〜 霜雪も 〜






 騒々しい上に気ぜわしい年末年始を終え、ようやく松も明けた頃。
 「・・・お加減はいかがですか、石切丸殿?」
 そっと開けた襖の隙間から声を掛けると、中からうめき声に似た声が返った。
 「失礼致しまするぞ」
 暖かい部屋の中へ膝を進めた小狐丸は、静かに襖を閉めて、寝込んだ石切丸の枕元へ寄る。
 「粥をお持ちしましたが、召し上がれそうですか?」
 「あぁ・・・大丈夫」
 よっこらせ、と、布団の上に身を起こした石切丸は、息を整えるように細く吐息した。
 「単なる正月疲れだよ。
 月の半ばまで、ひっきりなしだったからねぇ・・・」
 ため息をついて、石切丸は小狐丸が差し出した膳を膝の上に置く。
 背もたれを設えてやりながら、小狐丸も眉根を寄せた。
 「大つごもりより神社に詰めておられましたからな。
 さぞ大変であられましたでしょう」
 「・・・他人事のように」
 匙をくわえた石切丸が、じっとりと小狐丸を睨む。
 「君も、同じ社の奉納太刀じゃないか。
 私だけ働かせて・・・」
 長くなりそうな愚痴を、小狐丸は笑みで遮った。
 「私ももちろん、戻るつもりではおりましたが、青江殿が『今年も是非にお手伝いしたい』とおっしゃいましたので、お譲りしたまで」
 「人数は多すぎて困るものではないのだけどね、特に正月は」
 不満げに言いながら匙で梅を潰した石切丸は、またため息をつく。
 「でもまぁ・・・私は、菅公よりはマシなのじゃないかな。
 この時期の彼は天満宮だけでなく、全国津々浦々の分社で膨大な願いを捧げられているからね。
 神無月に出雲でお会いした時なんか、『最近は、自身の住まいどころか名も名乗らずに願いだけを言っていく輩が多い』と、困ってらしたよ」
 「おやおや・・・。
 名も存ぜず、住まいもわからぬでは、さすがの菅公も願いを聞き届けられませぬな」
 呆れ顔の小狐丸が、肩をすくめた。
 「私も社におりました頃は、願いだけ申して礼に参らぬ輩に呆れておりましたが・・・今は願いを聞き届けることもできぬとは」
 「作法を知らないのなら、神職に任せればいいのだけどねぇ。
 なんのためにいると思っているのだか」
 ぶつぶつとぼやきながら石切丸は、匙を置いて椀を取り上げる。
 「・・・そもそも二拍手の後は、住まいと名を名乗ってから旧年の報告とお礼、新年の抱負を述べて、それを『手助けしてください』と願うものだろうに。
 商売繁盛や病気平癒、勉学成就や縁結びを願うのもいいけどね、どこの誰ともわからぬのだから、関係のない周囲の者にご利益を授けたって、文句を言われる筋合いなんてないんだよ」
 なのにそういう連中の声ばかりが大きいと、石切丸は不満げに汁物をすすった。
 「・・・おかげでだいぶ疲れてしまったよ。
 主にも皆にも、迷惑をかけてしまったね」
 「治癒の要であられる石切丸殿が倒れてしまわれた故、みな不安に思っておりまするぞ。
 早く良くなってくださりませ」
 にこりと微笑んだ小狐丸が、湯呑に茶を注いで渡す。
 「倒れるだなんて大げさだな。
 少し、疲れてしまっただけだよ。
 ・・・そうだ、他の神剣は大丈夫なのかな?」
 自分のことしか考えていなかったと、苦笑する石切丸に小狐丸も苦笑した。
 「実は・・・太郎太刀殿も、疲れ果てて寝込んでおいでです。
 次郎太刀殿はご酒を過ごされたこともあって、今は動ける状態ではなく・・・大太刀が三振りも使えなくなったと、ぬしさまが悲鳴を上げておられます」
 「それは悪いことをしたな・・・」
 眉根を寄せた石切丸は、気まずげに茶をすする。
 「・・・では今は、蛍丸が一人で頑張っているのかな?」
 「えぇ。
 ですが・・・蛍丸殿も、本年の夏には神社へお戻りにならなくてはならず、来年の正月が思いやられると、今からぬしさまが頭を抱えておられますよ」
 「それはそれは、鬼が笑うねぇ」
 くすくすと笑って、石切丸は湯呑を置いた。
 「こちらもどうぞ。
 薬研殿からです」
 丸薬の入った瓶を渡すと、石切丸は大仰にため息をつく。
 「治癒のご神体が薬に頼ることになろうとは情けない。
 自力で何とか・・・」
 「苦いからと言って、そのように拒まれるのはいかがなものかと」
 図星を突かれてしまい、石切丸は気まずげに咳払いをした。
 「・・・わかったよ。
 早々に床を払ってしまわなければ、私の沽券にもかかわるからね」
 渋々、薬瓶を受け取った石切丸へ、小狐丸は白湯を差し出す。
 「さぁ、どうぞ」
 「・・・準備がよくて助かるよ」
 真顔の嫌味は、笑みで受け流された。
 「お誉めにあずかり、光栄でござりまするよ。
 ぬしさまが季節の変わり目ごとに寝込まれますので、さすがに手馴れましてございます」
 「・・・主も、気を付けようとは思わないのかね、全く」
 懲りないことだとため息をついた石切丸は、蓋を開けた途端、異臭を放つ丸薬を取り出し、一粒を涙目で飲み込む。
 「・・・っ大きすぎないかな、この丸薬!!」
 「大太刀であられる石切丸殿が、細かいことを仰せになってはなりませぬよ」
 「味覚に体の大きさは関係ないと思うけどね!」
 体内に満ちる異臭にも辟易しつつ、小狐丸へ膳を返した石切丸は、背もたれへ身を預けた。
 「あとは自力で何とかなるよ。
 明日までには神威を回復させないと、これから節分まで、厄落としの本業が忙しくなるからね・・・。
 世話をかけてすまなかったね」
 「いいえ。
 また何か御用がありましたら、お呼びくださりませ」
 にこりと笑って部屋を出た小狐丸は、回廊を渡る間にふと、違和感を覚えて庭を見遣る。
 「霜雪も いまだ過ぎねば思はぬに 春日の里に 梅の花見つ・・・とな?」
 白い景色の中に、なにやら赤いものが・・・とよくよく見れば、蕾がつくにはまだ早い躑躅(つつじ)の低木の間から、赤い髪がのぞいていた。
 「もし・・・。
 この寒い中、何をしておいでで?」
 雪の残る地に突っ伏している彼へ声を掛けると、ぶるりと震えて顔を上げる。
 「大包平殿・・・いかがされたか」
 灌木に縋りつつ、よろよろと身を起こした彼の姿には、さすがの小狐丸も驚いた。
 と、眩暈でも起こしているのか、大包平は苦痛に顔を歪めながら回廊の彼へと目を向ける。
 「大太刀に・・・やられた・・・・・・!」
 「手合わせでございまするか?」
 散々打ちのめされた挙句、庭に放られたのかと、小狐丸は苦笑した。
 「蛍丸殿は、身の丈こそお小さくていらっしゃいますが、我が本丸随一の手練れであられますからな。
 普段は愛らしいお子であられまするが、戦闘となるとご気性荒くなられますゆえ、ちと加減が・・・」
 「違う!!次郎太刀だ!!」
 吠えるような大声に、小狐丸は小首を傾げる。
 「次郎殿は・・・先程まで寝込んでおられましたが、もうご快復なさったので?」
 ちらりと見た限りだが、とても手合わせなどできる状態ではなかったはずだと、訝しむ小狐丸に、ようやく立ち上がった大包平が首を振った。
 「手合わせなどではない!不意打ちだ!!
 奴の部屋の前を通っただけだというのに、いきなり真剣を放ちやがって!
 なんなんだ!!」
 「ぃやっかましいっ!!!!」
 大包平の大音声を遮るように、傍らの障子が開く。
 「人が寝てる横でぎゃんぎゃん喚くなって言ったろ!!
 もう一発お見舞いするかいっ?!」
 長い黒髪を振り乱し、鬼の形相で大太刀を構える次郎太刀の姿に、大包平は声を失った。
 「次郎殿・・・どうぞお気を静められて」
 「あら・・・いたのかい、小狐丸」
 途端に勢いの落ちた次郎が、大太刀を杖代わりにもたれる。
 「このやかましい犬っころをどっかにやっておくれよ・・・!
 まぁだ頭ン中でワンワン鈴が鳴ってるってのに、外でまでぎゃんぎゃん吠えられたら、寝てられないんだよ!」
 げっそりとした顔で耳を押さえる次郎に小狐丸も大きく頷いた。
 「あれは耳に残りますからな。
 大包平殿、どうか本日はお静かに。
 神剣や奉納太刀の皆様は、お疲れであられますゆえ」
 「え・・・」
 なんだそれ、と、訝しげな顔をする大包平に、小狐丸は笑みを深める。
 「俗世の方々にはご理解の及ばぬことが、神の座にはございます。
 時と場をお弁えくださいませんと、いかに天下の名刀とはいえ、神罰を降されることになりましょうぞ」
 「っ・・・!」
 小狐丸の笑みに底知れぬ不気味さを見て、再び声を失った大包平に、次郎が鼻を鳴らした。
 「平たく言えば、さっさと去ね、小僧!ってことだよ!
 あんた今、太郎兄貴が動けないことを幸いと思うんだね!
 兄貴があたしくらいに動けてたら、こんなもんじゃ済まなかったよ!」
 吐き捨てるや、音高く障子を閉めた次郎の姿が見えなくなり、大包平は詰めていた息をつく。
 「う・・・うるさかったか?」
 思わず声を潜めた彼に、小狐丸は微笑んだ。
 「お元気で何よりとは存じまするが、あいにく、我がぬしさまも騒々しいことを好まれませぬゆえ。
 貴殿が早々に近侍を解かれましたのも、そのせいかと」
 「・・・っそうなのか?!
 いつも賑やかなガキ共に囲まれて、嬉しそうにしているじゃないか・・・!」
 ために、大きな音を気にしない性質だと思っていたと言えば、小狐丸は曖昧に首を傾げる。
 「さようでございますねぇ・・・。
 賑やかさと騒々しさは、少々意味合いが違いまするゆえ」
 「ひ・・・平たく言えば、俺が騒々しいということか?」
 まさかそんなことは、と、声を引きつらせる大包平に、小狐丸は見惚れる程に美しい笑みを浮かべた。
 「そのようにご解釈されたのであれば、そうやもしれませぬな」
 では、と、会釈した小狐丸が、回廊を渡り去る姿を、大包平は凍り付いたまま見送る。
 かなりの間を置いて、
 「な・・・なんだ、公家衆め!!
 言いたいことがあるならはっきりと・・・!」
 大声を上げそうになった大包平は、再び障子の向こうにうごめく気配を察し、慌てて踵を返した。


 大包平と別れた小狐丸が、厨房に差し掛かった時。
 回廊の向こうからばたばたと駆けてくる鯰尾藤四郎へ、彼は微笑みかけた。
 「鯰尾殿、そのように走られては、あぶのうございますよ」
 「すみませんっ!
 でも、緊急事態なんですっ!!」
 「っ戦で何か?!」
 表情を改めた小狐丸の前で急停止した鯰尾は、慌てて首を振る。
 「いやっ!そうじゃなくて!粟田口の緊急事態です!!
 いち兄好みの審神者さんがまた来ちゃって・・・急いでいち兄を隔離しないと!」
 この本丸の危機ではないとわかってほっとした小狐丸は、数日前に主に言われたことを思い出した。
 「・・・そう言えば、本日は宿のお客様としてではなく、施工主としてご相談にいらっしゃると」
 「えぇ!!
 もっと早く教えてくれてたら・・・まさか博多も知らなかったなんて!!」
 額に汗を浮かべる鯰尾に、小狐丸が頷く。
 「なんでも、南蛮建築をご希望だそうで。
 予算より先に、改築が可能かどうかを長谷部殿にご確認したいということで、本日はお見えになったそうですよ」
 「予算度外視なんて、お大尽め!」
 思わず乱暴な口調になってしまい、鯰尾は慌てて口を覆った。
 「ご・・・ごめんなさい!
 そういうわけで俺、弟達全員でいち兄を止めなきゃなんないんで失礼しますっ!
 あぁもう・・・っ!
 手合わせで引き留められるかなぁ・・・!
 いや!引き留めないと!!」
 「あぁ・・・!走っては・・・!」
 駆け去る鯰尾の背にため息をついた小狐丸は、改めて向かおうとした厨房にかかる暖簾の隙間から、二対の目が覗く様にびくりとする。
 「・・・なにをなさっておいでか、貞宗方」
 目を丸くして問うと、二人の目がにこりと笑った。
 「情報操作、せいこーう!」
 「やりましたね!」
 嬉しげに手を打ち合わせる太鼓鐘貞宗と物吉貞宗に、暖簾をくぐった小狐丸は苦笑する。
 「情報操作、とは?」
 下げた食器を光忠に返して小狐丸が問うと、太鼓鐘が得意満面で自身を指した。
 「俺が主に直談判して、天然巨乳の再訪情報ゲット&厳秘扱いにしたんだ!
 鯰尾のやつ、驚いてたよなぁv
 「天然・・・貞ちゃん、もうちょっと別の呼び方はないのかな」
 「ぴったりだろ?」
 苦笑する光忠にも得意げに言って、太鼓鐘は物吉の腕を取る。
 「粟田口が人数で押してくるなら、俺らは策略で対抗さ!
 中立を明言した以上、主はどっちの味方もしないけど、歌仙にバラしちゃうぞv って言えば、ある程度は融通してくれるしー♪」
 ね?と、腕を組んでもたれかかってくる太鼓鐘に、物吉も頷いた。
 「主様を脅すのはよくないなぁとは思ったんですが、これも勝利を掴むためです!」
 「意外と・・・手段をお選びにならないのですな」
 単にめでたいだけではなかったかと、小狐丸は笑い出す。
 「よーっし!
 じゃあ、攻勢かけちゃいますよ!
 光忠さんv お客様へのお茶、僕が持って行きます!」
 わくわくと挙手した物吉に、光忠が茶と茶菓子を乗せた盆を渡した。
 「がんばれよ、物吉!
 色々理由をつけて、何度も来てもらえるようにな!
 その度にあいつら大慌てで、本丸の掌握どころじゃなくなるぜv
 「楽しそうでございますな」
 こぶしを振り上げて声援を送る太鼓鐘を、微笑ましく見つめる小狐丸の傍らで、光忠が苦笑する。
 「みんなには仲良くしてほしいんだけどねぇ・・・」
 「仕掛けてきたのはあっちだもんなー♪」
 だったら受けて立つ!と、太鼓鐘は軽やかに振り返った。
 「俺、この本丸に来て本当によかった!
 ほかの本丸じゃ、きっとこんなことできないもんな!」
 「そうだね・・・普通の本丸なら、主が止めるだろうね。
 主が止めないなら近侍が・・・」
 そう言って、光忠がちらりと見遣った小狐丸は、あでやかに微笑む。
 「このような余興は、ぬしさまの好まれるところ。
 存分になさいませ」
 「おっけー!任せろ!」
 歌仙にはばれないように、と、口元に指をあてた太鼓鐘は、背後に暖簾のめくれる気配を察してぎくりと固まった。
 「・・・なんだ?」
 見開いた目で見つめられ、驚いた大典太に、太鼓鐘はほっと吐息する。
 「なんだ、大典太かー!びっくりしたぜ!」
 「驚いたのはこちらなのだが・・・」
 納得しがたい様子の大典太に、光忠が歩み寄った。
 「驚かせちゃってごめんね。
 客間のことで、何か用事かな?」
 和服姿の大典太が、今日の仲居役であることを察して問えば、頷いた彼は困惑気味に火元を見遣る。
 「実は先程、客を部屋に案内したのだが、何か要望があるかと聞くと、『かべどん』と『あごくい』をして欲しいと言われたんだ。
 今からでも、夕食の変更はきくのか?」
 大真面目な顔での問いに、その場の時が止まった。
 くるりと背を向け、肩を震わせる小狐丸と太鼓鐘は口を開くどころではなく、出遅れた光忠が懸命に呼吸を整える。
 「大典太さん、それは丼物の話でも、そういう魚の種類でもなくてね、えーっと・・・・・・」
 「俺に任せろっ!!」
 突如、張り切った声を上げて現れた鶴丸に、その場の全員が飛び上がった。
 「鶴さんっ!!どこから・・・!」
 「いい流れが来るまで、一時間ほど隠れていた!」
 いかにも得意げに胸を張る鶴丸に、小狐丸も呆れる。
 「その忍耐力はぜひ、いくさ場で使っていただきたいものですが」
 「そんなことよりもだ!大典太!!」
 ぐいっと腕を引かれた大典太がたたらを踏んだ瞬間を逃さず、鶴丸は彼を壁に押し付けた。
 「こうやって、女子を壁際に追いつめてだな、手や腕を壁につくのが壁ドンだな!
 ちゃんと逃げ道を塞ぐんだぞ!」
 「・・・その説明はどうなの、鶴さん」
 「おなごには優しくですよ、鶴丸殿」
 「次は顎クイだな!」
 呆れる光忠とたしなめる小狐丸の声を聞き流した鶴丸が、あまりのことに声もない大典太の顎に指を掛ける。
 が、
 「・・・大典太、ちょっとしゃがめ」
 身長差が十分でなかったことに、鶴丸がむくれた。
 「なんなんだ・・・」
 「いいからいいからー!やってみ!」
 太鼓鐘にまで腕を引かれ、仕方なく膝を折ると、途端に機嫌の直った鶴丸が、指で大典太の顎を上げ、顔を寄せる。
 「これが顎クイだな!
 どうだ、ドキドキするだろう?」
 「・・・・・・いや、別に」
 むしろ呆れた、と言う大典太に、鶴丸はまたむくれた。
 「遠慮しなくていいのに!!」
 「もういいでしょ、鶴さん!放してあげて!」
 いたたまれない、と、首を振る光忠の腕に、太鼓鐘が縋る。
 「その前に写真撮っちゃおうぜ!
 こんな面白い絵、そうそうないだろ!」
 「貞ちゃん!余計なこと言わない!!」
 「かめらの・・・画面に触れればよろしいのですな」
 「おう!いい構図で頼むぞ!」
 にやりと笑った鶴丸に頷いた小狐丸は、持てる美的感覚を注ぎ込んでシャッターを押した。
 「いかがでしょう」
 「小狐丸さんまで乗っちゃって・・・!」
 自信満々に見せて来た画像に、光忠がため息を漏らす。
 その傍らからカメラを覗き込んだ太鼓鐘が、歓声を上げた。
 「すっげいい感じじゃん!
 鶴、さすがのカメラ目線だなー!
 これ、主に見せたら喜ぶかな?」
 その問いには、小狐丸が首を振る。
 「つまらぬ遊びをするなと、お叱りを受けるでしょうな」
 「あ、そうだったな」
 ぱっと身を離した鶴丸に、大典太は眉根を寄せた。
 「これをやれと言われたのか、俺は」
 なんのために、と、訝しむ彼に、光忠がため息をつく。
 「お客さんがはしゃぎすぎちゃったんだよ。
 宿泊の注意書に、仲居への過剰な接触はご遠慮くださいって、明記してるんだけどねぇ・・・」
 「だから断っていいんだぜ、大典太!
 でも、さっきのボケの方が面白いかも・・・!」
 ぷすす・・・と笑う太鼓鐘の隣で、小狐丸もまた肩を震わせた。
 「あぁ・・・まぁ、あれでうやむやになっちゃったかもね」
 いっそ放置で、と言う光忠に頷いた大典太とは逆に、鶴丸が不満そうな顔をする。
 「せっかく教えてやったのに!」
 「じゃあ鶴さんがやっておいでよ・・・って!!
 嘘!!冗談だよ!!ダメ!!絶対!!」
 早速踵を返した鶴丸を慌てて捕まえた光忠が、羽交い絞めにした。
 「みっちゃん!うっかり禁止!!」
 「ご・・・ごめん、貞ちゃん・・・!」
 大きな体を小さくした光忠が、小柄な太鼓鐘に謝る様を、小狐丸が微笑ましく見つめる。
 「仲良きことは、よろしいことでございますね。
 では、私はそろそろ」
 賑やかな厨房を後にし、御座所へと戻る途中、細く開いた襖の隙間からそっと声を掛けられた。
 「いかがされたか」
 小狐丸も声を潜めて近寄れば、中で手招くように扇が揺れる。
 辺りを見遣り、誰の目もないこと確かめてから部屋に滑り込むと、困り顔の三日月がため息をついた。
 「・・・騒々しい犬のようなものに追いかけられていてな。
 ようやく振り切ったのだが・・・おぬし、大典太殿がいずれにおられるか、存じておるか?ご無事だろうか」
 「えぇ。
 本日は仲居のお役目を拝命されたそうで、先程、厨房にてお会いしました。
 少々、難儀なお客人に当たられたようですが、特にお変わりはございませんでしたよ」
 「そうか・・・」
 ほっとした様子で、三日月は手にした扇を閉じる。
 「珍しく、お困りであられるようですな」
 「そうなのだ」
 扇で肩を叩きながら、三日月は深くため息をついた。
 「大包平・・・あれはどうにかならんものかな。
 鶯丸より話だけを聞いていた頃は、なにやら愛らしい様子だったのだが、実際に来てみれば、誰かれ構わず吠えたてる小犬のような・・・愛らしいどころではない」
 特に、と、三日月はまたため息をつく。
 「天下五剣に思うところ深きによってか、やたらと絡まれる。
 そんなにこの名を欲するならば、いつでもくれてやろうものを」
 「それは・・・歴史の評価でありますゆえ、三日月殿のご一存でどうなとできるものではありますまい」
 すっと、目を細めた小狐丸の微笑みに、三日月は首を傾げた。
 「なぜ、そなたが怒る?」
 その指摘にはっとして、小狐丸は苦笑する。
 「失礼をば。
 我が三条の要であられる三日月殿が、あまりにも天下五剣の名を軽んじておられるように思えまして。
 少々、大包平殿にも同情してしまいそうになりましてございます」
 「そうか。そういうものなのかな」
 もっと気安くありたい、とぼやく三日月の前で、小狐丸は姿勢を正した。
 「名によって隔意を持たれることは不本意であられましょうが、我ら刀剣の本懐とは、身を捨てようとも名こそ惜しめ、ではございませんか?」
 「・・・わかった。
 わかったから、そう怒るな」
 開いた扇で気まずげに半面を覆った三日月が、ちらりと目を向ける。
 「名を捨てられぬ俺は、このまま雲隠れするとしよう。
 夕餉前には岩戸を開けてくれよ?」
 「なんと堪え性のない。
 せめて、明朝まではお隠れになってはいかがですか?」
 くすりと笑ってからかえば、頬を膨らませてむくれた。
 「どうせ解決せぬのだ。
 一時しのぎの何が悪い」
 「ならばせめて、厄除けの護符でもお届けしましょう」
 腰をあげた小狐丸に、しかし、三日月は首を振る。
 「石切丸にこれ以上、無理をさせるのは・・・」
 「石切丸殿ではございませんよ」
 立ち上がった小狐丸は、細く開けた襖の隙間から外を窺った。
 「数珠丸殿に来ていただきましょう。
 あの方には、さすがの大包平殿もご遠慮なさるようですからな」
 「それは心強い・・・!」
 廊下に誰もいないことを確認して、小狐丸は肩越しに会釈する。
 「では」
 三日月の、期待に輝く目に見送られ、小狐丸は回廊を戻った。
 「自室におられるだろうか・・・」
 出陣はしていなかったはずだと、やや足を速めて離れへ向かっていると、長谷部と行き会う。
 「・・・小狐丸。
 主はもう、御座所に戻っていらっしゃるのか?
 客人へお見せする、建築用の資料をお貸しいただきたいのだが・・・」
 睨むような目で見つめられた小狐丸は、微笑みを浮かべた。
 「私は所用にて、しばし御座所を離れております。
 長谷部殿こそ、お客人のお相手で、ぬしさまとご一緒だったのでは?」
 問えば、彼の眉根が更にきつく寄る。
 「・・・今剣が怪我をしたと報告があって、手入れ部屋に行ってしまわれた。
 客人も、中座の無礼を咎めるどころか、今剣ならば仕方ないと・・・」
 「では、まだ手入れ部屋にいらっしゃるのでは?」
 「いいや。
 手入れ自体は既に終えたが、あいつが目を覚ますまではついていようと、抱いて部屋を出られたそうだ。
 ・・・あいつ、主に甘えすぎではないのか?!」
 不快げに声を荒らげる長谷部に、小狐丸は苦笑した。
 「お小さくてあられますゆえ、多少は・・・」
 「俺より年上だろうがっ!!」
 大音声に一瞬、小狐丸の表情が歪む。
 が、すぐに笑みを浮かべ、小首を傾げた。
 「近頃は、庭を騒がす犬の増えたことで」
 「なっ・・・!!貴様、俺を犬と・・・!」
 「まさか。そのようなことは申しませんよ」
 誤解だと、小狐丸は憤る長谷部へ笑みを深める。
 「ですが、あまり無駄吠えが過ぎますると、ぬしさまをはじめ、ご不快に思われる方々もいらっしゃるかと。
 先程も、次郎殿にひどく叱られた方が」
 「次郎に・・・・・・」
 大太刀の一閃を思い浮かべてか、声を引きつらせた長谷部に小狐丸は会釈した。
 「今は皆様、松の間に使い切ってしまわれた神威の回復の時でござりますゆえ、どうぞお静かに」
 では、と、去って行く背を、長谷部は忌々しげに見送る。
 「なにが・・・そのようなことは申しませんよ、だ・・・!
 結局、犬呼ばわりしているではないか!」
 公家衆め、と吐き捨てて、長谷部は御座所へと向かった。


 一方で、背に長谷部の声を受けた小狐丸も、わずかに眉根を寄せた。
 「庭に囲いをして、犬追物(いぬおうもの)でもいたしましょうかねぇ・・・」
 矢の修練になるだろうと、微笑む小狐丸と行き会った者達がなぜか、恐々と彼を避けて行く。
 「おっと・・・いけませぬな」
 すれ違った途端、腰を抜かした不動の見開いた目に自身の表情を映して、小狐丸は首を振った。
 「不動殿、ご酒はほどほどにされるがよろしいですよ」
 がくがくと頷く不動に微笑んだ小狐丸は、再び歩を速める。
 「失礼いたします。
 数珠丸殿はいずれに・・・おや」
 「はい?」
 離れの居間に入ると、のんきに茶をすすっていた数珠丸が顔をあげた。
 「私になにか?」
 「はい。
 すんなりとお会いできて、ようございました。
 実は・・・」
 三日月の困窮を告げると、数珠丸は微笑んで腰を浮かせる。
 「お困りとあらば、お救いに行かねば」
 「ありがたく存じます」
 「いえ」
 一礼した小狐丸に、数珠丸は首を振った。
 「主に、経典の講義を断られてしまいましたので、そのうちどなたかに聞いていただきたいと思っておりました。
 三日月殿は熱心に聞いてくださるから、私も嬉しく存じますよ。
 ところで・・・」
 数珠丸が、小首を傾げる。
 「どうかなさいましたか?
 珍しく、お苛立ちのご様子ですが」
 「は・・・?」
 目を見開く小狐丸に、数珠丸は微笑んだ。
 「三日月殿だけでなく、今は石切丸殿も難儀されておられると、聞き及んでおります。
 ご容体をお気になさっておいでですか?」
 それにしては様子が妙だと指摘され、小狐丸は気まずげに自身の頬を撫でる。
 「・・・恐れ入りましてございます。
 表情を取り繕うことは、得手のはずでしたが」
 「お悩みでも?」
 その問いに、しばし無言でいた小狐丸だったが、やはり無言で待つ数珠丸の笑みに観念したようにため息をついた。
 「・・・数珠丸殿は、私の由来をお聞き及びでしょうか」
 「えぇ、三日月殿より伺いました。
 神の使いたる神狐の相槌を受けて打たれたと」
 頷いた数珠丸に、小狐丸はまた吐息する。
 「その由縁にてか、どうやら私の五感は他の方々よりも鋭くあるようでして・・・」
 言うや、彼は眉をひそめた。
 「あるお方が顕現されてより・・・吠えたてる声が、耳に障ってしょうがない」
 「それはお気の毒に」
 誰のことかを察した数珠丸が、気づかわしげに頷く。
 「主も早々に、近侍を外したとおっしゃっていましたからね」
 「えぇ」
 今も耳に残る声を消し去りたいと言わんばかりに、小狐丸は自身の耳を撫でた。
 「賑やかなのは、とても良いことです。
 お子達の笑い声や、楽しげに走り回る音は心地よく、心がなごみまする。
 ですが・・・」
 痛みをこらえるように、小狐丸は眉根を寄せた。
 「怒号は実に耳に障りまする。
 小犬のように、誰かれ構わず吠えたてるせいで、これまではそれなりに落ち着いておられた膝丸殿や長谷部殿までもが声を大きくされて。
 いっそぬしさまに犬追物の開催を進言したいなどと、埒もないことを考えてしまいます」
 「よろしくありませんね」
 小狐丸の、苛立たしげな声に数珠丸は、穏やかな声で応える。
 「実に、よろしくありません。
 そのために三日月殿や、大典太殿も難儀されておられるようですし、なによりこのままでは、貴殿が彼を折りかねない。
 そうなれば主は、ご自身が定められた法を守るためにも、泣いて馬謖を斬ることになりましょう。
 我が本丸の一大事となる前に、ここは私がなんとかいたします」
 「え?」
 数珠丸の申し出に、小狐丸が意外そうな顔をした。
 と、彼はなだめるように小狐丸の腕に触れる。
 「三日月殿には、本日は伺えぬことをお詫びくださいませ。
 その代わり、我が部屋の隣に、大包平殿をお移し下さい」
 「まさか・・・そのようなことを数珠丸殿にお願い申し上げるのは・・・・・・」
 さすがに申し訳ないと、目を丸くする小狐丸に、数珠丸は首を振った。
 「衆生を導くは我が役目。
 仏の教えとともに、彼が心やすけくあるよう、お諭ししましょう」
 根本的解決を提示してくれた彼に、小狐丸は深々とこうべを垂れた。
 「ありがたく存じます」
 「頭をお上げください」
 穏やかな声と共に、数珠丸は手を差し伸べる。
 「過ぎた名を頂く身として、本丸に尽くすことは当然のことです」
 さぁ、と促されて、小狐丸は晴れやかな顔をあげた。
 「後ほど、ぬしさまが読んでいらした『犬のしつけの本』もお届けいたしましょう」
 頬を染めて申し出ると、数珠丸も思わず笑い出す。
 「主も、お悩みであられたようですね」
 お借りしましょう、と、珍しく冗談を言う数珠丸に、小狐丸は大きく頷いた。


 「――――・・・それで、数珠丸殿に預けて参ったのか」
 大包平を数珠丸の元に連行したのち、再訪した三日月に経緯を話すと、彼は離れへ向けて手を合わせた。
 「高僧のありがたさよ。
 小狐丸、そなたも帰依してはいかがか」
 「この身は神域のものなれば、それは無理と言うもの」
 しかし、と、小狐丸も離れへ向かって一礼する。
 「私のことまでお気遣いくださるとは、得難い方であられまする」
 「まったく、素晴らしい方よ。
 数珠丸殿と同等であるというだけで、誇らしげな気分になるな」
 では、と、三日月は立ち上がった。
 「どちらへ?」
 「ずっと薄暗い部屋に隠れて、塞いでおったのだ。
 日当たりのよい縁側で、童たちの遊ぶさまを眺めたい」
 嬉しげな三日月にしかし、小狐丸は小首を傾げる。
 「日向はよろしゅうございますが・・・粟田口の方は皆さま、お取込み中であられますし、今剣殿もぬしさまと共にいらっしゃるそうですが?」
 「なんと・・・・・・」
 いかにもがっかりとした様子で、三日月は肩を落とした。
 「ならばそなたが相手をせい。
 まったく、騒々しい小犬のせいで、酷い目に遭ってしまった」
 「蛍丸殿でしたら・・・」
 「童は童でも、大太刀の相手なんぞ身が持たぬわ」
 小狐丸のからかい口調にむっとして、三日月は襖を開ける。
 「ようやく小犬から解放されたゆえ、大典太殿と語り合いたくはあるが、本日はお忙しいようだしな」
 足を止めてしまった三日月に、小狐丸は微笑んだ。
 「ぬしさまもしばらくは御座所にお戻りになられませんようで。
 私がお相手つかまつりましょう」
 「そうだな。
 それに・・・・・・」
 にんまりと、三日月が意地の悪い笑みを浮かべる。
 「久しぶりに、鶯丸も誘おう。
 小犬が来てからの恨みつらみを、とくと聞かせようぞ」
 「ご存分になさいませ」
 柳に風となるだろうがと、小狐丸もくすくすと笑いだした。


 本丸内の騒音問題が解決した一方で、未だ渦中にある粟田口は道場を占拠しつつ、客人の動向を気にしていた。
 「物吉・・・あいつ、いつもニコニコしてるくせに、意外と性格悪かったね!」
 偵察に放った博多からの連絡を端末で確認しつつ、舌打ちした鯰尾に薬研がため息をつく。
 「お前がいち兄と一緒になって煽んなきゃ、あっちも対抗してくることはなかったんじゃないか?」
 冷静に突っ込んでやると、鯰尾はぎりりと睨んできた。
 「だって、先手必勝だしさ!」
 「藪蛇ってこともあんだろ」
 「薬研はどっちの味方なのさ!!」
 思わず声を上げてしまった鯰尾に、皆の視線が集まる。
 「鯰尾、どうかしたのかい?」
 歩み寄って来た兄には必死に首を振って、弟達を見遣った。
 「い・・・いち兄、手合わせの途中ですよ!」
 「そうだよ!一本取っちゃうよ?!」
 行く手を阻む前田と乱に、一期一振は苦笑する。
 「少し、休ませてくれないか?
 総当たり戦と言ってたのに、私ばかり戦っているじゃないか」
 「総当たり戦だなんて、言ってません!」
 「いち兄チェックを一斉にやっちゃおう、って企画でしょ!」
 秋田と信濃に両腕を引かれた一期一振が、仕方なしに木刀を握りなおした時だった。
 バタバタと騒々しく駆けてくる足音に、皆が目を向ける。
 「薬研っ!!」
 大声を上げて駆け込んできた博多に、鯰尾が目を丸くした。
 「博多っ!なんで・・・」
 「おう、なんか用か?」
 慌てる鯰尾を押しのけて薬研が進み出ると、博多は宿の宿泊予定者リストを突き出す。
 「この、無料招待のお客・・・あれやろ?!うちの主に、最後まで反発しよんしゃった人!」
 「あぁ、そうそう。
 大将に、演練で当たったらバレない程度に手を抜いて負けて来い、って言われた」
 なぁ?と、薬研が肩越しに見遣った乱も頷いた。
 「お相手に思いっきり斬りつけられてボク、おこだったんだけど、薬研が真剣発動するなっていうから我慢したんだよ。
 ごこちゃんが思いっきりやられちゃって、それもあってボク、かなりおこだったんだけどね!」
 ぷくっと、頬を膨らませた乱の隣で、五虎退が恥ずかしげに俯く。
 「なんでそげんこと・・・」
 「大将が、そろそろ罠にかける頃合いだって、言ってたぜ?」
 俺も賛成した、と、戸惑う博多に厚が得意げに笑った。
 「今までも、この審神者と親しい審神者達を、客として招いてたんだ。
 無料招待客ばっかじゃバレるから、有料客もうまく配分して、そのどっちからもいい噂が耳に入れるように仕組んで。
 それほど言うなら実際に見てやろうじゃないか、って気分になった辺りで無料招待券を贈ってやったってこと。
 あっち、言うほど練度が高くないからさ、バレないように負けるの、ちょっと苦労したよな」
 刀装つけなかったり、と、意地悪く笑う厚に、五虎退は気まずげに首をすくめる。
 「けがするの・・・ぼくだけでよかったのに・・・乱ちゃんまで、ごめんなさい・・・・・・」
 「もうっ!
 ごこちゃんはすぐそんなこと言う!」
 俯いた頭を撫でながら、乱は肩をすくめた。
 「あるじさんに、ここまでやったんだからちゃんと片つけてね!って言っておいて、博多ちゃん!」
 「そ・・・そらよかけど・・・・・・」
 もう一度、博多は宿泊予定者名簿を突き出す。
 「仲居・・・これでホントによかとか?」
 そこに記された名には全員が黙り込み、誰一人動けないまま日が暮れようとしていた。


 「嘘・・・でしょ?本当に・・・?」
 一方、厨房に戻って来た物吉から報告を受けた光忠も、この世の終わりのような顔をして固まった。
 その隣で鶴丸が一人、万歳三唱する。
 「俺にもようやく指名が!!どうやってもてなしてやろうか!!」
 悪い予感しかしないはしゃぎぶりに、太鼓鐘も蒼ざめた。
 「主・・・!
 温泉宿、たたむ気なのかな・・・・・・」
 せっかくの楽しい遊び場だったのにと、肩を落とす彼に、水を差された鶴丸が頬を膨らませる。
 「なんだなんだ!せっかくのめでたい瞬間に白けさせるなよ!」
 それよりも、と、鶴丸は物吉に迫った。
 「いつだ?誰とだ?誰をもてなすんだ?!」
 畳みかけられても怯むことなく、物吉は笑みを返す。
 「再来週、三日月さんとだそうです。
 どなたがいらっしゃるかは僕も知りませんけど、主様が、大事なお客様だから、精一杯もてなしてほしいって・・・光忠さん、大丈夫ですか?」
 胃を押さえて柱にもたれた光忠の背に、物吉が小首を傾げた。
 「心配性だなぁ、光坊は!
 大丈夫だ!俺に任せておけ!!」
 胸を張る鶴丸に対し、光忠の背がますます丸くなる。
 「そうそう、鶴丸さん。主様からの伝言なんですけど」
 「なんだ?!なんでも言え!」
 嬉しげに頬を染める鶴丸に、物吉は微笑んだ。
 「また来てくださるように、嬉しくなるような驚きをもたらしてやってね、だそうです」
 「喜んで!!!!」
 諸手を挙げた鶴丸が、くるりと踵を返す。
 「そうと決まったら、早速三日月と相談だ!!
 あいつと一緒に、せいぜい楽しませてやるぜ!!」
 「なにをする気なの、鶴さん!!!!」
 待って、と叫ぶ光忠を振り切って、鶴丸は厨房を駆け出て行った。
 「せっかくの・・・僕の楽しみが・・・・・・!」
 次々に新メニューを試させてもらえる旅館業は楽しく、やりがいがあったのに、これで終了かと嘆く光忠の腕を物吉がつつく。
 「あの、光忠さんに聞きたいことがあるんですが」
 「なに・・・?」
 涙目を向けると、物吉は小首を傾げた。
 「主様がこのお話をされた時、例のゆるふわさんが笑いながら言ったんです。
 怖い主様ね、って」
 「怖い?
 まぁ、怒ると怖いけど・・・客の前で怒ってたのか?主が?」
 二重人格並みに外面のいい主としては考えにくい、と、訝しげな太鼓鐘に、物吉は首を振る。
 「怒ってなんかないよ。
 ゆるふわさんと一緒に笑いながら、二人で楽しそうにお話ししてたし・・・だから変だなって。
 今までずっと危険物扱いで隔離していた鶴丸さんに、大事なお客様をおもてなししてね、って言うのも変ですけど、それに対して『怖い主様』ってどういうことなんでしょう?」
 不思議そうな顔をして、物吉は光忠を見上げた。
 「ここに来てまだ日が浅い僕らにはわからなくても、光忠さんならわかるかな、って」
 「主くんの考えか・・・・・・」
 身を起こした光忠は、腕を組んで考え込む。
 「怖い、と言うのは性格が悪いってことかな。
 歌仙くんがよく、主くんを評価して言うことだけどさ。
 でも、なんで鶴さんを・・・いや?」
 ふと、光忠は目を見開いた。
 「このために鶴さんを?!
 だったら本当に性格悪い・・・!
 最初からだとしたら、確かに怖いな!」
 「なんだ?どうしたんだ、みっちゃん?」
 「どういうことですか?」
 すり寄って来た二人に光忠はまず、作業台を兼ねたテーブルに着くよう促し、ため息をつきながら茶を淹れる。
 それが彼の、自身を落ち着かせるための行動だと察した二人は、おとなしく従って彼が口を開くまで待った。
 熱い茶を飲んで、ようやく一息ついた光忠が、自分を見つめる貞宗達へ口を開く。
 「・・・これが、最初から考えてのことなのか、状況を利用したのかはわからない。
 だけど僕は・・・状況を利用した方だと思いたいな。
 最初から仕掛けた罠だとしたら、うちの主くんにはもう、誰も逆らえなくなる」
 「・・・なにその怖い話。髭切が溶かされるとか?」
 いつか鬼退治、と、主を狙っている刀の名を出したが、軽口にするには震える声が邪魔してしまった。
 気まずげに茶をすする太鼓鐘に苦笑して、光忠は首を振る。
 「本丸の中じゃなく、外の話だね。
 刃で戦う以外の相手を、無力化させる罠を張ったんだよ、主くんは」
 「罠・・・」
 なんのことだろうと、不思議そうな物吉に、光忠は目を向けた。
 「物吉君。
 今回、鶴さんをあてた『大事なお客様』って、ずっとうちの温泉宿に反対していた人じゃないかな?」
 言われて物吉は、少し考え込む。
 「・・・あぁ。
 そうかもしれません。
 僕はお名前を伺ってませんけど、主様とお客様が、『結局最後まで反対していたけど、実際に来てみれば考えも変わる』ってお話ししていました」
 そしてその後、『怖い主様ね』と言われたのだった。
 「やっぱりね・・・。
 あぁ、つまりね」
 業を煮やした風の太鼓鐘に睨まれて、光忠は続ける。
 「君達も、この温泉宿を始めてから、文句を言い出した人達がいるってのは聞いているよね?
 貞ちゃんなんか、証言者として主くんを支えてくれてるし」
 「おう!
 無料招待客には、こんなことやらされて嫌じゃないの?なんて聞いてくるのもいたからさ、無理やり働かされてなんかない!楽しくて割のいい小遣い稼ぎだ!って、いつも言ってやってんぜ!
 だってホント、楽しいんだもんさv
 本当だったら会えないはずの審神者と賑やか派手に遊んで、お小遣いまでもらえるなんて!
 今、春用の衣装で目をつけてるのがあってさーv
 でもお高いから、すごく臨時収入が欲しい!」
 こぶしを握って力説する太鼓鐘に光忠は頷いた。
 「貞ちゃんだけでなく、物吉君も楽しそうに盛り上げてくれるし、天下五剣の皆さんも、なんだかんだで仲居業に慣れてくれたしね。
 微力ながら、僕も色んなメニューでおもてなしして、反対派の大部分は説得できたみたいなんだけど・・・頑なな人もやっぱりいるんだ」
 「でも逆に・・・」
 にこりと笑って、物吉が小首を傾げる。
 「その方さえ取り込んでしまえば、一気に反対派を崩せるわけですね?」
 「そう」
 最も頑なに、そして感情的に反対する者は、一度取り込んでしまえば誰よりも熱心な支持者になり得るのだ。
 「そんで、あの人がいいって言うんならって、ちょっと反対、気に入らない、と思ってた奴らの口を封じることができるってことか」
 実に公家的なやり方だと、太鼓鐘は苦笑した。
 「そう?
 むしろ、太閤や家康公っぽくもあるよ」
 暖かい茶器を両手に包み込んで、物吉はくすくすと笑う。
 「ねぇ、太鼓鐘君・・・。
 僕達、よく仲居役を仰せつかっているし、すごく楽しくやらせてもらっているよね。
 けど、なんで無料招待のお客様相手が多いんだろう、って思わなかった?
 三池の二人や、天下五剣を指名するのは有料のお客様が多いのに。
 優先的に、ご招待のお客様にあてられてるなぁって、僕、不思議だったんだけど」
 ようやくわかった、と、物吉は頷いた。
 「知らないうちに、宣伝させられてたんだ。
 本当なら会えなかったはずの人達に会えて嬉しい、楽しい、もっと楽しんでほしい、って雰囲気を出すのは、僕達の得意技だもの」
 「それは・・・全然意識してなかった」
 単純に楽しんでいた、と目を丸くする太鼓鐘の頭を、光忠が笑って撫でる。
 「貞ちゃんが本心から楽しんでくれたから、いい宣伝になったんだよ。
 誉だね」
 それに・・・と、光忠は苦笑した。
 「鶴さんの性格も、うまく利用されたね」
 「鶴の?」
 どういうことだろうと、首を傾げる太鼓鐘に、光忠は肩をすくめる。
 「・・・オープン前から危険物扱いで、徹底的に隔離されて、悔しそうに畳引っ掻いてた鶴さんだよ?
 今まできっと、貞ちゃんやみんなの楽しそうな仲居業を眺めては、自分ならあぁしたのに、こうしたいのにって考え続けただろうね。
 そうやって、どんどん鶴さんのフラストレーションを高めて高めて、最高潮になった瞬間を狙って『大事なお客様』にあてたんだ。
 おかげで鶴さんの、あの反応」
 「・・・万歳三唱の上、大はしゃぎで三日月ンとこ行ったな」
 目を丸くした太鼓鐘に、物吉も微笑んだ。
 「きっと、驚くような大歓迎をしてくれますね」
 そして、それほどの歓迎を受けた客は、この本丸の刀剣達が心底この役割を楽しんでいると、納得せざるを得なくなる。
 「今までの反感を忘れるくらいのおもてなし。
 それができる瞬間を、虎視眈々と狙っていたんだね、主くんは」
 「・・・・・・確かに怖い」
 ぶるっと、震え上がった太鼓鐘をなだめるように、物吉が彼の肩を撫でた。
 「英知と言ってあげましょうよ。
 光忠さんの言う通り、これが最初からの計画なら、主様は本当に怖い人だな、って思いますけど・・・」
 指を唇に当て、物吉は宙を見つめる。
 「それはありませんね。
 だって、ここを温泉宿にしようって言いだしたのは粟田口ですし、本陣も乗り気で始めたことなのに、ここまで反発する人がいるなんて、主様も思ってなかったでしょうから」
 「そうだよね・・・!」
 ほっとした様子で、光忠は寄せていた眉を開いた。
 「状況を見て、臨機応変に対応しただけだよね。
 よかった、主くんが普通の人間で!」
 もしこれが最初からの計画だとしたら既に神の域だと、光忠は吐息する。
 「安心したら、力抜けちゃった。
 貞ちゃん、夕飯の仕上げ、頼んでもいいかな?」
 「おうよ!
 今日は仲居に入ってないから、貞ちゃんスペシャルに仕上げてやるぜ!」
 「僕もお手伝いしますv
 席を立つや火元へ向かう二人を、光忠は微笑ましく見つめた。
 と、
 「ねぇ・・・光忠さん?」
 ふと、手を止めた物吉が、くるりと振り返る。
 「確かに・・・主様は最初から、罠を張るつもりはなかったと思います。
 でも・・・・・・」
 大して交流のない審神者同士、反感を持つ者がいても放っておいていいはずなのに、主は徹底的に潰しにかかった。
 そしてそのための駒として、貞宗達をあてたのだろうと思う。
 しかし、
 「あの頃、粟田口があからさまに敵意を向けてこなければ・・・。
 そして、あのゆるふわさんがあのタイミングで来なかったら、僕達はここまでやったかな?」
 ごとりと、隣で太鼓鐘が包丁を落とした。
 「怖い・・・主・・・・・・ね・・・・・・・・・」
 光忠が声を引きつらせる。
 「天然巨乳も・・・天然じゃなかったんだ・・・・・・!」
 審神者怖い、と・・・三人は真っ青になって震え上がった。


 ―――― 翌朝、すっかり気分の良くなった石切丸は、障子を開けて朝日に輝く雪景色を眺めた。
 「ようやく神威が回復したね。
 熱田の二人も・・・もう大丈夫なようだ」
 彼らのいる辺りから感じる神威に、石切丸は頷く。
 うんっ・・・と伸びをして、冴えわたる空気を吸い込んだ。
 「昨日は子供達も遠慮してくれたのかな。
 ずいぶんと静かで、ゆっくり休めたよ」
 見渡す雪の上に、足跡の一つもないことに気づいて、彼は温和な笑みを浮かべる。
 「さぁて・・・!
 節分に向けて、もう一仕事だ!」
 本業の厄落としに向かうべく、石切丸は踵を返した。



 了




 










初詣で三社参りに行った時、なんとなく思いついた話です。
神社でお祓いを頼んだら、神職さんが祝詞の後に依頼主の住所氏名年齢を言ってから願い事を言ってくれるんですよね。
なんでって、高校受験の時だったかに神職さんから聞いたんですが、
『神様もたくさんいらっしゃいますから、あなたが生まれた頃からご存知の氏神様ならともかく、天神様みたいな全国のお願いを聞く神様はどこの誰かがわからなければ、願いの聞き届けようがないんですよ。だから、ちゃんと心の中で住所氏名を名乗ってからお願いしてください』
って。
更には、初詣の時はお願いの他に、『旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします』は入れなさいと。
ってことで、ご神体の愚痴として書いてみました(笑)
お参りの作法としては正しいので、もし心当たりがあるなら参考にしてください。
あ、でも、石切丸がご神体なのは確かですが、たろじろは多分、奉納されてるだけでご神体ではないんじゃないかな。
熱田神宮行ったことないんで知りませんが(笑)
でも、ここではそういうことにしています。
ほたも、今年の夏には(復元計画で)阿蘇神社へ帰るので、大太刀は全員奉納刀になりますね。
本物が戻ることが一番には違いないけど、これはこれで意味ありだと思います。













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