〜 1624/10/17 〜






 晩秋を迎えた陽光は、かつての苛烈さを失くし、ただ清澄に降り注いでいる。
 冷たい風が病床の主の身体には良くないからと、締め切られた障子を彼は、そっと開けた。
 「おぉ、尼君。ご覧あれ。
 庭の紅葉が見事に色づいている。
 まさに、
 散らねども かねてぞ惜しきもみぢ葉は 今はかぎりの 色と見つれば
 と言ったところかな」
 声をかけるが、返事はない。
 「尼君。尼君や。
 お加減が悪いか。
 せっかくの良き日和だというのに。
 さぁ、起きて共にご覧あれ。
 俺に、昔の話を聞かせておくれ」
 床に臥せたまま、浅く息をする老女へ、彼はひたすら声をかけた。
 「尼君・・・」
 伏せた目に写る老女は、かつての快活な生気を失くし、ただゆっくりと、死出の旅路へと向かっている。
 と、
 「誰だ、障子を開けているのは」
 咎めるような声と共に障子を開けた男が、一人部屋に踏み入るや、素早く閉ざして侍者を締め出した。
 「・・・おかかさま。
 おかかさまの長丸が参りましたぞ」
 枕元に両膝をついた男の呼びかけに、老女はうっすらと目を開ける。
 「長丸や・・・」
 じわりと微笑んだ老女は、厚みのある上掛けから細い手を出し、枕元に置かれた一振りを指した。
 「三日月宗近・・・こなたさまに。
 長い戦乱の世を生き抜いた太刀は・・・きっと、天寿を全うさせてくれる」
 「おかかさま・・・!」
 幼名で呼ばれた、時の将軍は子供のように老女の手に縋り、その様を彼は、伏せた目で見つめる。
 「坊・・・坊や。
 そなたは長く生きるであろうな?
 俺を、長く愛でてくれような・・・?」
 約束しろと、縋った彼もしかし、太平の世を眺めつつ数年後には鬼籍に入った。
 「なんとも・・・儚いことよ」
 人の脆さには、もはや涙すら出ない。
 「俺を・・・長く愛でるものは・・・・・・」
 ため息をこぼす彼の袖を、誰かが引いた――――・・・。


 「じぃじ。
 じぃじ、風邪ひくよ」
 ついついと袖を引かれ、三日月は目を開けた。
 「おや・・・寝ていたかな」
 濡れ縁に差す光は暖かく、しかし、新春の風は冷たい。
 「あぁ、すっかり冷えてしまった」
 笑った三日月は傍らの童女を抱き上げ、膝に乗せた。
 「沙那子は暖かいな。
 しばらくこうしていておくれ」
 抱きしめると、人形とは思えない暖かさが、じわりと伝わってくる。
 「じぃじ」
 「なにかな?」
 木石の心も蕩かす美しい笑みに、人形でありながら一瞬、言葉を失った沙那子は、三日月の胸元を掴んだ。
 「・・・いやな夢、みた?」
 「いいや?
 嫌なことではない。
 ただ少し・・・懐かしい夢であったかな」
 そう言って彼は、やや強く、沙那子を抱きしめる。
 「こなたは、俺を置いて身罷ることはないのだろうな」
 軽口を装った問いには、生真面目に頷かれた。
 「沙那子は人形だから。
 ボディが損傷しても、記録・・・じゃない、記憶はバックアップされているから、データが保持される限り、沙那子は死なない」
 「そうか・・・。
 俺がここに在る限り、愛でてくれよ」
 「うん」
 こくりと頷いた彼女は、三日月の手を取る。
 「じぃじ、冷たくなってる。
 部屋に入った方がいいよ」
 「そうだな。
 暖かい茶でももらおうか」
 膝を降りた沙那子に続いて三日月が立ち上がった時、勢いよく襖が開いた。
 「おーい!三日月ぃー!お仕事だよーん!」
 「わっ」
 一歩が大きな大太刀の足に引っ掛けられて、沙那子が部屋の隅まで転がる。
 「沙那子!!
 大事ないか?!」
 慌てて沙那子を抱き上げた三日月は、きりっと次郎太刀を睨んだ。
 「次郎!足元に気を付けんか!!」
 「ありゃりゃ、ごめーん!」
 でもぉー、と、彼は悪びれず笑う。
 「あんた人間の気配がないから、ちょろちょろされると気づかないんだよぉー。
 じっと動かない卓なんかだったら、こっちも足の小指ぶつけたくないから気を付けるけどさ、目線が高いから、小さくて動く物は避けられないんだ。
 だからあんたが気をつけな」
 「うん・・・」
 「そなたが気を付けんか!
 沙那子も、ここは怒ってよいところだぞ」
 次郎太刀だけでなく、彼に頷いた沙那子にまで、三日月は眉根を寄せた。
 「でも・・・沙那子が人間じゃないのはほんとだし」
 「それでもだ。
 沙那子は、この本丸の主であろうに。
 次郎も、主を敬わぬか」
 「はぁーい」
 肩をすくめた次郎太刀が、沙那子の頭を撫でてやる。
 「あたしも気をつけるけど、あんたもむやみに神剣の傍には寄らない方がいいよ。
 あたしらって、目で見ることはあんまり得意じゃないんだ」
 「そうなの?」
 初めて聞いた、と目を見開く彼女に、次郎太刀はにこりと笑った。
 「目で見ることしかできないで、どうやって願いを聞いたり厄を落としたりするのさ。
 そうやって別の所ばっか見てるから、足元が見えないんだよねえ。
 灯台下暗しってやつ?
 違うか!」
 けらけらと笑う次郎太刀に、三日月は苦笑する。
 「まんまと正当化しおって」
 「あぁ、でも蛍なら身長同じでしょ?
 さすがに蹴飛ばすことはないと・・・どしたー?沙那子ー?」
 途端にむくれてしまった彼女の上に、次郎太刀がしゃがみ込んだ。
 「ほたるはっ!沙那子よりおっきいって言うけど!
 髪の毛の分、おっきいだけだもんっ!
 背比べしようとするとつま先で立つし!
 じぃじ!
 めっ!てして!!」
 「いやいやー。
 そこは沙那子が折れてやんなよ。
 大太刀なのにちっさいこと、すごく気にしてるんだからさ、蛍はー」
 膨らんだ頬をつつきながら、次郎太刀が笑う。
 「ちっちゃくて可愛いって言われるのが好きな沙那子と違って、蛍丸はちっちゃくて可愛いって言われるのが嫌いなんだからぁ。
 背比べなんて、いじわるしちゃダメダメンv
 「あー・・・そうか」
 言われてようやく、膨れていた沙那子の頬がしぼんだ。
 「わかった。
 オトコノコのプライドね」
 「そうそう。
 イイオンナは、いじめるのにも加減を知ってるものだよv
 ぽんぽん、と、軽く沙那子の頭を叩いた手を、次郎太刀は振る。
 「じゃ、あたしらお仕事行ってくるねーv
 ホラ!三日月!」
 「あぁ、そうだな。
 沙那子、じぃじが帰るまで、寂しかろうが泣くではないぞ。
 いじめるものがおればすぐに・・・」
 「いーくーよー!!」
 名残を惜しむ三日月を、次郎太刀は容赦なく引きずって行った。


 「・・・今日のじぃじはいつもより過保護だった」
 ここ数日のデータを照らし合わせながらぺたぺたと回廊を歩いていると、不意に傍らの障子が開いた。
 「あ、やっぱり沙那子ちゃんだ!
 足音でわかるよね!」
 顔を出した乱に言われて、沙那子は自身の足を見る。
 「そうなの?」
 「うん。
 ボク達はこんなに可愛くても武人だからさ。
 しゃきしゃき歩くけど、沙那子ちゃんはぺたぺた歩くよね」
 そう言って、笑った乱が肩越しに見やった薬研も、こくりと頷いた。
 「偏平足だからだろ。
 安定性優先だから、仕方ないけどな」
 くすくすと笑われて、むっとする。
 「二足歩行ができるだけでも、すごい技術なのに!!」
 「でも足、遅いよな!」
 厚のからかい口調に、ますますむくれた。
 「もぉ、厚とは遊ばない!」
 ぺたぺたと、通り過ぎようとした沙那子を、乱が呼び止める。
 「なに!」
 「厚はほっといていいから、ボクとショッピングしよっ!」
 言って、乱はファッションサイトを表示したタブレットを差し出した。
 「沙那子ちゃん、着物はたくさん持ってるけど、お洋服少ないでしょ?
 似合いそうなの見つけたんだぁ!」
 おいで、と呼ばれて、沙那子は乱の隣に座る。
 「ねー?
 このピンクの甘ロリータ服とか、いいでしょう?
 沙那子ちゃん色白だから、きれいな色が似合うよーv
 こっちのアイドル風衣装もいいよね!
 あ、私立小学校の制服っぽいのもどぉ?!Aラインのワンピ、きっと可愛い!!」
 目を輝かせる乱の背後から、薬研と厚もタブレットを覗き込んだ。
 「小学校?」
 「幼稚園じゃなく?」
 「こらこら」
 からかわれてぷっくりと頬が膨れてしまった沙那子の頭を撫でながら、乱がたしなめる。
 「キミ達だって、言うほどおっきくないでしょ。
 ねーv
 気にしないで、沙那子ちゃんv
 「私はもっと、成長した姿を見せていただきたい・・・っ!」
 突然、背後から肩を抱かれた乱が飛びあがった。
 「いっ・・・いち兄!
 脅かさないで!」
 いつの間にか背後に迫っていた一期一振に声を荒らげるが、彼は気にせず、乱の肩越しにタブレットを弄る。
 「沙那子殿、資金は私が提供しますので、この成人女性ボディを買いましょう。そうしましょう」
 高額な商品を簡単にカートへ入れた彼を、沙那子は冷たく見上げた。
 「いちご・・・それ、購入不可品なのだけど」
 ほら、と、小さな指で表示されたエラーの文字を指すと、一期一振は手をわななかせる。
 「なぜ!!
 画像は載っているのに!!」
 「公序良俗に反する恐れがあるため、製造販売を中止した、って書いてるでしょ」
 もう何年も前のことだと言う彼女に、一期一振は激しく首を振った。
 「公序良俗に反したりしませぬよ!
 私は純粋に!
 女人が好きなだけです!!」
 「いち兄の存在が、この本丸の公序良俗に反してる気がする・・・」
 頭を抱える乱に、一期一振はむっとする。
 「失礼な。
 私はごく当然の・・・おや?」
 購入禁止のエラー表示が明滅する隅に、『特別注文のご案内』のリンクを見つけて、一期一振は首を傾げた。
 「あ!」
 蒼ざめた沙那子が止める間もなく、彼はその項目を開く。
 「HA型特別注文のご案内。
 弊社では、成人型人形の特別注文を受け付けております。
 身分証のご提示と誓約書をご提出いただいたのち、社内審査、公的機関の審査を経て受注いたします。
 なるほど」
 読み上げた一期一振は、真面目な顔で頷いた。
 「身分証は、宮内庁発行の皇室所持品証明書でよろしいか?
 御物に口答えのできる公的機関なぞありませんからな。
 それで足りないのであれば、折り紙(鑑定書)もつけるが」
 「なんで買う気満々なの!!」
 甲高い声を上げた沙那子を、彼は真顔で見下ろす。
 「声も、ふさわしい女声にしましょう。
 今のままでは幼すぎますからな」
 早速見積り依頼を、と言う彼の手を、沙那子だけでなく弟達も協力して押さえつけた。
 「なにをする・・・っ!」
 「風紀紊乱反対っ!」
 「せっかく妹ができたのにっ!お姉さんになるの、だめっ!!」
 「いち兄、よく考えろー?
 購入費だけでもバカ高いうえに、維持費とんでもないぞ?
 沙那子は官給品だから、維持費は政府持ちだが、勝手にボディ替えるとこっち持ちだぜ?」
 「博多が激怒すっから。
 とんだ金食い虫だって、沙那子解かしちまったらどうすんだ」
 薬研と厚の説得は、他の者にならそれなりに効いたかもしれない。
 が、一期一振は不敵に笑った。
 「私の前の主は、大坂城の主だぞ?
 我が城に入り込んだ無礼者の討伐がてら、資金集めをすれば財が枯渇することもない。
 さぁ、沙那子殿。
 我が理想の女人におなりください」
 「や・・・やだ・・・!」
 膝を進めて迫る一期一振から慌てて逃げようとするが、足の遅い沙那子はあっさりと捕まった。
 「さーぁv
 イイオンナにおなりv
 「わぁぁぁぁぁんっ!!」
 「うちの子を泣かせてるのは誰だいっ?!」
 泣き声を聞くや、一瞬で駆けつけた歌仙が、沙那子を抱える一期一振へ抜刀する。
 「今すぐうちの子を放せ」
 「私の主でもあるのに」
 ため息をつきつつ放してやると、沙那子は泣きながら歌仙の袴に縋った。
 「女好きが昂じて、幼女にまで手を出すようになったのかい?!」
 「まさか」
 刀を収めた歌仙へ、一期一振はくすくすと笑う。
 「色よい女人になっていただけるよう、お願いしていただけですよ」
 これ!と、彼が指した画像に、歌仙は眉根を寄せた。
 「必要ないよ!
 我が本丸の風紀を乱さないでほしいからね!」
 「あなただって嫌いではないでしょう。
 和歌集は大半が恋の歌ではありませんか」
 「なっ・・・!」
 声を失った歌仙を、沙那子がじっとりと見上げる。
 「それとこれとは違うだろう!
 話をすり替えるんじゃないよ!」
 まったく、とぼやいた歌仙が沙那子を抱き上げた。
 「おいで。
 昼餉の支度中だったんだ」
 「ああー!
 沙那子ちゃん、お買い物ー・・・!」
 名残惜しげに言った乱は、兄がこっそりと見積り依頼を出そうとしていることに気づいて、慌ててタブレットを取り上げる。
 「持ってって!!」
 「うんっ・・・!!」
 沙那子にタブレットを渡した乱は、兄を拘束する兄弟達に加勢した。


 「それ、買い物用の通信端末だろう?
 沙那子は何か、欲しいものがあるのかな?」
 厨房へ向かいながら歌仙が問うと、彼に抱えられたまま、ショッピングサイトを見ていた沙那子は頷いた。
 「あし」
 「あし、とは?」
 この足か、と、ぶらぶら揺れるそれをつついてやると、また頷く。
 「うん。
 薬研に、偏平足だって言われた。
 ぺたぺた音がしない、足がほしい」
 「その音が愛らしいのに・・・」
 苦笑する歌仙に、沙那子は頬を膨らませた。
 「可愛いけど、威厳はないもの」
 「近年では、可愛いは正義だと言うらしいよ?」
 加州に聞いた、と笑う彼に、沙那子は眉根を寄せる。
 「そうだけど・・・。
 蛍は沙那子のこと、自分よりちっさいっていうし、短刀はお子ちゃまだってからかうし・・・。
 沙那子、人形だけど子供じゃないのに!」
 「うん、そうだね。
 よく頑張っているよ」
 この本丸が立ち上がって、既に数か月。
 当初は人形の主に不安を感じてもいたが、鍛刀以外は十分うまく回って、今では刀剣の数もだいぶ増えていた。
 そう褒めてやると、沙那子ははにかんで頬を染める。
 「歌仙やじぃじたちが助けてくれるから・・・。
 鍛刀は、鶴じいがやってくれるし・・・」
 「鍛刀で失敗するところなんて初めて見たって、驚いていたからねぇ」
 くすくすと笑いながら、歌仙は厨房の暖簾をくぐった。
 「外して悪かったね、光忠。
 沙那子の危機を救ってきたよ」
 「あぁ、お帰りー。
 沙那子ちゃん、大丈夫だったの?」
 何があったのか、気になる様子の光忠に事情を話すと、彼は呆れたように肩をすくめる。
 「一期さんったら・・・。
 ここに来た時も、そりゃあ抵抗していたからねぇ・・・」
 「人形が嫌なんじゃない、幼女には食指が動かない!って・・・妙齢の女人だったら何をする気だったんだろうね、彼は」
 他の本丸の風紀が心配だと、真顔になった歌仙は椅子を引いて沙那子を乗せた。
 「はい、さやえんどうの筋を取るお手伝いをしておくれ。
 そっちは夕餉用だから、ゆっくりでいいよ」
 「今日は鶴さんと伽羅ちゃんが連隊戦で出陣だから手が足りなくてねぇ・・・。
 沙那子ちゃん、悪いんだけど厨房メンバーはせめて、3人は本丸に残してくれないかなぁ。
 大人数の食事を準備するのに、2人じゃ手が足りないんだ」
 「わかった」
 小さな手で手際よく筋を取りつつ、沙那子が頷く。
 「じゃあねぇ、にぃにたち。
 厨房メンバー補充のためにも、そろそろ太鼓鐘を連れてきて?」
 その命令に、二人はしばし、無言になった。
 「貞ちゃんが・・・来てくれるのは嬉しい。
 とても嬉しいよ。
 だけど・・・・・・」
 「延享年間を・・・渡る自信がまだないな」
 「そのために」
 表情を硬くする二人を、沙那子は黒くつぶらな瞳で見つめる。
 「小夜を、修行に出してる。
 小夜が帰って来たら、最初に修行に行った乱を護衛につけて、歌仙と光忠、それに伽羅と鶴じいが行けば、調査もできて一石二鳥でしょ?」
 ね?と、小首を傾げる彼女に、二人はため息をついた。
 「・・・戻ってすぐに手入れ部屋が使えるよう、準備しておきたまえよ」
 「ま、いずれは行かなきゃだしね」
 とうとうその時期が来たかと、光忠が苦笑する。
 「オーケィ。
 小夜ちゃんいないけど、鶴さん達が帰ってきたら作戦会議しよう」
 「新しい刀が来てくれればいいけどね。
 料理ができれば、言うことはないのだけど」
 「りょうり・・・・・・」
 歌仙の期待に、沙那子は首を傾げた。
 「うまくいけば・・・今の出陣で、じぃじ達が大包平を連れてくるけど、料理はどうだろう?」
 「大包平くんか・・・。
 鶯丸さんが喜ぶだろうけど、料理好きって話は聞いたことないよね」
 「それどころか、なにやら面倒そうな御仁だとしか思えない評価だね」
 不安げに顔を見合わせる二人を見上げていた沙那子が、子供用の背の高い椅子から不器用に降りる。
 「沙那子ちゃん、どうかした?」
 「お手伝いに飽きたのかい?」
 歌仙には首を振って、彼女は小さな指で出口を指した。
 「じぃじ達、帰ってきたから。
 新しいのも来たし、お迎え行ってくる」
 ぺたぺたと早足で出ていく様に、光忠が目を和ませる。
 「あのぺたぺたって足音、可愛いよねぇv
 「でも、あれが嫌で足を買い替えるとか言ってたよ」
 「えー・・・。今のままでいいのにー・・・・・・」
 残念そうに言って、光忠は肩を落とした。


 「じぃじー」
 出立の間から出て来た部隊へと、ぺたぺた駆け寄ってくる沙那子を見るや、三日月は膝をついて両手を広げた。
 「おぉ、沙那子や。
 迎えに来てくれたのか。
 嬉しいな」
 胸に飛び込んで来た沙那子を抱きしめ、ふっくらとした頬に頬ずりする。
 「なんだ、歓迎は三日月だけか?」
 からかうような口調で、鶴丸が沙那子の頭を撫でた。
 「沙那子ぉーv
 ホラ、こっちこっち!
 お土産あるよーんv
 「このっ!大太刀!!放せっ!!」
 次郎太刀に襟首を掴まれて運ばれてきた太刀が、沙那子の前に放り出される。
 「次郎・・・。
 そのように扱っては気の毒ですよ。
 立てますか?」
 太郎太刀が差し伸べた手を取らず、彼は憤然として立ち上がった。
 「なんだ、そのちっさいのが主か!」
 傲慢に見下ろす彼を、沙那子はむっとして見上げる。
 「ちっさいの、じゃない。沙那子」
 「ちっさいじゃん」
 「ほたるだってちっさいじゃないか!」
 「俺の方がおっきいもん!」
 「同じ背丈でしょぉ!!」
 三日月の腕から出た沙那子が、蛍丸の帽子を取り上げようとするが、素早く逃げられてしまった。
 「ほたる!
 帽子、取りなよ!!」
 「やだっ!!」
 「おい・・・!」
 完全に放置された太刀が、不満げな声を上げる。
 「この!大包平を無視するとは!いい度胸だな、ガキども!」
 「うっさい、かねひら!」
 「ガキじゃない!沙那子!!」
 甲高い声で吠え立てられ、こめかみを引き攣らせた大包平が、二人の頭を鷲掴みにした。
 「大をつけろ、ちびすけが!
 ちっさいのは事実だろうが、ガキ!」
 怖い顔で見下ろした途端、二人の目が潤む。
 「くにゆきー!くにゆきぃぃいいい!!!!」
 「じぃじー!!じぃじー!!!!」
 ぎゃあん!と、高音の泣き声に大包平が眉をしかめた瞬間、
 「・・・よしよし、沙那子。泣くでないぞ」
 「うちの子を泣かすとはいい度胸だな、新刀。このまま逝くか?」
 左右の頸動脈に、三日月と鶴丸の刃が添った。
 真冬の月を思わせる、冴え冴えとした碧眼と、獲物を前にした猛禽の目が間近に迫り、喉を鳴らした大包平の頭を背後から、大きな手が掴む。
 「このまま首を捻ってやろうか?」
 凍り付いたように冷たい声音で言うや、彼の首を刃に押し当てようとする力に、必死に抵抗した。
 「まぁまぁ、巴ぇーv
 「落ち着きなさい。
 それでは沙那子殿が血まみれになりますよ」
 口では止めながら、既に大太刀の鯉口を切っている二人からは、殺気しか感じない。
 その上、
 「蛍丸ーv
 血ぃのかからん辺りに沙那子はん連れて行きやーv
 いつの間にか現れた明石が、その細い腕には意外な膂力で大包平の両手首を掴み、引きはがした。
 「・・・うちの子になにしますのや、あんた。
 死にますか?このまま死にますか?」
 狂気を宿した目までもが間近に迫り、大包平は声も出せず、震えることすら許されずに固まる。
 と、彼の前に沙那子が進み出た。
 「沙那子、ってよびなさい!」
 「んなっ・・・生意気な・・・!」
 素直に従うことに抵抗がある大包平の頭を、更にぎりぎりと巴形が締め上げる。
 「そら、主の命令に従え」
 「無理にとは言わへんよ?」
 すらりと刀を抜いた明石が、大包平の胸に刃先を突きつけた。
 「・・・次に来るあんたはんは、もう少し素直やろか」
 「さ・・・沙那子・・・・・・」
 消え入るような声に、沙那子は頷く。
 「巴、もういいよ」
 「優しいな、主は」
 「ぎゃっ」
 巴形が不意に手を離したため、彼の力に抵抗していた大包平がよろめき、首に浅い傷を作った。
 「やや、すまんな」
 「巴がいきなり放すから、刀を引くのが遅れたぞ」
 にこやかに、しかも悪びれず、三日月と鶴丸が太刀を収める。
 「この程度、つばつけときゃ治る治る!」
 けらけらと笑いながら次郎太刀と、太郎太刀も刀を収めた。
 「蛍丸v
 最後に殴っとかんでええのんか?」
 振り返った明石に問われて、蛍丸は猫のように目を光らせる。
 「後で・・・手合せしよ?」
 殺ろう、と、拒否を許さない目で迫られた大包平は、頷くほかなかった。
 と、
 「主。
 怪我はないか?
 痛いところはないか?」
 大包平を押しのけて進み出た巴形がふわりと袖を翻し、膝をついて、気づかわしげに沙那子の顔を覗き込む。
 「沙那子には痛覚がないから大丈夫」
 「しかし」
 親鳥が雛を守るように、彼は沙那子を抱き寄せた。
 「怖かったのだろう?
 可哀想に・・・」
 じろりと、肩越しに睨まれた大包平が、びくりと飛び上がる。
 そこへ、
 「皆、そのくらいで」
 と、太郎太刀が冷静な声をかけた。
 「軽傷ですが、大包平は手入れをした方がいいでしょう。
 他に、怪我をしている方は?」
 「そうや!
 蛍丸、怪我はないんか?
 あの兄さんに掴まれたところとか、いじめられたところとか」
 慌てて蛍丸の前に跪いた明石に、彼は大きく頷いた。
 「ないよ!
 敵をこてんぱんにしてやった!」
 「そうかーv
 蛍丸は強い子やんなぁv
 明石はわしゃわしゃと蛍丸の頭を撫でてやってから、大包平に跳ね飛ばされた帽子をかぶせてやる。
 「まぁ、今回は大包平を迎えに行っただけだからな」
 微笑む三日月に頷き、鶴丸が懐から指示書を取り出した。
 「あとは・・・日本号と日向か。
 日本号が来れば、御手杵と蜻蛉切が喜ぶな。
 日向はここで初めての正宗か。
 関わりのある奴は、持ち主で西軍の奴ら、刀派で貞宗か?
 まぁ、貞坊達はまだ、いないけどな。
 伽羅坊は・・・興味ないか」
 「しばらく寂しいかもね。
 沙那子、ちゃんと構ってあげなよー?」
 「うん」
 次郎太刀が、素直に頷いた沙那子の頭を嬉しげに撫でる。
 「では、こちらはしばらく、私が構いましょうか」
 放置したまま、誰もが無視していた大包平を、太郎太刀が小脇に抱えた。
 「何をする!放せ!!」
 じたじたと暴れる大包平に吐息し、太郎太刀は歩を進める。
 「手入れ部屋へ連れて行くだけですよ。
 おとなしくしなさい」
 「自分で歩ける!!」
 「そうでしょうけれども、あなたを一人で行かせると、あちこちに喧嘩を売りかねない。
 本丸の空気が刺々しくなることを、私は好みません」
 太郎太刀の言葉に、次郎太刀がうんうん、と頷いた。
 「あんた、兄貴の言うことは聞いた方がいいよ。
 今、あんたを抱えてる大太刀の本性は、鬼より怖いカミサマだからねぇ」
 「鬼・・・・・・」
 次郎の言葉にきらりと、大包平の目が光る。
 「では、貴様を倒せば、俺は童子切を超えたということか!」
 「なぜそうなる」
 呆れる三日月に、大包平は不敵に笑った。
 「残念だったな、三日月!
 一足飛びにお前も越えてみせるぞ!」
 「・・・いや、そんな恰好でいきがられてもな」
 太郎太刀の小脇に抱えられたまま、こぶしを握る様に、鶴丸も呆れる。
 「主、馬鹿がうつるから行こう」
 「蛍丸、見たらあかんでー。あほの子になってまう」
 「おい!!」
 巴形と明石の冷たい言葉に抗議の声を上げるも、太郎太刀は構わず彼を手入れ部屋へ放り込んだ。
 「さて、と。
 沙那子殿、次はいかがしますか?
 人員を替えて連隊戦を続行しますか?
 それとも別の戦場へ・・・」
 「その前に昼餉に決まってるだろう!
 さっきまでひなたぼっこしていた三日月と違って、俺は朝から出ずっぱりだったんだぞ」
 太郎太刀の言葉を遮って、鶴丸が口を尖らせる。
 「なにさー。
 強敵が出る度に、他の子押し退けて隊に加わったの、鶴丸じゃんか」
 口をはさんだものの、次郎太刀も昼餉に反対するわけではなかった。
 「ひとまず新刀確保のご褒美で、一杯もらうよーん♪」
 陽気な声をあげて次郎太刀が歩を進めると、ようやく道が空いたと、出立の間からわらわらと刀剣達が出てくる。
 「でかいのがなんつまっとーとや!
 後ろがつかえとるとばい!」
 「主の!
 主の泣き声が聞こえたぞ!!
 なにがあった!」
 「・・・お前達、うるさい」
 先を争って出て来た博多と長谷部の後ろで、大倶利伽羅がため息をついた。
 が、長谷部は構わず、巴形に抱かれた沙那子へ駆け寄る。
 「主・・・!
 どうしたのですか、なにか・・・」
 ギリッと、彼は巴形を睨んだ。
 「こいつが無礼を働きましたか」
 「俺がそんなことをするはずがない。
 新刀が調子にのっただけだ」
 言うや巴は、長谷部の手が届かない高さにまで沙那子を担ぎ上げる。
 「貴様っ!
 主を降ろして差し上げろ!!」
 「うるさい、長谷部。
 さぁ、主。
 皆が昼餉の間、俺と作戦会議しよう。
 主の敵は全て、俺が薙ぎ払うからな」
 「あの・・・二人とも、沙那子のことを主とは呼ばなくても・・・」
 高い場所で困惑する沙那子に、巴形は首を振った。
 「いいや、主。
 人でなくとも、俺にはただ一人の主だ。
 ・・・こいつと違って」
 「俺を浮気者のように言うな!!」
 「長谷部が浮気者なら、俺なんかどうなんだ」
 怒鳴る長谷部に、鶴丸が笑う。
 と、性懲りもなく回廊に溜まる者達を押しのけて、出立の間から出て来た岩融が、巴形から沙那子を取り上げた。
 「仕えた主が多いということは、それだけ見事な刀剣だったということだ!」
 「・・・っ岩融!!」
 「どこへ行く貴様!!」
 肩の上に沙那子を乗せ、大股に奥へと向かう岩融に声を荒らげると、彼は肩越しに笑みを向ける。
 「博多も言っていただろう。
 大きなものが溜まっていては、皆が出立の間から出られない。
 連帯戦は二十四人もの人数を使うのだぞ?
 腹を空かせた第四部隊が暴れる前に、道を開けてやれ」
 「そ・・・それもそうだな」
 気まずげに頷いた長谷部が岩融の後に続くと、皆、ぞろぞろと従った。


 「じゃーあ、次のメンバーはー・・・」
 戦から帰って来た面々が昼餉を取っている間、沙那子は厨房で、さやえんどうの筋を取りつつ足をぶらぶらさせた。
 「今度は敵が一番強いエリアに行ってもらうことになるから、修行帰りのメンバーじゃないと、難しいね」
 配膳から戻って来た光忠が言うと、歌仙も頷く。
 「僕も修行に行けたらいいのだけど、この本丸を放置して行くのは、沙那子が心配だし・・・。
 強さか沙那子の安全か、と言われたら、当然、沙那子の安全の方が大事だからね」
 眉根を寄せた歌仙に、光忠が苦笑した。
 「みんな刃物だから、可愛がり方が乱暴なんだよねぇ・・・」
 「じぃじ達がいるから、沙那子のボディ自体は大丈夫だけど・・・」
 と、小首を傾げる。
 「歌仙がいないと・・・不安かな」
 きっと皆をまとめられない、と言う彼女の頭を、歌仙は撫でてやった。
 「面倒そうな御仁も来たことだしねぇ。
 そういえば彼、料理はできるのかな。
 なにか、それらしいことは言っていたかい?」
 問うと、沙那子はふるりと首を振る。
 「それどころじゃなかった」
 「だよねー、知ってる。
 歌仙君、沙那子ちゃんの泣き声聞きつけて、こっそり見に行ったくせに、なに言ってるんだよ」
 「みっ・・・光忠っ!!」
 せっかく素知らぬ顔をしていたのにと、歌仙が顔を赤くした。
 「・・・あ、そうだ」
 ぱちりと瞬いた沙那子に、歌仙が未だ赤い顔を向ける。
 「なんだい?」
 「大包平。
 せっかく参陣したんだから、隊に組み入れないと」
 「あぁ、そうだよねぇ。
 連帯戦って、最後の部隊が勝てばいいんだし、第一部隊の隊長にでもしてあげれば、気持ちよく働くんじゃないかな」
 沙那子の言葉に頷いた光忠が、ややして苦笑した。
 「まぁ・・・初戦は室内戦か夜戦が多いから、僕ら太刀には不利なんだけどね」
 「そこはちゃんと、この集合知殿が采配を振るだろうさ」
 歌仙のからかい口調に、沙那子はこくりと頷く。
 「そういうのは得意。
 もう、組み合わせは考えたから、お昼が終わった頃に知らせるだけ」
 一瞬で何万通りも隊を組み合わせ、適した答えを導き出した沙那子は、足をぶらぶらさせた。
 「だから・・・ねーぇー。にぃにー」
 小首を傾げ、甘え声を出す沙那子に、歌仙が苦笑する。
 「おねだりかい?」
 「うん。
 あし、買っていいでしょ?
 ひざ下・・・ううん、くるぶしから下でもいいから、今より3cmくらい、背が高くなるのがほしい。
 ほたる、おいこしちゃうの!」
 早口で言った彼女に、光忠も苦笑した。
 「なに?また喧嘩しちゃったの?」
 「うん。
 ほたるに、いじわる言われた」
 ぷっくりと膨らんだ頬を、光忠が指先でつぶす。
 「オトコノコを身長で負かすのは、ダメージが大きいからやめてあげてよ」
 くすくすと笑う彼に、しかし、沙那子は強情に首を振った。
 「次郎にも言われたけど!
 もぉゆるさないもん!!」
 ばたばたと足をばたつかせ、言い張る彼女に二人は吹き出す。
 「気が強いねぇ」
 「まぁ、沙那子ちゃんはここの主なんだから、そのくらいでいいよ」
 呆れる歌仙に頷いた光忠が、作業台の上に置かれたタブレットを取り上げた。
 「足ねぇ・・・足・・・・・・。
 沙那子ちゃん、特別仕様だから・・・すごく・・・・・・お高いね・・・・・・」
 購入費もだが、維持費がすごい、と声を引き攣らせた光忠が、真剣な目を向ける。
 「沙那子ちゃん、僕は、今のままの沙那子ちゃんが好きだなぁ。
 ぺたぺたって足音も、すごくかわいいよ?
 このままでいなよ」
 「光忠。
 お値段見て態度かえるの、あからさますぎる」
 また頬を膨らませた沙那子に、光忠は首を振った。
 「だって!
 本丸の食費、3年分だよ?!いくらなんでも高すぎるでしょ!!」
 「食費って、ほぼ自給自足なんだから、この規模の寮を維持する食費よりずいぶん安いでしょ!」
 すかさず反駁した沙那子に、歌仙が肩をすくめる。
 「計算ごとは、沙那子の方が上手だからねぇ。
 だけどこんな費用、どこから出すんだい?
 本丸運営費から出すのはご法度だろう?」
 なんとか諦める方向へ話を持っていこうとする歌仙に、沙那子は自信満々の笑みを浮かべた。
 「じぃじ達に、たくさんお年玉もらった。
 それを運用して、支払期日までには千倍に・・・」
 「お待ち。
 それは法的に問題があるんじゃないか?」
 「そんなもの、いくらでもかいくぐれるから大丈夫!」
 そうまでしても欲しいとねだられると、歌仙も承知するしかない。
 「やれやれ・・・。
 沙那子ちゃん、どれがいいの?」
 光忠が、人形のボディパーツが表示されたタブレットを差し出すと、彼女は嬉々として受け取った。
 「爪の形が可愛いのがいい。
 清光みたいに、『ぺでぃきゅあ』したい。
 そして、ほたるより背が高くなるのがいい」
 上機嫌でページを繰る彼女を、光忠がはらはらしながら見つめる。
 「あ・・・あんまり高いのはやめてね。
 稼ぐにしても、金融関係で派手に動いちゃ、本陣に怒られちゃうからね?」
 「もう、覚悟を決めたまえよ、光忠」
 首を振って、歌仙がため息をついた。
 「こういう高価な品は、むしろ思い切って最高級の物を手に入れたらいいのさ。
 その方が、結果として節約になるものだよ」
 「きめた!これにする!」
 反対される前にと、注文を確定してしまってから、沙那子は画像を拡大する。
 「可愛くて、接続部で身長の調整可能。
 なにより、土踏まずがある!!」
 得意げに掲げたその値段に、光忠がめまいを起こした。
 「・・・・・・っ食費5年分!」
 「配送先は、メンテナンス担当のあねさまのところにしておいた。
 歌仙、1日分の連帯戦用ローテーション表を作っておくから、沙那子が留守の間はお願いね」
 「いいけど・・・担当の女史に、ぜひとも伝言をお願いするよ。
 十月の『月めんてなんす』の時のように、いきなり沙那子の容姿を変えたりしないでくれ、とね」
 渋い顔をする歌仙の隣で、息を吹き返した光忠も頷く。
 「西洋人形風の沙那子ちゃんも可愛かったけど、十月の間、出雲に行っていたご神刀のみんなはあの容姿が沙那子ちゃんだってわからなかったし、乱くんと同じ顔になった時なんかは、三日月さんや鶴さん達、ご老刃太刀が混乱しすぎて認知症発症しそうになったから、気を付けてあげて」
 「でもあねさま、ハロウィン仕様だってゆってた」
 「ここは日本だと、それもちゃんと伝えなさい」
 「はぁい」
 欲しいものを手に入れて上機嫌の沙那子は、さやえんどうの筋を急いで取ってしまうと、嬉しげに椅子から降りた。
 「じゃあ、御座所に表を置いておくね」
 言うや、ぺたぺたと足音を響かせながら厨房を出ていく。
 「・・・あの音も聞き納めかぁ」
 寂しげな光忠に、歌仙も苦笑して頷いた。


 翌日。
 鶴丸によって首に縄をかけられ、厨房に引きずられてきた大包平の姿に、光忠は苦笑した。
 「大包平くん、鶴さんに逆らってもあんまりいいことってないからさ、素直に従った方が面倒がなくていいよ?」
 結局、思い通りにされるのだからと言う彼に、縄を引き剥いだ大包平が歯を剥く。
 「俺は!
 三日月との手合せを優先しようとしただけだ!
 なのにこのジジィ!!」
 「代わりに俺が相手してやったろ。
 手入れ部屋は心地よかったか?」
 けらけらと笑う鶴丸を、大包平は忌々しげに睨みつけた。
 「・・・負けたから、厨当番は引き受けてやる。
 何をすればいいんだ?!」
 悔しげに声を振り絞る大包平にしかし、歌仙は肩をすくめる。
 「お手伝いを頼みたかったのだけど、君、料理はできそうにないなぁ」
 「馬鹿にするな!切るのは得意だ!!」
 「切るのは誰だって得意だよ。刃物なんだから」
 大包平の反駁をあっさりとかわして、歌仙は大量の野菜が入った籠を指した。
 「うちの畑で採れたばかりの野菜だよ。
 心を込めて洗って、皮を剥いておくれ」
 「皮を剥くんだぞ。
 芯しか残らないようなことはするなよ」
 「誰がそんなへまをするか!
 地道な作業は得意だ」
 畳みかけた鶴丸へ怒鳴り返した大包平は、腕まくりして野菜を洗う。
 「それより、あのガキはどこに行ったんだ?
 昨日別れてから、一度も見ていな・・・っ!」
 鼻先に包丁を突き付けられ、声を失った大包平に鶴丸がにこりと笑った。
 「沙那子、だ。
 次にうちの子をガキ呼ばわりしたら、かすり傷じゃすまないぜ、赤いの?」
 「つーるーさーん!
 包丁が汚れるからやめて」
 聞きようによっては誰よりも酷いことを言いつつ、光忠が鶴丸から包丁を取り上げる。
 「沙那子ちゃんなら、足を付け替えてもらいに、本陣へ行っているよ。
 そんなに時間はかからないはずだけど」
 「足?
 はっ!
 戦傷でもあるまいに、人形が生意気な」
 「・・・毟るか?
 刃物がなくても貴様の頭髪くらい、素手でむしってやるぞ?」
 邪悪な目をして、大包平へ熱湯を浴びせかけようとする鶴丸を、光忠が慌てて止めた。
 「大包平くん、言動に注意して!
 鶴さんや三日月さん相手だと、僕も庇い切れないよ?」
 真顔で見下ろされ、大包平は渋い顔で頷く。
 「そうだ、光坊。
 三日月と言えば、昨日から妙に消沈しているんだ。
 なにか、甘い物でも作ってやってくれないか」
 「三日月さんが?」
 「戦場でなにかあったのかい?」
 その話には、我関せずと鍋に向かっていた歌仙までもが振り向いた。
 「いや、戦場に行く前からだな。
 妙に口数が少なくて、気もそぞろな様子だった。
 まぁ、それで危険だったかと言えば、まったくそんなことはなくて、あっさりこの赤いのを捕獲したんだけどな」
 「人を獲物みたいに言うな!!」
 「じゃあ収穫かい?
 黙って手を動かしたまえよ、君」
 大包平へ冷たく言い放つや、歌仙は鶴丸へ、続けるよう促す。
 「他の連中は、気にもとめない程度・・・と言っても、一緒だったのは大太刀連中と巴だからな。
 自分の目線より下のことには興味のない連中だから、気づいたのは俺くらいか」
 それでも、鶴丸が違和感を持ったことは確かだ。
 「体調が悪そうには見えなかったからな。
 ぜんざいでも持っていけば、元気になるんじゃないか?」
 「わかった。
 鶴さん、お餅何個食べる?栗も入れてあげようか」
 途端に目を輝かせた鶴丸に、歌仙が吹き出す。
 「自分が食べたかったのじゃないか?」
 「寒い日には、暖かいものがほしくなるからな!」
 否定はしない鶴丸に急かされた光忠は、笑いながら鍋を取り上げた。


 「おーい、三日月ー。
 ぜんざい持ってきてやったぞ。栗ぜんざい♪」
 襖を蹴り開けて、騒々しく入って来た鶴丸に、庭を眺めていた三日月は肩越し、微笑んだ。
 「それはありがたい。
 少し・・・冷えたからな」
 「この真冬に戸を明け放していたら当然だ。
 雪見障子を閉めろ」
 部屋に踏み入った途端、冷え切った空気に鶴丸は、ぶるりと震える。
 「なんだ、寒稽古でもしているつもりか?
 じじぃが風邪をひくだけだぞ」
 卓に盆を置いた鶴丸は、更に進んで雪見障子を締め切った。
 「そういうわけではない。
 ただ・・・花も葉も、勝手に散ってしまうものだなぁ」
 妙にしみじみと言う彼に、鶴丸は肩をすくめる。
 「そりゃあ紅葉だって、今はかぎりの色と見つれば、ってやつだろう。
 もののあわれなんぞ感じる間もなく、あとふた月もすれば花も咲くってもんだ」
 長い時を生きて来たためか、知識はあっても情感に疎くなってしまった彼に、三日月は笑声をあげる。
 その、妙に力の抜けた声に、鶴丸は首を傾げた。
 「なにかあったか?」
 「いや・・・」
 美しく微笑みつつも、視線を逸らした彼に、鶴丸は更に問う。
 と、
 「・・・昔の夢を、見ただけだ」
 執拗さに観念して、苦笑した。
 「夢?
 どんな夢だ?」
 「・・・尼君が・・・身罷った時のことだな」
 一度口にしてしまうと、その先は流れるように続く。
 「ひとが・・・それも女人が、徐々に死んでいく様を見たのはあれが初めてだった。
 命とは、一瞬で散るものだと思っていたからな。
 尼君の手に渡るまで、散々に命を奪ってきた俺が、『天寿を全うさせてくれる守り刀』などと呼ばれたのも、初めてだった。
 俺をそう呼んでまもなく、尼君は穏やかに・・・とても穏やかに、死へと旅立たれた。
 それはけして、俺の力ではないのに、俺を譲られた坊は尼君の言葉を信じて、俺を大切にしてくれた。
 そして坊も、穏やかに死んでいったのだ・・・・・・」
 「いいことじゃないか。
 新たな力の開眼だな」
 自身も散々に血を浴びていながら、こだわりなく言ってしまえる鶴丸に、三日月は微笑んだ。
 「俺はなにも、命を奪うことを好んでいるわけではない。
 だが、俺の手に因らず、徐々に死んでいく様を見届けることも好まない」
 なのに自身を手にした歴代の主達は皆、身勝手にこの世を去ってしまうのだ。
 「散らねども かねてぞ惜しきもみぢ葉は 今はかぎりの 色と見つれば・・・」
 三日月の口にした歌に、鶴丸は苦笑した。
 「散る前から、身勝手だなんだと惜しまれる方も迷惑だろうよ」
 その言葉に、三日月は瞬く。
 「なにを消沈しているのかと思えば、三日月宗近ともあろうものが、もののあわれに囚われていたとはな」
 卓の上に頬杖を突き、彼はくすくすと笑った。
 「人に限らず、この世のものは身勝手に消えるものさ。
 千年以上この世にある俺達だって、放っておかれればすぐに錆びて朽ちてしまう。
 ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、ってもんだ。
 俺の由縁なんぞそれこそ、かつ消え、かつ結ぶうたかたのようなものだろ。
 小狐丸じゃないが、皆、豊穣の環の中からは出られやしないのさ」
 にこりと微笑んでやると、瞬いた三日月が苦笑する。
 「やれやれ・・・。
 負うた孫に教えられ、というものか」
 「孫ゆうな」
 おぶさってやろうかと、両手を挙げる鶴丸に笑って、三日月は盆を引き寄せた。
 「せっかく作ってくれたのだ。
 冷める前にいただこう」
 「あぁ。
 そうだ、三日月」
 自分も早速椀を開けてながら、鶴丸が言う。
 「沙那坊は、今までの主ほど身勝手ではないと思うぞ。
 まだ生まれたばかりだが、あれはきっと、いい付喪神になる」
 確信ありげな鶴丸に、三日月も頷いた。
 「そうだな・・・。
 そう言えば沙那子は、いつ戻るのだろう。
 また、担当の女人が妙なことをしておらねばよいが・・・」
 三日月が椀にため息をこぼすと、付け合わせの塩昆布に対してか、鶴丸が眉根を寄せる。
 「西洋人形風はまだしも、乱と同じ容姿にされた時は混乱の極地だったもんな。
 乱が修業に出て、ここにはいない時期を狙ったのがまた、小賢しいというか」
 面白かったが、と言う彼に、三日月は首を振った。
 「面白いことなどあるものか。
 西洋人形の時は、別の本丸の主が迷うて来たかと慌てたし、乱に似せられた時は随分と混乱させられた。
 特に乱が帰って来てからは、沙那子が元の姿に戻るまで、散々騙されたのだからな。
 あのような遊びはもう、勘弁してほしいものだ」
 ぶつぶつとぼやく三日月に、鶴丸が笑い出す。
 「声まで変わっていたからなぁ。
 まったくこの本丸は、驚き続きで飽きさせないな!」
 実に楽しげな鶴丸につられて、三日月も笑みを浮かべた。
 「しかし、難しいこともあるな。
 小狐丸・・・あれは未だに、沙那子を主とは認めておらぬ。
 あれほどあからさまでなくとも、隔意を持つ者はそれなりにいるものだな」
 「そうだな・・・。
 大包平のように、はっきりと口に出す奴は仕置きのしようもあるが、内に籠めている連中もいるからなぁ。
 さすがに沙那坊を害することはないだろうが、口の悪い連中の言うことを、あいつが気にしなければいいが」
 この本丸ができた当初、随分と怯えていた沙那子の姿を思い、鶴丸はまた眉根を寄せた。
 「・・・なぁ三日月。
 この塩昆布、しょっぱすぎやしないか」
 「そうか?
 ぜんざいの付け合わせには、ちょうど良いと思うが」
 「いや、塩分強すぎだろう。錆びそうだ」
 甘いぜんざいで口直しをする鶴丸は、部屋の外から、とてとてと響いてくる足音に振り返る。
 「沙那坊、帰って来たのか?」
 声をかけると、そっと襖が開いた。
 「じぃじたち、ただいま」
 「おぉ、おかえり、沙那子。
 顔も声も変わっておらんようで、なによりだ」
 あからさまにほっとした三日月に、鶴丸が吹き出す。
 「だが足は替えたんだろう?
 背は伸びたのか?」
 変わらないようだが、と、首を傾げた鶴丸に、歩み寄って来た沙那子が口を尖らせた。
 「メンテナンス担当のあねさまに、ほたるいじめちゃだめでしょ、って叱られて、やってもらえなかった・・・。
 でも!」
 と、得意げに、桜色のペディキュアが施された足を見せる。
 「つちふまず!
 土踏まずはあるから、もう、ぺたぺたって音はしない!」
 「今度は、とてとて、って音がしてたぞ」
 「それはそれで愛らしいな」
 鶴丸へ頬を膨らませる沙那子に笑って、三日月は彼女の頭を撫でてやった。
 「しかし、随分な高値と聞いたぞ?
 俺達のお年玉程度で足りたのか?」
 からかうように笑う三日月に、沙那子は得意顔で頷く。
 「運用は得意!
 それに、副収入はほかにもあるから」
 「へぇ。主としての給料のほかにもか?」
 何気なく問うた鶴丸に、沙那子はにこりと笑って自身の目を指した。
 「動画。
 中でも小狐丸に近づいた時の画像は、すごい高値であねさまたちに売れるの」
 「小狐丸の?
 なぜだ、好かれてはおらんだろうに」
 訝しげな三日月に、沙那子はこくりと頷く。
 「だから。
 小狐丸が沙那子に嫌な顔をするほど、あねさまたちは、『小狐のこんな顔、見たことない!』って、高値で買ってくれる」
 「あぁ・・・。
 人間に対しては、愛想を振りまいていそうだからな、あいつ」
 納得した、と笑って、鶴丸は椀の中の餅を摘まみあげた。
 「それ、沙那坊。
 光坊のぜんざい、うまいぞ」
 小さな口元へ箸を持っていくと、もぐもぐと一所懸命に咀嚼する。
 「鶴丸、どうせなら栗をやれば・・・沙那子?!」
 かくん、と、うなだれたかと思うと、動かなくなってしまった沙那子に、三日月が慌てた。
 「も・・・餅を、詰まらせたのではないか?!」
 「沙那坊!しっかりしろ、おい!!」
 下を向かせて背中を叩くが、意識が戻る様子はない。
 二人しておろおろしていると、
 「どいてください」
 不意に冷静な声がして、細い腕には意外な膂力で彼らを押しのけた。
 「それっ」
 沙那子を背後から抱きしめた彼が、胸の下を圧迫すると、口からぽろりと餅が落ちる。
 「・・・起動終了するかと思った」
 ぱちりと瞬いた沙那子を、三日月と鶴丸が抱きしめた。
 「よかった・・・!
 また主を失うかと思うたぞ!」
 「沙那坊、すまなかった・・・っ!
 餅は気をつけろと言われていたのにな!!」
 続いて、二人は沙那子と一緒に抱きしめていた功労者の頭をわしわしと撫でる。
 「小夜、ようやったぞ!」
 「いいところに帰って来てくれた!
 今日一番の誉だ、お前!!」
 「あ・・・はい。
 ただいま・・・もどりました」
 もみくちゃにされながら、何とか言った小夜へ、沙那子が振り返った。
 「ありがと」
 「いえ・・・」
 「手紙も」
 にこりと笑った彼女に、小夜は恥ずかしげに頬を染める。
 「あぁ、そうだった。
 修行、ご苦労だったな、小夜坊。
 以前と比べて、随分強くなったようだ」
 自分を押しのけた膂力を思い、鶴丸がまた、小夜の頭を撫でた。
 「己の由縁に、納得はできたか?」
 三日月の問いには、こくりと頷く。
 「僕の力が・・・沙那子様のお役に立てればと思います」
 「うん、早速役に立ってくれた」
 助かった、と、笑う沙那子に鶴丸が深々とこうべを垂れた。
 「まったく、すまなかった、沙那坊。
 お前を危うくするところだった」
 「十分危うかったぞ。
 沙那子、口直しに栗を食べるか?」
 「三日月さん・・・懲りてください」
 小夜にじっとりと睨まれた三日月が、気まずげに箸を置く。
 「それより沙那子様。
 僕が帰って来た時、出立の間で、戦に出ていた人達とも一緒になったんですけど、その中に新しい人がいましたよ」
 槍、と聞いた途端、沙那子はぴょこんと立ち上がった。
 「日本号、来た。
 お迎え、行ってくる」
 とてとてとて・・・と、走って行く後ろ姿に、小夜が首を傾げる。
 「沙那子様、足音が・・・それに、ちょっと早くなりましたね」
 「お?
 おぉ、本当だ。
 土踏まず効果かな!」
 「成長しているな」
 揃って目を和ませる二人に、小夜は思わず微笑んだ。
 「孫を見るみたい・・・ですね」
 小夜の言葉に、鶴丸が頷く。
 「物が付喪神になるには、百年の時が要ると聞いたが、沙那子は賢いからな。
 百年もせずに付喪神になるんじゃないか」
 その言葉には、三日月も頷いた。
 「そうなれば、身勝手に朽ちることもないか。
 楽しみだな」
 欠けたることの なしとおもえば、と呟く彼に、小夜が小首を傾げる。
 「そうすると、この本丸はずっと検非違使と戦うことになりますけど、それは・・・」
 「望むところよ」
 「あぁ!楽しそうだ!」
 年ふる太刀の笑声に気を惹かれたか、雪を纏った枝にひとひら、気の早い新芽が覗いていた。




 了




 










人形本丸その2でした。
ひとまず、これにて終了です。
ネタができたらまた書くかも。
題名の『1624/10/17』は北政所が亡くなった寛永元年9月6日を西暦変換したものです。
人間の本丸にいる三日月は、もののあわれなんか感じる間もなく、未熟な審神者をつついて遊んでそうですが、この本丸なら、主よりも人間っぽい三日月でもいいのかなと。
主が人間じゃないからこそ書ける変わり種本丸、楽しかったです(笑)













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