〜 たちなむのちは 〜






 「あっづい・・・・・・!」
 容赦なく照り付ける太陽の下、日陰の乏しい畑の中で、和泉守兼定は滴り落ちる汗を拭った。
 その傍らで、
 「ぜんぜんおわらないですぅ・・・」
 自身の腕よりも太い茄子を籠に入れつつ、今剣が不満の声をあげる。
 「おいしいものがたべられるのはいいんですけど・・・ぼく、はたけのおしごとはきらいです・・・」
 めんどくさい、と、不平を言う今剣に、和泉守も大きく頷いた。
 「そりゃ俺もだ。
 適当にサボって・・・げ?!」
 腰を叩きつつ立ち上がった彼は、巡らせた視線の先に、回廊を走る主の姿を見て蒼ざめる。
 「まさか聞こえたんじゃ・・・!」
 「そんなまさか」
 くすくすと、今剣が笑った。
 「こんなにはなれているんですから、あるじさまは、ぼくらにきづいてもいませんよ!」
 「だ・・・だよな・・・!」
 暑さからとは違う汗を拭いながら、和泉守は目を細めた。
 「主のやつ、なんであんなに走って・・・あーあ!裾蹴り上げて!はしたねぇ!!」
 聞こえるように大声を上げると、こちらに気づいた主が、手にした端末を掲げる。
 途端、
 「ひゃっ!」
 ぶるっと震えた自身の端末に、思わず声を上げた今剣が懐から取り出すと、主から『うけとれ!』と、メッセージが入っていた。
 「えっ?わっ!!」
 主が振りかぶって投げつけた端末は、到底彼らまで届くはずはなく、途中の灌木の上に落ちる。
 「ひ・・・ひろってきまーす!」
 駆け出した今剣に頷いた和泉守が、再び見遣った主の背に、すさまじい勢いで歌仙が迫っていた。
 「之定?
 ・・・わー!!なにやってんだ、あんた!
 いくらなんでも、女の髪を掴むのは・・・!!」
 思わず声を上げ、駆け寄った和泉守を、歌仙が回廊の上から睨む。
 「黙っておいで、いずみ。
 これは、僕と主の問題だ」
 その形相に息を呑んで、和泉守はただ頷いた。
 「さぁ、主。
 一緒においで!!」
 乱暴に髪を引かれ、悲鳴とも怒号ともつかない声をあげて引きずられていく主を、彼はただ見送ることしかできない。
 「歌仙さま・・・すごいかおでしたね・・・」
 ひょこっと、灌木の陰から顔を出す今剣へ振り返った和泉守が、自身の鼻を差した。
 「あの化粧・・・というか、落書きか。
 犬だか猫だかを真似たヒゲは、主のいたずらなんだろうな。
 そういえば主、新しいアイライナーを買ったはいいが、使いづらくて持て余してるとか言ってたな・・・」
 だからって、なぜよりによって之定、と、呆れる和泉守を見上げ、今剣が頬を膨らませる。
 「あるじさま・・・歌仙さまとばかりあそんで、ずるいですっ!
 なんども『かけっこしましょう!』ってさそっているのに、ぼくとはあそんでくれません!」
 「いや、あれは遊んでたんじゃなくて、いたずらがバレて逃げてたんだろ。
 お前が主から預かった端末に、之定に渡っちゃまずいもんが入ってんじゃねぇのか?」
 見てみよう、とニヤつく和泉守に頷き、今剣は端末の・・・おそらくは写真だろうと察して、フォルダを表示させた。
 途端、二人して吹き出す。
 そこには、回廊の柱にもたれて居眠りする歌仙と、彼の顔に落書きする主の手、更には、ひどい顔になった彼と自撮りする主の楽しそうな顔が写っていた。
 「目・・・目ぇ開けてたから気づかなかったが、瞼にも目の落書きされてたのかよ!!」
 腹を抱えて笑う和泉守の傍らで、今剣もきゃっきゃと笑う。
 「たのしそうです!
 ぼくも、岩融にやってあげたいです!」
 「あぁ!次の宴会が楽しみだな!」
 と、悪い笑みを浮かべる彼を、今剣は意地悪く見上げた。
 「できるんですか?
 いずみのかみさん、いちばんにねちゃうのに!」
 「う・・・!
 飲みすぎないよう、気を付けるわ・・・」
 図星をさされた彼は、しかし、きつく寄せていた眉根を開く。
 「今剣、この写真の件は、俺達だけの秘密だ。
 でなきゃ主が、之定に酷い目に遭わされるぞ」
 その言葉に、今剣も深刻な顔で頷いた。
 「あるじさま・・・だいじょうぶでしょうか。
 いま、歌仙さまから、ひどくしかられているんじゃ・・・」
 「あぁ、そりゃ確実だな」
 あっさりと言って、和泉守は二人が消えた方を見遣る。
 「でもまぁ・・・主が之定にいたずらなんて、初めてじゃないか?
 やっぱり第一刀が留守にするとなると、主としても不安なのかねぇ」
 「そうですね・・・。
 歌仙さまは、ながいえんせいにいくこともないですし・・・」
 四日もの間、彼がこの本丸を離れることは初めてのことだ。
 それは他の刀剣も同じだが、主にとって、共にこの本丸を築き、常に傍にいた彼の不在は、特に不安を感じることかもしれなかった。
 「薬研がいってました。
 あるじさまは、いつねこむかわからないからきをつけないとって」
 不安げに眉根を寄せて、今剣は言い募る。
 「そんなあるじさまにとって、歌仙さまはだいじな・・・だ・・・だ・・・?」
 「代理」
 「です」
 代弁してくれた和泉守に頷き、今剣は主の端末を抱きしめた。
 「あるじさまのだいりは、小狐丸さまでもむりです。
 あるじさまは、おきにいりに・・・け・・・?」
 「権力を持たせようとしないよな。
 主の代理ができるのは之定だけ、って決めている」
 またも言葉を継いでくれた和泉守に、今剣は何度も頷く。
 「みんな、あるじさまがねこんでも、歌仙さまがいるからだいじょうぶ、っておもってるんです。
 歌仙さまがいないときに、あるじさまがねこんでしまったら・・・」
 「この本丸が、割れるかもしれねぇな・・・」
 一期一振が顕現して以来、粟田口の人数を得た彼が、この本丸を支配しようと目論んでいることは、既に暗黙の了解だ。
 そんな彼を主は咎めることもなく、むしろ、豊臣が支配するか、徳川が抗うか、もしくは別の勢力が覇を競うかと、楽しげに見つめている。
 「歌仙さまがいないあいだ、きっと・・・」
 「なにかあるな」
 不吉な予感に二人は、暑さのせいだけではない汗を滴らせた。


 畑の二人が不安を感じる一方で、件の一期一振は上機嫌だった。
 すっかり分厚くなった帳面を眺めて、笑みを浮かべる彼に弟達は、呆れたような、困ったような笑みを向ける。
 その中で唯一、楽しげな鯰尾が、一期一振の肩越しに、彼の持つ帳面を覗き込んだ。
 「いち兄、すごいね、この閻魔帳!
 みんなの弱みとか書いてるの?」
 「弱みだなんて、人聞きの悪い」
 鯰尾の直截な物言いに笑って、彼は首を振る。
 「私はただ、こちらの味方になっていただくにあたって、交渉しやすくなる材料を集めただけだよ。
 その中には、少々相手にとって都合の悪いこともある、ということさ」
 「それ・・・使ったら脅迫・・・」
 骨喰の指摘には、艶やかな笑みを向けた。
 「交渉、だよ、骨喰。
 長い時間をかけていい場合じゃないからね、効率よく行こう」
 まずは、と、新しい帳面を出した一期一振が筆を取る。
 「兄弟は全員、私の味方だね。
 そうだよね、後藤?」
 真っ直ぐに、笑っていない目で見つめられ、後藤は気まずげに身じろぎした。
 「あー・・・まぁ、豊臣か徳川か、って言われたら徳川だけど・・・・・・」
 目を逸らしてなお、兄の視線を感じつつ、後藤はため息をつく。
 「・・・兄弟だし、いち兄の側につくよ」
 「ありがとう、後藤!」
 筆を持ったまま抱き着いて来た兄を慌てて押しのけ、後藤は他の兄弟達を見回した。
 「俺が着くんだから、お前らみんな、参加しろよ!
 じゃなきゃ、後でソハヤになんて言われるか・・・」
 兄弟だから仕方なく、と言う態にすれば、なんとか批判はかわせるはず、と目論む彼に、乱が笑う。
 「大変だね、守り刀って。
 ボクは、面白そうだから最初から参加希望だけどね!」
 「やぁやぁ!この鳴狐もお忘れなく!
 見事活躍して見せましょうぞ!」
 気勢をあげる鳴狐に続き、粟田口の兄弟達も楽しげに気勢をあげた。
 同じ頃。
 「後藤が・・・豊臣側についたそうです・・・・・・!」
 自身の端末に表示されたメッセージを見るや、物吉貞宗は声を引き攣らせた。
 「兄弟の懇願には勝てなかった、って・・・・・・」
 「へー、そう」
 天守二階の食糧置き場で、梅シロップの大瓶を次々に持ち上げては揺らしつつ、日向正宗は面白そうに笑う。
 「兄弟は、かつての敵方でも味方に引き入れるなんて、さすがは太閤殿下の太刀。
 そうこなくっちゃ」
 くすくすと笑って、自分を睨む太鼓鐘貞宗へ小首を傾げた。
 「それで?
 お前達は、僕に味方になってほしいって?」
 「頼むよ、父ちゃん!
 一期のやつ・・・歌仙がいない間に、仕掛ける気満々だ!
 物吉を助けてやってくれ!」
 「僕からもお願いします、父上様。
 父上様の元の主が、豊臣の重臣だと言うことはよくわかっています。
 だけど・・・いや、だからこそ、今回は物吉についてあげてほしい」
 珍しく真面目な顔で頭を下げる亀甲貞宗に、日向は難しい顔をする。
 「可愛い子供達のお願いだし、聞いてあげたい気持ちはあるなぁ・・・」
 「父さま・・・!」
 頬染め、期待に輝く目で見つめてくる物吉を、日向は愛しげに見つめた。
 「でもねぇ」
 大瓶にもたれかかり、日向はあでやかな笑みを浮かべる。
 「お前達はもう、僕なんかじゃ及びもつかないほど、力を極めているじゃないか。
 足手まといとまでは言わないが、大した戦力にはならないのじゃないかな」
 「そんなことはありません!
 父さまがこちらに来てくださることで、豊臣方には精神的なダメージを与えることができます!」
 「・・・可愛い顔して、言うね」
 呆れる日向へ、物吉は言い募った。
 「僕は物吉貞宗。
 家康公が、僕を持っていれば必ず勝てると、ことほいでくれた刀剣です。
 戦の勝敗を決めるのは、人数や力だけでないことを、この身をもって知っているんです!」
 「だからって、精神論に傾くのはどうかと思うよ?
 戦と言うのは、まずもって十分な準備をするべきさ」
 官僚らしい物言いに、太鼓鐘が眉根を寄せる。
 「そんなことは当然だ!
 準備はした上で、父ちゃんにトドメを刺してほしいんだよ!」
 一期殴る、と、こぶしを固める太鼓鐘に、日向は吹き出した。
 「どうしようかなぁ・・・」
 「参加してやればいいじゃないか」
 突然声を掛けられて、日向は階段の降り口を見遣る。
 「なんだよ、大般若。
 梅酒はまだ、出来上がっていないよ」
 また催促に来たのかと、吐息する日向に彼は大仰に首を振った。
 「日向ご自慢の梅酒を早くいただきたくはあるが、今回はたまたま、親父命令で乾物を取りに来ただけさ。
 昆布を取りに行ったはずの太鼓鐘が中々帰ってこないものだから、昼餉の仕度が出来なくてね」
 「え?!もうそんな時間か?!」
 まずい、と慌てた太鼓鐘が、日向の腕を取る。
 「父ちゃん!頼むよー!」
 「父上様!」
 「父さま・・・!」
 三人から縋られて、日向の表情が蕩けた。
 「もぉー・・・可愛いなぁ、お前たち!
 今回だけだよ?」
 とうとう折れた彼に、三人は快哉をあげる。
 「やったぜ!!」
 「父上様と共に戦えるなんて、嬉しいよっ!」
 「ありがとう、父さま!大般若さんも!!」
 「いやいや」
 物吉の、輝く笑顔を向けられて、大般若は微笑んだ。
 「ちなみに、主の考えている『戦』はね・・・」


 「人間将棋?」
 ようやく厨房に来た昆布・・・いや、太鼓鐘の言葉に、光忠は首を傾げた。
 「うん。
 にゃにゃの奴が、そう聞いたって。
 そんで、徳川についてやるから代わりに運べって、昆布渡された」
 「にゃにゃくんったら・・・」
 ため息をつく光忠を、鶴丸が押しのける。
 「人間将棋と言うと、あれか。
 人間が駒に扮して、地面に描いた将棋盤の上で動くって言う・・・なんだか退屈そうだ」
 「それがさ、一期の奴、性格悪いから・・・」
 きゅっと眉根を寄せて、太鼓鐘は大般若から聞いた特別ルールを話した。
 「・・・手番に関係なく、同じ升目に入った瞬間、一騎打ちか。
 機動に優れた短刀達に、全員狩られかねないな」
 深刻そうに呟く大倶利伽羅へ、鶴丸が目を輝かせる。
 「おぉ伽羅坊!参加する気満々じゃないか、珍しい!」
 「あ・・・いや、俺は・・・!」
 参加しない、と慌てて首を振る彼の腕を、太鼓鐘が取った。
 「伽羅ぁー!
 俺を助けると思ってさ、徳川についてやってくれよー!」
 「放せ・・・俺は、参加するつもりはない!」
 「頼むよー!」
 「しつこい!」
 頑迷に抵抗する大倶利伽羅の様子に首を傾げていた光忠が、はたと手を打つ。
 「そうか、粟田口には鯰尾くんと骨喰くんがいるからね。
 ゲーム仲間の伽羅ちゃんとしては、対戦しにくい相手ではあるよね」
 「えぇー!
 豊臣についちまうのかよ!
 伊達の結束はゲームに負けるようなもんだったのか?!」
 太鼓鐘に取られた腕をぶんぶんと振り回され、大倶利伽羅は困惑げに彼を見下ろした。
 「そうは言っていない。
 俺はただ、参加しないと・・・」
 「ねぇ、伽羅ちゃん」
 にこりと、光忠が笑いかける。
 「いつも仲間として戦ってる鯰尾くん達と対戦するって、逆に楽しそうじゃないかな?」
 「は・・・?」
 彼の提案に、唖然とする大倶利伽羅へ光忠は言い募った。
 「これってつまり、ゲームだよね?
 今まではただ漠然と、この本丸が割れるかもしれないって不安があったけど、勝負を将棋で決めるってことは、主くんも一期さんの好きにさせる気はないみたい。
 ただ・・・どこかで発散はさせないと、この本丸が本当に唐紅に染まるかも、とは思ったんだろうね」
 「模擬攻城戦くらいじゃ発散できないって・・・一期の奴も、わがままだな」
 呆れて笑う鶴丸に、光忠も笑い出す。
 「あの時の黒幕は歌仙くんだったしね。
 豊臣方と徳川方に、くっきりと分かれたわけでもないし、一期さんとしてはリベンジ戦なのかも。
 なにしろ今回は、槍や薙刀、大太刀が使えるよ」
 「槍は香車として・・・薙刀は金将、大太刀は銀将か?
 目の前に立ちたくはないな」
 苦笑する鶴丸に、光忠は何度も頷いた。
 「薙刀と大太刀が飛車と角行になると、勝負があっさりついちゃうからね。
 それは妥当なんだけど・・・だったら太刀と打刀が、飛車と角行になるのかな。
 それならなんとかしのげるかな・・・。
 短刀くん達は歩だろうけど、ト金になった時が嫌だなぁ」
 勝てる気がしない、と、太刀同士頷き合う。
 そんな彼らに、大倶利伽羅が眉根を寄せた。
 「なに、のんきなことを言ってるんだ。
 盤上の駒の数は決まっているのに、一期は兄弟だけでなく、人数を集めているんだろう?
 つまり・・・」
 彼の指摘に、太鼓鐘がはっと目を見開く。
 「奴の駒を取っても、いくらでも替えが利く、ってことか!あのやろう!」
 本当に性格悪い!と、太鼓鐘は歯噛みした。
 「こうなったらこっちも人数集めだぞ、貞坊!
 三条は小狐丸が参加させないだろうし、左文字は江雪が反対して、味方に引き入れるのは難しいだろうが、源氏や新選組、三池は行けるかもしれん!」
 背を叩いて励ます鶴丸に、太鼓鐘は大きく頷く。
 「やるからには勝ってやるぜ!!」
 気勢を上げる太鼓鐘に頷いた光忠は、逃げようとした大倶利伽羅の腕を、強く掴んで引き留めた。


 一方、
 「いやぁ〜・・・化粧をしてない主の顔、初めて見たさぁ〜・・・」
 腕いっぱいに向日葵を抱えて、遠征帰りの千代金丸が、のんきに笑った。
 「二人並んで顔洗ってるから、なにかと思ったら・・・。
 歌仙の顔に落書きした仕返しで落書きされたって、うちの主と第一刀は、仲いいさぁ〜」
 楽しげな彼の隣で、同じく向日葵を抱えた長谷部がムッと顔をしかめる。
 「主へ対して仕返しなど、いくら第一刀とは言え、やっていいことと悪いことがあるぞ!
 それのどこを見て仲がいいなどと!」
 「いやぁ〜・・・」
 長谷部がなぜ怒っているのか理解できず、千代金丸は困惑げに小首を傾げた。
 「遠慮なくケンカできるのは、それだけ仲がいいと思うんさぁ。
 それにどっちも、本気では怒ってなかったさぁ」
 あんたみたいに、と、のんきな顔で微笑まれ、長谷部は不機嫌そうに口を引き結んだ。
 黙り込んでしまった彼の顔を、千代金丸は覗き込む。
 「俺はここに来て間もないが、歌仙はこの本丸の初めからここにいたんさ?
 そんな彼が長く留守をするとなって、主はちょっと、心細いんじゃないだろうか?」
 「俺がいると言うのに・・・!」
 「あぁ〜・・・それで怒ってたのかぁ。
 歌仙一人がいなくても、自分がいれば、ってさぁ?」
 ふふふ・・・と、千代金丸は柔らかな笑声をあげた。
 「主が、歌仙がいなくて心細いのはきっと・・・俺達に何かあった時に、自分一人で対処できるか不安だってことさぁ・・・。
 だったら、俺達が怪我もせずケンカもせず、のーんびりしていたら、主も歌仙も安心だと思うんさ」
 「そういう問題ではっ・・・いや、そういう問題・・・なのか・・・?」
 「そうさぁ」
 ふんわりと笑って、千代金丸は向日葵を持ち直す。
 「歌仙がいない間は花でも集めて、みんなで畑や馬の世話に精を出す・・・。
 それでいいんさぁ」
 なんくるない、と笑う彼に、長谷部はぎこちなく頷いた。


 ―――― 数日後。
 「じゃあ、行ってくるけど・・・」
 旅装束の歌仙は、見送る面々の中で、光忠の手を取った。
 「くれぐれも、火の用心、水の用心を心がけて、本丸を守ってくれ!
 食中毒にも気を付けて、皆が病気や怪我をしないように!
 それに・・・」
 「歌仙くん、歌仙くん」
 苦笑して、光忠は安心させるように、歌仙の肩を叩く。
 「君、主くんが出かけた時と、同じことを言っているよ。
 あの時だって大丈夫だったし、今回はもっとうまくできるよ」
 「大丈夫・・・だったって?」
 その言葉に目を吊り上げた歌仙は、村正と亀甲を睨んだ。
 「なにかやったら・・・首を差し出してもらうよ?」
 「ヒッ!!」
 真っ青になってすくみ上った二人をじっとりと睨み、歌仙はようやく踵を返す。
 「行ってくる。
 ・・・くれぐれも!」
 「わかってるって」
 なおも肩越しに言い募る歌仙に苦笑し、光忠はじめ、皆が手を振って見送った。


 「やれやれ、ようやく行った」
 うんっと伸びをした清光の隣で、安定もやれやれと肩をすくめた。
 「あんなに心配しなくてもねぇ。
 やっぱり第一刀ともなると、責任も違うのかな」
 「悪い前例があるからな・・・」
 低く呟いた山姥切へ、清光が意地の悪い笑みを向ける。
 「歌仙が行ったからには、山姥切も覚悟決めなよー?」
 「お・・・俺は・・・!!」
 頭から被った布を引き下ろし、蒼ざめた顔を隠そうとする山姥切の顔を、安定が覗き込んだ。
 「本当はさ、最後に行きたかったんだよね、歌仙さん。
 ほとんどの刀が修行から帰って、それなりに落ち着いて、自分が長い間留守にしても大丈夫、って信じられるようになってから行きたい、って言ってたのに、山姥切がいつまでもぐずぐずしてるから、見切って行っちゃったよね。
 だから・・・さ!」
 両側から布を握られ、引き剥がされそうになった山姥切が必死に抵抗する。
 「なにを・・・!」
 「いーかげん、吹っ切れってのー!」
 「布を取った山姥切、絶対きれいだからー!」
 一気に布を引き剥がすや、歓声をあげて駆け去った二人の機動には到底敵わず、山姥切は呆然と立ちすくんだ。
 「兄弟、兄弟っ!」
 そんな彼の肩を、堀川が励ますように叩く。
 「修行って、いいよ!
 ぜひ行ってきなよ!」
 「うむ!
 ここでも修行はできるが、主殿の元を離れてのそれは、また格別であろう!」
 「がはっ!!」
 山伏の怪力で背を叩かれ、山姥切はよろめいた。
 「今以上に強くなると!信じているぞ!」
 「う・・・・・・あぁ・・・・・・」
 ようやく頷いた彼に、山伏と堀川が顔を見合わせて微笑む。
 「いつ行く?いっそ、今から歌仙さんと一緒に行っちゃう?」
 「おぉ!思い立ったが吉日であるぞ!」
 「それは・・・無理だ!!」
 待って欲しいと、懇願する彼に二人して笑った。
 と、
 「おぉ、楽しそうでなによりだな。
 山姥切もゆくか」
 「だから!
 俺はまだ・・・!」
 振り向いた山姥切は、三日月だけでなく、数珠丸や大典太にまで見つめられ、居心地悪そうに腕で顔を覆う。
 「山姥切殿も、この本丸を初期から支えてきたお一人ではありませんか」
 「後れを取っては、国広一の傑作の名折れではないのか」
 穏やかな声と厳しい言葉に、耳まで赤くする山姥切を見かねて、山伏が彼の肩を抱いた。
 「なぁに!
 兄弟のことは心配無用!」
 「そうですよ!
 ただの美刃じゃな・・・ちょっと兄弟!僕のジャージの中に潜り込むのやめて!」
 くすぐったい!と、抵抗する堀川に構わず、ぐいぐいと頭を突っ込む山姥切に皆が苦笑する。
 「ゆくのはもう少し、先になりそうだな」
 くすくすと笑う三日月に、皆が頷いた。
 「ではまだ、山姥切がいる間に!」
 にゅっと、一期一振が割って入って来る。
 「早速!始めようではありませんか、この本丸の雌雄を決する戦を!!」
 穏やかな顔して、好戦的なことを言う彼へ、鶯丸が首を振った。
 「そんなに慌てるものじゃない。
 歌仙はまだ、行ったばかりだし、主が言うには・・・」
 と、彼が笑みを向けた小狐丸が、微笑んで頷く。
 「歌仙殿はきっと、一度は様子を見に戻ってくるはずだから、明日まではいつも通りに振舞うべきだと仰せでしたよ」
 「なんだそれは」
 「歌仙さま、とちゅうでもどってくるんですか?なんでですか?」
 呆れる岩融と不思議そうな今剣に、小狐丸は笑みを深くした。
 「ぬしさまがおっしゃるには、歌仙殿の部屋の目立つ場所に、自作の歌集が置いてあると。
 旅に出る彼が、それを持って行かないはずはなく、あえて目立つ場所へ置き忘れているのは、それを理由に一旦戻るつもりだろうと。
 追いかけて渡すような無粋はせずに、好きにさせろと仰せでしたよ」
 「なるほど、皆に油断させておいて、不意を突く戦法か!
 行ったと見せかけて、戻る!
 みんな驚くぞ!」
 俺もやろうかと、楽しげな鶴丸に、光忠が笑って首を振る。
 「今更やっても、二番煎じって言われちゃうよ」
 「そもそも鶴が戻って、どうなるわけでもない」
 大倶利伽羅の冷たい言葉には、口を尖らせた。
 「お前達、敬老の精神が足りないぞ!
 少しはつきあってやろうって思わないか?」
 「驚いたふりをされても、嬉しくはないだろうに」
 くすくすと笑って、三日月は傍らを見遣る。
 「大典太殿、ひとつ、茶を点ててはいただけませんかな。
 俺は歌仙ほどうまくはないが、大典太殿でしたら、加賀の茶の湯をご存知であろう」
 「おや、また違った味わいになるのでしょうね」
 楽しみだと、微笑む数珠丸に、大典太は小首を傾げた。
 「お口にあうかはわからないが・・・やってみよう」
 「では俺も、相伴にあずかろう。上生菓子を提供するぞ。
 大包平、買って来い」
 「なぜ俺が!!」
 吠える彼に、鶯丸はにこりと笑う。
 「天下五剣に対して、お前の趣味の良さを見せつける機会じゃないか。
 せいぜい、良い菓子を選んで来いよ」
 「・・・っそういうことなら!
 覚悟しろ、お前達!
 俺の選んだ菓子に感心するといい!!」
 大笑しつつ駆け去った彼へ、鶯丸が微笑んだ。
 「馬鹿だろう、あいつ?」
 使い勝手がいい、と言う彼に、数珠丸が苦笑する。
 「また、そんなことをおっしゃって」
 「まぁ、馬鹿な子ほどかわいいと言うものだしな」
 にこやかに酷いことを言う三日月に、皆、思わず吹き出した。


 ―――― 翌日。
 収穫したばかりの野菜を持って畑を出た光忠は、見慣れた外套の裾を木陰に見つけて、覗き込んだ。
 「あれ・・・?歌仙くん!」
 隠れていたのだろう、歌仙は、しまった、と言う顔を慌てて取り繕う。
 「ちょ・・・ちょっと、忘れ物をしてしまってね。
 みんな、変わりはないかな?」
 不安げな目で辺りを見まわす彼を安心させるように、光忠は大きく頷いた。
 「大丈夫だよ。
 本丸は焼け落ちてないし、池に落ちた子もいないよ。
 戦闘で大きな怪我をした子もいないし、遠征で獲ってきた太刀魚は、ちゃんと冷凍庫で保存しているからね」
 「そ・・・そうか・・・・・・」
 ほっとした顔の歌仙へ、光忠はできるだけわざとらしくならないよう、気を使いながら小首を傾げる。
 「ところで、忘れ物って?」
 「あぁ・・・。
 部屋に、自作の歌集を忘れてしまったんだ。
 旅先の景色を詠もうと準備していたのに、よりによってこれを忘れて行くなんてねぇ」
 「そう」
 何気ない風を装いながら、光忠は心中に感心した。
 似た者同士だとは思っていたが、主にここまで行動を読まれているとは、歌仙が気の毒にさえ思える。
 「主くんに、挨拶していくかい?」
 問えば、しばらく考えたのち、首を振った。
 「いや。
 歌集を取りに来ただけだ、もう行くよ」
 「そう。気をつけてね」
 「あぁ」
 そそくさと立ち去り、出立の間へ駆け込んだ歌仙は、ほっと吐息する。
 「やれやれ、驚いた・・・。
 でもまぁ・・・変わりなくて、何よりだったよ」
 言いつつ歌集を懐に納めた歌仙は、指に触れた感触に気づいて、再び取り出した。
 「栞?」
 今までに詠んだ歌を書き留めた、最後のページを開くと、手製の栞が挟んである。
 「惜しむから 恋しきものを 白雲の たちなむのちは なに心地せむ」
 細い筆で書かれた古い歌に、思わず笑みをこぼした。
 「・・・あなたが旅立つと知って、今から寂しい思いをしているのに、旅立ってしまった後はどんな気持ちになるのだろう、なんて。
 主にしては、いい歌を選んだじゃないか」
 しかし、と、歌の傍らに添えられた押し花には、首を傾げる。
 「この花は雪割草だね。
 ・・・この季節に?」
 なにかの謎かけだろうかと、歌仙は荷物の中から字引を取り出した。
 「雪割草・・・。
 花言葉は信頼、期待、内緒・・・内緒?」
 呟いた言葉に、思わず笑みが浮かぶ。
 数ある色の中で、主が選んだものは、白い花弁にほんのりと紫の差したもの。
 その色合いに、初めて会った時の衣装を思い出した。
 「内緒・・・。
 そうだね、君は今まで、旅立つ刀剣達に歌を送ったりはしなかった」
 お前だけに、と言う謎かけを解いた歌仙は、笑みを深くする。
 「それに、信頼か。
 信じて用いる、ではなく、信じて頼る、だね。
 季節外れは惜しいが、頑張ったと、言ってあげなくもない」
 それは決して手放しでは褒めない彼にとって、最大級の賛辞だった。
 「まつとし聞かば いま帰りこむ・・・。
 僕は、君の信頼に応えるとしよう」
 栞を歌集に収め、歌仙は再び歩を進めた。


 歌仙が行ったと知るや、満面の笑みで宣戦布告してきた一期一振へ、物吉は笑みを引き攣らせた。
 「日向がそちらへ行った以上、関ヶ原とは言えないね。
 せいぜい、味方を集めるのだよ」
 笑ってはいない目で、殊更に見下ろしてくる彼を、物吉はきりっと睨む。
 「・・・大坂の夏は、暑くなりそうですね」
 言ってやると、一期一振の顔からすっと笑みが消えた。
 「・・・・・・本気で潰す」
 「負けません・・・っ!」
 しばし睨みあった両大将が、互いに踵を返す。
 その様子を、天守前広場の整地をしながら見ていた山伏が首を捻った。
 「仲間内で、あのように険悪になって良いものだろうか。
 確かに主殿は、この本丸の初めより、因縁のある者同士が無理に仲良くすることはないと言ってはいたが・・・」
 「先に仕掛けてきたのは一期だ」
 きっぱりと、蜻蛉切が言う。
 「顕現して以来、一族の数を頼りに、この本丸を豊臣の天下にと目論んでいたからな。
 物吉は彼の威圧に対して、既に十分、耐えてきた。
 反撃するにはいい頃合いだろう」
 「はっ!
 徳川家重臣に縁の深いお前は、当然徳川方と言うわけか」
 挑発的な物言いをする同田貫へ、蜻蛉切は鋭い目を向ける。
 「当然だ。
 そういうお前は、豊臣方なのだろうな」
 加藤清正が好んだ質実剛健の刀剣は、問われて口の端を曲げた。
 「当然だ。
 槍でも薙刀でも、俺がぶった切る!」
 「はっ!
 寄らば大樹の陰か。
 人数の多い豊臣方に付いては、果たして活躍の機会が回って来るかな?」
 「んだと、コラァ!」
 「おのおの方」
 額を突き合わせて睨みあう二人を、山伏が引き離す。
 「いくら主殿が許した戦であろうが、仲間内で険悪になるのは良くない。
 勝負の方法を、以前やったような戦ではなく将棋にしたのも、遺恨を残すなと言うおぼしめしではないのか?」
 諭す山伏に、しかし、同田貫は舌打ちした。
 「けっ!
 いっそのこと、戦で勝負をつけりゃいいのによう!」
 「俺は構わんが、お前は折れるかもしれんぞ」
 「てめやんのかゴルゥア!!」
 「いい加減にせんか!」
 またも額を突き合わせる二人を、山伏が引き剥がす。
 「明日は敵味方に別れようとも、勝負のついたのちは再び仲間に戻るのだ!
 余計な諍いをしては、後々悔やむことになろうぞ!」
 「む・・・」
 「そうだな・・・すまん」
 ようやく落ち着いた二人の間で、山伏はため息をついた。


 「あ、おかえりなさい、兄弟!
 将棋盤は作り終わったの?」
 山伏が離れの部屋に戻ると、堀川が明るい声をかけてきた。
 「おぉ、兄弟!
 こちらに来るのは珍しいな!」
 いつもは母屋の、新選組の部屋が集まる場所にいる末弟へ笑みを返すと、彼は大きく頷いて膝を進める。
 「今、山姥切兄さんにもお願いしてたんだけど!
 兄弟も、徳川方についてくれないかな!」
 「徳川に?」
 ふと視線を移せば、堀川の傍らには物吉が深刻そうな顔で控えていた。
 「そうか、新選組は佐幕派・・・徳川を守護する側であったな」
 「そうなんだよ!
 豊臣には特に、思うところはないんだけどね、徳川が対抗するって言うのなら、僕らは当然お味方するよ!ってね!」
 「はい、とてもありがたいです」
 堀川に笑顔で頷いた物吉が、改めて山伏へ向き直る。
 「今、徳川は人数で圧倒的に不利なんです。
 どうか、お力を貸してください」
 「うむ・・・・・・」
 困り顔で座り込んだ山伏は、無言で正座する山姥切を見遣った。
 「兄弟はどう思うのであるか」
 「俺は・・・」
 視線をさまよわせた後、彼はわずかに俯く。
 「・・・どちらにもつかない。
 物吉には悪いが・・・俺は、歌仙に嘘をつきたくはない」
 絶対にばれるし、と、どこか拗ねたように口を尖らせる彼の肩を、堀川が揺さぶった。
 「そこをなんとか!
 ねぇ!兄弟からも!!」
 お願い!と、ねだる末弟に、山伏はますます困惑げに眉根を寄せる。
 「拙僧は豊臣にも徳川にも思うところはないが・・・」
 珍しく口を濁し、首を振った。
 「この本丸を割ることには、賛同しかねる」
 「そうだ」
 山伏の言葉に力を得て、山姥切も頷く。
 「今回は、以前のような模擬攻城戦ではないからな。
 一期の企みは知っているが・・・いや、だからこそ、乗るのは癪だ」
 「兄弟〜!!!!」
 甘えるような、ねだるような声で迫る末弟に、二人は苦笑した。
 「案じるな!
 新選組がついているなら、徳川も安泰である!」
 「歴史的にはあれだが・・・まぁ、がんばれ」
 「そんなぁー!」
 「堀川くん」
 なおも粘る堀川へ、物吉が微笑む。
 「ありがとう。
 これ以上は無理強いできないよ」
 その代わり、と、山伏と山姥切へ、苦笑を向けた。
 「豊臣にも、決してつかないと、お約束いただけますか?」
 「あぁ、それはもちろんである」
 頷いた山伏の隣で、山姥切も頷く。
 「ここで、見ざる聞かざるを通すさ」
 母屋から離れた場所は喧騒からも遠く、穏やかに過ごすにはいい場所だった。


 翌日、炎天下。
 雲一つない空から降り注ぐ陽光が、地面に描かれたばかりの升目を更に黒々と浮かび上がらせていた。
 「このように暑い中で、健勝なことだな」
 天守最上階の欄干にもたれ、地上を見下ろした三日月が苦笑すると、吹き抜ける風に豊かな髪を揺らしつつ、数珠丸が頷く。
 「こちらは風が抜けて心地よいのですが、階下はかなり暑くなっていましたね・・・」
 言うや、小首を傾げた彼はすらりと立ち上がった。
 「どちらへ?」
 「衆生を救うは我が勤め」
 三日月へそっと微笑み、数珠丸は踵を返す。
 「暑さにあたる方のないよう、水と氷の補給に参ります」
 「あぁ、ならば俺も付き合おう」
 「大典太殿もか」
 続いて立ち上がった大典太を見上げると、頷いて外を見遣った。
 「石切丸と太郎が救護に控えているが、手が足りないことがあるかもしれない」
 「・・・そうですな。
 そもそも、大典太殿がおられれば、暑さにあたる者も減るやもしれぬ」
 にこりと笑って、階下へ降りる二人を見送った三日月は、再び欄干にもたれる。
 と、入れ替わりに軽やかな足音が昇って来た。
 「おや、主はまだおられぬか」
 「おもうさま」
 肩越しに見やった小烏丸が、歩み寄って欄干に腰掛ける。
 「おもうさまはご参加なされぬのか」
 「どちらについても、遺恨を残しかねぬからな」
 ふふ・・・と、楽しげに笑って彼は盤上を鳥瞰した。
 「やれ、豊臣の賑やかなこと。
 対して徳川は、やや緊張しておるような」
 視線をあげた小烏丸は、室内を見渡して、文机の上に置かれた巻紙を手にする。
 「ほほう、組み合わせはこのようになったか」
 小狐丸の手蹟か、各陣に与する者の名が、墨痕淋漓と記されていた。

 豊臣方 陣
 王将 一期一振
 歩兵 平野、厚、後藤、信濃、前田、秋田、博多、乱、五虎退、薬研、包丁、毛利
 桂馬 鯰尾、骨喰、浦島虎徹
 角行 鳴狐、へし切り長谷部、千子村正、陸奥守吉行、同田貫正国、蜂須賀虎徹
 飛車 獅子王
 香車 日本号、御手杵
 金将 静形薙刀
 銀将 次郎太刀

 徳川方 陣
 王将 ソハヤノツルキ
 歩兵 太鼓鐘貞宗、日向正宗、不動行光、謙信景光、愛染国俊
 桂馬 物吉貞宗、にっかり青江、堀川国広
 角行 亀甲貞宗、大倶利伽羅、長曾祢虎徹、和泉守兼定、加州清光、大和守安定
 飛車 鶴丸国永、燭台切光忠、大般若長光、小竜景光、小豆長光、大包平、明石国行
 香車 蜻蛉切
 金将 巴形薙刀
 銀将 蛍丸

 「なんとまぁ、豊臣方の、歩兵の多いことよ」
 「徳川方は長船を引き入れ、人数だけはなんとか合わせたようだが、力の差が著しくありますな・・・ただ」
 物吉を中心に集まる徳川方を見下ろし、三日月は微笑む。
 「何やら企みのある様子。
 豊臣は、うかうかしておれんでしょうな」
 「それは楽しみ。
 おや・・・主もおいでのようだ」
 階段を昇って来る足音に、小烏丸が微笑んだ。


 天守最上階に現れた主によって、今回の特別ルール説明と注意事項が述べられた。
 いわく、
 駒は、歩兵・短刀、金将・薙刀、銀将・大太刀、桂馬・脇差、香車・槍、飛車・太刀、角行・打刀と決定する。
 なお、敵陣に入った場合の成りは有効。
 駒の配置は本将棋の決まりに準ずるが、同じ種類の駒は何度交代してもよい。
 先手後手関係なく、同じ升目に入れば一騎打ち。敗者は勝者の持ち駒となる。
 大太刀と薙刀に限り、刃が届く升の駒を攻撃してもよい。
 敵に奪われた駒、反則で退場になった駒の補充をしてもよいが、初期の位置から始めること。
 反則は本将棋の決まりに準ずる。
 反則にて退場した者の復活は禁ずる。
 使用する武器は必ず木刀であること。
 指し手は駒の一つである必要があるが、盤上にいなくても構わない。
 終了ののちは遺恨なし。
 以上、と結んだ主の声に、盤上で歩の駒を手にした篭手切江が頷いた。
 「皆さん、怪我のないように。
 今日は暑いので、熱中症の危険ありと判断したら審判の判断で一旦中止し、救護班の監視の下、しばらく休んでいただきます。
 振り駒はどちらが振っても文句が出そうなので、異例ですが主命により、審判を拝命した私が振らせていただきます。
 表が多ければ一期。裏が多ければ物吉です」
 「・・・先手、いただきました!」
 さすがの強運で先手を引き当てた物吉が、余裕の笑みを浮かべる一期一振を睨む。
 「先手後手関係なく、同じ升目に入れば一騎打ち、と言う決まり事を忘れてはいないかな?」
 「もちろんです!」
 「ならば結構。
 今日は暑いから、倒れたりしないようにね」
 九人ずらりと並んだ歩兵―――― そのほとんどが、煌びやかな戦装束を纏う弟達を従えて、敵を気遣う余裕すら見せる彼に、徳川方の全員が顔を引き攣らせた。
 「殴りてぇ・・・!
 あいつ、この場で殴りてぇ・・・!」
 「はいはい、貞ちゃん、落ち着いて」
 握ったこぶしを震わせる太鼓鐘の肩を、苦笑した光忠が叩いて宥める。
 「一期さんも!
 あんまり煽らないであげてー!」
 光忠の呼びかけに、一期一振は手をあげて応えた。
 その様を救護テントから見ていた石切丸が微笑む。
 「光忠さんがいて、よかったねぇ。
 険悪な雰囲気が、少し和らいだ気がするよ」
 「全くですね。
 私は地上の戦いなどに興味はないのですが、三年以上も住まう本丸が険悪になると、居心地が悪くなります」
 と、頷いた太郎太刀が、不意に椅子から立ち上がった。
 「蛍丸!
 ちゃんと帽子をかぶりなさい。水は飲んだのでしょうね?」
 強い日差しの下ではしゃぐ蛍丸を気遣う様は、顕現した当初の無関心さからはほど遠い。
 「太郎さんも、ずいぶんと現世に馴染んだようだ。
 ・・・どれ、皆が暑さで倒れる前に、氷の催促をしておこうかな」
 よいしょ、と立ち上がった石切丸は、両肩に大きなクーラーボックスを下げてやって来る数珠丸と大典太の姿を見て、微笑んだ。
 「手伝いに来てくれたのかな?」
 「えぇ。お邪魔でしたか?」
 「まさか」
 微笑む数珠丸に首を振り、立ち上がった太郎太刀がクーラーボックスを受け取る。
 「ありがとうございます。
 これだけあれば、一々母屋へ取りに行く手間が省けますね」
 「他にも、山伏と山姥切が手伝いに来てくれて・・・」
 と、肩越しに大典太が、来た道を振り返った。
 その視線の先には、大きな氷柱をいくつも台車に載せて運んでくる二人がいる。
 「光忠が注文していた氷が届いたのである!
 どこに置けばよいかな?」
 「あぁ、待っていたよ。
 今、万屋へ催促をしようかと思っていたところだ」
 両手を広げて歓迎する石切丸に、山姥切が頷いた。
 「これだけの量・・・運ぶのも大変だったろうからな」
 母屋にはまだある、と、ため息をつく彼の背を、山伏がはたく。
 「大した労力ではない!
 拙僧らが運ぶゆえ、配置を頼めるだろうか!」
 「えぇ、わかりまし・・・っ?!」
 頷きかけた数珠丸の背に落ちて来る影を、大典太が片手で受け止めた。
 「ふ・・・ふええええええええええ!!」
 逆さになって泣き声をあげる謙信景光を降ろしてやると、歩み寄った石切丸が屈み込む。
 「歩兵、ひと駒脱落だね。
 怪我はないかな?」
 問いかけには、涙を拭いながら頷いた。
 「・・・っおなじ・・・うえすぎのっ・・・こなのにぃ・・・っ!」
 ひどい、と、しゃくりあげながら謙信が睨んだ五虎退は、こちらも泣きそうな顔で首をすくめる。
 「す・・・すみません・・・っ!」
 「いやいや!
 見事であったぞ!」
 「・・・修行帰りだと、木刀でもこの威力か」
 五虎退へ声を掛ける山伏の隣で呟いた山姥切は、自分へ向けられた笑みから顔を隠した。
 「歌仙も行ったことだし、そろそろ君も行くのかな?」
 「さすがに、南泉より後と言うことはないでしょうしね」
 大太刀達の言葉に、俯いた山姥切の赤くなった顔を、謙信が下から覗き込む。
 「ぼくが、さきにいこうか?」
 「はっ?!
 そっ・・・それは・・・!」
 「おなじ、うえすぎのこに、まけるのはいやなのだ・・・。
 ぼくも、つよくなるのだ・・・!」
 ぐいっと、涙を拭ったこぶしを握る謙信に、何も言えずにいる山姥切の頭上へ、篭手切の声が降り注いだ。
 「長谷部、退場!」
 突然の宣言に驚いて盤を見遣ると、地に片膝をついた長谷部が、うなだれて顔を覆っている。
 「なにがあった?」
 悄然と立ち上がり、とぼとぼとやって来た長谷部に大典太が問うと、彼は救護テント内の簡易テーブルに木刀を置いて、ため息をついた。
 「やってしまった・・・!
 いつもの癖で、別の升にいる短刀を、相手方の攻撃から庇ってしまった・・・!」
 不覚、と、眉根を寄せる長谷部の背を、山伏が強くはたく。
 「げほっ!!」
 「気にするでない!
 今は反則を取られても、戦場では実に助かることであるからな!」
 「そうですよ。
 それに、今回は随分と控えの『角』が多いこと・・・」
 長谷部の代わりに入った鳴狐を見遣った太郎は、彼もがあっさりと反則を取られる様に、瞬いた。
 「・・・なるほど。
 太鼓鐘と不動が、うまく反則を誘っているのですね。
 っあぁ!そちらに動いては!」
 思わず声に出した太郎が口を覆うと同時に、篭手切の声が響く。
 「乱!あなた歩兵でしょう!
 横には動けないんですよ!
 五虎退と縦に並んでしまったので、二人とも退場です!」
 その言葉に二人が、がっかりと肩を落として盤から出て来た。
 「反則で退場した駒は、持ち駒にはなれないのだったね。
 君達、盤上で待機している駒達に、水を持って行ってくれないかな」
 その場にいる者は誰でも使おうとする石切丸に、五虎退がうなだれるように頷く。
 「はい・・・」
 クーラーボックスから取り出した飲料を早速、待機中の諸将へ運ぶ五虎退とは逆に、拗ねてしまった乱は椅子へ座りこんだ。
 「もっとやりたかったのにぃ・・・!」
 乱の膨らんだ頬を、鳴狐が指先で潰す。
 「やぁやぁ、乱。
 勝手に動いたあなたが悪いのですよぅ!
 ちゃんと、一期の采配に従わなくては!」
 尻尾を揺らして叱るお供の狐を見上げ、乱がため息をついた。
 「・・・貞ちゃんとゆきちゃんに前と横を挟まれちゃって、ごこちゃんの後ろに逃げるしかなかったんだよ」
 とっさに身体が動いてしまったと、また肩を落とす。
 「それにしてもうまいな。
 ソハヤがここまで頭が回るとは思えないから、おそらく物吉の采配だろう」
 さらりと酷いことを言う大典太に、数珠丸が苦笑した。
 「徳川方の大将は、ソハヤ殿なのですね。
 私はてっきり、物吉殿がなさるものと思っていましたが」
 「七振の脇差のうち、篭手切は『細川は誰も参加していないから』と言う理由で審判を買って出たが、脇差の兄弟と浦島は一期が確保しているからな。
 交代しながら攻めてくる彼らへ対抗するには、物吉は桂馬をやりながら、盤上で采配を振るしかない」
 未だ苦々しげな口調で、長谷部は盤上を見遣る。
 「本来、こういうものは指し手が盤外にいるものだが、今回は王将と玉将が采配を振る形になっている。
 貞宗達の努力で兵数の差はほぼ解消したが、何しろ駒の数が狂っているから、主がご配慮くださったのだろうな。
 豊臣方は歩兵過多で、徳川方は飛車が多すぎる。
 何度でも交代ができるとはいえ、自陣の飛車は盤上に一枚しか許されない。
 序盤に勝負を決められる可能性すらあるから、物吉はあえて、前に出ているのだろう。
 一期は認めようとしないが、統率力は物吉の方が上だしな」
 その言葉には、粟田口の面々がムッとした。
 「・・・確かに、さっきは勝手に動いちゃったけど!
 ボクは別に、いち兄の采配を無視したわけじゃないもんっ!」
 乱の反駁に、長谷部はあっさりと頷く。
 「それは俺もだ。
 うっかり手が出てしまったが、徳川方は最初から反則を誘う作戦を立てていたせいか、未だに反則の退場はない」
 手を伸ばした長谷部に、ぐりぐりと頭を撫でられた謙信が頬を膨らませた。
 「しかし・・・」
 誘われて、突出しすぎた蜂須賀が、あっさりとにっかりに斬り伏せられる様に、長谷部は吐息した。
 「これは一旦、流れを止めて軍議をした方がいいのではないか。
 無駄に駒を失っているぞ」
 見遣った一期も、同じことを考えているのだろう。
 深刻な顔で、眉根を寄せる彼へ声を掛けようとした長谷部は、山姥切に止められた。
 「持ち駒でもない奴が口を出すな」
 「・・・っそうだな」
 そんなことをすれば、豊臣方は失格にて敗退となりかねない。
 「長谷部、天守に登ってはいかがですか?
 あなたの目なら、主へ詳しく戦況解説ができるのでは?」
 太郎の言葉に、しかし、長谷部は眉間の皺を深くして首を振った。
 「最初に反則を取られた俺が、どの面さげて主のお目にかかれると・・・!
 せめて、補給で役に立ってみせる!」
 クーラーボックスから、よく冷えた飲料を掴み出した長谷部は、再び炎天下へと駆け出す。
 「君が倒れないようにね!」
 長谷部へと声を掛ける石切丸の傍らで、軍手をはめた数珠丸が、大きな氷柱をひょい、と持ち上げた。
 「では、私達も氷を運びましょうか」
 「あぁ。
 外周を囲むように置けば、少しはしのげるかな」
 同じく軍手をはめた大典太も、軽々と氷柱を持ち上げる。
 「おぉ!
 ならば拙僧らは、また母屋から運んでくるとしよう!
 ゆくぞ、兄弟!!」
 「あぁ・・・」
 未だふてくされる乱の背を叩いて立たせてから、山姥切も山伏の後へ続いた。


 「はい、毛利君、取った。
 これでうちの子だね」
 光忠がつきつける木刀の下で、毛利はこくりと頷いた。
 「暑いから、早めに出られて嬉しいです。
 持ち駒テントの下は、日陰だし氷もあるし。
 僕、出番が来るまで涼んでます」
 「毛利ぃ・・・!
 お前、真面目にやれよ!!」
 隣の升にいた厚につつかれた毛利は、しかし、悪びれずに笑う。
 「真面目にやりましたよぉ。
 ちっさい子以外は、本気で取りに行こうと思わないだけで」
 いけしゃあしゃあと言った毛利は、まだ後ろに控えている蛍丸へ手を振った。
 「蛍丸くぅーんv
 これで同じ陣営ですよぉーv
 今、会いに行きますv
 「来・る・なっ!!」
 蛍丸が、怒った猫のように目を吊り上げて怒鳴る。
 が、毛利はかえって嬉しげに身もだえした。
 「怒った顔も可愛いーvv
 活躍してくださいね、僕のリトル・プリンスv
 パタパタと手を振りつつ、徳川方の持ち駒テントへ入った毛利を、蛍丸が指さす。
 「取らないでって、ゆったじゃん!!」
 「そんなこと言われても・・・」
 困り顔で、光忠が肩をすくめた。
 「修行帰りの短刀くん達に、僕が敵うわけないじゃない。
 狩れるところは狩っておかないと」
 と、彼の胸ポケットから、アラームが鳴りだす。
 「あ、お昼の準備する時間だ。
 鶴さーん!代わってー!」
 光忠が手を振ると、持ち駒テントにいた鶴丸が駆け出て来た。
 「今日は源氏さん達と左文字くん達が引き受けてくれてるから、仕上げだけやって来るね。
 あ、千代金丸さんが琉球料理作るって言ってたから、それも見て来ようかな。
 貞ちゃん、僕が戻るまで負けないでね!」
 「緊張感ねぇなぁ!もう!!」
 不満げな厚に、交代で入った鶴丸がにやりと笑う。
 「じゃあ厚は、昼抜きでやるのか?」
 「う・・・!
 そうは言って・・・ねぇけど・・・・・・」
 「歌仙さんがいませんから、光忠さんの負担が大きいんですよねぇ。
 まぁ、伊達の皆さんがいるから食事は安心ですけど・・・光忠さんが出かけた時が怖いです」
 ぶるっと、震え上がった秋田は、同じ升に入った瞬間、鶴丸へ切りつけた。
 「っと・・・!
 木刀じゃなきゃやられていたな!
 だが、そうじゃなくても俺を騙すには百年早いぜ?」
 「・・・隙をついたと思ったのに」
 あどけない顔を、秋田は悔しげにゆがめる。
 必殺の一撃を止められてしまっては、太刀相手になすすべはなかった。
 あっさりと木刀を手渡した秋田の膨らんだ頬を、厚が激しくつつく。
 「なんで負けてんだよ、お前ー!!
 やる気あんのかー!!」
 「おい、待て、厚。
 俺には勝って当然だと聞こえるぞ?」
 こめかみを引き攣らせる鶴丸へ、厚が舌を出した。
 「鈍足伊達に負けるわけねーだろ!!」
 「おっと黒田め、言ってはならんことを・・・!」
 鶴丸がひらりと手招いた瞬間、
 「べふっ!!」
 木刀の柄頭で後頭部を殴られた厚が、舌を噛んで悶絶する。
 「油断大敵だ」
 「大倶利伽羅ぁ〜!!!!」
 隣の升を向いていた厚は、斜め前から攻めて来た大倶利伽羅に気づかず、痛手を負って盤外へ放り出された。
 「伽羅!カッコイー!」
 歓声をあげる太鼓鐘には鼻を鳴らして、前方の鯰尾を見遣る。
 「次はお前が来るのか?」
 「さぁねー。
 いち兄の采配次第だよ」
 余裕ぶった口調とは逆に、鯰尾の顔は悔しさに引き攣っていた。
 が、苛立つ彼の傍で次郎太刀は、騒々しい笑声をあげる。
 「だいぶ混ざって来たよねぇ!
 そろそろあたしも出番かな!」
 盤を囲む氷柱の上に置いて冷やしていた徳利を、大太刀の先に引っ掛けて引き寄せるや、よく冷えた酒を流し込んだ。
 「っうっまーい!!
 やーっぱ、暑い日は冷酒だよねぇ!
 アーニキー!!補充おねがーい!」
 「水にしなさい!!」
 次郎太刀へ怒鳴り返した太郎太刀へ、日本号からも声がかかる。
 「俺にも頼む!」
 「頼まれません!
 まったく、私はあなたたち専用の補給係ではありませんよ!」
 憤然と踵を返した太郎太刀は一旦、母屋へ戻り、酒樽を抱えて戻って来た。
 「自分で補充しなさい!」
 「やったーv
 兄貴、大好きーv
 「お前のそういうところ!惚れるぜ!!」
 調子のいい酔っ払い達に太郎太刀は鼻を鳴らす。
 と、
 「太郎さん、ありがとうございます。
 おかげさまで、彼らの戦線離脱を防ぐことができましたよ」
 苦笑交じりの一期一振へ、太郎太刀は首を振った。
 「意外と、苦戦しているようですね」
 「いいえ?
 勝って見せますとも」
 未だ余裕を見せた一期一振へ頷き、太郎太刀は救護テントへ戻る。
 「前半は意外にも、徳川方が有利に運んでいますね。
 ですが・・・」
 テントの下で、戦況を眺めていた石切丸が微笑んだ。
 「本来、奪った駒は味方になるものだけど、ソハヤさんも物吉くんも、粟田口の子らを持ち駒として、盤上に戻す勇気があるとは思えないな」
 「えぇ・・・。
 わざと負けて再び豊臣方に戻り、敵となるでしょうからね」
 苦笑する数珠丸の隣で、大典太も肩をすくめる。
 「一期一振に余裕があるはずだ。
 反則での退場もなくなって、有利な戦いだからな」
 「物吉も・・・がんばってはいますが・・・」
 無理だろうと、憐れむような目を向ける太郎太刀に、しかし、気づいた物吉はにこりと笑みを返した。
 「おや・・・。
 これは、何かあるかな?」
 石切丸が、楽しげに声を弾ませる。
 その遥か上から盤上を見下ろしていた三日月も、同じくにこりと笑った。
 「なるほどな・・・物吉の思惑が見えたぞ」
 「おぉ、ようやくか」
 くすくすと笑う小烏丸に、三日月は笑みを向ける。
 「とうに気づいておられたと?」
 「無論。
 始まる前から、見えておったこと」
 「ほう!それは・・・おっと」
 静かにしろと、目線を送って来る小狐丸へ笑って、三日月は主達からやや離れた。
 「・・・それは、いかなるわざで?」
 問えば、小烏丸は盤上を見つめる主へと視線を流す。
 「終了ののちは遺恨なし、と仰せになったが・・・どちらが勝っても、遺恨なしとはいかぬゆえ」
 「なるほど。
 集まりつつある徳川方を、この時点で潰すことは惜しいと言うことか。
 だが・・・一期がそれで、納得するだろうか」
 三日月が見下ろした先では、次郎太刀が日向の木刀を弾き飛ばしていた。


 「あははっ!
 美人刀もーらいっ!
 ねぇ、アンタ。
 元の主は豊臣方なんだし、こっちの味方になりなよ」
 次郎太刀がひょい、と抱き上げた日向は、考え深げに小首を傾げた。
 「そうなんだよねぇ。
 子供達の可愛さに、つい負けちゃったんだけど・・・やっぱり、僕はこちら側の刀なのかなぁ」
 「父さま!!」
 悲鳴じみた声をあげる物吉を、日向は次郎太刀に抱えられたまま見下ろす。
 「お前達の強さを、今度はこちら側から見せてもらうよ」
 「父ちゃん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
 「まぁまぁ」
 こぶしを握って怒号をあげる太鼓鐘の背を、にっかりがぽすぽすと叩いた。
 「親子兄弟が敵味方に別れるなんて、よくあったことじゃないか。
 粟田口なんて、兄弟でいくつ派閥を作れると思うんだい?」
 「でも!
 今回は協力するってゆったじゃんか!
 今日は父ちゃんのおかず、一品少ないからな!」
 「えー。
 そういう脅しはどうかと思うよ、太鼓鐘ぇー」
 くすくすと笑いながら、次郎太刀に降ろしてもらった日向は、歩み寄った太鼓鐘の頭を撫でてやる。
 「お前の頑張りも見ているからね」
 「じゃあ、僕も少しは頑張ろうかなぁ」
 にんまりと笑って、にっかりは歩を進めた。
 「げ・・・!」
 一息に懐に入ってきた脇差を避けられず、日本号は喉元に木刀の刃を突き付けられる。
 「ふふふv
 ねぇ、日本号さん。
 こっち、槍が蜻蛉切さんしかいないんだよ。
 味方になってくれないかなぁ」
 と、まだ近くにいた日向がぽふん、と手を叩いた。
 「いいんじゃないかな。
 黒田の如水は豊臣で出世したけど、息子の長政は徳川方だったじゃないか。
 こっちには博多がいれば十分だろう?」
 行っちゃえ、と煽る日向に、一期一振が声を掛ける。
 「余計なことを言っていないで、私の持ち駒になりなさい」
 「はーい。
 殿下がご機嫌ななめだから、またね、子供達v
 手を振って、豊臣方の持ち駒テントに入って行く日向へ、太鼓鐘が頬を膨らませた。
 「ホラホラ、計画通り、槍は取ったんだからそんなに膨れるもんじゃないよ。
 物吉くーん、僕、そろそろ変わっていいかい?」
 暑い、と、汗を拭うにっかりに物吉が頷く。
 「堀川くん、お願いします!
 大倶利伽羅さんも、和泉守さんと代わって休んでください!」
 「よっしゃぁ!出番来たぜー!!」
 意気込んで立ち上がった和泉守の隣で、清光と安定が頬を膨らませた。
 「兼さん、ずーるーいー!」
 「僕も行きたいー!」
 待ってるの飽きた、と、足をばたつかせる二人を和泉守が、にやりと笑って見下ろす。
 「俺が行く以上、お前らの出番はないかもな!」
 「出た!死亡フラグー!」
 「昼餉前に退場する、に今日のおやつ賭けるー!」
 「てめぇら・・・!」
 握ったこぶしをあげる和泉守の腕を、堀川が引いた。
 「ほら!
 早く行くよ、兼さん!」
 駆け出て行った二人と入れ替わりに、テントへ入った大倶利伽羅へと、とっくに交代していた鶴丸が水を差し出す。
 「おつかれさん。
 暑かっただろ」
 「あぁ・・・。
 だが、貞は出ずっぱりだからな」
 受け取った水を一気に飲み干した大倶利伽羅が、肩越しに盤上を見遣った。
 「貞坊は丈夫だからあんまり心配はしていないが・・・戦いながら采配も取る物吉が心配だな。
 いざとなったらお前が代わるのか?」
 「ん?」
 声を掛けられた亀甲が、端末から顔をあげる。
 「君ねぇ・・・せめて、戦況くらい見てやってはどうかな」
 呆れる大般若へ、亀甲はにんまりと笑った。
 「見ているさ、誰よりもね。
 だって、物吉に指示を出しているのは僕だもの」
 ホラ、と、彼が突き付けた端末には将棋盤が表示され、現在の駒の位置が示してある。
 更には、打ち込んだ文字が音声となって、物吉が片耳につけているイヤホンに届く仕組みだと言う。
 「暑い中にいちゃ、判断も鈍るからね。
 ご主人様から、指すのは大将じゃなくてもいいし、盤上にいなくてもいい、って言質を取った時点で決めた作戦だよ」
 得意げな亀甲に、小竜が眉根を寄せた。
 「・・・主はそれ、熱中症対策で言ったんだよね。
 指し手が出ずっぱりだと可哀想だからって。
 そういう気遣いを利用する、普通?」
 清廉潔白を好む彼の非難にしかし、亀甲は微笑んで頷く。
 「一期はプライドにかけて、大将の位置を動かないよ。
 だけどこの暑さと盤の見えにくさで、時間が経つにつれ判断力が鈍ってくる。
 そこに付け込むのさ」
 楽しげに笑いながら、亀甲が打ち込んだ位置へ、小豆が移動した。
 「あぁ・・・みちをゆずってくれないか、ひらの。
 こどもにケガをさせたくないんだ」
 「それは・・・無理ですね!」
 彼の立つ升へ飛び込んで来た平野に先制され、木刀を弾き飛ばされた小豆はなぜか大笑する。
 「つよいぞ!
 きょうのほまれは、ひらのかもしれないな!」
 しゃがみ込んで目線を合わせる小豆の、大きな手で頭を撫でられて、平野が嬉しげに頬を染めた。
 「じゃあわたしは、もちごまのテントへいっているよ。
 みずがほしくなったら、いつでもこえをかけるんだぞ!」
 「は・・・はい!」
 手を振る小豆へ、平野も大きく手を振って応える。
 その背に、
 「お前が行くのは、徳川方のテントだがな」
 と、槍の穂先が突き付けられた。
 「ハイ、平野取った。
 槍の体格を見えなくするには、小豆くらい大きい人が前にいてくれないとね」
 くすくすと意地悪く笑う亀甲を、また小竜が睨む。
 「もー!なんなの!
 うちのパパ、捨て駒にしないでよ!」
 珍しく声を荒らげる彼へ、大般若が手を伸ばした。
 「小竜、君、俺が捨て駒にされてもそんなに怒らないよなぁ?」
 どういうことだと、頭を撫でる手の下で、小竜は頬を膨らませる。
 「ダディは捨て駒になっても楽しそうじゃん。
 どうせ、向こうで宴会してるじゃん。
 でもパパは違うでしょ・・・って、あっち、謙信が行ってるのか。
 もぉ!!」
 勢いよく立ち上がり、小竜は飛車の升へ向かった。
 「外は暑いぞー?」
 「長船のカッコいいところ見せないと、グランに怒られるよ!」
 肩越しに怒鳴られた大般若は、肩をすくめる。
 「珍しく熱くなっているなぁ」
 「いや、わからんでもないぞ」
 声を掛けて来た長曾祢に、大般若は首を傾げた。
 「どういうことだい?」
 「小竜は、最初に弟をふっとばされて泣かされた挙句、気に入らない戦法を使う亀甲に小豆を捨て駒にされたのだからな。
 むしろ、なぜお前は怒らない?」
 「別に、怒るほどのことじゃないと思ったからだなぁ」
 怪我をしたわけじゃないし、と、平然と言う大般若の態度に、持ち駒として控える蜂須賀も呆れ顔になる。
 「弟が泣かされたと言うだけで、俺なら一大事だぞ!」
 「うん。
 蜂須賀ならその場で殴りに行くよね。
 大般若、暢気すぎ!」
 「ここに光忠さんがいたら、亀甲、殴られてたかもよ?」
 ねぇ?と、清光と安定が揃って見やった亀甲は、端末から顔をあげないまま、首を振った。
 「彼はこんなことじゃ怒らないよ。
 過保護っぽいところはあるけれど、戦況となると、冷静に判断できる刀さ。
 そうだろう?」
 「あぁ・・・」
 大倶利伽羅が頷くと、鶴丸も愉快げに笑い出す。
 「光坊なら、直接平野を倒したかもな!」
 「僕がなに?戦況の話?」
 昼餉を運んできた光忠がテントに入って来ると、ようやく顔をあげた亀甲が頷いた。
 「戦略的に小豆を取らせたら、小竜が怒ってしまったんだよ」
 「へー!
 小竜ちゃん、そういうことで怒るんだ!」
 なぜか歓声をあげる光忠に、大倶利伽羅が首を傾げる。
 「嬉しそうだな」
 「そりゃ嬉しいよ!
 あの子にも、家族を思いやる気持ちがあったんだなぁって!」
 「いや、あいつ、あぁ見えて根は真面目だぞ?
 なにしろ、明治帝の気質を受け継いでいるからな」
 と、同じ明治帝の手に渡りながら、大して真面目でもない鶴丸が、いまいち信憑性のないことを言った。
 「え?
 なんで信じてくれない?」
 生温かい笑みを浮かべて、無言になってしまった面々を見回す鶴丸に、大倶利伽羅が鼻を鳴らす。
 「日頃の行い」
 「くっ・・・!」
 言葉を失い、悔しげな鶴丸に光忠が笑い出した。
 「ねぇ、切りのいいところでお昼にしようよ。
 一期さーん!お昼にしよー!」
 大きく手を振ると、対陣で難しい顔をする一期一振が顔を上げて頷く。
 「そろそろ前半終了か・・・いつまでも、調子に乗せはしないよ」
 低く呟いた一期一振は、次の手で薬研を進めた。
 「――――っよぉ、不動。
 俺の一撃を受けるなんて、やるじゃないか」
 「・・・うっせ、薬研!
 いつまでもてめぇが上だと思うなよ!」
 薬研の一閃をなんとか受けたものの、力で負けそうな不動は必死に歯を食いしばる。
 が、薬研は余裕ぶった笑みを不動へと寄せた。
 「織田の刀同士が、豊臣と徳川に別れて戦うのも変な話だ。
 馬鹿馬鹿しいと思うなら、ここで引いちまうのも手だぜ?」
 「それで豊臣の手駒になれってか?!
 ふざけんなっ!」
 なんとか押し返し、続けて反撃を試みるが、あっさりと止められてしまう。
 「こちとら踏んでる場数が違うんだよ」
 「ぎゃっ!」
 足払いを掛けられ、倒れ込んだ不動の喉元に、薬研の刃先が突き付けられた。
 「俺の勝ちだ」
 「・・・っちくしょ!!」
 悔しげな不動の腕を取り、立たせてやった薬研へ、斜め前から和泉守が迫る。
 「見えてんだよ」
 嘲笑した薬研は、最強の突きを最小限の動きでかわし、懐へ入ってその喉元に刃を突き付けた。
 「ぐ・・・!」
 顔を歪める和泉守に、なぜか徳川方から歓声が沸く。
 「やったー!おやつもーらい!」
 「死亡フラグ達成ー!」
 「安定!清光!!
 てめぇら、後で覚えてろよ!!」
 騒々しい沖田組に怒鳴り返して、和泉守が盤を降りる。
 「あの突きをかわすとか、スゲーな!
 俺だったら吹っ飛ばされてた」
 感心しつつ、獅子王は小竜の升まで歩を進めた。
 「けどこっちなら、早さは同等だろ!」
 「・・・君もダディと同じで、経験がどうとか言うかもだけど」
 呟いた小竜は、獅子王が振り下ろした刃を受け流す。
 「あいにく、足の長さは負けてない」
 痛烈な足払いをかけて、獅子王を倒した小竜の刃が、喉元に添えられた。
 「グランに、長船のカッコいいところを見せなきゃだから、どいてくれる?」
 「・・・なんか今、すっげムカつく倒され方した気がする」
 こめかみを引き攣らせる獅子王に、小竜はあでやかに笑う。
 「前の主のために、細く軽く作られた、君の性質を利用させてもらっただけさ。
 俺は君のこと、キュートな気遣い屋さんだと思うよ?」
 フォローを忘れない小竜が差し出した腕を取って、獅子王はむくれつつも立ち上がった。
 と、
 「獅子王!
 仇は取るぜよ!!」
 獅子王が盤を降りるや、陸奥守が小竜の前に立つ。
 「さぁ!勝負じゃ!!」
 来い!と、張り切る陸奥守だったが、徳川方の次の一手は巴形だった。
 小竜相手と油断していた陸奥守は、横合いから放たれた薙刀の一閃を捌ききれず、盤上に転がる。
 その様に、亀甲が嬉しげな笑声をあげた。
 「アッハv
 和泉守は取られちゃったけど、おかげで上手く陸奥守を巴の前に誘い出せたよ。
 一人しかいない飛車を仕留められて、向こうの飛車は持ち駒になった小豆一人だv
 彼はこちらに戻ってくる可能性が高いし、次は・・・蛍丸v
 大太刀の刃は、同じ升目に入った静形だけでなく、隣接して手を出せない薬研をも切り伏せる。
 「うふふv
 獅子王に気を取られて、僕の本当の狙いが薬研だって、気づかなかったみたいだね、一期v
 「へー!やるなぁ!」
 楽しげに盤上を見つめる光忠に、亀甲は嬉しげに頷いた。
 「徳川方は、圧倒的に歩兵が少ないからね。
 序盤こそ空白が目立ったけど、それは逆に言えば、強い駒を動かすスペースがあったってことさ。
 後半は交代のスパンを短くして、どんどん取って行くよ」
 と、得意げに語る亀甲が端末から視線を外した瞬間、豊臣方から歓声が上がり、蛍丸を討ち取った鯰尾が得意げに笑う。
 「蛍くーんv
 これで君、うちの子だよv
 「・・・毛利がいないならいいよ」
 頬を膨らませつつも頷いた蛍丸が盤外に出たタイミングで、光忠が声を上げた。
 「みんなー!お昼にしようー!
 今日は流しそうめんと琉球料理だよー!」
 途端、緊迫していた雰囲気が、ほっと緩む。
 そこへ更に、
 「ラフテー持ってきたさぁー」
 と、千代金丸ののんびりとした声が重なった。
 「暑いし、味の濃いものもいいかと思ってさぁー」
 歓声を上げて寄ってくる短刀達に、千代金丸は嬉しそうに笑う。
 「チラガーも持ってこようかと思ったんだが・・・光忠に止められてしまったさぁー」
 美味しいのに、と、残念そうな彼に、光忠が苦笑した。
 「だって・・・ブタさんの顔がそのままじゃない。
 こっちじゃ馴染みがないから、悲鳴が上がっちゃうよ」
 「ミミガーもだめとか・・・大和はうるさいさぁ」
 「細かく刻んで、原型がわからなくなっていればなんとかね」
 そのままがだめだと言われて、千代金丸は小首をかしげる。
 「魚の姿煮は普通なのに、なんで豚だといけないのか、よくわからないさぁ・・・」
 そこへ、長時間の遠征から今剣と岩融も帰って来た。
 「おさかな、たくさんとってきましたよー!」
 「ここで焼くか!!」
 岩融の提案に、歓声が上がる。
 「おぉ!では、竈を作ろうか!」
 早速岩を取って来る、と言う山伏を、山姥切が止めた。
 「いや、兄弟・・・そんな大げさなものじゃなくていいんじゃないか」
 「え・・・。
 ここで、ばー・・・なんでしたっけ?やるんですか?」
 とうもろこしの皿を運んできた小夜が見上げると、光忠は辺りを見回す。
 「まぁ、バーベキューしても大丈夫なスペースはあるけど、暑いよねぇ・・・」
 「えー!
 せっかくおさかなとってきたんですよぉ!
 ここでたべたいです!」
 頬を膨らませた今剣が、小夜の手を取って振り回した。
 「ねーぇ!やりましょうよー!さよー!」
 「ぼ・・・僕は・・・いいですけど・・・・・・」
 困り顔で見上げた光忠が、笑って頷く。
 「オーケー!
 じゃ、バーベキュー用の道具と炭を取ってこようかな」
 踵を返そうとする彼を、テーブルに皿を並べていた江雪が止めた。
 「今日は我々が。
 あなたには、駒のお役目があるのですから」
 「えぇ・・・。
 重い物はきっと、山伏が運んでくれますからね」
 宋三が見やれば、山伏も気前良く頷く。
 「あいわかった!
 光忠、道具はどこに仕舞ってあるかな?」
 取って来よう、と、山姥切と共に天守へ向かう山伏へ、今剣が大喜びで歓声をあげた。
 「おひるだけでも、みなさんといっしょでうれしいです!
 ・・・小狐丸さまが、三条はさんかしちゃだめ、っていうし、みていたらやりたくなるから、おつかいにいきなさい、っていうし・・・!
 なかまはずれ、いやですぅっ!」
 「じゃあ、徳川に入りませんか?
 蛍丸くんが取られてしまったんで、強い子が入ってくれると助かります!」
 思惑などかけらもない、と言わんばかりの輝く笑顔で迫る物吉に、頷きかけた今剣を岩融が抱き上げて止める。
 「すまんが、三条は今回、不参加だ」
 「それに、蛍丸ならうちの子が取り返しますさかい。
 な?国俊」
 明石が見下ろした愛染は、頬袋があるのかと思うほど、ぱんぱんに顔を膨らませて頷いた。
 「〜〜〜っ!
 まかせとけ!
 次郎と一緒に、こっちにいれてやるぜっ!!」
 急いで飲み込んだ愛染に冷たい茶を渡した巴形が、静形をちらりと見遣る。
 「蛍丸は取られてしまったが、こちらは薙刀が二本、槍も二本だ。
 最初の不利な状況から見れば、随分頑張ったのではないかな」
 「二人並んで攻めれば、一期の脅威になれるだろうな。
 どちらが大将首を取るか、競うか?」
 にやりと笑った静形に、しかし、巴形は首を振った。
 「それは俺の判断することではない。
 そうだろう?」
 巴形が声を掛けると、物吉は一瞬、目を泳がせてから笑顔で頷く。
 「きっと、お二人を有効活用して見せますから!
 ・・・あ!
 ソハヤ、お疲れ様です!暑かったでしょ!」
 薙刀達との話を避けるように、物吉はソハヤノツルキへと向かった。
 「いや?
 日陰で涼みながら、戦況を見ているだけだったからな。
 全然平気だぜ!」
 けど腹は減った、と、ソハヤは左文字達が用意してくれた箸を取る。
 そんな、のんきな王将の一方、日にさらされ続けていた玉将はようやく日陰に逃れ、襟を寛げた。
 「いち兄・・・。
 なにも、馬鹿正直に直射日光浴びる必要はないんだぞ?
 日陰にいろよ」
 一期一振の頭に濡らしたタオルをかけてやりつつ、一旦敵陣から戻った薬研が言うが、彼はうなだれた首を振る。
 「弟達が暑い中で戦っているのに、座っているだけの私が涼んでいるわけにも行かないだろう。
 大典太殿が、傍に氷柱を置いてくださったし、本来の戦よりはだいぶましだよ」
 「いや、やっぱ涼しいところにいろよ。
 さっきなんか、全然頭回ってなかったじゃんか」
 冷たい麺をすすりながら、厚が眉根を寄せた。
 「蛍取ったのはいいけど、薬研を敵にとられたのは痛手だぜ。
 徳川が俺達を使うことはまずないが、確実に敵を仕留められる手が減った」
 「蛍丸も、愛染辺りが奪還に来るだろうし、なにより・・・」
 と、一期へ水を持って来た長谷部が、流しそうめんにはしゃぎ声をあげる蛍丸へ声を掛ける。
 「なにー?」
 「徳川方の指し手は、物吉ではないな?」
 「たぶんねー」
 あっさりと言って、蛍丸は掬い取ったそうめんを頬張った。
 「声に出して指示するのは物吉だけど、駒を動かしてるのは亀甲だと思う。
 はっきり言われたわけじゃないけど」
 「ホラな」
 薬研が、呆れたように肩をすくめる。
 「いち兄、後半は日陰で涼みながら盤上を見てろよ。
 物吉が攻めて来る前に、暑さで倒れるぞ」
 「・・・そうだな」
 賑やかな徳川の陣を、一期一振はタオルの陰から睨んだ。
 と、
 「でーんか!
 そんな怖い顔でうちの子睨んでないで、お昼食べなよ。
 お茶持ってこようか?」
 にこやかに声を掛けて来た日向に、一期一振は顔を上げる。
 「まったく・・・。
 君が最初からこちら側にいてくれたら、揺さぶりを掛けられて楽しかったのに」
 「ふふv
 相変わらず、穏やかな顔して性格悪いなぁ」
 楽しげに笑った日向が、薬研や厚を見遣った。
 「君達、せっかく敵陣にいるんだから、情報を集めてこっそりお知らせしなよ。
 殿下もね、前半は王者らしい指し手じゃなきゃ、なーんて考えて、無駄に正々堂々とやってたんでしょ?
 後半は本性出したら?」
 「君こそ性格が悪い・・・」
 苦笑した一期一振は、しかし、大きく頷いた。
 「潰すと言った以上、必ず潰す。
 あのきれいな物吉を、私の風下に置いてやるよ」


 後半戦は、激しく刃のぶつかり合う音で始まった。
 「待ちかねたぞ、同田貫!!」
 「てめぇが来るのを待ってたんだよ、蜻蛉切ぃ!!」
 同田貫の重い剣を受け止め、押し返した蜻蛉切の膂力に徳川方からだけでなく、豊臣方からも拍手が沸く。
 「すごかねぇ!
 力だけやったら、蜻蛉切が三名槍一すごいっちゃないと?」
 博多が、傍にいる御手杵に問うと、彼は気負いもなしにあっさりと頷いた。
 「三名槍の中でも、あいつは気合が違うよ。
 日本号はいつも酔っぱらってるし、俺はのんきだしなぁ」
 「まぁ、それが御手杵のよかとこでもあろうが」
 さりげなく日陰を作ってくれる彼を見上げ、博多はにんまりと笑う。
 「どっちが勝つとおもーや?」
 「うーん・・・。
 俺としては蜻蛉切と言いたいが、修行帰りの同田貫に勝つのは難しいよなぁ。
 それに本身ならともかく、今使ってるのは柄も白木の槍だろ?
 ありゃ、あんまり丈夫じゃなくてなぁ・・・」
 普段の手合わせでも、頻繁に折られて困ると、見つめる先は既に十数合を交わしたのち、とうとう同田貫の木刀が蜻蛉切の柄をへし折った。
 「へへっ!
 どうだ!やってやったぜ!」
 「くっ・・・!」
 肩で息をしつつも、得意げに笑う同田貫を、蜻蛉切が悔しげに見下ろす。
 「なんの!
 たとえ刃を失おうとも・・・!」
 「いや、どいてくれ。
 次の一手が打てないからね」
 あっさりと言う大般若に、渋々頷いた蜻蛉切が盤外へ出た。
 「やれやれ、暑いねぇ。
 遊びなんだから、そんなに何合も打ち合う必要はないだろうに・・・っねぇ?」
 一足に升目を超えた大般若が、未だ体勢を整えていない同田貫の刀を弾き飛ばす。
 「てめっ・・・!!」
 「仇は取ってあげたよー」
 「待てよ!!
 今のは卑怯じゃねぇのか?!」
 詰め寄る同田貫を、大般若はわざわざ見下ろし、あでやかな笑みを浮かべた。
 「先手後手関係なく一騎打ち。
 機動に優れた短刀達は、そうやって我々の戦力を削いでくれたんだが、それを卑怯と言うのかい、剛毅な若君よ?」
 「・・・っ!」
 言葉を失った同田貫へ頬を寄せた大般若が、その耳元に囁く。
 「負けても堂々としていたまえよ、君。
 常ならば、勝っていたのは君の方さ、きっとね」
 「・・・ったりまえだ!!」
 吐き捨てて踵を返した同田貫に、大般若は笑って手を振った。
 と、
 「FUFUFUFUFU!!!!
 ようやく真打登場デス!!
 徳川に仇なすこのワタシ!!
 また新たな伝説を作って見せまショウ!!」
 大笑しつつ盤へ上がった村正へ、豊臣方から歓声が上がる。
 が、
 「親父ー。
 一人倒したから、もういいだろう?
 暑い。代わってくれ」
 気の抜けた大般若の声に、光忠が目を吊り上げた。
 「親父って呼ばないでってば!!
 小竜ちゃん、また行く?」
 イライラと戦況を眺めている小竜へ問うと、立ち上がりかけた彼を制して、大包平が進み出る。
 「貴様が徳川に仇なす者なら、俺は豊臣への先鋒!
 天下の名刀をなめるなよ!!」
 本丸中に響き渡る大音声に、皆が思わず耳を塞いだ。
 「・・・この暑いのに、元気だよな」
 地面に寝かせた氷柱に懐く鵺と虎に、団扇で風を送ってやりながら獅子王が呟くと、傍らで氷を削っていた陸奥守も頷く。
 「きっと暑さで脳がやられちゅうが。
 おーい!
 かき氷、できたぜよー!」
 声を掛けると、両陣営だけでなく、救護や見物の面々もほっと顔を緩ませた。
 「ずっと日陰にいても、結構こたえるものだねぇ」
 「氷柱も十分用意していただいたのですが・・・終わるまで、持ちそうにありませんね」
 早速寄って来た石切丸と太郎太刀にかき氷を渡した陸奥守が、苦笑しつつ辺りを見回す。
 「ここが城壁に囲まれちゅうのも一因じゃろうな」
 「天守の真下だもんなぁ。
 一番囲まれてる場所だ」
 吐息しつつ、獅子王が大皿に盛った氷を置いてやると、鵺と虎が嬉しそうに頬張った。
 「こいつらだけでも、母屋に置いてくるかな。
 退場した五虎退の出番はないし、俺も使われるか微妙だし」
 よいせ、と立ち上がった獅子王が、鵺と虎を手招く。
 「来いよ、お前達。
 くーらーの効いた部屋で、南泉と一緒に寝てろ」
 獅子王が先頭に立って行くと、二頭も尻尾を立ててついて行った。
 「そろそろ決着をつけてほしいな。
 これから更に暑くなりそうだ」
 吐息しつつ、羨ましげに二頭を目で追う山姥切に、堀川が苦笑する。
 「布、脱げばいいのに」
 「せめて、夏用に替えてはどうであるか?」
 山伏の提案に、暇を持て余していた清光が反応した。
 「それ、いい!
 どんなのがいい?
 やっぱレース?
 万屋に可愛いの探しに行こうよ!」
 「なんでお前が出しゃばってくるんだ!」
 布を引き剥がそうとする清光に、山姥切は必死に抵抗する。
 「なんだよー!同じ古参組じゃんー!
 俺、前から山姥切のこと・・・!」
 清光の、潤んだ瞳が邪悪に歪んだ。
 「いじりたかったんだよぉーv
 ぐいぐいと布を引き剥がそうとする清光から逃げる山姥切の両肩を、背後から掴む者がいる。
 「清光くん、ちょっと聞き捨てならないね」
 「光忠・・・!」
 助けてくれるのかと、山姥切が縋るような目で見上げた彼は、鮮やかに笑った。
 「布を取ったら、髪は僕に整えさせてね!」
 「おっけ!」
 「やめええええええええ!!!!」
 悲鳴を上げて助けを求めた兄弟達は、しかし、のんきに笑うばかりで止めようともしない。
 どころか、
 「キヨに任せておけば、山姥切兄さんがもっときれいになるよ!」
 「それは楽しみであるなぁ!」
 などと、煽るありさまだ。
 こちら側に味方はいないと悟った山姥切は、盤上へ声をあげる。
 「後藤!
 安定を討ち取れ!」
 「あいよっ!」
 言われるまでもなく、あっさりと安定の刀を弾き飛ばした後藤が得意げに笑った。
 「次は清光が入るのか?
 また俺が討ち取るかもよ?」
 舌を出して挑発する後藤にムッとして、清光は山姥切から手を放す。
 「もー!ヤス!
 いいところだったのに!」
 「うるさいなぁ・・・。
 ちゃんと僕の仇取って来なよ?」
 安定に代わって盤へ上がった清光が、ポケットから取り出した日焼け止めスプレーを自身へ撒き散らした。
 「もー。
 俺の美肌が損なわれたら、責任取ってもらうからね」
 「なんだよ、出たがってたくせに」
 こっちの陣営まで聞こえてた、と呆れる後藤から、清光は気まずげに目を逸らす。
 「物吉ー。
 一旦下がったら?
 太鼓鐘も、ずっと出ずっぱりでしょ。倒れちゃうよ?」
 肩で息をする二人へ声を掛けるが、どちらも首を振って敵陣を睨んだ。
 「負けませんっ・・・!」
 「俺もだ!ぜってー負けねぇ!!」
 意地っ張りな兄弟に吐息して、清光は審判へ手を振る。
 「篭手切ー!
 危険な子達いるよー!」
 呼びかけると、頷いた篭手切が一旦停止の笛を吹いた。
 「堀川、物吉と交代してください。
 大倶利伽羅、太鼓鐘の強制連行をお願いします。
 太鼓鐘の升には、毛利を置きますか?
 持ち駒ですが、徳川方は歩兵が少ないので、許可しますよ?」
 緊急措置だと言う審判に従って、盤上にわらわらと人が行き交い、救護テントに運ばれた物吉と太鼓鐘は、頭に氷嚢を乗せられて、大太刀の監視下に置かれた。
 「ふむ・・・。
 こうなったら、誰が指し手か隠す必要もないか」
 バレてるだろうし、と、亀甲が椅子から立ち上がる。
 が、テントの下からは出ないまま、声を上げた。
 「大包平!
 僕の手足となって、その露出狂を倒しておくれ!」
 「・・・お前に言われると妙に腹が立つな!」
 「ワタシもデス・・・!」
 口の端を吊り上げて、村正が亀甲へ向かう。
 「アナタが出てきてはどうデス?!」
 「嫌だよ、日に焼けるもの」
 「ハァ?!」
 その返答には、清光が声を上げた。
 「俺だってやだよ!」
 「でも、出たかったんだろ?」
 また後藤に言われて、清光はむくれる。
 その様を救護テントから見ていた物吉と太鼓鐘が、不安げな顔を見合わせた。
 「物吉ぃ・・・!
 やっぱお前がいないと、統率力だだ下がりじゃんか!」
 「そうだけど・・・そうしたいけど・・・・・・」
 懇願するように見上げた石切丸は、厳しい顔で首を振る。
 「だーめ。
 君たちはしばらく、ここで休みなさい」
 「しばらくって、何分何秒?!」
 「子供のような事を言うものではありません」
 太鼓鐘の言い様には太郎が、呆れたように首を振った。
 「君たちの熱が引くまでだよ。
 自分で思っている以上に、体温が上がっているのだから」
 「でも・・・!
 このままじゃ、負けてしまうかも・・・!」
 それは絶対に駄目だと、縋る物吉を石切丸は、安心させるように微笑む。
 「大丈夫だよ。
 兄弟を信じて・・・」
 「やってられるかー!!!!」
 突然、背後に湧いた大音声に、さすがの石切丸も驚いて振り返った。
 「・・・なんだ、あのバカは。
 暑さでキレたか?」
 見物席で、冷たい茶をすすっていた鶯丸が、盤上の大包平に苦笑する。
 が、彼の隣で同じく茶をすすっていた髭切は、笑って首を振った。
 「いやいやぁー。あれは怒るでしょー」
 「完全に存在を無視されて、変態同士の口喧嘩の間に立たされているからな」
 気の毒に、と、膝丸が眉根を寄せると、立ち上がって戦況を見ていた千代金丸が首を傾げる。
 「俺は・・・大和の将棋はよくわからんのだが、まぁ・・・チュンジーと似たようなもんなんだろうなぁ。
 それにしても、駒の種類が偏りすぎさぁ。
 徳川は太刀をたくさん引き入れてるけど、一人ずつしか使えないなら宝の持ち腐れさぁ」
 「そうだよねぇ。
 一期お得意の、各個撃破の的に・・・あぁー。
 大包平、取られちゃった。
 短刀くんはやっぱり、強いよねぇ」
 うふふ・・・と、のんきに笑う髭切に、鶯丸が肩をすくめた。
 「よそ見をしているからだ。
 近くに短刀がいるのに、油断する方が悪い」
 「俺も参加したかったのだが・・・」
 髭切を挟んで座る膝丸が、眉根を寄せる。
 「源氏が参加すれば平氏も出ざるを得ないからと、三条に止められてしまった。
 まぁ、徳川方にこれ以上太刀がいても、しょうがないしな」
 「一期には太刀が足りないけど、彼、意外と性格悪いから・・・ホラ、小豆を出して来たよ」
 楽しげに目を輝かせて、髭切が指さす。
 と、大包平の代わりに盤上へ上がった小竜が、あっさりと毛利を討ち取った小豆へ目を吊り上げた。
 「パパ!
 なんでそっち側でお仕事してるんだよ!
 わざと負けて、戻って来なよ!」
 この勝負では当然の駆け引きを言う小竜に、しかし、小豆は首を振る。
 「おみかたするときめたからには、そんなうらぎりはしないよ。
 義がすたるだろう?」
 「〜〜〜これだから上杉は!!」
 悔しげに歯噛みし、木刀を振り上げた小竜へ、のんきな声がかかった。
 「そこ、勝手に動いたら反則だよーん。
 今はこっちの手番っ!」
 と、升に飛び込んで来た浦島の刃をとっさに防ぐ。
 「あれ、やるじゃん!
 さすが長船の名刀♪
 でも・・・!」
 太刀の刃をすり上げながら懐へ入り、小竜の喉元に自身の刃を突き付けた。
 「俺だって、虎徹の真作なんだv
 「・・・っ!!」
 兄達の喝采を浴びて得意げな浦島を、小竜が悔しげに見下ろしていると、同じく盤上にいる謙信がぱたぱたと手を振る。
 「こりゅうも、こっちのおみかたなのだ!
 ぐらんー!だでぃー!まけないのだー!」
 両手を挙げてぴょんぴょんと跳ねる謙信の姿に、光忠と大般若は思わず頬を緩め、手を振り返した。
 「次、僕が行っちゃおうかなーv
 謙ちゃんと手合せするの、楽しそうーv
 「いやいや、親父。
 ここは、親子水入らずと言うのが・・・」
 がっ、と、顎を掴まれた大般若に、光忠の引き攣った笑みが迫る。
 「だから親父と呼ばないでと言ってるでしょ今ここで僕とやる?」
 「まぁまぁ、光坊」
 一息に言った光忠の、大般若の顎を掴む手を、鶴丸が軽く叩いた。
 「家族を争わせるのは気の毒だからな。
 俺が行ってやるぞ」
 「それやったら、自分が行ってもいいですか?」
 よっこらせ、と、立ち上がった明石に、鶴丸が目を丸くする。
 「こりゃ驚いた!
 どういう風の吹き回しだ?!」
 「どうもこうも」
 と、指した先では蛍丸が、巴形と一緒に清光までも吹き飛ばしていた。
 「国俊だけやったら無理そうや。
 うちの子説得するには、自分も行かんと」
 「俺も行こう!!
 清光の敵討ちだ!」
 椅子を蹴って立ち上がった長曾祢が、大股に盤上へ上がり、攻めあがっている浦島へ太い笑みを向ける。
 「頑張っているな、浦島!
 さぁ、どこからでも来い!!」
 「へっへー!
 長曾祢兄ちゃん相手でも俺、負けないからねー!」
 威勢よく木刀を振り上げた浦島が、肩越しに一期一振を見遣った。
 「一期さーん!
 次は俺、動かして!」
 にこりと笑って応えた一期一振は、しかし、先に後藤を進めて、金とする。
 「うっわ、最悪やん。
 なんで自分の近くで成りますのん」
 早速逃げの姿勢になる明石へ、後藤は得意げに笑った。
 「へへっ!
 これから次々に成るぜ!
 物吉ー!ごめんなー!」
 明石を討ち取った後藤が手を振ると、救護テントの中で、真っ青になって震える物吉が悲鳴じみた声をあげる。
 「僕、もう平気ですからっ!早く戻してください!!」
 「俺も俺もっ!!」
 物吉の隣で跳ねる太鼓鐘の額に、太郎が手を当てた。
 「・・・水は持ちましたね?
 喉が渇く前に、ちゃんと飲むのですよ」
 「わかってるって!!」
 お許しが出るや、太鼓鐘は歩兵の初期位置へ走って行く。
 物吉も、なんとか石切丸を説得して、テントから出してもらえた。
 「にっかりさん、ありがとうございます!代わります!」
 「もう大丈夫なのかい?」
 「はい!!」
 大きく頷いた物吉の肩を励ますように叩いて、にっかりが盤外へ出る。
 「皆さん、お待たせしました!
 ご協力、お願いします!」
 「おう!!!!」
 自陣の駒達が大音声で応え、心強くなった物吉は、きっと一期一振を睨んだ。
 「負けませんから!!」
 「うん、その意気だ。
 救護テントの中でしょげているお前に勝ったところで、面白くないからね」
 くすくすと笑う兄に、骨喰がため息をつく。
 「いち兄、声に出ている」
 「構わないさ」
 五虎退が差し掛ける大きな日傘の下、一期一振は天鵞絨の布を掛けて脇息代わりにした氷柱に、ゆったりともたれた。
 「さぁ、攻め入るよ。
 後藤に続いて、包丁、信濃、前田、そして・・・博多!」
 手番ごとに、短刀達が次々と金になる。
 「どうだい、ソハヤ!
 我が豊臣に刃を向け続ける徳川の守り刀!
 ずっとお前が忌々しかったんだ!!」
 「うっわ・・・マジかよ。ひくわー・・・」
 床几を蹴って立ち上がった一期一振の声に、ソハヤノツルキが顔を引き攣らせた。
 「やべーわ。
 静、俺を守って」
 「承知した!」
 薙刀を振りかぶりながら進んだ静形は、しかし、懐に飛び込んで来た博多の一閃が見えず、吹き飛ばされる。
 「・・・・・・馬鹿な」
 呆然と、小さな彼を見遣る静に、博多が得意げに笑った。
 「黒田の速さをなめたらいかんとばい!
 ちいさかでも、つよかっちゃけん!」
 「よっ!博多!」
 「それでこそ黒田だ!!」
 盤上の日本号だけでなく、外にいる長谷部の喝采も受けて、博多は得意げに胸を反らす。
 「次は日本号取り返すばーい!」
 「させませんよ!」
 「とりゃっ!!」
 物吉の声と共に、太鼓鐘が博多へ切り込んだ。
 「伊達を鈍足鈍足って馬鹿にしやがってっ!
 腕力じゃ負けねーんだよっ!」
 「せからしかっ!
 こっち暑かろーけん、さっさと雪ン中帰りぃ!!」
 「てめぇこそ海に帰れっ!博多湾に沈めっ!!」
 すさまじい勢いで切り結ぶ二人へ、歓声が沸く。
 「貞ちゃーん!がんばれー!!」
 「貞坊ー!勝ったら俺の秘蔵の菓子やるぞー!」
 光忠と鶴丸の声を圧して、一期一振の声が響いた。
 「博多!!
 ここで勝ったらFXの資金を提供するぞ!!」
 「ほんなごつっ?!」
 途端に目の色を変えた博多の速さが増す。
 「貞っ!!」
 「太鼓鐘ー!
 君が負けたら、短刀は愛染だけになるんだよー!」
 思わず声をあげた大倶利伽羅とは逆に、妙にのんびりと亀甲が声を掛けた。
 と、
 「わかってる!
 ぜってー負けられねぇよ!!」
 押されかけていた太鼓鐘の勢いが戻る。
 「・・・亀甲くん、さすが兄弟。
 貞ちゃんの性格、よくわかってるよねぇ」
 感心する光忠に、亀甲はにこりと笑った。
 「物吉もだけど、僕ら貞宗はどうも、自分のためと言うより、人のために戦うのが性に合ってるみたいなんだ。
 ここで誉を約束するのは簡単だけど、そうしたらあの子は負けちゃうよ」
 「あぁ。
 貞坊はいい子だよな・・・よし!そこだ!!」
 鶴丸が声を張り上げると同時に、太鼓鐘の木刀が博多のそれを弾き飛ばす。
 「やっ・・・!」
 「ほい、やったーv
 快哉をあげる間もなく、太鼓鐘の横腹に包丁が刃を突き付けた。
 「お前!
 余韻とか!
 ないのかよ!!」
 息を切らして抗議する太鼓鐘に、包丁がにんまりと笑う。
 「ないね。
 早く終わらせて、アイス食べたいんだよ、俺。
 いち兄ー!
 俺、おやつ増量ー!」
 一期一振へ向かって諸手をあげる包丁の頭上が、突然翳った。
 「そりゃお預けだな」
 「ぎゃんっ!!」
 長曾祢の体躯に押し出された包丁が、転んで泣き声をあげる。
 「後ろからなんて、ひきょうだぞ!」
 「いや、お前だって今、太鼓鐘の油断をついただろ」
 言われる筋合いはないと、長曾祢は苦笑した。
 と、
 「そうだねぇ。
 そろそろ、終わらせないとバテるよねぇ」
 長曾祢よりも更に大きな影が差し、剣圧が暴風となって吹き荒れる。
 「じ・・・次郎・・・!」
 吹き飛ばされ、地に這う長曾祢の上に、堀川も折り重なった。
 「さーすが一期!
 いいタイミングでアタシを動かすよねぇ!
 長曾祢くらいならなんとかなっても、堀川くんには速さで負けるもんー!」
 「ふふ・・・。
 金に成った弟達に気を取られすぎたんだよ、貞宗達は」
 最早、表情を取り繕うこともしなくなった一期一振が、邪悪に笑う。
 「お覚悟!」
 「逃げるわ!!」
 素早い短刀に敵うわけがないと、ソハヤが床几を蹴って逃げた。
 「逃がすかよ!」
 逃げ道を塞ぐ後藤を、ソハヤノツルキが睨む。
 「お前、本来は徳川方だろうに!」
 「それはそれ、これはこれ」
 にんまりと笑って、後藤は退いたソハヤノツルキを追った。
 その様に、一期一振は目を細める。
 「・・・あぁ。
 徳川の守り刀同士が争う様はいいねぇ」
 「いち兄・・・。
 本性。
 ちょっとは本性隠して」
 水を持って来た乱の呆れ声に、彼は笑みを深めた。
 「いいじゃないか。
 この戦はどうせ・・・・・・」
 ちらりと、天守最上階を見上げる。
 「今頃、主が困っておられるのだろう。
 勝負を決めないとね」
 その前に、と、蒼ざめる物吉を見遣った。
 「せいぜい、いじめてさしあげよう」


 「うぉりゃ!!」
 逃げた先の前田へ、ソハヤノツルキが斬りかかる。
 一旦は受け流され、反撃されたものの、木刀ならば受けてもそう、大きなダメージはなかった。
 「れっ・・・霊刀なめんなっ!!」
 何とか押し切ったソハヤノツルキは、油断なく次の手を待つ。
 と、
 「そーれっ!」
 次郎太刀が大倶利伽羅へと振り回した剣風に巻き込まれ、明石と交代した大般若や、愛染までもが吹き飛ばされた。
 「マジかよ・・・っ!
 太刀と打刀!補充してくれ!!」
 ソハヤノツルキの懇願に困り顔で、亀甲は立ち上がる。
 「太刀はまだいるけど・・・打刀はもう、僕しかいないかぁ」
 「太刀は俺が行くぜ!
 伽羅坊の仇、取って来るぞ!」
 勇んで飛び出した鶴丸は、飛車の初期位置に就くや、顔を引き攣らせた。
 「・・・蛍丸、こっちに戻ってくる気は」
 「ないかな」
 にんまりと笑った蛍丸が大太刀を振り回し、その刃は物吉にまで迫る。
 「っ!!」
 身を低くして耐えようとしたものの、本丸最強の威力には到底かなわず、物吉は盤外へ転がり出てしまった。
 「あーぁ。
 大ピンチだねぇ」
 堀川の代わりに入っていたにっかりが、大して危機感のない様子で笑う。
 「とりあえず、大太刀を減らそう」
 こちらも危機感のない口調で亀甲が指すや、次郎太刀の懐に飛び込んだにっかりが、彼の顎下へ刃を突き当てる。
 「速さなら僕の方が有利なんだよねぇ」
 「・・・あたしも、もうちょっと早く動けたらねぇ」
 苦笑した次郎は、にっかりの木刀を押し下げて盤を降りた。
 「あー暑かった!
 冷たい酒がうーまーいー♪」
 「いや、待って待って!
 次郎さん、こっちの持ち駒なんだから、戻って!」
 「え」
 テントに入ろうとしたところを光忠に追い出され、見遣った先では亀甲が手招いている。
 「えー!
 まだやるのぉー?!」
 「当然でしょ。
 金に成った短刀を切り払っておくれ」
 その代わり、と、亀甲はあでやかに笑った。
 「これからは、一人倒すごとに、大吟醸ひと樽」
 「おまかせあれ!!!!」
 再び盤上に戻った次郎は、突き込んで来た御手杵の穂先を受け止め、押し返した力で村正をも襲う。
 「FUFUFU!負けませんヨッ!」
 盤外にいながら離れられず、はらはらと戦況を見つめる物吉に、声がかかった。
 「盤上に戻りたいか?」
 嘲笑うような口調の一期一振を、物吉はきっと睨む。
 「骨喰が暇を持て余しているから、入れてあげてもいいよ?」
 その言葉には、盤上で黒い日傘をくるくると回していた骨喰もため息をついた。
 「・・・いち兄、意地悪はよせ」
 「だったら俺が代わってあげようかー?
 物吉が、徳川の大将首を取るって言うのもいいよね」
 浦島と代わった鯰尾が、くすくすと笑いながら、あからさまに意地の悪いことを言う。
 「兄弟も、物吉をいじめるな。
 いち兄、いい加減にしないと、主が口を出してくるぞ」
 「わかっているよ」
 おそらく、天守から自身を睨んでいるだろう主へ向けて、一期一振は手を振った。
 「ご意向は承知しているとも。
 信濃!」
 「え?俺?」
 ソハヤノツルキを追い詰めている後藤ではなく、なぜ自分がと、驚きながらも信濃は歩を進める。
 と、目の前に亀甲の笑顔が現れ、信濃はうんざりと眉根を寄せた。
 「勝てないとは思わないけど・・・怪我するのは嫌だなぁ」
 ただの打刀ならともかく、亀甲も修行帰りだ。
 こちらも無傷と言うわけには行かないだろう。
 「下がっちゃお」
 兄の采配を待たずに歩を下げると、亀甲は蛍丸を牽制するためか、元の位置へ戻ってしまった。
 「信濃!」
 「だから、なんで俺ー?」
 再び歩を進めると、やはり亀甲が現れて、つい下がってしまう。
 が、またも兄は信濃へ行けと言う。
 「もー!
 俺じゃなくてもいいでしょお!!」
 ヒステリックな声をあげる信濃に、鯰尾がにこりと笑った。
 「いいから、行きなよ」
 「なんでさ!
 鯰尾兄も骨喰兄も、さっきから全然動いてないじゃん!」
 「今から動いても届かない」
 日傘をくるくると回しつつ言う骨喰を涙目で睨んだ信濃が歩を進め、戻るを繰り返したのち、篭手切が笛を鳴らす。
 「千日手となりました。
 指し直しはありません。
 これにて、勝負終了!」
 その言葉に皆、あっさりと引いて近くの日陰に入って行った。
 「え・・・。
 なにそれ、引き分けってこと?
 俺は?!」
 盤上に取り残された信濃が目を吊り上げて、去っていく駒達を見回す。
 と、
 「いいんだよ、これで!」
 駆け寄って来た後藤が信濃の肩を抱き、共に盤を降りた。
 「大将は、豊臣と徳川の勝負は許してくれたけど、どっちかが圧勝する、ってのは避けたかったんだろうな。
 光忠さんはともかく、他の長船はきっと、大将の口利きで徳川に味方したんだ」
 言われてみれば、最初に人間将棋の話を持って来たのは大般若だったと、信濃は頷く。
 「歌仙さんがいないから対決を許したけど・・・歌仙さんがいない時に、本丸が割れちゃったら大変、ってことか」
 「そういうこと」
 にんまりと、後藤は笑った。
 「最後に信濃を使ったのは、傷を嫌がるお前が、亀甲を避けるだろうってわかってたからだな。
 おつかれさん♪」
 「・・・そうとわかってたら、勝負したのに!」
 ぷくっと頬を膨らませて、信濃は一期一振を見遣る。
 既に盤を降りた彼は、悔しげに俯く物吉へと歩み寄った。
 「やぁ、物吉。
 君も狙っていたんだろう、千日手?
 手こずっていたようだから、こちらから仕掛けてあげたよ。
 主のご意向だからね、温情をかけて、勝たずにあげたけど・・・」
 一期一振が、物吉の顎へ手を掛ける。
 「私の持ち駒になったお前を、どうしてあげようかな」
 「・・・っ!」
 きっと、睨みつけてくる物吉に、一期一振は愉快げに笑った。
 「いいね、物吉。
 白くきれいな君が汚れて、悔しそうに私を睨むなんて、とても愉快だよ。
 ―――― 大蛇の前で怯えていた頃のことを思い出したかい?
 小さな君に縋ることしかできなかった、脆弱な元の主のことは?」
 「このやろ・・・っ!!」
 こぶしを震わせる太鼓鐘を、亀甲が止める。
 「待ってくれ、一期一振」
 進み出た亀甲は、物吉に掛けられた一期一振の手を取った。
 「今回、指し手は僕だよ。
 駒を取られた責任は、僕が負うべきさ。
 だから・・・っ」
 声を詰まらせた亀甲の頬が、朱に染まる。
 「その残酷な手は僕に・・・!
 さぁ、存分にしておくれ!」
 手を亀甲の頬に添えられた一期一振が、鳥肌を立てて歩を引いた。
 「やめろ。
 私は女人以外に興味はない」
 「あぁ・・・v
 その冷酷な言葉、蔑んだ目、いい・・・!」
 両手で一期一振の手を握り、亀甲は更に迫る。
 「さぁ・・・一期!」
 「ひっ!!」
 思わず刀を抜きそうになった一期一振へ、穏やかな声がかかった。
 「まぁまぁ、二人とも」
 間に入った石切丸が、それぞれの手を掴んで引き離す。
 「主も最初に言っていただろう、終わったのちは遺恨なし、って。
 これはホラ、あれと同じだよ・・・後妻の家を、前妻が壊す・・・」
 「後妻打ち(うわなりうち)か?」
 「そう、それ」
 太鼓鐘の言葉に、石切丸は頷いた。
 「あれも、散々打ち壊して、終わったのちは遺恨なし、で手打ちにするものだろう?」
 「では、次は正妻の座をかけて!」
 「おやめ」
 一期一振の宣言を、石切丸はにこりと笑って却下する。
 「ホラ、遊びは終わったのだから、片づけるよ。
 歌仙さんが戻ってくる前には、原状回復しておかないとばれてしまうよ」
 「そうですな・・・」
 ひとつ、吐息した一期一振が、笑みを浮かべた。
 「今回も十分楽しかったことですし、潰すのは先の楽しみに取っておくとしましょう」
 「余裕ぶって、足をすくわれなきゃいいけどな!」
 吠える太鼓鐘の頭を、一期一振は押さえつけるように撫でてやる。
 「・・・君も、私の持ち駒にされたことを、忘れないようにね」
 「ぐぅ〜〜〜〜っ!!」
 顔を真っ赤にして唸る太鼓鐘に声をあげて笑った一期一振は、ひらりと手を振って背を向けた。


 終了後は、豊臣、徳川関係なく、原状回復と言う名の後片付けに追われた。
 「整地したのを戻すのは面倒だから、流しそうめん大会したんだよ、ってことにしちゃおうか」
 「まぁ、実際にやったしな、流しそうめん」
 光忠の提案に頷いた鶴丸が、元気のない太鼓鐘の背を叩く。
 「いつまでしょげてるんだ!
 また味方を集めて、次は勝てばいいのさ」
 「味方・・・・・・」
 その言葉に、物吉も俯いた。
 「今回、長船の皆さんが協力してくれたのは、主様のお口添えがあったからだって聞きました。
 それがなければ・・・僕達はもっと、不利だったんですよね」
 深々と頭を下げる物吉に、光忠が慌てて手を振る。
 「いやいや!
 主くんが何も言わなくても、僕が家族にお願いしたよ!
 頭を上げて、物吉くん!」
 励まそうと、光忠が伸ばした手を、進み出た日向が払いのけた。
 「うちの子の面倒は、僕がみるよ!」
 言うや、踵を返して物吉を抱きしめる。
 「ほら、元気出して。
 お前は幸運を招き入れる刀なんだろう?
 お前がしょげていると、次の勝負もおぼつかないよ。
 ね?太鼓鐘も」
 手を伸ばし、日向は太鼓鐘の腕を励ますように叩いた。
 「元気に声を出すお前の存在が、徳川の士気をあげていたんだよ。
 大丈夫、次はうまくやろう」
 「父さま・・・!」
 「父ちゃんー!!!!」
 泣きついてくる二人を抱きしめた日向は、肩越しに光忠へ舌を出す。
 「そうか、貞坊の嫉妬心は親譲りだったか」
 うろたえる光忠とは逆に、鶴丸は得心したとばかりに頷いた。
 「え?
 貞ちゃんって、そうだっけ?」
 「小夜坊や長船の連中にやきもち焼いていただろ。
 気づいてなかったのか?」
 と、のんきに笑う鶴丸と、光忠の肩も、背後から掴まれる。
 「サボってないで、片づけろ!」
 大倶利伽羅の大声に、太鼓鐘もようやく涙目をあげた。
 「・・・次は負けねぇ!
 絶対にだ!!」
 「はい!
 負け続けても、最後に勝てばいいんです!」
 物吉も顔を上げ、涙を拭う。
 「幸運を、呼び込んで見せます!」
 「その意気だよ!」
 頼もしい二人に目を和ませ、日向はまた、抱きしめてやった。


 ―――― 昨日の騒ぎが遠い日のことであったかのように、静かな夕刻。
 更に静かな離れでは、山姥切が一人、縁側に腰掛けて、夕涼みをしていた。
 兄弟の前でも取らない布を、自室ゆえの気安さで放り出し、洗ったばかりの髪を夜風にさらす。
 日中の暑熱を忘れさせる心地よさに浸り、ぼんやりと空を眺めていると、妙に威圧感のある足音がこちらへ向かって来た。
 「誰だ・・・?」
 大典太や、ソハヤノツルキとも違うそれに振り向いた時、
 「やぁ、今帰ったよ」
 声と同時に、襖が開け放たれる。
 「か・・・歌仙・・・!」
 手近にあったタオルを取り、慌てて頭を隠す山姥切を見下ろした歌仙は、一足に歩み寄り、とっさに逃げ出した彼を壁際へ追いつめた。
 「な・・・なんだ、いきなり!」
 壁に背を押し付け、抗議する山姥切の逃げ道を塞ぐように、片膝をついた歌仙の手が壁を突く。
 「いい子だから、僕の質問にちゃんと答えるんだよ。
 ・・・僕がいない間、何があった?」
 嘘を許さない、凄みのある目が迫り、山姥切は喉を引き攣らせた。
 「べ・・・別になにも・・・!
 いつも通りだったが・・・?」
 必死に平静を装うが、成功したとは思えない。
 目が泳がないようにするのが精一杯だった。
 「お・・・お前が留守だった時のことは、主や、光忠に聞けばいいじゃないか。
 なぜ俺に・・・!」
 「主は平然と嘘をつく上に、光忠は話さないと決めたことはおくびにも出さない。
 その点君は、脅せば口を割るだろうからね」
 「なっ・・・!」
 頬を朱に染めて、反駁しようとする山姥切の肩を掴み、壁に押し付けて動きを封じた。
 「さぁ、全て話せ」
 逃げようにも、肩を掴む手は今までにない力で押さえつけられ、微動だにしない。
 「わ・・・かったから、放せ!
 この似非文系が!!」
 その言葉に、歌仙の目が細くなった。
 「お仕置きが必要かい?」
 更に力を加えられて、山姥切の肩がきしむ。
 「こんな状況で話せるか!!
 なんで穏やかに聞こうと思わないんだ!!」
 悲鳴じみた声をあげても、力を緩める様子はなかった。
 どころか、
 「それは、主や光忠が素直じゃなかったからだね」
 などと、当然のように言う。
 「お前・・・っ!
 修行に出て、少しは穏やかになって帰って来ると思ったのに!
 更に短気になってるじゃないか!」
 放せ、と、もう一度言ってようやく、肩を掴む手が離れた。
 荒く吐息して、山姥切は歌仙を睨みつける。
 「別に、大したことはなかった!
 いつも通り、戦へ行って、遠征に行って、本丸に残った連中は将棋なんかして遊んでいた。
 随分と暑かったから、短刀達に流しそうめんをしてやったり、かき氷を作ってやったり、ばー・・・なんとかで、魚を焼いたりしていたが、それがなんだ!
 主も光忠も、同じようなことを言ってたんじゃないのか?!」
 一息に言うと、歌仙は渋々、身を離した。
 「その通りだよ。
 天守前の広場が整地してあるし、なにか催した雰囲気や、妙によそよそしい態度の者がちらほらいたものだから、何かあったと思ったのだけど」
 「・・・物吉が、将棋で一期一振にもてあそばれて、太鼓鐘が怒っていたくらいだが、何か?!」
 「あぁ、負けはしなかったらしいが・・・随分いじめられたと、太鼓鐘が怒っていたね」
 立ち上がった歌仙は、興味を失くしたかのように身を翻す。
 「邪魔したね。
 ・・・あぁ君、夏とは言え、ちゃんと髪は乾かさないと、風邪をひくよ。
 夏風邪はなんとやらの病と揶揄されたくなければ、気をつけたまえ」
 散々狼藉を働いておきながら、謝りもしない歌仙を山姥切が睨みつけた。
 「俺が修業から帰ったら・・・覚えていろよ!」
 「そんなの、忘れるに決まっているよ」
 肩越しに、意地の悪い笑みを向けられる。
 「それが嫌なら、さっさと行きたまえよ、君」
 「・・・〜〜〜〜っ!!」
 悔しげに唸る山姥切へ笑みを残し、歌仙は殊更優雅な足取りで離れを後にした。




 了




 










我が本丸の性格の悪い連中が、歌仙のいない隙に羽を伸ばしすぎた話でした(笑)
いち兄の性格の悪さ、随一。
他の本丸では、優しいお兄ちゃんなんでしょうが・・・刀剣始めた頃に、なぜかめちゃくちゃ性格の悪いいち兄の夢を見まして。
それ以来、我が本丸ではいち兄の性格が最強に歪んでいます(笑)
勝負方法は一応、将棋と言うことになっていますが、随分昔にヘボ将棋やった程度の知識なので、どこに誰を配置とか、どんな進め方してるとか、あまり考えずに書いています。
・・・いや、やろうとしたんですけど、初期配置でめんどくさくなった。>馬鹿なの。
今回は豊臣がお情けで引き分け、事実上の勝利でしたが、今後顕現する刀剣によっては、徳川が巻き返すかもしれないし、意外と細川が出てくるかも(笑)
細川、古今伝授も光忠も持ってるぞ!













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