† はつはるや †






 †このお話は日本・平安時代を舞台にしたD.Gray−manパラレルです†


  D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。
  時代考証はしていませんので、頭空っぽにして読んで下さいねv


 いづれの御時にか、女御更衣あまた侍ひたまひけるころ――――・・・。
 大晦日の夜は深まって、新たなる年を迎えた。
 前式部卿宮家(さきのしきぶきょうのみやけ)の邸では、若くして刀自(とじ)となったミランダが、遠くに聞こえる鐘の音に耳を澄ませる。
 「新年の寿ぎを申し上げます、あなた」
 「あぁ、新年の寿ぎを申し上げる」
 大きく頷いたリーバーへミランダは扇越し、嬉しげに微笑んだ。
 「・・・一緒に年越しが出来て、とても嬉しいです。
 今日は夜明け前からお忙しいから、こちらへはいらっしゃらないと思っていましたもの」
 嬉しい・・・と、もう一度言った彼女へ、リーバーは膝を進める。
 「正月は行事が多くて、中々会えないかもしれないからな・・・」
 でも、と、彼は嬉しげに笑ってミランダの手を取った。
 「出仕して内裏に局を賜れば、昼でも会えるようになる」
 「出仕・・・」
 途端に不安げな上目遣いになって、ミランダはおどおどと彼を見つめる。
 「本当に・・・私なんかがいいのでしょうか・・・・・・。
 何も出来ませんのに、宮仕えだなんて・・・」
 父は皇族で式部卿の位を賜っていたが、今は弟が中務卿(なかつかさきょう)を拝命するだけで、ミランダ自身は内裏に上がったこともなかった。
 家は女が継ぐこの時代、彼女が持っているのは父が遺した邸と女王(にょおう)として賜る禄(ろく)のみ。
 微々たる禄では生活もままならないからと、皇族の位を捨てて臣下に降る者も多いが、この宮家ではプライドの高い弟がそれを許さず、最近まで女房達への俸給にも困惑するほどだった。
 が、大納言として、何より帝の寵臣として、宮廷内で勢力を強めつつある彼が婿に来てくれたおかげでもう、生活に困ることはない。
 ・・・弟は『臣下を婿にするなど』と怒り狂っていたが、刀自であるミランダの意向には逆らえなかった。
 そしてミランダも、『夫』となった彼の意向には逆らおうとは思わない。
 気乗りしない宮仕えではあるが、ぜひにと言われては断ることもできず、今月中には局を賜って内裏へ居を移すことが決まっていた。
 「心配しなくても、内裏には宮様方も多くお住まいだ。
 ただの女官なら慣れるまでに苦労するだろうが、ミランダは女王なんだから・・・」
 「女王・・・っ!」
 突然扇を取り落とし、真っ青になって震え出したミランダに、リーバーが驚く。
 「どうし・・・」
 「ク・・・クラウド女王・・・前賀茂斎院(さきのかものさいいん)もいらっしゃるんですよね・・・・・・!」
 「あぁ、邸は別におありになるが、宮中にはよく・・・」
 「ひいぃっ!!」
 悲鳴をあげて顔を袖で覆った彼女を、リーバーは慌てて抱き寄せた。
 「どうした?!女王がなにか・・・」
 「わっ・・・私・・・・・・!」
 ガタガタと激しく震えるミランダが、懸命に声をあげる。
 「今上(きんじょう)様が・・・ご即位・・・あそばして・・・・・・齋院と斎宮が代替わりなさる際・・・。
 わ・・・私・・・!
 前齋院から・・・次の齋院は私だと・・・直々に・・・・・・!」
 「そうなのか?!」
 賀茂齋院と伊勢斎宮は、未婚の皇族女子から選ばれる決まりだった。
 神に仕える最高位の巫女としての責任は当然重く、ミランダは自分には荷が重いからと辞退した経緯がある。
 「前齋院はなぜか私を買ってくださっていて・・・。
 ぜひにとおっしゃってくださったのですが、近々結婚しますのでと半ば強引にお断りを・・・」
 そのせいで彼女を酷く怒らせてしまい、今も顔を合わせづらかった。
 なのに、せっかく避けていられた彼女と対面するかもしれないと、思うだけで怖ろしい。
 「あのっ・・・やっぱり、私・・・・・・!」
 出仕を辞退したいと訴えるミランダに、リーバーは考え込んだ。
 今の話でクラウドが、殊更自分に冷たかった理由は理解したが、出仕は今上帝直々の命令だ。
 直前になって断ることなどできなかった。
 そう説得すると、ミランダは涙で袖を濡らす。
 「では・・・ではせめて、前齋院とできるだけお顔を合わせることのないよう・・・取り計らっていただくわけには・・・・・・?」
 か弱い妻の懇願を断れるわけがなく、リーバーは大きく頷いた。
 「そうとわかれば、局は温明殿(うんめいでん)に賜ることにしよう。
 あそこは尚侍(ないしのかみ)の管轄だから、前齋院もそう簡単には・・・いや、まぁ・・・あの方のことだから確実にとは言えないが、ブリジット殿は有能だし、事情を話しておけば、諍いを避けるためにも協力してくれるだろう」
 「はい・・・」
 ブリジットとはまだ顔を合わせたことはないが、出仕するに当たり、帝の秘書役である彼女とは何度か文のやり取りをしている。
 堅苦しい事務的な文ではあったが、非常に気が利いていて、ミランダへのフォローは万全だと断言してくれた。
 「そもそも、宮仕えと言っても麗景殿(れいけいでん)の命婦(みょうぶ)一人じゃ持て余す女東宮(にょとうぐう)のお相手だからな。
 せいぜい姉さん風吹かせて、お転婆娘を躾けて欲しいって、主上(おかみ)のご意向なんだ。
 気楽にやればいい」
 「気楽だなんて・・・そんな・・・・・・!
 私、一所懸命やります!」
 真剣な顔で言ったミランダを、リーバーは思わず抱きしめる。
 「本当に・・・ミランダは真面目で努力家だ」
 善良と言う言葉を体現したかのような彼女は、見ているだけで清々しく、そこが愛しく思えた。
 「さすがは元旦生まれだな」
 「う・・・それ、恥ずかしいのですけど・・・・・・」
 よりによって行事の立て込む元旦に生まれたため、祈祷の僧侶も梓弓を鳴らす侍も足りず、ミランダの母はそのために難産となったと言われている。
 「弟は・・・なんとか師走の二十八日に生まれましたので、姉と違って気が利く子だと可愛がられたのですけど・・・」
 「イヤ、五十歩百歩だと思うぞ」
 呆れ顔で苦笑し、リーバーはミランダの額に口付けて曇った眉を開かせた。
 「それに皆、年は今日この日に一斉に取るんだ。
 同じ年に生まれれば、元日だろうが大晦日だろうが同じ年。
 だったら、最初の日に生まれたミランダは、その年の頂点にいるってことだ。
 これって吉祥だと思わないか?」
 「そんなこと・・・初めて言われましたわ・・・・・・」
 誕生日と言う概念がないこの時代、正月元日に誰もが一斉に年を取る。
 子供の時分であれば、一年は大きな差だが、二十歳を越えれば同じ年の者と変わることなどほとんどなく、周りが言うように『一番立て込んでいる日に生まれた迷惑な姫宮』としか思っていなかった。
 ずっとそう思い続けていたのに、彼の一言は彼女の屈託をあっさりと昇華させてしまう。
 「本当に・・・あなたと出会えて良かったと思います・・・!」
 「亡くなる前に引き合わせてくれた父宮に感謝だな」
 初めて見合い話を持って来られた時は、今をときめく寵臣を婿に捕まえようという魂胆かとうんざりしたが、帝の勧めもあって仕方なく垣間見たミランダは奥ゆかしく古風な姫宮で、今時のあけすけな女房達に慣れていたリーバーにはある意味衝撃だった。
 宮中では有能な女達を散々見て、彼女達の裏側をも知っていたために、とっくに深窓の姫への幻想など捨てていたはずが、絵巻の登場人物のような本物の『姫』を目の前にして、惚れ込んだのは彼の方だ。
 父宮、そして弟からも大事に隠されていたために世間ずれしなかったのだろう、彼女を逃せば『理想の姫』など金輪際出会えないと悟った彼は、逆に父宮に頼み込んで婿に迎えてもらったのだった。
 了承をもらった直後に父宮が亡くなったため、喪が明けるまで待たなければならなかったが、今はこうして共に新年を迎えられている。
 しかし何しろ殿上人(てんじょうびと)には行事が多く、のんびりしてはいられなかった。
 「じゃあ、そろそろ・・・」
 「もう・・・ですか?おやすみになりませんの?」
 腰を上げたリーバーにミランダが目を丸くする。
 「今日の行事は夜明け前からだからな」
 彼本来の仕事だけでなく、帝のサポートがあるからと、彼は苦笑した。
 「暦は・・・この家の分は、ハワードが持って帰るのか」
 「えぇ。
 どうぞご自宅へ持ってらしてください」
 陰陽寮が作成する暦はこの日、帝へ献上されるほかは、貴族にのみ配布される。
 全ての行動が暦の吉凶を見て行われるこの時代、とても貴重なだけでなく、生活に必要不可欠なものだった。
 「私が・・・宮中へ上がる日も、決めなければいけませんからね」
 「あぁ、もらったらすぐにでもミランダの吉凶を見ておくよ」
 不安げなミランダの頬へ暖かな手を添えてくれた彼へ、微笑を返す。
 「いってらっしゃいませ。
 どうぞお気をつけて」
 「あぁ」
 暗い中を出て行く彼を見送ったミランダはその後、部屋には戻ったものの、彼を差し置いて休むのも悪い気がして、脇息にもたれたまま、ぼんやりと白んでいく空を見つめていた。
 「なんだか・・・気が休まらないわ。
 とても・・・どきどきする・・・」
 今まで感じたことのない胸のざわつきを訝しく思ったが、きっと宮仕えのことが胸につかえているのだろうと頷く。
 「まだ・・・もう少し先のことですもの。
 今日は考えないようにしましょう」
 そうするうちに夜が明け、邸内で元日の決まりごとを行っていたミランダの元へ、リーバーの従者と弟の従者が並んで駆け込んできた。
 「ど・・・どうしたのですか、あなた達・・・!
 お二人に何かあったのですか?!」
 宮中ではまだ、節会(せちえ)の最中のはずだろうと、側つきの女房が目を丸くする。
 従者も身分ごとにもてなされている最中だろうに、それを断って駆け戻って来るなど尋常のことではなかった。
 御簾の奥で不安げに従者の声を待つミランダに、彼らは顔を見合わせ、汗顔を伏せる。
 「大納言様と、中務卿宮(なかつかさきょうのみや)様より別々に・・・しかし、同じことを命じられてございます」
 「暦を・・・本日、賜りました暦をご覧になったお二人が、それぞれに宮様へお伝えしろと・・・」
 「暦・・・」
 まさか宮中へ上がる日のことかと、不安げに呟いたミランダの前で、御簾の外の二人はまた顔を見合わせ、言いにくそうに身動ぎした。
 「どうしました。早くおっしゃい!」
 女房に急かされて、弟の従者が首をすくめる。
 「宮様・・・その・・・すぐお支度をなさって、弟宮様の元へいらしてください」
 「いえ、宮様・・・大納言様がお待ちでいらっしゃいますから、すぐに宮中へ」
 「な・・・・・・?!」
 絶句して扇を握り締めたミランダの代わりに、女房が詳しい事情を求めた。
 すると二人は交互に、彼らの主が暦をもらってまずミランダの吉凶を占ったことと、結果に驚いて互いに確認したこと、帝や皇族、諸卿にも報告した結果、本日中にも宮中に入るよう申し渡されたことを伝える。
 「では・・・今日中に?
 今日中に宮中に移れと、そういう・・・?」
 唖然とした女房に、二人は気まずげに頷いた。
 「なんでも、今日を逃せば後はないくらい、お国にとっての吉祥だそうで・・・」
 「明日の東宮大饗に宮様がご参加下されなければ、国に大厄がかかると、そう・・・」
 「おかげで皆様、急いで来てくださるようにとまずは我らが駆けつけたのですが、後ほど、皆様もお手伝いにいらっしゃると・・・」
 「なんとまぁ、慌しい・・・・・・」
 驚き、呆れ果てた女房が、気遣わしげにミランダの顔色を窺う。
 真っ青になって声もない彼女の傍へ寄り、耳元へ囁いた。
 「こうなっては仕方ありません。
 あちらには大納言様も弟宮様もいらっしゃいますし、すぐにお支度を」
 「で・・・でも・・・・・・!」
 「きっと」
 妙に真剣な顔で、女房はミランダへ詰め寄る。
 「本日中に宮様が宮中へ入られないと、とても悪いことが起こるのですわ。
 わたくし、今までお仕えして、何度も見ておりますので存じておりますもの」
 なにを、と問う間もなく、彼女が先頭に立って支度を始めた。
 身支度は既に晴れのものだったおかげでミランダ自身の支度にはそう掛からず、終えた頃には宮中から迎えが来て、初めて家の門を出る。
 「わ・・・私、今まで家から出たことがないのに・・・・・・!」
 初めての出かける先が内裏になることは、出仕を求められた時点で覚悟をしていたが、まさかこんな急に呼び出されるとは思っても見なかった。
 「こ・・・怖いわ・・・・・・!」
 怯える間にも、牛車は進んで大内裏へ、そして内裏へと入る。
 従者は言いつけられた通り宣陽門を通って、いつもは仲の悪いリーバーとハワードが並んで待つ綾綺殿(りょうきでん)へと牛車をつけた。
 「ミ・・・」
 「姉上!!!!」
 リーバーを押しのけてハワードが飛び出し、御簾のあがった牛車からミランダを迎える。
 緊張気味に牛車を降りたミランダは、殿上に倒れたリーバーを見て、目を丸くした。
 「ハワードさん・・・あの、リーバーさんが倒れて・・・」
 「勝手にコケたんですよ。お気になさらず」
 「お前が突き飛ばしたんだろうが!!」
 がばっと起き上がったリーバーがどすどすと歩み寄り、ミランダを奪い取る。
 「主上の元へは俺が案内するから、中務卿は下がっていいぞ!」
 「宮をつけなさい、失礼な!
 官位はあなたが上かもしれませんが、私は皇族で姉上の弟です!
 部外者はどうぞ、お引取りを!」
 珍しく一緒にいるかと思えば相変わらず仲が悪く、ミランダを取り合う二人の間でため息が漏れた。
 「お二人とも、宮中でも仲がよろしくないのですか?」
 改めて言われると気まずくなって、二人は途端におとなしくなる。
 「私・・・ろくに事情もわからずに参りまして、とても・・・困っているんです。
 今日中に出仕しなければいけないというのは、どういうことなんですか?」
 「それは・・・」
 「姉上、まずは奥へいらしてください。
 温明殿で尚侍が待っておりますので、ご案内いたします」
 口ごもったリーバーを押しのけて、ハワードがミランダの手を取った。
 「おい、先に主上に・・・」
 「尚侍が先ですよ。
 あの方でしたら『宮中の誰にも』遠慮なく話を通せますから、その方が早いでしょう」
 『宮中の誰にも』と言う言葉に、リーバーも少し考えてから頷く。
 「さv 参りましょう、姉上v
 尚侍も女王ですから、どうぞご遠慮なくなんでもご相談されてくださいv
 臣下では言いにくいことも言ってくださいますからね、臣下ではできないことでも。この臣下が」
 「いちいち蔑むなっつーんだ!!」
 肩越し、睨んでくるハワードにリーバーが舌打ちした。
 「臣下にだって頼りになる奴は大勢・・・そうだ、ミランダ。
 尚侍もだが、典侍(ないしのすけ)もかなり頼りになるぞ。
 尚侍よりも自由に動ける分、何かあったら彼女に頼めば大抵のことはやってくれる」
 「典侍・・・ですか・・・」
 傍らに立った夫を見上げ、ミランダは小首を傾げる。
 「でも・・・典侍は帝の乳母様が戴くお役職では?
 そんなお年上の方を・・・」
 「あたし、乳母じゃありませんわ!」
 突然渡殿の向こうで大声が上がって、ミランダが目を丸くした。
 と、元日らしく華やかな十二単を纏った女官が、重い衣装をものともせずにさくさくと歩み寄ってくる。
 明るい色の髪が日を弾いて、若く自信に満ちた表情をより輝かせていた。
 「あの・・・?」
 既に気圧されたミランダが歩を下げようとすると、彼女はにこりと気さくな笑みを浮かべる。
 その時初めて、ミランダは彼女が扇で顔を覆っていないことに気づいた。
 ―――― 宮中のしきたりなのかしら・・・?!
 身分の高い女性が男に顔をさらすなどありえないと思っていたミランダは、すっかりうろたえて言葉も出ない。
 が、それを始めての場所で戸惑っているのだと思った典侍は、親しげにミランダの手を取った。
 「はじめまして、ミランダ様!
 あたし、典侍の位を賜っております、エミリアと申しますわv
 もちろん、帝の乳母なんかじゃありません。
 イイ男探そうと思って宮仕えしたんですけど、内侍司(ないしのつかさ)の仕事が面白くってがんばってたら、尚侍に気に入られちゃって典侍に出世しちゃったんですv
 あ、もしかしてタイミングが合ったら、次の次くらいの帝の乳母にはなるかもしれないけど!」
 いたずらっぽくウィンクした彼女の、あまりにあけっぴろげな言い様にミランダはすっかり気を飲まれて、頷くこともできない。
 固まってしまった彼女に、なにを勘違いしたのかエミリアは、明るい笑声をあげた。
 「初めて家を出られたんなら、不安で一杯でしょうけど大丈夫ですよ!
 宮様のやることは、我侭な姪っ子?姪っ子になるんですっけ?
 まぁいいわ、我侭な子供のお世話ですから!
 一緒に遊んであげてくださいv
 その他のフォローはあたし達がやりますんで、何でも言ってくださいね!
 そゆわけでよろしくーv
 握った手をぶんぶんと振り回されて、ミランダはわけもわからずがくがくと頷く。
 「じゃ!後はあたしが引き受けますんで、お二人は宴に戻っていいですよ。
 特に大納言、あなたが抜けるのってちょっとまずいですから、とっとと戻ってください」
 「そうです、とっとと戻りなさい」
 エミリアの尻馬に乗って笑うハワードをムッと睨んで、リーバーは彼の襟首を掴んだ。
 「じゃ、俺ら戻るんで、後はよろしく頼む」
 「えぇっ?!」
 不安げなミランダと不満げなハワードの両方が、そっくりな声をあげる。
 と、ミランダに頷いたリーバーが、エミリアへ真剣な顔を寄せた。
 「さっきも言ったが、くれぐれも・・・」
 「えぇ、前齋院にはご遠慮願いますから」
 任せろと、豊かな胸を張った彼女にも頷く。
 「ミランダ、宴が終わったらすぐに会いに行く。
 それまで、尚侍から詳しい事情を聞いていてくれ」
 「・・・はい」
 夫の真剣な顔に、全て取り計らってくれているのだと確信したミランダが、ようやく頷いた。


 「やれやれ、やっと行った!」
 ミランダが納得した後も、四の五のぬかして残ろうとしたハワードが、リーバーに引きずられて行ってしまうと、エミリアは苦笑して肩をすくめた。
 「よほど大切にされているのね、ミランダ様?」
 クスクスと笑う彼女に、ミランダは肩を落とす。
 「私が・・・あまりに頼りないから、周りが心配するんです・・・・・・」
 ため息混じりに言うと、ミランダに歩調を合わせていたエミリアが、不思議そうに首を傾げた。
 「聞いていた話と違いますわね」
 「話?
 あの・・・どなたから?」
 まさか、と表情を硬くしたミランダに、エミリアは予想通りの名を言う。
 「前齋院様ですわ」
 「・・・ど・・・どういう話を・・・・・・」
 真っ青になって震える彼女を訝しく思いながらも、エミリアは奥へと進みながら顎に指を当てた。
 「えぇと・・・巫女の霊力としては、前齋院や前斎宮どころか、今、賀茂や伊勢にいらっしゃる齋院や斎宮に勝る力をお持ちだとか。
 修行を積んだ僧でも得られないほど強大な力をお持ちなのに、臣下と結婚などしてせっかくのチャンスを潰したとか。
 ミランダ様が齋院か斎宮になられていたら、その間は国に一切の災厄が起こらなかったはずだとか」
 「なんでそんな・・・私、そんな力なんてありません・・・!!」
 「えー?でも・・・」
 必死に首を振るミランダに、エミリアが首を傾げる。
 「宮家に落ちたはずの雷が消えてしまったとか、河が氾濫したのに宮家の近くでいきなり流れが変わったとか、押し入ろうとした夜盗がどうやっても門を抜けられずに諦めたとか、そんな不思議な話は色んな所からいくつも聞いてますわ。
 それは必ず、ミランダ様がいらっしゃる間のことだって」
 「し・・・知りませんよ・・・!
 それに、私は今まで家を出たことがないのですから、いて当たり前です・・・!」
 とは言ったものの、ミランダは頭の隅で、女房が言ったことを思い出していた。
 『何度も見た』と、妙に真剣な顔で言っていたのはもしや・・・。
 「まぁ、あたしも最初は疑ってたんですけどね。迷信だろうって。
 でも、実際に式神を操って鬼退治なんかしちゃう前齋院のおっしゃることでしょう?
 今ではあの方のおっしゃることを信じないわけにも行かなくて。
 さ、どうぞ」
 苦笑して、エミリアは御簾の上げられた局にミランダを誘い入れた。
 そこでは尚侍らしき女性が姿勢を正し、凛として座している。
 「このような日に急ぎおいで願いまして、申し訳ございません」
 身分高い女性に恭しく迎えられ、戸惑うミランダは上座を遠慮して尚侍の前に座った。
 「あの・・・はじめまして。
 尚侍・・・ブリジットさまでいらっしゃいますか?」
 か細い声で問うと、顔をあげた尚侍が一礼する。
 「お初にお目にかかります。
 御文では何度かやり取りさせていただきましたが、わたくしがこの度、宮のお世話をさせていただくことになりましたブリジットですわ。
 どうぞよしなに」
 「こ・・・こちらこそ・・・・・・」
 笑みも浮かべず、淡々と言葉を紡ぐ尚侍に怯えて、ミランダは俯いた。
 と、尚侍は後ろへ控えたエミリアをちらりと見遣る。
 心得たエミリアは、頷いて立ち上がり、女官が捧げ持ってきた古い鏡を受け取った。
 「宮、これをご覧ください」
 エミリアがブリジットに渡した鏡を、ミランダは不思議そうに見つめる。
 随分と古いものだが、鏡とわかるのは何とか原形を留めているからで、緑青の浮いた青銅器は焼け焦げた上にその大部分が変形していた。
 「あの・・・これは・・・?」
 首を傾げたミランダに、ブリジットが真面目な顔で頷く。
 「神代から伝わる鏡・・・賢所に安置してある神鏡ですわ」
 「これが・・・・・・」
 話には聞いていたが、宮中にはやはりあるのだなと妙に感心して、ミランダは訝しげにブリジットを見遣った。
 「あの・・・これがなにか・・・?」
 元日の神事に使わなくていいのだろうかと、気を回すミランダにブリジットが、神鏡を差し出す。
 「お持ちいただけますか?」
 「私が・・・ですか?!
 そんな、もったいない・・・!」
 落としでもしたら大変だと、うろたえるミランダへブリジットが膝を進めた。
 「お願いでございます」
 「で・・・でも・・・・・・・・・はい・・・・・・」
 真剣な目を向けられては断ることもできず、ミランダはそっと神鏡を受け取る。
 彼女の手が触れた途端、ブリジットやエミリアだけでなく、女官達が息を詰めて見つめるのがわかったが、当然ながら何も起こらなかった。
 「あ・・・あの・・・?」
 わけがわからず、しかし、彼女らを落胆させたらしいことには気づいて、ミランダが困惑げな目を向ける。
 と、
 「いえ・・・申し訳ありません。
 期待をしすぎて、冷静さを失ってしまいましたわ」
 ふっと吐息して、ブリジットが乗り出していた身を戻した。
 何のことかと問う前に、エミリアが笑声をあげる。
 「あたしもうっかり期待しちゃいましたけど、そりゃそうですよねー。
 持っただけで、このサビまくった古い鏡が新品同然になるとかありませんって!」
 彼女の明るい言い回しに、消沈していた場から笑い声が起きた。
 「尚侍、ミランダ様が困ってらっしゃいますわ。
 神鏡、お預かりしますね」
 ミランダから神鏡を受け取ったエミリアが、女官達を連れて出て行く。
 人払いをしてくれたのだと気づいたミランダに、ブリジットが初めて微笑んだ。
 「・・・勝手に騒ぎまして、申し訳ありません。
 最初からご説明しますわ」
 そう言ってから少し、考え込んだ彼女は頷いて口を開く。
 「前式部卿宮・・・宮のお父上が、常々おっしゃっていました。
 我が姫の力は大したものだと。
 齋院か斎宮になれば、きっと国から災厄は取り除かれるが・・・おそらく、その任に堪えられるほどには心が強くないと。
 代替わりまで持たないどころか、最高位の巫女が治世半ばで亡くなるようなことがあれば、堰きとめていた災厄が一気に押し寄せかねないから、できれば姫には普通の結婚をさせて、娘が産まれればその子に託した方が安全だと」
 「お父様がそのような・・・」
 初めて聞いた話に、息を飲んだミランダへ、尚侍は頷いて続けた。
 「それに反対されたのが、前齋院ですわ。
 大した力を持っているのはわかっている。
 ならば、齋院か斎宮として勤めるのが皇族の役目であると。
 任に堪えられないと言うのなら、自分が補佐するから是非に齋院にさせろと、とても熱心におっしゃってました。
 ですが、いつもは穏やかな前式部卿宮が頑として譲らず、宮の婿も決めておしまいになり、前齋院は渋々引き下がられたのですわ。
 その後、諦めきれずに直接お話を持って行かれたと聞きましたが・・・」
 「はい・・・。
 私からお断りしました・・・」
 怯えて声を掠れさせるミランダに尚侍が苦笑する。
 「未婚が条件ですから、既にご資格はないものかと。
 ここから連れ出される事はありえませんから、ご安心ください」
 「は・・・はい!」
 思っていたことを見抜かれて、ミランダは飛び上がらんばかりに驚いた。
 尚侍こそ、何か大きな力を持っているのではないかと怯えるミランダに、彼女はまた口を開く。
 「その他にも、色々と信じられないような噂を聞いておりましたので、宮中では宮を、凄まじい霊力の持ち主だと噂しておりましたの。
 それこそ、触れただけで火災に遭った神鏡も元通りになるのではないかと」
 「そっ・・・そんな力、ありませんっ!!」
 「ですわよねぇ・・・」
 しかし信じてしまったと、尚侍が苦笑した。
 「迷信深い者ばかりですから、つい信じてしまいましたが、大納言はそういったことを相手にしない方ですので。
 前式部卿宮も、その点を買われたのでしょうね」
 帝の寵臣だからと言う理由だけでなく、彼ならばミランダに妙な先入観を持ったりはしないだろうと言う理由で、婿に選んだようだ。
 「ですが、その大納言ですら、本日賜った暦には唖然となさいました。
 弟君の中務卿宮も、最初に宮の干支を嵌め込んだそうなのですが、共に・・・出仕は本日が最適であり、次の吉日はないと出ましたの」
 「はぁ・・・それならそれで・・・」
 出仕をしなくて済む、いい理由になったのにと、ミランダがため息をついた。
 しかし、
 「それだけではありませんわ」
 尚侍が、膝を進めて声を落とす。
 「お二人がそのことをご報告された後、主上が陰陽司に命じて、主上にのみ献上される暦で占わせたところ・・・この件は宮お一人のことではなく、宮が本日出仕なさらなければ国に災厄が降りかかると、そう出たそうなのです」
 「まさか・・・」
 冗談だろう、と言ってしまうには、尚侍の表情は真剣すぎた。
 「そのため、宮には急ぎ出仕していただきました。
 必要なものはこちらで手配いたしますし、お邸から取り寄せたいものがあれば、なんでもおっしゃってくださいませ。
 女房も今回は特例として、ご自身の側仕えを何人でも宮中に入れていただいて構いません。
 ご自宅にいらっしゃるのと同じく、こちらでお過ごしくださいませ」
 そのために力を尽くすと断言してくれた尚侍に、ミランダは無言で頷く。
 「では、早速取り計らいましょう。
 典侍!」
 呼ばれるや、すぐにエミリアが顔を出した。
 「宮を局へ。
 お気に召さなければ、お好きな所へお渡りいただいてください」
 「はい。
 どうぞ、ミランダ様」
 「はい・・・」
 エミリアに続いて立ち上がり、ミランダはわけがわからないままに彼女の後ろに従う。
 「こちらですよ」
 案内された局は、美しい庭を見渡せるとてもいい部屋で、宣陽門の近くにある温明殿にしては、とても静かな場所だった。
 「大納言と中務卿宮から、騒がしいのが苦手だと聞いてましたから。
 その上、前齋院がお越しになりにくい場所で、公達が寄り付けない場所、だけど大納言と中務卿宮だけは出入りがしやすいように、って・・・あの二人が騒がしいんですけどね!」
 ケラケラと笑うエミリアに、ミランダは肩を狭める。
 「ごめんなさい・・・二人に悪気はないんです。
 私が・・・出仕を渋ったので・・・・・・」
 「あぁ、気にしないでくださいね!
 ミランダ様が快適に過ごせるようにしろっていうのは、尚侍の命令でもありますから!」
 尚侍の命令を遂行するのが自分の仕事だと、エミリアは誇らしげに胸を張った。
 「では、お菓子でもお持ちしますね!
 宴の最中ですから、色々と珍しいものがあるんですよv
 女官に命じて給仕をさせたエミリアが、庭の向こうを指す。
 「ここからはよく見えませんけど、梨壺はあちらです。
 明日には、女東宮にご挨拶なさってくださいね」
 今日は自分が相手をすると、おしゃべりな彼女にミランダは、少しだけ緊張を解いて微かに笑みを浮かべた。


 その頃、東宮が住まう梨壺では、女東宮とその随身達が、火鉢を囲んで餅を焼いていた。
 「・・・と、言うわけで今、温明殿には噂の超能力姫がいるんだよ」
 ひそひそと囁いた女東宮に、餅を咥えた四位少将(しいのしょうしょう)が何度も頷く。
 「会って見たいですねぇ、噂の姫宮。
 前の鬼騒動の時だって、あの家には寄り付きもできなかったんでしょ?」
 「前齋院が詰め寄っても頑として齋院になるのを拒んだ、頑固者だそうだぜ。
 きっと、前齋院より気の強い、鬼みたいな女なんだろうよ」
 珍しく話しに乗ってきた頭中将(とうのちゅうじょう)の傍らで、蔵人(くろうど)が首を振った。
 「逆逆!
 物凄く気の弱い、繊細なひとだって、弟の中務卿宮が言ってるさ。
 優しくて怖がりだから、齋院なんて大事な役目は果たせないって、固辞したってのがホントらしい。
 でも、すごい力を持ってるっぽいっつーのは、ウチのジジィも言ってたかんね。
 鬼を寄せ付けなかったり、盗賊が侵入できなかったってのはホントかも」
 あちち、と、焼いたばかりの餅を手の上で弾いていると、横から四位少将に攫われる。
 「ちょ・・・!
 なにすんさ、アレン!
 お前もう10個も食ってんだろ!
 いい加減、俺にも寄越すさ!」
 「ヤダー。お腹すくんだもん」
 「てめっ・・・!」
 取り返そうと手を伸ばす蔵人に、女東宮が箸でつまんだ餅を差し出した。
 「ホラ、ケンカしないんだよ、二人とも。
 ラビ、もう一個はい」
 「さんきゅv
 やっぱ優しいさ、リナリーはv
 女東宮の名を遠慮なしに呼んだ彼を、頭中将が睨む。
 「・・・そんな睨まんでもいいじゃん、ユウ。
 名前でいいっつーのはリナが言ってんだし・・・」
 「うん、いいんだよ。ここでだけだけどね」
 にこにこと笑って、女東宮は頭中将へも餅を差し出すが、それは遠慮されてしまった。
 仕方なく、受け取ってもらえなかった餅を頬張った女東宮の代わりに、頭中将が口を開く。
 「さっきの・・・本当だぜ。
 前齋院だけでなく、右大将も言ってたからな」
 「さっきのって・・・」
 「鬼や盗賊が入れなかった、って話?」
 蔵人と女東宮に興味津々と見つめられた頭中将が頷いた。
 「鬼は、前齋院の式神ですら入れない、強固な守りが利いているから絶対に無理だと言っていたし、盗賊は右衛門府が捕らえた奴らの証言を右大将が直接聞いたらしい。
 なんでも、宮家に押し入ろうと塀をよじ登ったはずが、降りると塀の外側・・・ついさっきまで自分達がいた場所だったそうだ。
 何度試しても入ることができず、あまりに恐ろしくて気の触れた者もいたらしい」
 「へぇー・・・。
 じゃあ、僕もお傍に寄れないのかな?」
 何気なく言った四位少将を・・・正しくはその左腕を、皆が複雑な目で見つめる。
 彼は去年春先の鬼退治の際に、生身の左腕を鬼に喰われてしまい、代わりに退治した鬼の腕を前齋院によって移植されていた。
 「試して・・・見る?」
 そっと囁いた女東宮を、頭中将が睨む。
 「元日くらい、おとなしくできないのか?」
 「なによ、今日のお役目は終わったもん。
 私の本番は明日だもん」
 だからみんなとここで餅を食べているのだと、女東宮が餅のように膨れた。
 「リナリーが行くんなら、当然お供しますよ。
 僕、随身ですしv
 にこにこと笑った四位少将に、女東宮が苦笑する。
 「ご・・・ゴメンね、私がアレン君達を梨壺に転属させちゃったから・・・みんな秋の除目(じもく)で出世できなかったんだよね・・・」
 本当なら鬼退治の功績で、真っ先に昇進が約束されるはずの三人だったが、女東宮が是非にと梨壺への転属を願ったため、妹大事の帝を怒らせてしまい、『昇進か転属かどちらかを選べ』と迫られたのだった。
 しかし、
 「いいんですよ。
 長い目で見れば、女東宮についていた方が出世できると思いますしv
 「俺は出世なんぞ興味ねぇし」
 「ウチは出世関係ないしv
 と、三人が三人とも、気にも留めていない。
 「今度の春の除目も、梨壺から出ないんだったら出世させないからね!って言われちゃいましたけど、主上のことですもん、今、下手に出世しちゃったら、地方の危険なお役に就かされて、二度と都に戻って来れなくなりますからね」
 「お、よくわかってんじゃないさv
 さすがにアレンは腹黒いさねv
 蔵人につつかれた四位少将がぷくっと頬を膨らませた。
 「腹黒いってゆーんなら神田でしょ!
 出世に興味がないなんて、将来は前齋院様や右大将様に保障されてるから安心だって知っててゆってんですから!
 皇族の位を捨てて臣下に降ってからは、出世街道まっしぐらですね!」
 べぇ!と舌を出した瞬間にげんこつを落とされて、思いっきり舌を噛んでしまった四位少将がもんどりうつ。
 「アレン君!」
 「あにふんら、乱暴者ー!」
 ぴぃぴぃと泣く四位少将に鼻を鳴らして、頭中将は腰を上げた。
 「神田?」
 「止めてもどうせ行くんだろ?
 早く着替えたらどうだ?」
 「うんっ!!」
 喜び勇んだ女東宮は、久しぶりに着た十二単の正装だということも忘れて立ち上がり、重さに引かれてひっくり返る。
 「あーあー。
 なにやってんさ、リナは!」
 「だ・・・大丈夫ですか?」
 蔵人と四位少将に両脇を支えられて、何とか起き上がった女東宮が、顔を真っ赤にして頷いた。
 「が・・・がんばって・・・着替えてくるよ・・・!」
 重すぎる衣装をずりずりと引きずって出て行く彼女を、三人は呆れ顔で見送る。
 「あれ、20kgくらいあるもんなぁ・・・」
 「大変ですね、か弱い女の人なのに・・・」
 同情しきりの蔵人と四位少将に、しかし、頭中将は鼻を鳴らした。
 「あの重さを着て歩くんだぜ?か弱いわけねぇだろ」
 「あー・・・言われてみれば・・・」
 「その通りですけど、それは気づかない振りしてあげましょうよ」
 デリカシーがないなぁと呆れられ、頭中将は肩をすくめる。
 「前齋院や、典侍をいつも見てりゃあな」
 それを言われては、彼らも納得するしかなかった。
 なんとなく無言になった彼らが、暇つぶしに碁など始めてしばらく経ってから、ぱたぱたと軽い足音が駆けて来る。
 「おまたせっ!!」
 女童(めのわらわ)姿の女東宮が、御簾を払って駆け込んできた。
 「あれ?いつもの童姿じゃないんですね」
 四位少将が不思議そうに首を傾げると、女東宮は大きく頷く。
 「男の子の格好だったら、姫宮に会わせてもらえないかもでしょ?
 だから、側仕えの女童から借りてきちゃったv
 「そりゃ、困ったろうな」
 後で叱られなければいいが、と、意外な気遣いを見せる頭中将に、女東宮がにこりと笑う。
 「私がいいってゆったんだもん!
 叱られるなら私だよ!」
 そして、この正月三日の間は、余程のことがない限り、怖い命婦も大目に見てくれることを知っていた。
 「さ!いこ!」
 真っ先に駆け出した女東宮を、三人が慌てて追う。
 騒がしい四人に、すれ違った女官達が思わず顔をしかめるが、童姿の時ならばともかく、女童姿ではすぐに女東宮だと気づいて慌てて道を空けた。
 そのまま誰にも咎められることなく温明殿に入り、女官達に堂々とミランダの居場所を聞いて局へ駆けて行く。
 「お邪魔しますっ!」
 さすがに御簾の外で立ち止まった三人を置いて局に入った女東宮に、驚いたミランダが絶句した。
 「あ・・・あの・・・?」
 困惑する彼女の傍らで、典侍が苦笑する。
 「女東宮、お会いするのは明日のはずでしょ。
 叔母様が驚いてらっしゃいますよ」
 「にょ・・・女東宮であらせられますか・・・!」
 ようやく発せられた声はか細く、御簾の外で聞き耳を立てていた三人には全く聞こえなかった。
 衣擦れの音も、普段聞く女官達のそれのようにははっきりせず、身動きしたのかさえよくわからない。
 しかし、さすがに上座は譲ったのだろう、女東宮が座る気配がした。
 「はじめまして、叔母様v
 宮中に上がられたって聞いて、お会いしに来ました!
 リナリーです、よろしくv
 「お・・・恐れ入ります・・・・・・」
 こうべを垂れたまま、扇で口元を覆った彼女の声は、近くにいるはずの女東宮にもほとんど聞こえない。
 「あのー・・・?」
 長い長い沈黙に、女東宮がとうとう痺れを切らした。
 「お名前は?」
 「ミ・・・ミランダ・・・です・・・」
 今にも泣き出しそうな震え声に、女東宮は自分が悪いことでもしたような気になる。
 困り果てて典侍を見ると、彼女はにこにこと笑って取り成してくれた。
 「そうかしこまらなくて大丈夫ですよ、ミランダ様v
 このおてんば様をどうにかして欲しいって言うのが、主上の希望なんですから!
 もう、命婦なんか叱りすぎて声が嗄れちゃったとかで、お気の毒なんですv
 「エ・・・エミリア!そういうことは・・・!」
 黙っていて欲しいと、口に指を当てる女東宮に、典侍はケラケラと笑う。
 「ミランダ様は、大威張りでこのおてんば様を叱りつけてやってくださいなv
 今日は女童姿ですけど、いつもは男の子の格好で駆け回って、鞠なんか蹴ってるんですよ。
 外の子達とつるんでね!」
 そう言って御簾の外を睨むと、耳を寄せていた影が慌てて引っ込んだ。
 「ちょっとあんた達!
 そうやって聞き耳立てて、ホント行儀が悪いわね!
 尚侍に見つかったら出入り禁止にされるわよ!」
 言ってやると、二人から押し出された頭中将が仕方なく御簾の外に座る。
 「お初にお目にかかる、宮。
 頭中将を拝命しております、神田と申す。
 以後お見知りおきを」
 凛と姿勢を正し、挨拶した彼に続いて、四位中将と蔵人も名乗った。
 「三人とも、私の側に仕えてくれているの」
 「イタズラ仲間でしょ」
 女東宮の言葉を混ぜっ返して、典侍が愉快げに笑う。
 「うるさくて申し訳ありません、ミランダ様。
 でも、悪い子達じゃありませんから、妙なことしたら叱ってやってください」
 「は・・・はぁ・・・・・・」
 呆気に取られて、曖昧な返事をするミランダを、女東宮が不思議そうに見つめた。
 「あの・・・?」
 なぜじっと見つめられるのだろうと、困惑するミランダへ、女東宮が首を傾げる。
 「すっごい超能力を持った姫だって聞いていたけど、普通なんだね。
 ううん、普通より気弱に見えるかな。
 本当に鬼も追い払うくらい、すごい力を持ってるの?」
 単刀直入に聞いて来た女東宮に、ミランダは唖然とした。
 そんな噂があったことすら、今日初めて知ったのに、本当かどうか問われてもなんと答えればいいのかすらわからない。
 困り果てて声もない彼女にしかし、女東宮は膝を進めた。
 「今日中に来てくれないと災厄がっ・・・きゃんっ!!」
 いきなり地面が沈んだような衝撃が来て、腰を浮かしていた女東宮が転がる。
 「リナ・・・!」
 御簾を払って駆け込んできた三人が、女東宮を守るように囲んで彼女を庭へ出した。
 「エミリア!宮をつれて早く出て来い!」
 未だ揺れる屋内にいては危ないと、頭中将が声を掛ける。
 「これ・・・地震ですか?!」
 「それにしちゃ変さ・・・なんだか」
 言いかけた蔵人が、賢所の方へ向けた目を見開いた。
 「なんさ・・・あれ・・・・・・!」
 彼の指す先を見遣った途端、皆が絶句する。
 そこには、身の丈が屋根をも超える鬼が何匹も集って、逃げ惑う女官達を捕まえようと手を伸ばし、足を踏み鳴らしていた。
 「ひっ・・・!」
 あまりの恐ろしさに、失神しそうになったミランダを典侍が揺すり起こす。
 「ここで目を回したら食い殺されますわよ!!」
 大声で言うや、頭中将を見遣った。
 「任せていいのよね?」
 「無論だ」
 落ち着いた声で頷き、駆け出した頭中将に四位少将と蔵人も続き、女東宮までもが歩を踏み出す。
 「こら!おてんば様!!あなたはダメ!!」
 典侍が驚いて声をかけるが、女東宮は肩越しに舌を出した。
 「私、そんな名前じゃないもんっ!」
 「コラー!女東宮!!
 誰か!!女東宮をお止め申せ!!」
 慌てて声を張り上げたものの、侍達は鬼退治と女官の救出に手を取られて、勝手に飛び込んで来た女東宮の捕獲にまで手が回らない。
 「あんの・・・おてんば様はー!!!!」
 とりあえず、ミランダを安全な場所に連れて行ってから自分が追おうと、綾綺殿へ渡ろうとした所で大納言と中務卿宮が駆けつけて来た。
 「ミランダ!!」
 「姉上!!!!」
 真っ青になって、ろくに歩けもしなかったミランダは、夫と弟の顔を見るや、ホッとしてへたり込む。
 「あ・・・あなた・・・ハワードさん・・・・・・」
 「いい所に来てくださったわ!
 宮は預けますので、後はよろしく!
 あたしは女東宮を連れ戻さないと!」
 言うや裳(も)を解き、襲(かさね)を脱ぎ捨てて袿(うちぎ)姿になった典侍が猛然と駆け出した。
 「なんと言う・・・!」
 男の前で下着姿になるなどと、呆れて顔を赤める中務卿宮を、大納言が睨む。
 「こんな非常時にくだらんこと言うな!
 あんなに重い衣装を着てちゃ、逃げられもしない」
 言うや、大納言は怯えるあまりものも言えないミランダの裳を解き、襲を引き抜いて抱き上げた。
 「貴様姉上になにをするか!!」
 「逃げるが先だ!!」
 怒鳴り返して駆け出した大納言が綾綺殿を抜けようとすると、途中で賢所から逃げて来たらしい女官達と合流する。
 「尚侍!」
 声をかけると、やはり身軽な袿姿になった尚侍が駆け寄って来た。
 「中務卿宮!申し訳ありませんが、これを・・・わたくしより、足がお早いでしょうから」
 蒼褪めながらもいつも通りの冷静さで、尚侍は神鏡を差し出す。
 「鬼どもの狙いはおそらく、これですわ・・・!
 以前も、これを狙って宮中に・・・っ!!」
 尚侍の予想は当たったらしく、打ち割った屋根から鬼の目が覗いた。
 「きゃあ!!」
 頭上に降り注ぐ木片からは、覆いかぶさった夫の身に守られたが、鬼と目が合ってしまったミランダが悲鳴をあげる。
 と、その声に引かれるように、鬼が巨大な手を伸ばして来た。
 「姉上!!」
 とっさに身を投げ出した中務卿宮が、鬼の爪にかかって引き倒される。
 「ハワードさん!!!!」
 悲鳴じみた声をあげて、倒れた弟にいざり寄ったミランダが、彼が抱えた神鏡に手を掛けた。
 途端。
 「ひっ・・・!!」
 神鏡から眩い光が溢れ、鬼の手を引かせた。
 それだけでなく、破れた屋根から溢れ出す光に触れた鬼達が、この世のものとは思えない絶叫を放って消えていく。
 「・・・っ宮!!
 その神鏡を持って、外に出てくださいませ!」
 我に返った尚侍の言葉に、呆然として動けないミランダを、大納言が抱き上げて庭へ連れ出した。
 彼女の手に持たせまま、光の柱を上げる神鏡を鬼へ向けさせると、既に逃げようとした鬼達までもが光に打たれ、悶絶して掻き消える。
 「これは・・・とんでもない追儺(ついな)だな・・・・・・」
 自身の腕の中にいる妻の本当の力と言うものを初めて目の当たりにし、大納言が声を引き攣らせた。
 「あ・・・あなた・・・・・・」
 同じく引き攣った声をあげて、ミランダは自身の震える指先が、白くなるほどに握り締めた神鏡を見つめる。
 鬼を消した光が徐々に収まっていくにつれ、神鏡の形にまで変化が現れていた。
 緑青が浮いて変形していたはずのそれは、今作られたばかりのように輝き、艶やかにミランダの姿を写している。
 「あぁ・・・やはり・・・・・・!」
 感極まった声を呆然と見遣れば、埃にまみれた顔に笑みを浮かべ、尚侍が歩み寄って来た。
 「宮のお力は本当だったのですね・・・!
 ただ、災厄に対してのみ振舞われるものだったのですわ・・・!」
 占いも本当だったと、手を合わせる尚侍に続き、彼女らを取り囲んでいた女官や侍達までもが手を合わせ、跪く。
 「や・・・やめてください・・・!
 わっ・・・私、そんな・・・!!」
 力はない、とはしかし、ミランダ自身も言えなかった。
 それを言うには今、自身の手の中で起こった事実が大きすぎる。
 「ホントに・・・すっごい超能力姫だったんだね」
 玉砂利を踏んで歩み寄って来た女東宮も、その力に目を丸くした。
 何より、この恐ろしく厳格な尚侍を跪かせてしまったことに驚く。
 「ねぇ・・・結婚しててもさ、ミランダならなれるんじゃないかな、齋院か斎宮に」
 これだけ強い力を持っているのだから、原則など簡単に壊せるだろうと言った彼女に、尚侍があっさりと頷いた。
 「未婚が条件ではありますけど、宮のお力ならばきっと・・・えぇ、誰もが認めると思いますわ」
 「そ・・・そんな・・・!」
 自分を置いて、勝手に話を進める二人に困り果て、ミランダは夫を見上げる。
 と、彼は悲しげな目で彼女を見つめていた。
 「俺が・・・独り占めにしていい方ではないのかもしれない・・・」
 「・・・っ!」
 いきなり突き放された気がして、ミランダは声を失う。
 弱々しく首を振るが、何よりも国を大事に思う夫は、彼女から目を逸らした。
 「あなた・・・!」
 人目があることも忘れ、夫に泣き縋るミランダを、女東宮が気遣わしげに見つめるが、彼女も国を支える者だけに、あの力を埋もれさせるわけには行かないと思う。
 「ミランダ・・・申し訳ないけど、家に帰るのは諦めて」
 「っ!」
 その命令に、ミランダは愕然と声を失くした。


 「だから言ったのだ、あの宮の力は規格外だと!
 齋院か斎宮になるべきだと言ったのに、前式部卿宮め・・・」
 賢所の女官から報告を受けた帝の傍らで、前齋院がため息をついた。
 「主上、改めて奏上し奉る。
 宮の結婚をなかったこととし、宮を齋院か斎宮に立てられよ。
 ・・・そうだな、齋院がいいと思う。
 伊勢は遠いし、気弱な宮は一人に耐えられぬだろうから、まずは齋院として、祭事に慣れていただこう」
 既に決定として話す前齋院に、右大将が渋い顔をする。
 「勝手に決めるな、クラウド。
 俺もあいつのことは知っているが、前式部卿宮に賛成だ。
 重責を果たせるほど強い女じゃない。お前と違ってぇぶっ!!」
 瓶子(へいし)で強か打ってやった右大将を、前齋院は冷たく見下ろした。
 「お前は黙ってろ、ソカロ。
 神事に口を挟むな」
 言って、帝を鋭く見遣る。
 「決断召されよ」
 詰め寄られた帝はしかし、難しげな顔をして、しばし無言だった。


 決定は後日とされ、ミランダは改めて桐壺を賜ることとなった。
 鮮烈な宮中デビューを飾った彼女の元へは、鬼の手から救われた女官達だけでなく、噂を聞きつけた女官達までもが次々と挨拶に訪れる。
 が、すっかり塞ぎこんでしまった彼女は誰とも会おうとはせず、奥に篭ったままだった。
 気を遣った尚侍がそっとしておくよう命じたため、騒ぎは収まったものの、霊験あらたかな姫の姿が少しでも見えないかと、無遠慮な公達が遅くまで桐壺の周りをうろついて、騒がしいことこの上ない。
 それが堪えたのか、ミランダは翌日、本来の目的のはずだった東宮の宴にも顔を出せないほど憔悴してしまった。
 それにはさすがの女東宮も心配になったらしい。
 自身の言葉が原因かもしれないと気にした彼女は、行事が終わった後に自ら足を運んだ。
 「あの・・・ミランダ、大丈夫・・・?」
 女東宮の来訪には、さすがに奥から出て来たものの、泣き腫らした目は俯いたまま周りも見えず、嗄れ果てた声は喉の奥に詰まって出てきそうにもない。
 気の弱い姫だとは聞いていたが、彼女のか弱さは女東宮の想像以上で、たった一日で酷く憔悴してしまっていた。
 「その・・・おうちに帰さないなんて言って、ごめんなさい・・・。
 そんなに泣かせるつもりなんかなかったんだ・・・。
 ただ、本当に・・・すごい力だったから、国のために・・・ね・・・」
 ミランダの様子を伺いながら、言いにくそうに呟く女東宮に、彼女は懸命に首を振る。
 あんなのはなにかの間違いだ、自分の力なんかじゃないと言いたかったが、息が詰まって声が出なかった。
 そのうちに胸が苦しくなったミランダは、扇を取り落とし、胸を押さえて倒れこむ。
 「ミッ・・・ミランダ!!
 誰か!誰かある!!
 宮がお倒れに!!」
 女東宮の声にわらわらと集まって来た女官達が、ミランダを横たえて典医を呼びに走った。
 「わ・・・私のせいかな?!私のせいだよね?!
 ごめん!ごめんね、ミランダ!
 私、困らせるつもりなんてなかったのに・・・ごめんなさい!!」
 真っ青になって縋る女東宮を女官達が丁重に引き離して、御簾の外に控える随身達へ渡す。
 「リ・・・女東宮、少し休ませて上げましょう?
 昨日はあんなにたくさんの鬼を退治されたんですから、きっとお疲れなんですよ」
 四位少将に説得された女東宮は困惑げに頷き、後ろ髪を引かれながらも梨壺へ戻った。
 おかげで桐壺はようやく静かにはなったが、ミランダの気は晴れず、消え去りたいほどに鬱々とする。
 ・・・その原因は、よくわかっていた。
 尚侍や女東宮の言葉などではなく、夫に突き放されてしまったことだ。
 誰よりも頼りにしていた夫に見捨てられたかと思うと、鬼を消したという力で自身をも消してしまいたいくらいだった。
 この桐壺に移ってから、弟は見舞いに来てくれたものの、夫は顔も出してくれない。
 このまま別れてしまうのか、二度と会えないのかと思うと、胸の苦しさが増して何度も息が止まり、その度に気を失って、側つきの女官達を慌てさせた。
 「こっ・・・このままでは、一両日中にもお隠れあそばしますわ!」
 泡を食った女官に奏上され、帝は深いため息を漏らす。
 「やっぱりね・・・思った通りだよ、リーバー君。
 前式部卿宮は人を見る目の確かな人で、自分の娘に対しても冷静に分析してらしたからね。
 前齋院は彼女の力だけを見て、国のために使えと声を荒げておられたけど、ボクは無理じゃないかなぁって思ってたんだ」
 しかし実際に見せなければ、前齋院どころか女東宮や尚侍も納得しないだろうと、試しに桐壺を与えて大納言を遠ざけてみれば、あっという間に結果が出てしまった。
 「たった一日でへばっちゃうんだもん・・・あれじゃあ、齋院も斎宮も無理だよ」
 苦笑する帝の前で、大納言は無言のまま恐縮する。
 そんな彼へ、帝は笑声をあげた。
 「仕方がない。
 奥さんはキミに返すから、早く娘を生ませて、その子を国に頂戴よ」
 冗談めかした声に、顔をあげた大納言が苦笑する。
 「娘も・・・宮の気性を受け継ぐかもしれませんが?」
 「キミの気性を受け継げば大丈夫だよ」
 妙に確信を持って、帝は扇の先を向けた。
 「さ、早く行っておあげよ。
 女官達が困ってる」
 「はい」
 一礼し、腰を上げた大納言は、部屋を出るやほとんど駆け足で桐壺へ向かう。
 案内の女官などとうに振り切って、先触れもなくミランダの伏せる間へ駆け込んだ。
 「ミランダ・・・!」
 側へ寄った大納言の膝下には、紙のような顔色のミランダが横たわっている。
 抱き起こすと、ぐったりとした彼女の呼吸は、今にも消えそうだった。
 「ミランダ!おい!!目を覚ませ!!」
 女官達が止めるのも構わず、大声で呼ぶ彼の声に、ミランダがうっすらと目を開ける。
 が、彼の姿は見えていないのか、虚ろな目は焦点も合わずに宙をさまよい、声の出ない唇が微かにわななくだけだった。
 「ミランダ・・・!」
 たった一日で、見るも無残に憔悴した妻の身体を抱き寄せ、涙に濡れた頬に頬を寄せる。
 「帝から、退出の赦しを頂いた。
 もう二度と、齋院にも斎宮にも立てようとはしないと、お約束も頂いた」
 その言葉には、女官達から失望の吐息が漏れた。
 しかしそれを無視して、大納言はミランダを抱きしめる。
 「さぁ、帰るぞ。
 ただし、お前の邸にじゃない」
 その言葉にびくりと、ミランダの身体が震えた。
 彼の声がようやく耳に届いたのか、見開いた目からまた涙が溢れ、細い指先が真っ白になるほど強く、夫の袖を握り締める。
 怯えきった彼女の耳にそっと、彼は囁いた。
 「俺の邸に・・・北の対の屋へ迎える」
 通い婿として妻の邸に通うのではなく、彼女を妻として迎え入れると言った彼に、ようやくミランダの震えが治まる。
 「あな・・・た・・・・・・」
 泣き続けた声は無残に嗄れていたが、ようやく喉に呼気が通った。
 「これからは、ずっと・・・俺が守るから」
 誰にも・・・国にも渡さないと、言い切った彼の胸にミランダが縋りつく。
 ―――― その代わり、娘は前齋院に奪われるだろうとは・・・今は言わない方がいいな・・・。
 大納言はそう、心中に呟いて、苦笑した。
 今は何より、彼女を守らなければ・・・。
 それが後々、国のためにもなるだろうと、彼は自分をも納得させて、泣きじゃくる妻の背を優しく撫でてやった。


 「・・・じゃあ、もう出仕しないってことですか、宮様は?」
 翌日、決定事項として知らされたことに、四位少将が『もったいない』と呟く。
 「宮が宮中にいてくれたら、守りは万全だったのに・・・」
 ねぇ?と小首を傾げると、蔵人が陽気に笑い出した。
 「そしたらお前ら、用済みになってお役御免じゃね?
 俺は文官だからカンケーねぇけどさv
 ケラケラと笑われて、頭中将が憮然と黙り込む。
 ・・・元日、何匹もの鬼の侵入を許した上、退治することすらできなかったことは、彼の矜持を著しく傷つけていた。
 「ま、僕らが相手にするのは鬼ばかりじゃありませんしね」
 むしろ、鬼よりも恐ろしい敵が宮中にはいるだろうと、四位少将が声を潜める。
 「お正月くらい、のんびりしたいよねぇ・・・」
 と、暢気に餅を頬張る女東宮に、四位少将はにこりと笑った。
 「リナリーがのんびりお餅を食べられるように、僕がお守りしますよv
 「俺も俺もーv
 すかさず挙手した蔵人の隣で、頭中将も頷く。
 「まぁ・・・役目だからな」
 「えへへv
 よろしくねv
 機嫌よく笑った女東宮は、忠実な随身達の手に焼けた餅を乗せ、初春の空に悲鳴をあげさせた。


 ―――― 一方、大変な正月を過ごしてしまったミランダは、新居で庭を眺めながら、ほっと吐息した。
 ここ両日の混乱が嘘のように穏やかな陽を浴びて、うとうととまどろんでいると、どこからか猫の鳴き声がする。
 ―――― どこにいるのかしら・・・。
 夢の中で手を伸ばすと、柔らかい毛並みが擦り寄って来た。
 ―――― まだ小さな・・・子猫・・・・・・。
 どんな毛色をしているのかと、ふと目を開けた彼女の手に猫の姿はなく、起き上がって視線を巡らせていると、宮中から帰ってきたらしい夫が笑って歩み寄ってくる。
 「寝ぼけてるのか?」
 「え?あら・・・・・・」
 言われてみれば、少し寝てしまっていたようだ。
 「ご・・・ごめんなさい、あなたはお仕事でしたのに・・・!」
 気恥ずかしくて俯いた彼女の頬に、彼が優しく手を添える。
 「仕方がない、今まで眠れなかったんだろう?」
 言われてみれば、何度も気を失いはしたが、年を越してからずっと眠っていなかった。
 「そうでした・・・気づきませんでしたわ・・・」
 ようやく安堵できたのだろうとミランダが苦笑すると、目を和ませた夫が傍らに座り、彼女を抱き寄せる。
 「ミランダにとっては、初夢だな。
 どんな夢だったんだ?」
 何気なく問うた彼に、ミランダは『猫が・・・』と呟いた。
 「猫?」
 「えぇ・・・子猫だと思うのですけど。
 鳴きながら寄って来て、手を伸ばすと擦り寄ってきたんです。
 どんな猫かは見えなかったけど、とても可愛らしい感じの・・・あなた?」
 急に抱きしめられて、ミランダは目を丸くする。
 「どうしました?」
 「とても・・・とてもいい夢だな。
 春から縁起がいい」
 「猫が・・・?」
 どういう意味だったろうかと、夢占の書を脳裏にめくったミランダが、はっとして腹部に手を当てた。
 「本当に・・・本当だったら・・・!」
 とても縁起のいい夢だと、夫を見上げる。
 「きっと本当だとも。
 我が妻の力は、凄まじいからな」
 確信を込めて頷いた彼の笑顔を春の陽が優しく照らし、その暖かさに庭の梅もほころび始めた。



Fin.


 










2013年ミランダさんお誕生日SSですv
前回はラストの方にちょっとしか出てこなかった超能力姫(笑)の話ですよ。
えぇ、『凄まじい超能力』と呼ばれるのは、原作でもミランダさんが巻き戻しの街でやっていたこととほぼ同じなのですが(笑)
前齋院に狙われた(笑)ミランダさんを、無事に取り戻せるまでを書きたかったのでした。
ちなみに、平安時代の結婚は男性が女性の家に婿入りする招婿婚や通い婚が主流です。
でも、例えば光源氏みたいに大金持ちの男は、邸を構えて奥さんを迎えていました。
奥さんが住まうのは邸の北で、そのために『北の方』と呼ばれてました。
女房は侍女のことね。
大昔の古典の知識で書いてますから、今では解釈が色々違っているかもしれない。
その辺は大目に見てください(笑)












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