† Inner Core †
「・・・なるほど、これが・・・・・・」 仮面を着けた同僚が、そっと差し出した瓶を受け取ったリンクは、中で揺れる液体をまじまじと見つめた。 「中央庁の、限られた研究員しか作れない秘薬だ。 黒の教団のような極秘事項を扱う部署の団員が退団する際、記憶を消すために用いられる」 仮面に遮られ、くぐもった声で言う彼に、リンクは頷く。 「対象者を深い催眠状態にして、教団でのことを忘却、あるいは別の記憶に書き換えるための暗示をかけやすくするのですね」 「そうだ。 これを使えば、特殊な技能などなくても暗示をかけることは可能だ」 「頼もしい限りです。 これさえあれば、あの強情な子供の口も、さぞかし滑らかになることでしょう」 にやりと笑った彼は、ふと、視線を感じて背後を見遣った。 しかし真夜中の、人目を避けた森の中に監視の目があるはずはなく、夜行性の動物が蠢く気配があるだけだ。 「フクロウでしょうか」 「ここには多いからな」 ひっそりと獲物を食む森の賢者の邪魔をしてはいけないと、リンクは笑みを漏らした。 「では、確かに」 「あぁ」 密かに囁きあった次の瞬間、二人の姿は闇の中に溶け込む。 ―――― その様を、彼ははっきりと見ていた。 同時刻、教団内のベッドの中にいたティモシーは、かっと目を開けて、夜闇にもはっきりと見える自身のイノセンスを見上げる。 「い・・・今の・・・!」 『夢やないで、マスター。実際に起こったことやっしゃ』 苦笑したツキカミが、両手をパタパタとはためかせた。 『マスターが寝とる間に森の中を散歩しとったら、偶然見つけてしもたんや。 リンクの兄さんが敵寄りの味方やっちゅーんは、ホンマやったんやな』 「リンクのあんちゃんが・・・アレンを・・・・・・」 きゅっと唇を引き締めたティモシーは、隣のベッドで寝ているエミリアを起こさないよう、そっと部屋を抜け出す。 「ツキカミ・・・いいよな?」 『・・・マスターの好きにせい』 見せてしまった自分の責任だと、ツキカミは苦笑した。 月が煌々と照らす宿舎の中を、二人はアレンとリンクの部屋へと向かう。 足音を忍ばせ、近寄ったドアに耳を当てると、微かに物音がしていた。 「まさか、もう・・・?」 声には出さず、思い浮かべたティモシーに、ツキカミが首を振る。 『いんや・・・単なる寝支度や。 兄さんが寝てくれたらコトは簡単な・・・おぉ、お早いこって』 ドアをすり抜け、部屋の中の様子を見つめていたツキカミが、リンクの素早い就寝に感心した。 『マスターも、あんまぐずらんとはよ寝られるようになり?』 「ぐ・・・ぐずってなんかねーだろ!」 顔を赤くして、ティモシーは手を払う。 「今だ!行け!」 『あいあい』 するりとドアを通り抜けたツキカミが、リンクに取り憑いた。 途端、ベッドの上にむくりと身を起こした彼は、クローゼットに仕舞ったスーツのポケットから件の小瓶を取り出し、ドアを開ける。 廊下に寝転がるティモシーの手にその瓶を握らせると、元通りベッドに戻って再び寝息を立てた。 「・・・うまく行ったな」 むくりと起き上がったティモシーは、手の中にある小瓶ににんまりと笑う。 「こんなの、海に捨てちまえ!」 意気揚々と棟の外へ出ようとした彼を、ツキカミが止めた。 『こんな真夜中に崖へ行って、落ちでもしたらえらいこっちゃ。 ようやくみつけたマスターを、こんなことで亡くしたないで』 「う・・・それもそうだな・・・」 それに決して認めたくはないが、夜中の宿舎は闇が深く・・・どこからお化けが出てくるか、わかったものではない。 『はよ帰って寝り』 震え上がったティモシーの思考を正確に読み取ったツキカミは、笑いを噛み殺して幼い主人の背を押した。 翌朝、いつも通りの時刻に目を覚ましたリンクは、スーツに袖を通した途端、ポケットの中にあるべきものがなくなっていることに気付き、愕然とした。 「どうして・・・ウォーカー! ・・・いや」 まだ寝ているアレンに怒声を上げかけたリンクは、思い直して首を振る。 彼が例の薬を入手したことすら知らないアレンが、それをどうにかするわけがなかった。 「一体どこへ・・・」 まさか、森から帰る途中で失くしてしまったのかと、焦燥にかられる。 「あんな貴重なものを失くしてしまうなんて・・・私としたことが!」 自身の迂闊さに歯噛みしつつ、リンクは早足に部屋を出た。 とにかく探してみようと、彼が森への道を辿っていた頃。 ティモシーは、朝の早い家庭教師に乱暴に起こされた。 「ホラ!朝の訓練が始まるわよ! 朝ごはん食べに行くわよ!!」 「ううーん・・・・・・」 枕に抱きついたまま、起きようとしないティモシーをエミリアが揺さぶる。 「起きなさい!ティーモーシー!!」 枕を無理矢理引き剥がすと、下に隠してあった小瓶がころりと転がり落ちた。 「あら?なぁに、これ?」 エミリアが拾い上げた小瓶を、ティモシーは慌てて奪い返す。 「さ・・・さわんなっ!!」 「ハァ?! なんなの、それ?! アンタまた、なにか企んでんの?!」 エミリアの、経験に裏打ちされた追及に慌て、ティモシーはパジャマのまま部屋を駆け出た。 「あ!コラ!待ちなさい! せめて着替えなさいよ!!」 背後にエミリアの声を聞きながら、ティモシーは宿舎を抜ける。 「ど・・・どっか・・・捨てられるとこ・・・!」 きょろきょろと辺りを見回すが、小瓶を見られた以上、すぐに見つかる場所に捨ててしまえばエミリアが、本来の持ち主を探し出して返すことは目に見えていた。 ・・・と言うことはつまり、リンクにティモシーの所業を知られてしまうと言うことだ。 彼がなにをしようとしていたかを考えると、それは非常にまずいことに思えた。 『自分のせいで失くしたって思ってはるなら、貴重っぽい薬をまたくれっちゅーんは、兄さんの性格からして無理やろ。 ケド、マスターが盗んだってコトがバレたら、たとえ海に放ったって兄さんはまたあの同僚はんにくれって言いなさるやろな』 「だ・・・だよな・・・!」 それではわざわざ奪った意味がない。 「アレンかラビを味方に出来れば・・・!」 『なら、食堂へ走り!』 言われるまでもなく、彼らがいるとすればそこだ。 少々待つことはあっても、確実に合流できる場所でもある。 ティモシーは小さな足を速めて、食堂へ駆け込んだ。 「ねねね・・・姉ちゃん!ジェリー姉ちゃん! アレンかラビは?!」 声をかけると、カウンターから身を乗り出したジェリーが笑って首を振る。 「アレンちゃんもラビも、まだ寝てるわよぅ あの子達、お寝坊さんだものん ティモシーちゃんはちゃんと起きて、偉いわねぇ 「あ・・・うん、そっか・・・」 困った、と俯いた途端、 「ティモシー!!着替えなさい!!」 エミリアの声が響いて、びくりと飛び上がった。 「なんで逃げんの!!」 「お・・・追いかけてくるからだよ、オニババ!!」 襟首を掴もうとした手を辛うじて避け、ティモシーはテーブルの下に潜り込む。 『マスター!マスター!』 「な・・・なに?」 テーブルの下を逃げながらツキカミに返事をすると、首だけテーブル上に出した彼は、手近にあったカップを指した。 『とりあえず、中身はこれに入れ! そんで瓶は、蓋と一緒に窓から捨ててしまい! 姐さんに気付かれんように、瓶を見えないトコに投げや! これなら兄さんが見つけても、『落として中身がこぼれてしまった』って思うやろ! 失くしたんと同じ結果や!』 「そ・・・そっか、じゃあ中身入れたまま割っちゃっても・・・」 いいじゃないか、と言いかけたティモシーに、ツキカミは激しく首を振る。 『今ココで割ったら、大勢が音に気付くで! 蓋を開けて投げても、中身全部がこぼれてしまうとは限らん。 どのくらいの量で兄さんの言う効果が出るんかわからん以上、中身はぶちまけて、空の瓶だけそっと投げるんが一番や!』 さすが長く生きている(?)だけのことはあると、ティモシーは感心して頷いた。 彼の指したマグカップをこっそりとテーブル下に下ろし、コーヒーの入ったそれに液体を全て入れる。 「よし。あとは瓶を捨てて・・・このコーヒーは、転んだ振りでもしてぶちまけるか」 完璧だ、と頷いてテーブル下から出たティモシーの手から、不意にカップが取り上げられた。 「俺のコーヒーがなくなったと思ったら・・・砂糖もミルクも入ってないから、苦かったろ?」 ティモシーの渋面になにを勘違いしたのか、彼の潜り込んだテーブルに着いていたリーバーが、薬入りのコーヒーを飲み干す。 「さて、仕事の続きだ」 トレイに空のカップを載せて立ち上がったリーバーを、対面に座っていたミランダが気遣わしげに見上げた。 「そんなことを言って・・・今日も結局、寝てないんでしょう? ちょっと休んだらどうですか? 何時間か、仮眠を取るだけでも・・・」 「そんな時間はない」 きっぱりと言って、歩を踏み出そうとした彼の足がもつれる。 「ほら! 疲れてるんですよ、今日はもう・・・リーバーさん!!」 ミランダの悲鳴に視線が集まり、テーブル下に倒れたリーバーの元へ科学班の部下達が駆け寄った。 「班長! だから今日はもう寝てって言ったのに!!」 真っ先に駆け寄ったジョニーが、彼を抱えようとして力尽きる様を、キャッシュが生ぬるく見守る。 「班長、地味にでかいから、倒れられると運ぶの面倒なんだよね・・・」 「3日間、ずっとデータ睨んでたもんな・・・医療班、ストレッチャーを頼む!」 ジジが無線で医療班を呼ぶが、声に焦りはなかった。 皆、リーバーがただ寝ているだけだと思って落ち着いているが、事情を知るティモシーはとても落ち着いていられない。 「どどどどどど・・・どうしよう、ツキカミ!! あれ、全部飲んじゃったら死ぬのか?!」 『さぁ・・・? でもまぁ見たところ、ただ寝てるようやしなぁ・・・』 常人の目と違い、イノセンスであるツキカミが『見る』と言うことは、対象者の心音や脈の様子をも『診て』いるということだ。 『でもまぁ、コトがコトや。 ミランダ姉さんには事情を話しといた方が、後々恨まれんやろ』 「そ・・・そうだな・・・! あの!ミランダねーちゃ・・・!」 「あぁー!ようやく倒れたんだ、班長! よかったねぇ!」 いきなり間に入ってきたリナリーに、ティモシーだけでなくミランダもがムッとする。 「リナリーちゃん! 喜んでいる場合じゃないでしょ!」 「大喜びだよ。 だって班長、倒れでもしないと寝ないもんね?」 と、同意を求めたスタッフ達は、一斉に頷いた。 「病棟じゃなくて、自室に運ぶといいよ。 思いっきり寝かせてあげて」 リナリーの言葉に、駆けつけた医療班のスタッフ達が頷いてリーバーをストレッチャーに乗せる。 が、 「ちょ・・・ちょっと待って!!」 ティモシーが大声をあげて、彼らを止めた。 「ねーちゃん達! 後・・・お前らもちょっと聞いて!」 テーブルの下に潜れと、手招きするティモシーを訝しげに見ながらリナリーとミランダが潜り込み、キャッシュやジジも、大きな身体をなんとか屈める。 「なによクソガキ・・・!話があるなら早く言いなよ・・・!」 窮屈な姿勢で苦しげなキャッシュに反論せず、ティモシーは昨夜から今日にかけてのことを詳しく話した。 「ま・・・! ハワードさんがそんなことを・・・!」 愕然とするミランダの傍らで、キャッシュが苦しげに吐息する。 「じゃあ、ほっとくとまずいんじゃない?」 「だが・・・飲んだのは中央庁の秘薬だろ? 俺らで解毒できるか・・・」 困惑げなジジの腕を、リナリーが掴んだ。 「でもほっとくわけには行かないよね?! 班長はやっぱり病棟に・・・」 「いや、待って、リナリー」 立ち上がりかけたリナリーは、ジョニーの声に再び座り込む。 「班長はやっぱり、部屋にいた方がいい。 じゃないと、ただの睡眠不足で倒れたのに、なんで病棟に運ばれたんだって、リンク監査官が疑うかも」 疑いを持てば、徹底的に調べるだろうリンクが、ティモシーの所業に気付かないとも限らなかった。 「でも・・・もし容態が悪化したら!」 「リーバーの部屋には、病棟にあるもんくらい揃ってるから大丈夫だ」 足りなければ持ち込めばいいと、こともなげに言ったジジに、リナリーも頷く。 「じゃ、そういうことで。 すまなかったな!リーバーを部屋に運んでやってくれ!」 立ち上がったジジの言葉に、医療班のスタッフは不思議そうに頷いた。 「じゃあ私・・・彼についています!」 「そうだな、リンクを近づけさせないためにも、頼む」 続いて立ち上がったミランダを見送るジジの袖を、リナリーが引く。 「私は?!私は?!」 「リナリーは、空瓶を海の向こうにでも処分してくれ。 元の形がわかんないくらい、粉々にな」 「了解!」 ティモシーから瓶を受け取ったリナリーは、食堂のある棟を出るやダークブーツを発動し、空を駆けて達した遠い海原の上で瓶を蹴り砕いた。 「ざまぁみろ!」 べーっと舌を出したリナリーは、万が一にもリンクの目に見つからないよう、音速を超える速さで城へ戻り、何食わぬ顔で食堂へ戻る。 そこでは、とうとうエミリアに捕まったティモシーが着替えさせられていた。 「・・・もう! ゴメンね、ジョニー! まさかあなたの栄養剤持ってきちゃうなんて」 エミリアには、例の瓶のことをそう話したのだろう。 しきりに謝る彼女に、ジョニーは焦り顔で首を振った。 「いいってば! あれがあれば、怪我しても大丈夫って思ったんだろ? でもキッツイ薬だから、ティモシーには早いよ。 今度、子供でも飲める成長薬を作ってやるからさ!」 「それはやめて! ティモシーがとんでもないことになりそう!!」 大真面目に言ったエミリアに、ジョニーだけでなくジジやキャッシュまでもががっかりと肩を落とす。 「せっかくの子供実験台が・・・」 「あんたら鬼なの?!」 その剣幕に思わず笑ってしまったリナリーは、エミリアに睨まれて、慌てて口を覆った。 ―――― その頃、リーバーの自室でミランダは、眠る彼を困惑げに見下ろしていた。 容態はもちろん心配だが、徹夜続きで疲れきっている彼に声をかけるわけにも行かず、ただ気遣わしげな目で彼を見つめている。 医療班のスタッフには、心配だからと一通り診てもらったが異常はないと判断され、酸素吸入器も大げさだと笑ってつけてはもらえなかった。 が、あまりにも不安げな彼女の気を紛らわせるためか、点滴と脈拍の計測器は繋いでいる。 「なにか異変があったら呼んでくださいね」 そう言って彼らは出ていったものの、再び呼ばれることはないと思っていることは明らかだった。 「異変が・・・あるかもしれないのに・・・」 そう思うと目が放せなくて、ミランダは彼の手を両手で握る。 「あなた・・・少し、起きませんか?」 そっと呼びかけると、リーバーの目がうっすらと開いた。 「あ!リ・・・リーバーさんっ!えっと・・・!」 起きたからと言って、なにを聞こうとも考えていなかったミランダが慌てる。 そのうちに、また彼は目を閉じてしまった。 「い・・・意識はあるのかしら・・・」 そう言えば、と、ミランダはティモシーがイノセンス越しに聞いたという、リンクの言葉を思い出す。 「深い催眠状態にさせて・・・記憶を操るお薬なんですよね・・・」 聞いた時はなんと恐ろしい薬だと思ったが、特殊な技能を持っていなくても記憶を操れるということはつまり、ミランダにも可能と言うことだ。 「だったら・・・ねぇ、あなた?ちょっと聞いてくれますか?」 静かに呼びかけると、再び瞼があがる。 「あ・・・あなたは・・・ずっと、私だけをあ・・・愛して・・・いるんですよ?浮気はしません・・・ね?」 ひそひそと囁きかけると、微かに頷いた。 「よし! えぇと・・・他には・・・」 今のうちに刷り込んでおこうと、気が大きくなったミランダはしばらく考え込む。 「そ・・・そうだわ! 世間では、誕生日に籍を入れる人が多いって言うし、今のうちに・・・」 「なぁにしてるの、ミランダァ・・・!」 「ひっ?!」 いつの間に忍び寄ったのか、リナリーにのしかかられ、ミランダは声を引き攣らせた。 「班長が心神耗弱状態でいるうちに、まさか、勝手に籍を入れようなんてことは・・・」 「だ・・・だだだ・・・だって! せ・・・せっかくだから今のうちにって思って・・・!」 今なら自分の手でサインさせることも可能そうだと、ぼそぼそと言うミランダに、リナリーはため息をつく。 「忘れてるかもしれないけど、ミランダ。 私も一応、聖職者なんだよね」 黒の教団に所属する団員は全員聖職者であり、中でもエクソシストは、ヴァチカン所属の高位聖職者だ。 「知ってますけど・・・」 自分だってそうだと、不思議そうなミランダに、リナリーはにこりと笑う。 「今、ミランダが班長にサインさせたって、私が無効にしてア・ゲ・ル 「酷いっ!!」 あんまりだと嘆くミランダに、リナリーはまたため息をついた。 「どっちが酷いんだよ。 正々堂々とやればいいじゃないか」 「・・・だって今は、時期が悪いからって言うんですもの・・・」 「確かに悪すぎるね」 リナリーが無効化するまでもなく、受理されることがないだろうと言えば、ミランダはがっかりと肩を落とす。 「彼の誕生日に入籍、って、いいアイディアだと思ったんですけど・・・」 「イヤ普通、花嫁側の誕生日だと思うけど・・・そもそもだまし討ちなんて、ミランダらしくないよ?」 いつの間にそんなことするようになったんだと呆れるリナリーに、ミランダが真面目な顔をした。 「私最近、クラウド元帥とのお仕事が多いのだけど・・・おかげで『相手の隙を突く』と言うことに敏感になった気がするの」 「・・・確かに、そゆことでもしないと多勢に無勢じゃ勝てないけどさ」 戦力が違いすぎるからと、リナリーはため息をつく。 「とりあえず、永遠の愛だけで我慢してよ、今は」 そこは邪魔しなかったじゃないかと、リナリーが苦笑した。 「仕方ないですね・・・。 じゃあ・・・起きたらこっそり婚約しましょうねー!」 「コラコラコラ!」 口元に両手を添えて、寝ているリーバーへと声をあげたミランダを、リナリーが引き剥がす。 「味方の隙を突くの、禁止!」 「えぇー・・・」 不満げな顔をするミランダに、リナリーはもう一度『禁止!』と念を押した。 一方で、リーバーの部下達も無策ではなかった。 解毒薬の製法がわからないなら対症療法をと、ジジは古巣のアジア支部へ、ジョニーはコムイの元へ、そしてキャッシュはブックマンの元へ向かった。 「ふむ・・・深い催眠状態に陥る薬とな。 まぁ、私の鍼であればその程度の効能、解毒することなど容易だがの」 「やっぱり! お願いだよ、ブックマン!班長助けて!!」 詰め寄るキャッシュをしかし、ブックマンは冷たく見返す。 「いくら出す?」 「金取るのっ?!」 愕然とするキャッシュに、ブックマンは鼻を鳴らした。 「当たり前だ。 私の知識も技術も、ただではない」 それを売り歩いているのだからと言われ、情報収集の重要さを痛いほどに知る科学班のキャッシュは深く頷く。 「だ・・・だけど今回は・・・!どうか・・・!」 「とは言われてものう・・・」 乗り気ではない様子で、ブックマンは小首を傾げた。 「あやつ、私の育毛剤開発に積極的ではなかったからのーぅ」 「は?!」 意外な返事にキャッシュが目を丸くすると、彼は拗ねたように口を尖らせる。 「育毛剤開発の協力者であったジジに『早く仕事に戻れ』と怒っておったし。 放っておいてもいずれ目覚める者に対して、私の技術を使うのは億劫だのーう」 つーん!と、そっぽを向いてしまった老人を殴りたいこぶしを押さえ、キャッシュは無理に微笑んだ。 「じゃ・・・じゃあ、こう考えたらどうかな・・・! なんでもあの薬は、特別な技術を持ってなくても、対象者に暗示をかけやすくするもんだって言うし。 だったら治療前にちょーっと班長に囁けばいいんだよ。 今後は、ブックマンの育毛剤開発に協力しろって!」 ブックマンならできるはずだ!と断言されて、老人は考える素振りをする。 その隙を見逃さず、キャッシュは畳み掛けた。 「育毛剤開発に専念されちゃったら困るけど、融通が利くようになるんじゃないかな!」 「ふむ・・・それもありか」 にんまりと笑い、ブックマンが頷く。 「よかろう。 行ってやらんこともないぞ」 「だったら善は急げだよ! 班長の部屋に連れてくよ!!」 老人の小柄な身体を抱え上げ、キャッシュはドスドスと駆け出した。 「あぁ・・・あの薬を使われたのか」 「支部長、知ってるんで?!」 驚くジジを、バクは馬鹿にしたように見上げた。 「ボクを誰だと思っているんだ、キサマ。 創設者の血を引くこのバク・チャンは、下々の者が知りえぬ情報だって知っているのだ!」 「さすが御曹司!!教団の頭脳!!!アジアの神秘!!!!」 ここは誉めておけと、ジジが大げさなほどに褒め称える。 「じゃあ、解毒剤持ってんです?!」 「いや、持ってはいないが作ることは可能だぞ」 得意満面で言い切ったバクに、ジジは盛大な拍手を送った。 「文殊菩薩だー!文殊菩薩がココにおわすぞー!!」 「はっはっは! もっと褒め称え敬い崇めるがいいぞ!」 これ以上は無理なほどに胸を反らしたバクが、『ちなみに』と、人差し指を立てる。 「精製には1年かかるがな!」 「待ってられるか!!」 「のがっ!!」 容赦ない足払いをかけられて、アンバランスな姿勢でいたバクは無様に転がった。 「なっ・・・なにをするかキサマ!!!!」 「科学班の貴重な戦力を1年も寝かせてられっか!! っつかその前に醒めるわ!!」 至極当然のことを言われ、バクがはっと瞬く。 「ボクとしたことが迂闊だったな! では代わりに・・・」 「対症療法か?!」 期待に満ち満ちたジジの目の前で、バクはすっくと立ち上がった。 「次の教団本部室長はボクだと、あいつに暗示をかけておこう。 コムイを追い出すには、有力な味方になる」 「余計なことすんなっ!!!!」 と、ジジが怒号をあげた頃。 教団本部の室長執務室では、ジョニーがコムイの背に縋り、必死に彼を引き止めていた。 「室長〜〜〜〜!! ダメですよ、班長に変な事吹き込んじゃ!!」 「っ放しなさい、ジョニー! ボクはこの機を逃すわけには行かないんだよっ!!」 息を荒くしながらコムイは、無理矢理歩を進める。 「い・・・今のうちに! リーバー君にはボクのサボ・・・いや、休憩時間取得に寛容になってもらうんだ!!」 「サボりでも休憩時間でも、どうせろくなことしないでしょ、室長は!!」 ぐいぐいと頭を押しのけられてもめげずに、ジョニーは両足で懸命に踏ん張った。 「俺らの安全と心の平安のためにも、班長のもとへは行かせないっ!!」 背中から引き剥がされても必死の声をあげて、コムイの足に縋りつく。 「無駄な抵抗はやめなさいー!!!!」 両足を拘束され、床に倒れながらも尚、懸命に這うコムイの目の前に、見事な脚線美が立ち塞がった。 「・・・私がちょっと席をはずした隙に、なにをやってらっしゃるのですか、室長」 冷たい声を恐る恐る見上げると、ブリジットの視線が氷の槍よりも鋭くコムイの心臓を貫く。 「フェ・・・フェイ補佐官・・・!これは・・・!」 何かうまい言い訳を、と、挙動不審に目線をさまよわせるコムイの足に縋ったまま、ジョニーが声をあげた。 「補佐官、サボりです!! 室長が逃げようとしてました!」 「ジョニイイイイイイイイイイイイイ!!!!」 コムイの声は、怒号と言うよりも恐怖に引き攣っている。 「キ・・・キミ! リーバー君のためにボクを売ろうと・・・!」 「っえぇ!! リーバー班長がオーバーワークで倒れたんで、代わりに室長にはがんばってもらわないと! 班長がいないからって、サボるのは許さないっす!!」 うまく話を摩り替えてやったと、ジョニーは胸中に快哉をあげた。 途端、 「室長・・・!」 「ぴぎっ!!」 室温は一気に急降下し、コムイは氷の彫像と化したかのように動きを止める。 「今日は、執務室から出ることを許しません!」 ひと睨みでコムイの動きを封じた氷の女王は、ジョニーに命じて彼をデスクへと運ばせた。 「ジョニー・ギル、遠慮はいりません! 倒れてしまわれたリーバー班長のお仕事も、こちらに運んでらっしゃい!」 じろりと睨まれて、コムイが悲鳴をあげる。 「構いませんわよね?し・つ・ちょう?」 ここで否と言えるはずもなく、コムイはがくがくと震えながら頷いた。 「ごめん、室長は役に立たなかった・・・」 「スマン、支部長は置いてきた」 申し訳なさそうな顔でリーバーの部屋に入って来たジョニーとジジに、キャッシュは丸い肩をすくめた。 「ブックマンががんばってくれるよ、きっと・・・きっと・・・・・きっ・・・・・・!」 願望は苛立ちへと変わり、キャッシュは握ったこぶしを震わせる。 「いい加減に治療してよ、ブックマン!!」 絶叫すると、ブックマンが念仏のように長々と垂れ流していた要求がようやく止んだ。 「・・・なんじゃい! 私の治療をただで施してやるのだから、あと100は言わせんかい!」 不満げなブックマンに、キャッシュはなんとか舌打ちを堪える。 「もう十分だろ! これ以上要求してたら、班長の大事な頭脳が壊れちまうよ!」 「その点は大丈夫だ。 こやつのキャパシティは、この程度の情報なら処理して尚余りある!」 リーバー本人よりもきっぱりと断言したブックマンに、なぜかミランダが大きく頷いた。 「そっ・・・そうですよね!! だったら私も・・・えーっと!えーっと!!」 「そんなくだらないことに使うなっての!」 「くっ・・・くだらなくなんかないですっ! 私は・・・私は・・・!」 珍しく反駁したミランダの腕をリナリーが取る。 「ミランダ、ちょっと寝てて 「えっ?!」 即効性の麻酔薬を注射されたミランダが、ベッドの脇にくず折れた。 「リナリー!!どっからめっけてきた、そんなの!」 「班長の薬箱ー なんでも揃ってるんだよ、すごーい 悪びれもせずリナリーは、ジジに薬箱の中身を見せる。 「わぁほんとだ! これなら、緊急時に簡単な手術くらいできるね!」 「さすがだよねー 「余計なことに感心すんな!」 お気楽なジョニーにげんこつを落として、ジジが舌打ちした。 「まったく、こんな所で寝かせやがって! オラ!そこのソファの上の荷物、早くどかせよ!」 物置と化しているソファから本をどけて、ミランダを寝かせる。 「これでちょっとは静かになったね。 じゃあ、ブックマン!」 「・・・年寄りを急かしおって」 ぶつぶつとぼやきながら、ブックマンは布を広げて鍼を取り出した。 「解毒に疲労回復。まぁ、その他臓器のメンテもしておいてやるかの。 薬から回復させたなら、寝かせておいても構わんのだろ?」 その問いには、ジョニーが大きく頷く。 「今日は室長が班長の仕事を代わってやってくれてますから!」 「兄さんが?」 意外そうに目を丸くしたリナリーは、事情を察して苦笑した。 「余計な雑音が入らなくて何よりだよ」 「さぞかし無念だろうがの」 にんまりと笑いながらブックマンは、消毒を終えた鍼を次々とリーバーの身体へ刺していく。 「・・・痛くないってわかってるんだけど」 「見てて気持ちいいもんじゃないな」 真っ青になって目をそらす、か弱い男達に鼻を鳴らして、キャッシュは興味津々とブックマンの手元を見つめた。 治療ののち、十分な睡眠を取ったリーバーは、すっかり暮れてしまった窓の外を見て苦笑した。 「・・・迷惑かけちまったみたいだな」 自己管理ができていなかった、と反省しつつベッドから下り、ソファに横たわっているミランダの細い肩を揺する。 「あら・・・もう起きちゃったんですか?」 目をこすりながら身を起こした彼女にリーバーは頷いた。 「心配かけたみたいで、悪かったな。 ・・・辛うじて、お前の目の前で倒れたことは覚えている」 無理しすぎたかと、気まずげな彼に何か言おうとしたが、ミランダは慌てて口を噤む。 「み・・・皆さん大慌てで、大変だったんですよ。 だからちゃんと休んでくださいね、っていつも・・・」 「いつも無理しているミランダに言われてもな」 笑って頭を撫でてやると、ミランダは不満げにむくれた。 「と・・・とにかく、もうすっきりしたし! 仕事に戻るかな!」 「もうですか?! せめて明日までは、ゆっくり寝てください!」 外出禁止!と、ドアの前に立ち塞がるミランダに、彼は肩をすくめる。 「けど俺、腹減ったんだけど」 朝の食堂で倒れた彼は、当然ながら今まで栄養補給していなかった。 「点滴はしてもらってたみたいだけどな。 それだけじゃ栄養足りないよな?」 腕に貼られたままの止血用テープを見下ろした彼に、ミランダは渋々頷く。 「・・・でも! お夕食が終わったら絶対、部屋に戻って寝てくださいね?! 約束しないと、出してあげませんから!」 本当に心配したのだと、涙ぐむ彼女にリーバーは苦笑して謝った。 「言う通りにするから」 「絶対・・・ですからね!」 「あぁ、でもその前に・・・」 ふと思い出して、リーバーはデスクに歩み寄る。 「だからお仕事は・・・!」 「違う違う。 ちょっと思いついたことをメモするだけだ」 とは言いつつも、リーバーはかなり長い間デスクに向かって、分厚いノート一冊分はありそうな自称『メモ』を書き上げた。 おかげですっかり怒ってしまったミランダを宥めながら食堂に向かった彼は、注文カウンターを無視してまっすぐに食事中のブックマンへ歩み寄る。 「ブックマン、治療をしていただいたそうで。 ありがとうございます」 「なんの。 ただではないがの」 にんまりと笑う彼の対面で、『ごうつくジジィ』と呟いたラビが一瞬後には肉塊と化していた。 しかしリーバーはそんな地獄絵図をきれいに無視して、ブックマンへ書き上げたばかりの『メモ』を差し出す。 「先程、新しい育毛剤の開発計画を立ててみたので確認してもらえますか? この工程で行けば、量産も可能かと思うんですがね」 「おうおうおう さすがはリーバー!仕事が速いのう 嬉しげに分厚いメモを受け取ったブックマンは、頬を染めて書き連ねられた工程を読み耽った。 と、リーバーの存在に気付いたリナリーが、嬉しげに駆け寄って来る。 「班長! もう元気になったの?」 傍らで渋面を作るミランダを気にしながら問えば、リーバーは笑ってリナリーの頭を撫でた。 「今日も可愛らしいな、リナリー姫。 お前以上に可愛い女の子なんて、世界中捜してもいないだろうさ」 「うふふふふ そうだよねぇー 「お前が吹き込んだのはそれか」 リーバーの大きな手の下で、嬉しげに笑うリナリーにジジが呆れる。 「そんなにリーバーに『可愛い』って言われたかったのか?」 「もちろんだよ! だっていつもおてんばとかワガママとか! 姫とも可愛いとも全然言ってくれないんだもん!」 だから満足だと笑うリナリーを不思議そうに見たリーバーは、ジジへも微笑んだ。 「ジジ、明日にでもお前の昇格推薦しておくから」 「おぉ さすが第1班班長は頼りになるぜ!」 これで実験費用も上がる!と、大喜びするジジの隣で、ジョニーが悔しげに唇を噛む。 「ジジったらいつの間に・・・! 俺はそんなヒマなかったのに・・・ねぇキャッシュ?」 肩越しに見遣ると、ようやく駆け寄って来たキャッシュが、息を切らしてリーバーに詰め寄った。 「は・・・班長、ごきげんよう!」 わざとらしい挨拶を訝しく思いもせずに、リーバーは頷く。 「キャッシュにも、迷惑かけたらしいな。 礼と言っちゃあなんだが、お前が今やってる研究、手伝ってやるぜ」 「やっっったあああああああ!!!! もう、すっごい行き詰ってて!! 助かります!!!!」 これで仕事が片付く、と、大喜びするキャッシュの傍らで、ジョニーが顔を真っ赤にした。 「ずっるいよ、キャッシュ!キミまで!! 第一その研究、班長に自分でやれって言われたやつじゃんか! 手伝ってやる暇なんかないってげふっ!!」 肉厚の掌で思いっきり背中を叩いてやったジョニーが息を詰まらせて悶え苦しむ様を、キャッシュは冷たく見下ろす。 「・・・それ以上、余計なこと言うんじゃないよ」 せっかくコムイがリーバーの仕事を引き受けてくれたのだ。 こんなチャンスを逃してなるものかと、効率重視で現実主義の彼女はにんまりと笑う。 が、じっとりと睨んでくるミランダの視線に気付くや、そそくさと退散した。 「もう・・・! リーバーさんには休んで欲しいのに、キャッシュさんたら・・・!」 仕事を押し付けるなんて、と、怒るミランダの肩を、リーバーは笑って叩く。 「別にこのくらい、大した事じゃない」 それより、と、ミランダに睨まれたリーバーが、慌てて話題を変えた。 「ミランダは? 欲しいのは、俺の休息だけか?」 「え? えぇ、それはもちろんですけど・・・?」 妙な問いの意味がわからず、小首を傾げるミランダの耳元に、リーバーは唇を寄せる。 「今日はまだ用意がないが・・・誕生日のプレゼントは楽しみにしててくれ」 そう言って、そっと彼女の薬指に触れたリーバーに、ミランダは頬を染めて頷いた。 Fin. |
| お誕生日SSとは思えませんが(笑)、一応2014年班長お誕生日SSです!>と言い張る! なんか、ミランダさんが別人になっててすみません(^^;) 人が寝てる間になんてことしてんだと!>書いたのおまえだよ! 短い話ですし、軽〜く読み流してくれるよう、お願いします(笑) |