〜 物思ふ身は 〜






 熱の篭る室内は、意外なほど狭かった。
 ・・・いや、そう見えるのか。
 目の前に立つ男は、それなりに身の丈があるはずの自分よりも、更に大きい。
 細面の優男に見えるが、身に纏う雰囲気は厳かで、神々しくすらある。
 「・・・薙刀、巴形だ」
 初めて発した声は、自身でも意外な程にすんなりと、喉を伝って外へ出た。
 視線を巡らせば、大男の傍らに随分と小さな・・・小柄な者の為に作られた自身すら、扱えるものか不安な姿がある。
 だが、一瞬で理解した。
 この方こそ、我が主だと。
 「銘も逸話も持たぬ、物語なき巴形の集まり。それが俺だ」
 ・・・不満だろうか。
 名だたる名刀を数多侍らせているだろう主は、銘もない、逸話も持たない自身を、どう思うのだろう。
 不安な思いで見つめた主は・・・嬉しげに。
 それは嬉しげに笑って、頷いてくれた。


 「ようこそ、巴形。
 私は太郎太刀。
 この本丸で、重要な鍛刀が行われる際に近侍を拝命する大太刀です。
 これより本丸の案内を・・・」
 話の途中で黒衣の袖を広げた太郎太刀は、飛び散る血飛沫から主を庇う。
 「・・・おぉ、失礼した。
 俺の切れ味はいかほどかと、試してみたくなってな」
 悪びれもせず言った巴形は、鮮やかな切り口から噴き出す自身の血を、満足げに見つめた。
 「ふむ・・・悪くない。
 この切れ味ならば十分、主の役に立てるだろう」
 それに、と、太郎太刀の腕に庇われた主へも、満足げに頷く。
 「さすがは主。
 このような凶行を見ても、顔色一つ変えないとは。
 それでこそ、俺の仕えるべき方だ」
 ひざまずく巴形の、血まみれの腕を太郎太刀が無造作に掴んだ。
 「じっとしていなさい」
 厳しく命じるや、太郎太刀は懐から出した布を傷口に当て、続いて取り出した包帯できつく縛り上げる。
 「このまましばらく、患部を心の臓より上へ上げていなさい。
 主、私は彼を手入れ部屋へ連行したのち、本丸の案内をしますが・・・手伝いを呼びましょうか?」
 太郎太刀の問いに、いつの間にか黒い割烹着とマスクをつけて、掃除道具を手にしていた主は首を振った。
 一人で大丈夫、と笑って、床に飛び散った血の始末を始める。
 「なんと申し訳ない!
 主よ、これは自身の粗相だ!
 俺が始末を・・・!」
 「いえ、あなたは手入れ部屋へ行くのです」
 慌てる巴形の腕を引いて、太郎太刀は彼を鍛刀場から連れ出した。
 「さぁ」
 入るよう、促された手入れ部屋は鍛刀場の隣、回廊の突き当たりにある『出立の間』との間にある。
 「戦で負う傷は誉ですが、自傷は無駄に資材を損ねる行為です。
 以後、なさいませんように」
 声を荒らげるわけではないが、重く凄みのある口調に、巴形は粛々と頷いた。
 「主の手を患わせてしまい、実に申し訳ないことをした・・・」
 駆け寄ってきた研ぎ師に傷を負った腕を預け、眉根を寄せる。
 「このような愚かしいこと、名だたる名刀であれば・・・」
 「いえ、大して珍しいことではありません」
 巴形の言葉を遮って、太郎太刀は苦笑した。
 「私は最初からこの本丸にいたわけではありませんので、全員のことは知りませんが、古参組の方達が言うには、自身で試し切りをしない者がむしろ少ないと」
 だからこそ、鍛刀場の隣に手入れ部屋があるのだと、肩を竦める。
 「私は少数派でしたので、彼らの行動が理解できないのですが、鍛刀を任されるようになってからは毎回のように自傷行為を見ていますよ。
 腕だけで済んだあなたはむしろ、楽な方です。
 先日顕現した村正などは・・・」
 重く吐息して、太郎太刀は部屋の外を見やった。
 「奇矯の者とは聞いていましたが、まさか自身の首を掻き斬るとは・・・。
 鍛刀場は天井まで血に染まりましたし、主のお目にかける前に手入れ部屋へ連行するなど、さすがに初めての経験でしたよ。
 重傷のため、資材も時間もかかりましたしね」
 やれやれと首を振って、太郎太刀は巴形を見下ろす。
 「大太刀がいない時期でしたから、後始末は私と槍、薙刀で行う羽目になりまして。
 さすがの主もこの時は激怒なさって、同じ刀派の蜻蛉切が、しきりに恐縮していましたよ」
 「薙刀・・・。
 この本丸には、薙刀がいるのか」
 本筋とは別のことに気を取られてしまった巴形に、太郎太刀は気を悪くする様子もなく頷いた。
 「えぇ。
 岩融という、武蔵坊弁慶の薙刀が。
 古い刀派のひとつ、三条の一人です」
 「名刀・・・か」
 巴形の沈んだ声に、太郎太刀は微かな笑みを浮かべる。
 「ここでは、名を気にする必要はありません。
 確かに、主は名だたる名刀を数多侍らせていますが、無銘や写し、贋作さえも分け隔てなく接しておられます」
 太郎太刀の言葉に、先程見た主の笑みを思い出し、巴形はほっと吐息した。
 「では俺も、誠心誠意仕えることにしよう」
 「それがいいでしょう。
 人使いの荒い方ではありますが、戦に熱心であることは確かです」
 修復を終えたと、報告してきた研ぎ師に頷き、太郎太刀は巴形を促す。
 「本丸の案内をします。参りましょう」
 先に立った彼は、隣の鍛刀場を覗いた。
 「主、案内を・・・おや。手慣れたことで」
 鍛刀場には既に主の姿はなく、血の臭いを消すためか、神棚には香りのよい匂い袋が置いてある。
 「御座所へ戻られたのでしょう。
 顕現した者はしばらく、近侍に置かれますので、後ほど参りましょう」
 「近侍とは、側仕えのことだろう?
 貴公はその立場を、あっさりと譲ると言うのか?」
 意外そうな彼へ、太郎太刀は頷く。
 「私は重要な鍛刀が行われる際にのみ、近侍を拝命する者です。
 普段、主の近侍を勤めるのは別の方・・・あぁ、そうですね。
 先に教えておきましょう」
 長い回廊をゆったりと歩みつつ、太郎太刀は傍らの巴形を見遣った。
 「通常、近侍を勤めるのは、小狐丸殿という、三条の太刀です。
 古参組の方達に言わせると、戦闘経験不足のために、手加減を知らなかった主の、荒ぶる気性を鎮めて下さったとか。
 おかげで古参の刀程、あの方には頭が上がらないそうで。
 中には、命の恩人だと言う方も」
 しかし、と、太郎太刀は巴形の表情を読んだかのように続ける。
 「歴史を守る御役目を課せられた主は、古今東西の歴史をよく学んでおられる。
 本丸の運営に関して、近侍一人の意見を聞くことはなく、権力が一人に集中することがないよう、気を配っておいでです。
 ゆえにこの本丸では、合議制でのみ、運営方針が決定されます。
 主は、皆で決めたことに対して決定を下すのみ。
 あなたもここで過ごすうち、なにか不満や要求が出ることでしょうが、その時は合議にかけるといい」
 「なるほど・・・。
 その場合は、主へ申し出るのか?」
 「いえ」
 巴形の問いに首を振って、太郎太刀は中庭を囲むように並ぶ部屋を指した。
 「あちらは歌仙兼定という、我が本丸第一刀の部屋です。
 合議にかけたいことがあれば、まず彼へご相談されるといい」
 部屋のひとつへと手を差し述べた彼へ、巴形は頷く。
 「ちなみに、我が主は非常に気位の高い方で、自身の血と財によって手に入れてこそ、名刀に侮られぬ主人となりうると信じる方。
 ゆえに、本陣よりの下賜を頑なに拒まれるのですが、唯一彼だけは、本陣より賜ったもの。
 主を導き、ゆえに最も信頼厚く、時には諌言することも。
 合議にかけるまでもないことでも、何かあればまず、彼に相談するといいでしょう。
 茶室や天守地下の書庫にいることが多いので、見つけることは容易です」
 「あいわかった。
 他に、気を遣うべき御仁は?」
 「そうですね。
 それぞれに、個性的な刀剣が集まっていますが」
 くすりと笑って、太郎太刀は歩を進めた。
 「天下五剣の名を持つ方々が現在、三振おいでです。
 この方々には、みなそれなりに敬意を払っています。
 また、燭台切光忠をはじめとする伊達の刀剣は、この本丸の食を預かっていらっしゃる。
 苦手なものがあれば、あらかじめ言っておくのもいいでしょう。
 一人を除いて、気さくな方達です」
 「一人」
 気になる様子の巴形をちらりと見た太郎太刀は、小首を傾げる。
 「・・・そうですね。
 ついでですし、紹介しましょう」
 厨房へ行こうと、やや足を早めた太郎太刀についていくと、ややして暖かい空気と共に、出汁の良い香りが漂ってきた。
 「失礼。
 光忠殿はおいでかな」
 太郎太刀が暖簾をめくった途端、中にいた全員が一斉に顔を向ける。
 「太郎さん!いいところに来てくれたよ!
 今、探しに行こうと思って・・・あ、新しい人かな?」
 歩み寄ってきた男に頷けば、彼は気さくに巴形の手を握った。
 「もっとかかると思っていたけど、早かったね!
 僕は燭台切光忠。
 この本丸じゃ、主に料理を担当しているけど、本職はちゃんと戦える太刀だよ!」
 「どういう紹介だよ、みっちゃん!」
 愉快げに笑って、光忠の陰から顔を出した者がいる。
 「俺!太鼓鐘貞宗!
 そんでこっちの愛想のないのが大倶利伽羅!
 伽羅って呼んでいいぜ!」
 「おい・・・。勝手なことを言うな、貞。
 俺は、馴れ合うつもりはない」
 「あぁ、貴公が一人か」
 うっかり口走った巴形が、気まずげに見やった太郎太刀は、くすりと笑みを漏らした。
 「私が彼に、伊達の刀剣は一人以外は気さくだと言ったのですよ」
 「確かに、伽羅坊以外は気さくだな!」
 「っ?!」
 突然、背中に貼りついた重みに、巴形は悲鳴すら上げられず飛び上がる。
 「おぉ、いい驚きっぷりだな!」
 「鶴さん!また新人くんに意地悪して!」
 光忠に叱られても悪びれず、鶴丸は愉快げに笑った。
 「鶴丸国永だ。
 お前、巴形・・・だったか?
 主が待ち望んだ薙刀だろ?」
 「待ち望んで・・・くれたのか、俺を?」
 見開いた目を輝かせる彼に、太郎太刀が頷く。
 「戦力拡充に是非欲しいと、随分前からおっしゃっていましたよ。
 私にも、できるだけ早く鍛刀してくれと。
 存分にお働きを」
 「あぁ!」
 大きく頷いた巴形に微笑み、太郎太刀は光忠へ視線を移した。
 「ところで、私に用とは?」
 「あぁ!そうだった!」
 話の前に二人へ椅子を勧めた光忠が、卓上に冷たい茶と茶菓子を並べる。
 「今、主くんが一期さんと短刀くんたち集めて、対大坂城の軍議してるから、茶請けを持って行ったんだけどさ」
 「・・・また危険なことを。
 よもや、おはぎではないでしょうね」
 思わず眉根を寄せた太郎太刀へ、光忠は首を振った。
 「ううん。
 暑いから、半解凍したクリーム大福だよ!」
 これ、と、彼が卓上の菓子を指すと、太鼓鐘が嬉しげにひとつを手に取る。
 「凍らせておくと、中のクリームがアイスみたいになって、うまいんだよな!」
 早速頬張る太鼓鐘を、巴形が不思議そうに見つめた。
 「カフェオレとチョコ、イチゴに抹茶、マスカルポーネがあるけど、太郎さんどれがいい?」
 「・・・抹茶をいただきましょう」
 聞き慣れない言葉の中で、唯一理解できた名を言えば、光忠は陽気に頷く。
 「オーケィ!
 巴くんは?
 僕のオススメはカフェオレだよ!主くんも大好き!」
 「では・・・俺はそれをいただこう」
 小皿に取り分けてもらったそれに、太郎太刀の真似をして黒文字を入れ、口に運んだ。
 「なるほど・・・。
 これがうまいというものか」
 小首を傾げた巴形に、鶴丸が目を輝かせる。
 「そうかお前、これが初の食事だよな!」
 「あ!そうか!!
 ・・・ごめんねぇ。ちゃんとした食事の前に、お茶に呼んじゃって」
 申し訳なさそうに首をすくめる光忠に、太鼓鐘が首を振った。
 「むしろラッキーじゃないか?
 夏限定の菓子だもんな♪」
 「まぁ・・・ジジィ共の中には、冬にこたつの中で食べたいとかぬかす奴もいるがな」
 大倶利伽羅にじっとりと睨まれた鶴丸が、こくこくと頷く。
 「困ったもんだよなぁ、三日月のわがままには!」
 「お前もだろ」
 舌打ちした大倶利伽羅に、鶴丸は笑って舌を出した。
 「仲よきことはよろしいのですが」
 苦笑する太郎太刀に、光忠は慌てて謝る。
 「主くんに聞いたんだ!
 もうすぐ・・・もうすぐ僕の孫ちゃんが来るって!
 しかも、鍛刀だって!!
 太郎さん!!」
 目を輝かせて迫り来る光忠に、太郎太刀は小首を傾げた。
 「孫・・・とおっしゃると、確か景光・・・」
 「刀剣界のトップブランド三代目だよなぁ」
 いつもより少し、元気のない笑みを浮かべる太鼓鐘に、しかし、珍しく気付かない様子で光忠が頷く。
 「小竜ちゃんだよv
 あちこち行って、主人を変えてた子だけど、ようやくここに来てくれることになったってv
 嬉しげに頬を染める光忠の肩を、鶴丸が笑って叩いた。
 「明治の帝のお気に入りだ。
 洋装にも合うように、わざわざサーベル風のこしらえを作って持ち歩いたくらいだからな。
 帝の元で一緒にいたことがあるが、俺もあちこち行ってたから、奴とは妙に気が合って。
 長船が来るならあいつ来ないかなぁと思っていたが、ようやくだぜ」
 というわけで、と、光忠と鶴丸が、それぞれに太郎太刀の皿に大福を載せる。
 「鍛刀、頑張って!!」
 「えぇ、お任せを」
 自信ありげに頷いた太郎太刀を、巴がじっと見つめた。
 「俺にも、戦う以外でもなにか、役に立てることがあればいいのだが・・・」
 「焦ることはありませんよ」
 微笑む太郎太刀に、鶴丸が笑い出す。
 「戦える上に鍛刀も得意、神威も高い太郎に言われてもな!」
 「鶴、自分の欲しいものしか作らないもんなぁ」
 「欲しいのは騎兵じゃない、って何度、主に言われてるんだか」
 太鼓鐘と大倶利伽羅の呆れ顔に、鶴丸は口を尖らせた。
 「俺にも銃兵を使わせてくれるなら、作ってやるぞ!」
 「また無茶言って・・・。
 刀装の適合は主くんが決めてるわけじゃないでしょ」
 苦笑する光忠に、巴形が首を傾げる。
 「貴公は・・・主を主とは呼ばないのか?」
 指摘された光忠は、笑って頷いた。
 「くんを付けた方が、親しみがあるかなって」
 「みっちゃんは全然オッケーだよな。
 うちの亀甲なんて、ご主人様だぞ。
 あいつの性癖からいって、かなりヤバいと思うんだけど」
 太鼓鐘が眉根を寄せると、鶴丸も頷く。
 「三日月なんか、あれ、だもんな。
 大包平は、お前呼ばわりして蹴られていたが」
 「・・・お前だって、あいつとかいってるだろ」
 「本人には言ってない」
 悪びれない鶴丸に、大倶利伽羅が鼻を鳴らした。
 彼らの言葉をじっと聞いていた巴形が、では・・・と、手にした茶器を置く。
 「俺は、姫とお呼びしようか」
 「絶対やめろ」
 その場の全員が声を揃えた事に、巴形はまた首を傾げた。
 「そんなにいけないことか?
 高貴だし、小さいものには大体、ヒメと付くだろう?」
 「余計にいけません。
 小さいと言えば、更にご機嫌を損ねます」
 真顔で忠告する太郎太刀に、鶴丸も頷く。
 「ここじゃあ、姫は鬼と同義なんだ。
 あいつへの不満を愚痴る時に、鬼と呼んだら直接的すぎて殴られるからな。
 やんわりと刑部姫と呼んだんだが、それでも最近、殴って来るようになったな」
 「日本三大鬼婆の一人だろうが、刑部姫は。
 そんな呼び方されて、怒らない方がおかしい」
 ため息をつく大倶利伽羅に、鶴丸は笑い出した。
 「だってぴったりだろ、天守に篭る鬼なんてな!」
 「無礼ですよ」
 苦笑した太郎太刀が鶴丸を戒め、巴形を見やる。
 「本来は貴人への尊称ですが、ここでは主への暴言となります。
 気を・・・」
 つけろ、と言いかけた言葉を遮って、暖簾を跳ね上げて入ってきた鯰尾が、大声を上げた。
 「太鼓鐘!
 早く来いって言ってんのに、なんでのんびり大福食ってんの!!」
 「はぁ?!」
 突然怒鳴られた太鼓鐘が、ムッとして鯰尾を睨む。
 「なんの事だよ!
 俺、なんも言われてねぇよ!」
 と、鯰尾は卓上に置かれた太鼓鐘の端末を指した。
 「ケータイ!
 主がずっとメールと電話してたし、光忠さんにも呼んできて、って言ったのに、全然来ないから俺がパシリさせられてんじゃん!!」
 鯰尾の金切り声に、慌てた光忠が手を合わせる。
 「ご・・・ごめんね、二人とも!
 孫ちゃんが来るって聞いて、テンション上がっちゃって・・・!
 貞ちゃんに言うの、忘れてた!」
 「みっちゃん・・・」
 呆れ顔の太鼓鐘に、光忠は大きな身体を小さくして、何度も謝った。
 「まぁ、ケータイ見てなかった俺も悪かったし・・・。
 茄子の揚げびたし作ってたから、油の音で、ケータイの音が聞こえなかったんだよな」
 「え?今日の夕ご飯?
 やったv 俺、茄子の揚げびたし好きv
 途端に目を輝かせた鯰尾に、太郎太刀が微笑む。
 「良かったですね。
 ところで鯰尾」
 「はい?」
 笑顔を向けてきた彼に、太郎太刀は小首を傾げた。
 「あなたは主を、刑部姫と呼ん・・・」
 「呼んでませえええええええええええええええええええええええええええええん!!!!」
 突然の絶叫に、鶴丸さえも飛び上がる。
 「な・・・なんだ、どうした・・・?」
 卓上に転がった茶器が割れていない事を確かめて、光忠がこぼれた茶を拭いた。
 「鯰尾くん、落ち着いて。
 お茶飲む?」
 問うが、鯰尾はぶんぶんと首を振って、敵の気配を探るように辺りへ目を配る。
 「誰?!誰が言ったの、俺が主を刑部姫って呼んだなんて!
 太鼓鐘?!
 お前が言い触らしてんの?!
 物吉に意地悪した仕返し?!」
 「あー・・・。
 やっぱ、意地悪してたのか」
 迫る鯰尾を、太鼓鐘は冷たい目で睨んだ。
 「徳川が俺達に何したか知ってるでしょぉ!
 ちょっとくらいの意地悪、大目に見なよ!!」
 「鯰尾、落ち着きなさい。
 誰も、あなたが主を鬼呼ばわりしたなど、言ってませんよ。
 こちらの巴形に、主を姫と呼ぶのはやめるよう、言っていただけです」
 苦笑して、太郎太刀は改めて巴形を紹介する。
 「あなたがちょうど良く来たものだから、あなたは主を刑部姫と呼んだりしないでしょう、と聞きたかっただけですよ」
 「な・・・なんだ、そうか・・・」
 ほっとして椅子に座り込んだ鯰尾の前に、光忠が冷たい茶を出した。
 「そんなに慌てて、主くんと何かあったのかい?」
 「うん・・・」
 茶を一気に飲み干して、吐息した鯰尾が頷く。
 「俺・・・こないだ、ネトゲにはまり過ぎだって、主に怒られちゃって。
 最初はハイハイって聞いてたんだけど、いつの間にか二人してヒートアップしちゃってすごい怒鳴り合いになったんだよね」
 「そりゃ・・・お前が刃生狂うほど課金してるからだろ」
 「一期の説教にも耳を貸さないって聞いたぞ?
 なら主が説教しなくて誰がするんだ」
 眉根を寄せる大倶利伽羅の言葉に、鶴丸も同意した。
 「わかってるよ・・・。
 けど、あの時は我を忘れて逆らっちゃって。
 売り言葉に買い言葉で、つい、今の俺が気に入らないなら解かせばいいよ、って言ったんだ・・・。
 その上、どうせまた、新しい俺を作ってくれるんでしょ、なんて言ったら・・・」
 「主くん、本気で怒る展開だねぇ」
 苦笑する光忠に、鯰尾はうなだれるようにして頷く。
 「本気で怒った時の主、黙り込むんだよね・・・。
 マズイ、って思った時は遅くて、重苦しい沈黙のまま、ずっと睨まれて・・・」
 かなりの時間が経ってから、ぽつりと言われた。
 「お前のゲームアカウント、消すか、って・・・」
 ガタッと、大倶利伽羅が椅子を蹴って立ち上がる。
 「消された・・・のか?!」
 「もちろん必死に謝ったよ!
 もう絶対、多額の課金はしないし、兄弟に借りた金はちゃんと返すし、仕事も真面目にやるし主を刑部姫なんて呼ばないから、今回だけは許してって、一所懸命謝って謝って謝って謝って、ようやく許してもらえた・・・」
 「そうか・・・」
 ほっとして蹴倒した椅子を戻し、座り直した大倶利伽羅の肩を、鶴丸が笑って叩いた。
 「良かったな、伽羅坊。
 ゲーム仲間が消えなくて!」
 「あ・・・あぁ」
 恥ずかしげに頬を染めた大倶利伽羅に微笑んだ太郎太刀が、改めて巴形を見やる。
 「おわかりいただけましか」
 「ああ。
 決まり事があるのだな」
 覚えていかなければと、生真面目に頷く巴形の肩を、太鼓鐘が笑って叩いた。
 「あんま難しく考えんなって!
 気楽に行こうぜ!」
 「気楽でいいから、早く行ってよ太鼓鐘!
 みんな、松の間で待ってる」
 座ったまま、背後を指す鯰尾に頷き、太鼓鐘はエプロンを外す。
 「んじゃ!
 ちょっくら行ってくるぜー!!」
 「貞ちゃん!廊下走っちゃ危ないよ!」
 暖簾を跳ね上げて駆け出て行った太鼓鐘に光忠が声をかけるが、聞こえたかどうかわからないまま、足音は遠ざかって行った。


 「待たせたなぁ皆の衆!」
 勢いよく襖を開けた途端、見開いた数多の目を向けられて、太鼓鐘はびくりと飛び上がった。
 「わ・・・悪い、料理してて着信に気づかなかった」
 ぺこりと頭を下げた彼に、一期一振が首を振る。
 「咎めてはいませんよ。
 ただ、皆が落ち着かず・・・」
 言われて見回せば、部屋に集まった短刀達は妙にそわそわとしていた。
 「どうしたんだ?主は?」
 自分を呼んだ張本人がいないことに、やや不満げに言うと、薬研が部屋の外を指す。
 「着替えに行った」
 「なんでまた。
 茶でもこぼしたのか?」
 問い返すと、落ち着かない様子で部屋をうろうろしていた今剣が駆け寄って来た。
 「あるじさまから、しらないおとこのにおいがしたんです!!」
 「お前・・・ちっさかわいいからって、言っていい事と悪い事あんぞ」
 ぷにっと、両手で今剣の頬を潰す太鼓鐘に、秋田も駆け寄って来る。
 「血のにおいですよ!
 たぶん、新しい人の!」
 「あぁ、巴な。
 なんだ、あいつも顕現早々自傷したのか」
 厨房で会ったから血のにおいに気づかなかったと言う彼を、乱が異様に見開いた目で見つめた。
 「・・・そのひとも、主さんに血を浴びせたの?
 最初に主さんを血まみれにしたのはボク達なのに、真似しないで欲しいな」
 ね?と、瞬きもしない目を向けられた小夜と秋田が頷く。
 「歌仙に呼ばれて、最初にここに来たのは僕達三人で・・・自分で切れ味を試したのも、僕ら三人です」
 「僕は初めての痛さに泣いちゃいましたけど、主君もあの時は悲鳴をあげて、止めようと手を出したりして、驚いた歌仙さんに腕を捻りあげられてましたよね」
 「・・・そゆこと、いい思い出みたいな話し方すんな」
 真顔になってしまった太鼓鐘の袖を、小夜が困り顔で引いた。
 「歌仙が・・・主にかすり傷でもつけたら、どんな名刀でも主の許可なく解かす、なんて言うのは、僕達を止めようとした主が怪我をしそうになったからなんです・・・。
 歌仙が特別傲慢なわけじゃ・・・ありません」
 だから誤解しないで欲しいと、皆へ向かって言う小夜の頭を、厚がわしわしと撫でる。
 「そんなの、第一刀の当然のお役目だ。
 大将に代わって憎まれ役を引き受けるなんて、いい補佐役だと思うぜ!」
 彼の言葉にほっとして頷く小夜へ、信濃が小首を傾げた。
 「自傷なんて、気が知れないなぁ。
 俺、秘蔵っ子だし、傷なんてつけたくないけど」
 ねぇ?と、信濃が見渡した兄弟の大半がしかし、気まずげに目をそらす。
 「いち兄まで!」
 呆れ顔の平野に指された一期一振が、頬を染めて咳ばらいした。
 「私は・・・再刃されたから、切れ味に不安があったんだよ。
 問題なく斬れてよかったなと・・・」
 しかし、と、一期一振は顔をあげる。
 「主を血に染めるようなことはしなかったよ。
 村正の件があってから、太郎殿も神経質になっていたはずだが・・・」
 「そんなに濃いにおいじゃなかったよ」
 卓の端にちんまりと座って、大福を頬張っていた蛍丸が口を挟んだ。
 「主が部屋に入って来た途端、いつもと違うにおいがする、って思ったけど、掃除用の洗剤や匂い袋の香りが混じってて、俺には血のにおいだってわかんなかった」
 「うん、俺も」
 と、蛍丸の隣であぐらをかく愛染も同意する。
 「少なくとも、浴びるほどじゃないよな。
 せいぜい、床に飛び散ったのを掃除した、ってくらいじゃねーか?」
 「それでも!
 あるじさまから、しらないひとのにおいがするのはいやです!」
 ぱんぱんに頬をふくらませた今剣が、両手を広げた。
 「だから!
 あるじさまがもどってきたら、ぎゅってだきつきます!」
 「猫のマーキングか」
 冷静に突っ込んだ太鼓鐘を、未だ瞬きもせず乱が見やる。
 「だって許せないでしょ?
 主さんに、早速におい付けするなんて」
 「マーキング認めんな」
 動物か、と呆れる太鼓鐘に、ずっと黙り込んでいた五虎退が頬を染めた。
 「じゃ・・・じゃあ僕は・・・。
 み・・・みんなが・・・だ・・・抱きついたあとに・・・さ・・・最後に・・・お膝に乗って、上書きします」
 「可愛い顔して肉食系か」
 虎め、とため息をついて、太鼓鐘はどかりと座る。
 「で?
 どこまで話進んでんの?
 俺、なんで呼ばれたんだ?」
 部屋を見渡せば、一期一振と蛍丸の他は、この本丸にいる短刀が全て集められていた。
 「すげぇ狭い場所で夜戦とか?」
 その割には、一期一振と蛍丸がいるのは妙だ。
 小首を傾げる太鼓鐘に、一期一振がため息をつく。
 「戦場は大阪城なのだが、最下層に隠れている弟がとても・・・困った子でね」
 「なんだ、また人妻好きか」
 「それのどこが悪いのか、理解できない」
 太鼓鐘が見やった包丁は、大福を頬張ったままきっぱりと言った。
 と、一期一振が首を振る。
 「毛利は・・・子供好きだ」
 「ふうん。
 うちのみっちゃんみたいな奴か。
 一期さんの他にも太刀が・・・いるわけないよな。
 打刀?脇差?」
 「・・・短刀・・・です」
 実に気まずげに言った一期一振に、太鼓鐘が眉根を寄せた。
 「てめぇもちっせーだろ、って事になんないか?」
 「やっぱそこ、突っ込むよな!」
 大笑いする厚に、薬研も頷く。
 「鏡見てから言え、って話だよな」
 「でも、包丁より難しくてめんどくさい奴なんだ、あいつ」
 ため息をつく後藤に、包丁が頬をふくらませた。
 「引き合いに出されるの、納得行かないぞ!」
 「好みやらよかろうもん。ハッキリしとう奴には、商売やりやすくてよか」
 というわけで、と、博多は包丁へ、端末を差し出す。
 「新妻これくしょん、新しか画像ば更新しとうけん、好きかと買いぃ」
 「博多美人シリーズ?!
 若妻もいいけど、中高年もミリョクだよねー!
 未亡人はダメだぞ。ちゃんと、略奪する相手がいること前提で・・・」
 「二人とも、ちょっと黙りなさい」
 気まずげに咳ばらいした一期一振が、二人へ眉根を寄せた。
 「・・・ここまでこだわりのある子ではないと思いたいが、気に入らない相手には顔も見せない子でね。
 おそらく・・・私が行っても絶対に出てこないだろうし、脇差以上の刀剣からは隠れるだろうから、短刀や蛍丸にお願いをね・・・」
 「ちっさい言われた!ちっさい言われた!!」
 足をばたつかせて怒る蛍丸には苦笑して、一期一振は手を合わせる。
 「協力してくれないか、蛍丸。
 弟のわがままで、主にご迷惑をかけては申し訳ないから」
 「そうだぜ、蛍。
 お前の実力で、大阪城の攻略は楽になるんだし、その上可愛さも利用できるんなら最強じゃんか」
 一石二鳥!と笑う愛染に、蛍丸は渋々頷いた。
 「ありがとう!
 さぁ、そうと決まれば編成を考えないとね。
 博多は道案内役だから外せないな」
 卓上に置かれた紙を取り上げ、一期一振は筆を走らせる。
 「最下層に至る前までは他の刀種がいても構わないが・・・あぁ、主は新刃を入れたいだろうね」
 「薙刀だから、即戦力だと思うぜ」
 「なぎなた・・・」
 太鼓鐘の言葉に、回廊を覗いていた今剣が振り返った。
 「おおきいですか?
 いわとおしと、どっちがおおきいですか?」
 「岩融だろうな。
 巴形って、小柄な人間用だしな」
 「それでも、私よりは大きいだろう?」
 そう言って、一期一振は首を振る。
 「毛利が隠れてしまうから、最下層までは来てもらえないな。
 ・・・そうだな。
 最初の編成は博多の他、秋田、五虎退、蛍丸、愛染、今剣にしようか」
 「可愛さ重視か」
 薬研が言った途端、乱が頬をふくらませた。
 「えぇー!ボクはぁ?」
 可愛い隊に含まれなかった事に不満を漏らすが、一期一振は冷静に首を振る。
 「一般的な可愛さではなく、毛利の好みだから。
 本当なら、兄弟も除きたいのだけど・・・」
 と、見やった不動は部屋の隅で酔い潰れていた。
 「・・・許容範囲はどこまでだろうか」
 頭を抱える一期一振に、厚が苦笑する。
 「だったら俺と薬研は不参加でよくないか?」
 「確かに、俺らに可愛いげはないな」
 薬研も同意して、腰をあげる。
 「じゃ、お疲れ」
 「待ちなさい、薬研。
 可愛い短刀に釣られて、うっかり顔を出した毛利を捕まえて連れて帰る強引さは、お前達でないと」
 「天岩戸かよ」
 呆れながら再び腰を下ろした薬研の隣で、厚が小首を傾げた。
 「首に縄つけて、かぁ・・・。
 あとでめんどくさいことになりそうだな」
 「それは考えなくていい。
 来てしまえばこちらのものだ」
 腹黒さを滲ませる兄に、二人は顔を見合わせて肩をすくめる。
 「では、第二陣は博多の他、乱、薬研、厚、信濃、後藤かな。
 ・・・年長過ぎるかな。
 厚と後藤を平野と前田に変えるか。
 いや・・・それよりも、第一陣に不動、太鼓鐘を入れて、騒がしさと三条、来派の可愛さで誘い出してから一気に!」
 「いち兄・・・。
 腹黒い企みは声に出さない方が・・・」
 気まずげに言う平野の隣で前田が身を乗り出した。
 「主君は喜ぶでしょうけど、やりすぎると・・・」
 ちらりと見られた太鼓鐘が、じっとりと睨み返す。
 「お前らがこの本丸の支配を目論んでるなんて、バレバレだっての。
 あんまり物吉いじめると、歌仙にばらすからな!」
 「先に被害を受けたのは豊臣だというのに、兄弟だからって肩を持つのはやめて欲しいな」
 「どの口が!」
 ため息をつく一期一振を太鼓鐘が睨んだ。
 「今んとこ、伊達は不介入だけど、あんまりやりすぎるなら・・・」
 『主さんから メール だよ!』
 「なんだ、乱?」
 突然声をあげた乱に薬研が目を向けると、彼は笑ってポケットから端末を取り出す。
 「ボクが入れた着信音だよ!
 こうしておけば、誰から来たかわかるでしょ?」
 『いち兄から 電話 だよ!』
 「あぁ、本当だ。
 便利だね」
 「へぇ、面白いな」
 『厚から メール だよ!』
 「ふぅん・・・」
 『薬研から 電話 だよ!』
 「ちょっと!
 イタ電とメールやめて!」
 容赦なく電話を切った乱が頬を膨らませる。
 「もぉ!
 主さんからのメールが読めないじゃないか!」
 邪魔しないで、と睨んだ乱が、厚からの空メールを削除して主のメールを表示した。
 「着替え終わったから、髪の毛やって、だって。
 ボク、ちょっと行ってくる!」
 「み・・・みだれちゃん、いいなぁ・・・」
 部屋を出ていく乱の背を見送りつつ呟いた五虎退の隣で、今剣も頬をふくらませる。
 「ぼくだって、かみのけむすぶのじょうずなのに!」
 「お前ができるのはお団子だけじゃん」
 からかうように笑う後藤に舌を出し、今剣は不満顔で座った。
 「もぉ、はやくきめちゃいましょ。
 ぼく、あきちゃいました!」
 遊びに行きたいとごねだした今剣に笑って、一期一振が筆を持ち直す。
 「そうだね。
 じゃあ・・・第一陣は博多、不動、太鼓鐘、今剣、蛍丸、愛染で。
 疲労度に応じて、メンバーを変えていこう。
 せいぜい、岩戸の前で騒いでくれよ」
 「・・・不参加にしてやろうか、こんにゃろう」
 微笑む一期一振を、太鼓鐘は思いっきり睨んでやった。


 「そろそろ主の元へ参りましょうか」
 厨房の壁に掛かった時計を見やった太郎太刀が、巴形へ声をかけた。
 「御座所にお戻りか、まだ松の間においでか。
 どちらかにいらっしゃるでしょう」
 立ち上がった太郎太刀に巴形も続く。
 「光忠殿、お茶をありがとうございました」
 「どういたしまして!
 巴くんも頑張ってね!」
 「ああ、馳走になった」
 一礼した巴形は、太郎太刀の後について厨房を出た。
 太郎太刀の隣を歩みつつ、巴形はちらりと背後を見やる。
 「気さくで良い者達だな」
 「ええ。
 気難しい者もいますが、気さくな者も多い本丸です」
 大きな二人が並んでも、余裕のある廊下の両側には、閉ざされた襖が延々と続いていた。
 「ここはいわゆる宿舎で、それぞれの部屋が並んでいます。
 あなたも一室が与えられますが、気の合うものがいれば、同室を選ぶ事もできますよ。
 ゆかりのあるもの同士は、同室を選ぶことが多いですね」
 「ゆかりのあるものなど、俺にはいないが・・・気の合うものはいるだろうか」
 不安げな彼に、太郎太刀はあっさりと頷く。
 「既に六十振以上いますので、問題はありませんよ。
 現世に興味のない私ですら、次郎をはじめ、飲み仲間がいるくらいですから」
 「六十・・・そんなに」
 名もなき自身は埋もれるのではないかと、不安げな巴形を安心させるように、太郎太刀は微笑んだ。
 「まずは名を覚える事が大変でしょうが、そのうち慣れますでしょう」
 「そうだな・・・早く、馴染まなくては・・・・・・」
 不安を拭えない様子の彼に、太郎太刀は小首を傾げる。
 「しばし前の事ですが」
 ふっと、目を和ませた彼を、巴形が見上げた。
 「主が、手製の菓子を振る舞ってくれた事がありました」
 「それはうらやましい」
 暗い口調には気づかない振りで、太郎太刀は続ける。
 「皆で存分に楽しんだのち、お言葉がありました。
 返礼を期待している、と」
 「返礼?」
 「ええ。
 主は常々、戦以外でも何ができるか考えろとおっしゃっていた。
 故に私は、鍛刀をお任せあれと申し出ました」
 自慢げな太郎太刀に、巴形はやや悄然と頷いた。
 「俺は・・・何かできる事があるだろうか・・・」
 うなだれたままの彼の背を、太郎太刀は軽く叩く。
 「他の本丸の事は存じませんので、他の審神者が刀剣に対し、何を求めているかは存じませんが」
 にこりと、太郎太刀は笑う。
 「主は我らに『考えろ』とおっしゃる。
 肉体を得たからには、ただの道具であり続けるなと。
 刀剣であった頃には、主に振るわれるだけの道具であっただろうが、今、本身を振るっているのは己であろうと。
 故に、考えろ。
 何をすべきか、何が必要か、周りに何があるか、誰がいるのか。
 自身の目で見て、自身の頭で考えて、適切に己を振るえと」
 「なんと・・・」
 そんなことができるのかと、戸惑う巴形に太郎太刀は苦笑した。
 「道具であった身に、なんという難題を押し付けるのかと驚きました。
 しかも、考えるという行為は、身体を使わない割に力を消耗するのです。
 中には、考えすぎて倒れる者もいましたが・・・その中で、理解はできました。
 道具であるという事は、とても楽だったのだと」
 何も考えず、ただ道具として振るわれ、折れるも消えるも主次第。
 自身には、なんの責任もなかった。
 それが、自身の身の上の事であってさえ。
 「今の主は、それを許しません。
 あの方が我らに命じる事はただ一つ、主の刀剣を壊すな、です。
 それは他者を破壊するだけではなく、自身をも守れということです」
 「では・・・俺は早速、主の命に背いたのか・・・」
 切り裂いた腕にはもう、傷は残っていないものの、巴形は深いため息を漏らした。
 「言ったでしょう、鍛刀直後の自傷は珍しい事ではないと。
 今後気をつけさえすれば、今は気にすることは・・・」
 ふと言葉切って、太郎太刀が立ち止まる。
 「どうした?」
 巴形もまた足を止めると、太郎太刀はため息をついた。
 「あぁ・・・話しながら歩くと気が散じるので、気をつけなければと思っていたのに、またです」
 迷った、と呟く彼に、巴形は目を見開く。
 「まぁ・・・確かに、同じ襖が並んでいるしな」
 なんの目印もない場所では仕方ないと、巴形はうなだれてしまった太郎太刀の背を叩いた。
 「いえ、一応目印はあるのですよ・・・」
 そう言って、太郎太刀は襖の上の鴨居を指す。
 そこには、紋の刻まれた金具が嵌められていた。
 「ここは獅子王の部屋ですね・・・。
 ということは、御座所へと曲がるべき廊下を随分と過ぎてしまった。
 ここまで来たなら、梅の間を通り過ぎて外縁を回った方が早いでしょう。
 ・・・面目ない」
 「いや」
 眩しく思うほどに堂々として、神威に満ちていた太郎太刀の意外な姿に、思わず笑みがこぼれる。
 「・・・増築や改築も多いので、ここに来て長い私ですら、難儀しています。
 大きな目印としては、母屋なら当初から場所が変わらない御座所と広間です。
 大きな順から松の間、竹の間、梅の間。
 松の間は主に、全員が集まっての会合や宴に使われ、竹の間はそれぞれの趣味や芸事の鍛練などに。
 梅の間は・・・」
 と、差し掛かった件の部屋から、笑声があがっていた。
 「おや、太郎。
 もうお役目は終わったのか?」
 呼び止められた太郎太刀は、足を止めて一礼する。
 「三日月殿・・・と、おや。天下五剣がお揃いで。
 いつもながら、仲がよろしいですね」
 室内を覗いた太郎を、大典太が手招く。
 「いいところへ来た。
 ちょっと寄ってくれないか」
 「そうしたいのですが、先に新刀を主の元へ送り届けなければ」
 後ほど、と会釈する太郎太刀をしかし、室内にいた長谷部が止めた。
 「主はまだ、松の間で軍議中だ。
 終わったら博多がこちらへ戻って来るからな、それからでもいいだろう」
 ものすごい目で睨みつけられた太郎太刀は一瞬、眉をひそめたが、長谷部の視線が自身の背後へ向けられている事に気づいて、肩をすくめる。
 「長谷部殿。
 またそうやって新刀を睨まれて・・・」
 苦笑した数珠丸が、巴形へ笑みを向けた。
 「新しい方ですね。
 どうぞ、いらっしゃいませ」
 数珠丸にも招かれて、二人は広間へ入る。
 「・・・おや、日本号。
 このような場に珍しい」
 庭に面した濡れ縁に寝転がる槍に声をかけると、彼は面倒そうに起き上がった。
 「博多の戦から帰ってきたところだ。
 お前は仕事中だし、次郎は遠征に行っちまってるし、暇してたんだ」
 「では、後ほど私と・・・」
 「その前に、選ぶのを手伝ってくれんか」
 微笑む三日月に促され、二人は座に着く。
 「主より、本陣への手土産を選んで欲しいと言われたのだ。
 今までの、博多とおりもんがそろそろ飽きられそうだという話でな」
 と、三日月は嬉しそうに、卓上に並ぶ菓子を眺めた。
 「筑前には銘菓が多くて良いなv
 「いや、三日月殿。
 ひよこまんじゅうと千鳥饅頭は筑豊だ」
 そこは譲れない、と、三池生まれの大典太が口を挟む。
 「今、筑前が推しているのは苺のあまおうだな。
 規格外のそれをまるごと凍らせて、削ったかき氷が人気だが・・・」
 目を輝かせる天下五剣に、長谷部は首を振った。
 「本陣への手土産には無理だ。
 苺なら光忠に渡しているから、後で作ってもらえ」
 代わりに、と、木箱を開ける。
 「持ち運べるあまおう菓子はこちらだ。
 博多あまび、という。
 あまおうのわらび餅で、そのまま食べてもよし、練乳をかけたり、きな粉をかけたり、楽しみ方はそれぞれ・・・って、機動早いな!!」
 皿に小分けした菓子を、早速味わう面々に長谷部は呆れた。
 「そのままだと、意外と酸味のあるものだな」
 「三日月殿、練乳がおいしゅうございますよ。
 太郎殿、新刀殿も・・・あの、お名前を伺っても?」
 「失礼した」
 数珠丸に問われて、巴形は居住まいをただす。
 「巴形薙刀だ。
 銘も逸話も持たぬ物語なき巴形の集まり・・・だ」
 名だたる名刀達の前ではやや、気後れしそうになったが、名乗った彼に彼らは穏やかに頷いた。
 更には、
 「ようやく薙刀が来てくれたか。
 岩融だけでは辛かったからな。
 よく来てくれた」
 と、三日月からは礼まで言われて、さすがに恐縮する。
 「得物がでかいと、手入れに苦労するだろ。
 太郎、天守の手入れ部屋にはもう、案内したのか?」
 日本号に問われた太郎太刀は、首を振った。
 「岩融殿が使っていませんからね・・・うっかりしていました。
 言われてみれば、川で手入れをするのは、あの方くらいですね」
 「あれは、細かい作業が不得手だからな」
 困り顔の太郎太刀に、三日月がくすくすと笑う。
 「して、巴形や。
 そなた、これよりしばし、近侍を勤めることになるが・・・」
 途端、ものすごい目つきで巴形を睨みつけた長谷部の視線を、三日月は広げた扇で阻んだ。
 「あれは・・・いや、主は人使いの荒い御仁でな。
 いかな名刀とて遠慮なく酷使し、徹底的に自身のやり方を飲み込ませるのだ。
 ゆえに、先に言っておく・・・折れるなよ」
 三日月の言葉に、全員が真顔で頷く。
 中でも日本号は、うなだれたまま、しばし顔をあげられなかった。
 「俺・・・うっかり遅参したからよ、参陣した後もしばらく機嫌悪くて。
 そりゃ・・・俺が悪かったと思う。悪かったとは思うが!
 あの刑部姫・・・!
 重傷喰らった俺に、ざまぁみろ、って!
 すっげぇ嬉しそうに笑いやがったんだぜ!!」
 「黙れ無礼者!!」
 激昂する日本号以上の大音声で、長谷部が怒号をあげる。
 「遅参するからだ!
 自身の怠慢を棚に上げて主をなじるとは、不届きだぞ!!」
 続いて長谷部は、また巴形を睨んだ。
 「貴様も、重々心得ろ!
 近侍を勤めるということは、主を最も近くでお守りするということだ!
 気遣いを怠らず、常に主の事を第一に過ごすのだぞ!
 決して無礼を働くなよ!」
 「もちろんだ」
 怒号のような長谷部の大音声にしかし、巴形はこゆるぎもせず頷く。
 「俺は物語なき者・・・ゆえに、主は当主殿ただお一人。
 おろそかにするわけがない。
 主に見限られれば、それまでの身だからな」
 淡々と述べる彼の周りが、気まずげな静けさで満たされた。
 「そ・・・そうか、いい心がけだ」
 皆からじっとりと見つめられた長谷部が、わざとらしく咳ばらいをする。
 「せいぜい励むのだな!」
 「ああ、そうするつもりだ」
 嫌味でもなんでもなく、巴形は素直に頷いた。
 おかげでますます気まずくなった長谷部が、わさわさと菓子の箱を開けていると、外からどたどたと走って来る音がする。
 「軍議終わったばーい!」
 大声をあげて部屋に飛び込んで来た博多藤四郎が、卓上の菓子に早速目をつけた。
 「博多あまびやーん!
 こらうまかっちゃんね!」
 と、手を出した皿は、長谷部に取り上げられる。
 「なん?とっとーと?」
 口を尖らせる彼に、長谷部は大きく頷いた。
 「とっとーと!
 欲しければ自分でよそえ!」
 ぷくっと頬を膨らませた博多は、すねた様子で座に着く。
 「ケチかねぇ。
 よかが、俺はひよこばもらうたい」
 饅頭を取り上げた博多が包み紙をはがす様に、三日月が小首を傾げた。
 「そのひよこ饅頭とやら、頭から食するのか、尾から食するのか」
 からかうように言ってやると、博多はあっさりと頭からかじる。
 「非公式やけど、ひよこ侍さんが正解ば言いよるとばい」
 と、立ち上がった博多がなぜか、長谷部の差し出した打刀を構えた。
 「つい、くちばしを挟んでしまいました。
 ・・・このひよこ、頭から食べるもよし!
 しっぽから食べるもぉよし!
 しかぁし!
 中身だけ食べて、皮を残すのだけは!ゆるさねぇ!」
 突然の小芝居に、唖然とする三日月や数珠丸の傍らで、大典太と黒田組が拍手する。
 「このひよこ侍、東京の地へ行こうとも、生まれ育った筑豊の空をぅ、忘れちゃあいませんぜ・・・!」
 「見事だ、博多」
 感心しきりの大典太へ、博多は大仰に一礼した。
 「ま、博多もんやったら、こんくらいできんと笑わるう」
 得意げな博多を、日本号が笑って撫でる。
 「お前一応、福岡もんだろ」
 「見出だされたんは博多やが」
 と、よそ者には理解しがたい会話に呆気に取られていた巴形に、博多は小首を傾げた。
 「新人やね。
 軍議が終わったけん、主人は御座所に帰りんしゃったばい。
 待っとんしゃろうけん、はよ行っちゃりぃ」
 「そうですね。
 参りましょうか」
 先に立った太郎太刀に続いて巴形も立ち上がる。
 「では天下五剣の方々と・・・黒田の方々か。
 以後、よろしくお願い申し上げる」
 「あぁ、励めよ」
 穏やかに微笑む三日月はじめ、皆へと一礼して、巴形はようやく御座所へと向かった。


 ―――― 後日。
 粟田口の部屋が集まる一角の、一期一振の部屋を訪ねた巴形は、にこやかに迎えられて座に着いた。
 「もう、こちらには慣れましたか?」
 穏やかな声音の問いに、巴形は頷く。
 「皆には良くしてもらっている。
 貴公の弟達にも」
 と、見回した室内では、短刀達が賑やかに遊んでいた。
 「毛利も無事に来たようで、何よりだ」
 見届けはできなかったが、と言う彼に、一期一振が苦笑する。
 「結局、最後は力技でした・・・。
 逃げるあの子を、薬研と厚が力尽くで連れて来てくれましたよ」
 途中で蛍丸に飽きられたことも痛かった、と、ため息をつく彼に頷き、巴形は庭を駆け回る子供達を見やった。
 「仲が良いのはいいことだ」
 「はは・・・。
 毛利が、蛍丸を気に入ってしまいまして・・・・・・」
 笑顔を引きつらせ、一期一振は庭で蛍丸を追いかけ回す毛利を見る。
 「やりすぎて、いつか斬られるのではないかと・・・」
 目が離せない様子の一期一振に、巴形は咳払いした。
 「・・・あぁ、失礼。
 私にご用件とは?」
 向き直った彼に、巴形は居住まいを正す。
 「先日まで主の近侍を務めていたが、この本丸でのやり方を仕込まれたのち、解任されてしまったのだ。
 今はまた、小狐丸が・・・・・・」
 「あぁ、思い浮かぶようですよ」
 わざとらしいほどに恐縮して見せ、その実、誇らしげに近侍へ戻ったのだろうと、一期一振は苦笑した。
 「あなたの後、毛利もしばらく近侍を務めましたが、遊びたい盛りの子供ですから。
 早々に辞退して・・・毛利!!」
 庭を見やった一期一振が、唐突に大声を上げる。
 「それ以上、蛍丸に抱きつくのはやめなさい!危ない!!」
 兄の悲鳴じみた声を受けて、毛利は頬ずりしていた蛍丸を、渋々放した。
 怒った猫のように目を吊り上げ、駆け出て行く蛍丸を追いかける様に、一期一振は思わず腰を浮かせる。
 「・・・取り込んでいる最中にすまない」
 「え?!
 あ・・・いえ!
 薬研!厚!
 毛利を止めてくれ!!」
 傍でゴロゴロしていた二人へ声をかけると、面倒そうに立ち上がって庭へ降りていった。
 「す・・・すみませんね、騒がしくて・・・」
 恐縮する彼に首を振り、巴形は自身の顎に指を当てる。
 「俺は、主の意に沿うように努めたつもりだ。
 だが、近侍を外されてしまった・・・。
 太郎太刀からの忠告に従い、己の振る舞いを考えてみたのだが・・・どうやら、主の意に沿うというだけでは、近侍で居続けるには足りないらしい」
 そこで、と、巴は小首を傾げた。
 「常に近侍を務めている小狐丸を観察してみた」
 「は?!
 それはまた・・・怖いもの知らずで・・・・・・」
 思わず声を上げた一期一振は、ふと気づいて、一人頷く。
 「なるほど・・・・・・。
 あなたには、狐を畏れる気持ちがわからないのですね」
 「あぁ、その通り」
 あっさりと、巴形は頷いた。
 「逸話も物語も持たぬせいか、俺にはどうも、知識が足りない。
 このようなもどかしいさまを人は・・・『人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆえに 物思ふ身は』などと、歌に詠むのだと、三日月から聞いた。
 そんな例えも知らぬままでは、主の言う『自身の頭で考えろ』という命に対応できないと思うのだ」
 そこで、と、巴形は一期一振へ深々とこうべを垂れた。
 「教えを請いたい。
 貴公の兄弟は様々な武将に仕え、知識も豊富と聞く」
 「えぇ。
 私は太閤の太刀。
 弟達も、各時代の将軍や大名に仕え、医術や商人の知識を持つ者もいる。
 きっとお役に立てるでしょう」
 自慢げな一期一振へ、顔を上げた巴形が頷く。
 「まずは一般常識的な教養と歴史か。
 この本丸の役に立てる知識が良いと思う。
 その後・・・」
 きらりと、巴形の片眼鏡が、光を弾いた。
 「下剋上の作法を、ご指導願いたい」
 その言葉に一期一振は、目と口元を、妖しく歪める。
 「・・・・・・・・・了承した」
 どうしようもなく騒ぐ血を抑える術もなく、一期一振は嬉しそうに・・・それは嬉しそうに頷いた。



 了




 










前作からだいぶ時間があいてしまいました。
本当は小竜顕現までやりたかったんですけど、この辺りが切りが良いだろうということに。
ちなみに小竜の相棒は、明治天皇が正倉院から引っ張り出してきた剣です・・・。
明治天皇は色々面白いです、刀剣的に。
ともあれ、60振り超えた今では、新人君って大変そうだな、って思ったことから書き始めた話でした。
中でも巴形みたいな子は、まず馴染むのに大変なんじゃないかと。
ので、意外と優しい太郎とか、気さくな面々とか、やっぱり黒くなる本丸ってことで・・・。
うちの本丸、みんな性格悪くなるな!!>誰のせいでしょう。
作中のお菓子は実在する福岡銘菓です。
ひよこ侍はギンギラ太陽’sと言う、地元密着型劇団のキャラクターで、大人気。
DVDも出てます(笑)>南国から来た寒いヤツ
もっと、方言喋りまくる三池と黒田、書きたかったんですが、そのうちチャンスが来るだろうと・・・!
狙っておきます。>書け。













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