† Singin’ in the Rain †
長かった任務が、終わった。 久しぶりに脱いだ団服は、ベッドの上に放り出したまま。 久しぶりに解いた髪は、背に流したまま。 久しぶりに開けた窓からは、細かい雨が降り込んでくる。 神田は窓枠に片足を乗せると、そのまま腰を下ろし、降り注ぐ雨を浴びた。 ひんやりと体温を奪って行くそれに、心地よく身を浸し、薄く瞼をおろす。 雫が葉を打つ音。 濡れた地面の匂い。 湿った風の感触に、故国の梅雨を思い出した。 この月、かの国は厚い雨雲に覆われる。 景色さえも灰色にけぶる雲の下、思い出されるのは、雨滴を乗せてしっとりと咲く蒼い花の姿だった。 日を過すごとに色を変えていく花を、鮮やかな紅に染め替えたのは自身の手・・・。 快楽を求めて襲い来る魔物を斬り裂き、その血をもって、灰色の景色を紅く染めてやった。 ―――― 返り血を浴びるとは、未熟な証拠だ。 ふと、脳裏に甦った声に苦笑する。 ―――― 奴らの血は猛毒だ。無闇に身をさらすな。 「何度も言われなくても・・・」 ―――― いいや、わかっていない。 記憶の中の『あの人』は、神田の呟きを言下に否定するが、それを不快だと思ったことはない。 むしろ、気に掛けてもらえる事が嬉しくて、わざと憎まれ口を利いていた。 「血なんて・・・雨が洗い流してくれる」 『ユウ』 たしなめるように、自分をそう呼ぶ声が好きで、呼ばれる度、何度もあの人の元へ駆けて行った。 あの声で呼ばれると、『女みたいだ』と嫌いな名さえ、好きになれそうだったのだ。 事実、幼い頃は誰もが彼を、女児だと思っていた。 幼いながらも、人形のように整った顔立ちに加え、この名だ。 誰もが勘違いし、親さえも、誤解を解こうとはしなかった。 あの国で、人間として生き長らえるために。 「明日で十八か・・・こんなにも長く、生きられるとはな」 雨に湿った唇に、母国語の呟きを乗せると、本当に故郷に帰ったかのような錯覚を得た。 千年伯爵に支配された国―――― 日本にはもはや、人間の方が少ない。 だが伯爵は、人間を全滅させようとはしなかった。 当然だ。 彼の『兵器』は、人間の『哀(こころ)』と『皮(からだ)』から出来るのだから。 アクマ製造工場―― その腹立たしい呼び名は、この教団に来て初めて聞いた―― となった日本には、人間が極端に少ない。 だからこそ、女は出来るだけ殺さないようにとの、伯爵の命令があったようだ。 ―――― 馬鹿にしている・・・。 海に囲まれ、外国との交流を一切絶ったあの国に生まれたわずかな人間は、伯爵によって、家畜のように飼われていたのだ。 昼夜を問わず襲ってくるアクマに怯え、息を殺して生きていた自分達が―――― 死者が出る度に身内にアクマを作りかねないあの国で、まさか『保護』されていたとは・・・。 その時、彼の思考を遮るように、風雨に混じって流れてきた弔鐘の音に、神田はふと目を開けた。 「また誰か・・・逝ったか・・・・・・」 母国ではありえない景色を映した目を再び瞑り、しばし黙祷する。 ―――― あの国では、人が死んでも鳴り物など使わなかったがな・・・。 身内にアクマを喚ぶと、忌まれたからだ。 それでなくとも、アクマは食欲と快楽を満たすために人を殺す。 奴らに見つからないよう、息をひそめて暮らすのは、神田のように自尊心の強い者にとって苦痛だった。 こんな国、早く出たいと願いながらも、耐えて留まったのは、あの人がいたから・・・。 あの人がいたから、アクマの抑圧にも耐えられた。 ―――― なのにあの人は、俺の前から消えた。 『この蓮が咲いているうちは、私も生きている』 そう言って託された花は、砂時計に似た小さな器の中で、淡紅色の花弁を優美に広げている。 池にでも植えれば、その豊かな生命力で、たちまち水面を覆うだろう花は、しかし、透明な水面にただ一輪のみ。 ―――― ここに来て以来、人の死に対して、前ほど動揺しなくなった・・・が・・・・・・。 この花が散った時、冷静でいられるだろうか? 自身の思考に鼓動が波打って、彼は、種字の書かれた胸を押さえた。 戦いで得た傷よりも、その思考に胸の裡を掻き裂かれる。 「見つけなければ・・・早く・・・・・・!」 この花が、散らないうちに・・・あの人が、永遠に手の届かない場所へ行ってしまう前に・・・。 祈るように瞑していた目を開け、勢いをつけて立ち上がると、彼は黒い刀身を手にした。 ―――― 初めて、この武器を手にした時の事を、今でも覚えている。 黒い刀には鍔(つば)もなく・・・このまま握っていいものか、戸惑いつつも触れた手に、しかし、それはしっとりと馴染んだ。 まるで、手の一部にでもなったような―――― そんな錯覚すら覚えるほどに、その刀身が発する脈動は心地いい。 黒い刃に魅入られ、目が離せなくなった彼に、『発動してごらん』と、笑みを含んだ声がかかった。 初めて触れる物であるにもかかわらず、彼は、それを発動するすべを知っていた―――― いや、握り込んだ手の内に感じる波動に、教えられた、と言うべきか。 「抜刀・・・!」 囁き、刃に指を滑らせる―――― 黒い刀身が銀色に輝き、美しい刃紋を浮かび上がらせた。 「六幻は、お気に召したようだね」 「六幻・・・」 「その武器の名前だよ」 そう言ってコムイは、にっこりと笑う。 「中々適合者の見つからなかった、暴れ馬さ。でも、君とは波長が合うようだ」 波長が合う・・・そう、それが、最も適した言葉かもしれない。 説明など聞かずとも、触れるだけで、彼はこのイノセンスを理解した。 そしておそらく、このイノセンスも・・・・・・。 「・・・感謝する」 戦う力を与えてくれたことに―――― そう、ぽつりと呟くと、一瞬、コムイは驚いたように目を見張ったが、すぐにそれを和ませ、ゆっくりと頷いた。 「ギブ・アンド・テイク、だよ」 「応酬・・・か。それもそうだな」 英語を母国語に変えて、神田も深く頷く。 彼は、異国の神など崇めてはいない。 世界のため、などと、考えたこともない。 ただ、自身の目的のため、この教団に身を置き、戦う手段として、この武器を手に入れた・・・ただ、それだけ・・・・・・。 くすり、と、漏れ出た笑声を訝しみ、神田が顔を上げると、『ゴメン』と、コムイが笑う。 「よほど、気に入ったんだと思ってさ」 気づけば神田は、惹かれるように六幻の刃紋に目を落としていた。 「相性がいいのは喜ばしいことだね。 でも、ボクがそれを、『暴れ馬』だって言った事を、忘れないでほしい」 諸刃の剣になりかねないとの忠告に、神田は、ただ頷いた。 ・・・・・・それ以降、六幻は常に、彼の手の中にある。 戦場においてはともかく、教団の構成員達が『ホーム』と呼ぶ本部内においてさえ、メンテナンス時以外はそれを手放さない彼に苦笑する向きもあったが、神田にしてみれば、いくら本拠地とはいえ、油断する者の気こそが知れなかった。 日本では一体、どれほどの人間が家の中でアクマに襲われ、身内をアクマに変えられたことか。 いつ、身近に忍び寄るか知れない敵と戦うにしては覚悟がなっていないと、神田は思考においてすら、他者と自身を切り離していた。 改めて黒い刀身を握り込み、腰の剣帯に差し込むと、乱暴にドアを開ける。 途端、 「ぅわっ!!」 間近で上がった悲鳴に、神田は眉をひそめた。 「ユウちゃん、あぶないっ!!」 目の前で揺れる赤毛に、神田の眉間の皺が更に深くなる。 「ラビ、何か用か?」 「うん。 ノックしようとしたら、いきなり開くんだもんさー。超びっくりした」 そう言って、えへら、と、締りのない笑みを浮かべるラビの傍らを、神田は無言ですり抜けた。 「あ! 待つさ、ユウちゃん! 用があるって言ったじゃないさー!」 「その様子じゃ、どうせくだらん用事だろう。歩きながら話せ」 すたすたと先を行く神田を、ラビが慌てて追いかける。 「くだんなくないさー! ユウちゃん、今朝任務から帰ったんだろ? まだ昼飯食ってないよな?一緒に食お 「くだんねェじゃねェか!!」 振り向き様、六幻の切っ先を突きつけると、ラビが急停止した。 「あっぶなっ!! 串刺しにする気さ?!」 「ウサギが猟れたと、厨房に持ってってやるよ」 ラビの非難を冷たく受け流すと、案の定、彼はキャンキャンと喚きたてる。 「ひどいさ! せっかく俺が、飯でも食いながら、和やかに話しようとしたのに!ユウちゃんの鬼!!」 「俺のファースト・ネームを呼ぶんじゃねェ!!」 彼の名を呼ぶこと4度目にして、とうとう神田の堪忍袋の緒が切れた。 「仏の顔も三度までって言葉は、当然知ってるよな、ブックマンJr.?!」 「あ・・・あぃ・・・ごめんなさぃ・・・・・・!」 心臓の悪い者なら確実に心不全を起こしただろう、恐ろしい目で睨まれて、ラビがすくみ上がる。 「で・・・でもぉ・・・・・・。 ユウちゃ・・・イヤイヤ!! 神田君には何度も言ったけどさ、エーゴって、『お前』も『君』も『あなた』も全部『You』ですから・・・っ! カンダって言うより、ユウの方が言いやすいんさー・・・!」 「だったら俺を呼ぶな」 「無茶言うんじゃないさ! 俺ら、何回パートナー組んだと思ってんさ?! その度に『エクソシストA』とでも呼べってか!舌噛むさ!!」 「だから神田と呼べと・・・・・・お前、本当はアホだろう?」 「うわっ!傷ついたっ!めっさ傷ついたさッ!!」 「やっぱりアホだ」 冷酷に言い捨て、神田は踵を返した。 「あれ?どこ行くんさ?」 ついさっきまで騒いでいたくせに、もうケロリとしてついてくるラビを、神田は煩わしげに振り返る。 「訓練だ。付き合うか?」 「あー・・・パス。 それよりユ・・・神田、訓練する前にメシ食お 腹が減っちゃ戦できんしー 「はぁ?!お前・・・」 「ハイ!いこいこー♪」 ラビに明るく押し切られ、神田は強引に食堂へ連れ込まれた。 「・・・で。 話とは何だ?」 蕎麦を載せたトレイをテーブルに置き、席に着いた神田は、憮然と問う。 「うん。一緒にメシ食いたかっただけ・・・って!タンマタンマ!!六幻しまってェェェェ!!!!」 抜刀した神田を必死に押しとどめ、ラビは彼を再び席に着かせる事に成功した。 「もぅ・・・気ィ短ェんだから・・・・・・」 「てめェがくだんねェことばかりぬかすからだろうが!」 吐き棄てつつ箸を取り、そばつゆに薬味を入れていると、ラビが興味津々と神田の手元を見る。 「その緑の、なにさ?」 「食うか?」 「食えんの?」 「食えなきゃ入れねぇだろ」 「じゃ、食う」 神田が差し出した物を半分ほどスプーンですくい、ぱっくりと口に入れた途端、ラビは声にならない悲鳴をあげた。 その様に神田は、口の端を歪めて意地の悪い笑みを浮かべる。 「日本原産、日本特産の薬味で、ワサビという。 蕎麦や寿司、刺身を食う時に添えるが、そのまま食う奴はいねェな」 「鬼かぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 涙にしゃがれた声で抗議し、ラビは真っ赤になった目頭を押さえた。 「なにさコレ、鼻いてェし涙出る・・・っ!!」 「へェ・・・そのまま食うと、そうなるのか」 「・・・もしかして俺、殺されかけた?」 「まさか」 いけしゃあしゃあと言って、神田は残ったワサビを全てそばつゆに入れる。 ラビの怯えた目に見守られながら、蕎麦をすすっていると、諦めた様子でラビが話し出した。 「明日なんだけどさ、ユ・・・神田、誕生日だろ?」 「あぁ」 「せっかく城にいんだから、誕生日パーティをしねェかってみんな・・・」 「いらん」 「・・・・・・・・・やっぱりさね」 神田の素っ気ない返事に、ラビが肩を落とす。 「なんでそんなにイヤなんさー?つきあい悪ィさ、ユウちゃー・・・ん、じゃなくて、神田さん・・・・・・」 にらまれて、慌てて言い直すと、神田は煩わしげに吐息した。 「そんなもの、祝う習慣がないからだ」 「だったらココで・・・」 「ここだからだ。そんな浮ついたことはしたくない」 緊張した場に身を置く事こそが日常であった彼にとって、なんの不安もない時間は却って落ち着かない。 ましてや、その中心に自身がいるなど、思いもよらないことだ。 そう言うと、ラビは肩をすくめ、 「・・・ま。 その答えは予想はしてたけどさ」 深く吐息しながら頭をかき、ややのけぞって、背後で彼らを見つめていた者達に両手を合わせる。 その様子に気づいた神田も、吐息しつつ肩をすくめた。 「お前が提案者に選ばれた理由はなんだ?」 「同期入団で同い年で仲良しだから 「・・・同じ年は認めるが、入団は俺の方が早いし、仲は良くないだろう」 「へ?!別に俺ら、仲悪くねぇさ?!」 「そうだな」 「じゃあ仲良しじゃん!同期のサクラさ!」 「兵学校の同級じゃねェだろ」 「じゃあ、同じ釜の飯を食った仲!」 「お前が食うようなもんをいつ、俺が食った?それこそ関係ねェ」 冷たくあしらわれて、ラビがしおしおとうなだれる。 その様を横目で見た神田は、鼻を鳴らした。 「わざとらしい演技はよせ。俺は、素のお前との方がつきあいやすい」 「演技?」 きょとん、とした表情を作って顔を上げたラビに、神田は声をひそめる。 「目が笑ってねェんだよ、てめェは。 その上、愛想よく見えて実は、上っ面の付き合いしかしちゃいねェ」 「あんら〜・・・バレちゃってたさ?」 おどけた口調で囁くラビに、神田は無愛想に頷いた。 「それがてめェの役割なんだろ? 歴史を記録するブックマンが、一々人の感情なんぞに引きずられてちゃ、正確な記録はできねェだろうからな」 「はは・・・そう思うさ?」 「西洋じゃどうかしらねェが、少なくとも俺の国じゃ、『感情』の混じった歴史は史書とは認められねェ。 どんなに史実に忠実であろうと、ひいき目の混じった歴史は『読本(よみほん)』としか呼ばれねェよ」 「うぉー!さすが識字率世界一!」 「関係ねェし、ごまかすな」 「あは・・・かなわねェなぁ・・・」 明るい口調ながら、妙に熱のない声音に、神田がちらりと笑みを漏らす。 「それでいい。 俺も、てめェの演技につきあうのはごめんだ」 「りょーかい。 ・・・けど、なーんかショックさー。 今まで俺、見破られたことなかったんけどさぁー」 「深く・・・ないから・・・・・・」 神田の低い呟きに、ラビが首をかしげた。 「へ?なにさ?」 「いや・・・」 ラビの問いに、ふるりと首を振ると、神田は箸を置いて立ち上がる。 「用は済んだな。もう行くぜ」 「へぇーい」 しなやかな身のこなしで背を向けた神田に、ラビは間の抜けた声で応じ、手を振った。 「またねー♪」 ラビの演技を見破れないのは、心を深く繋げた相手がいないから――――・・・。 思わず呟いてしまった言葉に、神田は舌打ちした。 我ながら余計な事を言ってしまったと、ラビに聞かれていないことを願う。 「それに・・・」 ふと、通りすがった科学班のドアを見やって、神田は鼻を鳴らした。 ―――― 演技と知っていながら、あえて指摘しない者もいるだろう。 少なくとも、奇矯な言動の裏で、数々のはかりごとをめぐらせている『彼』は、見抜いているはずだ。 そう思うと、言わなくていい事を言ってしまった自分を、更に腹立たしく思った。 「ちっ・・・!」 忌々しげに舌打ちして、神田は修練場へと足を速める。 そこには、本部に戻っているエクソシスト達がいるはずで、動かぬ樹木よりはいい訓練相手になるはずだった。 一方、自室に戻ったラビは、ベッドにどさりと腰を下ろすと、黙然と新聞を読んでいた師に情けない目を向けた。 「ジジィ〜・・・俺、見抜かれちゃったさ〜」 「神田か」 「ご名答〜・・・・・・」 師の推理力は、今までも散々見せつけられているため、『なぜわかった』と言う問いは発しない。 ただ力ない拍手をして、ベッドに仰向けに寝転がった。 「修行が足りんのぅ」 ブックマンが、にやりと口の端を曲げると、ラビはだだをこねるように足をばたつかせる。 「千の仮面を持つには、まだまだ道は遠いさー・・・でも負けないわ!アタシ、女優ですもの!!」 「冗談を言える元気があるなら、大丈夫じゃな」 苦笑するブックマンを、寝転がったまま上目遣いに見上げて、ラビは尋ねた。 「なぁ、ジジィ。 心を深く繋げた相手がいるのといないのとじゃ、なんか違うんかなぁ?」 神田の呟きを、ちゃっかり聞き取っていたラビの問いに、ブックマンは読み終わった新聞を丸めながら頷く。 「ここに、絵がある」 ブックマンが、丸めた新聞の端で、壁にかかった小さな絵を指し示すと、ベッドの上に起き上がったラビは、まじめな顔で頷いた。 「この絵は、お前がこの部屋に入る前からここにあった絵だ。 お前の頭の中には既に、この絵の構図だけでなく、重ねられた絵の具の厚み、グラデーションを作る色の種類まで記録されているはずだ」 ラビが再び頷くと、ブックマンは丸めていた新聞を広げて、絵を隠す。 「さて、この絵には贋作がある。 構図も色合いもまったく同じ。完璧な贋作だ。だがお前は、だまされるか?」 「うんにゃ。 いくら巧く似せたからって、絵の具の厚みや、配合の割合まで完璧に同じにする事なんて出来ねェさ。 俺ならどっちが贋物かくらい、すぐにわかるさね」 すかさず答えた弟子に大きく頷き、ブックマンは広げた新聞を、再び丸めた。 「神田も同じだ。 真に心の繋がった者がいれば、その者から『真物(ほんもの)』の心情を学ぶ。 その『真物』から外れる者を、『贋物』だと見破るのは当然だ」 「ふーん・・・あのユウちゃんに、そんな奴がいたとはねェ・・・」 ブックマンの説明に、感じ入ったラビが呟いた途端、怒声が響く。 「私の後継者ともあろう者が、いらぬ先入観を持つでない!」 「わっ!大声出すなよ、ジジィ・・・!」 思わず飛び上がったラビは、そのままマットの上で跳ねながら、にんまりと笑みを浮かべた。 「じゃあさ、ジジィ?ユウもだませるようになったら、俺の演技は完璧って事さ?」 「・・・くだらんことにうつつをぬかすな。 我らはただ、この場にとけこめば良いだけだ。 余計な感情を持つ必要はない」 「んー・・・けどさ、今は必要なくても、いずれ必要になるかもしんないじゃん?」 師の戒めをにこやかに退け、ラビはベッドから下りる。 「俺! ユウちゃんと仲良しになるさ!!」 「・・・ったく」 ブックマンの、呆れたような、諦めたような呟きを軽やかに無視して、ラビは意気揚々と部屋を出て行った。 「リナリナ♪ ちょっとこっち来るさ 科学班の外から、こっそり声を掛けられて、リナリーはファイルを抱えたまま、ラビに駆け寄った。 「なぁに?」 自身に向けられた無邪気な笑みをそれとなく観察しながら、ラビはいたずらっぽく目を細める。 「バースデーパーティのコト、ユウちゃんに話したんけどさ、やっぱ、やんなくていいって言われちまってさ・・・」 「えー・・・そうなんだぁ・・・・・・」 「まだ諦めんじゃないさ!」 そう言ってラビは、しょんぼりとするリナリーの頭をわしわしと撫でてやった。 「本人がイヤだっつーなら、無理矢理やりゃあいいんさ!」 「む・・・無理矢理・・・?」 大きな目を見開くリナリーを見下ろして、ラビはにんまりと笑う。 「そうそう、サプライズ・パーティしようぜ 「サプライズ・パーティ!!」 途端、リナリーの表情が、ぱぁっと輝いた。 「面白そう!私、やる!!」 はしゃいだ声を上げて飛び跳ねるリナリーを見守っていたラビは、くすりと笑みを漏らして、落ち着かせるように彼女の肩を叩く。 「ハイハイ 「おねがいがかり?」 きょとん、と、小首をかしげる彼女に、ラビは笑みを深めた。 「そうそう、ジェリ姐とかコムイにーちゃん・・・協力してくれそうな奴らにお願いしてくんね?」 「お料理やお部屋の飾りつけね?!」 「そうそう リナリーは賢いなぁ」 「へへ・・・ ほめられて、うれしそうに笑う彼女の傍らに立ち、ラビはその背を軽く叩く。 「じゃあ、よろしくな? 俺はユウちゃんが確実にパーティ会場に来るよう罠を・・・あ、いやいや、誘導すっから 「うん!任せて!!」 軽やかに踵を返し、室内へ戻って行ったリナリーに手を振ると、ラビもまた、踵を返した。 「無邪気・がっかり・楽しい・驚き・嬉しい・・・表情記録完了。 さぁて・・・ユウちゃんには、どれが役に立つかねェ・・・」 ぶつぶつと呟きながら、ラビは人気のない回廊を足早に行く。 が、その顔にはまだ表情はなく、目の前に並んだ仮面を選ぶかのように、リズミカルに指を振っていた。 その頃、修練場に向かう途中で運よく兄弟弟子を捕獲した神田は、『休みたい!!』と泣き喚くデイシャに無理やり訓練の相手をさせていた。 「ちょっとお前、マジ鬼なんですけどっ!! 俺、寝てないって言ったじゃん?!3日寝てないって言ったじゃん?! いい加減、休ませてやろうって思わねェ?!」 黒い切っ先を必死でよけながら喚くデイシャに、神田は低く呟く。 「3日くらい寝なくても平気だ」 「人類全てがお前みたいに鉄で出来てりゃヘーキだろうがなっ! あいにく俺は、生身の人間なんだよっ!!」 ヒステリックに叫ぶや、一気に決着をつけようとしたデイシャは、一瞬の隙を突かれて懐に飛び込まれ、首筋に刃を添えられた。 「死んだな」 「ちくしょー・・・!」 冷厳な声で宣告され、デイシャは悔しげに唸る。 「降参か?」 「・・・ハイハイ、俺の負け」 言うや、冷たい刃が首筋から離れ、デイシャは胸の奥から吐息した。 「だぁぁぁぁ!!もういいだろ?! 部屋帰って寝るわ、俺!!」 「ちっ・・・歯ごたえのねェ奴だな」 「なんとでも言えよ! 俺ァもう寝る!寝るからな!!」 引き止めるなと、全身で拒絶するデイシャを神田が不満げに見送っていると、彼と入れ替わりにラビが入ってくる。 「デイシャ、どしたんさ? えらい機嫌悪かったけど」 「3日間寝てないそうだ」 「ほぇー・・・そんな奴引き込んで訓練してたんさ? ユウちゃ・・・神田、鬼畜さね」 名前を呼ぼうとして、烈しくにらまれたラビが、慌てて言い換えた。 と、 「まだ何か用か?」 冷淡に問われて、ラビは小首を傾げる。 「いや、お前に用があったんじゃないさ。たまたまココに来たら、お前がいただけ」 淡々と言うや、ラビは自身のイノセンスを発動させた。 「一人でつまんないなら、相手すっけど?」 「・・・いいだろう」 ラビがにこりと笑うと、神田も黒い刃に指を滑らせる。 「手加減はしねェぜ」 銀色に輝く刃を向けると、ラビは肩をすくめた。 「してさ 楽しげな口調の割りに、ラビの顔には表情がない。 「仮面をつけ損ねたか?」 「お前がつけんな、っつったんさ」 神田の冷笑に、そっくりの冷笑で応え、ラビは槌を構えた。 一方、ラビに『お願い係』を任されたリナリーは、張り切って『お願い』に駆け回っていた。 ジェリーには既に明日の準備を『お願い』し、所用でいない兄の代わりに、団員達への連絡をリーバーへ『お願い』し、科学班の仲良し達に部屋の飾り付けを『お願い』する。 そうするうちに、兄が戻ったとの連絡が入り、リナリーは地下の船着場へと駆けて行った。 「コムイにいさーん!」 「リナリ・・・えぇっ?!ちょっとストップ!!」 船着場に上がるや、突進してきた妹に抱きつかれ、コムイはリナリーもろとも水路へ転落する。 「リ・・・リナリー!いきなりなにすんのさー!!」 「勢いあまっちゃった えへ 「んもうっ!おてんばさんっ ぎゅう、と抱きしめられ、リナリーが歓声を上げる。 「兄さん、あのね?お願いがあるんだけどぉ 真下から上目遣いで見上げられ、コムイの顔が蕩けた。 「ナニナニ? おにーちゃんに出来ることならなんでもやっちゃうゾ 「わぁい あのね、明日、神田のお誕生日でしょう? ラビが神田に、『お誕生会しよう』って言ってくれたんだけど、神田はヤダって言うから・・・だから・・・・・・」 「サプライズ・パーティをやるんだね?」 いたずらっぽい笑みを浮かべた兄に頭をなでられ、リナリーの目が輝く。 「どうしてわかったの?!」 「そりゃわかるよ〜。ラビが絡んでんだもん〜」 感心するリナリーに、コムイは苦笑した。 「まったく、いたずら好きだからねぇ、あの子は〜・・・」 「でも、ラビがやる事って楽しいよ 「うん 「あのぉ〜・・・・・・」 いつまでも水に浸かったまま、いちゃいちゃする兄妹の姿に、所在なげに佇んでいたファインダーが、とうとう声を掛ける。 「風邪を・・・ひいてしまいますよ?」 遠慮がちな声に促され、兄妹はようやく水から上がった。 「ごめんね、兄さん。寒い?」 水から上がった途端、身震いした兄を、リナリーが気遣わしげに見上げる。 「ちょっとね。 でも、リナリーがくっついてくれたら大丈夫さ 「じゃあくっついてる!」 はしゃいだ声を上げて、リナリーがコムイに抱きつくと、コムイも嬉しげに妹の肩に腕を回した。 「リナリー、あったかぁーぃ 「私もー 「はぁ・・・・・・」 人目もはばからずいちゃつく兄妹に、ファインダーは呆れ果てて声もない。 そんな彼に後を託し、城内に入った二人は、石の回廊を伝って響く破壊音に顔を見合わせた。 「何の音?」 「爆発音だねぇ・・・」 「科学班の実験が、失敗した音じゃないよね・・・?」 怪我人が出たのではないかと、心配そうなリナリーの、濡れた頭をくしゃりと撫で、コムイは安心させるように微笑む。 「爆音は爆音でも、引火性の爆音ではないから大丈夫。きっと、エクソシストが特訓中なんだよ」 「よかった・・・!」 ほっと吐息したリナリーの目が、次の瞬間、好奇心にきらりと光った。 「見にいこっか?」 妹の表情を、巧みに読み取ったコムイの提案に、リナリーは嬉しげに頷く。 「誰がやってるのかな?」 「うーん・・・今、本部にいるのは神田君とブックマンたち、三人娘と・・・」 「ティナ達は任務に行っちゃったよ。さっき見送ったもの。 代わりにデイシャが帰ってきたわ」 「あ、そうか。 じゃあ、神田君とデイシャかな? 真面目な神田君に、疲れきったデイシャが無理やりつき合わされてるってとこじゃないかな?」 もう少し時間が早ければ、完璧だった予想を述べたコムイは、リナリーと連れ立って修練場のフロアに入った。 途端、修練場から炎の蛇が飛び出し、回廊をうねりながら渡ってくる。 「兄さん!!」 一瞬でイノセンスを発動させたリナリーが、背後に兄をかばい、風を起こして炎の蛇を散らせた。 「火判・・・?!んもう、ラビ!!」 「リナリー!危ないよ!!」 修練場に向かって駆け出した妹を、コムイが慌てて止めるが、意外と鉄火肌のリナリーは聞かず、激戦の只中に飛び込んで行く。 「ちょっと二人とも!大技使っちゃ危ないでしょ?!」 烈しく戦闘中の神田とラビに、リナリーは果敢に抗議するが、彼女の声は二人には届かなかった。 「てめェ!よくもやりやがったな!!」 「ユウが先にやったんさ!」 団服もまとわず、ただ得物を以て打ち合う二人に、リナリーは目を丸くする。 「ねぇ・・・! 危ないよ?!せめて団服着てよ!」 「うるせぇ!!」 二人一斉に怒鳴られ、リナリーがびくりと震えた。 「息の根止めてやんぜ!」 「やれるもんならやってみるさ!」 烈しい戦闘から、一瞬、二人の動きが止まる。 「災厄招来・・・!」 神田の声に応じて、六幻が妖しい光を発した。 「界蟲一幻!」 「劫火灰燼!」 妖蟲と炎の蛇が、牙を剥き出しに、まさに喰らいあおうとした瞬間。 「やめてって言ってるの!」 リナリーを中心に巻き起こった風が、二人の手からイノセンスを弾き飛ばした。 「もう!言うこと聞いてよ、お兄ちゃん達!」 ぷんっ!と、頬を膨らませたリナリーに、神田は舌打ちし、ラビは気まずげに顔をそらす。 その視線の先では、猛獣達の喧嘩を見事に収めたリナリーに、コムイが惜しみない拍手を送っていた。 「それでー? なんで喧嘩になっちゃったのさー?」 完全に面白がっている様子のコムイに、神田は憮然と黙り込み、ラビは乾いた笑声を上げた。 「ケンカじゃねーって。 ユウの訓練に付き合ってたら、熱くなっちまっただけさ」 血気盛んなお年頃だから 「なんだ・・・ホントにケンカしてるのかと思ったよ」 「そんなに心配しなくたって、ケンカなんかしねーさ 名前を呼ばれた神田が一瞬、目を尖らせたが、ややして憮然と頷いた。 「・・・こいつがあまりにもいい加減だったせいで、イラついたんだ」 「え?!俺のせいなんさ?! 言っとくけどあれ、ユウがあんまり速いんで、反撃の機会窺ってただけだから! なのに界蟲ぶっ放しやがってさぁー・・・マジびびったさ!超びびったさ!」 「うるせぇよ! てめェだって火判で受けやがったじゃねェか!」 「正当防衛さ! 火判に食わせなきゃ、俺が食われてたさ!!」 「はいはい、わかったわかった」 またもや熱くなる少年達の間に、コムイがすかさず割って入る。 「熱心なのはいーけどさー。お城、壊さないでおくれよ?」 「お前にだけは言われたくねェ!」 「あいやー」 声を揃えて突っ込まれたコムイが、遭えなく敗退すると、真っ先に神田が踵を返した。 「あれ?もう終わるんさ?」 「やりたきゃ一人でやれよ」 ラビの問いに、神田は振り返りもせず素っ気なく言い放ち、修練場を出て行く。 「ったく、マイペースな奴さー」 「君にだけは言われたくないと思うよ★」 呆れ声で言うラビに、コムイはささやかな反撃をして、にんまりと笑った。 「トコロデ。 聞いたよー。サプライズ・パーティやるんだって?」 コムイののんきな口調に、ラビもいたずらっぽい笑みを浮かべる。 「感激して泣いてくれたら、俺的にベストなんけどさー」 「無理でしょ。 神田君は、そんなことじゃ感涙なんてしないよー」 コムイがすかさず否定すると、ラビは苦笑して肩をすくめた。 「そうなんさー。 でも、俺らが楽しむためにも、ユウちゃんにはおいしいダシになってもらわねェと!」 「ダシって・・・」 苦笑するリナリーの前で、しかし、コムイとラビは、いたずらっ子の連帯感をもって、悪行を企む楽しみに浸っている。 「・・・ってカンジで俺が誘い込むからさ」 「ふふふ・・・ ボクが逃げ道をふさげばいいんだね?」 「さっすがコムイ♪ ナシ早いさー 「こーゆーことは任せなさいよ、ボクに 昔からいたずらは得意なんだ♪」 「へへ 楽しげに笑いあう二人を、リナリーはしばらく、困惑げに見上げていたが、 「リナも、協力するよな?」 「楽しくなるよ 揃って誘われ、嬉しげな笑みを浮かべる。 「私、なにすればいい?!」 意気込むリナリーに、いたずらな兄たちは、楽しげに笑った。 ラビ達と別れ、修練場を出た神田は、足音を高く響かせながら回廊を渡った。 戦闘の名残をとどめる手をきつく握り締め、つい先ほど交わした言葉に苛立ちを募らせる。 ―――― 俺らって、似てると思わね? 能面のように表情の消えた顔で、淡々と発せられた言葉を思い出し、眉を寄せた。 ―――― お前が人と関わりたがらないのは、真情を知られるのが嫌だからだろ? そう言って目を細めたラビからは、いつもの懐こさが消えていて、嘲笑しているようにも見える。 「てめェこそ・・・」 ―――― 全てが『贋物』だろうがよ。 表情も口調も、髪や肌の色、もしかしたら目の色まで、『贋物』で出来たブックマンの後継者・・・。 わざとらしい、浅ましい、いかがわしい彼の態度に皆、どうして気づかないのか、不思議なくらいだ。 そう言ってやると、彼は一瞬、本気で驚いた顔をした。 ―――― なんでわかるんさ? 苦笑した彼に刃を叩きつけた。 「俺に近づくからだ、馬鹿・・・」 ぽつりと、ラビに囁いた言葉を繰り返す。 触れれば斬れる刀身に似て、孤高を貫く神田に、親しげに近づける者はそういない。 なのにラビは、他者となんら分け隔てなく神田と相対した。 それが彼の気性だと、思うことはできただろう。 事実、多くの団員達が、近づき難い神田と親しく接するラビに、感嘆していた。 だが・・・・・・。 思い至って、神田は不快げに眉を寄せた。 ラビの目・・・色の薄い、陽光を受けて猫のように光る目は、常に辺りを見回して、世界の全てをその眼中に収めようとしている。 それは好奇心と共に、ブックマンとしての義務感もあるのだろうが、間の抜けた笑みを張り付かせた顔の裏で、冷徹に観察されて、気分がいいわけがなかった。 それに・・・。 『あの人って、誰?』 問われた途端、頭に血が上り、界蟲を放っていた。 無神経に人の心や記憶に踏み入る彼に好感を持つことなど、到底無理だ。 怒りが再燃し、神田は石床を蹴りつけるように回廊を渡りきった。 宿舎への近道を行くべく、朝から降り続く雨を浴びながら中庭を横切る。 と、鬱蒼と生い茂った木々の狭間に、雨滴を乗せて咲き誇る蒼い花を見つけ、彼は驚いて足を止めた。 「なぜここに・・・」 思わず呟くと、その視界が天空の雨雲に寄らず陰る。 「神田、濡れるよ?」 明るい声と共に、神田へ傘を差しかけた少女は、彼の視線の行方を辿って微笑んだ。 「ヒドランジアだね」 「ヒドラ?」 「・・・それだけだと蛇のお化けだよ」 神田の問いに苦笑して答え、リナリーは顎に指を添える。 「ハイドランジアの方が、神田には言いやすいかな? ねぇ、これって、元は日本のお花なんでしょ?」 「あぁ・・・よく知っているな」 呟くように低い声音で言うと、彼女はにこりと笑った。 「ラビに教えてもらったの!」 リナリーが楽しげに呼んだその名に、神田は眉をひそめる。 が、彼女は気づかなかったのか、雨に濡れた花へと手を差し伸べた。 「日本に渡ったドイツ人のお医者さんがね、ヨーロッパに持って帰ったんですって。 中でも一番きれいなお花に、日本人だった恋人の名前をつけたって言ってたわ・・・ロマンティックよねー・・・・・・ うっとりと、蒼い花を見つめていたリナリーは、神田を見上げてにこりと笑う。 「ね?このお花、日本ではなんて言うの?」 「アジサイ・・・だな」 「アジサイっていうんだ! 咲いているうちに色が変わっていくなんて、不思議なお花よね」 ―――― 『真物』は見えにくいものだ。 「・・・花じゃない」 「え?」 独白のような神田の言葉に、リナリーが不思議そうに首を傾げた。 ―――― お前が穢したこの花が、真に紅く咲くことができれば・・・。 「花はこの、中心にある小さな部分だ」 「そうなの?!」 神田が指した、小さく目立たない『花』に、リナリーが大きな目を見開く。 「この、色の変わる部分は花じゃなくて、萼(がく)だな」 「そうなんだぁ・・・・・・!」 ―――― 真に紅く咲くことができれば、この国は・・・・・・。 「この国は・・・救われるのに・・・・・・」 「え?」 リナリーに聞き返されて、神田は自分が、脳裏に浮かんだ言葉を口にしてしまったことに気づいた。 「なんでもない」 素っ気なく言い放つと、神田はリナリーが差しかけた傘を押しのけて歩を進める。 「神田・・・!」 「早く着替えねェと、風邪引くぞ」 「自分の方こそ・・・」 濡れてるよ、と、言う間もなく、神田は宿舎の棟に消えてしまった。 「はぁ・・・失敗」 切なく吐息して、リナリーは回廊を振り返る。 「ごめんなさい、ラビ」 呼びかけると、支柱の陰から出てきたラビが、苦笑を向けた。 「しゃーない。次の手考えるさ」 「うん・・・お願いね?」 悄然とするリナリーの頭にタオルをかけてやりながら、ラビは笑みを深める。 「おにーちゃんに任せておきなさい♪」 彼が陽気な口調で言うと、リナリーはタオルの下で、信頼に満ちた笑みを浮かべた。 と、その目が瞬く。 「ねぇ、ラビ? さっき、神田が言ってたこと聞いたよね? あれ、どういう意味かなぁ?」 小首を傾げるリナリーと鏡合わせに、ラビも首を傾げた。 「それ、俺も思ったんさ。 花を見て、国が救われるって言われてもなぁ?」 「うん・・・バラならわからなくもないけどね」 リナリーが言うのは、この地で昔、白バラと紅バラの紋章を持つ両家が王位を巡って争った戦争のことだ。 「アジサイって、日本じゃ何か意味があるのかな?」 「うーん・・・さすがに、200年も封印された伯爵の国のことまで・・・は・・・・・・!」 突然、目を見開いたラビを、リナリーは興味深げに見上げた。 「なぁに?なにか思いついたの?」 「うん、まぁ・・・もしかしたら、だけどさ・・・・・・」 言いつつ、ラビはアジサイへと歩み寄り、爪先でその木が植わった地面を探る。 「土がどうかした?」 ラビの行動を不思議そうに見つめるリナリーに、ラビはただ、首を振った。 「調べてみて、わかったら教えるさ。 だからお前は、さっさと着替えてくるさ」 風邪引くぞ?と、苦笑して言うと、リナリーは大きく頷いて、持っていた傘をラビに渡す。 「ちゃんと教えてね?約束だよ!」 言うや、走って回廊の奥へ消えてしまったリナリーを、ラビは手を振りつつ見送った。 そして再び、アジサイを支える土へと視線を戻すと、 「ホントにまぁ・・・日本人って奴は、お花好き民族さね」 偽りではない苦笑を口の端に浮かべて、ラビはポケットからくしゃくしゃになった袋を取り出し、足元の土を採取する。 「多分、正解だと思うんさー」 暢気な口調で呟きながら、彼もまた、回廊へ戻って行った。 「・・・今度はなんだ」 部屋に土を持ち帰ったかと思えば、勝手に拝借したらしい実験器具でなにやら調べているらしい弟子に、ブックマンは呆れ声をあげる。 が、ラビはその問いには直接答えず、調査結果を列記した用紙をブックマンに渡した。 「ジジィ、こんだけ酸性の強い土をアルカリ性に変えるにゃ、どうしたらいいさ?」 「石灰をまけばよかろう」 なんでもないことのようにさらりと答えた師に、ラビはにこりと笑う。 「サンキュ ・・・あ、でもさ、石灰だったらなんでもいいんさ?」 「目的はなんじゃ、目的は! それによって答えも変わるぞ」 ブックマンがやや苛立たしげに、しかし、当然のことを言うと、ラビは渋りながらも目的を明かした。 と、 「・・・・・・アホか、お前は」 深々と吐息されて、ラビが悲鳴を上げる。 「第一声がそれって、ひどくね?!」 「アホにアホと言うてなにが悪い。 単に花の色を変えるのならともかく、土の性質から変えて、明日までに紅くなるはずがなかろう」 「あ・・・そっか」 気まずげに呟き、ラビは照れ隠しに頭を掻いた。 「でもさ・・・単に花の色だけ変えたんじゃ、また『贋物』って言われちまうんさ・・・」 苦笑するラビに、ブックマンが眉間の皺を深くする。 「それがどうした? 所詮我らは、ここの者たちからして見れば『贋物』だ。 それでなんの不都合がある?」 問われて、ラビはまた、気まずげに頭を掻く。 「・・・・・・ジジィ、あのさ・・・・・・」 長い沈黙の後、珍しく遠慮がちな声を出すラビに、ブックマンは呆れ顔で吐息した。 「お前があの者に『真物』と認めて欲しいなら・・・いや、多少なりとも対等でいたいなら、妙な小手先の術を用いず、自身のできることで誠意を示せば良いことだ」 「誠意・・・・・・」 馴染みのない言葉を反芻するラビに、ブックマンは苦笑を漏らす。 「もとより、用意はしておったのだろうが」 ブックマンの指摘にラビは苦笑し、頷いた。 「・・・じゃ、俺なりの誠意でやってみるさ。受けとってもらえるかはわかんないけど!」 言うや、ラビは身軽く立ち上がる。 「ありがとさ、ジジィ 「やれやれ・・・うるさい奴だ」 またもや慌しく部屋を出て行った弟子を、ブックマンは苦笑して見送った。 「ユウちゃんいるさ?!」 凄まじい音を立てて開いたドアに、さすがの神田も驚いて振り返る。 「てめぇ・・・勝手に入ってくんじゃねェよ!」 濡れた髪を拭いていたタオルを投げつけて怒鳴るが、ラビはひょい、と、避けると、一足に神田との距離を詰めた。 「苦情は後さ! 各種肥料取り揃えたから、一緒にやってみよーぜ!」 「何をだ!!」 問答無用で腕を引かれ、神田はラビに引きずられるようにして、雨の降りしきる中庭に連れ出される。 「ちっ・・・!また濡れたじゃねぇか!」 「いいじゃん。後で一緒に風呂はいろー♪」 神田の苦情に悪びれもせず、ラビは中庭に出しておいた肥料の袋を持ち上げた。 「ほれ、そっち持って、ユウちゃん♪ 重い方は俺が持ってやっからさ 「なめんじゃねェ!!」 断ることもできただろうに、『重い方』などと言われて、神田はつい、積み上げられた肥料を抱えてしまう。 「わっ!すげ! いっぺんに持つことねーのに」 「うるさい!」 目を丸くするラビを怒鳴りつけ、神田は早足で彼を追い越した。 「どこに運ぶんだ?!」 「あー・・・そこそこ。ハイドランジアんとこ置いて 「ハイドランジア・・・」 つい先程知った、その花の英名を呟いて、神田はどさりと肥料を放り出す。 「・・・何をするつもりだ?」 おそらく、リナリーとの会話を聞いていたのだろうラビに、低い声音で問うと、彼は神田の剣呑な雰囲気に気づいてない素振りで、アジサイの根元に屈みこんだ。 「この花、真っ青なんさ」 何気ない口調に、神田は眉根を寄せる。 「それがどうした」 あえて問うと、ラビは、懐こい笑みを神田に向けた。 「原産国の日本じゃどうかしらねーけど、こっちじゃハイドランジアは普通、紅いんさ。 でも、ロンドンの空気はガス灯や石炭のせいで、随分汚れてっからさ。土が酸性になっちまってんだよな。 だから蒼い花しか咲かねーの」 「・・・・・・・・・」 黙って続きを促す神田から足元の土へと、ラビは視線を戻す。 「でも、肥料とか石灰とかを土に混ぜて、土をアルカリ性に傾けてやれば、花は赤くなるんさ」 「色が・・・変わるのか」 「うん。 リトマス試験紙ってしってっさ? アレ、酸性の液体なんかに浸けると赤に変わって、アルカリ性だと青に変わるんけどさ、ハイドランジアは逆なんさ。 土が酸性だと青になって、アルカリ性だと赤になっちまーの」 「土・・・・・・」 ラビの言葉に、過去の声がフラッシュバックした。 ―――― この土が、アクマに穢されることがなくなれば、あるいはこの花も・・・。 「紅く・・・なるかもしれない・・・・・・」 「へ?」 脈絡のありそうで微妙に話が繋がらない神田の言葉に、ラビが首を傾げる。 と、神田は厚い雨雲に覆われた天を仰ぎ、降りしきる雨を受けて、目を閉じた。 誰よりも敬愛したあの人が、『慈雨』と呼び、愛したそれに優しく包まれていると、あの人の姿が、鮮やかに蘇る。 自然や文化、歴史・・・あらゆることに造詣の深かったあの人の目は、いつも遥か遠くを見つめていた。 その視界の内に、自分を入れて欲しくて・・・その意識の裡に留めて欲しくて、常にその傍らにいたのに、あの人は自分を置いて行ってしまった・・・・・・。 「ユウ?」 雨滴が神田のこめかみを伝う様が、泣いているように見えて、ラビが驚く。 が、彼の声に応じて向けられた神田の顔は静謐で、感情の波は見られなかった。 「・・・・・・やろうぜ?」 訝しく思う心情を笑顔に隠して、ラビは神田に小さなスコップを差し出す。 「やりすぎっと木を枯らしちまうからさ、土の状態を確かめながら、ベストマッチングな配合を考えるさ♪」 「・・・入れりゃあいいわけじゃねェのか」 「そうらしいさ。 ま、俺も園芸に関しちゃ素人なんだけど、図書室にあった園芸書は全部読んで来たから、なんとかなるっしょ、多分」 ラビの暢気な口調に、神田は呆れたように吐息し、彼と並んで土の上にしゃがみこんだ。 「で?今日手入れしたら、いつ頃紅くなるんだ?」 「そりゃわかんねーさ。本に書いてねーんだもん」 ラビがあっさりと言い放つと、神田が呆れ果てた顔で彼を見遣る。 「てめェにゃ本以外の知識はねぇのか!」 「あ!そーゆー言われ方、傷つくさー! わかんねェから今、こうやって調べてんじゃないさ!」 憮然と言って、口を尖らせるラビに、神田はほんの少し、微笑んだ。 その表情を目ざとく見止めて、ラビは破顔する。 「うまく行ったら、部屋に飾ろーぜ 「あぁ・・・」 ラビの陽気な言葉に、神田は彼にしては珍しく、機嫌良く付き合った。 翌日、垂れ込めていた雲は晴れて、雨の名残の露も、既に乾こうとしている。 神田は昨日、ラビと共に肥料を入れたアジサイの木の傍に佇み、じっと蒼い花を見つめていた。 1日2日では効果がないとはわかっていても、つい、気になってしまう。 「土の性質・・・か・・・・・・」 昨日、ラビが言っていたことを全て理解したわけではないが、アクマに穢されてしまった土地に紅いアジサイが咲くことが、どういう意味を持つのか、ようやくわかった。 あの人が、『この国が救われる』と言った意味も・・・・・・。 「あの国に、アクマは要らない」 改めて声に出すと、覚悟も不抜のものとなる。 と、 「この国にも・・・うんにゃ、この世界にいらねーさ」 暢気な声にわずか、顔を傾ければ、いつの間にかラビが、傍らにいる。 「聞いてんじゃねぇよ」 「聞きたくて聞いたわけじゃないさ。俺も、花のことが気になって来ただけ★」 いけしゃあしゃあと言ってのける彼に、神田は忌々しげに舌打ちした。 「それよりユウ〜。 俺、腹減ったさ。一人でメシ食うの寂しいから、つきあってぇん 「はぁ?!お前・・・!」 ファースト・ネームを呼ぶなと言うこと、飯くらい一人で食えと言うこと、気色の悪い声を出すなと言うこと、どれから怒鳴ってやろうかと、迷った一瞬の隙に腕を取られ、神田は回廊に引き入れられる。 そのまま食堂へと引きずって行こうとするラビの手を、振り解こうとした瞬間、見事なタイミングでもう一方の腕を取られた。 「私も一緒に行く 明るい声と共に、リナリーが神田の腕に縋りつき、ラビと共に彼を食堂へと連行する。 さすがの神田も、エクソシスト二人に両脇を固められては逃げることもできず、渋々と食堂に入った。 途端、 「HappyBirthday〜〜〜〜!!」 クラッカーがはじけ、明るい大合唱が神田を包み込む。 「・・・やるなっつったろうがよ!」 二人に連行された時点で予想していたことではあったが、昨日の断りを見事無視してくれた彼らに思わず舌打した。 が、いつもなら神田の眼光に恐れをなす彼らも、祭の雰囲気に酔い痴れ、遠慮なく彼の手にグラスを押し付ける。 「さぁさぁ、乾杯しよう!」 「18歳おめでとー!」 「あぁ、いいなー。俺も10代に戻りてー!」 「もし戻れたら、10代の俺に、絶対ココの科学班には入んなって忠告するなぁ・・・」 いやにしみじみと呟くリーバーを押しのけ、コムイがグラスを持った手を掲げた。 「おはよう神田君! 今日の君の任務は、パーティの主役だよっ!!」 「勝手に決めんな!そんな任務があるか!!」 「ありまーす! 室長権限で、今日決めました!今決めました!ボクの命令は絶対!受け入れなきゃもう、六幻のメンテしてあげないもんねー!」 「てめぇ・・・・・・!」 神田の弱味を握って、見事彼の逃げ道を塞いだコムイに、ラビが思わず拍手する。 「ラビ・・・てめェの差し金か?!」 「まさか。 俺、そんな権限ないしぃ?」 いけしゃあしゃあと言ってのけラビは、神田のグラスにワインを注いだ。 「まぁまぁ、一杯♪」 「かんっぱーぃ!!」 すかさず乾杯の音頭を取られて、神田は仕方なく杯を掲げる。 「はい 神田の気が変わらないうちに、と、めまぐるしく展開するパーティに、彼が珍しく気圧されている隙に、ラビが鉢植えを押し付けた。 一重の花は、鮮やかに紅い。 「・・・・・・なんだこれは」 「ユウちゃん、紅い花が好きみたいだからー 「あのな・・・俺は別に、紅い花が好きなわけじゃ・・・・・・」 「気に入ってくれたさ?!」 目をキラキラさせて畳み掛けてくるラビに、神田は最早、ため息をつくことしかできなかった。 その間にも、花を中心に次々とプレゼントを押し付けられ、神田が苛立たしげな声をあげる。 「だからなんで花なんだ!!」 「えー?だってー・・・」 「好きなんでしょ、お花?」 「なに?ほかのが良かった?」 ごく当然のように言われて、また吐息した。 「・・・・・・花でいい」 諦めたように言えば、歓声が上がり、また乾杯の音頭が取られる。 「・・・・・・いつまで続くんだ、これは」 うんざりと呟く神田に、仕掛け人の一人であるラビが、にこにこと歩み寄った。 「もちっと楽しそうな顔するさ!ユウちゃんが主役のパーティなんだからさー♪」 「居心地悪ィったらねェよ」 憮然と言えば、ラビは何がおかしいのか、楽しげな笑声をあげる。 「喜んでくれてスゲー嬉しいさ 「・・・お前に俺の英語は通じんのか?」 「だって、口では冷たいこと言っても、ユウちゃんたらオレの花を大事に持っててくれてるさ そう指摘されて、神田は手にしていた鉢植えを、気まずげにテーブルへ置いた。 「べっ・・・別に、気に入ったから持っていたわけじゃ・・・置くタイミングを逃しただけだ!」 「あ、その花な、増やすのはけっこー簡単なんだけど、置き場所に気をつけねーと別の花と交雑しちまうんさ。 その点、ユウちゃんの部屋は安全だよな! 物ないし、唯一の蓮はがっつり保護されてるし!」 「・・・お前、たまには人の話聞こうとか思わねぇか・・・?」 ほとんど諦めの境地で額を押さえてしまった神田の耳に、ラビがにんまりと笑って口元を寄せる。 「ところでさ、ユウちゃん?」 「俺のファーストネームを呼ぶな」 「アジサイじゃあるまいし、場所に寄って変わったりしねーよ」 「は?」 顔を向ければ、色の薄いラビの目が、猫のようにきらりと光った。 「俺のこの髪も、肌も目の色も、真物さ」 「・・・・・・」 「俺の存在は確かに贋物だけど、それだけは信じて欲しいさ」 冗談めかして言うラビに、神田はまた吐息し、彼を押しのける。 「ユウちゃん」 「ちゃんはヤメロ!」 憮然と言い放つと、途端にラビは嬉しそうな顔をした。 「じゃあ、ユウ! 後でその花の栽培方法教えっさ! あと、アジサイも、ちゃんと紅くなるよう、がんばろーぜ!」 弾んだ声をあげて擦り寄ってくるラビを、神田はうるさげに追い払おうとする。 「・・・ったく、うぜーな! 馴れ馴れしくすんじゃねェよ!」 だがラビは、神田の冷たい言動などものともせず、楽しそうに笑いながら彼に纏わり付いた。 ―――― 数週間後。 長期の任務から帰った神田は、帰還報告の後、中庭に入った。 花の盛りはもう過ぎていたが、名残の花房が数輪、露に濡れて光っている。 「まだ蒼いか・・・・・・」 花の終わりが近いアジサイの色は濃い蒼をして、ラビと埋めた肥料の効果がまだ出ていないことを残念に思った。 が・・・・・・。 「いつかは・・・遅くとも、次の花の盛りには・・・・・・」 紅い花房が、夏の初めのこの庭を彩ることだろう。 ―――― アクマに穢されたこの地に、紅いアジサイが咲くようになれば・・・・・・。 「アクマを排除し、あの国を救う・・・そのためにも、あなたは必要なのです・・・・・・」 神田は、ここにはいないあの人の姿を、アジサイに重ねて呟いた。 「探し出してみせる・・・・・・」 決意を新たに、神田は踵を返す。 早足に中庭を横切り、久しぶりに自室のドアを開けた途端――――・・・凄まじい音を立てて、再び閉めた。 廊下に佇んだまま、彼はしばらく、何事か考えていたが、律動的な動きで再び踵を返すと、普段滅多に訪れない部屋のドアをノックする。 「あい?」 すぐにドアを開けて現れたラビの腕を掴み、神田は何の説明もなしにラビを自室へと連行した。 「ど・・・どしたんさ?」 無言で『開けろ』と示された部屋のドアを、ラビは恐る恐る開け・・・凄まじい勢いで閉ざす。 「ジャングル?!」 「お前の仕業じゃないんだな?」 吊りあがった目で睨みつける神田に、ラビは必死に首を振った。 「知らねーさ! 俺、勝手にユウの部屋に入るなんてコエーこと、しねェもん!!」 「じゃあ、この状態は何だ?」 二人はしばらく顔を見合わせ、再びジャングルへの入口と化したドアを開ける。 「もしかしたら・・・マンドリネットの鉢植えが、なんか別の植物と交雑したんじゃねーかな」 「・・・・・・何と混じったらここまでなるんだ?」 「つる草・・・かな・・・?」 言われて見れば、鬱蒼と生い茂る葉は主に、窓辺を覆っていた。 「・・・だから割れた窓は直しとけっつったんさ」 おそらく、壁の外を覆うツタの種子が、割れた窓から入り込んだのだろうと言うと、神田は忌々しげに舌打する。 「蓮を救出したらこいつら、伐採する。手伝え」 「へーぃ・・・・・・」 拒否不可能の要請に、ラビはがっくりと肩を落とした。 「置き場所に気をつけろっつったのに」 「いちいちうるせぇな!女々しい愚痴零すんじゃねェ!!」 蓮を入れた器を持って、部屋から出てきた神田は、ブツブツと文句を垂れるラビを怒鳴りつけ、六幻を発動する。 「行くぜ!」 「ハイハイ・・・」 たかが草木の伐採に、なんでイノセンスを発動しなきゃならないんだろうと思いつつ、ラビも木判を発して、神田が切り裂いた可哀想な草木を窓外へ吹き飛ばして行った。 「あーぁ・・・せっかくの希少種だったんに・・・・・・」 一片の葉も残さず排除した部屋に、再び蓮を置く神田へと、ラビが残念そう声を掛けると、じろりと冷たい目で睨まれる。 「世話に困るような希少種を持ってくるてめェが悪い!」 きっぱりと言われて、ラビは肩をすくめた。 「わかったさ。 じゃあ次は、もうちょっと世話のかかんない奴にするー」 「・・・来年もやる気なのかよ」 どちらかが・・・いや、どちらも、来年の今頃には、ここにいないかも知れないのに。 そう言うと、ラビは壁に背を預けたまま、苦笑した。 「いねーかもしんねーけど、いるかもしれねーじゃん? まぁ、ここを出て行ったとしても、せめて、アジサイが紅くなったかどーかは確かめてぇさ」 ラビの暢気な口調に、神田は彼に背を向けたまま、微笑する。 「そうだな・・・」 呟くと、ラビが声をあげずに笑う気配がした。 「やっぱり、お花好き民族さ」 決め付けるような言い方に、神田がムッとして振り返れば、ラビはとうとう笑声をあげる。 「来年も、お祝いしよーな それまでお互い生きていようと、言外に言われ・・・神田は殊更に不機嫌な顔をして、ラビの赤い頭をポカリと叩いた。 Fin. |
| 2007年神田お誕生日SSでした。 蓮&食人花に続いて今回は紫陽花。 日本原産の紫陽花は蒼いのですが、西洋に持って行くと土の性質上、赤くなるそうです。 ただ、日本みたいに火山の多い土地や、19世紀ロンドンのように空気が汚れていて酸性雨なんかが降っちゃう土地では、土は酸性になって、紫陽花は蒼くなるそうですよ。 マンドリネットの花は交雑しやすいために絶滅危惧種なんですが、いくらツタと交雑したからってジャングルになる事はありませんよね!(多分) ってか、神田さん=花の構図からはもう、逃れられないのか私よ; さて、念のためはっきりきっぱり言っておきますが、これは捏造話です。 これを書いているのは原作の第120夜時点で、ラビがブックマン後継者として鼎の軽重を問われている時ですから、神田さんはまだ、方舟の中で生死不明中です。 ので、今までの情報を元に、なるだけあたり障りなく書いて見ました、『あの人』関連のお話。>まさか『あの人』って、ティエ様じゃないですよね; 神田の名前(ユウ)の件は、去年10月、拍手で邑さんに 『ファーストネームを呼ばれるのが嫌いなのは、小さい頃女の子と間違われたからでは』 という案を頂き、使わせていただきました(笑)←拍手すらネタにする奴。 大変感謝しております! 日本に対しての記述は、伯爵様のしろしめす『仮想19世紀』と、実際の歴史をごちゃ混ぜにこしらえてますので、『伯爵様がご統治なさっているならこれはないんじゃないの?』と思うことがあってもスルーして下さいませ★(をい) ちなみに、『同期の桜』は20世紀の歌ですよ、多分。(特攻隊かなんかだった気がする) |