〜 秋 意 〜
厳しかった残暑もようやく終わり、薄物が単衣に、更には袷(あわせ)へと変わる頃。 黒の袍を纏った蛍丸の懐に、帖紙(たとうがみ)と檜扇(ひおうぎ)を入れてやった石切丸は、数歩下がってじっくりと彼の姿を見つめた。 四つ割菱の地紋に違い鷹の羽紋を重ねた二陪(ふたえ)織物の袍と、大紋を白く打ち出した濃紫の袴は神に相応しい格調高さで、人の身分を遥かに超えた重厚感を漂わせている。 阿蘇の峰を包む朝霧色の髪は丁寧に梳かされ、身分の高い者だけが被ることのできる冠を、得意げに載せていた。 「うん。うまくできたね」 満足げに呟いた石切丸の傍らで、太郎太刀も微笑む。 「よく似合っていますよ、蛍丸」 そういう彼らも、今日は蛍丸と紋が違うだけの、同じ黒袍を纏っていた。 「すっごーい! 蛍、かわいいー!」 同じく黒袍を纏った次郎太刀の大声に頬を染めつつ、両腕を広げた蛍丸は、家族の前でくるりと回った。 「どぉ?」 殊更に無愛想な口調で尋ねると、顔を蕩けさせた明石の隣で、愛染が大きく頷く。 「蛍丸が、こない立派になって・・・!」 「カッコイイぜ、蛍!」 「ふ・・・ふぅん・・・。 まぁ・・・悪くはないかな」 耳まで赤くして、しかし、蛍丸はなんでもない様子を装った。 途端、 「いいですよ! いいですよ、そのツンデレ! ちっちゃいのに大人の装束を着て、背伸びしている風がなんとも言えずショタ心をくすぐってくれます! さすがは僕の王子様! 可愛いですよ!もっと照れて照れて!!」 はしゃぎ声をあげて、蛍丸の全方位を撮影する毛利藤四郎に、蛍丸のこめかみが引き攣る。 「うるさいよ、お前! ちっさいゆうな!!」 「ちっちゃいじゃないですかぁ ![]() なのに本丸最強だなんてもぉ、可愛くないわけがないでしょぉ ![]() ![]() ![]() 「あぁっ!毛利くん、抱き着くのは禁止だよ!」 着崩れる、と慌てる石切丸の声に、毛利はぴたりと動きを止めた。 「そうでした! アイドルさんにはおさわり禁止ですね!」 言うやまた、カメラのシャッターを騒々しく切る毛利に、蛍丸が目を吊り上げる。 「写真も禁止!! お前、その一眼なんとかってやつで、遠くからでも俺のこと撮ってるでしょぉ!」 「えぇ! 近くにいては見られない、マイ・リトル・プリンスのステキな姿が撮れますからね!」 堂々と胸を張った毛利にますます、蛍丸が目を吊り上げた。 「なに堂々とゆってんの?!ちょっとは悪びれなよ!」 「必要ありません! この僕のどこに恥ずべき要素が?!」 「全部だよ!」 ヒステリックな金切り声に、太郎太刀が眉根を寄せる。 「落ち着きなさい、蛍丸。 そのように取り乱しては、神たる資質を疑われますよ」 「でも!こいつが俺を盗撮とか!!ちっさい王子とか!!」 「あぁ!王子が気に入らなかったんですね!」 たし、と手を打って、毛利は得意顔で頷いた。 「わかりました! 名称を変えましょう、キング・オブ・ちっちゃい!」 「余計ちっさくなってる!!」 背中に担いだ大太刀の柄に手をかける蛍丸を、苦笑した石切丸が止める。 「いけないよ。 出雲にも、嫌な神はたくさんいるのだから、このくらいで抜刀しないようにね」 「そうですよ。 多少のことは聞き流しなさい」 石切丸に同意した太郎太刀の隣で、次郎太刀も頷いた。 「そぉそぉ! ケンカも多いけど、たいていのことは酒でカタがつくからさ!」 「って次郎はん! うちの子に飲ませたらあかんで!」 慌てる明石に言われて、次郎は自身の口を覆う。 「そうだったね。 今年は蛍の初めての神諮(かむばかり)だから、あたしら三人でちゃんと見てなきゃ、って言ってたんだった」 「こちらにはまだ参陣していないけれど、厳島の友成さんにも、去年のうちに協力を頼んでおいたから。 蛍丸のことは任せてもらっていいよ、明石さん」 石切丸が穏やかな口調で言うと、明石の不安げに寄っていた眉もわずかに開いた。 「大太刀はん方、蛍丸のことをよろしゅうお願いします・・・!」 「国行・・・」 深々と頭を下げる明石に、蛍丸が居心地悪そうに身じろぎする。 「ほら、蛍丸もちゃんとお願いせんと。 しばらくお世話になるんやろ」 言われて頷いた蛍丸がちょこんと明石の隣に座り、反対側では愛染も姿勢を正した。 「神無月の間、よろしくお願いします」 揃って座礼した三人に、大太刀らは微笑んで頷く。 「まーかせて! 蛍の分までアタシが呑んじゃうよん!」 「次郎はともかく・・・お任せあれ」 「安心しておいで」 神剣達の頼もしさに、顔を上げた蛍丸がほっと表情を緩めた瞬間、周りで騒々しくシャッター音が鳴った。 「いいですよいいですよその表情!! 蛍丸くん、目線こっちにくださーい!」 「うるっさい!!」 せっかくの厳かな雰囲気を台なしにされた蛍丸は、明石の袖を引く。 「こいつ追い出して!」 「あー・・・でもなぁ・・・。 毛利はんも悪気はないんやろし・・・」 気まずげに目を逸らす明石に大きく頷いた毛利が、こぶしを掲げた。 「もちろんです! これは!愛!!です!!!!」 「黙れ!!!!」 頭から湯気を上げんばかりに憤る蛍丸が、目を吊り上げる。 「なんなのこの状況!!」 「蛍・・・。 国行は買収された」 言って、愛染が差し出した端末には、満面の笑みを浮かべた毛利が、明石へなにやら紙の束を差し出している様が写っていた。 「・・・なにこの紙?」 眉根を寄せた蛍丸の手から、明石が端末を取り上げる。 「ああああああ愛染っ!!なんでこの事・・・!!」 慌てる明石をじっとりと睨みつつ、もう一度尋ねた蛍丸に、愛染がため息をついた。 「戦闘・遠征に使える任務交代券、50枚だと」 「はぁっ?!」 蛍丸が、さすがの機動で明石の胸ぐらを取る。 「自分がサボるために俺を売ったってこと?!」 「う・・・売るやなんて人聞きの悪い・・・。 自分は、毛利はんが蛍丸と仲よぅしてくれたらええな、って・・・」 「保護者公認です!!」 得意顔で胸を張った毛利へ、蛍丸は大太刀を抜いた。 「・・・そこへなおれ」 「ちょっ・・・!!蛍丸!!落ち着きぃ!!」 慌てる明石が大太刀らへ助けを求めるが、彼らは一様に首を振る。 「いくらなんでも・・・これを怒るなって言うのはねぇ」 「えぇ。存分にやりなさい、蛍丸」 「明石さん、自業自得というものだよ」 「石切丸はんまで! 愛染!!」 最後の頼みの綱はしかし、忌々しげに舌打ちした。 「やられちまえ、馬鹿眼鏡」 「そんなっ!!」 真っ青になって悲鳴をあげる明石に反し、毛利はこんな状況に置いてさえ、嬉しげにシャッターを切っている。 「いいですよ蛍丸くん!愛染くんも!! 兄弟で戦闘態勢!カッコイイ! 目線こっちこっち!!」 「あんたはちょっとおとなしくしてな!」 見かねた次郎太刀が、あきれ顔で毛利を抱え上げた。 「あたしはこの子を粟田口に返して来るよ。 なんなら先に、御座所行ってて」 「そうだね。 蛍丸、明石さんのお仕置きは帰ってからにして、そろそろ行こうか」 微笑んだ石切丸は蛍丸へ、太刀を収めるよう、身振りで示す。 「これから御座所へ、おいとまのご挨拶に行くけど、その時に主へ、装束のお礼を言うんだよ。 全部見立ててくれたのは主なんだから」 「ええ。 良い生地を選んでくださいました」 頷いた太郎太刀が立ち上がると、上質の絹は心地好い重みを持ってすんなりと身に沿った。 張りのある生地はしわ一つ寄ることなく、澄明な秋の日差しを艶やかに弾いている。 「これならば、八百万の神々の中にあっても恥じることはありませんよ」 歩を踏み出した際の、衣擦れの爽やかさに、太郎太刀は満足げに微笑んだ。 「さぁ、蛍丸。 ・・・あなた達も、御座所へいらっしゃいますか?」 蛍丸へ手を差し伸べた太郎太刀が明石へ声をかける。 が、 「俺達はここで」 と、うなだれる明石の代わりに愛染が言った。 「これ以上、蛍をムカつかせるわけにはいかないからさ。 蛍、がんばれよ!」 「うん。 国俊、国行を・・・」 思わず顔を上げた明石を、蛍丸はぎりりと睨む。 「こてんぱんにして、毛利からもらった券、燃やしといて」 「わかった。 気兼ねなく行ってこい!」 愛染に頷いた蛍丸は、青ざめる明石に思いっきり舌を出して、石切丸達の後についていった。 「あっれぇー? 大太刀ばっかりぞろぞろと、どこ行ってんの?」 しかも物々しい雰囲気、と、厨房の窓から興味津々と覗く小竜景光の隣で、収穫したばかりの大根を洗っていた光忠が微笑んだ。 「神無月だからね。 神剣のみんなは出雲にお出かけだよ。 今年からは、蛍丸くんも神諮に参加だから、主くんが新しく装束を誂えたんだって」 「あたらしいしょうぞく・・・」 その言葉に興味を惹かれた様子の謙信景光を、小竜が抱き上げる。 「これで見えるかな?」 「うん。 おおたち・・・かっこいいのだな」 おおきい、と呟いた謙信は、自分よりも小さな蛍丸がいることに小首を傾げた。 「なんで、蛍丸はちいさいのだろう」 大太刀なのに、と、不思議そうな彼の頭を、光忠が笑って撫でる。 「小さくても、我が本丸最強の大太刀だよ、蛍丸くんは。 謙ちゃんも、負けずに強くなろうね」 「うん・・・!」 頬を染めて頷いた謙信に、微笑んだ小竜が目線をあげた。 「大太刀が全員いなくなってしまって、主は困らないのかな?」 「もちろん、歎いていたよ」 苦笑して、光忠はまな板へ向き直る。 「でも、大太刀は僕らみたいに、人と戦うために作られた刀じゃないからねぇ。 神様への奉納太刀をお借りしているんだから、まずは神様を優先しないと。 審神者は神職でもあるからね」 「なるほど。 敬意は払わないとねぇ」 頷いた小竜は、謙信を降ろしてやった。 「彼らがいない間は、俺達が頑張ればいいことだしねぇ」 「っ小竜! だいこん、なまですよ?!」 光忠が輪切りにした大根を摘んでかじる小竜に、謙信が目を丸くする。 「採れたての大根は、ちょっと味の薄い梨みたいでおいしいよ? 謙信は知らないかな?」 にこりと笑って、小竜は謙信の口に大根を入れてやった。 「あまい・・・」 「ね?」 頬を染める謙信と嬉しげな小竜に、光忠が苦笑する。 「つまみ食いしてないで、手伝ってよ。 お昼、間に合わないよ?」 「はいはぁーい」 「おてつだいするのだ」 踏み台に乗った謙信に、光忠と小竜が微笑んだ。 ・・・その様を、厨房の入口に掛かった暖簾の隙間から見つめる目がある。 「・・・おい、貞。 なんでそんなところに貼りついてるんだ」 背後から声をかけられて、太鼓鐘はびくりと飛び上がった。 「かっ・・・伽羅・・・!」 「入らないのか?」 トロ箱を抱えたまま、暖簾をめくろうとする大倶利伽羅の手を、太鼓鐘が慌てて抑える。 「い・・・今は・・・」 「は?」 訝しげに眉根を寄せる大倶利伽羅に見下ろされ、太鼓鐘は頬を染めた。 「だって・・・みっちゃん、家族水入らずで楽しそうだし・・・。 邪魔しちゃ悪いだろ・・・?」 「別に構うことないだろう。 光忠が嫌がるわけがない」 「みっちゃんは嫌がったりしねぇよ! でも・・・」 俯く太鼓鐘に鼻を鳴らした大倶利伽羅は、彼を押しのけて暖簾をくぐる。 「光忠、遠征先から海産物仕入れてきた」 「伽羅ちゃん!ありがとうー!」 箱を受け取った光忠の手元を、小竜が覗き込んだ。 「新鮮なのが来たなぁ! どーすんの、グラン?刺身?焼き?」 「そうだね、海鮮丼にでも・・・って、小竜ちゃん、グランってなんだよ、ここに来てからずっと」 「んー?だってさ」 困惑顔の光忠に、小竜はにこりと笑う。 「グランパかグランマか、迷っちゃってさ ![]() 「いやっ?! おじいちゃんも嫌だけど、おばあちゃんはもっとないよね?!」 「いやいやぁー。 あるよ、アリアリだよ。 ねぇ、大倶利伽羅ー?」 肩を抱かれた大倶利伽羅が、うるさげに身を離した。 「まぁ・・・主はオカンなんて呼んでいるな」 「伽羅ちゃんまで!! 確かに主くんからはよく、口うるさいって言われるけどさ!」 「やっぱり言われてるんじゃ・・・」 「ひゃあっ!」 背後で上がった悲鳴に、皆が一斉に振り返る。 「謙ちゃん、切っちゃった?切っちゃったの?」 親指を押さえる謙信に光忠が屈み込み、 「はぁい、手を出してー。消毒しようねぇ」 と、小竜が薬箱を持ってきた。 「ちょーっと、しみるよ?」 あやすような笑顔を浮かべつつ、消毒液を浸した綿で傷口をなぞれば、ぎゅっとつぶった目に涙が浮かぶ。 「いたくない・・・いたくない・・・ぞ・・・!」 「うん、謙ちゃんえらいね。我慢したね」 絆創膏を巻いてやった光忠が、抱き寄せた頭を撫でてやると、小さなこぶしでぐいっと涙を拭った。 「だ・・・だいじょうぶ! ぼくはつよいこだから・・・」 「うん、えらいえらい ![]() 小竜も撫でてやると、彼らを見ていた大倶利伽羅が肩をすくめる。 「・・・気色悪い」 「また伽羅ちゃんってば、そんな言い方して」 「家族ならこのくらい、普通じゃないかなぁ」 ねぇ?と、小竜が頭を撫でてやった謙信もこくりと頷いた。 「グランも小竜も・・・やさしいのだ」 「もー・・・! 小竜ちゃんが言うから、謙ちゃんまで真似しちゃった!」 とは言いつつも、嬉しそうな光忠の様子を暖簾越しに見ていた太鼓鐘が、ぱんぱんに頬を膨らませる。 「なんだあいつら! ずっとみっちゃんと組んでたのは俺なのに!」 「おぉ? 貞坊、ヤキモチか?」 突然背中に貼りついた重みに、しかし、太鼓鐘は驚きもせず頷いた。 「みっちゃんがみんなに親切なのは知ってっけど! それが家族だとなんか腹立つ!」 「お前、小夜坊にもヤキモチ焼いてたもんなぁ」 くすくすと笑いながら、頭を撫でてやる。 「小夜は・・・みっちゃんが気にするのも仕方ない雰囲気だったし、なんとかみんなと馴染ませたいって思うのもわかるから協力したけど!」 ぎゅっと暖簾を握り締め、太鼓鐘は血走った目を見開いた。 「あいつら、家族ってだけでべたべたしてぇ・・・! 料理もろくにできないくせにぃ・・・!」 「はいはい、落ち着け落ち着け」 握り締めた太鼓鐘の手を、鶴丸の手が優しく包み込む。 「ここは俺に任せておけ!」 太鼓鐘の手を解いた鶴丸は、勢いよく暖簾を跳ね上げる。 「小竜ー! 主が、遠征に行ってこいってさー!」 「旅?! いいねぇ!行く行く!!」 目を輝かせて駆け寄ってきた小竜に頷き、鶴丸は謙信をも手招いた。 「謙信は、探し物得意か?」 恐る恐る歩み寄ってきた謙信を抱き上げ、にこりと笑う。 「わからない・・・けど、あるじのめいれいならがんばるのだ」 「そうか!偉いな!」 くしゃくしゃと頭を撫でてやった鶴丸は、光忠へ手を挙げた。 「じゃ、行ってくるぜ! 戻りは夕餉頃になるから、厨房の手伝いは貞坊に頼めよ!」 「うん、いってらっしゃい。 みんな気をつけてね!」 真っ先に暖簾を跳ね上げて出てきた小竜に続き、謙信の手を引いて出てきた鶴丸が、太鼓鐘へにやりと笑う。 「あ・・・ありがとな!!」 手を振る鶴丸に大きく手を振り返し、太鼓鐘は暖簾を跳ね上げた。 「みっちゃあああああああああんっ!!」 飛び込んだ勢いのまま抱き着くと、受け止めた光忠はのんきに笑う。 「貞ちゃん ![]() どうかした?」 「どうもこうも・・・!」 言いかけたものの、顔を赤らめて言葉を失った。 さすがに、彼の家族へ嫉妬していた、などと、面と向かっては言えない。 口ごもっていると、 「貞は、お前の・・・」 「伽羅?! そ・・・そう!手伝い! 料理の手伝いしなきゃって思ってたのに、遅れてすまなかったな!」 大倶利伽羅の言葉を慌てて遮り、身を離す。 「助かるよ。 うちの子達、あんまりお料理は得意じゃないから」 「うちの子・・・」 半笑いのまま固まった太鼓鐘に、大倶利伽羅が肩をすくめた。 「光忠の料理好きは政宗公の気質を受け継いだものだからな。 同じ長船でも、小竜や謙信が料理できないのは無理もないんじゃないか?」 だから、と、大倶利伽羅は太鼓鐘の頭を掴む。 「貞に任せれば、間違いはないだろう」 「伽羅・・・!」 大倶利伽羅の手の下で太鼓鐘は目を輝かせ、光忠は苦笑した。 「そうだよねぇ。 つい、できるかなーって思っちゃって・・・謙ちゃん、怪我させて悪かったなぁ」 「貞ならそんなことないから安心しろ」 大倶利伽羅の駄目押しを、そうとは気づかず光忠は頷く。 「だよね。 お願いね、貞ちゃん ![]() 「ああ!」 再び抱き着いてきた太鼓鐘を、光忠は笑って抱きしめた。 翌日、怪しい臭いを放つ土瓶を盆に載せて、御座所へと続く廊下を行く薬研を、三日月が呼び止めた。 「なんだ、またあれは風邪を引いたのか? 季節の変わり目だなぁ」 季語にするか、と笑う彼に、薬研は苦笑する。 「そういうあんたらは、天下五剣揃って虫干しか? まったく、うちの名刀達は仲がいいな」 「いい日よりだからな」 三人並んで濡れ縁に腰掛け、茶をすする様は、どこぞのお達者クラブといった有様だ。 「ところで、主のご容態は?」 「昨日までは元気だったろう?」 小首を傾げる数珠丸と訝しげな大典太には、肩をすくめる。 「こないだから、ちょっと具合が悪いとは言ってたが、急に寒くなったから悪化したんだな。 大太刀がいる間は、その影響下でか平然としてたんだが、いなくなった途端に・・・あ、いや、大典太の霊力が足りないってわけじゃなくてな」 肩を落としてしまった大典太に、薬研が慌てて言い募った。 「あんたの霊力以上に、大将が虚弱ってだけだ。 気は強いんだがなあ・・・」 それよりも、と、薬研は三日月を見やる。 「小狐丸はどうにかなんねぇのか。 大将の風邪は不摂生が原因なんだから気を配れって、いつも言ってんのに、ちっとも役にたたねぇ。 なんであいつが近侍なんだ。 あれなら、長谷部や巴にやらせた方がマシだろ」 「近侍を決めているのはあれ自身だ。 それに、ここだけの話・・・」 と、三日月は湯呑みにため息をこぼした。 「小狐丸は・・・弱った生き物を眺める事を、大層好んでいてな」 「は?!」 全員が唖然とする中、三日月はまたため息をつく。 「獣の性とでも言うのか、小物が弱ってなお、足掻く様を楽しげに見ていることがよくあるのでな、それとなく聞いて見た事があるのだが・・・」 苦笑して、三日月は湯呑みを置いた。 「最期まで天敵から逃れようと、いじらしく足掻く様がなんとも愛おしいと言っていたなぁ・・・。 おそらく、常に気丈なあれが、弱って動けずにいる様を見るのも愉快なのだろうよ。 御座所から出られぬのもまた、捕らえたりとでも思うておるのやもな」 「・・・いやそれ、酷くないか? とんだ黒狐じゃねぇか」 声を引き攣らせる薬研に、数珠丸と大典太も頷く。 「まあ、俺の勝手な解釈で、本人からしかと聞いたわけではないがな、どうにもそうとしか思えぬ言動が多いからなぁ」 「それが真実であれば・・・やはり近侍はお変えになった方が良いのでは」 「あぁ、主が儚くなってからでは遅いぞ」 数珠丸と大典太の言葉にしかし、三日月は首を振った。 「それを、主が拒むのだ。 あれが近侍を変えるなど、新刀が来た際以外では、太郎くらいしか」 「そうだよな・・・。 このタイミングで、誰か来ねえかな・・・」 そうすれば、と、薬研が考え深げに顎を引く。 「太郎を一旦、出雲から呼び戻すことも可能だ」 「そうだな、誰か・・・」 ふと、言葉を切った三日月の視線の先で、灌木の枝が揺れた。 「おや、かくれんぼですか?」 目を和ませた数珠丸の声に引かれ、新参の短刀がおずおずと顔を出す。 「ん・・・。 ほかのたんとうたちとあそんでいたのだけど・・・まよってしまったのだ」 顔を赤らめ、俯く謙信へ大典太が手を差し伸べた。 「そうか、では俺が連れていってやろう。 遊びはかくれんぼか?鬼ごっこなら、場所が決まっているのだが」 「お・・・おにごっこだ・・・。 にげているあいだに、みんなとはぐれてしまっ・・・」 安堵してか、目を潤ませる謙信を、大典太が抱き上げる。 「わかった。 すぐに連れていってやろう」 皆、心配しているだろうから、と言う彼に頷いた謙信は、小さなこぶしでぐいっと涙を拭いてから、遥か下になってしまった薬研を見下ろした。 「いま、あたらしいのがこないかな、っていったか?」 「ああ。 なんか心当たりあるか?」 問うと彼は、こくりと頷く。 「あずき・・・。 小豆長光という、ぼくのかぞくだ。 ずっと、ぼくのめんどうをみてくれていた。 きっと、あずきはすぐにきてくれる」 自信ありげな口調に、三日月が立ち上がった。 「もしそうならば、既に本陣から連絡が来ておるやもな」 「ええ。 主はまだ、ご覧になっていないかも知れませんが」 同じく立ち上がった数珠丸が、回廊へ上がる。 「確認致しましょう。 既に、掲示されているでしょうから」 「大典太殿は謙信を頼む。 謙信、誉であったぞ」 にこりと笑った三日月に頭を撫でられ、謙信は耳まで赤くした。 御座所に正対する壁は、一面が電子掲示板となっている。 情報開示を徹底する主は、高度に秘匿された情報以外は全てここへ掲示し、また、見える化と称して、戦場における自身の見解や方針を開示しては、有効な戦術を募っていた。 当初は戸惑っていた面々も、情報を得ることで無駄に疑念を持つことなく、自身の経験や知識を元にした戦術を提示し、時には議論を闘わせてもいる。 今日も、幾度目かの調査へ赴く事になる大坂城の件で、一期一振と博多が画面を前に考え込んでいた。 「博多に引率を任せるのは当然として・・・他は誰にしようか。 謙信はまだ、不安かな?」 腕を組んだまま、大坂城の地図を見つめる兄に、博多が首を振る。 「最初の20階くらいまでやったら平気かろ。 けど、さすがに普通の短刀に、低層階は無理やが。 あれば連れてくんやったら、巴か岩融は欲しかな」 「んー・・・」 博多の言葉に、一期一振は眉根を寄せた。 「できれば修業帰りの兄弟だけに任せたいけど、新刃にも経験を積ませないとねぇ・・・。 でもやっぱり心配だなぁ。 あの子、ちょっと気弱そうだし、保護者に来てもらった方がいいんじゃないかな」 その提案にはしかし、博多が眉根を寄せる。 「小竜は面倒やら見るやろか。 オカンやったら謙信も安心やろうけど、今度は太鼓鐘が腹かこうが」 「・・・困ったねぇ」 ぱたぱたと足で床を叩きながら唸っていると、ほとんど足音もなく、数珠丸と三日月が歩み寄ってきた。 「おや、珍しくお急ぎのご様子で」 一期一振が微笑みかけると、二人は頷いて掲示板へ向かう。 「三日月殿、ございましたよ」 「おぉ、重畳なりや」 数珠丸が指した文言を見るなり胸を撫で下ろした三日月を、博多が不思議そうに見上げた。 「どげんしたと?」 「いや、それがな・・・」 苦笑する三日月に代わって、注意深く土瓶を運んできた薬研が肩をすくめる。 「大将が寝込んでる間だけでも、近侍変えられねぇかと思ってな。 都合よく、新しい奴が来てくれそうだ」 言われて、数珠丸の指す項目を見れば、新刀の参陣が予定されていた。 「謙信殿の、保護者だそうですよ」 「それは好都合!」 言い放った一期一振が、目を輝かせる。 「今度の大坂城調査で、謙信をどうすべきか悩んでいた所ですよ。 保護者が来てくれるなら、こんなにいいことはない」 「それに、鍛刀なら一旦、太郎に帰ってもらうことになるしな。 すぐに顕現させる事が出来なくても、あれが回復するまでの時間稼ぎには・・・」 「おや・・・皆様お揃いで、なんのご相談で?」 御座所の襖がすらりと開いて、三日月の笑みを凍らせる者が現れた。 「こ・・・小狐丸・・・っ」 声を引き攣らせる三日月へ笑顔で会釈した小狐丸が、薬研へ手を差し伸べる。 「お薬をありがとうございます、薬研殿。 後は私が」 「ちゃんと飲ませろよ。 大将の容態は・・・」 言う間に、御座所の奥、襖の閉ざされた寝所から咳込む声が聞こえた。 「相変わらずですよ。 まだ、お熱も高く・・・おいたわしい」 完全無欠の気遣わしげな表情だったが、三日月の話を聞いた後ではどうにもわざとらしく見える。 「いかがされました?」 じっとりと見つめて来る薬研に首を傾げるが、答えたのは一期一振だった。 「主が寝込んでおられるので、代わりに私が大坂城調査の編成を考えていたのですが、謙信を入れようにも彼だけでは不安でしてね。 見損じていましたが、彼の保護者が参陣する予定と聞いて、快哉をあげた所ですよ」 嬉しげな彼に、小狐丸も微笑む。 「さようでございますか。 ならば太郎殿にお戻りいただかなくては。 ・・・あぁ、しかし」 肩越しに、小狐丸は寝所を見やった。 「御座所はともかく、寝所は狭うございますから、太郎殿ではお世話に難儀なさいましょう」 「・・・そうだったな、こんちくしょう!」 絶対わざとだ、と舌打ちした薬研が、小狐丸へ土瓶の載った盆を押し付ける。 「今は引いてやる。 だが! これ以上、大将の容態悪化させたら、歌仙の第一刀権限利用して、近侍変えるからな!」 「おやおや、それは困りますね。 いつも以上に誠心誠意、お仕えしなければ」 やれるものならやって見ろ、と言わんばかりの笑みに、また舌打ちした薬研の腕を、博多が引いた。 「薬研兄、太郎ば呼び戻してくれんね。 行ったばっかで戻れやら、ホントやったらいかんっちゃろうけど、太郎やったら戻ったその日に新刀ば呼んでくれよーけん」 「あ?! ・・・あぁ、そうだな」 思わず声を荒らげた薬研が、気まずげに頷く。 「手配して来る。 ・・・石切丸に、すげぇ怒られそうな気はするが」 ぶるっと震えた薬研に、一期一振が小首を傾げた。 「そうだな・・・。 だったら、にっかりに頼んではどうかな。 石切丸殿に置いて行かれてしょげていたから、喜んで行ってくれると思うよ?」 「・・・本来ならば、同じ神社の」 「私は近侍のお役目がありますゆえ」 三日月の言葉を笑顔で遮って、小狐丸はきびすを返す。 「では、これにて」 高い音を立てて襖が閉ざされ、残された者達は何となく黙り込んだ。 ややして、 「薬研、行ってはどうかな」 一期一振に促された薬研が、はっとして頷く。 「そうだな・・・にっかりを探すか」 「よろしく頼むぞ。 ・・・その、すまんな」 気まずげな三日月には、肩をすくめた。 「ま、今に始まった事でもないしな」 「季節の変わり目毎に、見る光景でございますね」 苦笑した数珠丸が、ふと、手を打つ。 「三日月殿、これこそ季語では?」 「おぉ、なるほど! では、これをお題に連歌でも!」 「詠むな!」 呑気な二人へ、薬研は忌々しげに舌打ちした。 「・・・まったく、本陣も気を使っていただきたいものですね」 苛立たしげに呟きながら、出立の間を出た太郎太刀は、手入れ部屋の前を足早に通り過ぎ、鍛刀場へ入った。 「あなたたち、わかっているでしょうね?」 じろりと見下ろした刀工達が、太郎太刀の気迫に圧されて直立不動の姿勢となる。 「出来上がれば、すぐに出雲へ戻りますので、後のことは頼みますよ」 肩越しに背後を見やれば、薬研と謙信が大きく頷いた。 「頼むぜ、太郎!!」 「は・・・はやくあずきにあいたいのだ」 がんばれ、と声援を受けて、太郎太刀は刀工達へ向き直る。 「では。 急ぎ、取り掛かりなさい!」 命じられた刀工達が機敏に動き回り、炉に火が起こった。 叩き伸ばされた合金は炎の中ですらりと伸び、形を整えて行く。 やがて、 「ようこそ、新刀殿」 顕現した新たな太刀へ声をかけると、謙信が歓声をあげて彼に飛びついた。 「あずき!あずきー!」 「ああ、先に来ていたのか、謙信」 笑って謙信を受け止め、抱き上げた彼―――― 小豆長光が、太郎太刀と薬研へ向き直る。 「わたしは小豆長光。 きみたちは・・・すいーつ、すきかい?」 「ええ、まあ」 「好きだぞ」 「それはよかった!」 優しい笑みを浮かべた彼は、抱き上げた謙信の頭を撫でた。 「ひさしぶりに、うでをふるうとしようか!」 「ええ、ぜひともそれは、戦でも」 微笑んだ太郎太刀が、薬研を見下ろす。 「では、私はこれにて。 主へご挨拶すべきですが・・・」 「いい、いい。 大将、今寝込んでるから、それどころじゃねぇし」 「なんと・・・」 かえって気になる様子の太郎太刀に、薬研は首を振った。 「大将の事は、こっちでなんとかするから大丈夫だ。 忙しいのに、呼び戻して悪かったな」 「た・・・太郎太刀、あずきをよんでくれて、ありがとう・・・なのだ」 小豆に抱き上げられてもまだ、見上げる太郎太刀へ礼を言う謙信に、彼は微笑む。 「また会えて、よかったですね」 では、と会釈して、足早に出立の間へ戻って行く太郎太刀を、小豆は不思議そうに見送った。 「かれは、なにをいそいでいるのかな?」 問われた薬研が、笑って頷く。 「太郎は、今は出雲にいなきゃいけない立場なんだが、あんたの鍛刀のために一旦戻ったんだ。 こんな短時間で呼んじまうなんて、さすがの信頼と実績だな」 「そうか・・・。 では、もどったら、わたしのすいーつでねぎらわないとね」 ところで、と、向けられた優しい目に、薬研は瞬いた。 「ここには、きみのようなこどもがたくさんいるのかな?」 「こどっ?!」 途端に目を吊り上げた薬研に、小豆は笑みを深める。 「こどものせわは、とくいなんだ」 ねぇ?と、微笑む小豆に、謙信が擦り寄った。 「・・・っは!」 吐息して落ち着きを取り戻した薬研は、両手を腰に当てる。 「今は、子供より大将・・・主の世話をしてくれ。 風邪で寝込んでるんだが、近侍が・・・」 ギリッと、また目を吊り上げた。 「ちっとも役に立ちゃしねぇ! 大将からあの黒狐引き離して、とことん養生させっから、協力してくれ!!」 「あ・・・あぁ」 薬研の迫力にやや気圧されながら、小豆が頷く。 「いいよ。 もし、やまいのせいで食がほそくなっているなら、なにか、くちにしやすいものでもつくろうか」 「・・・へぇ」 にこりと笑った小豆に、薬研は感心した。 「光忠の料理上手は伊達の仕込みだと思ってたが、あんたもなんだな」 「あずきは・・・とくべつだ」 ふるりと、彼の腕の中で謙信が首を振る。 「ぼくと小竜はぜんぜんだし・・・」 「それ、料理上手のジジィと親父に甘えきった三代目ってだけじゃね?」 「う・・・」 泣きそうな顔をする謙信に笑って、薬研は小豆を手招いた。 「先に、光忠に紹介する。 あんたが来るって聞いて、嬉しそうだったぜ」 「パパンか。 わたしもうれしいよ」 「ぱ・・・」 思わぬ呼び名に、さすがの薬研も言葉を失う。 「まあ・・・家族仲がいいのはいいことだな」 無理矢理まとめて、やれやれと肩をすくめた。 「・・・三日月殿。 少々お話が」 完全無欠の笑顔と穏やかな口調ながら、剣呑すぎる気配に三日月は、あぐらをかいた姿勢のまま飛び上がった。 「こっ・・・こぎ・・・つねまる・・・っ!」 恐怖のあまり、逃げ出そうとした今剣をとっさに捕らえて抱きすくめ、岩融の逃亡までをも防ぐ。 「は・・・はなしてくださいー!みかづきさまー!」 「み・・・三日月殿! 天下五剣ともあろう身が卑怯だぞ!」 「おっ・・・俺を置いて逃げようとしたお前達に言われる筋合いはないぞっ!」 じたじたと暴れる今剣をアニマルセラピー代わりに抱きしめ、三日月は青ざめた顔をあげた。 「はっ・・・話・・・とは?」 ぴちぴちと目を泳がせ、自分を見ようとはしない三日月に、小狐丸は吐息する。 「わかっておられるのでしょう? なぜあなたが、私の邪魔をなさるのですか。 私がぬしさまのお側近くにお仕えするのは、三条の地位のためでもありますものを」 「そうは言うが・・・」 ため息をつきながら、手は落ち着きを取り戻すためか、今剣の頭を撫でていた。 「そなたのやり方はどうかと思うぞ・・・。 あれの意向ではあるが、他に近侍を譲ろうとせぬのは、外聞がな・・・。 数珠丸殿や、大典太殿の手前、なんとも申し訳ない」 三日月の言葉に、岩融も頷く。 「俺達は貴殿の潔白さを知っているが、他の者はそうではあるまい。 主の寵を独占しては、奸臣の疑いを受けるぞ。 そうなれば、主まで信を失いかねん」 「えぇー・・・! ひとりじめ、いいでしょう? ぼく、あるじさまとずっといっしょがいいです!」 そのためには、小狐丸が近侍である方が都合がいいと、三日月の手を逃れた今剣は小狐丸の膝に乗った。 「ぼくは、こぎつねまるさまにおみかたします!」 「それは心強い」 微笑む小狐丸に撫でられた今剣が、嬉しそうに笑う。 「そもそも、寵を独占はしても、奸臣にはなりようがありませぬよ。 私がぬしさまに意見を差し上げても、直接お聞き届けになったことは一度もありません。 必ず皆へ計り、合議を経て決定されるのですから」 じろりと岩融を見やった小狐丸は、視線を三日月へ戻した。 「鷹揚さは天下五剣であられる三日月殿にふさわしい振る舞いではあられますが、そろそろ危機感をお持ちください。 一期殿は既に、対策を練っておられますぞ」 「危機感、とな? 一期がどうしたと?」 小首を傾げる三日月に、小狐丸はため息をつく。 「ただ今、我が本丸で最大の人数を持つのは粟田口の皆様です。 ですが今後、その勢力に手が届きかねない刀派がどちらか、ご存知ですか?」 彼の問いには、その場の全員が首を傾げた。 「・・・長船でございますよ」 「おぉ!」 小狐丸の差し出した答えに、皆が手を打つ。 「言われてみれば最近、増えているな!」 岩融の大声に、今剣がこくこくと頷いた。 「あるじさまは、おさふねのみなさんがだいすきなんですよ! ずっとみつたださまひとりでしたけど、ことしはきっと、たくさんきてくれるはずだって、すごくたのしみに・・・」 口をとがらせて俯いてしまった今剣の頭を、小狐丸が慰めるように撫でる。 「この上、大般若殿が参陣されましたら私の、近侍の地位すら危ういのですよ?」 諭す口調に三日月は、意外そうな顔をした。 「そなたでも、危機を感じることがあるのか」 顕現して以来、その地位を譲った事がないと言っても過言ではない彼の深刻さには、岩融も目を見開く。 「小狐丸殿がそこまでとは・・・これは、うかうかしておれんな」 改めて向き直った彼が、小狐丸へ膝を進めた。 「一期殿はどのように?」 「えぇ。 皆様もご存知のように、あの方はこの本丸にて、第一の勢力たらんと目論んでおいでです。 徳川を抑え、豊臣の世を再びと、野望を抱いておられるが故に、大きな勢力は取り込もうとのお考えです。 光忠殿をはじめ、伊達の方々に愛想良く振る舞っておいでなのは、今後、長船が増えることを見越してのことかと。 ・・・太鼓鐘殿には、少々手違いがあったようですが」 皆が頷いた中で、今剣が顔をあげる。 「ぼくは、あわたぐちのみんなとあそびながら、みたことやきいたことを、あるじさまにおはなししています。 かむろみたいだって、いじわるをいわれましたけど・・・さんじょうがあるじさまのおそばづかえでいるためには、ひつようなことです」 そうやって、豊臣にも徳川にも付くことなく、第三の立場を確保する策は、小狐丸から託された大事な役目だった。 「確かに、その策によって、三条は巻き込まれずにいるがな・・・」 気乗りしない様子の三日月に首を振った岩融が更に、小狐丸の側へと膝を進める。 「豊臣と徳川の争いで収めている分はよい。 これに源平が関わると俺達も巻き込まれかねんが故に、小狐丸殿は各家の重宝を抑えておられるのだろう?」 「その通り」 岩融の言葉に頷き、小狐丸は三日月を、ひたと見つめた。 「近侍であり続ける事によって、私は三条を、ぬしさまの藩屏(はんぺい)たらしめているのです。 古い刀派の我らがこの地位に居座る限り、若い豊臣と徳川は、源平の重宝を取り込みづらくなり、石切丸殿もお立場を強くされて、大太刀の参戦を抑える事ができる。 いかにも公家のやり方だと、揶揄する者には言わせておけばよい。 ですが今後、徳川が力をつけて来れば、いよいよこの本丸が割れまする。 ぬしさまはこの状況を楽しんでおられますが、万が一、我らが藩屏の地位を失い、三つ巴の一角を崩すような事になれば、争いを止めようがなくなりまするぞ 」 「ならば今のうちに、あれを諌めてやめさせればよいことではないか。 奸臣でないのであれば、せめて諌言せぬか!」 忌々しげに反駁した三日月を、しかし、今剣が眉根を寄せて見上げた。 「そんなことしたら、あるじさまは、こぎつねまるさまのおやくめをといてしまいますよぅ・・・」 「とやかく言われることが、嫌いな御仁だからな」 光忠が長船でありながら、あっさりと近侍を外された事を思い、三日月はため息をつく。 「諌言を聞かず、本丸に無用な争いを起こそうとは、とんだ暗君だ」 「だが三日月殿、このまま小狐丸殿が近侍であり続ければ、最大の勢力は我らを中心とする、どの陣営にも属さぬ者達だ。 豊臣と徳川がぶつかる事になろうが、最大の勢力を持ってすれば止める事は容易であろうし、何より抑止力になろうぞ」 そのためには、と、岩融は三日月を見つめた。 「三日月殿が天下五剣第一の刀として、今後参陣されるだろう方々をも抑えうる立場であらねば。 貴殿こそ、のんきにしている場合ではないぞ」 「その通り」 我が意を得たりと、小狐丸が岩融の言葉に頷く。 「三日月殿、おわかりいただけましたか? 邪魔をなさるなど、ありえないことであられまするぞ」 「だめですよー、みかづきさまー」 三人から見つめられて、三日月は渋々頷いた。 「・・・あいわかった。 これよりは、邪魔だてなどせぬよ。だが・・・」 眉根を寄せて、三日月は小狐丸を睨む。 「せめて、あれが寝込まぬように気をつけぬか。 あれの虚弱さには皆、はらはらしておるというのに、そなたは弱った生き物を愛でるが如き有様だ。 主を囚えたりとでも思っているのか?」 「それにつきましても、申しておきたいのですが・・・私は別に、弱った生き物を愛でる趣味などございませぬよ」 ふっと、吐息した小狐丸は、外へと目を向けた。 「私だけでなく、石切丸殿も・・・いえ、おそらく、神域に身を置く者は同じ考えでしょう。 生を得てより懸命に生き、子を増やし、息絶える瞬間まで負けじと足掻く様は、生き物として最も尊く、美しき様と思われませぬか? 特に私は、宇迦之御魂(うかのみたま)の眷属でありますれば、生も死も豊穣の環のうちと、めでたく思いこそすれ、悪しきものとは思いませぬ」 「う・・・・・・」 言われてみればそうかと、言葉を失った三日月に、小狐丸はまた吐息する。 「どうも皆様・・・現世の方と、我ら神域の者とは考え方が違いますようで、あらぬ疑いをかけられてしまいまするな。 この私が、ぬしさまのお苦しみを愛でるなど、とんでもない・・・」 と、顔を上げた小狐丸は、近づいてくる足音に気づいて振り返った。 襖を開けると、歌仙が足早に歩み寄って来る。 「歌仙殿、私はここに」 「ああ、良かったよ、すぐに見つかって。 至急、御座所へ戻ってくれないか」 「ええ、もちろん」 すぐさま立ち上がった小狐丸を、三日月は見上げた。 「いかがしたか」 彼の問いには、小狐丸ではなく歌仙が向き直る。 「主の風邪が悪化した上に、移された小豆が倒れた。 ・・・だから、主の看病に新刀はやめろと言っておいたのに!」 「なぜそんなことに・・・」 驚く岩融に、小狐丸が苦笑した。 「我が身は神域の物なれば、現世の病に罹る事はありませぬが、そうでない方は・・・」 「かぜがうつっちゃうんですね!」 小狐丸の言葉を引き継いだ今剣に、歌仙が頷く。 「薬研のように、医術の心得があれば別だけど、彼にはそれもなくて、なんの対策もしないまま、無邪気に主の傍にいたんだ。 主も、見栄を張りたがる御仁だからね。 起きるのもやっとの状態なのに、新刀に情けない姿を見せるわけには行かないって、普段通りに過ごそうとするものだから、熱が上がって倒れてしまったんだよ」 だから第一刀権限で近侍を変えたと、歌仙は小狐丸を促した。 「薬研には僕から言っておくから、君は主の看病を頼むよ」 「ええ、お任せあれ」 歌仙へ微笑んだ小狐丸は肩越しに、三日月を見やる。 「失礼をば」 「やれやれ・・・」 得意顔を見せつけられた三日月は、深々とため息をついた。 「あずき・・・! あずき、くるしいのか?しんじゃうのか?! せっかくあえたのに・・・あずきぃ・・・!」 寝込んだ小豆の枕元で、えぐえぐとしゃくりあげる謙信を、光忠は苦笑して抱き上げた。 「小豆くんは大丈夫だよ、謙ちゃん。 ほら、ちゃんとマスクして。 謙ちゃんにまで移っちゃうからね」 「す・・・すまない、パパン・・・! まさか、こんな敵がいようとは・・・!」 「パパンって・・・」 顔を真っ赤にして、掠れた声を上げる小豆にも苦笑する。 「呼び方は訂正の余地があるとして、今はとにかく寝てるんだよ。 栄養と安静が、一番の風邪対策だからね」 と、勢いよく襖が開いて、得意顔の小竜が現れる。 「グランー! 粥持ってきたよー!」 「うん、ありがとう。 小竜ちゃん、ちょっと静かにね」 謙信を降ろした光忠は、代わりに盆を受け取って、再び膝をついた。 「小豆くん、起きられる? 少しでも食べられそうかな?」 「な・・・なんとか・・・」 「俺の特製だよ!」 目を輝かせる小竜にも頷き、半身を起こした小豆は匙を取る。 が、一匙を口に入れた途端、凍りついたように硬直した。 「あれ? おいしすぎて感動したかな?」 のんきな小竜に、小豆は涙目を向ける。 「し・・・塩のかたまりのようだ・・・!」 「あぁ!」 大きく頷き、小竜は親指を立てた。 「熱が出たら汗をかくから、塩が必要だって聞いたんだ! だから、一瓶まるごと入れてみたよ!」 「さびる!!」 得意顔の小竜に、全員が悲鳴を上げる。 「あ、そうかー。 じゃあ、半分くらいにしておけばよかったかな?」 「味見くらいしようか、小竜ちゃん!!」 青ざめる光忠に、小竜は悪びれず笑った。 「だって、明らかにまずそうだったしぃー!」 「あずきをいじめるなー!」 ぽかぽかと小さなこぶしをたたきつけてくる謙信は小脇に抱えて、小竜は手を振る。 「んじゃ小豆ぃー ![]() 早く良くなってね ![]() 旅に出てくる!と嬉しそうにきびすを返した小竜を、二人は唖然と見送った。 「・・・作り直して来るね」 「たのむ。 ところでパパン」 枕元に置かれた水差しの中身をほとんど飲み干した小豆が、真顔を向ける。 「小竜は・・・にどと、ちゅうぼうにいれないほうがいいとおもう・・・・・・」 「僕も今、同じ事を考えていたよ」 さすが家族、と、二人は真顔を見合わせ、頷きあった。 その様を、開け放たれたままの襖の影から、太鼓鐘が歯がみしつつ睨んでいるとも知らずに・・・。 了 |
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10月になったら今年こそちゃんと、大太刀の出雲お出かけを書こうと思っていたのでした。 祝・蛍丸神諮デビュー! 長船も続々集まって嬉しいのです。 ・・・うちにはまだ、謙信いませんけどね!! 大般若は10/15現在、チラ見せの状態ですが、きっと来てくれると・・・信じている!! ちなみに現在進行形で、ひどい風邪に苦しんでいますが、これを書き始めたのは9月末なので・・・。 まさか、本当にこんなに寝込むとは思ってなかったと言う・・・。 ちなみに我が本丸は、情報公開と見える化、意見募集にも熱心です。 あちこちの本丸で、『主は何を考えてるんだ』ってセリフが出てくるので、『それは経営者として一番持たれてはいけない不信感だ』ってことで、我が本丸では高度に秘匿された情報以外は公開の方針です。 もちろん、社外秘ではありますけど。 ってことで皆、本丸運営頑張ろう。 |