† 誰も知らない風景 †







 「Oh where,oh where has my pussy cat gone♪(ねぇどこに♪どこにいったの子猫ちゃん?)」
 暖炉の明かりにのみ照らされた薄暗い部屋に、少女の歌声が響く。
 「Oh where,oh where can she be♪(ねぇどこに♪どこにいるの?)」
 暖炉の前で身体を揺すりながら温まった絨毯を撫でる彼女を、ソファに寝そべっていた少年が不思議そうに見遣った。
 「のう、ロード?
 私の記憶が確かならば、その歌はマザーグースで、子猫ではなく子犬ではなかったかの?」
 いつの間に歌詞が変わったのだろうと、訝しげな彼にロードはクスクスと笑う。
 「いいんだよー♪
 With hers ears cut short and hers tail cut long♪(耳の短いしっぽの長い子)」
 暖炉の炎が、彼女の背後に広がる影を濃くした。
 「Oh where, oh where is she♪」
 影を探るロードの手が、何かを掴んで引き上げる。
 「いらっしゃい、リナリーv
 長い尻尾を掴まれ、逆さ吊りにされた黒い子猫は、じたじたと空を掻いて暴れた。


 「リナリー!!
 リナリー!しっかりして!!」
 必死に呼びかける声に、彼女はうっすらと目を開けた。
 「リナリー・・・!」
 ホッとした兄の顔を不思議に思って見上げていると、きつく抱きしめられる。
 「どうしたの・・・?」
 とても頭と体が重く、ぼんやりと声を出すと、兄は『急に倒れたから・・・!』と、声を詰まらせた。
 「具合が悪いんじゃないのかい?
 病棟で診てもらおうね!」
 「平気」
 ゆっくりと首を振って、リナリーは兄の腕を解く。
 ふと、辺りを見回した彼女は、不思議そうに首を傾げた。
 「ここ・・・どこ?」
 「どこって・・・!」
 いつも通り教団の、コムイの執務室だ。
 任務から帰り、報告書を届けに来たリナリーが不意に倒れたため、慌てたコムイがデスクの上のものを盛大に散らかしてしまったが、部屋の様子が変わるほどのことではなかった。
 「ボクの執務室だよ・・・何も変わってないよ?」
 コムイの方こそ不思議そうに首を傾げると、リナリーはむずがる子供のように首を振る。
 「なんで・・・おうちじゃないの?」
 「え?」
 目を丸くするコムイの服を、リナリーはぎゅっと掴んだ。
 「ここ・・・どこ・・・?!
 おうちに帰らなきゃ・・・!」


 「記憶喪失?!リナリーちゃんが?!」
 「正しくは、記憶の退行だな」
 身体はいつも通りだけど、とため息をついて、リーバーはミランダを見上げた。
 「・・・こんな大変な時に、よくもまぁ次々と問題が起こってくれるもんだ」
 忌々しげに眉根を寄せた彼を、ミランダはひょいと抱き上げて、ふっくらした頬に頬を寄せる。
 「前にもこんなことありましたよね・・・きっと一時的なものですよ。
 大丈夫大丈夫v
 「なんの根拠があって言ってんだ!!」
 いつもはネガティブ思考なくせに、今日は妙にポジティブなことを言うミランダに、リーバーが目を吊り上げた。
 しかし彼女は彼を膝の上に乗せ、嬉しそうに頭を撫でる。
 「根拠なんかないですけど・・・今まで、同じようなことがあっても無事に解決したじゃないですか。
 きっと今回も、コムイさんが作った妙な薬でも飲んでしまっただけですよ。
 そのうち戻ります」
 「それはこの状況のことを言ってんのか!!」
 ミランダに子供薬を盛られ、幼い頃の姿に戻ってしまったリーバーが、彼女の膝の上でじたじたと暴れた。
 「お前、絶対やるなって言ったのに!!
 なに薬盛ってくれてんだ!!」
 「だってリーバーさんのふにふにほっぺに触りたかったんですものv
 柔らかい頬を両手で嬉しげに挟み、感触を楽しむミランダが頬を染める。
 「やぁんv 気持ちいいーv
 「うるせー!!」
 ぎゃあぎゃあと喚くリーバーを、キャッシュがうんざりと見遣った。
 「ちょっとあんたら、目障りだから静かにしてくれる?
 まったく、この忙しいのにいちゃいちゃしちゃって!」
 「だれがいちゃいちゃだ!
 好きでこんなカッコしてんじゃねぇよ!!」
 リーバーの猛抗議を面倒そうに聞き流し、キャッシュはデスクの上に溜まった書類を指す。
 「はんちょー、コレ、さっさと処理しちゃって。
 このままだと室長のトコにも持ってけないよ」
 「あ・・・あぁ・・・!
 って、ミランダ!いい加減、放せよ!!」
 「うふv
 嬉しそうに笑ったミランダは、リーバーを抱えたまま移動して、彼の席に座った。
 「リーバーさん、今のままじゃデスクの上も見えないでしょ?
 ママがお膝の上に乗せててあげますからねーv
 「俺でママゴトすんなあああああああああ!!!!」
 しかし、椅子の上に立って書類を捌くのは結構苦労する。
 リーバーは顔を真っ赤にして、ミランダの膝の上でペンを走らせた。
 「おーおー!
 リーバーたん、ママと一緒でいいでちゅねーv
 「うっせぇよジジ!
 からかってねぇで、処理終わったやつ運べー!!」
 甲高い声で騒々しく怒鳴るリーバーに肩をすくめ、ジジは処理済の書類を取り上げる。
 「ミランダ、コイツをガキンチョにするとやかましいだろ。
 そんなに子供欲しけりゃ自分で産めよ」
 「えぇっ?!
 そ・・・それは・・・!えぇと・・・!!!!」
 真っ赤になってうろたえるミランダの膝が揺れて、リーバーの持つペン先も歪んだ。
 「静かに仕事させろ!!」
 デスクを叩いて喚くリーバーの声に、アレンとラビが寄って来る。
 「どうしたんですか、リーバーさん!
 また事故?」
 「ミランダの膝に乗っちまって、うらやましーさねv
 一応気遣わしげな顔をしたアレンの隣で、ラビが愉快そうに笑った。
 「事故じゃねーし羨ましがられる筋合いもねぇ!
 ミランダに薬盛られたんだ!!」
 彼女が提供する飲食には警戒していたのに、まさか65を懐柔して経由するとは思わなかったと、リーバーは裏切り者を睨みながらぼやく。
 「イヤ・・・65も、まさかミランダがそんな無茶するとは思わんかったろうさ。
 裏切り者呼ばわりは言い過ぎさね」
 「それに、リーバーさんは不便かもしれませんけど、非日常が日常のここじゃ珍しくもないことですよ。
 みんな気にしてないみたいですけどね」
 あっさりとミランダ擁護に回った二人をも、リーバーは忌々しげに睨みつけた。
 「仲間擁護もいいが、これは明らかにやりすぎだろ!」
 「でも、リーバーさんの処理能力が落ちてるわけじゃないんでしょ?」
 子供の背丈で動きづらそうにはしているが、彼のデスクに積み上げられた書類は順調に減っている。
 「元々、アタマだけありゃいいんだからさ、子供のカッコになっちまったって問題ないさね」
 「だったらお前にも盛ってやろかー!!!!」
 ぎゃあぎゃあと喚くリーバーから一歩引いたラビは、小さなこぶしの届かない位置で意地悪く笑った。
 「そりゃあ、遠慮するさねv
 いちお俺も戦闘員だしー?」
 「ホント、いちおーだけどねー・・・あにふんらー!!」
 生意気な口をラビに引っ張られて、アレンがじたじたと暴れる。
 いつも通りの賑やかな場に、その時、コムイが血相を変えて執務室から出てきた。
 「キミタチ!ちょっと話聞いてー!!」
 パパパンッ!と、せわしなく手を打つ音に注目が集まる。
 「どしたんすか、室長?!」
 「なんかヤバイ薬でも漏れた?!」
 自分を全く信用していない部下達に反論したい気持ちを抑えて、コムイは彼らを見回した。
 「今日からしばらく、ここは・・・寄宿学校ってコトにします!
 研究施設と医療施設を伴った、ちょっと特殊な学校だって言ってるから、キミ達も話を合わせるように!」
 「は?」
 なんとなく理解した科学班のスタッフ達とは違い、アレンとラビが訝しげな顔をする。
 「なんさそれ?
 どういうことさ?」
 「あぁ、キミ達帰ってたの。
 事情はリーバー君から聞いて・・・って、どうしようかね、このちんくしゃは」
 「俺のことっすか!!」
 はるか上から見下ろされた上、ちんくしゃ呼ばわりされて、リーバーが激昂した。
 「好きでこんなかっこしてんじゃねーし!!」
 「じゃあ、私の子供ってコトでv
 「おいいいいいいいいいいいい!!!!」
 膝の上でじたじたと暴れるリーバーを、ミランダがぎゅっと抱きしめる。
 「・・・あの、いちゃこらしてるとこ悪ィんけど、良かったら先に事情を説明してくんないさ?」
 苦笑したラビに、ミランダがにこりと笑った。
 「リナリーちゃん、また記憶が退行したんですって。
 ちっさくはなってないそうですけど」
 ね?と、リーバーはつつかれた頬を思いっきり膨らませる。
 「またさ?
 今度はどんなヤバい薬をミックスしたんさ」
 呆れるラビの隣で、アレンは肩を落とした。
 「また西洋人キライって泣かれるんですか?
 あれ、かなりショックなんでやめて欲しいんですけど・・・」
 部屋にこもってようかな、といじけるアレンに、コムイは冷たく手を払う。
 「イイヨイイヨー!
 キミみたいな悪い虫は、最初からいない方が!」
 「え?!コムイさん、ひどっ!!
 僕だって、普通の学園生活ってやってみたいのに!」
 やったことないから、と、悲しいことを言う16歳にラビが苦笑した。
 「この城の様子だけで、普通とは言いがたいと思うけどな。
 ホグ●ーツかよ、ってさ」
 「魔法学校みたいに不思議なものなんてココには・・・!」
 と、言いかけたコムイの目の前を65が浮遊し、インカムにヘブラスカからの通信が入る。
 「・・・とにかくだね!」
 無情に通信を切ったコムイが、ビシィッと人差し指を立てた。
 「みんなには全力で『普通』を演じてもらうよ!」
 「演じなきゃなんない普通ってなんさ」
 思わず笑い出したラビが、きらりと目を輝かせる。
 「じゃあ俺、成績優秀な先輩の役!
 よく宿題を手伝ったりすんのv
 「じゃあじゃあ!僕、可愛い後輩の役!」
 ラビの隣でぴょこぴょこ跳ねながら、アレンが挙手した。
 「アコガレのリナリー先輩の後をついて回ります!」
 「ストーカー規制法!!」
 「ぎゃふんっ!!」
 コムイの鋭いチョップを受けて、アレンが床に沈む。
 「あんまり変な事言うと、地下牢で引きこもってもらうよ?」
 「す・・・すみません・・・!」
 ぷっくりと膨れたたんこぶを撫でながら、アレンが涙声を上げた。
 「じゃあ!リナリーの心の平安のために!
 全力でやるよ!!」
 こぶしを握ったコムイの元へ、被服係の係長が両手に服を抱えて駆け寄って来る。
 「お待たせーv
 寄宿学校の制服っぽいの、できたわよーv
 「マジさ?!
 仕事はっや!!」
 驚くラビに、彼女は笑って首を振った。
 「仕事部屋にあった物にエンブレムとかつけただけだもの!
 とりあえずは冬服ね!コートと・・・マントもいるんだったかしら?
 ねぇ、あなた達!
 パブリック・スクール出身者は協力してちょうだい!」
 科学者達へ向けて声をかけると、さすが優秀な頭脳の集まりだけあって、何人もが手を上げる。
 「へー・・・割りといるもんだね」
 思わず感心したアレンに、コムイが意地悪く笑った。
 「先生役は誰がいいかな?
 リンク監査官にお願いしようか?」
 ここにはいないうるさ型の名を挙げられて、アレンが目を泳がせる。
 しかし、
 「リンクが教師になったら、ここぞとばかりにリナをいじめるんだろうなぁー」
 と言う、ラビの言葉にあっさりと方針転換した。
 「ジジ!教師役お願いね!
 ブックマンにもお願いするとして・・・キャッシュ!ジョニー!キミ達は生徒役で!」
 「は?!あたしも?!
 ジョニーは見た目がアレだからいいかもだけど・・・あたし、リナリーの同級生にしては年が行き過ぎてないかな?」
 困惑する彼女に、コムイは笑って首を振る。
 「今のリナリーは、西洋人の年齢なんて当てられないよ!
 大人っぽいんだよ、って言っておくしv
 「はぁ・・・まぁ、確かにあたしも東洋人の年齢なんて、当てられないけどね・・・」
 彼女には未だに年齢不詳のコムイを見つめながら言えば、彼は嬉しげに手を叩いた。
 「よーっし!
 じゃ、全力で学園生活ごっこ、はーじめーるよー!」


 ―――― ここで待っていて、と言い置いた兄が出て行ってから、随分経った。
 書類で埋もれたソファの隅にちょこんと座ったリナリーが、すすっていたコーヒーもなくなってしまい、手持ち無沙汰のまま白い雪に覆われた外の風景を眺めていると、ようやくドアが開く。
 「ご・・・ごめんねぇ、リナリー!
 キミの制服、見つかったよ!」
 と、差し出された黒い服は、襟から胸元にかけてと袖口が白いフリルになっていて、とても可愛かった。
 「被服室・・・あぁ、制服を管理してくれてる所でクリーニングお願いしたまま、引き取るの忘れてたんだね。
 係長が届けてくれたから、後でお礼を言っておくんだよ」
 「うん、ありがと・・・」
 頬を染めて、リナリーは可愛い制服を抱きしめる。
 「私・・・兄さんが先生をしている寄宿学校に入学したんだね・・・。
 それで今日、授業に行こうとしたら雪で滑って転んで頭を打って、記憶が抜けちゃった・・・んだよね?」
 「そうそう!
 もう、びっくりしちゃったよー!
 せめて、ボクのことだけでも覚えててくれてよかった!」
 冷や汗を拭いながら言うコムイに、リナリーは苦笑した。
 「心配かけてごめんなさい・・・」
 「そんなことで謝らなくていいんだよ!」
 ぶんぶんと首を振って、コムイはリナリーを抱きしめる。
 「ただ、さっきも言ったけどここは特殊な学校でね。
 科学や医学なんかの、最先端の技術を学ぶ場所だから、記憶を失ったキミがお勉強についていけるか、お兄ちゃんはそれが心配だよ・・・。
 まぁ、リナリーは頭がいいから、大丈夫だとは思うけどね!」
 「うん、がんばるv
 にこりと笑う妹に、コムイは顔を蕩けさせた。


 「―――― っなにコイツ、抜け殻とも知らないでダッサー!」
 その様子を、教団に仕掛けた『虫』を通して見ていたロードが、指差してげらげらと笑う。
 「リナリーも見てみなよぉ!
 がんばるv だってぇ!!」
 尻尾を握られ、振り回された黒猫は、よろよろしながらもロードへ歯を剥いた。
 「そんなに怒るなよぉv
 楽しんだら帰してあげるからさぁv
 クスクスと笑うロードの傍らで、気だるげにソファに寝転んだままのワイズリーもクスクスと笑い出す。
 「こういうイタズラも楽しいのうv
 それにしてもまさか、妹のために『普通の学園生活』とは・・・愉快な男であるな」
 「ワイズリーもやってみるぅ?
 結構楽しいよぉv
 必要もないのに学校へ通うロードの提案に、ワイズリーは天井を見上げて小首を傾げた。
 「そうさのう・・・それも楽しいかもしれんな。
 教師陣の知性は、我が知性に及ぶべくもないであろうが」
 自信満々の『智』のノアに、ロードはクスクスと笑う。
 「年下にわざと叱られてやるのも、なんだか楽しいもんだよぉv
 暖かい絨毯の上で転がしているうちにぐったりとした子猫を、ロードは愛しげに抱きしめた。


 「制服だv
 僕、こういうの似合うと思わない?!」
 黒いスーツにストライプ柄のネクタイを締めたアレンは、鏡に写った自分へ満足げに微笑んだ。
 「エンブレムは銀の薔薇十字で変わらないし、ボタンもそのままだけど・・・燕尾服ってだけで、なんかいつもと違うカンジv
 くるくると回って、背後でひらひらするジャケットの裾に嬉しげに笑う。
 「まーお前は、そういう『お仕着せ』で十分だろうさ」
 皮肉を言いながら、ラビは隣の姿見の前でネクタイを緩めた。
 「ん。ステキに着崩してやったさv
 そう言う彼は、ジャケットを脱いでベストの前ボタンを全て開け、シャツは裾を出した上に襟もくつろげてネクタイを緩めている。
 「・・・センセー!校則違反ですっ!みっともないです!!」
 バタバタと手を振ったアレンに、被服係の係長が笑い出した。
 「こうなることくらい、予想済みよv
 カッコいいわよ、ラビv
 「トーゼンさーv
 黒い眼帯を医療用のそれに付け替えて、ラビは満足げに頷く。
 「本当は、夏服とか運動着も作ってあげたいんだけど・・・さすがにそこまで長引かせるわけには行かないものねぇ。
 まぁ、リナリーが落ち着くまで2〜3日のお遊びよね」
 「2〜3日でも、やっちまおうってのがコムイさね。
 だったら俺らも楽しんじまおうぜv
 アレンのふくれっ面を両手で潰して笑ったラビは、鏡越しに神田の姿を見つけて振り返った。
 「ユウ!こっちこっちーv
 手を振ると、神田が訝しげな顔で歩み寄ってくる。
 「方舟の間の奴らに、こっちに直行するよう言われたんだが・・・新しい団服か?」
 問うと、係長は笑って頷いた。
 「そうとも言えるわねv
 はい、あなたの分よ。
 詳しいことはラビからでも聞いてちょうだいv
 クスクスと笑いながら手渡された制服に、神田が首を傾げる。
 「なんかあったのか?」
 団服より随分と軽い素材を不思議に思いつつ見やったラビが、楽しそうに頷いた。
 「実はさ・・・」
 事情を聞いて、神田はため息をつく。
 「また、くだらねぇこと思いつきやがって・・・」
 「くだらなくないですよ!リナリーのためですよ!!」
 きゃんきゃんと吼えるアレンをうるさげに見やって、神田は団服のコートを脱ぐ。
 「どうせすぐ本当のことを話す羽目になるんだろうが。
 だったら最初から、めんどくせぇことする必要はねぇだろ」
 「・・・とか言いながら、ちゃんと着替えるユウちゃんはさすがリナのお兄ちゃんさね」
 「っるっせぇよ!」
 ベストもジャケットも押しやったものの、白いシャツにネクタイを締めて、袋に収めた六幻を肩に担いだ神田は、やや反抗的ではあるが、ちゃんと学生に見えた。
 「センセー!!
 ここにも校則違反が!
 服装の乱れは心の乱れですよ!!」
 「よく言いました!」
 ピシリと返ってきた声に、アレンが飛び上がる。
 「リ・・・リンク・・・!
 もぉ報告会、終わったんだ・・・?」
 通信班の会議用回線を使って中央庁に定期報告をしていた彼の、予想外の登場の早さにアレンが声を引き攣らせた。
 「あと1時間は平和だと思ってたのに・・・!」
 「私も、君は今回の報告書作成にいそしんでいると思っていましたがね!!」
 言われてアレンは、気まずげにラビを見遣る。
 「報告書・・・書こうと思いましたよ?
 でも先に帰還報告しに行ったら、緊急事態が起きてて・・・ね?」
 「そうそう、報告書どころじゃなくなっちまったんさ。
 まぁ、書けってゆーんなら、俺は5分もあれば十分だけど?」
 余裕の発言に、アレンは悔しげに口を尖らせた。
 「よろしい。
 では、校則を遵守する真面目なアレン・ウォーカー?
 早急に自分のお仕事をなさい!」
 「えぇっ?!
 これから僕、学園生活ごっこするのに・・・!」
 行きたくない、と、抵抗するアレンの腕を掴んだリンクに、係長が制服を差し出す。
 「まぁまぁ、監査官?
 報告書なら、どこで書いても一緒でしょ。
 教室でお勉強するふりをして、報告書書けばいいじゃないv
 着替えろと、にこやかに差し出されたそれをリンクは無表情に受け取った。
 「・・・いい仕立てですね」
 「プロだものv
 きっと似合うわ、とはしゃいだ声をあげた彼女は、ふと瞬く。
 「ミランダが、生徒のママ役なのよ。
 うまく役を振れば、あなたも息子になれるかも?」
 「喜んで参加させていただきます!」
 きりっと、必要以上に真剣な顔になったリンクは、早速制服へと着替えた。


 ―――― 城内に鐘の音が響き渡った。
 それはいつもなら、単に時間を知らせるだけのものだったが、今日は始業の合図となる。
 『寮』の自室で制服に着替えたリナリーは、その音に慌てて部屋を飛び出した。
 「いけない!遅刻しちゃう!!」
 教科書を抱えて宿舎を出、回廊を駆けて兄が教えてくれた教室へ向かう。
 と、曲がり角で、同じく教室へ向かっていたらしい少年とぶつかった。
 「きゃんっ!!」
 踏まれた子犬のような声をあげて、床に転がった彼と共に大量の紙が散らばる。
 「ご・・・ごめんなさい!
 大丈夫?!」
 なぜか踏みとどまった自分に顔を赤らめ、手を差し伸べると、床に転がったままの彼は頬を染めた。
 「リ・・・リナリー・・・先輩こそ、大丈夫ですか?」
 「え?
 う・・・うん・・・」
 自分より身長のある男の子を転ばしてしまったのに、自分はぶつけた所以外、痛みもない。
 気まずげに頷いたリナリーは、彼の手を取って立たせた。
 「ぶつかってごめんね!
 あの・・・?」
 小首を傾げると、彼はにこりと笑う。
 「アレンですよ。
 アレン・ウォーカー。
 先輩、雪で転んじゃって記憶が飛んだって、本当だったんですね」
 「あ・・・うん、そうらしいの」
 「じゃあ・・・」
 と、アレンはリナリーの手を両手で握って迫った。
 「僕とのこと、全部忘れちゃったんですか・・・?
 バレンタインにプレゼントしてくれたり、キスしてくれたことも?」
 「えぇっ?!そうなの?!」
 真っ赤になって甲高い声をあげたリナリーを、アレンは悲しげな目で見つめる。
 「僕、嘘なんていいません・・・!」
 「黙れこのナンパ野郎!」
 「ぎゃふっ!!」
 鞘に入ったままとは言え、六幻で思いっきり殴られたアレンが目を回した。
 「このクソ忌々しいモヤシが!
 ふざけたことぬかしてんじゃねぇ!」
 「え・・・えと・・・?!あなたは・・・!」
 突然の暴力行為に唖然としたリナリーに、彼は鼻を鳴らす。
 「神田だ。
 ったく、コケたかなんだか知らねぇが、なにボケッとしてんだてめぇは!
 さっさと行くぞ!」
 腕を取られ、引きずられながらリナリーは肩越しにアレンを見遣った。
 「ね・・・ねぇ!
 アレン君が・・・!」
 「いいんだよ!」
 冷たく鼻を鳴らし、神田は『教室』のドアを開ける。
 「どうせ、何か企んでやがったんだ。
 関わるんじゃねぇ」
 リナリーを先に押しやると、『教師』の叱声が飛んだ。
 「遅刻とはけしからんぞ、リナリー・リー!神田ユウ!!
 早く席に着かんか!!」
 「はっ・・・はい!!」
 慌てたリナリーが、どこに座ればいいのかと戸惑っていると、一番前の席に座っていた赤毛が手を上げる。
 「リナ、こっちこっち♪
 ラビ兄ちゃんトコおいでv
 こんな赤毛と兄妹のはずがないのだがと、戸惑いながらもリナリーは彼の隣に座った。
 「お前、コケて記憶が飛んだんだって?
 そんなんでジジィの授業についてけるんさ?」
 クスクスと笑う彼に、老教師のげんこつが落ちる。
 「誰がジジィじゃ!
 先生と呼ばんか、先生と!!」
 厳しい教師にじろりと睨まれて、リナリーがびくりと飛び上がった。
 「この私の授業を受けられることを光栄と思い、励むがいい」
 「は・・・はい・・・!」
 なんだかわからないが、自信満々の態度にきっと高名な学者なのだろうと思ったリナリーが、コクコクと頷く。
 「では、古代文明の比較検討を続ける。
 記憶がなくなっておろうが関係ない。ちゃんとついて来い」
 「はい、老師っ!!」
 最前列の席では振り返ることも出来ず、リナリーは必死にノートを取った。
 「・・・ノリノリだね」
 ラビが叱られている間にこっそりと『教室』に入ったアレンは、最後列に座って報告書を書く神田に舌を出し、中列に座るリンクの隣に座る。
 「遅かったですね。
 報告書用の紙を取りに帰っただけだったのでは?」
 嫌味っぽく言われて、アレンは肩をすくめた。
 「学園物のお約束と言えば、遅刻しそうなヒロインが曲がり角でステキな男の子とぶつかる、ってシチュエーションかなぁって待ち構えてたんですけど、リナリーが予想外に遅かった上に、神田に邪魔されました」
 べーっと、また舌を出したアレンの額に、神田が投げたペンが刺さる。
 「うぐああああああああああ!!!!」
 「やましいぞ、ウォーカー!!」
 「ぎゃふんっ!!」
 ブックマンからもチョークが飛んで来て、アレンは椅子ごとひっくり返った。
 「ちょっと!!今の日常?!
 普通の学生さんはいつもこんな目に遭ってんの?!」
 しぶとく起き上がったアレンがリンクに縋りつつ席に戻る。
 「普通の学生さんは、君のように不真面目ではないので、こんな目には遭いませんよ」
 それより、と、リンクは手元のノートを指した。
 「君、せっかくなのですから報告書は後にして、ブックマンの講義を聴くべきですよ。
 さすがはブックマン、素晴らしい知識量です。
 語り部だけあって、引き込まれる話術とはまさにこのことですよ。
 あの小娘のおかげかと思うと忌々しさはありますが、こんな機会は滅多にないのですから、無駄にするべきではありません」
 「へぇ・・・そうなんだ」
 いつも仕事優先のリンクが珍しいと、アレンは感心して教壇のブックマンを見遣る。
 「でも僕、歴史なんてよくわかんない・・・」
 ・・・とは思ったものの、確かにブックマンの話術は巧みで、まるで映像でも見ているかのように話が頭に入ってきた。
 「いかがでした?」
 「・・・面白かった」
 45分間の講義があっという間で、リンクの問いにも素直に頷く。
 「近くにいるから気付かなかったけど、ブックマンってすごい人だったんだね」
 「だから最初に言うただろうが。
 この私の授業を受けられることを光栄と思い、励むがいいとな」
 傍らで足を止め、にんまりと笑った『老師』に、アレンは思わず笑い出した。
 「でも、こんなことでもないと、ブックマンに教えてもらうのってお高いんでしょ?」
 「当然だ。
 私達の持つ情報は有料だからの」
 「実に幸運でした」
 生真面目にブックマンと握手したリンクが、びっしりと書き込まれたノートを指す。
 「少々質問したいことがあるのですが、有料でしょうか?」
 「ふん。
 まけといてやるから、今日の『授業』が終わったら来るのだな」
 「ありがとうございます」
 機嫌よく『教室』を出て行くブックマンの背に礼儀正しく一礼したリンクは、次に入って来た『教師』の姿に目を見開いた。
 「フェイ補佐・・・いえ、先生でしたか」
 「室長は自身で教壇に立つことを望んでらっしゃいましたが、これ以上サボらせるわけには行きませんので」
 冷たく言って、ブリジットは教壇へ上がる。
 「本日は実務に必要なお勉強をしましょう。
 報告書作成にも応用できますので、後ろの二人、ちゃんと聞くように」
 アレンと神田をじろりと見遣ったブリジットは、最前列にいるリナリーを見下ろした。
 「あなたも」
 「は・・・はい・・・!」
 怖そうな女教師に怯え、頷いたリナリーの隣で、ラビが興味津々と見つめる。
 「では・・・」
 教鞭をピシリと鳴らしたブリジットの、堂々たる声が教室に響き渡った。
 「・・・さすが、中央庁で長官の補佐も勤めた方です。
 素晴らしい整理術でした」
 「恐れ入ります」
 リンクの賞賛に、ブリジットは表情も変えずに頷く。
 「・・・ためになった」
 意外な所からの賞賛には、さすがの彼女もわずかに唇をほころばせた。
 「そう言っていただけると、この役を引き受けた甲斐があったというものですわ、神田。
 ウォーカーも、これで少しははかどりそうかしら」
 「はい!
 いつも大変だから、すごく助かりました!」
 嬉しそうに頷くアレンにも微かに微笑み、ブリジットは満足そうに教室を出て行く。
 しかしリナリーは、訝しげに彼女の背を見送った。
 「・・・ねぇラビ?
 報告書って、なんの?
 アレン君達はなんであんなに喜んでるの?」
 学校で学ぶべきことなのだろうかと、不思議そうな彼女にラビは笑って頷いた。
 「ガッコで一番多い宿題は、レポートの提出さね。
 学生は宿題以外にも忙しいのに、レポートにかかりっきりになっちゃ、ほかの事ができんだろ?
 それを手早く作成しちまう方法を、ミス・フェイは教えてくれたんさ。
 ユウなんか、今まさに格闘中だったかんね。
 あんな無愛想な顔してっけど、内心大喜びさ」
 「そっかぁ・・・」
 と、頷いたリナリーは、また訝しげな顔をして、ラビに小首を傾げる。
 「ねぇ、教室に5人なんて少なすぎない?」
 他者なら慌てたに違いない質問も、ラビは余裕の笑みで首を振った。
 「ここは最先端の科学や医学を勉強する、特殊なガッコさね。
 まだ歴史や整理術なんて勉強してる『新入生』は、この程度さ。
 他の学生はとっくに研究施設や病棟で実習に入ってんよ」
 「そっかぁ!」
 それで兄は、自分が勉強についていけるか心配していたのかと、リナリーはあっさり納得する。
 そんな彼女に、ラビはダメ押しした。
 「こういう特殊なガッコに、ティーンの生徒はわずかさ。
 別の大学を出て実習にだけ参加してる奴や、他国の研究施設の研究員が留学してたりもする。
 とっくに孫がいそうな『学生』がいるのも不思議じゃない場所なんさ」
 「へぇー・・・!
 リナリー、よくそんな学校に入れたなぁ・・・!」
 兄の七光りと言うものだろうかと、心配になったリナリーの頭を、ラビが笑って撫でる。
 「リナは成績優秀だったさね。
 研究施設や病棟の実習に入るのはまだ先だろうけど、ちゃんと授業にはついてってたから心配すんな」
 「う・・・うん!」
 すっかり信じきったリナリーが頷くと同時に、次の『教師』が入って来た。
 「よぉ!
 次は化学だぜ、ガキどもーv
 俺のすんばらしい授業を聞きやがれィ!」
 「うわー・・・ジジ、張り切ってるなぁ・・・」
 呆れ顔のアレンにウィンクしたジジが、最前列にいるリナリーの頭を撫でる。
 「記憶なくっても容赦しないぜぇ?」
 「はいっv
 すっかり疑いを払拭してしまったリナリーは、元気よく頷いた。


 「あははははっ!!
 リナリー、お勉強がんばってるじゃんーv
 ねぇ、お前も勉強するぅ?ホラ、お座り!」
 ロードの手にぐいぐいと押さえつけられて、黒い子猫は絨毯の上に座り込んだ。
 「そうそうv
 そして僕に頭をお下げぇv
 頭を押さえつけてやるが、子猫は頑固に抵抗する。
 「ほらぁ!頭下げろってばぁ!」
 なおもぐいぐいと頭を押さえつけるロードをいぶかしんだのか、別の黒猫が音もなく忍び寄ってきた。
 「何をしているのですか、ロード?
 その子猫は?」
 女の声で人語を話す黒猫に、ロードはにこりと笑う。
 「リナリーの『記憶』だよぉv
 ワイズリーに協力してもらって、抜き取ったんだぁv
 「記憶・・・?」
 それがどうして子猫の形になっているのか理解できず、黒猫は首を傾げた。
 「どういうことですか?」
 ソファに寝そべったままのワイズリーを返り見れば、彼はターバンを取った額に手を当てて苦笑する。
 「実験だったのだよ、ルル。
 ロードと共に試してみたい戦術があったのでな、やってみたのだが・・・中々うまく行かんものだな」
 イテテ・・・と、眉根を寄せつつ、ワイズリーはソファに起き上がった。
 「一人の記憶・・・しかも、中途半端に取り上げたものでさえこれほど苦労するのなら、実戦では使えんのう・・・」
 「実戦・・・?
 記憶を取り上げたら、どうなるのです?」
 ワイズリーの言うことも理解できず、戸惑う彼女にロードが笑いかける。
 「例えばさぁ」
 どうしても頭を下げない子猫の尻尾を握り、逆さ吊りにして振り回しながら、ロードは続けた。
 「エクソシスト共の記憶をぜーんぶ取り上げてやれば、僕らを敵だと認識しないし、イノセンスも使えないだろぉ?
 更にはワイズリーの能力で記憶を弄って、中央庁の爺さん達に教団を廃止させちゃえば、あいつらが余計な邪魔をして来ることはないってことぉ」
 「それは・・・とてもいいことだと思いますが、実戦では使えないのですか?」
 ソファに座って頭を抱えるワイズリーに問うと、彼は苦しげに眉根を寄せて頷く。
 「私の能力は強大ゆえに、反動も大きくてな・・・。
 目の前にいる者に対してならばともかく、遠隔操作には非常な力を要する上に、中途半端にしか抜きだせんかった。
 後を引き受けたロードが、抜き出した『記憶』を『夢』の中で生成して、なんとか形にはしたが・・・反抗的過ぎて、ロードが手を放せば元の身体に戻ってしまいそうだ」
 「だからずっと握ってなきゃなのぉ・・・僕の手、2つしかないんだよねぇ」
 無理、と口を尖らせたロードに、ルル=ベルは頷いた。
 「では、目の前にいれば記憶の操作も容易に?」
 「おとなしくしておればだのう。
 神田ユウの頭を潰してやった時のように、人の頭の中に忍び込むことは出来るのだが、あの時でさえ酷い頭痛がの・・・!
 一人、二人ならともかく、教団の多くをとなると、私の身がもたんわい・・・」
 辛そうに吐息するワイズリーに、ルル=ベルはまた頷く。
 「ではせめて、これをおとなしくさせましょう」
 「にゃんっ!!」
 ルル=ベルに首根っこを咥えられ、床に押し付けられたリナリーが、悔しげな悲鳴をあげた。


 「ようやくお昼だー!」
 快哉をあげたアレンの隣を歩くラビが、化学実験で焦げた髪を忌々しげに捻った。
 「ジジのヤロー・・・!
 実験は面白かったけど、俺の前髪焦がしやがって、あぶねーったらないさ!」
 「あんなに炎が吹き上がるなんて、思わなかったね!」
 興奮気味に頬を染めるリナリーは、炎が吹き上がった瞬間、なぜか身体が素早く回避行動を取って無傷だ。
 普通の学生であるはずの自分の、驚くべき身体能力をまた訝しく思っていると、アレンが笑いながら擦り寄って来た。
 「やっぱりリナリー先輩の身体能力ってすごいですね!
 陸上の世界大会で、女性初のメダリストだけありますv
 「そ・・・そうなの?!」
 そんなにすごい人間だったのかと、リナリーは唖然とする。
 「記憶は飛んじゃっても、身体は覚えてるんですね!」
 と、笑ったアレンは背後から頬を引き伸ばされた。
 「・・・勝手に余計な設定盛り込んでんじゃねぇよ、クソモヤシ!
 情報共有できずにいたら怪しまれるだろうが!」
 「い・・・いいじゃん、これくらい!
 みんな、陸上には興味ないって、ごまかしてくれますよ!」
 「なぁに?どうしたの?」
 早速怪しむリナリーに、神田の手を振り解いたアレンが首を振る。
 「神田・・・先っ輩っ・・・にっ!
 酷く注意されちゃっただけです!」
 先輩、と言う言葉を忌々しげに言ったアレンが、ため息をついて言い募った。
 「リナリー先輩、がんばってメダル取ったのに、ここの人達はあんまりそういう競技に興味なくって。
 だーれも先輩の偉業を知らなかったものだから、しばらく落ち込んでたことがあったんですよ。
 それで、そんなコトは思い出させるなって」
 と、背後を指すアレンに、神田は舌打ちする。
 「なんだ・・・そうなんだ」
 それは確かに落ち込むだろうと、リナリーは苦笑した。
 「気を遣ってくれてありがとv
 「別に・・・そんなんじゃねぇよ」
 途端に雰囲気の良くなった二人にムッとして、アレンは無理矢理彼らの間に割り込む。
 「リナリー先輩v
 早く食堂行きましょvv
 ごはんごはんv とはしゃぐアレンに腕を引かれ、連れて行かれた食堂は、年齢も国籍も様々な人々がランチタイムを過ごしていた。
 「・・・こんなに人がいたんだ」
 唖然として食堂内を見渡したリナリーに、厨房からジェリーが声をかける。
 「おべんきょ終わったのねんv
 なに食べるぅ?」
 「え・・・えっと・・・!」
 見た目からは想像もつかない声と口調に戸惑っていると、ジェリーは悲しげに眉根を寄せた。
 「アタシのことも忘れちゃったのぉ・・・?
 ママンって慕ってくれてたのにぃ・・・」
 「え?!そ・・・そうなんだ・・・!」
 「はい!
 みんな、ジェリーさんのことは大好きです!
 いえ!むしろ愛しています!!
 言葉でなんか言い尽くせないくらい、愛しています!!!!」
 慌てるリナリーの隣できっぱりと、アレンが宣言する。
 「そこまで言っちゃうのがすげーさ。
 さすがアレン」
 もはや言葉もないリナリーの肩を叩いて、ラビが笑い出した。
 しかし神田までもがいそいそと注文する姿を見て、あながち大げさでもないのかと思ってしまう。
 「いいから好きなもの頼めよ」
 蕎麦の乗ったトレイを持って、近くの席に着いた神田に頷いたリナリーは、メニューのないカウンターに思い切って注文した。


 「・・・本当に、なんでも出てくるんだ」
 かなり無茶な注文かと思ったが、目の前で湯気を上げる料理にリナリーは唖然とした。
 「だからジェリーさんはみんなに愛されてるんですよ!」
 大きな肉の塊に噛み付きながら言うアレンにも、納得して頷く。
 「まさか、北京ダックが英国で食べられるとは思わなかったよ・・・」
 「アヒルなんて英国でだって飼育してんだから、余裕さね。
 見てみ、アレンの周り」
 ラビの指したテーブルには、大きな豚の丸焼きや、アレンの身長よりも長い魚の揚げ物が皿に載っていた。
 「・・・食べちゃうんだ、その量を」
 呆れるリナリーに、アレンはにこやかに頷く。
 「余裕ですv
 西洋人の食欲はすごいなと、それ以上の追及を諦めたリナリーは、声をかけられて振り向いた。
 「お勉強、どうでした?」
 子供連れの温和な夫人にリナリーは、こくりと頷く。
 「なんとか。
 あの・・・?」
 知っているはずの人間に名を聞くのも気まずいが、仕方なしに尋ねたリナリーに、彼女はにこりと笑った。
 「ミランダですよ。
 こっちはむ・・・息子のリーバーさんですv
 「誰がむす・・・っ!」
 声を荒げる子供の口を塞いで、ミランダはニコニコと笑う。
 「夫はここの研究施設で働いているのですけど、今は出張に行っちゃってるんですv
 「そ・・・そうですか・・・」
 反抗期なのか、じたじたと暴れる子供を大人しくさせようと奮闘するミランダを、リナリーは唖然と見上げた。
 「た・・・大変そうですね・・・」
 「いいえ、ちっともv
 子供を抱きしめてようやく大人しくさせたミランダは、リナリーの隣に腰を下ろす。
 「私が産んだのはこの子だけなんですけど、前妻の方との間にも息子がいるんですよv
 ハワードさんは、なさぬ仲の私にもとても親切で、助かってますv
 「ハワードさん・・・って、もしかして?」
 アレンを見遣ると、彼は口いっぱいに頬張ったまま頷いた。
 「さっき、僕の隣にいた人です。
 今はブックマン先生の所に質問に行っちゃったけど」
 「そうだったんだ・・・」
 まだ若いのに大変そうだと、リナリーはミランダの膝に乗った子供を見下ろす。
 「ママに、あんまり大変な思いさせちゃダメだよ」
 「うっ・・・!」
 うるせー!と怒鳴ろうとした口は素早く塞がれた。
 「もうv
 リーバーさんってば反抗期なんですからv
 こんな状況でも楽しげに笑うミランダに、リナリーは感心する。
 「子育て、がんばってください!」
 「えぇ、もちろんv
 ミランダが大きく頷いた途端、さすがの神田がたまりかねて吹き出した。


 「ンマァ!
 アノ子達ったラそんナ楽しそうナ事を?!」
 同じ頃、ルル=ベルのご注進を受けた伯爵は、邸内で行われているという企みに目を輝かせた。
 「それはゼヒ、我が輩モ参加しなくテはねェ!」
 わくわくと声を弾ませる彼の足にルル=ベルが身体を擦り寄せる。
 「リナリー・リーの記憶はこちらに・・・」
 先に立って案内する黒猫に、伯爵は嬉しげにスキップしながらついて行った。
 「ロードv ワイズリーv
 我が輩モ仲間ニ入れテ下さイv
 「おや、公や。
 興味がおありだったかのう?」
 てっきり仕事中だと思っていたと笑うワイズリーに、伯爵も笑って頷く。
 「お仕事中でシたトモv
 デモ、こっちの方ガ面白そうでシたのでねェ!」
 「おもしろいよぉ!」
 黒い子猫の尻尾を握ったロードが、楽しげに足をばたつかせる。
 「教団の奴ら、日常がどんなかも知らないクセに一所懸命なのぉ!」
 「それハまた、滑稽デスねぇ!
 あの道化モさぞかシ張り切っていルことでショ!」
 クスクスと笑う伯爵に、ワイズリーもソファに寝転んだまま笑いだした。
 「公よ、何を企んでおいでかの?」
 「イイコトですよv
 もちろん、イイコトv
 楽しげに指を立てた伯爵に目を輝かせたロードは、子猫をルル=ベルに押し付けて伯爵に抱きつく。
 「何するのぉ?!」
 「まずハv
 伯爵は立てた指を軽く振った。
 「彼らヲ『日常』ニ戻シてあげまショv
 にんまりと笑った視線の先、教団内を映し出すいくつもの画面の中に、アクマの姿が浮かぶ。
 「お行きなさイv
 ロードが歓声をあげる中、何体ものアクマが教団本部へと攻め込んだ。


 「襲撃?!
 この忙しい時に!!」
 コムイの苛立たしげな声に、ブリジットが眉根を寄せた。
 「室長、こちらが本職でしてよ」
 「う・・・わかってます・・・!」
 挙動不審に目をさまよわせながら、コムイは元帥らに回線を繋いだ。
 「・・・は?
 なぜ我々なのだ。
 アクマの集団くらい、我々が出ずとも瞬殺できるだろ」
 コムイの回線を受けた元帥達の中で、クラウドが代表して尋ねると、コムイの泣き声が返る。
 『今、ティーンの子達は出せないんですよ!
 リナリーがですね・・・!』
 と、説明を受けてそれぞれがため息をついた。
 「アホらしい!
 なんで俺らが小娘のために動かなきゃなんねえんだぁ?あぁ?!」
 「そりゃそうだけどね、ソカロ」
 穏やかに、ティエドールが割り込んだ。
 「リナリーは確か、明日が誕生日じゃなかったかな?
 ちょっと早いけど、お祝いしてあげてもいいかなって思うのだけどね、私は」
 「はんっ!関係ねぇな!」
 そっぽを向いたソカロににこりと笑い、ティエドールはコムイに言い募る。
 「今回は貸しにしてあげるから、ユー君のお誕生日の時は融通しておくれ」
 『喜んで!!』
 その返答に、クラウドの目も輝いた。
 「ならば私も!
 私も敵を殲滅するにやぶさかではないぞ!
 だからユウの誕生日には私も融通しろ!」
 「クラウドは関係ないでしょ!
 ユー君は私の弟子・・・!」
 「うちの娘だ!!」
 きっぱりと言ったクラウドは、鞭を握って笑みを浮かべる。
 「では、瞬殺した方に権利があるということにしよう!」
 「ちょっ・・・!
 待ちなさい、クラウド!!」
 さっさと窓枠を越えて出て行ったクラウドを追いかけようとして、ティエドールはソカロを振り返った。
 「来ないのかい?」
 「俺ァ小娘にも小僧にも関係ねぇよ!」
 ふんっと鼻を鳴らすソカロに、ティエドールは笑い出す。
 「っだよ!」
 「ユー君には興味なくても、リナリーはソカロが頑張ってくれたことを知ったら、感謝するだろうね」
 「・・・だったらなんだよ」
 興味のない素振りをしつつ、ソカロの足はぱたぱたと落ち着きなく床を叩いていた。
 「別に?
 リナリーは君の、いい遊び・・・いや、練習相手なんだし?
 コムイにだって、貸しを作っておいて損はないんじゃないかなあって思ったんだよ」
 にんまりと笑うティエドールにソカロは舌打ちする。
 「・・・そこまで言うなら、行ってやってもいいぜ。
 お・・・お前らだけじゃ、大変だってんだろ?」
 億劫そうに立ち上がったソカロに、ティエドールは肩をすくめた。
 「そんなこと言うなら、仲間に入れてあげないよ?」
 「行くっつってんだろ!!」
 ドスドスと重い足音を響かせながら自分を追い越して部屋を出たソカロに、ティエドールは苦笑する。
 「素直じゃないんだからねえ、まったく」
 笑声をあげた瞬間、城を囲む森の中で爆音が上がり、ティエドールは飛び上がった。
 「いけないいけない!
 クラウドに手柄を取られちゃうよ!」
 ばたばたと騒々しい足音を響かせて、ティエドールも戦地へと向かう一方。
 リナリー達は防音壁の『教室』で授業を受けていた。
 「じゃ、行くよー!」
 ジョニーと名乗った小柄な『先輩』が、怪しい煙をあげる液体を満たしたビーカーの中に、更に怪しい液体を注ぐ。
 途端、液体の色が濁り、煙も激しくなって行った。
 「ヤバい!下がって!!」
 キャッシュ『先輩』の声に全員が素晴らしい身体能力で退避する。
 「お・・・置いてかないで!」
 煙の向こうの声はしかし、爆音にかき消された。
 「あー・・・危なかったね!」
 「みんな無事で良かったです!」
 「俺はああああああああああああ?!」
 リナリーとアレンのにこやかな声の間に、ジョニーの泣き声が割って入る。
 しかし、
 「自業自得だろ」
 「そうさな」
 冷たい神田とラビに止めを刺され、ぐったりと床に横たわった。
 「あぁもう!
 面倒ばっかかけて!」
 ジョニーをひょいっと小脇に抱えたキャッシュに、リナリーが驚く。
 「キャ・・・キャッシュ先輩って力持ちなのね・・・!」
 「たいしたことないよ、こんなの。
 あんたの兄さんもたまに転がってるから、どけたりするし」
 「兄さん、あんなにおっきいのに?!」
 幅はなくても無駄に身長のある兄までも彼女に担がれてしまうのかと、リナリーは声を引き攣らせた。
 「すごいねぇ!!」
 「いや、あたしなんかよりあんたの方がよっぽど・・・」
 力持ち、と言いそうになったキャッシュが、アレンたちの必死のボディランゲージに慌てて言葉を飲み込む。
 「あー・・・あんたの方がよっぽどすごいよ、足も速いし」
 「足?
 あぁ・・・そう言えば、小さい頃から駆けっこは負けたことないかなぁ?」
 おそらくこれからも負けなしだろうと、リナリーの身体能力を知る全員が何度も頷いた。
 「それよりさ、こいつがこの状態じゃ、実習体験もできないだろ?
 今日の授業はこれで終わりにして、ティータイムに行ったらどうだい?」
 「ティータイムなんてあるの?」
 不思議そうなリナリーに、アレンが大きく頷く。
 「英国ですもん!
 学校でも、お茶の時間は確保されているに決まってます!」
 「決まってるんだ・・・」
 きっぱりと言われたリナリーは、感心して頷いた。
 「じゃあまた、食堂に行くの?」
 「天気がよければテラス席もあるんですけど、今日は雪が積もってますからね。
 あったかい談話室なんかどうですか?」
 ピアスを弄りながら提案するアレンのサインには、当然ながらラビと神田も気付いて頷く。
 通信ゴーレムの使用を禁じられた彼らと違って、アレンはピアス型の通信機でコムイの通信を受け取ることができた。
 声に出さず、アレンが『アクマ襲撃』と唇を動かすや、神田が踵を返す。
 「あ・・・あの!
 神田・・・先輩は行かないの?!」
 「俺は甘いものがキライだ。
 部屋に帰って寝る」
 邪魔するな、と言われて、リナリーは彼の背を見送った。
 「気にしないで、リナリー先輩v
 神田・・・せ・・・んぱい・・・は、いつものことなんだから」
 「そうそうv
 昼寝邪魔したらすっげ機嫌悪くなるから、放置しとくのが最良さねv
 二人から放っておけ、と言われて、リナリーは渋々頷く。
 「行きましょv
 談話室は建物の奥まった場所にあって、窓から海が見えるんですよ」
 「今、森は『実習』で騒がしいかんね。
 海でも眺めてた方が落ち着くさ」
 アレンとラビはそれぞれにリナリーの手を取り、森から遠く離れた場所へと引いていった。


 「ンマァ!!生意気!!」
 仕掛けたアクマを次々と撃破された上、暢気な田舎芝居を続行された伯爵が、悔しげに歯噛みした。
 「こうなったラ我輩、チョット本気出しちゃいまスよ!」
 元帥が相手なのだからと、伯爵は指を鳴らしてレベル4のアクマ達をけしかける。
 ・・・とは言え、特殊な生まれ方をする貴重なレベル4を、そう何体も遊びに使うわけにも行かなかった。
 「ココで使えルのハ、せいぜい3体ですカ・・・!
 アァ、どうせなら一気ニ殲滅したイものですケドね・・・!」
 しかしそんなことをしては今後の計画に狂いが出てしまう、と、伯爵はこの場の誰よりも真剣に画面を見つめる。
 「一人デモ!
 元帥ノ首取ってきなサイ!」


 「・・・オイオイ、レベル4まで来たんじゃねぇか?」
 人外の視力で空に浮かぶ敵を視認したソカロが苦笑する。
 「戦力の逐次投入だと?
 あの伯爵が、こんなにまずい戦略を実行するものだろうか?」
 訝しげなクラウドと並んで、ティエドールも首を捻った。
 「うーん・・・遊びのつもりが本気になった、ことかなぁ?」
 戦闘中でありながら、冷静な元帥達は遠く伯爵の思惑を測る。
 「ま、熱くなって我を忘れてんならこっちにゃ好都合だぜ♪
 せいぜい戦力を殺いでやろうじゃねぇか!」
 「ふん・・・レベル4などとっくに獲物に成り下がっている。
 更に進化でもしない限り、我らの首は取れまいよ」
 クラウドが剣呑に鞭を鳴らすと、ティエドールがわざとらしく震え上がった。
 「可哀想にねぇ、レベル4くん!
 怖いお姉さんが待ち構えているよーんv
 「怖いは余計だ」
 嫣然と微笑んだクラウドは、行きの駄賃とばかりに群がるアクマを破壊しつつ、巨猿の背に乗って宙を駆ける。
 「早く来ないと狩ってしまうぞ!」
 地上へ向かって声を掛ければ、頬の数センチ先をソカロの放つ刃の風圧が過ぎた。
 「レディの顔に傷を付けたら死刑だからな!」
 「とっくに死刑囚だよ、俺はァ!」
 にやにやと笑うソカロの手に刃が戻った瞬間、アクマの血が驟雨のように降り注ぐ。
 「おっと、手加減してやるつもりがだいぶやっちまったなぁ。
 フロワ、お前がボケっとしてっからだぜぇ?」
 上空に群がり、ただでさえ曇った空をなお暗くしていたアクマの濃度は、二人の攻撃だけでかなり薄くなっている。
 「手柄は私達のものだな」
 最大のライバルに対して距離を開けたと、嬉しげなクラウドにティエドールがにんまりと笑った。
 「いやいや、真打は最後に登場するもんだよ。
 露払いご苦労様♪」
 「・・・あ、なんだか今の、むかついた」
 「俺もだ」
 こめかみを引きつらせる二人の眼前で、ティエドールの巨大人形が地を揺らして起き上がる。
 「さぁ、一閃しておやり!」 
 巨大な手が風を巻き起こしながら振り払われると、アクマ達が夏の虫のように潰されて落ちていった。
 「君達二人分くらいは働いたかなぁ♪」
 「く・・・!
 ラウ!
 お前も一閃しておやり!!」
 悔しげに眉根を寄せたクラウドがヒステリックな声をあげて命じると、巨猿の口内に光が生まれる。
 「殺れ!!」
 鞭を振る彼女の元へその時、レベル4が迫った。
 ラウの攻撃を止めようとしてか、レベル4がティエドールの攻撃に匹敵する風を巻き起こすと、クラウドの軽い身体は巨猿の背からあっけなく吹き飛ばされる。
 「ラウ、攻撃を続けろ」
 そう命じたクラウド自身は戦闘の構えを解き、身体を自然に任せた。
 高所からの落下を、ゆったりと味わう彼女を見上げたティエドールが、はっと目を見開く。
 「クラウドったら!」
 彼女の思惑をいち早く見抜いた彼は、忌々しげな声をあげた。
 その声と、更に迫るレベル4の姿に微笑んだ瞬間、神田が彼女と敵の間に割り込む。
 「・・・っなにいきなり手ェ抜いてん・・・ですか!」
 うっかり忘れそうになった敬語を付け加えながら、彼はレベル4を一気に切り裂いた。
 「お前が来るのが見えたからな。
 手柄を譲ってやったんだぞ?」
 クスクスと笑って、恩着せがましいことを言う彼女に神田は舌打ちする。
 「この程度の高さなら落ちても問題はないし・・・」
 悠然と呟いたクラウドは宙で軽々と一回転し、敵を薙ぎ払って駆けつけたラウの背に着地した。
 「愛娘に助けてもらうのもいいなってv
 「娘じゃねえええええええええええええ!!!!」
 絶叫する神田に駆け寄り、抱きしめたティエドールが大きく頷く。
 「そうだよっ!ユー君は私の愛息子だよっ!!」
 「それもウゼエ!!!!」
 容赦なくティエドールまでも両断した神田にソカロが笑いだした。
 「神田、リナリーのとこにいなくてよかったのかよ。
 お前、兄ちゃんだろ」
 唯一まともなことを言ってくれるソカロに内心、ホッとしながら神田は頷く。
 「モヤシとウサギが残っています。
 ・・・俺にはティータイムなんて習慣はないんで」
 甘いものキライだし、と鼻を鳴らす彼に、クラウドが肩をすくめた。
 「甘いものが嫌いでも、ティータイムくらい取ればいいじゃないか。
 英国にいる間は、私もちゃんとお茶の時間を守っているぞ」
 ジェリーの茶菓子はうまい、と、何度も頷く彼女の隣で、ソカロまでもが頷く。
 「今日は『普通』の日なんだろ?
 茶の時間くらい妹に付き合ってやれや、兄貴よぉ!」
 大きな手でぐりぐりと、首が千切れんばかりの勢いで頭を撫でられた神田がこめかみを引き攣らせた。
 「俺は普通なんて知らねぇんで!」
 「確かに・・・ユー君が『普通』を演じるのは大変だよねえ」
 軽く吐息して、ティエドールは上空を眺める。
 おしゃべりしている間に残った敵が集まって、最後の攻撃態勢を整えたようだ。
 とは言え伯爵も逐次投入の愚を悟ったのか、更に兵力を増強したようには見えない。
 「あと一撃ってとこかな」
 余裕の笑みを浮かべた彼の視線の先では、密集したアクマが空を覆い尽くしているが、クラウドもソカロもティエドールの見立てにあっさりと頷いた。
 「私もリナリー達のお茶に参加するかな」
 さっさと片付けよう、と、鞭を払ったクラウドに、ソカロが首を傾げる。
 「そりゃあいいんだけどよ」
 くいっと、親指で背後を示した彼に視線を導かれ、全員が城を振り返った。
 「俺ら、入れてもらえるのか?」
 ミランダの時計の力か、城はドーム状のバリアで覆われている。
 目に見えないその形が見えるのは、群がったアクマが貼り付いているためだ。
 「1匹残らず駆逐するまでは、帰ってくんなってことでしょうね」
 「酷いなぁコムイ・・・」
 そっくりに苦笑した神田とティエドールにムッとして、クラウドが鞭を振る。
 「最初から全滅させるつもりだったのだ!問題ない!」
 きっぱりと言った彼女に、男達は大きく頷いた。


 談話室は城内の最奥、海を見下ろせる断崖の側にあった。
 「朝日や夕日が見られるんで、人気の場所なんですよv
 今日は曇ってるから難しいかもだけど・・・」
 「あら、この国じゃあ、曇っているのはいつもだわ」
 クスクスと笑う声を見遣ると、分厚い本を重ねたテーブルにミランダが座っている。
 「あれ?
 ミランダ、てっきり仕事に行ったんかと・・・」
 驚くラビに、ミランダは頷いて傍らの本を撫でた。
 「お仕事中ですとも」
 本で作った塔の後ろで、イノセンスの時計が発動していることを察し、アレン達は彼女からやや離れたテーブルに着く。
 「お仕事のお邪魔しちゃ悪いですから、僕らこっちにいますね」
 「息抜き中ですから、おしゃべりくらいは平気ですよ」
 ティーカップを持ってにこにこと笑うミランダの、何か言いたげな雰囲気を察して、リナリーは辺りを見回した。
 「あの・・・お子さんは?」
 「今、お勉強中です。
 あの子はあなた達みたいな選科生ではないから」
 さらりと言ったミランダに、アレンとラビが驚いて顔を見合わせる。
 「・・・なぁ、ミランダどしたん?
 リーバーに子供薬盛ったり、平然と嘘ついたり・・・!」
 声を潜めたラビに、アレンもこっそりと首を振った。
 「リーバーさんのことは、ふにふにほっぺ萌を熱く語られたんで納得なんですけど・・・なんかやたらテンション上がってるみたい。
 ・・・どうしたんでしょう」
 「どうしたの?」
 こそこそと囁き合う二人にリナリーが首を傾げる。
 「いやっ!なんでもないさ!」
 「今日のお茶菓子何かなぁって!」
 笑顔を引き攣らせる彼らを不思議そうに見たものの、リナリーはすぐにミランダへと目を戻した。
 「マダムもお仕事されてるんですね」
 「マダムv
 きゃあv と、ミランダが歓声をあげる。
 「え?!えっと・・・英語間違えたかな・・・」
 「あぁ、ごめんなさい!
 私、ドイツ人だから、そんな風に呼ばれるのが新鮮でv
 ミランダらしくもない見事な切り返しに、ラビとアレンはますます困惑した。
 目の前にいるのは本当にミランダなのかと、疑う彼らの前でミランダは、膝の上に乗せた本をめくる。
 「私のお仕事はお手伝いみたいなものですけど、私にしかできないことなので、なんとかやっていますよ」
 「へぇ・・・!すごい!」
 素直に感心したリナリーに微笑み、ミランダは窓の外、遠くを見つめた。
 「私・・・あなたよりも若い頃に、親の決めた方と結婚したのですけど、随分と年上だったその方はすぐに亡くなってしまって・・・。
 私は財産の独り占めを狙う年上の息子に家を追い出されて、困窮していた所をこの学校に救われたのです。
 実は、この学校は亡き夫が創設者の一人として名を連ねていた学校で、そのご縁でこちらに拾っていただいたのですけど、義理の息子はそれが面白くなかったようで、あの手この手でまた私を追い出そうと・・・!」
 涙を浮かべるミランダに、リナリーもまた、同情の涙を浮かべる。
 「なんて酷い・・・!」
 「いいえ、でもね・・・!」
 わざとらしく取り出したハンカチで涙を拭ったミランダは、気丈に微笑んだ。
 「今の夫が私を守ってくれて、逆に義理の息子をここから追放してくれたのですよ。
 彼は亡くなった前妻の方を愛していたのですけど、なぜか私を気にかけてくれて・・・!
 今は優しい義理の息子と、やんちゃだけど可愛い息子に恵まれて、とても幸せなんですv
 「よかった・・・!」
 感動の涙を浮かべるリナリーとは逆に、ラビとアレンはあまりの茶番劇に唖然とする。
 「・・・なんじゃそりゃ!昼ドラか!」
 「ミ・・・ミランダさん!
 むつかしい設定増やすのやめてください!」
 覚えきれない、と泣くアレンに、ミランダはクスクスと笑い出した。
 「二人にはこの話、初めてでしたね。
 あんまりおおっぴらにしてもいけない話ですから、秘密ですよ?」
 人差し指を唇に当てたミランダに、リナリーは真剣な顔で頷く。
 「兄さんにも言いません!」
 「うふv
 リナリーちゃんはいい子ですねv
 私、次はリナリーちゃんみたいな可愛い娘が欲しいわv
 身を乗り出し、リナリーの手を握ったミランダの膝から、めくっていた本が落ちた。
 何気なく取り上げたラビは、表紙裏のあらすじを読んで苦笑する。
 「恋愛小説・・・。
 そういや、病棟のナース達の間で流行ってるって言ってたさ・・・」
 「あー・・・こないだ入院してましたもんね、ミランダさん」
 コムイの、『全力で普通を演じろ』と言う命令に、生真面目な彼女は真剣に応えたようだ。
 ・・・ただ、真剣すぎてフィクション並みに演技過剰になっているが。
 「・・・これ、普通なんですか?」
 「まぁ・・・事実は小説より奇なりって言うしな」
 乾いた笑みを浮かべた二人は、ようやく運び込まれたお茶をカップに注いだ。


 「なんだよぉ!
 あの根暗女、意外におもしろいじゃんー!!」
 ねぇ?と、振り返った伯爵は、悔しげに別の画面を睨んでいた。
 「せっかくのレベル4が全滅!!
 他のアクマ達モ壊滅だナンテ!!」
 キィ!と、金切り声をあげる彼の膝の上で、ロードはぶらぶらと足を揺らす。
 「本気じゃなかったんだから、仕方ないよぉ。
 元帥達も言ってたじゃん、戦力の逐次投入なんて千年公らしくないから、きっとお遊びだって」
 「とても素敵だと思います、主」
 敵にすら名誉を汚されない伯爵を、ルル=ベルが尊敬のまなざしで見つめた。
 「のう、公よ。
 全滅させられる前に、アクマ達を退却させよ。
 なぁに、『母胎』となるアクマがいれば、レベル4などいくらでも生み出せるではないか」
 ようやく頭痛が治ったワイズリーの、暢気な口調に伯爵の荒れていた心がわずかに落ち着く。
 「・・・・・・仕方ないデスねぇ・・・」
 不承不承と言う口調ではあったが、伯爵はアクマ達へ退却を命じた。
 「アァ・・・高くつイタお遊びでしタ」
 ぼやきながら伯爵は、身を摺り寄せてきたルル=ベルを抱き上げ、艶やかな毛並みを優しく撫でる。
 「アァ・・・v
 ルルを撫でてイルと、心ガ落ち着きマスねぇ・・・v
 「にゃあv
 猫のような声をあげて、ルル=ベルは嬉しそうに伯爵の頬を舐めた。
 「ウフフv
 本当にアナタは可愛ラシイv
 アァv くすぐったイですよ、ルルvv
 ウフフフフv
 「あれぇ?!」
 伯爵が笑声をあげる中、ロードが頓狂な声を出す。
 「ルル!
 お前が踏んづけてた黒猫は?!リナリーはぁ?!」
 「あ」
 ルル=ベルと伯爵が同時に声をあげた。
 「我輩・・・すっかり忘れテ、ルルを抱っこシちゃイましタ・・・!」
 「千年公〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
 ロードの悔しげな声が、邸内に響き渡った。


 『冗談じゃないよ、全く!!』
 見覚えのある風景の中を、未だ黒猫の姿をしたリナリーは必死に駆けた。
 『なんなの、あの人達!
 私をおもちゃにして!!』
 激しく憤りながら駆ける足は、おもちゃ箱の中のようなロードの世界を一気に抜ける。
 この不思議な空間は、ほころびさえ見つければ簡単に砕けることをリナリーは知っていた。
 『絶対、どこかにあるはずなんだ!』
 兄の執務室で、不意に気が遠のいたことは覚えている。
 立ちくらみか、と思った瞬間、この世界に引きずり込まれ、姿を変えられ、ロードの手中に落ちた。
 『どこでもいいから戻して!
 現実世界でさえあれば、方舟が使えるんだから!』
 焦れながらほころびを探すリナリーの足元が、突然崩れる。
 『ここだ!』
 喜色を浮かべて、リナリーはガラガラと音を立てて崩壊する世界から飛び出した。


 はっと瞬いたリナリーは、熱いお茶を飲み損ねてむせ返った。
 「だ・・・大丈夫ですか、リナリー・・・先輩?!」
 「どしたんさ、いきなり?!」
 驚くアレンとラビを涙目で見遣ったリナリーは、咳き込みながら笑い出しそうになるのをごまかす。
 「だ・・・大丈夫・・・!
 お茶が思ってたより熱くて・・・!」
 「や・・・火傷してない?!」
 慌てて立ち上がったミランダが、積み上げていた本にぶつかって派手に崩れさせた。
 「きゃあ!タイム・レコードが!!」
 本に埋まってしまったイノセンスを掘り出し、傷がないことを確かめてホッとする。
 しかし、
 「ミ・・・ミランダさん、お仕事に影響はありませんか?」
 「そ・・・そうさ、ちょっと疲れてるみたいだから、外の空気でも吸ってきたらどうさ?」
 発動が止まった瞬間を見てしまったアレンとラビが、顔を引き攣らせた。
 「うぁ・・・!
 そ・・・そうね、きっと外は気持ちいいわね・・・!」
 「雪が積もってるのに?」
 寒そうだよ、と、苦笑するリナリーの前で、三人は気まずげに目配せする。
 「え・・・えぇと・・・その・・・私・・・!」
 先程までの演技力はどこへやら、しどろもどろになって目をさまよわせた彼女は、タイム・レコードを不器用に背に隠しつつ、壁に沿って横歩きした。
 「む・・・息子のお迎えに行かなきゃ・・・!」
 「いってらっしゃい。また後で」
 「え・・・えぇ!そうね!また後で!!」
 あからさまに怪しい動きで部屋を出たミランダが、脱兎の勢いで逃げて行く。
 「む・・・息子さんのことが心配なんですね、きっと」
 「そ・・・そうさな、やんちゃだからな!」
 引き攣った声をあげ、不安げに窓の外を見つめる二人に、リナリーはまた苦笑した。
 「あのね・・・」
 もう、『記憶』は戻ったのだと言おうとした時、
 「リナリィーv
 授業はどうだったぁ?!」
 談話室に飛び込んできた兄が、ラビとアレンを弾き飛ばしてリナリーに駆け寄る。
 「に・・・兄さん、お仕事はいいの?」
 「うん!
 とりあえずのカタがついたからね!」
 アレン達にも聞こえるように、コムイは『戦闘終了』を告げた。
 「いいなぁティータイム!
 ボク、今日はまだお昼も食べてないんだよぉ・・・!
 ボクも一緒していいよね?
 アレンくん達は帰っていいから、ボクが一緒していいよね?」
 「そ・・・そんなぁ・・・!」
 悲しげに擦り寄ってくるアレンを、コムイはしっしっと追い払う。
 「キミ達、この程度の量じゃ全然足りないでしょ!
 ジェリぽんがいつものティーセットを用意してくれてるから、食堂にお行きよ!」
 「あ・・・じゃあ!」
 追い立てられるアレン達に笑って、リナリーも立ち上がった。
 「私も食堂がいいなぁ・・・!
 ジェリーや、みんなと一緒がいい!」
 もちろん兄さんとも、と、腕に絡みついてきた可愛い妹に、コムイが顔を蕩けさせる。
 「リナリーったら甘えんぼさんv
 キミが言うなら、なんでも聞いてあげるともーv
 甘ったるい声をあげて、スキップしながら食堂へ向かう兄妹に、うっかり置いていかれたアレンとラビが慌てて後を追った。
 コムイは浮かれていて気付いていないようだが、今、城には戦闘を終えた元帥達や鴉達が戻って来ているはずだ。
 鉢合わせすれば、せっかくの計画が水の泡だと止めようとするが、迂闊に話しかけることもできなかった。
 困り果てて後をついてくる二人を振り返り、リナリーは軽くウィンクする。
 「もう大丈夫だよ!」
 声には出さず、言った彼女に彼らは瞬き、苦笑して足を止めた。
 軽く手を振って見送ってくれる二人に手を振り返し、リナリーはコムイと共に回廊を渡る。
 ―――― 辛い現実なんか夢だといいのにと、ずっと思っていた。
 伯爵なんかいなくて、ノアなんかいなくて、アクマなんかいなくて・・・普通の、当たり前の世界・・・。
 けれどこの『現実』がなければ今の『ホーム』はなく、彼らにも会えなかった。
 「・・・人生って、無駄なことはないよね」
 思わず呟いた彼女に、コムイが笑い出す。
 「大人発言だね!」
 「えへへv
 だって私、明日にはまた1つ大人になるんだよv
 嬉しげに笑って、リナリーは兄に寄り添った。
 「来年も再来年も・・・ちゃんと年を取っていかなきゃね!」
 その言葉に瞬き、コムイは苦笑してリナリーの頭を撫でる。
 「・・・おかえり」
 「ただいまv
 いつもの言葉を交わしたリナリーは、明るい笑声をあげてコムイに抱きついた。


 Fin.


 










2014年リナリーお誕生日SSは、リクエストNo.45『記憶喪失のリナリー』を使わせてもらってますv
普通の記憶喪失にしてもよかったんですが、どうせならノアも絡ませたいなぁと思って、こんな形になりましたよ。
この話、実は乾いた笑いしか出てこないようなくだらないギャグ、しかもオリジナルを書きたいなぁとふと思ってまして。
『命がけで普通を維持する』って言う、自称『普通の』男子高校生が主人公の話を書こうかと思ってたんですよ。
それで周りの環境とかを考えてると、当然彼の置かれた環境は異常ってことで・・・だったら教団でいいじゃん、って、リナリーのお誕生日に使うことになりました(^^;)
お楽しみいただければ幸いです(・▽・)













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