〜 風やとくらむ 〜






 ほんの数日前まで水を凍らせていた風は今、春の陽気を運んで、日陰に残る雪までも解かそうとしていた。
 自室の雪見障子を開け放った石切丸は縁側に立ち、芽吹き始めた庭木に目を細める。
 「袖ひぢて むすびし水のこほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」
 祝詞のように歌を口ずさめば、枝のメジロが興味深げに小首を傾げた。
 「ふふ。
 せっかく来てくれたんだ。粟でも差し上げようか」
 一旦奥へ入った彼は、小瓶を持って戻る。
 と、目ざとい小鳥たちが、歓声をあげて寄って来た。
 「はいはい。
 慌てなくていいからね」
 大きな手にたっぷりと粟を乗せ、差し出すと、若草色の鳥たちが嬉しげについばむ。
 「元気そうでなによりだ。
 今年はいつもより寒いから、花が咲くまでは頑張るんだよ」
 穏やかに話しかけていると、襖の向こうから呼ぶ声がした。
 「なにかな?」
 返事をすれば、そっと襖が開いて、蛍丸を抱いた明石が困り顔で一礼する。
 「明石さん。どうかしたかな?」
 手に残った粟を庭へ撒き、招き入れた明石は、自身の腕の中で眠る蛍丸を見つめた。
 「神社より帰ってからずっと、目ぇを覚まさんのです。
 手入れ部屋の研ぎ師はんらは、どこも怪我してへんいうし、薬研はんに診てもろうても、少し熱がある以外は悪いとこ見当たらへんいわれてしもうて。
 もしや、石切丸はんなら治せるんやないかと思うて」
 「どれどれ」
 毛布にくるまれた蛍丸を受け取ると、熱があると言う割に、身体は冷えている。
 「あぁ、疲労だね。
 神威を使い果たしてしまったんだ」
 あっさりと言い当てた彼は、赤子をあやすように揺らした。
 「私や太郎さん達も、松が明けるとこうなってしまうよ。
 なにしろ、神剣は年末年始がとても忙しいからね」
 日当りのいい場所へ座ると、明石も神妙な面持ちで傍に座る。
 「蛍丸は、神社に戻って初めての年末年始だったし、緊張もあって疲れてしまったんだろう。
 一旦ここへ戻った時は元気に見えたから、心配はしていなかったのだけど・・・多分、気を張っていたのだろうね。
 睦月の半ばから立春までは厄落としの行事があって、休む間もなく神事だから、神威も底をつくというものさ」
 「目ぇを覚ます方法は・・・」
 不安げな明石に、石切丸は首を傾げた。
 「好きなだけ寝かせておいで・・・と言いたいが、人の身を得ている以上、子供の身体を何日も寝かせておくのは危険か」
 言いつつ、陽光へと手を伸ばした石切丸は、温めた手を蛍丸の額へ当てる。
 「私の神威を、少し分けてあげるよ。
 目を覚ますくらいの力にはなるはずだ」
 穏やかな気に惹かれたか、庭で餌をついばんでいた鳥たちが、石切丸の肩や腕に止まった。
 起きろ起きろとさえずる声に、蛍丸がうっすらと目を開ける。
 「蛍丸・・・!」
 こわばっていた顔をほっと緩めて、明石が身を乗り出した。
 「ようやっと起きたわ。
 気分はどうや?どこぞ痛いところはないんか?」
 気づかわしげな明石を、蛍丸はきょとん、とした顔で見上げる。
 「なに?どうしたの?」
 発した自身の声が嗄れていて、驚く蛍丸に明石が吐息した。
 「あんた夕餉時に箸握ったまま寝て、二日も目ぇ覚まさんかったんやで。
 自分がどんだけ心配したとおもっとるんや」
 石切丸の膝から蛍丸を抱き上げた明石は、深々と一礼する。
 「石切丸はん、どうもありがとうございます。
 少しとはいえ、神威をお分けになって、石切丸はんには影響ないんやろか」
 「あぁ、このくらいなら大丈夫」
 と、石切丸は笑って手を振った。
 「おいしいお茶と茶菓子でもいただけば、回復するよ」
 冗談めかす彼に、明石も笑みを漏らす。
 「ほな、後ほどお礼にお茶とお菓子をお持ちしまひょ。
 ひとまずは失礼します。
 ほら、蛍丸もお礼いうて」
 「へ?
 うん・・・よくわかんないけど、ありがと」
 「どういたしまして」
 にこりと笑って二人を見送った彼を、小鳥たちが庭へ戻れとばかりにさえずった。


 明石と並んだ蛍丸が、まだ眠い目をこすりながら回廊を渡っていると、道場から中庭へ飛び出した愛染が駆け寄ってきた。
 「蛍!
 体、大丈夫なのか?!」
 「国俊・・・どうしたの、そんなに慌てて?」
 蛍丸が小首を傾げると、彼は苛立たしげに床を叩く。
 「お前を心配してたんだよ!!」
 おかげで手合せに負けたと、愛染はたんこぶのできた自身の額を指した。
 「そっか・・・。
 そんなに寝たなんて、思わなかったや」
 ゴメン、と、愛染の額でぷっくりと膨れたたんこぶを撫でた途端、本丸中に響き渡るような悲鳴があがる。
 「え?!なに?!」
 「愛染、どした?!」
 道場から出て来た短刀達が、白目をむいて倒れた愛染の元へ、わらわらと寄って来た。
 「蛍丸・・・あんた、なにしたんや」
 「え・・・俺、撫でただけだよ?」
 目を丸くする明石を困り顔で見上げた蛍丸は、回廊から庭へ飛び降りる。
 「国俊ー。大丈夫?」
 「撫でられただけで白目むくって・・・厚兄、やりすぎですよ」
 「う・・・すまん・・・・・・」
 秋田に叱られた厚が、首をすくめた。
 「俺のせいだし、俺が手入れ部屋に連れて行くよ。
 お前ら、運ぶの手伝ってくれ」
 弟達へ声をかける厚に、蛍丸は手を振る。
 「大丈夫だよ。
 国俊一人くらい、俺が運べる」
 「いうたかて、あんた飲まず食わずで二日も寝てたんやで。
 自分が運ぶさかい、廊下にあげて・・・」
 「よいしょ」
 「がふぅっ!!」
 蛍丸が抱えた愛染が吐血し、皆、その場に凍り付いた。
 「・・・っおい!一旦廊下に上げろ!」
 最初に我に返った薬研に命じられ、蛍丸は慌てて愛染を回廊に寝かせる。
 「薬研!担架持ってきたよ!!」
 乱が道場から持ってきた担架を、意識不明の愛染の隣に開いた。
 「よし、手入れ部屋に運ぶぞ!
 厚!」
 「おうよ!!」
 明石が担架の上に愛染を寝かせると、二人はさすがの機動力で手入れ部屋まで走って行く。
 「俺・・・国俊になにしちゃったの・・・?」
 不安げな蛍丸の頬に、暖かい毛並みが触れた。
 「だ・・・だいじょうぶです、きっと・・・!
 し・・・心配・・・しないで」
 白い頬を染めて、必死に言う五虎退に、蛍丸は頷く。
 「うん・・・ありがと。虎も」
 慰めるように身体を摺り寄せて来た虎の、自分よりも大きな頭に手を伸ばし、撫でた途端、
 「ぎゃぅっ!!」
 床が割れんばかりの勢いで、虎の頭が叩きつけられた。
 「虎くんっ?!」
 「え?!俺・・・!」
 悲鳴を上げた五虎退へ蛍丸が伸ばそうとした手を、乱が素早く掴む。
 「待って、ほたるちゃん。
 何かおかしいよ」
 厳しい目で睨まれた蛍丸は頷き、彼がそっと放した腕を、そろそろとおろした。
 「うん、乱の言う通り・・・。
 力が、制御できないんだ・・・」
 小さくとも大太刀の蛍丸が、恐ろしい怪力の持ち主であることは周知の事実だが、何気なく触れただけで被害をもたらすようなことは今までになかったことだ。
 「五虎退、ごめんなさい・・・。
 俺・・・どうしたんだろう・・・」
 「とりあえず」
 泣きそうな顔の蛍丸に、秋田が声をかけた。
 「手入れ部屋に行きませんか?
 愛染君の具合、気になるでしょ?」
 「せ・・・せやな。
 蛍丸、いこか」
 明石に促された蛍丸は、差し伸べられた手に首を振って、手入れ部屋へと向かった。


 「国俊・・・!」
 手入れ部屋の外から様子を伺う蛍丸に、中で手当てを受ける愛染は気安く手を振った。
 「蛍、びっくりさせてごめんなー。
 意外と痛かったんだよ、たんこぶ」
 じろりと睨まれた厚が、にやりと笑う。
 「お前が受け流せばよかったヤツだろ、これ」
 「てんめー!!
 次は俺が一本取るからな!」
 「おい、元気なら出るぞ。
 もうすぐ、第一部隊が帰って来るぜ」
 占領しちゃ悪い、と言う薬研に、二人は頷いた。
 「なんでか腹も痛かったけど、手入れで治るんだから便利だよな!」
 すっかり元気になって出て来た愛染を、蛍丸が困り顔で見つめる。
 「?
 どした、蛍?」
 「あの・・・あのね、国俊・・・・・・」
 自身の力が制御できなくなったことを話すと、愛染も困り顔で眉根を寄せた。
 「それ・・・手入れとかで治るのか?」
 「わかんない・・・。
 なんでこんなことになってるのかも・・・」
 ずっと寝ていたことに関係があるのかと、困り果てた蛍丸の背が、急に翳る。
 「あれ?使用中かい?
 長谷部といずみ君が重傷になったんだけど、入れていい?」
 両肩に意識不明の打刀を担いだ次郎太刀に頷いた短刀達が、わらわらと手入れ部屋から出た。
 「いやー。
 射撃から庇ってくれるのはいいんだけど、本人達が動けなくなっちゃ、本末転倒だよねぇ」
 苦笑して、二人を手入れ部屋に入れた次郎は、元気のない蛍丸を見下ろし、首を傾げる。
 「どしたの、蛍?」
 「ずっと寝ていたようですが、具合でも悪いのですか?」
 次郎の後から、出立の間を出て来た太郎太刀も声をかけた。
 「具合・・・というか・・・うん」
 頷いた蛍丸がもう一度、二人へ同じ話をすると、次郎が彼の前にしゃがみ込む。
 「蛍、ちょっと手を出してみて。
 そんで、あたしの手と合わせて、押し合いしてみよ」
 「へ?なんで?」
 目を丸くする彼に、にこりと笑った次郎が、床に両膝をついた。
 「いいから、やってみて」
 「うん・・・」
 意味が分からないまでも、蛍丸は次郎が目の前に突き出した両手に、自身の掌を合わせる。
 「じゃあ、押し合いいくよー。
 そーれ!よいしょー!」
 大太刀同士の力がせめぎ合い、その勢いは風となって、周りの短刀達をよろめかせた。
 「な・・・なに今の!!」
 「大太刀を振り回された時みたいでした・・・!」
 驚く乱の隣で、秋田も真ん丸に目を見開く。
 「ふっふーん♪
 大太刀さんの威力をなめちゃあいけないよv
 得意げに笑った次郎は立ち上がり、肩越しに太郎を見遣った。
 「兄貴ー。
 兄貴もやってみて?
 たぶん、あたしが考えてることが正解だと思うんだけどぉー」
 確認だという次郎に頷き、進み出た太郎が同じく、床に両膝をつく。
 「蛍丸、手を」
 「うん」
 なんとなく事情が呑み込めた様子で、蛍丸は先ほどと同じく、太郎と手を合わせた。
 「行きますよ」
 「うんっ!」
 本気で押し合った力は強風を起こし、短刀達は立っていられず床に転がる。
 「な・・・なんなんだよ!!」
 「あっぶね・・・大太刀、すごいな」
 悔しげな声を上げる厚の隣で、吹き飛ばされた眼鏡を拾った薬研が、傷の有無を確かめた。
 「おい・・・なんだ?どういうことだ?」
 「大太刀はんらには、わかることなんです?」
 困惑する愛染と明石へ次郎が頷き、太郎は蛍丸の顔を覗き込む。
 「蛍丸、あなた・・・神威が溢れていますね。
 私達ではないということは・・・石切丸殿に、神威を分けていただきましたか?」
 その言葉に、はっとして明石が頷いた。
 「そうです!
 蛍丸が目ぇ覚まさんかったんで、石切丸はんに・・・!」
 「やっぱりーv
 当たった!と、次郎が嬉しげに手を鳴らす。
 「千年以上カミサマやってる石切丸と、去年ようやく神域に戻った蛍じゃあ、身体に神威を留められる容量が違うんだよ。
 今は注ぎすぎた酒が盃から溢れて、周りにこぼれちゃってる状態だね」
 「次郎らしい例えだな・・・」
 でもなんとなくわかった、と言う愛染が見やった蛍丸は、ぱんぱんに頬を膨らませた。
 「別に、身体の大きさのことを言ってはいませんよ。膨れないように」
 微笑む太郎の背後で、次郎は遠慮なしに笑声をあげる。
 「だいぶ加減はしてくれたっぽいけど、全然小さかったねぇv
 可愛い可愛いv
 「うっ・・・うるさいっ!!」
 顔を真っ赤にして、蛍丸は頭を撫でる次郎の手を振り払った。
 「すぐに・・・おっきくなるもん!!」
 「あの・・・それで、いつまでこのままなんやろか。
 今のままやったら蛍丸が、うかつに物に触れんのですけど」
 困惑げな明石に、次郎はあっさりと首を振る。
 「そりゃ知らない」
 「ちょっと?!」
 「大丈夫ですよ」
 慌てる明石へ太郎が微笑み、蛍丸の頭を撫でた。
 「石切丸殿のことです。
 蛍丸に対して、ご自身の神威を調伏まがいに、直接注ぐことはありませんよ。
 きっと大御神を援けに・・・つまり、陽光を媒介にしているはずから。
 立春を過ぎて、勢いを増している時期です。
 しばらく日の下で遊んでいれば、間もなく馴染むでしょう」
 「言われてみれば・・・手ぇをお日さんに当てて、あたためてらしたわ」
 あれはそういう意味だったのかと、明石が感心する。
 「じゃあ蛍!
 メシ食ったらみんなと鬼ごっこしようぜ!」
 殊更に元気な声を上げた愛染へ、秋田が慌てて首を振った。
 「かくれんぼにしましょう!
 今の蛍丸くんに掴まれたら、折れちゃいます・・・!」
 首をすくめる秋田に、短刀達が頷く。
 彼らの硬い表情に、次郎が笑い出した。
 「だったら主にお願いして、戦に行けばいいじゃないか。
 日が強そうな戦場って言うとー・・・厚樫山なんてどうだい?
 あそこは夏の戦場だから、天照サマの力も強いよ?」
 「それ、いい」
 うん、と、蛍丸が頷く。
 「思いっきりやっても、怒られないよね」
 「むしろ誉やな」
 自慢げに言う明石に、薬研が肩をすくめた。
 「危険物は外へ、だろ」
 「あぁ、鬼より怖いよな」
 厚も頷き、顎で奥を指す。
 「仕度しろよ。
 戦場なら、俺も付き合ってやる」
 誉を奪ってやる、と笑う彼に、蛍丸は舌を出してやった。


 「え?蛍丸くん、戦に行っちゃったの?
 たくさん食べた後で、大丈夫かな?
 気持ち悪くなったりしないかな・・・」
 厨房に食器を下げて来た明石に、光忠は気づかわしげに眉根を寄せた。
 「胃薬持たせた?お水は?」
 「ご心配ありがとう。
 けど、うちの子ぉは丈夫ですから」
 平気だと、口では言う明石がやはり気づかわしげで、光忠は小首を傾げる。
 「ついて行けばよかったのに」
 「今回は、小さいお子らだけで行くそうなんで。
 自分がいたら、お邪魔ですやろ」
 「まぁ・・・機動力じゃ、太刀は全然敵わないからねぇ。
 暇ならお茶でも飲んでく?」
 その誘いには首を振った。
 「これから石切丸はんにお礼に伺いますので。
 その前に万屋へお茶菓子買いに行きますけど、なんかおつかいありますか?」
 「・・・どうしたの、珍しく働き者になって。
 そんなに心配?」
 「そういうわけや・・・いや、そうなんかな・・・」
 気を紛らわせようとしているのかと、自問する明石に、光忠は苦笑する。
 「じゃあ、お願いしようかな。
 米・味噌・醤油なんかの重い物や、乾物なんかのかさばる物は配達をお願いしてるんだけど、おじいちゃんたちのお茶菓子が、減りが早くて・・・」
 「あぁ・・・毎日お茶してはるから。
 光忠はんも大変ですな」
 「ほんとにねぇ・・・。
 悪いんだけど、何種類かお願いできる?」
 「はいな。
 ほな、行ってきます」
 暖簾をくぐって出ていく明石の足元が、少しふらついている気がして、光忠は気づかわしげに見送った。
 と、入れ替わりに入って来た大般若が、訝しげな顔をする。
 「なんだい?
 今日はまだ、何もやっていないはずだが」
 「毎日、何かやらかす子に今から頭が痛いよ。
 今日は何?」
 苦笑した光忠に、大般若は頷いた。
 「歴史書ってあるかい?
 日本だけでなく、他国のも」
 「あるよ。
 歴史勉強会用のが、天守地下の書庫にあるから、好きに持ってっていいよ。
 なにか調べもの?」
 「あぁ。
 主が、楽しそうに『私の好きな拷問方法』なんて話し出したんで、俺も勉強をね」
 途端、光忠が眉根を寄せた。
 「・・・しなくていいから。
 主くんにも、短刀くん達が真似しちゃ危ないから、その話はしないで、って言っておいて」
 「あんなに楽しそうなのに」
 否定しちゃ可哀想だと言う彼に、光忠は首を振る。
 「それがまずいんだよ。
 経験者の新選組なら大丈夫だよね、って、主くんが古今東西の拷問話したそうなんだけど、それからしばらく、清光くんと安定くんがご飯食べられなくなっちゃって。
 せめて歌仙くんだったら、平然と茶飲み話にしたろうに、チョイスが悪いよね」
 「いや、歌仙はすぐに、『それは雅じゃない』とか、『性格が悪い』とか言い出すからつまらないと言っていたよ」
 「・・・そういうことを冷静に判定するのが、歌仙くんだよねぇ」
 似た者主従め、と、ため息をついた光忠の肩を、大般若が慰めるように叩いた。
 「主のご機嫌取りは俺に任せておけ。
 以前は面倒がって渋っていたそうだが、今は小竜も仲居役を楽しんでいる。
 俺達が夜の覇権を握る日は近いぞ、親父!」
 「だからそう言う企みを巡らせたり、僕を親父と呼ぶのやめなさいと何度も!!」
 「だって親父じゃないか。
 可愛い息子の願いを聞いたらどうなんだ」
 「自分よりオジサンくさい子を可愛いとは思えない!」
 「どした、みっちゃん?大声あげて・・・って、あー・・・」
 暖簾をめくって入って来た太鼓鐘が、大般若の姿を見るや、間の抜けた声を上げる。
 「なんだ、またやってるのか。
 いい加減、諦めろよ、光坊」
 「諦めるのは僕なの?!」
 続いて入って来た鶴丸の言葉に、光忠がヒステリックな声を上げた。
 「だって、光坊は結構、色んなところで譲歩するだろ。
 けど、こいつはなんだかんだ理由をつけて、結局自分の思い通りにするたいぷの奴だ。
 三日月と似ている気がする」
 「うん。
 三日月ジジィには、今日もうまいこと言われて、一番大きな饅頭とられた」
 口を尖らせた太鼓鐘の頭を笑って撫でてやった鶴丸は、大般若へ小首を傾げる。
 「けど、お前もちょっとは気を遣えよ。
 光坊はジジィと若手に挟まれた、傷つきやすいお年頃なんだぞ?
 若者言葉について行けずにわかったふりして愛想笑いの鎌倉時代生まれ・・・みゃふっ!」
 「鶴さん、口、引き裂くよ?」
 両の頬をつままれ、引き伸ばされた鶴丸が涙目になった。
 「鶴さんはともかく、伊達の子はいい子達なのに、なんで長船の子はこう、聞き分けがないんだろう・・・!」
 「まぁ、親父に遠慮してもしょうがないしな」
 他の刀派には一応遠慮する、と言う大般若に、光忠の魔の手から逃れた鶴丸が頷く。
 「仲間と家族の違いだろ。
 育児がんばれよ、光ぱぱv
 「育児って!
 こんなに大きい子を育児?!謙ちゃんならともかく!」
 「そうだぞ。
 こっちはもう親離れして、長船を繁栄させる気満々なんだ。
 と言うわけで鶴丸、今夜のパーティだが、タワーの酒はどれに・・・」
 「にゃにゃくん!いい加減に・・・!」
 「みっちゃん?!」
 腹をおさえてうずくまった光忠に、太鼓鐘が驚いて声を上げた。
 「なんだ、親父?胃痛か?」
 「可愛くない息子がいるもんなぁ」
 うんうん、と頷く鶴丸に、大般若がムッとする。
 「俺だけのせいか?
 あんたもかなりだと思うが」
 「どっちもだろ!
 みっちゃん!立てるか?!」
 手を貸そうとしない二人に苛立った太鼓鐘が、光忠を支えて椅子に座らせた。
 「座ってろよ。
 はちみつと生姜を入れた牛乳をあっためてやるからよ」
 「貞ちゃん・・・優しい・・・!」
 テーブルに突っ伏してしまった光忠を見下ろした大般若が、小首を傾げる。
 「俺は長船の発展に尽くしているつもりなんだが、なんでこんなに怒られるんだろうな?」
 「自覚がないのが一番悪いぜ・・・」
 冷蔵庫から牛乳を取り出した太鼓鐘が呆れ顔で見上げると、彼は不思議そうな顔で見下ろした。
 「ほれ、暇なら生姜すりおろして。
 あのな、あんたが覇権の拠点にしようとしてる宿だけど、今の状態まで持ってくるには、そりゃあ大変な道のりがあったんだ」
 大般若に生姜とおろし金を渡した太鼓鐘が、やや大げさに言う。
 「粟田口の連中は、思い付きを現実にしちまう実行力は持ってるんだが、奴らの手を離れた後に、ずっと料理面で支えているのはみっちゃんだぜ」
 「・・・それは楽しくてやってるんだけどね」
 無理はしていない、と言う光忠には頷いて、太鼓鐘は続けた。
 「主はちゃんと本陣にナシ通してたんだけど、後から色々言ってくる奴らがいて、そいつらを黙らせるために、こちとら清廉潔白・まっとうな商売でござい、ってめちゃくちゃアピールしなきゃだったんだからな!
 今でもきっと、あら探ししてる奴はいるんだ。
 そういう連中を黙らせるためにも慎重にやんなきゃいけねぇのに、お前は俺を差し置いて派手なことすんじゃねーよ!」
 「なるほど」
 すりおろした生姜を渡してやりながら、大般若は深く頷く。
 「若君は自分でやりたかったんだな、クラブ経営」
 「言ってねぇ!!」
 反駁は、あっさりと聞き流して太鼓鐘の手を取った。
 「貞宗が相手なら、俺も対抗するにやぶさかではない。
 二店で夜の覇権を競おうじゃないか!」
 「だから!言ってねぇし、店を持つ気も・・・」
 「それ、僕がやっちゃダメかなぁ?」
 いつの間にか、背後を取られていた大般若が、仮面よりも固い笑みを浮かべる。
 「おや。
 親分さんの登場かい?」
 振り返り、歩を踏み出した大般若は、殊更に日向正宗を見下ろした。
 「ふふ・・・v
 昼餉を取りに来たら、楽しそうな話をしているからさ。
 大丈夫。
 僕なら、うまくやってみせるよ」
 怯むどころか余裕の笑みを浮かべて、日向も彼を見上げる。
 「あぁ、待て待て待て!
 張り合うな、三大ブランド!
 お前らが張り合ったら、粟田口まで参戦するだろ・・・めっちゃ面白いな、それ!」
 「鶴さん・・・っ!!」
 「なんで応援する体勢なんだ!」
 思わぬ裏切りにまた、突っ伏してしまった光忠の代わりに太鼓鐘が声を上げた。
 「父ちゃんも!
 いきなり入って来て、話をややこしくするなよ!」
 「父ちゃんv
 なんか嬉しい、その呼ばれ方v
 くすぐったげに笑って、日向は太鼓鐘を抱きしめる。
 「もっと言って、それv
 「あーもー、邪魔すんな!
 俺、みっちゃんにホットミルク作ってんだから!」
 邪険にされた日向が、不満顔でテーブルに突っ伏す光忠を覗き込んだ。
 「ねー・・・長船派の祖。
 どうしたの?おなか痛いの?
 うちの子にホットミルク作らせるくらいに?」
 「その言い方がまた、胃に刺さる・・・!」
 「そうだ、嫌味はよしてくれ、日向。
 うちの親父の胃を痛めつけていいのは俺だけだ」
 「いや、痛めつけるなよ・・・」
 堂々と言い放った大般若に呆れつつ、太鼓鐘は湯気を上げるマグカップをテーブルに置く。
 「みっちゃん、起きられるか?
 これ飲んで、あったまんな」
 「貞ちゃん、ありがとぉー・・・」
 起き上がった途端、座っていながら目線を同じくする光忠に、日向が頬を膨らませた。
 「太鼓鐘、僕も欲しい、これ」
 「んー・・・あぁ。余りでよけりゃ、あるぜ。
 ってか父ちゃん、昼飯じゃないのかよ。
 ここで食ってくか?」
 鍋に余ったホットミルクをマグカップに入れて渡すと、彼はちょっと考えてから首を振る。
 「一緒に遠征に行っていた、物吉と亀甲の分もいるからね。
 ・・・それにしても、僕が来る前に物吉と太鼓鐘は強さを極めたし、亀甲も修行に行く予定だと言うし。
 正宗の流れは優秀だなぁ。
 そう思わないか、長船派の祖よ?」
 「・・・すみませんね。
 うちの子達、まだ来たばっかりなんで」
 「光坊は最初からいるけどな。俺も」
 「鶴っ!
 みっちゃんいじめんな!」
 余計なことを言う鶴丸を睨んで、太鼓鐘は三人分の膳を用意した。
 「父ちゃん、三人分の昼飯な!
 一人で持てるか?」
 「あぁ、大丈夫」
 にこりと笑って、日向は軽々と受け取る。
 「じゃあ、失礼するよ。
 お大事にね」
 あでやかな笑みを残して去って行った日向を、笑みを消した大般若が見送った。
 「彼が来る前に貞宗を籠絡して、俺の天下にしておきたかったんだが」
 「そゆこと、俺の前で堂々と言うな」
 「言ってる時点で本気じゃないさ」
 歯を剥く太鼓鐘の頭を撫でて、鶴丸が笑う。
 「しかし、夜の店かぁ・・・。
 客達と遊ぶのは楽しいんだが、貞坊の言う通り、あまり派手にやらかすと、主が困るからなぁ」
 笑みを消した鶴丸が、大般若へ向き直った。
 「成功すると、やっかむ輩が増えるし、あら探しして本陣へご注進する奴も出るだろうからな」
 「ハコはあるのに使えないなんてなぁ」
 彼の指摘に大般若は、深々と吐息する。
 「せっかく、ライバルもやる気になってくれたのに」
 「もっと穏やかな競争でいいんじゃねぇの?
 長船は、小豆のウェルカムスイーツが評判良くて、有利じゃんか。
 父ちゃんの得意なんて、梅干しだぞ?
 うまいけど、人気にはなれないぜ、多分」
 だから安心しろと、なぜか慰めてくれる太鼓鐘に、彼は眉根を寄せた。
 「俺は、まめまめしいことは苦手なんだよなぁ・・・小豆と違って」
 「わたしが、なにか?」
 暖簾をくぐって入って来た小豆に、大般若が頷く。
 「俺は、派手で華やかな世界が好きなのに、俺の得意は否定されて、お前のスイーツがもてはやされることが面白くない」
 兄弟だけあって、遠慮のない物言いを小豆は笑い飛ばした。
 「それはうれしいね。
 みんなが、わたしのスイーツをよろこんでくれて」
 と、持参のエプロンを着ける。
 「パパン、きょうはなにをつくろうか。
 きなこもちなんて、よろこばれるかなぁ」
 どうだろう?と微笑まれた太鼓鐘が、大きく頷いた。
 「ぜんざいも作ろうぜ!
 客は餅の多さにためらうかもしんないけど、俺らは嬉しい!」
 「そうか。じゃあ、そうしよう。
 大般若、てつだいを・・・」
 「俺は主のご機嫌取りがあるから、失礼するよ」
 逃げ足の速い大般若に肩をすくめ、小豆はポケットから端末を取り出す。
 「謙信。
 くりやへおいで。いっしょにおやつをつくろう」
 通話を切った小豆は、顔色の悪い光忠に小首を傾げた。
 「パパン、すこし、やすんではどうかな?
 ぐあいがわるそうだ」
 「うん、そうだね・・・」
 ホットミルクを飲み終えた光忠は、まだ胃の辺りを撫でながら立ち上がる。
 「ごめんね、後片付け・・・」
 「そんなの、鶴がやるから大丈夫だぜ!」
 「そうだ、俺が・・・って、俺か!」
 眉根を寄せつつも、鶴丸は頷いた。
 「後は任せておけ。
 その代わり、夕餉は俺の好きなもの作るからな!」
 「やっほぅ!
 鶴!はんばーぐ作ろうぜ!はんばーぐ!!
 ごはんはおむらいす!!」
 盛り上がる太鼓鐘に、光忠が微笑む。
 「歌仙くんやおじいちゃん達は嫌がるから、和食担当で歌仙くんも呼んであげてね。
 あぁ、それとお宿の料理は・・・」
 「パパン、あとはやっておくから」
 重ねて言う小豆に頷き、光忠はようやく、厨房から出て行った。


 「へぇ・・・。
 光忠が具合を悪くしてしまったのかい」
 天守地下の書庫で、茶室用の書画の整理をしていた歌仙は、通話相手の鶴丸に頷いた。
 「わかった、夕餉は僕も行くから、米を使い切らないようにしてくれよ。
 けちゃっぷ、とやらで汚染されたくないからね」
 やれやれ、と首を振って通話を切った歌仙は、本棚の前で歴史書を繰る大般若へ肩をすくめる。
 「主のご機嫌取りもいいが、少しは親孝行をしてはどうだい。
 うちのいずみなんて、遠い流れではあるけれど、とてもいい子だよ」
 「俺は別に、親不孝をしているつもりなんてないんだよ」
 言って、彼は手にした本を棚へ戻した。
 「ただ、俺はもう、親離れしているし、長船を盛り上げるのは俺の役目だとも思っている。
 親父は、暢気すぎたんだよ」
 「まぁ・・・確かに、長船を盛り上げたのは君達、長光だしねぇ」
 刀剣界のトップブランドの流れを知らない者は、この本丸にいるはずもない。
 「親父は、正宗がいない間にここを掌握するべきだったんだ。
 せっかくのチャンスを無駄にするなんて・・・」
 「それは違うな」
 巻いた水墨画を桐箱に収めて、歌仙は首を振った。
 「この本丸において、僕達刀剣は美術品として扱われることはない。
 主は美しさよりも、どれだけ敵を斬るか、と言うことを重視しているよ。
 そういう意味では、一番のお気に入りは蛍丸だ」
 「まぁ・・・大太刀の攻撃力には、譲るかな」
 渋々認めた彼へと、歌仙は歩を進める。
 「そしてそんな我の強い連中を、本丸の始めからまとめてくれたのが光忠」
 桐箱の先を大般若の胸に押し当て、歌仙は下から睨み上げた。
 「光忠は、君の望む『一番』ではないかもしれない。
 だが、主にとってもこの本丸にとっても、『唯一』の存在だ。
 息子だからって、彼をないがしろにすることは、第一刀である僕が許さないよ」
 「・・・へぇ。
 あんたにそこまで言わせるなんてな」
 感心して、大般若は笑みを浮かべる。
 「我の強い代表みたいなあんたに認めさせるまでには、苦労もあったろうな」
 「もちろんだとも。
 最も我の強い主と喧嘩して、負けなかった太刀だよ、彼は」
 認めざるを得ない、と笑い、歌仙は桐箱を棚へしまった。
 「彼がいないと、厨房も回らないからね。
 手伝いをしないのなら、せめて邪魔はしないことだよ、君」
 さもないと、と、意地の悪い笑みを浮かべる。
 「第一刀権限で、無期限の皿洗い役を命じる」
 「それは辞退したいね」
 苦笑した大般若は、降参の手を上げた。


 一方、
 「んー・・・。
 父さまの言うことは聞きたいですけど・・・」
 日向の持って来た昼餉に箸をつけながら、物吉は困り顔を傾げた。
 「光忠さんは太鼓鐘のお友達ですし、あんまり胃の痛い思いはさせたくありません」
 「でもねぇ。
 仕掛けて来たのは、長船じゃないか」
 仕方ない、と言うよりはむしろ楽しそうに、日向は笑みを浮かべる。
 「大般若のやつ、僕のいない間に覇権を握ろうとしたみたいだけど、物吉と太鼓鐘を取り込もうとしただなんて、笑ってしまうよ。
 お前達は僕の、可愛い子なのにねぇ」
 愛しげに物吉の頭を撫でる日向に、亀甲が目を輝かせた。
 「父上様っ!僕は・・・?!」
 「ふふ・・・。
 亀甲はイケナイ子。
 ちょっとは我慢を覚えないと・・・お仕置きだからね?」
 「はぅっ!!」
 笑っていながら、あまりにも冷たい日向の視線に、亀甲は頬を染める。
 「ちょっと・・・。
 ご飯を頂いている時に、変な声出すのやめて、亀甲」
 「だって!!」
 うんざりとした顔の物吉へ、亀甲は潤んだ目を向けた。
 「父上様は・・・ご主人様と同じ、本物のSだよ・・・!
 優しい笑みと言葉を与えながら、平然と地獄に突き落とす・・・!
 その残酷さ、たまらない・・・!」
 「・・・父さま、僕としては、太鼓鐘がお世話になってますし、長船とは争いたくありません」
 亀甲を視界の外へ置いて、物吉は言い募る。
 「むしろ、問題は粟田口です。
 一期達、豊臣の刀が徳川を・・・いえ、なんでも」
 はっきりと豊臣方、しかも西軍の将を元の主とする日向の前で、物吉は口をつぐんだ。
 「まぁ・・・。
 僕の元の主は、悪い方ではなかったと思うけどね。
 真田の例もあるし、家族で敵味方に別れることは、戦国であれば仕方のないことだけど、まさか、ここでもやっていたなんてね」
 にこりと笑って、日向は湯呑を取り上げる。
 「そうか・・・。
 うちの子達はむしろ、徳川方なのか。
 ややこしいことになっているなぁ」
 眉根を寄せた日向に、亀甲がにじり寄った。
 「愛憎絡み合って、むしろぞくぞくしないかい?!」
 「しない」
 きっぱりと、日向と物吉が声を揃える。
 「遅参したのが痛いな・・・。
 でもまぁ・・・うまくやるよ」
 湯呑を置き、悪い笑みを浮かべる日向に、亀甲が熱い吐息を洩らした。


 翌日、
 「どーすんだ。
 みっちゃん、ひたすら餃子包んでるぞ。
 あの量だと、五日間は餃子パーティだぞ」
 いつも通り厨房に来たものの、朝餉の後から無言で餃子を包む光忠の背を、太鼓鐘が暖簾の陰から見つめた。
 「ありゃ相当、すとれすが溜まってるな。
 光坊は俺らをまとめるくらいだから、精神力は強い方だと思っていたんだがなぁ」
 太鼓鐘の頭に顎を乗せ、同じく暖簾の陰から鶴丸が中を窺っていると、対面でやはり中を窺う大倶利伽羅が吐息する。
 「鶴で手を焼いていた上に、小竜と大般若がのしかかれば、さすがの光忠も潰れるだろ」
 「えー?俺もー?」
 のし、と、大倶利伽羅の背に体重をかけて、小竜が頬を膨らませた。
 「俺、ダディみたいに無理強いはしてないよー。
 ちょーっと、グランに甘えてるだけ」
 孫だし、と、自慢げな彼を、大倶利伽羅は邪険に振り払う。
 「こんな時は!
 行け!唯一かわいい孫!」
 「ぐらんー!」
 鶴丸が背を押すと、謙信は無邪気に駆け寄って行った。
 「なんだよー。
 俺、可愛くない?
 美人の孫だよ?」
 と不満げな小竜に、鶴丸が笑い出す。
 「胃痛ネタその2がなんか言ってるぞ」
 「えー。
 それ、鶴丸もでしょー」
 「俺はこれでも気を使ってるんだ。
 親しき中にも礼儀あり、だぞ。
 お前ら、家族だからってまったく遠慮なしじゃないか」
 「お前らうるさい!」
 聞こえない、と、太鼓鐘が口をはさんだ。
 と、謙信にじゃれ付かれていた光忠が振り返る。
 「みんなも一緒にやる?」
 いつも通りの表情に、ほっとした太鼓鐘が真っ先に駆け寄った。
 「手伝うけど、こんなに餃子ばっか、どうするんだ?」
 食いきれねぇ、と、困惑する太鼓鐘に、光忠は微笑む。
 「昨日、休んでいる間に雑誌を読んでいたんだけど、大陸じゃあお正月料理は餃子がメインなんだって」
 「あぁ、聞いたことある」
 続いて入って来た鶴丸が、頷いた。
 「日本は明治帝の時に西暦に変わってしまったが、大陸ではずっと、陰暦を使っているんだよな。
 だから、日本と大陸の正月は日がずれるんだ」
 「へー。
 正月は正月だって思ってたぜ」
 深く考えてなかった、と、太鼓鐘は光忠に向き直る。
 「で?
 大陸の正月が近いのか?」
 「うん。
 本当はもうちょっと先なんだけどね。
 思いついちゃったから、やろうかなって」
 それに、と、光忠はため息をつく。
 「何も考えずに餃子包んでると、ストレスが消える気がして・・・」
 「出て来い、諸悪の根源!」
 「だから!
 俺じゃなくてダディでしょー!」
 鶴丸の声に応じて、大倶利伽羅が小竜を厨房へ蹴り入れた。
 「ほれ、おじいさまに謝れ」
 「鶴さん!おじいさまって何!」
 すかさず反駁する光忠の背に、小竜が抱き着く。
 「グランー。
 おなか痛くさせちゃって、ゴメンー」
 「いや、小竜ちゃんは特に・・・問題はにゃにゃくんなんだよ」
 苦笑しつつ、光忠は肩に乗った小竜の頭を撫でた。
 「あ、ごめん。
 小麦粉ついちゃった・・・って小竜ちゃん!重い!」
 背中にもたれかかって来る太刀に潰されそうになる光忠から、太鼓鐘と謙信が小竜を引きはがす。
 「なにのしかかってんだ!」
 「こりゅう!
 またぐらんのおなかがいたくなるぞ!」
 「えー。いいじゃん。
 どうせ可愛くない孫だよー。謙信と違って」
 むにーっと、柔らかい頬を引き伸ばしてやると、謙信が泣き声を上げた。
 「こらこら!
 小竜ちゃん、謙ちゃんいじめないの!」
 立ち上がろうとする光忠を制して、大倶利伽羅が小竜と謙信を引き剥がす。
 「それより、どうするんだこの量」
 広い作業用テーブルの上、大皿何枚分も山と積まれた餃子を指す彼に、鶴丸も頷いた。
 「消費するのに、とんでもない時間がかかりそうだが・・・まだ作る気か?」
 「いや、これはね・・・」
 「パパン、はたけから、ついかのやさいをとってきたぞ」
 光忠の言葉を悪気なく遮って、小豆が勝手口から入ってくる。
 彼が下した籠には、白菜やニラなどの野菜がぎっしりと詰め込まれていた。
 「小豆くん、ありがとう」
 「いや、こどもたちが、おなかをすかせてかえってくるからな」
 「子供?
 光坊、まだ子供いたのか」
 小豆の言葉に鶴丸が首を傾げると、光忠は笑って首を振る。
 「小豆くんが言ってるのは、蛍丸くん達のことだよ」
 「あぁ・・・昨日から何度も出陣しているな」
 帰ったかと思えばまた出陣して、を繰り返す短刀達を何度見たか、数えるのも面倒だったと言う大倶利伽羅に、光忠が頷いた。
 「なんでも、蛍丸くんが石切丸さんに分けてもらった力を制御できなくなったとかで、それを馴染ませるためにおひさまの力が強い戦場に行ってるんだって。
 ただでさえたくさん食べる蛍丸くんが、ずっと出陣して更におなか空かせて帰って来るからね。
 むしろ、これじゃ足りないくらいだよ」
 ね?と、声をかけられた小豆が、肩越しに頷く。
 「こんどは、やさいがメインのぐにしよう。
 にくばかりでは、えいようがかたよってしまうからね」
 楽しそうに野菜を刻む小豆へ、謙信が手伝いをかって出た。
 いつも甘味しか作らない彼らには珍しい光景を、光忠が微笑ましく見つめる。
 その様にムッとした小竜が、また光忠に抱き付いた。
 「でもなんで餃子?
 野菜も肉も、炒めるだけでいいじゃない」
 「それでもいいんだが・・・がんばってきたこどもたちに、さめたりょうりはかわいそうだろう?
 それに、はやぐいしては、おなかをいたくしてしまう。
 あついものをゆっくりとたべるのがいいんだよ」
 「その点、餃子だと茹でるだけだし、手っ取り早いかなと思って」
 と言う二人に皆が頷く。
 「飽きないように、中身も日本のじゃなくて大陸風なんだ。
 豚肉とニラだけの基本スタイルから、魚のすり身とか、春雨と炒り卵とか、鶏肉とキュウリの炒め物とか」
 「キュウリって・・・炒めるの?」
 意外そうな小竜の頭を、光忠は笑って撫でてやった。
 「日本じゃ生で食べるけど、炒めても美味しいよ。
 小竜ちゃんも食べてみる?」
 その代わり、と、腕を引く。
 「手を洗って、お手伝いして」
 「えー・・・。
 こんなの、やったことないし」
 めんどくさい、と、逃げようとする小竜の腕を鶴丸が捉え、逃亡を防いだ。
 「やり方なら、俺が教えてやるぜ!」
 「色々包むの、楽しそうだよな!」
 渋々手を洗い、座った小竜とは光忠を挟んで反対側に座った太鼓鐘が、餃子の皮を引き寄せる。
 「伽羅!
 餃子の皮、追加してくれよ。
 なぁなぁ、みっちゃん!
 俺、デザート餃子作っていいか?チョコバナナとか!」
 「いいね!お願いするよ」
 目を輝かせる太鼓鐘に頷き、大倶利伽羅を見遣った。
 「伽羅ちゃん、皮のタネはまだ、冷蔵庫にあるからね」
 「あぁ・・・」
 手の平サイズの麺棒で器用に餃子の皮を作りつつ、大倶利伽羅が頷く。
 「もー・・・なにこれ。
 俺、手伝いするなんて言ってないし・・・」
 当番でもないのにと、文句を言いながらも、小竜は鶴丸の真似をして餃子を包んだ。
 「・・・ほらぁ。
 俺、こういうの苦手なんだって・・・」
 見るも無残に破れてしまった皮と、はみ出た具に小竜が口を尖らせる。
 「まぁまぁ。
 最初はうまくいかなくても、段々わかってくるもんだ」
 新しい皮を小竜の手に乗せ、鶴丸がまた、手本を見せた。
 「本当は大般若にやらせたいんだがな。
 あいつ、どこに行ったんだ」
 朝から見ない、と言う鶴丸に、太鼓鐘が肩をすくめる。
 「性懲りもなく、昨晩も宿ではしゃいでたから、まだ寝てんだろ。
 うちの父ちゃんが仲居に入る前に、固定客をつけておきたいとかなんとか言ってたし」
 「ダディ、日向が来る前から、正宗に対抗意識燃やしてたもんねぇ」
 最初よりは少し、上手くできた餃子をまじまじと見つめる小竜の手に、鶴丸がまた、新しい皮を乗せた。
 「これで一期が参加したら、三大ブランド頂上決戦だな!
 どんな勝負になるか、楽しみだなぁ!」
 高みの見物をする気満々で頬を染める鶴丸にしかし、太鼓鐘は首を傾げる。
 「まぁ・・・その可能性もありなんだけど、梅干し作る季節になったらもしかして、仲良くなるんじゃねぇの?
 うちの父ちゃん、梅干しとか梅酒とか、作るのすごい上手いぜ!」
 「マジで」
 きれいな顔して意外だと、小竜が笑い出した。
 「ダディも、あんなに派手な見た目なのに、白米に梅干しとか、自家製梅酒とか大好きだもんねぇ。
 確かに仲良くなれそう」
 餃子らしく包むことを諦めて、丸めてしまった小竜に光忠が苦笑する。
 「小竜ちゃんが作ったのは、ニラ饅頭にするかな。
 蛍丸くん、本丸の食材が尽きる前に、力を馴染ませてくれるといいねぇ・・・」
 あからさまに大般若の話題を避ける光忠に皆、一瞬黙り込み、その後は他愛のない話題で盛り上がりつつ、大量の餃子を作り上げた。


 その頃、母屋からやや離れた場所にあるサンルームでは、これから覇を競おうとする二人が、ティーテーブルを挟んで向かい合っていた。
 ソファに深く腰掛け、ティーカップから立ち上る香りを楽しむ様は、二人の容姿もあいまって、絵画のような美しさだ。
 ややして、一人掛けのソファに座った日向正宗が、ティーカップをテーブルへ戻した。
 「話は分かった。
 外聞を気にする主を説得したいのなら、十分な理由を作ってしまえばいいんだよ」
 にやりと、美しい顔に悪い笑みを浮かべる日向へ、対面の大般若は満足げに頷く。
 「そう。
 俺達が反対派のあら探し姫を籠絡して、味方にすればいいってことさ。
 生まれて間もない小娘を操って惚れさせるなんて、俺達にかかれば造作もない」
 自信に満ちた言い様にまた、日向は微笑んだ。
 「僕らが手を組めば・・・その程度のこと、赤子の手を捻るようなものさ」
 組んだ指に顎を乗せ、あざとい視線を送って来る日向に思わず、大般若は笑い出す。
 「あぁ。
 俺達が相争うのは、それからだ」
 ただ、と、彼は肩をすくめた。
 「このことは、策が成るまで主にも一族にも秘密にしておこう。
 特に主は俺が・・・この俺が世界一美しいこの俺が、他の姫に媚びる様は見たくないと仰せでね」
 「へぇ・・・」
 協力を依頼しておきながら、わざわざ自分の有利を言い出す大般若に、日向は目を細める。
 「せっかくのチャンスを、邪魔されるのは僕としても不満だ。
 主は、僕のことをたいそう気に入ってくれたようだから、仲居に入ることは難しいかもしれないけど・・・なんとか理由をつけて、やってみるよ」
 挑戦的な目を、大般若は笑っていない目で見下ろした。
 「粟田口がぼやぼやしている間に、夜は我らが・・・」
 ティーカップをテーブルに戻した大般若が差し出した手を、日向の細い手が取る。
 「そうだね。
 一期は主家筋ではあるけれど、ここでは置いておくよ。
 うまくやろう、お互いに」
 互いにきつく握りしめ、二人はあでやかな笑みを浮かべた。




 了




 










仲良し大太刀とライバルな二人、胃が痛いみっちゃんでした(笑)
実は、前作よりもこっちを先に書いていたんですよね。
途中で、『やっぱり予防接種鬼ごっこを先に書こう』ってことになり、せっかく2月中に完成予定だったこちらが3月更新になりましたとさ(笑)
節分も旧正月も、ひと月前に終わったよ!
みっちゃんは伊達だけでなく、本丸全体のお世話してたし、家族もそのノリでお世話しようとしたらなんとなくうまくいかなくて胃が痛い的な(笑)
長船ってみっちゃん以外全員、親離れ子離れしてる気がするよ・・・!
小豆と謙信でさえ、お互いのことは好きだしお世話したりされたりするけど、自立しようと頑張る謙信と見守る小豆、だもんな。
正宗も、子離れはしてると思うんですけど、あの容姿で貞ちゃんに『父ちゃん』って呼ばれるのがなにやら楽しくてつい(笑)
刀工の貞宗は、正宗の実子か養子か説が分かれてて、養子が有力だそうですけど、(しかも正宗より先に亡くなった)ここでは実子でいいよね!
だったら、鳴狐も藤四郎達に『父ちゃん』って呼ばせろよ、って話ですが。
それは既に遅かったかな。
ちなみに、ストレスがたまったみっちゃんがひたすら餃子を包む、っていうのは、こないだ見た伊達政宗の、『ストレスたまったらひたすら竹削って茶杓作ってた』から来ています。
みっちゃんなら、茶杓より餃子かな、と思って(笑)
大陸風の餃子、というのは、私が短期留学してた時に食べてた寮の食事なんですけど。
中国の餃子は、にんにく入りませんし焼きません。>主に水餃子
刻んだ野菜(ニラとか白菜とか)とひき肉がメインで、消化が良くて栄養豊富、という、病人にも優しい食事です。
具のバリエーションが豊富なので、これだけでいいくらいなんですが、ほた達はきっと、ご飯食べないと力が出ない子なので、炒飯もつけてくれたよね(笑)
冷たいと際限なくがっつくので、熱いものをフーフーしながらゆっくり食べなさい、という小豆の提案でもありましたよ。
・・・オカン増えた。













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