† PiecesV †
〜3.Requiem aeternam〜
ロンドンの、買い物客で賑わう通りの一角で、アレンはショーウィンドー越しに外を見遣った。 冬の日はいつの間にか翳って、弱々しい光が街に薄い影を落とすが、クリスマスを迎える準備に忙しい買い物客達は、そんな暗さなど気にも留めず、華やかに笑いさざめいている。 ―――― あ、おっきなオーナメント・・・。 子供の手を引いた恰幅のいい紳士が、クリスマスツリー用の大きな星を抱えているのを見つけて、アレンは窓の外を過ぎる彼を目で追った。 ―――― あれが似合うくらいのツリーって、どれだけ大きいのかな。 微笑んで、想像を巡らせている彼に、背後から声がかかる。 「アレン君、退屈じゃない?」 笑みを含んだ声に振り向き、アレンは首を振った。 「いえ、そんなことないですよ、リナリー。 いつも忙しくて、中々ここにまで来れませんから、仮縫いまで終わらせてください」 そう言ってアレンが微笑むと、リナリーは苦笑して首を振る。 「無理しなくていいよ。 仮縫いまでやっちゃうとなると、かなり時間がかかるから、外に出てていいよ?」 それに、と、リナリーは別室に続くドアを示した。 「これから私、仮縫い室に行っちゃうから、おしゃべりもできないわ。 ツリーのオーナメントでも、見てきたら?」 クスクスと笑うリナリーに、アレンは照れたように笑う。 「そうですね・・・じゃあ、ちょっと出てきます」 「うん。 一応、教団の御者には行き先を言っておいてね」 「はい。 迷ったら、ラビに連絡しますよ」 アレンは、自分の周りを飛び回る、黒いゴーレムを差して笑った。 「そうね。だけど、できるだけ迷わないでね?」 苦笑するリナリーに笑って頷き、アレンは店を出る。 「どこに行こうかな・・・」 ぼんやりと周りを眺めると、ツリー用のオーナメントだけでなく、キリストの生誕を再現した人形や天使の絵など、色とりどりの品が店の外にまで溢れ出ていた。 「かえって迷うよね・・・」 ゆったりと歩を踏み出して、アレンは店から少し離れた場所で待っている、教団の馬車に向かう。 その、途中。 ふわりと、彼を優しく包み込んだ芳香に振り向けば、冬に咲いたバラが、冷たい風に白い花弁を揺らしていた。 「あ・・・」 クリスマスカラーの溢れる街で、それは異質なほど清らかに見える。 アレンが、その香気に引き寄せられるようにバラの前に立つと、愛想のいい女店主が寄って来た。 「今年最後のバラですよ。パーティにいかが?」 「えぇ・・・とてもきれいですね。 これ、全部もらえますか?」 アレンが微笑むと、店主は大きく頷く。 「えぇえぇ、喜んで!花束にしますか?」 「はい。リボンをかけて下さい」 「まぁ!プレゼントですか? あなたみたいな素敵な紳士に、花束をもらえるレディは幸せでしょうね!」 華やいだ声を上げる店主に、クスリと笑って、アレンは首を振った。 「いえ・・・父に」 わずか伏せた目に、事情を察したらしい店主は、手早く作った花束を差し出して微笑んだ。 「幸せなお父様ですよ。あなたのような息子を持って、ね」 誠意のこもった声に、アレンは礼を言い、花束の中から1本、バラを抜き取った。 「少し早いけど、メリークリスマス」 「あらま!」 差し出されたバラの花に、店主は頬を染め、嬉しげに受け取る。 「あなたもね、ミスター!」 アレンにもらったバラを、大事そうに胸に挿し、手を振る店主に手を振り返し、アレンは日の翳っていく、賑やかな街を後にした。 教団の御者には行き先だけ告げて、アレンは辻馬車を拾った。 馬車は、賑やかな街を過ぎ去り、古ぼけた小さな教会の前で止まる。 ささやかな門の前で、アレンはしばらく佇んだ。 ―――― もう、4年になるのか・・・。 教会裏手の墓地に入り、目当ての墓石に向かう。 4年前、恐ろしく、残酷な夜を越えて以来、近づくことも出来なかった場所だが、今、ようやく訪れる勇気が出た。 「マナ・・・・・・」 飾り気のない、石の十字架の上に積もった枯葉を払い落とし、アレンはそこに刻まれた名を愛しげに見つめる。 「ずっと来なくて・・・ごめんね・・・」 アレンは墓の前に跪くと、今は亡き父と自分の間に、白いバラの花束を置いた。 「父さん・・・」 彼が生きている間は、ずっと、言えなかった言葉。 この言葉を最初に口にしたのは、亡くなって後、アクマになった彼を壊す瞬間だった。 「ごめん・・・」 うな垂れて呟くと、膝の前に置いたバラが、冷たい風に揺れてふわりと香る。 慕っていないわけではなかった。 だが、本当の父ではないという想いは強く、また、顔も覚えていない実の両親への思慕もあって、その言葉を口にすることができなかったのだ。 彼は、あんなにもアレンを愛してくれていたのに・・・。 「ごめんなさい・・・・・・」 頬を伝った涙は、冬の冷気にたちまち冷えて、膝の上に伏せた手に、冷たい雫となって落ちた。 凍えて握り締め、胸に引き寄せた手は、今は亡い人の知るものとは少し違う。 だが、あの冬の日。 アレンの凍えた手を握り締めてくれたのは、彼の温かく大きな手だった・・・。 今からもう、10年以上も前のこと・・・。 人混みの中ではぐれた手を、幼いアレンは困惑げに探していた。 不安でたまらなくて、だが、声を上げて泣くことも出来ず、アレンはただぽろぽろと涙を零しながら、首が痛くなるほどに彼の傍らを過ぎていく大人達の顔を見上げる。 ―――― きっと、探しにきてくれる・・・。 そう思い続けて、たくさんの大人達の中に両親の姿を探すが、どうしても、慕わしい人達の姿を見つけることは出来なかった。 ―――― きっと今頃、僕がいないことに気づいて、探している・・・。 「おとうさん・・・おかあさん・・・・・・!」 とうとう声を上げたアレンに、何人かが優しく声を掛けてくれた。 「どうしたの?」 「迷子?」 「はぐれちゃったの?」 差し伸べられた手は、しかし、アレンが左手を伸ばすと、驚きと共に去っていった。 「気味が悪い・・・!」 自身に投げかけられた言葉の意味が分からず、呆然とする彼の周りから、徐々に人が消えていく。 やがて、アレンが一人きりになった頃には、冬の日はとっぷりと暮れていた。 ガス燈の明かりに、ちらちらと降る雪の影が映る。 いつまでも降り止まない影を見つめて、アレンは凍えて紅くなった指先に息を吐きかけた。 膝を抱え、うつむくアレンの上に、大きな影が差す。 ふと見上げれば、背の高い男が、アレンを見下ろしていた。 「子供がいつまでも、外にいるもんじゃない。早く帰りなさい」 温かみのある声に、しかし、アレンは首を振る。 「どうした?迷子かい?」 しゃがみこんで、アレンと視線を合わせてくれた彼に、アレンは頷いた。 「いなくなった・・・」 困惑げに、両親と繋いでいた手を見下ろすアレンに、彼は穏やかに頷いて手を伸ばす。 「おいで。 いつまでもそんなところにいると、風邪を引いてしまうよ」 「でも・・・」 ここを動けば、親に見つけてもらえないのではないかと、うな垂れるアレンの頭に、大きくて温かい手が乗せられた。 「大丈夫。ちゃんと、探してあげるよ」 差し伸べられた手を取ろうとして・・・アレンは、びくりと手を引き寄せる。 「? どうした?」 首を傾げた彼に黙ったまま、アレンは左手を背に隠した。 親とはぐれたアレンに、何人もの大人達が声を掛け、手を差し伸べてくれたが、彼の左手を見るや、皆、酷い言葉を残して離れて行ったのだ。 彼もまた、この手を拒むかもしれないと、アレンは悲しげに目を伏せ、いつまでも彼の手を取ろうとしなかった。 と、彼はアレンに微笑み、立ち上がってその小さな背を押す。 「手を繋ぐのが嫌なら、無理は言わないから、はぐれないようついておいで」 優しい声に、アレンは自分よりずっと高い場所にある彼の顔を見上げた。 ―――― このひとは・・・違うかもしれない・・・。 おずおずと手を差し伸べると、大きな手が受け止めてくれる。 「こんなに冷たくなって・・・」 きゅ、と、握り締めてくれた手の温かさに、不安で不安でたまらなかったアレンはようやく安堵し、また、涙を零した。 「お前、名前は?」 しゃくりあげるアレンを、彼は温かい目で見下ろす。 「アレン・・・」 涙声で答えると、彼は優しく笑った。 「いい名だ。性格の明るいハンサムになるようにと、願ってつける名だよ。 私はマナ。この意味は知っているかい?」 問われて、アレンは彼を見上げたまま、こくりと頷く。 親に手を引かれて行った教会で、神父が話してくれた。 マナとは、飢えた民に神が与えた食物だと。 「なにも心配はいらないよ」 穏やかな声に、アレンはようやく泣き止んだ・・・。 のちに聞いたところによると、その頃マナは、アレンの親を探すのに、手を尽くしてくれたそうだ。 しかし、いつまでたってもアレンの親は見つからず、アレンはそのまま、マナの元で暮らすこととなった。 旅芸人の一座を率いていたマナの元には、アレンと同じような境遇の子供や、そんな経験を経た大人達もいたが、アレンは彼らにも、なかなか打ち解けることが出来なかった。 いつもマナの後ろに隠れている、口をきかない子。 それがアレンに対する、彼らの印象だった。 「・・・懐かないねぇ、あの子はいつまでも」 「・・・俺の必殺のジョークを、無表情で返されたショックと来たら・・・」 練習用のテントの中にいた二人のピエロは、そう言うと、大玉に寄りかかってうな垂れる。 「そりゃあ、アンタらの芸がつまらなかったんだろうさ」 テントの片隅で、カードを繰る占い師の老婆の声に、ピエロ達は益々うな垂れた。 「あの子に笑ってもらえるように、努力するんだね」 笑いながら老婆が言えば、ピエロ達はげっそりとした顔をあげる。 「・・・ばあちゃんは懐かれてるからいいだろうけどさぁ」 深々と吐息し、彼らは老婆がカードを並べる、小さなテーブルに縋った。 「どうやって懐かせたんだい?」 「そもそもあの子、笑うのかな?」 「笑えないんだったらウケなかったのも仕方ないねぇ!!」 次々とまくし立てるピエロ達に、しかし、老婆は笑って首を振る。 「あの子はちゃんと笑えるともさ。 そりゃあ可愛いもんだよ」 孫の自慢でもするかのように、老婆が笑みほころぶと、ピエロ達はそれは悲しそうにうな垂れた。 「もっと努力おしよ、あんたたち!」 陽気に笑って、落ち込んだピエロ達に発破をかけると、老婆はテーブルのカードに目を落とす。 「・・・あの子は大丈夫。 本当は強い子だよ。きっと、乗り越える・・・・・・」 暗くなりそうな気分を無理やり切り替えて、彼女は思わしくない未来を描き出したカードを乱暴にかき集めた。 「ばあちゃん、なんか、ヤな結果でも出たのかい?」 老婆の様子に、不思議そうに首を傾げるピエロ達へ、彼女はわざと深い息をつく。 「あんたらが、いつまでも売れないって未来が見えちまったよ・・・」 「うそー!!」 絶叫するピエロ達に、笑って『嘘だよ』と首を振ると、老婆はテーブルの淵につかまりながら、ゆっくりと立ち上がった。 「あぁ・・・具合が悪いと、やなもん見ちまうよ。 あたしゃ、馬車で休んでるから。なにか面白いことがあったら知らせとくれ」 達者な口とは逆に弱った足で、老婆はテントからよろよろと出て行く。 と、ちょうど出口で、アレンを連れたマナと鉢合わせた。 「おや、アレン! 今日も可愛いねぇ!ピエロたちと遊ぶのかい?」 やせた手を伸ばし、アレンのふっくらとした頬を撫でてやると、アレンはくすぐったそうに首をすくめた。 「飽きるまで遊んだら、おばあちゃんのとこにおいでね」 ひらひらと手を振り、よろよろと出て行ってしまった老婆の背を、アレンは名残惜しそうに見送る。 と、無視されたピエロ達が、存在を主張するかのようにアレンを取り囲んだ。 「・・・っ!!」 突然視界に飛び込んできた彼らに怯えて、マナの背に隠れてしまったアレンを、ピエロ達は追いかけて派手な化粧をした顔を寄せる。 「ほら、出ておいで、アレン」 マナの周りをくるくると逃げ回るアレンに、彼が苦笑して手を伸ばすが、アレンはそれすらもかいくぐって、ピエロ達に顔をさらそうとしない。 と、ピエロ達が陽気にはやし立てた。 「顔を見せておくれ、王子様♪」 「口の利けない魔法にかかったか♪」 「さもなきゃ俺らが怖いのか♪」 楽しい歌声に、アレンはますます怯えて、マナの上着の裾を掴んだまま、ぎゅっと目をつぶる。 そんなアレンに、ピエロ達は一瞬、困惑げな視線を交わしたが、すぐにそれを陽気な笑みに封じ込め、ひょい、とアレンを抱えあげた。 途端、 「わぁぁぁぁぁぁんっ!!」 アレンが火のついたように泣き出し、マナは慌ててピエロ達からアレンを取り戻す。 「こわい――――!!!!」 抱き上げてくれたマナの肩に、すがり付いて泣くアレンに、ピエロ達もまた、地に膝をついて涙した。 「こ・・・こわいって・・・!」 「確かに俺ら、化粧ケバいけど・・・!」 「失格?俺ら、ピエロ失格・・・?」 怯えて泣き喚く子供よりも更に打ちのめされて、さめざめと泣く彼らを、アレンは涙目で見下ろす。 「ほら・・・お前が泣くから、ピエロ達が泣いてしまったじゃないか」 「なんで?」 アレンがしゃくりあげながら問うと、マナは苦笑した。 「ピエロ達は、お前を笑わせようとして寄って来たのに、お前が『こわい』って泣くからさ」 「僕・・・?」 アレンが目を丸くして、改めて見下ろすと、ピエロ達も顔を上げる。 と、派手な化粧が涙で流れて、世にも恐ろしい顔になっていた・・・。 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」 「なっ・・・何で泣くんだよ?!」 「そんなにこわいってか?!」 アレンに号泣されたピエロ達は、お互いの顔を見てのけぞる。 「こっ・・・こっえぇぇぇぇぇ!!!」 絶叫した彼らを、アレンは驚いて見やり・・・互いの顔を指差して怯えるピエロ達に、思わず吹き出した。 「え・・・?」 「あれ?!」 アレンの笑顔に、ピエロ達は目を丸くして寄って来る。 「なんだ、お前!笑えんじゃん!」 「ばあちゃんの言った通りだな!お前、笑うと可愛いぞ!」 はやし立てられたアレンは、恥ずかしげにマナの肩に顔を埋めたものの、もう泣くことはなかった。 「アレン、もうこわくないかい?」 マナは抱き上げていたアレンを下ろし、その目線まで下りて問うと、アレンはしばらく黙然とたたずんでから、かすかに頷く。 「そうか。 じゃあ、私はちょっと用事があるから、しばらく彼らと遊んでおいで」 「え・・・?!」 立ち上がったマナを、不安に満ちた目で見つめ、その上着の裾をぎゅっと掴んだアレンの頭を、マナは優しく撫でてやった。 「大丈夫、すぐ戻るよ」 自分の上着を掴む、小さな手をそっと外し、彼はテントを出て行く。 残されたアレンは、おずおずと、化粧のはげたピエロ達を見やった。 すると彼らも、じっと、アレンを見つめている。 まるで、怯えた子猫に不用意に手を出して、爪を立てられることを恐れているかのようだった。 緊張に満ちた沈黙が、テント内に満ちた数分後。 戻ってきたマナは、獣と対峙しているかのような彼らの様子に、乾いた笑声を上げた。 「やれやれ、ちょっとは打ち解けたかと思ったんだがなぁ」 苦笑しつつ、マナはアレンに、色鮮やかな衣装を差し出す。 「せっかく、一緒に遊ぶのにいいだろうと、持ってきたのにな」 「これ、なに・・・?」 首を傾げるアレンに、マナは大きな笑みを浮かべた。 「ピエロの衣装だよ。 お前が着たら、さぞかし可愛いだろうな」 その言葉に、ようやくマナの意図に気づいたピエロ達が、首振り人形のように激しく頷く。 「そうさ、アレン!俺たちと遊ぼう!」 「玉乗り教えてやるよ、玉乗り!」 「ジャグリングも楽しいぞ?!」 「それが出来たら今度、手品教えてやるよ!」 「パントマイムの方がいいか?俺、うまいぞ?」 まくし立てるピエロ達に、アレンはおずおずと、しかし、はっきりと頷いた。 「よし!」 満足げに笑って、ピエロ達も頷く。 「マナ、じゃあ今から遊んでもいいかい?」 「な?アレン!俺らと遊ぼう♪」 ピエロ達に両手を引かれ、マナと引き離されたアレンは一瞬、彼に不安げな視線を送った。 が、 「アレン、私はすぐ近くの馬車にいるからね」 マナの言葉に、アレンは素直に頷く。 つい先程、マナが約束通り、すぐに戻ってきた事もあり、彼への信頼は、確実なものになっていた。 「アレン!早く早く!」 「まずは大玉乗りやってみるか!」 ピエロ達に抱え上げられても、アレンは先程のように怯えて泣くこともなく、小さな足を玉の上に乗せる。 と、ピエロ達に両脇を支えられたアレンの足元で、それはくるくると廻り出した。 「じゃあ頼んだよ、お前たち。 アレン、何かあったら呼ぶんだよ?いいね?」 そう言って離れて行ったマナを見送るアレンの目からは、不安の色が薄れている。 もう一度手を振ってテントを出たマナは、アレンの声が届く場所にある馬車の幌を覗いた。 「ばあさん、いるかね?」 呼びかけると、薄暗い幌の中から、老婆がにじり出てくる。 「うまく行ったかい?」 微笑む彼女に、マナも笑って頷いた。 「初めは大泣きされたけどね、何とか、一緒に居させることはできたよ」 そう言うと、老婆は笑声をあげる。 「いつまでもここになじめないんじゃ、あの子のためにならないもんねぇ。 なぁに、ピエロ達は、ああいう子供を笑わせるのが仕事だよ。 ピエロ達になじんでしまえば、そのうち、他の子達とも仲良くなれるだろ」 「あぁ、そう願っているよ・・・」 言いつつも、やや不安げなマナの二の腕を、老婆は笑いながら軽く叩いた。 「あんたがそんな弱気でどうするんだい! いつも、言っているだろう? 子供は、一人で歩けるようになるまでは愛情をいっぱいに注いでいい。 だけど、一人で歩けるようになったなら、手は放してやらなきゃなんないよ」 「そうなんだが・・・まだ早い気が・・・」 「遅いくらいさ。過保護もいい加減におし」 不安げなマナにきっぱりと言って、老婆はふと遠くを見やる。 「おや、泣いてるよ、あの子。早く行っておやりな」 老齢ながら、難聴とは程遠い老婆に、『どっちが過保護だか・・・』とぼやきながら、マナはテントに戻った。 「どうした?」 呼びかけると、ピエロ達が気まずげに彼を見やる。 「それがー・・・」 「大玉に乗せてやったらー・・・」 「意外と乗れたもんで、手を放しちゃってー・・・」 「・・・・・・顔から落ちた」 ごめん、と、揃って頭を下げるピエロ達の袖を、アレンがしゃくりあげながら引いた。 「もういっかい、やる・・・!」 「え?」 意外な言葉に、目を丸くした彼らに、アレンは甲高い涙声で訴える。 「もう一回、やるの!!」 途端、マナもピエロ達も破顔し、盛大にアレンの頭を撫でた。 「お前、意外と根性あるじゃん!」 「ただの泣き虫だと思ってたぜー!」 「よし、がんばれよ、アレン!!」 マナの応援に頷き、アレンは自分の身体より大きな玉に向かう。 この日を境に、アレンは徐々に・・・本当にわずかずつではあったが、一座に打ち解けるようになって行った。 アレンが小さなピエロとして、舞台に立たせてもらえるようになったのは、そののちの事である。 「おばあちゃん!おばあちゃん!!」 明るい声で呼びかけられて、老婆は枕からわずか、頭を上げた。 「手品教えてもらったよ!」 「・・・そうかい、おばあちゃんに見せておくれ」 苦労して声を出すと、アレンの表情は一瞬、かげりを帯びたが、すぐにそれを笑みに代えて、小さな手に握った紐を取り出す。 「結び目が消えるんだよ! えーっと・・・タネもしかけもありません」 アレンは、教えられた口上をとつとつと言いながら、まだおぼつかない手で紐を手繰った。 「きつく結んだ結び目が、いち、にのさんっで・・・あれ?」 固く結ばれたままの紐を見て、目を丸くするアレンに、老婆はたまりかねて笑い出す。 「まだまだ、修行が足りないね!」 「うん・・・」 がっかりした様子のアレンに、老婆は寝床から手を伸ばし、小さな頭を撫でた。 「もう一度、教えてもらっておいで。 長くは待てないよ?」 「・・・うん!」 老婆の言葉に、アレンは慌ててきびすを返す。 マナを始め周りの者達や、老婆自身の口から、彼女がもう、長くはないことは聞いていた。 アレンだけでなく、他の者達も、神の元へ旅立とうとする彼女のために多くの努力をして・・・『その日』が訪れた時には、彼女に満足げな笑みを浮かべてもらうことが出来た。 ・・・が、大人たちはともかく、幼いアレンは、大好きなおばあちゃんの死を、中々受けいることができない。 いつまでも悲しみが癒えず、食べることも眠ることもできないでいたアレンを、ある日、マナが抱き寄せた。 大きな手で、まだ小さなアレンの頭を撫でながら、彼は囁いたのだ。 「立ち止まるな。歩き続けろ」 その言葉に、アレンは目を見開いた。 それは老婆自身が、亡くなる前にアレンに遺した言葉と、とてもよく似ていたのだ。 ―――― 人は、神様の元に召されるまでは、お導き通り、一所懸命生きなきゃいけない。それが、神様から命をいただいた者の役目だよ・・・。 そう言った時の、老婆の澄んだ笑みを思い出して、アレンはまた、ぽろぽろと涙を零した。 「アレン、ばあさんに言われたろう? いつまでもうじうじされるのは嫌いだ。葬式の時だけ泣いて、その後はいつも通り、笑っていておくれ、ってな?」 頭に載せられた、大きく温かな手の下で、アレンはこくりと頷く。 「お前は、もう一人でも歩いていける・・・そうだろう?」 その言葉に、アレンは再び頷いたが、そっと離れていったマナの手を、アレンは名残惜しげに見つめずにはいられなかった。 いつかは離れていく・・・そうとはわかっていても、それは『今』ではないはずだ。 ない・・・はずだった・・・・・・。 が、アレンに、たくさんの愛情を注いでくれたマナもまた、老婆と同じ場所へと旅立っていった。 老婆との別れにより、アレンは幼いながらも『死』というものを知ったはずなのに、それは、『哀しみ』という傷を残したに過ぎなかったのか――――・・・。 強い心を持つように、一人でも生きて行けるように、様々なことを教えてくれた人だったのに―――― 彼を失った喪失感に耐えきれず、アレンは、彼の名を呼んでしまった・・・・・・。 墓前に跪いたまま、どれほどの時間が経ったのか。 幼い頃の記憶は、冬の弱々しい陽光とともに遠のき、東から気ぜわしく迫る夜に、閉ざされた瞼の奥までもが闇に染まって行った。 うな垂れて、あらわになったうなじに冬の冷気が降り、アレンの四肢を硬く凍りつかせる。 その白すぎる容姿もあいまって、死者の眠りを守る彫像と見まごうばかりの姿を、遠くから見つめる目があった。 「見つけた・・・」 リナリーは呟くと、枯れ葉を踏んで、人気のない墓地を歩む。 が、アレンに近づくにつれ、彼女の足音はひそやかに音を消していった。 すぐ傍に立っても気づく様子のない、アレンのひどく悲しげな背中に、リナリーは声をかけることもできず、ただ、手を伸ばす。 両腕をアレンの肩越しにまわし、彼の胸元で軽く交差させると、その肩が微かに震えた。 「風邪ひくよ?」 耳元に囁くと、アレンはもう再び開く事はないかと思われた瞼を、重く持ち上げる。 「リナリー・・・」 背に寄り添うぬくもりと、甘い香りが心地よくて、アレンは再び目を閉じ、胸元に交わった白い手に手を重ねた。 「冷えきっちゃって・・・」 アレンの冷たい手に苦笑して、リナリーは背中越しに彼を抱きしめる。 「ずっと、こうしてたの・・・?」 気遣わしげに問うと、アレンはうな垂れるように頷いた。 「お父さんのお墓なんだね?」 「はい」 そっと涙を拭おうとした手は、肩越しに回された手に柔らかく阻まれる。 「アレン君、こっち向いて?」 「え・・・」 戸惑いがちな声に、ふ、と、笑みを漏らして、リナリーはするりと身体を離した。 「こっち、向くの」 ふわりと傍らに座ると、リナリーは両手をアレンの頬に添わせ、こちらを向かせる。 「あ・・・」 涙に濡れた目を、気まずげにさまよわせるアレンに、リナリーはふっくらと微笑んだ。 「泣いていいんだよ・・・」 アレンの冷たい頬に、温かい頬を添わせ、リナリーは囁く。 「でも、一人で泣かないで。 そんなの、私も悲しい・・・」 「リナリー・・・でも・・・・・・」 ためらいがちな声に、リナリーは頬を離し、にこりと笑んだ。 「アレン君は、いつも私を助けてくれた。 泣いている私を、支えてくれたでしょ? だったら、私もあなたを助けたい・・・支えたい・・・。 ・・・それって、迷惑?」 真摯な声音に、アレンは思わずリナリーを抱きしめる。 「ありがとう・・・」 涙でかすれた声に、リナリーは微笑んで彼の背中を撫でてやった。 「でも・・・ごめんなさい・・・。 やっぱり、泣き顔を見られるのは恥ずかしいから・・・・・・」 「うん、見ないよ。 だから、気が済むまでこうしてて」 「うん・・・」 「そして、落ち着いたら・・・一緒にお家に帰ろう?」 「うん・・・・・・」 弱々しい日は既に落ち、夜闇が彼らを包んだが、身を寄せ合っていれば、冬の冷気も二人の傍には寄り付けない。 体温よりももっと温かいものに満たされて、アレンの涙は、ようやく止まった。 To be continued. |
![]() |
2006年の、アレン君お誕生日SS第3弾です リクエストNO.14『父親想いのアレン』が元ネタになっています。 はっきりきっぱり捏造ですけどね!(笑)>をい。 とはいえ、実は私、アレン君の『できればあの国(日本)には行きたくなかったのになぁ』と言う台詞(5巻)から、『マナの墓は日本にあるのかもしれない』なんて予測していますが(笑) せっかくなんで、ロンドンにあるバージョンも書いておきます(笑) ちなみにマナの名前ですが、お墓には『mana』と表記してありますので、『神が与えた食物(manna)』とは違うと思います(笑) 『mana』だと、『古代宗教における超常的な力』になりますよ、意味は(笑) けど、ラビならともかく、チビアレンが古代宗教がなんたらなんて知らないか、と思い、『神が与えた食物』の方にさせていただきました★>だったらあの台詞、削れよ; それにしてもラスト、笑えるくらいアレリナですな(笑) 私、シリアスシーン書いているはずなのに、書いている間中、笑いが止まりませんでした(笑) ・・・なんか俺、情緒が欠けてると思う; |