〜 奥山に 〜






 秋も更け、薬草園の周りにも、紅葉した葉が吹き寄せるようになった。
 箒を持って薬房を出た薬研藤四郎は、『拙者、親方と申すは・・・』と、外郎売りでリズムを取りつつ落ち葉を掃き集める。
 「・・・〜東方世界の薬の元締め 薬師如来も照覧あれと ほほう敬って 外郎はいらっしゃりませぬか、ってな」
 長い口上をすらすらと述べる間に、薬房の周りはすっかりきれいになった。
 「だいぶ集まったな。
 後で、焼き芋でも作るか」
 落ち葉を袋にまとめていると、母屋の方から長谷部と博多が歩いて来る。
 「来たばーい!」
 手を振る博多に手を上げて応え、薬研は薬房の戸を開けた。
 「忙しいのに悪いな。
 ま、薬草茶くらい、出してやるからよ」
 迎え入れた二人は、濃い薬草の匂いに顔をしかめる。
 「薬研、よーこげんとこにおらるーばい。
 くしゃみの出そうやが」
 「じゃあ、マスクするか?
 少しは違うぞ」
 と、薬研は二人へマスクを渡した。
 「それで?
 なにを手伝うんだ?」
 きれいに片づけられた薬房を見渡す長谷部に頷き、薬研は壁一面を埋める薬品棚の開き戸を開ける。
 「これ、インフルエンザのワクチンだ。
 うちの本丸の、全員分ある。
 明日、予防接種大会するぞ」
 「おぉ!」
 目を輝かせて、博多が手を打った。
 「もうそげな季節ばいね!
 うん、主人から、今年もてつどえ言われとーばい」
 「では、逃げる奴らをどう捕獲するか、作戦会議だな」
 言ってから、長谷部は視線を外へやる。
 「日本号を連れてこなかったぞ?」
 毎年予防接種では、機動に優れた黒田の刀が、逃げる連中を捕獲し、薬房へ引きずり込み、押さえつけて接種させていたが、最後に受け取る日本号の姿が、今はなかった。
 「あぁ、作戦会議はお前らだけでやってくれ。
 今日は前準備だ。
 前回、逃げる連中のせいで混乱してな」
 ふぅ、と、薬研がため息をつく。
 「チェックリストは作ってたんだが、それだけじゃ誰に接種したか、途中からわけわからなくなって。
 残り三本、誰が打ってないのかわからなかったから、新選組によるカツ丼付の尋問に時間を取られた」
 「犯人は・・・?!」
 逃げ切ったのか、と、目を厳しくする長谷部に、薬研は首を振った。
 「単純に、連絡不行き届きだった数珠丸と三池組。
 あいつらが来た時、兄弟が修業に行くのどうのでバタついてたから、薬房のメーリングリストに追加し忘れてた」
 「なんや、嘘つきがおったっちゃなかったとや」
 そらよかったばい、と、博多が笑う。
 「そんで、なんば手伝うと?」
 「これを・・・」
 と、薬研はシールが並ぶシートを差し出した。
 長方形のそれには、一枚一枚各刀剣の紋と名前が、千社札のように書いてある。
 「使い捨ての注射器に貼ってくれ。
 今回のために、大将が作ってくれた奴だ。
 このシールを貼った注射器を空にして、屑籠に放り込んだら、端末に『接種済み』って表示されるようになってる。
 それだけじゃなく、余ってるの見りゃ、誰が打ってないか一目でわかるだろ?」
 「なるほど。効率的だな」
 感心した長谷部が、早速シートを取り上げる一方、博多は面倒そうに眉根を寄せた。
 「主人は?
 主人にやらせりゃよかろーもん」
 「貴様!
 主の手を煩わせようとは・・・!」
 「声はかけた」
 長谷部の怒声を制して、薬研が鼻を鳴らす。
 「そしたら、ジェルネイルしているからシールが剥がせない、なんて、クッソムカつく理由で断りやがった」
 「主人・・・・・・」
 呆れる博多の隣で、長谷部はこぶしを握った。
 「なんの!!
 面倒なことはこの長谷部が!お引き受けする!!」
 「三人でやりゃ、そう面倒でもないよ」
 笑って薬研は、テーブルに注射器の並んだ箱を置く。
 整然と並ぶそれを見た途端、博多が顔をひきつらせた。
 「・・・主人にボーナスばもらう約束で手伝いよーけど、俺も注射はすかんー!」
 中々手を出せない様子の博多に笑って、薬研は注射器を取り上げる。
 「今年も、今剣と鶴丸、鯰尾兄が最後まで逃げ回るだろうから、別に置いといてくれ。
 いざとなったら、寝込みを襲う」
 「あぁ、それやけど」
 怯えながらも、ようやく注射器を手にした博多が顔を上げた。
 「こないだ、万屋から納品書が来たっちゃけど、注文した覚えのない資材の載っとったと。
 なんかと思って確認したら、注文も支払いも受取も、小竜やったばい」
 その情報に、薬研が舌打ちする。
 「あー・・・クッソ!
 鶴丸の仲間が増えやがったのか!」
 「注文は資材だけか?他には?」
 忌々しげな薬研に頷いた長谷部が問うと、博多は腰に提げた大福帳をめくった。
 「主人の小型ドローンと同型んとば、10機仕入れとうね。
 てっきり、主人のやろう思っとったけん、また増やしとらすとか思ったっちゃけど、よー見たら小竜ばい。
 来たばっかりのあいつがこげん資金ばもっとーわけなかけん、裏に鶴丸がおるとは明らかやが」
 「・・・万屋を買収して、鶴丸が怪しい動きをすれば知らせろと言っていたのだが。
 裏をかいてきたか」
 舌打ちする長谷部に、薬研が感心する。
 「さすが黒田の刀。
 情報収集は得意ってわけだ」
 「情報を軽んじて、戦ができると思う方がおかしい」
 鼻を鳴らした長谷部は、シールを貼る手を止めないまま、眉根を寄せた。
 「今回は、どの程度の人数が素直に受けるかな。
 短刀は大部分が逃げると考えて・・・鶴丸と小竜、鯰尾のほかに、逃げそうなのは誰だ?」
 「御手杵は逃げるだろ。
 あいつ、刺すことは得意なくせに、刺されるのは嫌がるからな」
 でかいからすぐに見つかるが、と、意地悪く笑う薬研に長谷部が頷く。
 「打刀は前回、沖田組が逃亡を図ったところを、堀川が兄弟を使って捕獲・連行していたな。
 新選組は最初に取り込んでおけば優秀な捜査員になるから、今回も真っ先に捕獲して味方に引き込もう。
 博多。
 乱と厚は早めに捕まえて、裏切らせろよ」
 「・・・毎回、心が荒むばい」
 買収と裏切りの祭典だと、ため息をつく博多に、薬研も頷いた。
 「大将が煽りやがるからなぁ。
 ずっと寝込んでたくせに、いきなり床を払ったかと思えば、天守最上階にモニターとドローンを運ばせてた。
 明日は刑部姫を気取るつもりだな。
 まだ治ってないんだから、あったかくして観戦しろよ、とは言っているんだが」
 「そうだ、主は!
 主には予防接種をしたのか?!
 ただでさえご不調なのに、これ以上病を得ては!」
 鬱陶しく迫る長谷部を、薬研はあっさりと押しのける。
 「そんなの、とっくにだ。
 ワクチンが届いたぞ、って連絡したらすぐに来たぜ。
 そういう意識は高い方だから、助かる」
 しかし、と、ため息をついた。
 「日頃の行いが悪い。
 いつも、規則正しい生活をしろっつってんのに、夜更かしばっかりしやがって」
 だからいつまでも治らない、と言う薬研には、長谷部でさえも反論できない。
 「自分はさっさと終わらせて、天守から高みの見物やら、主人らしか」
 「あぁ。
 明日は忙しいから、お前らは今、打っていけ」
 さらりと言われた言葉に、博多だけでなく、長谷部も身じろぎした。
 「せ・・・接種後の激しい運動はいかんっちゃないと・・・?」
 「だから、今やれよ。
 明日は朝から本丸中を追いかけてもらうからな」
 博多と長谷部のシールが貼られた注射器を、薬研が取り上げる。
 「腕出せ」
 問答無用の命令に、二人は涙目で従った。


 翌朝、
 「てんしゅに・・・おさかべひめがでました・・・!」
 きゅっと唇を噛み、目を潤ませる今剣を見下ろした鶴丸は、にんまりと笑った。
 「戦闘開始だな!
 おい!お前達、よく聞け!」
 両手を腰に当て、見回した短刀達が一斉に彼を見つめる。
 「必ず裏切り者が出るから、詳しい場所は言えない。
 だが!
 今回、俺達は本丸の各所に、隠れ場所を用意している!」
 得意げに宣言した鶴丸の隣で、小竜があでやかに微笑んだ。
 「かくれんぼには、いい場所だよ。
 いいかい?
 隠れ場所のコツは、鬼の目線より高い場所だ。
 自分を探しに来るだろう奴らより、高い場所に隠れておいで」
 彼のアドバイスには、目からうろことばかり、感心する者も多い。
 「そして何より!」
 声を張り上げた鶴丸に、再び視線が集まった。
 「刑部姫のドローンからは、確実に逃げるんだぞ!」
 戸は絶対に閉めろと言う彼の隣で、鯰尾が挙手する。
 「援護射撃は俺に任せて!
 鶴丸さんに託された味方ドローンと、こっそり隠し持ってた金の弓兵で、刑部姫のドローンを見事撃ち落としてみせるよ!」
 ゲームの腕前を見せる時だと、こぶしを握る彼へ拍手が沸いた。
 「よーし!みんな!!」
 白い手を差し伸べた鶴丸が、大きな笑みを浮かべる。
 「散れ!!」
 手を払うや、短刀達は蜘蛛の子を散らすがごとく、駆け去って行った。


 一方、
 「予防接種など、神域にある身には不要であるものを」
 素直に薬房を訪れた小狐丸が苦笑する隣で、石切丸も頷く。
 「まったくだねぇ。
 そもそも、病気治癒のご神体が薬に頼るなんて、おかしな話だよ」
 くすくすと笑いだした彼に、薬研は肩をすくめた。
 「俺も、あんたらが罹患するとは思わんが、集団予防ってのは一番有効な予防策なんだ。
 なにしろうちの大将は、予防接種しても罹患する虚弱体質だからな。
 側仕えが健康であることは、うちの本丸の生命線でもある。
 みんなを納得させるためにも頼むぜ」
 「そうだね」
 にこりと笑った石切丸は、背を向ける三日月の腕を取って引き寄せる。
 「そう言うわけだから、年長の君が逃げてはいけないよ。
 さぁ、一番に受けるといい」
 「う・・・!
 いや、俺は後でも構わんぞ?」
 「そうおっしゃらず。
 まずは三日月殿が、範をお示しあれ」
 にこやかにもう一方の腕を掴んだ小狐丸が、強引に彼の袖をまくった。
 「薬研殿、どうぞ」
 「助かる」
 押さえつけられた三日月の腕に、薬研が針を刺す。
 「ほい、終わりだ。
 しばらく様子見て、具合悪くなったら言えよ。
 石切丸、悪いが残ってくれるか?」
 彼の名を貼った注射器を取りあげつつ薬研が言うと、彼は快く頷いた。
 「押さえつけるのにも、日本号さんだけじゃ手が足りないかもしれないしね・・・いやはや、確かにこれは痛い」
 子供達は嫌がるだろうと、笑いながら彼は、岩融を振り返る。
 「今剣は、もう逃げてしまったかな」
 「あぁ。
 朝に起きた時はもう、消えておったわ」
 苦笑する彼に、小狐丸がくすくすと笑いだした。
 「さすがは今剣殿。
 すばやくてあられる」
 「いつもこれほど、早起きであればよいのだがなぁ」
 毎朝ぐずる、と首を振った岩融は、使用済みの注射器を屑籠へ放る薬研を見下ろした。
 「では、俺は今剣を探しに参る。
 できるだけ、早く捕えようとは思うが・・・」
 「接種後の激しい運動は推奨していない。
 あんま無理すんなよ」
 「では、私も失礼を」
 予防接種を終えた小狐丸が、踵を返す。
 「天守におられるぬしさまのお傍に控えておりますので、物見が必要な際にはいつでもご連絡ください」
 会釈して、岩融と共に薬房を出た彼は、ちょうどやって来た宋三とぶつかりそうになり、慌てて手を伸ばした。
 「大丈夫ですか?」
 「えぇ、ちょっとよろけただけです」
 支えてくれた小狐丸へにこりと笑い、宋三は肩に担いだ袋を降ろす。
 「なんだ、大国主命みたいだな」
 それにしちゃ細いがと、笑う薬研の前まで、宋三は袋を引きずって来た。
 「やれやれ、重かった。
 でも、暴れずにいてくれて、助かりました」
 「まさか・・・小夜か!」
 宋三の言葉に、驚いた三日月が袋を縛る紐を解く。
 「可哀想に、こんな目に・・・おや?」
 「あら・・・」
 中から出て来たのは、蒲団に包まれた漬物石だった。
 「逃げられてしまいました」
 ふぅ、と、吐息した宋三に石切丸が吹き出す。
 「今回は手ごわそうだね。
 黒田の刀だけで、手が足りるかな」
 「なかなか楽しそうだな」
 くすくすと笑いながら、三日月は開け放たれたままの戸を見遣った。
 と、
 「・・・で、漬物がね、漬かってなかったんだよ。
 どこに行っちゃったんだろ、一番大きな漬物石・・・あー!あった!!」
 薬房へ入って来た光忠が、薬研の前に置かれた石を指して、大声を上げる。
 「ダメだよ、薬研くん!勝手に持ってっちゃ!!」
 「俺じゃない」
 詰め寄られた薬研が眉根を寄せると、傍らで宋三が手を上げた。
 「申し訳ありません。
 お小夜が、自分の身代わりにしたようです」
 「小夜が?」
 光忠の背後から、太鼓鐘が顔を出す。
 「それ、小夜の体重くらいあるぜ?
 一人で持ってったのか?」
 無理だろう、と言う彼の傍らで、大倶利伽羅がふと、目線を上げた。
 「鶴丸が・・・昨夜、こそこそしていたが・・・」
 「〜〜〜〜鶴さんか!!」
 やりかねない、と、光忠が唸る。
 「ごめんね、薬研くん、宋三くん!
 鶴さんは僕が連行してくるよ!」
 「いや、その前に一本打ってけ」
 踵を返した光忠を呼び止め、薬研が取り上げた注射器を見るや、太鼓鐘がびくりと震えた。
 光忠の服の裾を掴み、背に隠れようとする彼を、笑って見下ろす。
 「どうしたの、貞ちゃん?怖い?」
 「そっ・・・そんなことねーよ!!」
 顔を引き攣らせつつも、大声で言った太鼓鐘の背を、大倶利伽羅が押した。
 「じゃあ、先陣を行け」
 「ひっ!!
 しょ・・・しょうがねぇなぁ!
 この中じゃ一番早いの、俺・・・だし・・・!」
 震える手を握り、ぐいっと腕を突き出したものの、針を見ることができずにぎゅっと目をつぶる。
 「なんで針を嫌がるかなぁ」
 斬られる方がよっぽど痛いのに、と、呆れる薬研が手を放すや、くるりと背を向けた。
 「貞ちゃん、泣かなくても・・・」
 「なっ・・・泣いてないぜ!!」
 呆れ声の光忠にぶんぶんと首を振り、ぐいっと涙をぬぐう。
 「あぁ、そうだな。
 ただの反射だ」
 くしゃくしゃと彼の頭を撫でてやった大倶利伽羅が、無造作に腕を突き出した。
 「短刀は無理だが、鶴丸なら捕獲を手伝えると思う」
 「あぁ、頼んだぜ。
 あと、小竜もな」
 続けて腕を出した光忠を見上げると、彼は大きなため息をつく。
 「・・・なんでうちの子、鶴さんと出会っちゃったんだろう」
 「騒ぎが大きくなる予感しかしないな」
 他人事のように笑う三日月にまたため息をついて、光忠は踵を返した。
 「じゃあ、昼餉の準備前に、鶴さんと小竜ちゃんを捕まえようか。
 主くんから情報もらわなきゃ」
 端末を取り出した彼に頷き、大倶利伽羅と太鼓鐘も、それぞれに端末を取り出す。
 「効率的にやろうぜ!
 じゃなきゃ、今日の昼が簡単なものになっちまう」
 「洗い物は鶴丸にやらせるか」
 罰だ、と呟く大倶利伽羅に頷いた光忠は、画面上に見たことのない表示を見つけて首を傾げた。
 「なんだろう、このアイコン」
 開いてみると、この本丸に集う刀の紋の一覧が現れ、自身とここにいるメンバーの紋は、グレーで塗りつぶされている。
 「それ、大将が作ってくれたアプリで、接種を終えた奴が、一目でわかるようになってる。
 空にした注射器を屑籠に入れたら、灰色に変わるようにしてあるんだ」
 そう言って薬研は、傍らに置いた大きめのタブレットの画面を指した。
 「ちなみに、捕獲して連行中の奴は青に変わる。
 ・・・今、乱と厚が捕まったな。
 さすが博多と長谷部。計画通りだ」
 にこりと笑った薬研は、置かれた注射器の中から乱と厚の紋を取り上げる。
 そのタイミングで、外から喚声が聞こえてきた。
 「お前ら暴れるな!
 おい!
 誰か手伝ってくれ!!」
 釣り上げたばかりの魚のように、びちびちと暴れる短刀を両脇に抱え、日本号が薬房へ乗り込んでくる。
 「やだー!!えっち!どこさわってんのー!!」
 「平べったい男の胸触ってなんか文句あるか!!」
 甲高い悲鳴を上げる乱に怒鳴り返した日本号は、手を差し伸べた石切丸へ厚を差し出した。
 「すまん!こっち引き取って・・・暴れるな!!」
 逃げ出そうとする乱を抱えなおし、腕を取って薬研へ差し出す。
 「乱、暴れて変なとこに刺さると、やり直しだぞ」
 彼の冷静な声に、乱は身をこわばらせてぎゅっと目をつぶった。
 「ほい、終わりだ。
 厚。
 お前、男だろ。
 このくらい、自分から来い」
 煽ってやれば、案の定、厚は自ら腕を差し出す。
 「・・・・・・俺だけがこんな目に遭うの、許せねぇ」
 目に浮かんだ涙を拭いつつ、唸った厚に、腕を抑えてうなだれていた乱も頷いた。
 「一人残らず・・・痛い目に遭わせてやる・・・!」
 涙に潤んだ瞳が、危険な色を帯びる。
 「よし、工作員二人確保だ。
 日本号、存分に使ってくれ」
 「おう!
 お前ら、行くぞ!
 俺の大吟醸五樽に貢献しろ!!」
 買収の事実を隠さない彼を憎らしげに睨みつつも、二人は彼の後に従った。
 「あ!俺も行く!!」
 短刀同士で行った方が効率的だと判断した太鼓鐘が、光忠に手を振る。
 「鶴みっけたら連絡するから!
 逃げ道塞いでくれ!」
 「オーケー!」
 「任せろ」
 囲い込み作戦発動だと、二人もまた、薬房を出て行った。


 「おい、乱と厚が捕まったぞ。
 あいつらはもう、寝返ったと考えていい」
 端末を見つめる鶴丸に頷いた鯰尾は、『想定内だ』と不敵に笑う。
 「博多のことだから、最初に狙うのはあの二人だって、わかってましたよ。
 だから俺、あいつらには偽の隠れ場所マップを渡しておいたんです」
 にやりと、鯰尾は悪い笑みを浮かべた。
 「全然違う場所を探している間に、こちらは更に遠くまで逃げましょう!
 そのためには・・・っと!」
 ノートパソコンの画面を見つつ、鯰尾はドローンを操作する。
 「刑部姫の目、潰させてもらいますよ!!」
 本丸内を飛び回る主のドローンへ向けて、縁側の下から矢が放たれた。
 「ヤッター!
 見たか、刑部姫!!
 いや、見えなくなっただろう!刑部姫!!」
 快哉を上げる鯰尾は、すぐに弓兵へ撤退を指示する。
 「さーあ!
 次々行きますよー!」
 縁の下を走る弓兵の姿をドローンで追いつつ、次の獲物を探していた彼の画面が、発砲音と共に暗転した。
 「んなっ・・・!」
 「さっきの音は・・・銃兵かな?」
 息を呑む鯰尾の背後から、画面を覗き込んでいた小竜が呟いた瞬間、全員の端末が震える。
 びくりと、怯えつつ鯰尾は、一斉送信のメッセージに目を落とした。
 『いずれの短刀か脇差の仕業かは知らないが。弓兵は銃兵で排除した。本丸の資源を無駄にするな』
 「・・・さすが刑部姫。
 このくらいの抵抗は、予想済みだったか」
 舌打ちした鶴丸の前で、鯰尾は悔しげに畳を叩く。
 「だからって自分の本丸の刀装、容赦なく壊します?!
 だから鬼って言われるんですよ!!」
 こうなったら、と、鯰尾は別のドローンの画像へと切り替えた。
 「体当たりで壊してやりましょう!
 こっちも無傷じゃありませんけど、同等か、それ以上の目を破壊できたら逃げきる確率が上がります!」
 引き攣った笑みを浮かべ、鯰尾は鶴丸を見上げる。
 「今年は、俺が勝ちますからね!」
 「お前は、骨喰から逃げる算段もつけておけよ」
 不敵な笑みを浮かべ、鶴丸は踵を返した。
 「さーぁ!!
 逃げ切るぜ!!」


 逃亡する者がいる一方で、素直に薬房へ来る者達もいる。
 震える浦島を小脇に抱えて長曽弥が来れば、国広に引きずられて兼定もやって来た。
 「おい、沖田組はどうした。
 あいつら、また逃げてんのか」
 つい、責める口調になってしまった薬研に、涙目の兼定を慰めながら国広が苦笑する。
 「怖気づいているだけで、ちゃんと来ますよ。
 兄弟・・・山姥切兄さんと陸奥守さんが誘ってましたし、歌仙さんと蜂須賀さんも、朝餉の後片付けが終わったら連れて来るって言ってましたから、古参組は連れだって来るんじゃないですか?」
 「頼むぜ。
 捜査慣れした新選組には、期待してるんだ」
 その言葉に、長曽弥が目を輝かせた。
 「信長公の御刀に期待されるとは、光栄だな。
 これは是非とも応えねばならんぞ!」
 張り切った長曽弥に背を叩かれて、兼定がむせ返る。
 「あぁ・・・!
 痛い目から逃げ切るなんて、許せねぇ!!」
 多分に逆恨みの要素を含んだ彼の言いように、涙目の浦島が吐息した。
 「なんでそんなふうに思うんだよ・・・。
 俺だってこんなに痛いんだ、短刀達は可哀想だよ」
 「そうは言うがな、浦島」
 当の短刀である薬研が、真顔で彼を見上げる。
 「これは意地悪でも嫌がらせでもなく、今後苦しまないための用心なんだぞ。
 この程度の痛みを受けない代わりに、後で死ぬほど苦しんでいいのか?」
 それに、と、薬研は嫌みなく、長曽弥と兼定を見上げた。
 「大名の手にあった刀は、集団行動の意味が分からない奴も多いが、お前達はそうじゃないだろう?
 一人が罹患すれば、病はこの本丸全体に広がる恐れがある。
 これは、お家の一大事とかじゃねぇ。村全体の問題だ」
 途端、二人は得心が行った、とばかりに表情を変える。
 「え?なに?
 別に・・・短刀達くらい、やんなくてもいいじゃん?」
 戸惑う浦島の頭を、長曽弥が優しく撫でた。
 「言われてみれば、そうか・・・。
 俺が弟達とすれ違ってしまうのは、そういうところか」
 「な・・・なんだよ!長曽弥兄ちゃんは兄ちゃんだろ?!」
 自分がとんでもないことを言ったのではと、浦島は焦って彼の腕を取る。
 と、
 「浦島君、例えばなんだけど・・・」
 国広が、微笑みかけた。
 「この本丸中のみんな・・・主さんも含めて、全員が同じ装束を着ていたら、どう思う?」
 その問いに、浦島は思わず眉根を寄せる。
 「やだよ、カッコ悪い。足軽みたいだ。
 特に主さんはダメ!
 大将がみんなと同じ格好なんて、絶対ダメ!!
 そんなカッコしてたら、戦う前から影武者用意してる、なんて言われちゃうじゃないか!
 武闘派で男前の主さんなのに、そんなことで敵に馬鹿にされるなんて俺、許せないよ!!」
 と、激しく首を振る彼に、皆が頷いた。
 「うん、そうなんだよ、大名はね。
 みんなと同じ格好を嫌がるんだけど、新選組は元々、村社会で生まれ育った人達が作った組織だから、おそろいの羽織とか着ちゃうんだ。
 そしてそういう人達は、自分の家のことだけじゃない、自分の家を含めた村全体を一つとして見るんだ。
 ここで言えば、刀派や仕えた家ごとじゃなくて、本丸全体を一つだと思うんだよ」
 「そんなこと言っても・・・俺と国広は、別の刀派じゃん」
 納得できない様子の彼に頷き、国広は薬研を見遣る。
 「ご苦労、お察しします」
 「ま、俺も例外じゃないしな」
 頭ではわかっているが、感情としては浦島と同じだと、薬研は苦笑した。
 「浦島、今はわからなくていいから、とりあえず『全員打つまで終わらない戦』だと思っとけ」
 「う・・・うん・・・」
 頷いた浦島は、気まずげに兄を見上げる。
 「兄ちゃん・・・俺、悪いこと言ったのかな?」
 「大丈夫だ。
 気にする者などおらんさ」
 自分たちさえ気にしなければ、と、苦笑する彼に、兼定達も同じく苦笑して頷いた。


 その頃、『集団行動なんて知ったこっちゃないが、自分だけ痛い目に遭うのは許せない』と言う、実に恣意的な理由で寝返った乱と厚は、あらかじめ鯰尾から渡された地図を破り捨てた。
 「鯰尾お兄ちゃん・・・!絶対に、ゆるさない・・・!」
 「あぁ・・・!ボッコボコにしてやろうぜ・・・!」
 更に攻撃力を増した気配に、長谷部が満足げに頷く。
 「頼むぞ、お前達!
 隠れ場所から追い立ててくれたら、捕獲は俺が、連行は日本号がやる。
 博多が今・・・」
 と、膝に乗せたノートパソコンのディスプレイを睨む彼を見下ろした。
 「鯰尾に落とされたGPS機能の回復に努めている。
 大まかでも、居場所が分かれば捕まえやすくなるからな。
 ・・・まったく、下らんことばかり覚えおって!」
 「じゃあ今は体力勝負だな!
 俺だって黒田組だ!負けねぇよ!!」
 早速駆け出した厚に、乱も続く。
 「・・・逃げる悪い子は誰かなあ〜」
 「自分のことは棚に上げてからくさ」
 ディスプレイから目を上げた博多が、駆け去った兄弟達に呆れた。
 「でも、ま。
 あん二人やったら、GPSのなかでも大丈夫かろ」
 「それで、直りそうか?」
 屈み込んだ長谷部に、博多は首を振る。
 「金銭のことやったら得意やけど、こっちは門外漢やが。
 ちっとんわからん」
 諦めて、伸びをする彼の背に、声がかかった。
 「骨喰兄ちゃん。なん?」
 歩み寄って来た兄を見上げると、彼は手を差し伸べる。
 「兄弟の始末は、俺がつける。
 みんなを捕まえてくれ」
 「助かるばい!!」
 ぴょこん、と飛び上がった博多が、手にしたノートパソコンを押し付けた。
 「頼むばい!!」
 「あぁ。任せておけ」
 頷いた骨喰は、駆け出ていく博多と長谷部を見送ってから、畳の上に腰を下ろす。
 「さて・・・」
 新たにチャットを立ち上げた彼は、キーボードを叩いた。
 「―――― げ、骨喰!」
 メッセージを受け取った鯰尾は、天井裏に腹這いになったまま、画面に向かって顔を引き攣らせる。
 『早く出て来い。GPSまで落とすな』
 「やだよ!」
 思わず大きな声を上げてしまい、慌てて口を覆った。
 「・・・鶴丸さんと勝負中だから、無理。骨喰も参加しなよ!」
 メッセージを送ると、すぐに返信が来る。
 『俺はもう、接種した。弟達まで煽って、単にお前が騒ぎたいだけだろう?主のドローンも、1機くらいなら大目に見てくれるだろうが、これ以上壊すと後が怖いぞ』
 痛いところを突かれて、鯰尾は頭を抱える。
 「そうなんだけど・・・そうなんだけど!」
 『主だって楽しんでるじゃないか!俺だけ怒られるの、納得いかない!!』
 画面の返信に、回廊をうろつきながら骨喰は、ため息をついた。
 イベントを運営している時の兄弟は生き生きとして、ちょっとやそっとの苦言ではやめないことを、彼はよく知っている。
 「じゃあせめて、ドローンの破壊はやめろ。弁償させられるぞ」
 片手で打ち込んだメッセージを送ると、画面はしばらく、無言になった。
 「兄弟?」
 『わかった・・・俺は、やめる』
 でも、と、鯰尾はにんまりと笑う。
 「もう、鶴丸さんと小竜さんに、操作ID渡しちゃったよーんv
 これから先の破壊活動は、俺だってばれないように念入りに・・・」
 「そうか」
 「きゃあっ?!」
 ぱかっと、足元の天井板が開いて、骨喰が顔を出した。
 「んなっ?!なんでここがわかったの?!」
 GPSは落としたままのはず、と、画面へ目を戻す鯰尾の足を、骨喰が無造作に掴む。
 「兄弟・・・。
 キーボードを打つ時にしゃべる癖、気づいてなかったのか?
 天井裏なんかにいれば、すぐに居場所がわかる」
 「嘘?!俺、しゃべってた?!
 ちょっ!!引っ張らないで!!落ちる!ふぎゃ!!」
 引きずり降ろされ、顔から畳に突っ込んだ鯰尾は、そのまま動かなくなった。
 「兄弟、きっと、この痛みよりはましだ」
 行こう、と、骨喰は鯰尾の襟首を掴む。
 「まっって・・・!骨喰っ・・・!首・・・!!締まる・・・!!」
 「暴れると、もっと苦しいぞ」
 白目をむいた鯰尾に冷たく言って、骨喰は彼を、薬房まで運んで行った。


 暗闇の中で包丁藤四郎は、肩に提げたバッグから飴を取り出した。
 注射も怖いが、明かりのない場所も怖くて、しゃくりあげそうになる口に甘い塊を入れる。
 「だ・・・誰か、一緒にいてよぉ・・・!」
 鶴丸の合図で散り散りになった兄弟は今、どうしているのかと、取り出した端末に一覧を表示すれば、もう多くの紋がグレーに変わっていた。
 「乱ちゃんと・・・厚兄が裏切ってる・・・!
 他は・・・鯰尾兄が捕まった・・・!骨喰兄、ひどい・・・!」
 しかし、多くの短刀がまだ逃げていると知って、少しほっとする。
 続いてGPSの画面を開いた彼は、びくっと震えた。
 鯰尾が落とし、灰色に塗りつぶされていた画面が復活して、彼の居場所が表示されている。
 「に・・・逃げなきゃ・・・!」
 厚の紋が迫っていることに慌て、闇の中を手探りで移動した。
 体重の軽い彼は、天井裏で動いても、板がきしむことはほとんどない。
 しかも今は、鶴丸と小竜が補強してくれたおかげで、腰をかがめて歩くこともできた。
 「厚兄、引き離した!
 じゃあ、どこかで下に降りて・・・」
 と、目指した天井板が、ぱかりと開く。
 「みぃーつけたぁー・・・!」
 「きゃー!!!!」
 下からぬっと顔を出した乱に驚き、包丁は大きな悲鳴を上げてしまった。
 「みっ・・・みっ・・・乱ちゃん、なんでっ!!」
 画面に写ってなかったのに、と泣きじゃくる包丁の足を掴んで引きずり降ろしながら、乱はにんまりと笑った。
 「厚が追いつめて、僕が引きずり出す作戦だよ。
 端末の電源落としちゃうのは不便だけど、いい作戦でしょ?」
 「わぁぁん!!みんな、にげてええええええ!!」
 乱の声と共に、包丁は逃げる面々へ一斉連絡する。
 「そうか・・・乱の奴、そういう裏切りをするのか!」
 舌打ちした愛染が、太い木の枝に並んで座る蛍丸の手を取った。
 「だったら、林に逃げてる俺らが有利だ!
 ここなら、誰か近づいて来てもすぐにわかるからな!」
 「うん。
 ・・・俺、もう神域、ってやつに入ったのに、注射しなきゃいけないなんて、納得いかない!」
 病気になるはずがないのにと、涙目で口を尖らせる蛍丸に、愛染も大きく頷く。
 「俺だって、愛染明王の加護があるんだ!注射なんかしなくっていいんだ!
 なのに・・・蛍?」
 蛍丸が、また震えだした端末を見るや、顔をこわばらせた。
 そこには太郎と次郎からのメッセージが表示されている。
 『蛍丸へ。神剣ともあろうものが、人間の子供のように逃げ回るものではありません。注射ごときに怖気づくとは、情けなく思いますよ』
 『早くおいでー!痛かったら、あたしがなでなでしてあげるからさーv おこちゃまだから、泣いちゃうかもねー!www』
 「たろじろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
 端末を握り潰さんばかりに怒号を上げた蛍丸を、愛染が慌ててなだめる。
 「お・・・落ち着けよ!
 神剣だから、注射なんか・・・」
 「国俊!俺、薬研の所に行く!!」
 「蛍!!」
 止める間もなく、かなりの高所から飛び降りた蛍丸が、ころんと着地した。
 「怖くないし!泣かないし!!」
 頭から湯気を出さんばかりに怒って、薬房に駆け込んできた蛍丸に、次郎が手を叩いて笑う。
 「あはは!
 自分から来るなんて、えらいえらい!」
 「それでこそ神剣だよ」
 にこりと笑って歩み寄った石切丸が、ひょい、と蛍丸を抱き上げ、薬研の前へ彼の腕を差し出した。
 「いっ・・・た!!」
 思わず声を上げてしまい、顔を赤くする蛍丸の腕を、石切丸は消毒液を含んだ綿で撫でてやる。
 「はい、いたいのいたいの、とんでいけ。
 もう大丈夫かな?」
 「う・・・うん・・・」
 本当はまだ痛いが、強がる彼の頭を石切丸は笑って撫でた。
 「はい、次はこっちもお願いしますわ」
 「うぉー!!国行ぃぃぃぃ!!放せえええええええええ!!!!」
 じたじたと暴れる愛染を抱えて、明石が入ってくる。
 「蛍丸が飛び出して来た辺りを探したら、案の定やわ。
 薬研はんを困らせたらあかんやろ」
 「助かるぜ、明石。
 来派は、うちの連中でも手こずるくらい速いからな」
 明石が無理矢理差し出した愛染の腕に針を刺し、薬研が微笑んだ。
 「もういいぜ。
 今日は出陣もないし、激しい運動はするなよ」
 「ちくしょー・・・!」
 泣き顔を見られないように、愛染は明石の上着に顔をうずめる。
 「蛍丸も、おいで。
 大太刀はんら、いつもお世話になりまして、ありがとうございます。
 ほら、二人もちゃんとお礼ゆうて。お邪魔やから、もう行くで」
 ぺこりと頭を下げた明石に微笑んだ石切丸は、また騒がしくなった外へ目を向けた。
 「太郎さん、次郎さん、また大変そうだ。
 もう少し、手伝ってもらえるかな」
 「えぇ、わかりました」
 苦笑する太郎の隣で、次郎が挙手する。
 「ねぇねぇ!あたしも、お手伝いしたら大吟醸もらえるかなー?!」
 「働き次第じゃねぇか?」
 薬研の言葉に、張り切った次郎が薬房の外にまで出ていくと、日本号の小脇に抱えられていた信濃が抜け出たところだった。
 「俺!秘蔵っ子なのに!!
 傷つけるなんて、許さないんだからね!!」
 駆け出した彼の前を塞ぐと、信濃は次郎の懐に飛び込む形となる。
 「はーいv
 秘蔵っ子ちゃん、懐におさめましたっv
 「うわああああああん!!放してええええええええええ!!」
 「うるっせぇ!!
 お前ら、いちいち暴れやがって・・・おい!後藤!!蹴るんじゃねぇ!!」
 もう一方の手に抱えていた後藤に膝裏を蹴られて、よろけた日本号の手から、太郎が暴れる短刀を受け取った。
 「私も蹴りますか?」
 「う・・・!」
 厳しい目で見つめられた後藤が、途端におとなしくなる。
 「お前ら最初から、そういう態度でいろよ!!」
 手こずらされた日本号は大きなため息をついて、懐から震えている五虎退を引っ張り出した。
 「これも頼むぜ」
 「おやおや、大漁だったね」
 日本号から五虎退を受け取った石切丸が、笑い出す。
 「状況は、どうなってるんだい?」
 「あぁ、博多達、短刀が見つけた奴らを、長谷部が次々に捕まえてる。
 順調・・・と言いたいが、鶴丸と小竜の妨害にあって、一旦捕まえた奴に逃げられることが多くてな。
 二度手間どころか、三度手間だ。
 まずはあの二人を潰そうって、長谷部が作戦を変更したところだ」
 「伊達はどうした?
 鶴丸の確保に向かったはずだが」
 いぶかしげな薬研に、日本号は苦笑した。
 「あいつら・・・足、遅いんだよなぁ・・・」
 捕捉しても逃げられる、とため息をつく彼に、五虎退を慰めていた石切丸が笑う。
 「まぁまぁ、黒田と比べては、かわいそうだよ」
 「そうだよぉ。
 長谷部なんか、短刀ちゃんより早いことあるじゃないか。
 大磨りあげってことは、元はあたしらと同じ、大太刀だったんだろう?
 なのに、なにあの速さ」
 ねぇ?と、小首を傾げた次郎から、信濃は泣き顔をぷいっと背けた。
 「拗ねるなよ、信濃。
 そんなに腹が立ったなら、残った奴ら捕まえて、同じ目に遭わせてやれ」
 笑う薬研はふくれっ面で睨んで、信濃は首を振る。
 「・・・やだ。
 もう・・・おやつ食べて寝る」
 「おやおや、すごい拗ねっぷりだねぇ」
 吹き出した次郎が、わしわしと頭を撫でた。
 「じゃあ、戻って兄貴にでも甘えてなよ!」
 「おや・・・?」
 その言葉に、首を傾げた太郎が、端末の一覧を開く。
 「一期は・・・来ていないのですね」
 「あ」
 薬研が間の抜けた声を上げるや、信濃と後藤だけでなく、五虎退までもが頬を染めた。
 「いち兄、ずるい!!」
 「どこに隠れやがった!!」
 「つ・・・つかまえますっ!!」
 一瞬で駆け去ってしまった短刀達を、大太刀が見送る。
 「やーっぱ、速いなぁ」
 「おい、次郎。太郎も。
 連行するの手伝ってくれねぇか?
 一人で何往復もするの、さすがにつらいぜ」
 深々と吐息した日本号に、二人は快く頷いた。
 「じゃ、他の槍にも頼もーよ!
 って・・・あれ?」
 「彼らも・・・来ていませんね」
 呆れた口調の太郎に、日本号は舌打ちする。
 「まず、あいつらから連行だ!
 槍なら、俺らでも捕まえられるだろ!」
 憤然として、日本号は母屋へ戻って行った。


 その頃、日本号達が向かう母屋では、柱に縋って抵抗する清光と安定を、古参組が説教中だった。
 「注射くらい、ちょっと痛くてしばらく腫れるだけだろう!
 浦島だってちゃんと打って戻って来たのに、いつまでぐずっているつもりだ!!」
 両手を腰に当て、叱る蜂須賀からしかし、二人は必死に顔を反らす。
 「やなものはやだっ!
 腫れたら可愛くない!!」
 「手入れで治らないなんてやだよ!いつまでもじんじんするの、嫌い!!」
 絶対に動かない、と、床に座り込む二人には皆、呆れた。
 と、
 「・・・俺の兄弟と和泉守も、とっくに行って帰って来たんだが」
 ぽつりと、山姥切が呟く。
 「新選組は、捜索隊として期待されていると、張り切っていたぞ。
 参加しなくていいのか?」
 その言葉には、二人とも反論できずに固まった。
 「ほれ!足が動かんのじゃったら、俺が担いでやるきに!
 捜索は得意じゃろうが!」
 両脇に抱え込もうとする陸奥守にはまた、柱に縋って抵抗する。
 「やだもう!ほっといて!!」
 「僕達、健康には気を使ってるから!大丈夫!!」
 「・・・いい加減にしたまえよ、君達」
 降りかかった冷たい声音に、場が凍り付いた。
 腕を組み、進み出た歌仙を、二人は怖々と見上げる。
 「清光」
 「はいっ!!」
 びくっと飛び上がった彼を、歌仙は冷たく見下ろした。
 「君、主の爪の手入れをしているよね。
 長い時間、二人で向かい合って、楽しげに話しているじゃないか。
 そんな君がだ、この本丸に病を持って帰ったとしよう。
 残念なことにここの主は、季節の変わり目ごとに風邪をひく虚弱体質で、今回の何とかいう病には、予防接種をしてなお罹患したと言うよ。
 ならば極力、病を持ち込まないこと。
 それが絶対条件だと言うのに、君は自分のわがままで、主を危険にさらすのかい?」
 長い説教に反論できず、うなだれた清光へ気づかわしげな目を向ける安定も、名を呼ばれてびくりと飛び上がる。
 「健康に気を遣うなんて、最低限の心構えだよ。
 その上で、予防をしようと言っているのが理解できないのかな?
 君だって、前の主を病で失くしているのだろうに、また同じ轍を踏む気かい?
 それとも、自ら病を持ち帰って主を弑すつもりか」
 「ま・・・まさか!!」
 そんなつもりはないと、激しく首を振る安定へ、歌仙は手を差し伸べた。
 「だったら・・・」
 猫の子を掴むように、剛腕が二人の首根っこを掴み、持ち上げる。
 「とっとと行け!!」
 「はいっ!!!!」
 放られるや一目散に駆け出した二人へ鼻を鳴らす歌仙へ、残った三人が拍手を送った。
 「さすが第一刀じゃのう!
 まっこと、迫力のあったぜよ!」
 「気が短い割に、説教が長いのはどうかと思うが、効果的でなによりだ」
 「・・・これで兄弟も喜ぶ」
 三者三様の言い様に、歌仙はむっと眉根を寄せる。
 「僕達も、そろそろ行くよ。
 伊達が今、鶴丸に手を焼いているから、昼餉も僕が作らなきゃいけないかもしれないしね。
 まったく、主もお楽しみのこととはいえ、面倒なことだよ」
 「ほんにのう。
 今のも、天守でみちょったのかいのう」
 陸奥守が何気なく天守を見上げると、玉砂利をさくさくと鳴らして髭切が庭を横切って来た。
 「なんだかご機嫌だな」
 声をかけた蜂須賀へ、髭切はにこりと笑う。
 「うん。鬼の首をね、取って来たんだぁv
 これ、と、彼が差し出した白木の櫃に、全員が肌を粟立てた。
 「まさか・・・主を?!」
 「うふふv
 腰の太刀へと視線を落とす彼らへ、髭切はくすぐったげに笑う。
 「一度は小狐丸に追い返されたんだけど、二度目は成功したよv
 無言のまま、それぞれの刀へ手をかけた彼らへ、髭切は目を輝かせた。
 と、
 「兄者、ここにいたか」
 緊迫した場の空気など知らぬとばかり、のんきな歩調で膝丸が、庭を横切ってやってくる。
 「よぼうせっしゅ、とやらは受けたか?」
 「受けたよぉv
 だから、天守にあがったんだぁv
 「貴様!!」
 一斉に抜刀した打刀達に、膝丸が目を丸くした。
 「なんだ?!どうした?!」
 「こいつが主を!!」
 震える指で、蜂須賀が髭切を指す。
 「鬼の首を・・・取ったと・・・!」
 怒りに震える声を絞り出す山姥切に、髭切は吹き出した。
 「やだなぁ、みんなーv
 主のことを鬼って言っちゃってぇv
 「違うのかい?」
 冷静さを装いながら、いつでも斬首できる間合いを取る歌仙の前で、髭切は得意げに櫃の蓋を開ける。
 「ま・・・まんじゅう・・・・・・?」
 呆気にとられた陸奥守が銃を降ろすと、髭切は楽しげな笑声を上げた。
 「知ってるー?
 饅頭って、人の首の代わりなんだよぉv
 「兄者・・・これはなんの騒ぎだ?」
 戸惑う膝丸に、髭切はまた、笑い出す。
 「よぼう・・・なんだっけ?
 天守に刑部姫が出たって聞いたからさ、それを受ける前に登って行ったら小狐丸に、ちゅうしゃ?打ってないと、主には近づけさせない、って止められちゃったんだよぉ。
 だから、薬房に行ってから改めて登ったら、主が『今、忙しいから、私の首の代わりに持っていけ』って、これくれたぁv
 と、髭切が差し出した櫃の正体は蒸篭で、中では大きくて白いふかふかが、ほっこりと蒸しあがっていた。
 「みんなも食べるぅ?」
 うふふv と、また笑う髭切に肩を落とした面々は、刀を収めて首を振る。
 「あー・・・髭切。
 俺達が主を鬼と呼んだことは、できるだけ秘密にしておいてくれないか」
 頬を染めた蜂須賀に、髭切は楽しげに頷いた。
 「忠臣揃いで、なによりだよぉ。
 えーっと・・・誰だっけ?」
 「膝丸だ、兄者」
 「そうそう、一緒に食べる?」
 「いただこう」
 打刀達がとぼとぼと渡って行った回廊の縁側に腰掛けた髭切が、並んで腰かけた膝丸との間に蒸篭を置く。
 「召し上がれv
 「ありがとう、兄者。
 ・・・これは、小豆の餡ではないのだな」
 饅頭を割った膝丸が、不思議そうに小首を傾げた。
 「ピザまんって言うんだってぇ。おいしいねぇv
 口の周りを赤くして、ピザまんを頬ばる髭切に、膝丸が上着を脱ぐ。
 「兄者。
 兄者の服は白いから、こぼしたら染みになってしまう。
 俺の上着を膝に」
 「ありがとうv
 優しいなぁ、ピザ丸はv
 「膝丸だ、兄者」
 秋風に少し、寒さを感じつつ、膝丸は暖かい饅頭をほおばった。


 「お前ら・・・手間とらせんじゃねぇよ!!」
 天守一階のセルフメンテナンス部屋に、鍵をかけて篭っていた御手杵と蜻蛉切へ、日本号が怒号を上げた。
 「え?!えっとー・・・な・・・なんのことだろう?」
 ぴちぴちと目を泳がせつつ御手杵がとぼけると、蜻蛉切もこくこくと頷く。
 「次の出陣に備えて、念入りに手入れをだな・・・!」
 「今日は出陣はありませんよ。
 槍の手入れは後にして、まずはご自身の手入れを」
 反駁を許さない、厳しい目で見下ろす太郎から、二人はじりじりと後ずさった。
 「まーったく!
 でかい図体して、なーに怯えてんのさ!
 しかも、隠れる場所がここって!
 灯台下暗しでも狙ったのぉ?」
 どかどかと歩み寄った次郎が、小脇に御手杵を抱える。
 「そーれ!行っくよー!」
 「えぇ、その方が早そうです」
 太郎も、蜻蛉切の巨体を軽々と肩に担いだ。
 「お前ら!
 戻ったら子供運ぶ手伝いしろよ!」
 頼む、と、大太刀へ槍の運搬を依頼した日本号は、母屋へ入る。
 「おーい!次に運ぶ奴ー!」
 声を上げると、障子の開け放たれた部屋から顔を出した五虎退が、『しー!』と、口元へ指をあてた。
 そっと中を窺えば、細く開けた襖の向こうを、信濃と後藤が覗いている。
 飛びかかるタイミングを狙う猫のように腰をかがめ、足に力を込めて、一気に開け放った。
 「確保ー!!!!」
 「んなっ?!」
 突然、屈めていた背に飛びかかられた一期一振が、支えきれずに畳に這う。
 「なにをするんだ、お前達!」
 「なにする、じゃないよ!」
 「自分は注射しないなんて、ずるいぞ!!」
 「ずるいって・・・あ!!」
 信濃と後藤に怒鳴られ、驚く一期一振は、向かっていた押入れから飛び出した弟を捕まえ損ねて声を上げた。
 「誰か捕まえてくれ!!」
 「え?!えっと・・・はい!!」
 「おうよ!!」
 五虎退がとおせんぼし、ぶつかった短刀を日本号が抱き上げる。
 「わああああああああああん!!放せえええええええええ!!!!」
 「も・・・毛利・・・・・・」
 日本号が抱え上げた兄弟へ、短刀達は目を丸くした。
 「押入れに篭った毛利を説得して、穏やかに連行しようと思っていたのに、なんだお前達は!」
 「ごめんなさい・・・」
 あらぬ疑いを掛けてしまった兄へ、正座した短刀達はしょんぼりと頭を下げる。
 「まったく!
 状況はちゃんと確認しなさい!」
 「はい・・・」
 うなだれる弟達の頭を撫でてから、立ち上がった一期一振は日本号へ歩み寄った。
 「すみません、お手数をかけまして」
 「いや・・・いって!!」
 暴れる毛利に蹴られた日本号が、慌てて一期一振へと渡す。
 「やだあああああああああ!!ちっちゃい子以外に触られたくないいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
 絶叫する毛利に、一期一振はこめかみを引き攣らせた。
 「信濃、後藤、五虎退。
 運んで行きなさい」
 「はいっ!」
 それぞれに毛利の手足を掴み、連行していく弟達を、一期一振は見送る。
 「やれやれ・・・。
 あと、捕まっていないのは・・・秋田は、見つけることが難しいから後にして、平野と前田もか。
 まったく・・・!」
 「兄貴は大変だな」
 ため息をつく一期一振へ日本号が言えば、彼は苦笑して首を振った。
 「好きでやっていることですから、苦労とは思わないのですが、日本号さん達へご迷惑をおかけすることは申し訳なく思っています」
 「いや?
 俺は、褒美目当てだからな」
 にやりと笑った日本号へ笑い返した一期一振は、端末の紋の色が変わったことに気づいて瞬く。
 「平野と前田が捕まりましたな。
 では・・・最難関の、秋田捜索に向かいますか。
 ・・・あの子はかくれんぼが得意で、見つけることが難しいのですよねぇ」
 「ま、がんばれや!」
 励ます日本号へ頷き、一期一振は秋田捜索へと向かった。


 その頃、主からメッセージを受け取った大典太光世は、休館日の温泉宿へと向かい、露天風呂にかかるひさしの上に隠れていた短刀達を捕獲した。
 「は・・・放してくださいいいいいい!!!!」
 「注射いやですうううううううう!!!!」
 両脇に抱えられた平野と前田は、足をばたつかせて抵抗するが、短刀が太刀の腕力に敵うわけもない。
 「お前達だって、主の守り刀だろう。
 側仕えをしたいのなら、まずは自身が病の元にならないようにしなければな」
 「で・・・でも・・・!」
 「そうです!大典太さまがいれば、この本丸は大丈夫です!!」
 「無理だ」
 きっぱりと言われて、二人は目を見開いた。
 「俺がこんなことを言っては、身も蓋もないが・・・」
 おとなしくなった二人を抱えて薬房へ向かいつつ、言い募る。
 「俺やソハヤが霊刀として威力を発揮できたのは、人の願いが強かったためだ。
 それ以外に頼るものがないと言う、瀬戸際で祈るからこそ、俺達も願いに応えることができた。
 しかし、今の病は違う。
 それぞれの病に対して薬や療法があり、その知識は主の方が深いゆえに、主は病にかかっても俺達を頼ろうとは思わない。
 祈らない主に対して、俺達は治癒の霊力を発揮することはできない」
 「う・・・」
 「そんな・・・・・・」
 前田家の誇りであった霊刀からそんな言葉を聞かされて、二人は涙ぐんだ。
 「悪いな」
 ふっと、珍しく笑みを浮かべた大典太が、小脇に抱えていた二人を降ろすと、素直に立つ。
 「頼りない奴だと、がっかりしたか?」
 「まさか!!」
 「そんなこと、思いませんよ!」
 ぶんぶんと首を振って、大典太の手を取る二人に、頷いた。
 「では、おとなしく受けるのだな?」
 「う・・・」
 「それはー・・・」
 目を泳がせる二人の手を、大典太はぎゅっと握る。
 「行くぞ」
 「ふ・・・!」
 「ふえぇ・・・!!」
 そっくりな泣き顔を並べて、二人は薬房へと連行された。


 「お、これで後は秋田といち兄だけだな!」
 空にした毛利用の注射器を屑籠に放った薬研が、大典太に連れられた平野と前田を見て、嬉しげに笑う。
 「お前ら、兄弟のくせに俺を煩わせるなよ。
 いちいち捕まえるの、面倒なんだぞ」
 叱られながら注射を打たれた二人は、泣き顔を並べた。
 「粟田口は間もなくコンプだが、他の短刀は手ごわいな・・・。
 今年も今剣が逃げ切りかな?」
 薬研が見上げた石切丸が、苦笑して小首を傾げる。
 「私としては、皆の手をかいくぐる彼に喜んでいいのやら、叱ってやらねばならないのか。
 気持ちとしては、誉めてあげたいのだけどねぇ」
 「まったく、三条も身内に甘いな」
 肩をすくめた薬研は、傍らのタブレットへ目を落とした。
 「伊達は・・・まだ苦労してるみたいだな。
 って、長船!
 光忠以外、誰も来てねぇじゃねぇか!」
 「まぁ、小竜さんは逃げている最中だからねぇ」
 問題児が増えた、と、のんきに笑う石切丸に頷き、薬研は端末を取り上げる。
 「光忠!
 鶴丸と小竜で大変だろうが、小豆と大般若も来てねぇぞ!」
 『ほんとに?!』
 『あぁ!ついでに捕獲してくれ!』
 「あの子たちは・・・まったく!!」
 薬研からの通話を切った光忠は、端末を握りしめた。
 「貞ちゃん、伽羅ちゃん、悪いけど、鶴さんと小竜ちゃんは任せていいかな!
 僕、小豆くんとにゃにゃくんを捕まえないと!」
 「みっちゃん・・・」
 気づかわしげな太鼓鐘の隣で、大倶利伽羅も眉根を寄せる。
 「大丈夫か?
 顔・・・真っ青だぞ」
 「いや、もう・・・刀主がこんなに大変だなんて、思わなかったよ・・・!
 問題児ばっかりで、胃が張り裂けそう・・・!」
 肩を丸める光忠の背を、太鼓鐘が慰めるように叩いた。
 「後は任せろ、って言いたいけど・・・」
 「鶴も小竜も、逃げ足が速い」
 舌打ちした大倶利伽羅は、自身らの足が遅いことには言及しない。
 「罠を仕掛けようにも、あっちがうわてだからなぁ・・・」
 捕まえられる気がしない、と、珍しく弱気な太鼓鐘は、突然の破壊音に身構えた。
 「なんだ?!」
 中庭を睨めば、二機のドローンが絡み合うようにして砂利の上に落ちている。
 「主くんと、鶴さんたちのドローンかな」
 「潰しあいが始まったか」
 光忠に頷いた大倶利伽羅が呟き、端末を取り出した。
 「鶴たちが操作を始めたということは、端末を起動したということだよな」
 「あ!そうだ!!」
 光忠も、端末にGPSを表示する。
 と、ずっと表示が消えていた鶴丸と小竜の紋が、地図上に現れていた。
 「小豆くんとにゃにゃくんは相変わらず消えているけど・・・」
 呟いた光忠の端末に、主からのメッセージが表示される。
 「小豆くんは離れの竹林に隠れて、にゃにゃくんは宿で温泉に浸かってるって・・・なんで両端にいるの!!」
 ヒステリックな声を上げて、光忠は踵を返した。
 「ごめんね!
 鶴さんと小竜ちゃんをよろしく!!」
 駆け去った光忠に手を振った太鼓鐘が、改めて目を落とした端末に眉根を寄せる。
 「どうした、貞。行くぞ。
 今なら小竜が近い」
 「うん・・・けど、ちょっと待てよ、伽羅。
 この表示、おかしくねぇか?」
 太鼓鐘が指した地図を、大倶利伽羅も覗き込んだ。
 「鶴も小竜も、太刀だぜ?
 こんなに足、速いか?」
 休みもせずに、移動する速さは短刀並だ。
 「鶴が、こんなに早いわけがないか」
 自分のことは棚に上げて、大倶利伽羅は舌打ちした。
 「情報を攪乱するために、ドローンか何かに自分の端末を括り付けているな」
 「くっそ・・・!
 あいつら、なんでこんなことばっかりうまいんだ?!」
 手間がかかってしょうがないと、太鼓鐘も舌打ちする。
 「協力者、増やそうぜ!
 接種が終わった連中全員で捕獲だ!」
 「あぁ」
 馴れ合うつもりはないが、負けるつもりもないと、大倶利伽羅は頷いた。


 「だいぶ人数が減って来たな。
 光坊のことだから、これから力技になっていくぞ」
 「グラン、冗談通じないところあるよねぇ♪」
 鯰尾の遺品である端末とタブレットをそれぞれに持った鶴丸と小竜が、画面を見ながらくすくすと笑う。
 「鶴丸、主の目って、どれだけ潰した?」
 小竜が、鶴丸の抱えるノートパソコンを指すと、画面を開いた彼は、にんまりと笑った。
 「30機中、10機を墜落させ、5機のカメラ機能を封じた。
 こっちの余力は7機だから、これからは邪魔な位置にいる奴を潰すだけにして、戦力は温存しておこう」
 「ねぇねぇ、これ、さっき別れてた間に納屋から持って来たんだけど」
 と、小竜は赤いペイントのスプレー缶を鶴丸へ渡す。
 「間近に迫った危険は、これで撃退するのはどうだろう?」
 「おぉ!いいな!!」
 鶴丸は嬉しげに、スプレー缶をしゃかしゃかと振った。
 「これで目を潰してやれば、こっちの戦力は十分温存できる!」
 「残った短刀くん達にも、渡してあげるかなぁ。
 こういうの得意でしょ、あの子達?」
 ポケットからいくつもスプレー缶を出す小竜に、鶴丸が目を輝かせる。
 「そうだな!
 敵は人数で押してくるだろうから、こっちはゲリラ戦と行くか!」
 「それ、得意だよぉ!」
 小竜も目を輝かせて、持ち出した半分を鶴丸に渡した。
 「会ったら渡してあげて」
 「あぁ!
 じゃあ・・・俺は小夜坊の援護に行くぞ!」
 「俺はダディ・・・あ、捕まっちゃってる。
 グランかなぁ?
 じゃあ、小天狗ちゃんのサポートにでも行くかなぁ」
 どこにいるかわからないけど、と笑う小竜へ、鶴丸はこぶしを突き出した。
 「最長記録、作ってやろうぜ!」
 「余裕で更新してみせるよ」
 小竜もこぶしを作り、鶴丸のこぶしにぶつける。
 楽しげに笑って別れた二人は、それぞれの目的へと走って行った。


 「やれやれ、ようやく終わった」
 納屋に農具を収めた巴形は、高い棚へ向かって背伸びする物吉から取り上げた籠を置いてやった。
 「ありがとうございます、巴さん」
 にこりと笑った物吉は、続いて入って来た亀甲と村正を振り返る。
 「そっちも、馬当番終了ですか?」
 「あぁ!今日も馬達の冷たい視線を集めて来たよ!」
 「汚れてしまった・・・ここで脱いでしまいまショウ!!」
 「別に構わないが」
 冷たく言って、巴形は納屋を出た。
 「薬房に行くことを忘れるなよ。
 ・・・早く済ませて主の元へ行きたかったのに、また小狐丸に押し付けられてしまった」
 「まぁまぁ。
 薬研さんには、遅れて行くって言ってありますし、一旦母屋に戻って、着替えてから行きませんか?
 薬房に、泥や藁を持ち込んでも申し訳ありませんし」
 「ワタシは既に脱いでッ!!」
 「そうだな、身を清めておかないと、主の傍に侍ることもはばかられる」
 村正を空気にして、巴形は母屋へ向かう。
 「物吉も、主の元へ行くのか?」
 「そうしたいですけど・・・」
 と、ポケットから取り出した端末を見下ろした。
 「太鼓鐘が鶴丸さんの捕獲に手間取っているみたいで、さっきからずっと、お手伝いのお願いが来ているんですよね。
 だから僕は、そっちに行きます」
 「そうか」
 微笑んだ巴形が、ついでのように亀甲を見遣る。
 「お前はどうする?」
 「そりゃあ、ご主人様のお傍に侍りたいけど・・・」
 と、彼も端末を取り出した。
 「捕まえた悪い子は、思いっきり縛っていいよ、なんて言われちゃあ・・・行くしかないよね!!」
 息を荒くする亀甲に頷き、巴形は歩を進めた。
 と、辺りをきょろきょろと見回しながら、江雪がこちらへ歩いてくる。
 「探し物か?」
 「えぇ・・・お小夜を」
 江雪が困惑げに眉根を寄せると、巴形は物吉を振り返った。
 「小夜なら、落ち葉を置いている辺りに・・・」
 「えぇ。
 肥料を作るための置き場にいましたよ。
 場所によっては熱くなってるから、気をつけてね、って言って・・・」
 「ありがとうございます!」
 長い髪を翻して駆け去って行った彼を見送り、巴形は首を傾げる。
 「どうかしたのだろうか」
 「きっと、小夜くんは注射が嫌で、逃げているんですよ。
 朝からずっと、あちこちで追いかけっこが」
 「手伝いとはそれか」
 物吉の言葉に、ようやくわかったと、巴形は手を打った。
 「畑にいる間も、走る者が多いとは思っていたが」
 「毎年恒例だそうですよ。
 主様が天守に篭ってしまうのも、それを見て楽しむんだとか」
 捕まえた刀にはご褒美が、と笑う物吉に、巴形は大きく頷く。
 「では、俺も追いかけようか。
 主の傍に侍るのもいいが、そうやって楽しんでいただくこともまた、側仕えの役目だろう」
 「ふふふv
 大きな君が果たして、短刀くんを捕まえられるのかなぁ」
 挑発的に言う亀甲を、巴形は冷たく見下ろした。
 「きっと、我が懐におさめてみせるさ」


 「なぁ・・・ここでいいのか?
 小竜は、探す奴の目線より上に隠れろって・・・」
 暗い縁の下、今日は客のいない宿の静けさに遠慮するように不動が囁くと、傍らの秋田は自信ありげに頷いた。
 「もう、粟田口は僕だけです」
 端末を取り出し、予防接種一覧を開いた秋田に、不動が慌てる。
 「おい、電源を入れたら・・・!」
 見つかる、と、不安げに辺りを見回す彼に、秋田は首を振った。
 「本丸かくれんぼ王の僕に、隙はありません。
 GPS機能は切ってあります」
 「そんなことができるのか?!
 じゃあ俺も・・・」
 と、電源を入れようした不動を、秋田は止める。
 「付け焼刃じゃ、この戦は勝てないんです。
 GPS機能は本来、主君しか操作できないので、止めるには鯰尾兄さんみたいに、その機能ごと落とすしか方法はないんですけど・・・」
 にんまりと、秋田は幼い顔に悪い笑みを浮かべた。
 「昨日、小狐丸さんが席をはずしている隙に、適当な理由をつけて御座所に行って、こっそり主君のパスワードを盗み見たんです。
 そのあと、まだお具合が悪いんですから寝てくださいって、寝所に入ってもらってから、主君の端末で僕のGPSを解除しました。
 長谷部さん達がやってもらってることですけど、ここにはもう、70人近い刀がいるんです。
 僕一人加わっても、主君は気づきません。
 電源落としているな、って思うだけです」
 しかし、敵の位置はわかると、秋田は本丸の地図を表示した。
 「そこで、隠れ場所ですけど。見てください」
 秋田の小さな指が、画面上を滑る。
 「今、探索に参加している人はほとんど、あの時小竜さんの言葉を聞いていた人達です。
 意識して、自分の目線より上を探している最中ですよ。
 だから僕たちは、裏をかかなきゃいけないんです!」
 「なるほど・・・!」
 感心して、不動は膝を打った。
 「さすが、かくれんぼ王だぜ!」
 「ふふふv
 僕についてくれば、間違いはありませんよ!」
 でも、と、秋田は目を厳しくする。
 「最初に約束した通りです。
 もし見つかったら、互いを見捨てて逃げる。
 それが、最後まで生き残る方法です!」
 「あぁ!わかってる!!」
 大きく頷いた不動は、用心深く辺りを見回した。
 「それに今、粟田口の裏をかいてるってことは、逆に博多や長谷部に見つかりやすくなった、ってことだろう?」
 「その通りです・・・!」
 不動の洞察力に、秋田は感嘆する。
 以前の不動は、いつも酔いしれて、判断力の怪しいことが多々あったが、元の主の元へ修行に行ってからは、信長公の知略もかくやと言う鋭さを見せるようになった。
 「黒田の刀は機動だけじゃない、情報収集にすごい力を発揮します。
 かくれんぼ王の僕を見つけるのは、いつも博多です」
 かつて王座から引きずりおろされた屈辱は忘れないと、秋田はこぶしを握る。
 「でも今は、復権したんだろ?
 見つかっても、逃げ切ればいい話だ!」
 「その通りです」
 わずかな空気の変化に、二人は意識を集中させた。
 「不動さん・・・」
 「あぁ・・・」
 かさりと、風に吹かれた落ち葉が鳴った瞬間、縁の下を飛び出した二人は別方向へと駆ける。
 「おのれ!!」
 待ち構えていた脇をすり抜けられ、踵を返した長谷部が追おうとするも、既に秋田の姿は消えていた。
 「こっちばい!!」
 不動を追った博多の声に向かうが、一瞬とはいえ足を止められた不利は、短刀相手には挽回しようがない。
 「不動にまで!!」
 「ちょっとは捕まえたっちゃけど・・・!」
 力負けしてしまい、砂利の上に尻餅をついた博多がすかさず端末を取り出した。
 「今、近くにおるとは・・・蛍!愛染!
 すまんっちゃけど、不動ば捕まえてくれんね!
 宿から丘の方に逃げたばい!!」
 了解、の返事を受けた博多は、更に近くにいる薙刀へも連絡を入れる。
 「巴!
 今、蛍と愛染が不動ば追いかけよーと!
 宿を出て、丘の方に行ったけん、サポートばしちゃって!」
 これで何とかなるはず、と言う予想通り、間もなく捕獲の連絡が来て、ほっと息をついた。
 「あいつ、去年は楽だったものを!!」
 酔っぱらって寝そべっている不動を運ぶだけでよかったのにと、悔しがる長谷部に、ようやく立ち上がった博多が頷く。
 「男子三日会わざればすなわち括目して見よ、ってゆーやろ。
 負けて悔しかなら長谷部も三日くらい、外に出たらどげんね」
 「三日も主の元を離れろてや!!」
 怒号を上げる長谷部にまた、博多は頷いた。
 「小狐丸がおるけん、主人は別に困らんやろ」
 「なんっ・・・きさんっ!!」
 掴みかかろうとする手を、あっさりと払いのける。
 「過去の主のことばっか、未練たらしく言うとるくらいなら一旦、外に出たらよかろーって言いよっちゃが。
 そげんしたら、見える景色も変わるかもしれんたい」
 自分はそうだった、と言う博多に、長谷部は反駁も出来なかった。
 武器としての自身ではなく、商才を磨いて来たと言う彼にあの時は呆れ、怒ったものだが、今はその彼に助けられている。
 「・・・一考の余地はある」
 「そやろ」
 否定しない長谷部ににんまりと、博多が笑った。
 「けど今は、目の前の仕事ば片づけることに集中せんと!
 昼餉ば食いそこのーばい!」
 「あぁ、それまでには片づけないとな」
 高くなりつつある陽光に向かって、長谷部が肩をすくめる。
 「寄り道をしてしまったが、鶴丸と小竜の捕獲優先、行くぞ!」
 「おいさっ!」
 こぶしを上げて、博多は捜索を続行した。


 「お小夜・・・お小夜、どこにいますか・・・?」
 穏やかな兄の声が聞こえて、小夜は落ち葉の間からそっと覗いた。
 いい肥料になるからと、本丸中の落ち葉を集めて積み上げているそこは、熱に気を付けてさえいれば、彼にとっていい隠れ場所だった。
 音をたてないように気を付けながら、兄の視線を避けて移動する。
 「お小夜、薬研の所へ行きましょう。
 私がついて行きますよ」
 呼びかける兄の進む方向とは逆へと、小夜は足音を忍ばせて向かった。
 短刀の中では隠蔽が苦手な方だが、太刀の兄をごまかすくらいはできる。
 「兄様・・・ごめんなさい・・・」
 集積場を抜けた小夜は、そっと呟いた。
 その時、
 「熱っ!!」
 兄の声がして、足を止める。
 「江雪兄様・・・!」
 行くべきか戻るべきか、踏み出せずに困惑していると、突然羽交い絞めにされた。
 「小夜ちゃん、みぃーつけたぁー・・・!」
 「ひっ!!乱さん・・・!」
 蒼ざめる小夜に、乱は危険な笑みを浮かべる。
 「悪い子はー・・・特別痛いお注射ね!」
 「やっ・・・待って!!」
 「お小夜」
 騒ぎを聞きつけて、利き手を赤くした江雪が駆け寄って来た。
 「乱、ありがとうございます」
 逃げようとする小夜を抱き上げた江雪が、わずか、眉をひそめる。
 「江雪兄様・・・痛いの?」
 動きを止めた小夜に、江雪は苦笑した。
 「熱いから気を付けなければいけないと、物吉に聞いていたのですが・・・うっかり、葉を掻き分けてしまいました」
 少し火傷した、と手を振る兄に、小夜は眉尻を下げる。
 「ごめんなさい・・・僕が・・・逃げたから・・・」
 「そんなに怖いなら、私がついて行きますよ」
 「・・・・・・」
 無言になってしまった小夜の足を、乱がつついた。
 「すっごく・・・痛いよ?
 今も腫れちゃって、とっても痛いの。
 思わず薬研に反撃しそうになったんだけど、きっと再反撃されちゃうし、主さんに怒られちゃうから、泣くだけにしておくんだよ」
 真っ青になって縋りつく小夜の背を、江雪は宥めるように撫でる。
 「大丈夫。
 火傷よりは、痛くありませんよ。
 あ・・・いえ」
 小夜の目に涙が盛り上がる様に、江雪は首を振った。
 「責めてはいませんよ。
 私の治療もしていただきたいし、薬房へ行きましょう」
 「う・・・・・・・・・はい・・・・・・」
 ようやく頷いた小夜に、江雪は微笑む。
 「乱、捕まえてくれて、ありがとうございました」
 「ううん!
 ボクも・・・八つ当たりがしたかっただけだからさ」
 嗜虐的な笑みを浮かべた乱に、小夜がびくりと震えた。
 「じゃあボク、別の獲物を探しに行くね!」
 くるりと踵を返し、駆け去っていく乱を、小夜が怯えた目で見送る。
 「に・・・兄様・・・・・・」
 「なんですか?」
 穏やかな声音の兄に、小夜はしがみついた。
 「復讐に取りつかれた僕よりも・・・理不尽な八つ当たりをする乱さんの方が、怖いかもしれません・・・」
 「そうですねぇ・・・」
 苦笑して、江雪は怯える小夜の頭を撫でてやる。
 「他の短刀に八つ当たりされる前に、行きましょうか」
 「はい・・・・・・」
 目に浮かんだ涙を拭いながら、小夜は小さく頷いた。


 「ハァイ、主ーv
 ご機嫌いかが?」
 間近に飛んできたドローンへ手を振った小竜は、カメラへ向かって赤いスプレーを吹き付けた。
 ペイントに目を塞がれたそれは、よろめきながら着地する。
 「あははっ!
 せめて、踏まれない場所に置いててあげるねぇ!」
 まだ生きている集音器に向けて笑った彼は、拾い上げて庭石の上に置いた。
 「これで何機目だっけ?
 だいぶ潰したと思うけど、ちゃんとチェックしてなかったなぁ」
 失敗失敗、と肩を竦めた小竜は、堂々と端末の電源を入れる。
 「鶴ーv
 何機潰れた?
 俺、数えるの忘れてたー!」
 鯰尾の端末へと連絡すると、『10機!』と、得意げな声が返った。
 『途中で今剣に会ったから、缶を渡しておいたぞ!
 あいつが4機、俺が2機、お前が4機無力化させたから、残るは5機だ!
 こっちの7機は温存したままだから、情報収集力は逆転したぞ!!』
 「やりー!」
 陽気な声を上げ、小竜は自身の上を飛んでいく、鶴丸のドローンへ手を振る。
 「きっと後で、すごく怒られるだろうけど・・・」
 言いつつ、小竜は自分へ向けて飛んできた縄を切り裂いた。
 「その時はその時だよね!」
 縁の下から突き出された刃は、飛びのいてかわす。
 障子を蹴倒して部屋に入った瞬間、足払いを掛けられた。
 「いった・・・!
 ねぇキミ、本当に王子?」
 とっさに受け身を取って身を起こしたものの、喉元に刃を当てられた小竜は、清々しい笑顔の物吉に苦笑する。
 「これでも僕、戦場育ちなんです」
 「ふふふv
 きれいな君を縛るなんて、興奮するよ・・・v
 縁の下から出て来た亀甲の、上気した顔に小竜は呆れた。
 「ねぇ。
 さっきの縄、どうやって飛ばしたんだい?」
 変な方向から飛んできた、と不思議そうな彼の目の前で、亀甲は嬉しげに縄を弄る。
 「日々の鍛練と愛情が絡まった故の得意技だよv
 この子は僕の、意のままに操ることができ・・・」
 「それはどうでもいいから、早く捕縛して」
 物吉の声とは思えない、冷え冷えとした口調にまた、亀甲は頬を染めた。
 「あぁ・・・v
 君のその、僕にしか向けない冷たさ、心地いいvvv
 「亀甲!!」
 苛立たしげな声に、亀甲は息を荒くする。
 「物吉に急かされながら、きれいな小竜を縛る・・・!
 なんてご褒美!!」
 「わぁ、気色悪い」
 思わず真顔になってしまった小竜に、亀甲はぶるりと震えた。
 「その軽蔑しきった目・・・!イイ・・・!」
 「亀甲!いい加減に・・・あ!!」
 気が反れた瞬間を狙って、振り上げられた太刀に物吉の刃が弾かれる。
 「はは!
 逃げきって・・・」
 襖を蹴倒し、廊下へ出た瞬間、何者かに首を捕まれた。
 「がはっ?!」
 「ようやく捕まえたぞ、小竜・・・!」
 間近に長谷部の恐ろしい目が迫り、固まった小竜の手から、博多が太刀をもぎ取る。
 「連絡と時間稼ぎありがとばい」
 「いえ。
 本当は、僕達だけで捕まえたかったんですけどね」
 物吉に睨まれた亀甲が、嬉しげに身をよじった。
 「おい、亀甲。こいつ縛れ」
 「喜んでっ!!」
 跳ねるような足取りで寄って来た亀甲から、本能的に逃げようと身じろぎした小竜の首を、長谷部が容赦なく絞めて落とす。
 「よし、これで一角は崩した」
 捕縛された小竜を冷たく見下ろす様を、亀甲が羨ましげに見つめた。
 「俺達は鶴丸の捕獲に向かう。
 すまないが、こいつを薬房へ運んでくれるか?
 大変だったら、日本号や大太刀を呼んでくれ」
 「はい、お任せください!」
 にこやかに頷いた物吉の隣で、亀甲は拘束された小竜に擦り寄った。
 「うふふふふv
 大事に運ぶよぉv
 「あ・・・あぁ・・・」
 気色の悪い言動に、思わず歩を下げつつ長谷部が頷く。
 「行くぞ、博多。
 次は鶴丸だ!」
 「新選組から連絡来たばい!
 三の曲輪に追い詰めとーって!」
 「よし、行くぞ!!」
 体力の限界を知らない二人は、新選組が示した場所へと走って行った。


 「おや、大典太。
 君も入浴かい?」
 休館日の温泉宿で一人、露天風呂を満喫していた大般若は、着衣のまま入って来た大典太に声をかけた。
 「いや、そうではない」
 ぼそりと呟くや、ひさしの上へ手を伸ばし、無造作に掴んだ短刀達を引きずり下ろす。
 「へぇ。
 見てもないのに、どうして居場所がわかったんだい?」
 「勘だ。
 邪魔したな」
 じたじたと暴れる短刀達を両脇に抱え、出て行った大典太に大般若は笑って手を振った。
 「さぁーって。来週のとうらぶさんは、じゃなくて。
 姫達専用の浴場で、若いエキスももらったことだし、そろそろ・・・」
 上がろうか、と立ち上がりかけたところで頭をわしづかみにされる。
 「なんで君ってそう、発想がおじさんなの、にゃにゃくん・・・!」
 「はは!親父も一緒に・・・ぶくぶくぶく」
 「・・・三途の川でも見てくれば、少しは素直になるのかな」
 掴んだ頭を湯に沈めた光忠の声は、残念ながら大般若には聞こえなかった。
 必死にもがき、湯から逃れようとする度に押さえつけられる。
 さすがに死ぬかと思った頃合いで、ようやく引き上げてくれた。
 「がっはっ!!
 まったく、親父は乱暴だな!」
 ぜいぜいと肩で息をしながら、未だ頭を掴む手を払いのける。
 「可愛い息子にもっと優しくしようとは思わないのか?!」
 「・・・息子だけど、可愛いとは思えない」
 「ひどいな!こんなに美しいのに!」
 むくれる大般若に、光忠は深々と吐息した。
 「今日は予防接種の日だから、薬房に来いってお知らせが来てたよね?」
 「来ていたが、小竜が『逃げた時間を競うんだ』って、張り切っていたからねぇ。
 積極的に参加したかったわけじゃないが、少しは隠れるのも、主への礼儀かと」
 いけしゃあしゃあと言う彼に、光忠は言葉を詰まらせる。
 「主くん・・・は・・・確かに、煽ってはいるけど・・・!」
 「今日の主は、刑部姫に扮しているとかなんとか。
 だったら天守の主を喜ばせることが、城下の民の役目じゃないかなぁ」
 「う・・・・・・」
 達者な口に反論できず、無言になってしまった光忠に、大般若はにんまりと笑った。
 「温泉も堪能したし、そろそろ行こうとは思っていたからね。
 親父が俺への仕打ちを謝ってくれたら、許してやらなくもないかなぁ」
 ぱしゃぱしゃと湯をかけてくる彼にまたため息をついて、光忠は頷く。
 「・・・あぁ、そうだね。溺れさせてごめんね」
 「可愛くない息子とも言われたぞ」
 「うん、可愛くはないけど・・・はいはい、カワイイカワイイ」
 「心がこもってないなぁ!」
 ぐりぐりと頭を撫でる手がぞんざいだと、文句を言う大般若に、思わず笑ってしまった。
 「お詫びに髪の毛乾かしてあげるから、早く上がって」
 「わかった。
 風呂上がりのビール・・・」
 「後にしなさい」
 おじさんめ、と睨んで、先に脱衣所に入った光忠は、『大般若確保』の情報を登録する。
 「鶴さんと小竜ちゃんは、まだ捕まらないか。
 小豆くんは・・・ちゃんと、竹林で待っててくれるかなあ。
 その辺に誰かいないかな」
 説得してくれそうな人、と、GPSを表示させると、うまい具合に何振りか、短刀が近くをうろついていた。
 『離れの竹林付近にいる短刀くん達へ。
 中に小豆くんが隠れているから、探して薬房に連れて行ってくれるかい?
 協力してくれた子には、お礼に一週間、おやつ増量』
 「これでよし」
 一斉送信した光忠は、頷いてドライヤーを手にする。
 「はい、お客さん。早く座って」
 「うむうむ、苦しゅうない・・・あっつ!!
 親父!俺の頭皮は繊細だからっ!
 もっと放し・・・あっつ!!」
 「生意気な息子の再教育・・・やらなきゃなぁ・・・」
 親父と呼ばれることに慣れ始めている自身をも脅威に思いつつ、光忠はため息をついた。


 光忠が短刀宛に送ったメールは、意外な効果をもたらしていた。
 「おやつ・・・増量・・・・・・」
 離れの縁の下で、端末の小さな明かりに照らされながら、秋田はこっそりとつぶやく。
 ここからなら、竹林まではすぐだ。
 かくれんぼ王の彼にかかれば、辺りをうろついている兄弟より先に小豆を見つけることは容易いだろう。
 しかしそれは、自身の身を晒すことと同じだった。
 「く・・・!
 おやつか・・・注射か・・・それが問題です・・・!」
 つまりそれは、一週間に亘る喜びか、一瞬の苦痛かの選択でもある。
 ここまで逃げた以上、本丸のかくれんぼ王としては逃亡時間の最長記録も狙いたいし、と、秋田は接種済み一覧の画面を見つめた。
 「鶴丸さんはまだ逃げてる・・・。今剣くんも・・・最大のライバルですね!
 でも・・・!」
 粟田口の兄弟は既に、彼を残して全員が寝返っている。
 このままでいれば、彼以外の全員がおやつ増量の上、自分は逃げた罰として減量、いや、なしという恐れすらあった・・・!
 「そうはさせるもんか!!」
 縁の下から這い出し、竹林へ走る。
 「おやつは!渡しません!!」
 覚悟を決めて竹林へ駆け込み、素人が潜り込みそうな奥の藪の中を探した。
 と、大きな身体の太刀は、あっさりと見つかる。
 「あ・・・小豆さん・・・!」
 息を切らしつつ、歩み寄った秋田の呼びかけに、一瞬びくりと震えた彼は、気まずげに苦笑した。
 「みつかってしまったな・・・」
 「僕、かくれんぼ得意なんです!
 見つけるのも!」
 本丸のかくれんぼ王だと、自慢する彼に小豆は笑みを深くする。
 「そうか!えらいな!」
 「でしょ!」
 無邪気な顔をして、狩りを得意とする短刀は歩み寄った。
 「でも・・・そろそろ行かなきゃいけません・・・。
 薬研兄さんが、困っちゃうから・・・」
 嫌だけど、と、目を彷徨わせる秋田の傍に、小豆は膝をつく。
 「だったら、わたしがいっしょにいこう。
 わたしもいやだが・・・こどもに、こわいおもいをさせたくはない」
 「小豆さん・・・!
 ありがとうございます!」
 トドメに抱きつくと、優しい彼はすっかり騙されて、抱きあげてくれた。
 「いこうか。
 やくぼう・・・とやらがどこか、おしえてくれるかい?」
 迷っただけだと言い訳する彼の、下手な嘘は指摘せず、秋田は頷く。
 「まかせてください!
 僕、本丸の隅々まで知っているんですから!」
 「それはこころづよいな!」
 無邪気に笑いながら、秋田は『おやつゲット!』と、心中に快哉を上げた。


 一方で、
 「はーっはっはっは!
 よりによって、曲輪(くるわ)に逃げ込むとは愚かなり!!」
 芝居がかった口調の和泉守が、三の曲輪を見下ろした。
 城郭建築の構造上、二の曲輪からは三の曲輪にいる敵の動きが、手に取るようにわかる。
 城の正門に当たる虎口(こぐち)側に追いつめられた鶴丸は、二の曲輪を囲む塀の上にずらりと並んだ新選組の面々を見上げ、不敵な笑みを浮かべた。
 「驕れるものも久しからず!今こそ見せる、真の姿!
 白鶴仮面、参上!!
 正義は必ず勝つ!」
 「白鶴仮面を名乗るなら、せめて仮面をつけろっ!」
 フードをかぶっただけの鶴丸へ、長曽祢が鋭く突っ込む。
 「そもそもお前、悪の側だろうが!!」
 逃げやがって、と、怒鳴る和泉守に鶴丸は舌を出す。
 「そうだ、俺は攻め込んだんじゃなく、逃げてるんだぞ?
 この門を抜けてしまえば、俺は更に遠くまで逃げられる!」
 威勢よく言って門前に立つ彼を見下ろした清光が、意地の悪い笑みを浮かべた。
 「それ、酔っ払った日本号が堀に落ちて以来、電子錠になったこと、忘れた?
 勝手に出入りすると危ないからってさ」
 「しかも今日は、主にしか開けられないようになってるよ!
 さぁ鶴丸さん!年貢の納め時だよ!」
 安定の声を合図に、塀を越えて飛びかかろうとした彼らの目前でしかし、ゆっくりと門が開く。
 「なんで?!」
 「俺が、付け焼刃で動くと思うなよ」
 丸い目を更に丸くする堀川へ、鶴丸が悪い笑みを浮かべた。
 「主のパスワードなんざ、とっくに盗んだぜ!!」
 「おまっ・・・やっていいことと悪いことあんぞ!!」
 「主さんんんん!!
 パスワード変えてええええええええええええ!!!!」
 和泉守と堀川の絶叫を背に聞きつつ、鶴丸は門外へと飛び出す。
 「はーっはっはっは!!
 残念だったな、お前ら・・・がっふ!!」
 突如現れた板に顔面をぶつけ、うずくまった彼の上に、数珠丸が屈み込んだ。
 「も・・・申し訳ありません、鶴丸殿!
 まさか飛び出してくる方がいるとは思わず、舟を担いでおりまして・・・!」
 蓮池の世話係をかってでた数珠丸が、三の曲輪へ運び込もうとしていた舟とまともにぶつかってしまい、衝撃でちらつく視界の中、鶴丸はなんとか歩を踏み出す。
 「あ!鶴丸殿!
 そんなにふらついていては、堀に落ちてしまわれますよ!」
 気遣わしげに伸ばされた手は固辞して、背後に迫る気配から逃げ出した。
 と、不意に現れた腕に、よろめく身体を支えられる。
 「鶴、確保」
 「でかした、伽羅!!」
 曲輪に追い詰めたと連絡をもらった瞬間、きっと門を出るはず、と睨んで待ち伏せていた二人に身動きを封じられ、鶴丸が悔しげに唸った。
 「あ?なんで俺らが外にいるんだって?
 そりゃあ主に、搦手(からめて)から出してもらったに決まってるだろ」
 太鼓鐘が得意げに笑い、大倶利伽羅が頷く。
 「一番早い馬で回り込んだ。
 ・・・捕まえたからには、もうこっちのものだ」
 ひょい、と、鶴丸を肩に担ぎ上げ、大倶利伽羅は門内へ戻った。
 「数珠丸、動きを止めてくれてありがとな!
 新選組も、協力してくれて助かったぜ!」
 太鼓鐘の礼に、新選組の面々はやや気まずげに頷く。
 「すまん、その・・・逃しちまって・・・」
 和泉守が詫びると、太鼓鐘だけでなく、大倶利伽羅も首を振った。
 「お前達がここまで追い詰めてくれなかったら、待ち伏せもできなかった」
 「そうだぜー!
 さすが、京の狼だよな!
 集団で追い詰めてくの、カッコ良かったぜ!」
 「そ・・・そうか・・・?」
 嬉しげに頬を染める長曽祢に頷いた太鼓鐘は、二の曲輪への門を抜けて出てきた長谷部と博多に手を振る。
 「捕まえたぜ、諸悪の根源!」
 「よくやった、お前達!
 二人で連行できるか?!」
 また逃げられるのではと案じる長谷部に応じて、塀から飛び降りた新選組が鶴丸を担ぐ大倶利伽羅を囲んだ。
 「護衛は俺達に任せろ!」
 「うん、それが元々のお役目だったしね」
 「ね」
 長曽祢の大音声に、清光と安定が頷き合う。
 「じゃあ、行くぞ」
 性懲りもなく、びちびちと跳ねる鶴丸が運ばれていく様を、数珠丸が気遣わしげに見送った。


 これより少し前。
 馬を引く太鼓鐘と大倶利伽羅が、騒々しく出ていった搦手(からめて)から、忍び出る者がいた。
 戻ってくるかもしれない二人のために、開けたままになっているそこから続く馬出しへと、今剣はそっと歩を踏み出す。
 塀の陰から外を窺い、誰もいないことを確かめるや、素早く城外へと駆け出した。
 裏山まで一気に抜けてしまえば、遊び慣れた森の中だ。
 ここまで追ってこられる者は、いないはずだった。
 ―――― しかし、
 「おぉ、今剣。
 遊びの時間であるか?」
 山ごもりにでも行くのか、戦装束の山伏に見つかってしまい、今剣は気まずげに足を止める。
 「えっと・・・あの・・・」
 「薬研から、よぼうせっしゅの後は激しい運動をするなと言われたのであるが、これは日課であるのでなぁ!
 激しくはないだろうと、滝行へ行く途中である!
 今剣も共に参るか?」
 「いっ・・・いえ!
 ぼくは・・・みんなと、おにごっこのさいちゅうですから!」
 逃げている所だと言えば、疑うことを知らない彼は、鷹揚に頷いた。
 「そうか、負けるでないぞ!」
 「は・・・はい!」
 半分は嘘じゃない、と、自分に言い訳して、今剣は森の奥へと入る。
 他の者には危険な場所でも、彼にとっては本丸の中庭よりも簡単な場所だった。
 落ち葉を踏み分け、ずんずんと奥へ行き、中腹のまだ、葉の残る木に登って山道を見下ろす。
 ここならば、誰かが近づいてもすぐにわかる上に、下からは見えなかった。
 愛染達と同じ発想だが、本丸から出られなかった彼らと違い、山の中に隠れた今剣を探し出せる者がいるはずもない。
 「みんな・・・ひどいです。
 あるじさまも・・・。
 きょうのあるじさまは、きらいです・・・」
 眉根を寄せた今剣は、懐から出した饅頭をほおばった。
 腹が減っては戦はできぬと、昨日のうちに厨房から盗んだものだが、後で怒られるだろうなんて、今は考えない。
 「きょうは、ここで・・・こもり?やまごもり?
 ちがうな・・・なんだっけ、こもってたたかうこと・・・」
 「籠城か?」
 「そうです!それ!あっ!」
 下から掛けられた声に思わず返事をしてしまった今剣は、気まずげに木陰へと隠れた。
 しかし彼は構わず、更に声をかける。
 「そこは寒いだろう?
 温かい茶でもどうだ?」
 迷ったものの、刀派の長老を無視するわけにもいかず、今剣は渋々木から降りた。
 「みかづきさま・・・なんでここにいるって、わかったんですか?」
 「亀の甲より年の劫、と言うものかな」
 くすくすと笑いながら、三日月は保温の水筒から注いだ茶を、今剣へ渡す。
 「蓮の手入れをする数珠丸殿の手伝いで堀へ出ていたら、太鼓鐘と大倶利伽羅が馬でやって来るではないか。
 何事かと聞けば、虎口で鶴丸の捕り物中であるとな。
 鶴丸は、あれで中々、狡猾な策士だ。
 その鶴丸がわざわざ虎口で騒ぎを起こしているということは、裏門である搦手から、こっそり出て行く者がいるはず。
 そしてそれは、一旦鶴丸と合流し、未だ逃げ続けている今剣、そなたであろうと。
 ならばきっと、逃げ込むのは山であろうし、馬を借りて来てみれば、案の定、途中で会った山伏から証言も得た。
 あとは散策がてら、鹿の声を探していただけのこと」
 「ひとりごと・・・おおいって、まえにあきたからもいわれました・・・・・・」
 かくれんぼ王決定戦に負けた、と、うなだれる今剣の頭を、三日月はそっと撫でてやった。
 「秋田は先程、薬房を訪れたと、連絡があったぞ。
 さぁ、新たなるかくれんぼの王よ、いつまでも逃げるわけにもいかんだろう。
 おのこならば、覚悟を決めよ」
 「う・・・でも・・・・・・」
 暖かい湯気を鼻先に当てながら、顔をあげない今剣に、三日月は微笑む。
 「それ、迎えだ。
 主が寄越したのだろうな」
 その声にようやく顔を上げると、苦笑する岩融が、大股に歩み寄って来た。
 「やれやれ、ようやく見つけた!
 三日月殿が目印に、馬を繋いでいてくれて助かったが、山の中を探すのは苦労したぞ。
 なにしろ、途中で声が聞こえなくなったのでな!」
 「岩融まで・・・・・・」
 むくれる今剣に笑い、岩融は小さな身体を抱き上げる。
 「昼とはいえ、木陰はもう、寒かっただろう。
 主のように風邪を引く前に、戻ろうぞ」
 「今剣」
 笑みを含んだ声で呼ばれ、今剣は暗い目で三日月を見下ろした。
 「頑張った後は、じぃじが外郎をやろうな」
 途端、
 「に・・・にがいんですか?ちゅうしゃ、にがいですか?!」
 怯えだした今剣に、三日月は首を傾げる。
 「いや、苦くはないな」
 「うそです!
 だって、にがいおくすりをのんだあとは、やげんがういろうをくれます!」
 「そうだったかな?」
 そもそも薬を飲んだ覚えがないと、豪快に笑う岩融の腕の中で、今剣が暴れ出した。
 「にがいのいやですうううううううううう!!」
 「あ、いや、今剣!
 苦くはないぞ、痛くはあったが」
 「いやあああああああああああ!!」
 更に泣き叫び、逃げ出そうと暴れる今剣を岩融が、なんとか抱え直す。
 「三日月殿!余計なことを!」
 「す・・・すまぬ・・・」
 叱られ、慌てる三日月がなだめようにも、泣き叫ぶ今剣には全く聞こえていなかった。
 「す・・・すまん、先に行く!馬を借りるぞ!」
 「あ・・・あぁ・・・」
 子供をかどわかす悪人のような姿で駆け去る岩融を、三日月は呆然と見送った。


 「おぉ!ラス1来たな!」
 ほっとした様子で薬研が、泣き叫ぶ今剣を迎え入れた。
 「城内から逃げられたって聞いて、焦ったぜ・・・!
 まぁ、夜中に寝込みを襲う手もあったけどな」
 逃がすものかと、意地悪く針を見せびらかしつつ、薬研が迫る。
 「やあああああああああああ!!!!」
 理不尽な痛みにまた泣き叫ぶ今剣を、長谷部が睨んだ。
 「静かにしろ!
 俺はまだ、こいつの尋問中だ!」
 言うや鶴丸の胸ぐらを掴み、引き寄せる。
 「貴様!いつの間に主のパスワードを盗み見た!」
 本丸中に響き渡る怒号に、驚いた今剣が泣き止んだ。
 と、目を丸くした顔が面白いとばかり、鶴丸が指をさして笑う。
 「さっさと言わんかあああああ!!!!」
 がくがくと揺さぶるとようやく、茶と茶菓子を要求した上で話しだした。
 「主のパスワードなんざ、盗み見なくてもわかるさ。
 今日は11月8日だからな。
 どれを選ぶかわからない、2月1日とかじゃなくてよかった」
 「日付がどうした?」
 のんきに茶をすする鶴丸を締め上げたい手を震わせながら、長谷部は目を吊り上げる。
 と、鶴丸は全てがグレーに染まった紋の一覧を、長谷部へと突き出した。
 「お前も、この本丸の刀剣に番号がついていることは知っているだろう?
 三日月が3、俺は130、そしてお前は118」
 「118・・・11月8日?!」
 はっとした彼に、鶴丸は頷く。
 「あぁ。
 だから、今日のパスワードは118hasebekunishigeだな。
 ちなみに明日と、1月18日もお前だ」
 「へし切り長谷部、ではなく?」
 なぜ、と訝しげな彼に、鶴丸はにんまりと笑った。
 「そりゃ、お前が散々、へし切りと呼ぶなと言うからだろ。
 明日は119hasebekunishige、明後日は11番と10番を組み合わせて、1110imanoturugi_iwatooshiだ」
 「え?岩融とぼくですか?」
 「ほほう・・・考えたものだな」
 感心する二人の前で、長谷部は顔を覆い、肩を震わせる。
 「主・・・!
 なんと言うお心遣い・・・!」
 嫌っている号ではなく、刀工の名で呼んでくれたことを知って、涙が止まらなかった。
 「ま、バレたとわかった以上、やり方は変えると思うがな」
 「えぇー!
 あさってまでは、いいでしょぉ?
 ぼく、あるじさまの・・・ぱ?ぱー・・・?」
 「パスワード」
 「に!なりたいです!」
 「そりゃいいな。お願いしてこいよ」
 煽る鶴丸と、今にも飛び出して行きそうな今剣を薬研が止める。
 「そんなことしたらこの白鶴仮面が、大将のID使ってやりたい放題だぞ。
 大将の名前と金で買い物するとか」
 「なんだと?!
 鶴丸!貴様まさか、主の金を・・・!」
 また掴みかかってきた長谷部を、鶴丸はうるさげに押しのけた。
 「そんなことをしたら、博多と後藤にすぐバレる。
 主の金は、あいつらが管理しているようなもんだからな」
 城郭建築の借金は未だ完済せず、しかも返済先は博多藤四郎だ。
 怪しい金銭の動きがあれば真っ先に気づき、犯人確保に奔走するはずだった。
 「そ・・・それもそうだな・・・!」
 気まずげに座り直した長谷部が、咳払いする。
 「では俺は、今回の件を報告書にまとめ、処分と今後の対策を検討するとしよう。
 鶴丸・・・お前、主のドローンは弁償しろよ」
 さすがに怒っていた、と言う彼に、鶴丸は首をすくめた。
 「・・・ま、楽しかったから、いいか」
 来年はどうしてやろうと、性懲りもなくにやつく彼に薬研は苦笑し、長谷部は強く拳を固めた。




 了




 










3月にもなって、いきなり11月の話ですよ(笑)
前作で、予防接種鬼ごっこのことを書いた時は、今年の11月まで取っておこうかと思ったんですけど、せっかく思いついたし、忘れないうちに書いておこうかな、ということに。
まぁ、彼ら季節どころか時代も飛び越えているんだから、いいですよね(笑)
ちなみに、博多が主の事を話す時に使っている言葉は、難易度の高い博多弁の敬語です。
今でも普通に使いますけど、真面目に読んでるときっと目が疲れますから、フィーリングで流してください(笑)













書庫