〜 よのなかに 〜






 とうに四月に入ったというのに、やけに冷たい風が桜の枝を揺らしていた。
 「・・・咲かないなぁ」
 未だ頑なに閉じたままの蕾を見上げ、縁側にあぐらをかいた厚がため息をつく。
 「困るよねぇ・・・。
 お宿、お花見キャンペーンを張ってるのに肝心の花がないって、あるじさんが困ってるよ」
 隣に寝そべった乱も、困惑げに眉根を寄せた。
 「まぁ・・・自然相手だからな。
 そこに文句を言うような、無粋な客はいないが・・・このままじゃ、俺らもいつ花見ができるか、だな」
 「え?!お花見できないんですか?!」
 「それは・・・いやです・・・!!」
 薬研の言葉に、秋田と五虎退が涙目になる。
 と、
 「さすがに咲かないってことはないだろ。もう蕾はついてるんだし」
 「そうだよ。
 心配しなくても、そのうちあったかくなれば大丈夫」
 笑う後藤の隣で頷いた信濃が、肩を落とす包丁の頭を撫でてやった。
 「だからもうちょっと我慢だよ。
 お花見用のお菓子、開けるの待とうね?」
 こくりと頷いた包丁は、自分より更にうなだれた鯰尾を見やる。
 「鯰尾兄さん・・・そんなに・・・」
 「違う」
 きっぱりとした声に顔をあげると、骨喰が鯰尾に歩み寄り、彼の肩に手を置いた。
 「ネトゲの課金地獄にまたはまっただけ。
 鯰尾、今月はもう、貸さない約束」
 「わ・・・わかってるよ、骨喰」
 今月の請求額が表示された端末から顔を上げた鯰尾が、震え声で言う。
 「あ・・・主にお小遣の前借り・・・は、先月やっちゃったから、は・・・博多に・・・!」
 「やめとけよ、鯰尾兄。
 あいつ、大将にまでグレーゾーン金利掛けるような奴だぞ。
 兄弟でもがっつり利息取るに決まってるって」
 ため息混じりに言う後藤を、鯰尾は縋るような目で見つめた。
 「後藤・・・!俺に・・・!」
 「所詮は電子データなんてくだらない物に使った奴に、金は貸さない」
 冷たく言われて、鯰尾は益々肩を落とす。
 「戦も遠征も頑張ってるんだからさぁ・・・!
 主、俺のお給料上げてくれないかなぁ・・・!」
 ぼやいた途端、表情を厳しくした後藤に肩を捕まれた。
 「ど・・・どうしたの、後藤・・・」
 目を丸くする鯰尾を、後藤が睨みつける。
 「鯰尾兄、ちょっと説教させろ」
 どかりと座った後藤の前で、鯰尾は思わず姿勢を正した。
 「なんだなんだ?」
 「なに怒ってんだよ・・・」
 薬研と厚も寄ってきて、骨喰までもが静かに座る。
 と、後藤は厳しい目で兄弟を見回してから、改めて鯰尾を睨んだ。
 「博多と一緒に、この本丸の経理を担当している身として、言っておきたいことがある。
 お前ら武家は、金銭に関して無頓着すぎる!!」
 かつて、徳川家の資金を一手に引き受ける金座の長の手にあった彼は、戦が消費行動以外のなにものでもなく、金銭なしには軍の維持すら出来ないことを熟知していた。
 「俺が大将を本気ですげぇって思ったのは、金銭の重要さを知っていて、博多の励起を最優先した事だ。
 確実に資金運用ができる奴を探し出して、本丸の金銭管理を任せた。
 それだけなら、他の本丸でもやってるだろうが、商売人気質のあいつが暴走しないように、官僚系の俺を監査役に置いて、チェック体制まで敷いたんだ。
 更にはほぼ毎週、定例会議を開いて、経理の報告をさせてる。
 だからこそ・・・」
 一旦、後藤は言葉を切って、一同を見渡す。
 「本丸運営費が潤っている上に、俺らの給料は、どこの本丸よりも高い」
 「そうなのっ?!」
 悲鳴じみた声を上げる鯰尾に、後藤は深く頷いた。
 「そして逆に、大将の所得は、他の本丸に比べて低く抑えてある。
 理由は、自分は命をかけてないから、だそうだぜ」
 「それで・・・主君、借金苦なんですか?!」
 「いや、それは、趣味の城郭作りしたからだろ」
 秋田に首を振った厚の隣で、薬研が肩をすくめた。
 「あれだって結局は、バラバラだった俺ら刀剣の協調を促すためだったろうよ」
 「攻城戦やったって話?!
 いいなぁ・・・俺もやりたかった」
 口をとがらせる包丁に、後藤はちらりと笑う。
 「そういうわけでだ」
 まっすぐに見据えられた鯰尾が、びくりと震えた。
 「テメェの小遣いすら管理できず、不平しか言わねぇ兄弟は、解かされても文句言う資格ねぇぞ!」
 「ごめんなさいっ!!」
 「お前には言ってねぇよ、五虎退」
 鯰尾と声を合わせてしまった五虎退に、薬研が苦笑する。
 その隣から、
 「ま・・・まぁまぁ、後藤ー」
 と、乱が手を振った。
 「鯰尾お兄ちゃんだって、刃生終わっちゃうほどの借金したわけじゃないし!
 そのくらいの事で解かされたりしないよぉ!」
 ね?と、笑う乱を鯰尾が、涙目で見やる。
 「あ・・・ありがとう、乱ぇ・・・!」
 「でも」
 冷たい声で、骨喰が呟いた。
 「鯰尾の課金額、今月はかなり・・・」
 「ほ・・・ほほほ・・・骨喰!!
 そんなことないよ?!
 がちゃに結構注ぎ込んだけど、そんな、刃生狂わすような額なんて・・・!!」
 真っ青になって震える鯰尾の背に、突然重みが加わる。
 「きゃあっ?!」
 飛び上がる鯰尾の目の前に、兄弟の中では最も大きな手が差し出された。
 「その請求、立て替えてやってもいいぞ?
 その代わり・・・」
 耳元に囁く声は、南蛮の教典に出てくる邪悪な蛇のようだ。
 悪魔の囁きに振り返りそうになった鯰尾の髪を、骨喰が強く引いた。
 「いったああ!!
 骨喰!!痛い!!」
 「鯰尾、だめ。
 いち兄も・・・変な要求するな」
 「変な要求だなんて、酷いな」
 にこりと笑って、いつの間にか忍び寄っていた一期一振が差し出していた手を引く。
 「私はごく簡単なお願いをしたいだけだよ。
 ・・・施工主になった例の審神者殿の、電話番号とメールアドレスをもらっておいで、ってね」
 「やめてぇぇぇぇ!!」
 真っ青になって、乱が絶叫した。
 「なぜだ?
 あちらの本丸を攻め落とすより、楽で現実的じゃないか。
 通信もこの敷地内に限られているのだから、こちらへおいでの際にこっそりやれば、我が主にばれることもない」
 「いや、俺が言うし」
 「俺も」
 「裏切り者っ!」
 あっさりと言った薬研と厚へ、一期一振は口をとがらせる。
 「未だ噂でしか知らない理想の女人と、ひと時の逢瀬を楽しみたいという私のささやかな願いを聞いてくれないなんて、なんて冷たい弟達だろう!」
 「会った事もない女にその執着が、既にヤバい」
 気味悪げな後藤の隣で、乱が激しく頷いた。
 「いち兄!ストーカーは犯罪だよっ!!」
 「あ・・・あるじさまが・・・こまります・・・!」
 五虎退もこくこくと頷き、一期一振に縋る。
 「いち兄・・・!や・・・やめて・・・!」
 必死の訴えに、一期一振も肩をすくめた。
 「仕方ない」
 立ち上がった一期一振を、全員の目が追う。
 「自分で行こう」
 「だめえええええええええええええええ!!!!」
 本丸内屈指の機動力を発揮した弟達に縋られ、一期一振の動きは完全に封じられた。
 「お前達・・・重い・・・!」
 弟達に引き倒された上、のしかかられて、身動きの取れない彼を秋田が睨む。
 「主君のために、あの審神者殿がいらっしゃる間はいち兄を幽閉します!
 兄さん達!」
 秋田の声に頷いた兄弟が、一期一振の四肢を掴んだ。
 「そぉれっ!」
 「え?!おい・・・放しなさい!」
 「修行帰りなめんなよっ!!」
 完全に抵抗を封じられた一期一振がずりずりと奥の間へと引きずられて行く。
 「どうする?縛る?」
 乱が兄弟を見回すと、薬研が眉根を寄せた。
 「それだけじゃあ逃げられるだろ。
 筋弛緩剤でも使って無力化・・・は、大将がガチギレするか」
 「だよな。
 じゃあ、殴って眠らせるか」
 「いや、せめて薬で穏やかに眠らせてくれ!」
 こぶしを振り上げた厚に、一期一振が悲鳴じみた声を上げる。
 「いち兄。
 ここでおとなしくしているって約束してくれたら、乱暴はしないよ?」
 「・・・わかったよ」
 信濃の言葉に頷いた途端、
 「嘘だ!」
 「嘘だな」
 鯰尾と骨喰が断言した。
 「お前達・・・」
 無情な弟達に、顔を引きつらせる一期一振を、しゃがみこんだ包丁が見下ろす。
 「いち兄ってば、会えなくて理想が膨らんじゃってるけど、実際見たら大したことないぞ?
 人妻じゃないし」
 「・・・お前の偏った好みもどうかと思うけどね」
 呆れ声に頬を膨らませた包丁が、兄弟達を見やった。
 「ここ、牢はないの?」
 「ないんだよなあ。
 俺と鶴丸さんで占有してたら追い出されちゃって」
 「今、シアターになってる」
 「ああ、あれか」
 鯰尾と骨喰に頷いた包丁が立ち上がる。
 「じゃあ、シアターの隣の書庫に軟禁すればいいじゃないか」
 言った包丁に、秋田がぽふん、と手を叩いた。
 「そうです!
 あそこなら鍵がかかりますし、防音効果も高いから、管理者の数珠丸さんと歌仙さんに話を通しておけば!」
 「あぁ、とってもいい考えなんだが・・・」
 「そこまで、どうやって運ぶ?」
 困り顔の薬研と乱に向けて、厚がこぶしを突き出す。
 「殴って眠らせてから、台車に乗せて!」
 「おぉ!」
 「だから!やめなさい!」
 いい考えだとばかり頷いた弟達の下で、一期一振がびちびちと跳ねた。


 「・・・なにやってるの、あれ」
 両手足を縛られ、白目をむいた一期一振が、台車に乗せられて運ばれていく様に、物吉は目を丸くした。
 と、隣で掃除道具を納屋に入れていた亀甲も目を向ける。
 「手入れなら手入れ部屋だろうに・・・あの先は天守だよねぇ。
 何しに行くんだろう?」
 「天守にも手入れができる部屋はあるけど、大太刀と槍のセルフメンテ用だし・・・」
 興味を惹かれたが、わざわざ見に行く程の事でもないかと物吉は思い直した。
 「馬当番終わったし、お昼に行きましょ。お腹すいたー」
 にこりと笑った物吉に、しかし、亀甲は応えず、兄を運んでいく粟田口の面々を見つめる。
 「亀甲くん?」
 「ねぇ物吉・・・。
 天守の地下って、音響効果抜群のステージの他に、防音効果の素晴らしい書庫があったよねぇ?」
 腕を組み、真剣な眼差しの彼に、物吉は頷いた。
 「数珠丸様が教典を仕舞っている部屋でしょう?
 歌仙さんも、書画や茶道具を仕舞ってて、時々教典の講義や茶の湯講座が開かれてるよ」
 「だったら、どちらかじゃないのかな」
 「どちらか?」
 亀甲の言葉に、物吉は首を傾げる。
 「どっちも違うんじゃないかな?
 数珠丸様と歌仙さんはさっき、畑で見かけたよ?
 講師をしているわけが・・・」
 「違うよ!」
 突然の大声に、物吉は目を丸くした。
 「え・・・?何が?」
 「だから!
 無邪気で残酷な少年達によるショーか、声の漏れない書庫に閉じ込めてのイケナイ遊びか、どちらだろうって事さ!
 ショーならぜひ参加したいけど!」
 「しないでよ!!」
 今にも駆け出しそうな亀甲を物吉は慌てて止める。
 「だけど!
 君も見ただろう、あのやる気のない縛り方!」
 「縛り方・・・?」
 珍しく語気の強い亀甲を見上げると、彼は真顔で頷いた。
 「あんなやり方じゃ、ちっともキモチ良くないだろう?!
 僭越ながら、ボクがステキな縛り方を指導してあげようかなと!!」
 「・・・」
 無言できびすを返した物吉の腕を、亀甲がすかさず掴む。
 「あぁ<IMG src=
 こっちを向いて、ボクを見て、物吉!
 いつもにこやかなキミがボクにだけ見せる、冷たく蔑んだ目で見つめておくれ!」
 「・・・放して、亀甲。
 兄弟だけど、一緒にされたくない」
 冷ややかな声が妙なる音楽とばかり、亀甲は嬉しげに頬を染めた。
 「ふふふv
 どんなに嫌がっても兄弟・・・v
 もっと!もっとその忌々しげな顔をボクに見せてぇっ!!」
 ぐいぐいと迫って来る亀甲から、物吉は悲鳴を上げてもがく。
 「た・・・助けてぇ!
 主様!あるじさまー!!」
 その言葉に亀甲は、期待を込めて辺りを見回した。
 しかし、しばらく待っても主は現れない。
 「・・・御主人様、来てくれないかぁ。
 物吉を泣かせれば、来てくれるかなぁと思ったのだけど・・・」
 残念そうに言いつつ、亀甲は物吉を抱きしめた。
 「がっかりしたから慰めて、物吉。
 すりすりさせておくれv
 「やだっ・・・やだもう!
 何?!
 なんの餌に使われてるの、僕?!
 最近、絡み方酷いよ、亀甲!!」
 擦り寄って来る亀甲の顔をぐいぐいと押しのけながら問えば、彼は深々とため息をつく。
 「・・・菓子のお礼に、って、御主人様に持ちやすくてしなりのいい鞭をプレゼントしたのだけど」
 「したの?!
 あんなに止めたのに!!」
 悲鳴じみた声に亀甲はあっさりと頷いた。
 「キミが選んでくれなかったから、ボクが自分で選んだんだ。
 歌仙に御主人様の好みを聞いて、きっと気に入ってくれるデザインの物を差し上げたのに・・・」
 暗い声音の亀甲は、深々とため息をつく。
 「・・・ちっとも使ってくださらなくて」
 「そ・・・そう・・・」
 亀甲とは逆に、物吉はほっと吐息した。
 「主様が常識人でよかっ・・・」
 「ボクが差し上げたのに、大包平にばかり使って!
 ボクのことは全然ぶってくださらないんだ!」
 むくれた亀甲に更に強く抱きしめられた物吉は、脱力しそうな身体を励まして抵抗する。
 「もぉやだこの兄弟!!
 はーなーしーてぇぇぇぇぇ!!
 太鼓鐘ー!太鼓鐘ー!」
 じたじたと暴れながら声を張り上げていると、ようやく助けが現れた。
 「亀甲!なに物吉泣かしてんだ!
 厨房まで悲鳴が聞こえたぜ!」
 「太鼓鐘ぇ・・・!」
 駆け寄ってきた太鼓鐘が亀甲を引きはがし、ようやく物吉はほっとする。
 「ありがとう・・・!」
 「ほら、もう大丈夫だから泣くなよ!
 笑顔笑顔!」
 両手で頬をはさんでやると、物吉は頷いた。
 「で?
 なにしたんだ、今回は」
 呆れ顔の太鼓鐘に、亀甲は肩をすくめる。
 「なにもしてないさ。
 ただ、ボクが御主人様にプレゼントした鞭を使ってくれなくて寂しいなぁって話してただけ」
 「ホントにプレゼントしたのか・・・」
 そりゃ泣くわ、と、太鼓鐘は吐息した。
 「なんだい、太鼓鐘まで。
 ボクに使ってくれないってだけで、お気には召したようなんだよ?
 その証拠に、大包平には何度も何度も・・・」
 「・・・今、お客さん来てるんだから、そういうこと大声で言うのヤメロ」
 必要以上に声を潜めると、亀甲だけでなく物吉も宿の方を見やる。
 「もう?
 今日は随分早いねぇ」
 「まだお昼ですよねぇ?」
 「いや、温泉宿の客じゃなくて、施工主」
 「ああ!」
 太鼓鐘の言葉に、物吉が手を打った。
 「あのゆるふわさん!
 そうか、だから粟田口が一期を隔離したんだ」
 「っ拉致監禁・・・!素敵・・・!」
 「だからそういうこと言うなっつってんだろ」
 たしっと、手の甲で叩いてやると、亀甲は不満げに太鼓鐘を見下ろす。
 「そんなやる気のないツッコミじゃなくて、もっと激しくぶってくれたらいいのに!」
 「疲れるからヤダ」
 あっさりと言った太鼓鐘に、亀甲は頬を膨らませた。
 「そんなことよりお前達、昼まだなんだろ?
 俺も今からだから、行こうぜ」
 厨房を指す太鼓鐘に、物吉が頷く。
 「うん。
 お腹すいてるのに、亀甲が変なことするから!」
 じろりと睨むと、亀甲はくすくすと笑った。
 「兄弟なんだから、協力してくれたっていいじゃないかv
 「できることなら、縁を絶ってやりてぇよ」
 物吉のためにも、と睨む太鼓鐘に、亀甲は頬を染める。
 「・・・っいいv
 太鼓鐘、今の顔、すごく・・・良かったよv
 もっと!
 もっとボクを蔑んでぇvvv
 「・・・なにごとだよ」
 大騒ぎしつつ厨房に入ってきた貞宗達を、光忠があきれ顔で迎えた。
 「物吉くん、悲鳴上げてたけど、もう大丈夫なの?」
 「えぇ・・・まぁ・・・」
 不自然に目を反らした物吉は、珍しく不機嫌な様子でテーブルに顎を乗せている鶴丸に小首を傾げる。
 「鶴丸さんはどうかしたんですか?」
 「あぁ、鶴さんのことはほっといていいよ」
 「ろくなこと考えてないから」
 「お前達!冷たいな!!」
 テーブルを叩いた鶴丸が、むくれ顔を向けた。
 「・・・主に鞭でぶたれたんだ」
 「・・・っなんてうらやましい!!」
 頬を染めた亀甲を、鶴丸は忌々しげに睨む。
 「驚かせてやろうと思って、廊下の影に隠れてたら・・・!」
 潜んでいた角の手前で足音が止まったかと思うと、腕だけがにゅっと現れて、鞭を叩きつけられた。
 「やっぱり隠れていたか、って・・・誰だ、あいつにあんなもの渡した奴は!!」
 「ボクだよ!」
 「お前か!!」
 得意げに言った亀甲の胸倉を、椅子を蹴って立ち上がった鶴丸が掴む。
 「ものすごく痛かったんだぞ!
 見ろ、この痣!!」
 腕に紅く残る跡を差し出した鶴丸に、亀甲は目を潤ませた。
 「素敵・・・!
 御主人様、もうこんなに使いこなしてるなんて!
 やっぱり、ボクの目に間違いはなかったんだね!」
 「そんなにうらやましいなら代われ!」
 「そうしたいのに、ぶってくださらないんだもの!!
 これって焦らしプレイかな!
 ううん・・・放置プレイ?!」
 息を荒くする亀甲を、鶴丸は気色悪げに突き放す。
 「貞坊・・・!」
 「そいつの件で、俺を当てにすんな」
 冷たく突き放されて、鶴丸はまたむくれた。
 「主にはぶたれるし、桜は咲かないし、花見はできないし・・・!
 ちっともいいことがない!」
 どかりと椅子に座ってテーブルに顎を乗せる鶴丸に、物吉が微笑む。
 「そんなこと言ってないで、笑顔ですよ、鶴丸さん!
 不機嫌な人に、幸せは寄ってきません」
 花のような笑顔を振り撒くと、鶴丸だけでなく、太鼓鐘や光忠までもが笑顔になった。
 「そうだな。
 この亀は池にでも沈めて、団子の準備でもしておくか」
 「いいな、それ!
 亀甲、お前、池に入ってろよ。
 主に見下げてもらえるぞ」
 鶴丸の軽口に太鼓鐘も冗談で答える。
 が、そこを聞き流さないのが亀甲だった。
 「着衣で?
 それとも・・・!」
 「光忠さん、東の離れにある塗籠(ぬりごめ)って、外から鍵を掛けられましたよね?」
 亀甲の言葉を、物吉が遮る。
 「亀甲v
 そんなに好きなら監禁プレイ、やっちゃおうかv
 「物吉くん、笑顔・・・怖いよ?」
 苦笑しつつも、光忠は塗籠の鍵を渡してやった。


 「・・・なんの音だ?」
 客人を見送った長谷部は、御座所へ戻る途中、東の離れから聞こえる物音に気づいて目をやった。
 天守地下の牢が無くなってから、たまに牢獄代わりに使われている塗籠だ。
 「誰か閉じ込められているのか?」
 歩み寄ると、彼の足音を聞きつけてか、戸を揺する音が激しくなった。
 「おい、どうかしたのか?」
 声を掛けた途端、音が止む。
 「その声は長谷部かぁ・・・。
 御主人様は?
 まだ、お客様とご一緒なのかな?」
 あからさまに不満げな声に、長谷部もむっとした。
 無視して通り過ぎようとすると、また戸を激しく揺する。
 「物吉に閉じ込められたんだ!
 放置プレイはご褒美だけど、それは御主人様に限ってだよ!
 出してくれるか、御主人様を呼んできておくれよ!!」
 「断る!
 主はお忙しいのだ!
 きさまの不埒な趣味に付き合っている暇などない!!」
 短刀なら震え上がる怒号を浴びせるが、亀甲には効かなかった。
 「キミがここにいるって事は、お客様はお帰りになったんだろう?!
 温泉宿のお客様がいらっしゃる時間にはまだ余裕があるし!
 今がベストタイミングのはずだよ!」
 「・・・察しがいいのが腹立つな、変態のくせに」
 忌々しげに言ってやると、戸を揺する音が止まる。
 「・・・っ言葉攻め!
 長谷部・・・いいよっ!!」
 その感極まった声に、震えが走った。
 「・・・っ一生そこから出て来るな!!」
 上ずった声には、しかし、不満げな声が返る。
 「その冷たさは心地いいけど!
 御主人様にやって欲しいんだ!!」
 「やかましいっ!!」
 乱暴に戸を蹴りつけるや、長谷部はきびすを返した。
 しばらく回廊を戻った彼は、ふと思い至って自室へ入り、札に書き付けて再び塗籠の前に立つ。
 またガタガタと音を立て始めた戸には応えず、無言で観音開きの戸の境目に札を貼った。
 変態封じ、と大書したそれを見れば、中に誰がいるか察するだろうと、悪い笑みを浮かべる。
 その背に、博多の声がかかった。
 「なんだ?」
 長谷部が振り向くと、彼は宿の方を指す。
 「桜がちっとん咲かんけん、主人が、客の来る前に別の花ば用意せろって言いよっちゃけど。
 花が咲いとう鉢植えで、移動できるもんてなんかあると?」
 「鉢植えか・・・」
 足早に回廊を渡りつつ、長谷部は考え深げに顎を引いた。
 「今、咲いているのは椿と梅、沈丁花だが・・・・どれも地植えだな。
 鉢に入れているもので・・・咲いているものと言えば・・・」
 足を止めて考え込んだ長谷部が、ようやく顔を上げる。
 「そうだ、水仙があった!」
 「は?
 あら地植えやろうもん」
 眉根を寄せた博多に、長谷部は首を振った。
 「以前はそうしていたんだが、繁殖力がすごくてな。
 畑にまで伸びそうになっていたものだから、ニラと間違えて収穫したら危険だと、光忠が全部抜いてニの曲輪(くるわ)にどけてしまったんだ」
 「・・・水仙の葉ば食うたら死ぬが」
 だが、城壁で区切られたニの曲輪なら安心だと、ほっとした博多に長谷部も頷く。
 「万が一にも畑に紛れ込んでは危険だからな、長い鉢に植え替えて、切り花用に置いている。
 あれならすぐにでも運び込めるぞ」
 「そらよかばい!
 今からやってくれんね!」
 「承知した。
 では、着替えてこなくてはな」
 早速部屋に戻ろうとして、長谷部は足を止めた。
 「博多、お前は手伝えるのか?」
 聞けば、あっさりと首を振る。
 「俺はこれから、宿泊予定の管理とSNSの更新があるけん。
 平野と前田やったらもうすぐ遠征から帰って来るけん、手伝わせたらよか」
 「他の連中は戦か?」
 「そうやなかっちゃけど・・・部屋に誰もおらんとばい」
 不思議そうに小首を傾げて、博多は自身の端末を取り出した。
 「メールも返信がなかけん、電話したっちゃけど・・・電源きっとーか、電波の届かんとこにおる、ってばっかでくさ。
 誰も出んっちゃが」
 探しに行くか、と聞く博多に長谷部は首を振る。
 「結構重い鉢だからな。
 短刀よりも大きな奴らがいいな」
 言いながら、自身の端末を取り出した長谷部はアドレスを繰った。
 「誰に頼むか・・・あぁ、歌仙。
 あいつは呼んでおかないと、後で配置が悪いだの文句をつけるな。
 ・・・歌仙、今いいか?」
 電話する長谷部に頷いて、博多はさっさときびすを返す。
 小さな背をなんとなく見送りながら、長谷部は事情を話した。
 が、
 「鉢は重いから嫌だって、お前、絶対後で文句言うじゃないか!」
 厳しい口調で言えば、回線の向こうで渋々了承する。
 「重い物がそんなに嫌なら、誰か運び役を・・・日本号と次郎?!
 酔っ払いなんぞ使ったら、鉢を落として割るだろうが!
 主の花だぞ!もっと丁寧に扱える奴らを寄越せ!」
 先に行っている、と告げて切られた電話を、歌仙は忌々しげに睨んだ。
 「誰を連れて行っても文句を言うのは長谷部だろうに!
 そもそも、人にものを頼むのに、直接来ないなんて無礼だろう!」
 既に通話を終えた電話に向かって怒る歌仙の傍らで、数珠丸が身を起こす。
 「敷地が広い上に、皆さんあちらこちらへ散っておられますからね」
 収穫した野菜を入れた籠を背に負いつつ、穏やかな口調の彼は微笑んだ。
 「私もお手伝い致しますよ」
 「お申し出、ありがたい」
 数珠丸へはにこやかに会釈したものの、すぐにむくれ顔になって、歌仙は端末を操る。
 「いずみ、ちょっと手伝って欲しいんだ。
 重い物を運ぶから、お小夜には頼みにくくてね」
 回線の向こうの快活な声に、厳しかった歌仙の表情が緩んだ。
 「人数はそこまで必要ないから、君と堀川だけでいいよ。
 加州はお客様相手の仕事があるから、声を掛けなくていいからね」
 快く了承をもらった歌仙は、満足げに頷く。
 「いずみは実にいい子だ。
 新撰組なんて、雅ではない庶民の中にありながら、さすがは兼定の流れだよ。
 それに比べて他の連中は・・・特に加州なんて、こちらが気を使わないと、文句を言われてしまうからね」
 一つ言えば十の文句が返ってくる、と眉根を寄せる彼に、数珠丸が微笑んだ。
 「歌仙殿と加州殿は、古参仲間だと伺いましたが、不仲であられましたか?」
 「古参ゆえに、意見の合わない事も多くあったという事ですよ。
 この本丸ができたばかりの頃なんて、彼が、重傷までは怪我じゃない、なんて言ったものだから、主が真に受けてしまって。
 おかげで短刀達が酷い扱いを受けてしまいましたよ」
 やれやれと首を振った歌仙は、農具を取り上げる。
 「・・・植え替えとは言われなかったから、これはいらないかな」
 「そうですね。
 私は厨房に食材をお渡ししてからお手伝いに参りますので、道具の片付けをお願いしても?」
 文句を言いながらも、協力はしようとしている歌仙を微笑ましく思いつつ言えば、彼はこれにも素直に了承した。
 「主のご人徳でしょうか・・・いえ」
 これも古参組に言わせれば、荒ぶる鬼による恐怖支配ゆえというものか。
 「なんにせよ、まとまってはいるようで」
 厨房に食材を下ろした彼は、そのまま本丸を守る門へ向かった。
 城郭化した際に、本丸を囲むように区切られたニの曲輪(くるわ)は今、武者が走る代わりに庭には置けない鉢が並べてある。
 日当たりのいい場所だけあって、門を抜けた瞬間から、今を盛りと咲く水仙の、濃密な香りに包まれた。
 「お手伝いに参りましたよ」
 声を掛けると、既にいくつか運び込んだらしい和泉守と堀川が笑みを返す。
 「ありがとよ!
 俺らだけでなんとかなるかと思ったんだが、意外に重かったんだよな」
 大丈夫か、と気遣う和泉守に、堀川は苦笑した。
 「ダメだー。
 こっちの大きい方は、僕だけじゃ持ち上がらないや。
 兄さん達呼んじゃう?」
 「そうですね。
 思ったより数もありますし、手伝いは多い方が良いでしょう」
 言いつつ、数珠丸は意外な膂力で堀川が諦めた重い鉢を持ち上げる。
 「数珠丸、一人で大丈夫なのか?!」
 「僕、一緒に運びますよ!」
 目を丸くする和泉守と、すかさず側に寄ってきた堀川にしかし、数珠丸は微笑んで首を振った。
 「お気遣いなく。
 僧とは案外、丈夫なものですよ。
 さて・・・どちらへ運べば?」
 「ああ!
 一緒に行くぜ!」
 慌てて鉢を抱えた和泉守が先に立つ。
 兄弟達に連絡した堀川も、自身が持てる鉢を抱えて従った。
 「それにしても咲きませんねぇ、桜・・・。
 いつになったらお花見できるんだろ」
 吹き寄せる寒風に目を細めた堀川へ、和泉守も吐息する。
 「このままじゃ、光忠特製の花見御膳もむなしいばっかだな。
 せめて水仙でも、ってのはいい考えだと思うぜ」
 「うん、それは賛成なんだけど・・・」
 宿の庭に入る前から聞こえてくる怒声に、堀川は苦笑した。
 「歌仙さん達、まだやってる・・・」
 「の・・・之定ー!
 追加の、持ってきたぜ。どこに置く?」
 和泉守が、あえてのんきに声をかけると、きつく吊り上がっていた歌仙の目が和む。
 「あぁ、いずみ。ご苦労だったね。
 堀川も、数珠丸殿にまでお手伝いいただいて」
 「うちの兄弟にも手伝いを頼みましたから、どんどん運んじゃいますよ!
 それで・・・まだ決まらないんです?」
 「あぁ!
 この朴念仁のせいでね!」
 歌仙が睨んだ長谷部も、頑固に腕を組んで怒鳴り返した。
 「きさまが余計な仕事を押し付けようとするからだろうが!
 なんでわざわざ垣根を設けろなどと!」
 「鉢の色や形が揃っているならともかく、辛うじて高さが同じだけの、ありものの鉢をそのまま置くなんて、みっともないと言っているんだ!」
 「客人がいらっしゃる時間には日も暮れている!
 見えやしないだろうが!」
 「朝には見えるだろうに!
 朝日の下で見る、不揃いな鉢なんて興ざめだ!」
 「そんなこと一々気にするか!」
 「気にするとも!
 全く、この朴念仁はおもてなしの心すら理解できないなんて!」
 「まあ・・・お二人とも、落ち着いて」
 鉢を地面に置いた数珠丸が、怒鳴りあう二人へ歩み寄る。
 「お客様が見えるまでそう、時間はありませんから、垣根を新たに巡らせる事は大変でしょう」
 と、長谷部に理解を示しつつ、歌仙へ微笑んだ。
 「本日だけ仮に、畑の仕切りに使っていた、竹の足元垣を運んではいかがでしょう。
 先日、風雨に傷んだ垣を外して作り直しましたが、以前の物は焚きつけにしようと、まだ納屋の外に重ねてございますよ」
 「そりゃいいな!
 之定、新しい垣も清々しくていいが、いかにも取ってつけたみたいじゃねえか。
 こういう庭には、むしろちょっとくらいは傷んでた方が・・・なんていうんだっけか?」
 こっそりと堀川に問えば、彼は心得て頷く。
 「わびさび、ですね!」
 「へ?わさび・・・?」
 「わびさび、だよ、兼さん」
 ひそひそと囁き合う二人に、歌仙が目を和ませた。
 「堀川は偉いな。
 これからもいずみを助けてやっておくれよ」
 「はい!もちろんです!
 兼さん!
 歌仙さんに公式認定されたよ!」
 「あ・・・あぁ・・・」
 輝く目で見上げて来る堀川には困惑げに苦笑した和泉守が、歌仙を見やった。
 「じゃあ、鉢は国広の兄弟達に任せて、俺らは納屋から垣を持ってくるぜ。
 ・・・あ、そういや、新しい垣を組んだ時によ、亀甲がすげぇ手際よく棕梠縄結んでたんだよな。
 見たこともない結び目作ってたし、きっと得意なんだろ。
 手伝ってもらおうぜ」
 何気なく言った途端、
 「馬鹿かきさま!!
 せっかく閉じ込めているのに、余計な事を言うな!」
 長谷部の思わぬ剣幕に、和泉守は唖然とする。
 「な・・・なに怒ってんだよ。
 俺、悪い事言ったか?」
 「言ったとも、この物知らずが!」
 「聞き捨てならないな、長谷部!
 うちのいずみは純粋で素直なだけだよ!」
 「そうです!
 兼さんはそういう、穢れた世界を知らないだけですよ!」
 「・・・なんの話だ?」
 こっそりと数珠丸に尋ねるが、彼も困惑げに首を振った。
 「なんでもないよ、兼さん!
 さ!
 垣を取りに行こ!」
 腕を取られた和泉守は、たたらを踏みつつ連れて行かれる。
 「さて」
 いがみ合う二人の間に入り、数珠丸は手を打った。
 「急ぎ、主のご命令を遂行致しましょう。
 歌仙殿、鉢をどう配置するか、ご指示をいただけますか?」
 主の名を出すことで長谷部を制し、歌仙を立てることで場を収める。
 二人としても、まさか天下五剣の一人である数珠丸の顔を潰すわけにも行かず、素直に従う事にした。
 「では、小道に沿うように並べようか。つつじの灌木の前に。
 まだ蕾もついていないから、色が混ざって見苦しい事もない」
 「両側にか?
 垣根も置くなら、道が狭くなってしまうぞ」
 玉砂利を敷き詰めた小道は、常緑の灌木でふっくらと縁取られている。
 南蛮風の角張った剪定を歌仙が嫌うため、自然の枝振りを残したそれは、日当たりを求めてやや小道側へと張り出していた。
 「構わないさ。
 力士並に体格の良い方でもないかぎり、二人が並べる程度の幅はある。
 鉢は暑苦しく敷き詰めずに、野の花を模した配置にしよう」
 言うや濡れ縁に上がった歌仙は、鉢を置く場所を指示して行く。
 そのうち、堀川に呼ばれた山伏と山姥切も鉢を運んで来て、庭は清らかな香りに満たされた。
 「もう・・・そろそろ垣根組んでいいんじゃないか?」
 濡れ縁から庭を見渡す歌仙の美意識が満足するまで、何度も鉢を移動させられて疲れ果てた面々を見回す和泉守の声に、彼はようやく頷く。
 「この配置なら、桜が咲いても邪魔にならず、野の風景として調和するよ。
 ご覧、いずみ。
 これが風流というものだよ」
 手招くと、和泉守だけでなく、庭にいた全員が濡れ縁に上がった。
 「なるほど、これは・・・」
 「確かに、野の風景であるなあ!」
 感心する数珠丸と山伏の傍らで、山姥切も頷く。
 「いい・・・風景だ」
 やや小高い場所に植えられた桜の樹へと、緩やかに向かう小道を常緑の灌木が縁取り、その根元を白い水仙が飾った。
 一見、人の手が加わったようには見えない自然な配置は、納得のこだわりだ。
 「きれいだね!ね!兼さん!」
 「ああ!さすが之定だぜ!」
 「散々こき使ったんだ。このくらいの結果は出して当然だ」
 素直に感心する和泉守の頭を撫でてやりながら、歌仙は鼻を鳴らす長谷部を睨んだ。
 「この配置にあって、鉢が見える事がどれだけ不粋か、君にもわかっただろう?
 さあ、垣を組みたまえよ」
 「命令するなっ!」
 忌々しげに言いながらも庭に下りる長谷部に、数珠丸も続く。
 「そろそろお客様も見える刻限です。
 皆で一斉にやってしまいましょう」
 彼の号令には、歌仙も素直に従った。
 まだ棕梠縄を解かずにいた足元垣は、並べて堺を組むだけで目隠しの用は済み、鉢を並べるよりもすんなりと仕上がる。
 「間に合ったな!」
 ほっとした顔の和泉守に、堀川も大きく頷いた。
 「よかったね、兼さん!
 兄さん達、手伝ってくれてありがとう!」
 笑顔を向けられた山姥切が、眩しげに目を逸らす。
 「別に・・・暇だったし」
 「なぁにこの程度のこと、いつでも声をかけるといい!」
 闊達に笑う山伏にまた、堀川は大きく頷いた。
 「ねぇねぇ!
 桜の樹まで、行ってみない?
 お客様の気持ちになって歩くと楽しいよ、きっと!」
 「そうだね。確認はしないとね」
 堀川の提案に頷いた歌仙とは逆に、長谷部はきびすを返す。
 「俺は主にご報告に行ってくる」
 「おう!頼むぜ!」
 嫌味を言いそうな歌仙の機先を制して、和泉守が長谷部へ手を振った。
 「之定!
 こだわりのポイントって奴?教えてくれよ!
 どうやったらこんなに見事な配置になるんだ?」
 あえて無邪気に問うと、気を良くした歌仙が軽く咳ばらいする。
 「いずみは勉強熱心で、実にいい子だ。
 そう、こだわるにはちゃんと理由があってね・・・」
 得意げに言いながら歩を進める歌仙の後に、和泉守だけでなく、皆がついて行った。
 鉢を置くことで狭くなると思った道も、絶妙な配置によって歩きにくい事もなく、散策にはいい塩梅だ。
 「・・・つまり、日々の観察を怠らず、季節の移り変わりを心身に感じる事こそが風流というものさ。
 庭という限られた空間の中に、自然の風景を置くには常日頃からそういう目を養って・・・おや?」
 目指す桜の前に、いつの間にか設えられていた祭壇を見て、歌仙の長広舌が途切れた。
 「野菜に尾頭付きの魚、榊の枝・・・思いっきり祈祷のお支度ですよね。
 石切丸さんかな?」
 「うむ、違いない!」
 小首を傾げた堀川に力強く頷いた山伏が、母屋へ続く道を指す。
 と、大ぬさを持った石切丸が、蛍丸と共にこちらへやって来るところだった。
 「おや、皆さんお揃いだね」
 ゆったりと歩み寄る石切丸を追い抜いて、地紋の入った袴に白い狩衣姿の蛍丸が祭壇に駆け寄る。
 彼の手にも、やや小振りの大ぬさがあった。
 「何をなさるのです?」
 不思議そうな数珠丸に微笑んだ石切丸は、蛍丸の側に立って歪んだ冠の位置を直してやる。
 「桜が咲かないと、皆が歎くものだから祈祷でもしようかとね。
 蛍丸の練習にもなるし」
 「俺!
 ・・・じゃない、私もそろそろ、神社に戻るのだから、祈祷くらいはできないとでしょ?」
 恥ずかしげに頬を染めながら、蛍丸は大ぬさを掲げた。
 「お師匠さんについて勉強かぁ!
 偉いぜ、蛍丸!」
 和泉守の大声に、蛍丸はますます頬を赤くする。
 「は・・・早くやろ、石切丸!」
 照れ隠しか、大勢に見られて恥ずかしいのか、殊更ぶっきらぼうな口調になった蛍丸の背を押して、石切丸は祭壇の前に立った。
 「さあ、ちゃんと桜の樹に向かうんだよ。
 ゆっくりと言うから、私に続いてね。
 五柱の神様のお名前をお呼びして、お願いごとをするというよりは、この地が平穏でありますようにお奉りする気持ちでね」
 「うんっ!」
 「はい」
 「は・・・はいっ!」
 やんわりと訂正された蛍丸が、慌てて言い直す。
 その懸命な様が愛らしく、皆、思わず笑みを浮かべて見守った。
 「じゃあ、行くよ。
 かけまくも かしこき みむすびのおおかみたちの くすしきみたまによりて」
 「か・・・かしこく?じゃない、かけまくもかしこき・・・みむすびの・・・おおかみ!たちのー・・・く・・・く・・・」
 「くすしき みたまに よりて」
 「くすしきみたまによりて!」
 「そうそう、その調子」
 石切丸の祝詞に、必死についていこうとする蛍丸の姿を見つめる面々も、思わずこぶしを握る。
 「あれいでませる いつはしらの もとつかみは」
 「あ・・・あれ・・・いで・・・ませる・・・い・・・いつはしらの・・・もとつかみ・・・・・・わ!」
 「が・・・がんばって、蛍丸くん!」
 「お前ならやれるぞ、蛍丸!」
 堀川と和泉守の声援に、山姥切も大きく頷いた。
 「次は神様のお名前だよ」
 石切丸がゆっくりと並べた男神・女神の名に、和泉守は困り果てた顔で歌仙を見やる。
 「君も刀剣なら、金属の女神の名くらいは覚えようね」
 くすくすと笑いながら、歌仙が教えてくれた女神の名を、和泉守はぶつぶつと口の中で唱えた。
 「そこ、静かにね。
 さぁ、蛍丸。最後までがんばって」
 自信を失ってか、涙目の蛍丸の背を優しく撫でてやった石切丸が、樹に向き直る。
 「ただえことをえまつるさまを たひらけくやすらけく きこしめせとまおす」
 「ただえ・・・こと・・・をえまつ・・・るさまを・・・たひらけくやすらけく・・・きこしめせと・・・ま・・・まおす」
 なんとか言い終わった蛍丸は、石切丸を真似て、深々とこうべを垂れた。
 「はい、がんばったね」
 頭をあげた石切丸に撫でられた頭を、蛍丸はあげる事ができない。
 「全然・・・だめじゃん・・・。
 一緒にやれば簡単だって・・・俺にもできるって、思ったのに・・・」
 ごめんなさい、と、小声で言う蛍丸の震える背には、誰も声をかけることができなかった。
 ややして、
 「仏門に帰依する私が申すのも憚られますが」
 と、数珠丸が進み出る。
 「何事も、日々精進でございますよ。
 それが勉学であっても、季節の移ろいを見つめる事であっても」
 笑みを向けられて、歌仙も頷いた。
 「我が本丸最強の大太刀殿が、そのようにしょげていては士気にかかわる。
 さぁ、元気を出しておくれ」
 歩み寄った歌仙が励ますように背を叩くと、わずかに頷いた。
 「そうだそうだ!
 俺をひと凪ぎで吹っ飛ばす奴が、祝詞ごときに負けてんじゃねぇよ!」
 「兼さん・・・!
 ばちがあたるよ!」
 恐々と言う堀川に、石切丸も笑い出す。
 「もっと長くて難しい祝詞なんて、いくらでもあるよ。
 このくらいはすらすらと言えるように練習だ」
 抱き上げた蛍丸はしかし、石切丸の肩にすがって泣き出した。
 と、
 「泣く必要はないぞ」
 顔を覆う布をわずかにあげて、山姥切が桜の枝を見上げる。
 その傍らで、山伏も大きく頷いた。
 「蛍丸の懸命さに、それ、桜も顔を出しおったぞ!」
 「ご祈祷が効いたかな」
 石切丸の、笑みを含んだ声に顔を上げれば、頑なに閉じていた蕾が解けて、蛍丸を見下ろしている。
 「初めてにしては、よく出来ました」
 石切丸の甘い評価に頬を染め、大仰に拍手する堀川からは顔を背けて、こっそりと涙を拭いた。
 「慌てて水仙を置かなくてもよかったかもな」
 苦笑する和泉守に、歌仙は微笑んで首を振る。
 「言ったろう?
 桜が咲いても、見苦しくないしつらえにしていると」
 それにしても、と、歌仙はほころんだ花へ笑みを浮かべた。
 「世の中に たへて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし、だよ」
 「慌ただしい事でございましたね」
 くすくすと笑う数珠丸に、皆が頷く。
 「さぁ、花が終わるまで、騒々しい日々が続くよ」
 ため息混じりに言いつつも、嬉しさを滲ませる歌仙の声音に、皆が笑い出した。



 了




 










書き始めたのはまだ、桜が咲いてなかった頃だったんですが、いつの間にか5月に・・・。
観桜の宴くらいまでは書きたかった・・・。
まぁ、それは来年で。>気長だな!
水仙の葉は本当に危険です。
毎年、ニラと間違えて食べて食中毒、って事故が起こってますので慎重にどうぞ。













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