† THE NEPENTHES †
〜 大奥絵巻・眞葛の章 〜





†このお話は日本・江戸時代を舞台にしたD.Gray−manパラレルです†

  D.Gray−manの原作とは、ほとんど関係ありません。
  男女逆転でもありませんので、頭空っぽにして読んで下さい。
  史実と違いますので、試験の参考にしちゃダメですよ★





 それは、神無月も半ばに至ろうとする頃。
 冬支度はすでに落着したものの、存外に暖かい日で、どこかのんびりとした雰囲気が漂っていた。
 「退屈だ・・・・・・」
 手持ち無沙汰に扇子を弄っていたバクは、不機嫌そうに呟くと、投扇興(とうせんきょう)の要領で、広げた扇子を放る。
 と、あるかなしかの風に乗ったそれは、ふわふわと縁側まで飛んで、猫の子の様に寝そべっていたフォーの頭に当たった。
 「・・・んあにすんら!」
 少女の寝ぼけ声に、バクは益々不満げに眉根を寄せる。
 「いい身分だな、フォー。
 僕の女童(めのわらわ)の分際で、のんびり日向ぼっこか」
 「んだよ・・・いいじゃん。どうせ、あたしの仕事はないんだ」
 そう言って、フォーはまたころん、と、日当たりのいい場所に寝転んだ。
 「暇なら僕に茶でも持って来い!」
 「ん〜?
 ウォン〜!バクが茶が欲しいってぇー!」
 「・・・仕事をする気もないじゃないか」
 電光石火の勢いで、茶と茶菓子を運んできたウォンとは逆に、すうすうと寝息を立て始めたフォーを、バクは忌々しげに睨む。
 「まったく・・・!
 これだから田舎は、退屈でしょうがないな!何か楽しいことはないのか!」
 「は・・・はぁ・・・」
 苛立つ主人に、ウォンは必死に首をひねった。
 「そうだ、バク様!先程は見事な投げ扇でいらっしゃいましたな!投扇興は・・・」
 「飽きた」
 「では、貝合せなど・・・?」
 「めんどくさい」
 「絵草子をお持ちしましょう!」
 「くだらない」
 ウォンの提案をことごとく蹴って、バクは肘掛に顎を乗せる。
 「・・・・・・上様は今日もお渡りにならないのか!」
 「は・・・はぁ・・・。
 ここ数日、謁見が相次いでおられるそうで、こちらにはしばらくお渡りにならないと、先日の惣触(そうぶれ)で・・・」
 「そんなことは僕も知っている!」
 遠慮がちなウォンにヒステリックな声をあげ、バクは肘掛に爪を立てた。
 「だが、僕が嫁して十年・・・もう十年だぞ?!
 なのに、今の今まで・・・・・・!!」
 バクは悔しげに言葉を切り、腕に顔をうずめる。
 「それもこれも、あの忌々しい大御所のせいだっ!!
 あのヤロウ、僕と上様の夫婦生活をことごとく邪魔しおって、忌々しい!!」
 「やっほーv 呼んだぁ?」
 「コッ・・・大御所様?!」
 「うふーんv
 御台所、ごきげんよーv
 「ごっごっご・・・ごきげんようってアナタ!!ここは、大奥ですぞ!!」
 バクをかばうように立ち、大声を上げたウォンに、コムイはにんまりと笑った。
 「そうだけど、ボク、御台所の舅だし?」
 「うっ・・・!」
 「大御所だし?」
 「くっ・・・!!」
 「いんじゃない、別に?」
 「くぅぅ・・・!」
 硬直してしまったウォンを押しのけ、コムイはバクと並んで上座に座る。
 「あははv
 なーんか、久しぶりだよねー。元気してたぁ?」
 「・・・・・・おかげで、つつがなく過ごしている!」
 「それは何よりだよー。
 キミになんかあったら、ボクが疑われないとも限らないしぃー?」
 「はんっ!
 それそこお前の人徳と言う奴だな!」
 バクは嫌悪感を隠しもせず吐き捨てた。
 だが、コムイは気にする様子もなく、ケタケタと笑声をあげる。
 「ねーねー。
 ボク、暇なんだよぉー。碁でもしないー?」
 「・・・なんで僕が!」
 「いいじゃんー。お舅様を構ってよー」
 「なにが舅だ、この小舅が!」
 ぶつくさと言いつつ、バクは目の前に据えられた碁盤に目を吊り上げた。
 「あははv
 バクちゃん、黒でいいよv
 ボクに勝てたら、新しい御殿建ててあげるねv
 まぁ、無理だろうけどぉ♪」
 ことさら挑発的な言葉を受けて、怒りの沸点の低いバクが、目を眇める。
 「・・・新しい御殿、建ててもらおうじゃないか!」
 高い音を立てて、碁石が碁盤に打ち付けられた。


 「百八勝百七敗・・・!
 俺様の勝ち越しだ!!」
 荒く息をついて、拳を握ったバクの正面で、コムイが疲れた足を投げ出した。
 「がんばるなぁ、バクちゃん〜」
 「これで打ち止めだ!!
 約束だぞ!俺様に新しい御殿を建ててもらおうじゃないか!」
 得意げに哄笑するバクに、コムイはにんまりと笑みを浮かべる。
 「イイヨ。どんなのがいい?」
 「もちろん、御所風の寝殿造りだ!
 こんな田舎の、無骨なしつらえではなく、雅で優美な造りにしてもらおうか!!」
 「おっけー♪
 バクちゃん、来月はお誕生日だしぃ?
 奮発して、調度類も都から取り寄せてあげよーねーv
 「あ・・・あぁ、それはもちろんだ・・・が・・・・・・」
 あまりにも気前のいいコムイの態度が、さすがに気になった。
 「きさま・・・何か思惑があるのじゃないだろうな?」
 「べっつに?
 ただ、暇潰しにバクちゃんと賭け事して、負けちゃっただけだけど?」
 えへら、と、とぼけるコムイを、バクは益々怪しく思ったが、これ以上追求しても話す相手ではない。
 「じゃあボク、そろそろシツレイするよー♪」
 「ああ・・・・・・」
 なおも疑わしげに睨んでくるバクににこりと笑い、コムイは席を立った。
 「あぁ、そだそだ。
 バクちゃん、今、ジェリーが京に行っちゃってて、いろいろ不自由でしょ?
 都の料理人呼んどいてあげたから、久しぶりに京の味でも楽しんでねーv
 「都の・・・・・・」
 その名を聞くや、バクの目が熱を帯びる。
 江戸に嫁がされてもう十年になるが、大奥ではお飾りでしかない立場もあって、郷愁は募るばかりだった。
 身の回りを都の人間や物で固めても虚しくて、苛立ちばかりが募って行く。
 そんな中での、望外の幸運に、バクはコムイが出て行った途端、隠しようもなく浮かれてしまった。
 「ようございましたな、バク様!都のお料理は、お久しぶりでございましょう」
 我がことのように喜ぶウォンにはしかし、照れ隠しに殊更憮然として答えない。
 だが彼の心情を代弁するかのように、バクの傍らに寝転がっていたフォーが笑った。
 「ジェリーの料理はうまいんだけどさ、お前をこっちに慣らそうとして、江戸風の味付けばっかり出すもんなぁ。
 ・・・まぁ、確かに慣れたけど、最初はお前、『辛い』っつって、なんも食えなかったし」
 「今でもこちらの味付けは嫌いだ!
 なのにあいつ、絶対に自分が作ったもの以外は食うななどと・・・忌々しい総取締めが!
 塩辛いものばかり食わせて、僕を高血圧で殺す気か!」
 「はぁ・・・確かにバク様は、おつむに血が上りやす・・・いっいえっ!!失礼いたしました!」
 バクに睨まれたウォンが、慌てて言葉を切る。
 「へへっ・・・。
 でも、ジェリーには悪ぃけど、あいつがいない間は、こっちも羽が伸ばせるなv
 「お前はいつも羽を伸ばしてるじゃないか!」
 畳の上をころころと転がるフォーを怒鳴りつけるが、バクの機嫌がいいこともあって、その声からは棘が消えていた。
 「楽しみだなーv
 意地でも素直に喜ばないバクの代わりに、フォーがはしゃいだ声をあげる・・・・・・・・・が。
 喜んでいられたのも、この時だけだった。
 『都の味』に郷愁を覚えた御台所付の女房達が、この翌日から、次々に倒れたのだ。
 「・・・っなんなのだ、一体?!」
 治療のために城を出たきり、戻って来ない都育ちの女房らの代わりに、バクの周りは江戸出身の女中らで固められた。
 「・・・やられたな」
 珍しく、きちんと座ったフォーが、幼い顔を忌々しげに歪める。
 「ジェリーが、自分か自分の信頼する料理人が作ったもの以外食うなって言ってたのは、こういうことだったんだ」
 フォーの憮然とした口調に、バクは目を見開いた。
 「コムイ・・・!あの下郎が・・・・・・!!」
 手にした扇子を、コムイの首に見立ててギリギリと締め上げるバクの傍らで、ウォンがおろおろと彼を気遣う。
 「バ・・・バク様はご無事なのですか?!お身体には、なんの異常もないのでしょうか?!」
 と、フォーは厳しい顔のまま、頷いた。
 「・・・これ、誰も気づかないうちに、バクの味方を消すためにやったんだろ。
 だったら、毒見役のいるバクにはクスリを盛ったりしねぇよ。
 そもそも、自分でも言ってたように、バクになんかあったら困るのは奴なんだ・・・」
 「忌々しい巻き毛めが!!」
 ベキッと、鈍い音を立てて、バクの手の中で扇子が折れる。
 「よりによって、都の料理で郷愁をあおり、都生まれの者達をだまし討ちにするとは!
 なんと汚い手を使うのだ!!」
 「・・・江戸の者達は、『味が薄い』と、手をつけませなんだからな」
 さすがのウォンも、苦々しく呟いた。
 「この後、お味方のないバク様に、どのような策を用いてくるものか・・・」
 人間の最も本能的な弱みを突いた、無情で残酷な手を平然と使うコムイの存在に、背筋が寒くなる。
 だが、
 「・・・・・・・・・ふざけろ」
 バクの低い声音は、コムイへの危機感よりも更に、ウォンの心胆を寒からしめた。
 「このままで済むと思うなよ、下郎!!」
 バクの怒号は、雷霆のごとく城中を震わせた。


 その後半月ほどして、大奥で女中らの集団食中毒事件が起こったと聞きつたジェリーが、急ぎ京より戻って来た。
 「っだから、アタクシが留守の間はお気をつけくださいましって、申し上げたじゃありませんのぉー!!」
 畳を叩いて絶叫するジェリーに、バクは忌々しげに舌打ちする。
 「文句ならコムイに言え!
 あいつが俺様付の女房に毒を盛ったのだからな!!」
 「んもう!そんなのとっくに申しましたわよっ!」
 「・・・なに?
 奴は元気なのか?」
 ジェリーの言葉に、バクは訝しげに眉根を寄せた。
 「・・・?
 え・・・えぇ、とても元気でした・・・けど・・・?」
 バクの態度を訝しげに思いつつも答えれば、彼は悔しげに扇子を鳴らす。
 「あの下郎!
 田舎のあずまざむらいの分際で、俺様が贈った最中を食わなかったのか!」
 「・・・っちょっとちょっとちょっとぉぉぉぉぉぉぉっ?!
 んなに毒物の応酬してるんですか、アナタタチッ!!」
 声まで蒼ざめて絶叫するジェリーを睨み、バクは鼻を鳴らした。
 「女房達の仇を取ってやろうとしただけだ!」
 「・・・・・・御台様、ホントに公家の方でいらっしゃいますの・・・・・・?」
 仇討ちなんて武士のようだと、ジェリーが呆れると、彼は眉間の皺を深くする。
 「藤原北家直系の五摂家をなめるなよ!!」
 「執念深さは蛇並でございます!」
 すかさず言い添えたウォンは、バクが投げつけた肘置きの直撃を受けた。
 「ともかく!
 俺様が贈ってダメならお前が贈れ!
 なんとしてもあの下郎に、我が家秘伝の毒を食らわせるのだ!!」
 「そんなこと出来ますか!!」
 思わず怒鳴り返すと、バクの顔が紅潮する。
 「なにぃっ?!キサマ、どっちの味方だ?!」
 「アタクシは将軍家の乳母ですぅっ!!」
 「ならば敵かっ!」
 「敵でもありませんっ!!」
 バクとの会話に激しい疲労を覚え、ジェリーは肩を落とした。
 「・・・・・・あのですねぇ、御台様。
 将軍家に嫁していらした以上、御台様も将軍家の方でしょうに。
 お身内同士で毒の応酬だなんて・・・」
 「先に毒を盛ったのはコムイだぞ!」
 「・・・・・・・・・・・・そうですわね」
 深い吐息とともに、ジェリーはうな垂れるように頷く。
 その頭上に、バクの苛立たしげな声が降り注いだ。
 「このままでは俺様の気が済まん!
 宿下がりをした女房達を呼び戻し、改めて大奥を我が手中に治めてくれるぞ!」
 「・・・・・・そのことなんですが」
 ジェリーの暗い声を受けて、バクは尖った視線で彼女を見下ろす。
 「御台所におかれましては、霜月には中の丸にお移りくださいますようにと、大御所様のご意向ですわ・・・・・・」
 「・・・・・・・・・っ中の丸?!
 なっ・・・なぜ俺様が、あんな辺鄙な場所へっ・・・?!」
 瞠目するバクから目を逸らすように俯いたまま、ジェリーは声を引き攣らせた。
 「お・・・お約束のご隠居所が、完成したそうでございますので・・・・・・」
 「約束?!
 一体なんの約・・・・・・・・・っ!」
 愕然と、目を見開いたバクの傍らで、ウォンも真っ青になって硬直する。
 「あ・・・・・んの・・・・・・・・・【美しくない罵言】ヤロウ――――――――!!!!
 よくもこの俺様をはめおったな!!」
 「ああっ・・・やっぱり、策略だったんですの?!」
 バクが自ら隠居所を建てろなどと、言うわけがないとは思っていたが、案の定だった。
 「碁で勝負をしたのだ・・・!
 お・・・俺様が勝ったら御殿を建ててやるなどと言って、もう施工にかかっていたのではないか!!」
 でなければ、こんなに早く完成するわけがない。
 「俺様は絶対に大奥を出んぞっ!!
 あの【美しくない罵言】ヤロウに追い出されてたまるか!!」
 「で・・・ですが・・・・・・」
 憤然とするバクを、ジェリーは決然と見つめた。
 「御台様は、霜月で三十路でいらっしゃいますわよね」
 「・・・・・・・・・なんか文句でもあるか!」
 「お褥すべりのお年でいらっしゃいます」
 「・・・・・・・・・・・・・・っ!!」
 絶句したバクを、ジェリーは気の毒そうに見上げる。
 「申し訳ございませんけど・・・中の丸へ、お移り頂きますように・・・・・・」
 ・・・その直後、バクはヒステリックな悲鳴をあげて倒れた。
 全身を覆ったジンマシンと高熱に浮かされながらも、断固として大奥を出ることは拒んでいたが、彼を擁護する女房達のほとんどが大奥を出た今、彼の意志を通すことは難しく・・・。
 数日後、彼は中の丸の主として、大奥を出ることとなった。


 霜月に入り、城内を吹き抜ける風は益々冷たくなったが、日よりはまだ穏やかで、雑役をこなす者達の動きも、どこかのどかだった。
 だがそれも、大奥までのこと。
 城のはずれにある中の丸は、常にきつい護摩の香りとおどろおどろしい念仏の声に覆われていた。
 「もっと護摩を焚け!高僧に怨敵降伏の祈願をさせろ!!いや、俺様がやってやる!!」
 コムイを呪う鬼と化したバクが、甲高い喚声をあげて呪いの言葉を連ねる。
 「〜〜〜〜うるさくて昼寝もできねぇ!!」
 護摩の煙にくしゃみをして、フォーは中の丸を出た。
 渡殿を渡り、とことこと大奥の懐かしい部屋に入る。
 そこはかつて、御台所の御座所として使われていた部屋で、フォーは彼女がいつも昼寝をしていた縁側に転がった。
 「やっぱりここが一番いいや・・・・・・」
 ぽかぽかと暖かい日を浴びて、眠りに落ちようとした時、遠慮のない足音が響いて、忌々しげに眉根を寄せる。
 それでも無理に目をつぶっていると、彼女の存在に気づいたらしく、足音が急に止まった。
 そろそろと、足袋が畳の上を滑る音を無視していると、彼女の上に淡く影が落ちる気配がする。
 「・・・かわいーじゃん。でも、なんでこんなとこで寝てんさ、この子?」
 「御台様の女童(めのわらわ)で、フォーって言うんです。
 ちっさいけど、気性が激しくて、いつも僕、いじめられてました」
 ひそひそと話す声に、フォーは寝たふりをしたまま、聞き耳を立てた。
 「御台様って、今は中の丸にいんだろ?」
 「そうですけど・・・このお部屋、元々御台様のお部屋だったそうですよ。
 それで、懐かしくなってきたのかなぁ?」
 「確かに、昼寝には丁度よさそうなとこさ」
 うんっ!と、伸びをする声がして、とさりと一人が座る気配がする。
 「アレンも座れよー」
 「う・・・うん・・・」
 呼び寄せる声に対して遠慮がちに答えたアレンが、少し離れた場所に座る気配がした。
 「で?コレで全部の部屋巡ったけど、お前、どの部屋に住むんだ?」
 「たくさんありすぎて、どこがどうだったか覚えてないよ・・・。
 ラビはどこがいいと思う?」
 悩ましげな問いに、ラビと呼ばれた声は、陽気に答える。
 「そうさな、お前は厨房に近い方がいいんだろうけど、そりゃ姐さんに止められてんだろ?
 だったら、池に面した北の部屋か、林に面した東の部屋さね!
 夏は凉しそーだし♪
 まぁ、一番のお勧めは、昼寝にいい感じのこの部屋だけど!」
 「この部屋は渡さねぇぞ!!」
 突然、がばっと起き上がって怒鳴ったフォーに、二人とも飛び上がるほどに驚いた。
 「フォ・・・フォー・・・!起きてたの・・・」
 「てめぇウォーカー!!
 バクを追い出しただけじゃなく、部屋まで盗ろうだなんて、図々しいぜ!!」
 「そっ・・・そんな、僕は・・・・・・」
 「うるさい!!
 この部屋は、御台所だけが入っていい部屋なんだっ!
 絶対、誰にも渡さないんだからなっ!!」
 出て行け!と怒鳴られ、二人は突き飛ばされるようにして部屋を出される。
 「び・・・びっくりしたさ・・・・・・!」
 「だから言ったでしょ、気性が激しいって・・・・・・」
 「あぁ・・・けど、気性が激しいっつーより、御台所に忠実なようにも見えたさ」
 アレンに苦笑しつつ、ラビはここからは見えない中の丸の方を見遣った。
 「なぁ、アレン?
 御台様って、どんな人さ?」
 「まだ正式に紹介されたことはないんで、よくは知らないんですけど・・・ほんの少しの間、同じ中の丸にいる間中、ヒステリックな悲鳴と誰かを呪詛する念仏が聞こえてました」
 怖くて近づけなかった、と、アレンは肩を落とす。
 「へぇ・・・なんだか、面白そうな人さ」
 「お・・・面白いかなぁ・・・・・・」
 眉をひそめるアレンに、ラビはにこりと笑った。
 「んじゃ、そろそろ部屋決めよーぜ!
 御台所の部屋以外だったら、どこがいいさ?」
 「そーですねー・・・じゃあ、池に面した部屋にしようかな。
 鯉と遊べるし」
 「ははっ!
 池に落ちないようにすんだぜ?」
 「・・・いやなこと思い出させるなぁ」
 思わず憮然としたアレンに、ラビはまた、陽気な笑声をあげる。
 途端、
 「ウルサイッ!!」
 ヒステリックなフォーの絶叫が響いて、二人は慌てて御台所の部屋から遠ざかった。


 そんなことがあったのち、ジェリーの誕生日の祝宴においてアレンは無事、将軍との対面を済ませ、ようやく落ち着いた日々を過ごしていた。
 今日も仕事の息抜きにと、大奥を訪れたリナリーは、アレンとラビを伴って、池の鯉をからかっている。
 「ねぇねぇ?!
 鯉って、お団子食べるかなっ?!」
 目を輝かせて橋の欄干から身を乗り出す彼女の羽織の背を掴み、アレンは苦笑した。
 「さすがにお団子は食べないんじゃないですかぁ?」
 「だって、丁度口の大きさ的に入りそうじゃない!」
 「死んじゃいますよぉ!」
 団子を持った手を、水面に伸ばす彼女が池に落ちないよう、アレンは必死に支える。
 「ねぇ、上様!そんなに身を乗り出したら、危ないですって!!」
 「大丈夫だよー」
 はしゃぐ二人を、傍らで微笑ましく見ていたラビは、リナリーが中々団子に寄ってこない鯉に諦めて、ようやく身を起こした頃合を見計らって歩み寄った。
 「ほらほら上様!
 そんな望みのないもんをいつまでも持ってねーで、こっちをやるさ」
 そう言ってラビが差し出した、立派な漆塗りの枡には、麩が山と乗せてある。
 「・・・わかったよ。ちぇっ」
 拗ねたように言って、リナリーは持っていた団子をアレンの口に押し込んだ。
 「ふぐぁっ!!」
 「えへへv
 アレン君は釣れたーv
 「・・・釣ってねーじゃん」
 呆れ顔のラビに舌を出し、リナリーは彼の手から枡を受け取る。
 「ねぇねぇ、おっきい鯉って、どれ?」
 「・・・っんぐ。
 黒いやつですよ。僕が見た時は、太った猫くらいおっきかったです」
 団子を飲み込んで、水面を示すアレンの傍らで、リナリーは目を輝かせた。
 「へぇv
 そのうち、龍になるかな?」
 「池の鯉が?なるかなー?」
 リナリーの問いに、ラビが意地悪く笑うと、彼女だけでなくアレンからも睨まれる。
 「なりますよ!」
 「滝もねーのに?」
 「たっ・・・滝はなくても、嵐が来れば天に昇って龍になるんだって、兄さん言ってたもんっ!」
 「なーんか、色んなとこの伝説混じってんなー」
 笑いながら、ラビが語る神仙の物語に、二人は目を輝かせて聞き入った。
 「すごいねぇ、ラビ!物知りだねぇ!」
 素直に感激したリナリーは、ふと、手を叩く。
 「神仙と言えば、御台所の女童に、フォーって子がいるでしょ?
 あの子も、その手の話はすごく詳しいんだ」
 「へぇ・・・まだちっさいのに。
 物語が好きなんかな?」
 俺と同じだ、と、ラビが笑うと、リナリーがわずかに眉根を寄せた。
 「ちっさい・・・よね。
 ねぇ、あなた達、あの子いくつに見えた?」
 リナリーが問うと、ラビとアレンは顔を見合わせ、首を傾げる。
 「ちっさいけど、言うことはしっかりしてましたからねぇ・・・十歳くらいかな?」
 「そうなんさ?
 俺、まともに話したことねーから、せいぜい七、八歳かと思ってたケド・・・」
 答えは?と、見返す目に、リナリーは薄く笑みを浮かべた。
 「・・・・・・・・・十年前から、あの姿なのよね、あの子」
 「ふぇっ?!」
 「なんでさ?!」
 勢い込んで問う二人に、リナリーは首を振る。
 「私だって知らないよぉ・・・。
 御台所が輿入れしてきた時は、私と同じくらいの年の子だと思ってたのに、今じゃ全然違うんだもんー」
 どうなってんだろ、と、ラビに問いかけると、彼も目を見開いたまま、首を振った。
 「まさか、不老長寿ってワケじゃあるまいし・・・」
 「不老長寿って言えば、前に人魚の肉がどうのこうのって話してくれましたよね、ラビ?」
 「ん?
 あぁ、人魚の肉を食って、不老長寿になった尼さんの話だろ?
 だけどまさか、不老長寿なんて非現実的なこと・・・」
 「なによ・・・。私の言ってることが嘘だって言うの?」
 じっとりと睨まれて、ラビが笑顔を引き攣らせる。
 「嘘じゃないもん!
 兄さんやジェリーにも聞いてみてよ!」
 「いっ・・・イヤ、嘘なんて言ってねーよ、俺は?!
 ただそんな話、にわかには信じられねーっつってるだけで!」
 「・・・・・・やっぱり信じてないんじゃない」
 憮然とした口調で言われ、ラビは益々立場を悪くした。
 それに対し、
 「不思議ですよねぇ・・・本人に聞いたら、理由を教えてくれるでしょうか?」
 と、彼女の言葉を疑いもしないアレンに、リナリーはにこりと微笑む。
 「アレン・・・ずりー・・・・・・」
 「僕、上様の側室ですからv 疑いもしませんよv
 いけしゃあしゃあと言ってのけるアレンにラビは苦笑し、降参、とでも言うように肩をすくめた。
 「じゃ、直接本人に聞いてみっか。
 今日もいい天気だし、御台所の部屋で寝てんじゃねぇかな?」
 「それよりも・・・ねえ、確か御台所のお誕生日って、もうすぐじゃないかな?」
 「へ?そうなんさ?」
 「僕達、最近ここに来たばっかりですから、知らないです」
 「あ、そっか」
 きょとん、とする二人に笑って、リナリーは両手についた麩を払う。
 「でも、もうすぐ三十路になるから、おしとねすべりで中の丸に移ったって聞いたし、お誕生日も近いはずだよ」
 「・・・十年連れ添って、その程度の認識かい」
 ラビの呆れ声に、リナリーは真っ赤になって手を振った。
 「べっ・・・別に、キライとか仲悪いとか、そんなことはなかったよ?!
 ただ、あんまり話す機会とかなくって・・・・・・」
 言い訳がましいことを言う彼女に、二人は思わず吹き出す。
 「とっ・・・ともかく!
 その時だったら、フォーが教えてくれなくても、御台所かウォンに聞けるから、みんなで行こうよ!」
 「へ?僕達もですか?」
 「うん。
 アレン君を、御台所に紹介しなくちゃね!」
 「しょ・・・紹介・・・されちゃいますか・・・・・」
 びくっと、震えたアレンを、リナリーが首を傾げて見上げた。
 「いや?」
 「嫌って言うか・・・・・・怖いです」
 素直に言ったアレンに、リナリーが吹き出す。
 「取って食われたりはしないよ!」
 「・・・・・・取って食われそうなんですけど」
 ぼそりと呟いた言葉は、しかし、リナリーには聞こえなかったようだ。
 「たぶんね、私がお祝いに行くって言ったら、今日にでも御台所からお誘いが来ると思うから。用意しておいてねv
 「はぁ・・・・・・」
 気乗りしない様子で呟いたものの、未だに御台所であるバクに、アレンがいつまでも挨拶しないわけにも行かない。
 「お供させていただきます・・・・・・」
 「お。
 ようやく覚悟決めたさね」
 ラビのからかい口調に、リナリーは吹き出し、アレンは憮然と頬を膨らませた。


 同じ頃、ジェリーの使いで城外に出ていたミランダは、久しぶりに自身の町屋敷で一息ついていた。
 「はぁ・・・やっぱり、自分のおうちは落ち着きますねぇ・・・・・・」
 大奥は、華やかで賑やかな場所ではあるし、上司のジェリーとはうまくやれているから、仕事を辛く思うことはあまりない。
 だがやはり、将軍家や公家といった、高貴な人々と交わるのは緊張を強いられることだった。
 「早く、年季明けしませんかねぇ・・・・・・」
 城に比べれば、あまりにも小さな庭を眺めつつお茶をすすっていると、通りが見えるようにと、わざと低く設えてある垣根の向こうを、見知った顔が通る。
 「あら・・・」
 思わず呟くと、鋭い彼はミランダに気づいた。
 「まぁ・・・お久しぶりですねぇ、神田君。
 少し見ないうちに、またキレイに・・・あ!いえ!凛々しくなって!!」
 むっと眉をひそめた彼に慌てて言い直すと、彼は姿よく一礼する。
 そのまま立ち去ろうとした彼に、ミランダはもう一度声をかけた。
 「あの・・・お師匠様は今、お手すきでいらっしゃるかしら?」
 「相変わらず絵を描いてますが、茶飲み話をする余裕は有り余ってると思います」
 城のお中臈に対し、最低限の礼儀を守った口調でありながら、師匠への遠慮は一切ない。
 「ふふ・・・。じゃあ少し、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
 「どうぞご自由に」
 無愛想に言って、神田はそのままミランダの家を通り過ぎ、隣家の門をくぐった。
 「・・・じゃあ、手ぶらというわけにも行かないわよね。
 でも・・・神田君も食べられるお菓子なんて、あったかしら・・・」
 ぶつぶつと一人ごちながら立ち上がった途端、ミランダは自分の打掛の裾を踏んで、派手に転ぶ。
 「いったぁ・・・・・・!
 今、ぐきって・・・・・・!!」
 畳に打ちつけた頭と、その拍子に鈍い音を立てた首に手を当て、ミランダは涙目でうめいた。
 「だっ・・・大丈夫ですか、お中臈様!!」
 「なんだか今、すごい音がしましたけど!!」
 家の留守を任せている使用人達が慌てて寄って来るが、ミランダは頭を抱えたまま動けない。
 なんとか身振りで伝えようと、伸ばした腕が途中で掴まれた。
 「う・・・?」
 「はい、そのままそのまま」
 どこかのんきな口調で言われたか思うと、前のめりになったミランダの眼前に膝が現れ、彼女の額を乗せる。
 「首触りますよ。痛かったら言ってください」
 「・・・・・・・・・」
 頚骨を触られても無言のままでいると、ぽんぽん、と、軽く肩を叩かれた。
 「異常なし。
 起きられますか」
 「もうしばらく・・・無理です・・・・・・」
 その問いには、ミランダは苦しげに答える。
 確かに、強く頭を打ってしまって、目が回っているということもあったが・・・なによりも・・・・・・
 「おでこすりむいてんのなら、もうとっくに見ましたから、早く顔上げなさいよ」
 ・・・・・・オトメのハジライを無下にされて、ミランダは顔を赤らめた。
 「・・・・・・なんで見ちゃうんですか」
 「どんだけ長い付き合いだと思ってるんですか」
 彼の膝の上に頭を乗せたまま、見上げた顔は楽しげに笑っている。
 「バンソウコウ貼ってあげましょうか?」
 「いりませんっ!!」
 慌てて額を袖で隠したミランダに、思わず笑ってしまった。
 「・・・そんなに笑うことないでしょ!」
 袖の隙間からじっとりと睨みつけると、彼は彼女の手を取って、下ろさせる。
 「ま、この程度ならすぐに治るでしょ」
 ミランダの前髪をかきあげ、彼女の額に顔を寄せると、ミランダの顔が見る見る赤くなっていった。
 「お。茹で上がった」
 「もう!!」
 からかわれたミランダが、袖で彼をはたこうとした時、
 「相変わらず、仲がいいねぇ」
 と、穏やかな声がかかる。
 「あ・・・あら、ティエドール様!
 お伺いしようと思ってましたのに、わざわざお運びいただきまして・・・・・・」
 慌てて姿勢を整え、畳に手をつくミランダに、ティエドールは軽く手を振った。
 「そのままでそのままで。
 ミランダ殿、お元気そうで何より。リーバー君も」
 「・・・あの、俺とは一昨日、会いましたよね?」
 「あれ?そうだっけ?」
 「・・・旅の携行薬を持って来てくれたでしょーが師匠」
 とぼけたことを言う師の傍らで、神田がうんざりとした顔をする。
 「あぁ!そうだったそうだった!
 今度は、北へ行こうと思っていてね。北国の冬というものがどんなものか、見てくるよ」
 「まぁ・・・危ないのじゃありませんか?」
 ミランダが気遣わしげに眉根を寄せると、ティエドールはまた手を振った。
 「大丈夫だよ。今度の旅は、供を連れて行くからね」
 「あら・・・神田君を連れて行かれますの?」
 大変ね、と、声を掛けるが、彼はふるりと首を振る。
 「もう一人の方です。俺は、絵には関心がないもんで」
 「・・・すーぐね、こう言うこと言うんだよ、この子〜〜〜〜!
 パパンはとってもさびし・・・・・・」
 「誰がパパンですかっ!気色悪いこと言わんで下さいっ!」
 忌々しげに言われたティエドールはしかし、却って愛情深く神田の頭を撫でてやった。
 「ごめんねぇ。パパンがいなくなると、ユウちゃんも淋しいよねぇ〜」
 「イヤッ!むしろせいせい・・・」
 「それでねぇ、ミランダ殿。
 丁度、出発の前にあなたと会えたのも、何かの縁だ。
 うちの子を、お城に入れてくれないかな?」
 「は・・・」
 「はぁ?!なにすっとぼけてんですか師匠!!」
 ミランダが問い返す前に、何倍もの声量と勢いで神田が問い返す。
 「ヤダなぁ・・・すっとぼけてなんていないよ。
 ただね、今回は蝦夷にまで行きたいと思っているから、何ヶ月・・・もしくは、何年か、帰って来れないと思うんだよ。
 その間、君に留守番させておくのは可哀想だし、いっそ、信用できるとこに預けようかなぁって」
 「・・・別に俺は、留守番してても構わんのですがっ!」
 「そう言うわけで、どうだろう、ミランダ殿?
 この子、無骨だけど美人だし、気は利かないけど勘は鋭いし、芸事は出来ないけど武芸の心得は私が保証するよ?」
 「はぁ・・・・・・」
 「勝手に話を進めないでくださいっ!!」
 「別に、ずっと城にいろと言っているわけじゃないよ、ユウ。
 大奥女中には、ミランダ殿のように、年季を決めて奉公にあがっている人もいる。
 ミランダ殿は、あと何年お勤めかな?」
 「二年ですわ。
 その間に、上様にお世継ぎがおできになりましたなら、なんの心残りもなくお城を下がれるのですけど・・・」
 言ううちに、ミランダの神田を見る目が輝き始めた。
 「今・・・大奥では、上様の側室となられる方を探しておりますの。
 なるべく、上様とお年が近く、健康で信頼の置ける家出身の・・・・・・ご隠居なさったとは言え、興国の武将であられたティエドール様のお身内でしたら、申し分ございませんわ」
 「おぉっ!それはいいね!
 ユウちゃん、早速お言葉に甘えなさい!」
 「なんで年季奉公から側室に変わってんだっ!!」
 「細かいことじゃないかー。お部屋様になったら、一生安泰だよ?」
 「それに、神田君みたいにしっかりした子が後に残ってくれると思えば、私も安心してお城を下がることが出来ますわv
 「・・・そしてあんたはリーバーと夫婦になって、めでたしめでたしってですか!」
 「ふふふv そのためのご奉公ですものv
 「神田、お前も大人になれば、色々と事情が見えてくるんだから・・・」
 「それと俺が大奥に連れて行かれそうなことに、関係は?」
 ギロリと睨みつけると、リーバーは軽く首をひねる。
 「ないな」
 しかし、その後も師匠とミランダからの説得と泣き落としにさらされ、神田は渋々、ミランダに従うこととなった。


 一方、当の城内では。
 朝から熱心に、コムイを呪う念仏を唱えていたバクは、不意に手にした数珠を放り出した。
 彼の背後で居眠りをしていた女房の蝋花が、板張りの床を数珠が叩く音に驚いて目を覚ます。
 「あれぇ?どうしたんですかぁ、バク様ぁ?」
 「・・・・・・飽きた」
 憮然と言えば、蝋花は居眠りの続きのようにこっくりと頷いた。
 「呪ったところで、大御所様には効果なさそうですもんねぇ」
 バク様以上の鬼だから、と言う、暢気な口調が癪に障る。
 「だったらなにかいい案を持って来い!!
 こんなところで暢気に居眠りしおって使えん奴だ!」
 完全な八つ当たりに、しかし、慣れきった蝋花は怯えもせずに小首を傾げた。
 「代案ですかぁ〜。うーん・・・そうだなぁ・・・・・・馬を射んとすればまず将から、とかぁ?」
 「キサマはそれでも俺様の女房か!!
 まともにことわざも覚えておらんとは、嘆かわしいぃっ!!」
 ヒステリックに喚いて、バクは放った数珠を更に蹴りつける。
 と、蝋花はやや不満げに口を尖らせた。
 「だぁってバク様、馬を呪い殺すことばっかりに夢中になってて、本命の将にはなんのアプローチもしてないじゃないですかぁ」
 「・・・・・・・・・は?」
 「本末転倒って言いません、それぇ?」
 何歳も年下の少女に言われ、バクの頭に血が上る。
 「そっ・・・それが出来たらこんなに苦労するかあぁぁぁぁ!!!!」
 地団太を踏むバクの絶叫に、蝋花は耳を塞いだ。
 「アプローチしなかったんじゃない!ことごとく邪魔されたんだっ!!」
 「もぉ・・・怒鳴らないでくださいよぉ・・・・・・」
 「あのヤロウ・・・やっぱ呪い殺すっ!!」
 再び数珠を取り上げたバクに、蝋花は深々と吐息する。
 「あぁもう・・・早く終わってくれないかなぁ・・・・・・」
 うんざりと呟いた蝋花が、またこっくりこっくりと舟をこぎ始めた頃、騒々しい足音に再び夢の国から引き戻された。
 「んもう・・・なんですかぁ・・・・・・」
 目をこすりつつ顔を上げると、妻戸が外から勢いよく開いて、ウォンが飛び込んでくる。
 「ババババク様ぁぁぁぁぁ!!朗報でございますぞっ!!」
 「なんだ騒々しいっ!!」
 「上様が中の丸にお越しになるそうですっ!!」
 「・・・・・・・・・っ!!」
 絶句したバクの代わりに、蝋花が嬉しげに手を叩いた。
 「よかったじゃないですかぁ!
 将を射るチャンスですよぉ!」
 「・・・は?蝋花、なにを言っているんです?」
 「・・・っそんなことはどうでもいい!!いついらっしゃるのだ?!」
 勢い込んで尋ねるバクに、ウォンはにっこりと微笑む。
 「なんと!バク様のお誕生日の祝宴にいらっしゃるそうで!」
 「ほほほほほほほ本当か!!」
 「はい!
 先程、大奥の女中からその旨、連絡がございましたぞ!」
 快哉をあげようとしたバクは、しかし、急に険しい顔をした。
 「?
 どうしたんですかぁバク様ぁ?嬉しくないんですかぁ?」
 きょとん、と、蝋花が目を見開いて首を傾げる。
 と、彼は深刻そうに眉をひそめて、ウォンに向かった。
 「コムイも来るのか・・・?」
 「それにつきましては・・・」
 と、ウォンは声を潜める。
 「大奥でも、大御所様の奇行には手を焼いておりますようで、今回のことはくれぐれも内密に、と・・・」
 「Bravissimo!
 ざまぁ見ろあの巻き毛!!永久に立ち入り禁止になるがいい!!」
 とうとう快哉をあげたバクに、ウォンだけでなく、蝋花も暖かな拍手を送った。
 「まぁ、上様が来られたからと言って、バク様が大奥に戻れるわけじゃありませんけどねぇ〜」
 「こっ・・・これっ!蝋花!!」
 暢気な口調で残酷なことをぬかす女房の口を、ウォンが慌てて塞ぐ。
 が、いつもならばここでヒステリーを起こすはずのバクが、笑った。
 低く、忍ぶようにいつまでも沸いてくる笑声が、不気味でしょうがない。
 「ど・・・どうされたので・・・?」
 「とうとう・・・もがっ!」
 どうせろくなことは言わないと察して、ウォンは改めて蝋花の口を塞いだ。
 「チャンス到来だ!
 とうとう、コレを使う時が来た!!」
 いつしか哄笑に変わった笑声と共に、バクは懐から、錦の小袋を取り出す。
 「匂い袋・・・でございますか・・・・・・?」
 大きさとしては、それくらいの小袋にウォンが首を傾げると、バクは興奮に紅潮した顔を向けた。
 「ふははははは!
 これは、平安の世より歴代の帝を虜にした我が藤原北家に代々伝わる秘伝の惚れ薬だ!!」
 「そっ・・・それが噂の・・・っ?!」
 「まさか、実在していたとはっ!!」
 瞠目する二人の反応に、バクは満足げに笑う。
 「今までにも、何度か機会をうかがってはいたが、上様に会おうにもコムイに邪魔される上に、料理も茶もジェリーの監視下に置かれていたからな!
 一分の隙もなかったが・・・とうとうこの日が来た・・・!
 田舎侍めが!藤原北家八百年の歴史をなめるなよっ!!」
 秋の澄んだ青空に、バクの哄笑が高く高く昇って行った。


 そして、とうとうやってきた、バクの誕生日当日。
 「・・・なんか、不気味な声が聞こえね?」
 御台所の祝宴に参加するため、中の丸へと渡る途中、ラビがふと、そんなことを言い出した。
 「ほぇ?鳥か何かじゃないですか?」
 「俺の記憶にゃ、こんな声で鳴く鳥も獣もいねーさ」
 「んー・・・・・・伊勢と江戸じゃ、棲んでる生き物が違いますからねぇ・・・」
 暗に、気にするなと言うアレンへ、ラビは肩をすくめる。
 「そうさな。
 後で、なんの鳴き声か聞いてみるさ」
 誰か知ってるだろ、と言うと、アレンが笑い出した。
 「案外、中の丸に住んでるお化けだったりして・・・あれ?」
 「お?どしたんさ?」
 中の丸へと架けられた渡殿を渡りきった所で、しゃがみこんでいる者を見つけて、二人は足を早める。
 「どうしました・・・あ!ミランダさん!」
 「大丈夫さ?!」
 渡殿の欄干に縋りつき、真っ青な顔を俯けているミランダに駆け寄ると、彼女の傍らに付いていた者が顔を上げた。
 「うわっ・・・!すげー美人!」
 思わず声をあげたラビを、彼は憮然と睨む。
 「あ!わりわり!
 今はそんなこと言ってる場合じゃねーよな!」
 「そ・・・そうですね、!
 大丈夫ですか、ミランダさん?貧血ですか?」
 アレンの問いに、彼女はふらふらと首を振った。
 「笑い声が・・・・・・」
 「こえ?」
 「あっ!
 やっぱさっきの不気味な声!なんかあるんさ?!」
 ラビがミランダの上に屈みこむと、彼女は重く吐息する。
 「御台様の笑い声が・・・・・・!
 きっと何か企ん・・・いっいえっ・・・!」
 慌てて言葉を切ったミランダの様子にただならぬものを感じて、アレンとラビは顔を見合わせた。
 「あ・・・あの・・・・・・。
 なんだかよくわかりませんけど、気分が悪いんでしたら、大奥に帰った方がいいんじゃ・・・?」
 しかし、アレンの提案にミランダは、ふるりと首を振る。
 「私、総取締の・・・代理ですから・・・・・・」
 そう言って、気丈にも立ち上がろうとするミランダに、彼女の部屋付小姓らしい彼が手を貸した。
 「あ・・・ありがとう、神田君・・・・・・。
 アレン君、ラビ君、心配かけてごめんなさいね・・・お先に・・・・・・」
 「はぁ・・・・・・ご苦労様です・・・・・・」
 ふらふらとよろめきつつも先に行ったミランダを見送り、二人はまた顔を見合わせる。
 「御台様がなんか企んでるって、言おうとしてたよな?」
 「・・・・・・なんだか、毒殺されそうで怖いんですけど、僕」
 わずかながら、御台所の人となりを知るアレンは震え上がった。
 「まさか、こんな『自分がやりました』ってすぐわかるようなことはしないだろうさ」
 「そう・・・ですよね・・・・・・!」
 ご馳走食べてもいいよね、と、確認するように問うアレンの頭を、ラビは苦笑しつつ撫でてやる。
 「それは大丈夫だと思うけど・・・お前にゃもう一つ、別の心配があんじゃね?」
 「別の?」
 きょとん、と、目を見開くアレンに、ラビは深く頷いた。
 「さっきの、神田って呼ばれてた美人、見たろ?
 お前、負けんじゃね?!」
 「負ける?」
 ラビの言う意味がわからず、首を傾げたアレンは、しばらくして、ぽかん・・・と口を開く。
 「ま・・・さか・・・・・・」
 「あいつ、側室候補じゃねぇかなぁ?」
 「そんな・・・そんなまさか・・・・・・!」
 真っ青になって震えるアレンを気の毒に思いつつも、ラビは彼らが消えた方向を見遣った。
 「だってあんな美人、滅多にいねーぜ?同じくらいキレイなのって、院主の愛人くらいさ」
 「あぅっ・・・でもっ・・・でもっ・・・!僕の方が可愛いですっ!!」
 ヒステリックな声で断言され、ラビが脱力する。
 「そ・・・そうさな・・・。
 まぁ、上様がどう思うかだけど・・・」
 と、まるで計ったようなタイミングで、リナリーが多くの女中らを従え、渡殿にやって来た。
 「誰が可愛いって?」
 「上様ぁぁぁぁぁ!!僕の方が可愛いですよねっ?!」
 「うぉぅっ!直球っ!!」
 アレンにいきなり泣きつかれ、リナリーが驚いて立ち竦む。
 「どっ・・・どうしたの?!」
 目を丸くするリナリーに、ラビが苦笑した。
 「ごめんな、上様。
 今、そこでミランダ殿の部屋付小姓かな?見たんけど、それがすっごい美人で・・・」
 「あぁ、神田でしょ?
 もう隠居しちゃったんだけど、私のお父さんの代に尽くしてくれた方の身内なんですって」
 「側室にしちゃうんですかっ?!」
 「ちょっ・・・アレン、直球すぎ!落ち着けっ!!」
 ラビは泣きじゃくるアレンを羽交い絞めにしてリナリーから引き離す。
 「あは・・・まだそんなこと考えてないよ・・・」
 「まだって!
 まだってぇぇ!!
 いつか側室にする気なんだ上様の浮気者っ!!」
 「はいっ!どーどー!!
 上様ごめんさっ!ちょっと先行ってて!
 俺、こいつなだめてから行きます!!」
 「うん・・・よろしくね・・・・・・」
 ラビに促され、リナリーは苦笑と共にアレンに手を振った。
 「上様待っ・・・ふぐっ!!」
 ラビに口を塞がれ、アレンは無理やり間近の小部屋に放り込まれる。
 「なにするんだよぉぉぉぉぉ!!」
 「おダマリなさい、このヒス少年が。
 あんな風に縋ったら、逆に引かれるさ」
 「だって・・・だって・・・・・・!!」
 「大体、浮気者っつーのは、お前がちゃんと側室になってから言うこったろ」
 えぐえぐとしゃくりあげるアレンに深々と吐息し、ラビは懐紙を差し出した。
 「ほれ。
 涙拭いて、まずは落ち着くさ」
 「えうー!!」
 まだ泣き止まないアレンに苦笑し、ラビは彼の乱れた髪を直してやる。
 「負けるなんて言って、悪かったさ。
 確かにあっちの方が美人だけど、お前も中々可愛いから、安心しろって」
 「・・・・・・でも、上様次第なんでしょ」
 「そうだけど、お前くらい意志が強くて性格悪けりゃ、うまくやれっさ」
 「性格悪いは余計です!!」
 からかうように笑うラビに、アレンは丸めた懐紙を投げつけた。


 一方、アレンと同じくらい・・・いや、それ以上に意志が強く性格も悪いが、コムイとの争いに負けて中の丸に追いやられた御台所は、リナリーの到着を今か今かと待ちわびていた。
 時折、不気味な笑声をあげては気味悪がられていたが、段々と人が増えるにつれてそれも収まり、大奥総取締の代理と謁見する頃には、冷静さを取り戻していた。
 しかし、既にあの不気味な笑声を聞いてしまった方としては、とても心穏やかではいられない。
 「ほ・・・本日は、おめでとうございます・・・・・・」
 と、震える声で祝辞を始めたミランダを、皆が訝しげに見た。
 「どうした?随分と顔色が悪いな」
 「い・・・いつものことでございます・・・・・・」
 「それもそうだな」
 ミランダの答えをさらりと流し、座に着かせると、とうとう、本命が到着したと、先触れがやってくる。
 期待に胸膨らませ、一旦下座に下りると、彼の目の前を、軽やかな足運びでリナリーが過ぎて行く。
 「お久しぶりです、御台所」
 「上様v
 夢にまで見た、いや、聞いたリナリーの声に、バクは笑み輝いた顔を上げた。
 「このような所にお越しいただき、恐縮でございます」
 が、いくら内心でははしゃいでいても、公家のたしなみとして、表面上はさりげなさを装う。
 「ううん。
 私、御台所には何もしてあげられなかったから・・・不自由な思いをさせてごめんなさい」
 「とんでもない」
 リナリーの気遣わしげな表情に舞い上がる心を押さえつけ、バクはなるべく穏やかに笑った。
 「結構なお品を多々頂戴した上、こうしてお越しいただき、嬉しく存じます」
 「そう言ってもらえると・・・私も・・・・・・」
 バクの雅なことうけに感嘆するあまり、リナリーは言葉をなくしてしまう。
 そんな彼女へにこりと微笑み、バクは袖を上げて蔀(しとみ)の外を示した。
 「都より、楽人と舞人を招いております。粗膳など差し上げますゆえ、ご一緒に」
 「はい!」
 すっくと立ち上がり、先に立って歩き出したリナリーの後ろに、バクは姿よく従う。
 「・・・さすがに、あぁいう身ごなしは名門出身ならではだな」
 「そうですね・・・そんなに、怖い人でもなさそうだし」
 ラビとアレンが、ひそひそと囁きを交わしていると、彼らの目の前をミランダが過ぎ、神田が従った。
 「・・・・・・・・・・・・僕、生まれて始めて、人の足引っ張ってやりたいと思いました」
 「顔だけじゃなく動きもキレイだったからって、嫉妬しねーの」
 「・・・・・・撒きびしってどこで手に入るかな?」
 「やめろって!」
 それ以上の口を塞ぐように、ラビがアレンの頭をはたく。
 「ほれ、行くぜ?」
 「あぃ・・・・・・」
 頭をさすりながら部屋を出ると、広い庭には舞台が設えてあり、楽の音が響いていた。
 「・・・・・・寝ちゃわないかな」
 「寝たらつねってやるよ」
 不安げなアレンに笑いかけ、ラビは彼の背を押して席に導く。
 と、既に上座に着いていたバクが、深々とこうべを垂れたアレンを訝しげに見下ろした。
 「どなたか?」
 「あぁ、紹介するね、御台所。
 彼はアレン君。私の・・・」
 「側室か」
 ・・・たった、その一言に籠められた憎悪と嫉妬と殺意と怨恨に、アレンは震え上がる。
 「おおおおおおおおお初にお目にかかかかかります御台所っ!!」
 バクが送って来る負の念があまりにも強すぎて、アレンはまともに声も出なかった。
 「落ち着け。
 コムイじゃあるまいし、僕は取って食ったりはせん」
 そう言う声は淡々として、決して感情を露わにすることはなかったが、アレンを見下ろす冷酷な目は、槍のようにアレンを貫く。
 ―――― 殺されるっ!!
 本能で察したアレンは、着座を命じられるや、いつでも逃げられるようにと、そっと着物の裾を整えた。
 それとなく、その様を見ていたラビが、そっと囁く。
 「・・・大変だな、お前」
 「・・・・・・人事だと思ってないで、いざって時は助けてくださいよ?!」
 ひそひそと囁き返すアレンの前に、豪華な膳が置かれた。
 思わず目を奪われた彼の袖を、ラビが引く。
 「命狙われるんなら、これじゃね?」
 「そんな・・・毒は盛らないだろうって、さっき・・・!」
 「あー・・・本人見て、考え変わったさ」
 アレンの後ろに控えていたラビは、アレン本人よりも、御台所の憎悪に満ちた目を見ていた。
 「ありゃ、殺る時は殺る目さ」
 「うそぉー・・・・・・!!」
 ご馳走を前に、アレンは喉を引き攣らせる。
 それは言うまでもなく、食欲と同義ではなかった。
 が、御台所の隣で彼と話し込んでいるリナリーは、アレンの葛藤など知りようもない。
 都の楽の音と舞にうっとりと見入る彼女に、杯が差し出された。
 「ご一献、いかがですか?」
 御台所自ら差し出した酒器には、しかし、慌てて手を振る。
 「ごめんなさい、私、まだ飲めないから・・・」
 「さようでございますか」
 では、と、冷酷な目がアレンを射た。
 「そなた、飲むか?」
 「ごっっ遠慮いたしますっ!!」
 アレンが今にも倒れそうなほど真っ青になると、バクはつまらなそうに鼻を鳴らす。
 「そうだな、子供に勧めてもしょうがないか。
 だが、せっかくの宴で誰も飲まないのでは、下の者が遠慮して楽しめないだろう。
 ミランダ、お前確か、いける口だったな?」
 「はぁ・・・御台様がおっしゃるなら、お相手いたしますが」
 「別に、僕の相手をしなくてもらわなくてもいいが、適当に飲んでいてくれ」
 バクの指示で、手付かずの酒器がミランダのもとに運ばれた。
 「では、ありがたく頂戴します」
 にこりと笑って杯をあけるミランダを、アレンはハラハラと見つめていたが、当然ながら何事もない。
 杞憂だったかと、安堵の吐息を漏らし、ややしてバクが
 「上様には、お茶でも差し上げましょう」
 と言い出した時には、アレンもくつろぎ始めていた。
 「た・・・食べても大丈夫・・・だよね・・・・・・」
 目の前に据えられた豪華な膳に我慢の限界を超え、箸に手を伸ばしたアレンに、ラビが苦笑する。
 「骨は拾ってやるさ」
 不吉な言葉は聞かなかった振りをして、アレンが箸を進めるうちに、バクの女房が茶を運んできた。
 それがリナリーの傍らに置かれた途端、彼の目が不気味に光る。
 「・・・上様、間もなく師走ということもあり、お忙しいことでしょう。お身体にお変わりはございませんか」
 つい、茶器に据えそうになる視線を懸命に逸らし、当たり障りのない話題を向けながら、バクは全身でリナリーの気配を探った。
 と、リナリーは茶器に伸ばそうとした手を、膝の上に戻す。
 「はい。
 これから寒くなるので、身体に気をつけなさいって、ジェリーが健康管理してくれるんです。
 泊まりはしないけど、食事は大奥でいただいているんですよ」
 「さっ・・・さようでございますか・・・・・・。
 総取締は、料理の達人であられるから・・・・・・」
 「はい。
 おかげで、政務が忙しくても、あまり疲れないようになりました」
 「それはよろしゅうございましたね」
 どこか上の空で応じつつ、バクはちらりと茶器を見遣った。
 「僕が話しかけたせいで、お邪魔をしてしまったようで。
 冷めないうちに、お茶をどうぞ」
 改めて勧めると、リナリーは頷いて茶器を手にする。
 どきどきと鼓動を早めながら、バクは何とか視線を引き剥がし、舞人の舞を眺める振りをした。
 茶器を持ったリナリーの白い手が、すぃ・・・と上がる様が、彼の目の端に映る。
 思わず、扇子を握る手に力がこもった。
 きし・・・と、要があるかなしかの音を立てた時、
 「あら、フォー!」
 リナリーの明るい声が、バクの耳朶を叩く。
 愕然と見開いた目に、リナリーが口をつけないまま茶器を置く様が映った。
 「久しぶりだね。元気だった?」
 リナリーが手招いて問うと、フォーは遠慮なく歩み寄って、彼女の前で立ったまま首を傾げる。
 「元気・・・かなぁ・・・?
 あいつらが昼寝の邪魔するから、最近よく眠れないんだ」
 そう言って、フォーがまっすぐにアレンとラビを指差すと、リナリーはくすくすと笑声をあげた。
 「聞いたよ?
 フォー、御台所のお部屋を守ってるんだってね」
 「・・・そうなのか?」
 初耳だ、と、ようやく茶器から視線を引き剥がしてバクが問うと、フォーは赤らんだ顔を慌てて逸らす。
 「べっ・・・別に、守ってなんかねーよ!
 ただ、あそこは日当たりが良くて、昼寝するのに気に入ってたんだ!
 だから・・・昼寝しに行ってるのに、こいつら・・・・・・!」
 真っ赤な顔で睨まれて、アレンとラビは揃って顔ごと目を逸らした。
 「アレン君達は、ジェリーのお使いでフォーにおやつを持ってってるんだよ。
 仲良くしたいんだよね?」
 取り成し顔で言うリナリーに、二人はまた、揃ってこくこくと頷く。
 「ところで・・・ねぇ、フォー?
 私、あなたに聞きたいことがあるんだけど・・・・・・」
 きらりと、目を光らせたリナリーに、フォーが首を傾げた。
 「あなた・・・ここに来た時から、全然姿が変わらないよね?なんで?」
 はい、と、大福を差し出しつつ問うと、目を丸くしたフォーは、リナリーと大福を見比べ、困ったようにバクを見遣る。
 「それは・・・バクがいいって言わないと、あたしからは言えない・・・・・・」
 「そうなんだっ!
 ねぇねぇ、御台所っ?!」
 フォーの手に大福を乗せ、リナリーはバクを振り返った。
 「どうしてっ?!」
 きらきらした目で問われて、バクも気まずげに視線をさまよわせる。
 「あー・・・これは、なんというか・・・・・・」
 「座敷童でございます!」
 「おい・・・」
 バクの後ろに控えていたウォンが、すかさず言った言葉にフォーが目を眇めた。
 「まぁ・・・そんなものか」
 「ちげーだろ!」
 思わず納得したバクの口に、フォーが大福を押し込む。
 「お前は守り神にそんなこと言っていいと思ってんのか!!」
 「守り神なんだ!」
 人ならぬ存在に、リナリーは目を輝かせて感動した。
 「だから年取らないの?!
 でも、よくお昼寝してるよね?!神様でも眠たくなるの?!」
 「饅頭も食ってるよな?!あと、柿も食ってたさ!魚は?!魚は食うんさ?!」
 リナリーだけでなく、好奇心で目をらんらんと輝かせたラビにまで詰め寄られ、フォーが忌々しげに顔を歪める。
 「うるせぇよお前らっ!縋るなっ!!」
 「だって!ずっと不思議だったんだよ!」
 「なぁなぁ?!やっぱ、お供えもんにするようなもんばっか食ってんさ?酒はっ?!酒はいけるんさ?!」
 「うるさぁい!!」
 「バク様!!」
 フォーの絶叫にウォンの悲鳴が重なり、熱狂していた二人も驚いて振り向いた。
 「バク様が大福を喉に詰まらせて瀕死にっ!!」
 「それ・・・守り神が押し込んだ大福じゃね・・・?」
 ラビの指摘に、寒風が吹き抜ける。
 「守り神が殺しちゃダメじゃないー!!」
 「上様落ち着いて!まだ死んでませんからっ!」
 「バク様――――!!お気を確かに!!」
 アレンも加わって、恐慌状態の上座にすいっと、上がってきた者がいた。
 「どいてください」
 丁寧な口調ながら、反駁を許さない気迫でウォンをどかせると、神田はバクを背後から抱える。
 「御台所、失礼いたします」
 とは言ったものの、全く失礼だなどとは思っていない様子で、神田は一気にバクの腹部を圧迫し、大福を吐き出させた。
 「死・・・死ぬ・・・・・・」
 青息吐息のバクを冷たく見下ろし、神田は手近の茶器を取り上げる。
 「上様。このお茶、いただいてもよろしいか」
 冷静に発せられた問いにリナリーが頷くと、彼は茶器をバクの口元に寄せた。
 ほとんど本能でぬるくなった茶を飲み下し、ようやく一息ついたバクは、愕然と目を見開く。
 そこには、空になった茶器が転がっていた。
 「な・・・なんてことだ・・・・・・!!」
 秘伝の惚れ薬を自分で飲んでしまった、と、絶叫したくても、まさか薬を盛ろうとしていた本人を前に言えることではない。
 「なんてことするかキサマー!!!!」
 完全に八つ当たりで、神田に絶叫すると、恐ろしい目で睨まれた。
 「大福喉に詰まらせて死にたかったですか?」
 「お・・・お前じゃなくてフォーに言ったんだ!」
 慌ててフォーを指差すと、さすがの彼女も気まずげに身をすくめる。
 「ごめん・・・・・・」
 「危うく死ぬところだったではないか!その上・・・」
 「御台所、大丈夫?!」
 バクの傍らに跪き、気遣わしげに見つめてくるリナリーに、彼の心拍数は限界にまで急上昇した。
 ―――― いつも以上に可愛く見える・・・ッ!
 「ご・・・ごめんね、私が変なこと聞いちゃったから・・・」
 「い・・・いえ・・・・・・!」
 ―――― これは、薬のせいなのか・・・?それとも、元からの恋心なのか・・・?!
 判然としないまま、心拍数の上昇と共に体温も急激に上がり、それに伴って刺激されたマスト細胞が全身にジンマシンを引き起こす。
 「きゃあああ!!御台所っ!!」
 「バク様ー!!」
 リナリーの腕の中で、バクは身もだえしつつ意識を失った。


 その後、当然ながら祝宴は中止となり、御台所付の女房や女中を残して、多くの者は中の丸を去って行った。
 日も暮れ、すっかり静かになった寝殿で、ようやく目を覚ましたバクは、眼前に迫ったリナリーの気遣わしげな顔に、しばし硬直する。
 「良かった・・・目が覚めたね。
 気分は?」
 夢の続きかと思いつつ、バクは無言で首を振った。
 「まだ悪い?」
 「あ・・・いえ、悪くは・・・ありません・・・・・・」
 「でも、まだ熱はあるみたい」
 額に手を当てられて、バクの顔が赤くなる。
 「・・・なんで誤飲で熱が出るんさ」
 「しっ!」
 余計なことを言うラビに、ウォンが厳しい目を向けた。
 「せっかくの祝宴だったのに、残念でしたね・・・」
 バク本人よりも気落ちした様子で、リナリーが言う。
 「いえ・・・上様が来て下さっただけで、嬉しかったですから・・・」
 本気の言葉だったが、リナリーはそれをバクの気遣いだと思ったようで、苦笑を浮かべた。
 「・・・っ本当ですよ?!
 僕は、どんな豪華な祝宴よりも祝儀よりも、あなたが来てくれて嬉しかったんですから!」
 途端、リナリーの笑みが晴れやかになって、バクの鼓動が跳ねる。
 「じゃあ私、またこちらに来てもいいですか?
 御台所が元気になったら・・・紅葉狩りでもしましょう?」
 「・・・っはい!!」
 勢いよく上体を起こして、バクはリナリーの手を取った。
 「喜んで!!」
 喜色満面のバクに微笑み返すリナリーは、やはり最高に可愛く見えて・・・。
 ―――― 薬など、僕には関係ない。
 確実に、自分は彼女に惚れている、と、バクは思いを新たにした。


 一方、祝宴の片づけを終えた蝋花は、お茶を淹れる際にこっそりくすねた惚れ薬を、まじまじと見つめていた。
 「・・・特に、変な匂いはしませんねぇ。味はどうかな・・・」
 リナリーに淹れた時と同じく、お茶に入れて、一口舐めてみる。
 「・・・・・・普通のお茶ですねぇ」
 薬の量が少ないからか、お茶の味しかしなかった。
 「でもまぁ、いざという時のために、取っておきたいですもんね・・・」
 ぺろりと舌を出して、蝋花はお茶を飲み干してしまうと、油紙に包んだ惚れ薬を大切に懐へしまった。
 その時、回廊を渡ってくる足音が近づいてきて、蝋花は慌てて妻戸を閉める。
 「・・・あ、隠れることはないんでした」
 証拠は、もうとっくに隠滅している。
 「ま、いっか。
 出て行って挨拶するのも面倒だし・・・・・・」
 どうせ大奥に戻る女中達だろうと、耳をそばだてていると、思った通り、リナリーに従っていた者達のようだ。
 「なぁなぁ、神田殿!」
 滑るように進んでいた足音が、呼びかけに応じて止まった。
 「御台様、あんたのおかげで助かったさ!お手柄さね」
 蔀の向こうから聞こえる陽気な声に、蝋花は思わずほっと吐息する。
 「バク様・・・目を覚まされたのね」
 良かった、という呟きに重なって、また、陽気な声があがった。
 「えらく適切な処置で、感心したさ!医術でも修めてんさ?」
 「別に・・・知り合いに医者がいるだけだ」
 無愛想な声音に、しかし、陽気な声が翳ることはない。
 「へぇ・・・でも、それだけじゃないさね?
 あんた、御台様があのお茶をえらく気にしてたの、気づいてたんだろ?」
 「えぅっ?!」
 蝋花は、危うく悲鳴を飲み込んだ。
 ―――― バレてたのっ?!
 額に冷や汗を滲ませつつ、聞き耳を立てていると、無愛想な声が『あぁ』と呟く。
 「助ける振りして、上様が飲むはずだった茶を飲ませるなんて、すげーことやるのな♪」
 「毒だったら吐こうとするはず・・・だが、御台所はそれをしなかった。
 何の思惑があって、あの茶にこだわったのかは知らないが、少なくとも、上様を害するつもりではなかったようだな」
 ―――― ひぃぃっ!!ど・・・毒殺すると思われてたのぉっ?!
 自分の口を両手で塞いで、蝋花は必死に悲鳴を押し殺す。
 バクに命じられたこととは言え、危うく、将軍に毒を盛った実行者として、殺されるところだったかもしれないのだ。
 ―――― ヤバイですぅっ!!これは、ウォンさんに相談ですぅっ・・・!!
 わたわたと床を這って、蝋花は彼らがいる回廊とは正反対の場所にある妻戸を細く開ける。
 そちら側には誰もいないことを確かめ、こっそり部屋から出ると、回廊を逆周りにバクの部屋に向かった。
 「ウォンさん・・・!まだいるかなぁ・・・?!」
 リナリーがまだ、バクの部屋にいることは知っていたが、彼が付き添っているかは確信がない。
 それでも、別の部屋を捜し歩くよりは確実だと、足音を忍ばせながらも早足で進んでいると、回廊の影から人が出てきた。
 「きゃっ!!」
 「ぅわっ!!」
 足音を忍ばせていたために、蝋花に気づかなかったのだろう。
 まともにぶつかって、二人とも回廊に転がった。
 「いったぁ・・・!」
 「だ・・・大丈夫ですか?」
 いち早く立ち上がった相手に手を差し伸べられ、蝋花は薄闇の中に浮かんだ、気遣わしげな顔に目を見張る。
 「あの・・・怪我でも?」
 目を見開いたまま、いつまでも動かない蝋花に、彼は更に不安げな顔になった。
 「・・・ストライクッ!!」
 「は・・・?」
 突然、わけのわからないことを言われて、アレンは思わず差し伸べた手を引く。
 が、引き戻す寸前、がしっと腕を掴まれた。
 「わっ・・・私、御台様にお仕えする女房で、蝋花といいます!!あ・・・あなたは、どちら様ですか?!」
 蝋花の意気込んだ問いに、アレンは『あぁ』と、納得顔で頷く。
 「怪しい者じゃありませんから、ご心配なく。
 僕、上様の・・・まだ、側室じゃないですけど、側室予定の・・・アレンていいます」
 「ごっ・・・ご側室・・・・・・!」
 愕然と目を見開いた蝋花に、なにを勘違いしたのか、アレンは莞爾と微笑んだ。
 「はい。
 盗賊なんかじゃありませんから、もう、手を離してもらって大丈夫ですよ。
 都の方なのに、勇敢なんですね」
 「え・・・・・・離さないと、いけませんか・・・?」
 名残惜しそうに、いつまでも手を離さない蝋花に、アレンの笑みが引き攣る。
 「はぁ・・・ですから・・・・・・」
 「どうしたの、アレン君?」
 アレンが困惑していると、後ろからリナリーが、訝しげに問うてきた。
 「もう失礼するよ・・・あら?この子は?」
 「はぁ・・・どうも僕、盗賊か何かと間違われたみたいで、取り押さえられてしまいました」
 苦笑するアレンに、リナリーが笑い出す。
 「明かり持ちが先触れするって言ってるのに、さっさと行っちゃうからだよ。
 あなた、アレン君の身元は私が保証するから、離してあげて?」
 「は・・・はい・・・・・・」
 リナリーに言われ、蝋花はようやく彼の腕を離した。
 ―――― ご側室・・・なんだ・・・・・・上様の・・・・・・・・・。
 一目惚れだったのに、と、唇を噛んで俯いた蝋花は、しかし、拳を握って顔を上げる。
 「で・・・でも私、がんばります!!
 「・・・・・・・・・なにを?」
 訝しげな声を揃えた将軍とその側室に、勢いよく一礼すると、蝋花は当初の目的通り、バクの部屋に飛び込んだ。


 ―――― 彼女の心情(きもち)が、薬の効果か真の恋心かは・・・また、別のお話。



Fin.

 










2007年バクちゃんお誕生日SSです(笑)
なんかこー・・・・・・バクちゃんらしさが出ればいいなぁなんて思いつつ書いてました(笑)
ちなみに『五摂家』とは、摂政・関白を輩出する名門公家の通称。
藤原北家直流の、一条・二条・九条・近衛・鷹司の五家を言います。
この五家以外からは、原則として摂政・関白が出ないのが決まりでしたので、豊臣秀吉は一旦、近衛家の養子に入ってます。
家光の御台所(正室)は、鷹司家出身でした。
当時は成り上がりの徳川家とは、全然家格が違いますな(笑)
それにしても、バクちゃんお誕生会なのに、無駄にリバミラでごめんなさい;;
今回・・・なんかのプレイかと、自分で思った!>思っても言うなよ;












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