〜 東風吹かば 〜






 ――――・・・声が聞こえる。
 時折、間を置きながら続くそれに覚醒を促され、今剣は微かに目を開いた。
 柔らかな腕に抱かれた身体はゆったりと揺れ、その心地よさにまた、眠りに落ちそうになる。
 しかし、
 「今剣、起きたんならはよどいちゃりぃ」
 「大将の仕事、邪魔すんな」
 博多と後藤の粟田口兄弟が声を揃え、不満げに瞼を開けた今剣は、大きなあくびをした。
 「・・・おはようございます」
 きゅっと抱きついた主は、半面を覆うマスクから覗く目で微笑み、頷く。
 主は、ほぼ恒例と化しつつある『季節の変わり目ごとに風邪をひく』をまた発症し、昨夜から声が出ないと困っていた。
 『昨日は手入れ部屋に行けなくてすまなかった。私がいなくて困ったか?』
 手元の紙に筆を走らせた主に、今剣は首を振る。
 「あるじさまは、おねつがあったんですから、しかたないです。
 いわとおしがついててくれたから、へいきでしたよ!
 あるじさまこそ、もうねんねんしなくていいんですか?」
 不安げに見上げると、主は自身の額に手を当てた。
 『もう大丈夫。・・・多分』
 「多分、やなかばい。
 薬研兄の薬ばちゃんと飲まんけん、熱のあがるっちゃが」
 「でもあれ、すっげぇ苦いもんな。
 大将の気持ちもわかるぜ」
 博多に首を振った後藤が、手にした書類を振る。
 「なぁ、さっさと仕事終わらせようぜ。
 そんで大将はまた、寝てろよ」
 頷いた主が、卓に置かれた書類に目を落とした。
 主の膝から下りた今剣も、並んで書類の数字を追うが、なんのことやらさっぱりわからない。
 だが粟田口の兄弟は当然のように報告を続けた。
 「・・・以上が、今年から導入した端末の通信費だな。
 基本、外部通信はできないし、この本丸内の連絡用に限定しているから、予算を下回ってる。
 鯰尾兄達、ネトゲやってる奴らが一時期、課金地獄にはまりかけたみたいだけど、それは個人の小遣いの範囲内だから、本丸運営費からは除外しているぜ」
 後藤の報告に頷いた主が、博多へと目線を変える。
 「端末本体の購入費は、戦場に持ってって撮影した動画を報告書に添付する、って使い方もしようけん、本丸運営費で賄ったばい。
 リース会社に保険料込みで毎月払うよか、買取の方が安かろ。
 型落ちで60台以上を一括購入したけん、だいぶ割引はしてもらったばい。
 端末の使用は本陣からの提案やなかけん、会計処理ん時は減価償却で計上しとくよ」
 「その件で、大将に提案なんだけど」
 後藤が、卓に置かれた主のノートパソコンを指した。
 「本陣に、報告書の形式を変えるよう、提案しないか?
 最近は端末で撮った写真や動画を添付してるけど、基本、文字だけの報告だろ?
 添付を当たり前にして、文字はテンプレ化しちまえば、大将の書類仕事も減るんじゃねぇか?」
 『いいな、それ』
 さらさらと、主が紙に筆を走らせる。
 『本陣も、大量の報告書を確認するのは大変だろうし、私も真夜中まで書類作りしなくて済む』
 「だろ?
 大将はすぐ根を詰めちまうから、もっと楽していいんじゃないか?」
 くすくすと笑う後藤に主は何度も頷いた。
 『早速提案してみる』
 筆を置くや、主はノートパソコンを引き寄せ、カタカタとキーボードを叩いて本陣へメールを送る。
 その様を隣で見ていた今剣が、小首を傾げた。
 「あるじさま・・・?
 いつもはカタカタでおはなしするのに、なんできょうは、じをかいてるんですか?」
 声が出ない時の主は、いつもならパソコンやタブレットで筆談をする。
 なのに今日はどうして、持ち慣れぬ筆など使っているのかと、不思議そうな今剣に主は苦笑した。
 『歌仙に、字が下手すぎると叱られた。あいつの主なら、せめて小筆くらいは使えるようになれと』
 練習中、と、ため息をついて書き添えた主に今剣は笑い出す。
 「じゃあぼくも、おしゅうじします!」
 「そらよかな。
 けど、もう出てった方がよかろ」
 書類をまとめた博多が立ち上がると、後藤も続いた。
 「大将、薬飲んでちゃんと寝てろよ。
 行こうぜ、今剣」
 声を掛けられた今剣も、渋々立ち上がる。
 「あるじさま・・・はやくげんきになってくださいね」
 頷いて頭を撫でてくれる主へ笑って、今剣は二人と共に御座所を出た。
 「定例会議終わったし、何して遊ぶ?」
 うんっと伸びをした後藤に、今剣が目を輝かせる。
 「おにごっこがいいです!
 みんな、いるんでしょ?!」
 「あぁ、おるばい。
 けど俺は不参加やね。
 宿の閑散期に向けて花見キャンペーンばはっとーけん、予約状況の確認やらせんと」
 「働くなぁ」
 思わず苦笑した後藤へ、博多が不敵な笑みを向けた。
 「主人が稼いだ宿代は、そんまま俺への借金返済に回されるけんね!
 協力はしてやらんといかん!」
 遊びより楽しい!と断言した博多に、今剣も苦笑する。
 「じゃ、ぼくたちはあそびにいきましょ!
 ほたるまるたちもさそってあげましょ!」
 今剣が後藤の手を引くと、彼はポケットから端末を取り出してメールを送った。
 「おし!
 鬼ごっこしたい奴、桜の木の下に集合!ってメールした」
 後藤が言う前に、今剣の端末にもメールが届く。
 「ごとう・・・。
 かんじ、おおいです・・・・・・」
 困惑げに眉根を寄せる今剣の頭を、後藤は笑って撫でた。
 「習字するんなら、漢字の勉強も一緒にやんな」
 「ぼくのじだいは、おてがみはひらがなですもん・・・」
 気まずげに言い訳する今剣に、後藤は吹き出す。
 「それ、女子の場合だろー?
 今剣は男の子なんだから、漢字くらい書けるようになんなきゃな!」
 ぷくっと膨れてしまった今剣に、後藤はまた笑い出した。
 「短刀の中じゃ最年長だろ。がんばれよ」
 その言葉に今剣の表情が曇り、後藤は顔をこわばらせる。
 「ごめん!!悪気はなくって・・・!」
 慌てる後藤へ、今剣が頷いた。
 「わかってますよ・・・ぼく、たんとうでいちばんのおにいさんですから!」
 にこりと笑った彼に、後藤がほっと吐息する。
 「だな!
 じゃ、チビ達のとこに行こうぜ!」
 「はいっ!」
 「子供は元気かねぇ・・・」
 走って行く二人を、博多が呆れ顔で見送った。


 「・・・東風(こち)吹かば にほひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」
 見事な手蹟(て)で一首を書いた歌仙に、三日月は小首を傾げた。
 「はんなりと花の蕾も膨らむ頃に、その歌か?」
 歌仙らしくもない、と不思議そうな三日月に、彼も苦笑する。
 「まったくですよ。
 季節は先取りするものなのに、遅れるなんてね。
 しかも、微妙に遅れているところがまた、風流に欠ける」
 しかし、と、歌仙は楷書と草書で書いた句を並べた。
 「これは、主の手習い用だから。
 永の字ばかりでは飽きたと、うるさくて」
 『永』の字には、止めやはらいなど、文字の基本が全て詰まっている。
 それを練習することが一番の習得法だと言っているのに、わがままな主は聞かなかった。
 「東風なんて、小筆もろくに扱えない主に書けるかどうか、怪しいけれど。
 ・・・むべ山風を、の方がよかったかな。
 嵐なんて、さぞかし苦労するだろうねぇ」
 どんな無様な字が出来上がるかと、意地悪く笑う歌仙に三日月も笑い出す。
 「万葉集を持ち出さぬ辺りは、そなたの優しさか」
 「万葉の歌は素朴で愛らしくはありますが、書くとなると漢字ばかりで雅さに欠ける。
 やはり仮名もあった方がいいでしょう」
 その点、この歌は配分がいいと、歌仙は頷いた。
 「菅公は、あれが長く信仰している神でもあられるしな。
 さすがにおろそかには・・・おや?」
 子供達の歓声が響く方を見遣ると、まだ蕾の堅い桜の下に集まって、鬼ごっこが始まる。
 「おぉ、童達の楽しそうなこと・・・あぁ、さすがに今剣は素早い。
 粟田口にも負けておらんだろう?なぁ?」
 自慢げに言う三日月に、歌仙が笑い出した。
 「三日月殿も、お身内には甘くておられる」
 「事実ではないか。
 そら、もう木の上に登ってしまって・・・お?」
 鬼役の厚が木を登って追いかけ、枝の先に追いつめられた今剣が落ちてしまう。
 「危ない!!」
 思わず声をあげた歌仙の視線の先で、くるりと宙返りした今剣が見事な着地を決めた。
 枝の上で悔しげな厚に舌を出し、逃げて行く今剣の姿に三日月までもがほっと吐息する。
 「・・・いやいや、心の臓に悪いことだな。
 鶴丸ではあるまいに、このような驚きはいらぬものだ」
 「全くだ・・・。
 誰か、大人がついていた方がいいね。
 岩融はどこかな」
 歌仙の言う間に、三日月は懐から取り出した端末で、岩融を呼び出した。
 「桜の木の下で、童達が遊んでおるのだが、どうにも危なっかしいのだ。
 そなた、ついてやってくれ」
 承知した、と、大音声が響いて間もなく、二人の視線の先に岩融の長身が現れる。
 「携帯と言うものは、便利なものだな。
 わざわざ探さずとも連絡がつく」
 「・・・思わぬ方が使いこなしておられて、僕も驚いていますよ」
 平安刀なのに、と言いかけた歌仙は、鶴丸や獅子王も、彼以上に使いこなしていることに気づいて瞬いた。
 「・・・もしや、古い方々の方が進取の気性に富んでおられるのかな」
 「目新しい物は好きだぞ。菓子でも物でも」
 くすくすと笑って、三日月はこれまでに撮った写真を表示させる。
 「同じ景色でも、撮る者によって構図が違うのはおもしろいな」
 「そうですね。
 絵心のあるとそうでないとでは、違ってくるものだ・・・し?」
 覗き込んだ写真の数々に、歌仙は眉根を寄せた。
 「・・・菓子ばかりですね」
 「気に入ったものは光忠に、また作ってもらおうと思うてな」
 今日はどれを作ってもらおうかと、嬉しげに写真を繰る三日月に苦笑する。
 「お楽しみでなによりですよ。
 じゃあ僕は、主にこれを届けてこようかな」
 墨の乾いた紙をまとめて、歌仙は立ち上がった。
 「お先に」
 会釈して回廊を御座所へと向かっていると、鍬を担いだ和泉守兼定が庭を横切って行く。
 「いずみ」
 声をかけると、兼定はくるりと振り返った。
 「なんだ、之定?」
 駆け寄って来た彼に、歌仙は微笑む。
 「今から畑かい?感心感心」
 「用じゃないのかよ」
 笑い出した兼定へ手を伸ばし、歌仙は一期一振が弟達へするように、彼の頭を撫でてやった。
 「畑が終わったら、御座所へおいで。
 主に手習いをさせているから、君にも指導してあげよう」
 「手・・・手習いって、俺はガキじゃねぇよ・・・」
 恥ずかしげに口ごもる彼へ、歌仙は笑みを深くする。
 「手習いだけじゃないよ。
 君にはぜひ、歌の何たるかを教えてあげないと。
 兼定の名を持つ者が、あの程度の発句とは情けない」
 「いや!!
 あれは俺じゃなくて、前の主の・・・!」
 「君も兼定なら、花鳥風月くらいまともに詠めるようになりなさい。
 ―――― いいね?」
 問答無用の口調に、兼定は渋々頷いた。
 「いい子だ」
 ぽんぽん、と、軽く頭を叩いた手を振って兼定と別れた歌仙は、御座所へと入る。
 「主、具合はどうだい?
 今日は手習いができそうかな?
 ・・・おや?」
 いない、と、歌仙は御座所を見渡した。
 「小狐丸。
 小狐丸はどこだい?」
 近侍の彼なら行方を知っているだろうと呼ぶと、控の間から顔を出す。
 「歌仙殿、いかがされましたか?」
 「いかが、じゃないよ。
 主の具合がよければ、手習いをしようと言っていたじゃないか。
 ・・・あぁ、もしかして寝所かな?また寝込んだのかい?」
 閉ざされた襖を見遣る歌仙に、小狐丸が首を振った。
 「本日は病欠の予定でしたが、急用にて本陣へ参っておられます。
 なんでも、報告書の新しい書式を提案いたしましたら呼び出されたそうで。
 幹部方に風邪をうつしてやると、渋々お出かけになられましたよ」
 「だったら僕に一言あってしかるべきじゃないかな!」
 わざわざ来てやったのにと、不満げな歌仙へ小狐丸が苦笑する。
 「お声が出ないために、通知をお送りになりましたが。
 御覧にはなりませんでしたか?」
 「通知?」
 「端末のでございますよ」
 はたと気づいて、歌仙は自身の懐を探った。
 取り出した端末には、着信を示す図が出ている。
 「・・・・・・一々見るものか、こんなもの」
 「音や振動を消しておられては、気づきようがありませぬな」
 言外に気を付けろと言う小狐丸に、歌仙は肩をすくめた。
 「音も振動も、雅ではないのだもの。
 僕の気に入るような印でもないものかな」
 「おぉ!ならば!」
 手を差し出して歌仙の端末を受け取った小狐丸が、慣れた手つきで操作する様をじっとりと見つめる。
 「・・・なんだよ、君まで練達してしまって」
 「簡単でございますよ。それ」
 言うや、琴を中心にした楽曲が端末から流れ出た。
 「・・・おや。
 これは悪くない曲だね」
 決して手放しでは誉めない歌仙に笑って、小狐丸が頷く。
 「ぬしさまが、きっと歌仙殿のお気に召すだろうと選んでおられた曲でありますよ。
 とうにお知らせかと思いましたが・・・あぁ、通知をご覧になってなかったのですね」
 未読のサインが並ぶ様に、小狐丸は苦笑した。
 「ゆるりとご覧あれ」
 「・・・わかったよ」
 照れ隠しか、殊更不機嫌そうに歌仙は端末を受け取る。
 「じゃあ、代わりに」
 と、持参した書を差し出した。
 「これはお見事な」
 草書と楷書で書かれた和歌に、小狐丸が目を輝かせる。
 「手習いの手本として、これ以上のものがありましょうか」
 「だろう?」
 謙遜しない歌仙が、得意げに微笑んだ。
 「主に草書はまだ早いけど、見本として置いておくよ」
 「えぇ・・・。
 確かにこちらは、達筆すぎてまだご苦労されるかと。
 ・・・歌仙殿」
 小狐丸は草書を掲げる。
 「よろしければこちらは、私にいただけませんか?
 この手蹟(て)は是非に学びたい」
 熱心な口調に、歌仙も嬉しげに微笑んだ。
 「いいとも。
 飽きやすい主も、君と一緒なら文句を言わないだろうから」
 「ありがたく存じます」
 一礼した小狐丸が、ぴくりと耳をそばだてる。
 「主が戻ってきたら、楷書からやらせるから呼んで・・・なんだ、早かったね」
 御座所へ戻って来た主へと、歌仙は微笑んだ。
 「じゃあ早速、手習いを始めようか」


 一方、畑に入った兼定は、国広が草むしりをする様をぼんやり眺めていた。
 「いい天気だなー。そろそろ花も咲きそうだなぁ」
 「もう!手伝いなよ、兼さん!」
 またサボって、と目を吊り上げる国広に、兼定は肩をすくめる。
 「めんどくせぇ・・・。
 こういうの、性に合わねぇんだよなぁ。
 之定も畑番は嫌いだって言ってるし、兼定の流れだろ、きっと」
 「・・・確かに、僕ら国広は畑仕事嫌いじゃないから、流れもあるだろうけどね。
 歌仙さんは、畑番嫌がる代わりにお料理してるじゃないか。
 兼さんは他に何ができるのさ、戦う以外で!」
 雑草を握った国広に詰め寄られ、兼定は目を泳がせた。
 「か・・・カッコいいとか、美貌とか?」
 「それ、光忠さんや三日月さんの前で言ってみなよ」
 じっとりと睨まれた兼定が言葉を失う。
 「まったくもう!
 お兄さんがあんなだから、兼さんがすっかり甘えちゃって!」
 「あ・・・甘えてなんかねぇよ!
 そもそも之定は、兄貴じゃねぇし」
 兼定の反駁に、国広が瞬いた。
 「あ、そうか・・・。
 じゃあ兼さんにとって、歌仙さんってどんな人なの?」
 一期達にとっての鳴狐や、三日月にとっての石切丸のような、親戚筋といった感覚なのか、と問えば、兼定はしばらく考え込む。
 「あー・・・主風に例えて言うなら、同じ中学だけど、俺が入った頃には卒業してたパイセンって感じだな。
 直接は知らねぇが、噂は聞いてる、みたいな」
 「・・・余計わかりにくい」
 兼定自身もよくわかっていない例えを出したせいで、更に混乱した。
 「そうだな・・・うーん・・・。
 ―――― そういや、俺はあんま意識してねぇんだけど、之定は俺を見るとすげぇ嬉しそうな顔をするんだ。
 あいつ、すげぇ気取り屋だし、他の奴らにはとりすました顔しか見せないくせに、俺を見かければ声を掛けてくるし、主にも見せないような笑顔になる。
 あれは・・・なんなんだろうな。
 一期が弟達を見る目に似てるが、それとはちょっと違う気がするな」
 「あぁ・・・それはきっと、兼さんの存在が嬉しいんだよ」
 訳知り顔の国広に、兼定が首を傾げる。
 「なんだそりゃ?」
 「だからさ、自分の流れが、ちゃんと兼さんまで続いていた、ってことが嬉しいんだよ、歌仙さんは。
 しかも、兼定の流れで和泉守を拝領したのは、歌仙さんを作った之定の他には、兼さんを作った兼定だけなんでしょう?」
 その言葉に、兼定は瞬いた。
 「そっか・・・そうだな」
 「単なる直系、って言う以上に、思い入れがあるんだよ、きっと」
 だから可愛いんだ、と、国広が笑うと、兼定は照れたように頬を染める。
 「だったら・・・ちょっとはつきあってやってもいいかな。
 畑が終わったら、御座所で主と手習いしろって言われてんだ」
 「つきあってあげなよ。
 僕もつきあうからさ」
 くすくすと笑って、国広はまだ雑草の残る畑を見渡した。
 「そうと決まったら、早く片付けないと!
 ・・・そう言えば、兼さん?」
 この期に及んで手伝おうとしない兼定を、国広が睨む。
 「歌仙さんが歌仙さんって呼ばれる由縁、もちろん知ってるよね?」
 その問いに、兼定は不思議そうな顔で頷いた。
 「仕事さぼった連中を三十六人ブッた斬ったって逸話からだろ?
 あいつ、怒らせるとめちゃくちゃ怖ぇもんなぁ」
 怖い怖い、と首を振る兼定に、国広はにんまりと笑う。
 「ねぇ兼さん?
 歌仙さんが主さんの手習い中ってことはさ、今の近侍って・・・」
 「・・・畑番、サボんなってことだな」
 よっこらせ、と、国広の隣にしゃがみこんだ兼定は、渋々草をむしりだした。
 「そうそう、がんばってね!
 じゃなきゃまた、主さんに言いつけて、お説教してもらうからね!」
 「・・・なげぇんだよなぁ、主の説教」
 うんざりとした表情で、兼定はため息をつく。
 「俺が戦でポカしたとか、当番サボったことで説教もらうのはまぁ・・・しょうがねぇけどさ。
 絶対最後に、『そんなことでちゃんと歳さんをお守りできたのか』って続くんだぜ。
 ちゃんと守ってたってーの!」
 ぶちぶちと雑草を引き抜く兼定に、国広が苦笑した。
 「主さん、土方さんのことを尊敬しているから。
 兼さんが来る前は、そりゃあ楽しみにしてたんだよ。
 僕と二人で、まだかなまだかな、ってわくわくしてた」
 なのに、と、ため息をつく。
 「兼さんがあんまり適当・・・じゃない、鈍くさ・・・えーっと」
 「お前・・・言いたいことがあんならはっきり言えよ」
 じっとりと睨まれた国広が、肩をすくめた。
 「主さんが、兼さんにいつも言ってることだよ。
 あれは本当に歳さんの刀だったのか、って。
 うっかり鞘から落ちて、歳さんを危険にさらしたんじゃあるまいな、って、そりゃあ心配してたよ」
 「・・・ちゃんと守ってた、つってんだろ」
 そもそも、と、兼定は眉根を寄せる。
 「土方さんのことを歳さん、ってなんだ。友達か」
 「それだけ好きだってことでしょ」
 くすくすと笑った国広は、小首を傾げた。
 「安心してよ。
 僕からもちゃんと、刀の時はしっかりお守りしてましたよ、って言っておいたから」
 「かっ・・・刀の時は、って・・・!
 今だって頑張ってんだろ!」
 何が不満だ、とぼやく兼定に、国広が笑い出す。
 「主さんは兼さんに期待しているんだよ。
 土方さんの刀なら、活躍して当然だってね」
 「まぁ・・・そう言うことなら、土方さんのためにも、期待に応えなきゃな」
 ぶちぶちと、勢いに乗って草をむしる兼定に、国広はしめしめと頷いた。
 「土方さんと言えばさ、兼さんも、主さんに思い出話とかねだられた?」
 「あぁ。
 最期はどうだったんだ、って聞かれたが・・・その直後に、すまない、って謝られて、函館のことは話さないままだな。
 代わりに、俺が土方さんの手に渡ってからのことを話したんだが・・・」
 ふと、兼定が苦笑する。
 「俺・・・あんまり『前の主』のことを話しすぎたのかもしんねぇな。
 主のやつ、傍にいた小狐丸に、『いずれ私も儚くなれば、お前に『前の主』と呼ばれて、楽しげに思い出話をしてもらえるのかな』って」
 「え?嫌味?」
 思わず口走った国広は、しかし、すぐに首を振った。
 「それはないか。
 性格は悪いけど、そう言う嫌味は言わないよね、主さんは」
 性格は悪いけど、と、もう一度言った国広から、兼定はそっと目を逸らす。
 「なに?」
 「い・・・いや?別に・・・」
 性格悪いのはお前もだろう、と言う言葉は、肚にしまって出さないことにした。
 代わりに、
 「の・・・之定も口やかましいからな。
 早く片付けて行かないと、嫌味を言われちまうかな、って思ったんだ」
 と、何気ない口調で言ってからそっと国広の様子を窺うと、上機嫌で頷く。
 「今度から、兼さんが畑当番の日は歌仙さんに近侍をやってもらわなきゃ♪」
 「いや、それは・・・!」
 言いかけた兼定の口を、子供達の声が遮った。
 きゃあきゃあと騒ぎながら駆けて来る短刀達が、さすがの機動力で二人の傍を、あるいは兼定の上を飛び越えて去って行く。
 「な・・・なんなんだ!!」
 容赦なく踏みつけられたものの、なんとか身を起こした兼定へと、ものすごい勢いで長谷部が迫ってきた。
 「長谷部さん・・・打刀なのに、なんであんなに早いの」
 目を丸くしつつ、国広は長谷部へと足を延ばす。
 「ぐあっ!!」
 足をすくわれた長谷部が、もんどりうって倒れた。
 「あー、ごめんなさい、長谷部さん。
 よけ損ねちゃった」
 「嘘つけ、堀川!!
 わざとやっただろう!首が折れるところだったぞ!」
 最もダメージを受けた首を支えながら起き上がった長谷部に、兼定が頷く。
 「ホント気を付けろよ?
 お前、折れたらへし切長谷部じゃなくて、へし折れ長谷部になるからな」
 「やかましいわ!!
 なんだ、二人して邪魔をして!!」
 怒髪天の長谷部が突き出した枝に、二人は目を丸くした。
 「桜の枝を折っちゃダメでしょう!!」
 「主が激怒すんぞ!!」
 「お・・・俺が折ったんじゃない!!」
 詰め寄られた長谷部が、慌てて首を振る。
 「桜の木の周りで遊んでいた連中が、枝に乗ってな・・・古い枝が、体重に耐え切れなかったんだ」
 「あぁ、それで追いかけてたんですか」
 げんこつののち、主の元に引っ立てようとしたのかと、国広が苦笑した。
 「せめて梅ならよかったものを・・・」
 ぼやく長谷部の肩を、兼定が叩く。
 「折っちまったもんはしょうがねぇ。
 枝の傷を塞いで、応急処置に墨汁を塗っておかねぇと。
 今、ちょうど之定が主に手習いをさせているから、もらってくるわ」
 あいつの使う墨は質がいいからと言う兼定に、長谷部が何度も頷いた。
 「頼むぞ!
 俺は・・・悪ガキどもを引っ立てる!!!!」
 猛然と走り去った長谷部を、国広が呆れ顔で見送る。
 「黒田組って、なんであんなに足が速いんだろ。
 長谷部さん、僕達脇差よりも断然早いんだよね・・・特別な訓練でもしてるのかな」
 今度博多に聞いてみよう、と言う彼を、兼定が促した。
 「行こうぜ。
 傷の大きさによっては、之定にまた墨をすってもらうことになるからな」
 「歌仙さんもまさか、こんなことに墨を使われるなんて思わなかったろうね。
 また皮肉を言われるんだろうなぁ」
 やれやれと、国広はため息をつきながら兼定に従う。
 「さすがにこれは皮肉もないだろ。
 とりあえずは応急処置だが・・・木の剪定って、誰が得意なんだ?」
 「さぁ・・・?
 松の木の剪定は長谷部さんがやってるけど・・・走ってっちゃったし」
 既に見えなくなった姿を目で追う国広に、兼定は肩をすくめた。
 「本格的な剪定は後だな。
 ・・・主、子供相手に激怒まではしないと思うが」
 どうやって話をしようかと、困惑する間に御座所に着く。
 「あー・・・主、邪魔するぜ」
 遠慮がちに声を掛け、襖を開けると歌仙が肩越しに微笑んだ。
 「ようやく来たのかい、いずみ。
 いい心がけだけど、せめて着替えくらいはするべきだね」
 「いや、之定。
 手習いに来たんじゃなくてな・・・主はいないのか?」
 御座所には歌仙の姿しかなく、困惑げな兼定に彼は頷く。
 「手習い中にまた具合が悪くなってね、お休み中だ」
 寝所を見遣る歌仙に頷いた兼定が、声を潜めた。
 「実は桜の枝が・・・」
 長谷部から聞いたことを話し、墨汁を分けて欲しいと頼むと、歌仙は苦笑して頷く。
 「子供達が元気なのは良いことだけど、元気すぎたね」
 硯に残っていた墨汁を瓶に移し、兼定へ渡した。
 「こんなことがないように、岩融についていてもらったのだけど・・・元気が勝ってしまったか」
 「あとで長谷部さんが犯人達を連行して来ると思いますけど・・・主さん、それどころじゃないですよね?」
 兼定の陰から声を掛けた国広に、歌仙が頷く。
 「病欠の予定が本陣に呼び出された挙句、提案を却下されたとかでご機嫌悪くてね。
 怒りすぎてまた熱が上がった、だそうだよ」
 ほら、と、歌仙が指した紙には、『老害』『くたばれジジババ』『消えろクソババァ!!』と、不穏な文字が並んでいた。
 「主さん、男らしくていい字じゃないですか」
 「男らしくてどうするんだい」
 感心する国広に、歌仙は肩をすくめる。
 「勢いはあるけど、雅じゃない」
 文言も、と眉をひそめる彼に、兼定が苦笑した。
 「ちゃんと之定の手習いもしてるじゃないか」
 そう言って兼定が見遣った卓上には、歌仙が朱で添削を入れた紙とそれをなぞったらしい紙が、そのまま残っている。
 「荒ぶった気を落ち着かせようとしたらしいけど、慣れないことはやっても無駄だね」
 容赦ない言葉を放って、歌仙はくすりと笑った。
 「結局、ふらふらと目を回してしまったから、もう休むように言ったよ。
 薬研にまた、苦い薬を処方してもらわなければね」
 意地悪く笑う歌仙に、国広も笑いだす。
 「なんでも、主さんには普通の薬が効かないどころか、害になる体質だそうだから・・・あれでも、薬研なりに気を使っているんですけどね」
 「やる気は人一倍なのに、身体が弱いってのは難儀だな。
 国広」
 「うん、兼さん!」
 兼定の意を正確に解して、国広は端末を取り出した。
 「もしもし、薬研?
 長谷部さんから逃げてる最中にごめんね・・・え?捕まったの?!君が?!」
 「それは本当かい?」
 「・・・どんな脚力してんだよ、長谷部」
 驚く歌仙と呆れる兼定に、目を丸くした国広も頷く。
 「長谷部さん、君達に追いついたの?!
 ・・・あぁ、最初に捕まえた包丁君を人質に・・・うん、やりそう。
 長谷部さん、短刀より早いってほんとに・・・あぁ、ごめん。本題入っていい?
 主さんがまた倒れたから、お薬を処方してくれる?
 ・・・え?今、庭にいるの?」
 つかつかと室内に入った国広が、中庭に面した障子を開け放った。
 途端、強い風が吹き込んで、卓上の紙を舞い散らす。
 「あ!ごめんなさい!
 って、長谷部さん、なにこの連行状態・・・」
 泣きじゃくる包丁を先頭に、両手首を縄で縛られた短刀達が連なって長谷部に連行されていた。
 「おいおい・・・放してやれよ、泣いてんだろ」
 「甘いぞ、和泉守!!
 こいつらは主の桜を折ったのだぞ!!」
 怒号を受けた短刀達が、びくりと身をすくめる。
 「見ろ、この無惨に折られた枝を!
 こんなに蕾をつけていたのに!」
 「ごめんなさい・・・!」
 「ちゃんと修繕しますから・・・!」
 「許してぇ・・・!」
 哀れな泣き声をあげる短刀達に眉根を寄せた歌仙は、寝所から微かに聞こえた、扇子を鳴らす音に立ち上がった。
 「なんだい、主?」
 寝所に入ったかと思えば、すぐに出て来た彼を、短刀達が不安げな涙目で見上げる。
 「長谷部、少し静かにしろとおおせだよ。
 子供達も、怒ってはいないから泣き止めと。
 桜の枝から落ちたと聞いたけど、誰も怪我はないのかい?」
 問われて短刀達は、こくりと頷いた。
 「重畳だ。
 だったら、枝の折れた木を、ちゃんと修繕すること。
 もう、いずみには墨汁を渡しているから、応急処置はいずみに任せなさい。
 君達は万屋へ行って、修繕用の材料を買っておいで。
 長谷部、本格的な修繕は任せるから、子供達にも手伝わせて、うまくやってくれ、だそうだ」
 「う・・・承りました・・・!」
 うるさいと言われて悄然としていた長谷部が顔を上げ、短刀達を繋いだ縄を解いてやる。
 「お前達!
 主の温情に感謝申し上げろ!」
 「あ・・・あるじさま・・・ありがとうございます・・・」
 「すぐに薬持ってくからなー」
 「薬研っ!」
 「礼じゃねぇよ、それ!」
 許してもらえそうなのにやめろと、後藤と厚が慌てて口を封じた。
 「じゃ・・・じゃあね、あるじさん!ちゃんと修繕するからね!」
 「早く良くなってください」
 ことさらに大きな声をあげた乱の隣で、前田も一礼する。
 「今剣!いこ!」
 信濃に声を掛けられて、今剣は手にした紙を懐に入れた。
 「ちょっとまって、みなさん!
 みんなでよろずやにいってもしょうがないから、ぼくはおどうぐをもって、さくらのきにいってます!」
 言うと、薬研の口を塞いで先頭を行く厚が頷く。
 「そうだな。
 岩融が残っているから、傷の具合も見られるしな」
 「じゃあ僕も、道具を運ぶ手伝いをする」
 駆け寄って来た小夜に頷き、今剣は室内の兼定に手を振った。
 「さきにいっててくださいー!」
 「わーった。
 んじゃ、行ってくるぜ、之定。
 墨をありがとな」
 「主さんに、お大事にと伝えてください」
 「うん、わかったよ。
 長谷部」
 御座所を出た兼定達に頷いた歌仙は、庭を出ようとしていた長谷部へ声を掛ける。
 「その桜の枝、僕にくれないか。
 主の寝所に活けておくよ」
 「あぁ、頼む」
 長谷部から枝を受け取った歌仙は、まだ固い蕾が並ぶ様に、満足げに頷いた。


 兼定と国広が、枝の折れた桜の木へと行くと、そこには岩融だけでなく、三日月の姿もあった。
 「おーい。墨汁持って来てやったぜー」
 兼定が声を掛けると、振り返った三日月が微笑む。
 「すまんな。
 きっと、誰かが持ってくると思って、待っていた」
 言うや、三日月はすらりと太刀を抜いた。
 「どこまでかな?」
 「幹の際まで可能かな?」
 俺ではやりすぎる、と笑う岩融に頷き、半歩引く。
 「それ!」
 太刀を一閃させるや、折れた枝は幹の際までするりと切り取られた。
 切り口は鉋をかけたような滑らかさで、艶やかにさえ見える。
 「さすがの太刀筋ですねぇ・・・!」
 お見事!と、拍手する国広に、三日月は太刀を収めて頷いた。
 「この傷口に墨汁を塗るのか」
 「応急処置だけどな」
 言うや進み出た兼定が、筆を取り出してぺたぺたと墨汁を塗る。
 「後で長谷部さんが、子供達と一緒に修繕しに来るんですけど・・・これならもう、保護用のパテを塗るだけで済みそうですね」
 のこぎりさえいらなかったと、国広が感心した。
 「来年には、新しい樹皮で覆われるでしょうね。
 思ったより、傷が浅くてよかった」
 「まぁな。
 今剣だけなら、細い枝に乗っても折れなかっただろうが、後から後から短刀達が登って来てな」
 古い枝が耐えきれなかったと、岩融が苦笑する。
 「岩融だけでは何人か受け止め損ねたのでな。
 怪我はないかと、気になって見に来たのだが・・・長谷部に追い抜かれた挙句、激怒して追いかけるあれから童達が逃げてしまった」
 結局どうなったのかと、首を傾げる三日月に、国広が御座所でのことを話してやった。
 「そうか、うまく収まったようで、重畳だ」
 「こっちの修復も簡単に終わりそうだし、道具を取りにいった今剣に教えてあげなきゃですね」
 そう言って端末を取り出した国広は、今剣に連絡する。
 「今剣?
 桜の枝は三日月さんが切ってくれたから、もう道具を持ってこなくていいよ」
 「わかりました。
 さよ、もうおどうぐはいらないんですって」
 せっかく納屋から出した工具箱だったが、元に戻そうと取っ手に手を掛けた。
 「かんなも・・・?」
 それは必要じゃ、と首を傾げる小夜に、今剣は首を振る。
 「みかづきさまがきってくれたそうですから。
 きっと、ぼくたちがかんなをかけるよりきれいになってます」
 「そっか・・・」
 納得した小夜も、もう一方の取っ手を持って、よいしょと持ち上げた。
 のこぎりや鉋だけでなく、木槌や金槌まで入った道具箱は大きく、重く、小さな二人では戻すことも難儀だ。
 しかし、よろめきつつも運んでいると、不意に重みが消えた。
 「お前達だけじゃ大変だろう。
 どこに運ぶんだ?」
 ひょい、と、二人の手から道具箱を取り上げた膝丸を、今剣が嬉しげに見上げる。
 「ひざまるさま!ありがとうございます!」
 「ありがとう・・・納屋に戻したいんだ」
 小さな指で納屋を指す小夜に頷き、膝丸はすたすたと納屋へ入った。
 「うちの弟、やっさしーv
 ね?今剣、小夜」
 屈みこんで微笑む髭切に、二人は大きく頷く。
 「はい!やさしいです!」
 「お二人は・・・なぜここに?」
 小夜の問いに、納屋から出て来た膝丸が背後を指した。
 「馬当番が終わったのでな、道具を戻しに来た」
 「厩舎の掃除って、結構重い物持つんだよねぇ。
 僕、箸より重い物は持ったことなくてぇ」
 いけしゃあしゃあと言い放った髭切に、膝丸がため息をつく。
 「兄者・・・太刀はきっと、箸より重いぞ」
 いい加減、雑用も手伝えと、不満げな膝丸に髭切はくすくすと笑った。
 「馬と遊ぶのは楽しいけれど、お掃除なんて僕に向いてる気がしないのだもの。
 ねぇ?
 今剣も、そう思うよねぇ?」
 源氏のえにしだ、と言う髭切へ向けて、今剣は両手を広げる。
 「はい!
 おうまさんはすきですけど、おそうじもはたけも、じんつうりきで、ばーっとできちゃえばいいのに、っておもいます!」
 地道な作業は苦手だと言う彼に、髭切はこくこくと頷いた。
 「これが源氏の気質だよ。
 めでたいめでたいv
 「いや、源氏が皆、大雑把なわけでは・・・それに」
 と、膝丸は今剣の頭を撫でてやる兄を、じっとりと見つめる。
 「・・・俺の名は忘れるくせに、子らの名は覚えているのだな」
 「君達こそ、なんで道具箱を運んでたんだい?
 今剣なんて、大きなおつきがいるんだから、運んでもらえばいいじゃないか」
 恨みがましい膝丸の声をさらりと無視して問うと、今剣は桜の木を折ってしまったことを話した。
 「それで、のこぎりとかをもっていかなきゃだったんですけど、みかづきさまがきってくれたから、もういらないんですって」
 「確かに、三日月ならのこぎりよりもきれいに切るだろうねぇ」
 「しかし、桜を折ってしまうとは!」
 感心する髭切とは逆に、説教をしそうな膝丸の気を逸らそうと、今剣は慌てて懐から紙を取り出す。
 「ひげきりさま!
 これ、あるじさまのおにわでひろったんですけど、なんてかいてありますか?」
 早口で言うや、彼の目の前に紙を広げた。
 「あるじさまのじなんですけど、かんじがよめなくて・・・か・・・ば?」
 「へぇ。
 主が字を書くなんて、珍しい。
 僕、主の手蹟(て)なんか見たことないよ」
 紙を受け取った髭切の傍らから、膝丸も覗き込む。
 「いや、兄者。
 先日の菓子の宴で見たぞ。
 もっと勢いのある、雄々しい字だったが・・・」
 膝丸の気を逸らすことに成功した今剣は、訝しげな彼に首を振った。
 「かせんにいわれて、れんしゅうちゅうなんですって!
 はかたたちと、おはなししていたときにかいていたのは、こんなじでした!」
 「ふぅん・・・。
 東風(こち)吹かば にほひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ・・・か。
 僕がいた、北野天満宮のご祭神の御歌だねぇ」
 「こち・・・と読むんですか?
 どういう意味ですか?」
 背伸びして覗き込もうとする小夜にも見えるように、髭切は紙を差し出す。
 「東から、春を知らせる風が吹いたなら、また咲いておくれ、梅の花よ。主がいなくなっても、春を忘れないでね、って意味だよ。
 これは、菅公が太宰府へ配流される時に詠んだ歌だね」
 髭切の言葉に、小夜と今剣は目を見開いた。
 「主が・・・いなくなっても・・・?」
 「あるじさま・・・いなくなっちゃうんですか?!」
 僕らへのお別れの歌かと、涙ぐむ二人の前で、髭切は首を傾げる。
 「刑部姫のことだから、本陣に喧嘩でも売って、配流が決定したのかな?」
 「兄者、それはさすがに・・・。
 また具合を悪くしているようだから、単に気弱になっているだけじゃないのか」
 何気なく言った膝丸に、小夜が縋りついた。
 「し・・・死ぬんですか、主・・・!」
 「そんなっ!!
 ぼく・・・こんどこそおまもりするって、いったのに!!」
 今剣が泣き声を上げる様に、髭切が苦笑する。
 「えー。
 さすがに、風邪くらいでは死なないんじゃないのー?」
 鬼だし、と言う髭切に、膝丸も大きく頷いた。
 「そうだぞ、きっと気弱になっているだけ・・・おい!」
 踵を返し、駆け去って行く短刀の素早さに、追いかけることもできない。
 「あーあー。泣かしたー」
 「俺か?!」
 髭切のからかい口調に、膝丸の方こそ泣きそうに慌てた。


 「さよ!おそいですよ!」
 早く早くと急かす今剣の後を懸命に追う小夜が、息を切らす。
 「今・・・!
 御座所・・・行くの・・・?」
 「そうですよ!
 あるじさまにきかなきゃ!」
 「でも・・・!」
 懸命に息を整えて、小夜はぴょこぴょこと跳ねる今剣に追いついた。
 「主、具合悪くて寝ているから・・・」
 「・・・そうでした」
 邪魔をしてはいけないが、どんな具合かはとても気になる今剣の前で、小夜は薬房の方を指す。
 「薬研なら・・・わかるかも」
 「そうですね!!」
 行こう!と、手を引かれた小夜は、たたらを踏みつつついて行った。
 畑を抜けると、薬草園として使われる一角があり、薬房はその傍らにある。
 もとは母屋の一角にあったが、住人が増えたことと利便性により、ここに新築されたのだ。
 まだ木の香りが残る戸を開けて室内に入ると、薬草の匂いに圧倒される。
 「やげんっ」
 くしゃみが出そうになる濃い匂いに辟易した今剣が、鼻を押さえながら声を掛けると、怪しい色の液体が満ちる鍋を掻き回していた薬研が振り返った。
 「なんだ?風邪か?」
 飲むか?と鍋を指した彼に、今剣は必死に首を振る。
 「あの・・・主の容体はどうなんですか?」
 代わりに小夜が問えば、彼は呆れたように肩をすくめた。
 「いつもの、不摂生による体調不良だ。
 季節の変わり目は気温が安定しないから、さっさと寝て早起きしろ、って言ってんのに、真夜中までなんやかんや起きているから、身体冷やして熱を出したんだな。
 お前達も、早寝早起きしないと、大将みたいになるぞ」
 しかつめらしい顔で言われ、頷いた小夜は首を傾げる。
 「じゃあ・・・主が、危篤だってことはないんですか?」
 「は?」
 意外すぎる問いに、薬研が目を丸くした。
 「・・・なんだそりゃ。
 あの程度の症状じゃ死なねぇよ」
 「そ・・・そうなんですね・・・!」
 よかった、と、今剣が吐息する。
 「なんでそんな話になってんだ?
 もしかして、母屋は大騒ぎになってんのか?」
 だとすれば、兄弟から連絡が来るはずだと、端末を取り出した薬研に二人は首を振った。
 「これ・・・さっき、あるじさまのおにわでひろったんです。
 どういういみですか、って、ひげきりさまとひざまるさまにきいたら、はいるか、きよわになってるかだって」
 今剣が差し出した紙を見て、薬研は首を傾げる。
 「俺は風流に縁がなくてな。
 誰の歌だったか・・・」
 「菅公だそうです」
 小夜に言われて、あぁ、と手を叩く。
 「はいる、って、どこに入るんだと思ったら、配流か!」
 うんうん、と頷き、次いで笑い出した。
 「配流先は筑前か?
 だったら、配流じゃなくて異動願いの受理じゃないのか?
 大将が審神者就任の際にはまだ筑前国の役職がなかったから、今からでも異動できるなら異動したいって言ってたしな」
 「そ・・・そうなんですか・・・?」
 別れの歌じゃないのかと、ほっとした小夜に、薬研は今剣から取り上げた紙を差し出す。
 「それよりこれ、大将じゃなくて、歌仙の字だろ」
 見慣れているだろうにと指せば、小夜は困惑げに首をすくめた。
 「東風の・・・漢字はよく似ています・・・。
 でも・・・歌仙は、墨ののり方にも気を遣うので、字をにじませたりしませんし、適当にはらうこともしません。
 春にまで来ると、もう全然違う。
 基本はちゃんとしているのに、全体的に大雑把な感じは・・・主の字です」
 容赦ない評価に苦笑する薬研へ、今剣も詰め寄る。
 「あるじさまのじですよ!
 おこえがでないからって、きょうはじをかいておはなししてましたもん!」
 「へぇ・・・。
 大将はもっと、男らしい字を書いてた気がするけど」
 練習したのか、と呟いた薬研は、ふと目を上げた。
 「練習だろ、これ。
 歌仙が手習いさせてるらしいし、あいつが書いた手本をなぞってんだろ」
 だから漢字が似ているんだと言ってやると、二人はこれでもかと目を見開く。
 「やげんっ!すごいです!!」
 「なんで・・・わかったんですか?神ですか・・・?」
 「いや、付喪神だけどな、俺もお前らも」
 照れ笑いした薬研は、ちりり・・・と鈴の鳴る音に振り返った。
 「本陣からの届け物だ」
 「え?やげんにですか?」
 主を通してならともかく、なぜ直接薬研なのかと、今剣が首を傾げる。
 と、彼の目の前で薬研は、茶室にあるくぐり戸のような小さな襖を開け、中から紙の箱を取り出した。
 「俺と言うより、各本丸の衛生担当宛に届くんだよ。
 大体は常備薬の補充だったり、保健関係のお知らせだな。
 今日はなんだ?」
 薬研が箱を開けると、注射器と薬瓶が入っている。
 「あぁ、予防接種か」
 「よ・・・よぼうせっしゅ・・・!」
 「いん・・・なんとかのですか・・・?また・・・?」
 怯えて歩を下げた二人に、薬研は笑い出した。
 「なんだ、怖いのか?」
 問えば、二人は散々ためらってから、観念したように頷く。
 「ちくちく・・・いやです・・・」
 「すごく・・・痛かった・・・」
 「斬られる方がよっぽど痛いんだがなぁ」
 呆れ顔の薬研に、涙目の二人は首を振った。
 「かたなきずは、おていれでなおりますもんっ!!」
 「注射されたあと・・・次の日まで・・・腫れました・・・」
 すごく嫌だったと、小夜が震える。
 「ふぅん・・・。
 ま、注射が苦手な奴は多いけどな。
 インフルエンザは重症化すると、それこそ死ぬことだってあるんだぜ。
 去年から本陣で大流行して、今もちらほら罹患者が出てるそうだからな。
 必要な処置なんだぞ?」
 言うと、二人は潤んだ目を見開いた。
 「あ・・・あるじさま、まさか・・・!」
 「いん・・・ですか?重症化しましたか?」
 「いや、大将のはただの風邪だ」
 チェック済み、と、薬研は首を振る。
 「この注射は大将じゃなくて・・・あれ?」
 薬研が注射器を取り出すや、脱兎の勢いで逃げて行った二人に苦笑した。
 「いや、これ・・・動物用なんだが」
 馬と虎、狐に投与すべしと書かれた指示書を手にして、笑い出す。
 「んじゃ、五虎退と鳴狐に連絡しなきゃな」
 逃げられないようにしないと、と、薬研は意地の悪い笑みを浮かべて端末を取り出した。


 「お・・・おいかけてきませんね・・・」
 そっと背後を窺う今剣の傍らで、息を切らしていた小夜がほっと吐息した。
 「よ・・・よかった・・・」
 以前の予防接種の時のように、逃げそこなって次兄に連行された挙げ句、長兄に縋ってしくしく泣くことはもうしたくない。
 そう呟くと、今剣も大きく頷いた。
 「・・・あのとき、ぼくはいわとおしにうらぎられたんです・・・!
 あれはぜったいゆるしません!」
 強い口調で言って、彼は頬を膨らませる。
 「おまえのためだなんていっても・・・ゆるさないったらゆるさないんですっ!」
 いつも庇ってくれる彼が、薬研の手先になったことは今でも、思い出す度に腹が立った。
 と、小夜も泣きそうな顔で頷く。
 「宗三兄様・・・ひどかった・・・」
 同じ事を言われた、と呟いた小夜の手を、今剣が握る。
 「あるじさまのところへいきましょう!
 おもいびょうきじゃないなら、おみまいにいってもへいきですよ!」
 「うん・・・」
 小狐丸が近侍である時ならばともかく、歌仙なら行っても怒ったりはしないだろうと、小夜は頷いた。
 しかし、御座所に彼の姿は既になく、代わりに小狐丸が、一人で硯に向かっている。
 「こぎつねまるさま、おしゅうじですか?」
 怯えてしまった小夜とは違い、怖じ気もせずに擦り寄った今剣を、小狐丸は微笑んで見下ろした。
 「ええ。
 ぬしさまがお休みの間、手慰みに。
 歌仙殿から、お手本を頂きましたのでね」
 そら、と差し出された紙には、見事な草書で東風の歌が書いてある。
 本当に手習いの手本だったかと、二人は丸くなった目を見合わせた。
 「いかがされたか?」
 問われて、今剣は髭切と膝丸に言われた事と、薬研の推理を話す。
 「さすがに薬研殿は察しがよい」
 くすくすと笑う小狐丸に、小夜が小首を傾けた。
 「あの・・・歌仙はどこに・・・」
 「歌仙殿でしたらとうに、自室へ戻られましたよ。
 看病には向いてないと仰せで、近侍を勝手に私へと替えて。
 まあ、お叱りはないと存じますが」
 「・・・すみません。
 歌仙・・・面倒なことは嫌いで・・・」
 申し訳なさそうに首をすくめる小夜の頭を、小狐丸は笑って撫でてやる。
 「かまいませぬよ。
 それよりお二人とも、何かご用でしたか?」
 問われて今剣が頷いた。
 「あるじさまのおみまいに」
 そして、と、小さなこぶしを握った。
 「あるじさまが、いつもぼくにやってくれるみたいに、ねんねんころころします!」
 「・・・はい?」
 笑顔のまま、首を傾げる小狐丸に、今剣が詰め寄る。
 「ぼくがおていれしてるあいだ、あるじさまはいつも、ねんねんころころしてくれます。
 めがさめたらいつも、だっこしてくれてます。
 おねつがあったのに、きょうも・・・」
 だから、と、今剣は小狐丸の膝にこぶしを乗せた。
 「もう、あるじさまに、いなくなったりしないで、なんていいません!
 ひとりでねんねんできますし、あるじさまがたいへんなときは、ぼくがねんねんころころしてあげます!」
 お菓子のお返しだ、と言う今剣を、満面の笑みを浮かべた小狐丸が抱き上げ、抱きしめる。
 「大きゅうなられましたな、今剣殿!
 ぬしさまは常々、今剣殿を案じておられましたから、そのお言葉をお聞きになればさぞかしお喜びになりますでしょう」
 「ぼくはこれでも、おにいさんですからね!」
 思っていた以上に褒められたことが嬉しくて、今剣は得意げに胸をそらした。
 その様に、小夜は呆れ顔で吐息する。
 「小狐丸さんまで・・・甘かったんですね」
 三条が身内に甘いことは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
 と、
 「おや、左文字のご兄弟ほどではないと存じますよ?」
 「なかよしさんですよね!」
 兄弟仲が良いのは良いことだと、妙にしみじみと言う今剣に、小夜はうっすらと頬を染める。
 「じゃあさっそく!
 あるじさまにねんねんころころしてきます!
 さよもいっしょにきますか?」
 小狐丸の膝から降りた今剣が差し伸べた手を、小夜は取った。
 「おやおや、仲がよろしいことで。
 ですが、ぬしさまはまだお具合が悪いのですから、お起こしになりませぬようにな」
 とは言いながら、わずか、声を大きくした小狐丸は、襖の向こうでわさわさと、布団をめくる音を聞いて微笑む。
 「さ、お入りなされよ。
 ぬしさまがお目覚めになりましたら、お薬を持って参りますので、私にお知らせください」
 「はいっ!」
 「まかせてください・・・!」
 使命を帯びた二人は頬を染めて頷き、寝所へ続く襖をそっと開けた。
 「あるじさま・・・ねんねんですよ」
 「ね・・・ねんねん・・・・・・」
 こちらへ背を向けて横たわる主の肩が、微かに震えた気がしたが、寒いのだろうと察して、ぽふぽふと布団を叩く。
 「ねんねん・・・」
 「ねんねん・・・・・・」
 障子を締め切って薄暗い部屋は、風邪を引いた主のために暖かく、いつしか二人も、眠気を誘われた。
 やがて、布団に突っ伏して寝てしまった二人に、身を起こした主がくすくすと笑い出す。
 「ぬしさま、お薬をお持ちしましょう」
 主の笑声を聞きつけ、筆を置いた小狐丸が、そっと襖を開けた。
 「お二人には、上掛けをお持ちしなくては」
 小狐丸もくすくすと笑いだし・・・ふと、歌仙が活けた桜へと目をやる。
 「ようやくほころびましたか」
 部屋の暖かさに一粒の蕾が解け、白い花弁がこっそりと覗いていた。
 と、主が寝所を飾る襖絵の一枚を指す。
 「―――― よのなかに たへて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし・・・さようにございますな」
 微笑む小狐丸に頷き、主は並んで眠る短刀達の頭を撫でてやった。



 了




 










本当はもっと早く書くか、いっそ来年まで持ち越そうかと思っていた話でした。
いくら今年の桜が遅かったからって、四月に梅の歌を持ってくるなと言う・・・。
しかし・・・来年まで待つと、状況が変わりそうだったんだ。
極めて以降の今剣の言動がどうにも刺さるので、それを緩和したい話でしたよ(笑)
我が本丸は、精神ケアに熱心です。













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