† I’m so happy †








 それは、草木も眠る丑三つ時・・・・・・。
 夕べに降った雨は涼気をもたらすことはなく、昼の名残の暑気と交じり合った湿気が、石造りの城内にじっとりと残り、とてつもない不快感を漂わせていた。
 寝苦しい夜に不満げな息をつきつつも、寝返りを打てる者はしかし、まだ幸いである。
 草木さえ眠る時間に、未だ煌々と明かりの灯った室内では、幽鬼よりもなお蒼白い顔をした科学者達が、恨みがましい顔を並べて、それぞれの仕事に没頭していた。
 「・・・・・・こんな夜にー・・・出てくるものはなーにー・・・?」
 ぼんやりとした声が部屋の最奥から上がると、ただでさえ気のささくれ立った彼らの神経が尖る。
 「蚊」
 「ナメクジ」
 「蛾」
 「カタツムリ」
 「蛾を食う鳥」
 「カタツムリを食う鳥」
 「鳥を食う猫」
 「猫を追いかける犬」
 「ねー・・・なんでそんなに、テキトーに答えるのさー・・・」
 いつの間にか、連想ゲームになってしまっている答えに、コムイが不満げな声をあげた。
 「じゃー、なんだったら満足すんですか、アンタわー・・・」
 疲れきった声での問いに、コムイは高々と、判を持つ手を上げる。
 「オ・バ・ケv
 ねーv 城内巡ってさー、肝試しやろーよぉーv
 涼しくなるよーと、のんきなことを言う上司に、部屋中から深々とため息が漏れた。
 「肝試しなら、常にやってるっすよ・・・・・・」
 中でも、科学班班長を拝命するリーバーの呟きは深刻で、手と頭は仕事に没頭しながら、口では不満を垂れ流す。
 「どこぞの変人が趣味のロボット作りなんかに夢中になってくれたおかげで・・・その上、発動に失敗して城を半壊してくれたおかげで、、必要な資材は足りないわ報告書はなくすわ申請書は締め切りすぎるわ、なのに今日の正午までに分析データ上げないと、俺はソカロ元帥にミンチにされるそうですよ」
 「・・・え。
 そ・・・それは、すごい肝試しをやってるんだねぇ・・・・・・」
 一瞬にして蒼褪めたコムイを、すさまじく憔悴した目でリーバーが睨んだ。
 「・・・いいからアンタは、クラウド元帥の仕事してくださいよっ!
 それ、今日の午前5時までに上げないと、メデューサと化したあの人に襲われますよ!」
 「へ?!」
 慌てて机の上を漁り出したコムイは、まさに、直前に締め切りの迫った仕事に、肚の底まで凍りつく。
 「なっ!!なんでボクの方が締め切り早いのっ?!」
 しかもクラウド元帥!と、悲鳴を上げる彼に、しかし、誰からも同情は寄せられなかった。
 「元帥直々の命令だったじゃないですか。ノアの深部に関わる情報が必要だから、アンタ自身でやってくれって。トップシークレットに触れるの、ここじゃアンタだけでしょう」
 頭と手は仕事に没頭したまま、正確無比な突込みを入れる班長に、部下達は感嘆の吐息を漏らす。
 「そっ・・・そんな!!
 じゃ・・・じゃあ、誰にも手伝ってもらえないの?!リーバー君も?!」
 「当然だバカヤロー!!アンタ、本部室長でしょーが!」
 「そんなぁー・・・!!」
 「泣いてる暇があったら、とっととやってください!後、3時間しかないんすよ?!」
 「えうっ・・・ひぐっ・・・わがり・・・まじだ・・・・・・っ」
 ぼとぼとと涙を零しながら、コムイは仕事に取り掛かった。
 教団一の猛獣使いの腕前に、室内から拍手が沸くが、当のリーバーはそれらを完全に無視して仕事を続ける。
 その後、データと格闘する彼の傍らを、通信班のメッセンジャーが走り、ヒステリックな声を撒き散らす通信ゴーレムに向かってコムイが泣いて詫び、リナリーがコーヒーを配り、寝不足は美容に悪いと苦情をひとしきり言った後コムイが完成したと歓声を上げ、更にひとくさりゴーレムから説教され、平身低頭謝って、二度とこんなことはしないと誓った頃、食堂から朝食がデリバリーされ、ジェリーに促されてリナリーが部屋に帰り、入れ替わりにミランダが手伝いに来てから、ようやく、リーバーは手を止めた。
 「できたー・・・・・・!」
 「お・・・お疲れ様です・・・・・・」
 あまりの集中に、誰もが声をかけそびれていたリーバーに、おどおどとした声がかかる。
 「あい、どーも」
 疲労のあまり、仕事以外には働いていない頭でぼんやりと返事をし、差し出された炭酸飲料を飲みつつ最終チェックをした。
 「・・・オッケ。
 これで文句言うなら、俺があのカブト剥ぎ取ってやる」
 書類をまとめて、大きく頷いた彼が、メッセンジャーを呼ぼうと立ち上がった時・・・――――。
 「リーバーさんっ?!」
 ミランダの悲鳴に、室内の全員の目が集中した。
 「班長!!」
 「リ・・・リーバー君!!」
 床に倒れた彼の元に、皆が集まってくる。
 「医療班呼んで!早く!!」
 コムイの指示で、すぐさま医務室に連絡が取られた。
 「リ・・・リーバーさん、しっかりしてください!!」
 床に座り込んだミランダが、彼の頭を膝に乗せて、必死に呼びかけると、うっすらと彼の目が開く。
 「し・・・つちょ・・・・・・」
 「なんだい?!」
 彼の傍らに、コムイが慌てて跪くと、白衣の襟先をぐぃっと引かれた。
 「俺のデータを・・・元帥に・・・・・・」
 「わ・・・わかっているとも!
 君の死は無駄にしな・・・ッイヤイヤイヤイヤイヤ!!!!」
 在室の全員から凄まじい目で睨まれて、コムイは慌てて首を振る。
 「君の『努力』は無駄にしないよ!『努力』は!!
 メッセンジャー!リーバー君のデータを、ソカロ元帥へ一刻も早く!!」
 「はいぃぃぃっ!!」
 いつもの倍以上の速さで科学班を駆け出たメッセンジャーの背を見送り、今度こそ、リーバーは意識を失った。
 「きゃあ!!リーバーさん!!リーバーさん!!」
 錯乱気味な悲鳴を上げてリーバーに呼びかけるミランダを、到着した医療班はやや乱暴に押しのけて、彼を担架に載せる。
 「わっ・・・私、ついています!!」
 「あ・・・うん、よろしく・・・!」
 彼女の迫力に気圧されて、つい、見送ってしまったコムイは、ふと、四方から突き刺さる鋭い視線に気づいて、恐る恐る室内を見回した。
 「しーつーちょーぅ・・・?」
 「班長にもし、万が一のことがあったら・・・!」
 「あんたにも後を追わせてやる!!」
 「ええええええ?!」
 涙目でイヤイヤと首を振るコムイに、怒りに満ちた面々が更に迫る。
 「ちょっ・・・みんなコワイ――――!!!!」
 「誰のせいで班長があんなことになったと思ってんすか!」
 「明らかにオーバーワークっしょ!!」
 「班長がこんなことで殉職したら・・・」
 「追い腹斬れ、追い腹!!」
 「神田が介錯してくれるよっ!!」
 「イヤだよー!!許してぇぇぇぇぇ!!」
 まさに地獄から這い出た幽鬼の形相で迫ってくる部下たちから、コムイは必死に逃げ惑った。


 「せっ・・・先生!!
 リーバーさんはどうなんですか・・・?!」
 震える細い手を組み合わせ、必死の形相で彼を見つめるミランダの肩を、ドクターは安心させるように軽く叩いた。
 「大丈夫。
 症状を見る限り、急性胃炎、もしくは、特発性慢性胃炎だから。
 薬を飲んで安静にしていれば、死ぬようなことはないよ」
 「死ぬようなことはなくても、苦しいことに違いないじゃないですかっ・・・!
 リーバーさん・・・倒れたんですよぉ?!」
 わっと、泣き崩れるミランダに困惑したドクターは、ナースを呼び寄せて彼女をなだめさせる。
 「確かに、倒れるほど症状が悪化することは稀だが、この病気は刺激物やカフェイン飲料の摂りすぎ、薬物の服用、不規則な生活に寝不足、ストレスなどが影響して発症するんだよ。
 彼にはほとんど全て、当てはまっているだろう?」
 「はい・・・・・・」
 まだしゃくりあげながら頷いたミランダに、ドクターは深々と吐息した。
 「科学班に限らず、この教団の団員には多い症状でね。
 君だって訓練中は、急性胃炎でよく倒れていたじゃないか。あれは、男性に多い症状なんだがね」
 「はぁ・・・お恥ずかしいことです・・・・・・」
 途端に自省モードに入った彼女に、ドクターは苦笑する。
 「まぁ、症状は薬で抑えられるが、原因を取り除くためにも、君がついてあげなさい」
 「はぁ・・・私・・・ですか・・・・・・」
 「言っただろう、原因のひとつがストレスだって。
 コムイ室長の代わりに君がそばにいてやれば、少しは班長の気分もよくなるだろうさ」
 そう言って、からかうように笑ったドクターに、しかし、ミランダは真剣な顔で頷いた。
 「はいっ!私、精一杯看病します!!」
 「・・・・・・は?」
 敬礼せんばかりの気合に満ちた表情に、笑みも消えてしまったドクターの袖を、ナースがそっと引く。
 「・・・あんなこと言ったら、本当に一日中付き添っちゃいますよ。彼女、生真面目なんですから・・・」
 「あー・・・・・・しまった」
 気まずげに頭を掻いたドクターの眼前では、既に、臨戦態勢とも言うべき表情で、ミランダがリーバーの寝台の傍らに陣取っていた。


 「リーバーさん、とうとう倒れたらしいですよ」
 ブランチに起きて来たラビに、昼食中のアレンが言うと、彼はうんうんと、何度も頷いた。
 「いやー、がんばったもんさ。
 俺、ここに来た当時から、あいつはもうすぐ倒れるって思い続けてきたもんなー」
 「それから、どのくらい?」
 「二年。
 二年もあの状況続けてもってたんだぜ、すげーと思わねェ?」
 彼らしくもなく、真剣な表情で問うと、アレンも深々と頷く。
 「僕なんて、コムリンU事件の翌日にはあの人、死んでるんじゃないかな、って思ってましたからね。
 常人の体力と根性じゃないですよ」
 「その上インテリで、若くして幹部候補?理想の結婚相手じゃね?」
 クスクスと、どこか意地の悪い笑声を上げるラビに、アレンも笑った。
 「その理想の旦那さんを手に入れそうな人は、医務室に詰めてるみたいですよ―――― ジャーマンポテト、もーらった♪」
 「あっ!てめっ!俺のメシを取るんじゃないさ!」
 「油断大敵ですよーv
 あ、ラビ、僕のキッシュあげますから、白ソーセージもちょうだい?」
 「・・・お前、ナニ人のメシ狙ってんさ・・・!」
 「だから、これは交換してあげるって言ってるじゃないですか」
 「だったら先に、ジャーマンポテトの代わりをよこすさ!!」
 わいわいと騒ぎながら、フォークで戦う二人の間に、冷え冷えとした声が割って入る。
 「メシ時に騒ぐんじゃねぇ、サルどもが!」
 「わっ!ソバ人間!!」
 「誰がソバ人間だ、モヤシが!!」
 鋭さを増した眼光を、しかし、アレンは軽々と無視して、彼が手にした物を見遣った。
 「だって、今日もソバじゃないですか。
 よくもまぁ、飽きませんよねぇ。
 もしかして神田、味覚障害ですか?」
 「ちげーよ、バーカ!!」
 吐き捨てて、離れた席へ行こうとする神田を、ラビが引き止めて隣に座らせる。
 「でもユウちゃん、真面目な話、栄養偏ると、ホントに味覚障害になんぜ?
 ただでさえ好き嫌い多いしさー」
 「うっせぇよ、余計な世話だ!!」
 「姐さんに言ってさ、亜鉛を多く含んだものを・・・」
 「そんなの、わかってるわよーぅ。
 神田の蕎麦を打つ時は、ちゃんと胚芽を混ぜた小麦でつないでるもの!」
 「うわっ!びっくりした!」
 突然振って沸いた声に、慌てて振り返ったラビと神田の間に、ジェリーのたくましい腕が割って入った。
 「ハイ、天ぷらおまちどおさまンv
 アンタ、せめてこのくらいの野菜は食べなさいよぉ?」
 「・・・っるっせーな」
 小声での反駁に、ジェリーのサングラスが光る。
 「残したら許さないからね!」
 「・・・・・・・・・」
 さすがの神田も、教団のママンに逆らうことはできず、おとなしく箸をつけた。
 思わず笑ってしまったラビは、神田に睨まれて、喉を引きつらせながら必死に笑声を押し殺す。
 「・・・でさ、メシ終わったら、見物も兼ねて、リーバーの見舞いに行かね?」
 ようやく、苦しい息を整えたラビが言うと、遠慮なく笑っていたアレンが頷いた。
 「ミランダさんの陣中見舞いも兼ねて行きましょう」
 「ユウは?」
 「なんで俺が」
 冷淡な答えは予想通りだったが、案の定、神田の答えにいきり立つアレンを抑えて、ラビは神田へ笑顔を向ける。
 「ミランダはともかく、リーバーには世話になってんさ?
 恩には恩を返すんが、サムライってもんじゃねーんさ?」
 「・・・・・・・・・ちっ」
 忌々しげな舌打ちに、ラビはにっこりと笑って頷いた。
 「アレン、さっさと食っちまえよ。
 メシ終わったら見舞いに・・・早っ!!」
 既にきれいに平らげられた、大量の皿を見て、ラビが驚く。
 「ラビこそ、早く食べちゃってくださいよ。
 僕、お手伝いしましょうか?」
 言いながら、ラビの皿にフォークを伸ばしてくるアレンから、彼は必死にブランチを守りつつ、食事を終えた。


 「・・・全然食った気がしねェんですけど」
 城内の長い回廊を医務室へ向かいつつ、ラビが不満を漏らす。
 「高燃費モヤシなんぞと同席するからだ、馬鹿」
 「あんたさっきから高燃費だのモヤシだのうっさいんですよ!!」
 きぃっと、ヒステリックな声を上げるアレンを、神田は医務室のドアに手をかけつつ、肩越しに見遣った。
 「本当のことだろうが、馬鹿モヤシ!」
 「馬鹿モヤシって言うな、ソバ人間!!あんたなんて、ソバアレルギーになればいいんですよ!!」
 神田の暴言に、アレンが甲高い声で反駁した途端、
 「静かになさいっ!!」
 開けたドアの向こうから、鋭い声が飛んできて、三人はびくりと身をすくめる。
 「え・・・えっと・・・スミマセン!」
 呆然と固まる神田の傍らで、紅白の髪が素早く下がった。
 「病室で騒ぐなんて、非常識ですよ!」
 声を潜めつつも、つかつかと鋭い歩調で歩み寄り、叱責した彼女に、神田だけでなく、顔を上げたラビとアレンも目を剥く。
 「えっ・・・ミランダさん?!」
 「ナースかと思ったさ・・・!」
 叱声を発したのは、白衣のナースではなく、黒衣のミランダだった。
 「あら、私ではいけませんでしたか?」
 いつものか弱げな彼女と違って、妙にぴりぴりとした雰囲気に、ラビとアレンは激しく首を振りつつ数歩を退く。
 が、一瞬、気を呑まれていた神田は、素早く立ち直ると、彼女の脇をすり抜けた。
 「別に、悪ィとは言ってねェ。
 見舞ったらすぐ帰る」
 冷淡に言った彼の背を、ミランダが監視するように見つめる。
 その様子に、アレンはラビの耳に口を寄せた。
 「僕・・・ああいう雰囲気、知ってますよ。
 僕がリナリーに近づこうとすると、決まってコムイさんが、あんな気配になるんです」
 「宝を守るドラゴンの気配さー・・・。
 でも、なんでそんなことになってんさ・・・?」
 「まさにその、室長のせいだよ。
 あの人がまた、見舞いと称して余計なことしたらしくて、ミランダ嬢の怒り心頭に発してね」
 ひそひそと、二人の間に入って来たドクターに、彼らは納得して頷く。
 「やっちゃいましたか・・・」
 「また、怪しげな薬でも飲ませたんさ?」
 二人の呆れ声に、ドクターはため息混じりに頷いた。
 「私は見ていないが、そのようだよ・・・安静にさせろって言ったのにねぇ・・・」
 「それで・・・」
 あの状況か、と、二人は、神田の一挙手一投足を、針のような目で監視するミランダを指し示す。
 「今の彼女は、子供を守る母ライオンだよ・・・下手なことをすると、噛み付かれるよ」
 「でも、治療ならあいつのイノセンスでなんとかすりゃいーじゃん」
 と、ラビののんきな提案に、ドクターは重く首を振った。
 「それは、根本的な解決にはならないから、私が禁じた。
 ・・・そのせいで、彼女の気が、更にささくれ立ったみたいでね。
 室長が怪しい薬を飲ませる前まで時間を戻したらしくて、彼がここに入って来た途端、凄まじい説教を垂れて追い出してしまったよ」
 「・・・あれ?」
 「じゃあ、もしかして・・・・・・」
 引きつった笑みを浮かべて、二人は恐る恐る、ミランダの様子を窺う。
 と、
 「神田君、あなた、それ以上ベッドに近づかないでください!
 5秒後に、あなたはリーバーさんに冷たいことを言って、彼の胃痛を悪化させるわ」
 厳しい口調で言い放ち、さすがの神田も瞠目して声を失った。
 「やっぱり・・・」
 「時間、戻されてたさー・・・!」
 震え上がった二人に、ミランダの視線が刺さり、更に震え上がる。
 「アレン君、ラビ君」
 「はっ?!」
 「はぃぃぃっ?!」
 手を取り合って飛び上がった二人に、ミランダは深々と吐息した。
 「・・・胃痛で倒れた人に、食べ物のお見舞いなんて持って来ないでくれますか?」
 「すごっ・・・!」
 「えーっと・・・もしかして、なに持ってきたかも知ってるさ・・・?」
 瞠目して声を失ったアレンの傍らで、ラビが、興味津々と問う。
 と、ミランダはどこかうんざりとした様子で、ため息をついた。
 「・・・アレン君がラビ君から取り上げたヴァイスヴルスト(白ソーセージ)がとってもおいしかったので、リーバーさんにも食べさせてあげようと思って、たくさん茹でてもらいました。これならハーブも入ってて身体にいいし、柔らかいですから大丈夫ですよね?」
 言おうとしていたことを正確に当てられ、アレンが硬直する。
 「・・・いけません。
 特に、お肉類なんていけません。
 あなたたちでお食べなさい」
 おそらく、何度か繰り返したのだろう問答を、彼女はため息混じりに呟いた。
 「・・・・・・あー・・・じゃあ・・・・・・養生しろよ」
 ミランダの意識がラビとアレンに向いたせいか、ようやく驚愕から立ち直った神田が、当たり障りのないことを言って踵を返す。
 そのまま、彼らの脇をすり抜けて医務室を出て行った神田の背を見送り、ラビが詰めていた息を吐いた。
 「ありゃ、相当驚いてんさ・・・!
 ユウが声を失くしたとこなんて、初めて見た・・・」
 「無愛想なくせに、悪口雑言は流暢に垂れ流しますからね、あのひと」
 神田への反感が硬直を解いたか、アレンがあからさまな悪意のこもったことを言うと、ミランダが鋭く睨む。
 「ひっ!!」
 びくっと、飛び上がったアレンに、ミランダはまた、吐息した。
 「そういうことを言うと、リーバーさんがまた、『仲良くしろ!』って気にしだしますから、やめてくれますか?」
 「はっ・・・はい・・・!すみません・・・・・・」
 いったい何度、同じ状況が繰り返されたのか、ミランダは彼らの言動をことごとく正確に予測する。
 あまりの恐ろしさに、長居は無用と、そそくさと見舞いを済ませて医務室を出た二人は、息苦しかった雰囲気を振り払うように深々と吐息した。
 「こ・・・怖かったー・・・・・・!」
 「さすが・・・この世でたった一人、神に時間を託された女さ・・・!」
 「ある意味最強ですよね・・・その代わり、ミランダさんの方が憔悴してたみたいですけど」
 気遣わしげな視線を、医務室の方へ送るアレンに、ラビも頷く。
 「ミランダ、今日だけで人の何倍、時間を過ごしたんだろうな?」
 「イノセンス適合者の僕達ですら、時間が戻ったのに気づいてないんですから、いつも以上の力を使ってますよ」
 「えーっと?
 あの街で、ミランダがまだイノセンスの力を操れんかった時は、お前らにだけは普通に時間が流れてたんだよな?」
 ラビの質問に、アレンはコクコクと頷いた。
 「あの時は僕達が時間を傍観していた代わりに、ミランダさんが操られてました。ただ、同じことが繰り返されるって、気づいてただけです。
 でも、今はその逆・・・ミランダさんと、多分、リーバーさんだけが通常の時間を過ごしていて、お城中が彼女のイノセンスに操られてるんです。
 ・・・あの憔悴ぶりを見るに、相当繰り返してますよね、あの状況」
 「まさに、母ライオンさ・・・」
 「ラビ・・・・・・」
 考え深げに呼びかけたアレンを、ラビが見遣る。
 「しばらく手を出すの・・・やめましょう」
 「あい・・・・・・」
 それが無難だと、さすがのトラブルメーカーも、頷かずにはいられなかった。


 一方、医務室のベッドに寝込んだままのリーバーは、ミランダにそこまでして保護されているとはつゆ知らず、時折胃の痛みにうなっては、気遣わしげな彼女の介抱を受けていた。
 そして、ようやく目を覚ました時――――・・・倒れた彼以上に憔悴しているミランダに、リーバーはぎょっとして瞠目した。
 「ど・・・どうしたんすか、ミランダさん?!」
 「リーバーさん!
 ようやく目が覚めて・・・!」
 うるっと、目に涙を浮かべた彼女に、リーバーは更に慌てる。
 「え?!え?!
 あ・・・あの、何かあったんすか?!」
 途端、ミランダはリーバーの横たわるベッドに、わっと泣き伏した。
 「リ・・・リーバーさんは倒れるし、コムイさんは怪しい薬を飲ませようとするし、神田君はストレスを増やすようなことを言うし、アレン君とラビ君は病人にふさわしくない物を持ってくるし・・・もう、追い払っても追い払っても何度も何度もぉー!!!!」
 「なっ・・・なんのこと・・・?!
 す・・・すみませーん!ドクター!ミランダさんが大変なんすけど!!」
 半身を起こし、ミランダに差し伸べた手は、しかし、がしっと掴まれて上体ごとベッドに押し付けられる。
 「まだ起きちゃいけませんっ!!」
 「は・・・はいっ・・・!」
 ヒステリックな声と殺気立った顔で迫られて、リーバーは激しく頷いた。
 と、
 「・・・やぁ、目が覚めたね」
 声に疲労をにじませて、ドクターがベッドを囲むカーテンを開ける。
 「・・・ミランダ嬢、もう心配はないから、離れなさい」
 「嫌ですっ!!
 この先また、何があるかわからないものっ!!」
 「なにがって・・・えー・・・?」
 ヒステリックに叫んだかと思うと、リーバーの腕に縋って泣き出したミランダに、リーバーはわけもわからず硬直した。
 「ド・・・ドクター・・・・・・。状況報告を・・・・・・」
 「了解した」
 引きつった声の要請を受けて、ドクターは相変わらずのトラブルメーカー達の所業に対するミランダの戦いを、簡潔に語って聞かせる。
 「・・・・・・あいつらはー!」
 深々と、苦い息をついたリーバーは、苦笑して、まだベッドに突っ伏したまま泣き続けるミランダの頭を撫でてやった。
 「心配かけてすみません。それと・・・ありがとう」
 言うと、ミランダはようやく、泣き顔を上げる。
 「ナースの代わりをさせて、すみませんでした」
 「そんな!!わっ・・・私、少しでも役に立ちたくて・・・・・・」
 「・・・うちのナース達は、母ライオンみたいな気迫で見舞い客を追い払ったりせんよ」
 ため息混じりのドクターの呟きは、鮮やかに無視された。
 「じゃあ俺、そろそろ仕事に戻ってもいいっすか?」
 あっけらかんと言い放ったリーバーに、ドクターが口を開きかけた時、ミランダが悲鳴じみた声を上げる。
 「いけません!!
 リーバーさん、わかってますか?!
 あなた、倒れたんですよ?!まだ絶対安静に決まっています!!」
 「・・・・・・というわけだから、もうちょっと寝てなさい」
 言おうとしていたことを、何倍にも激しい口調で先どられ、ドクターは今日何度目か、首を傾げた。
 「まだ、時間が繰り返されているのかな・・・?」
 今日はもう、何度となく彼女の能力を見せ付けられて、正しい時間の観念が欠落してしまっている。
 「私だってもう、今日はなんだか倒れたい気分だよ・・・」
 考えれば考えるほど、くらくらしてくる頭を押さえてドクターが踵を返してしまうと、ミランダは更にリーバーに迫った。
 「いいですね?!
 今日は、お仕事のことなんか考えないで、絶対安静にしてください!!」
 「いや、でもまだ・・・」
 「リーバーさんのお仕事は、コムイさんが代わりに引き受けてくれるそうです」
 そうなるように操ったことは口にせず、ミランダは両手でリーバーの手を包み込む。
 「ですから・・・なんの心配もいりませんよ?私が、なんとしてもあなたを守ってみせますからね・・・?」
 「は・・・はいっ・・・!」
 ドクターが、ミランダを『母ライオン』と呼んだ理由を理解して、リーバーは素直に頷いた。
 ―――― そういや、子育て中のフクロオオカミがこんな顔してたっけ・・・。
 故郷での記憶を思い起こして、リーバーは苦笑する。
 そんな二人の様子を、やや遠くから眺めるドクターに、ナース達が歩み寄った。
 「ドクターのせいですからね」
 「融通の利かない真面目人種だって、知ってるでしょう?」
 「冗談通じないんですから、彼女・・・」
 次々に非難されて、彼は口の端を曲げる。
 「わかったよ。もう、ドイツ人に冗談なんて言わない」
 憮然として、彼はリーバーの処方にかかった。


 「ほう・・・フクロオオカミはロンドン動物園にいるのか。非番の日にでも見に行こうかな・・・」
 呟いた彼の背後から、なにやら香の匂いが漂ってきた。
 いや、これはアロマキャンドルだろうか。
 どちらにしろ、いつも薬品の臭いしかしない医務室では、珍しいことだった。
 「原産地のオーストラリアでは、絶滅しかかっているのか。かわいそうに・・・」
 「ドクター!!現実逃避しないでくださいよぉ!!」
 周りの喧騒を懸命に無視して、新聞の紙面に視線を固定していたドクターは、泣き顔のナース達に袖を引かれて、よろよろと立ち上がる。
 嫌々振り向けば、彼が無理やり新聞に集中している間に、部屋はまじない模様の描かれたろうそくに占拠されていた。
 暑いほどの熱気を寄せるろうそくの明かりの中では、この部屋から出て行ったはずのないミランダが、リーバーのベッドの周りにせっせとおまじないグッズを配置している。
 「・・・ミランダ嬢、医務室を魔女の館にするのはやめてくれ。
 そもそも、いつの間に持ってきたんだい、そんなに大量に・・・」
 震え上がって声もないナース達の代わりに、彼が苦言を口にすると、リーバーの枕元に怪しい人形をあてがっていたミランダは、少しだけ振り向いて小首を傾げた。
 「あら・・・。どうやったかなんて、わかってらっしゃいますよね、ドクター?」
 彼の問いに、逆に不思議そうに答えると、ミランダはベッドのヘッドボードにハーブの入った小袋をいくつも提げる。
 「もちろん・・・ちょっとだけ時間をとめて・・・部屋に戻ったんですわ・・・・・・!」
 「ちょっ・・・?!ミランダさん!危ないっすよ!!」
 ぐらぐらと不安定に揺れる椅子の上に立って、ベッドを囲むカーテンリールにウサギの脚を引っ掛けようとするミランダに、リーバーが驚いて上体を起こしたが、
 「寝ててくださいってば!」
 びしりと言われて、ぱすっと元の位置に倒れこんだ。
 「・・・あなたの熱心さには感嘆するが、そんなことにイノセンスを使うのはどうかと思うよ」
 再びの苦言に、ミランダは苦笑して振り向く。
 「そうですね・・・ですが私、この力を戦場だけに限りたくないんです。
 仲間のエクソシスト達やサポーターの方達のためだけでなく、こうやって私達のために身を削ってくれる本部の人達のためにも使いたいんですよ」
 決して、リーバーだからここまでやっているのではないと、言外に言う彼女を、皆、疑わしげな目で見た。
 が、他ならぬ彼女が言うのだからと、ドクターはじめ、少し寂しい思いをしながらリーバーも頷く。
 「そういうわけですから、私なりに、精一杯がんばりますね!」
 ミランダが、こぶしを握って微笑むと、ナース達の恨みがましい視線に囲まれたドクターが、額に脂汗を浮かべつつ頷いた。
 「と・・・とにかく、危ないから早く椅子から降りなさい」
 「はい・・・きゃああああ!!!」
 椅子から降りようと、片足立ちになった途端、ミランダがベッドの上にダイビングする。
 「げぅっ!!」
 腹に痛撃を食らったリーバーが、かえるがひき潰されるような声を上げて泡を吹いた。
 「きゃあああああ!!リーバーさん!!」
 慌てて彼の上から上体を起こした拍子に、肘で燭台を突いてしまい、ろうそくの炎がカーテンに燃え移る。
 「きゃあ!!火!!火ぃぃぃぃぃぃ!!!!」
 「消火!!消火ー!!」
 悲鳴を上げて逃げ惑うナース達に、ドクターが怒鳴った。
 「水だ水!!
 ミランダ嬢ォォォ!!!消毒用アルコールをどうするつもりだ!!」
 「え?!消火を・・・」
 「だめぇぇぇ!!」
 ナースの一人が、ミランダの手から消毒用アルコールを取り上げ、別のナースがバケツに入れた水をぶちまける。
 「き・・・消えた・・・・・・!」
 荒く息をついて安堵した人々の中で、ミランダが身を縮めた。
 「ごっ・・・ごめんなさいっ!!わ・・・私、余計なことばかり・・・!」
 「あっ・・・あぁ、大丈夫よ!消火できたし・・・」
 「熱心なのはわかるし・・・」
 「怪我人は・・・リーバー班長が泡吹いてるだけだし」
 最後のナースの言葉に、ミランダが引きつった悲鳴を上げる。
 「こうなったらまた、時間を戻して――――・・・!」
 「いい加減にしたまえ!」
 ドクターの怒声に、ミランダがびくりと身をすくめた。
 「時間を何度を繰り返しても、同じことではないのかね?!」
 叱責され、ミランダはしおしおとうな垂れる。
 「そんなことをしていたら、そのうち君の方が倒れてしまう!
 直ちにイノセンスの使用を・・・いや、看護をやめたまえ」
 「あ・・・・・・」
 ミランダがぽろぽろと涙を零し、ナース達の非難めいた視線が刺さったが、彼は負けなかった。
 「リーバー班長のことは我々に任せて、君は部屋に帰りなさい」
 「はい・・・・・・・・・・・・・・・」
 ミランダがしょんぼりと背中を丸めて、泣きながら医務室を出て行った途端、ナース達から非難が浴びせられる。
 が、ドクターは耳を塞いで、彼女達にリーバーの看護と部屋の片付けを命じた。


 ミランダがうな垂れて、長く暗い回廊を歩いていると、前方から鼻歌が聞こえてきた。
 涙を拭いて顔を上げると、花束を持ったクロウリーが、こちらに向かってくる。
 こちらから声をかける気にもなれず、彼女がぼんやりと立ちすくんでいると、彼が気づいて明るい声をかけてきた。
 「ミランダ、リーバーの調子はどうであるか?」
 今から見舞いに行くのだと、彼はきれいなバラを抱え直す。
 途端、再びミランダ目から、涙があふれた。
 「ミッ・・・ミランダ?!
 どうした、なにかあったのであるか?!
 ま・・・まさか、リーバーはそれほどに危険な状態であるのか?!」
 おろおろと、ミランダの細い肩に手を添えたクロウリーに、彼女は激しく首を振る。
 「違うんです・・・ッ!
 悪いのは私・・・・・・!」
 「なに?!あなたもなにか、病気にかかったのであるか?!」
 更に慌てふためくクロウリーに釣られるように、ミランダの嘆きも激しくなった。
 「そう・・・ですね・・・不治の病なのかも・・・っ」
 顔を覆って泣き出した彼女に、クロウリーが呆然と立ちすくむ。
 「そ・・・それは大変である!!
 ならば、こんなところでうろうろしている場合ではないであるよ!
 すぐに医務室に行って、安静に・・・」
 「医務室を追い出されたんですぅっ!!」
 「んなっ?!
 重病人を追い出した?!それは許しがたいである!!」
 話は完全に食い違っているのに、会話はわずかな接点でもって成立していた。
 「私が行って、ドクターに抗議して来るであるよ!」
 義憤に駆られて、歩調も荒く医務室へ向かおうとするクロウリーを、ミランダが慌てて止める。
 「いえ!いいんです!!本当に私が悪いんですから・・・!」
 「しかし、病人を診るのが医者の本分というものであろう!」
 貴族らしく、職業上の責任感と倫理観に非常にこだわるクロウリーに、ミランダは必死に首を振った。
 「すっ・・・すみません!!私の言い方が悪かったんです!!すみません、私が・・・・・・!!」
 言うや、泣き崩れてしまったミランダに、クロウリーは気遣わしげにかがみこむ。
 「一体・・・何があったのであるか・・・?」
 泣きじゃくりながら、ミランダはぽつぽつと事情を語り、ようやく誤解が解けたのは、それから随分経ってのことだった。
 「まぁまぁ、そのくらいの失敗で、そんなに落ち込むことはないであるよ」
 「でも・・・私、いつもこんな失敗ばかりして・・・!」
 床に座り込んだままのミランダの前にしゃがみこんで、クロウリーはおろおろと慰めの言葉を探す。
 が、人慣れしていない彼の語彙には、気の利いた言葉などあるはずもなく、彼は困惑の果てに、花束からバラを1本抜いて、彼女に差し出した。
 「バラの香りには、鎮静効果があるそうである。
 私には、あなたをうまく慰めることはできないが、この子になら可能であろう」
 「あ・・・ありがとうございます・・・」
 涙を拭い、バラを受け取ったミランダに、クロウリーは微笑んでその細い肩を軽く叩く。
 「皆、あなたが真面目で、何に対しても一所懸命であることは知っているであるよ。
 今回はそれが裏目に出てしまっただけの事。
 誰も、あなたを嫌ったりはしていない」
 「で・・・でも・・・!皆さんに、ご迷惑を・・・・・・」
 またうな垂れた彼女の鼻先に、クロウリーからもらったバラの花弁が触れた。
 甘い芳香がふわりと漂って、彼女の涙を止める。
 「まぁ、確かに不思議なことではあるな。
 あなたは、戦場では最強のサポート要員であるのに、どうして戦場の外では・・・えーっと・・・・・・」
 「・・・・・・・・・鈍くさいんです」
 直截な言葉を避けようと、懸命なクロウリーの苦労を察し、ミランダが自虐的に呟いた。
 「そっ・・・そんなことは思っていないであるよっ!!」
 「・・・・・・気を使っていただかなくても、わかってるんです」
 先ほど、クロウリーは『今回『は』裏目に出た』と言ったが、そうではない。
 『今回『も』裏目に出た』のだ。
 悄然とうな垂れると、今度は頬に、バラの花弁が触れる。
 「・・・・・・あなたがそのように落ち込んでは、その子が心配するであるよ」
 「え?」
 誰が、と、訝しげに顔を上げて周りを見回すミランダの正面で、クロウリーは彼女の持つバラを示した。
 「さっきから、あなたを慰めようとしているのに」
 「え・・・は・・・はぁ・・・・・・」
 不思議なことをいうものだと、ミランダは呆気にとられる。
 その様子に、クロウリーも不思議そうに首を傾げた。
 「ミランダはエクソシストであるのに、その子の声が聞こえぬのであるか?」
 「声・・・ですか・・・・・・」
 何か言ってるのかしらと、花に耳を近づけてみるが、何も聞こえない。
 じっと、生真面目に耳を澄ましているミランダに笑いかけて、クロウリーは立ち上がった。
 「私はちょっと、リーバー班長に花を届けてくるであるよ。
 特に用事がないなら、そのままそこで待っていてほしいである」
 「はい・・・」
 まだ花に耳を傾けたまま、ミランダが頷く。
 その様子に、城中にはためく通信ゴーレムが、興味深げに集まってきた。
 「・・・なにやってんの、ミランダさん?」
 その場からは離れた科学班研究室で、たまたま監視モニターに目をやったジョニーが、回廊にしゃがみこんでバラに耳を傾けているミランダの姿に、呆れ声を出す。
 と、他の科学者達も集まってきて、一様に首を傾げた。
 「花と乙女?・・・いや、可愛らしいけどさ」
 「なんか聞こえるのかな?」
 「・・・花から?」
 笑い飛ばそうとして、急に黙り込む。
 「なに?誰かの研究?」
 「聞いたことねぇけど・・・しつちょーぅ!
 花って、何か聞こえますっけ?」
 振り向いて、奥のデスクを見遣れば、自身が溜め込んだ仕事の他に、リーバーの仕事まで押し付けられたコムイが、半死人の顔を上げた。
 「わたしのみみはかいのみみ・・・うみのひびきをなつかしむ・・・・・・」
 「いや、ジャン・コクトーはいいですから。貝じゃなくて、花」
 「そんな研究知らないよぉー・・・そんなことしてなんか意味あんのー・・・」
 「それもそうっすね」
 「じゃあ、なにやってんだろ?」
 揃って首を傾げる科学者達の視線の先で、そうとは知らず、ミランダが立ち上がる。
 「あ、立った」
 「誰か来たみたいだ」
 「・・・・・・・・・クロちゃん?」
 「なんだ、クロちゃん待ってたんだ」
 理由がわかった、と判断した数人は、さっさと元の作業に戻ったが、
 「そうか?たまたま通りかかったんじゃねぇの?」
 と、未だ気になる者達は、自身の作業をしつつも、片目で彼らの様子を窺った。
 「・・・そう言えば、彼女は班長に付き添っておらんかったか?なんでクロウリーと一緒なんじゃ?」
 外国にいるファインダーとの連絡を終え、受話器を置いた65の問いに、皆が『あ!』と叫んで顔を上げる。
 「そーだよ!なんで?!」
 「班長は?!」
 「なんで俺に聞くんだよ!知るかよ!!」
 ざわめきだした部屋の再奥で、コムイが頬杖をついたまま、寝ぼけた声を上げた。
 「おお軽やかな蝶よ・・・おまえの若い恋が、甘い翼に乗って我が心に戻ってくるようにー」
 「室長、なんでいきなりイスファーンのバラなんか歌って・・・・・・っ!」
 「まっ・・・まさか、ミランダさん・・・!」
 「浮気?!」
 蝶から連想した言葉に、皆、冗談ではなく蒼褪める。
 「そ・・・そんな、ミランダさんに限って!!」
 ない!と、激しく首を振るメンバーに、別のメンバーが蒼褪めた顔を向けた。
 「いや・・・でも、同じエクソシスト同士、生死を共にした仲だし・・・」
 「あの二人、波長も合いそうだし・・・」
 ネガティブ予想が出ると、当然、反対意見も出る。
 「そんな馬鹿な!」
 「ありえないって!ミランダさんに限って!」
 断固として認めない彼らに、疑惑派から提案が出た。
 「ここで俺らが四の五の言っても始まらない!」
 「本人に確認しよう!」
 実に男らしい意見に、否定派は敢然と頷く。
 「わかった!
 で?お前達の、誰が聞いて来るんだ?」
 途端、室内が静まり返った。
 「え・・・?本人に、聞く役・・・・・・?」
 疑惑派の呟きに、否定派達は当然のように頷く。
 「俺らは信じているからな。ミランダさんに、わざわざ不快なことを聞くつもりはない。だけどお前らは、疑ってんだろ?」
 当然と言えば当然の論理に、疑惑派達が鼻白んだ。
 「そ・・・それは・・・・・・」
 互いに顔を見合わせ、誰もがその勇気ある行動に出るとも言い出さず、何とはなしに『今後の行動を観察する』と言う形で話がまとまる。
 「男らしくないな!」
 「うるさい!
 えっ・・・英国紳士として、女性に恥をかかせたくないだけだ!」
 不毛な言い争いをする部下達をよそに、そもそもの疑惑の種をまいたコムイはデスクに突っ伏して、夢の国へと漂って行った。


 クロウリーがミランダと再合流する少し前。
 医務室のドアを開けた彼は、中の惨状に呆気にとられた。
 「か・・・火事であるか?」
 焦げ臭い空気に眉をひそめ、間近にいたナースに問うと、彼女は苦笑して頷く。
 「ミランダが、リーバー班長の看護に張り切っちゃったんですよ。
 病気快癒のおまじないだかなんだか・・・怪しいグッズでベッドを取り囲んだんですけど、その中のアロマキャンドルの火が、カーテンに燃え移ったんです。
 おかげでドクターがキレちゃって・・・・・・」
 ひそひそと囁かれて、クロウリーは納得したとばかり、深く頷いた。
 ミランダは『私が悪い』と言ってはいたが、女性をあんなに泣かすとはけしからんと、一言、ドクターに苦言を呈しようと思っていたものの、この惨状を見ては、その意気も失せてしまう。
 「あー・・・リーバーの見舞いに来たのであるが、彼は無事であるか?」
 この惨状を前に聞くのもどうかと思ったが、クロウリーは忙しそうに踵を返したナースを引き止めた。
 と、彼女は頷いて奥のベッドを示す。
 「あちらのベッドに移ってもらっています。
 さっきまで目を回していたけど、もう起きてると思いますわ」
 「そ・・・そうか・・・・・・」
 彼女へ丁寧に礼を言うと、クロウリーは火事の始末に忙しいナース達の間を抜け、医務室の最奥にあるベッドに歩み寄って、カーテンを開けた。
 「大丈夫であるかー?」
 「いや・・・あんまし・・・・・・」
 医務室でぶっ倒れている患者に対して、不適切な問いを発するクロウリーに適切な答えで応じて、リーバーは弱った視線を向ける。
 「火事に遭ったとか・・・大変であったな」
 「いや、単なる小火(ぼや)だよ」
 ぱたりと手を振る彼に苦笑して、クロウリーは手にしたバラを示した。
 「見舞いである。
 火事ではなく、胃痛の方であるがな」
 「バラを飲むのか?」
 不思議そうに問うリーバーに、クロウリーは声を上げて笑う。
 「そうであるな。胃痛がひどいなら、ワインを加えたバラを煎じて飲んでも良いであるよ。
 まぁ、今回は、ストレスを和らげる精神安定剤として持って来たのであるがな」
 そう言って、クロウリーが枕元に置いたバラの花束を、リーバーはじっと見つめた。
 「その場合は、同じ煎じ方でいいのか?」
 「・・・なんで、香りを楽しむと言う発想が出てこないのであるか」
 呆れ口調で言って、彼はバラの花にそっと手を添える。
 「私には、科学的な根拠などわからぬが、この子達の香りには、精神安定の効果があるのである。先人達の知恵であるよ」
 「サンキュ。有効利用させてもらうよ」
 思わず吹き出したリーバーに頷くと、クロウリーは、それはともかく、と、声を潜めた。
 「外で、ミランダに会ったのであるが、ひどく落ち込んでいたであるよ」
 「ありゃ・・・それは可哀想に・・・・・・」
 軽い口調の割には気遣わしげな表情の彼に、クロウリーが苦笑する。
 「すまない、心配事を持ってきてしまったであるな。
 彼女に何か、言ってやってほしいと思ったのであるが・・・」
 「あ!いや、いいんだ・・・じゃあ、そうだな・・・」
 と、リーバーはやや考えてから、クロウリーを手招いた。
 「ミランダさんに、伝えてくれ。
 さっきのことは気にしないでほしい、一所懸命やってくれたことはうれしいと思ってる、って」
 「了解したである。
 ただ・・・あの性格であるからなぁ・・・・・・」
 「言ってもきかねぇよなぁ・・・・・・」
 そう言って、二人は苦笑を交わす。
 「しかし、言わないよりはましである。
 伝えておくので、班長はしっかり養生するであるよ」
 「オッケ。よろしく」
 「任せるである」
 そうして医務室を出たクロウリーが、リーバーの言葉を伝えにミランダと再合流した場面を、浮気現場だと疑われようとは―――― 本人達は、知る由もなかった。


 その後、昼過ぎて目を覚ましたリナリーは、身支度を整えて部屋を出た。
 回廊をてくてくと歩いていると、正面からクロウリーとミランダが、なにやら話しながら歩いてくる。
 時々ミランダがしゃくりあげ、その度にクロウリーがなだめている様に、首を傾げた。
 「どうかしたのかしら?」
 ここで、消極的に『観察しよう』などとは思わない彼女である。
 リナリーは、早足に二人へ歩み寄ると、科学班の自称『英国紳士』達よりも潔く尋ねた。
 「どうしたの?何かあった?」
 あっさりと問われて、ミランダは涙に濡れた目をリナリーへ向ける。
 「わ・・・私、とんでもないことを・・・」
 「だから・・・そこまで思いつめることはないと言っているであるよ!」
 声に疲労感を滲ませるクロウリーに、リナリーは首を傾げた。
 「なに?」
 再度問われて、二人は口々に事情を語る。
 「はぁ・・・つまり、班長がオーバーワークで倒れちゃって、ミランダはその看護に一所懸命になりすぎたってことなのね?」
 「リーバー班長は気にしていないというのに、ミランダが信じてくれないのである」
 「まぁ・・・確かに、小火を出したのは大変だったね」
 リナリーは苦笑して、ミランダの手を取った。
 「でも、大丈夫だよ!怒ってるのはドクターであって、班長じゃないもん!」
 的確に真実を突いたリナリーの言葉に、クロウリーが盛大な拍手を送る。
 「そう!それが言いたかったのである!!」
 さすがだと褒め称えられて、リナリーが照れ笑いを浮かべた。
 「ドクターには、後でお酒でも持って、謝りにいけばいいよ。
 大丈夫!
 ドクターは根に持つ性格じゃないし、不安なら私も付き合うよ!」
 益々的確な対処に、クロウリーの拍手が大きくなる。
 「そ・・・そうね・・・・・・」
 リナリーの提案に、ミランダもようやく落ち着いて、深々と吐息した。
 「ご・・・ごめんなさい、取り乱してしまって・・・・・・」
 頬を赤らめて俯いた彼女に、二人は笑って首を振る。
 「では、落ち着いたようだし、私は失礼するであるよ」
 ひらりと片手を振って、踵を返したクロウリーに、リナリーも手を振り返そうとして、手を止めた。
 「あ!待って、クロウリー!
 私も班長のお見舞いに行きたいから、お花を見繕ってほしいの!」
 追いかけてきたリナリーを振り返って、クロウリーが軽く首を傾げる。
 「あぁ、そうであるな。
 何がいいであるか?ダマスク・ローズはもう、私が持って行ったであるが・・・」
 「え?!なんでそんな可愛らしい花を持っていくの?!」
 大きな目を見開いて驚くリナリーに、クロウリーは乾いた笑声をあげた。
 「花容よりも薬効を重視したのであるよ。あれは、特に薬効のあるバラであるからな」
 「あ、そっかー!」
 二人の会話を聞いて、ミランダは、クロウリーからもらったバラを改めて見つめる。
 「あの・・・クロウリーさん・・・・・・」
 「ん?」
 呼びかけに応えた彼に、ミランダは詰め寄った。
 「んなっ?!」
 驚く彼に、ミランダは真剣な顔で更に迫る。
 「私を、弟子にしてください!!」
 「・・・はぁっ?!」
 突然の申し出に、クロウリーだけでなく、傍らのリナリーも驚いた。
 「な・・・なに言ってるの・・・?」
 発言の意味がわからず、戸惑う二人の前で、ミランダは真摯な視線をバラに注ぐ。
 「挽回をしたいんです・・・!
 今回の件を償うなら、看護の仕方を学ぶことが一番いいんでしょうけど、それより以前に、彼が倒れたりしないように、健康を気遣ってあげたいんです・・・」
 彼はいつも、私を気遣ってくれるから・・・と、他人からしてみれば、のろけ以外の何ものでもない台詞を無意識に吐いた。
 「バラには薬効が・・・特に、リーバーさんの症状に有効な薬効があるんですよね?」
 彼女の問いに、クロウリーは頷く。
 「バラの香りは精神安定に良いであるし、そもそも彼が倒れた原因である胃痛や、不眠にも効くと言われている。
 まさに、彼のような患者には効果的であろうな」
 「へぇ・・・そうなんだぁ・・・・・・」
 リナリーが、思わず感嘆の声を上げると、ミランダも真剣な顔で頷いた。
 「幸いなことに、もうすぐリーバーさんのお誕生日です・・・。
 その時に、何か常備薬のようなものでも作って、プレゼントしてあげられれば・・・」
 そう、ミランダが呟いた途端、クロウリーがはっと目を見開く。
 「あぁ!そうか、その手があったである!」
 「手?」
 両手を広げて首を傾げるリナリーに、クロウリーは笑声をあげて頷いた。
 「いや、すっかり忘れていたである。
 我が家には、代々伝わる万能薬があるのだが、それが、ダマスク・ローズを原料としているのであるよ」
 「バラのお薬!
 なんだか素敵だなぁ・・・!」
 リナリーが歓声を上げ、ミランダも満足げに何度も頷く。
 「この薬は美容にも良いとして、代々我が一族の女達が秘薬として作っていたものである。
 しかし、二人には特別に教えるであるよ」
 クロウリーが、少々おどけた口調で言うと、リナリーが目を輝かせた。
 「そうと決まれば、善は急げである!早速製薬しよう・・・と、言いたいところではあるが」
 期待に満ち溢れた視線に挟まれ、クロウリーは苦笑する。
 「真に、品質の良いものを作ろうと思うなら、バラは夜明け前に摘まなくてはいけないのである。
 今日はもう遅いであるから、バラを摘むのは明朝にして、下準備だけするであるよ」
 「はい、マイスター!!」
 目を輝かせる二人を伴って、彼はバラ園へと向かった。


 一方、その場面を観察していた科学班では。
 「リナリーまで合流したな・・・」
 「なーんだ。
 やっぱり、浮気現場じゃなかったんじゃないか」
 「心配して損した」
 さっさと仕事に戻ろうとする浮気否定派を疑惑派達が押しとどめた。
 「まだわからないじゃないか!」
 「早急な判断は命取りだぞ・・・!」
 真剣な顔で、モニターを睨む彼らに、両派のどちらも属さない科学者達から、『仕事しろ!』と、怒声が放たれる。
 「く・・・!まだ、負けたわけじゃないぞ!」
 「疑う方が失礼だーって」
 いつの間に勝負になったものか、観察はまだまだ続いた。


 翌朝。
 未明の森で朝の訓練を終えた神田は、通りかかったバラ園に蠢く黒い影に、思わず抜刀した。
 が、
 「神田、おはよー」
 彼の殺気に振り向いたリナリーの顔を薄明の中に見て、刃を収める。
 「・・・なにやってんだ、お前ら」
 次々に振り向いたクロウリーとミランダに、神田は忌々しげに舌打ちした。
 「もう訓練であるか?」
 「お疲れ様」
 暢気に朝の挨拶をする三人に、神田の目が尖る。
 「こんな朝っぱらからなにやってんだ、って聞いてんだろ。
 危うく、全員卸すところだったぜ」
 「えっ?!」
 真っ青になって硬直するクロウリーとミランダの傍らで、リナリーが愉快そうに笑った。
 「神田が斬りかかって来るのと、私がブーツ発動するのと、どっちが早いと思う?」
 「・・・お前だろうな」
 神田が再び舌打ちすると、リナリーは笑って頷く。
 「だったら大丈夫だよ。
 あ、なにやってるか、だったよね。バラを摘んでるんだよ」
 ほら、と、リナリーは大きな籠に三分の一ほど溜まったバラの花を彼に見せた。
 「朝のうちに摘まないと、ローズオイルが蒸発しちゃうんだって!」
 「オイル?間引きじゃねぇのか」
 「まぁ、間引きもかねて、であるな」
 早速作業に戻ったクロウリーは、せっせとバラを摘んでいる。
 「バラのお薬作るんだよ!」
 「胃や疲労にいいんですって・・・」
 「あぁ、リーバーか」
 リナリーとミランダの補足に頷いて、神田はやや引き気味にミランダを見遣った。
 彼女が何度も時間を戻して、この城の全ての時計を狂わせたのは、つい昨日の事だ。
 「・・・もう、あんなことがないように祈るぜ」
 ため息混じりに呟くと、彼は踵を返した。


 徐々に夜が明けて行く中、回廊を歩んでいると、目覚め始めた城がざわめいてくる。
 中でも、一際騒々しい足音が遠くから聞こえてきて、神田は目を吊り上げた。
 「廊下を走るんじゃねぇよ、モヤシ!!」
 石造りの回廊を伝って響く怒声に、足音が急停止する。
 そろそろと、曲がり角から顔をのぞかせたのは案の定、アレンの白い頭だった。
 「だって・・・お腹すいたんだもんー・・・」
 一刻も早く食堂に行きたい、と、ほざくアレンに、神田は忌々しげに舌打ちする。
 「てめぇ、それで何回、出会い頭の衝突をやらかした?」
 反射能力に優れたエクソシストやファインダーはともかく、他の部署のスタッフがもう、何人も轢かれていると聞いていた。
 「しょ・・・衝突はしてませんよ?!
 僕、ちゃんと避けてますもん!
 ・・・・・・向こうが驚いて、転んじゃうことは何回かありましたけど」
 気まずげに目を泳がせると、神田の眼光が鋭くなる。
 「被害出てんじゃねぇかよ・・・!
 ちったぁ考えて行動しやがれ、イノシシが!」
 「誰が野ブタですか!!」
 「そうやってキーキー鳴くところがだ!!」
 「アンタだって口を開けば毒舌じゃないですか!このヒドラ!!」
 「ブタに比べりゃ蛇で結構だってェんだ、ブタモヤシ!!」
 「太ってませんっ!!ってか、なんですかそのおいしそうな名前!!」
 回廊中に響き渡る程の大音声で怒鳴りあっていると、近くの部屋のドアが勢い良く開いた。
 「うるっさいさ!!人が気持ちよく寝てんのに!!」
 割って入った怒声は、しかし、鋭い目で睨み返されて勢いを失う。
 「なんか文句あんのか・・・?!」
 「あっ・・・ありません・・・・・・」
 二人揃って言い渡された途端、ドアに縋りついて、へなへなとへたり込んだラビに、冷徹な視線が刺さった。
 「いつまでも寝てんじゃねェよ!!」
 「そんなんだからラビだって言われるんですよ!!」
 「ユウちゃん、八つ当たりヤメテ!ってかアレン君、なにドサマギに俺のアイデンティティ否定してくれてんのっ?!」
 顔を覆ってさめざめと泣き出したラビに、二人とも忌々しげに舌打ちする。
 「うぜぇよ、ナキウサギが!!」
 「だからいつまでもラビなんですよ!」
 「ナキウサギって、意味ちげーだろ!!だからアレェェェン!!俺の存在自体を否定すんなさ!!」
 「うるさいわ、小童共!!」
 まずは自らの弟子を踏み台にして、華麗に宙を舞ったブックマンが、騒ぐ少年たちを次々と蹴倒した。
 「年寄りの安眠を妨害しおって、少しは静かにせんかぃっ!!」
 鋭く叱声を放つと、凄まじい音を立ててドアを閉ざす。
 「・・・って、ジジィ!!俺まで締め出すなさ!!」
 しかし、厳重に鍵をかけられたドアが開くことはなかった。


 「んまっ!
 ラビったら、なんでパジャマのままなの?!」
 仕方なしに食堂へと下りて来たラビは、ジェリーの指摘にまた、さめざめと泣き出した。
 「・・・俺だって、好きでこんなカッコしてんじゃないさー!
 こいつらが部屋の前でケンカすっから、苦情申し立てただけなのに、俺までジジィに締め出されたんさー・・・」
 もうやだ、と、しくしく泣き続けるラビの、寝癖だらけの髪を、ジェリーは苦笑しつつ直してやる。
 「アラアラ・・・可哀想に。
 で、アンタ達はケンカしてたのに仲良くここに来てくれたのね」
 ジェリーがからかい口調で軽やかな笑声をあげると、ラビの背後で、アレンと神田の目が吊り上った。
 「全ッッ然仲良くなんかないですよ!!」
 「気持ち悪ィこと言うんじゃねぇ!!」
 「アラアラv
 二人の絶叫を柳に風と受け流し、ジェリーは肩越しに厨房を見遣る。
 「アンタ達、随分イライラしてるみたいだから、カルシウムがたくさん入ってるお惣菜つけときましょうね。
 残しちゃダメよv
 で、注文は?」
 教団最強のママンには、さすがに反論することもできず、三人はそれぞれに注文をして、テーブルに着いた。
 「ユウ、なんでそんなに遠くに行こうとすんさ!せっかく一緒にいんだから、ここ座れって!」
 いつもの蕎麦を持って、食堂の端まで移動しようとする神田を留め、ラビは自分の隣に座らせる。
 「・・・って!どこに行くんさ、アレンも!!」
 すたすたと、彼らの席を通り過ぎていくアレンも捕まえ、隣に座らせた。
 「仲良くしろとはいわねーけど、メシくらい一緒にくおーぜーv
 険悪な二人に挟まれながらも、ラビは陽気に笑う。
 二人のせいで酷い目に遭ったばかりだと言うのに、感嘆すべき寛容さだった。
 しかし、彼の両脇に配置された二人は、
 「なんで俺がモヤシと・・・」
 「なんで僕が神田と・・・」
 と、一触即発の気を纏ってピリピリしている。
 「まぁまぁ、メシ食いながら話しよーと思ってさー」
 「なんですか?」
 豚キムチとモヤシの炒め物を貪り食いながらアレンが問うと、
 「結局俺ら、昨日はまともにリーバーの見舞いできんかったし、今日リベンジしね?」
 と、ラビはパニーニを頬張った。
 「それはいいですけど・・・また、ミランダさんに追い出されるんじゃないかなぁ・・・」
 アレンが不安そうに言うと、ひじきの煮物を前に思案している風の神田が、『いねェよ』と呟く。
 「へ?なんさ?」
 「ミランダはさっきまで、クロウリーやリナリーと一緒に、バラ園にいた。
 薬を作るとか何とか言ってたから、朝の間は医務室にゃいねぇだろ」
 言いながら、神田はまだ、ひじきを睨んでいる。
 「へぇ・・・何の薬か聞いたんさ?」
 「あぁ、胃にいいって言ってたな・・・」
 どこか上の空で答えながら、神田は未だ、ひじきに箸をつけかねていた。
 「ミランダさん達、『ハンガリー王妃の水』でも作るのかなぁ?」
 「それ、原料はバラじゃなくてローズマリーさ」
 「あ、そうですっけ?」
 ラビに呆れ口調で訂正され、首を傾げたアレンは、そのまま頬杖を突く。
 「神田、嫌いなんですか、それ?」
 「さっきからずっと睨んでるさ」
 「・・・うるせぇ!」
 二人から指摘され、神田は思い切って箸をつけた。
 一気に掻き込んで、小鉢を置いた彼に、二人は苦笑する。
 「意地が葛藤に勝った瞬間さ」
 「うるせェっつってんだろ!」
 憤然と言って、神田はそばつゆにたっぷりと薬味を入れた。
 あからさまに口直しだとわかる行為に、楽しげに笑いながらラビは自分の皿に手を伸ばす。
 が、そこにあるはずのパニーニは既になくなっていた。
 「アーレーンー・・・!」
 ガツガツと、隣でラビのパニーニを頬張るアレンを睨んで、ラビは所狭しと並んだ皿の一つを取り上げる。
 「あ!僕のカスクート!!」
 「俺のパニーニ食ったんだから、いいだろ!!」
 取り返そうとするアレンを押しのけ、ラビはカスクートにかじりついた。
 「あぁー・・・モッツァレラチーズと生ハムのカスクートー・・・!楽しみにしてたのにぃー・・・」
 「中身は一緒さ!」
 「どっちがどっちだかわかんねェよ!!」
 神田から見れば、違う種類のパンに挟んだサンドイッチということ以外、理解できない。
 「西洋人から見れば、蕎麦とうどんの違いもよくわかんねぇさ。
 それよりユウちゃん、行くの、行かんの?」
 「こっちにまでパン屑を散らすな!
 そうだな・・・行ってやってもいい」
 早々に箸を置いて呟くと、ラビは『オッケ』と笑って立ち上がった。
 「・・・さっさと食えよ」
 「いいんさ、歩きながら食うから。
 アレンー?」
 「はい、終わりました!」
 こちらは完食してから立ち上がる。
 「お見舞い、用意しなくていいんですかねー?」
 「いんじゃね?食い物持ってったら怒られたし」
 それに、と、ラビはにんまりと笑った。
 「快気祝いを派手にやりゃあいんだからさv
 「快気・・・あぁ、そういやもうすぐ、あいつの誕生日だな」
 「あ!そっかー!
 ラビラビ!今年も打ち上げ花火しよっ?!」
 「いいぜ。
 その代わり、お前も花火作り手伝うさ」
 ラビが頷くや、アレンは歓声を上げる。
 が、
 「火薬はどうすんだ?
 お前、火薬の使用を禁止されてっだろ」
 神田に指摘され、悩ましげに唸った。
 「そうさなー・・・コムイを仲間に引き入れるしかねーかなー」
 「リナリーのお願い以外じゃ、動いてくれませんよー・・・」
 そのリナリーは、バラの薬にかかりきりになっているらしい。
 「僕が警備班にお願いする、って、言いたいところですけど・・・・・・」
 アレンは、ほとんど毎回ラビに巻き込まれ、連帯責任を負わされるために、ラビと同等の警戒心を持たれてしまっていた。
 と、
 「・・・あ!
 警備班にっつーより!」
 食べ終わったカスクートの、パン屑を手から払いつつ、ラビが神田を見遣る。
 「ユウたんv ファインダー通して、備品管理部にお願いしてさぁv
 「はぁ?!なんで俺が・・・」
 めんどくさい、と、眉をひそめる神田に、ラビは身を摺り寄せた。
 「だってユウたん、一部ファインダー・・・っつーか、一緒に任務遂行したファインダーに、心酔されてんじゃんーv
 ユウたんがちょーっと、『火薬を分けてもらってほしい』って言えば、喜んでもらってきてくれるさーv
 アレンは認めたがらないが、冷徹な戦場の論理を徹底する神田の戦い方は最も被害が少なく、生存率も他のエクソシスト達との任務に比べて高いために、共に任務に赴いたファインダーの中には、彼を崇拝している者もいるらしい。
 「あ、俺らのためじゃないからv
 俺らのためにがんばりすぎた、リーバーのためだからさv
 「・・・・・・仕方ねェな」
 機先を制して付け加えたラビに、神田は舌打ちして頷いた。
 「どのくらいの量がいるんだ?」
 「それは後でメモって渡すさーv
 他にも、色々欲しいもんがあるしーv
 生き生きと顔を輝かせ、ラビは医務室のドアを開ける。
 「やほーv
 リーバー、具合どーさー?」
 機嫌良くはしゃいだ声をあげた途端、中のドクターとナース達に睨まれたが、気にせず奥まで進んだ。
 「おまえ・・・なんでパジャマのままなんだよ」
 半身を起こしたリーバーが呆れ声で問うが、ラビは笑って手を振る。
 「コレには色々事情があるんさ」
 「それより、具合はどうですか?」
 「もう起きてていいのか?」
 続いてアレンと神田に問われ、リーバーは笑って頷いた。
 「昼には研究室に戻るよ。
 オーバーワークは止められてるが、何もしないってのは却ってストレスになってなー・・・」
 ワーカーホリックだ、と、自嘲する彼に、エクソシスト達は何度も頷く。
 「むしろ、治すのはワーカーホリックの方じゃね?」
 「働きすぎて倒れちゃ、元も子もないですよ」
 「コムイみたいに、とは言わねぇがな、これからは少し、休み休みやるんだな」
 「はは・・・同じことをドクターに言われたよ」
 年下の少年達に説教され、リーバーは気まずげに頭を掻いた。
 「でも、元気そーで安心したさ。
 昨日は、ミランダが母ライオンみたいな顔して守ってたから、そんなに悪いんかと思ってた」
 「はは・・・あー・・・ミランダさんは、どうしてる?」
 「別に。
 クロウリー達と、間引きをかねて、バラ摘んでたぜ」
 「そ・・・そうか・・・・・・」
 神田の無愛想な声で、あっさりと言われてリーバーはやや落胆し、その様子に、アレンが小声で『朴念仁』と呟く。
 「なんだ、なんか言ったか、テメェ?」
 「別に。
 それよりリーバーさん、お仕事には今日から戻るそうですけど、パーティは参加できそうですか?」
 「パーティ?」
 なんの?と、首を傾げるリーバーに、アレンは『お誕生会v』と、楽しそうに笑った。
 「もうすぐですよね!
 張り切って準備しようと思うんですけど、リーバーさんが本調子じゃないんじゃ、延期かなぁって・・・」
 「そりゃ嬉しいな!
 まぁ、暴飲暴食さえしなけりゃ、ドクター・ストップがかかることはないと思うが・・・」
 リーバーの視線を辿って、三人の目も、じっとドクターを見遣る。
 と、視線の先で、彼はにこりともせず頷いた。
 「やったぁv
 じゃあ僕達、がんばりますね!」
 「はは・・・よろしくなーv
 手を伸ばして、アレンの頭をくしゃくしゃと撫でてやると、リーバーの手の下で、彼は嬉しそうに笑う。
 その後間もなく、少年たちが去り、リーバーも無事退院(?)して、職場へ戻っていくと、ドクターは深々と安堵の息をついた。
 「ようやく静かになった・・・」
 しみじみと呟くと、ナース達が苦笑を見合わせる。
 「どうせまた、賑やかになりますよ」
 「・・・嫌な事を言わないでくれないかね」
 ナースが淹れてくれたお茶に息を吹きかけつつ、ドクターは苦々しく呟いた。


 医務室を出るや、さっさと別行動を取った神田を手を振って見送ると、アレンとラビはぶらぶらと歩き出した。
 「ラビ、いつまでパジャマのままなんですか?着替えに戻れば?」
 「無理さ。今日はジジィ、昼過ぎまで寝るっつってたもん。絶対部屋に入れてくんないさ」
 ぺたぺたと、スリッパの音を回廊に響かせながら、ラビは深々と吐息する。
 「アレンがもーちょっとおっきかったら、服を借りれたんけどさー」
 「・・・うっさいですね、ほっといてくださいよ!その内追い越してやるんですから!!」
 ぺしぺしと、身長差を見せつけるように頭に手を乗せられて、アレンが屈辱に震えた。
 「ユウちゃんに借りよーにも、細さが・・・」
 太っちゃいないはずなのに、と、悩ましげに首を捻るラビの隣で、アレンの目が尖る。
 「人のこと、モヤシだの貧弱だの言ってくれますけど、あの人だって細いじゃないですか!
 むしろ、あの人の方が細いじゃないですか!
 誰に言われたって、あの人に言われる筋合いなんですよっ!!」
 「はい、どーどー」
 鼻息を荒くするアレンの頭をわしわしと撫でてやりながら、二人がどこへ行くともなく歩いていると、中庭へと通じる回廊の先から、華やいだ声が響いてきた。
 そのまま進んでいくと、案の定、リナリーとミランダに出くわす。
 「やほーv お薬はできたんさ、お嬢さん達?」
 「んなっ?!」
 「なんでパジャマのままなの、ラビ・・・?!」
 目を見開くレディ達の傍らで、クロウリーも眉をひそめた。
 「レディ達の前で、失礼であるよ、ラビ」
 「色々事情があるんさ、色々」
 今朝、何度目かの台詞を吐いて、ラビが苦笑する。
 「それは後で教えてやっからさ、どうなん?ローズ・オイルでも精製したんさ?」
 「あの程度の規模のバラ園では、ローズ・オイルのみを必要量採取するのは無理であるよ」
 「じゃあ、バラ水ですか?」
 「いや、我が家に伝わる薬である」
 ラビとアレンの問いに律儀に答え、クロウリーはまだ容を保ったバラの花が、大量に入った籠を示した。
 が、それは神田が見た量からは、3分の1にも減っている。
 「花をほぐすのが大変だったよ・・・・・・」
 リナリーは苦笑するが、ずっとバラを触っていたためか、彼女達からはとてもいい香りがした。
 「後はこれを完全に乾かしてから、砕いてお茶に混ぜるのであるよ」
 「ふーん・・・薬って言うから、丸薬みてーなもんかと思ってたら、煎じ薬だったんさ」
 でも、と、にんまりとラビが笑う。
 「それなら、ミランダでも失敗しなくて安心さ」
 「そ・・・そうなの・・・・・・」
 ラビのからかい口調にはかなく微笑み、ミランダが頷いた。
 「私、なにかいいお薬はないか、なんて言ったものの・・・難しいものだったらどうしようって、不安だったの。
 だけど、良かったわ。
 私でもちゃんと作れそうなもので」
 冗談を真に受けられた上に、素直な反応を返され、逆にラビが言葉を失う。
 更には、
 「あんな事、わざわざ言わなくったってねぇー?」
 「ラビったら、意地悪だわ!」
 「失礼なことを言うものではないであるよ」
 周りから次々にひんしゅくを買い、見事に評判を落としてしまった。
 「えっと・・・いや・・・悪気なんてこれっぽっちも・・・すみませんでした・・・・・・」
 「え?どうして謝るの?」
 うな垂れるようにこうべを垂れたラビに、ミランダが目を見開く。
 「え・・・いや・・・」
 純粋な目で見返されては、ラビは視線をさまよわせるしかなかった。
 緊急に話題変換の必要性を感じて、ラビは彼の背後を示す。
 「ミ・・・ミランダが、そんなに一所懸命にやってくれてるって知ったら、リーバーは喜ぶだろうなぁと思ったんさ」
 途端、ミランダがピクリと反応した。
 「あ・・・リーバーさんのお見舞いに行ってきたの?」
 「そうそう、昨日はあんたに邪魔さ・・・ぐぼぇっ!!」
 また、不用意なことを言いそうになったラビのみぞおちに肘鉄を食らわせて、アレンがにっこりと笑う。
 「元気そうでしたよ、リーバーさん。
 お昼頃から、科学班に戻るそうです」
 「あぁ・・・そうなの・・・・・・」
 どこか、落胆したような彼女の口調に、ラビが腹を押さえたまま、訝しげな声をあげた。
 「あれ?嬉しくないんさ?」
 「あ!いえ!そうじゃないんだけど・・・・・・」
 慌てて手を振り、ミランダはまた、はかなげな笑みを浮かべる。
 「私・・・科学班にはしばらく、行かないことにするわ」
 「え?!なんで?!」
 全員から異口同音にあがった声に、ミランダは笑みを苦笑に変えた。
 「だって・・・邪魔したくないもの・・・」
 「だっ・・・誰が邪魔だなんていったんですか?!」
 「そうだよ!少なくとも、私はミランダが手伝ってくれて、助かってるよ?!」
 すかさずアレンとリナリーが迫ってきて、ミランダは慌てて首を振る。
 「誰にも言われてないわ・・・!」
 「じゃあなんでさ?」
 「そうである。思い込みは、良くないであるよ?」
 ラビが首を傾げ、クロウリーが気遣わしげに眉をひそめると、ミランダは苦笑を深めた。
 「リナリーちゃんには、ごめんなさい。
 ちょっとの間、皆さんのお手伝いを、一人でお任せするわね」
 「それは・・・元々私一人だったから、いいけど・・・・・・」
 納得しがたい声のリナリーに、ミランダは頷く。
 「私、中途半端はやめようと思って・・・」
 「中途半端?」
 揃って首を傾げる彼らに、ミランダはまた頷く。
 「昨日、クロウリーさんに『戦場では最強のサポート要員なのに、どうして戦場の外では失敗続きなのか』って言われてから、ずっと考えていたんです」
 「クロちゃん・・・」
 「わっ・・・私はそんなにはっきり言ってないであるよっ!!」
 少年少女達に白い目を向けられ、クロウリーが慌てふためいた。
 が、ミランダは構わず、話を続ける。
 「初めてヘブラスカに会った時、私、あまりに驚いて錯乱してしまって、なにを言われたのかさえ覚えてないのだけど・・・」
 「あー・・・それはわかります。僕も、死ぬほど驚いたもん」
 引きつった笑みを浮かべて、アレンもが頷いた。
 あの大きな手に、問答無用で掴み上げられて―――― 心臓の弱そうな彼女がどれほど怯えたか、想像に難くない。
 「でも、シンクロ率を測るため、何度も彼女の所へ行くうちに、言われたことがあったの。
 なんでもすぐに覚えようとか、完璧にこなそうなんて思わないように、って」
 「え・・・?」
 そんなこと言うんだ、と、意外そうな顔をする三人に、
 「あなた達は、ヘブラスカにお願いしなくても十分に適合していたのでしょうけれど、私はそうではなかったから・・・」
 と、ミランダは笑みを漏らした。
 「その言葉を、何度も何度も繰り返されて・・・落ち着いて、発動できるようになったの。
 多分・・・あの言葉は、他のことにも十分通用するものなんだわ・・・。
 私は不器用なクセに、最初から完璧にこなすことばかりにこだわっていたの」
 「あー・・・それでー・・・・・・」
 あの、過剰なまでの看護態勢か、と、アレンとラビが、乾いた笑みを浮かべる。
 「だけどね、中途半端なままでいるのも、私は嫌なの。
 だから、なんでも一度にやってしまおうなんて思わないで、一つ一つ、丁寧にやっていこうと思うの。だから・・・」
 にこりと、ミランダはクロウリーに微笑みかけた。
 「マイスターから、秘伝のお薬の作り方をしっかり教わってから、科学班のお手伝いに戻るわ」
 「そっか・・・・・・」
 ミランダの言葉に、リナリーもにこりと笑う。
 「じゃあ、がんばって!
 班長のアレは、慢性疾患だしね」
 「常時作っておかなければならない、ということであるな。
 ならば確かに、完全に伝授する必要があるである」
 感心したように何度も頷くクロウリーの隣で、しかし、リナリーはふと首を傾げた。
 「でも、それって班長のお誕生日プレゼントにもするんでしょ?間に合う?」
 「あ・・・・・・」
 自信なげに視線をさまよわせたミランダに反し、クロウリーは大きく頷く。
 「大丈夫である!マイスターが請け負うであるよ!!」
 常になく自信に満ちた彼に、ミランダも安堵して、大きく頷いた。


 「マルタイ(対象)、リナリーと別れ、二人での行動に移りました!」
 「オーライ!
 2カメ、4カメ、追跡開始!」
 「仕事しろー!!」
 科学班で、ミランダとクロウリーの動向を注視する『浮気疑惑派』達に、他の科学者達から怒声が沸く。
 だが、彼らは自身らの研究もこなしつつ、意地とばかりに監視カメラの映像を目で追っていた。
 『間違いでもいい。真実を追求する』というのが、彼らの主張である。
 「単なる野次馬根性だろ」
 同僚達の冷たい声は、意識的に聴覚から叩き出された。


 「リナリー、一緒にお薬を作るんじゃないんですか?」
 作業に向かったミランダとクロウリーに手を振り、アレンとラビが行く方向へとついて来たリナリーを振り返ってアレンが問うと、彼女はにこりと笑った。
 「そうなんだけど、私は科学班のお手伝いがあるから。
 作り方は半分教わったし、後の半分はミランダから教わるよ」
 「ふぅん・・・。じゃー俺も暇だし、手伝いでもすっかなー・・・」
 「え?!珍しい!
 なんか下心でもあるんですか?!」
 驚いて声をあげた途端、すぱんっと、頭をはたかれる。
 「なんでそっちなんさ!
 俺だってたまには心がけのいいことをやろうと・・・」
 「・・・花火の材料、こっそりもらっちゃおうって企んでるんじゃないんですか?」
 「・・・・・・・・・」
 ラビが急に黙り込み、アレンの目が尖った。
 「図星じゃないですか!!」
 「べっつに・・・それだけが目的じゃないしー・・・」
 わしわしと、はたいたばかりのアレンの頭を撫でつつ、白々しくラビが言う。
 「そうそう、花火と言やぁ火薬が必要なんけどさ、リナ、おにーちゃんにお願いして、もらってくんね?」
 「あ、それは無理」
 話題を振られたリナリーが、ラビの手の下でふてくされるアレンに苦笑しつつ言った。
 「今ね、科学班が火薬を使う場合は、班長を通さなきゃいけないの。
 兄さんがあんまり悪戯するから、管理権を奪われちゃったんだ・・・」
 それに準じて、リナリーも一切の手出しを禁じられたと言う。
 「まぁ、兄さんは火薬がないなら別の燃料で代用しちゃうから、結局いたちごっこだって、みんな怒ってるんだけど・・・」
 「そっか・・・じゃあ予定通り、ユウちゃんにがんばってもらうしかないさね」
 やや残念そうに首を振りつつ、ラビは科学班のドアに手をかけた。
 「やほーv こき使われてるさー?」
 「うーぃ・・・って、ラビ、なんでお前、パジャマのまんまなんだ?」
 「事情が色々・・・・・・」
 もう何度目かの問いに乾いた笑声をあげて、ラビは研究室に入り込む。
 「ジジィが起きるまで部屋に帰れないんで、暇つぶしに手伝ってやるさ」
 「ふぅん・・・なんか、下心でもあんの?」
 「うんっv
 ・・・イヤイヤイヤイヤイヤ!!ないから!下心なんてないから!!」
 問いに対して素直に頷いてしまい、ラビが慌てて首と手を振った。
 が、
 「首と手と両方振るってお前、器用だなー」
 「別にいいよー。
 ラビがボランティアなんて、後で何か協力させられそうで怖いし」
 「ここにあるものなら、ある程度は分けてやっていいぞ。危険物以外」
 と、気のいい科学者達は、気にせず言ってくれる。
 「あは・・・。
 じゃあ、お手伝いするから、お駄賃代わりにいくつか材料分けてv
 「なんの?」
 「花火v
 「火薬以外ならオッケ」
 「りょーかいv
 契約成立、と、約束したメンバー達と握手を交わしていると、ラビの後ろについてきたアレンが、『あ』と、声を上げた。
 「なに見てるんですか、これ?」
 モニターを指しての、何気ない問いに、数人の科学者達が過剰に反応する。
 「べべっ・・・べべべべべっ・・・別に何もっ?!」
 あからさまに何もないわけがない態度に、リナリーまでもが興味を引かれて近づいた。
 「クロウリーとミランダ?
 あぁ今、作業中なのよね」
 「え?!
 なにやってるか知ってんの?!」
 室内にいた、ほとんどの科学者達に問い詰められ、リナリーは驚きつつも頷く。
 「うん・・・班長が、胃炎で倒れちゃったでしょ?
 なんでもミランダ、班長の看病で失敗しちゃったらしくって・・・なんとか名誉挽回したいからって、クロウリーのおうちに代々伝わるお薬の調合法を教わってるんだよ」
 それがどうかした?と、問うリナリーの前で、科学者達が睨み合った。
 「だから!
 ミランダさんに限ってありえないっつったじゃないか!!」
 「うっさいな!お前だって最初は疑惑派だったじゃねーか!」
 「私は信じていたよ、私は!」
 「そんなコト言って、いっちばんモニター凝視してたの、アンタじゃないっすか!!」
 「ちょ・・・ちょっとみんな、なんの話?」
 大きな目を見開いて、彼らの間に入ろうとするリナリーの傍らで、アレンと二人、モニターを見ていたラビは、その映像がクロウリーとミランダの視界から外れるように配置されている様に気づいて、にやりと笑う。
 「お前ら、ミランダがクロちゃんと浮気してると思ってたんさ?」
 指摘された途端、彼らはびくっ!と飛びあがった。
 「なにそれ?!そんなこと思ってたのっ?!」
 リナリーに叱責され、いい大人達がびくびくと身を縮める。
 「だ・・・だって・・・いー雰囲気だったんだよぉぅ・・・!」
 「お・・・同じ戦場で生死を共にした仲だし・・・?」
 「フィーリング合いそうだなーって・・・・・・」
 彼らがおどおどと弁明すると、ラビが陽気に笑って手を振った。
 「ナイナイ!
 まぁ、言いたいことはわかるんけどさ、同じ戦場で生死を共にしたから恋が芽生えるっつーんなら、リナリーにゃ一体、何人恋人ができるんさ?」
 「私?!」
 ラビの軽口に、リナリーが真っ赤になって声を上げる。
 「いくつもの戦場を駆け抜けて、未だ恋人ナシなんて、かわいそーにリナ・・・。お前、よっぽど・・・」
 「うるっさいわね!!ラビには言われたくないよっ!!」
 同情と共にラビが両肩に乗せた手を、リナリーは邪険に払った。
 と、
 「まぁまぁ、お前には恐いにーさんがいるしさ・・・」
 「そうそう、自制心が働いちゃうだけだから」
 「むしろ、生存本能かなー?」
 「大丈夫大丈夫。リナリーはかわいいよー?」
 「ただ、ちょっとおてんばなところがあるけど・・・」
 「気に入らないことがあっても、せめて平手打ちにしよーな?蹴りはいかんよ、蹴りは」
 わらわらと寄って来られて、リナリーがヒステリックな声を上げる。
 「わっ・・・私のことはどうでもいいの!!
 ミッ・・・ミランダが浮気なんてするわけないって言ってるんでしょ、今は?!」
 「あぁ、そうだった」
 リナリーの必死の指摘にふと我に返って、まずは浮気否定派達が得意げな笑みを浮かべた。
 「さーぁ、こんなことやってないで、仕事しよーぜ」
 「今日の残業分は、お前らがやってくれんだよな?」
 彼らの嬉しそうな声に、疑惑派達は舌打ちしつつ、頷く。
 「くっそ・・・今日も徹夜だぜ」
 「賭けがなんで『残業』なんだよ。酒とか金の方がまだマシだったぜ」
 ぶつぶつと文句を垂れながら、モニターから離れていく彼らを、ずっと黙って見ていたアレンが、ぽつりと呟いた。
 「僕は・・・とっくに惚れちゃってますけど・・・・・・」
 「だぁぁぁぁれぇぇぇぇぇにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ?」
 「ひぃっ?!」
 軟体動物の動きで伸びてきた長い手に、背後から絡め取られて、アレンが引きつった悲鳴をあげる。
 「ココココココココココココココココムイさんいたンでスかッ!!」
 リナリーが騒いでもなんの反応もなかったために、てっきりこの部屋にはいないものと油断していた。
 「うんv いたんだよぉ・・・v
 ヒヒヒ・・・と、アレンにとっては悪魔以外の何者でもない笑声が耳朶に触れ、タコが獲物を巣穴に引きずり込むように、機材の影に引きずり込まれる。
 「ボクの可愛いリナリーに、よからぬ思いを寄せる子がいないか、監視してたんだーv
 「・・・つっ・・・つまりっ・・・隙を・・・うかがって・・・いらっしゃった・・・と・・・?!」
 こんな罠にはまるとは、誤算もいいところだ。
 アレンは耳に悪魔の声を聞きつつ、段々首を締め付けてくる腕から逃げようと必死にもがく。
 「アレン君さー、こんなに隙だらけで、よくも今まで生き残ってこられたよねーv
 「みっ・・・皆さんのおかげをもちまして・・・!!」
 なんとか声を出して、誰かにこの拷問を止めてもらおうと図るが、いつも騒がしい研究室では、アレンの微かな声など誰の耳にも届かなかった。
 どころか、
 「アレンー?
 あいつ、手伝うっつったのに、いねーじゃないさ」
 「オナカすいて、ジェリーのところに行っちゃったんじゃない?」
 ラビもリナリーも、目の前を気づかずに通り過ぎていく。
 「ひぃーんっ!!」
 「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
 アレンの泣き声を、妙なる調べとばかりに聞きつつ、コムイは彼を研究室の外まで引きずっていった。
 「ど・・・どこに行くんですか・・・・・・?!」
 ぶるぶると震えながら尋ねるアレンに、コムイは口を三日月の形に歪めて、また気色の悪い笑声をあげる。
 「安心おしv 殺しはしないよーvv
 「安心できないぃぃぃぃぃぃ!!!!」
 息も絶え絶えに、必死に助けを求める声はしかし、誰の耳にも届くことはなく、アレンの姿はコムイの個人研究室へと消えていった・・・。


 その後、昼も過ぎた頃。
 「うぃーっす。
 みんな、こき使われてるかー?」
 リーバーの帰還を皆、歓声をあげて迎えた。
 「もういいんすか?!」
 「いきなりぶっ倒れるから、びっくりしましたよー!」
 「良かった・・・!班長いないと、誰も室長を制御できなくてっ!!」
 感涙交じりの歓迎に、リーバーが苦笑する。
 「心配かけて悪かったな、みんな。
 まぁ、完治したわけじゃないんだが、なんとか退院はできたよ」
 言いながら、群がる部下達を掻き分け、コムイのデスクを見遣ったリーバーは、途端に眉をひそめた。
 「あれ?室長は?」
 「自分の研究室じゃないかな?
 私がここに来た時には、もういなかったよ?」
 リナリーの答えに、リーバーの眉間のしわが深くなる。
 「おい!
 室長の決済はもう終わってんのか?!」
 鋭い問いを受けて、お祭りモードだった部屋中の気が引き締まった。
 「報告書、17件分未確認です!」
 「申請書、33件分未決済です!」
 「連絡書、59件分未読です!!」
 各所で報告があがるや、リーバーの身体から、烈しい怒りの熱が発せられる。
 「探せ・・・・・・!」
 地獄の底から湧き上がって来たような、低く恐ろしい声に、全員の背筋が延びた。
 「5分以内にあの巻き毛をここに座らせろ!!」
 「はいっ!!」
 怒声と共に空の室長席を指され、数人が脱兎の勢いで研究室を出て行く。
 そして残った者も、
 「ボケッとしてんじゃねぇ!!俺に回せるもんは、とっとと持って来い!!」
 「ハイィッ!!」
 雷神の声で怒鳴られ、きびきびと動き出した。
 「すげーさ・・・。さすが、鬼の科学班長・・・・・・」
 「気をつけてね、ラビ。
 あの状態の班長に逆らうと、切腹させられるよ」
 冗談ではないリナリーの口調に、ラビが絶句する。
 そうするうちに、個人研究室で確保されたコムイと、その無残な実験材料にされていたアレンが、泣きながら連行されてきた。
 身も凍るような怒りの前に引っ立てられたコムイは、泣いて詫びた挙句、室長席に縛り付けられ、身も凍るような実験から解放されたアレンは、リナリーに慰められてようやく泣き止む。
 「てっきり、めんどくさくて逃げたんだと思ってたさー。ごめんなー」
 ラビにも、よしよしと頭を撫でられ、アレンはしゃくりあげながら頷いた。
 「あー・・・よっぽど怖かったんだな、アレン・・・。いつになく素直さ」
 幼児退行しちまってる、と、ラビが苦笑し、リナリーは益々気の毒そうな顔をする。
 「ごめんね、アレン君・・・。兄さんには、後で私からも言っておくからね?」
 そう言って彼女が示した先では、コムイがリーバーに怒鳴られつつ、必死に仕事をさばいていた。
 「リーバーさん・・・病み上がりなのに、あんなに怒鳴って大丈夫なんでしょうか・・・」
 散々泣いて、ようやく我に返ったアレンの言葉に、二人とも首を傾げる。
 「良くは・・・ないだろうさ」
 「うん、でも・・・止めようがないよね・・・」
 止めようとすれば、被害はこちらに及ぶ、と、声を揃える二人に、アレンも頷いた。
 と、彼らの声が聞こえたわけはないだろうが、散々怒鳴って少々気が済んだのか、リーバーが怒声を収めて踵を返す。
 「一昨日の実験結果って、もう出てるんだろ?データは?」
 「ハイ、有効ではあったんですが、問題点がいくつか・・・」
 自分の席に戻りつつ、報告を聞いていた彼は、ふと、モニターの前で足を止めた。
 「問題点Aはともかく、BとCは実験No.1098の方法で解決できるんじゃないかって・・・班長、聞いてます?」
 部下の訝しげな声に、リーバーは慌てて頷く。
 「あっ・・・あぁ、スマン。
 えっと・・・1090・・・何番だって?」
 「1098ですよ。まだ予測段階なんですけど、ホラ、似たようなデータでてるからですね・・・」
 しばらくモニターの前で報告を聞いてから、再び歩き出したリーバーの不自然さに、アレンは首を傾げた。
 「リーバーさん、なに見たんでしょ?」
 「さぁ・・・?班長の影に隠れちゃって、私からは見えなかったわ」
 同じく首を傾げたリナリーの傍らで、ラビがにんまりと笑みを浮かべる。
 「ラビ?」
 二人から、訝しげな目で見上げられるが、彼はその問いに、笑って答えなかった。
 代わりに、指を上げて提案する。
 「ミランダが、せっかくリーバーのためにがんばってんさ。
 あいつがなに作ってるか、リーバーには秘密にしておくよう、みんなに言っとこーぜv
 その方が喜びも増すだろう、と言う彼に、リナリーは訝しく思いつつも同意した。
 が、ラビの企みに何度も巻き込まれた経験のあるアレンは、彼女のように素直ではいられない。
 リナリーが、コムイに呼ばれて彼の手伝いに行ってしまうと、アレンは眉をひそめてラビの傍に寄った。
 「君はまた・・・なにを引っ掻き回そうとしてるんですか?」
 アレンの疑い深い視線を柳に風と受け流し、ラビは任された書類を手際よくまとめる。
 「いいじゃんか。たのしそーだしさー♪」
 「いつまでもそんな子供っぽいことしてると、馬鹿だと思われますよ」
 思惑を隠されたことが不満で、アレンは殊更に嫌味を言った。
 が、
 「まだ15のクセして、年寄りクセーこというお前よりマシさ。
 男ってやつぁ、いつまでも少年の心を持ってないと、オンナノコに嫌われんぜ?」
 あっさりと返されて、憮然と頬を膨らませる。
 「そんなこと言って、いつまでも子供っぽいことしていると、ご婦人方に捨てられます」
 「それ、お前の師匠の失敗談?」
 「ちっ・・・違いますよっ!!」
 師匠の失敗談なんて口にしたら殺される、と、声まで蒼ざめるアレンに、ラビは声を上げて笑った。
 「そのうちわかるから、ちょっと待ってるさv
 ぜってー面白くなるからv


 一方、製薬中のミランダとクロウリーには、ちょっとしたハプニングが起こっていた。
 バラの花びらを乾燥させるため、城内の穀物乾燥室を借りることができたまでは良かったのだが、二人とも使い方がわからずに、四苦八苦していたのだ。
 「あの・・・クロウリーさんのお宅では、どうやって作ってらしたんですか?」
 ミランダが遠慮がちに問うと、クロウリーは顎に手を当てて首を傾げた。
 「我が城にはパン焼き用の石窯があって、パンなどを焼いた後の余熱で乾かしていたであるな」
 「あぁ・・・!
 そう言えば私の家でも、オーブンの余熱でハーブを乾燥させていました・・・!」
 二人は顔を見合わせ、深々と吐息する。
 「近代的な機械は、使い方がわからぬである・・・」
 「私もですー・・・」
 ため息混じりに言うと、早朝からの労働に疲れ果てた二人は、その場にしゃがみこんだ。
 「・・・こんなことなら、厨房のオーブンでも借りればよかったですねぇ・・・」
 「しかし、量が量であるからな。
 こんな昼時に、厨房のオーブンを借りてしまっては、ジェリーが迷惑するであろう」
 「そうですよねぇ・・・」
 またため息をついて、二人は困惑した顔を見合わせる。
 「・・・いつまでもこうしているわけには行かないであるよ。
 誰か、使い方を知る者を探してこよう」
 億劫そうに立ち上がるクロウリーを見上げて、ミランダも頷いた。
 「そうですね。
 ジェリーさんにお願いすれば、厨房のスタッフを誰か、お手伝いに貸してくれるかも・・・」
 続いて立ち上がろうとしたミランダは、つい、バラの入った籠に手をかけてしまい、バランスを崩す。
 「きゃっ・・・!!」
 バラをこぼしてはいけないと、籠の位置を戻そうとして、自分のバランスを失い、更には手を差し伸べようとしたクロウリーの脚をも払って、二人して派手に転んでしまった。
 「イテテ・・・。
 ミランダ、大丈夫であるか?」
 「は・・・はい、すみません・・・」
 そうは言うものの、床に両膝をついたクロウリーの下から中々起き上がれない彼女を、彼は訝しげに見下ろす。
 「どこか打ったであるか?」
 「は・・・はぁ・・・。
 ちょっと、腰を打ってしまったみたいで・・・」
 座るのも辛いらしい様子に、クロウリーはミランダを抱き上げた。
 「医務室まで、ちょっと我慢するであるよ」
 「え?!でも、バラは・・・」
 「今はそんなことを言っている場合ではないである!」
 「は・・・はい!すみません・・・・・・」
 厳しい口調で言われて、ミランダが首をすくめる。
 「よ・・・よろしくお願いします」
 「うむ!」
 頼もしく頷いて、ミランダを抱き上げたクロウリーが乾燥室を出て行くまでの一部始終をラビが、そして、二人が転んだ辺りからの、最も誤解しやすい場面をリーバーが、科学班に設置されたモニターを通して見つめていた。


 「・・・今日は患者として来てくれたのだね、ミランダ嬢」
 少々皮肉の効きすぎた口調で言うと、ドクターはナースに湿布を指示して、デスクの上から白くふわふわしたものを取り上げた。
 「幸運のお守りをここに忘れて行ったから、転んだのではないかな?」
 「あ!私のウサギの足!」
 ドクターから受け取ったそれを、ミランダは大事そうに両手で包み込む。
 「ヘブラスカに、『緊張しないためには、ウサギの足を持っておくといい』って言われてから、ずっと持っていたんです・・・!
 ・・・でも私、なぜここにこれを?落としていましたか?」
 ミランダが首を傾げると、ドクターは眉をひそめたまま、首を振った。
 「君が自分で、リーバー班長が寝ていたベッドのリールに取り付けたんだろうに。
 それでキャンドルを倒して、大騒ぎになったんじゃないか」
 「あ・・・そう・・・でしたね・・・」
 申し訳なさそうに身を縮めた彼女に、ドクターは深々と吐息する。
 「燃えたカーテンを取り替えようとして、針に引っかかっていたのをナースが見つけたんだ。
 これだけは気づかなかったようだが、身代わり人形やハーブの香り袋なんかは班長が全部持って帰ったから、返してほしかったら班長に言いたまえ」
 「え・・・?
 あ、はい!!」
 なぜか、真っ赤になって頷いたミランダを訝しげに見遣って、彼はナースに治療を命じた。
 「では、私は乾燥室に戻るであるよ。
 ゆっくり治療して、歩けそうなら来るといい」
 「はい・・・あの・・・すみません・・・・・・」
 「なんの、気にするなである」
 ひらりと手を振って、クロウリーは医務室を出て行く。
 「じゃあ、湿布貼りましょうか」
 ナースが、一人では歩けないミランダを支えつつ、ベッドに寝かせた。
 「あの・・・」
 ベッドの周りをカーテンで囲むや、不安げな目で見上げられたナースは、苦笑して首を振る。
 「湿布を貼っただけで、すぐに歩けるとは思わないでね。
 ちょっとここで休んで、痛みが引いたら行っていいわよ」
 「はい・・・」
 当然のことではあるが、はっきり休養を命じられて、ミランダはしょんぼりと枕に顔をうずめた。


 その日、真夜中近くまで科学班の仕事を手伝ったラビは、ご褒美にもらったさまざまな材料を抱えて、ご機嫌だった。
 「これで、明日は一日中花火作りができるさv
 アレン、約束さv お前も手伝えよv
 「えぇ、それはいいですけど・・・結局、今日一日パジャマでしたね・・・」
 呆れ顔のアレンに、ラビは口を尖らせる。
 「仕方ねーじゃん。着替えに戻るヒマなかったんさ」
 メシ食う時間作るので精一杯だった、と、しみじみ呟く彼に、アレンも深々と頷いた。
 「本当に激務なんですねぇ、科学班って・・・リーバーさん、よく生きてるなぁ・・・・・・」
 激務の科学班の中でも、一番忙しそうだった彼の姿を思い、眉をひそめる。
 「あんな姿を見てたんじゃ、ミランダさんが一所懸命になるのもわかりますよ」
 「母性本能に訴えるには、ああいうアプローチ方法もあるんさね」
 「・・・なんでそういう、よこしまな見方をするかなぁ・・・・・・」
 アレンの不服げな声をあっさりと無視して、ラビは材料がたっぷり入った大きな箱を抱え直した。
 「そんなことより、明日、絶対忘れんなよ?
 早起きして作るかんな?」
 自室のドアに手をかけて、真剣な顔で言うラビに、アレンも口を尖らせる。
 「そう言うラビこそ、寝坊しないでくださいよ!」
 「もちろん、わかってるさ!おやすみv
 にこりと笑って、部屋の中に消えたラビに、おもいっきり舌を出して、アレンも自室へ戻って行った。


 翌朝、無愛想な顔をした神田が、律儀にもらってきてくれた火薬を加えて、全ての材料が揃った。
 「わーいv ユウちゃん、ありがとさーvv
 「でも、花火なんてどこで作るんですか?」
 「そうだな。
 この城で・・・っていうか、この国で湿気のねぇ場所なんてねぇだろ」
 訝しげな顔をするアレンと神田に、ラビはしれっと言う。
 「武器管理庫だけど?」
 「ふぇっ?!」
 奇妙な声を出してしまったアレンに、ラビは悪戯が成功した後のような、楽しげな笑みを浮かべた。
 「火薬を分けてやんない、って言われてるだけで、立ち入り禁止にされてるわけじゃねーもんさー♪」
 「そ・・・そりゃ、そうです・・・ね・・・・・・」
 納得しがたい様子のアレンに、ラビはクスクスと笑う。
 「警備班の班長には、武器に手を出さない、って条件で作業の許可はもらってるさ!
 なんたって、リーバー班長のお誕生会のため、って、あらかじめ言ってるからなv
 「へぇ・・・あいつ、警備班まで従えてんのか?」
 神田が意外そうに問うと、ラビは笑って首を振った。
 「そんなんじゃねぇさ。
 まぁ、言ってみりゃ、謝礼っつーか・・・同情も入ってるかな?」
 「どういうことですか?」
 「コムイの暴走を、あいつが水際で食い止めてっから。
 じゃなきゃ警備班の出動は、今の何倍にも増えてんぜ」
 「あー、なるほど!」
 今度は納得して、アレンが手を打つ。
 「そゆわけだから、遠慮なく使わせてもらおーぜv
 自信満々なラビに率いられて行った警備班では、もちろん歓迎されたわけではなかったが、渋々よりもやや友好的に迎えられ、一室を貸し与えられた。
 「・・・って、ここ、牢獄じゃないんですか?!」
 「んー?厳密に言えば違うさ」
 アレンの問いに、早速材料を広げつつ、ラビが答える。
 「監視をかねた取調室ってとこ?」
 「それで壁がひとつ、ガラス張りになってんのか?」
 「ん。
 俺が部屋貸して欲しいっつったら、見張りつきならオッケーって条件が出たんさ。
 ここなら湿気も火気もないし、警備班の連中も、城内のモニター監視しながら俺らを監視できるってことで、合意した」
 「俺『ら』って言わないでくださいよ。僕は別に、警備班の皆さんに嫌われるようなこと、したことありませんよ」
 「俺だってねェよ!お前だけだろ!」
 「えー?そっかなー?」
 白々しく笑いながら、ふと、ガラス壁の外を見遣ったラビの目が煌めいた。
 「どうかした?」
 釣られて、アレンと神田もラビの視線を追うが、その先には複数台のモニターが並んでいるだけだ。
 「なにか映ってんのか?」
 訝しげに視線を戻した神田に、ラビはにこりと笑った。
 「んーん?なーんにも」
 あからさまに嘘くさい台詞を吐いて、ラビは何事もなかったかのように作業に取り掛かる。
 「絶対なんか隠してるよ・・・」
 アレンの不服そうな声を軽やかに無視して、作業を続けつつ、ラビは先ほど見た光景―――― クロウリーとミランダが映ったモニターを、じっと睨んでいたリーバーの姿を思い出し、にんまりと笑った。


 「班長・・・班長?!」
 「あ?」
 モニターを凝視したまま動かない彼に声をかけた部下は、恐ろしい顔で睨み返されて、震え上がった。
 「あ・・・いや・・・あの、確認をお願いしまス・・・」
 そろそろと差し出されたファイルを乱暴に奪い取り、目を通す。
 「13箇所、計算ミス。5箇所、データ参照ミス。28箇所、スペル間違ってんぞゴラァァァァァ!!
 くだらねぇポカしてんじゃねぇよ!!」
 「ひぃっ!!すんません!!」
 ファイルを叩き返されるや、引きつった声と共に駆け戻った部下に鼻を鳴らし、リーバーはまた、モニターを凝視した。
 「コエェェェェェェェェェェェ!!!!」
 声を潜めて絶叫する同僚を迎えて、他の者達もひそひそと囁きあう。
 「ナニ、どしたん、あの人?ご機嫌絶不調じゃん」
 「知らねぇよぉ・・・!室長がまた、なんかやらかしたんじゃねぇの?」
 「いや、今やらかしたんはお前だろ」
 「そりゃ、ケアレスミスしましたよっ!だけど、普段はあんなに怒鳴らないでしょっ!」
 ぶるぶると震え、半べそ状態の同僚を慰めつつ、彼らはモニター前から動かない上司を見遣った。
 「さっきからなに見てんの?」
 「あの人が立ち塞がって画面塞いじまってるから、ここからは見えねぇんだよな」
 「けど別に、城内にあの人が不機嫌になるものなんか・・・」
 言った途端、発言者だけでなく、その場にいた者全員の血の気が引く。
 「お・・・おーぃ・・・・・・!
 もしかして、監視カメラの設定、解除してねーのかー・・・?」
 引きつった声で呼びだされ、昨日、監視カメラを設定した者達が一斉に蒼褪めた。
 「ミ・・・ミランダさんとクロちゃん、まだ製薬してるんだっけ・・・?」
 「し・・・してんじゃねぇの・・・?今日もミランダさん、来てないしぃっ・・・?!」
 「ふ・・・二人一緒・・・だよね・・・?」
 「そりゃ・・・製法教わってるんだからねぇ・・・っ」
 声まで蒼褪める彼らの耳に、また、リーバーの怒声が刺さる。
 「ごごごごごご誤解してる!!あれは絶対誤解してる!!」
 「おおおおおお落ち着け!
 誤解を解けばいいんだ!」
 「そうそう!リナリーに言ってもらえ・・・ば・・・?!」
 「・・・リナリーはさっき、例によって『徹夜は美容に悪い』って、怒りながら部屋に帰った・・・・・・」
 彼女が戻ってくるまで、誰もが怖くて近づけない、と、尻込みした途端、またリーバーの怒声が響いた。


 「ミランダ、腰はもう、大丈夫なのであるか?」
 「はい、あまり激しく動かなければ平気です」
 そうは言いつつも、歩き方のぎこちない彼女に、クロウリーは眉をひそめる。
 「花びらを集めるのは私がやるから、あなたは座っているであるよ」
 「でも・・・」
 「この作業は別に、教わることなどないであろう。座っているといい」
 「はい・・・」
 再三の勧めに、ミランダは乾燥室の隅に置いてあった椅子に座って、クロウリーが昨日のうちに乾燥用の棚に広げていた花びらを集める様を見守った。
 「ここって・・・広げておくだけで良かったんですね・・・・・・」
 ジェリーに『使い方がわからない』と尋ねたところ、『乾燥させたいものを棚の引き出しに広げておくだけよ』と、呆れられてしまったらしい。
 「あぁ・・・隣の部屋でボイラーを焚いて熱気を送り込み、乾燥させる仕組みだそうである」
 苦笑しつつ、クロウリーは完全に乾いた花びらを取り上げた。
 「便利なものであるな。たった一日で、すっかり出来上がったである」
 「本当に」
 ミランダもにこりと笑って、クロウリーに渡された籠を受け取る。
 「すっかりかさが減りましたね」
 「だが、プレゼント用にするには十分な量であるよ。
 後は、他のハーブとの配合さえ覚えてしまえば、完璧である」
 そう言ってクロウリーが差し伸べた手を取って、ミランダはよろめきつつ立ち上がった。
 「そうですね・・・!
 配合に使うハーブも、ここで乾燥させられますね・・・!」
 湿気の多いロンドンでは、部屋に吊るしているだけでは中々乾燥しないのだ。
 「まぁ、私はフレッシュハーブの方が、好きであるがな」
 嬉しそうに笑うミランダの背を支えて、クロウリーは彼女と共に乾燥室を出た。
 その一部始終を、離れた場所で睨みつけている目があるとも知らずに・・・。


 「乾燥するまで、昼飯してよーぜv
 昼過ぎてのラビの提案に、アレンが歓声を上げる。
 「お腹すいたー♪」
 真っ先に駆け出していったアレンと、マイペースに歩いていく神田を見送って、ラビは、警備班の団員達が監視するモニターに歩み寄った。
 「お、あっちも作業が終わったみたいさ」
 彼の呟きに、同じモニターを見ていた団員が眉をひそめる。
 「クロウリー殿とミランダ嬢は、随分と仲がいいんですね」
 「ふふv そうさなv
 「俺、彼女はてっきり、リーバー班長と・・・あ、いや・・・」
 同僚達に、『余計なことを言うな』と睨まれ、彼は慌てて口をつぐんだ。
 「まぁ、エクソシスト同士が仲良しなんは、その逆よりいいんじゃないさ?」
 「あー・・・そうですねー・・・・・・」
 背後で幾度となく聞かされた、アレンと神田の罵り合いを思い出し、団員達が苦笑する。
 「ウォーカー殿は、我々には礼儀正しいですけど、神田殿には容赦がないんですなぁ」
 「意外と気が強いんですねぇ。猫同士のケンカみたいだった」
 その感想に笑声が沸き、場が和んだ。
 「そんじゃ俺、メシ食ったらまた戻ってくるさー♪」
 「作業、早く済ませてくださいよ」
 「邪魔でしょうがない」
 団員達の、苦笑交じりの苦情に手を振って答えて警備班を出たラビは、食堂ではなく、科学班へ向かう。
 部屋の外まで聞こえてくるリーバーの怒声に苦笑しつつ入り込み、しれっとした顔で彼に歩み寄った。
 「やっほぉv 随分とご機嫌斜めさねー♪」
 ラビの暢気な声に、リーバーの尖った目が応える。
 「なんか用か?」
 「うんv
 ミランダ・・・」
 その名を呼んだ途端、リーバーの眉が上がり、部屋中に緊張が走る様に、ラビは懸命に笑いをこらえた。
 「・・・が、リーバーの看病してた時、何度も時間を狂わせてたじゃないさ?
 あん時、城の内外でどれだけ時間差が出たのかと思ってさー♪」
 データをくれ、と、ねだるラビから、リーバーはふいっと目を逸らす。
 「・・・知らねぇよ。他の奴に聞きな」
 「あや。残念。
 誰か他に知ってる奴ー?」
 大声で呼びかけると、数人が駆け寄り、ラビを確保して、リーバーの視界に入らない場所まで引きずっていった。
 「・・・お前、なんで今そんなこと言うの?なんで今なの?」
 「空気読めよ!読んでくれよ、マジで!」
 必死な顔で迫り来る彼らに、しかし、ラビは楽しげに笑う。
 「見たさ、今の?
 すんげージェラってんの!」
 「・・・っわざとかよ?!」
 「勘弁しろよ、お前!!」
 「被害に遭うの、俺らなんだぜ?!」
 「えーv だって、たのしーじゃんv
 それに、と、剣呑さが増す彼らに、にこにこと笑った。
 「あれだけジェラった後に真相知ったら、すんげー嬉しいと思わん?」
 「そ・・・そりゃ・・・・・・」
 「そうだろうけど・・・・・・」
 眉をひそめつつも頷いた彼らに、ラビは笑みを深める。
 「誤解させたまま、ほっとこーぜv
 無邪気に提案されて、彼らは、しぶしぶながらも頷いた。


 「あの・・・なんだか最近、科学班が・・・っていうか、はっきり言ってリーバーさんが、怖くないですか・・・?」
 遠慮がちな声で問うアレンに、珍しく、真っ先に神田が同意した。
 「ミランダが構ってくれねーから拗ねてんだろ」
 遠慮なく核心を突いた言葉に、アレンが声を失い、ラビが吹き出す。
 「ユウちゃ・・・サイッコー!!」
 「笑い事じゃねぇよ」
 爆笑するラビにびしりと言って、神田はようやく完成した花火を箱に詰めた。
 「煽ってんのはテメェだろ、ラビ。
 今じゃ、あちこちで妙な噂が聞こえやがる」
 「あ・・・あの・・・それって、ミランダさんがクロウリーに心変わりして、リーバーさんに冷たいって話です・・・よね・・・?」
 他人の耳をはばかるように、アレンが声を潜める。
 と、神田はガラス越しに耳をそばだてているだろう警備班の団員達を見遣り、聞こえよがしに言った。
 「あぁ、くだらねぇ噂だ。
 このアホが、自分の能力を散々無駄遣いして、裏で情報操作しやがったからな!」
 「なんで知ってんさ、ユウ!俺、そんなことなんも言ってな・・・!」
 つい、口走ったラビは慌てて言葉を切り、一斉に振り返った団員達は神田の鋭い目に見返され、慌てて姿勢を戻す。
 「語るに落ちたな、ラビ。テメェ、この収集はきっちりつけんだろうな?!」
 斬れそうに鋭い眼光で睨まれ、ラビは竦みあがった。
 「もっ・・・もちろんです、ユウ様っ!今日のパーティで、ハッピーエンドにするつもりさっ!」
 「・・・できるんですか?ものっすごく、こじれているように見えるけど・・・・・・」
 そう言って、アレンは不安げに眉をひそめる。
 ここ数日、ミランダは彼らに言った通り、科学班での手伝いをリナリーに任せて、クロウリーと二人、煎じ薬作りに集中していた。
 本当なら、作業はとっくに終わっているはずだったが、ブレンドする予定のハーブが虫害に遭い、必要な量を集めるのに時間がかかったらしい。
 そのことを、アレンはリーバーに教えようとしていたのだが、
 「ことごとく、邪魔されちゃいまして・・・・・・!」
 じっとりと睨まれて、ラビが顔ごと目を逸らした。
 「巧妙だな、おい」
 「そりゃあ・・・情報操作は、俺の得意技ですからー・・・・・・」
 と、二人の視線に怯えつつも、ラビは笑みを浮かべる。
 「まぁ、それも今夜までさv
 真相を知ったら、リーバーも大喜びだーってv
 ブックマンの後継者らしくもなく、とても楽観的な予測を述べて、彼は出来上がった花火を次々に箱に収めた。


 そして、その日の夜も更けて。
 始まったパーティの主賓は、表面上にこやかでありながら、どこか刺々しい雰囲気をまとっていた。
 「なぁに?どうかしたの、あの子?」
 いち早く彼の様子に気づいたジェリーに、リナリーが不安げな顔で首を振る。
 「それが・・・私にもわかんないの。
 最近、なんだかすごく、科学班の雰囲気が悪くって・・・・・・」
 教団内の話題には、最も精通しているはずの二人だが、今回だけは例外だった。
 リーバーの不機嫌の原因を、この二人にだけは知られてはならないと、ラビが巧妙に画策した結果である。
 「ところで、ミランダを知らない?彼女、班長へのプレゼント作りに、一所懸命だったはずなんだけど・・・」
 ここ数日会っていない、と言うと、ジェリーが肩をすくめた。
 「それがまた、あの子らしくってねぇ。
 一昨日はハーブが虫害に遭ったって騒いでいたんだけど、今日はようやく揃えたものがナメクジに食べられたって泣いていたわ」
 「わぁ・・・不幸続き・・・・・・」
 気の毒そうに眉をひそめたリナリーに、ジェリーも苦笑して頷く。
 「ね?あの子らしいでしょ?」
 と、二人はようやくパーティ会場にやってきたミランダとクロウリーを目ざとく見つけて、駆け寄った。
 「まぁまぁ、遅かったじゃないの!
 もう、乾杯終わっちゃったわよ」
 「いやもう、焦ったであるよ。慌てるあまり、包装している途中で中身をぶちまけてしまったである」
 「ご・・・ごめんなさい、ようやく出来上がって・・・」
 走ってきたのだろう、息を切らしつつ言うミランダの手を、リナリーが取る。
 「いいから!
 早くお祝いを言いに行きましょv
 「あら!じゃあグラス持って行きなさいよ!クロちゃんもv
 「おぉ、ありがとうである、料理長」
 ジェリーからにこやかにグラスを受け取ったクロウリーは、ふと、周りを見渡した。
 「どうかしたであるか?なんだか、注目されているような・・・」
 「そりゃあ、ミランダが到着したんですもの。注目もされるわよv
 暢気に笑うジェリーに、クロウリーは首を傾げる。
 「あぁ・・・ミランダも注目されているが、なぜだか私も・・・?」
 「そーぉ?気のせいじゃない?」
 とは言うが、ジェリーも、徐々に話し声が静まっていく様を、訝しく思った。
 まるで、聞き耳を立てているような様子に眉をひそめつつ、クロウリーと共にリーバーへと歩み寄る。
 「どうかしたのかしら?」
 さすがに首を傾げた彼女の視線の先では、ミランダが真っ赤な顔をして、リーバーの前に立っていた。
 「あ・・・あの、お誕生日おめでとうございます・・・!」
 その様子を別の場所から、アレンがはらはらと見守る。
 できることなら、今すぐに駆けつけて弁明してやりたかったが、あいにく彼は打ち上げ花火係として、部屋の外に引きずり出されていた。
 「ねぇ、ちょっと!
 これ、雰囲気ヤバイですよ?!明らかにリーバーさん、目が笑ってませんよ?!」
 花火玉を潰さんばかりに抱きしめて、アレンは通信ゴーレムが送ってくる映像を凝視する。
 「大丈夫だって。
 ミランダがプレゼントを渡せば、丸く収まるさーv
 その一瞬を狙って花火を打ち上げる、と、得意げに演出を語るラビの傍らで、神田が忌々しげに舌打ちした。
 「どうだろうな。
 リーバーの奴、相当鬱憤ためてたぜ?」
 「ぼ・・・僕、ちょっと行って来ていいですか?!」
 今にも駆け出そうとするアレンを、ラビが背後から羽交い絞めにして止める。
 「まぁまぁ、もうちょっと待てってば」
 「だってっ!!なんか、一触即発っぽくなってきたよ?!」
 アレンが気を揉んで見つめる先では、事実、空気に電流が流されたように緊迫していた。
 「・・・随分と久しぶりですね」
 そう言ったリーバーの声に棘を感じ、ミランダは驚いて顔をあげる。
 見上げた彼の顔は、いつもの笑顔―――― だが、目は笑っていなかった。
 「リーバーさん・・・?」
 ミランダだけでなく、傍らのリナリーとジェリーも、驚くあまり声を失う。
 ただ、クロウリーだけが、不思議そうに首を傾げていた。
 「科学班にいるよりも、ハーブ作りの方が楽しかったですか?」
 続いた口調に、はっきりと怒りを感じて、ミランダが戸惑う。
 ―――― 私、なにかいけないことをしたかしら・・・。
 自身の不手際を次々と思い浮かべるうちに、すぅっと、血の気が引いていった。
 「あ・・・あの、そういうわけでは・・・なかったのですけど・・・・・・」
 リナリー一人に手伝いを負わせたことに怒っているのかと、不安げに視線をさまよわせつつ言葉を探していると、彼女の代わりにリナリーが進み出る。
 「怒らないでよ、班長!科学班のお手伝いは、ミランダの本業じゃないんだから。
 親切で手伝ってくれてるんだし、元々、私一人でやってたことでしょ?」
 ね、と、同意を求められるが、頷けないまま立ち竦んでいるミランダを見かねて、ジェリーも助けに入った。
 「そうよぉ。
 ここ数日、ミランダも不運続きで、忙しかったしねぇ?
 でも、一所懸命、クロちゃんとがんばって・・・」
 「クロウリーとは、随分気が合うようですね?」
 「は?」
 今までで最大の険を含んだ声に、ミランダだけでなく、リナリーとジェリーも目を丸くする。
 「えっと・・・班長・・・?」
 「リーバー・・・まさか、アンタ・・・・・・」
 引きつった声をあげるリナリーとジェリーを無視して、彼は、クロウリーに向き直った。
 「どうなんだ、クロウリー?」
 にこりと笑顔で問いかけられたクロウリーは、リーバーの複雑な心情を理解しかねながらも頷く。
 「それはもちろん、エクソシスト同士であるからな」
 彼はただ単に、『仲間だから』と言う意味で言ったのだが、その言葉は緊迫した場への、導火線となった。
 「・・・ちょっと、班長・・・?」
 「アンタ、まさか・・・」
 リナリーとジェリーが、怒りの形相で歩を進め、リーバーに迫る。
 「ミランダの浮気を疑ってんの?!」
 異口同音に発せられた言葉に、ミランダは目を見開いた。
 『Warum atmen Sie es ein?(なんですって?)』
 驚きのあまり、ミランダが母国語で発した問いに、丁度いいとばかり、リーバーもドイツ語で答える。
 『随分と親しげだったでしょう。乾燥室では特に』
 硬い声音は硬い言語とあいまって、厳しくミランダに向かった。
 『何のことですか?あれは、バラの花びらを乾かしていただけです』
 彼が何を疑っているのか、全く理解できずにミランダはきつく眉根を寄せる。
 『じゃあ、どうしてクロウリーに抱き上げられる必要が?』
 吐き捨てるような言い方が、酷く癇に障った。
 『転んだんですよ!腰を打って、立てなくって・・・』
 ミランダが思わず語調を荒げると、リーバーも眉根を寄せる。
 『あんな人気のない場所で、随分と軽率だと思いませんか』
 『言いたいことがあるなら、はっきりおっしゃったらどうなの!』
 段々語調の早くなっていく二人の間で、ヨーロッパの言語は一通り習得しているはずの団員達が皆、手を出しかねていた。
 「な・・・なに、ちょっと待って?!」
 「早口すぎて聞き取れないっ!」
 「なんて言ってるの?!」
 ドイツ語が母国語であるミランダと、言語学者のリーバーでは、他の団員達とのレベルが違いすぎる。
 誰もが口を出せないまま、二人の語調は更に激しくなった。
 『浮気するだなんて、そんな人だとは思わなかった!』
 『誰が浮気ですって、失礼な!!私はそんなことしません!!』
 『じゃあ、俺が見たのは幻だと言うんですか!』
 『すさまじい誤解だわ!少しは私の話も聞いたらどうなの?!』
 一際高い声でまくし立てると、ミランダは手にしていた箱を、リーバーの胸に押し付ける。
 『マイスター直伝の煎じ薬ですよ!あなたも、バラの薬効はクロウリーさんから聞いたのでしょう?!』
 『・・・バラの薬効?』
 リーバーが呆気に取られた隙に、ミランダは一気にまくし立てた。
 『あなたが倒れた時、ちゃんと看病してあげられなかった私に、クロウリーさんが教えてくださったんですよ!
 あなたの症状にはダマスク・ローズの煎じ薬が効くだろうって!
 だから私、何もかも置いて一所懸命がんばったのに、まさか、浮気を疑われるなんて思いもしませんでしたわ!!』
 言い終えるや、憤然と息をついたミランダの視界が、次の瞬間、暗くなる。
 『なっ・・・?!』
 抱きしめられた、と気づいたのは、耳元に『すみません』と、囁かれた時だった。
 怒りのあまり、突き放してやろうと腕に力を込めた時、間近で破裂音が響き、思わずリーバーにしがみつく。
 見事にタイミングを突いた、打ち上げ花火だった。
 『すみません・・・』
 もう一度囁かれた言葉に、ミランダはため息をついて、身体の力を抜く。
 『次は、許しません』
 『はい』
 苦笑を浮かべ、更に強く、ミランダを抱き寄せたリーバーの周りで、凍っていた人々の呪縛も解けた。
 「と・・・・・・」
 「とりあえず、拍手しとけー・・・!!」
 二人の会話は全く聞き取れなかったが、どうやら解決したらしいと察して、部屋中から拍手が沸く。
 一方、天空の華を演出した花火師達は、発射用の筒の中にせっせと玉を入れながら、通信ゴーレムが送ってくる映像を見遣って、安堵の息をついた。
 「もう、こんな緊張感・・・ごめんですから・・・!」
 「全くだ・・・」
 珍しく意見の合った二人が、うんざりと吐息する横で、一人、作戦成功を喜ぶラビが、ウサギのようにはしゃぎ狂っていた。


 「やほー♪
 打ち上げ花火、終了っ♪」
 随分と雰囲気の和んだパーティ会場に戻ってきた花火師達は、盛大な拍手と乾杯で迎えられた。
 「どーだったさ、リーバー?けっこ、凝ってたろ?」
 得意げに笑うラビと両手を打ち合わせ、リーバーも満足げに頷く。
 「あぁ!
 なんだか、ここ最近の鬱憤が晴れたぜ!」
 その鬱憤を、募らせた原因がラビだとは、気づいていないリーバーだった。
 「・・・真相を知ったら、殺されますね」
 「介錯は任せろ」
 げっそりとしたアレンの声に淡々と応じて、神田はクロウリーに視線を向ける。
 「よぉ。難儀だったな」
 口の端を曲げると、彼は、憮然とワインをあおった。
 「全く、とんでもない話であるよ!心外もいいところである!」
 リーバー本人から、怒りを向けられていた理由を聞いたクロウリーは、彼の謝罪を受けて、言ったものである。
 「失礼な!私は決して、浮気などしないである!」
 ミランダ以上にきっぱりとした口調で言われ、皆、目を剥いた。
 既に亡いとはいえ、クロウリーにとってエリアーデ以外の女性に心を移すことは、『浮気』になるらしい。
 「師匠に聞かせてやりたいです、その言葉」
 「鼻で笑われるさ」
 あっさりと否定されて、アレンはため息混じりに頷いた。
 「そんなことより、俺らも乾杯しよーぜ♪
 作戦の成功を祝って!」
 そう言って、ラビが勢いよく挙げた手は、背後からがしりと掴まれる。
 「はれ?ジェリ姐・・・?」
 身動きを封じられたラビに、やんわりと神田とアレンを押しのけたリナリーとミランダが歩み寄った。
 「ねぇ、ラビ。答えてほしいの」
 「私、リーバーさんに、浮気を疑われたのだけど・・・・・・」
 仮面のように無表情な顔は、怒りの形相よりもなお恐怖心をあおり、神田とアレンの足を、更に遠ざける。
 「ねぇ、アンタ。
 ミランダがどうしてクロちゃんと一緒にいたか、知ってたはずよねぇ?」
 「私、ラビにお薬の話したよね?」
 「私も、リーバーさんのためだって、言ったはずですよね?」
 「えっ?!あの・・・ジェリ姐!痛いっ!痛いさっ!!」
 腕一本で吊り上げられ、ラビが悲鳴を上げた。
 が、女達はお構いなしにラビへと迫り、声を揃える。
 「・・・なんでこんなことになってるの?」
 「ひぅっ・・・」
 恐怖のあまり気絶した・・・振りをするラビの耳元に、ジェリーが囁いた。
 「あぁーら、ウサギが死んじゃった。
 幸運のお守りに、ウサギの手を切りましょうかv
 「俺ウサギじゃねぇし!!ってかヤメテ!マジやめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 冗談ではない口調に、ラビは悲鳴を上げてもがくが、誰も助けてはくれない。
 「素直に白状しなさい」
 女性三人に凄まれて、ラビは壊れた蓄音機のように、ぺらぺらと真相を話してしまった・・・。


 翌日、元通り科学班に復帰したミランダは、いつもの手伝いの傍ら、クロウリー直伝の煎じ薬を、リーバーのために淹れた。
 分厚いファイルに集中していたリーバーは、その芳香に手を伸ばし、彼女が差し出したトレイからカップを受け取る。
 「ミランダさん・・・」
 ファイルから目を上げないまま、バラの香りがする薬をすすった彼は、一瞬、窓の外を見遣った。
 「なんで、ラビは吊られてるんですか?」
 彼の問いに、ミランダは細い手を頬に添わせ、小首を傾げる。
 「知らない方が、幸せなこともありますよ」
 バラ芳香を纏った彼女は、そう言ってにこりと笑った。





Fin.
 










2007年の、班長お誕生日SSでした。
タイトル、普通に訳せば『俺はとっても幸せ』ですが、ラルクの曲名として見た人は、『なんでそんな可哀想な題名を持ってくるの・・・』と思われたはず(笑)
そして、SSを読んで、『確かにこの題名だわ・・・』と、納得されることを狙った題名です(笑)
ちなみにこんな歌詞→『I'm so happy』
ジェラシーな班長、というネタをいただいたのはいいんですが、まさかここまで泥沼化するとは、私も思いませんでしたよ!(笑)>笑うな。
せっかくのお誕生日なのに、可哀想なお話でごめんなさい★>反省しろ。
ところで、バラのお茶はともかく、花火なんて1日2日でできるものじゃありませんからね(笑)
その辺りは、フィクションとして読んでくださいまし。
試す人はいないでしょうけど、よい子のみんなは火薬いじって遊んじゃいけませんよ(笑)
ところで、パニーニはイタリアのホットサンド。
カスクートは細いフランスパンに、チーズやハムを入れたフランスのサンドイッチみたいなものです。>形はホットドッグに似ている。
駅の売店などで売っています。
お手軽でおいしいので、リュックに1本入れて、ルーブル美術館やオルセー美術館に持って行き、歩き疲れたら休憩室でバリバリ食べてました。












ShortStorys