† Time goes on †
―――― 世界が蒼く満たされた。 天も地もない場所へ伸ばした手は異様に白く、指の間に半透明の水かきが張っている。 瞬きもしない目を見開き、見下ろした身体に脚はなく、光沢のある半身の先に尾びれがついていた。 『なんで・・・?!』 驚き、開いた口から白い泡が昇る。 声はいつもより大きく聞こえて、何がなんだかわからない彼女の耳に、兄の声が届いた。 『リナリー!』 呼ばれて彼女は声の方へ身を捩る。 くるりと、意外なほど速く回転した身体にまた驚きながら、指向性のはっきりした声へと向かえば、大きな尾びれは不自由なく宙を叩いて移動した。 『兄さん!あの・・・?!』 混乱した頭のまま、とにかく事情を聞こうと兄の元へ駆けつけたが、彼は古代の遺跡らしき柱の上に腰を下ろし、ローマ人のようなトーガの下から大きな尾びれを覗かせている。 『に・・・兄さん、その格好・・・!』 唖然とした彼女に、兄は笑顔のまま小首を傾げた。 『リナリー、まだそんな子供っぽい格好をして。 今日はキミの16歳の誕生日だよ。 16歳ともなれば、人魚としては立派な大人だ。 今日はキミの成人の儀を、盛大に執り行おう!』 『はぁっ?!』 兄がなにを言っているのかわけがわからず、リナリーは辺りを見回す―――― そこはまるで、水槽の中の世界だった。 崩れ落ちた古代の神殿の周りを、色とりどりの魚達が悠然と泳ぐ。 水上からの光が届かない陰には危険な生き物が潜み、時折餌を捕らえては咀嚼する様がリナリーを怯えさせた。 『兄さん・・・! ここはどこなの?!』 涙は流れるまでもなく水中にまぎれ、兄の笑みも崩れることはない。 その上、 『リナリー、まだそんな子供っぽい格好をして。 今日はキミの16歳の誕生日だよ。 16歳ともなれば、人魚としては立派な大人だ。 今日はキミの成人の儀を、盛大に執り行おう!』 と、同じ台詞を繰り返されて、リナリーは混乱した。 しかし兄の台詞を受けて、大勢の人魚達がリナリーを囲み、どこかへ連れて行こうとする。 『なんなの・・・やめて!放して!!』 悲鳴は遠くまで届いても、水上へ出ることはなかった。 「班長・・・! ヤバイよこれ・・・!!!!」 真っ青になったキャッシュに言われるまでもなく、事態を重く見たリーバーは、眉根を寄せて執務室の扉を睨んだ。 閉ざされた部屋の中では今頃、コムイが鬼の補佐官にどやされながら仕事をしていることだろう。 「あのドアが開く前に・・・なんとかしなきゃな」 「なんとかって、どうやってっすかー!!!! これを作ったタップは・・・!」 言いかけて、ジョニーが気まずげに口を噤んだ。 必死に自分の顔色を窺うジョニーにため息をついて、キャッシュはソファに横たわるリナリーを抱き上げる。 「どこに連れてくんだ?」 「とりあえず、あたしの部屋でいいでしょ。 室長になんか聞かれたら、あたしの部屋で一緒に休憩してるうちに寝ちゃったから、ベッドで寝かせてるとでも言っておくよ。 さすがの室長も、あたしの部屋にまでは入ってこないでしょ」 「グッッッッドアイディアだよキャッシュ!!!!」 「さすが第一班の才媛!!!!」 ジジやロブに褒め称えられ、照れくさそうなキャッシュにリーバーが頷いた。 「頼む。 こっちもすぐに設計図探して、解除方法を見つけっから」 「りょーかい」 頷くやそそくさと科学班を出ようとしたところで、報告書の束を持ってやって来た神田とぶつかりそうになる。 「あ! ゴメン、神田!」 「・・・どうしたんだ、それ?」 寸前で避けた神田が、キャッシュに横抱きにされたリナリーの頭部を指した。 一見、黒いヘルメットに見えるそれにはゴーグルもついていて、黒いグラスが彼女の目を完全に覆っている。 「えーっとね・・・」 ぴちぴちと目を泳がせながら、キャッシュはリナリーを抱え直した。 「これ・・・兄貴が昔作った現実逃避用リフレッシュ装置なんだって・・・」 「タップの・・・なんだって?」 聞き慣れない言葉に眉根を寄せた神田に、キャッシュが頷く。 「つまりね、あの無間地獄から出られはしないけど、気分だけは爽快になりたいなって、かつて兄貴は考えたんだよ」 「あぁ・・・そうだろうな」 キャッシュが肩越しに見遣った科学班は、今日も爆発音をBGMに、疲労でゾンビ化した科学者達が蠢いていた。 「で、この装置なんだけど・・・ヘルメットの中には、脳波に作用して視覚と聴覚だけでなく、触覚にまで幻覚を与えるデバイスが仕込んであって・・・あぁつまりね?」 わけがわからず、不機嫌になりそうな神田へ、キャッシュが慌てて言い換える。 「これを被って寝ちゃうと、リアルな夢が見られるってことなんだよ。 内容は、兄貴が好きだった映画とか自然の風景とかお菓子に囲まれるとか・・・まぁ色々? 鳥になって空を飛んだり、魚になって海で遊ぶって言う、バーチャル体験もできる装置だったんだって」 「あぁ・・・疑似体験なら俺も・・・」 それ以上は口を噤んでしまった神田に、キャッシュは小首を傾げた。 「それでなんでそんなもんを、こいつが被ってんだ? 中に放置してたのかよ」 やや責める口調の彼に、キャッシュは首をすくめる。 「ごめん、あたしが取ってきたんだ・・・」 リナリーをまた抱え直して、キャッシュはため息をついた。 「さっき、ヘルメットが必要な作業をしなきゃだったんだけど、あたしの頭に合うサイズがここになかったから、兄貴の遺品から持って来たんだよ。普通のヘルメットだと思ってさ。 そしたらこれを見た途端、ジョニーが慌てて『これヘルメットじゃないから!』って取り上げたんだ」 嫌な予感がして問いただすと、『リフレッシュしすぎて現実に戻って来れなくなる、とても危険なものだ』と言われたそうだ。 「それは・・・無理もねぇんじゃねぇか?」 素晴らしいバーチャル空間から戻って来るには、ここの現実は厳しすぎた。 「うん。 その上ね、もう何年も動かしてないもんだから、どんな不具合があるかわかんないって。 まぁ・・・あたしもさ、兄貴とは言えここの科学者が作った物なんか、被る勇気がなかったから、ソファに放置して他のヘルメットをなんとか頭に押し込んだんだよ」 そうして作業を進めていると、鬼の補佐官によって兄の執務室から追い出されたリナリーが拗ねまくって寄って来たのだ。 しかしその時は誰もが忙しく、構ってやらずにいると、ふてくされてリフレッシュ装置を弄りだした・・・ことに誰も気づかなかった。 だが、さすがにリーバーはこの異常な環境に慣れきっているせいか、リナリーがおとなしい事を訝しんだらしい。 部下に作業を任せて探し出した時には、既にヘルメットを被っていた。 「なんでそんな危険なもんにこいつを近づけんだよ! 子供の前に置いてたら弄るに決まってんだろ!」 「あたしもまさか、ここまで分別のないコだなんて思ってなかったよ・・・」 好奇心旺盛なのは血筋か、触るなと言われると触りたくなる性分らしい。 リーバーに『今すぐ脱げ!』と命令された途端、被ったままちょろちょろ逃げ出してしまった。 「この馬鹿は・・・!」 幼馴染ながら、戦場以外の場所での・・・特に、気を許せる仲間の中にいるリナリーは、年齢よりも随分と子供っぽくて呆れるしかない。 だからこそ彼もリーバーも、城内ではコムイが傍にいない時の代理として気にかけているのだが、お転婆娘の行動は軽く彼らの予想を超えた。 構ってもらえるのが嬉しいのか、慌てて彼女を追いかける科学者達の手を楽しげにすり抜け、部屋中を逃げ回る。 「これなぁに?」 ようやく追い詰めれば、暢気に問う彼女にその危険性を説明したのち、『絶対!触るなよ!特に右横の起動ボタンは!』と命令したリーバーに、リナリーは『うんっ!』と頷いた。 ・・・が、 「・・・押すなって言われると、なんか押したくなっちゃうよ・・・ね・・・?」 「アホか!!!!」 怒鳴り声をあげて思いっきり頬をつねると、さすがに痛かったのかうなされ出す。 「・・・お怒りはご尤もだよ。 とりあえず、室長に見つかんないようにあたしの部屋で寝ちゃったことにするから、あんたも口裏合わせてよ」 「はっ! 任務が入ったらすぐバレっぜ!」 苛立たしげに言った神田にしかし、キャッシュはにこりと笑った。 「そうなんだけど・・・今日はこのコの誕生日だし? それを言い訳に、なんとか今日の任務から除外させようって班長が動いてるから、たぶん大丈夫だよ」 役職こそ一班長でしかないが、その実力と影響力は室長であるコムイに次ぐと言ってもいい。 信頼を寄せるキャッシュに神田も頷き、歩を進めた。 すれ違い様、 「その馬鹿のこと、頼む」 と言い添えた彼に、キャッシュは思わず笑い出す。 「ハイハイ、お兄ちゃん リナリーは神田をエミリアに盗られたと騒いでいたが、実はちゃんと気にかけてくれている彼を見せてやれなかったことを残念に思いつつ、キャッシュは彼女を部屋へと運んだ。 ―――― 全身を真珠と珊瑚、輝石や宝貝のアクセサリーで飾られたリナリーは、重くなった身体を浮かせようと、必死に尾びれで水を掻いた。 「うぅーん・・・!重いぃー!!あがら・・・ないぃー・・・!!」 「ンマァ!情けない!」 リナリーよりも大量のアクセサリーを纏いながら、優雅に泳ぐジェリーがため息をつく。 「今日から大人なんだから、もっとキレイに泳げな・・・いみたいね。 真珠だけにしてあげましょうね」 珊瑚なんかの重いアクセサリーを外してもらうと、ようやく動けるようになった。 「軽い! ・・・けど・・・!!」 身体に纏わりつくアクセサリーは外れたが、髪に結いこまれた宝石と冠はそのままだったため、リナリーは逆さまになって水中に漂う。 「頭あげなさい!」 「そうしたいのは山々ですっ!!」 ぴぃぴぃと泣き出したリナリーに呆れ、ジェリーは彼女の髪を結い直してやった。 「これならいいかしらね」 この日のためにわざわざ地上から採って来たと言うユリの花を飾ってもらって、リナリーは嬉しげに尾びれをはためかせる。 「ウフフ アンフィトリテみたいよん 海の女王になぞらえられ、気を良くしたリナリーは王錫代わりにユリを持ち、鏡の前でくるくると回った。 すると長い鰭のような衣装が、身体の周りでふわふわと舞う。 「リナリーにも、ポセイドンみたいな人が現れるかな 「イルカをプレゼントしてもらえるかもね うっとりと夢想するリナリーに笑って、ジェリーは天を見上げた。 「そろそろ地上は日が落ちるわ。 夜になったら海上に上がってもいいわよん」 16歳の誕生日、人魚は初めて海上に出ることが許されるのだ。 「楽しみだなぁ 外の世界って、どんなだろう・・・ ・・・ベッドに寝かせてやった途端、はっきりとした寝言を言ったリナリーを、キャッシュは驚いて見下ろした。 「そ・・・外の世界・・・?」 ふと窓の外を見れば、灰色の雲に厚く覆われた空から、盛んに雪が舞い降りて、地上を白く染め替えている。 濃い褐色の塀は本来、外敵の侵入を防ぐためのものだが、この城に閉じ込められた適合者達には檻のように見えるのかもしれなかった。 「リ・・・リナリー・・・」 世界中を飛び回りながらも、その実、教団の枷に囚われている彼女達に自由はない。 「可哀想に・・・!」 ぼとぼとと涙を零しながら、キャッシュは眠るリナリーを抱きしめた。 「せめて夢の中では自由になるんだよ・・・!」 「・・・なんだか息苦しい」 水の外に出た途端、締め付けられるような苦しさを感じて、リナリーは深呼吸する。 水よりも断然軽い空気が体内の海水を押し出してしまうと、急に楽になった。 「うわぁ・・・これが『風』かぁ・・・! なんだかくすぐったい 首をすくめてクスクスと笑ったリナリーは、遠くから風に乗って聞こえてくる音楽に惹かれて寄って行く。 「外って、水の中より音が聞こえないんだなぁ・・・。 あんまり小さな音だから、見えないくらい遠くにいるのかと思ったのに・・・こんなに近いよ」 すいすいと泳ぎ寄った船は、海底に沈んでいるものと見た目は変わらないが、しっかりと水面に浮いていた。 「ふぅん・・・。 本当に『人間』が乗ってるんだぁ・・・。 『人間』って、骨か膨らんでるのしか見たことないから、動いてるのって不思議なカンジ」 船の上では宴が行われているらしく、明るい甲板の上で着飾った人々が賑やかに笑いさざめく様を興味津々と見ていると、火の玉が上がって夜空に炎の花が咲く。 「な・・・なぁに、あれ?!」 凄い爆音に驚き、耳を塞いだリナリーは目を丸くして、次々に開く夜空の花を見つめた。 「きれい・・・」 うっとりと上空を見つめていると、不意に船の方で爆音が上がる。 「なっ・・・なに?!」 見れば、船首から炎が上がり、爆風に何人もの人間が吹き飛ばされ、海に落ちていった。 「どうしたの?! あの赤いのはなに?!」 炎を見たことのないリナリーは火事を理解できず、なぜ人間達が赤い光から逃げ惑っているのかもわからない。 ただ、自ら海に飛び込む者も見えたため、あれがとても怖いものだとは理解した。 甲板で弾ける花火は最早、人の手には負えず、爆発は船体を破壊して船は見る見るうちに沈んでいく。 「あぁ・・・。 こうやって船って、海底に沈んでたんだわ」 地上の物がどうやって海底まで落ちてくるのか不思議だったが、今、目の前で沈没する様を見て、ようやく理解した。 「・・・あ! あの下、家がたくさんあるのに! 落ちちゃダメだよー!! 落ちるならもっと北に・・・あぁんもう!!」 水面を叩いて海に潜り、急いで泳ぎ寄るが、沈み行く船が巻き起こす渦が強くてとても近寄れそうにない。 「・・・仕方ない。 みんなに逃げるよう言わなくちゃ・・・!」 自分だけでは止めようがないと判断し、船よりも先に海底へ向かおうとした彼女の背に、腕が伸びた。 「んぎゃっ!?」 いきなり抱きしめられ・・・なんてロマンチックなものではなく、背後から回された腕がリナリーの首を締め上げる。 「なにすんの! 放・・・ひゃああ?!」 肩越しに見ると、海草のように漂う長い黒髪の隙間から白い半目が覗いて、物凄く怖かった。 「きゃあきゃあきゃあ!!!!」 闇雲に逃げ、振り解こうとすればするほど腕が強く食い込んで、リナリーはとうとう根を上げる。 「ね・・・あなた人間のオス?でしょう?! おかに上げて欲しいんだよね?! わかったから・・・連れてったげるからそんなに首絞めないでぇ!!」 水上に出るや背後へ向けて言うと、ようやく少しだけ力が緩んだ。 「もぉ・・・! なんでこんな目に・・・・・・」 ぴすぴすと鼻を鳴らしながら海岸へ向かったリナリーは、浅瀬に両手をついて勢いよく前転する。 「ていっ!!」 海流に負けない尾びれと背筋は背中に取り付いた彼を砂の上まで放り投げた。 「・・・あぁ、清々した! ねぇ、あなた!ちょっと! お礼くらい言ってよ!」 声をかけると、砂地に叩きつけられた弾みでうまく水を吐いたらしい彼が、リナリーへと顔を向ける。 「お前・・・」 「それが命の恩人を呼ぶ態度なの?! 失礼だなぁ、もう! 私はリナリーだよ!!」 「リ・・・ナ・・・?」 「省略するなー!!!!」 ぷんぷんと怒って大声をあげる彼女に、彼がほんの少し笑った。 「礼を・・・言う・・・」 「・・・・・・どういたしまして」 あっさりと言われてしまって拍子抜けしたリナリーが、浅瀬をもう少し、海岸へと近づく。 「・・・・・・ふぅん。 生きてる人間を近くで見るのは初めてだけど、キレイなんだなぁ・・・」 みんなこんなにきれいなんだろうかと、更に近づこうとしたリナリーの服が、背後から強く引かれた。 「へ?!」 「なにやってんの、アンタは!!!!」 「昆布おばけっ!!」 物凄い形相のジェリーに迫られて、リナリーが震え上がる。 「誰が昆布おばけよんっ! 離れちゃダメって言ったのに、一人でどんどん泳いで行っちゃって! その上人間に関わるなんて・・・悪い子ねん!!」 「す・・・好きで関わったわけじゃないよ・・・! 目の前で船が沈没しちゃって、それがちょうど村の上だったから、みんなに逃げるように言いに行こうとしたら、この人間に捕まっちゃって・・・」 とても放してくれそうにないから、ここまで運んだのだと言い訳した。 「あ、そうだ! みんなは無事かな?! 船が落っこちてきたんじゃ・・・!」 「それは大丈夫よん。 鯨達が体当たりして、落下コースを変えてくれたからん」 ため息をついて、ジェリーはリナリーの腕を取る。 「わかったら帰りましょ。 コムたんが心配してるわん」 「えぇー! さっきあがったばっかりなのにぃー・・・!」 不満の声をあげるリナリーに、しかし、ジェリーは首を振った。 「今夜はもうダメ。 船が沈没するとね、人間が捜索の船を出すから騒がしくなるのん。 水上に出るのはまた今度ねん」 「ちぇーっ!!!!」 ぐいぐいと腕を引かれて、リナリーは仕方なく海に潜る。 「また・・・来れるよね・・・」 その時はまた、彼に会えるだろうかと、リナリーは肩越しに海岸を見遣った。 リナリー達が去った後、夜の海岸は大勢の捜索者達が持つ松明で明るく照らされた。 「誰かいるぞ!!」 海岸に打ち寄せられた船の残骸を踏み分けて、大勢が倒れた彼の元へ駆け寄ってくる。 「・・・見つけた! おおい!こっちだ! 医者を呼んでくれ!!」 大声を受けて、飛んで来た医者とすれ違いながら、海岸を駆ける捜索者が松明を振った。 「姫! 姫様、こちらです! 見つかりました!!」 「無事なの?!」 大勢の供を引き連れて駆けて来た貴婦人に、彼は大きく頷く。 「ただいま、お医師に診てもらってますが・・・」 肩越しに見遣った医者が、明りの中で大きく頷いた。 「お怪我も無い様子です」 「よかった・・・!」 ほっと吐息した彼女は、ドレスの裾を思いっきりからげて砂を蹴立て、彼の元へ駆け寄る。 「ユウ!! 起きて!! 起きなさい!!!!」 パンパンと思いっきり頬を叩かれた彼がカッと目を開けた。 「いってぇだろ、エミリア!! なにすんだ、テメェ!!」 「ようやく起きたわ!!」 怒鳴る彼を、エミリアは力いっぱい抱きしめる。 「もう・・・本当に心臓止まるかと思ったわ! パパったら、いくらあなたが気に入らなかったからって、火薬の詰まった樽にパイプを放るとか、ありえない!!」 「・・・乗ってた奴らは無事だったのかよ」 ため息混じりに問えば、彼女は呆れ顔で頷いた。 「うちの国の連中は・・・パパの無茶振りをよく知ってるからね。 あんたとの婚約披露パーティで何もないわけがないって、最初から服の下に救命胴衣仕込んでたみたい」 「道理で・・・」 体格のいい人間が多いと思ったと、彼はため息をつく。 「とんだ婚約披露パーティになっちゃったけど、いくらなんでもパパの気も済んだと思うわ。 これ以上やるようなら、あたしがパパをぶん殴って譲位を迫るから・・・」 にこりと笑って、エミリアは彼の頬にキスをした。 「安心して、婿養子にいらっしゃい 堂々と言った彼女に、ユウは眉根を寄せる。 「・・・・・・だから嫌だったんだ、婿養子なんて」 しかし、彼の父王の命令では致し方なく、ユウは担架を断って、自身の足で宮殿へ向かった。 「おぉい! タップの書いた設計図って、これじゃないか?!」 引っ掻き回された資料庫の奥からロブが、分厚い紙の束を突き出した。 「そうそう!これだよこれっ!!」 受け取ったジョニーが、ページをめくりながら何度も頷く。 「班長ー!みっけました!!」 「おう!」 駆け寄って来たリーバーが、設計図にざっと目を通した。 「・・・おい、まずいぞ、これ」 最後のページを開いたまま、声を引き攣らせた彼に部下達が群がる。 彼らの視線を集めたのは、そこに書かれた赤文字だった。 『危険!長時間の使用を禁ず! 映像にシンクロするうちに、記憶を改竄される危険性あり』 「記憶の改竄って・・・?」 きゅっと眉根を寄せたキャッシュに、ロブが苦い顔で頷く。 「言っただろ、『現実に戻ってこれなくなる』ってさ。 こいつを自分で試したタップは、しばらく自分が鳥だって信じてた」 「あいつ、塔の上から飛び降りちゃってさー・・・。 木に受け止められて、なんとか無事だったんだけど、しばらく包帯が取れなかったんだよ」 「馬鹿兄貴・・・・・・!」 ジョニーの言葉にキャッシュは、頭を抱えてうめき声を上げた。 誕生日に水上へ上がってからと言うもの、リナリーはずっと天を見つめてうずうずしていた。 「・・・ねぇ、兄さん。 もう人間はいないでしょ? 水の上に上がっていいでしょ?」 あれから何度もねだるが、昼の間は決して許してもらえず、夜になっても船の残骸が残っている間は危険だからと行かせてもらえない。 「もー!!行きたいんだってば!!」 とうとう癇癪を起こしたリナリーは、珊瑚の家を出て、海草の森へと向かった。 昼でも日の光が届かない深海にある森は、鬱蒼としてどこに危険な生き物が隠れているかもわからない。 しかし震えながらもリナリーは、その奥にある魔法使いの家を目指した。 「あれ、リナ? どしたんさ、こんな所まで」 近くまで行くと、魔法使いの弟子のラビが、海草を摘む手を止めて声をかけてくる。 「あのね、ラビ! 私、もう一度水上に行きたくって・・・おじいちゃんになんとか手を貸してもらえないかな!」 「ジジィにぃ〜・・・?」 思いっきり眉根を寄せて、ラビは首を振った。 「やめとけやめとけ、ジジィに頼みごとなんか! あの業突くジジィ、代金になにを要求するか、わかったもんじゃないさ!」 「だ・・・代金ならあるよ! こないだ誕生日だったから、真珠や宝石をたくさんもらったの!」 「いるかそんなもん」 必死に頼み込むが、ラビはあっさりと首を振る。 「身を飾るもんを欲しがるのは、若もんだけさね。 ジジィが欲しがるのはもっと別の・・・珍しい本とか、薬草とかさ。 お前、持ってんの?」 問われてリナリーは、困惑げに首を振った。 「じゃあ・・・」 「ちょっと待って!!」 背を向けかけたラビの腕を、リナリーは慌てて取る。 「あのね、こないだ・・・私の誕生日の夜に、上を船が通ったんだけど、『花火』ってのをあげてたの!」 爆音と共に夜に花を咲かせたものはなんだったのかと聞くと、そういう名だと兄が教えてくれた。 「でね、その船は花火を上げた後すぐ沈んじゃったんだよ! だから、その船が沈んだ場所に行けばもしかしたら・・・」 「火薬があるってことさ?!」 「か・・・?」 いきなり詰め寄られて、リナリーは小首を傾げる。 「か・・・なぁに?」 「火薬さ!!!!」 興奮したラビは大声をあげて、森の中の家へとリナリーを引き込んだ。 「ジジィ!ジジィ!! リナが、火薬の落ちた場所知ってるってさ!! まだ一昨日のことさ! 樽ごと沈んでたら、浸水してねぇかもしんね!!!!」 ラビが部屋に飛び込んだ途端、 「火薬じゃと!!!!」 海の中にありながら水のない家の中で、魔法使いは興奮した声をあげる。 「おぉ、これはリナ姫! おぬしが火薬を見つけたのか?!」 小柄な老魔法使いに詰め寄られ、リナリーは困惑げに眉根を寄せる。 「あ・・・あの、本当に落ちているかどうかはわからないの。 でもね、私の誕生日の夜、沈没した船が、花火を上げていたんだよ」 「なるほど、可能性は高いな!!」 何度も頷き、魔法使いはリナリーの手を取った。 「さぁ、案内せい! 礼になんでも願いを叶えてやるゆえ!」 「ホント?!」 歓声をあげる彼女に、魔法使いは大きく頷く。 「姫がわざわざここに来るとは、私になにか頼みがあってのことだろう。 私にできることであれば、なんでも叶えようぞ!」 「うん!!」 はしゃいだ声をあげて、リナリーは尾びれをはたいた。 「こっちだよ! 全速力で案内するよ!!」 人魚の中でも最高速を誇るリナリーの本気に、老魔法使いだけでなくラビも置いて行かれそうになる。 しかし、文句も言わずについて来た彼らは、沈んだばかりの船に歓声をあげた。 「さぁて、火薬は残っておるかの!」 焼け焦げた甲板を嬉しそうに眺めながら、魔法使いが散らばった残骸の中を探し出す。 ラビがひょいひょいと板切れをどけるのを真似して、リナリーも探し物の手伝いをした。 やがて、 「ねぇねぇ!樽ってこれかな?」 リナリーが声をかけると、二人は急いで寄ってくる。 見れば船体の穴が開いた付近に樽がいくつか、砂に埋もれていた。 「おお!これじゃこれじゃ!」 壊れた樽からは黒くねっとりとした物が流れ出ていて、魔法使いが歓声をあげる。 「これはもう使えまいが、無事なものがあるやもしれん! この辺りを探すぞ!」 「らじゃ!」 頷いたラビが、船体の中にまで入って次々と樽を運び出した。 「これ、全部火薬なの?」 リナリーが問うと、魔法使いは苦笑して首を振る。 「おそらく、全部ではないだろうな。 中にはワインだの食料だの・・・そんなものもあるだろうが、ここで開けてみるわけにも行かんのでな。 乾いた場所へ運び込んでから見ることにしよう」 「ふぅん・・・」 船と一緒に沈んだ救命艇に、樽の他にもめぼしい荷物を積むラビを、リナリーはじっと見つめた。 「じゃあ私も何か積んじゃおうかな 可愛いのないかなー ぴちぴちと船体の中に入ると、貴婦人達が身につけていたらしいレースのショールや羽根のついた帽子、きれいなグラスも転がっている。 「これ、もらっちゃお 床に転がっていた指輪を拾い上げたリナリーは、水かきがあるせいでしっかりとは嵌まらないそれを指先に引っ掛けた。 「うふふ キレイ・・・ 船の外に出て陽に透かすと、宝石がキラキラと輝く。 「そろそろ行くぞい」 まだ何かないかと、船に戻ろうとするリナリーの背に、魔法使いが声をかけた。 「一度では無理じゃ。 また来るといい」 「うん!」 探検は面白いし、と、リナリーは楽しげに尾びれを振る。 「ラビ、手伝うよ!」 「サンキュ ラビが引く救命艇を後ろから押してやりながら、彼女は魔法使いの家へと戻って行った。 魔法によって水が入らないように施された部屋に入った途端、軽々と運べていた樽が急に重くなり、リナリーは尾びれをばたつかせる。 「お・・・重いーっ!!!!」 「ムリムリ! ジジィが魔法で運ぶから、そこに置いとけよ」 びちびちと跳ねるリナリーに慌てて言って、ラビが部屋の中へ呼びかけた。 「ジジィー!後頼むさー!」 「うむ」 奥から声がしたかと思うと、あんなに重かった樽がふわりと浮いて、次々に部屋の中へ入って行く。 「すごいなー・・・」 乾いた床を這ってリナリーも奥へ行くと、水の中と同じく宙を浮く魔法使いが、赤々と火の踊る暖炉の前で樽を乾かしていた。 「あ!この赤いの、船で見たよ! 人間達がすごく怖がって逃げてた!」 指差したリナリーに、魔法使いが頷く。 「火、または炎と言う。 水の中では消えてしまうから、姫は見たことがなかったろうな」 「ひ・・・かぁ・・・」 近寄ってみると、熱い上に肌や目があっという間に乾いてしまった。 「なにこれぇ・・・目がしぱしぱする!」 何度も瞬いて目に涙を浮かべるリナリーに、ラビが笑い出す。 「これ、熱の塊だからさ。あんま近づくと火傷するさね」 「火傷って・・・あの、兄さん達が近づいちゃダメって言う、火山なんかでする怪我?」 慌てて身を離したリナリーに、ラビが何度も頷いた。 「そうそう。 あの辺にいくと、水がすっげ熱くなるだろ? あれは海の中だからまだ、熱いだけで済むけど、ここには水がないから、地上と同じく乾いちまうんさ。 リナはまだ、おかに上がって戻れなくなった魚が、干上がっちまったのを見たことはねぇかな?」 問われてリナリーは、怖ろしげに首をすくめる。 「見たことはないけど・・・聞いたことはあるよ。 すごく・・・苦しいんだよね・・・?」 「そうみてぇさな。 俺も、さすがに干上がったことはねーけど」 でも、と、ラビは得意げに笑った。 「俺、おかに上がったことはあるんだぜ! ジジィのお供で、人間の振りしてさ この尾びれを二つに分けて、人間みたいな足をつけて・・・歩くたんびにすんげー痛いし、口は利けねーけど、車椅子ぶっ飛ばして図書館の本を読み漁るのは楽しかったさ 「そ・・・そんなことができるの?!」 初めて聞いたことに、リナリーが目を輝かせる。 「ねぇねぇ、車椅子って何?!図書館って何?!本って何?!読み漁るって何?!」 詰め寄られたラビが、一旦リナリーを引き離して部屋の隅に手を伸ばした。 「車椅子ってのはこれ。 ジジィは水がなくても宙を飛べるから、裾の長い服で足を隠しゃ、歩かなくてもいいんけどね。 俺はまだ浮遊の術を使えんから、こういう水のない部屋じゃ、自由に動けないんさ」 だから、と、ラビは腕の力だけで器用に車椅子に座る。 「これで、部屋ン中移動すんの。 おかでもそうさ。 人間にも、足の不自由な奴らはいるかんね。 移動に困らないように、こういうのがあるんさ」 「へぇぇー!!!!」 腕で車輪を回して、すいすいと部屋を動き回るラビを、リナリーが輝く目で見つめた。 「他のは?!」 「うん、本ってのはこれ」 と、ラビは魔法使いが長い年月をかけて集めた書物を指す。 「海の中には文字がないから、歴史は全部口伝だろ? でも、人間には文字ってもんがあって、色んな知識を書き込むんさ。 それをまとめたもんが『本』で、それがたくさんあるのが『図書館』さ」 そして次々に本を読むことを『読み漁る』と言うのだと、ラビは得意げに言った。 「これが文字かぁ・・・! 船の板なんかに、よく書いてあるものだよね」 「・・・ほう、さすがはコムイの妹姫じゃな。 よく見ておる」 樽の世話に夢中だった魔法使いが顔をあげ、にこりと笑う。 誉められたことに気を良くして、リナリーは魔法使いにいざり寄った。 「リナリーもおかに上がってみたい! こないだはちょっとしかいられなかったから・・・お願いー! リナリーにも、人間のふりができるようにして!」 頼み込むが、魔法使いは渋い顔で首を振る。 「なんで! お願い聞いてくれるって言ったじゃないか!」 盛大に頬を膨らませるが、彼はなおも首を振った。 「あの薬は滅多に使っていいものではない。 本来は毒以外の何物でもなく、飲めば凄まじい刺激に喉が焼かれ、声が出なくなる。 尾びれは足に変わり、人間そっくりにはなるが、元々一つの肉を分け、骨を断つのだから、地に触れる度に凄まじい激痛が走る。 ラビは私の弟子であるし、これも修行ゆえ施したが、姫にこのような苦しみを与えるわけにはいかん」 厳しく言われて、リナリーは肩を落とした。 「・・・・・・でも」 ふるりと、リナリーは水のない部屋で乾きかけた髪を振る。 「行ってみたいんだ、外に! 見たことがないものが一杯あるんだもの! せっかく、私達は外でも呼吸も出来るんだから・・・」 「確かに」 同意することで、魔法使いは効率的にリナリーの声を塞いだ。 「我ら、人間の分類では哺乳類に当たる。 鯨やイルカよりも進化し、一々水上に行かずとも呼吸は出来るが、鱗がないために肌はとても乾燥に弱い。 それこそ、簡単に干上がってしまうぞい」 「う・・・・・・」 言いくるめられて悔しげなリナリーは、上目遣いでラビを見上げた。 「干上がったことないんじゃなかったの? 図書館ではどうしてたの?」 「そんなの、ジジィ特製保湿クリームで簡単に解消・・・」 「馬鹿もん!!!!」 再び輝きだしたリナリーの目の前で、師に頭を割られたラビがだくだくと流れ出した自身の血の海に溺れる。 「・・・あー、姫。 あのな・・・」 「おかに上がっても平気なんだね?!」 期待のあまり、可聴音域すれすれまで甲高くなった声に、魔法使いはため息をついた。 「ダメじゃダメじゃ! 姫には危険すぎる!」 「でも・・・!」 「姫に何かあれば、領主殿に申し訳が立たん!」 厳しい声で反駁を封じられ、リナリーは肩を落とす。 その様に眉を開いた魔法使いが、子供をあやすように優しく言った。 「他の願いならば、できる限り叶えよう。 そうじゃ!外のことが知りたいのであれば、まずは文字を学ぶのはどうか。 本が読めるようになれば、外のこともよくわかるようになるぞい」 「うん・・・」 しょんぼりとしつつも、頷いたリナリーに魔法使いはほっと吐息する。 「ではまず、これをやろうかの。 石版に刻んでおるゆえ、水の中でも消えることなく文字が学べるぞい。 領主殿は人間の文字にも堪能ゆえ、兄上に教えてもらうのも良かろう」 ニコニコと笑ってまくし立てながら、リナリーを家から追い出そうとする魔法使いに一応の礼を言って、リナリーは海草の森を出た。 しばらく行って振り返り、思いっきり舌を出す。 「ふんっ! 諦めないんだから!」 もう一度舌を出して、リナリーは一旦自宅へと引き上げた。 「あれ、また来たんさ?」 あれから毎日通ってくるリナリーに、ラビは呆れた。 「何度来ても、ジジィはお前に薬やんねーよ」 「ち・・・違うよ! 文字をお勉強しに来てるだけだもん!」 顔を赤くして、リナリーは抱きしめた石版をラビへ突きつける。 「だいぶ読めるようになったから、今日も本を見せて!」 「いいけど・・・今日はジジィが出かけてっから、本以外のもんを触るなよ」 「わかってるよ!」 とうとう巡ってきたチャンスに、リナリーは踊る鼓動を抑え付けてラビに擦り寄った。 「ねぇねぇ、また『書く』のやらせて?」 水のない部屋では、人間と同じく紙に字が書ける。 水かきがあるせいで、最初はペンの持ち方もぎこちなかったリナリーだが、今では本そっくりに字を書くことが出来た。 「さすが、コムイの妹さねー。 頭の良さと器用さは血筋なんだろうさ」 「えへへ 一昨日借りた本も読んじゃったんだよ! 新しい本を貸して 「へいへい」 ワガママ姫の『お願い 「今のうち・・・!」 ここ数日で頭に入れた文字は、彼女の話す言葉を記号化するだけの表音文字だったため、理解するのに苦労はなかった。 リナリーはラビがいない間に棚の戸を開け、魔法使いが作った薬瓶のラベルをじっと睨む。 「これと・・・これだ!」 保湿クリームの裏に隠されていた、『人間薬』と書かれた瓶を取り上げたリナリーは、長い服の中にそれらを隠してそっと棚の戸を閉めた。 ややして、 「これなんかどうさ? ちょっと厚いけど、面白いから退屈はしねーだろ」 と、戻って来たラビは、来客用の車椅子で部屋中を走り回るリナリーに呆れる。 「・・・おもしろいさ?」 「うんっ!腕が疲れるけど!」 「そか。 部屋のもん壊すなよ、ジジィが激怒すっからさ」 「わかってるよ!」 と言った側から棚に激突し、秘儀を凝らした薬品が次々零れ落ちた。 「ひああああああああああああああ!!!!」 声まで蒼白にしてラビが床へ滑り込み、受け止めて破砕を防ぐ。 「リ・・・リナ・・・!」 「ごめんなさい! お片づけのお手伝いするよ!」 車椅子をラビに寄せたリナリーは、これは意図せず彼を轢いてしまい、血反吐を吐かせてしまった。 「ごめんなさいいいいいいいい!!!!」 わざとじゃないんだと言い訳しても聞く耳持たず、鬼の形相で身を起こしたラビが出口を指す。 「出てけえええええええええええええええええ!!!!」 「ふえーん!!!!」 滅多に怒らないラビの怒りが怖ろしく、リナリーは車椅子ごと魔法使いの家を出て行った。 「・・・あ、これまで持って来ちゃった。 ・・・まぁ、いいか」 水の中で浮き上がる車椅子を片手に持って、リナリーは上を目指した。 夕暮れ時の水面は明るく、金色の光がリナリーの肌を染める。 「さぁて・・・!」 ぐんぐんと海岸へ泳いだリナリーは、急に重くなった車椅子の車輪を砂につけて押し出す。 埋もれて進まないかと思ったそれは、波の力で案外容易に海岸へ至った。 「よかった! 後は私だね」 海岸に打ち上げられた車椅子によじ登り、全身に保湿クリームを塗って夕陽にも乾きそうな肌を守ると、服に隠していた薬瓶の文字を日に当てる。 「えぇと・・・成人は目盛り20ml・・・。 ml?ってなに??」 ミリリットルの意味がわからず、困ったリナリーはとりあえず蓋を開けた。 「うわっ!すごい臭い・・・あ、蓋に目盛りがあるや。これの20・・・かな?」 蓋に液体を入れると、黒々としたそれから更に強烈な刺激臭があがる。 「うはっ!息ができないよ・・・これ、飲むのかぁ・・・飲むのかぁ・・・・・・」 やっぱりやめようかな、と、薬を戻しかけたリナリーの耳が、楽しげな音を捉えた。 「これ・・・『音楽』だ! 本に載ってたものだよ!」 船の沈んだ夜以来、久しぶりに弦の響きを聴いたリナリーは、実物を見たくてうずうずしだした。 「えいっ!!」 蓋に開けた薬を一気に飲み込み、ぎゅっと目をつぶったまま飲み下す。 「・・・あれ?」 薬は喉を通り過ぎたが特に苦しみはなく、リナリーは唖然としながら薬瓶の蓋を戻した。 「・・・なんだ、おじいちゃん。 リナリーにこの薬を飲ませないために、嘘を・・・?!」 言いかけた喉が、唐突にせりあがって来たものに塞がれる。 「かはっ・・・!」 咳き込もうにも喉の奥が焼かれたように熱く、その熱は全身に広がって、リナリーはたまらず砂の上に倒れこんだ。 途端、尾びれの骨が砕け散ったような激痛が走り、声にならない悲鳴をあげる。 砂を掻いて悶え苦しむうちに意識が遠のいた。 このまま死ぬのかもしれないと・・・最後に沈み行く夕陽を見つめる。 苦痛と後悔に苛まれながら、涙を浮かべた視界が・・・不意に陰った。 「あの! すみません、あの・・・大丈夫ですか?!」 ゆさゆさと揺さぶられて、リナリーはうっすらと目を開けた。 夕陽を弾いて金色に輝く白い髪が、彼女の上でキラキラと揺れている。 「あ・・・よかった、生きてましたね! 僕、たまたまこの上を通りかかったんですけど、君がすごく苦しそうにしているのが見えて・・・大丈夫ですか?」 問われたリナリーは、弱々しく首を振った。 まだ苦痛が残った身体は熱を持って、全身から汗が吹き出す。 助けて、と、声を出そうにも喉は砂を詰められたように乾ききって、ヒューヒューと空気が出て来るだけだった。 「熱がありますね・・・。 怪我は・・・見た所ないようですけど、立てますか?」 気遣わしげな彼がリナリーを抱き起こそうとした途端、腿から爪先まで、刺し貫かれたような激痛が走ってまた砂を掻く。 「ご・・・ごめんなさい、もしかして・・・足が悪いんですか?」 海辺に打ち寄せられた車椅子を見やって問う彼に、リナリーは何度も頷いた。 「わかりました。 ちょっと待っててくださいね」 もう一度、砂浜にそっとリナリーを横たえた彼は、車椅子を傍まで運んで来て、彼女を乗せてくれる。 「ちょうど今、王宮に腕のいいお医者さんが来てますから、診てもらいましょう」 そう言って彼は、肩に羽織っていた布をリナリーの膝にかけてくれた。 「寒いでしょ。 まだ冬なのに・・・なんで海なんかに?」 砂の上で進みにくい車椅子を難なく押しながら問う彼に、何か答えようにも声は出ない。 悲しげに喉を指し、首を振るリナリーに彼は、こくりと頷いた。 「口が利けないんですね。 じゃあ、名前も教えてもらえないのかな・・・」 困惑げに首を傾げる彼を肩越しに見て、リナリーは軽く手招きする。 「なんですか?手?あぁ、手を出せって?」 はい、と、素直に出された掌に、リナリーは指で自身の名前をなぞった。 「L・・・e・・・n・・・a・・・l・・・e・・・e・・・? えぇとー・・・リナリー?かな?」 自分の文字が通じたことが嬉しくて、リナリーは何度も頷く。 が、ふと見た自分の手を見て、愕然とした。 指の間に張っていた水掻きが消えて、指先に引っ掛けていただけの指輪が、付け根にまで食い込んでいる。 「指? 指がどうかしたんで・・・この指輪は!!」 突然大声を出されて、リナリーがビクッと震える。 「あ!すみません、驚かせちゃって! でも・・・この指輪、ずっと探していたものなんですよ。 これをどこで?」 問われてリナリーは、海を指した。 「あぁ・・・海岸に打ち上げられてたんですね。 もしかして君は、それを拾おうとして車椅子から落ちちゃったんですか?」 それであんなに苦しんでいたのかと納得しかけた彼に、リナリーはこくりと頷く。 真実を伝えるのは時間がかかりそうだし、何よりも信じてもらえないに違いなかった。 ために彼女は、これ以上深く問われる前にと、彼を指して首を傾げる。 「あ、僕ですか? ごめんなさい、まだ名乗ってなかったですよね」 砂浜を抜けて、石畳に車椅子を止めた彼は、正面に回って跪き、リナリーと目線を合わせた。 「僕はアレン。 アレン・ウォーカーです。 王女様の結婚式に余興を添えるように呼ばれたピエロですよ」 ピエロと言う名が、つい先日本で読んだ道化の事だと気づいて、リナリーは頬を染める。 キラキラと輝く目が、期待に満ちていることにはすぐに気づいて、アレンは大きく頷く。 「今は道具がないから・・・こんなことしかできませんけど アレンが広げた指の間から、いきなりボールが現れて、彼の手の中で跳ね回った。 声のない歓声を上げて拍手するリナリーに気を良くしたアレンが、ボールの一つを抓んで潰す。 と、軽い破裂音と共に弾けた中から花が現れた。 また盛大な拍手をするリナリーに仰々しく一礼して、アレンは花をリナリーの髪に飾る。 「さ、王宮に行きましょう。 その指輪、大切な結婚指輪だって、王女様が必死に探していたんです。 だからきっと、見つけてくれた君のことも歓迎してくれますよ」 その言葉にこくりと頷き、リナリーはアレンと共に王宮へ入った。 「指輪が見つかったの?!」 報告を受けるや、供も連れずに駆け寄って来た貴婦人に驚いたリナリーは、思わず身を引いた。 その様に苦笑して、アレンが進み出る。 「エミリア様、彼女・・・口が利けないみたいなんです。 足も悪い上に、今は熱があるようで・・・海岸で指輪を拾っただけですから、労わってあげてください」 「あぁ・・・そうなの」 途端に穏やかな雰囲気になって、エミリアはリナリーの上に屈み込んだ。 「指輪を見つけてくれて、ありがとう。 こんなに濡れて・・・寒いでしょ? すぐにあったかくして、着替えてちょうだい。 お礼は十分させてもらうわ」 優しく言いながら手を差し出したエミリアに、リナリーは頷く。 指輪を渡そうと外しにかかるが、それは彼女の親指の付け根に食い込んでしまって、外れそうになかった。 顔を真っ赤にして引っ張っても、どうしても外れない。 「あらあら・・・こういうことって、よくあるのよねぇ」 涙目のリナリーの頭を、エミリアは苦笑しつつ撫でてやった。 ごめんなさい、と、涙を浮かべて頭を下げる彼女に、エミリアは笑って首を振る。 「大丈夫よ。 お風呂に入ってシャボンで洗えば、するっと取れちゃうわ」 頬を包む手の温かさが妙に嬉しくて、リナリーは何度も頷いた。 と、 「指輪が見つかったって?」 早足に歩み寄って来た男の声をふと見遣ったリナリーは、ぽかんと口を開ける。 あの夜、海草のお化けみたいになっていた時とは段違いに、すっきりと美しいいでたちの男は、間違いなく海で助けた彼だった。 「あ?お前・・・」 「知ってる子?」 振り返ったエミリアに問われて、彼は小首を傾げる。 「確か・・・俺を海岸に引き上げてくれた・・・なんて名前だったか・・・」 覚えてくれてたんだ、と言う感激と同時に、名前を忘れられてしまったことにはがっかりした。 すごく可愛い、きれいな響きの名前なのに、呼んでもらえないのはとても悲しい。 しょんぼりと肩を落とした彼女に代わり、アレンが『リナリーです』と答えた。 「海で、エミリア様の結婚指輪を拾ってくれたんですよ。 でも口が利けなくて、足も・・・」 「は? お前、あの時は自分で泳いで、喋ってもいただろう?」 訝しげな彼に、リナリーは悲しげに頷く。 海の中では自由だったのに、魔法使いの忠告を聞かずに自ら損ねてしまった。 その消沈振りに、なにを勘違いしたのか彼は、真剣な目でエミリアを見つめる。 「こいつ・・・リナリーか」 きっと睨まれて、彼は言い直した。 「リナリーはあの夜、海に落ちた俺を海岸に引き上げてくれたんだ。 おそらく、あの沈没に巻き込まれたんだと思うが・・・」 問うように向けられた目に、リナリーはとっさに頷いた。 そうした方が話が早いと、判断したためだ。 すると彼は、気まずげな目でリナリーを見つめた。 「お前の口と足が不自由になったのは、まさか・・・」 その言葉が、リナリーの女優魂を目覚めさせる。 肩を落とし、目を逸らしたリナリーは、歩み寄ってきた彼の手を取って、その掌に『気にしないで』と書いた。 「まぁ・・・!そうなの?!」 悲鳴じみた声をあげて、エミリアがリナリーを抱きしめる。 「なんてこと・・・! ユウが生きて戻ったのはとても嬉しいけど、その代わりにあなたが犠牲になるなんて・・・!」 心底気遣わしげなエミリアに涙を浮かべて、リナリーは首を振った。 とどめに彼女の手を取り、『無事でよかった』と書いてやると、エミリアの感激が最高潮に達する。 「婚約者の恩人はあたしの恩人よ! あなたのことは、あたしが責任をもって面倒を見るわ! なんとしても、あなたの身体を元通りにして見せる!!」 ・・・元通りになってしまっては困るのだが、人間の世界で安全に暮らせる立場を手に入れて、リナリーはそっとほくそ笑んだ。 「よかったですね、リナリー。 エミリア様は王女様なのに、気取らずにすごく気さくでいい人ですよ。 あの婿養子は気に入らないけど」 なぜかリナリーの世話係を拝命したアレンが、車椅子を押して王宮の奥へと向かう。 不思議そうな顔をするリナリーに、彼は苦笑した。 「君が助けたのはユウ様って言う、ここからは遠い国の王子です。 東の貿易地として栄えていて、西の貿易地であるこの国と友誼を結びましょ、ってことで送られてきた人なんですよ。 でもね、あーんな美人でしょ? この国の王様・・・エミリア様のお父様が、彼なら絶対浮気するし、他に結納金の高そうな女見つけたらそっちに行くに違いないからこんな結婚やめろって大反対してるんです。 でも、エミリア様はもう、彼のことが大のお気に入りで、彼も言いはしませんけどまんざらじゃない様子で? もうすぐ結婚式だってんで、国民は喜ぶ人と嫌がる人で半々なんです」 更にわけがわからなくなったリナリーが首を傾げると、アレンはクスクスと笑い出す。 「エミリア様は美人で気さくで優しくて、人気の王女様です。 いずれ女王様になったら、みんなで盛り立てようね、って雰囲気なのに、あーんな美人が婿に来て、しかもエミリア様の方がベタ惚れでいちゃいちゃし始めたら・・・男としては面白くないですよねぇ。 逆に、女の人達は『おとぎ話みたい』ってうっとりしています。 だから、半々なんです」 まだよくわからないながらも、頷いたリナリーにアレンが微笑んだ。 「さ、着きましたよ。 後は侍女さん達にお世話してもらってくださいね」 「っ?!」 部屋の外で待っていた侍女達に受け渡されて、驚いたリナリーがアレンの姿を目で追う。 あまりに不安げな様子に、アレンは苦笑した。 「いや、さすがにお嬢さんの入浴を眺めるわけにはいきませんから。 ちゃんと待ってますよ」 ドアが閉まるまで、手を振るアレンを見つめていたリナリーは、侍女達に丁重に扱われ・・・入れられた熱湯に大慌てする。 「あ・・・あの、熱かったでしょうか?!」 リナリーの慌てぶりに侍女達も驚いて、湯に水を足してくれた。 「あの・・・随分ぬるくなってしまいましたけど・・・」 遠慮がちに問うて来る侍女に頷き、リナリーは浴槽に身を沈める。 この程度なら、火山付近の暖かな海と同じくらいだった。 と、自分を気遣わしげに見つめる侍女達に何か言わなければと、リナリーは近くの手を取る。 『足、悪い。熱い水はとても痛む』 そう書くと、大きく頷いて納得した侍女が、温かくしたタオルを肩にかけてくれた。 ほっとして身を任せていると、足に気遣いながら着替えもさせてくれて、元通り車椅子に座らせてくれる。 「あ、お帰りなさい」 ドアを出ると約束通り、アレンが待っていてくれて、リナリーに向かって微笑んだ。 しかし、 「あれ・・・指輪、取れなかったんですね」 困った顔をして小首を傾げる彼に、リナリーも困って頷く。 「シャボンを塗り込んだんですけど、しっかり嵌っていて・・・」 申し訳なさそうな侍女に首を振って、アレンは車椅子を受け取った。 「大丈夫ですよ、いざとなれば、指輪を切って外しましょ」 なんでもないことのように言ってくれた彼に安堵して、ホッと吐息する。 「それより、着替えたら晩餐に呼ぶようにって、エミリア様のご命令です リナリーのおかげで僕もお呼ばれなんですよー 嬉しげなアレンは駆け足になりながら、車椅子を押して長い廊下を渡った。 「失礼しまーす 従僕達が開けた大きな扉を抜け、アレンは豪華な食事が並ぶテーブルに目を輝かせる。 「リナリーのお着替え、済みました。 でも・・・」 指輪はまだ外れない、と苦笑したアレンに、既に席に着いていたエミリアが頷く。 「じゃあ、後で切っちゃいましょ」 「指をか?」 「!!!!」 ユウが何気なく発した問いにリナリーが震え上がり、車椅子の車輪を押して逃げようとした。 「ま・・・待って、リナリー!そんなことしないから!!」 慌てて席を立ったエミリアが、ユウを睨みつける。 「アンタなんてこと言うのよ!可哀想でしょ!!」 「違うのか?」 「指輪を!切りましょうって言ったのよ!」 べしんっとユウの頭をはたいたエミリアが、泣き出したリナリーに駆け寄って抱きしめた。 「あぁ、よしよし。 怖かったわねぇ、あんな意地悪なお兄さんにいじめられて!」 ひくひくとしゃくりあげる背を撫でてやりながら、エミリアは肩越し、ユウを睨みつける。 「こんな意地悪されるんなら、助けてなんかあげなきゃよかったわよねぇ!」 恩人に謝れと、強い目で促されて、ユウはため息をついた。 「悪い。 泣くとは思わなかった」 「泣くわよ!!」 「ひょんろ、ひろいれふおへぇー!」 「・・・食いながら話すんじゃねぇ、道化!」 なんでこの状況で先に食事をしているのかと、ユウが鋭い目で睨むが、アレンは平然と肉に噛み付く。 「らっへ、おいひーひー」 「ぷっ!」 人間のくせに頬袋があるのか、次々に皿の上の物を口に入れるアレンに、エミリアが吹き出した。 つられてリナリーも、声のないまま笑いだす。 「・・・っお役目ご苦労ね、アレン! ホントにあんたっておもしろい!」 まだクスクスと笑いながら、リナリーの車椅子を席に戻したエミリアが、自身も席に着いた。 「じゃ、恩人に乾杯しましょう!」 「班長ー!!!! 解除機能、見っけましたー!!!!」 設計図に潜り込むようにして読み込んでいたジョニーが、大声をあげた。 「これ! これっすよね、メイン回路!! ここに繋がる線を切っちゃえば、強制終了!あいてっ!!」 設計図を覗き込んだリーバーに頭をはたかれ、ジョニーが涙目になる。 「ダメっすか?!」 「いきなりブツ切っていいんならとっくに外してんだよ! そうじゃなく、リナリーの『夢』を外から操って、なんとか覚醒させようって言ってんだ! そりゃ見つかったのか?!」 「いいえ!」 「さっさとやれ!!」 またはたかれたジョニーが、泣きながら設計図の解読に戻った。 「タップの奴、体格は大雑把のくせに、なんで設計図は緻密なんだよ・・・! んもー!どこにあるんだー!!!!」 「なにが?」 背後からかかった声に、ジョニーはしゃくりあげる。 「だから聞いてなかったの、班長の命令!! タップが作ったバーチャル装置を外部から操って、なんとかリナリーを自然に覚醒させよう・・・って・・・・・・?」 周りが異様に静かになったことに気づいて、ジョニーは恐る恐る背後を見遣った。 「しっ・・・室・・・長・・・!」 「・・・・・・リナリーが、なんだって?」 にっこりと、笑った顔がひどく怖ろしい。 「いやあのこれはそのっ!!!!」 必死に言い訳を考えつつ、周りを見渡すが助けは来そうになかった。 「リナリーになにをしたの!!!!」 「すっ・・・すみませんんんんんんんんんん!!!!」 凄まじい怒号に震え上がり、ジョニーがデスクの下に隠れる。 「ちょっと!!どういうこと?!誰か説明しなさい!!!!」 引っ張っても出てきそうにないジョニーを諦め、部屋中を見渡せば、部下達に押し出されたリーバーが仕方なく寄って来た。 「あのですね・・・」 事情の説明を始めたリーバーの隣に、いつしか寄って来たキャッシュが並んでうな垂れる。 「あたしと兄貴のせいで、すんません・・・・・・」 「んぐぅ〜・・・!」 しおらしく謝られてしまっては責め立てるわけにも行かず、コムイが唸り声をあげた。 「とにかくリナリーを連れて来て! ボクも一緒に救出作業するよ!」 夢の中のリナリーが王宮の生活にも慣れてきた頃。 いつものように図書館へ向かっている途中、庭に剣を振るうユウの姿が見えた。 じっと見つめていると、 「・・・なんだ、今日も一人か?」 気づいた彼に声をかけられて、リナリーが頷く。 王女の結婚式を控えた王宮は準備に忙しく、アレンも余興の打ち合わせとかで今日も傍にいてはくれなかった。 寂しげなリナリーに、剣を鞘に収めたユウが歩み寄って、小首を傾げる。 「お前、いくつだ?」 16、と、指を立てた彼女を、ユウは不思議そうに見つめた。 「お前・・・あの夜は自力で泳いでたよな? とてもそんな子供の泳ぎじゃなかったように思うが」 その言葉にムッとして、リナリーは首を振る。 子供じゃない、16はもう大人だ!と、膝に乗せたノートに書き殴って見せると、普段無愛想な彼には珍しい笑みを浮かべる。 その美しさに思わず見惚れていると、じっと見つめ返されてうろたえた。 「お前・・・16なのになんでそんなに貧相なんだ?」 言っている意味がわからず、小首を傾げたリナリーの胸元を、彼が無遠慮に指す。 「せいぜい、13くらいだろ」 ・・・彼の言う貧相が何のことかわかった瞬間、リナリーは車椅子を発進させてユウに体当たりした。 「いって!なにすんだ!」 『おかの動物と違って、海の動物は胸おっきくないもん!エミリアみたいだったら泳げないじゃないか!って言いたいのに言えないって悔しいなぁ!!!!』 ガンガンと何度も体当たりして怒りをぶつけるリナリーに、なぜかユウがまた笑う。 「お前、怒るんだな」 「?!」 ムッとして睨むと、なぜか頭を撫でられた。 「初めて会った時、なんだか怒られた気がしたんだが・・・ここに来てからのお前はいつもびくびくして、不安そうだったからな。 もしかして別人かと思ってたんだ」 貧相だし、とまた言われて、リナリーが体当たりする。 「エミリアは気の大きな女だ。 ここにいる限り、何も怖がらなくていいぜ」 「・・・・・・」 意外な優しさに驚きつつも、頷いたリナリーの頭を彼はまた撫でてくれた。 『兄さんみたいだな・・・』 海の底で心配しているだろう兄を久しぶりに思い出し、リナリーはうな垂れる。 「どうした?」 問われて、リナリーはノートに『家族のことを思い出した』と書いた。 「帰りたいなら、引止めはしないぜ? 何なら送って・・・」 その言葉にはふるりと首を振って、リナリーはまたペンを走らせる。 『迎えが来るまで、帰る方法がわからない』 「そうか・・・」 ぽんぽん、と、慰めるように頭を叩く彼を、リナリーは不思議そうに見上げた。 きれいだが峻厳な性格で、仲良くなれそうにはないと思っていたのに、意外な優しさに戸惑ってしまう。 「じゃあ、迎えが来るまでのんびりしていたらいい。 俺らの結婚式は、随分盛大にするらしいからな。 お前も楽しめるんじゃないか?」 自分のことなのに他人事のようだと、ますます不思議そうな顔をしたリナリーに、彼は苦笑した。 「俺は、この国には仕事で来てるようなもんだ。 だが今はまだ、任務開始してないってところだな」 だから暇を持て余している、と言う彼に頷いたリナリーは、すぐににこりと笑う。 「なんだ?」 瞬いた彼の手を取って、リナリーは車椅子のハンドルを握らせた。 「押せってか」 コクコクと頷いて、廊下の奥を指す。 「図書館に行くんじゃねぇのかよ」 やめた!とノートに大きく書き、スピード上げて!と書き加えた。 「俺はお前の従者か」 一応は苦情を言うが、リナリーはノートで膝をぱすぱすと叩いてユウを急かす。 「仕方ねぇな・・・」 とは言いつつも、心底迷惑がってはいない口調で、車椅子を押す彼は廊下を駆け抜けた。 「あらまぁ、仲良しねぇ」 王宮の二階から下の回廊を見下ろしたエミリアが、物凄い勢いで通り過ぎるユウと車椅子に乗ってはしゃぐリナリーに微笑む。 「兄妹みたいだわ。ねぇ?」 クスクスと笑う彼女の傍らで、父王が忌々しげに壁を掻いた。 「なにを暢気に笑っているんだ、エミリア! 私が言った通り、早速浮気してるじゃないかあの野郎!!!!」 まだ結婚前なのにと、ぎりぎりと歯噛みする父王に、エミリアは肩をすくめる。 「ただ、車椅子押してあげてるだけじゃない。浮気じゃないわよ」 平然と言った彼女に、しかし、王は激しく首を振った。 「いいや、あれは浮気だ!! よく見なさい、あの娘を! あの男と同じ、東洋の血が流れているみたいじゃないか?!」 「そうね、黒髪ね」 父の話を聞き流しながら、エミリアは式の進行表をめくる。 「長いわねー。 あたし、寝ないでいられるかしら」 「長いって、私の話しがか?!」 「うん、そっちも長いし鬱陶しい」 きっぱりと言って、エミリアは手を払った。 「別にいいわよ、浮気くらい。 彼とあたしは国同士の結婚なんだから、戦争でもしない限り解消はされないんだもの。 あいつを一生あたしのものにできるんなら、遊び相手くらい何人いてもいいわ」 「エミッ・・・お前・・・・・・!」 そこまでの覚悟かと、王は肩を落とす。 「わかった・・・好きにしろ」 「ふふ じゃああたし、準備状況の見回りしてくるわ 父の頬にキスをして、エミリアは軽やかに踵を返した。 ――――・・・そんな、『人魚のリナリー』であれば、決して見聞きできない状況までも見たリナリーは、ゴーグルの奥で眉根を寄せた。 「エミリア・・・めぇ・・・! なんでそんな・・・余裕なんだよ・・・!!」 悔しげな唸り声を聞いて、コムイは気遣わしげにリナリーの手を握る。 「リナリー? リナリー、早く起きなさーぃ!朝ですよー!」 呼びかけると、手をきつく握り返された。 「リナ・・・!」 喜色を浮かべたのも一瞬、 「神田を・・・取るなああああああ!!!!」 絶叫と共に腕にしがみつかれて、コムイの顔が引き攣る。 「神田くぅん・・・・・・! 神田君、至急科学班第一班においでぇ・・・・・・!」 恨みがましい声を無線に乗せて、コムイは神田を呼び出した。 「・・・ユウ、何やらかしたん?」 「コムイさんの声、ただ事じゃなかったですよ?」 神田が無線を切るや、気遣わしげに言ったラビとは逆に、アレンは面白そうに目を輝かせた。 「別に心当たりは・・・あぁ、報告書でなんか間違えたか?」 「報告書のミスなんか、リーバーのとこで対処できっだろ! コムイ直々の呼び出しなんて、もっと・・・」 口を濁したラビに代わって、アレンが嬉しげに笑う。 「任務先の歴史的建造物壊して賠償金がとんでもないことになったとかじゃないですか? あはははは! すんごい怒られるといいよー!」 「悪趣味ですよ、ウォーカー」 他人の不幸に大喜びするアレンを、すかさずリンクがたしなめた。 「しかし、確かに室長の声はただ事ではありませんでした。 早急に出頭することを推奨しますよ、神田」 「言われなくても行く」 ぶっきらぼうに言って、神田は箸を置く。 「・・・なんなんだ、全然心当たりねぇぞ?」 建築物を破壊しなかったとは言わないが、特に古いものではなかったし、人的被害は無かったはずだ。 「なんだ・・・?」 首を捻って立ち上がった神田に、ラビとアレンも続く。 「なんでついてきてんだよ」 「いや・・・なんだろなーって思ってさ」 「コムイさんに怒られる所見物ー 「ウォーカー!悪趣味だと言っています!」 とは言いつつリンクもついて来て、神田を先頭にぞろぞろと第一斑へ入った。 「おい、なんなんだよ・・・って、まだ寝てんのか、こいつ。 まだ外れないのか?」 診察台に寝かされたリナリーを指すと、コムイが詰め寄ってくる。 「神田君神田君神田君!! ボクのリナリーに何したの?!」 「は?」 質問を質問で返されて、神田が眉根を寄せた。 「俺は別に何も・・・こいつが勝手に被ったんだろ?」 「そっちじゃないいいいいいいいいいいいい!!!! なんでリナリーが、エミリア君にキミを取られて悔しがるのさ!!!!」 「・・・誰が誰に取られたって?」 わけがわからず、ムッとする神田と激昂するコムイの間に、リーバーが割って入る。 「えぇと・・・リナリーが被っちまったもんについては、キャッシュから聞いてんだよな?」 「ああ」 「俺は聞いてないさ!」 「僕も!!!!」 「えぇっとね・・・」 背後でやかましく挙手するラビとアレンにキャッシュが説明すると、二人は何度も頷いた。 「そりゃ、押すさね!」 「お約束ですね!」 「キミ達が押してればよかったのに!」 コムイに忌々しげに言われて、二人は頬を膨らませる。 「そんなことよりもだよ、神田君!!」 更に詰め寄られて、さすがの神田が歩を引いた。 「なんだよ・・・!」 「リナリーの夢の中で・・・なにやってんのさー!!!!」 「心底知るか――――っ!!!!」 ―――― あれ?兄さんの声? 懐かしい声が聞こえた気がして、リナリーが辺りをキョロキョロと見回す。 「どうかしたか?」 ユウに問われたが、リナリーは『なんでもない』と首を振った。 それよりと、賑やかな音楽が聞こえる方へ、指を差す。 「連れてけってか。 俺がうろうろすると、あんまりいい顔されないんだがな」 せっかくのサプライズが台無しだと、芸人達が練習をやめてしまうのだ。 『こっそりならいいでしょ!』 早く早くとねだられて、ユウは仕方なく車椅子を押す。 「なんで俺が・・・」 ブツブツとぼやきながら、それでもリナリーの要望通りに連れて行ってくれる彼に嬉しくなって、足をばたつかせた。 「おい、見つかるぞ」 たしなめられて頷いたリナリーが、柱の隙間からそっと裏庭を覗く。 音楽に合わせてジャグリングをしたり、曲芸をこなす様をわくわくと見つめていると、その中にアレンの姿もあった。 声をかけたいが、見つかってはまずい上になにより・・・声が出ない。 うずうずする彼女に気づいたユウが、意地悪く笑った。 彼はリナリーの手からペンとノートを取り上げると、隠れていた場所から身を乗り出す。 「おい、そこの道化」 声をかけるや音楽が止み、楽しげに芸を披露していた芸人達がぴたりと動きを止めた。 頬を膨らませ、責める目つきで睨んでくるリナリーに笑い、ユウはアレンを指す。 「おまえだ」 「あ・・・はい」 ピエロ達が集まっていた中からアレンが進み出て、二人に駆け寄った。 「こんにちは、リナリー。 なにかご用でしょうか?」 小首を傾げると、ユウはリナリーのノートを開く。 「えぇと・・・芸がつまらない。 大きな動物でも出せばいいのに、それもない。 だったら拳闘でもやればいいのにそれもないなんて、どこがサプライズ?だそうだぞ」 ―――― 言ってないよ!!!! いきなり何を言い出すのかと驚いて、必死に首を振るがアレンは、悲しそうな顔でうな垂れた。 「ご・・・ごめんなさい、リナリー。 そんなにつまんなかったですか?」 そんなことない、おもしろかった、と言いたいのに言えないリナリーの代わりに、ユウがあっさり頷く。 「みたいだな。 ここに来るまでははしゃいでいたのに、お前らを見た途端、テンション下がってたぞ」 「そうなんだ・・・」 ―――― 違うってえええええええええ!!!! 「それに・・・ぐふっ!!」 尚も言い募ろうとしたユウのみぞおちを、リナリーが強烈な拳で抉った。 これ以上余計なことは言うなと、ノートを取り戻すべく手を伸ばすが、それはあっさりと遠ざけられる。 更に仕返しとばかり、彼はリナリーを指した。 「ところでこいつ、あんまり貧相だから13歳くらいかと思っていたら、16らしいぞ」 ―――― 貧相じゃない!種族が違うだけ!!!! 怒ったリナリーが車輪を高速回転させ、ユウを轢き潰す。 ぜいぜいと息を荒げる彼女に、アレンが苦笑した。 「せ・・・清楚でいいんじゃないですか・・・?」 ―――― そういうことじゃないんだよ!種族が違うんだよ!! おかでしばらく暮らせば、きっとエミリアみたいになれるんだと、涙ながらに訴えようにも声が出ない。 「あ・・・あの、ごめんなさい・・・! 気を使ってくれたんですよ・・・ね・・・?」 つまらないと、ユウにだけは不満を漏らして、自分には言わずにいたのだろうと解釈したアレンに、リナリーは必死に首を振った。 ―――― すごく面白かったよ!あれをつまんないとか大きな動物か拳闘が見たかったと思ってたのはユウだよ!! 何とか信じてもらおうと、リナリーはユウが床に落としたノートへ手を伸ばす。 「がっ!!」 弾みで、床に転がったユウをまた轢いてしまったが、罰だと舌を出した。 「え?あの・・・見ていいんですか?」 ノートを差し出されて、戸惑うアレンにリナリーは強く頷く。 誤解を解くんだと、強い目で見つめられたアレンは頷き返し、ノートを開いた。 ・・・ややして、 「・・・・・・・・・ごめんなさい。 僕、そんなつもりじゃ・・・・・・」 ノートに顔をうずめて泣き出したアレンにリナリーが慌てる。 アレンが泣くようなことは絶対に書いていないはずなのにと、彼からノートを取り上げて見ると、自分の字ではない文字が散々アレンの悪口を書いていた。 ―――― いつの間に!! 愕然として声もないリナリーを、アレンがおずおずと見る。 「僕・・・そんなにしつこかったですか・・・? ストーカーとか・・・そんなつもりじゃなかったんですけど・・・。 ただ、リナリーが可愛いから、時間のある時は傍にいたいなぁって、思ってた・・・だけなんです・・・けど・・・・・・」 やっぱりストーカーか、と、うな垂れてしまったアレンに向けて必死に首を振るが、顔を上げない彼には見てもらえなかった。 ノートに字を書いて、その悪口が自分の字ではないことを証明しようにも、ペンは床に倒れたユウの下敷きになっている。 苛立たしげに、リナリーはアレンの手を取った。 「え?!あの・・・僕に触られるの、嫌なんじゃ・・・」 手を引こうとする彼を力いっぱい引き止めて、リナリーは大きく首を振る。 『嘘!これはユウが書いたの。私じゃない!』 逆さ文字になって、読みにくそうなアレンの腕を引き、傍らに並ばせてもう一度書くと、アレンが唖然とした。 「次期王様に嫌われちゃったかな、僕・・・」 苦笑したアレンにも、思い当たらないことはない。 この国の男子である以上、アレンも当然『国王派』だった。 国王はユウを初めて見た時から『絶対浮気する!娘を不幸にする!』と心底嫌っていて、その心情は正確に国の男子に伝わっている。 そして密命を帯びたアレンがあの夜・・・船爆破のお膳立てをしたのだ。 ―――― なんでバレたんだろ? 実行犯は妙に潔くて堂々と悪びれない国王だとわかりきっているのだから、自分が嫌われる筋合いはないのに、と不思議に思う。 が、 ―――― 確信がないから、この程度の嫌がらせかな? きっとそうだ、と頷いて、アレンはユウを見遣った。 その目が寂しそうに見えたリナリーが、アレンの手を引く。 「はい?」 『曲芸、すごく楽しかったよ。また見たい。アレン君の出番を楽しみにしてる』 「ホントに?」 嬉しげに笑ったアレンに、リナリーは大きく頷いた。 その頬が、ほんのりと染まる。 「どうしました?」 まだ手を放そうとしないリナリーの上に屈みこむと、彼女は顔を赤くして、文字をなぞった。 『私が可愛いって・・・傍にいたかったって、ホント?』 顔を上げずに字をなぞる彼女に、アレンが照れ笑いする。 「もちろん、本当です! あんな哀しい気持ちの時に嘘なんかつきません」 きっぱりと言われて、思わず顔をあげたリナリーの顔が、みるみる赤くなった。 「リナリー、熱が出たみたいに赤いですよ?」 ちょっとからかってやるとますます赤くなって、アレンから離れたリナリーがまたユウを轢いてしまい、とうとう動かなくなる。 ―――― あ。 と、口を開けたリナリーの車椅子を、アレンが慌てて引き戻した。 「い・・・生きてますか?! どうしよう、死んでたらエミリア様に怒られちゃいますよ!」 アレンの慌て声に焦ったリナリーが、近寄って爪先でユウをつつくと、更に慌てたアレンがまたもリナリーを引き離す。 「余計に無礼ですって! この人のことはどうでもいいけど、エミリア様が怒ったらめっちゃくちゃ怖いんですから!」 言われて見れば確かに、意地悪なユウへは当然の仕返しでも、エミリアを怒らせるのはまずい気がした。 どうしようかとおろおろしていると、小柄な影が音もなく近寄ってくる。 「医者をお探しかな? よければ私が診ようかの」 「あぁ!よかったです、来てくれて!」 歓声を上げて、アレンは小柄な老人に駆け寄った。 のんびりと歩み寄ってくる彼の背を押して、アレンはリナリーに笑いかける。 「リナリー、初めて会った日に言ったでしょ、すごく腕のいいお医者さんが来てるって。 婿殿が溺れちゃったんで、エミリア様が念のために呼んだんですけど、彼が丈夫で医者要らずだったんで、用がなくなってしまったんです。 だからリナリーが来た時には行き違いで街へ出かけてしまわれ・・・リナリー?」 リナリーの唖然とした顔に気づいて、アレンが首を傾げた。 「もしかして・・・お知り合い?」 「あぁ」 口の利けないリナリーの代わりに、老医師が頷く。 「昔からの、な。 まさか、姫がここにおわすとは思わんかったぞ」 じっとりと睨まれて、リナリーは顔を引き攣らせた。 「私の薬を持ち出したのだな?」 ユウを寝室に運んで治療したのち、魔法使いは口の利けなくなったリナリーをきつく睨んだ。 アレンはまた出し物の練習に行ってしまい、味方のいないリナリーは無言で身を縮める。 「・・・仕方のない姫だ。 まぁ、私の弟子が不甲斐ないのもあるのだろうがな」 それは違う、と、リナリーは必死に首を振った。 ラビはいつも通り接してくれただけだ。 何も悪くないのだと、急いでノートに書き付けた。 「・・・ふむ。 あの短期間で、よくここまで字を覚えたものだ。 さすがは領主殿の妹姫だな」 ラビと同じことを言って、魔法使いはやれやれと首を振った。 「困ったお転婆だ。 それで? 私の薬は今、どこにあるのだ?」 問われてリナリーは、気まずげに首をすくめる。 人の姿に変わった時、あまりの苦しさに放り出した薬瓶は今、砂浜のどこかに転がっているか、波に飲まれて海の中だ。 「・・・まったく! 貴重な薬をもったいない!」 ごめんなさい、と、深々と下げた頭に魔法使いのため息がかかる。 「・・・こうなっては仕方がない。 姫よ、そろそろ海に帰れ」 その言葉に、リナリーは勢いよく顔を上げた。 『帰れるの?!』と動いた口に、魔法使いはあっさりと頷く。 「でなければ今、ラビが家にいるわけがないだろうに。 今夜、あやつに解毒薬を届けさせるゆえ・・・」 帰れ、と言いかけた魔法使いは、リナリーに袖を引かれて吐息した。 「王女の結婚式を見たいのか? 盛大なものになるそうだしな」 目を輝かせて何度も頷く彼女に苦笑し、魔法使いは頷く。 「では、薬は今夜届けさせるにしても・・・帰るのは明後日でよいか」 その言葉に、リナリーは声のない歓声をあげた。 ・・・そしてその夜遅く、解毒薬を持っておかに上がったラビが、人の姿でやって来た。 王宮の人間には既に、医師の弟子として知られた存在らしい。 邪魔されることなくリナリーを見つけた彼は、ぎこちない足取りで彼女に駆け寄ると、ほっと吐息した。 「もー・・・なんたって一人でこんなとこに来たんさ、リナ! お前がいなくなったって、海の底じゃ大騒ぎさ!」 しゃがれ声ながらも、ちゃんと声を発しているラビをまじまじと見つめていると、気づいた彼が自分の喉に手を当てる。 「もう何度も飲んでっから、いい加減慣れたさね。 足も、『歩く』用の筋肉がだいぶついて来てんさ」 そんなことができるのかと驚き、感心するリナリーにラビが得意げに笑った。 「明後日・・・いんや、もう明日か。 この国の結婚式なんだろ? 楽しめそうさ?」 問われてリナリーは、何度も頷く。 きらきらと輝く目で見つめられたラビは、苦笑して肩をすくめた。 「ジジィがいいっつってんのに、俺が反対するわけないじゃんか」 「 リナリーは嬉しそうにラビの手を握り、振り回す。 が、 「帰ったら、コムイの超絶長いお説教と、ジェリー姐さんのきっつーいお仕置きが待ってんだからな。 急いで帰ることもないさ」 途端におとなしくなったリナリーに笑い出して、彼は彼女に解毒剤を渡した。 「海に入る直前に飲むんだぜ。 足は一瞬で尾びれに変わっちまうから、場所も考えて飲めよ」 そうすれば、と、ラビはにこりと笑う。 「喉が水で満たされてるうちに、声も出るようになるさ」 目を輝かせたリナリーに頷き、ラビは窓の外を見遣った。 「結婚式の日は晴れそうさね。 花火は、くれぐれも事故のないように扱って欲しいもんさ」 「はぁ・・・幼馴染・・・ですか・・・」 翌日、突然の闖入者に唖然としたアレンに、ラビは馴れ馴れしく詰め寄った。 「そ 俺、こいつの兄ちゃん的な? よろしくさー 随分と軽いノリの彼にピエロとしては負けるわけにも行かず、愛想よく握手する。 「よろしくお願いします 明日の結婚式では僕達、すっごい出し物しちゃうんで、どうぞ楽しんでいってくださいね!」 早速仲良くなったらしい二人の様子に、リナリーが嬉しげに笑った。 くいくいと二人の袖を引き、『ドレスを見に行きたい!』とノートに書いて見せるとアレンが複雑な顔をする。 「リナリーはいいでしょうけど、僕達は・・・」 「リナ、おかの女は男に着替えとか見られるの、嫌がるんさ。 お前はいいケド、俺らは行けないさね」 ラビに言われて、訝しげな顔をするリナリーに、アレンが顔を赤くした。 「お二人の国って、そんなにオープンなんですか・・・!」 ちょっと行ってみたい、と呟くと、リナリーが目を輝かせる。 ぐいぐいと手を引き、おいでおいでとはしゃぐ彼女にラビが苦笑した。 「ダメさ、リナ。 アレンは国に入れねーよ」 ラビの言葉に、アレンは『鎖国中か』とあっさり納得したが、リナリーは不満げに頬を膨らませる。 『なんで! おじいちゃんの薬でなんとかなるんじゃないの?!』 人魚を人間に変えてしまうだけでなく、人間の姿になった身体を人魚に戻すこともできる薬だ。 きっと人間を人魚にすることも可能に違いないと思った彼女に、ラビは首を振る。 「言っただろ、『解毒剤』ってな。 あの薬は、元々飲んだ薬の効果をなくすもんさ。 アレンを人・・・いや、俺らの国に入れるようにすることはできないんさね」 諭されて、ふてくされたリナリーにアレンが微笑んだ。 「お招きしようとしてくれて、嬉しいですよ」 俯いてしまったリナリーの頭を撫でて、彼女の車椅子を押す。 「お礼に、エミリア様のお部屋の前までお供します」 ここ最近は式の準備で、王宮の誰よりも働いていた王女の部屋を訪ねると、さすがに今日は落ち着いたらしく、ユウと一緒にのんびりとお茶を飲んでいた。 「あら、いらっしゃい。 あなた達もどう?」 「お邪魔していいんさ、王女様?」 誘われて、嬉しげなラビと共にアレンも遠慮がちに部屋へ入る。 「王子様には初めましてさ 俺、ここに出入りしてる医者の弟子で、ラビっていいます 今後ともよろしくさー 「あぁ、あのジジィの・・・」 昨日、リナリーに轢かれた自分を治療してくれた医者かと呟いて、ユウはリナリーを睨んだ。 『ごめんなさい。 後悔はしていないけど反省はしている』 「お前な・・・」 ノートを掲げたリナリーに、ユウが顔を引き攣らせ、エミリアが笑い出す。 「昨日のことは聞いたわよ。 ダーリンが悪いわね、あれは。 でも、せっかくのお披露目式の前に、このキレイな顔を傷つけちゃダメよ 冗談めかしてウィンクしたエミリアに、リナリーは素直に頭を下げた。 「まぁ、彼は丈夫だから、ちょっとやそっとの怪我は平気なんだけどね 「だからって船を爆破するか? なんとか生きて戻ったが、お前の父親、無茶過ぎるだろ」 忌々しげな口調に、アレンがそっと目を逸らす。 と、気づいているのかいないのか、エミリアがちらりと彼を見遣って、ため息をついた。 「あたしも変だとは思っていたのよ。 あの船、漁礁にするために元々、あちこちに穴を開けてたものなのよね」 「そんなのに人乗せたんさ?!」 とんでもない告白を聞いて呆れ返るラビに、エミリアはまたため息をつく。 「危険だから他の船にしましょ、ってパパには言ってたんだけど、歴史のある船だから、沈める前に婿殿の歓迎パーティをしようって聞かなくて。 穴は塞いでるから大丈夫だって、いやに自信満々でね。 これは沈める気だな、って思ったから、牽制のために財物や結婚指輪までも積み込んだのに、あっさり沈めたわね・・・」 むしろ結婚指輪を乗せたから沈められたのではないかという突っ込みは、誰も言えなかった。 「それに、ダーリンがねぇ・・・」 危険だから乗るなと止めたのに、『挑戦を前に逃げるのは恥』と、果敢に乗り込んでしまったのだ。 「・・・王子様、勇敢と蛮勇は違うさね」 「生きて帰ったんだから問題ねぇだろ」 ちらりと笑みを向けられて、リナリーも苦笑する。 確かにあの時の彼は、必ず生きて戻るんだという強い意志に溢れていた。 『また、爆破されないといいね』 何気ない一言だったが、ユウもエミリアも凍りつく。 「そう・・・だな。 王にとっては、明日が最後のチャンスだな」 「アレン・・・また裏切ったら殺すわよ」 エミリアの刺すような視線に貫かれ、アレンは冷や汗の浮いた顔で何度も頷いた。 翌朝は早くから祝砲が撃たれ、初めて聞いた音に驚いたリナリーは飛び起きた。 出来るだけ急いで身支度を済ませ、外に出ると、そこには既にアレンの姿がある。 声が出ないため、呼びかけることが出来ずに寄って行くが、車輪の音は次々に鳴る祝砲にかき消されて彼には聞こえないようだった。 袖を引こうと更に近寄ると、 「火薬の量は十分ですから、落ち着いて作業してください。 決して、エミリア様には怪我が無いように」 と、何人ものピエロへ通達している声が聞こえて、とっさに柱の陰に隠れる。 「タイミングは、エミリア様のお色直しの時ですよ。 バルコニーで国民に挨拶されたのち、パレード用のドレスに着替えるため、一時離れます。 婿殿は先に馬車へ向かいますから、その通り道に仕掛けます。 ・・・東の国の人達に、目にもの見せてやりましょ クスクスと笑い出したアレンの声に、ピエロ達も唱和した。 「じゃ、早速行きましょう。 馬車へ向かう道は、新郎新婦しか通れないことにしていますから、くれぐれも落ち着いて、間違いのないように」 行こう、と、ピエロ達を率いて遠ざかる背中を、リナリーは柱の陰からそっと見送る。 彼らの姿が完全に見えなくなると、急いでエミリアの部屋へ向かった。 ―――― 今ならまだ、ユウの暗殺計画を止められるはず! アレン達の言動はそうとしか思えず、リナリーは懸命に車椅子を走らせる。 しかし、『今日は忙しいから』と、立ち塞がった侍女達にあっさりと追い払われてしまった。 新郎が暗殺されるかもしれない!と訴えても、彼女らは聞いてくれようともしない。 ―――― そうか、あの人達も『国王派』なんだ! と、暗殺の首謀者が他ならぬこの国の王であることに思い至ったリナリーが、直接ユウへ会いに行こうとするが、これまた『式前の新郎に女性が近づくのは好ましくない』と言う理由で追い払われてしまった。 ―――― ま・・・負けるもんか!! 人間が使えないなら魔法使いとラビしかいないと、リナリーは二人の部屋に向かったが、好奇心旺盛な彼らがこんな賑やかな日に部屋にいるわけがない。 懸命に王宮中を探すが、声の出ない彼女が出来ることは限られていて、困惑する間に式が始まった。 賑やかな音楽と大歓声が溢れ、押し寄せた人々の波に揉まれて、車椅子のリナリーは端に追いやられてしまう。 ―――― このままじゃ間に合わない! 意を決して車椅子を下りた途端、足が砕けるほどの衝撃が走った。 それでもなんとか集まった人々を杖代わりに掻き分けて進み、バルコニーの下に至る。 しかしとうとう力尽き、へたり込んだ彼女に護衛の兵士が手を差し伸べてくれた。 「足が悪いのにここまで来たのか・・・こんな前にいては危ないから、人が少ない場所に連れて行ってあげよう」 そう言って横抱きにしてくれた彼に、リナリーが目を光らせる。 ―――― ちゃーんす! 懐にしっかりとしまっていたノートを取り出すと、リナリーはサラサラとペンを走らせた。 『とっても素敵なお婿様だって、憧れてたの!お願い、近くで見てもいいでしょう?』 目を潤ませ、上目遣いでじっと見つめると、彼は一瞬で落ちる。 「しっ・・・仕方ないな! がんばってここまで来たんだものな!!」 美少女の最強の『お願い が、リナリーは更にペンを走らせる。 『せっかく来たのに、遠くて見えない・・・。 王子様が馬車に乗り込む時に、お一人で通る場所があるんでしょ? 他の女の子達はもう、そこで待ち構えてるの』 だから、と、大きな目に涙を浮かべた。 『お願い 「しょ・・・しょうがないよね!みんなと一緒がイイヨネ!!!!」 あっという間にリナリーの足と成り果てた兵士が、彼女を抱えたまま早足に移動する。 「こ・・・ここがそうだよ! あぁ、ホントに女の子達、たくさん集まってるんだなぁ・・・まぁ、無理ないけど」 感心しながら彼は、忙しく立ち働く従僕に椅子を持って来させて、リナリーを最前列に座らせた。 「さぁ、お嬢さん。 ここならよく見えるだろう? 王子様も、手を振ってくださるかもしれないよ」 『ありがとう!』 お礼を書いて頬に軽くキスすると、真っ赤になった彼はフラフラと持ち場へ戻る。 ―――― ふっ。ちょろいわね。 すっかり悪女の目つきになって笑ったリナリーが、顔を引き締めて開け放たれた王宮の扉を見つめた。 バルコニーから下りてきたユウは、一人でこの道を通る・・・その時、国王の魔手が伸びるのだ。 ―――― そうはさせないんだから! やや遠くに歓声を聞きながら、リナリーは膝の上にこぶしを固めた。 ―――― せっかく助けた命だもの、もう一度助けてあげるよ! 華やいだ雰囲気の中で、リナリー一人が厳しい目を向けていると、ざわめきがあがってユウが姿を現す。 扉を抜けるや、すぐにリナリーに気づいた彼は、微かな笑みを浮かべて歩み寄って来た。 「なんだ、ここにいたのか。 エミリアがバルコニーでのドレスを見せたがっていたのに」 話しかける彼に思いっきり首を振って、リナリーは彼にだけノートを広げてみせる。 『暗殺』 と、大きく書かれた文字に、彼は眉根を寄せた。 「また爆破か?あの道化だな」 昨日のエミリアの一言に思い至り、ユウはリナリーの頭を撫でる。 回避できた、と、リナリーがホッとしたのも一瞬、彼は挑むように紅い毛氈が敷かれた上を歩く。 ―――― なんで?!ダメだって!!!! 声が出ないことがもどかしく、椅子から転げ落ちながら彼を止めようとするが、ユウは振り向きもせず歩を進めた。 ―――― 止めなきゃ!! 目の前で彼が死んでしまうのは悲しすぎる。 何か手立てはないかと辺りを見回すと、首尾を確認に来たのか、アレンの姿を見つけた。 ―――― アレン君!!!! 「あひょぁっ?!」 リナリーが投げつけたペンが、見事にアレンの額を打つ。 「いったぁ・・・! なに?!何が飛んできたの?!」 涙目で辺りを見回すと、地に転げてしまったリナリーが、物凄い目で彼を手招いていた。 「ぅわ・・・なんであんなに怒ってるの・・・?」 恐々と歩み寄ると、いきなり胸倉を掴まれて引き寄せられる。 「あ・・・あの、リナリー・・・?」 『彼の暗殺をやめて!』 「へっ?!」 その文字にぎょっとしたアレンを、リナリーは更に引き寄せた。 『火薬を仕込んだの、知ってるのよ!!』 「い・・・いつの間にそんな情報を・・・」 アレンは気まずげに頭を掻く。 「・・・じゃあ、リナリーも近くで見ますか? すごいサプライズですよ」 やだやだと暴れるリナリーを横抱きにしたアレンは、黄色い歓声をあげる少女達の群れを掻き分けて、前に行った。 「もうそろそろ・・・」 その言葉に、真っ青になってユウの姿を見つめるリナリーの耳が、いくつもの破裂音を捉える。 「っ!!」 とっさに目をつぶった彼女の耳は次の瞬間、少女達の大歓声に包まれた。 驚いて目を開けると、空からバラの花びらが降って来て、その中央を進むユウの姿を彩っている。 「こないだ、あの人に僕らの芸がつまらないなんて言われましたんで、せいぜい驚かしてやろうって、みんなで企んだんですよ」 ここで飛び上がってでもくれたら大成功だったのに、彼は悠然と歩を進めて、少女達の心を更に掴んでしまった。 「あーぁ。大失敗」 冗談めかして言ったアレンの腕の中で、リナリーはホッと吐息する。 ややしておずおずと彼を見上げ、『ごめんなさい』と頭を下げた。 『暗殺だと思ったの』 その言葉に、アレンは妙にしかつめらしい顔で頷く。 「王様からは、殺す気で行けって命令されました。 じゃないと、肝の据わった彼が驚いて醜態をさらすことなんかないからって」 クスクスと笑い出した彼に、リナリーも声を立てずに笑う。 ―――― がんばったのに、とんだ勘違いだったよ。 考えてみれば、いくら気に入らないからと言って一国の王が他国の王子を殺すわけがなかった。 ―――― 私、馬鹿みたい・・・。 と、自嘲した瞬間。 リナリーの予想以上に無茶だった一国の王は、楽しみにしていた婿の醜態が見られなかったことに腹を立て、火のついたパイプをバルコニーから投げつけた。 それは折からの強風にさらわれて、海側に並べていた樽の上に落ちる。 「あ!!!!」 樽から煙が上がった瞬間、アレンが大声をあげた。 「みんな逃げて!!火薬に火が!!!!」 その声に、集まっていた少女達が雪崩を打って逃げ出し、兵士達はユウと馬車の周りに盾を並べて守りを固める。 が、リナリーを抱えていたアレンは逃げるのが遅れた。 どういう熱伝導のなせる業か、火の点いた火薬の樽が花火玉のように上下左右に撃ち出される。 その一つがユウを守る兵士の盾に当たって弾き返され、アレンの背を打ち据えた。 「ぎゃふんっ!!」 リナリーを抱えたまま、アレンは宙を飛んで海へ・・・。 崖を越えて、深みへと落ちていった。 「リナ!!」 ユウの声が聞こえたが、リナリーは間近に迫った懐かしい海に微笑み、空中でくるりと体勢を変えると、アレンを抱きしめて頭から海へ入る。 大事に持っていた解毒剤の蓋を弾き、一気に飲み干すと、ずっと彼女を苛んでいた足の痛みが嘘のように消えた。 「尾びれが戻ったわ!」 その上、海水の満ちた喉は潤って、難なく声が出せる。 「アレン君、すぐに水の上に連れてってあげるね! アレン君?」 ふと見ると、腕の中のアレンはぐったりとして、死んでいるように見えた。 「アレン君!アレン君、起きて!!」 ちっとも動かない彼に呼びかけるが、今はまだ生きていても、人間が水の中では呼吸出来ないことは知っている。 「すぐに助けるから・・・ホラ!もうすぐ水の上だよ! アレン君・・・!」 必死に呼びかけながら、リナリーは水を蹴って彼を引き上げた。 「アレン君っ!!死んじゃダメだよッ!!」 「ぎゃんっ!!!!」 突然起き上がったリナリーのヘルメットに強烈な頭突きをされて、アレンがひっくり返った。 「アレン君、どこ?! 沈んじゃったの?!」 ゴーグルはまだ下ろしたまま、ベッドの下を懸命に探すリナリーから、神田がヘルメットを外してやる。 「ふわっ!!いきなり水がなくなった!!」 「いい加減、起きろ馬鹿!」 思いっきり頭をはたかれて、リナリーが呻き声をあげた。 「〜〜〜〜なにすんだよ、乱暴者! リナリーの恩を忘れたのっ?!」 「お前こそ、外してやった恩をありがたがって礼を言え」 傲慢な声に涙目をあげると、彼だけでなく、コムイやラビ、科学班の面々が彼女を囲んでいる。 「・・・・・・あれ?」 「リナリイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!! 心配したよ!お兄ちゃん、すごく心配したんだよ!!」 「目ェ覚めたさ?」 抱きついて泣きじゃくるコムイといつも通りのラビの温度差にも戸惑いつつ、リナリーは首を傾げた。 「えーっと、ここは水の中なの?おかの上なの?」 「水か陸かで言ったら陸の上だな。 黒の教団本部、ロンドン郊外の城内、科学班第一班だ。 エクソシストのリナリー・リー。 お前は俺らが止めるのも聞かず、危険な機器をいじって夢の中に行ってたってわけだ。 納得しろ」 リーバーにぐりぐりと頭を撫でられながら簡潔に説明されて、リナリーはぼんやりとしたまま頷く。 「じゃあ・・・アレン君は死にそうじゃないのね?無事なのね?」 「いや・・・あんたの頭突きをまともに受けたから、無事とは言えないかな」 ため息をついて、キャッシュが応急処置を受けるアレンを見遣った。 「・・・どんな冒険だったの?」 苦笑して問うと、リナリーはしばらく考えて、にこりと笑う。 「大変だったけど、楽しかった!」 「そっか。 そりゃよかったや」 笑い返したキャッシュとは逆に、神田は忌々しげに舌打ちした。 「自業自得なんだから、二度と手を出したくなくなるくらい酷い目に遭えばよかったんだ」 あまりにも冷たい言い様に、リナリーが頬を膨らませる。 「ユウってばさっきまですごく優しかったのに!! 詐欺だああああああああああああああ!!!!」 「知るか!! てめぇら兄妹揃って知るか!!!!」 絶叫に絶叫で答えてやると、ラビがわざとらしく耳を塞いだ。 「なぁ、リナリーは起きたこったし、そろそろ出てかねーと邪魔なんじゃね?」 リナリーに関わっていた間、第一班の仕事は滞り、仕事どころではない室長のせいで鬼の補佐官の頭には今にも角が生えそうだ。 「リナの冒険譚は後で聞くとして・・・あの、マジで危機が迫ってますヨ?」 既に蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった科学班の面々が恐々と見守る中を、高らかに踵を鳴らして歩み寄ったブリジットが、未だ泣きじゃくるコムイの襟首を掴んだ。 「さぁ! もうご心配はないでしょう、室長!! 今日の分のお仕事をさっさと片づけてくださいませ!!!!」 女とは思えない膂力でコムイをリナリーから引き剥がし、ずりずりと引きずって行く。 「あ・・・?」 未だ完全に夢から覚めず、ぼんやりと見送るリナリーを、ブリジットが肩越しに睨んだ。 「心配しなくても、夜には解放して差し上げますわ! パーティの間くらい、一緒にいられないとまたあなたがお仕事の邪魔をしますものね!」 「えーっと・・・はい、ありがとう・・・・・・」 妙に素直なリナリーに気をそがれて、ブリジットはつまらなそうに鼻を鳴らす。 「顔でも洗って、目を覚ましなさい!」 「うん」 これまた素直に頷かれてしまい、ブリジットはつまらなそうな顔をしてコムイを執務室に引きずり込んだ。 「あの・・・大丈夫ですか?」 氷で患部を冷やしながらアレンが問えば、リナリーは目をこすって頷く。 「別に悪いとこなんてないよ。 ただ・・・まだ寝ぼけてる感じだから、顔でも洗ってくるよ」 「あぁ、そうすんだな」 ぽんぽんと頭を叩いて笑うラビにも頷き、リナリーが立ち上がった。 「じゃーねー・・・」 振り向きもせず背後へ手を振る彼女を、皆が苦笑して見送る。 「・・・ったく、いたずら娘が。 なんで俺が振り回されなきゃなんねぇんだよ」 「それでもちゃんと付き添ってんだから、ユウも面倒見がいいさね。 ま、リナ限定だろうけど」 クスクスと笑うラビに、アレンがムッとした。 「・・・文句しか言わないんだから、さっさと出てけばよかったんですよ。 僕なんて本気で心配してたのに、痛い目見るなんて割に合わない」 ブツブツとぼやきながら、アレンが医務室へ行こうと科学班を出た時、外で水音が上がる。 「・・・大きな魚でも跳ねたのかな」 それにしては大きな水音だった。 第一、この外は崖ですぐ下は海になっている。 魚の跳ねた音なんか今まで聞こえただろうかと不思議に思っていると、団員達が大声をあげて崖へ走っていた。 「誰か海に飛び込んだぞー!!」 「自殺か?!」 「じっ自殺?!」 驚いたアレンも駆けつけると、同じく興味を惹かれたラビと、神田まで駆けつける。 「誰が落ちたんさ?!」 「まさか・・・」 嫌な予感がして、神田が崖下を覗き込んだ。 と、 「冷たいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」 悲鳴をあげて、ダークブーツを発動したリナリーが海面から崖上まで跳ね上がって来た。 「なんで海の中ってあんなに冷たいの?!」 「冬の海なんだら当たり前だ!!」 あまりにも予想通りの展開に、神田が舌打ちする。 「寝惚けてねぇで、とっとと・・・」 「神田ー!!さぶいいいいいいいいいい!!!!」 ガタガタと震えながら抱きついて来たリナリーのせいで、神田までもがずぶ濡れになった。 「てめぇ・・・っ!」 「なんか・・・羨ましいような羨ましくないような」 忌々しげなアレンに苦笑して、ラビがいち早く二人から離れる。 「抱きつかれるのは羨ましいけど、この寒空に濡れるのはゴメンさね」 その言葉に同意した団員達が、揃って二人を遠巻きにした。 が、唯一果敢なアレンが歩み寄って、二人を引き剥がす。 「リナリー! 早く着替えないと、風邪引いちゃいますよ! あ、それよりも怪我ないですか?! 病棟に行きましょうか!」 一緒に!と、神田を睨みつけながら言うアレンを不思議そうに見つつ、リナリーは頷いた。 「さ!行きましょ!」 嬉しげにリナリーの腕を引いてアレンが歩き出すと、突然後ろに引かれてリナリーと引き離される。 「テメェは一人で行きゃあいいだろ! モヤシの分際で気安く触るんじゃねぇ!」 行くぞ、と、腕を引く神田について行こうとすると、またもやアレンに引き止められ、引き剥がされた。 「あんたはとっととお風呂に行けばいいでしょ! 風邪引きますよ!」 ハウス!と、宿舎を指すアレンに神田が鼻を鳴らす。 「ひかねーよ、馬鹿!」 「あぁ、そうか!馬鹿は風邪を引かないって言いますもんねー!」 「ちげーよ! テメェみたいなモヤシとは気合が違うっつってんだ!」 ぎゃんぎゃんと言い争う二人の間でボールのようにやり取りされたリナリーが、寒風にさらされて震え上がった。 「お・・・おぉーい? リナが風邪ひくさー・・・!」 遠慮がちに言ったラビの声はきれいに無視されて、団員達の声も届かない。 誰からも助けがないまま寒風にさらされ続けたリナリーは、 「きゃふんっ!!」 と、大きなくしゃみをした。 「・・・あっらぁーん・・・。 じゃあ、パーティできないのぉん?」 残念そうにお玉を掲げたジェリーにカウンター越し、ラビが頷いた。 「高熱に悪寒にくしゃみと咳だってさ。 ありゃあ、ご馳走どころじゃないさね」 しかし、半分以上自業自得なため、同情するのもためらわれる。 「仕方ないわねぇん。 あの子、今夜はバースデーケーキの代わりにお粥ねん」 パーティ用に仕入れいていた食材は、アレンが病棟から帰って来た後で何とかするだろうと、ジェリーが苦笑した。 「でもま、太陽と北風ってーの?」 クスクスと笑って、ラビは内緒話のように声を潜める。 「リナの素直さに毒気を抜かれた補佐官がさ、コムイを短期集中で絞りきって仕事終わらせたんさ。 おかげで今、コムイはリナの看病させてもらってんの」 「アラ、ンマ にこりと笑って、ジェリーも声を潜めた。 「いいとこあるじゃない、ブリジットちゃんたら なにか届けてあげた方がいいかしらん 賄賂だと思われるかしらと、冗談を言うジェリーに、ラビが笑い出す。 「あの補佐官からコムイを取り戻すなんて・・・リナの奴、北風に吹かれた甲斐はあったんじゃね?」 窓の外を吹きすさぶ冷たい海風を見やって、ラビはまた愉快げに笑った。 Fin. |
| 2013年リナリーお誕生日SSでした! ・・・21日の20時アップとかごめんなさいごめんなさい;;; 20日のうちになんとかしようと思ったら寝落ちしてました!>真冬に危険行為である; 今回は、リクエストNo.48『リナリーの人魚姫』を使わせてもらっています。 これ、ニコさんからのリクだったので、チャットに呼び出して『ネタ考えろやヲラ(鬼・∀・)つ))));´д`)』って供出してもらいましたw かいんさんとりえるさんも、お付き合いありがとうございました(笑) ストーリー内の神田さんが妙に優しくてソフトなのは、リナリーのイメージだからです(笑) 彼女の中では、神田さんはアレン君をモヤシ呼ばわりなんかしないし、ちゃんと構ってくれるんです(笑) それに対してエミリアは、強大な権力を盾に神田さんを確保した人ってイメージを持っているのです。 もう取られたってわかっているし、もう敵わないって夢の中では納得しているけどそれは権力によってであって心情は自分寄りだと思いたいお年頃。 そしてラビはお兄ちゃん、アレン君は自分には優しいんだけど、平気でユウを暗殺しようとする面も持ち合せているイメージ。 リナリーは彼の中のネアを見ているので、夢の中ではこういうことになるかな、と。 そんなところを書いてみたかったのでした。 お楽しみいただければ幸いです(^^) |