† A mischievous boy †






 ―――― 19世紀末英国。
 ロンドン郊外にある、黒の教団本部は、新しい司令官を頂き、彼の下に新体制が整いつつあった。
 新室長、コムイ・リーが、それまで在任していた科学班班長の座に、新たに就任することが決まったリーバー・ウェンハムは、しきりに『班長なんて柄じゃない』とぼやきつつも、手際よく新たなグループ編成を行っている。
 そんな慌しい科学班研究室では、引越し直後によくある騒動が、各所で起きていた。
 「ちょっとー?!誰、俺の研究資料持ってった奴?!」
 「ここに置いといた研究レポート!間違えて持ってった奴いないか?!」
 「ココ、俺のデスクだよね?!なんで実験道具一式消えてんの?!」
 「自分のモンくらい、自分で管理しろ――――!!!!」
 騒々しいメンバーを一喝して、手元を見たリーバーは、確かに自分のデスクに置いたはずの報告書一式が消えている様に、こめかみを引きつらせた。
 「・・・ネズミが紛れ込んだな」
 忌々しげに呟き、指を鳴らしてメンバーの視線を集める。
 「どうも、この部屋にネズミがいるらしい!」
 言うや、リーバーは目星をつけたいくつかのデスクの下に、大きな箱を蹴り入れて、『出口』を塞いだ。
 「殺鼠剤(さっそざい)を撒くから、部屋の窓を全部閉めたら、一旦みんな、部屋を出ろ!
 人間でも、子供なら軽く殺せるくらいの、強力な奴を撒くからな!」
 聞こえよがしな台詞に、事情を察したメンバー達は、意地の悪い笑みを見交わし、わざと大きな音を立てて窓を閉めると、ぞろぞろと出口に向かう。
 「全員出たか?
 じゃあ、毒ガスを・・・・・・」
 「・・・まっ・・・まだいるさぁぁぁぁぁ!!」
 途端、沸きあがった悲鳴に、しかし、リーバーを始め、科学班メンバー達は、意地悪くとぼけた。
 「なんか聞こえたかー?」
 「気のせいでしょー?」
 「さっさと薬撒いて、ネズミを殺しちまわないと!」
 笑いをこらえつつ、幾人かが、膨らました風船の空気を、音を立てて抜く。
 シューシューと、ガスの噴出する音と似た音に、再び悲鳴が上がり、リーバーが塞いだデスクの一つから、赤毛の子供が必死に這い出てきた。
 「わぁぁぁぁぁんっ!!ひどいさぁぁぁぁぁ!!」
 顔を涙でぐしゃぐしゃにした子供が、叫びながら駆け寄って、リーバーに抱きつく。
 「ま゛だ俺がい゛る゛っで!!い゛っだの゛に゛ぃぃぃぃ――――!!!!」
 しゃくりあげながら抗議する子供を抱き上げ、リーバーは、メンバー達に向き直った。
 「ネズミ確保っ!」
 途端、大爆笑するメンバー達を、子供はキッと睨みつける。
 「なにさっ!お前らなんて、大っっっキライさっ!!」
 本人は、最も厳しい口調で言ったつもりだろうが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で言われても、迫力なんか欠片もない。
 更に大きくなった笑い声に、子供は、仕返しとばかり、リーバーの白衣で涙と鼻水を拭いた。
 「だぁぁぁっ!なにすんだ、ラビ!!」
 「仕返しさっ!!」
 「元はといえば、お前が邪魔したからだろっ!」
 べしっ!と、容赦なく頭をはたかれ、首根っこを掴まれて、ラビは、ネズミというよりは猫の仔のようにぶら下げられる。
 「さーぁ!
 俺たちのデスクから持ってった物を、全部返せっ!」
 叱られたラビは、不承不承、机の下に隠していた資料などを取り出し、持ち主に返した。
 「ったく、こんなん持ってって、どうしようっつーんだよ」
 「読んだってわかんねーだろー?」
 手元に戻った資料に不備はないか、ぱらぱらと確認しつつぼやくメンバー達に、しかし、ラビはふるふると首を振る。
 「ちゃんとわかるさ。
 ジョニーの研究資料は、イノセンスの成分分析表で、ダップ・ドップのは、こないだ回収したイノセンスの武器化レポートだろ?」
 「・・・・・・うん、まぁ」
 「別に、難しい単語が書いてあるわけじゃないからな・・・」
 読めないことはないよな、と、複雑な顔を見合わせる二人を、ラビはムッとして睨みつけた。
 「読んだだけじゃないさ!ちゃんと数字も覚えてるさ!」
 そう言って、成分分析のパーセンテージや、武器化に必要な付加鉱物の種類をそらんじ始めたラビを、皆、一様に感嘆の目で見つめる。
 「ラビ、お前・・・科学班に来るか?」
 「来ないさ。俺、ブックマンになるんさ!」
 あっさりとした答えに、リーバーは苦笑してラビの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 「そうだったな!
 じゃあ、ここに潜り込んで資料を漁ってたのも、『記録』のためか?」
 リーバーの、冗談めかした言葉に、しかし、ラビはふるふると首を振る。
 「おもしろそうだったさ!」
 そう言って、にこっと笑うラビの前にしゃがみ込み、リーバーは、口の端を曲げた。
 「そっか。
 俺らの中にも、『面白そうだ』って理由で、研究を始めた奴もいるぜ。
 だから、もしかしたら、お前の興味が実を結ぶこともあるかもしれない」
 「俺の興味が?」
 きょとん、と、目を丸くするラビに、リーバーはにこりと笑って頷く。
 「あぁ。だから科学班班長として、お前がここに入る許可はやるよ」
 「マジ?!」
 歓声を上げる少年に、リーバーは頷き、小指を差し出した。
 「その代わり、約束だ。
 資料を勝手に持って行ったり、研究の邪魔はしない。
 メンバーの許可なく、実験器具には触らない。
 ここでやっていることを、決して外部に漏らさない。
 以上、守れるか?」
 彼の問いに、ラビは、にこっと大きな笑みを浮かべ、リーバーの小指に自分の小指を絡める。
 「資料を持ってってごめんさ。あれないと、みんな困るさ。
 危ないものもあるから、実験器具には触んないさ。
 それに、ブックマンとして知った事は、ブックマンにしか話しちゃいけないって、じいちゃんにも言われてるさ!」
 「よし、約束だ」
 そう言って二人は、小指で繋がった手を、ぶんぶんと振り回した。


 「えぇー!
 科学班に入っていいって、言われたんだぁー!!」
 大きな目をまん丸にして驚くリナリーに、ラビは得意げに笑った。
 「いいなぁ・・・私も、兄さんの所に行きたいなぁ・・・・・・」
 しょんぼりと俯くリナリーに、ラビは手を差し出す。
 「リナもいこーぜ!
 コムイがいるんなら、きっと、リナも入っていいって言うさ!」
 「そ・・・そうかな・・・・・・」
 不安げな上目遣いで問い返すリナリーに、ラビは、自信ありげに頷いた。
 「はやく!」
 思い立ったらすぐ実行、とばかり、ラビは、リナリーの手を引いて、科学班へ走っていく。
 「リーバー!実験見せて欲しいさ!」
 入口で呼びかけると、実験器具に向かって難しい顔をしていたリーバーが、組んでいた腕を解いて、ラビ達を手招きした。
 「な・・・なにしてるの、班長?」
 リナリーがおずおずと問うと、リーバーは、それまでフラスコの底をあぶっていたバーナーを脇にずらし、その炎の上に、ニクロム線をかざす。
 すると、ポッ・・・と、鮮やかな赤い炎が上がった。
 「わぁぁっ!!」
 歓声を上げる子供たちに、彼は、液体の入った皿を、いくつかよこす。
 「色んな色の火が出る液体だ。
 俺がここにいる間なら、火で遊んでもいいぜ」
 「ホント?!」
 「やったさ!」
 目を輝かせる子供たちに笑って頷くと、リーバーは再び、実験器具を前に難しい顔をした。
 はじめは、そんな彼には構いもせず、色とりどりの炎と夢中で遊んでいた子供達だったが、飽きるほどに遊んでしまってもまだ、難しい顔をしているリーバーの事が、さすがに気になったらしい。
 二人は顔を見合わせると、リーバーに、なにが問題なのかと尋ねた。
 「ん?
 いや・・・お前たちが気にするこっちゃねぇよ。
 飽きたなら、他の実験するか?」
 「うん・・・それもいいさ。けど・・・」
 リーバーの様子も気になる、と言う二人に、彼はちらりと笑う。
 「ラビ、お前は俺よりも、あいつを気にしてやれよ」
 そう言って、リーバーが指し示した先では、ジョニーが死にそうな顔をして紙面に向かっていた。
 「ジョニー、どうしたんさ?」
 ラビが駆け寄ると、彼は、必死に資料をめくっていた手を止め、隣にラビを座らせる。
 「ラビ!イノセンスの成分分析、上から順に言って!」
 ラビが、足をブラブラさせつつ、イノセンスの解析済み成分を並べ立てると、ジョニーは拳を握り締め、『よし!』と快哉を上げた。
 「はんちょぉぉぉ!!!!新しいイノセンス成分、発見しましたァァァァァァッッ!!!!」
 ジョニーの絶叫に、各所で諸手を上げての快哉が沸く。
 「ラビ、イノセンス成分解析、新しい項目追加な!
 じゃあ次、前回武器化に成功したイノセンスに使った鉱物の、パーセンテージを言ってくれ!!」
 ジョニーに、便利な検索機能付き資料集とばかりに使われているラビを、リナリーはじっと見つめた。
 「ねぇ、班長。
 どうしてラビは、あんなにたくさん教えてもらってるの?」
 いつも教団にいるわけじゃないのに、と、やや不満げに問うリナリーを見下ろして、リーバーはふと苦笑を漏らす。
 「教えてないぜ、誰もな」
 「え・・・?じゃあ、なんでラビは、あんなにたくさん知ってるの?」
 目を丸くするリナリーに、リーバーは、再び組んでいた腕を解いて、リナリーの頭をくしゃくしゃとかき回した。
 「何度『入ってくんな!』って追い出されても、教団に来る度にこの部屋に忍び込んで、資料を読み漁ってたんだ。
 それで、俺たちもとうとう根負けさ。
 しかし、一度読んだ物を全部記憶しちまうのは、さすが、ブックマンの後継者だよなぁ」
 感心するリーバー以上に、リナリーは驚いていた。
 ずっと、この教団に縛られていた彼女と違い、ラビは、いつもここにいるわけではない。
 それなのに、科学班の学者達を根負けさせるほどに通いつめ、リナリーより多くのことを知っている彼を、素直に尊敬した。
 「班長・・・私も、ラビみたいに役に立てるようになったら・・・ここに入れてくれる?」
 兄やラビのおまけじゃなくて、と、真剣な目を向けてくるリナリーに、リーバーは笑って頷いた。
 「でも、ここに入るのは、結構難しいぜ?」
 冗談めかしたリーバーの言葉に、しかし、リナリーは真剣な顔で頷いた。
 「がんばる!」


 「・・・・・・全然、見えないんすよ、今回」
 ひどく憔悴した顔で、へたり込むように正面の椅子に座り込んだリーバーに、コムイも深刻な顔で腕を組み、首を傾げた。
 「君がそんなに悩むなんて、よほど扱いにくいんだねぇ」
 「はい・・・。
 元々あれって、隠されてた土地の天気に異変を起こすイノセンスだったじゃないすか・・・。
 武器化しようにも・・・・・・」
 「まるで、雲を掴むような話、ってこと?」
 「ハイ」
 上司のシャレに突っ込む気力もなく、リーバーは、うな垂れるように頷く。
 「これ、先に適合者を見つけた方がいいかもしんねっす・・・」
 「けど、適合者がいたとして、原石状態のイノセンスを扱わせるのは危険だよ」
 「そうなんすよねぇ・・・・・・・」
 適合者でもない科学者達がイノセンスを扱えるのは、そのためだけに作られた教団の施設内にいて、扱う手順を熟知しているからだ。
 適合者と言えど、原石状態のイノセンスに不用意に近づくのは危険だし、そもそも、適合者を見つけること事態が一苦労だと、リーバーも身に沁みている。
 「まぁ、イノセンスの数に対して、適合者は圧倒的に不足しているんだ。
 その一つにこだわることはないんじゃないかな?」
 「はぁ・・・・・・」
 コムイのアドバイスに、しかし、リーバーは切なく吐息する。
 そうやって割り切れるものなら、とっくに割り切っている。
 「容だけは・・・なんとか知っておきたいんす」
 このままにしておきたくないと、なおも縋るリーバーに、コムイはしばらく考え込んでいたが、やがて、リーバーが差出した書類に自身のサインを入れた。
 「わかった。
 だけど、これにばかりこだわってもらっても困る。
 あと2日で成果が見えないなら、一時諦めること」
 許可証と化した申請書をリーバーに返すと、彼は、憔悴した顔にちらりと笑みを乗せた。
 「ありがとうございます!」
 深々と下げた頭に、コムイは苦笑する。
 「その前に、寝たらどうだい?
 疲れた頭じゃ、妙案は浮かばないよ」
 「はい・・・」
 コムイの忠告に、リーバーは苦笑して彼の執務室を出て行った。


 珍しく雲の晴れた空には、既に、真ん丸い月が浮かんでいる。
 人気のない石の回廊を、自室に向かっていたリーバーは、中庭を挟んだ向かいの回廊に、ちらちらと瞬く明かりを見つけて、足を止めた。
 耳を澄ませば、子供の歓声が次々に沸く。
 中庭の潅木(かんぼく)の陰になっているらしい子供たちに近づくと、ラビとリナリーだった。
 「なにしてんだ?」
 リーバーが声を掛けると、子供たちの側にしゃがみこんでいた小柄な老人が顔を上げる。
 「おぉ、班長。
 おぬしが子供らに、炎色反応を見せてやったと聞いてな」
 そう言って立ち上がった老人は、未だしゃがみこんだままの子供達を示した。
 「私にも何かできるだろうと、うちの小童がねだるので、花火を作ってやったのだ」
 「はは・・・幽霊でも出たかと思いましたよ」
 自分こそ幽霊のような顔をして笑うリーバーに、ブックマンはわずか、首を傾げた。
 「今回は、随分と苦労しておるようだな」
 ラビから聞いたのだろう。
 気遣わしげにリーバーを見遣るブックマンに、彼は、パタパタと手を振った。
 「なぁに・・・いつものことです」
 未知の物質を扱うのだ。
 苦労しないことなど、今までになかった。
 そう言ってリーバーは、ふと、ブックマンを見下ろす。
 「あの・・・参考までに、聞いていいすか?
 ブックマンは、教団が今までに作ってきた武器の、大半を実見してるんすよね?」
 「いかにも。
 実見していないものは、記録で調べておる」
 当然のように答えた彼に、リーバーは、詰め寄った。
 「教団が回収するまで、ある土地で、天候を操っていたイノセンスなんす!
 今までに、同じようなものを武器化した例はありませんでしたか?!」
 「ふむ・・・天を操るイノセンスか。難しい課題じゃの」
 そう呟くと、ブックマンはしばし、記憶を探るように沈思していたが、やがて、ゆっくりと首を振った。
 「すまぬ。
 残念ながら、そのような特徴を持った武器はなかった」
 「そう・・・すか・・・・・・」
 他の記録ならともかく、ブックマンが『ない』と言うからには、それは、確実になかったのだろう。
 「すみません、変なこと聞いて。
 じゃあ、俺は失礼します」
 「いや・・・役に立てず、すまない」
 「気にしないで下さい。それじゃ!」
 そう言いつつも、疲れた肩は落ち、その背中は彼の憔悴振りを、余すことなく語っている。
 「倒れねば良いがな・・・」
 気遣わしげに見送るブックマンを、また、しゃがみこんだ子供達も見上げていた。
 「じいちゃん・・・リーバー、大丈夫なんさ?」
 「ものすごく・・・疲れてたね」
 心配そうな声音で尋ねる子供達に、ブックマンは、ふと笑みを浮かべて首を振った。
 「おぬしらが心配することではない。
 彼は、自分の仕事に誇りを持ち、まっとうしようと努力している。それだけのことだ」
 「でも・・・・・・」
 呟いて、顔を見合わせる二人を、ブックマンはやや厳しい目で見下ろした。
 「彼は大人だぞ?
 おぬしらが心配するまでもなく、やるべきことはわかっておる。
 そこで、今、おぬしらがやるべきことは、きちんと火の始末をすることだ。できるか?」
 「はぁい」
 手を払って立ち上がると、二人は、水を張ったバケツに燃え残った花火を入れ、火の粉が飛び散っていそうな辺りにも水を撒いた。
 「よろしい。
 では、もう部屋に帰って寝るのだ」
 「はぁい」
 聞き分けよく答えると、二人は、ブックマンを残して部屋へと帰っていった。


 「なぁなぁ、リナ。
 俺らで何とかできねぇかな?」
 「なんとかって・・・班長のこと?」
 とことこと、暗い石の回廊を並んで部屋に戻りつつ、二人はひどくまじめな声で話していた。
 「うん・・・。手伝いできねぇかなぁって・・・」
 リナリーの反論を予想して、ラビの声が徐々に低くなる。
 が、いつもなら『邪魔しちゃダメだよ』と、止めに入るリナリーが、意外にもラビの手を引いた。
 「いこ!今なら班長はいないよ!」
 「え・・・えぇっ?!」
 ぐいっと手を引かれたことに驚き、たたらを踏んだラビを、リナリーは『早く!』と、更に促す。
 「さっき、班長は自分の部屋の方に行ってたもん!
 班長が科学班にいないなんて、こんなチャンス、滅多にないわ!」
 「いや・・・そりゃそうだけどさ・・・・・・」
 どうしたんだろう、と、驚きつつもリナリーと共に走り出したラビを、彼女はちらりと見遣り、足を速めた。
 「ちょっ・・・リナ!!速いっ!!」
 必死に足を動かすも、あまりの速さに引きずられそうになったラビが悲鳴を上げる。
 が、リナリーはお構いなしに回廊を走り、あっという間に科学班研究室にたどり着いた。
 そっとドアを開けると、意外に人が少ない。
 まだ深夜には早いが・・・いや、だからこそ、徹夜決定組が仮眠に行ったり、遅い夕食に行ったりと、最も人が少ない時間に入り込んだようだった。
 「いこ」
 しばらく、ドアの細い隙間から中の様子を伺っていたリナリーが、するりと中へ入り、リーバーが難しい顔をして睨んでいた実験器具の前に滑り込む。
 すると、大きな実験器具と、うずたかく積まれた書類や資料のおかげで、二人の姿は完全に周りの目から隠れてしまった。
 「これが・・・リーバーを悩ませてるイノセンスかぁ・・・・・・!」
 器具の中で、きらきらと輝くイノセンスは、その周りに雲を絡めたり、虹を放ったり、かと思えば炎を上げたりと、様々に変化する。
 「きれい・・・・・・」
 うっとりと、虹を見つめるリナリーが、思わず手を伸ばした―――― 途端。
 バリッ!と、激しい音と共に、イノセンスが放電する。
 「きゃっ!」
 「リナ!!」
 砕け散った実験器具の欠片が襲い掛かり、リナリーと、彼女を庇ったラビを斬りつけた。
 「なっ?!」
 「どうした?!」
 破裂音を聞きつけて、飛んできた科学班のメンバー達が、瞬時に事情を察して、二人を抱え上げ、避難させる。
 「あ・・・あの・・・っ!ごめんなさい・・・わたし・・・・・・!」
 おどおどと、自分の周りに集まった科学者たちに、怯えた声を上げるリナリーを、しかし、彼らは部屋の外に放り出した。
 「医務室へ行け!」
 「今は近づくな!危険だ!」
 いつもは陽気に笑っている彼らが、真剣な顔で一点を凝視する様に、リナリーは動くこともできず、ドアの外で立ち竦む。
 が、その傍らにラビの姿がないことに気づき、慌てて彼の姿を探した。
 「ラビ・・・!ラビは?!私と一緒にいたのよ?!」
 しかし、彼女の叫びも、暴走を始めたイノセンスの周りで、誘爆や延焼を防ぐため、機敏に動く彼らの耳には届かない。
 「ラビ!!どこ?!」
 再び、研究室に駆け込もうとしたリナリーの体が、不意に浮き上がった。
 「入るなと言われたのが、わからないのかい?」
 間近に、兄の厳しい顔を見て、リナリーは声を失う。
 「これ以上、みんなに迷惑をかけちゃダメだ」
 厳しい声音に、リナリーはびくりと震えて、頷いた。
 普段は彼女に甘いコムイだが、叱る時は容赦がない。
 「・・・・・・ごめんなさぃ・・・・・・!」
 兄の首に抱きついて、泣き声を上げたが、彼は許しも、慰めてもくれない。
 「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・・・・!」
 許してくれるまでいつまでも、と、覚悟を決め、リナリーは、ひたすら兄に縋った。


 一方、自分を避難させようと、抱え上げた科学者の手を払って、ラビは、未だ激しく放電するイノセンスに駆け寄った。
 「バカ!!離れろ、ラビ!!」
 メンバーの連絡に寄って、慌てて駆けつけてきたリーバーに強く腕を引かれるが、それすらも子供とは思えない力で振り払い、ラビは暴走するイノセンスに向かう。
 「リーバー!
 このイノセンス、俺にくれねぇさ?」
 「はぁ?!お前、なに言ってんだ!」
 武器化もされていない、生(き)のままのイノセンスに触れることは、適合者であっても危険なことだ。
 そう言い聞かせるリーバーに、ラビは、ふるりと首を振る。
 「リーバーにも扱えねぇ、珍しいイノセンスなんさ?
 じゃあ、俺がコイツの謎を解いて見せるさ!」
 言うや、ラビはイノセンスに対し、無造作に手を伸ばした。
 「っ・・・!」
 一際激しい電荷が、彼の腕を弾き飛ばそうとしたが、それを耐えて、怒り狂った龍のように激しく暴れるイノセンスを握りこむ。
 と、ラビの手を焼き尽くすかのように、巨大な炎が上がった。
 「火には水さ・・・!お前の中の水で、この火を消せ!」
 ラビが命じるや、凄まじい水蒸気があがり、炎が消える。
 「消えた・・・」
 驚愕の視線が集まる中、ラビの命令を聞いてしまった事が屈辱だと言わんばかりに、イノセンスから激しい勢いで雲が沸き、研究室の中に厚い積乱雲を発生させた。
 「雲ぉぉぉ――――っ?!」
 「イノセンスの奇怪って、これか?!」
 室内に、メンバーたちの悲鳴が満ちる。
 急速に発達した積乱雲は、早くも内部で雷を発生させているらしく、ゴロゴロという、不気味な音が部屋に響いた。
 「逃げろ!さっきのとは、段違いの放電が来るぞ!!」
 リーバーの警告を聞くまでもなく、メンバー達は既に、出口へと雪崩れ込んでいる。
 「ラビ!!」
 お前も、と、ラビを抱え上げようとしたリーバーは、少年の顔に自信ありげな笑みを見止めて、手を止めた。
 「イノセンス・・・お前、おもしろいさ」
 未だに、激しい上昇気流を吹き出すイノセンスを掌に握りこみ、ラビは、今にも放電しそうな積乱雲を真下から見上げる。
 「俺がお前を使いこなしたら、俺をご主人様と認めるさ!」
 やれるものならやってみろ、と、言わんばかりに、雷光が閃いた。
 「危な・・・っ!!」
 耐え切れず、リーバーがラビに手を伸ばした時、
 「風よ・・・」
 イノセンスを握りこんだ手を高く掲げ、ラビが呟く。
 途端、キィン・・・と、リーバーの鼓膜が圧迫され、酷い耳鳴りがした。
 「気圧・・・?」
 ふわりと、ラビを中心に風が起こり、頭上の雲が薄れていく。
 風で散っているわけではない。
 ラビが掌に握りこんでいるイノセンスが、室内の空気の圧力を上げて、雲自体を消しているのだ。
 厚く積みあがった雲は、巨大な白蛇のようにうねり、抵抗を見せたが、やがて、諦めたように唐突に姿を消した。
 「快晴さ・・・♪」
 いつもの状態に戻った研究室で、ラビは、得意げに笑った。


 「ラビ!!ラビ、ケガは?!」
 室内が元の状態に戻るや、駆け寄ってきたリナリーに、ラビは、イノセンスを握りこんでいた手を開いた。
 「きゃっ・・・!」
 無残に焼け爛れた手に、リナリーが悲鳴を上げる。
 が、ラビはなんでもない事だと言うように、陽気に笑った。
 「コイツ、すんげー暴れるから、握ってるのも大変だったさ」
 でも、と、ラビは、嬉しそうな笑顔をリーバーに向ける。
 「これで俺、コイツのご主人様さ!
 カッコイイ武器を作ってくれよな、リーバー!」
 「・・・ったく」
 ラビの無邪気な言い様に、リーバーは苦笑して、彼の頭をくしゃくしゃと掻きまわした。
 「無茶しやがって・・・ハラハラしたぜ!」
 「それはこっちのセリフさ!
 リーバーってば、雷がすっげーでかくなってんのに、俺の側にいるんだもんさ・・・!
 失敗できねぇって、めちゃ気合入ったさ!」
 と、リーバーは、小ばかにしたような顔で、ラビを見下ろす。
 「ラビ、お前、アホか?
 適合者でもないのに、イノセンスを扱ってる俺らが、何の対策もしてねぇわけがねぇだろ」
 そう言って彼は、自身の白衣の襟元を引いた。
 「耐火・絶縁対策、ばっちりなんだよ、俺らは!」
 これを着ていれば、火だるまになっても平気!と断言する彼に、ラビは目を丸くする。
 「じゃあ、なんで誰も貸してくれなかったんさ!?ひっっでぇぇぇぇぇっ!!」
 ラビの絶叫に、室内に戻ったメンバー達は、陽気に笑いさざめいた。


 後日。
 『武器化できたぞ』との、リーバーの知らせを受け、ラビは、喜び勇んで回廊を走っていった。
 談話室に残ったリナリーは、その背をうらやましげに見ていたが、追いかけようとはしない。
 あの日、研究室内に放たれた雷以上の激しさで兄に叱られ、分別がつくまでは立ち入り禁止を言い渡されたのだ。
 いつか兄達と共に仕事をするためにも、今は必死に勉強するしかない。
 そう、しょんぼりと呟いた彼女に、『すぐに戻るから』と言い置いて、ラビは、科学班研究室に駆け込んだ。
 「リーバー!!早く見せるさ!!」
 勢い込んで迫るラビに、リーバーは苦笑しながら、黒い武器を差し出す。
 「お前の希望通り・・・ってか、本当にこんなんでよかったのか?」
 リーバーがそう問い返すほど、ラビのために作られた新たな武器は、武器としては異様な形をしていた。
 「いいんさ!これだと、持ち歩いてても誰からも怪しまれねえし!」
 槌の形をした武器を、早速手に取り、嬉しげに振り回すラビに、リーバーは苦笑を深めて頷く。
 「見た目は工具でも、破壊力は一級品だぜ?周りに気をつけて使えよ」
 と言っても、豪快な少年が、そうそう細やかな戦闘をするとは思えない。
 所有者を間違えたか・・・と、早くも後悔を始めたリーバーに、ラビは、陽気に笑った。
 「仕方ねぇさ!
 コイツは、俺をご主人様に選んだんだからさ!」
 早速試してくる!と、あっという間に駆け去ったラビを見送って、室内のメンバー達は、苦笑を見合わせる。
 「ヤツが飽きるまで、ロンドンは晴れ続きかもな」
 「清掃班が喜ぶでしょうよ」
 口々に、明るい笑声を上げていたメンバーだったが、ふと見上げた空からきれいに雲が払われている様に、それは、あっという間に爆笑に変わった。




Fin.

 










リクエスト5番目、『報われるラビ+リーバー』でした!
ラビの幼少時代にしたのは、アレン君が出てくると、容赦なく下僕人生に叩き落された挙句、報われるどころか一筋の希望すら見えない状況に陥ることが、容易に想像できたからです・・・(遠い目)
んが、2006.7.2に、D.グレノベルズ2巻発売決定&ラビの過去話があるらしい、という報により、このSS、6月中に仕上げなきゃいけないはめにー(^^;)
だって、ノベルズも一応、公式情報ですから;
ここでラビの槌に関する情報が出たら、無視するわけにはいかんでしょ;;
ノベルズ読了後も、異様な雰囲気になってないことを祈ります;;;












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