† Snow job †






 東欧の、暗く深い森を見下ろす湖上の頂きに、その城はあった。
 幾棟もの鋭い尖塔が、剣のように高く掲げられ、昇りゆく月を、今にも刺し貫くのではないかと見える。
 そこは、吸血鬼の城と噂されるクロウリー城・・・湖畔に佇む女は、淡い色の瞳に、その威容を影絵のように写していた。
 「いいなぁ・・・あんなデカイ城に住んでみたい」
 呟きつつ、彼女は倒木に腰を下ろす。
 中はどんなだろう・・・ロンドンの社交場より華やかだろうか。
 それとも、中世の城のように、暗く重苦しいのだろうか。
 どちらでもいい―――― 大きな城に住むということに、意味があるのだから。
 女―――― エリアーデが、様々に想像を楽しんでいると、森の木々がざわめいた。
 風などではない・・・獣ですら――――!!
 振り向いた時には遅かった。
 エリアーデですら視認できない速さで、彼は襲い掛かってきたのだ。
 レベル2にまで進化した彼女が気づけなかったものに、レベル1の、鈍いアクマ達が敵うはずもない。
 あっけなく捕らわれたアクマの一体が、餌食となった様に呆然としていると、血色の瞳と目が合った。
 「・・・・・・っ!」
 声を上げることすらできず、エリアーデは身を凍らせる―――― こんな事は、アクマになって以来、初めての経験だ。
 人間へ、死の恐怖を与え続けてきた彼女が、今、その恐怖を味わわされている・・・。
 ぶるりと、湧き上がった震えに、なぜか・・・そう、自分ですら理解できないことに、彼女は、笑みを零した。
 と、アクマの首筋に喰らいついたままの彼が、怯んだように、わずか身を引く。
 彼女が震える唇に笑みを乗せると、飢えた獣のように光る血色の瞳でさえ、やや和んだように見えた。
 「・・・お食事がお済みになったら、私の話を聞いていただけませんか?」
 まるで、ロンドンの社交場での会話のように、自然に、エリアーデは彼に話しかけていた。
 複数いたレベル1のアクマ達は、いつしか逃げ散り、今、その場には、彼とエリアーデの他には、餌食となったアクマしかいない。
 鳥獣すら息を潜めた音のない森で、二人は時が止まったかのようにいつまでも対峙していた。


 「わぁ・・・素敵・・・・・・!」
 重厚な城門をくぐり、長い道のりを経てたどり着いた城の扉を開けた途端、うっとりとため息をついたエリアーデに、彼は軽く眉をひそめた。
 「変わっているな、お前は。
 普通の人間であれば、気味が悪いと思うだろうに」
 「私、このように大きなお城に住むのが夢でしたの!
 それより・・・」
 くるりと、背後の彼を振り返り、彼女は、にっこりと笑みを浮かべる。
 「城主様の事は、なんとお呼びすればよろしいの?」
 エリアーデは、彼が『アレイスター・クロウリー』と言う名であることを、既に知っている。
 が、あえて問うと、彼は照れたように目を逸らした。
 「す・・・好きなように呼ぶがいい・・・・・・」
 ややして、詰まりながら言った彼に、エリアーデは笑みを深め、すっと身を寄せて、その腕を取る。
 「では、アレイスター様、とお呼びしてよろしいですか?」
 「か・・・勝手にしろ・・・・・・」
 エリアーデに取られた腕を慌てて離し、クロウリーは一人、城の奥へと歩いて行った。
 が、ふと立ち止まり、顔だけ振り返る。
 「この城に住みたいなら・・・どこでも、いくつでも、好きな部屋を使うといい・・・」
 「うれしいですわ、アレイスター様!!」
 偽りなく放った歓声に、彼は答えなかった。
 しかし、背を向けた彼の首筋が、薄暗い城内にあってさえ紅く見えて、エリアーデは笑みほころぶ。
 彼は、エリアーデが今までに出会った男達とは、全く違うタイプだった。
 未だ中世の空気が満ちた国の、本物の貴族・・・。
 エリアーデを下風に立たせる威厳を、自然に身につけた男・・・。
 エリアーデは、くすりと笑みをこぼし、既に大階段の上へと消えてしまったクロウリーの、残像を追った。
 ―――― ただひたすら、私の美貌を賛美するだけの、軽薄な男達には飽きていたの・・・アクマである私に、恐怖を味わわせたのは、あなたが初めて・・・。
 うっとりとした表情を浮かべ、エリアーデは、自身の胸に触れた。
 クロウリーに襲われ、死に直面した時、既に止まって久しい自身の心臓が、烈しく鼓動を刻んだように思えたのだ・・・。
 「―――― まるで、ときめきのようね」
 自嘲するように、エリアーデは、口元に薄く笑みを浮かべた。
 「馬鹿みたい・・・でも・・・・・・」
 ―――― 彼なら与えてくれるかもしれない。私が、最も欲しているものを――――。
 胸中の呟きに、彼女は、今度ははっきりと自嘲した。


 翌朝、日が昇る刻を待って、エリアーデは自室を出た。
 眠りを必要としない、機械である彼女にとって、共に過ごす相手のいない夜は、常であれば、退屈な時間でしかない。
 が、昨夜は城中を巡り、気に入った部屋を探すことに夢中で、退屈など感じている暇もなかった。
 「アレイスター様?起きてらっしゃいますか?」
 クロウリーの部屋は既に、昨夜のうちに突き止めてある。
 しかし、彼はエリアーデと別れた直後、すぐに眠ってしまったようで、言葉を交わすこともできなかった。
 自分でも信じがたいことながら、彼との会話を切望していた彼女は、待ちきれずに重厚なドアをノックする。
 「アレイスター様?まだ眠ってらっしゃるの?」
 やや苛立ちを含んだ声を掛けるが、ドアは開く気配もない。
 ―――― この私が、声を掛けてやっているのに・・・!
 ロンドンでもパリでも、彼女は常に、多くの崇拝者に囲まれていた。
 多くの、金も地位もある男達が、彼女の一言、一笑を得んがため、その足元にひざまずいたというのに・・・!
 プライドを傷つけられ、唇を噛んだエリアーデは、しかし昨夜、クロウリーが自身に味わわせた恐怖を思い起こし、頬を緩めた。
 ―――― そうだ・・・。彼は、あんな男達とは違う・・・・・・。
 クロウリーは初めて、彼女を下風に置いた男だ。
 彼女の声に引かれて、あっさりと姿を現すようなら、エリアーデはかえって幻滅したことだろう。
 そう思うと、声も自然と和らいだ。
 「・・・お休みでいらっしゃるなら・・・お邪魔はいたしません。
 ですが、お目覚めになったならどうぞ、私に声を掛けてくださいませね・・・」
 ロンドンやパリの社交場で身についた、淑女らしい、殊勝な声で言うと、彼女は、そっとドアから離れる。
 途端、彼の部屋から悲鳴が漏れて、エリアーデは再びドアに向かった。
 「アレイスター様?どうなさったのですか?」
 呼び掛けても返事はなく、ただ、切れ切れに悲鳴が上がる。
 「アレイスター様!失礼します!」
 たまりかねて、エリアーデは彼の部屋に飛び込んだ――――。


 ―――― 悪い夢を見た。
 そう、思っていた。
 聞き慣れない声に目を覚ましたクロウリーは、ベッドの上で、訝しげに眉をひそめた。
 この城には、彼の他、誰もいない。
 週毎、月毎に、食料の配達や城内の清掃のため、雇われて出入りする者は幾人かいたが、未だ中世の空気が色濃く残る国の、小さな村では、人々は彼が吸血鬼だと本気で信じており、彼に声をかける者など皆無だった。
 一体、誰が部屋の外にいるのか見当もつかず、クロウリーはただ呆然とする。
 そうするうち、ふと、自身の奇妙ないでたちに気づいた。
 なぜ、外出着のまま寝ているのだろうと。
 いや、それ以前に、自分がいつ眠ったのか思い出せない。
 「まさか・・・」
 悪い夢だと思っていた。
 自身が、本物の吸血鬼となって人を襲う―――― 甘く、芳しい液体が、喉を伝う感触が、はっきりと思い出された。
 まるで、極上の酒を楽しんだ時のように、気分は高揚し、新たな獲物を目で探る・・・。
 「まさか・・・っ!」
 あまりにもリアルな記憶に、彼の青白い額に、玉のような汗が浮かんだ。
 と、ドアの向こうから、また女の声がする。
 「お目覚めになったなら、どうぞ、私に声を掛けてくださいませね・・・」
 その艶やかな声に、深い森の中に佇む、美しい女の姿が思い浮かび、鼓動は一層、烈しさを増した。
 「まさか・・・本当に・・・・・・?!」
 震える声で呟きながら、彼は血の気の失せた顔を、壁の鏡に映す―――― 喉から胸元にかけて、べっとりと、どす黒い血がこびりついていた。
 「わぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 ―――― まさか・・・まさか・・・まさか・・・・・・本当に・・・?!
 「きゅ・・・吸血・・・・・・?!」
 ―――― そんなはずはない!きっと、これはなにかの間違いだ・・・!
 惑乱し、烈しく震えながら、血走った視線を走らせ、縋るものを求める。
 が、震える手に触れた物は、全てどす黒い血に汚れていた。
 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 「アレイスター様!失礼します!」
 彼の悲鳴に呼応し、ドアが開いた・・・突如現れた美しい女に、クロウリーは一瞬、呆然と見蕩れる。
 「どうなさったのです、アレイスター様?大丈夫ですか?!」
 気遣わしげに、彼の前に膝を突いた女を、目を丸くして見つめていると、彼女は不安げに彼を見上げた。
 「アレイスター様・・・?」
 「おっ・・・お前はっ・・・だだだ・・・誰であるかっ・・・?!」
 「え?!」
 クロウリーの問いに、彼女は目を丸くする。
 いや、問いに対して、と言うより、その変わりように、と言うべきか。
 ―――― どうしちゃったんだろう、この人・・・。
 惑乱するクロウリーの前で、エリアーデもまた、混乱していた。
 昨夜、森で出会った彼とは、別人のようだ。
 冷酷で、油断のならない獣のような彼は、どこに行ってしまったのだろう・・・?
 「アレイスター様・・・ホントに・・・・・・?」
 エリアーデが訝しげに首を傾げると、肩にかかった金髪がさらりと流れ、白い首筋が露わになった。
 途端、
 「――――・・・っ!!」
 クロウリーの目が血走り、エリアーデは声を上げる間もなく、冷たい床に押し倒される。
 白く、鋭い牙を剥き、今にも彼女の首筋に喰らいつこうとする獣に、エリアーデは心底震えた。
 機械にあるまじきことに、恐怖に血の気が引き、ぶるぶると身体が震える・・・!
 「ア・・・アレイスター様・・・っ!!」
 引きつった甲高い声は、なぜだか嬌声のように、彼女の耳には響いた。
 が、クロウリーには、それが悲鳴と聞こえたのだろう。
 我に返るや、彼は彼女以上に真っ青になり、強張った手を激しく震わせながら、エリアーデを解き放った。
 「は・・・早く、出て行くであるっ・・・!
 わ・・・私は・・・きゅ・・・吸血鬼に・・・・・・っ!!」
 激しく身体を震わせながら、吸血の衝動と戦う彼に、しかし、床に半身を起こしたエリアーデは、満足げに微笑んだ。
 ―――― 彼ならば・・・きっと、できる・・・・・・!
 私が欲してやまないものを、きっと、与えてくれる・・・・・・――――
 エリアーデはアクマになって以来、初めて、感情の昂ぶりを覚えていた。
 彼女は白い腕を伸ばすと、頭を抱えて嘆くクロウリーの肩を背後から抱き、しゃくりあげる彼の背を、優しく撫で下ろす。
 「それでも構いません・・・私を、あなたのおそばにおいてください・・・・・・」
 「なっ・・・なぜっ・・・?!
 わ・・・わゎ・・・私が・・・恐ろしくないのか・・・・・・?!」
 子供のように泣きじゃくる顔を上げた彼に、つい、偽りではない笑みがこぼれた。
 「愛してますわ、アレイスター様」
 ぽかん、と、開いた目と口に、エリアーデは、艶やかな笑みを深めた。


 ―――― それから、二人の、奇妙な生活が始まった。
 エリアーデが伴って来たアクマ達の気配に血が騒ぐのか、クロウリーは夜毎、アクマの血を求めて村に降り、村人の皮を被った彼らを襲っては、住人達から吸血鬼と怖れられた。
 ―――― それでいい・・・彼には、私さえいれば・・・・・・。
 元々孤立していたクロウリーが、村人達の恐怖の対象となり、更に孤独になっていく様を、エリアーデは満足げに見つめていた。
 住人達が真実を・・・クロウリーが吸血鬼などではなく、神の使徒であると知れば、なんと言うだろうか・・・?
 いや、何も変わるまい。
 ここは中世以来、時の止まった場所。
 自身らの団結を強め、心の平安を得るために、全ての災厄の根源となる絶対悪を求める輩にとって、クロウリーが真に吸血鬼であるかどうかなど、関係のないことだ。
 エリアーデは、仲間達が次々とクロウリーに喰い壊されていく様を、黙って傍観していた。
 そんな彼女に、しばしば、アクマが伯爵の伝言を持って訪ねて来たが・・・クロウリーの領地に入り込んだ彼らが、喰らい尽くされたのをいいことに、彼女は音信不通を装っていた。
 「・・・電話もないところでよかった」
 エリアーデは、長い爪に塗ったエナメルに、深い吐息を吹きかけながら呟いた。
 容易に連絡の取れる状態であったならば、老獪な伯爵は、エリアーデの嘘を簡単に見抜くことだろう。
 「このまま・・・みんな・・・みんな・・・いなくなればいい・・・・・・」
 エリアーデは、暗く呟いた。
 アクマ達が村人を殺し、その身内をアクマに替え、彼らはクロウリーに喰われる・・・。
 そうしてこの森から、誰もいなくなればいいのだ・・・・・・。
 「そしたらこの城で・・・ずっと二人で・・・・・・」
 物語のような情景を想像し、唇をほころばせたエリアーデは、目の端に写った自身の姿に、はっと目を見開いた。
 壁に掛かる、大きな鏡を改めて見つめたが、そこにはいつも通り、冷たい目をした自身の姿が写るばかりだ。
 「気のせい・・・か・・・」
 落胆した声音で呟き、彼女は、鏡から目を逸らした。
 先程、目の端にちらりと写った自身の姿が、とても美しく見えたと思ったのだが・・・。
 と、
 「なにがだ?」
 一瞬、気を抜いた隙に、クロウリーに背後を取られ、エリアーデの鼓動が跳ねた。
 「お・・・脅かさないでくださいませ、アレイスター様」
 深く吐息しながら振り向けば、クロウリーは、今夜も胸元を赤黒いアクマの血でけがし、鋭い牙の潜んだ唇を紅く濡らしている。
 「今夜もまた・・・狩りにいらしたのですね。死体はどうされました?」
 「さぁ・・・どこにやったか・・・・・・」
 アクマの血に酔った彼は、虚ろな目をさ迷わせ、低く呟いた。
 「片付けておけ・・・」
 「は・・・?」
 エリアーデではない、誰かに向かって呟くと、彼はそのままくずおれる。
 「アレイスター様・・・」
 歩み寄り、助け起こすと、すぐに意識を取り戻した彼は、自身の、血に穢れた手を見て、深く嘆いた。
 「わ・・・私は・・・また・・・・・・っ?!」
 「はい。この城のどこかに、死体を持ち込んだとおっしゃっていましたわ」
 「ひぃっ!!」
 引きつった悲鳴を上げて、顔を覆った彼を見下ろし、エリアーデは眉をひそめる。
 ―――― 覚醒するのが、早くなってきている・・・アクマの血に、慣れてきたのか・・・・・・。
 エリアーデと出会って以来、彼は、ほとんど人の食事をせず、毎夜、アクマの血を求めている。
 ために、クロウリーを恐れた村人達が、城内に食糧を売りに来なくなっても、彼が飢えることはなさそうだったが、このままでは早晩、アクマは喰い尽くされてしまうだろう。
 ―――― それは・・・困る。
 眉間の皺を深くして、エリアーデは、クロウリーの背に頬を寄せた。
 今は、エリアーデが伯爵からの連絡を無視していても、村に放たれたアクマ達が、彼へ情報を送り、時間を稼いでいる。
 が、彼らがクロウリーによって喰い尽くされてしまえば、完全に音信不通となった地に、伯爵は新たなアクマ―――― それも、レベル2以上のアクマを送り込んでくるに違いない。
 「邪魔はさせない・・・」
 彼女のかすかな呟きに、涙に濡れた顔が振り向く。
 「エリ・・・・・・?」
 訝しげに彼女を見るクロウリーに、エリアーデは気遣わしげに微笑み、あえて、思いとは別のことを言った。
 「外のことなんか、お気になさらないで。
 あなたが人を襲うのは、生きるために仕方のないことなのですから」
 だってあなたは、吸血鬼なのですもの―――― そう囁くと、クロウリーの目から、また涙が溢れ出す。
 「しっ・・・しかしっ・・・・・・!!
 こここ・・・っこのようなことっ・・・神がお許しにならない・・・っ!!」
 彼の言葉に、エリアーデは思わず、唇に嘲笑を浮かべた。
 ―――― 神・・・!よりによって、ここでその名が出るなんて!
 クロウリーは、自身が神の使徒となったことを知らない。
 まさに、神の名において、自身がアクマを狩る吸血鬼と化した事を。
 「では、アレイスター様・・・しばらくは、村に下りないでくださいまし」
 まんまと、彼女の思惑に乗った彼に、エリアーデは、哀願と共に身を寄せる。
 伯爵に対し、時間稼ぎをしているアクマ達が喰い尽くされぬよう、エリアーデもまた、時間を稼ぐ必要があった。
 「あまり頻繁に村人を襲っては、奴らが反撃してくるかもしれません」
 「は・・・反・・・っ?!
 そそそ・・・それは・・・っ!
 かかか・・・彼らが、私を退治に・・・・・・?!」
 「そのようなことが、ないとも限りませんわ」
 吐息混じりに言えば、クロウリーは更に激しく、身を震わせる。
 「ですから・・・しばらくは、我慢なさって?」
 アクマ達が、ペストのように村を覆いつくし、村人全てをアクマに変えてしまうまで・・・。
 「いずれ、彼らにわかってもらえる日も来るでしょう」
 そう、近い将来、アクマに変えられた村人達は、理解するだろう。
 自身らが、クロウリーに捕食される獲物であると言うことを。
 「その時になって、また、村に下りればいい・・・」
 その時は、いくらでも、飽きるほどに喰らえばいい。
 アクマは、次々と造り出されるのだから。
 「それまではずっと、二人で暮らしましょう?このお城で、ずっと・・・・・・」
 子供のように、エリアーデに縋りついて泣くクロウリーを抱きとめながら、彼女は満足げに笑った。
 その笑みを、彼女が見ることができたならば―――― 彼女は、自身が欲してやまないものに手を掛けたと、気づいたはずだった。


 それからしばらくの間、クロウリーの陰に怯え、緊迫した空気に満ちた村をよそに、城内には平穏が満ちていた。
 「これ、なんですの、アレイスター様?」
 生きているように蠢く、巨大な花々に眉をひそめたエリアーデに、クロウリーは苦笑を返す。
 「我が祖父のお気に入りだった、古代花だ・・・獰猛なので、近づかないことである」
 「へぇ・・・人間だって食べてしまいそうな牙を持っていますのね」
 金属的な咆哮を上げつつ、見慣れない彼女を威嚇する花々を、エリアーデは興味深げに見つめた。
 「あぁ・・・人間くらい、簡単に呑み込んでしまうであるから、ここに来る時は気をつけるのである」
 「わかりましたわ」
 クロウリーの忠告に笑って頷きながらも、エリアーデは、中々そこを離れようとしない。
 「エリアーデ?」
 クロウリーが訝しげに声を掛けるが、彼女は、魅入られたように花々から目を逸らさなかった。
 ―――― お腹・・・空いたナ・・・・・・。
 花を見ているうちに、クロウリーに出会って以来、すっかり忘れていた空腹感が蘇ってくる。
 ―――― そろそろ・・・殺しタイ・・・・・・。
 村のアクマ達は、次々と村人を殺しているに違いないのに、この地に来て以来、彼女はまだ、一人も殺していない。
 ―――― タクサン・・・殺しタい・・・・・・。
 「エリアーデ?」
 気遣わしげな声と共に肩に置かれた手を、彼女は、思わず握っていた。
 ―――― 殺しタイ殺しタイ殺しタイ!!!!
 淡い色の目が、血走る。
 カチリ、と、彼女の中の歯車が、噛み合う場所を換え、人間からアクマへと、姿を換えようとする。
 「エリアーデ?」
 女のものとは思えない力で、強く手を握られたクロウリーが、思わず声を上げる。
 ―――― ダメ!!
 エリアーデは、唇を噛み締め、引きつった笑みを浮かべて、彼をかえりみた。
 「つい・・・見とれていました・・・・・・」
 「無理はしないのである。恐ろしかったのであろう?」
 エリアーデの葛藤を、花への怯えと見て、クロウリーが苦笑する。
 アクマを襲い、喰らう吸血鬼とは、別人のように穏やかな彼に、つい、笑みが零れた。
 「?
 どうしたであるか?」
 きょとん、と、目を丸くする彼に、エリアーデは笑みを深める。
 「いえ・・・私は一体、どちらのあなたに惹かれたのかと思って。
 精悍なアレイスター様も素敵ですけど、今のアレイスター様も好きですわ」
 ためらいもなく言った彼女の言葉に、クロウリーは茹で上がったように真っ赤になった。
 「そそそ・・・そんな・・・っ!!わわわわわ・・・わたしなど・・・っ!!」
 呼吸を忘れたかのように、苦しげにあえぐ彼に、エリアーデはにこりと笑って首を振る。
 「今まで、私の周りには、あなたのような人はいませんでしたわ」
 途端、クロウリーが深くうな垂れて、エリアーデは驚いた。
 「どうなさったの?」
 「あ・・・あなたのように美しい女(ひと)ならば、私でなくとも・・・いくらでも・・・・・・」
 うち沈んだクロウリーの声に、エリアーデは苦笑し、うな垂れる彼の顔を覗き込む。
 「えぇ、もちろん。
 若く見目の良い男も、知的で気位の高い男も、金持ちで傲慢な男も、軽々と私の前に跪いたものです」
 やや得意げに言えば、彼は深く吐息した。
 「や・・・やはり・・・あなたは・・・こんな所よりも・・・華やかな場所にいる方が・・・・・・」
 「だけど私、彼らには全っ然!ときめきませんでしたの!」
 クロウリーの言葉を遮るように、エリアーデはきっぱりと言う。
 彼女の鼓動を早くしたのは、ただ、クロウリーだけ・・・。
 そう言うと、彼は、またもや真っ赤になって、言葉をなくしてしまった。
 「それに、ここでだって、華やかなことはできますでしょう?
 ねぇ、アレイスター様!
 冬至の夜は、二人でパーティをやりませんか?」
 神の名に怯える彼に、あえてクリスマスとは言わず、冬至と言い換えて、エリアーデは華やかに笑う。
 「二人で城中を飾って、楽しく過ごしましょう?」
 「ふ・・・二人で・・・・・・?」
 エリアーデの提案に、クロウリーは急にもじもじとし始めた。
 「アレイスター様?」
 お気に召しませんでしたか、と問えば、彼は激しく首を振る。
 「そそそ・・・そうではないのである!
 そそ・・・そ・・・そうではなく・・・・・・!」
 言いかけてはやめ、また口を開いては、パクパクと魚のようにあえぐ彼を、エリアーデは不思議そうに見つめた。
 と、クロウリーは、真っ赤な顔に汗を滴らせながら、ようやく言った。
 「冬至より先に、私の誕生日を祝ってもらえないだろうか?!」
 「あら・・・」
 一気にまくし立てたクロウリーに、エリアーデは目を丸くする。
 「あらま・・・お誕生日って、いつなんですの、アレイスター様?」
 「じゅ・・・12月・・・1日・・・・・・」
 「まぁ!もうすぐですのね!」
 両手を打ち合わせて、エリアーデは、大きな窓越しに浮かぶ月を見上げた。
 満々と満ちていた夜に出会って以来、一度姿を消したそれは、今夜、新たに細く硬く尖った姿を現し、その周りには、傷からあふれた血飛沫のように星が散っている。
 「では・・・あの月が、出合った時と同じく満ちる前夜に、お祝いしましょう、アレイスター様!」
 今夜は、闇を裂く傷のように細い月も、夜毎にふくよかに満ちていくことだろう。
 ―――― あの月が満ちると共に、私の想いもまた、満ちるのだろうか・・・・・・。
 月を見上げたまま、長く動きを止めたエリアーデに、クロウリーは訝しげに眉をひそめた。
 「エリアーデ・・・?」
 気遣わしげに寄せられた声に、どくん・・・と、また鼓動が跳ねる。
 「どうしたのだ?」
 カチリ・・・と、歯車が噛み合い、キリリ・・・と、ゼンマイが動き出す。
 ―――― 殺しタイ殺しタイ殺しタイ!!!!
 甲高い絶叫が、嵐のように身体の中を吹き荒れ、抑えがたい欲望に、カッと見開かれた目が紅く染まった。
 「ア・・・レイ・・・スター・・・さ・・・ま・・・・・・!」
 ―――― コンバートしてしまう・・・!
 エリアーデの困惑と焦燥をよそに、彼女の全身が、軋みを上げて震えた・・・途端、
 「ぐ・・・・・・ぁぁあああ!!」
 クロウリーが、顔を覆って彼女の足元に倒れこんだ。
 「ア・・・アレイスター様?!」
 驚いてかえりみれば、彼は、血色に変わった目を見開き、苦しげに悶えている―――― エリアーデの放った、アクマの血の芳香に、我を失ったようだ。
 「アレイスター様!!」
 「は・・・離れろ・・・・・・!!私・・・は・・・・・・!!」
 抑えがたい吸血の衝動と必死に戦う彼から、数歩を退くと、エリアーデは、彼女から顔を背けるクロウリーを、じっと見つめた。
 ―――― 私を殺したいのは、彼も同じ・・・ならば――――!
 退いた数歩を戻り、エリアーデは、クロウリーを背後から抱きしめた。
 「エ・・・エリ・・・・・・!」
 「愛してますわ、アレイスター様・・・」
 今はまだ、偽りの言葉。
 「二人で・・・二人だけで、お祝いしましょう。
 今年のお誕生日も、来年のお誕生日も、そのまた次のお誕生日も・・・・・・ずっとこの城で、二人で・・・・・・」
 苦しげな喘ぎが、密やかな嗚咽に変わるまで・・・そしてそれが、穏やかな吐息に変わるまで、エリアーデは、彼を抱いていた。
 ―――― 次の満月の夜までに・・・・・・。
 胸の裡(なか)で、密かに呟く。
 ―――― 彼が、私を殺さなければ・・・そして・・・・・・。
 そっと目をつぶり、エリアーデは、クロウリーの鼓動を背中越しに聞いた。
 ―――― 私が、彼を愛せたなら・・・私はここで、彼と共に生きる・・・・・・。
 機械が操縦者を裏切るなど、ありえない事―――― だが、今の彼女は、伯爵を裏切ることに、何のためらいもなかった。
 ―――― 次の満月の夜に決める・・・殺し合うか、共に朽ち果てるか・・・・・・。
 「・・・満月まで・・・あと半月・・・・・・」
 薄く開けた目で、細く尖った月を見上げ、エリアーデは呟いた。
 ―――― 賭けましょう、アレイスター。私たちの命を。
 闇を裂く傷に似た、鋭い月に笑みを浮かべて、エリアーデは、クロウリーの背に、頬をすり寄せた。
 ―――― 殺し合うか、愛し合うか・・・『その日』を、指折り数えて待つの。
 「楽しみですわね、アレイスター様」
 こくりと、無言で頷いた彼に、くすりと笑みを漏らし、エリアーデは彼を抱く腕に力を込めた――――。


 ―――― 愛してる・・・あいしてる・・・・・・アイシタイ・・・・・・。

 月が夜毎、ふくよかに満ちていく様を目で追いながら、エリアーデは、愛の言葉を重ねた。
 「アレイスター様はいかが?」
 血塗れた手に、舌を這わせるクロウリーに、鼓動を烈しくしつつ問えば、『あぁ・・・』と、短い答えが返る。

 ―――― アイシタイ・・・あいしてる・・・愛してる・・・・・・・・・。

 微笑みつつ囁けば、
 「わ・・・私も・・・あ・・・あなたを・・・・・・!」
 と、茹で上がったように真っ赤な顔をして、必死に言葉を紡ぐ。

 ―――― 危険で恐ろしい・・・獰猛な獣のようなあなたをアイシテイル。
 ―――― 純粋で優しい・・・無垢な子供のようなあなたをアイシテイル。
 ―――― アイシタイ・・・あいしてる・・・愛してる・・・・・・・・・。

 愛の言葉を重ね続けて―――― だが、ふと思う。
 無意味な言葉を重ねて、ただ自身を欺いているのではないかと。
 満々と満ちていく月を目で追いながら、エリアーデは、指折り数えた・・・満月まで、あと三日。

 ―――― 私は・・・危険な彼を、アイシテイル?
 アクマの血をすすりつつ、血走った目でエリアーデを追う彼に、偽りなく鼓動が跳ねる。

 ―――― 私は・・・優しい彼を、アイシテイル?
 彼女に群がった、多くの取り巻きよりもまっすぐに、熱い視線を送ってくる彼に、偽りなく笑みがこぼれた。

 ―――― アイシタイ・・・あいしてる・・・愛してる・・・・・・・・・。
 偽りではない・・・きっと、私は彼を、愛せる・・・・・・満月まで、あと二日。

 明日は、いよいよクロウリーの誕生日だ。
 ここ数日、アクマを捕食していない彼は穏やかに、エリアーデと二人、広間を華やかに飾り立てていた。

 ―――― アイシテル・・・あいしてる・・・愛してる・・・・・・・・・きっと!
 嬉しげなクロウリーに微笑み返しながら、エリアーデは、賭けに勝ったと確信した。

 「愛してますわ、アレイスター様」
 老獪な伯爵は、早晩、エリアーデの裏切りを知るだろう・・・だが、後悔はしていなかった。
 たとえ伯爵が新たなアクマを送り込んでも、クロウリーに捕食されるだけ。
 「ねぇ、見てくださいな、アレイスター様!もう、ほとんど満月ですわ!」
 はしゃいだ声を上げて、エリアーデは窓の外を示した。
 もう、何も恐いものはない。
 レベルの高いアクマが来ても、エリアーデは彼らを罠にはめ、クロウリーの食卓に饗する自信があった。
 「ずっと二人で・・・この城で・・・・・・」
 彼女が満足げに微笑んだ時―――― クロウリーがくぐもったうめき声を上げ、部屋を飛び出して行く。
 「またアクマが・・・・・・」
 無粋な、と、眉を曇らせ、窓辺から城下を見下ろすと、庭に、武器を構えた村人達が押し寄せているのが見えた。
 「なによアレ。餌の分際で図々しい!」
 せっかくいいところだったのに、と、腹立たしく思いながら、エリアーデは、クロウリーが丹精したバラを、大きな花瓶に活けていく。
 「早く帰ってこないかなぁ・・・・・・」
 鋭い棘を持った、血のように紅いバラに、アクマの血にまみれたクロウリーの姿を想い、思わず笑みがこぼれる。
 「今日はあなたのお誕生日・・・あんな奴ら、さっさと追い出して、パーティをしましょうね」
 淡い金の髪に、紅いバラを挿し、エリアーデは彼の帰りを待った―――― この直後、ローズクロスを胸にした闖入者達が現れ、二人を決定的に引き裂くことになろうとは、思いもせずに。


 ――――・・・クロウリーは、自ら火を放った、湖上の城を仰ぎ見た。
 幾棟もの鋭い尖塔からは、赤い炎が沸き起こり、昇りゆく月を、今にも燃やし尽くすのではないかと見える。
 「エリアーデ・・・・・・」
 炎の明かりを映した湖に、かつて、その場に佇んでいた、淡い女の姿を想う。
 「アクマでも・・・私は・・・・・・」
 自らの手で壊した女・・・・・・だが、確信できる。
 闘いのさなかですら、二人は愛し合っていたと。
 互いに罵言を浴びせながら―――― 真意は、確かに伝わった。

 ―――― 過去の呪縛など捨てて、その身よ自由になれ・・・・・・

 ―――― 醜い皮など脱ぎ捨てて、
その魂よ自由になれ・・・・・・

 彼女は逝き、私も行く・・・・・・。
 焼け落ちた残骸は、いずれ絶え間なく降り注ぐ雪に覆われ、呪いも悲しみも、白く塗りこめられることだろう・・・何事も、なかったかのように。





Fin.

 










クロちゃんお誕生日記念SSでございます★
今回はちょっと、趣向を変えてみましたが、いかがでしょう?>初めてのアンハッピーエンドかも;(誕生祝なのに;;)
・・・・・・泣かせちゃったらゴメンナサイ(・・;)>いやもう、ホントにどうしよう;;
今までの、『みんなでお祝い!でゅーわー♪』な雰囲気に(私が)飽きたのと、気づけば『烈日の頃』以降の作品が、ほとんど連載状態になっていたため、この連鎖を断ち切るべく、このようなお話となりました。
アレン&ラビコンビがクロちゃんとバトったのが、11月中旬〜下旬だろうと言う推理が、これを書いた理由のひとつですが、大本のネタは、(またもや)チャット中に頂きました。>本人、ネタを提供したとは思ってなかったようですが(笑)

『クロちゃん、食事は自分で作ってたのかな?』
『エリリンは作ってくれそうにないよね(笑)』
『エリリンは普通の食事、しないだろうしねぇ』
『そもそも、食料って、自給自足?』

という、4行から作成です(笑)>そら気づかんわ;
ちなみに推理は、

『ミランダ時計発動(10/9)→30日後、アレ&リナ到来(11/7>10月は31日まであるので)→ロードとバトル/アレ&リナ入院(11/11)→退院後クロス元帥捜索〜クロウリーと対峙(満月の夜)』

と言うものです。
D.グレの舞台は19世紀末ですから、仮に、1895年だとすると、12月2日が満月になります。(お星様とコンピュータ様参照)
題名の『Snow job』とは、『手の込んだ嘘』(米語)と言う意味らしいですよ。












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