† TIME SLIP †







 春眠暁を覚えない春の朝。
 カーテンの隙間から差し込んでくる光がしつこく覚醒を促して、リナリーは仕方なく目を開けた。
 「あぁ・・・ようやく晴れたんだね」
 ここ数日、雨が降り続いて春らしからぬ冷気に覆われていたが、今日はようやく暖かくなりそうだ。
 「ん・・・にゃ!
 そろそろ起きないと、ジェリーがうるさいよー・・・」
 ベッドの中で伸びをしたリナリーは、渋々身支度を整え、ドアを開けた。
 途端、
 「ボンジュー・・・ぅびゃっ!!!!」
 飛び掛ってきた子供は目にも止まらぬ蹴りを受け、標本箱に貼り付けられた虫のように壁にへばりつく。
 「おはよ、ティモシー。早起きだね」
 血の尾を引きながら床にずり落ちた子供を冷たく睨み、リナリーは数室先のドアをノックした。
 「エミリアー。廊下の死体、片付けといてー」
 声をかけるが返事はなく、もう一度ノックすると別の部屋のドアが開く。
 「リナリーちゃん、エミリアさんなら今朝はもう、食堂にいたわよ。
 任務帰りの神田君に朝ごはん作るんだって、さっき・・・」
 言いながら出て来たミランダは、神田と共に任務から帰ったばかりなのか、まだ汚れた団服を着替えてもいなかった。
 「ありゃ・・・ごめん、ミランダ。
 私、今起きちゃった・・・」
 おかえり、と、気まずげに言うリナリーに、ミランダは笑って首を振る。
 「いいのよ、お互いさまだもの。
 リナリーちゃんの任務中に、私がここで寝ていることだってあるんだから」
 そんなことを気にしていたら戦争なんてできないと、随分強くなったミランダが笑った。
 「それよりティモシー君、大丈夫なの?
 全然動かないけど・・・」
 近寄ろうとするミランダを、リナリーは手を振って止める。
 「それ以上、近寄んない方がいいよ。
 死んだ振りして獲物が来るのを待ってるんだから!」
 ふん、と鼻を鳴らして、リナリーはミランダへ歩み寄った。
 「ミランダは任務帰りなんだから、もう寝ちゃっていいよ。
 ごめんね、騒々しくしちゃって」
 「あら、いいのよ。
 任務先はフランスだったからほとんど時差はないし・・・これからお風呂に行って、朝ごはんをいただこうって思ってた所だから」
 着替えを取りに来ただけ、と笑うミランダにリナリーが頷く。
 「じゃ、一緒に行こうよ。
 この頃ずっと寒かったから、朝風呂であったまって朝ごはんって、気持ちよさそうv
 そう言って、リナリーが踵を返した時だった。
 さかさかと廊下を這い寄って来た子供が飛び上がり、部屋へ戻ろうとしたミランダの胸にしがみつく。
 「ミランダ姉ちゃん!ケガ治してくれー!」
 「きっ・・・きゃああああああああああああ!!!!」
 豊かな胸に顔を埋められ、ミランダが絶叫した。
 「コラ!ティモシー!!」
 目を離した隙の痴漢行為に怒ったリナリーが、ティモシーの首根っこを掴んで引っ張るが、彼は放されまいとますますミランダにしがみつく。
 「へへへっ!放してたまるか、こんないいおっぱ・・・ぎゃふん!!」
 真っ赤な顔をしたミランダが、手近にあった武器でティモシーを思いっきりはたき落とした。
 「よし!剥がれた!」
 その一瞬を逃さず、リナリーはティモシーを遠くへ放り投げる。
 「ミランダ、大丈・・・きゃっ?!」
 振り返ったリナリーは、ミランダの手の中で発動したタイムレコードの放つ光にたまらず目を閉じた。
 「まぶしっ・・・ミランダ、発動を止め・・・っ?!」
 突然足元の感触を失ったリナリーが息を呑む。
 落ちる感覚に驚き、開いた目は眩い光に眩んでまたきつく閉じてしまった。
 ―――― どうしよう・・・!
 どの程度の高所かもわからないのでは、いかにリナリーとて着地のタイミングが掴めない。
 ともかくダークブーツを発動させ、身体を回転させて落ちる方向へ足を向けた。
 「これなら落ちてもそんな衝撃は・・・ぎゃあ?!」
 何かが足に触れたと思った瞬間、あっさりと破れて再び転がり落ちる。
 「ぎゃんっ!!!!」
 体勢を整える間もなく何か硬いものの上に落ち、弾かれて床に転がった。
 「う・・・痛い・・・!お尻ぶつけちゃったよう・・・!」
 なんとか手を突き出して顔から着地する無様は避けたものの、打ち付けたお尻が痛くてさすっていると、目の前に白くきれいな手が差し出される。
 「大丈夫か?」
 見上げると、20代前半くらいの青年が、訝しげな顔でリナリーの上に屈みこんでいた。
 「あ・・・はい、どうも・・・」
 恥ずかしさに顔を紅くしながら青年の手を取ったリナリーは、薄暗い場所に充満した獣の臭いに眉根を寄せる。
 途端、背後で恐ろしい咆哮が上がり、鋭く振り返った。
 「ラ・・・ライオン?!」
 なぜ、と、目を見開く彼女に、青年は軽く吐息する。
 「ここはサーカスの馬車の中だ。
 お前が突然、幌を破って檻の上に落ちてきたから、リチャードが驚いて飛び起きたんだ。
 一体、どこから降ってきたんだ?」
 腕を組んで問う彼を気まずげな上目遣いで見上げて、リナリーは首を振った。
 「その・・・わからないんです。
 なんで馬車の上に落ちちゃったのか・・・」
 自分はロンドン郊外にある教団本部の城にいたはずなのに、何がどうなってここにいるのか、さっぱりわからない。
 困惑するリナリーに、彼も困惑げに首を傾げた。
 「とにかく、ここに他人がいるとこの子が落ち着かないから、出て行ってくれないか」
 檻の中をぐるぐると歩き回ってはリナリーを睨みつけて威嚇するライオンを指す彼に、仕方なく頷く。
 「あの・・・その前に、ここってどこですか?」
 「は?」
 また訝しげな顔をして、彼はリナリーと共に馬車から出た。
 朝日の中で見た彼は、ゆったりとした白いシャツと後ろで一つに束ねたきれいな金髪を日に煌かせ、鮮やかな青い瞳でリナリーを見下ろす。
 まるで絵本の中から出てきた王子のような美しさに見惚れていると、彼は苦笑して小首を傾げた。
 「私もここには初めて来たから、どこと言われても・・・ロンドンの郊外であることは確かだな。
 昨日までロンドンで公演をしていて、地方へ向かっていたんだが・・・一泊する予定の村の住民が、ライオンを怖がってしまって。
 ライオンの馬車を管理している私が仕方なく、森で野宿する羽目になったんだ」
 夜が明けたのでサーカスの仲間と合流すべく、準備をしていた所にリナリーが降って来たのだと言う。
 「木の上ででも寝ていたのか?」
 そう言って彼が見上げた馬車の上には、大きな樹の太い枝が張り出していた。
 「おい、お前・・・?」
 何も答えないリナリーを見遣ると、彼女ははっと瞬き、顔を紅くして慌て出す。
 まるで小動物のような動きにふっと頬をほころばせて、彼はリナリーの目を覗きこんだ。
 「名前は?」
 「リ・・・リナリー・・・です・・・」
 「リナリー・・・東洋人か?」
 更に問われて、コクコクと頷いたリナリーは、じっと見つめてくる青い瞳をおずおずと見返す。
 「あの・・・あなたは・・・?」
 問うと、彼はどこか意地悪そうに・・・と言うより、いたずらっぽく笑った。
 「リチャード。
 猛獣使いのリチャードだ。
 相棒と同じ名前だな」
 「あいぼう・・・」
 まだ馬車の中で唸るライオンの声を聞いて、リナリーは小さく頷く。
 「あの・・・ところで、変なこと聞いちゃうんですけど・・・」
 「なんだ?」
 「今・・・西暦何年ですっけ?」
 聞けばやはり、妙な顔をされた。
 「何年って・・・188X年だろ」
 その数字を聞いて、リナリーはがっくりと肩を落とす。
 「12年前かぁ・・・・・・!」
 ―――― ここに落ちたのはきっと、ミランダのイノセンスのせいだ。
 彼女の能力は時間操作であり、空間移動ではないため、この場所はロンドン郊外の教団本部がある場所だろうとは思っていたが、城が建つ前にまで飛ばされてしまったらしい。
 ため息をついた彼女に、リチャードは眉根を寄せた。
 「12年前・・・とは、どういうことだ?」
 「あぁ・・・ごめんなさい、違うんです・・・!
 えっと・・・英語で12年前って言ったんじゃなくて・・・そう!
 中国語で、うっかり寝ちゃってたなぁって意味だったの!」
 「そうか・・・似た発音があるんだな」
 すんなり信じてくれたらしい彼がにこりと笑って・・・その笑顔にまた、リナリーの顔が紅くなる。
 「どうした?」
 「い・・・いえ!別に・・・!!」
 慌てて首を振ったが、乙女の熱い視線に慣れている彼は、からかうようにリナリーに近づき、彼女の目を見つめた。
 「私の顔がどうかしたか?」
 笑みを含んだ目で見つめられ、リナリーの体温がぐんぐん上がる。
 ―――― な・・・なんでこんなにドキドキするの?!
 絶世の美貌を誇る神田や笑顔で女の子を魅了するアレン、黙っていれば美形のラビや兄を見慣れているリナリーが、なぜか彼に見つめられるだけで落ち着かなかった。
 思わず目を逸らすと、彼の手がリナリーの頭を優しく撫でてくれる。
 「さぁ、私はもう行くから。お前も家へお帰り」
 「は・・・はい・・・」
 頷いたものの、この場から動かないリナリーに彼は首を傾げた。
 「・・・見送ってくれるのか?」
 「え・・・えーっと・・・そうですね・・・」
 どうごまかしたものかと、混乱するリナリーは額に汗を浮かべたまま、その場を動けない。
 任務であればいかようにも口からでまかせが出るのに、さすがに時間を越えた状況では、どうごまかすべきか思い浮かべることもできなかった。
 「まぁ・・・一晩過ごして、この森には危険な動物も人間もいないことはわかっているんだが・・・それは相棒がいたせいかもしれないんだ。
 女の子がいつまでも一人で森の中にいるのはどうかと思うぞ?」
 「え・・・えぇ、そうですね!
 見送ったら帰りますから・・・」
 「だが、さっきお前はここがどこで、今が何年かとも聞いていたじゃないか。
 大丈夫なのか?」
 帰り道がわかるのかと、気遣わしげな彼にリナリーはコクコクと頷く。
 場所は・・・もうここがどこかはわかっているし、何年前に飛ばされたのかも把握したため、あとはミランダが助けてくれるのを待つだけだ。
 もし彼女がリナリーを戻す方法がわからなかったとしても、本部にはヘブラスカがいる。
 彼女なら、ミランダのイノセンスに力を貸すこともできるはずだった。
 だから・・・いつまでも、彼にここにいられてはまずい。
 その考えがひらめいた途端、リナリーの口からでまかせが出始めた。
 「あの・・・さっきはちょっと、寝ぼけてただけなんです・・・!
 いきなり落ちて、目の前にライオンなんかいて、その上・・・」
 きれいな人に見つめられて、混乱してしまったと、赤い顔をしたリナリーは消え入りそうな声で呟く。
 と、きれいと言われて喜ぶかと思った彼は複雑そうな顔で頷いた。
 「少し・・・やりすぎたかな」
 苦笑して、何か言おうと口を開いた彼が、突如上がったライオンの咆哮に眉根を寄せ、振り返る。
 「どうした、リチャード?!」
 なにかあったのかと、馬車の荷台へ飛び込んだ彼は、ライオンの咆哮に怯えて足を踏み鳴らす馬の首の先に人影を見て、つかつかと御者台に歩み寄った。
 「すまないが、むやみに近寄らないでくれ!
 獣を刺激されては困るんだ!」
 サーカスに出る以上、人目には慣れているライオンだが、馬車の中と言う視界の悪い状況で、不意に現れた人影を警戒しないわけがない。
 荷台でライオンが暴れれば、馬も怯えて足が進まなくなってしまうからと言う彼に、馬車の前に立った老人が両手を挙げて詫びた。
 「すまない。
 大きな獣の声が聞こえたので、御者が狼にでも襲われたのかと思ったのだよ。
 まさか、馬車にライオンがいるとは・・・」
 もの珍しげになおも荷台を覗き込もうとした老人は、人間とライオンのリチャードに二人して睨まれ、苦笑する。
 「本当にすまなかった」
 再び言った声に聞き覚えがある気がして、リナリーは荷台の陰からそっと覗いた。
 怯えて足を踏み鳴らす馬が、盛んに首を振るために見えにくい先を何とか見透かした途端、目が丸くなる。
 「イッ・・・イェーガー元帥・・・っ!」
 今は亡い老元帥の、12年前の姿をそこに見て、リナリーは慌てて口を覆った。
 「そ・・・そっか・・・!
 12年後、ここにお城があるってことは、教団の誰かが下見しに来たに違いないんだよ・・・!」
 そして防衛に適した地形を見極めるのに、元帥の長い経験は役に立ったことだろう。
 「えぇとー・・・ここで知ってる人に会っちゃまずいよ・・・ね?」
 イェーガーは絶対にリナリーだとはわからないだろうが、先々何があるかわからない以上、無闇なことはできなかった。
 こっそりと荷台に乗り込んだリナリーがライオンの檻の陰に隠れると、御者台の方からリチャードの声がする。
 「――――・・・だから、私はそろそろ行かねばならないんだ。
 道をあけてくれ」
 「あぁ、わかった。
 道中気をつけて」
 軽く手を振って道をあけたイェーガーに頷いたリチャードは、荷台を振り返って眉根を寄せた。
 「おい・・・」
 「お願い!村まで連れてって!」
 外には聞こえないよう、小声で言いながら、リナリーはそっとリチャードの背後に歩み寄る。
 「あの人・・・私の先生なの!
 こんな森の中で寝てて、ライオンが乗ってる馬車に転げ落ちた上に知らない男の人と一緒だなんてばれたら、すごく怒られるよ・・・!
 見つかる前に帰りたいの!」
 必死に頼むと、彼は苦笑して頷く。
 「村までだからな」
 「ありがと!」
 拝むように両手を合わせたリナリーに笑って、彼は馬に鞭を入れた。
 途端、馬は早く逃げたいとばかりに駆け出す。
 「開けた場所を探してだいぶ奥に入り込んでしまったからな。
 村まで少しかかるぞ・・・って、知ってるか」
 「うん!」
 リナリーを村に住んでいると思い込んでくれたリチャードに、リナリーは大きく頷いた。


 その頃、リナリーが消えてしまった教団本部では、ミランダが慌ててヘブラスカの間に駆け込んだ。
 「ヘ・・・ヘブラスカさんっ・・・!
 大変なんです!リナリーちゃんが!!!!」
 しどろもどろに説明すると、じっと聞いていたヘブラスカがわずかに頷く。
 『おいで・・・』
 するすると伸びてきた彼女の手の上に、ミランダは恐々と乗った。
 「そっ・・・それでですねっ・・・!
 なんとかリナリーちゃんの居場所を・・・たっ高いっ!!高いですっ!!」
 ヘブラスカの手にしがみつき、ぶるぶると震えるミランダの身体を支えて、彼女が捧げ持つイノセンスを引き寄せる。
 『時間を・・・飛ばされたのか・・・』
 「た・・・たぶん・・・」
 下を見ないよう、視線をヘブラスカの顔に据えたまま、ミランダはがくがくと頷いた。
 「わ・・・私の能力は時間操作だけですから・・・場所はきっと、同じなんですけど・・・い・・・いつの時間に飛ばされちゃったのか・・・」
 困り果ててイノセンスを撫でる彼女に、ヘブラスカは発動を命じる。
 『気配を・・・辿ってみよう・・・』
 「はい!!」
 ここへ来たのは間違いではなかったと安堵して、ミランダは手の中のイノセンスを発動させた。


 木漏れ日の中を抜けて村へ出ると、ちょうど移動するサーカスの列と合流できた。
 「あぁ!時間通りだね!」
 目の前を通り過ぎていく馬車の御者台から、中年の男が声をかけてくる。
 「ライオンはおとなしくしてたか?」
 「あぁ、問題ない」
 リチャードも応じて、荷台のリナリーを振り返った。
 「さぁ、そろそろ降りてくれ。
 私は彼らに合流しなければ」
 あっさりと言われて、リナリーは少し残念そうに頷く。
 「送ってくれてありがとう。
 公演、がんばってね」
 リチャードも、と、ライオンを振り返ると、不機嫌そうに睨まれて、首をすくめた。
 「・・・驚かせたこと、まだ怒ってるのかなぁ」
 「根に持つタイプなんだ、こいつは」
 クスクスと笑って、御者台のリチャードは馬車を止める。
 「先生に見つからなくてよかったな」
 「うん。げんこつされるところだったよ」
 馬車から軽やかに降りたリナリーは、リチャードを見上げて手を振った。
 「じゃあね」
 「あぁ」
 にこりと微笑んだ顔が男とは思えないほどにきれいで、うっとりと見送るリナリーに、後続の馬車から明るい笑い声がかかる。
 「あいつに惚れちゃった、お嬢ちゃん?」
 「やめときなー!そんなに若いうちから、酷い失恋することないよ!」
 化粧こそしていないが、ピエロらしき男女の囃し声にリナリーはムッと口を尖らせた。
 「あはは!
 またあいつに会いたきゃ、明日の公演を見においでよ!
 ここからそう、遠くない街でやるよ!」
 すれ違いざま、素早く渡されたチラシに目を落とす彼女の頭を、誰かが撫でていく。
 「きっと、今まで見たことのないショーが見られるよ!」
 賑やかに笑いながら通り過ぎていく馬車を、リナリーは呆れ顔で見送った。
 「サーカスって・・・移動するのにもあんなに騒がしいんだ・・・」
 無事に帰れたらアレンにでも聞いて見ようと、踵を返しかけたリナリーの耳に、ライオンの咆哮が響く。
 「リチャード・・・だよね?」
 今までに何度も聞いた、闖入者を警戒し、威嚇する声だ。
 「どうかしたのかな・・・」
 リチャードはこのサーカスで飼われているのだから、団員を威嚇するはずもない。
 荷台の後部は幌と幕で覆われているのだから、村の誰かが不用意に覗き込むことなどできないし、移動する馬車の御者台に乗り込む他人がいるとも思えなかった。
 「なにか・・・あったんだ!!」
 エクソシストとして戦場で戦い抜いて来たリナリーの勘が、異常事態を察してイノセンスを発動させる。
 地を蹴って樹上に上り、一足にリチャードの馬車へ駆けつけた。
 木陰から透かし見た彼に変わった様子はなかったが、相変わらずライオンの咆哮は止まらない。
 「すまない、まだあいつが興奮しているようだ」
 御者台から声があがって、リチャードの馬車が止まった。
 「落ち着かせてから追いかけるから、みんなは先に・・・」
 彼の声が、不意に止まる。
 「どうかしたか・・・?」
 訝しげな彼の目の前で、サーカスの馬車が彼の馬車を囲むようにして止まった。
 「団長?
 なにか・・・っ!」
 突然、リチャードが御者台から弾き飛ばされて地面に転がり、荷台からライオンの咆哮が更に高くあがる。
 「リチャード!!」
 樹から飛び降りたリナリーが駆け寄ると、彼は紅く染まった肩を押さえ、苦しげに半身を起こした。
 「団長!どういうことだ!!」
 きっと睨んだ先では、目の焦点を失くした中年男が、口を大きく開けて笑っている。
 「外しタカ・・・惜しイ・・・!」
 その調子はずれの口調を・・・リナリーは、今までに何度も聞いていた。
 「リチャード、離れて・・・!」
 男から目を逸らさないまま、視界の中に団員達の姿を確認する。
 その顔はどれも奇妙に歪んで、不気味な笑声を上げていた。
 「みんな、どうしたんだ?!」
 愕然とする彼を背に庇いながら、リナリーは耳を澄ませる。
 ライオンの咆哮が邪魔でよく聞き取れなかったが、間違いなく、アクマの発する機会音が空気を震わせていた。
 「・・・リチャード、よく聞いて。
 この人達はもう、あなたが知ってる仲間じゃない。
 アクマに・・・あぁ、それが何かなんて、今はわからなくていい。
 つまり、悪魔に殺され、魂を奪われて、人形にされてしまってるの。
 そして今、あなたも人形の仲間にしようと・・・殺そうとしている。
 だから、ここからすぐに逃げて」
 アクマ達から目を離さず、リナリーは背後のリチャードを説得する。
 「リナリー・・・お前は・・・」
 「私は、この人形を壊す専門職だから。
 気にしないであなただけ逃げて」
 ここで妙な騎士道を発揮してもらっては困るからと、リナリーはあえて『専門職』と名乗った。
 「これは私の仕事なの。
 だから・・・」
 背後へ向かって手を突き出し、彼を促す。
 「逃げて!!」
 言うや、自身は地を蹴って前へ飛び出した。
 「レベル1なんて、敵じゃないよ!」
 しかし、爆発させてアクマの有毒ガスを撒き散らしてはライオンや他の動物も死んでしまう。
 用心深くアクマの動きを封じて・・・リナリーは、はっと瞬いた。
 「そうだ、ここ・・・過去の世界だ!」
 アクマを壊すことは確かに自分の役目だが、それで歴史を変えるわけには行かない。
 そう・・・もしかしたらリチャードは、ここで死ぬ運命だったのかも知れなかった。
 「ど・・・どうしよう・・・!」
 動物も、ここで生き残ったがために後の世にどんな影響を与えるかわからない。
 自分のうかつさに舌打ちして、リナリーはともかく全アクマの動きを封じた。
 「こ・・・壊してないよ、まだ・・・だけど・・・!」
 困り果てて、リナリーは唇を噛む。
 見れば、なんとか御者台に上ったリチャードが、手綱を引いて馬車を駆っていた。
 方向を見るに、元いた森の中へ逃げるつもりなのだろう。
 あの森の中にはまだ、イェーガー元帥がいるはずだった。
 「リチャードは・・・元帥の所まで逃げ切れる運命だったのかな・・・」
 ここで自分が助けたために、既に歴史が狂ったのではないかと不安に震えながら、リナリーは馬車を見送る。
 と、一旦は動きを封じたアクマ達が、蠢きだす気配がした。
 「壊してやりたいけど・・・!」
 これ以上関わってはいけないと、自分を無理に納得させたリナリーは、地を蹴って樹上へ隠れる。
 気配を消してリチャードの馬車を追い、迷いに揺れる目で彼の姿を追った。
 必死に馬車を駆る彼の背後には、既にアクマ達が追いすがっている。
 「リチャード・・・!」
 胸が潰れる思いで見つめる目の前で、幌に飛びついたアクマ達が荷台を破壊した。
 「っ!!」
 助けたいのに助けられないもどかしさに、思わず目をつぶる。
 「イェーガー元帥・・・!気づいて・・・!」
 必死に祈るリナリーの耳に、壊された檻を飛び出したライオンの咆哮が響いた。
 既に人の姿をしていないアクマに、怒り狂ったライオンのリチャードが飛び掛る。
 イノセンス以外では破壊できないアクマだが、猛獣の攻撃に弾き飛ばされ、しばし動きを封じられた。
 「リチャード!無理はするな!」
 馬を馬車から外し、鞍も置かないまま背に飛び乗ったリチャードがライオンへ声をかける。
 「逃げるぞ!!」
 言うや、ライオンは彼の言葉がわかったかのように踵を返し、彼の傍を駆けて森へ入った。
 「先生!まだいらっしゃるか?!」
 奥へ向けて大声で呼ぶ彼を見守りながら、リナリーもイェーガーが現れるのを待つ。
 と、そう何度も呼びかけないうちに、草を掻き分けてイェーガーが駆けて来た。
 「ライオンの声が・・・何かあったのか?!」
 リチャードの呼びかけよりも先に、ライオンの咆哮を聞いて村へ向かっていたらしいイェーガーの姿に、リナリーはほっと吐息する。
 「よかった・・・これで助かる・・・!」
 安堵したリナリーの見守る中で、リチャードは馬に乗ったまま頷いた。
 「私のサーカスの団員がみな、化け物になったんだ・・・!
 助けてくれた子が言うには、悪魔に殺されて人形にされたのだとか・・・あなたは彼女の先生なのだろう?!
 あの人形を壊す専門職の先生と言うことだろうか?!」
 「彼女・・・?」
 イェーガーの訝しげな声に、リナリーは首をすくめる。
 が、この危機的状況において、イェーガーに助けを求めたリチャードの判断力と機転には素直に感心した。
 「あの人・・・すごく頭がいいんだ・・・」
 リナリーが言ったことを素早く理解し、それ以前に得ていた情報を元にイェーガーの能力をも推理したのだろう。
 だが、その思考はあまりにも早く、直感としか思えないために彼は今、馬から下りずにいるのだ。
 もし外れていたら、イェーガーを引き上げて共に馬で逃げるつもりなのだろう。
 「すごい・・・人だ・・・」
 リナリーは思わず呟いた。
 これほど素早い判断をこなせる人間は、元帥達と兄の他には神田くらいしか知らない。
 「ライオンも、従順に従うはずだ・・・」
 リーダーシップなんてものじゃない、カリスマとも言うべき威厳さえ感じて、頬を染めるリナリーの目の端に、アクマの集団が写った。
 「イ・・・!」
 声をかけそうになって、慌てて口を覆う。
 と、注意を促されるまでもなく既に敵の存在に気づいていたイェーガーが、威風堂々とアクマに対峙した。
 「君の知る生徒が誰のことかはわからないが、確かに、私は彼らの敵だ」
 リチャード達を背に庇い、進み出た彼の手の中でイノセンスが眩い光を放つ。
 「安心して逃げるがいい。
 ここにいると、巻き添えを食らうぞ」
 肩越し、自信に満ちた笑みを向けられ、リチャードが頷いた。
 「行くぞ!」
 馬に鞭を当て、崖側へと逃げる彼にライオンも従う。
 そしてリナリーも、後をイェーガーに任せて彼らを追った。


 森を抜け、開けた場所へ着いたリチャードは、馬から下りてライオンのたてがみを優しく撫でてやった。
 「もう大丈夫だ・・・落ち着くんだ」
 穏やかな声をかけてやると、警戒気味に辺りを見回していたライオンが徐々に落ち着いてくる。
 「そうだ・・・大丈夫。お前に危害は加えさせないよ」
 優しい声に宥められ、猫のように喉を鳴らしていたライオンが、ぴくりと顔をあげた。
 「・・・っ!」
 敵か、と気を尖らせたリチャードは、こっそりとこちらを伺う少女にほっと吐息する。
 「リナリー・・・無事だったか」
 「うん」
 木陰から姿を現したリナリーは、ライオンを見つめて小首を傾げた。
 「あの・・・近づいてもいいかな?」
 「あぁ、大丈夫だ」
 ライオンがリナリーに襲い掛からないよう、その首を抱きしめてリチャードが頷く。
 「お前に任せてしまって・・・」
 申し訳なさそうに目を伏せる彼に、リナリーは首を振った。
 「それは気にしないで。
 私の仕事だし・・・だけど、完全に止められなくてごめんなさい。
 先生がいてくれてよかった・・・」
 肩越しに見遣った森からは、微かに破壊音が聞こえる。
 確実にアクマが屠られていることに安堵して、リナリーはリチャードへ向き直った。
 「それより、怪我は大丈夫?
 血が・・・」
 気遣わしげに歩み寄ろうとすると、彼は手を突き出して首を振る。
 「それ以上はダメだ。
 リチャードがまだ、落ち着いていないから」
 「あ・・・うん」
 仕方なく歩を止めると、彼はあの、きれいな微笑みを向けてくれた。
 どきりと跳ねた心臓が止まらず高鳴って、リナリーの頬を染める。
 思わず俯いてしまったリナリーの前で、彼は血に染まったシャツの袖を破り、傷を確かめた。
 「自分から背後に飛びのいたから、かすっただけで済んだみたいだ。
 団長は昔からナイフ投げが下手でね。避けるのがすっかりうまくなったんだよ」
 そう言って苦笑する彼に、リナリーも釣られて笑う。
 「アクマの弾丸じゃなくてよかった」
 一瞬で生き物を破壊する弾丸を受けたのでないことは、彼が今もこうして生きていることでわかってはいたが、血はまだ止まっていないようだった。
 「早く止血を・・・」
 「あぁ、気にするな。
 こんな傷は猛獣使いならいつものことだから」
 ただ、血の臭いをさせているといつまでもライオンが落ち着かないからと、彼は血のついた袖で無造作に傷を拭い、それを崖下へ投げ捨てると、もう一方の袖も裂いて傷に巻きつける。
 手馴れた処置に手も出せなかったリナリーは、彼をやや不満げに見つめた。
 「どうした?」
 「それはこっちのセリフ。
 これからどうするの?」
 聞いても詮無いことだが、気になるのはしょうがない。
 すると彼は、少し考えてため息をついた。
 「檻を壊されてしまったから、新調するまで村に小屋でも借りるしかないな。
 村人は嫌がるだろうが、ライオンの檻をほかで代用するわけにもいかないし・・・団員達がいなくなってしまったから、動物は私が面倒を見なくてはな。
 まだ生きていれば・・・だが・・・」
 また深いため息をついた彼に、リナリーは小声で詫びる。
 「別に、お前が謝ることはない。
 おかげで私達は助かったのだからな」
 いつの間にか歩み寄っていた彼が、俯いたリナリーの頭を優しく撫でてくれた。
 「・・・ねぇ、リチャード。
 村の人のことなら多分、気にしなくていいよ。
 今頃元帥が・・・ううん、私の先生が、村に隠れてるアクマをみんな、壊してしまってるから」
 森の外の村はおそらく、アクマに支配されていたのだろう。
 あの村はロンドンから他の町へ向かう道の通過点だから、サーカスのように町から町を巡る集団をアクマに変え、イングランド中に送り出すにはいい拠点に違いなかった。
 だからこそ教団は、元帥を送り込んであの村のアクマを壊滅させ、伯爵の策を一つ潰したのだ。
 「ここにお城が建つのも・・・また伯爵の手に落とさないための策だったんだね」
 「城?ここにか?」
 いまはなにもない場所を不思議そうに見渡す彼に、リナリーは苦笑した。
 「すごくおっきなお城だよ。
 私の先生は、その下見に来てたんだ」
 「そうか・・・おかげで助かったな」
 大きく頷いたリチャードは微笑み、リナリーに向き直る。
 「ありがとう」
 猛獣使いにしては・・・と言うより、男にしては随分と華奢な白い腕に抱きしめられ、リナリーの顔が真っ赤に茹で上がった。
 「リ・・・リチャ・・・!!」
 引き攣った声に呼ばれたと思ったのか、ライオンが訝しげに唸る。
 「あ!ライオンじゃなくてね、あのっ・・・!」
 身を硬くして視線をずらすと、きれいな微笑みがすぐ目の前にあった。
 「心から礼を言う」
 「ひゃっ!!」
 真っ赤な頬にキスされ、リナリーの額に汗が浮く。
 ―――― 同じくらい間近に神田を見ても・・・いや、彼だけでなく、アレンやラビがいてもこんなにドキドキしたりしないのに、なぜリチャードにはうろたえてしまうのか・・・ようやく理由がわかった。
 彼の声や微笑み、青い瞳に陰を落とす長いまつげや艶やかな白い肌、光を弾く金髪にまでも纏う、匂い立つような色気のせいだ。
 優雅さを失わない大人の色気にあてられて、まだ10代のリナリーが平然としていられるはずがなかった。
 すっかり固まってしまった彼女に微笑み、リチャードは身を離してライオンの元へ戻る。
 「女の子を困らせてしまったな。
 こんなところを、お前の先生に見られたら大変だった」
 クスクスと笑う声に我に返り、リナリーは慌てて森を見遣った。
 破壊音はすっかり止んで、村の制圧も・・・イェーガーなら既に終わらせているだろう。
 「あっ・・・あの!
 私、そろそろ行くね!
 まだ未熟者なのに、アクマと戦ったなんてばれたら先生に物凄く怒られるんだよ!
 だから・・・私がいたことは秘密にしててね!!」
 適当な言い訳をまくし立てるリナリーに唖然としたリチャードは、くすりと笑って頷いた。
 「無茶は私にも経験がある。
 助けてくれたお礼に、先生には黙っていると誓うよ」
 「お・・・お願いします・・・!」
 深々と頭を下げたリナリーは、跳ねるように起き上がって駆け出す。
 「じゃ・・・じゃあ!今度こそさよなら!」
 リチャードへ手を振り、村とは反対側の森へ入ったリナリーは、地を蹴って樹上へ昇った。
 ライオンの馬車の上に張り出していた枝・・・。
 あの樹がある場所がきっと、リナリー達の寝室ができる場所なのだ。
 そこを目指して樹を渡るリナリーが、大振りな枝を蹴って一息に距離を詰めた・・・瞬間。
 宙で光に包まれた彼女の姿は、この時間から消え去った。


 「リッ・・・リナリーちゃん!!
 無事でよかった・・・・・・!!!!」
 光に包まれたと思った次の瞬間、ミランダに抱きしめられていたリナリーは、すぐ傍にあるヘブラスカの顔をぼんやりと見上げた。
 「あぁ・・・やっぱり、助けてくれたんだ」
 『もちろん・・・だ・・・』
 にこりと笑ったリナリーに、ヘブラスカも微笑みを返す。
 「ご・・・ごめんなさいっ!!
 ごめんなさい、リナリーちゃん!
 私が・・・ちゃんとイノセンスを操れなかったから、リナリーちゃんを大変な目に遭わせてしまって・・・!」
 「ミランダのせいじゃないよ」
 泣き縋るミランダの背を撫でてやりながら、リナリーは首を振った。
 「悪いのはティモシーだもん!
 あの子、今日と言う今日は許さないよ!!
 クラウド元帥にも言いつけて、キッツーイお仕置きしてもらおうね!!」
 握ったこぶしを振りかざすリナリーに、ミランダが珍しく同意する。
 「ティモシー君・・・今回ばかりは私も・・・・・・!」
 涙を拭った手に、こぶしを握った。
 「元帥に、鞭を使うことをお勧めします!!」
 余程のことがない限り、非暴力派であるミランダを怒らせてしまった以上、ティモシーに逃げ道はない。
 「よっし!じゃあ、お仕置きタイムだよ!
 ヘブラスカ!助けてくれてありがとうね!」
 『あぁ・・・』
 そっと下ろしてやった二人は、深々と彼女に頭を下げて、部屋を出て行った。
 『あの子供・・・死ななければいいが・・・・・・』
 さすがに殺すことはないだろうと思うが、今回はミランダと言うストッパーが外れてしまっている。
 『一応・・・連絡しておくか・・・・・・』
 不安げな顔をして、ヘブラスカはコムイへと声をかけた。


 ――――・・・リナリーが去ってしばらくの後。
 警戒気味に村へ続く道を見つめていたリチャードの前に、アクマを殲滅したイェーガーが現れた。
 「みなは・・・」
 憂い顔の彼に、イェーガーはため息をついて頷く。
 「アクマは全て破壊した。
 村に潜んでいた者もな」
 「そうか・・・・・・」
 リチャードもまたため息をついて、悔しげに唇を噛んだ。
 リナリーの前では感情を殺していたものの、長い間共に過ごした仲間を失った虚無感に膝が崩れそうになる。
 と、音もなく傍に寄って来たライオンが、慰めるように身体を摺り寄せてきた。
 「あぁ・・・大丈夫だ。
 私は大丈夫だよ・・・」
 たてがみを優しく撫でてやると、ライオンはくすぐったそうに頭を振る。
 途端、たてがみの中から白い小猿がぽとりと落ちて、小さな手で眠たそうに目を擦った。
 「・・・呆れたやつだな。
 どこに行ったのかと思っていたら、ずっとそこで寝ていたのか」
 拾い上げて肩に乗せると、小猿はまたうとうとと目を閉じる。
 その愛らしい様に、イェーガーもつい愁眉を開いた。
 「よく懐いているのだな。
 ところで君、名は何と言うのだね?」
 問われた彼は、視線を宙に巡らせる。
 「・・・冗談を言っている場合じゃないか」
 妙な呟きを漏らしながら束ねた髪を解き、きつく締めていた襟をくつろげて微笑んだ。
 「クラウド。
 クラウド・ナインと申します、先生。
 命を救っていただき、感謝いたします」
 ずっと低かった声が女の高さに戻り、イェーガーは唖然と口を開ける。
 「女性だったのか・・・これは失礼した」
 気まずげな彼に、クラウドは笑って首を振った。
 「野宿するのに、女の格好では面倒が起きるかも知れなかったので、このような格好を。
 男だと思ってくれていたなら大成功です」
 リナリーは騙しきったようだが、と、クラウドは心中でいたずらっぽく笑う。
 「そうか・・・ところで、私を先生とは・・・?
 誰かから聞いたのかな?」
 「それは・・・」
 にこりと笑って、クラウドは指を唇に当てた。
 「秘密です」


 「こらぁ!ティモシー!!!!」
 リナリー達が修練場に飛び込んだ時・・・既に、ティモシーは天井から伸びた縄で逆さ吊りにされていた。
 「・・・あれ?!
 もうお仕置き終わっちゃったの・・・?」
 がっかりと肩を落として歩み寄るリナリーに、ティモシーを囲んでつついていたラビ達が笑って頷く。
 「すごかったぜ、クラウド元帥の鞭さばき!!
 あれが『生かさず殺さず』ってやり方なんさね!」
 笑って酷いことを言うラビの影から、アレンがひょこっと顔を出した。
 「見ますか?
 ティムが映像撮ってるよ!」
 頭の上のティムキャンピーをぷにぷにとつつく彼に、神田が意地の悪い笑みを向ける。
 「メモリーがコピーできるんなら、俺にもくれ。
 元帥のあの動きは参考になるからな」
 そう言った途端、神田は背後から抱きしめられて舌打ちした。
 「ユウーv
 そんな映像なんかじゃなくても、ママがv
 ママが直接教えてあげるぞvv
 そりゃもう、可愛い娘に手取り足取り・・・母娘でキャッキャウフフできるなんてすごく嬉しいなぁvv
 「誰が娘だ!
 鬱陶しいから独学でやらせろよ!!」
 クラウドの腕から逃れようともがくが、さすがの神田も元帥にまで上り詰めた彼女から逃れることはできない。
 じたじたと暴れる彼を周りで囃し立てるアレンやラビを見て、リナリーはため息をついた。
 「やっぱり・・・全然違うや」
 そんなに年は離れているように見えなかったのに、リチャードの美しさと、何より色気・・・。
 それが、彼らには決定的に足りなかった。
 「なに?なにと違うってさ?」
 地獄耳のラビに聞きつけられて、口を開きかけたリナリーが、ふっと笑みを浮かべる。
 「秘密・・・v
 唇に指を当て、目を細めた彼女にラビが唖然とした。
 そしてアレンも、リナリーの微笑みに見惚れて頬を染めた途端、ムッとした神田に腹を蹴られて沈む。
 「〜〜〜〜あにすんだバ神田!!」
 「やらしい目で見てんじゃねぇよ、クソガキ!!」
 ぎゃあぎゃあと喚き立てる彼らを、ミランダが慌てて止めに入った。
 と、ついさっきまで彼らにつつかれていたはずのティモシーの姿が消えている。
 「あら・・・?
 ティモシー君はどこへ行っちゃったの?」
 「え?!」
 逃げられたのかと、辺りを見回した彼らのうち、神田を抱きしめたままのクラウドが天井を見上げた。
 「あそこ・・・」
 「は?!」
 見上げれば、天井近くに張り巡らされたキャットウォークに人影が蠢き、ティモシーの縄を引きあげている。
 「・・・兄さん?」
 猛禽の目を持つリナリーの声に、気づいた彼がにこりと笑って手を振った。
 「どうするんだ?」
 訝しげに見つめながらも、クラウドに止める気はないようだ。
 ために、誰もが声をあげないまま興味津々と見つめる先で、コムイはティモシーを縛る縄を取り替えた。
 「これ!
 起きなさい、ティモシー君!」
 既に腫れあがった頬を叩いて、コムイは気絶した子供を文字通り叩き起こす。
 「ふぇ・・・?」
 散々酷いお仕置きをされたティモシーは、眼前にコムイの顔を見て、ぶるぶると震えだした。
 「ボスッ・・・!
 ごっ・・・ごめんなさいごめんなさい!!
 もう、リナリー姉ちゃんやミランダ姉ちゃんのおっぱ・・・ぶぎゃっ!」
 大きな手で頬を握り潰されて、ティモシーは口も利けないままぶるぶると震える。
 小動物のような怯えようを見つめるコムイの目が、針のように細くなった。
 「ボクの可愛い妹にセクハラすることがどういう結果を招くか・・・言うより経験した方がイイヨネ?」
 にやぁりと、口が耳まで裂ける様を幻視したティモシーが、また白目を剥きそうになる。
 が、
 「起きなさい」
 またべしべしと叩き起こされて涙目を開けたティモシーは、コムイの手から逃げ出そうと必死にもがいた。
 「こっ・・・こんなとこにいていいのかよっ!
 あの怖いねーちゃんに怒られるんじゃねーの?!」
 ブリジットの事を持ち出せば緩むかと思った手はしかし、震えもせずにティモシーをつまみ上げる。
 「残念でしたー!
 今日はリーバー君が代わってくれたの。
 キミ、よかったねぇ、ここに来たのがリーバー君じゃなくて!
 久しぶりにウサギ狩りしようかって、ライフル出して来た彼をボクが!
 このお優しいボクが止めてあげたんだから感謝しなさいよ?!」
 親切ごかしに言いながら、コムイはティモシーの小さな体をキャットウォークの柵に乗せた。
 はるか下に見える床へ正対させられ、震え上がるティモシーの頭をコムイがぽふぽふと叩く。
 「まぁ、殺しはしないよ。
 クソガキだけど、稀少なエクソシストだしね。
 でも、覚えときなさい」
 諭すように言いながら、コムイはティモシーを抱えあげた。
 「リナリーはもちろんだけど・・・またミランダに手を出したら、今度こそ殺されるからね?」
 「ボ・・・ボス!!
 なにすん・・・?!」
 「そりゃもちろん」
 冷酷な声と共に、コムイが振りかぶる。
 「突き落とすに決まってんでしょー!!!!」
 「んぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 ティモシーの目の前に、落下よりも速い速度で床が迫った。
 「じぬっ・・・!!」
 喉を引きつらせたティモシーの鼻先が床に触れた瞬間、すごい力で背後に引き寄せられ、また天井近くまで飛び上がる。
 「んなに?!」
 死んだと思った自分が再びコムイの手に受け止められている状況がわからず、泣き叫ぶティモシーの耳に怪鳥のような笑声が刺さった。
 「バンジージャーンプv
 強力なゴムの力とボクの投げる勢いで、ちゃんと手元に戻ってくるよう計算してるんだよーんv
 ってことで!!」
 コムイが再び振りかぶる。
 「リナリーv
 お兄ちゃん投げるから、打ち返してーv
 「あ・・・あはは・・・・・・」
 それはさすがに死ぬんじゃないかと、呆れるリナリーに代わってバッターボックスに入ろうとするのはしかし、本気で殺しかねない連中ばかりだった。
 「兄さんまで・・・大人気ないんだから」
 子供のようにはしゃいで子供を投げつけてくる兄に、思わずため息が漏れる。
 「やっぱり人間の違いかぁ・・・。
 あんな王子様みたいな人、ここにはいないよねぇ・・・」
 「え?!王子?!王子って、誰?!」
 聞き捨てならないとばかり寄って来るアレンに首を振るが、
 「なんさ?!なにがあったんさ?!」
 「妙な奴に引っかかったんじゃねぇだろうな?!」
 と、ラビやクラウドを引きずったままの神田にも詰め寄られて、またため息が漏れた。
 「・・・夢の話だよ。
 すっごくきれいで、素敵な王子様の夢・・・v
 うっとりと呟くリナリーに、クラウドがクスクスと笑う。
 「王子様なんているわけないだろ。
 まぁ、若い頃ってのは、恋に恋するものだけどなv
 その王子が自分のことだとは思いもしない彼女は、ムッとしたアレン達に睨まれてまた笑い出し、天井から投げつけられた弟子を軽々と受け止めた。


Fin.


 










リクエストNo.78『リナリーひと夏の恋』でしたv
夏じゃねぇ、って言われそうですが、いいんですよあれは、リクエストページの欄に収まるようにそう書いただけで、リクエストして来たニコさんからは季節の指定はなかったんですから(笑)
このリク、きっかけは3年前のニコさんのみくし日記で、そこのコメント欄を私とりえるさんが悪ふざけで埋め尽くしたことでした(笑)
ニコさんは『王子様』に別の誰か希望だったんですが、私が『男装のタカラヅカ的クラウド元帥』で無理矢理押し切ったのである(笑)>ひでぇww
だって、ヘタレは10年経ってもヘタレだよ、きっとwwww>誰のことかわかったであろうか(笑)
リチャードって偽名は、『ライオン=獅子=獅子心王=リチャード1世』と言う連想なんで、あんまり深い意味はありません。
題名も、『まんまじゃねぇか』って思われたかもしれませんが、いつも通りラルクの曲名ですよ(笑)
・・・ってことで。
このリク書いたんで、ニコさんはリバミラ書いて返すように。(にやり)












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