〜 からくれないに 〜







 天高く、地には霜の降りる季節となった。
 春は花の陰に隠れ、夏には青々と繁っていた楓が紅く色づき、ようやくその姿をあらわにする。
 ほんのひと時、薄紅に染まっていた池は今や唐紅に染められ、鯉の白い肌に紅く色を落としていた。
 「このたびは ぬさもとりあへず手向け山 紅葉の錦 神のまにまに・・・」
 ゆったりとした声で詠んだ歌は、涼風というにはやや冷たい風に乗って返り、彼の長い前髪をそよそよと揺らす。
 「菅公ですか」
 ふっくらと漂う茶の香りと共に穏やかな声が掛けられ、彼はほんのわずか、振り返った。
 「うむ。
 ちはやぶる、という趣でもなかろう。
 紅葉狩りには良い場所だと思わんか、小狐丸?」
 「えぇ。良い庭です」
 長い銀髪をふわりとなびかせ、彼の隣に座った小狐丸は、大きな身体に似あわぬ繊細な手さばきで茶を置いた。
 「どうぞ、三日月殿。
 ご所望のお茶菓子もご用意いたしました」
 菓子器に盛られた色とりどりの菓子を見て、三日月が嬉しそうに目を細める。
 「なるほど、これが粟田口の者達が言っていた『おやつ』というものか。
 金平糖とはどれのことだ?」
 おっとりと小首を傾げた三日月が、菓子器の上に屈み込んだ時、
 「おや、紅葉が・・・」
 やけに葉が散る、と、顔をあげた小狐丸の目の前に、突如白く大きなものが降って来た。
 「はっはっは!どうだ、驚いたか!」
 高笑いして縁側に駆け寄った彼は、すばやく菓子器へ手を伸ばす。
 「残念だったな、三日月!
 この菓子は俺がもらっていくぞ!!」
 大声でまくし立てたかと思えば、菓子器ごと奪って一瞬で消えた彼に、残された二人は顔を見合わせた。
 「・・・今のは鶴丸だったかな?」
 「えぇ・・・そのようです」
 行き場を失った手を戻す三日月に、小狐丸が頷く。
 「あれも相変わらずよな。
 欲しければ奪わずとも、菓子などいくらでも分けようほどに」
 温かい茶碗を両手で包み、豊かな香りを楽しむ三日月へ、小狐丸が苦笑した。
 「きっと菓子は口実で、真なるは三日月殿を驚かせることかと。
 ちっとも驚いてくださらないから」
 諭すような口調に、三日月は肩をすくめる。
 「鶴丸が素直に菓子をもらいに来たら、きっと俺は驚くのだがなぁ・・・」
 くすくすと笑う声が、騒々しい足音に掻き消された。
 「御用改めである!!!!」
 本丸中に響き渡るような声をあげ、飛び込んで来た男に三日月はほぅと吐息する。
 「若い者は元気があって良いものだが、あまり騒々しいと庭の鳥が怯えてしまうぞ、和泉守。
 せっかくの鶯が鳴かなくなってしまった」
 「三日月殿、鳥の鶯でしたらとうに去っておりますし、鶯丸殿でしたら遠出にいらしてますよ」
 「おや、そうであったかな」
 穏やかに笑い合う二人に、和泉守は浅黄色の羽織を掛けた肩を怒らせた。
 「んなこたどうでもいい!!
 ここに鶴丸の奴が来ただろう!
 隠すと為にならんぞ!!!!」
 長い黒髪を振り乱し、迫り来る形相は、鬼と呼ばれた元の主仕込みか。
 心弱い者ならば気死しかねない気迫を、しかし、千年の時を経た刀剣の憑喪神達は柳に風と受け流した。
 「隠してなどおらんぞ。
 鶴丸ならば、俺の菓子を奪ってどこぞへ消えてしまった」
 「あ・・・あんたもやられたのか・・・!」
 途端に殺気の消えた和泉守に三日月は頷く。
 「残念だが、金平糖は明日にしよう」
 ふふふ・・・と、笑って茶をすする三日月を、和泉守が苛立たしげに睨んだ。
 「そんなナメたことされて、よく笑っていられるな!
 それでもあんた、天下五剣の一振りか!」
 「いかにも俺は、天下五剣の一振りだとも」
 にこりと笑った顔は、穏やかでありながらどこか鋭い。
 しかしすぐに、その気配を柔らかな物腰で覆い隠した彼は、くすくすと笑声をあげた。
 「だから別に、菓子を奪われたくらいでは怒らんよ。
 なぁ、小狐丸」
 「えぇ。
 菓子ならまだありますゆえ」
 くすりと笑って、小狐丸は大きな背に隠していた盆を引き寄せる。
 「金平糖は奪われましたが、上生菓子でしたらここに」
 「うむ。今日は竜田川か。
 やはり茶菓子は、季節を感じるものでなくてはな」
 紅葉の練り切りを差し出された三日月は、懐から懐紙を取り出した。
 「共に紅葉狩りでもどうだ、和泉守?」
 「いいよ、俺は!
 ったく、これだから三条は!!!!」
 歯がみして背を向けた和泉守を、小狐丸が引き止める。
 「和泉守殿、随分とおぐしが乱れておいでですが、いかがされましたか」
 懐から出した櫛を差し出すと、気まずげな顔で振り返った和泉守は小狐丸の手を遮り、手櫛で髪を整えた。
 「・・・鶴丸の野郎にむしられた!
 生まれたばかりの子猫を見つけたから、そいつらの巣材にするんだと・・・!!」
 それで怒りの捕物かと、納得しつつも三日月は不思議そうに小首を傾げる。
 「巣材ならば、和泉守よりは獅子王の方がふさわしかろう。
 鵺など暖かそうではないか」
 「・・・獅子王と鵺はとっくにむしられて泣いていたぜ。
 俺のは・・・足りそうにないからついでだそうだ」
 それで更に怒りが増したかと、二人は愉快そうに笑った。
 「笑いごっちゃねえええええええええ!!!!」
 怒号をあげる和泉守に、小狐丸がはっとする。
 「そうですとも・・・!
 私の毛がむしられず、本当に良うございました。
 もしそのようなこととあいなれば、ぬしさまがどれほど歎かれ、またお怒りになるか・・・!
 考えただけでも恐ろしいことでございまする」
 「あーそーかい、この愛され自慢ガ!」
 わざとらしく震え上がる小狐丸に目をすがめ、和泉守は再びきびすを返した。
 「ここにいねぇなら用はねぇ!
 ジジィ共は菓子食ってダベってろ!」
 足音も荒々しく出て行く和泉守を見送った三日月は、またも不思議そうに小首を傾げる。
 「もしや和泉守は、俺達にまで怒っているのか?」
 なぜだろうとつぶやく三日月に、小狐丸が微笑んだ。
 「彼の怒りを察するとはお珍しい。つい先頃までは、気づきもされなかった」
 穏やかな口調の中に、ほんの少し混じった針には気づかぬ振りをして、三日月は鷹揚に頷く。
 「うむ。
 若い者達と触れ合ううちに、俺も少々わかって来たのだ。
 これがきっと、『空気を読む』というものなのだろう?」
 「そうですね。
 修行を積めばきっとそのうち、三日月殿が和泉守殿を怒らせることもなくなるでしょう」
 千年の時を生きてなお、修行せよと言う小狐丸に三日月は軽く吐息した。
 「新撰組の者達は怒りっぽいからな。
 おそらく難しかろうが、やってみるか」
 「その意気ですよ」
 穏やかな声で応じた小狐丸に頷いた三日月は、ふと瞬く。
 「ところで和泉守が言っていた猫だが・・・鶴丸の奴め、獅子王や和泉守をむしらずとも、五虎退に与えればよかろうに」
 言いつつ彼は、辺りを見回した。
 「あの童っぱ、虎を五匹も連れておるのだし、毛皮には不自由なかろう。
 ・・・と、見当たらんな。
 いつも御座所の辺りに侍っておるのに・・・どこぞへ行っているのか?」
 「・・・・・・五虎退殿・・・は・・・・・・」
 小狐丸がその名を呟いた途端、秋風のせいだけでなく冷気が下りる。
 「・・・出してはならん名であったか?」
 早速空気を読んだ三日月の前で、小狐丸は笑っていない目を細めた。
 「いいえ?
 良き童であると存じておりまする」
 「そうか・・・」
 空気は読めなくとも、長い付き合いだけに、彼の本音くらいは察することができる。
 そして、そこをつつけば激しく面倒なことになることは、経験で知っていた。
 無言で茶をすする三日月に微笑んだ小狐丸は、遠くから聞こえて来たざわめきに耳をそばだてる。
 「遠征部隊が帰って来ましたね。
 あの部隊の隊長は、五虎退殿が任されていたはず」
 よりによって、と、三日月の手が止まった。
 「出迎えに行ってまいります」
 すらりと立ち上がった小狐丸を、三日月は思わず不安げな目で見上げる。
 「童っぱをいじめてはならんぞ」
 「致しませんとも」
 にこりと笑ってきびすを返した小狐丸の背を、三日月はじっと見つめた。


 長い遠征を終え、ようやく戻って来た本丸御殿に入るや、五虎退は主の待つ御座所へ向かって駆け出した。
 軽い足音が軽快な音楽であるかのように、五匹の虎達はリズミカルに跳ね回りながら彼に付いていく。
 嬉しげに頬を染め、息をあげて坪庭に面した回廊を駆けた五虎退は、曲がり角から不意に現れた彼を避け切れずにぶつかってしまった。
 「すっ・・・すみませんっ・・・!!!!」
 ぶつけた鼻を赤くして、慌てて下げた頭を大きな手が撫でてくれる。
 「大丈夫ですか?
 回廊は走ると危ないですよ」
 穏やかな声に顔をあげると、豊かな銀髪を秋風に揺らして、小狐丸が微笑んでいた。
 「すっ・・・すみません、小狐丸さんっ・・・!
 あのっ・・・あの・・・僕・・・・・・!」
 目に涙を浮かべ、必死に何かを訴えようとする子供に、小狐丸は穏やかに頷く。
 「何か良いことがあったのですね?
 それでぬしさまにご報告申し上げようと、急いでおられたか」
 「はっ・・・はいっ!そうなんです!!」
 コクコクと何度も頷き、五虎退は目に浮かんだ涙を拭った。
 「僕・・・僕・・・!
 今回の遠征で初めて大成功したんです!
 だからあるじさまにお話して・・・な・・・撫でてもらいたいなって・・・!」
 恥ずかしそうに耳まで赤くして、俯く様はとてもかわいらしい。
 五虎退の前にしゃがみこんで視線を合わせた小狐丸は、優しく微笑んだ。
 「とても素晴らしいことですね、五虎退殿。
 それをお聞きになれば、ぬしさまもさぞかしお喜びになるだろうと思いますが・・・」
 困り顔になった小狐丸を、五虎退は不安げに見つめる。
 「あの・・・。
 あるじさまはどうかされたんですか・・・・・・?」
 三日月と違って空気を読みすぎる五虎退に、小狐丸は頷いた。
 「残念ですがぬしさまは今、本丸にいらっしゃいません」
 「そ・・・そうです・・・か・・・・・・」
 がっかりと肩を落とす五虎退の頭を、小狐丸はまた優しく撫でる。
 「お戻りになれば、きっと褒めてくださいますよ」
 「そ・・・そうですよね!
 あるじさま、撫でてくれますよね・・・?」
 今、自分を優しく撫でてくれる手の下で問うが、声は答えてくれなかった。
 「小狐丸さん・・・?」
 なぜ何も言ってくれないのだろうと、不安げな顔で見た小狐丸は、真剣な顔で彼を見つめている。
 「五虎退殿・・・。
 これは、あなたに言うべきか迷ったのですが・・・」
 苦しげな声に、五虎退の不安が増した。
 「あ・・・あの・・・?
 どうかしました・・・か・・・?」
 「えぇ・・・。
 ですがこういうことは、直接ぬしさまから聞かれた方が・・・。
 いやしかし、ぬしさまは五虎退殿を気に入っておられるゆえ、ご自身のことも省みられず、黙っておられるやも・・・・・・」
 中々言おうとしない小狐丸に、五虎退が縋り付く。
 「お・・・教えてください、小狐丸さんっ・・・!
 ぼ・・・僕・・・!
 あるじさまになにかしちゃったんでしょうか・・・!」
 目にいっぱい涙を浮かべて迫る五虎退に、小狐丸は散々逡巡したのち、ようやく頷いた。
 「ぬしさまは・・・・・・」
 言いよどんだ小狐丸を、五虎退が急かす。
 仕方ない、と呟いた彼は、五虎退に押し切られて口を開いた。
 「先日、あなたが虎達を連れてぬしさまに御目通りした時のことを覚えていますか?」
 問われて五虎退は大きく頷く。
 「あるじさまはすごく褒めて下さって、僕だけでなく虎達も全部撫でてくれました!
 触り心地がとてもいいって、ずっと撫でてくれたんです!
 虎達がとっても嬉しそうで、僕も・・・嬉しかったです・・・v
 白い肌を赤く染めて懸命に話す五虎退の姿は愛らしく、小狐丸も思わず目を細めた。
 しかしすぐに表情を改めると、足元に寄って来た虎達をそっと避ける。
 「小狐丸さん・・・?」
 なぜ虎達を撫でてくれないのだろうと、不安げな顔になった五虎退に小狐丸は悲しげに微笑んだ。
 「実はあののち、ぬしさまは酷い発作を起こされました・・・。
 手や首が発疹で腫れ上がり、喘息で呼吸困難になるほどで・・・。
 今、本丸にいらっしゃらないのも、本陣で治療をされている為なのですよ」
 「そんな・・・っ!
 も・・・もしかしてそれ、薬研兄さんが言っていた『猫あれるぎー』ですか?!
 僕が寄ってくと、同田貫さんがすごくくしゃみして、仕事にならないから一緒の隊にいたくないって言われてぇ・・・!」
 嫌われたくないのに、と、五虎退が顔をくしゃくしゃに歪める。
 「あ・・・あるじさまはあんなに撫でてくれたから、平気なんだって思ったのにぃ・・・!」
 「五虎退殿が一所懸命で愛らしくいらっしゃるから、ぬしさまもおっしゃらなかったのでしょうね。
 優しい方だと、五虎退殿もご存知でしょう?」
 「はい・・・」
 小狐丸に諭され、五虎退は頷いた。
 「僕・・・僕・・・」
 しゃくりあげながら、懸命に声をあげる。
 「薬研兄さんにいいお薬を作ってもらいます!」
 くるりときびすを返し、駆け去って行く小さな背中に、小狐丸はにんまりと口の端を曲げた。


 「薬研兄さん!!!!」
 大声をあげて薬房に飛び込んで来た弟を、薬研は眼鏡の奥から睨んだ。
 「虎は立入禁止だ、五虎退。
 毛が飛ぶだろ」
 「ご・・・ごめんなさい・・・」
 虎達を薬房の外に出して扉を閉めると、彼はその前にちんまりと佇む。
 「うん、正解だ。
 お前も虎の毛だらけだから、製薬中はそれ以上近づくな」
 マスクに覆われてくぐもった声で言うや、彼は白すぎる顔を伏せて、薬研の中の生薬をすり潰す作業に戻った。
 「それで、何の用だ?」
 「あ・・・あの・・・!
 兄さんはあるじさまが、猫あれるぎーだって知ってましたか・・・?」
 「猫アレルギー?
 へぇ・・・タヌキだけじゃなかったのか」
 作業する手は休めず、呟いた薬研に五虎退が身を乗り出す。
 「それで・・・あの・・・っ!
 薬研兄さんなら、あれるぎーに効くいいお薬を作れるんじゃないか・・・てぇ・・・!」
 ぽろぽろとこぼれる涙を懸命に拭いながら訴える弟を見やった薬研は、手を止めて考え深げに顎を引いた。
 「・・・タヌキで試そうかと思ってた薬があるんだ。
 大将で先に生体実験・・・いや、臨床試験・・・じゃなくて・・・」
 恐ろしい言葉に震え上がる五虎退を気まずげに見やり、薬研は頷く。
 「治療・・・そうだ、治療しよう!」
 ようやくいい言葉を見つけたと、にんまりと笑う薬研に五虎退が小さなこぶしを握った。
 「そ・・・それを飲めばあるじさまは、僕達を撫でても平気になりますか?!」
 五虎退が顔を真っ赤にして問うが、薬研は首を傾げる。
 「相性があるから絶対とは言えないが、実験し・・・いや、治療してみる価値はあるんじゃないか?」
 「お・・・お願いします・・・っ!
 僕・・・あるじさまにまた・・・撫でてほしいです・・・!」
 あまりに必死な弟の姿に、薬研も思わず微笑んだ。
 「わかった。
 すぐに本丸に持ってくから、お前はおやつでももらってな」
 「は・・・はい・・・!
 お願いします・・・!」
 何度も頭を下げながら、細く開けた扉の隙間から出ていく五虎退に薬研は手を振る。
 「大将が実験体とはなぁ・・・v
 未来人って奴がどんくらい薬への耐性があるのか、ずっと試して見たかったんだv
 こりゃあ、張り切っちまうってもんだぜ♪」
 マスクの上の目を細く細く歪めて、薬研は楽しそうに笑った。


 「秋の日はつるべ落としだな」
 すっかり夜に覆われた庭へと向けていた目をあげると、星を纏いつつ月がゆるゆると昇り来る。
 「日がな一日庭を見て過ごすと言うのも悪くはないが、さすがに飽きたぞ。
 あれはまだ戻らんのか」
 居待ち月を寝転んで見上げる三日月に、小狐丸が苦笑した。
 「またぬしさまのことを『あれ』などと・・・。
 そんなことをおっしゃるから、三日月殿はぬしさまに『飾り物は口を利くな』などと叱られるのですよ」
 「あれも中々に口が悪い」
 くすくすと笑う三日月に小狐丸は肩をすくめる。
 「まぁ、貴殿がそのようであられるから私も・・・」
 言いかけた小狐丸は、漂って来た異臭に眉根を寄せた。
 「この臭いはなんだ?」
 さすがに異変を感じて身を起こした三日月が袖で鼻を覆い、懐から出した扇を広げて向かい来る異臭を散らす。
 「まさかここまでとは・・・いや」
 手で覆う口元を歪めた小狐丸が、そろそろと足音を忍ばせて寄って来た者を見やった。
 「何をお持ちいただいたのですか、薬研殿?」
 くぐもった声で問うと、薬研はマスクの上の目をにこりと細める。
 「よぉ、小狐丸。
 大将がアレルギーだって聞いて、薬を煎じて来たんだ。
 もう帰ってるかい?」
 薬研が両手で捧げ持つ盆の上には異様に大きな鉢が乗り、その中では泥のような液体が未だぐつぐつと煮えたぎって、目に沁みる異臭を放っていた。
 「薬研殿・・・それは本当にお薬なのでしょうね?」
 「あぁ!もちろんだ!」
 自信満々に頷いた薬研を、小狐丸はじっと見つめる。
 「ぬしさまがお口にしても、お身体に影響のないものなのでしょうね?」
 「妙なことを言うなぁ、小狐丸は!
 俺が煎じたのは薬だぞ?影響がなけりゃ意味がないだろ!
 きっと、アレルギーの改善って言う影響が出るさ!」
 声を弾ませる薬研を、しかし、三日月までもが疑わしげに見やった。
 「とても薬とは思えぬ、毒々しい臭いを放っているが・・・?」
 「良薬は口に苦しって言うだろ、このくらい問題ねぇよ。
 それより大将はいないのか?」
 きょろきょろと部屋を見回す薬研の視線を、小狐丸が大きな身体で塞ぐ。
 「薬研殿」
 「なんだよ・・・」
 長身に気圧され、さすがの薬研も歩を下げた。
 「正直にお答えなされ。
 それは例えば、あなたが口にしても差し支えの無いものなのですね?」
 「俺っ?!」
 頓狂な声を上げてしまい、薬研は気まずげに目を逸らす。
 「い・・・いや、俺はアレルギー体質じゃねぇし・・・」
 飲んでも無駄だと言う彼から、小狐丸はマスクを引き剥いだ。
 「なにすんっ・・・臭っ!!目ェ痛っ!!!!」
 盆を持つ手を遠くへ押しやり、懸命に顔を逸らす薬研を三日月が呆れ顔で見やる。
 「自身で煎じたのだろうに・・・。
 いくらあれが耐性持ちでも、煎じた者ですら近寄れぬ物を飲むわけがない」
 「まさか薬研殿・・・!」
 三日月の言葉にはっとして、小狐丸が薬研に迫った。
 「ぬしさまの耐性がいかほどであるか、試そうとなされたのではありませんか?」
 「ふぇっ?!」
 白すぎる顔を蒼くして、額に汗を浮かべる様に、三日月が苦笑する。
 「図星・・・か」
 「まったく・・・!
 あなたは『主人の腹は斬らない』と名を上げた薬研藤四郎ではないのですか?!」
 「まぁ・・・外側は」
 「内から刺してどうなさるおつもりか!!」
 鬼の形相で怒鳴られ、首をすくめた薬研の手から盆を取り上げた小狐丸は、外へ向かって声を張り上げた。
 「一期殿!!
 一期一振殿はどちらにいらせられまするか!!」
 戦時ですら滅多に声を荒らげない小狐丸の憤った声に、本丸が騒然となる。
 何事が起こったかと、一期一振も慌てて駆けつけた。
 「小狐丸殿、主になにかございましたか!」
 「い・・・いち兄・・・!」
 長兄の出現に、目に見えて慌てた薬研を、一期一振は訝しげに見下ろす。
 「薬研?
 お前・・・」
 問おうとして、目に沁みる異臭に気づいた一期一振は顔をしかめた。
 「お前・・・以前から、主で臨床試験をやりたいと言っていたね・・・?」
 とうとう実行したのかと、怖い顔で問い詰められ、薬研は渋々頷く。
 「未遂だけどな」
 「そういう問題じゃない!!」
 兄のきついげんこつをもらった薬研は、たまらず頭を抱えてしゃがみこんだ。
 「申し訳ない、小狐丸殿。
 弟がとんだご迷惑を」
 深々と頭を下げた一期一振に、小狐丸は屈み込む。
 「どうぞ頭をお上げ下さい、一期一振殿。
 幸い、ぬしさまはお留守ゆえ、被害もありませんでした」
 「しかし、危うく弟が主に危害を加える所でした」
 「人聞きの悪い!
 俺はただ・・・」
 「黙れ、薬研」
 兄には珍しく、恐ろしい顔で見下ろされ、薬研はまたも首を竦めて黙りこんだ。
 「お騒がせしました。
 薬研には重々言って聞かせますので」
 顔を上げないまま言った一期一振に、小狐丸ははたと手を打つ。
 「でしたら良い機会です。
 せっかく一期一振殿がご参陣下さったのですから、弟君達にあなた様の礼儀正さをお教えになってはいかがでしょう?」
 「礼儀・・・ですか?」
 ようやく顔を上げた一期一振が、わずかに苦笑した。
 が、小狐丸は気づかぬ振りでうなずく。
 「粟田口の方々は、多くが戦の初期に参陣されていますので、ぬしさまに対して気安くておられる。
 それはいかにも・・・若い方の言い方に倣えば、風紀を乱しておいでかと」
 その言われ様には、さすがの一期一振もむっとした。
 「・・・お言葉ではございますが、小狐丸殿。
 我が弟達はそのようなお叱りを受けるほど無礼では・・・」
 「ここんおるとかバカ主――――!!!!」
 一期一振の反駁を絶叫で阻み、博多藤四郎が騒々しく怒鳴り込んでくる。
 「は・・・博多・・・?!」
 何事かと、唖然とする一同を彼は、涙目で睨み付けた。
 「バカ主は!!
 バカ主はどこんおるとか!!」
 「ば・・・ばかとはなんですか、博多殿!
 お口が過ぎますよ!!」
 本気で声を荒らげた小狐丸の大きな身体を、しかし、博多は小さな手で押しのける。
 「バカはバカたい!
 ちょっと買いたかもんがあるけん金蔵の鍵ば寄越さんね、ってゆーけん渡したとに!
 景趣でも買うっちゃろーって思っとったらあのバカ主、物吉欲しさに千両箱ば何十個も・・・いんや、百以上積みよったったい!!
 あげな脇差に何万両もつこーてから、俺がちかっぱ貯めた小判をなんかち思っとっとか!!」
 顔を真っ赤にして泣き喚く彼を、さすがの老獪な太刀達が持て余した。
 「そやけん俺ば遠征ばっか行かせとったっちゃんー!!
 あのおおまん太郎のぼうすくていがー!!はよ出てこんか、ばかちんがー!!!!」
 「は・・・博多?ちょっと落ち着いて・・・!
 さすがになにを言ってるかわからない・・・!」
 おろおろと屈み込む一期一振を、博多が涙目で睨む。
 「いい加減な役立たず、ってことくさ!
 そんくらい分からんとか、このばかちんがー!!!!」
 ぎゃあん!と、泣き喚く博多に小狐丸がため息をついた。
 「・・・粟田口の方でも、平野殿や前田殿は礼儀正しくていらっしゃるのに」
 このタイミングで言われては、さすがの一期一振にも返す言葉がない。
 「面目次第もございません・・・。
 私が遅参致したのも原因の一つでありましょうし、これを機に、弟達を教育し直しましょう!」
 「ひっ?!」
 「なんばすっとか!!」
 両の手で薬研と博多の襟首を捕み、引き上げた一期一振が恐ろしい顔で二人を見下ろした。
 「問答無用だ」
 低い声の一言で、途端におとなしくなった二人に小狐丸が微笑む。
 「兄上様によくよく従われますよう」
 彼が突き出した盆を震える手で受けとった薬研は、がくがくと頷いた。
 「まぁ・・・がんばるのだぞ」
 ひらひらと扇を振って三人を見送った三日月は、袖を払って小首を傾げる。
 「これにて演目は終わりか、小狐や」
 にこりと笑う三日月を肩越しに見やり、小狐丸もまた、微笑んだ。
 「これにて粟田口は一掃にございまする。
 皆、この小狐の手の上で上手に踊って下さいました」
 くすくすと笑いながら歩み寄ってくる小狐丸を、三日月は座したまま見上げる。
 「平安の古狐は、太刀での戦よりも謀略での戦が本領よな。
 菅公すら陥れ、悲憤ののちに怨霊へと化しせしめた戦だ。
 生まれてたかが数百年の童っぱ達には・・・特に五虎退には、少々やり過ぎではなかったか」
 苦笑する三日月に、小狐丸はあくまで穏やかに微笑んだ。
 「五虎退殿は素直なお子であられます。
 まさか自身が謀略の仕掛けに使われたなどと、夢にも思われませんでしょう」
 目を細めずにはいられない、愛らしい姿を思い浮かべた小狐丸の笑みが深くなる。
 「ただ・・・ぬしさまのお傍には、虎も獅子も・・・鶴さえもいらないというだけです」
 「・・・鶴丸に猫を与えたのも、お前の策であったか」
 さすがの三日月が、思わず声を詰まらせた。
 「ぬしさまに愛でられる獣は、この小狐一人で十分でございましょう」
 言外に認めた小狐丸に、三日月は溜息をつく。
 「さすがは小狐丸・・・執心は獣のさがよな。
 審神者として、我らを戦の駒としか思っておらなんだあれの心までもよくぞ解かしたものだ。
 ・・・それも古狐の策であったか?」
 やや意地の悪い口調の問いに、小狐丸は口の端を曲げた。
 「・・・溶ければ皆、鉄よ」
 無言になってしまった三日月に微笑み、小狐丸は耳をそばだてる。
 「おぉ、ぬしさまがもどられましたか。
 お迎えに行って参りまする」
 豊かな銀髪を揺らし、いそいそと出て行く小狐丸の背を見送った三日月は、詰めていた息を吐いた。
 「ちはやぶる 神代も聞かず・・・」
 はらりと落ちた紅葉の水に沈み行くさまを、三日月は目で追う。
 「・・・これよりのち、小狐丸を刺激する者の増えねばよいが。
 本丸が、からくれないに染まりかねぬわ・・・」
 ぱちりと音を立てて扇を閉じた三日月は、寒さを増した秋の夜風にぶるりと震えた。




 了




 










初!刀剣乱舞SS!!!!
『うちの狐(こ)可愛いいい!!!!』しか言わない主が書いたにしては、なんて黒い本丸でしょう。
・・・いや、だからといって本丸が『からくれないに』染まったわけではないんですが;>今後はわからない。
『狐と踊れ』ってタイトルが、まんまで使い勝手がわるそうだったんで、こんな題名になりました。
『菅公』とは菅原道真のことで、手向け山の歌は私のHNの由来でもあります。
・・・・・・自己満SSさらして本当にすみません;;;
ちなみに、博多藤四郎の台詞は、ネイティブ博多っ子の私が全力をかけて書いたので、発音までばっちりだぜ!!←変な所に力入れる。













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