† L’heure Z †







 この日の朝も、アレンはラビと共に建築家宅の門の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。
 すぐに昨日と同じメイドが出てきて、にこやかに用を聞いてくる。
 「あの、ロード嬢はいますか?」
 「俺達、彼女にちゃんとお礼が言えんかったから、改めて来たんさ」
  そう言うと、メイドは頷いて彼らを邸内に招き入れ、ロードを呼んで来てくれた。
 「あれぇ?
 なぁに、どうかしたぁ?」
 応接間に現れた少女は、今日もフリルとリボンに飾られて、大きな目をきょとんと見開く。
 「昨日はありがとう。
 おうちを見せていただいたのに、君にはちゃんとお礼できなかったから、改めて来ました」
 「はい、これv
 王族御用達のシェフが作ってくれた焼き菓子さ。
 お口に合えばいいんけどねv
 「ありがとぉ」
 にこりと笑って菓子折りを受け取ったロードに、辺りを見回していたアレンが小首を傾げた。
 「今日はネアは?」
 「土曜日だもん。
 お仕事はお休みだよぉ」
 僕も学校はお休み、と、早速箱を開けてマドレーヌをかじる。
 「おいしv
 「そう?よかったさ」
 にこりと笑ったラビが、こっそりとアレンをつついた。
 「ねぇ、ロード?
 今日、何か予定ある?」
 「ううん、特には」
 首を振った彼女の手を、アレンが恭しく取る。
 「じゃあさ、僕達とボアシー・ダングラー通りに行かない?
 今日、そこに僕達の友人が店を開くんですよ。
 日本茶館ってパリには何軒かあるけど、ここは本物の日本人がやってる店だよ?」
 「へぇ・・・」
 興味を惹かれた風の彼女に、アレンは笑みを深くした。
 「昨日のお礼にご馳走しますよv
 「・・・・・・うん、いいよ」
 にこりと笑ったロードは、菓子箱をテーブルに置いて、手を払う。
 「ちょっと待って。
 出かけるって、お兄様に電話しておかなきゃ。
 帰って来た時に僕がいないと、すごく心配するからさ」
 そう言って、すぐ傍にあった電話の受話器を取った。
 小さな指でダイヤルを回し、先方が出るまで爪先でぱたぱたと絨毯を叩く。
 ややして、
 「あ、お兄様ぁ?
 今日はまだお仕事するの?お昼には戻る?
 あのね、今、昨日のお客さんが来て、おうち見せたお礼に日本茶館に連れてってくれるって言ってるんだぁ。
 そう、男爵夫人の紹介で来た二人だよ。
 ん?違うよ。シャンゼリゼじゃなくて、ボアシー・ダングラー通り。今日開店するんだってぇ。
 僕、行って来るけど心配しないでぇ。
 うん、お昼いらない。じゃあねー」
 チン、と受話器を置いたロードが、くるりと振り返った。
 「おまたせぇv
 お兄様ねぇ、パパのお仕事継いで建築の会社やってるんだけど、コウキが遅れてノウニュウが何とかで、土曜日もお仕事しなきゃなんないんだぁ」
 「へぇ・・・大変ですね」
 「ロード嬢は今、兄さんと二人で住んでるんか?」
 何気なく問うたラビに、彼女は頷く。
 「兄弟は他にもいるけどぉ、今、家にいるのは僕と会社を継いだお兄様だけなんだぁv
 お兄様は、お昼には一旦帰ってくるけど夜は遅いからぁ・・・」
 と、ロードは声を潜めた。
 「学校帰りに、寄り道してもばれないんだよぉv
 「そっかー。
 そりゃ、今のうちしかできねぇ遊びさね」
 「うんっv
 クスクスと笑って、ロードはパタパタと部屋を出る。
 出かける、と言った彼女にメイドが、バッグとコートを持って来た。
 「いこv
 君達、馬車で来たのぉ?僕んちの馬車で行くぅ?」
 ロードに問われて、敵は少ないほうがいいと判断したラビがにこやかに首を振る。
 「このうちの馬車はきっと、立派で大きいんだろ?
 友達の店はボアシー・ダングラー通りつってもちょっと奥まった所で、あんまりでかい馬車は通れんからさ、気軽に辻馬車で行こうぜ」
 「いいよぉ」
 あっさりと頷いて、ロードは二人について来た。
 「ねぇ、辻馬車を拾うんなら、大きな通りに出た方がいいよぉ。
 ここは住宅街だから、土曜日や日曜日は馬車が通らなくなるんだ」
 「へぇ・・・そうなんだ」
 じゃあ、と、アレンは念のため、クラペイロン通りとは反対の道へ出る。
 と、大きな通りに差し掛かった途端、運よく空の辻馬車が通りかかった。
 「さ、どうぞレディ」
 アレンがロードの手を恭しく取って馬車に乗せる。
 「ボアシー・ダングラー通りへ」
 最後に乗り込んだラビが御者に声をかけると、馬車は軽快に走り出した。
 「・・・?
 随分早いね、この馬車。
 馬が若いのかな」
 辻馬車にしては珍しいと、驚くアレンにロードが笑い出す。
 「イングランドの馬車馬と違って、こっちのはのんびりしてるんだよ、きっと。
 働き過ぎないし、おいしいものをたくさん食べてるから、足も速いんだぁ」
 「そっか・・・」
 昨日乗り継いだ辻馬車は、英国のものとそう変わらなかった気がするが、と不思議そうなアレンに、ロードは微笑んだ。
 「ところでさぁ・・・なんでバレちゃったのぉ?」
 「バレたって・・・なにがさ?」
 笑みを浮かべたまま、ラビが問うと彼女は、クスクスと笑声をあげる。
 「僕が金髪の女の子に化けて、怪盗のお手伝いをしてたってことだよぉ」
 「っ!!」
 驚いた二人の顔がおかしいと、ロードはまた笑い出した。
 「なんだよ二人ともぉ。
 僕がお前らの企みに気付かないとでも思ったぁ?
 特にアレン?
 お前、うかつ過ぎぃv
 お前を追い返した管理人は、怪盗の仲間だよ?
 お前が来た後、当然、僕らにご注進したともさ」
 ケラケラと笑われて、アレンは悔しげに唇を噛む。
 「ねぇ、教えてよ?
 なんで僕が金髪の女の子だってわかったのぉ?」
 ラビとアレンの間に足を投げ出し、小さな身体を座席に沈めたロードに、ラビがため息をついた。
 「・・・俺らは、英国じゃ有名なコムイって探偵の手伝いをしてるんさ。
 そいつがダイヤを盗まれた殿下の依頼を受けて、お前らを追ってんさね。
 ミールに辿り着いたのは、お前がメイドとして働いて、男爵を殺して消えたあの邸と殿下の邸を造った奴だから。
 お前の父さんは、隠し通路造りの名人なんさね」
 ラビの答えに、ロードは不満げに眉根を寄せる。
 「・・・そんなので見つかっちゃうなんてさ。
 二重・三重生活を楽しんでただけなのに、つまんない奴」
 舌打ちしたロードは、バッグからキャンディーを取り出して口に放り入れた。
 「言っとくけど、あのおじさんを殺したのは正当防衛だよ。
 こーんな小さな僕を襲おうなんて、あっちが死刑になるべきだよ。
 だから僕は、なーんにも悪いなんて思ってないのに怪盗ったら・・・」
 はい、と、ロードはアレンとラビにもキャンディーを放る。
 「料理人が休みの日を狙って内通してもらうだけのはずが、こんなことになってしまって本当に悪かったって、僕よりも真っ青になって一所懸命証拠を消してさ。
 ・・・あぁ、金髪だけは、馬鹿な警察の目をごまかすために残して置こうって言ったんだ。
 そのせいで、あの指輪を盗めなかったんだよ。
 指輪を抜き取った手をまた握り締めさせるのは難しかったからさ」
 と、ロードはほとんどコムイの推理通りのことを彼らに話した。
 「僕は・・・ショックなんかじゃなかったのに。
 もう元通りだよ、何もなかったんだよ、ってしつこくってさ・・・。
 大丈夫だって、何度も言ったのに・・・」
 ぶつぶつと言うロードを、アレンがじっと見つめる。
 「怪盗はそれほど、君を大切に思ってたんじゃない?
 今は平気そうにしてるけど、あの時は呼び鈴を鳴らし続けるほどに混乱してたんでしょ?
 本当に平気だったんなら、下男を起こしちゃう呼び鈴なんか鳴らさないで、怪盗だけ呼び寄せたはずだもん。
 混乱した君が落ち着くように・・・ショックを引きずらないように、彼は尽くしてくれたんじゃないかな。
 だっていつも一緒に遊ぶくらい、仲がいいんでしょ、ネアとは?」
 「うん、あいつはとてもいい奴・・・」
 つい、頷いてしまったロードがはっと目を見開き、アレンを睨みつけた。
 「やっぱり、ネアが怪盗なんだ・・・」
 「・・・違うよ。
 あいつはただの、パパの助手だ」
 忌々しげに言う彼女にラビが頷く。
 「怪盗の証拠固めは探偵がやるさ。
 でも、そこまでお前を可愛がっている奴なら、お前の安全と解放を条件にしてやれば、自分が怪盗だと白状して、ダイヤも返還してくれそうさね」
 「僕は安全だよ!」
 きりっとラビを睨み、ロードは断言した。
 「証拠はあいつが全部消してくれた!
 僕があの邸にいた痕跡は、全部消えてるよ!」
 「そんなことないよ」
 落ち着いた声で、アレンが反駁する。
 「男爵の殺人現場にはきっと、君の指紋が残ってる。
 照合すればすぐに君があの部屋にいたってわかるだろうね。
 ・・・もちろんそれだけじゃない。
 メイド部屋や邸のあちこちから君の指紋が出て、君があの家でしばらく暮らしていた証拠がたくさん出ると思うよ」
 「指紋・・・?
 なにそれ・・・」
 聞き慣れない言葉に唖然とするロードの前で、アレンは両手を広げて見せた。
 「指にある模様だよ。
 フランスでは知られてないかもしれないけど、英国には指紋を採取して犯人を特定する方法があるんだ。
 昨日コムイさんに教えてもらったんだけど、日本に住んでた宣教師が研究して発表した方法で、指紋は一人ひとり違うから、犯行現場に残った指紋で犯人を特定できることもあるんだってさ。
 リンクが早速使って犯人いじめてたそうだから、精度は高いらしいよ。
 そしてその方法は、スコットランド・ヤードからパリ市警へ、とっくに知らされてたんだって。
 ガルマー警部があちこちの窃盗事件を『怪盗の仕業だ』って断定してたのは、多分、犯行現場に残った怪盗の指紋を持っているからじゃないかな。
 ・・・まぁ、僕らには全然教えてくれなかったから、直感にしか見えなかったけどね」
 「それであいつ・・・」
 怪盗が犯行声明を出す前に『怪盗の仕業だ』と断言していたのかと、ロードは眉根を寄せる。
 「ヘボ警部って、馬鹿にしてた奴にしてやられちまったな。
 ちなみにさ」
 ラビが、難しい顔をするロードへ意地の悪い笑みを浮かべた。
 「怪盗が残した金髪の証拠、コムイは偽物だって見抜いてたぜ。
 あんなにもきれいに格闘の痕跡を消し去った怪盗が、指輪を盗まなかった上に金髪を残して行ったなんて、どう考えてもおかしいってさ。
 だからあいつは言ったんさ。
 金髪の少女は金髪じゃない、ってさ」
 その指摘にロードは、悔しげに唇を噛む。
 「だから・・・僕達、ミール氏の邸に行って君が出てきた時、すぐに『金髪の少女』じゃないかって思いました。
 髪の色以外の特徴が、全部合っていたから」
 「そう・・・」
 大きく吐息したロードは、投げ出していた足を戻して、窓にもたれかかった。
 「騙せたと思ったんだけどなぁ・・・」
 「残念だったさね」
 散々笑われた仕返しとばかり、ラビが笑う。
 と、不意にロードの唇に笑みが浮かんだ。
 「じゃ、お前らを島流しにでもして、僕は逃げちゃおうかなーv
 「は?!」
 「なに言ってんさ、お前・・・!」
 難詰しようとしたラビは、ロードがちらりと見遣った窓の外を見て、唖然とする。
 「なんでこんなトコに・・・!」
 「お前らなんかより、怪盗の方がうわてだったってことだよぉv
 クスクスと笑って、ロードは素晴らしい速さで後ろへ流れていく景色を楽しんだ。
 「さーぁ?
 どうなるのかなぁ、お前達?」


 その頃、ボアシー・ダングラー通りに開店した日本茶館では、晴れやかな顔の店主がリナリーとミランダを迎えていた。
 「来てくれて嬉しいっちょv
 開いたばっかだからまだ様子見のが多くって、二階の喫茶室はがらがらなんだっちょよ。
 よかったら飲んでって欲しいっちょv
 そう言って大歓迎してくれたが、開店祝いの花で飾った店の前で店員達が試飲の茶を配り、呼び込みをしているおかげで一階の売店は随分と賑わっている。
 二階が客で埋まるのも時間の問題だろうと、リナリー達は喫茶室へ上がった。
 「まぁ・・・!素敵ねぇ・・・!」
 明るい室内にミランダが思わず歓声をあげる。
 そこは大通りに面して窓を広く取った、見晴らしのいい場所で、室内でありながらテラスにいるかのようだった。
 「いいお店だね、ちょめちゃん!」
 リナリーの誉め言葉に、ちょめ助は嬉しげに微笑む。
 「もうすぐ万博だっちょ?
 以前もパリじゃ、それのおかげで大儲けさせてもらったんだっちょv
 だから今回はエキゾチックな茶店を作ってまた繁盛させようって、狙ってんだっちょよv
 「すごいわ・・・v
 感心して、ミランダが緋毛氈が敷かれた縁台に腰を下ろした。
 「でもテーブルはないの?」
 不思議そうな彼女に、ちょめ助はあっさりと頷く。
 「日本の茶屋風にしてるんだっちょ。
 長い縁台が、テーブルの代わりにもなるんだっちょよ」
 だからテーブルを置く必要がないのだと、彼女は得意げに笑った。
 「ミランダ、ちょっとそこ立ってこっちに来るっちょ!
 リナリーも、ぜひ傘の下に入ってくれv
 紅い陰が白い肌に映るのが、とてもきれいなんだっちょよv
 この仕掛けで芸術家とモデルと貴婦人をどんどこ呼び込むのだと、ちょめ助の気勢が勇ましい。
 「さv
 お客様第一号はなにを召し上がるっちょか!
 おいらのお勧めは、やっぱ宇治の高級抹茶だっちょv
 でも、そのままで苦いようならミルクと砂糖もつけて、抹茶ミルクにしてやってもいいっちょよ?」
 メニューを差し出すちょめ助に、ミランダが嬉しそうに微笑んだ。
 「じゃあ私はお勧めのもので。
 まずはそのままいただきたいわ。
 リナリーちゃんは?」
 「私は・・・この玉露ってなに?きれいな名前」
 「高級な煎茶のことだっちょv
 これは絶対にそのまま飲んで欲しいっちょ!」
 ミルクや砂糖は邪道だと言い切ったちょめ助にリナリーが笑い出す。
 「じゃあそれで。
 茶館って怪しいお店が多いから、ちょめちゃんみたいな本格派は受けると思うよ」
 「えへへーv
 茶菓子はサービスするっちょよー♪」
 軽やかな足取りでキッチンへ入ったちょめ助は、手際よく茶を淹れて戻って来た。
 三人がしばらく談笑していると、一階が随分と賑わってきたらしく、店員がしばしば助けを求めにくる。
 「あの・・・そろそろ汽車の時間だし、失礼するわ」
 気遣わしげに言ったミランダに、またも階下から呼ばれたちょめ助が慌てた。
 「バタバタしててすまないっちょ!
 こっちが落ち着いたらロンドンに帰るから、また店に遊びに来て欲しいっちょよ!」
 「うん!またロンドンでね!」
 リナリーが手を振り、ミランダと共に店を出る。
 その時ちょうど、目の前にクラウドの豪華な馬車が止まった。
 「兄さん・・・!」
 最初に降りて来た兄を、リナリーが恨みがましく睨む。
 「なんだ、まだいたの。
 あんなにお別れの挨拶をしたのに、また会うなんてちょっと気まずいね」
 苦笑するコムイに、ミランダも頷いた。
 「本当に。
 殿下、ごきげんよう」
 「え?あ・・・あぁ・・・」
 続いて降りて来たクラウドが、驚いた後に笑い出す。
 「着くのが早すぎたか。
 アレン達はまだ来てないのだろう?」
 「はい。
 喫茶室は誰もおりません」
 丁寧に一礼したリナリーに頷き、クラウドはミランダと握手した。
 「では改めて、よい旅を」
 「はい、ありがとうございます」
 ミランダに促されて歩を進めたリナリーは、じっと自分を見つめるコムイに舌を出す。
 「兄さんたらなんだよっ!
 私がちゃんとミランダに着いてくか、見張っちゃってさ!」
 「コ・・・コムイさんはリナリーちゃんが心配なのよ・・・」
 危ないことなんだからと、ミランダがやんわりと取り成した。
 「殿下には神田君がついているし、大丈夫よ。
 それにほら・・・」
 ちらりと、ミランダは店頭で試飲の茶を配る店員を見遣る。
 「あの人、警部の部下の方なんでしょ?」
 ついさっきちょめ助からは、開店準備を邪魔したガルマーと部下達がまだ店員として働かされていると聞いた。
 「大丈夫よ」
 もう一度言われて、リナリーは渋々頷く。
 「でも・・・怪盗見たかったなぁ・・・!」
 彼女の悔しげな呟きは、傍らを流れるセーヌ川の下流で馬車から引き摺り下ろされた少年探偵達には届かなかった。


 足の速い馬車はロードと少年探偵達を乗せて、人気のない川岸までやって来た。
 そこで待ち構えていたのは、あのアパートメントにいた管理人を含む、屈強な男達だ。
 しかもその中には、ラビも見知った犯罪者の姿があった。
 「あんた・・・スキン?!」
 「ん?」
 目を丸くしたラビを、巨大な男は冷たく見下ろす。
 「誰だったか・・・」
 太い首を捻る彼に、ラビは舌打ちした。
 こんな状況で、かつてお前を牢屋にぶち込む助けをしただなんて、言えるはずもない。
 「お前なんか知らん。おとなしくしろ」
 冷たく吐き捨てた彼と仲間によって、二人は抵抗する間もなく縛り上げられ、地に転がされた。
 と、
 「スキン、ご苦労さん」
 彼らの頭上から、暢気な声がかかる。
 「筋肉馬鹿の兄貴でも、いれば役に立つことがあるんだね」
 忌々しげに顔を歪めたスキンを、クスクスと笑う声には聞き覚えがあった。
 「やぁやぁ坊ちゃん方、商談成立する間もなくお別れだなんて、とても残念だなぁ」
 芝居がかった口調で言いながら、御者台から降りて来た青年の姿に、二人は愕然とする。
 「ネ・・・ネア・・・!」
 「なんでお前がそこに乗ってんさ・・・!」
 驚く二人を見下ろす彼は、いたずらが成功した子供のように楽しげに笑った。
 「そりゃあ、可愛いロードから連絡もらったからに決まってんでしょ。
 お兄ちゃんとしては、妹のピンチには駆けつけなくっちゃねぇ?」
 今度こそ声を失くした二人を、兄妹は大声で笑う。
 「僕が電話して、ネアに来てもらったんだよぉv
 お前達が自分の馬車で来てないことはメイドが確認したし、いざとなったら僕の味方になっちゃう御者がいる、僕んちの馬車は使わないと思ったからさ。
 ネアがちょっと変装して、紋章を入れてない馬車で来れば辻馬車だって勘違いするだろうと思ったら大当たりだったねぇ」
 悔しげに黙りこんだ二人を、兄妹は更に笑った。
 「さぁて・・・どうするの、ネア?
 殺しちゃうの?」
 ロードの言葉に、笑みを収めたネアが首を振る。
 「怪盗は殺しをしないんだ。
 彼らには安全にお帰りいただく。
 そして願わくは、二度とフランスに来て欲しくないね」
 ネアが顎で指すと、アレンとラビを縛り上げた男達が、二人を川に架かる桟橋へと運んで行った。
 「ここからドーバーまでは9時間くらいかな。
 快適な船旅ではないかもしれないが、なぁに、おうちに帰ってママのマフィンでも食べれば元気になるよ。
 明日のお茶の時間には間に合うからね」
 からかい口調に何か言ってやりたくはあったが、口を開いた途端に猿轡を噛まされる。
 「じゃあお元気で」
 手を振るネアに頷き、男達は二人を船へ運び込んだ。
 窓のない船室は頑丈な扉で覆われ、二人が暴れても船の外どころか、甲板にも音は届かないだろう。
 「アデューv
 ロードの楽しそうな声を最後に閉ざされた扉は、外の音さえも遮断した。


 ・・・それから何時間経ったのか。
 悔しくて泣きたい思いに苛まれながら、無音の船旅を過ごした二人の身体を、鈍い振動が揺すった。
 船が港に入ったのだと気付いたのは、穏やかでありながらも細かく揺れる感覚によってだ。
 またも振動に揺すられ、転がった二人の上に、甲板からの明かりが差した。
 「着いたぞ」
 何時間ぶりにか、ようやく聞こえた声は酷く不機嫌で、彼らを抱える手も随分乱暴だ。
 「おい、木箱持って来い」
 男の声に従って、おがくずを詰め込んだ木箱が運ばれてきた。
 彼はその中に、無造作にアレンを、そしてもう一つの箱にラビを放り込んで蓋を閉め、釘を打つ。
 「いいぞ、船から降ろせ。
 朝になったら人が来る場所に置いてこい」
 怪盗は本当に自分達を殺す気はないのだと、その言葉でようやく安堵した。
 しかし、彼らが本当に人気のない場所へ放置するつもりなら、朝までこうしていなければならない。
 さすがにそれは苦しいのではないかと、アレンは怪盗の仲間達の気配が離れたタイミングを見計らって、中から箱を蹴りつけた。
 おがくずが詰まっているせいで音はそれほど響かなかったが、箱自体が揺れてガタガタと音を立てる。
 ラビも同じことを思ったらしく、少し離れた場所でやはり、ガタガタと音がした。
 二人してなんとかがんばっていると、
 「・・・なんだ、これ。
 動物でも入ってるのか?」
 港の警備員だろうか、訝しげな声が近づいてくる。
 「むぐー!むぐー!!」
 猿轡をされているせいで話せはしないが、必死に声をあげると、ラビも同じように声をあげた。
 「なんだよ、なんの動物だ?」
 コンコン、と箱を叩かれて、アレンは爪先でコンコン、と同じ音を返す。
 「あれ?」
 またコンコン、と叩く彼に、アレンも同じ音で返した。
 「まさか・・・人間?
 おい、YESなら2回、NOなら1回叩いて返してみろよ」
 言われてアレンは、爪先で2回ノックする。
 「人間なんだな?」
 もう一度2回ノックすると、上蓋が叩かれた。
 「すぐに工具持って来る!待ってろ!」
 爪先のノックで答えたアレンが祈るような気持ちで待っていると、すぐに足音が戻って来て、バールで木箱を開けてくれる。
 「おい!大丈夫か?!」
 助け起こされ、猿轡と縄を解いてもらったアレンが礼を言おうと顔をあげた。
 「ア・・・アレン・・・!」
 「リーバーさん?!」
 見知った顔にホッとして、涙が溢れてくる。
 「リーバーさん、僕・・・あ!ラビ!
 リーバーさん、ラビも助けて!!」
 泣きながら隣に置かれた箱を差すと、頷いたリーバーが上蓋を開けて、ラビも助けてくれた。
 「怖かったさー!!!!」
 リーバーにしがみついて泣くラビを見て、アレンも泣き声をあげる。
 「えーっと・・・なんなんだ、お前ら?!
 パリで葬式してたんだろ?
 船賃失くして、貨物に忍び込んだのか?」
 事情を知らないとは言え、酷い言われ方に二人は泣きながら首を振った。
 「あぁもう!とりあえず箱から出ろ!
 そんで、宿取ってやるから朝まで寝てろ!
 歩けるか?!」
 「無理さ・・・」
 「ずっと縛られてた上に箱詰めされたんで、身体中痛くて・・・」
 また泣き声を上げる彼らにため息をついたリーバーは、両腕に二人を抱えて歩き出す。
 「・・・リーバーさん、力持ち」
 「ありがとうさー!めっちゃ感謝するさー!!」
 このまま宿まで運んでくれと言う彼らに、リーバーが目を吊り上げた。
 「人がいるところまでに決まってんだろ!
 子豚とウサギの分際で重いんだよお前ら!」
 文句を言いながらもリーバーは人の多い場所へと彼らを運び、警備員に事情を話して宿まで連れて行ってくれる。
 二人がリーバーの取ってくれた部屋のベッドに倒れこんでいると、しばらくしてミランダも来てくれた。
 「まぁ・・・!
 アレン君達も帰って来たの?!」
 彼女の乗っていた客船は、今ドーバーに到着したらしい。
 ミランダはコートも脱がないまま、二人の上に気遣わしげに屈みこんだ。
 「い・・・一体、何があったの・・・?
 なんだか酷い状態だわ・・・」
 あちこち擦り傷だらけでぐったりとした二人を、ミランダが不安げに見比べる。
 と、薬箱を持って来たリーバーが、眉根を寄せて首を振った。
 「お前が乗った船の到着があんまり遅いから、港をぶらぶらして時間を潰していたら見つけたんだ。
 二人とも縛られて猿轡されて、木箱に詰められてた」
 「まぁ!怪盗ったらなんて酷いことを!」
 思わず言ったミランダを、リーバーが驚いて振り返る。
 「怪盗ってなんだ?
 パリで何かあったのか?」
 詰め寄られたミランダは、しどろもどろになりながらパリで起こった事件の話をした。
 「・・・そんな状況だと、なんで話さなかったんだ!
 すぐに迎えに行ったのに!」
 「だ・・・だって、患者さんもいるのに心配掛けたくなかったんですもの・・・」
 しゅん、とうな垂れたミランダにぶつけられない怒りが、消毒液の滝となってラビに降り注ぐ。
 「あぎゃあああああああああ!!!!」
 全身の擦り傷に沁みこむ刺激に悶えるラビを、リーバーは冷たく無視してミランダに向き直った。
 「お前に何かあったら、心配どころか後悔しかできなくなるじゃないか!
 心配は短期間で済むが、後悔は下手すれば一生続くんだぞ!」
 「はい・・・」
 ごめんなさい、と呟くミランダを、リーバーはそっと抱きしめる。
 「無事でよかった・・・」
 「はい・・・」
 「あのっ!
 ラビが・・・ラビが無事じゃありませんっ!!」
 アレンの必死の訴えに、我に返ったリーバーが慌ててガーゼを当てた。
 「すまん、手が滑った」
 「過失で済むかー!!!!」
 ベッドの上で身悶えるラビに謝りながら、リーバーは手当てをしてやる。
 「骨が折れたりはしてないみたいだ。
 不幸中の幸いだったな。
 アレンも・・・擦り傷だけでよかったな」
 ラビと同じく、沁みる薬の攻撃に悶え苦しみ、ぐったりとしたアレンの頭をリーバーは笑って撫でてやった。
 「それで?
 お前らが言ってた、遺品整理は終わったのか?」
 何気なく問うた途端、二人はベッドから飛び起きる。
 「電話電話電話!!殿下はご無事さ?!」
 「コムイさんどうしたかな!!怪盗が逃げちゃうよ!!!!」
 呆気にとられた二人が止める間もなく、アレンとラビはこけつまろびつ宿の電話へ向かい、国際電話の交換手にクラウドの邸宅の番号を頼んだ。
 『あぁ、無事だったんだ、二人とも!よかった!』
 電話に出たコムイが、ホッとした声で言う。
 『ロード嬢はいつまでも来ないし、夜になってもキミ達は帰って来ないし・・・リナリーが泣き叫んで大変だったよ』
 深々とため息をついたコムイに、アレンもラビも、消沈した声で謝った。
 『ううん、キミ達に危ない役目をさせちゃったボクが悪かったんだ。
 今はドーバーかい?
 汽車が出るまで、宿でゆっくり休むといいよ』
 珍しくも気遣ってくれるコムイに却っていたたまれなくなり、肩を落としたアレンが受話器をラビへ渡す。
 「コムイ、今更役に立たねーかもだけど、俺らの情報聞いてくれよ」
 そう言ってラビは時折声を詰まらせながら、ミール邸に行ってからのことを詳しく話した。
 『そう・・・やっぱりその、ネアってのが怪盗だったんだ・・・』
 「あぁ。
 ロードとは兄妹だって言ってた」
 それと、と、ラビは眉根を寄せる。
 「俺が寝てる間にアレンに聞いたろうけど、ネアはティキと、すごく似てるんさ。
 それこそ兄弟かってくらい。
 あと、これは本気で言ってたのかわかんねぇんだけど・・・・・・」
 確証は持てないと、ラビは前置きした。
 「前に俺が逮捕を手伝ったスキン・・・。
 ネアはあいつのことを『兄貴』って呼んだ。
 スキンはティキの兄弟さ・・・だからもしかしたら・・・」
 受話器の向こうで、コムイが息を飲む気配がする。
 しかしそれは、意外なことを聞いて驚いたと言うよりも、薄々感じていた予感が当たったとわかって、落ち着こうとしているかのようだった。
 『ラビ・・・君なら覚えてるかもしれないけど・・・』
 海の向こうの声は、何かを憚るように低くなる。
 『殿下のお邸でボクが建築家の名前を見た時さ・・・』
 「あぁ、『変な名前』って言ったよな」
 やはり覚えていたかと、コムイが苦笑する気配があった。
 『ミール・・・Milleだ・・・。
 年号の下に書くには妙な単語だと、ボクは思ったんだよ』
 1865の下のMille・・・。
 Milleとは、英語で言えばthousand・・・『千』のことだった。
 「千年公・・・・・・」
 『あぁ、伯爵の通り名だよ・・・・・・!』
 呆然と呟くラビに、コムイが呻く。
 『建築家は無関係じゃなかった・・・本当の黒幕は、彼だったんだ・・・!』
 コムイが『悪の根源』と名指しする、犯罪界の王―――― それが『伯爵』だった。
 『ダイヤは・・・ボクがなんとか追いかけるよ。
 でも殿下のご希望に添えるかはかなり難しいな・・・』
 悔しげにコムイが吐息する。
 『ともかく、キミ達はここで終了だ。
 家に帰ってゆっくりお休み』
 「え・・・ちょっと待てよ、コムイ!」
 『いいハロウィンを』
 その言葉を最後に、通話は一方的に切られた。
 呆然とするラビの傍らで、アレンも肩を落としてうな垂れている。
 「伯爵め・・・!」
 悔しげに唸ったラビは、壁にこぶしを叩きつけた。


 Fin.


 







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