではない。 深く暗い地底湖に張り出した円形の露台だった。 どこから聞こえるのか、ドーム上の岩盤に高く澄んだソプラノの歌声が反響する。 初めて聞く歌の意味はわからないが、胸を熱くさせる情熱的な歌声に、アレンは頬を紅潮させた。 粛々と露台の水際に進み、振り返った長老とラビを皆が見つめる。 「本日はようこそおいでくださった」 歌声の中で、長老が朗々と声をあげた。 「我が一族は、約二千年ぶりに代替わりをすることになった。 まだ若い当主ではあるが、どうか温かく見守り、指導して欲しい」 長老の言葉に、一族と客達から拍手が沸く。 と、頷いて歩を下げた彼に代わって、ラビが進み出た。 深々と一礼したラビは、一同へ向けて物怖じしない微笑みを浮かべる。 「本日、祖父より当主の座を譲り受けた。 至らぬ身ではあるが、皆にはどうかご容認いただきたい。 しばらくは祖父の指導の下にあり、徐々に実権を譲り受けていくことになる。 我が家名、我が一族、我が守るべき財物を守護することをここに誓う。 証人は、ここに集った全ての一族、眷属である」 いつもとは違う口調の彼に思わず感心して、アレンも本心から拍手を送った。 と、メインの口上が終わって緊張が解けたのか、ラビはいつもの気さくな笑みを浮かべる。 その気配を察したかのように、歌も情熱的なものから緩やかで心安らぐものへと変わった。 「この歌・・・どこから聞こえるんだろう?」 幾重にも反響して、出所がわからない歌声の主・・・いや、主達が気になってリナリーが辺りをそっと伺うが、コーラス隊らしき姿はどこにもない。 その歌声が気になっているのは彼女だけではないらしく、なんとなく座がそわそわし始めた中を、長老会代表としてアレイスターが進み出た。 「最長老を差し置いて僭越ながら、長老会を代表してお祝い申し上げる」 他でもない最長老へ向かって一礼し、アレイスターはラビへ手を差し伸べる。 「若き当主殿。 長老会へ入る意志はあるか?」 しきたりに則り、決まった文言を口にした彼に、ラビは一礼した。 「ありがたくお受けします」 アレイスターの手の甲に恭しく口付け、彼は長老会の一員にも認定される。 またも拍手が沸き、岩のドームに反響した。 それはまさに万雷の拍手とも言うべきほどで、アレンはまたもや感心する。 と、また曲が変わり、そのあまりの美しさに誰もが拍手をやめた。 それはきっと、愛の歌なのだろう。 歌を紡ぐ言葉はまったくわからないのに、そう思わせる美しい歌だった。 その歌に乗せて、ラビが静かに口を開く。 「長老会に認定された今、ここに提案する。 これは先代と協議し、純血の当主達に伝えて了解を得たものである」 つまり、既に長老会で承認されたということだ。 一体何が発表されるのかと、期待に満ちた目で見つめられたラビが、エリアーデの名を呼ぶ。 眷属達の目が一斉に向けられ、エリアーデは目に見えて怯んだ。 が、ラビの傍らに立つ夫に手招かれ、最後方に控えていた彼女は眷属の、そして純血達の見守る中をおずおずと歩んで前に出る。 差し出された夫の手を困惑げに握り、怯えた目を伏せた彼女の震える肩を、アレイスターは優しく抱いた。 ・・・家族の前でだけならともかく、純血の当主達を前にありえない夫の行動に、エリアーデは竦んでしまう。 一体何が起こるのかと、震える彼女ににこりと笑って、ラビは一同へ向き直った。 「我が一族は、長年クロウリー家を守り、支えて来たエリアーデを当主の妻として正式に認めることを提案する」 「え?!」 驚きのあまり、エリアーデはその一言を発して凍り付いてしまったが、既に長老会で決定したことだ。 誰も反対するわけがなく、あっさりと拍手で認められた。 「どう・・・して・・・・・・!」 凍りついた声帯を何とか震わせた彼女に、長老はにこりと笑う。 「私は知らん。 私は紀元前から生きてきたのでな、次代の考え方にはついていけん」 冗談めかして突き放しながら、彼は集った一同へ向けて、大きく頷いた。 「まずは最初の実権譲渡だな」 その言葉に、一族からは笑声もあがる。 が、拍手の中で呆然とするエリアーデは、笑えもしなかった。 「まさかそんな・・・私なんかが・・・・・・」 あり得ない、信じられないと呟く彼女を、アレイスターが優しく抱きしめる。 「長老からは保養地で既に聞いていたのであるが・・・驚かせようとして、黙っていたのだ。 心細い思いをさせて悪かったである」 それでいつもの彼と様子が違ったのかと、エリアーデは頭の片隅でぼんやりと考えた。 が、あまりのことに混乱するばかりで、力の抜けた身体はアレイスターに支えられていなければ、立っていることすらできない。 瞬きも忘れて人形のような妻に微笑み、アレイスターは彼女が再び言葉を取り戻せるようにと願って口付けた。 途端、 「ア・・・レイスター・・・様・・・・・・」 希望通り声を取り戻したエリアーデが、彼の名を呼ぶ。 「私・・・私があなたの・・・・・・」 最後まで言えず、涙を溢れさせる妻を、強く抱きしめた。 「我が人生最高の誕生日プレゼントであるな」 耳元に囁かれた言葉に涙が止まらず、エリアーデは震える手を彼の背に回して強く抱きしめる。 「いつまでも・・・・・・」 その先の言葉は、アレイスターの耳にだけ届いた。 式典が終わるや、使用人と一族は宴の間へと駆けて行ったが、客達の多くはまだ残って、歌声の主の姿を探していた。 と、露台から湖へと身を乗り出したラビが、陽気に手を叩く。 「みんな!こっちさー!」 呼ばれて歩み寄った客達は、水面に浮かび上がった彼らの姿に目を丸くした。 「水の民・・・!」 長く生きていても、見るのは初めてだという者も多い。 そんなミステリアスな水の民が何人も、水面に顔を出してにこやかに彼らを見つめ返していた。 「さっきの歌って、この人達だったんですか・・・!」 イルカのような青白い肌に黒いつぶらな目を持つ彼らをまじまじと見つめたアレンは次の瞬間、頬を染めて懸命に拍手する。 「とっても! とっても素敵でした、皆さんの歌! 僕、あんなに感動したのは初めてです!!」 アレンの熱狂的な感想に、客達も同意して熱い拍手を送った。 と、言葉は通じなくても熱意は通じたのだろう、彼らは嬉しげに微笑み、礼を言うように何度も頭を下げる。 その中の一人が、ふと一点を見つめだした。 小首を傾げ、水を掻いて露台に寄って来た彼・・・もしかしたら彼女は、アレイスターへ向けて嬉しげな笑みを浮かべ、激しく手を振る。 その様に気づいたアレイスターもじっと見つめ返し、相好を崩した。 「あの時の子供であるか!」 彼の言葉は理解できなくても、思い出してくれたことは察したのだろう、何度も頷いた。 懸命に何事かを話すが、言葉を理解できないアレイスターにラビが通訳する。 「お前、あの時の子供だろう? 母は地上の者なんて信じちゃだめだって言ってたけど、私は初めて見た地上のお前と遊びたかった。 あの後、母は地上の者に見られた以上、ドナウにはいられないからって海に出たんだけど、私には海の水は馴染めなくて。 ナイルなら問題ないだろうと思ったんだが、あそこの民は気位が高くて付き合いが難しかったから、母が唯一信用する地上の者に頼んでここの水脈を辿ってきた。 お前がここに住むのなら、あの時はできなかった遊びをしよう、ってさ」 その言葉に、アレイスターは嬉しげに笑った。 「覚えていてくれて、とても嬉しいである。 ここに住むわけではないが、しばらくは滞在するので、ぜひとも遊んでほしい。 私の妻や家族も一緒にいいだろうか?」 ラビが通訳すると、やはり嬉しげに笑って頷く。 「私の家族を紹介しよう。 妻と子供達。 母は地上の者を見たくないと言って浮かんでこなかったが、水底で元気にしている。 ここの先代ほどではないが、お前の祖父のことも少しは信用していたから、母ももしかしたら顔を見せるかもしれない」 「ぜひともお会いしたいものだ」 そう言って水へと手を伸ばしたアレイスターは、水かきのある手を強く握った。 彼も笑って握り返し、素晴らしい歌声を響かせる。 「祝福の歌さ。 奥方、末永く幸せに、ってさ」 ようやく事情が理解できるほどには落ち着いたエリアーデは、頷いてアレイスターに寄り添い、美しい歌にまた涙を零した。 ・・・・・・地下の式典が終わり、皆が宴に興じている頃。 「ティキ! ティッキー!」 大声で呼ばれながら激しく頬を打たれて、地上のティキは目を開けた。 「あぁ、やっと起きた。 いい加減、ボクの手が痛くなってきたよ」 「・・・この腫れ上がった顔はそのせいか」 触れただけでびりりと痛む頬を両手で包み、ティキはシェリルを睨みつける。 「なんだい、キミは感謝を知らないねぇ。 砂漠の真ん中で溺れるなんて器用なことをしていたキミの、腹を膨らませていた水を吐かせて、介抱してやったのはボクだよ? まずはお礼じゃないかなぁ」 絶対に優しい介抱なんかしていないだろうと思いつつも、ここで意地を張れば後が面倒だと、ティキは素直に礼を言った。 「・・・ところで俺は、どうやって地上に出てきたんだ?」 シェリルによって地下に落とされ、闇の中をさまよっていたはずだと言うと、彼は間近にある竪穴を指す。 「あそこ、隠し階段だったらしいんだ。 ボクらが星を見ながら哲学的な話をしている時にだね、何か崩落するような音がしたので驚いて来てみたら、この穴から激しく水が吹き出して、キミが流れ出てきたんだよ」 「へぇー・・・俺が死ぬ思いをしてた時に、お前らは哲学的な話をしてたんだぁー・・・・・・」 「いや、こだわるのはそこなのかな?違うだろう?」 乾いた声をあげるティキを冷たく遮って、シェリルは未だに水の溜まった穴を覗き込んだ。 「水が引くまで、中の調査は無理だねぇ・・・。 それで? 何かめぼしいものは見つけたのかい?」 あくまでビジネスライクなシェリルの問いに、ティキは憮然と寝転がる。 「ティキ?どうなんだい?」 「・・・なんもなかった。 書物も宝らしいもんも、なーんにも」 二度と関わりたくないと態度で示す彼にシェリルは肩をすくめた。 「そうか、だったら・・・」 諦めよう、と言う言葉が続くよう願ったが、この程度でシェリルが容赦するわけがない。 「発信機の少年が出てくるまで待ち伏せだ! ボクは街で待っているから、がんばるんだよ、ティキ!」 「なんで俺だけっ?!」 お前は?!と揺さぶったシェリルは、悪びれもせず両手を広げた。 「言っただろう? ボクは頭脳労働で、勘と体力勝負の仕事はキミに任せるって。 キミはその野生の勘で見事地下にたどり着いたのだから、獲物を待ち伏せして出入り口を確認することなんて簡単サ 追加の食料と水は運ばせるからと、シェリルは案内人と共に、さっさと帰り支度をする。 「じゃあ、幸運を祈るよ! キミに神の恩恵のあらんことを!」 軽く手を振り、ラクダに乗ったシェリルにティキが目を剥いた。 「なんじゃそりゃあああああああああああ!!!!」 無情にも背を向け、去って行く彼らをティキは追いかけようとするが、人間の足でラクダに追いつけるわけがない。 瀕死の状態から生還したばかりの体力はすぐに費えて、昇り来る太陽を避けるのが精一杯だった。 既に砂丘の向こうへ消えた二人と三頭の影を睨んで、砂を握る。 「やっぱ神なんていねええええええええええええええええ!!!!」 太陽に向かって雄たけびを上げた彼は知らなかった。 発信機を取り付けたジャケットが、今後数年間、この地下に置き忘れられる運命だと言うことを。 「楽しかったですね、水遊び!」 数日の滞在中に、水の民とすっかり仲良くなったアレンは、冷えた身体を温めに浴場へ入った。 既に体温を持たないヴァンパイアが身体を温めるというのも変な話だが、リラックス効果があるのは間違いない。 「あはは! 今日はお風呂でも泳げるや! 昨日までは大勢いたから泳げませんでしたもんね!」 式典の日は大勢訪れた客も今はほとんどなく、ブックマンの一族も眷属である司書達が大切に梱包した荷物の運び出しに忙しいようだった。 広い浴槽の中で楽しげに泳ぎ出したアレンに、一緒に来たラビが呆れる。 「お前、さっき散々泳いだくせに元気さね」 「冷たい水の中とあったかいお風呂の中は別だもん 水の民と泳ぐのは許された遊びだが、風呂で泳ぐのは悪いことと自覚していながらやりたくなる誘惑が強かった。 「ラビも泳げばー?」 呼ばれて彼も泳ぎ出す。 「ここを出たら、今までみたいに遊べんくなるもんなー」 「なんか役職もらうの?」 純血の当主は長老会の他に、他家への影響力もある役職をもらうことがあると聞いた。 クラウドの自治警長官などがそれだが、まだ本当に18歳でしかないラビは早い。 首を振った彼は、天井を見上げて湯に浮かんだ。 「まずは領地巡り。 財産・・・っつても本と資料ばっかだけど、それの管理だな。 一族の揉め事も徐々に俺ンとこ来るようになるし、それをちゃんと仲裁できるかどうかで、本当に当主にふさわしいか判定されるんさ」 「はぁ・・・大変だね」 代替わりの式は終わっても、実力を試されるのはこれからなのだ。 「ま・・・大変なのは俺だけじゃねぇけど」 「へ?」 他に誰が、と首を傾げるアレンに、ラビはにんまりと笑った。 「クロウリー家さ。 奥方を正妻に迎えた以上、次期当主を巡って揉めるぜぇ? 今回の件で、ティモシーの親父さんは確実に敵に回ったかんね!」 「あー・・・それで来てなかったんだ、エミリアさん達・・・」 いればすぐにわかるはずの彼女達が見当たらなかったのはそのせいかと、アレンが頷く。 「ま、あの件は旦那本人じゃなく、俺とジジィが申し出たんから、ガルマーも旦那自身には強く言えねぇんだけど、嫌味くらいは言うだろうしなぁ」 「・・・嫌味だけで済むの?」 骨肉の争いは凄まじいと聞いていたアレンが、思わず風呂の中で正座すると、ラビは笑って首を振った。 「済まないだろうさ。 でもまぁ、あっちは既に、次期当主のエミリアが強い発言権持ってっからね。 親父さんのことはあいつが説得してくれるだろうし、ティモシーもまだちっさいから、家を継ぐとかはあんまり関心がないみたいさ。 だから・・・」 意味深に言葉を切って、ラビが笑い出す。 「あの夫婦は、さっさと跡継ぎ作れってコト 「・・・そっか!」 ラビの言葉に、アレンも笑い出した。 「きっと可愛いでしょうね、エリアーデさんの赤ちゃんだもん!」 ばしゃばしゃと水を叩いてはしゃぐアレンに、ラビは湯に浮いたまま手を打つ。 「・・・そっか! 奥方の血が入るんなら、きっと娘は美人さね!」 生まれてくるのは娘だと決め付けて、ラビはばしゃばしゃと水を叩いた。 「あの家の継承権手に入れたら、確実にドナウ流域は俺のものー 「はぁ?なにゆってんの、君?長官は?」 忌々しげに睨んだラビが、にんまりと笑う。 「長官に振られたら俺、奥方の娘を嫁さんにもらっちゃおうかな!」 クロウリー家ゲット!と呟いた瞬間、ラビはアレンによって湯に沈められた。 ・・・アレン達が明るい未来予想に笑っていた頃。 エリアーデは客室に閉じこもったまま、かつてのミランダのように外へ出ることができずにいた。 ラビ達とは逆に暗い未来を見つめる彼女は、人の出入りを極度に恐れ、寝室にうずくまっている。 その様をアレイスターは気遣ってくれたが、今は他人に・・・特に、純血の者に会うことがとても怖ろしかった。 彼女がアレイスターの正妻になることを、他ならぬ長老会が承認してくれたことはとても嬉しく、光栄なことだが、同時にかつての記憶を思い出さずにはいられない。 思いもしなかった幸運に混乱している間は、アレイスターに手を引かれるまま、純血の者達とも親しく会話した彼女だが、徐々に落ち着くにつれ、その時のことが思い出されて怖ろしくなった。 これは・・・あの時の繰り返しだと。 クロウリー家の先代が亡くなってから彼の遺言が親族の前で読み上げられるまで、一族は怖ろしいほどに混乱した。 毎日のように財産を狙う輩が押し寄せ、口汚く罵りあい、あるいは領内に私軍を進軍させたりと、アレイスターもエリアーデも、常に彼らの襲撃に怯えたものだ。 先代には忠実だった眷属でさえ、元人間であるエリアーデのことは『血を穢す』として認めようとはせず、もしアレイスターが彼女を正妻に望んだ時は、純血を穢す前にエリアーデを殺すとまで言われた。 それが収まったのは先代が、財産を譲るのはアレイスターのみで、彼が純血の妻との間に子をもうけない限り、養子を取って純血を維持するべきと遺言したからだ。 一代のことならばと、城に攻め寄せていた親戚達にも余裕が生まれ、エリアーデはむしろ、そのまま愛妾として侍っていろとまで言われた。 もし子が生まれたとしても、彼女の子ならクロウリー家の継承権はないからと・・・。 あれから随分と経ち、いくつかの家は当主を代えていたが、彼らの本質が穏やかになったとは思えなかった。 今までは命までは取ろうとしなかった彼らが、これを期にエリアーデを殺そうとするのではないかと・・・。 それだけならまだしも、アレイスターや弟妹までもが危険にさらされるのではないかと、不安でたまらなかった。 ために彼らとは・・・純血の者達とは顔を合わせたくないと怯えるエリアーを、アレイスターが優しく抱きしめる。 「もう、この地からはほとんどの者が去ったであるよ」 恐怖のあまり、声も出せなくなった彼女に、アレイスターが優しく囁きかけた。 「大丈夫である。 あの頃とは状況が違うのだ、エリアーデ・・・。 あの頃のお前は、まだ100年も生きていない眷属で、私も世間知らずの若様だった。 しかし、あの混乱を乗り切って以後のお前は、強い意志でクロウリー家を守ってくれたではないか。 その功績を、長老はじめ長老会の面々はずっと見ていてくれたのであるよ」 ドイツの保養地で初めてこのことを聞いた時、あの老人は言ったのだ、長い試験期間であった、と。 「クロウリー家のエリアーデは、ようやく私の妻として認められたのだ。 それに、元人間の眷属同士であれ、眷属になった後に結ばれて生まれた子は純血である。 お前はもう、何も心配することなどない」 ようやく時代が変わったのだと、アレイスターは長年愛し続けた妻に口づけた。 「さぁ、人が減って静かになったことであるし、水の民の所へ行こうではないか。 また、お前に祝福の歌を歌ってくれるそうである」 ベッドから抱き起こしたエリアーデは、少したたらを踏みながらもアレイスターに従う。 ・・・が、扉を前にした途端、頑迷に足を止めた。 「エリアーデ・・・」 まだ怖ろしいのかと、気遣わしげな彼にエリアーデは首を振る。 「このままでは行けませんわ」 久しぶりに聞く彼女の声に、アレイスターは目を見開いた。 その声は不安と恐怖を払拭し、とても落ち着いている。 「なぜ・・・」 「だって!」 堂々と逸らした胸に手を当て、エリアーデは毅然と微笑んだ。 「クロウリー家の妻たるもの、こんな格好で部屋を出ることは出来ませんわ! 皆様の視線を集め、誰からも美しいと賞賛される姿でないと!」 まずは肌を磨いて化粧だと、こぶしを握った妻にアレイスターはホッと頬をほころばせる。 「それでこそエリアーデであるよ!」 ようやく強気な彼女が戻って来たことが嬉しく、アレイスターはエリアーデが困るほどに強く抱きしめた。 Fin. |
| 2012年クロちゃんお誕生日SSでした! 題名はもちろんラルクですが、この曲を持ってきた辺り、くれはさんこのSSにすっげ力入れたんだなと思ってくれると嬉しい。>それくらい特別な曲です。 そんなSSなのに、ティッキーが不幸ですみません(笑)>ハロウィンでもないのにね! でもホラ、ティッキーのアンラッキーはデフォですから。 平穏なティッキーを書くなんて、世界で一番暑い砂漠で目玉焼き作るくらい難しいですから。←水分が蒸発するのでかなり難しい。 ともあれ、去年のクロちゃんSSは星の王子様で砂漠に墜落したので、今回はちょっと北上してエジプトで冒険です。 行って見たいですねぇ、エジプト。 まだ行ったことがないので、移動手段などはウィキと地図を見ながら書いてます。 変な所あってもスルーでヨロ(笑) そして、今回はなんとか『本当の夫婦』にしたいなぁと思っていた二人が結ばれましたよ。 19世紀って、産業革命から始まる近代化によって、絶対君主制が崩壊した世紀、ってイメージなんですよ。 実際に崩壊したのは20世紀初頭でしょうけど。 なので、絶対君主制の象徴たるブックマンが退いて、若い世代に交代したことで、それまでのしきたりも変わるってのが書いてみたかったことでした。 まぁ、紀元前から生きているブックマンは、絶対君主制よりも共和制の方が馴染みがあるから、紀元後に生まれた長老達より逆にフランク、って設定でもありますけどね。 なので、美人が気の毒だな、って言うよりはもっと軽く、『反対する奴らはもう墓の下だから、いい加減いいんじゃないか?』ってノリです。 平成生まれの若者より、明治・大正生まれのジジババの方が冒険心旺盛でファッションも奇抜だったみたいなもんです。 もし、ひいジジやひいばばに『あんたの格好、変わってるね』って言われたら、『明治大正の方がよっぽど奇抜だったろ』って言ってみ。 『てへぺろw』されるかもよ(笑) |