† What is love? †
―――― それは、黒の教団本部科学班に所属する研究員の、ほぼ全員が、睡眠不足と過労のあまり、極限状態に追い込まれていた時の事。 「・・・心理学に、生理的変化によって情動的変化が起こるって説があるんすけど、じゃあこの状況は、どんな結果を導くと思います・・・?」 デスクの上に突っ伏した、心理学者の呟きに、虚ろな目でデータの記入をしていたジョニーが、乾いた声を上げた。 「それって、怖かったり焦ったりしてドキドキしてる時にキレイなお姉さんを見たら、その人を好きだって勘違いしちゃうことっすよねぇ・・・? じゃあ、なに・・・? オレは、このデータに惚れこんじゃうわけ・・・?」 彼は今、思わしくないデータを前に焦燥感が募った上、寝不足と体力の限界もあいまって、心拍数を極限にまで上げている。 と、 「心配するな。 そんな一時的な緊張感によって得られた感情は、長続きしない事が多いというデータが出ている」 目の下に濃い隈を作ったリーバーが、ジョニーの不安を冷静に否定した。 「けど・・・トラウマって確実にありますよね・・・!」 今日一日、リナリーの代理で、科学班の書類整理を手伝っているアレンが、涙目でリーバーを見遣る。 「僕・・・師匠の名前を聞くだけで、簡単に不整脈でますよ・・・!」 うっ・・・!と、口元を押さえたアレンに、同情の目が集まった。 気の毒な少年は、自分の言葉によって、吐き気まで催してしまったらしい。 「アレンの場合は、フラッシュ・バックだのう・・・。 あやつの弟子だとは、気の毒なことじゃ」 65の同情的な言葉に、とうとう、アレンの目から涙が零れ出した。 「あぁ・・・ヨシヨシ。泣くな泣くな。 ここにはあのおっさん、いないんだから。な?」 リーバーの大きな手の下で、アレンは泣きながら何度も頷く。 その時、 「生理・認知説かぁぁぁぁ〜〜〜〜・・・」 塔のように積み上げられた、本と書類と資料の間から、寝ぼけた声が湧いた。 「じゃあさぁ〜・・・ムネのドキドキ 「惚れ薬・・・?!」 ピクリと、耳をそばだてたアレンの傍らで、リーバーが舌打ちする。 「だぁら、言ってんでしょ。 そういう状況で作り出された感情は、長続きしねぇ・・・・・・」 「それ、一回きりだからでしょ?」 リーバーの言葉に被せて、コムイがデスクに突っ伏していた顔を上げた。 「行動の反復と同じように、生理的変化と情動的変化をシンクロさせた状態で反復させれば、『好き 「えぇ・・・っ?!それ、本当ですか?!」 アレンが、コムイの説を確認するようにリーバーを見上げれば、彼も、顎に手を当てて頷く。 「そうだな・・・一時的な生理的状況による情動的変化なら、『気の迷い』で終わるだろうが・・・」 呟きながら、リーバーは真剣な目で自分を見つめるアレンを見下ろした。 「例えば・・・アレン少年に会う度に、B嬢がドキドキするように仕向ければ、B嬢はアレン少年を好きだと勘違いする・・・って事は、あるかもしれないな」 いたずらっぽく片目をつぶって見せると、アレンはキラキラと目を輝かせる。 「ホントに?!」 いやにこの話題に食いついてくるアレンの心情に思い至って、リーバーはにやりと唇を歪め、コムイを見遣った。 「じゃあ、室長。 作ってみたらどうすか、惚れ薬? 最近、リナリーが冷たいって、泣いてたじゃないすか」 「そ・・・そうなんだよ、リーバーくぅ〜〜〜ん!! ジェリーに相談したら、『思春期なんだからしょうがないわよ』って言われちゃったけどぉぉぉぉぉ〜〜〜〜!」 バン、と、コムイがデスクに手を叩きつけると、積み上げられていた本や書類が、グラグラと揺れる。 「リナリーは・・・リナリーはね! ちっさい頃はカモの仔みたいにボクの後をずーっとついてくる子で、逃げても隠れても泣きながら追いかけてきたんだよ!! なのに・・・なのにぃぃぃぃっ!!」 ダンッ!と、コムイがデスクに拳を叩きつけると、塔の一部が崩れだした。 「しっ・・・室長!!危ない!!」 「なんでボクから離れてっちゃうのさぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」 ゴンッと、痛そうな音を立ててコムイが額をデスクに打ち付けた途端、微妙なバランスで積み上げられていた紙の塔が崩壊する。 「わぁぁぁぁぁ!!」 「総員!避難っ!!」 「言われなくても逃げてらァっ!!」 が、雪崩は逃げ惑う科学者達を容赦なく飲み込んだ・・・・・・ただ一人、デスクに泣き伏していたコムイを除いて。 「アレ?みんな、ダイジョウブー?」 「だ・・・・・・」 「大丈夫なわけあるか・・・っ!!」 「なんでアンタだけ無事なんすか!!」 「この鬼畜室長が!絶対狙っただろ!!」 「計算か?!俺達を殺す算段かー!!!!」 轟々と湧き上がる非難に、コムイがむくれた。 「ヒドイなー!ボクがそんなことするワケないじゃなーい」 が、部下からの信用薄い室長は、じっとりと不信の目で睨みつけられて、亀のように首をすくめる。 と、 「室長、アンタ今日は、もう寝たらどうすか」 舌打ちと共に出されたリーバーの提案に、コムイの目が輝いた。 「え?!どうしたの、リーバー君?!優しい!!」 両手を組み合わせ、期待に満ちた目を向ける彼に、リーバーは忌々しげに目を眇める。 「アンタだけじゃないっすよ。 おい! 今、特に急ぎの仕事はない奴らは、寝て来い!」 「え?!班長、マジで?!」 「きゃっほー!班長、いい人ー!!」 途端に沸きあがった歓声に、リーバーは深々と吐息した。 「寝不足の頭じゃ、能率もあがらねぇよ。 幸い、昨日はリナリーががんばってくれたし、今日はアレンが手伝ってくれてるからな」 「はい!がんばってまーす!」 リーバーの言葉に、アレンはにこにこと機嫌よく笑う。 今日、彼がリナリーの代理として、科学班の『お手伝い』をしている裏には、思惑があった。 それは、昨日のこと。 エクソシストとしての任務がない時には、コムイの助手をしているリナリーが、ため息混じりに訴えたのだ。 『明日、ミランダとお出かけしたいのに、全然お仕事が終わらないの』 と。 それを聞いて、放っておくアレンではない。 彼は、快くリナリーの代理を引き受けると、持ち前の器用さとクロス元帥の元で培われた忍耐力でもって、テキパキと科学班助手の仕事をこなしていった。 「これで、リナリーの好感度アップ〜♪」 などと、心中に思っている事がコムイにばれれば、その場で人体実験の材料にされていたに違いない。 が、幸いにも、疲れ果てたコムイはアレンの思惑にも、心中の声にも気づくことなく、リーバーの提案を受け入れた。 「じゃっ! お言葉に甘えて、休ませてもらうよー 「はんちょー!ありがとうございまぁーす!!」 ヘロヘロになりながらも、嬉しそうに笑みほころんで、科学班を出て行く者達を手を振って見送ると、リーバーはせっせと書類のファイリングをするアレンに、にやりと口の端を曲げる。 「室長が爆睡から醒めたら、惚れ薬を作ってくれるかもしれないぜ?」 「え?!」 アレンが頬を紅潮させ、期待に満ちた目でリーバーを見上げると、彼はアレンが作業するデスクに浅く腰掛けて、笑みを深めた。 「さっきの、心理学の話の続きだ。 寝る直前に頭に入った情報は、それ以前に入った情報よりも記憶に残りやすい。 室長がこれ以後、何かの情報を入れるとは考えにくいし、惚れ薬にはかなりの興味を示していたしな。 残りは時間的余裕だが、昨日、リナリーとミランダさんが、がんばって仕事を手伝ってくれたおかげで、あの人の決済はほとんど済んでるんだ。 期待していいと思うぜ?」 くしゃ、と、大きな手で頭を撫でられて、アレンが嬉しそうに笑う。 「コムイさんが惚れ薬を作ったら、リーバーさんも分けてもらうんですか?」 アレンのからかい口調の問いには、しかし、リーバーは平然と首を振った。 「そんなもの、俺には必要ない」 「・・・・・・っ!」 余裕の言葉に、アレンは目を剥き、科学班に残っていた科学者たちは、それぞれに嫉妬の悲鳴を上げた。 同じ頃。 ロンドンに出たリナリーは、ミランダと久しぶりの買い物を楽しんでいた。 「・・・っミランダが入団してくれて、ホンットーに良かった・・・!」 出てきた店のドアが、カラン・・・と、涼やかな音を鳴らして閉まる様を返り見て、リナリーはほっと吐息する。 「そうね・・・男の人と一緒じゃ入れないお店って、たくさんあるわよね」 感涙するリナリーに苦笑を向けて、ミランダも買ったばかりの品物を、重たげに持ち直した。 「サポーターに、もっと女の人を入れてくれればいいのに! 私、今までそりゃあ苦労したのよ・・・!」 「・・・でしょうね」 拳を握って訴えるリナリーと並んで歩きながら、ミランダは傾きかけて弱々しい陽光に照らされた、町の一角を見渡す。 が、彼女の視界が捉える中に、男性の姿は一つもなかった。 それもそのはず、この一角は、婦人服や婦人用雑貨を扱う店で占められている。 「ビスチェ一枚買うのに、兄さんをまいたり班長をまいたり・・・一番苦労したのは、任務先でファインダーをまいた時だったわ!」 「大変・・・だったのね・・・・・・」 不満げに言い放つリナリーに、そう返しつつも、コムイやリーバーの気持ちもわかるミランダだった。 彼女が住んでいた、小さな町とは違い、ロンドンは世界屈指の大都市だ。 少女が一人で、出歩いていい場所では、決してなかった。 「じゃあこれからは、できるだけ私が付き添うわ」 「うん!ありがとう!」 嬉しそうに笑うリナリーに笑みを返して、ミランダは馬車を待たせている通りへと向かう。 が、 「あ、待って、ミランダ!」 すぐに袖を引かれて、雑貨の店に連行された。 そうやって、次々と店をはしごして、二人がようやく馬車の待つ通りに戻ったのは、熟れきった果実のような色をした太陽が、西に沈んでしまってからのこと。 「早く帰らないと、みんな心配するわ」 まだ、名残惜しげにショーウィンドウを覗き込むリナリーの腕を引いて、ミランダは無理矢理彼女を馬車に乗せた。 「でーもー!」 「また来ればいいでしょ?ね?」 ごねるリナリーをなだめて馬車のドアを閉め、御者に本部へ戻るよう指示する。 「買いだめなんかしなくっても、付き合ってあげるから」 その言葉が功を奏したか、リナリーの機嫌は途端に直って、本部までの道のりは和やかなものとなった。 「ただいまー!」 生き生きとした声と共に、科学班のドアを開けたリナリーに、室内の人々の視線が集まる。 「おかえりなさい、リナリー!」 アレンは満面に笑みを浮かべ、 「ミランダさんも。わがまま娘のお供は疲れたでしょ?」 リーバーは苦笑と共に、ミランダを見遣った。 「アレン君、代理ありがとー 班長!私、わがままなんて言ってない!!」 アレンに笑みを、リーバーに怒声を返すリナリーを、アレンが笑ってなだめる。 「冗談ですよ。 それより、お買い物は楽しかったですか?」 「うん! アレン君にもお土産買ってきたからね!」 「わぁ 仲良くはしゃいでいるアレンとリナリーを、やや離れたところから、ミランダが微笑ましく見つめた。 と、 「ホントに・・・すみません。リナリーの買い物につき合わせてしまって」 突然、耳元に声を掛けられて、ミランダは驚いて振り返る。 「室長か、俺がついて行ければよかったんすけどね」 そう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべるリーバーに、ミランダは真っ赤になって俯いた。 「い・・・いえ・・・! わ・・・私もっ・・・楽しかったですからっ・・・!」 儚げな声で、口ごもりながら言うミランダに、リーバーが笑みを深める。 「イヤイヤ、俺も何度か付き合わされたから知ってますよ。 あのおてんば、次から次に店に入るわ、突然消えるわ、戻ってきたかと思ったら大量の荷物を持たせるわ・・・・・・」 深いため息をつくリーバーを、ミランダはまじまじと見つめて、吹き出した。 「? なんすか?」 驚く彼に、軽やかな笑声を上げながら、ミランダは首を振る。 リナリーの言い分と、彼の言い分を知る彼女には、その齟齬(そご)に笑わずにはいられなかったのだ。 「私なら、平気です・・・。 ちゃんと、付き添いますから」 未だ、クスクスと笑いを収めきれずに言うミランダに、リーバーが不思議そうに首を傾げる。 一方、彼女の笑声をふと見遣ったアレンは、むぅ、と、眉根を寄せた。 ―――― 確かに、リーバーさんに『薬』はいらないや・・・。 彼が傍に来ただけで、真っ赤になってしまうミランダに、コムイが作ろうとしている(だろう)惚れ薬を使えば、不整脈どころの騒ぎではない。 確実に、心不全を起こすだろう彼女に、リーバーがそんなものを盛るはずがなかった。 「どうしたの?」 不思議そうな声に視線を戻すと、リナリーが大きな目をきょとん、と見開いて、アレンを見つめている。 「あ!いえ、なんでも!」 慌てて手を振ると、リナリーは笑みを浮かべて、アレンの手を取った。 「ね!歩き回って、オナカ空いちゃった! 夕食に行きましょ♪」 「はい!」 嬉しげに笑って頷いたアレンは、リナリーと並んで歩き出す。 ―――― 僕も、薬なんかつかわなくったっていいかも・・・! リナリーとの良好な関係に、しかし、アレンが自信を持ったのも束の間、 「ラビ!」 食堂の前で鉢合わせたラビに、リナリーが大きく手を振ってアレンの手を離した。 「あ・・・!」 アレンが止める間もなく、リナリーは一足にラビの傍らに寄り、彼の腕に縋る。 「ラビラビ! 今日のストランド誌、もう読んだ?!」 はしゃいだ声を上げて笑うリナリーに、ラビも楽しげな笑みを返した。 「もち、読んださ! シャーロック・ホームズの連載だろ?」 「私、今回は自信あるわ!犯人はね・・・・・・!」 「自信も何も、あいつに決まってるさ♪」 楽しげに話しながら食堂に入って行った二人を、アレンは憮然と見送る。 ―――― コムイさん・・・ホントに『惚れ薬』を作ってくれないかなぁ・・・・・・。 むくれながら、再び歩を進めて食堂に入ったアレンは、カウンターでリナリーと談笑するラビを睨んだ。 ―――― 絶対、ラビには教えないけどね! 何ヶ月ぶりか、柔らかいベッドの上で清々しい目覚めを得たコムイは、大きく伸びをしてから、枕元を探って、メガネを取り上げた。 「ラブ・ポーション・・・・・・?」 見ていた夢の内容は忘れてしまったが、その中で、自分がそんな言葉を口にしていた気がして、コムイは、まだぼんやりとした頭を傾げる。 「なんでボクが、惚れ薬なんか・・・・・・」 大きくあくびをして、窓の外を見遣ると、いい天気だった。 「みんな、まだ生きてるかなー」 ベッドから下ろした足で、スリッパを探しながら呟いた彼は、ぽん、と、手を打つ。 「あぁ!昨日の話かぁ!」 なぜ自分が、寝起きから『惚れ薬』なんて言い出したのか、その理由をようやく思い出して、コムイは鼻の上でずれたメガネを掛け直した。 「暇つぶしに作るのは別にいいけど・・・需要ってあるのかな?」 疑問に思うまでもなく、効果のある『惚れ薬』なら需要があるに決まっているのだが、彼が構想したのは、単に心拍数を上げるだけの代物だ。 「どうせなら、本物を作ってみたいけどねー♪」 ぺたぺたと、間の抜けた足音を立てながら部屋を横切ると、コムイはパジャマのままで実験器具の並べられたデスクの上をいじり出した。 天秤の皿の上に乗せた油紙に、薬品を乗せようとした彼は、その手を止めて別の薬を取り出す。 「できるだけ、人体に影響がないようにしなきゃね♪」 教団が誇るマッドサイエンティストは、楽しげに鼻歌を歌いながら、純粋な趣味のために薬品の調合を始めた。 「おはよう、みんな!まだ生きてるかい?!」 不吉すぎる言葉を遠慮なく吐いて、清々しい顔をしたコムイが科学班に顔を出すと、瀕死ながらも、なんとか生命活動を維持していたメンバーが、弱々しく声を上げた。 「交代してくださぁ〜〜ぃ・・・・・・!」 とうとう上がった弱音に、コムイは機嫌良く頷いて、昨夜休息を得たメンバーと、疲労困憊で使い物にならないメンバーを交代させる。 が、 「昨日話してた惚れ薬だけどサ〜♪ 製造方法の目処がたったから、ここで完成させようと思うんだ〜♪ 実験器具、使わせてもらうよん という言葉に、皆、塞がりかけていた目を見開いて、コムイににじり寄ってきた。 「しっ・・・室長!!」 「出来上がったら、ぜひ俺に分けて下さい!!」 「俺も俺も!! 清掃班のジェニーのハートゲットォォォォ!!」 「あっ!てめ!!ジェニーは俺が先に・・・!! 室長!!俺に下さい、俺に!!」 餓鬼のように群がる部下達を、しかし、コムイは不思議そうに見下ろす。 「なんで?惚れ薬って、そんなに需要があるもんなの?」 途端、餓鬼達の形相が変わった。 「あったりまえでしょう!!」 「世界人類全員が、アンタみたいに妹至上主義じゃないんすよ!!」 「黙って座ってさえいりゃ、モテモテな人間と一緒にすなー!!!!」 まさに鬼の形相で迫る彼らを、それでも不思議そうな顔で見つめて、コムイは手にした薬瓶の中身を、実験器具のトレイの上に空ける。 「まぁ、そんなに欲しいって言うならあげるよ。 ただ、これってホントに、生理的状況を作り出すだけのものだからね。 情動的変化にもって行くのは、自分でやってよー?」 「はいっ!ガンバります!!」 鼻息も荒く言い放った部下達に苦笑を向けて、コムイは『惚れ薬』の精製に取り掛かった。 カンカンッ!と、硬い何かがガラスを叩く音を聞いて、アレンは窓辺に寄った。 見れば、黒い通信用ゴーレムが、窓を叩いている。 「なに?」 窓を開けるや、飛び込んできたそれに問うと、コウモリに似たそれは、リーバーの声でしゃべり出した。 『例のモノが完成したみたいだぜ。科学班に来いよ』 具体的な名前は言わなかったものの、アレンは鋭く察して部屋を出る。 「リーバーさん!」 大きな音を立てて、科学班のドアを開けたアレンに、リーバーが目を丸くした。 「アレン・・・早っ!」 「リナリーほどじゃないですけど、足の速さには自信があります! それより・・・!」 きょろきょろと、室内を見渡すアレンの眼前に、液体の入った小瓶がかざされる。 「お前の分、取っといたぜ」 そう言うと、リーバーは声を潜めた。 「室長には内緒だ。 あの人、お前がリナリーに使うかもしれないって、疑ってるからな」 疑惑などではなく、それが真実なのだが、そうと知っていて協力してくれるリーバーに、アレンは歓声を上げて抱きつく。 「リーバーさん、ありがとう〜〜〜!!!!」 「まぁ・・・お前には色々世話になったからな・・・・・・」 呟いて、リーバーはくしゃりとアレンの頭を撫でた。 「あんまり使いすぎるなよ。 昨日、お前も聞いた通り、こりゃ『惚れ薬』っつっても、言っちまえば心拍数を上げるだけの薬だ。 リナリーが心不全だなんて、冗談じゃねぇからな」 「は・・・はいっ!気をつけます!」 慌てて、薬瓶を持ち直したアレンは、ふと思いついてリーバーを見上げる。 「あの・・・コムイさん、本気でリナリーにこれ飲ませるつもりなんでしょうか・・・・・・」 まさかねぇ、と、眉根を寄せて、リーバーの否定を待つアレンに、しかし、彼は複雑そうな顔でため息をついた。 「そうであればいいんだがな・・・でも・・・あの人のことだからな・・・・・・」 「って!妹でしょぉ?! アリエナイですよ!神様が許しませんよ、そんなこと!!」 泡を食って大真面目に否定するアレンに、リーバーが吹き出す。 「全くだな! リナリーに関する限り、あの人の行動は想定の域を超えているが・・・盛られる方のリナリーは、常識の通じる相手だから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」 「え・・・あ、そうか・・・!」 気まずげに頬を赤らめるアレンの頭を、リーバーは大きく笑ってまたくしゃくしゃにした。 「だから、最初に言ったろうが! この薬は単に、心拍数を上げるだけのもんだって。 いくらドキドキしたって、リナリーがアニキ相手に恋心と勘違いするわけねーだろ!」 「そ・・・そうでした・・・!」 照れ笑いを浮かべて、アレンはもう一度リーバーに礼を言い、踵を返す。 「お?早速盛りに行くのか?」 声を掛けると、アレンは振り返って、にこりと笑った。 「だって・・・僕だけとは限らないじゃないですか!」 既に、科学班の何人かが、同じ薬を手に入れている。 コムイの恐ろしさを、骨身に沁みて知っている彼らが、リナリーに使うとは思えないが、この情報を入手し、薬をも入手した者が、他にいないとは限らなかった。 「負けるわけには行かないんですよ・・・っ!」 明らかに、特定の人物を想定して駆け出したアレンに、リーバーが笑って手を振る。 「がんばれよー」 「はい!」 元気に返事をすると、アレンはリナリーの姿を求めて城中を駆け巡った。 「リィィィーナリィィィィ ボクの可愛いお姫様 ノックもなしにドアをブチ開けて入って来た兄の、陽気な声に、未だベッドの中にいたリナリーは、一瞬、目を醒ました。 だが、 「・・・あと5ふん・・・・・・」 そう呟いて、また枕に顔を埋めた愛しい妹を、コムイは蕩けそうな顔で見つめ、きれいな黒髪を愛情込めて撫でる。 「ホラホラァ お兄ちゃんが、朝ごはんを持ってきてあげたよぉ 「すー・・・・・・」 コムイの声を完全に無視して、寝息を立てるリナリーに、コムイは時計を取り出して時間を計った。 きっかり、5分後。 「リナリー 5分経ったよぉー♪おっきして ゆさゆさと揺さぶられて、リナリーは仕方なしに起き上がった。 「おはよ・・・・・・・・・・・・」 まだ、ぼーっとしている妹に、クスクスと笑いながらコムイは、ベッドの上に置いたテーブルに朝食の皿を展開する。 「ジェリーに作ってもらっちゃった リナリー、今日の卵はオムレツにしてもらったけど、良かったかい?」 「うん・・・好き・・・・・・」 ぼーっとしたまま、リナリーはコムイが淹れたミルクティーのカップを手にした。 「あははは まだ目が醒めないなんて、夜更かしでもしたのかい? 寝不足は美容の敵だゾ★」 ハイテンションでまくし立てる兄を、リナリーは寝起きの目で睨みつける。 「・・・兄さんのお仕事、片付けてたんだけど・・・・・・」 「・・・・・・・・・ゴメンナサイ」 途端に意気消沈したコムイに、それ以上言わず、リナリーは砂糖を入れてミルクティーをすすった。 「・・・なんか、変な味」 「えぇっ?!無味無臭のはずだけどなぁ?!」 「え?」 「あ・・・!イヤ、なんでもないヨっ!!」 慌ててベッドの上のテーブルに視線を落としたコムイは、リナリーの手元にコショウがあるのを見て、眉根を寄せる。 「もしかして、リナリー・・・お茶にコショウを入れたんじゃないのかい?」 「・・・・・・そうかも」 「そうかもって! なんでそんなにぼーっとしてるの! ホラ!淹れ代えてあげるから、いつまでもコショウ紅茶なんて飲んでないで!」 「・・・スパイスを入れるミルクティーがあるんだから、コショウ紅茶もありかもしれない」 「それってチャイのこと?!あるわけないでしょ! あったって、少なくとも英国産コショウなんか入れてないよ!」 寝ぼけた妹からなんとかティーカップを取り上げて、コムイは新たにミルクティーを淹れてやった。 「ホラもう、ちゃんと起きて〜! 任務の時も、こんな風なのかい?」 「ううん・・・任務の時は、緊張してるから・・・・・・」 「ホームで安心してるのもわかるけどね・・・全く、ボクのお姫様は、いつまで経っても可愛いでちゅねー 「ありがとー・・・・・・」 全く兄の言葉が耳に入っていない様子で、紅茶をすすったリナリーは、朝食に手を伸ばす。 オムレツを半分ほど食べて、トーストをいつまでも咀嚼しているうちに、ようやく目が醒めた彼女は、フォークでウィンナーを突き刺した瞬間、傍らの兄を見遣った。 「あれ? 兄さん、いつからそこにいたの?」 「・・・・・・そんなところも愛しているよ、リナリー・・・・・・」 乾いた笑声を上げて、コムイはザーサイをぶち込んだ粥をかき混ぜた。 着替えるから先に行ってて、と、リナリーの部屋を追い出されたコムイは、ウェイターのように空いた朝食のトレイを掲げ持ったまま、首を傾げた。 「フツー・・・だったねぇ?」 きれいに飲み干されたカップを見遣って、コムイはまた首を捻る。 「量が少なかったかな?」 コムイの想定では、紅茶を飲み終わる頃には、リナリーの『お兄ちゃん、大好き〜〜〜〜 「ちぇっ・・・。 お兄ちゃんが睡眠欲なんかに負けちゃうなんてねっ!」 拗ねた口調で呟きながら、食堂にまで食器を運んできたコムイは、ふと見遣ったテーブルの異様な様子に、ビクリと震える。 食堂中のテーブルで、妙に真剣な顔をした科学班の男達と、困惑顔の女性達が、何組も向かい合っていたのだ。 「・・・っあー・・・ビックリした・・・。 真剣すぎて怖いヨ、みんな・・・・・・」 真剣な顔で女性を見つめる科学者達が、コムイ特製の『惚れ薬』を手に入れた者達である事を思い出して、彼は苦笑する。 「ほんの冗談だったんだけどなぁ。需要って、あるもんなんだねぇ」 妹にしか興味がない自分の方が、特異である事になど、全く気づいていない様子でコムイが笑うと、彼が運んできた食器をカウンター越しに受け取ったジェリーが、不思議そうに首を傾げた。 「なにがぁ?」 「うん。ジェリーさぁ、『惚れ薬』なんてモノがあったら、欲しいかい?」 にこやかに尋ねると、センシティブな料理長は、ポッと頬を赤らめる。 「うぅーん・・・そぉねぇ・・・ まぁ、欲しいといえば欲しいけどぉ・・・・・・」 「うん」 先を促すコムイに、ジェリーは軽やかな笑声を上げて首を振った。 「そういう仮初めの愛って、長続きしないと思うのよぉ」 「そうかなぁ?確かに、一時的な気の迷いは長続きしないってデータが・・・」 「あぁん!違うわ!そっちじゃなくてねぇ」 言い切る前に否定されて、コムイが不思議そうに首を傾げる。 と、ジェリーはふわりと笑みを浮かべて、胸に手を当てた。 「勘違いでも気の迷いでも、恋は恋よ。 そう言うので始まる恋も、それが愛に変わることも、アタシはあると思うわ。 だけどね・・・」 慈母のような笑みを浮かべて、ジェリーは首を振る。 「惚れ薬とか・・・そんな、自分の気持ち以外の物に頼ったら、相手がどんなに恋してくれても、愛してくれても、自分が相手を信じられないんじゃないかしら?」 「・・・・・・ほえ?」 奇妙な声を出して、首を傾げるコムイに、ジェリーはクスクスと笑声を上げた。 「相手は、惚れ薬なんか使われたことを知らなくても、使った本人は知ってるわけでしょう? 今、この人がアタシのことを好きなのは、惚れ薬を使ったからなんだって、自分の心にはずーっと引っかかっちゃうのよ」 「つまり・・・騙しちゃった罪悪感が残るってこと・・・?」 「そぉね」 不安げに眉根を寄せるコムイを、不思議に思いつつ、ジェリーは頷く。 「使っちゃった方は、相手にいつそれがバレるか、バレたら絶対許してくれないだろうって怯えた挙句、相手は本当は自分のことなんか愛してないって、常に不信が付きまとうのよ。 そんな関係、アタシはイヤだわね」 「・・・・・・・・・」 ジェリーの言葉に、コムイはしょげきった犬のように情けない顔になってしまった。 「アラ・・・アラアラ、どーしたの、アンタ!」 驚いた彼女に、コムイは無言で首を振る。 「もう・・・あんなもの造らないヨ・・・・・・!」 悄然と肩を落として、踵を返したコムイをカウンター越しに見送ったジェリーは、また首を傾げた。 「・・・・・・どうしちゃったのかしらね、コムイったら・・・・・・」 早々に『惚れ薬』使用を諦めたコムイに反し、アレンは使う気満々で、リナリーの姿を探していた。 が、既に部屋で朝食を済ましたリナリーが、食堂で見つかるはずもなく、代わりに見つかってしまったラビに、執拗に懐かれてしまった。 「なぁなぁ、アイツら一体、なにやってんさ?」 朝っぱらから暑苦しい食堂の雰囲気に、察しのいいラビが気づかないはずがなく・・・しかし、取り込み中の科学者達はラビを邪険に追い払って理由を言わないために、アレンが生贄のごとくたかられる。 が、いくら質問攻めにされても、アレンは『惚れ薬使用中です』なんて、口が裂けてもいえない・・・いや、言いたくなかった。 「知りませんよ。 皆さん、ここ1週間ばかり不眠不休で極限状態だったから、きっと春でも求めずにはいられなかったんでしょ」 「お前の師匠じゃあるまいし!」 ズバリ言われて、アレンの頬が引きつる。 「絶対なんかあるはずさー!教えるさぁぁぁぁぁ!!」 「・・・知りませんよ、ホントに!大体、なんで僕が知ってると思うんですか!」 タコのように、べったりと抱きついてくるラビを必死に引き剥がしながら言うと、彼はにっこりと笑って食堂で異様な雰囲気を作り出している連中を指差した。 「男連中はみーんな、科学班だな」 ぎく、と、アレンが震える。 「そして、困惑顔のお嬢さん達は、実はそれぞれが密かに思いを寄せていたレディ達さ!」 「・・・なんでそんなことを知ってるんですか」 アレンが忌々しげに舌打ちすると、ラビは楽しげに笑みを深めた。 「そりゃお前、この程度の情報収集は基本さ!」 「基本・・・かなぁ・・・・・・?」 疑わしげなアレンに、ラビは力強く頷く。 「そんでぇ、ここからが本題・・・・・・」 にんまりと唇を歪めて、ラビはアレンの耳元に囁いた。 「昨日、科学班のお手伝いをしていたアレン君? コムイが、『惚れ薬』でも作ってる所、見たんじゃないさ?」 「・・・・・・・・・・・・っ!!」 「あれぇ?あったりー?」 硬直して一言もないアレンの肩にもたれ、ラビがニヤニヤと笑う。 「それ、おまえももらったんじゃね? コムイが直接お前に分けてくれるわけがねーから、リーバー経由ででももらったんさ?」 「ももももももももらってませぇんっ!!」 必死で声を張り上げたが、動揺した態度と裏返った声では、肯定したも同じだ。 「あ、やっぱり持ってんさ♪ アレンくーん 「もももも持ってないって言ってるじゃないですかァ!!」 べったりとくっついたラビを引き剥がして、席を立とうとしたアレンは、無理矢理引き戻される。 「アレン君、冷たいさー。 初めて会った頃は、もっと素直で可愛かったさー。『ラビお兄たん、だいしゅきー 「いつ!どこでそんなこと言いましたか! あんたブックマンのクセに、記憶捏造してんじゃないですよ!!」 「ふっふっふ・・・! アレン君、歴史というものは、常に権力者の都合のいいように改ざんされてだね・・・」 「ヘタレウサギのクセに、権力者を気取るな!!」 執拗に絡み付いてくるラビに暴言爆弾を投下した上、無理矢理引き剥がして、アレンはようやくトラバサミのようにしつこかったラビから逃げ出した。 しかし、 「なんであの人、独力であそこまでわかっちゃうワケ?!」 回廊をひた走りながら、アレンは忌々しげに吐き捨てる。 「邪魔される前に、リナリーを探さなきゃ!」 あそこまで情報を掴んでいる以上、ラビが惚れ薬を手に入れるのは時間の問題だ。 アレンは、事態をややこしくしないためにも、必死で城中を駆け巡った。 「惚れ薬・・・ですか・・・」 カウンター越しにジェリーの話を聞いていたミランダは、その言葉に目を丸くした。 「そうなのよぉ! 最初は、たのしそーに話してたんだけど、なんだかいきなりしょげちゃったのよねぇ、コムイったら」 「でも・・・いくらコムイさんでも、そんな荒唐無稽なもの・・・・・・」 クスクスと笑声を上げるミランダに、ジェリーも笑って頷く。 「そうよねぇ! だけどサ、今日は朝から、科学班の子達が妙にそわそわしちゃって、スキな女の子たちと向かい合ってるじゃない? アタシ、さっきから女の子たちに、『なんか変なもの食べさせたんじゃないですか?!』って聞かれちゃってぇ」 「変なもの・・・食べさせたんですか?」 首を傾げるミランダに、ジェリーは柳眉を逆立てた。 「そんなワケないじゃない! アタシはここの料理長よ?! 人の口に入るものに、妙なものを混ぜるわけないでしょ!」 「ゴゴゴゴゴゴメンナサイッ!!」 ジェリーの剣幕に怯えたミランダが、慌てて謝る。 「じゃ・・・じゃあ、どうしたんでしょうね、皆さん・・・」 「知らないわよぉ! でも、なーんかありそうなのよねぇ・・・。 アンタ、もし暇だったら、リーバーにでも聞いてくれないかしら?」 「・・・っリーバーさんにですか?!」 その名前が出た途端、真っ赤になった彼女に、ジェリーは笑って頷いた。 「あの子なら、正確なことを知ってるでしょうからねぇ」 よろしく、と依頼されて、ミランダは仕方なしに頷く。 ―――― でも・・・・・・。 朝食のトレイを持って、テーブルに向かいながら、ミランダはまだ赤い顔を俯けて考えた。 ―――― なんて言って聞けばいいの・・・? 『惚れ薬作ったんですか?』なんて、直裁に聞いて、間違っていたら恥ずかしいし、もしそれが本当でも、『欲しいんですか?』なんて聞き返されたら、もっと恥ずかしい・・・。 「・・・・・・って!さっき、自分で荒唐無稽だって言ったんじゃないの・・・!」 真っ赤になって激しく首を振った瞬間、ミランダは椅子に脚を引っかけてよろめいた。 「危ないさ!」 とっさに、ラビがミランダと彼女が持っていたトレイを支えて、惨事を未然に防ぐ。 「あ・・・ありがとう、ラビ君・・・」 ほっと、吐息したミランダに、ラビは笑って首を振った。 「んにゃ。無事で何よりさ。 それより・・・・・・」 トレイをテーブルに置き、引いた椅子にミランダを座らせると、ラビはにっこり笑う。 「さっき、姐さんに頼まれてたこと、俺が聞いてきてやろうか?」 「え?!いいの?!」 救いの神とばかり、ラビにすがりつくと、彼は深く頷いた。 「ミランダ、困ってるんさ? アレンほどじゃないけど、俺もレディの窮地を見過ごしちゃいられない性格なんさ♪」 いけしゃあしゃあと言ってのけたラビを完全に信用して、ミランダはほっとしたように笑みほころぶ。 「本当にありがとう・・・!お願い・・・しますね・・・!」 信頼しきった様子のミランダに、心が痛まないわけではなかったが、ラビは、せっかく得た口実を有効利用すべく、早速科学班へと向かった。 「おはよーさん♪みんな、生きてるさ?」 不吉な言葉を平然と吐いて、ラビは科学班に入り込むと、奥のデスクで悄然としているコムイの元へ、素早く駆け寄った。 「なぁなぁ、コムイー?あんた、惚れ薬作ったって、ホント?」 ラビの声に、ピクリと、コムイの眉が上がる。 「・・・・・・誰から聞いたの?」 元気のない声を、意外に思いながらも、ラビはにこりと笑って背後を指した。 「食堂じゃぁ、もうその話題で持ちきりさ かまをかけると、コムイは深々と吐息して、胸ポケットから小さな薬瓶を取り出す。 「惚れ薬なんかじゃないよ。ただ単に、脈拍をあげるだけの薬さ」 透明な液体の入った瓶を受けとると、コルクを開け、ラビは興味深げに匂いをかいだ。 「全然匂いがないさ。味は?」 「無味無臭だよ。バレないように盛るんだ、当然でしょ」 「コムイ・・・今、さらっと怖いこと言った!」 「そう?」 どうでもいいよ、と呟いて、デスクに突っ伏した彼を、ラビは訝しげに見下ろす。 「なぁ?なんでそんなに落ち込んでんさ?なんかやらかしたんか?」 問いかけると、コムイは食堂でジェリーに言われたことを、一言一句精確に話した。 「あー・・・そりゃ、テンション下がるさー・・・」 コムイのデスクに頬杖をついたラビが、乾いた声を上げる。 「ボクはサー・・・リナリーに『お兄ちゃん大しゅきー 「・・・ってお前、リナリーに使ったんか」 「効かなかったけどね」 「をぉい!!妹だろうさ!」 そこまで変態だったか、と呆れ果てるラビを、コムイは涙目で見上げた。 「そゆわけで・・・もう増産する気も分けてあげる気もないけど、何の用?」 「・・・心配すんな。 今の聞いたら、増産させる気も分けてもらう気もなくなったさ・・・」 ラビは深々とため息をついて、手にした薬瓶をデスクに置くと、立ち上がる。 「アレ、キミらしくないね。 ごねてでも入手するかと思ってたけど」 意外そうなコムイを見下ろして、ラビは不機嫌そうに鼻を鳴らした。 「見くびらないで欲しーさ。そこまでして、惚れ薬なんか欲しくねーよー」 「ふぅん・・・じゃあ、食堂で使ってる子達にも言ってきてよー。 ボクだけテンション下がるの、なんかくやしーもん」 コムイのワガママな依頼に、ラビは頷いて踵を返す。 「アイサー。 気が向いたら言っとくさ」 背後に向かって手を振りながら、ラビは気のりしない様子で科学班を出て行った。 兄が科学班に持ち込んだままだった、大量の本と資料を、資料室まで戻しに行ったリナリーは、書棚に挟まれたまま、何時間も一人でそこにこもっていた。 全ての本と資料を、書棚に並べ終えた時には、もう、太陽は天頂の辺りを移動している。 「ようやく終わった・・・!」 伸びをして大きく息をついたリナリーは、埃っぽい部屋を出たところで数人の女性団員に呼び止められた。 「ねぇ・・・今日、科学班でなにかあったの?」 「朝食に誘われたのはいいんだけど、なんだかみんな、すっごい目で睨んでて・・・」 「すっごく怖かったわ!まだドキドキしてる!」 一様に蒼ざめて、リナリーに尋ねるが、彼女も、何のことやらさっぱりわからない。 「ごめんね・・・昨日私、出かけててほとんど科学班にはいなかったから、見当がつかないわ」 そう応えると、皆、不安げな顔を見合わせた。 「科学班が激務で、みんな疲れきってるのは知ってるけど・・・」 「そうよ、今朝の彼、絶対変だった!」 「あの人達、危ない任務にでも就いてるんじゃないの?!」 「そ・・・それはないと思うよ・・・?エクソシストじゃあるまいし・・・・・・」 すぐさま否定されて、彼女達も考え込む。 「じゃあ・・・なんだったのかしら・・・?」 その後、いくつか意見も出たが、全てリナリーに否定されて、一向に疑問は解けなかった。 「・・・本人達に直接、聞いてみようか?」 とうとう、リナリーが申し出ると、皆、一斉に頷く。 「そうして頂戴!」 「これじゃあたし、気になってお掃除に集中できないもん!」 「あたしも・・・! 気になっちゃって、朝からドクターに怒られっぱなしよ!」 「あたしなんか、殺虫剤の配合間違えて、庭にいたクロウリーさんを殺すところだった・・・・・・」 気まずげに目を逸らした庭師の言葉に、皆、静まり返った。 「・・・気をつけなさいよ。 あの人、アクマの毒は平気でも、普通の毒で死ぬわよ」 ややして、ナースが呟いた言葉にリナリーが吹き出し、回廊に女性達の軽やかな笑声が響く。 「わかった・・・! 皆に理由を聞いて、あなたたちに報せるわ。 いつだったら都合いい?」 「じゃあ・・・今日の夕食の時に」 「あん・・・あたし、夜勤だわ! ねぇ、何時に集まるの?その時間にちょっとだけ抜け出せるよう、ドクターにお願いするから!」 「夕食だったら、9時でしょ」 「じゃあ、その頃には正確な報告ができるようにしておくわ」 「わかった。よろしくね、リナリー」 「うん、任せて」 彼女らと手を振って別れ、科学班に向かう途中で、リナリーは息せき切ったアレンと鉢合わせた。 「アレン君? どうしたの、そんなに慌てて」 「リ・・・リナリー・・・ずっと探して・・・・・・!」 「何かあったの?!」 驚いて尋ねたリナリーに、しかし、アレンはふるりと首を振って、微笑む。 「お昼まだでしょ?僕と食堂行きましょ 「は・・・・・・?」 ある意味、とても意外な言葉に、リナリーは大きな目を丸くした。 ・・・テーブルの向かい側で、ニコニと機嫌よく笑うアレンに、リナリーは先程の、女性団員達の話を思い出していた。 もちろん、彼がリナリーに対してにこやかなのはいつものことだし、昼食のトレイを運んでくれたり椅子を引いてくれたり、レディ扱いしてくれるのも彼のいつもの行動だ。 が、なんだか今日は、違う気がする、と、リナリーの女の勘が告げていた。 「ねぇ・・・アレン君。 あんなに探し回ってまで、なんで私とランチしたかったの? なにか相談事でもある?」 ティーカップを両手で持って、首を傾げると、なぜか、アレンの目がカップに集中している。 「アレン君?」 ティーカップをソーサーに置いて、アレンに再び問いかけると、彼は慌てふためいた。 「な・・・なんですか?!」 「なんですか、じゃないよ! どうしたの?なにか私に、用があったんじゃないの?」 「い・・・いえ、ですから、一緒にランチするのが用・・・」 言いつつも、またその視線がティーカップに移る様に、リナリーは眉をひそめて視線を落とす。 「なぁに? ティーカップがどうかしたの?」 「いえ!なんでも!!」 「なんでもない態度じゃないでしょ!」 女性団員達が持った疑問と苛立ちを共有して、リナリーは声を荒げた。 なぜか、食堂に入ってから、妙に苛々する。 いや、苛立ちというより、落ち着かない気分がするのは、朝からだ。 自分の心臓の音が間近に聞こえる気がして、ずっと落ち着かなかったから、朝から一人で、資料室にこもっていた。 それが、コムイが彼女に飲ませた『薬』の効果だとは知らないまま、リナリーは苛々と、ティーカップの紅茶を飲み干す。 「もう! 科学班の皆だけじゃなくて、アレン君も変だなんて!どうしちゃったの?!」 カップをソーサーに叩き付けたリナリーの、声のトーンが段々上がっていく様に、誰よりも、彼女自身が驚いていた。 周りの視線が集まっている気がして、顔を赤らめながら、間を持たせるようにティーポットから紅茶を注ぎ、口元に運ぶ。 「リナリー・・・あの、大丈夫ですか?」 「・・・なにが?」 気遣わしげなアレンを、ティーカップ越しに見遣ると、不機嫌そうな声が出た。 「そんなに飲んじゃって・・・」 「紅茶を飲んだら、なにか悪いの?」 自分でも驚くほど、低い声音に、リナリーは眉間に皺を寄せる。 「えーっと・・・悪くはないです・・・・・・」 多分・・・と、アレンは口の中で呟いた。 コムイが、リナリーに飲ませる目的で作った物なのだから、人体に影響がある物では、絶対にないはずだ。 だが・・・・・・。 リナリーの眉間に刻まれた、深い皺から、アレンは気まずげに視線を逸らした。 ―――― 惚れ薬じゃなかったんですか、コムイさぁん・・・・・・! 明らかに機嫌の悪い彼女の様子に、もう、アレンは声を掛けることもできず、もそもそと昼食を口に運ぶ。 おいしいはずなのに、砂を噛んでいるような無味乾燥な昼食を味わっていると、シンとした食卓をいぶかしんだか、興味深げにラビが寄ってきた。 「・・・どしたんさ、お前ら?珍しく険悪じゃん」 「げ、ラビ!」 「なにが『げ』さ、この道化 スパンッ!と、軽快な音を立ててアレンの頭をはたくが、リナリーはなんの反応もない。 「え・・・? マジ、どしたんさ?ケンカ?」 目尻に涙を浮かべて、必死に首を振るアレンの耳元にラビが囁いた。 「お前、コムイの惚れ薬使ったんじゃないさ?なんでこんな事になってんの?」 「知りませんよぅ!なんでか、リナリーが急に怒り出しちゃって・・・!」 「なに?お前、怒らせるようなことしたんさ?」 「するわけないでしょ!」 小声で、コソコソと囁きあうアレンとラビの様子に、リナリーの眉が、ピクリと上がる。 「・・・なにを二人で、コソコソ話しているの?」 明らかに怒りを含んだ声に、ラビも鼻白んだ。 「いや、別に・・・。 俺らより、どしたんさ、リナリー?なんでそんなに怒ってんさ?」 「怒ってないわよ・・・」 「怒ってるさ! なんで今日は、そんなに機嫌悪いんさ?どっか具合でも悪ぃのか?」 「そ・・・そうか!リナリー、体調悪かったんですね?」 ラビの台詞に、ちゃっかり便乗したアレンを、リナリーの尖った目が睨みつける。 「別に」 地を這うような低い声音に、怯えたラビが、同じく怯えたアレンの肩を掴んで引き寄せた。 「おまっ・・・明らかに逆効果じゃん!どーしたらここまで機嫌悪くなんの?!」 「だから、知らないって言ってるじゃないですかぁ!!」 再び、コソコソと話し出した二人に、リナリーは掌をテーブルに叩きつけて椅子を蹴る。 「いい加減にしてよ、あなた達! いつもいつもいつも、私を仲間はずれにして、二人で仲良くして!!」 「仲いい?!誰と?!」 図らずも、きれいに揃った声に、リナリーの目が吊りあがった。 「なによ!いっつも二人でつるんで! どうして私を仲間に入れてくれないの?! 大っ嫌い!!もう二人とも、大っ嫌いだから!!」 突然の絶叫に、目を丸くして固まっている二人を憤然と見下ろし、くるりと踵を返したリナリーの身体が、不意に傾ぐ。 「リナリー?!」 「リナ!!」 すかさずテーブルを飛び越えて、アレンとラビが身体を支えたため、床に倒れることはなかったものの、アレンの腕の中で、リナリーは完全に意識を失っていた。 「リナリー?!どうしたんですか!しっかりして!!」 「アレン!早く医務室に運ぶさ! みんな、道あけてくれー!!」 突然の騒動に、ジェリーも驚いて厨房から出てくる。 「どうしたの?! んまっ!リナリー!!」 悲鳴じみた声を上げて、リナリーを抱えたアレンを通したジェリーは、続けて食堂を出ようとしたラビの腕を引いて引き止めた。 「ちょっとお待ちなさい、アンタ。事情を知ってるわね?」 厳しい顔で詰め寄られたラビが、怯えた顔で首を振る。 が、 「アンタ・・・このお城で、料理長敵に回して、生きていけると思ってるの?」 更に怖い顔で凄まれて、未熟なブックマン見習いであるラビは、知る限りの情報を彼女に提供した。 目が醒めると、見慣れた白い天井が眼前にあった。 消毒薬のにおいに眉をしかめ、身じろぎすると、ベッドを囲っていた白いカーテンが開く。 「リナリー・・・大丈夫ですか?」 遠慮がちな声に目を上げると、アレンが、気遣わしげな顔で佇んでいた。 「うん・・・私、どうしたのかな・・・?」 なんで医務室で寝ているんだろう、と問うと、アレンは気まずげに視線を逸らす。 「ドクターが言うには・・・不整脈が酷くて、軽い心不全を起こしたそうです・・・」 「心不全?!私が?!」 驚いて半身を起こすと、軽いめまいがした。 「大丈夫ですか?!」 またベッドに倒れこんだリナリーに、慌てふためいたアレンがドクターを呼ぼうとするのを押しとどめて、リナリーはくらくらする目を閉じる。 「こんなの、初めて・・・私、心臓には自信があったんだけど・・・・・・」 そうでなければ、時に音速を超えるダークブーツを、自由に操れるはずもなかった。 「つ・・・疲れてたんですよ、きっと・・・!」 リナリーを見る事ができないまま、適当なことを口にするアレンに、彼女は目を閉じたまま呟く。 「・・・私・・・ダークブーツにはふさわしくないかもしれない・・・・・・」 「え・・・!」 「不整脈に心不全だなんて・・・こんなことじゃもう、あのイノセンスは操れないよ・・・・・・」 「リ・・・リナリー! ちっ・・・違うんです!本当は、リナリーのせいじゃなくて、実は・・・・・・!」 アレンが、全ての真相を打ち明けようとした時だった。 屋外に、凄まじい絶叫が響き渡り、驚いて見遣った窓の外に、なにか白いものが落ちてくる。 「転落・・・っ?!」 アレンの優れた動体視力が、人体の落ち行くさまを見止めたが、地面に叩きつけられると思ったそれは、ちょうど彼が見つめる窓の外で、振り子のように揺れだした。 「なに・・・・・・?」 恐る恐る、窓辺に寄ったアレンが、窓を開けてみると、縄でみの虫のようにぐるぐる巻きにされたコムイが、屋上付近から吊るされて揺れている。 「コムイさん?!どうしたんですか?!」 問うが、恐怖に泣き叫ぶ科学班室長に、現況を説明する余裕はなかった。 代わりに、屋上辺りから、朗々と声が響き渡る。 「料理に薬を盛るなんて、言語道断よっ! また、同じことをやって御覧なさい!今度こそ、奈落の底に叩き落してやるわっ!!」 ジェリーの恐ろしい怒声に、真っ青になって窓辺にしゃがみこんだアレンの肩を、誰かが叩いた。 「ひぃっ!!」 恐怖に飛び上がったアレンを、医務室のドクターは、ただ、厳しい目で睨みつける。 「リナリー」 目は、アレンを睨んだまま、彼はベッドの上のリナリーに声を掛けた。 「君のいたずら好きな兄上が、君の朝食に脈拍を上げる薬を混ぜたと白状したよ」 アレンの両肩に厚みのある手を乗せ、のしかかるように威圧的な睨みを利かせながら、ドクターは言い募る。 「今後一切、そのようなことはないように、誓わせたからね。 君が、自信喪失することなどなにもない。 だから今回だけは、許してやってくれないか」 リナリーに言うと同時に、アレンに言い聞かせるドクターに、アレンは何度も何度も、必死に頷いた。 と、ベッドの方から、深いため息が聞こえる。 「わかったわ、ドクター。 兄さんも・・・しっかりお仕置きされてるみたいだし」 未だ、屋外に響き渡る悲鳴に、再びリナリーのため息が漏れた。 ―――― その後、コムイ製造の『惚れ薬』を使用した者は漏れなく、3ヶ月間の減俸と食堂の清掃を命じられたという・・・。 Fin. |
| リクエストNo.11『コムイ製薬惚れ薬(アレリナ)』でした♪ 惚れ薬ねー。あったらいいねー(笑)←こんなSSを書いた奴の台詞じゃないし; 冒頭で言っているのは、いわゆる吊り橋理論&生理・認知説です。 これは、20世紀後半に出た理論ですので、19世紀に知られているわけがありません。(管理人、一応心理学科出てます・・・;) でも、本部科学班は、当時の最先端の科学者を集めている上に、コミックス1巻曰く、錬金術師も兼ねた『魔法使い』だそうですから(笑)、惚れ薬くらいは作ったかもしれない(笑) とはいえ、適当に出任せを書いていますから、その辺り、あんまり深く突っ込まないで下さいね(笑)>ダメダメじゃん; ちなみに、私はD.グレの年号を1898年前後と推理していますが、それが正しければ、シャーロック・ホームズシリーズは、この年連載されてません(笑)>1893年の『最後の事件』で一旦連載を終了して、再開するのは1903年ですわ(笑) |